1 :
日本@名無史さん:
「歴史の真実を見極めよ」と既存の歴史観にエキセントリックに疑義を投げかける、
紀州雑賀衆の末裔を自称する「日曜歴史家」鈴木眞哉。
ネット上を見ると、彼を評価する人間も少なくないが、
鈴木のいう「歴史の真実を見極める」とは
彼の説を無条件に受け入れるだけで事足りることなのか?
彼の提案する説で疑問に感じるところはないのか?
鈴木史観との向き合い方から鈴木史観の内容についてまで、
それを日本史板なりに専門的に議論するスレ。
前スレ
【刀】鈴木眞哉史観を疑う 四太刀目【騎馬武者】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1340599136/
2 :
日本@名無史さん:2012/10/20(土) 17:37:03.80
『信長公記』PDF版
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_9.pdf 「家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為め、柵を付けさせられ」
「三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、
馬上の功老にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる」
馬上で戦ってる。
↓
西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
刀で戦ってる。
↓
其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、伐り崩し、御一門を初め奉り歴々数多討死。小口へ相働留守のこやこやへ乱れ入り、思程支度仕候て、それより川を越し多芸山・北伊勢口へちりちりに罷退き、大坂へ迯入るなり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
3 :
日本@名無史さん:2012/10/20(土) 17:37:37.61
4 :
日本@名無史さん:2012/10/20(土) 17:38:17.42
柳成竜(朝鮮の領義政=総理)・著 『懲録』
・日が暮れ、賊(日本軍)は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。
・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。
・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
(金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。
・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
※当時の朝鮮人の言う「長刀」は大太刀の類→
http://halto112.blogspot.jp/2011/09/blog-post_23.html
5 :
日本@名無史さん:2012/10/20(土) 17:39:37.08
戚継光『紀効新書・長刀解』
日本人には遠くからの鳥銃が有効である。
だが日本人は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。
その勢いを止められない。
日本人の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。
それゆえ我々も日本式の長い刀を備えるべきだ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/1shou.htm 嘉靖年間、倭寇の被害が激しさをきわめ、戚継光、兪大猷らの提唱推薦で、
日本式の長刀、腰刀が中国軍の主要装備の一つになった。
このような大量の使用に日本からの輸入だけで足りるはずがなく、
主体は中国自身の製造に頼らねばならない。兵器史家の周緯は、
中国兵器史上、明代の武器は日本刀の使用と模造で一大特色をなすと述べている(23)
この論断は歴史的事実と確かに一致している。
6 :
日本@名無史さん:2012/10/20(土) 17:40:53.42
「日本のサムライの剣術はまるで神の如しだ。
我々の兵士(明兵)はサムライを見れば皆身がすくみ逃げ腰になる。
剣術に優れたサムライだが剣術だけではなく飛び道具の扱いも我が銃兵と互角である。
弓の扱いも我が弓兵と互角、その他あらゆる兵科と比べても不足が見つからない。
本当に日本人は殺戮者だ。その家には刀を持たぬものは無く、子供の頃から武術を鍛えられ始め、壮年にいたれば手に負えなくなる」
揮刀如神
「日本剣術は神秘的だ。左右への跳躍が凄まじく誰にも予測できない。
そのため長技(槍)を使っても毎回刀に負けてしまう」
単刀法選/1621年(程宗猷)
「日本人が全力で動く時風のように漂って動く。 常に寡兵で陣に入って来て、大勢の兵士でも抵抗できない。 その刀の使い方は、長い方で構え守り、短い方で止めを刺す。
しゃがんでいるかの如く低く移動し、決して退かない。 相手が何人いようと対応する、島の中の絶技である」
広東新語・語器/1630〜95年(屈大均)
「彼ら(サムライ)は、相当に熟達した刀の使い手である。小さい方の刀を使うときは、二度突く必要は無い。たったの一突きで相手に致命傷を与える。
大きいほうの刀を使うと、ただの一振りで相手の四肢を切り捨ててしまう」
大君の都/1863年(Rutherford Alcock)
7 :
日本@名無史さん:2012/10/20(土) 18:08:55.67
『三河物語』
・何方之合戦にも、人数多シト申共、先ヱ出テ鑓ヲ合ル者ハ、五人拾人にハ過ざる物ナレ共、
此人々は森山より、此時之事思ひモウケタル事ナレバ、少モ騒事モ無。侍請て百四五十人一度に、
錣ヲかタブケテ、根強ク突イテ係ケレバ、主従に付て残之者共、刀ヲヒンヌキヒンヌキ、主々より先に
立たント進ミケレバ、三ノ備ヲ切崩シケレバ、残備ハ共に敗軍スレバ、悉ク切捨にシテ、
・然間、城の大将にて有ける岡辺丹波をバ、平助(大久保忠教・著者本人)が太刀付て、寄子の本多主水に打たせけり。
丹波と名乗りたらバ、寄子にハ打たせまじけれ共、名乗らぬうへなり。
8 :
日本@名無史さん:2012/10/20(土) 18:11:55.33
118 :人間七七四年:2010/09/14(火) 18:23:07 ID:KwIWdJqS
鈴木氏が重視する軍忠状の類に騎馬武者の活躍が書かれてたりするからねえ。
しかも集団で戦っている。
『野口豊前守戦功覚書写』(『常総遺文』)
・てつほう五六丁にて、われらおねらい打申候へ共、はつれ申候、そのてつほうの音おきき申候て、跡にひかへ候味方共、
皆々乗かけ申候所ニ、てきくつれ三百八十くひおとり申候
・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事
・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・
塚原ぬいの助そんし申候事、
・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、
・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、
大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、
・一、結城よりとちきへ動之時、内より出申候所ニ、川島主税・たかや采女・我等同前ニ馬をかへし走廻申候、つれ合候衆太木信濃存候事、
何故立てたwもう話すことも無いだろ。
まぁめんどくさいのを誘導するにはいいな
フロイス『日本史』
・彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。すなわち隆信勢は多数の鉄砲を
有していたが弓の数は少なく、長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に
長い太刀を備えていた。
・そして戦闘が開始された。それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に刀で相手の槍を切り払った。薩摩勢は、敵の槍など
眼中にないかのように、その(真只)中に身を投じ、鉄砲も弾を込める
間がないので射つのをやめてしまった。
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら
鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。というのは、
薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、
鉄砲など目にもくれなかったからである。
・朝鮮人は頭上に振りかざされる日本人の太刀の威力に対抗できず、ついに征服された。
・日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
15 :
日本@名無史さん:2012/10/20(土) 20:59:06.16
16 :
日本@名無史さん:2012/10/20(土) 21:49:49.52
そして倭寇との戦いで得られた日本刀術は北方の蒙古との戦いでも威力を発揮した。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm 隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、その本から見えるが、長刀及び長刀法は、
もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を
配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を
短兵として習得させる」を要求された。歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に
長刀或は短刀を配った。毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、「元の習った倭刀でやる」、
下は馬の足を斬って、上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、
素早くて、上等である」。或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。
日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという貴重な考え方を表わした(76)。
17 :
日本@名無史さん:2012/10/20(土) 22:25:03.83
そして倭寇は土兵と狼兵に虐殺された
倭寇衰退の最大要因は日本側の海禁だけどね。
倭寇崩れが鄭成功の配下に入って明側として戦ったりするのは
面白いが。
そして狼兵は倭寇に敗れ暴徒化し追い返された。
http://eco.dee.cc/20/ >嘉靖33年(天文23年・1554年)その後任の総督に張経が起用された。
張経は当時明随一の強兵といわれた狼士の兵を手なずけていた。
女酋長の瓦氏率いる狼兵は嘉靖34年(弘治元年・1555年)蘇州王江ケイで
徐海ら倭冦と戦ったが初めの3000こそわずかに戦果をあげたが、
続いてきた300人に散々破れ酋長を殺され逆に暴徒化してしまい略奪、
残殺を繰り返し倭冦より手に終えない有り様となってしまいついには
追い返してしまった。
倭寇は船戦だけではないが、やはり船上で刀は活躍したようだ。
槍なんか捨てろとさえ書かれている。
『合武三嶋流船戦要法』
「一 船中太刀打之習之事」
船中の働には鑓より太刀打を賞す。是海族家の古法也。近き勝負故也。
鑓は敵船へ乗移、艫舳を討て廻るに跡先つかへて執まわし不自由也。
太刀はその自由を得により、敵船へ飛乗んと欲せば鑓を捨、刀を抜て艫舳を切て廻るべし。
21 :
日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:11:06.94
夷をもって夷を制すの類か。そろそろ刀に関係ないなら
倭寇スレでやってほしいが。
23 :
日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:24:43.62
>>21 残念なことに、この倭寇ってのは
嘉靖帝による海禁政策の厳格な実行が原因で誕生した
海外交易を弾圧された中国人海商や浙江福建の海民が大半なんだよね
日本人が雇われてるケースもあるが、大半は中国商人
嘉靖の大倭寇には真倭も結構参加していた可能性もある。
真偽不明だが永禄あたりに村上水軍の一派が一族郎党引き連れて大陸を荒しまわったなんて
伝承がある。
居ても最大で1〜2割だけどな
村上はどの村上も関係無い
ドゥーン!!
>>26 絶対に関係ないと断言できないからその辺の伝承が参照されるわけでね。
つか、いつまでも日本刀と関係ない倭寇の話題を引っ張る人はさすがに荒しに見えるぞ。
30 :
日本@名無史さん:2012/10/27(土) 14:12:58.96
135.名無しさん :2012年10月27日 08:49
一般的な日本刀は定寸2尺3寸 約7kg だけど、戦国時代から生き残って現存してるもんは 研ぎ減らされて短くなってるものが多くて、
当時の太刀のスタンダードは 3尺以上 10kg超。
8 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/10/26(金) 21:30:41.72 ID:zXqaNSgo0
刀を一本作る鉄で槍が一杯作れるぜ。
完全にネタ装備だから平和な江戸時代しかマジメに作ってない。
未だにこういう虚言を弄してるのは馬鹿じゃなくて
嘘だと解って流布してる在チョン
毎回釣りレスを転載する人は何をしたいのだろう
34 :
日本@名無史さん:2012/11/02(金) 20:43:32.60
自民・公明じゃ何も変わらない
「民主」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?
民主・自民じゃ何も変わらない
「みんなの党」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?
民主・自民じゃ何も変わらない
「小沢」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?
民主・自民じゃ何も変わらない
「維新の会」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?
民主・自民じゃ何も変わらない
「石原」ならなんかやるだろ ←いまココ
そんな感じじゃね?
民主・自民じゃ何も変わらない
「第三極大連合」ならなんかやるだろ
そんな感じじゃね?
36 :
日本@名無史さん:2012/11/06(火) 12:59:21.37
上半身裸になると油ですべって斬られ難くなるそうだw
ttp://totalmatomedia.blog.fc2.com/blog-entry-301.html 489:名無し@まとめでぃあ:2012年11月04日 01:19:45
3人切ったら、斬れなくなるというのは正しい。肉切り包丁が油まみれでも切れるのも正しい。矛盾しているようだが、
実は全く矛盾していない。単純に、刃の使い方が違うからだ。日本刀ってやつは厄介で、正しい力で正しい方向に
振らないとまともに斬れない。油や血が付着すると、斬るものに対し、正しい方向に当てて力を入れることが難しくなる。
なんせ相手も動いてるからな。そのせいで滑って斬れなくなる。切れないのではなく斬れないのだ。逆に止まったもの相手ならば、
常に正しい切り方ができるので、いつまでも切ることができる。
時代劇で、ヤクザものや博徒が斬り合いのとき上半身裸になるのは体の油で滑らせて、斬れないようにするため。
38 :
日本@名無史さん:2012/11/06(火) 14:35:22.71
>>35 今時こんなアホがいるのか
501 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/11/06(火) 00:42:02.73 ID:aiuhJ2aJ0
>>309 日本の騎馬部隊の馬は、ポニーくらいの大きさだったらしいぞ。
そういう馬しかいなかったらしい。
ナポレオンのアルプス超えも、白馬じゃなくロバらしい。
506 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2012/11/06(火) 00:45:32.79 ID:aiuhJ2aJ0
夢壊して悪いが
武田信玄の騎馬部隊はこんな馬に乗っていたんだろうな・・・
http://www.iskw55.com/img/P1024.jpg
一見、合理的に通説を打ち破ってるように見えて、
素人に、鈴木眞哉の説は魅力的だ
武装中学生という小説の一文を引き出して、日本刀はほとんど使わず首狩り用の道具だの上級武官の目印だのと言ってる奴に対し
「ソースがラノベw」って書いたら「それ参考文献引いてるから―自分で買って読んでみろ」といわれた。
が買わなくともその文を見ればモロ鈴木氏の著書が参考文献だと予想できたw
41 :
日本@名無史さん:2012/11/07(水) 08:05:52.21
その参考文献に「首は実際には右手差しや鎧通しなどの短刀でとった。
これこそが本当の首取りの道具」とか書いてあるのをその子はご存知なので
あろうか?
42 :
日本@名無史さん:2012/11/07(水) 15:19:41.77
とりあえずその子とその何たら中学生の作者は
近藤氏や成瀬氏辺りの著書を読むべきなんじゃないかな?w
43 :
日本@名無史さん:2012/11/07(水) 16:03:05.72
その作者さんは人より遅れて「センゴク」でも読んだんじゃないのかなw
45 :
日本@名無史さん:2012/11/07(水) 18:27:28.82
センゴクだって最近は作者の中では鈴木説は無かった事になってるよw
46 :
日本@名無史さん:2012/11/07(水) 18:47:17.83
>>1の答えはラノベにある
平時の武器だから
「戦争――戦闘の技術いうのは詰まるところ、いかに殺されずに殺すかということに尽きる。死なばもろとも特攻いうのは最後の手段や。
相手の攻撃をもらわず、自分の攻撃を当てる。兵器開発の歴史とは、殺傷力と併せていかに射程を上げるかの歴史や。刀が作れる技術があれば槍が作れる。
ほんなら射程の長い槍を兵士に持たせるのが当然やろ。その上、刀の兵に比べて槍の兵は訓練が簡単や。
いっぱしの槍術家を作る必要はない、陣形組ませて槍の振り方と突き方さえ教えれば効率よく人は殺せるからな。
ギリシアもローマも大陸も日本も、鉄砲以前の戦争は槍と弓が主役であって、刀剣いうのは上級武官の目印みたいなもんやった。
あとは日本で言うと、首を狩るための道具やな。まァ、接近戦にもつれ込んだら刀も使うたやろうが、槍に比べたら脇役や」
「我らの誇る日本刀とそれを操る日本剣術は、戦国の世に生まれたが、三百年にわたる太平の世において洗練された。
あらゆる文化いうのは、その時々の他の文化や政治に影響を受ける。剣術のような身体文化もしかりや」
「居合というのは納刀した状態、つまりは非戦闘態勢からの技術や。ただ刀を鞘から抜くという、それだけの動作を突き詰めたモンや。
西欧も大陸も、日本とは異なる風土での見事な剣術を育んでおるが、こと鞘から刀剣を抜くという動作に限れば日本ほどの深みはないと儂は見る。
強いて言うなら西部開拓時代のガンマンの早撃ちくらいやな。ともあれ銃にしろ剣にしろ、それで闘うのであれば最初っから抜いてたほうが合理的や。
しかしそれをせん、武器を収めたところからの技術が存在するのは、それが平時からの戦闘を想定した技やからや」
「ともかく、戦場ではろくに使われんかった刀が、我々日本人の象徴的な武器となった」
「まァ現実的な話をすれば、平和な時代に取り回しのええ武器を選んだということやろな。
やが、それはつまり我々の先達が永き平和を持ち得たという何よりの証や。
そして三百年の太平において、いつ使うかもわからん日本刀の技術を磨き続けた」
武装中学生 -2045- 夏 2巻より抜粋
47 :
日本@名無史さん:2012/11/07(水) 18:51:49.59
とりあえず、
ローマもって書いているけど、積極的に外征をしていたころの
ローマは、その剣が決戦兵器なんですがw
大陸もって書いてるけど、明軍は日本刀の性能を評価して自分たちの武器として取り入れてるんだけどなw
首を狩る道具と接近戦になったときに使う武器では意味が全然違う。
これって最近書かれた本なのかな?ラノベってこういうのが遅れてくるの?
受け売りの薄っぺらさと関西弁がいい感じでマッチしてるなww
武器としての性能面ならむしろ江戸時代は大幅に退化したくらいだがw
せめて古刀と新刀と新々刀くらい調べようぜ的なw
きもち悪い文章貼るなHDDが汚れる
52 :
日本@名無史さん:2012/11/08(木) 17:41:01.88
なんか戦車不要論を思わせる机上の空論だな
930 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です :2012/11/08(木) 09:17:54.36 ID:pa5tIMCb0
>>929 そこいらの話はここのスレで語り尽くされてるけど、刀による最
終的な殺害数が多いのは、矢や投石で負傷させ、脱落した兵を皆
でよってたかって切り殺した道具が刀ってだけで、これは武功
カウントにはならんと思われ。(小姓による後片付けの部類かと)
とどめって大事じゃないんですね。
その申告された負傷には直後の合戦にすぐさま参陣できるような軽度のものも
含まれてるってのに。
56 :
日本@名無史さん:2012/11/08(木) 19:33:46.31
つまり矢や石や槍よりも刀のが殺傷力が高かったと遠回しに言いたいのかね?
矢や石による負傷が申告されるのは負傷したけど生き残ったから。
刀で斬られるような戦いは死亡率が極めて高いため、「負傷」の申告は少ない。
投石こそ武功には数えられんと思うが。
それに最後は首を取ったり耳を削いで武功の証とするんだから皆が小姓に
後片付けさせるわけじゃないだろと。
つか足軽はどうする。
小姓による後片付けなんて鈴木大師匠も言ってないよw
あやふやな人たちがどんどんわけわからん要素を付け足してくなww
60 :
日本@名無史さん:2012/11/11(日) 17:23:50.91
青龍刀やスコップって首を落とす性能がすごいんですね。
ところでスコップの刃先の反りが首を落とすのに向いているという意味がよくわかりません。
教えていただけますか?
400 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] : 投稿日:2012/11/11 14:13:52 ID:c6WB4z/iO [9/15回(携帯)]
>>363 その理屈ではっきりと日本刀は欠陥品と言い切ってる
専門家もいる
剣術っていう技術を一定異常に身に付ければ無類の切れ味をみせ世界に誇る武器ではあるが
誰が降っても切れないのは戦争の道具としては欠陥品
逆に青龍刀やスコップは誰が振っても首飛ばせるから
戦争の道具としては一流らしい
408 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] : 投稿日:2012/11/11 14:18:41 ID:c6WB4z/iO [10/15回(携帯)]
>>374 あっちの武器や青龍刀、スコップは刃先の反りが
日本刀で切断するのに必要な
手で引く技術が無くても
当たればその技術に近い形て刃が滑るから
首とか飛ばせる
なんというか…別に首を落とせなくても相手が死ねば用は足りるんじゃ?
62 :
日本@名無史さん:2012/11/11(日) 17:33:57.00
スコップは首を落とすのに特化して設計されてるからかなわないのはしょうがないよ。
どうせ青龍刀と柳葉刀の違いもまともに判らない連中の言う事だろ。
鋼の質まで考えてやしないだろうしな。
ただ、「戦場で相手を殺せて、戦闘が終わるまで壊れないことの追求」を考えると
日本刀って、過剰品質じゃないかなと思う事はある。
65 :
日本@名無史さん:2012/11/11(日) 22:14:08.97
金かかってると仕事が早いな
67 :
日本@名無史さん:2012/11/11(日) 23:52:21.22
まあ南北朝期のもんに関しちゃロストテクノロジーだわな。
藤安刀匠をはじめ当時のものを再現しようという人もいるが
68 :
日本@名無史さん:2012/11/11(日) 23:54:41.77
>>66 そもそも立ててるのがアフィ乞食なんじゃないの?
同じようなスレがよく立つし、それで伸びたスレをまとめるんでしょ。
>>67 最近は「古刀は経年変化でこういう質になってるだけだから(震え声)」
なんて負け惜しみを言う現代刀匠もいるらしいで
玉鋼だけじゃつくれんだろうね
71 :
日本@名無史さん:2012/11/18(日) 12:15:30.78
ソースは漫画ってヤツも多いなw
156 : コドコド(奈良県):2012/11/18(日) 11:32:44.41 ID:spZYURvu0
二刀流なら防御もいいぞ
>>154 刀は折れるもの、折れたら即 死を意味する
真剣での戦いは、剣豪と呼ばれるものたちは極力刃を合わせないように戦うと
狂四郎2030で何度も言っていた
あいつらは、刀が磁器やガラスで出来てるとでも思ってるのかねw
73 :
日本@名無史さん:2012/11/18(日) 17:06:34.42
ちなみに七人の侍にこんなセリフがあるの?
258 名前: バーマン(千葉県)[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 16:12:35.60 ID:mdKOGk830
>>247 赤穂浪士は討ち入りのときは短い槍を使っていたよな
確かどこかの博物館に展示されてた気がする
七人の侍では「一本じゃ二人(三人だったか)と切れん!」
って何本も刀を地面に突き刺して用意するシーンがあったな
>>73 あるよ「一本の刀じゃ五人と斬れん」だけど
案の定減らされたんだなw
五人と二人じゃ印象が全然違う。
元々は足利義輝の逸話。
78 :
日本@名無史さん:2012/11/19(月) 09:24:12.20
五人で切れなくなるとも書いてないけどなw
実話かは怪しいが一人じゃ処理しきれない大軍に囲まれているという想定なんだから
そりゃ刀はいくつあっても足りないだろうし。
「さて御所様は御前に利劔を數多たてをかれ。
度々取替て切崩させ給ふ御勢に恐怖し。半は向ひ奉るものなし」(永禄記)
「扨公方様御前に利剣をあまた立てられ、
度々とりかへ切り崩させ給ふ御勢に恐怖して、近付き申す者なし」(足利季世記)
義輝の場合は相手も完全装備で素肌なんかじゃなかったろうしね。
80 :
日本@名無史さん:2012/11/20(火) 14:00:40.33
日本の律令軍団が弩を装備していたことすら知らないヤツが
得意げに鈴木説を披露w
しかも刀を抜くときは負け戦とか鈴木大師匠もおっしゃっていない
ことまで付け加えてるww
352 名前:既にその名前は使われています[sage] 投稿日:2012/11/20(火) 06:08:12.87 ID:PDOQxPIx [1/4]
そもそも日本刀は護身用のサブウェポンであって、メインは槍だの弓だので戦ってたからな
刀を抜いたときは負け戦ってのが定石
372 名前:既にその名前は使われています[sage] 投稿日:2012/11/20(火) 12:23:33.95 ID:PDOQxPIx [3/4]
研究によると、少数ならボウガンらしきものが有った形跡は見つかってるんだけど
単純に技術が伝播しなかったっぽいぞ
378 名前:既にその名前は使われています[sage] 投稿日:2012/11/20(火) 13:20:16.48 ID:PDOQxPIx [4/4]
槍が好きというか、弓と長槍がメインだったのが戦国時代
486 名前:既にその名前は使われています[] 投稿日:2012/11/21(水) 01:15:37.44 ID:d0SjRkBg
>>481 >>482 ちゃんとそのページ読んだ?
日本の馬上弓は鎌倉でほぼ消えてそれ以降戦場に出てこないよ
弓の大型化と大鎧が流行って取回せなくなったから
82 :
日本@名無史さん:2012/11/21(水) 01:23:25.86
え?
え?
83 :
日本@名無史さん:2012/11/21(水) 01:24:44.71
こういうのって自分で考えてるのかな
そらそうよ、該当する史料じゃなくとも概説書読んだ事あれば
んなアホな書き込み出来んはw
日本に騎馬部隊が無かったとしたら北畠顕家の機動力が説明つかないよね。
多賀城から琵琶湖まで1日30キロ以上のペースでを走破とか徒歩じゃ不可能でしょ。
犬追物とか流鏑馬とかどうするんだよ・・・
88 :
日本@名無史さん:2012/11/21(水) 09:02:39.85
>日本の馬上弓は鎌倉でほぼ消えてそれ以降戦場に出てこないよ
>弓の大型化と大鎧が流行って取回せなくなったから
大鎧は騎射には向かないからなあ、とか考えてるんですかねww
弓はもっとデカイのからだんだん小型化が進んでいったものだしな
“死傷者”と、「死者」と「負傷者」を一緒くたにするのであれば、軍忠状の数字を鵜呑みにするなら弓矢が最も多い。
次いで石。
しかし、死者だけであれば刀が最も多かった。
殺害:負傷が52:48(53:47だったかな?)とのこと。
ちなみに弓は20:80。
しかし卜伝百首によると、当時の戦において弓や石などの飛び道具系はそうでもないが、刀や槍による傷を受けることは不名誉とされ、それらによる負傷も「いや、これ弓の傷ッスよ」と申告する者も多かったとされているので、実際はもっと多かったと思われる。
…っていうことが今までのスレで何度も何度も熟考されてきたなぁ。
とりあえず、「刀を所有するのに免許(許可)が必要」「刀は○人斬ったら斬れなくなる」「戦場では刀はほとんど使われなかった」これらは今でも知恵袋なんかで頻繁に書き込まれているが、もう飽々したw
投石を妙に過大評価する連中がよくわからん。
軍忠状でも一番ではないし、しかも籠城側が高所から落とす石だって含んでるだろうしな。
>>91 投石大好き連中は決まって「宮本武蔵も投石による負傷で退いている」と来るぜ
「島原合戦記」を見ると籠城側が大石や大木を落とすという描写が頻出する。
島原の乱で武蔵が食らったのがそうした高所から落とされる石というのも不思議ではないと思う。
というか投石での負傷ってだいたいそれだろ
95 :
日本@名無史さん:2012/11/29(木) 10:48:47.07
のぼうって言ってみりゃ
「長篠の戦いはアホ息子の勝頼が家臣の制止もロクに聞かず無謀な突撃を繰り返して三段鉄砲の餌食になりました」
レベルの俗説に沿って作られたものであって
あれを史実であるかのように扱ってる知識人(笑)の言うことはアテにしない事にしてる。
すまん超誤爆。
>>92 そもそも武蔵=日本史上最強の剣豪っていう認識自体が
吉川英治のプロパガンダによるものだしなあw
そのわりに武蔵については「自分より強いやつとは戦わなかった」「卑怯者」「大したことない」と言う始末
まるで自分で見てきたようにw
吉川武蔵が書かれるきっかけが、武蔵は名人か否かという論争なんだから
そういうことが議題となりうる程度には知られていたわけで。
本当に疑う余地がないくらい強かったらそんな議論は起こらないんじゃないか?
例えば楠木正成は果たして本当に戦上手だったのか?なんて議論は起こらないだろ。
100 :
日本@名無史さん:2012/11/30(金) 20:14:56.14
ちなみに否定側の直木も武蔵の技量にはそれほどケチをつけてなくて
主な攻撃材料は人間性とか精神面だよ。
人間性とか人格とか他人にとやかく言えるような文士が何人いるのやらw
殺し合いが上手いことと人間性って何の関係があるの?
人間性の卓越した名人ともなれば、峰打ちで敵を叩き殺す技量を持っている物
峰打ちとか言ってる人間がまだいるのかw
刀が曲がっちゃうよぉ
105 :
日本@名無史さん:2012/12/02(日) 07:23:03.85
刀(の刃)で刀を受けるのは論外
106 :
日本@名無史さん:2012/12/02(日) 08:11:28.25
それも強調されすぎだ。
刀に限らず刃物ってのは多少の刃こぼれが置きたって切れるし
刃こぼれができたって折れない。折れにつながるのは刃切れだけど、刃こぼれが大きくなって
刃切れになるものでもない。
鍔元近くで受け止めて、切っ先の方で斬れば良いんだよ…と適当なことを言ってみる。
普通受けるときは刃で受けるが…w
まさか峰で受けると思ってるのか?刀が曲がるぞ?
そもそもどうやって峰で防御するんだ?持ち替えるのか?
刃で受けない流派なんてあんのかなぁ?
>>103-104 棟打ちを思いっきりやったら曲がる前に刃切れが出来るから、
あれは「斬られた」と思わせて戦意を喪失させるためのもの
小手や急所を打ち付けるくらいで刀が曲がるわけ無いだろ。
それに実践で使われた刀には棟に刀傷が入ったものが多いのに
何を言ってるんだか。
切込正宗なんてのもあるくらいだしね
イメージや常識で語るのが、鈴木史観
棟打ちされて何ともないから名刀なんだよw
噛み付く前に自分で調べろよww
香取神道流の大竹利典師範が刀の棟を机の端に強く打ち付ければ
簡単に刀が折れると言った発言をTVでされた後に、その言葉を受けて
間違った知識が広がってしまったと言っておられたけどな。
相手の刀を棟で受けたり弾いたりするのには力の加わり方が違うため
問題ないのに、それが間違っているように世間に広まってしまったと。
115 :
105:2012/12/02(日) 12:57:56.16
>>108 曰く鎬で受け流すんだとさ。身のこなしでかわすとも。
でもそれらに対する型ってのは見たことねえんだよな。みんな敵が刃で受ける前提みたいな。
もし仮に受け流したり身のこなしでかわしたりするのが基本だったらそれらに対処する技みたいのがあってもいいと思うんだ。
>>114 一番薄い横っ面を凸面に目一杯叩き付ければ、そりゃ撓むわな
但し、曲がるのであって折れるとは言ってないけど
117 :
日本@名無史さん:2012/12/02(日) 16:40:09.61
お互い棒持ってちゃんばらごっこしてみれば棟になぜ傷がつくのかわかるとおもうよ
>>116 横の鎬じゃなくてあくまで棟の話し。
そこを強く打ち付けると反対側の刃の部分に刃切れが起きて最悪折れる。
>>118 刃で受けるのが間違っているって事はないでしょ。
ただ人間の身体程度を打ち付けるのに峰打ちが不味いなんてこともない。
例えば相手が正眼に構えていて、それを棟側で弾いて返しの刃で斬ることはあるが、振り下ろした相手の刀を棟で受けることはないぞ
>>119 いいや折れない
鎬ならピキる事はあっても。棟を打ち付けて折れる事は無い
鎬側にしたって刀身全体が折れるわけじゃない
新たな議題が出て面白い
124 :
日本@名無史さん:2012/12/02(日) 23:16:21.56
構造上の弱点なのは間違いないが、確かに素肌の人をぶったたいた程度のときは
どうなんだろうね?
125 :
日本@名無史さん:2012/12/02(日) 23:38:37.95
山浦真雄クラスの刀なら金床に載せて鉄杖でガンガン棟打ちやっても
カンタンには折れないくらいだからちょっとくらいの棟打ちも可能だろうけど、
あれは泰平の時代に古刀品質を蘇らせたものなのか、それとも古刀の品質を
越えていたのかどうか?
棟側が脆弱かどうかはとりあえず置いといて、棟で受ける流派は見たことないな
今の道場に入門する前に、かなりの流派の演武の動画や写真を見て前知識として勉強したが、棟で受けてる流派はなかった
128 :
日本@名無史さん:2012/12/03(月) 00:49:59.38
構えたり振り下ろしたりした刀を上から叩かれれる場合もあるから
棟側に受け傷っぽいのがつくこともあるだろ
先年藩中にて寺田氏なる者、川越城下の居屋敷にて盗賊を宗打(棟打ち)致し候に、
其刀中程より折れ、切先隣屋敷へ飛入候事御座候。
作は水田国重の大乱刃也。
又近頃家中の軽率犬を宗打候に、脇差中程より折れ候得ども、
犬は指して痛まざりにしや、其儘逃げ去り候。作は無銘にて越後守包貞の如き
大乱刃に候ひき。
又去年去年七月北国邊の諸侯(越後新発田候)のご家中にて、愚老が門弟小林正興申鍛冶、
其国屋敷の士と刀剣の話の折柄、新刀の大出来なるものは其折れ易き旨を申せしに、
如何に大出来なる物にても、左まで容易に折れべき哉と思はれしか、所持の一刀を出し、
左あらば折って見せよ迚正興に与へられし儘、庭石にて宗打したるに、
恰も氷柱を折るごとく力もなく折れ候旨、純帰りて申聞候ひき。
愚老も数度試候に、宗の方より打候ときはたとへば硝子を折るが如き物に御座得共、
素人は斯までもろき物とは知り申さず。
先年或る諸侯の(御国元より)荷宰領のもの盗賊を宗打致候所、
其刀中程より折れ候儘、刀を捨て竹の杖にて打ち伏せ、縄を以って賊を禁め候所、
宗打の疵は見えず、竹杖の打疵強かりしと一笑仕候。
水心子正秀『刀剣実用論』より
新刀の三尺の大刀で古刀の脇差を持った敵に襲い掛かったが
腕前の差か仕留め切れなかった上、打ち合うたび新刀の側が一方的に刃こぼれするばかりだった
なんてエピソードが『神妙記』にあったわ。
刃と刃で何度も打ち合う形になった結果一方的に弱い方が刃こぼれしたんじゃないの?
>>130 終戦直後に兵士たちがどうせもう使わなくなるんだから軍刀で試し斬りでもするかって
話になってやってみたら水心子さんの刀がダントツで弱かったみたいだなw
実用論を追求した権威者にその技量がなかったのが新々刀期の不幸かな?
一世を風靡したリデルハートのせいで
理論を採用した仏軍が独軍に完膚無きまでに徹底的にフルボッコされて速攻壊滅し
その上総力戦は不毛とかいうトチ狂った妄言も
完全に誤りと証明されちゃったようなもんか
リデルハートの場合、電撃戦の元ネタになりそうな話しも書いてたので、一概にどうこう言えないかと。
134 :
日本@名無史さん:2012/12/31(月) 16:33:59.53
甲源一刀流の燿武館って、教えてんのは剣術だけ?
槍とか他の術も併伝してんのかな?
135 :
日本@名無史さん:2012/12/31(月) 16:51:53.43
そこは知らんけど甲源一刀流と一緒に戸田武甲流薙刀やってるところなかったっけ?
調べたらどうやらそこの系統っぽい。
武道全集に伝書出しててくれてるところだわ。
お!ありがとう!
薙刀もやってんのかぁ。
写真とか色々見ても剣術しかないから、他のはやってないのかと思った。
最近は複数の術を教えるとこもだんだん少なくなってきてるみたいね。
138 :
日本@名無史さん:2013/01/01(火) 02:35:20.02
坂本龍馬も北辰一刀で薙刀とか色々やってたみたいだけど、今の北辰一刀は剣術(とそれに含まれる居合)だけみたいだしな
139 :
日本@名無史さん:2013/01/01(火) 23:01:07.18
地元を出て剣術を習いたいんだが、茨城の鹿島新当流と埼玉の甲源一刀流で迷ってる
そりゃ、仕事が見つかった方でしょう。
貴方が生活の心配なく修業に専念できるなら別だけど。
全然違う系統だからね。
剣道やるなら甲源一刀流の方が違和感がないと思うけど。
茨城に住んでる人とか鹿島の住金に勤めるとかでも無い限り
新当流を稽古し続けるのは難しいだろ。
143 :
日本@名無史さん:2013/01/02(水) 12:27:52.22
>>140 自分もそれが一番心配w
とりあえず地元である程度貯金を貯めて、引っ越したらバイトか派遣でもしながら正社員の仕事を見付けようかとは思ってる。
仕事内容は特に選ばない、時間にちゃんと稽古に行ければ良い。
144 :
日本@名無史さん:2013/01/02(水) 12:31:05.18
>>141 黒田鉄山先生の振武館とか、柳生新陰の春風館とかは門人が多すぎてあまり稽古できないって聞いて、有名なとこはパスかなと。
新当流も有名だけど、調べてみたらそれほど門人が多くはないみたいなんだよね。
道場がめちゃめちゃ狭いってのもあるかもしれないけど。
145 :
日本@名無史さん:2013/01/02(水) 12:32:59.37
>>142 おう!引っ越して一人暮らしするつもり!
新当流も、先生のもとを卒業するには、やっぱり15年とか20年とかかかるんだろうかな〜。
147 :
日本@名無史さん:2013/01/02(水) 17:35:33.15
>>146 ありがとう!
深甚流ってまだあるんだ!
やっぱり石川県で伝承されてんのかな?
やっぱりちょっとマイナーな流派のほうが良いなぁ。
流派からしたら門人が少ないってのはもちろん死活問題だろうけど、そのほうが学ぶ側からしたら目一杯に稽古できそう。
そんなこと言って地元を飛び出してくるのに形骸化した流派に入門したら悲惨でしょ。
それとドマイナーな流派だと稽古相手がいなくて困るなんて事にもなりかねないから
ほどほどの所が良いと思う。
小流派なんかやめとけやめとけ
稽古相手はいないし見取り稽古に役立つレベルの兄弟子もいないぞ。
そもそも指導者が遣えないか、遣えても教え方がヘタクソだからマイナーなんだし。
上達したかったらとにかく中堅層がたくさんいるとこ行け。
150 :
日本@名無史さん:2013/01/03(木) 07:54:34.41
>>148 >>149 なるほど、言われてみれば確かにそうだ。
かなり難しいなぁ…。
香取神道流ってかなり門人多いんだろうか。
流派の名前だけなら超メジャーだけど。
151 :
日本@名無史さん:2013/01/03(木) 10:14:40.78
153 :
日本@名無史さん:2013/01/05(土) 07:05:30.99
剣豪スレにいって質問してみたんだが、シカトされた…w
参ったなこりゃ
だからってもうこんなところに戻ってくるなよ。ネット界隈をウロウロするんじゃなくて
直に流儀とコンタクトを取るべきだってことだ。
人生賭けて学ぶつもりなら最低でも自分で直接コンタクトとって見学するくらいの
やる気なきゃダメだよ。演武会等には直接足を運んで実地で見てるんだろ?
そこで話を聞いたっていいわけだし。
そもそも何で武板で聞かないんだ?
というか2ちゃんに拘る必要もないのに。見学OKの道場に行って
自分に合いそうだと思ったら、最初に考えていた要件がすべて満たされていないとしても
それも縁だよ。
いや〜、それが俺が住んでる県(ちなみに東北)には、剣術道場が本当に1つも無いんだよね…w
多かれ少なかれの差はあると思うけど、ゼロってのは逆に珍しいと思う。
もちろん見学にもバンバン行きたいんだけど、東北から関東まで簡単に行けるもんじゃないから、自分で集められる情報には限界があるのよね。
武板に行きたいんだけど、なぜか知らんがこの板しか書き込めない。
ケータイが古いからかな。
158 :
日本@名無史さん:2013/01/05(土) 21:37:01.50
知恵袋とか見てると、学校で教師が「日本刀は2〜3人しか斬れない」とか教えてるみたいだな。
「そう教わったんですが本当ですか?」的な質問がちょいちょいある。
学校で教わるぐらいだから、この都市伝説が無くならないのも何となく分かる気がする。
確かに蒙古襲来絵詞の一場面を取り出したミスリード並みに浸透してるかも知れないな。
160 :
日本@名無史さん:2013/01/05(土) 22:57:57.76
そのうち学校で鈴木大先生の「刀は戦で使われなかった」説とか教えるかもしれないな、いやマジで。
貴重な情報ありがとう&本当に申し訳ない!
何度もパソコン買おうかなとは思いつつ、パソコンを買う金ですら一人暮らしのための貯金にしたくてね…w
>>157 地元や近所に道場がなくても、電話で道場に問い合わせたり出来るじゃん
君が知りたい門人の数とか、どんな術が併伝されてんのかとか
ちなみに入門を強烈に薦めるとこは怪しいぞ
説明はしっかりするが、結局決めるのは君だ的なとこのほうが大体の場合真っ当だ
>>162 入門した後もあれこれ入用になるんだからまずは経済的にある程度
余裕ができてから考えた方がいいと思う。
>>158 まあ、小中の社会科系の教師は無知蒙昧しか居ないから仕方ない
社会の教師って、教科書以外のことを教えるとしたら大抵いらんことだからな。
南京虐殺だの、100人斬り競争だのw
もし2〜3人しか斬れない刀で100人斬り競争したら、刀代にいくらかかるのかとwww
高校より下の非理学、非体育の教師って存在価値無いよな
>>163 >>164 まさにおっしゃる通りだ。
まずは目標額まで金を貯めることが先決だわ。
ありがとう。
刀が2〜3人で斬れないってのは山本ナニガシの「私の中の日本軍」だろうが、この本の中では“2〜3人も斬ると目釘がガタついて…”という内容だったはずだ。
知恵遅れ袋なんかでよく書き込まれてる「油がついて斬れなくなる」という文は一文字も書いていない。
このバカ説の発端はどこなんだろうな。
獣を解体するときに刃物に油がついたら切れ味が鈍ってくるからだろ。
その脂が刀剣の打ち込みの緩衝材になるとは思えん。
>>170 原典では目釘でも脂でもなく「私の経験からである」と書いてあったが・・・・。
脂で斬れないなら1人目でも途中までしか斬れんだろうに
>脂で斬れないなら1人目でも途中までしか斬れんだろうに
そりゃあらかじめ刃を当てて切るような庖丁やナイフと一緒にするのはまずいと思うが
普通に考えりゃ「脂がついて斬れなくなる」ってのは切れ味が鈍ってきて斬れなくなる
と判断するのが普通だろ。それを考えりゃあまりにも馬鹿過ぎなコメントだ。
皮下脂肪より内側を斬るさいには著しく切れ味落ちるだろ
刀で斬るってのは刀で致命傷の刀傷を負わせること。
料理じゃないんだから途中で切れなくなるも何もそこまで行ったら
致命傷負わせているよ。
試斬とかする時はむしろ油をたっぷり刀身に塗るくらいなんだがな
刀身保護のために
あと、豚の死体をバッサバッサと斬ってロウソクみたいに脂がついても切れ味が落ちないことも証明されてる(“日本刀真剣斬り”より)
だいたい日本刀だけそうなのって話だよな。
切れ味鋭いサーベルなんかどうなんですかね?
三回骨付きの豚肉を切ってもまるで手ごたえなく切れたそうだ。
もしかして四回目以降は急に脂で切れなくなるとかそんなのあるんですかねw
津本陽『人生に定年なし』P178〜
中村(泰三郎)先生は、十八キロの豚肉をまえに、身をわずかに右向きにして立った。
「こういうものは、まっすぐ斬るもんじゃない。体をわずかに斜めにして斬るんだ」
先生は刀を抜き、ふりかぶる。
気合もかけず、斬りこむと、切り口が大きくひらいた。白い骨が二本あらわれ、
血がタラタラと流れる。
太い骨は直径十センチもあるように見える。
「さあ、やってみろ」
私は体をやや斜めにして、両足をひらいて踏んばり、刀身の棟を背筋につけると、
「やあっ」とかけ声もろともに打ちおろした。
おどろいたことに、人間の胴よりも太い豚肉を斬った手応えは、まったくないに
ひとしかった。土壇の板を、パチーンと叩いた音だけが耳にのこり、骨も
きれいに斬れている。
「こりゃ、たいしたものだ。これまでまったく経験がなくて、これだけできる者は、
めったにいないよ。
私は先生にすすめられ、それからさらに二度斬った。
手応えはやはり、嘘のようになかった。
というか、豚の解体をするとしたら1頭につき何回も斬らなければならないだろうけど
その時使う刃物は、3回くらい斬るごとに手入れしなければならないの?
1頭解体するのに、何回研いだら良いか判らなくなりそうだ…
181 :
日本@名無史さん:2013/01/08(火) 00:18:25.83
だから使い方が違う庖丁やナイフと一緒にするなってのに。
183 :
日本@名無史さん:2013/01/08(火) 03:13:55.79
今は汚盛本スレに逃げ込んだようで。
>>182 刀は4回脂に触れると化学変化を起こして刀身がボロボロに錆びるんだよな?w
>>178 西洋のサーベル然り、刃物というものに刃こぼれは必ずつきまとうものだよ。
写真でだけど、刃こぼれがあるサーベル見たことある。
脂で斬れなくなることはないけどなw
大坂新刀の数打ち素延べ刀なんかは
最初の3,4回は切れてもそれ以降はガクっと切れ味が落ちるという。
刀がすぐ切れなくなるってのはこのへんから来た話なんじゃないかな。
個人的な経験談だから明確なソースにならないかもしれないけど、戸山流居合道連盟(あと刀剣はたや店主)の籏谷嘉辰氏にメールで聞いたら、「私なら何人でも斬れますよ」って返ってきた。
でも、俺が送った本当の質問は「脂で切れ味が落ちるという都市伝説はどこからきたんですか?」という内容だったから、正確な答えになってなかったんだけどww
刃こぼれとか物理的損耗ならそういう刀もあるだろうってなるけど脂は謎だな
脂について、直接専門家の刀屋さんに聞いたほうがいいだろと、刀剣柴田(電話)、刀剣はたや(メール)、刀心(メール)にそれぞれ聞いてみた。
まず刀剣柴田からの回答は
「司馬遼太郎の新選組を題材にした何かの小説(血風録か?)でその脂の話を読んだことはあるが、詳細は分からない。司馬氏が別の何かの小説から引用したか、もしくは自分が料理でお肉を切った時の体験談なんじゃないか」
とのこと。
あとの刀剣はたやと刀心はまだ返信待ち。
返信来たら書き込む。
司馬遼太郎すごいのな
影響力
津本陽(抜刀道やってる)や、小島英記(中西派一刀流)の小説には、脂で斬れなくなるという描写は無いな。
さすがは刀の経験者。
ただ、津本の場合は目釘を唾で湿らせるというちょっとした間違いはある(塚原卜伝十二番勝負とかで)
関ヶ原の件といい、騎馬の件といい、刀の件といい、
やっぱ鈴木は司馬遼の焼き直しが多いのかね。
194 :
日本@名無史さん:2013/01/08(火) 17:41:48.77
騎馬に関しては『源平合戦の虚像を剥ぐ』の川合康の焼き直しだな。
彼の方が先にポニーポニー言い始めてる。
恐ろしいことに鈴木大師匠が完全にお株を奪ってしまったがww
やっぱ戦国が人気だからってのもあるだろうけど。
195 :
日本@名無史さん:2013/01/08(火) 20:27:49.19
18人切るのに刀を17本使い潰すって、こいつは刀を17本持ち歩いて戦ったとか
思い込んでるんだろうかねww
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1357357361/430 430 :名無しさん必死だな:2013/01/08(火) 19:02:11.54 ID:3Ws6gsLH0
剣術の達人でもせいぜい20人を相手にするのが精一杯だからなぁ
1人の人外クラスの超ガッチムチ野郎を育てるより、
ちょいムチを50人鍛えられる方が確かな技術ってことになるんだろう
日本で記録に残ってる個人の無双記録で最多は柳生宗章の18人斬りか?
刀を17本使い潰した結果らしいが
まぁ相手が槍だとこうなるか
196 :
日本@名無史さん:2013/01/08(火) 20:32:07.61
↑これ、塚原卜伝の212人斬りの神業はシカトなのかな?
同じく武田惣角の36人斬りも
197 :
日本@名無史さん:2013/01/08(火) 20:36:32.58
大体十七振り持ち歩いたとか何に書いてあんの?
36人の方は知らないが、212人って生涯通算スコアじゃ?
柳生の18人斬りも通算スコアじゃないか?
17振も担いで動き回れるとは思えん。
斬った相手の刀を拾って再利用したとかならまだしも。
剣豪スレにいた卜伝好きの人と一緒だろうけどなんか話が通じないんだよなあ。
>>200 話通じなくてごめんw
でも一生懸命だから許してやってww
>>190だけど、刀剣はたやからも返信を頂いた↓
刀は脂が乗ると斬れなくなるか?
発祥の地は分かりません。
戦争に行って何人も斬った人にしか分からない事です。
捕虜を何人も杭に縛り付け袈裟斬りだけ十人位試せば正しい答えが分かると思います。
戦闘中の斬り合いは相手の隙を突いて斬るので何処を斬るかはその時次第なので分かりません。
骨や金物に当たって刄こぼれを起こすと脂に関係無く斬れなくなるのでその限りでは有りません。
古武術は袈裟斬りの様に効率の悪い切り方はしません。
首や手首の動脈を斬って行くのでそんなに脂が着かなく何人でも斬れます。
小生に、杭に人間を縛って刀で殺せと命令されれば首の動脈だけを斬って行きます。
百人位は斬れます。首を落とすような効率悪い切り方は素人のやる事です。
日本人は首狩り民族だから仕方がないのでしょうね。
結論切り方次第で何人でも殺せます。
以上!
またも脂で斬れなくなる説の具体的な発祥は分からんようだなぁ。
>>196 武田惣角の方はだいぶ尾ひれがついた噂話だよ
実際斬ったのは3人
>>202 レポ乙。
でもはたやの方は例えとか含めて感じが悪いね。
>古武術は袈裟斬りの様に効率の悪い切り方はしません。
示現流に喧嘩を売っているかのような回答だしそもそも戸山流は古武術じゃないよ。
質問内容だって刀で何人殺せるかなんて質問じゃなくて脂で斬れなくなるかどうか聞いたんだろ?
>>202 >小生に、杭に人間を縛って刀で殺せと命令されれば首の動脈だけを斬って行きます。
>百人位は斬れます。首を落とすような効率悪い切り方は素人のやる事です。
>日本人は首狩り民族だから仕方がないのでしょうね。
>結論切り方次第で何人でも殺せます。
恐ろしい
骨に当たらないように浅く動脈だけ斬ってけばまあいくらでもいけそうだわな
>>204 確かにそうだw
この刀剣はたやの人(籏谷嘉辰氏)が書いた本の中には、「古流では、鋒ではなくハバキ元から袈裟に斬る技もある」と書いてるのもあったし。
しかし、今もって「脂による切れ味低下」の決定的な発祥が分からんな。
あとは刀心(あの町井勲のお店)がどう返信してくるかだなぁ。
>>204 はたやの親父は犬斬ったりするぐう畜だから感じが悪くても全然不思議じゃない
>>207 >しかし、今もって「脂による切れ味低下」の決定的な発祥が分からんな。
>司馬氏が自分が料理でお肉を切った時の体験談なんじゃないか
多分これじゃね?
司馬のお料理体験が発祥だっとしたら、ある意味予想だにせぬ凄まじい伝説の発祥だな……ww
あとはロンブーとかのテレビで色々斬ってた町井勲くんの刀屋さん「刀心」からの返信待ちなんだが、これが一向に来ねーんだわ
作家が自分の作品内でどんなルール作っても自由だけど
現実で踊らされてしまった奴はあれだな
司馬遼作品を全て史実だと信じて疑わない爺さんおっさん多いからなー
事実扱いされるとは遙かに及ばないはずの司馬遷に追いついたか
司馬は「その場面を横で見てました」みたいに書くからなw
とは言え、ちゃんとした資料をしこたま集めたりもしてるんだが。
司馬といえばこんなのもあったなあ
> 892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/07/07(土) 17:31:53.63 ID:DDQgyanc
> そういえば、司馬の兵隊時代の体験談で、本土決戦の準備をする際、司馬が
> 「戦車で現地に向かう時に避難民がいて進めなくなったらどうしますか」と言ったら、
> 高級参謀が「轢き殺せ」と言った話が司馬の本にあるらしいが(小説じゃない)、
> 今年出た秦郁彦の本によると、司馬は生前その話が嘘だと認めたらしい。
> あの話を知っている人の多くは今でも事実だと思っているかも。
司馬史観と戦国時代
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152281475/892
某スレで自称戸山流の人が日本刀は意図的に引かないと切れない、叩き切るのは西洋剣(キリッ
別の居合関係の書籍では引きもせず押しもせず真っ直ぐ切るだの、刃筋を立ててぶっ叩くだのと書いてたがどっちが正しい?
知らん
鎧ごとぶった斬る練習は現役でやってる人いないだろうし
人体程度ならどうやっても斬れるだろうし
引いて斬るというのは初心者向けによく使われる方便
真っ直ぐ切るというのは刀には反りがあるので、
振れば勝手に引き切りになるから難しいこと考えんな派
刃筋を立ててぶっ叩くのは堅物用によく使われる切り方
どれも間違いじゃない
参考になるか分からんけど、ドイツでは罪人を直立させたままの状態で、野球のバッターよろしくフルスイングで首を斬ってたらしいよ(これまた籏谷氏の「日本刀真剣斬り」より)
しかも確実に。
西洋刀剣は叩き斬るものとか、情報弱者の証だよ。
西洋は刀剣の種類が多いから、日本刀みたいに大変良く斬れるものから、文字通り叩き斬るものまで様々だわよ。
さて、ようやっと平成の侍・町井勲氏の営む刀屋“刀心”から「脂」に関する返信がきた。
それが以下(原文まま)
詳しくは存じ上げませんが、挽肉を包丁で叩いていると、油がこびりついて使いづらくなる印象からではないでしょうか。
実際に事故で人が斬られる瞬間に立ち会いましたが、刃筋が綺麗に通っていると、すぐに血も出ませんし、刀にも血液や油は殆どついていませんでした。
日本刀剣愛好保存会販売部
美術刀剣 刀心
…という訳で、「脂」の珍説の発祥は、『分からない』ということで。
というか試斬に関わってるとそんな事故に出くわすんだな。
「刀剣柴田」「刀剣はたや」「刀心」の他に、ここなら脂の珍説について明確な回答がありそうなところあるかな?
もしあったら俺が取材してみるよ。
むしろ小説家の津本さん辺りの方が知っていそうではある。
司馬遼太郎が初めて脂理論書いたのはいつ頃?
司馬の新選組モノの小説を片っ端から読めば見つかるかもしれんが、さすがに面倒臭いなw
しかもいくつかあるしw
活字がバッチリ読める人がいたら図書館から借りて読んで(というか探して?)もらうとか出来ないかなぁ。
前に『平家物語』で甲を打ったときに目釘折れた場面があるから、目釘構造は
昔から脆いので知られていたなんて書いてるのがいたんだが、その場面を見てみると
壊れる前に八人切って九人目で甲を打ってそうなってんだよな。更にいうと
太刀の前に使ってた薙刀は六人目で柄が折れてんだわなw
15人斬りってどえらい化け物だな
229 :
日本@名無史さん:2013/01/14(月) 10:16:39.62
そもそも司馬は脂の珍説をどこから持ってきたんだろうな。
司馬オリジナルの珍説という雰囲気はないし、そこに脂珍説の発祥があるように思える。
230 :
日本@名無史さん:2013/01/14(月) 21:13:29.44
通りすがりですが流れに貢献できそうなので。
7年くらい前、少しだけスポチャン繋がりで居合いをやったことがあるけど、そこの先生曰く、
刃筋さえ通せば油なんぞ関係なく肉はいくらでも切れるだろ。
だが刀身が濡れれば摩擦が減って刃の食いつきは悪くなるから、服と皮膚の切れは悪くなるだろね。
特に服。
程度は人斬ったことないから知らね。
使えないレベルになるわけ無いけどね。
との会話をざっくり記憶。俺も、まあそんなものかと思います。
>>230 刀身が濡れたり服があっても十分に斬れるってことが、前スレであったんだわ。
分厚い綿入れの上からでも問題なく斬れるとか本に書いてあったらしい。
232 :
日本@名無史さん:2013/01/16(水) 15:02:56.31
>>215 元サンケイ新聞の記者というよりは、実は元朝日新聞の記者ですって感じだなw
>>13 日本刀は汎用兵器。
日本刀が合戦の主役だったのです。
234 :
日本@名無史さん:2013/01/23(水) 15:44:20.47
矢玉も叩き落とせる日本刀は最強兵器だよ
作るのと使いこなす技をロストしてしまったのは非常に残念
日本刀信者馬鹿すぎwwwうぇwww
これでいいですか
はいはい、史実を受け容れられない馬鹿チョンは母国に帰ろうね
237 :
日本@名無史さん:2013/03/03(日) 16:01:39.57
age
トンデモの信者も論破されて反論も無くなってすっかり静かね
239 :
日本@名無史さん:2013/03/18(月) 05:39:44.45
ニュー速系でのびのびしてる。
井沢元彦が未だに信長を兵農分離とか商業革命とか持ち上げまくっている件
矢追さんみたいな存在だから
そう目くじら立てないであげて下さい
UFOあたりはネタとして面白いと思ったが、「俺は自然死した動物の死骸を見たことが無い→動物は自然死しない」とかわけのわからん方向に逝っちゃったのは残念だったw>矢追さん
ツイッターとかでも結構いるぞ。日本刀ってすぐに切れなくなるらしいね、とか
実際は刃で受けないらしいね、とか聞きかじりのネタを真偽に関して疑いを持たずに
言いふらしてる。
244 :
日本@名無史さん:2013/03/27(水) 18:58:58.71
疑いを持たないのは実際大して興味あるわけじゃないからしょーが無い
245 :
日本@名無史さん:2013/03/31(日) 19:57:19.03
つまり信長は1590年代まで生きてたんだよ!
薙刀の目釘って竹製?それとも金属製?
金属製だと目釘穴が傷むよ。
249 :
日本@名無史さん:2013/04/14(日) 20:56:54.30
長篠の戦いとかなど「おっ」と納得できる説明も確かに有るが、
歴史の流れをつまるところ運だと片付けるのはどうかと思う。
運も確かに要素はあろうが、基本的にきちんとした行動と能力が無ければ幸運の女神は微笑まんよ。
といっても軍事学の専門家に見せると関ヶ原の合戦は明らかに西軍有利だったそうだからね。
小早川の離反工作とかはしていたとはいえ運の部分も大きいと思うよ。
西軍が関ヶ原に布陣するまでのgdgdぶりを見ろよ
東軍は勝つべくして勝っただけ
徳川の主力が中山道で足止め食ってるのに開戦時に有利なわけないだろ
クソガキ秀秋以外に離反しまくったおかげ
しまくったのは事前工作の成果だからなあ。専門家さんは表面的な布陣だけ見て
判断してんだろうし。
小早川隆景があと数年生きていればあるいは…。
たらればは愚考でしかないが。
関ヶ原の家康はギャンブルしすぎだと思った
小早川秀明ごときに勝敗決定権持たせるなよと
秀秋なら主導権握らせても何とでもなるけど
藤堂高虎にそんなもん持たせた日には寝不足で死ねる
他の手段を選ぶ余地が無かったんじゃ?
>>250 政治情勢を勘案しない軍事学の専門家なんて、居ない。
表面だけ見て西軍有利とか言い出す奴は、ただの無能だ
そもそも関ヶ原の時の西軍は東軍よりかなり少なく、ヘタすると半分程度だった可能性があるらしい。
だったら決戦しないほうがバカだわ。
実際薩摩系の記録によると、西軍はわずか2時間ほどで蹴散らされているし。
>>258 軍事作戦を重視するあまり政治状況を無視して、国を滅ぼしかけたプロイセン参謀をディスってるエピソードじゃねえの、あれ?
政治情勢を勘案するのは戦略面で、配置を見て判断するのは戦術面。
戦当時は秘密裏にしていた工作なんて相手方に分かるわけ無いから
戦術面で評価するのは当たり前。
てか布陣図見せて予想言わせてからこの部隊裏切ってました、てのは問題の出し方としてちとズルい気がする。
そこから当時の政治状況と戦略の重要性へと話をつなげられれば
勉強になるんじゃないか。
それは工作員と害後患のやる事、武官には関係無い。という正論が聞けそう
武官が戦略を学ばなくていいって?
馬鹿なの?
鈴木とかもう完全に相手にされなくなったな
戦略はともかく、政治に口出さなくていい、はあるんじゃね?
プロイセンは政治は戦略に従え、って姿勢だったけどな!
vipとかニュー速とかにスレ立っても、まとめブログのコメント欄でも
鈴木の受け売りにはすぐ突っ込み入るからな。
2005年あたりと比べてもかなり状況が変わってるね。
むしろ、「F1カーでサファリラリーに出場すれ優勝間違いなし」とか言う
自称・自動車レース評論家に対してツッコミ入らないのが異常だったわけ
なんだが。
ありもしないもん作ってもあっちこっちからツッコミ入るだけでしょw
誤爆スマン
>>268 過去の自分見てるみたいだ
歴史や通説って人によっての見方や研究で日々変わっていくものなのに
なぜか盲信してた
991 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい [sage] 投稿日:2013/06/08(土) 13:39:39.29 ID:iV/cj57B0
>>977 そもそも日本刀は儀礼用が主で戦で使うのは首を取るときや非常時の護身
戦国時代も七本槍や一番槍、海道一の弓取りなど槍や弓に纏わる言葉ばかりで刀は全く重視されていなかった
また止む無く実戦で使うときも刺すが本来の使用法だった
有名な新撰組の平突のようにね
274 :
日本@名無史さん:2013/06/08(土) 15:25:32.92
その突き妄信論もここ何年かで出てきたなあ。
そういうヤツに念流・新当流・新陰流というような戦国からの古流も
斬撃中心だと言ってもまったく話が通じない。
これはさすがの鈴木大師匠も関係ないし、漫画かなんかが元ネタなのかな?
使えない刀を持ち歩いてた理由を残してあげようという譲歩のつもりなんじゃないかな
一人が思いついたにしてはちょっと広まりすぎてるね
じゃあ反りの理由は?突き中心だという文献上の根拠は?
と聞いたところでまともな答えが返ってきたことはない。
確実に殺したければ突くべきだ、ってのは浅野内匠頭がディスられる理由になってるし。
その辺から来る曲解じゃないかね?
>>275 西欧土人や半島の刀剣は主に突く為の物だったから
そっから派生したゲームの受け売りだろ
寛文新刀の反りが浅いのは、突く剣術が流行ったからだと言われているが
よく考えたらそのソースは知らんな。
281 :
日本@名無史さん:2013/06/08(土) 17:23:58.82
斬りまくった後かっこ良く鞘に収めるのに反りが深いのは都合がわるいんだよ
レイピアとか専用を除けば片手剣で突き主体ってしんどくないかなって前から思うのだがどうなんだろう
突きを外すと体が伸びきってしまって反撃を食らいやすいとかなんとか
日本産のアニメゲームで剣を両手持ちするのは海外の人らには違和感があるそうな
日本刀を突きに特化させたいなら槍みたいな直身で諸刃のものを作るわな
>>284 俺らにしてみれば、片手空いてるのに
片手でぺちぺちやってる方が意味不明だわな
レイピアとかあのへんは血でた方が負けよな使い方する剣だからねぇ
突きに関しては疲れてきたら相手の腹を突けと五輪の書には書いてある。
かと言って本来の使用法が突きというのも間違いだけどな。
本来の使用方法は斬ったり突いたり両方とも。
だいたい日本刀が儀礼用だったら大太刀が中巻野太刀→長巻へと実戦で
使いやすいように変化するわけ無いわな。
首を取るだけなら鎧通しとか短刀の方が使い勝手がいいんだから長いの
なんか使わん。
289 :
日本@名無史さん:2013/06/09(日) 00:11:16.18
定説に対して「本当はこうなんだぜ」という「真説」を披露したい
いやらしい性根のヤツが好きそうという点では鈴木説と親和性が高そうだw
余談ではあるが、元々は司馬の受け売りだろう。
アレは旧軍アンチだからあれもこれもと否定したい為だけの説ばかり集めてなんやかんやといらんこと書き散らしてたからな。
使わないのに持ち歩いたり、使わないのに突きの機能邪魔する構造にしてまで
斬る機能をけっこう優秀ななものにしたり
真説()を信じると根本的におかしなところが出てしまうのに
何故それらを解消する理屈が無いままに流行るのか
槍は切るもの、刀は突くものっていう佐分利流槍術の教えが独り歩きしているような気もするね。
102 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2013/06/12(水) 10:10:56.31 ID:???
武士道って明治以後に騎士道という言葉から作られたものなんですか?
『葉隠』なんかも明治以後のものなんですね。
色々ショックです。やっぱ時代劇や小説だけでは知識つかないんですね。私も歴史書を読もうと思いました。
http://woman.mynavi.jp/article/130531-057/?gaibu=/nico/105261/43/ >■まとめ
武士道という言葉は、明治時代になってから作られたという。しかも語源は西欧の騎士道だから、江戸オリジナルとはとても言い難い。
事実は小説よりも奇なり。時代劇や小説だけでなく、歴史書を読んでみるのが良さそうだ。
想いついた妄想を書いたんだろうな、戦国時代からあるのに
>>285 ドイツでよく使われたという両手刺突剣・パンツァーシュテッヒャー(エストック)がそんな形状だね。
両刃と言うより錐をでかくしたような感じみたいだけど。
>>293 なんかのネタかねらーの仕業かと思ったられっきとした署名記事かよ!
いい仕事してますねえ関口さんって人。
自分が歴史書読んでねえだろってw
297 :
日本@名無史さん:2013/06/12(水) 17:54:12.08
直接はスレに関係ないけどこういう自分では調べもせず一人前のこと
言うようなのが無責任に鈴木説を拡散してったってのはなんかわかる。
自ら署名して「馬鹿で〜す」と公言する神経が凄いな
ライターは基本的な教養がないとはよく言われるがこれはひどいねw
300 :
日本@名無史さん:2013/06/25(火) 00:12:14.83
最近は鈴木説より某軍刀サイトの記述を鵜呑みにしてるのが増えてるな
301 :
日本@名無史さん:2013/06/25(火) 08:59:11.40
確かによく見かけるな。鈴木説とのコンボで突き説・ダブスタ軍刀サイト鵜呑みを見る。
302 :
日本@名無史さん:2013/06/25(火) 19:32:54.45
基本的に「全部こうだ」って言い切っちゃう方が受けがいいけど、確実に例外が大量出て破綻する
でも普段は情報集めをしてなくて、なんとなく目にしたくらいの層には破綻が気付かれないからやっぱり流行る
で、ここに晒される奴みたいなのが量産される
>>303 地元だけど、岩国の鉄砲隊は一旦失伝したものを僅かな文献と他所の地方の流儀を参考に再構築したもの。
実戦でどうだったかの参考には全くならんよ。
そもそも岩国藩は戊辰戦争に刀槍部隊を送ったぐらい火力の低い藩だったし。
第2次長州征伐で井上聞多にあいつら役に立たんとか言われちゃってるし。
砲術にも流派とかあるけど、素人が端から見てわかるような大きな違いってあるもんなの?
306 :
日本@名無史さん:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN
よく池田屋事件では永倉の刀が折れたし近藤の刀以外は大きく損傷したから
刀はー、とか言うが、実は近藤の書状や永倉新八の覚書を見ると
近藤周平と島田魁の槍が柄を斬り折られたりしてんだよね
刀の損傷が大きかったのは暗闇の中の屋内戦だという点も指摘されてるんだが、
木の柄を斬り折られたことに関してはもう敵方の刃物にやられた以外ないわけで
307 :
日本@名無史さん:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN
日本刀を貶めるときは徹底的に槍の長所だけを出し、
西洋剣を持ち出す場合は西洋のさまざまな地域や時代や種類の中から
都合のいい点だけを持ってくる感じ
あちらさんは日本の大学みたいな軍事アレルギーもヒステリーも無いから純粋に学問的技術的等々の考察をしているわけですよ。
好戦でもなければ反戦でもない。
そんなもんは前提にしない。
しても意味が無い。
310 :
日本@名無史さん:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN
>>308 解釈する人の中に鈴木っぽいのが混じってる感じだな
>>309 あちらはあちらで政治と金に塗れてる悪影響で
考察を捻じ曲げる事が非常によくあるから
イデオロギー的なモノからはフリーである事ができても、研究費をどこから持ってくるかって事からは
絶対に解放されないからなー
313 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN
314 :
日本@名無史さん:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN
『懲録』に残ってるのはほとんど陸戦のエピソードなんだけどなww
フロイスも現地のキリシタンから日本刀が活躍する報告を受けてるけど
それは敵側がボイコットする際のエクスキューズとやらに
協力したんでしょうかねww
戚継光も日本刀の性能の高さ褒めてたな
つーか中国が欲する最大の輸入品じゃねぃか>日本刀
317 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN
柳成竜『懲録』
「明国軍が碧蹄で敗れ、李如松が臆病風に吹かれる」
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・(李如松)提督が、自分が〔本国に送る〕奏達文の草稿をとり出して示したが、その中に、
「賊兵、都城に在る者二十余万。衆寡敵せず」とあり、また文末に、
「臣、病甚だし。他の人をもってその任に代えんことを請う」ともあった。私は驚いて、
手でその部分を指して言った。「賊兵は甚だ少ない。どうして二十万にもなりましょうか」と。
提督は、「私がどうしてそれを知り得よう。おまえの国のものが言ったのだ」と言ったが、
どうも口実のようであった。
明国皇帝もお気に入りの提督・李如松は碧蹄で日本側の切れ味無比の刀に自軍をズタズタにされて
仮病を使いたくなるほどの大敗を喫しましたが、本国への上奏文で戦った日本側の数を20万以上と
過大に申告しての言い訳はあっても日本刀に関しては別に触れてないですねえ
318 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN
180 名前: アルゼンチンバックブリーカー(千葉県)[sage] 投稿日:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:yCeSm65Q0
日本の戦争って、500人vs500人の合計1000人で戦って,死者20〜30人くらいだろ。
そして死者のほとんどは投石による。
ここまでの投石過大評価は鈴木もやってないと思うんだが、一体どこから来たのか?
伝言ゲームみたいな感じでソースも確認しないで情報が伝わっていくうちに
おかしなことになったのかな?
昔の人はみんなダルビッシュ以上の剛腕だったんだよ!
320 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN
結構軍忠状とか感状の類は見たんだけど野戦で石疵が出てくる史料ってのは
具体的にはどういう史料なんだろ?
攻城戦では石疵負ったのを見たことあるよ
でもそれは篭城側が高所から投げ落とすものだとわかるしなあ
つか、野戦のものと攻城戦時のものって統計では区別されてんのかな?
321 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN
>>320 一応、有名な事例では三方ヶ原の戦いで武田軍が、徳川軍に対して
投石をした事実はあるのだから、それなりに野戦で投石をして、
怪我をした書類はあるのでないの?と勝手に想像する。
ただ、それは戦闘と言うよりも、宣伝戦、挑発、威力偵察の類かと
思われるが
その土地々々や地形にもよるけど、現地調達が一番容易な武器だからってのもあるだろうね。
補給の手間がかからんでしょ。
弓矢鉄砲弾はいちいち運ばなきゃならんけど、石ころ運ぶとは考えにくい。
323 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN
そもそも多少の誇張はあるとはいえ源平の段階で既に数万規模
さらに遡って古代大和朝廷軍も四万とか五万とかしょっちゅう動員してるのに
なんで「日本の戦争は精々数百単位」なんて言えるんだろうか
324 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN
紀元前の投石兵は大きなカバンに一定サイズの石を入れて持ち歩いたし
国によっては石の替わりにテラコッタや鉛で一定サイズの玉を作ったりしていた
でも日本の場合はわからんなあ
軍役状とか見てもこの兵種のことは出てこないしな
325 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN
>>324 ただ、三方ヶ原の事例では、明らかに武田軍は石ころを用意していたようだし
専門の部隊を常備組織して、訓練をしていたかどうかまではわからないに
しても、とりあえず下人か下働きか足軽の連中を組織して
集団で投石させていたのは間違いない。
荷駄隊だか非戦闘員だかをうまく散兵的に使ったということらしい
古代の方が動員力が大きく、
封建制は動員力が小さくなる
328 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN
鈴木説マジ人気杉
Amazon見てたらリアルセンゴクって本があって中身、特に刀や弓や死因の項がまんま鈴木説。
しかも出版日が結構新く去年〜今年くらい。
著者の名前がなんかうさん臭かったな。
なんか新説として飛びついて啓蒙しようとしてフルボッコにされた層とは別の
これが常識と思ってる層ができてる感じする
330 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN
>>313のアホなんかその手合いかもね
日本刀が使われたはずがない
↓
実際には中国朝鮮の文献で倭刀を恐れる報告がいっぱいあるよ
↓
使われてないものが威力を発揮するはずがない
それは大陸の将軍たちの捏造に違いない
みたいな思考っぽい
同様に突き主体説もいくらそれへの反証を挙げても話が通じないな
ソースは何なのか追及するとコンビニ本とか2ちゃんのカキコとかそんな程度だったりする
要はそういう媒体が漫画で知った鈴木説なり日本刀突き主体説を紹介して、その手の媒体で
満足するろくにものを考えない連中の間に広まってるってことだろうね
331 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN
>>327 近代国家は、古代に戻ろうの運動から起こったから、
わりと、いまの法治国家の感覚が通用するところがあるのだよな
封建国家は、地回りヤクザの脱税システム連合みたいなところがあるから
軍隊の動員ひとつとっても、近代国家や古代国家に及ばないからな
>>330 日本刀が刺突メインの武器なら長い刀身も長い片刃も要らないよな
刃より柄が短くちゃおかしいしリーチで槍に勝てないのにどうすんだと
深く究明するまでもないのに何を血迷ってるんだろうね
日本刀の反りの意味とは一体って感じだな
タイマンで確実に殺すとかじゃない場合は刺さっちゃうと抜けなくなったりで
困ったちゃんになる可能性があるからな
刺突でも使いやすいように、刺しても抜きやすくするための溝ついてるでしょ。
樋は軽量化や重心コントロールのためだよ
刺突剣や槍のような血抜き溝を主眼とするものではない
・大太刀では、重ねを薄くしたり、鎬地に棒樋を彫るなどの重量軽減化が計られている点はすでに指摘した。
さらに、著者は、平成六年(一九九四)一月に愛知・熱田神宮で開催された
『大太刀と小道具』展の展示と撤収のお手伝いをさせていただいたり、またその他の機会で、
前掲の古刀期最長の長船法光や飯野八幡宮の長船盛景大太刀・大長刀を何振りも実際に手に取っている。
その経験から言えることだが、長寸な太刀でも反り具合や柄の状態などの微妙な調整で手持ちは良くなるものである。
法光にしても著者は数回手にしているが、その重量は一四`近いものの、
実際に持ってみると、見かけの豪壮さに反し、意外と持ちやすい。
近藤好和 『騎兵と歩兵の中世史』より
投石に関しては庶民の石合戦の伝統がある。
村対村、村の中での争いなど盛んに行われていた。(ソースTSH)
手投げに限らず投石器(石もっこ)も使われていた。
武田に限らず下人等が投石を行うのは日本の戦場において常識だったのではないか?
日本人はどんな身分の低いものでも刃物を携帯して武装していた。刀が持てない者は鎌、鉈など。
そして投石は弓の代わりということだろう。
遠距離、近距離どちらでも当然のように戦える民衆の姿が見えてくる。
石くらいどこでもあるつうけど、個人の狩猟とかならともかく
合戦レベルで人数多いとすぐ投げ尽くすんじゃね?っていつも思う
専門でやるなら古代の投石兵みたいにカバン持つ必要あるな
でも荷駄隊の類を一時的に戦闘参加させて即撤収させる程度なら
手持ちや少量だけでいいかもね
軍の規模に関係無く、水の補給は絶対に必要だから、川原とかによればある程度は拾えるんじゃなかろうか?
これもその土地によって変わるだろうけど。
戦場での調達は無理でも移動中に計画的に補充とかはできそうだな
509 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2013/09/21(土) 02:58:46.00 ID:D3V2OriD [1/2]
3年くらい前に作ったんだっけ?
刀も無かった馬鹿鮮人剣法w
お前らはつい100年ほど前まで打製石器だっただろ、馬鹿朝鮮人どもw
511 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん[] 投稿日:2013/09/21(土) 03:09:28.69 ID:D3V2OriD [2/2]
どうでも良いけど、秀吉軍に圧倒的に負けた朝鮮人どもは記録も残せない馬鹿だったみたいだなw
普通に使った武器は槍だよな、長巻きとかも使ったけど刀は最後の手段だっただけ。
今の日本の剣道を真似してるだけだから、長刀や槍や長巻きの方が強いってのを知らない馬鹿チョンども。
リーチが長くて軽く振り回せる方が強いだろアホ鮮人どもw
朝鮮人が最近まで石器使ってたとかのガセを信じてるバカが当時の文献に見当違いな批判してるわ
343 :
日本@名無史さん:2013/09/21(土) 10:07:10.49
槍は軽く振り回すという武器でもないだろ
重量で叩き潰す、槍や長巻きが軽く振り回せると思ってるレベルのやつだろ。
>>342 さすがに低脳すぎて晒す必要すら無いだろ
大太刀の発展形である長巻を持ち出してきて刀を叩くってのも変な話だと思うが
あれだって大陸から見ると倭刀の扱いなのに
長巻はバランス良くて振りやすいと聞くが実際どんなもんなんかな
手幅を広く取れるから扱いにくい大太刀よりは取り回しがいいのは間違いない
大太刀を使った演武で刃根元のあたりに革を巻きつけてそこを右手で掴んで行うのを見たことあるけど
だったら最初からそう使える長巻がいいよねとは思う
甲野善紀氏によると刀の柄は両手をくっつけて持つ物らしい。
その方が体全体を使って刀を操作できるとか。
あのオッチャンはすぐそういう極論に走るから困る
甲野善紀だけじゃないけど一般日本人は走れなかったって極論ブームがいつ来るか楽しみにしてる。
ナンバは名和弓雄氏あたりが最初に広めたのかな?
名和氏は鉄砲関係で雑賀党の研究者である鈴木眞哉氏とも付き合いがあったんだよな
時代劇考証の本に出てきてびびった
353 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 23:23:09.37
あれ確か明治期の飛脚の写真がキッカケのトンデモだったよな?
青江の大太刀や大包平、ネットで販売してる長太刀見てて思ったんだが
刃長90cm〜100cmの大太刀って鞘以外の装具込でも2s超えなそうな希ガス
いや、普通に古典芸能とかの歩法はナンバだろ。
右手と左足を前に出してると居合とかできねえし。
特殊と一般をごっちゃにしてはいかん
一般の農民も鍬振る時ナンバだよ
明治初期だったかで飛脚がマラソンで無双したのも事実
明治の写真でも大正の動画でもナンバの人は居ない
古典芸能や居合や鍬振る時というのは特殊な時であって
一般に走る時や歩く時とは違う
腕振らないってのなら真似できるが、同じ側の手足同時に前に出すのは難しいな
モーメントでかくなるし、相殺する動きどこにも作れないし
360 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 11:12:51.08
よくいる売文野心家
結論ありきで論を進める曲学の徒
>>351 岩波新書に「日本の軍隊」という近年書かれた本があるんだが、
(書き手も若い学者)、
あれで、例の説を引用しているのを読んだとたん、投げ出した。w
鈴木説以上のDQN説が平気でまかり通る時代だ。
今の文系「学問」ってその程度なんだ。
362 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 11:32:18.83
例によって行進のところかな?
行進やろうとして同じ側の手足が出てしまうというのは
別に現代のぶきっちょな子供にも見られるしなあ
まともな検証もせず俗説を採用するその気概のなさがすごいと思う
つか、日本人は走れないんだから↓の朝鮮軍は馬なんか探さず
自分で走って逃げればいいのにね
『懲録』
・日が暮れ、賊(日本軍)は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。
行進は運動力学によったものじゃなくて、腕はここまであげるとか規定されちゃうから
分離して動いてるだけになっちゃうのよね
でパニック気味になると右手右足になったり、タイミング全然違ったりする
>同じ側の手足同時に前に出すのは難しいな
竹馬は苦手なタイプ?
無関係
366 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 21:46:07.84
そろそろナンバの話はどこか別スレでお願いしたいなあ
嫌いな話題ではないが鈴木スレでこれが続くのもどうかと思うので
でもこのスレの持つ免疫力は貴重。
鈴木学説への対処は歴史系ネットリテラシーの基礎になると思う。
日本人には夜這いなど貞潔観念がない。
聖徳太子はいなかった。
武士がが勃興してからは天皇には実権だけではなく権威も無かった。
これからもどんどん応用可能なのが出てくる。
極論だから面白い。みんな飛びつく。
でも「鈴木(信者)」の一言で立ち止まる癖がつくようになると良いんじゃないか。
むしろ鈴木が
・学会が相手にしないジャンルを選ぶ
・素人が裏を取るのは手間が掛かりすぎて大変なネタを選ぶ
・キャッチコピー(刀は美術品とか馬はポニーサイズとか)に極論持ってきてとにかく目立たせる
って、話題作り手法のサンプルというか基礎になったと思うw
商売するならそっちの方がいいのかね?w
他人の研究の良さそうなところパクッて集めて、フランケンシュタインの怪物のようなツギハギだ
らけのモノを最新の研究の結果でございますと売り出す。
死傷率・死傷原因とか書くといかにも死者の割合や死因などが明らかになってそうだが
実際には軍忠状や感状では死因がわかるのはむしろ例外的な事例のほうなんだよね
大体、太刀打ちの功名を立てている人間やその郎党が過程で矢傷負ってたりする例が混じってるのに
「遠戦志向」とか論じるのはあまりにも分析不足じゃないのかな
「刀と首取り」と銘打っておいて本文中に「実際には首取りには右手差しや鎧通しなどの短刀を使った」というように
書ける図太さも不世出だと思う
371 :
日本@名無史さん:2013/10/15(火) 08:04:20.19
刃紋無いのが本来の日本刀じゃないの?
柄が日本刀のように反ってないから中華コピー品だと思う
鎬作りじゃないのもあるね
刀はただ研いだだけじゃ、刃紋なんか光にかざさないと見えないよ。
そもそもこんな古研ぎの状態を引きで撮って写るわけがない。
数打ち物にせよ日本製の物に見えない。
曲線が日本じゃないというか・・・。
これは中国産の苗刀て物にじゃないかな。
>>377 唐代までは直刀主流じゃなかったか
つーか記憶が正しけりゃ普段イメージする曲刀は南方仕様だったとオモ
まあ倭寇が襲撃した地域は南方だけども
評価の高い歴史漫画シュトヘル。
でもなぜかモンゴルが日本刀チック(太刀)なんだよな。
実在性は置いといて韓刀ぽくもある。
日本刀の曲線は日本の建築物の屋根の曲線のように独特のRだと思っていたが
やはり大陸由来なのか?
蒙古の曲刀は西方、主にイスラム圏の影響かと。
唐末には日本刀の原形の更に原形のような刀が、日本から唐に輸出されはじめていた模様。
蒙古の曲刀は完全に唐宋の様式
黒韃事略には回回の様式に倣った環刀を有しているとあるからイスラムの模倣だろ
環頭で薄身の刀もあるが
宋刀に似たゴツい作りの曲刀のが多いよ
部族によって軽騎兵中心だったり重装騎兵中心だったりしたみたいだから
その辺も色々なんじゃね?
刀剣が武器としての実用性を持っていた時代の海外の反応を貼っておきますね
茅元儀 『武備志』
日本の刀は剛利で中国のものはそれに及ばない。
アビラ・ヒロン 『日本王国記』
・繰り返して述べるが、彼らは非常に闘争的で、容易に鉄が切れるほど精錬された
鋼鉄で作った残忍極まる鋭利な武器を使用する。
アーノルダス・モンタヌス 『日本誌』
戦いは日本人の頗る喜ぶ所なり。彼等の武器は鉄砲弓矢の外に刀あり。
刀は非常に能く鍛えられあればヨーロッパ流の刀身などは容易にこれにて切断せらるべし。
ゴロヴニン 『日本幽囚記』
鋼製品はどうかといふと、日本の大小刀は、おそらくダマスク製を除いて、
世界中のあらゆる同種の製品を凌駕している。
それは極端な試練に堪へる頑丈なものである。
メイラン 『日本』
日本刀のすぐれていることは十分一般に知れ渡っているので、私が特別にそれについて話すまでもないことであろう。
チェンバレン 『日本事物誌』
日本刀は、その名も高いダマスコ剣やトレドで鍛えた剣をも凌駕する。
刃を傷つけずに銅貨の山を一刀両断することは決して難しい離れ業ではなかった。
387 :
日本@名無史さん:2013/10/31(木) 13:32:11.23
日本刀はチャンバラ映画だけで海外で有名になったとか思い込んでるのが結構いるんだよねえ
何で日本には宋刀みたいな刀無いん?
工具としても使えるから便利やん
宋刀みたいな刀とは?
フォールチョンのような幅広刀のこと
フォールチョンでもファルシオンでもいいんだがその宋刀の遺物や絵画史料は残ってないの?
宋代には唐代と打って変って幅広の曲刀が流行ったらしい。
ソースは失念しちまったが書籍名は確か古代・中世中国の戦術、兵器てな感じの名前だったと思う
歴史群像の別冊も新紀元社のヤツ並みにソース不明だったりガセ情報あったりするんだよな
”森蘭丸の具足”なんてのを載せたのも歴史群像シリーズだったっけ
新紀元社の書籍に載ってる西洋刀剣の重量はlbとsの混同ってことを海外版ウィキを見て初めて知った
397 :
日本@名無史さん:2013/11/01(金) 12:27:58.75
なぜか両手剣は大した誤差がないという。
>>391 武経総要の器図に載ってるってさ。俺は読んだ事無いけど
ハンパな性能だから日本のものより劣ってたんじゃないかな?
>>396 いずれにせよ新紀元社系のその手の書籍に載ってる武器の重量は信用しなくなったw
大型日本刀剣の方(の重量)も結構怪しい。何を元にしたんだか。
それ以外はデマがちらほら見かけるけど和訳されてる資料がないんでしょうがなく信用はしてる。
ソースが不明確だと議論には使えないし、そのくせ面白おかしい話は
伝聞でどんどん広がるしで正直害悪だと思う
ネット上の西洋剣の特徴って
・錆びない
・分厚く壊れないあるいは破損を考慮しなくていいほどきわめて頑丈
・切れ味が悪く基本的な使用法は突くか殴るか
・素人でも使いこなせる
他なんかあったっけ?
鋳造
西洋で鉄の鋳造ができるようになるのは13、4世紀くらいからなのに不思議な俗説だよね
西欧剣って鍛造だしな、火縄銃も鍛造、防具も鍛造
工業技術としての難度を考えずに鋳物は割れやすいとかの聞きかじりと混ぜてイメージ作っちゃうんだろう
両刃だから重装甲に強いとか意味不明でおじゃる。
刀がサブマシンガンなら槍はバトルライフルだな
近接戦闘なら刀優位
鋼の刀は簡単に壊れるが、木製の槍は壊れない(キリッ
日本刀で槍を切り折ることもあるけどそれは達人だからできる
↓
池田屋事件で島田魁の槍を切り折った敵はその後あっさり島田の刀で殺されました
中国において名馬と言われる河曲馬や山丹馬もポニーサイズだね
ラクダ強いけど落馬したら死にそう
モンゴルの競馬とかポロみたいなやつの動画を見たけど、十数騎でも怖くて死ねるわ。
416 :
日本@名無史さん:2013/12/06(金) 16:26:15.34
「目釘の折れんほどに」という表現があるから目釘は壊れやすいとか言ってたのもいたな
「槍の柄の折れんほどに」という表現もあるんですけどねw
なかなか折れないからこその表現だよね
ほとんど字面のまんまの内容としか言えないが外国語というからにはまったく読めてないんだろうか?
片仮名を平仮名に直すだけでかなり字面の印象も変わるぞ
「を」に関しても彦左衛門のように「ヲ」と書く場合もあれば野口豊前の場合のように「お」と書いたりもする
421 :
日本@名無史さん:2013/12/16(月) 13:33:37.84
最近、所謂コンビニ本の類である「ホントの日本史」が
相変わらず間違いだらけなことばっか書かれてる件w
422 :
日本@名無史さん:2013/12/20(金) 23:17:45.76
「真実を知ってがっかりした日本史の逸話」の記事が
例によってアフィにまとめられてたが、相変わらず鈴木信者の多さにウンザリ
いい加減突然出てきた極論はまず疑ってかかるべきということが常識になってほしい
戦後から80年代くらいまでは多数の学者が無理筋な極論垂れ流してたからなあ
特に戦史関係だと、「定説」が陸軍参謀本部が軍記物を元に推定した説、ってのが多いから、なんとも言えないけどね。
壇ノ浦合戦の潮流の流れが合戦の趨勢を左右した説とか、普通に否定されたかつての「定説」も多いし。
426 :
日本@名無史さん:2013/12/23(月) 07:27:27.99
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。ひんがら目気色悪すぎこっち見んな死ね。
そういう軍記物由来情報の否定に混じって数的な統計のあるという新説が出てきたら
そりゃみんな飛びつきますわね
実際歴史系の板でもかなりの人間が鈴木説頭から信じてたし
直感的におかしいと思っても、まとまってる反証材料無いから崩すのに時間かかったしな
さくっとやれそうな学会の人らは相手にせんし
軍事関係の知識が乏しい学者先生様が相手にするわけがない。
軍忠状関連とかはちゃんとした学者は見た瞬間吹くレベルじゃね
鈴木大師匠は最近は飛ばしたこと書いてないの?
432 :
日本@名無史さん:2013/12/24(火) 17:27:00.49
今は突っ込み入るの早いしムチャは言いにくい時代かもね
152 名前: ダブルニードロップ(茸)[sage] 投稿日:2013/12/27(金) 21:54:32.98 ID:OiZB1oC/P
でも戦国時代の戦死の8割が弓矢による
ってセンゴクに書いてあったよ
センゴクの作者さん今でもこの方針でやってるんですかね?
434 :
日本@名無史さん:2013/12/27(金) 23:34:33.34
「戦死」に限定してるなら鈴木説とも別だね
435 :
日本@名無史さん:2013/12/28(土) 00:48:55.46
死傷って言葉のせいで誤解を招きやすい
軍忠状において討ち死の原因がわかる例なんてむしろ稀なのに
ミスリードしたくてわざとその言葉をチョイスしたんだろうけど
436 :
日本@名無史さん:2013/12/29(日) 14:16:18.31
>>433 センゴクの作者はもう許してあげて。
最近はちゃんと騎馬武者とか刀で斬り殺してるシーンも描いてるから。
因みに今センゴクは武将がみんな禅問答しながら行動する漫画になってます。
剣術の伝書が実際には永禄年間あたりから急増するのも知らずに「剣術なんて江戸時代から(キリッ」ってのは
割合よく見るな
井沢元彦は日本刀は斬るとすぐ劣化するから、足利義輝は暗殺される前に畳に何本も刀を刺して戦ったと言ってたぞw
まず普通の状況ではなく途方もない大軍に少数が囲まれたという状況なのに何を言ってるのかって話だね
それに同時代の報告にもない「永禄記」とかにしかない逸話を史実と同一視とか
作家の中でもバカなんじゃないのかこの人?
日本刀はというがその状況で切れ味を維持できる中世〜近世の刀剣なんてあるのかよ?
鉄製の物なら刀剣槍類みんな同じようなもんだな。
槍なら錆びないとでも言いたいんだろうか。
443 :
日本@名無史さん:2014/01/15(水) 09:49:29.88
そもそも足利義輝の例の逸話の出典元には「刃こぼれした」とか「血糊で切れ味が」とか一言も書かれてないんだがな。
個人的には「もう最期だし俺様の刀コレクション全部試しとくか」的なノリだったんじゃね?
そのノリは絶対あったと思うけど、それとは別に完全武装の鎧武者相手なら当たり所次第で傷んでも別におかしくない
井沢君は日本軍の100人斬り論争に反論する一例として、その足利義輝の逸話を出すからな
数百m先の敵と小銃で撃ちあう戦いで、刀でバッサバッサとなぎ倒すなんて、漫画やゲームの世界じゃないとムリとでもいえばいいのになw
日本刀が丈夫かは知らないけど、仮にものすごく頑丈だったとして
斬り合う相手も同じ日本刀なんでしょう?傷ついても不思議はないような。
刃物を扱ったことないのかちょっと刃こぼれしたくらいで使い物にならなくなるとか
信じてるような人もいるよな
というか同時代の報告でもない派手な逸話を問題にしたって仕方がないと思うが
大太刀を振り回して一人で軍勢を蹴散らしましたとかと変わらん信憑性だぞ
張飛「一人で大軍追い返すとか、実際にあるわけねえだろw」
呂布「全くだ。少しは頭使って考えろw」
450 :
日本@名無史さん:2014/02/02(日) 21:25:44.41
その辺は「史記」からして相当だからな
三国志演義っていう小説だからな、そもそも
史記や演義ほど良く出来た歴史小説て中々ないもんな
史記は公文書や各地の文献を元にして書かれた私選の歴史書な
尤も同時代で最良の私選歴史書であり
カトリック教圏だと後代になっても私選の歴史書しか無かったけど
454 :
日本@名無史さん:2014/02/10(月) 15:55:30.72
ついに武士対騎士論争に一定の答えが得られるな。
結論を受け入れる準備が必要になるだろう。
形だけ似せた模造品で叩き合うのにか
鎧なんか本当に興行用の形だけ再現もいいところだろうし
この競技は途中からレスリングみたいな組み討ちに入るのが定番っぽいな
だからレスリング経験者とか募集してたぞ
以前日本の甲冑は隙間多いから安全規定に適応させるのが難しいとか見たが
何か対策採ったのかね。
着用できる甲冑ってほぼ丸武ベースのペラペラのやつしかないだろうから
すぐボコボコになりそう。
さすがに競技用のを強度のある鋼板で作ったんじゃないの?
丸武の着て鉄の棒で叩き合いとかぞっとするわ
意表をついて金砕棒で出て日本のメイスを世界に紹介すると良いと思う。
使用するメイスはスパイク無しじゃなかったっけ?
となると金撮棒はイボイボなしのせいぜい筋金の入った棒程度になるな
465 :
日本@名無史さん:2014/02/25(火) 09:24:27.03
日本刀ってネタ扱いされるような武器なんですか?
76 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2014/02/25(火) 06:54:20.59 ID:zN3Adtt20 [2/2]
>>68 刀なんか元々は馬に乗って弓を射る主に従属して周りを警護してたド底辺の武装
そこから数で押すような戦に変わっていく中で扱いが変わっていき、色々変わって変わって
今やネット上での話のネタ扱い
466 :
日本@名無史さん:2014/02/25(火) 10:48:32.45
ネタ扱いの武器を必死に研究してパクった明帝国の悪口はやめて差し上げろ
由緒正しい武家の話なら、一番難しいのが騎射だから弓馬の道だけど、剣術も組み討ちも全部できないと馬鹿にされるべ
騎射全盛の頃に組討やってないと、接近されたら尾張じゃね
簡単に首取られそう
あと太刀差してた騎馬武者を馬鹿にするのはやめて差し上げろ
野太刀振り回してドヤ顔してた人たちの立つ瀬がなくなるから
あいつらまともに騎射できないからすぐ組み討ちに入りたがるだとか
近頃の若いモンは的な罵倒が
470 :
日本@名無史さん:2014/02/25(火) 19:01:18.05
>>9にあるけど大太刀出現以前に普通サイズの太刀で十分太刀打ちやってるよな
一騎が熊手を引っ掛けてもう一騎が脇に弓を挟みながら馬上で抜刀して
切りかかろうとしたり
その熊手をかけられた騎馬武者は既に太刀を抜き放ってるし
中央にも抜刀して肩にかつぐように構えている騎馬武者もいる
ある程度の距離だと騎射の間合いと太刀打ちの間合いが混在してる感じ
この種の騎馬武者すら底辺なら仕方がないがね
武器や戦術って歴史的経緯を踏まえて議論しなければ意味ないのに
鈴木眞哉って戦国時代だけを取り出して議論しようとするところに
無理があると思うんだよね
特に騎馬武者に関しては
472 :
日本@名無史さん:2014/02/27(木) 23:32:54.43
何という事だ。
我々甲州武士と違い上方武士は馬から下りて戦う。
(武田流軍書)
鈴木を見てると、金達寿先生様を思い出すわww
貴社の騎(馬武)者、騎射で喜捨。
>>454 やはり侍では騎士には勝てなかったようだ。
だから金砕棒使えってのに。
というかまったく話題にならなかったな
まともな剣術修めた人に甲冑+木刀か袋竹刀で演武して貰った方が見応えありそう
レスリングの人募集とかやってたくらいだしな
関係ないがvipとかが転載禁止になったし日本刀関係の煽りスレとか立つのも減るかもな
南チョン族が日本刀に恨みを持ってる以上あまり変わらないよ
韓国の歴史ドラマみたいなの偶然見たら、日本刀みたいなの使っててワロタww
そりゃあちらでは下級品の日本刀すら重要な兵器として扱われていたわけですし
「朝鮮王朝実録」1487年 5月 15日
“軍器寺藏倭刀雖下品, 甚鋭利, 實軍國重器, 輕易和賣未便。”
「軍器寺に保管してある倭刀はどんなに下級品でもとても鋭利だから、真に軍国の重器なのに、簡単に売ってしまうのは不都合です」
そういえば李舜臣の銅像作る際に倭刀持たせたら
市民団体から愛国的ではないとクレームきたそうだな。
伝李舜臣佩用の剣は倭刀だから考証的には正しいはずなんだが、そっちはどうでもいいらしい。
あれは韓国刀ニダ とか言うオハナシは無かった事にされたのかな?w
倭刀じゃ駄目だというなら、どんな剣にすれば良いんだろう?
フロイスの報告するような「短く、大して役立たない」という剣がいいのかな?
中華系か倭刀かどっちかしかないの?
当たり前だろ、中国と日本から技術が伝来しなきゃ何も進歩しない地域なんだから
明の水軍で使われていたからそれに倣っただけだろうね。
総司令官は明将だし、軍の主力も明軍だし。
短剣でも盾持って集団運用すればローマのように戦えたかもしれない。
そういや明軍には長槍部隊はいたのかね?
刀が圧倒した話は聞くが騎馬対騎馬、槍合わせの押し合いなんかの逸話は聞かないな。
明の藤牌(盾)兵はごく短い投擲用の槍を投げてから突撃する点で
ローマ兵に近いかもね
ただしその得物は倭刀だけど
鴛鴦陣の構成要素としての長槍は確認できるけど長槍単色で陣を組んだりしたかどうかは
ちょっとわからんなあ
明にしても朝鮮にしても鳥銃と刀への言及は多いのに槍に関しては少ないところをみると
それほど性能差があるものではなかったのかもしれない
南北戦争のドキュメンタリーで、砲弾飛び交う戦場を運動会の行進のように進む米兵をみていると
こんな軍隊で闘いたくないと思うが、日本の戦術の先進性より欧米スタイルに憧憬する層ってのは
古墳時代と同時代のローマ軍の比較ではなく、日本の中世武士は千年前の欧州のように古臭い盾持ち戦闘しか認めないという回顧主義者なんだろうか…
欧州の軍事システムが長期間停滞していたにすぎないのになぁ
戦闘行為が無くても動き出した軍に長期拘束されると、疫病やら飯切れやらでガンガン死ぬから
さっさと勝負付けるあの手の決戦志向も悪くないんじゃね
戦列歩兵は命中率が低く、速射もできないマスケットを活用し、かつ大砲による損害を最小限に押さえる、という発想からは非常に合理的。
少なくとも、戦国時代編成の軍隊じゃ勝てない。槍兵も弓兵も蜂の巣にされるだけだし、日本式の火縄銃隊では火力の密度が低すぎ。
なぜ戦列歩兵とローマ式ファランクスを同一視してるのかは知らんが、完全に別物。
散ると突撃してくる敵に対抗できなくなる
しかし固まってると大砲がきつい
>なぜ戦列歩兵とローマ式ファランクスを同一視してるのかは知らん
>491のことを言っているなら俺はそんなことを書いていない
日本の散兵戦術と、盾を使わず大型武器に偏向する戦闘システムの先進性を指摘しただけ
「盾・盾」と言い続ける香具師に、同時代性を考慮するように指摘するレスは俺を除けばこの板に誰もいないし…
あと前二行も意味不明、開豁地で密集することが大砲の損害を最小限に抑えるって、想像力の欠片もないのかw
日露戦争では多数の海外武官が戦闘を観戦し、機関銃を配した陣地への強襲を警告していたのに
WWTで自分達が経験しなければ機関銃の威力を理解できない欧州人のように>493も自分が戦場に立つ日まで
机上の空論を唱え続けそうで怖い
>>493 西欧で戦列歩兵が誕生したのは18世紀な
戦国時代から200年近くも後
>>495 戦列歩兵が大砲に強いって意味わかってないのか?
密集せずに横に薄く列を作るから、大砲一発で大損害を受けることが無いってことだぞ?
>>496 当たり前じゃねえか。全然別物なのに、>>491がファランクスと南北戦争当時の戦列歩兵を一緒くたにしてるから違うって指摘してんだろ。
横レスすまんがローマの歩兵戦術というと普通は「ファランクス」ではないよな
もちろんマニプルス戦術を確立する以前には用いられていたが
499 :
489:2014/03/07(金) 12:31:17.60
ファランクスはアレキサンダーのマケドニアとかギリシアのはず。
西洋中世ではスイスのパイク兵、戦国の足軽長槍ってことで中国では?と連想して書き込んだ。
なんか混同があったようだが置いといて
戦国の諸兵科混合の散兵が大阪で見せた塹壕戦術のはしりを用いて戦えば戦列歩兵に対抗できるかもしれない。
抱え大筒や大鉄砲で要所の火力を補って大火力に対抗し、
機を見て騎兵で迂回突入しすぐに下馬して切りまくれば良い。
あくまで野砲抜きの戦列歩兵相手のみにだが。
いくらなんでも2世紀後の軍隊にそれはどうだろう
ただ、そのまま日本で戦乱の時代が続いたらどうなったのかは興味ある
唐入りで槍よりも銃が必要とされたように槍足軽が順次鉄砲足軽に置き換わり
士分が軍役として課される武器も鉄砲になる方向に進むとは思うが
胸甲騎兵みたいに割り切った鎧の騎馬武者なんかも出てくるかもしれん
ヨーロッパでもマッチロック式の馬上銃が存在してるのに
日本の騎馬鉄砲に関しては絶対に不可能、とかありえないとかのレベルで
激しく否定する人がいるのは不思議だよな
馬上銃はスペイン以外にも同時代の明も使ってる
どっちもイマイチだったけど
>497
どこで間違った言葉を拾ったかしらんし、俺は493ではないと言い出しそうだが噛み付いてきた馬鹿な犬に知識をくれてやるとだな
零距離射撃(←間違いなく君は意味を知らないから、知ったかぶりはやめてググれよ)でなければ、戦列歩兵の方が散兵より弾着修正が容易だということが理解できないのか?
それに密集していない戦列歩兵って何だ?
君の言っていることはさっぱり理解できん
日露戦争ではナポレオン時代の戦列歩兵を組んだ露は大兵を活かせず、常に少数の散兵である日本に撃退されたことも知らないから
>戦国時代編成の軍隊じゃ勝てない
という意味不明の超理論になる
>>503 お前がアホだとわかった。
戦列歩兵はライフル銃出現前のマスケット(や火縄銃)に最適化された戦術。
日露戦争で役に立たないのは当たり前、というか南北戦争時点で時代遅れだとわかってる。
で、だ。
戦列歩兵は横一列に薄く広い陣形で正面火力を増大させつつ、砲撃を受けてもまとめて大損害を受けないための陣形。
例えば方陣や円陣で密集しているとと中心部分を大砲で撃たれると砲弾が陣を突き抜ける際に大打撃を受ける。
日本式の鶴翼だと両翼はともかく中央が密集してるから、大砲食らうと大打撃だな。
そもそも、日本の備えを散兵戦術だというお前の論拠はなんだ?
狙撃のできない火縄銃で散兵線術を本気でやってもなんの役にもたたんぞ?
鉄砲足軽は組頭の指示で集団射撃をするのが通常の戦術だ。
散兵は狙撃できるライフルありき。命中率の向上がなければ、集団射撃の優位を覆せない。
せいぜい、ゲリラ的な嫌がらせができるだけで、主力の激突に使える戦術にはならん。
散兵戦術はライフル全く関係無いよww
銃撃の被害を減らし効率良く兵力当たりの射撃密度を上げる為のもの
戦国時代の部隊編成、特に攻勢時は小部隊による散兵
>505
504はもう放っとけ、自分だけは利口だと思い込んで際限なく言い逃れを続ける奴は毎年何十人もこの板には来ているのだから
検索すれば何かを知っていると他人を騙せると過信したが書けば書くほど自らの無知を露呈させているだけだということに本人だけが気付いていない
日本式の鶴翼だの、狙撃のできない日本の火縄銃だの、何ソースだよという妄想の世界の住人なのだから
多分コノ馬鹿なコの言う戦列歩兵ってのは、映画なんかである逃走犯を山狩りで追い詰めるシーンが念頭だと思う
ボクの考えたサイキョウのセンジュツーを語りたいのだろうさw
>>504 ご高説のところわるいけど、ここには君の主張を理解できるレベルの人はいないから。
書き込むなら歴史難民板あたりでやるのが良いと思うよ。
歴史難民板の住人ですが、軍記・軍談やゲームの中にしか存在しない
「鶴翼の陣」を史実と混同する人はいません。
>>504氏はライトノベル板で御高説を述べられるべきかと。
509 :
504:2014/03/08(土) 22:00:44.87
まぁ、いいや。
お前らの潔い敗北宣言は受け取ってやろう。
何このゴミの押し付け合いw
509は成りすましだと思うから
504の逆襲にキタイ
512 :
504:2014/03/09(日) 09:18:34.07
ご期待にお応えして。
>>506 火縄銃で狙撃可能、ってソースはむしろ何?
マスケットや火縄銃で狙撃可能なら、戦列歩兵=横隊射撃は必要ないよね?
命中率も射程距離も駄目だから、弾幕張って相手を制圧しようってのが発想のもとなわけで。
で、ライフルの登場でそんなことやっても的になるだけだと状況が変わったのが、南北戦争。
幕末にはライフルもって散兵戦ができる長州軍が、戦国時代そのままの旧式装備・戦術の幕府軍を圧倒してる。
一方、幕府軍だの仙台藩だのは、洋式歩兵として戦列歩兵戦術を導入してるので、日本式より戦列歩兵の方がマシだと判断してる。
なんとなくわかってきたのが、お前らの散兵戦の定義が俺と違うんだよな?
俺が考えてる散兵戦は幕末にやってた少数部隊が独自判断で動き回りながら狙撃する戦法。
お前らの言う散兵戦ってのは、戦国時代の少数しか無い鉄砲隊が各部隊(備)の中でパラパラと射撃してる状態。
戦国時代のそれと戦列歩兵が対決したら、射撃密度が低い分、あっさり制圧されるだけだろ?
そもそも、日本が300年平和な幕政期で軍事的な発達が止まってる間に、西欧が実戦で磨き上げたのが戦列歩兵なんだから、勝てるわけねえじゃん。
200年前の最強装備・戦術で現代の軍隊に勝てるわけが無いのと一緒。
>>512 散兵のが利用効率がよく射撃密度は散兵のが高い、先ずその大前提を理解しないと。
七年戦争頃まで戦列歩兵を使わざるを得無かったのは
士気が低過ぎてそうでもしないと脱走される恐れが強かったから
三列横隊での輪番撃ちもそうしないと統制が取れ無い為に止むを得ずの対処法。
戦国時代の多数の鉄砲隊は
多数の熟練された下士官小部隊の自律的判断指揮の元で
効率良く展開し、効率良く射撃していた、武器が同等な場合戦列歩兵側に勝ち目は無い
そろそろよそでお願い
>514
相手をしたいなら止めないけど、そのコには具体的な戦史を挙げさせて、他者がその主張を理解できるように促すべきだと思うよ
でないと、ボクの考えたサイキョウのセンジュツー、を繰り返すだけ
絶対に話が帰結しない
俺は煽れば必要な情報が手に入ると思い込んでいる安っぽい手合いの相手はしないから、もう係わりあいにはならないけど
具体的なっつっても、効果が低いんならなんで延々と戦列歩兵使ってんだよ、ヨーロッパ諸国。
徴兵だから戦意が低いからとか言ってるけど、市民革命後の諸国も使ってるし。
ナポレオンの市民軍は散兵も取り入れてたけど、基本は戦列歩兵を含む三兵戦術。
で、明確に戦列歩兵が役立たずと分かった戦場はライフルが登場した南北戦争。
どうみても、銃器の発達がなければずっと戦列歩兵だろ。
つか、日本式の方が優位なら、幕末の洋式歩兵はなんで戦列歩兵になったんだ?
(ライフル登場後だから散兵に負けてるけど)
いつの時代でも兵士が固まるのはとにかく突撃対策だよ
散兵だと抜けられるし、抜けられた後の全体指揮とか不可能だから、生存してても戦力外に近いものになる
で、抜けられた先で自軍だけが砲兵ぼこられたらそれで負け確定
>>517 ナポレオン戦争で三列横隊の戦列歩兵は廃れた
プロシアも使ってない
戦国が終わらず銃器が進歩しても日本でいわゆる戦列歩兵戦術が生まれることは無かったと思う。
まるごと洋式戦術導入でもしないと。
とすると散兵のままどんな進化をたどるか興味わく。
史実の幕末みたいに銃器の性能がポンと上がれば散兵でいけるだろうけど
射程命中率と射撃速度が劇的に上がらないと、散兵だけで戦列止めるのはきついんじゃない?
特に散兵は、伏せ撃ちや障害物の陰で装填する必要がある訳で
まぁ欧州みたいな銃兵だけの戦列になったかは分からんけど
>>501 ピストル騎兵のカラコールとかは、重装騎兵に対しては絶大な効果を発揮したけど
歩兵に対しては効果が薄かったから
騎馬鉄砲をどう運用してたのかは気になるな
胸甲騎兵のピストルみたいに抜刀突撃の前座にしてたのかどうか
>>521 鉄砲騎兵の発達は、日本では可能性が薄いかも。
日本の鎧相手なら、より低コストで拳銃より有効射程長く
突撃以外も使える弓矢が好まれそうだ
……と、騎射の復活を夢見てみる。
訓練コストも加味すれば弓騎兵のが高いだろ
あと日本の鎧は元々対弓特化だぞ
戦国期でだいぶ変わっていったけど
>>521 いや、全然余裕。
戦列歩兵は諸種の制約下に於ける、より優れた方法の不自由で不便な代替物でしかない
同等の練度と装備を備えた散兵方式を執る相手を打ち破るには
衝撃力で統制を破壊するしか無いが
日本の地理的環境で歩兵がそれをやるならイイ的にしか成らない
525 :
日本@名無史さん:2014/03/15(土) 01:19:35.79
今の今まで知らなかったが
鈴木さんって、どっかの大学の戦国史研究者かなんかだと思ってたけど
wikiみると民間の歴史史家みたいなもんなの?
そう、馬鹿チョン半島の礫滓学者の同類
史学科出身でもないみたいだがw
だから論文と違って精査されない一般書籍で発表するし
正規の学者は相手にしないしで長く蔓延った
529 :
日本@名無史さん:2014/03/21(金) 19:08:30.11
騎馬鉄砲は日欧ともにパイクをそのリーチ外からボコるのが主任務じゃね?
だから射程10mの馬上筒でも三間槍のリーチの外から撃てば十分だったと
とはいえ、鉄砲はあくまで前座でそのまま乗り崩しに持っていかないと収支が合わない。
鉄砲だけで戦う限りより数が多くて精度も高い足軽鉄砲にどんどん撃たれるわけで
別スレにも書き込んだけどこっちにも再掲
明治や江戸期の馬匹データを調べると日本に馬があまりいないとか
コストが高くて騎馬兵はそんなに数が揃わないはず、なんて考えは
出てこないと思うんだがなぁ
明治13年の牛馬の頭数が馬150万、牛104万。
当時の人口が3600万なんで人馬の比率は24対1
仮に戦国時代の人馬比がこれと同じと仮定すると
人口1200万に対して馬の数が50万と出る。
牛の比率が高い西国はどうかわからないけど
東国は本百姓クラスなら1家に1頭飼ってても不思議ではない。
問題の武田領だが、江戸時代に信濃を中心に活動した運送業者(中馬)が
1764年に幕府に登録した馬の数が18700頭にも達する。極論すれば
長篠に展開した武田勢全軍を騎乗させてもお釣が来るw
青森の明治7年の馬の数が7.6万、人口が47.3万で人馬比6:1。さすがw
決まりやな
ただ、中馬の事を調べていて別の疑問が出たんだが
万単位の膨大な数の馬がいるんだから飛脚も馬を使えばいいのになぁ
上級武士しか馬に乗れないって規制のせいかね?
戦国時代の母衣衆みたく、エリート武士を郵便配達には使えんとかw
民間郵便に使わなかったのは、コストとか道路事情の問題かも。
まとまった数の馬を揃えられる以上
武芸が嗜みである武士は騎馬武者だったし
その為に人を乗せるように馴致したのは必然だよ
536 :
日本@名無史さん:2014/03/22(土) 01:15:40.59
【明治19年における国別牛馬飼育頭数(第三次農商務統計表)】
▽馬50,000頭 牛1,000頭
北海道、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉
▽馬50,000頭 牛10,000頭
青森、岩手、秋田、千葉、長野、新潟、岐阜、宮崎
▽馬10,000頭 牛1,000頭
山形、東京、神奈川、山梨、愛知、富山
▽馬50,000頭 牛50,000頭
熊本、鹿児島
▽馬10,000頭 牛10,000頭
静岡、石川、高知、福岡、佐賀
▼馬10,000頭 牛10,000頭
福井、徳島、愛媛、長崎
▼馬50,000頭 牛50,000頭
大分
▼馬1,000頭 牛10,000頭
滋賀、奈良、大阪、香川
▼馬10,000頭 牛50,000頭
三重、兵庫、岡山、広島、鳥取、島根、山口
▼馬1,000頭 牛50,000頭
京都、和歌山
自動車が発明される以前の馬って
トラクターと軽トラと肥料製造機を兼ねたようなもんか
>>536 東京大阪が少ないのは牧草地とかが無いからかね?
明治19年なら都市部でも馬車とかかなり普及してたと思うけど
家庭用じゃなけりゃそんなに数は要らんのでは
>>532>>533 あと軽装でのマラソンだと人間かなり速いからな
イギリスでやってる野原での人間と馬混在レースだとたまに人間が優勝する
540 :
日本@名無史さん:2014/03/22(土) 21:59:15.01
>>538 田舎だと必需品として軽自動車を持ってるけど
都市部だと実用品としては自動車が要らない現代と同じかな?
ν速系なら仕方ない
其処ニュー速じゃなく在日(嫌儲)板な
雑談系2 [ニュー速(嫌儲)]
そういや全板転載禁止になったな
アフィ向きの露骨な煽りスレも減るんだろうか
史学板で煽ってんのはアフィじゃなくて厨だろ
俺もたまに煽るが
一番古いデータ1622年(豊前細川家)だと総計 牛13,082 馬5,242 人104,858
人:牛馬=5.72:1
全国的な傾向は判らないけど、少なくとも豊前国だと農家一家に一頭は
牛馬が飼われていた計算になる
東国の場合馬が牛より圧倒的に多いから信濃以東では一家に一頭馬を飼っているレベルだったと推測される
というわけで、馬の確保はそんなに難しくなかったのは確かだと思う。
課題は馬を軍用に調教できる人材や馬上戦を行うにたる人材の確保の方だろう
信長公記にいわく「馬上の巧者」って奴。雑兵物語だと「乗馬の上手」
http://www.jtng.com/thrc/p70nanbu/p70-25.html >南部藩では元和2年(1616)、「百姓や町人は武士と会ったら馬を下り、道を譲って無礼にわたらないようにせよ」という訓令が出されています。
ということで、少なくとも江戸開府頃は平民が馬に乗ってはいけない
みたいな話は無かったよう。
個人的な話だが俺の祖父や叔父は普通に馬に乗れた
(昭和初期の百姓ならみんな乗れたらしい)
ので、乗馬の出来る人は戦国時代はかなり多かったんじゃあるまいか
548 :
日本@名無史さん:2014/04/04(金) 11:29:33.12
戦国時代に帯刀が平民にも一般的だったのと同じで
乗馬が武士の特権ってのは江戸時代の身分制度からくる刷り込みじゃねーのかな
禁止されていたが、馬に乗れない農民はいなかったという話しもあるよ。
550 :
日本@名無史さん:2014/04/05(土) 11:31:27.69
学生の頃、日本史の先生が雑談で言ってた話しだからようわからんわ。
法で禁止されていたことの逆の話しってのは、頻繁に禁止令がでていたとかの裏事情からの類推だろうかね。
>>551 東日本では地域によっては一家に一頭に近い割合で馬が飼われてたとすると
これに乗るななんて法律を徹底するほうが無理な話だわな
今の農家はたいてい自動車持ってるから、昔の農家も馬とか普通に乗ってたんじゃないか?
規模とかあるだろうけど
今なら農耕馬のレースもやってるけど、昔は農耕馬は農耕馬だったって事かいな?
555 :
日本@名無史さん:2014/04/06(日) 10:14:04.03
江戸期のいわゆる勤勉革命による家畜の減少は
全国で植林が進んだことによる牧草地の現象という側面もあったのかもと思った
>江戸時代以前の山って殆ど禿山で下草が生い茂ってるから
二、三年前からアチコチの板で見かけるけど、イギリスや欧州、レバノンスギという名前だけが残された中東に比べれば
日本は関東・関西の大都市近郊でもブナの原生林が残されているのだから、朝鮮半島のように木木を切り尽したという印象は全くないつーか
数例のみを根拠に江戸時代以前は禿山ばかりとバカなレスは止めネ?
そもそも大都市近郊の落葉広葉樹林帯が減ったのは昭和になってからで江戸時代は基本保護されていたし
世界史板で六甲の禿山の写真を喜んで連張りしていたキチガイがいたが、日本史板では流石にどうかと思う
戦するにも城とか砦を造るのにも木とか竹とか使うしなー。枯渇させたらエライ事になるから森林は保護せんと
実際、勝手な伐採は禁止されてたしね
560 :
日本@名無史さん:2014/04/10(木) 15:54:39.05
戦国時代は大抵の大名も指定の場所での竹木の伐採を禁ずるって触れを出してるね
何で騎馬隊は戦国時代にはあっても、江戸時代には無くなるの?
幕末に至っては影も形もない。
足軽隊は徳川幕府時代には無くなるよ
長柄槍隊は幕末に至っては影も形もない。
>>561 長州征伐・芸州口にて、2騎が渡河を試みたところを射殺されたことが開戦の端緒となった。
「江戸以前の日本の山は全てハゲ山」
鈴木スレに新たな逸材が舞い降りたな
槍や馬並みに活躍するかな?
565 :
日本@名無史さん:2014/05/15(木) 13:49:44.64
もうネタは無いのかな?
566 :
日本@名無史さん:2014/05/30(金) 19:39:35.65
よく言う騎馬武者の最高時速は4q/hの出所って
NHKの在来馬と同じ背高のポニーで実験したやつ?
初めて聞いたんだが4キロて
568 :
日本@名無史さん:2014/05/30(金) 23:39:05.00
相馬野馬追やってる人達に
戦国時代に、こんなサラブレッドはいないポニーだって言ったらどんな反応するか気になる。
569 :
日本@名無史さん:2014/05/30(金) 23:54:18.23
明治の日本軍も銃とサーベル持った軽騎兵のみ採用。
先見性あるんじゃね?
胸甲付けた重騎兵もみたいけどそりゃw
>>568 野馬追やっているのは、馬が走りやすく整地した馬場。
戦場は整地されていない。
571 :
日本@名無史さん:2014/05/31(土) 15:00:36.82
日本軍のカービン銃持った軽騎兵はアメリカのパクリじゃなかったか?
572 :
日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:38:57.85
馬の話だったら牟射志(武蔵)の話ででてくるわ
>>571 何言ってんだ?
日本には伊達の鉄砲騎馬隊という伝統がある。
574 :
日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:16:49.95
鉄砲騎馬対なんて西洋式の軽装騎兵隊に比べりゃ実にガキというか幼稚だよな
あたるわけねーじゃん雑魚伊達
>>574 軽装騎兵の騎射なんて狙って当たるわけ無いじゃん。
あれは弾幕射撃で敵をひるませて切り込む、もしくは歩兵隊が進出する隙を作るのが目的。
騎射で狙って当てられる軍隊なんて有るの?
鎌倉武士「弓矢でよければ……」
577 :
日本@名無史さん:2014/05/31(土) 23:21:08.06
なら火縄銃ごときでしかも日本の地の利で鉄砲騎兵とか逆に馬鹿だわ
ワーテルローとかみても軽装騎兵隊はかなり主力になってる
そこが白人と雑魚東洋人の違いなんだろうな
>>577 永久奴隷民辱と我々日本人を一緒にするなよなチョン
579 :
日本@名無史さん:2014/06/01(日) 13:44:15.95
>>567 初めて見たのはコンビニとかで売ってるような文庫本でなんかの見間違いかとおもったわ。
新説としてテレビ番組の再放送でやってたw
でもググっても4q/hって数字は出てこない。
>ワーテルローとかみても軽装騎兵隊はかなり主力になってる
まぁバカには理解できんだろうが、ワーテルローの肝はウーグモン等の拠点防衛なので
騎兵の出番なんか全くないがな
先生方。西欧の軽装騎兵というのは、馬を走らせながら銃を撃って
動いている的にも、結構な命中率を確保できるんですか?
……だとしても、当時の銃じゃ一発撃ったらおしまいじゃ? 複数の銃を持つとか
走りながら弾込めとかしてた?
西洋では一発しか打てない銃を複数持ってるのがデフォじゃなかった?
馬上で弾込めと言えば
真田幸村が家康の目前で馬上弾込めしようとして短筒取り落としたらしいね。
文書が残ってるってNHKが言ってた。
紀州に伝来した短筒の由来書きだろ
あれは映像で見た限り17世紀初めまで時代の上がるものには見えなかったけどなあ
なんか西洋の竜騎兵というかマスケット騎兵に幻想抱いてる人がいるみたいだが
あれ、中世のランスチャージを完全に終結させた功績があるとはいえ
それ以外の局面じゃ、帯に短し襷に長しで完全に役立たずだったぞ。
だから結局最終的にはサーベル突撃の軽騎兵になったわけで
それも乱暴やろ。
近代騎兵が銃をもってなかったわけじゃないし、騎射の価値が否定されたわけでもない。
コスト的に歩兵とマスケット撃ち合うのはあまりにも損ってのがまずあるからしゃーないけど
性能的に話にならんってことでも無いだろう
カラコールは馬上筒の撃ち逃げみたいなもんで、やっぱり撃った後サーベルチャージした方がよくなかって話になって
ナポレオンの頃になると砲兵が援護して騎兵が突撃みたいな形式になるんだっけ?
あと火器の威力が上がると散兵化するんで相対的に騎兵に対して弱くなるとか
いくら遠戦兵器が並んでても陣形にほころびができれば、騎馬でも徒歩でもそこにめがけて切り込みはかけるだろうしね
散開してる隙間に入られて分断されたらもう意思伝達不可能だからな
>>585 17世紀前半に一瞬だけ流行って、速攻で刀奮って斬り込むのが主流になったよ
>>589 騎兵の主兵器がサーベル若しくは槍なのは当たり前。
それはそれとして対して役に立たない銃も持ってただろ。
591 :
日本@名無史さん:2014/06/06(金) 15:29:51.54
武士ってショボかったんだな
>>590 たしか胸甲騎兵が突入直前にぶっ放す的な用途で持ってたんだっけ
威嚇用か牽制用?
>>586 銃身が長い銃だと馬上で取り回し辛いし、再装填するのも容易じゃないし、しかも撃つ時は必ず両手が必要になる
だからピストル騎兵は、馬上で取り回し易く再装填も楽で片手で扱える短銃身のピストルみたいなのを複数使ってた
ただそれらは短銃だから、歩兵の長銃と比べれば当然射程は短く、威力は低いものになる
しかも馬の分的は大きく、また密集できる歩兵と比較して同空間辺りの投射弾量も少なくなる
なので、重騎兵相手には優越する射程と速度と機動力で圧倒的だったピストル騎兵だが、銃兵相手に射撃合戦するには火力不足の微妙な兵科で、
ピストル騎兵の為に考案されたカラコール戦術も、非常に残念な結果に終わった
んだもんでグスタフ・アドルフは騎兵にサーベルを持たせ、その抜刀突撃によって騎兵はかつて持っていた突撃衝力をある程度取り戻し、
三兵戦術の一角を担うと共に19〜20世紀まで続く新たな地位を獲得することになる
マレンゴのケレルマンの突撃とか痺れるよね
ピストル騎兵あたりの種本は火器の誕生とヨーロッパの戦争(微妙にうろ覚え)
>>591 中世末期になっても未だ皮の鎧を身に着け侍に一刀両断されまくった李朝兵より圧倒的に精強だよ
>>592 近代騎兵が使うためのカービン銃も作られ続けたわけで、有用性が否定されたわけではないけどね。
今では特殊部隊用とか、戦車兵の護身用としての役割をPDWに取って代わられつつあるけど
595 :
日本@名無史さん:2014/06/24(火) 00:24:08.95
>>591 実際に武士が同時代の騎士やイスラムの兵士と戦ったら簡単に蹂躙されそうだしな
まあ現実は、武士様によって馬鹿チョン兵は鎧ごと一刀両断なんだけどね
597 :
日本@名無史さん:2014/07/20(日) 03:29:49.16
>>595 武士は騎士やイスラムの兵士を簡単に蹂躙したモンゴル軍に圧勝してるから
武士>>モンゴル軍>>騎士やイスラムの兵士
実際に戦ってことがないので妄想に過ぎないけど
ごつい鎧や盾を備えた騎士には武士は不利で、三すくみとかになるかも。
ごつい鎧や盾を備えた明兵は足軽に敗れたんだよね
足軽>モンゴル兵>ムスリム兵、騎士>切支丹雑兵
600 :
日本@名無史さん:2014/07/20(日) 17:12:43.83
足軽の機動性と獰猛性は凄いからな。
ごつい鎧や盾をもった騎士は機動力と柔軟性に欠けるから、
足軽の卑怯な襲撃に各個撃破されていく図式が見えるw
601 :
日本@名無史さん:2014/07/20(日) 18:29:26.52
戦国時代の足軽の主要武器は槍ですけどね
602 :
日本@名無史さん:2014/07/20(日) 18:30:51.54
勘違いしてるようだが日本刀を振り回すチャンバラなんかほとんどないからw
603 :
日本@名無史さん:2014/07/20(日) 18:34:04.67
あとは弓矢もけっこう多い
刀を抜くのは馬も槍も弓矢も失ったあとの最後の手段
604 :
日本@名無史さん:2014/07/20(日) 18:48:07.52
>>601 あれで叩いたら騎士の甲冑の上からでも相当な打撃与えられる。
頭ぶったたいたら気絶くらいは見込める。
で、気絶させたところを群がって首をかききるw
モンゴル兵とか騎士とかの時代だと12〜13世紀?
その頃には、「足軽」と聞いて思い浮かべる戦国時代の歩兵はいなかったわけですよね?
同時代だとでっかい馬に盾持った騎士は、結構な脅威……あ、モンゴル兵の弓が効いたなら
騎射戦は有効なのか。
606 :
日本@名無史さん:2014/07/20(日) 19:06:31.47
モンゴルは小弓、日本は大弓
607 :
日本@名無史さん:2014/07/20(日) 19:07:30.60
射程距離が違うからあんなものと一緒にするな
>>602 何も知らない様だが刀は戦場で日常的に使用された
>>603 槍を用いるのは序盤で時間が経過したら刀がメイン
>>604 それは不可能。槍が何で作られてるか知ら無い知恵遅れかな?
609 :
日本@名無史さん:2014/07/20(日) 22:15:17.35
いまどき刀ががメインウェポンじゃないとかw
611 :
日本@名無史さん:2014/07/21(月) 05:43:02.55
>>595以降の流れみてるとニュー速系スレでいう「イスラム、騎士の方が武士よりつおい」
とか「投石最強」「槍は万能兵器」「和式鎧は何も防げない」とかと大して変わらんなぁってレベル
まだ西洋剣術スレの某コテの方がまともに見えるわ
そらまあ在チョンが願望垂れ流してるだけだからな
613 :
日本@名無史さん:2014/07/21(月) 18:41:55.76
鎧の比較だと西洋騎士はなぜかマクシミリアン甲冑想定になるよな
日本で云うとアレ着てたのは武将クラスなのにな
616 :
日本@名無史さん:2014/07/22(火) 06:49:40.04
フィクションの影響が強いからしょうがない。
外人だって日本の鎧といったら大鎧想定になるだろ。
同じ事だ。
618 :
日本@名無史さん:
アメリカ人が思い浮かぶ日本の鎧は大鎧+当世具足