畿内厨は日本の歴史に夢見すぎだな
ほとんど原始人みたいな生活をしてた時代だぞ?
古代においては北九州〜出雲がだんとつの最先端地域だった
なんでそれらをすっ飛ばして、畿内に中央集権的強大な国家が沸いてくると思うんだ
ここは記紀を素直に読んで、九州からゆっくりと畿内に文明が及んだと読むべき
神武はその歴史の動きの象徴みたいなもんだろ
>>951 自己レス
劉備の取った蜀と神武の入った奈良は地政学的に似た位置にあると思うんだな
どっちも辺境の内陸で広大な後背地を持ってる
(当時の日本列島の先進地域は出雲と筑紫)
955 :
日本@名無史さん:2013/08/21(水) 11:42:34.46
>>952 農耕社会は揺るやかな進歩の時代だぞ。
近代は100年ほどでも、物凄く進歩した時代だけど
前近代は、古墳時代だろうが、鎌倉時代だろうが、江戸時代だろうが
貴族や庶民の生活も大して差がない。
邪馬台国の時代は基本、その後の平安時代や室町時代なんかと
そんなに大差がない。
956 :
日本@名無史さん:2013/08/21(水) 11:44:15.31
>>952 先進国とか発展途上国とか国や地域によって経済格差ができたのは
英国で産業革命がおこった近代以降の話。
それ以前の農耕時代においては、国や地域によって経済格差はない。
出雲の国譲りという時、あたかも、出雲は丸ごと国を献上したように聞こえるけれど、実は違う。
秦の滅亡で土地を追われた王族に国を割いて建国を許したということです。
まあ、使っていない土地なので自由に使ってくれと大和の地を与えたわけです。
もちろん、先住民はいるので、支援はしますが、基本的に自分で成敗してくださいという条件で。
では、国を譲った出雲とは誰かというと、いわゆる、緩やかな意味での徐副集団。
譲った相手は、もとの主君である秦の始皇帝の子孫。ということなら全て辻褄が合う。
譲られた土地が咸陽と気候が似ている奈良盆地、つまり大和。
958 :
日本@名無史さん:2013/08/21(水) 18:19:14.68
>>957 もう、とんでもはいらねw
出雲国譲りの真相は
出雲の大国主が、娘婿のホアカリ命(高天の王)に
出雲の勢力圏を譲渡したということ。
959 :
日本@名無史さん:2013/08/22(木) 06:25:16.43
960 :
日本@名無史さん:2013/08/22(木) 16:16:02.09
>>957-958 出雲の国譲りの真相は、宮内庁らが没収した竹内文書に記載されていると考えられる
961 :
日本@名無史さん:2013/08/23(金) 21:24:14.88
劉邦の子孫は和邇吉士。
劉邦は客家。客家は古代ユダヤのルベン族末裔。
962 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 00:15:06.15
出雲神族の話は本当のことなの?
963 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 12:37:22.09
ここまでトンデモ説が出回るのは、
皇室の責任も重い。
964 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 14:22:34.29
徐副はchina本土を出航しなかったし、始皇帝に処刑されたものと思われる。
秦の王族などは処刑されたし、記されていない王族も項羽に処刑された。
城の住民すら皆殺しにする項羽が秦皇帝の親類縁者を逃すかずがない。
皇室だって昔の事は古すぎて覚えてないんだよ
でも昔の人は真実を書き残して居たと思う
天皇や天津神を始祖に持つ家系は
空から飛来して来た人の子孫だ
国津神と天津神が混じって日本が出来た
弥生系の渡来はは比較的最近の事で
国津神でも天津神でもない、ただの移民
966 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 15:58:53.52
国津神は縄文時代から続く族長の家系
967 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 16:37:52.07
学校の歴史教育であんまり古代のことしないからな。
だから、トンデモいう奴が続出する。
弥生人、縄文人という概念自体、いい加減なんだがね。
だって、土器の種類で民族や人種を分けるなんて暴論でしょう?
国つ神、天つ神の違いって、ヤマト朝廷を中心として考えて
外様=国つ神、譜代=天つ神ってぐらいだから。
渡来系というか帰化人は、諸番っていう。
968 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 16:46:48.22
弥生時代を水稲農業の開始ととらえるのなら
それは、今から3700年〜3300年前後の話だそうだ。
稲とか人の遺伝子は一定の期間で突然変異するらしい。
それを計算してみると、それぐらいになるそうだ。
ここ10年で歴博が水稲農業の開始を約3000年前にしていたけど
ジョジョに考古学と科学の間が差異がなくなってきた。
記紀神話にある天津神と国つ神の戦いなんて、せいぜい2000年ぐらい前。
日本で水稲農耕が開始されて1500年前後の時間が経過した時の
倭国の政治情勢が、記紀神話になった。
>>966 天孫や天津神が縄文の系統なんだよ
国津神は更にその前
日本の名字分類でも、皇別(天皇)、神別(天孫、天津神、国津神)、諸藩(渡来系)に分かれている
970 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 17:28:52.27
>>969 おまえ、勘違いしているけど
弥生=縄文+渡来だからな。
弥生は、縄文と渡来が混血だから、縄文の子孫でもあるんだよ。
というか、土器の種類で民族分けるのは、全く科学的ではないともいえる。
どっちにせよ、縄文から弥生への移り目が3500年前ならば
天津と国津の話は2000年前くらいの話であり、
日本が弥生時代に移行して1500年くらい経過した時代なんだよ。
>>970 ところが日本書紀で神武天皇は「天祖ニニギが天降って179万2470余年」と語っている
沖縄の天孫降臨伝説では天孫降臨から1万7千年経ったと伝わっていた
また弥生期は温暖だから山幸彦海幸彦のような現象は起きない
天孫降臨を2000年前だとすると全てが成り立たない
972 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 17:55:40.73
>>971 言っている意味が分からない。
理解不能。。。
もっと詳し説明してくれ。
>>972 ニニギが神武の曾祖父なら「179万2470余も昔」と言うと思いますか?
しかも山幸彦は580歳で没
国譲りが2000年前だとすると
海幸彦は西暦何年頃で死んだのは何時ごろでしょう?
国譲り→ニニギ降臨→海幸彦→→→神武東征
海幸彦までが神代、神武以降が人代
つまり国譲りと神武には壮絶な時間差があると考えられる
974 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 18:37:48.46
>>973 ああ、なるほど。そういう意味で言っていたのか...
ただし、自分はそうは考えず、忍穂耳〜神武までも、
普通の人間の時代として
適正年代で考えると、2000年くらいになると解釈しました。
神代、人代と明確に分けたのは、日本書紀からで、古事記では明確に分けてません。
そういう風な観点から、忍穂耳までは、普通に人の世として考えた。
ただし、それ以前の天照とスサノオはずっと前の神話と解釈しました。
というのは、忍穂耳以降は、性交渉によって子孫ができているのに
それ以前は、アマテラスとスサノオの誓約によって、刀から玉がでてきて、
忍穂耳や穂日になったという記述なので、
実質的に忍穂耳や穂日の兄弟から実在で
アマテラスは、彼らが敬う祖先神ぐらいの扱いではなかったのか?と思います。
神武が同時代に確かにそう言ったという確証があるならともかく
何百年も下った史書にそう書かれているからと言って
無批判に信用するのは実におりこうさんとしか言いようがない
976 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 19:13:22.80
あのさ...日本の姫氏(紀氏・松野氏・岸氏)達って須佐之男とかを祖神にしてるのね。
で、その祖先と云われる説のある周王朝は巨人の足跡を踏んで(アヌンナキ?)、
卵が産まれて農業好きの人気者に育った逸話があって、
更に遡った祖先は龍神から生まれて頭に角が二本ある牛頭人身(エイリアン?)の炎帝神農氏で、
赤い鞭で草木を叩いては薬効を調べたり市場(流通経済)を教えたりしてたけど、
この炎帝神農氏が須佐之男っぽくもある訳だ。
で、出雲やら古代天皇家やら物部やらニギハヤヒやらと何があった???
関係が分からん。
977 :
176:2013/08/24(土) 19:23:09.08
>>975 だから沖縄の例も出した
檀君wも出そうかw
このスレ的には神武天皇を「初代天皇」にしなければいけなかった理由って何だろう?
やっぱり中国皇帝の天帝思想に外交的に対抗するため、
日本の天皇の祖先も「神」にする必要があった?
>>979 畿内に移住したから新しい代になった
これだけ
>>980 そんなバナナ。
歴代天皇は何度か遷都してるけど、遷都だけで王朝交代のようなことが起こるのは有り得ない。
諸外国の例でもそうだけど。
なんかもっと別の理由があったように思う
なぜ神武天皇が「初代」でなければならなかったのか。
彼の父も祖父も、普通に考えたら先代天皇だ。
>>981 神武は遷都してないしw
たとえるなら戦後に功績を剥奪された皇族がブラジルに移民して
その子孫がブラジル皇帝になった
初代は誰かな
たとえがイマイチだったw
戦後に日本に見切りを付けた皇族が、家来を引き連れてブラジルに移民した
開拓を頑張り実力を付けた
次々と支配地を広げ戦乱を制覇
移民十世でブラジルの半分を支配し皇帝を名乗った
こんな感じだな
>>983 なるほど。
しかしそれならもっと直接的な話をしよう。
昔二人で国を共同統治しようとした兄弟がいて、
兄は奈良のあたりに暮らし、弟が火山の多い九州の高千穂くんだりに灌漑農業を普及させる旅に出たって感じでしょう。
時が移り九州組の子孫は熱心に火山地帯で灌漑工事や農業指導を続けていた。
すると何やら良くない噂を聞くことになる。
奈良の親戚さんが「俺達こそがこの国の王だ、従えい!」と圧政しているらしいじゃありませんか。
『あはー、こりゃーちょっと戻ってどうにかしないとマズイよね?』
というのが神武東征。つまり親族同士の戦いだよね?
>>984 おまえのトンデモ電波いい加減うざい
みんな迷惑してるから消えろ
986 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 17:14:48.77
ニギハヤヒとホアカリは別だとも言われている。
だとしたら、神武とニギハヤヒは同族ではないな。
神武と同族なのは、ホアカリのほう。
ニニギも大国主も渡来系の神だろう?
どこから来たかっていえば、そりゃあ韓国に決まっているだろうが。
ようするに在日帰化人集団。
988 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 17:32:20.78
989 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 17:37:25.14
ニニギとニギハヤヒは、同一人物だよ。
出雲の国と関係しているので後で。
ニニギ生誕の地が日本国内にある。
頭と尻をとって、神郷になる。
しかも、市町村の合併が許されない。
>>973 >国譲り→ニニギ降臨→海幸彦→→→神武東征
ニニギ降臨→海幸彦。 (千年の時間差) 神武東征→(出雲国の)秘宝強奪。
990 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 18:00:42.46
>>987 渡来系ならば、諸蕃というかカテゴリになっている。
ニニギは天津神、大国主は国津神なんだから、違う。
991 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) 18:01:53.40
>>989 そんな説、初めて見たw
もう、何ともでも言えるねw
言ったもん勝ちみたいな。
>>181 > 彼の父も祖父も、普通に考えたら先代天皇だ。
普通に考えたら、ただの南九州の豪族の長だけど?
そっから一族郎党引き連れて、まったく未踏の奈良盆地に武装入植果たしたんだから、立派な初代じゃん。
まあ、神武の時点でも相変わらずただの奈良の豪族の長だったがな。
子孫がたまたま「天皇」になれたから、遡って初代の「天皇」ということにされただけだよ。
普通に記紀を読めば、誰だってわかるはずなんだけどな。
994 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) 11:52:51.92
>>992 神武を畿内に先導したのは、神武の親戚たち。
つまり、神武が畿内に東征するより以前から、
神武の親戚たちが多く畿内在住で
そこで畿内の様々な地域で領主をやっていた。
946=950=984=994
こいついい加減しつこい
日本の深部
>>995 > 946=950=984=994
> こいついい加減しつこい
こいつの主張って、「徳川家康より以前から江戸幕府はあった」
くらいのトンデモだよな
998 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 12:52:04.09
ちょいと思ったんだけど、戦国時代の北条早雲でさえ何代かが一人で置き換えられたって説があるくらいなんだから、
神武とか100年以上生きてる人も数代にわたっている人が一人になっただけなんじゃないかと。
あと、昔の暦が半年で一年だったっていうのはどのくらい信憑性があるの?
>>998 魏志倭人伝によれば、当時の倭人には百歳以上がざらに居たらしい
種まきと収穫をもって年とすると書いてある
記紀に書いてある初期の天皇の寿命が長い
古事記と日本書紀で没年齢が二倍違う天皇がいる
とりあえずこれぐらい
信憑性はありありだよ
1000 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 13:17:21.00
>>999 なるほど。
ありがとう。
あと1000ゲット!
1001 :
1001:
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