【初心者】スレッド立てる前に質問をPart29【歓迎】
>雑兵首に価値はない
これまじ?可児才蔵が関ヶ原で討ち取った17首級は名のある武士の首なの?
才蔵すごすぎ
>>945 名があるというか、物頭以上だな。とって価値のある首は
織田信長が一向一揆と戦ったとき、殺した信者の鼻を削がせて戦功を報告させたとか、
豊臣秀吉が朝鮮出兵でやはり殺した兵士の耳を削がせて持ち帰り
戦功を調べたのち耳塚として葬ったとか色々あるけどな。
勿論、一向一揆で戦った信者など農民だし、
朝鮮出兵で持ち帰った耳だって徴兵された農民。
> 勿論、一向一揆で戦った信者など農民だし、
違う。国人地侍層が中心だ
949 :
940:2013/01/27(日) 22:56:27.07
レスありがとうございます。股引か。股引って息の長い衣装なんだなと感心しました。
これまで股引は、明治以後の洋装化にともないズボン下として登場・普及した衣装だと思っていました。
>>948 いや、農民。
有名な加賀国は「百姓の持ちたる国」と当時の史料でも出てくるでしょ。
浄土真宗は既存宗教が手を付けなかった農民層に信者を獲得したことで
室町時代に爆発的に信者を増やした。
今でも北陸などは農民の末裔に浄土真宗(一向宗)信者が多い。
>>949 >これまで股引は、明治以後の洋装化にともないズボン下として登場・普及した衣装だと思っていました。
それはステテコではなかろうか。着物の下にも着用したようだけど。
>>944-948 ありがとうございます
じゃあドラマなんかで農民が「手柄立てて褒美貰って引き立ててもらうんだ」
とか言ってるあれは、割と夢物語なんですね
物頭ってそう簡単になれないし首も取れないですよね?
>>952 いや、それも極論。
一生食うや食わず生活よりもしかしたら
勝ち馬についてけば出世できるかもしれん。
そういうのは現代と同じ。
まずはコンビニバイトから始めて
クビになるやつもいれば、そこそこ独立して出世するやつもいる。
そういう一般論してはドラマは別に間違ってもないし
何時いかなる時代でも、世界中どこでもチャンスはあったろうと
いう話ね。
細かい定義はまた別の話さ。
>>952 半農半士の雑兵にすぎない足軽出身の豊臣秀吉が
天下を執れるくらいだからチャンスはあった。
ただし豊臣秀吉は当時としてもかなりの小男で、弓が強いとも刀が強いとも伝わっていない。
秀吉本人の個人的な武術で天下を取ったというよりも
策略に長け、他人の心中を一目で悟って行動し、稀に見る人誑しであったこと。
あとは勇気も必要だな。秀吉は自分で綿密な奇襲の計画を立てたら先頭に立って軍を誘導した。
そういう意味では武功も上げていた。
>>955 > 半農半士の雑兵にすぎない足軽出身の豊臣秀吉
もう、そんな俗説を言うのはやめようよ!
『太閤記』のデッチ上げ。出自や身分を惨めに描いたのは。同様名類書皆同じ。
早くから物頭。軍団長とまでは言えなかったかも知れないが、大隊長クラス以上。
年令から遡って推察して、織田家に仕えて間のない時期からそういう身分。
既に太刀を差して、当時余程のことであった月代も剃っていた形跡がある。
ゆえに、身分はもっと上で事実上の軍団長だったかもしれぬが、
その時期の織田家の内情自体に一部わからない部分がある。
出自も尾張中村の相当の富家、名主並み。のちの庄屋の役目をしていたかまでは不明。
織田家仕官は、過去父親が仕えていたから。
父親が大した身分でなかったから、「卑賤の出」と付け入られる余地があった。
『太閤記』は、徳川の世が安定した時代。
秀吉が紛れもない天下人だったことは、誰しも周知の時だから、
出自や元の身分を徹底的に貶めて、権現様との落差を強調し、
豊臣家が徳川に潰されても当然の本質であった、悪いことではなかったとする意図。
幕府を気にした記述なわけ。
当然、『太閤記』は、太閤人気を当て込んで出したものだが、
権現様との接点で、権現様より目上にさえ置かなかったら、
織田家内での出世や天下取りをどのように描こうが自由。
だから、ああいう記述になって、秀吉はいつも権現様と対等以下の立場振舞い。
↑「過去父親が仕えていたから。」→「過去父親が仕えていた縁。」
要するに、仕官は、織田家の引き抜き。
何かで才能を見出されたのでしょう。ほぼ当初から物頭以上だったんだから。
決して、秀吉側からの就職活動ではない。
↑織田家内での出世譚は、『一休さん』のトンチ話がみんな作り事であるのと同日。
すべて、でっち上げ。
> 「過去父親が仕えていた縁。」
すなわち、富家であったわけだから、織田家には、縁故採用として秀吉に相当の信用があったわけ。
単に有能人物を見出してどこの人物でも良いとの採用でなかったという意味。
960 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 16:49:15.81
>>956−
>>959 秀吉が、相当の富家、名主出身で、信長に出仕したのは信長からの引き抜き、
織田家に仕えて間のない時期から隊士長クラスって、何の史料に載ってるの?
まさか日本史板で史料なしで言ってないよね?
秀吉は、史料で確認できる部分でも、20代にはすでに信長の奉行として自分の名前で文書を発給していた。
つまり、すでに有力な信長近習の一人だったということだ。
いくらなんでも秀吉が貧農出身で、しかもそれまで信長と接点のない人間出会ったらコレほどの若さで
これだけの信頼を得られるとは考えにくい。
秀吉はごく早い段階から、信長の側近くに仕えていたと考えるのが自然だろう。
962 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 18:01:16.70
>>961 秀吉の史料の初見って、永禄8年(1565年)の
「木下藤吉郎秀吉知行充行状」でしょ?
坪内氏に知行を認める文書だが、信長近習だとは限らない。
しかしそのことと秀吉の出自の特定とは何の関係もない。
秀吉の実家がそれほどの名門だったのならば、
まずは秀吉の実父木下弥右衛門の文書が残るでしょ。
963 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 18:02:17.52
「木下藤吉郎秀吉知行充行状」のときに秀吉29歳。
20代にはすでに〜ってギリギリ20代だけどな。
964 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 19:12:22.35
>>964 史料資料って言うけどね、こんにちでは史学をやるほどの者にはほとんど常識じゃないの。
どういう立場の人間か知らぬが、何とか史学の講座取ってみて教員教授に頼んでみたら。
史資料の大まかなタイトルリスト位い、もらえるかも。
>>965 常識がないのはあなた。
史料に基づかないトンでも説を書く人を非難するために
トンでも説を書く人に史料の提示を求めただけ。
何を勘違いしているのか知らないけれど、
この時代の史料を何も知らないので誰か教えてください、
なんてあなたに聞いていませんが?
>>948 >>950 東海も北陸も、一向宗(特に本願寺系)の主力戦闘員は農民だけど、
それをまとめる(担がれる)のは在郷の侍階級
なるほどなぁ、それなりの研究家でも
秀吉は足軽家とか豪農とかにおわすのがいるけど
軍記ものと結果論からの妄想なのか。
そしてそれを読んだ子が、学会ではこうですよ、とか
知ったかするわけか。
木下家関連のかすかに残る婚姻関係とか
その後から推測する家系図系の専門家は
いるみたいね。
長浜初期秀吉配下の部下の名前から
尾張出身でないかとか推定してそっから
秀吉の出自あたりの話につなげたり。
秀吉政権後でも配下の武将をたどってくと
尾張につながる苗字があったりして
これは歴史とはまた違った手法?だから
少し面白い。
ただご存知のように家系図は日本史では
一次史料とは認められないからあまり
日本史の専門的なところではとりあげられなくて
あくまで異分野の話にはなってしまうんだけどね。
>>967 だから、主力戦闘員の農民が鼻を削がれて信長に戦功として報告されたんだ。
勿論、これらは名もない者たちなので首である必要はない(首を持ち帰っても誰かわからん)。
逆に武将クラスなら首になるからね。
ただ殺した人数を知るために鼻が持ち去られ、戦功として報告された。
>>968 ルイス・フロイスの「日本史」は?
これに「関白(秀吉)は貧しい百姓の倅として生まれた」という一説がある。
そもそも秀吉が貧しい百姓の生まれというのは、秀吉自信が天下取りの過程で喧伝していたフシがある。
徳川史観とか言う奴は史料詠んでない
>>971 でも、ルイス・フロイスの「日本史」は秀吉存命中の史料だろ。
ねねや大政所、秀長など秀吉の出自を詳しく知っているはずの人物も生きており、
あまりにも実際とかけ離れたことを書いたとは考えづらい。
>>971 「貧しい」は、慣用的形容詞で謙辞でもある。
ほかの者は、織田にしろ徳川にしろ、武田・上杉・伊達・北条・今川、
みんな生まれながらの大名である。
ひきかえ自分は、小名・家老でさえなく、生まれは民間人(百姓)であった。
>>971 秀吉は存命中に御伽衆の大村由己に命じて自分の伝記を記させた
「天正記」 というものがある。
これによれば、秀吉の母大政所は萩中納言の娘で宮仕えをしているうちに天皇(正親町天皇)
の手がつき、一子を孕んで秀吉を産んだと記されている。
秀吉が生前、わざと自分の出自を貶めていたようにはとても思えんな。
>>970 そのあたりが普通の解釈の元でしょな。
ただ、フロイスは人によって扱いがかなり違う。
最近は細かい訳とかも出てるし文化風俗面では
とても貴重な扱いなんだけど
歴史の一次史料としては非常に軽視する人が多い。
フロイス自身が誇大妄想家であり宣伝のための
誇大表現だろうという感じで。
このあたりは問題なんだけど
少し話がそれるかな。
>>972 フロイスには、茶々、は出てこないらしい。
これから逆算して、ねねたちと違って茶々はそんなに
目立つタイプではなかったのではないか、という
専門家がいる。
少なくとも、ねねVS茶々、なんてドラマ的なものを
排除する意味でなかなか面白い着眼点とは思う。
>>976 低い身分でも「出生」は特別、って理論でしょ?
別に珍しくもない話だよ。三国志の劉備玄徳みたいなもんだ。
出生が「貴種」であるなら逆に低い身分だった、とするほうが宣伝効果がある
フロイス「日本史」は学者があまり興味を示さないらしい。
完訳が遅れた或いは遅れている原因。
別にフロイスが悪いというわけではないが、
宿命的な欠陥として根本的で全般にわたる最大の点は、
日本の実状をよくわかっていない記述
偏見錯誤に基づく視点
伝聞・噂の断定的記述
本国での一般への公刊を目的とした原稿であること
従って、特に、政治面・政治家(武将)についての個々の記述は信用できないものが多い。
事実、わかっていることと齟齬するものがしばしば。
(例)
厚遇された信長に、その出身のことを「素性」としか翻訳できないポルトガル語を使用している。
信長が明智をいじめたとまことしやかに書いている。
客観的なものに対してはかなり正確なんだよね。
こないだも岐阜城の発掘でそれが証明された。
そして人間に対しても非常に分類的というか
失礼だが、異国の動物的評価みたいなところがあって
こういうのはかえってもう少し評価してもいいようには思う。
数量的でなく主観的なものはやはり一次史料からはどうしても
はずれてはしまうんだが、「信用できない」ときめつけてしまうのも
またちと史料吟味のなんとか至上主義に偏るきらいを感じる。
>>978 スレの流れ読んでる?
971は秀吉本人が天下取りの過程でわざと貧しい百姓の出身だと宣伝していたというので、
秀吉本人はそんなこと宣伝してない、と書いただけ。
偉大な人物に誰それの落胤説が出るのも毎度のこと。
>>979 フロイスは光秀が信長に足蹴にされたという話を聞いたということを淡々と描くのみで、
「いじめた」とは書いていない。逆に、こんにちの人が本能寺の変の原因の一つは
信長の横暴ではありえないとするがために、そもそも信長がそんなことをするはずは絶対になく
そんな噂が流れた事実も一切ない、と一方的に思い込むほどのことではないだろう。
フロイスの「日本史」にある明智光秀の出自、
「彼(光秀)はもとより高貴の出でではなく、信長の治世の初期には
公方様(将軍)の邸の一貴人兵部太輔(細川藤孝)と称する人に奉仕していたのである」
は、こんにち光秀の出自を知る同時代史料として重みを増しており、かなり重要視されている。
982に同意だ。
信長の公武関係については結論ありきの面が強い。
光秀が足蹴にされた件も、直後に変が起ってるから
かえって信憑性はある、というように考えるところだろう。
もちろん結果見ての創作かもしれないし
真偽はまた別だが、フロイスの創作、とする証拠も
出ようがないし日本史自体を「信用できない」という根拠に
なんかも使えないだろう。
『武功夜話』並みの扱い、ってのをぢかに聞いたことある。
ネットや三流新書で見たとかではなく、然るべき筋から対話で直接聞いた。
『武功夜話』はそれ自体が偽書の可能性がある時点で同列には……
『武功夜話』って、偽書なの?
発見当時、津本陽ほか錚々たるメンバー計三人のもっともらしい鼎談が
講談社から出していたの読んだことあるが、
「新しい発見」「歴史を書き換える」とか大層な評価だったよ。
>>986 ほぼ間違いなく偽書だよ。それも昭和になって作られたものの
>>984 「武功夜話」は「太閤記」「信長公記」らの軍記物の中でも
特に信憑性低いだろ
然るべき筋って誰?ちゃんとした論文で論証した学会の人なら
勿論名前出していいだろ
三流雑誌編集者とかなしね
「日本史」は史書であって同列に扱うべきではない
なんか話がかみあってなくね?
>>984は、「武功夜話は偽書でない」と言ってるのではなく、
「(フロイスの日本史が)武功夜話と同じぐらい信憑性が低い」って言ってるだけじゃねーの?
もちろん、偽書と史料を同列に扱うべきでないってのはその通りだけど
990 :
日本@名無史さん:2013/01/31(木) 14:04:28.89
鎌倉幕府滅亡の折りに現れた妖霊星は、何彗星だったのでしょうか?
>>989 だから、そう言ってるんだよ
ルイス・フロイスの「日本史」の信憑性は高い
偽書の「武功夜話」などと同列ではない
同列の偽書だといっている学者がいるなら
その名前を出せと言っているの
>>984 日本史を武功夜話並みの扱いとか、冗談は顔だけにしろ
>>990 元ネタの太平記では北条高時の館に怪しい連中が現れ「天王寺の妖霊星を見ばや」と歌い踊った、という話であって彗星なのかどうかさえ明らかではありません。火星の大接近だったという説もあります。
http://ch08180.sapolog.com/e97407.html 一応、1301年にハレー彗星が出現したことはわかっていますが高時はまだ生まれていないし、他の名前がある彗星で700年前に観測されたもののどれがそうだとわかっているものはないんじゃないでしょうか。
994 :
日本@名無史さん:
>>993 まことに以て忝なうござりまする。
あつく御礼を申し上げる次第にござります。