>>946 示現流
薬丸自顕流
の違いを理解して書きなおそう!
後者は前者の分派だけど全くの別物で、一時藩主も「異端」と認定。
薬丸自顕流ってさらに実戦的な荒々しい剣術らしいな?
腕力と技術の鍛錬で破断力一点集中で刀や兜ごと両断したという…恐ろしや
>刀や兜ごと両断
これこそ捏造だろw
薬丸自顕流は剣「術」というより、ヤンキー的な先制攻撃で名を馳せたと思う。
斬り合いになると思わなかったのにいきなり斬ってきた。
気づいたら剣を振りかざして走ってきた奴に切り込まれた。
間合いもクソもなく捨て身で切り込まれた。
こんな感じ。
横木打ちの反復練習で体躯が強靭だから打ち込みも鋭かっただろうけど。
>>950 多分両断は捏造
野太刀は刀身が肉厚なので切るというより鉄の棒でぶん殴るような感じ
兜の上からでもボコボコにぶん殴られたら中の人は当然無事ではすまない
まさにヤンキーが奇声をあげながら金属バットを振り回して暴れてるイメージで、
我々が想像するような武士の戦闘とはかなりかけ離れている
>斬り合いになると思わなかったのにいきなり斬ってきた。
口は便利だね
朝鮮人の言い訳みたい(プッ
野太刀自顕流はタイムマシンで見に行きたいものの一つ。
>日本史上もっともセコい流派としての評価もある。
ワロタw
956 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 01:13:44.64
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【示現流】
薩摩地方で盛んであった、剣術の流派。
先制攻撃を重視する流派であり、
相手が戦闘態勢に入る前に一刀で討ち倒してしまうのが特徴。
京では、かの新選組も示現流の一の太刀を恐れたと言われる。
一方で日本史上もっともセコい流派としての評価もある。
剣術の試合はお互いに頭を下げ礼の姿勢をとってから始めるのが作法なのだが、
大名も観覧する交流試合でのこと、薩摩藩の剣士が
礼をしている相手の頭をいきなり討ち込んだというのだ。
会場は騒然となったが、薩摩藩士はドヤ顔だったという。
ルール上は問題なしという裁定で薩摩藩士が勝者になったが、
観覧していた大名たちは嫌な顔をして帰ってしまったそうだ。
薩摩の衆道は江戸でも有名で、
品川の薩摩屋敷前は、屈強な男でも、お尻を押さえて駆け抜けたそうだ。
島津幕府
開けなかったね
西郷と月照、西郷と桐野利秋は肉体関係あったんかな?
しかし、鹿児島のお隣の沖縄土人はいつまでたっても乞食のまま成長しないな
先の大戦で殺戮された先祖の不幸を利用する乞食ばかり
先祖が不幸な死を遂げたのは全国各地にいくらでもあるが、
その不幸を利用するような恥知らずは沖縄土人のみ
同じ釜の飯を食った仲っていう例えがあるけど
薩摩では同じカマを掘った仲って言ってたのかな?
962 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 08:18:35.97
>>949 人に捏造すんなって言っといて(捏造じゃないし)、しれっとこんな捏造をかますのが薩摩信者。
脳筋馬鹿だから、司馬小説にでも書いてあったヨタ話をそのまま信じ込んでるだけで、
嘘をついてる自覚がないのかもしれないけど。
963 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 08:46:12.45
>>946 >大名も観覧する交流試合でのこと
そんな交流試合がどこであったんだよ。 明らかに分かる嘘つくな
964 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 09:14:11.52
御前試合ってあるよな
965 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 10:50:51.42
どこの大名の前で、誰と誰の試合だよ。あたかも見てきたかのような描写なら、
しっかりしたソースを出してみろよ。
>>963 御前試合もしらないのか
ソース以前にバカだろお前。
それ書いたの俺じゃないけど、示現流には礼がないというのは確か。
薩摩人は武士道云々や正々堂々と勝負することよりは、「勝ちさえすれば良い」
「勝てば官軍」という価値観を持っていた。
それはそれである種合理的ともいえるし、それでいいじゃないか。
ただそういった連中が帯刀しているからと言って「武士」と読んで良いのかは
疑問だが・・・
968 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 11:54:25.08
元寇の時、鎌倉武士が「遠からん者は…」と名乗りを上げてる間に蒙古兵は
かまわずに攻撃した。これは蒙古兵にはそのような習慣がなかっただけで、
卑怯と責めるのは筋違いである。
同様に蛮族隼人族の戦士に日本の武士道を理解しろというのにも無理がある。
969 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 11:56:20.36
970 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 12:09:35.55
自顕流が明治維新の立役者であったと言われているほど、
強かったのは剣術によるところもあるが、当時の薩摩藩士個人の
体格的優越性が大きかったと考えられている。他藩よりも圧倒的に栄養摂量が
優っており、他藩との体格差は歴然としていたそうである。
>>967 なるほど
>「勝ちさえすれば良い」 「勝てば官軍」という価値観を持っていた。
で、ソースはw
お前の脳内はホント便利だなw
972 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 12:42:39.63
自顕流が先制攻撃を重視していた。
それはお前らが意図的に曲解しているように、相手の不意をつくわけではない。
攻撃に特化した構え、速い踏み込み、強靭な体幹、腕力により相手よりも一瞬でも先に
自分の剣が相手に到達することである。
973 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 12:48:56.25
因みに自顕流には防御の技は一切存在しない。
生麦事件で羊馬に乗った英国人を切りつけた奈良原は「抜き」で抜刀しながらジャンプして
一切りだったという。 如何に強烈な一撃必殺剣であったかの一例である。
ここは日本史板とは思えん脳内妄想てんこ盛りの糞スレだなw
975 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 13:48:58.25
戦場とか実戦なら礼も何もなかろうけど
やっぱ、試合の場合は日本人なら礼は重んじないといかんよな
示現流は薩摩でも下級藩士の戦術じゃなかったっけな
技術よりも実戦に役で立つ精神道だよな
977 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 16:26:14.40
>>970 ソースは?w
おれがどこかで読んだ情報では、
薩摩軍が江戸に進軍して来たとき、江戸の町人たちは
どんなに恐ろしい兵隊が来るのかと戦々恐々としたが、
現れたのは小人みたいなおっさんの集団で、いい物笑いの種だったとか
>現れたのは小人みたいなおっさんの集団で
お前さ、おもしろいんだけどソースないとだめだぜw
まぼろしの島津幕府
981 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 22:06:53.59
江戸で観察された薩摩藩士の記録というと、
放火、強姦、犬食い、ホモ、小人の行進、そんなのばかりだ
>>976 >示現流は薩摩でも下級藩士の戦術じゃなかったっけな
示現流を下級藩士が習うことができると思っている無知が、日本史板にいたのかw
それも、戦術wとか。
まあ外国人だから、日本語が不自由なのは多めに見てあげるけど。
983 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 23:04:54.66
wikiでは
幕末期の薩摩藩主、島津斉彬が示現流の稽古を見た際に、
「まるで気が狂った輩の剣術だ」と評したと云われている(ただし、これは島津斉興が薬丸自顕流を指した言葉とも言われる)
となってるけど、京で新選組が示現流の一の太刀を恐れたって言われてるのは薬丸自顕流のことだろ
986 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 23:46:11.85
そう、薬丸自顕流は明治維新を叩き上げたといわれている。
988 :
日本@名無史さん:2013/02/11(月) 00:32:14.38
>>988 いやお前さ、どこで見つけてくんだよこれwww
>>984 >へーそうなん?じゃあこの人は嘘言ってんだな
YoutubeへUPしたやつが、アホなんだろ。
示現流じゃないよ。
それは野太刀自顕流。
示現流に横木打ちなんて無い。
その程度の常識も知らないのw
992 :
988:2013/02/11(月) 02:45:49.94
>>989 いや、俺の姿を友だちに撮ってもらったんだけどね
自顕流って真剣勝負なら相当勇が要ったろうな
994 :
日本@名無史さん:2013/02/11(月) 07:23:37.88
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【模倣と起源詐称】
ようするにパクリです。
パクッたものをさらに、これは自分たちが創り上げたかのように詐称します。
・琉球から唐芋をパクり、「さつまいも」として流布。
・琉球からチキアゲをパクリ、「さつまあげ」として流布。
・琉球から泡盛の製法をパクリ、「焼酎」として売る。
・琉球から豚をパクリ、「さつま黒豚」と命名。
・ヨーロッパのガラス製品をパクリ、「薩摩切子」として売る。
・朝鮮から陶工ごとパクリ、「薩摩焼」として売る。
・屋久島の屋久杉をパクリ、「薩摩杉」として売る。
・イギリスのボーイスカウト制度は、薩摩の郷中教育がモデルと詐称。
・醤油の英語名ソイソースは、薩摩弁の「そい(しょうゆ)」が起源と詐称。
996 :
日本@名無史さん:2013/02/11(月) 07:42:00.10
剣術関係は幻想多いよ
新撰組は集団で囲んで後ろから斬ってるし
示現流は戦場では通り魔に近い
まあ戦場だからねw