>>809-810 ほいから、こっちにゃ、あんたら左翼歴博大和中心史観の批判も出とるよ。
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55522331.html 前方後円墳の源流は、日本の広瀬和雄を初めとする大和至上主義者たちの
「前方後円墳国家」にあるような、大和中心的な、一律的な、古墳形式の
大和の許可制とか、それに伴う神獣鏡の分配などといった、あたかも
弥生時代末期から大和が全国を席巻していたかのような大和至上主義に始まる
了見の狭い見方ではなく、前方後円墳の発生も、国家の発生も、東アジア及び
西アジアの動向の影響を受けながら、全地球的な、世界史的な人間行動学にみあう、
動きのなかのひとつの移動とみて、九州には九州独自の古墳の始まり、出雲にも出雲の
始まり、丹後や北陸にはまた独自の始まりがあり、大和もその北陸、丹後、若狭の
高句麗型積石古墳の影響を受けた日本海文化の終着点の一つに過ぎないことを
認識せねばならないのである。
道化者邪馬台国。朝貢外交とはこういうものである。弱いものは道化を演じる。
それは太宰治が書いた『人間失格』を彷彿とさせる。
ほいから、「日本海沿岸の出雲や越を中心に、弥生時代から古墳時代にかけて見られる四隅突出
(しぐうとっしゅつ)墳も、朝鮮半島をはじめとして、東アジア古墳文化の流れの中で
とらえねばならない。このことは四隅突出墳が発見された当初から言われいたことでもあった。
四隅突出墳の源流は高句麗の積石塚にある。」
小林道憲 『古代日本海文明交流圏 ユーラシアの文明変動の中で』 世界思想社 2006
と、、世界史的考察があんたや歴博左翼の段階説、自民族拡張説と
鎖国ガラパゴスなんじゃわい。