歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ28

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952日本@名無史さん:2012/12/25(火) 13:41:50.18
iPS森口みたいの病的メンタルが博士やってんじゃね。
953日本@名無史さん:2012/12/25(火) 14:26:03.01
>>951
おいおい臨時代行は憲法・法律上の規定だぞ。
臨時代行が内閣総理大臣を任命することはあっても、
名代が任命することはない。
954日本@名無史さん:2012/12/25(火) 14:34:54.36
壇ノ浦で草なぎの剣と一緒に安徳天皇が入水されましたが、頼朝は非難とかされなかったのでしょうか。
義経が頼朝に非難されたのは承知なのですが。
955日本@名無史さん:2012/12/25(火) 14:40:13.72
理系の書いた本で、文系の歴史の専門家を
かなりひどく言ってたのがあった。
つまり、頼まれたから協力したが都合の悪いデータ
が出たら採用しないとか、勝手に発表しちゃうとか
およそ「学者の常識がない」というのが多いという話ね。
十分心当たってしまう・・

特に問題なのは都合のよいデータだけ採用、というので
都合悪いと「例外だろう」とか切り捨ててしまうというあたり。
これでは協力の意味がないし理系から見たら問題外
だろうねぇ。

石器捏造事件の後にポチポチこういう発言が見かけられて
文系の手法というか専門家がバカにされてるのがちと
悲しかったな。
956日本@名無史さん:2012/12/25(火) 14:43:48.07
>>954
現代でもだが、頼朝は天皇を守ろうとしたが
勝手に平家が連れ去り一方的に入水させた、という解釈が
多い。

こうして平家悪者説に利用されたりするのだが
冷静になると、源氏が悪い、ってのも十分に
普通の解釈ではあるかもね。
957日本@名無史さん:2012/12/25(火) 15:36:53.61
>>953
あ、そうだったのか?
名代のが格下なのか
失敬
958日本@名無史さん:2012/12/25(火) 16:22:04.02
>>956
ありがとうございます。
天皇に刃向かう時点で謀反とはならなかったのでしょうか?
そこはやはり勝てば官軍ということですか?
959日本@名無史さん:2012/12/25(火) 16:49:11.88
勝てば官軍です。
官軍の古文書が多いし美化されやすいのも、否定できないのですが
負け組の史料が乏しいし、改ざんされてる可能性もあります。
歴史学者のツライところです。
960日本@名無史さん:2012/12/25(火) 18:30:48.55
>>958
平氏は官軍となるために安徳天皇を連れ去ったわけですが、
キでは、平氏に連れ去られた安徳天皇の代わりに後白河法皇の院宣により
安徳天皇の異母弟が即位して後鳥羽天皇になっています。
キではすでに安徳天皇は先帝と呼ばれ、後鳥羽天皇によって出された新年号が使われていたのですが、
平氏方は壇ノ浦まで安徳天皇を帝と呼び、安徳天皇の時代の年号を使っていました。
安徳天皇を擁した平氏が官軍で、源氏が賊軍であったわけではなく、
源氏は後白河法皇と後鳥羽天皇の命を受けており、官軍だったわけです。
961日本@名無史さん:2012/12/25(火) 23:47:06.13
平家が安徳天皇をもっと前面に出して
控えおろ〜、とするのもあったとは思うが
それすらも有効にならないほどの野蛮人みたいな
源氏ではあったんだろう。
実際に先帝とはいえ源氏は攻撃してるのだし。
だから源氏はもう少し日本史上の悪者でも
いいと思うし北条なんかもそうなんだが
あまりそういう朝廷に逆らった反逆者とは言われない。
やはり動乱の混乱中世というのが先にきてるんだろうなとは
思う。
イマドキの源氏ファンとはまた違う意味でね。
962日本@名無史さん:2012/12/26(水) 00:41:35.17
安徳天皇側(神器保持)VS後鳥羽天皇側(神器ナシ、治天の君の指名のみ)
どちらの天皇に正統性があるかは、微妙なところ。
963日本@名無史さん:2012/12/26(水) 05:42:20.04
少し前の保元の乱でも天皇方と上皇方に分かれて互いに弓引き合ってたじゃん。
964日本@名無史さん:2012/12/26(水) 08:50:17.38
戦国時代の俗的なことを勉強したかったのですが(その時信長はこうしたみたいな)、史料を読む勉強ばかりです
やりたいことが違ったとして進路を変えるべきですか?
好きだった日本史の勉強が苦痛でしかたないです
大学院入試も史料よみばかりだし、うんざりです
よきアドバイスを
965日本@名無史さん:2012/12/26(水) 09:50:02.32
>>961
平氏は保元の乱で先の帝である崇徳上皇に弓を引いてるぞ
三種の神器はあまりあてにならない
三種の神器ありの南朝が正しくてなしの北朝は反逆者だとは
必ずしもいえない
966日本@名無史さん:2012/12/26(水) 13:42:08.01
宗教から歴史、政治思想まで。

中杉弘のブログ

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
967日本@名無史さん:2012/12/26(水) 19:51:35.12
歴史学は、志す学生にとって、酷です。
上下関係や年功序列的なものがあり、師の説を覆すのはタブーです。
だから、捏造があるのも歪めません。
968日本@名無史さん:2012/12/26(水) 20:19:24.09
>>966
この人面白いなwww
所有してる車がかなり俗物ww
969日本@名無史さん:2012/12/26(水) 20:20:13.59
これが、歴史学者です。

限られた史実→推論→自論→教育

http://d.hatena.ne.jp/xx_leon_xx77/20101208/1291773110
970日本@名無史さん:2012/12/26(水) 20:45:56.21
三種の神器について、いろんな学者が推測で書かれてますが。
皇室は、どのように考えているのでしょうか?
また、すべてを見た学者はいるのでしょうか?(見ても、何がなんだかさっぱりわからなく、信ずるしか・・・)

もし、現存するものがあるとして、
科学的に何時の年代に作られたか立証されているのでしょうか?

根拠は古文書に頼るしか無く、立証は歴史学者では無理では?
971日本@名無史さん:2012/12/26(水) 20:55:25.06
>>956
頼朝、その場に居ないじゃん。
居たのは、義経の方だよ。

奇襲とかやってばっかりで戦い方が汚いと、戦奉行から頼朝に報告がいったりしている。
972日本@名無史さん:2012/12/26(水) 22:17:26.47
>964
>戦国時代の俗的なことを勉強したかったのですが(その時信長はこうしたみたいな)、
やればいいじゃん。何でやらないの?命じられた事だけをやることが勉強なの?

>史料を読む勉強ばかりです
>やりたいことが違ったとして進路を変えるべきですか
で、史料は読めるようになったのかい?
史料を読むことが苦痛なら進路を変えた方がいいね。向いていないと思うよ
973日本@名無史さん:2012/12/26(水) 23:22:07.13
>>961
後醍醐天皇を島流しにしたり、
禁中並公家諸法度とか出したり、
清和源氏はそういうようなもの。
974日本@名無史さん:2012/12/26(水) 23:48:23.66
>>973
後醍醐天皇を島流しにした時は将軍さえ源氏じゃないだろ
975日本@名無史さん:2012/12/27(木) 00:33:31.14
三種の神器と言っても神剣の本物は熱田神宮で宮中にある宝剣は形代だし神鏡は伊勢神宮で宮中以下略
神璽以外は安徳帝のとこにはなかったはずじゃないのか
976日本@名無史さん:2012/12/27(木) 01:37:46.99
尾張って地名はどういう理由で付けられたのでしょうか?
977日本@名無史さん:2012/12/27(木) 07:08:04.27
>>970
いずれも実物を見た人は居ない筈です。当然科学的な分析など、されていよう筈がありません。
978日本@名無史さん:2012/12/27(木) 10:46:21.51
>>977
三種の神器についての宮内庁見解は「皇位とともに承継されるべき由緒ある物」。
皇室の見解もこの通り。
//www.kunaicho.go.jp/word/word-sokui.html
宮中三殿に祀られている三種の神器が学者に公開されたことはない。
年代測定もされていない。
しかし、戦前までは、明治天皇〜昭和天皇の一泊以上の行幸の際、
侍従が神剣と勾玉を持って随行するなど、
近代以降は目に触れないようにするものでもなかった。
979日本@名無史さん:2012/12/27(木) 12:08:53.34
櫃とか袋に入れて見えない状態でじゃないの?
980日本@名無史さん:2012/12/27(木) 12:59:06.15
>>976
the end of territory

日本武尊が攻めて獲るまで、三河から先は大体蝦夷の領域。
伊豆とか安房とか鹿島とかは以前から飛び地で日本領だったみたいだけれど。
981日本@名無史さん:2012/12/27(木) 14:04:57.51
越とかオワリとか暗示的だよね
982日本@名無史さん:2012/12/27(木) 15:03:23.10
>>980
そんなに近いのなら、逆に蝦夷が奈良に攻めてくることはなかったのですか
ローマ対ケルトみたいに
983日本@名無史さん:2012/12/27(木) 15:13:16.62
>>965
保元は自分の意思で天皇に逆らった
というのでもないでしょうしね。

>>971
その場じゃなくて、頼朝の意思が文書として残ってる
ということね。

>>973
よくわからないけど、もう少し直接的に悪役と
なりそうだけど結局は勝ったものの歴史となってるのが
今の日本史なんだろうなってね。
984日本@名無史さん:2012/12/27(木) 15:18:33.07
>>982
まぁ、神話に近くて推測100%なんだけど
奈良あたりは強力な勢力があって
逆にエミシ側が攻めてくる前に攻めて勝ってしまった
というところなんでしょうね。
エミシ側が攻めてくる歴史になっててもおかしくはない。

ただ土器とか見るとかなり早くから奈良勢力が関東まで
連絡はあったようだから、エミシ側の勢力がそんなに東北以西にまで
あったというのが少し古代解釈かもしれない。
おおまかにだけどね。
985日本@名無史さん:2012/12/27(木) 15:42:02.25
日本の近現代史78年周期説って本当だと思いますか?
986日本@名無史さん:2012/12/27(木) 16:09:44.58
>>983
源平合戦も源氏は後白河法皇の平氏追討令に従っただけで
独断で安徳天皇に弓を引いていたわけではないよ
平氏に勝ち都入りした源義経に対して後白河は
よくも孫の安徳天皇を追い詰めてくれたなと激怒成敗するどころか
官位を与えて厚遇しているのだから(後白河主催の雨乞いの儀式で雨乞いの舞を舞った白拍子の静を
義経に与えたのは後白河のおぼしめしという説もある)
987日本@名無史さん:2012/12/27(木) 20:58:56.92
>>986
源平合戦を保元と同じように扱うのは
どうだろう、あまりにタテマエ解釈に過ぎないじゃないかな。
具体的には、平氏追討令に従っただけ、というあたりね。
それに、後白河の対応というのはいつもその場限りで
あまり意味がないというか、源平合戦の根拠に用いるのも
少し拡大解釈だろう。
こういう話はすでにさんざんされて来てるのであまり
繰り返したくもないんだが、都合の悪いことを「〜だけ」みたいに
史料通りに解釈するのはそれこそ勝者の歴史で
本来の意味合いとは違ったものになってくる。

まぁ、安徳天皇を殺してもいいような後白河の令なので
悪いのは後白河であって源氏にまったく罪はないとか
そこを助けようとした頼朝はかえって忠臣で悪いのは全部平家とか
そういう意見が多い&強いのは十分承知してる。
988日本@名無史さん:2012/12/27(木) 21:04:01.39
後白河の令があったところで、天皇と三種の神器に刃向かった事実は消えないような。
989日本@名無史さん:2012/12/27(木) 23:06:56.49
三種の神器、本物が無いのだから・・・学者泣かせです。
990日本@名無史さん:2012/12/27(木) 23:39:44.14
>>987
あたかも源義経が頼朝の命により安徳天皇を捕まえて処刑したような書き方だが、
彼は敵の総大将平宗盛すら生け捕りしていて、安徳天皇の命を狙うようなことはしていない。
平時子が入水の道連れにして勝手に安徳天皇を殺しただけ。
一緒に連れていた安徳天皇の弟は源氏によって都へ戻されている。
991日本@名無史さん:2012/12/28(金) 00:00:15.96
二位の尼時子の「波の下にも都はございます」だよね。
安徳天皇の弟とは、後の承久の乱後・治天の君となる後高倉院だよね。
安徳天皇って、承久の乱を起こした後鳥羽上皇の兄なんだよね。
オレ的には、幼帝のイメージしかないが。
992日本@名無史さん:2012/12/28(金) 06:19:07.11
多分、安徳天皇が捕縛されたら、普通に京都に連れ戻されて六条天皇と同じように放置されていたんじゃないか?
ひょっとしたら承久の乱まで生きていたら、鎌倉幕府によって重祚とかという展開もあり得たかも。
993日本@名無史さん:2012/12/28(金) 07:01:41.15
その前に京都で廃帝として行方不明不審死か、隠岐配流か淡路配流途中に急死(謀殺)ですよ、きっと。
後白河は、草薙の剣にはご執心でも安徳天皇の生命には全くこだわらなかったのですから。
994日本@名無史さん:2012/12/28(金) 07:16:21.04
かといって自分の孫を自分の手を汚してまで殺すほどの理由がない
建礼門院も放置だし

後白河法皇は頭いいから安徳天皇が死ぬことぐらい承知で源氏討伐の理由にしようとしたんだね
自分で殺したら源氏討伐の理由にならない
殺さずとも何らかの方法で利用はしただろうけど
995日本@名無史さん:2012/12/28(金) 07:45:52.76
後白河は基本的には建春門院の子孫には甘くて、他の后の子孫には冷たい。
安徳天皇が建春門院の孫でなければ殺すところだが、建春門院の孫ということで殺すことまでは無いと思われる。
996日本@名無史さん:2012/12/28(金) 09:31:00.79
結果的に殺したじゃん
997日本@名無史さん:2012/12/28(金) 15:05:19.12
>>995
いくら後白河でも殺しはしないよ
あれほど対立した兄崇徳天皇すら流罪にとどめて殺さなかったんだから
この時代の皇族で処刑された人はいない、ましてや幼帝とはいえ天皇にまでなった人を殺すのは難しい
後白河は建礼門院がキに戻り妹婿らの援助で洛中に住んでいても特にとがめだてしなかった
源氏が建礼門院洛中にあるべからずと上奏するので、やむなく建礼門院は洛外の寂光院に移った
が、公家の妻となっていた建礼門院の姉妹たち(清盛の娘たち)はそのまま洛中に住み平穏無事に生涯を終えている
安徳天皇が都に戻っても後白河は特に処分は言わなかったと思うよ
まあ、鎌倉幕府の手前、安徳天皇は洛外の寺で出家は避けられなかっただろうけど
998日本@名無史さん:2012/12/28(金) 15:12:35.61
>>984
蝦夷は一枚板ではないぞ。
東部北部の雑多な連中ひとまとめにしてそう呼んでるだけ。
999日本@名無史さん:2012/12/28(金) 22:10:00.45
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ29
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1356700175/
1000日本@名無史さん:2012/12/28(金) 22:10:45.28

以上次スレでした
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