武士と極道と盗賊の違いは?

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1日本@名無史さん
なかなか難しいので、みなさん一緒に考えませんか。
2日本@名無史さん:2012/11/18(日) 05:10:00.00
お前、武士否定のためにいろんなスレ引っ掻き回してるバカだろ。
どれだけ論理が破綻しても頑迷に主張を続けるなど基地外そのものだ。

チョン公め。
3日本@名無史さん:2012/11/18(日) 20:37:49.79
>>1
シネ。どこでもバカ扱いだな
4日本@名無史さん:2012/11/24(土) 12:59:29.92
>>1
キモイんだよお前はよ
5日本@名無史さん:2012/12/05(水) 00:53:40.19
反論してる奴子供か ? 武士キチは困るとすぐチョンか
基地外締めで逃げるんだよな
まさに武士そのもの
バカで臆病だ 現代にお前らの居場所はねえよカス
6日本@名無史さん:2012/12/05(水) 01:02:23.16
>>5
お前このスレ主は有名なマジ基地だぞ。
勘違いすんなw
7日本@名無史さん:2012/12/05(水) 02:03:32.27
>>6
お前がマジ基地
武士以外に噛み付く姿は狂犬未満の低能ぶり
8日本@名無史さん:2012/12/05(水) 08:03:33.83
スレ主のツリかww
9日本@名無史さん:2012/12/07(金) 03:13:46.32
結論:違いはない。
10日本@名無史さん:2012/12/07(金) 03:14:39.66
あまりにそっくりすぎて、誰も違いが言えない。
11日本@名無史さん:2012/12/07(金) 10:13:58.94
せめて武士と侠客と悪党の違いは?
なら語りようもあったものを
12日本@名無史さん:2012/12/08(土) 07:39:29.20
場所や時代が変わるだけで大した違いはないな
13鈴木:2012/12/08(土) 19:35:30.23
武士
 武士は、平安時代の10世紀から明治時代初期の19世紀にかけて、
日本に存在した、階級の構成員。
 初期の頃は、戦闘を本分とするとされる宗家の主人を頂点とした共同体の
成員であった。
 政権中枢を担う平安末期からは、宗家の武士は政治家の側面も兼ね備える
必要が出始めた。他の武士は官僚機構をも担い始める。
 江戸時代になり、宗家(徳川家)を頂点とする幕府の構成員(旗本、御家
人、有力大名)は政府の役割を完全に掌握した。
 この頃までは、武士は日本の支配者であった。
 建前上は男系血縁主義だが、婿養子や、子供養子による家系継続、金銭に
よる家名売買も多々あったらしい。
14鈴木:2012/12/08(土) 19:36:02.74
極道
 江戸時代より侠客(弱いものを助け、強い者を挫く)を極めた人物を称え
る時に『極道者』と称した、尊称。
 やがて、博徒までも極道と称する様になった為、本来の意味を外れ、道楽
者、ならず者、やくざと同義語で使われる、本来と逆の意味で使用されるよ
うになった。
15鈴木:2012/12/08(土) 19:37:10.74
盗賊
 盗みを働き、国家・社会の秩序を乱す者。主に盗み、殺人暴行、大規模な
器物破損など凶悪な事が多い。普通は、空巣や掏を盗賊とは言わない。
 被支配者階級が望む社会秩序と支配者階級が望んでいる社会秩序が反対の
場合がある。その場合は、義賊と呼ばれる場合がある。山中に拠点を置き、
旅人や住民を襲う盗賊は山賊。海で船を用い他の船や沿岸を襲撃する盗賊は
海賊。
16鈴木:2012/12/08(土) 19:38:00.10
こんな程度でしょうか。
要約すると
武士:日本における中世の支配者階級の構成員。
極道:博徒、道楽者、ならず者、やくざ が自らを賛美する用語。
   たまに、侠客のこと。
盗賊:支配者階級が望んでいる社会秩序を、乱す違法行為をする人、及びそ
   の集団。

 だから、武士が、身を持ち崩し、ならず者(極道)になって、徒党を組ん
で盗賊になる事もある。
 武士が、住民の為にならず者(極道)の盗賊を取り締まることもある。
 侠客(極道)が、住民の為に盗賊と戦うこともあるだろう。
 盗賊と言われる侠客が、住民と共に武士と戦うこともあるだろう。
17鈴木:2012/12/08(土) 19:40:40.39
簡単じゃん。
何を難しく考えてんのかわからん。
18日本@名無史さん:2012/12/09(日) 15:07:36.95
【封建】『武士』賛美を止めるべき。【差別】
のスレがdat落ちしてたからここにレスしていいのか?

吉宗が人口集計を始めた1721年より前の推定人口には重大な欠点がある。

一般に引用されている数字は、速水・鬼頭らの推定によるもので、
150年間で3倍に人口が増加したという単純な仮定で、
1750年の人口統計(幕府の領民人口集計を1.2倍したもの)から
逆算して計算している(近畿周辺の一部の地域を除く)。

だから、
1600年→1750年
734,400→2,203,400 東奥羽
338,500→1,015,500 西奥羽
714,300→2,143,000 北関東
1,304,600→3,913,800 南関東
864,200→2,592,600 北陸
428,100→1,284,200 東山
412,100→1,236,300 山陰
815,200→2,445,100 山陽
625,000→1,874,700 四国
797,500→2,392,500 北九州
468,600→1,405,900 南九州

この辺の数字は全部右の数字を1/3したものが左の数字になっていて、
これらの数字はかなりいい加減であることが分かる。

幕府が各藩に宗門人別改の作成を命じた1665年以降であれば、
一部の外様大名の数字が残っているが、
それに従うなら150年間3倍は人口増加として多く見積もり過ぎであり、
せいぜい2倍かそれ以下というのが最近多い意見だけど、
速水がまだ現役で生きているので、その辺の批判があまり表に出てきてない。
19日本@名無史さん:2012/12/09(日) 15:18:55.77
とりあえず古代の律令時代には戸籍も作られたし、
田積などに基づく人口推定にもある程度信頼はあるけど、
それ以降の平安時代後半〜江戸時代初期の人口推定は、
参考になる田積などのデータが不完全だったりするし、
戸籍もちゃんと作られていないので、信頼できる推定人口はない。

一つ言えるのは、飢饉の度に人口減少を繰り返しながら、全体としては緩やかに人口増加し、
江戸時代初期の平和な時代になって、やや爆発的な人口増加が起こったが、
江戸時代中期以降は人口増加は停滞した。

江戸時代中期以降は、多くの地域で現在の生活水準を維持するよう、
堕胎や間引き、あるいは平均寿命の短い都市部への人口流出で人口が維持された。

四国・九州などでは、サツマイモなどのカロリー源が確保されることにより、
人口増加が維持された。
20日本@名無史さん:2012/12/09(日) 20:41:35.32
秀吉貴下の天下軍はどう説明付けるのよw
これで武士とそれ以外の境界線の有無語ってくれないか?w
21日本@名無史さん:2013/01/02(水) 21:39:11.34
実際、武士とヤクザ者に大して違いはねえよなあ
22日本@名無史さん:2013/01/05(土) 04:15:34.94
明治維新後、893になった士族は多かったみたいだねえ。
もちろん下っ端の士族だけど。
上のほうに若干違いがあったとしても、
足軽や下級武士とチンピラってほとんど違いはないね。
23日本@名無史さん:2013/01/05(土) 04:20:08.05
蜂須賀侯爵が明治天皇のタバコを盗んだときに明治天皇が
「血は争えないな」っていったので、蜂須賀侯爵が憤慨。
先祖が盗賊出なかったことを証明したって逸話があるけど、

蜂須賀小六が盗賊だったか否かって問題も、馬鹿馬鹿しいね。
盗賊=武士に違いがないのだから。蜂須賀小六は小土豪だった
ということを明治天皇に説明して、盗賊でなかったと主張した
らしいが、結局土豪=武装=盗賊ってことじゃないの?

武士の隣の国の領地分捕りのどこが盗賊じゃないのか?
町の人のものを武力で脅して奪ったりレイプするののどこが
盗賊と違うのか?
24パサラソケサラソ:2013/01/05(土) 06:38:38.22
武士は刀を構える
極道は刀(ダンビラ)を振り回す
盗賊は刀をちらつかせる
25日本@名無史さん:2013/01/15(火) 13:06:01.45
戦国時代は違いがない

江戸時代は

藩に所属している武士=藩士(いわゆる武士)
町に住んでいる武士=893
村に住んでいる武士=盗賊
26日本@名無史さん:2013/01/15(火) 14:53:40.92
>>1簡単。権威による承認があるかどうか
以上。終了
27日本@名無史さん:2013/01/17(木) 20:08:17.77
以上。終了(ドヤッ
28日本@名無史さん:2013/01/17(木) 21:02:00.31
>>26
権威とは?

天皇は、893だろうが盗賊だろうが、
実力で勝ち残ったものの言いなりじゃないのか。
29日本@名無史さん:2013/01/17(木) 22:06:29.23
第二次大戦のときも東北の貧農上がりの軍部の言いなりだったしねえ>天皇
足利将軍や信長の言いなりだし、天皇は軍事力持って脅されたら、言いなりがデフォ。
30日本@名無史さん:2013/01/18(金) 06:35:26.57
武士的な日本人
極道的な在日韓国朝鮮人
盗賊的な本国韓国朝鮮人
31日本@名無史さん:2013/01/19(土) 08:34:16.91
切り取り強盗武士の習い
32日本@名無史さん:2013/01/26(土) 22:10:11.06
武士(ポリ公)
極道(在地武士団)
盗賊(武士団)
33日本@名無史さん:2013/01/30(水) 19:21:42.35
ライオンとヒョウとハゲワシみたいなもんだ
34日本@名無史さん:2013/03/11(月) 09:04:25.54
江戸時代の豪商・三井家の文書では「腰に刀を挟んだ人」と表現し、この三者を区別していない。
35日本@名無史さん:2013/03/11(月) 14:11:10.87
米人、北朝鮮人、アルカイダ運動員
現代の日本人の多くは「腰から脚が生える人」と表現し、この三者を区別していない。
36日本@名無史さん:2013/03/11(月) 14:35:11.50
武士は、権力者として民衆から畏怖される。

極道・盗賊は、落伍者として民衆から軽悔される。
37日本@名無史さん:2013/03/11(月) 14:37:42.82
社会を支配する特権階級が、武士
社会から排泄された汚物が、極道
38日本@名無史さん:2013/03/11(月) 15:36:45.31
武士は刀さえ持っていれば武士。
身分や階級ではない。

「藩士」だよな。
39日本@名無史さん:2013/03/11(月) 15:37:51.45
>>36
それは、単に勝ち組の武士と負け組の武士の違いだろ。
40日本@名無史さん:2013/03/11(月) 17:45:55.86
江戸時代に戸籍が有って
それに注意書きが点けられると「札付き」のワル
戸籍に無いと「無宿者」
「盗賊」は盗みをした人。武士だろうが農民だろうが関係無し
「極道」は、戸籍有りでケンカして生きてる人
41日本@名無史さん:2013/03/11(月) 21:23:44.92
極道は、ただのゴミだからなぁ。世の中にまったく必要がない。

武士は、一応由緒正しいお家柄で、その生きざまに民衆の尊敬を受けることも多い。

武士と極道では、そもそも比較にならない。
かたや日の当たる表舞台で戦う武士と、しょせん日陰者のヤクザでは。
42日本@名無史さん:2013/03/11(月) 22:12:57.47
武家の子孫や末裔からすれば、
極道や盗賊と比べられること自体、笑止だろうな
43日本@名無史さん:2013/03/12(火) 01:58:44.64
>武士は、一応由緒正しいお家柄

えーっと、どこが?農民上がりでしょ。
まさか、でっちあげ系図とか信じてる?

平清盛ですら、系図捏造が疑われているのに・・・
44日本@名無史さん:2013/03/12(火) 02:02:06.44
>武家の子孫や末裔からすれば、

武家の子孫で、本当に名門からわかれている家系は
母親が遊女だったり、低い身分だったからこそ武官に
なったわけで、武家になったことを恥ずかしい、
武家など盗賊と同じではないか、と思ってるけど?

武家の子孫をホコリに思っているなど農民上がりだけ。
45日本@名無史さん:2013/03/12(火) 02:05:16.80
あと、そもそも、平安時代初期以降は、ケガレ思想が強くなってきたので、
天皇や公家は、卑しい身分の女に産ませた子を武官にするのを嫌がって
坊主にするようになった。坊主は妻帯不可なので子孫はいない。

だから、武士が先祖だと主張するのは主に奈良時代か平安のごく初期の
天皇数人だけに限られている。

その時代は記録も不十分だし、武官として雇われるためには名門の子孫を
自称しないといけなかったので詐称は当然。

そういう理由で平清盛ですら、田舎に180年もいたため、誰の子孫なのか
誰も証明できず、自称しても信じられていない。
46日本@名無史さん:2013/03/12(火) 02:08:21.62
江戸時代の武士など、尾張と三河の農民上がりばかりなので論外だが
日本で武士という場合、江戸時代より前は意味が無い。
江戸時代より前は、半農半武で、職業分離が進んでなかっただ。
農民が武装盗賊化したのが武士の始まり、というのが戦国武士だし。

それ以前の武士も>>45のような感じで、ほとんど先祖確定できないものばかり。
遊女の子が誰の子かなんてわかると思う?
当時の都には天皇の子孫と称する遊女の子が産んだ乞食が溢れてたし。
47日本@名無史さん:2013/03/12(火) 06:01:04.69
当時の遊女がどんな存在だったのかも知らずに
想い込みのイメージから妄想を膨らませた無知で愚かな在チョン
何と哀れ、何と愚昧、何と迷惑、学問にとって何と邪魔な存在であろうか
48日本@名無史さん:2013/03/12(火) 06:43:18.31
盗賊は誰でも転落したらなれる。
武士の淵源は多分「俘囚軍」、
極道の淵源も多分「まつろわぬ者」「非常民」
49日本@名無史さん:2013/03/12(火) 06:46:05.78
江戸時代の武士ってその土地の人達でしょ
戦国武士はよくわかんないけど
50日本@名無史さん:2013/03/12(火) 06:58:03.70
盗賊=一方的収奪の草創期
極道=収奪の公然化・合法化期
武士=合法的収奪の極相期
51日本@名無史さん:2013/03/12(火) 07:27:15.09
>>50
なるほど。わかりやすい。

戦国時代末期の自由都市・堺の連合は、瀬戸内海の航海の警備を
させるために村上水軍とか九鬼水軍の海賊に金を払って船を守らせて
いたが、信長軍が畿内に侵攻してからは、海賊に金を払うのをやめて、
信長に金を払うことにしたもんな。

信長のほうが安定していたからだろう。

でも宗氏とか九鬼氏とか、海賊(盗賊)あがりを大名に普通に認定
して、江戸時代も公然と認められてるもんね。まあ武士と盗賊は紙一重。
52日本@名無史さん:2013/03/12(火) 07:40:06.32
海賊に素性を持つことが明確にわかっている江戸大名

・九鬼氏(綾部藩、三田藩など)→ 子爵(華族)
・宗氏(対馬藩)→ 伯爵(華族)
53日本@名無史さん:2013/03/12(火) 09:23:09.78
久留島氏(豊後森藩)も来島水軍の村上氏だよ
54日本@名無史さん:2013/03/12(火) 10:13:02.23
極道って、要は、やくざのことだろう?

賭場や遊廓を仕切ったり、飲み屋の用心棒をやったり、
そんな小便くさい裏街道でドブネズミのように生きていた人間が、
なんで日の当たる世間様に、堂々と君臨するお武家様と比べられるのよ。

僭越にもほどがある。
55日本@名無史さん:2013/03/12(火) 10:23:04.53
>>46
武士になった初代から後は、立派な家系図が書ける名門じゃん

それだけで武家が他とは異なる存在だろう
56日本@名無史さん:2013/03/12(火) 11:58:36.82
まあ庶民でも運よく過去帳が残っていれば、
寺請制度が確立した17世紀後半までは系図が遡れるんだけどね
57日本@名無史さん:2013/03/12(火) 15:12:42.91
>>55
それなら、江戸幕府が、源平藤橘につなげた系図を提出しろとか命じたりしない。

それに武家ってだけではなあ。大名クラスは260年続けば名門家系だが。
58日本@名無史さん:2013/03/12(火) 19:18:44.14
武家と無姓の農家、農家と根無し草の町人小作人
町人小作人と朝鮮白丁、それぞれの間には越え難い格の差があった
混乱期に武士になったのは、庄屋や大店富農など恵まれた人々
59日本@名無史さん:2013/03/13(水) 10:19:24.79
庄屋など幕末には土地集積商人ばかりになってたじゃないの。
山形の本間さんもそれだし、川嶋紀子妃の先祖もそれ。
60日本@名無史さん:2013/03/13(水) 10:20:45.70
そもそも小作人って根無し草なの?
代々続く小作人家系とかよくあるけどね。
上は代わるが下はかわらない土着民。
61日本@名無史さん:2013/03/13(水) 10:56:11.37
昔の小作人は、今で言う会社員だよ
大地主の小作人は自作人より良い暮らしが出来た
つまり大企業社員であり偉くなると役員なわけだ

明治以降の地租税が農民を奈落に落とした
お金で税金を払うと言うシステムが田舎の自作農民に重くのしかかった
地主は江戸期と明治以降では大きく異なる
62日本@名無史さん:2013/03/13(水) 11:11:09.37
うちは福島の地主だったけど、
小学生や中学生のころは、地元で学校の先生や地域の大人たちから、
それなりに特別扱いされていた感じがする

先祖は藩の代官をしていたと聞いているが、
武士というわけでもなかったようだ
でも実家の蔵には、刀や藩主の家紋が入った盃とか、いろいろある
63日本@名無史さん:2013/03/13(水) 11:25:08.03
一般に代官であれば武士、その下の肝煎・名主であれば農民だけど?

まあこの辺の扱いは藩・天領によって様々で、
明治維新の際、郷士扱いの肝煎クラスで士族になれたのもあれば、
城下町の足軽クラスや倍臣で平民に格下げになったのもいる
64日本@名無史さん:2013/03/13(水) 12:59:04.45
>>62
たぶん、田舎の徴税代理人だったんじゃないかな。
要は、名主とか庄屋でしょう。
武士は田舎者と付き合うのが嫌で、中間搾取させるために
名主や庄屋を使っていた。農民頭ってやつ。
65日本@名無史さん:2013/03/13(水) 13:03:36.59
武士→(年貢要求6割)→庄屋・名主→(年貢要求8割)→小作

武士は6割の年貢を要求し、名主が小作から8割取り上げたもの
のうち6割を払う。間の2割が庄屋・名主の取り分。
この差を大きくとっている庄屋とか名主がいたが、
中間搾取というやつだろう。

それを「代官」ってカッコつけて言ってるだけでは?
66日本@名無史さん:2013/03/13(水) 13:42:49.66
こいつは、自作農と小作の区別すら付いてないな
名主の役割も解ってないし、庄屋が何を指すかも理解してない
67日本@名無史さん:2013/03/14(木) 03:44:49.92
おまえのほうがわかってなさそう
68日本@名無史さん:2013/03/14(木) 09:40:58.85
田舎の地主とか、教育レベル低いからマジ暴君だからな
武士のほうがまだマシだよ
きっと武士になる以前の盗賊レベルなんだろう、田舎の庄屋とか名主は
69日本@名無史さん:2013/03/14(木) 11:07:11.07
>>68
オマエ歴史に無知過ぎ

江戸時代は上の人間ほど徳を要求された
田舎の地主代表の酒田の本間様とか自費で備蓄をしていて
飢饉でそれを放出し餓死者無しで乗り切った

盗賊レベルの庄屋や名主は日本じゃ皆無だよ
朝鮮や中国では普通に居ただろうが
70日本@名無史さん:2013/03/14(木) 17:45:54.14
極道カラテの大山倍龍あげ
71日本@名無史さん:2013/03/14(木) 18:40:24.50
>江戸時代は上の人間ほど徳を要求された

おまえのほうが知らなすぎw
特に田舎の庄屋なんて盗賊と同じだよ。
気に入らない村人を村八分の名のもとに埋めてたからな。

本間は特殊例。大阪商人だから都会ルールでやった。
本間をありがたがってる段階でそれ以前どんだけひどかったんだってな。
72日本@名無史さん:2013/03/14(木) 19:06:39.54
庄屋・名主を豪民と勘違いしてる在チョンが
何を言い張っても何の説得力も無いんだよね
73日本@名無史さん:2013/03/14(木) 19:59:17.94
本間が大阪商人だってよw
もはや白痴だな
74日本@名無史さん:2013/03/15(金) 04:56:54.49
酒田本間氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%96%93%E6%B0%8F

山形の大庄屋の本間が大阪商人だって知らないやつがいるのかw
本間氏で農民の生活が楽になったのは、大阪商人流の効率化のおかげなのにw
75日本@名無史さん:2013/03/15(金) 06:12:10.40
恥の上塗りだから、早く無知を自覚して謝罪した方がいいよ在チョン。
庄内の本間家は普遍的に存在した豪農兼藩の政商、大阪商人じゃないよ
日本海側なので米を売り捌く場所が江戸ではなく大阪だったというだけ
76日本@名無史さん:2013/03/15(金) 07:46:13.01
>>75
ぷ。大阪商人だと知らなかったくせにwww

本間氏は大阪で財を蓄えた大阪商人。
NHK教育でもちゃんとそう解説していた。
77日本@名無史さん:2013/03/15(金) 09:50:38.22
一方、大阪町奉行所の元与力は自分の蔵書を売り払い、その金で米を貧民に配布した。
だが、のちに私兵を集めて武装蜂起する暴挙に出ます。
78日本@名無史さん:2013/03/15(金) 10:11:39.87
>>76
なに言ってるんだ?
本間家は本社が酒田だぞ。この意味分かる?

あとNHK教育の歴史は
リアル朝鮮人が作ってるからな
巧妙に嘘を散りばめている
あれは要注意だぞ
79日本@名無史さん:2013/03/15(金) 14:12:11.09
>>76
一丸甚六は大阪で財を蓄えたけど、あくまでも地元藩の政商であって
大阪商人ではないよ。NHKの歴史番組は誤情報流しまくってるから
80日本@名無史さん:2013/03/15(金) 15:05:52.79
そもそも、どこに本拠があったかは単なる言葉遊び。
「大阪商人」であったことがあるという事実が重要。

本間が周辺の庄屋より小作が楽だったのは、
大阪商人流の効率的で常識的な経営を学んでやっていたからだ。
81日本@名無史さん:2013/03/15(金) 15:10:24.61
>>77
そいつ、金持ちに嫉妬して大阪の町の何割かを焼き尽くした放火魔だろ。

上司のお代官様は大阪の豪商と癒着して、金儲けしてたな。
ちなみに江戸時代のお代官様の癒着や収賄、横領は武士の内部、または
対商人ともに非常に多く、徳川吉宗が代官の汚職が酷すぎるというので
全国70人の代官を捜査したところ、そのうちの68人が汚職をしていて、
うち34人は、死罪になるくらいの汚職をやってて、切腹にした。

ところがあまりに汚職が蔓延していたので、これでいちいち死罪に
していては旗本がいなくなると危惧して、それ以降、汚職調査はやめた。
82日本@名無史さん:2013/03/15(金) 15:13:57.49
>>77
しかも蔵書を焼いたというより、他人様の米蔵を攻撃して与えることを
正当化しただけの任侠ではないか。
83日本@名無史さん:2013/03/15(金) 15:14:58.65
>>79
この無知、NHK教育が間違ってる―とか言い出したかwww
84日本@名無史さん:2013/03/15(金) 21:30:14.10
>>83
間違ってるよ
吉本芸人は東京芸人でおk?
85日本@名無史さん:2013/03/15(金) 21:43:53.15
本間家の地元だと
自作農より本間家の小作農の方が格上で生活も良かった

本間家は公共事業にも力を入れ
今でも本間様と呼ばれている
朝鮮の歴史には絶対に居ない徳の高い地主で豪商
86日本@名無史さん:2013/03/15(金) 23:45:38.16
そもそも半島の歴史には、自作農がほぼ存在しない上に
小作農も存在しない、良くて農奴、大半は奴隷
87日本@名無史さん:2013/03/16(土) 01:38:45.27
平安貴族と朝鮮両班
どっちも姑息な糞虫だけど、平安貴族はライバルの命まで取ろうとはしない穏やかな人種
朝鮮は陰謀地獄に落ちたが最後根絶やしにされる
88日本@名無史さん:2013/03/16(土) 01:46:58.17
>>83
歴史秘話ヒストリエではちょくちょく間違いがあったし
平清盛では刀が使われていた宋代なのに何故か宝剣
そんな程度だよテレビの歴史番組なんて物は
89日本@名無史さん:2013/03/16(土) 02:39:29.39
平清盛のプロデューサーが朝鮮人
韓流ドラマはファンタジーだけど、それを真似して作っても
さすがに日本人には受け入れられない
90日本@名無史さん:2013/03/17(日) 20:27:48.14
>>1 近年の歴史家のこれらに対する見解のコピペ

従来の解釈として、刀狩(かたながり、)は、百姓身分の者の帯刀権を剥奪する兵農分離政策とされている。
しかし間違っては困るが、厳密には百姓は有姓氏族である。

そして農民は民人(良民と非人/餞民)が本来の身分の分類であり、百姓は農業従事者であっても農民ではなかった。
従って当初の村主、庄屋、名主、地主などは、その出自が氏族の百姓である。
一般的に「太閤刀狩」は豊臣秀吉が百姓身分の者の武器所有を禁止し、
それらを没収して農村の武装解除を図った安土桃山時代の政策として知られている。
豊臣秀吉は、氏族系百姓(村主、庄屋、名主、地主など)と
専業武士(統治と武力行使を担当)の間に明確な線引きをして、「太閤刀狩」と言う「身分制度改革」を強力に推進した。
その理由こそが、彼自身の出自が支配階級の血統である氏族系ではなかったからではないだろうか。
だから、古来からの血統を重視した氏族制度を、「太閤刀狩」のその時点でご破算にして、自分やその一党を含め
、乱世で頭角をあらわした桃山時代当時の専業武士(統治と武力行使を担当)を、
その出自に関わり無く「新たな支配階級として確定させる狙いがあったのでは」と疑えるのである。

何しろ秀吉の直系の家臣は、蜂須賀小六を始め、大半が氏族系の出自ではない事を考えると、「太閤刀狩」の原点が見えるのである。
豊臣政権成立時に、秀吉本人も含め従来の氏族ではない身分の者が戦国期の動乱の中から勢力を得て新たに氏族(武士)の列に加わり、一国一城の主・領主階級となった。

同様に明治維新の際も、旧藩主以外に維新に貢献した下級武士が爵位を授かって貴族に列している。

その上で、豊臣秀吉の「太閤刀狩」も、千八百七十六年(明治九年)・明治政府の「廃刀令」も実行された。
詰まりの豊臣秀吉の「太閤刀狩」も、明治政府の「廃刀令」も、本音は新体制確立の為に出回っている武器を取り上げて政権の安定を狙ったものである。
91日本@名無史さん:2013/03/17(日) 21:17:10.38
>>1
徳川家の直参の軍団の中小姓、下士足軽の大半が、伊賀、甲賀、雑賀、根来、山伏、野党の、
土地に寄生しないものたちであった。

そもそもこれらの主力の構成を成した、忍者や山伏とは何か。
それはこうである。
>>農業も行っていたが、農産物が育ちにくい山岳部に住み、
>>生活費を稼ぐために他国稼ぎをしていたと思われる。
>>有名な忍者の土地は、伊賀、甲賀、がある。
>>雑賀も、半農の傭兵集団で火薬等を用いる点では、忍者ともいえる

徳川家直参の家臣団で、旗本には、百地、鈴木、土橋、霜、成瀬、服部など、
これら忍者衆の棟梁は旗本や、御三家筋の家老に数千石で抱えられている。
そして、中小姓以下の直参の住む町割は伊賀町や甲賀町と名づけられている。

さらに、譜代大名の家中も、中小姓以下の中級武士、下級武士層にも大量にこれらが含まれている。

一例
代々、譜代筆頭格の大名が治める松本藩の中級武士以下のものたち
松本藩の中級武士芥川義直とその一党など

また、全国の藩にもこれだけ多くの甲賀衆が家中の中小姓以下に加えられている。
 参照http://www.eonet.ne.jp/~bankeshinobi/ryugi.html

このように、戦国期を経て、その後新たに台頭した武士団とは、
このように土地に寄生していなかった者たちが大半という事実。
92日本@名無史さん:2013/03/17(日) 21:42:19.19
さあ、これらをみて、武士とは、純然たる武士道に彩られた者たちといえるのかな?w

江戸時代に、武士の誉れと賞賛された、戦国の覇者、豊臣軍団の総大将、豊臣家の非常に近い御一門衆たる浅野家がいましたね。

吉良家。もはやいうまでもなき、三河の超名門武家の正統足利家分流にして高家筆頭たるまさに武家の中の武家。

浅野家 もはやいうまでもなき、戦国の覇者豊臣の御一門衆の分家。

この浅野家は、突如キレ、武家の正統、超名門清和源氏の庶流たる上野介に切りかかった。
御正道たる幕府、いや、将軍直々のご沙汰が出たにもかかわらず、その一党の末端家中のものどもは、
その御沙汰すら不服と抜かし、夜陰に紛れ、集団で吉良邸に討ち入り、惨劇を行った。

これは戦国武士の慣わしですか?wwwさすがは豊臣貴下の戦国軍団ですなwww
93日本@名無史さん:2013/03/17(日) 21:46:51.02
これでわかるとおり、そもそも戦国期を経て武士になったものたちは、
現代を通して、総じて百姓を見下してるようだが、

そもそもそれら武士たちの戦国期以前の出自こそ、大半が実は零細農民ですよ?w
地主ですらなかった、要は雑多や貧農ですよ?w
94日本@名無史さん:2013/03/17(日) 22:25:29.01
知っとるよ。
指摘されないかされても「不明だがそういうこともあったのか」程度の家系図なら自分でも書けますよ。
大半の武士の系図もそういうものだよ。
95日本@名無史さん:2013/03/17(日) 22:36:48.21
えーと
今は貧乏な農民でも、先祖は偉かったってのは有ると思う
中国でも劉邦とか居るし
96日本@名無史さん:2013/03/17(日) 22:44:05.47
>>94
ところがところがwww
関東の江戸期の地主(豪農)三役筋は、れっきとした中世よりし名門の武家だらけなんですなwww
江戸期の武士なんぞ足元にも及ばないほどの名門なんですぞよぞよww。

そのとおりです。戦国期以降の関東の歴史を簡単に言うとこうなります。

@武田家は戦国中期、徳川の急成長の前期末位に滅びたので、その後仕官したものもいたようです。
 しかし、武田家に代々仕えた旧在地豪族などで帰農したものもも非常に多いです。
 武田家の二十四将重臣クラスも、その後帰農庄屋は調べただけで7家存在してます。
         
                ↓
Aその後戦国末期、小田原攻めによる後北条家滅亡時には、旗本八万旗を引き連れての関東入府のため、
 ごくごく一部以外はほとんどが帰農してます。
                ↓
Bさらに、戦国の世が終わった時点での佐竹移封時の佐竹家臣団はもっと悲惨でした。
 佐竹旧家臣の庄屋の反乱で一村壊滅させてしまうほど、
 佐竹旧武士団の帰農は徹底した弾圧をしています。
                ↓
Cさらにさらに、超絶名門新田氏庶宗家、武家の壮絶名門里見八犬伝も1614年、なり上がりにより改易。お家断絶。
                 ↓
Dそして、徳川の天下を知らしめた、関東統治の大号令である、元和演武の大号令により、
 関東全域、要は関八州の中世よりの単体で生き残っている、一般土豪、地侍層も徹底した武装解除により、帰農を徹底されました。

関東ではこれら超絶名門の古来よりの真の武家たる関東武士団が、戦国以降は帰農し、地主(豪農)や三役にほとんどがなっています。

関東の豪農層は、江戸期の武士と違い、超名門です☆!!!きっぱり
97日本@名無史さん:2013/03/17(日) 23:11:09.94
帰農できれば良い方で、帰農すらできず盗賊化したり物乞いおそらく非人層にまで落ちぶれた例すらあるわけです。
動乱期だけでなく平時にもあるわけ。
系図屋ってのがいてね。
間違いなく実在したと確認できない箇所が一代でもあれば作り物と考えて良いです。
一代も無くても嘘偽りが多くあると思われるのだから。
98日本@名無史さん:2013/03/17(日) 23:17:10.32
最後に、江戸期、旗本や御家人として成り上がった伊賀衆や甲賀衆の本家で、
紀伊山中に残った本家筋は、大半が貧農であったため、江戸中期、
それら旗本や御家人になった親族を頼って武士への仕官を願い出るが、
ことごとく断られてるでそ。
直参の御家人や旗本ですら、本家筋は貧農という現実w

江戸武士とは、大半が貧農や雑多が戦国のどさくさにまぎれて、
出稼ぎ傭兵から専業武士化して食い扶持を確保したに過ぎないのよんww。

百姓のように、土地に根ざした基盤すらないような者達の集団ですよんw
そもそも藩主たる大名家達自体の出自がもうねえwwww
99日本@名無史さん:2013/03/17(日) 23:17:52.98
土地を基盤にしたある程度以上の自作農層の方が氏素性が確かだったりするよ。
真実を言えば元を辿れば浮ついたならず者あぶれ者の可能性は武士の方がが大きい。
100日本@名無史さん:2013/03/17(日) 23:39:28.60
>>90
在チョン在チョン。はい、論破。
武家は元々開発領主として出発した存在。
武士階級の多くも有力農民の出身。妄想は程々に、お薬は毎日服用。
>>91
徳川家譜代の下級武士は大部分が農民の出身
甲賀、伊賀の所謂忍者も副職能であって本業は農業。はい、完全論破。
>>93-98
戦国期の旗本、御家人の本家筋は、数十石持ちの小領主が一般的。
はい、論破。お薬は自己判断で服用を止めない事。
101日本@名無史さん:2013/03/17(日) 23:53:09.45
大名家の中にはほぼ確実に取って付け無しで平安末まで遡れる例もある。
102日本@名無史さん:2013/03/17(日) 23:59:52.85
>>100
>>武家は元々開発領主として出発した存在。
>>武士階級の多くも有力農民の出身
そんなもの百も知れたことをww
しかし江戸期の武士は、その有力百姓どころか、農民でもない、出生地ですらわからないもの多数。
開発領主層の有力百姓と、一介の農民出自とはまるでわけが違う。
しかも農民であるかどうかですらわからない。

>>徳川家譜代の下級武士は大部分が農民の出身
譜代クラスになると、中級武士ですら農民どころか出自不肖多数ですよw
上忍などの忍者衆の有名どころ?というか幹部クラスや忍者として有能なものは、
徳川家直参や、有力譜代に配属されてる。
末端の譜代になると、ただ甲賀衆というだけのもはや忍者衆の中の末端もおおいしw。

>>戦国期の旗本、御家人の本家筋は、数十石持ちの小領主が一般的
おいおいwww数十石の小領主ってなんだ?wwww
103日本@名無史さん:2013/03/18(月) 00:04:57.84
>>101
そんなの、外様でしょw
譜代でもほんの一部。

それ言うなら、関東の豪農層の名門っぷり、がんがんソース出しましょうか?ww

秀吉貴下の戦国の覇者軍団が征伐した小田原攻めで、
後北条貴下の在地武将軍団は、

藤原北家
武蔵七党
坂東八平氏
関東八館
源氏庶流宗家
公方家
関東管領家
鎌倉御家人衆
その他室町守護家
・・・・・・
さらにそれらがことごとく滅ぼされ、それらに使える、中世よりの在地土豪地侍衆がことごとく帰農してる。
平安末期からの出自なんぞごろごろ関東にいるが?www
104日本@名無史さん:2013/03/18(月) 00:14:11.06
ちなみに、鹿島神宮の大宮司家のような古代豪族も、
東海の秀吉軍団のおかげで、帰農した分流もいますが?w

南部や島津、井伊クラスなんてゴロゴロ帰農してますよ?w
105日本@名無史さん:2013/03/18(月) 00:23:00.23
>>102
はいはい、南韓に対する愛は無いニカー!ね。
家譜家系図の方が火病患者の妄想より信頼されるのは必然。
根拠も無く願望で歴史を捏造しても、きみの母国ではともかく
日本国では受け容れられません、残念でした。
106日本@名無史さん:2013/03/18(月) 00:39:56.51
>数十石の小領主
数十石じゃ本百姓に毛が生えた程度
107日本@名無史さん:2013/03/18(月) 00:47:53.87
奴隷制度が横行した非人道的で非効率な半島豪民と違って
日本は早くから少人数の精耕細作によって
生産効率を上げる方向へ進んだんだよ
日本では後の本百姓に毛が生えた程度が小領主
108日本@名無史さん:2013/03/18(月) 09:36:43.27
スレ読んでないけど、
>>100みたいな書き方をする奴って、個人的にものすごい嫌悪感を感じるな。
議論に誠実さが全く見られない。
109日本@名無史さん:2013/03/18(月) 19:32:42.27
農民は武士が田舎にこないのをいいことに自分の土地みたいに勘違いしてるが

あくまで農地は全部武士のものであり、下働きで、庄屋とか名主は農民頭に
すぎないことを知らないのか?

農民が名実ともに地主になったのは明治維新の秩禄処分以降だろ。
不満をもった武士が反乱起こしたよね。
110日本@名無史さん:2013/03/18(月) 20:47:43.10
農地が全て武士の物ってw
武士が持っていたのは徴税権、土地の権利は農民の物。
士大夫以外に自作農が殆ど居らず、小作人すら多くはなく
農奴と奴隷が大部分を占めていた半島諸国家じゃないんだから

農家は土地持ち自作農、小作人が小作人
庄屋は地主、もちろん村頭な事もあるけどね。
111日本@名無史さん:2013/03/18(月) 22:25:50.36
>>109
馬鹿すぎる
元々の武士は朝廷に仕えていて、命令一つで全国を転々と転勤した
それで年貢を集めて朝廷に送っていたんだけど
やがて送らずに独り占めするようになったの
だから、武士の台頭=朝廷の衰退

その昔は大和朝廷が全国に派兵して土地は全部天皇の物だと言ってた
それも全国隅々までは行き渡らなかった

戦国時代でも江戸時代でも、殿様の配置換えとかよく有っただろ?
あれは土地が武士の物でないから可能だったんだよ
まあもちろん武士の直轄地ってのもあったがな
112日本@名無史さん:2013/03/19(火) 02:52:59.47
領地とのつながりがあるかないかが境目かな
徴税権を持つのが武士
耕作権を持つのが百姓
それらを持たないのがならず者
113日本@名無史さん:2013/03/19(火) 04:13:15.66
土地を国有化していない為、売買権は農民に有った。
武士が持っていたのは、土地に付属した年貢の権利。
小作人はそれらを持た無いが、耕作で賃金を貰った。
半島に於いて奴婢が支給されたのは最低限の衣食住。
114日本@名無史さん:2013/03/19(火) 08:46:58.76
>>110

それは違うよ。徴税権=保有が江戸時代の原則。
戦国時代は、武士は普通に農作業してるか、その監督をしてたんだから。
115日本@名無史さん:2013/03/19(火) 08:48:58.76
>売買権は農民に有った

それは現在て言うところの借地権みたいなもん。
農地以外に使うことは武士が禁止している。
116日本@名無史さん:2013/03/19(火) 08:52:06.26
ヨーロッパで言う「地主」の場合、徴税権も地主にある。
117日本@名無史さん:2013/03/19(火) 09:02:07.26
よく、日本には農奴がいない、というやつがいるがどこの国でも農奴に類する
働きをしている身分が6割程度いる。日本では農奴とよんでないだけで、
農奴に類する働きをしていたものはいて、人口比的にも「小作農」「自作農」
がそれだっただろう。日本には農奴がいないというやつは、古代の農奴みたいなのを
妄想しているが、中世の農奴というのは私有財産もあるし、そこそこの自由も
あるものを指すから、日本の農民の多くはまさに「農奴」に該当する。

農奴
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E5%A5%B4%E5%88%B6

>日本や欧米では「フェラー」(Fellah)としてイスラム社会における農奴あるいは
>小作人の意味で用いられている。
>元々はアラブ人征服者が征服支配した土地に土着する農民をフェラヒンと呼び、
>支配された人々が実質的に奴隷として扱われたことから農奴としての意味合いで
>用いられるようになった。

>西ヨーロッパにおいては、中世後期の貨幣経済の進展とともに自作農民化していった。
118日本@名無史さん:2013/03/19(火) 09:21:51.08
勘違いするな
徴税権は天皇・朝廷のものであり天皇のものを勝手に奪ったものだ
119日本@名無史さん:2013/03/19(火) 10:04:09.18
その天皇の徴税権も各地の豪族から奪ったものだ
120日本@名無史さん:2013/03/19(火) 10:55:36.36
農地の売買権って言っても、土地所有をしている藩士じゃない藩士や
他の藩の藩士に売れるわけではなく、
あくまで耕作員の権利を非武士の中で売り買いするだけだからなあ。
121日本@名無史さん:2013/03/19(火) 10:59:42.70
>>102

外国でも奴隷ほど土着している傾向があるので、「土民」とか差別的にいわれる
のに、日本の農民は、定住していることが”誇らしい”のか。
122日本@名無史さん:2013/03/19(火) 11:31:41.45
徴税権は権利などではない。
原理は、徴税しないと殺すぞ、という脅しで、
脅す人と脅しに従う人々、というだけ。
123日本@名無史さん:2013/03/19(火) 12:22:33.00
>>121
その差別語の「土民」とやらを、英語、ドイツ語、フランス語の一般的な言葉で何と言う?
124日本@名無史さん:2013/03/19(火) 16:12:23.72
>>117
「小作農」は賃金の支給と労働の自由により農奴に類さない。
「自作農」は問題外だ、妄言在チョンは死ななければならない。
半島には他地域の所謂古代の奴隷や中世の農奴が広範に存在したが
私有財産は公に認められず、自由も全く無かった。
日本の農民はまさに「小作農」「自作農」であり農奴に該当しない。
日本にも農奴に類する存在は居たが、それらは奴婢と呼ばれ数は少ない。
125日本@名無史さん:2013/03/19(火) 16:20:48.40
>>120
在チョンの願望が産む妄想と現実は大きく異る。
農民の農地売買の相手は、農民・商人・武士と多岐に渡る
武士が持つのはあくまでも徴税権、農民は耕作しようが家屋建てようが自由。
126日本@名無史さん:2013/03/19(火) 18:31:29.75
>>114
君の願望は史実と違うよ。
保有権は農民、徴税権が武士。
徴税にも守護以来の権利で在地武士が持っていたものと
段銭など戦国時代以降に新たに支配層が握ったものがある
127日本@名無史さん:2013/03/19(火) 20:56:15.82
>>126
史実は農民に保有権はないよ。
詳しくは中公新書「秩禄処分」をよんだら?
128日本@名無史さん:2013/03/19(火) 21:19:02.14
>>127
農民が土地を売った契約書は、各地からふつうに発見されている
これが現実。保有権は無かったニダ、それは妄想。
129日本@名無史さん:2013/03/19(火) 21:36:16.48
>>127たそ
相変わらず低脳ちゃんですねwww

君はもう少し秩禄処分の状況をお勉強し途方がいいよねw

いいか?当時維新後の不平士族も、君のようなことは一切言ってない。
当時の武士もそのような認識などしていない。

さらに、ならなぜ、土地すら持つことができなかった出自の江戸武士たちはその後、
北海道の開拓民として土地を求めた?www

さらに、鎌倉御家人衆の開発有力百姓たちは、土地を介在にした鎌倉方との主従関係は、
土地の耕作権の保障だったの?頭クソわいてんじゃない?www

で、鎌倉御家人から中世室町までの土地という概念は、開発領主層は土地の所有の保証を求めての主従関係から、
なぜ、戦国期をへた下克上のなりあがり当地の時代に、今度は一転して耕作権のみの保障になる?
こんなの全国で反乱が起きるに決まってんだろw
130日本@名無史さん:2013/03/19(火) 21:50:50.25
しかもこの土地関係の論争の答えこそ実は、私クラスのスーパー偏差値70越、人類最強クラス脳の私が
違った視点から論述すれば、実は、日本史上最強の成り上がり王秀吉様の刀狩ですべて話がつけられるんですねw

刀狩の秀吉の真意。君たち程度じゃまずわからないだろうなww
単なる武装解除でも、身分制の確立でも実はない。
はっきりいって、高校の歴史の先行や大学教授レベルじゃ、私の論述はかませないでしょうねwwwww

まーそれは後でとして、>>127タソの低脳珍説はよwww
131日本@名無史さん:2013/03/19(火) 22:19:12.31
家は株ってトコは武家も社家も百姓も同じだね
132日本@名無史さん:2013/03/19(火) 22:21:19.99
>>129-130
弁解不可能になって、自演始めたか
流石は糞チョン、品性の欠片も無い。
133日本@名無史さん:2013/03/19(火) 22:21:21.43
>>99タソ
>>土地を基盤にしたある程度以上の自作農層の方が氏素性が確かだったりするよ。
>>真実を言えば元を辿れば浮ついたならず者あぶれ者の可能性は武士の方がが大きい。

君、すばらしいよ。そのと〜〜〜〜〜〜〜り!!!!!
そのと〜〜〜〜〜〜〜〜りなんですよ
結局秀吉やその一党のようにあれだけの財力や権力は、全うな生きかたしていたら絶対に手に入らない。
普通のリーマンが、パチ屋や芸能人波の稼ぎできますか?w
一緒ですよ。
小田原攻めの際、秀吉貴下の軍勢25万
それに対し、後北条の小田原守備兵ですらたった8千
八王子城はたった1200
武蔵北面武士団の棟梁名門鉢形勢はなんと800
伊豆衆筆頭清水家はなんと600

関八州でこの人数なのに、秀吉の25万はどっから連れてきた?wwww
紀伊や東海の山中からでそ?!wwwwww
134日本@名無史さん:2013/03/19(火) 22:28:00.62
>>132
あのね、>>127はおそらく下級士族の子孫だよ
下級士族が関東の豪農に何もかも勝てないことにひがみ、
珍説を投入して、下士を豪農より上に見せようとする工作でしょw
135日本@名無史さん:2013/03/19(火) 22:41:49.23
>>133の続きですが、
しかも北条一門の統治する岩槻衆ですらわずか1000
さらに最近映画化されたのボウの城の主人公忍城主成田氏を中心とする、武蔵中部の武士団はなんと300。
しかも、寄親寄子制度により、在地の有力土豪、地侍(北条家統治下では名主ともう呼ばれていた層)の
親類一門総ざらいにかき集めても、関東全域でこの数ですよ?www
関東は全国一の、古くは平安末期発祥の
藤原北家
武蔵七党
坂東八平氏
関東八館
源氏庶流宗家
公方家
関東管領家
鎌倉御家人衆
その他室町守護家
その後の戦国大名化した大名家・・・・
外様の大名クラスの出自が腐るほどいる関八州全域でこの数なのに、
秀吉様の名門武士団の25万はどっからどう連れてきたんでちゅか〜〜?wwwwwwぷっぷぷwwww
136日本@名無史さん:2013/03/19(火) 22:50:59.07
秀吉様の名門武士団             250000


関東勢
小田原本城                   3000 (各方面の残党も多く含まれるため、実際の本隊はわずか3000)
武蔵北面武士の棟梁鉢形衆             800
忍城を中心とする武蔵中部の武士団         300
北条一門統治の岩槻衆              1000
北条家筆頭武将清水氏率いるの伊豆衆        600
武蔵南部の名門豪族毛呂氏横地氏率いる八王子衆  1200

で、秀吉様率いる名門武士団の25万はどっからどう調達してきたのでチュカ?wwwwwww   
137日本@名無史さん:2013/03/19(火) 23:41:42.72
後北条家率いる関東武士団は、
槍を主兵装とする単騎か、数騎の少数による古来よりの武士の戦術を主とする集団
出自も純度100パーセントの在地武家衆

それに比べ、秀吉軍は、どこぞの馬の骨か知らない重火器を主兵装とし、
300の軍勢におよそ30000(3万)の大群で攻めかかる下克上軍団w

   忠実に再現されてる動画  みてみなよこれをwww
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=OAtWLs9WmJo

これら武将の大半が帰農した関東武士団と東海下克上軍団の江戸武士と一緒に扱わないでもらいたいwwww壁]・m・) プププw
138日本@名無史さん:2013/03/19(火) 23:56:15.47
>>134-137
見苦しい言い訳はしなくていいから
>>109>>114と妄言した件に対して、誠意ある謝罪をしようね
139忍城に参陣した後北条方の武将のその後@:2013/03/20(水) 00:06:16.53
>>137の続きだけど、
この、のボウの城という映画に描かれる忍城の合戦に、
後北条方として忍城近隣の鎌倉期よりの豪族衆が多数参陣しています。

それら参陣した後北条方の武州武蔵の関東武士団のその後を見てください。
その名は【鴻巣七騎】またの名を{武蔵七騎}と呼び、関東の那須七騎に並ぶ二大七騎と言われる武蔵豪族衆がいる。
この鴻巣七騎は、古くは鎌倉後期より発し、武蔵国の中部一帯を代々治める7豪族であり、

戦国時代には後北条家に従属し、映画、のボウの城で、忍城攻防戦前後でも出陣している、
武蔵国きっての名門関東武士団衆です。


≪豊臣率いる、戦国下克上成り上り軍団の関東攻めによる北条家滅亡後の鴻巣七騎≫
           ↓

@★深井対馬守  → 名主、家老藩士、 に別れる
 >>1)土着して中山道鴻巣宿の草分名主となった一派
 >>2)藤堂家に仕えて藤堂姓を許された一派 (分家は本姓の深井を名乗る)
 >>3)松平伊豆守家に仕えて家老職をつとめた一派
 >>4)高崎藩(松平信綱の五男・信興を祖とする)に仕えて家老職をつとめた一派
と分かれた。
>>この戦で後北条氏が滅亡した後、名主となった深井景吉は、忍城主となった松平忠吉(徳川家康四男)に仕えている。足立郡箕田に陣屋を構え、周辺の村落の再開発を行ったという。(『論集幕藩体制史6巻「藩体制の形成I」』)
http://hp.vector.co.jp/authors/VA035985/archives/roots/roots01.html
140忍城に参陣した後北条方の武将のその後A:2013/03/20(水) 00:13:15.99
  【】武蔵国の名門豪族  鴻巣七騎 の小田原戦役のその後【】

≪豊臣率いる、戦国下克上成り上り軍団の関東攻めによる北条家滅亡後の鴻巣七騎≫
           ↓

A★大島大膳亮  →名主
>>武蔵国足立郡宮内村(現在の埼玉県北本市宮内)の大島氏は、
>>源為朝の庶子の太郎丸と二郎丸の双子がおり、北条時政にその旨を訴え、源頼朝により太郎丸は大島の領主、
>>元服をして大島太郎為家(のち為政と改名)し
>>戦国大名太田氏の家臣団に、その鴻巣七騎の1人大島大膳亮久家がおり、
>>小田原征伐後帰農して名主となり今に連綿と系譜が続いている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%82%BA%E6%9C%9D

B★河野和泉守   →名主
>>河野氏は中世期における岩付太田氏の配下である「鴻巣七騎」の一人に挙げられるが、
>>江戸期には代々常光地区の名主を務めた
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-4ko.html

C★加藤修理亮  →豪農地主
>>天正18年(1590年)の後北条氏の滅亡により、母方の加藤氏に改めこの地に土着
http://www.geocities.jp/tsukayan0112/joukan-saitama/katousi-yakata-kitamotosi/katousi-yakata-kitamotosi.html
141忍城に参陣した後北条方の武将のその後B:2013/03/20(水) 00:21:29.36
 C★小池長門守   →本陣庄屋
>>この鴻巣御殿は後北条氏家臣・小池長門守の鴻巣砦跡に構えられました。
>>後北条氏滅亡後、小池氏は家康の家臣・伊奈忠次の配下に属し、自らの砦(館)跡を提供して
>>鴻巣御殿を造営しました。御殿廃止後この地は小池氏に返却されています。
>>そして東照宮社を建立。小池氏は鴻巣本陣主もつとめています
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-4ko.html

D★立川石見守   →豪農地主
>>立川氏は武蔵七党西党出身の武士で、その末裔である立川宮内少輔照重は小田原北条氏に仕え、
>>多摩郡柴崎村(現在の東京都立川市柴崎町)に塁を築き住んでいた。
>>当地に住んだとされる立川石見守はこの照重の一族で、中世期における岩付太田氏の配下である「鴻巣七騎」の一人に挙げられる。
>>天正十八年(1590)に岩付太田氏が没落した時、立川氏は当地に土着
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-4ko.html

E★矢部某    →豪農地主
>>矢部氏は中世期における岩付太田氏の配下である「鴻巣七騎」に挙げられる矢部某の屋敷である。
>>矢部氏は古くからこの地に住んでいた一族で、この地の開発領主であったが、小田原征伐後帰農
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-4ko.html

F★本木某  →  豪農地主
>>城主として挙げられる第一候補として、「鴻巣七騎」の一人に数えられる本木某なる武士の存在がある。
>>鴻巣七騎とは戦国末期に岩付城主太田氏に仕えた鴻巣郷周辺に居住していた在地土豪の事であり、
>> 天正十八年(1590)六月一日、豊臣秀吉の部将浅野長吉から鴻巣郷内の在所で帰農するように命ぜられると、
>>本木氏は他の鴻巣七騎の武士らと共に当地に帰農し、江戸期には有力農民となった。
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-4ko.html


★>>豊臣秀吉の部将「「「浅野長吉から」」」鴻巣郷内の在所で帰農するように命ぜられると、
★>>本木氏は他の鴻巣七騎の武士らと共に当地に帰農し、江戸期には有力農民となった。
東海秀吉軍団には参っちゃうよホンと・・・wwww・m・) プププw
142忍城に参陣した後北条方の武将のその後C:2013/03/20(水) 00:30:36.32
【】忍城近隣の城主も忍城の合戦の参陣している。
その忍城の合戦の参陣している近隣の北条方の城主のその後【】


@菖蒲城主   金田氏  → 名主
>>城主の金田氏は菖蒲佐々木氏ともいわれ、近江国佐々木氏の末裔される
>>6代秀綱の時に忍城主成田氏長に属し参陣、豊臣秀吉の関東侵攻により廃城。その後子孫は帰農
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%96%E8%92%B2%E5%9F%8E

A本庄城主   本庄氏  → 名主
>>本庄実忠は本庄城を築城し、東本庄の地から拠点を移している
>>本庄氏は小田原北条氏の滅亡を機に帰農し名主
http://takayama.tonosama.jp/html/honjo.html

さらにさらに
143忍城に参陣した後北条方の武将のその後C:2013/03/20(水) 00:39:56.98
もう出すのめんどくさいので簡単に言うが、

後北条家 武州武蔵北面武士団の棟梁であり、評定衆筆頭であり、上田城主上田氏も帰農

     伊豆衆筆頭にして関八州領主後北条家ナンバーワンの筆頭武将にして伊豆下田城主 清水氏もその後帰農名主

後北条家が東海下克上軍団を迎え撃ったおよそ50の城のうちなんと、わかってるだけで45の城主が帰農
出してほしいならソース全部出します。

しかもその城主格のほとんどが>>135のとおり、平安末期より発祥出自の関東武士団です。
しかも、それら城主格に使える、中世室町より続く、名門在地土豪、地侍(名主、地主)衆もことごとく帰農
144日本@名無史さん:2013/03/20(水) 00:45:36.42
江戸氏はどっか行ってしまった。
余所者に虐げられて寂しいね。
145日本@名無史さん:2013/03/20(水) 00:48:42.22
謝罪をせずに、コピペ埋め立て
まさに外道
146日本@名無史さん:2013/03/20(水) 00:52:39.55
江戸氏はどうなのだろうね・・・w
江戸城主太田氏ならわかってるけど、これも帰農よ。

さらには江戸氏と同じ関東豪族衆も東海下克上軍団の関東征伐によりことごとく帰農

一例
     【関東古代豪族の帰農家系】         
☆千葉氏
>>各地で庄屋、豪農などの上級農民層を形成した
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E6%B0%8F

☆渋川氏満頼流
>>後北条氏麾下の蕨城主として活躍したが、国府台合戦で里見氏に討たれて滅亡、蕨渋川氏の一族郎党は四散し、その多くが帰農した
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E5%B7%9D%E6%B0%8F

☆深谷氏
>>直系の子孫は、帰農して、そのまま今に至るまで長野にいます。尚、氏憲の支流の子孫は徳川の水戸家に仕えた家もあります
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hukaya_k.html

☆支流武蔵熊谷氏
>>仕官して藩士となった者もあったがわずかな例外的存在であり、ほとんど帰農した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E6%B0%8F

下野小山氏一党、紀州小山氏
>>関ヶ原合戦後牢人、大坂冬の陣には籠城に参加したが、落城後紀州に戻り帰農した
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/k
147日本@名無史さん:2013/03/20(水) 00:59:38.48
 ↓
      【関東古代豪族の帰農家系】         
☆下総武石氏
>>有胤の子・山城は里見義康に仕え、天正十九(1591)年に丸本郷の代官となった。その子・勝左衛門は、義康百人衆の一人で、里見氏改易後は帰農した
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/takeisi.html
☆庄氏
>>結局、勝資の弟資直が家督を継ぎ、子孫は英賀郡津々村に帰農した
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/mim_syou.html
☆長屋氏
>>。その子正隆は岐阜城主織田秀信に仕え、関ヶ原の合戦で秀信が滅ぶと、帰農した。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/nagaya_h.html
☆横田氏
>>宇都宮国綱が秀吉によって所領没収の憂き目にあうと、横田一族は佐竹氏に仕える者、武士を捨てて帰農する者とに分かれた
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/u_yokota.html
☆松野氏
>>、兄は秋田(秋田への供は長男優先であった)、弟は他の家族とともに帰農といた形で、方々に一家離散
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/matuno_k.html
☆市川氏
>>信治の子忠治は横見郡松山の城主上田能登守に属し、子治本は松山城で戦死。以後子孫は武士を捨てて、帰農した
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/itikawa.html
☆足立氏
>>城主をはじめ、一族郎党の大半が討死した。
>>このとき、城主基助の嫡男基依と若干の一族は落ちのび、帰農した
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/adati_tn.html
148日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:08:10.53
幕末近代の剣豪A-1
平山子龍(東京都新宿区/講武実用流)
藤川整斎(東京都台東区/直心影流)
酒井良佑(東京都千代田区/直心影流)
勝夢酔(東京都墨田区/直心影流)
男谷信友(東京都墨田区/直心影流)
島田虎之助(大分県中津市/直心影流)
長沼可笑人(東京都港区/直心影流)
榊原鍵吉(東京都港区/直心影流)
得能関四郎(群馬県沼田市→東京都/直心影流)
高山峰三郎(愛媛県大洲市→東京都/直心影流)
寺田宗有(東京都文京区/天真一刀流)
白井亨(東京都千代田区/天真白井流)
高柳又四郎(東京都/戸田流)
中西子正(東京都千代田区/中西派一刀流)
浅利義信(千葉県松戸市/浅利派一刀流)
浅利義明(東京都千代田区/浅利派一刀流)
山岡鉄舟(東京都墨田区/一刀正伝無刀流)
高野佐三郎(埼玉県秩父市/中西派一刀流)
千葉周作(岩手県陸前高田市→宮城県古川市/北辰一刀流)
千葉栄次郎(東京都中央区/北辰一刀流)
下江秀太郎(栃木県鹿沼市/北辰一刀流)
門奈正(茨城県水戸市/北辰一刀流)
内藤高治(茨城県水戸市/北辰一刀流)
戸賀崎暉芳(埼玉県久喜市/神道無念流)
岡田吉利(埼玉県羽生市/神道無念流)
秋山要助(埼玉県熊谷市/扶桑念流)
鈴木大学(東京都/鈴木派無念流)
斎藤弥九郎(富山県氷見市/神道無念流)
斎藤歓之助(東京都千代田区/神道無念流)
仏生寺弥助(富山県氷見市/神道無念流)
中山博道(石川県金沢市→富山県/神道無念流)
149日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:08:49.29
★秩父氏館城主  秩父氏  →  豪農地主
>>秩父氏館は平安時代末期、平将常の息子・秩父武基によって築かれました。
>>1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの後、後北条氏が滅亡すると、秩父氏は彦久保氏に改姓し帰農したため、秩父氏館は四百年以上にもわたる、その役目を終えたのです
http://homepage2.nifty.com/inutomononohu/titibusiyakata.htm

★毛呂氏館城主  毛呂氏  →  旗本、豪農地主  にわかれる
>>1589年(天正17年)豊臣秀吉は北条氏直に宣戦布告状を突き付けました、
>>1590年(天正18年)秀吉が小田原城を包囲すると毛呂氏のは城代横地監物の守る八王子城へ入ります、
>>鉢形城、武州松山城、岩槻城、川越城を落城させた上杉景勝、前田利家、真田昌幸の西国方の連合軍は八王子城に猛攻をかけます
>>、其れに対して八王子城は2000余の籠兵で必死の抵抗をしましたがほぼ全員討ち死にし落城しました、
>>時に毛呂氏は党首毛呂顕季を筆頭に毛呂顕綱、土佐守義可、義忠と主要な者達が八王子城で討ち死にし毛呂郷在地領主としての役割を終演したのです、
>>その後毛呂氏は帰農する者、徳川家の旗本に成る者
http://hya34.sakura.ne.jp/iruma/morosiyakata/morisiyakatarekisi.html

もうめんどくさいのでこの辺にするけど、まだ出せというならいくらでも出すよwwww
東海下克上軍団にはこれらクラスの出自が、たった一人もいないだろwwwwwwwwwwwwww
それどころか戦国期以前の出自がまったくわからないwwwwwww壁]・m・) プププw


>>145タソ
だから俺じゃないよんてばwww

それはそうと、
http://www.youtube.com/watch?v=OAtWLs9WmJo

ここに写されてる騎馬武者の坂東武士団が江戸期はみな帰農して有力百姓となり、
ここに写されてる鉄砲組や徒士どもが、江戸期はお武家様だとさwwwwwwww
そんで近代では百姓は恥ずかしいと江戸武士が言う様・・・・・・


ふざけんなあほwwwwwwwwwwww
150日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:09:39.96
幕末近代の剣豪A-2
岡田寄良(埼玉県幸手市/柳剛流)
岡田十内(埼玉県戸田市/柳剛流)
真貝忠篤(東京都港区/田宮流)
樋口定伊(群馬県吉井町/馬庭念流)
本間仙五郎(群馬県赤堀町/本間念流)
飯塚臥竜斎(群馬県藤岡市/気楽流)
櫛淵宣根(群馬県月夜野町/神道一心流)
須田房之助(群馬県赤城村/法神流)
持田盛二(群馬県前橋市/法神流)
比留間与八(埼玉県日高市/甲源一刀流)
逸見長英(埼玉県両神村/甲源一刀流)
近藤三助(東京都八王子市/天然理心流)
飯篠盛重(千葉県多古町/香取神道流)
逸見宗助(千葉県佐倉市/立身流)
伊庭秀業(東京都台東区/心形刀流)
伊庭八郎(東京都台東区/心形刀流)
桃井直正(静岡県沼津市/鏡新明智流)
上田馬之助(東京都中央区/鏡新明智流)
柳生厳周(愛知県名古屋市/柳生新陰流)
奥村左近太(岡山県岡山市/奥村二刀流)
宇野金太郎(山口県岩国市/片山流)
大石種次(福岡県大牟田市/大石神影流)
津田正之(福岡県久留米市/津田一伝流)
加藤田平八郎(福岡県久留米市/加藤田神蔭流)
松崎浪四郎(福岡県久留米市/加藤田神蔭流)
中村一心斎(長崎県島原市/不二心流)
東郷実乙(鹿児島県鹿児島市/示現流)
薬丸兼武(鹿児島県鹿児島市/薬丸示現流)
大山綱良(鹿児島県鹿児島市/薬丸示現流)
151日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:12:38.16
幕末近代の剣豪B-1
石山孫六(東京都千代田区/忠也派一刀流)
窪田清音(東京都/田宮流)
依田秀復(山形県米沢市/機迅流)
鈴木直之進(宮城県田尻町/天辰一刀流)
佐々木只三郎(福島県会津若松市/神道精武流)
高木守富(東京都/玉影流)
下斗米秀之進(岩手県二戸市/講武実用流)
吉里呑敵斎(東京都新宿区/講武実用流)
長沼恂郷(東京都港区/直心影流)
井上伝兵衛(愛媛県松山市/直心影流)
玉城織衛(大分県/直心影流)
今井信郎(東京都文京区/直心影流)
山田次朗吉(千葉県木更津市/直心影流)
岡田利貞(東京都千代田区/神道無念流)
中村有道軒(埼玉県幸手市/神道無念流)
戸賀崎芳栄(埼玉県久喜市/神道無念流)
大川平兵衛(埼玉県熊谷市/神道無念流)
芹沢鴨(茨城県行方市/神道無念流)
永倉新八(東京都台東区/神道無念流)
根岸信五郎(新潟県長岡市/神道無念流)
千葉定吉(宮城県古川市→千葉県→東京都/北辰一刀流)
海保帆平(東京都千代田区/北辰一刀流)
森要蔵(東京都港区/北辰一刀流)
柏尾馬之助(徳島県貞光町/北辰一刀流)
小林誠次郎(栃木県宇都宮市/北辰一刀流)
岡田信忠(宮城県角田市/柳剛流)
橘正以(三重県南勢町/柳剛流)
逸見義年(埼玉県両神村/甲源一刀流)
強矢良輔(埼玉県小鹿野町/天真武甲流)
比留間半造(埼玉県日高市/甲源一刀流)
三田左内(東京青梅市/開平三知流)
152日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:14:01.97
幕末近代の剣豪B-2
近藤勇(東京都調布市/天然理心流)
土方歳三(東京都日野市/天然理心流)
沖田総司(東京都港区/天然理心流)
本間三郎(群馬県赤堀町/本間念流)
清水赤城(群馬県高崎市/神道一心流)
楳本法神(石川県/法神流)
森寅雄(群馬県桐生市/法神流)
大月関平(三重県亀山市/鹿島新当流)
島男也(茨城県笠間市/鹿島流)
半沢成恒(千葉県佐倉市/立身流)
山崎雪柳軒(東京都台東区/亀山心形流)
辻真平(佐賀県小城町/心形刀流)
武市瑞山(高知県高知市/鏡新明智流)
坂部大作(愛知県豊橋市/鏡新明智流)
三橋鑑一郎(愛知県岡崎市/武蔵流)
柴田衛守(東京都新宿区/鞍馬流)
高橋赳太郎(兵庫県姫路市/津田一伝流)
川崎善三郎(高知県高知市/無外流)
長谷川藤次郎(山口県岩国市/直心自得流)
直守一(福岡県小倉市/方円流)
大石種昌(福岡県大牟田市/大石神影流)
河上彦斎(熊本県熊本市/彦斎流)
高尾鉄叟(長崎県/鉄仲流)
山東彦右衛門(熊本県熊本市/二天一流)
薬丸兼義(鹿児島県鹿児島市/薬丸示現流)
薬丸兼成(鹿児島県鹿児島市/薬丸示現流)
奈良原喜左衛門(鹿児島県鹿児島市/薬丸示現流)
中村半次郎(鹿児島県吉野町/薬丸示現流)
篠原国幹(鹿児島県鹿児島市/常陸流)
153日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:17:00.14
http://www.youtube.com/watch?v=OAtWLs9WmJo

ここに写されてる騎馬武者の名門在地関東武士団が江戸期はみな帰農して有力百姓となり、
ここに写されてる鉄砲組や徒士どもが、江戸期はことごとくお武家様だとさwwwwwwww

そんで近代では百姓は恥ずかしいと江戸武士が言う様・・・・・・


ふざけんなあほwwwwwwwwwwww

★この忍城の合戦で後北条方の武将は>>139>>140>>141>>142 のとおりだが、
 
 豊臣方の武将 大谷、石田、長束 ともども、秀吉の子飼いの出自不肖ときたもんだwwwwwあっぱれ東海下克上軍団!!
154日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:25:25.56
貧乏武士は小作農より生活ツライから
155日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:28:55.06
コピペ荒らしが何を主張しても誰も聞く耳持ってくれない
156日本@名無史さん:2013/03/20(水) 16:40:52.71
http://junko717.exblog.jp/

                                                 __
      _, -- 、        r'⌒ヽ                _  _     / _ _ \
    , '´ 丶 _ >-、   , -―ゝ ノ              /     , ィ `ヽ  ,' /   \ ハ
   /  /´   ヽ ', _ /   /ハト、 ヽ            /   , l/  ヽl  ', ! /,-、   ,-、!|
  /∠ /,-、  ,-、 l Y  ∠ | ', |  , −-− 、   ,' l /-、  ,.-、| l | lr| 0    0 hl
  刀イ / 0   0  | l | f´ 0   0 ! l /  ,、   \   ! /l 0   0 ! l lト|       lノ!
   レレ!  ___   从l!(|         j)/ /_/^ヽ_ l| レl从l         リ 从 | \ ー一 / |
      \ヽ _ ノ/|    l\ ▽ /||l//   ヽ Nl }   レ个 ` ー ' /レ  |  l 〕  〔  l |
     / _〕  〔_ N   l|  〕 〔   l 8j ⌒   ⌒ l8    ノ 〕 〔 レ|   | /ヘ_/\ |
     /´ヽ l   l /`ヽ  /| ∨ |\8ハ  ___  ハ8    /|_」 \   /|  l  l   |\
    ,' \_ヽ.ノ_/', l  ∨ ∨  l| lト ` − ' イ| 8   /l  |  |   l\ |  \ ヽ/ /  |
    |  l        | l |          | レヘ _〕 〔_l|     |  \ ∨ /  | |    (_)     |
    |  l       l l /       
ニュースの時間です。
ワタミの介護の控室で事件が発生しました。
昼間の控え室でワタミの介護社員、厨房勤務の男性が、渡邊美樹氏の悪口を言いました。
「会長って 鼻がヘン、鷲鼻、付けてる鼻、魔女の鼻」

ワタミの介護、派遣社員の女性が仲裁に入り事件は収まりました。
「高い鼻を咲かしてくれ!」
「そろ、そろ出番だ、お前のお鼻でも束ねるか?」
157日本@名無史さん:2013/03/21(木) 15:19:19.21
>>125

>>農民の農地売買の相手は、農民・商人・武士と多岐に渡る

武士に売った例などありえない。

あるなら証拠を出してくれ。
158日本@名無史さん:2013/03/21(木) 15:39:09.03
農民が、農地を売ったといっても、あくまで耕作権だからね。
徴税権(保有権)は武士にある。

もし農民が農地を売れたというなら、別の藩の藩士に売ったなら、その藩の石高が増えて
そこの藩の石高が下がるのか?
農民がすでに保有しているのとは違う自藩の藩士に売ったのなら、
石高によって限定された武士の中の階級が変わるのか?

農民というのはあくまで武士の下僕にすぎない。
耕作権(借地権みたいなもの)を売り買いできるにすぎない。

藩士が仮に買ったというなら、買った結果、「農民」になるということだろ?(要は帰農)
159日本@名無史さん:2013/03/21(木) 15:48:28.58
武士に保有権なんてない
全ての土地と民は天皇のものである
武士などというものは天皇のものを分捕る賊と同じである
160日本@名無史さん:2013/03/21(木) 16:02:14.91
官位官職のある武士ならともかくそれが無い侍が何の正当性があって徴税しておるのだ。
官位官職があったとして、徴税して自由に処理して良いと天皇朝廷が認めていたのか?
暴力的背景によって勝手に分捕っていただけだろう。
明治新政府でやっと正当化できたのだよ。
161日本@名無史さん:2013/03/21(木) 18:31:22.40
>>159
農民の保有権などなおさら言うのも恥ずかしいよな( ´,_ゝ`)プッ
162日本@名無史さん:2013/03/21(木) 18:34:13.60
天皇のものって誰が決めた?

天皇は大化の改新で蘇我氏から王権簒奪しただけじゃないのか。
163日本@名無史さん:2013/03/21(木) 21:19:31.51
>>157-162
おいおい、謝罪はどうした在チョン
>>134>>149で、自らの誤りを認めたよなあ?ん?
コピペ荒らしした分の謝罪も追加な。
164日本@名無史さん:2013/03/21(木) 21:37:40.65
>>161
無知過ぎ
田畑は開拓した人の所有になる
武士も農民も関係ない
165日本@名無史さん:2013/03/22(金) 02:03:06.81
>>164
江戸時代には、すでに開拓した者とは違っているし、そんな法律ないよ。
百姓が開拓しても、藩の領地になる。
166日本@名無史さん:2013/03/22(金) 02:28:01.76
>>165
はい、じゃあソース出そうか。
それ以前に、謝罪が済んでないが
167日本@名無史さん:2013/03/22(金) 06:14:32.90
あるなら出せよ。ないから出せない。
168日本@名無史さん:2013/03/22(金) 09:12:00.45
169日本@名無史さん:2013/03/22(金) 20:10:42.52
>>168
そのヰキペヂアを読めば、自分の主張が誤りだと理解出来るよなあ
>>158>>161>>165は虚偽であり嘘半万だと
170日本@名無史さん:2013/03/22(金) 23:51:13.95
>>169
日本語を普通に読めないのですか?

なに言っても無駄だな、幼児並みの知能だ
小学生の知能に達していない
救いようの無い低脳
171日本@名無史さん:2013/03/23(土) 16:39:37.10
結局保有権の話しではなく耕作権の話なんだな。
172日本@名無史さん:2013/03/23(土) 18:10:23.60
士族v.s.あ庄屋(盗賊)か。
173日本@名無史さん:2013/03/24(日) 01:13:39.01
>>171
在チョンの儚い願望から放り落ちた妄想は解ったから
自分で挙げた>>168を5000回読んで、自らの無知と愚かさを悟り恥じる様にね。
174日本@名無史さん:2013/03/24(日) 10:27:26.68
外国の「地主」は徴税権もあるよ。
175日本@名無史さん:2013/03/24(日) 19:18:23.72
>>172
おいおいww盗賊はもろ中級武士以下でそww
大半が甲賀衆や山伏という紀伊山中の山の民だからw
大名ならいざ知らず、中級武士になることがかっこよくて、憧れだったなんて一切ないからな?ww
だったらなぜ、公家や僧正、神官は進んで武士にならないってはなしだ。

勘違いしては困るが、豪農のように出稼ぎ用兵なんぞせず、のうのうと暮らせるものこそが特権階級なんだよ。
関東在地衆の武士化というのは、あくまで通常は農業経営、それらを脅かすとき、一門で武装化して排除する。
あくまで自身の利益のためだが、中下級武士ごときは、戦国のなりあがりの単なる駒だろwまじで。
自身の利権を守るためではなく、食うために雇われた糞身分だろw

なんで、関東の有力地主層のような、専業武士化しなくても裕福に暮らせる上層民が、
現代のイメージでかっこいいといわれてるに過ぎず、何も自身で生むことが出来ない無産階層の出稼ぎ葉柄ごときよりしたといわれる筋合いあるのか・・・w
176日本@名無史さん:2013/03/24(日) 19:27:26.06
まず、前提として勘違いしてはならないのが、
土地すらないことにより、自身の家単位で何も生むことが出来なかった無産階層が、
戦国期のドサクサに紛れ、堺などの鉄砲の産地を中心に重火器を要して日銭稼ぎの用兵として、
室町応仁期あたりの足軽と似たような足軽用兵化して、その後専属武士化して言ったのが江戸武士という事実。

そして、関東開発有力地主層のように、家という単位ごとに、多くの土地を持ち、
その土地を基盤に、財力、在地権力、在地被官化、在地利権を土着化している、まさに裕福層。
なんで、自分の土地守るわけでもない、成り上がり大名の他の地域の横領、略奪の足かせのため命張る必要があるの?w

考えればわかるっしょ低脳ちゃんwwww
177日本@名無史さん:2013/03/24(日) 19:46:26.60
それから、耕作権のみと、妄言たれてる、低偏差値御馬鹿ちゃそに、答えを教えてやろう。

まず君が、やたら耕作権のみという権利ということを用いて論じてるので、あえて権利という部分から私も論じるよ。

いいか?たとえば耕作権のみしか地主は与えられてなかったとすると、こうなる。

すべての江戸武士の正当性の根源は将軍にある。よって、

(土地のすべてのの一括管理)    (管理地委任権叙任者) (その大名からの糞配給) (低脳が言う、耕作権のみの賃貸)
     @将軍         →    A大名家     → B各藩士        →     C地主


で、このCの地主から第三者に転売されるものはあくまで耕作権のみ。その後の第四者に売られる場合も・・・となるよな?

この場合、耕作権というのはあくまで土地という有産物に含まれる従属物に過ぎない。
ということは、土地の所有者である、有産物の権利者が、そこに含まれる耕作権という従属利権を売りさばける唯一無二の権利者になるわけ。
わかるよな?仮にこのCの地主から買った第三者が、所有者は@やAの将軍、大名ではなく、4の地主だと思って買った場合、
所有者である将軍は、この第三者に変換請求権は持ち合わせない。なぜなら、自身の管理義務の過失が大きいからということ。管理怠ってるからだろ。

てことは、そもそもが、耕作権のみしか与えられてない場合、土地という絶対物に付属する一介の従属利権にすぎない耕作権を、
その耕作権をレンタルされてる人間が売りさばくことはそもそも不可能。
さらに、それでも売り買いされてることが常態化してるなら、もはや、監督不行き届きで、土地の所有権は第三者に帰属されるんだよば〜〜〜〜かwwww

お前さんがいってるのは、賃貸したアパートをまた第三者に賃貸させまた第四者にそいつが賃貸・・・ということが成立すると思ってんのか?www
管理者から許可得てるならまだしも、それが出来るのは所有者本人のみだろ。

君が言ってることは、権利という観点からも、無理がありすぎるんだよwwwwwwwwば〜〜〜〜〜〜かwwwww
178日本@名無史さん:2013/03/24(日) 19:52:39.61
もっと簡単にいうと、

Cの地主(豪農)の耕作してる土地に複数の小作人が入ってるよな?
その小作人は、第三者の小作人に、土地の小作権を売り払えてたのか?

それが常態化してたというならだしてくれ?

それと同じで、江戸下克上成り上がり大名家より、耕作権のみしか与えられてないなら、
上記と同じで、売りさばけるわけないんだよ?

わかる?wwwwwww
179日本@名無史さん:2013/03/24(日) 20:05:03.88
そして、さらに、私が、超絶偏差値王にして、人類最強クラスのニュータイプ脳である、天才の私が、

それ以外の観点から、この土地というものの、当時の概念を歴史的事象をもとに推論として立証してあげるよww

それは  《》刀狩《》  

秀吉クラスの出自は最悪でも、戦国期最強の天才が考えていた刀狩の真意を、俺が、君たちごときに教えてあげますよw。

これは高校の歴史教師のぼんくら風情どころか、大学教授でも出してない理論ですから。w

まー楽しみにしててくださいよwww  歴史のひとつの、パンドラの箱、開けてあげますよwww超絶偏差値王の私がwww
180歴史のパンドラの箱@:2013/03/24(日) 20:21:11.80
【】【】刀狩に見られる、執行権者である秀吉の真意と、そこから分かる{土地}に対する理念的政策提示の標榜から推測できる概念の考察【】【】

 本来刀狩とは、身分乖離による秩序の安定や、治安維持の目的による武装解除・・的な意味合いで語られてきた。要は反乱防止と身分制の確立といわれてるものを難しく言ったまでですよ低脳諸君ww
それは秀吉の思うところの真意であるのであろうか?
例えば、在地有力地主層から刀や槍を奪ったところで、鉄砲のように市場に出回っている頭数がおおむね決まってるものでもない限り、
その財力でいくらでも槍や刀など調達出来るはず。要は刀狩を武装解除という側面で見たとき、一時的政策としか判断できない。
秀吉がそのような一時的一過性の政策を行うのであろうか?
身分制の確立。徳川政権下のように在地有力地主層を完全掌握していない段階で、刀を没収するだけでどのようにして身分制が確立できようか?

今現代で言われてる、この刀狩という政策だけでは、表面上のその意義ですら確立は不可能であるわけ。

ではなぜ、このような刀狩が後世でも言い伝わるほど、この政策が重要だったのか。
それこそが、秀吉がこの刀狩という政策に秘めた真意であるに他ならない。
ではその刀狩という政策に秘めた秀吉の思惑とは何なのか。

歴史のパンドラの箱Aに続く。。。。。
181歴史のパンドラの箱A:2013/03/24(日) 20:38:53.05
【】【】刀狩に見られる、執行権者である秀吉の真意と、そこから分かる{土地}に対する理念的政策提示の標榜から推測できる土地に対する概念の考察【】【】

 歴史のパンドラの箱@の続きです。
 
 ではその刀狩政策によって、秀吉クラスのスーパー天才が考えた真意とは何なのか。
そのヒントは、なんと、秀吉の関東征伐(小田原攻め)にあるんですよ。
以前にも提示しましたが、小田原攻めの際のこの陣容見てください
秀吉様の名門武士団             250000(25万ですよ?ww)

関東勢
小田原本城                   3000 (各方面の残党も多く含まれるため、実際の本隊はわずか3000)
武蔵北面武士の棟梁鉢形衆             800
忍城を中心とする武蔵中部の武士団         300
北条一門統治の岩槻衆              1000
北条家筆頭武将清水氏率いるの伊豆衆        600
武蔵南部の名門豪族毛呂氏横地氏率いる八王子衆  1200

なぜ関東勢は、これだけ不利な状況でも、寝返りもせず東海下克上軍団と戦ったのでしょうか?
そう。それこそが、後北条氏率いる関東勢の在地有力地主層の土地を奪われるかもしれないという危機意識が、
圧倒的不利な戦況でも、戦わざるを得ない状況を作り出したわけですよね?

そうなんですよ。土地。土地というものは、あらゆる生活の根源であり基盤である。
この土地に定住することで、作物は生まれ、生命を潤し、その作物の量から財力は生まれ、
そこから在地のリーダー的存在としての集落が発達し、流通がうまれ、そられのテリトリーが発展拡大して行く。
そうすると、必然的にそれらテリトリーに対する防衛反応から、それらは武装化していき、保守的性質の高い、いち集団が在地に形成されていく。

これが人間(動物)としての本能的規範であって、必然的社会形成過程であるわけ。
だからこそ、後北条貴下の関東在地有力地主層は、あれだけの不利にもかかわらず、合戦の道を選ばなくてはならなかった。
このことを思い知っていた秀吉が考えた刀狩の真意とは・・・

歴史のパンドラの箱Bに続く。・・・・
182歴史のパンドラの箱B:2013/03/24(日) 21:05:18.43
【】【】刀狩に見られる、執行権者である秀吉の真意と、そこから分かる{土地}に対する理念的政策提示の標榜から推測できる土地に対する概念の考察【】【】

 歴史のパンドラの箱Aの続きです。

 このように、土地に寄生した形での財力から権力、はたまた被官化というものは、
在地有力地主層いち個人の力ではなくなり、もはやそのテリトリー内の在地すべての資源(人的財的全て)が付属した、
強大ないち集団、いち社会、いち団体を率いる個人ということになります。

秀吉が最も恐れていたものが、これらの在地衆が、このような形でそのまま存続していくことだったわけ。

そこで秀吉が刀狩により、あらゆる基盤の根源である土地から、それら在地有力地主層を切り離すことで、
いち個人に集約される付属利権を弱体化させることを目的としたわけ。

そうすると、土地という絶対的基盤から切り離された個人は、
もはや在地の土地から生み出された財力も、権力も、土地に住む親類縁者、そして民も何もついてこない、本当の意味での一個人と化す。
完全な脆弱性を露呈させることで、その元在地有力地主だった一個人は、どのように思考が変化するのか?
それは自分が食っていくためには、秀吉のような日本一の絶対的権力者に頼い、仕官する。
要は、土地というものから切り離された脆弱性をあらわにした、いち個人は、
損得勘定で動くようになるんですよ。単純に言えば、力あるものに簡単に媚びるようになる。
でないと、完全なるいち個人では生きるすべがなくなるから。

歴史のパンドラCに続く・・・・
183歴史のパンドラの箱C:2013/03/24(日) 21:21:37.00
【】【】刀狩に見られる、執行権者である秀吉の真意と、そこから分かる{土地}に対する理念的政策提示の標榜から推測できる土地に対する概念の考察【】【】

 歴史のパンドラの箱Bの続きです。

 要は、このようにして、土地から切り離されたいち個人は、
秀吉の思惑よして、秀吉たる羽柴家が、「豊臣家」として絶対的財力と権力を維持してる以上、
全国のそれらのような人材は、ヘッドハンティングせずとも必然的に自らの元に集まってくる。集中してくる。
それによって、秀吉亡き後、無能な君主であっても、羽柴家が豊臣家で存続できている以上、
半永久的にそれらのような裸一貫の個人は、 必然的に豊臣家の元に集ってくる。
たとえで言えば、伊賀衆や甲賀、根来衆のように、
下手なしがらみや思想は存在せず、時の権力者に、単純な損得勘定だけで全国駆け回って従う戦闘のプロ集団のようなまさに、戦国自衛隊化が可能になる。
要は、豊臣家が絶対的存在として君臨してる以上、在地の土地から切り離された有力層のいち個人は、
必然的に損得勘定のみで豊臣家の下に従属化してくる体制化を狙ったわけ。

要は、秀吉は、戦国時代に完全な現代の自衛隊化の基礎を確立しようとしていた。
土地という生命、財力、権力、一門の集約された基盤があることによって生まれる防衛本能、
そして土地のしがらみから来る偏った思想というものを排除させることで、もはや故郷も存在せず、
一個人としての思考を単純化させることで、簡単に秀吉のような絶対的力を持つものに媚び、
また、完全なるリーマン化した戦国自衛隊化された、フォーメーション化されたシステマティクな組織体系の確立を狙ったわけ。

 刀狩とは、在地有力地主層から土地という基盤から個人を乖離させ、
それによっって脆弱化させた一個人を現代の雇用就労的価値観での損得勘定による自身の保身を図らせた、
まさに戦国自衛隊化の確立が狙い。

だから出自なんてもう、野党、盗賊、貧農、山賊だらけw。
しかし能力さえあらば、一代で、以後400年もの子々孫々とも絶対的地位が手に入るまさに、下克上を体言化した社会。

分かったかい低脳低偏差値諸君www
184日本@名無史さん:2013/03/24(日) 21:50:42.04
結局のところ、江戸武士程度など、関東旧室町武家層出自の在地有力地主に

出自、財、在地権力、名望度、家格  何をとっても勝てないどころか、

知能指数でもまったく勝てないんだよwwwwwwwwwwwww

江戸初期より続く、関東在地有力地主層はみな頭ちょ〜〜〜〜いいからねwwwwwwww

知能指数でも勝てなくて、どうやってプライドたもてるの?wwwwww

なに?時代劇って?wwww時代劇では江戸の末端武士のほうがかっこいいって?wwwwwプププwww

永遠に時代劇の中の虚像武士にすがってプライド保ってなさいwwwwwww

偏差値知識知能指数でも、江戸末端武士どもは関東在地有力地主にすら完敗ナ件wwwwwwwwwwwwwww

wwwwwwwwwウッヒョヒョッヒョwwwwwwwwwwwwwww
185日本@名無史さん:2013/03/25(月) 05:40:12.79
また耕作権すら無かった朝鮮奴僕の子孫が暴れてるのか
186日本@名無史さん:2013/03/25(月) 06:23:17.07
後北条の当主や家臣団自体は備中から来てるよね。
誇り高き関東百姓集団はこれら備中軍団に隷属させられた。
関白秀吉様は関東百姓集団を後北条から開放した英雄。
まあ、すぐさま代わりに来た三河軍団に隷属させられるわけだけれども。
明治は薩長軍団に隷属か。
上が変わってもしぶとく生きる関東百姓軍団に幸あれ。
187日本@名無史さん:2013/03/25(月) 14:22:38.17
発生には大差無し 大義名分により武士は大幅に枝分かれ
188日本@名無史さん:2013/03/26(火) 14:00:36.83
>>177
売りさばくことは普通に可能。

武士の株と同じ。
189日本@名無史さん:2013/03/26(火) 14:02:01.96
>>186
誇り高きーとか勘違いしてるのは農民だけだしw
卑しい土民。
190日本@名無史さん:2013/03/26(火) 17:54:08.36
地頭と泣く子には敵わんという言葉があるとおり朝廷の機構から見ればヤクザと変わらんな
191日本@名無史さん:2013/03/26(火) 20:10:21.17
>>189
おまえの先祖は卑しい賤民だが
我々日本人の多くの先祖に当たる農民は
半島奴僕とは違い農奴でも奴隷でも無いのだよ
残念だったね。
192日本@名無史さん:2013/03/28(木) 10:20:38.94
>>191
よく、日本には農奴がいない、というやつがいるがどこの国でも農奴に類する
働きをしている身分が6割程度いる。日本では農奴とよんでないだけで、
農奴に類する働きをしていたものはいて、人口比的にも「小作農」「自作農」
がそれだっただろう。日本には農奴がいないというやつは、古代の農奴みたいなのを
妄想しているが、中世の農奴というのは私有財産もあるし、そこそこの自由も
あるものを指すから、日本の農民の多くはまさに「農奴」に該当する。

農奴
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E5%A5%B4%E5%88%B6

>日本や欧米では「フェラー」(Fellah)としてイスラム社会における農奴あるいは
>小作人の意味で用いられている。
>元々はアラブ人征服者が征服支配した土地に土着する農民をフェラヒンと呼び、
>支配された人々が実質的に奴隷として扱われたことから農奴としての意味合いで
>用いられるようになった。

>西ヨーロッパにおいては、中世後期の貨幣経済の進展とともに自作農民化していった。
193日本@名無史さん:2013/03/28(木) 11:47:09.92
>>192
農民が移動を制限されたのは藩外への場合だ
藩内の移動は比較的自由だった
嫁や婿や家族単位での引っ越しは数多くの例がある

藩外への移動は関所が有って農民以外も制限されていたから
これをもって農奴とする事は出来ない

さらには江戸中期には米生産も飽和するから
農民の藩外への移住も割と簡単に認められている
農民は移住も職業変更も楽にできたのだよ
ただリスクが伴うからあまり例がないだけ

飢饉になると食えなくなった農民が都市部に流入し溢れた
つまり移動できたって事だ
194日本@名無史さん:2013/03/28(木) 12:02:36.04
>>192
小作人と農奴が違う事も理解していないのか。
小作人は契約関係、辞めれば経済的に食えなくなるから辞めないだけ。
農奴は奴僕と同じく身分、農奴身分からの離脱など認められない。
農奴には、移動・労働・主君替え・職業選択・居住・別身分との婚姻の自由が無い。
195日本@名無史さん:2013/03/28(木) 13:28:33.90
戦国時代までは農民が足軽になって武士になるってのは出来た
全然農奴じゃない
中には秀吉みたいに天下取ったヤツも居る
196日本@名無史さん:2013/03/28(木) 20:50:21.99
釣りだろこれ?www
しゃーねーあえてつられてやるよ超絶偏差値王のおれがwww
197@:2013/03/28(木) 21:12:08.55
まず最初にはっきりさせなくちゃならないのが、戦国期、農民は足軽として借り出され、百章層にある武具はそれだという話。

話にならんわ・・・・

まず手っ取り早く関東後北条氏家臣団構成図 見てくださいよ。
http://www2.harimaya.com/hozyo/hz_kasin.html

        中央大老衆         在地土豪衆     在地地侍衆
 後    評・上田氏(帰農)     支・鉢形城主    直             
 北  ⇒ 定・清水氏(帰農)    ⇒城・岩槻城主   ⇒参 在地名主層
 条    衆・松田氏(旗本5千石)  衆・江戸城主    家 
 家     ・安藤氏(帰農)      ・小机城主    臣
      大  等          城・八王子城主   団
      名             主・下田城主     
      格             格 等       


きちんと、支城衆たる城主格の在地土豪が構成する直参家臣団は名主層だと書いてあるだろ????
名主層と書いてある。関東では古くより地侍層は名主層とも呼ばれてる。

分かるとおり、戦国期、上層農民は、直参の騎馬格の家臣団、直属の家中構成員と成してる。

お前らの言う足軽というのは、この名主層が、村内の雑多を率いて出陣する際のその雑多が足軽要員となってるだけで、
上層農民が足軽になってたわけじゃない。

戦国期の農民=足軽  と思ったら大間違いだぞ。
だったら次、これどう思う?
198日本@名無史さん:2013/03/28(木) 21:15:27.00
地侍と名主の違いも知らないのかこの糞チョンは
199A:2013/03/28(木) 21:20:50.69
 
お前らの言う足軽上がりの大名に
おのずとしれた、豊臣家、浅野家、蜂須賀家、前田毛、小出家、黒田家(目薬屋)、木下家・・・

言えばきりないほど存在するが、

秀吉を見てみよう。秀吉が農民とされてるが、まったく違う。秀吉は農民出自じゃない。
秀吉は母方のもんは取り立ててるが、父方は一切取り立ててないだろ。
なぜだ?隠したいからだろ??こういうのが真の足軽階層だろw
それに足軽出自というのはこういう無産階層のものが大半だろ。

上層農民は、分かりやすく言えば、現代自衛隊で言う、少尉から大尉までの将校での採用だが?
百姓は戦国期、みな足軽要員とか言ううそはやめろ!!!!!!
200日本@名無史さん:2013/03/28(木) 21:27:23.84
>>198
お前は何も知らない分際で少し黙ってろよwww
だったら、後北条家の名主層はなんだ?いってみろ?
地侍と、江戸期でよく使われるその名主層の違いをはっきり言ってミロや?w

お前のような底辺馬鹿は、論もせずにただひやかすだけだからなwww
201日本@名無史さん:2013/03/28(木) 21:39:21.97
それから日本における奴隷階級は農奴だとほざいてる低偏差値馬鹿www

じゃあ仮に農民が真の奴隷階級というならこの比較してみましょう

上層農民  ⇒ ・長屋門が許されている
        ・名字帯刀が許されてる
        ・在地特権が許されている(村内の行政立法司法、そして治安維持まですべての独裁権がおおむね許可)
        ・家老並みの屋敷が許される
        ・絹を羽織ることが許されている
        ・下駄を履くことが許されている
        ・商業との兼任も可
        ・金融業を営むものもいる
        ・旗本と結婚するものも多い(長谷川平蔵の母方は名主)
        ・本陣として大名家の特別待遇も可
        ・上乗徴税も許される
        ・・・・・もう言えばきりない。

下士足軽   ⇒・藩からあてがわれた長屋住まい。(長屋門なんて論外w)
        ・藩主との目通り拒否
        ・藩政への関与永久不可
        ・兼業不可
        ・下駄、絹 不可
        ・貧農以下の生活を強要される
        ・下士身分の株は格安売買可
        ・登城も制限
        ・上士からの容赦ない下僕の強要
........

どっちが藩からしての奴属だハナタレwwwwwww
どっちが真の隷属だよwwwww
     
        
202日本@名無史さん:2013/03/28(木) 21:51:19.48
じゃあ、これ見てどう思う?www

★いいですか、薩長が東照征伐と称して東海道、中山道を攻め上ってくる際、
幕府は相模の庄屋数十家に対し、幕府直々に幕命として、農兵隊を組織して自身の屋敷で籠城せよ、命令あらば薩長と対峙せよ!
との命令を下してる。
  
代表例  ↓

≪堀米家≫   関東名主
幕末、名主だった掘米家は幕府より直々に、堀米邸を出城にして薩長と戦えと命令され、
農兵隊数百人を組織して備えている。
http://www.jmcy.co.jp/~goto/photo2009/090505_beni/IMG_0141.jpg ←ソース
http://www.jmcy.co.jp/~goto/photo2009/090505_beni/IMG_0148.jpg ←ソース

その屋敷跡  関東庄屋の出城屋敷。
http://www.jmcy.co.jp/~goto/photo2009/090505_beni/IMG_0138.jpg
http://www.jmcy.co.jp/~goto/photo2009/090505_beni/IMG_0186.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/yumaken4953kogye/imgs/2/e/2e8f87c3.jpg
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
で、関東百姓が何だって?wwwwwwwwwwwww


(おまけ)
後北条家旧有力在地名主層(地侍)

関東の旧後北条家有力在地名主といわれている吉田家屋敷
現在の当主はなんと42代目
http://ookinakinntoto.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2012/11/10/20121103_029.jpg
http://ookinakinntoto.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2012/11/03/20121103_033.jpg
で、関東百姓が、なんだって?wwwwwwwwwwww
203日本@名無史さん:2013/03/28(木) 21:59:35.71
何が関東百姓は足軽徴兵だ馬鹿たれがwwwwwwwwwww

後北条家の重臣といわれる城主格衆の直属の直参家臣団が在地名主層だときちんと>>197でかかれてんだろタワケがwwwww

東海下克上軍団の足軽であった秀吉は、たいそうな上層農民という有産階層だったソース出してみろよ?ww

違うだろ?www仮に農民だとしたら、その上層農民の村内に住む零細農民か、小作だろ??

いつから関東の上層農民(名主層)が、足軽として借り出されてたというソースがあるよ?wwwwwww
204日本@名無史さん:2013/03/28(木) 22:00:33.48
>>200
名主層は村長のようなものの眷属
地侍は足軽を含めた在地の武士
両者を1人で兼ねる事も当然ある
205日本@名無史さん:2013/03/28(木) 22:07:51.85
>>204
話がころころ変わるな?wwww
この間、基本武士の発祥は有力農民の武装化だとほざいといて、
今度は地侍と名主の性質は完全分離してるといってんのお前様ですが?wwwww

今度は譲歩して
>>兼ねることも当然ある
wwwwwwwwwww
いつから名主層と地侍の完全分離が、政策として行われていた?www
教えてくれませんか?wwwww

名主層がその財力で武装化すれば、普通に在地武士だが?www
しかもそもそも後北条貴下の在地では地侍層を名主と呼んでたんだが?www
さらに、じゃあ、なんぜこの後北条貴下の在地名主層は被官されてるんですか?www
名主層は大量に被官されてるのはなぜですか?wwwwwww
206日本@名無史さん:2013/03/28(木) 22:20:20.55
毎度言ってるが、現代では上層農民の有産階層と貧農や小作までひとまとめにして「百姓}としてるが、

当時の戦国時代、本当に領主はそういう一まとめで区分してたとでも思ってんのか?wwww

在地の名主層 = 財力に富み、在地の人材も掌握する武装集団の長

これが現実だが?在地の名主層を足軽徴兵して、関東在地名主層が黙ってるとでも思ってるの?wwww

そもそも後北条貴下の在地名主層がなんで被官されてるのが多いかはよ言って見ろwwwwwww
207日本@名無史さん:2013/03/28(木) 22:27:04.19
大体よく考えてみろよ?
信長のような連戦連敗の勘違い廚2病は、近隣の名門大名家どころか、
一向宗、雑賀の貧農どもにまで手を焼いといて、

何で関東の名門有力在地名主層はやすやすと足軽徴兵されてたと思うんだよ?ww
関東の名主層は
・坂東八平氏
・武蔵七党
・庶流
など名門の血を引くリアル武家の末裔が多いのに、何で層思う?wwww
208日本@名無史さん:2013/03/28(木) 22:27:38.95
>>205
武装化と武士化は違うから。
武装はしても武士にならなかった名主層の方が
武士になった名主層より多いだろ。

名主と呼べるほど有力でない地侍も居た。
名主層の家がそれなりの数被官化したのは
北条家が被官化を進めたからだよ
209日本@名無史さん:2013/03/28(木) 22:36:03.00
>>208
>>武装化と武士化は違うから

じゃあ、何が違う?
じゃあ、なぜ蜂須賀は武士扱いされるの?
>>北条家が被官化を進めたからだよ
なぜ後北条は被官化を名主層に進める必要があったの?
まさか、名主層を被官化することによって、軍団としての組織化が合理性をもたらすからとかじゃないんだよね?
たかが百章の足軽徴兵になぜですか?ww教えてください
210日本@名無史さん:2013/03/28(木) 22:50:02.04
出自もあやふやな武士もどきといえば、平安末から鎌倉期に湧き出てきた関東武士がパイオニアだし、
戦国末から江戸にかけての尾張者、三河者と似たようなもんだろう。
211日本@名無史さん:2013/03/28(木) 22:54:09.65
そもそもが、百姓は弱い存在で、武士のような武力を発揮するのは不可能なルーザーの象徴
見たいな現代のイメージが、君たち低脳層の歴史観を作り上げてるんだよ。
そもそも出自捏造雑魚信長は、一向宗や雑賀討伐に何十年費やしたんだ?wwww
これらの構成はほとんどが貧農出自で、関東のような有力名主層(地侍)なんぞほとんど皆無だが?

さらには天草の乱
ここに関わった島原方の上層農民は名主層だが、
幕府方の総大将は討ち死にしてますが?wwwwwwww
幕府軍 [編集]幕府派遣軍
諸大名
備後福山藩 - 水野勝成・水野勝俊・水野勝貞 5,600人(九州以外からの唯一の参陣)
筑前福岡藩 - 黒田忠之 18,000人
筑後久留米藩 - 有馬豊氏 8,300人
同柳河藩 - 立花宗茂・立花忠茂 5,500人(従軍者:立花種俊、安東省菴)
肥前島原藩 - 松倉勝家 2,500人
同唐津藩 - 寺沢堅高 7,570人
同佐賀藩 - 鍋島勝茂 35,000人
肥後熊本藩 - 細川忠利 23,500人
日向延岡藩 - 有馬直純(有馬晴信の子) 3,300人
豊前小倉藩 - 小笠原忠真 6,000人 (従軍者:宮本伊織、高田吉次)
同中津藩 - 小笠原長次 2,500人 (従軍者:宮本武蔵)
豊後高田藩 - 松平重直 1,500人
薩摩鹿児島藩 - 山田有栄(島津家家臣) 1,000人
そのほか - 800人
総計 125,800人

幕府討伐軍側は13万近くの軍勢を動員、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E4%B9%B1
これだけ動員して何年かかった?wwwwなんで武家の総大将は足るものが討ち死にしてる?www
上層農民を舐めすぎだろ?wwwwwwwwww上層武装農民は猫なで声の隷属民だと思ってんのか?www
212日本@名無史さん:2013/03/28(木) 23:06:40.28
いやいや、それはないでそwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

三河や東海軍団の出自と同列?wwwwwwwwwwww
そりゃないでそwwwwwwwwwwwwwwww
親以前の出自は流れ者坊主で、
挙句は直参の大名衆はこぞって三河の山中の山賊出身wwwwww
ありえないわwwwwwww.
猿ご一門は農民かすら怪しい足軽出自だらけwwww
もっともまともなのが、家系図捏造ばればれの中二病wwww
しかも関東で言えば、一介の土豪より弱小wwwwwwwww

ありえないわwwwwwwwwwwwww
少なくとも関東鎌倉武士は出自が怪しくとも、
開発有力層であったことは確か。
出自怪しくとも、有力地主層であった。あの時代でそれなら十分でしょ?www
東海軍団はそこから何百年さかのぼってそれだよ?wwww
213日本@名無史さん:2013/03/28(木) 23:34:30.72
関東ではないけど、全国の上層農民層、おもっきり下克上軍団が、気つかっとるやないかいwwwwww

旧在地領主層を庄屋に任命〉
 大分県下における近世大名は、すべて他国から入部してきた大名である。この大名が領主として領民を支配し、年貢などを納入させることは、当初かなりの困難が伴った。
例えば、 中川氏 は文禄3年(1594)に 岡藩主 として入部したが、入部の行列が 大友氏 の浪人の集団に襲われたり(赤岩合戦)、領内の村々に古年貢帳の差し出しを命じた際も、 磔(はりつけ)木を持参するという強行手段を構じなければ提出させられなかったりしたのである。
このような困難な状況を打開するために近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。
岡藩 の場合、各村に庄屋を任命し、それを統轄し 郡奉行 と庄屋とのパイプ役として千石庄屋を任命している。
千石庄屋 の名称は、1,000〜1,500石を統轄範囲単位として1人ずつ任命されていることによる。
そして、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。
また、 杵築藩 では各 手永(てなが) ごとに 大庄屋 を配置していたが、この大庄屋は士分に準ずる取り扱いをうけていた。
このように諸藩では、旧在地領主層との妥協の上に藩政をスタ−トさせたのである
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n121.htm


上層武装農家は、
下克上軍団で言えば、大身旗本〜5万石大名家クラスの財力、武力もっとるっちゅねんwwww
214日本@名無史さん:2013/03/28(木) 23:43:14.50
農民や奴隷や
と言っておきながら
秀吉が農民上がりと知ると
訳の分からないことを言い始める

さすが朝鮮人ですねw
知能がゴミ虫レベルです
215日本@名無史さん:2013/03/28(木) 23:45:50.25
いいか?  関東上層武装農家は、東海下克上なりあがり軍団の江戸期でたとえれば、
    
      大身旗本〜〜五万石クラス大名家の「武力」「財力」は持ち合わせてるんですよwww

  なにソース?wwwwおk

★関東開発有力地主  坂野家  (屋敷は陣屋並wwwww)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/sakanomt.htm

★堀米家
幕末、幕府より直々に堀米邸を出城にして薩長と戦えと命令され、
農兵隊数百人を組織して備えたとという関東名主、もはや大名格名主。現在は資料館。
http://www.jmcy.co.jp/~goto/photo2009/090505_beni/IMG_0141.jpg ←ソース
邸内には、甲冑や武具が立ち並んでる、石垣や濠がめぐらされてる、出城屋敷。

http://www.jmcy.co.jp/~goto/photo2009/090505_beni/IMG_0138.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/yumaken4953kogye/imgs/2/e/2e8f87c3.jpg
http://www.jmcy.co.jp/~goto/photo2009/090505_beni/IMG_0141.jpg
http://www.jmcy.co.jp/~goto/photo2009/090505_beni/IMG_0148.jpg
http://www.jmcy.co.jp/~goto/photo2009/090505_beni/IMG_0135.jpg
http://www.jmcy.co.jp/~goto/photo2009/090505_beni/IMG_0149.jpg
http://www.jmcy.co.jp/~goto/photo2009/090505_beni/IMG_0186.jpg
http://www.jmcy.co.jp/~goto/photo2009/090505_beni/IMG_0135.jpg

★旧後北条家の旧有力在地名主といわれている吉田家屋敷
現在の当主はなんと42代目
http://ookinakinntoto.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2012/11/10/20121103_029.jpg
http://ookinakinntoto.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2012/11/03/20121103_033.jpg

分かる?wwwwwww関東有力在地武装農家は、江戸で言えば、旗本以上、万石クラスの武力、財力、屋敷やっちゅうねんwwwww
一介の江戸武士とはわけがちゃうゆうねんwwwwwwwww
216日本@名無史さん:2013/03/28(木) 23:48:10.82
>>209
農民が武装したのが武装農民
武装している武士が武士。はい、論破

被官化しなきゃ手勢が増えない事も知らないのか
この在チョンは
217日本@名無史さん:2013/03/28(木) 23:52:08.97
>>>216
武士の起源を語ってくれ
218日本@名無史さん:2013/03/28(木) 23:55:31.25
>>216
お前がザイチョソだろwww
一介の無産階層の農民など(小作、零細)が武装したのが野党だろ

在地の名主層(有産階層)が武装したのが、武士どころか在地領主だ馬鹿がwwww

だったらその武装農民の東海軍団がいつから武士んなったんだ?www
根来衆は、大義名分もなく武装化して、これが何で武士なんだ?
お前は依然これも武士だといっただろ?
219日本@名無史さん:2013/03/29(金) 00:00:07.88
土地に定着せず、まっとうな教養も受けず、
堺に近い奇異山中で、若い仲間同士で鉄砲などの重火器を中心に武装しまくって、
金次第で、都合しだいで喧嘩しに行く江戸武士の先祖たちをなんていうのじゃあ?ww
220日本@名無史さん:2013/03/29(金) 00:17:55.76
人国記(戦国時代中期〜後期の作、著者は信濃人某、武田信玄の愛読書)
http://www.iwanami.co.jp/.FIGS/33/8/3302810.gif
陸奥人 色白で眼が青い
出羽人 下品で野卑だが勇敢で礼節を知る
常陸人 殺人や強盗を好み肝が太い
下野人 勇敢だが非道な行いを好み言葉は野卑
安房人 剛質な意地っ張りで死を恐れない
武蔵人 器が大きく名人の気風を持つが驕りもみえる
伊豆人 精強にして清らか
甲斐人 勇敢だが道徳に欠く
越後人 武勇を好む負けず嫌い
越前人 知恵があり弁舌に優れるが高慢
三河人 背丈は低いが義理堅く命を惜しまず女もけなげ
尾張人 善悪合わせ持つが男の言葉は爽やかでよい
美濃人 水晶のような心根を持つ
山城人 女は美しいが男は軟弱
摂津人 欲張りな上臆病で薄情
和泉人 軟弱、臆病、軽薄で狐に似ている
紀伊人 日本一欲深い
播磨人 悪賢い
丹波人 惰弱で諂う心が強い
伯耆人 虚実半々で勇気が足りない
出雲人 優柔不断
備中人 意地が強く勇気がある
長門人 落ち着きがある
讃岐人 気弱で諂う心が強い
阿波人 素直で知恵がある
土佐人 言葉は野卑だが素朴で実直
伊予人 海賊
筑前人 派手好きな大酒飲み
肥前人 義理堅く武勇に優れ命を惜しまない
薩摩人 無作法だが戦場では死を恐れず勇猛
221日本@名無史さん:2013/03/29(金) 03:00:46.04
>>218
根来衆は商人と技術者と僧兵の総称

在地の名主層が武装したのが在地領主。その通り、で?

だから松平の被官になった時だよ
222日本@名無史さん:2013/04/02(火) 20:51:47.00
家康は、当初藤原末流を名乗っておきながら、しかしその一方で、
初代親氏は得体の知れない坊主だと自白している。
しかし、この坊主はもともと三河出身ではなく、どこからか流れ着いたという。
それこそが、自称新田源氏たる、もはや消滅してしまった世良田姓を名乗り、新田源氏を称した。

ではこの家康自身が、初代親氏の出自を自白したこの坊主はどこから来たのか。
徳川家以降の特徴のキーワードにその答えがあると思われる。

まず
・白山信仰が強い
・浄土真宗
・出自は坊主
たったこれだけでも、どこから来た坊主なのかわかる。
白山信仰が強い地域は、紀伊半島と信州に連なる山岳地帯のみ。
そして、>>221が答えてくれた、根来宗とは浄土真宗の坊主による武装集団。
三河の松平荘も山中

これらから、紀伊半島周辺の山中に生息していた、根来衆と似たような形での坊主が流れ着いて、
紀伊山中と似たような三河山中に流れ着いたという学説がやはり有力だろ。

そうすると、>>216のいう、武士が武装して武士というのも、>.221のいう松平から被官されれば武士という理論もおかしいねw。
そもそもの江戸の武家の棟梁である徳川家が本来の武士ではない以上、
それらに任官、被冠してる武士は、まったく武士としての意味合いの正当性がない。残念だねww
223日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:36:57.36
>>222
秀吉は武士だろ
だったら家康も当然武士
224日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:53:32.76
>>223
なぜに秀吉自身が武士になるの?w
秀吉自身は家康と違い、一切自身の出自は明らかにしていない。
しかし、秀吉の行いから見て取れる。
まず、秀吉の父方は養父ともいわれる芸者でしょ。
母方に関しては、母方の親族と名なるものをことごとく処刑しているそうだ。
そんな秀吉も足軽に仕官。

根根の木下家ももとは行商人。それが足軽になった。
その木下家ですら秀吉との結婚に猛烈に反対していた。

秀吉自身も自身の直径は存在すら語らず。
いやはやですよww
225日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:57:24.66
>>222
吉野、高野山、熊野は膨大な数の信徒を抱えていたし
白山信仰は越前でも広く行われてる
戦国期の越前で最大の境内都市平泉寺とかね。

根来衆に限らず、各地方各国に商売や技術者を抱える境内都市はあった
農民をやっていた松平とは無関係だろう。

松平家は将軍家の一族である今川氏に被官していた
列記とした武士だよ、豪民に収奪され続けた朝鮮奴僕と一緒にしてはいけない
226日本@名無史さん:2013/04/02(火) 22:15:35.24
>>225
>>吉野、高野山、熊野は膨大な数の信徒を抱えていたし
一介の信徒と、職業坊主はぜんぜん違う。
職業傭兵を生業にしてきた江戸武士と、帰農しても有力者の在地地侍名主層では出自がぜんぜん似て非なると同じように。
>>戦国期の越前で最大の境内都市平泉寺とかね。
そうだよ。いぜれにせよ、紀伊山中から信州、そして越前と、
ちょうど日本の中央を分断する山脈づたいに白山信仰は行われてる。
べつに都市化されるほど当時の坊主は、武装して勢力を持っていたというだけ。
基本、白山信仰は修験道じゃや、山伏、坊さんという、それらを専業の職業としてるものに広く進行されてる。

>>農民をやっていた松平とは無関係だろう。
農民なんか一切やってないが?家康自身が、初代は坊さんだといってるだろw
何を言ってるの?いつ松平は農家なんかやってたの?ww
挙句は婿養子だろ。おそらく乗っ取ったんだろうが。
227日本@名無史さん:2013/04/02(火) 22:24:46.21
もっといえば、
養子に入った松平家じたいも、葵から紀伊半島に由来する。
なぜ、古事記坊主とも揶揄されるほどの親氏となぜ接点ができたのか。
まさにそれこそ同郷であったことが最も考えられる自然な過程での接点だろ。
228日本@名無史さん:2013/04/02(火) 23:37:15.61
新羅の時代から延々南北対立に明け暮れる北鮮族南韓賊と違い
日本人は同郷である事をそれ程重要視しないんですよ。
>>226
雑賀しゆや根来しゆの様な僧兵や技術者は全員一介の信徒なんですよ
家康から数代前の松平家は、農業もやる在地の武士な
229日本@名無史さん:2013/04/02(火) 23:55:29.14
>>228
半島の歴史に詳しいな?ww無償化希望か?ww
>>日本人は同郷である事をそれ程重要視しないんですよ
お前さんが日本人ではないことがよくわかるすれだなwww
江戸の武士たちはそもそも土地に規制しない、修験道じゃのように諸国を漫遊する民だからそうなのかもしれないなw
で、その同郷であることも、出自も重要視しないのが江戸武士の定義だという落ちですか?ww
ならなっとくかなw。で、江戸武士以外が、同郷をそれほど重要視しないという根拠は?どこの民族の調査ですか?ww
>>雑賀しゆや根来しゆの様な僧兵や技術者は全員一介の信徒なんですよ
だからいってるじゃないのwwwそれら土地の寄生しない山の民を中心に信仰されてるものだと。

>>康から数代前の松平家は、農業もやる在地の武士な
文盲なのか?ww親氏は諸国漫遊していた坊主だと家康が言ってるだろといってるんだよwww
歴史知らないのか?www親氏が松平家に養子という名の乗っ取りをしたのは西暦何年かいってみろ?w
いつから松平家が清和源氏新田庶流世良田氏族になった?
家康自身が世良田源氏と称してる根拠は親氏が新田荘徳川郷生まれだと捏造してるからだろ。
歴史の講釈ありがとうございますはどうした?wwww出来損ないの塾生じゃの〜〜〜〜www♪
230日本@名無史さん:2013/04/03(水) 01:35:59.77
>>229
お前は南韓賊か、なるほどなるほど。

武士は戦国後期に合戦の大規模化と専業化長期化によって
在地から切り離されるか帰農するかの選択を強いられたんだよ。
坊主は都市化とは無関係で、寺社の境内に流入した
非農民が増えて境内都市になったんですよ
これは地域や国とは無関係に何処の地方でも見られる。

松平家は松平郷から出た在地領主の出な。
231日本@名無史さん:2013/04/03(水) 01:46:20.12
秀吉は天皇の御落胤でしょ。
232日本@名無史さん:2013/04/03(水) 02:29:42.76
>>230
229じゃないけど、
徳川家は松平家自体の出自のルーツを根拠にしてないよ?
世良田得川氏をルーツにしてる
233日本@名無史さん:2013/04/03(水) 03:58:14.18
そう、松平家自体は土着の領主
234日本@名無史さん:2013/04/06(土) 20:25:36.25
>>233
おまえは低農か?ww
だから、徳川を語る上において松平のルーツなど関係ないんだよw
>>武士は戦国後期に合戦の大規模化と専業化長期化によって
あれれおかしいな?wwそもそも戦国の動乱は京都における応仁が始まりなんかじゃない。
それに先駆けて、関東で鎌倉公方家と京都宗家の間での確執による永享の乱が戦国期の始まり。
ようは、関東では東海の下克上軍団が横領跋扈する以前から真の武家同士の武家騒乱が起きてるわけ。
でも、その戦国期最後の合戦、秀吉の関東征伐においての関東勢の軍勢以前示したよね?
戦国期最後の合戦においても、後北条家は足軽や下級武士などの傭兵といったものは存在せず、
寄親寄子制度による純度100パーセントの在地名主層(地侍)以上の武家集団ですよ?ww

それに比べ、東海軍団の足軽上がり大名たち、たとえば秀吉のように、
出自不祥どころか、完全にもはや百姓ですらないようなものや、行商人、芸者のようなものが大半じゃないのww
東海軍団は戦国の中期以降に突如旋風を巻き起こしてるにもかかわらず、出自はもはや百姓ですらないものだらけ。
かたや、関東は戦国期の発端ともいえる永享の乱から、戦国最後の東海の関東征伐にいたるまで、
足軽や下級武士などといった傭兵集団など存在しない。
秀吉自身がやった刀狩りなど、自身のテリトリー内のみでの話だろ。
武士の専業化とは、あくまで東海下剋上軍団の話だ。

わかる?w知恵足らず君wwwwwwwwwwww
235日本@名無史さん:2013/04/06(土) 20:35:29.97
足軽や雑兵は、戦国後期に入り合戦の大規模化と長期化が深化するに連れ
専業化してゆき、農兵一体から武士専業へ変わって行ったんだよ
また一つ賢くなったね在チョン。
236日本@名無史さん:2013/04/06(土) 20:43:46.42
もう一度言うが、東海軍団の中級武士以下は、もはや、まっとうな土地に寄生した百姓ですらない出自。

そして秀吉の刀狩りには、おそらく鉄砲狩りの意味合いが相当強い。

というのは、鉄砲伝来は種子島となってるが、実はこの裏には伝わってない事実がある。
それは、種子島記という本には、ポルトガル船が、種子島で座礁してたまたまこのしまいたどり着いたとは書いてない。
種子島が取引の場だと書いてある。そして取引相手が、なんと○●坊種圧とかいう根来衆の坊主。
この○●はおれほどの偏差値王ですら忘れたので今度書く。
なんでポルトガル船が座礁した時に種子島に根来の坊主がいるんだよ?不自然すぎるだろ?
そう。種子島記の記述どうり、ポルトガル船は根来の坊主と取引のために種子島訪れようとして座礁したということ。

そのご、この根来は鈴鹿山中に持ち帰り、分解していち早く堺に作らせ、
その後大多数が徳川宗家の旗本や御家人衆になっていった。

わかるか?前にも言ったが、在地有力名主層豪農層などからいくら刀や槍など取り上げたところで、
いくらでも即日調達できる。現に、俺の家ですら、蔵に甲冑どころか、刀が50本近くぶっつんで保有してる。
秀吉が刀狩りの主目的は鉄砲。紀伊山中の傭兵どもが大量にこのように鉄砲を隠し持ってるため。

そして、
237日本@名無史さん:2013/04/06(土) 20:54:54.44
そして、この根来などの鈴鹿、紀伊山中の忍者、僧侶の傭兵集団こそ、
出自は大半が山伏。
これもきちんと伊賀や甲賀、雑賀も自伝記で書いてある。

なぜ山伏かというと、彼らは山に住み、絶えずこの紀伊山中を修験道じゃとして這いまわっていて、
足腰が非常に強く、また崖などの岩場も俊敏で、野に伏せ、山をたっとび、また岩をもかけ登る・・・
と書いてある。
そして一番が、火器(鉄砲のみならず、火炎やのろしなど)に非常に巧みに操り、
また薬草などの医術にも深く、万能である。・・・
とも書いてある。出自は平地で土地すら持てない百姓以下でも、傭兵としては有能だったというだけ。
江戸武士はこれら山伏がほとんどの中級武士以下は出自。これが現実w
238日本@名無史さん:2013/04/06(土) 21:14:01.50
>>235
>>足軽や雑兵は、戦国後期に入り合戦の大規模化と長期化が深化するに連れ
知恵たらずの本領発揮か?www
足軽なんぞ、応仁の乱でもう存在が一般化されてたと書いてあんだろ?ばかなの?ww
戦国期の初期の終わりころ、ようは室町期にすらもう足軽が京都の町屋で略奪行為してる。
その屏風絵すら残ってるからなw。


上から二番目の図  見てみろよ。お前たちの先祖がきちんと室町時代に描かれてるだろwww
http://www.mokuzai-tonya.jp/05bunen/zuisou/2008/nihontou/09.html

もう少し勉強しなさいwwwww
239日本@名無史さん:2013/04/06(土) 21:21:24.61
>>236-237
もう一度言うが、松平家は最初から在地領主、在地の武士
武家の起こり自体が開発領主として地方へ降ったもの。

刀狩りは刀狩り、鉄砲刈りの記録は存在しない
願望を膨らませ事実だと思い込むのは妄想。

おまえがまともに漢文を読み熟せない、無教養な低偏差値なのは解った
種子島記に書かれているのは、鉄砲のうちの1つが根来に渡ったという事だけ。

根来しゆは根来で鉄砲製造してたんだよw堺に造らせていたわけじゃない
根来しゆの大多数は変わらず商売人や職人、妄想は程々にな在チョン。

刀狩りでは槍は回収されていないんだよ
鉄砲は日本刀や槍に比べ非常に高価な物で農民が所持する代物では無かった。

鈴鹿、紀伊山中って何だよ在チョンwそんな呼称は存在しない。
山伏というのは訓練された数が少ない特殊技能者で
各地の大名家が重用している、足軽の様な一般職ではないんだよ。
240日本@名無史さん:2013/04/06(土) 21:25:02.01
>>238
当時の足軽や雑兵は大部分が一時的な掻き集めや戦時だけの徴用
時代が下るに遵い、長期間の在番や恒久的に召集される体制となっていった。
241日本@名無史さん:2013/04/06(土) 21:44:31.94
>>239
お前の無教養のエセなりきりみせかけなりすましネト右翼とは違うのだよw

>>もう一度言うが、松平家は最初から在地領主、在地の武士
だからなんだよ?www徳川自体が松平のルーツになんぞ触れてもイネーのにだからなに?wwwそれで?w
>>武家の起こり自体が開発領主として地方へ降ったもの。
だから、その下降軍事貴族の正当な末裔を戦国期以降で徳川家臣団で上げてみろよ?www
あーー、そういや、蜂須賀や浅野、小出や木下まで系図ではそうだったなww
>>刀狩りは刀狩り、鉄砲刈りの記録は存在しない
ソースだせw
>>子島記に書かれているのは、鉄砲のうちの1つが根来に渡ったという事だけ。
種子島記には根来の坊主の名前が書いてあるが?
本来種子島にたまたま不時着したというのが本当なら、
鉄砲は九州から中国方面から東に移ってくるはず。
しかし、まっさきに紀伊山中の山のなかなんてありえないんですよw。
種子島紀の記述は正にそれを表してる。
242日本@名無史さん:2013/04/06(土) 21:54:15.82
>>239
>>根来しゆは根来で鉄砲製造してたんだよw堺に造らせていたわけじゃない
最初に鉄砲2丁を分解したのは根来ども。
その後大量生産をバックアップしたのは堺だが?こんなの常識だろ。
浅はか過ぎだろおまえwwww
>>刀狩りでは槍は回収されていないんだよ
だからソース出せよw
>>鉄砲は日本刀や槍に比べ非常に高価な物で農民が所持する代物では無かった。
wwwwww普通に狩りやってる猟師などいくらでもいるが?
紀伊山中の百姓は江戸でも持ってる者多いが?

>>山伏というのは訓練された数が少ない特殊技能者で
>>各地の大名家が重用している、足軽の様な一般職ではないんだよ。
根来の坊主どもは新宿の根来同心だろwwww
確かに譜代レベルだと中級武士以上にとりたてられてるのが多いのは事実。
御三家の最上級万石家老は、成瀬など、これらの出自だらけだもんなwww
譜代だと上級武士まで紀伊山中の出自wwwww

というか山伏のような山民が江戸上級武士のルーツでやっと認めたなwww
江戸武士というのはこのように紀伊山中の山民(土地すらない平安期の良民以下の出自)が大半ということやっとわかったわけだwww
この山伏集団は白山信仰。
本当にそのとおり。戦国期以前に関東有力豪農層のようにれっきとした武家出自などほとんどいない。

>>根来しゆの大多数は変わらず商売人や職人、妄想は程々にな在チョン。
そのとおりだよwwww
江戸武士の出自は、行商人やら職人、山伏、坊主、貧農、これらがほとんど。

関東在地有力地主はほとんどが中世よりの武家衆。

今頃わかったか違いw?ww
243日本@名無史さん:2013/04/06(土) 22:02:02.65
>>江戸武士の出自は、行商人やら職人、山伏、坊主、貧農、これらがほとんど

もう一つ加えると、秀吉のように、真正出自不祥(養父は芸者)のようなものも大量に存在する。
母方は小出家(大名家として存続)系図は藤原南家出自だってさwwwwwww

参りましたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
244日本@名無史さん:2013/04/06(土) 22:15:12.97
>>240
>>当時の足軽や雑兵は大部分が一時的な掻き集めや戦時だけの徴用
>>時代が下るに遵い、長期間の在番や恒久的に召集される体制となっていった。
ですから、一行目の室町期でのそれらの起こりが、その後時代が移るにつれ常態化していったというのを、
低偏差値君がわかりずらく描いてるだけじゃないのさwwwww
245日本@名無史さん:2013/04/06(土) 22:51:24.21
>>241
酒井一門、石川数正、井伊直政、本多忠勝、大久保一門
家康の側近や譜代は殆どそう。

おまえが鉄砲刈りのソースを出すんだよ
無い事を証明するのは困難だが、在った事を証明するのは簡単。
購入後暫く経ってから根来の商人が買った。
>>242
おまえの常識、世界の非常識。藤木久志の本でも読め。
マタギは農民じゃありませーん

>紀伊山中の百姓は江戸でも持ってる者多いが?
日本語喋れ日本語

大半は農民である在地領主の出
自分で名主云々言ってたのを忘れたか?在チョンよ

山伏は学僧なんかと同じ括り、数が少ない

武士の出自は大半が富農、在チョンの願望と現実はいつも懸け離れている。
>>244
母体が異なる。
在チョンの願望と断片とを継ぎ接ぎして妄想肥大化させても現実からは程遠い
246日本@名無史さん:2013/04/07(日) 00:32:32.03
>>245
ちょっと失礼します
井伊は他との系統が違う
それ以外は土豪と確認できるレベルじゃない
例えれば蜂須賀レベル
247日本@名無史さん:2013/04/07(日) 01:15:15.62
>>246
蜂須賀レベルなら十分、流浪者じゃなく在地領主なんだからね。
248日本@名無史さん:2013/04/07(日) 01:40:21.16
蜂須賀は在地領主じゃないよ
その形跡がない
単純に若い奴らで怒涛組んでた集団
不逞集団に近い
領主として存在してたなどという痕跡なんてない
249日本@名無史さん:2013/04/07(日) 02:17:26.14
蜂須賀は在地領主だよ

単純に若い奴らで怒涛組んでた集団などという形跡はない
不逞集団として存在してたなどという痕跡なんてない
250日本@名無史さん:2013/04/07(日) 07:18:19.50
平地を追われて山間部に立て篭もってた領主なんだろ>蜂須賀
領民は猟師と樵と大工と船頭しかいない系のな
たとえ山林でも領有権を主張してるなら領主だしな
251日本@名無史さん:2013/04/08(月) 22:03:03.64
>>245
>>酒井一門、石川数正、井伊直政、本多忠勝、
よう底辺馬鹿wwww
相も変わらず知恵劣りだなwwww
石川→三河石川党は、徳川一門初代、徳阿観たる古事記坊主の舎弟として全国放浪してる石川孫三郎が初代だが?www
   その古事記坊主の従者坊主が祖だが?w
酒井→その古事記坊主の血をひく同祖www
本田→単なる松平郷という、とてつもない山中の山賊あがりww
代替、三河に旗本八万騎程の武士がいたんか?wwwwwww

井伊はそれらとは一線を画すだろ
252日本@名無史さん:2013/04/08(月) 22:12:30.71
>>250
>>平地を追われて山間部に立て篭もってた領主なんだろ
蜂須賀は室町期よりの武家としてどこに記されてる?
蜂須賀が武家として平地で領主をやり、その後武家として山中に追いやられたという記録はどこにある?
教えてくれないか?ww

>>領民は猟師と樵と大工と船頭しかいない系のな
まー蜂須賀が住んでた地域はそうだよね。
で、それら職人がなぜそれほどまで多くを占めるのか。なぜですか?
そう。土地を持ってないから。だから職人として身を立てなければならなかった。
そういうちいきのいち職人上がりなんだが?しかも人足なども手配する稼業も。
それが逆に、秀吉の墨俣状などの時に活躍したんだろ。
基本は人足や職人上がりだが?
253日本@名無史さん:2013/04/08(月) 22:21:34.81
>>たとえ山林でも領有権を主張してるなら領主だしな
は?wwwwだったら自称でも何でもありだろがww

お前は以前、>>107で
>>日本では後の本百姓に毛が生えた程度が小領主
といってるよな?なら関東は豪農だらけだから、みんな大領主の武家だよな?
あんな三河の成り上がりどもとレベルが違うだろw

>>マタギは農民じゃありませーん
あたりまえだろ。山民なんだから。お前ら江戸武士の先祖はそれらだと言ってる。
まっとうな由緒正しき豪農の出じゃないと言ってるんだよ?ww

>>大半は農民である在地領主の出
>>自分で名主云々言ってたのを忘れたか?在チョンよ
底辺馬鹿よw。いいか?俺が行っていたのは、平安期を終え、その後関東の武士団の基礎を築いた大部分は、
それら在地の豪農らが武装し、武士化していったものが原型だと言ってる。
いつから、戦国時代までさかのぼって、山中のごろつきや、流浪者どもの大義名分すらない集団武装が武士の起原なんて言ったよ?ww
254日本@名無史さん:2013/04/08(月) 22:31:56.00
>>251
いや、全然違うよ在チョン。
ってか、石川孫三郎って誰だよ

室町時代までは平地より沢や川沿いの丘陵地での耕作が一般的
少しは帰化予定国の輝かしい歴史も勉強しろよ
255日本@名無史さん:2013/04/08(月) 22:35:00.31
>>254
お前はまず勉強しろよ低能がw。

>>室町時代までは平地より沢や川沿いの丘陵地での耕作が一般的
毎度毎度お前のソースなしの妄想ばかりだなw。
だったら関東武士団なんてのは存在しないわなw。
んで、紀伊山中のものどもは丘陵地や沢や谷合や山中に住んでるから列記とした鎌倉武士団の末裔ですか?wwww
256日本@名無史さん:2013/04/08(月) 22:53:21.36
西日本の武士の多くは元寇まで幕府の御家人じゃないよ。
257日本@名無史さん:2013/04/08(月) 22:59:31.35
わかりやすく言うと、
平安時代、民は朝廷により、良民と雑種賎民に分けられた。

平安末期から鎌倉、室町期を経て、良民と呼ばれる有力百姓は、
自衛や開拓という大義名分の下武装化していき、その後の武士団、武士化(地侍等)に変貌していった。
これらは基本、後北条貴下で名主層とも呼ばれ、常時は農園経営、非常時は一門で武装化して在地領主に奉公という生活を常態とする。

              ↑
              ↓


そのすべてのま逆が、雑多が平地から追いやられ、時代を経て戦国の動乱により、大義名分すらない中で集団武装に転じ、
そもそも在地などないため、東海軍団の専業傭兵としてそのまま就労としての江戸武士化していった者たち。
この者たちの職業とは、就労。土地に根差してないから。江戸武士は就労。室町期までの武家のスタイルとはまるで違う。
258日本@名無史さん:2013/04/08(月) 23:09:32.79
結局が、
平安                  鎌倉室町              江戸
良民→  農場経営および開発 兼 自衛や奉公としての武装による武士化 →大半が帰農

雑多→  就労的価値観での生活スタイル   →  戦国期、集団武装化に転じ、就労として傭兵になる →就労として江戸武士として、なし崩し的に雇用化

この違いわかる?w
259日本@名無史さん:2013/04/08(月) 23:24:55.17
>>255
関東でも河岸段丘とか扇状地とか台地縁が先に開発されたんだよ
大河流域が開発されるようになったのは江戸時代になってから

在チョンは言ってることが七転八倒し過ぎw
260日本@名無史さん:2013/04/08(月) 23:35:14.83
その証拠に、
江戸武士の起源たる、紀伊山中の、伊賀、甲賀、根来、雑賀、山伏、野党、はそのまま大半が江戸武士に


しかし、同じ部類で有名なものたちを見て見よう。
それは東海下克上軍団の関東征伐により職を失った風魔党
風魔党は紀伊山中の者どもよりはるかに身体能力に優れ、優秀で、頭脳明晰、まさに傭兵としては最上級の者たち。
それらは関東の覇者の名門、まさに武人の中の棟梁、後北条家に仕えた。

しかし、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E9%AD%94%E5%B0%8F%E5%A4%AA%E9%83%8E
>>北条家が滅亡すると、小太郎と風魔一党は江戸近辺を荒らし回る盗賊に成り、
>>1603年に盗賊・高坂甚内(甲斐武田家に仕えた忍者)の密告により徳川家に捕縛され処刑された

結局土地に寄生した武士化でない限り、このように就労として生活のために武装化していくとこうなる。
結局は、>>1の答えがこれだ。
紀伊山中の者どもは、就労し、雇用された会社が戦国の覇者だった。
風魔の名門傭兵は、東海下克上軍団により主君は滅ぼされ、結果盗賊というもとの鞘にもどった。

運の問題だろwww
在地の名門有力農家は、自衛や奉公という、大義名分による武装における武士化なため、
状況が一変しようとも、結局基盤は存在するため、安定的推移による身上保身、すなわち帰農にいたる。
261日本@名無史さん:2013/04/08(月) 23:44:05.20
忘れていたが、
江戸武士の起源は、
紀伊山中の、伊賀、甲賀、根来、雑賀などの雑多(大半が貧農)
     、山伏、野党、山賊、海賊そして、貧農、行商人、坊主、それすらわからない出自不明者w


関東在地有力農家
大半が鎌倉、室町発祥の、在地有力百姓が大義名分の下、武装による武士化に伴い、在地を開発兼防衛してきたまさに、平安の良民階層による真の武家衆
      
262日本@名無史さん:2013/04/08(月) 23:54:13.47
またコピペ荒らしか
徳川譜代の重臣が開発領主出な時点で主張が破綻してるんだよ
263日本@名無史さん:2013/04/08(月) 23:58:59.19
>>七転八倒し過ぎw

それは君そのものだよwww何もかもが理論破端w

結局、江戸武士階層の戦国期以前の生業の実態が分かってないから、そうやってすぐ理論破綻するのw

どれだけ関東在地名門有力農家を単なる雑魚農民としたくても、できないのは、
そもそもが、関東有力在地地主層が芯の平安期よりの良民階層による、武士化に至る清く正しい道筋をたどってるからなんですよ。

関東武士団の帰農に至るまでの道のりこそが、平安良民階層の清く正しい武士化に至る道筋と、その後の保身(帰農)であったということ。
だから、世情が不安定になろうとも、安定した推移をたどれている

かたや江戸武士のように職を失う(解雇される)たら、一巻の終わり的な、
施錠の不安にもろ影響を受ける階層が、平安期の良民層出自ではなかxったということなんですよw
264日本@名無史さん:2013/04/09(火) 00:07:24.31
>>262
お前はソースすら出さないで自己主張という名の願望に終始だからなwww
265日本@名無史さん:2013/04/09(火) 01:04:37.15
>>264
オマエが一度でもソース出した事があったか?否、無い。
ま、徳川譜代の多くが開発領主の出である事を否定しなくなったから赦してやるけど
266日本@名無史さん:2013/04/09(火) 01:12:41.25
>>265
だから、はやくだせよwその徳川恩顧が、開発領主だというソースを。

三河石川党が在地領主とか言ってる時点でお前は偏差値幾つだ?www
古事記坊主の従者として全国流浪の放牧民がどこに在地があったんだよ?w

早くソース出してくださいw
267日本@名無史さん:2013/04/09(火) 03:07:08.90
>>266
オマエが名前を挙げた石川孫三郎とやらが
石川氏と無関係なのは解ったのかね?
268日本@名無史さん:2013/04/22(月) 15:20:27.26
なぜ石油があったか考えてみたことありますか、これはですね戦争のときに、
アメリカは日本には石油を売らないと、ところがパナマ国籍の船ならば、
石油を積んでいって日本に売っても、自分達は攻撃できないというような理屈で、
日本に石油を間接的に売るわけです、本当の話です、でこれに三菱が作った昭和通商という会社が、
それを引き受けるわけです、で昭和通商と三菱は同じですけど、そこでまずいので、
日本水産という会社が代行するわけです、魚を運ぶということではなくて、
魚の代わりに石油をパナマ国籍からもらって、持って帰るので戦争は長引くわけです。
太平洋でいっぱい戦争しました、あれはアメリカの石油をもらって、
アメリカの石油を使った軍隊と戦争ゴッコをやったっちゅーことですよ。
そしてある時になってもう石油をやらないという時に、天皇は気がつく、ああ遂に終わりがきたかと。
これが真相なんですよ。http://www.youtube.com/watch?v=eugXzHoKnes

中曽根が自分の『天地有情』の中にも『回顧録』の中にも書いてます。
俺はCIAのテストを受けた、英語もあった、論文も書いた、パスした。
自分から進んでCIAのテストを受けたちゅーことですね。
それで彼はアメリカに派遣されます、で中曽根は自分で自慢げに書いてますけど、
色んな原子力発電所の法律は俺がみんな作ったってね、野党改進党です。
自民党、自由党時代で、その野党の若造が作れるはずがない。
そこの背後にCIAがみんな絡んでます。http://www.youtube.com/watch?v=TuVjmXdufS4

小泉進次郎の背後には凄まじい巨大な怨念の集積がある。
バックにいる暴力団稲川会は自民党戦後史の闇を作り出してきた。
作ったのは朝鮮人と曝露された児玉誉士夫。祖父の小泉純也も朝鮮人、
稲川会は朝鮮系暴力団だ。恐ろしい事件多数

小泉進次郎の朝鮮の血脈隠しが進んでいる。
泰道照山(曾祖父で元エスエス製薬会長)検索出来なくなっている。

小泉進次郎の父方の曾祖父(鮫島彌三衛門、小泉純也の父、
鹿児島の朝鮮部落出身、小泉純一郎の父)も検索出来なくなりました。
https://twitter.com/東海アマ
269日本@名無史さん:2013/04/22(月) 23:39:50.43
牛呼ぼうか??
270日本@名無史さん:2013/05/04(土) 12:52:48.04
武士(団)=身分のある者に仕える帰化人
 源氏と平家の戦いは実際は百済系と新羅系の戦いといわれている。
 武士とは身分ある者が自分の身を守る為のボディーガード役や、戦で使う兵隊。

やくざ=落ちぶれた武士。
 戦にやぶれた武士がシノギが無く、不良化した者。
 明治維新はこういった下級武士のクーデターによって起きた。
 ・坂本竜馬 死の商人グラバーの手先
 ・西郷隆盛 土佐藩 下級藩士の子。下級武士。
 ・伊藤博文 初代内閣総理大臣。貧乏百姓の生まれ、12歳で奉公に。
       帝国大学(現・東大などの国立大学)の創設に関わる。
       朝鮮人に暗殺される。
 ・大隈重信 佐賀藩士の子。比較的金持ち。第8代17代内閣総理大臣。
       伊藤博文とは一時期、犬猿の仲だった。そこで作ったのが
       早稲田大学。
 ・大久保利通 下級藩士。多借金の貧乏生活を味わう。      

 極道は現代の在日朝鮮人によって作られた現代用語。

盗賊=渡来支那人、渡来朝鮮人。
 渡来支那人はおもに強盗・殺人。
 渡来朝鮮人はどちらかといえば強姦魔が多かった。
 日本開国時に貿易などで入ってきた渡来人(帰化人ではない)
 が不良化したもの。
271日本@名無史さん:2013/05/04(土) 13:13:38.07
>>270
武士が帰化人だなんて、そんなデタラメ信じちゃったの?

日本書紀に藤原鎌足つまり「中臣連の遠祖は大鹿島」としっかり書いてあるぞ
272日本@名無史さん:2013/05/04(土) 13:18:00.14
日本自体は元々朝鮮と大陸が一緒だった訳だが、
歴史的に日本人の混血化は弥生時代よりはじまる。
弥生人の南支那や朝鮮系の混血は福岡や中国地方に多い。
そこから全国に血を分け広まったわけだ。
純血な日本人というのは縄文時代からの家系図でもない限り分からないのが事実だ。w
273日本@名無史さん:2013/05/04(土) 15:11:51.77
日本人の祖は支那と朝鮮か。

歴史的な混血がはじまった
「弥生時代」より貧富の差や身分の差、差別が始まった。
支那系帰化人や混血が増えだした。
稲作や漢字が伝わるのはこの頃。
豪族ができるのもこの頃。
豪族から天皇ができるのもこの頃。

日本から支那に使いを送っていたのもこの頃。
ちなみにこの頃支那は三国時代で幾度となく戦が繰り広げられ村々を制圧しては食糧などを略奪、
食糧が無ければ、人を解体して兵に食わしていた。
その戦の実態を目の当たりにし、ショックを受け日本に武器が誕生したのもこの頃。

古墳時代には日本が朝鮮と戦い日本府を置く。ここから朝鮮からの渡来人が多くなり、百済系混血・帰化人が増えだした。
ちなみに織物・彫刻・陶芸の技術、仏教は百済から伝わった。

このように古くから支那や朝鮮との交流がありますが、純血な日本人というのいるのでしょうか。
274日本@名無史さん:2013/05/04(土) 17:57:02.21
日本人の祖は日本人。

殷人・箕氏朝鮮の半島北中部での建国、燕人・衛子朝鮮の半島北中部領有
漢族・漢の半島北中部領有、日本人・倭国の半島南部併合、蒙古族・鮮卑諸王朝の半島北部占領
貊族・高句麗の半島北中部併合、漢族・唐の安東都護府設置、蒙古族・元朝の半島征服
女真族・李氏の半島征服により、度々歴史的な混血が起こった
半島は「古代」より貧富の差や身分の差、差別が酷く、豪民と奴僕に二極化した酷い格差社会であった。
漢四郡の設置により中国の移民や混血が増えだした。漢字が伝わるのはこの頃。
豪民が出来るのは殷人・箕氏朝鮮の頃。水田稲作は弥生時代に倭人の狗邪韓から伝わった。

箕氏朝鮮、衛子朝鮮、漢朝、倭国、諸燕、高句麗、唐、元朝、李氏朝鮮
大日本帝国の元首は全て異民族である。

日本から中国へ使いを送るのは前漢に始まる。
日本に武器が誕生したのは石器時代、鉄器が伝わったのは弥生時代中期の前3世紀頃である。

弥生時代には日本が半島南部へ入植を始める。ここから半島南部への入植者が多くなり
倭人料任那の成立に繋がる、更に加羅が帰参、百済を服属、新羅を従属させる。
倭人の新羅王や系混血・帰化人が増えだした。
ちなみに半島南部において、稲作の技術、国家制度は倭国から伝わった。

このように古くから日本や中国との交流があるので、純血半島人というのは存在しない。
275日本@名無史さん:2013/05/04(土) 23:36:25.38
>>273
『隋書』倭国伝
「新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。」
(新羅や百済は皆、倭を「大国」で珍物が多いとして、これを「敬仰」して常に通使が往来している。)

とりあえず朝鮮の宗主国の中国様の記録をちゃんと読もうなw
276日本@名無史さん:2013/05/09(木) 13:27:14.34
>>273
>「弥生時代」より貧富の差や身分の差、差別が始まった。

格差社会は縄文時代からあったのだよ。
埋葬地の違い、住居の違いなどなどから
判明してきた。
格差社会が弥生時代から発生したなどというのは
恐ろしく時代遅れの学説だ。
左翼の老いぼれ共が、格差社会の元凶は皇室制で
その皇室の元は弥生時代から始まるとのバカバカしい学説を
平成25年の今でも唱えているわけだw
277日本@名無史さん:2013/05/09(木) 14:35:36.53
天皇家は弥生時代から始まってるのか凄過ぎだな天皇家
3000年も続いてる家系自体類を見ないのに天皇家凄過ぎ
前史時代から幾多の時代を経て今も君臨し続けるとか凄過ぎ天皇家
278日本@名無史さん:2013/05/09(木) 15:17:22.45
今の天皇家は弥生時代からだけど
その前の縄文時代から続いているから
推定1万5千年
その他にも出雲国造とかある。島根限定で君臨している
279日本@名無史さん:2013/05/09(木) 16:29:50.84
>前史時代から幾多の時代を経て今も君臨し続けるとか凄過ぎ天皇家
それが事実かどうかともかく、ヨーロッパ圏において天皇は
神の血を引く王家の末裔
というファンタジックというか中二病かというかという存在

神と人間との間の子が王となるって伝承は各国にあるけど
未だにその血が絶えてないとなると日本しか無いわけで
280日本@名無史さん:2013/06/18(火) 16:50:09.11
>>271
>日本書紀に藤原鎌足つまり「中臣連の遠祖は大鹿島」としっかり書いてあるぞ

大鹿島ってどこですか?
281日本@名無史さん:2013/06/18(火) 18:26:14.97
天皇家は北京原人から続いてるよ
282日本@名無史さん:2013/06/19(水) 16:29:25.34
それは神話の世界でしょ?
283日本@名無史さん:2013/06/22(土) 05:51:34.38
●●県にある国立大学を優秀な成績を修めて、また難関資格を多数取得して卒業後、
県庁に就職決定、でもずっと誰も行きたがらないような部署にばかり行かされる。
けれど絶対に楽な部署しか行かない、または県庁の奥でずっとダラーっとしている、
定時15分前から変える準備をスタートさせて、定時になったら直ぐ上がる奴らがいる。
でもこの手の連中とは別に、残業手当も削減されながら、でも仕事を押し付けられながら
「あなたしかできない」とばかりに押し付けられる人も沢山いる。
ttp://ameblo.jp/inaka-wo-abaku/entry-10840562469.html

どん百姓が士族への恨みを書き連ねているw
284日本@名無史さん:2013/06/23(日) 08:53:27.67
アフリカ草原の生態系に例えると

武士・・・ライオン
極道・・・ハイエナ
盗賊・・・ハゲタカ
285日本@名無史さん:2013/06/23(日) 12:10:17.80
盗賊も極道も職業だが、武士は身分
286日本@名無史さん:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN
藩士は身分だけど、武士は身分じゃない
287日本@名無史さん:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN
藩士は武士という身分の職業
288日本@名無史さん:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN
おい、さっきの歴史ヒストリアで、江戸の武士の原型となる徳川武士団の出自の、

雑賀衆、甲賀衆、伊賀衆、根来衆、山伏・・等の紀伊半島の傭兵集団の出自は、

紀伊山中の貧農、そして漁師  

とキチンとやっとったやいかいwwww

おいおい徳川直参の御家人衆は大半が、甲賀組、、伊賀組、雑賀残党、根来組 ちゃうんかいwww

最近話題の会津藩の鉄砲組も甲賀衆やろがいwww

これら徳川武士団の構成要員の大半たる紀伊半島出身の傭兵集団は山中の貧農と漁師とキチンとやっとったややないかいwwww

>>287
藩士なんぞ単なる労働契約した職業だろうが。出自言ってみろ!!
室町の出自なんぞ分からないくせに武家や武士じゃないだろ!!
戦国自衛隊だろ。単に徳川と労働契約した職業傭兵軍人だろ!!
戦国自衛隊だろうが豊臣徳川軍団なんて。
289日本@名無史さん:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN
豊臣、徳川軍団  = 労働契約に基づいた出自は問わない戦国自衛隊

関東豪農地主  =平安末期、鎌倉、室町期発祥の在地の真の名門武家、名門武士
290日本@名無史さん:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN
>>288
雑賀衆、根来衆、山伏は農民ではなく商工民
徳川直参の御家人衆は大半が在地の農民出身
在チョンはさっさと死ぬか玄界灘に沈むかしような
291日本@名無史さん:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN
>>288
流石、イバの庄屋様は目の付け所が違うわ。
292日本@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN
>>287
藩士には茶坊主や能の芸人、医師、学者、経理専門官などがいた。

武士は武芸を身につけたものという意味で、身分ではない。
293日本@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN
>>290
戦国時代までは、商工民なんて農業民と兼業だろ。
294日本@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN
>>1
武士は統治者という違いが大きい
悪い事をしていた武士もいるが
人道的にだったり世の中的に良い事をしていた武士もいる
295日本@名無史さん:2013/07/05(金) NY:AN:NY.AN
>>294
そんなの武士でなくてもすべてそうだろ。
296日本@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN
>>293
商人は商人、職人は職人、農家は農家
低脳の妄想と史実は掛け離れてるよ
297日本@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN
>>295
比重が全然違うし意味も違う場合が多い
てか盗賊にそういう所がある場合はほとんど無い
かつての極道にしても半分は単なる犯罪
298日本@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN
藩士には武士じゃ無い人もいるけど
武士は世襲じゃ無いといけないって事も無く
ぽっと出の武士も武士である事に変わりないな
299日本@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN
ゴロツキ、暴力団、賊が大きくなりすぎたのでしょうがなく官位官職というお墨付きを与えたのが武士
現在でも左翼だろうが売国だろうが勲位勲章を与えるのは仕方ないからですよ
300日本@名無史さん:2013/07/06(土) NY:AN:NY.AN
比重だけじゃ無く
まともか普通かそうでないか
どういう人がいるかの比率も全然違う
301日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>295
戦国時代の武士と盗賊の差なんてないよ
江戸武士は成り上がったあと、気取り始めただけで本質は同じさ
だから約束守らない。借金踏み倒す。
302日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>296
おまえの考えてる事実こそ史実とはかけ離れてるだろ。
303日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>301
全国の寺院を整備したのは武士だぞ
武士には教養が必要
読み書きは当然
上級武士は全国で通用する文化を持っていた
304日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>303
寺院を創建するのは僧侶だよ
武士は金を出すだけ
305日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
そうそう。武士は教養のない金づる。
右筆制度ができたのも武士が文字を満足にかけないため。
306日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
金閣寺も銀閣寺も作ったのは武士なのだが
307日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>306
作ったのは大工
武士は命令しただけ
308日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>1
極道の祖先が旗本奴であることは間違いないな。
江戸時代初期に戦闘集団が生まれ育ちとは違う街で権力持ったのが始まり。
309日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>307
バカだなw
価値を見極める目は教養だぞ
武士にそれが有ったから出来た
限られた空間に独自の美しい世界を作った
310日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>306
室町期までの武家と、江戸武士を一緒にしてはいけない。
江戸武士は江戸自衛隊。江戸傭兵。江戸不浄警備員レベルでしょうに。
311日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>290
>>雑賀衆、根来衆、山伏は農民ではなく商工民
そうですよ。秀吉のように、農民ですらなく、いわば雑多ですよ。土地がないから。
商工民とかいってるが、紀伊山中の民は竹細工を駆使した細工職人で生計立ててる。有名なささらが代表例。
江戸の御家人や下級武士が竹細工で内職というのは、マジでリアルに紀伊半島出自のささらという竹細工に精通していたから。
もの凄いつじつまがこうやって点と点でつながっていくんですよ。

>>徳川直参の御家人衆は大半が在地の農民出身
在地ってどこ?wwソース出せ。直参御家人の家単位の在地はどこ?
紀伊の山中というならそれは在地とはいわない。
御家人のほぼ大半が紀伊山中出自の雑多傭兵出身とはっきりしてるのに、
どこに在地あった?wこの御家人や、旗本の本家は紀伊山中の貧農で、
この貧農本家のほうが、江戸中期旗本御家人に志願しても断られてる所見も残されてるんですけどww

>>291
くやしいの〜〜〜くやしいの〜〜〜www
下級傭兵出自はくやしいの〜〜〜〜www
312日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>311
>江戸の御家人や下級武士は、マジでリアルに紀伊半島出自
ソース出せ。直参御家人の家単位の在地はどこ?

>御家人や、旗本の本家は紀伊山中の貧農
ソース出せ。直参御家人の家単位の在地はどこ?

在チョンは常に願望と妄想優先、史実を無視して捏造
313日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>308
結局、幕末見れば戦国の動乱での天下軍団の構成要員が手に取るようにわかる。

長州で代表される奇兵隊はそのなのとおり、猟師から貧農からざったまで総動員。
貧農出身の山縣や伊藤がその後の長州閥首領に成り上がる。

徳川将軍家。江戸総攻撃などの際、将軍慶喜が側近にしたのは、火消しの辰五郎一家、団左衛門旗本昇進、清水次郎長一家

戦国時代を経て江戸武士になっていった構成要員が手に取るように判るだろ。
314日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>312
オウム返ししかできない馬鹿はこれだから・・・
まず、徳川直参の御家人衆は、伊賀組、根来同心、百人組、甲賀組・・・に分かれてるのはわかってるよな?w
315日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
今流行の合図藩鉄砲組も甲賀衆出身だが

諸藩でもたとえば有名な松本藩芥川 甲賀忍者出身中級武士
http://www.rekishijin.jp/rekishijinblog/kuroi/%E7%AC%AC22%E5%9B%9E%E3%80%80%E9%99%BD%E5%BF%8D%E3%81%A8%E9%99%B0%E5%BF%8D%E3%80%80%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92%E3%80%8C%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E4%B9%9D%E9%83%8E%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80%E3%81%AE%E9%99%BD/
徳川系親藩譜代の末端武士なんぞ、みな紀伊山中の傭兵上がりやっちゅうねん
316日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>314
それって合わせて百人組(100人)だろ
一部の例だし
その上に上級の旗本がある訳だしな
317日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
>>312
あと>>311でかいた、紀伊山中の民が生計立ててた、竹細工職人ささら者と、
江戸の御家人衆などが生計立てるための内職が竹細工だった共通点はどう説明するのか、
ない知恵絞って考えて見なさいw
318日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>316
御家人のそう人数何人かしってんのか?w
旗本八万期なんて思ってんの?w
旗本だ?ww
名門旗本は徳川となんら一切関係ないだろ。
それこそ今川、武田、後北条、里美、関東八館、・・・の名門中世大名家の上級家臣引抜いた奴が名門なんだろ。
しかもその名門旗本衆と最も近い存在が関東の在地帰農豪農だろww
関東帰農豪農層の超絶名門ぷりソース出したろか?wwww
その前に豊臣から徳川へと続く大名家の出自で関東豪農層ばりの出自あるやつ、
外様や井伊以外でいるの?www
教えて暮れやwww関東豪農層は、島図や南部レベルが、在地に数百家近く帰農豪農してるんだが?ww
後北条氏家臣団は、天慶の乱出自の関東武士だらけなんだが?wwwww
319日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>314
御家人衆は三河譜代、5カ国時代の帰参と色々居る
幾ら在チョンとはいえ、日本に住んでるのだから少しは勉強しような在チョン

>>317
針仕事、普請仕事、副職は色々あった
知識の無い無知が願望に合わせて妄想すると現実と乖離する典型例だな低脳w
320日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
諸藩の甲賀衆
http://www.eonet.ne.jp/~bankeshinobi/ryugi.html
江戸の武士は甲賀の雑多傭兵出自だらけだとわかるでそwww
321日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>320
それ
武田信玄が委が甲賀系になってるぞw
まったく駄目だな
322日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>305
右筆は偉い武士の秘書
命令や連絡は代筆させた
当たり前だろ
大事な文書はもちろん直筆

下級武士は右筆なんか当然雇えない
自分で書くしかない
323日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>319
必死でぐぐったか?にわか知識めがww
で、その御家人譜代は決して三河時代からの譜代なんて限ってない。
かりにその三河時代からとして、その三河時代の徳川下級武士足軽は、
出自が列記とした関東豪農名主層のような中世在地武家、中世在地武士だったというソースは?ww
三河のしかもあんな狭い地域の山だらけの山中のどこに、関東武士団のような在地武士があれだけ存在してるわけ?w
教えてくれよwww氏かも全体のナンパーだよw
江戸初期から抱席設けてた、出自問わない自衛隊衆じゃんよw

>>317
普請wwだれが幕府が用意したバイトの話したよw
御家人などの内職技術はなぜか竹細工が大半。誰に教わるわけでもなく竹細工に秀でている。
竹細工の作り方に流派的なものまで御家人の間で作るほどの竹細工技術は職人技。
紀伊半島の内職も竹細工がもっとも有名。ささらとまで呼称されるほど。
しかも御家人の出自は紀伊半島が多い。
で、起因は無関係と、無い知恵ググッって論述してみろよほらwww
324日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>323
紀伊半島もすごい山だらけだぞw
三河が駄目で紀伊がOKつうのは成り立たない
325日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
はい論破!!!  

江戸の御家人と鎌倉御家人の意味合いがまったく違うように、
江戸の武士と、戦国以前の在地武士は意味合いも質も格もまったく違う。

江戸以降は、>>1でいえば、基本同列の者が、天下布武と宣言した信長により、
その武力という性質だけを重んじた組織化により召集編成された自衛隊だという事実。
だから、信長を終わり以外の地域で存在自体を検証すれば、それはまさに夜盗盗賊の行為。
そう信長が目指したものは武力により奪うことが最優先。
その行為の手段のために組織化された軍団は、当たり前のごとく出自や在地より、
秀吉のような守るものが無い命知らずの身一つの腕自慢が最も重宝したわけだ。

対照的な後北条氏は、戦国末期ですら、寄親寄子制度で家臣団を組織化していた。
なぜか。伝統的な在地を重んじた家臣団編成のためだ。

江戸の武士は、そういうことだ。そりゃ徳川には、そこらじゅうから適当にかき集めた十万単位の信長軍団に、
雑賀はわずkじゃ三千人規模の雑多傭兵集団で3度も撃退してるんだから、
そりゃ徳川軍団は重宝するわなww
326日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>323
中世の田は台地や扇状地の縁に造られた
平野部の大河流域に水田を造るようになったのは
治水が進んだ江戸時代の大開発以降
少しは勉強してから妄想しような、無知な在チョン。

というか>>100-267までの妄言に散々突っ込まれた事に対して
1つでも反論してからループさせような、奴僕子孫の在チョン
327日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>324
いいかい?
三河からの譜代なんて、ごく少数だし、そのほとんどが、
信長が天下布武と称し始めたドキュソ時代の三河の雑多。
しかし、戦では最弱軍団とまで言われるほど尾張地域の傭兵集団は弱かった。
案の定、雑賀征伐でも、どこでかき集めてきたか知れない10万の尾張兵で3度も攻め、
三度とも、雑賀衆3000人程度で撃退。物量作戦でも勝てなかった。
結局雑賀衆滅ぼしたのは秀吉の圧倒的資金力による水攻め。
この雑賀レベルが紀伊山中にはうじゃうじゃいる。
いずれも中世より中央からの支配力が届かない場所であったゆえ、
また山だらけで、平地での土地がほとんど無く、
だから戦国時代は雑賀のように本願寺から傭兵稼業で飯食って生計立ててた。
そういう集団が、何しろ紀伊山中には多い。
そこに目をつけたのが家康ちゃんだよw。出自なんぞより先頭集団のプロという側面を買い、大量に武士団に組み入れた。
徳川家が紀伊に御三家置いたのも、大阪方を牽制する空き地の要領がでかいだけではなく、
傭兵を確保するのが非常に恵まれていた地域だから。だからあんな辺鄙な場所に御三家置いたわけ。
328日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>327
あの、紀伊半島は昔から宗教の聖地なんだが
高野山も有るし伊勢神宮も有るし熊野大社もある
つまり僧侶が支配していた地だぞ
329日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
御三家の中で紀伊徳川家だけだyo徳川将軍家を正統に継げたのは

最後にどさくさにまぎれて慶喜の水戸系が将軍家乗っ取った形だし
330日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
紀伊半島の勢力は宗教勢力だぞ
だから本願寺に味方し信長と戦った

そして、その反動として家康に協力した
331日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>327
そのとおりですよ!!!君〜〜〜すばらしい意見!!!
座布団5枚だねwwwい〜〜ところに築いたね〜〜〜!!
根来は勿論坊主傭兵集団。近くには石山本願寺などの大宗教勢力も存在してましたよね?

君すばらしい意見だよ!!!!!!!!!!!!!!
紀伊山中は白山信仰が非常に強く、山伏が非常に多い事でもわかるとおり、
紀伊山中を駆け回って、岩を駆け上り、野を這いずり回っての修験道じゃや、僧侶が非常に多かった。
だから足腰が以上に強く、さらに、
山中を這い回るため、忍術のような非常に奇妙な術にたけ、鉄砲をはじめとした火器にも洗練され、
また怪我したときの医薬や毒薬などにも精通していたといわれてる。
傭兵としては確かに最強の要素を持っていたんですよ。
徳川家は江戸時代、白山信仰を非常に手厚く保護してるよね?
また薬学にも秀でていたよね?
全部に点と点がつながってくるんですよ。
332日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
確かに剣豪柳生一族も紀伊から近い山里だ
333日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
紀伊は武士じゃない武装勢力が居た地なんだよ
山伏忍者僧兵etc...
それらは信仰を持っていた

それを武士以下と断言してる者の主張が楽しみだなw
334日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>332
そのとおり。何しろ徳川軍団の武力中枢は紀伊半島出自だらけ。
名門武家層は、元敵対勢力の関東武士団の旗本層だらけw。

>>333
やっと徳川軍団は、中世期の在地武士団レベルの出自では一切無いというのを認めたんだなww

そう。何を隠そう徳川軍団は、山伏、忍者、僧兵、雑多、・・が武装して合戦稼業していた出自が多いということだ。

中世古代より、それらを武家、武士とは言わない。
武家や武士の大前提の基本概念は、在地の開発豪農層で、在地に貢献するリーダーたるものだ。
それらが、在地を守るために武装したものが、武家、武士と呼ばれるようになっていく。
後北条家家臣団が寄親寄子制度にこだわったのは、まさにこれが理由。

東海より発する軍団は武家や武士の概念から逸脱しきってる。
こういう、合戦稼業で生計を立てるため、怒涛で集団化して組織した武装集団を武士というの?
これはなんていうんですか?w
335日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>334
徳川家の御家人は大部分が在地領主の武士化した者
戦国後期になると在地から離れる頻度や期間が長くなり
負担が増えたので専業武士が増えた
336日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>335
ですから、その脳内在地いってくだしゃいよwww
ほれwwほれwww
御家人の大部分の在地てどこ?wwwww

伊賀や甲賀の貧農層で御家人や旗本の本家と称してる家確かに多いよ。
ソース出してやるから、まず君がその、ww御家人のwww大半がww在地領主wwというソース出してwwおくれよwww

ぷぷぷぷぷぷぷぷうぷ、ぷぎゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(‘艸`(  *  ) ⌒● ウンポコ プリッ
337日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>334
てか武士は
武士に取り立てられた武を生業とする人も武士で
貧農出身だろうが武士と言う
338日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>325
その地を治める行為もたくさんしていたから
アレな所があっても夜盗盗賊と同じでは無い
339日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>337
>>武士に取り立てられた武を生業とする人も武士で 貧農出身だろうが武士と言う
という江戸武士どもの持論なwwwwwwwwwwww

要は、戦国時代で武家、武士の歴史は関東武士団の大量帰農により、事実上終焉したわけでしょ。
江戸時代は、足利等などの武士政権ではなく、クーデターによる軍事政権だよね?
貧農だろうが、金で買おうが、徳川の胸先三寸で武士に取り立てられりゃ、みな武士なら、
徳川御家人と鎌倉御家人がまったく違うように、軍人といったらどうだ?
マーいわゆる自衛隊だが、いやなら軍人だろ?
武家、武士というのは、軍人の側面などひとつに過ぎず、江戸の庄屋が受け継いでるように、
基本的な一義的意味は在地の行政運営掌握管理ナわけで、それに付随する役割として治安維持の武が存在したに過ぎない。
現代では勝手な勘違いで、武士は軍人みたいに言われてるがまったく違う。

江戸の武士と呼ばれるものは、軍人であって武士じゃない。
ひたすら武(捨て身の突撃兵)のみを役割としているのであって、
江戸以降、治安維持側面が主目的なのだから、武士ではなく、軍人だろ。
武士は、事実上治安維持の管理しかしておらず、行政主導の大名家や藩執政のみでしょ。
それ以外は、単なる軍人ジャン。

武士とは行政インフラに執行力を持つものをいう。決して戦うことを本文とするものじゃない。
戦争だけ役割あるものは軍人でしょ。自衛隊員。政治に口ださないでしょ?

武士は政治に口だすんですよ。江戸時代の庄屋や豪農のように、在地行政のために藩に物申すものが武士なんですよ。
武なんて、もはや在地を武力で守る必要が無いから武装してないだけで。
340日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>338
じゃあ、石川五右衛門や、ねずみ小僧は、
盗んだ金を貧しい家にばら撒いた義賊だから、夜盗盗賊とは違いますか?w

天下布武・・・この精神がすべてを物語ってるでしょwww
しかも信長はその地域のための貢献目的で、他国に四方八方どこから召集してきたんだかわからない何十万の大群で、
攻め上ってたわけじゃないでしょうよww

私利私欲のための結果の延長上に、経済対策やインフラ整備してるだけであって、
結果論でしょう。
在地領主というのは、江戸の庄屋や豪農のように、在地のために捨て身になって尽くすことですよ。
結局は盗賊夜盗が、自身の行為の正当化のための義弁としか思えませんなwwww
341日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
  俺、学生時代偏差値ぱねーーんで、世路視区wwwwwwwwwww

余裕で偏差値70ぶっこえてましたからwwwwww

俺クラスは高校の歴史のセンコウ程度じゃ相手になんないっすからwwwww

俺、学生時代、全国模試トップクラスでしたからwwwwwwwwww

伊達じゃないのよ俺w
342日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>336
奥山、坂部、日代、弓場、田尾、市原、大谷、多田、和知野、向方
新野、大村、福島、栗野原、はい論破。

御家人衆の大半は地侍や在地領主
オマエの妄想と合わない辛い現実を受け容れような
343日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>339-341
妄想の時間はお終いだよ在チョン
今からはお薬の時間だw
344日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>342
おい、名前だけ挙げて勝ったつもりかよ?wwww
きちんとそいつらがどこに在地があったのか示してくれよww
妄想せんずりばかりで何一つまともな回答がいえないのは君の十八番だろw

2ちゃんはこういう畜生レベルの脳みそに会えるから、楽しくてやめられないよwwwwww
345日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
え?そいつら?
在地の地名を書いたんだけど
苗字と地名も区別出来ないのか在チョンはwww
346日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
>>345
平安の頃から自分の所領の地名を名字にするようになったのでしかたないな
庶民でさえ自分の住んでる土地、もしくは先祖が住んでた土地の名前を名字にすることが多かったわけで
347日本@名無史さん:2013/07/08(月) NY:AN:NY.AN
自分の無知を何とか言い訳しようとして捻り出したのが其れかww

大事なのは、在チョンくんが徳川家の御家人に関して
殆ど何も知らないと判明してしまった事
348日本@名無史さん:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN
>>347
慈円はいいから、はやくそれらが在地領主だったソースぷりーずWW
何が在地領主だばかたれがWWWWWWWWWWW
はやくだしてくださいよW
、室町期からの在地領主層だったという証拠をWW
何が名字だよWWW地名と名字が一緒だから在地領主とか頭くるってんの?W
日本人の名字の八割が地名なんだが?
にわか歴史オタクはこれだから香ばしいよWWWWW
349日本@名無史さん:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN
★大舘城主  大館氏   →  名主
>>現在、新田荘の大舘氏の居館跡は大舘館跡として城碑が立つ
>>後北条氏被官の配下で北条氏敗北後、家康の関東入部後に帰農した。江戸初期には筆頭名主となった大舘傳右衛門(助右衛門)家がみえる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%88%98%E6%B0%8F

★本庄城主   本庄氏  → 名主
>>本庄実忠は本庄城を築城し、東本庄の地から拠点を移している
>>本庄氏は小田原北条氏の滅亡を機に帰農し名主
http://takayama.tonosama.jp/html/honjo.html


★下高井城主  高井下総守  →  有力豪農地主
>>高井城主は代々相馬氏を称し、天正年間に高井下総守直将がはじめて高井氏を称した
>>高井胤永のときに天正十八(1590)年の小田原の役を向かえ、北条氏に味方したため没落した。
>>このときに胤永の三男胤正の子孫が江戸時代前期まで居住したが、のち帰農し、廃城、
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Ibaragi/Taka

★秩父氏館城主  秩父氏  →  豪農
>>秩父氏館は平安時代末期、平将常の息子・秩父武基によって築かれました。
>>1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの後、後北条氏が滅亡すると、秩父氏は彦久保氏に改姓し帰農したため、秩父氏館は四百年以上にもわたる、その役目を終えたのです
http://homepage2.nifty.com/inutomononohu/titibusiyakata.htm
350日本@名無史さん:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN
★毛呂氏館城主  毛呂氏  →  旗本、有力豪農  にわかれる
>>平安後期、武蔵七党丹党出自
>>1589年(天正17年)豊臣秀吉は北条氏直に宣戦布告状を突き付けました、
>>1590年(天正18年)秀吉が小田原城を包囲すると毛呂氏のは城代横地監物の守る八王子城へ入ります、
>>鉢形城、武州松山城、岩槻城、川越城を落城させた上杉景勝、前田利家、真田昌幸の西国方の連合軍は八王子城に猛攻をかけます
>>、其れに対して八王子城は2000余の籠兵で必死の抵抗をしましたがほぼ全員討ち死にし落城しました、
>>時に毛呂氏は党首毛呂顕季を筆頭に毛呂顕綱、土佐守義可、義忠と主要な者達が八王子城で討ち死にし毛呂郷在地領主としての役割を終演したのです、
>>その後毛呂氏は帰農する者、徳川家の旗本に成る者
http://hya34.sakura.ne.jp/iruma/morosiyakata/morisiyakatarekisi.html

★上南摩上ノ城城主    南摩備前守   → 有力豪農地主
>> 上南摩上ノ城城主。慶長3戌戊年(1598年)10月21日没。法名:広厳寺殿輝雲道光大居士。
>>小田原征伐時、壬生義雄と共に小田原城に籠城する。壬生配下という事から考えて、小田原城の「竹ノ花口」を守備していたと思われる。
 >>北条家は敗北し、戦後、綱善も所領没収され、上南摩城麓の「堀の内」に住居を構えて帰農し有力百姓に

★設楽館城主  設楽氏  → 名主
>>設楽氏館は、鉢形城主北条氏邦の家臣設楽金太夫の居館であった。
>>、1590年の小田原の役で鉢形城落城後は当地に帰農し名主に
http://tabelog.com/aichi/S5/S18305

★金子城主  金子氏  → 豪農
>>金子城は後北条氏の小机城の支城と見られ、別名篠原城と呼ばれる連郭式の山城である。
>>小田原衆所領役帳には城主として小机衆の篠原代官・金子出雲守の名が見えるの
>>なお後北条氏が滅んだ後は帰農・土着し、現在では同地には多くの金子姓が住んでいるようだ

まさか、関東にごろごろいるこれクラスに出自がはっきりした在地領主層なんだよな?WWW
諸藩の足軽下級武士の在地も教えてくれよWWW
351日本@名無史さん:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN
>>350
人が居なくなった時間を見計らってネット情報でコピペ流ししちゃ駄目だよ
オマエが何も知らない無知なのは>>344で白日の下に晒されちゃったからね
願望に基づいて妄想し、史実を捻じ曲げるのは止める事
それが卑賤なチョン族の生まれ持った特性だとしてもね
352日本@名無史さん:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN
水戸の黄門様に成敗されたイバ公は抑えがなくなったからか、やたらと元気がいいな。
353日本@名無史さん:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN
武士は全部じゃ無くても民の為になる事も多くしてるのが大きな違いだな
極道や盗賊と同じと考えるのは無理がある
354日本@名無史さん:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN
武士は為政者だったからね
355日本@名無史さん:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN
一揆こわいもんな
356日本@名無史さん:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN
一揆そのものより、それで幕府に目をつけられるのがコワイ
江戸期以前なら、村ごと他の領主の土地へ引っ越してしまうのがコワイ
357日本@名無史さん:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN
>>353
義賊とか良い極道もいただろ。
358日本@名無史さん:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN
>武士は全部じゃ無くても民の為になる事も多くしてるのが大きな違いだな

何やったっけ?自分たちの米の入りが悪くなると困るから治水工事?
それって自分たちの土地の米の取れ高を安定させるためだろ。
忘れているが、武士はもともと農場主なのだ。中央にすまわされているだけ。
農民はその労働者。
359日本@名無史さん:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN
>>358
朝廷の兵力として働き
地方に派遣されて私物化して武士化したのが多い
鎌倉幕府はまさにこの例
だから先祖は天皇になってる

武士の家系は母親からも出たりするから
例外も有るが朝廷と親戚の場合が多かった
下っ端は農民上がりが多いのは否定できない

つうか武士が誕生する前の下っ端は朝廷により
徴兵制度で集められていたから完全に平民農民
目立った奴はそのまま兵士として勤めたかもしれない
そして先祖が朝廷っぽい嫁を貰えばりっぱな家系の出来上がる
360日本@名無史さん:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN
こう要ってはなんだが武士の系図で真性が疑いが無いものは殆ど無い。
証明の出来ない作り放題の後付けだよ。
361日本@名無史さん:2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN
系図以外で武士の家系を示すものって宝篋印塔があるとかのお墓の規模とか?
362日本@名無史さん:2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN
>>360
武士の場合は昔から付き合いが有る関係が多く
婚姻関係や先祖のことを薄々分かっているから
先祖を偽証すると嘲笑され末代まで馬鹿にされる
363日本@名無史さん:2013/07/17(水) NY:AN:NY.AN
>>362
そんなのごく一部だろ。
364日本@名無史さん:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN
武士=渡来系帰化人
貴族=朝鮮の血が混じった天皇筋。
365日本@名無史さん:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN
そうあって欲しいニダ
366日本@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN
ということは朝鮮出兵は侵略ではなくて内戦だな
賠償という名目で不当に騙し取られた金を返還して貰わないとね
367日本@名無史さん:2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN
天皇=元は、自分は神だと勘違いしていた和人思想家 
   桓武天皇より百済の混血 今は日本の象徴 
武家=臣籍降下された天皇家系 源氏 平家
貴族=天皇家系 公家
将軍=政治支配者
武士=ただの兵隊・用心棒・天皇家系の為に命を捨てる者
足軽=戦の際、真っ先に命を落とす者
農家=天皇家系や将軍様への献上の為に一生懸命農作物を作る報われない者
工業・商人=地場産業
穢多=職分外の平民・サラリーマン・飼い殺しの働きアリ・
   政治的圧力によって弾圧され身分を落とした者
非人=障害者・親近相姦者・同性愛者・物乞い

極道=在日及びその帰化人やくざが作った造語
右翼=天皇制ファシズム・超国家主義者・今は在日などによるエセ右翼

盗賊=渡来人が不良化したもの
368日本@名無史さん:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN
武士=サムライ、極道=ヤクザ、盗賊=窃盗及び強盗団。
369日本@名無史さん:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN
天皇=大陸側半島からやってきた侵略者。
   豪族ではなく弥生系渡来系略奪者。
倭人=縄文系土着民族。大和民族。
右翼=天皇制ファシズム・朝鮮系日本人・在日、民族主義者。天皇万歳。
左翼=倭人・縄文系大和民族、本当の日本人。
在日やくざ=日本人・倭人撲滅運動・民族主義者。右翼
盗賊=渡来朝鮮人
370日本@名無史さん:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN
全部、泥棒でしょ。
天皇-貴族-倭人=インベーダー。
右翼(左翼)=在日ヤクザ=強盗。
なお、コロボックル死滅の為、被害者存在せず。
371日本@名無史さん:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN
おまえら=あほ
372日本@名無史さん:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN
>>369
また罪チョンが願望妄想垂れ流し始めたか
そろそろ死んではどうかね
373日本@名無史さん:2013/09/07(土) 20:01:03.56
天皇=倭人+百済人=韓国系日本人
倭人=心やさしい縄文人
日本人=縄文倭人+扶余族+漢民族+エヴェンキ+モンゴル人の交配種
    歴史の過程で渡来してきた大陸人種に犯されできた新人種
    朝鮮人よりも悲しい人種。
右翼=朝鮮民族主義者 朝鮮半島万歳
武士=祖は朝鮮・大陸系の日本人
在日やくざ=近代帰化人または在日による武士気取り

自民党・民主党=朝鮮系議員の茶番政治指導者
日本の政治=朝鮮人による略奪政治

半島=アジアの嫌われ者であり、世界の嫌われ者
日本=半島=はずかしい国・日本人は恥ずかしい人種wwww
374日本@名無史さん:2013/09/07(土) 20:04:49.61
日本人のうつ病は実は、朝鮮半島特有の火病だったwwww
新人種・日本人は朝鮮と共に歴史を歩み、朝鮮人と共に火病になるのであった。
375日本@名無史さん:2013/11/05(火) 12:00:26.07
相変わらずクソスレだ。
376日本@名無史さん:2013/11/08(金) 01:03:11.03
と糞民族が火病
377日本@名無史さん:2013/11/27(水) 19:04:52.57
>>1
武士>>元は坂東武士、広げて守護
極道>>武士の子分、地頭が適正
強盗>>悪党、天皇セクトカルト、源家(山賊にして桃太郎という盗賊で猿蟹クラッシュ)
378日本@名無史さん:2014/03/22(土) 15:20:11.33
武士は主に藤原家の分流もしくは中華系帰化族および朝鮮帰化族
源氏と平家は基本的に公家だが、一部は武士化
極道は近代朝鮮やくざが作った造語
やくざの始まりは平家の落人
379日本@名無史さん:2014/04/07(月) 12:20:12.23
坂東武士って部落民だろ。要するに。
380日本@名無史さん:2014/04/07(月) 12:36:54.93
もう見境いなくなってるのね
381日本@名無史さん:2014/04/07(月) 12:54:06.45
378
ばーか!
江戸時代からヤクザの起源はあるわ
なんでも認定しなきゃ気がすまないんだな
382日本@名無史さん:2014/04/07(月) 17:36:38.48
ウィキペディア編集者ジャムリンによる自演が酷すぎる件
以下が問題の爆笑自演投稿

日本史板住人がWikipediaを弄るスレ PART20
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1372047431/l50

569 名前:日本@名無史さん :2014/04/06(日) 12:39:28.23
ジャムリンって何者なんだ?
そんな悪い奴なのか?

570 名前:日本@名無史さん :2014/04/06(日) 12:54:41.47
>>569
ジャムリンは偉大な天才歴史学者です。
イケメンで長身、髪はフサフサの美形青年です。
フェラーリ・ベンツに乗って美女に大人気、誰もが羨む男の鏡、神の化身のような大英雄です。
383日本@名無史さん:2014/04/08(火) 06:50:31.32
武士の文化はマレー系や台湾の高砂族の文化と結構似ている。

首を切り落としたり、やたらとプライドが高かったり。

マレー系というのは、弥生人に制圧されて東日本に逃げた
縄文人と同じで部落民認定されてただろ。
384日本@名無史さん:2014/04/08(火) 07:00:22.50
講武実用流 江戸幕臣(東京都)
中西派一刀流 江戸の浪人(東京都)
天真一刀流 江戸高崎藩士(東京都)
天真白井流 江戸岡山藩士(東京都)
一刀流高柳派 江戸幕臣(東京都)
北辰一刀流 陸奥の富農(宮城県)
浅利派一刀流 下総松戸の町人(東京都)
直心影流男谷派 江戸幕臣(東京都)
直心影流長沼派 江戸沼田藩士(東京都)
直心影流島田派 豊後中津藩士(大分県)
神道無念流・戸賀崎流 武蔵埼玉郡の富農(埼玉県)
神道無念流・岡田派 武蔵埼玉郡の富農(埼玉県)
神道無念流・斎藤派 越中仏生寺の百姓(富山県)
鈴木派無念流 江戸尾張藩士(東京都)
扶桑念流 武蔵熊谷の町人(埼玉県)
不二心流 肥前島原藩士(長崎県)
鏡心明智流 駿河沼津藩士(静岡県)
心形刀流 江戸幕臣(東京都)
馬庭念流 上野馬庭の富農(群馬県)
本間念流 上野赤堀の富農(群馬県)
神道一心流 上野利根郡の富農(群馬県)
柳剛流 武蔵葛飾郡の富農(埼玉県)
天然理心流 武蔵多摩郡の富農(東京都)
甲源一刀流 武蔵秩父郡の富農(埼玉県)
甲源一刀流・比留間派 武蔵梅原の富農(埼玉県)
法神流 上野勢多郡の富農(群馬県)
気楽流 上野緑野郡の富農(群馬県)
立身流 下総佐倉藩士(千葉県)
香取神刀流 常陸笠間藩士(茨城県)
大石神影流 筑後柳川藩士(福岡県)
加藤田神蔭流 筑後久留米藩士(福岡県)
薬丸示現流 薩摩藩士(鹿児島県)
385日本@名無史さん:2014/04/08(火) 07:01:16.70
まあた訳の分からないこといっちゃってよwww
なんらかの正当性とろうと必死だな^_^
386日本@名無史さん:2014/04/08(火) 13:19:32.29
チョンがたてたスレがそこそこ伸びてんだな。
387日本@名無史さん:2014/04/08(火) 16:41:29.35
南チョンはホントごみだな、北チョン以下
388日本@名無史さん:2014/04/08(火) 21:48:16.51
つうか武士は浮囚や隼人がひとつの起源なのは事実だろ
現実として奴隷が武士の始まりなのは否めない
世界でもスルタンとか奴隷王朝があるように珍しいことじゃないしな
389日本@名無史さん:2014/04/08(火) 22:07:18.11
>>383
縄文人が弥生人に支配された事は無いな
縄文人が弥生人を支配していた
遺伝子が証明している
男系 縄文が多い
女系 弥生が多い
390日本@名無史さん:2014/04/09(水) 09:24:22.94
安倍の集団的自衛権がなんでおかしいかと言うと
他の先進諸国が海外から入国さえ拒否されてる野蛮民族(パキスタンエジプトインドネシア中国韓国etc...)
を山ほど移民させてるのに、つまり放っておいても日本人は国内、内側から滅亡させられる状況を作ってるのに
さらにその存亡の危機にわざわざされてる日本人男子を徴兵してまで守らせる戦わせる意味は全くないからである!

日本国内における移民の数は現在ほぼ300万人(外国にこんなバカなことする国はまずない!)

この野蛮人移民を今後さらに20万人ずつ増やす予定(実際はそれ以上)

日本人の所得の1/10以下の野蛮人達(留学生を含む)が日本に来て数年で数千万円の所得を手にできるのは

日本人の税金から支給されるため。日本人の重税はそのため。消費税増税は野蛮人移民の生活費遊興費に充てられる。

野蛮人移民たちは日本へ税金も保険料も払わずタダで日本医療を受けられそれは一生日本人が負担し続ける。

SUICAなどで移民は消費税控除され払わない,
日本への税金は一生払わない。→日本人の貧困→奴隷化→子供を学校にさえ通わせられない日本人
391日本@名無史さん:2014/04/09(水) 11:35:57.22
宗教から歴史、天皇、政治経済まであらゆる情報の宝庫!

本日の講義は『大日本帝国は生きている 特攻隊の精神』です。

桜のように美しく咲き、そして潔く散る… それが日本人の魂!

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
392日本@名無史さん:2014/04/09(水) 21:48:13.04
>>388
武士は浮囚や隼人とは一切何の関係も無く
臣籍降下した王家やその実務者が起源な。

相変わらず在チョンの願望は現実とは程遠い捏造でしかない
393日本@名無史さん:2014/04/09(水) 21:57:47.21
俘囚が奴隷なら朝鮮民族は
古代から全員奴隷民族だなwww
394日本@名無史さん:2014/04/09(水) 21:58:47.84
>>392
武士の戦法はエミシの影響を受けている
395日本@名無史さん:2014/04/09(水) 23:09:37.05
▽幕末の剣聖
男谷信友(東京都墨田区出身、直心影流)
▽幕末三剣士
男谷信友(東京都墨田区出身、直心影流)
島田虎之助(大分県中津市出身、直心影流)
※比留間与八(埼玉県日高市出身、甲源一刀流)
※大石進(福岡県大牟田市出身、大石神影流)
※伊庭秀業(東京都台東区出身、心形刀流)
▽中西道場三羽烏
寺田宗有(東京都文京区出身、天真一刀流)
白井亨(東京都千代田区出身、天真白井流)
高柳又四郎(東京都出身、戸田流高柳派)
▽天保の六剣士
男谷信友(東京都墨田区、直心影流)
長沼恂郷(東京都港区出身、直心影流)
杉浦源次兵衛(茨城県笠間市出身、香取神道流)
千葉周作(宮城県古川市出身、北辰一刀流)
加藤田平八郎(福岡県久留米市出身、加藤田神蔭流)
大石進(福岡県大牟田市出身、大石神影流)
▽幕末著名流派別最強剣士
男谷信友(東京都墨田区出身、直心影流)
中西子正(東京都千代田区出身、中西派一刀流)
千葉栄次郎(東京都中央区出身、北辰一刀流)
岡田十松(埼玉県羽生市出身、神道無念流)
桃井直正(静岡県沼津市出身、鏡新明智流)
▽明治の剣聖
榊原鍵吉(東京都港区出身、直心影流)
山岡鉄舟(東京都墨田区出身、一刀正伝無刀流)
下江秀太郎(栃木県鹿沼市出身、北辰一刀流)
396日本@名無史さん:2014/08/11(月) 01:44:49.39
武士は水争いの農民の殺気が根底な開発領主だから。
397横浜プロレタリア党:2014/11/26(水) 05:50:47.00
我々「横浜プロレタリア党」は「人類に残される最後の生活とは何か」を模索する、新左翼の政治結社である。

https://twitter.com/YOKOHAMA_PP

皆様の清きフォローを!
398日本@名無史さん:2014/11/26(水) 22:26:49.33
リアル・サイヤ人であるサムライという残忍で冷酷な戦闘階級が、数百年にわたって善良な民衆を虐げ、支配していた。
それが日本の封建時代。
399日本@名無史さん:2014/11/26(水) 22:49:02.90
>>1
武士は土地に根付いているが、極道、盗賊は
土地から切り離されている
400日本@名無史さん:2014/11/26(水) 23:36:27.41
399
そのとーり!
401日本@名無史さん:2014/11/29(土) 14:05:18.98
農民一揆の鎮圧に行って、逆に農民に竹槍で串刺しにされて死んだ武士って多いんだろうな。
402日本@名無史さん:2014/11/29(土) 19:25:11.10
ヤクザに斬り殺されたサムライも多いと思う。
403日本@名無史さん:2014/11/29(土) 21:24:26.30
>>401
たいていは武士は逃げ出して、
ほとぼりが冷めた頃に、交渉と称して
ある程度の妥協案を提示して、喧嘩両成敗で一揆の指導者を
処刑、体制側の責任者を切腹させて話をつけていたようだ。
404日本@名無史さん:2014/11/29(土) 21:38:16.06
武士とヤクザを同列で見たがるのは戦後のぬくぬくとした坊ちゃん世界の感性
だいたい武士が跳梁していた頃は日本全国百姓全部いまでいうヤクザみたいなもの
その中で武士が現れた
「暴力」への抽象を矮小化して現在の絶対化から判断するから
武士=ヤクザ
となる。戦後のぬくぬくとした中で学問をした学者にありがちな錯覚
405日本@名無史さん:2014/11/30(日) 07:26:06.50
そもそもその百姓からが、大半の武士がうまれてるんだが
406日本@名無史さん:2014/11/30(日) 09:37:18.83
太平の世の江戸時代なら、一揆の鎮圧で百姓に竹槍で串刺しにされたり、
ヤクザにぶった切られたりしたナマクラ武士も山のようにいただろう。
しかも、なにかしくじったら、すぎハラキリだし、マジ、サバイバル。
407日本@名無史さん:2014/11/30(日) 11:05:23.63
武士の一番恐いところは、些細な過失ですぐ切腹させられるところだな。
408日本@名無史さん:2014/11/30(日) 17:29:17.01
所詮、残忍で冷酷な戦闘階級だからな。
409日本@名無史さん:2014/12/02(火) 07:33:02.12
庄屋とか名主なんて、戦闘階級の末端の足軽にも土下座してたレベル。
410日本@名無史さん:2014/12/02(火) 08:08:08.35
という妄想な
411日本@名無史さん:2014/12/06(土) 10:42:44.40
庄屋の前身自体が足軽として戦場に駆り出されてた地侍だろ。
412日本@名無史さん:2014/12/06(土) 10:55:10.90
なにいってんだよていのう
庄屋の前進の地侍は騎馬格としての徴収だったから
その後庄屋は馬持って飼ってる庄屋が江戸時代あれだけおおいんだが?
413日本@名無史さん
庄屋は田舎の百姓。
武士に土下座する立場。