漢委奴国王印 いわゆる金印

このエントリーをはてなブックマークに追加
136日本@名無史さん
江戸時代福岡藩士「青柳種信]は、「宣化紀」「斉明紀」にある【那の津】を
現在の河口から二・三里遡った三宅村から仲村地区と思い、その海岸線が、
時代とともに、現在の住吉神社付近になったと考えた。
ここには、【現人神社】 福岡県筑紫郡那珂川町仲3-7-8 がある。
この社が住吉神社の元宮であり、奴国発祥の地である。

博多湾の河口は年々堆積物で浅くなる。 反対に船は大型化していく。
漢委奴国王時代、最も適していた外国交易の港は「今津」と思われる。
その権利を求めて戦いが起こった。 早良・志摩・唐津は制圧された。
107年倭国王帥升による「伊都国」の建設である。