819 :
zarakoku:
また転写です。
you*****さん、始めまして。
私も、古田本を初めて読んでから、もう40年を越えましたし、
60歳になってから、掲示板での古代史トピに参加しましたが、
通説側からの、「記紀には卑弥呼や倭の五王の明確な記載がない」、という事の明確な説明や理由など、全く聞いた事がありません。
それどころか、掲示板の議論などで、
魏略の「聞其舊語、自謂太伯之後」が、倭國人は自ら「自分たちの舊は太伯之後だ」と語っている事や、
日本書紀私記の「•問:此國稱姫氏國,若有其説乎?◦師説:梁時寶志和尚識云:東海姫氏國.又本朝僧-善櫋推紀云:「東海姫氏國者,倭國之名也.」」とある事や、
『通鑑前編』でも「以為、呉亡子孫入海為倭、故倭自云呉泰伯後。」としており、
新撰姓史録の「松野連 出自呉王夫差也 」とあって、呉王夫差が太伯之後であり姫氏である事などから、
松野連家系図が焦点になり、
明治初期の東大教授の鈴木真年という系図研究家が、松野連家の子孫が江戸前半までの系図を残していたので、それの情報収集をされ、
更に、尾池誠氏や古田さんらのグループの平野雅曠氏が情報収集して纏められたものが、「和性に井真成を奪回せよ」越境の会編の85頁に載っており、
それに拠れば、
呉王夫差の子孫が火の国山門に居を構えて、そこから委奴の地や大野へ広がった事が書かれ、
倭奴国王や卑弥呼や壹與?の名や、熊襲の名前などや、倭の五王の名前が書かれ、
倭王武の次の代まで書かれた後、突然倭王でなくなって臣下になった事が書かれているんですが、
それが、丁度、『百済本記』の「日本天皇及太子皇子倶崩薨」や、磐井の死亡事件や、
東海姫氏國を記した梁の寶志和尚の「野馬臺國滅亡と倭の女性1000人余りの流浪」譚とも一致するのですよ。
だから、卑弥呼や倭の五王は、呉王夫差の後裔の姫(キ)氏でしょうね。
倭の呉王がいたと思われる久留米の高良大社の隆慶上人伝にも、キ(紀)氏が九州や半島の王であった事が記録されているようです。