古田史学および古田武彦について語るスレ6

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1日本@名無史さん
前スレ
古田史学および古田武彦について語るスレ5
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1348294879/
2日本@名無史さん:2012/10/27(土) 19:57:03.67
馬鹿につける薬無し
3日本@名無史さん:2012/10/27(土) 20:34:59.18
弥生時代末期の筑紫、博多。
漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)の奴国も、跡継ぎを巡る「大乱」により卑弥呼(アマテラス)の
邪馬台国に国を譲る。これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と交戦状態になり、「和」国は分裂。卑弥呼はその最中に急死する。
【分裂した「和」国】
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)・筑紫/宇佐→安芸→吉備→「大和」
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)・日向↑ 【神武東征ルート】
....................隅国(鹿児島)
卑弥呼の跡を継いだ筑紫邪馬台国♀女王「台与」は日向投馬国王♂を婿として迎えた後、薩摩隅国(隼人)との三つ巴で
肥後狗奴国 (後の熊襲)を滅ぼし、「和」国を再統一する。その男系子孫であることを示すため、神武は投馬国(日向)から出航し、
「和」国の首都を筑紫・博多から「大和」へ東遷。「大王(おおきみ)」に即位し、「大和」朝廷を樹立した。
※記紀が、投馬国の祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)をその姉としたのは、
(投馬国王と台与の末裔である)天皇家の系図操作。漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は建国の功績を消され出雲に祀られる。

【大和朝廷における、♂投馬国(日向)系大王と♀邪馬台国(筑紫)系大王の(それぞれの男系が途絶えたことによる)政権交代】
〔前期古墳〕…イリ三輪(銅鏡)王朝(神武〜仲哀)=♂投馬(日向)系大王
〔中期古墳〕…ワケ河内(鉄剣騎馬)王朝(応神〜武烈)=♀邪馬台(筑紫)系大王(百済へ軍事援助で王権強大化)
〔後期古墳〕…近江王朝(※継体〜天智〜桓武〜現在)=♂投馬(日向)系大王

-継体・安閑・宣化=日向系大王。継体の大王即位が筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫君・磐井の乱」を誘発
-欽明〜皇極(斉明)=筑紫系大王。筑紫系大臣、蘇我氏による日向系皇族大弾圧→「乙巳の変」へ
-天智・弘文=日向系大王。「白村江の戦い」惨敗→百済滅亡で半島権益を完全喪失。国費大消耗→「壬申の乱」へ
-天武〜考謙(称徳)=筑紫系「天皇」。両系和解の記紀編纂(日向系大王の活躍=筑紫系大王の活躍)→「道鏡事件」へ
-光仁・桓武〜現代=日向系天皇。筑紫系天皇の奈良・平城京から、本拠地・近江(琵琶湖)近くの平安京に遷都
4日本@名無史さん:2012/10/27(土) 20:49:01.18
邪馬台国所在地の各説マッピング

           【現実】
        九州(東遷)説
.            ↑
【左翼】(非国民)←┼→【右翼】(無知蒙昧)
 九州(王朝)説  ↓  畿内説
           【妄想】
5日本@名無史さん:2012/10/27(土) 22:07:31.21
>>2
>馬鹿につける薬無し

アホは死ななきゃ直らない
6日本@名無史さん:2012/10/27(土) 22:44:16.77
>> 前スレ996

たくさんの史料を知ってる人間は、史料の記述が間違っている事例を数多く知ってるから、
前スレ995のように言う。

古田氏が紹介してくれた程度の文面しか読まない、知識不足の人は、
誤っているはずがないという。
7日本@名無史さん:2012/10/27(土) 22:49:30.16
>>6
古田氏の論って、それだけ読んでるとすごく説得力があるように思えるけれど、
引用元の文献をきちんと読むと、おかしな所だらけだということがわかる。
8日本@名無史さん:2012/10/27(土) 23:08:42.36
この手の本は、アイデアを参考にして、
自分で膨らませていくもの。

参考にならなきゃ、無視するだけ

参考にするのは悪いことではないが、
信者にはならんようにしないと。
9日本@名無史さん:2012/10/28(日) 02:02:40.63
ふと、タイトルに惹かれて本を買った。

「日刊がタブーにする半島の歴史」(室谷克美、新潮新書)

冒頭からいきなりの古田汚染。
邪馬壱国,短里,ダイ国...

ここまで古田説にどっぷり浸かってる人も珍しいと思うレベルだったよ。
文面考察の浅薄さも古田流か。
10日本@名無史さん:2012/10/28(日) 05:21:20.31
史料の記述に誤りが無いと信じることは
他人の主張を盲目的に受け入れることと同義

古田信者は東大研究員のIPS研究も信じるのだろうな
11日本@名無史さん:2012/10/28(日) 08:04:40.14
倭人伝の記述が、全部誤りとするのが畿内説。
全否定しなければ、畿内などいくはずはないから。
12日本@名無史さん:2012/10/28(日) 08:26:25.86
御大が捏造した多元史観に騙されただけで、古田信者は悪くないと言いたい。

むしろ統一教会信者と同じく、いかに脱洗脳させてあげるかが漏れら2ちゃんねらーの役目だと思う。
13日本@名無史さん:2012/10/28(日) 08:28:23.39
バカは死ななきゃ治らない
14日本@名無史さん:2012/10/28(日) 08:37:33.42
@近つ飛鳥博物館長・白石太一郎(畿内説)憎し
Aアメノタリシホコ≠聖徳太子

この2つが信者たちが御大の捏造した多元史観の元凶で、ここに納得すれば信者を脱洗脳できると思われ
古田信者と書いて「古田(が)儲(かる)」と読める
15日本@名無史さん:2012/10/28(日) 08:39:39.41
↑訂正
この2つが、日本赤軍や兵庫の大量殺人事件同様、信者たちが御大の捏造した多元史観に洗脳された元凶
16日本@名無史さん:2012/10/28(日) 11:03:33.94
ヤマトに先んじて、東北や九州に先進的な文明が誕生していた。
と、同時にヤマトを圧倒していたという史実を認めたくないんだろうな。
これは感情的・宗教的な信念に基づいてるだけになかなか厄介だよ。
17日本@名無史さん:2012/10/28(日) 11:07:05.26
>>15
この論法でいくなら、大和信者が第2次大戦で300万人の日本人を犠牲にした、ということになるな。
18日本@名無史さん:2012/10/28(日) 11:10:22.65
何圧倒って
ボクの鉄器は世界一ってやつ?
無敵鉄器軍団は産業革命に匹敵するってやつか
冗談もほどほどにしとけよ
19日本@名無史さん:2012/10/28(日) 11:14:34.16
古田武彦の言ってることは正しいと思うよ
ただ白村江以降の寝言だけはバカだけど
天智は普通に親百済派の大和朝廷の有力者だろう
20日本@名無史さん:2012/10/28(日) 11:26:51.45
裸国、黒歯国は南米大陸北半(エクアドル)にあるってやつとかも?
21日本@名無史さん:2012/10/28(日) 11:32:31.55
自民・公明じゃ何も変わらない
「民主」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「みんなの党」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「小沢」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「維新の会」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「石原」ならなんかやるだろ     ←いまココ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「第三極大連合」ならなんかやるだろ   
そんな感じじゃね?
22日本@名無史さん:2012/10/28(日) 11:46:13.68
もしかして、短里派って「東日流外三郡誌」とか「ホツマ」とか信じてるの?
今自分が不遇なのは中央から虐げられてるからだって思ってて、東日流外三郡誌に共感してるとか
ついでに安保がぁーとか

いつまでも甘えてんじゃねーよ! ボケ!
お前らの心の友、管のせいでどうなったと思ってんだ
23日本@名無史さん:2012/10/28(日) 13:49:19.57
>>22
おいおい、菅と何の関係があるんだ?

それじゃ、300万人の犠牲者を出した大和信者の責任はどうするっていう話と同じだぞ?
24日本@名無史さん:2012/10/28(日) 13:52:17.36
管は、一番エグい殺し方でたのむ。
25日本@名無史さん:2012/10/28(日) 14:07:16.37
大和信者が、ついに狂っちゃったのか。
26日本@名無史さん:2012/10/28(日) 14:21:33.64
17と23は何を言ってるの?
キチガイだからスルーした方がいい?
短里信者はちゃんと人間に分るように因果関係を説明するように
27日本@名無史さん:2012/10/28(日) 14:24:56.11
マジに安保がぁーのサヨクが短里信者ってことか
短里信者ちと気の毒に。この手の輩が中心とはwwww
28日本@名無史さん:2012/10/28(日) 14:31:28.26
どうりで中国の文書に絶対間違いはないとか言うはずだわ
鉄器もってれば、相手は必ず降伏するから戦争にならんとか。無防備マン全開で
いいから、中国でも北朝鮮でもいいからそっちに住めよ
29日本@名無史さん:2012/10/28(日) 14:46:47.11
>>15
>>23
>>25

竹島と尖閣諸島は何処の国の領土か言ってみろ
30日本@名無史さん:2012/10/28(日) 14:57:15.37
竹島も尖閣も日本です。
邪馬台国は九州です。
31日本@名無史さん:2012/10/28(日) 15:14:12.83
>>16
紀元前の九州が日本列島内で最も進んだ文明を持っていたことは、
畿内説の人でも大半が受容してるよ。

九州の独走がいつごろ終わったかという点で議論が分かれているといった方が正しい。

鉄器独占時代が紀元前後には終わっちゃったことも考えたら、独走の時代も同様だろうさ。
32日本@名無史さん:2012/10/28(日) 15:18:10.39
>>29
尖閣は昔から中国の一部だ。
なんせ、尖閣を領有していた琉球国が中国の一部だったんだからな。

日本?
ああ、倭国はもちろん中国の一部だぞ。


などと言い出しそうなあの国の主張はいつでも話半分で聞き流さざるをえない。

国全体が中二病を煩ってるような、「厨国」だしな。
33日本@名無史さん:2012/10/28(日) 15:28:37.60
   

などと言い出しそうなあの国の主張はいつでも話0%で聞き流さざるをえない。
34日本@名無史さん:2012/10/28(日) 15:36:17.72
>>32-33
ごたく並べずにどこの国の領土か言ってみろよ
クソサヨクが
3533:2012/10/28(日) 15:44:54.72

歯舞、色丹、国後、択捉、竹島そして尖閣は日本の領土である。   
3633:2012/10/28(日) 15:54:09.00
   
憲法を改正し、自衛隊に交戦権を与えなければならない。

37日本@名無史さん:2012/10/28(日) 15:58:19.31
>>36
領土を侵害されてる以上、
今の憲法でも交戦可能なので、問題ない
38日本@名無史さん:2012/10/28(日) 16:19:32.64
今の憲法では、外国とのもめごとに武力をもってあたってはいけないとなっています。
例え、国内にせめこまれてもです。
3933:2012/10/28(日) 16:49:26.27
>>37
間違いです。

今の憲法では、外国軍が、国会、裁判所、、内閣府と行政官庁(自衛隊基地も含む)を
占拠しても武力行使をして解決してはならないことになっています。

それらに対応できるのは警察権(警察と海上保安庁)だけです。
自衛隊は、自分たちが殺されても、破壊されても、見ていること意外は許されません。
それが現在の憲法なのです。
40日本@名無史さん:2012/10/28(日) 17:09:19.97
アホらしい
41日本@名無史さん:2012/10/28(日) 17:25:49.47
>>39
安心せい
実は日本には「超法規的措置」という、伝家の宝刀がある
4233:2012/10/28(日) 17:29:24.97
>>40

そうです。
そのアホらしいのが現在の憲法です。


わたし短里論者です。
43日本@名無史さん:2012/10/28(日) 17:32:49.50
>>29
諍いのある地域が自分の国のものじゃないと気がすまない、なんていう幼稚な自己拡張意識は俺にはないよ。

日本が平和で豊かであることが一番大切。
そのための解決方法を探らずに、領土だ戦争だ、とバカの一つ覚えで叫んでる領土信者を軽蔑してる。

このスレにも国民の生命財産より領土が大事という馬鹿がいるようだから、スレチだけど、答えておくよ。
4433:2012/10/28(日) 17:33:52.57
>>41
「超法規的措置」と言う伝家の宝刀はありますが、

「超憲法的措置」と言う宝刀はありません。
45日本@名無史さん:2012/10/28(日) 17:40:37.54
憲法とか領土とかこのスレと関係ないやん
なんでもかんでもイデオロギーと絡めるなよ
46日本@名無史さん:2012/10/28(日) 17:41:31.76
>>39
それはお前個人の解釈
47日本@名無史さん:2012/10/28(日) 17:44:36.80
古田信者見苦しい
4833:2012/10/28(日) 17:44:58.77
>>43

領土が守れないような体制では、
国民の生命財産を守ることが出来ません。

現に領土問題が発生しているところでは、
今までにどれだけの国民の生命財産が外国に奪われたかご存知ないようですね。
49日本@名無史さん:2012/10/28(日) 17:46:09.41
>>45
一理あるが、九州説&短里派はイデオロギーから発生してるのがいるからしゃーないだろうな
九条教の連中と話し合いが成立しないの一緒だ
どうも何言っても論をズラす思ったよ
サヨク弁護士見ても嘘や捏造てんこ盛りだしな
5033:2012/10/28(日) 17:50:22.97
>>46
>それはお前個人の解釈

最近の尖閣問題で政府が警察権の行使以外に対応が出来ないのをご存知ないようですね。
51日本@名無史さん:2012/10/28(日) 18:01:18.50
>>48
そういう幼稚な紋切り型の妄想じゃなくて現実を見ろ。

ロシアとウクライナの間では名目と実質を分け合う形で解決させた。
EUがノーベル平和賞に選ばれたのも領土問題の解決の糸口ということだ。

お互いに譲らないところは、スペインとイギリスのように現状固定のままで先送り。
これが先進国の解決方法。

日本と中国も尖閣先送りの「密約」があったが、石原に煽られた野田が幼稚な判断でこれを破った。
もともと実効支配していたのに、国際社会の前に醜態を晒してしまった。

ノーベル文学賞の選考も、このことと無関係ではないだろう。
5233:2012/10/28(日) 18:02:30.20
>>49

憲法改正論者は短里論者であればサヨクですか?
53日本@名無史さん:2012/10/28(日) 18:03:39.02
>>38-39
え?
憲法上は自衛権まで禁止されてはいないから、
本来的には、攻め込まれたら応戦することが可能なはずだぞ。
ただ、憲法じゃなく個別の法律の規定で、事実上は応戦することができなくなってるんだ。

防戦すらできないのは憲法が原因じゃなく法律の問題。

おれ32は、短里否定派だ。つか古田説否定派な。

あと、>>34
尖閣は日本の領土だし、いちおう最近までは実効支配が続いてきた。
ただ、厨国が半世紀も前から尖閣を狙い続けてきただけでな。

ただ--
北方4島は、アメリカの失策その他のせいで、ロシアの実効支配が早期に行われてしまってるし、
その状態が半世紀以上も続いてるわけだから、奪還の難易度が高い。

竹島は、それらの中間的な状態かな。


関係する当事国の双方が「ここは我が国固有の領土であって、領土問題など存在しない」と主張している状態って、
客観的に見れば明白な領土問題だよね。
「領土問題など存在しない」とか、言葉遊びレベルの詭弁だよね。
54日本@名無史さん:2012/10/28(日) 18:05:13.72
>>49
>どうも何言っても論をズラす思ったよ

あー確かに
前スレでも全く話が噛みあわなくてなんなんだこいつ等って思ったが、
そういうことか
5533:2012/10/28(日) 18:12:22.70
>>51

あなたの書いていることは領土問題解決方法の一例です。

そのような解決方法に至るには、憲法改正のような準備が必要です。

アルゼンチンとイギリスがフォークランド問題でどのような対処をしたかご存知ですか?
5633:2012/10/28(日) 18:23:06.19
>>53
>防戦すらできないのは憲法が原因じゃなく法律の問題。

防戦に関する法律が無いのが問題ではなくて、
憲法が原因で防戦に関する法律が作れないからです。
57日本@名無史さん:2012/10/28(日) 18:26:19.87
>>55
フォークランド紛争(戦争)がなぜ引き起こされたかということにも関心を向けることだ。

幼稚な領土意識を利用して反体制派の不満をそらせようとしたことから戦争になった。
それこそ、歴史から学ぶべきこと、だ。

先進世界では一方的な侵略はできない。

「世界の警察」はアメリカだけではない。
先進世界すべてが「世界の警察」の役割を担っているし、それ以上に身動きの取れない経済の絡み合いの上で成り立っている国際情勢というものがあることを忘れてはいけない。
58日本@名無史さん:2012/10/28(日) 18:26:57.28
>>51
EUという重石があるから、スペインとイギリスは現状固定・先送りが可能になる。
日韓は、アメリカが重石になりうるから、竹島問題も、現状固定・先送りは可能かもしれない。
ところが、日中間には、そのような重石がない。
それでも、先進国同士なら信頼で現状固定・先送りができるが、中国は先進国とは言えない。
そこが問題。
59日本@名無史さん:2012/10/28(日) 18:41:22.37
>>58
「日中共同声明」のときに、先送りの「密約」があった。
そんなことは、すでに「密約」というより公開情報に近い。

これを日本から破ろうとしたために、中国は大きなデモンストレーションを展開している。
デモンストレーションのうちに、密約ラインまで戻す方法を考えるのが政府の役割。

幼稚な領土意識で解決を遅らせれば、国民の生命と財産に対する打撃がさらに大きくなる。
中国側の打撃が大きい、などとチキンレースをけしかけるのは日本人に対しての犯罪に等しい。


60日本@名無史さん:2012/10/28(日) 18:54:49.39
破ったのは中国だろ
61日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:02:50.71
>>60
尖閣問題発端の民間人の越境など逮捕送還で十分。
それを大騒ぎした前原にのって石原も騒ぎ出して、野田が沈静化のつもりか頓珍漢な対応をした。

中国だからと言って民間人は民間人。
混同することじゃない。

逮捕したことだけで実効支配の表明になる。
それ以上は密約の範囲を超える。
62日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:11:22.94
中国に密約を守る気があったら民間人を尖閣諸島付近に行かせないだろ
意図的に挑発してんだよ
63日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:17:36.42
>>62
中国人だからといって、すべて国家の言うがままだと思っちゃいけない。
仮に意向があったとしても、民間人は民間人。
妄想だけで現実を判断しちゃいけない。

このスレの本題のどちらかの信者にも当てはまるかも知れないが。
64日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:23:10.77
侵入禁止区域にすればいいだけでしょ
そんなのどこの国でも出来ること
6533:2012/10/28(日) 19:24:57.06
>>57
>フォークランド紛争(戦争)がなぜ引き起こされたかということにも関心を向けることだ。
>幼稚な領土意識を利用して反体制派の不満をそらせようとしたことから戦争になった。
>それこそ、歴史から学ぶべきこと、だ。

尖閣諸島問題では、アルゼンチンを中国に、イギリスを日本に置き換えれば理解し易い。
66日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:25:20.85
大体中国民主主義国家じゃ無いんだから

67日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:25:59.96
>>65
ただし、先に手を出したのは日本。
68日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:28:03.85
余所でやれよキチガイ
69日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:28:57.55
>>67
手なんか出してないだろ
70日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:34:29.19
領土問題は血が流れなければ終わらない。

歴史に学ぶならば、根幹である領土問題で譲歩する国は滅びる。
71日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:38:37.98
>>67
>ただし、先に手を出したのは日本。

過去20年間、毎回先に手出ししてきたのはいつも中国。
72日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:41:37.21
過去40年間、毎回先に手出ししてきたのはいつも中国。
73日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:52:49.98
ほんとに幼稚な連中がいるな。

外交に対する感じ方が幼稚園レベル。
幼稚園児にはなにを言っても理解できないんだろうな。

時々でいいから、その幼稚な領土意識が日本人300万人を犠牲にしたことを思い出せよ。
74日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:57:44.32
別の話をあたかも同じであるかのように語るのやめたら?
75日本@名無史さん:2012/10/28(日) 19:58:23.96
第二次大戦は、少なくとも日本は領土問題じゃないけどな。
76日本@名無史さん:2012/10/28(日) 20:02:53.06
>>74>>75
日本に対する経済封鎖が始まったのは満州国を手放そうとしなかったから。

領土問題そのものだよ。
77日本@名無史さん:2012/10/28(日) 20:05:58.01
スレチだからどっか行けよ
78日本@名無史さん:2012/10/28(日) 20:06:05.07
まぁーオマエラサヨクが暗躍してたらからな
満州は防波堤としても必要だったろうな
サヨクはいい機会だから、大好きな中国に移住しろよ
中国の文献ならいつの時代でも100%間違いなく信頼出きるんだろ
79日本@名無史さん:2012/10/28(日) 20:12:02.36
>>77
俺に言わずに、>>78みたいに絡んでくるお花畑に言ってくれ。
80日本@名無史さん:2012/10/28(日) 20:17:18.42
>>61
国境侵犯だけだったら送還が妥当だろうが、
抵抗して船ぶつけたりしたら公務執行妨害とか付かないのか?
収監の方が妥当じゃないのか?

>>67
尖閣周辺を非武装中立地帯にして双方とも立ち入らないままならまだしも、
中国側が先に周辺立ち入りを繰り返しただろ。
民間人の立ち入りを阻止する義務があるのにしなかったとか、そういう話ではなく、軍艦が尖閣周辺をうろつくことが何度もあったじゃん。

まあ、あの国の場合、それ以外の国境も... だったが。
81日本@名無史さん:2012/10/28(日) 20:20:41.88
領海に外国の軍艦が入って、従わなかったら、
普通に防衛出動するだけの話。
82日本@名無史さん:2012/10/28(日) 20:26:36.42
普通に防衛出動できないのが不戦憲法のある日本
83日本@名無史さん:2012/10/28(日) 20:27:39.41
今さら短里だとか九州王朝だとかの絵空事を議論しても意味無いからねえ
84日本@名無史さん:2012/10/28(日) 20:31:07.77
東夷の短里は約70m
85日本@名無史さん:2012/10/28(日) 20:41:36.72
侵略戦争はダメだが、防衛出動はOKだよ。
86日本@名無史さん:2012/10/28(日) 20:42:40.86
周脾算経では、公里の存在は証明できない。
87日本@名無史さん:2012/10/28(日) 20:58:40.26
>>80
要は双方が領土を主張しているから、「密約」がある。

詳細は不明でも、それぞれの領土の主張は妨げないが、双方実力行使はしない、というところだろう。
日本の実効支配を前提としての、逮捕、送還が暗黙の了解事項。
小泉政権はそれを踏まえて対応したが、野田民主は右往左往して問題をこじらせた。

抵抗したと言っても相手側からは逆に日本が妨害したという言い分になる。
ただの侵犯と同じ対応をするほかはない。

中国漁船を領海侵犯として排除することがおそらくぎりぎりの了解事項。
中国側が立ち入り制限をしているかどうかは知らないが、日本が了解を主張して漁船を排除しても口頭での抗議はあっても、暗黙裡に認めていた。

戦争をゲームだと思ってる幼稚な連中が、日本人の生命と財産に大きな害をもたらす。
戦争により得られるものがなかったことを、300万人の死者が教えてくれている。
88日本@名無史さん:2012/10/28(日) 21:32:04.39
>>to ローガン
結論を示す。

「南鈔漢邊,北拒丁令,東卻夫餘,西擊烏孫,盡據匈奴故地,
 東西萬二千餘里,南北七千餘里,罔羅山川、水澤、鹽池甚廣」

丁令:ロシア ザバイカリエ地方、
扶余:吉林省中南部
烏孫:モンゴル ドルノド県、モンゴル族の東端にいるモンゴル族の異分子

鮮卑:黒竜江省西部、吉林省西部、内モンゴル東部の大部分、ドルノド県東端部
  東西間距離7千餘里(500km)、南北間距離1万2千餘里(900km)
  山川が網目の様に広がり、沢や池が非常に広い地域散在している。
  これは、砂漠ではないことを表している。
  モンゴル ドルノド県の烏孫も砂漠地帯ではない。


モンゴルについての従来の定説は比定地を洗いなおさなければならない。 
89日本@名無史さん:2012/10/28(日) 23:06:57.24
>>to ローガン
続き

「東西萬二千餘里,南北七千餘里」を長里で従来説の方向で表すと、

東西間萬二千餘里(5000km)南北間七千餘里(3000km)となり、

鮮卑の範囲は、東が満州西部に、西がウズベキスタン アラル海に至ることになり、

南が内モンゴル東南部に、北が北極海に至ることになる。
90日本@名無史さん:2012/10/28(日) 23:32:48.22

烏孫をモンゴル ドルノド県にもってきたら、大月氏も西域も全部北に持って来ないとならなくなるな、大変だぞwww

91日本@名無史さん:2012/10/29(月) 00:51:21.40
>>88
すぐ後に、「乃分其地為中東西 三部。(中略)從上谷以西至燉煌,西接烏孫為西部, 二十餘邑,」という文があって、
問題の「東西萬二千餘里,南北七千餘里」の土地を中東西の三部に分けて、
「上谷より西で敦煌まで、西で烏孫に接する部分を西部とした」とあるよ。
烏孫は敦煌より西にあるのは明白なんだから、
敦煌より東にある、モンゴル・ドルノド県ではありえないよ。

それに、南北に縦長の土地なら、北中南の三部に分けるよね。
東中西の三部に分けたのは、土地が東西に長いから。
92日本@名無史さん:2012/10/29(月) 07:15:20.19
古田信者を脱洗脳させて、本当の歴史を追及する楽しみを味わってもらいたいなぁ〜

-九州王朝はなかった
-失われた大和朝廷
93日本@名無史さん:2012/10/29(月) 07:41:08.60
古田説自体、参考程度にしかしてないからなあ。
九州説論者ってそんなもん。

主力の古賀さんだってそんなスタンス。
94日本@名無史さん:2012/10/29(月) 08:40:54.77
古田武彦と古田信者って、洗脳占い師とオセロ中島みたいなもんだからな。
9588:2012/10/29(月) 11:44:25.71
>>91
「敦煌」と見れば、延髄反射的に甘粛省の西の端にあった
古代都市「敦煌」と決め付けるのはやめよう。

「敦煌」は、平地の丘の上の夜になると灯火の見える栄えている場所の意味です。
ドルノド平原真ん中の湖沼の畔の丘の上にポツンと栄えた集落があれば、
それが「敦煌」なのです。

「其地爲中東西三部」は地形に伴うわけ方です。
「罔羅 山川 水澤 鹽池 甚廣」とあるように、

中部は「罔羅山川」で内モンゴル東部の山と川を表し、
東部は「水澤甚廣」で満州平野西部の松花江流域を表し
西部は「鹽池甚廣」でドルノド平原東部の湖沼地帯を表しているのです。
96日本@名無史さん:2012/10/29(月) 12:32:50.09

古田説を押し通そうとすると事実を捩曲げなければならなく見本
97日本@名無史さん:2012/10/29(月) 12:42:33.97
そもそも、それって古田説に入るの?
98日本@名無史さん:2012/10/29(月) 16:24:57.15
>>95
乃分其地為中東西 三部。
【從右北平以東至遼】,東接夫餘、?貊為東部,二十餘邑,其大人曰彌加、闕機、素利、槐頭。
【從右北平以西至上谷】為中部,十餘邑,其大人曰柯最、闕居、慕容等,為大帥。
【從上谷以西至燉煌】,西接烏孫為西部, 二十餘邑,其大人曰置?落羅、日律推演、宴?游等,
皆為大帥,而制屬檀石槐。

東部は「右北平」以東〜「遼」
中部は「右北平」以西〜「上谷」
西部は「上谷」以西〜「燉煌」

東から「遼」「右北平」「上谷」「燉煌」が区切りになっている。
「遼」「右北平」「上谷」が良く知られた地名なのに、
「燉煌」だけが
>ドルノド平原真ん中の湖沼の畔の丘の上にポツンと栄えた集落
では説得力がないよ。
99ローガン:2012/10/29(月) 16:39:01.78
>>98
まあ、短里説とやらは、そういう類いのものでしょう。
100日本@名無史さん:2012/10/29(月) 16:54:33.90
>>95
>「其地爲中東西三部」は地形に伴うわけ方です。
>「罔羅 山川 水澤 鹽池 甚廣」とあるように、

これは、「盡據匈奴故地,東西萬二千餘里,南北七千餘里,罔羅山川、水澤、鹽池甚廣。」
「匈奴故地、東西萬二千餘里,南北七千餘里」(匈奴の故地は、東西一万二千余里・南北七千余里)
「匈奴故地、罔羅山川、水澤、鹽池」(匈奴の故地は山川・水沢・塩池を網羅し)
「匈奴故地、甚廣」(匈奴の故地は甚だ広し)
ですよ。

>中部は「罔羅山川」で内モンゴル東部の山と川を表し、
>東部は「水澤甚廣」で満州平野西部の松花江流域を表し
>西部は「鹽池甚廣」でドルノド平原東部の湖沼地帯を表しているのです。

こんなふうに、変な切り方はしないよ。
「罔羅山川」は主語がない。何が山川を網羅してるの?
一方で、「水澤甚廣」「鹽池甚廣」のほうは「水沢甚だ広し」「塩池甚だ広し」になっちゃってる。

101日本@名無史さん:2012/10/29(月) 19:41:13.96
いくら説明しようが、短里派は
そういう読み方もあるんだよって思ってる
何処までいっても平行線

そのうち資料全部読んだ訳じゃないだろと言い出す
102日本@名無史さん:2012/10/29(月) 20:27:06.34
>>101
中国語の読み方だから、生半可な素人が口を出せるところじゃないよ。
最終的には、中国の古典を解読できる学者に聞くしかない。

戦前なら中国古典の解読は普通のことだっただろうが、戦後は人気がなくなっちゃったんだろうね。
現代中国語を選ぶ人は多いだろうが、古典となるとね。
自分がとった中国古典のゼミでは出席が自分一人だったこともあるw
贅沢と言えば贅沢だったな。

その経験からすると専門家は総合大学にそれぞれ数名いるかどうかだろうし、その中でも、中国古代史料を解読できる人は限られてるんだろう。
まあ、だから結論がなかなか出ないんだろうけど。
103日本@名無史さん:2012/10/29(月) 21:25:29.39
>>102
学生は少ないけれど、学者は沢山いるよ。
あまり一般人が知らないような文献ばかり研究してるから、
一般人が、学者の存在を知らないだけ。
iPS細胞の山中教授のようなスターは生まれようのない分野だもんね。
日本中国学会とか東方学会とか日本道教学会とか、ちゃんと活動してる。
古典資料を読める人は、実はかなり沢山いる。
ただ、学界的に、倭人伝とか邪馬台国とかは、もう業績にならないから、
だれもテーマに取り上げない。
だから、邪馬台国の文献については、素人ばかりが、あーだこーだ言ってるのが現状。

渡邉義浩さんが専門家として珍しく本を出してるけど、
もともと後漢・三国が専門分野だから、そのおまけで倭人伝の本を出したんだろう。
104日本@名無史さん:2012/10/29(月) 21:50:33.52
>>103
その人の新書版の本読んだけど、とても専門家とは思えなかった。
はじめから結論を決めていて、それにあわせて読んでいくだけ。

要は大和信者と同じような根拠のない読解。

学校の教師だからと言って専門家ではない人も多いんじゃないか。
105川柳の大御所:2012/10/29(月) 22:08:32.25
図書館にあった。 予約済。  出版年月2012,5

3・9
106川柳の大御所:2012/10/29(月) 22:19:26.11
>>104
解除しようと思ったが、

なぜ邪馬台国は中国の東南海上に描かれたのか。畿内と九州どちらにあったのか。
「三国志」研究の第一人者が当時の国際情勢を踏まえて検証し、真の邪馬台国像に迫る。
巻末に「魏志倭人伝」の全文と詳細な訳注を収録。

まっ、一応読むべ。
107日本@名無史さん:2012/10/29(月) 22:24:28.36
>>104
古田説が相手にされていないという現実を受け入れなくちゃなw
108日本@名無史さん:2012/10/30(火) 00:21:33.26
>>107
そういう問題じゃなくて、新しい知見は何もなかったということ。
109日本@名無史さん:2012/10/30(火) 00:38:04.15
>>108
つまり、新しい知見というのは、本当は与太話ってことだ。
三国志の古写本とか、新しい文献が発掘されないかぎり、
文献学の分野での新しい知見とは、
実は珍読でしかない。
110日本@名無史さん:2012/10/30(火) 00:43:40.26
>>109
これもそういうことじゃなくて、いままで散々言われていることをあらためて本にしてるのかな? ということ。
もちろん書くのも出版するのも自由だけど。

>専門家として珍しく本を出してる

と取り上げるほどの意味があるのかな? と言う疑問ですよ。
111日本@名無史さん:2012/10/30(火) 00:46:19.72
>>110
素人のへんてこな珍読本が沢山出ていて、さらに素人がそれを信じてる現状で、
専門家が一冊ぐらい常識的な本をきちんと出しておくのは意味があるだろう。
常識的な内容だから、当たり前すぎて面白くないのは仕方がない。
112日本@名無史さん:2012/10/30(火) 00:48:31.89
>>111
なんの専門家、なの?
113日本@名無史さん:2012/10/30(火) 00:56:35.49
>>112
ウィキ
渡邉義浩
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E9%82%89%E7%BE%A9%E6%B5%A9

これの著作を見たらわかるでしょう。
114日本@名無史さん:2012/10/30(火) 00:59:31.70
>>103
中国古典の専門家というと、素人の自分は、方向の違うスターである白川静と高島俊男のふたりの先生が思い浮かぶけど、この2人でも意見が違うことが多いからなあ。

専門家の間でも読み方を一致させるのは、なかなか難しそうだ。
115日本@名無史さん:2012/10/30(火) 01:02:08.18
>>113
それは知っているけど、だからといって専門家といえるのかどうか、新書を読んで疑問に思ったな。
116日本@名無史さん:2012/10/30(火) 01:09:43.18
>>114
漢字学は論証不可能な想像の部分が大きすぎて、専門家ごとに意見が違ってもおかしくはない。
でも、倭人伝の読み方は、大筋でそんなに変わるもんじゃない。
内藤湖南と白鳥庫吉で終わってると言ってもいいんじゃないかとさえ思う。
だから、倭人伝や邪馬台国をテーマにした論文なんて、学会には出てこない。
117日本@名無史さん:2012/10/30(火) 01:11:13.76
>>115
要するに、漢籍文献を扱って歴史・思想を研究する専門家であって、
邪馬台国マニアが期待するような、邪馬台国専門家ではないってことかい?
118日本@名無史さん:2012/10/30(火) 01:57:08.55
でも、古代中国の思想史研究者だけあって
三国志という書物を考える際には考慮せねばならない
陳寿の学統、政治的立ち位置や当時の儒教的思想、世界観などを
わかりやすく説明してくれているよ

古田は逆立ちしても及ばないと思う
119日本@名無史さん:2012/10/30(火) 01:59:05.06
>>117
中国語(古代)の専門家ではないんじゃない?
新書読む限りでは。
120日本@名無史さん:2012/10/30(火) 02:18:14.70
>>119
中国語(古代)の専門家とは、何を指して言ってるの?
漢籍が読めなければ研究者にはなれないんだが、それでも専門家ではないと?
音韻学や言語学として漢文を研究している人ではないから、
そういう意味で古代中国語の専門家ではなく、
思想史・政治史の専門家だというなら、そうだろう。
121日本@名無史さん:2012/10/30(火) 02:35:03.38
>>117
邪馬台国の専門家なんて、エセ学者以外にはありえないぞ。

マトモな新規の研究が困難だから、研究予算どころかポストも獲得できん。
自費で研究してるアマチュアじゃないと、「邪馬台国を専門に研究」とか不可能だ。

だからこそ、怪しい著作ばかりあふれかえる。
122日本@名無史さん:2012/10/30(火) 05:06:03.83
魏志倭人伝の研究自体が既に完全に終了してるだろ
今更読んで何か新発見があると思ってるか
どうしようもないな短里信者は
123日本@名無史さん:2012/10/30(火) 06:56:22.56
>>121
古田信者はその被害者ってところだね。
124日本@名無史さん:2012/10/30(火) 09:28:36.86
>>120
そう、畑違いの専門性ではなくて、ここで必要なのは古代中国語に関する専門知識。
125日本@名無史さん:2012/10/30(火) 09:34:53.02
>>124の補足
畑違いのところから、いわば色眼鏡で見ることの危険性がわからない人のようだから、本業の方もどうなのかな?

それが新書版読んだときの印象。
126日本@名無史さん:2012/10/30(火) 12:24:05.77
畑違い?
どストライクじゃんか

全くの門外漢は古田の方だろ
127日本@名無史さん:2012/10/30(火) 12:30:16.97
>>124
後漢書・三国志の専門家が、なんで畑違いなわけ。
古代中国語の専門知識って、具体的に、どの学問を指して言ってるの。
その専門家とは、具体的に誰?
128日本@名無史さん:2012/10/30(火) 12:32:28.56
新書版の他には著書は読んでるんだろうか
129日本@名無史さん:2012/10/30(火) 12:37:37.86
古代中国語って…
音韻について主張する訳じゃないんで漢文読めりゃ十分じゃん
珍読くんは認めたくないのかも知れんが

むしろ、上で指摘されている通り、当時の思想的背景や政治的背景を知ってるってのは強み
どんな書物も著者の思想を反映するものだからね
そこんとこをすっ飛ばして「陳寿の気持ちになってみた」なんて阿呆
130日本@名無史さん:2012/10/30(火) 13:17:02.16
自分に都合の良い人は専門で
都合が悪い人は専門外です
何事も"都合"です
131日本@名無史さん:2012/10/30(火) 13:18:44.83
どのくらい御都合主義かと言えば
2時間推理サスペンスドラマ位です
132日本@名無史さん:2012/10/30(火) 13:25:11.94
件の新書本読んでないので、よく解らんが、
>>124が言ってる古代中国語の専門知識って、
到と至の使い分けが〜とか放射読みが〜とか、
邪馬台国マニアの素人が考え出した倭人伝読みに独特の事じゃないのかな。
そういうのを語る人が古代中国語の専門家だと思ってるのかもしれん。
133日本@名無史さん:2012/10/30(火) 16:11:03.43
>>129
文字の意味だって時代により微妙に変化するし、
執筆者’と同時代の読者)の抱いている常識だって時代により変化する。
古文読解には、そういった知識が総動員される必要があるわけで、
単に「漢文が読める」だけでは足りないんだよな。

その意味では、「後漢書・三国志の専門家」ってのは非常に大きなアドバンテージだよな。


>畑違いのところから、いわば色眼鏡で見ることの危険性

この人の本の場合は知らんけど、網野氏の著作では幾度も感じたっけ。
何冊も読んでるうちに、そういう専門外の、氏が自分では研究したことのない分野の記述は話半分で読めるようになったが名。

まあ、とりあえず一冊読んでみるとするか。
134日本@名無史さん:2012/10/30(火) 16:17:55.96
いつまでの無い物をあると言わないことじゃね

無い物をあると言い
ある物を無いと言う

宗教の世界だな
135日本@名無史さん:2012/10/30(火) 16:39:39.60
>無い物をあると言い
>ある物を無いと言う

「九州王朝などなかった」
「失われた大和朝廷」
136日本@名無史さん:2012/10/31(水) 07:40:36.17
もうすぐ死ぬ御大、最期に「九州王朝なんてなかった」と本当のことを逝ってくんないかな?
137日本@名無史さん:2012/10/31(水) 08:24:52.79
古田に私怨のある奴、乙
138日本@名無史さん:2012/10/31(水) 09:48:26.56
>>127
>>114に書いてある。
139日本@名無史さん:2012/10/31(水) 12:40:52.01
白川は碩学だが、世間に知られたのは漢字の字義研究で、専門は殷周期にあたる
高島も博学で、水滸伝や唐詩に関する著作もあるが、本来の専門は中国現代文学
三国志に関して渡辺を専門外呼ばわりするなら、白川と高島はさらに専門外
140日本@名無史さん:2012/10/31(水) 13:05:00.09
古田先生以外は皆専門外です
141日本@名無史さん:2012/10/31(水) 18:39:24.48
古田儲
142日本@名無史さん:2012/10/31(水) 22:17:06.07
日本の思想史、それも中世の宗教家親鸞を専門とする古田某は
専門外どころか別世界の住人くらいになるのかなw
143日本@名無史さん:2012/11/01(木) 01:06:42.38
>>139
>三国志に関して渡辺を専門外呼ばわり

読み方(解読)に関しては専門外だと思うよ。
あの新書読む限りでは。
文章についての自分の読解は皆無に等しい。
144日本@名無史さん:2012/11/01(木) 06:33:25.97
渡辺氏が専門外なら古田氏なんか論外
145日本@名無史さん:2012/11/01(木) 07:21:17.30
そうだよなあ。

「邪馬一国」は間違っているとは思うけど、
ここまでと博多湾岸説までは主張していい。

九州王朝はマチガイで、ツガルは詐欺にあったと
言って欲しいなあ。

このままだと本当に、単なるトンデモ爺さんしか
記憶されなくなる。
146日本@名無史さん:2012/11/01(木) 07:48:24.92
古田って何歳だと思ってんの?
大正生まれの86歳だぞ
もうこのままいくとこまでいくだろ
147日本@名無史さん:2012/11/01(木) 07:48:54.72
>>145
一言で片付いた。名レス乙!
148日本@名無史さん:2012/11/01(木) 07:54:59.32
「邪馬壱国」はなかった
失われた大和朝廷
九州王朝も関東の大王も私の妄想だった
ツガルには欺された
149日本@名無史さん:2012/11/01(木) 10:04:41.58
ツガルは酷いと思うけど、九州王朝はあってなんの不思議もない。

というより、歴史始まって以来、大和王朝しかなかったなんて考える方が馬鹿げている。
そもそも名称はともかく、記紀には出雲王朝と旧近畿王朝(ナガスネヒコ王朝)と熊襲王朝があったって、書いてあるわけだし。
だいたい、ヤマトタケルが全国制覇したんなら、各地に王朝がなければ制覇のしようもない。

後は、どの時代にそれぞれを比定するかということだよ。
記紀では不明な、6世紀以前にはいくつもあったと仮定しても不自然じゃない。
150川柳の大御所:2012/11/01(木) 16:27:50.29
>>106
岡田英弘説じゃないか。
本人も意識して、岡田氏の名前を出してる。

並の並の本。
専門家だけあって、良材料もあったけど。
読んでも良し。読まなくても結構。
151日本@名無史さん:2012/11/01(木) 19:24:34.96
「あって不思議じゃない」という論理を飛躍させたのが九州王朝説・多元史観
まさに>>134
152日本@名無史さん:2012/11/01(木) 20:21:26.38
>>149
古田説の荒唐無稽なのは
8世紀初頭まで九州王朝があったというところだろ。
6世紀以前ならあって当然。
153日本@名無史さん:2012/11/01(木) 21:13:51.89
他の王朝の墓真似して造らんだろw
154日本@名無史さん:2012/11/02(金) 00:56:13.61
>>152
白村江の戦いはやっぱり大和王朝だと考えるのかな?

かなり痛手を受けた王朝が全国統一の基盤を固めていったとは考えにくいが。
155日本@名無史さん:2012/11/02(金) 05:13:19.89
九州に地域王権があった、関東にもある程度の
政治中枢があった。それはその通りだろう。

それを「王朝」と言ったり、
近畿天皇家が歴史を簒奪したの、
白江の戦いは九州王朝だ、その証拠は
大和がぜんぶ抹殺したとか
どんどんトンデモ化するから、ついには
ツガルなんとかにまでいっちゃう。

三流の詐欺師に騙されて、いっちゃった信者に担がれて。
156日本@名無史さん:2012/11/02(金) 06:05:47.88
古田儲w
157日本@名無史さん:2012/11/02(金) 09:18:41.29
>>155
>それを「王朝」と言ったり

他の政権に支配されていなくて、地域全体から金、人などをひとつの家系が支配しているなら、「王朝」でもいいんじゃないか?

>近畿天皇家が歴史を簒奪したの、
>白江の戦いは九州王朝だ、その証拠は
>大和がぜんぶ抹殺した

これは史料からでは否定も肯定もできないところだろ?
なにしろ日本には記紀しかないんだから。

いまの考古学の水準では確定できないから、中国の史書とすりあわせるぐらいしか方法がない。
そのすりあわせによる見解のひとつだよ。

いまだに日本の古代研究なんて、「打率3割あれば一流」の世界なんだから。
158日本@名無史さん:2012/11/02(金) 12:23:13.59
ひとつの家系なんて証明されてないじゃん
159日本@名無史さん:2012/11/02(金) 13:37:17.61
古田先生にはあと20年は頭も元気で生きていていただきたいなあ
160日本@名無史さん:2012/11/02(金) 14:39:13.80
打率0割の古田センセは、素人古代史研究の良き反面教師だと思われ
161日本@名無史さん:2012/11/02(金) 15:12:08.43

自民・公明じゃ何も変わらない
「民主」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「みんなの党」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「小沢」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「維新の会」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「石原」ならなんかやるだろ     ←いまココ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「第三極大連合」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?
162日本@名無史さん:2012/11/02(金) 16:50:49.07
>>154
あの時代には、まだ全国から軍勢を動員する体制が作られてないだろ。
敗戦による唐の脅威への対策として、始めて動員体制が整備されたんじゃないか。

とすれば、白村江に動員された軍勢の多くは現地に近い九州周辺から動員されたと考えられ。
九州の豪族(のうち、ヤマト政権麾下にあったもの達)が弱体化しただけかもしれん。

まあ、九州周辺だけで動員できる規模をこえる大軍だし、大和周辺その他の地域からも動員されはしただろうけど。

>>159
頭が元気だったら三郡誌とはいまごろ手を切ってるはずだろ。元気じゃなくなったのは、最初は頭だったんじゃないかな。
163日本@名無史さん:2012/11/02(金) 18:43:10.11
>>159
とっくにボケでるだろw
164日本@名無史さん:2012/11/02(金) 18:47:29.96
wiki見ても多元王朝説はサヨクが多いとなってんのな
やっぱり実感として多いの?
165日本@名無史さん:2012/11/02(金) 21:13:21.79
そうやって信者が王朝だツガルだと甘やかすから、
古田氏はどんどん狂って行った。


古田氏はあと数年で死ぬだろう。
親鸞研究者を担いであおって舞い上がらせ、
ついにはキ印に祭り上げた信者は、良心いたまない?
166日本@名無史さん:2012/11/03(土) 00:51:38.64
>>164
大和説信奉者というのは万世一系だとか皇紀だとかを信じてる、あるいは信じたいから、他王朝の存在を否定したいんだろうな。
左翼というのは王朝というものを支配の構造としてとらえるから、大和王朝しかなかったなんてまったく考えてない。
だから九州王朝も、大和信奉者にとってはあってはならない説だから必死に否定するが、左翼は普通の仮説のひとつとして検証する。

それにしても、>>163とか>>165みたいな大和説支持者というのは、人間性を疑われるような書き込みを平気でするね。
自分の信じている大和王朝を否定されると、常識を失うのかね?
まさに信者そのものだな。
167日本@名無史さん:2012/11/03(土) 04:16:53.60
さっぱりサヨクは論をズラすんだな

素直に多元王朝説はサヨク多いよで話は終わりなのに
168日本@名無史さん:2012/11/03(土) 06:08:07.09
サヨクはキ〇ガイとか言いたいのか。
多元史観を信奉しているのは単なる阿呆であって、
史観は関係ない。

俺は「資本論」を研究していたが、
ツガルも九州王朝も支持してない。

とこで、左がかった発言する奴の八割以上は
なぜか「資本論」すら読んでないな。
169日本@名無史さん:2012/11/03(土) 10:30:05.49
>>168
>史観は関係ない

君が資本論を読んでいないことは、よくわかったw
170日本@名無史さん:2012/11/03(土) 11:10:55.27
                    Λ_Λ
                    < `∀´ > トンスル飲むニダヨ
                   \    /   
                    |⌒I │
                    (_) ノ
             ______ _..レ__    ___
            /r''''''i i'''''ヽ|`i i'''ヽ`'i  i'´r.⌒ヽ|
                 | |    | L,丿丿 ヽ、_`''ヽ,
                 | |    i i'''ヽ`''i i、  `ヽ`}
                 j l、    j L,丿.丿 i、ヽ.,,ノ,ノ
             朝鮮総連 ブロードキャスティング システム
171日本@名無史さん:2012/11/03(土) 18:10:20.28
オレも左翼嗜好で大和朝廷の歴史が短い方が面白いと思ってるけど、
九州王朝説だけは論外だな。

残念だが、大和の地に邪馬臺国があった可能性が一番高いと言わざるを得ん。

あとできることはせいぜい、大和の求心力が如何に脆弱だったかを、統一政権化が遅かったかを探ることぐらいだぞ。
172日本@名無史さん:2012/11/03(土) 18:49:35.14
古田武彦を信じる
   ↓
東日流外三郡誌を信じる
   ↓
和田喜八郎を信じる
   ↓
詐欺、捏造OK
   ↓
短里を信じる


って流れなのかな
173日本@名無史さん:2012/11/03(土) 19:52:02.42
いや、全然違う。

松浦まで辿れば、誰だって公里じゃないことに気付く。
そしてちょっと調べれば、短里を提唱してる人が見つかる。

同じこと考えてる奴はいるんだな。
まあ当然だが。

って流れだ。
174日本@名無史さん:2012/11/03(土) 19:55:41.37
東日流外三郡誌を信じたのも1人じゃないだろ
複数いたから騒ぎになったんだ
175日本@名無史さん:2012/11/03(土) 20:31:49.90
嘘も複数で言えば真実になるとか
ねーよ
176日本@名無史さん:2012/11/03(土) 21:21:07.02
東日流外三郡誌を信じれるのなら、何でもありだろな
さすが短里派、捏造大好き
177日本@名無史さん:2012/11/03(土) 23:23:36.45
対馬壱岐が千里千里の時点で公里とする方がおかしいな
178日本@名無史さん:2012/11/04(日) 00:30:26.20
釜山から唐津までが直線距離で3000里だから、
釜山と唐津で天測して3000里を計測して、

あとは適当に3分割したんじゃないかな。
179日本@名無史さん:2012/11/04(日) 14:17:05.78
    ,、    /7       ,-、
    ( <.    | l      //´
    ヽ\,.ィ´ .ニニェ‐、//
      >、<゜> < 。>) 〈
     // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ.  嫌なら  見るな!フジテレベ!
     | l  ノ、 __!!,.、 | l
     ヘヘ.   ヽニニソ  ././
       ヽヽヘ、____,,..ィ,ン′
         `''‐---‐''´
    ,、    /7       ,-、
    ( <.    | l      //´
    ヽ\,.ィ´ .ニニェ‐、//
      >、<。> <゜>) 〈
     // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ.  嫌なら  見るな!フジテレベ!
     | l  ノ、 __!!,.、 | l
     ヘヘ.   ヽニニソ  ././
       ヽヽヘ、____,,..ィ,ン′
         `''‐---‐''´
180日本@名無史さん:2012/11/04(日) 15:56:18.77
壱支国ってさ、
日本列島の人口が現在の1/100程度だったであろう弥生末期の時点で、
三千余家があったんでそ?

今の感覚で言えば、住民総数が百万人以上って規模に相当するほどの、かなり人口密度が高い島だったんじゃないのかなあ。

それよりは人口密度で劣るとは言え、対馬だって人口が数十万人って規模の、それなりに栄えた島だったはずだよね。

それを傘下に収めるほどの力を持つ王朝がだよ、単なる地方政権に過ぎないって考えるのが九州王朝説なわけ?
181日本@名無史さん:2012/11/04(日) 20:53:59.51
>>173
「公里じゃないことに気付く」ではなく「正しい距離表記じゃないことに気付く」でしょ?
九州論者でもまともな人間は「短里」なんか信じないよ
182俳句の王様:2012/11/04(日) 21:14:33.74
>>181

 お、正統派。 結構やるじゃん。
 名無しじゃいかんぜよ!
183日本@名無史さん:2012/11/04(日) 21:34:41.57
>>182
キチガイは来るな朝鮮臭いから
184俳句の王様:2012/11/04(日) 21:51:05.05
>>183

どったの? 一行レス君! 近畿説? 短里説?
185日本@名無史さん:2012/11/05(月) 21:08:12.61

自民・公明じゃ何も変わらない
「民主」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「みんなの党」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「小沢」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「維新の会」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「石原」ならなんかやるだろ     ←いまココ
そんな感じじゃね?

民主・自民じゃ何も変わらない
「第三極大連合」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?
18688:2012/11/08(木) 17:03:50.98
>>98
アク禁解除となったので、反論と>>88の再投稿

以下は魏書を原文通り読んだ場合の加筆修正。

乃分其地為中東西 三部。
【從右北平以西至上穀】為中部、
      右北平:河北省東部と遼寧省西部、 上穀:河北省中部(北京)、
【從右北平以東至遼】,(東)接夫餘(濊)貊為東部、
      右北平:河北省東部と遼寧省西部、  遼:遼寧省、  夫餘:吉林省中南部 濊:黒竜江省南部 貊:黒竜江省中部北部
【從上谷以西至燉煌】,西接烏孫為西部
      上谷:河北省西部、  燉煌:甘粛省西部、  烏孫:燉煌に西接、新疆ウイグル自治区 ロプノール湖付近

中部は、漢地の「右北平」以西〜「上穀」の北方の相当する位置・・・河北省東部〜河北省中部(北京)の北方
東部は、漢地の「右北平」以東〜「遼」の北方の相当する位置・・・・・河北省東部〜遼寧省の北方
西部は、漢地の「上谷」以西〜「燉煌」の北方の相当する位置・・・・・河北省西部〜甘粛省の北方

「兵馬甚盛,南鈔漢邊,北拒丁令,東卻夫餘,西擊烏孫
 盡據匈奴故地,東西萬二千餘里,南北七千餘里 罔羅山川、水澤、鹽池甚廣」

漢の北方の鮮卑の中部東部西部に相当する漢地の位置は、
中部は、内モンゴル東部。   「罔羅山川」で内モンゴル東部の山と川の状態で表している。
東部は、西部満州の松花江流域平野部。  「水澤」で内モンゴル東部東端の松花江支流流域を表している。
西部は、モンゴル中部、内モンゴル西南部。 「鹽池甚廣」は内モンゴル西南部の塩湖地域を表している。
       「鹽池甚廣」を「燉煌」地域に西接しているロプノール湖とする見方もあるが、これは誤っている(理由説明省略)。
18788:2012/11/08(木) 17:04:47.86
続き@

鮮卑の領土範囲は匈奴の故地である全地域
東西間の距離は内モンゴル東部から内モンゴル西部までの2300km(5500長里≒32000短里)
南北間の距離は内モンゴル東南部から内モンゴル北部まで900km(2100長里≒12000短里)

丁令:ロシア ザバイカリエ地方
扶余:吉林省中南部   濊:吉林省北部  貊:黒竜江省
烏孫:モンゴル東部 モンゴル族の異分子


>>100の書いていることは跳んでも説 自分で読めてるつもりになっているだけ。
「罔羅山川」の「罔羅」は動詞ではなく、「山川」の状態を表す形容句。 網目の様になっている山と川

「匈奴故地」は主語ではない。
「盡據匈奴故地」の「盡據」を勝手に省略して主語と決め付けている。
「盡據匈奴故地」は、省略された主語「鮮卑」の述部。
18888:2012/11/08(木) 17:05:31.43
続きA

鮮卑の範囲は、>>88の通り。

「乃分其地爲中東西三部」
「從右北平以西至上穀爲中部」  「罔羅山川」 内モンゴル東部の興安嶺地域
「從右北平以東至遼,(東)接夫餘(濊)貊爲東部」  「水澤」 内モンゴル東部の湖沼地域(松花江支流流域平野)
「從上谷以西至敦煌,西接烏孫爲西部」  「鹽池甚廣」 ドルノド県東部と内モンゴル東部の西の端の平原地域
      「鹽池甚廣」は、モンゴル北東部ドルノド県東部にある塩湖(サンギンダライ湖)を示している。
      しかし、魏書においては、「鹽池甚廣」は敦煌に近い内モンゴル南西部にある塩湖のこととしている。
      この塩湖は、古代中国人に知られている塩湖(阿拉善盟(アルシャー盟)、吉蘭泰(ジランタイ))を指す。
      魏書では、モンゴル北東部のドルノド県にある塩湖を、既知である内モンゴル西南部にある塩湖と取り間違えたのである。
18988:2012/11/08(木) 17:06:18.77
続きB

"「南鈔漢邊,北拒丁令,東卻夫餘,西擊烏孫,盡據匈奴故地,


"
 東西萬二千餘里,南北七千餘里,罔羅山川、水澤、鹽池甚廣」

中部鮮卑 : 「罔羅山川」 山と川が網目の様に広がる地域 : 内モンゴル東部山間部
東部鮮卑 : 「水澤」 河湖沼と湿地がある地域 : 内モンゴル東部の東端平野地域と黒竜江省西部と吉林省西部
西部鮮卑 : 「鹽池甚廣」 大きな塩湖(サンギンダライ湖)がある地域 : ドルノド県東部とその南北の内モンゴル東部の西端平野地域
鮮卑の地域 : 東は黒竜江省西部と吉林省西部、西はドルノド県東部と内モンゴル東部の西端部
            東西間距離7千餘里(500km)、南北間距離1万2千餘里(900km)

鮮卑の北  丁令:ロシア ザバイカリエ地方、
鮮卑の東  扶余:吉林省中南部、(濊は吉林省北部、貊は黒竜江省)
鮮卑の西  烏孫:モンゴル ドルノド県西部とヘンティー県東部とスフバータル県、モンゴル族の東端にいるモンゴル族の異分子
              (現在でも、ドルノド県はウランバートルよりソビエトザバイカリエ地方とのつながりが大きい)
鮮卑の南の砂漠の南  漢 : 河北省

鮮卑の領土範囲は匈奴の故地である全地域
東西間の距離は満州西部から内モンゴル東部までの500km(7000短里)
南北間の距離は内モンゴル東南部からモンゴル北部まで900km(12000短里)
19088:2012/11/08(木) 17:24:22.46
修正

続きB’

「南鈔漢邊,北拒丁令,東卻夫餘,西擊烏孫,盡據匈奴故地
東西萬二千餘里,南北七千餘里,罔羅山川、水澤、鹽池甚廣」

中部鮮卑 : 「罔羅山川」 山と川が網目の様に広がる地域 : 内モンゴル東部興安嶺地域
東部鮮卑 : 「水澤」 河湖沼と湿地がある地域 : 内モンゴル東部の東端平野地域と黒竜江省西部と吉林省西部
西部鮮卑 : 「鹽池甚廣」 大きな塩湖(サンギンダライ湖)がある地域 : ドルノド県東部とその南北の内モンゴル東部の西端平野地域
鮮卑の地域 : 東は黒竜江省西部と吉林省西部、西はドルノド県東部と内モンゴル東部の西端部
            東西間距離7千餘里(500km)、南北間距離1万2千餘里(900km)

鮮卑の北  丁令:ロシア ザバイカリエ地方、
鮮卑の東  扶余:吉林省中南部、(濊は吉林省北部、貊は黒竜江省)
鮮卑の西  烏孫:モンゴル ドルノド県西部とヘンティー県東部とスフバータル県、モンゴル族の東端にいるモンゴル族の異分子
              (現在でも、ドルノド県はウランバートルよりソビエトザバイカリエ地方とのつながりが大きい)
鮮卑の南の砂漠の南  漢 : 河北省

鮮卑の領土範囲は匈奴の故地である全地域
東西間の距離は満州西部から内モンゴル東部までの500km(7000短里)
南北間の距離は内モンゴル東南部からモンゴル北部まで900km(12000短里)
191日本@名無史さん:2012/11/08(木) 21:06:33.63
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192日本@名無史さん:2012/11/09(金) 00:57:35.58
>>188
>しかし、魏書においては、「鹽池甚廣」は敦煌に近い内モンゴル南西部にある塩湖のこととしている。
>この塩湖は、古代中国人に知られている塩湖(阿拉善盟(アルシャー盟)、吉蘭泰(ジランタイ))を指す。
>魏書では、モンゴル北東部のドルノド県にある塩湖を、既知である内モンゴル西南部にある塩湖と取り間違えたのである。

つまり史書には現実とは異なった情報が書かれるってことか?
史書の記述を盲信する古田説は否定される訳だな
193日本@名無史さん:2012/11/09(金) 02:35:06.88
>>192
>つまり史書には現実とは異なった情報が書かれるってことか?
>史書の記述を盲信する古田説は否定される訳だな

魏志東夷伝には、引用した魏書の間違った情報が転載されていたのである。

魏志東夷伝の引用部分である魏書を古田氏がどのように評価しているのか、私は知らない。
194日本@名無史さん:2012/11/09(金) 03:13:50.84
鮮卑の地域範囲

表現A
旧満州西部(現内モンゴル東部)とモンゴル ドルノド県東部
(ドルノド県東部の国境近くハルハ河沿いではノモンハン事件「ハルハ河の戦い」のあったところ)

表現B
内モンゴル東部(旧満州西部)を南北に走る興安嶺(中部)とその東西の平原部(東部&西部)

サンギンダライ塩湖はハルハ河南西210kmにある。
195日本@名無史さん:2012/11/09(金) 12:48:04.99
>>187
件の土地は、縦長だって言ってなかったっけ。
東西間2300km 南北間900kmなら、横長の土地だが?
196日本@名無史さん:2012/11/09(金) 13:58:47.67
┌─────────────┐
│ 朝日新聞. 東京本社編集局. │
└─────────────┘
    .  .   ┌──人_从_人_人_从_人人_从_人_人_从_人人_从_人_人_
.  .  .  .   |彡 ) おるぁ!!2ch対策室!! アク禁解除されたぞ!!
.   .  .∧,_,,∧  | Y⌒YY⌒) 徹夜じゃ!! 気合い入れていくぞっ!!!
      (=@Д@) ..|   .|   Y⌒YY⌒YY⌒YY⌒YY⌒YY⌒YY⌒YY⌒
      ( O   ).つ|)  |
 ̄ ̄ ̄ ̄し―-J  |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 国策だ!!            ヒキコモリニートが!!        ウヨ氏ね! ウヨ氏ね!
    なぜこのタイミングで!!             陰謀だ!!          ニート部落民が!!
 カタカタ ∧_∧    カタカタ ∧_∧     カタカタ ∧_∧    カタカタ ∧_∧ 
     <`Д´l|;>.        (@∀@l|)        (@∀@=)        (@∀@jl) ハァハァ…
   _| ̄ ̄||_ )__    ._| ̄ ̄||_ )__     _| ̄ ̄||._)__    _| ̄ ̄||_.)_
 /旦|――||// /|  /旦|――||// /|  /旦|――||// /|  /旦|――||// /|
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |
 | しゃっきり.. |三|/  | 過剰演出 |三|/  .| アサヒるw |三|/ . | 編集局員(49).|/
                 政権交代!
   ネトウヨ! ネトウヨ!        政権交代!    謝罪セヨ! 賠償セヨ!   私は悲しいのです・・
 カタカタ ∧_∧    カタカタ ∧_∧     カタカタ ∧_∧    カタカタ ∧_∧
     (@∀@l|)        (@∀@l|)       (・∀・l|;)=>       <゚ ー ゚#> ハァハァ…
   _| ̄ ̄||_ )__    ._| ̄ ̄||_ )__     _| ̄ ̄||._)__    _| ̄ ̄||_.)_
 /旦|――||// /|  /旦|――||// /|  /旦|――||// /|  /旦|――||// /|
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |
 |   K Y  .|三|/  .| フルタチるw |三|/  .| NYTオオニシ |三|/  | アジここ. |三|/
197日本@名無史さん:2012/11/09(金) 13:59:03.78
>>195
塩湖(鹽池)の位置を間違えた魏書を原文通りに読むと、
東西間2300km 南北間900kmなら、横長の土地になる。

塩湖(鹽池)の位置を修正すると、「敦煌」(甘粛省西部)が鮮卑の西端の位置ではなく、
河北省西端付近が鮮卑の西端の位置となる。従って鮮卑は、
東西間500km 南北間900kmであるから、縦長の土地になる。
198ローガン:2012/11/09(金) 15:32:16.74
>>187
>烏孫:モンゴル東部 モンゴル族の異分子

全く違う。
「從玉門關西北出、經横坑、辟三隴沙及龍堆、出五船北、到車師界戊己校尉所治高昌、轉西與中道合龜茲、爲新道。…
北新道西行、至東且彌國・西且彌國・單桓國・畢陸國・蒲陸国・烏貪國、皆并屬車師後部王。王治于頼城。魏賜其王壹多雜守魏侍中、號大都尉、受魏王印。轉西北則烏孫・康居、本國無増損也。」(魏略西戎伝)
敦煌、玉門関からの西域道は、三つ。北の新道を西に進み、
東且彌國・西且彌國・單桓國・畢陸國・蒲陸国・烏貪國を通り、更に西北に進んだ所が 烏孫だ。
199日本@名無史さん:2012/11/09(金) 16:14:05.65
>>186
上穀と上谷は別の場所なの?
200日本@名無史さん:2012/11/10(土) 09:48:06.80
>>199
上穀=上谷
シナ人の誰かが「谷」を「穀」に改竄した。
201日本@名無史さん:2012/11/10(土) 10:17:59.91
>>198
見方が幾つかある。

@魏書の烏孫と魏略の烏孫は全くの別物

A鹽池(塩湖)の場所を取り違えた為に、敦煌と同様に烏孫を魏書に書き込んだ。

B魏書には「從上谷以西至燉煌西接烏孫為西部」とあるように、
  魏書の編著者は敦煌と烏孫は接していると思うほど地理に疎かった。

Cその他 etc.
202日本@名無史さん:2012/11/10(土) 12:35:05.27
ひとつの無理を押し通すために
どんどん無理が増えていく
まさに泥沼だなw
203日本@名無史さん:2012/11/10(土) 13:36:07.39
>>200
中華書局の標點本三国志と、早稲田大学図書館のサイトで写真が見られる
同治九(1870)年と順治十三(1656)年の二つの版本は、
みんな「從右北平以西至上谷為中部」で、
上穀ではなく上谷になってる。

中国語のサイトには、「從右北平以西至上穀為中部」と、上穀になってるのが複数あるね。
こういうサイトは、おおもとのテキストをコピペして増殖したんだろうけど、
そのおおもとのテキストが、何の版本に依拠したのかがわからん。
上穀になってる版本が存在するんかなあ。


どっちみち
「敦煌」〜「上谷」〜「上穀」〜「右北平」〜「遼」
と区切ったら、中東西の三部ではなく、四部に区切れてしまうから、
この「上穀」は「上谷」の間違いであることは確実だろう。
簡體字は「穀」も「谷」も、おなじく「谷」にしてしまうから、
こういう間違いが起きたのかもしれない。
204日本@名無史さん:2012/11/10(土) 14:47:58.51
>>203

シナ本土サイトでは「谷」→「穀」のような改竄が日常的だ。

「東冶」→「東治」の改竄も以前にはあったが、今は「東冶」に戻されている。
シナ本土人は「魚釣島」→「釣魚島」のように政治的理由で改竄は日常的なようだ。

台湾サイトではこのような改竄はない。
205日本@名無史さん:2012/11/10(土) 16:14:59.22
   
魏書の鮮卑「東部」「中部」「西部」の区分は変ですね。
鮮卑西部だけ異常に広大なのは何故?

@鮮卑東部 「遼」〜「右北平」→「遼寧省中部西部」 東西距離 200km

A鮮卑中部 「右北平」〜「上谷」→「河北省東部中部」 東西距離 200km

B鮮卑西部 「上谷」〜「敦煌」→「河北省西部〜甘粛省西部」 東西距離 2000km
 
206日本@名無史さん:2012/11/10(土) 16:24:14.65
>>205
地理的に酸グループに分けたんじゃない、と考えることもできる。
部という語句が遊牧民の集団(政治的なまとまり)の意味で使われる事例は多いし、
鮮卑族が3集団に分かれていて、それぞれの集団の大まかな勢力範囲を書き記したのかもしれん。

鮮卑西部が最大勢力だったという意味で、中部東部は傍流の小集団だったと考えるなら、
西部だけが以上に広大でもおかしくはない。

後代表記で「拓跋部」とか「タタール部」とか、世界史の授業で習ったことあるでしょ。
この表記が、三国時代でも使われてるから、鮮卑の三部がそういう意味でも問題はないはず。
207日本@名無史さん:2012/11/10(土) 16:54:51.20
>>205
東部が二十餘邑、中部が十餘邑、西部が二十餘邑とあるから、
面積のような地理条件で分けたわけじゃなく、
同程度の人口のまとまりに分けたということだろう。
そういう意味では、>>206氏のいう部の解釈も有りかもしれん。
208日本@名無史さん:2012/11/10(土) 17:01:36.76
>>207だけど、地理条件が無関係のような書き方は語弊があるね。
東部・中部が人口密度が高く、西部が人口密度が低いのは、
気候風土からくる生活様式で、そうなっているんだろうから、
それは地理条件と言えば地理条件。
209日本@名無史さん:2012/11/10(土) 17:12:10.52
>>206
そのような考え方は下記と矛盾するから成り立たない。

鮮卑の地は「盡據匈奴故地」とある。
内モンゴルとモンゴル全土全てが匈奴の故地となるからだ。
匈奴族は何処に消えたのだ?
匈奴族は天山山脈の北側の「烏孫(現キルギス)」以外の地では消滅したとでも?
残りの匈奴族は「丁令」しか考えられない。
210日本@名無史さん:2012/11/10(土) 18:20:05.39
強度の主要グループは勢力が衰えたので北に去った(温暖な南部を失った)
傍流、非主流派グループは逆に南進して、中国北部に駐留した。

かつて凶奴の支配領域の中心だった地域からは離れてるわけだよ。

あと、部族のかなりの部分が西方へ移動したことも分かってる。

中国から見たら、消滅したようなモンかもしれんな。
211日本@名無史さん:2012/11/10(土) 21:01:56.68
>>210

@北に去った主要グループは、草原地帯から森林地帯への移動となるので、
 遊牧生活形態が失われ匈奴族ではなくなる。

A南進した非主流グループは、砂漠を越えて険しい山岳地帯に入ったので、
 遊牧民匈奴族ではなくなる。(興安嶺は広い谷で傾斜の緩い山岳地帯で遊牧地)

B西方へ移動したグループのひとつが烏孫。
 モンゴル西部は乾燥した険しい山岳地帯、現在でも無人地帯で多数の遊牧民が移動するのは無理。
 西へ移動するには、トゥヴァ、アルタイ経由の北回りで東カザフスタンに抜けるしかない。
212日本@名無史さん:2012/11/10(土) 21:05:16.83
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    ヽ\,.ィ´ .ニニェ‐、//
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     // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ.  嫌なら  見るな!フジテレベ!
     | l  ノ、 __!!,.、 | l
     ヘヘ.   ヽニニソ  ././
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      >、<゜> <。>) 〈
     // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ.  嫌 なら 見るな!フジテ〜〜!
     | l  ノ、 __!!,.、 | l
213日本@名無史さん:2012/11/10(土) 23:53:04.15
漢代に東西に分裂して東匈奴・西匈奴となったことと、
三国時代頃に南北に分裂して、北匈奴・南匈奴が成立したこと、
傍流の小集団だったらしい南匈奴が中国の域内に移住を許され、董卓残党と争ったらしい洛陽近辺の山賊集団と友好関係にあったらしいこと、
その南匈奴の子孫が五胡十六国時代初期に建国したことなどは記録に残ってるんだよな。

烏孫が凶奴の支流という記録ってあったっけ?
214日本@名無史さん:2012/11/11(日) 22:03:21.67
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┃│ 画面 │        テロップ.. ┃ 
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┃     流れるテロップ・・・・    ┃  どか〜ん、ぴろぴろぴろぴろ・)
┃                      ┃ 
┃       やたらとデカイ      ┃  
┃         テロップ        ┃ <SE:え〜
┗━━━━━━━━━━━━━━┛       ナレ:このあと、○○にスタジオ騒然!(CMへ)
   /\     /\     /\
 SE:え〜  SE:あははは  SE:へぇ〜
215日本@名無史さん:2012/11/13(火) 16:47:29.69
>烏孫が凶奴の支流という記録ってあったっけ?

烏孫は、匈奴の支流と言うより、新疆ウイグル北部とカザフスタン東部の
天山山脈の北側にいた匈奴(モンゴル人)の一部族である。

烏孫をキルギス イシク湖周辺と比定する見方があるが、
烏孫はイリ盆地の平原にあったと見るべき。

BC2世紀からAD5世紀の西域とモンゴルについて描いた史書を
地理地勢風土と照らしあわせて読めば上記結論に至る。
216日本@名無史さん:2012/11/13(火) 17:30:59.34
つまるところ、烏孫に関する記述を古田流ないし自己流に読むことで古田説の傍証が得られるという循環論法なんだな。

傾聴に値しない雑説だとよく分かりました。
217日本@名無史さん:2012/11/13(火) 20:23:57.77
2012/09/18(火) 株式会社ガーラバズ(電通バズリサーチ)の2ちゃんの工作が大々的にバレる



2012/09/28(金) 株式会社ガーラバズの汚名を打ち消すために株式会社ホットリンクに統合させて社名を消滅

■ 狼の工作で有名な電通バズリサーチ(株式会社  ガーラ バズ   )が狼を監視しすぎでバーボン行きまくりのお知らせ ■ Part.4
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1348473878/
■ 狼の工作で有名な電通バズリサーチ(株式会社   ホットリンク )が狼を監視しすぎでバーボン行きまくりのお知らせ ■ Part.5
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1349611569/
【話題】 AKB、虚像の人気★2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1352585500/
やっと気付いた「AKBに電通が絡んでる」ではなく「AKBの正体が電通」な件 その145
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1352679417/
218日本@名無史さん:2012/11/13(火) 23:58:24.74
>>216
>傾聴に値しない雑説だとよく分かりました。

根拠無き従来説信者よ哀れ。
疑問無き信心の海に浸かって幸せの真っ只中ね。

烏孫に関する記述についても、倭人伝同様に方向距離を無視する姿勢には変わりない。

たとえば、烏孫の位置がキルギス イシククル湖周辺とする根拠は何だ?
先人の根拠無き従来説を鵜呑みして信奉しているだけだ。
219日本@名無史さん:2012/11/14(水) 10:44:36.60
>>218
史書によると烏孫は亀茲(クチャ)の北西にあった。
キルギス イシククル湖周辺(烏孫)は亀茲(クチャ)の西方である。
亀茲(クチャ)の西北はイリ川(伊犂河)中流上流流域のイリ盆地である。

イリ盆地はキルギスとは異なり遊牧の適地でもあるので、
イリ盆地を烏孫とする説もある。
220日本@名無史さん:2012/11/14(水) 20:31:22.31
東スポ 「森光子は元気に退院!ダンスを踊り、スクワットも150回こなす」(11月14日16時)
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1352888940/

【訃報】森光子さん心不全で死去
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1352888014/
東スポ・新潮とはいえ裏取りせず思いつきで記事書いてるのがよく判る
社内に頭おかしいのしかいないんじゃないか?
221日本@名無史さん:2012/11/14(水) 21:04:22.02
スポーツ新聞がガセネタの宝庫なのは周知の事実だが、スレチだぞ。
222日本@名無史さん:2012/11/14(水) 23:42:03.47
ガセなのは新潮で東スポはガチ
223日本@名無史さん:2012/11/15(木) 09:57:00.42
肺炎で入院していて、心不全をおこして亡くなったというわけですか。
医療ミスの可能性は?
224日本@名無史さん:2012/11/15(木) 13:28:48.09
>>220->>223
いい加減にしろよ
225日本@名無史さん:2012/11/16(金) 14:52:11.79
大阪維新の会 大口後援者にマルハン(密入国)、ソフトバンク(帰化)、パソナ(竹中平蔵会長)
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1346072621/
【政治】『大阪維新の会』の"大口後援者"にマルハン、ソフトバンク、パソナ [08/27]
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1346027314/


また騙されるのかB 層。学習しろ
226日本@名無史さん:2012/11/16(金) 16:24:24.92
   
「(鮮卑) 兵馬甚盛 南鈔漢邊 北拒丁令 東卻夫餘 西擊烏孫」
鮮卑は遊牧民である。其の地は、南に漢、北に丁令、東に夫餘、
西に烏孫があり、それらと敵対している。

「盡據匈奴故地 東西萬二千餘里 南北七千餘里 罔羅山川 水澤 鹽池甚廣」
鮮卑の地は匈奴の故地で、その広さは南北900km東西500kmであり、
(中部には)山と川が網目の様になった山地があり、(東部は)沼沢地があり、
(西部には)大きな塩湖がある。

「乃分其地爲中東西三部」
即ち、鮮卑の地は中部東部西部の3地域に分けられる。

「從右北平以東至遼 東接夫餘濊貊爲東部 二十餘邑」
東部は遼寧省の中部西部の北にあり、その東は夫餘濊貊に接しており、
二十余の地区(邑)に分かれている。

「從右北平以西至上谷爲中部 十餘邑」
中部は河北省の東部中部の北にあり、十余の地区(邑)に分かれている。

「從上谷以西至敦煌 西接烏孫爲西部 二十餘邑」
西部は河北省の西部から遼寧省西部の範囲の北にあり、その西は烏孫に接しおり、
二十余の地区(邑)に分かれている。
227日本@名無史さん:2012/11/16(金) 17:04:02.73
続き

@ 東西と南北の距離の表現方法は現在と逆である。

A 塩湖の位置を勘違いしている。
   モンゴル東部ドルノド県にあるサンギダライ塩湖を
   内モンゴル西部にある阿拉善盟(アルシャー盟)塩湖と
   吉蘭泰(ジランタイ)塩湖に取り違えている。

B 敦煌の北は内モンゴル西部かモンゴル ゴビアルタイ県となり、
   そこを鮮卑の西端とすると、イリ盆地にある烏孫と接することはない。
   イリ盆地とゴビアルタイ県の間には、東西幅500km以上のジュンガル盆地
   (新疆ウイグル自治区北部)があり、鮮卑と烏孫が接するとする記述は誤りである。
   (烏孫をキルギスとする説は誤り。理由省略)   

C 鮮卑の東部中部西部の東西幅は各200km。南北は各900km。
   東部は興安嶺の東部平原、中部は興安嶺の山地、西部は興安嶺の西部平原。   
   
228日本@名無史さん:2012/11/22(木) 11:26:08.19
鮮卑まとめ

鮮卑の勢力範囲は、興安嶺の山地とその東西の平原(現内モンゴル東部)であって、
南北900km(万二千餘里)東西600km(七千餘里)にある。
鮮卑の勢力範囲が西域にまで及ぶとする従来説は明らかに誤りである。

鮮卑の西に、漢書に書かれている「烏孫」が接するという記述は誤りである。
魏書に書かれている「烏孫」は現モンゴル国東部に住んでいたモンゴル族(匈奴・東胡)である。
229日本@名無史さん:2012/11/22(木) 18:22:27.38
結局このスレって、デムパくんのツラの皮の厚さを見せつけるためだけに存在するってことか。
230日本@名無史さん:2012/11/30(金) 07:32:42.48
231228:2012/12/05(水) 16:49:19.21
従来の定説では、3世紀の東夷と北狄についての解釈には誤りがある。

@ 倭(倭地)
  対馬から九州北部の350km(周旋五千里)

A 倭(韓地半島南岸)
  歴韓国と狗邪韓國の「韓国」は倭人の国

B 韓(馬韓辰韓弁韓)
  半島南部の9万㎢(方可四千里)北は帯方郡と濊に南は倭に接している

C 高句麗
  鴨緑江流域と吉林省南西部(千山山脈北東部)の2万5千㎢(方可二千里)
  山間地域南は朝鮮と濊貊、東は沃沮、北は夫餘と接している。
  西には千山山脈中部の山間部70kmの空白地帯を挟んで遼東がある。

D 夫餘
  吉林省南西部、松花江支流の輝発河流域盆地から長春までの
  2万5千㎢(方可二千里)の平野と丘陵地域
  南は高句麗に、東は挹婁、西は南部鮮卑と接し、北100kmには弱水(湖沼地帯の松花江)がある。

E 鮮卑
  現内モンゴル東北部興安嶺を挟む東西500km(七千里)南北900km(万二千里)の50万㎢の地域。
  鮮卑は3地域に分けられる。東部が松花江とその支流の嫩江流域等の湖沼地域。
  中部が興安嶺山地。西部が興安嶺西側の草原と塩湖のある砂漠地域
  南は砂漠を挟んで漢地(河北省遼寧省)、東は夫餘と濊貊に、北は丁令に、
  西は烏孫(現モンゴル共和国地域のモンゴル族)に接している。(この烏孫は西域の烏孫ではない)
232日本@名無史さん:2012/12/06(木) 02:58:37.91
>>229
・トンデモはトンデモしか生み出さない
・トンデモは何回繰り返してもトンデモ

ってことも見せつけてくれてると思うんだ
233日本@名無史さん:2012/12/08(土) 00:54:40.82
日本史学史に輝く天才
234日本@名無史さん:2012/12/08(土) 01:47:46.42
>>232
大和信者たちよりはましだろうw
235>>231の修正:2012/12/08(土) 03:54:05.68
従来の定説では、3世紀の東夷と北狄についての解釈には邪馬台国大和論同様の誤りがある。

@ 倭(倭地)
  対馬から北部九州の350km(周旋五千里)

A 倭(韓地 半島南岸)
  「歴韓國」と「到狗邪韓國」の「韓国」は韓地の倭人の国

B 韓(馬韓辰韓弁韓)
  半島南部の9万㎢(方可四千里)北は帯方郡と濊に南は倭に接している

C 高句麗
  鴨緑江流域と吉林省南西部(千山山脈北東部)の2万5千㎢(方可二千里)
  山間地域南は朝鮮と濊貊、東は沃沮、北は夫餘と接している。
  西には千山山脈中部の山間部70km(千里)の空白地域(寛甸の居住地)を挟んで遼東がある。

D 夫餘
  吉林省南西部、松花江支流の輝発河流域盆地から長春までの
  2万5千㎢(方可二千里)の平野と丘陵地域
  南は高句麗に、東は挹婁、西は鮮卑の南東地域と接し、北100kmには弱水(湖沼地帯の松花江)がある。

E 鮮卑
  現内モンゴル東北部の興安嶺を挟む東西500km(七千里)南北900km(万二千里)の50万㎢の地域。
  鮮卑は3地域に分けられる。東部が松花江とその支流の嫩江流域等の湖沼地域。
  中部が山と谷が網目状になった興安嶺山地。西部が興安嶺西側の草原と塩湖のある砂漠地域。

  南は漢(河北省 遼寧省)に接し、
  東は夫餘と濊貊(満州平野北東部 黒竜江省)に接し、
  北は丁令(オロチョン族 内モンゴル最北部大興安嶺地域)に接し、
  西は烏孫(モンゴル族 モンゴル共和国東部地域)に接している。(この烏孫は西域の烏孫ではない)
236日本@名無史さん:2012/12/08(土) 04:02:16.19
>>233
むしろ天災だった
237日本@名無史さん:2012/12/08(土) 13:17:07.19
>>236
そのくらいの衝撃はあっただろうな。
238日本@名無史さん:2012/12/08(土) 15:19:21.77
ヤクザやなりすましを使い成人式を荒らしているのは広告代理店やテレビ局の自作自演です。
反原発デモでチンドンや太鼓を鳴らし、ソントを行っている在日
街宣車に乗り、騒音を撒く朝鮮人

構図は全て同じだということを覚えておきましょう。
http://mamorenihon.files.wordpress.com/2011/10/zainichi_seijinshiki_1.jpg
http://4.bp.blogspot.com/-1_jEcAWVs1s/Tm4X2mLBhhI/AAAAAAAABok/MObw2nzMyoI/s1600/IMG_9062-714071.jpg
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/timg/middle_1228711905.jpg

ソント(声闘)・・朝鮮人は、声が大きければ音が大きければ、主張が通る、どんな凶悪犯罪でも無罪になると思い込む。
だから、朝鮮人は大音量で街宣車を走らせる。
原発サウンドデモ=ソント

在日(もちろんテレビや新聞は通名で報道)が凶悪犯罪を起こしたとき、人権派()弁護士が異様に沢山付くのも
弁護士が多ければ=声が大きければ、無罪になると思い込んでいるから。
239日本@名無史さん:2012/12/09(日) 11:17:04.70
ローガン氏はだんまりの逃げの一手のみ。
ローガン氏には天災的衝撃のようだな。
240日本@名無史さん:2012/12/09(日) 16:36:50.29
循環論法のトンデモに反論も糞もないな
241ローガン:2012/12/10(月) 15:12:34.63
>>239
アホらし
>>198に既述
242日本@名無史さん:2012/12/11(火) 06:51:19.53
親鸞研究は評価されてんだから、まあ邪馬壱国ぐらいは
「素人の奇説」として唱えてもいい。


そろそろ九州王朝とか、ましてツガルなんとかは
間違いでしたと認めて欲しい。
このままだと、八切止夫以下のトンデモさんとして
扱われたままになる。
243日本@名無史さん:2012/12/11(火) 10:07:29.28
>>242
またループだな。
ツガルはトンデモだと思うが、出雲はもちろん、九州や関東王朝まではあたりまえの考え方だと思うぞ。
時代的なことを含めて。

まして「邪馬壹国」は、説というよりたんなる事実だ。
244日本@名無史さん:2012/12/11(火) 11:10:48.36
>>241 toローガン
>アホらし
>>198に既述

>西は烏孫(モンゴル族 モンゴル共和国東部地域)に接している。(この烏孫は西域の烏孫ではない)
西域の烏孫の存在を否定しているのではない。
魏書の編著者は勘違いしているのだ。だから、
>>198は反論になっていない。
アホらしいのは君の脳味噌か?
245日本@名無史さん:2012/12/11(火) 16:23:41.96
>>242
少なくとも、当時は親鸞研究で高い評価を受けたのは間違いない。

ただ、その研究が今でも高い評価を受けているかどうかが分からなくなってしまってる。
研究を依頼した? 本願寺(?)方面からも、いまでは古田関係情報が出てこなくなってるし、
あちらさんにとっても黒歴史あつかいされちゃった可能性ががが。

>>243
現存の刊本には「邪馬壹国」と記されている、邪馬臺国と書かれた刊本は存在しない、
この点まではたしかに事実だ。
しかしそれは、原本が「邪馬壹国」だった可能性を示すものではない。

邪馬台国問題に関与しない文献研究者達からは、
陳寿が書き記した原本が「邪馬壹国」だった可能性はむしろ低いと考えられてるぞ。
246日本@名無史さん:2012/12/11(火) 17:59:36.20
>>245
>陳寿が書き記した原本が「邪馬壹国」だった可能性はむしろ低いと考えられてる

これを「説」というんだ。
言葉の使い方を間違えないように。

事実としては「邪馬壹国」で、それを検討する中で「邪馬臺国」という説が出てきた。
247日本@名無史さん:2012/12/11(火) 18:39:32.67
>>246
それも違うよ
現存する三国志の版本では「邪馬壹国」となっている。
他の三国志を引用した書物では「邪馬臺国」となっている。

これが事実。

そして、陳寿の元本は「邪馬臺国」だっただろうというのが通説。
それに対して、最初から「邪馬壹国」だったという「説」を古田氏が唱えた。
どちらも「説」
両者を比較すれば、通説の方が圧倒的に説得力がある。
248日本@名無史さん:2012/12/11(火) 18:40:16.33
×陳寿の元本
○陳寿の原本
249日本@名無史さん:2012/12/11(火) 18:58:57.79
>>247
その話はループだからもういいよ。

現実に存在するものは写本だから2次史料。
現存しないものからの引用は3次史料。

どれが原本に近いかはそれぞれの説がある。
いまのところは確定されていない。

だから事実として現存するのは「邪馬壹国」で「邪馬臺国」はひとつの説。

正否とは関係がない。

日本書紀も同様。
そう書いてあるという事実に対して、古田氏が異説を唱えた。
古事記は言うに及ばず、日本書紀だって原本があるわけじゃない。

君の論でいくと、写本の系統が一つしかない古事記は日本書紀ですべて訂正されなければならないということになりかねない。
250日本@名無史さん:2012/12/11(火) 19:10:55.12
>>249
>だから事実として現存するのは「邪馬壹国」で「邪馬臺国」はひとつの説。

これは、陳寿の原本が「邪馬壹国」だったのが事実かのような誤解を与える。

事実は、三国志の現存する版本が「邪馬壹国」となっているということだけ。
写本であるという意味では、他の三国志を引用した文献と同レベル。
三国志の現存版本を他の引用より重視しなければならない理由は何も無い。

陳寿の原本が残っていない以上、「邪馬壹国」を主張しようが「邪馬臺国」を主張しようが、
どちらも「説」の域をでない。

そして、「説」としてどちらが説得力を持つかといえば、
「邪馬臺国」のほうが有力。
251日本@名無史さん:2012/12/11(火) 19:56:51.44
いやいやそうじゃないぞ
陳寿は邪馬壹国
范曄の後漢書がそれを邪馬臺国と書き直した。

古田氏の説は
三世紀にあったのは邪馬壹国
五世紀にあったのは邪馬臺国
邪馬臺国を否定してる訳じゃない
252日本@名無史さん:2012/12/11(火) 20:03:51.59
>>251
三世紀の陳寿の原本が現存していない以上、
陳寿が邪馬壹國と書いたのを范曄が邪馬臺國と書き直したというのは、
想像の域を出ない。
だから、それも「説」。
なのに、あたかも事実のように言うのは正しくないということ。
253日本@名無史さん:2012/12/11(火) 20:06:53.95
>>251
>邪馬臺国を否定してる訳じゃない

陳寿が邪馬臺国と書いたというのが通説。
古田説は、もろにそこを否定しているじゃん。
254日本@名無史さん:2012/12/11(火) 20:28:18.72
>>250
写本そのものと引用では価値が違うよ。

引用だと引用の元がわかるものも少ないし、まして原本からの引用と証明されているものはなさそうだ。
正しいかどうかはわからない。
引用の引用という懸念も排除できない。

つまり

原本−写本
原本−写本−引用
原本−写本−引用−写本
原本−写本−引用−孫引き−写本

(引用の場合はその書物自体も写本である場合がほとんどだろう)
(原本−引用 の可能性がないわけではないが、その場合でも写本と同列)

ということだ。

「邪馬壹国」と記載されている写本しか現存しない事実は変えられない。
それを無視して「説」の優劣を論じるのも変な話だが、それを判断する知見は自分にはないから、立ち入らない。
あくまでも一般論だ。

だから古事記と日本書紀の例を出しといただろ?
255日本@名無史さん:2012/12/11(火) 21:22:24.17
>まして「邪馬壹国」は、説というよりたんなる事実だ

ヤマイチ証券ってあったよな。

御大説では「やまい」と読むそうだ゛、
そりゃたんなる気の迷いだ。

ヤマイは気から、と言うじゃろ。
256日本@名無史さん:2012/12/11(火) 22:14:58.08
>>254
>写本そのものと引用では価値が違うよ。

現存の版本が、原本から数えて何回目の写本なのか、誰にもわからない。

原本−写本−写本−写本−・・・−写本−写本−現存の版本

三国志版本だからといって、単純に他書の引用されているものより信用できるわけではない。
一般的に考えて、転写の回数が多いほど間違いの確率は高くなるが、
一回の転写でも間違いは起こるし、何十回転写しても間違いが起こらない場合もある。
そういう意味では、原本以外は、信用性にそれほど違いはない。
257日本@名無史さん:2012/12/11(火) 22:31:35.32
>>254
補足

現行の版本の誤りが、他の書物に引用された文によって正されるということは、
文献学では珍しくない。
だから、引用された文が価値が低いなんて事はない。
258日本@名無史さん:2012/12/11(火) 23:02:54.59
>>254
>写本そのものと引用では価値が違うよ。
などといってるのは、文献学の専門家ではない古田氏だけ。

文献学の専門家が言っていることに門外漢が異論を唱えてるが相手にされてないってのが現実。

文献学の基本を受け入れると邪馬壱国説が破綻するから目をそらし続けてきただけのことさ。
259日本@名無史さん:2012/12/11(火) 23:34:24.86
>>254
>だから古事記と日本書紀の例を出しといただろ?
>君の論でいくと、写本の系統が一つしかない古事記は日本書紀ですべて訂正されなければならないということになりかねない。

何を言っているのかわからない。
写本の系統が一つしかないのなら、比較する対象が無いのだから、訂正のしようがないだろう。
260259:2012/12/11(火) 23:37:37.34
失礼。
よく読んでなかった。
日本書紀で古事記を訂正するということね。

日本書紀に「古事記に曰く」として引用されていて、
現行の古事記のテキストより、そのほうが蓋然性が高ければ、
その部分は訂正されるべきだね。
具体的に、それはどの部分か、参考までに示してくれ。
261ローガン:2012/12/12(水) 15:18:17.66
>>244
>魏書の編著者は勘違いしているのだ。だから、>>198は反論になっていない。

反論?
論ずるには根拠が必要だ。根拠皆無の君のレスは論ではない。論で無いものに反論なんか私はしない。
>>198は、烏孫の位置が解る史料の提示だ。

>アホらしいのは君の脳味噌か?

結構。そう思ってくれ。追従される方が迷惑。

>>254
>「邪馬壹国」と記載されている写本しか現存しない事実は変えられない。
>それを無視して「説」の優劣を論じるのも変な話だが、それを判断する知見は自分にはないから、立ち入らない。
>あくまでも一般論だ。

「都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」(隋書) 隋書の編者が見た魏志には「邪馬臺」とあった。
隋朝保管の三国志には既に裴注がある。裴注には「此字不體、非魏朝之失、則傳寫者誤也。」という誤写を指摘したものがある。
オリジナルが「壹」ならそこに注が付いてしかるべき。
これが「一般論」(笑)
262日本@名無史さん:2012/12/12(水) 15:51:22.10
>>256->>260
自称文献学の専門家の人か。

前にも、「古田のは文献学とは言えない」とか根拠なく威張ってた人だね。
いくらなんでも、文献研究で一定の評価を得ている学者を素人呼ばわりする素人とやり取りする気はないよ。

始めに感情的な結論があって、その結論に結びつくものは正しく、反するものはすべて間違い、なんていう態度はもっとも研究から遠いんだ。

君とのやり取りは何も得るものがないから、おことわりだ。
僕は、自分の考えと違っていても優れた考え方を受け入れることができる柔軟性だけは持っているつもりだ
いつか君もそういう柔軟性を持てるときがきたら、楽しく議論しよう。
263日本@名無史さん:2012/12/12(水) 15:54:07.29
>>261
君も、始めに感情的な結論があって、その結論に結びつくものは正しく、反するものはすべて間違いという態度の人だったね。

僕のレスには応えなくていいよ。
264ローガン:2012/12/12(水) 17:02:25.70
>>263
>君も、始めに感情的な結論があって、その結論に結びつくものは正しく、反するものはすべて間違いという態度の人だったね。

しかし「始めに感情的な結論があって」とは私の言の、何に基づいたものか?君は具体的に指摘できない。(笑)
又「その結論に結びつくものは正しく、反するものはすべて間違い」とは、いつのどのレスからそう言えるのか?君には具体的な指摘ができない。(笑)
でもまあ、気にするな。幼稚な君をからかっているだけだから。どうせ>>261の内容すら理解できないだろうし。
265日本@名無史さん:2012/12/12(水) 17:24:42.56
>>264
じゃ、ちょっとだけ相手してあげる。

君は天皇制の信奉者で、現天皇が2672年前からの万世一系じゃないといやなんだ。
僕は、幼稚だからそんな感情を持ったことがない。

またね。
266日本@名無史さん:2012/12/12(水) 18:38:30.28
>>262
レスを見落としてた。
議論というより、僕は古事記・日本書紀はひととおり読んだだけで、全然詳しくないので、
日本書紀で訂正すべき古事記の部分というのを教えてほしい。

こういうことは、気になると是非知りたいと思う性質なんだけど、
詳しくないことを、ひとりで必死に調べるより、知ってる人に聞いた方が早いでしょう。
お手数ですが、よろしくお願いします。

>前にも、「古田のは文献学とは言えない」とか根拠なく威張ってた人だね。

過去に威張ったレスを書いたつもりはないなあ。
古田氏の説が文献学として成立しないというのは、
それこそ単なる事実だし、多くの人が思っていることだから、他の人のレスなんじゃない?
267日本@名無史さん:2012/12/12(水) 18:44:21.24
>>266
>古田氏の説が文献学として成立しないというのは、それこそ単なる事実

これを威張ったレスというんだよ。
素人がよく言うな、ということさ。

始めに感情的な結論があって、その結論に結びつくものは正しく、反するものはすべて間違い、という人とやり取りする気はないんだ。
268日本@名無史さん:2012/12/12(水) 19:00:39.30
>>267
別に、初めに感情的な結論があったわけじゃなく、
有名な古田氏がどんな論証をしてるのかなと著書を読んでみたら、
まったく論証になってないなあという感想を持っただけ。
僕自身、独自の比定地とか、特別な持論とかは無いので、
古田氏の説に感情的になる理由が、そもそも何もないよ。

まあ、古田氏の評価はちょっと横に置いておいて、
日本書紀で訂正すべき古事記の内容の件、
よろしくお願いします。
269日本@名無史さん:2012/12/12(水) 19:06:27.51
>>268
やだよ。

根拠なく文献学とは、なんて大言壮語する人間に応える気はないよ。
270日本@名無史さん:2012/12/12(水) 19:16:18.51
学問が「権威」や「肩書き」によって進展すると思ってる奴はおめでたい
271日本@名無史さん:2012/12/12(水) 20:02:47.56
>>266

日本書紀には古事記から引用したと明示してある引用文なんか一文字もないはずですよ。



>他の人のレスなんじゃない?

あ、オレのレスのことです多分。

>>268
たぶん、初期の頃の頃のは穴があるだけで狂った内容ではなかったと思う。
反論を付けられたことで逆上してボロが出るようになった後、段々と怪しい内容の論拠に傾倒するようになって自爆した。
後の方の著書ほど、検証が杜撰だったり怪しかったり無茶苦茶なものが増える印象。

>>270
古田氏の大学教授という肩書きを尊ぶ信者が最右翼だな。
272日本@名無史さん:2012/12/12(水) 20:12:11.44
>>271
別の人なら元レスを確認してから書いてね。

僕は>>249でこう書いた。
「君の論でいくと、写本の系統が一つしかない古事記は日本書紀ですべて訂正されなければならないということになりかねない。」

>日本書紀には古事記から引用したと明示してある引用文

があるなどとは書いてない。
自称文献学の専門家にしては注意が足りないんじゃないの?
273日本@名無史さん:2012/12/12(水) 20:15:12.25
>>271
ありがとう。すっきりしました。
274日本@名無史さん:2012/12/13(木) 00:38:04.90
日本書紀と古事記をたとえにだすなら

普通の文献学者=根本は同じ伝承群を違う視点で記録した兄弟みたいなもの
古田=完全には一致しないので全く別の世界を描いたもの

となるはずだよなw
275日本@名無史さん:2012/12/13(木) 06:47:58.33
話は飛ぶが、
誰かの本をパクったり、それをライバル視したてヤツって
必ず原典を「知らなかった」つて言うよな。

宇宙からのメッセージ、つう映画作ったスタッフは
「スターウォーズなんか見たこともない!」つうてたし。

古事記は一種の私家版、多分漢文が日本的すぎて
とても中国に提出できなかった。

日本書紀は「公的な史書」であり、編集部は
古事記をライバル視してたと思う。

また唐王朝に「うちにもこんな歴史書あるで」と提出するのだから
中に「古事記に曰く」とあれば
「古事記?これなにアルか?見せるよろし」と
つっこまれたら困るだろうし。

そもそも「古事記」ってメインタイトル、奈良時代にあったのか?
別の名前で呼ばれてなかつたか?
「萌える神様大集合」とか……
276日本@名無史さん:2012/12/13(木) 10:23:42.43
>>275
>別の名前で呼ばれてなかつたか?

折口先生は、「日本書紀」のタイトルが怪しい、とおっしゃってる。
277日本@名無史さん:2012/12/13(木) 11:25:39.51
折口先生だけではない。

「日本書(紀)」だから。

「日本書」+「日本帝紀」と考えられるから。
278日本@名無史さん:2012/12/13(木) 11:32:51.50
>>277
マジレスありがとう。
279日本@名無史さん:2012/12/13(木) 17:56:43.81
紀伝体の史書と考えると本紀だけになった感じだから
(書も列伝/伝もない)、書記ではなく紀と書くなら妥当なんだがな。
(正しくは紀伝体じゃなく編年体と呼ぶんだが)

まあ実際、中世には日本書紀じゃなく日本紀って呼ばれたぐらいだしな。

>>274
別の視点というか、編集理念も目的も違うので、一方で削ぎ落とされてた方では残ってる部分ってのがあるし、
脚色の加え方が違ったりもする。

あと、どちらの本も、他方の存在について一切の言及がなく、完全に無視。
280日本@名無史さん:2012/12/13(木) 20:40:24.77
日本書があって、なんとなく日本書紀になったかも。
古事記も「かみつことふみ」とか呼んで
「上書記」または「古書記」゛つたかもなあ。
日本書と古書記が混同されて日本書記になったりして。
281日本@名無史さん:2012/12/15(土) 16:22:48.84
昨日、京都であった「日本書記の謎を解く」の森博達氏の講演会に行ってきたよ。
あの本以降はどんな研究をされてたのかも気になっていたので。
古田氏とは違うところから出発して、ほぼおなじ結論に到達しつつあることが判って、驚いたし興奮した。
最後に、日本書紀の〜はすごく評価されたけども、古代史学会からは全く反響が無く失意を味わったこと
現在は中国語と韓国語を大学で教えてること
日本の記紀学者は中国語も漢文もまともに読めず勉強せず、現代語訳で研究して専門家を名乗ってて
自分は彼らには何もきたいしていない。皆さん頑張って、的な事をいっていた。
282日本@名無史さん:2012/12/15(土) 18:55:00.56
>>281
ほぼ同じ結論て、どういうこと?
283日本@名無史さん:2012/12/15(土) 20:29:57.58
>>281
森氏は専門は中国語音韻学で、古代史のほうには踏み込みすぎないように慎重に接している感じで
(漢文で書かれてる日本書紀の研究については自負があるけど、古事記は門外漢ですと言い切ってしまう)、
そういうところはすぐ大風呂敷広げる古田氏と違うところだよなあと可笑しかったけれども。
日本書紀に関する理解が、アプローチは全く違うのに、似たような結論に達しつつあるんだよね。
森氏の有名な論考、即ち日本書紀は
α群(巻十四雄略〜巻二十一崇峻、巻二十四皇極〜巻二十七天智。中国人が正しい漢文で書いた部分)
β群(巻一神代〜巻十三安康、巻二十二推古〜巻二十三舒明、巻二十八・二十九天武。日本人作のデタラメ漢文の部分)
とに分けられ、かつ執筆時期はα群がβ群より古い
というのがあるのだが、森氏は今、そこからさらに進んで、この二群の内容がどう違うか
というところに考えを進めつつあるようなことを話されていた。
そのひとつはアマテラスについてで、天照大神て表記はβ群のみで、α群では日の神となっている。天照大神とはβ群が執筆された文武朝以降に誕生した神様じゃないのか。というような話を最後に少しされていて。
慎重な森氏ははじめに「古事記は専門外」と断ったとおりで、その先については語らなかったけど、それはつまり、天照大御神表記で統一されてる古事記は日本書紀より新しいんじゃ?てことだよね。
なんか、古田氏の記紀論と同じところにたどりつきつつあるんじゃないか!?と驚いたわけ。
284日本@名無史さん:2012/12/15(土) 20:30:32.24
>>ごめ、281じゃなくて>>282
ですた。
285日本@名無史さん:2012/12/15(土) 20:37:44.65
>>283
なるほど。
手法としては万葉仮名の研究と同じなのに、なぜこれまで誰も研究してこなかったのかな。
286日本@名無史さん:2012/12/15(土) 20:48:05.17
>>285
そのことは森氏も講演の中で言っていて、このスレの上でも出てたけど
つまりは日本の書記研究者は中国語はおろか漢文さえもまともに読めない人がほとんどで実にケシカラン(笑と。
今やネットで記紀でも中国の歴史書でも全文検索が簡単にできる。皆さんも、良い漢字辞典と情熱があれば、記紀について、不勉強な専門家なんかよりずっと立派な研究ができるはず。頑張りましょうってさいご力説してた。
ちなみに、この講座は市民向けので、いつもは三十人〜五十人集まるかどうかって程度のものだけど
この日は300人くらい来てた、椅子や資料が足りなくて主催者がアワアワしてた。平日の昼間で、有料(800円)なのにね。
みんな仕事休んで、三度のメシより、いや死ぬまで、好きだよな。俺もだけど(笑)
287日本@名無史さん:2012/12/15(土) 23:54:09.21
>それはつまり、天照大御神表記で統一されてる古事記は日本書紀より新しいんじゃ?てことだよね。

日本書紀の編纂が開始される

何らかの事情で編纂が中断

(このころに、「日の神」表記から「天照大神」表記への転換が進む)

古事記の編纂・完成

日本書紀の編纂が再開される。
全体を作り直すのではなく、リファインされた部分とされなかった部分に分かれる

日本書紀の完成

みたいなイメージかな?

リファインされなかった古い記述の部分であるα群が古事記より古いって程度なら異論はあまり出てこない気がする。

古事記の神話記述の方が日本書紀より原型に近いという説を最初に唱えたのは本居だったけど、
今はそれに異論を唱える人も何人かいるんじゃなかったっけ。
古事記をテーマにした、他の人の本でも、そういう結論を見た気がする。

ちなみに、本居宣長は邪馬台国九州説を最初に唱えた人だったよね。
288日本@名無史さん:2012/12/16(日) 01:03:57.98
古事記偽書説(成立は序文が主張するよりも新しい)ってのは昔からあって
それを古田説に近いなんて言ってしまうのはひいきの引き倒し

だいたい古事記序文がウソついていると認定してしまうと
史書を信じるという古田説の前提そのものを否定することになるのだがなw
289日本@名無史さん:2012/12/16(日) 01:40:12.72
>>287
書紀の成立に関しては大体そうだね。
書紀の古いα群の記述が、後で書かれたβ群記述と明らかに矛盾を起こしてるところ、アマテラスもそうだが、それらがなぜ放置されたまなのか という点に関して、
森氏は、藤原不比等が死にかけてたので、最低限の加筆修正のみの不完全な状態で献上されたのだろうと推測している。
それと、β群作者の漢文能力が低く、α群の正当漢文を全面リファインなんてことは到底無理(一部加筆修正してるらしいが、α群の中でそこだけ漢文が変なのですぐわかるんだとか)、ということもね。

>>288
いや、古田氏も森氏も、古事記を偽書とは言ってないし、成立年代を偽っているともいってないと思うよ。
古田説と森説の最大の共通点というのは、書紀は、古い時代に正調漢文で記述された部分と、日本人が文武朝以降に書いた部分が混在してるだろうって点だね。
アマテラス表記問題に関しては、森氏も気づいたのは最近で、別に学内誌か何かに載せますねと言っておられた。それを読まないとどんな説なのかわからないけど、
アマテラスは以外と新しい時代に創作された神様なんじゃない?と書いてあるんだろうと思われる。古い新しいっていうのは、内容が、より新しい時代のものを含んでいるっていうことね。
290日本@名無史さん:2012/12/16(日) 01:54:48.31
>>289
>古田説と森説の最大の共通点というのは、書紀は、古い時代に正調漢文で記述された部分と、日本人が文武朝以降に書いた部分が混在してるだろうって点だね。
その部分だけをいうなら、むしろ、少なからぬ研究者達の共通認識と重なってる、というべきかと。
独自主張と呼べるほど独自色がある部分じゃない。

>アマテラスは以外と新しい時代に創作された神様なんじゃない?と書いてあるんだろうと思われる

それも別の研究者の説と重なるな。
独自色が強いと言えるわけじゃない。

新しい論拠が出たという意味では評価に値する。


ええとな、
アマテラスは弥生時代には広く信仰されてたけど古墳時代以後には勢力が衰えて、
一介の地方神となってたのを、壬申の乱をきっかけに最高神として復権したって説が、別の人からも出されてたよ。

古墳時代〜飛鳥時代頃の最高神・皇祖神はタカミムスビだった、とね。



そういう、他の研究者の説とも整合性のある、コンセンサスを得られてるような部分以外で、
古田氏と森センセ以外の人が言ってない独自主張では共通点ってあるのかな?
ないんじゃない?
291日本@名無史さん:2012/12/16(日) 02:41:17.39
うーん、そもそも森氏と古田氏の接点は、日本書紀しかないからね(笑
しかし、真実に近づいた人たちの説が互いに似ている、既出、独自色ないてのは、むしろ必然であって
評価すべき独自性とは、その結論に至るルート、研究手法、論拠、ではないのかな。
森氏は、講演冒頭で「これまでは書紀「を」研究してきたが、これからは書紀「で」研究してこうと思う。アマテラスはその第一歩」
という意味のことを言っていた。
292日本@名無史さん:2012/12/16(日) 10:14:07.57
問題は、正当な漢文が読み書きできる文化が「日本書紀」の中で途絶えている、というところだろ?

古田氏はこれを王朝の断絶と交替、つまり、九州王朝から大和王朝への中央政権の移動として考えた。
中国と強い結びつきのあったつまり中央政権であった九州王朝は漢文(当時の中国語)を自在に読み書きできたが、交替まで地方政権に過ぎなかった大和王朝は漢文が十分には読み書きできなかった。

そういうところに結びつく、ということだろう。
293日本@名無史さん:2012/12/16(日) 19:14:18.36
日本書紀のα群(編纂時期が古い方、マトモな漢文で書かれてる部分)の編纂時期は、
どう考えても九州王朝の滅亡より新しいと思うんだがなあ。

古田説で、九州王朝の傍証として現れる様々な画期が、あまりにも時期的に違いすぎて整合性絶無。
294日本@名無史さん:2012/12/16(日) 19:52:42.67
>>293
具体的には?
295日本@名無史さん:2012/12/16(日) 20:37:09.32
@原文が書かれた時期
A@を編纂した時期
B完成した時期
それぞれタイムラグが結構あってもおかしくないわけだよね。
296日本@名無史さん:2012/12/16(日) 21:04:05.07
正式な漢文で書かれた文章(α群の編纂、執筆)は1じゃなく2だろう?
九州王朝から大和への移行があったとして、1も2も九州王朝の滅亡以前だとしたら、
九州王朝の滅亡時期があまりにも新しくなりすぎるんじゃないか。
297日本@名無史さん:2012/12/16(日) 22:00:10.23
⓪実際に起きた時期
てのもあるがな。
298日本@名無史さん:2012/12/16(日) 22:59:28.47
でも「まともな漢文」てのもなぁ、
人によって主観的判断が混じるだろ

とくに神代の固有名詞の音を漢字にあててるのは仕方のないことだし
それを「漢文としてまともじゃない」と言われてもな
299日本@名無史さん:2012/12/16(日) 23:09:50.33
和製漢文って、語順とか文法がおかしい部分が多いんだよね。

後世の「かきくだし文」に適当に漢字をあてたような異常な語順が頻出する。

これがなくて、語順が適切なものが「マトモ」

さらに、中国の古典の本文からの引用を適度に織り交ぜたものが「格調高い漢文」ってとこだったか?

倭王武の上表文とか、晋書からの引用が多くちりばめられてるって言われてるよ。
晋書の原型に相当する史書がすでに存在していた根拠になってるそうだ。
300日本@名無史さん:2012/12/16(日) 23:17:06.91
主観的とかいうレベルの話じゃないっしょ。
日本語が母語ではない人の書いた日本語文は、日本人が読めばどこが変かすぐわかるよね。逆もそうだし。
301日本@名無史さん:2012/12/16(日) 23:19:50.14
倭王武の上表文は、晉書どころじゃない。
尚書(書経のことね)の知識を背景にして書かれた、天下一品の文章だぞ
302日本@名無史さん:2012/12/16(日) 23:24:59.69
>>299
でも「論語」だって、語順は必ずしもマトモじゃないと思うぞ
303日本@名無史さん:2012/12/16(日) 23:44:05.84
>>302
そうゆうレベルの話じゃないっしょ。
これも有名な話だが、17巻継体紀は森説でいうα群に属する正調漢文で書かれてるのだが、その中の最初の部分、即位に関する文は、後代の日本人が加筆したことがわかっている。
なぜわかるかというと、そこだけ急に「漢書」「呉誌」からの丸パク文(引用とかではなく)となり
しかも基本語順で致命的な間違いを犯しイミフな文章になってるから、である。
これの意味するところは「継体が群臣に推挙されて王になりました」という文は後で挿入された、つまり推挙されて王になったのではない、ということね。
304日本@名無史さん:2012/12/17(月) 01:43:45.56
>>302
論語は、まともじゃないわけじゃなく、戦国期〜秦の時代に、文法に大きな変化があったんだと思う。
いわゆるまともな漢文って、孟子とか韓非子とかで、
それ以降の漢籍は、細部は難しくても、漢文読める人なら大まかには読める。
それ以前の尚書・詩経とか金文は、それ専門に研究している人じゃないと、さっぱり読めない。
305日本@名無史さん:2012/12/17(月) 08:42:51.28
孔子と孟子は近所だし、時代も近いけどね
306日本@名無史さん:2012/12/17(月) 10:31:20.11
>>305
論語は孔子が書いた、と?
307日本@名無史さん:2012/12/17(月) 12:07:35.14
いや、孔子と孟子は同時代だという話
308日本@名無史さん:2012/12/17(月) 13:10:09.11
>307

孔子はBC551―479だが、孟子はBC372?―289で、孔子が死んで
100年近くたって孟子が生まれているわけだから、同時代
といえるのでしょうか?
309日本@名無史さん:2012/12/17(月) 17:08:17.35
同時代とは言えないにしても、近い時代。
310日本@名無史さん:2012/12/17(月) 17:50:24.21
今から100年近く前といえば大正時代の前半だろ
現在と近い時代と言えるか?
311日本@名無史さん:2012/12/17(月) 18:54:35.87
>>305
詩経・書経のような、さっぱり読めないものから、
『孟子』のような馴染みのある漢文に変化する、
その過渡期に『論語』があたるんじゃないかってこと。
論語は、詩経・書経のようにさっぱり読めないことはないけれど、
注がないと全然意味がわからんところもあるから。
312日本@名無史さん:2012/12/22(土) 11:05:22.74
日本書紀が先行する史書を改竄して成立した、ということは確実、というのが定説でいいの?
313日本@名無史さん:2012/12/22(土) 12:24:10.87
改竄 て言葉がどういうことを意味するかにもよる。

完璧な中国語で書かれた先行テキストがあった のはそうなのだろうが、それは
@一部はずっと以前に書かれた(例えば九州王朝時代)
A天武が作れと言ってから、朝廷内部の中国人が書いた 上の森先生はこの立場
あるいは、書かれた経緯はAだけどその際@のようなテキストを参考にした。ということも考えられる。
そして、さらにそれらはもっと後世の、中坊の英語力並みの漢文能力しかない日本人の酷い改竄を受けた。
314日本@名無史さん:2012/12/22(土) 16:35:23.52
>>313
なるほど。
理屈と膏薬はなんにでもくっつくということか。
315日本@名無史さん:2012/12/22(土) 18:57:18.61
>>314だが、古田説の批判じゃないよ。
大和信者への批判だよ。
316日本@名無史さん:2012/12/23(日) 18:00:31.85
>>315
納得した。

だって、古田説は理屈じゃなくて屁理屈だからな。

いかに「何にでもくっつく」とはいっても、屁理屈よりはマシだ。
317日本@名無史さん:2012/12/23(日) 18:10:35.82
>>316
くだらないなあ。

そんなこと書くから、大和信者は人格まで疑われるんだよ。
318日本@名無史さん:2012/12/24(月) 20:27:34.51
アマテラスについては
最初男性太陽神だったと思う。
たいていの太陽神は、世界中で雄々しい男性だ。
アマテラスも大阪湾一帯で語られる男性神、おそらくはヒルコだったろう。
ある時期に女性太陽神の信仰が宮中にもちこまれ、
従来の男性太陽神と置き換えて「解釈」する必要が生じた。
その苦肉の策が、ヒルコ流しだったはず。
「ヒルコ」⇔「ヒルメ(アマテラス)」で。

あと複雑なのがやはり男性太陽神たるニギハヤヒ。

神武東遷説話で大和を神武に与えたのは、このニギハヤヒだ。

つまり確かに文武以前、男性太陽神信仰時代があって、
そのころに一度説話がまとめられたオリジナルがあったろう。
319日本@名無史さん:2012/12/24(月) 20:47:22.91
>>318
思う、だけじゃなんの根拠にもならないよ。
320日本@名無史さん:2012/12/25(火) 05:55:04.91
古田さん、本当にこのまま、詐欺の片棒担いだトンデモ学者として
一生送るのかなあ。
せめてツガルはインチキだった、騙された!と
宣言して終わらないと。

周囲の人間にそう言うことを忠告してくれる人はいないのか。

九州王朝もトンデモだけど、主張は自由。
しかし東日流ナントカに関わったらもう犯罪レベルだろうに。
321日本@名無史さん:2012/12/25(火) 10:54:47.42
>>320
古田氏は人がいいというか、人を信じやすいみたいだ。
「ルーツ」を礼賛して恥をかいたこともある。

人を信じるのはその人の生き方だから、人格を否定するような批判をしてはいけない。
和田家文書の真実性は限りなくゼロに近いと思う。
とは言っても、こちらも傍観者に過ぎない。
当事者を知っているわけでも、実物に一部でも触れたわけではない。

「九州王朝」を「トンデモだ」と主張するのももちろん自由だが、卑弥呼を大和王朝の一員だとするよりはずっと説得力がある。

繰り返すが、大和信者は自分の人格まで疑われるような書き方はしないほうがいいと思う。
322日本@名無史さん:2012/12/25(火) 11:24:48.16
>>321
古田氏は、人が良いというより、情熱家で陶酔しやすい性質だね。
自己陶酔も激しいし、他者にも陶酔する。
陶酔してしまうがゆえに、論証が論証になってない。
323日本@名無史さん:2012/12/25(火) 11:50:56.28
>>322
>陶酔してしまうがゆえに、論証が論証になってない。

これはまったく違うよ。
陶酔と情熱のない論証なんかないといってもいいくらいだよ。

それは少しでも思想や哲学に触れてみればわかる。
学問の世界はすべてそうだといってもいいかもしれない。
一番現在的な例を出せば、ノーベル賞の山中氏だ。

古田氏の研究も在野といってもいい立場でよく持ちこたえている。
「東日流内・外三郡誌」の「寛政原本」の史料評価もまだ十分にされているわけではなさそうだが、少なくても江戸期のものであることだけは確かなようだ。
和田家文書のすべてが偽書であるという説自体は否定されているといっていいのだろう。

とはいえ、依然として「東日流内・外三郡誌」が真実であるということにつなげるのは、まだ難しいのかもしれない。

古田氏の論証を論証になっていないというなら、「古代史学」すべての学者も同様だ。
むしろ論証という意味では、最も説得力があるのが古田氏だといってもいいくらいだ。
324日本@名無史さん:2012/12/25(火) 12:58:13.24
>>323
芸術じゃなくて学問なんだから、
陶酔と情熱が表面に出てはダメ。
原動力としての情熱を、理性がしっかりコントロールして、
努力の報酬としての自己陶酔は、論文を書き上げた後にちょっぴり。

古田氏の場合、最初から自己陶酔で理性が吹っ飛んで、
情熱のままに暴走してしまってる。
東日流以前に、邪馬壹國問題ですでにそうなってる。

>古田氏の論証を論証になっていないというなら、「古代史学」すべての学者も同様だ。

そんなことはない。

>むしろ論証という意味では、最も説得力があるのが古田氏だといってもいいくらいだ。

情熱に浮かされた文章だから、読者にしっかりした知識がないと、
すごく説得力があるように感じてしまう。
知識さえあれば、情熱だけが先走っていて論証になっていないことはわかる。
325日本@名無史さん:2012/12/25(火) 18:27:15.01
>古田氏の論証を論証になっていないというなら、「古代史学」すべての学者も同様だ。

古田氏の論証を論証になっていないというなら、
「古代史学」すべての学者は、論証とはどうすることかを知らないことになる。
326日本@名無史さん:2012/12/25(火) 18:29:36.94
あー、このへん、文系の論文の悪いところだなあ。
327日本@名無史さん:2012/12/25(火) 19:01:07.87
>>324
だから、少し思想や哲学の本を読んでみなさい、と。
流行りもんで文庫で手に入るのは、フーコーとかドゥルーズかな。

「陶酔と情熱が表面に出」るどころか、全編、「陶酔と情熱」みたいなもんだよ。
その中で緻密な分析と論証がなされている。

もちろん、ほかの思想家や哲学者もそういう人がほとんど。

それはともかく、君のレスは感情的な結論だけで論証どころではないけど、そこんとこはどうするのかな?
328日本@名無史さん:2012/12/25(火) 23:11:07.08
つまり、古田史学は歴史学じゃなく思想なんですね。
329日本@名無史さん:2012/12/26(水) 00:03:53.70
ツガルに引っかかってしまったのは本当に残念だが
それ以外の部分は、逆に京大・東大史学は、古田以降は、思考停止状態だと思うけど。
330日本@名無史さん:2012/12/26(水) 00:32:21.43
それ以外の部分ってなんのことだ?
邪馬台国に関することなら新出史料でも見つからない限り現状以上の進展はないし
九州王朝説は発掘事例がどんどん増えても全く補強材料は出土してないしw
331日本@名無史さん:2012/12/26(水) 00:37:52.75
>>323 >>327
学問は自分を相対化・客観視できない人には無理
自分を絶対化したらそれは宗教だよ
332日本@名無史さん:2012/12/26(水) 00:38:50.05
>>329
京大・東大に限らず、文献学の世界では、
邪馬臺國自体が終わったコンテンツになってるんじゃない?
誰もやってないから、そういう意味で、本当に停止してる。
333日本@名無史さん:2012/12/26(水) 00:58:21.16
詭弁じゃない?
古田説があまりに正論だったが
東大も京大もそれが正しいと認めることができず、かといって反論もできず
思考停止している。
おぞましい状況だね。
334日本@名無史さん:2012/12/26(水) 01:42:36.60
自説あるいは自分の支持する説を客観的にみることができなくなるとこうなるという好例
335日本@名無史さん:2012/12/26(水) 02:29:09.94
>>331
それが大和信者だろ?
336日本@名無史さん:2012/12/26(水) 04:46:47.63
盆地などから創造基礎文化など生み出せる訳が無い
337日本@名無史さん:2012/12/26(水) 06:27:03.66
元々在野の歴史家として親鸞研究ではそれなりの成果をだした。

なぜか邪馬台国につっこんで
「邪馬壱国」とか言い出した。
これが間違いと思うが、論としては面白い。
しかしそれが学界から黙殺されだしてからおかしくなり、
九州王朝とか言い出した。ここらはまあ、
鹿島昇レベルのトンデモで、まあ許せる。

やはり東日流ナントカにかかわったのは、もう犯罪レベルだ。
自分でもとっくにニセモノと判っていても、
まだ犯罪を擁護している。

このまま亡くなったら、藤本ナントカ同様、
日本史学上の悪人になってしまう。
せめて「あれは騙された」と言って欲しい。

むかしはファンだったんだ………
338日本@名無史さん:2012/12/26(水) 09:45:22.34
>>337
なんで大和信者というのは、自分の品性も人格も疑われるようなこと書き込むのかねえ。
内容を否定できなくなったから、悪口に逃げ込むんだろうな。
むかしは、とか嘘まで並べて、恥ずかしくないのかね?
339日本@名無史さん:2012/12/26(水) 16:48:50.68
研究者視点でみれば、何を提唱しても、
邪馬台国関連では、誰かが過去にやっているものだ。

そんな、自分の業績にならないようなネタを好き好んでやる
暇人もいないだろ。

やるなら、邪馬台国の本路線からちょっと外れて、
オリジナリティを主張できるようなネタじゃないと、仕事にならない。
340日本@名無史さん:2012/12/26(水) 17:46:07.68
>>339
君が素人だということは、わかった。
341日本@名無史さん:2012/12/26(水) 20:12:27.25
で、さ。東大閥、京大閥の方々は、結局、魏志倭人伝の邪馬「台」国は、どこにあったという説なの?
博多湾岸という古田説に、対抗できる説明があるわけ?
342日本@名無史さん:2012/12/26(水) 20:54:44.60
これが、歴史学者です。

限られた史実→推論→自論→閉鎖的教育

http://d.hatena.ne.jp/xx_leon_xx77/20101208/1291773110
343日本@名無史さん:2012/12/26(水) 21:18:46.37
もう、古田氏を語る意味がないよ。これで止めよう。
 津軽外三郡史における歴史への冒瀆。
 それに、最近の本で「魏志倭人伝」解釈もひどいことが
 よく分かった。まったく誤記問題だけ述べて何も訳していない。
 後は独善的な解釈ばかりだね。
344日本@名無史さん:2012/12/26(水) 21:38:42.77
>>341
古田説を支持しています。

倭奴國は博多湾岸ですが、
2世紀帥升から7世紀中葉白村江敗戦まで、筑紫平野が倭の中心舞台です。
345日本@名無史さん:2012/12/27(木) 00:41:44.21
ツガルに引っかかってしまったのは古田支持者も残念に思っている。
しかし、それ以外の論の素晴らしさは些かも揺がない。
というか、これまで論破されていない。
卑弥呼の国はどこにあったか?を論じてる時に、ツガル妄論しか言えないってどうなんだってば。
346日本@名無史さん:2012/12/27(木) 00:54:15.18
はいはい
347日本@名無史さん:2012/12/27(木) 01:38:14.37
>>345
論破されてないって。
古田さんが論証で引用している文献、自分で原文に当って、きちんと読んでる?
古田さんの著書だけ読んでると、すごく説得力があって、「なるほど」と思うけど、
原文を読むと、「古田さんの言ってることと、全然違うじゃん」となるよ。
原文読んでたら、とても古田説は支持できないよ。
348日本@名無史さん:2012/12/27(木) 01:42:14.94
僻地無毛地帯の妄想ワールド(´;ω;`)ウゥゥ
349日本@名無史さん:2012/12/27(木) 09:40:57.53
>>347
素人なのに自分の読解の方が正しい、と言い切る自信はどこから来るんだろうね?
古田氏も、もともとは古代中国の専門家ではないが、三国志等の史書を数十年は専門的に読んでいることはたしかだ。
三国志等の史書に関してはすでに専門家だといえる。

君の原文の読み方の方が正しい、と主張する根拠を教えて欲しい。
350日本@名無史さん:2012/12/27(木) 09:40:58.89
まあ、評価できるのは初期三部作まででしょうか。
それでもあれっておもうところはありますが。
351日本@名無史さん:2012/12/27(木) 09:53:08.12
>>350
>初期三部作
というのがどれをさすかわからないけど、基本的な多元史観に関しては正しいと思う。
各地域にそれぞれの政権があり、最終的に大和政権が統一した。

王朝という言い方も、時代的に適切だと思う。
統一されたのは7世紀に入ってからというのも、日本書紀の成立から見て説得力がある。

東日流は、これからの「寛政原本」の評価によるだろう。
江戸期のものだということが確かなら、江戸期に全国で広まった「平家落人伝説」と同じ種類のものかもしれない。
つまり「伝説」のひとつに過ぎないかもしれないが、それも含めて、これからの研究課題だろう。
352日本@名無史さん:2012/12/27(木) 12:24:07.09
>>349
読み込んだだけで専門家を名乗れるのなら
この板の邪馬台国関連スレは専門家だらけになるなw
353日本@名無史さん:2012/12/27(木) 12:35:38.99
古田武彦初期三部
『「邪馬台国」はなかった』
『失われた九州王朝』
『盗まれた神話』
354日本@名無史さん:2012/12/27(木) 15:24:46.82
>>352
このスレの連中は、中国の史書を毎日数時間ずつ、30年間も読み込んでるのか?
355日本@名無史さん:2012/12/27(木) 15:28:12.38
30年間毎日数時間ずつ読み続けていれば、専門家を名乗っても何の問題もないと思うよ。
356日本@名無史さん:2012/12/27(木) 15:43:50.22
>>353
その3論考が正当であるなら、その後の論考も正当だろう。
東日流はその原本の評価しだいだが。
357日本@名無史さん:2012/12/27(木) 19:04:19.86
>>347
古田説が、あなたの言うとおりデタラメなら
大和説、日向説、山門説の学者の誰でもいいが、こぞって反論しそうなものだが
皆、これまでだんまりなのは何故だろう。
あなたが論文か本を書いてみる?
358日本@名無史さん:2012/12/27(木) 19:18:46.17
残念ながら、古田氏の説は学者からは
「検証ないし考慮する価値もないゴミ」と認識されてるから反論される機会がありません。

邪馬壱国説含め、古田氏が説を提出した当初には、少なからぬ学者が関心を持って検証を試みた模様ですが、
まもなくゴミ認定されて忘れ去られるに至りました。
359日本@名無史さん:2012/12/27(木) 19:27:47.83
反論できないから、ゴミ認定か。
けど、いつのまにか、邪馬台国は北九州にあるとか多元史観が「はじめからそれしかなかったみたいに」学会の暗黙の了解になってるのは何故なんだろうね?
上で出てた森氏の日本書紀区分論だってそう。いつのまにか、ずっと前から定説だったように扱われているが
古代史学会は、古田説と同じように、一貫して無視し続けている。
360日本@名無史さん:2012/12/27(木) 20:40:27.87
>>359
邪馬台国が九州北部にって説は、戦前の古い学説の延長だぞ。
今は非主流派。

日本書紀の内部が古い部分と新しい部分に分かれてるって説も、森センセ以前からあったみたいだぞ。
森センセは、新旧の区分けを精密化したのがメインだろ。
もしくは、見解から学説への昇華かもしれんけど。

森センセの最初の著作見てみろよ。
新旧に区分すること自体は新説と書いてなかっただろ。
361日本@名無史さん:2012/12/27(木) 20:50:31.10
自分が提唱する新しい区分基準で分けると、従来の新旧の区分では誤って仕分けされてた巻があると判明した、
という記述になってたのであって、新旧区分自体を新規に提唱したわけじゃなかったじゃんか。
362日本@名無史さん:2012/12/27(木) 21:00:46.61
学説史に対する理解のなさ(学説史上に自説を位置づけることができない)
というのもトンデモの特徴のひとつだな
363日本@名無史さん:2012/12/27(木) 21:11:37.29
森説以前の書紀区分論は、はっきりいえばカオスだよ。
統計的にこの語句がこのあたりに頻出、という内容の論文は沢山あったが
なぜそうなのか、というのは不明だった。どこがどう古く新しいのか、なんてこともね。
森説が出て、なぜそうなのか、ということがはじめて明快に示されたわけだが(中国語文とと偽中国語文の存在)、
不幸にして森氏が外語大出身で京大、東大どちらの学閥とも無縁であったため
古代史学会は無視を決め込んだ。
学説だけは「おや、そんなことは、我々はずーっと前から知っていましたよ?」と知らん顔して懐に納めてね。
364日本@名無史さん:2012/12/28(金) 00:00:34.66
>>358
>邪馬壱国説含め、古田氏が説を提出した当初には、少なからぬ学者が関心を持って検証を試みた模様ですが、
>まもなくゴミ認定されて忘れ去られるに至りました。

古田氏に論戦を挑んだが、サンドバッグ状態に打ちのめされ、
それから古田氏無視の一本道。
365日本@名無史さん:2012/12/28(金) 00:21:50.47
古田信者側では364のように見てるけど、

実際には、古田氏の見解に対して付けられた疑問点や検証不足な点の指摘に対して、
古田氏が言論封殺だなどと逆ギレしたり、初期の論考とは比較にならない杜撰で牽強付会の塊のような珍説を付け加えて傍証にしようとしたり。
迷走に迷走を重ねて自然消滅しただけですね。

対話を試みた専門家達の間に、「こんなやつを相手にして、時間を無駄にしてしまった」という印象だけを残す結果に終わりました。
366日本@名無史さん:2012/12/28(金) 00:53:49.28
ツガル問題や、高木光彦氏の盗作問題への粘着質な拘り方とかみてると
たしかに古田氏とは、あんまり論争したくないなあ、という印象は受ける。
しかし、古代史学会のお歴々がフェアに論争挑んだとはとても見えないがね。
367日本@名無史さん:2012/12/28(金) 00:58:32.37
古田信者の人たちって、学会=「白い巨塔」っていうイメージがあるんだろうなあ。
あまりに現実離れしすぎてる。
368日本@名無史さん:2012/12/28(金) 01:08:11.90
歴史学者のお歴々は、古田武彦初期三部にまともな反証を何一つできなかったというのが実情。

古田氏以前にも、金属学の専門家の青銅研究に何の反証も挙げられず無視に走った考古学者達がいた。
それから銅鐸研究の進展は全くみられない。
その時には歴史学者の日本書紀改竄解釈が指摘されたが、これも無視されていたな。
369日本@名無史さん:2012/12/28(金) 06:44:40.59
>博多湾岸という古田説

ここまではいい。賛同はしないけど、論としては面白い。

そこからトンデモな九州王朝説、そして
もう犯罪としか言いようがない東日流ナントカにいたっては
なにをか言わんや。

広開土王碑が早くから本物と主張したこと、
神話が創作ではなく、次代政権の正当化の為に
都合よくまとめられたことなどの論証は素晴らしい。

だからこそ、
和田某如ごときに詐欺の片棒担がされ、
今や主犯にされてしまったことを嘆いてる。

そして信者ごっこしている愉快犯たちに担がれ、
トンデモさんとして消えていくのが悲しいんだ。
370日本@名無史さん:2012/12/28(金) 06:46:39.39
前にも書いたけど、実は古田ファンだったんだ。
しかし外三郡誌とやら持ち上げだした時に、
なんかおかしいと感じだして、ついには信じていたことが
ほとんど崩壊した。呪縛が解けた。

まあそのあたり、和田詐欺八郎には感謝しないとな。
371日本@名無史さん:2012/12/28(金) 06:47:50.99
邪馬台国、発見されたそうですよ。
http://www.smjsearch.com/yamatai/yamatai.html
372日本@名無史さん:2012/12/28(金) 08:24:29.98
>>371
いい加減なものを載せるな。

@辰韓の位置は北漢江流域と南漢江流域とそれら以南で釜山ではない。釜山は倭人居住地。
 辰韓人は帯方郡から見て東方人となる。

A韓が方可四千里であることを無視している。
 韓が方可四千里であれば、その北辺は漢江付近となる。

B韓の北辺にあったのが帯方郡。帯方郡の直北が楽浪郡。楽浪郡庁は平壌。
 帯方郡の東、南北漢江流域部が辰韓八國。 
373日本@名無史さん:2012/12/28(金) 09:34:08.71
>>372
371は辰韓の位置に疑問を出しているだけで、断定はしていない。
371が断定しているのは邪馬台国の位置だけ。しかもたった一つの理由で。
374日本@名無史さん:2012/12/28(金) 12:32:37.97
>>355
30年間読み続けてるっていっても、我流だからなあ。
どんなものでも、最初に師匠について基礎を学ばないと、
何十年やってもアマチュアのレベルから抜けられない。

なんでも鑑定団を良く見るんだけど、30年骨董やってますという人が出てきたとして、
中島誠之助と同じプロだと見なせる?

「私、空手30年やってます。黒帯です。」っていう人がいて、
「へえ。どの流派ですか。」って聞いたら、「ずっと独学です。」って答えたらどう思う?
なにもやってない人よりは、ずいぶん体は鍛えられてるだろうけど、
それを本当に空手家だとみなせる?
375日本@名無史さん:2012/12/28(金) 18:19:52.34
>>374
どんな徒弟制度でも、誰かが創始者だし、その創始者が他の流派の弟子の経験を持つとは限らない。
たまたま骨董や空手の話が出ているので、ちょっと知ったかぶりをする。

骨董というか美術品の鑑定の世界は、知識をもとにはするが、個人的な経験が非常に大きい。
個人的な経験というのは、どれほど「本物」を見ているかということ。
そうすると、不思議なことに偽物は自分で偽物であることを恥じているのがわかるそうだ。
別に徒弟制度ではない。

空手というのは実は歴史らしい歴史がないに等しい。
ほとんど戦後にできたもので、古い流派でもせいぜい昭和初期に誰かが自分で工夫して始めたもの。
有名な大山倍達氏は、ほとんど我流といっていいし、むしろボクシングから鍛錬が始まった。

学問の世界でも、同じ分野で一生研究する人もいるが他の分野から「転向」する人も多い。
一番いい例は、山中氏だろう。
臨床から研究へと変わった。
これを同じ医学だ、というなら、古田氏もずっと文献研究者だというのと同じだ。
376日本@名無史さん:2012/12/28(金) 19:11:16.87
ロボットAI系研究者だけど、研究職やってると、新しいものに常にアンテナ張ってるんで、
そもそも教える人がいないような言語や、設計開発をやるはめになることがよくあるな。

出始めのprologで、仕様書だけ見て、prologにあるまじきプログラム書いたりしたね。
今じゃ笑い話だけどね。でもそんな馬鹿な失敗も経験だ。
その経験も数多く積めば、飯が食えるくらいにはなるもんだよ。

どこかでひとつの道を極めていれば、あとは独学でもなんとかなるんじゃなかろうか?
377日本@名無史さん:2012/12/28(金) 20:22:06.64
>>376
誰もやったことがない新分野の開拓ならな。

新聞やじゃない場合、「どうやって先行研究を超えるか」という点が重要になる。

先行研究のどこがどう悪いかを指摘して、自分の研究の方がこんな風に優れていると証明しなくてはいけないんだ。

で、古田さんは、自説が優れていると研究者達に訴えることができなかった。
素人受けはしたが、研究者達の厳しいチェックをかいくぐることができなかったんだ。

色々な問題点があぶり出されたのを解決できずに門前払いされちゃったんだよ。

それが迷走の始まり。
378日本@名無史さん:2012/12/28(金) 20:32:01.24
魏志倭人伝の場合はそれまでに積み重ねられた漢文読解法、校勘、研究史がある訳で
古田氏はそれらを無視したり、無理解であったりしたせいで学界に相手にされていないのだから、
全く新しい分野を切り開いたパイオニアという訳じゃない

日本の剣道に対して某国のコムドが自らの正統性を主張しているようなもの
379日本@名無史さん:2012/12/28(金) 20:40:19.78
自分の主張が受け入れらるないのは学界に不都合があるからだ

といった類いの陰謀論めいた主張をし始めたら
その人や支持者は学問的には終わったと思った方がいい
380日本@名無史さん:2012/12/28(金) 20:42:32.20
>>377>>378>>379
なんでそんなに必死なの?
どうでもよければ、学閥研究者と同じように無視してればいいじゃない?
381日本@名無史さん:2012/12/28(金) 21:13:23.61
・・・・・・・・・、   
といった類いの陰謀論めいた主張をし始めたら
その学会は学問的に既に終わっていると思った方がいい
382日本@名無史さん:2012/12/28(金) 21:31:48.14
いろんな思惑で独自に勝手に行動してる、一体性のカケラもないような人たちを、
あたかも一枚岩で、自分を自説を葬り去ろうと画策しているかのように言ってる人は、
被害妄想が炸裂して成長を止めちゃった残念な人なので、
それ以上の成長はないな。

言い始めた時点で終了。

そういう状態に陥ってオワコンになったにもかかわらず、それから何百年も生き続けている宗教もあるから、
絶対に終わってると断言できるわけではないんだけどな。
383378:2012/12/28(金) 22:16:35.13
>>380
これ以上被害者を増やさないための啓蒙活動ですが、何か?
384日本@名無史さん:2012/12/28(金) 22:53:28.67
学会がすべてではないにせよ、
学会全体からさげすまれてるのは、仕方ない。
結局、トンデモさんで終わるんだ。

祭り上げた信者、せいぜい死後も盛り立てて
あげて。
385日本@名無史さん:2012/12/28(金) 23:01:40.34
そもそも、九州説、畿内説問わず、いわゆる学会での
公式見解はない。

畿内説というか、巻向箸墓説も、
あそこを掘って飯の種にしてる連中が匂わしてるだけ。
386日本@名無史さん:2012/12/28(金) 23:07:17.63
邪馬台国という名前を出したほうが、本は売れるだろうが、
学会に出すなら、かなり明確な根拠がないと、
邪馬台国という名前は出し難い。

古田説も、九州にある大きな勢力があったと書いていれば、
普通に論文になるだろ。
387日本@名無史さん:2012/12/28(金) 23:22:18.27
>>383
無内容で、学閥研究者から無視されてると書いただけじゃ、まったく説得力がないから無駄だと思うよ。
388383:2012/12/29(土) 01:54:56.00
>>387
そもそも古田説に染まってしまう被害者はまともな学問の作法を知らない層だから、
古田の主張が研究者から相手にされていないという事実を伝えるだけで効果はあるよ

「学閥研究者」とか現実と妄想の区別もつかないくらい冒されてますね
もう手の施しようがないかも知れませんがお大事に
389日本@名無史さん:2012/12/29(土) 04:46:18.68
結局批判者も友人もなく、
少数の狂った信者に担ぎ上げられたまま、
在野のトンデモさんとして一生終わるのか。


それにしても和田め。
390日本@名無史さん:2012/12/29(土) 10:44:29.33
>>388
なるほど。
君が大学教員ではないことはわかった。
391日本@名無史さん:2012/12/29(土) 13:33:13.87
>>386

『「邪馬台国」はなかった』の原題は『邪馬壹国』だったことを知っていないようだな。

出版社が売り上げを増やす為に変更したのだそうだ。
出版社の目論見は、みごとあたったが、 そこら玄人筋の妬みが始まったのだ。
392日本@名無史さん:2012/12/29(土) 16:01:20.60
素人向けのエセ学問の本が専門書と違ってバカ売れすることが多い(売れない方が多いとは言え)のは、
全世界的に当たり前のことだから、そんなことで嫉妬する学者なんていないぞ。

ねたむヤツがいるとすれば、同じ土俵=エセ学問に携わってる文筆家だけだろ。
393日本@名無史さん:2012/12/29(土) 16:32:41.87
>>389

>結局批判者も友人もなく、
>在野のトンデモさんとして一生終わるのか。

これこそ自業自得。なぜなら、

>少数の狂った信者に担ぎ上げられたまま、
>それにしても和田め

喜八郎の詐欺資料を世の中にばら撒いて拡散させたのは、
まさに市浦村と古田武彦の仕業。
その意味では、古田こそ『東日流騒動』の主犯格。
古田が喜八郎を恨むのは明らかに本末転倒。
394日本@名無史さん:2012/12/29(土) 16:47:11.24
でも、九州王朝なんか利益目的だろうから、肩肘張らず読み物として楽しめばいいんじゃない?
395日本@名無史さん:2012/12/30(日) 01:15:10.00
   
邪馬台国畿内論者は、邪馬台国北部九州論を好き者の娯楽と思って、ほっとけないのは何故?
396日本@名無史さん:2012/12/30(日) 10:47:57.09
>>395
本音では「好き者の娯楽」と思えないからかも知れないね。
反論できないから。
397日本@名無史さん:2012/12/30(日) 15:08:54.17
>>395
議論したいからに決まってるやん。
畿内説論者同士だったら、
「邪馬台国は畿内です」
「そうですね」
で、終わり。これじゃ、趣味として面白みが何もない。
398日本@名無史さん:2012/12/30(日) 15:18:10.73
わたしゃ九州説だが、畿内説と議論したいと思わん。
議論するなら九州説とに限る。
畿内説はもう死んでるから。
399日本@名無史さん:2012/12/30(日) 16:33:06.84
>>398
同意。
400日本@名無史さん:2012/12/30(日) 19:52:46.81
>>396-397
デムパくんが布教とかしなかったらスルーできんだけどな、
ああいうのって、一度信じちゃうと、布教せずにはおれなくなっちゃうからなあ。

特に、古田説の全部じゃなく一部だけ、おいしいとこ取りしてる重症デムパくんのアレさは...
401日本@名無史さん:2012/12/30(日) 19:58:22.05
>>400
それ、大和信者の自戒?
いい加減に万世一系から離れろよ。
学問的には全く意味がないんだから。

天皇制を宗教として信じるのはいいが、学問とは分けなきゃいけない。
402日本@名無史さん:2012/12/30(日) 22:09:08.84

こういう実態と掛け離れた嘘を喧伝されてるのを見ると
ROMってる人達に「これは違いますよ」って伝えたくなる
403日本@名無史さん:2012/12/30(日) 22:23:40.82
天皇制を思想とするのはいいが、歴史とは区別しなきゃいけない。
404日本@名無史さん:2012/12/30(日) 23:16:06.94
俺は邪馬台国九州、多分大宰府あたりではと思ってる。
御大の博多湾岸説も「悪くはない」
しかし九州王朝とか言い出すと、邪馬台国九州説自体が
おかしく見られる。


ともかく御大はもう長くない。
せめて、「和田に騙されていた」と言って欲しいなあ。
405日本@名無史さん:2012/12/30(日) 23:59:05.16
俺は、邪馬台国が北野平野筑後平野にあった領域国家と思ってる。
御大の博多湾岸説は間違い。博多湾岸は倭奴國だけだ。帥升倭國は佐賀平野。

九州王朝は、517年から617年までは久留米と
618年から685年までは大宰府を都とした九州地域政権である。
九州王朝は列島で律令と年号持つ唯一の政権であるから「王朝」と呼ぶに相応しい。

大和朝廷は、九州王朝滅亡後、701年に畿内に成立した「王朝」である。
406日本@名無史さん:2012/12/31(月) 00:02:26.39
これ、ある意味皇国史観よりタチ悪いかも。
407日本@名無史さん:2012/12/31(月) 00:02:38.35
太宰府の条坊遺跡は平安末期頃から少しずつ形成されたものであって古代の条坊じゃなかったんだよ。
古代の条坊を探して発掘したけど、それは見つからなかったんだよ。
408日本@名無史さん:2012/12/31(月) 00:19:52.64
>>404
とにかく「寛政原本」が発見されている以上、史料の検討は続るべき。
真偽はまだ先だ。
409日本@名無史さん:2012/12/31(月) 00:39:33.10
>>404
>ともかく御大はもう長くない。
>せめて、「和田に騙されていた」と言って欲しいなあ。

あれだけ東日流騒動を引っ掻き回して燃料の大量投下。
それによる東日流信者の繁殖養殖。

全部、御大のやりなさったことだぁ。
騙されたで済みゃあ警察はいらねぇっしのぉ。
410日本@名無史さん:2012/12/31(月) 00:43:57.28
>>409
君、どこの国の人?
日本語がめちゃくちゃだけど。
411日本@名無史さん:2012/12/31(月) 03:15:52.31
太宰府の条坊遺跡は、藤原京に近い時代。
おそらくは藤原京と比べて不完全。

藤原京の原型かもしれない。
412日本@名無史さん:2012/12/31(月) 03:54:38.76
>>398>>399
九州説って、九州内でも、それぞれ全然違うから
九州説同士で議論できる。
畿内説だと、そんなに違うところがないから、
畿内説同士では大して議論にならん。
413日本@名無史さん:2012/12/31(月) 07:46:38.16
九州説で見ても、畿内説で見ても
九州王朝云々はトンデモだ。

御大の存在は、むしろ九州論者にとってダメージだな。
414日本@名無史さん:2012/12/31(月) 09:35:10.37
「邪馬壹(台)国」については、まず、「魏志倭人伝」の基本的な記述を信じるかどうか、そして信じるとすれば、どう読み取るか、それだけのことだと思う。

「魏志倭人伝」の信憑性がないとするなら、「邪馬壹(台)国」の位置の比定は無意味。
信憑性があるとするなら、勝手な改竄をやめて記述に従う。

?そこから始めて、どうしても読み取れなければ、「邪馬壹(台)国」の位置の比定をしてはいけない、ということだ。

そんな論理の基本もわからずに、あれは間違い、これは勘違い、と勝手に決め付けてどこかに比定するのが学問になるわけがない。
今のところ、読み解いた人は古田氏だけだ。
それに間違いがあれば、元に戻って、比定地は不明だとするほかはない。
415日本@名無史さん:2012/12/31(月) 12:02:10.46
>>411
そんな時代の条坊は見つからなかったんだってのに。

>>414
文献学の全否定、ご苦労さん。
416日本@名無史さん:2012/12/31(月) 12:12:31.03
>>415
自称文献学の専門家さんかw
417日本@名無史さん:2012/12/31(月) 12:13:36.49
wikipedia 藤原京

概要 [編集]

690年(持統4)に着工され、飛鳥浄御原宮から694年(持統8)に遷都した
。完成は遷都後10年経過の704年(景雲元)と言われ、
着工時期は676年(天武5)に始められていた。

wikipedia 太宰府 条坊

1.
政庁第1期に対応する7世紀段階では、条坊の存在に結びつくような遺構は確認できない。

2.
政庁第2期に対応する8世紀段階において条坊に関連すると考えられる遺構は、政庁中央から
南へ伸びる南北中央大路(地元では朱雀大路と呼ばれる)周辺を中心として存在する。
これらの遺構は南北方向のものが顕著で、東西方向のものは少ないことから、整然とした
条坊域が整備されていたのではない可能性もある。

3.
政庁第3期に対応する10世紀段階の条坊遺構は鏡山案の想定域に近い範囲に存在する。
この段階での一区画は面積8反を基準としているらしい。区画溝などの遺構は11世紀後半
から12世紀前半にかけて埋没し、条坊制による街区はこの頃に廃れたと考えられる。
418日本@名無史さん:2012/12/31(月) 12:46:49.65
wikiを引くのも悪くはないが、当然、誰かが書いたものだということは前提にしないといけない。
結論だけを事実としてとらえるのではなく、ひとつの研究段階だということを踏まえないといけない。

wikiのよさは、その書き込みに学術論文のように出典が求められていること。
出典が明示されていなかったり、偏っていたり、不十分な場合も多いが、姿勢としては客観性を追及している。

考古学はある事実を示しているが、その解釈にはさまざまな可能性がある。
古代史に関する事項では、その分離ができていない記述も多い。
事実と認定する史料とその根拠、それに対する解釈、そして自分の考え。

古田氏のよさは、その区別がしっかりしているところだ。
こういうスレでも、出典を示したり、事実と自分の考えとの区別をきちんとできるといいと思う。
419日本@名無史さん:2012/12/31(月) 13:14:36.48
>>418
>事実と認定する史料とその根拠、それに対する解釈、そして自分の考え。
>古田氏のよさは、その区別がしっかりしているところだ。
確かにそうなんだけど、余りにも恣意的でひとりよがりだからなぁ…。
420日本@名無史さん:2012/12/31(月) 13:21:51.75
>>419
大切なのは、そういう客観性を持つことで、誰でも批判、検討ができるということ。
だから、議論ができる。
421日本@名無史さん:2012/12/31(月) 13:26:41.39
北部九州説は、
畿内論者が送り込んだトロイの木馬
そういう意味で目的を達したな
422日本@名無史さん:2012/12/31(月) 13:34:22.84
>>420
その意味でも、和田家文書を誰でも批判、検討ができる形で公開すべきだよな。
423日本@名無史さん:2012/12/31(月) 13:46:01.74
倭人伝の後段に 因詣臺 とある
神聖なる魏王宮に「臺」をつかっているのだから
たとえ邪馬臺国が正しかったとしても「臺」の文字は使いようがない
よって 邪馬壹国、壹與 などと表すのは
後代を含め中華思想の各王朝として当然のこと

>政等以檄告諭壹與  
>壹與遣倭大夫率善中郎将掖邪狗等二十人送政等還。因詣臺、献上男女生口三十人、
424日本@名無史さん:2012/12/31(月) 15:36:13.13
>>423
「臺」については最初の段階で古田氏が論証しているね。
425日本@名無史さん:2012/12/31(月) 16:05:25.60
真正・天孫降臨の地
熊本県・大分県と接する宮崎県高千穂町はこちら↓ です。

阿蘇外輪山に連なる神代〜古代からの聖地。
魏志倭人伝の末盧国から東南2000里、
女王卑弥呼の都とする新説も登場し、パワースポットとして人気を博しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8D%83%E7%A9%82%E7%94%BA
天の岩戸と神々の住まう町
http://takachiho-kanko.info/

ご注意:
いわゆる高千穂の峰は、当高千穂町の南約100kmにある鹿児島県境霧島連峰の小活火山です。
426日本@名無史さん:2012/12/31(月) 16:12:53.16
>>424
あの珍論を論証と申すか。
427日本@名無史さん:2012/12/31(月) 16:45:54.19
>>426
「臺」をシンプルに説明しているのが>>423さん。

君は緻密な論証を理解できるだけの脳味噌を持ち合わせていない様だね。
428日本@名無史さん:2012/12/31(月) 18:51:56.56
>>427
>>423の珍論を緻密な論証と申すか。
429日本@名無史さん:2012/12/31(月) 19:42:41.03
>>428
目にするものすべて珍論と申すか。愉快な亭じゃな。
430日本@名無史さん:2012/12/31(月) 19:58:43.53
431日本@名無史さん:2012/12/31(月) 20:35:42.77
臺ってのは王宮じゃなくて役所のことなんだよな。
432日本@名無史さん:2012/12/31(月) 20:56:47.06
ふーん、それで 壹 は何のことなの。
433日本@名無史さん:2012/12/31(月) 22:32:43.35
wikiとかやめてほしいんだけど。
434日本@名無史さん:2013/01/01(火) 00:27:25.49
>>432
特にない。
あえて意味を求めるとしたら、誤植の結果。
435日本@名無史さん:2013/01/01(火) 03:56:41.31
wikiに大したことが書かれているわけではないが、
初歩的な常識を押さえておくと言う点では意味がある。
436日本@名無史さん:2013/01/01(火) 08:15:21.07
>>434
そうすると、邪馬台国は邪馬のお役所、壹與はそこで働くオバサンかな??
437日本@名無史さん:2013/01/01(火) 09:58:12.88
438日本@名無史さん:2013/01/01(火) 13:26:41.77
そうすると、邪馬壹國は、山一番の国、

壹與はYMI48のセンターお嬢ちゃん。
439北の高千穂説:2013/01/01(火) 15:10:10.78
略倭人伝:

從郡至倭、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。
始度一海千餘里至對馬國、南渡一海千餘里至一大國、渡一海千餘里至末盧國。
東南陸行五百里到伊都國、東南至奴國百里、東行至不彌國百里
(南至投馬國水行二十日)←時間的な形容描写の挿入

南至邪馬壹國女王之所都(差引距離は陸行千三百里)
(水行十日、陸行一月)←時間的な形容描写の挿入

自女王国以北其戸数道里可得略載。
自郡至女王国万二千余里。
440北の高千穂説:2013/01/01(火) 15:14:39.55
(始度一海)
 倭の旅の始点はここからである

(南至投馬國水行二十日)←時間的な形容描写の挿入
 旅の始点から船二十日で投馬国の港に着く
 あえて距離里数を書かないことで、女王国より南にあることを示すものである 

(南至邪馬壹國女王之所都水行十日、陸行一月)←時間的な形容描写の挿入
 旅の始点から船十日、
 そこに船を待たせ、歩いて1月の内陸に、邪馬壹國の女王の都がある

(自郡至女王国万二千余里)
 都合、合計距離は郡から女王国まで1万2000余里である
441日本@名無史さん:2013/01/01(火) 16:18:42.62
>>436
そもそも雅字を選んだり卑字を選んだりしてなくて、同音の文字を集めたリストの1番目の文字ってだけじゃないかとさえ言われてるんだがな。

まあ、お役所のおばちゃんと言ったって、その長と下働きの人では大きな差があるわけだが。
おばちゃん市長とパートタイマーのお手伝いさんの違いか。

>>435
wikiは、ソースが必須とは言っても、書き込むだけならソースなしで書き込めるからな。
異議をつけられたときに、ソースが無いと消されるだけで。

>>438
古い紙に書かれただけの、喜八郎筆跡の写本だよね。
紙が古いことだけは鑑定されたけど、文字が古いとは鑑定されてない。
巧妙だよなあ。
442日本@名無史さん:2013/01/01(火) 18:33:00.00
>>441
>喜八郎筆跡の写本

筆跡は違うようだ。
443日本@名無史さん:2013/01/01(火) 20:03:21.09
>>437
和田家文書全体の誰でも批判、検討ができる形での公開にはほど遠いだろ。
444日本@名無史さん:2013/01/01(火) 20:53:15.87
>>443
原本のことか。
どういう史料であれ、紙の原本を一般公開するのは無理じゃないのかな。
すぐに原形をとどめなくなってしまう。

普通、ごく一部の研究者以外は写真版を見るのだろうが、その製作にはかなりの費用がかかるから、今の状況では現実的ではないだろう。
紙質や墨などの分析は専門家の分野だが、これもかなりの費用がかかる。

在野というのは、こういう不利益があるが、どこか公的な機関が費用を負担すれば可能だろう。
個人の費用負担ではかなり限界がある。

公的機関で、十分な分析がなされることに期待しよう。
445日本@名無史さん:2013/01/01(火) 21:27:51.75
信者ごっこしてる皆さん、
このまま御大が逝っちゃって、
在野のトンデモさんとして悪名を残して、心は痛まない?

カルト化して、あくまで
「日本政府と史学界は真相を隠している!」とか
続けるわけ?
446日本@名無史さん:2013/01/01(火) 23:38:12.53
ミネルバ書房の古田全集、売れてるねえ。
447日本@名無史さん:2013/01/02(水) 03:47:41.72
@倭奴國の中心地は、春日(須玖岡本)

A帥升倭國の中心地は、倭國乱により吉野ヶ里から大和(惣座)へ遷都

B邪馬壹國は、4地域の連合国家。
  久留米(女王之所都)、八女(伊支馬)、浮羽,朝倉,小郡(彌馬升,彌馬獲支,奴佳鞮)が中心地

C投馬國は、三根、城島、大川、三潴、柳川、みやま、大牟田の地域。
448日本@名無史さん:2013/01/02(水) 10:27:32.62
>>445
新年早々そんな書き方すると、人格が疑われますよ。
449日本@名無史さん:2013/01/06(日) 12:55:53.94
ヨイトマケの唄
「土方は差別用語だから、この歌は放送禁止」ということだが、
土方を放送禁止にさせたのは、富豪や政治家、新興宗教や暴力団の傘下にある人権団体だった

むしろ「ヤクザな道は踏まずに済んだ」の部分こそ、彼らにとっての放送禁止な部分。
「ヤクザな道」を通って暴利を貪って来たのは、他でもない、彼ら自身だからだ。

その「ヤクザ」が「土方」にイチャモン付けて、「放送を通した歌の頒布を禁止」させた。
450日本@名無史さん:2013/01/07(月) 06:10:43.85
この先生の訃報はどんなかな。

一連の邪馬台国ブームでは、九州王朝説などの奇説で話題を集めた。
晩年は、偽書とされる東日流外三郡誌の熱心な擁護者として知られた。
451日本@名無史さん:2013/01/07(月) 10:08:50.44
>>450
君は、ほんとうに人格が崩壊しているようだ。

大和信者は皆そうなのかと思われるよ。
452日本@名無史さん:2013/01/07(月) 16:44:59.86
さすがに訃報で「などの奇説で」とは書かんだろ。

いくら奇説だと知っていても、死者に鞭打つような書き方は避けられるからな。

同様に、三郡誌の熱心な用語ってのも書かんと思う。
三郡誌が偽書と知らん無知な記者以外はな。
453日本@名無史さん:2013/01/07(月) 21:57:18.21
俺は元古田ファンだっただけに、
この先生がトンデモ先生として終わるのが、
気の毒で仕方ない。

古代史に関しては山ほどいる妄想アマで終わっても、
親鸞研究ではそれなりに評価されるんだよな。
454日本@名無史さん:2013/01/07(月) 22:05:03.81
>>453
まだ言ってるのかよw
いい加減にくだらない粘着をやめろ。

天皇制は万世一系じゃないんだから。
いい加減に諦めろ。
455日本@名無史さん:2013/01/07(月) 22:08:33.46
邪馬台国畿内説の人の大多数は天皇が万世一系だなどとは信じてないがな。

九州説の人も同様だろ。

だが、なぜか九州王朝説信者だけは、
「邪馬台国畿内説の人は皇国史観を信じている、天皇は万世一系だと思っている」などという事実誤認をしている。
456日本@名無史さん:2013/01/07(月) 22:37:56.50
俺は九州王朝派だが、
その血統と、今の天皇家の血統は別であると思う。

白村江で倭国九州王朝は亡び、
その直後、畿内王朝が日本を名乗った。
457日本@名無史さん:2013/01/08(火) 00:24:00.25
>>455
そうなのか。
それならなぜ「邪馬台国」を、何の根拠もなく大和王朝に結び付けたがるんだ?
458日本@名無史さん:2013/01/08(火) 01:05:32.86
大和王朝というか、ヤマト政権だね。イメージしやすいのは鎌倉幕府。
将軍が源氏、藤原氏、皇族と替わろうが、実権が北条にあろうが、
一つの政権としてくくられるだろう? それと似たようなもん。
多くの学者さんたちは、考古学の知見から大和説を唱えているだけで、
昔の王朝交替説の名残じゃないけど、大和勢力とか佐紀勢力とか河内勢力とか和泉勢力とか、
それぞれ別々の主導権と考えている人も多くて、それらをまとめて畿内政権=ヤマト政権ととらえ、
発掘調査の成果からどんな歴史像が構築できるのか、そこに重きを置いているのであって、
のちの天皇と結びついていようがいまいが、そんなのは二の次であんまり関心が無い。
459日本@名無史さん:2013/01/08(火) 01:14:00.40
>>458
>考古学の知見から大和説

天皇陵の発掘はまったくできないのに、か?
あまり笑わせないでくれ。
460日本@名無史さん:2013/01/08(火) 01:17:05.23
天皇陵に指定されてる古墳はいわゆる邪馬台国の直後〜の時代だね。
天皇陵を掘って知見が広がるのは、3世紀後半以降。
461日本@名無史さん:2013/01/08(火) 01:18:04.91
>>460
だから?
462日本@名無史さん:2013/01/08(火) 01:20:02.25
邪馬台国大和説は天皇陵古墳とは直接は関係ない。
463日本@名無史さん:2013/01/08(火) 01:24:05.88
>>462
天皇陵を発掘しないで、なぜ「3世紀後半以降」だと思うんだ?
もっと古いかもしれないし、もっと新しいかもしれない。
たいした根拠もなしに、無理やり順番つけてるんじゃなきゃいいけどね。
464日本@名無史さん:2013/01/08(火) 01:40:58.68
円筒埴輪とか土器の編年でね。もちろん絶対年代を決めるのは難しいが。
邪馬台国大和説は纏向遺跡の墳丘墓とか大型建物跡とか地方からの搬入土器とか木材の年輪年代とか、
それらのモノが現在の考古学では3世紀前半代に比定できるとの見解から唱えられているもの。
そうした遺物の相対年代から、天皇陵古墳はそれより後だろう、と言われている。
ちなみに学者さんでも、別に九州の小国が実は邪馬台国だったとしても、
別にそれはそれでいい、邪馬台国がとこか、なんてことより、
纏向及びそれ以降のヤマト政権の動向の方に興味があるのであって、
上記のように3世紀前半の遺物があるから、じゃあここが文献に出て来る邪馬台国かもな、
程度に考えてる人もいる。まあ多くの大和説の学者さんはもっと積極的だろうけど。
465日本@名無史さん:2013/01/08(火) 01:50:12.91
>>464
それなら、「邪馬台(壹)国」が「考古学の知見から大和」というのは成り立っていないということだね。
無関心なら無関心でいいんだから、無理やり「邪馬台(壹)国」を大和に登場させることはないだろう?
466日本@名無史さん:2013/01/08(火) 01:57:56.97
いやだから、邪馬台国がどこであろうと構わない人もいれば、
考古成果と文献とを結びつけて大和纏向が邪馬台国ではないか、と考える人もいる。
どちらも、その姿勢はその姿勢で良いんじゃないの?
467日本@名無史さん:2013/01/08(火) 01:58:05.18
>>464
>3世紀前半の遺物があるから、じゃあここが文献に出て来る邪馬台国かもな

脳味噌が腐っておるな
468日本@名無史さん:2013/01/08(火) 02:01:04.29
それは九州説だって同じでしょ。
3世紀の遺物があるから邪馬台国は九州かもな、って言ってるんじゃないの?
469日本@名無史さん:2013/01/08(火) 09:12:00.04
>>466
>その姿勢はその姿勢で良いんじゃないの?

それを学問とは言わない。
だから古代史学者は趣味の世界から抜けられない。
打率3割で一流学者、と揶揄される所以。

大和信者はなぜ大和なのか?
この質問の答えは、依然として「信念」以外にない。

あとアンカーをつけるように。
後日、議論の流れを見るときにアンカーがないとわかりにくい。
それに、複数の他人と会話するときは、誰と話しているのかをはっきりさせることが、コミュニケーションの第一歩だ。
470日本@名無史さん:2013/01/08(火) 09:17:02.45
>>468
「邪馬台(壹)国」の位置否定は、魏志倭人伝の読解から。
日本の史料には一切登場しないから、読解を優先させるほかはない。

その上で、考古学的な知見が魏志倭人伝の記述(読解)と結びつくかどうかが問題となる。
考古学的な方向から比定するのは無理だ。
471サガミハラハラ:2013/01/08(火) 09:35:04.30
>>468九州説の根拠の一つは魏志倭人伝の記述と考古学的な資料によっているのです。
ただ考古資料としては、某遺跡が邪馬台国の都のあとであるという直接的な物がでてこないのです。
一つは日本では残るような文字の使用の後がないことです。
472日本@名無史さん:2013/01/10(木) 05:11:51.58
俺も九州派だが、「ヤマイチ国」とか九州王朝はトンデモと思う。

大和朝廷=近畿天皇家は
三世紀末に九州邪馬台国が分裂、混乱したあとに
その残存勢力の一部を受け入れて成立したと考えている。

神武神話はその痕跡だろう。
473日本@名無史さん:2013/01/10(木) 08:03:52.90
似たようじゃもんじゃん
474日本@名無史さん:2013/01/10(木) 08:43:01.87
>>472
君がそう考えるからといって根拠があるわけじゃないんだから、他人の説を「トンデモ」なんていうと笑われるよ。
手を変え品を変えて古田氏を貶めるのはいい加減にしたらどうかと思う。
475日本@名無史さん:2013/01/11(金) 05:20:19.60
耄碌してより依怙地になった古田氏を面白がって担ぎ上げ、
ますますトンデモさんに仕立て上げる信者には、良心ってものがないのか?

そんな狂信者をはべらせる古田氏も、自業自得と言えばそうだが。
親鸞研究が学界でどう評価されてるのかは知らんが、
古代史や邪馬台国研究者としては、もう完全に終わってる。

和田詐欺八郎と同じ、歴史学会の黒歴史になっちまう。
476日本@名無史さん:2013/01/12(土) 23:09:33.54
いまだに「邪馬壹国」に対する具体的な反論はないし、読解による位置の比定についても有力な反論がない。
日本書紀の問題に関しては、その根拠を補完するような定説まであらわれた。

いつの日か、日本の古代史は古田氏の論考を軸に議論される時代がくるだろう。

そのときが来るのを楽しみに待つとしよう。
477日本@名無史さん:2013/01/12(土) 23:12:50.10
まあ弥勒菩薩の降臨のほうが早いな。
478日本@名無史さん:2013/01/12(土) 23:21:46.06
>>477
やっぱり君も、反論できない君だね。
479日本@名無史さん:2013/01/13(日) 04:14:03.66
反論を反論と認知できないレベルw
480日本@名無史さん:2013/01/13(日) 04:30:22.88
「壱」に関しては、駄論すぎると認定されて、漢文の専門家からは相手にされてないだけじゃなかったっけ。
481日本@名無史さん:2013/01/13(日) 05:24:33.17
だれが認定したのか教えてくれ。
「じゃなかったっけ」のような曖昧なものしか見たことがない。
482日本@名無史さん:2013/01/13(日) 09:33:05.08
紹興本や紹煕本といった千年近く後の刊本と
陳寿が編纂した原本との間に
字句の異同がないと決め付けている時点で
古田の主張が文献史学研究者に
受け入れられることは永久にない
483日本@名無史さん:2013/01/13(日) 09:47:07.57
>>482
>字句の異同がないと決め付けている

そういうことじゃなくて、いま残ってるものが「壹」だけだから、そこを出発点にしようという論旨。
その検討の結果として、やっぱり「壹」が正しい、という結論を得たということ。

反論するなら、古田氏の本を読んでからにしろよ。
484日本@名無史さん:2013/01/13(日) 11:03:14.02
倭人伝の最後のほうに、魏の臺に詣で、のむね書かれておる。
魏志倭人伝の作者や後世の写本者は、
中華思想の国の建前及び本音として、邪馬台国や台与の台に「臺」を当てることはできなかったのであろう
魏王朝につかえる者の心情も察してやるべし。
>壹與遣倭大夫率善中郎将掖邪狗等二十人送政等還。因詣臺、・・・
485日本@名無史さん:2013/01/13(日) 21:11:59.30
>>483
>いま残ってるものが「壹」だけだから、そこを出発点にしようという論旨。

そういう姿勢って、文献研究の手法としては1000年ぐらい古い。
昔の文献研究者達がやってた古い手法の焼き直しなんだよ。

写本も引用物も区別なく扱って、そのうえで良本・悪本で価値に軽重をつけながら比較していく、
全体じゃなく部品単位で比較するのが主流。

古田氏は写本/刊本>>引用物 と想定したけど、
そもそも三国志の刊本って、良本が失われた後で作られた影響で、校定できないまま放置された部分が多すぎた。

良本とは言えない現行本よりか、引用物の方が状態がマシと言わざるを得ないってのが一般的な見解だろ。

後代の文字用法で言えば、
臺ってのは宮廷じゃなく役所のことだし、
その重みは 官>省>府>臺>...という具合で、さほど重みのある役所じゃない。
時代によって重み付けが入れ替わったりすることもあるとは言え。
486日本@名無史さん:2013/01/13(日) 21:22:02.86
>>485
また言ってるw
自称文献学の専門家君。
「主流」が正しいことの根拠になるならそんな楽なことはないな。

では、こう言い換えておこう。
古田氏は、なぜ現存する写本のすべてが「壹」になっているのか、その原因を突き止めようとした、と。
その原因を突き止めて、その結果として、「壹」が正しいとの結論を得た。

わかったかい?

なんにせよ、本人の本も読まず、あるいは読解できずに、「文献研究」だの「文献学」だのと、いくらなんでも恥ずかしくないのかい?
487日本@名無史さん:2013/01/13(日) 23:01:52.91
>>486
そうそう、
それでよく勘違いされるのが、後漢書の「邪馬臺国」はない、とは言ってないこと
後漢書の邪馬臺国は否定していない。
488日本@名無史さん:2013/01/13(日) 23:33:49.86
古田の検討結果が陳寿の原本と同じであるという保証はどこにもないということが
論理的な思考のできない信者さんたちには理解できないんだねえ
489日本@名無史さん:2013/01/13(日) 23:41:14.02
>>486
>「主流」が正しいことの根拠になるならそんな楽なことはないな。
こういう言い方をしては誤解を招くかもしれんが、学問の世界もしょせん多数決なんだよ
490日本@名無史さん:2013/01/14(月) 09:36:12.15
>>488
そんなことしか書けないから、大和信者は馬鹿にされる。
実証を積み重ねて、その結果の解釈の是非を問うという学問の基礎がない。
論理を追って、その論理に反論するという学問の基礎がない。

古田氏は実証(文献批判)を積み重ねて、論理を追って、結論を導いている。
491日本@名無史さん:2013/01/14(月) 09:38:26.18
>>489
それは学問の世界ではなく、勤務先としての大学教師の世界だよ。
特に古代史関係は酷いがw
492日本@名無史さん:2013/01/14(月) 12:59:41.70
ガリレオは多数決では負けたわけだが
493日本@名無史さん:2013/01/14(月) 16:12:50.92
やらせA 就活中という設定
http://blog-imgs-44.fc2.com/j/a/m/jamjamberry01/dat1327050740953.jpg
やらせB 通勤途中という設定
http://blog-imgs-44.fc2.com/j/a/m/jamjamberry01/dat1327050744931.jpg

街頭インタビューの殆どが、劇団員が台本を読んでいるだけだ。
494日本@名無史さん:2013/01/14(月) 19:13:38.92
何度でも言う。古田氏のトンデモは、
邪馬台国九州論者に最大のダメージを与えている。
495日本@名無史さん:2013/01/14(月) 19:45:34.18
九州説だが、基本的に自己流。
古田説の一部を自己流の補強、再確認する程度なので、

正直、トンデモと思われるところはわりとたくさんある。
自論に問題がなければ、どうでも良い。

そんなところは、正規の論文でさえ、それなりにある。
そんな我流解釈はほっといて、貴重な客観的資料だけを、
参考にさせていただいている。
496日本@名無史さん:2013/01/14(月) 21:22:17.86
>>494>>495
いつまで自演やってるんだ?

その「トンデモ」なところを提示して、それに反論をしなさいね。
九官鳥のように「トンデモ、トンデモ」と繰り返してると、脳の量まで九官鳥並みなのかと、疑われるよ。

人間らしく、自分の考えを具体的に提示しなよ。
497日本@名無史さん:2013/01/14(月) 23:56:00.90
>>496
何説問わず、まともな扱いを受けてないのが現実。馬鹿にされるのは自然に成り行き。
まともな扱いをしていないものに対して、どこがおかしいかを一々指摘する篤志家なんて、普通はいない。
トンデモ説だあ〜なんて書かれて当たり前。まともな扱いを受けてないんだから。
言われるのがイヤなら、古田の言い分が如何に優れているか、各論において具体的な例を委細に提示すれば良いだけ。
根拠に基づく精緻な論をここで開陳すればいい。 賛同者はきっといる。
出来ないなら、黙っていることだ。ただ馬鹿にされるだけだから。
498日本@名無史さん:2013/01/15(火) 00:55:40.53
>>491
君が学問の世界の実情に疎いことは理解した

>>492
>ガリレオは多数決では負けたわけだが
そう ガリレオの主張は当時は受け入れられず定説にはらなかった
だが、その後はどうか?
ガリレオの主張は追認され、今では地動説は定説だ
新説が定説になるためには、その新説に賛同する意見が多数必要だってこと
逆に言えば、多数の賛同を得た意見だけが定説になれるということだ
それが、「学問は多数決」の意味だよ
499日本@名無史さん:2013/01/15(火) 09:12:38.71
>>497
具体的になに一つ指摘できないんだから、君の思いは、何か病的なものなんだろう。

別にかまわないが、一度ぐらいは精神科を受診しておくのが君自身のためだと思う。
500日本@名無史さん:2013/01/15(火) 09:18:21.10
>>498
だからね、文系の分野で「定説」というものが確固としてある、なんてことを考えてる時点で、「君が学問の世界の実情に疎いことは理解」できるんだ。

ガリレオの問題は、自然科学としての学問の問題じゃなくて、宗教の問題だからね。
501日本@名無史さん:2013/01/15(火) 18:14:15.26
古田史学も宗教だからね。
502日本@名無史さん:2013/01/15(火) 21:30:07.18
>>501
ついに反論の種が尽きたかw
503日本@名無史さん:2013/01/15(火) 21:59:22.21
宗教と言うより、依怙地な爺さんがトンデ自説に
拘り続けているだけだ。

安徳天皇は生きていた、とか。豊臣家は滅んでないとか
そのたぐい。
古田御大はとっくに自説の間違いに気づいてるよ。
504498:2013/01/15(火) 23:52:37.07
>>500
確固とした定説があるなどとは書き込んだ記憶はないぞ
学問が多数決である以上、新たな多数派が形成されれば定説の座は入れ替わるのは自明
>>498ではそうした意味合いも内包しているつもりで書き込んだのだが読み取ってもらうことはできなかったようだな
次からはもっとかみ砕いて書き込むようにするよ
505日本@名無史さん:2013/01/16(水) 02:02:59.61
古田氏の著作は、間違い・思い込みのオンパレードなので、
具体的にひとつひとつ否定していくと、
本一冊を否定することになり、否定にも本一冊文の分量が必要になってしまう。
506日本@名無史さん:2013/01/16(水) 07:02:59.82
ただ親鸞研究では評価されているようだし、

邪馬台国が「邪馬壱国」つうのは、間違っているとは思うけど
主張していい。博多湾岸説も。

それ以外は自分で否定、修正して名誉を多少挽回して欲しいな。

片田舎の五流詐欺師に担がれ、主犯にされたまま亡くなるのは
あまりにも悲しい。

好太王碑が早くから本物で改竄はない!と
主張していたことは尊敬に値する。それだけにツガル騒動は残念。
507日本@名無史さん:2013/01/16(水) 18:45:25.34
>>504
「確固とした定説」がなければ、「入れ替わる」こともできないだろ?
508日本@名無史さん:2013/01/16(水) 18:48:56.01
>>505
一つずつでいいから、書いてみれば?
こんなところじゃもったいないというなら、書き込み先を紹介してくれ。

出版するなら買ってあげるよ。(たぶん)
とにかくこのスレにいるんだから、具体的に書けよ。
509日本@名無史さん:2013/01/16(水) 18:51:15.39
>>506
そういう中身のない書き込みは、全部自演なんだろうな。
自演じゃないなら、一つでもいいから、賛否もどうでもいいから、具体的に指摘しろよ。
510日本@名無史さん:2013/01/16(水) 20:11:35.22
>>506
>好太王碑が早くから本物で改竄はない!と
>主張していたことは尊敬に値する。
それだけは認める。
当時は日本人でさえ李進熙説に迎合する輩が少なくなかったからな。
511日本@名無史さん:2013/01/16(水) 23:21:55.60
文章読解力どころか日本語が不自由な方が混じっているようですよ

Yahoo!辞書

国語辞書
かっ‐こ【確固/確×乎】
[ト・タル][文][形動タリ]しっかりして動かないさま。確かなさま。「―たる信念」「―不動」
512498:2013/01/17(木) 01:27:20.77
>>507
>>511にもあるとおり「確固たる定説」とは「動かせない定説」という意味であり
普通の人なら「ひっくり返すことができないような定説」と解釈します
賛同者の多寡によって取って変わられるような定説は「確固たる定説」とは普通は表現しません

>>511
ありがとうございました
513日本@名無史さん:2013/01/17(木) 06:55:51.49
ひょっとした古田氏を東日流ナントカに巻き込んだのは、
李進熙批判を封じ込めようとする連中のワナか?

どうもおかしすぎる。
514日本@名無史さん:2013/01/17(木) 09:38:59.82
古田史学が正当に評価されるにはまだ100年かかりそうだ。
515日本@名無史さん:2013/01/17(木) 11:17:36.65
>>511>>512
この世に「動かせない定説」なんてものがあるのかw

>多数の賛同を得た意見だけが定説になれるということだ
>賛同者の多寡によって取って変わられるような定説は「確固たる定説」とは普通は表現しません

要は、「定説」なんてものはたいしたもんじゃない、と言いたいのか?
それなら、なぜ
>>489
>「主流」が正しいことの根拠になるならそんな楽なことはないな
とか>>491のレスに反対してるんだ?
516日本@名無史さん:2013/01/17(木) 11:35:29.28
>>514
いや、誰も相手にしなくなった現状が正当な評価
517日本@名無史さん:2013/01/17(木) 19:49:21.75
>>513
ただの「貧すれば鈍す」だろ

邪馬壱国説を含む九州王朝説全体が行き詰まったせいで判断力をなくしただけ。

そうでなかったら、つまり、あの時点で行き詰まっていなくて万全の態勢にあったのなら、
ツガルなんぞに引っかかったはずがないんだよ。
よほど判断力が低下していない限り、あんなものに引っかかっちゃいけないんだ。学者ならな。

自分の専門分野と関係ない分野のインチキに引っかかるのはまだしも、専門分野に直結するインチキに引っかかったんだからさ。
518日本@名無史さん:2013/01/17(木) 19:51:17.88
もっとも。

同じ事が、捏造旧石器事件にも言える、とは思うがな。

仮にも旧石器時代の専門家が、いくら地層がそれっぽいからと言って、
明らかに時代が合わない縄文時代の様式の石器に引っかかったんじゃあな。
519日本@名無史さん:2013/01/17(木) 20:26:28.04
古田氏がアホウのまま亡くなった時、
信者の七割ぐらいは寝返るから、見てな。
520日本@名無史さん:2013/01/17(木) 21:07:00.48
>>519
君、人格が崩壊しかけてるんじゃない?

古田氏を恨むのは、君の皇国史観が認められなくなったからだろうが、それにしても、ね。
521日本@名無史さん:2013/01/17(木) 21:15:42.69
俺は邪馬台国九州論だけど、古田氏は九州論にとっての最大の敵。

愉快犯的信者もどきは別として
真正信者はこのままではガイキチ扱いされて一族と子孫が
酷い目に合う……
522日本@名無史さん:2013/01/17(木) 21:19:48.80
>>521
やっぱり人格崩壊の兆しが・・・
523日本@名無史さん:2013/01/17(木) 22:50:14.95
>>520
>>521
邪馬台国九州説が主流の座にあったのは戦前の話で、

当時の邪馬台国畿内説の論者たちは皇国史観の側からの強い重圧と戦いながら論陣を張っていたんだよ。
524日本@名無史さん:2013/01/18(金) 00:16:58.11
>>521
敵・・・というより古田氏の名前出されて,九州説が馬鹿にされるので迷惑。
九州王朝なんて,嘘臭い。論理的でないから信者以外誰も相手にしてないのに
九州説の否定に利用される。ホント迷惑。
525日本@名無史さん:2013/01/18(金) 00:29:29.74
だいたい王朝がどうしたんだよ?
大和に王朝があったなら九州にだって王朝があって当たり前だろ。
九州王朝っていうと目の色変える白痴や詐欺師と同じレベルで話をしても始まらない。
玉石混合の古田説のなかでひときわ光ってるのが九州王朝説だ。
526日本@名無史さん:2013/01/18(金) 00:44:28.82
九州に王朝がなかったら大和にも王朝はなかった。
要するに言葉の問題でしかない。酋長権力とでも好きに呼べばいい。
大和にしか王朝がなかったというのを皇国史観といい、
1945年のぶざまな敗戦で「大日本帝国」が崩壊したあとも
くすぶっていたが、いまでは信奉するのは詐欺師と痴呆だけになった。
527日本@名無史さん:2013/01/18(金) 01:07:56.56
そもそも「九州説」と「大和説」と対置するのがおかしい。
中国の史書に出てくる邪馬台国が九州にあるくらいは倭人伝を読めばわかる。
(邪馬壱国かもしれないが、古田氏以外だんまりだから当面どうでもいい)

大和は倭人伝には出てこないし、掘っても桃の種は出ても邪馬台国は出ないから
「邪馬台国大和説」という名称自体が成り立たない。
「ニューヨーク大和説」、「イスタンブール大和説」、いくらでも勝手に言えばいいが
とくに「邪馬台国」をひっぱってゆく根拠はゼロ。

九州はあたりまえで、九州のどこかが問題なのだから、
博多説とか熊本説とかでやっていけばいいだけの話。

「大和説」が好きなやつはエジプト説、アトランティス説、ムー大陸説、六角星説と
同じレベルのはいくらでもあある。そっちでやれ。
528498:2013/01/18(金) 01:47:39.52
>>515
>この世に「動かせない定説」なんてものがあるのかw

こっちは最初からそんな主張はしていませんが?
もとはそちらの熟語の誤用から始まったのだから
自らの語彙力のなさを自覚させてあげたことを感謝して欲しいくらいだよ


>要は、「定説」なんてものはたいしたもんじゃない、と言いたいのか?

文章読解力と語彙力が足りないだけならともかく
思考力が貧弱であるにも関わらず思い込みだけは激しいとか
およそ学問には向いていないようですね

定説は変わりゆくものであるけれども
それが理由で「たいしたものでない」なんてことにはなりません
むしろ、一人の研究者が提示した学説が
本来はライバル関係にある他の研究者に受け入れられることで定説となっていくのだから
その定説はとても「たいしたもの」なんだよ

>それなら、なぜ
>>489
>>「主流」が正しいことの根拠になるならそんな楽なことはないな
>とか>>491のレスに反対してるんだ?

既に述べたように
ある学説が、定説や定説とはいかないまでも学界の主流となることは
とんでもなく「たいしたこと」
だからこそ、その説に立脚することができるんだ
そうした重みをないがしろにする発言を繰り返している時点で
自説を客観的や相対的に見ることができないということを宣言していることになるから
まともな学説扱いしてもらえなくなるんだよ
529498:2013/01/18(金) 01:53:26.31
ついでに
>>525 >>526 >>527

歴史学研究をする上で最初に必要なことは先行研究の成果をただしく把握することです
誤った前提の上に積み上げられた主張は基礎のない建築物と同じです
そんなところまで古田氏の模倣をする必要はありません
530日本@名無史さん:2013/01/18(金) 02:18:31.05
>>529
先行研究がズブズブだから古田氏のような素人が疑問を呈してるってのがわからないのか?
おまえのレスは無内容。文体から察するにお前は偽善者。
531日本@名無史さん:2013/01/18(金) 04:08:52.21
畿内説の代表となるような論文などは存在しない。
また、著書も存在しない。

なんとなく匂わせているに過ぎない。
これは根拠薄弱につき、論として成立しないからである。
532日本@名無史さん:2013/01/18(金) 05:38:17.27
大和論者も、九州説を批判するときに古田氏の名を出すのはやめよう。
九州王朝と東日流は、地雷と言うかまさに「黒歴史」だ。

たとえば八切止夫や鹿島昇の名前出すのと同じで、
「口に出すのもはばかる」ことだと思う。
533日本@名無史さん:2013/01/18(金) 09:10:28.98
>>532
>九州王朝と東日流は、地雷と言うかまさに「黒歴史」だ。

まだ、ツガルのほうがまし。一応資料wがあるから
もう一方のは脳内ソースに基づいた いいっ放し。小説としては面白いけど
534日本@名無史さん:2013/01/18(金) 09:54:34.32
>>528
>熟語の誤用

こちらが「確固たる定説」と書いたのを、辞書の意味のひとつを採って「動かせない定説」の意味に受け取ったことを笑ったんだよ。
そんなことも理解できない頭で、学問だの学説だのと、大風呂敷を広げてるんだから、とんだお笑い草だ。
自称「文献学の専門家」君と同じだなw
同一人物かい?

言葉の意味には使い方も幅もあるということを知らないんだね。
>>511が紹介したネット辞書に感激している程度の知識しかないんだからしょうがないんだろうがw
定説にも、短期間で覆る定説もあれば長期間地位を占めてる定説もある。
あたりまえだろ?

「多数決」で決めるんなら、なおさらだw

>文章読解力と語彙力が足りないだけならともかく
>思考力が貧弱であるにも関わらず思い込みだけは激しい

それは自分のことじゃないかw
535日本@名無史さん:2013/01/18(金) 10:17:11.52
>>528
>一人の研究者が提示した学説が
>本来はライバル関係にある他の研究者に受け入れられることで定説となっていく

自然科学ならそういうこともあるだろうが、文系は学閥だよ。
そのくらいは知っておいた方がいいよ。

影響力のある、つまり、人事や補助金の獲得に力を持っている学者の説には逆らわない。
違う学者が力を持つようになれば、そちらになびく。

「定説」も「多数決」も中身は、そんなもんだ。
一番顕著だったのが原発の安全性に関する学者たちの右往左往。
まだ記憶に新しい、

極端な例だが、結果が思考の中でしかわからない学問の「定説」は、大なり小なりそんなふうに決まっていく。
少しでも大学教師の世界に触れたことがあれば、誰でも感じることだ。

だから、「そうした重みをないがしろにする発言を繰り返」す必要があるんだよ。
536日本@名無史さん:2013/01/18(金) 10:21:04.83
>>529
古田氏は「先行研究の成果をただしく把握」しているよ。

無視しているのは「先行研究」側に立つ学者たちであって、「先行研究」を十分批判検討のうえで自説を論じている古田氏の方じゃないよ。
537日本@名無史さん:2013/01/18(金) 10:45:56.48
とかく他人様のことは冷静沈着かつ正確に観察できるものよ
がしかし、自分のこととなるとなあ。。。
538日本@名無史さん:2013/01/18(金) 15:10:38.12
>>529
>「先行研究」を十分批判検討のうえで
あれは批判じゃなく非難だぞ
539日本@名無史さん:2013/01/18(金) 15:35:48.79
>>538
とりあえず、アンカー間違いは修正しようね。

批判とか学問とか文献学とか、「高級な話」はそのあとにしよう。
540498:2013/01/19(土) 03:03:13.50
>>530
>先行研究がズブズブだから古田氏のような素人が疑問を呈してるってのがわからないのか?

「古田氏が素人」は同意します
素人だから「邪馬壹国」がオリジナルだと断言してしまうような珍説を提唱してしまったのです

>文体から察するにお前は偽善者。

はいwそうですよw
なるべく丁寧な文体となるよう心がけてはいますが
内心は古田信者をバカにしながら書き込んでいるので
それがどうしても端々に現れてしまいますw
541498:2013/01/19(土) 03:03:55.08
>>534
>こちらが「確固たる定説」と書いたのを、辞書の意味のひとつを採って「動かせない定説」の意味に受け取ったことを笑ったんだよ。

では、あなたのいう「確固たる」定説とはどのような定説ですか?
当然、その意味が示されている辞書も提示していただけますよね?

>自称「文献学の専門家」君と同じだなw
>同一人物かい?

わたしは大学院まで進んで人文科学を学びはしましたが
文献学を専門とはしていませんし、もちろん自称もしていません
542498:2013/01/19(土) 03:05:14.40
>>535
>自然科学ならそういうこともあるだろうが、文系は学閥だよ。

学閥同士だってライバルですよ
学閥を越えた「定説」が存在する事実をどう説明するのですか?
まさか全国の歴史研究者はすべてひとつのボスのもとに組織されているとか言い出すのですか?
歴史研究の論文とか専門雑誌とか読んだことがないのが丸わかりですよ

>極端な例だが、結果が思考の中でしかわからない学問の「定説」は、大なり小なりそんなふうに決まっていく。
>少しでも大学教師の世界に触れたことがあれば、誰でも感じることだ。

いったいどんな大学でそんな世界にふれたのですか?w
あなた自らを絶対視する思考と周囲のあなたへの評価とのギャップが招いた被害妄想ではないですか?

>だから、「そうした重みをないがしろにする発言を繰り返」す必要があるんだよ。

それはまともな研究者が取る学問的な方法ではありません
賛同者を得られなかった側による負け犬の遠吠えとしかとられません
たとえるなら、選挙に落ちた候補者が有権者に対して「俺に投票しないお前らはバカだ」と発言しているようなものです
543498:2013/01/19(土) 03:06:55.50
>>536
>古田氏は「先行研究の成果をただしく把握」しているよ。

これまでの書き込みからあなたが歴史学の方法論を理解していないことは明らかです
そんなあなたがどうやって「ただしく」把握していることを理解できるのでしょうか?
544日本@名無史さん:2013/01/19(土) 09:10:42.02
一連の書き込みは日本の歴史学、考古学の
学問そのものがダメだと言っていることになるのかな?

まあ、理系で言うところの、

仮説
実証
評価

のサイクルがはっきりしてないようには見えるが。
545日本@名無史さん:2013/01/19(土) 10:46:15.55
>>540
>「邪馬壹国」がオリジナルだと断言してしまうような珍説

具体的にどこがどう珍説なのか、提示してみな。
546日本@名無史さん:2013/01/19(土) 10:48:15.37
>>541
>あなたのいう「確固たる」定説とはどのような定説ですか?

理系の「定説」のことだよ。
僕が書いた、文系の分野で「定説」というものが確固としてある、なんてことを考えてる時点で、云々、の内容ぐらいは理解しろな。
これも、ひとつずつ単語を辞書ひかないと読み取れないのか?
547日本@名無史さん:2013/01/19(土) 10:52:22.22
>>542
>学閥を越えた「定説」が存在する事実

「邪馬台国」にも古代史にも、どこにそんな事実があるんだ?

「邪馬台国」の「定説」もたくさんあるだろ?
説を唱えないというのを含めて。
でも、君は、そのどれかが「多数決」で「定説」になっていると主張してるわけだw

とにかく、他人の書いたものを読み取れるようにしなさいね。
どれも短い文章だから、難しいといえば難しいけど、簡単といえば簡単だ。
548日本@名無史さん:2013/01/19(土) 10:57:04.71
>>543
>あなたが歴史学の方法論を理解していないことは明らか

どこがどう明らかなのか、提示してからそれを書いてね。

「大学院まで進んで人文科学を学」んだんだから、そのくらいはできるだろ?
日本語の読解力は身につかなかったみたいだけどw
549日本@名無史さん:2013/01/19(土) 10:58:18.58
>>544
「仮説」を立てる時点でバイアスがかかっちゃうからね。
550日本@名無史さん:2013/01/19(土) 12:27:26.01
>>545
横から言わせてもらえば、珍説かどうかは別にしても、少なくとも
『「邪馬台国」はなかった』は、有効な論証として成立してないよ。
551日本@名無史さん:2013/01/19(土) 12:43:03.64
同じく横からだが、倭人伝の最後の方に

因詣臺、献上男女生口三十人、

とある。この「臺」でピーンと来ず、取り上げなかったところが分かれ道になったわけだ。
552日本@名無史さん:2013/01/19(土) 12:51:03.64
ピーンと来ても、具体的に論証できてないんだから、ただの思いつきで終わってる。
553日本@名無史さん:2013/01/19(土) 12:58:48.19
今年の一字はきっと「 」だな。 浅
554日本@名無史さん:2013/01/19(土) 13:18:36.95
朝鮮人犯罪があまり報道されない、そしてテレビが日常的に嘘を吐く理由。(間借りしているだけなどと言う工作員に注意)
(間借りしているだけだ等と言う社員と工作員には注意)

韓国文化放送(MBC) 〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F
フジテレビジョン 、、 〒137-8088 東京都港区台場2-4-8 

韓国聯合TVNEWS(YTN) 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6
TBSテレビ     、 、、 .〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 

大韓毎日   、、、、、、、、、、、、 〒108-0075 東京都港区港南2-3-13 4F
東京新聞(中日新聞社東京本社) 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13

京郷新聞  、、、、、、〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
(サンケイスポーツ、夕刊フジ、日本工業新聞社)

朝鮮日報   、、、  〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1-1 4F
毎日新聞東京本社 〒100-8051 東京都千代田区一ツ橋1-1-1

日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C 
555日本@名無史さん:2013/01/19(土) 15:26:43.85
>>550>>552
だから、その根拠を提示しないと、な。
556日本@名無史さん:2013/01/19(土) 19:06:59.27
やっぱり邪馬壹だなあ。
557498:2013/01/20(日) 00:32:13.59
>>545
>具体的にどこがどう珍説なのか、提示してみな。

宋代の版本の文面が陳寿オリジナルの文面と同じであるかどうかは
陳寿オリジナルが現存しない以上、誰にも断言できません

>>546
>理系の「定説」のことだよ
>僕が書いた、文系の分野で「定説」というものが確固としてある、なんてことを考えてる時点で、云々、の内容ぐらいは理解しろな。
>これも、ひとつずつ単語を辞書ひかないと読み取れないのか?

回答になっていませんよ
その「理系の『定説』」とやらがどういう意味なのかを書いていただきたいのですが
558498:2013/01/20(日) 00:36:31.84
>>547
>「邪馬台国」にも古代史にも、どこにそんな事実があるんだ?

「邪馬台国」という表記がそうですけど
古田氏を除く日中のほとんどの研究者が使用し、日本の教科書も採用しています


>>548
>どこがどう明らかなのか、提示してからそれを書いてね。

1 古田氏の方法論に疑問を持っていないこと
2 邪馬台国論争の現状を理解できていないこと
3 歴史学界に対する認識が間違っていて、その間違った認識に基づくウソを繰り返し公言していること
559日本@名無史さん:2013/01/20(日) 05:33:55.61
>>552
>具体的に論証できてないんだから、ただの思いつきで終わってる。

「臺」について具体的に論証できている。
「『臺』について具体的に論証できてない」は、君の思い込み。
560日本@名無史さん:2013/01/20(日) 05:45:21.59
>>558
>1 古田氏の方法論に疑問を持っていないこと

古田氏の方法論に疑問な部分はあるが、それは古田説の全否定にはならない。
561日本@名無史さん:2013/01/20(日) 10:25:01.44
江戸の頭で明治を読む、という表現がある
明確なる中華思想をベースに書かれた陳寿の書を、脳幹にしみ込んだ中日思想のままに読んだのではないか
ま、だれしも心すべきことではあるが・・、
562日本@名無史さん:2013/01/20(日) 10:27:24.52
>>557
>宋代の版本の文面が陳寿オリジナルの文面と同じであるかどうかは
>陳寿オリジナルが現存しない以上、誰にも断言できません

そんなことを言えば、古代に関するすべてのことは誰にも断言できないよw
だから論理的に考える必要があるんだろ?
批判するなら、その論理の進め方から批判しなくてはいけない。
「大学院まで進んで人文科学」でなにを学んできたんだ、君は?

>「理系の『定説』」とやらがどういう意味なのか

なにを求めているのかわからないが、例を挙げるなら「ピタゴラスの定理」みたいなもんだよ。
563日本@名無史さん:2013/01/20(日) 10:39:07.15
>>558
>「邪馬台国」という表記

ああ、そうだねw
それだけが、「定説」だなw

>古田氏の方法論に疑問を持っていないこと
>現状を理解できていない
>歴史学界に対する認識が間違っていて

どこに疑問を持てばいいの?
どういう現状?
どこがどう間違っているの?

全部、君の主観に過ぎないよ。

「大学院まで進んで」なにを学んできたんだ、君は?
564日本@名無史さん:2013/01/20(日) 10:39:30.44
「邪馬壹」が正しいな。
565日本@名無史さん:2013/01/20(日) 10:52:42.79
もちろん「邪馬壹」が正しい、確固たる中華思想を心身に着けていればだが。
566日本@名無史さん:2013/01/20(日) 11:04:04.61
>>565
そら、中華思想で書かれてるだろう。
陳寿は中国人なんだから。
567日本@名無史さん:2013/01/20(日) 11:09:45.56
<書きなおし>
もちろん、意図的に「邪馬壹」と書かれたと解釈するのが正しい日本人の理解、確固たる中華思想を心身に着けていればだが。
568日本@名無史さん:2013/01/20(日) 11:25:26.26
>>567
陳寿が「邪馬壹」と書いたとすれば、意図的に決まってるだろ?
それをそう解釈した日本人の思想とどう関係するんだ?

君が皇国史観であることはもちろん自由だが、史料の解釈については、相手の思想が問題なので、君や解釈する人間の思想(立場)とは無関係じゃないといけない。
自分の思想(立場)を中立にする努力をしないといけない。
569日本@名無史さん:2013/01/20(日) 11:33:56.38
>自分の思想(立場)を中立にする努力をしないといけない。

仰せの通りであります。
ただし、自分で中立と信じていても、必ずしもそうでない場合も多々あるということ。
安易に他人を信じたり、また安易に他人を批判することなく、淡々と進むべしじゃないでしょうか。
570日本@名無史さん:2013/01/20(日) 12:44:57.99
>>565
倭人伝に「華奴蘇奴國」という国名がある。
華夷の別というのは、春秋学の大切な思想なのに、
中華思想で文字を選んだのなら、「華」の字を東夷の国の名に使うはずがない。
意図的に「臺」の字を避けたのなら、なおさら「華」の字は避けなければならない。
なのに「華奴蘇奴國」と書かれている。
「好古都國」というのもある。
古田氏の言うごとく「卑字の大海」ならば、音を写すだけなのに、
わざわざ「好」や「古」や「都」を使うはずはない。
つまり、「卑字の大海」というのは、古田氏の観念の産物で、倭人伝には存在しない。
571日本@名無史さん:2013/01/20(日) 14:56:31.13
>>570
>音を写すだけなのに、わざわざ「好」や「古」や「都」を使うはずはない。

何故「わざわざ」なの?
君の思考構造が奇奇怪怪でわからない。
572日本@名無史さん:2013/01/20(日) 15:00:51.07
>>571
卑字の大海ならば、卑字を使わなければならない。
それなのに卑字ではない、むしろ良い意味の「好」や「古」や「都」を
卑字の大海の中で「わざわざ」使う理由は何?
573日本@名無史さん:2013/01/20(日) 15:29:08.87
>>569
そういう君が、古田氏を安易に批判してるのは、なぜ
574日本@名無史さん:2013/01/20(日) 15:29:53.08
「好」や「古」や「都」は卑字や蔑字の対極にある字ではない。
これらの文字は、たたそこいらに転がっている字にすぎない。
倭語の音を写し取っただけだ。

伊都國や末盧國の場合には、「都」や「盧」の意味を加える意図があったと思う。
對海國の「對海」にも。他にも意図を推測させる字の使い方が見られる。
575日本@名無史さん:2013/01/20(日) 15:30:21.19
「華」は確かに卑字ではないが、貴字ともいえない。
「華」が貴字なら「中」も貴字となるだろうし。
まあ、ありふれた文字の一つだな。

東夷伝でも他の国名に「華」字が使われているし。
576日本@名無史さん:2013/01/20(日) 15:34:18.75
>>570
春秋と魏では、ずいぶん時代が違うようだけど?
577日本@名無史さん:2013/01/20(日) 15:57:05.38
>>562
>>宋代の版本の文面が陳寿オリジナルの文面と同じであるかどうかは
>>陳寿オリジナルが現存しない以上、誰にも断言できません

>そんなことを言えば、古代に関するすべてのことは誰にも断言できないよw

つまり、壹だと言えないとの認識が>>557氏との間で共有出来た訳だ。

>批判するなら、その論理の進め方から批判しなくてはいけない。

論理的に、史料批判した上で臺が用いられているんだが。では、君の言うように、その論理の進め方から批判してごらん。書いてみ。
578日本@名無史さん:2013/01/20(日) 16:11:04.65
>>577
>論理的に、史料批判した上で臺が用いられている

君がその論理を提示してごらん。
書いてみ。
579日本@名無史さん:2013/01/20(日) 16:15:38.90
民主党を生み出した『団塊の世代』の面々(現在66〜63歳)
消滅へ向かう化石サヨク思想

加藤千洋(65)・・朝日新聞元編集委員(中国の犬)
安田好弘(65)・・死刑廃止論の弁護士(光市母子殺害事件のDQN弁論)
上野千鶴子(64)・・ジェンダーフリー学者(フェミナチ)
班目春樹(64)・・原子力安全委員会委員長(デタラメ君)
若宮啓文(64)・・朝日新聞主筆(「竹島を韓国に譲れ」で有名)
白川方明(63)・・日銀総裁   無能(帰化人説有)
山田伸二(63)・・NHK解説主幹(民主党の熱烈なシンパ)
後藤謙次(63)・・共同通信元編集局長(反日主義者)
テリー伊藤(63)・・全共闘崩れ(民主党シンパ(帰化人説有))
580日本@名無史さん:2013/01/20(日) 16:23:59.06
>>579
なんだ、団塊は正しかった、と言いたいのか。
581日本@名無史さん:2013/01/20(日) 17:31:27.80
>>578
なんだ、真似して切り返すのが精一杯か。
>>562
>「大学院まで進んで人文科学」でなにを学んできたんだ、君は?

なんて生意気な事言っているから、君が自分で言った論理的w なレスが少しは書けるかなと思ったけど
真似して切り返すしか出来なかったね。ゴミクズ扱いされたくなかったら 論理的w に書いてごらん。
古田さんや古田さんの支持者に迷惑だよ。君の存在は。
582日本@名無史さん:2013/01/20(日) 17:39:55.76
>>581
どこまで逃げる気だ?
「大学院まで進んで」逃げることだけ学んできたのか、君はw

古田氏の論理は古田氏の著作で必要十分。
あたりまえだろ?

他の批判を聞きたければ、批判する対象が必要。
これもあたりまえだ。

ゴミクズは君だよ。
自分で何一つ具体的なことを提示できない。

まず、自分が書いてごらんw
「古田さん」の批判を具体的に。

それとも「古田さん」の著作を読んでないのかな?
583日本@名無史さん:2013/01/20(日) 18:13:43.77
>>575
「華」は大陸の人間が蛮夷に対して自らを規定する文字。
中華思想では、もっとも大切な貴字。
「中」は「華」と結びついて「中華」となったときに、その意味を持つ。

>東夷伝でも他の国名に「華」字が使われているし。

つまり、卑字の大海なんて存在しないという証拠。

>>576
春秋は儒教の主要な経典で、中華思想そのもの。
漢・魏の人間の必須の教養。時代が違うどころじゃない。
584日本@名無史さん:2013/01/20(日) 18:33:44.61
>>583
>春秋は儒教の主要な経典

儒教と言えば孔子、程度の知識しかないが、魏の皇帝に対する態度に結び付けられるものなのか?
春秋は紀元前数百年。

そのまま字(中国では1字1語)の使い方と感じ方を維持していると考えるなら、その根拠も必要じゃないか?

それに、「壹」の論理は、特に「臺」という字を使うことを避けた、というのが基本で、一般的な貴字、卑字の区分けの中では、「倭」は従順な国、という扱いだから比較的いい字(「壹」のように)も使われている、というのが古田氏の分析だろ?
「臺」については、魏の周辺国に対する使い方を含めて論証していた。

いろいろな字を持ち出すことも必要だろうが、扱い方の強弱もあると考えるのが普通じゃないだろうか。
585日本@名無史さん:2013/01/20(日) 20:05:54.10
>>582
>どこまで逃げる気だ?

逃げているのは、相手のレスと同じこと書いて、切り返ししか出来ない幼稚な君。掲示板でよく見かける一番幼稚な手口。
それに、「どこまで」って何かな? 今日来たばかりなんだが。なんか必死なんだなあ 君は。
必死に何かを訴えたいのはわかるが切り返して逃げるしか出来ないんだから、
そんな幼稚な君に賛美されたら、古田さんと古田説の支持者にとっては迷惑。君の存在が迷惑。

>「大学院まで進んで」逃げることだけ学んできたのか、君はw

>>577はもちろん私のレス。
>つまり、壹だと言えないとの認識が>>557氏との間で共有出来た訳だ。

君は知らないかもしれないが、我々日本人は、自分の事を「氏」とは言わないんだよ。
そんなことも知らないで、日本の修士や博士に、生意気なことを言うもんじゃない。
586日本@名無史さん:2013/01/20(日) 20:07:05.60
>>557
>宋代の版本の文面が陳寿オリジナルの文面と同じであるかどうかは
>陳寿オリジナルが現存しない以上、誰にも断言できません

いや、むしろ。
完全に同一である可能性なんかない、同一とは言えない。
ただ、どこがどう違っているかが不明なだけなんだよな。

>>562
現存する文面が原文とは違っているのが常識であって、
それをどう工夫して原文に近づけていくか、という手法を使う。

そのような観点を欠いてるのが古田流。
「どう工夫して原文に近づけていくか」という観点で考察したら、
「壱」の可能性よりも「臺」の可能性の方が高い、邪馬壱国説は成立困難
587日本@名無史さん:2013/01/20(日) 20:50:20.36
>>585
なんだ別人だったのか。
自演かと思ったw

>日本の修士や博士に、生意気なことを言うもんじゃない

言うに事欠いて、すげえこと言いだしたなw
どこまでバカなんだ?

>>557のことは、確かに「大学院まで進ん」だのに、具体的な提示ができず、かつ、普通の日本語の読解力がないと指摘した。
修士だろうが博士だろうが大学教師であろうが、その評価に変更の必要は認めない。

君は中卒かも知れないが、レベルは同じだ。
安心しろ、院経験者でも中卒でも論理のレベルに差がつく根拠にはならない。
もちろん、修士でも博士でも大学教師になってもバカが悧巧になるわけではない。

君のような人間には、とてもありがたい雲の上の人に見えるかもしれないがw
自分の周りは大学教師だらけなんでねw

なんでもいいから、古田説を具体的に批判してみろよ。
ちょうど君が例に出している「壹」の問題でもいい。

もともと口汚くこちらを罵ってきたのは君のほうだ。
「ごらん」とか「書いてみ」とかいうのが他人を嘲る文だということは、「氏」の使い方を講釈する君ならわかるだろ?
こちらもそのまま、君を嘲るのに使わせてもらったw

盗用なんて言わないでくれよ。
パロディなんだからw
588日本@名無史さん:2013/01/20(日) 21:48:29.39
ゲスを相手にしても始まらない。
589日本@名無史さん:2013/01/20(日) 22:42:47.56
>>587
>自演かと思ったw

言い訳まで恥ずかしいヤツ。さすが古田説支持者の面汚し君だ。
>>557>>577 誰がみても別人だろ。日本人がみれば。君には難しいかもしれないが。
まずは日本に慣れなさい。君のせいで、古田説や支持者がここで馬鹿にされる。君には悪いが、君の存在が迷惑だ。
590日本@名無史さん:2013/01/20(日) 23:28:34.15
>>589
くだらないこと言ってないで、具体的な古田批判を書けよ。
それですべては解決だw

君は、皇国史観のただのレイシストなんだろうが、そんなことはかまわない。
日本人であるかどうかも問題にならない。

ちゃんと具体的な論理を提示しろよ。
古田氏のこれこれの説に対して、自分はこう批判する、という具合にね。
591日本@名無史さん:2013/01/21(月) 00:49:47.05
>>590
>くだらないこと言ってないで、具体的な古田批判を書けよ。

逸らそうとしても駄目だ。>>557>>577は日本人なら誰がみても別人だと判る。
日本人でないなら、仕方ない。もっと日本に慣れ親しんでからあらためて、顔をだせばいい。
もし日本人なら、著しく知能が劣る人物だ、君は。
どちらにしても、君に古田説は論理的だと言われることが迷惑。
古田批判だと?笑わせるな!私は古田説、全てではないが認めているよ。
何故私が古田批判しなきゃならん。

>それですべては解決だw

何が解決だ? 古田批判書けば一体何が解決するというんだ。頭おかしいのか?

君がここで廻りの人から馬〇扱いされているのは、読んでいれば判る。君が廻りにどう思わないようと知ったことじゃないが、
君のせいで、古田説まで同じように馬〇にされるのはかなわん。
迷惑だから出ていってくれ。
592日本@名無史さん:2013/01/21(月) 01:07:52.10
>>591
いいから、論理を展開してみせろよ。

>壹だと言えないとの認識が>>557氏との間で共有出来た

と書いたのは君なんだから。
その共有できた認識の根拠を書いてみろよ。

書けないからって、いつまでも罵詈雑言を浴びせても、その罵詈雑言ですらワンパターンだ。
もう少し頭を使えw
君の頭は、髪の毛のプランターか?

○なんか使って、なにを気にしてるんだ?
大和の鹿に遠慮してるのか?
593498:2013/01/21(月) 01:28:25.78
なんか伸びてますね
わたしではないのに間違って認識されている人もいるようですが・・・
間違われている人は否定しておいてくださいな

>>562
>そんなことを言えば、古代に関するすべてのことは誰にも断言できないよw

こういう発言が、あなたが歴史学研究に無知だということを示しているのですよ
歴史学は後追いで再現不可能なことを研究対象とする以上、断言できることは史料事実のみです
いろいろな可能性が存在する中からもっとも説得力がある、可能性が高いと思われる学説が認められていくのですよ
だから、一度は定説とされたものも研究の進展によって入れ替わっていくのです

>なにを求めているのかわからないが、例を挙げるなら「ピタゴラスの定理」みたいなもんだよ。

「確固たる定説」を「動かすことができない定説」と解釈したわたしに対して
あなたは他の意味で使っていると主張しています
その、あなたが使っている意味を問うているのですが・・・
594498:2013/01/21(月) 01:32:52.68
>>563
>どこに疑問を持てばいいの?

刊本と原本の関係の評価
歴史学をかじったことのある人間ならおかしいことに気がつきますから
その結果が学界側から全く相手にされなくなったという現状です

>どういう現状?

歴史学界が学閥に支配されているという現状が妄想です

>どこがどう間違っているの?

ありもしない学閥を持ち出したり
古田説が認められないのは学界側のせいだとする認識

>全部、君の主観に過ぎないよ。

主観で発言しているのはあなたの方ではないですか?
こと歴史学界の現状について立証責任を果たしていないのはそちら側です
595日本@名無史さん:2013/01/21(月) 02:02:18.82
>>593
今度はこっちかw

君も同じだよ。
御託を並べてないで、具体的に書けよ。

「壹」を否定する「説得力がある」根拠をさ。
学説がどうのこうのじゃなくて、自分で考える根拠を。
もちろん、「壹」を否定する学説があるなら、それでもいいよ。

>あなたが使っている意味

それが知りたかったのか。

それなら「ピタゴラスの定理」の例でちょうどいいだろ?
ある条件の基では、確認できる説、のことだよ。
条件が変われば、違う説が正しくなる。
596日本@名無史さん:2013/01/21(月) 02:25:45.47
>>594
>刊本と原本の関係の評価

原本も現存以外の刊本?もないんだから、比較のしようがないだろ?
論理的に考えていくしかない。

>学閥に支配されているという現状が妄想

まさか、九州派と大和派が大学で分かれていることを知らないわけじゃないだろ?

>ありもしない学閥

学校にもいろいろあることは否定しないが、自分のところでは、隙間を見つける以外に進む道はなかったよ。
今でも院生は隙間探しに躍起になってるようだ。
少なくても自分の周囲では妄想じゃないよ。

君は論文を書くときに、テーマを指導教員に相談もせず、アドバイスも受けず、まして内容の修正を求められたこともないんだな?
それなら君の学校は、学閥とは無縁の学校かも知れない。

>もっとも説得力がある、可能性が高いと思われる学説

それでは「壹」の問題だけでもいいよ。
ただ、無視しているだけじゃないのか。
そうじゃないというなら、具体的に「臺」が正しい根拠をだしてみせろよ。
597日本@名無史さん:2013/01/21(月) 02:51:50.72
>>594
>古田説が認められないのは学界側のせいだとする認識

すごく典型的な「陰謀史観」ですがな。
デムパくん達が好きこのんで使う論法です。

こういう言説を用いだしたら、「ああ、あの人ってデムパだったんだな。」と認定して黙殺するのが正しい対処。

大本教とかタケウチキョマロあたりの焼き直しみたいなもんですよ。
598日本@名無史さん:2013/01/21(月) 03:07:39.28
古田がデムパだけなら笑い飛ばしておけば良さそうなものだが
こいつら何をやっきになってるんだろう?
599日本@名無史さん:2013/01/21(月) 05:53:08.44
>こいつら何をやっきになってるんだろう?

畿内説が原子力安全神話と同じだからだ。

原子力安全神話の崩壊を招いたのが地震津波事故だ。
畿内説の崩壊を招くのが古田説だからだ。
600日本@名無史さん:2013/01/21(月) 06:00:00.54
俺は邪馬台国九州論だが、古田説は超トンデモだと思ってる。

くりかえすけど、博多湾岸説は唱えてもいい。
しかしそれ以降は本当に馬鹿げてる。

そしてツガルにいたっては何をか言わんや。

こう言うトンデモ説問える人たちは、きまって世間や学会が
徒党を組んで、不都合な真説を潰そうと陰謀企てている、と主張する。
601日本@名無史さん:2013/01/21(月) 07:59:43.59
俺は邪馬壹國九州論だが、古田説は全てが正しいとは思っていない。

古田説の間違いの一つは、邪馬壹國博多湾岸説である。
そして、それ以降の博多湾説を前提としての諸論だけは本当に馬鹿げてる。

そしてツガルにいたっては何をか言わんや。

以下省略
602日本@名無史さん:2013/01/21(月) 09:38:22.23
>>596
あんたも自演相手によく飽きないねw
ほっとけよ
603日本@名無史さん:2013/01/21(月) 19:00:56.76
>>599
実際には古田説の方が神話なんだがな。

根拠のない神話を事実として流布してたら、
いざ地震が起きたら、神話には根拠がなかったと判明したってこと。

だが、根拠がないと判明する以前には、一見すると根拠っぽく見える怪しいものがたくさん積み上げられていたから、
それが根拠のない神話に過ぎないとは信じてもらえなかった。

オレもあれ以前から安全神話は根拠のない神話伝説に過ぎないと言ってたけど、
賛同者に出会った記憶はないぜ。

でだ、同じく古田説の根拠も荒唐無稽なデタラメで、論拠になり得ない怪しいものばかりだと思ってるわけよ。
一見すると精緻な根拠であるかのように勘違いされることがあるだけの、勘違い論拠。
604日本@名無史さん:2013/01/21(月) 20:30:14.56
古田説といってもいろいろな「説」が混在してる。
そのなかには「安全です」と言って逃げようとするゲスどもの痛いところを
付いている箇所が沢山ある。それに触れられたくないから
ただ「安全です」と馬鹿のように繰り返す。
>>603、お前のことだよ。
605日本@名無史さん:2013/01/21(月) 21:04:47.79
>>604
>古田説といってもいろいろな「説」が混在してる。

つまり、雑多な論の混在のままで、統一見解を出す以前の問題なわけか?
自説の中にも相矛盾した複数の見解が混ざったままって状態で、論争にならんよな。

ここを否定したら、こうではなくてああだと言い、あれを否定したら、ああではなくこうだと言うもんな。
606日本@名無史さん:2013/01/21(月) 22:34:50.95
いやつまり、学閥利害のないアマチュア研究家は
古田説を踏まえて説を立てる人が多いということよ

まあいわゆる人気があるんだな、これが
607日本@名無史さん:2013/01/21(月) 23:29:21.78
>>605
論点のすりかえ、ゲスの常套手段。

> ここを否定したら、こうではなくてああだと言い、あれを否定したら、ああではなくこうだというもんな。

これがお前。わからなければ馬鹿、わかっていれば荒らし。ウザイから出て行け。
608日本@名無史さん:2013/01/21(月) 23:38:26.71
>>606
同意 そもそもってとこの論証済みは本来,割愛されるもんね 普通は
その論証済みの部分に茶々入れたってのが 壹ってことね

古田さんとやら 今頃何を言ってんのよ? ポカーンw

に対して ほ〜らおまいらプロなのに反論出来ないじゃないか〜w
これほんと痛快 んで興味持って調べたらガックシ やっぱり相手にされてないだけなんだあ ってオチ
でも マイナーな歴史に光を当てた功績は 誰も否定できないだろ
オレは好きだなあ 古田さん ツガルにひっかかったのも許せる  ただ複数王朝をなんとかアピールしたかっただけだろ
読み物として好きなだけで 論理的でないのは わかっているけどね
609日本@名無史さん:2013/01/22(火) 01:04:34.30
>>584
春秋は、前漢武帝の時代あたりから、国家の指導理念であり刑事裁判の法的根拠ともなってきた。
とくに後漢に経学が発展して、魏の時代はその余風を強く受けている。
清が傾いてきたとき、春秋公羊学で立て直そうとしてた。
春秋は、2000年以上、皇帝の国家統治に強い影響を及ぼしてきた。

「壹」の理論というけれど、理論になってないよ。
例えば、「壹見」は「天子に対し、二心なく、相見える」という用語なんかじゃない。
「邪馬台国はなかった」に引いてある周礼の例文は、
「二歳壹見」・・・二歳にひとたび見える(二年ごとに一回朝見する)
「三歳壹見」・・・三歳にひとたび見える(三年ごとに一回朝見する)
という意味。
こういう間違いが本当に多くて、それを並べて立論してるから、専門家からは相手にされない。

中国の思想史・政治史の知識があると、古田氏の論は、「まあ面白い小説ですね」としか言いようがない。
610498:2013/01/22(火) 01:40:05.61
>>595
>「壹」を否定する「説得力がある」根拠をさ。

>>596へのレスでわたしの考えを示します

>それなら「ピタゴラスの定理」の例でちょうどいいだろ?
>ある条件の基では、確認できる説、のことだよ。
>条件が変われば、違う説が正しくなる。

日本語としてそれを「確固たる」に置き換えられますか?
611498:2013/01/22(火) 01:43:12.87
>>596
>論理的に考えていくしかない。

古今の研究者が論理的に考えた結果、「臺」が優勢なのですが

>まさか、九州派と大和派が大学で分かれていることを知らないわけじゃないだろ?

いったいいつの話しですか?
そんな状況はとっくになくなっています

>君は論文を書くときに、テーマを指導教員に相談もせず、アドバイスも受けず、まして内容の修正を求められたこともないんだな?

そういう学生に対する教育上必要な指導内容を普通は学閥とは呼びません
「学閥」の意味を辞書で引くことをおすすめします

>そうじゃないというなら、具体的に「臺」が正しい根拠をだしてみせろよ。

歴史学の宿命として「臺」が「正しい」とは絶対に断言できません
より「臺」の方が確からしいと推測するのみです

・「壹」を用いる『三国志』は宋代の版本であること
・一方、その記載内容から同じ国に触れていると考えられる他の書はことごとく「臺」を用いること
・「臺」を用いている諸書は、それぞれの成立年代からそれらの原本が宋代以前に三国志を引用していると考えられること

これらのことから現状に至るルートとして考えられるのは以下のふたつです

1 本来『三国志』では「壹」であったが、いつのころか「臺」と誤写した系統の写本が現れ、
『三国志』版本へ至る系列以外の諸書はすべてそちらを引用した
2 本来『三国志』では「臺」であり、諸書はすべてそれを引用したが、
『三国志』版本の種本は「壹」と誤写した系列の写本だった

わたしは、2の方が現象として起こりやすい、と考えるということです
612日本@名無史さん:2013/01/22(火) 02:43:10.55
>>609
回答になってないよ。
自分はこう思う、以上のものじゃない。
根拠のない断定は無意味。
最低限、魏志での用例が必要。
613日本@名無史さん:2013/01/22(火) 02:52:04.37
>>610
置き換え、なんて書く時点で、君に言葉の理解力がないことがわかるよ。
違うというなら、根拠を示しな。
614日本@名無史さん:2013/01/22(火) 03:08:06.73
>>611
やっぱりなんの根拠も示さずに、否定するだけだなw
君にはなんの実証も論理もない。
ひとつぐらいは根拠をあげてみろよw

おまけに言っとくと、刊本、版本、写本の区別ぐらいはしておけよ。
ありもしない原本と現存する写本とを比較するのは詐欺みたいなもんだw
君のでたらめな書き込みに付き合うのは、これで終わりだ。

少しは根拠を出せるようになってから、書き込むようにしろよw
615日本@名無史さん:2013/01/22(火) 05:47:58.97
晋代だかの、極めて古い三国志の断片が見つかって、
それが現存の文面とかなり異なってる、
現存する刊本が成立するまでの段階でかなり大幅に誤写が積み重なった、
これは間違いない事実。現実だ。

であるからして、三国志刊本の現存文面を絶対視しようという姿勢は不適切だと確定。


むしろ、引用物(農地でも特に良質なもの)の方が誤写の率が低く、マトモ。

で、それら引用物では邪馬壱国ではなく邪馬臺国と書かれているわけで、
邪馬壱国説が成り立つ可能性は極めて低い。

ただね、素人受けしやすいという点だけは古田説の方が格段に上ではあるな。
616日本@名無史さん:2013/01/22(火) 06:14:58.99
>>612
>最低限、魏志での用例が必要。

何の用例を求めているのか、意味がわからない。


>自分はこう思う、以上のものじゃない。

「自分はこう思う」ではない。
漢以来、儒教が中華の帝国の指導理念であることは事実。
『春秋』は孔子が編纂したとされ、儒教の主要な経典であることは事実。
だから、『春秋』が漢以来、国家の統治や思想を強く支配していたのは事実。
『春秋』の中で「華夷の別」が大事な思想であることは事実。
中華思想とは「華夷の別」、つまり「華」と「夷」を区別する思想であることは事実。
中華思想によって東夷の国名に卑字を当てる「卑字の大海」なるものが
東夷伝に本当に存在するのならば、「華」の字を東夷の国名の当ててはならない。
なぜならば、「華」は自分たち中華であり、「夷」とは別の存在だから。
しかし、現実には、倭の国名に「華」の字が使われている。
つまり、倭人伝には、中華思想に立脚した「卑字の大海」なるものは存在しない。
これが事実。
617日本@名無史さん:2013/01/22(火) 06:16:47.62
>>612
つづき
「壹見」が「天子に対し、二心なく、相見える」という用語なんかじゃないというのも、
「自分はこう思う」ではなく、まぎれもない事実。
古田氏自身が「邪馬台国はなかった」のなかで引用している『漢書』地理志・西域伝の用例で、
それははっきりしている。
原文を読んでみれば、誰にでも用意に明白にわかる。
---------------------以下「邪馬台国はなかった」から引用---------------------------------------
このような『周礼』の用字法は、のちの史書にもうけつがれた。
三歳に壹朝す。〈『漢書』西南夷両粤朝鮮伝、六十五〉
数歳に壹反す。〈『漢書』地理志、八下〉
数年にして壹至す。〈『漢書』西域伝、六十六〉
夷蛮の王の、中国の天子に対する貢献について、「壹朝」「壹反」「壹至」というように、
いずれも「壹」字を用いた熟語で表現している。こうしてみると、『三国志』倭人伝中の左の表記も、
深く歴史的由来を負うた用字法であることが知られよう。
-----------------------引用おわり----------------------------------------
618日本@名無史さん:2013/01/22(火) 06:20:47.28
>>612
つづき
ところが、地理志の例は、タンジ・シュガイは武帝が郡を置いてから、
ずっと数年に一度ずつ反乱を起こしていたので(数歳壹反)、元帝のときに放棄したという話。
西域伝の例は、漢がケイヒン国の使者を丁重に護衛して送り返そうとしたときに、
ケイヒン国は、遠いから漢の軍勢が来ないことをいいことに、
欲しい物があるときは遜って使者を送ってくるが、欲しい物がない時は、尊大な態度をとる。
今来ている使者も、王族や貴人はいなくて、身分の低い商人が利益目的で来ている。
そんな奴らを苦労して護衛して送ってやる必要はないと反対意見があったという話のあとに、
「ケイヒン国は実に賞賜と交易を利益として、その使いは数年にして壱たび至った。」
(ケイヒン實利賞賜賈市、其使數年而壹至云)
タンジ・シュガイは「壹反」で反乱を起こしている。
ケイヒン国は、「壹至」で、自分が欲しい物があるときだけ、利益目的で至っている。
これらの「壹」が、「天子に対して二心なく」では、意味が通らない。
「天子に対して二心なく、天子に反乱をおこす」
「天子に対して二心なく、利益目的だけで使者をだす」
こんな矛盾したことになってしまう。
つまり、「○歳壹△」という句は、「○歳ごとに、ひとたび△する」という意味であることは明白。
少なくとも、古田氏が内容を読んでたら、こんな例文は引いてこないよね。

これらの「壹」が「皇帝に対して二心なし」では意味が通じない。
同時に、「二心」あるのは、いつの時代でも非難されることであって、
魏の時代に、特に「貳」が憎悪されたなんてことは無い。

おわり
619日本@名無史さん:2013/01/22(火) 06:28:34.64
ついでに言えば、後漢書編纂以降に邪馬壹への誤写が起こったと考えられるのに、
漢代以前の篆書の壹と臺を比べても、まったく意味が無い。
陳寿の時代ですら、著述には篆書は使われていなかった。
620日本@名無史さん:2013/01/22(火) 07:21:21.38
本当に信者がいるなら、
なんとか今のうちに先生の名誉回復させておきたいと思わない?

まあ「九州王朝」までは主張してよしとしよう。
学会では嘲笑されてても、ユニークな説として残る。
東日流だげは「騙されてた」宣言しないと、
このままでは本当に、「主犯」されてまま
偽書史に汚名を残してしまう。

史学会どころかマスコミも無視してるんだ。
あとは京都の教科書出版と「ムー」ぐらいしかないぞ。
621日本@名無史さん:2013/01/22(火) 09:36:39.01
えっ、「壹」ですか、
お髭を蓄えてご紳氏然としていらっしゃいますが、陳寿先生も意外とやりますねえ・・

くらいなコメントで済ますべき微妙な部分、つまり国際問題だったんじゃないでしょうか
なにも著書までお出しにならずともねえ、
ご本家の中国人もたくさんお読みになるんですから、ねえ。
622日本@名無史さん:2013/01/22(火) 12:23:32.61
>>616
>倭人伝には、中華思想に立脚した「卑字の大海」なるものは存在しない。
>これが事実。

どこが事実なんだよ。
自分勝手な解釈を並べているだけ。

>>617>>618
古田氏の著作をもう一度読んでみな。
「壹」の解釈の論理が違う。

>>619
>後漢書編纂以降に邪馬壹への誤写が起こったと考えられる

そんな「推理」をしても意味がない。
君のは、ある事実を適当に自分の都合のいいように組み合わせているだけ。
「大学院で」そんな勝手な構成が許されたんなら、それが君の大学のレベルなんだろう。

やっぱり、君のは根拠になっていない。
理由はもう何回も書いた。
時代も書かれた背景も、全部ごちゃごちゃに組み合わせて、自分の方向に都合のいい断片だけを拾い集めているだけ。

魏志の内容と背景から進めることを前提として、その視点から他の史料を、書かれた時代とその後の変遷を丹念に追っていくことが最低限必要だ。
君にはその方法が理解できていない。
623日本@名無史さん:2013/01/22(火) 12:35:58.57
東日流戦犯は確定だろ
624日本@名無史さん:2013/01/22(火) 16:25:20.14
>>614
>やっぱりなんの根拠も示さずに、否定するだけだなw

いいや、>>611は、ちゃんと根拠を挙げて書いてあるな。まあ、所詮掲示板なんで端折っているけど、ちょっとかじっただけの者でもよく判るようにまとめてある。
壹か臺かはわからんが、>>614が、
*他の書はことごとく「臺」を用いること
*「臺」を用いている諸書は、それぞれの成立年代からそれらの原本が宋代以前に三国志を引用していると考えられること
を、知らないことはわかった。それに学閥の意味も知らないことがわかった。
625日本@名無史さん:2013/01/22(火) 17:13:47.55
>>622
>自分勝手な解釈を並べているだけ。

箇条書きにしてあるので、どれがどのように自分勝手な解釈か、具体的に指摘したらいい。

>古田氏の著作をもう一度読んでみな。
>「壹」の解釈の論理が違う。

古田氏の「邪馬台国はなかった」p314〜p316の内容そのまま。もう一度読み直してみたら?
それに、論理以前に、古田氏は漢書地理志・西域伝の文を誤読している。
それは、動かしがたい事実。認める?

>そんな「推理」をしても意味がない。

推理ではなく、それが定説。
古田氏は定説を否定しようとしているのだから、
定説が誤写が起こったとしている時代を考察するのは必須だろう。

>時代も書かれた背景も、全部ごちゃごちゃに組み合わせて、自分の方向に都合のいい断片だけを拾い集めているだけ。

篆書体は、秦時代に使用されていて、漢では既に隸書体に移っている。
陳寿の時代には、著述には篆書は使用されていない。
まして、後代の写本は篆書とはもっと無関係。
なのに、篆書の壹と臺を比べて、「似てない似てない。だから誤写は起こらない」と主張するのは、
「時代も書かれた背景も、全部ごちゃごちゃ」なのではないのかい?
626日本@名無史さん:2013/01/22(火) 21:47:44.67
好太王碑文の件と、神話が創作ではないと論証したことはかなり評価している。

どうだろう、元古田ファンの諸君。
先生の死後、和田某の詐欺に乗せられた件を
信者どもの責任に押しつけられないか。

先生は前世期末ごろ、東日流のインチキ性に気付き、かつ
自らの九州王朝説が間違っていることに気づいた。

しかし愚かな信者が「先生は絶対です!」と騒ぎ続けるので、
自説を撤回できなくなった。自分を持ち上げてくれる狂信者の為に、
死ぬまで自らを欺き続けた。


こんなところかが真相ではない?
627日本@名無史さん:2013/01/22(火) 21:51:38.74
なおさら罪深いな
628日本@名無史さん:2013/01/22(火) 22:11:52.61
>>622
>>616>>617>>618>>625を書いた者だけど、
僕は、上の方で大学院まで進んで人文科学を学んだと言ってた人とは別人だよ。
629日本@名無史さん:2013/01/22(火) 22:47:56.16
>>628
句読点の打ち方も違えば、言葉遣いも違う。日本人ならみんなわかってますよ。
わかってないのは彼だけ。そんなのに擁護される古田さんが気の毒。
630498:2013/01/23(水) 00:16:26.12
>>613
>置き換え、なんて書く時点で、君に言葉の理解力がないことがわかるよ。

同じ意味で使われている言葉なら置き換え可能でしょ?
「ある条件の基(ママ)では、確認できる説」=「確固たる定説」
これを果たしてどのくらいの人が理解できるのでしょうか?

ほかのレスへは私よりずっと詳しそうな方が回答してくださってますので割愛します
631日本@名無史さん:2013/01/23(水) 02:04:24.91
>>629
>そんなのに擁護される古田さんが気の毒

ヘタしたら、
「そんな変な人しか擁護しようとしなくなった」のかもしれん。
もっと気の毒だな。
632日本@名無史さん:2013/01/23(水) 09:19:38.71
>>622の幼稚さと、古田説の良否は分けて考えてくれ
>>622がもう来ないように・・・
633日本@名無史さん:2013/01/23(水) 10:14:24.83
>>632
そんなに、>>622に自分の欠陥を指摘されたのが怖かったのかw
634日本@名無史さん:2013/01/23(水) 14:27:24.67
>>633
違うよ。オレは古田さんの説好きだけど、特に何も発言してないからね。発言してないのに欠陥をどうやって指摘するの?
>>622のヤツって、具体的な根拠出せ  なんて言ってるけど、自分は一切何も出さない。いや出せないんだ。ただ馬鹿なだけだから。
壹についての具体的な根拠に基づいた否定論をキチンと書かれたら、どっかいっちゃったw
根拠を出せってあれほど言ってたのに・・・馬鹿の上に礼儀も知らない。
多分、誰かが書いてくれるか話題が変わるかするまで、息をひそめてるんだろうが。
こんなの見てたら、畿内派か安本派の人の褒め殺しかなあと勘ぐりたくなるよw
もうこのまま来ないで欲しい。
635日本@名無史さん:2013/01/25(金) 04:58:34.76
このまま最後まで自分の間違いを認めずに終わるのか。


死後、マスコミはなんと書くだろうな。
結局、東日流は、はじめ詐欺の被害者で
後期は完全に主犯になっちまったなあ。


一部の信者は、あとあとまで「史学界は間違っている」
と言い続けるんだろうけど。
636日本@名無史さん:2013/01/25(金) 06:50:06.49
やたらこの人の信奉者はホームページを作っていて
検索するとヒットしてウザイ
637日本@名無史さん:2013/01/25(金) 08:35:13.93
>>636
そういう一般人が納得する、説得力のある
「古田説否定論」を展開すればいいんだよ。

本が売れて金になるぞ。やれよ
638日本@名無史さん:2013/01/25(金) 14:40:04.66
>>637
本当に儲かるかなあ。そんなに売れる?
書いても、出版できるかどうかわからないし、
出版しても、信者の恨みを買うだけで、大して儲からなそう。
639日本@名無史さん:2013/01/25(金) 15:35:47.76
印税10%、定価1000円とすると、100万円儲けるためには1万部刷らないといけない。
現実味が無い。
凄い業績になるような内容なら儲けが少なくてもやりがいはあるけど、
素人歴史家の説を否定するだけだからなあ。
金銭的にも業績的にも、手間隙が引き合わない。
640日本@名無史さん:2013/01/25(金) 16:04:12.00
おまえじゃ、ムリだわな
641日本@名無史さん:2013/01/26(土) 20:10:23.17
新参だが、古田派の人に聞きたい。
『邪馬台国はなかった』以外は支持者の本を読んだだけの浅学者だが。

その支持者の本によると、
古田氏の言う九州王朝は唐代に則天武后が701年に九州王朝を否認し、
大和の皇室を公認したせいで九州王朝は勢力を失い、
その後大和朝廷に併呑されたということになってて、
古事記も日本書紀もその存在を抹消したと。

それが疑問なんだが。
いくらなんでも嘘が大胆すぎね? 
九州王朝って古事記や日本書紀ができる20年前にはあったわけだろ。
100年前ならともかく20年前なんてどう考えても覚えてる人いくらでもいる。

しかも大和の権力者にとっては、ライバル国を併合したという自分の大功績を
闇に葬っちゃった事になるんだけど、なんでそんなことしたの?

これについて古田氏(か、あなた個人)はどういう説明を持ってるのか聞きたい。
642日本@名無史さん:2013/01/26(土) 20:35:55.76
>>641
その人の説は知らんが、
則天武后が公認したのが九州王朝終焉の原因ではないと思う。

白村江の敗戦以降、実質的に滅亡していた九州王朝だが、
その版図を、唐が直接支配するのではなく、
大和王朝が引き継ぐことを唐(則天武后)が承認した、と

そういうことじゃないのかな?
643日本@名無史さん:2013/01/26(土) 20:45:16.29
それで、併合したという自分の大功績を闇に葬っちゃった件だけど、

当然、推測に過ぎないが、
九州王朝の版図・政治資産を引き継ぐためには、
「併合」じゃなくて「継承」にする必要があったのでは?

王族同士では、古来からの深い血縁関係もあったようだし
644日本@名無史さん:2013/01/26(土) 21:20:10.01
なるほど。
でも白村江の戦い後の九州って水城とか作れてたし、直後くらいに滅んでた
ってのはありうるのかなぁ。

あと701年って大宝律令の年で、新国家建設の改革がひとまず完了とされた年でしょ。
唐が隣国と自国を認める認めないなんて大イベントがあってその直後、
大領域の併合・継承なんてのがあったらむしろ変革の始まりになってそうな?

どうなんだろ。
645日本@名無史さん:2013/01/26(土) 21:25:38.35
水城も神護石も、当然、白村江を前提に構築したわけですよ(書紀の記述は後付け)。

詳しくはネットで調べてもらいたいが、>>642-643のように仮定すると、
謎がとけることが多いんですよ。

例えば「郡制度と評制度の交替」「いわゆる九州年号問題」「神護石の問題」
「旧唐書と新唐書の記述問題」など。
646日本@名無史さん:2013/01/26(土) 21:29:10.11
年号は、九州年号から引き継がれなかったな。
あくまでも最初は大化からで、それ以前はなかったことになってる。

このことから見ても、九州王朝と畿内王権は断絶、あるいは別物の王朝だと思う。

もっとも九州王朝が滅びたあとに、畿内に再就職した人はかなりいただろう。

九州年号の思われる逸年号の書かれた文献は、一千件にのぼり、
実は記紀にも数箇所あるのだ。
見落として、消し損なったらしい。

奈良時代以前の白鳳時代の白鳳も九州年号である。
647日本@名無史さん:2013/01/26(土) 21:34:24.70
白村江直後に九州王朝崩壊。
後に唐の進駐が行われ、ほぼ完全に息の音がとまる。

多くの人材が各地に脱出、畿内王権が日本の代表になるべく、
組織と制度の整備を始める。

法が整備されたのが、大宝律令の大宝年間だろう。

完全な別王朝なのか、親戚筋だったのかはよくわからない。
648日本@名無史さん:2013/01/26(土) 21:55:54.62
白村江直後に、ほぼ3回連続で遣唐使を出している。
これは戦後処置だろう。

しかし、これは失敗だったらしく、
その後30年、遣唐使は途絶える。

再開されたのは702年

これは、畿内王権が整備されてからのことである。
649日本@名無史さん:2013/01/26(土) 22:52:43.72
で、その九州王朝とやらが存在したという
直接的な証拠はどこにある?
650日本@名無史さん:2013/01/26(土) 23:06:33.58
>>649
御大の脳内
651日本@名無史さん:2013/01/26(土) 23:26:13.94
九州王朝という名の王朝はない。
これは、便宜的に使ってるもので、

じつは「九州にあった倭国」ということ。
ありていに言うと「倭国は九州にあった説」ということになる。
652日本@名無史さん:2013/01/27(日) 02:10:35.71
まあ、九州王朝説を出した当時は7世紀の遺跡の発掘量が少なかったから、
そのころに畿内よりも九州の方が発展してたと吹かしても、それで通用したんだろ。

いまじゃ、7世紀半ばでも九州より畿内の方が文明度が高かったことが分かったから、
九州王朝説みたいなのをぶち上げても馬鹿にされるだけだ。

九州が突出して栄えてたなんて紀元前だけだろ。

>>646
中世の人が造作した一介の創作物だぞ、それ。古代の逸史の痕跡じゃない。

>>650
いや、ちがうな。信者の妄想の中にしか、すでに残ってない。
653日本@名無史さん:2013/01/27(日) 03:36:39.33
旧唐書では、倭が九州、日本が大和朝廷と読めますねえ。
新唐書では、日本書紀を参考にした雰囲気が感じられますが、
筑紫城(大野城?)からとなっていますね。

つまり、神武東征神話の古事記、日本書紀、
そして旧唐書、新唐書は、九州開始説といっていいでしょう。

倭人伝は九州説畿内説入り乱れていますから、中立扱いにすれば、

畿内開始説の文献は存在しないでしょう。
654日本@名無史さん:2013/01/27(日) 03:40:37.64
ついでに、考古学的な見地から見ても、
倭人伝に一致する出土物は九州出土であり、

弥生期の鉄、銅、および遺跡数は、九州が数倍多いですね。
(物によっては数十倍)
655日本@名無史さん:2013/01/27(日) 03:42:28.09
逆に弥生期に、畿内に勢力があったという痕跡こそが、
皆無といえる状態でしょうね。
656日本@名無史さん:2013/01/27(日) 04:53:42.46
>>655
「弥生時代の最大の水田跡」ってのが九州から畿内に入れ替わった以上、その見解は崩壊した。
657日本@名無史さん:2013/01/27(日) 05:43:42.04
>>652
「九州にあった倭国」説なら、邪馬台国か邪馬壱国の国名以外は
邪馬台国九州説と変わりないじゃん。
九州王朝説は8世紀初頭まで大和朝廷に服属しない勢力が北九州に存在して
それこそが卑弥呼の君臨した「邪馬壱国」の正当なる後裔だという説だろ。
658日本@名無史さん:2013/01/27(日) 05:43:51.86
>>656

「弥生時代の最大の水田跡」は畿内にはない。

あるとすれば、どこの水田遺跡?

それともホラ吹き畿内説。
659日本@名無史さん:2013/01/27(日) 05:54:10.03
古田の多元史観にかかるとなんでも「王朝」に脳内変換されるw
ワカタケル大王→カタシロ大王の関東王朝
東日流のアラハバキ族→東北王朝
660日本@名無史さん:2013/01/27(日) 19:58:47.39
>>658
あー、すまん。
弥生時代で最大じゃなくて、弥生前期で最大だった。
しかも昨年じゃなく一昨年だった。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0803L_Y1A101C1CR8000/
とか、ググったらいっぱい出てくるぞ。

>>654
遺跡の数は、期間が長いことも影響してる。
九州北部、主要地域に限って、他の地方より2倍ぐらい長いからな。
人口密度が同程度だったとしても、2倍ぐらい多くの遺跡が密集してないとおかしいわけでな。

鉄の出土が墳墓以外では難しい(腐食して消滅することがおおい)ことを考えると、
主要な墳墓が発掘困難な奈良では鉄器の出土が少なくなっても当然とは言える。
661日本@名無史さん:2013/01/27(日) 20:15:31.89
>>660

遺跡数なら兵庫県も福岡並か、それ以上に多いですね。
奈良はただ単に少ないだけでしょう。

近畿地方周辺で、弥生期の大国を比定するなら、
兵庫県に着目するべきでしょう。
662日本@名無史さん:2013/01/28(月) 07:16:20.36
元ファンだっただけに、
今世紀入ってからの迷走ぶりは気の毒。

東日流ナントカが目覚めさせてくれたんだけどね。
もう邪馬一国もまして九州王朝も全く信じていない。

間違いなく古田氏自身も、自説は完全な間違いだと判ってる。
死ぬまで認めないとは思うけど。

せめて、和田某に騙された、と宣言して欲しいなあ。
663日本@名無史さん:2013/01/28(月) 08:13:55.79
だから、おまえの夢を語るな
664日本@名無史さん:2013/01/29(火) 07:10:15.29
あれだけ信者を煽って洗脳し、今更信者に「間違っていた、騙されていた」とは
言えないだろう。

やはり死後は、トンデモさんの一人としてしか名を残さないのか。
665日本@名無史さん:2013/01/31(木) 17:25:13.94
>>661
>近畿地方周辺で、弥生期の大国を比定するなら、
>兵庫県に着目するべきでしょう。

兵庫県ではなく播磨地域(播磨國)
播磨(針間)は扶桑國であり、
5世紀に仏教がシナ本土から伝わり、
扶桑國国王である仁賢顕宗武烈の3代は畿内を支配した。
666日本@名無史さん:2013/02/01(金) 00:11:47.87
この人は九州王朝説なんてまだ主張してるの?
もう現状ではさすがに無理だよね。
667日本@名無史さん:2013/02/01(金) 00:21:49.97
>>654
九州なんて特に倭人伝の記述に合致してないけど。
大体邪馬台国伝ではなく倭人伝、鉄器が豊富なんて記述はないし。
冬温暖で丹山が存在するのは四国辺りだし。
最近は土佐で弥生末期最大規模の遺跡が発見されてるよ。
668日本@名無史さん:2013/02/01(金) 01:42:21.70
>>666は、九州王朝への怯えが過ぎて、ついに狂ってしまったのだ。

扶桑國と播磨國、5世紀のシナ僧の扶桑國布教、それに播磨王権、
九州王朝と何の関係性がある?
669日本@名無史さん:2013/02/01(金) 06:42:52.18
8世紀ころに、太宰府が、藤原京や平城京と同時期に存在するようだが、
条坊制都市をダブルで運用していたのはなぜだろうか?

考古学精度の問題で、実は時期が違うのか?
それとも、別の政権だったのか?
とても裕福で、複数の都を維持できる経済力があったのか?
670日本@名無史さん:2013/02/01(金) 13:09:48.52
>>668
九州王朝?そんな存在しない物には怯えようがないよw
671日本@名無史さん:2013/02/01(金) 14:08:09.55
>>670
九州王朝=6〜7世紀の倭國
5世紀以前の倭國及び倭は九州王朝とは言えない。
672日本@名無史さん:2013/02/01(金) 17:31:35.59
もうお薬が必要です。
673日本@名無史さん:2013/02/02(土) 00:12:23.69
>>669
太宰府近辺の発掘では、8世紀9世紀頃の条坊跡なんか見つからなかった、
見つかった条坊は中世、12世紀13世紀頃のものだけ。

古代の条坊を探していた研究者達は肩すかしを食らってしまったというオチ。

あと、あまり知られてないことだが、諸国の国庁前(いわゆる国府)は、
たいてい条坊跡が残っている。
もちろん、多賀城跡もな。

計画的に作られた条坊都市だけじゃなく、あまり計画的とは思えない地方都市でも条坊跡が出るぐらいだから、
条坊=計画都市 というわけではないんだよ。

むしろ、単に「そこに古代〜中世初期頃の都市があった」って程度の意味しかない可能性がある。
674日本@名無史さん:2013/02/02(土) 00:23:08.10
wikipedia 藤原京

概要 [編集]

690年(持統4)に着工され、飛鳥浄御原宮から694年(持統8)に遷都した
。完成は遷都後10年経過の704年(景雲元)と言われ、
着工時期は676年(天武5)に始められていた。

wikipedia 太宰府 条坊

1.
政庁第1期に対応する7世紀段階では、条坊の存在に結びつくような遺構は確認できない。

2.
政庁第2期に対応する8世紀段階において条坊に関連すると考えられる遺構は、政庁中央から
南へ伸びる南北中央大路(地元では朱雀大路と呼ばれる)周辺を中心として存在する。
これらの遺構は南北方向のものが顕著で、東西方向のものは少ないことから、整然とした
条坊域が整備されていたのではない可能性もある。

3.
政庁第3期に対応する10世紀段階の条坊遺構は鏡山案の想定域に近い範囲に存在する。
この段階での一区画は面積8反を基準としているらしい。区画溝などの遺構は11世紀後半
から12世紀前半にかけて埋没し、条坊制による街区はこの頃に廃れたと考えられる。
675日本@名無史さん:2013/02/02(土) 11:47:44.47
太宰府周辺からは、弥生中期どころか、縄文晩期の出土物もあるから、
かなり古い時代からある程度の集落であることは間違いない。

その中心部に、おそらくは中国式の条坊都市を作ろうとしたのだろうが、
現在の地上げ問題でもわかるように、すでにそれなりの豪族が、
居館を築いていたとすれば、都市の建設の障害になったであろうことは、
想像に難くない。

従って、大宰府は不完全な条坊都市なのだろう。

先住民が少なかったと思われる藤原京や、平城京は、
完全に近いものを比較的作りやすかったであろう。
676日本@名無史さん:2013/02/02(土) 11:55:34.61
いくらなんでも8世紀から10世紀では、大宰府は大和朝廷指揮下に
置かれていると見ているが、

大和朝廷が藤原京から平城京、いくつかの遷都を経て、
平安京に落ち着くまで、何度も京が移動している。

大宰府に比べて、本体の京がちっとも落ち着かないのは、
どういうことだろうか。
677日本@名無史さん:2013/02/02(土) 17:44:07.53
そもそも九州北部地域の中心から外れた、当時としては辺境だった地域が要地に変わったのは、
大和が九州を完全に掌握して以後のことだろ

地元の豪族が強い勢力を維持している地域を避けて辺境に新しい拠点を作ったわけじゃん。
なんで
>すでにそれなりの豪族が、居館を築いていたとすれば、
>都市の建設の障害になったであろうことは、想像に難くない。
なんてことが起こるんだよ。

>>676
ヤマトでは、都ってのは大王の代替わりに伴って移動するものだったんじゃないの?
太宰府が動かなかったのは、動かす経費を捻出できなかっただけと思う。
(または、九州では拠点を動かすという感覚がなかったのか。)
678マヌケ:2013/02/02(土) 17:51:42.40
引っ越しは
旧都→太宰府 じゃなく、太宰府→博多 だった。
オレって、なんてマヌケ
679日本@名無史さん:2013/02/02(土) 21:16:52.19
618年の引っ越しは
久留米→太宰府だった
オレって、あーカシコ
680日本@名無史さん:2013/02/03(日) 07:33:14.63
もともと奈良盆地は湖沼が多い大和川の大氾濫原だから、広い条里を有した
大都市を築くのは困難だったんだよね。耕作地の変遷に伴って、都市も安定
した乾地を選べるようになったのがようやく藤原京の頃じゃないだろうか。
まあその後も○○の宮とかあちこち住居を移したりしたけど、本体の役所や
寺社は平城京にあった。
681日本@名無史さん:2013/02/03(日) 08:50:56.57
九州王朝なんて微塵も信じてないけど、
邪馬台国は大宰府あたりにあるのが、戦略的に
一番妥当と思ってる。

博多湾に近いと無謀すぎるし、
南には対立するクヌ国がある。

七世紀以降の状況も、
南にはいつ反乱するか判らない薩摩などがあり、
海のむこうには宿敵新羅がある。
防衛拠点として大宰府は一番いい。
682日本@名無史さん:2013/02/04(月) 08:27:45.37
邪馬台国所在地各説マッピング

           【現実】
            ☆九州(東遷)説
.            ↑
【左翼】(非国民)←┼→【右翼】(無知蒙昧)
..           ↓
★九州(王朝)説 【妄想】       ★畿内説
683日本@名無史さん:2013/02/04(月) 17:12:17.33
>>681
それって、「九州の中ではベスト」って理由だけしかなくて、
「九州かどうか」という点の理由付けがぜんぜん含まれてないな。
684日本@名無史さん:2013/02/06(水) 21:45:37.82
ともかく古田説は、九州説にとってダメージ。
そして、古田氏も自分の間違いにとっくに気づいている。

いたましいことだ。
685日本@名無史さん:2013/02/07(木) 00:35:33.81
邪馬台国九州説がメジャーだったのは昭和20年までで、
敗戦と同時にマイナーになったからな。

それでも、クズ説とかデムパ説とかの扱いを受けていたわけではないから、
ダメージがなかったとは言えないけども。
686日本@名無史さん:2013/02/07(木) 07:10:27.40
俺は元ファンだっただけに、
九州王朝以降の先生には、正直涙が出る……

>『東日流外三郡誌』騒動で一時期のブームは去った。ただし、広開土王碑文改竄説を否定したこと
>親鸞研究での評価はいまだに高い。

>松本深志高校教員時代は、
社会科学研究会によるソ連賛美の展示を糾弾した

あと、神話が捏造や創作ではなく、
あることを正当化するための「当時の解釈」だと言う説も
なかなかいい。

学界にもけっこう貢献してるんだ。

九州王朝説はまあ最後まで主張し続けてもいいから、
「東日流」だけは詐欺師に騙された、と宣言して欲しいなあ。
687日本@名無史さん:2013/02/07(木) 21:12:22.08
ここにいる人たちも、広開土王碑文改竄説否定は評価するだろ?
それだけでもたいしたものだ。
なんとか、古田先生最晩年に、少しでも名誉挽回できないかなあ。
688日本@名無史さん:2013/02/07(木) 22:38:29.27
だから、おまえの妄想はいらないってば
689日本@名無史さん:2013/02/07(木) 22:51:28.39
>>686
>「東日流」だけは詐欺師に騙された、と宣言して欲しいなあ。
大甘ですよねえ。それだと喜八郎に罪をなすりつけただけという感が残るだけ。
東日流スレでも同じことを何度も書いておられるようですが
騒動での古田氏の役割は、あなたが思っている以上に大きい。
過去にいくら業績を残していてもそれで弁済されるわけじゃない。
本当に古田氏のことを思うのなら、そこをまず正しく認識しないと。
690日本@名無史さん:2013/02/07(木) 23:37:10.58
>広開土王碑文改竄説否定

・古田 「好太王碑文「改削」説の批判」『史学雑誌』82(8),pp.1161-1200(1973年)
82巻8号ってことは夏頃だよな。

改竄説(内容的には、「さすが韓国」ってレベルか。)が唱えられたのがその前年、72年で。


wikipediaの広開土王碑の解説で紹介されてる学術論文は、それではなくて、これ↓
・浜田耕策「高句麗広開土王碑文の研究――碑文の構造と史臣の筆法を中心として(日本における朝鮮史像(特集))」、『朝鮮史研究会論文集』第11号、朝鮮史研究会、1974年3月、 pp. 1-37、 ISSN 0590-8302。
・武田幸男「広開土王碑文辛卯年条の再吟味」(武田 1989)pp 152-186

武田幸男の項では...
>専攻は朝鮮史(おもに朝鮮古代、高句麗史、古代日朝関係史)。末松保和の研究を継承。広開土王碑の研究で知られ、数多くの拓本を収集。
>その分析から1970年代に李進熙らの提唱した広開土王碑についての仮説(好太王碑改竄説)や解釈がすべて成り立たないことを論証した学者である。
>また中国正史に見られる「倭の五王」遣使記事を検討し、当時の倭国の大王が中国王朝に対して「倭」という姓を名乗っていたことを指摘し、古田武彦らの九州王朝説を批判した。

◎その分析から1970年代に李進熙らの提唱した広開土王碑についての仮説(好太王碑改竄説)や解釈がすべて成り立たないことを論証した学者である

おやあ?

史学雑誌で40ページ分もの文章を掲載した内容が掻き消えてるねえ。
その内容が論文たる要件を満たさない雑文と見なされたのか、それとも古田氏が研究者じゃないと認定されたからなのか...
691日本@名無史さん:2013/02/08(金) 08:33:52.14
>>690
ヒント:編集してる人は人間
692日本@名無史さん:2013/02/09(土) 07:03:43.60
そうだな……あんだけツガルツガルと騒いだんだし、
今更汚名は消えないか。残念だ。

多分、死後、もっとも激しくののしるのは、
真書派と言うか信者だと思う。
693日本@名無史さん:2013/02/28(木) 11:09:48.24
てすと
694日本@名無史さん:2013/02/28(木) 21:03:02.53
zarakokuとやら ここへ書け
695日本@名無史さん:2013/03/01(金) 21:14:16.81
zarakokuに言い負けたようだな

zarakoku氏がここには書くことはない
696日本@名無史さん:2013/03/01(金) 22:26:54.94
ちょ、煽るだけしかできない爺さんに言い負かされるって、どんだけwww
697日本@名無史さん:2013/03/01(金) 23:11:18.68
やふー邪馬台国スレの「ぬらりひょん」
zarakokuじいさん、まだ達者なのか?
698日本@名無史さん:2013/03/02(土) 11:09:24.32
古田氏の功績
@広開土王碑の正当性を証明
A神話は創作ではなく、次の政権が自己正当化の為に
説話をまとめたもの。
B親鸞研究

これぐらいか。
699日本@名無史さん:2013/03/02(土) 18:33:27.44
   
C邪馬壹國説
D6〜7世紀の九州王朝説
700日本@名無史さん:2013/03/02(土) 21:05:15.77
CとD、そしてEの東日流ナントカで、
かつての功績もおじゃんになったんだろ。
701日本@名無史さん:2013/03/02(土) 22:27:12.08
しょせんは便所紙だなw
702日本@名無史さん:2013/03/03(日) 00:57:47.42
良識派からすれば、@からDの理論展開についても古田氏が東日流で見せた
デタラメ史学の手法がベースになっているに違いないと思わざるを得ない。

だいたいDまではまともで東日流からおかしくなったなんて都合良過ぎ。
703日本@名無史さん:2013/03/03(日) 02:54:16.11
>違いないと思わざるを得ない。

>>702はアウストラロピテクス並みの小さい頭で妄想思い込みの塊
704日本@名無史さん:2013/03/03(日) 06:18:59.21
1の分野や3の分野での最近の研究書では、
先行研究の紹介の中に古田氏の名前が含まれなくなってるしな。

4や5は,当該研究者からは最初から黙殺されてたから、当時と今で事情が変わってないだけだが。

2は具体的な証明とか研究とかじゃないから、仮に事実だったとしても先行研究として紹介されることもないんで。

要するに、マトモな研究者からは全く顧みられない存在になっていると。
705サガミハラハラ:2013/03/03(日) 07:53:12.62
今度出す本に先行研究として古田氏の名をだすのだがまずいかな。
706日本@名無史さん:2013/03/03(日) 08:22:15.72
もはやカルトの教祖だな
707日本@名無史さん:2013/03/03(日) 08:31:06.75
電気系ロボット研究者だが、論文内の枕ことばで、
昔、カレル・チャペックのRURと、ウイナーのサイバネティクスを、
書いたことはあるなあ。

参考文献とまでは行かないが、ロボットの歴史の説明には外せない。
708日本@名無史さん:2013/03/03(日) 08:35:57.53
>>705
704だが、学術論文じゃないんだし、まずいって事はないだろう。
編集に何か言われたら外す、ぐらいでいいんじゃないの。

編集から「古田の名前を出すとカルト扱いされる」なんて警告が入るとしたら、そのときに改めて消したらいい。
たぶん言われないと思う。
709日本@名無史さん:2013/03/03(日) 10:23:31.03
未だに九州王朝とか言い出すと間違いなくカルトだよ。
710日本@名無史さん:2013/03/03(日) 12:41:34.11
古田氏の論文は、枕詞が二段ベッド分の分量がある。
その分、本文は枕くらいの分量しかない。
711日本@名無史さん:2013/03/03(日) 13:43:52.03
誹謗中傷はいいから、
古田を批判する学術論文のひとつでも書いて
発表してみろや
712日本@名無史さん:2013/03/03(日) 14:57:08.61
   
30年程前に古田に叩き潰されてから、無視誹謗中傷しか出来ない輩。

ガキのいじめ以下しかできない輩
原子力村構成員に比べればアホな輩
713日本@名無史さん:2013/03/03(日) 18:32:28.53
誰か古田に叩き潰されたの?
それは初耳だなw
714日本@名無史さん:2013/03/03(日) 22:56:28.74
>>711-712
まあ、古田に頼るしか術を知らないってのも不幸だな。
そこは同情するよ。
715日本@名無史さん:2013/03/04(月) 01:25:13.54
>>714
まあ、古田を貶すしか術を知らないってのも哀れだな。
そこは無間地獄だよ。
716サガミハラハラ:2013/03/04(月) 07:46:00.28
東日流外三郡誌の学術論文なんてかけるわけないでしょ。
虚偽のかたまりなんだから。
それとも心理学の面から、なぜだまされるのか、などという論文をかくとか?
717日本@名無史さん:2013/03/04(月) 08:49:30.34
>>715
ほら、すぐそうやって鸚鵡返しするだろ。
そこが君らの底の浅さだよ。
718日本@名無史さん:2013/03/04(月) 14:01:52.62
てへ
719日本@名無史さん:2013/03/04(月) 14:04:28.55
>>717
まともな日本語を書けるようになろう。

×そこが君らの底の浅さだよ。
○そこが君の底の浅さだよ。
720日本@名無史さん:2013/03/04(月) 14:57:53.36
>>715もしくは>>719
今回、鸚鵡返しをしたのは「君」だとして、
このような幼稚園児並みの「言い返し」は君のお仲間に頻発する。
底が浅いのは君や君のお仲間、即ち「君ら」だ。

まさか、「お仲間」とは誰のことだ?なんて質問しないよな(笑)
721日本@名無史さん:2013/03/04(月) 16:12:22.72
>>720
質問する。
「お仲間」とは誰のことだ?
722日本@名無史さん:2013/03/04(月) 17:26:44.19
>>721
膨大な量の古田関連スレの中の、
「鸚鵡返し」は全部君の書き込みかい?
そんなわけ無いよな。

じゃあ複数の人間が手分けしてる?
それが組織やグループ化?
そんなこと、誰も思ってないよ。あたりまえだけど。

付け足すと、君のお仲間以外にも幼稚園児並みの投稿者は居るから
安心していいよ。
723ひまじん:2013/03/04(月) 17:45:14.80
>>722
膨大な量の古田関連スレの中の、
「鸚鵡返し」は全部私の書き込みだ。
そんなわけなんだ。

付け足すと、私は幼稚園児並に退化した爺だ。
724日本@名無史さん:2013/03/04(月) 22:17:24.08
〃∩ ∧_∧
   ⊂⌒(  ・ω・)  はいはいわろすわろす
     `ヽ_っ⌒/⌒c
        ⌒ ⌒
725日本@名無史さん:2013/03/05(火) 00:31:17.26
>>722
まあ あんまり言うてあげなさんな
>>719は あれでも議論に参加したつもりで精一杯なんだから
726日本@名無史さん:2013/03/05(火) 05:23:04.51
古田氏も、結局は八切止夫的な没後になるのね。
八切はまあおもろしいトンデモで、熱心な信者が今も楽しんでる。


それでいいのかなあ。
727日本@名無史さん:2013/03/05(火) 15:29:24.96
>>725
>>719は あれでも議論に参加したつもりで精一杯なんだから

違うよ。
古田説をも含めて、
筑紫平野説以外を茶化しているんだよ。
728日本@名無史さん:2013/03/05(火) 19:05:48.34
なるほど、茶化しのセンスは古田説も筑紫平野説も同等の寒さか・・・
729日本@名無史さん:2013/03/05(火) 19:42:08.20
真冬の筑紫平野は大阪平野と同等の寒さであったが、

3月に入ると筑紫平野のほうが大阪平野より暖かくなった。

だから筑紫平野の桜開花が早いのだな。
730日本@名無史さん:2013/03/05(火) 20:55:43.88
  ____
     /⌒  ー、\
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒:::::\  ハア?
  |     |r┬-/ '    |
  \      `ー'´     /
731日本@名無史さん:2013/03/07(木) 10:17:41.13
九州説論者なんて皆バカか朝鮮人だろw
732日本@名無史さん:2013/03/07(木) 20:29:55.74
九州説論者がバカなら、畿内説者はボケ
733日本@名無史さん:2013/03/08(金) 01:37:48.79
古田武彦って『邪馬台国はなかった』が昭和46年。
『失われた九州王朝』が昭和48年。
こういうのを読んでいそうな年代はだいたい影響を受けているって感じだな。
734日本@名無史さん:2013/03/08(金) 04:23:52.49
『邪馬台国はなかった』が昭和46年、
『失われた九州王朝』が昭和48年、
を読んで影響を受けているバカは私である。

しかし、
韓地は水行十日陸行無し
伊都國は佐賀
邪馬壹國は筑紫平野
卑彌呼の都した邪馬壹國は4ヶ国の連合国
多利思北孤は俀國の日弟王(≠天兄王)
735日本@名無史さん:2013/03/08(金) 05:03:46.64
   
×韓地は水行十日陸行無し

○韓地は水行七日7000餘里で陸行無し
736日本@名無史さん:2013/03/14(木) 15:56:31.96
古田先生は現代日本史の祖といえる。
東北の歴史については鋭い指摘で日本史の再構築を試みているが、
九州説は少し強引というか。牽強付会なところが見受けられる。
あえて言えばそこが難点といえるかな。
737日本@名無史さん:2013/03/15(金) 08:14:26.33
東北の歴史?
ペテン師和田喜八郎とつるんで東日流外三郡誌をでっち上げたのが??
738日本@名無史さん:2013/03/15(金) 16:18:17.08
>>737
違うだろ。
喜八郎氏による三郡誌作成事業に、ヒント(というか、多少のねた提供)と資金(需要)を与えたり、
箔をつけて売り上げを増やしたりする程度の援助しかしなかっただろ。
少なくとも喜八郎氏が生きていた頃には。
739日本@名無史さん:2013/03/15(金) 19:09:37.15
>>738
ヒント:200万円
740日本@名無史さん:2013/03/15(金) 19:21:49.96
>>739
え?
あれって喜八郎の死後のことだろ?

>少なくとも喜八郎氏が生きていた頃には

の範囲から外れてないか?
741日本@名無史さん:2013/03/16(土) 15:21:05.11
>>740
喜八郎の死亡は99年。
古田の捏造疑惑は94年。
この頃はすでに三郡誌偽書説が定着しつつあった。
だからこそ、古田も焦ってしまったんだな。
742日本@名無史さん:2013/03/16(土) 17:55:15.23
740は、08年の寛政原本発刊と勘違いしてると思われる。
743日本@名無史さん:2013/03/24(日) 13:48:45.81
■ドラえもん募金が北朝鮮の核開発に使われている件■
公益財団法人東日本大震災復興支援財団 ← NPO支援組織、孫正義40億円募金団体

●登壇者一覧(50音順・敬称略):(※)

荒井優(公益財団法人東日本大震災復興支援財団 専務理事) ← ソフトバンク
大西健丞(シビックフォース代表理事) ← 日本赤軍関係者、ドラえもん募金詐欺
駒崎弘樹(フローレンス)         ← NHK委員
吉岡達也(ピースボート共同代表)  ← 日本赤軍、北朝鮮関係組織


555 :名無しさん@13周年[]:2013/03/13(水) 04:00:23.96 ID:nSHtnY4c0
>>470
ドラえもん募金の約9割を大西健丞氏のNGO経由で北朝鮮に送金ってどう思います?

●【テレビ朝日】ドラえもん募金の約9割を大西健丞氏のNGO経由で北朝鮮に送金か。

「テレビ朝日では、平成16年12月28日から平成17年1月31日まで 「ドラえもん募金スマトラ沖大地震被災者支援」
を行ってまいりました。 皆様から寄せられた善意の募金88,760,300円にテレビ朝日からの寄付金2,500,000円を加
え、 募金総額は91,260,300円となりました。 この結果、寄付先と金額は下記の通りとなりました。

募金総額 91,260,300円
AMDA 3,000,000円 3.28%
日本ユニセフ協会 3,000,000円 3.28%
日本赤十字社 3,000,000円 3.28%
ピース・ウィンズ・ジャパン 82,260,300円 90.13%   ← 要注目 大西健丞
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1451772389
744zarakoku:2013/03/28(木) 10:05:37.46
 また、Yahooのtextreamで投稿不能処分になった投稿を、
 申し訳御座いませんが、こちらに転写記録させていただきます。
 (○とは倭の事です。)

また空をつかむさんへのお返事です。

>>670年を境にして、だんだん大和の勢力下になったんだろうね。<

>:中国の資料で初めて日本が出てくるんは禰軍墓誌の石版(678年)だよ(678年は禰軍が没して年)
:禰軍墓誌内容660年に百済は滅んだけど「日本」の残党が扶余に立てこもって唐による誅罰を逃れてる状態だったんで唐皇帝は禰軍を使者として「日本」に派遣した(日本が2箇所に登場)
:日本書紀の天智4年唐からの使者・禰軍が来たって記述されてるよ<

 この墓碑の記載の根本的な問題点は、列島と思われる記載に「○國」の文字が見えない事だろうね。
 そして、「百済」という国名も避けている。
 墓碑という「亡き人を褒め称える」文であるからなのか?、何か?、悪い意味の文字を避けているようなんですよ。
 そして、列島に関しては、660年頃に、「日本」とその中にある「扶桑」、という区別した呼び方をしており、
 日本という呼び方は、はるか以前から○國が別称した名前でもあるし、
 大和が、用明の頃から自称し、○國を(670年に)併合した後の国名でもあるんですよ。
 そして、「扶桑」という呼び方は、梁書の記載では、○國とは区別された大和付近の呼称になっており、
 墓碑もそれを踏襲しているようなのですよ。
 しかし、旧唐書では、白村江の戦いの相手は、「○国」及び「○衆」とはっきり書いているし、
 禰軍も戦後の665年頃に筑紫にやって来ていて、事情は知っている。
 だから、「日本」という国名は、墓碑の筆者は、「○國を代表とする列島国」の意味で使っており、
 大和などは、扶桑国と呼んでいるようなのですよ。

>:白村江の戦(663年)で上毛野稚子は前将軍として出兵してるよ:ってことで670年以前から毛野国は大和朝廷の配下だよ <

 それは無理だろうね。
 唐が戦ったのは、○國と○衆だから。
745日本@名無史さん:2013/03/28(木) 18:25:39.75
やあ、雑穀じいさん、乙。
746zarakoku:2013/03/29(金) 10:01:29.61
またYahooのtextreamで「投稿不能」にされましたので、こちらに転写記録しておきます。

またごまかしさんへのお返事です。

>>倭王武は、日本書紀私記の「問:此國稱姫氏國,若有其説乎? 師説:梁時寶志和尚識云:「東海姫氏國.」
 又本朝僧-善○推紀云:「東海姫氏國者,倭國之名也.」」によって、
 東海姫氏国の王だよ。<
 
>「東海」というのは、日本列島画中国から見て東の海にあるということ。
 姫氏国というのは「則名国曰姫氏・・姫婦人美称、而天照大神始祖之陰霊、神功皇后中興之女主」(日本書紀纂疏)。
 つまり東海姫氏国というのは、天照大神を始祖とする日本国の事だといっていますが、それが何か?<

 いや、記紀神話による主観的な主張など、根拠にならない。
 客観的な中国史書群には、大和日本國王は、(九州の金印の倭奴國王や、タリシホコと同じく)、「阿毎」氏だ、と記録しており、
 「姫氏」とは書かれていない。
 「阿毎」とは、おそらく「天(アマ、海、海人)の伊(委、井)」氏の意味で、天孫族のイ氏の意味。
 それから神武らが別れて「日本國者、倭國之別種也」となったんだよ。
 それに対して、「姫氏」は、「聞其舊語、自謂太伯之後」の太伯が姫氏なのであり、
 新撰姓氏録の中で、姫氏になるのは松野連家だけであり、
 その松野連家系図伝承では、火の国山門に上陸した姫氏である事をまず証言しており、
 倭王武が載っており、その次の倭王哲を最後にして、(天孫族系の)臣下になった事が記録されている。
 すると、哲=磐井である可能性が非常に高く、
 継体の反乱によって、「日本天皇及太子皇子 倶崩薨」であった可能性が非常に高い事になる。
 
>ということで倭王武は、雄略天皇と言う事になりますが、それが何か?<

 梁の寶志和尚は、当然梁の倭王武への授爵を知っており、
 寶志和尚の書いた「野馬臺詩」には、倭国の亡国と千人位の倭の娘らの流浪が記されており、
 「日本天皇及太子皇子 倶崩薨」事件も知っていた可能性が高い。
 雄略など、全く関係がない。
747日本@名無史さん:2013/03/29(金) 20:15:32.97
>>744,746
たぶん、お前さんが荒らし扱いされて投稿拒否されてるとかじゃないの?

連投規制か迷惑投稿拒否か何か、拒否される理由がお前さん自身の中にあると見た。


もっとも。
なにか禁止ワードが引っかかったか、もしくは受け付けてもらえない特殊文字を混ぜてしまったあたりの可能性もあるが。
748日本@名無史さん:2013/03/29(金) 20:47:55.29
彼の投稿スタイルに問題があるんだよ。

例えば、自分に対する投稿が10個あったとすると普通は要約できるものは要約して
レスを返す。

ところがざら爺の場合は、「要約する」という作業を潔しとしないのか、あるいは
「要約する」ということができないのか、そのレス10個に対し、それぞれ1個づつ返す。

結局、投稿が溜まる、レスが遅れる、その間にまた投稿が溜まる、余計にレスが遅れる、
それにざら爺の頑なな性格がさらに拍車をかける・・・。

おいらも2年前頃まではときどきやほーも覗いていたけど、その頃からざら爺は孤軍奮闘
だったからなあ。
749日本@名無史さん:2013/03/29(金) 21:09:50.78
いつの間にか爺さんっぽい演技を忘れて若者っぽい口調になってるような気がする

何年も続けるうちに徐々に素が出てきたんじゃないか。
750日本@名無史さん:2013/03/29(金) 21:47:55.71
迷惑だからやめろといくら言われても完全に無視している。
こういう奴は規制されて当然。
751日本@名無史さん:2013/03/29(金) 22:38:53.70
>>750
迷惑投稿で何回か通報したらID剥奪処分でも出そうなレベルだよなあ。

もっとも、同レベルのが他にいるような気もしなくはない。
752日本@名無史さん:2013/03/29(金) 22:45:13.75
          ∧_∧
        ⊂(´・ω・`)つ-、
      ///   /_/:::::/   面白い爺さんじゃないか
      |:::|/⊂ヽノ|:::| /」
    / ̄ ̄旦 ̄ ̄ ̄/|   むしろ、ここでやったらどうだ
  /______/ | |
  | |-----------| |  
753日本@名無史さん:2013/03/30(土) 11:21:05.08
自分がやふーで投稿制限くらったのは、畿内説論者の陰謀だって書き込んでたぞ
754日本@名無史さん:2013/03/30(土) 12:16:42.11
>>753
もともとデムパな人だから当然だな
755日本@名無史さん:2013/04/02(火) 04:42:01.84
>>754
規制されたのが当然という意味じゃなくて、陰謀と書き込んだのが当然だという意味ね

ありもしない陰謀を感じとるあたりが古田氏ゆずり。
というか、そういうひとでもなけりゃ、今まで古田信者を続けるのは無理だったろうよ
756日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:42:22.35
確かに最初から偏った投稿を繰り返す御仁だったし、
投稿内容も年を経ていくうちに次第に劣化が目に見えていたけどな。
「陰謀論」を唱えだしたのは、最近だな。
ここ数年で劣化も加速していたし。
757日本@名無史さん:2013/04/03(水) 00:21:28.23
通説派の陰謀って言葉自体は初期から時折見かけた気がするが。

そして、陰謀論としか言いようがない表現を何度も書くようになったのは2年前頃だろ。

あと、劣化が加速するも何も、かなり初期から劣化し終わってた気が。

まあ、過去一年半ぐらい、彼の投稿の文章を読んでないから、いまではもっと酷いのかもしれんけど。
758日本@名無史さん:2013/04/11(木) 07:33:48.52
ttp://khuriltai1.jimdo.com/

もう完全にイッちゃってるな
759日本@名無史さん:2013/04/11(木) 17:53:42.33
でも、このスレと無関係なサイトだしな。

デムパって点以外に共通点がない。明らかにスレチ。
760日本@名無史さん:2013/04/11(木) 21:18:35.83
いや、古田説に基づいてるぞ。
761日本@名無史さん:2013/04/12(金) 19:22:46.12
通説派の陰謀は2chでもある。
762日本@名無史さん:2013/04/15(月) 19:59:02.06
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130415-OYT1T00620.htm?from=main4
>当時天下人だった豊臣秀吉が安南国と通信した記録はなく、陳梁山や隆巌という人物も知られていない。
>当時は日本人商人が東南アジアで積極的に交易を展開しており、交易を円滑に進めるため将軍などの使節を詐称する事例があった。
>同館の藤田励夫(れいお)保存修復室長は「この書簡も、日本国王使節を装って来航した商人に、安南国側が託した可能性もある」と話している。
古田御大は桃山時代にも多元史観を適用すのかな?w
763日本@名無史さん:2013/04/18(木) 03:42:11.61
秀吉の天下統一はなかった
764zarakoku:2013/05/04(土) 12:09:12.50
またYahooのtextreamでごましおさんへのお返事が投稿不能になり、訂正しても解除されませんので、こちらに転写させて頂きます。
申し訳ございません。

>ヲワケも、将軍山古墳の被葬者も、鈴鏡は副葬していなかった。なのになぜ粘土槨から、出土すると決めつけられるんだ?<

 いや、「決めつけ」の断定などしていない。
 鈴鏡地帯の真っ只中だし、盗掘を受けて判らないから、「可能性が高い」というだけだ。
 言葉尻断定誹謗をしてはいけないよ、異常者くん。

>確かに 鈴鏡は、関東の中でも偏って分布する。ほとんど上野国から出土し、あとは下野か若干程度だが。<

 ウソを付くな。
 古田さんは、武蔵北部と多摩川付近でも、いくつかプロットしておられる。

>鈴鏡は関東の中では特殊な鏡だ。それは毛野国特有のものであって、上毛野氏は畿内出身の皇別の家系伝説を持つ。そして鈴鏡は毛野国以外では畿内のから出土する。だから、畿内から上毛野氏が関東に持ち込んだものと考えるのが自然だろ。<

 誤魔化すな。
 関東に大量の出土があり、畿内からは少量の出土であれば、
 関東の一部分が、畿内に流出伝播したか?、
 関東に特徴的で、畿内には特徴的ではないか?、という事だろう、
 と考えるのが自然だ。
 当たり前の事だ。

>はいはい、関係無い他人に責任転嫁するんじゃないぞ。<

 はいはい、執筆者とは関係が無く、記載数を数えられただけの他人の古田さんに、責任転嫁するんじゃないぞ。
765zarakoku:2013/05/04(土) 12:12:24.51
またYahooからこちらへの転写の続きです。

>なんで?大陸から大和朝廷に渡り、それを全国に配分しただけのこと。<

 「大和が画文帯を配布した」なんて、何の根拠もないこと。
 そもそも、当時列島の盟主は大和ではなく○国だし、
 楽浪付近からの直接伝来鏡であるか?、呉系鏡師の列島各地の部族での製作したのか?、という位にしかならない。

>そして、埼玉古墳群や同じ埼玉県美里町の長坂聖天塚古墳の例でもわかるように、舶載鏡だけでなく、同じ一族に仿製鏡も配っている。<

 部族単位に必要な鏡を手に入れたんなら、普通は同一鏡を手に入れる筈。
 だから、鏡の種類が違った、という事は、(部族単位ではなく)氏族単位の購入であったらしい、という事になる。

>ああ、古田本では、そうなんだ。でもマニアなら、普通の古墳から、普通の鏡と同じく出土するなんてことはだれでも知っているけど。古田本って、全然使えないな。<

 鏡を、副葬品しか使わない部族ではいざ知らず、
 実際の祭祀や生活での使用鏡であれば、戦争やトラブルによって、当然生活遺跡からも出土する可能性もある。
766日本@名無史さん:2013/05/04(土) 14:37:34.68
>>764
>またYahooのtextreamでごましおさんへのお返事が投稿不能になり、訂正しても解除されませんので、こちらに転写させて頂きます。
申し訳ございません

そりゃあ君の投稿態度がyahooの規約に違反してるからだろ
自分が悪いんじゃないか。
767日本@名無史さん:2013/05/04(土) 17:08:42.10
自分たちに非はなく全て相手側の責任
それが御大以下古田教のスタンスだろ
768日本@名無史さん:2013/05/05(日) 21:52:26.91
>>765
古田狂徒のなれの果てw
769zarakoku:2013/05/08(水) 08:25:41.99
またwakureturnさんへのお返事がtextreamで投稿不能になったので、こちらに転写です。

>>でもね、その「国宝」は国宝に指定されようが、されまいが、現物が残ってるんだよね。<

 それぞれの部族や氏族が、自分たちの系図伝承を持ってそれを証言し主張した、という事までは構わないよ。
 問題は、各部族や氏族が、自分たちの家系を立派なものに飾ろうとして、過去の有名人物を挿入したり、時の権力に迎合しようとしたりして、
改変された要素があるのではないか?、という事だよ。
 その意味で、過去の不人気な人物や、 時の権力の意向に違背するような内容になる系図は、正直な系図ではないか?という事で、信憑性が高くなる。
 そして、逆に、大和政権に迎合した書紀は、半分×書になってしまう。

>いっぽう、キ印の系図って現物が残ってるの?<

 いや、系図と言ったものは、当然、その最終記載系図人の頃か?、それ以降の記録にしかならず、
 松△連家系図や高良山の古系図や、古事記や日本書紀の系図的な記録なども、当然同じ事であり、
 過去のある時点での「それ以前の家系伝承の記録」にしかならない。

>ズルさんは、自分の都合のいいものだけ信じようとて、都合の悪いものは排除してるだけだよ。<

 いや、キ氏の松△連家系図には、中国で敗残した流民である事を記し、火の国山門や委奴や大野に居した事を記し、
 倭奴国王や卑弥呼や壹與や難升米や伊聲耆や掖邪狗や○の五王の名前を記し、
 大和王に敵対して大和からは熊襲と呼ばれた王たちまでわざわざ記載し、
 それなら、ずっと(タリシホコなどのように)○王であった事を記せばよい筈なのに、
 (書紀に記された)磐井の頃以後、突然○王ではなくなって、臣下になった事が記載されていて、
 その後は全く王にはなっていない、など、
 書紀の「大和一元列島支配」主義に敵対し、大和から許容される筈がない内容であり、
 その事が、逆に、「系図が信頼性がある」という事になる。
 
 だから、書紀絶対妄信極右さんは、自分の都合のいいものだけ信じようとて、
 都合の悪いものは排除してるだけだよ。
770zarakoku:2013/05/08(水) 11:31:21.44
また転写です。
またJOMON FEDERATION さんへのお返事です。

>畿内では4世紀に崇神は本州の4道をおさえ5世紀にはピラミッド以上の表面積をほこる超巨大古墳が複数筑られる。・・・<

 大和州は、531年までは、○國の別種の(倭種の)旧小国であり、地方の市を監督する「大○」職で、○國の附庸国であっただけだよ。

>としか中国には知られていなかったのだろう。<

 いや、志賀島の金印の○奴國はアマイ氏であった、という事は、中国史書では何回も強調されているし、 
 記紀にも、天照の生誕地を姪浜の小戸大神宮付近に指示しているし、天孫降臨も怡土(委奴、伊都、糸島)付近のクシフルであるし、
 (大和王のアマイ氏の祖である)神武の親族の伝承を持つ古跡が、糸島付近にいくつも残存しているし、
 倭人伝や書紀や風土記にも伊都国に王家があった事を記載しているし、隋書も竹斯國を記録している。

>>531年以降は、○國のキ氏が(大和のアマイ氏に)倒されて<>証拠は?<

 記紀や、『日本書紀』に引く「百済本記」や、松△野連家系図や、日本書紀私記の東海キ氏國の記録など。

>>臣下になり、<>証拠は?<

 松△連家系図や、隋書の「イ妥王姓阿毎、字多利思北孤」。

>君の最大の欠点は古田氏の盲従するだけで九州南東部にいた天皇家に関係する情報を認識していないこと。・・・◎神武の東征の出発点は日向(宮崎県)は常識。・・・<

 キミも最大の欠点は、大和一元列島支配主義で書かれた半分×書である書紀などの記載を、全く、史料批判せずに、盲従している事だ。

>伊都国のアマイは伊都国にいたアマ筑紫野風土紀に全く出てこないから 北部九州に大昔からいた人間ではないはずだ。
 南九州東部から北上した天皇家本流と考えられよう。南九州西部の紀氏系ではないぞ。<

 火の国山門から北上したらしいキ氏は、出雲に国譲りをさせて倭人の中心となった糸島付近の(アマイ氏を中心とする)天孫族と、合同王朝を作ったようなんだよ。
 神武らは、キ氏の勢威に負けて、東征を選択しなければならなかった敗残的流民集団であったんだろうよ。
771日本@名無史さん:2013/05/09(木) 00:31:23.05
textreamの利用規約を歯牙にもかけずに迷惑投稿を繰り返してるっぽいzarakokuは、
いつアカウント停止処置を受けてもおかしくないレベルだよな。

警察のお世話になるほどのレベルではないとは言え、善良とは程遠いレベルの罵詈雑言を乱発してる気がする。
772日本@名無史さん:2013/05/15(水) 19:01:43.30
>>771
zarakokuはいつもギャラリーの目を気にしてるんだよ。
ギャラリーって言うのは2ちゃんで言うROMしてる人の事だけどね。
だから自分が議論に負けてる姿が耐えられないから、
もはや異常者としか思えない粘着的反論してるんだ。
しかし反論すればするほど自分の異常性が浮き上がるというわけ。

たかが古代史ごときを笑って話し合えないような、
こんな人間にだけはなりたくないね。
773zarakoku:2013/05/30(木) 08:13:38.36
またtextreamの投稿が投稿不能になり、いくら書き換えても投稿不能のままでしたので、 
こちらへ転写させていただきます。

「西北接百濟、正北抵新羅、南與越州相接」は大和の否定
 また天誅猟奇の変質者のお役人様へのお返事です。

>●奴國のことが書かれている後漢書には当然のことながら「○国は、九州の志賀島の金印の○奴国の後裔」「後漢書から繋がった認識」なんて情報はないね。
 そんな『ない情報』が「隋書よりもはるかに古い」とか言うのはデ・タ・ラ・メ。
 あるいはトンチンカンなウソ。<

 それは、困った事でごぜえますなあ。
 後漢書○伝の、
 「建武中元二年、倭奴國奉貢朝賀、使人自稱大夫、倭國之極南界也。光武賜以印綬。安帝永初元年、倭國王帥升等獻生口百六十人、願請見。桓、靈間、倭國大亂、更相攻伐、歴年無主。有一女子・・・」
での○奴國は、
 ○國の記述として書かれておるんでごぜえますが。
774日本@名無史さん:2013/05/30(木) 12:41:17.25
証拠はと問われて、記紀の記述と称して自分の曲解にこじつけるとか、デンパとしか考えられないレベルの奇人だな、ざらこくって。
775日本@名無史さん:2013/06/01(土) 16:36:29.17
邪馬台国九州説が正しいとして、なぜ
魏は近畿王朝を無視したのかが気になる。
近畿からは中国南部に多く出土する神獣鏡
が古墳から出てくるが、九州では逆に魏の
周辺で漢代から作られていた蝙蝠鈕座内行
花文鏡が多く出土する。
776日本@名無史さん:2013/06/01(土) 18:16:17.19
そもそもその時代に畿内に交渉に値する国があったのかどうかも怪しい
777日本@名無史さん:2013/06/01(土) 18:25:14.07
>>776
年代測定の技術が低かった時代の古い歴史観だぜ、それ

九州王朝説が正しいとすれば、畿内のほうば呉と組んでたってことだろ
778zarakoku:2013/06/08(土) 20:16:49.38
またtextreamで投稿不能になり、いくら訂正しても投稿不能のままですので、こちらに転写させていただきます。

また天誅猟奇の変質者氏へのお返事です。

>> 54年の概報は、稲荷山の話に間違いはないのですし、<

>●54年の「象嵌銘」の概報は、稲荷山古墳から出た鉄剣の銘に関する報告書。<

 だから、稲荷山の追加概報。

>>礫床の出土物と、鉄剣とは直接関係のない粘土槨の出土物とを、並置対比する事もしておられるのですから、稲荷山全体を報告しようとされた事も明らかでごぜえますだ。<

>●「象嵌銘」を調査した報告書なんだから報告しようとしたのは今回調査したこと。つまり「象嵌銘」に関してだ。<

 いや、「礫床の出土物と、鉄剣とは直接関係のない粘土槨の出土物とを、並置対比」されているんだから、稲荷山の追加概報だ。

>それ以外は付録なのでその部分の記述が簡略なのは、あたりまえ。<

 いや、概報であっても、「発掘事実の報告」には違いないのに、
 礫床の辻金具に関して「金や銀の残片」の存在?を隠して「辻金具」とだけ書いたり、粘土槨の辻金具を「金銅辻金具→辻金具」と虚偽の矮小化をすれば、
 それは、騙しだよ。

>あれが書いてない!これが書いてない!とおかしな難癖を付けるのはケータイを買ってオマケで付いてきたストラップが高価な市販品よりショボい!
 象牙製のととりかえろ!と文句を言いにくる悪質クレーマーと同じ。
 ズルさん!膵臓癌検査のカルテに重度のアルツハイマーなので注意!と書いてあった場合アルツの記載は簡略ですよ。
 なぜだか、わかりますか?注記であって、調査対象でないからです。<

 キミもごまかし氏も、「森様や甘粕様ら記載をカウントされた古田さんの大体の金属環表」のあら捜しをして、
 必死で「言葉尻の違い」などを誹謗罵倒しているのに、
 何故、斎藤氏らの「言葉尻の違い」の「騙し」の概報記載を誹謗罵倒しないんだい?。
 キミらも仲間だからだろ?。
779日本@名無史さん:2013/06/13(木) 02:53:59.61
>>777
>九州王朝説が正しいとすれば、畿内のほうば呉と組んでたってことだろ

九州説が正しくても、やはり呉と接触があったのは中南部九州(狗奴國・東&amp;#39927;人)。
780日本@名無史さん:2013/06/13(木) 21:00:53.33
781日本@名無史さん:2013/06/23(日) 13:51:32.59
zarakokuってあきらかに頭ヘンだな
782日本@名無史さん:2013/06/24(月) 21:20:08.09
zarakoku氏は生真面目な人。
783日本@名無史さん:2013/06/24(月) 23:48:30.72
本人乙


ぶっちゃけ、あれの投稿を読んで生真面目とか思える人なんて実在するのかね。
784782:2013/06/26(水) 17:27:49.32
zakakoku氏の投稿をこの数年読んできた。
その内容には重箱の隅を突く様なところがあるが、
彼は常に真正面で受け止め返している。
785日本@名無史さん:2013/06/26(水) 17:53:32.16
反論の論拠のリンクを必ず読まず放置・スルーするzarakoku氏がまじめ?
786782:2013/06/26(水) 19:46:02.24
>>785
リンクにある反論の論拠は反論者自身の意見ではないからスルーしているのだ。
787日本@名無史さん:2013/06/26(水) 21:01:50.07
古田氏の主張がおかしいと言われている場面でも、「古田先生はこうおっしやってます」ということを、まるで論拠のように使い続ける彼の頭って、マトモではないな
788日本@名無史さん:2013/06/27(木) 07:09:15.70
>>787
古田教信者はみんなそうだろ。
789日本@名無史さん:2013/06/27(木) 07:49:45.16
>>786 ふつう証拠になる事実が書いてあるサイトににリンクを付けるんじゃないの?
真面目な人間はスルーしない
790日本@名無史さん:2013/06/27(木) 08:45:33.90
>>778とか読む限りでは、真面目とは対極の人物だ
791日本@名無史さん:2013/06/27(木) 14:59:26.89
>>790
そうかな?
本人は大真面目なんじゃない? 他の古田教信者と同じで常識がないだけかと
792日本@名無史さん:2013/06/27(木) 15:42:12.94
>>791
「自分は真面目な人間だ」と、本人は勘違いしてるだろうとは思う。

あれを真面目な論客と思う人は滅多にいないぐらいに、対極にいるのが現実だが。
793日本@名無史さん:2013/06/27(木) 16:43:26.23
マジメな人間はふつうウソつかないんじゃね?
794日本@名無史さん:2013/06/27(木) 18:35:07.03
真面目フマジメ以前に、かなり頭わるそうだ
795日本@名無史さん:2013/07/02(火) 10:32:12.81
所詮、邪馬台国なんて畿内でも九州でもどこでもいいわけだ。
九州系関西人の俺はつくづくそう思う。
たかが古代史ごときを笑って話し合えず、
一日中、PCにかじりついてムキになって
textreamにレスを書き込み続けるって、
どういう心理なのだろう。

教祖様の批判を許さない新興宗教だな。
796日本@名無史さん:2013/07/02(火) 20:05:28.49
ZARAKOKUって新興宗教でイっちゃってる老人そのものだな
797zarakoku:2013/07/04(木) 10:32:14.65
またYahooの投稿不能がどうしても解けませんので、こちらへ転写させて頂きます。

>>新唐書も、中国の史書に書かれて来た○國の卑弥呼らや○の五王らやタリシホコや白村江の歴史を、一切カットして、大和の日本國と歴史と中国との国交や接触だけを記載しているから、「○國と大和日本國とは、別れた違う国」だった、という主張をしているんだよ。<

>●「別れた違う国」だったなどとひとことも書いてないのに<

 「別れない同じ国」であったら、卑弥呼や○の五王や阿毎氏のタリシホコや白村江を書かずに抹殺する筈がないし、
 新唐書は、日本國伝だけで○國伝は立てられていないし、
 僅かに、「別れた事情」としては、「日本、古倭奴也・・・其王姓阿毎氏・・・」として、「古は○國の阿毎氏である」事を記し、
 「居筑紫城。 彦瀲子神武立、更以天皇爲號、徙治大和州」という事情を記載しているのにねえ。

>ズルさんにかかると「彼の主張」になってしまうんですね。森さん甘粕さん、学芸員さん・・・古田さんまで・・・キミは縦横無尽に「彼の主張」を創作しまくりますね。<

 こういう言葉尻曲解捏造誹謗の書き方は、ミハイル氏や青朱白玄氏やwajin128氏らと同じようにみえますね。

>新唐書の「東西五月行、南北三月行」は隋書の倭國「率」が「検察」するのは三国志の倭國「其官十有二等。其王姓阿毎氏」みんな倭國日本=倭國です。<

 不思議な事に、新唐書は、それらの話は、
 日本国伝のどの王の事跡であったのか?を一切書いていないし、
 過去の史書の国交の記録での「○国の話であった」、という事も書いていない。
 そして、神武が大和に移った事と、その後継王を書いて、ようやく「次用明、亦曰目多利思比孤、直隋開皇末、始與中國通」と書いて、中国との国交が始まった事を書いている。
 つまり「○國=日本國」を否定しているんですよねえ。

>>「或云日本舊小國、併倭國之地」という記載が出来た、という事は、「違う國であった」という事だ。<

>●それは疑わしい風説と記しています。<

 いや、一つの独立的な記録が存在した、という書き方であり、「疑わしい風説」とはなっていないし、
 中国が疑ったのは「其人(日本國の人)入朝者、多自矜大、不以實對」に対して、ですよね。
798zarakoku:2013/07/04(木) 10:37:25.44
また続きの転写です。

>>いや、「別種」は「別れた種」だから、別れた時点から、同じ種の違う国だ。<

>●「素人オジン」のズルさんが独りで言い張ってもね。史料的根拠でも、あるんですか?<

 高句麗や百済の例。
 しかし彼は、当然知っている事でしょうねえ。

>●旧唐書突厥伝を紹介済みです。<

 「別種」という言葉尻を取り上げてもダメだねえ。
 「別種」だけなら「同じ種の中から別れた種」という事まででしかないが、
 「日本國者倭國之別種也」は、日本國と○國との関係の話だから、「国の関係が別れた種である」という事であり、
 だから「二つの国は、同じ種で別の国だ」という事でしょうねえ。

>>ウソを付け。
>○國史を抹殺して日本國史を書いた新唐書では、天智も天武も大和の日本國王であって「天智→天武」での別種事件の記載がないし、<

>●新唐書は「別種」などとひとことも言っていないので当然です。<

 いや、「居筑紫城。 彦瀲子神武立、更以天皇爲號、徙治大和州」と別種になった事の説明があるし、
 「或云日本乃小國、爲倭所并」と書いているんだから、やはり「日本と○は別の国だった」事になりますねえ。

>>新羅に国名変更を告げた咸亨元年(670年)はまだ天智時代だ。<

>●「告げた」という根拠がありません。<

 誰かが告げないで、何故新羅が、国名変更事件があった事が、判るもんだろうかねえ。
799zarakoku:2013/07/06(土) 12:24:55.87
また投稿不能が解けませんので、Yahooからの転写です。

天誅氏の投稿に対する反論の説明です。

>●中傷乙<

 彼の自称の話ですね。

>●いいえ、それはウソです。
 当方より「地金」という文言が最後に使われたのは2月25日「鉄地金銅張辻金具」」が最初に使われたのが3月9日すなはち直前というのが虚偽です。
 また普通の人間はそのような可能性がないことを即座に理解できる判断力があります。<

 その頃には、既に、私の返事が1週間から10日遅れになっていたんだから、2月25日の投稿を読んだのは3月5日〜8日頃。
 ほら、3月9日の直前になりますよね。

>>いや、「断定」ではなく「推論」ですよ。<

>●キミは>>そして、「鉄地金」の「銅張」の「辻金具」という説明なので、粘土槨の金粉の存在も隠しているようだから、斎藤氏らは、またインチキをしている事にもなる。<と断定しています。
>●ズルさんがトンチンカンな断定をして斉藤先生を偽りで中傷したことは上記の通り事実です。<

 「〜も隠しているようだから」と、「ようだ」と書いていますから、「断定」しておらず、「推論」ですよね。

>>いや、日本書紀の半分×書である事と同じだよ。キミらの話には、×部分と「ついうっかり事実を書いてしまった」部分の両方がある、という事だ。
 だから、キミらが大和一元支配カルト教にとって不利になる事が判らず、ついうっかり書いてしまった事は「キミらの説明で十分」なんだよ。<

>●つまり「キミらの発言は全く信用出来ない、という事だ」とウソをついていたのですね?<

 当然、「キミらの発言は全く信用出来ない部分が沢山ある」、という意味ですよね。

>●もう死ねば? <

 いえ、倒れる時期が迫っている事は、知っていますが、それまでに、出来るだけ、大和説学者や大和天皇家一元列島支配教の詐術性を、世間の皆様に説明する事が出来れば、それで十分でしょうね。
800日本@名無史さん:2013/07/06(土) 19:46:59.66
>また投稿不能が解けませんので、Yahooからの転写です。

やっぱzarakokuは違反投稿者扱いされてるんだよきっと
問題児じいという評価が、これでほぼ固まったな
801zarakoku:2013/07/08(月) 10:29:39.51
一度Yahooから転写投稿したのですが、画面がでなかったので、再投稿しておきます。

またごまかし氏へのお返事です。

>その古田の数字は、「日本の考古学、古墳時代上」とは無関係の数字。<

 「日本の考古学・古墳時代上」を基礎サンプル資料として、古田さんも少し確認補正された数字。
 
>というのも、例えば甘粕氏は55箇所の古墳名を挙げているが、そのうち49箇所の古墳について出土個数を明記していない。
森氏は、16箇所の古墳名を挙げているが、そのうち15箇所の古墳について出土個数を明記していない。
ちなみに九州の執筆者、小田富士雄氏は、7箇所の古墳名をあげているが、すべての古墳の出土個数は明記していない。<

 だから、古田さんは、少し確認補正された。

>そもそも、「日本の考古学・古墳時代上」のどの執筆者も 、金属環の出土個数も出土状況もほとんど言及していない。
さらに各地域の表に掲載された古墳は、金環の出土したかどうかを基準に決められてはいない。
つまり、この表から地方の出土状況をだせるはずが無い。
もっとも、古田が「日本の考古学・古墳時代上」の表から出したと称する数字は、全く本の表からは出てこないいい加減な数字。<

 いや、各筆者は、特徴的な古墳の特徴的な出土物を選択して記載されたんだから、その記載は、十分サンプル価値がある。

>>細かい言葉尻を、絶対断定して細かい差異を創り出して誹謗するから、それが精神的な異常者の病的特徴なんだよ。<

> 細かい差異ではなく、待った根拠のないデタラメな数字であることを証明しているんだがね。<

 十分な根拠のあるサンプルからの適切な推論である、と言っているんだがね。
802zarakoku:2013/07/08(月) 10:37:21.98
 また、ごましお氏へのお返事の、Yahooからの転写の続きです。

 しかし、お前は、人種差別竹島戦争鼓舞発言の異常者だから、
 おそらく、国家国粋主義に絶対服従する事を要求し、それに逆らう学者の「大体の推論」論理に対して、「絶対ではない」という事で否定抹殺しようとしている。
 天誅猟奇の変質者らと同じ体質。
 
 これは、現在の日本に蔓延している見過ごせない風潮。
 朝日の投稿にもあったが、官学企業マスコミ人事は、反体制的な考えを持つ人物の採用を排除をしていたらしい。
 日本の中の「国家権力絶対信奉」共鳴者は、大体2〜3割であり、
 しかし、官学マスコミ企業内での人事権力を駆使して、「国家権力絶対信奉」共鳴者を採用して支配力や影響力を強めており、
 さらに、彼らは、ヒトラーのアジテーションのように格好のよい宣伝を繰り返す事によって、過去の戦争責任を忘れさせ、
 残りの中間的な付和雷同層を煽って、民族的な高揚興奮状態にさせ、
 キミのような人種差別竹島戦争鼓舞をする異常者を作り出して、
 近隣諸国との殺し合い戦争へ持って行こうとしている。

>それが細かい差異というのであれば、関東の49箇所の古墳、畿内及び周辺の15箇所の古墳から何個出土しているのか、その根拠を含めて説明したらどうだ? 言っとくが、まともにリサーチしたら、古田のいう68個とか16個とか、そんな数字を出すことは不可能だ。
それを指摘したら、お前は全く反論できないじゃないか。<

 反論は済んでいるのだし、古田さんのサンプル確認でも十分な数字だ。
 ヒトラーのような人種の「知らん振りしての要求」など、何の関心もない。

>にもかかわらず、居直りって。さすがチンピラだ。<

 にもかかわらず、居直っている。
 さすが国粋宗教カルトの街宣車のチンピラだ。
803日本@名無史さん:2013/07/08(月) 11:04:10.45
こいつ、やっぱりおかしいよ
804日本@名無史さん:2013/07/08(月) 16:39:50.28
こんどは竹島が北朝鮮領とか言い出したぞ
805zarakoku:2013/07/13(土) 09:19:16.22
>>いや、「日本國 日本、倭國之別種・・・」だから、国号変更以前の、はるか始めから違う国だねえ。<

>●「別種」という言葉がズルさんの言うような意味であるという証拠でもあるのですか?ズルさんが勝手に決めただけではないのですか?<

 「別種」という文言だけでは同じ国内でも有り得るが、日本國とワ国という「二つの国間の話」として「別種」と説明すれば、高句麗や百済の場合と同じく、
 二つの国が分かれた違う国だ、という事を言っている事になりますね。

>>いや、「日本國 日本、倭國之別種・・・」だから、初回遣使とは直接関係無く、はるか始めから違う国だねえ。<

>●ズルさんは連呼するだけで根拠が何も出てきません。<

 いや、日本國伝のとっぱなの説明話であるから、日本國の生い立ちの説明であり、日本國が出来た後での遣使を派遣するようになった時よりもずっと以前の話を、している事になるんだろうね。

>(日本國者、倭國之別種也)>新唐書に拠れば、神武が大和州に移った時の事を言っているようだねえ。<

>●新唐書には、そのようなことが書いてありません。新唐書に書いてあるのは「神武が大和州に移った」という記事だけ。
 ズルさんの憶測に「拠」るべき記事はありません。<

 新唐書も旧唐書も、その他の史書なども、倭国の淵源としても日本國の淵源としても、志賀島の「漢委奴国王」印を貰った「倭奴国」(やその後の「ワ国」)であったと記載しているんですから、
 神武は、筑紫の倭奴国や倭國から別れて(別種)、(奈良県の)大和に移った、と言うことになるんですよね。

>><倭國条にも倭國→日本と名称変更したと明記されていますからね。<

>>いや、(日本國とは違う)倭國自身が日本と名乗った事があった、という話だねえ。<

>●倭國条に、そのような記事は存在しません。<

 いや、唐会要の倭国伝にははっきり倭国を主語にして書かれているし、旧唐書の日本國伝にも、特に倭国を主語にして書かれているし、
 書紀引用の「百済本記」でも、(用明の中国との国交開始以前に)既に「日本」という呼称を使っていますね。
806zarakoku:2013/07/13(土) 09:26:43.96
>z>「別種」とは、別れた種なのだから「違う国だ」という主張であり、
>>いや、「或云日本舊小國、呑併倭國之地」という表現が出来るんだから、場所が違うという意味であり、だから同じ国の政権交代ではないねえ。<

>●残念ながら冒頭に「或」と書いてあることでも明らかなようにそれは異説として紹介されています。<

 いや、日本國伝の冒頭の概括情報説明であるから、「或」は、独立的な1つの情報の説明であるだけであるし、筆者の積極的な主張の1つですね。

>そしてその内容に対しては「中國疑焉」と疑義が呈されています。<

 それは、彼や川村氏らの「明らかな曲解捏造」。
 「焉」とは、当然直前の「其人入朝者、多自矜大、不以實對」を指すのみ。

>>幾つもの独立的な情報を並置するんですよ、という表現だねえ。<

>●「或」という文字はそのような意味には使われません。同時に成立するのが一つだけ、という択一を意味する表現です。よってズルさんの主張は誤りです。<

 これも、彼の曲解断定誹謗の例。
 「これもある、これもある・・・」という様な「情報の羅列並置」に使われる事など、日常言語として幾らでも例がある。
807日本@名無史さん:2013/07/13(土) 10:20:54.15
狂信者まるだしだな
808日本@名無史さん:2013/07/13(土) 18:39:46.65
zarakokuじいさん含めて妄信者・狂信者らが多用する言葉に「通説派の陰謀」ってのがあるけど、
これって、

・英米の陰謀で太平洋戦争(対米英開戦)に追い込まれたとか、
・(かつてオウム信者が言っていた)米軍に攻撃されてるとか
ああいう陰謀説の同類だなあって。

通説派の陰謀・共謀なんてことを言い出す時点で完全に終了してたよな。
学説から信仰(それも狂信)へと変化し終わったことを示す言葉だった。


そういえば、戦前ごろの共産主義者だか社会主義者だかの人々は、
政府の陰謀のせいで自分たちが選挙で勝てないんだと信じてたらしい。
既存政党が権力を使って投票を操作して自分たちが議席を取れないようにしてると妄信していたらしいな。
809サガミハラハラ:2013/07/13(土) 23:25:40.73
きょう、某歴史研究会に出席したところ、久しぶりに、古田先生のことについて話題がありました。
室見川の銘盤についてと、新羅の金冠と同様の冠の話です。
室見川の名盤については、現在群馬県にあるらしいとのこと。
新羅の、については大宰府の医者がもっているらしいとのことでした。
この両者についての情報を求めております。
どこにあり、だれが保有しているか、噂でもかまいません。教えてください。
810日本@名無史さん:2013/07/14(日) 12:02:46.42
そんな、どこに在るかも判からないようなものを根拠にしてたの
東日流とおんなじか
811日本@名無史さん:2013/07/14(日) 12:21:17.36
新羅の金冠って、土産物品じゃないの。
昔韓国旅行した時、釜山の免税店でうってたのを記憶しております。
それがいつのまにか、どっかの古墳からでてきたなどと話しがとんだのでしょうね。
812zarakoku:2013/07/15(月) 20:33:38.01
申し訳ございませんが、またYahooからの転写です。

(天誅氏の投稿に関しての)世間の皆様への説明です。

>●中傷乙<

 「世間の皆様への説明です」という事が、何故「中傷乙」になるんでしょうかねえ。

>><大和氏の冗談でも?<

>>いずれも、事実や実態を根拠にしての、私の「推論」であったのにねえ。<

>●キミの言うことは、いつも具体性に欠けるね。「事実や実態」って、いったい何? <

 邪馬台国トピのNo.156340のyamato7010氏の彼への投稿:

 こりゃ、お天はん
 >>変質者は、変質者だから、
 >●証拠がありません。

 「我は猟奇の変質者なり」云々と、自ら云うていなさったがのぃ
 お天はんの知識や蘊蓄・諧謔・情感には納得するところ多多あったが
 最近、ちぃとお変わりかのぃ

の内容ですね。
 これは、「冗談」ではなく、
 「我は猟奇の変質者なり」は彼の発言であったのであり、
 彼の議論態度の悪化に対しての、yamato7010氏の心配のための忠告でしょうね。
813zarakoku:2013/07/16(火) 10:09:37.34
申し訳ございません。また転写です。
814zarakoku:2013/07/16(火) 10:13:05.13
申し訳ございません。転写ミスをしましたので、またやり直します。

>>キミは、チクシの出土が最も多い、という出土実態を認めたようだな。それなら、鏡片は、チクシの「鏡の王」からの下賜品であった可能性が高い、という事になってしまうんだよ。<

>●どうして?スクラップ鏡を使ったペンダントが貧乏人に流行したら、九州に貧乏人が多かったって事には、なってしまわないの?<

 漢鏡的な内向花文鏡がスクラップ的にはなるものではないし、
 きちんときれいに成型されているからスクラップ様ではないし、
 那珂八幡には三角縁の完鏡が副葬されているし、
 祇園山でも、出土地が不明だが、三角縁が出土したらしい。
 要は、鏡片と完鏡は、必要に応じて使い分けられたらしい、というだけですね。
 
 問題は、チクシでは、三雲の前期庄内と那珂八幡の後期庄内に別れ、
 その後期庄内と河内や大和の庄内が同時期だ、と言うことですよ。
 
 つまり、大和における庄内副葬墓が、(祇園山よりも新しい)那珂八幡の時代まで(3世紀末以降?)遅くなるんであり、
 大和の布留や三角縁副葬墓は更にそれらよりも新しく(4世紀?)なる、という事ですよ。
 だから、三角縁のチクシ先行も明確になり、
 那珂八幡よりも古い弥生墳丘墓的な祇園山は、ますます卑弥呼の時代の墓になって行く、
 と言うことですよ。
815日本@名無史さん:2013/07/16(火) 21:34:04.42
どうしようもないトンデモだな
816オカルト板百物語宣伝部隊:2013/07/17(水) 01:48:48.12
       ■□■□■ オカルト板百物語 ■□■□■

2chオカルト板では8月23日(金)21時より毎年恒例の『オカルト板百物語』を行います。
ついては「2ch内」の皆様より広く怪談を募集しております。

貴方の知ってる怖い話、実際に体験した怪奇現象、それらを百物語の場で投下して下さい
また、世話役として一緒に百物語を作り上げたい方、
当日投稿された怪談をねとらじで朗読したいという方も合わせて募集いたします。
ご協力いただける方は下記URLのスレにて、ご参加の表明をお願い致します。 ← 語れる話のある人はオカ板百物語スレでエントリーを表明してね!

このたびは突然の宣伝で失礼いたしました。
皆様の怪談をお待ちしております。
(※今月でなく来月(8月)の23日ですよ)

ttp://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1372073469/
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/22553/1345392638/(書き込めない場合はこちらへお願いします)
うすら寒い宣伝動画も作りました http://www.youtube.com/watch?v=sGVkMYgxdQM

    , - 、  オバケダゾー     
  ヽ/ 'A`)ノ  . - 、
   {  /   、('A` }ノ ヒャー
   ヽj     )_ノ


8月後半の暑い夏、そんな夏の夜に百物語イベントで一服の涼しさを体験しよう(どうせ日本史オタなら夜中も起きてるでしょ!)
どんな涼しさになるかはわかりませんが。

注意)百物語に参加して百話をすべて読み終えた人には、あとで恐ろしい怪異に遭遇すると言われています
昨年、このイベントに参加していた 田中 ◆TvZpL/zR1S8r という人は、言い伝えを信じず悪ふざけをしていたところ
百物語の終了後に、お化けに食われて死んでしまいました(霊視による確認済み)

怖いですねー('A`)
817日本@名無史さん:2013/07/18(木) 13:15:43.83
えっ、なんでオカルト?

と思ったが、こりゃあれか。
世間の認識では「古田説はオカルト」ってことなのか。
818日本@名無史さん:2013/07/18(木) 22:22:53.36
いや、世間的には「オ」のない「カルト」だろ
819zarakoku:2013/07/20(土) 18:18:22.52
また転写です。
 you*****さん、始めまして。
 私も、古田本を初めて読んでから、もう40年を越えましたし、
 60歳になってから、掲示板での古代史トピに参加しましたが、
 通説側からの、「記紀には卑弥呼や倭の五王の明確な記載がない」、という事の明確な説明や理由など、全く聞いた事がありません。
 
 それどころか、掲示板の議論などで、
 魏略の「聞其舊語、自謂太伯之後」が、倭國人は自ら「自分たちの舊は太伯之後だ」と語っている事や、
 日本書紀私記の「•問:此國稱姫氏國,若有其説乎?◦師説:梁時寶志和尚識云:東海姫氏國.又本朝僧-善櫋推紀云:「東海姫氏國者,倭國之名也.」」とある事や、
 『通鑑前編』でも「以為、呉亡子孫入海為倭、故倭自云呉泰伯後。」としており、
 新撰姓史録の「松野連 出自呉王夫差也 」とあって、呉王夫差が太伯之後であり姫氏である事などから、
 松野連家系図が焦点になり、
 明治初期の東大教授の鈴木真年という系図研究家が、松野連家の子孫が江戸前半までの系図を残していたので、それの情報収集をされ、
 更に、尾池誠氏や古田さんらのグループの平野雅曠氏が情報収集して纏められたものが、「和性に井真成を奪回せよ」越境の会編の85頁に載っており、
 それに拠れば、
 呉王夫差の子孫が火の国山門に居を構えて、そこから委奴の地や大野へ広がった事が書かれ、
 倭奴国王や卑弥呼や壹與?の名や、熊襲の名前などや、倭の五王の名前が書かれ、
 倭王武の次の代まで書かれた後、突然倭王でなくなって臣下になった事が書かれているんですが、
 それが、丁度、『百済本記』の「日本天皇及太子皇子倶崩薨」や、磐井の死亡事件や、
 東海姫氏國を記した梁の寶志和尚の「野馬臺國滅亡と倭の女性1000人余りの流浪」譚とも一致するのですよ。

 だから、卑弥呼や倭の五王は、呉王夫差の後裔の姫(キ)氏でしょうね。
 倭の呉王がいたと思われる久留米の高良大社の隆慶上人伝にも、キ(紀)氏が九州や半島の王であった事が記録されているようです。
820日本@名無史さん:2013/07/20(土) 19:11:58.71
「オカルト」なみな「カルト」だろう
821日本@名無史さん:2013/07/21(日) 13:18:05.69
竹島が韓国領だと力説するbaikoku
822zarakoku:2013/07/23(火) 11:57:09.34
また投稿不能でしたので、転写です。

また人種差別国粋主義のごまかし氏へのお返事です。

>> それなら理由を説明して、「金銅板辻金具」と、立派なものになるように書けばよかったのであり、単なる「辻金具」と貶めた書き方をした斎藤氏らは、詐術的ですよねえ。<

>もちろん、昭和54年の歴史公論5月号おいて、金銅辻金具と表現している。<

 いくら後から、「金銅辻金具」と書き換えても、
 肝心の54年の概報での、44年と対比させて書かれた出土物記載で、「金銅辻金具→辻金具」のわざと矮小した書き換えをした事実は、打ち消す事は出来ない。

>だから、斎藤氏らは、「金銅の存在を否定」する書き方をした。というのは、古田のウソってこと。<

 いや、誤魔化すな。
 「ウソ」になどなるもんか。
 概報における資料事実であり、記載実態だ。

>古田は、「関東に大王あり」で、歴史公論5月号(稲荷山古墳特集号)掲載された記事について書いている。
つまりこの専門誌を十分に読み込んだわけで、当然、粘土槨の副葬品の辻金具が「金銅」とされていることは知っている。
しかし、古田はその点を隠して、あたかも斎藤氏らは、「金銅の存在を否定」する書き方をしたと言っている。
実に姑息なやりかただ。
古田とその手下どもがチンピラ詐欺師である証拠が、「関東に大王あり」という本だ。<

 いや、古田さんらは、「歴史公論」を読んでおられるが、
 その「大王=雄略」の論旨 には全く賛同しておられない事を再三に渡って書かれているんだから、
 「金銅辻金具」という記載などにも、銀の記載もないし、おいそれとは賛成されない、という事だ。

 つまり、古田さんは、既に54年の概報や歴史公論の解釈や説明を根拠にはしておられなかった、という事だな。
 だから、「関東に大王あり」でも、
 鉄剣の発見前の44年の概報の初元的な出土事実や実態や、54年の鉄剣関係の出土事実や実態を根拠にされた論理を書いておられるんだよ。
823日本@名無史さん:2013/07/24(水) 00:36:02.90
こいつ、あたま変
でも古田も変
824日本@名無史さん:2013/07/24(水) 15:43:59.33
三郡誌スレが地獄に堕ちましたな。
いや〜めでたいw
825日本@名無史さん:2013/07/25(木) 00:05:00.27
zarakokuの言ってることって
おまえの言うこと賛成しない-->賛成しないからおまえは言ってない-->言ってないからおまえ詐欺師
あたまヘンだろこれ
826zarakoku:2013/07/25(木) 10:38:07.66
また転写です。

>>関東に大王あり」の215〜216頁の表では、30箇所の記載の内の18箇所に、「変更」が見られる。<

>その中でお前が執着しているのは、辻金具だ。<

 古田さんらが、余り酷い矮小化の書き換えだったから、さきたま資料館に行かれて確認された事だからだ。

>そして、「礫床出土物では、逆に、「鏃多数→鉄鏃約200」や「轡1→轡(いわゆる十字形鏡板付)」などというような、(粘土槨に比べて)より数量や質の豪華さを(こっそり?)示すような書き換えがある。」だとも言っていた。<

 その通りだ。

>そこで、お前が隠していることを一つ。昭和44年の
「さきたま風土記の丘 稲荷山古墳発掘概報」における礫槨の副葬品では、「辻金具3」だったのが、昭和54年の「稲荷山古墳出土鉄剣金象嵌銘概報」では、単なる「辻金具」。と<

 いや、ウソを付くな。
 隠してなどいない。
 お前が知らん振りしているか?、忘れたか?、だけだ。
 きちんとその事も書いておいた。
 そして、何故斎藤氏らが礫床の「3」を消したのか?が不明である事も書いておいた。
 おそらく、個数が断定出来ないようだ、という事になっただけ。

>辻金具でさえこうだから、鏃、轡が「(粘土槨に比べて)より数量や質の豪華さを(こっそり?)示すような書き換え」でないことは明らかだ。<

 いや、誤魔化すな。
 礫床の「数量や質の豪華さ」への書き換えの方がずっと多かった。

>あれだけ辻金具の表現にインネンをつけていたお前が、このことを隠していたのは、古田ゆずりのダマシの技法だろうが、下手過ぎだな。<

 このように、知らん振りして、相手を口先で誹謗するのは、天誅猟奇の変質者ゆずりのダマシの技法だろうが、下手過ぎだな。
827zarakoku:2013/07/25(木) 10:40:48.69
また転写の続きです。

>ちなみに、辻金具には、銀は無い。銀装は、責金具。<

 それもダメだ。
 さきたま資料館の学芸課員さまらは、辻金具に「銀も付着」している事を示されているし、
 天誅猟奇の変質者は、どうしても、その事と責金具との関係の説明論理を話そうとしない。
 おそらく、都合が悪くて話せないんだろうよ。

>そして鋲とか責金具などに銀装を施すのは、5世紀後半から始まったトレンドで、このタイプの馬具は畿内から出土している。バカくん。残念だったな。<

 そんなものは、大陸からやワ国からや、関東と大和の双方からの文化の伝播で説明が付くだけの話だ。
 大陸からの関東の馬文化の初元性?は、侮れるものではない。
 バカくん。残念だったな。
828日本@名無史さん:2013/07/25(木) 13:53:26.83
投稿禁止にされたのに関係ない場所で連投するって
迷惑行為を繰り返しているという自覚が全く無いんだな
そりゃ論理もおかしいし誰にも相手されないわな
829zarakoku:2013/07/25(木) 18:09:33.76
申し訳ございませんが、また転写です。
最近は、投稿不能ばかりで、一々書き換えたり、転写したりの操作ばかりしていて、返事の投稿がどんどん遅れていくばかりになっています。


また世間の皆様への説明です。

>>それなら理由を説明して、「金銅板辻金具」と、立派なものになるように書けばよかったのであり、<

>●修正のあった事実も、理由も説明されています。
 公式報告書で詳しい内容も説明されています。
 証拠もなく「こっそり」と中傷するズルさんはウソをついておりいくら事実を指摘されても放置してしまうズルさんは痴呆です。<

 彼は、まだ、九州王朝スレの上では、明確な理由を説明していないんですよ。

>>単なる「辻金具」と貶めた書き方をした斎藤氏らは、詐術的ですよねえ。<

>●貶めた書き方でありません。辻金具は辻金具ですから。
 ウソを言って斉藤先生らを貶めたキミらの仕業は詐術的です。<

 「金銅辻金具」と「辻金具」とは価値が違いますよね。
 だから、書き換えは、価値を低く見せる矮小化。

>>そりゃ無理ですよね。斎藤氏らは、「金銅の存在を否定」する書き方をした。<

>●言い張っても証拠がありません。<

 いくら説明したって、どっち道、このように知らん振りして否定託宣をするだけなんだろうね。
830日本@名無史さん:2013/07/25(木) 18:24:11.90
>申し訳ございません

謝罪の気持ちが本当にあるのなら、いい加減に投稿を止めよ。
Yahoo掲示板の問題を2chに持ち込むな。迷惑きわまりない。
どうしても自分の主張をしたいなら、自分で掲示板を作ればいいだろうに。

何の疑問も感じず全く関係ない場所をジャックするというような無神経な奴だから、
Yahooでも投稿禁止にされたんだろうが。

おまえのつまらない弁明など聞きたくもない、とっとと失せろ。
831zarakoku:2013/07/25(木) 19:35:39.60
また転写です。

>>過去の歴史に関しては、文献記録や情報に書かれていた事は、強い直接的根拠になるが、書かれていない事は状況証拠にしかならない、という事を、もう何回書いた事かねえ。<

>●だから書かれていないから変わっていない変わっていたなら書かれている筈というズルさんの決めつけ断定はナンセンスですね?<

 書かれている九州は根拠になり、書かれていない大和遷都?は根拠に使えない、という事だよね。

>>そして、彼は、書かれていない事の話のイチャモンを付けて、書かれている直接的な根拠の話は、こっそり隠している。<

>●事実ではありません。証拠でもありますか?ズルさんは書かれている直接的な根拠の話は、何もせず書かれていない事の話で「筈だ!」「筈だ!」とイチャモンを付けています。これは証拠があります。<

 いくら説明したって、知らん振りをするんだから、精神的な異常者には説明は無駄で無意味なんだろうね。

>>倭の都付近の位置として書かれているんですよねえ。<

>●そうですよ。「邪馬臺國」とね。<

 それは、郡からの距離記載に従えば、九州北岸の近くであり、大和にはなりませんよね。

>>樂浪郡徼〜拘邪韓國が七千餘里ですから、拘邪韓國〜其國は、樂浪郡徼〜拘邪韓國の7分の5弱です。<

>●それが何か?<

 大和ではない、ということですよね。

>>渡海の1000里×3=3000里と、二島の国内陸行の400里×2+300里×2=1400里とで4400里位ですから、倭地に入って、600里位しか残っていません。彼は、東大や京大を出たらしいが、詐欺師なんでしょう。<

>●1400里を加算する根拠がありません。水増し詐欺でしょう。<

 倭人伝には、海峡二国の陸上歩行や見聞をした事が書かれていますよねえ。だから、陳寿は行程里数に含めたでしょうね。
832zarakoku:2013/07/25(木) 19:38:12.14
また転写の続きです。

>z>拘邪韓國〜其國は、樂浪郡徼〜拘邪韓國の7分の5にしかならないから、チクシ付近までにしかならない。<

>t<それがどうしました?二千里は洛陽〜長安往復の距離です。勝手に縮小してはいけません。<

>>それがどうした?、って言うんだろうね。<

>●誰が?<

 いくら言ったって知らん振りする彼を、相手にしても仕方がありませんからね。

>>漢書も魏志も後漢書も、郡から倭地まで大体万里だ、という認識を記載していますよ。<

>●それが現実と合わなければ間違いでしょう。<

 天誅猟奇の変質者を自称する精神的な異常者が、「間違いでしょう」と言っても、信用出来ませんよねえ。

>>勝手に他の地域の情報を持って来て、史料の直接的な記載実態の否定をしてはいけません。<

>●どうして?<

 他の地域も同じ尺度であったのか?は判らないからですよねえ。

>>そんな「明言」なら、ハクチでも詐欺師でも出来ることだ、という事でしょうね。<

>●ズルさんは「こっそり隠している」とウソをつきました。中傷しても誤魔化せません。<

 彼は「南は誤りである」という事の明確な根拠や理由を説明していませんよねえ。
833zarakoku:2013/07/25(木) 20:04:49.47
また転写です。

>>z>勿論「西北接百濟、正北抵新羅」もこっそり隠している!。
>>唐会庸の倭國伝だから、「倭國の中心地からの話」をしているのにねえ。<

>●「唐会庸」という本はありません。<

 おや?、間違えましね。「唐会要」ですね。

>>旧唐書日本国伝の話だから、大和の東や北の「大山」とは、「富士山〜白山」の山岳部になるから。<

>●旧唐書日本国伝の話だとどうして大和の東や北の「大山」とは、「富士山〜白山」の山岳部になるの? 理由は?<

 同じ唐滅亡後の史書である新唐書には、「日本國の中心場所は大和になっていた」事が書かれており、
 大和の東〜北の大山岳地は、「富士山〜白山」の山岳部になるからですよね。

>z>しかし、こんな事は、もう何回彼に言って上げた事なんだろうね。<

>t<いつ言いました?初めて聞きましたが。<

>>これ、ウソツキの相手をする気がないから、放置ね。<

>●ズルさんは証拠を出さず逃げ出しました。またしても、ウソだったようです。<

 また、天誅猟奇の変質者の妄想が始まったようですね。
834日本@名無史さん:2013/07/25(木) 20:26:14.29
古田ファンってこんな異常者ばかりなのか?
835日本@名無史さん:2013/07/25(木) 22:01:00.69
逆だよ
どこかにおかしいところがないと古田教信者なんてやってられないんだ
836日本@名無史さん:2013/07/25(木) 23:16:57.18
むかしはまともな古田ファンも多かったんだろうけど、
そういうヤツの多くは脱落しちゃって、

今でもファンを続けてるヤツにはマトモな人間はいないんだろ


その中でもzarakokuは頭一つ抜け出てる感じ
837日本@名無史さん:2013/07/26(金) 02:37:50.89
頭のネジなら3つは抜けてそうだ
838日本@名無史さん:2013/07/26(金) 07:40:02.45
いや5つ
839日本@名無史さん:2013/07/26(金) 10:22:46.09
頭そのものが抜けている可能性もあるぞ
840zarakoku:2013/07/26(金) 12:22:12.22
また転載です。

>>墓祭祀が違えば、ほぼ違う部族。 墓祭祀が同じであっても、同じ部族であるとは限らず、違う部族である可能性もある。<

>違う部族であっても、同一文化を有する日本列島の住人。<

 類似文化を持っていても、列島住人は、大陸や南洋からの流民の集まりだから、多元部族。

>源氏も平氏も藤原氏も同じ日本人。それと同じ。ヲワケも上毛野氏も蘇我氏も大伴氏も、同じ日本列島に住む同じ文化を共有する原日本人。<

 いや、列島は元々は多元的。
 多賀制圧がようやく8世紀。東日流制圧は中世。琉球や北海道制圧は近世。

>>全て同じではなく、違う部分があるから、違う部族。<

>具体的に、どの古墳のことを指してるんだ?ま、妄想だから、具体的な例をあげるのは無理なのはわかってるけど。笑<

 古墳の形大きさの差、埋葬形態の差、副葬品や埋葬道具の差などは、全て違いになるんだよ。

>>それは、列島内での1つの部族(例えば毛人蝦夷部族)が、列島内の別の有力部族国(例えばワ国)の墓祭祀に価値を感じて、一部を模倣して取り入れた(文化の伝播)だけの事。<

>それだと、古墳時代に同じ文化が日本列島全域を覆ったということじゃないか。バカくん。<

 文化の伝播や模倣であるだけだよ、バカくん。
841zarakoku:2013/07/26(金) 12:24:56.30
また転載の続きです。

>> 中でもワ国の別種旧小国の大和が、<

> 唐会要も旧唐書も、それは一つの仮説、風評としているだけ。<

 いや、ウソを付くな。日本国伝の冒頭の、概略の事実関係の説明文だ。

>そして両書とも、自主的な改名で日本としたという説も併記している。<

 ウソを付くな。ワ國と日本國の双方が、独自に「日本」と名乗った事実があった、という説明だ。

>で、11世紀以後は、その改名説が通説となった資治通鑑くらいよめよ。クズ。<

 ウソを付くな。阿倍仲麻呂らの説明で、大和がワ国を併合し歴史も呼称も継承した、という事を唐政府が認めただけだよ。

>>周辺の銅鐸部族を征服して大量の墓守人を確保出来たから、 巨大前方後円墳を造る事が出来るようになった。<

>巨大前方後円墳を作った時代は、古墳時代とよばれ、その古墳文化は日本列島を覆った。3世紀の巨大前方後円墳の嚆矢である箸墓古墳以後の古墳時代をリードしたのは、畿内。全国で、200m超級の巨大前方後円墳は35基。そのうち32基が畿内にある。<

 いや、3世紀末から4世紀にかけて、山城や河内などの銅鐸部族や半島流民部族などを征服して、財力と閑と大量の墓守人が確保出来ただけだ。

>畿内と言っても、正確には奈良盆地北部から河内の一部という東西40キロ、南北20キロ狭い地域。ここに、畿内五大古墳群が集中している。これが大和王権の中枢。<

 いや、通説の畿内は、人口問題に困って、播磨や近江までも含めているが、実際には、大和中枢は、大和だけだ。

>> そして、その古墳時代の絶対年代の決め手の1つになるのが、 大和などの銅鐸消失空白の存在と文献との対応関係が、絶対年代の基準と成り得る。<

> 具体的な事例をあげてね。クズ。どこの遺跡とどの文献が一致するんだ?<

 記紀の神武東征記載と、奈良盆地の銅鐸消失事実だよ。
842日本@名無史さん:2013/07/27(土) 02:54:50.96
教祖死後、箸にも棒にも引っかからない残党どもが、内ゲバを繰り返しながら衰滅していくのを見るのはメシウマだろうな。
長生きしても害にしかならなんだから早く召されてくれないかしら。
843日本@名無史さん:2013/07/27(土) 04:15:47.41
老いさらばえて老醜をさらすざまを嘲笑しながら見るのも
それはそれでメシウマ
844zarakoku:2013/07/27(土) 22:10:43.30
また転写です。(申し訳ございません)

>●「挂甲小札多数」は「挂甲小札片」ですよ。これは論理的に正しいので否定できません。要するにキミは「挂甲小札片」を勝手に「挂甲小札片少数」と捏造解釈しているだけです。<

 価値を貶めた矮小化になる事になる実態は否定出来ませんね。

>古田が「金環」を勝手に「金環1個」と捏造解釈したのと同じです。<

 資料実態に十分根拠があり、「同等の価値になる」推論です。

>>斎藤氏らは、粘土槨の出土物の記載を、何故「多数→片」に変更したんでしょうね。<

>●字数節約<

 こっそり価値を下げる矮小化。

>●いいえこの場合は「金銅製辻金具」と誤解されないようにでしょう。<

 それなら、尚更きっちり書かなければならない筈。しかし、逆に、価値を下げる矮小化をした。

>●「鉄鏃片多数」なら「鉄鏃片」ですよ。これは論理的に正しいので否定できません。

 価値を下げる矮小化。

>>斎藤氏らは、粘土槨の出土物の記載を、何故「多数→(無し)」に変更したんでしょうね。<

>●字数節約<

 価値を下げる矮小化。
845zarakoku:2013/07/27(土) 22:13:18.38
また転写の続きです。

>>「金銅辻金具→辻金具」の書き換えと同じ理由なんでしょうね。<

>●前出<

 これも価値を下げる矮小化でしたね。

>>「挂甲小札多数→挂甲小札片」という書き換えをしたのなら、「多数」を否定したのだから、普通は「挂甲小札片」は「一個だ」という意味になるでしょうね。<

>●キミは普通じゃありません。<

 天誅リョウキの変質者を自称する人間や、価値を下げる矮小化をする人間は、普通じゃありません。

>>斎藤氏らは、何故そんな書き換えをしなくてはならなかったんでしょうかねえ?。世間の皆様は、もうお判りでしょうね。<

>●キミの中傷のあくどさが?<

 「大王」を「雄略」にしなければならなかったから。

>>粘土槨の出土物の価値を貶める必要があったのですよ。<

>●愚劣な邪推乙<

 彼も、反論出来ないらしい。
846日本@名無史さん:2013/07/27(土) 22:56:30.00
日本史板の忠君愛国諸兄へ。
真の日本史を知りたくば『東日流外三郡誌』を見よ。
847日本@名無史さん:2013/07/27(土) 23:13:12.73
そんなことをしたら,這い寄る混沌(笑)に心を食われて正気を失うぞ

読みながらSANチェックを繰り返すことになるからやめとけ
848日本@名無史さん:2013/07/27(土) 23:50:03.29
zarakokuが袋だたきになってるのはココだ
http://textream.yahoo.co.jp/message/1835208/6ebda32a6daba4ka4da4a4a4f
笑えるぞ
849日本@名無史さん:2013/07/28(日) 06:05:36.26
なんでここに転写するの
自己顕示欲でしかないよね気持ち悪い
850日本@名無史さん:2013/07/28(日) 06:11:10.21
>>849
Yahooの利用規定に抵触して投稿できないときに、こっちに書いてる
つまり、Yahooから、荒らし容疑をかけられたと公言してるわけ

投稿数が多すぎるとか時間を十分に開けないで連投したとかで受け付けてもらえないんだろうけど、自分が違反してると自覚できずにYahooが悪いと決めつけてる、自己中な人間なわけよ
851日本@名無史さん:2013/07/28(日) 06:48:07.37
>>850
解説さんくす
その通りなんだろうけど何で2chに書き込んでるのかといえばやはり人が多そうな所を選んでるわけでしょ
かろうじてスレタイからは無関係ともいえないけどこのスレの流れは完全に無視して自分の都合だけで投稿してる
気持ち悪いとしか言いようがない
古田の支持者が全員そうだとは言わないが(言いたいがw)
自分のそういう非常識な行為が自身のみならず同志や教祖の評価を貶めていることにも気が付かないのだとすれば哀れというかどうしようもない
852日本@名無史さん:2013/07/28(日) 14:01:17.27
言ってることも讒言や言いがかりばっかりだな
こりゃ投稿規制されもするわ
853日本@名無史さん:2013/07/28(日) 18:11:40.99
論敵とか論敵の支持する引用文献の著者とかに対して誹謗中傷を書くのが日常化してる人だからな。

誹謗中傷を書き続けてること自体が利用規約違反だし、
いつID剥奪されてもおかしくないレベルの悪質投稿者の一人だろうな
854日本@名無史さん:2013/07/28(日) 18:18:57.44
ちゃんと読む気に全くならないけど
転写ってどっかに書いてある物を別の場所にも書くことでしょ?
件の掲示板に書けなかったのをここに書いたのだとしたら転写じゃなくて初出だよね?
どうなんだろう?どうでもいいんだけどw
855日本@名無史さん:2013/07/28(日) 18:32:27.20
議論って相手とするものなのに
この狂人は相手じゃなくてなぜか世間様?wに対して説明してる
話が噛み合うわけもないわな
856日本@名無史さん:2013/07/29(月) 12:37:52.47
>>848
なんだこれは・・・基地外すぎてたまげたなぁ・・・(唖然)
857日本@名無史さん:2013/07/29(月) 19:36:00.20
まあ古田支持者は、程度に多少の差はあれ
みんなこんなもんだろう
858日本@名無史さん:2013/07/29(月) 23:19:45.76
>>854 どこ読んでも日本語ダメダメだよ、こいつ
859日本@名無史さん:2013/07/30(火) 00:58:48.94
やはり俺の睨んだとおり東北と九州は運命共同体
古田先生の意志を継ぎ、東北と九州が私利私欲を捨てて手を組み、
さらにアイヌ、琉球、朝鮮などと手を携えていけば
大和を滅ぼすことは実に容易いことだと思うのだが。
860日本@名無史さん:2013/07/30(火) 01:28:15.96
節穴が睨んでるよ怖いよw
861日本@名無史さん:2013/07/30(火) 01:40:41.20
古田死ぬの?
862日本@名無史さん:2013/07/30(火) 02:22:16.93
古田はまともで阿らないからねえ
面倒を嫌って韓国の妄想史観に諂う古代史家や在日には耳が痛い。
排除工作を仕掛けている邪魔な存在だろうね
863日本@名無史さん:2013/07/30(火) 02:45:46.71
>古田はまともで阿らないからねえ
864日本@名無史さん:2013/07/30(火) 04:27:07.50
古田はまともでないからねえ
865日本@名無史さん:2013/07/30(火) 16:35:50.06
デムパ度で韓流史観と互角に張り合う古田をマトモとな?


初期には史料に依拠しようとしてるだけ韓流よりマトモだったが
(といっても当時は韓流も史料無死は少なかったかも)
妄想に基づいて作られた贋作物たる三郡誌に出会ってからは、
本格的に、韓流なみのデムパへと大成した
866日本@名無史さん:2013/07/30(火) 21:47:04.72
古田先生は、いつ文化勲章もらうの?
867日本@名無史さん:2013/07/30(火) 22:20:27.52
時代小説家として?
868日本@名無史さん:2013/07/31(水) 00:07:53.45
古田さんは悪くない
支持者がアホなだけ
博多湾岸説も他の説に比べても遜色ないが
九州王朝説で デムパが確定
ただツガルは在る意味気の毒だったとも思う
869日本@名無史さん:2013/07/31(水) 00:23:59.49
拾った財布をネコババして使ったら偽札で逮捕された、みたく?
870日本@名無史さん:2013/07/31(水) 00:40:37.62
>>868
ようアホ
871日本@名無史さん:2013/07/31(水) 18:27:15.91
>>866
二百歳まで生きようと三百歳まで生きようと、決して可能性はない
872日本@名無史さん:2013/08/01(木) 01:11:52.54
zarakokuって最近来なくなったけど、textreamでは相変わらず
2ちゃんに書いておきましたーとか言ってら
873日本@名無史さん:2013/08/01(木) 04:15:20.97
>>872
違う板やスレに行ったのかね
恥を撒き散らすのがお好きなようで
874日本@名無史さん:2013/08/01(木) 04:44:57.31
>>872
NGワード登録して見えなくなってるだけだろ?

今も、数日前に何件か書き込んでるじゃん
875日本@名無史さん:2013/08/01(木) 23:46:24.82
来なけりゃ結構
876zarakoku:2013/08/03(土) 21:56:25.76
また転写です。

>> 唐代真っ只中の通典の記載は、唐政府の承認事項に逆らう事が出来ないので信用ならず。 
 唐崩壊後の旧唐書や唐会要や新唐書は、唐政府の承認事項には束縛されないから、信頼性が高い、と言っているのにねえ。<

>それなら、13世紀に成立した諸蕃志には、唐の影響など皆無だよな。
http://toyoshi.lit.nagoya-u.ac.jp/maruha/kanseki/zhufanzhi2.html
肝心なところを抜きだそうか。ー「倭國在泉之東北,今號日本國」ということで、お前の妄想は、中国の史書で完全に否定された。糸冬了。<

 全くのアホだね。
 唐が滅んだ後で唐の歴史を書こうとした旧唐書や唐会要や新唐書は、唐の初期には「倭國」が実際に存在していて、記録も残っており、
 しかし、白村江の後で、別種旧小国の日本國が、倭國を併合継承して、倭國とも日本國とも名乗れるようにしただけであったから、
 倭國の事も、別個に記録せざるを得なかった。
 しかし、13世紀の文書は、もう「日本國の、列島の(一元的)継続的支配」話が確定していて、倭國が日本國に併合された事など関心もなくなっていたから、
 通典と同じように、古代からの倭國の歴史は日本國の歴史であった、という考えでの書き方をした、というだけだよ。

 つまり、キミの提供した文書は、唐後の3史書の信頼性の高い記載と矛盾しており、何の直接的根拠にもならない参考文献程度のものだよ。
877日本@名無史さん:2013/08/03(土) 22:31:42.19
基地外また北
878日本@名無史さん:2013/08/04(日) 01:05:20.21
>>876
まあ正論だな
879日本@名無史さん:2013/08/04(日) 03:56:49.02
>>878
聖典の教えをなぞった論は正論じゃなくて聖論だろ
880日本@名無史さん:2013/08/04(日) 05:12:33.10
かの聖人は自分の思いつきにさも本当っぽく見える理屈を考案する天才だからな
881日本@名無史さん:2013/08/04(日) 11:47:33.69
>>880
いや、その点に関しては学者にも政治家にも必要な能力だろ
お古さんに限った話じゃない。


まあ、その能力を実際に最大に活用できるのは詐欺師だろうけど。
882日本@名無史さん:2013/08/04(日) 23:35:09.79
>>881
思いつきに学問的補強を加えるなら学者だが
例の老人のは結論ありきの牽強付会だから詐欺師になるわけさね
883日本@名無史さん:2013/08/05(月) 00:22:02.31
思いつきと検証結果に矛盾が出るぐらい、いくらでもある。
その差異を穴埋めして牽強付会するぐらいは、少なからぬ学者がやってるよ


だが、いくら反論されても牽強付会し続けるヤツは段々と見放される。
騎馬民族王朝も照葉樹林文化論も末期にはそんな感じだったが、九州王朝説はそれ以上に酷かった、それだけさ。
884日本@名無史さん:2013/08/05(月) 00:38:58.90
とりあえず881=883とは仲良くなれないな
やたらと学問学問言ってる当人がそれでいいわけない
理系は究極的には正誤が判定されうるけど文系は必ずしもそうじゃないんだから
手法や論理には殊更慎重であらねばならないのに
みんなやってるからどうってことないよ程度の差だと片づけるのは嫌い
885日本@名無史さん:2013/08/05(月) 12:54:50.21
また基地外です。
886日本@名無史さん:2013/08/05(月) 19:59:25.10
>>884
研究を開始する当初の作業仮説とかも、当初は牽強付会にすぎないだろ

研究を推し進めて証拠を集めていき、他説の研究者からの反論を受け、
段々と牽強付会ではなく仮説へと昇進するんじゃないかな。

騎馬民族王朝とか照葉樹林文化論あたりは、反論に答えられなくなるたびに節の内容が変化して蛇行する経緯をたどった

が、それでも九州王朝説ほど悪質じゃなかったとは言える。

そもそもお古さんは手法や論理の慎重さの方向を勘違いして迷走してたこともあるし、
反論されたあとの牽強付会が頑迷すぎた。あれは意固地としか言いようがないレベルの重症さだったよな
887日本@名無史さん:2013/08/06(火) 03:18:59.25
>>886
学界というか学者から相手にされなくなっても研究・発表の場を変えることなく学問を続けていたなら結構だが
当人は学界から逃げて取り巻きや支持者の教祖に収まって学問していると言い続けてるだけでしょ
自分の誤りを絶対に認めないんだもの最初からどうかしてたのよね
騎馬民族王朝とか照葉樹林文化論とかとは程度の差ではなくて全く異質なわけ
888日本@名無史さん:2013/08/06(火) 13:43:46.84
程度の差ではなく、本質的に違う
というのに賛成。
学問で用いる方法論そのものと、古田は明らかに異質だった。
889日本@名無史さん:2013/08/06(火) 15:17:51.35
>>887-888
そうか、照葉樹林文化論をマトモな学説と思ってる人には通用しない内容だったな

俺は比較対象二例も物証を欠いた学説モドキと認識してるから、
なんの物証もないイメージ論として、同じカテゴリでいいとおもったんだよ
890日本@名無史さん:2013/08/06(火) 16:06:29.56
>>889
誰も二例がまともだなんて言ってないけどね
あんたが自分で示唆したように文系の学説なってモドキだらけ
それでも学界で活動している限り容赦なく批判にさらされてその価値が定まるわけ
例の死に損ないはそれを言い訳がましく放棄した時点で学問ではなくなり学説としての価値は無くなったのさ
その違いが分からないなら議論しても無駄だわ
891日本@名無史さん:2013/08/06(火) 18:39:14.58
あ、いやスマン

887>当人は学界から逃げて取り巻きや支持者の教祖に収まって学問していると言い続けてるだけでしょ
の部分こそキモだってことを見落とした

ファンクラブ再編の時の踏み絵事件(ツガルを信じない人は来るな、みたいな)で完全に教祖様化したんだったよな

889は撤回して887に賛同するってことで、よろしく。


やっぱり、
>自分の誤りを絶対に認めないんだもの最初からどうかしてたのよね
ってのが本質かのぅ
892日本@名無史さん:2013/08/06(火) 20:31:17.01
それは自費出版で「わが説」を発表した自称古代史研究家には
実によくある症状だが
893日本@名無史さん:2013/08/06(火) 20:52:48.17
>>892
古田氏は初期には論文誌にきちんと発表してはいたんだよな
その影響もあって、自称古代史研究者ではない、マトモな研究者であるかのように誤認されただけだよな

その手の自称研究者でもマトモな研究を出すことができた時代なんて、とっくに終わってたのに。
894日本@名無史さん:2013/08/06(火) 21:46:30.18
「「邪馬台国」はなかった」の最初の部分に

>「他の専門を荒らすな」−わたしが勧告されたのは、この一語だったようである。

というのがあるけど、被害妄想が過ぎると思う。

邪馬台国の研究をするからといって、
いささか面識のある程度の学者の自宅におしかけて、
「三国志の古写本・版本のことを教えてくれ」と要求する。
断られると「つぎつぎと学者を歴訪」する。
そんな面倒くさい素人の要求は断るのが普通なのに、
上記のようなことを書くということは、その背後に
「学者は私の要求に応えるべきだ。
 それなのに、縄張り意識で私を締め出したのだ。」
という意識があるのだろう。

そもそも、邪馬台国は、白鳥庫吉VS内藤湖南で決着が付かなかった時点で
文献学では結論は出ないというのが常識的な判断で、
学会的には終わったコンテンツ。
だから学者も、親切に「親鸞の研究を続けた方が、よほど良い業績を残せる」と忠告したのに、
「他の専門を荒らすな」と締め出しを食らったと思うのは、
逆恨みだろう。
895日本@名無史さん:2013/08/07(水) 00:01:51.44
>いささか面識のある程度の学者の自宅におしかけて、
(略)
>という意識があるのだろう。

そういう勘違いした素人が少なからず居るという話は聞いたことがあるが、
古田御大も,その手のDQN野郎の一員だったわけか。

のちに陰謀説を唱えるに至ったメンタリティが、最初から全開だったとはなあ。
896日本@名無史さん:2013/08/07(水) 00:32:19.04
学会的には終わったコンテンツというのは同意。
だから、面白い読み物として市井の趣味人に任せとけば平和なのに、

箸墓掘ってる自称研究者がいつまでも邪馬台国云々と利用するから、
終わりたくても終われない。
897日本@名無史さん:2013/08/07(水) 00:51:43.72
>>896
文献学的には終わったコンテンツだけど、
考古学的には終わったってわけではないでしょう。
発掘成果と邪馬台国の関連を検討するのは必要なこと。
ただ、出土物に卑弥呼とか邪馬臺國の名札はついてないから、
これが決定打というのは、まあ無いだろう。
文献的にも倭人伝の古写本とか出土したらおもしろいので、
中国の考古学者に頑張ってほしい。
898日本@名無史さん:2013/08/07(水) 02:36:55.06
西晋の有力者の陵墓でない限り、倭人伝の出土とか期待できそうにない気がするんだが、
そういう人の墓の発掘とか、いつになったら開始されるんだろうな。
899日本@名無史さん:2013/08/07(水) 04:00:27.61
ホントにそんなレアだったとしたら、「注とか実在し得ないはずだろ

唐の前半ぐらいまでなら出たっていいと思うが
900日本@名無史さん:2013/08/07(水) 06:18:35.92
あんまり時代が下がると文書が紙になっちゃうからね竹なら残りやすいけど
901日本@名無史さん:2013/08/07(水) 16:06:12.76
え?
三国志って原本そのものからして紙に書かれてたんじゃないの?

まあ、写本には竹簡・木簡に書かれたものもあったから、そういうのが残って発掘されたりもしてるわけだが。
敦煌のあれとかさ
902日本@名無史さん:2013/08/07(水) 17:05:45.64
去年でた、渡邉義浩氏の魏志倭人伝本やその前著、一昨年の三國志本。
最初は思想史の人が専門外のことを書いてどうすんだよ、と思ったもんだけど、
陳寿前後のじだいの史学の状況、「当時の史学は儒教から独立しきっておらず、儒教思想に基づいた理念的な(=机上の空論)記述が少なくない」という指摘など、思想史の立場からの意欲的な記述がいい。
特に魏志倭人伝は、理念的な内容が多いことを、個々の記述ごとに指摘してあったのが特色だったわけだが、
倭国の文化風習の過半のみならす行程記事の一部すら理念的記述であって事実ではない可能性を指摘したことで、古田流解釈の前提を否定した功績は高く評価されるべき
903日本@名無史さん:2013/08/07(水) 21:17:16.66
専門外は所詮専門外だったな
的外れな記述ばかり
904日本@名無史さん:2013/08/07(水) 22:38:30.24
>>901
汲冢竹書とか知らんか
魏晋の頃まで簡牘は普通に使ってただろ

河西回廊みたいな乾燥地帯なら紙でも絹でも残りやすいが
華北や華中だと竹や木でないと残りにくいわな
905日本@名無史さん:2013/08/07(水) 22:44:10.46
洛陽の紙価を高めるの言葉があるように紙も使われてたけどね
906日本@名無史さん:2013/08/07(水) 23:24:42.07
三国志の(または魏志の)この部分の記述は、何々という経典のこの部分の引用
この部分は、何々という経典のこの部分を下敷きにした表現

よって、それらの意味解釈は、元になった経典での文意を下敷きとした解釈にせねばならない

という、思想史および漢晋代思想のど真ん中、直球の分野の記述が多く含まれるので、
古代思想の門外漢である古田氏の解釈よりもはるかに重要度が高い本だよな

たしかに新書版で素人向けの本ではあるが、(要するにオレら向け)
その意義は高い




で、古田氏の論考の根源を否定するからこそ、信者は必死になって否定しようとし、
誹謗中傷の限りを尽くそうとするわけだよな。
907日本@名無史さん:2013/08/08(木) 06:37:28.24
どう考えても古田より専門じゃん
908日本@名無史さん:2013/08/08(木) 09:13:03.58
古田武彦は学者じゃない。
909日本@名無史さん:2013/08/08(木) 11:29:29.43
ってか中文の文法もろくに知らん素人
910zarakoku:2013/08/14(水) 19:25:51.23
また転写です。
卑弥呼は「自謂太伯(姫氏)之後」であり東海姫氏國の女王

>●「卑弥呼らのキ氏系」云々の根拠がありません。意味がありません。<

 いや、魏略は「聞其舊語、自謂太伯之後」と書いており、「其」は倭國の女王らを指しており、太伯は周の王家の姫氏であり、
 だから、卑弥呼らは自ら姫氏の後裔である、と名乗っており、
 また、日本書紀私記の説明に拠れば、
 問:此國稱姫氏國,若有其説乎?師&amp;#35498;:梁時寶志和尚識云:「東海姫氏國.」 又本朝僧-善△推紀云:「東海姫氏國者,倭國之名也.」
 とされているから、倭王武と同時代の梁の寶志和尚が倭國の事を「東海姫氏國」と呼んでいる事になり、
 だから、卑弥呼と倭王武は同じ「姫氏」である事になり、
 隋書のタリシホコの阿毎氏や、唐会要や旧唐書や新唐書の書く倭奴國の阿毎氏や、新唐書の書く(大和州に移った)神武らの阿毎氏とは、違う事になる。
 
 更に、通鑑前編が、「以為、呉亡子孫入海為倭、故倭自云呉泰伯後」と書き、
 「呉亡」となったのは、姫氏の呉王夫差の時であり、
 新撰姓氏録では呉王夫差の後裔を名乗っているのは唯一「松野連家」であり、
 その松野連家の系図伝承には、自分たちは姫氏の呉王夫差の子孫であり、火の国山門に最初の拠点を構え、
 委奴の地に移った後、一部は大野の地に移り、
 その後裔に卑弥呼の名が書かれ、熊襲や壱歟や垂子の名が書かれた後、倭の五王の名が続き、
 倭王武の次の倭國王「哲」の後で、急に倭國王ではなくなって「評督」の地位に降下させられている。
911zarakoku:2013/08/17(土) 20:31:36.71
また転写です。

>>> 同じ形式の墳墓、同じ種類の副葬品など、同じ埋葬文化の一族どうしを比較するのだから有力な証拠になる。当然だ、クズ。<

>単なる埋葬形式の伝播だ。<

>つまり、同じ埋葬文化の中にある。だから比較することに意味がある。<

 現在でも、過去でも、100%同じ墓や埋葬形態のものなど、全くない。
 墓地においても、墓は全て違う。
 という事は、遺族は、全て、その時点での出来るだけ独自的な埋葬形態を考えて、どういう形式を選ぶかを選択していた、という事だ。
 だから、「比較」などには絶対性はない。参考程度だ。

>埼玉古墳群と同じ北武蔵にある、同じ首長級の前方後円墳と比較するのは、ごく当たり前の話。<

 古墳群が違えば、原則は違う部族だ。
 同じさきたま古墳群同士であっても、違う部族間よりも参考になる度合いが高いだけであり、
遺族の考えまでを規定する事にはならない。

> 埼玉古墳群から半径10キロ前後という近さには、小見真観寺古墳、真名板高山古墳、野本将軍塚古墳といった100m超級の前方後円墳がある。<

 参考程度だ。

>>大体同じ価値感を持っていると思われる「さきたま古墳群」で論じるべきだ。<

>だから、盗掘されていない埼玉古墳群の将軍山古墳の副葬品と比較したんだよ。<

 大体の参考にしかならんよ。
912zarakoku:2013/08/17(土) 20:42:40.18
また転写の続きです。

>画文帯神獣鏡(稲荷山古墳)と彷製乳文鏡(将軍山古墳)、
 辛亥銘入り鉄剣等6本(稲荷山古墳)と金銅環頭太刀等4本(将軍山古墳)、
 硬玉勾玉(稲荷山古墳)と水晶三輪玉・金銅三輪玉など(将軍山古墳)。
 これでわかるように、稲荷山古墳の第一主体の被葬者と、将軍山古墳被葬者は同等同質の副葬品を有している。<

 お前はアホか?詐欺師か?。
 将軍山は「金環」を付けているから、おそらく「王」だ。
 ヲワケは「銀環」しか付けていないから、「王よりも下の身分」であり、
 「大王を左治」したんだから、「王」クラスの副葬品を付けられていただけだ。
 そして、稲荷山の粘土槨には、(盗掘されてしまったが)、おそらく金環やもっと豪華な副葬品があったんだよ。

>将軍山古墳の被葬者は、埼玉古墳群を築いた一族の歴代当主の一人であり、
 稲荷山古墳の第一主体の被葬者も、同じく歴代当主の一人と言える。<

 誤魔化すな。
 ヲワケは、銀環の身分であり、追葬されたのであり、中心線から全く離れた場所であり、
 (前方部に正対していなくて)付け足しの造り出しに正対しているから、(将軍山のような)、主葬でも王でもない。

>また将軍山古墳の主体は北頭位。稲荷山古墳の第一主体も北頭位。
 (埼玉古墳群と同じ武蔵国の野毛大塚古墳や赤羽台古墳群も、行田市の東隣の羽生市にある永明寺古墳も、西隣の熊谷市の伊勢山古墳も、南隣の東松山市の秋葉塚古墳も北頭位。)
 これが、お前の大嫌いな現実というやつだよ。<

 全くの「真北」でもないし、主葬ではないし、主葬の粘土槨は東西方向的であるし、回りの部族や将軍山も参考程度にしかならない。
 これが、お前の大嫌いな「史料事実や現実」というやつだよ。

>>それ以外は、「一族」かどうか?は判らんよ。<

> 一族ではなくても、同じ文化を共有する武蔵の住人だ。<

 遺族でなければ、参考程度だ。
913日本@名無史さん:2013/08/18(日) 13:00:26.31
なんだ、これw
914日本@名無史さん:2013/08/18(日) 23:27:24.83
新興宗教の信者が理科の先生に、全ての科学はまやかしだ、と説教中
って感じ
915zarakoku:2013/08/23(金) 08:50:23.10
また大和田さんへのお返事の転写です。

>@「委奴(イト)」は「倭都(イト)」即ち倭の中心地のこと。<

 それも重要な問題になりますね。
 問題はやはり「イ」という音韻なんでしょうね。
 「イザナギ」「イザナミ」の時から、(天照を除いて)神武ら兄弟など、軒並みに「イ」の付く人名や地名が頻出しますね。
 漢字表現では、「伊、(墓碑名にあった)井、一、(壱岐の)壱、怡、五、委、(古代音の)ワ、壹、夷」などでしょうね。(まだありましたかな?)。
 これはやはり「イ」が部族名や名字のように使われ、その部族の居住地や国を「イ」であらわしたんでしょうね。
 それが、壱岐から糸島や怡土付近に集中しているんですよ。
 そして、更に問題なのは、タリシホコや「ワ奴国」や神武後裔の大和が称した名字の「アマイ」氏です。
 それは、アマテラスの「アマ」の部族の中の「イ」氏だという事でしょうね。
 「アマ」とはおそらく「天、海、海女、海男」という意味なんでしょうね。
 だから、ワ人は、おそらく中国大陸の東海岸部から遼東方面にいた頃から、夷人と呼ばれ、
 海峡にやって来てアマ(天)族化して天照族になり、
 その中の「イ」氏が怡土の地に天孫降臨して、紀元前2世紀頃に「アマの伊」氏の「伊都(糸)国」の元を作ったんでしょうね。
 しかし、呉王夫差の後裔のキ氏が先に火の国山門に来ていて、ワ人と同化しようと北上して「委奴」の地にいましたから、伊都国王側と当然争いと和合が発生し、
 伊都国側の神武ら兄弟は、先に見込みがないと見て諦めて大和州に流民武装部族として移り(紀元前1世紀頃)、
 和合組から、ワ奴国王が出て、後漢に遣使を派遣したんですが、
 ワ奴国はアマイ氏でもあり、キ氏側の系図にも載せられている、というような和合状態になり、
 残った伊都国王は一大率として生き延びたんですが、
 キ氏のワ王武の次の「賢(=磐井?)」?が531年に大和の天孫族側の継体に「天皇太子皇子」が殺されてから、伊都国王のアマイ氏(葛子?)が王位を継承したようであり、
 この時点で、大和アマイ氏がワ国王家に一員になり、
 その子孫がアマイ氏のタリシホコなんでしょう。
916日本@名無史さん:2013/08/23(金) 20:35:41.86
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917日本@名無史さん:2013/08/23(金) 20:36:20.92
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918zarakoku:2013/09/10(火) 11:54:28.94
 私見です。(転写です。)
 
 チクシでは、神武ら東征頃の後に、キ氏とアマイ氏の合同(イ委奴国)があり、
 「百済本記」の531年の「又聞 日本天皇及太子皇子 倶崩薨」で、キ氏の倭国王「哲」(=磐井?)が亡くなって、
 (一大率や平西将軍家の)伊都國のアマイ氏がワ国王になって、大和も(秦王國として)王家一族になった、
 という考えです。
919日本@名無史さん:2013/09/10(火) 19:39:11.36
あほ
920日本@名無史さん:2013/09/15(日) 17:16:16.16
zarakokuという粘着ジジイ氏ねや
921日本@名無史さん:2013/09/15(日) 20:58:28.69
zarakokuはキ氏 もといキ印
922日本@名無史さん:2013/09/18(水) 10:48:45.55
古田氏の著作をもう一度読んでみな。
古田氏の著作をもう一度読んでみな。

古田の金太郎飴になって、古田と同じことを行っている古田信者は
古田の金魚のウンコ
923日本@名無史さん:2013/09/20(金) 01:25:01.24
御大はまだ逝かないのかな
どうせ死に体だから逝ったも同然
924日本@名無史さん:2013/09/27(金) 04:38:15.63
「邪馬台国は無かった」を最初に読んだ時は感心した
925日本@名無史さん:2013/09/27(金) 10:36:18.14
しばらくして失望した
926zarakoku:2013/09/28(土) 07:46:03.43
また転写です。

>>(魏略)だから、「キ氏の末裔だ」と自称したのだよ。<

>しかし、中国側は、まともに取らなかったわけだ。 唐会要では「世与中国通。其王姓阿每氏。」 隋書では、「俀王姓阿毎 」<

 魏略は、卑弥呼らをキ氏と認識し、梁の宝志和尚はワ王武をキ氏と認識記録し、隋書は「俀王姓阿毎」と記録し、
 唐会要などは、「古倭奴國也。在新羅東南・・・世與中國通。其王姓阿毎氏」と記録したのだから、
 倭奴國の後継国(伊都国?)のアマイ氏と、それとは別のキ氏とが同一王朝(ワ王朝=卑弥呼やワの五王)になっていた時期があって、
 その後でまたアマイ氏のタリシホコの王朝が復活した、という事になるだけだ。
 そして、その復活のきっかけが、531年の「日本天皇太子皇子ら・・・」の磐井の死亡事件だ、といっているのだよ。
 全部九州のチクシの事件なんだよ。
927日本@名無史さん:2013/09/28(土) 16:43:31.71
キ印
928zarakoku:2013/09/29(日) 18:37:15.20
また転写です。

>>そして、お前は「大王=雄略」を匂わせっぱなしでで、根拠らしいものは皆無だし。<

> 関東には大王などいないからな。<

 いや、列島の「大王」の資格のあったのは、チクシのワ国と、関東の南岸〜常陸のワ武天皇と、
 北関東の毛野氏らの毛人蝦夷地域と、 津軽の蝦夷だろうな。
 大和は、ワ国の別種の旧小国であるから、「大王」の資格がない。
929zarakoku:2013/09/29(日) 18:40:54.76
またYahooの九州王朝スレからの転写の続きです。

>そして、稲荷山古墳辛亥銘入り鉄剣の銘文にあるが、ヲワケは大彦命を祖とする皇別氏族を公称している。<

 「大彦命」など、合った名前もないし、何の根拠もない。
 大体、天孫族の大和王の叔父に当たる大彦命が、何故「杖刀人首」という低い地位の家臣の祖であるのか?が、全くの矛盾になる。
930zarakoku:2013/09/29(日) 18:44:16.21
また転写の続きです。


>獲加多支鹵大王が誰にしろ、天皇の誰かとなる。<

 天皇の誰にも名前が合わないし、雄略の治世年代にも合わないし、都の名前も違う。

>そして獲加多支鹵大王には、関東のヲワケと九州のムリテが仕えている。<

 稲荷山の鉄剣が「獲加多支鹵」と書かれているのか?も不明であるし、
 九州の江田船山の鉄剣の名前も不明文字が多くて、そのように読めるのか?さえも判らない。

>日本列島を覆う統治者だから、「天下大王」なんだよ。<

 ワ国の別種の旧小国であった大和には、「大王」などいないよ。
931日本@名無史さん:2013/09/30(月) 04:50:18.25
チクシの畜生、ほとんどキ印
932zarakoku:2013/10/01(火) 09:15:47.25
またYahooで×になりましたので、こちらに書いておきます。
(現在、殆どの投稿がYahooから否定削除されていますので、またしばらく転写が続くだろうと思います。)

>>いや、チクシは、もっと早く弥生時代から、(窯がなくても)中国の黒陶灰陶の系統の須恵器の製品が齎されていた可能性があるんだよ。<


>妄想と現実は区別をつけような。笑<

 
 呉王夫差の後裔の姫氏(松野連家)は、海に逃れて火の国山門に渡来して来て倭になり、稲作養蚕などや墓祭祀などの生活必需物などを齎したんだから、
 中国古来の黒陶灰陶も、当然齎した可能性が高いんだよ。
 そして、当初は中国や半島の(瓦式土器や陶質土器などの)陶器類を移入して使い、それが筑紫での「弥生土器と陶器の並存」であっただろうな。
 そして、やがて、筑紫の朝倉で、河内付近の陶邑に先行して陶質土器の自己生産を始めた、という事だな。
 
 自分の宗教思想の大和一元列島支配カルトに都合の悪い史料は、「何でも間違いだ否定抹殺だ」とする妄想と、
 現実は区別をつけような。笑
 
 
933zarakoku:2013/10/01(火) 09:35:20.13
またYahooでの返事の書き込みです。

>>・・・北部九州では陶邑に先行して、より朝鮮陶質土器に似た須恵器が朝倉地域を始めいくつかの地域で生産されていた、と菱田氏は記している。<

>だから、何? 畿内には、陶邑より古い大庭寺遺跡窯群や千里丘窯群がある。
 それに、古墳時代には九州などの地方窯は駆逐され、陶邑の須恵器が席巻した。
 所詮、田舎では需要もなく、技術は育たない。巨大古墳を発注する畿内の王家の下で、須恵器は発展したんだよ。<

 「畿内」と誤魔化してはいけないねえ。
 旧唐書や新唐書などでは、日本国は倭国の別種旧小国の奈良盆地付近の大和であっただけなんだから、
 近江や山城や摂津や河内や和泉や播磨などの地域は、在地の銅鐸部族(出雲系?)や筑紫や半島系の移民部族の混合地域であったんだよ。
 だから、陶邑なども、大和の支配地だ、などとは断定出来ないんだよ。

 勿論、彼らが、陶器生産に適した地にあって、陶器を生産して列島各地に商って生活するのは自由であっただけだな。
 
934zarakoku:2013/10/01(火) 09:44:08.54
>>ハイテクって、一体なんという遺跡だ?笑 <
またYahooでの返事の書き込みです。

>>>>何と言ったって、那珂〜春日は、当時列島最大のハイテク工業地域であり、都への道を示す「大道」の土木工事もあった所だからな。
 
>>>ハイテクって、一体なんという遺跡だ?笑 <

>>もう4〜5年前の議論だったろうから、もう忘れて覚えていないねえ。<


>お得意のチンピラの捨て台詞だな。アホは、ハッタリさえ、下手だな。<

 ちょっと検索しても、
 http://history-channel.blog.ocn.ne.jp/blog/cat10993196/
 のような話が書かれているから、
 もう世間では衆知になっている事だよ。
935日本@名無史さん:2013/10/01(火) 14:19:26.72
投稿拒否される頻度が上がったのかね?
だとすると、そろそろ悪質投稿者リスト入りかな

いつ投稿禁止処置が出るか楽しみだ
936日本@名無史さん:2013/10/01(火) 22:25:34.00
ごちゃごちゃと九州王朝の説明をしていますが
おしゃべり(自白)はもう、たくさんです。過去の日本本土に九州王朝が存在したのか?
明快なる物的証拠(物証)が必要です。自白と物証・・・・・
九州王朝の王宮、王都、王墓の3点セットがなければ、ただの妄想です。
937日本@名無史さん:2013/10/01(火) 22:27:25.90
>>936
私見ですか?w
938日本@名無史さん:2013/10/01(火) 22:34:28.92
九州王朝の本拠地は太宰府だろう。
原始的山城の神籠石や5世紀の古水城が、
太宰府を守る配置になっているのは一目瞭然。

特に水城はどう見ても、畿内方面は全く意識されていない。
939日本@名無史さん:2013/10/01(火) 22:35:43.86
そりゃあ太宰府の守衛で九州にあるなら畿内を意識した配置とか意味ないよなw
940日本@名無史さん:2013/10/01(火) 22:49:44.95
磐井の乱で、磐井は大和王権の軍に攻められたことになっているが、
なぜか軍が来た方向である北九州方面に逃げ込んでいる。
その後、あきらかに軍が通過したであろう糟屋の弟が降伏している。

普通、北九州から攻めてきたら、南に逃げるし、
途中の糟屋の弟は、磐井を落とす前に血祭りにあげるもんだ。

でなければ、糟屋の弟と磐井本軍で挟撃されるのは明白。

むしろ熊本の軍が攻め上ってきて、磐井が北へ逃走し、
そのまま福岡に達して、磐井の弟を降伏させるのが妥当。
941日本@名無史さん:2013/10/01(火) 22:52:06.49
半島との連携については無視か
熊本の軍なんて何の記録も無いのは採用w
942日本@名無史さん:2013/10/02(水) 03:00:26.64
正面決戦を避けて迂回したんじゃね?
943大和 田 直木:2013/10/03(木) 19:47:27.20
磐井の乱は、独裁者磐井に対する反乱。
半島政策の負担に耐えかねた玄界灘沿岸勢力が、
肥君のバックアップを得て、北野地域にいた磐井に反乱戦争をしかけた。

玄界灘沿岸勢力が磐井との戦いに勝った。
磐井は肥勢力のいる南と西には敗走できず、東方に敗走せざるを得なかったのである。
磐井は豊前に敗走したが、体制を立て直す前に殺されたのである。

磐井の防戦立てこもり用に準備しつつあった城が御所ヶ谷神籠石でなかろうかと想像する。
944日本@名無史さん:2013/10/04(金) 00:59:36.37
>>936
王墓
http://www.daizenji.kurume.ed.jp/gonngenn2.htm

王宮
高良大社、高良玉垂宮

王都
久留米
945日本@名無史さん:2013/10/04(金) 01:38:33.90
で?
946zarakoku:2013/10/04(金) 08:03:04.69
また「反古田」偽書説派のハイエナへのお返事の続きのYahooからの転写です。

>しかも、口絵には「東日流」「かたりべ草紙より」の文字が書かれてある点が、1987年撮影のものと相違する。<

 当然、1987年直前?に(福士家より?)見出された「津軽諸翁聞取帳」に、
 その後東日流六郡語部録 諸翁聞取帳の編集時までの間に、
 どなたかが自己注釈説明を書き入れられた、という事になるだけだよ。
 何もおかしくない。
947zarakoku:2013/10/04(金) 08:08:34.21
また転写の続きです。

>“両者はよく似ているが、別物である”という主張を為すことも可能であろうが、それならそれで喜八郎氏の本文と齟齬を来す。
 喜八郎氏が、この『東日流六郡語部録 諸翁聞取帳』の編纂について以下のように述べているからである。
 396ページ。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−幸いにして、飯詰小学校の教諭をされていた故・太田文雄先生が地方の伝説を生徒に教える教材としてこれを書写していたものが残っており、
 さらに公民館長をされていた故・開米智鎧(かいまいちがい)和尚(おしよう)が現代風に意訳して写していたものが保存されていた。
 これらを合わせて新たに編集したものが本書の基礎となった。
 そのために訳出のしかたや方針に一定しない部分が出ているが原本が破棄された今日、本書と比較して照合することが出来ないので不統一はそのままとした。
 原本の文章のそのままではないにせよ、内容においては恣意的な改変を行なわれていないことは確かだからである。
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−<

 それなら、喜八郎さんの手元には、
 福士家から見出された「東日流?諸翁聞取帳」(=昭和24年以前に福士氏が和田家より提示された「飯詰町諸翁聞取帳」とは違うもの?)と、
 それ以外に、故・太田文雄先生が書写したものと、故・開米智鎧和尚が意訳書写されたものの、
 3つはあった、というだけであり、何もおかしくない。
948zarakoku:2013/10/04(金) 08:12:30.49
またYahooでのハイエナへのお返事の続きの転写です。

>喜八郎氏が『東日流六郡語部録 諸翁聞取帳』の「おわりに−安倍頼良将軍の大鎧」を書いたのが末尾にある「平成元年七月十三日記す」であり、
 この時点で喜八郎氏は“一冊残った『津軽諸翁聞取帳』原本”に言及していないのであるから、
 「本書の出版直前」が、同年「七月十三日」以降、刊行日「11月24日」までの間と見ることが出来る。<

 いや、「おわりに−安倍頼良将軍の大鎧」が、「津軽諸翁聞取帳」に記載された事ではなく、太田氏や開米氏らからの文献の記載であれば、
 「津軽諸翁聞取帳」に言及しない事など、何もおかしくない。
 それに、福士家よりの「津軽諸翁聞取帳」の「本書の出版直前」の発見は、始めから「1987年の直前」であった可能性が高い。
 要は、精神的に異常なハイエナが、喜八郎さんの説明を「諸翁聞取帳」は一つだけという曲解妄想をして、
 それで喜八郎さんの説明の「言葉尻」を繋いで、矛盾を妄想捏造してでっち上げようとしているだけだな。
 
 皆さん、騙されないように、気を付けましょうね。
949zarakoku:2013/10/04(金) 22:08:56.92
また転写です。

>>いや、阿毎氏と姫氏の委奴の地での「合同政権」は、倭奴國の頃よりも前に出来たようであり、・・・<

>唐会要によれば、倭の王族は「其王姓阿毎氏。」<

 いや、「古倭奴國也。在新羅東南、居大海之中。世與中國通。其王姓阿毎氏。設官十二等。俗有文字。敬佛法。・・・」だから、
 倭奴國とタリシホコ以後の倭國が阿毎氏である、と言っているだけであり、
 倭國王帥升などや卑弥呼やイヨや倭の五王などの姓は書かれていないんだよ。

>東海姫氏は、中国側の史料には全く出てこない。
 そして、わずかに日本で作られた野馬台詩に出てくる呼称にすぎず、要するに作り話である。<

 いや、日本書紀私記では、梁の宝志和尚が知っているのは、倭王武へ503年の叙勲事件になるのだから、倭王武は姫氏だ、と言う事だ。
950zarakoku:2013/10/08(火) 17:11:25.84
また転写で、ごまかし氏へのお返事の続きです。

>>私は言ったのは、那珂八幡〜春日地域のハイテクの話だ。
>>ハイテク工業地域の那珂〜春日地域には、河内や大和の庄内が搬入されているんだから、逆に、河内や大和の文物を吸収した文明地になるのであり、<

>で、結局、ハイテクって何のこと?自分で意味のわからない話をするんじゃないよ。<

 で、結局、私が検索して探して上げた誰かのサイトの事を、知らん振りするんかね?。
 意味が判らなかったら、自分で検索して、もう一度探してみな。

>>(造り出しの設置)それは前方部の発展形であっただけであり、
 それでも、現在でも前方部側から拝礼するの事が、人類の常識である、という事は変っていない。<

>古墳時代中期には、造り出しから拝礼するのが常識だったんだけどね。
 後期になれば、前方部に埋葬主体が設けられた。つまり墳丘の一部になった。<

 それでも、大仙陵のように、前方後円墳全体の祭礼場所は、前方部からの方向であった。
 それが、人類の常識の「方向」だな。

>>造り出しは、祭祀や作業のために便宜上造られたものだ、というだけだな。<

>根拠は? <

 初期の前方後円墳には付いていなかったからだよ。
 しかし、この話も、もう以前にお前も同意していたぞ?。お前は、その事も隠すんかい?。
951日本@名無史さん:2013/10/08(火) 17:46:04.53
狂気を感じる
952日本@名無史さん:2013/10/08(火) 17:50:02.53
ビンビン感じる。強い電波が来てる。
953日本@名無史さん:2013/10/08(火) 18:41:28.86
もはや、こんなレベルで狂気に侵されてないと古田信者を続けていけなくなってきたんだろうな
954zarakoku:2013/10/09(水) 08:12:33.54
また転写です。
 
>>> 古墳時代に、庶民と一緒の穴に放り込まれる王はいないよな。<

>>その部族の価値観が、「穴に一緒に入れて貰う」埋葬であった、というだけだ。<

>その根拠は?<

 その部族の金環を付けた王的リーダーが埋葬されているからだ。
 金環>銀環>銅環>鉄環の差異が「身分差を示す」事は、(お前の一番不得手で嫌いな)人類の常識だ。
955zarakoku:2013/10/09(水) 09:59:46.19
また転写です。

>>(ワ武天皇の支配地を除いた)北関東の北武蔵〜両毛付近と、大和付近との比較が最も問題なのだよ。<

>その根拠は?<

 その他の周辺地域については、チクシのワ國や半島渡来部族の事も考慮しなければ、比較になり難いからだよ。

>両毛は、畿内出身の皇別氏族たる上毛野氏の支配地だ。<

 いや、大和一元列島支配教の「皇別」記録など、根拠にならないよ。
 上毛野氏も毛人蝦夷だ。

>一方、お前の言う大和は律令時代に作られた分国であって、古墳時代にそんな線引きはない。<

 いや、倭人ですら100余りの国があったんだから、古墳時代でも列島中は部族国家だらけだ。
 そして、大和はワ國の別種旧小国だ。

>古墳時代は、自然の交通路に沿って移動し、定着した。このエリアは大和王権の勢力範囲と、のちの律令時代にできる大和国と重ならない。<

 大阪地域は、銅鐸部族と毛人蝦夷が、ワ國(とその配下の大和)や半島渡来部族にとって変わられただけだな。

>大和王権の中枢は、大和国よりずっと狭い。・・・
 しかし、この狭いエリアに、日本に存在する200m超級の古墳群の9割が集まっている。・・・<

 「日本國者、倭國之別種也」や「或云日本舊小國、併倭國之地」と書かれている限り、それは妄想だ。

>>上毛野氏も、「毛深いという意味の呼称」であるから、「毛人蝦夷」だ。<

>これは、何を根拠に言ってるのかな?笑 <

 毛人蝦夷地域である事と「毛」の呼称を誇っているからだ。
956zarakoku:2013/10/09(水) 11:46:48.36
また転写です。竹島の帰属問題。

>>「他の部族の居住していた地を武力などで征服支配し、」<

>これは、今は、国際法に抵触しますが、 一次、二次の世界大戦以前は、世界で常態化し、人の歴史そのもであり、国際社会も容認していましたね。
 愚かな人間のやることですから詮方なし。<

 いや、やはり、人類は皆、生存と個人の自由と子孫を残す義務を持った共存すべき兄弟であり、
 地球も海も大地も人類の共有財産であったのであり、
 征服殺し合い戦争は、暴力団や「南→東」のような宗教のように、地球と人類に対する唯我独尊支配欲望の破滅的行為にしかならんだろうね。

>しかし、人道に反する行為(見解は時代により異なると思いますが)は、 被害の当事者が生きている間は、 歴史の問題ではなく、倫理の問題であり、
 個人的には、その人や人々に謝りつづけないといけないと思います。<

 「南→東」の右翼国粋国家至上主義的な唯我独尊の曲解捏造をしている限り、無意味な謝罪にしかならんでしょうね。

>>「連合国のつもりになるでしょうね」<

>・・・・つもりじゃ、大人の話しになりませんね。<

 人類の共有財産である海や島を「自分らだけのものだ」という論理を主張するものは、
 韓国であっても日本であっても、「大人」にはなりませんよ。
 「南→東」でも同じですよ。
957zarakoku:2013/10/09(水) 11:48:43.58
また竹島問題の転写の続きです。

>>「日本には、竹島などの法的絶対領有を宣言権利など全くありません。竹島などの支配権は、旧連合国側で話し合えば済む事ですよ。」<

>・・・?「講和条約」や「日韓平和条約」で曖昧な部分は、大人の話し合いが必要ですね。曖昧な領土問題は、一方だけが宣言するものでなく、 周辺国や国際社会の話し合いで決まる問題です。<

 いや、領土問題など、元々は誰のものでもなかったのだから、人類共存の地球にとって、何の本源性も普遍性もありません。
 個人や集団の「暴力団のような所有権争いや縄張り争い」に過ぎません。
 漁業をしたければ、現所有名義国にお願いしたらいいだけです。

>また「旧連合国側」とあなたはしきりに言いますが、「国連加盟国」は「国連憲章」にのっとり行動する。これが国際ルールでしょう。 役割を終えた「旧連合国側」と話し合う云々は、 今は通用しない、時代錯誤ですよ。<

 日本が無条件降伏をして領有を放棄してしまった事は、今更言い訳が聞かないだけ。
 それを、昔は自分のものだったからよこせ、と言い出すのは、時代錯誤ですよ。
958日本@名無史さん:2013/10/09(水) 12:14:08.13
こいつ、竹島は韓国領って言い張ってるの?
959日本@名無史さん:2013/10/09(水) 12:38:37.62
>いや、領土問題など、元々は誰のものでもなかったのだから、人類共存の地球にとって、何の本源性も普遍性もありません。
アホすぎて腹痛いw
960zarakoku:2013/10/09(水) 19:04:10.45
また偽書説のハイエナへのお返事の転写です。

>昭和62年7月20日第一刷発行、山上笙介編『原本和田家蔵 總輯 東日流六郡誌 全』巻末(379〜382ページ)に、和田喜八郎氏が「『東日流六郡誌』と中山の秘洞」という文を寄せている。
 その中から引用する。 −−−
 昭和二十二年の夏、私は、家伝の「東日流誌」関係群書の存在を知ってまもなく、そのなかにあった遣物秘蔵地図を手がかりとして、同志四人とともに、中山連山の山沢の踊査を敢行した。<

 これは、喜八郎さんが明らかに記憶の混乱をしている。
 それは既に同行した藤本さんの証言で、昭和40年頃の話である事が判っている。
 だから「家伝の「東日流誌」関係群書の存在を知ってまもなく」という「まもなく」が、昭和22年から18年後頃の事になる。
 だから、順番は合っている事になる。
 私も同じような記憶混乱があり、
 若い頃の沢山の旅行の記憶など、同伴の子供らがどんな年齢頃であったのか?をよく思い出さないと、
 10年や20年は、簡単に間違えてしまう。
961zarakoku:2013/10/09(水) 19:07:25.26
またハイエナへの横レスの転写です。

>秘洞発見に次いで、翌昭和二十三年夏、中山連山中から、再び古代の埋蔵物が出土をした。
 場所は糠塚山。今回は偶然の発見で、私の父が炭焼釜を造っていたときに、土中から現われたのである。<

 これも喜八郎さんは、記憶の混乱があるようである。
 「翌昭和二十三年夏」というのは、おそらく昭和40年の翌年の事。
 「私の父が炭焼釜を造っていたときに、土中から現われたのである。」というのも、昭和23年頃の元市さんとの土中からの発見話と混乱されているようだ。
962zarakoku:2013/10/09(水) 19:10:19.32
また転写の続きです。

>右に掲げた六枚の写真ほ、秘洞踏査行のスナップであり、同行した藤崎(青森県南津軽郡藤崎町)の写頁館主佐藤喜一郎さんが撮影したものである。<

 「佐藤喜一郎さんが撮影」の年次がやはり不明。

>「『東日流六郡誌大要』について」掲載の写真に添えられたキャプションにも「中山山地遺跡踏査行 昭和22年、人物は筆写」とある。
 昭和61〜62年頃に喜八郎氏が記した文に依れば、この洞窟を踏査したのが「昭和22年」である。<

 「昭和22年」は、喜八郎さんの単なる記憶間違い。

>1965年(昭和40年)和田喜八郎、藤崎摂取院関係者・佐藤末太郎・加福喜一・藤本光幸を洞窟に案内する(水沢の窟、金井城の窟)
 入口より岩戸遮断地までその先は未踏。(藤本光幸談)<

 喜八郎さんには、大量のいろんな出来事があり過ぎたのであるから、日記でも書いておられない限り、当然記憶の混乱はあるのであり、
 少ない体験を記憶された藤本氏の記憶の方が、より信頼出来る。
963日本@名無史さん:2013/10/09(水) 20:45:18.52
ここまで頻繁に投稿拒否されてるんなら、管理者からも悪質投稿者(嵐)と認定されてるんじゃないか?
964zarakoku:2013/10/11(金) 08:22:24.43
また転写です。
「祇園山古墳」

>>いや、四隅が円弧では、「一辺」を歩測や目測で「断定的に計測出来るようなものではない」不定形なのだから、「長径」で表現して適切。<

>上記のとおり、祇園山古墳は正方形であり、断定的に計測できる。<

 張政らが、卑弥呼の墓を「直接メジャーを使って計測する」ような失礼の事が、出来る筈がない。 
 当然、目測ないしは歩測での大体の計測をして記録した。
 そして、四隅が円弧の不定形であるから、おそらく「長径」に記録した。

>ただし、方形であるため、祇園山古墳の大きさは径で表さない。<

 誤魔化すな。不定形であるため、祇園山古墳の大きさは長径で表わした。

>九州にも円形の墳墓はいくらもあるだろうに。
 わざわざ、明らかに方形の祇園山古墳を選ばなくてもね。
 纒向型の前方後円墳でちっこいのは幾つかあるし。そっちの方がまだマシ。<

 張政らが、前方後円墳を見て、その中の円墳部分だけの大きさを記録するような、騙しのウソを書けば、
 もしもばれたら、首が飛ぶ可能性がある。
 それに、そんなウソや矮小化を、わざわざ記録する必要もない。
 だから、(前方後円墳も不定形であるから)当然最大「長径」で記録する筈。
965zarakoku:2013/10/15(火) 11:12:23.64
また転写です。

>>陳寿は、ワ地について「其地無牛馬虎豹羊鵲」と書いたんだから、285年頃の伽耶への騎馬民族流民の流入建国事件は知らなかった事になり、<

>285年に、何族がどこに流入したんだ?それが乗っているのは、なんという史料のどの下りだ?<

 新井宏さんの説明のあったんだが、それを出せるPCは、今、手元にないから、紹介はお断り。
 伽耶の騎馬部族は、半島の東北部から満州方面での敗残流民で、半島東岸を通ったような話だったよ。

>>そして、285年頃の騎馬民族流民流入以後の伽耶の陶質土器は、河内でも「庄内と共存」しているが、<

>これは、どこの古墳から出た、どんな資料のことだね?<

 古墳ではなく、久宝寺や加美付近の遺跡であった記憶があるし、
 例の明治大学の佐々木氏の話にも書かれていたよ。

>>285年頃以降になる庄内期の(天孫族地域の)那珂八幡は、同じ天孫族地域のホケノや箸墓の「庄内布留混合」よりも古くなる。<

> 畿内、それも大和川淀川水系のエリア内で、弥生式土器、庄内式土器、布留式土器の変遷が見られるわけだが。
  那珂八幡古墳出土の庄内土器って、どの年代のものだ?<

 柳田さんは、那珂八幡付近の庄内をチクシのU期(後期)とされ、
 明治大学の佐々木氏は、那珂八幡で河内や大和の庄内との「共存」を説明され、
 更に那珂八幡では布留も出土する、としておられ、
 河内では、伽耶からの285年以降の陶質土器と庄内が「共存」していたとしておられるんだから、
 「共存」が根拠になって、那珂八幡の年代は285年以降になり、那珂八幡古墳も285年以降になる、
 という推論だよ。
966日本@名無史さん:2013/10/26(土) 07:14:02.38
磐井と新羅連合、大和と百済連合の決戦。日本で前哨戦を制したものの、結局大敗。
967日本@名無史さん:2013/10/26(土) 23:32:35.91
>>965
那珂八幡から布留が出土するのは知ってるが、庄内は初耳だ。
ま、どうせ浅読み曲解してるのだろうが、
どっちにしても庄内や布留という土師器は畿内土器なんだが。

アホなおっさんwww
968日本@名無史さん:2013/10/27(日) 05:39:28.11
たぶん那珂八幡の神社床下にある第一主体(未発掘)を庄内併行とみる識者見解と、発掘された第二主体の布留がごっちゃになって、脳内で両者共伴に化けているのだろう。
969zarakoku:2013/10/28(月) 19:46:38.70
また転写です。

>>土器に年代が書いていない限り、土器だけでは絶対年代は決まらず、大体の順番を推定するだけ。
そして、年代のはっきりした他の出土物との同じ遺跡内や同じ古墳内部などでの共存や、土器の内外の付着炭化物の放射性炭素などからの大体の推論にしかならない。<

>それなら、まず>>「庄内」が285年以降になるんだから< について、
どんな根拠で、絶対年代で何年位に定義しているのか?、を言わなければ、詐欺師だよ。<

 何回も言ってあるよ、右翼国粋人種差別者くん。
 論理の原点は、河内(確か久宝寺遺跡だったか?)での、伽耶由来の陶質土器と庄内(単独)の共存がある事だ。
 伽耶由来の陶質土器は、伽耶にやって来て(チクシ系のワ人を排除して)建国した騎馬民族流民が齎した、とされており、
 その騎馬民族流民国は、陳寿の魏志には全く記載されていないから、3世紀の第4四半世紀頃以降になり、
 新井さんの紹介では、その頃の満州から高句麗付近の動乱による流民発生が原因と考えられ、その動乱が285年頃であった事から、
 285年という絶対年代が発生したんだよ。
 そうすると、河内の庄内(単独)にも285年以降という絶対年代が発生する事になり、
 それは河内から搬入された纏向や西日本各地やチクシなどの「搬入河内庄内」の年代も、285年以降だ、という事になってしまい、
 だから、纏向や那珂八幡の庄内(単独)の年代も、285年以降だ、という事になってしまうんだよ。
970zarakoku:2013/10/29(火) 07:54:02.53
>>大和の「棺内棺外分離方式で頭部包囲」は、明らかに銚子塚から遅れて発生する。<

また転写です。

>仿製三角縁神獣鏡が副葬されているから、銚子塚古墳はそれほど古いものではない。
 副葬品は密封されるから、中身の最も新しい物が、埋葬の年代の決め手となる。<

 呉系楽浪鏡師らの渡来は、列島で「青龍」紀年鏡が出土したようだから、青龍年間の渡来であった可能性が高く、
 三角縁も、列島では、3世紀後半のチクシの志度や藤崎や那珂八幡地区が先行しているんだから、
 300年過ぎ?頃の銚子塚に仿製三角縁神獣鏡があってもおかしくない。
971zarakoku:2013/10/29(火) 07:56:51.80
また転写の続きです。

>さて「明らかに銚子塚から遅れて発生する」と言う根拠は?<

 布留の黒塚が、(銚子塚と同じ頃と考えられる)「庄内布留混合の箸墓」よりも明らかに新しいからだ。

>もっとも、それよりも問題があって、銚子塚古墳の埋葬形式は、畿内で一般的で九州では珍しいということだ。
 銚子塚古墳の被葬者は、畿内人かもしくは畿内文化に傾倒した九州人と言える。<

 いや、銚子塚は怡土の地であるから、アマイ氏である可能性が高く、
 しかし、369年にはワ王旨(キ氏の玉垂命)が既に久留米に遷宮しているんだから、
 銚子塚のアマイの王は、後1〜2代位で終わった可能性も高いから、
 銚子塚の墓祭祀は、1回きりで終わった可能性も高いんだよ。
 そして、同じアマイ氏の田舎の大和は、ドーナツ現象よろしく、銚子塚の墓祭祀の模倣をやり続けた、という事になるんだよ。
972zarakoku:2013/11/02(土) 12:04:24.01
また転写です。

>>釈日本紀の小野妹子や武徳中の話は、新唐書の「次用明、亦曰目多利思比孤、直隋開皇末、始與中國通」の証拠や・・・<

>だから、武徳中の話の根拠史料は?<

 延喜講記の証言。
 どんな思想的な×書であっても、(例え、書紀や通典や新唐書であっても)、
 史料事実の(「ついうっかり」などの)証言内容な根拠になるんだよ。
973日本@名無史さん:2013/11/02(土) 14:04:19.41
「ヅラ酷使」ならぬzarakoku氏はもう書き込みを休んだ方がいい。

どんどん哀れになっていく。
974日本@名無史さん:2013/11/04(月) 08:58:15.42
チクシ・チクシ・・・・・・こん畜生の古田金太郎飴
975zarakoku:2013/11/04(月) 21:11:36.73
また転写です。

>>「ヤマト」の発音は奈良盆地内の初元的一地名だ<

>そして、日本全体を代表する国名でもある。<

 無理だ。
 新唐書:「日本、古倭奴也。・・・其王姓阿毎氏、 自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以尊爲號、居筑紫城」や、
 「 彦瀲子神武立、更以天皇爲號、徙治大和州」によって、奈良盆地の小地域を「ヤマト」という発音で呼ぶ事が始まり、
 「次用明、亦曰目多利思比孤、直隋開皇末、始與中國通」や、
 旧唐書:「日本國者倭國之別種也・・・或云日本舊小國併倭國之地」や、
 唐会要ワ國伝:「北限大海、西北接百濟、正北抵新羅、南與越州相接」であるから、
 列島盟主は筑紫のワ國であったのであり、
 大和が「日本全体を代表する国名」になったのは、「日本舊小國併倭國之地」以後であり、
 そして、その後「大ワ→大日本」や「大ワ→大和」や「ヤマト→大和」の書き換えがなされたのだよ。
976日本@名無史さん:2013/11/04(月) 21:52:49.85
邪馬壹国→倭国→貴国→倭国→?国→倭国

   九州王朝はコロコロ国名が変わり 或る時は倭国 そのまた或る時は貴国

   其のまた或る時は?国  そして、そのまた実態は・・・・・・妄想による狂信集団
977日本@名無史さん:2013/11/07(木) 08:45:24.66
「そのまた」の使い方が変だ
978日本@名無史さん:2013/11/07(木) 09:20:29.77
そのまた或る時は>>976、そのまた或る時はキチガイザカロク
979日本@名無史さん:2013/11/07(木) 18:43:00.71
また転写です。

>>「或本」では、文書名には余り重要ではないから省く、という意図が感じられるが、
 大量に書かれた「一書」では、文書名は絶対明かせないのだ、という強い拒絶的な意図が感じられる。
 それは、おそらく「ワ国の文書」であったから。<

>お前の妄想など無意味。「ワ国の文書」と言うならきちんと根拠を示せ。<

 「日本、古倭奴也・・・其王姓阿毎氏、 自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以尊爲號、居筑紫城。
 彦瀲子神武立、更以天皇爲號、徙治大和州」であるから、
 神武の時にチクシから別種として大和に移った、という事は、神武以前はチクシにいたのであり、
 「一書」は、ぴったり、アマイ氏がチクシ(ワ国)にいた時の「書」であった、
 という事になる。
980日本@名無史さん:2013/11/08(金) 03:51:21.70
「アマイ氏がチクシ(ワ国)にいた」という物的証拠・考古学上の発掘による遺跡、遺物が
あるのだろうか?

チクシ、チクシ、コン畜生

古田の金太郎飴になって古田と同じことを言ってる
いまじゃ金太郎飴から古田の体の一物(イチモツ)つまり古田金玉になっている

「古田金玉なり下がり・・・・・ブラ・ブラ」
981日本@名無史さん:2013/11/09(土) 10:20:53.45
また転写です。

>>前方後円的墳丘墓に関しては、那珂八幡(≒大和の初期前方後円墳と同期)の時代よりも古い、 と いう事までしか判らない事になるのであり、<
  
>↑南九州の西都原の前方後円墳も同じくらい古いのだが。<

 宮崎は、元々は東テイ人地域であったんでしょうが、
 天孫族のアマイ氏の神武の父のウガヤフキアエズの赴任地のようであり、
 大和のアマイ氏の神武の後裔の景行の遠征地でもあるから、元々天孫族系の強い地であり、
 東テイ人は、漢最末期に中国に遣使を派遣した後、歴史上から消え、
 その後の卑弥呼の時代には、5万戸の(ワ国内の国として)投馬國が登場しているから、
 糸島や大和の天孫族系の投馬國が、「西都原の前方後円墳」の主であったんでしょう。
 そうすると、「西都原の前方後円墳」は、糸島や大和の影響下である事になりますから、
 糸島や大和の前方後円墳の「後」だ、という事になりますね。

>サイの地名は九州の西都原、大分県の佐伯=サイキと読む、大分市の土佐井、愛媛県の西條と神武の東征の初期のルートにほぼ一致しており<

 大和からの情報としての新唐書には、
 「日本、古倭奴也・・・其王姓阿毎氏、 自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以尊爲號、居筑紫城。
 彦瀲子神武立、更以天皇爲號、徙治大和州」
とはっきり書かれていますから、
 神武東征の出発地は「チクシ城」でしょうね。
982日本@名無史さん:2013/11/09(土) 10:33:30.55
古田説の終焉地は「チクショー」でしょうね。
983日本@名無史さん
古田信者の馬鹿の二つ覚え

一つ、在るものは全て奪われた
    畿内大和に存在するものは九州王朝から奪った、盗んだものだ
    書記、遺跡、遺物 全て盗まれた

二つ、無いものは地中にあるのだ
    九州の地で九州王朝の存在を証明する遺跡、遺物が無いのは
    まだ土の中に眠っているのだ、発掘されないだけなのだ

    発見されたら驚くな

これを古田信者の馬鹿の二つ覚えと言います。この二つだけを言っていれば論破できると信じている