出雲国譲り・ニニギ降臨〜神武東征〜崇神治世★4

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519日本@名無史さん
天武天皇が最も心を砕いたのが、東国経営であった事は確か。
取りやめにはなったが一時期、岐阜か長野に遷都しようとまで言っている。

それは、東国勢力が彼の権力地盤であったからだが、
それ以上に、東国の騎馬を恐怖していたのだろう。
具体的には、現在の多摩辺りの勢力で、これは旧出雲系列だ。
尾張氏は古くからの東海道の要衝を抑える役目で重用されたが、
結局は近江に兵を入れないための盾にすぎない。
520日本@名無史さん:2013/04/11(木) 08:53:35.10
東国に馬が輸入されたのがいつ頃かわかる?
521日本@名無史さん:2013/04/11(木) 09:08:23.47
どんなに遅く見積もっても、5世紀だろう。

4世紀には既に近畿でも古墳から馬具が見つかっている。
九州ではまだ見つかってはいないものの、
弥生中後期にはあった事は確実だ。
それは、銅戈の発達だ。銅戈は本来、馬に乗ってる武将を引っ掛けて
引き摺り下ろすために鉤が付いてる。
近接する出雲もすぐに導入しただろう。
関東は弥生後期に出雲の伸張で彼らの勢力下に入るが、
その原動力は鉄器とともに馬であった公算は大きい。
実際、縄文系が残した土偶には馬がある。
彼らが早くから馬の存在を知っていた事は確実だ。
522日本@名無史さん:2013/04/11(木) 09:27:50.55
6世紀には蕨手刀が登場している。
これは、騎馬ですれ違い様に薙ぐように東国の刀鍛冶で作られた刀だ。
その発掘量の多さから、
この頃にはすでにかなりの長い騎馬運用期間を経て、
大規模な騎馬での戦いが状態化していたと考えられる。
523日本@名無史さん:2013/04/11(木) 12:38:02.66
日本在来馬と言えば、宮崎県の御崎馬と長野県付近の木曽馬が有名。
どちらもモンゴル系で、御崎馬は2000年ほど前に入ってきたとされる。
木曽馬は3世紀頃らしい。だから、いわゆる古墳時代には東国にも
入っていたものと思われる。
524日本@名無史さん:2013/04/11(木) 13:01:14.62
1万5000年前は北海道と大陸が地続きだったんだが
馬は来なかったのだろうか・・・
525日本@名無史さん:2013/04/11(木) 14:33:04.92
というか、日本って騎馬戦はあってないだろう?
国土の八割は山岳地帯だし、人口密集地帯だから
市街戦がメインなので。
また、前近代の日本の輸送の主役は水上交通だよ。
幕末ですら水上交通が交通がメインなんだし。
526日本@名無史さん:2013/04/12(金) 00:39:16.07
金持ちが高級外車に乗りたがるのと同じような目的で導入されたんでねえの>馬
527日本@名無史さん:2013/04/12(金) 01:17:18.35
初期の馬は農業用じゃないの?
528日本@名無史さん:2013/04/12(金) 01:36:28.80
日本にも平地はあるし、人が走るより馬の方が速くて楽チン
山岳地帯が多いと言いながら、そこから急ぎの使いをするのに
水上交通しか無いとか馬鹿げてる
馬がただの飾りなら、鐙等を実用的に改良する必要も無いし
馬で走りながら戦う技術も発展しない
鎧を着たまま泳ぎ、馬を走らせながら弓を射るのが日本の武士
山岳地帯が多いので馬は無理と言う連中は自然淘汰されそうだが…
529日本@名無史さん:2013/04/12(金) 03:42:53.84
その騎馬戦術を使いこなしていたのが
北のエミシ
530日本@名無史さん:2013/04/12(金) 05:17:29.56
>>528
日本で使われていた馬は欧州ではポニーという部類のもので
小柄で牛みたいなもんだよ。
だから、日本では騎馬から降りて戦った。
531日本@名無史さん:2013/04/12(金) 06:18:41.97
>>530
鈴木眞哉乙
532日本@名無史さん:2013/04/12(金) 06:46:22.68
>>530
それはかなり、誇張されたものだよ。
センセーショナルな言い方の方が注目集めるからな。
君みたいにキャッチコピーに騙される。

幕末の写真などみても十分大きいし、
古い血統を受け継ぐ野生馬である宮崎の都井岬の馬も普通に馬。

大体ね、日本刀は馬上で扱う事を目的に作られている。
降りて戦ったんなら、始めから世界一とまで言われるほど発達なんかしない。
ちなみに、日本刀は騎馬が誉れだった鎌倉時代が最高峰。
鉄砲が主役になると良い刀鍛冶がいなくなり
藩や幕府は奨励金を出して養っていた。
533日本@名無史さん:2013/04/12(金) 07:03:51.41
昔の日本の馬は今の馬と違うからな
対馬経由の小型種の馬だよ
ロバに少しスピードが入った程度の馬
高さがないから騎乗するのも楽だし荷物を積むのも煩わしさがない
性格も大人しいし現代でいう原付バイクのようなお手軽さを兼ね備えていた馬だった
日本の狭くて急な山山を荷物積んで動くにはこういう馬でなければ無理だったんだよね
534日本@名無史さん:2013/04/12(金) 07:09:08.89
日本は平野が無く、騎馬戦の場所が無い、というのは、其れこそアホな話だよ。

考えてみてほしい。
田舎に行くと、今でもどこも空がとても広い。
なぜか。そこには田園が広がっているから。

畑は普通に平野だよ。
水田は、冬になれば初夏まで水を抜く。
そして、戦争は基本的にこの農閑期に行われる。

もうひとつ、大きな要素がある。
昔は、日本の平野は草深い葦のハラだった。
そして、山には木があまり生えていなかった。
特に本州の山は、現在全て人工林だ。
これは、早い時期から製鐵等によって森林破壊が進んでいたから。
意外だが、今の日本は森林面積が史上最大なのだと言う。
昔の山はもっと木が少なく、起伏の緩やかな草原のようになってる
九州には、今でもそういう場所が多く残る。えびのや、熊本など。
535日本@名無史さん:2013/04/12(金) 07:15:31.67
http://mc.matome-complate.com/archives/12529742.html

ここの下の方に馬がいるよ。
大きいのもちゃんといた。
536日本@名無史さん:2013/04/12(金) 08:19:57.04
>>534
日本の平野は平野のうちに入らない。
日本で地平線が見えないくらいの平野部なんて、ぎりぎり
関東平野ぐらいだろう?
だいたい、西日本はのきなみ山と海に挟まれたような地域だらけ。
近畿も中国地方も九州地方も、のきなみ、そんな感じ。
だから、日本では大陸のように城壁都市が存在しなかった。
537日本@名無史さん:2013/04/12(金) 10:10:53.14
>>533
それは江戸時代に小さく品種改良された馬でないかな
昔は日本の馬もモンゴルの馬もナポレオンが乗った馬も小さかったが
ポニーとは別の馬だよ
今のサラブレッドは別格だがそれに近い馬も居た
特に東国や東北産の馬が高値だった

それと勘違いが多いが騎馬による戦い方の基本は機動力
日本刀や流鏑馬見ても分かるだろ
乱戦になったら馬を下りるだろうが、それまでは最大限に騎馬を活かす
538日本@名無史さん:2013/04/12(金) 10:16:25.99
そういや、日本じゃ気が強い馬が人気があった
乱戦で主人と一緒に戦う馬が名馬とされた
蹴りや噛みつきで敵をやっつけた
戦う馬はある意味猛獣
539日本@名無史さん:2013/04/12(金) 10:25:19.67
ナポレオンが乗っていた馬
身長167cmなので馬はかなり小さい事が分かる
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0e/Napoleon4.jpg
540日本@名無史さん:2013/04/12(金) 10:35:39.63
>>537
体高145cm以下の馬の俗称がポニーなんだから、
日本の馬もポニーで間違いはない。
ただ、体高100cmのシェトランドポニーをイメージするから、鈴木眞哉のようにヘンテコなことになる。
http://oyoguyaruo.blog72.fc2.com/blog-entry-883.html
541日本@名無史さん:2013/04/12(金) 10:53:55.65
元寇のとき、モンゴルは前に日本の国土を調査していた。
その結果、彼らは歩兵を中心とした軍を編成してやってきた。
そういうこと。

日本の騎馬を貶しているのではなく、日本の国土は大陸とは違うので
大陸での戦いに優れていた蒙古軍も編成を歩兵中心にかえてきた。
542日本@名無史さん:2013/04/12(金) 10:59:20.61
>元寇のとき、モンゴルは前に日本の国土を調査していた。

初耳なんだが根拠は?
元史かなんかに書いてあるのか?
543日本@名無史さん:2013/04/12(金) 12:11:54.13
>>540
だからポニーなんて俗称はその時代に無い

清の始皇帝はポニーに乗った騎馬軍団を率いていたw
三国志の武将はポニーに乗っていたw

チンギスハーンはポニーに乗っていたw
モンゴル軍はポニーに乗って大帝国を作ったw
中国人はポニーに乗ったモンゴル騎馬軍団に敗北したw

昔の馬をポニーと呼ぶのは誤り
あれは軍馬だ
544日本@名無史さん:2013/04/12(金) 12:18:08.82
今でもモンゴルの原野を走っている馬は、いわゆるモンゴル種の小さな馬。
しかし、抜群のスタミナを持っている。
545日本@名無史さん:2013/04/12(金) 12:39:11.53
>>536
>日本の平野は平野のうちに入らない。
平野は平野。地平線まで平野でなければ平野ではないとかこれいかに
ヨーロッパやモンゴルみたいにけた違いの平野でなくとも騎馬突撃も馬上弓もできる
546日本@名無史さん:2013/04/12(金) 15:36:23.05
>>537
戦いで重要になるのは食糧だからね
運搬(食糧)がうまく機能しなければ戦争なんてできない
だから、馬というのは気が荒くなくコントロールしやすく
荷物の荷卸しのしやすく小回りの利く座高の低い馬が重宝される
だから対馬馬のような馬が好まれたわけで…
ただ古代の権力者や豪族の展示になるとサラブレッドの馬が展示されてる
なんかな…という感じはあるのだが
これがある意味シュールというか不思議さというか面白さというか…
547日本@名無史さん:2013/04/12(金) 15:38:38.48
だからでかい奴もいるんだって。日本に。
548日本@名無史さん:2013/04/12(金) 16:25:49.63
日本の平野でも騎馬突撃できたりするが、
大陸における騎馬戦と日本における騎馬戦の意味が違うだろう。

蒙古が強かったのは騎馬戦が強かったというよりも
彼らが生活基盤事、移動できる遊牧民だったので
敵の攻撃から、生活基盤事、避難できることにあったわけだから。

実際の戦闘では、馬上に乗って戦うよりも、歩兵の集団戦法のほうが強いだろう。
馬に向かって槍でついたりしたら、馬が暴れまくって、
落馬したり、身動きできなくなったりするわけだし。
549日本@名無史さん:2013/04/12(金) 16:28:58.77
日本でも蒙古でも、戦争における騎馬の意味は
実際の戦闘よりも、武器食料の補給に意味があった。
蒙古のように大陸での補給の場合、ますます騎馬の意味が大きかったけど
日本のように森林で囲まれた人口密度が高い島国だと
騎馬の輸送も重要だけど、それ以上に水上郵送のほうが重要だった。
550日本@名無史さん:2013/04/12(金) 16:37:50.79
対馬馬なんて武将には人気無いぞ
名馬の産地でもないし

奥州の豪族は背高が150cmを超える馬を
朝廷に献上してご機嫌を取っていた
日本の騎馬軍団の活躍が表に出るのはアテルイからだけど
551日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:02:37.59
鎌倉や室町のころの馬の体高四尺(121cm)が標準なんだけどね
名馬でも140cmぐらい。これはおおきすぎると武士が制御できなくなるからなんだけど
おおきさのソースは室町の塵添?嚢鈔より
552日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:07:06.55
>>546
荷馬と軍馬の用途ごとに好まれる気性は変わるだろうに
なぜひとくくりで論じてるんだ?そもそも古代・中世にかけて
馬の名産地は東北地方なんだけど
553日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:28:20.16
輸送車両と戦闘車両を統一する必要は無いし
水上輸送がどうこう言っても、水上戦闘はメインじゃ無いし
日本には馬があり、馬具は馬上戦闘に適した形に改良されていたし
馬上戦闘技術も発展していたし、武士は弓馬の家と呼ばれるし
馬上から矢を雨あられと射てくる集団に歩兵で突撃した方が強い!とか
馬は食糧輸送に使うべき!いや、むしろ水上輸送だ!とか
馬を槍で突いたら!なんて最早、日本がどうこうの話じゃ無いし…
世界中の騎馬戦が間違ってるって話をしてるのか?
554日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:28:48.44
>>236
とんでもなく遅いレスなんだけど東南アジアの主流の浮稲はどうやっても二期作無理だと思うよ
大規模灌漑設備はカンボジアが発展させて以降のものだし
555日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:38:59.25
>>552
東北が馬?
ねえわw
元々は欧州や中国から済州島経由してはいってんだよ
ばーかw
556日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:45:42.85
馬の名産地は信濃。
理由は、あの高原地方で養育された馬は
険しい山道を登るのが得意だったから。
国土の8割が山岳地帯の日本では、傾斜のある山道を重い荷物をもって
運んでくれる馬が重要だった。
とくに、戦国時代なんかの初期の段階では、内陸部の諸大名なんかは
山岳馬の保有が重要だった。甲斐の武田家がそう。

それが、戦国後期、国土の大半を統一した勢力になると
内陸部での戦いではないので、海上輸送が重要になってきた。
豊臣秀吉の九州征伐、小田原征伐がそう。
557日本@名無史さん:2013/04/12(金) 17:46:13.64
>>555
日本の古代から中世の馬の名産地を確認してきな
ツングース系の森林馬の流れと推測される馬がもてはやされてたよ
草はやすにしてももう少しまともなこと言え。そもそも中央アジアで家畜化された
馬が欧州行ってそこから日本に入ってきたって何を言ってるんだ?ローマの
品種が四散した後イベリア半島からアラビア馬が入ることでヨーロッパ
中世軍馬の系譜ができたのに
558日本@名無史さん:2013/04/12(金) 18:09:34.43
>>556
脳内ソース乙w
そんな山岳馬の系統なんてねーよw馬の歩き方は幼獣時の教育によるもんだろ
しかも山岳地帯でどうやってうまの数そろえんだよw馬鹿な与太話も休み休み言え
木曽馬のこと言いたいならあれは盆地内の牧で飼育されてた馬だろにカスw
>>557
東北地方と言ったりツングースと言ったりどっちなんだよw
地域示す言葉くらい統一してつかえよ
低能w
559日本@名無史さん:2013/04/12(金) 18:27:17.83
>>554
多年草や再生茎からの再収穫を言いたいんだろ。品種改良される前の野生種に
近い状況ならもとの収穫量が少ないから馬鹿にならん
560日本@名無史さん:2013/04/12(金) 19:52:01.39
まだ、日本の馬はポニーって昔話を信じているやつがいたんだなwww
561日本@名無史さん:2013/04/12(金) 19:55:18.69
>>558
そだね、関東平野のほうが名馬の産地として有名だった
あのへんは家康が干拓するまで農地に使えない広大な湿地が牧として使われていたからだろうね
たぶん田舎だから木曽だけが、現代まで馬の生産地として残った。
562日本@名無史さん:2013/04/12(金) 20:33:54.73
>>465
日本の刀鍛冶は低温なんだよね。900℃位で根気よく延々と続ける
おかけで作業効率非常に悪く、精練量も40分の一ぐらいとばかばかしいくらい
少ないけど結果として使う鋼の質が良い。いわゆる古代の先進国の中国だと
高炉で1200℃位の高温で一気に精練するんでs行や燃料の効率は良く大量生産できるけど
どうしても不純物が多く含まれてしまう。大量生産の武器の品質は満たせるけどね
563日本@名無史さん:2013/04/12(金) 20:48:33.85
アホかw
刀鍛冶と精錬量は何の関係もないだろww
564日本@名無史さん:2013/04/12(金) 20:49:51.28
>>563
砂鉄から精練するところも製法に入ってるよ
565日本@名無史さん:2013/04/12(金) 20:59:03.56
かわいいポニーの話をするスレはここですか?
566日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:06:37.52
いちおう日本馬はポニーだとしても『大型ポニー』のカテゴリで、
体高はそう大きくないが、ずんぐりしていて体重は重いんだけどな。
567日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:17:50.35
低温製鉄法は品質悪いよ。
溶融しないから、不純物そのままだし。

スラグになって分離もしないし。
568日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:18:38.78
在来馬は小さいけど筋肉隆々のパワー型だよ
ポニーとは違う
蹄が丈夫だから蹄鉄が無くても良かった
それと西洋の馬と違って走る時に縦揺れが少なくて前に伸びるように走るから走りながら弓を射るのに適していた中々優秀な馬だよ

蕨手刀は馬に乗って使う物では無く生活必需品の鉈
小さいとは言え馬上から脇差の半分位の蕨手刀で斬りつける事は不可能
時代が下って武器として特化した物ですら脇差より短い
完全に歩行用です
569日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:20:32.83
>>567
だから叩いて分離させて、藁あててそっち側で還元させるんだろ。確認のために見てもえらく効率悪いな
だからこそ職人芸の水準まで発達したんだろうけど
570日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:23:25.83
北欧の沼沢地から炭と哲宏って来るものその系統だね
571日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:43:53.12
>>558
ツングース系の馬が東北に輸入されたってことだろ
アスペか
山岳系の馬の系統もあるぞ
アホか
日本古来の在来馬の系統にどの位影響してるかは解らんがな
東北は外国だった訳だし信濃の馬は大和の管理下だから当時にツングース系の影響は無いと思うけど山の斜面を駆け回るのに適していたのは間違いなく盆地以外でも生産されてたのは間違いなく義仲挙兵まで同じ系統だったみたいだよ

最後に動物の走り方は教育じゃなくて持って生まれた物だと言う事は覚えといた方が良い
572日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:45:24.71
>>571
ペルシャとスキタイががん泣きしてるぞw
573日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:59:13.56
>>569
出典あるなら教えてくれ
574日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:00:12.08
日本の馬をモンゴル系っていってるのはよく聞くけど、ツングース系ってのは初めて聞いた
575日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:04:02.02
日本で行われていた、たたら製鉄法は、1300度くらいまで上がります。

これは、低温製鉄ではありません。

ちなみに、今でも刀剣需要などで、年数回操業しています。
576日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:04:18.11
蒙古系かタルパン系統かって書いてあった
タルパン系統ってどこやねんw
577日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:05:37.51
>>575
近世たたらだと1200から1300まで上がるね
古代が何度だたのか俺は知らんけど
578日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:12:42.32
>>575
そんだけ高温出したらずくが育たないんだけどw寝言言って楽しいか
ずくが育つってのは低温で分離してるからだろうに
579日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:17:43.28
>>575
煽る気はないが日本のたたら製法は取り出す玉鋼に不純物混入するの防ぐために
温度あげすぎないように調節してるはず。ん遠出参照できるいい資料ないんだけど
ttp://www.jspe.or.jp/iinkai/henshu_wg0/2004_12_report.pdf
ここでも具体的な温度は書いてないけど、はっきりと炉内温度は低いと言ってる
580日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:21:13.69
たたらは銑鉄を作る高炉と、鋼鉄を作る転炉、反射炉を併せ持ったようなもの。

酸化鉄を一酸化炭素で還元して酸素を奪う製鉄では、酸素はご法度。
一酸化炭素は生成しても、酸素が余らないように調整する。
これが高炉の機能。

できた銑鉄に酸素を当てて、炭素やその他の不純物を酸化させて、
酸化物のゴミとして取り除くのが、転炉反射炉。

酸素を当てない作業と、酸素を当てる作業がある。

たたらは、上部で還元して銑鉄を作り、
炭や鉄鉱石の隙間を流れてきた銑鉄を下に貯め、
その、溶けた銑鉄に空気を当てて、炭素や不純物を取り除く。

貯めた鉄がいっぱいになったら操業終了。

だから、一回あたりで作られる鉄の量はそう多くはないし、
貯めた鉄のうち、鋼鉄の割合もそう多くはない。
581日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:21:42.96
>>579
そりゃ低いよ現在の溶鉱炉だと1400から1600度だもん
鉄の融点は1500度以上だし
582日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:26:36.00
>>581
その直前の鉄の結晶粒が粗大の下りちゃんと読んでほしい
873Kで粒が大きくなるんだからそれより低温だよ
583582:2013/04/12(金) 22:27:58.81
訂正873k→およそ1100度
584日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:29:19.06
ちなみに、ズクは炭素の多い銑鉄、
ケラがいわゆる玉鋼。

温度で言うなら、ズクといわれる高炭素で脆い鉄が銑鉄であり、
これは1200度ちょいで溶ける。

炭素が抜け、ケラと呼ばれるようになると1300度くらいにならないと溶けない。

たたらでは、空気が鉄貯まりの上面に当たるように設計し、
貯まったズク=銑鉄に空気が当たるようにする。

これによって、炭素や不純物が抜け、重くなって沈んでいく。
また、融点が上がるため、ケラ種という半固体、いわゆる飴状に固まって、
下部に集まってくる。

これがケラ、玉鋼である。
585日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:32:06.59
純鉄の融点は1540度である。
炭素を多く含むと融点が下がり、
1200度より少し上くらいになる
586日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:33:29.00
ずくって長野の方言でも言うね
長野と言えば信濃
信濃と言えば弓とお歯黒
お歯黒と言えば褐鉄鉱
褐鉄鉱と言えば高師小僧
高師小僧と言えば愛知
愛知と長野の南側は似た方言が多い見たいだし古代製鉄と関係ありそうだね
長野含む東側は朝廷の大刀と比べて刀の鉄の品質が低く不純物が多いって結果もあるし
587日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:33:34.44
>>582
結局何が言いたいのかわからん
588日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:33:46.41
>>584
その説明はだいたい正しいけど、もののけ姫に出てくるような溶けた鉄の状況に
日本の刀鍛冶はしないってこと言わないと思いっきりミスリードになるよ
塊の状況に段階踏んだ還元反応で不純物削っていくこと説明しないと
589日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:36:48.76
ずくおし法とけらおし法の違いわからん
まあたたら内部というか溶鉱炉内部の化学反応は詳しくわかってないようだが
最近発見でもあったのかね
590日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:37:37.56
>>587
簡単に言うと日本のたたら製鉄は鉄を溶かして純粋な鉄を取り出す作業でなく
還元反応を利用して酸化鉄から不純物を分離する作業だから高温じゃないよ

鉄の結晶粒が育つのは1100℃前後だから育たないように低い温度と書いてあるなら
それより低い温度だね
591日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:39:52.88
>>560
今日の読売新聞みてみ
大山古墳(仁徳天皇陵?)の所から馬の埴輪がでてるから
ポニー系だよw
592日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:42:47.80
お前らの話してるたたらって平安以降だから時代がちがくね?
野たたら未満の製鉄方法だから800度位で製鉄する事前提にしないとゴッチャになるよ
593日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:46:21.06
>>590
古代日本の超技術にはっきり1200-1300度と書いてあるのよ

まあ上でも描いたけど近世たたらだけどな
それ以前は薪使ってたらしいしそんな温度上がらんわな
594日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:48:46.66
ある本には、400度程度でも還元はできると書かれているものもあるが、
表面の還元が出来るだけで、鉄鉱石や砂鉄に含まれるケイ素(砂)や
他の成分が分離できないため、実用性は低い。

また、刀鍛冶の段階で、表面を焼いて、表面の炭素だけを取り除いて、
折鍛えることを繰り返すことで、低炭素鋼と高炭素鋼の、
多層構造を作るという手法もある。

ダマスカス鋼はこの手法ではないかと推測されている。

逆にねばりのある低炭素鋼に、炭を挟んで、長時間800度程度においておくことで、
表面だけを硬化する方法もある。

これは、車のクランクやギヤ、軍艦の装甲などに使われている。
595日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:52:56.31
現代の鉄は高炉法という製鉄法で作られます。この鉄はコークスを熱源として2000度以上の高温で作られますが、
高い炭素量と多くの不純物を含んでいます。通常は二次精錬をおこなって不純物を除去しますが、
これらを完全に除去することはできません。これに対し我が国古来の製鉄法をたたら製鉄と呼びます。
たたら製鉄は1500度以下の低温度でおこなう製鉄法で、その熱源には木炭が使用されます。
現代の高炉鉄(洋鋼)に対し、たたら製鉄で産み出される鉄をケラと言います。ケラは不純物が極めて少なく、
その清浄性は現代の技術を結集しても作り出すことのできないものです。

らしいよ
596日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:56:51.59
>>595
ネットならURLくれよ
597日本@名無史さん:2013/04/12(金) 22:59:07.38
あと、日本刀は刃先としのぎを別の鉄でつくることもさりながら
焼入れによって刀表面全体にマルテンサイトをつくることも必要のようだよ
598日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:00:34.93
まあ昔の人はそんな分析的に作業していたわけじゃないとおもうけどね
おっさんが「こっちのほうが丈夫な気がする・・・」てな感じだろ
599日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:04:10.88
燃料や材料にも良し悪しあったみたいだからな
人間の感覚って恐ろしい…
600日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:04:45.01
半導体の材料に使われるシリコン。
これは非常な高純度が要求される。

日本でこの研究が行われた時の高純度シリコンを作成する際に、
しばしば用いられたのが、部分溶融法だった。

氷などを考えて見ればわかるだろうが、溶けたものが、
ゆっくりと固まるときには、不純物を溶けた方に追い出すようにして固まる。

冷蔵庫の氷の中心部に空気の泡やゴミが集まっているのは、
周囲から高純度で固まり始め、溶け残った空気やゴミが、
また固まっていなかった中心部に追い出されてきたせいである。

たたら製鉄の玉鋼は、炭素の抜けた玉鋼、ケラが、先に固まり始め、
不純物がまだ固まっていない周囲のズク、銑鉄に押し出されることによって、
高純度になる。

たたら製鉄おそるべし、である。
601日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:06:13.47
明大の先生が公開してるのあったなと探したらトップページからたどれなくなってた
ネット上に残ってるから晒しても問題ないだろ
ttp://www.isc.meiji.ac.jp/~sano/htst/History_of_Technology/History_of_Iron/History_of_Iron_background01.html
ttp://www.isc.meiji.ac.jp/~sano/htst/History_of_Technology/History_of_Iron/History_of_Iron_19990324.html

自分はたたら炉の推定温度、もっと低いと思ってるけれど下のページの説明が分かりやすいかな
602日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:20:47.04
たたらだと送風で温度上がって吸風で温度差がるんじゃないかとは書いてある
流石にそんなに細かく温度測れんのか
というかどうやってはかってるのか知らんが
603日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:29:03.44
評論家ぶってわかったつもりになってもものづくりはできない
伝統工芸や伝統芸能を前にしてそんな講釈垂れても恥ずかしいだけ
ここで語ってる人が多いけどさ、物事の本質はそこじゃないんだよ
604日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:29:30.73
なんで中世の製鉄の勉強会してんだよw
一回砂鉄信仰から離れろよ
んで、土器焼く設備で出来る製鉄考えてから砂鉄に戻れ
あと古代は鉄の延べ棒輸入して削り出しで刀作ったりもしたみたいだから製鉄の前に砥石が発達したと思うぞ
605日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:37:05.04
現在は2000度なのね
ttp://www.shimabun.co.jp/iron_story/iron_story03.shtml

砂鉄以外にも8世紀ごろに磁鉄鉱使った炉の後とかあるけどね
六、七千年前の縄文時代の鴻の木遺跡から炉の跡みたいなものもみつかってるらしい
古い情報だが結論は出てるのかなぁ
606日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:37:19.95
言ってる意味がわからん。青銅器作れる技術と比較じゃないのか?
607日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:48:26.46
>>606
青銅器作る設備で製鉄でもいいよ
最初期の大刀の時代に太刀以降の製鉄の話しても意味無いじゃん
所謂日本刀が存在し無い時代で大刀から釣針作ったりした時代だよ
めちゃくちゃ柔らかい鉄なんだよ
おっさんなら経験あると思うけど鉄の釘を石で叩いて釘ナイフ作ったり出来る程の硬さ
場合よってはもっとローテクで加工出来る硬さの鉄を作る方法にたたらは関係無いし時代が違いすぎる
608日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:53:21.40
>>607
焼き入れ・焼きなましによる硬度強化と製鉄技術のは直接の関係ないよ
単に大刀を溶かして釣り針作っただけだろ。もとの刀の強度をそこから読み
取るのは無理ある
609日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:55:49.13
ちなみに
>>605の鴻ノ木遺跡の跡は千度前後の温度があったとさ
縄文土器は八百度前後で焼けるそうな

それから六世紀以後と以前だと以前の方が不純物が少ないんだとさ
610日本@名無史さん:2013/04/12(金) 23:58:03.79
>>609
低温で精練する方が著しく効率は落ちる代わりに生成物の純度高くなるのは当然かと
鉄は他の金属に比べ不純物の量による匈奴の変化が極端だから魔法金属扱いされてたし
611日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:03:27.18
>>608
焼き入れとかなましとかそんな新しい技術無いだろ
国譲りの頃ら辺のスレだろ
大陸では鋳型で刀作ってたんだよ
焼き入れの概念の無い時代だよ
なんで現代の常識で考えるの
612日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:07:20.36
>>611
まず鋳型で作ってる武器に関しても焼き入れは行われてるという指摘ね
威信財としての実用面から離れた武具は置いといて
613日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:08:45.23
日本では弥生中期以降は鍛造が中心みたいね
614日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:10:25.60
あと不純物だらけで柔らかいって調査結果も出てるし錆びやすくて日本の土壌で残りにくいとの報告もある
今残ってるのが奇跡なんだよ
そんなローテクの今で言う刃つけの無い刀だから現代の常識で言うと刃物じゃ無いんだよ
615日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:12:04.17
>>614
仮にそうだとしてそれがなんなんだ
616日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:14:41.50
>>613
高炉が作れなかったから鍛造するしか無かったみたい
鉄で鋳型みたいな高度な技術が無かったからしかたないけどそれが後の日本刀に繋がるから結果オーライ
617日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:14:54.89
>>614
古墳の埋蔵品から出た刀は表面のさび落とせば十分実用に耐えたとの報告は気のせいかな
刀身加工の技術は金属器が石器に取って代わるために必須の技術だから刃物じゃないなんて
暴論は吐けないぜ
618日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:15:58.91
>>615
だから今で言うたたらから一度離れた方が良いって言ってるの
619日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:17:48.14
>>616
でも中期までは鋳造もおおかったみたいよ
620日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:20:52.14
>>611
そうかな〜
出雲、諏訪、鹿島は砂鉄の産地だぞ
国譲りでは出雲から諏訪に逃げた
記紀に鹿島神も時々出て来る
621日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:22:59.48
砂鉄は溶かさなくとも
赤く熱して叩けば鉄器になる
622日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:24:52.52
>>617
それは主に半島、任那からの輸入品や輸入原料だって調べは付いてるだろ
あの辺は相当良い鉄が取れて独占してたのは朝廷だ
そんなとんがった超高級品を引き合いにだしても意味ないだろ
それが輸入出来なくなってから大和伝の時代になるんだし
刃物は暴言じゃない
石器だって刃物あるけど今で言う刃物じゃないだろ
今で言う刃物はキチンと焼き入れされた硬度の高い物じゃん
同じ物差しで比べちゃ駄目だよ
623日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:26:25.54
鉄器が伝わったとされる五世紀の時点で砥石も一緒に見つかってるのはどうお考えで
624日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:30:31.28
五世紀ってだいぶ遅いな
625日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:30:57.22
>>623
だから製鉄技術の進化よりも早く研ぐ削るが進歩早かったと思ってる
倭人は磨くの大好きだからね
626日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:32:08.38
>>622
五世紀の鉄器が伝来した時点で九州にある古墳が??お前言いたくないが頭大丈夫か
ついでに言えば刃物の焼き入れは刀身加工の最も初歩なんだがそれがされてない武具
の刃物の存在示せよ。漢代の時点で農具の水準でさえ刃先にはされるようになったのに
その知識持ってきた渡来人がなんで一から金属加工の技術日本で作り上げなければいけないんだ?
627日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:32:25.50
あ後それが西日本の蛇行剣に繋がってると考えてる
628日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:32:39.94
>>625
渡来人が一緒に持ってきたのが答えなんだけどw
629日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:35:34.65
>>624
板状鉄斧の話とかならまた別だけど刀剣としての鉄器は五世紀伝来だと思ってたけれど違うか?
630日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:36:01.31
>>626
環境と設備が違うだろ
それにそんな高度な技術は権力者が独占して普及し無いだろ
631日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:39:47.81
日本の製鉄法はそもそも産出する鉄の種類に左右されるわけで
砂鉄じゃなく鉄鉱石が出てたら、高炉で大量生産されてたろ
632日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:40:07.07
日本の製鉄は中国の超技術と違ってローテクを長い年月かけて積み上げて磨き上げて培った錬金術なんだよ
633日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:44:09.15
>>631
日本では技術的にも環境的にも中国見たいな高炉が作れなかったって言われてるじゃん
まあ倭人の場合鉄鉱石が大量に産出されれば何とか工夫して独自の高炉作ったと思うけど
634日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:44:19.89
>>631
鉄鉱石も使ってるよ
平安末期から鎌倉時代には砂鉄が主流になったらしいが
635日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:45:23.89
以前、放送大学が一時限使って、たたら製鉄をやってるのを見た。
粘土で高炉を作って砂鉄と炭を入れるだけだった。
あとフイゴが必要だが、これは弥生の技術でも作れるだろう。
636日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:46:19.27
>>633
よくわからん
何故中国から伝わらなかったんだ
637日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:47:13.49
>>630
技術持った方が使える相手を選ぶから権力者が単独で技術を独占
できるような権力持ってないのよ
しかも因果関係をひっくり返してとらえてる。技術の取得や育成に努めた
勢力が威信財として周囲に技術や産物を提供し、その結果として
覇権を握れるほどに強大化できたのにどこの時点で抱え込むんだよ
638日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:47:45.11
>>635
ふいごは室町時代から
639日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:50:26.70
>>636
硬く作るイコール焼き入れと考えればつたわってる
刀、例えば蕨手刀は手で簡単に曲げられる硬さだから所謂焼き入れはされて無いとかんがえる
640日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:51:59.67
>>639
いや、高炉法の雪は簾を掲げてみる
じゃない高炉のほうな
641日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:52:59.74
>>639
お前、焼き入れによる刃先の強化と現代日本刀の刀身に鉄使ってることごっちゃにしてるだろ
642日本@名無史さん:2013/04/13(土) 00:55:24.74
>>636
古代日本で石炭が出なかったのと木炭に使う木の種類が違うから
高炉に必要な温度出せる燃料が当時の日本になかった
643日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:01:28.73
石炭は確かに使ってないなぁ
硫黄分がガンガンはいるから燃料としてどうかと思うが
644日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:06:44.84
>>640
そこに突っ込むと想像の範囲になって叩かれて無くしか無くなる
ただ今分かってるのは土器焼く技術で製鉄が始まって少しづつ進歩してスレ的には終わり
時代が変わって蛇行剣や蕨手刀の柔らかい国産刀剣の時代になって時代がまた変わって丸焼きの日本刀の原形が出来て大和伝が出来て日本国内での技術交流で日本刀の時代になって時代が変わってフイゴでたたらするようになったて言う事実だけ
そこにスレの年代に今の刀剣の常識を当てはめるのはマズイんじゃないかって言いたいだけなんだよ
645日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:06:53.33
>>643
それが普通の鉄製武器の品質。そのリスクがあっても非鉄武器には圧倒的なアドバンテージ
誇れるし、品質良い鉄製武器あっても普通なら数の暴力で押し勝てる
ゲリラ的に少人数同士で戦う倭寇相手にした人はまあ、御愁傷さま
646日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:09:19.67
>>641
質問がごっちゃになってるぞ
流石に眠いか
647日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:14:20.18
>>644
やっぱりよくわからんな
高炉がないと否定する理由とじゃあ代わりにどうやって精錬したのか
648日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:26:30.20
クヌギ、楢、シデ、カシ、シイのことを説明できない人は島根からお帰り下さいw
649日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:30:22.45
どうしてもシデンカイかカイシデンが読み取れてしまう
…寝るか
650日本@名無史さん:2013/04/13(土) 04:43:42.92
>>530
おいおい
渡来騎馬民族の秦氏や劉備氏の坂上田村麻呂を無視ですか・・
>>415を改めて見てみよう。
651日本@名無史さん:2013/04/13(土) 04:45:59.04
それも眉唾だと思うけれど、7世紀以前の後続の強要に汽車が含まれていなかったか
652日本@名無史さん:2013/04/13(土) 04:46:28.90
なんだこの誤字の群れorz寝ないとだめだ
653日本@名無史さん:2013/04/13(土) 04:58:52.28
中国の高火力の木炭の開発は宋代以降だった気がするが5世紀の時点であったか?
開発されたことで磁器が発展したんであってるよな
654日本@名無史さん:2013/04/13(土) 07:18:10.74
高温で焼く須恵器窯が日本に入ってきたのは、5世紀後半以降
655日本@名無史さん:2013/04/13(土) 07:23:38.69
日本が騎馬民族のわけなかろう。
馬の虚勢の仕方すら知らなかったんだからw
656日本@名無史さん:2013/04/13(土) 07:48:30.61
そのへんつっこまれると弱いから、
遊牧民族じゃなく、騎馬民族だとかお茶を濁してたんだろう
657日本@名無史さん:2013/04/13(土) 08:14:34.22
ヤマトって地名は、のちに奈良県全域、日本国全域に意味が広がっていたんだけど
もともとは、三輪山の麓の狭い地名からきている。
ヤマト自体は、山処って意味だから、一般名詞で、日本全国の山の麓をそういったのだが
大和朝廷のヤマトは、三輪山の麓のヤマトからきている。

そして、古代、現在の奈良県全域の真ん中には、大きな湖があり
それは、大阪湾へとつながっていた。
この湖の東岸の三輪山の麓をヤマトといったが
この湖の南岸(御所市、葛城市、橿原市の一帯)を高天原といった。
神話の発祥地の高天原とは、ここのことだ。

皇祖ニニギは、この高天原の出身であり、そこから、
九州高千穂へ派遣されるにいたった。
これを後世、天孫降臨という。
658日本@名無史さん:2013/04/13(土) 08:48:07.60
鋳造技術は多分、一度伝わってたとは思うんだよね。
けれども、日本は鋳造のメリットである大量生産に必要な原料も燃料も無かった。
大規模設備を投資してもリターンが無いため断念したんだろう。
同じ事は戦国時代、大砲の製造やフリントロックでも起こってる。
戦国末期だったから需要が急減してて技術導入やめてしまったんだよな。
659日本@名無史さん:2013/04/13(土) 08:58:04.51
古墳期の馬具は半島から直接来てる事が解ってるし
大阪にあった馬場もその設備様式から、渡来人が直接指導したと思われる。
当然、虚勢の概念も伝わったはずだが、おそらく、日本固有の感覚でやめてしまったんだろう。
多分、うまく調教する事よりも、産めよ増やせよの産土神信仰のほうが幅を利かせた結果だろう。
石女は凶、石と同じで、石を持って撃てとまで言われてたんだから。
660日本@名無史さん:2013/04/13(土) 09:35:13.48
実際、渡来人が文化を保持できないってどういう状況だろうね
上から命令がきてやめさせたのか
日本人が職掌に流入して、日本人的感覚に支配されたのか
そもそもお雇い外国人みたいな扱いだったのか
661日本@名無史さん:2013/04/13(土) 09:40:00.74
高千穂からの東征は後付けの話じゃないかな。
662日本@名無史さん:2013/04/13(土) 09:51:45.49
>>658
伝わってるみたいだね

http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp020101.htm

安心の日立金属の解説によると古代は砂鉄系と鉄鉱石系で分かれてるみたいだから
違う技術体系(文化かな)がどう融合して行くかが国譲りからニニギ〜神武の時代かもね


http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp0202.htm

軽く調べてみたら諏訪周辺は鉄鉱石も砂鉄もあったみたいだし
諏訪に伝わってる建御名方神と洩矢神の戦いも関係ありそうだよね

いろんな文化が長い時間掛けて融合してるからどれか一つ抜き出して議論しても答えは出なそうだね
663日本@名無史さん:2013/04/13(土) 09:55:33.78
>>655
日本は人は宦官を導入してないから
その理屈は当てはまらない
単に去勢を嫌っていただけかも
664日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:01:10.35
馬具は馬に不慣れな人が使った
遊牧民は馬具が無い時代でも馬を器用に操った
だから軍事的優位が有った

馬具の有無と馬は厳密には一致しない
馬具は農耕民族が馬に乗り始めた証拠なだけ
665日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:17:21.42
>>663
御珍棒や御万甲も信仰してたから去勢は無いよな
されそうになったら全力でそいつの首を掻っ切るはず
666日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:21:17.90
>>663
馬の去勢をしない騎馬遊牧民族っているの?
667日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:25:23.79
>>663
騎馬民族に宦官いねえだろ
668日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:31:03.88
馬具は農耕民の文化。あれは中国人の発明。
669日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:35:19.80
多くの人の誤解の一つが、馬具の発明だよ。
これを発明したのは、中国の農耕民たち。
遊牧民たちではない。
馬の乗るのが下手な農耕民たちが、自分たちでも馬に乗りやすいように
馬具を発明した。
670日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:36:24.42
671日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:43:25.56
>>667
いや、支配した民族を宦官にして使った
672日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:44:35.19
馬の背に乗る際の足がかりとして使われたものと思われる片鐙は、紀元前の時代からインドや
中央アジアのステップ地域にはあったが、 騎乗時の保持を目的としたペアでの使用が確認できる
最古の物は、302年・322年に埋葬された鮮卑や東晋の墳墓から出た陶馬俑であり、実物として
最古の物は北燕貴族の馮素弗の副葬品である。5世紀には朝鮮半島や日本でも使用されていた。

パルティアンショット
パルティア民族は、幼い頃から弓馬を嗜み、その技術の高さは周辺民族からも称賛されていました。
正倉院にはパルティア由来の絵柄が残っている。
すでに鞍があるのがわかります。
673日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:54:58.43
>>671
その理屈だと、宦官のいなかった日本には騎馬遊牧民なんていなかった、ってことにならない?
674日本@名無史さん:2013/04/13(土) 11:01:51.91
>>673
日本に騎馬遊牧民は居ないだろ
日本人は森と海の民族
ただしこれが馬が居なかったには繋がらない
何しろ北海道と大陸は地続きだったし

馬が居なかったとしても、蝦夷が馬が欲しかったとしたら
半島経由で手に入れるより
北海道や沿海州から手に入れたかもしれん
675日本@名無史さん:2013/04/14(日) 09:50:45.66
>>658
本筋から逸れるけど、西洋でもフリントロックが出回るのは17世紀に入ってからよ
日本の戦国時代には間に合わなかった
676日本@名無史さん:2013/04/14(日) 09:58:07.96
>>674
東北地方にいた馬がツングース系だったと推測のレベルでしてるのがあったな
677日本@名無史さん:2013/04/14(日) 14:46:23.82
>>657
大和は宇宙戦艦ヤマトのヤマトと一緒

>>658
鋳造技術というのは古代から秘伝
だから表に漏れない
真実の歴史は我々の知る範疇ではないし、その歴史の流れは決して表に出ない
なぜなら現在があるから

>>660
渡来人という言葉の定義を教育では教えない
大陸から来た人だって…
これでどう歴史を解釈するんだろうね

ある人は朝鮮半島からきた貧しい百姓の集団だろうと思うし、
ある人は朝鮮半島から来た技能職の集団だろうと思うし
ある人は朝鮮半島から聖職者集団とヤクザ集団が来たと思うし、
ある人は中国や欧州から人種の違う集団が来たと思うし

その解釈の差が個人個人でありすぎて歴史の解釈に共通の理解が得られない
同じ日本人でも全く話が通じない たった一つの単語でこの有様だからね…
教育者は混乱をきたすことが分かってるのに定義を一切教えない
学生の多くの頭がお花畑になるように必至に育てる日本の教育には笑うしかない

分かる者にはわかる 分からないものには絶対にわからない
先祖代々継いできた家の者にだけわかるような教育しかしない
そりゃ京都や奈良の多くが優等生になるのはあたりまえだ

そこが狙いなんだろうけどね…
678日本@名無史さん:2013/04/14(日) 15:01:42.50
>>677
もう、トンデモには興味ないよ。いい加減にしろうや。
まじで、ちまたのトンデモ歴史読みののが
古代史を無茶苦茶にしている。
679日本@名無史さん:2013/04/14(日) 15:14:58.68
>>676
酒田で殷の時代の青銅刀子が出てるからねえ
http://homepage2.nifty.com/hekisui/choukaisan/choukasan%20%2004%20seidoutousu.htm

たしか岩手には馬を北から連れて来たという伝承もある
アテルイは阿久利黒という愛馬を帰順の印として坂上田村麻呂に贈ったし
東国産の馬が宝扱いだった。莫大な額で取引された

馬が西から広まったとすると理屈に合わないんだよ
680日本@名無史さん:2013/04/14(日) 15:24:13.20
例えば秦の始皇帝は何者だと聞かれれば日本人のほとんどは中国人と答えるだろう
しかし、それは国家、人種の言葉の定義を曖昧にした最大公約数的な答えに過ぎない
現地を知る中国人ならそんな言葉のマジックで物事を捉える愚かなことはしない

しかし、日本の多くの人達はその言葉のマジックを自分なりにいいように解釈する(誰も教えてないのにw)
例えば、ある人なら秦の始皇帝は中国人民の大地主の農民の代表が決起して中国全土を掌握したと理解する
そんなことは経済的にも思想的にも絶対にありえないのに、そう思い込んでしまっているのである

それぐらい日本の教育者は幅を持たせて日本人の脳をお花畑にしている
色々な都合で幅を持たせて指導することは悪いとは言わない…
しかし税金で直接食べてる倫理性を考えれば、策略的な指導は最低限にとどめるべきだと思う

指導者が心の中で高笑いしている姿を幼少のころから感じて生きている人もいるのだとわかってもらわないとさ…
681日本@名無史さん:2013/04/14(日) 19:40:55.75
国家の文明史的な血統は重要だなアフォだとつけ込まれ滅ぶ。日本にはマヌケ学者しか居ないだろ残念だが。
682日本@名無史さん:2013/04/14(日) 20:29:40.08
【嫌韓】 北原みのり氏、在日認定され、否定 「事実を言うだけで、これだけ叩かれるのか。気持ち悪い。この空気こそ差別だ」★2



http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1365925715/
683日本@名無史さん:2013/04/15(月) 00:58:20.74
日本畜産歴におけるロバの謎
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1365910909/l50
684日本@名無史さん:2013/04/15(月) 01:01:51.36
ロバは馬以上に高温湿潤への耐性がないからそこがネックになったんだろうね
685日本@名無史さん:2013/04/15(月) 10:22:30.43
★★ネット工作員による造語「ネトウヨ」という言葉とは?

もともと「ネトウヨ」という言葉は
在日韓国人の公式組織であり民主党の支持母体でもある韓国民団が、
ネットで高揚する政治的保守に対して
一括りにネガティブなレッテルを貼るために作った言葉です。

所謂「ネット工作員」は、民団の構成員や協力会社の中に実際に存在し、
民団新聞にも、それを認める記述があります。

彼らは、幾つか書き込み内容を指示されていますが
最も重要なのは「ネトウヨ」という言葉を多用し、
他のネガティブな言葉と併用することです(例えば、「ニート!」「ヲタ!」「低学歴!」「無職!」など)。
これにより、虚栄でも民族的自尊心を保つとともに、保守層そのものを否定し、日本国益を害することを目的としています。
(韓国人の多くが、日本国益を損ねることを運命のように強いられ、
また洗脳されているという事実を疑う人は、勉強してください)

したがって、「ネトウヨ」という言葉を使う書き込みは、
そのほとんどが実際の世論誘導工作員と、
教養がない故に工作員の誘導に騙された思考することができない白痴によるものです。
686日本@名無史さん:2013/04/17(水) 08:47:29.70
>>679
馬自体は、石器時代から日本にいるだろうけど
それらは途中で絶滅してしまっただろう?
687日本@名無史さん:2013/04/17(水) 09:41:32.86
>>686
骨は地層から出てきたらしいが、
それは後の時代のものだってケチがついて
今のところ石器時代にはいなかったというのが学界の意見らしい。
やっぱ倭人伝の記述が大きいと思う
688日本@名無史さん:2013/04/17(水) 11:08:39.15
>>677>>680
まったくだが、現状では真の歴史の「絞り滓」から真実を突き止めるしかないわけで。。。
古代中国人が恐竜の骨を見て、身の周りにいた生き物と合わせて「龍」という想像上の生き物を想像したようにw

始皇帝が西戒の騎馬民族出身だというのはNHKスペシャルで見たが、そういう細かいことがいろいろ判っても、
結局歴史オタクの世界で留まって、一般市民は一生知らぬままで仕方ないと思う。
ただ、興味を持った人が手軽に真の歴史が判るようにしておく必要はあるだろうね。
689日本@名無史さん:2013/04/17(水) 14:08:10.08
>>687
いや、石器時代ぐらいならばいただかもしれんぞw
その時代はゾウもいただろうし。
でも、いっとしても、人類のエサぐらいにしか
ならなかったんじゃないの?
690日本@名無史さん:2013/04/17(水) 18:36:36.01
バカじゃないの。
古代中国人が恐竜の骨を知っていたわけ無いだろ。
そのうえ、真の歴史を教えてないとか共通の認識が無いだとか、
妄想も大概にしとけよ。
691日本@名無史さん:2013/04/17(水) 20:07:15.40
>>677>>680
もしかしてあんた、川本博之さん?
692日本@名無史さん:2013/04/17(水) 23:39:47.30
石器時代は牛もゾウも日本に居た

http://ja.wikipedia.org/wiki/花泉遺跡
>花泉遺跡は金竜川南岸の段丘上に位置し、厚さ2.5メートルほどの粘土・泥炭・砂層からなる化石床から
>ヤギュウ、オーロックス(原牛)、野牛の一種ハナイズミモリウシ[1]、ヘラジカ、オオツノジカ、ナウマンゾウなどの化石骨が多量に出土している[2

岩手からは数万年前の馬の化石も見つかっている
3万年前なら馬も牛もゾウも確実に日本に居た
693日本@名無史さん:2013/04/17(水) 23:57:19.00
ナウマンゾウ、は長野、千葉、岩手、北海道で見つかっているから
ほぼ東日本全域に居ただろう
694日本@名無史さん:2013/04/18(木) 00:42:38.53
今の人はとかく古代の人を文明の劣った人だと思っている
しかし、それは違う

現代人の多くは学問を多く習って賢くなってるつもりになっている
しかし古代人もあなたが現在持ってる知恵ぐらいは持っていた

嘘だ! そんなことはない、俺はファミコンもしたし、車も乗ったし、飛行機も乗った
古代の人達はそんなことしてないだろ だから俺の方がずっと賢い文明人だ、そう思っているだろう

例えるなら、古代の馬も現代の馬も遺伝子上全く変わらないのと一緒なことなんだ
つまり全く同じ思考をしていたということなんだ
そもそも、あなた方の遺伝子を持った分身が古代からいたわけでね

じゃ歴史を学ぶ意味ってなによ? ってことにになるよね
それは今を知ることなんだよ
695日本@名無史さん:2013/04/18(木) 07:43:08.40
>>690
石切り場とか谷間、山麓に恐竜の骨結構出てくるよ。つい最近も小学生が恐竜の骨を見つけてたジャン!
古代人も当然、石を切り出す時や山麓の畑を耕してると現れる、何か得体の知れない巨大生物の骨が生前どんな姿だったのか?
ということは疑問に思ったはず。 現代では恐竜ということが判っているけど、古代人にそんなことをする術がないから、
イマジネート(想像)して出来たのが西洋ではドラゴン(サラマンダー)、東洋では龍(麒麟+鹿角+鰐+鯉+大蛇)ということ。

真の歴史(恐竜)と、(ここを含めて普通の人が知る)表向きの歴史(ドラゴン/龍)の違いを判りやすく言えばこんな感じ
http://p.twpl.jp/show/large/cDgZH

>>694
そうそう。
情報の質/量が違うってだけで、古代人と現代人の違いは、生まれた年代の違いでしかない。
生物学的にやっていることは縄文時代と何一つ変わらないってことだね。
つまり生物学的に現代人と何一つ変わらない古代人の行動を見ることは、そのまま現代人の行動を知るってことだね。
696日本@名無史さん:2013/04/18(木) 07:47:42.86
むしろ、今まで進化を積み重ねてきた人類の体から見れば、
現代の体の使い方のほうが、例外かもしれない。
697日本@名無史さん:2013/04/18(木) 10:56:35.19
今ではアノニマスがNHK職員多数が北朝鮮工作員の疑いだとかウジTVが明らかに韓流洗脳とかもうみんな気付いてる訳だけど、
ひと昔まえはマスゴミやTVを支配下に置く電通の背後に、
コリアン勢力とか中共とかそれらと密約結んだ記事が存在する草加学会とかいるなんて言ったら、
すぐ統合失調症だとか隠滅にかかったりする輩がいて妄想扱いだったっけ。
なんか、この国のネットって、明らかに国外とか国内政党やカルトの為に言論統制工作して生活してるっぽい低学歴でニートっぽいのたまに出て来るよねえ。
的外れな歴史的知識不足とかひやかしとは違う。
698:2013/04/18(木) 12:13:57.78
川本さん、相変わらず病んでますねw
699日本@名無史さん:2013/04/19(金) 07:22:36.38
神社鎮座法がどうとかって喚いてる人格破綻者のこと?
700日本@名無史さん:2013/04/19(金) 13:17:49.79
>>695
古代人は恐竜がすでに絶滅していることも知らなかったわけだから、
実際にこの世界のどこかに生きてると思ってしまったわけだね
妄想が更なる妄想を生む図式は、日本の古代史と似たところがある
701日本@名無史さん:2013/04/19(金) 23:42:07.46
>>695
> イマジネート(想像)して出来たのが西洋ではドラゴン(サラマンダー)、東洋では龍(麒麟+鹿角+鰐+鯉+大蛇)ということ。


根拠は?
702日本@名無史さん:2013/04/20(土) 09:12:30.54
>>699
一級建築士らしいが、あんな情緒不安定な真性基地外に建築頼む香具師なんているのかね?
ちょっと気に食わないようなことを言われようもんなら、逆上して施主をボロクソ貶し、欠陥住宅建てられそうだよ。
703日本@名無史さん:2013/04/20(土) 09:17:35.07
>>701
根拠(ソース)は釣られた本人が探す

それが2ちゃんねるの鉄則でつw
704日本@名無史さん:2013/04/21(日) 09:01:56.08
結局古代史解らない日本人て、幼少時代の記憶を亡くしたピアノマンみたいなもんだね。
705日本@名無史さん:2013/04/21(日) 13:27:02.88
神武の時代って日本の人口どれくらいだったの?
706日本@名無史さん:2013/04/21(日) 16:27:03.27
神武 30万人
崇神 100万人
応神 150万人
推古 300万
707日本@名無史さん:2013/04/21(日) 16:50:00.92
30万しかいなかったの?それじゃ首都でも5万ぐらい?
708日本@名無史さん:2013/04/21(日) 21:47:32.18
>>704
税金で世界中に金貸しやってる天皇家が、21世紀になっても納税者に真の歴史を公開しないなんて、
どう考えても民主主義じゃないよな?
リッチな北朝鮮みたいな国だよ、ったく
709日本@名無史さん:2013/04/21(日) 21:49:31.08
それも変な話だな
古代から現代と同じような集落が1万以上あるんだよ
一つの地区で平均30人とかまずないわ
山のどんぐりとか色々たべてりゃ300人近く入るはず
いくら古代でも300万人近く日本列島にいたと考えた方がいい

日本列島で30万人なら一つの地方でみんな近い親戚筋になる
遺伝子が弱くなるからな
710日本@名無史さん:2013/04/21(日) 22:04:19.93
日本国民=日本銀行(皇室)と日本経団連(薩長)の使用人

使用人の分際で、欧米人のような人権、歴史を知る権利などありませぬ。
711日本@名無史さん:2013/04/21(日) 22:52:13.21
邪馬台国九州説の難点も人口だな
あの時点で九州限定に域を狭めるなら、戸数が異様に多すぎる
邪馬台国で7万、そのとなりの投馬で5万。単純にあわせると12万だ
九州だけでは考えられない戸数になる

邪馬台国だけで当時の高句麗はおろか朝鮮半島の全部の国を足したより人が多いのは
さすがに考えられないんだよな。投馬が出雲あたりに比定すれば、まだリアリティもありそうだが
712日本@名無史さん:2013/04/21(日) 23:47:40.53
朝鮮の土地に人口養えるだけの生産力在るのか?
713日本@名無史さん:2013/04/22(月) 06:22:13.25
そういえば邪馬台国出雲説とかないのはなぜなんだろう?
古代は出雲は都会だったはずだよね。
714日本@名無史さん:2013/04/22(月) 06:44:29.82
投馬国出雲説ならある
715マリー・アントワネット:2013/04/22(月) 07:04:08.26
>>713
なければ創ればいいじゃない!♪(゚▽^*)ノ⌒☆出雲説
716日本@名無史さん:2013/04/22(月) 10:57:17.73
広義のいわゆる出雲国とは、
後の天皇家(出雲/大倭国の外戚)が勢力を伸ばして大王権を簒奪し統治する以前の日本全体、、大倭王国(大王/大国主(オホナムチ))

奈良県の葛城・高尾張(高天/御所市)・吉野辺りがヤマト(=大王の坐す宮都)で国譲り?の舞台

特に葛城の高天地区は後世(十世紀)の延喜式では
記紀の高天原であると朝廷が認定した場所。

神聖な神山の吉野山の麓。東に2つの元伊勢(滝原宮、伊雑宮)、西に淡路島の先山(淡路富士。霊山/神奈備山/伊弉諾尊、伊弉冉尊)。南に熊野の聖地群
古代の死生観と宮都の立地条件に合致した場所。
この宮都の立地条件は後々の王権にも引き継がれた大事、(三輪山、春日山、比叡山(日枝山)・・・)

名古屋中京地域へ放遂された尾張氏流が本宗家と思われます。(始祖は天火明命(天照皇大神)。)
籠神社海部宮司家は早い時期に分かれた尾張氏の同族分流。
(海部家の系図の当初十数代部分は(高)尾張氏と同じ系図で主に丹波と丹後の支配者の系図)

ただ、出雲(大倭王家)族と天皇家は祖を同じくする同族関係。
浦島太郎が出雲(天火明命流/海部族。高尾張)。

記紀には海部族/海洋民との深い関わりが時代背景を変え手を変え品を変えて度々記述されていますよね。
717:2013/04/22(月) 13:19:15.94
読む気がしません
718日本@名無史さん:2013/04/22(月) 20:26:32.03
年表とかってどうなってるんだろ?
邪馬台国が魏に使いを送った時は神武時代なの?
719日本@名無史さん:2013/04/22(月) 20:29:58.33
天照=卑弥呼時代です
720日本@名無史さん:2013/04/22(月) 23:31:06.08
>>711
投馬は吉備の鞆の浦でしょ
721日本@名無史さん:2013/04/23(火) 00:42:00.08
>>719
それは無いなー
722日本@名無史さん:2013/04/23(火) 07:50:49.57
>>14-15の言ってる歴史が普通の人の最大公約数なんじゃないの?

それ以上のことなんて、普通の人に判りゃしないよ
記紀が寓話(神話)化してるのは、
1世紀の漢委奴国王から4世紀の大和朝廷成立に至る1〜3世紀の300年間(≒江戸時代)の範囲なんだからさ
723日本@名無史さん:2013/04/23(火) 08:05:30.62
まぁ、この日ノ本から天皇制が消滅するまで愚民が建国の歴史を知ることはないんだから、
のんびり妄想トークを楽しもうぜ!

天皇制が消滅し、建国の経緯を知った時代の日本人から見たら、この頃の日本人はこんなこと想像してたんだぁ!なんて笑いのネタになるよ
まるで(恐竜だと知った)現代人が(ドラゴンや龍を妄想した)古代人を見るようにw
724日本@名無史さん:2013/04/23(火) 09:04:12.92
だから、ドラゴンや龍は恐竜とはなにも関係ないってことを、少しは理解して覚えておけよ。
古代人には石と化石の区別はできないし、石の中から化石なんて取り出す能力はないし、
風化作用で化石は露出なんかし続けられないんだから。
725マリー・アントワネット:2013/04/23(火) 09:09:28.24
一般に公開されている文献史料や考古学成果からは、1〜4世紀の歴史が判らないなら、
「どの説がより多くの現象を説明しているか?」で賭けて楽しんじゃえばいいじゃない?!♪(゚▽^*)ノ⌒☆
726日本@名無史さん:2013/04/23(火) 10:49:17.33
>>723
いや、逆だな
記紀を調べて分かる事は、かなり正確に事実を反映してるってことだ
世界一価値のある歴史書と言っても良い
考古学者も含めてその事実にまったく追いつけていない
727日本@名無史さん:2013/04/23(火) 12:23:16.95
>>723
そんなのイヤだ
今すぐ本当の歴史が知りたい!
728日本@名無史さん:2013/04/23(火) 13:07:21.46
ここには、
より突飛なものや、より間違っていそうな説を、好んで言っている奴ばっかりだろ。
「俺はそんな説を支持しているんだぜ!」っていう優越感に浸りたいだけ。
どうしてそんな事に優越感を持てるのか不思議だが。
729日本@名無史さん:2013/04/23(火) 18:33:06.12
天皇家は日本の創世記の事を知ってるのかな?
皇居に神武天皇の日記とか残ってるんだろうか?神代文字で。
730日本@名無史さん:2013/04/23(火) 18:44:52.38
記紀以上のことはわからんと思うよ
731日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:03:01.02
記紀の成立が600年〜700年ごろだっけ?

たしかそれより前に国紀と天紀だかがあるとか聞いたんだが。
それは宮内庁が持ってるんじゃないかな。もしくは古墳に埋蔵されてたり
するのかな?
732日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:13:58.86
国記は焼失しなかったと書いてあるのだけどな
733日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:28:39.93
古墳に本を副葬する例ってあるの?
734日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:34:49.77
死地に向かうのに本はないだろ
735日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:40:09.29
天皇制がなくなれば宮内庁も神社庁も必要無くなり、箸墓始め、すべての天皇陵の石室も徹底的な学術調査が可能となる。
納税者の血税で形成された皇室財産はすべて納税者に公開される。
一刻も早く天皇制をなくして欲しい。
君主制廃止万歳!共和国万歳!日本共和国万歳!
736日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:40:48.95
じゃあまあ、邸宅跡から見つけるしかないか
737日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:41:11.36
スレ違い
738日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:47:41.90
>>736
国記なら天智天皇に渡ったと記されておるよ
739日本@名無史さん:2013/04/23(火) 19:53:26.74
>>729
皇太子に立太子されると、日本の国の本当の歴史を教えてもらえるらしいが、
当然のことながら門外不出で、国民(納税奴隷)には一切知らされない。
国民に真相を知られると、原発推進の既得権益にとって不都合なことになる福島第一原発事故と同じw
740日本@名無史さん:2013/04/23(火) 20:15:22.40
ただでさえ胡散臭い分野なんだから、政治をもちこむな
741日本@名無史さん:2013/04/23(火) 20:18:17.45
ていうか当時ってすでに紙はあったの?竹巻ってわけじゃないでしょ?
742日本@名無史さん:2013/04/23(火) 20:20:22.36
>>739
既得権益を一旦手にしたら手放せないよ
現代日本を牛耳る薩長支配勢力による「明治維新」礼賛番組の多さを見れば一目瞭然だろう
743日本@名無史さん:2013/04/23(火) 20:25:40.66
自分たちの先祖を「神」として全国に神社を建てさせ、民に拝ませてる天皇家は既得権益の権化。
744日本@名無史さん:2013/04/23(火) 21:56:43.78
「チャリ〜ン、パンパン、お金持ちになりますように」w
745日本@名無史さん:2013/04/23(火) 22:17:30.05
既得権益も悪い事ばかりじゃない
外国に自慢できる
在日利権は最悪だけどな
746日本@名無史さん:2013/04/24(水) 00:55:08.41
>>745
フィフィさん在日特権のカタカナ横文字業界から干されてるネ。
747日本@名無史さん:2013/04/24(水) 07:12:16.68
>>742
正確には近代日本だな
>>745
在日利権は世界に冠たる人権国家・日本の象徴だよw
日本人だとなかなか支給されない生保も、在日○世ならほぼ無審査で支給され遊んで暮らせるw
748日本@名無史さん:2013/04/24(水) 10:12:57.13
私はクラスで一番馬鹿だったから今でも見識がない
ここに来ている人たちは見識ある人ばかり 恐縮するばかりだ

学生時代の馬鹿話だが…
古文の授業で「和泉」を「わいずみ」と読み続けたことがあった
教員は怒るのを諦め露骨に嫌な顔をして無視し続けてた
周囲はそんな自分に「だから〜イズミ!だと言ってるだろwww ちゃんと読めよwww ばかだなwww」と忠告してくれた
こんな調子でテストでも欠点を取り続け教員に留年するよう叱られた

英語の授業でもそうだった
授業を聞かず、もし医学生になれたらどんな単語を使うのだろうって…(妄想の世界)
医学に関与する英単語を辞書から引き出したり得にもならないことばかりして遊んでいた
心臓、肺、腎臓、…アキレス腱 
へ〜色々な単語があるんだ おもしろいな
次はどんな単語を引こうか…次は建築にしよう
そうやってくだらない主題をきめて毎日過ごした

そんなことばかりやっていたから偏差値も下の下になってしまった
だから歴史も世界も全然わからなくなってしまった
ここにいる人たちは見識がある人達ばかりだ
真似をしないようにしっかり授業は聞きましょうね

ごめんね 自分の愚痴話して 退散するよ
749日本@名無史さん:2013/04/24(水) 10:21:39.33
●ていせい

イズミ→いづみ
アキレス腱→腱
750日本@名無史さん:2013/04/24(水) 20:49:57.55
最古の日記っていつ頃のなんだろう?

700年頃にすでに一般に文字と紙が流通してて
それから知ってる限り過去の事を書き残したとして
せいぜい500年ごろぐらいまでしか残せないかな。
751日本@名無史さん:2013/04/24(水) 20:57:04.54
たぶん、楔形文字やインダス文字で書記が今日の昼飯を書き記したのが最初なんじゃないかしら。
752日本@名無史さん:2013/04/24(水) 21:02:42.71
ボクシング】元世界王者逮捕 徳山昌守(本名・洪昌守)容疑者、傷害容疑で★3




http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1366772401/
753日本@名無史さん:2013/04/25(木) 23:12:38.17
神武東征はあったと思うんだよな。初代はいるよね。
754日本@名無史さん:2013/04/26(金) 14:06:37.03
崇神天皇が同殿同床による親祭の祖法をなぜか敢えて枉げ、
皇居から遠ざけた天照大神と倭大国魂大神。
この件のあとに唐突に大物主神の荒び祟る話が挟まれ、
結局、苦心惨憺して大物主神の末裔、太田田根子を探し出して神主に任じて鎮祭させた云々。

他にも本当に意外な神様が度々荒び祟りを為したと言われます。
それは、皇室の大御祖大神のはずの伊弉諾尊。

子孫たるわが国の皇室や朝廷を愛でて御加護してくれる筈の皇大祖神様であるはずの伊弉諾尊が祟るとは、、?
755日本@名無史さん:2013/04/26(金) 14:09:42.17
>>748-749
俺は一般公務員試験よりは難しいと云われる使えない中堅国家資格も、
本屋で買った本で働きながら一ヶ月内程度で合格ったり、
FPとか本屋で買った本も時間が無くて10ページぐらいしか完全には覚えずに資格試験受けて不合格通知来て、
後からよく見てみたら一次は合格って何年間免除だったりよくあるけど、
酷い草加被害で学歴とか冴えなくされて結局あんたと一緒だよ。親の優良会社も潰されていろいろ苦労させられてる。
だからみんな一緒。
人生万事塞翁が馬、気にしなさんな。
756日本@名無史さん:2013/04/26(金) 14:15:02.08
>>754
三輪の大物主も初期大和王朝によく祟ったとか。
明治天皇は伯家神道を何故封印したのか。
757日本@名無史さん:2013/04/26(金) 15:01:48.32
皇祖神である天照大神もスサノオや大物主同様、最初は奈良に祀ろうとしたけど、雄略天皇(だっけ?)が伊勢に祀ったのはなぜなんだろう?
758日本@名無史さん:2013/04/26(金) 15:17:32.61
津波被害を調伏してもらおうと
759日本@名無史さん:2013/04/26(金) 15:55:27.78
九州から大和に神武が東遷した理由が、五胡十六国の悪影響から距離を置くためではなく、
津波に襲われない内陸の盆地だったからだとしたら悲しすぎる… _ト ̄|○
760日本@名無史さん:2013/04/26(金) 16:29:52.33
神武東征は熊襲のと争いにウンザリしたからだろうな
正確には神武移民だがw
761日本@名無史さん:2013/04/26(金) 16:55:18.18
>>755
見識とはある意味諸刃の剣である

そのことを言いたかったんだ
だから真似をしないようにと書いたんだ
だれとは書いてないだろ
フフフ
762:2013/04/26(金) 16:57:59.10
川本さん、やっぱり病んでますねw
763日本@名無史さん:2013/04/26(金) 17:19:34.06
伯家神道は言わば、藤原(中臣)氏の神道。
764日本@名無史さん:2013/04/26(金) 18:26:09.34
古代史が人を惑わせる面白い理屈とは…
自分は正しい 他人は間違ってる、
そこだろう

自分は愚かだ、他人は偉い
そう考える方が理に適っているのではないか
私はそう思うのである
765日本@名無史さん:2013/04/26(金) 19:37:13.84
>>759
東征の理由は熊襲との争いにうんざりしたってのが現実的。
じっとしていても攻めて来るだろう、しかも得る物が何も無い。
どうせならって気になったのと違う?
766日本@名無史さん:2013/04/26(金) 23:27:08.57
何百年に一度やって来るか来ないか分からない津波を理由に東征するわけなかろう
ではなぜ茨城千葉神奈川静岡は西征せなんだ?
生産や居住の場を沿海低地に過度に依存していた証拠がなければ津波を理由にするのは無理だ
767日本@名無史さん:2013/04/26(金) 23:31:38.99
東征なんて格好いいこと言ってるけど。もしかして
九州で敗れて東に落ち延びただけなんじゃないだろうか?
当時一番の都会であるはず九州を捨てる理由がわからないんだよな。
768日本@名無史さん:2013/04/26(金) 23:58:02.90
>>767
>>765
無益な戦いを繰り返していたんなら、どうせ命懸けなら…って考えになりそうじゃないですか?
769日本@名無史さん:2013/04/27(土) 00:10:58.93
ところで奈良に都、築いたわけでしょ?
なんで奈良なんだろうな。場所的に不便じゃない?

平地があったからなのかな?当時日本は原生林だらけで
都築く場所すらなかったんだろうか?
770日本@名無史さん:2013/04/27(土) 00:25:27.70
湖があって何時ごろ干上がったのかはともかく
植生遷移が進んでいないのなら開拓に最適だ
771日本@名無史さん:2013/04/27(土) 02:00:00.71
陸地の幅が狭くなっていてしかも険しすぎない交通の要衝。
欠点は水不足になりやすいこと。
772日本@名無史さん:2013/04/27(土) 02:40:32.32
>>769
そりゃ、それ以外の条件がいい所は
先住者がちゃんと支配してたからさ

>>771
どこに行く気だよw
773日本@名無史さん:2013/04/27(土) 06:48:48.28
飛鳥板葺宮も、藤原新益京も、平城京も、平安京も、国土の中心地点だったからという説があるよ。
これら4つの中心建物(大極殿)は南北に一直線で結ばれるらしい。
http://www.geocities.jp/yasuko8787/111210.htm
774日本@名無史さん:2013/04/27(土) 21:46:36.90
日向の高千穂ってアンデス?
出雲ってエジプト?
775日本@名無史さん:2013/04/28(日) 08:25:55.50
大和朝廷の虎の威を借る基地外建築士
776日本@名無史さん:2013/04/28(日) 15:14:51.90
神武の時代って人々の生活はどんなレベルだったの?
平城京みたいな屋敷みたいのはすでにあったのだろうか?

刺青はしてたみたいだけど。
777日本@名無史さん:2013/04/28(日) 21:42:23.83
>>776
竪穴建物(住居)と掘立柱建物(倉庫)
掘立柱建物の巨大なやつを卑弥呼の住居だとか祭祀を行った建物だとか言っていたけど
どうなったんだろうね
778日本@名無史さん:2013/04/28(日) 23:23:48.98
奈良は外来語のナラの当て字。
ナもラも国とか領土/領域の古語
779日本@名無史さん:2013/04/28(日) 23:25:34.05
どこ由来の外来語なんだよ。
インドとかペルシャあたりか?
780走 ◆VWCBut9QG7q4 :2013/04/28(日) 23:57:02.73
韓国人は、朝鮮語でナラは国の意味と。
だから朝鮮が日本を造ったとか。
万葉集は朝鮮語で解読するとすごいことが書いてあるとか。
独島だけではなく、対馬も韓国領ですとよ。
781日本@名無史さん:2013/04/29(月) 00:19:35.32
ナーラ サンスクリット語で水
ナーガ 蛇
782日本@名無史さん:2013/04/29(月) 03:11:05.77
>>778
新羅はシラでアイヌ語だぞwww
783日本@名無史さん:2013/04/29(月) 03:12:46.21
実は新羅も奈良もアイヌ語(縄文語)
784日本@名無史さん:2013/04/29(月) 03:15:00.99
ところで、新羅百済は朝鮮語でどんな意味なの?
785日本@名無史さん:2013/04/29(月) 03:22:18.64
ヒラ、タイラとか
〜ラが付く地名は日本語に幅広く存在する
つまり朝鮮語のナラは日本語由来だな
古代に日本に支配された証しだよ
786日本@名無史さん:2013/04/29(月) 10:01:53.58
ていうか神武の時代はまだ国境が定まってなかったんでしょ_?
白村江の戦いで国境が定まったという話じゃん。
787日本@名無史さん:2013/04/29(月) 22:36:32.23
神武さんてエジプト統一王朝ですよねー?って話は駄目なん??
788日本@名無史さん:2013/04/29(月) 23:32:25.93
事代主は国家存亡の危急時に釣りをしていた。。。       器が違う。
789日本@名無史さん:2013/04/30(火) 00:07:15.52
790日本@名無史さん:2013/04/30(火) 05:08:46.84
熊曽=原縄文+江南人

で、これが神武の出身地。
のちに熊曽が蛮族とされたのは王朝が入れ替わったからだね
万世一系を鵜呑みにしてたら日本史は解けませんて
791日本@名無史さん:2013/04/30(火) 06:55:45.05
>>790
日本の古代の歴史に関心のある奴で、
万世一系を信じてる者などおるまいて!
792日本@名無史さん:2013/04/30(火) 07:09:56.48
皇統は万世一系である。
継体天皇も応神天皇の5世孫でありさらに応神系皇女を皇后としており問題は無い。
793日本@名無史さん:2013/04/30(火) 07:17:36.54
>>73
邪馬台国、円熟の新説 「出雲の勢力が大和で築いた」
http://book.asahi.com/booknews/update/2013040400002.html
794日本@名無史さん:2013/04/30(火) 09:04:28.11
朝鮮人てほっとくとゴキブリみたいに珍説をあげてくるよな
795日本@名無史さん:2013/04/30(火) 15:53:49.44
事代主神は諱を伊毘志都幣尊(いびしつぬのみこと)と奉り。
諡号(神号)は玉櫛入彦厳之事代主尊(たまくしいりひこいつのことしろぬしのみこと)
//神戸の長田神社の御祭神(事代主神)の正式な御神名に伝わる。

また、積羽(都美歯)八重事代主神とも
又云、飛鳥大神とも奉る。

大国主/大己貴命の末子。母は多紀理姫(美保津比売)。

出雲本宗家の正当な後継者(末子相続の慣習による)。
事代主神(恵比寿神)祝詞には、出雲が危急存亡の秋にたまたま美保津に鳥狩りと魚取りを為さっていた云々。
これはただ単にバカンスを為さっていただけではなく、
貴人(事代主神はこの時点では大国主に即位済みかと)が着の身着のままでのほほんと動く事は無いはずで、
水軍や近衛軍などと共に軍事調練の一環と愚考拝察するところ
796:2013/04/30(火) 16:36:01.49
読む気がしません
797日本@名無史さん:2013/04/30(火) 16:44:55.35
事代主は国家存亡の危急時、水軍や近衛軍などと共に軍事調練が行われている傍らで釣りをしていた。。。


器が違う。
798日本@名無史さん:2013/04/30(火) 19:06:45.47
自大主義の朝鮮人気質はともかく
人間をゴキブリ呼ばわりするコミュニティの異常さに気づけなくなったら末期

こういう連中がネット中にうじゃうじゃいる任天堂信者コミュがまさにそれ
http://hissi.org/read.php/ghard/20130426/RXEyMEFtSHAw.html?thread=all
799日本@名無史さん:2013/04/30(火) 20:15:12.48
800日本@名無史さん:2013/04/30(火) 20:38:20.23
>>793
こんなもんで6万部も売れとるのか・・・
801日本@名無史さん:2013/05/01(水) 07:25:54.17
日本古代史は虚学orオカルトであることがよく解るね
802日本@名無史さん:2013/05/01(水) 15:59:03.72
>>800
完全にコロンビアだな
803日本@名無史さん:2013/05/01(水) 17:17:41.23
民放各局日テレ・TBS・フジに韓国資本が入ってると噂される前、オカマ、お笑い芸人やらが流行る前の昔ニュース系板
内部業界関係者らしき書き込みで、

「これからテレビに出す日本人のタレントは、お笑い芸人とオカマ・オネエと草食系ばかりにする。
その対極として男らしくカッコイイ韓国人を相対的に売り出して、韓国人を日本人の憧れにする」

という書き込みがあった。
今思えば、全部その通り(成功してるとは言い難いが)になってるから、案外そういう計画自体は本当だったんだろう。

なんか怖い。
ミッツとかマツコが韓流批判の高岡の事件の時、精神病扱いしてボロクソ言ってたけど、
犯罪犯したわけでもないのに酷かった。
804日本@名無史さん:2013/05/01(水) 20:01:58.32
昨日飲み屋で、隣席の77歳だというじいさんが、
天照大神と神武天皇は朝鮮半島から来たとかトンデモ話してきた。
何言ってんだど思い反論したら、そのじいさん、プルプル震えながら顔真っ赤にして
『若者はもっと歴史を勉強しろ!!』と怒鳴られた。
昭和11年生まれですらこんなデタラメな歴史を信じてるとは衝撃と悲しみを感じた。
805日本@名無史さん:2013/05/01(水) 21:12:36.82
>>804
大和朝鮮同祖だろその年代w
詰んでんのよ。意識と軍事力による牽制しかないが不可能に近い。
806日本@名無史さん:2013/05/01(水) 21:29:28.17
天照はむしろかなり新しい部類の神。
よって、朝鮮起源はない。

だが神武が実在していたと想定するなら朝鮮か大陸からの渡来人であることは
これはもう、ほぼ確実。紀元前のあの時代に強大な武力で一挙に版図を広げる力は原日本人にはなし得ない
ちなみに朝鮮といってもむしろ三韓時代は今の朝鮮人よりむしろ日本人のが近いから
基地外じみたアレルギー反応を起こす必要もない

倭人伝の百済条を一度見てみるといい。住民は道ですれ違うと互いにえしゃくをする、礼儀正しく風呂が好き
とかもう完全に日本人のことが書いてあるからな。不倫は死罪ってのもそっくり同じ内容で書いてある
807日本@名無史さん:2013/05/01(水) 21:36:16.86
ちなみに縄文時代は1万5000年以上続いた

世界の中でもずば抜けて古い歴史を積み重ねてきたのが日本であり、
同時に、外部からの影響がない閉ざされた世界ではいつまでも進化がないという証明でもあるな

渡来人を起爆剤に、圧倒的な人口を誇った縄文人の価値観を反映させた八百万の神話が生み出され
それをもって日本原住民が共同体を作り上げていきはしたろうが、朝鮮人や大陸人に忌避感情をむき出しにしては
日本の歴史は紐解けわせんよ。
808日本@名無史さん:2013/05/01(水) 21:40:25.10
なにより重要なのは、日本にわたってきた渡来人は
白人文明のように「皆殺し政策」は取らなかったということ。

これに関しては日本は本当に恵まれている
なぜなら、日本に渡ってきた人間も結局は大陸なり半島での敗残者であったから
そして結局、大陸や半島における勝ち組勢力というものは紀元前から今にいたるまで一度も日本に侵攻しなかった
まさに、神に守られた大地であろうな。
809日本@名無史さん:2013/05/01(水) 21:51:18.16
【縄文時代の人口】〜東高西低は本当か?
http://www.jyoumon.com/blog/2010/11/001163.html
縄文遺跡の立地性向
http://www.gisa-japan.org/dl/17-1PDF/17-1-63.pdf
火山国ニッポンと土壌肥料学
http://www.niaes.affrc.go.jp/magazine/103/mgzn10306.html
火山がもたらした東北の縄文
http://www.jyoumon.com/blog/2012/08/001440.html
810日本@名無史さん:2013/05/01(水) 21:53:20.69
【縄文時代の人口】〜東高西低は本当か?
http://www.jyoumon.com/blog/2011/02/001206.html
811日本@名無史さん:2013/05/01(水) 22:29:15.34
>>805
大和朝鮮同祖って初めて聞いた言葉だったからググってみた。
こんな所説があったのか〜
この説で学んだ世代は考えを変えるのは難しいってこと?
812日本@名無史さん:2013/05/01(水) 22:30:21.14
>>811
米中の対日戦略が働いてる。
813日本@名無史さん:2013/05/01(水) 23:13:24.91
>>812
今の朝鮮は米中の傀儡政権だからな

>>806の言うように今の朝鮮人と三韓時代の朝鮮では
もうまるっきり別な民族っていっても過言じゃないだろうな。
814日本@名無史さん:2013/05/02(木) 02:51:42.86
東夷伝弁韓条
http://www.seisaku.bz/sangokushi/30_touiden.html
五穀や稲の栽培に適している。蚕を飼い、縑布を作る。
大鳥の羽根を用いて死者を送る。死者を天空に飛揚させるという意味である。
鉄の産地であり、韓、濊、倭などが採掘していた。市場での売買では、鉄が交換されており、中国での金銭使用のようである。
また倭人とも習俗が似ており、男女とも入れ墨をしていた。武器は馬韓と同じであった。
礼儀がよく、道ですれ違うと、すすんで相手に道を譲った。

「貴族は急ぐときも腰から上は平素のまま、足だけを小走りにして移動する」などを見ても
昔の百済は完全に、日本人の気質と似ているのがハッキリとわかる。



礼儀よく進んで道を相手に譲る民族なんて、日本人しか世界中にいない。
815日本@名無史さん:2013/05/02(木) 09:13:58.30
>>808
皆殺し政策をとらなかったんじゃなくて、現地人に服従したってことだろ
シナ大陸にD型Y遺伝子がないのは皆殺しにされたからだし。
816徐福 ◆JBaU1YC3sE :2013/05/02(木) 11:44:09.70
最新の鉄器文明を持った人間と先住民で後者が支配層になる可能性はありえないな
海の彼方から太陽の光に照りはえながらやってくる彼らを見て、縄文人は素直に神と信じた
そして、心から暖かく歓迎した。

本土での遊牧騎馬民族特有の虐殺により人間への疑心暗鬼に陥り
海を渡っている間は、新天地での戦いも想定していたであろう渡来者らも
現住縄文人の精一杯の食事や祭りに心をいやされ、彼らの持つ文化を伝え始めた

なんせ縄文文明はいまだ戦争を知らない。
人に害意を与えられた体験のない動物の純然たるまごころを知らぬものはおるまい
あのような心こそが日本人の本質であり、それは弥生時代千数百年近く、長い長い平和の時であったろう
http://www.youtube.com/watch?v=1Y2IkZULXo8
817日本@名無史さん:2013/05/02(木) 12:33:50.26
>>816
新モンゴロイドの増殖はあとの話だろw
万里の長城南下人種
818日本@名無史さん:2013/05/03(金) 17:53:26.13
イングランド王ウィリアム1世の発音

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/49/316.html

神武天皇の発音に極めて近いことがわかった。
819日本@名無史さん:2013/05/04(土) 15:09:28.37
秦氏って結局何者なの?始皇帝の子孫とか言われてるけど。
820日本@名無史さん:2013/05/05(日) 21:42:09.18
秦氏は本当に謎だな
完全に記録から消されてるというより、自ら歴史の裏に潜んだ気配すらある
821日本@名無史さん:2013/05/07(火) 10:03:03.20
秦氏の「秦」はおそらく「旗」。

北九州の海神信仰につきものだった旗信仰に繋がっていると見ている。
秦の始皇帝は典型的な出自隠しだろう。嘘はより大きい方が目くらましになるからね
822日本@名無史さん:2013/05/07(火) 22:00:09.65
>>821


波多
八太
波田
羽多
畑ムツゴロウ
823日本@名無史さん:2013/05/07(火) 23:04:29.88
20歳
824日本@名無史さん:2013/05/08(水) 00:33:55.64
波多野敬雄
825日本@名無史さん:2013/05/08(水) 07:26:43.99
シメオン族
826日本@名無史さん:2013/05/10(金) 23:29:05.80
秦sinは月
秦hataは火星
827日本@名無史さん:2013/05/11(土) 17:38:26.96
名無しさん@13周年 New! 2013/05/11(土) 17:32:06.48 ID:l4JF8ncM0
出雲大社の遷宮だそうだけど

出雲氏は不思議なんだよな 神代から出雲大社の祭祀をしてるのに
天照大神の子孫なんだよな
神を祀る側がその神の子孫じゃないってことはよくあるんだけど
古代の氏族が神武以降大和朝廷に組み敷かれて 大和系の豪族を受け入れた様子がないのに
なぜか天照大神の子孫
尾張氏も天照大神の子孫なんだけどこっちのほうは熱田に草薙の剣が来る前は
祖先である天火明命を祀ってたみたいだからそれぞれの祖先神の統合ってことなんだろうけど

出雲氏がどういう過程で天照大神の子孫を名乗り始めたのが気になる
828日本@名無史さん:2013/05/12(日) 01:49:20.22
アメノワカヒコが大国主に婿入りしてなかったかな?
829日本@名無史さん:2013/05/12(日) 09:04:02.39
>>828
うん 系図上はそうなんだけど
それが歴史的にどういう経緯をたどったか興味あるよね
830日本@名無史さん:2013/05/12(日) 09:12:19.47
>>828
出雲氏の先祖はアメノホヒノミコトだね
831日本@名無史さん:2013/05/12(日) 09:58:01.25
>>830
大国主に心服して家来になったと有ったが
婿入りしたのか乗っ取ったのか?
国譲り後にニニギから国造という役職を任せられた可能性も有る

出雲国造が天孫の家系を名乗ったのは有り得る話しだが
大国主も祀っているから融合の可能性が高いな
832日本@名無史さん:2013/05/12(日) 14:05:36.61
出雲氏=出雲臣族は元々大和側だと思われる。
出雲王家=出雲神族は国譲りで大和へ連行。後の三輪氏。
天皇家は大物主の祟りを怖れ三輪山に祀った。
同様に、出雲でも祀り続けたのではなかろうか。
統合された国の大王になるには、出雲神族を蔑ろにできない。
で、出雲族との政略結婚によって国を統治。
別格でありながら、三輪氏は、蘇我氏、藤原氏ほど目立たない。
天皇家に嫁入りさせてのし上がろうとしない。
もっと早い段階で天皇家と融合しているからだろう。
つまり、天皇家にとって出雲は元々は畏怖の対象であり
後々には母系の祖先としてリスペクトの対象となった。
833日本@名無史さん:2013/05/12(日) 16:52:49.88
出雲大社は国譲りをした大国主をお祀りしている
譲ってもらった側の出雲国造はアマテラスの系統

しかし、祭祀行事においては出雲国造は大国主として振る舞う

これは、当初、地元民の人心掌握のためであったであろうが、次第に
中央から分離し、自らが出雲国の主となったのではないか
834日本@名無史さん:2013/05/12(日) 19:54:54.20
>>832
>出雲氏=出雲臣族は元々大和側だと思われる。
>出雲王家=出雲神族は国譲りで大和へ連行
>>833
>次第に 中央から分離し、自らが出雲国の主となったのではないか

いつごろ大和側から出雲へ派遣されたかだよね
紀によれば崇神天皇のころには神宝渡す渡さないで出雲氏が内紛して
大和から介入受けてるから
それよりはるか前だろうね

大和朝廷傘下に各勢力が組み込まれて行く過程が
吉備や毛野みたいに皇別氏族が送り込まれるとか
尾張氏みたいに自らの祖先神を皇室の祖先神と習合させるとかだと
倭国の統一が進む様子が想像しやすいけど
出雲は複雑なんだろうね
835日本@名無史さん:2013/05/12(日) 20:06:56.24
初期に派遣したのは天孫であって大和では無いと思う
大和の初代が神武だし
アメノホヒもワカヒコも高天原から直接派遣している

崇神が出雲を侵略したのは間違いないと思う
その後は占領済みでもう大和が人を送る必要も無くなり
歴史に埋もれたのだろう
836走 ◆VWCBut9QG7q4 :2013/05/12(日) 21:03:13.85
今年は伊勢神宮の遷宮ですよ。
4月に行って来た。日本の神社の総元締めなんで大きいですね。
熊野、高野山も行った。熊野でなぎの葉っぱを頂いて財布に入れていたら
BIGで4千数百円も当たった。千円以上当たったのは30年ぶりくらい。
女房ももなんかのくじで1万円当たったって。これは鰯の頭も信心かな。
兎に角日本人には生活、文化、思想の中に神道が行き渡っていますからね。
海外で直ぐ日本人は宗教を持っていないと言います。
今私は次のように言います。「日本人はポジティブではありませんが
生活の中にシントーとブッディジムを持っていますと。
大概はお祝い事には神社に、死んだ時にはお寺に行きますと。
837日本@名無史さん:2013/05/13(月) 14:21:27.08
>>835
天孫族が出雲族を取り込んで「大和」が成立するわけだよな。

当時は機内まで出雲の勢力圏内で、大和の地には既に出雲族がいた。
諸説あるが物部も出雲族と考えていいのかな?
838日本@名無史さん:2013/05/13(月) 16:00:13.93
>>837
物部って後の橘氏=楠氏だよね。
839日本@名無史さん:2013/05/13(月) 18:05:01.59
記紀では天孫の天若彦(天雅彦)は大国主神に取り入って
娘婿(下照姫と結婚)となり天下の主たらんとした云々。

これは事実/史実だったかも。
国宝の海部氏勘注系図からは、
大己貴命(大国主神)と多岐都比売命の姫御子が天道媛命。亦名、高光媛命/手名屋乎止女(八乙女)。
が見え、
天孫、彦火明命(天之忍穂耳命と梯幡千千媛命(高皇産霊尊の姫)の第三御子)
に嫁いで天香語山命(高志神火明命/手栗彦)を産んでいます。
彦火明命のまたの御名は天火火出見命!(ホホデミ!)

この後に延々と続く華麗なる系譜は、どう斟酌しようとも紛うことなく何がしかの大王家のそれ。
(早い時期から葛城族とコラボ。本拠地は葛城高尾張。)

この系譜のおとぎ話が浦島太郎の物語の元ネタだと思います。
840日本@名無史さん:2013/05/14(火) 21:38:33.46
ギリシャ神話と記紀は似てるみたいな事聞いたんだが。
どうなの?
841日本@名無史さん:2013/05/15(水) 00:34:56.06
身内の争いと色事が良く出て来る天は似てるが
それ以外は似てない
842日本@名無史さん:2013/05/15(水) 01:35:50.19
イザナキとオルフェウスみたいな事を言ってるんじゃないの?
843日本@名無史さん:2013/05/15(水) 15:24:13.98
>>840
おそらく同根
竹内文書視点や占星術視点?でギリシャやエジプトの神話を読むと面白い
844日本@名無史さん:2013/05/15(水) 15:33:38.56
>>842
それだとポセイドンが海神でスサノオも海神だから似ているとか成り立つな
海神と太陽神の並立型も似ているかも
ゼウスも建御雷神も雷神だし似ていると言える

ギリシア神話は神々が争い、たまに人間に手を出しをしたけど神は消えたって設定
人間は土から生まれたw
ギリシア人はゼウスやアポロンやアテナの子孫ではない
ウーラノス→ティターン→クロノス→ゼウスと神も3回変わった

記紀では日本人は突き詰めるとイザナギの子のスサノオとアマテラスの子孫になる
スサノオが地上に降り子孫が国を作り、アマテラスの子孫がそれを奪った
根幹が大きく違う
しかも記紀はしっかりと纏められているから分かりやすい
ギリシア神話も纏めてあるが逆に何がなんだか分からん状態
似ているのかなあ
845日本@名無史さん:2013/05/15(水) 19:12:35.60
須佐之男命の一方の嫁さん(政略結婚)が大日霊女貴命/天照大神。
(日本書紀では本編ではなくソース不詳の「一書に曰く」で「何でも大日霊女貴命のことを世間では天照大神とも言うらしい。」と
後々に天照大神を女神と錯誤させるための小狡い手品の始まり)。
その様な伝承が確かに有った証が、須佐之男命と櫛名田姫命のハネムーンハウスの一つで
先立って八岐大蛇から櫛名田姫命を匿った場所と伝わる
島根県松江市の八重垣神社所蔵の中世に巨勢金村により描かれたとされる障壁画(国宝)。
中心に左側を向いた須佐之男命。右手に櫛名田姫命とその両親、足名椎と手名椎。
問題は左手。天照大神(♀)に連れられて来た幼少の市杵嶋姫命が再会した父親の須佐之男命に思わず走り寄っているのを、にこやかに見守っていて、遠来の母子を出迎えているかのような構図。

取り上げられる須佐之男命のご尊顔の絵はこちら様の障壁画のもの
846日本@名無史さん:2013/05/17(金) 02:43:15.66
>844
ウラヌス 天照朝廷
クロノス 鵜萱不合朝廷
ゼウス 神武朝廷
847日本@名無史さん:2013/05/17(金) 07:31:09.62
>>846
神武天皇ってトロイア戦争より最近の人物だぞ
848日本@名無史さん:2013/05/17(金) 15:00:54.86
>>847
とは言ってもミトラ教とかクロノスから神権が移動してるしな
ゼウスって名称も本来は天神を指すものだし神(笑)とかは明らかに創作だから
実際にゼウスって神も居た訳じゃないだろうからね

ゼウスをクロノス王朝の次の王朝と考えるとそんな当て嵌めになる
849日本@名無史さん:2013/05/17(金) 19:06:00.15
ゼウスがニニギの世代
アテナがアマテラス
850日本@名無史さん:2013/05/17(金) 19:12:10.29
正確にはアテナの元になった
アルテミスがアマテラスだな
851日本@名無史さん:2013/05/17(金) 20:02:23.40
>>849
でも山幸彦って洪水起こしてるしウラヌス扱いじゃまいか?
ニニギはカオス?
852日本@名無史さん:2013/05/17(金) 20:54:23.04
>>850
アテナはイメージ的に、戦いの女神で神功皇后だけどネ。
853日本@名無史さん:2013/05/17(金) 21:09:12.04
>>851
源氏=ティターン神族
平家=アルカディア神族
源氏・平氏で考えると
桃太郎伝説の四道将軍(7代:孝霊天皇と8代:孝元天皇の皇子)
崇神帝が、派遣したとされる四人の皇族将軍を
日本書紀の崇神九年九月九日
孝霊天皇の皇子の吉備津彦命と丹波道主命らを西海へ
孝元天皇の皇子の大彦命・武淳川別命親子らを東海に派遣。
の焼き回しの関係だけどね。
クレタ島のミノタウロス=午頭天王=スサノオ
854日本@名無史さん:2013/05/17(金) 21:10:52.00
ヤマトタケルは、スサノオの焼き回し
855日本@名無史さん:2013/05/17(金) 21:17:14.63
北欧神話のオーディンはゼウス的位置だけど、ロキのキャラはスサノオ。
856日本@名無史さん:2013/05/17(金) 21:45:47.89
>>854
大蛇退治 スサノオ
鬼退治 ヤマトタケル

で焼き直しとは言っても相手は違うけどな
スサノオ=牛=鬼
と驕る平家は久しからずな事になっちゃいましたよとも言えるw
857日本@名無史さん:2013/05/17(金) 22:20:07.50
みんな好きだなw

>>851
まあ流れから行くと
混沌→最初の神→天地創造→神々の時代→人と神の混在→英雄の時代→人の時代
こんな感じで多くの神話は流れる
ギリシア神話も記紀もこれはほぼ同じ、旧約聖書なんかも近いかも
つまり記紀は神話として完成度が高い方

ギリシア神話では圧倒的な力を持つ神としてゼウスは書かれているけど
ゼウスの時代は神と人が混在しているので時代的にニニギに該当し
記紀だと「(アマテラス+スサノオ)+建御雷神+天鳥船神」=ゼウス

山幸彦は人と神の間の子だしゼウス後のエピソードの一つ
ウラヌスは記紀だと洪水を起こせる海神(龍神)かな
858日本@名無史さん:2013/05/17(金) 22:51:47.84
>>857
プロメテウスでもありラーでもありウラヌスでもある

ぶっちゃけヤハウェってコイツだろ
859日本@名無史さん:2013/05/17(金) 23:28:33.49
>>856
鬼退治で家のルーツだと・・
桃太郎の大彦命・武淳川別命親子らと
嵯峨源氏の源綱だな。
860日本@名無史さん:2013/05/18(土) 09:51:16.22
ニニギを、ペルーの浦賀来航だとすれば、
あまりにも技術力が高く、文化の進んだ相手に、もはや戦う気力さえ失せて、無条件降伏。
なんてことはあってしかるべきなんじゃないのか?
ニニギは、中国の三国志時代だから、巨大な軍艦をひきいて錦の御旗を満帆にして、
天の羽衣を来たきらびやかな美女を従えて来たわけだし、次元が違うと思ったのだろう。

国譲りと言っても、驚くほどの出来事ではない。
861日本@名無史さん:2013/05/18(土) 19:52:56.59
ニニギは神話の時代
神武天皇は人の時代
神武の時代は三国志のずっと前
862日本@名無史さん:2013/05/18(土) 22:12:29.70
そしてカナン人と会ってヤハウェの宗教の元ができたりカナン人がフェニキア人と名乗り始めたり

ブラジルにあった古代フェニキア文字の碑文

 フェニキア人は紀元前に地中海で活躍した航海民族で、その文字は当時、海の商業民族の国際文字として使われていました。
そのフェニキア文字の碑文が、なんとブラジルで見つかりました(発見は1870年代初め)。
「パライバ碑文」といいます。内容は「私たちは商業の支配する都市シドンから来たカナン人。
私たちはこの遠い、山々を後に控えた海岸の地に投げ出され、ここでいと高き男女の神々に若者を供えものとした。…
(紅海に船出した後、アフリカをまわってその後2年間海上にいた…)…
私たち男12人女3人はこの新しい海岸に到達した。…」というものである。
 出航した年は前523年、碑文は前521年に書かれたものです。コロンブスの大西洋横断の約2000年前の出来事でした。
863日本@名無史さん:2013/05/19(日) 16:35:22.25
日本武尊/倭建命の幻像?は素戔嗚尊と第二神子とされる五十猛命がモデルでは?

五十猛命にかんして古紀古系譜で大変類似した御方が、
イタケ命と言われた天村雲命。
五十はこれで「イ」ともよむので五十猛命のモデルと思われ、
またイタケを倭建(イタケ)と書換も可能。
もう一つこの天村雲命には神武天皇のモデルなのかも知れないという疑惑の案件があります、
というのは九州に出向いて娶ったとされるお后さまの御名前が
なんと神武天皇の九州でのお后さまとほとんど同じで瓜二つ。設けた二方の御子の数も同じ。
864日本@名無史さん:2013/05/19(日) 17:35:48.86
>>863
五十はシュメール神話のエンリルが持つ数。
このシュメールの神々は位に応じた数を持ち、
またその持ち数は、バイキングの兜のように、
頭に被る兜のようなのに持ち数に応じた本数の角を付けて示した。
これが古代人には牡牛のような頭に見え、牛頭大王やスサノオが牡牛神とされた由縁では。
このエンリル達シュメールの神々が角を付けて頭に被っていたものに一番近いのは日本の武将達が被った兜なのかも知れない。
865日本@名無史さん:2013/06/01(土) 11:57:47.67
現代の大国主命=出雲充氏
大国主といえば、大黒様。日本に五穀の種と最新式の水田稲作を持ち込み、日本を豊葦原瑞穂の国に変えた。
出雲氏は、ミドリ虫(学名:ユーグレナ)で太陽光をバイオエネルギーに変える革命を起こそうとしている。
まさに大風呂敷。
国譲りとは、大化の改新、明治維新のようなものだで、日本の産業構造に一大革命をもたらし、高度成長のきっかけになったことは間違いない。
橋下のような、口先だけのクソとは違う。
866日本@名無史さん:2013/06/04(火) 01:58:21.57
やっと規制あけた

>>846
普通に

ウラヌス=イザナキ
クロノス=スサノオ
ゼウス =オオクニヌシ

だと思うんだがどうだろう。
867日本@名無史さん:2013/06/17(月) 00:11:50.89
アマテラス=アマデウス・モーツアルト
868日本@名無史さん:2013/06/17(月) 00:14:37.26
陽のあたる場所=テラス
日が照ること=照らす

偶然の一致ではないのです。
869日本@名無史さん:2013/06/17(月) 01:46:52.93
出雲国譲りってガチンコ対決を避けて連立政権作ったようなもんかな
ただし両雄並び立たずなので出雲側のトップは引退
閣僚クラスはかなりの数が入閣して後々まで影響力を維持したってことか
870日本@名無史さん:2013/06/17(月) 08:18:12.29
出雲人はオハグロするのか?
871日本@名無史さん:2013/06/18(火) 13:47:29.92
出雲は嫁を貰いまくって国を広げたんでね〜かな
872日本@名無史さん:2013/06/18(火) 14:06:56.71
大和朝廷は出雲に対してかなり配慮してる
特に宗教面で
武力で征服した他の地域とは扱いが違う感じがする
873記憶喪失した男 忍法帖【Lv=21,xxxPT】(2+0:5) :2013/06/21(金) 10:38:28.10 BE:1368708645-2BP(333)

おれは、
天照は、皇室の神。
だから、国譲り以前の出雲系には太陽崇拝はない。

つまり、卑弥呼=日巫女が出現した時期は、すでに、国譲り以後。

という説が気になっている。
874記憶喪失した男 忍法帖【Lv=21,xxxPT】(2+0:5) :2013/06/21(金) 10:43:17.77 BE:2874287467-2BP(333)

だが、
出雲には太陽崇拝がない、
大和には太陽崇拝がある、
とすると、出雲と大和は、まったくの別文化圏ということになってしまう。

そこが、難しい。
875記憶喪失した男 忍法帖【Lv=21,xxxPT】(3+0:5) :2013/06/21(金) 10:50:59.30 BE:1094966944-2BP(333)

出雲と大和が別文化圏であったら、

出雲の神と大和が尊敬し祭ることはないだろう。
やはり、出雲を同じ国の正統な本流と見るから、出雲の顔を立てているのであり、
大和は、出雲と同じ文化圏にあった傍流と見るのがよいのではないだろうか?

つまり、出雲にも太陽崇拝はあった。
876日本@名無史さん:2013/06/21(金) 15:02:27.48
太陽信仰というと九州の日足紋を使うグループは
原始信仰の名残で使っていたと思われる
877日本@名無史さん:2013/06/21(金) 18:56:56.39
出雲は元々、「海」の信仰があったんじゃないかな?
スサノヲが先祖なんだから。
白兎の話とかもあるし。

大和と同列にするために、先祖(もしくは祭神)のスサノヲとアマテラスを兄弟にしたんじゃない?
みんな元は同じだよってことにしようと。

実は「月」信仰の第3のグループもいたとか・・・

あと、気になるのは八百万の神々信仰と、太陽崇拝のどちらが先にあったんだろう。
仮に八百万信仰が先なら、太陽崇拝か違うかで別文化圏とは言えない気がする。
878日本@名無史さん:2013/06/21(金) 23:19:33.74
八百万の神は古来からの日本の信仰
天照信仰は大和朝廷が広めた信仰
879日本@名無史さん:2013/06/22(土) 15:06:58.90
出雲の信仰は、古代シュメール文明の影響を受けていると思われる点が多い。
八百万の神とはシユメールの個人神と共通点も多く、
アッカド人の侵入でメソポタミアの地を追われたミュメールの王が造った国が出雲。
シュメールで最も高い地位にあった大腸神を持つ王が日本にやってきたので国を譲った。
というか先遣隊として大王を受け入れる準備をしていたのだろう。
880日本@名無史さん:2013/06/23(日) 09:34:16.75
イズモ族はユダヤ十支族が一
シオニズムと縁結び
881日本@名無史さん:2013/06/23(日) 09:37:26.03
縁結びの神社がシオニズムと縁が結ばれてまうとはこりゃあえらい難儀やなあ
882日本@名無史さん:2013/06/28(金) 18:11:25.43
初期の高地性集落は、大阪湾岸、瀬戸内海沿岸に多く、九州北部、出雲には少ない。
883日本@名無史さん:2013/06/29(土) 13:31:08.80
>>806
ニギハヤヒは渡来系だが、長スネは縄文人か
884日本@名無史さん:2013/07/10(水) 23:31:43.83
>>877
>出雲は元々、「海」の信仰があったんじゃないかな?

確かに日本神話ではスサノオは海を治めるとなってます。
宗像三女神はスサノオの娘だから、元々出雲系ですね。
これは出雲の勢力が宗像に及んだというよりも、
宗像の方が最初のスサノオの本拠地で、
北九州での権力闘争に負けて出雲に亡命したとする方がいいんじゃないかな。
885日本@名無史さん:2013/07/11(木) 00:02:23.89
スサノオはインドラ
牛頭天王って別名はヴリドラハンの事で
結局はヤマタノオロチ退治の事
886日本@名無史さん:2013/07/20(土) 10:20:34.55
ずんぐり型の弥生人に対して、足の長い縄文人。脛長彦は背が高くてハンサム、足も早いので戦いに有利で女にもモテたので子孫もたくさん作った。
縄文系の日本人は今でもモデルなっかやってるし、中田や本田のように海外で活躍するスポーツ選手も多いです。
887日本@名無史さん:2013/07/20(土) 12:27:47.20
海を治める、すなわち天を治める
あま、あめ
888日本@名無史さん:2013/07/25(木) 22:30:38.91
あまちゃん大人気。
邪馬台国は三陸だべ?
889日本@名無史さん:2013/07/25(木) 22:42:19.24
女王國東渡海十萬餘里復有國皆倭種
アメリカが倭人の居住地なら
890日本@名無史さん:2013/07/25(木) 23:12:29.38
東渡海千餘里復有國皆倭種に合うのは大分、徳島、三重、神奈川くらいしかない。
南至邪馬壹國の南が東で東至邪馬壹國だとすれば、東渡海でなく北渡海になり、大分、愛媛、香川くらいしかない。
さらに、又有侏儒國在其東去女王四千餘里、又有裸國黒齒國復在其東北船行一年可至、となる。
原文では南至邪馬壹國、又有侏儒國在其南去女王四千餘里、又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至。
891日本@名無史さん:2013/07/26(金) 12:33:36.93
http://www.escude.co.jp/product/kanosora/img/chara14.jpg
出雲の暗黒イメージは加速して行くだろう…
892日本@名無史さん:2013/07/26(金) 12:48:11.04
なんですかこの中二病キャラは
大国主?バカなw
どこかのドラクエの魔王さんでしょ
893日本@名無史さん:2013/07/26(金) 15:40:04.23
出雲国譲りをニニギより前とするのは完全に矛盾してる
ものの道理を考えれば小学生でもわかる
894日本@名無史さん:2013/07/26(金) 17:37:16.03
>>893

???
895日本@名無史さん:2013/07/26(金) 21:01:11.71
ヒント
大国主命はどこの誰に出雲を譲ったかを考えよう
896日本@名無史さん:2013/07/26(金) 21:59:47.79
高天原です
建御雷神に負けました
897日本@名無史さん:2013/07/26(金) 22:26:01.56
高天原は出雲と交渉していたのに、
なぜ、天孫を日向に天下りさせたのか
898サガミハラハラ:2013/07/26(金) 22:35:40.56
記紀のへんしゃの、日向の比定地が間違っているのです。
日向は宮崎県ではなく、福岡市西区日向(ヒナタ)なのです。
そうすると地理的な矛盾はなく、天孫降臨や神武の東征がすんなり理解できます。
899日本@名無史さん:2013/07/26(金) 22:49:06.79
まず高天原とかアマテラスとかは大和朝廷が作った空想の産物でしょ
だから出雲国譲りは大和朝廷が成立した後だってことは疑いようがない
天孫降臨→神武東征→大和朝廷成立→出雲国譲りの順に起きたってこと
もし、出雲国譲り→天孫降臨→神武東征→大和朝廷成立の順だと、
大国主命は出雲を大和朝廷ができる前に大和朝廷に譲ったとなって訳ワカメになってしまう
900日本@名無史さん:2013/07/26(金) 22:50:31.21
>>897
そりゃ、出雲がアジア全域の大王だったからだよ
もちろん今の中国は出雲の支配下

だから日向に天下りした
九州を中心に全アジアを支配した
901日本@名無史さん:2013/07/26(金) 22:54:24.76
日向は南アメリカ

出雲は中東
902日本@名無史さん:2013/07/26(金) 23:01:45.40
芦原中国とは
中国が領土だった言う意味である
903日本@名無史さん:2013/07/26(金) 23:08:58.04
>>902
山陰と山陽?
904日本@名無史さん:2013/07/26(金) 23:42:08.24
>>897
天孫降臨の時には畿内から瀬戸内海を通って日向まで畿内を中心とした緩やかな連合関係にあった。
その後に出雲は国譲りをしたが、国譲りの話は日向時代の話には無い。
そのころの日向の天孫は磐長姫を実家に突き返したり木花咲耶姫の不義を疑ったりでそんなことは与り知らないところ。
国譲りの相手は畿内。
905日本@名無史さん:2013/07/26(金) 23:45:39.99
そういえば、中国地方出身の空手家で芦原っておったな
906日本@名無史さん:2013/07/27(土) 12:45:01.91
譲ってもらったと言うには嘘っぱち。
圧倒的な力でねじ伏せた。
奪い取ったのは呉の孫堅の配下。
親魏倭王の政権が邪魔だったのだ。
そして呉の傀儡政権、大和が誕生した。
907日本@名無史さん:2013/07/27(土) 13:27:24.89
最初はもちろんガチンコ勝負に出た
だが力の差がそれほど大きくなく双方にダメージがあり共倒れになる可能性があった
そこで調停に動き、出雲勢の家臣の領土をある程度安堵するなどかなり出雲側にも十分受け入れ可能な条件とした
大和朝廷のその後の出雲への配慮は異常ともいえる
とても征服地に対する態度とは言えない
武力制圧ではなかった証であろう
908日本@名無史さん:2013/07/27(土) 14:13:09.57
そのころは怨念とか祟りとか信じられていたから
制圧された(そしてたぶん処刑された)国、王が大なほど大きな鎮魂施設で鎮めたと思われ
909日本@名無史さん:2013/07/27(土) 14:39:29.56
>>902
シュメール
910日本@名無史さん:2013/08/10(土) 22:10:55.52
なんの根拠もない思いつきだけどさ、
日本全体が一旦統一

分裂(大和と出雲とその他とかに)

再統一(大和王朝)
って学説とかないのかな?

古事記の流れに沿って、イザナギの代くらいまで統一されてて、
3兄弟の時代で一旦分裂して、
国譲りで再統一されたみたいな。

聞いたことないから多分ないんだろうけど。
911日本@名無史さん:2013/08/11(日) 07:50:47.16
>>899
大和朝廷統一の過程でそれぞれの神話が統合されたんじゃないかな?
高天原や天照は創作というより大和王家(皇室)の祖先神話で
大和朝廷の拡大に伴い出雲氏や尾張氏の独自の祖先神が天照に習合していったってとこでしょ
祖先神が同一になったので国譲りも天孫降臨以前ということになったんだろうね
本来は四道将軍くだりや出雲振根の話からも崇神天皇の頃に諸勢力が大和の軍門に下ったってとこなんだろね
912日本@名無史さん:2013/08/11(日) 19:23:19.49
>>910
日本レベルじゃなく世界レベルだと割とある

ヴィシュヌのアヴァターラとかの話


古来日本はミルキーウェイで中東と繋がっていた
913日本@名無史さん:2013/08/12(月) 01:33:32.69
銅鐸祭祀文化は出雲から畿内まで広まっていた。
そのゆるやかな統一体=弥生出雲王権は、鏡と矛を祭器とする侵入者によって脅かされた。
「天孫降臨」とは、このように弥生時代に半島から新たな勢力=天孫族が来寇してきたことを、本来指していたと思われる。
「国譲り」とは、元々は侵入者である天孫族に領土を割譲して居住を許したというだけの意味。政権を譲ったのではない。
914日本@名無史さん:2013/08/12(月) 01:40:29.33
天孫降臨と、アマノヒボコやツヌガアラシトの渡来説話は、
元来は同一の時期に起こった、ある程度共通性を持った勢力の来寇であったと思われる。
しかし、それらの勢力のうち一部のみがヤマトの王権へと発展したため、
自らの歴史は「天孫降臨」として描き、
その他については単に地方豪族の渡来説話として記紀に取り込んだのであろう。
915日本@名無史さん:2013/08/12(月) 20:58:39.22
天孫とは、シュメールの王家という意味でしょうか?
916日本@名無史さん:2013/08/12(月) 21:25:53.22
違います
917日本@名無史さん:2013/08/13(火) 14:47:49.95
>>914
そんなこといったら、何とでも言える。
アマノヒボコが渡来したのは、欠史八代の時代くらい。
918日本@名無史さん:2013/08/14(水) 16:00:27.66
     開化
      ├─────────────┐
T世代 祟神                @彦坐王         天之日矛(新羅王子)
       │                    │            │
U世代 垂仁                A山代大筒木真若王  多遅摩毛理(田道間守→但馬守)
       │                   │             │
V世代 景行                B迦邇米雷王      多遅摩比多詞
     ┌┴────┬───┐      │             │
W世代 五百城入彦 成務/日本武尊  C息長宿禰王─┬──葛城高額比売
     │               │              │
X世代 品陀真若王       仲哀 ┬─────D神功
     │                 │ 
     仲姫─────┬────応神    
             仁徳
919日本@名無史さん:2013/08/14(水) 18:42:57.47
>>910
最近の俺の妄想だと

イザナギ・イザナミ(北陸・東海〜九州まで支配)

三貴子(みはしらのうずのみこ / さんきし)に分割
アマテラス - 高天原(本拠、おそらく四国)に残留
ツクヨミ - 畿内に派遣・分国
スサノオ - 朝鮮に派遣・分国のち出雲に追放

天孫降臨 四国から日向に派遣、出雲・北陸も制圧
神武東征 九州から畿内へ(同祖ツクヨミの国を征服)

以上が一番整合性があるとおもう
920日本@名無史さん:2013/08/14(水) 19:40:31.20
高千穂で数万年いたって神話をどうしておまえらはなかったことにするわけ?
ホアカリばかも人物を抽象表現としてでなく、実在者として扱おうとするけど
どうして、一世代が数万年を生きたとか仮定するくせに、欠史世代は実はいなかったとか言うわけ?
武内宿禰とかは実在すんのか?
921日本@名無史さん:2013/08/14(水) 19:57:57.75
 
阿蘇山の噴火で九州以下西日本が壊滅したのは
何万年前だったかな

縄文人を弥生人が駆逐したというよりは
無人の地になっていた西日本に弥生人が入植した
というほうが納得できる

で、これは数万年も前の話なのか?
922日本@名無史さん:2013/08/15(木) 09:55:35.42
最大級とされる9万年前のaso4噴火では、火砕流の痕跡が山口にまで達し、
北海道まで厚さ数センチの火山灰層があるそうな。
923日本@名無史さん:2013/08/15(木) 13:17:19.51
「空白の4世紀」実年代化チラ裏=古事記の没年情報(※神功のみ日本書紀)

台与(235年〜?)…248年13歳で邪馬台国女王に共立/266年西晋武帝・司馬炎へ最後の朝貢
★三輪(佐紀)朝
10祟神(〜318年)…四道将軍派遣300年頃?
11垂仁(情報なし)…330年頃没?新羅王子「天之日矛」帰化、田道間守 、野見宿禰vs当麻蹴速
12景行(情報なし)…343年頃没?日本武尊の熊襲討伐・東征340年頃? 大臣・武内宿禰
13成務(〜355年)…国造/県主設置  
14仲哀(〜362年)
神功(※〜389年)…「旨」(石上神宮「泰和4年」369年銘七支刀→百済・近肖古王より「神功52年」372年贈呈)
★河内朝
15応神(〜394年)…「禰(でい)」
16仁徳(〜427年)…「讃」(413年/421年/425年)
17履中(〜432年)…「倭国王」(430年)
18反正(〜437年)…「珍」(438年)←没後朝貢?
19允恭(〜454年)…「済」(443年/451年)
20安康(情報なし)…「興」(460年/462年)
21雄略(〜489年)…「武」@(477年/478年)←「獲加多支鹵大王」…辛亥(471)年銘埼玉県稲荷山鉄剣+熊本県江田船山鉄剣
22清寧(情報なし)/23顕宗(情報なし)/24仁賢(情報なし)
25武烈(情報なし)…「武」A(502年)
★近江朝
26継体(〜527年)…「男弟王」癸未(503)年銘人物画像鏡(和歌山県隅田八幡宮)
924日本@名無史さん:2013/08/19(月) 15:20:37.74
>>899
>天孫降臨→神武東征→大和朝廷成立→出雲国譲りの順に起きたってこと
これは間違い

出雲国譲りではなく、チカラでねじ伏せ宝を奪い取ったと考えるべきでしょう
なぜならば、出雲神社に天皇が参拝できないが語っている
出雲国は、古文書に記述があるように宇宙人が創建、天孫降臨、宝物を出雲国へ手渡した

つまり、
出雲国創建→天孫降臨 、 大和朝廷成立→神武東征→出雲国譲り  となります
925日本@名無史さん:2013/08/19(月) 21:10:30.90
日本語でok
926日本@名無史さん:2013/08/19(月) 21:45:22.34
924
意味わからん
国譲りではないが、国譲りとなります
はあ?
927日本@名無史さん:2013/08/19(月) 22:13:57.35
その「日本語でおk」とか使う人を見るにつけ、
この人こそ本当に日本人なのだろうか?いつも疑問に思う。
まあ、それはいいとして、
ニニギは、どんな言葉を話していたのだろう?
現在の日本語に繋がる言葉を発していたのだろうか?
むしろ、古代朝鮮語もしくは新羅語を話していたのではないだろうか。
アメリカインデアンがアメリカ人の祖先ではないように、
今の日本人は、天照やニニギの子孫ではないのかもしれない。
928日本@名無史さん:2013/08/19(月) 22:39:55.12
>>927
歴史を1から勉強し直せよwww
929日本@名無史さん:2013/08/19(月) 23:27:20.17
>>927
なんというブーメラン
930日本@名無史さん:2013/08/20(火) 00:45:48.26
高天原には、天香久山、天安川、天岩戸があったんだろう?
こんな場所って、全国にも世界も一つの場所しかない。
現在の大和盆地の南部だ。
古代、大和盆地には、大和湖があり、その南岸にあたる場所。
現在の橿原市、葛城市、御所市のあたり一帯。
931日本@名無史さん:2013/08/20(火) 07:53:37.78
>>926
書き方が可笑しかった、申し訳ない

記紀表記の分解
出雲国創建→天孫降臨 、 大和朝廷成立→神武東征→出雲国譲り

正しくは、
出雲国創建→天孫降臨 、 大和朝廷成立→神武東征→出雲国から宝物を略奪

でした
932日本@名無史さん:2013/08/20(火) 08:10:09.59
>>931
大和朝廷は神武東征の後だな
ニニギは九州に降臨し九州に宮殿を建てた
これを大和朝廷とは言えない
933日本@名無史さん:2013/08/20(火) 08:31:30.66
>>932
それの詳細について、憲法改正後、某所にて詳しく説明します。
934日本@名無史さん:2013/08/20(火) 09:49:57.80
>>931はニギハヤヒが大和朝廷を作って、神武が横取りしたっていう説なんじゃないか?
たまにそういう変な解釈してるやつがいるじゃん
935日本@名無史さん:2013/08/20(火) 11:42:52.37
国譲りとは、武力で国を奪ったが疫病が流行ったりしたので祟りを恐れて出雲大社を建立して
出雲の旧支配層を神として祀り神話を作ったってこと
ほんとは武力で奪ったって誰もがわかってるのに、あえて出雲国から宝物を略奪とか書く意味がない
936日本@名無史さん:2013/08/20(火) 19:04:26.34
大和朝廷の前身が誕生したのは、出雲国譲りの直後。
その当時は、ヤマトという名前ではなく、タカマが王朝の名前だが。
場所は、現在の橿原市、御所市、葛城市一帯の地。
937日本@名無史さん:2013/08/20(火) 20:23:45.42
>>936
そんな小勢力に対して出雲が国を譲る理由がない
国力が10倍も20倍も違う
938日本@名無史さん:2013/08/20(火) 20:45:07.36
>>937
王都がそこにあっただけ。現在の橿原市、御所市、葛城市一帯だけが
畿内王権の版図ではない。

そもそも、出雲だって、そんなに大きくないぞ。
939日本@名無史さん:2013/08/20(火) 21:09:37.90
出雲には神無月と神在月の伝承が有る
日本中の神様が集まったのが出雲
畿内には無し
江戸には参勤交代がある

出雲で逃げた建御名方神は諏訪まで逃げた
つまりニニギの時代は諏訪も出雲の配下だろう
940日本@名無史さん:2013/08/20(火) 21:11:47.65
>>938
文脈から最初は勢力範囲のつもりで書いていたのは明らか
矛盾を指摘され苦しまぎれに都の大きさだと言い逃れしただけ
都だげだとすると今度は大きすぎる
滅茶苦茶
さらに、もし畿内一帯から出雲にかけて支配する国が出来上がっていたら
後から来た神武軍が勝てる可能性は全くない
941日本@名無史さん:2013/08/20(火) 22:21:18.26
全国に所在する、和泉、出水、泉、伊豆見、伊豆、蝦夷、江戸、江連、江副、夷隅、居住、墨絵、住之江、住吉・・みんな出雲の拠点。
942日本@名無史さん:2013/08/20(火) 23:44:33.98
>>940
神武東征の真実をつかんでないね、きみは。

あの戦争は、あくまでも畿内王権本国で起こったクーデター。
畿内王権初代倭王の天照国照彦ホアカリ命のご落胤だとなる
ニギハヤヒという人物を義理の兄のナガスネヒコが担ぎ出して起こしたクーデター。

そこに畿内王権の九州分家にあたるワカミケヌ(神武天皇)が
援軍の一つとして駆けつけただけ。

あくまでも、
畿内王家軍(ホアカリの後胤たち) VS 畿内謀反軍(ニギハヤヒ、ナガスネヒコ)
の戦いで、そこに畿内王家軍の援軍の一つとして、
ホアカリの弟のニニギの曽孫であるイツセ・ワカミケヌ(神武)軍が
かけつけただけ。
943日本@名無史さん:2013/08/20(火) 23:49:01.52
もともとは、出雲のほうが、畿内よりも大国だったんだろう?
沿岸部で交通網の発達した出雲のほうが、はるかに広範囲に勢力があったけど
徐々に、内陸部の高天(後のヤマト)が統一強大化して
両者の力関係が逆転した。

その時の高天の王のホアカリ命は、妃に天道日女命(出雲の大国主の皇女)がいて
大国主は娘婿のホアカリ命に国譲りすることで、勝負がついた。
944日本@名無史さん:2013/08/20(火) 23:52:36.47
>>942
記紀に行程まで詳しく書かれた神武東征を無視ですかw
九州から何年も掛かってるぞ
945日本@名無史さん:2013/08/20(火) 23:58:38.92
>>942
記紀を無視したそんなデタラメ説を誰が信じるんだ
自分のブログでやれ
946日本@名無史さん:2013/08/21(水) 00:00:38.00
>>944
九州から何年もかかった遠征なんて現実的ではないだろうw?
補給とか兵站を考えたら、もうむちゃくちゃw
つまり、これは、ただ単に、畿内王権の命令で、
地方官としての赴任地が変わっただけw

ワカミケヌの家系は、九州分家のニニギの後胤の中でも
宗家ではない。
ニニギの第三皇子の子孫だっただろう?たしか。

それで、ニギハヤヒのクーデターが起こったときは、
岡山に赴任していて、そこから援軍として駆けつけただけ。
947日本@名無史さん:2013/08/21(水) 00:02:29.80
とんでもない電波が1人来てるな
948日本@名無史さん:2013/08/21(水) 00:06:27.92
>>946
そのために、宇佐、岡水門、安芸、吉備と経由しているんだろう。

面白いと思うのは、どうして宇佐から直接、安芸に行かずに、
道草するかのように、岡水門を経由したのか。

吉備で三年(古事記では八年)もの間、長期滞在した理由は何か。
ということかな。
949日本@名無史さん:2013/08/21(水) 00:13:06.38
九州を追い出された神武は移住先を探してあちこち放浪してただけ
だから3年も滞在した場所があったりする
最終的に定住できたのが奈良だった
950日本@名無史さん:2013/08/21(水) 00:13:20.92
>>948
それらの地で、何の抵抗もなく平穏に経由できた意味を考えたら分かる。
神武東征のあった当時、畿内を中心とした全国政権があって
ワカミケヌらは、その畿内王権の王家の親族の地方官として
様々な地に赴任していただけだろう。

吉備は大国だし、そこで赴任が長かったんだろ?
951日本@名無史さん:2013/08/21(水) 05:15:29.37
>>949
劉備みたいに食客しながら国盗りできそうな地方を探してたってのが真相だろうな
952日本@名無史さん:2013/08/21(水) 05:19:56.87
畿内厨は日本の歴史に夢見すぎだな

ほとんど原始人みたいな生活をしてた時代だぞ?
古代においては北九州〜出雲がだんとつの最先端地域だった
なんでそれらをすっ飛ばして、畿内に中央集権的強大な国家が沸いてくると思うんだ

ここは記紀を素直に読んで、九州からゆっくりと畿内に文明が及んだと読むべき
神武はその歴史の動きの象徴みたいなもんだろ
953日本@名無史さん:2013/08/21(水) 05:21:00.02
>>951
自己レス
劉備の取った蜀と神武の入った奈良は地政学的に似た位置にあると思うんだな
どっちも辺境の内陸で広大な後背地を持ってる
(当時の日本列島の先進地域は出雲と筑紫)
954日本@名無史さん:2013/08/21(水) 08:20:03.90
>>952
原始人?
そりゃ九州は暑いから裸足で裸だろうか
北は縄文時代でもちゃんと服を着ていた、染料も確認されている

縄文ファッション
http://blogs.yahoo.co.jp/t_h_mackys179/62023551.html
http://coolsummer.typepad.com/photos/uncategorized/jyomon2005082401_1.jpg
955日本@名無史さん:2013/08/21(水) 11:42:34.46
>>952
農耕社会は揺るやかな進歩の時代だぞ。
近代は100年ほどでも、物凄く進歩した時代だけど
前近代は、古墳時代だろうが、鎌倉時代だろうが、江戸時代だろうが
貴族や庶民の生活も大して差がない。
邪馬台国の時代は基本、その後の平安時代や室町時代なんかと
そんなに大差がない。
956日本@名無史さん:2013/08/21(水) 11:44:15.31
>>952
先進国とか発展途上国とか国や地域によって経済格差ができたのは
英国で産業革命がおこった近代以降の話。
それ以前の農耕時代においては、国や地域によって経済格差はない。
957日本@名無史さん:2013/08/21(水) 17:10:43.08
出雲の国譲りという時、あたかも、出雲は丸ごと国を献上したように聞こえるけれど、実は違う。
秦の滅亡で土地を追われた王族に国を割いて建国を許したということです。
まあ、使っていない土地なので自由に使ってくれと大和の地を与えたわけです。
もちろん、先住民はいるので、支援はしますが、基本的に自分で成敗してくださいという条件で。
では、国を譲った出雲とは誰かというと、いわゆる、緩やかな意味での徐副集団。
譲った相手は、もとの主君である秦の始皇帝の子孫。ということなら全て辻褄が合う。
譲られた土地が咸陽と気候が似ている奈良盆地、つまり大和。
958日本@名無史さん:2013/08/21(水) 18:19:14.68
>>957
もう、とんでもはいらねw

出雲国譲りの真相は
出雲の大国主が、娘婿のホアカリ命(高天の王)に
出雲の勢力圏を譲渡したということ。
959日本@名無史さん:2013/08/22(木) 06:25:16.43
>>958
それ、トンデモだぞ
960日本@名無史さん:2013/08/22(木) 16:16:02.09
>>957-958
出雲の国譲りの真相は、宮内庁らが没収した竹内文書に記載されていると考えられる
961日本@名無史さん:2013/08/23(金) 21:24:14.88
劉邦の子孫は和邇吉士。
劉邦は客家。客家は古代ユダヤのルベン族末裔。
962日本@名無史さん:2013/08/24(土) 00:15:06.15
出雲神族の話は本当のことなの?
963日本@名無史さん:2013/08/24(土) 12:37:22.09
ここまでトンデモ説が出回るのは、
皇室の責任も重い。
964日本@名無史さん:2013/08/24(土) 14:22:34.29
徐副はchina本土を出航しなかったし、始皇帝に処刑されたものと思われる。
秦の王族などは処刑されたし、記されていない王族も項羽に処刑された。
城の住民すら皆殺しにする項羽が秦皇帝の親類縁者を逃すかずがない。
965日本@名無史さん:2013/08/24(土) 15:40:12.20
皇室だって昔の事は古すぎて覚えてないんだよ
でも昔の人は真実を書き残して居たと思う
天皇や天津神を始祖に持つ家系は
空から飛来して来た人の子孫だ
国津神と天津神が混じって日本が出来た

弥生系の渡来はは比較的最近の事で
国津神でも天津神でもない、ただの移民
966日本@名無史さん:2013/08/24(土) 15:58:53.52
国津神は縄文時代から続く族長の家系
967日本@名無史さん:2013/08/24(土) 16:37:52.07
学校の歴史教育であんまり古代のことしないからな。
だから、トンデモいう奴が続出する。
弥生人、縄文人という概念自体、いい加減なんだがね。
だって、土器の種類で民族や人種を分けるなんて暴論でしょう?

国つ神、天つ神の違いって、ヤマト朝廷を中心として考えて
外様=国つ神、譜代=天つ神ってぐらいだから。
渡来系というか帰化人は、諸番っていう。
968日本@名無史さん:2013/08/24(土) 16:46:48.22
弥生時代を水稲農業の開始ととらえるのなら
それは、今から3700年〜3300年前後の話だそうだ。
稲とか人の遺伝子は一定の期間で突然変異するらしい。
それを計算してみると、それぐらいになるそうだ。

ここ10年で歴博が水稲農業の開始を約3000年前にしていたけど
ジョジョに考古学と科学の間が差異がなくなってきた。

記紀神話にある天津神と国つ神の戦いなんて、せいぜい2000年ぐらい前。
日本で水稲農耕が開始されて1500年前後の時間が経過した時の
倭国の政治情勢が、記紀神話になった。
969日本@名無史さん:2013/08/24(土) 16:52:15.60
>>966
天孫や天津神が縄文の系統なんだよ
国津神は更にその前

日本の名字分類でも、皇別(天皇)、神別(天孫、天津神、国津神)、諸藩(渡来系)に分かれている
970日本@名無史さん:2013/08/24(土) 17:28:52.27
>>969
おまえ、勘違いしているけど

弥生=縄文+渡来だからな。
弥生は、縄文と渡来が混血だから、縄文の子孫でもあるんだよ。

というか、土器の種類で民族分けるのは、全く科学的ではないともいえる。

どっちにせよ、縄文から弥生への移り目が3500年前ならば
天津と国津の話は2000年前くらいの話であり、
日本が弥生時代に移行して1500年くらい経過した時代なんだよ。
971日本@名無史さん:2013/08/24(土) 17:51:16.69
>>970
ところが日本書紀で神武天皇は「天祖ニニギが天降って179万2470余年」と語っている
沖縄の天孫降臨伝説では天孫降臨から1万7千年経ったと伝わっていた
また弥生期は温暖だから山幸彦海幸彦のような現象は起きない

天孫降臨を2000年前だとすると全てが成り立たない
972日本@名無史さん:2013/08/24(土) 17:55:40.73
>>971
言っている意味が分からない。
理解不能。。。

もっと詳し説明してくれ。
973日本@名無史さん:2013/08/24(土) 18:25:08.99
>>972
ニニギが神武の曾祖父なら「179万2470余も昔」と言うと思いますか?
しかも山幸彦は580歳で没
国譲りが2000年前だとすると
海幸彦は西暦何年頃で死んだのは何時ごろでしょう?

国譲り→ニニギ降臨→海幸彦→→→神武東征
海幸彦までが神代、神武以降が人代
つまり国譲りと神武には壮絶な時間差があると考えられる
974日本@名無史さん:2013/08/24(土) 18:37:48.46
>>973
ああ、なるほど。そういう意味で言っていたのか...

ただし、自分はそうは考えず、忍穂耳〜神武までも、
普通の人間の時代として
適正年代で考えると、2000年くらいになると解釈しました。

神代、人代と明確に分けたのは、日本書紀からで、古事記では明確に分けてません。
そういう風な観点から、忍穂耳までは、普通に人の世として考えた。

ただし、それ以前の天照とスサノオはずっと前の神話と解釈しました。
というのは、忍穂耳以降は、性交渉によって子孫ができているのに
それ以前は、アマテラスとスサノオの誓約によって、刀から玉がでてきて、
忍穂耳や穂日になったという記述なので、
実質的に忍穂耳や穂日の兄弟から実在で
アマテラスは、彼らが敬う祖先神ぐらいの扱いではなかったのか?と思います。
975日本@名無史さん:2013/08/24(土) 19:09:43.86
神武が同時代に確かにそう言ったという確証があるならともかく
何百年も下った史書にそう書かれているからと言って
無批判に信用するのは実におりこうさんとしか言いようがない
976日本@名無史さん:2013/08/24(土) 19:13:22.80
あのさ...日本の姫氏(紀氏・松野氏・岸氏)達って須佐之男とかを祖神にしてるのね。
で、その祖先と云われる説のある周王朝は巨人の足跡を踏んで(アヌンナキ?)、
卵が産まれて農業好きの人気者に育った逸話があって、
更に遡った祖先は龍神から生まれて頭に角が二本ある牛頭人身(エイリアン?)の炎帝神農氏で、
赤い鞭で草木を叩いては薬効を調べたり市場(流通経済)を教えたりしてたけど、
この炎帝神農氏が須佐之男っぽくもある訳だ。

で、出雲やら古代天皇家やら物部やらニギハヤヒやらと何があった???
関係が分からん。
977176:2013/08/24(土) 19:23:09.08
>>975
だから沖縄の例も出した
檀君wも出そうかw
978日本@名無史さん:2013/08/24(土) 19:50:58.57
>>977
楽しそうで何より
いつまでもお元気で
979日本@名無史さん:2013/08/25(日) 09:23:53.11
このスレ的には神武天皇を「初代天皇」にしなければいけなかった理由って何だろう?

やっぱり中国皇帝の天帝思想に外交的に対抗するため、
日本の天皇の祖先も「神」にする必要があった?
980日本@名無史さん:2013/08/25(日) 09:35:30.09
>>979
畿内に移住したから新しい代になった
これだけ
981日本@名無史さん:2013/08/25(日) 09:57:14.89
>>980
そんなバナナ。
歴代天皇は何度か遷都してるけど、遷都だけで王朝交代のようなことが起こるのは有り得ない。
諸外国の例でもそうだけど。

なんかもっと別の理由があったように思う
なぜ神武天皇が「初代」でなければならなかったのか。
彼の父も祖父も、普通に考えたら先代天皇だ。
982日本@名無史さん:2013/08/25(日) 10:02:43.91
>>981
神武は遷都してないしw

たとえるなら戦後に功績を剥奪された皇族がブラジルに移民して
その子孫がブラジル皇帝になった
初代は誰かな
983日本@名無史さん:2013/08/25(日) 10:11:44.44
たとえがイマイチだったw

戦後に日本に見切りを付けた皇族が、家来を引き連れてブラジルに移民した
開拓を頑張り実力を付けた
次々と支配地を広げ戦乱を制覇
移民十世でブラジルの半分を支配し皇帝を名乗った

こんな感じだな
984日本@名無史さん:2013/08/25(日) 11:02:31.21
>>983

なるほど。
しかしそれならもっと直接的な話をしよう。

昔二人で国を共同統治しようとした兄弟がいて、
兄は奈良のあたりに暮らし、弟が火山の多い九州の高千穂くんだりに灌漑農業を普及させる旅に出たって感じでしょう。

時が移り九州組の子孫は熱心に火山地帯で灌漑工事や農業指導を続けていた。
すると何やら良くない噂を聞くことになる。
奈良の親戚さんが「俺達こそがこの国の王だ、従えい!」と圧政しているらしいじゃありませんか。

『あはー、こりゃーちょっと戻ってどうにかしないとマズイよね?』
というのが神武東征。つまり親族同士の戦いだよね?
985日本@名無史さん:2013/08/25(日) 12:12:00.89
>>984
おまえのトンデモ電波いい加減うざい
みんな迷惑してるから消えろ
986日本@名無史さん:2013/08/25(日) 17:14:48.77
ニギハヤヒとホアカリは別だとも言われている。
だとしたら、神武とニギハヤヒは同族ではないな。
神武と同族なのは、ホアカリのほう。
987日本@名無史さん:2013/08/25(日) 17:26:35.50
ニニギも大国主も渡来系の神だろう?
どこから来たかっていえば、そりゃあ韓国に決まっているだろうが。
ようするに在日帰化人集団。
988日本@名無史さん:2013/08/25(日) 17:32:20.78
>>987
その発想が大間違いなんだってば
989日本@名無史さん:2013/08/25(日) 17:37:25.14
ニニギとニギハヤヒは、同一人物だよ。
出雲の国と関係しているので後で。
ニニギ生誕の地が日本国内にある。
頭と尻をとって、神郷になる。
しかも、市町村の合併が許されない。

>>973
>国譲り→ニニギ降臨→海幸彦→→→神武東征

ニニギ降臨→海幸彦。  (千年の時間差) 神武東征→(出雲国の)秘宝強奪。
990日本@名無史さん:2013/08/25(日) 18:00:42.46
>>987
渡来系ならば、諸蕃というかカテゴリになっている。

ニニギは天津神、大国主は国津神なんだから、違う。
991日本@名無史さん:2013/08/25(日) 18:01:53.40
>>989
そんな説、初めて見たw
もう、何ともでも言えるねw
言ったもん勝ちみたいな。
992日本@名無史さん:2013/08/26(月) 00:36:20.58
>>181
> 彼の父も祖父も、普通に考えたら先代天皇だ。

普通に考えたら、ただの南九州の豪族の長だけど?
そっから一族郎党引き連れて、まったく未踏の奈良盆地に武装入植果たしたんだから、立派な初代じゃん。
まあ、神武の時点でも相変わらずただの奈良の豪族の長だったがな。
子孫がたまたま「天皇」になれたから、遡って初代の「天皇」ということにされただけだよ。
普通に記紀を読めば、誰だってわかるはずなんだけどな。
993日本@名無史さん:2013/08/26(月) 00:38:33.16
>>992
あれ?アンカミスったな
>>981へ、だ。
994日本@名無史さん:2013/08/26(月) 11:52:51.92
>>992
神武を畿内に先導したのは、神武の親戚たち。
つまり、神武が畿内に東征するより以前から、
神武の親戚たちが多く畿内在住で
そこで畿内の様々な地域で領主をやっていた。
995日本@名無史さん:2013/08/26(月) 13:32:34.23
946=950=984=994
こいついい加減しつこい
996日本@名無史さん:2013/08/27(火) 00:51:23.78
日本の深部
997日本@名無史さん:2013/08/27(火) 00:55:19.98
>>995
> 946=950=984=994
> こいついい加減しつこい

こいつの主張って、「徳川家康より以前から江戸幕府はあった」
くらいのトンデモだよな
998日本@名無史さん:2013/08/27(火) 12:52:04.09
ちょいと思ったんだけど、戦国時代の北条早雲でさえ何代かが一人で置き換えられたって説があるくらいなんだから、
神武とか100年以上生きてる人も数代にわたっている人が一人になっただけなんじゃないかと。

あと、昔の暦が半年で一年だったっていうのはどのくらい信憑性があるの?
999日本@名無史さん:2013/08/27(火) 13:02:33.22
>>998
魏志倭人伝によれば、当時の倭人には百歳以上がざらに居たらしい
種まきと収穫をもって年とすると書いてある

記紀に書いてある初期の天皇の寿命が長い
古事記と日本書紀で没年齢が二倍違う天皇がいる

とりあえずこれぐらい
信憑性はありありだよ
1000日本@名無史さん:2013/08/27(火) 13:17:21.00
>>999
なるほど。
ありがとう。

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