♪邪馬台国ドンと来い!♪120

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1日本@名無史さん
畿内説は秦でね!♪(゚▽^*)ノ⌒☆

前ヌレ ♪邪馬台国ドンと来い!♪119
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1356501368/
2日本@名無史さん:2013/02/16(土) 07:15:18.22
はい死にました♪
いま巻向で墓穴掘ってるところです♪♪♪
3日本@名無史さん:2013/02/16(土) 07:18:12.65
>>1 乙
>>2 葬式で忙しくなりそうだな
4日本@名無史さん:2013/02/16(土) 08:01:18.87
後漢に朝貢した倭奴国=半島系の筑紫国、伊都国や奴国の前身
中国江南地方から東シナ海を渡って肥の国に上陸した一族=邪馬台国の前身
耕地に恵まれない邪馬台国はその鉱山技術、より高度な製鉄技術、冶金技術+鬼道をもって
一気に有明海沿岸、阿蘇、伊都国連合をも含む北部九州を席巻、一大率を置き諸国を検察
薩摩大隅の狗奴国をも支配下に置こうと画策するも苦戦、魏への朝貢はこの頃
狗奴国は天草島(投馬国?)から侵攻を始め一気に肥の国を蹂躙、夜須川(天の安河?)まで進出
邪馬台国の王族は逃亡し日田から山国川あるいは駅館川をさかのぼって宇佐に落ち着くも小規模勢力に
4世紀はじまり前後(?)朝鮮半島南部(高天原?)の騒乱の影響で多羅からやってきた一団(タラシ系の王族=景行天皇、神功皇后)が
八女、宇佐など北部九州を平定しようとするも地元豪族たちの抵抗に遭う
神夏磯姫と縁戚関係を結んでいにしえの邪馬台国の血筋を入れたタラシ系の王族(イザサワケ=応神天皇)は瀬戸内海を東進
吉備の勢力と手を結び河内に入り、後の大和朝廷の基礎をつくる
自分の家の近所にあり、小さい頃から目の前で見てきた大仙陵古墳の被葬者はこうして西からやってきた征服王なのではないか
自らの事跡を誇るために海から見えるあの場所に陵を造らせたのではないか
5川柳の達人:2013/02/16(土) 08:09:03.32
大和王権の中枢?溝出土…纒向遺跡
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130202-OYO1T00320.htm

「奈良県桜井市の纒向遺跡で、大規模な施設の外周を巡っていたとみられる
4世紀中頃の溝が東西45メートル、南北7・5メートルにわたって出土し、
市纒向学研究センターが1日、発表した。邪馬台国の時代から約1世紀後の
遺構で、専門家は、この地で成立したとされる大和王権の中枢部だった可能性
を指摘している。」

絵を見る限り、この溝は例の卑弥呼の御殿とか言われる建物跡の下にあるようだが・・・
溝が4世紀のものならば、あの建物跡は5世紀の建物だったてか?
6日本@名無史さん:2013/02/16(土) 09:34:47.48
また、伊作と筑紫の民が荒らしてんのか
どっちもいい歳して荒らすなよ
7川柳の達人:2013/02/16(土) 10:04:39.01
箸墓の周壕からは布留1式期と木製輪鐙が出土している。
本来輪鐙などは4〜5世紀頃のものらしいから布留1式も4〜5世紀と見るのが妥当。
その箸墓と纏向が連動しているのならこれも4〜5世紀だろう。
こんなのずーっと昔から指摘されていたことだ。
8日本@名無史さん:2013/02/16(土) 10:10:13.31
ホケノ山古墳に切り崩された、堂ノ後古墳からは、
埴輪(5世紀?)が出てきている。
9日本@名無史さん:2013/02/16(土) 10:23:04.88
結局さ、卑弥呼とは無関係に
古墳そのものをそのままに発掘分析すればいいだけ
これが考古学者の仕事
10日本@名無史さん:2013/02/16(土) 10:25:52.01
形態的に見ても箸墓なんぞよりも手鏡式古墳の方が古そうだな。日向には手鏡式が30箇以上
ある。それらが造られた末期に畿内で茶臼山が造られたってことだろう。
11日本@名無史さん:2013/02/16(土) 11:46:45.81
>>8
ホケノ山古墳は庄内期の土器が出ているとして、畿内説の考古学者は
庄内期に作られたとしていた。一番古いというわけだろう。
しかし、その後、布留1式の土器が出たり、布留1式以降と考えられていた
箟被(のかつぎ)のついた銅鏃が出たりしている。

何とか卑弥呼時代の古墳を探したいらしいが、無理があるな。
卑弥呼の時代は古墳時代ではないだろう。
12日本@名無史さん:2013/02/16(土) 12:08:58.85
卑弥呼以死大作冢、

この「冢」は何物なのか、前方後円墳であるとの証明はできてるのかしらね
とまれサクライ/マキムクは何でもかんでもツバつけたがる、お里が知れるわ。
13日本@名無史さん:2013/02/16(土) 12:17:07.18
>>2
殉葬100名じゃ足りないんじゃないの♪
14日本@名無史さん:2013/02/16(土) 12:26:51.01
>>12
日本語が不自由な方ですか?
15日本@名無史さん:2013/02/16(土) 12:27:03.17
>>10

結論部分は置いとくとして、形体的には柄鏡式の方が原始的に見えるよね。

 理屈としては

  円形墳 > 円形墳+陸橋又は外区 > 円形墳+方形基壇

 と来て、方形部分が縦にどんどん伸びて行くと柄鏡式、
 逆に方形部分が横に広がって行くと帆立貝式。
 箸中山は、方形部がバチ型なんで、帆立貝の仲間としても、かなり進化したスタイルに見えるし、
 バチ型方形へ至るプロトタイプも見当たらないので、突然に出現した感は否めない。

「古墳進化論」的にはかなりの難問だよね。
16日本@名無史さん:2013/02/16(土) 12:29:49.21
わたし、魏の使者にくっついてきた下っ端の末裔です。中国語はとくいです。
17日本@名無史さん:2013/02/16(土) 12:31:17.84
>>15
以前は柄鏡型のほうが古いタイプといわれた。
纏向タイプから前方部がいったん閉じて柄鏡型になり、また広がるというのは
やっぱり不自然。
18日本@名無史さん:2013/02/16(土) 12:32:00.21
前方後円墳は前方後方墳から派生したもの。
そして卑弥呼は前方後円墳派生前の時代の人物なわけ。
19日本@名無史さん:2013/02/16(土) 12:39:22.71
弥生期末期の円墳は瀬戸内に集中してるでしょ。
卑弥呼の墓があるならこの辺りだろう。
20日本@名無史さん:2013/02/16(土) 12:41:06.89
倭国大乱後の暫定政権で狗奴国とももめてるのに
こんな豪勢なのが卑弥呼のわけないでしょう。
http://www.ajiko.co.jp/news/2012/hashihaka_rittaichizu.pdf
21日本@名無史さん:2013/02/16(土) 13:14:31.31
>>8  >>11
そうなんだよね。
堂の後古墳が先に作られて、堂の後古墳の周濠を削る形でホケノ山古墳が造られている。
その堂の後古墳は500年前後の古墳だから、ホケノ山はその後になる。

ホケノ山の銅鏃は、普通なら5〜6世紀とされるもの。
ホケノ山で出たとされる画文帯も類似品は500年前後の古墳に多い。
ホケノ山の棺の1つは500年以降と確定している(それを200年以上あとの追葬とするのは無理がある)。

これを無視してホケノ山を古くしようとする連中は、ただの恥知らずだろ。
22日本@名無史さん:2013/02/16(土) 13:19:04.04
>>19

瀬戸内と言うか、吉備で発生して、東方面へは播磨>摂津>山城へつながって行くみたいだ。

河内は、庄内期でも円形はほとんど無いので、纏向の円形墳は山城経由で来たと思う。
23日本@名無史さん:2013/02/16(土) 13:26:46.35
箸墓説は戦後の糸島出身者H説あたりから広まった
それに近畿勢が悪乗りしたかんじじゃないの
どうせ宮内庁は立ち入り調査を拒否するだろうから、さきに言った者勝ち#$%&(’)ー^¥
24日本@名無史さん:2013/02/16(土) 14:42:52.35
>>20
何をもって暫定政権なの?
25日本@名無史さん:2013/02/16(土) 15:10:27.63
>>24
あんまり言うと火病するよ
検証は十分してんだと何も提示する事無く
脳内独りよがり検証だから
きっと、狗奴国は卑弥呼の兄弟が治めてるとか脳内妄想が膨れ上がってそう
26日本@名無史さん:2013/02/16(土) 15:30:58.50
>>24
もちろん見てきたわけじゃないけどね
何かを行うための政権じゃなくて、騒乱をやめるためのとりあえず共立だった(と書いてある)からね
関係者は心の中でいつまで続いてくれるかねえ、と思ってたんじゃないかなあ
27日本@名無史さん:2013/02/16(土) 15:42:25.91
>>26
>>何かを行うための政権じゃなくて、騒乱をやめるためのとりあえず共立だった(と書いてある)からね
>>関係者は心の中でいつまで続いてくれるかねえ、と思ってたんじゃないかなあ

その書いてある事とやらの検証は?
書いてあれば何でも正解なの?裏づけも取らずに
心の中?
もうそこまでいくと脳内妄想としか言えないよね
28日本@名無史さん:2013/02/16(土) 15:51:30.72
手掛かりは書いてあること、それ自体は否定できないから、とりあえずそれと理解してすすむほかない。
それ以上のことは妄想になるからね。
ほかになにか手掛かりがつかめればそのときかんがえなおせばいい。
で、何か手掛かり裏付けお持ちなの。おせーて。
29日本@名無史さん:2013/02/16(土) 15:57:20.42
書いてある事は検証出来ないと意味ないだろ
あくまで書いてあっただけ。真実にはなってないの
真実でないものを基に想像膨らませて、豪勢だから正とか否とかやっても意味ないだろ
基が検証出来てないんだから

多分、妄想が真実にすり替わってんだよな
キミも狗奴国は卑弥呼の兄弟が治めてるとか妄想膨らませてるタイプ?
30日本@名無史さん:2013/02/16(土) 16:26:49.38
31日本@名無史さん:2013/02/16(土) 16:38:15.19
>>29
予想通りのレスだね。
この世には「事実」という厳然たる世界がある。たしかな「事実」だ。
物理、物質、実力、暴力、自然など・・・、いわゆる物理的な世界だ。(←これだけを真実といっているようだね)。

しかし一方人間社会には、文字でつづる「文字の世界」がある。それはその範囲で真実であると理解しなくてはならない。
ご承知の通り日本では、わかりやすく言えば聖徳太子の教え以降、文字の世界が発生してきた。
この文字の世界は、書いてある範囲で真実正しいという約束事の上に成り立つ。
仮に書いてあることをすべて疑っていては、文字の世界、たとえば法律・経済・学問・近代政治などは成立しない。

大化の改新の後の日本では、人々の脳内に、事実の世界と、文字の世界というの2つの世界が発生してきたわけだ。
この2つの世界を区別しつつ、しかも両者併行して理解することで、その後の人間社会は発展してきている。
(ちなみに動物には、いまだ文字の世界は発生していない)
32日本@名無史さん:2013/02/16(土) 16:58:56.11
書いたの日本人じゃなくて中国人だろ
33日本@名無史さん:2013/02/16(土) 22:34:10.31
箸墓の場合、立ち入りが許可されたわけだが、見て回っただけで何か
わかることってあるんだろうか。
34日本@名無史さん:2013/02/16(土) 22:38:13.65
だいたい分かる
35日本@名無史さん:2013/02/16(土) 22:48:13.22
盗掘痕があるかどうかくらいは分かりそうだ
36日本@名無史さん:2013/02/16(土) 23:30:32.70
何で宮内庁は許可したんだろうな。
37日本@名無史さん:2013/02/17(日) 01:56:29.02
日本の歴史を背景とする天皇家に関心をもたれたい為
38日本@名無史さん:2013/02/17(日) 08:58:53.63
箸墓が卑弥呼では記紀が危機にかわるから
宮内庁は独自調査でそれなりに自信を持ってるんじゃないか
39水銀厨:2013/02/17(日) 09:13:02.79
箸墓なら30年位前までなら割と無防備で周辺散策出来たからね。
ガキの頃よく何も考えずに遊んだ記憶ある。
40日本@名無史さん:2013/02/17(日) 09:19:46.58
箸墓は280〜320年くらいだろ
布留0式で、土器がこれと並行するのは福岡県の津古生掛古墳、千葉県の神門4号墳などだ
41水銀厨:2013/02/17(日) 09:34:05.78
箸墓は3世期末前後の推定で別に問題無いと思います。
普通に考えると、あの大きさだと生前から作業でもしない限り、
没後すぐ現在の形に築造するなんて不可能ですよ。
戦乱もある混乱期では、最初に埋葬を済ませて徐々に形を整えるはずです。
42日本@名無史さん:2013/02/17(日) 09:38:20.53
箸墓の築造は10年程度はかかったろう
被葬者の生前からの築造は考えられないこともないがわからない
問題はなぜこのような前方後円墳が一気に全国的に広まったのかだな
43満州炒飯:2013/02/17(日) 09:45:11.65
いやいや、大抵は王が崩御してから一年以内に築造してるぞ、文献では。

>前方後円墳が一気に全国的に広まった
こんな証拠がどこにある?

通説だけで物を語る勿れ。
44日本@名無史さん:2013/02/17(日) 09:54:59.94
周濠を掘って、その土で盛土、突き固めて、石を葺いて古墳完成
45日本@名無史さん:2013/02/17(日) 09:55:14.86
>>43
前期纒向型前方後円墳 
神門五号墳 千葉県市原市 分校1号墳 石川県加賀市
那珂八幡古墳 福岡県福岡市 津古生掛古墳  福岡市小郡市
神倉古墳 福岡県甘木市

後期纒向型前方後
神門3号墳 千葉県市原市 神門4号墳 千葉県市原市
諏訪台1号墳 千葉県市原市 宮山古墳 岡山県総社市
萩原1号墳 徳島県鳴門市 原口古墳 福岡県筑紫野市

まだあるが、これらは土器の並行関係から短い時期幅におさまる
46日本@名無史さん:2013/02/17(日) 09:59:26.69
箸墓のサイズを基準に全国の豪族が箸墓のサイズの何分の1の古墳かで、
ランク分けされてるから、卑弥呼か台与の墓である可能性高い。
倭人伝の記述と考古学的見地から時代的に台与の墓の可能性のほうが高い。
卑弥呼の墓は張政も見てるし、250年より前に完成しててただの円墳だ。卑弥呼の死後1年程度で完成可能なもの。
箸墓は1年じゃ無理だし卑弥呼の死後、戦乱もあり墓作りどころではない
47日本@名無史さん:2013/02/17(日) 10:11:28.50
箸墓式の前方後円墳の全国的に広まりがヤマトの影響力が全国に及んでいったことを示しているよ。
古事記にいう四道将軍の時代のことだろう。
48日本@名無史さん:2013/02/17(日) 10:18:53.99
初期の前方後円墳があるのは元々纏向勢力との交易関係にあったところだ
だから同心円状というわけではなく北は関東から南九州まで
全国各地の拠点、拠点に築造されている
邪馬台国畿内説に立てば
卑弥呼の倭王冊封が古墳の広まりに拍車をかけたとも考えられる
四道将軍については武力的な制圧は多くない
基本は交渉によって勢力圏を広げていったのだろう
49日本@名無史さん:2013/02/17(日) 10:53:52.56
中国からの冊封の影響が大きいな。中国の権威を武器にヤマトを中心に緩やかに全国的に連合体制組んだだけの話。
今で言えば、自営でやってるより大企業の傘下に入ってたほうがメリットあるから。
物流面でのメリットがでかいよ。特に食料を自給自足のみに頼るより、ヤマト連合内で回したほうが、危機管理の観点からも優れてるよ。
50日本@名無史さん:2013/02/17(日) 11:38:59.40
緩やかな連合体制なんてものが非現実的。あちらは二等国、おまえのところは三等国
なんて言われて「ありがとうございます」なんて言うわけないだろうが。
51日本@名無史さん:2013/02/17(日) 11:45:51.57
非現実的もなにも倭人伝に各国が話し合い卑弥呼を中心に緩やかな連合体制に移行したと書かれてるし(笑)
人口や食料生産等の国力でランク付けしただけだろうし、
別に誰も怒らない
52日本@名無史さん:2013/02/17(日) 12:02:29.06
倭人伝にそんなことが書かれているものか。敗戦国には一大率を置かれて
びびりまくっていたんだ。それが現実。本州を攻めるぞ、兵をだせ。ははー
てなもんだよ。
53満州炒飯:2013/02/17(日) 12:53:32.32
>各国が話し合い卑弥呼を中心に緩やかな連合体制に移行した

そんなことはどこにも書かれていない。
倭國亂,相攻伐歴年,乃共立一女子爲王,名曰卑彌呼
こう書かれているだけだ。
倭の各国が戦争状態になったなどとは書かれていない。

たとえば王位継承をめぐって、太子派と非太子派の争いになって国が混乱したら、
それが倭国大乱と書かれるのである。
学者さえそういう簡単なことが理解できずに、各国が争ったなどと妄想している。
54日本@名無史さん:2013/02/17(日) 13:20:50.54
妄想してるのはここのヲタ連中のほう(笑)
自然に読めば各国が争い卑弥呼共立でいいよ。高地性集落とも時代的に一致するし。
奇をてらった説を言えばいいと思うなよ。ヲタの悪い癖だよそれ。
55日本@名無史さん:2013/02/17(日) 13:21:50.12
>>53
まあ、そうだな。倭人伝には、「その国、もとまた男子を以って王と為す。
住すること7.80年。倭国乱れ、相攻伐すること歴年。すなわち一女子を
共立し、王と為す。名を卑弥呼という」と書かれている。

共立を連合のようにとらえるのは間違い。よく言われるように中国の文献には
共立が良く登場する。これは世継が順当ではなく、不連続な場合に使われる。

というわけで、男子の王というのは西暦107年に後漢に朝貢した帥升であり、
数十年経って、その跡継ぎがいなくなり、跡継ぎをめぐる争うが起きる。
それが「倭国の乱」であり、卑弥呼と言う跡継ぎができたために乱は収まる。

これと同じような出来事が卑弥呼の死後にも起きている。男子の王が立つが
国中が不服で、1000人あまりが殺される。そこで台与を王にすると国中が
ついに定まる、とある。
56日本@名無史さん:2013/02/17(日) 13:32:02.33
>>41
箸墓の年代については四世紀後半以降とする意見も多い。
年代によって誰の墓か絞られるくるわけだから、年代は重要だし、
慎重でなくてはならないな。
誰かの墓にするために年代を合わせていくのは愚の骨頂。
57日本@名無史さん:2013/02/17(日) 14:27:19.16
一女子“が”共立し、王と為“る”
58満州炒飯:2013/02/17(日) 17:26:38.28
>>54
19歳か?
漢文を読む練習が足らんな。
59日本@名無史さん:2013/02/17(日) 20:19:14.78
チャーハンの語源はピラフ

pirafu > pilaf > pyaf> kyaf > chaf
これに「食物」を表す接尾辞「an」(=「餡」)が付いてchafanになった
論破して見れや
60日本@名無史さん:2013/02/17(日) 21:08:20.61
比羅夫
61日本@名無史さん:2013/02/17(日) 21:19:21.34
あんびょんのひらふ
62日本@名無史さん:2013/02/17(日) 21:24:03.00
あんびょん http://goo.gl/maps/p9ju0
63日本@名無史さん:2013/02/17(日) 21:25:42.53
あんびょん http://goo.gl/maps/tnPX2
64満州ごはん:2013/02/17(日) 23:00:13.24
いや〜
真実は論破できないな
65日本@名無史さん:2013/02/18(月) 01:44:27.31
>>21
最近はホケノ山に言及しない人も出てきたね。
三角縁とか年輪年代とか、地雷だらけウソだらけの世界だな
66日本@名無史さん:2013/02/18(月) 05:08:20.50
ホケノ山でも何でも捏造しようとしてうまくいかなかったものについては
シラっとなかったことにするのが畿内説流。
67日本@名無史さん:2013/02/18(月) 09:14:06.08
その結果、畿内説には何の根拠も残っていない。
68日本@名無史さん:2013/02/18(月) 09:35:45.27
九州説は行程パズルしかやることないしな。
妬む気持ちは少し理解してあげる。
69日本@名無史さん:2013/02/18(月) 10:03:54.03
弥生時代終末期の北部九州、筑紫・博多。

 漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)の奴国【銅鐸祭祀】も、跡継ぎを巡る「大乱」により卑弥呼(アマテラス)
の邪馬台国【銅鏡祭祀】に国を譲る【銅鐸処分→九州=銅鏡に鋳直し/九州以外=埋納】。
 これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と全面戦争になり、「和」国が分裂、卑弥呼は急死(男弟/魏の将軍張政/狗奴国による暗殺説)。

-分裂した「和」国
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)筑紫/宇佐┃→安芸→吉備→「大和」朝廷
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)日向┃↑ ≧神武東征ルート≧
...................隅国(鹿児島)┘

 卑弥呼の跡を継いだ♀女王「台与」は投馬国長官♂を婿として迎えた後、旧奴国&隅国(隼人)と同盟を結び、肥後狗奴国(後の熊襲)
を一網打尽にし、倭「和」国を再統一した。
 「和」国再統一の偉業をなした男系先祖の出自を後世に伝えるため、神武は日向(投馬国)から出航し、五胡十六国の戦乱の影響から
距離を置くべく、都を筑紫・博多から先遣隊長ニギハヤヒが拓いた奈良・三輪山麓(纏向)へ東遷。その女系先祖・卑弥呼(アマテラス)&
台与以来の【銅鏡祭祀】「大和」朝廷を創始する。

※古事記・日本書紀が、日向長官の先祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)を
その姉としたのは、「大和」朝廷・天皇家(♂日向長官と♀筑紫女王「台与」夫妻の子孫=神武の末裔)による系図操作。
 銅鐸祭祀をしていた漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は、倭(和)建国の偉大な功績を消され出雲に祀られる。
70日本@名無史さん:2013/02/18(月) 10:05:58.95
-「大和」朝廷における、♂日向(投馬国)系大王と♀筑紫(邪馬台国)系大王の(双方の直系男子途絶による)政権交代

4世紀〔前期古墳〕三輪(銅鏡)王朝(1神武〜14仲哀)=♂日向(投馬国)系大王【四道将軍、ヤマトタケル征東、熊襲討伐、国造任命】
5世紀〔中期古墳〕河内(鉄剣騎馬)王朝(15応神〜25武烈)=♀筑紫(邪馬台国)系大王【神功の三韓征伐→倭の五王(讃珍済興武)】
   →(高句麗の南侵に脅かされた)百済・新羅・伽耶(任那)への軍事援助により「鉄の大量供給ルート」を確保し、王権強大化
6世紀〔後期古墳〕近江王朝(※26継体〜38天智〜50桓武〜現在)=♂日向(投馬国)系大王【仏教伝来→白村江の戦い→律令国家】


-26継体・27安閑・28宣化=日向系大王〔樟葉宮→筒城宮→弟国宮→磐余玉穂宮〕
  …継体の「大和」入りが筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫国造・磐井の乱」を誘発
-29欽明〜♀35皇極(37斉明)=筑紫系大王〔飛鳥・板葺宮〕
  …筑紫系大臣、蘇我氏(娘達を続々大后に→外戚として大王を操縦)による日向系皇族大弾圧→「乙巳の変」(大化の改新)へ
-38天智・39弘文=日向系大王〔近江大津宮〕
  …「白村江の戦い」惨敗→百済滅亡で半島権益(鉄の大量供給ルート)を完全喪失。国力大幅低下&大増税→「壬申の乱」へ
-40天武〜♀46孝謙(48称徳)=筑紫系「天皇」〔飛鳥・浄御原宮→藤原京→平城京/恭仁京/難波宮〕
  …両系和解の古事記・日本書紀・風土記編纂(日向系大王の活躍=筑紫系大王の活躍)→「長屋王の変」「道鏡事件」へ
-49光仁・50桓武〜南北朝〜現在=日向系天皇〔長岡京/平安京〕
  …筑紫系天皇の奈良〔平城京〕から、本拠地・近江(琵琶湖)近くの〔長岡京/平安京〕に遷都
71日本@名無史さん:2013/02/18(月) 10:09:20.57
畿内説は捏造ゴッドハンドしかやることないしな。
妬む気持ちは少し理解してあげる。
72日本@名無史さん:2013/02/18(月) 11:01:41.48
2世紀末(184年前後)の「倭国大乱」の痕跡が、畿内を代表する弥生の環濠集落遺跡には、
池上曽根遺跡しかり、(纏向遺跡の前身と見られる)唐古鍵遺跡しかり、全く見出せないのが気になるし、

卑弥呼の宮殿に関しても「楼観城柵厳かに設け、兵士が常に見張り守衛していた」とあるのだが、
楼観も城柵も城門もない平和そのものの纏向遺跡の様子とは全く異なる

どう考えても畿内説は考古学の発掘成果を無視しないと成立しないのに、
近つ飛鳥博物館長・白石太一郎氏が「3世紀国内最大の遺跡=邪馬台国」を一方喧伝しているのがおかしい
73日本@名無史さん:2013/02/18(月) 11:32:25.46
畿内説のゴッドハンドは空振りばかりだな。金印、璧、鍍金鏡など王の印はすべて
九州だ。
74日本@名無史さん:2013/02/18(月) 11:35:15.34
白石の説は寺沢が説くところと大きく矛盾する。寺沢の方が遺跡遺物をまともに
見ているね。ただ、寺沢もその意味が分かってないが。
75日本@名無史さん:2013/02/18(月) 11:54:26.91
白石太一郎は纏向遺跡で何か出土するたびに、
「ますます邪馬台国卑弥呼の宮殿である可能性が高まった」を、ここ数十年繰り返してる…
白石太一郎と金関怒。日本考古学界の「老害」と言うべき見本
76日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:02:13.40
ゴッドハンド畿内
インチキ、反則ばかりやって負けてる格闘家のリングネームみたいだな
77日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:10:33.87
九州説にいろいろ候補地があって、卑弥呼の宮殿址が未発掘なのをいいことに、
すでに発掘された纏向遺跡「3世紀国内最大=邪馬台国」と決めて掛かって、
何か出るたびに「ますます可能性が高まった!」「ほぼ邪馬台国で決まり!」と仄めかすんだから、もうこんなの学者じゃないよ。
78満州羅麺:2013/02/18(月) 12:15:48.67
倭国大乱は空想。
金印は偽物。
79日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:19:46.60
万周はてんぷら
80日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:20:58.55
出たあ w
81日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:26:29.72
てんぷらラメンか
82日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:28:59.30
>>78
狗奴国との戦争も妄想ですか?

考古学だけじゃく文献も無視して「纏向遺跡=邪馬台国」を喧伝するなら、
もう歴史研究やる意味ないだろ、、、
83日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:35:06.67
墓も無視、土器も無視、文献も無視、ただの卑弥呼邪馬台国ストーカー
84日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:35:10.91
倭国乱は本物だけど、狗奴国との紛争は問題があるかもね。邪馬台国と狗奴国が戦争だったとは
どこにも書いてない。卑弥呼と卑弥弓呼とが和せずだ。倭国の中で卑弥呼が共立されたために隠
居させられたそれまでの男王、それが狗奴国王なのではないかな。
名前が似ていることもそれを感じさせる。それに狗奴国とまともに戦った気配はないのにその後
狗奴国は消えていく。また、倭国の一員として合流したんじゃないかな。
85満州焼きそばUFO:2013/02/18(月) 12:41:46.44
倭の諸国が争乱状態になったという意味での倭国大乱は空想だということだ。
王位継承をめぐって国内が二派に分かれ相攻伐したということだ。

>>84の男はなかなか理解力がある。
86日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:43:49.19
>素不和 遣倭載斯、烏越等詣郡説相攻擊状

いちおう郡まで告げ口に行ったくらいだから、それなり深刻だったんでは。
87日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:44:58.38
>>84-85
自作自演乙
88日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:46:24.76
昔はアタマのいい学者がいて旧石器を捏造して大勢引っかけたもんだったが
いまの桜井市の連中は卑弥呼の墓碑銘ひとつ作りもしないで
口先だけでひとを騙そうとするんだから図々しい話だ
89日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:51:49.75
つげ口を過大に評価するのはいけない。魏が檄をもって告諭したということは、邪馬台国と
狗奴国の双方が魏の言葉を尊重する立場にあったということだ。ということは、狗奴国も邪
馬台国側と同様に朝貢していたと考えなければならない。漢時代に朝貢していたのか、卑弥
呼が朝貢するときに渋々でも行動を共にしたのか。
そうなると、朝貢国同士の私闘は御法度だ。そこで邪馬台国側としては、万一、狗奴国と戦
いになったときに備え、「やむを得なかった」と弁解するためにも告げ口をしておかねばな
らんのだよ。いきなり狗奴国を撃ったとなれば、それを口実に魏から攻撃されるおそれもある。
90日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:53:37.46
そこへいくとチャーシュウメン父さんは騙す気もなく
ひとりわが道を逝くから偉い
91日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:55:30.41
>>87
トンデモの満州と一緒にせんでくれ。倭国乱を王位継承の戦いだなんて言ってるようじゃ
見当外れもいいところだ。
92日本@名無史さん:2013/02/18(月) 12:57:28.25
近畿考古学界のドン(ガン)である白石太一郎も、金関恕も、
「現時点で出土している3世紀日本における最大の纏向遺跡であるが、
九州北部では同時期の遺跡は未発掘である上、魏志倭人伝の記述とは大きく異なり、
邪馬台国女王卑弥呼の宮殿と断定するには、時期尚早である」と、なぜ当たり前のことが言えないんだ?
93日本@名無史さん:2013/02/18(月) 13:01:03.91
単に思考力が足りないからだろ。
94日本@名無史さん:2013/02/18(月) 13:02:38.26
>>89
そのあたり以前から気になってるんだけど、
こんにちわーと見知らぬ倭人が手土産持って郡に顔を出しても簡単じゃなかったきがする
邪馬台国、狗奴国の双方ともずーと以前から郡にはえにしがあったから告諭の段取りになったのではと思えてならないのだけど
95日本@名無史さん:2013/02/18(月) 13:06:25.11
>>92
けっきょくは、ただの欲張り見栄っ張りなんじゃないの。
ブランド品ならなんでもかんでも自分の手許に置きたがるひと。
96日本@名無史さん:2013/02/18(月) 13:06:33.71
畿内では「纏向遺跡=邪馬台国、箸墓=卑弥呼の墓」が暗黙の了解になっている。
博物館長がそれに反するようなことを言うと、ただでさえ少ない来訪者がほぼゼロになるからね。
邪馬台国に関してだけは、関西はどうしようもない地域。
97日本@名無史さん:2013/02/18(月) 13:13:01.41
倭の五王と巨大古墳じゃ物足りなくなって、箸墓や纏向遺跡の年代を繰り上げてでも、
卑弥呼や邪馬台国も関西に持って来たがるのがブランド大好き関西人。
98日本@名無史さん:2013/02/18(月) 13:18:04.04
我が家の墓参りでさえ1年1回がやっとこさなのに、
大昔の誰だかよくわからんけどでっかいお墓がありますじゃ、今どきの観光客はごめんこうむるわ。
もっとまじめに学術的にやれ、白金そろってメッキか。
99日本@名無史さん:2013/02/18(月) 13:31:16.17
仮にモモソ墓が卑弥呼で、巻向の飯場がヤマタイの宮殿でも、土饅頭と穴ボコでは、観光資源にはならぬ。
いくらでっかくても死人の墓に人が集まるわけない。
マニアの千人もくればおわりだ。
今何が流行るかといえば、はやってるところに見に行けばいい。
デイズニーとか、大阪のあれとか、長崎の例の奴とか、家族で行けて華やかで大きな動きのあるものにきまっとる。
100日本@名無史さん:2013/02/18(月) 13:53:24.13
2月20日の立ち入り調査の件、
行かれた方、レポよろしくお願いします。
101日本@名無史さん:2013/02/18(月) 13:53:37.54
狗奴国も邪馬台国側と同様に朝貢していたと考えなければならない。

狗奴国のいみは

子犬那国だからなあ。

狗邪国のいみは

狗耶国だからあ

子犬父国だからなあ。

奴国のいみは

那国だからなあ。

委奴国のいみは

犬国だからなあ。

でっ 委那国。
102日本@名無史さん:2013/02/18(月) 13:58:38.89
箸墓掘るの?
言葉どおり墓穴を掘っちゃう結果になりそうなんだけど。
畿内説にとっては。
103日本@名無史さん:2013/02/18(月) 13:59:00.09
>>101
質問でーす。朝貢ルートは邪馬台国とおなじ又は一緒に行ったと考えていいんでしょうか。
104日本@名無史さん:2013/02/18(月) 14:08:05.69
>>102
まじな話、前方部に後世の通り道が作られてるようなので、切通し断面から土器とか木材とか採取できた可能性もある。
すでに宮内庁はそういうのを、鑑定したり、炭素年代法で分析したりしてるのかも?

箸墓古墳、西殿塚古墳のレーザー立体図
http://www.ajiko.co.jp/news/2012/hashihaka_rittaichizu.pdf
105日本@名無史さん:2013/02/18(月) 14:11:33.02
狗奴国と邪馬台国は委奴が割れただけだから同じ使節が2通りにみえるだけね

わんわん。。。いぬこく。。。   王家が分岐すること、これを いわれ とゆう。。。


強い進駐軍がきても、貴い客待遇とかして優待してあげると

女王家のは、婿はんもろたのと等価で、継続しちゃう とゆうのもあるし。。。


まああれだわ、狗奴国のほうが本家筋じゃろて。。。。
106日本@名無史さん:2013/02/18(月) 14:13:08.88
>>102
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130214/t10015505051000.html
>調査は今月20日に行われ、研究者が古墳に立ち入って形などを確認することになっていますが、
>発掘や土器などの採取はできないということです。

近くで見るだけということです。

>古墳時代に詳しい大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は
>「研究者として陵墓は公開されるべきだと考えている。2つの古墳は古い時代の前方後円墳で、
>まだ墳丘の形態なども分かっていない。複数の研究者が見ることで、新たな知見が得られるものと期待している」と話しています。

「箸墓=卑弥呼の墓、西殿塚=台與の墓」と証拠もなく喧伝しておきながらよく言うぜ!w
白々しい石太一郎だなwww
107日本@名無史さん:2013/02/18(月) 14:13:23.68
狗奴国は呉かもしれないな。卑弥呼は親魏倭王をもらったのに、
さらに援助を求めている。仲裁に張政がやってきている。
狗奴国が魏に朝貢していたらこんなことがあるはずがない。

呉だとしたら、南西諸島経由かな。やっぱり狗奴国は南九州か?
108日本@名無史さん:2013/02/18(月) 14:23:12.97
>>105
ということは、先のことは別にして
その段階では、大犬国はとりあえず女王歓迎の態度を見せてるけれど、
子犬国はまだなついていない・・、みたいな感じですか??
109日本@名無史さん:2013/02/18(月) 14:32:25.86
さすがに艦長コメントは、いささかスローダウン気味のようですね。(まさか宮内庁がここまでするとはムニュムニュ・・)
110日本@名無史さん:2013/02/18(月) 14:35:10.43
>>107
んじゃ、魏と呉の代理戦争のハシリ?
111日本@名無史さん:2013/02/18(月) 14:36:36.49
>>94
倭の奴国時代からの縁だろう。当時は北九州だけだったが、その後の倭国乱で
北九州は邪馬台国側に敗れた。しかし、女王共立という形をとったので倭奴国→
邪馬台国中心の倭国と続いていることとなった。魏としても、敗れてしまった奴国
の世話をするより、勝者である邪馬台国側とうまくやろうと考えたのだろう。

ただし、邪馬台国は魏、狗奴国は呉というのは、単純すぎる考え方だな。邪馬台国
側は倭国乱の前は呉とつながっていたんだろう。北九州を支配下におさめて魏とう
まくやっていこうとして使者を送った。それだけのことで、実質はそれまでの呉と
もある程度のつきあいはする。二股外交だろう。
112日本@名無史さん:2013/02/18(月) 14:44:21.56
>>110
卑弥呼が魏から親魏倭王の詔書と金印をもらっても、狗奴国には全く効き目が
ないというか、無視して戦争を仕掛けるくらいだから、狗奴国にも後ろ盾が
あったと考えたほうがいいかもしれない。
113日本@名無史さん:2013/02/18(月) 14:54:02.68
小角栄こと売国汚沢+イオン岡田の民主党(中国)と自民党(米国)の代理戦争と似ているね

石原不慎太郎は民主党をボロボロにするべく尖閣で煽り過ぎたw
114日本@名無史さん:2013/02/18(月) 15:08:54.02
とりあえず、
邪馬台国と北部奴国連合?は過去の経緯を踏まえた呉→魏二股外交、
邪馬台国と南部狗奴国とは代理戦争の走りとすると、
もんだいは邪馬台国が北部九州にあったのか、中部九州にあったのかで、色合いも変わってくる気がしますね。
はて、どのあたりに落ち着くことになるのか・・、そうとうな難問。
115日本@名無史さん:2013/02/18(月) 15:13:37.49
>>114
邪馬台国熊本説はありえないからご心配なくw
116日本@名無史さん:2013/02/18(月) 15:42:08.77
>>115
多くの場合、水田地帯にクニを考えるけれど、
九州では近世まで焼畑も盛んで山の富で暮らす民族もふつうにいた。
で、九州中部(阿蘇高原〜菊池〜小国〜黒木あたり)の山岳地帯が邪馬台国であった可能性もゼロとは言い切れない。
なぜかというと、当時九州平野部はマラリア蚊が生息していて、
今日われわれが思うほど快適でなかったらしいという説(骨の調査)を読んだ記憶がある。
実際に、のちの九州の装飾古墳は山岳寄りばかりから出ていると聞いた。
また熊本平野や都城盆地などにはそれらしい雰囲気が無い印象もある。
117日本@名無史さん:2013/02/18(月) 15:49:40.68
個人的には、弥生中期は比較的標高の高い丘陵地帯、
後期は低湿地に進出していくのではないかという、印象を持っている。

平野でも筑紫平野の筑後川久留米下流側、
博多湾岸、糸島などは、比較的新しい土地で、

筑後川上流域や、熊本平野が、古くからの土地だろうと思っている。


畿内でも、奈良や大阪は比較的新しい土地だろう。
118満州焼きそばUFO:2013/02/18(月) 17:38:47.69
>>87
トンデモの名無しと一緒にせんでくれ。倭国乱を王位継承の戦いだと思ってないようじゃ
見当外れもいいところだ。
119日本@名無史さん:2013/02/18(月) 18:02:05.54
>>118
王位継承にしては、吉野ヶ里遺跡が語る姿は残酷
槍が刺さったの、首が飛んだの、いろいろ出てくるそうじゃないの
120日本@名無史さん:2013/02/18(月) 18:21:31.62
112
ない、そんな細かいこと考える風土じゃない
121日本@名無史さん:2013/02/18(月) 18:24:35.10
>>116
七万戸という人口を忘れちゃダメだよ。
どうやって住居エリアと食料確保が出来るのか?を
考えると、北部九州や山岳部に存在出来る余地はない。
122日本@名無史さん:2013/02/18(月) 18:33:09.37
>>121
焼畑という食糧生産の仕方をご存じですか。ややなだらかな山を食糧生産にりようするほうほう。
水稲作が入る前はこの方法が主力だった。
(もっとも、100%山岳とはおもってませんけどね)
123満州焼きそばUFO:2013/02/18(月) 18:34:59.68
王位継承でも戦は起きるよ。
神功皇后が新羅から帰還した後、王位継承で戦が起きている。
壬申の乱だって王位継承の戦争だ。

倭国大乱と聞くと、戦国時代のように、
国と国が覇権を争って戦争状態になったと思いがちだが、そうではない。
そうではなくて、王位継承で国内が分裂して戦になったのだ。
私は空想でこんなことを言っているのではない。
それを裏付けるような資料がちゃんとある。
124日本@名無史さん:2013/02/18(月) 18:50:14.26
一村一邪馬台国
125日本@名無史さん:2013/02/18(月) 19:00:09.69
福岡住みの俺が言うが、邪馬台国=北部九州は無い。
倭人伝が示す風土とあまりにも違いすぎる。
冬は本当に寒く野菜など食えない。
南に狗奴国がなくてはならんが、それは鹿児島だろう。
邪馬台国があったのは温暖な熊本、佐賀、長崎あたりのどこかだろう。
福岡は「世世有王」の伊都国を盟主を仰ぐ地域で、倭国大乱=伊都国Vs邪馬台国の戦いののち
邪馬台国に従う連合国群に加えられたのだろう。
126日本@名無史さん:2013/02/18(月) 19:01:02.55
>122のつづき
焼畑は1平方キロあたり数家族を養える
熊本、宮崎、大分、福岡南部の山岳地帯はおそらく2万平方キロくらいあるので、
その50%を利用できれば、面積的には数万家族を養えることになる

そうだったかどうか不明だけど、可能性はゼロではないし、
邪馬台国の戸数に一部にそういう山の民も勘定されてたのかもしれない、
>>124 の一村一邪馬台国もあながち荒唐無稽ではない。そういう趣旨ね。
127日本@名無史さん:2013/02/18(月) 19:13:17.40
たしか福岡は「山陰気候区の範囲」とかいわなかったかなあ?
古墳時代の人たちにとっても寒かったんじゃないの。
背振山を越え佐賀平野にでるとハワイ気候区
128日本@名無史さん:2013/02/18(月) 19:16:46.84
応仁の乱は将軍継承が発端だし
ヨーロッパでも王位継承にいろんな国が口をだしてるね
129日本@名無史さん:2013/02/18(月) 19:50:09.84
邪馬台国さえ手に入れば後は何とかなる
130日本@名無史さん:2013/02/18(月) 19:50:44.44
高天原で思い出すが隕石の襲来により旧国家壊滅なんてのはあるかもしれないな
空白地帯に入った支配者は火の玉から生まれた天孫降臨族になる
131日本@名無史さん:2013/02/18(月) 21:21:20.34
箸墓や西殿塚を調査にいったとして、テク歩きでレーザー図より詳しいことわかるのかなあ?
132日本@名無史さん:2013/02/18(月) 22:20:03.45
>>122
結局全て推測じゃ話にならないよ。
弥生末期の相応の集落、住居や畑の痕跡が無ければダメです。
それが七万戸分なんて九州だけでも必要十分なレベルだ。
なので戸数を信用するなら九州説なんて全く成立しないから。
133日本@名無史さん:2013/02/18(月) 22:57:37.94
7万戸なんて何てもないだろう。南九州なららば邪馬台国、投馬国があって
何ら不思議ではない。
134日本@名無史さん:2013/02/18(月) 23:03:25.40
中九州〜南九州だけで近畿地方の広さ、しかも近畿よりずっと温暖なんだから
7万5万なんか余裕だな
135日本@名無史さん:2013/02/18(月) 23:04:08.24
筑前筑後肥前壱岐対馬で合計10萬戸でほぼ馬韓と同規模。

日本海沿岸で弁韓辰韓合計と似た規模の5萬戸
136日本@名無史さん:2013/02/18(月) 23:32:28.03
>7万5万なんか余裕だな

だから弥生期の遺跡とかの目処がないとただの妄想だよw
137日本@名無史さん:2013/02/18(月) 23:49:13.18
>>135
居住可の地域が馬韓とは比べられんよ。
大体九州の日本海沿岸じゃ冬温暖じゃないし。
138日本@名無史さん:2013/02/19(火) 00:37:18.29
>>134
宮崎ならともかく
熊本と鹿児島は冬寒いよ
139日本@名無史さん:2013/02/19(火) 00:45:35.74
福岡も熊本も宮崎も気温はたいして変わらん
帯方郡に比べれば温暖な地
140日本@名無史さん:2013/02/19(火) 00:48:56.34
宮崎は日照があるから体感温度は全く違う。
141日本@名無史さん:2013/02/19(火) 00:55:54.47
冬ならまあそうだが夏は熊本とか佐賀の方が暑いぞ
142日本@名無史さん:2013/02/19(火) 00:59:22.59
それは温暖とは言わない。
143日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:05:05.46
薩摩・大隅・日向の3国はなぜ面積が広いか解るか?
地味の薄い土地だから広くとらないと国府の税収を確保できないからだ
奈良時代ですらそう判断されるようなランクの低い地域なのだ
倭国の本拠がそんな土地にあったとは思えない
144日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:10:26.86
隼人の乱720以降も班田収受がまったく機能しなかった南九州
145日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:11:42.38
奈良県では生育が絶望的な南国の柑橘類が、熊本ならどんどん生るな。
146日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:13:27.59
しかし、明治維新は鹿児島から始まったと言っても過言ではない。
18世紀において、わずかな面積、人口の鹿児島が日本を変えた。
147日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:15:37.85
島津は元々鎌倉の御家人で九州入りしたのは元寇の頃だろ
148日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:19:21.43
西都原の大型古墳は何基ある?
規模も去ることながら数において大和周辺の比ではない
南九州には代を重ねるほどの王権は無かったのだ
149日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:22:00.34
歴史を見れば、農業生産うんぬんで都が決まる訳ではないのは分る。
倭国大乱が続いたとあるから、たいして国力にも差はなかった。
奈良は論外。
150日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:36:17.21
遺跡数なら福岡県は奈良の4倍。

というより、奈良は弥生遺跡の真空地帯で、
兵庫や愛知よりもはるかに少ない。
151日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:38:27.07
奈良盆地の面積は、熊本の南の山中にある、
人吉盆地とほぼ同じ面積。
152日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:39:48.53
>>143
まあね。
そこは畑作向けの洪積台地が多くて水稲向けの沖積低地が少ない。
広く開発されるようになると米の石高は沖積低地の面積とほとんどイコールになった。
153日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:41:48.07
奈良は吉野川から南はほとんど遺跡がないな
人の住まない場所だったんだろ
154日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:43:53.70
>146
島津藩は琉球を支配して財力を蓄えた
密貿易と砂糖きび
普通の藩が領内の米生産にだけたょって幕末じり貧に陥っていたのに対して
薩摩藩は維新の原動力となる財力と武力を準備できた
155日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:46:30.23
以上豆知識。
156日本@名無史さん:2013/02/19(火) 01:57:07.33
いや正しい概念
157日本@名無史さん:2013/02/19(火) 02:03:12.52
というか常識
158日本@名無史さん:2013/02/19(火) 02:20:29.41
常識があれば邪馬台国が南九州なんて言わない
159日本@名無史さん:2013/02/19(火) 02:21:38.54
そうですか
160日本@名無史さん:2013/02/19(火) 05:28:39.95
プロイセンと南西ドイツの関係を見れば分かる
土地がやせているからこそ忍耐力があり強国となり豊かな土地を支配する
161水銀厨:2013/02/19(火) 06:50:48.68
土地が痩せてちゃ70000戸を維持するなら相当な面積が必要です。
南九州に投馬と邪馬台を入れるのも無理だろう、
という事で私は投馬を南九州全体を比定します。
そこで九州のすぐ東にある四国という選択肢が出てくる訳です。

冬も温暖で丹の山も確認済み、国内最大級の弥生遺跡である
田村遺跡が高知にあるのも最近は話題になってますね。
162日本@名無史さん:2013/02/19(火) 07:15:09.79
それだけ詰め込むのは難しいよなやっぱり。
畿内や四国や吉備の方が邪馬台国を置くのに難が無いな。
結局南九州は狗奴国に戻ると。
163水銀厨:2013/02/19(火) 07:34:16.82
倭人伝の記述を極力尊重するなら、
倭国はやはり北部九州から瀬戸内や四国方面を
含めるのが正解だと思いますよ。

基本的に倭人の居住地は沿岸部でしょ、
記述からはそうとしか読み取れません。
なので私の場合は畿内説でも巻向周辺が邪馬台国、
という論も成立しない立場ですね。
164日本@名無史さん:2013/02/19(火) 07:41:59.28
ここで馬鹿な素人ヲタクどもがうだうだ延々妄想言い合い不毛なことしてるより、
箸墓の立ち入り調査の許可下りたからそれで少しは進展あるかも。
165日本@名無史さん:2013/02/19(火) 07:45:39.64
166日本@名無史さん:2013/02/19(火) 09:18:32.36
田村遺跡のは、発掘内容もいいが、文章の方は文筆家の手になるものかな。ほかではなかなかお目にかかれない麗文だな。
写真もきれいで、土の質も保存に好都合だったようだねえ。

中九州〜南九州だと、火山灰で崩れたり流されたりになりやすい。
開墾されて畑になると1mくらいすぐに削れて流され、弥生期の表土なんかとっくになくなってるなんてこともあるけどな。やはり水田下が狙い目か。
167餃子の満州:2013/02/19(火) 09:45:57.27
>>149
倭人伝には倭国大乱という語はない。

其國本亦以男子爲王,住七八十年,倭國亂,相攻伐歴年

男王の時代が七八十年続いたが、国が乱れて、相攻伐歴年。
ほんの二三年続いただけである。
何十年も倭国大乱が続いたわけではない。
168日本@名無史さん:2013/02/19(火) 09:46:37.17
日向は日に向かう国だろ?
日の出の方角には何があるというと、
実は四国なんだよなw
169日本@名無史さん:2013/02/19(火) 09:47:56.68
そう、倭種の国だ。
170日本@名無史さん:2013/02/19(火) 09:50:38.73
日の巫女なら日の方角の巫女だよ。
アマテラスの墓が阿波にあるというのもそういう事。
171日本@名無史さん:2013/02/19(火) 09:51:04.46
>>167
>何十年も倭国大乱が続いたわけではない。
そう、後漢書がまちがえたことから妙な解釈が横行しているだけ。
満州も時にはまともなことを言うな。
172餃子の満州:2013/02/19(火) 09:52:53.41
倭人伝以外の史書−稗箕狐の謂う二次資料−に倭国大乱とあるから、
いかにも戦国時代のような大乱が何十年も続いたかのような印象を受けるが、
そうではない。ほんの二三年、内乱が続いただけのことである。

漢文を読み誤ると、大きな間違いを犯す。
173日本@名無史さん:2013/02/19(火) 09:57:43.72
歴年は二三年という意味じゃないだろ。
174日本@名無史さん:2013/02/19(火) 10:01:44.11
そうだな、十二年か、六十年か
175餃子の満州:2013/02/19(火) 10:03:56.36
実際は二三年でも歴年と書くだろう。
それ以外に適当な言葉がない。

まあ長くても五六年だろう。
176日本@名無史さん:2013/02/19(火) 10:20:20.68
満州のは、いつも満州暦に満州里。今に始まったことではないからな。
177日本@名無史さん:2013/02/19(火) 10:33:39.91
二三年じゃ歴年とは書かないね、五六年でもまったく根拠がない。
178日本@名無史さん:2013/02/19(火) 10:34:03.53
漢文を読み誤まって、大きな間違いを犯しているのは満州餃子である。

倭國が不安定な状態が続いたのは、吉野ヶ里衰退から卑彌呼共立までの
120年頃から190年頃までの60〜70年間。
倭國が特に混沌としたのは、桓靈間の150〜190年の約40年間。
特に激しい内乱は185〜188年の2〜3年間。
卑彌呼の共立は189年。

以上だ。
179日本@名無史さん:2013/02/19(火) 10:45:09.28
満州にいたなら生モノを食べる訳なかろう
180日本@名無史さん:2013/02/19(火) 11:45:22.96
>>173
歴年は累年と同じで、年を重ねたということだからね、数年という程度のことだろう。
つまり、満州が言ってることが正しいと思うよ。
12年とか60年というのは、歴年→暦年とみて暦を考えたのだろうが、暦年は一年
を意味する、年を重ねたという意味はあまりなさそうだ。
181日本@名無史さん:2013/02/19(火) 11:53:10.02
『三國志』から

至歴年潜志
歴年未效
雖共謀之歴年
内侍歴年
歴年四百三十有四
歴年不禽
今兵興歴年
權沈吟者歴年
歴年不禽
歴年不餉家
中間歴年

一年を超えてせいぜい数年。 十年とかのはむずかしいやろ

書紀とかでは 「多歴年」とかのもあるし


あと「長大」のも馬鹿読みだからさ
182日本@名無史さん:2013/02/19(火) 11:56:01.47
漢時有朝見者

で、関心あるのは王の後継争いの中身だけど、
漢の朝見者を漢倭奴国王統と見れば、この騒動で、伊都国王・卑弥呼系の王統にかわったということ?
183日本@名無史さん:2013/02/19(火) 12:05:11.88
梁書には、「漢霊帝光和中、倭國亂、相攻伐歴年」とある。
これが倭国の乱の期間を推定する場合、もっとも範囲の狭い記述だろう。
霊帝の光和年間は178年〜184年である。
184日本@名無史さん:2013/02/19(火) 12:28:00.68
>>183
梁書に基づくと、歴年は178年〜184年の数年間になるな。
185日本@名無史さん:2013/02/19(火) 12:34:56.86
歴年とかも何回同じネタだしてるんだか。
とっくに数年程度だと結論出てるわ。
新しいネタでもないかぎりはもう進展ないし無駄だ
186日本@名無史さん:2013/02/19(火) 12:57:14.11
結論を出してやってもしばらくたったらまたトンデモを言い出すのが2チャン
だよ。畿内説をみてみりゃ分かるだろ。
187日本@名無史さん:2013/02/19(火) 13:22:30.28
九州は弥生の先進大都会 熊本に弥生鉄器工場?

方保田東原遺跡
http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/katouda.html
http://inoues.net/club6/kumamoto_katouda.html

熊本県内の遺跡概観
http://www7.ocn.ne.jp/~sui-yama/kumamoto.htm

熊本県は遺跡の管理がけっこうずさん。
古墳は荒れ放題だし、方保田東原遺跡のサイトにも書いてあるが、
下↓ のようなことになっているらしい。

>特に西弥護免遺跡、方保田東原遺跡は多量の鉄製品出土で知られるが、
>残念な事に西弥護免遺跡は現在埋め戻され、上には建物が密集しており、
>現在ではどこが遺跡かも判らない状態だという。
188日本@名無史さん:2013/02/19(火) 17:21:01.04
>>125
魏志倭人伝は薄着の服装だから、真夏だとは考えないのか
189日本@名無史さん:2013/02/19(火) 17:31:08.72
基本は、洛陽に比べての印象でしょう。
190日本@名無史さん:2013/02/19(火) 17:41:20.56
海南島
191日本@名無史さん:2013/02/19(火) 17:45:50.21
冬があまりに温暖なのでかなり南の地域だと錯覚したんだな。
192日本@名無史さん:2013/02/19(火) 18:10:46.51
魏使がやって来た年は、たまたま異常気象で暑かったんだろう。
(どうだ、こういう論法をよく使う人々よ)
193日本@名無史さん:2013/02/19(火) 18:22:31.51
素直に読もう。南九州しかないよ。
194日本@名無史さん:2013/02/19(火) 18:37:41.64
九州は弥生遺跡が多すぎて、
建築物を立てるとき、深く掘らない建築物なら、
ちょっと遺跡の有無を調査しただけで、そのまま立てる。

遺跡が壊れるほど深く掘る建物なら、それなりに調査するが、
順番が回ってくるまでに結構時間がかかる。

工事現場で瓦礫に瓦やら焼き物の破片やらが混じっているわけだが、
赤っぽい素焼きのかけらが、土器なのか植木鉢なのかわからねえ。

おそらく??ってのはいくつか持ってる。

黒曜石も結構転がっているんだが、どこから入り込んできたもんだか。
195日本@名無史さん:2013/02/19(火) 19:47:31.17
西弥護面、諏訪原を埋めて、西弥護面はその上を住宅地とするとは!!
196日本@名無史さん:2013/02/19(火) 22:12:56.29
だって、遺跡なんぞどこにでもあったんだぞ。
197日本@名無史さん:2013/02/19(火) 22:23:31.70
遺跡なんて言い出すと、木村政昭教授が得意満面になって出てくる予感。
198日本@名無史さん:2013/02/19(火) 22:24:01.42
弥生の製鉄・鉄出土地は、格別・別格・特別・超ダントツだな
卑弥呼と台与と神武と景行の墓を足したくらいの価値
199水銀厨:2013/02/19(火) 22:31:40.13
丹山があって青玉を産出する、冬も暖かい
海人の居住する場所は正直高知辺りしかないでしょう。
でも当然ここが邪馬台国という訳じゃありません。
あくまで当時の中国人の主な目的地がそこだろうという話。
200日本@名無史さん:2013/02/19(火) 22:44:27.84
青玉? 青石のこと?
201日本@名無史さん:2013/02/19(火) 22:45:09.24
高知は潜水漁が盛んじゃないから、対象外。
202満州酢豚:2013/02/19(火) 22:48:14.02
青玉が高知で採れるのかどうかは知らないが、
立派な玉など満州でいくらでも採れる。
とくに夫余などは大きな珠玉が採れることで知られていた。
中国正史の東夷伝を読めば分かる。
満州源流考にも載っている。
203日本@名無史さん:2013/02/19(火) 22:57:03.39
三国志で「青玉」と記載があるのは倭人伝だけ
204水銀厨:2013/02/19(火) 23:13:35.54
>>201
徳島の阿南方面ですかね、何より海部ですし。
まぁ昔は基本潜り漁ですよ。

>>202
さすがに満州は寒過ぎで海人とも縁遠い。
205日本@名無史さん:2013/02/19(火) 23:15:28.80
「出真珠、青玉」は「貢白珠五千、孔青大句珠二枚」のことだよ
206日本@名無史さん:2013/02/20(水) 00:11:42.84
どちらにしても四国だね。
207日本@名無史さん:2013/02/20(水) 00:34:35.02
四国の繁栄は、石器時代だろ。
208日本@名無史さん:2013/02/20(水) 01:20:46.75
方保田東原、西弥護面から東部瀬戸内へのルートの過程でしかない。
209日本@名無史さん:2013/02/20(水) 08:20:45.71
石器時代から繁栄か。
場所的に天孫降臨も四国からという事なら辻褄あうな。
日向国とはそういう事だね。
210日本@名無史さん:2013/02/20(水) 08:29:35.16
邪馬台国四国説で検索したらわかるけど、支持している人は結構いるよ。
穴場的だけど地理的にそんなに無理がないし、きちんと考察されていけば注視されると思う。
211日本@名無史さん:2013/02/20(水) 09:00:42.39
邪馬台国=四国は無い。
が、邪馬台国をしのぐ歴史と勢力を誇った国があった可能性は高いと思う。
女王国の東にいた倭種のなかでも最大勢力だった可能性さえある。
212日本@名無史さん:2013/02/20(水) 09:02:30.05
さあ、四国説がウオーミングアップ開始しました。
果たして登板の機会は巡ってくるか??
213日本@名無史さん:2013/02/20(水) 10:11:51.11
>>211が正解だろう

とにかく遺跡が見つかれば何でも邪馬台国に結びつけるのは
古代史学者・マスコミのアホのしるし。
214日本@名無史さん:2013/02/20(水) 10:21:04.38
阿波よくばおこぼれをいただきたく・・・、うん寒村魂。
215日本@名無史さん:2013/02/20(水) 10:39:58.45
四国はこのあたりだろうな。
無理すればかえって信用を失う。倭人伝に載ってるだけでも立派。

又有侏儒国在其南、去女王四千余里。
216日本@名無史さん:2013/02/20(水) 11:01:42.15
四国説が威張り散らせば、琉球中華思想の木村政昭センセーが黙っていないぞ。
217日本@名無史さん:2013/02/20(水) 11:17:29.79
四国勢力の中心地は阿波だったろう
吉備の勢力にやられて吸収されたんじゃないか
そして吉備はその余勢をかって畿内に進出
218日本@名無史さん:2013/02/20(水) 11:42:43.41
桃太郎伝説の原点はこの時代にあったのか。
鬼が島は四国。
219満州八宝菜:2013/02/20(水) 12:22:27.67
そも青玉とは何ぞや。サファイアか?
サファイアなら満州でも採れそうな気がするが。
いや、調べたことはないがw

高知と青玉で検索したが、柚子の品種の青玉しか出てこなかったが…w
220日本@名無史さん:2013/02/20(水) 12:50:02.04
勾玉とか管玉の素材となるガラス質の石とかじゃないのかね
でも玉って書いてるしな
221水銀厨:2013/02/20(水) 12:54:45.18
サファイヤなら二上山、今でも小さいのなら採れる。
讃岐と二上山の麓が倭でも重要な山でしょう。
モモソと同年代の重要人物に河内青玉という、
四国物部と関連性のありそうな豪族が存在する。
222日本@名無史さん:2013/02/20(水) 15:09:16.09
サヌカイトが最有力な武器だった石器時代をピークに衰退した四国は、
邪馬台国時代は文化的に最果ての地。
223日本@名無史さん:2013/02/20(水) 16:08:37.93
「卑弥呼の墓」?箸墓古墳、初の立ち入り調査

>邪馬台国の女王・卑弥呼ひみこの墓という説がある奈良県桜井市の箸墓はしはか古墳で20日、
>日本考古学協会など15学会が立ち入り調査をした。
>午後には卑弥呼の後継者・台与とよの墓との説がある同県天理市の西殿塚にしとのづか古墳でも立ち入り調査を実施。
>各学会による陵墓の立ち入り調査は2008年から行われており、今回で9か所目。
 http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130220-OYT1T00481.htm
224日本@名無史さん:2013/02/20(水) 16:33:36.84
卑弥呼説の箸墓古墳、頂上は石積み 2012/09/08

箸墓古墳の後円部最上段の裾部分。
厚く積まれた石の下から板状の石が出土している=1968年、宮内庁撮影
後円部頂上部分が、全面に石を厚く積んだ特異な構造とわかった。
同古墳を管理する宮内庁がこれまで公開していなかった発掘調査の記録を、
朝日新聞が情報公開請求で入手し、判明した。
http://www.asahi.com/culture/update/0909/OSK201209080179.html
225日本@名無史さん:2013/02/20(水) 17:45:54.44
ついにゴッドハンドを使って、箸墓が卑弥呼の墓に化けました。
226水銀厨:2013/02/20(水) 17:55:30.05
箸墓が特別な墓なのは間違いないが、卑弥呼の墓かどうかは別問題です。
勿論邪馬台国=巻向なんてのは戸数的には無理な話。
もっと広い範囲の国でないと矛盾します。
227日本@名無史さん:2013/02/20(水) 17:59:00.04
ついにゴッド墓のかんむりを得たか。
228満州八宝菜:2013/02/20(水) 19:18:09.87
箸墓、土器の欠片がゴロゴロ落ちている、とニュースで言っていた。
あんなのはみんな後世の物だから何の参考にもならない。
おそらくこれまでも、何の参考にもならない出土物を測定して、
やれ3世紀だの4世紀だのと言ってきたのではないのか。
229日本@名無史さん:2013/02/20(水) 19:28:55.58
論争で 終わりし墓の 主あはれ
230日本@名無史さん:2013/02/20(水) 19:31:39.98
古墳なんてぇもんは、
立ち入り制限されたのはごく最近だけ
それまでは、誰でも入り放題

なにを今さら処女地に入るような報道してんだよ
231日本@名無史さん:2013/02/20(水) 19:52:01.97
でもミカン畑になっている指定外古墳でも埴輪の破片が表採できるって凄くないか
オカルト的なことは言いたくないが前方後円墳はずっと古い時代のものだろう
大和のものは紀元前ではないかな
徐福が持ち込んだ道教の遺跡だろうか
232日本@名無史さん:2013/02/20(水) 19:54:49.34
去年の9月段階の柏原の航空立体図や宮内庁発表の写真で結論出てるのに、
マスコミ各社は自分たちの都合で煽ってきたんじゃないだろな
ネット社会に圧され、溺れかかってるようだな
233日本@名無史さん:2013/02/20(水) 19:57:26.59
三輪山の 淡雪に似て 箸の墓
234日本@名無史さん:2013/02/20(水) 20:18:33.72
>>125
九州のことわかってない。
一番温暖な気候は宮崎と大分南部(佐伯、津久見など)。
なんでプロ野球キャンプが鹿児島じゃなく日向か、ってのは理由があるんだよ。
235日本@名無史さん:2013/02/20(水) 21:06:51.53
♪端から端まで〜
236日本@名無史さん:2013/02/20(水) 21:24:25.24
昨日今日の報道見てると
マスコミのやからは歴史上の人物や遺跡や考古学者を、平気でおもちゃにしよるな
237日本@名無史さん:2013/02/20(水) 21:24:31.31
箸墓古墳、初の立ち入り調査=土器など遺物状態観察―「卑弥呼の墓」説も・奈良
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130220-00000046-jij-soci
238日本@名無史さん:2013/02/20(水) 21:50:09.68
>>236
同感。マスコミの下品さは目に余るな。
239日本@名無史さん:2013/02/20(水) 21:57:47.26
布留0式は4世紀。どんなに遡っても3世紀末だという合理的な理由があるのに、
数十年遡らせるような強引な編年に頼った年代推定はもうお腹いっぱい。
240日本@名無史さん:2013/02/20(水) 22:14:59.71
そんなに怖いのか?
もっと気を楽に持ちなよ
みっともない
241日本@名無史さん:2013/02/20(水) 22:26:13.82
別に四国説を推してる訳じゃないけど(むしろ↑のように大きい国だったのを推すが)
九州と畿内が殴り合いしてお互いに反動で地上から離れて行ってる間
瀬戸内・四国は色々考察が出来て面白い分野なんだよね
馬鹿みたいに声がでかい研究者に寄生されていないのも救いだな(オカルトが一番面倒だが)
物部・忌部・久米・秦氏と地名や遺跡に伝承と手垢がついてないのばっかり。

今NHKで研究者がアナウンサーが『最大の古墳でね?でね?』と常に上から目線で非常に癇に障る奴だったw
242日本@名無史さん:2013/02/20(水) 22:26:47.59
卑弥呼調貢やそもそも魏の年代も西暦との擦り合わせは実は怪しい
248年なんて数字どこから出したんだ?
243日本@名無史さん:2013/02/20(水) 22:29:39.11
四国は首都を置くには狭すぎね?
244日本@名無史さん:2013/02/20(水) 23:35:11.82
徳島の吉野川河口付近は豊かでかなりの人口を養えそうなイメージがあるが
245日本@名無史さん:2013/02/20(水) 23:45:16.78
河口は無理。洪水があるので古代人は住まない。住めない。
246日本@名無史さん:2013/02/21(木) 00:19:50.98
邪馬台国の後継国「イ妥国」には阿蘇山があるんだから、四国は無理。
247日本@名無史さん:2013/02/21(木) 00:24:44.16
248日本@名無史さん:2013/02/21(木) 01:47:09.56
誤解しちゃいけない。
アソというのは蘇の山、元々倭の火山の総称ですよ。
アサマもフジもそうです。
249日本@名無史さん:2013/02/21(木) 01:49:41.47
かってに決めるな。
250日本@名無史さん:2013/02/21(木) 02:16:59.44
浅間なんてどう考えても元々アソからの転嫁だな。
富士はフソウなんで微妙だ。
251日本@名無史さん:2013/02/21(木) 05:47:17.36
>>250
お前はどう考えてもウスバカだ。
252日本@名無史さん:2013/02/21(木) 06:22:49.72
自然地形につけられている名称の多くは、国ができるはるか以前だと思う

阿蘇海(京都府)、阿蘇岩山(北海道)、阿蘇ケ岳(青森県)、阿蘇辺の森(青森県)
阿蘇台(東京都)、阿蘇(愛媛県)、阿蘇沼(千葉県)、阿蘇郷(山形県)

阿曾城(群馬県)、安蘇郡(栃木県)、阿曽(宮城県)、阿曽(山梨県)、阿僧(静岡県)
阿曽浦(三重県)、阿曽保(岐阜県)、阿蘇谷道(岐阜県、三重県)、阿蘇田(福島県)
阿曾原温泉(富山県)、浅津(アソヅ)温泉(鳥取県)
253日本@名無史さん:2013/02/21(木) 08:37:11.58
ちょっと調べただけで、阿蘇なんて名は全国にあるのわかるよね。
それも相当古くからある事が。麻生もそう。

ソウルだって蘇の浦が由来だろう。倭人の浦、倭の港なんだよ。
254日本@名無史さん:2013/02/21(木) 08:40:13.30
阿蘇山が火山という意味なら、
それはそれで、場所を絞り込めるな。

九州か東海?
255日本@名無史さん:2013/02/21(木) 09:21:19.61
倭国伝の頃には九州から四国、本州の大半が倭国だろう。
東西に長くて東に標高が高い山々がある地形だと記述されている。
256日本@名無史さん:2013/02/21(木) 09:39:30.92
伊作の熊本説では、伊都国→奴国→不彌国→邪馬台国だったと思うけど、
大陸からまずは鉄武器・鉄農具、次いで戦場でかき集めた鉄くず、やがて鉄材・鉄鋼などを輸入し、
末蘆国へ荷上げ、そして熊本の菊池・方保田東原や大津市・西弥護面などの鍛冶工房へ駅伝式に送る陸路があったのでは。
倭人伝の陸路もそれにそってを記載したと考えれば内容意図に厚みが出る。
伊都国の役割や、伝送と文書賜遺之物詣女王の意味、行く先の工房地帯、そして女王之所都の意味もつながって、
伊作の言わんとするところが具体的にはっきりするな。
257日本@名無史さん:2013/02/21(木) 10:58:38.98
「イ妥国にある、火が天に接している阿蘇山」の記述なのに、
火山じゃない例をたくさん挙げても、それは邪馬台国とは無関係でしょ。
258日本@名無史さん:2013/02/21(木) 11:51:59.32
少なくとも浅間山は火山だねw
259日本@名無史さん:2013/02/21(木) 12:00:16.62
浅間山のあたりは東海?、中部?
260日本@名無史さん:2013/02/21(木) 12:01:25.78
少なくとも中国四国近畿に火山はない。
261日本@名無史さん:2013/02/21(木) 12:07:34.10
中国地方にあった気がしたけど
なかったけか?
262日本@名無史さん:2013/02/21(木) 12:09:40.70
東西に長くて東に標高が高い山々がある地形なんだから
本州を指してるだろう。東西の移動に何ヶ月も要するのに、
少なくとも九州という島単独では絶対あり得ないw

倭国伝にはその都がヤマト、古に邪馬台国だとはっきり書いてある。
263日本@名無史さん:2013/02/21(木) 12:22:30.34
>>262
ヤマトというハイカラな名前のまえは邪馬台国で、
その邪馬台国は九州邪馬台国から移ってきたらしいからなんの問題もない
北海道に広島町があったり、アメリカにイギリスの地名がついてたりするようなもの
264満州回鍋肉:2013/02/21(木) 12:26:54.56
今、芻牟鏡を読んでいる。これで三回目だ。三回目で漸く地理感覚が掴めてきた。
それはさておき青玉の記事が出てきた。高句麗の官人の服装規定として、
朱蒙の七人の妃の服装等の規定を定めた記事の中に−

七妃翟服,袴‧襦‧袍‧冠如皇后,金魚‧金馬‧銀印‧玉章‧金釵‧金釧‧金環‧玉環‧
十香囊‧黼黻‧真珠宝扇‧麝香帙V‧硨磲宝盒‧玉盒‧帶用金銀象牙帶.

ここに玉盒とある。これで満州で玉が採れたことが分かった。
どうだ、四国説男よ、ギャフンと言え、ギャフンとw
265満州回鍋肉:2013/02/21(木) 12:34:36.20
三回目で初めて気づいた記事もある。

鮮卑王柏,帝之姨也

帝とは北夫余の始祖解慕漱のこと。
鮮卑の王も女王であった。
266日本@名無史さん:2013/02/21(木) 12:40:34.31
そういや、大和ってのは、対外的な国名として使われたことはないね。
古くは倭国、後に日本国、

でも、記紀では、なぜか倭をやまとと読ませている。
267満州回鍋肉:2013/02/21(木) 12:48:15.85
ところで本当に高知で青玉が採れたのか?

丹といえば伊勢と昔から相場が決まっていたようだし、四国説は苦ちいねw

高知では 青玉採れたと 法螺を吹き
268日本@名無史さん:2013/02/21(木) 13:05:21.28
アホ、阿波の青石を知らんのかw
269日本@名無史さん:2013/02/21(木) 13:12:32.52
高句麗の官人の服装規定‥
何処の国の高官は舶来の物を有難がるという事だな。

大体高句麗に冬温暖な場所なんて何処にあるんだよw
270日本@名無史さん:2013/02/21(木) 13:21:59.44
>>264
それで玉が採れたことになるんなら、真珠・硨磲(シャコガイ)・象牙も満州で採れるんかいな。
あるいは自国で採れるものしか服装に用いてはいけないとでも言うのかいな。
271日本@名無史さん:2013/02/21(木) 14:53:04.08
満州男の発想は朝鮮人のウリナラ思想まんまだな。
272日本@名無史さん:2013/02/21(木) 15:06:52.90
朝鮮人だもの
273満州回鍋肉:2013/02/21(木) 17:16:24.53
お前らはみんなアホ。
274日本@名無史さん:2013/02/21(木) 17:16:25.98
>満州回回郎 むだげに読み込むおまいはえろいかなとはおもふが、

「芻牟鏡」のは「高句麗」のことを書いてあるのかどうかのが疑問。

「(126-158) 婆娑尼師今紀」が成立以前の「新羅」の先祖のこと書いてあるのの如く。。。

「芻牟鏡」のは成立以前の「高句麗」の先祖のこと書いてあるのではなかろうか?


「芻牟鏡」本文に「句麗」検索かけると 検索結果は3件

後の世に追記の部分でない「句麗」のところは「九里」地名と関連するみたいだな。

そこから関連しているタームのが

九里 句麗 紫蒙 廣公 西川 婁洽 烏桓 丁威 とか。。。
275唐松山 ◆V0F34EbmQA :2013/02/21(木) 17:37:33.69
>古くは倭国、後に日本国、

倭人伝 使大倭監之、 自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國、於國中有如刺史。
大和は伊都国に勅使の如きを置き、女王国(九州)の北に置いた1大卒を監督し諸国を検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(大倭)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。

この「大倭」がなぜ次の時代に引き継がれなかったか?
それは神功渡海直後の内戦で権力が2分された性なんだよ、邪馬台国倭王と筑紫女王。
この2代勢力に分かれてしまったから「大倭」の文字が使われなかった。
神功渡海の指標は磐余若桜宮であり、桜井茶臼山なのだ。

前方後円墳の築造規格からみた古墳時代の政治的変動の研究 岸本 直文
研究概要:前方後円墳の築造規格について再検討し、古墳時代前期から中期にかけて、
その変遷と系列が明らかになった。とくに大王墓とは別に、桜井茶臼山古墳に始まる系列があり、
倭王権中枢に複数の権力主体があることが推測できる。
276満州回鍋肉:2013/02/21(木) 17:41:41.83
>>274
いや、稗箕狐よ、玉盒の話は高句麗成立後のことである。
鮮卑王柏の話は解慕漱の時代で、高句麗未成立の北夫余時代の話。
277日本@名無史さん:2013/02/21(木) 17:46:25.13
>>276 ちょおせんくん これいるけ

芻牟鏡全
http://www12.plala.or.jp/wi_12000/txt/sumu_kyo.htm

すぐに落とすから 即ひろっておくとええよ
278日本@名無史さん:2013/02/21(木) 18:00:20.97
満州ではないが、とりあえず拾ってみた。で、それは何なんだ。
279日本@名無史さん:2013/02/21(木) 18:22:50.56
http://cafe.daum.net/dobulwonin/OAsD/2?docid=13PZWOAsD220120203162906
http://cfile281.uf.daum.net/image/1851BB344F2CA97E09FD57
たぶん原本は宮内庁書陵部の書庫で眠っている。。。
朴昌和(1895-1962)が嘱託で日本に持ち込んだのだろさね。。。
280満州回鍋肉:2013/02/21(木) 18:33:41.59
>>277
おおっ、こんなのがあったか。助かった。
実は以前コピーしたtistoryというサイトが
閲覧不能になっていたので困っていたのだ。

ところでこの情報はどこに?
>たぶん原本は宮内庁書陵部の書庫で眠っている
朴昌和も少し調べたが、よく分らなかった。
宮内庁書陵部に勤務していたのか?
281日本@名無史さん:2013/02/21(木) 18:42:49.92
宮内庁書陵部から持ち出したって本人が言ってたみたいだけど
国史のお持ちだしとかってふつうに売国行為だし
宮内庁書陵部に勤務してたってのはそれなりのメリットがあってからに雇用でしょ
真逆だってふつうは気付くはずですが。
282日本@名無史さん:2013/02/21(木) 18:44:37.12
283日本@名無史さん:2013/02/21(木) 18:54:04.02
>>277 のは
tistoryというサイトののがベースでキムチ文字とばしてあげて1本にまとめてあげた
検索するのに便利だし 多少色塗りとか省略部補正追記とかしてござる。

tistoryというサイトのはかなりしっかりお勉強しておったみたいだけど
かなり深いとこまで探ってあげて頻繁にアクセスしすぎたら嫌われたみたいだよ。
284満州回鍋肉:2013/02/21(木) 19:19:05.74
ということは>>277は稗箕狐が作成したのか? 凄いな。
とりあえずメモ帳にコピペした。

以前にコピペしたやつも残してあるから、読むことは読めるのだが、
要点を別のメモ帳にコピペするときに実に不便なのだ。
横にスライドさせていかないと読めないから。
まあパソコン初心者だから仕方ない。
稗箕狐のようにパソコンに習熟しようという気も無いのだよ。
285日本@名無史さん:2013/02/21(木) 19:52:08.62
>>284
メモ帳からワードパッドに (またはその逆に) コピペすればいい。
286日本@名無史さん:2013/02/21(木) 20:02:30.45
メモ帳にコピペとかって本気でいってる? 釣りでしょ。。。

上にあるボタンか              →  webページ完全選んで  →  保存ボタン
ファイル(F) → 名前をつけて保存  →  webページ完全選んで  →  保存ボタン
287満州回鍋肉:2013/02/21(木) 22:08:53.96
なるほど、Wordを使えばいいのか。
実はWordなど一度も使ったことがないのだw
どうやって使うのかも分らなかったが、何とかコピペできた。
どうやって文字を大きくして読めるようにするのかも分らなかったが、
何とか苦労して表示を大きくすることができた。
本を書くとなればWordを使う必要があるとは思っていたが、
これでほんの少し初歩的なことが分かったような気がする。
Wordの使い方も知らずに本を書こうと思っているのだから、
我ながら好い加減な男であるw
288日本@名無史さん:2013/02/21(木) 22:27:15.31
単なる情弱じじいかよ
289満州回鍋肉:2013/02/21(木) 22:37:43.11
そこが私の偉いとこである。
自慢ではないが携帯電話も持っていないぞ(笑)
290日本@名無史さん:2013/02/21(木) 22:50:48.17
ワードではなくて、ブラウザ(IEなど)でウェブのページを
そのまま保存できるのだ。
291日本@名無史さん:2013/02/21(木) 22:54:46.60
満州かあ。うちのひいじいさんは満鉄に勤めていたらしい。
母親に言わせると、じいちゃんは技術者で字が書けなかったから、
帝大卒の秘書がいて代わりに字を書いていたんだとか。
292日本@名無史さん:2013/02/21(木) 23:22:00.88
>>291
満鉄の社歌いいよな。
293水銀厨:2013/02/21(木) 23:40:36.37
うちは母方が満州大連生まれの引き上げ組みです。
満鉄なら昔実家のアルバムにあじあ号の写真とかも残ってたそうだけど、
帰国後の水害で紛失したのが残念です。
294日本@名無史さん:2013/02/21(木) 23:53:02.57
徹マン?
295日本@名無史さん:2013/02/21(木) 23:56:52.50
満鉄の本社、まだ大連に建ってるぞ。
オレは行ってきたぞ
296水銀厨:2013/02/22(金) 00:07:33.58
うちは商売はやってたようだが満鉄関係じゃないな。
大連には行ってみたいが母も殆ど記憶が…
297日本@名無史さん:2013/02/22(金) 00:19:55.94
うちは爺さんが台湾からの引き上げ組
台湾が日本から切り離される事になり同級生(台湾日本関係ない)
みんなで別れたくないと号泣したそうだ
298日本@名無史さん:2013/02/22(金) 00:32:57.98
満鉄は客車全席、冷房車だったんだな。当時から冷房車があったとは驚きだ。
ちなみに東海林太郎は満鉄出身。
299水銀厨:2013/02/22(金) 00:43:54.94
あじあの冷房車は軍の絡みもあったとか。
ちなみ戦前は南海電車にも冷房車が走ってたと、
南海の鉄道マンだった親戚が自慢してたの思い出したわ。
300日本@名無史さん:2013/02/22(金) 02:16:01.48
>>295
本当かい。うちの親戚には行ってみたいと思っているような人がいっぱいいる。
301日本@名無史さん:2013/02/22(金) 03:04:08.91
うちの爺さんが卒業した台北工業は
今は大学になっているんだな…
台湾の優れた建設技法に驚いたらしい
302日本@名無史さん:2013/02/22(金) 06:09:38.39
仕事で飛び回ってた時期があるが大連とか旧奉天とかの老人たちは親日も親日。
日本のおかげで綺麗な建物が建ち、日本軍のおかげで馬賊や匪賊に脅えなくてよくなった、と。
が、若い世代は中共の反日洗脳のおかげで反日も反。瀋陽など朝鮮からの流入者も多く
朝鮮賊には気をつけろ、とよく言われた。

瀋陽郊外の田舎などで家の軒先に銅鐸のようなものが吊るされてたが、これが銅鐸の原型だろうな。
まじないのために吊るしてるんだとか。これらが日本海を渡って出雲、但馬、敦賀などに上陸して畿内に入ってきたものだろう。
303満州鶏の唐揚げ:2013/02/22(金) 09:11:19.52
なんだ、満州関係者の子孫が結構いるな。
やはりみんな戦争に翻弄されたんだな〜。

しかし今日はニサンザイ古墳の橋のニュースが出ていたな。

箸墓の 次に橋とは これ如何に
304満州鶏の唐揚げ:2013/02/22(金) 09:24:34.20
>>302
今度満州に行く機会があったら、吉林県鳳凰山を訪ねてみてくれ。
そこに高句麗山上帝の陵があるらしい。
その側に「植松七重於陵前」の陵があるはずだ。

それが卑弥呼の墓(笑)
305日本@名無史さん:2013/02/22(金) 09:34:25.56
満州の主な遺跡は訪問した経験のあるオレが通りますね
306満州鶏の唐揚げ:2013/02/22(金) 09:50:39.21
ネット史に<山上陵(吉林縣鳳凰山)> とあり、
これがどこか調べたが分らなかった。
しかし舒蘭市鳳凰山区というのがあるから、たぶんそこだろう。

学界の通説では高句麗は鴨緑江流域にあったと思われているのだから、
誰も山上帝の墓がそんなところにあるとは思うまい。
もし実際に舒蘭市鳳凰山区に植松七重於陵前のような古墳が見つかれば、
ネット史の比定が正しいことになる。その墓が卑弥呼の墓であるw
307日本@名無史さん:2013/02/22(金) 10:05:50.08
卑弥呼の墓じゃなくて、餃子記念碑だろ。
308日本@名無史さん:2013/02/22(金) 10:17:35.86
皇室が自分たちの先祖であるイワレ彦を
初代天皇である神武天皇と命名するから
後世の人間が大混乱し、
邪馬台国九州説が誤解して、いつまでも諦めようとしない。

大和王権の初代天皇に当たる倭王は、現在の皇室先祖であるイワレ彦ではなくて、
イワレ彦の曽祖父であるニニギ命の兄弟にあたるホアカリ命。
この人物こそが、魏志倭人伝にある卑弥呼よりも前に
邪馬台国を建国したという男王。
ちなみに、卑弥呼は箸墓の被葬者であるモモソ媛命。
309日本@名無史さん:2013/02/22(金) 10:23:17.43
なんだい、満州がいいたいのは卑弥呼ギョーザのふる里のことだったのか、\2.500
310日本@名無史さん:2013/02/22(金) 10:26:02.52
生前に天皇を号していた、真の初代天皇は神武じゃないけどね。
神武は「天基を草創した」だけ。つまり分家しただけ。
311日本@名無史さん:2013/02/22(金) 10:35:30.67
どっかのテレビで橿原神宮を特集してた
例の通り、九州高千穂から天下って、瀬戸内を通り、ヤタガラスの案内で奈良にきて稲作を広めたと
それにつけても橿原神宮は立派だ、明治政府の造営とかいってたけど
そのわりに九州の雲上のふるさとはそれとして、ほんとはどこ?、おせーて、と思ってしまった
312日本@名無史さん:2013/02/22(金) 11:00:21.05
箸墓にヘリ飛ばしたりして賑やかだった割には続報ないな、
朝日の、やっぱし・・、なんてのが1件くらい。マスコミ各社の逃げ足速し、研究者もけっこう俊足なんだな。
313太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/22(金) 11:07:51.20
翌朝6chの朝ズバでやるか?と思って興味深く見てたが、やらなかったよう
だからガッカリだった。
314日本@名無史さん:2013/02/22(金) 11:18:13.18
>>311
この辺の歴史は統一見解がないので
もう、おのおのが勝手にいっている。
だから、人によって、全く異なる解釈になる。
315日本@名無史さん:2013/02/22(金) 11:34:53.30
>>311
>九州高千穂から天下って、瀬戸内を通り、ヤタガラスの案内で奈良にきて稲作を広めたと

畿内で稲作が広まったのは、神武以前の銅鐸時代から。

>九州の雲上のふるさとはそれとして、ほんとはどこ?、

神武の故郷は邇邇芸命の倭奴國
316日本@名無史さん:2013/02/22(金) 11:50:24.60
けっきょく「やっぱり箸墓!」だったの。
宮内庁が一枚上手だったのか。ま、これで箸墓の主も静かにお休みになれるってわけだ。
317日本@名無史さん:2013/02/22(金) 12:33:19.23
これいいかもしれないね
http://tr.im/zw2j
ソース
318満州鶏の唐揚げ:2013/02/22(金) 12:42:21.11
>>277>>286>>290
おかげでWebページをそのまま保存することが出来た。感謝する。
稗箕狐よ、もう落としてもいいぞ。
319日本@名無史さん:2013/02/22(金) 13:25:46.47
>>318
いまだにPC慣れしていないのかい?
320日本@名無史さん:2013/02/22(金) 14:30:12.10
脳細胞が加速度的に死滅する歳なんだから仕方ない。
321日本@名無史さん:2013/02/22(金) 17:01:29.76
古代の墳墓から「三種の神器」が出てくるのは
福岡県だけらしいね。
322満州鶏の唐揚げ:2013/02/22(金) 18:31:01.44
2ch珍説コレクション

>神武の故郷は邇邇芸命の倭奴國
323日本@名無史さん:2013/02/22(金) 19:50:30.19
今回、改名致しました。前円後方墳と申します。(旧名、前方後円墳)
どうぞよろしく。
324日本@名無史さん:2013/02/22(金) 19:58:38.34
せっかく蒲生君平が、古代中国の車を念頭に置いて
「前方後円」と名付けたのに、何で反抗するかな?
325日本@名無史さん:2013/02/22(金) 21:55:05.30
邪馬台国は読みは大和国だが2つの国は連続性がないというのは確実


大和国が日本書紀を編纂する過程で「魏志倭人伝」を始め中国の史書を精査していて
整合性をとるための操作をやっている
『日本書紀』の「神功皇后紀」の中に「魏志倭人伝」を引用しているが、これは「日本書紀の編者が
卑弥呼の存在を知って、卑弥呼=神功皇后に見せかける操作をやったとみんな考えている

つまり邪馬台国が大和朝廷の初期段階であればこのような操作は不要だった
326日本@名無史さん:2013/02/22(金) 22:30:40.93
「三種の神器」は平家の神宝だから、九州に多いのかな
平・多比良、字は何でもいいが、あの一族は苗字が無くて「たいら」と呼ばれた
そういえば天皇家にも苗字が無いな
327日本@名無史さん:2013/02/22(金) 22:41:17.38
平、多以良、多伊良、多比羅、多比良、大良、太良、平楽、平良、泰羅 みんな「たいら」だ
苗字がなく、氏がなく、位階がなく、身分がなく、人であって非人あつかい
平安京の中心の一郭に閉じ込められ、幾重もの垣によって囲まれた清浄な結界の中に繋がれていた血統
もののけの血筋
328満州鶏の唐揚げ:2013/02/22(金) 22:53:48.88
まあ何でも好きなことを書いてくれ(微苦笑)
329日本@名無史さん:2013/02/22(金) 23:17:16.97
時 爲漁而 於 比良夫貝
其手見咋合而 沈溺海鹽
330日本@名無史さん:2013/02/22(金) 23:21:23.60
鹽椎~ 塩の神様
331日本@名無史さん:2013/02/22(金) 23:32:42.76
塩の神様は 「鹽孤」でも良いかもしれん

すなはち   「しほこぅ」である

これが     「思北孤」で綴っても良いとすると

「多利思北孤」は「天の鹽~」とはなる

というのは

「多利」のは「撐犁 孤塗 単于」の「撐犁」のなまり

「撐犁 孤塗 単于」は「委奴」のではなくって 「匈奴」の大酋長だし

「撐犁」が「テングリ」に化けるしもとのが「天」
332日本@名無史さん:2013/02/22(金) 23:39:30.30
>>328 朝鮮
随分息長くここに生息しているな。
あの説・この説・例外、ありとあらゆるものを並べて「邪馬台国」を
否定し続けているようだが疲れないか?
古事記・日本書紀にこだわって説得力のない書き込みをひたすら続け
ているところを見ると、此処において「朝鮮(現在満州)」の人格な
どどうでもよく、何かの目的達成のための書き込みなんだろう。
私は、武田研究会にも興味があって会員になっているが、竹田氏の
邪馬台国否定にも似たものも感ずる。が、お宅の品のない書き込みは
天皇家に対する畏敬は感じられない。
古代史に興味がないそして天皇家に敬意を見せないオタクは何者かね?
333日本@名無史さん:2013/02/22(金) 23:43:23.29
箸墓の場合、卑弥呼の墓であるためには西暦250年ころの築造でなくてはならない。
倭人伝の記述で、卑弥呼が死んだのはその頃とわかっているからだ。

文献は正確な年号がわかるが、考古学はそこがなかなかわからない。
わからないから推定される。が、推定を何年にするかは非常に大きい。それによって、
候補に上ってくるものばかりでなく、候補から外れるものも出てくるからである。

今、吉備の楯築遺跡に興味があるのだが、これがいつ頃の築造かも興味がある。
ウィキペディアを見ると、2世紀後半から3世紀前半となっている。
まあ、卑弥呼時代とかぶっている。意図的な年代といえる。

ほかのを見ると、弥生後期と書かれている。幅が広い。いろんな可能性が考えられる。
こちらのほうが誠意があると言うべきか。
最近、考古学的な年代は参考程度に受け止めている。あくまで推定であるから、縛られるのは
よくないと思っている。
334日本@名無史さん:2013/02/22(金) 23:52:27.76
>>321

剣は日本武噂が出雲から草薙剣を奪ってくるまで、皇位継承には関わらない理屈だ。
つまり神話上の話としても14代以降が三種の神器の確立だろう。
335日本の名無史さん:2013/02/23(土) 00:03:02.38
天皇家に敬意を見せない奴は古代史やっちゃいけねえのかよ!
つまらないイデオロギーww
336日本@名無史さん:2013/02/23(土) 00:19:53.54
チョンのネガキャンにしか見えない件
337日本@名無史さん:2013/02/23(土) 00:39:58.45
多利思北孤は瀬戸内を基盤にする王、
倭国、阿波の王ですよ。
塩の神で正解。
338日本@名無史さん:2013/02/23(土) 01:04:47.34
火照命   海(烏那)佐知毘古
火遠理命 山(邪馬)佐知毘古 ← 鹽椎~(天の鹽~)(一大の鹽~) 問曰
                      「何虚空津日高之泣(那伎)患所由?」
339日本@名無史さん:2013/02/23(土) 01:18:55.91
                  父 天津日高日子番能邇邇藝命(火の邇藝)
                  母 ~阿多都比賣
<br>
@火照命    海(烏奴)佐知毘古【此者隼人阿多君之祖】
A火須勢理命 ♀
B火遠理命  山(邪馬)佐知毘古=虚空津日高
                     =天津日高日子穗穗手見命(火火手見)
340日本@名無史さん:2013/02/23(土) 01:44:51.06
>>333
>>文献は正確な年号がわかるが
倭人伝は中国の年号だが、西暦にどう比定しているのか、その精度とか解っての発言か?
341日本@名無史さん:2013/02/23(土) 07:54:07.28
>>324
大阪府堺市のニサンザイ古墳の研究で、円部が前と判ったからだよ。
342日本@名無史さん:2013/02/23(土) 08:00:54.93
卑弥呼は今も由緒ある廟社に祀られている
下衆は百回見ても千回見ても満回見てもわかるまい
そのみちの神職が見ればただごとでないことが一目でわかる
343満州天津飯:2013/02/23(土) 09:26:02.48
>>332
私はまだ一年半だが、一年半で長いのかね?
それから邪馬台国を否定したことは一度もないが。
更に記紀を信じてはいけないのかね?
さらに天皇家に敬意はないとは言っていないがね。
それから古代史に興味のない者がこんなところに来るかね?
それから私が品のない発言をするのは君らに合わせているのだ。
君らが下劣なことを書くから私も反論する。
伊作だってそうだ。伊作は真摯な男だが、君らがバカにするから怒るのだ。

お宅も、伊作と一緒で、私が何か別の目的でここに来ていると思っているようだが、
満州説や朝鮮説がそんなに奇異なものかね?
ネットを見て御覧。浜名寛祐や山形明郷に関心を持っている人は結構いるよ。
ここの連中が遅れすぎているのだ。
344日本@名無史さん:2013/02/23(土) 09:36:36.93
>>276
別の高句麗があったとかって忘れた?
345満州天津飯:2013/02/23(土) 09:38:07.27
私は記紀を信じているから満鮮説を唱えているのだ。分かるかな〜。

記紀には神功皇后が中国に朝貢したとか、後を台与が継いだなどとは書かれていない。
だから私は畿内説は絶対にないと確信していたのだ。
そうなるとあとは九州説か満鮮説しかない。
で満鮮説を唱えながらも九州説の可能性も探っていたのだが、
最近九州説は空想であると確信するようになった。

今の強敵は畿内説だけである。畿内説さえ始末すれば私の天下なのだがw
346日本@名無史さん:2013/02/23(土) 09:39:19.79
「記紀を信じる」=「学問を放棄する」
347満州天津飯:2013/02/23(土) 09:42:17.11
>>344
いや、稗箕狐?よ、芻牟鏡には句麗は登場しない。
蓋馬国として出てくる。
348日本@名無史さん:2013/02/23(土) 09:44:35.44
記紀をまともに読んだなら、
大和王朝と邪馬台国とは無縁である
と気づくのが当然である。

何故、学者たちが未だに、邪馬台国との関連で
モモソとか箸墓に拘っているのか理解できない
349満州天津飯:2013/02/23(土) 09:47:52.92
学問とは記紀のここは捏造だろうとか創作だろうとか推理することではない。
記紀に書かれていることが全部本当であると知って驚くことである。

哲学とは驚くことである、とプラトンも言っているだろう?
あ、君らはプラトンは読まないか、こりゃ失礼(笑)
350日本@名無史さん:2013/02/23(土) 10:01:54.87
>>347
(32)漢光武帝八年 高句麗王遣使朝貢 始見稱王(高句驪縣王)

この時期に王に相当する人物は
(B在位28-63) 解朱留 如栗 無恤 大解朱留王 大朱留王 大武~王

解姓のおひとだから本当は扶餘王だったのかもしれんし。。。

三國志でも夫餘のところに高句麗の酋長が出てくるし。。。

三國志もぜんぶ信じ込んじゃだめだし。。。

扶餘王の持ってた印綬は「濊王之印」だぞ

公孫淵伏誅玄菟庫猶有玉匣一具
今夫餘庫有玉璧 (公孫)珪 瓚數代之物
傳世以爲寶 耆老言先代之所賜也
【(魚豢)魏略曰:其國殷富 自先世以來 未嘗破壞】
其印文言「濊王之印」
國有故城名濊城 蓋本濊貊之地
而夫餘王其中 自謂「亡人」 抑有以也

高句麗酋長のご先祖が濊人であることは疑いがたいけどね
351:2013/02/23(土) 10:18:58.63
邪馬台国が近畿に有り、大和朝廷となんかしら関係があるのだとすれば、その名残が天皇家にもあるはずだ。

邪馬台国の男は刺青を入れていた。いかにも南方の風俗な気がするのだが…
352日本@名無史さん:2013/02/23(土) 10:46:04.83
だから箸墓辺りの古墳は阿波や讃岐、宮崎辺りの
影響が見られる=南方の影響な訳だが。
353日本@名無史さん:2013/02/23(土) 10:50:40.54
さいきん満州の言いたいことをそれとなく理解できるようになった
満州は、満州皇帝溥儀の跡を継ぎたかった、そして卑弥呼を嫁に迎え宮室で暮らしたかった
だから今も卑弥呼は満州にいてほしいのだろう
たとえばそう言うことだろな

とりあえず畿内説はお隠れになった
満州がえりの卑弥呼は今ひとり九州でくらしている、満州を探すのははかない夢だ
354日本@名無史さん:2013/02/23(土) 10:55:42.20
満臭さんの自演ですかw
355日本@名無史さん:2013/02/23(土) 11:02:49.19
大体満臭は桜井や天理周辺の古墳から朱が
大量に出てる事すら知らないのか?
これは当然南方系の風俗、もしくは神仙思想の影響に他ならないぞ?
満州に丹を使う風習なんてあるのかな?
356日本@名無史さん:2013/02/23(土) 11:04:47.94
ほう自演に読めるか
自演ではない、満州の心の内を探るためだ
ま、オレの見立ても衆目には当たらずとも遠からずというわけだなw

卑弥呼のお骨はオレが持ち帰り、九州のさる御廟に御祀りいたしておる、しかるべき神職が見れば一目瞭然
357日本@名無史さん:2013/02/23(土) 11:08:15.20
自演だけじゃなく、バカだという事も理解した。
358日本@名無史さん:2013/02/23(土) 11:15:26.61
丹を大量に使うなんて南方系の風俗まんまなのにねぇ…
九州説の人は相変わらずのスルーw
359日本@名無史さん:2013/02/23(土) 11:18:40.53
九州では。それほど丹を多く使うことはないから、
九州と畿内は別の宗教的文化圏なのは間違いない
360日本@名無史さん:2013/02/23(土) 11:45:36.28
満州なんてクソ寒いぞ、南方の風俗なんか程遠いよw
361日本@名無史さん:2013/02/23(土) 11:51:13.71
満州さん
卑弥呼さんは伊作さんの許で御祀りされてるそうですよ
362日本@名無史さん:2013/02/23(土) 12:23:26.87
>>351
皇室の行事をつぶさに見ていけば、出自のヒントがいっぱいあると思われるが、
今は政教分離で、宗教的なものがタブーになっていて、なかなか一般人には
見えてこない。
皇室の伝統的な儀式には興味があるな。
新嘗祭というのは五穀の収穫に関係あったかな。つまり、農業系であって
騎馬民族系の儀式とは考えられないな。
363日本@名無史さん:2013/02/23(土) 12:30:41.22
騎馬民族征服王朝説はそもそも提唱者の江上が武力制服を唱えていない
じわじわと長い年月をかけて入り込み
武力を用いずに自然に推戴されるように仕向けるというような話
364日本@名無史さん:2013/02/23(土) 12:47:45.62
>>363

そんな説じゃつまらんな。
バカでもわかりやすいように、騎馬武者軍団が渡海してきて列島を席巻したと言う風に解さないと。
365日本@名無史さん:2013/02/23(土) 12:50:29.72
>>364
一時唱えた人達が居るらしいね
どんな頭の構造してるのか分らんが
元寇すら失敗してるのに
366満州天津飯:2013/02/23(土) 12:53:32.76
確かに丹とか繊維製品とか中平刀などは私の説にとっては不利といえば不利だ。
しかしそれらはいずれも満州や朝鮮でも採れるということは文献で確認した。
しかもこれらはいずれも考古学的根拠だ。
考古学的根拠というものは一朝にして崩壊するものである。

少なくとも畿内説には文献的根拠がない。
というより記紀によれば畿内説は否定されるのである。
九州説にも文献的根拠はない。記紀によれば九州説も否定されるのである。
367満州天津飯:2013/02/23(土) 12:57:57.43
<芻牟鏡>卷六を読んでいたらこんな記事があった。

<蘋>,皃美而善歌善畵.然,左目眇,常着玉鏡,以紅玉尺裁袈裟,甚妙繡花鳥為屛.

<蘋>というのは朱蒙の姉。ここに玉鏡と出てくる。
玉が満州でも採れたという文献的証拠だ。
こうやって一つ一つ文献で畿内説を覆していこうと思っている。
368日本@名無史さん:2013/02/23(土) 13:26:48.68
満州のウリナラ思想はもう飽きたw
いくら怪しい文献繰っても満州は寒い、
という大原則を覆す事は出来ないぞ。
中国で丹が出るという記述は、南にあるという事なのだ。
ポールシフトでもしたと主張するか?
だとすれば板違いだけどなw
369日本@名無史さん:2013/02/23(土) 14:55:04.50
黥面文身は魏代の中国人にとっては呉越地方の風習であったろうが
入墨は南方系に限られた風習ではなく、日本の入墨の風習は世界的に見て古いと考えられている

オーストリアのチロリアン・アルプスに位置するエッツタール渓谷の溶けかけた氷水から発掘されたアイスマン BC3300頃
http://gigazine.jp/img/2009/03/30/iceman/ice_07.jpg

シベリアの永久凍土から発掘されたウコクの女王の入墨 BC300頃
http://livedoor.blogimg.jp/cat_1970_0624/imgs/3/c/3c1d8627.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Mummy_of_the_Ukok_Princess.jpg
同上戦士の入墨
http://stat.ameba.jp/user_images/20120817/10/bede-in/47/3b/j/o0490058612139434063.jpg

日本の縄文時代の土偶
栃木 茨城
http://pds.exblog.jp/pds/1/200803/15/33/b0041933_10202824.jpg
北海道 縄文時代後期
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/rminpaku/f3.jpg
盛岡 縄文時代後期
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/rminpaku/e2.jpg
370日本@名無史さん:2013/02/23(土) 16:10:42.74
もともと刺青の風習は日本にあったのかもしれない。
中国と交流があったときに、中国人からまるで呉の人みたいだといわれ、
そうか、ひょっとしたら俺たちは太伯の子孫なのかもしれない、というような
ことになった可能性もある。

しかし、古事記を読むと、近畿地方には刺青の風習はなかったように
書かれている。大久米命の刺青を見て、五十鈴姫は奇妙に思ったとなっている。
371日本@名無史さん:2013/02/23(土) 16:21:45.08
712年の時点で刺青の風習がまだ山間部や海岸のような農耕化していない地域を中心に一部で残ってたんじゃないの?
そのころには刺青をしないのが一般的になりつつあって
712年当時で畿外に特に多かったから畿外=刺青という先入観を何百年も昔にそのまま当てはめた
大久米命が刺青をしていたことが文書や伝聞として残ってたか甚だ疑問
372日本@名無史さん:2013/02/23(土) 17:13:38.82
古事記というのは、712年の社会を切り取って記述したのではないぞ
712年までにあった伝承や記録を採録したものだ

したがって、その記述にはかなり古い伝承も含まれている
373満州天津飯:2013/02/23(土) 17:33:41.14
>>368
この男はほんとに○○だなw 一体何度説明したら分るんだ?
私は「陳寿の勘違い」説なのだよ。
ほんとは馬韓(例えばの話で、別に馬韓でなくとも良い)の女王卑弥呼を、
陳寿は日本の王と勘違いしたのだろう、という説だ。
だから倭人伝に日本の風俗が書いてあっても、そんなのは馬韓の卑弥呼とは何の関係も無いのだ。
日本が暖地であろうが何であろうが、そんなことは馬韓の卑弥呼とは何の関係も無い。
倭人伝の風俗記事なんてどうでも良いのだ。

黥面文身の風俗は満州にもあったことは文献で確認している。
匈奴にもあった。黥面文身が倭人特有の風習だと思ってはいけないのである。
374日本@名無史さん:2013/02/23(土) 17:36:31.40
寂しい老人
375日本@名無史さん:2013/02/23(土) 17:44:16.98
>>373
卑弥呼さんは伊作さんのところに身を寄せてますよ。
ちと、手遅れかもしれませんけどね。
376日本@名無史さん:2013/02/23(土) 17:46:23.13
哀れな老人
377日本@名無史さん:2013/02/23(土) 17:52:38.69
>>373
うん、そうだね、多分勘違いだよな。
まぁ…余生を頑張って生きて下さいね。
378日本@名無史さん:2013/02/23(土) 17:58:44.55
卑弥呼さんはカバのご子孫かもしれんよね。
379日本@名無史さん:2013/02/23(土) 18:10:24.61
侘しい老人
380日本@名無史さん:2013/02/23(土) 18:12:58.25
私も「陳寿の勘違い説」である。
卑弥呼はモンゴルに居たのだ。

私は、その決定的な証拠をつかんでいるが、ここには書かない。
倭人伝を真に受けている君らはアホだ。
381日本@名無史さん:2013/02/23(土) 18:36:21.07
>380
よく特徴をつかんでるなあ
こうしてみると、満州には満州なりの芸風があるんだな
382太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/23(土) 18:42:50.43
記紀によれば九州説も否定されないのである。
383日本@名無史さん:2013/02/23(土) 19:02:00.54
蒙 mēng méng měng も
満 mǎn  も
似た様なもんだし
http://a4.att.hudong.com/57/02/01000000000000119080216958857.jpg
384日本@名無史さん:2013/02/23(土) 19:12:03.03
満蒙って一年の半分くらいはひどく寒そうだなあ
卑弥呼ちゃんも巫女ちゃんもかわいそうだよ
385満州天津飯:2013/02/23(土) 20:00:44.63
>>382
太国よ、記紀のどこにも九州に卑弥呼に匹敵するような女王がいたとは書かれておらんぞ。
せいぜい田油津媛くらいなものだ。

大和には神功皇后がいたが、中国に朝貢したとか台与が跡を継いだとは書かれていない。
要するに九州説も畿内説もアウトだ、文献的には。

文献では証明できないので畿内説は考古学で証明しようとしているが、
どんなに頑張ったところで、所詮考古学による憶測に過ぎない。
386日本@名無史さん:2013/02/23(土) 20:05:05.37
要するに8世紀の政権が知らない文化圏に
卑弥呼がいたということだ。

それだけでも、邪馬台国は大和朝廷ではないことがわかる。
387日本@名無史さん:2013/02/23(土) 20:06:51.18
記紀は大和朝廷が書いたものだから、
大和朝廷が知らないものは、書きようがない。
388日本@名無史さん:2013/02/23(土) 20:10:16.61
記紀は邪馬台国の歴史を書いているわけではない。記紀が卑弥呼を書かないのは当然のことだ。
389日本@名無史さん:2013/02/23(土) 20:32:11.68
でも、百済・新羅・高句麗ほかのことはだいぶ書いてるぞ
390日本@名無史さん:2013/02/23(土) 20:32:15.18
>>385
さりながら、後世の学者諸氏が紙背を判読するところでは
苦心の末記紀は、卑弥呼と台与を数百年繰り上げて、天照大神の代になぞらえているのではないかと
391川柳の達人:2013/02/23(土) 20:48:48.31
>>343
>それから邪馬台国を否定したことは一度もないが。

邪馬台国を日本国内に比定していない以上、邪馬台国を否定したも同じ。
ここは魏志倭人伝に明記されている邪馬台国の解明がもくてきなのだから
その路線を外して例外的なものを引き合いにグチャグチャ書いているお前
がその1年半も居座ること自体このスレを面白くないものにしている。ま・
それが目的なんだろうが・・・名古屋のハナタレもそれに似ていたな。


>さらに天皇家に敬意はないとは言っていないがね。

お前の過去の書き込みを見ればその発言は虚偽であることはここに居るものは
皆承知している。愚か者めが


>それから古代史に興味のない者がこんなところに来るかね?

興味がないから例外的なものを探し出しては皆をけむにまいているだろう。
まともな人がお前を相手に正当に反論していないのが証拠だ


>それから私が品のない発言をするのは君らに合わせているのだ。

それがどうした?もともと品のない書き込みをしていた奴が発言できる言葉か?
愚か者
392日本@名無史さん:2013/02/23(土) 20:56:44.99
>>390
こういう
「学者諸氏の判読」
とかの権威を借りてくる時点で、いかがわしい。というか、負け。

自分の説得力が足りない場合に使う常套手段である
393川柳の達人:2013/02/23(土) 20:56:57.55
>>345 朝鮮
>私は記紀を信じているから満鮮説を唱えているのだ。分かるかな〜。

さっぱりわからん誰もわからん。そんな害宣1年半もよく続けてきたもんだ。


記紀を語りたければ別のスレッドでも立てて語れ。
394日本@名無史さん:2013/02/23(土) 21:03:59.73
>>392
何をおっしゃる、満州を説得するにはじわじわと攻めんとな
395川柳の達人:2013/02/23(土) 21:07:17.11
>>385 朝鮮
>記紀のどこにも九州に卑弥呼に匹敵するような女王がいたとは書かれておらんぞ。
当たり前だ、ここでは魏志倭人伝の邪馬台国・卑弥呼等を議論しているのだ。記紀
に書いていなくとも関係はない。

ここでは記紀と魏書東夷伝倭国条が整合していないのは承知した上で議論を展開
しているのだ。だから一々記紀を語る意味は無いのは「いわずもなが」だ。
にもかかわらずお前は糞やかましく繰り返す。その態度はここで必要ないある目的
を持ってやっているとしか見えない。
もしも「記紀を信じよう」という運動をしたいのならお前の品格のない書き込みは
超マイナス効果だぞ。
396川柳の達人:2013/02/23(土) 21:09:46.44
いわずもがな(誤)→いわずもなが(正)
397唐松山 ◆V0F34EbmQA :2013/02/23(土) 21:10:48.08
だから記紀を信じたら、同じ時空でなくてはならない。
古事記の崩御干支 編年考察 古事記の干支を仲哀9年(応神誕生)に合わせ検証すると。

成務天皇 262年〜265年 乙卯・・・267年乙卯 (成務仲哀は同じ暦?)
仲哀天皇 266年〜274年 壬戌・・・274年壬戌、応神誕生。 
神功皇后 275年〜343年 
応神天皇 344年〜384年 甲午・・・366年甲午 軽島の明宮=秋津遺跡(3世代分)
365年 応神22年 難波大隅宮
仁徳天皇 313年〜399年 丁卯・・・399年丁卯・・・難波高津宮 
履中天皇 400年〜405年 壬申・・・404年壬申・・・404年帯方界への侵攻で死亡、兄王が履中か?

広開土王碑は正しい歴史を語っているが、百済本紀は書紀の干支を使用したために
46年遅くなっている。
それを考古学は、纏向年代で証明しているのだ。
398川柳の達人:2013/02/23(土) 21:16:08.44
>>396 誤爆
いわずもなが(誤)→いわずもがな
399満州天津飯:2013/02/23(土) 21:33:10.03
やれやれ、また川柳の達人かw
一体何をカッカッしているのだ? お前は明らかにおかしいぞ。

私は前々から邪馬台国は大和だと言っているではないか。読んだことはないのか?
満鮮説を唱えている理由も上でちゃんと説明しているではないか。
2chで邪馬台国を論じるときに記紀について語ってはいけないのか?
常軌を逸しているぞ、お前は。

天皇に関しては>>335のような奴もいるではないか。
>>335に文句を言わずになぜ私に食ってかかってくるのだ?
とにかく今のお前は狂犬だ。もう少し冷静になれ。
ここはイデオロギーの場ではないのだ。
400太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/23(土) 21:40:46.87
>成務天皇 262年〜265年←大ウソww
南無空年佛はこの世の存在しない。

成務元年 成務天皇 即位
成務2年 景行天皇を山の辺の道陵に葬る
成務3年 (熊野年代記)熊野 大波で民屋が多く流さる
成務4年 国々に首を置く
成務5年 金神社(岐阜市)物部臣賀夫良命 国造赴任
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務7年 六嶽神社(福岡県)長田彦が山上に神籬を営む
成務8年 林神社(明石市)少童海神の赤石が海中に没する
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務10年 丹生神社(和歌山県)同地 栗栖の栗木に因み 建立
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務13年 嶋田神社(奈良県)神八井耳命の末裔 仲子上が嶋田臣を賜る
成務13年 山梨岡神社(山梨県)麓の梨木を切り、山梨の語源となる
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務17年 藤並神社(和歌山県)武内宿禰 勅により水主神を勧請し 創祀
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
401太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/23(土) 21:42:20.25
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務40年 日本書紀等 神功皇后 誕生
成務41年 宝蔵院(愛知県刈谷市)同年 創立
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務51年 甲斐古蹟考(山梨)土本毘古が廟土を持ち向山鎮座し高屋という
成務59年 二俣神社(山口県)この年 創祀
成務60年 宮城熊野神社(千葉県)この頃 創立
成務60年 成務天皇 崩御

空年の1月1日の設定はま〜だ?ww
402太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/23(土) 21:57:20.25
仁徳天皇 313年〜399年←紀違いにホ物 ボタンのかけ違いはデタラメの証明
履中天皇 400年〜405年←紀違いにホ物 ボタンのかけ違いはデタラメの証明


朝満男よ
卑弥呼当時の九州は、当時は畿内朝廷の国ではない。つまり国外である。
記紀は朝廷の支配する国内のことを書いたものである。(但し朝廷に関わり
が出来た半島の遣使、戦争等があれば、外国のことでも重大なので
記紀の書くべき例外だ。)

卑弥呼は九州の朝廷の手の届かない卑弥呼の情報が届きにくい外界から隔絶
した地域に住んでいたので、記紀にその情報が届かず国交もないので、
卑弥呼の記事がデータが無であることから記紀に記載がないのである。
(ただし神功39年等の記事は日本固有の書紀の原書等からの記事ではなく、
外国の借り物からの情報を編者らあたりが入れたもので、卑弥呼当時の朝廷
の得た卑弥呼のデータ情報ではない。)

従って記紀に卑弥呼のことが書かれてないから、九州説は否定されないことになる。
403満州天津飯:2013/02/23(土) 22:06:34.40
>>402
太国よ、そんなことはない。記紀には九州のことがちゃんと書かれている。
景行天皇とかヤマトタケルとか仲哀天皇や神功皇后の熊襲征伐など、
卑弥呼の時代より以前から九州のことは記紀に書かれており、
九州は大和朝廷の支配する地域である。
2chの連中がどんなことを書いても、そんなのは通用しない。

記紀を無視した邪馬台国論は、すべて無意味である。
で、畿内説も九州説も記紀とは整合しないから私は満鮮説を唱えているのである。
404太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/23(土) 22:09:55.15
>>402 訂正
×仁徳天皇 313年〜399年←紀違いにホ物 ボタンのかけ違いはデタラメの証明
 履中天皇 400年〜405年←紀違いにホ物 ボタンのかけ違いはデタラメの証明

○応神天皇 344年〜384年←紀違いにホ物 ボタンのかけ違いはデタラメの証明
 仁徳天皇 313年〜399年←紀違いにホ物 ボタンのかけ違いはデタラメの証明

なお宿主は応神天皇が100歳以上も生存したと豪語している。pupupu
405川柳の達人:2013/02/23(土) 22:14:02.49
>>399 朝鮮
一つも回答になっていない「朝鮮」アウト〜!!
議論を回避し、例外的文献を引き合いに出し、
誰も期待していないあほらしい論を撒き散らし、
それで「畿内説」だと。

畿内説諸氏ちゃんと受け入れてくれよ。
朝鮮説=畿内説 がははははは
406太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/23(土) 22:16:17.93
朝満男よ

景行天皇九州行幸は確かに国外だが、先に提示した例外の部類さ。
実際、景行が地方へ行ってるので、これは記紀に落とすわけがなかろう。w

だが記紀に卑弥呼とはっきり分かる記事など無いではないか。
勿論先の神功39年等の記事は、これは外国の文献であり、日本固有の文献
のデータからのものではないから、これは脇に置いていい。

つまり日本固有の卑弥呼の記事が記紀に無いんだから畿内に卑弥呼がいなか
った文証なわけで、遠回しに畿内ではない別の地域に卑弥呼がいたことを
物語るから、九州説は否定されない。
407太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/23(土) 22:21:58.64
朝満男よ

景行天皇九州行幸時は、卑弥呼はもうこの世にいない時代だよ。
この頃、卑弥呼の後代の壹与の時代も過ぎており(壹与は垂仁の代の女)、
邪馬壹国の後身の国の情勢であるも、この国は風前の灯の勢力衰えた時代
のときだから、景行一行も邪馬壹国の情報など取れてはいない。
408満州天津飯:2013/02/23(土) 22:23:19.01
太国よ、卑弥呼の話は記紀とは整合しないから、卑弥呼は畿内にはいなかった。
と同時に、九州に卑弥呼のような女王がいた記事も記紀には無いから、
卑弥呼は九州にもいなかったのである。

川柳の達人おじさんは放っておこうw
この人も私の説の意味をまだ理解していないのである。
409日本@名無史さん:2013/02/23(土) 22:28:37.59
満州で、いったいどうやったら潜水漁ができるのか、
満州で、いったい冬に生菜をみな食っているのかと、小一時間、問い詰めたい。
410靖国参拝、皇族、国旗国歌、神社神道を異常なほど嫌う在日カルト:2013/02/23(土) 22:28:54.33
在日カルト宗教団体は、信者や敵対者に対して組織的な威圧、監視、嫌がらせを行い
マインドコントロールしなければ組織を維持、拡張することができません

そのため証拠を残さず、訴えられないように、集団で威圧、監視、嫌がらせを行う「ガスライティング」という手法が必要なのです

在日カルト教団がどのように信者のマインドをコントロールしているのか知って下さい
[ガスライティング 集団ストーカー カルト]などで検索を!

外国人工作員が隠れ蓑にしているのはカルト宗教団体
10人に一人はカルトか外国人..
411太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/23(土) 22:29:30.66
朝満男よ

朝廷は北九州の情報は遣使あたりから得ることが出来たが、奥九州に遣使一行
は行ってないで畿内に着いていたことばっかりだったから卑弥呼の情報は畿内
朝廷にもたらせられていない。

だから記紀に卑弥呼の記事が無いのだ。
だから卑弥呼の国は北九州ではなく、奥九州の蓋然性が高い。
ただし、北九州でも遣使一行の通らない地域はまだあっただろうから、
まだ少しは北九州に女王国が在った可能性は残っている。

以上から、記紀に卑弥呼の記事が伝からの借り物(神功39年等)以外の日本固有
の原書から採用した記述は無いことから、九州説は否定されない。

これから寝るから、疑問があれば書きこんでおけ。明日以降回答する。
412太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/23(土) 22:30:58.20
>>410

全世界の統帥権は大元帥陛下にある。

zzzzzzzzz・・・・・
413川柳の達人:2013/02/23(土) 22:44:29.22
>川柳の達人おじさんは放っておこうw
>この人も私の説の意味をまだ理解していないのである。
逃げるな・愚か者

多分、「朝鮮下郎」よりも私のほうが若いぞ。
説というほど根拠のない憶測・例外・駄々こね爆論など誰も理解できん。
414満州天津飯:2013/02/23(土) 22:45:18.52
プッ いつもながら太国の書き込みは思わず笑わずにはいられないw
まあ相手にする必要もないが、一応回答しておこう。
景行、ヤマトタケル、仲哀…、みんな奥九州に行っているではないかw

>>409のおじさんも放っておこうw
このおじさんも何回説明しても私の説の意味が理解できないようだ(泣)
415満州天津飯:2013/02/23(土) 22:51:08.63
川柳の達人おじちゃん、まあ今日はもう寝なさいw
明日晴れたら、どこかへ遊びに行って気を晴らしてきなさい。
人を恨んだり憎んだりするのは体に悪いヨ
416川柳の達人:2013/02/23(土) 22:57:40.97
>>415 朝鮮
お・逃げるのか?
元々・自説というほどの説もなく、九州説に対抗できそうな例外・落書的書き込みを見つけては
書き込んでたお前だから、指摘されて対応できなくなったのだろう。
つまり、真っ当に「邪馬台国」を議論していない証拠であり、これがこのスレをかき乱している
根拠となるのだ。
おい・愚か者、何が目的かはっきり言ってみ
417日本の名無史さん:2013/02/23(土) 23:04:43.15
満州さんは悪い人なのですか?
何を企み、何を標的として生きてるのですか?
418日本@名無史さん:2013/02/23(土) 23:16:24.21
>>414
おーい、記紀に九州で活躍したらしい女王が見当たらぬとか、
それなりの年なんだからパッくれてくれるなや
満州風ではないかもしれぬが、卑痲呼とか卑婁女とか卑満呼とか似たような名の適任者はおらぬか
一人や2人いるはずだ、いたらそれが満州がえりの美熟女・卑弥呼だ
419日本@名無史さん:2013/02/23(土) 23:36:03.23
満州は、かって縁者やその多くの知人が満州へ旅立たざるを得ず、行ったら行ったで志半ばで帰国せざるを得なかった
その苦難の年月日々を皆に知らせ、理解してほしいのだろな
そしてその具体的な形として、天照たる卑弥呼を彼の地の女王大将軍として末長く祀りたいのだろう
420川柳の達人:2013/02/23(土) 23:46:55.96
記紀には、中国の歴史書にある
☆倭奴国
☆邪馬台国
☆倭の五王
☆阿毎多利思北孤
が現れない、なぜかわかるか。
もしも、記紀を研究したいなら、この辺を語って欲しいものだ。
421日本@名無史さん:2013/02/24(日) 00:00:30.73
読み手がイサク級の○鹿だからw
422日本@名無史さん:2013/02/24(日) 00:06:47.68
>>421
おまい誰だ! 上品ならざる人物だな。
423日本@名無史さん:2013/02/24(日) 06:28:07.23
>>414 >このおじさんも何回説明しても私の説の意味が理解できないようだ(泣)
>>415 >人を恨んだり憎んだりするのは体に悪いヨ

散々人の説を無視し貶し悪態をついた下郎がよく言ったものだ。
424日本@名無史さん:2013/02/24(日) 06:31:01.03
はやおきはさんもんのおとく。
425日本@名無史さん:2013/02/24(日) 06:48:25.91
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/chugoku11/CB011L001.pdf

ちょっと改変してあげて

「倭奴」は、「ヰ/ゐ-nui」を書き記したもので、「ヰヌ/ゐぬ」と読み、

「倭-大きい」(大きな倭、偉大なる倭)を意味する、と解釈したあげよお。


卑彌呼の國人のとこでは「あいうえお」がなまっててワ行で発声されたものとみたい。

そおすると、はんぱに古い文献いぢリまくって甲だのなんたらのがおあふぉちゅうこつので

「委都」と「伊都」とを区別したいとゆう妄想から解除されちゃう。

まああれだわ、7世紀の文献弄っても3世紀まで400年遡らせるのは本来無理ぢゃろて。

「倭」の発声のも、卑彌呼國人のとこでは「ゐ」でええんじゃまいか。
426太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/24(日) 09:17:57.09
朝満男よ
景行も日本武尊も仲哀も卑弥呼、壹與より後代の人物だろうが。

それじゃぁ卑弥呼に会えないだおるが。w
427太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/24(日) 09:19:31.27
訂正
× 会えないだおるが。
○ 会えないだろうが。
428満州酸辣湯麺:2013/02/24(日) 09:35:57.90
>>426
太国よ、景行も日本武尊も仲哀も卑弥呼より前の人物。

大体ここの連中は私の説を理解せずに文句を言ってるのだから話にならない。
比喩的に言えば、地動説を理解できない大衆が地動説を唱えている知識人を、
「あいつを火炙りにしろ!」と叫んでいるようなものであり、
科学を研究している近代科学者を「あいつは魔術を研究している。絞首刑にしろ!」
と叫んでいるようなものであり、あるいは、
因数分解しか知らない中学生が、微積分を学んでいる高校生に、
「お前は来るな、面白くない!」と叫んでいるようなものである。

要するに川柳の達人も南解次次雄も伊作も、その他の連中も、ただ単に無知なのである。
無知なので、私が変な書を読み変な説を唱えていると思っている、それだけである。
429日本@名無史さん:2013/02/24(日) 10:19:55.97
>>428
そうすると卑弥呼は神功皇后でいいの? 
じゃあ卑弥呼=神功皇后は満州にいたといいたいわけね? どうぞ、それで正しいと思いますよ。
430日本@名無史さん:2013/02/24(日) 10:23:35.31
かまってジイサンなんだろ
431日本@名無史さん:2013/02/24(日) 11:01:35.58
>>428

お前のは。天動説でも地動説でもなく、
「宇宙は俺様を中心に回っている」という自己中説だな。
432満州酸辣湯麺:2013/02/24(日) 12:43:00.57
なんで青色名無しはこんな○○ばかりなのかねw
いや、緑色名無しにも○○はいっぱいいるが。
名古屋の二十歳などこんなのを読んで呆れているだろうな。
流石に伊作や名古屋20歳などはここまで○○ではないと思うぞ。

緑色名無しの中に漢文読みの達人が一人いる。
私が尊敬しているのはその男だけだな。
尤もその男が何説かは知らないが。
何説かは知らないがその男は正常な理解力があるのである。
ここの連中は私の説の意味さえ理解していないのである。
せめて理解した上で反論してもらいたいものだ(泣)
433日本@名無史さん:2013/02/24(日) 12:51:32.86
>>432
○○に理解させるには、自分も○○にならなければならない。
漢文読めない奴は○○だなどと頭が高くては、せめても、理解も、ないのだ。
434満州酸辣湯麺:2013/02/24(日) 12:56:09.93
以前、稗箕狐がよく私に、朝鮮クンは時系列思考ができてないからマヌケだな、
と書いていたものだが、それはそっくりここの連中に当て嵌まるのである。

中国史書を読めば、倭と書かれている地域は時代によって変遷しているのである。
倭人伝以前に書かれている倭は、すべてこれ日本ではないのである。
だから卑弥呼の倭が日本とは限らないのである。五王の倭も然り。
そういうことに注目して満鮮説を唱えているだけなのに、
ここの連中はそういうことが理解できないらしい。ああ悲しい(笑)
435太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/24(日) 12:58:46.41
朝満男よ

例の開化48年が230年だということを忘れはしまい?
だから景行他の人物は卑弥呼より後の人物だ。
436満州酸辣湯麺:2013/02/24(日) 13:01:56.82
プッ、太国よ、それはお前だけの編年だ。あゝ変ねw
437日本@名無史さん:2013/02/24(日) 13:06:59.60
プッ、朝慢心よ、それはお前だけの卑弥呼節だ。あゝ変ねw
438太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/24(日) 13:07:53.45
>>437はコチラの書きこみだ。w
439日本@名無史さん:2013/02/24(日) 13:24:19.35
要するに満州は、漢文読みの能力を自慢してるわけか
440日本@名無史さん:2013/02/24(日) 13:24:21.26
嗚呼 都后以貝陵國 漁人之女
441日本@名無史さん:2013/02/24(日) 16:32:42.06
余談だが。

古代エジプトでは、金よりも銀のほうが値段が高かったらしい。
金は、砂金を拾ってきて集めればすぐに使えるが、銀は精錬しなくては
使えないために、難しかった。人類が使うようになったのも金の方が
先らしい。金に銀メッキをすることもあったとか。

我々は当たり前のように金>銀の先入観があるが、古代ではそうではなかった
可能性がある。そういえば、金製品はよく出てきても銀製品はあまり出てこない。

で思うのが、埼玉県稲荷山古墳の金象嵌の剣。熊本県江田船山古墳の銀象嵌の太刀。
金象嵌>銀象嵌で価値を決めてしまいそうだが、ひょっとしたら違うのかもしれない。
稲荷山の剣は73.5cm。江田船山の太刀は85.3cm。
442唐松山 ◆V0F34EbmQA :2013/02/24(日) 16:44:42.62
>こちらは編年をやってるのさ。

1月1日(春正月朔)から12月30日(大晦日)
書紀はこの数字で書かれているよな?つまり、1年が3年??などということはない。
あゝ変ねw
443太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/24(日) 16:50:34.09
オマエは応神天皇が百歳以上だった主張dな。pupupupupu

ナニコレ珍百歳 ↓ wwwww・・・・・

×応神天皇 344年〜384年←紀違いにホ物ww 大齟齬
×仁徳天皇 313年〜399年←紀違いにホ物ww 大齟齬
444太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/24(日) 16:53:03.06
ナニコレ 珍百歳 よ!

空年の1月1日の設定はま〜だぁ?ww

臭魔伝も1年265日で、1年が365日でない時代があったと主張している。ww
445太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/24(日) 16:55:18.46
古代エジプト語で『金』は ネブウ 『銀』は ヘジュ だったかな?
446日本@名無史さん:2013/02/24(日) 17:53:47.08
そういえば、

銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに まされる宝 子にしかめやも 』 山上憶良

というのがあったな。日本の古代もやはり銀のほうが価値があったのかもしれない。
447日本@名無史さん:2013/02/24(日) 18:19:09.71
刀が金か銀でそんなにくやしいのか?
落ち着けよ
所詮埋蔵されたもの全て出てきてる訳でもないんだから
448日本@名無史さん:2013/02/24(日) 18:31:28.37
>>434

そう言っているお前こそ、二つの金印の時代が違うのを知らないんだろう。
だから卑弥呼が満州人だなんてトチ狂ったことを言いだすのだ。
449満州酸辣湯麺:2013/02/24(日) 18:48:55.98
二つの金印とは何ぞや?

いずれにしても志賀島の金印は偽物。
450満州酸辣湯麺:2013/02/24(日) 18:57:11.88
東大入試 日本史

治天下獲□□□鹵大王世奉事典曹人名无利弖八月中
用大鉄釜并四尺廷刀八十練九十振三寸上好刊刀
服此刀者長寿子孫洋々得□恩也不失其所統作刀者名伊太和書者張安也

問い 得□恩也の□の中に適当な語を入れよ。
451日本@名無史さん:2013/02/24(日) 19:15:44.38
法螺北
452太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/24(日) 19:18:27.14
ニセ物造りの動機は何かね?

こんな危ない真似はそう簡単にはやれないぞ。

やれば死罪あたりだぞ?w
453日本@名無史さん:2013/02/24(日) 19:19:27.77
>>449

>いずれにしても志賀島の金印は偽物。

妄想は、月間ムーにでも寄稿してください。
454日本@名無史さん:2013/02/24(日) 19:40:35.49
動機も贋作なのかも知らんが
いつの世でも犯罪犯す奴は犯すだろ
例え死刑だろうが、磔獄門だろうが
455日本@名無史さん:2013/02/24(日) 20:03:46.86
江戸時代に大金賭けて金印を偽造した奴がいたとして、
そいつが得することは何もないし、
同時期に中国で作られた別な金印と、同一様式・同一組成であり、
江戸時代にそこまで研究し尽くして偽造するなど不可能。
456日本@名無史さん:2013/02/24(日) 21:02:38.22
>>447
よそで、古代は金よりも銀のほうが価値があったというのを垣間見た。
そこで思い出したのが、金象嵌と銀象嵌。
逆ではないからよろしく。
457満州酸辣湯麺:2013/02/24(日) 21:21:40.58
三浦佑之「金印偽造事件」を読めば分かることだよ。

青色名無しが、「読んだけど、あれを読んで偽物だと思う奴はアホだろう」
みたいなことを書いていたが、それは青色名無しがアホだからであるw

中国で出た金印も偽物であるw
458日本@名無史さん:2013/02/24(日) 21:30:32.35
あんな本に洗脳されちゃうなんて、よほどの馬鹿  >>457
459太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/24(日) 21:32:11.69
読めば分かるじゃぁ、反論にならぬぜ。
これではまともな連中はうんとは言わんぞ。
460日本@名無史さん:2013/02/24(日) 21:38:58.07
金印は考古学者はあんまり言及しないんだよな
これは出土した遺跡がよくわかってないから
あくまで参考品扱いにしかならないということだ
金印が偽者というつもりはないが
コレクターと言われる連中の熱情と偽造グループ
中国からの故買グループの話で裏考古学史が書けるくらいだ
日本には大金を払って中国から文化財を買い付け
仲間内にしか見せずに死蔵する輩がいるし
中国には遺物専門の贋作職人がいる
461日本@名無史さん:2013/02/24(日) 21:41:38.19
中国から買い付けた文化財が金に困って古物商に出され
それが回り回って博物館所蔵になってたりするし
その手のものは価値があるとわかっていても何かを言うのはためらわれる
462日本@名無史さん:2013/02/24(日) 21:51:26.08
ま江戸時代に似たような贋作が他にあったなら信用してもいいけどねー
463日本@名無史さん:2013/02/24(日) 21:58:27.94
金印が九州にあったとして、近畿の勢力下でなかった証拠にはならんと思うがね
朝鮮との貿易だって、宗氏が権限もってやってたわけで
それまで築き上げてきた信頼をぶちこわして俺と交渉しろなんて、よけいな手間かけてまですることじゃないよ
あくまで委任されてたってだけもありうる
朝鮮に頻繁に攻め込むようになったあたりからだろ、九州に直轄地をつくる必要があるわけだから。
464日本@名無史さん:2013/02/24(日) 22:00:05.90
親魏倭王の印影なら「宣和集古印史」にあるけどねw
465日本@名無史さん:2013/02/24(日) 22:02:49.58
卑弥呼の印なら台与が晋に朝貢したとき
(あるいは卑弥呼の後の男王のとき)に中国に返すのが基本だろうけどね
返さなくても罰を受けるわけではないが
466日本@名無史さん:2013/02/24(日) 22:05:42.38
だからなんです?
蛇の造形も、印の造形も、他の場所で発見された印璽と同型のものだったろ
467日本@名無史さん:2013/02/24(日) 22:08:25.08
>>465
まあ、同じように外臣だった貴州あたりの王も返してないし
そこまで無理して返す必要なかったんじゃね?
468日本@名無史さん:2013/02/24(日) 22:10:26.85
>>467
可能性は半々くらいかな
469満州酸辣湯麺:2013/02/24(日) 22:14:18.89
太国よ、青色名無しのレスを信じちゃいけないぞ。
読めば分かる。
470太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/24(日) 22:16:36.20
だからその本は読むつもりはないよ。
471太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/02/24(日) 22:21:04.62
それより宿主の書きこみを信じちゃいけないぞ。
官 伊支馬は垂仁天皇ではないからな。奴は応神が110歳位生きてたという
デタラメを主張しているインチキ野郎だ。w

奴は稀代のデ○パだ。しっかり奴を牽制しておかねばならんぞ。
472満州海老チリソース:2013/02/25(月) 09:01:57.83
治天下獲□□□鹵大王世奉事典曹人名无利弖八月中

御覧じろ、ここにも八月中と書かれてをるな。
八月日、五月日、八月中…。
刀や繍帳の銘文は日付をきっちり書かないのが普通だったのでござるな。

納得してござるか、太国殿。
いつまでも日十大王などと読んでいては笑われまするぞ(笑)
473満州海老チリソース:2013/02/25(月) 09:08:12.53
熊本藩 藩校教授採用試験
次の文を読み下し文に致せ

得□恩也不失其所統
474満州海老チリソース:2013/02/25(月) 12:19:47.29
2ch 問題出せば 沈黙す(笑)
475日本@名無史さん:2013/02/25(月) 14:41:46.59
漢文の勝手読みが得意でも、判断力がないと
邪馬台国が満州に飛ぶ
476日本@名無史さん:2013/02/25(月) 14:55:27.34
満州=ヒマ老人=荒し の相手すんな
477満州海老チリソース:2013/02/25(月) 17:29:09.41
さて余は今日一寸とした発見をせり。
北史倭伝に次の記事あり。

有如意寶珠,其色青,大如鶏卵,夜則有光,云魚眼睛也。

これに些か似たる記事をネット史の中に見つけたり。
さればやはり中国人が満州の一地域を倭と混同せし証左と見なして可ならむ。
されどここには脳の弱き人多きゆえ、ここに発表するは躊躇するものなり。
478日本@名無史さん:2013/02/25(月) 17:35:51.88
相変わらず、史料批判のできない奴
一生ムリか
479満州海老チリソース:2013/02/25(月) 18:59:04.99
中筒男 一生つまらぬ 本を読み
480日本@名無史さん:2013/02/25(月) 19:05:45.28
満臭男 一生つまらぬ ことを言い
481満州海老チリソース:2013/02/25(月) 19:14:50.40
あなあはれ 学問積めど 四国説
482日本@名無史さん:2013/02/25(月) 19:19:51.52
けふもまた かまって爺さん ご苦労さん
483満州海老チリソース:2013/02/25(月) 19:46:50.93
中筒男 茶々を書くのを 仕事にし
484日本@名無史さん:2013/02/25(月) 19:53:42.13
485日本@名無史さん:2013/02/25(月) 20:05:15.69
満州は
餃子屋だけに
しておくれ
486日本@名無史さん:2013/02/25(月) 20:07:46.58
この画像を見て、別にー、ナニこのおっさん、と思うのが普通らしい
しかし十万人に一人くらい、分かる者には分かるらしい
http://takachiho-kanko.info/sightseeing/detail.php?log=1338295932
487日本@名無史さん:2013/02/25(月) 20:34:34.97
なにこのおっさん、と思うのは10人に9人くらいだろ
さすがに10人に1人は天手力男か?と思うわ
488日本@名無史さん:2013/02/25(月) 20:39:23.42
そうかあ、君の意見は10人に1人か
おれもよくわからぬのだ、しかし(たとえ話であろうが)10万人にひとりくらいらしい
489日本@名無史さん:2013/02/25(月) 21:56:56.19
あなあはれ 学問積みし つもりだけ

満州男 スレ荒らすのを 仕事にし
490日本@名無史さん:2013/02/26(火) 09:32:19.74
>>486 の神社
小さくてよくみえないけど、賽銭箱にたぶん金でできた菊の御紋のようなのが入ってるんだな
まあこれも10人に1人くらいは気付くだろうけどな
491唐松山 ◆V0F34EbmQA :2013/02/26(火) 18:22:14.48
>奴は応神が110歳位生きてたという

そうか?仁徳即位は応神の死後だ。つまり、313年以前に死んでいる。

成務天皇 262年〜265年 乙卯・・・267年乙卯 (成務仲哀は同じ暦?)
仲哀天皇 266年〜274年 壬戌・・・274年壬戌、応神誕生。
神功摂政 275年〜343年  313年神功39年大歳=仁徳元年
応神天皇 344年〜384年 甲午・・・366年甲午 
仁徳天皇 313年〜399年 丁卯・・・399年丁卯

つまり、世継ぎの書き換えがあることを、允恭4年で説明しているんだよ。
応神、誉田御廟山も仁徳、大仙陵も世継ぎの書き換えの結果である。
492日本@名無史さん:2013/02/28(木) 15:24:19.48
民主党の小宮山(元NHK)が大臣時代に通達した
日本の国民保険を中国人へばら撒いた超売国案件






【木原稔】民主党の置き土産、外国人への社会福祉問題[桜H25/2/22]
http://www.youtube.com/watch?v=DScjGw87gws#t=6m









.
493満州風坦々ラーメン:2013/02/28(木) 22:13:14.91
しかし最近は稗箕狐が出て来ないな。
あの男が読んでいるならここに書きたいことがいろいろあるのだが、
あの男が読んでないならつまらないので書かないことにしよう。
494日本@名無史さん:2013/03/01(金) 00:08:21.06
この画像を見て気づくのは、天手力男と賽銭箱の金の御紋くらい。
他に見る人が見ればわかるすごいところがあるらしいですが、どなたか御座いませぬかあ。
といわれてもねえ??
http://takachiho-kanko.info/sightseeing/detail.php?log=1338295932
495満州棒棒鶏:2013/03/02(土) 12:25:19.36
ネット史の<烽上帝>紀にこんな記事がある。
鮮卑に<西川>神宮が破壊されたので、それを修復せよという王令が出た後の記事である。

<班玉ュ>玉, 輸于<西川>, 一人負二玉板, 連絡長亘, 顚死于道者亦多,
破玉抵罪者, 日以百, 數相與爲盜而{劫}, 官軍官不能禁之. AD298

人民が、それを運ぶのが苦役になるほど玉が採れたのである。
どうだ、私の満州説を冗談と思っていたら痛い目に遭うぞw
496日本@名無史さん:2013/03/02(土) 12:33:20.67
>>492また朝貢団を組んで中国様に貢物を届けに行くんだよ。
小宮山団長は、中国系帰化人だし、しょうがないじゃないか。
アメリカだって出身国であるイギリスやフランス、スパニッシュ、
本国寄りの政治家は多いですよ。
日本も単一民族国家ではなく、人種のるつぼだったのだから、
そういうのは当たり前です。
497日本@名無史さん:2013/03/02(土) 23:38:12.47
大阪市の住吉大社の歴史の方が卑弥呼より歴史が古い件
大阪市の四天王寺の方が奈良の法隆寺より歴史が古い件
498日本@名無史さん:2013/03/03(日) 23:18:10.09
>>491

四天王寺は蘇我氏に滅ぼされた物部守屋の土地を没収して守屋を鎮魂するために聖徳太子
によって建てられた。

初めに建てられたのは玉造のモリヤの森(現在の森ノ宮)だが、キツツキの大群によって、壊された
ので、現在の位置に高い仏塔を建てて再建した。
四天王寺には貧しい人や孤児、病人を救うため非田院が設けられ、浮浪者などは、五重塔の
脇にあった引声堂の床下に住み着いて、昼は村々に物乞いをするようになった。
これが、愛隣地区の原型である。大阪が弱者に優しいといわれるのは、この四天王寺が
原点なのである。
499日本@名無史さん:2013/03/03(日) 23:19:11.74
>>498

>>491ではなく、>>497のアンカーミス
500満州春雨スープ:2013/03/04(月) 09:23:13.09
四天王寺というのは朝鮮でも造られている。
三国史記や三国遺事に書いてある。
501日本@名無史さん:2013/03/04(月) 20:27:14.68
マン臭さんは流石に着眼点が違いますねぇ(棒読み)
502日本@名無史さん:2013/03/04(月) 21:58:25.75
>>498四天王寺は古墳の上に作られている。
なぜ、そんなことをしたのかずっと疑問だったけれど、
もとは物部氏の領地だったと分ければ納得がいく。
聖徳太子は古墳文化とは縁もゆかりもない征服民の出身だということです。
503日本@名無史さん:2013/03/04(月) 22:29:14.01
住吉大社の祝家(宮司家)であった名門、津守氏は
天火明命(天照国照彦天火明命/天照御魂大神)を始祖とする尾張氏(真清田神社、熱田神宮)や海部氏(籠神社)等の枝族で同族。
同じく、伊勢の外宮禰宜家(宮司家)の渡会氏とも同族。
籠神社の海部家当主は始祖、天火明命より83代。
仮に一代当たり平均20年と見積もって、天火明命は1640年前となり今年2013−1640=373年(四世紀)の人。
ちょっと違う気もするので
また、一代当たり25年と見積もると、2075年前のお人
これだと、−62年。紀元前一世紀中庸。前漢の末期。
(一説に素戔嗚尊と目されるお方が朝貢したとされる時期と重なる)

記紀から神武天皇と同時代と思われるのが天火明命の三世孫(ひ孫)の椎根津彦命こと倭宿禰命。
籠神社の海部家当主からは79代前にあたる方。
同様に、とりあえず一代を25年を仮託して時代を求めると
倭宿禰命は現在より
1975年前のお方となります。
2013−1975=西暦38年。紀元一世紀の方
同様に神武天皇も同時期に生きた方となる仕儀

他方、同様に天皇家は今上天皇で125代だと言われます。
一代の治世の平均値が十数年。
仮に15年とすると、
1875年前の紀元138年頃。二世紀の初期
一代16年にすると、丁度2000年前。西暦紀元頃、一世紀が神武天皇の生きた時代

となるとどうも一世紀から二世紀にかけてが神武天皇の生きた時代となるようです
504日本@名無史さん:2013/03/04(月) 22:50:30.14
なかなかおもしろき推定、されどちと的が遠すぎるな
其々推古天皇辺りから遡って御先祖さまを推し量ってはいかがかと思うが?
505満州春雨スープ:2013/03/04(月) 22:56:52.50
君らは古代文献の系譜の基本というものが理解できていない(苦笑)
506日本@名無史さん:2013/03/04(月) 23:05:48.15
さような論評のみでは話が足踏みするだけ、
もう一歩二歩踏み込んでカキコしないと、生きてるうちに満州までたどり着かんのじゃないの
けっこうな御年のようだし。
507日本@名無史さん:2013/03/05(火) 01:32:00.53
古代史の話って、飛躍したトンデモ話が連発する。
もう、うんざり。
508日本@名無史さん:2013/03/05(火) 03:28:50.47
そう、トンデモはいくら繰り返してもしょせんトンデモ。無視すればいいんだよ。
倭人伝どおりの行程で唐津に至る、ここまでは問題なし。
伊都国を怡土に比定しているのがまちがい、倭人伝どおりに進んで佐賀市付近。
行程記事の読み方としては、順次式か放射式、これが学者が認めるまともな読み方
順次式をとると九州内には収まりそうもないとなれば放射式しか残らない。
そのとおりに進めば、南九州。行程記事、遺跡、風土すべての天で倭人伝に合致
何の問題もないね。
509日本@名無史さん:2013/03/05(火) 08:41:48.13
一番記述に近いのは四国だよ。
510日本@名無史さん:2013/03/05(火) 08:49:28.56
発掘されたものを見ると、一番近い文化圏は吉野ヶ里だな。
四国は全く違う。
511日本@名無史さん:2013/03/05(火) 08:55:23.54
吉野ヶ里は気候が合わないし海人の里とはいえない。
四国は丹山があって冬温暖な海部がある。
大体伊予ニ名島、伊予の島だね。二名とはイヨ=トヨの事だ。
記紀も素直に読まなきゃなw
512満州春雨スープ:2013/03/05(火) 09:38:53.33
2ch 四国と九州 殴り合ひ
513日本@名無史さん:2013/03/05(火) 10:58:02.56
四国はつまみ食いしてかき集めないとダメだよね。
九州は気候も埋葬物もみな一致するな。
514ひまじん:2013/03/05(火) 11:11:12.01
>>508
>行程記事の読み方としては、順次式か放射式

二者択一ではない。
分岐式がある。

伊都國と不彌國で分岐する読み方である。
伊都國でルートが奴國と不彌國に分かれ、
不彌國でルートが投馬國と邪馬台国に分かれる。


四国は論外、四国は侏儒國なり。
四国は前方後円墳の伝播ルート。
515日本@名無史さん:2013/03/05(火) 11:16:07.69
分岐式はないね。まともな学者は相手にしていない。
516日本@名無史さん:2013/03/05(火) 12:11:34.34
四国が有力になると九州説は完全死亡だよ。
そりゃ必死にはなるよなw

畿内は阿賛との関係が深く、モモソも讃岐で幼少期過ごしてる。
畿内説の矛盾である方角の誤差を補うのが四国の存在だろう。
517日本@名無史さん:2013/03/05(火) 12:16:03.05
   
分岐式は、アホな学者がわが身保全で相手に出来ないだけ。

分岐式は古田無視に反するから
518満州春雨スープ:2013/03/05(火) 12:19:12.20
2ch珍説コレクション

>モモソも讃岐で幼少期過ごしてる。
519日本@名無史さん:2013/03/05(火) 12:23:52.11
行程は自分の家から郡に逆行して考えるのが2chでの正式な解釈となります。
520日本@名無史さん:2013/03/05(火) 12:24:44.46
>>518
そんな事も知らないのか?
モモソ母のハエイロネは淡路島にいるよ。
淡路島といえば勿論国生みの重要地なのは言うまでもない。
521満州春雨スープ:2013/03/05(火) 12:26:02.25
2ch珍説コレクション

>四国は侏儒國なり。

沢山の 珍説が出る 2ch
522日本@名無史さん:2013/03/05(火) 12:33:03.39
珍説の総大将が満臭爺さんだけどな
523日本@名無史さん:2013/03/05(火) 12:43:09.26
私も邪馬台国の研究を始めたときは、まさか私の家が倭王の家系だとは
思いもよりませんでしたので驚いております。
524日本@名無史さん:2013/03/05(火) 12:59:22.92
まあ、四国説はフィリピン説同様、雑多な
泡沫説だから相手にする気もしないけどな。
525日本@名無史さん:2013/03/05(火) 13:10:47.84
四国説をあおってるのは、マスコミ・出版関係者だろ
526日本@名無史さん:2013/03/05(火) 13:20:29.09
与太話でも邪馬台国ファンは買うからねえ
どんどん新説を出してくれないと本が売れないし
527日本@名無史さん:2013/03/05(火) 13:27:31.32
四国説の本なんて今まで皆無じゃないの?
個人にはネットで知るようになったし。
でも盲点だから皆狙ってるのかもね。
状況証拠的にはかなり揃ってきてるのだろう。
528日本@名無史さん:2013/03/05(火) 17:35:47.95
徳島は南方系かと思っていたが、思いの他色白美人が多かったので邪馬台国の候補地にはなる
529日本@名無史さん:2013/03/05(火) 18:52:00.15
まあ、畿内説がだめなら四国という単純発想だろう。
九州にだけはとられたくないってね。
530日本@名無史さん:2013/03/05(火) 21:15:41.80
まぁ九州説は既に終了してるしな。
東遷説も四国や讃岐からなら考古学的にも説明がつくし。
531日本@名無史さん:2013/03/05(火) 21:36:22.75
君らは、古墳時代に書かれた文献をちゃんと読んでいないようだな。
532日本@名無史さん:2013/03/06(水) 00:03:17.79
始まってすらいない四国説など、圏外だからどうでもよいが、
九州のどこかだけが問題と言える。
533日本@名無史さん:2013/03/06(水) 08:29:35.71
箸墓を四世紀にしても必然的に阿賛辺りの円墳が候補となる。
まぁ九州説は既に終了だよ。
534満州春雨スープ:2013/03/06(水) 09:11:11.54
四国人 必死の抵抗 あゝ空し
535日本@名無史さん:2013/03/06(水) 09:18:20.04
満臭が否定するなら正解だなw
536日本@名無史さん:2013/03/06(水) 09:24:40.07
四国ばかり言うから牡プレイまでオレンジルートへ。
537日本@名無史さん:2013/03/06(水) 11:14:47.76
邪馬台国に無縁の四国だから
オスプレイがドンドン墜落しても安心。
538日本@名無史さん:2013/03/06(水) 11:28:13.29
倭人伝の距離や方向を無視するならば、
一番倭人伝の記録に一致するのは吉野ヶ里である。

もし吉野ヶ里が畿内にあれば、ほぼ確実に邪馬台国認定されただろう。
539日本@名無史さん:2013/03/06(水) 11:45:52.36
邪馬台国そのものだもんな、吉野ヶ里は。
でもこれは邪馬台国じゃないだろう。
三十余あった傍国のひとつだよ。
540日本@名無史さん:2013/03/06(水) 11:55:42.84
吉野ヶ里信者は涙目だなw
541日本@名無史さん:2013/03/06(水) 12:37:44.08
吉野ヶ里程度の所は九州内にはたくさんあったということだ。畿内にはないがな。
542日本@名無史さん:2013/03/06(水) 12:37:45.16
吉野ヶ里は、邪馬台国と同一の文化圏に間違いない。
539の指摘通り、傍国だね。
543日本@名無史さん:2013/03/06(水) 13:03:15.55
>>541
いくら脳内で想定してもダメだよ。
吉野ヶ里級の弥生遺跡なら現状でも中国・四国、
畿内や東海にも当然ある
544日本@名無史さん:2013/03/06(水) 13:04:11.92
吉野ヶ里は集落内に大量の共同墓地を造るという特殊性があるから
邪馬台国と同一の文化圏かどうかはわからない
そんな遺跡は他にないから
545日本@名無史さん:2013/03/06(水) 13:09:45.91
吉野ヶ里級が、畿内にあったっけか?
山陰、熊本なんかにはあったはずだが。

それに大きさだけではなく、逆茂木や望楼、
鉄族、錦などが、倭人伝の記録に一致する。

これほど一致する遺跡は他にはない。

もっとも距離や方向が一致しないから、
吉野ヶ里を邪馬台国とするつもりはない。

似たような遺跡が、九州にはいくつかあったんだろう。
546日本@名無史さん:2013/03/06(水) 13:36:46.67
>>544

吉野ヶ里が戦地だったから墓が特殊なだけで、文化は共通。
547日本@名無史さん:2013/03/06(水) 14:15:38.09
吉野ヶ里遺跡がすごい遺跡であることは間違いない。畿内説に宣伝させたら
間違いなく邪馬台国になる。纏向からなんか知らんが、建物跡が出ただけで
邪馬台国決定みたいな風潮にしてしまったからなあ。

熊本県の方保田東原遺跡もすごい。出雲の妻木晩田遺跡もすごい。
大和を代表する唐古・鍵遺跡は期待100、成果0のすごい遺跡だった。
548日本@名無史さん:2013/03/06(水) 14:56:56.58
戸数的に現時点で弥生遺跡最大級は高知の田村遺跡なんだが。
畿内なら河内にも多い。奈良の鍵唐古遺跡も大きいしな。

大体巻向だって実は芝遺跡、大福遺跡と隣接しているんだよ。
下手すりゃ藤原京級かもしれんのに。
549日本@名無史さん:2013/03/06(水) 15:03:06.62
四国はイヨの国って明記してるじゃんw
お前ら日本の正史すら読めないバカ?
550日本@名無史さん:2013/03/06(水) 15:03:27.54
一所懸命邪馬台国に仕立て上げようとしては失敗する畿内の遺跡にくらべて
九州のは普通に邪馬台国そのもの、というか魏志倭人条の記述そのもの。
福岡市西区の五郎江遺跡もすごい。環濠集落の規模としては吉野ヶ里にも匹敵する。
五郎江もそうだが畿内では保存されるレベルの遺跡も九州では埋められその上にマンションが建てられる。
551日本@名無史さん:2013/03/06(水) 15:03:33.21
畿内は掘っても掘っても邪馬台国らしい所が出てこない。しかたなしに、吉備国から
遷ってきたとか、考古学者も苦労しているな。
552日本@名無史さん:2013/03/06(水) 15:07:40.92
河内というか、姫路、明石方面の兵庫県を、再評価すべきであろう。
兵庫県の弥生遺跡の豊富さは、九州に負けていない。
また、低湿地ではなく比較的標高の高い微高地、丘陵地が多い。
これは、弥生時代の早期、中期に発展しやすい地勢である。

これらの勢力が弥生後期に入り、低湿地の灌漑排水技術をもって、
奈良、大阪を開拓したのではなかろうか。

むろん、愛知東海方面からも参入した勢力はあっただろう。
553日本@名無史さん:2013/03/06(水) 15:13:56.41
同様に熊本平野も比較的標高が高く、丘陵地が多いため、
弥生時代の早いうちに発展したと考えられる。

そして、八代や筑紫平野の低湿地に進出していったのだろう。

佐賀県の小城から大和、神崎、鳥栖の市町村の形は、
細長い形をしている。
山の麓から始まり、海や筑後川に向かって細く伸びていくのである。

おそらくは海が後退していき、陸となっていき、それに従って、
伸びていく川にそって、クニも広がっていったのだろう。
そして、小国の国境もそのまま海に伸びていくのである。
554日本@名無史さん:2013/03/06(水) 15:28:26.36
吉備や四国に武器はない。他国を侵略するような力はないさ。
555日本@名無史さん:2013/03/06(水) 15:48:39.53
>>550
そんなのはどこも同じだw
京阪神地区なんてどんだけビルの下にあるかわからないんだよ。
556日本@名無史さん:2013/03/06(水) 15:51:40.76
>>554
アホだな、九州勢力が畿内に入ってるなら
なんで正式な記録に書かないんだよw
神武東征話では武力勝負じゃ負けたと明記してあるぞ。
557日本@名無史さん:2013/03/06(水) 16:09:35.35
負けたなんて書いてないね。いろいろ苦労はあったが結局は勝利したと
書いているんだよ。
558日本@名無史さん:2013/03/06(水) 16:17:17.20
記紀では正面から挑んだ河内の戦いでは負けてるはず。
熊野から迂回しても結局吉野や宇陀の連中の力を利用してるしな。
しかも先導役は瀬戸内海のウズヒコ。
九州勢力なんて全く活動してないよ。
559日本@名無史さん:2013/03/06(水) 16:28:17.89
そのへんは協力者が多いことで正当性を上げると言うか…
そんなん言えばキリがないから禁句なんだろうが。
ただ吉備の中立以上の好意的態度がなければ不可能なのは確か。
北部九州も吉備も中立以上に支持していた状況とはなんなんだろな。
560日本@名無史さん:2013/03/06(水) 17:10:40.62
>九州勢力なんて全く活動してないよ。
九州勢力が畿内に入ったことは認めているわけだ。景気よく勝ったか苦労して
勝ったかなどはどうでもいいことだな。
561日本@名無史さん:2013/03/06(水) 17:13:27.25
神武東征は結局四国の周囲の勢力をまとめて
畿内に入る話だろう。。。
先導役が珍彦なのはそういう事だ
吉野に入ってからなんて殆ど内戦状態だぜ
562日本@名無史さん:2013/03/06(水) 17:14:37.68
鉄を持つ九州勢と言えども、アウェーでの戦いだからな。
ホームの連中よりは不利だろ。

で、色々と工夫して、色々味方につけて勝ったと。

攻撃3倍の法則、攻撃側は守り側の3倍ないと勝てない。
あと攻城5倍則、上陸十倍則など。

古来からそれをひっくり返そうと工夫しているのが、戦の歴史である。
563日本@名無史さん:2013/03/06(水) 17:17:27.37
>>560
入っても紀元前の話だという事だよw
なので邪馬台国東遷説なんてのは、既に存在出来る余地はない。
564日本@名無史さん:2013/03/06(水) 17:35:14.09
じゃ記紀には書いてないってだけだろ。記紀にないからといって東遷がかなかったと
いうことにはならんよ。
九州勢力が優秀な武器を持ち、畿内勢力が武器を持たなかったことは考古学的に明白だ。
565日本@名無史さん:2013/03/06(水) 18:21:14.14
吉野ヶ里から出土した人骨の内、殺傷痕があるのは全体のわずかでしかない
推定15000基以上という他の弥生遺跡に比べて桁違いの墓の多さだが
残念ながら3000基足らず、300体を掘り出して調査終了してしまった
日本の酸性土壌では、甕棺以外は人骨は残りにくいので
できれば再開して、朝鮮半島から日本にもたらされた病原菌ウィルスの研究等
遺伝子レベルでの古人骨の研究のためのサンプル数をふやしてほしい
そういう意味で重要な遺跡だといえる

殺傷人骨は弥生前期から中期にかけては北部九州、後期には山陰で多く見つかっているが
戦争によるものかどうかは証明されていない
弥生時代の殺傷人骨のほとんどは渡来系の特徴を示している
566日本@名無史さん:2013/03/06(水) 18:59:31.50
>>564
九州勢力は成敗される対象なのに、東遷なんて
どう足掻いても成立しないよw
567日本@名無史さん:2013/03/06(水) 19:23:17.72
だれか「それでも九州スレ」立ててくれよ
568日本@名無史さん:2013/03/06(水) 19:44:30.68
成敗される対象の文化が日本中に広まって、成敗した立場の銅鐸文化が消滅したのかね。
いやあ、おもしろい説だ。
569日本@名無史さん:2013/03/06(水) 19:48:10.98
神武天皇って九州時代に畿内のことを蝦夷って言ってたよな
570日本@名無史さん:2013/03/06(水) 19:54:07.11
ここには一言主しかおらんのか
571:2013/03/06(水) 20:01:12.47
自己紹介か?
572日本@名無史さん:2013/03/06(水) 20:41:17.55
それでも邪馬台国は九州にあった23
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1362570007/
573日本@名無史さん:2013/03/07(木) 00:03:49.24
>>569
結局、大陸、揚子江沿岸から渡来した奴らが九州である程度の勢力をつくり
それが東へ東へと広まっていたということ。
日本海を渡って出雲や畿内にも大陸文化(銅鐸文化)が入っては来たが
結果的には揚子江系の九州の勢力が日本を席巻した、それだけのこと。
574日本@名無史さん:2013/03/07(木) 00:15:03.54
中国人に憧れる九州人
575日本@名無史さん:2013/03/07(木) 00:45:46.03
と言う奴も元は九州人
576日本@名無史さん:2013/03/07(木) 00:55:21.20
>>568
大陸の影響があっただけで、九州の文化なんて別に広がってないぞw
577日本@名無史さん:2013/03/07(木) 01:04:59.93
2chの九州人は日本人の意識がまったくないなw
578日本@名無史さん:2013/03/07(木) 01:20:03.35
古墳時代の文化は九州の文化だな。
579日本@名無史さん:2013/03/07(木) 02:05:15.06
もはや九州脳だなw
薬が要るレベルだよ
580日本@名無史さん:2013/03/07(木) 03:08:49.57
お前につける薬はない
581満州七色仮面:2013/03/07(木) 09:13:48.54
ちまちまと 物考える 九州人

勝海舟が、維新後に、薩摩の人間などは、大金を扱ったことがないから、
考えることが小さいね、とかなんとか言っていたような気がする。
九州説の人間の書いていることを見ると、それを思い出す。

大和朝廷は、君ら(畿内説の人間も含む)の思っている以上に、
満鮮の奥深くに進出していたのだよ。
582日本@名無史さん:2013/03/07(木) 09:39:50.40
満鉄調査部OB仮面 乙
583zarakoku:2013/03/07(木) 10:13:44.13
申し訳ございません。またYahooの管理者の逆鱗に触れて?、投稿不能でしたので、こちらの大和説者のスレッドの方に投稿させて頂きます。

またごましおさんへのお返事の続きです。

>>盗掘も受けていない墓と盗掘を受けた稲荷山の粘土槨とは、始めから比べようがないし、比較にならないし、<

>野毛大塚古墳は、稲荷山古墳と同じ武蔵国内の巨大古墳の例。
 埼玉古墳群と同程度の規模と副葬品をもつ豪族は、武蔵国内にすらいるんだよ。
 だから稲荷山古墳の被葬者が、「関東の大王」なんて到底言えない。<

 いや、関東の毛人蝦夷には、沢山のいろんな部族があった、とだけの事で、
 さきたま古墳群の初元的な稲荷山には、主葬者を「大王」と呼んだ鉄剣が副葬され、その都の磯城宮が両毛の境界付近に現存している、
 というだけの事だ。

>そして、同じ埼玉古墳群内の前方後円墳の被葬者の副葬品と比較してみよう。
 盗掘を受けていない将軍塚古墳の副葬品との比較だ。
 稲荷山古墳礫槨の副葬品には、大和朝廷のガレリアたる鏡、剣、玉がそろっている。
 つまり一族の頭領たるにふさわしい副葬品だ。
 同様に、将軍塚古墳も同様。<

 三種の神器は倭国の天孫族の神器であり、関東もその影響を受けただけだ。

>稲荷山古墳:鏡(画文帯環状乳神獣鏡)、剣(鉄剣2、直刀4)、玉(硬玉勾玉1)
 将軍塚古墳:鏡(彷製乳文鏡)、剣(金銅環頭太刀、銀製太刀2)、玉(水晶三輪玉2、金銅三輪玉2)
 もちろん馬具、甲冑など、その内容は畿内の古墳の副葬品の種類とほぼ同じ。<

 馬具は、列島では毛人蝦夷が先進的であったし、
 甲冑も、列島に普遍的に出土するものだ。
584日本@名無史さん:2013/03/07(木) 10:45:44.70
>>583
古田説は終わった、畿内説も終わった、投稿は無駄無用。
585日本@名無史さん:2013/03/07(木) 18:25:18.45
まぁ少なくともイヨの国は四国で確定。
記紀の御墨付きだよ。
586満州鉄仮面:2013/03/07(木) 18:32:37.28
四国人 イヨは四国で 味噌を付け
587日本@名無史さん:2013/03/07(木) 19:35:12.85
オレンジの産地が倭国だね、トキジクの果実。
588日本@名無史さん:2013/03/07(木) 19:48:52.80
非時の香菓(ときじくのかぐのみ)とは難升米が魏からもらった黄幢のこと
そして黄幢の骨組みは黒塚古墳から出土

http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2008_09_15.htm
589日本@名無史さん:2013/03/07(木) 19:59:26.22
さらにこれが変化して三角縁神獣鏡の笠松文様になった
590日本@名無史さん:2013/03/07(木) 20:09:43.97
非時の香菓とは、バナナだろ。
591日本@名無史さん:2013/03/09(土) 01:05:47.84
登岐士玖能迦玖能木實
登岐玖士能迦玖能木實
tuki-kusi-no-kagu-no-kimi
tuki-kusi~kagu~kimi
月九州
筑紫
月支   迦玖 雞彌   

かぐやひめ
赫映姫
筑紫迦玖君
月支迦玖君
迦具漏比賣
592日本@名無史さん:2013/03/09(土) 01:56:43.31
月支国 馬韓か 「辰王治 月支國」
593日本@名無史さん:2013/03/09(土) 03:31:23.22
594日本@名無史さん:2013/03/09(土) 07:39:44.49
>>502
聖徳太子は前方後円墳を大切にしていたからこそ、それを仏教式で再現したんだよ。
日本固有の法隆寺や四天王寺の構造は前方後円墳の解明に役立つわけ。
すなわち、

仏舎利(五重塔=後円部)+礼拝堂(金堂=前方部)
595日本@名無史さん:2013/03/09(土) 08:01:33.23
そんな聖徳太子の墓はいずこ?
596日本@名無史さん:2013/03/09(土) 08:32:42.60
聖徳太子が建立した法隆寺(東西)と四天王寺(南北)は、まさに前方後円墳文化の仏教的な翻訳。
これが「古墳時代の伝統を大切にする日本ならではの寺院」として、各国府に建てる寺院(後の国分寺)のモデルとされたんだよ。
まさに神仏習合(古墳+寺院)を聖徳太子が発明し、仏教を短期間に全国に普及することに成功し、
日本における(仏教を中心とした)律令国家の成立を大幅に早めたといえる。
597日本@名無史さん:2013/03/09(土) 08:55:52.32
ナポレオンがノートルダム大聖堂で戴冠式を催したように、
各地の国司が国分寺で就任式を盛大に催したのかもしれんな
ちょうど前方後円墳で行われた大王(首長)霊継承儀式のように、、、
598日本@名無史さん:2013/03/09(土) 09:05:23.99
地方にどれだけ仏教が浸透していたか
とくに学識のある僧侶が少ない時代においてはどれだけ正しい仏教知識が広まっていたか
古墳時代中期頃なら、国境の峠などで儀式をした跡が発見され
石製の模造品が出土する
これらの儀式は中央から派遣された官や在地の有力者が行っていたようだが
仏教も早い時期から変質してしまっている可能性がある
599日本@名無史さん:2013/03/09(土) 09:17:09.23
>>594
聖徳太子は、日本古来の古墳文化を率いていた物部氏と、大陸伝来の仏教文化を導入しようとする蘇我氏両方の血を引いていたからな

両者の神仏戦争はわが身を引き裂かれるような思いだったろう
馬子に言われて守屋を滅ぼしはしたが、その後守屋邸跡に四天王寺を建てて手厚く葬っているところを見ると、
日本における神仏習合を発明するためにこの世に生を受けたような御仁やもしれぬ
600日本@名無史さん:2013/03/09(土) 11:27:37.38
で、聖徳太子とは誰?
やっぱりアマタリシヒコの事でOK?
だとすると奈良というより阿波周辺にいたような感じだが。
601日本@名無史さん:2013/03/09(土) 12:43:13.76
日本は弥生時代〜明治維新までは中国化、戦前までは英国化、戦後は米国化することで社会を進化させてきた

卑弥呼…銅鐸→銅鏡
聖徳太子…神道→仏教
天武…氏姓国家→律令国家
藤原氏…律令国家→荘園国家
頼朝…荘園国家→武家国家
薩長…明治維新&戦後民主化

日本国民=日本銀行(皇室)と日本経団連(薩長財閥)の使用人

使用人に人権はない
602満州月光仮面:2013/03/09(土) 13:04:07.83
人類の歴史は概ね次のような過程を経てきたのである。

古代→ 偉大な霊的指導者が民族を導いた。
中世→ 武力を持つ者が統治者となった。
近代→ 議会制民主主義の時代。

問題はその線引きである。
日本の天皇が果たして武力によって支配者となったのかどうか、ということである。
学者は大体においてそのように考えているようだが、それは疑問である。
天皇というのは、もともと日本民族を導く偉大な指導者だったかもしれないのである。
そういう視点があれば、天皇や記紀に対して敬意が生まれる。
そういう視点がないと、天皇や記紀を軽んじることになる。
603水銀厨:2013/03/09(土) 15:15:43.95
日本の指導者で思い出したのだが、今私は
お水取り真っ最中で色々話を聞いたりしております。

伊賀の山越えをして火を運んだりとか、
拝火教の影響がある等も興味深いですな。

で、有名な青衣女人の話ですが、結局誰なんでしょうね?
中国の古典を連想させるような話ではありますが…
604満州月光仮面:2013/03/09(土) 17:28:12.05
青衣女人。初めて知った。

実は僕は昔、中将姫について調べてみたことがある。
そういう女人がいたと知って興味を持ったのである。
中将姫が実在の女人なのかどうか、奈良から特別な資料も取り寄せて、
半年ほど徹底的に調べたが、結局分らなかった。
おそらく創作された女人なのだろうが、ロマンがある。

聖徳太子の血統に興味を持ったのもその頃で、それが知りたくて紀を読んだ。
で、蘇我氏の血が実に偉大であることを知った。蘇我氏の血が聖徳太子を生んだ。
蘇我氏というのは、おそらく非常に優秀な一族だったのである。
605水銀厨:2013/03/09(土) 18:14:15.13
青衣女人の話は怪談めいた話ではあるが興味深いですよ。
東大寺に対して偉人や功績のあった人物を読み上げるのだが、
「何故私の名前が呼ばれないのか?」と恨み事を言う為に現れる話。
青衣女人なら黄帝の娘にもあたる人物を思わせます。
勿論年代も全然合わないのだが、こういう説話があるのが
お水取りの面白い点だよ。
606日本@名無史さん:2013/03/09(土) 18:22:55.55
俺の読んだ本では、蘇我馬子と聖徳太子が同一人物と
書いてあった。
607日本@名無史さん:2013/03/09(土) 19:29:10.70
まだ東征・東遷が否定されたってのが、九州説を否定する根拠になると思ってるバカいるのなw
逆だろがアホw
608日本@名無史さん:2013/03/09(土) 19:38:05.95
日本は、白村江の戦に敗れ、朝鮮半島での利権をすべて失った。
日本へ亡命してきた帰化人同士が、百済系だ高句麗系だ新羅系だと争っている状況ではなくなった。
富国強兵に努め、部民制を廃止、公地公民としてすべてが大和朝廷に帰属することになった。
明治維新以上の大きな政治的転換だったのだろう。
その時、古い記録を全て焼きすて、焚書は徹底されたのだ。
新しい日本の歴史教科書、古事記や日本書紀が編纂された。
こうして、日本は新しい国へ生まれ変わったのです。
609日本@名無史さん:2013/03/09(土) 20:23:51.63
邪馬台国=宇佐八幡説を今でも主張している人はいるの?
610日本@名無史さん:2013/03/09(土) 20:29:25.87
宇佐神宮は瀬戸内海文化圏だからねえ。
玄界灘文化圏の筑紫や、有明海文化圏の肥国とも、
外れている。
611水銀厨:2013/03/09(土) 20:40:51.50
東遷自体は否定しないが、三世紀以降に
九州勢力が畿内に政権を建てるなんて話は絶対無いですね。
倭王讃や珍なんて、どうみても瀬戸内海周辺基盤の名です。
612日本@名無史さん:2013/03/09(土) 21:11:57.15
>>609
今でも宇佐が本命でしょう。
613日本@名無史さん:2013/03/09(土) 21:17:50.27
九州説だが、政権を立てるという大規模侵攻は否定的。
ごく少数の一部族や個人が、移民で隙間に収まる程度と見る。
614日本@名無史さん:2013/03/09(土) 21:20:09.92
宇佐は雰囲気があわないねえ
むしろ大和王権が確立したあとに作られた、卑弥呼宮室の身代わり神社かな
615日本@名無史さん:2013/03/09(土) 21:48:18.36
ヒミコって「ヒ」の国の巫女って意味だとおもうが
だとすれば「火の国」(後に「肥の国」)の巫女って考えるほうが自然じゃね?
邪馬台国は今の筑後川流域
トヨは「豊の国」の巫女だったんでしょう
玉依姫と豊玉姫(トヨ)は宇佐八幡の小椋山の石棺に眠っています
もちろん玉依姫は神武天皇のママで豊玉姫はおばあちゃんです
616日本@名無史さん:2013/03/09(土) 22:40:24.12
>>615
無知無学無神経
オマエハサイテーダ
617日本@名無史さん:2013/03/09(土) 22:46:20.04
>>616
という>>616こそが
睾丸に鞭短小包茎50才無職童貞無学無神経サイテー男なのであった
618日本@名無史さん:2013/03/09(土) 22:49:34.38
【高木~】之女 【萬幡豐秋津師比賣命】
      生子 【天火明命】
      次  【日子番能邇邇藝】

 これのは   【日子火之邇邇藝】 の方のがすなお。
619日本@名無史さん:2013/03/09(土) 22:54:50.47
>>618 のは 「番能」にしちゃってるいみは

      生子 【天  火  明命】
      次  【日子火之邇邇藝】

こゆうふうにならべると 天と日のの兄弟統治みたいのがばれちゃうからかな?

 
620日本@名無史さん:2013/03/09(土) 22:59:00.21
>>615
発想が素晴らしい
621日本@名無史さん:2013/03/09(土) 22:59:16.70
日継皇子
622日本@名無史さん:2013/03/09(土) 23:13:51.55
>>615
隣にイヨの国というのもありますが?
623日本@名無史さん:2013/03/09(土) 23:21:32.56
>>622
四国説の方ですか?
さすがに四国は無理でしょう
624日本@名無史さん:2013/03/09(土) 23:50:55.48
>>623
だが伊予二名島という名は事実だ。
おまけに日本の正史でも国の始まりが淡路島だという現実もある。
625紫敷布:2013/03/10(日) 12:22:46.73
>>617
なによこの下品な言葉!さいて〜ね。
>>616の人は直接指摘してないけど、筑後川流域は火の國(後に「肥の国」)の領域じゃないわよ。
邪馬台国が筑後川流域で卑弥呼は火の國の巫女ってどういうことよ。
626日本@名無史さん:2013/03/10(日) 13:48:02.54
ヒミコは複数国の合議で選ばれた巫女でしょ
一国から選出するとかじゃない
627日本@名無史さん:2013/03/10(日) 15:18:52.87
卑弥呼に関しては擁立した国々に伝承が残るものだよ。
呼び名も方言と同じで微妙に変わるだろうしな。
なので各地に似たような伝承が残ると考えてよい。
浦島太郎の伝承と同じ。
628日本@名無史さん:2013/03/10(日) 18:09:32.31
おそらく、卑弥呼の「ひみ」とは吉備のことだろう。
時代は大きく下がるが、吉美侯部(きみこべ)または吉弥侯部(きみこべ)は部民およびその氏として残されている。
続日本紀では公民や官人としての君子氏や君子部氏、吉弥侯部氏、吉弥侯氏が記載されているが、
類聚国史の「俘囚」の項には多くの吉弥侯部氏や吉弥侯氏が記載されている。
邪馬台国は先住民、大和を征服した神武に従った吉備のことだ。
629日本@名無史さん:2013/03/10(日) 18:29:12.16
【高木~】之女 【萬幡豐秋津師比賣命】
      生子 【天  火  明命】
      次  【日子火之邇邇藝】

                 とくると

【高木~】之女 【馬渡 火 明 師 日女】 (馬=午=南)
      生子 【天  火 明】
      次  【日子 火 邇邇藝】
630日本@名無史さん:2013/03/10(日) 19:20:17.24
合議で選ばれた巫女のトップがヤマタイ国に奉じられて神事を行う
ヤマタイ国とは神を祀る神聖な国だったんだよ
サーヤ様と伊勢神宮みたいに
631日本@名無史さん:2013/03/10(日) 20:30:58.07
聖徳太子はなんで隋 に住まなかったんだ。仏教マニアなのに
小野妹子にしても帰還した。
632日本@名無史さん:2013/03/10(日) 21:17:37.08
>>625
筑紫【つくし】
九州の古称で,記紀に竺志,《万葉集》に都久志(之)の表記があり,大宰府のある筑紫郡の小地名が,
のちの筑前(ちくぜん)・筑後(ちくご)2国を含む北九州一帯,さらに九州全体にあてられたとみられる。

佐賀が肥前、熊本が肥後。 
その間に割り込んで入ってる部分も元々は「火の国」だったと考えるべきだろう。
633日本@名無史さん:2013/03/10(日) 21:23:33.80
>>631
そもそも聖徳太子は実在、してなかった。らしい
634日本@名無史さん:2013/03/10(日) 21:51:54.19
木國之大屋毘古

須佐能男命所坐之根堅洲國

木國と根國もわるれないでね
635満州月光仮面:2013/03/10(日) 22:11:24.70
吉美侯部か。これは面白いヒントを貰った。
俘囚だから、もともとは蝦夷だろう。
蝦夷がどこから来たか、大体の見当は付いている。

そもそも四国人は○○、らしい。

稗箕狐の妄想もわるれないでね
636太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/03/10(日) 22:12:26.53
637太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/03/10(日) 22:30:51.08
第3部 満申す根愚
638日本@名無史さん:2013/03/10(日) 23:09:57.11
だいたいにおいて

須佐能男命が根堅洲國に居ること自体のが

天照の大嘘つきの証明だわな。

なんせ

須佐能男命は

僕者欲罷妣國根之堅州國 でえんえん泣く

でっ 天照は伊邪那岐に だめっていわせておる。。。

妣國は かあちゃんの國だから

水浴びして生んだとか嘘書かなくてもこれも良いのにね。
639日本@名無史さん:2013/03/10(日) 23:37:58.49
火の国の巫女なら天岩戸伝説のある高千穂にも近い
天岩戸伝説は日蝕に対する恐れの伝説化と思っていたが、
火山灰の影響を沈めるために巫女が必要だったのでしょうな
640日本@名無史さん:2013/03/11(月) 00:58:18.14
>>633

ちゃんと、太子町にお墓までありますけど。
641日本@名無史さん:2013/03/11(月) 01:21:05.26
>>640
何でその墓が明治12年にコンクリートで入口が塞がれ、
以来、誰も中に入っていないのか?考えてみよう。
642日本@名無史さん:2013/03/11(月) 01:24:39.46
火と日は違う。火の国はあくまでも火の国ですよ。
卑弥呼に火を連想させる記述なんて何処にもないからな。
643日本@名無史さん:2013/03/11(月) 01:36:08.36
>>641

太子町には推古天皇や小野妹子の墓など、当時の権力の中枢の墓所。漢字も入ってきていて
憲法などもできて、文字による文書も残っているのでほぼ間違いない。
644日本@名無史さん:2013/03/11(月) 04:42:56.27
そういや、大宝律令を作った時、17条の憲法は、意識されたのだろうか?
645日本@名無史さん:2013/03/11(月) 12:30:26.69
>>642
卑弥呼を『ヒノミコ』と呼んで、日御子と書くか火巫女と書くか。
日御子だったら、天照大神が連想され、火巫女だったら火の国が連想される。

意外に元は火で、やがて日になった可能性もあるかな?

特に関係ないがこんなのを見つけた。
http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/soyo/kanko/heitatejingu/heitatejingu_06.jpg
646日本@名無史さん:2013/03/11(月) 13:55:28.90
ヒは干潟のヒ
豊かな恵みを与えてくれる干潟のヒ
驚異的な潮の満ち引きは古代人にとって神秘そのものだったろう
647日本@名無史さん:2013/03/11(月) 14:12:42.00
そうか、稲作最適地=ヒのミコか。
648日本@名無史さん:2013/03/11(月) 14:24:17.77
干潟は海産物という恵みを与えてくれる
しかし稲作適地にあらず
古の稲作一等地は山麓である
649日本@名無史さん:2013/03/11(月) 14:45:45.12
海の干潟は潮で稲作などできんだろ
650日本@名無史さん:2013/03/11(月) 15:03:12.20
弥生時代の稲作はまず扇状地のような場所
ただし扇状地には長所も短所もある
長所は水を上から下へと自動的に引くことができる点で
短所は古代では傾斜地を平坦に均すのが難しかったために一区画の田の面積が狭くなること
今も中国や東南アジアに残る棚田の形をとる
次が湿地、氾濫原であるがこれは導水が楽ではあるが洪水になれば終わり
どちらも自然災害の影響を受けやすいし病虫害もあり
収穫は不安定であったため不作の保険としても交易が発達した
651日本@名無史さん:2013/03/11(月) 15:05:51.71
弥生前期、中期は山嶺に近いところの陸稲。
後期に近づくと海に近いところにまで、水稲の水田が広がる。

ここで、国力、人口が一気に伸びるが、
また、水害や旱魃などの影響もまた、大きくなる。

そして、大規模土木工事が可能な古墳時代につながる。
652日本@名無史さん:2013/03/11(月) 15:06:42.42
当時の稲作最適地なら奈良盆地しかないだろ。
しかも河内まで海と繋がるので、水運も完璧。
653日本@名無史さん:2013/03/11(月) 15:14:11.30
畑作全般に言えることだが、陸稲も土地が疲弊するので、
米を作り続けられない。大豆などを輪作して三年耕作し、
7年は休ませるなど、利用効率は良くない。

これが水稲で毎年続けられれば、土地の使用効率は、
二倍から三倍にアップする。
654日本@名無史さん:2013/03/11(月) 15:39:55.35
邪馬台国高千穂説の高千穂町一帯は、傾斜はあるが赤土多く、田も畑も豊らしい
行ったことはないが、何かに書いてあった
先日、高千穂棚田産のコメ喰ったらメチャうまかった、新潟米はその他大勢組みたいだった
655日本@名無史さん:2013/03/11(月) 17:41:16.41
日本最古の干拓は佐賀県で行われた。推古天皇の15年、605年大連秦河勝がおこなった九十九万代の干拓である
下って鎌倉末期に佐賀市の南、熊本県天明村、旧銭堵村の文献が残されている
肥国は干潟の国

佐賀県の農作物に対する塩害は・有明海沿岸やその近隣干拓地を中心に発生しやすい
また潮風害は台風等強風により海岸部から舞い上がった波しぶきが、農耕地に運ばれ農作物に付着し被害を及ぼす。
塩害の発生原因としては、海水の流入、塩分濃度の濃い用水の灌概、干拓地で見られる海水の湧き水、
未除塩土、旱魃時の塩分の濃縮等によるものである。
佐賀県での塩害は、主に新しい干拓地での未除塩土への作付けや灌概水への塩分の混入によって被害が発生している。

http://www.pref.saga.lg.jp/web/shigoto/_1075/_32933/ns-nousisetu/boujocenter/_10660/kisyougai/enngai.html
656日本@名無史さん:2013/03/11(月) 18:46:10.45
自分は熊本の人吉盆地産の米を愛用している者だが、小規模ながら干潟のある海岸で潮の干満を利用して
塩に強い品種の稲を作ってたのが水稲耕作につながったんじゃないかなあ。
657日本@名無史さん:2013/03/11(月) 19:10:56.62
宇土の向野田古墳から出てきた女王の腹は海産物で満たされてたらしいな。
干潟が豊かな幸を与えてくれる国だったんだろう。
658日本@名無史さん:2013/03/11(月) 19:12:02.00
>>654
高千穂に70000戸の集落を維持出来ると思うか?
659日本@名無史さん:2013/03/11(月) 19:22:48.03
肥後と日向が同一勢力で計70000戸
結節点で防衛にも最適な高千穂に中心拠点を置いた
とか
660日本@名無史さん:2013/03/11(月) 19:35:30.19
自分で書いてて無リがあるなとか思わないの?
持ってる地図は都市名しか書いてないの?
661満州ナショナルキッド:2013/03/11(月) 19:48:35.92
ここの連中はこういう話題が好きなのである。
考古学とか産業社会史とか…。
年がら年中こういう話をしていたいのだろう(苦笑)
662日本@名無史さん:2013/03/11(月) 19:52:29.28
満臭はこういう荒らしが好きなのである。
年がら年中こうしてスレを荒らしていたいのだろう(苦笑)
663日本@名無史さん:2013/03/11(月) 19:53:51.90
満州娘は、よそで歌いなさい。
664日本@名無史さん:2013/03/11(月) 20:02:16.19
肥後国の実石高で85万石あるからね。
一戸4人で、七万戸28万人

江戸時代の実石高の1/3程度、
それほど無理な数値ではない。

一戸が2名+子なら、もうすこし余裕ができる。

ちなみに戦後の米生産高のピーク時はさらに倍程度のようだ。
665日本@名無史さん:2013/03/11(月) 20:02:57.95
肥の国を肥前と肥後に分けたのでなく、熊曾国を日向国としたのでもなく、
古来日の国としてあった。西側が日後で東側が日向だった!?
666日本@名無史さん:2013/03/11(月) 20:08:22.55
江戸末期の石高で計れるはずなかろうもん
江戸のを持って行くなら関東や越の国あたりが遥かに強大にならなきゃおかしい
組織的に移民や開墾が行われる古墳時代末と前は別物と考えるべきだ
667日本@名無史さん:2013/03/11(月) 20:12:57.96
江戸時代で単純に測れないのは事実だが、1/3〜1/5程度なら、
開梱されてても無理は無い。

なんせ、遺跡出土数は奈良と比べれば、半端じゃ無いからね。
668日本@名無史さん:2013/03/11(月) 20:13:23.37
>>665
逆です。
佐賀長崎側がヒムカ=日向。
肥の国は建日向日豊久士比泥別。
建日=肥後、向日=肥前。
669日本@名無史さん:2013/03/11(月) 20:13:49.32
すくなくとも、7万戸が多すぎるという、否定材料にはならない。
670日本@名無史さん:2013/03/11(月) 20:19:08.48
日向は日迎
671日本@名無史さん:2013/03/11(月) 20:26:00.16
>>668
ヒ(干潟)の向こう側って意味なんやね、なるほど
672日本@名無史さん:2013/03/11(月) 20:28:14.66
花弁様の形をした特徴ある住居が熊本でも何ヶ所か出ているんですよ
大分も複数出ていて遠くは四国中央市でも見つかっている
佐賀が最古らしいけど1箇所しか無い
ともかく人的交流の証
673日本@名無史さん:2013/03/11(月) 20:39:35.95
熊本と宮崎は言葉が違いすぎる。
宮崎は豊日方言。豊の国系。
様々な話者の元で混乱して起こる崩壊アクセント。
肥の国から肥後と肥前に別れたことで間違いないんじゃないですか。
674日本@名無史さん:2013/03/11(月) 21:14:22.71
邪馬台国を千年も二千年も続いた大帝国と固定的に考えてしまうと、うまくたどり着けない気がする
古代の筑紫島に、そっと上陸し、大きくたくましく育ち、そしてあるとき東へと移って行った巨大なムラ社会、
柔軟かつ流動思考の大陸移民たちのクニだったのではないか。
675日本@名無史さん:2013/03/11(月) 21:23:40.86
迎日湾が朝鮮半島東岸にあるな

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%8E%E6%97%A5%E6%B9%BE
676日本@名無史さん:2013/03/11(月) 21:31:33.13
現在、浦項は日本のどこかの製鉄城下町と姉妹都市になってる記憶がある。
>675 のような歴史もあったのか。
677日本@名無史さん:2013/03/11(月) 22:08:55.15
>>674
だろうね。
またたくまに出現し、パッと消えていった連合国家だったのだと思う。
平家が勃興してたちまち消えていったのと似た感じだったんじゃないか。
678日本@名無史さん:2013/03/12(火) 06:11:00.85
>>631

空海も最澄も帰国しているが。
679日本@名無史さん:2013/03/12(火) 06:12:59.18
>>675

> 迎日湾が朝鮮半島東岸にあるな


新羅と越前は海流とか風向きの関係で交流しやすいと
継体天皇スレでも指摘が。
680日本@名無史さん:2013/03/12(火) 06:14:06.25
>>677

邪馬台国=民主党

卑弥呼=鳩山


ってのはロマンがないよ。とほほ。
681日本@名無史さん:2013/03/12(火) 12:06:50.21
邪馬台国はちいさなとき、中くらいのとき、大きなときもあっただろう。
しかしエジプト王国も滅亡した、ローマ帝国も滅んだ、平家も海に没した、これぞロマンなのだ
682日本@名無史さん:2013/03/12(火) 12:25:51.04
そうね。邪馬台国7万戸と言ったところで、都になってからどっと職を求めて人が押し寄せた
ってことだってあり得るな。
683日本@名無史さん:2013/03/12(火) 13:18:25.00
その職のことだ
当時は鉄製武器、鉄製農具への転換期で、半島大陸からの鉄輸入が始まっていたらしい
邪馬台国は、末蘆国唐津港から邪馬台国までの輸送ルート及びその安全を確保したのだろう

鉄鍛冶産業と鉄製品の販売が始まって、小さな邪馬台国に人も物資も集まり、
やがてクニは70000戸に達し、さらに広さ自体も大きくなっていったのであろう
684日本@名無史さん:2013/03/12(火) 13:34:07.80
いかに神様でも最初から七万戸の国をドカンと産み落とすことはできない
小さく産んで、いかに大きく育てるかだけど
邪馬台国卑弥呼一族はそれに成功したんだとおもう
685日本@名無史さん:2013/03/12(火) 16:29:26.70
投馬(於投馬)=出雲
邪馬台国=纒向

斯馬国=志摩
己百支国=伊吹
伊邪国=犬山
都支国=土岐
彌奴国=美濃
好古都国=河渡
姐奴国=信濃
蘇奴国=諏訪
呼邑国=小諸
華奴蘇奴国=金沢
鬼国=甲斐
躬臣国=高志・越
烏奴国=魚沼
狗奴国=毛野(けな)
686日本@名無史さん:2013/03/12(火) 17:14:54.65
単なる思い込みをいくら書いても無駄。畿内説を主張したいのならば、なぜ畿内なのかを
論じないとな。
687日本@名無史さん:2013/03/12(火) 17:41:23.97
生計を維持するために畿内説なだけで、真実なんか無関係。
688日本@名無史さん:2013/03/12(火) 17:54:22.55
吉野ヶ里にしても大宰府にしても、場所によっては縄文遺跡が出るほど、
長く続いた遺跡である。

大宰府なんかは、場所は変わったが今でも続いていると言えるかもしれない。
吉野ヶ里も9世紀までは続いていたらしく、木簡が出土している。
689日本@名無史さん:2013/03/12(火) 18:03:19.74
>>686
論じた所で聞く耳持たないくせに。
あっ、隣国さんによく似てますねw
690日本@名無史さん:2013/03/12(火) 18:12:24.76
末蘆国・唐津の東南行は佐賀平野、ここに伊都国、奴国、不彌国があった。
691日本@名無史さん:2013/03/12(火) 18:26:26.16
>690のつづき
そして佐賀平野の南、およそ1500里に邪馬台国はあった。
つまり九州を西から見れば、そこに魏志倭人伝の世界があったのである
692日本@名無史さん:2013/03/12(火) 18:29:52.41
所詮は九州に収めるのさ戸数的に無理だな。
めぼしい弥生遺跡が足りない。
693満州東芝キッド:2013/03/12(火) 18:31:22.93
九州人の夢と空想を打ち砕く

唐津から 東南五百里 日向国
694日本@名無史さん:2013/03/12(火) 18:33:11.94
>691のつづき
つぎに九州の中央山地を越えて東から見ればそこには日本神話の舞台がある。 見る方角により九州は2つの顔を持つ。

>『日向風土記』逸文
>ニニギノミコトは天の八重雲を押し分けて日向の二上の峯に天降ってきたが、
>ときに天は真っ暗で昼も夜も分からなかった。天つ神が困っていると、忠告する土蜘蛛があった。
>名をオオクワ、コクワというこの土着の民が、稲の霊力によってこの闇は晴れるというので、
>千穂の稲を籾として投げたところ、天は晴れ、日月も輝いた」という記述である。
>『風土記』は和銅六年(七一三)の詔に応じてできたものである。
>とすれば奈良時代において、ニニギノミコトが降臨されたのは臼杵郡内の智鋪の里、
>すなわち今の宮崎県西臼杵郡高千穂町であると考えられていたことはまず間違いない。

(梅原猛著 天皇家の"ふるさと“ 日向をゆく・新潮社刊)
695日本@名無史さん:2013/03/12(火) 19:18:02.90
日向の土人達もびっくりしただろうね、空から人が降ってきたから
696日本@名無史さん:2013/03/12(火) 19:24:00.19
そりゃ、びっくりしたろうね。
オレだって天の八重雲うんぬんといわれりゃ、おったまげる。

ま、ほんとは山の向こうの邪馬台国熊本からコソーリこっそり、忍び足、、、、
697日本@名無史さん:2013/03/12(火) 19:27:34.47
熊本って北部に頭蓋骨変形したバケモンが住んでたとこだよね
698日本@名無史さん:2013/03/12(火) 19:55:23.74
日向には佐賀福岡や熊本北部や大分や瀬戸内海方面からも人が入ってきたんだよ。
熊本南部の免田式土器もあるし南方的要素や大陸(中国)的要素も見えたりカオス的です。
一時的なものか恒久的な移住なのかはともかく遺跡遺物から明らかになっております。
だから日向の土人は特に驚くこともなくようこそおいでなさいました状態だったと思うよ。
こんなんだからどこから降臨したのか不明。
699日本@名無史さん:2013/03/12(火) 20:09:58.42
日向の中国的要素ってのは例えばどんな遺物?
700日本@名無史さん:2013/03/12(火) 20:18:31.69
>>699
木槨墓とか穀璧とか弾形銅壷みたいな形の埴輪とか。
埴輪は関係ないただの偶然かもしれない。
701日本@名無史さん:2013/03/12(火) 20:24:21.74
串間からは明刀銭(燕(戦国)の刀子のような形をした刀銭)も出土しているらしい 。
702日本@名無史さん:2013/03/12(火) 20:25:10.57
人ではなく、物だけが輸入されていた可能性もあると思うが。
703日本@名無史さん:2013/03/12(火) 20:32:15.02
今のようにメールで注文して宅急便で手に入れるというわけにはいかぬからなあ
少なくとも運び人とか護衛役レベルの夜昼の交流はあったにちがいない
704日本@名無史さん:2013/03/12(火) 20:36:10.87
宮崎は都市遺構の発掘が少ないからわからんね
今後何か片鱗でも見つかれば串間の穀璧とも関連づけられる可能性も出てくるんだろうけど
今のとこはちょっとね、北部九州、出雲で青銅器を盛んに作ってた時代に青銅器が少なすぎるね
705日本@名無史さん:2013/03/12(火) 20:41:02.66
日向国一之宮の都農神社のあたりに、規模の大小は別として貿易港があったという説もあるのではなかったか?
706日本@名無史さん:2013/03/12(火) 20:48:41.08
>>704
北部九州で銅矛があれだけ出てるのに全然出てない。
確実に弥生に収まる鏡も少ないけど、故意に割った身分証の
ような形で?破鏡を持って来た北部九州の人はいたみたいです。
707日本@名無史さん:2013/03/12(火) 20:54:32.76
宮崎の遺跡は北部九州の古い土器が出てるね
708日本@名無史さん:2013/03/12(火) 21:04:29.28
弥生に入ると中国人は北部九州から瀬戸内方面に向いてるでしょ。
出土品からはそう判断するしかねーよ。
709日本@名無史さん:2013/03/12(火) 21:18:48.55
そう思うけどそれより細い経路が別にあったのかもしれない
710日本@名無史さん:2013/03/12(火) 21:21:32.81
弥生時代主要多量鉄器副葬墓の分布

とかみればいちもくりょうぜんじゃろな

投馬國は出雲でなくて丹後じゃろて
711満州東芝キッド:2013/03/12(火) 21:24:51.92
玉璧がなぜ串間から出たか分るか?

僕は分るがここには書かないことにしよう。
712日本@名無史さん:2013/03/12(火) 21:25:07.30
713日本@名無史さん:2013/03/12(火) 21:29:28.60
>>711
倭寇?
714日本@名無史さん:2013/03/12(火) 21:47:30.62
卑弥呼は、つまり、吉備子、その子孫が後の吉弥侯部(きみこべ)だ。
吉備の埋葬文化、特殊機代と出雲の四隅突出墓とが融合してできたのが前方後円墳。
実際には、吉備や出雲以外の文化も融合している。
つまり、箸墓は倭国大乱の後、共立された壹与の墓なのだ。
715日本@名無史さん:2013/03/12(火) 21:50:25.02
>>709

大いにありうる。
716日本@名無史さん:2013/03/12(火) 22:09:59.94
>>705
何ですかそれ?よければ教えてほしい宮崎にあったスレの方でも
717日本@名無史さん:2013/03/12(火) 22:11:58.60
投馬(於投馬)=肥後国天草郡
邪馬台国=?

斯馬国=肥前国杵島郡
己百支国=肥前国彼杵郡
伊邪国=肥前国松浦郡(北松浦郡)
都支国=肥前国小城郡
彌奴国=肥前国三根郡
好古都国=?
不呼国=肥後国宇土郡
姐奴国=?
対蘇国=日向国臼杵郡
蘇奴国=肥後国阿蘇郡
呼邑国=日向国児湯郡
鬼国=肥後国飽田郡
華奴蘇奴国=肥後国菊地郡
鬼奴国=肥後国玉杵名郡
為吾国=?
邪馬国=筑後国八女郡
躬臣国=?
巴利国=
支惟国=肥前国基頴郡
烏奴国=筑前国御笠郡
狗奴国=薩摩国川内付近
718日本@名無史さん:2013/03/12(火) 22:13:04.50
>>712
熊本方面の鉄器の副葬墓や遺跡の発掘例はまれなんだな
古代史に関心うすかったんだろな
719日本@名無史さん:2013/03/12(火) 22:18:32.72
>彌奴国=肥前国三根郡

これが吉野ヶ里か。
720日本@名無史さん:2013/03/12(火) 22:29:06.01
>不呼国=肥後国宇土郡
>支惟国=肥前国基頴郡

なかなか、納得した。
721日本@名無史さん:2013/03/12(火) 22:34:05.16
弥生時代の鉄器は威信財ではなく実用品で、古墳時代に入ると鉄鍛冶のみでなく
各種材質の技術体系の集約の表徴として、畿内中枢地域において副葬されるようになるということだな
722満州東芝キッド:2013/03/12(火) 22:54:48.37
そうだ、そうだ、まったくその通りだ。
723日本@名無史さん:2013/03/13(水) 00:45:16.74
キッドと言えばナショナル・・・・
724日本@名無史さん:2013/03/13(水) 13:07:34.57
>>711
>玉璧がなぜ串間から出たか分るか?
串間付近に中国から王侯と認められた人物がいたからに決まってるだろう。
ほかの地域からは出ていない。つまりは、倭国王がいたんだろう。
725日本@名無史さん:2013/03/14(木) 21:22:18.18
アメリカの大学で人類学を専攻しているアメリカ人の学生です。
簡単なアンケートへのご協力をお願いし ます。

www.surveymonkey.com/s/LFXPLX7
726日本@名無史さん:2013/03/16(土) 03:19:33.22
地元の詳しい人に聞いたら、糸島の遺跡と吉野ヶ里遺跡とは文化圏が似ていて、発掘されたものも同じ様な
ものが多いらしい。
逆に春日市の方は違った文化圏だそうです。
地理的には糸島と吉野ヶ里の間は山がそびえ立ってて、行き来は難しいと思えるのですが・・
どうにかして、行き来してたんでしょうね。
727日本@名無史さん:2013/03/16(土) 05:55:21.15
春日は古墳時代に近い組織化された工房群で、
糸島と吉野ヶ里は、古い時代に各勢力ごとに自分でやってた工房跡。

時代が違うんじゃないでしょうかね?
728日本@名無史さん:2013/03/16(土) 07:25:30.56
糸島と吉野ヶ里は国家警護都市だったんだろうね。
海戦に長けた、おなじ連中が住まわされたんだろう。
729日本@名無史さん:2013/03/16(土) 09:00:29.81
三瀬峠 佐賀の乱で官軍が大砲ひきずって山越えの実績
730日本@名無史さん:2013/03/16(土) 09:11:26.54
都市も大きくなると、域内だけでは食いぶちを賄いきれないので、貿易が必要になるのさ。
それでもって湾岸に商都が発達して、内陸の古都を凌駕するようになる。
奈良や京都より、大阪の方が栄えている現実を見ればわかる。
731日本@名無史さん:2013/03/16(土) 10:08:41.77
うわあ、三瀬峠、トンネルがなかったら車でも罰ゲームなのに、
大砲転がして行くなんて、ご苦労様だなあ。
732日本@名無史さん:2013/03/16(土) 10:10:43.62
そういえば、、吉野ケ里の近くは、平氏の対宋貿易の拠点だったらしい。
733日本@名無史さん:2013/03/16(土) 10:39:30.91
734日本@名無史さん:2013/03/16(土) 11:12:04.98
マルコポーロは黄金に国ジパングからすべての金を盗んだ。
石見銀山は世界の銀の3分の1を産出していたけれど、これもマツコポーロの子孫に買いたたかれたんだよな。
でなかったら、東北の道端はは金がたくさん落ちていたはず。
735日本@名無史さん:2013/03/16(土) 13:31:33.00
今日は、薬飲んでないだろ
736日本@名無史さん:2013/03/16(土) 13:55:44.43
>>705
投馬(トゥマ)国=妻国の港ですな。
737日本@名無史さん:2013/03/16(土) 14:35:41.01
今日は薬売り切れだって
738日本@名無史さん:2013/03/16(土) 21:15:46.91
氷河期と間氷期だけでなく短期の温暖化でも海面上昇はおきるというのは本来は氷河期の今が証明している
温暖気=洪水期と寒冷期=陸地化を過去に何度か繰り返している
今は寒冷期なので陸地が広がり、平地の文明だけど温暖期には平地の文化は滅亡して人口が減り、山岳文明に変わる
今の常識で平地に遺跡がないといってもどれほどの人口がいたのかは分からないんです
739日本@名無史さん:2013/03/16(土) 23:16:05.22
邪馬台国と関係あんの?
740日本@名無史さん:2013/03/17(日) 03:53:52.35
投馬国は、ヅモ国と発音する。
これは、出雲のことだろ言われている。
741日本@名無史さん:2013/03/17(日) 08:48:13.79
ですから
ヤマタイ国が平地にできた新しい国なのか昔から継続した山にあった国なのか地面を掘っても証拠なんて出てこないんですよ
時期的にも平地文明が山文明を追い越す頃ですからどっちも考えられる。これはヤマタイ国だけじゃなくて他の国にもあてはまりますけど

でもヤマタイ国が神を祀る為の国なら古くて権威のある国でないと、他国も平和的に従うなんて無理かな
742日本@名無史さん:2013/03/17(日) 09:37:11.75
女王は女王國の王であって、邪馬台国に居り神を祀る権威のある女性。
女王は、権威はあるが武力国力の無い国から、共立により邪馬台国に据えられた。
743満州矢車剣之助:2013/03/17(日) 10:15:53.07
だから共立というのはそんな意味じゃないってば。
少しは進歩しろよ、○○ども。
744日本@名無史さん:2013/03/17(日) 12:38:38.80
共立とは何か?
8党林立で、弱小日本新党の細川護煕が連立政権を作ったようなものだ。
熊本藩主の家柄で近衛文麿の血を引く血筋の良さ。これが決め手。

国を制圧できるほどの力のある精力が存在しない時には、血筋を重んじてことを決めるのは昔も今も同じ。

>>742昔からあった国に決まっておろうが。
745日本@名無史さん:2013/03/17(日) 12:50:00.54
>>742
女王国はアメリカ合衆国
邪馬台国はワシントンDC みたいな関係といいたいんだろ
そうしないと北部九州が女王国にならぬからな
746日本@名無史さん:2013/03/17(日) 13:48:12.09
共立とは、家臣たちなどの話し合いによって、王を立てること。

その当時、建前上は、中国では皇帝は先帝の意思によって決められるとなっていた。
日本ではどうだったかは分からないが、少なくとも
文献が豊富な律令体制以降も、建前上は
基本的に先帝によって皇位継承者が決められていた。

しかしながら、先帝が次期皇位継承者を決められないまま
崩御する場合がある。
その場合は、臣下たちの合議制によって、次期の皇帝や天皇が決められる。
これを共立と呼ぶ。
この場合、高い確率で皇位継承者争いが起こることが多い。

仲哀天皇以降の応神天皇の件もそう。仲哀天皇の後継者は
正室が生んだ長男に決まっていたのだが
仲哀天皇が九州に遠征しているときに死んだので
一緒についていった幼妻の側室(神功皇后)が自分が生んだ四男に皇位を継承させようとしたので
内乱が勃発した。
これによって、正室が生んだ長男と次男は滅ぼされ、
別の側室が生んだ三男だけは許され、
神功皇后が生んだ四男が皇位を継承することになった。
747日本@名無史さん:2013/03/17(日) 14:54:20.55
同意。

ところで、もがりってどんくらいするもんなの?
748日本@名無史さん:2013/03/18(月) 06:14:42.35
一年以内の場合もあれば、三年間ということもあったそうな。
749日本@名無史さん:2013/03/18(月) 07:25:30.28
基本的に塚を作る間の時間稼ぎ。塚を作らず、もがりを早く切り上げる場合はなにかわけあり。

風葬のように、どこかに放置して骨になるまで数年待つ場合もある。
750日本@名無史さん:2013/03/20(水) 16:35:40.00
ドン来いスレもとうとう死んだか。チーン。
751満州笛吹童子:2013/03/20(水) 19:26:41.33
録画しておいた昨夜の「さかのぼり日本史」を観た。
あほらしくて観るに堪えないものだった。

あゝ、君らもこういうあほらしい通説を一生懸命勉強しているんだろうなあ、と。
同情に堪えない(泣)
752満州イガグリくん:2013/03/21(木) 22:37:44.26
話の流れとは何の関係も無いが(笑)、
僕は今日、新羅の境域が鴨緑江以北にもあったという確実な証拠を発見した。

これでネット史の比定がほぼ正しいことが分かった。
ただしネット史の比定も朝鮮半島に関してはかなり間違えている。
間違えているという証拠も掴んでいる。

とにかくこれで百済も新羅も鴨緑江以北にもあったということが分った。
これまでの学界の通説定説は完全にデタラメである。
753日本@名無史さん:2013/03/21(木) 23:06:33.36
おいおい
http://goo.gl/maps/3Nltq

津古3号墳は津古2号墳に南接して所在しており 一辺約13m 封土高1m弱の方墳である
周溝からは小形丸底壺 二重口縁壺などの古式土師器が出土しているが 内部主体は不明
754日本@名無史さん:2013/03/22(金) 10:51:11.16
畿内説は完全になくなったし
このスレ終わってもいいんじゃないか
邪馬台国は九州中部でFAだろ
755日本@名無史さん:2013/03/22(金) 11:17:11.81
九周中部というのは、総里程が万二千里であることを前提とする。
しかし、総里程が万二千里と思い込んでいるのは完全な間違い。投馬国、邪馬台国について
里数ではなく日数にしたのは遠すぎて里数がはっきりしなかったからだ。
ということは、邪馬台国までの総里数表記はあり得ないということだ。
万二千里は、女王国の風俗等を書く前提として、女王国の境までの距離を示しただけの話。
女王国の都の位置とは無関係だ。高句麗についても似たような書き方をしてるよ。
高句麗は遼東の東千里。丸都の下に都すとあるだろ。千里で丸都に行き着くわけではない。
千里で行き着くのは境までだ。
756日本@名無史さん:2013/03/22(金) 13:06:48.08
九州説は行程パズルしかやることないんだからな。
757日本@名無史さん:2013/03/22(金) 13:09:34.31
畿内説には、行程論の参加資格はないよ。
758日本@名無史さん:2013/03/22(金) 13:11:44.27
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759日本@名無史さん:2013/03/22(金) 16:42:12.44
>>729

ハンニバルが象を連れてアルプスを越えたような苦労だったらしいな。
760日本@名無史さん:2013/03/22(金) 18:04:05.73
>>755
>高句麗は遼東の東千里。丸都の下に都すとあるだろ。千里で丸都に行き着くわけではない。
>千里で行き着くのは境までだ。

丸都を集安と比定してあげても良いものでしょうか?

遼東の東千里のところにあった「丸都」は山城ですね

山を降りたところに支配拠点がある。

集安はテーマパークの如きものかもしれんしね。

3世紀の高句麗には背の低い運搬用の馬しかおらんみたいだし

へいたいさんはみんな歩兵だし、舟つかって水戦とかも得意だし

騎馬民族だって妄想しているちえおくれのカスのがまぬけ。
761日本@名無史さん:2013/03/22(金) 19:49:02.05
文化でも歴史でも先んじていた中近東のヘレニズム諸国やギリシャを後発のローマが支配したように
邪馬台国も後発の国だったんじゃないか。世々有王の伝統ある伊都国などと違って
長年の歴史も伝統も無い邪馬台国は卑弥呼の鬼道とその軍事力で
豊かに栄えていた国家を次々に併呑していったんだろう。
762日本@名無史さん:2013/03/22(金) 19:56:50.46
>>761
>世々有王の伝統ある伊都国などと違って

伊都国に伝統はないだろう。
吉武高木遺跡、宇木汲田遺跡の時代は、まだ石器時代だよ。
今山のね。
763日本弱体化反日組織:2013/03/22(金) 21:17:15.91
764日本@名無史さん:2013/03/23(土) 06:40:28.38
反日工作員の満カス老人もね!
765日本@名無史さん:2013/03/23(土) 11:05:10.10
               嫌なら見るな嫌なら見るな
         嫌なら見るな           嫌なら見るな
   嫌なら見るな                        嫌なら見るな
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               嫌なら見るな嫌なら見るな
766日本@名無史さん:2013/03/23(土) 11:46:50.56
>>762
伊都でもないのに、しょうもない田舎を引き合いに出してくれるな
767日本@名無史さん:2013/03/23(土) 14:28:08.27
>>766
じゃ、何処に一大率が居たんだ?
768日本@名無史さん:2013/03/23(土) 14:31:05.37
日本書記が神功皇后のことだとしている
魏志倭人伝が九州島のことを言ってるようになっているのは神功皇后が九州
滞在することがあったからだろう
要するに神功皇后のいるところが邪馬台国なのだ
北畠親房の畿内説であっているだろうと思う
769日本@名無史さん:2013/03/23(土) 15:04:37.92
という一説でした
770日本@名無史さん:2013/03/23(土) 15:38:46.49
あの当時で強大な国があった出雲へ行ってないのは不自然だろうしな
そうなると畿内へも行っている可能性は高いだろう
やっぱり纒向の宮のことだろうね
771日本@名無史さん:2013/03/23(土) 16:18:38.90
邪馬台国とは畿内の事だよな。
九州とか今更何言ってんだよw
772日本@名無史さん:2013/03/23(土) 17:37:27.59
無内容な書き込みやめろ!ウスバカ!
773日本@名無史さん:2013/03/23(土) 18:25:07.62
無内容?行程パズルのことかw
774日本@名無史さん:2013/03/24(日) 10:52:56.94
■ドラえもん募金が北朝鮮の核開発に使われている件■
公益財団法人東日本大震災復興支援財団 ← NPO支援組織、孫正義40億円募金団体

●登壇者一覧(50音順・敬称略):(※)

荒井優(公益財団法人東日本大震災復興支援財団 専務理事) ← ソフトバンク
大西健丞(シビックフォース代表理事) ← 日本赤軍関係者、ドラえもん募金詐欺
駒崎弘樹(フローレンス)         ← NHK委員
吉岡達也(ピースボート共同代表)  ← 日本赤軍、北朝鮮関係組織


555 :名無しさん@13周年[]:2013/03/13(水) 04:00:23.96 ID:nSHtnY4c0
>>470
ドラえもん募金の約9割を大西健丞氏のNGO経由で北朝鮮に送金ってどう思います?

●【テレビ朝日】ドラえもん募金の約9割を大西健丞氏のNGO経由で北朝鮮に送金か。

「テレビ朝日では、平成16年12月28日から平成17年1月31日まで 「ドラえもん募金スマトラ沖大地震被災者支援」
を行ってまいりました。 皆様から寄せられた善意の募金88,760,300円にテレビ朝日からの寄付金2,500,000円を加
え、 募金総額は91,260,300円となりました。 この結果、寄付先と金額は下記の通りとなりました。

募金総額 91,260,300円
AMDA 3,000,000円 3.28%
日本ユニセフ協会 3,000,000円 3.28%
日本赤十字社 3,000,000円 3.28%
ピース・ウィンズ・ジャパン 82,260,300円 90.13%   ← 要注目 大西健丞
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1451772389
775日本@名無史さん:2013/03/24(日) 12:21:18.55
古墳とは何か?
これはもともと墓ではなく、貴人の住まいだったのだ。
下記の竪穴式住居を大きくし、木の骨格の代わりに大きな石で居住空間を作り、そこで暮らした。
大きな竪穴式住宅こそ天の岩戸、権力の象徴だったのだろう。
まるで土から湧いてくるように出てくる彼らは土蜘蛛と呼ばれていた。
高床式の家に住んで水田稲作を行う弥生人は、土蜘蛛を追い出し、それを墓として利用した。
それが時代とともに埋葬施設として残ったのだ。

http://history.ukinedori.com/images/2012/08/120811_114518.jpg
776日本@名無史さん:2013/03/24(日) 12:50:02.35
いやいや、竪穴式住居は九州にもあるがな
777日本@名無史さん:2013/03/24(日) 12:52:11.37
>>775
どう考えても違う
778日本@名無史さん:2013/03/24(日) 20:40:45.55
前方後円墳は須弥山にほかならない
779日本@名無史さん:2013/03/24(日) 21:07:38.90
>>755

直径1m足らずの古墳が、全国、無数にある。
780日本@名無史さん:2013/03/24(日) 21:20:16.20
>>779
この範囲内に魏代の丸都山があると考えるのが良いよ
http://goo.gl/maps/PA1Ez
781満州イガグリくん:2013/03/24(日) 21:56:45.16
そんなところに丸都山はない。
782日本@名無史さん:2013/03/24(日) 22:18:34.37
委鬼にやられた丸都山がそこにあったら何かまずいことでもあるのかい?
783満州イガグリくん:2013/03/24(日) 22:28:04.26
そんなところは遼東に近すぎる。
そんなところにあればすぐに攻撃される。
784日本@名無史さん:2013/03/24(日) 22:36:11.86
委鬼にだまされちゃだめだろ

遼東はえたいのしれない公孫氏が仕切っていたりしたんだろ
785満州イガグリくん:2013/03/24(日) 22:40:49.99
その辺にあったのが楽浪郡である。
それより西の遼東半島方面にあったのが帯方郡。
786日本@名無史さん:2013/03/24(日) 22:46:15.99
漢末についてゆうと

楽浪郡も帯方郡も機能とかしていないだろ。

それよか遼東郡じたいのが機能していないんだよね。

よれよれの後漢に実態的統治なんてできていたわけが無いしね。
787日本@名無史さん:2013/03/24(日) 22:50:46.24
(189) 中平6年 董卓 首都洛陽に入る
(189) 中平6年 公孫度字升濟本遼東襄平人也 始度以中平六年據遼東

大義名分論はずして処理してあげると

「公孫度」さんの自称したのは本当は「劉度」とゆうことにはなるが
788日本@名無史さん:2013/03/24(日) 23:02:46.13
>>787
「立漢二祖廟 承制設壇墠於襄平城南 郊祀天地」

http://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E5%BF%97/%E5%8D%B708#.E5.85.AC.E5.AD.99.E5.BA.A6
789日本@名無史さん:2013/03/24(日) 23:28:29.76
そこいらへんの前後のところね

「度」大怒 掘其父冢 剖棺焚屍 誅其宗族
分「遼東郡」爲「遼西·中遼郡」 置「太守」
越海收「東莱諸縣」 置「營州刺史」
自立爲遼東侯 平州牧 追封父「延」爲「建義侯」
立「漢二祖廟」 承制設壇墠於「襄平城南」
郊祀天地 藉田 治兵 乘鸞路 九旒 旄頭羽騎


実権は「遼東属國」というなにものかがおおきなパワーをもっていたらしいよ

ただしそうなると「公孫さん」さんのもからんでくるからそれ以上騙れんけどもね。
790日本@名無史さん:2013/03/25(月) 09:51:08.73
土葺きの竪穴式住居は、土蜘蛛が起源です()
791日本@名無史さん:2013/03/25(月) 09:51:53.73
>>789
さかなクンさん?
792日本@名無史さん:2013/03/25(月) 10:13:39.84
828 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 12:16:00.58 ID:pUByzXYn
キャーッ 3年ぶりだって


【社会】 "偽名で宿泊容疑" 革マル派幹部3人を逮捕…大阪府警・警視庁
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1362365622/

50 名前:名無しさん@13周年[sage] 投稿日:2013/03/04(月) 12:05:55.31 ID:iWyU+OZf0
革マルアジト摘発は「3年ぶり」だと
さっきTBSで言ってた
59 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/03/04(月) 12:08:41.93 ID:pFeC4OeP0 [2/2]
>>50
wwwやっぱり!!!
67 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/03/04(月) 12:10:22.29 ID:Ki8Dbsot0
>>50
わかりやすいねぇw

民主に投票した馬鹿は腹を切れ。
69 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/03/04(月) 12:10:39.44 ID:OhEOkH090
>>50
3年ぶり・・・・・・・・・・・あっ!w
793日本@名無史さん:2013/03/27(水) 00:50:49.92
魏志倭人伝は伝聞だけどその伝聞が伝わった時点での現役ヒミコ役はトヨ
トヨの前は男がヒミコに就いたが世が乱れたのでやっぱヒミコは女性だよねってことになった
でも現王朝の歴史書にトヨは登場しないのでトヨがヒミコだった頃はヤマト以外の国からも倭国の象徴ヒミコが選ばれていたのね
ヤマトが統一王朝になる前の日本の歴史だね
794日本@名無史さん:2013/03/27(水) 01:21:19.62
たしかに我らが王朝の歴史2600年に比べて日本の歴史は1万5千年以上あるからな
795日本@名無史さん:2013/03/27(水) 01:33:55.14
暖簾は同じの設定で、すりかわっても良いというルールでし。

すりかわり元のは、うんこだの、しっこだの、しこめだの、はえだの、うじだの

と、ひきずりおろすのが得意技でし。

エロげひんげな歴史書で子孫のものとしてとても残念におもいまし。
796日本@名無史さん:2013/03/27(水) 01:44:04.87
でもヤマトの王朝はうんこしっこ(政治)にかかずらわってるのを恥じて神聖な役割は退いたんだよ
797日本@名無史さん:2013/03/27(水) 02:36:29.14
ん?1行空け
在日か
798日本@名無史さん:2013/03/27(水) 10:41:18.49
↑短絡馬鹿(^^)/\(^^)
799日本@名無史さん:2013/03/27(水) 11:01:20.78
三角縁神獣鏡について調べようと思ったのだが、インターネットでは
ほとんど出てこないな。特に、畿内説の立場のものがほとんどない。
黒塚古墳のことを書いたサイトもなくなったみたいだ。
800日本@名無史さん:2013/03/27(水) 11:39:00.40
三角縁神獣鏡で畿内説を主張することは無理だとなって作る意欲がなくなったんだろう。
801日本@名無史さん:2013/03/27(水) 11:55:23.43
畿内説が自から仕掛けた箸墓地雷を踏んじまったので、三角縁神獣鏡神話も吹き飛んだ
802日本@名無史さん:2013/03/27(水) 20:53:45.02
委ねた鬼ると書く魏の国に
人に委ねると書く倭の国の女王が朝貢したのは偶然でも何でもない。
両国は、元々姉妹国だった。
それを繋ぐものが山東半島にあった斉の国。
卑弥呼が朝貢した魏王=曹芳は斉王と呼ばれることが多い。

斉=磐井こそ邪馬台国だったことは間違いない。
803日本@名無史さん:2013/03/27(水) 21:04:15.48
「ここが邪馬台国で間違いない」が現在200種類くらいありましょうか
804日本@名無史さん:2013/03/27(水) 21:32:38.79
先入観に囚われず、小細工をせず、虚心坦懐に考察を進めたところ、
思いもよらぬことに、
たどり着いた邪馬台国は
わが故郷であった。実に驚いた。こんなことがあっても良いものか。
805サガミハラハラ:2013/03/27(水) 22:44:49.75
>>804さんの故郷は佐賀県小城市でしたか。
素晴らしいところにお住まいでしたね。
806日本@名無史さん:2013/03/28(木) 00:36:48.42
名古屋か彦根のどちらかだろう
807日本@名無史さん:2013/03/28(木) 01:18:28.43
分からないものは分からないでいいじゃん
808日本@名無史さん:2013/03/28(木) 01:26:43.26
欠史八代なんか「分からないだからしょうがないじゃん」って堂々とした態度だろ
歴史なんてそんなもん
809日本@名無史さん:2013/03/29(金) 02:36:40.30
卑弥呼をアマテラスにあてているうちはだめだろうな
アマテラスやオオクニヌシの神話は紀元前の話だからな
810日本@名無史さん:2013/03/29(金) 22:19:28.07
もうこのスレ九州スレに統一すればいいんじゃね
811日本@名無史さん:2013/03/29(金) 22:27:32.40
九州はあり得ないから
九州説を言ってるのはカルト信者だけ
812日本@名無史さん:2013/03/29(金) 22:33:27.94
畿内説の残党か、御苦労。
813日本@名無史さん:2013/03/29(金) 22:35:31.67
生活を守るためには畿内説じゃなきゃいけません。
たとえそれが真実じゃないのがバレバレでも。
814日本@名無史さん:2013/03/29(金) 23:14:58.88
賢明で謙虚で礼儀正しい畿内説者に会ってみたい。
815日本@名無史さん:2013/03/29(金) 23:33:02.27
それはかなわぬ夢だ。
816日本@名無史さん:2013/03/30(土) 09:50:14.36
賢明であれば畿内説にはならない。
817日本@名無史さん:2013/03/30(土) 09:56:42.53
>>816
それはちょっと違う
自分の立場や将来の安泰のためには畿内説のふりをするのもひとつの手だった
最近は畿内説自体が怪しくなったからそういう馬鹿ももういなくなるだろうけど
生活のためには畿内説というのも選択としては賢明だったかもしれん
どちらにしろそろそろ賞味期限が切れるのが畿内説、利用価値がなくなればゴミ箱行きとなるのは必定
818日本@名無史さん:2013/03/30(土) 11:45:21.22
819日本@名無史さん:2013/03/30(土) 18:21:29.67
邪馬台国が本州にあるとすれば、可能性があるのは邪馬台国連合と交渉のある日本海側で、
瀬戸内・ヤマト方面はむしろ南九州の狗奴国に関連がある。
そもそも、記紀にもそのとうりに書かれているわけだが。
820日本@名無史さん:2013/03/30(土) 19:09:44.38
クンナラ国
821日本@名無史さん:2013/03/30(土) 20:15:13.73
日本海側が男王の時代だろうな
822日本@名無史さん:2013/03/30(土) 23:05:32.59
    // ̄~`i ゝ                    `l |
    / /        ,______   ,_____    ________  | |  ____ TM
   | |     ___ // ̄ヽヽ // ̄ヽヽ (( ̄))   | | // ̄_>>
   \ヽ、   |l | |    | | | |    | |  ``( (.  .| | | | ~~
      `、二===-'  ` ===' '  ` ===' '  // ̄ヽヽ |__ゝ ヽ二=''
                         ヽヽ___//   日本
         ______________  __
         |街宣右翼の正体  朝鮮人工作員     .| |検索|
823日本@名無史さん:2013/03/30(土) 23:24:22.29
△鏡も最初は九州の石塚山あたりに納められたのだろうが、
同じく早期の親邪馬台国連合の出雲の神門3号では被葬者の枕元に丁寧に置かれており、
一方、その後の関西の古墳では棺外にばらまかれるのも当然なのである。
824日本@名無史さん:2013/03/31(日) 07:49:30.12
古いのは西新町遺跡のところの
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJINDEN2004/02/0210c.jpg
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJINDEN2004/02-10.html
----------------------------------
藤崎遺跡第1地点 三角縁盤龍鏡と素環頭太刀が副葬された箱式石棺
----------------------------------
http://www.isekiwalker.com/iseki/257506/
三角縁波文帯盤龍鏡(銘文なし 完形245φ 1912年出土 東博蔵)
伴出 素環頭大刀+小刀

----------------------------------
藤崎遺跡 第3次・第4次 6号方形周溝墓の主体部から三角縁二神二車馬鏡
----------------------------------
http://www.isekiwalker.com/iseki/257509/
6号方形周溝墓 : 辺22.0×22.5m 方形周溝墓または方形台状墓
組合式木棺直葬 周溝

三角縁陳氏作神獣車馬鏡
銘帯「□□作鏡青同上有仙人不知君宜高官保子宜孫□□」
完形223φ 1980年発掘 福岡市教委蔵
伴出 刀子+ヤリガンナ+素環頭大刀+鉄鏃
----------------------------------
825日本@名無史さん:2013/03/31(日) 10:32:56.56
女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種

畿内説の否定に考古学は必要ない。
初心に戻って考えればよい。
東に倭人の国があると認識したうえでの南だ。
南至邪馬台国の南を東とするなら、北渡海千餘里復有國皆倭種としなければならない。
畿内説を説のひとつに挙げること自体が不遜、不誠実だ。
畿内が考古学的発見をいくら並べようと、それは倭人伝の与り知らぬ東の倭種の出来事だ。
826日本@名無史さん:2013/03/31(日) 18:02:57.74
まっことその通り。
そもそも畿内なぞと仰々しい言い方がおかしい。ただの倭種でかたずけられてるのだ。
827日本@名無史さん:2013/03/31(日) 21:40:21.23
生活を守るために、畿内説は死守しなければなりません。
真実なんかどうでもいいんです、生活が大事です。
828日本@名無史さん:2013/03/31(日) 21:53:39.95
私はささやかながら九州説で収入を得て、病気の妻を養っています。
真実は私の生きる糧です。神様、卑弥呼様、どうかわたしをお守りください。
829日本@名無史さん:2013/03/31(日) 22:00:33.16
弥生時代の威信財である青銅器のダントツの出土地は出雲だな
楽浪土器が出土する糸島は出雲と関係が深い
糸島の南の有明海沿岸からは楽浪土器は出ない、出るのは朝鮮系土器
九州以外で楽浪土器が出るのは出雲だけ
岡山からは楽浪土器の模造したものが出る
玄海灘の女神は大国主の妻
倭人伝では玄界灘沿岸の国以外は遠いとしている
倭人伝だから名前が記されているのは倭人だけ
糸島は中国系の渡来人の王だろうな
卑彌呼の時代はなんらかのプロセスを経て出雲から大和に盟主が移譲したころだろう
九州で関係があるのは玄海灘沿岸の海人族と中国とパイプがある渡来人くらい、ツクヨミの地だろう
830日本@名無史さん:2013/03/31(日) 22:02:17.48
九州説は、畿内はあり得ないから九州だと言い、
畿内説は、九州はあり得ないから畿内だと言う。
真実に辿り着くはずないよ、どちらでもないんだから。
もちろん四国でもないけどさ(^_^;)
831日本@名無史さん:2013/03/31(日) 22:05:40.20
出雲は投馬國であり、伊都國が幽閉された地でもある。
832日本@名無史さん:2013/03/31(日) 22:49:56.59
青銅器のダントツの出土地というものは鉄器組が渡来すると負け組になるわけだが
833日本@名無史さん:2013/03/31(日) 23:37:51.79
出雲に居付いた鉄器組のおひとの残したお墓
http://www.isekiwalker.com/iseki/256033/
http://iseki.ipc.shimane-u.ac.jp/search_detail.php?id=3027&artsummary=%E7%AE%A1%E7%8E%89
http://iseki.ipc.shimane-u.ac.jp/search_detail.php?target=articles&id=3027
http://iseki.ipc.shimane-u.ac.jp/images2/10860740560.74373400.jpg 伴出 筒形銅器+碧玉製管玉+鉄製品
http://iseki.ipc.shimane-u.ac.jp/images2/10860740930.58290200.jpg 珠文鏡 8.0cm
http://iseki.ipc.shimane-u.ac.jp/images2/10860741100.45312100.jpg ダ龍鏡 12.6cm

「倭製鏡」って奴國製かい 

●土饅頭 ●木棺墓 ●鏡 ●巴形銅器 ●筒形銅器 ●鉄器 

ここののセットは秦韓の秦王さんのところのとコモン 

●木棺葬のは甕棺葬と並行しつつも甕のよりも木のがえろいといふかんじ。
834日本@名無史さん:2013/03/31(日) 23:41:44.98
835日本@名無史さん:2013/03/31(日) 23:44:12.43
>>833
2番目のりんくのがゴミ
836日本@名無史さん:2013/03/31(日) 23:51:39.87
出雲の神話や風土記に卑弥呼の痕跡とか残っているのかな?
考古学的には同時代に存在しているんだろ。
国譲りのアマテラスじゃ、卑弥呼の共立ってイメージと違いすぎて納得できないんだよな。
837日本@名無史さん:2013/04/01(月) 00:00:01.73
>>833
この筒形銅器は棒などに装着して音が鳴る構造なんでしょうか?
>>834
共立だから現在の天皇みたいに主体的行動は許されなかったと思うな
国譲りを強要するとか卑弥呼のイメージとは違うね
正当化のためにアマテラスの指示としたのだろうけど
838日本@名無史さん:2013/04/01(月) 00:01:29.54
駕洛国 金官伽耶王 首露王の没年(199)
首露王の径22m 高さ6m
築造  2-3世紀

山地古墳のは径24mで

卑彌呼墳のは100歩ので径25m強
839日本@名無史さん:2013/04/01(月) 00:03:54.03
>>837
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2005_05_01.htm
なまあたたかく読んであげろ
840日本@名無史さん:2013/04/01(月) 00:11:23.36
鉄器と青銅器はほぼ同時期に日本に入ってきている(少し鉄器のほうが早いくらいか)
弥生時代に鉄器を持っているのは農耕や作業を行う村人
朝鮮半島に近い北部九州では集落に遺棄された状態で出土する
墓に入れているのは朝鮮渡りの鍛冶屋の親方衆、墓の規模も小さく他の副葬品は貧相
鉄鍛冶工房がある集落の規模も小さい
弥生時代の鉄剣、鉄刀はまだ完成度が低く、持っていることが権力の象徴にはならなかった
古墳時代に入り鉄鍛冶以外の素材の完成度が高くなり、権力者の墓に副葬されるようになる
841日本@名無史さん:2013/04/01(月) 00:14:34.03
なんで出雲の風土記に卑弥呼が登場するんだw
出雲風土記読んだことあるのか?w
842日本@名無史さん:2013/04/01(月) 01:16:08.14
読んだことないけどさ、
出雲が邪馬台国の可能性だってあるだろ。
なら地名や由来に残るかもしれないし、
神在月とか、宗教的な中心の示唆する話もあるから
卑弥呼とも関係するのかなと思ったんだよ。
843日本@名無史さん:2013/04/01(月) 01:26:52.41
>>842
出雲は共立というイメージには合うしね。
南を東にした場合の、北渡海千餘里復有國皆倭種にも合ったりする。
844日本@名無史さん:2013/04/01(月) 02:21:23.13
>>842
そう考えるなら簡単に手に入るんだから一回読んでみたらいい
845日本@名無史さん:2013/04/02(火) 22:37:55.95
鎌倉時代の吉田兼好の「徒然草」を読むと
神無月には全国の神様が伊勢神宮に集まると言われてるが怪しいとか書いてるんだよな
846日本@名無史さん:2013/04/03(水) 18:28:31.39
>>845
そりゃ怪しい罠。通常、神無月に神様達が集まるとされているのは出雲大社だ
罠。そりゃ怪しいよ。
847日本@名無史さん:2013/04/03(水) 19:24:04.33
>>846
徒然草読んでからレスしろ
848日本@名無史さん:2013/04/04(木) 06:11:36.34
徒然草なぞ何度も読んでいるさ。最近の研究では兼好法師が何かのアピールを
するため、短期間に一気に書いたものという評価が多い。のんびり徒然にと言
いながら実はーーー。だから元々怪しいものさ。もっと奥深く嫁。
849日本@名無史さん:2013/04/04(木) 12:21:26.42
簡単に出雲なんていうが、範囲がさっぱりわからんのにw
出雲大社自体が元は京都亀岡という説もあるのにな。
850日本@名無史さん:2013/04/04(木) 12:32:42.24
でっかい神殿を作ってくれるなら、引っ込んでやると
言って落ち着いた場所が現在の出雲だろ。
証拠にデカい柱の跡も発見されてるしな。
つまり国譲りなんだから元は他に居たという事だろう。
大体三輪山東の麓も出雲だしな。
851日本@名無史さん:2013/04/04(木) 12:45:48.38
その徒然草には亀岡のは出雲大社から丹波に移してきて似せて造ったもんだってあるな。
852日本@名無史さん:2013/04/04(木) 13:21:01.19
>>849
出雲の範囲は出雲風土記に書かれている。地図を見ると、今の島根県よりも
かなり狭いな。松江市、出雲市、雲南市、安来市、奥出雲町の範囲。

>>850
出雲の神殿は、国譲りというよりも、直接的には崇神天皇の時代に
大物主神が祀られたことと関係しているんじゃなかろうか。
結局、出雲のたたりを慰めるためのもの。
菅原道真のたたりを畏れて太宰府天満宮を作るのに似ている。
853日本@名無史さん:2013/04/07(日) 20:57:06.78
どん来いスレもついに終わったな。ご愁傷様。長い間ありがとう。チーン。
854日本@名無史さん:2013/04/07(日) 20:59:55.22
結局畿内だったな
855日本@名無史さん:2013/04/07(日) 21:03:02.93
ゆっくりやっていけばいいじゃん
新たな発見も出てくるだろうし
856日本@名無史さん:2013/04/08(月) 05:00:35.95
元祖、山門説もまだまだ捨てたもんじゃないです。
未発掘の墓や、墓の上に集落があります。

邪馬台国大研究
http://inoues.net/setaka.html
857日本@名無史さん:2013/04/08(月) 13:57:01.04
|:  民主党・元民主党議員に とどめを刺すのは   :|
|:                                :|
|:      /| ̄ ̄ ̄∧,,∧ あなたの一票です!!  :|
|:     /| ̄ ̄ ̄|..(ω・` )                   :|
|:   /| ̄ ̄ ̄|....|φ ∪ )        ∧,,∧     :|
|:   | ̄ ̄ ̄|....|/ `u-u´       (    )   . :|
|:   |___|/ ∧,,∧ミンシュチネ     ( o ∪ .    :|
|:   ||    ||  (´・ω・) ∧,,∧      `u-u´ .    :|
|:         ( つロと) (´・ω・)             :|
|:          `u-u´ (∪  つロ____      :|
|:                `u-u/ = =  /|      :|
|:┏┫とにかく┣━━━━┓  | ̄ ̄ ̄ ̄|  |     :|
|:┃  選挙へ行こう!! ┃  | 投票箱 |  |   .  :|
|:┗━━━━━━━━━ ┛  |____|/      :|
 総務省・中央選挙管理会・都道府県選挙管理委員会
858日本@名無史さん:2013/04/08(月) 20:37:19.46
>>854
「結局畿内だったな」という人の気が知れない。なぜそう考えるのか論理的に
説明してみろよ。畿内説の論証も証拠提出もまだ誰もできていないのだぞ。
859満州よたろうくん:2013/04/08(月) 21:14:30.76
腆支が倭の人質になったのはAD397。
帰国して百済の王になったのはAD405。

美海が倭の人質になったのはAD402。(美海は神功紀の微叱許智伐旱)
逃げ帰ったのはAD418。

この頃、倭は国力が充実していて、百済や新羅から人質を取っていた。
しかも人質を交換していたわけではなく、一方的に人質を取っていたのである。
それが卑弥呼や台与の時代からわずか150年ほど後のことである。
それを思えば、卑弥呼は大和朝廷の王だったと考えるのが自然である。
その150年の間に、政権が九州から大和に移ったというような記事は、記紀にはないからである。
860満州よたろうくん:2013/04/08(月) 21:48:32.30
ただし、その後のネット史の記事に、倭の王后、王子王女などとの婚姻話が出てくるが、
それに対応する記事が記紀にない。
それで私はこれらの倭は九州のことではないか、と思っていたのだが、
桓武天皇のときに紀が書き換えられた云々の話があるから、
もしかしたらそういう婚姻記事が削除されたのかもしれないと思っている。
日本人と三韓人との血縁関係が抹消されたのではないか、と。

ネット史から確認できるところでは、百済の腆支王、毗有王、新羅の訥祇麻立干、
それに加耶、阿羅、古自の王が倭人と結婚している。
861満州よたろうくん:2013/04/08(月) 22:28:45.97
腆支王の妻は仁徳女八須
毗有王の妻は野王女韋二娘

訥祇王の王子皇我の妻は野(倭)の骨女(王族)
訥祇王の妻は野后(倭后)の蘇相儀

加耶王子贊失を野王(倭王)の婿となす。
阿羅王女八海の婿は野國(倭国)の著尸馬
古自王發治の嫡妻は野王女(倭王女)

私の予想では百済阿莘王の妻もおそらく倭人である。
久尓辛王も日本生まれだから、その妻も日本人かもしれない。
もしそうなら、四代続けて日本の王女と結婚していることになる。
862日本@名無史さん:2013/04/08(月) 22:54:03.17
日本の王女とゆうよりは熊襲の王女だろ
863日本@名無史さん:2013/04/08(月) 23:08:25.31
>>854

×結局畿内だったな
○結局畿内説は詐欺だったな
864日本@名無史さん:2013/04/08(月) 23:16:10.87
もれのよそおでわたぶん 枕流=倭臣熊彦

倭臣熊彦のわ
倭姫熊彦ので
委姫熊彦でそ


近仇首の嫁の與阿尒相通のが(383)

阿芳が生まれているのが(384)頃

阿芳自身が倭人の子なんだろ

帯方域にどんと押出すくらいだから

馬韓に倭系のおひとはぞろぞろで

ちっともめずらしくは無いでしょうけどね。
865日本@名無史さん:2013/04/09(火) 10:46:53.68
結局畿内説はただのアホだったな
866日本@名無史さん:2013/04/09(火) 11:09:15.40
そうだな
867満州よたろうくん:2013/04/09(火) 12:31:11.22
他にもこんな例がある。

慕訶 以野王女爲后←加耶
古自女君耐衰 以野人舍勿魚醉爲嬖臣←古自
先是阿羅女君八屇 逐其夫草 迎野人多鷄路爲夫←阿羅。多鷄路はタケルと読める。
阿羅女君八衣 以小裊人爲繼夫←小裊人は野人
八衣以小裊人爲君 許主阿羅←野人が阿羅の王に。

ネット新羅史では倭人を野人と書いているので、
これらの野人は倭人のことである。
ただしこれらの倭人が九州人か大和人かは不明。
九州人なら九州説が有利になる。
868日本@名無史さん:2013/04/09(火) 12:44:23.79
相変わらずアホの巣窟だなw
869満州よたろうくん:2013/04/09(火) 17:44:52.26
ネット史はいろいろなヒントを与えてくれる。
たとえば百済の三斤王をネット新羅史は任乞と書いている。
他にも壬乞、文斤と書いている文献もあるようである。
斤と乞はキという音が共通しているから、なんとなく理解できる。
問題は三と任、壬である。なぜ三が任、壬と書かれるのか。

任、壬は現代朝鮮音ではimだが、おそらく昔はnimだったのだろう。
nはmに転音するからnim→mim→min→miとなったのだろう。
そして三はおそらく日本語風にミと発音したのだろう。

そうすると任那をミマナと読むのはミマキイリヒコとは何の関係も無くて、
紀に書かれているのはこじつけだと思われる。
さて三をミと読んだとすれば、そこから興味深い推定が出来るのだが、
ここに書くのは惜しいから書かないでおこうw
870日本@名無史さん:2013/04/09(火) 17:55:05.59
結局畿内だな
871日本@名無史さん:2013/04/09(火) 18:10:04.80
畿内は武器が出ない件
鉄器青銅器の武器あわせて

福岡500
奈良5

このくらい差がある
872日本@名無史さん:2013/04/09(火) 18:20:21.64
詐欺説は結局畿内だな
873満州よたろうくん:2013/04/09(火) 18:45:13.29
>>861
阿羅王女八海の婿の野國の著尸馬

著尸馬は伊支馬に似ている。ツシマとも読める。

發車以野人蘇可同爲夫 阿羅亦以野人尾戊生爲夫(A.D.440) 訥祗天王紀

蘇可は蘇我に似ている。(發車は古自の女王)
874日本@名無史さん:2013/04/09(火) 18:50:23.58
よたろうくん
875日本@名無史さん:2013/04/09(火) 18:54:52.36
久爾辛王 餘映 八須の次子のようだ。
腆支妻八須仁徳女生子于島中久尓辛(405-420-427)
(427)久爾辛殂 (八須の)長子毗有立
(428)毗有巡國賑民 與倭使五十人宴飮而納倭女

(訥祇)十二年 黃龍之年也 (黃龍=戊辰)
(428)三月 扶余毗有迎野王女韋二娘 至月奈

靈巖郡 本百濟月奈郡 景コ王改名 今因之


扶余の毗有さんは高句麗に追い出されて南下する前のくせして

ずいぶんとへんに南の方に偏って巣食っていたもんだなと。。。
876満州よたろうくん:2013/04/09(火) 19:06:49.26
久爾辛殂長子毗有立
これは久爾辛の長子の毗有が立ったということで、
八須の長子の毗有が立ったということではないよ。

それから、野王女を迎えるために月奈に至ったということであって、
月奈が変に南の方にあったとしても不自然ではない。
877満州よたろうくん:2013/04/09(火) 19:23:37.77
ただし今の霊岩あたりだけが月奈だったとは到底思えず、
錦江以南は月奈だったのではないか、とくらいに考えていたほうが良い。
とにかく三国史記の地理志に書かれているような狭小な地域ではないのである。
878満州よたろうくん:2013/04/09(火) 19:40:12.90
毗有の素性については<長壽大帝>紀二十三年条に書かれている。

<毗有>者, <腆支>之通其婦而生者也.

この婦が仁徳女であるかどうかは不明。勿論その可能性もある。
879日本@名無史さん:2013/04/09(火) 20:04:32.26
父親 久爾辛
長子 毗有 のは年齢からして生殖不能
緻密に生存期間の確認をしてみるとわかるよ。

とすると、この組み合わせのどちらかがほんと
母親 八須      父親 腆支
長子 毗有      長子 毗有
次子 久爾辛    次子 久爾辛

(427)久爾辛殂 長子毗有立
これを嘘の記述をしているのではないとして解くと (八須の)長子とはなる

父親 腆支
長子 毗有
次子 久爾辛
もしこれを認めるとすると、父親は10代の時期を在倭だとゆうことだから
長子の毗有は倭で生まれたおひとだとゆうことにはなっちゃうよ。

そもそも、なかみはどうでも、
「どうして百済の王が倭におったの」と問われたら、「人質で行っていた」と答えざるを得ないよね。
880日本@名無史さん:2013/04/09(火) 21:16:50.67
上町台地
881満州よたろうくん:2013/04/09(火) 22:49:18.25
>>879
腆支が倭の人質になったのが十代だという記事はどこにもない。
十代で倭の人質になったのは新羅の美海。

それはさておき、
與倭和親 互市交婚 稱其國曰野 (A.D.382?) 奈勿大聖神帝紀
この交婚というのは民間の交婚ということではなく、王族間の交婚ということだろう。
この頃から大和の王族は百済や新羅の王族と交婚していたのだと思われる。

ネトウヨはこういうことは認めたくないだろうが、日本人も三韓人も同根なのである。
882日本@名無史さん:2013/04/10(水) 18:34:14.84
よたろう読みとかやめてちゃんと緻密に年表化して眺めたらもっとちゃんとわかるのにまぬけだね
883満州よたろうくん:2013/04/10(水) 18:49:04.71
まぬけ稗箕狐に何を言っても無駄
884小生 ◆JBaU1YC3sE :2013/04/10(水) 23:13:35.72
>>871
機内に武器が出ないということは、機内に巨大でかつ盤石な支配構造が確立していたということだ

九州にアホほど死体や武器が転がってるということは、
機内軍が九州に攻め込んで激しく争っていたということの証左であろう
WW2でアメリカの市民は平和に暮らしていたのに対して、日本はわんさか爆撃されてたのと同じだな。
885日本@名無史さん:2013/04/11(木) 00:25:49.22
やはり畿内だぬ
886日本@名無史さん:2013/04/11(木) 00:49:57.62
埋葬してあげるものが粗末だとせめて土盛りだけは盛大にということにはなるのだ
887日本@名無史さん:2013/04/11(木) 03:14:12.25
>>884
あほなの
首都は防衛の要だよ
888日本@名無史さん:2013/04/11(木) 04:55:32.96
弥生時代に畿内から鉄は出ず、
古墳時代になってから、鉄の出土が増える。

>>884の論理なら、古墳時代になって、
支配体制が崩れたということになる。


実際には畿内は、弥生時代にはただ単に遅れた地域であって、
古墳時代に、遅ればせながら発展してきたと考えるのが普通だろう。
889満州よたろうくん:2013/04/11(木) 09:20:39.96
考古学で歴史を語ること勿れ
890日本@名無史さん:2013/04/11(木) 10:45:18.72
畿内は、卑弥呼の文化圏とは異質。
891日本@名無史さん:2013/04/11(木) 10:54:00.05
銅鐸しかなかった畿内が九州を攻めるなんてことはできないさ。考えもしなかっただろう。
倭国の乱は九州内部の話。本州は関係がないことだな。
まずは、伊都国がどこにあったのかを冷静に見極めることだ。
892日本@名無史さん:2013/04/11(木) 11:35:19.14
銅鐸は武器なのか?
畿内説論者のかたがたよ
狗奴国との戦闘で、銅鐸で勝利したのか
893日本@名無史さん:2013/04/11(木) 11:39:52.10
銅鐸で殴れば死亡するか重傷を負うと思われます。
894日本@名無史さん:2013/04/11(木) 11:50:59.87
銅鐸は祭りの道具です。
その名残が今の博多ドンタク。
895日本@名無史さん:2013/04/11(木) 11:57:18.24
ヤマトは昔から竹槍なんです。
896日本@名無史さん:2013/04/11(木) 12:00:00.45
モモソヒメも致命傷は竹の箸。
897満州よたろうくん:2013/04/11(木) 12:41:01.80
この前、「さかのぼり日本史」を見ていたら、どこかの大学教授が、
弥生時代の初期はまだ石器時代で、弥生時代の間に鉄器時代に移った、
などと発言していた。それが最近の学界の見解だと。

まったくこいつらはどこまでアホなんだと思わざるを得なかったね。
中国なんて何千年も前から鉄の武器で戦争しているのに、
日本はその頃でもまだ石器時代だと空想しているのだ。
考古学者なんて、せいぜいこの程度の連中なのである。
で、チミらはそういう考古学を熱心に勉強しているわけだ(同情して泣く)
898小生 ◆JBaU1YC3sE :2013/04/11(木) 13:11:47.39
いわゆる「学会」に身をおくと、権威と資金だけはたんまりゲットできるが
個人の自由な発想や見解はもてなくなるからね・・・・みんな横一列で手をつないでマラソンするようなもん
在野の百花繚乱の説が、邪馬台国論争を盛り上げてきたというのはそういうこと

>>887>>888
我が覇王西征説を知らぬとは笑止
899日本@名無史さん:2013/04/11(木) 13:20:25.99
日本と中国の区別もしないで論じられてもなあ。
900日本@名無史さん:2013/04/11(木) 14:14:09.35
どうせ畿内の武器は、黒曜石かサヌカイト程度だろ。
901日本@名無史さん:2013/04/11(木) 16:34:14.91
>>897
考古学者の意見って、まったく科学的ではないんだけど
そのくせして、本人らは科学的だと錯覚している。
考古学もどうみても文献なんだけどな。
902日本@名無史さん:2013/04/11(木) 16:34:49.74
まあ、青銅器よりも黒曜石のほうが丈夫だけどな。
903日本@名無史さん:2013/04/11(木) 16:39:57.12
確かに日本って黒曜石の産地なんだよな。
中国は広大だけど、黒曜石はあんまりとれない。
これ見たら分かるけど↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Obsidian_Sources_by_Country.png
904日本@名無史さ:2013/04/11(木) 22:53:51.46
>>898
別に、これからルロワ=グーラン、国分直一クラスの民族考古学者になってもいいだろう。
905日本@名無史さん:2013/04/11(木) 22:58:26.31
つうか考古学学会なんて金ない代表なんだけどな
そもそも発掘しようにも地方教育委員会以外に金を出す機関がない
だから大仙陵古墳発掘の許可が出たとしても現状ではやれるところがない
906日本@名無史さん:2013/04/12(金) 07:46:03.99
一部の九州説、特に熊本辺りに持って行きたいのは朝鮮人の工作だよ。
連中の捏造半島史観に都合いいんだろう。
907日本@名無史さん:2013/04/13(土) 01:48:29.71
>>900
ギリシャ文明は青銅器だぞ
あんな壮大なバンティオンを建設した文明でも鉄の時代ではなかった
908日本@名無史さん:2013/04/13(土) 07:29:15.29
九州説ってのは、なぜか右翼にも左翼にも人気がある。
もちろん、思惑が互いに全く違うのだがw

旧皇族の竹田も九州説を信じているしなw実は。
909日本@名無史さん:2013/04/13(土) 08:59:59.99
そうか、皇祖は雲に乗って・・、ではかえって説明しにくい
そういう時代になったのかな
910日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:54:24.29
学術的世界では、ほとんど畿内説だけど
なぜか、思想性の強い人たちは、左右ともに九州説論者が多い。

旧皇族の竹田氏は、どちらでも良いと言いながら
九州説であってほしいと願っているわけ。
なぜ、畿内説が気に入らないのかというと、卑弥呼が中国に朝貢したことが許せない。
だから、あの朝貢は天皇家のいないところで、勝手に行われたと言いたいわけ。
911日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:57:35.05
右翼も左翼も似た者同士ってやつねw
912日本@名無史さん:2013/04/13(土) 11:00:44.33
利権で飯を食っている人は、みな畿内説。
利権に無縁な人は、みな九州説。
913日本@名無史さん:2013/04/13(土) 11:22:54.99
卑弥呼の朝貢は神功皇后ではないというのが出発点だからな
914日本@名無史さん:2013/04/13(土) 11:39:47.39
明治期の論争の主役であった内藤湖南と白鳥庫吉を比較すると
白鳥は記紀尊重派であり内藤はそうではない
白鳥は日本書紀の分注を廃することによって神功皇后の中国朝貢を否定しようとした
内藤は卑弥呼を倭姫とすることで
当時の国粋主義者から卑弥呼の鬼道と神道を結びつけることの危険性を指摘されている
久米邦武の「神道は祭天の古俗」論文が批判されていた時代だ
白鳥は南満州鉄道会社からの資金援助を受けており当時の国家政策の一端を担っていた
915日本@名無史さん:2013/04/13(土) 12:36:01.02
昔、昭和時代、宮崎県小林市で少年時代をすごしたのだが、あんな日本の果ての
田舎町なのに、天皇陛下(昭和)や皇太子夫妻を何度か見た記憶がある。
つまり、皇族は宮崎をよく訪問していたんだと思われる。

そういえば、現皇太子は少年時代の夏休みを綾町で過ごしたことがあると
言っていたな。昭和時代、皇族は宮崎にかなり親しみを持っていたと思われる。
916日本@名無史さん:2013/04/13(土) 12:50:49.79
白鳥庫吉は昭和天皇の教育係だったな
東京帝大時代に寄宿舎が火事になって怪我をしたが
入院者には毎食明治天皇からのお見舞いとしてウナギ弁当が出たという
東京帝大が真に国家の舵取りをする人物を輩出せねばならない役割を担っていた時代の話
917日本@名無史さん:2013/04/13(土) 13:41:45.42
宮崎といえば、かつて妻線という意味不明なローカル線があったな。
天皇陵候補の古墳が妻にあったからとしか考えられない。
918日本@名無史さん:2013/04/13(土) 13:56:40.99
卑弥呼の使節派遣を朝貢と捉えるのは間違っている。くそみそのわずかな贈り
物でおよそ100倍の貢物を、あんぽんたんの中国皇帝から分捕った、実にす
晴らしい国交戦術だった。ビバ―ッ卑弥呼。
919日本@名無史さん:2013/04/13(土) 14:21:54.94
たしかに今の国際化時代の感覚で言えば外交の一環にすぎぬ、
使節の洛陽行きは表敬訪問、金印紫綬は手土産、当時もその程度だったのでははないか、
後世の人間が朝貢だからどうこう言うのは、敵対的な関係を前提にした考えすぎに思える
920日本@名無史さん:2013/04/13(土) 16:21:44.28
まあ、日本書紀舎は、天皇(神功)が卑弥呼だって言ってるわけで
921日本@名無史さん:2013/04/13(土) 16:22:47.84
日本書紀の舎人親王は、天皇(神功)が卑弥呼だって言ってるわけで&nbsp;
922日本@名無史さん:2013/04/13(土) 16:26:42.12
韓国起源という言葉があるが
これは何でも優れたものは韓国発という発想で
遅れた日本にほとんどすべての文化をもたらしたのが朝鮮であるという説だな
さらに捏造であろうとも大声で長期間言い続けたほうが勝ちという発想もある
最近は漢字は朝鮮発とか孔子は朝鮮人とか中国に対してもやっている
それも韓国の国立大の教授がだ
923日本@名無史さん:2013/04/13(土) 16:35:47.00
江戸から戦前までは卑弥呼=神功皇后の記述に対して言及する者は
政治的、イデオロギー的に多かれ少なかれ影響を受けざるをえなかった
ただ新聞記者出身の内藤には国学の影響は少なく比較的自由な発想ができた
またこの頃には卑弥呼の時代と神功皇后の時代に
干支二回りほどのずれがあることは知られてきていたし
924日本@名無史さん:2013/04/13(土) 16:45:28.78
朝鮮には三国志東夷伝に対するジレンマがある
百済や新羅建国の前の半島は小国林立状態とする韓伝の記述その他だ
これが彼らが東夷伝を利用するのを難しくしている
満州爺さんが引くネット朝鮮史はここいらあたりを補う役割もある
925日本@名無史さん:2013/04/13(土) 19:34:25.41
旧皇族の竹田は、本居宣長の邪馬台国九州説が受け売りぽいな。
言っていることが、ほとんど同じだもんw
流石、明治の皇国史観は、江戸時代の国学思想の影響が強いといわるわけだ。
でも、どうするんかね、邪馬台国畿内説がますます強くなってw
やつが、この前に行った纏向遺跡でのセミナーでは
桜井市のあちこちにヒミコちゃんキャンペーンしまくっているのにw
926日本@名無史さん:2013/04/13(土) 19:38:20.40
>>920
日本書紀の編纂者は、魏志倭人伝にある卑弥呼が何者かわからなくて
ついに神功皇后を一人で、卑弥呼とトヨの二人の女王に無理やりあてる
という暴挙に出たw
一人の皇族の女性を二人の女王に照らし合わせるって、どう見ても無理でしょうとw
927日本@名無史さん:2013/04/13(土) 20:55:49.32
記紀はめちゃくちゃ
卑弥呼の存在は知っていたのに、それが誰だかわからなかった
という点はかなり興味深くはあるが
928日本@名無史さん:2013/04/13(土) 20:58:46.43
>>225
九州説は皇国史観で徹底的にプロパガンダされてきたから
どんな証拠が出ても、無思考無批判で追随しちゃう層が多いと感じる

倭人伝に照らしあわせるだけでなく、大きなスケールで歴史の流れを俯瞰すれば
邪馬台国はやはり畿内である可能性は高いと思うよ。箸墓? とかはまだよくわからんけど
929日本@名無史さん:2013/04/13(土) 21:02:43.23
欽明天皇のあたりからある程度は記紀の記述は信憑性を増す
しかしそれ以前はどうか
特に万世一系の部分だがこれを信じている人間は史学専攻なら多くないだろう
ただことがことだけに活発な議論にならないだけ
930日本@名無史さん:2013/04/13(土) 21:13:17.68
天皇陵を発掘しない理由の一つとして
被葬者に半島や大陸の血が混ざっている可能性があるからというのがあるが
これは半ば都市伝説的だ
そもそも弥生時代の開始以来、古墳時代まで連続的に渡来人が来ており
現地の列島の人間と混血して広がっている
これは半島を通ってのルートだけではない
だからたいして意味のあることとは言えない
3世代前、5世代前に渡来人の血が混じっていればそれは日本人ではないのか
というような無茶な話になってくる
しかしある天皇陵と他の天皇陵の被葬者を比較して
難しいが遺伝子の比較などができるようなら
万世一系の建前が崩れる可能性はある
931日本@名無史さん:2013/04/13(土) 21:14:28.59
邪馬台国は畿内だと拘る限り、いつまでたってもうだつは上がらぬw
932日本@名無史さん:2013/04/13(土) 21:15:45.26
畿内説を大和中心史観といって批難するのは理解できることだが
皇国史観というのは的外れ
むしろ戦前までの九州説のほうが国学的な影響を強く引きずっていた
戦後の九州説は郷土愛史観wというのも多いが
933日本@名無史さん:2013/04/13(土) 21:26:32.64
で、どちらかといえば左翼は中央集権的な大和中心史観に反発し
地方王権の存在を強調する
逆に右翼は皇国史観的にヤマト王権の中国への朝貢を認めたがらない
そんな図式だろう
934満州スポーツマン金太郎:2013/04/13(土) 22:31:26.99
で、どちらかといえばここの連中はみんなアホだろう。
935日本@名無史さん:2013/04/13(土) 23:11:18.28
ま、3・4世紀ころの歴史は確たる定説がないというか検証しようのない部分が多いから
それだけしか知らないと考えがどんどんトンデモ化していくことがある
ただし7・8世紀ころの税制、軍制、地方統治制などを調べれば
3世紀ころにできたこととできないことがおぼろげにわかってくる
7世紀頃までヤマト王権は地方からまともに収税できていない
936日本@名無史さん:2013/04/14(日) 08:39:56.74
>>928
大きなスケールで歴史の流れを俯瞰すれば、邪馬台国はやはり九州である可能
性は高いと思うよ。邪馬台国とヤマト王権とは切り離して考えろよ。
弥生時代から新しい文化は黒潮や半島を通じてまず九州にやって来たことは間
違いない。大和なんぞはずーっと遅れた後進地域だ。この時代に後進国の大和
が先進国の九州をどうやって追い抜いたんだ?。
邪馬台国は弥生時代後期の国とされていることをよーく考えろよ。
937満州スポーツマン金太郎:2013/04/14(日) 10:25:50.04
今朝の新聞で知ったが、高校の歴史教科書に、
聖徳太子非実在説が、コラムの形で、載ることが決まったらしい。

何という愚挙であることか。
神武を非実在とし、欠史八代も非実在とし、今度は聖徳太子まで非実在にしようとしている。

バカ学者が日本を崩壊させる。
938満州スポーツマン金太郎:2013/04/14(日) 10:33:14.09
>>936
チミは、AD400年頃には、大和朝廷が、
百済や新羅から人質を取っていたという事実をよく考えないといかんよ。
AD400年には倭国はそれほどの大国になっていたのだ。
卑弥呼の朝貢からわずか150年後の話だぞ。

記紀を見てもBC660からすでに日本は天皇家の治める国になっているのだ。
記紀を無視して何を言っても無駄というものだ。それが嫌なら、
記紀はインチキであることを生涯かけて研究してみたまえ。
939満州スポーツマン金太郎:2013/04/14(日) 12:57:38.94
実は僕は、桓檀古記を読んで以来、天皇家の出自に関して疑問を持っている。
桓檀古記によれば、神武天皇とは(神武天皇のことだと書いてあるわけではないが)、
ソシモリの邑君だった穢人の後裔である。

ソシモリとはスサノオが居た処で、スサノオも穢人だったかもしれない。
出雲に渡来して日本人となったが、出自は穢である。
そのせいかどうか、日本の金石文に穢が登場する。
どこかの刀の銘に穢人云々とあったはずだ。

最近は、記紀より桓檀古記の方を信用すべきかと思い始めている。
940日本@名無史さん:2013/04/14(日) 13:34:21.93
癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟
941日本@名無史さん:2013/04/14(日) 13:38:06.01
是以 伊邪那伎大~ 詔
「吾者到 於伊那志許米志許米岐穢國而在祁理 故吾者爲御身之禊」
942日本@名無史さん:2013/04/14(日) 13:47:59.74
河伯 屋斗辰(順奴(南沃沮))之女(屋)柳花有沈魚落雁之色
943日本@名無史さん:2013/04/14(日) 14:03:17.65
>大和なんぞはずーっと遅れた後進地域

だから、卑弥呼の時代時点ではすでに逆転してるという考古学的な証拠を無視しちゃいかんよ
リアルタイムで考古学は動いている。ほぼ九州説一択しかなかった時代の話にいつまでしがみついてるのよ?
944日本@名無史さん:2013/04/14(日) 14:38:41.48
>>938、943
だったら邪馬台国は畿内にあったことを立証してみろよ。立証してから言え。
945日本@名無史さん:2013/04/14(日) 15:50:20.92
>>943
>すでに逆転してるという考古学的な証拠

証拠って何があるの?
出してごらん。
946日本@名無史さん:2013/04/14(日) 16:30:10.70
畿内は邪馬台国とは違う文化圏、っていう考古学的証拠しかないんじゃないの?
947水銀厨:2013/04/14(日) 18:10:56.84
畿内と言っても今の感覚で語るからダメなんだけどね。
倭の中心は瀬戸内東部、その辺りの豪族が
後に大和盆地に進出する主体だよ。
物部も蘇我も皆そうだ。
948日本@名無史さん:2013/04/14(日) 21:59:37.95
それが邪馬台国だとはまったく思わないけど
畿内のものが瀬戸内東部から入ってきたのはほぼ確実だろうね。
949日本@名無史さん:2013/04/14(日) 22:43:23.07
近畿は、渡来人、吉備、東海、近江、日本海、九州の雑種だよ。
出土している土器の割合と大体同じだろ。
950日本@名無史さん:2013/04/14(日) 23:16:17.44
畿内は屯田開拓団の国だろ。
各地から招集されて大勢集まっている。
951日本@名無史さん:2013/04/15(月) 10:57:26.29
★★ネット工作員による造語「ネトウヨ」という言葉とは?

もともと「ネトウヨ」という言葉は
在日韓国人の公式組織であり民主党の支持母体でもある韓国民団が、
ネットで高揚する政治的保守に対して
一括りにネガティブなレッテルを貼るために作った言葉です。

所謂「ネット工作員」は、民団の構成員や協力会社の中に実際に存在し、
民団新聞にも、それを認める記述があります。

彼らは、幾つか書き込み内容を指示されていますが
最も重要なのは「ネトウヨ」という言葉を多用し、
他のネガティブな言葉と併用することです(例えば、「ニート!」「ヲタ!」「低学歴!」「無職!」など)。
これにより、虚栄でも民族的自尊心を保つとともに、保守層そのものを否定し、日本国益を害することを目的としています。
(韓国人の多くが、日本国益を損ねることを運命のように強いられ、
また洗脳されているという事実を疑う人は、勉強してください)

したがって、「ネトウヨ」という言葉を使う書き込みは、
そのほとんどが実際の世論誘導工作員と、
教養がない故に工作員の誘導に騙された思考することができない白痴によるものです。
952日本@名無史さん:2013/04/17(水) 08:48:32.22
古代史ってマジでトンデモに支配されやすい。
なんとか、ならんのか?
953満州スポーツマン金太郎:2013/04/17(水) 09:25:42.37
さて、僕はこれまで、卑弥呼の倭は日本ではない、という視点で物を考えてきたが、
最近は、卑弥呼の倭は日本であっても構わない、という視点に切り替えた。
それでも卑弥呼は満州にいたのだ、と。

どういうことかといえば、
以前、日本の領土が鴨緑江豆満江以北にもあったのではないか、
と書いたことがあるが、そう思われる証拠をまた見つけたのである。

もちろんこれ以上は書けない。
こういう発想自体、ここのボンクラ連中に披露するのは惜しいような気がする。
954日本@名無史さん:2013/04/17(水) 09:59:12.17
マンカス爺さん、57年の漢委奴国王以来、朝鮮半島南端に倭の植民地(狗耶韓国)があったという説はもうみんな知ってるよ。

当時は朝鮮半島の鉄を巡って、周辺国が次々に朝鮮半島に使者を送っていたし、
漢王朝が楽浪郡・帯方郡を置いたのも朝鮮半島の鉄を安定的に輸入するためだ。
高句麗・百済・新羅の三国戦争は(周辺国が背後で加勢する)代理戦争でもあったことを忘れてはならない。
955日本@名無史さん:2013/04/17(水) 10:09:11.35
>>952
マンカス爺さん、なかなかやるじゃないか。あんたを誤解していたようだ。

卑弥呼以前の倭国がどれほど朝鮮半島に足懸りを多く持っていたか!ということに目を向けさせようとしてくれていたんだね。

あんたは卑弥呼の宮殿の所在地論争に明け暮れ、倭国の優れた外交力に盲目だった漏れらの目を覚ましてくれる起爆剤となるだろう。
956満州スポーツマン金太郎:2013/04/17(水) 12:39:28.99
本気で褒めてくれているのか茶化されているのか不明だが、前者なら有難いことだ。

先日、実に面白い本を見つけたと書いたが、その本のどこが凄いかというと、
神功皇后の征討より以前から、朝鮮は日本の植民地だった、と唱えていることだ。
あまりに大胆なことを書いているので思わず笑ってしまったが、
読んでみるとこれがなかなか鋭いのだ。

日本書紀には恰も日本が三韓を支配下に置いていたような書き方がされているが、
この人は書紀のそういう記述をそっくりそのまま信じようという態度なのである。

とにかく読んでいて興奮させられる本だ。人には読ませたくない。
957日本@名無史さん:2013/04/17(水) 13:04:35.41
今更なにを…倭人伝に倭が半島南部を含んでたのは書いてあるだろw
958日本@名無史さん:2013/04/17(水) 13:09:21.47
問題は、半島の植民地(狗耶韓国)建設が、1世紀の漢委奴国王か、2世紀の帥升かということだね。
959日本@名無史さん:2013/04/17(水) 13:45:45.12
志賀島あたりにあった「委奴国」が「倭の極南界」だったんだから、
朝鮮に植民地があったのではなく、日本列島側が新開地だったのだ。
960日本@名無史さん:2013/04/17(水) 14:11:31.87
だろうね
961日本@名無史さん:2013/04/17(水) 14:18:30.68
>>952
天から神が日本に降臨したんだから仕方ないよね
962日本@名無史さん:2013/04/17(水) 16:22:25.71
加葉原から降臨したんだ
963日本@名無史さん:2013/04/17(水) 16:28:16.28
平安時代以降定着した思い込み=「日本の中心は畿内以外ありえない」
という呪縛があるから、トンデモだらけなんだよ。それを解けばいいだけ。
964日本@名無史さん:2013/04/17(水) 17:21:44.26
>>959

 OH YEAH!
965満州スポーツマン金太郎:2013/04/17(水) 17:35:21.60
だからあの金印は偽物だと何回も言ってるのに。
まったく困った奴らだ。

それはさておき例の本を近代デジタルライブラリーで読んでいて、
目からウロコが落ちるようなことを教えられた。
この著者は鋭い。ネット史は読んでいないから高句麗や新羅の位置を間違えているが、
随処に鋭い洞察が光る。浜名寛祐とまったく同じようなことを書いているが、
浜名寛祐がこの書を読んでいなかったのだとしたら、
天才的な人物は同じような見解に至るものなのだな、と思った。
966日本@名無史さん:2013/04/17(水) 17:54:41.88
>>965
お前の妄想だけで、勝手に偽物にするなよ。
967日本@名無史さん:2013/04/17(水) 18:10:46.45
上獻 生口 倭錦 絳青縑 緜衣 帛布 丹木 [犬付] 短弓矢
968日本@名無史さん:2013/04/17(水) 18:15:36.08
[犬付]
[犭付]
[狛]              とか?

短弓矢 のも倭の名物なのか?
969満州スポーツマン金太郎:2013/04/17(水) 18:26:17.23
チミらのパカさも救いようがないな。
なんで博多が倭の極南界なんだ? ちょっと考えれば分るだろ。
それに金印を与えたとは何処にも書かれてないぞ。
あの金印は福岡藩の儒者が自己の名声と出世欲のために偽造したものなのだ。

チミらの大好きな古田先生だって、金印に関して奉行所から提出された書状に疑問を抱いている。
ただ残念ながら古田はそれ以上追及しようとしていないのである。
チミらも、あの金印は本物だという通説を鵜呑みにしているだけなのである。
金印に限らず、チミらの書いていることは通説ばかりじゃないか。
970日本@名無史さん:2013/04/17(水) 18:39:29.46
古田が疑っているのは、「夢のお告げ」などという物語部分だ。
古田は、金印が本物だという前提で語っている。
971日本@名無史さん:2013/04/17(水) 18:41:06.08
儒者が出世のために、大金はたいて金を買い、
研究し尽くして金印を偽造しても、まったく得しない。
972日本@名無史さん:2013/04/17(水) 18:43:39.24
儒者が自己の名声と出世欲のために偽造するなら、
卑弥呼の金印もなぜ偽造しなかったのか。
偽造しても、損するばかりで何も得しないからだ。
973満州スポーツマン金太郎:2013/04/17(水) 18:53:43.07
>>970
チミは何も知らんな。古田が疑っているのはそんなことではない。書状の形式だ。
江戸時代の藩に提出する書状としては不審な点があるのだ。



漢語拼音 nu
日本語 do nu
朝鮮語 no

奴はナとは読まない。ところがこれをナと読んで、
博多の奴国のことだろう、という見解が定説となっていたので、
そこに目を付けた福岡藩の儒者が偽造を計画したのである。

倭奴国の奴とは匈奴の奴と同じような蔑辞なのだろうと思う。
974満州スポーツマン金太郎:2013/04/17(水) 18:57:44.27
>>971-972
こんなのは反論にも値しない。小学生の戯言だ。
ここの連中はこの程度のことしか書けないのである(泣)
975日本@名無史さん:2013/04/17(水) 19:47:36.42
書状自体が贋作でも、今日の時代考証に耐えられる金印を、
江戸期の黒田藩内で作れるはずもなく、また黒田藩関係者が
金印を偽造しても、得るものは何もない。
976日本@名無史さん:2013/04/17(水) 19:51:15.02
酒はあ 飲めえ飲め 飲むうなあらばああ ウイッぷ 

日ノ本おおお 一のおこの槍をおおおおおお 飲みとるうほおどおにいい

飲むうならばあああ オエッ くおおおおれぞおお 誠おおのおおお

黒田あああ武士いいいい ウエッ オエッ ゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロ
977日本@名無史さん:2013/04/17(水) 20:45:41.32
>>974
そう思うなら、きちっと論破すれば良いことだろう。論破もできずに何をごち
ゃごちゃ言っているのだ。マンチュはこの程度のことしか書けないのか。
978日本@名無史さん:2013/04/17(水) 20:48:49.98
ちょっと疑問に思った事が、
何故九州の太宰府を遥の朝廷(とほのみかど)と言い慣わしていたのかと言う事。

ひょっとすると、、
ヤマト朝廷は原初にはこの九州(筑紫)の太宰府に有った(ヤマト=都の意味)ものが
後に一切合切がはるか東の奈良へ移って行った?

現代に伝わる言葉の用例として例えば、、
伊勢神宮で内宮の遥宮(とほのみや)といえば、
前の鎮座地と言われる滝原宮と伊雑宮(磯宮)の事。
遥(とほ)の言葉には元初の、以前は、とかの内意があるのではないかと
979満州スポーツマン金太郎:2013/04/17(水) 21:03:56.09
>>975-977
「金印偽造事件」を読めば分かることだ。ごちゃごちゃ言ってるのはお前らだ。

>>978
そんなことは古田が既に論じていることだ。
980日本@名無史さん:2013/04/17(水) 21:34:21.93
はあ?古田は志賀島の金印を、本物だと断定してるんだが。
981日本@名無史さん:2013/04/17(水) 21:41:50.40
「金印偽造事件」よりか「高句麗の先祖騙り事件」とか「倭系嘘百済設定事件」のほうが興味深いし。
982日本@名無史さん:2013/04/17(水) 22:00:17.72
http://map.konest.com/dloc/437046/377924
ここいらへんのがあやしいし
983日本@名無史さん:2013/04/17(水) 23:21:24.69
新羅ができかかった頃に倭がつぶしておけば
ずいぶん違う歴史になっただろうになあ
984日本@名無史さん:2013/04/17(水) 23:50:58.53
>>978
陸奥国府の多賀城も遠の朝廷と称したぞ
というか国府は全部、朝廷の代理機関なんだよ
国府の命ずることは帝の言葉として奉ぜよ
985日本@名無史さん:2013/04/18(木) 21:26:24.38
 
986日本@名無史さん:2013/04/18(木) 21:32:24.50
インフレ増殖する前の、初期の「遠の朝廷」といえば大宰府だけだろ。
987日本@名無史さん:2013/04/19(金) 12:20:01.89
>>983
鱈レバーは結構です
988満州スポーツマン金太郎:2013/04/20(土) 09:10:17.75
今朝の新聞に、こんな本の広告が出ていた。

金森信和「よみがえった原日本書紀」
日本書紀の紀年の基礎となった編年表を復元!
神武東征の開始は西暦元年「辛酉」と算出。
七支刀の献上は370年と算出。etc

太国と唐松山の共著かと思ったw
989日本@名無史さん:2013/04/20(土) 11:41:16.05
ま、当然この板を見てるからさ、作家のみなさんはw
990日本@名無史さん:2013/04/20(土) 19:53:57.90
いまに、サガミハラハラ氏からご返事をいただける予感。
991日本@名無史さん:2013/04/21(日) 07:17:06.24
992日本@名無史さん:2013/04/21(日) 07:19:21.55
朝鮮人が多いな
993日本@名無史さん:2013/04/21(日) 11:21:06.26
金印があろうがなかろうが北九州にでかい国があったのは間違いない
三国志を読めば朝鮮半島に大きな国がなかったのも間違いない
高句麗人が朝鮮語をしゃべってはいなかったことも間違いない
高句麗人は朝鮮人の先祖ではなく満州人の先祖で
朝鮮半島の北部にはシナ人の楽浪郡があり
楽浪郡より南にある国の中では北九州にあった倭国(筑紫)が一番大きく強い国だった
三国史記を読めば倭国(筑紫)が新羅に攻め込んでいる様子が分かる
そして倭国(筑紫)の南には熊襲があり東には出雲や吉備や大和があった
纏向にあったのは邪馬台国ではなく天皇家の大和であり倭国(筑紫)とは別の国である
大和が倭国(筑紫)を勢力下においたのは4世紀の神功皇后の時代である
994日本@名無史さん:2013/04/21(日) 11:52:59.94
読めば、読めば・・・
日本書紀を「読めば」大和武尊の征西はAD1末ころの話。
資料をつまみ食いしなけりゃ、妄想もできないところが辛いなw
995満州スポーツマン金太郎:2013/04/21(日) 12:24:51.00
>三国志を読めば朝鮮半島に大きな国がなかったのも間違いない
>高句麗人が朝鮮語をしゃべってはいなかったことも間違いない
>高句麗人は朝鮮人の先祖ではなく満州人の先祖で
>朝鮮半島の北部にはシナ人の楽浪郡があり

朝鮮半島には既に百済新羅等の大国があった。
高句麗語と朝鮮語とどこがどう違うのか。
高句麗人と満州人は同じである。
楽浪郡はそんなところにはない。
996満州スポーツマン金太郎:2013/04/21(日) 12:34:17.29
S氏の本を読んでいて、昔は、扶余の北にある弱水は松花江と解釈されていたことを知った。
そういうふうに解するなら、寧ろ洮児河と解したほうが良いだろう。
要するに扶余の北にある弱水と挹婁の北にある弱水は別と考えたほうが良い。
或いは、巨視的に考えるなら黒龍江で、微視的に考えるなら松花江か。

ちなみに昔は西遼河が弱洛水もしくは弱水と呼ばれていたようである。
997満州スポーツマン金太郎:2013/04/21(日) 12:43:54.89
S氏の本を読んでいて、たしかに昔から、瀆盧国は南で倭と界を接する、とは、
海を隔てて接することだと解釈した学者もいたようである。

海を隔てて接することだ、とか弱水は松花江だ、と言っていた名無しの男は、
そういう学説を読んだのだろう。なかなかよく勉強している男である。
僕はこの男にはあまり反感は抱いていない。なぜかといえば、
粘りがあるし、かなり真面目な男だという印象があるからである。
たぶん「ボクの素直読み」の男だろうがw
998日本@名無史さん:2013/04/21(日) 15:04:20.90
三国志を読めば3世紀の朝鮮半島の様子が分かる
朝鮮半島南部には小さい国しかない
百済も新羅もない
後に百済や新羅になったかもしれない小さい国の名前が書いてあるだけだ
北九州の倭国(筑紫)は30カ国がまとまった大きな国で
朝鮮半島の国のどんな国よりも大国である
(纏向にあった天皇家の大和は倭国(筑紫)よりも大きかったことが考古学で分かっている)
三国史記を読めば新羅に倭国(筑紫)が一方的に何度も攻め込んでいたことがちゃんと書いてある
冗談を言った将軍を殺したりしている
朝鮮半島の南部に何らかの拠点を持っていたのだろう
そうでなければ不可能な行動だ

楽浪郡の位置についてはピョンヤンの近くでシナ人の墓が見つかったりしているので間違いない
999日本@名無史さん:2013/04/21(日) 15:56:58.44
>>998
新羅に攻め込んだ倭国は「朝鮮に本拠を持ってた倭国」でしょ
いちいち対馬海峡を渡るかって
1000満州スポーツマン金太郎:2013/04/21(日) 17:22:07.09
三国志に書かれているのは3世紀の朝鮮半島のことではないのである。
おそらく前漢時代の朝鮮半島のことである。なぜかといえば、
三国史記でもネット史でも3世紀には百済も新羅も大国となっているからである。
三国史記の編年に誤魔化しは無い。三国史記の編年は意外と正確なのである。

他にも、三国志に書かれているのが3世紀の朝鮮半島のことではない証拠がいくつかある。
たとえば三韓の戸数が少なすぎる。これについては他日論じよう。
楽浪郡が朝鮮半島に無かったことはこれまで何度も論じてきたが、
上の男はまともに読んでないようだ。
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