空白期間の長い日本史上の人物

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1日本@名無史さん
このスレは、空白期間の長い日本史上の人物を挙げたり語ったりするスレです。
空白期間や長いの定義はアバウトでOKです。
2日本@名無史さん:2012/12/16(日) 18:28:59.61
空海は結構長い空白期間があるな。
3日本@名無史さん:2012/12/16(日) 20:11:56.99
空海は、今風の考え方で言えば、19歳で大学を中退してから31歳で得度受戒するまで、
随分長い事空白期間だったと言える。
4日本@名無史さん:2012/12/16(日) 20:23:53.19
徳川家康
5日本@名無史さん:2012/12/16(日) 20:26:52.31
真田信繁
6日本@名無史さん:2012/12/16(日) 20:39:58.31
善統親王
7日本@名無史さん:2012/12/16(日) 22:58:19.80
前田慶次こと前田利益
8日本@名無史さん:2012/12/17(月) 01:53:40.82
源義経なんか本当に義朝の赤ん坊と同一人物なのか
って感じでさえある
9日本@名無史さん:2012/12/17(月) 04:44:29.46
10日本@名無史さん:2012/12/17(月) 08:09:03.77
義経の明確な史料って、22歳から31歳までの分しか無く、
よく分かってない事が多いんだな。
11日本@名無史さん:2012/12/17(月) 16:50:57.28
豊臣秀吉
25歳頃織田信長に仕えだすまで放浪
12日本@名無史さん:2012/12/18(火) 06:25:31.59
>>10
ほぼ年格好の合致する若くて優秀な武将を、源九郎義経として
(事実上の独立政権である)平泉が送り込んだのかもね

本物は
・義朝の九男坊など元々存在しない、後世の創作
・存在はしたが幼少の頃に死んだ、或は早い時期に消息不明
・本物は奥州藤原氏が始末、或は幽閉 etc

そして平家追討を後押ししたは良いが、今度は予想以上に厳しい
条件で屈服させられ独立を失う羽目になった。とか
資料がないだけに、どうとでも考えられる
13日本@名無史さん:2012/12/18(火) 18:40:35.95
>>12
しかし、義経の活躍により異父弟の一条能成が取り立てられてるんじゃなかったか
義経と能成が行動を共にしていた時期も。
平泉が適当な人物を送り込んだだけなら能成と血縁関係はなく、親密さが謎。
14日本@名無史さん:2012/12/20(木) 08:08:32.20
なるほど
15日本@名無史さん:2012/12/20(木) 11:11:06.42
きっと種は違うが腹違いの兄弟だったのでは
16日本@名無史さん:2012/12/26(水) 06:54:28.08
源頼朝
17日本@名無史さん:2012/12/26(水) 10:15:33.05
光秀は若いころに道三が美濃を乗っ取るところを実際に見てて本能寺の変はそれを見習っただけだって考えると面白いんだけど
そんな記録ないよな
18日本@名無史さん:2012/12/26(水) 22:23:26.66
福留孝介
19日本@名無史さん:2012/12/27(木) 17:53:37.85
宮本武蔵
20日本@名無史さん:2012/12/28(金) 10:51:18.84
青年や中年の頃は全く資料が無く
年寄りになってから急に歴史の表舞台で活躍し始めたって人物はいない?
三国志の黄忠みたいなタイプの。
21日本@名無史さん:2012/12/28(金) 14:53:19.44
>>20
北条早雲
22日本@名無史さん:2012/12/28(金) 16:19:15.78
>>20
来島又兵衛
23日本@名無史さん:2012/12/28(金) 16:31:11.29
松永久秀
24日本@名無史さん:2012/12/30(日) 18:45:23.46
申次衆の伊勢盛時(早雲)が史料ない人にカウントされるなら、
70歳すぎて武名を挙げてから人生が始まった龍造寺さんでもいいのでは
25日本@名無史さん:2013/01/27(日) 00:23:54.01
なるほど
26日本@名無史さん:2013/01/28(月) 00:02:22.43
明智光秀の重臣(明智五宿老の一)藤田伝五。

本能寺の変以前が殆ど不明
27日本@名無史さん:2013/01/28(月) 14:02:56.33
>>26
それはマイナーすぎて史料がないってだけじゃないのか?
ある程度有名人なのに前半生が分からないとかじゃないと無数にいそうだ。
28日本@名無史さん:2013/01/28(月) 16:31:02.34
光秀と久秀ジャマイカ
29水野真紀:2013/01/28(月) 20:14:25.17
滝川一益、惟任光秀も不明な点が大杉
30日本@名無史さん:2013/01/28(月) 20:16:23.73
陽成天皇の退位後…
31日本@名無史さん:2013/01/29(火) 06:56:14.27
邪魔崎の本塁打王
32日本@名無史さん:2013/01/29(火) 23:29:56.99
>>30 65年歌を詠んで気ままな生活をしていました
33日本@名無史さん:2013/01/30(水) 12:03:25.02
>>30
陽成天皇ほどではないが冷泉天皇も退位後は42年間蹴鞠をして気ままに暮らしてたな。
冷泉天皇は息子が2人も即位したのに政治は完全ノータッチだった。
34日本@名無史さん:2013/02/02(土) 20:54:00.13
>>33 冷泉天皇のエピソードも面白いが、子の花山天皇も退位後が個性的
35日本@名無史さん:2013/02/03(日) 08:11:18.99
それで思い出したが、慶喜も余生が恐ろしく長いのに楽しそうに暮らしてるな
36日本@名無史さん:2013/02/03(日) 09:52:42.97
貴人の恩知らずって言葉が
37日本@名無史さん:2013/02/03(日) 11:32:35.10
幣原喜重郎とか?

マスコ゛ミも総理就任時に「え、まだ生きてたの?」状態だったらしいが
38日本@名無史さん:2013/02/06(水) 23:29:20.25
武田信虎って追放された後も結構行動的なのね
39日本@名無史さん:2013/02/06(水) 23:51:09.35
今の政治でも、
小渕内閣・森内閣で経済企画庁長官だった堺屋太一が維新のブレーンしてるとか、
小泉内閣の頃で日銀総裁就任を噂されてた中原伸之が、まだ日銀総裁候補に名前が出てるとか、
「あれ、まだいたの?」って感じの人はいるよね。
40日本@名無史さん:2013/02/07(木) 20:23:54.81
後亀山天皇
奈良時代以降の天皇で生年不詳ってかれぐらい?
41日本@名無史さん:2013/02/07(木) 22:54:42.70
南朝そのものが史料の空白期間だろ
42日本@名無史さん:2013/02/10(日) 23:21:31.08
那須与一
43日本@名無史さん:2013/02/11(月) 07:30:09.10
光仁天皇
44日本@名無史さん:2013/02/11(月) 13:56:51.00
本日の朝日新聞に継体天皇が特集されていましたな。
45日本@名無史さん:2013/02/11(月) 14:13:26.43
本多正信
46日本@名無史さん:2013/02/13(水) 20:52:23.31
石田重家はどうよ?
関ヶ原から86年も生きてるぞ
47日本@名無史さん:2013/02/15(金) 00:13:00.32
松平忠長と違って忠輝は長い配流生活中子供を作らなかったが、妾はいなかったの
48日本@名無史さん:2013/02/15(金) 00:14:31.99
>>47 忠長じゃなくて忠直でした、失礼
49日本@名無史さん:2013/02/15(金) 10:12:49.72
楠木正成。
挙兵するまでの経歴は不明。
50日本@名無史さん:2013/02/15(金) 22:06:36.37
「俺の名前が引導代わりだ、迷わず地獄に落ちるがよい」シャキーンッ
51日本@名無史さん:2013/02/22(金) 23:24:50.38
>>43
光仁天皇は、実はさほどでもない。
史料上、数え年29歳の天平9年(737)に従四位下直叙の記事が見える。
例えば、称徳没後後継として推された同じ「皇孫」である文室浄三(もと智努王)は25歳、その弟の文室邑珍(もと大市王)は36歳が初出である。
それより何より、長女である能登女王(のち内親王)が天平5年(733)に生まれており、
彼女は桓武天皇の同母姉、すなわち何かと話題になる渡来系氏族出身の高野新笠の所生なのである。
つまり、光仁天皇は20代前半のうちに、「平成の時代に少々物議を醸す女性との出会い」という大層な活動をしていたことになる。
52日本@名無史さん:2013/03/30(土) 00:29:22.54
>>47 忠輝て吉良義周並みの軟禁じゃあないのか?
53日本@名無史さん:2013/03/30(土) 15:09:38.05
>>15
それは赤の他人じゃん。
一瞬騙されかけたわ。
54日本@名無史さん:2013/03/31(日) 12:47:25.02
空海。修行中の事跡は一切謎。

あと文学史的には、大伴家持。
30代で最後の歌を残してから、50代で陣没するまで
歌を詠まなかったのか、詠んでも残さなかったのか。
55日本@名無史さん:2013/03/31(日) 14:35:15.29
>大伴家持
サリンジャー的な沈黙は気になるよな
56日本@名無史さん:2013/04/28(日) 13:02:15.21
>>52 昔に隆一郎さんの徳川忠輝読んだけど、配流時代はすっ飛ばされて終わってたような……
57日本@名無史さん:2013/04/28(日) 21:58:13.47
後崇光院
58日本@名無史さん:2013/11/02(土) 16:21:08.56
>>21
伊勢新九郎は次々と新事実(解釈?)が明らかになって
それほど謎の人物でもなくなりつつある。
59日本@名無史さん:2013/11/02(土) 16:34:00.54
苗字から見ても名門伊勢氏の生まれは明確で
将軍の命令で関東入りしただけなのに
素浪人の暴徒扱いされてたのはなぜだろう
60日本@名無史さん:2013/11/02(土) 16:48:24.47
天海僧正
徳川家康のブレーンとして登場するまでの詳しい経歴は不明
本人も「昔のことは忘れた」」とか言って語りたがらない
天海=明智光秀説が出る由来となっている
61日本@名無史さん:2013/11/02(土) 21:53:34.99
むしろ早雲は研究者の努力の賜物で
青年期から。だいたいの足取りつかめるようになってきた稀有な人物
62日本@名無史さん:2014/04/09(水) 22:41:50.34
63日本@名無史さん:2014/04/21(月) 22:01:39.96
平嶋公方歴代全員。
本当に男系実子で明治まで続いたのか、それならば歴代の母はどういう出自の女性なのか、一切が謎。
64日本@名無史さん:2014/04/22(火) 18:34:53.73
三枝夕夏
65日本@名無史さん:2014/08/10(日) 13:17:53.54
真田信繁の前半生
66日本@名無史さん:2014/08/10(日) 13:24:54.33
>>59
征服された関東の側からしたら外部から来た侵略者ってイメージだったからじゃね?
当時の関東は別国的存在だったからね。
後に北条を名乗ったのもそういう関東の空気を和らげるためじゃなかろうか。
67日本@名無史さん:2014/08/15(金) 14:05:18.18
>59

単に本人が関東に攻め込んだ時に自称しただけなんじゃないの
本当に出自が怪しければ、当時は名門守護であった今川氏に妹が嫁入りできるわけがない

それより空白期の長さという意味では、大海人皇子だろう。公称は中大兄皇子の異母弟という
ことにしたみたいだけど、ありえんもんな
68日本@名無史さん:2014/08/15(金) 15:21:54.16
中大兄皇子の同母弟な。
ただ、日本書紀時代の天皇なんて即位前の半生が記録されてる人なんてほとんどいない。
むしろ天智天皇の中大兄皇子時代が異例。
ありえんというけど、私に言わせれば二人の間柄が公称と違うという方がありえん。
69日本@名無史さん:2014/09/16(火) 06:16:59.11
>>59>>66
当時もそれ以前の関東も別国的というのは間違いだぞ
統治者的にも民衆的にも他と同じ国
あと後北条氏は関東で税率を低くしたり全てでは無いが善政も多く不人気だったとかは無い
家康が関東に来た時それを引き継がざるを得ず大変だったとかあるようだな

素浪人のっていうのは何故そう言われたのかは分かって無いけど
民衆どうこうじゃ無く単純に城をとられた側が言ってたのか
徳川家が後北条氏を下に見る為に言ってたのか
あるいは素浪人の方がむしろ民衆人気が出る為(暴徒じゃ無く秀吉的な大出世した人物として)
後北条氏側が言ってたのか
民衆から自然に出て来た説なのか
色々考えられるな
70日本@名無史さん
勝海舟も明治になってからは出番無し