♪邪馬台国ドンと来い♪117

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952唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/11/13(火) 00:19:34.21
>東倭というのが日本だったら、魏志倭人伝に書かれていないのはおかしい。

倭人伝に書かかれたのは、まず 238年の記録だ。
この時点では、倭奴国に大王がいない。よって、朝貢のために女王卑弥呼を共立する。
それが、239年の朝貢であり、梯儁等は、その帰国に付いて来て、邪馬台国を訪れ、倭王位を授与する。
だから「東倭」とは、梯儁等の認識になる。
238年の記録は、卑弥呼を共立するところまでであり、邪馬台国を訪れていない。
だから、聞き書きであり、日数表記となる。
ところで、里程や方向の間違いがどこで発生したかである。これが不正確であるから倭奴国に行き着くのも大変なのである。
953ローガン:2012/11/13(火) 00:21:10.66
>>926:万葉集の皇神 >本年度の書き納め。 私は見納め。さて、来年度は何回書くやら?

話が深化せず、1000でリセットされるからねえ。
さておき貴方は本物の九州説者ですな。

>>931:万葉集の皇神
>そんな所で、畿内に持って行かないように。短里などはないが、倭人伝では実際の理に相当する。

まあ、ちょっとした「九州説的思考」で言えば…ってとこです。 どうでも良い話。(笑)

>>939:ちはやぶる皇神
>「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種」里数が記載され、倭種が確認されている。実際に(調査隊)が行ったと考えるべき。

なら「又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。」
その理路なら、これも調査隊の踏査により、里数が記載され三四尺の朱儒の民が確認されたとなるんじゃない?
三四尺って80cm位か
それとも倭人伝らしく、 さらに五分の一?(笑)

>「可」があり、参問してはいないと考える。

参問と訪問ごっちゃになってない?
954日本@名無史さん:2012/11/13(火) 00:25:49.34
西域に「東倭」があったのかえ
955日本@名無史さん:2012/11/13(火) 07:00:16.58
>>931:万葉集の皇神
>残り二千里は、150kmと考えるべきと思う。
>熊本市を指している。
女王国とある、邪馬台国ではないね。女王国が熊本あたりから始まるということですよ。
956日本@名無史さん:2012/11/13(火) 07:25:19.49
邪馬台国と女王国は同じですよ。
イギリスのことを女王国ともいうでしょ。
957日本@名無史さん:2012/11/13(火) 08:29:55.02
邪馬台国熊本説は、こちら↓でどうぞ!
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1316716114/l50
958日本@名無史さん:2012/11/13(火) 08:35:43.79
オキチの伊作先生の著書「大和の揺籃」はどこで読めまつか?
959日本@名無史さん:2012/11/13(火) 09:24:42.70
文脈から判断すりゃ女王国とは邪馬台国の事だろ
女王国が邪馬台国じゃないならなんなの?
960卑弥呼は満州にいた:2012/11/13(火) 09:32:20.96
(魏)正始元年春正月、東倭重譯納貢,焉耆、危須諸國、弱水以南、
鮮卑名王、皆遣使來獻。天子歸美宰輔、又増帝封邑。

この文章から判断すると、東倭というのは日本のことではなく、
東夷諸国という意味だろう。もちろん日本が含まれていてもおかしくはないが、
東夷諸国を含め、東西南北周辺国が新年の祝賀のためにやってきたという意味だろう。
961卑弥呼は満州にいた:2012/11/13(火) 09:38:52.23
ところで、短里説を採用して、万二千里を900kmとし、
帯方郡をソウルと仮定して、ソウルを中心にコンパスで900Kmの円を描いてみた。
そうすると屋久島を越えてしまう。

帯方郡を遼東半島とすれば九州に届かないし、
ソウルとすれば九州を越えてしまう。

さあどうする、九州説諸君w
962卑弥呼は満州にいた:2012/11/13(火) 09:53:39.58
太国に一言。
開化48年といえばBC111年だから前漢の時代である。
その時代に日本に大軍を送ったというような記事があるのかないのかは知らない。
無いのなら、開化48年外敵来襲の話は嘘かもしれない。
その種の寺社縁起にはえてして荒唐無稽なことが書かれていることが多いからである。

しかし嘘と決めつけることもできない。
本居宣長がもしかしたらその辺りのことは調べているかもしれない。
20万という大軍を考えると、朝鮮半島からの来襲と考えた方が現実的である。
963日本@名無史さん:2012/11/13(火) 10:24:52.04
>>956
史書はそんないいかげんな使い方はしないんだよ。
邪馬台国と女王国は別の概念だ。
964太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/11/13(火) 10:37:46.11
大陸古文書に記載のある「呉兵が230年に日本襲来」は誤りでないと。
自分で肯定する空年多ぬき殿であった。
965日本@名無史さん:2012/11/13(火) 11:59:53.82
>>963
では「女王国」とは何?
966日本@名無史さん:2012/11/13(火) 12:04:48.95
珍読に餌をやるなよ
967卑弥呼は満州にいた:2012/11/13(火) 12:33:25.74
県立図書館に依頼して、満州帝国時代の満州の分省地図のコピーを入手しているのだが、
地図の片隅に日本里と満州里の比較表が載っている。
日本里は約3.9cmが10里、満州里は3.6cmが70里となっている。
これで大雑把な計算をすると満州里の1里は約510mである。

古代の満州朝鮮の1里がどれくらいだったかは知らないが、
満州帝国時代の満州里は中国とほとんど変わらないことが分かる。
968日本@名無史さん:2012/11/13(火) 13:09:57.61
イザベラバードによれば、
李朝時代の朝鮮里は、1里=約400m
969日本@名無史さん:2012/11/13(火) 14:50:50.87
>>961
ところで、短里説を採用して、万二千里を900kmとし、
帯方郡をソウルと仮定して、ソウルを中心にコンパスで900Kmの円を描いてみた。
そうすると屋久島を越えてしまう。・・・すごく正しい考え方だね。その通り。

その理由は魏の首脳が、敵対していた呉を牽制するため、邪馬台国が会稽東冶(呉)のすぐ
東方海上にあるようにみせかけるよう、倭人伝の種本の作者に命令したから。
そして、その作者は邪馬台国の位置が記してある報告書の旅程距離を5倍して
邪馬台国が会稽東冶(呉)のすぐ東方海上にあるように、机上で操作、改ざんしたんだよ。
実際の邪馬台国の位置は当然、その位置ではないよ。
詳しくは「大和朝廷成立の謎」という本に書いてあるよ。
970太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/11/13(火) 15:21:16.90
>>940
それがしはまだそういう編年の書は出しておりません。
971太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/11/13(火) 15:29:45.06
朝満男よ

だから自分で編年してみな。
B.C.111年をまともに信じているのか?
その意味は、通常暦だけだとした場合のこの年代でのことだ。

そういう選択肢をしてどこにも該当の20万3千人の来襲記述が大陸古文書
にないとなれば、ここの1万人の呉の来襲の記事と観るのが相当である。
難となれば1万人より20万余人来襲の記事を大陸側が落とすわけがなか
ろうが。その記述が全然ないとなれば、もう 黄龍2年=230年 のこれだよ。

とにかく、コチラの年代と1年も違わない重みを軽視するんでないぞ。
972太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/11/13(火) 15:36:37.26
>>971 訂正
× 難となれば
○ 何となれば

朝満男よ

そういえば、この前あんたは倍年暦法を肯定した書きこみをしていたが、
いまもその通りか?
そうならば、それで編年を研究して出してみな。
973卑弥呼は満州にいた:2012/11/13(火) 18:14:17.50
>>971-972
太国は○○だな(笑)
おぬしの倍暦説を揶揄した川柳だということが分からないのかw

それから、大陸(中国)が襲来したとは限らないと言ってるのに分らないのか。
朝鮮半島から襲来したのだよ。
B.C.111年の頃のことは三国史記にもネット三国志にも記載がないから不明なのだよ。
桓檀古記などにはそれらしき記事もチラホラある。

孝霊天皇61年月支国の彦波瓊王多数の軍船を率いて襲来す、という記録があるのだから、
開化天皇の時代にも朝鮮半島から襲来したとしてもおかしくはない。
とにかく中国が襲来したのではないのだ。
974卑弥呼は満州にいた:2012/11/13(火) 18:20:57.63
話は変わるが、陳寿が公里で書いたと仮定して、
不弥国まで10700里だから残りは1300里だ。
1300里は約560km。

さて不弥国を宇美と仮定して、宇美〜大和は約500kmである。
560kmと500km。差は殆んどない。

つまり邪馬台国を大和と見なして何の問題も無い。
九州説者よ、まだ何か言いたいことはあるか。
975太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/11/13(火) 18:31:21.31
>B.C.111年の頃のことは三国史記にもネット三国志にも記載がないから不明なのだよ。
だからそのへんの年代は、書紀の皇紀からでは見かけだよ。
当時は2倍暦等を行使してたから、その年代ではないぜ。

ウソを書くのはやめろよ。ここは古代史論での真を把握したいための皆の
書きこみ場所なんだから、故意にウソを書くなら消えてくれ。

>孝霊天皇61年月支国の彦波瓊王多数の軍船を率いて襲来す、
でもこれは開化年代ではないから、これじゃぁないね。20万3千人のことは
開化年代じゃなきゃあダメじゃないか。w
976太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/11/13(火) 18:33:40.21
その大和とはどこを言うのか?
977日本@名無史さん:2012/11/13(火) 18:36:15.96
>>974

>不弥国まで10700里

10700里は公里で、4650km

スタート地点はどこ?
978日本@名無史さん:2012/11/13(火) 18:36:55.17
距離表記は出鱈目だからこれを元に比定するのは無意味
それよか方角が違うから畿内は無いでしょ
979日本@名無史さん:2012/11/13(火) 18:41:52.68
>>974

今、ググるアースで調べたら、4650kmで、南東の反対で北西に進んだら。
ロシア北方の北極圏に達しました。

帯方郡って北極圏だったっけか?
980卑弥呼は満州にいた:2012/11/13(火) 19:11:03.79
>>975
太国は○○だなw
B.C.111年頃は倍暦だというのはおぬしの主張で、学界はそんなものは認めていない。
なんでおぬしの主張に合わせて話をしなけりゃいけないのだ?

孝霊天皇代の襲来は島根?の神社に記録されている。
開化天皇代の襲来は八幡愚童訓に記録されている。それでいいではないか。

>>977>>979
不弥国までのことはどうでもいいよ。陳寿が間違っていただけの話だ。
ところが不弥国から先は公里で合っているのだ。
981ちはやぶる皇神:2012/11/13(火) 19:12:25.37
>>953 :ローガン

大先輩にお褒めいただき恐縮しております。
「萬里」有効に使わせてもらってます。
982日本@名無史さん:2012/11/13(火) 19:14:14.25
>不弥国までのことはどうでもいいよ。陳寿が間違っていただけの話だ。

またあ、ご都合主義ですなあ。

>ところが不弥国から先は公里で合っているのだ。

不弥国まで間違ってて、なぜそこから先が正しいとわかるのかな?
ご都合主義じゃない説明があるといいね。
983卑弥呼は満州にいた:2012/11/13(火) 19:25:26.00
要するに短里でも公里でも間違っているのだから、
陳寿が正確に把握していなかったということが分かるのだ。
ところが九州説者、短里論者は倭人伝は正確だと言い張っているのだ。
君らの態度が変であることがこれで分っただろう。

君らが短里説で九州内に比定するのは構わない。
それと同じく、畿内論者が公里説で大和に比定しても構わないのである。
984日本@名無史さん:2012/11/13(火) 19:28:48.13
いや、公里で畿内までたどり着ける理屈は何もないし。
985卑弥呼は満州にいた:2012/11/13(火) 19:39:37.32
短里では、ソウルからでは屋久島を越えてしまうぞ。
遼東半島からでは九州に辿り着けない。
仮に1里を80mとしても九州北岸がやっとだ。
つまり九州北岸説しか成立しなくなる。
つまり水行陸行は帯方郡起点と考えるしかない。

それでもいいなら構わないがね。
しかしそれでは北岸説以外の諸君が黙ってはいまい。
986日本@名無史さん:2012/11/13(火) 19:42:48.32
短里公里以前に方角が違う
987日本@名無史さん:2012/11/13(火) 19:45:40.65
>短里では、ソウルからでは屋久島を越えてしまうぞ。

あなたは直線にしてるからね。
みちなりルートならピッタリだよ。

>遼東半島からでは九州に辿り着けない。

これは、誰も支持していないだろ。
988卑弥呼は満州にいた:2012/11/13(火) 20:00:22.74
>>986-987
私は方向やルートなど計算に入れていないのである。
なぜかといえば、ある場所への距離を記述する場合、
普通は直線距離で表記するからである。
中国史書の記述は皆そうである。
○○郡が洛陽からどれくらいの距離があるかを示す場合、
それは洛陽からの直線距離で表記されているのである。

女王国の位置が帯方郡から万二千里と書かれているということは、
直線距離で万二千里だということである。
そこでソウルを中心にコンパスで万二千里の円を描くと、
屋久島を越えてしまうのである。

因みに帯方郡はソウルではないことは、
君らがどんなに抵抗しようと、ほぼ確実なのである。
倭人伝の距離は厳密ではないから、起点を遼東半島にすれば、
何とか九州内に収まるのである。ただし水行陸行は帯方郡起点としなければならない。
そうすれば九州説は成立する。そうしなければ九州説は成立しない。

短里説で、しかも九州説を成立させようとすれば、
1 帯方郡は遼東半島だとする。
2 水行陸行は帯方郡起点とする。
これしかないのである。
989日本@名無史さん:2012/11/13(火) 20:03:09.67
勝手な前提条件作って、それで合ってないと言われても、
「それは前提条件が間違いですよ」

としか、いえないよ。
990日本@名無史さん:2012/11/13(火) 20:21:03.73
2012/09/18(火) 株式会社ガーラバズ(電通バズリサーチ)の2ちゃんの工作が大々的にバレる



2012/09/28(金) 株式会社ガーラバズの汚名を打ち消すために株式会社ホットリンクに統合させて社名を消滅

■ 狼の工作で有名な電通バズリサーチ(株式会社  ガーラ バズ   )が狼を監視しすぎでバーボン行きまくりのお知らせ ■ Part.4
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1348473878/
■ 狼の工作で有名な電通バズリサーチ(株式会社   ホットリンク )が狼を監視しすぎでバーボン行きまくりのお知らせ ■ Part.5
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1349611569/
【話題】 AKB、虚像の人気★2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1352585500/
やっと気付いた「AKBに電通が絡んでる」ではなく「AKBの正体が電通」な件 その145
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1352679417/
991卑弥呼は満州にいた:2012/11/13(火) 21:03:57.83
面白いことを発見した。
短里説を採用して、万二千里を900kmとして、
ソウルを中心にコンパスで万二千里の円を描く。
そうするとほぼ大和の真上に来るのである。
嘘だと思うならやってみたまえ。

つまり短里説はむしろ大和説に有利なのである。
ただし帯方郡はソウルではないから、
この試みは結局はお遊びではあるが。
992日本@名無史さん:2012/11/13(火) 21:09:03.68
ゑろれべる低下をきたしちゃっているからいぢるきにもなれない
993日本@名無史さん:2012/11/13(火) 21:12:39.01
そもそも郡がソウルのは某氏は否定しておったはずだが
994日本@名無史さん:2012/11/13(火) 21:14:35.27
結局はお遊びとゆうよりもあらしさんそのものではあるのだが
995日本@名無史さん:2012/11/13(火) 21:27:58.13
邪馬台国論争はなんでこうも珍説奇説のオンパレードなんだろうか
996卑弥呼は満州にいた:2012/11/13(火) 21:28:54.38
それが稗箕狐の精一杯の反論かw
例によって無内容のレスだな。

お前のお得意の魏志全編短里記載の証拠でも上げればいいのに。
997日本@名無史さん:2012/11/13(火) 21:43:40.87
996のがみえね
998太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/11/13(火) 21:53:48.27
>>980
神武が7人もいるだというのはおぬしの主張で、学界はそんなものは認めていない。
なんでおぬしの主張に合わせて話をしなけりゃいけないのだ? w

オヌシはエンタメの古代史を七色仮面のつもりでいるのか?ww
デンデ○パラリコ やっつけろ  か〜〜?pp

七つの顔のおじんむさんの ホントの顔はどれでしょう〜??♪

それとも七つの顔の男か〜〜??bb
あるときは片目の運転手、あるときは手品師、あるきは大道芸人・・・

そしてその実体は〜〜??ハハハ・・・


孝霊天皇代の襲来は島根?の神社に記録されている。
開化天皇代の襲来は八幡愚童訓に記録されている。それでいいことはいい。
999日本@名無史さん:2012/11/13(火) 21:55:27.34
埋め
1000日本@名無史さん:2012/11/13(火) 22:09:17.37
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