斎藤一と中村半次郎を押しとく
柳生宗矩と小野忠明
塚原卜伝の212人斬り
伊東一刀斎の48人斬り
あとは武田惣角の36人斬りってのもある(38人だったかも)
このあたりが神業か
特に卜伝は凄まじいな、まさに無双だわ
スレ立て乙
ト伝や一刀斎のは累計でそれだけ倒した話だから
その表記だと一度の戦いで212人とか48人とか倒した風に誤解されそうだな。
一対多で一番派手なのは武蔵と吉岡一門が最多か?
比率で言えば義輝最後の大立ち回りなんだろうけど、
あっちは討ち死にしてるし、側仕えの連中もいたわけだしな。
吉岡一門と戦った武蔵は戦い方がめちゃめちゃ上手かったよな。
一人であそこまで奮戦できるなんて、頭良いにも程があるわ。
アンチ武蔵は子供も殺したとか意味分からん理屈で批判するが。
子供と言えども、予め殺しとかねばあとで仕返しされるしな。
戦場で一対多で生き残った上に将軍助けた宗矩
宗矩の七人切りは自家の「玉栄拾遺」じゃなくて「安藤治右衛門家書」に載ってるってのが謎だ。
普通に自家か自流派の記録で書いてくれれば、よくある身内贔屓の創作乙で済むんだが、
特に創作する理由がない家の記録に載ってると、もしかして本当に何かあったのかもと推測しちゃうんだよな。
安藤治右衛門正次は普通に夏の陣に参戦してるから当事者でもあるし。
まあ、仮にその逸話が真実なら、最強候補に名が上がっても不思議ではないな>宗矩
同じ1対多でも、自分で一人で存分に戦えるのと、主君を狙う敵を守りながら戦うのとでは厳しさも段違いだろうし、
ましてや、場所が戦場で、相手は文字通り後のない死兵の群れなわけだから。
誰かを守りながらの1対多だと、あとは岡田以蔵が海舟を刺客から守った話があるくらいか。
他にあったっけ?
北畠具教が一回の戦で19人を斬って100人に手傷を負わせた伝説も最強候補に入るだろうな
同じ逸話や伝説でも
@作ったのは身内か多人か
Aいつ作られたのか
B第三者でもその出来事にどの程度関わる人物か
で大部信憑性は違うと思う
とりあえず後世の弟子が作った逸話は何の参考にもならないだろうし
同時代の第三者の手によって成立した逸話なら仮に真実でなくても
当時周囲からそのような逸話を残してもおかしくない人物と思われてた証にはなる
江戸時代当時の世間で比較的共有されてた剣豪への評価として
「本朝武芸小伝」(後に「撃剣叢談」も)あたりは基準のひとつとして使えるんじゃないかな。
正確さを求めるのは荷が重いにしても、当時、世間ではどんな剣士が、どんな風に評価されてたかの参考としては
悪くないような気がする。
「本朝武芸小伝」が書かれた時点での流派の繁栄が評価にかかってくるのを注意する必要はあるけどね
武芸小伝は江戸近辺が中心だし、撃剣叢談は江戸と岡山近辺、あとは元龍があった流派の情報中心だよ。
東北や九州、北陸の流儀については無視か間違いだらけだからなあ。もちろん貴重な情報だけど、あれをそのまま信じるのはまずいよ。
武芸小伝の作者って天道流だよな。やっぱ元祖の電気棒先生が美化されてたりすんかな?
15 :
日本@名無史さん:2013/01/10(木) 10:54:09.05
イライラ電気棒
そうだねえ。
鵜呑みには出来ないのは確かなので、それはその通りかな。
あと、地域によって内容に差があるのもそうだし、あくまで参考に、というのが安全かな。
当時、これらの文書がどの程度普及してたかの情報もあれば、
なお適切な使い方が出来るとは思うんだけどな。
あと、地方の流派で
「江戸ではうちの流派がこんな風に言われている」って文書があれば
読んでみたいね。
17 :
日本@名無史さん:2013/01/10(木) 11:15:09.37
武芸小伝(とそれを元にした本)は全国的に読まれたみたいね。出版されたりしてたし。
某流伝書の他流についての解説が武芸小伝まるぱくりだったのを見たことあるよ。
そういや江戸の流儀についてなら「ありやなしや」に結構書いてあるね。
武芸小伝以前のまだ合戦の時代の遺風があった時代の
流儀の消長の方が興味あるんだよなあ。
なるほど。
やっぱり結構読まれてたんだね。
伝書に流用のものがあったということは、
実際の信憑性はともかく、情報としては
当時それなりに信用されてたと見てもいいのかなあ。
情報源の少ない当時じゃ無理もないかもしれないけど。
>>10の評価だと岡田以蔵の護衛エピソードは相当
@作ったのは赤の他人で
Aまだ以蔵の知り合いが多勢生きてる時代に語られて
Bまさに事件の当事者の証言
>とりあえず後世の弟子が作った逸話は何の参考にもならないだろうし
作ったかどうかはっきりしてればいいんだがな。よっぽど吹いてるのじゃない限り
後世の文献に見える伝承も参考にはすべきだろう。というか参考となる史料が少ない人の場合は
使わざるを得ないわけで。
>>22 出典が氷川清話だから、助けられた海舟自身の述懐だしなあ。
当該箇所はこれか。
>其夜は市中を歩いていたら、丁度寺町通りで三人の壮士がいきなり前へあらわれて、ものもいわず切り付けた。
>驚いて後へ避けたところが、おれの側にいた土州の岡田以蔵が、いそぎ長刀をひき抜いて一人の壮士を真っ二つに斬った。
>弱虫どもが何をするかと一喝したので、後の二人は勢いに辟易して何処ともなく逃げていった。
>おれもやっとの事で虎口を遁れたが、岡田の早業には感心したよ。
奇襲ではあるけど、海舟も合わせれば2対3か。
流れから見て内容的におかしなところもなさそうだし、
まず事実と見てよさそうかな。
以蔵がチンピラ壮士の一人よりは確実に強いことは史実と見てよさそうだな。
wikiに載ってる宗矩に対する評価の内“古今無双の達人”は沢庵の手紙だそうですが
“刀法の凰”“剣術無双”は何が出典かご存知の方いますか?
27 :
日本@名無史さん:2013/01/10(木) 23:38:22.63
禅機は万事に応用して、一種の妙味を添ゆるものだ。芭蕉の発句のごときたいがい禅だ。
しかして往々杜詩より脱化し来て居るものあるを認む。古池やの句のごとき無我無心の佳趣なかなかに凡心俗腸の輩が了解の出来ぬところがある。
いはゆる観念の床に坐し瞑目静考してただ僅かに心通するばかりだ。
無我無心は禅機の極意だ。人一たびこの境に達す、真個天下敵なしだ。
かつて白井亨といふ剣道の達人があつておれもたびたび就いて教へを受け大いに裨益した事があつた。
この人の剣を使ふやほとんど一種の神通力を具へて居た。その白刃を提げて立つや凛として犯すべからざる神気刀尖より迸りて向などに立つて居られなかつた。
おれも是非この境涯に達せんと必死に練磨したれど、たうとう達しなかつた。
おれもひどく感心して話すと、白井は笑つて、足下が多少剣道を解し居ればこそ自分の切先もさう恐しく感ずれ、無我無心の人には何とも感ぜぬものよ、ここに剣法の奥意は存するよと諭した。
おれもますますその人の及ぶべからざるものあるを知了したんだ。
(勝海舟)
>>4 あくまで個人的な意見だから気に障ったら申し訳ないんだが、累計で212人や48人のほうが凄いと思う。
1人や2人との戦いとかだと運も重要だけど、48人や212人ともなるともはや実力じゃないかな。
>>26 「刀法の鳳」は本朝武芸小伝、
「剣術無双」は家光から宗矩に宛てた従四位下の贈位書にあるよ。
>>28 あれは単に生涯通算の人数が、一度の戦いでの人数にも読まれそうかな、と思って注記しただけで
別に一度に相手にした数が多いのと、通算での数が多いのとで、どちらが優れてるという話でもないよ。
気になさらず。
>>29 柳生の新陰流と縁もゆかりもない日夏さんが絶賛してるのか。
嫉視の対象になった反面やっぱ但馬さんは武芸者の出世頭として畏敬の念を
もって見られてもいる感じか。
2ちゃんねらーが大絶賛柳生宗矩
2ちゃんねるは柳生宗矩を応援しています。
33 :
日本@名無史さん:2013/01/11(金) 19:36:13.09
実際、ここ最近宗矩の人気は上がってる気がするな。
一昔前だと割とやられ役の印象が強かったけど、最近はいい扱いが多いし、なんでだろ。
宗矩もきっとあの世でよろこんでいるだろう。
元々「うちの師匠はあの柳生に勝った」みたいな伝承以外にはマイナス評価だすの難しい人物だし
その他流派の伝承もちょっと今だといい加減な事がすぐわかるし
>>31 ねらーからの評価が高くなったのはほんとに最近だけど
剣道界からの評価は死んでから現在まで一貫して高い
柳生宗矩
「俺のことそんなに高く評価してくれてありがとう。」
死後の世界があったとして宗矩が2ちゃん見てたらちょっと面白いな
どうせ江戸柳生側のステマだろ
そうに決まってる
柳生一族の陰謀!
むしろ江戸柳生が実質滅んだから剣豪小説の世界で遠慮なくかませに使われるのだと思う
伊庭八郎
誰かに切られて片腕ドラゴンになってるんだからその時点で最強じゃないと思う。
戦争はしょうがないと思うんだけどなぁ
45 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 00:05:51.42
まだ裏江戸柳生は滅んでないだろ。
ボクデーンのドラマが始まるね。
再放送だけど初回はBS本放送時より時間が短くされてるみたいだ。
あの初回の空中戦は間違いなく印象悪くするよな。
全体通して見ていい作品なだけに最初の頃の実験要素がもったいない。
朝鮮人犯罪があまり報道されない、そしてテレビが日常的に嘘を吐く理由。(間借りしているだけなどと言う工作員に注意)
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塚原ト伝だけど、どういう人なの
教え子が層々たる面子だよな
足利義輝だろ、北畠具教に細川藤孝などにも
教えているし
処世術にたけていた人だったかもしれないよね
あの今川氏真も弟子だからな。
>>49 剣術の草創期の偉人かな?
ヤマトタケルとか弁慶とか、
それまでは「強い個人」だったのを
「伝達可能な技術」として昇華した人。
勿論先人は居るけど。
甲陽軍鑑では山本勘助が今川家に仕官していたときに
新当流ではないことを理由に謗られる場面があるんだよな。
それだけ駿河でも流行ってたんだろう。
甲陽軍鑑の山本勘助と言えば二百対一で数十人斬り伏せて勝ったなんていう無茶苦茶な武勇伝があったよな
54 :
日本@名無史さん:2013/01/13(日) 10:46:11.18
じゃあカンスキー最強じゃね?
皆、ありがと。俺ったら物知らねえから助かった
雪の日は屋内で稽古。
敢えて雪の中で走り回るのかと思ってました。
冷え症の剣豪もいるからな。
そして桜田門外で不覚を取るのか
>>49 伝わってる逸話からすると、ずいぶんひょうきんな人だったらしい。
無手勝流のエピソードは有名だよね。
あとは、稽古に見学者が来たときは技を盗まれないように重要な技は見せないのが普通なんだが、卜伝は関係なくバンバン見せてた。
それを弟子が「そんなに色々見せてたら、それに対応する技を考えられちゃいますよ」と言ったら、「その時はさらにそれに対応する技を考えればいいじゃないか」と言ってのけたとか。
卜伝に対して、一刀斎はかなり苛烈なイメージがある。
賊7人に襲われたときに斬り捨てて、そのリーダーが水瓶に入って隠れてたところを水瓶ごと叩き斬ったとか、自分の後継者を決めるために殺し合いさせるとか。
あと、ベロンベロンに酔っ払って爆睡してたところを十数人に奇襲された際、素手で全員を返り討ちにしたとか。
返り討ちにしたのって、酔っぱらったのじゃなくて、
妾と一緒に寝てた時、その妾に裏切られて刀取られた後、寝てるところに蚊帳をかぶせられた時じゃなかったっけ?
で、何人かで囲まれて、蚊帳の上から切りかかられたと。
まあ、それを何とか避けて、相手の刀を奪った後、
蚊帳ごと切り払って返り討ちにした上に、その時、仏払刀を開眼してるから
本当ならどっちだったとしても大概な話ではあるけど。
一刀斎は足跡がほとんど自流派内伝承でしかわからない上に
忠明等門人が記録を残すのに全く興味が無かったたせいで
主だった逸話は一刀斎と面識が無い後世の門人が書いたものがほとんどという
記録が少なくなりがちな江戸初期の剣豪の中でも 特に謎が多い剣豪
孫兵衛忠一の子からの聞き書きである『一刀流雑談集』によると
一刀斎の真剣勝負は「場ハレタル仕合十三度中、真剣ノ仕合七度ノ由也」ということで
随分控えめだな。一流の武芸者とはいえ、進んで白刃に身をさらすのなんて
案外こんな回数かもな、とも思うが。「場ハレタル仕合」ってのは名誉ある場での試合ってことで
野試合なんかは含まないんだろうが。
「一刀斎先生剣法書」も書かれたのは寛文四年、
筆者は一刀斎の弟子だった古藤田俊直の孫の俊定だし、
「一刀流三祖伝記」も書かれた時期は不明だけど、
筆者が井藤忠雄というから大体同時期くらいだろうし、
一刀斎の直弟子とぎりぎり面識があるかどうかくらいの世代からなんだよな>一刀斎の話を記した伝書
史実は里見家で兵法指南していてたくさん弟子がいた以外は不明な剣豪だよ。
一刀流の基本にして極意「切り落とし」を生み出した事以外は不明な剣豪
ト伝も自筆の伝書はほとんどなかったんだったっけ。
ト伝百首くらい?
>>67 古藤田俊直の一刀流にも切り落としあるの?
里見家家臣で一刀斎の弟子の御子神家等が発行した天正年間の伝書が子孫宅にいくつか残ってて、何年か前の武道学会で発表されてるよ。
武道学会・・・
そんなものもあるのか
>>71 おおそうなんだ。一刀斎直筆伝書ではなく、一刀流一門が逗留していて
その伝書が残っていたって感じなのかな?
宗矩の近い時代の人からの批判としては山鹿素行が『山鹿随筆』の中で
“柳生但馬は何十年に及ぶ下学(修行)によって剣術の妙理を会得した”
“しかし自分の弟子には(下学を疎かにして)妙理を極めた心を教えようとしたので門人にさほどの上手がでなかった”とこきおろしている
宗矩本人の技量を疑ったものでは無いが
>>64 名誉ある場での試合ではなくて、明らかになっている試合、
はっきりと判っている試合という意味だと思う。
>>74 素行は忠明を推挙した一刀流免許の小幡景憲の直弟子だから、柳生への評価が辛いのかね。
実際には十兵衛がいたし、藩指南役に推挙された腕前の門弟がぞろぞろいたのに。
>>76 実際には門下に息子達や木村助九郎、氏井弥四郎等の名手もいるし
宗矩本人は兵法家伝書で“心法”の事を、あくまで技が体にしみついた状態になった上で
さらに次のレベルに進むために必要なものと定義しているので
素行の評価は実際の宗矩本人の主張からは外れたいがかりの部分はあるかもしれないが
宗矩の説く心法が本人の意思と違った形で
当時の人や、もしかしたら直弟子以外の門人にも受け止められてた面はあったんだと思う
>>68 卜伝百首も卜伝が直接書いたもんじゃなく、卜伝が言った「戦でのアドバイス」とか「戦での心構え」とかを、弟子がその場でメモってたやつじゃなかったっけか。
その場でメモってたんなら、内容だけ見れば卜伝の直筆ならぬ直伝と思っても良いかもだけど。
>>76 >素行は忠明を推挙した一刀流免許の小幡景憲の直弟子だから、柳生への評価が辛いのかね。
素行の発言の趣旨は下学を軽視する風潮に対する警鐘であって、忠明を持ち上げるための物ではないし
宗矩の腕前自体はちゃんと評価してる訳だからその見方は穿ちすぎでしょ
それもそうか。
山鹿随筆はまだ読んでないから読んでみようかな。
82 :
日本@名無史さん:2013/01/17(木) 20:52:09.92
但馬さん凄すぎるな。社会的地位は大目付という重職だし、沢庵師に指摘された欠点以外は特に
マイナスのない完璧超人なんじゃないのか?
まあ、それを言ったら他の剣豪もそう極端な欠点を抱えてるわけでもないと思うよ。
何かと比較されがちな忠明にしても、当時の武士の気質を考えたら
言われるほど極端におかしいわけでもないだろうし。
剣術が凄くてかつ文官としての能力も高いのは珍しいかもしれないけど
欠点が(記録や逸話には)ない剣豪は結構いるし
苛烈だったり偏屈だったり欠点がある剣豪もそれはそれで好きだな
欠点がない完璧超人が、人気があるかというとまた別だしな。
まあ、宗矩は割と変な逸話も多いから、それはそれで面白いけどな。
和尚にタバコを遠ざけろって言われたのに、
長いキセル作って、ほら遠くしたぞとか、子供かよと。
江戸前期〜中期って基本的に他流試合が幕府に禁止されてたんだろ?
そんなんだと一緒に稽古する同門同士でしか優劣を計れない気がするがな
>他流試合が幕府に禁止されてたんだろ?
なんか法度が出てたの?無知なんで誰か教えて。
別に幕命では禁じられてなかったはず。
流派それぞれで自粛してた。
尤も、喧嘩や勝手争論は元和期の時点で禁令が出てたし、
下手に争って遺恨が残ると、最終的に共倒れになりかねないから合理的ではあるわな。
上泉信綱だと思う
92 :
日本@名無史さん:2013/01/18(金) 16:29:20.52
別に法律が変わったわけでもないのに他流試合は盛んになってるしな。
幕末になったら、幕府自ら講武所を立てて、
流派に関わらず道場に出てきて仕合するべし、と言ってるしな。
この辺りは講武所の奉行だった男谷精一郎の信条が影響してる部分もあると思うけど。
江戸前期〜中期って基本的に他流試合が幕府に禁止されてたんだろ?
疋田文五郎の廻国修行の記録は江戸初期のものじゃないの?
慶長六年だと家康はまだ征夷大将軍にはなってないな。
>>94 幕府による他流試合禁令ってのは聞いたことないけど、
どこかにあったの?
喧嘩やらの騒動が厳しく取りしまわれてただけで、その時代も試合したらしい記録は伝書や逸話で結構見るよ
柳生が他流試合を禁じてたというのは本当なのか?
門下生にってことね
100 :
日本@名無史さん:2013/01/19(土) 00:38:44.30
十兵衛の他流試合逸話もあるよな。切った切らないの話になったけど
結局十兵衛の言い分が正しかったみたいな話。
宗矩の馬上試合エピソードもあるな。
江戸は二代目当主の十兵衛自ら
「“しろうと(新陰流以外)”とも撃ち合わないと上達しない」
と主張しており
少くともこの頃までは他流との交流自体は制限してなかったっぽい
尾張は(史実かは置いといて)逸話だと他流試合上等な印象がある
七人の侍の久蔵のエピソードの元になった逸話か
竹刀が一般化する前は木刀か真剣だし、
そうそう試合も出来ないよな。
下手すりゃ自流派が絶える訳だし。
竹刀が一般化したのは江戸時代になる前だよ
武蔵が五輪書で竹刀の流行を批判してるからその頃にはだいぶ広まってたようだ
>柳生が他流試合を禁じてたというのは本当なのか?
高田三之丞は柳生兵庫に敗れて弟子入りしたし
連也は殿様から子供作るように言われても
「もしセックスした次の日に自分と互角の敵と戦って敗れるような事があれば殿の不名誉になる」
と言って断っており尾張柳生では他流と戦う事を自然の事と思っていたよう
江戸時代初期は殺伐としている時代だから、普通に道歩いてるところに切りかかってくる馬鹿もふつーにいるだろ?
他流との戦い=試合、じゃなくて実戦を想定してるんじゃね?
幕府が他流試合を禁じていたってソースが出てこないのとは対照的に
他流試合上等の方の根拠は続々出てきてるな。
これは勝負あったな。
朝鮮人犯罪があまり報道されない、そしてテレビが日常的に嘘を吐く理由。(間借りしているだけなどと言う工作員に注意)
(間借りしているだけだ等と言う社員と工作員には注意)
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TBSテレビ 、 、、 .〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6
大韓毎日 、、、、、、、、、、、、 〒108-0075 東京都港区港南2-3-13 4F
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京郷新聞 、、、、、、〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2
産経新聞東京本社 〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
(サンケイスポーツ、夕刊フジ、日本工業新聞社)
朝鮮日報 、、、 〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1-1 4F
毎日新聞東京本社 〒100-8051 東京都千代田区一ツ橋1-1-1
日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C
>>107 確か原文だと正式な立ち会いを想定した文章だったと思う
ソースが出せなくて申し訳ない
宗矩の賞賛レスはほとんど宗教。
完璧超人て・・・
書いてるのは柳生新陰流の門下生か宗矩の子孫かな?
宗矩の子孫はもういないよ
江戸系の柳生新陰流も滅んでるんでしょ?
>>112>>113 無関係な第三者が匿名掲示板で何度も賛美する理由はなんだろう?
誰かからお金をもらって頼まれているのか?
このスレで好きな剣豪を誉めてる奴らが実はみんな関係者だったらちょっと面白いな
>>114 但馬守はバカなお前のことも見守っていてくれる。
117 :
日本@名無史さん:2013/01/19(土) 21:21:35.74
江戸柳生関係者が相当いることになるなw
千葉周作だろうな。
強さだけではなく繊細さを感じさせる剣豪だ。
千葉氏は、安房国の豪族。秀吉の小田原征伐と相前後して滅亡したが、
東北地方を中心にその子孫は多く残っている。
桓武平氏良文流。平将門や清盛とも同族といえる。
千葉氏の月に星の家紋は、トルコの国旗と同じ、ペルシャ系の渡来人のものだろう。
佐々木小次郎は弱い?
武蔵よりは弱い
123 :
日本@名無史さん:2013/01/20(日) 14:29:55.50
>千葉氏は、安房国の豪族
ひどい知ったかがいるもんだわwwww
ここ本当に日本史板?
出た!
嘲笑レス名無し!
民主党を生み出した『団塊の世代』の面々(現在66〜63歳)
消滅へ向かう化石サヨク思想
加藤千洋(65)・・朝日新聞元編集委員(中国の犬)
安田好弘(65)・・死刑廃止論の弁護士(光市母子殺害事件のDQN弁論)
上野千鶴子(64)・・ジェンダーフリー学者(フェミナチ)
班目春樹(64)・・原子力安全委員会委員長(デタラメ君)
若宮啓文(64)・・朝日新聞主筆(「竹島を韓国に譲れ」で有名)
白川方明(63)・・日銀総裁 無能(帰化人説有)
山田伸二(63)・・NHK解説主幹(民主党の熱烈なシンパ)
後藤謙次(63)・・共同通信元編集局長(反日主義者)
テリー伊藤(63)・・全共闘崩れ(民主党シンパ(帰化人説有))
千葉氏が安房の豪族とか主張してるバカに周作も押されたくないだろうな
安房といえば里見氏。千葉氏は下総中心。
千葉周作は松戸で修行してたんじゃないかな?
大石が男谷に勝ったとか、白井がその大石に勝ったとかってのは信頼出来る話なのかな?
何処からでた話なの?
柳生宗矩のおしっこなら飲める。
うんちも食べるかもしれないな。
宗矩叩いてるヤツの方が発想がキモいです
レスの流れを見るに、宗矩の話題が目立って他の話が少なくて不満とか、
褒め過ぎなんじゃないかとか、そういう気持ちがわからなくもないが、
それならもっと他の剣豪の話題も書けばいいだけの話で、
>>132みたいなのは流石に品がなさすぎだろ。
誰得だよ。
宗矩信者は今日も元気です
>133>134
荒らしにかまうな
完璧超人w
疋田是清。
文句なしに最強。
だれそれ
140 :
日本@名無史さん:2013/01/21(月) 13:59:46.22
疋田是清だろ
疋田豊五郎景兼と高橋是清ならわかるが、
疋田是清って誰だ
疋田是清のことわかんない人がいたのか
新しい荒らしか
ほっとけほっとけ
[143]日本@名無史さん [sage] 2013/01/21(月) 18:10:52.18
AAS
新しい荒らしか
ほっとけほっとけ
145 :
日本@名無史さん:2013/01/21(月) 18:39:48.72
少しは疋田是清の話もしろよ。
>>145 疋田是清は技術面と精神面のバランスが取れた珍しい剣豪。
とかく、技術だけ、精神だけ、のどちらかになりがちな剣豪にありがちな偏執的な性格がない。
奥義、月水晶も目新しい技術はないが剣術の基礎が全て詰まった素晴らしい技である。
疋田是清は剣豪というよりスポーツ科学者的な存在だったのかもしれない。
>>129 大石進の江戸での道場破りについて、
大石自身の記録は残ってなかったのかね?
受けた側の記録だけだと、実際の勝敗がどうだったか判別しづらいな。
竹光で庭石斬った寺田宗有が最強
柳生宗矩で決まりでしょう
総合的に見て宗矩だな。
>>150 だな。
知名度、実力、挿話、全てにおいて宗矩の右に出る剣豪はいない。
確か大石家の記録があったはず。
逆に負けた側の道場の記録の方が出典元がよくわからないんだが。
そちらも道場の記録帳なりがあるんだろうが。
全員一致で柳生宗矩でいいんじゃね?
>>134 他の剣豪の話したって宗矩の話止めるとは限らないだろ?
奴らは延々宗矩の話してるよ
>>154 いや、誰が勝った、誰が負けたって話は色々あるけど、
その話の元になってる記録は残ってるのかな?って話。
無論、大石側が自分の負けた記録を残してないってのはあるかもしれないけど、
これだけ逸話があるってことは、評判の高い剣士複数に勝ったというのは間違いないだろうし。
157 :
日本@名無史さん:2013/01/22(火) 14:35:55.62
小野忠明は?
徳川の指南役だし。
宗矩の方が上だな。徳川家に仕えたのは小野より後なのに石高が段違いだし。
それは剣の腕だけの評価じゃないんじゃないか?
剣では柳生より小野が上だけど稽古では将軍にも容赦しないから嫌われたなんて話しがあったはず。
宗矩、忠明の力量とは関係ない話だけど、流派として
将軍家指南役として安定した地位を維持し続けた柳生と
指南役からは転落したが幕末に隆盛を極めて現代剣道の原型になった一刀流
歴史の勝者はどっちなのかって難しいな
自分の「忠」の名を与えてるくらいだし、閉門騒動の時もかなりかばってるから、
少なくとも秀忠に嫌われてるってことはないんじゃないの>忠明
実紀の記述だと、むしろ周囲の人間から嫌われてたみたいだし。
というか、将軍から嫌われた云々って確か武芸小伝か撃剣叢談が初出じゃなかったっけ?
>>162 実記には「自分の武功を鼻にかけるせいで同僚から嫌われてた」とあるけど
少くとも秀忠みたいに大切にしてくれる人はいたみたいだし
自分の剣に対する誇りが大きすぎたり人付き合いに難はあったかもしれないけど
本当に周囲の誰からも嫌われてた訳では無いと思う
そうそう。
本当に周り全員から嫌われてたら、そもそも流派として成り立たんよ。
石高もそうだが、柳生と比較するから小さく見えるだけで、
当時の時点で一刀流も国内有数の流派だよ。
確かに比較対象が宗矩だから小野が劣って見えるだけで
小野忠明と一刀流は素晴らしいと思うわ。
柳生は「剣術無双」で小野は「撃剣無双並び無し」
宗矩は新参者の成り上がりかつ大名から疎まれる役職で、忠明はトラブルを起こしやすい性格と
両者とも敵が多かったろうに、こと剣に関して同時代の記録では貶められて無いのは
やっぱり両者とも疑いを持つ余地がない位生前の評価は高かったんでしょ
というか、忠明の評価については、
紹介する時、毎度宗矩と絡めるのがマズいんじゃないかと毎度思う。
まあ、江戸幕府の将軍家指南といえば、
まず柳生の名が挙がるし、元々の逸話自体が柳生絡みのものが多いから
そこは仕方ないのかもしれんが、いらん軋轢を増やす元だよなとは思う。
確かに剣術の腕は互角だとしても人品骨柄に差がありすぎるから
どうしても比較した場合に評価が辛くなってしまう。
忠明の性格のイメージは一刀流の伝承でだいぶ誇張されてるから
それで評価するのはどうかと思う
さすがに手加減せずに木刀で将軍叩きのめしたら首が飛ぶだろうな
>一刀流の伝承でだいぶ誇張されてるから
具体的には一刀流のどういう伝承でその誇張された性格が出てくるんだろうか?
大名に頼まれて、家中の剣士と仕合をした時、その相手の腕を折って一生不具にしたとか、
江戸城前で武芸自慢をやってた武芸者を嘲笑って、怒った相手の脳天を鉄扇で叩き割ったとか、そういう話があったはず。
三祖伝か、それより後で追加された逸話か忘れたけど、一刀流極意には両方載ってたと思う。
全体として「気持ちはわかるがやり過ぎた」という感じ。
その辺の話は結局“柳生に勝った”って話と同じで
自分とこの師匠がどんなに凄かったかという流派内伝承にすぎないから結局信憑性は微妙。
当時の価値観で持ち上げるために作った話が
今の感覚だとドン引きなのは皮肉な話ではあるが
「忠明が諸国を廻国修行して、薩摩で東郷重位(っぽい剣豪。名前は変えてある)を倒したりして駿府に戻ったら、
家康直々に賞賛され、「徳川一門は一刀流を修めるように」というお達しがあった」って話も三祖伝にあるね。
宗矩と他の剣豪を比べたら気の毒。
宗矩は宗教界で言えば仏陀やキリストと同じ。
人間のレベルを越えている。
例えば、信綱や大石ら歴戦の剣豪が全盛期の状態で、宗矩と立ち会ったとしても、瞬殺されてしまうだろう。
宗矩に勝てる剣客はいない。
柳生宗矩に比べたら他の剣豪なんてカスみたいなもんだな
忠明の弟子って小幡景憲と伊藤忠雄以外に主だったのって誰がいたっけ?
逸話に出てくる鳥山傳右衛門って実在したんだろうか。
やっぱり弟子の中だと忠常・忠也が筆頭じゃないの
まあ、確かにそうなんだが、その二人は実子だからなあ。
実子だったら問題あんの?
仏陀やキリストのような存在は上泉、卜伝、一刀斎の三大流祖だと思う
宗矩や忠明は摩訶迦葉やパウロ辺り
じゃあヨハネは愛洲移香斎や鐘捲自斎か
>>181 いや、別に問題はないよ。
単に自分の中では「弟子」って家の外の人間のイメージがあったから、
実子の忠常と忠也が弟子っていうのがピンときてなかっただけ。
個人的な感覚の問題なんで、気に障ったなら謝るよ。
三大流祖より前の剣士たちは旧約聖書の預言者やバラモンたちって感じもあるな。
あと、ルターに相当するような人物は男谷精一郎とか千葉周作あたりか。
卜伝と一刀斎じゃ世代がかなり違うな
仏陀とキリストよりは近い
年代別で言えばこんな感じ?
仏陀 :ト伝
キリスト :伊勢守
マホメッド:一刀斎
間違えた。ムハンマドだな>イスラム教開祖
宗矩のチンボしゃぶりたい。
191 :
日本@名無史さん:2013/02/02(土) 16:18:03.92
■NHKの間抜けなツイッター工作発覚■
NHKの24時のニュースは視聴者からのツイッターを流しているが
自民党や日本企業の話題の時には批判コメントしか流さないなど、
以前からNHKによる意図的な反日工作が指摘されていた。
1月31日深夜のNHK24時ニュースの放送開始の頃にツイッターのサーバーが落ちた。
その時ツイッターがずっと使えない、書き込み自体が出来なかったのは、視聴者が確認している。
にもかかわらず、その時画面では
「地震だったの?」とか「あ、○○さんだー」「都会にこんなのがあるのかー」
と番組の流れに沿ったツイートが流れていた。
番組終了時にNHKは
「ツイッターを『表示するシステム』の不具合があったので、事前に来ていたツイートを流した」
と苦しい説明。
当然視聴者からのツイートは放送できるものを選別しているのだろう。
選別なら別にいいのだが、問題は
視聴者からのリアルタイムのツイートと称して
実際には、NHKが事前に用意したインチキ捏造ツイートを流していたということだ。
幕末の方が技術が発展してる分強いのか、
それとも戦国〜江戸初期の方が乱戦慣れしてて対応力が高いのか
どっちなんでしょ?
一対一なら幕末期。
対多数なら戦国。
鎧着用なら戦国有利、素肌なら幕末有利というのもありそう
素肌剣術化が始まる江戸初期はどうか?
強さ比べをするにもルールの設定が要るなあ。
戦国期ルール(鎧着用、乱戦、なんでもあり)
幕末期ルール(素肌、1対1、不意打ちあり)
試合ルール(防具と竹刀、1対1、審判ありの3本勝負)
この3ルールで戦わせてトータルの成績が一番よさそうなのが
最強の剣豪としてみるのはどうだろう。
ルールはもっと詰められると思うから色々案がほしいな。
身体能力では戦国期の方が有利?
幕末は日本人の体格が最も貧弱だった時代みたいだし
198 :
日本@名無史さん:2013/02/04(月) 23:39:13.71
199 :
日本@名無史さん:2013/02/05(火) 00:15:30.96
戦国時代の人口 約1300万
江戸末期の人口 約3500万
剣術の担い手
戦国 上級武士
幕末 中下級武士、百姓
剣術人口
幕末>>>>>戦国
でも殺しあいが当たり前な世界で成長した戦国・江戸初期の剣豪と
曲がりなりにも太平の世で育った幕末の剣豪だと
だいぶメンタリティが違うと思うんだよね
実戦慣れしたのがゴロゴロいた時代に、腕自慢を公言しても通るような
恐るべき腕前を持っていたのが戦国末の剣豪じゃない。
とはいえ、そういうのが確立した練習方法を散々やった者が、そう弱いとは
考えにくいし、実際にも幕末の実戦で確かに強いと認められたのもいる
わけだから、どっちがどうとも決めがたいのでは?
実際に立ち会ってもらうしかない と。
まあ、幕末に3人がかりの辻斬りにとっ捕まって、ちょん切られそうになった
けど、隙をついてかろうじて逃げたなんて話もあるから、非剣豪はそれなり
だろうけど。
>剣術の担い手
>戦国 上級武士
そんなわけないだろ。何のために秀吉が刀狩りしたんだよ。
>>202 刀を使う人=剣術使い ではないだろ、常識的に考えて。
剣術なんて趣味の世界のことに打ち込めるのはそこそこ余裕のある階級。
足利義輝とか、徳川家康とか。
ただの思い込みを「常識」とは言わんよ。
万人を納得させうる根拠を示してくれ。
205 :
日本@名無史さん:2013/02/05(火) 10:49:53.34
趣味どころか剣術=兵法に達すればそういう階級から召抱えられるチャンスもめぐってくるんですが。
戦国当時の兵法者は基本芸人だから、大して社会的地位は高くないぞ。
一番高くて伊勢守あたりか。
207 :
日本@名無史さん:2013/02/05(火) 13:14:12.07
>>206 社会的地位が高いとは別に書いてないが。
低い階級から成りあがるチャンスとしては十分。
少なくとも趣味の世界レベルではないね。
あのー…
最強の剣豪の話…
剣術士というのは、今でいえば、プロ野球選手やjリーガー、オリンピック選手のようなもの。
流派が違えば対戦の決まりごとも違う。
室伏と卓球の愛ちゃんはどっちが強いのか?と言っているようなものだ。
210 :
日本@名無史さん:2013/02/05(火) 23:53:23.55
だがそういう言い訳がしたくとも立会って負けた流派を
世間はそう見てはくれないからねえ。
>>209 そりゃ、ハンマー投げの球を食らわせるほうが勝つに決まってるじゃない。
212 :
日本@名無史さん:2013/02/06(水) 01:13:25.35
強い弱いで言ったらどう考えたって室伏の方が強いのにな。
>>209はアホすぎるだろ。
クレー射撃最強?
>>212 卓球のラケットで立ち向かわせたりしてな。
あんまりだ・・・・・
>>213 いわゆる白兵戦で、飛び道具を使うと味方もろともにする危険があるから除外とかいう想定じゃない?
216 :
日本@名無史さん:2013/02/06(水) 08:27:00.89
小さな愛ちゃんがピンポンラケットと球でどうやって
重いハンマーを振り回してくる巨体の室伏に勝つんだよ?
無理ゲーすぎるだろ。
ハンマーをくぐり抜けてラケットのラバーで頭髪をキュ!!
泣いて逃げるで
聖書のサムソン以来怪力男の弱点は頭髪と決まってるからな。
合理的な作戦だわ。
卓球と砲丸投げはどうでもいいとして、
戦国時代の介者剣術と江戸期以降の素肌剣術は姿勢や体捌きの時点で違うからな。
どちらかに合わせたら、そりゃ合わせる側が不利だろ。
特に江戸後期以降の剣士だと、鎧来て戦う経験自体ほぼないだろうし。
比べる場合、戦国剣豪は鎧あり、江戸期以降の剣豪は鎧なしにするか?
江戸初期の剣豪でも、出陣経験がある奴はどちらも行ける感じで。
室伏が卓球にあわせれば不利だし、愛ちゃんがハンマー投げに合わせるのが
不利だとかそう来たか。
221 :
日本@名無史さん:2013/02/06(水) 10:53:31.91
卓球のラケット同士で立ち会っても室伏が勝つわ。
一番強いのは小野次郎右衛門を倒した紀州藩の丸目正眼
誰?
ついにその名前が出てきたか。
だから誰だよ
ぐぐれよ。すぐ出るぞ
誰々言ってるお前が誰だよって話だよな。
お前の名前よりは有名だよ。
忠臣蔵の四十七士も新撰組も着込(鎖帷子)着用だったと聞くが
そりゃ幕末になっても具足着用とかもあるだろ
アホか
居丈高な名無しがいるな。
>>221 双方ラケットを持ってピンポン台を挟んで勝負開始
追い詰めた室伏がラケットで愛ちゃんをペンペンペン。
>>231 室伏が全力でラケットでぶっ叩いたらラケットが持たない気がする。
特注ラケットが必要じゃないか?
233 :
日本@名無史さん:2013/02/08(金) 13:42:21.76
4,5代前の先祖に大石進を持つ俺が判定してやろう
室伏VS愛ちゃん 勝者 室伏
愛ちゃん < 室伏 <<<<<<超えられない壁<<<<<<< かすみん <平野
234 :
日本@名無史さん:2013/02/08(金) 23:36:34.05
なるほど、室伏が強いんじゃなくて愛ちゃんが弱いってことか。
納得したわ。
>>233 親戚ならすぐ大石神影流習いに行け。
まだ残ってるけど当代の大石先生、かなり高齢だしはやく習わないと習えなくなるよ( ̄▽ ̄)
むしろその娘にバレエを習う
237 :
日本@名無史さん:2013/02/09(土) 08:41:08.32
なに勘違いしているんだ?
室伏と愛ちゃんが卓球で対決すれば・・
室伏は普通のラケット、愛ちゃんは割り箸でも勝てる。楽勝です。
剣豪というものも、試合のルールがあって、ルールの中での最強でしかないのだ。
他流試合というのは、「猪木vsアリ」、「ボブ・サップvs曙」の世紀の対決やみたいに笑いしか取れない。
今の時代に猪木アリをそういう悪い例として持ち出す時点で
こいつはオッサンで、しかもろくにものをわかってないとしかw
直接対決してないものはどうせ想定でしかものが言えん
卜伝か上泉というのが一般的な評価だろ
240 :
日本@名無史さん:2013/02/09(土) 14:08:33.07
じゃあ上泉が素手でアリと戦うことになったらどんな試合になるの?
しかし、実戦になれば、結局、指しの勝負に強いだけの大将は大勢の弓隊に囲まれて餌食。
弁慶や室伏のような巨漢は目立ってしまうからな。
そりゃ後世の軍記物だからだろ。後世書かれた読み物じゃなくて
戦乱の時代の同時代史料にそういうのはあるのか?
243 :
日本@名無史さん:2013/02/09(土) 17:49:15.94
弁慶は話盛られてる。
平家物語の古態本(鎌倉初期)では活躍が省かれてるキャラ。
弁慶伝説は南北朝、室町時代に作られたフィクション。
上泉や卜伝は戦場でもかなりの武功を立ててたと言われてるんじゃなかった?
一条空也もなかなか強い。
一条直也もかなり強い。地獄車とか使えるし。
しかし、ライバルは足でピアノを弾くから侮れない。
疋田是清には叶わんがな
ま、じょうせんかつかぽんの二択だろうな。
じょうせんVSとでん
>>237 BSドラマ塚原卜伝はくるくるジャンプや黒人もでるし、お笑い試合だったな
251 :
日本@名無史さん:2013/02/11(月) 15:32:24.36
一刀流三祖伝の存在を知ってから、一刀流の奥義が魔犬慟哭破にしか思えなくなった。
そもそも一刀流って身内の自慢話以外での武勲話ってあるの?
新陰流の信綱、宗章、宗矩あたりのは身内以外からの評価があるよね。
評価としては徳川実記に「世に並びなき撃剣の達者」とある
武勲話は記録に残ってるね
>>232 室伏がラケットで愛ちゃんをペンペンペンと叩いたらあっさり折れちゃった?!
侘びしさにミチアフレた勝負。
実戦といえば、足利義輝なんかも稽古はしていても真剣勝負を
何度も体験したなんてことはなかったはず。
それでも、けっこう強かったんじゃなかったっけ。
当時なら組太刀とかいう型の稽古だけではなかったのかな?
もちろん素質次第に決まってるけど、稽古だけでも実戦で通用
する腕前にはなれる、ということでいいんじゃない?
そういえば、義輝が習ったのは鎧着用の剣法なのだろうか?
疑問だ。
259 :
日本@名無史さん:2013/02/12(火) 10:33:08.46
戦国真っ最中だから介者剣術しかないんじゃないの?
最後の大立ち回りの時も、鎧来て立ち回ってたんじゃなかったっけ。
そういえば戦国期だと一対多の状況も珍しくもなかったと思うけど、
そういう時、どう対応するかを記した伝書ってないのかな
一刀流で4人までなら同時に相手できるという話があったような
出典覚えてないから曖昧で悪いが
>>259 そういう技以外の状況に応じた立ち回り方だったら伝書の「外之物」とかに
書いてある場合あるな。戦国じゃないけど『五輪書』の多敵の位の箇所だったら
具体的な戦い方も書いてある。
疋田文五郎
>>262 誰が最強とかどうでもいいしどうせ結論でないんだから流れに沿った話しろや。
>>260 小野忠明の伝書か何かじゃなかったか?
バキで勇次郎が4人一度に相手にできれば世界中を敵に回しても勝てると言ってたのの元ネタにもなってたな。
>>265 書いたのは本人じゃないにしても、
忠明の伝として、多数を相手にする際の心得でそう言ったという記述がどこかの伝書にあったはず。
忠明から教えを受けた弟子が書いた伝書って事?
弟子というか、子孫というか、確かその辺。小野忠於辺りかも。
書いておいて悪いが、俺も借りた本か何かで読んだものだから確認ができん。
誰がソース当たれる人がいたら有難い。
剣豪の言葉じゃないけど不動智神妙録にも多対一のこと書いてなかったっけ?
>>258 そう。
というか、戦国の剣豪も、実戦に参戦するときは鎧甲に身を固めたろうけど、
勝負のときにも、というのは考えにくいんじゃないのかな?
>>259 そうだっけ?
じゃあ、塚原、上泉、等々はどうだったのだろう?
どこまで事実とかはちょっとおいて、いずれにしても
武者剣法の型を伝授した、という話なのかな???
>>272 あ、間違えた。
「伝授したのは介者剣法、主に型」ということなのかな?
>>272 介者剣術って言い方が悪かったか。
鎧を付けないことを前提にした素肌剣術の型が成立しだすのが江戸時代に入ってからっていうから、
それ以前だと鎧着用を踏まえた型が基本だから、義輝が習ったのもそれだったんじゃないのかなと。
素肌の剣術なのは室町時代からだよ。
新陰流の一刀両段にしろ、一刀流の五てんにしろ、打太刀はもし鎧兜なら切っても仕方ない所に切りかかるよ。
正確には素肌を基本に鎧兜でも使える剣術なのが室町時代の剣術で、江戸時代には鎧兜つけると使いづらい剣術が生まれた、ちゅうはなしだと思うが。
その時、鎧を着てる、着てないは別として、
基本になる構えは鎧着用を踏まえた腰を落とした構えがベースなんじゃないかな、ということなんだが、
室町の時点でも、鎧着用時の構えと、素肌の時とで構えは変わってたのかな?
別に鎧を着るから腰を落とすわけでも無いんだよ。身を低くするのは他にも意味あるよ。平服の柔術や十手術、居合でも腰落とすし。
倒れないことを第一にするから腰を落とした構えになるって話でいいのかな。
だとすれば認識にそれほどズレはなさそうなんだけど。
色々あるよ
・身を低くして狙い所を減らす
・一歩が広くなり間が広がる
・打つ際、受ける際、強い姿勢になる
・上と重なるけど、相撲を見ればわかるけど下から当たった方が基本的に強い
なんかがあるね。
あとは居合や柔術だと室内で天井が低い場合、というのもあるし。
なるほど。
素肌剣術の腰を上げた構えとは別のメリットが結構あるんだな。
静と動みたいなイメージが浮かんだ。
283 :
日本@名無史さん:2013/02/15(金) 19:08:37.79
剣術やってた武士には2種類あると思うんだ。
上級武士が純粋に趣味でやってるタイプ・・・将軍様とか参議どの、上泉、柳生、富田なんか
剣での立身出世を夢見てるタイプ・・・武蔵とか小野忠明
前者は剣術に関係なく生活安定してるから求道的、後者は悪く言うと剣を立身出世の道具にしてる。
なぜか講談だと後者が前者の剣が汚れてるとか批判するけど・・・
剣の腕で立身っていえば新選組もそうかもな。
元々百姓の倅だった近藤が空手形同然とはいえ若年寄格にまでなったわけだし。
柳生なんか没落した所から剣がきっかけで家康に仕官したんだし
剣で立身出世を果たした代表でしょ。
だいたい刀は戦の道具なんだから
富田みたいな戦国時代の武士で純粋に趣味って事はない
大名と言っても、戦国大名だったら万が一を考えて修練は必要だったろうし、趣味とは言い切れないんじゃないかな。
平和な時代でも、次男坊三男坊だったら養子入り先を決めるのに、武芸の腕が立つってのは割とポイントになったらしいし、
それこそ元禄以降の上級武士くらいじゃね?趣味で剣術やってたのって。
287 :
日本@名無史さん:2013/02/15(金) 20:02:17.89
まあ就職のきっかけにはなったと思うよ。趣味とか教養ってそういうもんだし。
でも宗矩の出世って剣術あんま関係ない気がするんだよ。
親父は「浮かばぬ石の舟なれど好きの道には捨てられもせず」とか言ってるし。
秀忠の指南役について1000石加増されとるがな
小野だって就職のきっかけは剣だけど出世したのは槍働きででしょ
千石取りはデカい、実力と強運に恵まれた剣豪が手に入れられる最高位に近いと思う。
宗矩の12500石の一割にも満たんけどな。
宗矩が家光時代にあそこまで出世したのも
家光から剣の師として尊敬されてた事と
将軍ともサシで話せる指南役の立場あってこそだから
純粋に剣の腕で出世とは言えなくても剣術が関係ない事はない
石高が上がるほど管理職に近づくわけだし、一定以上は無理だろうな。
剣豪なんか技術一筋の人間が大半だろうし。
宗矩みたいな例外を持ち出して比較しても意味ないんじゃないか。
個人の年収比較してるところに、企業の売上を出すようなもんだし。
宗矩を例外にすると、剣だけで成り上がったトップはやはり近藤勇かね?
富田越後も例外?
江州浪人燕陣内も例外?
あくまでゲームの話だが、
太閤立志伝Xで剣豪系のキャラで仕官すると剣術の悲哀が味わえる。
役に立たないわけじゃない、浪人時代は必須技術だし茶道や弁舌の役割を一部代替もできる。
でも出世には能力的に向いてない開墾や普請を無理してやる方が効率が良くなってくる・・・
自分一人、剣一本での成り上がり、っていうなら、
斎藤弥九郎とか千葉周作あたりが一番いいところじゃないのかな。
近藤の出世は新選組って組織ありきで、富田重政は普通に戦国武将だし。
だけど、新撰組のまとめ役として通せたのも、剣の腕がベースになってるわけだから、
近藤は基本的には剣の腕で成り上がったということでいいんじゃない。
剣一本というのはイメージが違うというべきではあるけど。
まあ、江戸時代初期にせよ幕末にせよ、政治情勢が動いてると、
出世はしやすいってのはあるよな。
江戸時代半ばの剣豪はそういう意味では不利かも。
そりゃそうだね。腕が立つというだけで発言力が増すだろうし。
何かというと鉄扇で張り倒すのが大きな顔をしてたわけで。
でも、世が世ならば、というのも当然いたろうな。
新選組も腕さえ立てば直参になれる、と貧乏な連中に受けてたらしいしな。
功績を立てれば出世できるのは戦国も同じとしても、
そのために剣術が役立つ割合は幕末の方が上だったかもな。
柳生を抜いた場合、格の高さとしては小野忠明か富田重政が出るんだろうけど、
この二人だとどっちが偉かったのかな?
小野は直参の将軍家指南役だけど、富田は陪臣とはいえ1万3000石の官位持ちで、
石高だけで言えば20倍以上差があるし、富田流は一刀流の祖流だし。
影響の大きさって点では小野が最大なんじゃね?
小野と富田なら小野だろ。
将軍家指南役というのはやはりでかい。
世間的というか、当時の世間的な基準でどうなるのか?という話だよね。
武家の棟梁から辿った立場がものを言いそうな気がするけど、どうなのかな?
もちろん官位をあからさまに無視することは、おそらく許容されないとは思うけど。
「天下一柳生、天下二小野」と言うくらいだから、
剣の上では、柳生以外の相手なら、小野が世間的な権威は上と見ていいんじゃないの。
武家としてトータルで見た場合、上と言えるかどうか微妙だけど。
武士としての格と流儀の評判をごっちゃにしちゃいかんでしょ
>「天下一柳生、天下二小野」と言うくらいだから、
誰が言ってたの?
>>308 日本剣道史の忠明の欄。
>常に刃引を以て稽古し、上様といふとも遠慮なしに扱つたので、
>撓打の柳生流の方が御手直しに採用せられ、
>天下一柳生流、天下二の一刀流と順序を落されたのは遺憾である
大本は撃剣叢談だったはず。
あと小野じゃなくて一刀流か。
ドリフターズ3巻発売記念で東郷重位を推しておこうか
ドリフの主人公タイ捨流でしょ
突いて突いて押して押して払って払って最期は斬る
お豊のあれは薩人スペシャルだろ
3巻で「示現流は殆ど習う機会が無くてタイ捨ばっかじゃ」って言ってる
そもそも、示現流が薩摩で広まったのって江戸時代に入ってからじゃないの?
関ヶ原以降のはず。
天正15年(1587)の上洛の時、善吉和尚に師事して、17年(1589)に島津に戻ってから工夫を続けて、
関ヶ原前年の慶長4年(1599)には結構な数、家中に門弟がいたとあるから、
今回の巻で明言されるまで、豊久がタイ捨でも示現でもどっちでもあり得たんだよな。
重位がそれまでのタイ捨流の指南役を破って、指南役になったのが慶長9年(1604)だっていうから
織豊期後期から江戸時代最初期ってとこかな>示現流の広まり
319 :
日本@名無史さん:2013/03/24(日) 23:16:51.22
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【示現流】
薩摩地方で盛んであった、剣術の流派。
先制攻撃を重視する流派であり、
相手が戦闘態勢に入る前に一刀で撃ち倒してしまうことを旨とする。
京都では、かの新選組も示現流の一の太刀を恐れたと言われる。
一方で日本史上もっともセコい流派であるとの評価もある。
剣術の試合はお互いに頭を下げ礼の姿勢をとってから始めるのが作法であるが、
大名も観覧する交流試合でのこと、薩摩藩の剣士が
礼をしている相手の頭をいきなり撃ち込んだというのだ。
会場は騒然となったが、薩摩藩士はドヤ顔だったという。
ルール上は問題なしという裁定で薩摩藩士が勝者になったが、
観覧していた大名たちは嫌な顔をして帰ってしまったそうである。
320 :
日本@名無史さん:2013/03/25(月) 10:41:27.73
>相手が戦闘態勢に入る前に一刀で撃ち倒してしまうことを旨とする。
そうなの?誰が言ってるの?
知らんな
示現流を編み出したのは関東の人間だったような
示現流も新撰組に門弟が多かった天然理心流も新当流の分派だというが
本当なら塚原朴伝恐ろしい子過ぎる
石舟斎も元は新当流
礼をしている時に不意打ちされたって、それは普通にやられた方の不覚じゃないか?
やる方も行儀悪いが。
果たし合いとかなら不覚と言えるかも
でも御前試合とかならどうかと思う
開始の合図がどのタイミングだったかによるよね
327 :
日本@名無史さん:2013/03/26(火) 21:31:10.59
宮本武蔵の流れをくむ松井流松井秀樹
世界で通用する剣豪はほかにはいないな
示現流は江戸後期には関東でも笠間藩あたりで盛んで、明治には警視庁撃剣師範にも示現流の人が何人かいたんだよ。
新撰組って鎖帷子着てたんだな。
なんだかがっかり、そら強いわな。
浪士たちはやっぱり着てなかったんだろう。
近藤勇が官軍に憎まれたのはこういうことも影響してるのかな。
新撰組は帷子着用で複数人で一人に対する
新撰組は警察で志士はテロリストだからそういうもんだろ
池田屋の近藤と永倉は信頼性のある記録の中では
鎖帷子有+不意打ちなのを考慮しても相当凄いと思う
近藤の強さはよくわからんな。竹刀稽古ではダメだが
実戦では胆力もあいまって相当な実力って感じなのかな?
>>319 示現流は稽古場に入る時に礼をしたら稽古場を出るまで相手には礼をしないし
稽古をする時も稽古着に着替えず普段着でやる常在戦場精神の流派。
そのエピソードも事実なら大名が既に武士ではなくなってる事を表してるな。
>相手が戦闘態勢に入る前に一刀で撃ち倒してしまうことを旨とする。
で
>>319のこれは本当なんですかね。
>>333 戦国時代でも怒る人は結構いるんじゃないか
>>333 そんなことをしなければ勝てないと自覚している弱者がうろついているのは、不愉快だろうな。
東郷重位はどうかな?
示現流って中村半次郎が実際に強さを示したし
>>322 正確に言うと京都の天寧寺の僧侶、善吉の自顕流から学んで示現流を開眼させた
勝海舟の親父が半端なく強かったらしい
千葉、桃井、斎藤と当時の大道場の総帥よりも強かった
んなアホな
何で天寧寺の坊主がそんなに強かったのか
元武士で免許皆伝後、仇討ちを行いその後出家したから。
最強は柳生連也斎だよ
やはり幕末のレベルが一番高いんじゃないかな。
江戸時代に全国各藩で道場で体系的な剣術を学んでいた。
戦国時代に剣術を基礎から体系的に学んだ侍や兵士は少ないんじゃないかな。
幕末の剣士が戦国時代にトリップしたらレベルの低さにびっくりするかも。
幕末の剣士が人を切る場数を踏んだ場合が最強ということでOK?
柳生連也武芸帖はとみ新蔵の最高傑作
>>339 その辺と比べてどうだったという話は憶えてないけど、男谷の親戚だけあって、
小吉はけっこう強かったみたいね。
>>344 とんでもないパワーと持久力の勝負という面はあるはずだから、テクニック的に
どうかなという感じはあるけど、とんでもなく勘が良いとか、相手の拍子の裏を
取る天才とか、いつの時代にもいるんじゃない。
それに、実戦経験は絶対に大きいはずだし。
斉藤一だったかが洗練されたような道場剣術は使えなくて
無我夢中で単純な技ばかり繰り出していたような証言してなかったっけ?
技術が発達したってそれを実戦の場で使えなければ
逆に幕末から見れば単純素朴な剣術に遅れをとることも十分あると思うが。
横から脇腹を刺すようなのは道場ではやらないだろうし
戦国時代の古流だと横から脇腹を刺すんですか?
スポチャンだよ
>>350 脇の下は鎧がないので介者剣術的に狙い目
道場と実戦が違う部分はいろいろあると思う
まず実戦だと浅手を受けただけで構えがくずれてしまう
例えば額を浅く割られたり指を落とされて隙ができたところを仕留められる
さらに道場だと基本的に正面から相手に対するが、実戦では横に廻るのも有効だし
多人数同士や一対多ならなおさら
真剣での型や素振りもやってはいるだろうが
刀が弾かれたり外されたりしたときの感覚も竹刀・木刀とは違う
>>344 洗練された技がそれほど重要なら幕末にひたすら袈裟懸けに掛けて二の太刀は
負けと思え、なんていう自顕流の出番は無かったと思うよ。
それに戦国期なんて戦以外にも野盗が跋扈して殺し合いが日常なんだから場数は
はるかに多いでしょ。
こんな世界だったからな。
ヴァリニャーノ「東インド巡察記」
日本人は、人を殺すことを、動物を殺すことよりも重大には考えていない。
そのため取るに足りない理由からだけではなく、自分の刀の切れ味を試すためであれば
人を殺してしまうのである。各自は自分の屋敷でも人を殺すことがあり得るし、
戦争が実に絶え間ないので、大部分の人々が刀で命を奪われているものと思われる。
幕末の剣術は、技が洗練されたのは確かだけど、
同時に、試合用の剣術になっていってるんだよな。
回りも同じだから問題なかったのかもしれんけど、
切り覚えるのが普通の戦国期の剣豪の方が実戦では上だと思う。
竹刀での試合ならわからんけど。
幕末の武士も刃筋を立てての居合や実戦的な木刀や刃引きの組太刀など
道場稽古の他にやってはいるのだが
竹刀稽古で多少腕が上でも実戦慣れしたやつにはかなわんだろう
そういう意味では稽古試合しかしなかった剣豪の評価は難しい
戦場の武功が残ってる剣豪なんて相当限られる上に、殆ど槍働きでしょ
槍働きができた上で、なお剣の方が目立ってるわけだから別に問題ないんじゃないの。
戦国期から江戸初期の剣豪だと剣以外に槍も使えて当然なんだし。
最強の剣豪は誰だ?→槍働きで決めます
最強の戦国武将は誰だ?でいいじゃん
槍働き自体は合戦での働きの総称であって、別に槍だけで戦いましたってことじゃないぞ。
362 :
日本@名無史さん:2013/04/06(土) 09:07:40.33
幕末の剣士が戦国時代にタイムトリップして
さあ進んだ剣道のテクニックをみせてやろうとしたら
最近の総合格闘技みたいに地味な戦いだったりして
一時間相手の短刀をもった手首を抑えて必死で組み打ち
あせだらだらで意識もうろう(笑)
総合格闘家だって一時間も手首持ってられんよw
合戦での甲冑組み打ちならともかく、武芸者同士は素肌での立会いなんだから
そういう展開になる率は低いだろ。
足がらみ、体当たり、脚を斬る技、鍔ぜり合いから指を斬りにいくとか何でもありだろ
土方だったかな?
道場では弱いけど実戦では臨機応変の戦法で滅法強かったとか
剣じゃないけど本多忠勝も試合では弱かったと言われてるらしいね
信憑性の怪しい逸話ではあるが
土方が実戦で強かったって話は司馬遼太郎の小説が最初じゃね?
当時の話だと永倉が語った「沖田と戦ったら土方も子供扱いされた」位だと思う
369 :
日本@名無史さん:2013/04/06(土) 12:24:56.60
柳生五郎右衛門の逆風の太刀とか。
戦国人は状況に応じて使いやすい武器選ぶだけだろ。
あと、『三河物語』だと蜂屋半之丞は槍の名人だったが一番槍に間に合わなかったため
二番槍とされる不名誉を嫌い刀で槍合わせに臨み、二人の敵を切り殺したなんて話もある。
槍は武将の武器とされるものだからそれを使って敵と対峙するということには
儀礼的な側面もあるんだろうな。
五郎右衛門は18人斬りとか言われると本当かよ?って気になるけど元は何に載ってるの?
馬上なら長物だろ
朝倉さんとこの真柄兄弟が最強の剣豪でいいんじゃないですかね
>>372 扱いやすい刀を使うこともあるので馬上なら長物だろって決まりはないよ。
宗矩の馬上剣術試合のエピソードとかもあるな。
>>371 武芸小伝あたりじゃなかったかね。
さもなきゃ玉栄拾遺
創作抜きで土方に剣に関する逸話ってあったっけ?
当時の評価を見ても、剣士としての腕前はそれ程高いとも思えんのだが。
無論、ある程度はあったとは思うけど、沖田や斎藤辺りと比べるとかなり落ちる感じ。
永倉の覚書や島田魁の日記を見てもかなり少ないな。
土方がすぐれた指揮官で人望を得ていたことは特に鳥羽伏見以降の記録も綴った
島田魁日記からよくわかるんだが。
試合では弱いけど実戦では強かったといわれるのは局長の近藤勇でしょ。
そもそも目的ある戦いは試合とは違う
この試合とは道場試合だけじゃなく殺し合いを含むけど
新撰組なら危険人物の排除、志士側なら奸物の暗殺という目的達成が第一で
そのためには相手を酔わせたり油断を突いたり
できるだけ無傷で目的を達成したい
基本的に土方は指揮官だからな。
集団の指導者として優れていたから副長をやってたわけで、
別に剣士としての腕前はこいつにとって大して重要な要素でもないだろ。
斬り合いは実働部隊の沖田や斉藤がいるんだからそっちに任せりゃいいんだし。
>>375 あれは馬上で剣術の試合をする、という競技っぽいから話が違うと思う
>>382 馬上太刀は競技としてのみ存在したわけですねわかります。
そもそも幕末の剣術って本当に戦国期と比べて進歩してるのか?
実戦がまったくない時代が200年以上続いてるんだし、
却って劣化してるんじゃないかって気がするんだが。
単に時代が進めば技術も洗練されるって論法なら
現代剣道最強って話にもなるしなあ。
386 :
日本@名無史さん:2013/04/07(日) 18:28:52.78
あくまで竹刀稽古や試合向けに洗練されたって意見がここでも大勢占めてるな。
幕末でも素朴な技と胆力を鍛錬するタイプが実戦では頼りになったのかもね。
真剣での実戦:戦国>幕末
竹刀での試合:幕末>戦国
くらいのイメージだな。
>>386 当時の試合はルールの制限がかなりゆるいし、そもそも日常で真剣を携帯してる人達だしなあ
現代の剣道家の感覚では捉えられんよ
389 :
日本@名無史さん:2013/04/07(日) 20:37:29.30
戦前の剣道の動き見てもそんなに現代と変わらんしなあ。
北辰一刀流が流行する頃には竹刀稽古重視の流派は
近代以降の剣道と大差ない試合してたんじゃないのか。
>>385 現代剣道最強な可能性は十分あるんじゃね?数百年練磨され続けた結晶だぜ?
>>389 一人でそんだけを相手にしたその西の丸警護の武士も最強候補やね
>>392 恐る恐る見てるだけの相手ばかりだからな。
戦国じゃとても最強候補ではないだろ。
野生の虎とライオンは戦わないらしいね。
けがするとあとの生活にかかわるからさけるんだって。(笑)
野生の虎とライオンは生息域が違うから戦うことは無いだろ。
wwwwww
>>392 油小路で武装した多人数相手にしばらくもった服部武雄が最強でしょ。
>>389 まあ、200年から平和な時代が続いていて、侍は完全に事務役人になってるし、
幕末みたいに外圧もないわけで、稽古も身が入らないだろうし。
>>396 シロクマとアナコンダなんてのはどうだ?
>>389 慶長19年に(武蔵と戦った)吉岡家の末裔がぶちギレてたった一人で暴れたときも中々取り押さえられず多数の負傷者を出してるぞ。
時代の問題なんかね?
>>401 あれって末裔だったのか。
ちなみに同時代の記録では何人負傷者が出たことになってるの?
逸話集とかじゃなくてね。
吉岡は達人だし、その場にいた民間人もかなり被害にあったんだろうな。
関ヶ原から大坂の陣の間も結構泰平で武士たちも大分鈍ってたとか
聞いたことあるな。
猿の世界のボスもけんかが強いだけじゃだめなんだよね。
弱い猿いたわったり二番手牽制したり社会関係を上手く作れる能力がいる。
人も剣だけ強くて世間を渡ってると思わぬ罠で命を落としたりケガしたりする。
やはり本当に強い奴は上手に弟子を育てレベルの高い者を周りに増やす
敵がきたらまずそいつらに相手さす社会的にも出世して力を持つ。
結局柳生最強やね。
じゃあ家康でいいじゃん
なんかの印可も持ってるんでしょ
一応剣豪のスレなんだから家康はないやろw
義輝が入るんだからいいだろ。神影流や有馬流を習ってるし、
一つの太刀だって伝えられてんだから。
まあ普通に義輝より強いかもな>家康
義輝は最後が派手だから中二受けしてるだけで、
実戦経験で言えば家康の1/10もないだろ。
家康は騎射も実戦経験ありで鉄砲も使いこなせるしな。
そういや槍の逸話はあまり聞かんなと思ったが、
槍合わせなんかは総大将のやることではないか。匹夫の勇は嫌ってるみたいだしな。
有馬流の継承者なんじゃないっけ>家康
津軽信寿辺りと同じで、有馬流の跡継ぎが幼少だったから宗家を一時預かりしてた形だね>家康
後で成長した跡継ぎに相伝してるよ。
いい話だな
414 :
日本@名無史さん:2013/04/08(月) 19:38:53.82
上様か大御所様のときに伝えられたのかな?
伝えられるほうも大変だろう。
有馬大膳に新当流を習った時は、まだ国が三河だけの頃だから、
跡継ぎへの相伝もそこまで遅くはなかったんじゃないかな。
もしかすると信長存命時の頃かも。
最終的には新陰流と一刀流が採用された訳だし、
それは考慮すべきかと。
天下取る前から徳川家に仕えてた奴の中だと
小野忠明と柳生宗矩が一番強かっただけ
将軍家指南ともなるとただ強ければいいってわけでもなさそう
後の剣術にいろんな意味が付加された時代の剣術指南役なら思想やら人格も求められたかもしれないけど
忠明と宗矩が指南役になった時点だと「一技法である剣術を教える役」以上の意味は(たぶん)ないし
何よりも技術的に優れてる事が優先されるんじゃね
本人の技術が高いこともそうだけど、教える能力も重視されただろうな。
そいつ一人が強いより、そいつが家臣を鍛えることで、
全体のレベルが底上げできる方が家としては有利だし、
家康自身、個人が強いのは匹夫の剣と言ってるしな。
実際、新陰流・一刀流ともに全国に伝播して、弟子も多数いるから
二人とも指導者としても優れてたと見ていいと思う。
柳生の新陰流は宗矩、三厳の二代で全国に広まったけど、全国に一刀流が広まったのは中西家になってからだよ。
まあ、間宮とか溝口とか忠也とか、比較的初期に小野家から分かれた系統もあったけど、柳生ほどは広まってないね。
本人の教え方だけでなく技術的な体系が整理されて習得しやすいというのもあるんだろうな
あとは最初期から竹刀稽古を積極的に取り入れてるというのも広まりやすいポイントか
>>421 十兵衛の代でそんな広まったかな?
技術面での貢献はでかかったんだろうけど
基本柳生に籠ってた訳だし、十兵衛の代で普及させたとは言い難い気がする。
謹慎中に一万人教えたって話が本当ならそう言えるかも知れないけど
殆ど宗矩一代で広まるだけ広まって、あとは行った先で代替わりしてるんじゃないの。
全国に散ってる門弟も、殆ど宗矩の弟子な訳だし。
426 :
日本@名無史さん:2013/04/15(月) 20:21:12.71
十兵衛から分かれたのって伝系でいうと例えばどちらの新陰流?
古陰流流祖の狭川新左衛門という剣客(紀州藩に400石で仕えた小夫浅衛門の父親)は十兵衛の弟子らしい
近畿で出る伝書はかなり十兵衛から分かれたものが見られるし、長府の新陰流は元々石舟斎から分かれた系統だけど、師範方が江戸で三厳が「今様の新陰流」を教えてると噂を聞いて入門してるから、それなりに話題になっていたみたい。
小野忠明も柳生宗矩も息子の出来を見るに教え方が上手かったのは間違いない
>>428 近畿周辺ってことは主に柳生の本領で謹慎してる間に教えたりしてたのかねえ。
確かに時間はたっぷりあるだろうけどw
江戸初期の人らが戦乱の時代の生き残りが伝えた術よりもさらにその子の世代の技を
より進歩したものとして求めたというのも面白い。
>>428 有地新影流にそんな話があったのか。
十兵衛って宗矩が死んだらすぐ柳生庄に戻った印象があったけど、
宗矩が死んだ後も若干は江戸に残ってたのか、
それとも、宗矩存命時から教授をやってたってことなのかな。
後者だとしたら、宗矩も十兵衛がまとめた技法を
次世代の新陰流として認めていたと考えてもいいのかも。
つか新陰流自体は上泉の直弟子の世代で既に全国屈指の流派だったわけだろ?
宗矩や十兵衛の指導力がどうこうだけじゃなくて、将軍家に取り立てられたことで
柳生がその新陰流の主流になったって面も大きいのはないの?
それは無論あるだろ。
宗矩の場合、家光に寵遇されてたから、
他の大名家が宗矩に近づくために、指南役派遣の依頼を出しただろうし。
ただ、教えるのが下手糞だと、全国に指南役として送り出せるほど弟子も増えないだろうし、
そもそも家光が宗矩を気に入ったのって、教え方が上手だからってのがあるからな。
指導力に優れた人物という評価は概ね間違いないだろ。
江戸前期の最大勢力が新陰流系で江戸後期の最大勢力が一刀流系で
江戸時代を通して安定してたのが神道流系か?
新陰流系って分け方だと、直心影流と神道無念流も入るし、
柳生も別に流派としての格式が落ちたわけではないから、それなりの規模ではあったわけで、
幕末でもトントンか若干多めくらいだったんじゃないの。
たぶん上泉の弟子の代だと新当流の方が多そう。柳生以外で日本各地に弟子が居たのは疋田文五郎くらいじゃないかな?丸目蔵人も弟子は多いけど九州限定だし。
小笠原源信も江戸時代になってから江戸に道場を開いて広めたし、神後伊豆守は京に道場があったらしいけど、その後は中部や近畿に残っただけみたい。
石舟斎も元を言えば新当流だったらしいしねえ。
全国に広まった流派っていうのだと多分新当流が最初なんじゃないか?
>>436 それだけいれば十分全国規模の大流派じゃないの?
>>432 それまで新陰流を採用して無かった藩で宗矩の直門が仕官した所がかなりあるからな。
雇う側が家光の覚えを良くしたいという動機があるにせよ
宗矩の代で柳生新陰流が広まったと言えるのは間違いない。
それに
>>433の通り指南役になって恥じないレベルの弟子があれだけいたのは素直にすごい。
武道書の双璧と言われる兵法家伝書の著者って時点でな
理論的、体系的な人物だったんだろうと思う
参勤交代で各藩の嫡子が江戸屋敷に住まわっていたことも影響が大きいと思うよ。
当然次期藩主が目をつけるのは江戸で有力な流派だろうからね。
戦国の生き残りがいくらでもいた時代に、畳水練扱いされたりしなかったのだから、
実戦でも通用するノウハウと認められた、ということだよね。
日本史上最強の剣豪が、古代ローマのコロッセオで戦ったらそこそこいい線いける?
前にアメリカのヒストリーチャンネルだがナショジオで、
日本刀は古今東西の近接武器の中で最も合理的(軽くて扱いやすくて間合いもあるらしい)で優れてるみたいなこと言ってたんだけど
そこそこどころか間違いなく最強でしょ
欧米でのニンジャ、サムライの評価の高さはハンパ無い
向こうの連中だって伊達や酔狂で生き残ってるわけでもないんだから結構苦戦するかもしれんぞ。
盾持った相手と戦う経験はこっちには殆どないけど、
向こうは、両手持ちの剣士との戦闘経験がある奴はそれなりにいるだろうし。
まあ、気持ちとしては勝って欲しいと思うけど。
日本史上最強の剣豪と言っている時点でコロッセオでもほとんど最強だろ。
盾を持っていようと相手が打ちかかってきたときに切り落として終了とか。
映画なんかであるように闇雲に打ちかかってくるのを跳ね返すだけなら、
隙を見て小手を取るだけで終了だろうけど、いくら古代のローマでも、
そんな単調なのばっかりではないんじゃないかな?
物凄い鋭い突きとか、凄い脚長でいきなりローキックで相手の脚を
へし折ってから料理するとか、恐ろしいのもいるかもしれない。
コロッセオの剣闘って何百年?あのルールで戦ってきたんでしょ
どんな技術体系だったかはもうわからんけど洗練されてないなんて事はありえんでしょ
コロッセオの闘士はキャラ付けでいろんな装備がいるからな―。
網とトライデントなんて相手にしたら何がどうなるか想像ができない。
上の方の戦国と幕末の比較にも通ずる話だな
技術の洗練よりも実戦の場数が重要だっていうなら、
戦国の剣豪=コロッセオの剣闘士かも
452 :
日本@名無史さん:2013/05/08(水) 00:08:40.46
コロッセオの剣闘士の恐ろしい所は競技として成熟してた可能性もあるという事
戦国武士の場数と現代剣道家クラスの(しかも殺す事に特化した)技術
中々に侮れない相手ではないか
でもウホウホゲルマンやフン族には勝てなかったらしいじゃん(フィジカル的な意味で、最終的に技術で勝てなくなった)
毎日義務的に殺し合いをさせられてそれども生き残ってる人間に勝てるか?
剣道とフェンシングが戦って剣道が苦戦した話があるらしいからかなり厳しい可能性もある。
鎧つけずに刀だけで戦えば日本刀が素早く動かせるので急所の
血管を切ってたおすかも。
鎧付けると西洋の昔の剣はパワーで叩きつけて切る感じだから
ふっとばされて脳震盪起こした所をとどめをさされそう。
>>454 いや、そんなわけないじゃん。
剣闘の大半は死ぬまでやらないよ。
大体、金かけて養成して人気選手に育ててるのに、試合の度に半分死ぬんじゃ割に合わん。
時代によって剣闘の死亡率はバラバラみたいだね。
ただ、一試合に必ず敗者が死ぬ死亡率が50%なんて時代はなかったはず。
>鎧付けると西洋の昔の剣はパワーで叩きつけて切る感じだから
いや、ロングソードとか重さで言っても日本刀とそう変わらないけどな。
ヒストリーチャンネルの実験だと日本刀の方が
ロングソードより鎧にダメージを与えてたんだけどなw
コロッセオの時代にフェンシングで使うような軽いレイピアはないよ。
それにローマ時代に廻し蹴りもローキックも無い。
あれはムエタイの影響があって近代に発達した技術。
鎧も重装備のものは試合が面白くなくなるから駄目だったらしいし。
変態的に技術を追求するのは日本人の特徴みたいなものだし、それを
実戦で検証しながら毎日稽古をするんだから相当なものだと思うよ。
それも日本史上最強の剣豪だったらなおさら。
生き死にを賭けた戦いをしてるわけだから、
個々の剣闘士の技術も侮れないと思うけどな。
使わなくなった技術を古武術として現存させてるのは日本の面白いところだが、
現役で使われてた頃だと、技術水準にそこまで言う程差はないんじゃないかね。
wikiだと、
>剣闘士は年に3回か4回程度の試合を行い、20戦ほどを経験するまでに死ぬか木剣拝受者となって引退したと推定され、
>1世紀頃の事情では生き残りうる確率は20人に1人程度であった
というから、強力な剣闘士なら剣豪と比べてもそれほど遜色なさそうだし、
最強の剣豪の比較対象になる最強の剣闘士の腕前がどの程度か次第だろうな。
興行用の切れ味の悪い武器を使う剣闘士対切れ味に優れた日本刀を扱う剣豪という条件なの?
いや、元々は
>日本史上最強の剣豪が、古代ローマのコロッセオで戦ったらそこそこいい線いける?
だから。コロッセオ最強の剣闘士vs日本史上最強の剣豪ってわけじゃないから。
それにしても西洋とか強い剣士の名前とかあまり残ってないよね。
スパルタクスとシラノ・ド・ベルジュラックくらいしか思い浮かばない。
中国だと剣豪じゃないけど呂布とか関羽とかいるけど。
そこそこ行けるんじゃないの、というならともかく、
最強とか言ってるコメもあるからなあ。
だとすれば比較対象に最強の剣闘士も想定するべきだろ。
まあ、平均的な剣闘士がどのくらい強いかも漠然としてるわけだが。
そりゃ単に俺たちが日本人だからでは?
外人も知ってて宮本武蔵とかじゃね
どっちにしても、生き死に掛けたなんでもありの戦いを生き抜いてる強者なら、東西問わず強いだろ。
これが特定のルールの範疇内での強さを競うスポーツの競技者とかなら、
ルールが少し変わるだけでいきなりぼろ負けとかもありそうだが。
スパルタクスは個人としてはどの程度の強さだったんだろうか。
>>461 20戦生き残りとかだと戦国時代の剣豪より
ゆうに実戦経験多そうな気がするけどどうなんかな?
卜伝、一刀斎、武蔵あたりだと
一応伝書によると20回以上真剣勝負して生き残ってるな。
というか、戦国期の剣豪だと戦に出てる分もあるし、
まあ、トントンくらいじゃないの。
ローマの剣闘士って映画の俳優みたいなマッチョマンじゃなく、実際はすげーデブだったらしいぞ
なんでも切られても致命傷にならないようわざと太らせてたんだと。
楽しませる為に如何に残虐に派手に殺すかに特化してるから、戦闘に関してはそんなプロフェッショナルじゃないの
現代でいうプロレスとかK1みたいなんじゃないか
ときどき人が死ぬプロレスって感じか?
>>470 さすがにその辺の伝書は参考にならないでしょ
それ以外だと、石舟斎が戦に出た時の感状とか、
疋田豊五郎の廻国記とか、その辺の断片的なものになるしなあ。
まあ、時代を考えたら、それなりに斬った張ったで生き残ってたんじゃないの、
くらいの推測がせいぜいかね。
>剣闘士は年に3回か4回程度の試合を行い、20戦ほどを経験するまでに死ぬか木剣拝受者となって引退したと推定され、
>1世紀頃の事情では生き残りうる確率は20人に1人程度であった
↑
時代にもよるんだろうけど
これをプロレスと表現するのは厳しい
>>474 疋田の廻国記は全部竹刀試合じゃないっけ
(まだ比較的)実在したっぽい真剣勝負って巌流島位?
どちらかというとPRIDE
試合というより健康を害して死んだ結果も含んでそうだな
でも栄養状態はよさそう
>>469 20戦生き残りとかだと全て殺していても20人。
卜伝は記録に残っているだけでも212人斬り殺しているから
実戦経験なら圧倒的に卜伝の方が多いだろ。
>>481 “卜伝は記録に残っているだけでも212人斬り殺している”ってよく聞くけど何処の記録に残ってるの?
>>480 日本の武術でも伝統芸能でも江戸時代からたかだか云百年で失伝したものも大部あるっていうしなぁ
技術的に優れてるから必ず残るってもんでもないんじゃね
>>483 記録じゃなくて伝承だよな
でも三十七ヶ度の戦で二百十二人っていうのは微妙にリアルな数字だよね
486 :
a:2013/05/09(木) 03:00:26.57
卜伝七番勝負だったか?津本かなんかの本にもあったな。
だが、卜伝と上泉が試合したとあるがこれは信じられぬな…
西洋の場合、戦場の主役が銃砲になったことで、
技術としての剣術は廃れてしまったからな。
まあ、使わないものを残しても意味がないから、合理的ではあるわな。
同じように使わなくなっても、
技術自体に道を見出すことで、存続してる日本の方が変わってるんだろ。
まあそれでも失伝した流派が結構あるけど。
>>483 あれは個別の仕合の記録の積み重ねで何試合・何人と判明したわけでもなくて
後世に書かれた卜伝百首の奥書で「39度の合戦、19度の真剣勝負、斬った相手は212人」と称されてるだけだから、
それが本当かどうかわかんないんだよな。
その意味ではwikiの記述は「記録では212人切り殺したという」が正しいと思う。
>戦場の主役が銃砲になったことで、
>技術としての剣術は廃れてしまったからな。
えーっ、まだこんなこと言ってる人いるのかあ。
ウホウホゲルマン(今のアメリカ人の子孫)がローマ人の技術力をフィジカル一辺倒で打ち破り
その子孫の欧米人が日本の武術(戦前まで野蛮な有色土人の技術だとバカにしてた)を嫌でも認めざるえないほど凄いんだから剣闘士より剣豪のが強いだろ
ちょっと前にテレビで格闘家のニコラスペタス(180cm100kgオーバー)が日本の剣道全国優勝者の大学生(身長160cm台60kg)かなんかのチビと一本で勝負したら
ペタスがバチバチ圧倒されて負けてたぞ
剣術は体格さやフィジカルをハンデとしない
ウホウホゲルマンなら剣豪に勝てるんじゃね
>>488 事実だろ。
近年資料から復活させようと試みているけど、それって結局
連綿と受け継がれてきていないってことだよ。
>ウホウホゲルマン(今のアメリカ人の子孫)がローマ人の技術力をフィジカル一辺倒で打ち破り
えーっ、まだこんなこと言ってる人いるのかあ。
>>491 いや、言いたいことが全然伝わってないみたいだな。
>ウホウホゲルマン(今のアメリカ人の子孫)
まだ、ってことはかつてはこんなこと言ってる人間がいっぱいいたのか?
SFか何かか?
495 :
日本@名無史さん:2013/05/09(木) 23:14:00.25
というか説明してないな。
反証くらいちゃんとしようぜー。
わかりにくいも何も見たまんまだよw
戦場の主役が銃砲になって技術としての剣術が廃れたとか
言ってるヤツをバカにしてるだけ。わかりにくいんじゃなくて
あなたに基本的な知識がないの間違いじゃないですかね?
>あなたに基本的な説明スキルがないの間違いじゃないですかね?
何をバカにされてるかまだわからなくて
オウム返ししかできなくなったか。
かわいそうにな。
500 :
日本@名無史さん:2013/05/10(金) 10:13:46.54
銃砲の時代になって剣が廃れたとか思ってるところが笑われてんだろ
騎兵なんかむしろ抜刀メインで戦うようになってるってのに
そういうことを19世紀になってもやっていたのが現実
銃が普及していきなり近代戦みたいになったとか思い込んじゃってる人は
確かに多いよな
剣闘士の剣術と、近代の騎兵の剣術を一緒にして話すなよ。
剣闘士時代の剣術は戦場で使われなくなって消え去ったって話をしてるのに、
別もん持ち出して、違う話をされてもな。
というか、西洋でも近代まで残ってた、使われてた、とか言っても、
今、使われてなくて残ってないんだから、結局消えてることに変わりはないだろ。
日本の場合、今も技術が残ってるけど、
西洋は技術的に断絶して失われたって話をしてるんだが。
フェンシングは確かに合理的だよな。如何に素早く相手の急所に傷をつけて弱らせるか。白人らしい剣術だわ
フェンシングの選手ならウホウホゲルマンでもニコラスペタスでもボコせるよ
火砲が無ければ未だに弓、槍、剣(刀を含む)、メイスが戦場の武器として
普通に使われていると思うけどね。
銃砲によって剣術が衰退したんじゃないとすれば何が原因で衰退したのか
説明できるならしてみれば良いんだよ。
出来ないだろうけどw
506 :
日本@名無史さん:2013/05/10(金) 13:09:52.75
日本は銃剣道だ。
ドイツ流剣術の復活研究で日本の古流も参考にしてるって本当?
ウホウホゲルマン?
>>497 いい加減何が原因で剣術が廃れたのか説明してみろ。
511 :
日本@名無史さん:2013/05/24(金) 00:37:32.14
「秋葉のランボー」加藤氏だな
銃火器の効果的な運用ができるようになったのは銃器の近代化が進んでから、とは聞いた事あるなあ
昔の人の知識と銃器の性能ではさほどの効果は挙げられなかったんじゃないだろか
「当たれば死ぬで〜」的に相手の戦意を削ぐくらいは出来たと思うけど
戦争に勝つってことは相手を殺すことじゃなくて戦意を削いで自分の要求を
相手に飲ませることだからそれでも十分だろ。
514 :
日本@名無史さん:2013/05/26(日) 11:57:55.56
胸甲騎兵やユサールの主力兵器はサーベルだもんな。
20世紀になっても抜刀突撃が完全に廃れなかったのが西洋。
>>510 甲冑剣術に相当する古流フェンシングは廃れたってだけだろ。
>>487 >西洋の場合、戦場の主役が銃砲になったことで、
>技術としての剣術は廃れてしまったからな。
たとえばナポレオンの軽騎兵にとってはカービン銃は「サーベルに劣る第二の武器」扱いだった。
銃砲の普及により軽装になったことで、サーベルチャージに価値が生まれてきてるんだよ。
西洋版の介者剣術=重い鎧を着た相手を、重い剣とかハンマーとか斧とかでどつき倒す術は銃が発達して重い鎧を着た相手がいなくなることで意味がなくなった。
軽装の相手には素早く斬りつけるほうが有利となり、サーベルが注目された。
日本の武術流派にも在る話だけど、重装騎士の戦闘術は完全に失伝しちゃって、書物から再現しようとしてるんだそうな
>>515 その他の剣術も廃れているだろ。
西洋でまともに残ったのはエペ、フルーレとかの競技フェンシングくらい。
その他は趣味として復元、復興中。
結局火器の登場と発達で剣術が廃れたのは明白。
まー、日本でも介者剣術なんてほとんど失伝してるし。
今「残ってる」流派もどこまでほんとうに伝わってるかわからんし。
>結局火器の登場と発達で剣術が廃れたのは明白。
>>487は「西洋の場合」についてじゃなかったのか?
その西洋において騎兵がカービン銃を持つほどに銃砲の普及した時代においては
サーベルはむしろ主力の一つだったと教えてあげたはずだが。
現代の剣術についてなら西洋も東洋もクソもないわな。日本の流派だって実用の戦闘技術ではなくて
文化財として残ってるに過ぎん。
521 :
日本@名無史さん:2013/05/27(月) 10:55:49.32
よく日本は幕末になっても刀を使った原始的な戦闘云々とか言われるが
その少し前のアメリカの南北戦争でもサーベル(M1860 light cavalry sabre)が
大量生産されて使われてたんだよな。この戦争中からようやく抜刀突撃は廃れ始めるけどね。
逆に言えば19世紀の中頃になってまで抜刀突撃が行われていた、と。
銃器が普及してから刀剣を実用技術外に追い込むには西洋でもかなり時間がかかっている。
初めは剣闘士の技術が廃れたのはしょぼかったからなんじゃね?って話だったような
488 日本@名無史さん sage 2013/05/09(木) 20:44:31.73
>戦場の主役が銃砲になったことで、
>技術としての剣術は廃れてしまったからな。
えーっ、まだこんなこと言ってる人いるのかあ。
↑コレに対する反論だからな。
>>497みたいな事も言っているけど、だいたい新兵器の登場と共にそれが
主役になるわけじゃなく、武器の発達とそれに合った戦術が確立されて
戦場の主役になるんだから過渡期に多少違ったかたちで剣が運用され
ましたなんてのは理由にもならない。
結局剣闘士の技術は何で廃れたんだよ
そりゃ剣闘士が廃止されたからだろ。
そうなれば別の戦場に見合った技術が重視される。
なーるほどね
銃一般ではない、連発式、特に自動の連発銃の実用化と普及が決め手じゃないの。
それも大きいけど一番は銃が先込め式から薬莢を使った
後装式になったのが一番大きいと思う。
日本も過渡期に戸山流とか生み出したけど結局は近代戦で
役に立たずに戦場での技術としては完全に廃れたからね。
発射サイクルの短縮は大きいとは思うけど、それでも単発だとつけいる隙はあるじゃない。
乱射されたら手も足も出ないのが決定的じゃないかな。
逆に、今みたいな時代なら、復活の余地がありますな。
って、通り魔に襲われたときに、あり合わせのもので返り討ちにする剣術?!
純粋というか本来的というか物騒というか、ホンマによう言わんわ。
今月号のとみ新蔵の連載で
辻月丹が唐突に古代ローマにタイムスリップして
剣闘士と戦い始めた
今は剣術は廃れたけど逆にナイフ格闘なんかは進化したよな
>通り魔に襲われたときに、あり合わせのもので返り討ちにする剣術?!
柳生の無刀取りの事ですね
ハンガーを使った殺人法を7種類教える流派とか
>>533 ナベのフタでいいんじゃない?
そんなのが都合良く転がってるか知らんけど。
ハンガーは衣料品店限定すな。
街中に転がってるものというと、放置自転車とか。
放置自転車を使った護身術。
って、冗談になってなくない?
板垣恵介のインタビュー本で、中国拳法の人が「自転車は投げつけるとくるくる回りながら飛んでいって大勢巻き込むから便利」と言ってた。
鍵が掛かってたら投げつける、掛かってなかったら乗って逃げる
でいいのかな
ワラタwwww
いや、笑い事じゃなくて、秋葉原に出た異常な奴とか、車輪で腕ごと刃物を
絡め取って、手でもへし折って続きが出来ないように処分しないと、危なくて
どうもならんじゃない?
541 :
日本@名無史さん:2013/06/03(月) 10:08:29.17
自転車術を極めた強者はやはり自転車豪ということになるのか?
輪豪でいいんじゃね?
自転車に乗って逃げる、が正解
544 :
日本@名無史さん:2013/06/05(水) 14:23:00.69
輪豪たるもの自分がトランスフォームできるくらいにならないと
絶望がお前のゴールだ
>>522 グラディウス(短剣)はリーチ(ロングソードや槍)には勝てない
リーチがある上に軽くて機転が効く日本刀が近接武器最強たる所以
547 :
日本@名無史さん:2013/06/25(火) 09:05:01.53
そうだよね。懐にもぐりこまれてもマケドニアのサリッサはグラディウスに
完全に応戦できたよね。
長柄武器がありなら日本刀よりも槍や薙刀の方が強いんじゃね?
549 :
日本@名無史さん:2013/06/25(火) 19:40:07.03
>548
宝蔵院の人負けてたじゃん
上泉に
目つぶし食らわせておいて膾にする。
剣豪っていうのは、最後は討ち死に。それが普通だ。
むざむざ生き残った武蔵のみっともないこと。
実は死ぬのが怖くて、生きるためにはずるいことでも何でもやったやつの方が長生きする。
剣豪なんて立派なこと言っている奴に限って、死ぬのが怖かったんだよ。
嫌だね。
552 :
日本@名無史さん:2013/06/25(火) 21:51:03.46
比古清十郎の名がないのだが……
幕末の大山綱良もかなりのうでだったとききますが・・・・
>>551 そりゃ、スポーツみたいなヌルいお遊びとは違うんだから、必死になるのは当たり前だわな。
ま、口先ででかいことをほざくのに限ってヘタレなのが世の常ではある。
>>551 お前の普通なんか知らないよ。
上泉も卜伝も最後まで生き残っているし本多忠勝も榊原康政もお前の中じゃみっともないんだろうな。
>>549 胤栄って上泉と立ち会ったんだっけ?
それにその上泉も戦場では槍の武功で名を上げたんだろ?
胤栄が立ち会って負けたとしても単に上泉があまりにも強すぎただけのような気がする
>>556 胤栄と石舟斎は同じタイミングで伊勢守に入門してる。
二人とも立ち合って負けてるね。
戦国の頃だと、剣豪っていっても槍も使えるのが普通だから
それほどおかしくはないわな。
石舟斎にしても槍の武功の感状が残ってるし、
倅の宗矩の伝書でも槍の使い方について記述があるし。
剣豪と呼べるほどの腕前だからこそ、
仕合や戦を生き残って流派や名を残せたとする方が妥当じゃないのかねぇ。
名のある剣豪だと、生き残ってる方が多いだろ。
剣豪と言えるくらいの名を残した上で、且つ、討死したのだと、
柳生宗章、藤堂平助、伊庭八郎、佐々木只三郎、服部武雄、中村半次郎あたりか。
足利義輝、北畠具教、土方歳三も討死してるけど、あの辺は腕前がどの程度か不明瞭なのがな。
>足利義輝、北畠具教、土方歳三も討死してるけど、あの辺は腕前がどの程度か不明瞭なのがな。
剣士として過剰評価されてるのは間違いないわな
560 :
日本@名無史さん:2013/06/27(木) 14:29:52.37
>二人とも立ち合って負けてるね。
胤栄が負けってのはあったっけ?
あの人は勝ち負け関係なく色々な人に師事したエピソードが残ってるよな。
ちとうろ覚えで申し訳ないが、
石舟斎ともども伊勢守と試合して敗れたので、
二人とも入門した、みたいな話があったような。
得物については特に書いてなかった気がするし、
この頃はまだ宝蔵院流も創始する前だから、剣で挑んだかもしれんね。
既に弟子入りした胤栄の紹介で伊勢守と宗厳を会わせたとかじゃなかったっけ?
諸説あるだろうし自分も曖昧なんで偉そうなことは言えないんだが。
義輝と具教はむしろ卜伝、上泉の二大剣豪の実力と指導力の間接的な証明って感じ
卜伝はわかるが、上泉はその二人に指南までしてたっけ?
兵法披露や下問に答えるくらいはしたとあるけど。
指南したって話は無い
会話はしてるから何かしらの影響を受けた可能性も無いことはないが
まあ、打ち取られる前に大暴れしたっていうのも伝聞情報以外ないしなあ
義理免許だとしてもおかしくはなかろう
技術や理論は宗矩や武蔵以降の方が洗練されてるんだろうけど、
実戦の強さだと戦国期を生き抜いた卜伝や信綱の方が強い可能性もある?
流石に鎧きてりゃ卜伝や上泉のが強いんじゃないの
そりゃあるだろうな。
実戦経験は場数がものをいうって言うし。
でも戦国の剣豪と言えば確かに実戦経験豊富そうだけど
時代のせいもあって案外実績は不明瞭だよね
本当に真剣勝負しまくりの戦に出まくりので生き残ったのなら超人的な強さだったろうと思うが
戦に出てたって指揮官クラスだと必ずしも本人が強い必要はないじゃん
野球でもなんでもスポーツを見てると十年や何十年に一人とか天才的な選手が出るね。
一郎とか王とか。幕末の斎藤一の談では実戦では夢中で振り回して覚えていないとか言ったらしいが。
野球の川上哲治が全盛期にはボールが止まって見えたというような剣豪がいたかもしれないね。
全盛期には刀の動きがすべて読めて相手が止まっているように思える剣士。
笹の才蔵とかの戦場働きで有名になってる奴より強いんかね
>>572 その王さんでも「全盛期の自分が今の球界に入ったとしても活躍できない」って言ってるらしい
(ただし現役の自分が現代の環境で練習をつめれば現代でも活躍できると思う、とも)
上泉や卜伝を、武蔵なり宗矩と“いきなり”戦わせたらやっぱり武蔵や宗矩のが有利だと思う
ただ武蔵達の時代の剣術を多少でも学ばせたら別だろうけど
>>572 かなりのヘボでも、相手が何をしようとしてるか見通せることは
あるんだよね。拍子ってやつね。
具体的には予備動作の類いが見え見えなの。
それが分かりづらい相手はやりにくい。
拍子を読む天才で、相手に動作の拍子が分かりづらいタイプなら、
刀の動きがすべて読めて相手が止まっているように思えるという
ことになるはず。
576 :
日本@名無史さん:2013/06/28(金) 10:07:01.07
王さんは未来人だから相手の投げる球を予測できる
これ豆な
兵法家伝書や五輪書でも、拍子については結構項を割いて言及してるな。
柳生家が流儀に能の技法を取り入れたのも拍子の重要性が絡んでるだろうし。
心法の江戸柳生っていう時の「心法」も、
剣禅一如の御題目のことを指すと言われがちだけど、
実際には「相手の動き・心理を如何に読み、如何に操作するか」という
実戦におけるメンタルコントロール的な面が強いしな。
無拍子ってやつは実在したんだろうか
579 :
日本@名無史さん:2013/06/28(金) 12:22:03.41
能の技法を取り入れて強くなったの?
大山倍達がたしか格闘技にリズム感は重要とか言ってた。
ダンサーは意外にけんかが強いとか。
梶原一騎だったかもしれないw
>>577 兵法家伝書の心法は「相手の動き・心理を如何に読み、如何に操作するか」という面もあるけど
やっぱり「技を極めた奴が、その技を自由自在に繰り出す境地に至るにはどうすればいいか」という面が白眉だと思う。
剣禅一如を観念的な御題目と取る事は誤解だろうけど
「心法」と剣禅一如を同一視するのも全く間違った見方とも言えないのでは
マス大山は体操選手最強説もあったな。
漫画のキャラクターがやった必殺技も
コマネチが男ならできる、とか。
>>163 「武功を鼻にかけて嫌われた」ということは実際に鼻にかけるだけの武功があったってことかな?
まあ武功と言えば戦場の槍働きだろうから剣の強さとは直結しないけど
>>581 その点について否定する訳ではないんよ。
ただ、剣禅一致が目立つ分、心法が剣禅一致だけを指すような
受け取られ方をされることがあるけど、心法にはそれ以外の要素もあるよ、という話で。
この辺り、技を極めた剣士が、なお上を目指すにはどうすればいいか、
という問いに対する回答のひとつな訳で、その視点で見直すと、
柳生宗矩という人物に対するイメージが変わってくるのが面白い。
果し合いで優劣つけてたら命がいくつあっても足りないからな
上手く言い負かせる方法が必要だったんだよ
つまり…?
>>583 一応、上田七本槍の一人として名前が上がってるな>忠明
その時、功績争いで揉めた話もあるから、多分武功ってのはそれだろ。
戦自体は真田側にいいようにやられたけど。
588 :
日本@名無史さん:2013/06/28(金) 19:08:37.07
>まあ武功と言えば戦場の槍働きだろうから剣の強さとは直結しないけど
槍働きってのは別に槍を使うに限ったことじゃないですから
589 :
日本@名無史さん:2013/06/28(金) 19:33:30.90
>>587 ただ一度の武功を鼻にかけるなんてすげえ小さい男じゃね?
記録に残らない武功が数多くあったのだと信じたい
そりゃ忠明に限らず現代まで残ってる武功の方が極一部だろ
人より優れた武功があったかどうかの話だろ
少なくとも同僚と比べればあったから鼻にかけてたんじゃねえの
宗矩とセックスしたい。
>>585 >果し合いで優劣つけてたら命がいくつあっても足りないからな
当時でも果し合いなんてそうそう無いだろ
基本的には竹刀か木刀による寸止めじゃね
真剣だったら勝ってた(キリッ
>>578 いるいる。レスリングの世界トップクラスなんかで凄いのがいる。
単純に素速いだけでは絶対にないの。
木刀で引き分けたけど真剣では勝ってたというのは十兵衛の逸話だったか?
しかし、木刀で相討ちのシチュエーションを真剣で再現したら
一瞬先に刃を当てられたとしても自分も普通に手傷負いそう
剣豪といっていいのかわらんけど、技術や運動能力は進歩してるんだから、現代の剣道の日本一が史上最強では?
600 :
日本@名無史さん:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN
技術ってのは何の技術ですか?首振って面よける技術ですか?
ざっくり袈裟に切られて「面は切られてない、一本は取られてないんだ…」
とか言いながら死んでいくの?
601 :
日本@名無史さん:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN
ねらーの剣道に対するみくだしっぷりは異常
ルールよくわかってないからしかたがない
604 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN
わかってないヤツに説明してやると首振ってよけるのはOKだぞw
>>601 真剣勝負をみたことある奴ってここにはいないだろうに
一般人は普通見る機会ないよ
606 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN
おお、ついに一般人じゃない人が来たか
607 :
あ:2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN
塚原>上泉>一刀斎・小野>柳生
これが常識
柳生なんて小野のからの決闘に終始逃げてた雑魚
釣るにしてももっと上手く理由付けしてくれないと
もうちょっと他人を納得させる努力をしようぜー
一応、日本史板なんだから史料くらい出すとかさ
明治の剣客が一番強いんじゃね?
それも幕末維新で実際に戦や斬り合いに身を投じて生き残った人達
江戸260年の蓄積+実戦での技術の取捨洗練なんだし
木戸孝允最強
612 :
日本@名無史さん:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN
柳生の弟子は小野にコテンパンにされてるからなw
>>612 釣りじゃないなら、とりあえずスレを頭から読め
やあやあ我こそは 源九郎義経 なり、いざ尋常に勝負!
弁慶も弱かったし、結局策士が勝つ。
鵯越の逆落としとかあったじゃないですか?
真珠湾攻撃のモデルでしょう?
615 :
日本@名無史さん:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN
釣るときはエサの種類を絞ったほうがいいよ
エサ満載だとどうリアクションしていいかわかんなくなる
616 :
日本@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN
戦国、江戸時代の最強
塚原・上泉・武蔵>小野>善鬼>一刀斎>柳生
で決定かもな。
617 :
日本@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN
日本代表の中村剣豪
618 :
日本@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN
稲妻の破壊力を技に取り入れた木村剣豪が最強
619 :
日本@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN
比古清十郎
620 :
日本@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN
>>618 トライアングルスコーピオンはマジで痛いです。
>>620 レッグラリアートの破壊力で言えば、モンゴルマンの方が上
木村さんはいつも手加減してるからそう見えるだけだよ
首から上がイナズマとともに蒸発して無くなるシーンなんて
子供に見せられないだろ
とりあえず上泉信綱と塚原卜伝押しで
宗矩は信者が持ち上げてるだけで大したことないだろ。
無想剣の一刀斎の方が全然強い。
>>623 まあ、格で言えばその二人のどっちかだよなあ
626 :
日本@名無史さん:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN
それか宗矩だろうな。
一刀斎って影響力の大きさの割にかなり謎な剣豪?
子供の頃に親父が持ってた剣豪列伝っぽい本には
「剣聖と呼べるのは上泉と男谷だけ」みたいなこと書いてたな
タイトルも著者ももはや覚えとらんけども
>>573 可児才蔵って宝蔵院の弟子じゃなかった?
630 :
日本@名無史さん:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN
江戸の剣客で夜帰り道で急死したの誰だったっけ
632 :
あ:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN
津本の小説では、剣修行の旅に出ていた上泉が塚原に試合を挑んでいる。
上泉は2人組だったが、1人は返り討ちで死亡。上泉は何故か塚原に気に入られ命は助けられて、上泉は塚原を師にしたとある。
塚原>上泉>小野>一刀斎>善鬼・柳生
633 :
日本@名無史さん:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN
足利義輝(まさに暴れん坊将軍)
>>632 ソースが小説かよ…
そういう話は文芸板でやれ
635 :
日本@名無史さん:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN
636 :
日本@名無史さん:2013/07/12(金) NY:AN:NY.AN
高野茂義(天覧武道大会決勝で持田に敗れ準優勝)
「最強は男谷と下江」
637 :
日本@名無史さん:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN
>>633 将軍の逸話はかなり壮絶だよね、
それを実績とするなら相当な剣豪。伊庭八郎並みだね
自慢のコレクションも本望でしょうな
津本の小説に史実性なんか皆無だろ
俺的には津本と童門が糞時代小説作家の双璧
史実性wwwwwwwwwwwww
どっちにしても、小説を元に話してる時点で終わってるだろ。
まあ、伝わってる逸話自体が小説と大差ないレベルのもいるけど。
641 :
日本@名無史さん:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN
戦国から江戸ならば、塚原
幕末ならば男谷で確定したみたいだな
スレの641で確定宣言しても無駄w
999なら逃げ切れるがw
実質1000取り合戦だよな、こういうのは
それに意味があるかはともかく。
最強スレはこういう時、不毛だな
話題がわかりやすい分、書き込みやすいのはいいんだが
644 :
日本@名無史さん:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN
どうやら見事な反論が無い以上、男谷と塚原で決定かな…
お前がそういうならそうなんだろ。
お前の中ではな。
とりあえず、武蔵に勝てるかどうかで判断するところから始めよう
647 :
日本@名無史さん:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN
>>637 八郎さんは最後、箱館で流れ弾が致命傷になって亡くなるのだが、
隻腕になっても戦い続けた精神力に驚く。
中国人百人斬りした兵隊さんより凄い剣豪はいないだろうね
「戦意高揚」のための嘘っぱち記事など論外だ。
トデンとジョウセンが戦ったらどちらが勝つ?
都電が上撰を引き壊して勝つ。
塚原卜伝の剣技自体が後世に伝わってないので、何とも言いようがない。
ただ、将軍や高位の大名などに剣を披露し、門人とした事から、当代きっての剣達者としての名声があった事は事実だろう。
だが、それは上泉や柳生も同じである。
剣技・流統が後世に広く伝播し、緒人によく解釈された神陰流と一刀流の系譜が、やはり最強の名に相応しいと思われる。
甲冑時代の剣技そのものなら、上泉・柳生石・伊藤一刀・小野忠から妥当。
また、平服の平時で伺候中ならば、富田流を推す。
鹿島新当流は、塚原卜伝の剣技ではないということでOK?
ワープできる植芝枝盛の先生には勝てないだろ
655 :
日本@名無史さん:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN
>>652さんのご高説によると鹿島新当流って塚原卜伝の流れじゃなかったんだ
知らなかったわ
>>654 ちなみに植芝先生は鹿島新当流習ってるぞ
>>652の人の話では塚原卜伝とは関係ない鹿島新当流を
>>652 江戸時代なら神道流系の流派も普通に多いんじゃね?
後世への影響力だと、近代剣道の母体になったと言われてる
直心影流と神道無念流って上泉の弟子でも奥山休賀斎と野田新蔵の流儀が淵源なんだよな
最強候補によく名前の挙がる柳生、疋田、丸目あたりじゃないのがちょっと面白い
幕末のライバル流派である天然理心流と示現流は
共に新当流から分かれた流派。
四大道場練武館の心形刀流が神道流系みたいだけど卜伝の系統とは違うのかな?
>>654 植芝さんは、実際には極めてなかったとかいうけど。
沖田総司は天然理心流だけじゃなくて北辰一刀流も免許皆伝らしいね
664 :
日本@名無史さん:2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN
>沖田総司は天然理心流だけじゃなくて北辰一刀流も免許皆伝らしいね
免許とか見つかったの?
佐々木只三郎の神道精武流は神道流系?
古伝によれば、塚原卜伝は神道流を学んだとされている。
また、上泉も同じく神道流を含む古流三派を学んだとされている。
両者に共通するのが、古流の剣理・剣技は形骸化して、時代にそぐわないから、それらを基としても、新しい流技が必要であり、自らがそれを起こした事である。
塚原卜伝には、彼の起こしたとされる剣理・剣技を伝える記録や直弟子が残っていない。
直弟子として有名な、足利、北畠、真壁、佐野、雲林院、諸岡なども、師の教えに関する事跡が少なすぎて、はっきりしない。
もし、天正〜慶長期に、卜伝の直弟子・孫弟子で、剣に優れた高名者がいたなら、それこそ史実に残っているはず(諸大名家に招かれたり・新陰・一刀流に劣らない門人がいて、はっきりとした著述がある)だが、それが無い。
故に卜伝の剣理・剣技が如何なるものだったのかが全く不明であり、それが大きな魅力でもあるのだが、他流と比べて評価しにくい。
新当流や卜伝流の系譜を名乗る流派は確かに存在するが、卜伝以来からの剣達者の記録が残っていないので、それが卜伝の起こした剣理・剣技かどうか疑わしい。
雲林院松軒「…」
松岡兵庫「…」
徳川家康「…」
>>667 ここは学問板なので、雲林院さんの卜伝師の教えに関する著述をお願いします。
まさか卜伝がどうこう言ってたくせに
家康が松岡則方を招いて一つの太刀を伝授されたことを知らないの?
起請文まで残ってるのに。
672 :
日本@名無史さん:2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN
根本的なレベルで無知なヤツに限って大きなこと言いたがるんだよなあ
>>671 起請文だとか、〜に伝承されただとかの話しではないです。
よく読んでもらいたいものです。
では一つの太刀って何なのでしょうか?
実際にそれを相伝した剣達者の、剣理・剣技の記録や著述がないから評価しにくいと言っているのです。
>>673 お前は剣豪豆知識本からコツコツやりなおすのが似合ってるよ。
>>666のエラそうな文体もやめちゃって情けないったらありゃしない。
>>674 >剣豪豆知識本
そんなエンターテイメント本は学問板には不要です。
それから、文体については、仮にも相手にレスしているわけですから、丁寧語を使っています。
てか上泉や一刀斎だって本人の技術体系が
どんなものだったのか具体的に分かってるわけじゃないと思うけど
>>664 沖田家に免許状?が残ってるらしい
北辰一刀流のね
678 :
日本@名無史さん:2013/07/20(土) NY:AN:NY.AN
稲妻!
レッグラリアートの話はもういいんだ。いいから少し休め。
根拠はないけど、卜伝以降の神道流は卜伝の直系の流派じゃなくとも
多かれ少なかれ卜伝の流儀の影響受けてるんじゃないの?
木村友重を推したい。
柳生四高弟って木村、荘田、出渕、村田が上がるけど、
木村が荘田から運躊流の名を継いでることを考えると、
年齢的には当初の門弟筆頭は荘田だったのかねえ。
他の藩への指南役としての仕官も先みたいだし。
田中竜也がかなり強い。
684 :
日本@名無史さん:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN
>>682 松田清栄を荘田が討ったって話が本当なら
宗矩より少し下か同世代の可能性もあるかも
荘田は宗冬と仲が良かったみたいで
晩年まで剣術について語り合ってたみたいだけど
仕官しても他藩の当主と普通に合えるもんなんだな
千葉周作が強そう。
すずめ蜂を箸で摘まんで捉えると言うのも嘘ではなかろう。
俺の知り合いの歯科医の千葉先生も驚くほど器用。
それでいて長身で運動神経もよくて大耳。
ユダヤ系の劉氏の子孫か?
686 :
日本@名無史さん:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN
電波野郎がときどきウロウロしてんだなw
宗矩はザコ。
同じ柳生なら兵庫助の方が遥かに格上。
688 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN
まだそんな俗説を信じてるのがいるのか
柳生宗矩()
690 :
日本@名無史さん:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
社会から認められた「刀法の鳳」「剣術無双」
社会的地位は他の武芸者とは比較にならない
691 :
日本@名無史さん:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
日本代表ボランチの中村。
宗矩はゴミ。
693 :
日本@名無史さん:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
地べたを這いずり回るゴミ虫が大空を飛ぶ鳳に何を言っても届かないと思うぞ
良くも悪くもこのスレでは一番出番が多いな>宗矩
名前すら出ないのも結構いるのに
696 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN
刀法の鳳だからね
宗矩「ポテチン」
699 :
日本@名無史さん:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN
やはりどう議論しても宗矩最強になってしまうんだなあ
尾張最強論者だったけど認識を改めないとな
700 :
日本@名無しさん:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN
斉藤一に一票だな…
701 :
日本@名無史さん:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN
じゃあ俺は斎藤一に二票
今のところの順位
1:斎藤一 2票
2:斉藤一 1票
宗矩最強論は何か明確な根拠があるのか?
地位は高かったようだけど。
家光や沢庵が高く評価してるから?
この時代の剣豪なんて同時代評価とたまたま残った試合や戦の記録くらいしか明確な材料ないし
後者は全く残ってない奴の方が多分多い
ざっくり言えば今までの反動だな。
同時代の他流派の逸話で、「うちの流祖は柳生但馬に勝った」ってのがやたらある割に、
史料ベースで調べると、どれも創作くさいから、
それだけ勝てたら凄い剣士だったんじゃないのと。
あと、残ってる伝書の記述が、お題目ばかりかと思えば、実際にはかなり実戦派な内容だったから、というのもあるな。
>それだけ勝てたら凄い剣士だったんじゃないのと
「うちの流祖は宗矩に勝った」が嘘だからと言って
別に宗矩がその流祖に勝ったということにもならないだろ?
そりゃ試合自体起きてないんだから、勝つも何もないだろ。
他の剣士の強さをアピールしてた逸話が、胡散臭いのが分かったから
相対的に評価が上がったって話なんだし。
あとは時代かな。
戦国武者がまだまだいる時代に将軍家指南役に指名されてんだから
それだけの強さはあるだろ。
認めたのが心得がない奴ならまだしも、家康だしな。
家康が認めたのは石舟斎でその代理が宗矩じゃなかった?
関ヶ原のあと、正式に秀忠の指南役に指名してるよ。
最初は石舟斎の代わりに推挙されたとはいえ、
腕前が駄目だったら指名されるのは無理だろ
駄目だとまでは言ってないだろ
ただ小野にも言えることだが師匠が高名だから機会を得られたことも否定できないじゃん
将軍家に認められた=最強だった、とまでは行かないだろう
でも、それを言うと、どんな根拠なら最強といえるかも曖昧だろ。
総当たりの試合をしたわけでもなく、何回戦ったとか、何度勝ったとかも、大体自己申告で信憑性の検証もできん中、
「天下人の目利き」や「世間の評価」ってのは、それなりの論拠になり得るんじゃないかね。
特に江戸初期だと、大名達も江戸に集まるから、それだけ多くの人目にさらされた上で、高い評価を得てる訳だし。
712 :
日本@名無史さん:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN
なんかスポーツや競馬の「最強論争」みたいになっているな。
絶対に結論は出ないのに。
前田慶次は強いの?
柳生よりも強いの?
野牛よりは強いよね。
最初から最強論争みたいなもんやで
というか、まんま最強論争やど?
指南役は単純に本人が強いだけでは勤まらないし、本人自身の実力はさほどではなくても、
指南としては最高とかいうこともあり得るな。
強いには強いけど、指南するとかはまるで不能というタイプのもいるに決まってるし。
野球の福本なんかは、盗塁の名人、要するに相手の隙を見る名人だから、
野村が走塁コーチを依頼したけど、コーチとしてはまるで無能だったとか。
なぜかというと、「投手の背中を見れば分かる」だけでお仕舞いっての。
それが分からないから教えてやってくれっていってるんだってば。
小野だっけ? そういうタイプだったんじゃないかね。
>>711 ならないね
それもまた「信憑性の低い論拠」の一つとして他の論拠と同列扱いにしかならない
718 :
日本@名無史さん:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN
>>716 それ、どんな分野でもそうだね。
「語学の達人」と呼ばれる人の学習法が他者には理解不能。
でも結果を出しているというような。
>717
同時代の一次史料による第三者の記述と、
後世の創作を同列扱いする方が無理があるだろ。
この時代の剣士の強さについては、直接確認ができない以上、
史料上の記述から推測するしかないし、
その場合、一次史料で確認できる同時代の第三者による評価の方が妥当性は高いだろうって話なんだが。
現在に残ってる伝書の内容だと上泉−石舟と継承・進化させた新陰流の技法をさらに発展させたのは確かっぽいんでしょ>宗矩
技術を理論的に表現できなくても一流の人間は確かにいるけど
最先端の技術を切り開いた人間が実力が一流じゃないって例もあんまり無いし
後世の身内が作った伝承以外に表かできる記録が残ってない剣豪が多い中では
比較的プラス要素の多い方だと思うよ
あと小野が教えるのが下手ならあんなに一刀流が広まることは無かったんじゃね
>>719 スポーツ選手を評価する際に「識者がこう言ってた」は妥当性のある根拠と成り得るか?
識者であっても評価が統一されない方がむしろ普通だろ
現代ならよく行われる識者を集めての多数決みたいなもんも出来ないし
そもそも家康はあれか?
日本中の有名兵法者を全部集めて個々の強さを
十分に吟味した上で柳生と小野が最強だと確信して召し抱えたのかよ?
そうじゃないだろ?
確かに家康のお眼鏡に適うくらいの強さがあったことは事実だろうよ
でもそれは「一流としての実力があっただろう」という根拠にはなっても
「同時代で最強だった」ことの根拠にはならん
「最強の根拠にはならない」という点では創作と一緒
>>721 また極論だな。
それを言うと、「記録には一切残ってないが実は最強の剣士がいた」って話も
含めることになるから、最強の剣士が誰か、なんて話自体、収集がつかなくなるぞ。
というか、その理屈だと
どんな記録も「絶対ではない」「確実ではない」と返せるから
そこから離れられんのなら、これ以上は討論にならんのではないかね?
結局、ある史料の中からでしか話はできんのだし。
ちなみに、
>>721の家康云々の話は、世界最速の男はボルトだ、って話に対して、
「世界70億全員調べて絶対にボルトより速い奴はいないって証明されたのかよ?
そうでないなら、最速とは言えないだろ」と言ってるのと一緒なんだが。
宗矩のゲロを喜んで食べそうな奴がいるな。
あー、いつもの一行レスか。
思考停止したなら、もういいよ。
>>723 膨大な人数の競技で競った上でbPになった人間と
家康という個人が主観で選んだだけの人間を一緒にすんなよw
大体、家康自身に最強だから柳生を選んだっていう意識があるのか?
そういう発言がどこにあるんだよ?
ボルトの例で言うなら少なくとも同時代の剣豪と言われる人達を集めた大会を開いて
そこで圧倒的な強さで優勝するくらいしてないとおかしいわ
>どんな記録も「絶対ではない」「確実ではない」と返せるから
ぶっちゃけ過去の剣豪の実力なんざ妄想で語る以上のことができないのは当たり前だろ?
それを柳生贔屓だかなんだか知らんが
「柳生だけは最強の確かな証拠がある」みたいなこと言うから
柳生にだって他の剣豪と同じく最強だったという
確かな証拠なんて一切存在しないというごく常識的な事実を指摘してるってだけだよ
時の天下人、或いは政府に実力を認められたor取り立てられた
という基準で行くと
塚原卜伝、柳生宗厳、柳生宗矩、小野忠明、男谷下総守、榊原鍵吉
くらいが候補になるのかな?
一刀斎もじゃね?
一刀斎が認められていないと一刀斎の推薦で忠明が召し抱えられたりしないはず
>>722 将軍家の指南役に選ばれるには
第一級の実力者であることは絶対条件だっただろうけど、
天下最強である(と幕府に認められる)必要まではなかったと思うよ
指南役に選ばれた=すごく強い(と幕府に認められた)、はおそらく間違いないと思う
でも、他に指南役に足る実力者はいない(と幕府が考えた)、ということにはならないと思う
将軍家の指南役は強いに決まってる
でも後世に名を残すような剣豪ならみんな強いに決まってる
優劣を決める材料としてはちょっと弱い
732 :
日本@名無史さん:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN
将軍家指南役>>>>>>>>>>>>在野の馬の骨
なのはまず間違いない
だが在野の馬の骨という不利な立場にありながら名声を得た者たちは
それだけの結果を残して衆人を納得させた者が多かったと思われる
734 :
日本@名無史さん:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN
だがそうした馬の骨よりはるかに格上の存在なのが将軍家指南役
幕末でも将軍家指南役の柳生家当主は男谷、白井、千葉あたりよりも強かったはず
何故宗矩にだけこんなに強力な信者がいるのか?
これは興味深いことだと思う。
ただ将軍家指南役というだけで、それ以外になんの実績もない。
剣豪としてのエピソードも特にないのに、このスレでは大絶賛されている。
地位の高さの割にやや地味で侮られやすかったことへの反省じゃない?
実績がないというよくある指摘に対して
実績に数えていい史実もちゃんとあるぞ、他の剣豪の実績だって怪しいぞ、
という擁護が出てるんだと思う
擁護論に力が入ってくると「むしろ宗矩が一番強い」という主張にまでなってくるのかも
実績も逸話もかなりあると思うぞ。
ぐぐれば?
>>718 語学なら、単純に、耳が良い類いということでいいんじゃない?
音楽とは違う語学耳。
>>738 大したことない、と言われて擁護してる内に盲目的に信仰してしまうというわけか。
美味しんぼの冷やし中華の話みたいな感じだな。
742 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN
まだわかってないんだなこいつら
>>729 でも徳川実記の記述だと一刀斎の推薦とか無しに
忠明が自分で家康に認めさせて仕官した事になってるんだよな
>>736 将軍を指南してたのは宗在までだから、幕末の柳生当主は将軍家指南役ではないよ
そもそも世襲で将軍指南を襲名したからって
指南役の地位を自分で掴み取った宗矩や忠明やら
公武所師範に選ばれた男谷等と同列には語れないと思うが
弟子だった小幡景憲の紹介じゃなかったっけ?
幕末ではないが柳生俊則も指南役だったはず
宗矩だって父親の代理なんだから世襲みたいなものじゃん
所領大幅UPしとるからな
加増に関しては武将や政治家としての功績の方が中心だろう
それもこれも強かったからできたことやで
何で?
強くなくても有能な幕臣なんて沢山いないか?
有能なだけじゃ剣術指南役にはなれないよね
ある程度の家柄で、腕前もあって、教えるのが上手くて、政治的才覚もあって、
その上で運も良かったってこだろ。
それらが全部揃ってたからこその出世なわけで
あんなのが同時代に何人も出る方がおかしい。
>>751 剣術指南役になれたのは親父のおかげ
その後の出世は本人の有能さじゃね?
弱かったらだめじゃん
>>746 徳川に仕官できたのは完全に親父のコネだけど
家康の下で何年も仕えた末に
秀忠の指南役に指名されたのを世襲と解釈するのはちと苦しい
>>748 家光からの好待遇自体、自分の師匠に対するえこひいきの面も強いし
その辺は家光から名人として信頼されてた事が前提なんで
武将や政治家としての能力だけだとそこまでは行けなかったと思う
あと指南役になった時の千石の加増については剣によるものと言っていいんじゃね
>>744 実紀の忠明についての項だと小幡景憲は出てこなかったと思う
小幡が絡むパターンの逸話も聞いたことがあるので
実紀での記述の引用元になった老子語録か家譜だとでてくるのかも
>>745 勘違いしてました
すまん
757 :
日本@名無史さん:2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN
徳川家康や家光のほうが足利義輝より強いという意見があるけど
俺は義輝が上なんじゃないかなぁと思うけどな
後の時代のほうが剣術の技術体系も上がってるという見解も理解できるが
それでも柳生がそんなに強いかというのは個人的に疑問
逸話だけで確たる他流との実績も含めて
義輝の場合、最期の大暴れのイメージが一人歩きしてる感が強いのがな。
正味なところ、前田慶次とかの類だろ、あれ。
印可状の類もないし、同時代の記録で義輝の腕前について言及してる史料もないから、
どの程度の腕前だったか本当の所、不明だし、
例の刀何本も突き立てて斬りまくった話にしても、初出は日本外記辺りで、江戸後期のものだしな。
当時のフロイスの記録だと、最初は長刀で、次は刀を抜いて抵抗した末、殺されたとしか書いてないし。
卜伝の弟子だったのはかろうじて本当っぽいけど。
759 :
日本@名無史さん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN
>初出は日本外記辺りで、江戸後期のものだしな。
義輝に関する説自体は概ね賛成だが、ここは突っ込みどころだな
永禄記や足利季世記の作者は頼山陽の考えたファンタジーを
参考にしたんですかねってことになる
両書とも成立年代不明だが永禄記は日本外史刊行以前に没した
塙保己一存命時の群書類従に収められてるんだから確実にそれはないけど
>>759 おおう、日本外史と群書類従の成立年代の順番、勘違いしてた。
訂正多謝。
まあ、永録記や季世記は群書類従でまとめられる以前の原本が不明なんで、
逸話の信憑性の怪しさについては大して変わらないんじゃないかと言い訳してみたり。
死に際が壮絶な剣士は高く評価されがちだね。
足利義輝、服部武雄。
762 :
日本@名無史さん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN
>>760 うん、それら二書の信憑性に対してもその通りだと思うよ
所詮後世の伝承でしかないしね
ただ、細かいところが気になって主張の根幹に関係ないところを
少し突っ込ませてもらっただけなんで
>>761 服部武雄の奮戦ぶりは篠原泰之進(御陵衛士)懐旧談や岡本武兵衛(御陵衛士賄方)聞書等
当時の証言がはっきりしてる分義輝のとは一緒には出来ないでしょ
あと剛力ぶりや武芸達者であったことも証言されている
「服部には大男にて至って剛力也」(岡本)
「非常に体格のいい男で、力も相当にあって剣術の方も達者でした」(篠原)
服部の技量が高いことは疑うべくもないけど、ただ、最後まで奮戦できた理由は
他の御陵衛士のメンバーと違って「着込み」によるところが一番大きいんじゃないかな?
763 :
日本@名無史さん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN
服部よりも沖田永倉斎藤の方が強いでしょ
764 :
日本@名無史さん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN
最悪、剣道や居合道四段以上が書き込むスレならば
少しは内容的にしまったんだが
そっち方面からの考証は武道板でやるべきやね
766 :
日本@名無史さん:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN
>>764 有段者だからといって考証方面の能力があるとは限らん
流儀の宗家によって書かれた「一刀流極意」とか「正伝柳生新陰流」は
残念ながらあまり人に薦められる本ではないしな
まあ、スレタイがスレタイだし、しゃーない。
最強論争ありのスレなんてにわかがワラワラ来て当然だろ。
次スレはスレタイ変えて、最強論争禁止にした方がいいかもな。
最強論争するスレで何いってんの
769 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN
平成の大剣豪、宅間守
770 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN
昭和四年 天覧武道大会(第一回)
優勝:持田盛二【1885-1977。群馬出身。法神流。朝鮮総督府師範。昭和の剣聖の一人】
準優勝:高野茂義【1877-1957。茨城出身。中西派一刀流。満州鉄道師範。昭和の剣聖・高野佐三郎(埼玉出身)の養子となる】
昭和九年 天覧武道大会(第二回)
優勝:野間恒【1909-1938。東京出身。法神流。昭和の大剣士。講談社社長】
準優勝:藤本薫【1914-1942。香川出身。逆二刀の剣士。香川の三名物。ビルマにて戦死】
昭和十五年 天覧武道大会(第三回)
優勝:望月正房【1913-1989。群馬出身。法神流。講談社社員】
準優勝:萱場照雄【1910-1984。宮城出身。逆二刀の剣士。宮城県警】
771 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN
ここは竹刀あてっこゲームの最強論争スレなの?
たしかに竹刀使いと13歳で決闘で人を殺し
以後60よたび戦って負け知らずその中には多数の敵の中に
単身飛び込んでいったのもあるなんて人と比べられないな。
773 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN
>>772 小説のせいで世間一般で誤解されがちな武蔵vs.吉岡
vs.清十郎…実際には戦ってない
vs.伝七郎…道場で試合したが双方の弟子が「ウチの師匠のほうが優勢だったし」
要するに決着付かず
vs.数十人…創作話
>>773 それ吉岡側資料な。武蔵側資料は概ね小説通り。
司馬遼太郎のエッセイだったと思うが
武蔵の一乗寺の決闘の死傷者数が公家の記録に残ってるらしい
司馬は一対多数で客観的資料で確かめられる記録では一番人数が多いと言ってた。
776 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN
思うとからしいとかいらんから
その記録名を出しなよ
だいたいソースは司馬っていつの時代から来た人だよあんたwww
司馬を叩く、新撰組なら子母澤や永田を引用する奴を叩く
そいつが俺のジャスティス(キリッ
だって(ネットの)みんなが言ってるもん
それらの本を読んだ事なくても、ネットにだけ真実があるのは常識だよ〜
うろ覚えすぎて引用ですらないだろ
ゴチャゴチャうっせーなー
司馬の二文字を見かけたら全力で叩く
他人を扱き下ろせば俺が偉くなったと錯覚できるんだよ!
邪魔するな!!
780 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN
今回に限った話でもないけど、
ちょくちょく入る頭の悪いコメントはなんとかならんのかね。
本人は皮肉のつもりかもしれんが
文章の中身が無さすぎてウザイだけなんだが
782 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN
>>781 あと、実際に真剣での勝負を見たことも無いのに剣豪の強さを語るのも
馬鹿げてないか?
さらに、槍で闘っちゃ駄目ですか?
784 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN
>>783 皮肉のつもりで書いてんだろうけど指摘されてキレてるのを必死で悟られまいと
がんばってる感じなんだよね
>>782 >あと、実際に真剣での勝負を見たことも無いのに剣豪の強さを語るのも
>馬鹿げてないか?
剣豪でもないのに剣豪を語るなんて馬鹿げてないか?
だから強さ比べとか不毛なこと語っても意味ないだろ。
普通に剣士や流派について、歴史的な方向で話せばいいのに。
ここは日本史板ってこと忘れてるんじゃないか?
>>786 それならそういうスレ立てろよ。いい加減すれ違いを理解しろ。
788 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN
おうスレ立てろスレ
789 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN
>>785 ときどきサッカー日本代表に入ってくる中村さん(沢選手の後輩の方の中村)ならいいんだな?
>>780 ナニ? それなら何か? 司馬遷が怒ってくると確認したんか? ええ?
791 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN
俺の股間の正宗の出番が来たか…
短刀なのか
板みたいんじゃねーの?
近藤勇
芳賀義道。
797 :
日本@名無史さん:2013/09/02(月) 20:22:10.59
798 :
日本@名無史さん:2013/09/03(火) 12:57:39.99
日本の剣豪が古代ローマみたいな盾と短剣で挑んでくる合理的な敵と遭遇したらどうなる?刀であのデカい盾を捌ける気がしないんだが
足元がサンダルしか無いから、足首を斬って倒れたところで止めを刺せばいい。
>合理的な敵
重い盾を左手に固定され、盾に振り回されないよう下半身に負担を掛け続ける軍隊が?
801 :
日本@名無史さん:2013/09/04(水) 13:28:58.81
そのでかいスクトゥムは後世の盾に比べて当然重いんだよね
動きは鈍くなるし重い打撃を叩きつけられて
バランスを崩さずにいられるのか?
あの大きさの盾が古代でしか有効でないのはその後廃れたことからもわかると思うんだが…
集団戦前提の武装やからね、剣豪ごっこにはむかんやろ
803 :
日本@名無史さん:2013/09/04(水) 13:45:43.97
>集団戦前提の武装やからね
それも紀元前のね
盾と剣の組み合わせなら中国にもあるだろ?
倭寇や文禄慶長の役で対戦の機会はあったんじゃね?
持ち盾が廃れてしまうような国の剣豪相手に
持ち盾を頼りに戦う兵の不憫さよ
806 :
日本@名無史さん:2013/09/04(水) 22:09:41.48
>>804 盾持ち片手剣のみでは無理だから鴛鴦陣なんていくつもの兵科を組み合わせた
対処法が必要だったわけだな
剣豪相手に一般兵ではかわいそうやろ
>>798 短剣だけだったら、突き出してきたところで小手を落とせば勝負ありじゃない。
もちろん、それを簡単に許すわけがないだろうけど。
>>799 長刀なら有利だな。
そもそも、古代ローマのでかい盾はまともな鎧を作る技術力がなかったために採用された防御手段。
ヨーロッパでも数百年前に廃れていたものが脅威になるわけがない。
竹刀の強さ≒真剣の強さ(一対一の場合のみ)と思っていい。[※複数人の混戦や闇中時の乱戦は別とする]
戦国:宮本武蔵と伊藤一刀斎が実戦最強。すぐ下に塚原卜伝、上泉伊勢守、柳生流、他。
江戸初期:小野派が最強。すぐ下に柳生流、他。
幕末前期:千葉周作が最強。すぐ下に多数の剣豪。
幕末後期:仏生寺弥助が最強。すぐ下に大多数の剣豪。
昭和初期:法神流が最強。すぐ下に大々多数の剣士。
811 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 13:52:23.62
武蔵は戦国時代後期にようやく生まれた程度なのに戦国最強か
やっぱ強いヤツは違うんだな
>>810 武蔵や一刀斎より、塚原・上泉の方が強くないか?…と思いかけて気が付いた
これは「剣豪」ランキングだから、「槍薙刀持ち出してOKなら武蔵なんか楽勝」は
カウント外なのか。
それなら、鎧着て槍持った可児才蔵が鉄砲足軽の一団を連れている時が最強とか言うぞ。
奇兵隊の司令部に座ってる時の桂小五郎が幕末最強とか。
814 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 15:23:01.38
江戸中期とあるべきところが億泰のザ・ハンドに削られたが如く
空白なのが気になる
竹刀の強さ≒真剣の強さという前提だと戦国〜江戸初期は
いち早く竹刀稽古取り入れた新陰系の流派が他流派より有利なんじゃないの?
>>810 武蔵はどっちかと言えば江戸初期じゃね?
宗矩、忠明より年下なんだし、戦国で活躍したとは言い難いだろ。
あと、戦国最強は実戦での実績が曖昧な一刀斎より、
上野一本鎗の名を持つ上泉の方が妥当じゃないの。
剣の強さと戦場の武功は必ずしもイコールではないのでは?
一対一の実績にしても伊勢守は図抜けてるよ。
石舟斎、胤栄、丸目と、後の大流派の開祖を仕合で破って
弟子入りさせてるわけだし。
石舟斎はともかく胤栄、丸目と試合したなんて話あったか?
当初の上泉伊勢守の相手は、田舎剣法やお山の大将だった。だから勝てた。
上泉伊勢守から教わった柳生のほうが後年は格段に強くなっていた可能性はある。礼儀として柳生一族は上泉を立て続けた。
江戸前期の柳生の三剣豪に戦国期の上泉伊勢守が勝てるかは不明。
あるよ>伊勢守と胤栄、丸目の仕合
胤栄は石舟斎が仕合したのと同じ日に仕合を挑んで敗れて、
丸目は北面の武士だった時に、京に来た伊勢守に仕合を挑んで負けたという話がある。
宮本武蔵を戦国期に区分したい。江戸初期の小野派と宮本武蔵の力関係がまったく分からない。
>>820 そりゃ技術は進歩するから、その可能性はあるけど、
この場合、戦国期の剣豪と、江戸初期の剣豪は別分けしてるから
それはまた話が違うんじゃないの。
あと、伊勢守はかなり長いこと畿内に逗留してるし、
兵法伝播の旅を続けた期間もかなり長いから、
田舎剣法やお山の大将だけが相手と断言するのは無理があるんじゃないの。
それを言ったら戦国期の剣士なんか大半がそうだろ。
>>822 それを言ったら戦国期の剣豪との力関係なんかもっと不明だろ。
当時の伝播は極めて遅い。しかも教えは仲間内だけに留まることが多い。
少しずつ文献を繋げて、当時の強弱を推敲しついくしかない。
宮本武蔵は江戸初期へ区分したほうが良いかもしれません。
827 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 18:07:21.04
東武士は大方強敵どもなり
上方の弓矢すえになりたる国ども
上方衆恩も存ぜず強き弱きの弁えもなく義理をも恥をも捨て候て
信州(武士)弓矢功者の事は、侍の事は申に及ばず、百姓まで勝負のすべをよく存じたる
信州弓箭つよき事、大形ならざるに付、忰者・中間まで武勇をたしなみ、にげおつる者さのみ無之して
関東の儀、昔より弓箭国と申は、まず武蔵は武の蔵とやらん承及候。(中略)よき武士あまた候て、(中略)弓矢巧者、手柄武士達際限なく御座候事、老若共に沢山なる儀は、積もられぬ程にて候
(『甲陽軍鑑』)
甲陽軍鑑は名著とは思う。やや脚色や伝え話からの連想と思われる部分も有るであろうと考えられるが大筋で信用できる重要書類。
>>809 バカでかいおっさんがバカ力でぶん回したら、侮りがたいんじゃない。
>>825 むしろ、手の内を知られないように、秘伝ということで隠すだろうし。
831 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 22:15:26.82
>>821 宝蔵院が試合を挑んでってのはたとえば何に出てくるだろ?
どういう内容とかわかるかな?
ちなみに彼が師事した人数はすさまじく多く勝ち負け関係なく
弟子になったこともあったはず
>>828 今じゃ史学会でも史料批判しながら使うって方向だね
832 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 22:17:20.77
>>816 >上野一本鎗の名を持つ上泉の方が妥当じゃないの。
この肩書きって江戸時代以前の文献で確認できるんですかね?
後世の情報も混ぜていくと一刀斎の信憑性とどっこいどっこいに
なってしまわないかな?
名もなき農民が最強でしたとさ
>>631 すまん。
宝蔵院に伊勢守を出迎えた際、
石舟斎が来る日、先に伊勢守に挑んで敗れた話があったと思ったんだが、
今、確認し直したら、
・北畠具教に槍の達人として紹介された
・石舟斎が敗れて弟子入りを申し込んだ時、
自分も共に弟子にして欲しいと頼んだ
とはあったけど、直接的に「胤栄が伊勢守と仕合した」記述はなかったわ。
もっと探せばわからんけど、ざっくり調べた感じはなかったということで。
>>832 「上州一槍」と記載された長野業正からの感状が元になってるね。
あと時代がだいぶ下がるけど、撃剣叢談の伊勢守の項にも上野国一本槍と
称されたエピソードが載ってるよ。
ソースはバガボンドです
>「上州一槍」と記載された長野業正からの感状が元になってるね。
その感状現存してたかな?
>>837 その辺はっきりしないな。
感状の現状や所在について記述はなかったし。
米沢の上泉家辺りに伝来してるんじゃないか?
どうもあいまいでいかんね
ただそういうソースがはっきりしないのや撃剣叢談のような時代が下るものを認めるなら
一刀斎関係の伝承も認めないとダブスタにならないか?
一刀斎関連の伝承で認められてないような話ってなんかあったっけ?
忠明の方は色々出てきて否定されてるけど、
こっちは他の史料と食い違ってるのが指摘されてのものだから
信憑性以前の問題だし。
戦国気質が残る江戸初期は実力行使主義で分かりやすい(試合主義。勝負を避けたら⇒負け)
ただし試合に政治的意図が絡んでくると勝負を見直す必要があるのかも知れません。
柳生但馬と小野忠明の会見時、但馬は十兵衛に当たらせようとした。(これは但馬が十兵衛なら勝てると踏んでいた可能性が高い⇒十兵衛で勝って江戸柳生の強さを示しておきたい)
小野忠明は但馬より地位が格段下だから黙って受けるしかない立場。
ところが十兵衛は遠慮。(十兵衛からすれば、小野忠明は強いのは分かるが先に叔父の兵庫を戦わせるべきであり。大将役の自分は戦うのは一族の最後と考えた。)
すかさず兵庫が対戦志願(兵庫としては、小野忠明が強いのは分かるが、試す価値はあると見ている。)
但馬が試合自体をキャンセル。(十兵衛が辞退して、仮に兵庫が小野忠明に勝ったら⇒《尾張柳生》>《江戸柳生》と思われてしまう)
江戸初期は小野忠明≒柳生十兵衛≒柳生兵庫>他の剣豪でいいのかも知れない。
宮本武蔵はこの三人のわずかに上と推敲。
843 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 10:57:17.82
>柳生但馬と小野忠明の会見時、
これはどういう史実なんですか?
844 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 11:30:06.23
小野忠明が存在したというソースは?
その会見ってのはどの時代を想定してつくられた話なんだろ?
大将役の自分とかいうけど小野忠明が死んだときですら十兵衛は20歳過ぎの若輩でしかないし
その時代の宗矩はまだまだ現役で大目付や大名になるのはもう少し後の時代
話作った人もそれを引いてきちゃう人も歴史に弱いんだなあとしか
846 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 12:11:18.33
作り話とすら思ってなさそうなのがなんともね
847 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 12:13:01.00
小野忠明が死んだソースと小野流派の師範役の系統図を
ちょっと、お前さんがた批判なら猿にでもできるんだよ。
他レスへの批判は要らないから、スレタイ読んだのなら自分の意見を言ってごらん。
>>838 正直
長野業正の活躍自体、後世の脚色作り話とも言われてるんで
そこら辺も、もしかしたら作られた話なのかもしれない
ソースソースと言ってる人がいるが、完璧な正しい文献など存在しない。
文献は色んな人から聞いた話をまとめたり、繋ぎ合わせたりして創られている。
>>840 48人斬りはさすがに嘘だろ
逸話内で襲撃者を率いた古藤田が普通に一刀斎の高弟として天寿を全うしてるし
まあ現実味という点でそれ以前の問題だけどな
852 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 13:11:35.93
あからさまな作り話を信じ込んでたのを批判されて発狂とかかっこ悪いわwww
完璧な正しい文献など存在しない(キリッ
いえいえ、そんなことを断ずる前にあからさまなウソや信じるに
値しない文献をまずふるい落とすことが大切ですし
それができない人間には批判がどうこうとか言う資格がまずないんですよwww
甲陽軍鑑によると山本勘助と浪合胤成には八十人斬りの経験があるらしいぞ
君はただディベートをしているだけなのか?
研究者なら発展的意見を出すべきであり、否定論は不必要だ。なぜなら本当に間違った意見なら自然淘汰されるからだ。
やみくもに否定だけしていてはいけない。
855 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 13:20:53.94
>>854 (答え)実際に戦ってみないことには、「最強」なんてわからない。
>>842 「一刀流三祖伝記」の記述だと、兵庫は出てこないんだが、そっちを採用した根拠は?
兵庫が出てくるver.は後付のものなんだけど。
それと、当時の記録だとすると十兵衛って表記は変なんだがな。
十兵衛の名乗りは、蟄居も終わりの頃からのもので、
忠明が生きてた頃だと、ずっと七郎で通してるんだが。
あと、十兵衛の年齢を考えると、
仕合があるとすれば元和の後半から寛永三年までの筈だけど、
この時点で熟練の達人である忠明(50代後半)相手に、
いくら才能があっても、10代半ばの十兵衛で勝てると思うほど
宗矩が馬鹿とは思えんのだがなあ。
高校生優勝者が範士八段に挑むようなもんだぞ。
どっちかというと、後世の十兵衛の強さの評価が固まるにつれ、
それよりも小野の方が強いのだ、というために創作されたと考えた方が妥当じゃないの。
三祖伝って忠明が宗矩に勝ったから将軍家指南役になった、とか、
忠明は廻国修行して薩摩で瀬戸口備前(東郷重位)に勝って駿府に戻ったところ、
家康から「徳川家の人間は皆一刀流を学ぶべし」と言われたとか、
小野家自身の記録や実紀と食い違う話でも、平気で載せるような本なんだけど、
その中で、十兵衛との逸話は信用できるとする根拠は何?
過去の資料になるほど、書き手の事情を考える必要がある。
858 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 16:44:03.96
間違いなら訂正するだけのことだ。君のような批判だけの猿が居ては、発展的な昇華の妨げになる。
間違い以前に、そもそも創作なんじゃね?って話なんだから、
昇華もへったくれもないだろ。
とりあえず、この逸話を事実だとする論拠を出しなさいな。
話がしたいなら、まずそこからだと思うけど。
大多数の逸話は書き手の主観である。それらに論拠を求めるのは不可能で、各人が推敲するしかない。
さて、このスレを去ろう。
過去において確実な事実を求めるのが難しいのは当然だが、
その中でも、存在する史料を元にできるだけの検証をし、
概ね妥当だろうとか、これは創作っぽいとか、判断を重ねていくのが
歴史における議論だと思うんだが、そこで「主観」に逃げると、
「私は話をする気はありません」と言ってるのと同じなんだがなあ…。
もう話する気がないなら仕方ないけどさ。
863 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 18:12:24.73
>>841 いや、だから、「仮想対戦相手のローマの戦士」は、並みの人間ではないんじゃないの。
重い盾を張りぼてみたいに振り回す奴とかさ。
>>864 結局のところ、でかくて力が強い奴が一番強いで終わるんじゃないの、それ?
ローマ式戦闘術も剣術もフェンシングも関係なく。
例えば古代ローマ式の巨大な盾をティッシュペーパーみたいに振り回せる人間がいたとして、
船三艘をぶちぬく鎮西八郎の弓で狙われたら終わりだろう。
>>866 いや、盾と短剣のローマ戦士対剣豪という架空対決の話。
小手を落とせばそれだけで1発だけど、簡単にそういう隙を見せるとは考えにくい・・・
フェンシングだって、首の辺の血管でもやられたら、いくら頑丈な人間でも一発じゃない。
デカい盾は盾の正面や盾を持つ手の側に立たれると攻撃しにくくないか?
軽さを生かして有利なポジション維持すれば行けるんじゃね?
盾を武器として使ってきた場合は逆にチャンスになるだろうし
幾度となく修羅場を潜り抜けてきたぶりぶりざえもんが最強
870 :
日本@名無史さん:2013/09/09(月) 10:13:16.92
そういう明らかに関係ない話題は別スレ立ててやれよ
別スレ要望多いな
最強の剣豪からは明らかにズレてるからな
でも前にそういうスレが単独で立ってたと思うよ
ニュース系の一発スレじゃなくて歴史系の板で
873 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 22:49:04.50
歴代征夷大将軍でバトルロイヤルやったら誰が強いんだろうな
坂上田村麻呂、足利義輝、徳川辺りが強そう
秀忠だろう、気がついたら無傷でひっそり残ってそう
875 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 23:20:11.73
けいきさんが自転車で蹂躙する
878 :
日本@名無史さん:2013/09/13(金) 05:07:38.82
柳生は弱そうだから家光も秀忠も弱そう
普通に家康じゃないの。
足利義輝だろ、やっぱ。
遅い来る軍隊相手に、名刀何本も突き立てて、何十人と斬りまくるなんて
他の奴には無理無理w
881 :
日本@名無史さん:2013/09/13(金) 14:42:04.70
だからそんなの同時代に報告ないって
後で書かれたものが絶対に本当じゃないとは限らないだろ。
883 :
日本@名無史さん:2013/09/13(金) 15:27:24.29
同時代に死に様の細かな報告があるのにそんな場面がない
そうなるとどうしても後世の得体の知れない史料では信憑性において不利
信じたければ信じればいいと思うけどそれを根拠に「他の奴には無理無理w」とか
やっちゃうのがイタいなあって思ってさ
思うのは勝手だけど、他人に納得してほしかったら、
それなりの論拠を提示してほしいよな。
信憑性の検証すらせずに、極論で正当化しようとするとか何考えてんだか。
天竜豪次。
887 :
日本@名無史さん:2013/09/19(木) 03:52:07.40
この手のスレは
柳生を異常に評価するやつ
武蔵を異常に評価するやつ
義輝を異常に評価するやつ
必ず湧いてくる
888 :
日本@名無史さん:2013/09/19(木) 06:53:07.35
中村剣豪
889 :
日本@名無史さん:2013/09/19(木) 10:12:08.90
>>889 そりゃそこから抜けてる奴だろ。
本人は俺のは正常!他は異常!とか思ってそうだけどw
891 :
日本@名無史さん:2013/09/19(木) 16:09:23.45
ああ、つまり一刀流のほら話を根拠に異常に評価してるのが君なのか
穴を指摘されたら、
「相手の意見を否定するだけでは進歩がない」
「逸話は所詮主観だから絶対ではない」
とか言って逃げた奴か。
あれは駄目だったな。
894 :
日本@名無史さん:2013/09/19(木) 23:21:38.66
>>889 このスレで高評価されてて
887のリストに無いだれか
>>893 本人でも別人でも頭が悪いな
だから馬鹿にされるんだよ
896 :
日本@名無史さん:2013/09/20(金) 12:26:34.00
>>892 そういう奴が二度と来ないと言ったところでまた来るのは目に見えてたしなw
まあ、2ちゃんだから仕方ないね
塚原卜伝にしとけば収まりがいい
飯篠でいいじゃん
900 :
日本@名無史さん:2013/09/21(土) 16:35:47.64
長威斎って何か武勇伝あるのかよ?
笹の上に座れたらしい
902 :
日本@名無史さん:2013/09/23(月) 10:36:46.07
宗矩以外はカス。
903 :
日本@名無史さん:2013/09/23(月) 11:06:39.09
塚原か上泉のニ択だな
904 :
日本@名無史さん:2013/09/23(月) 11:57:20.52
その二人より宗矩だな
906 :
日本@名無史さん:2013/09/23(月) 18:50:57.36
その発想はなかったw
908 :
日本@名無史さん:2013/09/24(火) 22:40:43.16
斉藤一でしょ
鳥羽伏見、会津戦争、西南戦争と生き抜いてきたんだから
909 :
日本@名無史さん:2013/09/24(火) 22:41:56.00
神風特攻隊でしょう。
910 :
日本@名無史さん:2013/09/24(火) 22:44:35.92
何を以って剣豪の定義するのか不明ですが、
スレ主さん定義を決めてください。
911 :
日本@名無史さん:2013/09/24(火) 22:53:00.33
俺なんかは、美濃の汰一郎だと思う、
ネットでは出てこないが、幕末の農民兵士で郷土誌にはある。
関ヶ原で死んだが、鉄棒で20数人殴り倒した人物です。剣術も知らないし、死ぬこともしらなかった?
刀では、20数人は無理だが鉄棒なら現実味がある。
無我夢中ですな。
これにはかなわん。
スレ主とか残ってんのか、ここ
笹の才蔵
乳母車付拝一刀
915 :
日本@名無史さん:2013/09/25(水) 09:06:18.19
ここまできて武田惣角がなし
>>908 永倉なんかもそうだけど、半端のはずはないよね。
918 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 21:42:43.27
うむ
919 :
日本@名無史さん:2013/10/08(火) 03:59:31.69
じゃあペン豪決めようぜ
とどろけ! 一番
源綱
上泉卜伝。
結論は上泉卜伝。
かみいずみぼくでんが最強。
綱、金太郎、頼光の中では誰が一番強いの?
陰流の創始者、愛洲久忠はどうでしょう
>>924 綱は、頼光を立てるだろうけど、実際は、多くの伝説を残した綱だろうね。
呂布とかのがつよいんじゃね?
ここは剣豪限定だっての
平安時代の武士やら三国武将やらはスレチ
きんみぎに、会いたい
武田惣角は?
931 :
日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:12:04.87
ぎりセーフじゃない
剣も強かったらしいし
最強は山南敬介。
933 :
日本@名無史さん:2013/11/05(火) 08:13:44.57
コロ助の事を忘れるなよお前ら
名刀電光丸を装備したのび太
と互角の犬の人
実はピンクブロンドのおにゃのこだった沖田でw
桜セイバーっておいww
新選組の人達もまさか100年後やそこらで自分が卜伝や一刀斎、武蔵なんかを差し置いて最強扱いされるなんて思ってなかったろうなw
それ以前に女体化されてるのを知ったらすげえ渋い顔しそうw
938 :
日本@名無史さん:2013/11/12(火) 16:00:00.76
美男ではなく浅黒いヒラメみたいな顔なんだっけ?
939 :
日本@名無史さん:2013/11/14(木) 08:51:05.94
塚原卜伝が定番
塚原卜伝か上泉信綱。
この二人なら現代剣道のルールで戦わせても強い。
有名どころで1番背が高くてリーチある奴は誰だろ
大石進かな。
身の丈七尺、竹刀が五尺三寸っていうし。
武蔵も六尺あるっていうけど、獲物については特に言及がないから、
三尺はないだろうし。
剣豪じゃないけど真柄十郎左衛門が五尺を越える大太刀を愛用してたんだろ
刀剣である限り、長さはその辺りが上限だろうなあ。
それ以上になると、もう鑓か薙刀使えよ、って話になるだろうし。
足利義輝だろ
カッコよすぎる
>>946 ああ、まあ、そうね。
声もシャアだしね。
BASARAかよ
つまんね
949 :
日本@名無史さん:2014/02/03(月) 16:17:03.68
まあ所詮ここで名が挙がってるようなのも
当時の政治的な思惑もあるから誰が実際強かったかなんて解からないからね
足利も柳生も塚原も眉唾だよ
なんだ、また出たのか。
懲りん奴だな。
951 :
日本@名無史さん:2014/02/05(水) 00:06:50.26
中村半次郎
952 :
日本@名無史さん:2014/02/05(水) 11:11:52.00
信用できる記述だけで考えたら、大石進最強なだけだろ
953 :
日本@名無史さん:2014/02/06(木) 01:05:07.27
>>952 どういう信頼できる記述を参照したら、
宮本武蔵よりも大石が強いって結論になるん?
954 :
日本@名無史さん:2014/02/06(木) 09:58:34.36
>>953 むしろ大石が武蔵より弱いって結論になるのがわからn
>>953は別に大石が武蔵より弱いと言ってるわけではないのでは?
両者の優劣に関する信頼できる記述なんてもんがあんのかよって話じゃね?
ないだろ、そんなの。
仮にあっても、200年以上年代が離れたものを
比較して優劣付けるような記述に信頼も何もなかろう。
957 :
日本@名無史さん:2014/02/06(木) 18:25:10.79
大石の竹刀試合以外の実績は?
958 :
日本@名無史さん:2014/02/06(木) 20:48:09.40
新撰組吉村貫一郎
(*`д´)♂"徳川の殿軍ば御勤め申す!
一天万乗の天子様に弓引くつもりは御座らねども、拙者は義の為戦をせねば成り申さん!
御相手致す!
959 :
日本@名無史さん:2014/02/06(木) 20:59:39.10
緋村剣心
坂田銀時
銀時?
金時じゃなくて?
剣豪というなら綱の方が上じゃね?
>>961 …マジで言ってるのかネタで言ってるのかどっちだ。
963 :
日本@名無史さん:2014/02/08(土) 13:46:41.67
北畠具教とか足利義輝の印可ってマイケルジャクソンの空手黒帯みたいなものだとにらんでる
964 :
日本@名無史さん:2014/02/08(土) 13:54:13.13
965 :
日本@名無史さん:2014/02/08(土) 14:12:23.20
歴史板で、大河ドラマだのテレビアニメだののネタで話したがるやつって
何とかならないものか・・・ってマジでおもう
966 :
日本@名無史さん:2014/02/08(土) 16:44:09.70
幽斎って宗矩の書状には名前出てないしマイケル式黒帯ですらなかった可能性があるな
幽斎とか今川氏真がト伝の弟子だって書いてあるのって、
確か幕末の頃の伝書じゃなかったっけ。
本当に弟子なら、細川家に記録くらい残ってそうなもんだけど。
あそこは当時の手紙とか大量にあるし。
968 :
日本@名無史さん:2014/02/15(土) 12:12:40.37
一ノ太刀って
唯授一人なのにごろごろ継承者がいるからなあ。
確実なのは鹿島神宮の松岡兵庫助くらいか。
家康や義昭も一の太刀を伝授されてるらしいけど
その割に実態が不明だし、なんなのかね
970 :
日本@名無史さん:2014/02/19(水) 17:21:44.97
test
>>969 武板の剣術スレで新陰流の輪の太刀じゃないか??と仮説を建てたら、卜伝を流祖とする居合流派とセイア流の人から一の太刀は型として残されてるってレスがあったよ。
一刀流やってるけど伝書見る限りでは改めて武蔵最強だと思う
とりあえず兵法家伝書と五輪書なら五臨書のが技術的なポイントは抑えてる
弟子たちと小次郎を取り囲んでボコしたというのは本当?
974 :
日本@名無史さん:2014/04/10(木) 15:40:44.30
沼田家記の該当箇所くらいぐぐれば出るだろ
武蔵に負けて気絶していた小次郎が息を吹き返したところを
隠しておいた弟子達によってたかって殺させたってエピソードがあるんだよ
ルール違反だが試合自体には勝ってる
それが又聞きになると試合をせずに袋叩きにして殺したなんて話になったりしてるからなあ
そりゃ、そんな真似するなら本当に勝ったかも怪すいと誰でも思うだろうから、尾鰭も手足も生えるわな
やはり、北辰一刀流創始者の千葉周作先生でしょう
977 :
日本@名無史さん:2014/04/10(木) 18:38:13.39
>>975 別に目撃者や立会人なしで立ち会ったわけじゃないからなあ
そして試合が終わった後の謀殺を唯一記した沼田家記ですら
武蔵が小次郎を昏倒させた完全な勝利としているわけで
1対5で袋叩きにして殺した説は『西遊雑記』(古川古松軒,1783)
誰がなんと言おうと最強は剣聖将軍足利義輝だろう。
たった一人を倒すのに万の軍勢を動かさなければならず、
そして、一人でその軍勢を蹴散らすリアル無双を成し遂げた人が、
この御方以外に誰がいる。
柳生連也斎
現代の剣術流派にもかなり新陰流の名残はあるしな
対照的にスポーツ化した流派からは消えてる。
剣道 柔道 居合道 合気道と「道」が付くのはスポーツだよ
幕末の剣豪はアテにならん。
幕末は剣豪というより殺し屋だしな
勝負じゃない
>>979 また香ばしいなおい。
せめてこのスレ内のレスくらい読もうぜ。
一人を倒すためって、いくら幕府が弱体化してても将軍に護衛がいないわけないだろ
数日後に書かれたフロイスの手紙でも、
「朝のことだったので公方様の邸には約二百人ばかりの者しかいなかった。
そしてそのほとんどは、都のおもだった大身たちだった」
とあるから、少なくとも一人じゃないな。
この200人は身分の高い者だけを数えてるから、
こいつらに従う従者が一人もいないとかあり得ないし、
下手すりゃ千人前後はいたんじゃないの。
おまけに義輝のがいたのって城塞化された御所だから
実質、城攻めと変わらんのだし、そりゃ人数要るだろ。
義輝が強かろうが弱かろうが関係ない。
最近流行った小説の影響?
稽古してたんだから弱くはないだろうけど師匠以上だと何故思うのか
>>980 それでも素肌剣法の実戦となると幕末の剣士が一番豊富なんじゃね?
単に鎧なしの状態での斬り合いの経験なら、
むしろ戦国時代の剣士の方が上なんじゃないか?
戦国の方が幕末より物騒なんだし。
試合回数なら幕末の方が上だろうけど。
戦国だと喧嘩でも槍使う場合が結構多いんじゃね?
宮本武蔵は島原・天草の乱で農民かなんかに石ぶつけられて負傷したんだろw
剣術家なんてそんなもの
誰が強いかなんてわかりようもないけど、
実績、業績、影響力、人気等々を総合した”格”ということだと
卜伝、上泉、武蔵が三大剣豪なのかなぁ
一刀斎は事績が曖昧すぎるので一段下かな
人気だと沖田総司がかなり上じゃね?
卜伝なんて一般人知らないだろ。
卜伝は、倍返しだ!の人を使ってNHKでドラマでやってたから知名度あがってんじゃない?
今は知名度落ちてるけど戦前までは講談とか映画で人気あったんじゃね?
新撰組の雑魚が上位に来てなんかすごい気分悪いww
新撰組は「剣豪」ではないもんなぁ
新撰組抜きだと武蔵、十兵衛、卜伝、小次郎、義輝、安兵衛、鉄舟、宗矩、信綱の順か
一刀流代表が鉄舟ってのが何か微妙・・・
新撰組が抜けるとだいぶマシになるな。
ところで次スレどうする?
さっき試したけど俺はダメだったんで誰か頼む。
乙乙。
じゃあ埋めで。
埋め
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。