クーデターの日本史

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
乙巳の変から三無事件まで
2日本@名無史さん:2013/05/06(月) 15:37:06.99
記録ある日本史で初めてのクーデターは、大火の勝新であり、最後は王政復古の大号令である。
3日本@名無史さん:2013/05/06(月) 16:46:46.36
昭和維新は?
4日本@名無史さん:2013/05/06(月) 20:36:56.54
成功したクーデターの最後は明治14年の政変だ。失敗したものまで含めると
三無事件が最後。もしかしたらオウム事件・・・
5日本@名無史さん:2013/05/06(月) 20:43:04.32
乙巳の変の首謀者は天智天皇ではないだろう。
鎌足と孝徳天皇か?
6日本@名無史さん:2013/05/06(月) 23:11:17.75
孝徳天皇が乙巳の変の首謀者の一人だったというのはその通りだろうが
天智天皇も絡んでいたと思われる。なぜならば持統天皇は乙巳の変があった645年の生まれであり、
乙巳の変に協力し孝徳朝で左大臣になった蘇我山田石川麻呂は
乙巳の変以前に天智天皇に娘を差し出し姻戚となっているためだ。
(持統天皇の母は蘇我山田石川麻呂の娘。尚、持統天皇には同母姉・大田皇女があるので
提携はもっと早いと思われる)
乙巳の変の首謀者が孝徳であり天智ではないなら石川麻呂は孝徳に娘を差し出していたと思われる。
7日本@名無史さん:2013/05/06(月) 23:18:46.88
>>2
大化の勝新
8日本@名無史さん:2013/05/07(火) 09:30:26.66
>>6
それは将来天皇に立てることを見越しての布石だが、若年の天智は
首謀者ではないだろう。乙巳の変首謀者にとって重要な天皇候補という
手札にすぎない。
9日本@名無史さん:2013/05/07(火) 09:34:22.76
孝徳をすぐに天智に取り替えるのが予定コースだったとしたら
孝徳は利用されただけで首謀者からは外れる。
10日本@名無史さん:2013/05/07(火) 11:35:55.47
>>8
孝徳天皇は実子の有間皇子を溺愛していた。
孝徳天皇が首謀者なら将来の天皇は間違いなく有間皇子だよ。
姉の子にすぎない中大兄皇子に出番はない。
乙巳の変のときから中大兄皇子が将来の天皇候補だったというなら
中大兄皇子が主体的に事件に絡み実績を上げたからだろう。
11日本@名無史さん:2013/05/07(火) 12:10:52.57
いやいや、中大兄を皇極の次に立てたら石川麻呂の野心が丸見えになりすぎる
のでつなぎに孝徳を立てて折を見て中大兄に取り替えるつもりだったのだろう。
中大兄が急速に自分の意志と野心を持ち始めたのが誤算。
12日本@名無史さん:2013/05/07(火) 13:07:02.12
>>11
皇極天皇が中大兄皇子に帝位を譲ろうとしたのを
野心が丸見え過ぎると警戒して叔父孝徳に譲ったというのは
「日本書紀」にある通りだろ。
しかし、孝徳天皇は中大兄皇子の舅である石川麻呂を新政権の左大臣にすえなければならないほど
中大兄皇子や石川麻呂に気を使う必要があった。
しかも孝徳自身の後宮には有力豪族の娘がいないのだ。
これは中大兄皇子や石川麻呂が首謀者であった証拠だろう。
13日本@名無史さん:2013/05/07(火) 13:12:34.69
>>11
皇極天皇が中大兄皇子に帝位を譲ろうとしたのを
野心が丸見え過ぎると警戒して叔父孝徳に譲ったというのは
「日本書紀」にある通りだろ。
しかし、孝徳天皇は中大兄皇子の舅である石川麻呂を新政権の左大臣にすえなければならないほど
中大兄皇子や石川麻呂に気を使う必要があった。
しかも孝徳自身の後宮には有力豪族の娘がいないのだ。
これは中大兄皇子や石川麻呂が首謀者であった証拠だろう。
14日本@名無史さん:2013/05/07(火) 14:30:44.12
鎌足が首謀者だな。三島の別荘で策を練ってたんだ。
岩倉具視みたいだ。
15日本@名無史さん:2013/05/08(水) 06:44:25.11
オウム事件にクーデターの要素はないか?
16日本@名無史さん:2013/05/08(水) 08:01:24.27
>>15
ない。テロですらない。
17日本@名無史さん:2013/05/08(水) 10:48:57.91
川島辰彦が、朝鮮や部落の後押しを受けて、
天皇皇后を恫喝することによって娘の紀子を皇室に入れたのって、
明らかなテロ行為だろ
18日本@名無史さん:2013/05/08(水) 12:33:53.45
>>17
男系死守派によれば、天皇家は神武天皇の男系Y遺伝子だけが重要で
母系は半島人でも部落でも血は一滴も相続されてないと見なされるので
母親の血筋など一切問わないらしいよ
桓武天皇の母親がたとえ半島人の血を引いていても
母親の血は入らなかったとみなすので一切問題なしだそうだ
19日本@名無史さん:2013/05/08(水) 13:09:58.56
桓武天皇はクーデターで皇太子になった。
20日本@名無史さん:2013/05/08(水) 13:11:46.00
その前に光仁天皇の即位がクーデターだな。奈良時代はクーデターばっかり。
21日本@名無史さん:2013/05/08(水) 20:24:11.45
日本人はクーデタが好きなんだ。
22日本@名無史さん:2013/05/08(水) 21:34:48.72
>>20
桓武天皇の立太子はクーデターだが
光仁天皇即位は一応平和に行われたんじゃなかったか
称徳天皇没後、その異母姉であり
聖武天皇の皇女である井上内親王の夫であるという理由で
称徳天皇の遺言だというのは嘘だろうけど
23日本@名無史さん:2013/05/08(水) 21:37:01.64
>>18
科学的根拠ゼロの主張を盾に、男根至上主義を貫けるものか?
24日本@名無史さん:2013/05/08(水) 21:44:03.32
>>23
まあ、そうらしいよ。
男系至上主義者によれば女性である愛子内親王は父方の天皇や皇太子の血を引かず
母方の小和田家の血しか引かないので天皇になる権利はない
一方で男性である悠仁親王は父方の天皇や秋篠宮の血しか引かず
母方の川島家の血は引かないので天皇になる権利があるんだそうだ
25日本@名無史さん:2013/05/09(木) 06:04:07.90
>>22
藤原百川が女帝の違勅を偽造したクーデタ。話し合いで光仁に落着してたら
吉備真備自任はなかった。道鏡失脚は女帝没後には不可避だったろうが。
26日本@名無史さん:2013/05/09(木) 06:58:05.51
日本史上のクーデターを語ろう。男系の話はそれ用のスレで
やってください。
27日本@名無史さん:2013/05/09(木) 10:39:32.08
>>25
吉備真備は辞任していないよ。真備は光仁天皇擁立を促進した側。
真備が辞任したのは光仁天皇即位の翌年で、79歳という高齢が理由。
鎌倉時代の「水鏡」で百川陰謀・真備陥れの説話が作られた。
聖武天皇の男系は途絶えており、女系しか残っておらず、
光仁天皇以外適任者が見当たらなかったのが事実。
「水鏡」では真備は文屋浄三を押したとしているが、
臣籍降下している文屋浄三がなぜ継嗣に押される創作がなされたのか不明。
皇族であり、聖武天皇内親王の夫である光仁天皇のほうが余程適任だったと思わる。
28日本@名無史さん:2013/05/09(木) 16:44:21.82
文屋浄三は天武天皇の男系の孫だから白壁よりも正統性がある。
文屋浄三を推す真備の正論に誰も真っ向から反論できなくて
廟議は浄三で決まったのに、百川が宣命使に後継を白壁とする偽作の
宣命を読み上げさせた。真備は「長生の弊却りて此の恥に合ふ」と嘆いて
辞表を出した。百川は稀代の策士、野心家、辣腕家。神託事件で清麻呂を
焚きつけたのも百川。左大臣永手すら百川に引きずられがちだった。
29日本@名無史さん:2013/05/09(木) 17:54:28.71
>>28
吉備真備が文屋浄三を押したという記述は「続日本紀」には一切なく、
約400年後の鎌倉時代成立の「水鏡」にある内容。
「長生の弊却りて此の恥に合ふ」という言葉も「水鏡」に初めて出てくる言葉で(ウィキの写し?)
とても同時代の内容とは認められないよ。
臣下が皇族復帰して皇位についた例は奈良時代にはなく、
文屋浄三が正統だとみなされていた記述もない。
30日本@名無史さん:2013/05/09(木) 18:40:30.86
百川は桓武立太子のクーデタの黒幕でもある。とにかく
凄い男だ。
31日本@名無史さん:2013/05/09(木) 18:48:57.43
水鏡には吉備真備が浄三を推したという記述はない。浄三を推す者が
多数だったが固辞したので弟の大市に決まった、とある。続日本紀は
桓武に都合悪いことは記さない。
32日本@名無史さん:2013/05/09(木) 19:00:42.83
>>31
まあ、「水鏡」では浄三・大市兄弟を押したということだろ。
どのみち鎌倉時代成立の書物では一次史料扱いできないよ。
「水鏡」にある吉備真備の台詞「長生の弊却りて此の恥に合ふ
(長生きしたせいでこのような恥をかいた)」
は吉備真備が擁立に失敗したからだというニュアンスで書かれてあるよ。
33日本@名無史さん:2013/05/09(木) 22:13:18.46
天皇を担いだ側が勝つのが日本史上のクーデタの鉄則。
34日本@名無史さん:2013/05/10(金) 07:23:54.67
そんなことはない
皇位そのものの奪取をもくろむタイプのクーデターも多い
この場合は天皇に即位させたい候補者を担ぐことになる

失敗すればただの謀反であり逆賊だが
成功すればクーデター
35日本@名無史さん:2013/05/10(金) 09:02:13.75
基経の陽成天皇引きずりおろしは天皇を担いでいない。
36日本@名無史さん:2013/05/10(金) 09:12:03.92
クーデーターじゃないな。
陽成の他に排除された有力者はいないな。
陽成廃位に抵抗した者もいなかったようだ。陽成がダメすぎただけか。
37日本@名無史さん:2013/05/10(金) 11:14:08.24
承久の乱だろ
天皇を担がない北条義時が勝った
38日本@名無史さん:2013/05/10(金) 13:07:06.33
>>37
承久の乱はクーデタじゃない。上皇の京都制圧は
クーデタかもしれないけど。
39日本@名無史さん:2013/05/10(金) 13:35:32.51
>>38
37は天皇を担がない側が勝った例ね。

クーデターで天皇を担いだ側が勝つのは当たり前だろう。
どっかの皇族を御輿として連れてきてクーデターが成功すればその皇族が天皇になる(天皇が勝つ)
クーデターが失敗すればその皇族は失脚し現在の天皇がそのまま在位(天皇が勝つ)
クーデターに成功しても失敗しても天皇になるのは勝ったほう
40日本@名無史さん:2013/05/11(土) 06:46:38.03
乙巳の変は天皇を担いでない。天皇の御前での殺害だから勅命を偽装することは不可能だった。
41日本@名無史さん:2013/05/11(土) 14:17:43.30
>どっかの皇族を御輿として連れてきてクーデターが成功すればその皇族が天皇>になる
そんな事一度も起きてない。
42日本@名無史さん:2013/05/11(土) 17:27:15.06
>>40
軽皇子(孝徳天皇)・中大兄皇子(天智天皇)などの次期天皇を担いでるだろ。
乙巳の変により皇極天皇は史上初の生前譲位を行って軽皇子が即位している。
中大兄皇子は第二皇子だったのに、この政変に勝利したことで
蘇我氏を外戚とする異母兄・古人大兄皇子に先んじることに成功した。
43日本@名無史さん:2013/05/11(土) 17:42:06.74
>>41
・桓武天皇の立太子はクーデター
・平城天皇の立太子はクーデター
・円融天皇の立太子はクーデター
・一条天皇の即位はクーデター
44日本@名無史さん:2013/05/11(土) 19:59:26.79
>>42
軽皇子を担いでない。
>>43
どれも「皇族を神輿として」に該当しない。
45日本@名無史さん:2013/05/12(日) 10:30:30.18
「天皇を担ぐ」とはまさに王政復古クーデターを言うんだな。「錦の御旗みたいなもんどこにもない。作るんや。」の岩倉具視の凄み
46日本@名無史さん:2013/05/12(日) 11:10:06.46
クーデターだって、いや、クーデターだからこそ大義名分は必要。
兵の士気も違うし、その後の政権の正当性にもかかわってくる。

王政復古に限定しなくても、
政敵討伐のため勅令をゲットして官軍を名乗ってれば「天皇を担ぐ」に該当する。
47日本@名無史さん:2013/05/12(日) 14:38:58.15
>>44
「日本書紀」に中臣鎌足は始め軽皇子に近づいたことが書かれてある。
軽皇子は乙巳の変後、即位した。

・藤原百川が皇太子他戸親王を廃し、卑母の山部親王(桓武天皇)を担ぎ立太子させた
・桓武天皇が実弟早良親王を廃太子とし、実子の安殿親王(平城天皇)を担ぎ立太子させた
・藤原兼家が兄の為平親王を退けて、弟の守平親王(円融天皇)を担ぎ立太子させた
・藤原道兼が花山天皇を騙して出家退位に追い込み、甥の懐仁親王(一条天皇)を即位させた

担いでるじゃん
48日本@名無史さん:2013/05/12(日) 17:30:39.89
担いでないじゃん。
49日本@名無史さん:2013/05/13(月) 09:54:00.64
やっぱり王政復古が日本のクーデターの圧巻だな。芸術作品だ。
50日本@名無史さん:2013/05/13(月) 10:09:30.74
>>48
クーデター成功(自分の推してた皇族が天皇・皇太子になることで自分も出世)
しているのだから担いでるじゃん。
皇族を担がなくても政争に勝てるわけじゃない。
51日本@名無史さん:2013/05/13(月) 13:21:46.46
「担ぐ」の意味が食い違ってるから永遠に平行線だな(^o^)
52日本@名無史さん:2013/05/13(月) 13:59:25.33
実朝暗殺は時政の幕府乗っ取りクーデター?
53日本@名無史さん:2013/05/14(火) 11:41:37.22
>>52
そうだよ。
54日本@名無史さん:2013/05/14(火) 19:44:04.95
有栖川宮擁立は酒井忠清の幕府乗っ取りクーデター?
55日本@名無史さん:2013/05/14(火) 20:40:05.27
>>52
時政ではなくて義時
56日本@名無史さん:2013/05/15(水) 16:37:28.24
>>54
酒井忠清は北条義時になるつもりだったのかな?
57日本@名無史さん:2013/05/21(火) 17:19:46.93
乙巳の変はなかった。
58日本@名無史さん:2013/05/21(火) 17:49:17.36
>>1
月の表面にある丸い、あれ。
59日本@名無史さん:2013/05/21(火) 17:56:09.54
朕自ら近衛師団を率いてスレの鎮定に当たらん
60日本@名無史さん:2013/05/22(水) 14:02:46.20
朝鮮総連本部ビルを買おうとした坊さん
61日本@名無史さん:2013/05/23(木) 01:37:58.44
皇國史最初のクーデターは・・・

 カムヌナカワミミによる 異母兄タギシミミ暗殺クーデターであった!

日本書紀の綏靖紀の冒頭に、タギシミミについて、

「行年、已に長けて、久しく朝機を歴たまえり」

と 明記されていて、
タギシミミこそ 神武の 正当な長子として、実は 二代目の王位に既に就いて
いて 統治していたことを 書紀 自ら 暴露しているわけだ!

なお、このリアリズムは 日本書紀の 史実性を 逆に担保しているとも言える.
62日本@名無史さん:2013/05/23(木) 11:55:16.10
手研耳が皇位に就いていたとしてもそう記すことはないだろうね
63日本@名無史さん:2013/05/30(木) 07:31:31.67
史実が反映されてるとしたら母方氏族同士の闘いだな。
64日本@名無史さん:2013/05/30(木) 07:33:11.30
雄略天皇の即位経過にも見られるように対立候補を殺害する能力も
皇位継承者の資質の証明になったんだね。
65日本@名無史さん:2013/06/03(月) 00:59:22.45
 
1936年の二・二六事件はインチキだった

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0202/9/199.html
http://3rd.geocities.jp/jcon_tline/02/k/k13.html

この事件は、元軍が中国南宋を無血開城させた、
歴史のパロディだった可能性が高い。

( http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0102/5/189.html )
66日本@名無史さん:2013/07/23(火) NY:AN:NY.AN
今度の選挙はクーデタだな。これで憲法改悪、徴兵制、アジア侵略の道が
開かれた。
67日本@名無史さん:2013/07/23(火) NY:AN:NY.AN
選挙がクーデターとは全くもって意味不明
68日本@名無史さん:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN
みずほ銀行や川崎重工のような社内クーデターは増えてるんだけどねぇ
69日本@名無史さん:2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN
企業クーデターといったら、元祖三越岡田追放事件を抜きにはできぬ
70日本@名無史さん:2013/09/22(日) 14:48:18.88
>>68-69
バカマスコミはすぐにクーデターだのなんだのと報道するが、
ちゃんとした既存の規則に従った交代劇だよ。
クーデターは武力を用いて超法規的に政権を奪う行為のことだから。
71日本@名無史さん:2013/10/22(火) 10:00:18.69
安倍内閣の憲法改正策動はクーデター
72日本@名無史さん:2013/10/22(火) 10:20:07.55
安倍みたいに日本国憲法の改正規定に則って改正するというならクーデターではない。
クーデターなのは、石原慎太郎みたいに「国会決議で破棄しろ」とかいう奴。
73日本@名無史さん:2013/10/22(火) 10:29:15.60
それより、自衛隊が国会を包囲して無理くり改正議決するほうが、より、クーデターらしい
74日本@名無史さん:2013/10/22(火) 19:31:21.33
法住寺合戦は、今なら自衛隊が国会議事堂を襲撃したようなものかな。
75日本@名無史さん:2013/10/22(火) 20:02:42.55
>>74
当時公設軍隊はないから
合法武装勢力連合(アルカイーダが合法化されたようなもの)義仲対
警視庁キャリア(平知康は検非違使)の一部が警備する国会&総理官邸といったところ。
76日本@名無史さん:2013/10/23(水) 08:38:31.88
>>74
院は公式な行政機関じゃないからクーデターとは言い難いな。
院政はいわゆる黒幕政治であって、フィクサーを武力で威圧して政権を掌握しても
クーデターとは言えないんじゃないかな。
77日本@名無史さん:2013/10/23(水) 19:40:49.11
>>76
天皇が幼児であってもか?
78日本@名無史さん:2013/10/23(水) 19:47:01.65
藤原氏はクーデターだけでのし上がって権力の頂点に達した稀有な一族
79日本@名無史さん:2013/10/23(水) 21:58:51.09
>>77
帝に年齢は関係ない。
80日本@名無史さん:2013/10/24(木) 14:18:48.37
安倍政権成立はクーデター
81日本@名無史さん:2013/10/24(木) 15:27:49.37
>>76
後白河は今でいうと、元内閣総理大臣にして
現在の内閣総理大臣を指名した政界のドン
そこを襲撃したのだからクーデターだよ
82日本@名無史さん:2013/10/24(木) 19:22:53.27
>>81
元首相も次期首相を指名した政界の裏ののドンも
公式な権力はまったく持っていないから、現在の基準に照らし合わせても、
クーデターには当たらないよ。
83日本@名無史さん:2013/10/24(木) 19:28:53.06
クーデターの意味すら分かってないにわかが多すぎる
84日本@名無史さん:2013/10/24(木) 19:49:34.74
清盛のクーデターって、普通に言うよね。
85日本@名無史さん:2013/10/24(木) 19:54:30.74
>>84
後白河法皇→政権与党大物長老
政権与党本部を襲撃して大物長老を引退させ
内閣総理大臣(関白)の首をすげ替え
別の大物(前関白基房)と提携して
選挙なしで国会議員を入れ換えて
内閣も総取っ替え
官僚人事にも露骨に介入
といった所かな?
86日本@名無史さん:2013/10/24(木) 20:12:32.69
>>84
当時の政変(都限定)

武力を伴う
平治の乱、治承三年の政変(清盛のクーデター)、法住寺合戦
(保元の乱は違う気がする)
武力を伴わない
建久七年の政変
87日本@名無史さん:2013/10/24(木) 20:16:01.27
>>82
変な奴だな。
乙巳の変も、中大兄皇子や中臣鎌足が蘇我宗家を滅ぼしたクーデターと言われるわけだが、
お前の説では、公的権力の源である皇極天皇を狙って殺したわけじゃないから、
クーデターとは呼ばないってことなんだよな。
88日本@名無史さん:2013/10/25(金) 08:49:43.57
>>87
蘇我入鹿はフィクサーではなく、現役の大臣だよ。
89日本@名無史さん:2013/10/25(金) 09:59:17.65
白河院制の成立がクーデター
90日本@名無史さん:2013/10/25(金) 11:59:26.80
院生は日本のガン
91日本@名無史さん:2013/10/25(金) 12:13:50.02
藤原の方が、旧日本軍より、クーデターがうまい
92日本@名無史さん:2013/10/25(金) 12:59:56.26
>>88
後白河も、院という政治機構を備えた現役の上皇だ。
93日本@名無史さん:2013/10/25(金) 14:22:11.83
>>82>>84
上皇が頂点に立つ「院」は当時日本のれっきとした政治体制で
上皇が出す「院宣」によって政治が動き
上皇が出す「院宣」によって天皇が即位し
上皇が出す「院宣」によって武家はそれをよりどころに朝軍として戦った

明らかに現役の政治家だよね
94日本@名無史さん:2013/10/25(金) 20:22:04.65
>>93
いや院宣は私文書だよ。
95日本@名無史さん:2013/10/25(金) 21:03:57.22
>>94
私文書でも当時最も効果的な政治力を発揮したのだから仕方がない

天皇が出す綸旨も私文書。
96日本@名無史さん:2013/10/25(金) 22:18:22.91
>>95
帝は公文書であり宣旨や勅書がだせかす。
強い効力があるということと、公式であるか否かとは関係要りません。
97日本@名無史さん:2013/10/26(土) 08:43:23.27
院の宣旨だから私文書というのは言い過ぎ。
宣旨は律令にも定められた文書様式に則ったものだから
効力があったわけで、政務文書としての扱い。
98日本@名無史さん:2013/10/26(土) 10:31:07.93
>>96
「宣旨」は太政官が出すものです。天皇が好き勝手に出せるものではありません。
「勅書」は私文書です。

で?
「院」が政治機構であったことは認めるんですよね?
99日本@名無史さん:2013/10/26(土) 11:23:44.71
勅書なら公文書じゃん。
ちゃんと公式令で定められた律令による命令だよ。
100日本@名無史さん:2013/10/26(土) 11:55:35.91
>>98
院は私的な権力機関です。
私的な機関が出した命令は私的な命令です。
天皇の父や祖父であるという私的な上下関係を行使して、天皇を動かせる力は持っていても、
それはあくまでも私的な力であって、公的な機関ではありません。
101日本@名無史さん:2013/10/26(土) 12:12:50.28
>>100
私的・公的というのは何を基準にしてるの?

「律令」が根拠なら、摂関も将軍も全部私的な権力であって、
それを殺してもクーデターに当たらないってことになるよ。
102日本@名無史さん:2013/10/26(土) 12:37:40.51
>>101
天皇のから授かった官職がない。
103日本@名無史さん:2013/10/26(土) 12:40:55.73
>>101
日本における「公」とは天皇の麾下に属し、天皇から命令で動く権力機関であるという意味。
104日本@名無史さん:2013/10/26(土) 14:36:21.85
>>102>>103
院号(太上天皇号)も天皇から贈られるよね。
太上天皇は、律令に規定があり、摂関や将軍よりも余程公的な存在。
律令では太上天皇は天皇とともに「天子条」で扱われ、
その権限・立場は天皇と同等であると規定されている。
105日本@名無史さん:2013/10/26(土) 17:46:26.52
いわゆる院政の前にもかなりの権力を行使した上皇はいた。持統は律令の
前だから置くとしても、聖武、称徳、平城、嵯峨、宇多等。摂関期には
摂関に抑えられて上皇の権力行使は目立たなくなるが、もともと上皇には
権力があったのだ。
106日本@名無史さん:2013/10/26(土) 18:05:47.69
ここにも律令厨がいるな
107日本@名無史さん:2013/10/26(土) 18:59:29.94
>>106
で、お前の根拠とする史料は何なの?
自分に都合の悪い史料を提示されると「厨」呼ばわりはやめてね
108日本@名無史さん:2013/10/26(土) 19:07:32.66
>>107
>>104-105は厨じゃない
>>100>>103を指して言ったつもりだったんだ
誤解させてすまん
109日本@名無史さん:2013/10/27(日) 05:43:22.68
よく考えてみれば日本史ってずーーーーーーーっとクーデタが常態化してたわけだよな
110日本@名無史さん:2013/10/27(日) 08:26:13.41
昭和に入っても三月事件、十月事件、5.15事件、2.26事件があったし、
終戦に際しても宮城事件が起きた。平和だったのは江戸時代くらいか?
111日本@名無史さん:2013/10/27(日) 19:15:46.97
いや、「幕府」って令外の武家政権がクーデタなんじゃね?
という意味で
112日本@名無史さん:2013/10/29(火) 12:45:02.13
江戸時代はクーデターが少ない時代だ。
113日本@名無史さん:2013/10/29(火) 22:47:55.95
鎌倉時代はクーデターのオンパレード

源範頼誅殺
梶原景時の変
比企能員の変
頼家暗殺
畠山重忠の乱
牧氏事件
和田合戦
実朝暗殺
北条光時の乱
三浦合戦・・・
114日本@名無史さん:2013/10/29(火) 22:58:27.06
>>109
小泉政権
民主党
クーデーターみたいなもんだからな
115日本@名無史さん:2013/10/29(火) 23:03:29.21
>>113
範頼が死んだって鎌倉幕府の体制が大規模にひっくりかえたわけではないと思うが。
頼家が死んだってすでに実権を失った将軍が死んだだけで大勢に影響はない。
この二つは除外してもいいと思う。
116日本@名無史さん:2013/10/30(水) 00:18:25.15
クーデターってそんな軽いもんじゃないだろ
とりあえず言いたいだけの奴の多いこと
117日本@名無史さん:2013/10/30(水) 00:25:05.12
>>113 >>115
頼家は暗殺時ではなく幽閉時だね

あと鎌倉の地方政権が京の中央政権上層部を総取替えした「承久の乱」も外せない
118日本@名無史さん:2013/10/30(水) 09:12:31.11
江戸時代最大のクーデターと言えば島原の乱かな。
幕府の屋台骨を揺るがしかねない重大な反乱だった。
豊臣の残党が関与してる可能性も疑われた。
119日本@名無史さん:2013/10/30(水) 12:41:47.58
俺のイメージだけど、
クーデタってのは一気に政権中枢を支配することを狙ったやつで、
島原の乱とか大塩の乱とかはクーデタって感じじゃない。

どっちかっつーと由比正雪事件とかの方が
120日本@名無史さん:2013/10/30(水) 13:58:50.78
大坂の陣はクーデターといってもいいな。
121日本@名無史さん:2013/10/30(水) 14:20:28.41
足利義教と義輝暗殺は?
122日本@名無史さん:2013/10/30(水) 16:05:08.97
>>120
大阪の陣は従わない一大名を滅ぼしただけ。
関ヶ原がクーデターだ。
123日本@名無史さん:2013/10/30(水) 20:06:56.54
>>122
関ヶ原は家臣同士の争い。
大坂の陣は、家臣であり官位も内大臣である徳川家康が、
主家であり官位も上位の右大臣である豊臣秀頼を武力で滅ぼしたわけだから、
文句なくクーデターだよ。
124日本@名無史さん:2013/10/30(水) 21:18:30.05
家康が大阪の陣近くに太政大臣辞退したのは何故?
高官で恐れ多いから?
一度は辞退するのが常識?
秀頼に気を遣った?

もしこの時、任官してれば官位の上でも秀頼の上になるのに。
125日本@名無史さん:2013/10/30(水) 21:19:09.74
家康が大阪の陣近くに太政大臣辞退したのは何故?
高官で恐れ多いから?
一度は辞退するのが常識?
秀頼に気を遣った?

もしこの時、任官してれば官位の上でも秀頼の上になるのに。
126日本@名無史さん:2013/10/30(水) 21:21:51.59
二重投稿、申し訳ないです!
127日本@名無史さん:2013/10/31(木) 01:38:19.33
またまた俺のイメージだけど、
クーデタってのは中枢周辺で傍目にはある日突然勃発したやつで
関ヶ原とか大阪の陣みたいな大戦争はクーデタって感じじゃない。

どっちかつーと三成襲撃事件とかの方が
128日本@名無史さん:2013/10/31(木) 06:59:54.29
>>127
野戦や籠城戦ではクーデターという感じではないな
居館襲撃とか闇討ちとかが合ってる感じ
129日本@名無史さん:2013/10/31(木) 14:25:36.23
の変とか政変とかがクーデターっぽい。
130日本@名無史さん:2013/10/31(木) 20:17:36.51
○○の変→成功
○○の乱→失敗か未決着
131日本@名無史さん:2013/10/31(木) 20:54:13.98
>>130
応天門の変は伴善男が首謀者とはされているが…
嵌められたとすれば言い得て妙ではあるよなw
132日本@名無史さん:2013/10/31(木) 20:55:02.59
>>130
治承寿永の乱→挙兵した勢力のうち源頼朝の勝利
一応成功

乱はある規模以上のの交戦があった事件を指すものでは?
133日本@名無史さん:2013/10/31(木) 20:55:05.74
>>128
>居館襲撃とか
大坂の陣は居館の規模がデカかっただけ。
構造的には、三好三人衆と松永弾正による足利義輝襲撃と大差ない。
134日本@名無史さん:2013/10/31(木) 21:10:17.24
>>133
そうなんだ、すごいね!
135日本@名無史さん:2013/10/31(木) 22:22:23.00
とりあえず「変」とつくものを挙げてみる
長屋王の変、薬子の変、応天門の変、安和の変、
本能寺の変、蛤御門の変
もっとあったと思うがこのくらいしか思い浮かばん
136日本@名無史さん:2013/10/31(木) 22:37:17.48
足利義教が暗殺された嘉吉の変
暗殺後、更迭されていた守護大名の赦免により
御家騒動が頻発
没落した赤松は復興を賭けて細川と組み山名に対抗
という点でかなりインパクトが大きい
137日本@名無史さん:2013/10/31(木) 23:46:00.01
あと義輝と義昭のやつも変ついてなかったけ?

薬子の変とかも立派なクーデターかな。
138日本@名無史さん:2013/11/01(金) 00:25:17.96
>>132
状況がほぼ同じで「乱」と「変」が使い分けられているケースをならべてみた

正中の変
後醍醐天皇とその側近による倒幕運動
タレコミにより未遂で摘発
→失敗、交戦せず

元弘の乱(変)
後醍醐天皇とその側近による倒幕運動
挙兵した後醍醐はいったん鎮圧されて配流されるも復活、幕府は滅亡
→成功、大規模な交戦あり


ある程度の交戦が起きからといって必ずしも「〜の乱」と呼ばれるわけではないが、
「乱」と付く事件では必ず戦闘が発生している、ということかな
139日本@名無史さん:2013/11/01(金) 00:48:06.36
変→1日で決着がつく
乱→複数日続く
140日本@名無史さん:2013/11/01(金) 00:58:00.49
>>139
応天門の変
保元の乱
141日本@名無史さん:2013/11/01(金) 06:50:21.66
変と乱の使い分けも
変だし乱れているということか
142日本@名無史さん:2013/11/01(金) 08:43:57.32
>>139
1日で決着といっても、いつを起点にするか、いつをもって決着とするか、明確な基準は作れない。
まー、とはいっても、失敗か成功かというのもなかなか曖昧だけどな。
143日本@名無史さん:2013/11/01(金) 21:13:41.21
>>138
似たような状況の事例としては他に

治承三年の政変
後白河法皇と対立した平清盛が軍勢を率いて上洛
一切の交戦はなしで後白河法皇は実権を奪われる

法住寺合戦
後白河法皇と対立した木曽義仲が軍事行動開始。
後白河法皇方の軍勢を繰り出して応戦。
戦闘の結果後白河法皇方が敗れて後白河法皇は実権を奪われる。

軍勢を率いたが戦わなかった清盛の方は「政変」
戦った義仲の方は「合戦」

参考
建久七年の政変
軍事行動一切なしで摂政九条兼実が失脚
144日本@名無史さん:2013/11/01(金) 22:41:26.67
清洲会議はクーデターっぽいんだが。
軍事行動は一切ないが、織田家中のNo.2が事実上の失脚をしたわけだから。
145日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:06:31.22
それはいいすぎなんじゃ?
後のこと考えるとそう見えるけど。
146日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:09:08.50
織田家中のNo.2って誰のことを言ってるの?
147日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:18:46.89
恐らく勝家だろうな
筆頭家老とか言う奴いるじゃん
148日本@名無史さん:2013/11/02(土) 20:20:23.38
秀次解官はクーデター?
149町人:2013/11/02(土) 22:48:14.62 BE:4384498368-2BP(0)

幕末の奇兵隊のクーデターが格好良いなぁ
150日本@名無史さん:2013/11/03(日) 09:44:21.57
>>149
公然たる反乱だろ
151日本@名無史さん:2013/11/03(日) 10:51:43.06
高杉の赤根武人への差別発言から当然の帰結だな。
152日本@名無史さん:2013/11/04(月) 07:17:38.35
王政復古、廃藩置県、明治六年、明治十四年と、クーデター続き。
保安条例もクーデターだな。
153日本@名無史さん:2013/11/11(月) 02:55:22.09
http://a-draw.com/src/a-draw.com_2456.jpg
http://aryarya.net/up/img/9526.jpg
http://aryarya.net/up/img/9527.jpg
http://aryarya.net/up/img/9528.jpg
http://aryarya.net/up/img/9529.jpg
http://aryarya.net/up/img/9530.jpg

二二六事件(当時は帝都重大事件)を伝える当時の情報誌。
先日、祖母が亡くなったんだが(97歳)、遺品を整理してたら昭和11年ごろの大衆情報誌がいくつか出てきた。
ちょうどこの事件のも含まれてたんで一部をうp
3か月くらいは残るロダのはず。
154日本@名無史さん:2013/11/11(月) 12:12:16.37
マジでサンクス
155日本@名無史さん:2013/11/11(月) 13:11:05.63
当時の生の声、か…。
二・二六事件なんて後から付けられた名前だもんな
156日本@名無史さん:2013/11/11(月) 13:26:46.40
これは、ほんとに貴重な資料だよ
157日本@名無史さん:2013/11/11(月) 20:11:59.05
よく大雪の降る朝だったって表現を見るけど、本当に凄い雪だったんだな

未遂に終わったけど近代日本史におけるクーデターの代名詞的事件だね
あの時点で既に成熟した国家であり世界屈指の列強となっていた大国で、少数派のクーデターなんて成功するはずもなかった
158日本@名無史さん:2013/11/11(月) 20:58:20.28
天皇自ら鎮圧命令出したんだから、そりや勝てない。
戦後、天皇は、あれだけは、俺がおさめたと自慢してた。
159日本@名無史さん:2013/11/12(火) 00:00:00.01
挙兵の大義名分が根本から否定されたわけだからね
これ以上効果的な策はないよ
160日本@名無史さん:2013/11/12(火) 07:03:38.38
ナチス・ドイツが生き延びていた

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/48/311.html

日本史が絡む人物もナチ残党の中にいた。

( http://music.geocities.jp/jphope21/0103/36/249.html )
161日本@名無史さん:2013/11/12(火) 08:14:49.31
>>157
元々は、本庄が「陛下も同じ考え」と言って若手将校を煽ったのが悪かった。
本庄はそういう一方で「陛下はリベラルすぎる」と反対の感想を述べているが、
この無能な侍従武官長のせいでとんでもないクーデター騒ぎになった。
本庄がちゃんと天皇の意志を伝えていれば、若手将校も勝算有りとは思わなかった。
162日本@名無史さん:2013/11/12(火) 13:57:33.49
天皇をも無視する陸軍
最強だな
163日本@名無史さん:2013/11/13(水) 08:34:28.95
2.26は統制派のカウンタークーデターでもあったんだよ。
164日本@名無史さん:2013/11/17(日) 15:27:53.37
>>162
無視はしていない、「玉を握る」という言葉からもよくわかる。
165日本@名無史さん:2013/11/18(月) 07:45:52.45
無視というのは「天皇の意志」のことなのでは?
166日本@名無史さん:2013/11/18(月) 08:53:01.71
で、ほんとのとこ日本史はどこまでが正しいんだ?
167日本@名無史さん:2013/11/18(月) 10:36:25.71
2・26事件の教訓は、軍隊は反乱を起こすことがある、
また、天皇がその軍隊を殺せと命令することもある、
そういうことを認識させられたな。
国家もまた永久不変ではなく、軍隊の反乱などによって
崩壊することもあるのだという、中世における無常観ともつながる感覚を
与えられたよ。
168日本@名無史さん:2013/11/18(月) 14:24:00.99
常に利用されてきた家
それが天皇家
169日本@名無史さん:2013/11/18(月) 21:49:03.59
2.26は天皇を監禁しなかったのが致命的な失敗だった。
170日本@名無史さん:2013/11/18(月) 21:56:14.85
>>169
監禁なんて簡単にできなかっただろうし
監禁したところで成功したとは思えないけど
171日本@名無史さん:2013/11/18(月) 23:07:35.79
>>169
どうやって宮中に入るのか。不可能。
172日本@名無史さん:2013/11/21(木) 19:43:33.97
>>169
当時も天皇は直接政治やってなかったと思うんだが
173日本@名無史さん:2013/11/25(月) 11:08:27.51
真崎政権を目指した
174日本@名無史さん:2013/11/26(火) 03:08:56.23
>>170,172
これは陛下自身も述べられてるが
自ら決断をしたことが2度あるんだよ
一つは終戦のご聖断 もう一つが2.26事件
統帥権干犯問題などの世相や陸軍中枢の皇道派と統制派の対立などもあり陛下の決断が無かった場合どうなってたかは分からないと思う
175日本@名無史さん:2013/11/26(火) 08:28:40.07
皇道派のなかにはリベラルな裕仁天皇を退位させ、秩父宮を担ぐという考えの者もいた。
青年将校らとは陸大時代からの仲で、彼らとは一緒に行動をするなど親和性があった。
裕仁天皇が秩父宮に対して信用を持っていなかったのは、この様な理由があったからと言われてる。
176日本@名無史さん:2013/12/16(月) 05:13:30.01
北条時宗が反得宗勢力の名越時章、名越教時及び
異母の兄である北条時輔を一掃した二月騒動
元寇という有事を目前に結束力強化を名目に得宗家による
専制が極まった
177日本@名無史さん:2013/12/17(火) 02:30:35.36
>二月騒動
クーデターというより粛清では
178日本@名無史さん:2013/12/17(火) 19:18:20.24
実朝暗殺こそクーデター
179日本@名無史さん:2013/12/17(火) 22:33:01.45
在日の親は、子供を朝鮮幼稚園・朝鮮学校に入れたいっていうのが多いのよ。
日本人からすると、なんでだろうって思うけど、日本人の学校では、民族の誇りを持った教育がしてもらえないんだそうだ。
よく分からないけど、流刑者の白丁が密入国して住み着いたじゃ誇りが持てないけど、日本人に強制連行された被害者なら誇りが持てる、とかそういう事かな??

市原市の能満は昔から市街化調整区域で、新規の建物は造れないことになっている。
そのため土地が安く、日本の法律を無視した在日が、次々と移り住んできた。
そこで問題になったのが、朝鮮学校だ。なかなか許可が下りず、一番近くても千葉市にしかない。
そこで在日居住区の能満内にあった、能満幼稚園・市原小・市原中・緑高の保育士や教師を、朝鮮化する事を考えた。
今では通称在日幼稚園の保育士は全て朝鮮帰化人で、在日の父兄からの絶大な支持を受けている。
遠くからでも、わざわざ通称在日幼稚園に入園させたいという在日の親は、後を絶たない。
この在日幼稚園卒園者はほぼ朝鮮系の帰化人と在日で、現在各所でクレーマーとなり問題を起こしている。
180日本@名無史さん:2013/12/17(火) 23:35:12.53
北条氏が権力を握っていく過程がクーデターの連続
181日本@名無史さん:2013/12/21(土) 11:07:04.59
オウム真理教事件は日本クーデター事件史(未遂含む)の中でかなり上位にいきそうですが、
どんなもんでしょう?
182日本@名無史さん:2013/12/21(土) 11:23:17.97
オウム事件はクーデターではなくテロという位置づけ。
183日本@名無史さん:2013/12/21(土) 12:00:35.26
なるほど確かにテロと呼んでますね
ただ、クーデターとテロの明確な違いがよく分かりません
オウムは国家転覆を狙った側面があるので、クーデターと呼んでも間違いではないのでは?
184日本@名無史さん:2013/12/21(土) 12:09:51.30
オウムが国家転覆を言い出したのは犯罪行為が明るみに出そうになって、
信者に対して国家と対峙する姿勢を見せる必要が生じたから。
オウムに限らずカルト教団は必ず理想社会を想定しているから、
基本的に現状の統治機構に対しては不満を持つ。唯一の例外が創価学会だが、
創価は歴史が長いため現実との折り合いを上手に付けている。
185日本@名無史さん:2013/12/21(土) 12:19:27.56
例えば戦前には田中智学という人が日蓮主義運動というのを起こして、
仏教徒国粋主義を結び付けた。その思想に心酔したのは一部の右翼だけではなく、
陸軍の若手将校にも多くの心酔者を生んだ。有名どころでは石原莞爾や
2.26事件の将校らがいる。思想とクーデターは直接結びつくと言うより、
媒介となる体制側の理解者が必要で、オウムのようなテロ行為については
その様な媒介がなかった(というより、思想が敷衍しなかった)ために、
体制側と対峙するテロをするレベルにしか至らなかった。
186日本@名無史さん:2014/01/18(土) 12:58:41.10
加藤の乱
187日本@名無史さん:2014/01/20(月) 06:29:30.04
>>179
キモい
188日本@名無史さん:2014/01/21(火) 19:21:32.69
第二次世界大戦も敗戦クーデターかも…
189日本@名無史さん:2014/01/28(火) 11:14:31.04
>>174
こらこら御前会議での開戦への発言やサイパン後の一回ぐらい勝って
有利に講和したいなどいらんことを言って事態を悪化させたことを忘れてはいけない。
2.26のころから親政を求める声が出始めたが昭和天皇は拒否したが弱い内閣を支持することもなく
風見鶏を続けたために状況打開を求めて親政をもとめる弟の三笠宮と怒鳴り合いの喧嘩
をしたように保身に走っただけというのが正しい理解だよ。
190日本@名無史さん:2014/06/22(日) 18:25:33.67
>>189
どうすりゃそこまで悪意に解釈できるかな

2.26は結局クーデターだから一蹴したのは当然だ
開戦は、もはや天皇が何を言おうと、総理がだれであろうと不可避だったし、
だれも止めようとしない、また止められなかった戦争を、
終わらせる決断をしたのは陛下だ
191日本@名無史さん:2014/06/22(日) 18:51:15.51
悪意に解釈しているんじゃなくて事実関係を知悉できないバカが
何所か他の並行世界の歴史を語っているんだろ

原爆投下以前に終戦なんかありえんよ
実際陸軍は新型爆弾が投下されても終戦に反対する一派がクーデター紛いのことを遣らかしてるし
192日本@名無史さん:2014/07/07(月) 22:49:35.93
三島事件はどうですかね
蹶起にすら失敗してるけど
193日本@名無史さん:2015/01/02(金) 15:03:03.54
集団的自衛権容認の閣議決定は安倍のクーデター。これを堺に
日本は立憲国家から行政が立法権を行使する全体主義国家に
変質した。
194日本@名無史さん:2015/01/02(金) 16:38:43.21
>>193

その理屈だと、この世界には全体主義政権しか存在してないのか。
195日本@名無史さん:2015/01/05(月) 15:29:16.55
三無事件って何だったの?
196日本@名無史さん
クーデターを超法規的な政権交代という意味なら、
承久の乱はクーデターらしい要素があるな。
三上皇の配流、仲恭天皇廃位は、宣命ひとつ出さず全て幕府の実力で行っている。
たいしたもんだ。北条氏は度胸がある。
これ以降「皇位は武家の計らいなること、何人も疑いなし(椿葉記)」となったわけだから。
幕府が真の主権者、立法者ってことだろう。