■出雲国譲り・ニニギ降臨〜神武東征〜崇神治世■

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952日本@名無史さん:2012/07/01(日) 22:03:18.94
卑弥呼=モモソ媛命ならば、
狗奴国王の乱とか、おそらく、武埴安彦命の乱だし、
また、卑弥呼共立の切欠になった倭国大乱は、
欠史八代の中ごろに起こった乱だということも想像できるようになる。
953日本@名無史さん:2012/07/01(日) 23:28:40.85
>>950
記紀の編者自体が整合性とれなくて困ってるのに何を言っているのか。
モモソ姫=卑弥呼が事実なら、記紀自体がとっくにそう記述してなきゃおかしい。
資料事実として、
「記紀と倭人伝の整合性をとる事は不可能である」
という事を認めない限り、真実に到達することは出来ない。
954日本@名無史さん:2012/07/02(月) 00:11:11.93
魏志倭人伝は「中国製」だからね
955日本@名無史さん:2012/07/02(月) 00:38:11.34
卑弥呼は九州王朝
956日本@名無史さん:2012/07/02(月) 01:05:27.53
仲哀天皇は九州に居住してる
よって卑弥呼は大和朝廷系だと言える
957日本@名無史さん:2012/07/02(月) 01:22:00.62
景行に降伏した(ことになっている)神夏磯媛の福岡県東部から大分県にかけての広大な範囲が邪馬台国。
神夏磯媛は象徴なのかすぐに降伏したが、由布院あたりとか三池の川上とか朝倉とか田川とかの各地の
実質統治者にあたる豪族は従わず(ということになっている)、攻め滅ぼされた(ことになっている)。
958日本@名無史さん:2012/07/02(月) 01:52:51.73
>>956
仲哀は九州討伐軍の大将として派遣された
ただの皇族で、天皇ではなかった疑いが濃厚にある。
959日本@名無史さん:2012/07/02(月) 02:03:17.61
皇族ですらなく、臣か、九州の豪族間の争いだった疑いが濃厚にある。
960日本@名無史さん:2012/07/02(月) 02:09:30.29
伝承、痕跡は4世紀
記紀には1世紀となっているのが、

記紀に作られた臭ぷんぷんである。
961日本@名無史さん:2012/07/02(月) 02:10:41.82
仲哀天皇は架空の人物説があるが、それに賛同。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B2%E5%93%80%E5%A4%A9%E7%9A%87
962日本@名無史さん:2012/07/02(月) 02:33:53.12
>>956
>仲哀天皇は九州に居住してる

居住した香椎宮を中心にする勢力の話である。
963日本@名無史さん:2012/07/02(月) 02:39:43.87
>>961
架空説の根拠は薄弱。
タラシの称号が突然7世紀に生まれたとは考えにくい。
むしろ後代の和風諡号こそ、古代の天皇号を元にして復古調に「造作」されたと見た方が遥かに自然だ。
964日本@名無史さん:2012/07/02(月) 02:55:58.44
むしろ九州のタラシヒコ王朝の事績が、
記紀に組み込まれたと見るべきだろう。
965日本@名無史さん:2012/07/02(月) 02:57:09.03
だから、畿内王朝系の記紀に、タラシヒコ系の記録が薄弱なのは
無理もないことである。
966日本@名無史さん:2012/07/02(月) 02:58:22.44
>>953
卑弥呼とモモソ媛命のどこが一番整合性がとれなかったのか?
一番は、年代に関してだよ。
では、なぜ、そこで整合性が取れなかったのか?
それは、暦の違いがあったから。
卑弥呼の時代は、春秋で1年としていたので、今でいうところの半年を1年と計算していた。
だから、古代の天皇は、やたら長寿なのだ。

しかしながら、日本書紀の編纂者たちは、そのことを考慮せずに
日本書紀と魏志倭人伝との整合性をとろうとした。
つまり、古代の人は長寿だったのだと納得して書いている。
その結果、どうしても整合性取れないから、神功皇后の年代を改ざんして
彼女ひとりを、卑弥呼と台与の二人の女王の年代と重ねるように書いている。
967日本@名無史さん:2012/07/02(月) 03:04:40.96
仲哀天皇の場合、タラシヒコという通称しか残ってない。
なぜなら、あういう不慮の死だったので、次の天皇になる人物に
諱が伝わってない。
おそらく、畿内で留守番していた彼の第一皇子は知っていたのであろうが。
正室の生んだ皇子たちは、側室の神功皇后の生んだ末っ子の応神天皇が即位した。
また、別の側室の運んだ第三皇子とみられる皇子も生き残って
彼の5代前の子孫と、継体天皇とので、皇位継承争いしている。
968日本@名無史さん:2012/07/02(月) 03:29:25.35
一云 天皇親伐熊襲中賊矢而崩也

畿内から九州まで統一しつつある巨大勢力の長の天皇が熊襲に討たれるとかありえるか
在地性極めて高し
969日本@名無史さん:2012/07/02(月) 03:49:32.01
>>968
それ以前に、畿内王権は九州から関東ぐらいまでの全国王権つくっているよ。
ただし、たびたび地方が独立化して、反乱起こす。
歴史が明確になってからも、なんども、中央政権は
地方での反乱討伐に軍を派遣しているだろう?
徳川幕府だって、島原の乱とか、長州征伐に軍を派遣したし。
平安朝だって、将門や純友の乱を討伐するために軍を派遣したりしている。
970日本@名無史さん:2012/07/02(月) 06:40:56.98
成務天皇あたりで国内の統一事業がだいたい完成する。
国内統一ができたらその次は何をするかというと、
今度は海外に勢力を伸ばす話になるのはよくあるパターンだ。
そこで出てくるのが、仲哀天皇と神功皇后の夫婦だ。
海外征服に成功すると、次の応神天皇の治世には、世の中が穏やかに収まった話になる。
宮都も造営すると同時に、海外領土から貢物を献上してきたという記事が次々に出てくる。
さらに物語の順序としては、この海外交渉の始まる時点で、王仁博士などが来なければならない。
もっと早いところで来ては困るわけだ。
天皇の支配領域がすっかり完成して、めでたしめでたしということになった応神天皇の治世で、
はじめて王仁博士が渡来して、皇子の菟道稚郎子の師となり、日本に文字や儒学を伝える。
これは、そのまま事実だったということではない。
王仁という人物に象徴される多勢の学者たちが来たのは事実だろうが、
それが応神天皇のときだというのは、史実と考えるべきではない。
王仁博士の渡来神話を、この応神朝に位置づけたことに意味がある。
971日本@名無史さん:2012/07/02(月) 06:47:35.86
景行天皇やヤマトタケルが攻めたばかりだろ
で仲哀天皇を討ち取るとかどんだけ強いんだよ熊襲w
どうなってんの日本書紀…
972日本@名無史さん:2012/07/02(月) 07:02:13.26
仲哀天皇が熊襲に討たれたとか言ってる奴は、
日本書紀を読んでないのがバレバレだなw
973日本@名無史さん:2012/07/02(月) 08:23:24.74
>>969
>たびたび地方が独立化して、反乱起こす

歴史が「明確に」なっていないことをいいことに、テメエが勝手に想像(創造)しているだけだろ。

>畿内王権は九州から関東ぐらいまでの全国王権つくっているよ

これも「神話」を無定見に拡大解釈しているだけのこと
974sss:2012/07/02(月) 08:47:57.32
景行天皇は、日向に高屋宮を起して6年も7年もかけて熊襲と戦っている。
しかし、その息子の日本武尊も熊襲征伐に出かける。

それでも熊襲は健在らしく、仲哀天皇も熊襲を討とうとする。これは神功皇后の
お告げに従わなかったということで、病死し、熊襲征伐は行われなかった。
代わりに神功皇后は三韓征伐に出かける。

その後は、熊襲征伐の話は聞かない。熊襲は滅びていないということかな。
975sss:2012/07/02(月) 09:06:33.58
しかし、熊襲の場合、何か悪いことをしたというわけでもなくて、
もっぱら、大和朝廷がちょっかいを出しているだけという感じかな。

邪馬台国九州説の場合、熊襲が狗奴国になりうるかどうかは微妙。
強いことは確かなんだろうが…。
976日本@名無史さん:2012/07/02(月) 09:10:34.17
高屋宮を起してから半年で襲國を悉く平定しているよ。
そのまま5年余り高屋宮に滞在して妻を娶ったり子作りしたりしてる。
その時も熊襲は滅びてないし仲哀天皇の後も滅びてない。
977日本@名無史さん:2012/07/02(月) 10:56:18.84
>>975
狗奴国は、どうみても、卑弥呼と同族だけどな。
邪馬台国の女王は、卑弥呼=媛命(ヒメミコ)
狗奴国の男王は、卑弥弓呼=彦命(ヒコミコ)
狗奴国は、あれは当時の漢文の音韻では、コノ国のこと。
どうみても、武埴安彦命のことだ。
モモソ媛命の甥にあたる。
978日本@名無史さん:2012/07/02(月) 13:18:17.73
>>707
君が言う
>源氏の開祖、安倍晴明(二代目)はニニギの転生体って
渡辺松浦分流の俺を含む、渡辺の一族に流れる血だよね。
嵯峨天皇の皇子の光源氏=源融の曾孫の御伽草紙の渡辺綱の孫の松浦久の娘婿と成った安倍宗任の子、平清盛の側近だった、松浦(安倍)太郎高俊。

979日本@名無史さん:2012/07/02(月) 14:02:56.55
>>970
実際に日本が朝鮮諸国を支配したかどうかは疑問だ。
百済はあとの時代になると王子を人質にして、斉明朝にその人質が王位に就いたりするので、支配していたのは確かだ。
そういう状態が昔からだということをいうために、神功皇后の話を入れて、海外にまで勢力を伸ばしたといいたいわけだ。
このときに、沖縄とか蝦夷を入れてもいんだろうけど、、この話ができるときのいちばん大きな問題は、朝鮮諸国の問題だ。
それより日本が上にあるのだということをいいたいのだが、、実際に日本が上かどうかというのは、時期によっていろいろだ。
倭の五王の時代は、百済は南朝で日本よりも上席に扱われている。
日本の軍隊が、実際に任那のあたりに駐屯していた時期もあって、時代によっていろいろだ。
記紀の物語がいつまとめられたということもあるし、まとめられた時期に、国際環境をどう考えていたのかということもあるが、
朝鮮諸国との交渉があったり、人質が来たりする中で、海外領土を征服した人をつくらなければならない。
そこで、巫女王である神功皇后が海外領土も征服した話をここに置いたのだ、というとらえ方ができると思う。
980日本@名無史さん:2012/07/02(月) 14:11:31.84
>>979
日本が支配していたのは、新羅まで。あと、伽耶。
百済に関しては、百済建国当時は傀儡化していたけど
その後、百済が勝手に中国と主従関係を結んだので
それによって、日本は直接的に支配する権利が無くなった。
だからこそ、倭の五王の上奏文の経緯になる。
倭王は、中国に対して、半島南部の軍事支配権を要求していたけど
その中から、百済だけは外して、認めた。
981日本@名無史さん:2012/07/02(月) 14:32:28.83
狗奴国は伊勢湾北部低地部の広大な開墾地で今の愛知県一宮市の萩原遺跡群を
中心とした濃尾平野一帯だろう。前方後方墳も尾張平野低地部が発祥地。
982日本@名無史さん:2012/07/02(月) 14:57:28.42
狗奴国=許乃国
狗奴国の男王・卑弥弓呼=彦命(ひこみこ)=武埴安彦命
狗奴国の副官の拘右智卑狗=河内彦(こうちひこ)

モモソ媛命の死の直前にあった大乱とは、武埴安彦命の乱。
卑弥呼の死の直前にあった大乱とは、狗奴国王の乱。

卑弥呼と卑弥弓呼は、もとより仲が悪かった。
モモソ媛命と武埴安彦命も、もとより仲が悪かった。
武埴安彦命は、孝元天皇の庶長子だったが、母方が側室なので王位につけなかった。
そこで、母方の実家である河内彦が、武埴安彦命を王位につけるために
挙兵をしたのが実情。
983日本@名無史さん:2012/07/02(月) 20:14:41.09
日本人の名前っていつから変わったんだろう?
○○○○○命
みたいな明らかに言いづらい名前から変わってたよね

健内すくね とか 蘇我入鹿

とかは今に通じる名前っぽい。蘇我氏は渡来系だからなのかな?
984日本@名無史さん:2012/07/02(月) 22:02:05.96
>>983
○○○○○命はネ神道上の神話人物名
蘇我入鹿は、現実の歴史上の人物名
985日本@名無史さん:2012/07/02(月) 22:07:57.64
ミコトは尊称だから名前じゃない、ヒコもミコも尊称
前に付くには国は地域名が多い、それを除くと単純なのが多い
たとえば神武天皇はイワレ
神武の兄はイツセだから似てる
古事記の編者はアレ
エミシにもアテルイとかモレとかいたな
986日本@名無史さん:2012/07/02(月) 23:21:31.73
イワレは土地の名前だけどな
987日本@名無史さん:2012/07/02(月) 23:39:03.94
地名+ヒコ(ヒメ)のパターンは多いよね
仲哀天皇のタラシナカツヒコもそうじゃないかって気もするんだがどうだろう
988日本@名無史さん:2012/07/02(月) 23:58:05.50
>>986
神武の名前が地名になったんでないの?
989日本@名無史さん:2012/07/03(火) 01:00:35.87
>>988
俺もそう思う。一地方の有力者程度ならともかく
何で、初代天皇の名前を地方名から取らないと行けないのか?
出身地も全然別だし
990日本@名無史さん:2012/07/03(火) 01:58:59.58
中世だって、地名で言う通称や尊称ってあるだろう?

鎌倉殿とか、鎌倉公方とか、三河守とか、駿河大納言とか...
古代のイワレヒコとか、吉備津彦とかも、全部、同じ。

たぶん、大国主も、意宇主(おうのぬし)からきているというし。
意宇(おう)とは、出雲の東部の郡の名前で、出雲の中心地だったのでは?と言われている地域。

言霊文化と言って、世間には本名を明かさず、通称を公表する文化。
古代なら、なおさらだが、中世だって、それが守られていて
たとえば、大河ドラマなのでは、頼朝殿とか、家康殿とか、登場人物たちが言うけど
実際は、スケ殿とか、内府殿とか、身分などを用いた通称で呼ぶことが多かった。
あと、浅野たくみのかみも、本名は浅野長矩だけど、通称のタクミノカミで呼ばれていたし、
大石内蔵助の内蔵助も通称で、諱というか本名は、大石良雄

991日本@名無史さん:2012/07/03(火) 02:10:37.02
記紀の天皇系譜の古いところの名前を見ると、
神武天皇はカムヤマトイワレヒコ(神日本磐余彦)。
神が上につくうえに磐余は大和盆地の地名。
磐余は大和国城上郡、いまの桜井市の地名。
それの「彦」だから、磐余の地の土地神だよ。
992日本@名無史さん:2012/07/03(火) 02:28:49.02

〜大きな疑問〜

なんで、神武は宮崎なんかにいたんだよ!?
宮崎で日本を統治してたのか!?
ただの田舎の豪族の1人かよ!?

993日本@名無史さん:2012/07/03(火) 02:37:34.29
>>992
> ただの田舎の豪族の1人かよ!?

そうだよ。高天原でオオキミになる資格がないので、九州を飛び出して国を盗りに行った。
斎藤道三なみの成り上がり者。
994日本@名無史さん:2012/07/03(火) 03:23:10.20
卑弥呼、亡き後
内乱が起こっていたヤマトを統治する為に
ナガスネヒコのもとに「マスオさん」としてやってきたニギハヤヒ。

本来なら初代天皇になるはずだったが
ニギハヤヒが早くに亡くなってしまったので
その代わりとしてやって来たのが神武。

でも義父であるナガスネヒコはそれを認めず神武を拒む。
生駒から入れなかった神武はグルっと迂回して
見つからないようにヤマトに入る。
結局、政権闘争に敗れたナガスネヒコは弟のいる青森へ引越し。
残されたニギハヤヒの息子であるウマシマジは
神宝を神武に託し、自分も政権中枢に入る。
ここに神武を初代とする大和朝廷の楚が成立。
これが真実。

記紀に書かれてある神武東征は
神武をカッコイイヒーローに仕立てるための
実話を基にした完全なる創作フィクション。

だからニギハヤヒは日本の歴史から消されたんだよ・・・
995日本@名無史さん:2012/07/03(火) 04:13:07.13
>>994
ニギハヤヒの代わりとして迎えられるほどの申し分ない「正統性」を神武が持っていたのなら、
それをその通りに記紀に書けば何も問題はないはずなのに、
わざわざ自らの正統性を打ち消すかのような成り上がりストーリーを「捏造」する訳がないだろ。

事実は、ニギハヤヒが大和に持っていた国と、神武勢力とは互いに無関係・没交渉であったと見るのが理の当然。
神武はニギハヤヒの意思に反して本当に武力で国を奪い、「自らの王統を創始した」、という記紀の記述をそのまま認める以外にない。
996日本@名無史さん:2012/07/03(火) 04:38:03.60
いつも、奈良の高天が高天原だー!とか言ってる人
公方や大納言が名前だと思ってたり、日本語能力が残念なんだけど
外国人なんだろうか?
997日本@名無史さん:2012/07/03(火) 04:47:53.48
あの方が嗚呼言われたのはそういう意味だったのか・・・
そんな遺恨があったのかwwwwwwww
998日本@名無史さん:2012/07/03(火) 04:49:06.64
>>996
そんなこと言ってないだろうがw
公方とか大納言は官位の名前だけど
前近代、身分の高い人は生前中、本名で呼ばれない。
通称で呼ばれたるするんだよ。

吉良上野介とか、浅野内匠頭とか。

だから、大河ドラマで、家康殿とか、三成殿とか、
登場人物が言うドラマがあるけど、それは間違いで
実際は、内府殿とか、じぶのしょう殿とかいうふうにいう。
999日本@名無史さん:2012/07/03(火) 04:51:41.35
>>994
卑弥呼は、神武やニギハヤヒよりも後の人物だろうが。
1000日本@名無史さん:2012/07/03(火) 04:54:31.28
やっぱ精神異常者というより、
精神薬一度でも飲んじゃった人はネット接続禁止にスべきだわ。
煩悩を制御するなんとか識をやられちゃったなこりゃ
10011001
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