1 :
日本@名無史さん:
天明年間、筑前国那珂郡志賀島志賀島に於いて甚兵衛なる百姓が田圃仕事中に偶然発見したとされる。
・「漢委奴國王」を何と読むのか?
→かんのわのなのこくおう
→かんのいとのこくおう
文化庁編「新増補改訂版 国宝事典」(便利堂、1976年)
「その訓みについてはなお定説をみない」
・後漢書の印綬と同一か?
後漢書「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」より
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬
「建武中元二年、倭奴国、貢を奉じて朝賀す、使人自ら大夫と称す、倭国の極南の界なり、光武、印綬を以て賜う」
・そもそも真物か?
出土地も確定できない問題がある
3 :
日本@名無史さん:2012/06/03(日) 20:08:37.32
廣陵王璽の出土で贋物説は退けられたのでないか
「親魏倭王」の金印が何処に埋納されているのか興味があるけど、
いつの日かこの金印が発掘されるようなことがあったら日本中が大変なことになるだろうな。
5 :
日本@名無史さん:2012/06/05(火) 13:29:26.69
贋物 w
7 :
サガミハラハラ:2012/06/05(火) 20:22:59.84
>>4 親魏倭王の金印は日本にあるとすれば、大和が九州邪馬台国を制圧したときに手に入れて、現在は宮内庁がもっているということになります。
8 :
日本@名無史さん:2012/06/06(水) 02:32:28.18
俗に言う「魏志倭人伝」の内容自体がデタラメだし w
気まぐれの記念ホルダーみたいなものだったらイヤだな。
松本清張の小説だと偽造説
盗品・売買品・質流れ品の可能性やあと偽造の疑いも完全に晴らすことはできてない
出土状況も明らかでないただ日記のような記述があるだけ
参考史料程度にとどめるのが正しい姿
偽造たって、金製なんだろ?
無茶高価なのに、何のメリットあるの?
学問が盛んな時代に現れた愉快犯
藩主の徳を称えるため
だったはず、小説では
14 :
日本@名無史さん:2012/06/09(土) 11:23:39.01
出土物を調べ、忽ち後漢書を引用して由来を論説した亀井南冥の博学ぶりも
贋作説者の手にかかると偽造の張本人にされちゃう気の毒さだ
15 :
日本@名無史さん:2012/06/09(土) 12:15:36.37
洛陽あたりで親倭漢皇帝印が出土したらおもしろそ。
16 :
日本@名無史さん:2012/06/10(日) 00:44:25.76
仮に贋作だとすると、何を手本として作ったのだ
寸法重量字体それに蛇鈕、参考にできる品がどこにあったのだ
17 :
日本@名無史さん:2012/06/10(日) 13:50:18.70
奴国にせよ委奴国にせよ、志賀島はどう関わるの?
首都があったの?
18 :
日本@名無史さん:2012/06/10(日) 14:09:40.81
志賀島に奴国の首都があるわけない常識的に考えて
19 :
日本@名無史さん:2012/06/10(日) 20:50:24.02
志賀島までの砂州は当時からあったんだろうか?
20 :
日本@名無史さん:2012/06/10(日) 22:41:55.97
>>19 風土記に記載があるとかいうんでなかったっけか
21 :
日本@名無史さん:2012/06/11(月) 13:48:52.26
たとえば、糸島や博多の古墳から盗掘した本物を元に、レプリカを創って志賀島で出土したかのように自演したとか
明石散人はそんな推理をしてたような
22 :
日本@名無史さん:2012/06/11(月) 17:41:10.59
偽造ありきの推理だよなそれ
偽造たって、無茶金かかるぞ。
金印って内部は別の金属で、金メッキでもしているんか?
純金だよ。
偽造にしては手が込みすぎだな。
えうれーかってか。
26 :
日本@名無史さん:2012/06/11(月) 22:17:18.89
漢の倭の奴の国王と三段に呼ぶのは、奴国に対して
失礼な印の造り方でありえない。
倭の人偏を省略するなんて、正式な印の造り方ではありえない。
ここは、漢の委奴国(伊都国)王印と呼ぶのが正解。
奴という字がそもそも失礼なんだけどw
28 :
日本@名無史さん:2012/06/12(火) 13:44:57.66
かんのわのなのこくおう
と呼ぶと発表した人は志賀島が、奴国の領域という先入観念からの発想にある。
石井好氏は調査で、志賀島は「天御中主」を祭る密度が最も濃い地域
海人ー天ー伊都国の領域と発表している。
国家の印にしても地方の印にしても大事なものだから受け継ぐ者がいなかったのかな。
どういう経緯で土の中に埋まったのかの方が気になる
越青邑君 瓦鈕
越貿陽君 瓦鈕
※宣帝時期贈給少數民族的官印首字始署“漢”,
下為民族名。東漢印沿襲宣帝以來傳統,首字也多署“漢”。
新越餘壇君 瓦鈕
新難兜騎君 瓦鈕
31 :
日本@名無史さん:2012/06/15(金) 08:56:37.23
志賀島、能古島、室見川を堺に西の日向川や、吉武、金武などの遺跡は
伊都国の遺跡だろう。
イザナギが生の松原付近の小戸で禊したとしても、伊都国の王ならば
伊都国に出雲から戻ってきたのだから、不思議では無い。
32 :
日本@名無史さん:2012/06/15(金) 09:01:55.04
糸島から日向峠に登ると、
日向峠の出口には飯盛神社があり、
そこにはイザナミが祀られている。
そこから海に向かうと小戸港である。
立花山はかなり離れた東区の方だから、
別の山か地名を指しているのかもしれない。
33 :
日本@名無史さん:2012/06/15(金) 09:22:53.48
室見川という名も、イザナギがイザナミの室を見てしまった、禊の
由縁を記録したのかもしれない。
34 :
日本@名無史さん:2012/06/15(金) 10:35:27.88
いまぐぐってみたが、見事に、室見川の名前の由来に関する情報が
見当たらない。
35 :
日本@名無史さん:2012/06/15(金) 10:37:57.02
あと、室には奥さんの意味もあるよね。
36 :
日本@名無史さん:2012/06/15(金) 11:05:46.50
イザナミを祭るとかイザナミのお話を見て後から作ったに決まってんだろ・・・
俺の田舎の三重にも日向はある東京にも日向和田とかあるがそこが邪馬台国かああん?
水行十日陸行一月で東京かあ・・・九州よりは可能性あるな
邪馬台国東京青梅説始めていい?
37 :
日本@名無史さん:2012/06/15(金) 11:54:06.42
同じ地名がある場合、その地名の根源地がある場合があるようだ。
石井好は「伊都国日向の宮」の書で、丸地名の根源が伊都国で
その拡散密度の勾配がー1乗で良く合致していると報告している。
日向は知らんけど。
・「漢委奴國王」を何と読むのか?
→かんのわのなのこくおう
→かんのいとのこくおう
中国人学者間での有力説は
→漢委なこくおう。「委」を使ったのは
他の冊封国と違い中国の風下ではあるが中華秩序の外に位置する独立した地域という認識の為だろうと
39 :
日本@名無史さん:2012/06/15(金) 19:56:03.70
漢が奴国王に委ねるという解釈は、肯定するにも否定するにも、
決定打がなく難問だね。
国王印をもらったようならば、王の名前が残っていてもよいのだけど。
対等関係だった時期の匈奴の単于にも玉印を贈っているから
中華秩序の内と見做さず、漢委〜と刻んだ可能性も除外できないでしょ。
匈奴の単于の場合は「匈奴単于璽」だけど、史書を読めばその特殊性は容易に理解で
きる。
多くの修飾辞は、「帰義」、「率善」、「率衆」といった2字での構成。
1字の「親」の場合は「親+国号」の形式。
「委」が修飾辞なら「委漢」の方が自然だと思う。
他に「漢委」が修飾辞であることを証明、またはその可能性を見い出すような文献や
印章などの遺物がないかぎり除外したほうがいい。
「漢委」が修飾辞である可能性はゼロではないけど、推測を根拠にする行為はかなり
危険なので・・・
無い無いそれは絶対に無い。
委漢だと委の前に省略された目上の存在が漢に委ねる意味になる。
例えば委漢奴国王だと、(任命するにも拘らず主語を省略した誰か)が
漢に属する奴国の王へ委ねる、となり意味不明な印章になってしまう。
同時代の漢書にも(偉い人)委任〜 (偉い人)委政〜 という表現はよくあるし
諸葛恪伝に「大行皇帝委弃万国 群下大小莫不傷悼」の一文が
東夷伝に「而公孫淵仍父祖三世有遼東 天子為其絶域 委以海外之事遂隔断東夷」が
宋記に「漢委蕭何以関中 唐委劉晏以東南」の一文が
貞観政要に「秦任趙高卒致傾敗 漢委王莽遂成簒逆」の一文がある
委漢だと委の前に省略された目上の存在が・・・・>>とりあえず、「委」を「親」に
「漢」を「魏」に置き換えて考えてみたが・・・・43がそのように考えるのかよくわからん。
なんどでもいうが、官印というのは官職名や爵号を刻んだもの。
印文を普通の文章のように解釈することの方がおかしい。
例えば、「漢委奴國王」を「漢が奴国王に委ねる」と解釈をした手法を用いて
「晉高句驪率善邑長」、「晉率善韓佰長」を解釈することは不可能。
とりあえず、当時の官印の印文を用いないのは何故?
40で提示したリンク先ににたくさん載っているだけど・・・
そもそも、漢の委の奴の国王と最初に読んだの誰?
やっぱ亀井南冥が最初なの?
金印発見の報はすぐに京、大坂、江戸の学者達にも伝わったらしいが、委奴(イト)と読んだ人はいたのかな?
蛮夷の国や民族は基本二文字が中華思想的にデフォなんで、委奴でも不思議じゃない気がする
>>44 所詮仮定の話だから何とも言えないけど
例の2つは晋の官職や冊封を受けての称号なのに対し
仮に漢「委」奴国王だった場合は、中華秩序の外のその辺をおまえに委ねる
という感じの意味になるから、晋の(に属する)高句麗の善く率いる邑長や
晋の(に属する)韓の善く率いる佰長と違って、漢は委ねる奴国王に、みたいな意味になる。
漢の皇帝が中国の秩序下に無い相手へ印章を贈った例が他に無いから
まあその辺はアレだけど、当の中国人が冊封体制の外だという仮説を唱えてるし
無碍にも出来ない思うけどなあ
47 :
日本@名無史さん:2012/06/16(土) 13:18:30.74
「漢委奴國王」印の文字改行が
漢
委奴
國王
となっている。漢が奴国王に委ねるならば
漢委
奴国
王
とかにならないだろうか。
「漢の委の奴国の王」だろ。
「国王」という称号は漢代において一般的ではない。
「漢匈奴悪適尸逐王」「漢匈奴悪適姑夕且渠」「漢匈奴栗借温禺鞮」印からすると
王朝名を先頭に以下、民族名・部族名・官爵名になる。
委奴をイトと読めば、それはイト族であって倭族(倭人)ではない。
それだったら倭伝には記載されない。
49 :
日本@名無史さん:2012/06/20(水) 12:43:15.87
>>1 残念ながらその解釈は成立しない。
1 その解釈でわ、あくまで大和がちいさかったころの小和しかハンズにならない
2 その後、事実上シナ、半島、大和はモンゴル属国になったため
(大和700〜900年) (半島700〜1900年) (シナ 700〜1900年)
もはやシナ主権性ならず、シナが属国となり、
日本はほげん、へいじ、へいけ、承久と大和をやぶったため、別解釈になる。
そしてそんなことより、中元に覇をとなえた日本のほうがすごいんだが。
中原に覇をとなえたことが、もっともおそろしいから、ってうそ虐殺 つくるのやめようよ。
そして、シナは常にモンゴル属国なため、朝貢の主権性がないんだよ
50 :
日本@名無史さん:2012/06/20(水) 12:52:32.48
そもそも
柵、朝貢とかふざけすぎだろ。
1 シナが常に柵される属国。 完全に
『シナがモンゴル属国だっただけ』
2 朝貢とかいうけど、シナが常に朝貢してたろ。なんで清前からシナが貿易下位で属国なんだよ。
3 そもそも柵、朝貢というなさけない制度はシナがしてもらったため、条約上正規の性質がない。
4 また、下調べ、事前協議ない状態で、しかも政治者じゃないものとも結ぶため
(非政府間条約) すでに政治条約として機能しない。
51 :
日本@名無史さん:2012/06/20(水) 12:56:55.34
5 明なんかは完全に。
元属国で主権国家でわない、盗賊国家の明が死ぬほど、元の再来をおそれ、主権国家と独立するため、
単于を撃破して、いわば、周辺の 覇=@で独立国の日本国に
独立承認を拝受願いに来て
しかも
アホの盗賊だから、日本にびびりまくって 海賊なる偽か遺族をつくって恫喝←一蹴
すでに日本の行政でもない天皇の独断専行でむすばされそうになった条約で
しかもその天皇流され、足利が独断専行
しかも足利は行政でも、主権でもない。 ぶっちゃけ権限内、個人間という条約つまり条約じゃない。
そして明が独立を拝受して、そして、
『ヲマ、状況が状況だから承認してやるけど、ヲマ、海賊とかなめたことぬかしたら、惨殺だからな、中原とか燃やすからw』
とかいわれて、けん制され、犬のごとくびびりまくったんだろ。
アッホだろ。そして底面だからその条約10年で破棄されんだぜ。詐欺だし、シナ勝手なこと抜かすし。
そしてやはりこの条約、正規条約でもなく、
ただの1日本有力者承認でしかないんだよな。
まぁ歴史的に見れは、日本が柵し、日本が覇で、日本が中原に覇をとなえたと。
そもそも歴史的に
1 首都を制圧して覇をとなえるだけで、毎回毎回完全にシナ支配者になれる。盗賊上がりだろうと、
2 外国人でも
という歴史で
上都 北京 成都 南京 というほぼ全都をおさえるとう前代みもんの快挙をした。
でうそ虐殺作成と、そりゃおそろしいよな。政治の正当性がないから歪曲と
>>49-51 リアチョンかw
捏造工作はまず本国でやれよw
日本での工作は在日韓人団体に頼めw
53 :
日本@名無史さん:2012/06/27(水) 00:42:52.79
金印の手頃な大きさ感がたまらない
委奴国とはどこにあった国ですねん
55 :
日本@名無史さん:2012/06/30(土) 01:12:35.74
委奴(イト)と読む場合は福岡県糸島市を比定している
ここは、いわゆる魏志倭人伝にある伊都国と同じ
金印を授かって50年後に倭国王帥升が朝貢しているが、この帥升をイト国の王と推定する人は多い
56 :
日本@名無史さん:2012/07/06(金) 01:31:48.02
誰に下された印にせよ、何故に流れ流れて志賀島なんかに埋まっていたのだろう
これこそ最大の謎ではないか
57 :
日本@名無史さん:2012/07/07(土) 00:27:18.04
西戸崎って江戸時代はどんなとこだったの?ただの農地?
58 :
日本@名無史さん:2012/07/11(水) 22:36:10.47
蛇の形をした紐通しは何の意味があるのさ
あんまり蛇にも見えないけど
>>58 > 蛇の形をした紐通しは何の意味があるのさ
『漢旧儀』の規定によれば、・・・
皇帝・皇后は螭虎鈕、皇太子・丞相・大将軍・列候などは亀鈕、諸候王は橐駝(駱駝)鈕、そして千石以下の役人は鼻鈕とされている。
その適用の厳しさは、出土印を網羅した『秦漢南北朝官徴存』(羅福頥編1987)で検証できる。
・・・駝鈕は漢代を通じて匈奴などの北方諸民族(韓族を含む)に61例と集中しており、諸候王が漢朝廷のそれでないことがわかる。
つまり、明記はされていないが、『漢旧儀』の諸候王が正確には外臣である北方民族の諸候王をさすことを示している。
東夷の得た官印の最古の遺存例は、‥‥平壌市出土の「夫祖ワイ君」駝鈕銀印である。
紀元前後のころのものだが、以後、晋印に韓・濊・夫餘・高句麗の例がある。
韓が駝鈕であるのをはじめ、馬鈕をまじえるものの駝鈕が多い。
したがって、駝鈕を東夷を含めた北方民族(北狄)用とする印制が確立していることを理解できよう。
(「漢委奴国王」金印は)蛇鈕という特異な鈕の形態を理由のひとつとして偽物説がつきまとう段階があったが、
雲南省晋寧県石寨山6号墓からの「滇王之印」蛇鈕金印の発見と、
岡崎敬による綿密な論証によって、現在は真印と認められている。
・・・すなわち後漢において北狄に駝鈕、西南夷に蛇鈕を与えるという印制が確立したと推定できるのである。(高倉洋彰)
60 :
日本@名無史さん:2012/07/16(月) 01:01:36.60
61 :
日本@名無史さん:2012/07/16(月) 05:42:59.36
いまこそ大中国にひれ伏し、金印を手にするのだ!
誤>62 諸侯王印,黄金橐駝紐,文曰璽,赤地綬。列侯黄金印,龜紐,文曰印。謂刻曰某侯之印。丞相、大將軍案:初學記引無「大」字黄金印,龜紐,文曰章。謂刻曰某官之章。御史大夫章。匈奴單于黄金印,橐駝紐,文曰章。
正>諸侯王印,黄金橐駝紐,文曰璽,赤地綬。列侯黄金印,龜紐,文曰印。丞相、大將軍黄金印,龜紐,文曰章。御史大夫章。匈奴單于黄金印,橐駝紐,文曰章。
64 :
日本@名無史さん:2012/07/17(火) 22:43:58.46
なんて書いてあるねん
結局偽物って説が有力なのかな。
金印は江戸のゴッドハンドかもしれん。
伊都国は重要なキーポイントで畿内説にとっては伊都国はどうしても九州の北岸に持ってこなきゃならない。
糸島と伊都国に目を付けた。
倭人伝ではどうやっても伊都国を糸島に持ってこれない。
だが奴国を福岡平野に持って来れば、伊都国を糸島にできそうだと。
>>67 それはわかるがこないだ科学鑑定の途中経過みたいな
本が出てて、大陸で発見された印と同一工房説は否定されてね?
つまり専門家の説とか意見も怪しい、という意味なんだけど。
金印は本物やもしれぬが
本当は福岡平野の真中で見つかったことにしたかったのだが人目が多いでな・・・
志賀島でも意の大半を叶えてくれるよって
現地民に銭を握らせ畑を耕していたら出たと、な
弥生後期の層は数十センチで出ることもあるが1m50から2mくらい下にあることが多いのよな
畑を耕していたら出る、ほぼありえんのよな
記憶や口承にあったものはどうにもならぬので誤魔化しずらししたものが記紀と思うくらいに考えるべし
外国のものは焚書も改変もできなかったのでおかしなことになっとる
福岡奴国の税関のような機関が置かれていたんだと思う
71 :
日本@名無史さん:2012/07/20(金) 00:10:19.12
+(0゚・∀・) + ワクテカ +
志賀海神社は小さな神社だが、代々阿曇氏が祭祀を司る
鹿角堂があり鹿の角一万本以上が奉納されている
筑前国風土記に神功皇后が三韓征伐の際に志賀島に立ち寄ったとの記述がある
志賀島は古代は神聖な場所であったのだろう
73 :
日本@名無史さん:2012/07/20(金) 23:41:42.41
74 :
日本@名無史さん:2012/07/22(日) 12:28:56.09
>>65 正論が主流になることはまずないのが、日本の学界
75 :
日本@名無史さん:2012/07/22(日) 23:36:06.79
蛇鈕というが、あんまり蛇に見えないのが難点だ
製造に失敗して意図したのと違っちゃったんだろと、贋作説の三浦さんが言っているが
そこのところは同意したくなる
76 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 13:49:38.25
漢(皇帝)は奴国王(師升王・・・スサノオ)に印を委ねる。
77 :
日本@名無史さん:2012/07/23(月) 13:57:34.21
ぬ、な、や、ま、ら・・・国、領土、領域、領地、土地(場所)などを表す古語。
奴国・・・「なら」
・・・ ウ リ ナ ラ の ナ ラ か ! !
>>77の説はまさしくそうだね。日朝同祖論で必ず出てくる。
>>75 そうそう。
しかもすぐに説明書作った人が「ヘビ」と言い切っちゃってるのが
一番笑える。
お前知ってた犯人の一味だな、って告白してるようなもんだ。
81 :
日本@名無史さん:2012/07/25(水) 00:23:53.87
疑い出すと、廣陵王璽も ぁ ゃ ι ぃ ということになる
82 :
日本@名無史さん:2012/07/25(水) 22:23:51.29
>>81 古墳から出土したんじゃなくて、発掘現場から出た土を捨てた山から出てきた
・・・のだってな
83 :
日本@名無史さん:2012/07/26(木) 23:12:26.39
親魏倭王の印も誰かが拵えたはず
やってない、石器はやったが金印はやってない
85 :
日本@名無史さん:2012/07/29(日) 00:41:20.40
卑弥呼の金印はまだですか
86 :
日本@名無史さん:2012/08/01(水) 01:13:54.95
志賀島からその後重要な遺跡が出たことはあるの?
石器はちょい心得がある人ならあちこちで掘り出すことができるけど、
金印を偽造するとなると、無茶金がかかるから偽造説は怪しいな。
古代○○の金細工のニセモノ(素材は金)なんてのは今でも普通にやってるが
志賀島が神聖な場所だったとすれば、金印がそこにあっても全然不思議ではない
おそらく奴国王は後の阿曇氏だったのだろう
阿曇氏は志賀島を聖地とし、綿津見三神を祀った
金印があっても不思議ではない
90 :
日本@名無史さん:2012/08/02(木) 01:04:19.08
91 :
日本@名無史さん:2012/08/03(金) 19:56:07.34
阿曇族は全国に散らばっている。
倭乱の敗者側だろう。
>>88 そんなモン、金メッキだろ?
金印は全部金だからな。無茶高価。
93 :
日本@名無史さん:2012/08/04(土) 01:12:08.74
倭奴国ってどこにあったの?
小判数十両分を無茶高価と呼ぶのは評価の分かれるところだな
>>92 金メッキって、パチモンと贋作を一緒にするなよ
漢の倭国(わのくに)
>>91 >阿曇族は全国に散らばっている。
>倭乱の敗者側だろう。
うんにゃ。神武天皇の祖母と母は阿曇氏だよ。
全国に領土があるのは、天皇家譜代の重臣として日本を山分けにした結果。
明らかに勝ち組の方。だから邪馬台国との関係はよかった筈だ。
つまり奴国の覇権を倒したのは邪馬台国ではなく、須佐之男を奉じるどこかの国で、
邪馬台国がその国を倒す事で奴国は邪馬台国の臣下になったのだろう。
98 :
日本@名無史さん:2012/08/09(木) 01:49:33.38
金印の金の含有率は如何ほど?
弥生時代末期、
漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)国も、跡継ぎを巡る「大乱」で卑弥呼(アマテラス)に国を譲る。
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)日向→神武東征≡瀬戸内海⊇≡大和
....................隼人(鹿児島)
筑紫邪馬台国♀女王「台与」は日向投馬国王♂を婿として迎えた後、薩摩隼人との三つ巴で肥後狗奴国(後の熊襲)を滅ぼす。
その男系末裔であることを示すため、神武は本拠地・投馬国(日向)から大和へ東征(東遷)。大王に即位し、大和朝廷を樹立。
※記紀が投馬国王の祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の叔母・卑弥呼(アマテラス)をその姉としたのは、
(台与の子孫である)大王家の時間軸操作。
-大和朝廷における、♂投馬国(日向)系大王と♀邪馬台国(筑紫)系大王の(それぞれの男系が途絶えたことによる)政権交代
【前期古墳】…イリ三輪(銅鏡)王朝(神武〜仲哀)=投馬(日向)系大王
【中期古墳】…ワケ河内(鉄剣騎馬)王朝(応神〜武烈)=邪馬台(筑紫)系大王(朝鮮半島支配強化で王権強大化)
【後期古墳】…近江王朝(※継体〜天智〜桓武〜現在)=投馬(日向)系大王
※
-継体・安閑・宣化=日向系大王→継体の大王即位が筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫君磐井の乱」を誘発
-欽明〜皇極(斉明)=筑紫系大王(筑紫系大臣蘇我氏による日向系皇族大弾圧)→「乙巳の変」へ
-天智〜弘文=日向系大王、「白村江の戦い」惨敗で朝鮮半島権益を完全喪失→「壬申の乱」へ
-天武〜考謙(称徳)=筑紫系「天皇」、両系和解の記紀編纂(イリ三輪王朝の活躍>>>ワケ河内王朝の活躍)
-光仁・桓武〜現代=日向系天皇、筑紫系天皇の平城京から本拠地・琵琶湖近くの平安京に遷都
一白
大王
101 :
日本@名無史さん:2012/08/12(日) 01:14:33.75
>>100 かなり高いんだな
慶長小判が84%くらいのはず
なんだ、全部金ってのはウソなのか。純金じゃないのね。
103 :
日本@名無史さん:2012/08/12(日) 06:13:37.72
>純金じゃないのね。
クルーガーランド金貨じゃないのだから
純金だと印章として役に立たないからねえ
金の抽出技術の問題なんじゃないの
灰吹法かアマルガム法でしょ
106 :
日本@名無史さん:2012/08/13(月) 03:02:57.36
昔はざっと22金といわれてたよね、確か。
最近の測定では95%もあったんか。
混ぜものしないと道具として使えないだろ。
95%は混ぜものが少なすぎないか?
本当なら偽物説の傍証の一つになる。
108 :
日本@名無史さん:2012/08/14(火) 09:37:25.24
紙に押す印象じゃなくて、
封泥に押す封印なので、
かなり自由度は高そうだが。
109 :
日本@名無史さん:2012/08/14(火) 09:45:04.28
そもそも、飛鳥時代以前
豪族、皇族、貴族などみても渡来人の系譜。天皇家にも朝鮮族の血が混じってる。
半島から嫁もらってるし。逆に朝鮮族も、自分たちの血が混じってる民族に攻撃されて
いたのだから、グタグタ言わない。
持統天皇は女帝として君臨し、自らを天照皇大神として日本の大神の神話に組み、
古事記、日本書紀もこういった渡来系の大王家にとって都合よく編纂されている。
根の部分は一緒でアジアとして一家族。
今の朝鮮族は道理としておかしいと感じるところがあるから、例えば、裁判にでて互いに言いたいことと証拠を出して
潔く決定すれば、大和もそれで納得するところにいらだつわけで。
現大和政権も、ちゃんとけじめをつけさせるべき。できないならそうさせるべくように仕向ける。
なーなーで、曖昧にして、事なかれ主義だと、結局いつまでも反目することになる。
アジアを一国として、族で呼べばいいよ。
正しい歴史認識とは、誰かにとって都合良い認識にならないこと。
>>108 対象が泥でも純金じゃ印刻がすぐにボロボロになっちゃうだろ。
あれ使うもんなのか?
112 :
日本@名無史さん:2012/08/14(火) 11:26:21.40
金価格だけだと幾らかな?(骨董価格無し)
113 :
日本@名無史さん:2012/08/14(火) 21:44:41.28
半島から嫁もらった?
95%って技術的にそこまで純度が上がらなかったからではなく、意図して混ぜものをしたの?
115 :
日本@名無史さん:2012/08/16(木) 01:29:11.10
金が95%とすると他は銀5%なのか?
117 :
日本@名無史さん:2012/08/17(金) 10:10:12.63
贋物
118 :
日本@名無史さん:2012/08/21(火) 01:15:14.09
小学校の教科書に載っている写真でドキドキ度ナンバーワンなのがこの逸品
119 :
日本@名無史さん:2012/08/22(水) 00:57:23.91
江戸時代の篆刻家が、親魏倭王印も作っていたとかいう話があるが
漢委奴国王印もその類ということになるのか?
120 :
日本@名無史さん:2012/09/11(火) 20:15:16.95
倭王国・琉球王国・朝鮮王国・滇王国・晉帰義叟王国・廣陵王璽
以外で金印等の印章を中華王朝から貰った国ってあるの?
122 :
120:2012/09/12(水) 11:36:36.32
123 :
日本@名無史さん:2012/09/16(日) 00:37:36.53
金印レプリカが欲しい
124 :
日本@名無史さん:2012/09/16(日) 15:58:37.02
本物なの?
125 :
日本@名無史さん:2012/09/21(金) 00:50:31.67
>>124 墳墓でないところから出土したってところが珍しい
というか怪しい
当時海の中じゃないのか、あの先っぽ
127 :
日本@名無史さん:2012/09/21(金) 01:24:02.03
大きな石の下で、支石墓みたいなところから出てきたという話も
聞いたことはあるが、信頼出来るソースが見つからなかった。
小学生の頃は写真だけ見て 10cm × 10cm くらいの大きな物だと思ってた
実物は結構小さいのね
金印紫綬って、
鳥居強右衛門的働きをして死んだ一兵卒2名が同時にもらってる例が見える。
これは特例らしいけど、通例でも中隊長クラスらしい下級武官は、
戦死しただけでもらえるものだったらしい。
蛮族ごときにはその程度で十分ってことか。
131 :
日本@名無史さん:2012/09/28(金) 01:23:53.11
この島に貴人の墓があるのだろうか?
七世紀のものですが中津宮古墳というのが。
発見されたのは本当に最近なのだけど、もともとお社があったところなので、
他の多くの古墳と同じで、伝承は途切れたものの、祀られていたのでしょうね。
金印の出たのは南端、古墳の場所はほぼ北端、といっても南北4km弱の小さな土地
贈られたのは西暦57年。かなりの年代差があるけれど関係はどうなんでしょ。
133 :
日本@名無史さん:2012/09/28(金) 20:40:35.07
土に埋もれていたわけではなくもともと誰かが保管していて
お宝鑑定した学者が
「なんでオマエごときがこんなもの持ってるんだ!?」
「じつは・・・・・・・・・・」
「それはまずい、誰かが偶然見つけたことにしよう」
・・・の部分は想像すらできない
134 :
名無しさん@お腹いっぱい:2012/09/28(金) 20:54:41.58
後漢の光武帝が冊封の証として、奴国に金印を授けた時期は西暦57年であり、このことが
奴国が博多近辺であることの証明とされている。そして金印が発見された地、志賀島には
綿津見神を祀った志賀海神社がある。綿津見神の勢力が、当時の奴国である
ことを示しているとされている。そしてその奴国は金印を賜る程度の
高い文化、文明を持っていたと推察される。
仮に、金印が発見されてなくても奴国の博多近辺比定に矛盾は出てこない。
博多(福岡市)って今は人口多いけど日本の歴史の中では以外に大勢力あったためしないよね
そんな悪い土地には見えないけど
136 :
日本@名無史さん:2012/09/28(金) 21:58:02.59
江戸時代福岡藩士「青柳種信]は、「宣化紀」「斉明紀」にある【那の津】を
現在の河口から二・三里遡った三宅村から仲村地区と思い、その海岸線が、
時代とともに、現在の住吉神社付近になったと考えた。
ここには、【現人神社】 福岡県筑紫郡那珂川町仲3-7-8 がある。
この社が住吉神社の元宮であり、奴国発祥の地である。
博多湾の河口は年々堆積物で浅くなる。 反対に船は大型化していく。
漢委奴国王時代、最も適していた外国交易の港は「今津」と思われる。
その権利を求めて戦いが起こった。 早良・志摩・唐津は制圧された。
107年倭国王帥升による「伊都国」の建設である。
137 :
日本@名無史さん:2012/10/02(火) 01:15:16.44
138 :
日本@名無史さん:2012/10/02(火) 14:00:25.38
確かに、畑から偶然でてきたというのは、ウソくさい
139 :
日本@名無史さん:2012/10/08(月) 13:32:56.91
金印消しゴムは売れる
全国の小学生に人気を博すこと請け合い。
140 :
日本@名無史さん:2012/10/08(月) 19:31:45.14
「第六回金印シンポジウムin志賀島」
http://shikanoshima.blog.fc2.com/ 10月20日(土)に開催されます。
会場 福岡市役所本庁舎15階講堂
入場料無料、但し、資料代1000円
講師 西谷正氏、九州歴史資料館館長
安曇野 (長野県)穂高神社宮司 小平弘起氏
米子(鳥取県)米子の古代を考え会 黒田一正氏他
興味のある方、是非御参加下さい。
、
金印とか印綬って磨耗したり紛失したら申請すれば再交付してもらえるのかな
消耗するほと使うもんじゃないし、紛失なんかしたら罪に問われるから
申請なんか出来んわな
元々は粘土に押しつけるもの(封印・封泥用)だから、
あまり摩耗しないと思う。
本来は死んだり、昇進で不要になったら返還すべきもので、
戦死者のが戦場跡から発掘されたりするのはともかく、
墓から出るのはおかしいとかって読んだことがある。
遺族ないし生前の本人が副葬品用に複製したものでないかとか。
倭国みたいに、塞外異民族君主にくれてやるやつは、
返還前提とも思えない節もあるけど。
>>143 >戦死者のが戦場跡から発掘されたりするのはともかく、
墓から出るのはおかしいとかって読んだことがある。
死後、印綬が追贈される場合があるので、墓から出てもおかしくない。
諸侯王、列侯、始封貴人、公主薨,皆令贈印璽、玉〈木+甲〉銀縷;大貴人、長公主銅縷。
(後漢書 志 第六 禮儀下)
「金印研究論文集成」にも追贈した例が、いくつか載っている。
>遺族ないし生前の本人が副葬品用に複製したものでないかとか。
殉葬印の材質が「石、木、瓦など」、印文が「官職名+姓名」等、
漢代の印章制度と異なる特徴がある場合は、私印とみなすことができる。
(例外 淮陽王璽 玉質)
羅福頤氏は、官印を私刻したという嫌疑を避けるために「官職名+姓名」という
形式にしたと考えている。
「図説 中国古印研究史-近代の古璽印研究の発展-」がわかり易く、お薦め。
自分の見た本だと、材質が規定と違うとか、
篆刻がやや雑だとかで副葬品用の複製品じゃないって、
そんなことが書いてあったな。
146 :
なん:2012/11/03(土) 22:59:27.95
邪馬台国関係で、瀬戸内海は空白域になってて寂しいですね
1975年にNONブックから出版された「古代出雲帝国の謎」って知ってます
この本の著者 武智鉄二さんの考え方っていいと今でも思っています
特に金印は 漢−委奴国王の2段読みにすごく感銘受けました
演劇研究者らしい「ナンバ」行動への注目も当時としては斬新です
武智さんの意見はいろいろと面白かったのですが その後取り上げられてないようです
邪馬台(壱)の読みもヤマト 華北系統の魏国が呉音の「マ」はおかしい漢音の「バ」
ならば「ジャバイ」だよ たとえば三国志の登場人物 五虎将軍 馬超は バ・チョウですよね
147 :
日本@名無史さん:2012/11/03(土) 23:56:30.55
謎の出雲帝国―天孫一族に虐殺された出雲神族の怒り 怨念の日本原住民史
ISBN 978-4-19-551964-6
馬は呉音で「メ」、漢音で「バ」のようだね
日本で言う「呉音」てのは、江南地方の発音でも何でもないんだよ。
漢和辞典の解説くらい読めよ。
つーか、こういう勘違いバカだらけになっちまう用語を変えるべきかもしらんが。
150 :
なん:2012/11/04(日) 19:24:15.12
あの〜 素人なのでお手柔らかに
呉音って 日本の方言 だった の線でよろしいですか?
武智さんの論点は、魏志に書かれているから 漢音で発音ですが この点は?
151 :
俳句の王様:2012/11/05(月) 17:48:31.22
>>150 「 新稿 邪馬台国の言語 」 弥生語復元 長田夏樹著
言語学者・中国文学者で神戸市外国語大学名誉教授」をお勧めします。
152 :
なん:2012/11/05(月) 22:39:03.40
>>151 ありがとうございます とりあえず学研の漢和辞典は購入しました
武智さんの本業は知らなかったけど、あの有名な映画に関係していたんですね
武智説 専門家からみたら問題多く受け売りだらけなのかもしれませんが
本の前半、土笛からの推理 出雲への商王朝の影響や出雲圏の広さなど75年当時としては冴えてる
153 :
日本@名無史さん:2012/11/06(火) 01:52:29.92
金印は実はサンカが持ってきた物で・・・・という裏話とかないのかな。
>>150 隋唐期にそれまであった大量の鼻音が濁音に変化している。
馬のm→bはその典型。
だから馬がマというのは、隋以前の正当な中国での読みだ。
武智というやつはただのトンデモとしか考えられない。
155 :
俳句の王様:2012/11/06(火) 10:06:07.93
156 :
俳句の王様:2012/11/06(火) 10:28:34.39
>>143 >墓から出るのはおかしいとかって読んだことがある。
漢王朝は「後漢」と復活している。
黄巾の乱で衰退したが、三度の復活を期して隠されたが正解かもね?
墓ではない。 金印だけが埋められていた。
好古都が古代の中国の発音でハカタと聞こえるみたいなことを随分昔にテレビでやっていたのを見たことがあるのです
ですが日本語で昔はハ行はパピプペポと発音してたとも聞きます。
となると、ハカタはパカタと発音していたということになるし、
好古都=博多は成り立たないのかなあ。ファカタならなんとかそう聞こえるんだけど。
トンデモ説なのかなあ
158 :
なん:2012/11/07(水) 23:22:40.88
金印が本物か贋物か まだわからないってもの不思議だね
宇宙線の被爆量とかで わかりそうなもんだ 作られてからの年数が10倍も違うんだから
159 :
日本@名無史さん:2012/11/10(土) 18:34:58.40
○総重量
漢委奴国王印 109グラム
滇王之印 約90グラム
○金の純度
漢委奴国王印 95.1%
滇王之印 95%前後
○印台と鈕の部分が全重量に占める割合
漢委奴国王印 印台86.5% 鈕13.5%
滇王之印 印台86.5% 鈕13.5%
160 :
日本@名無史さん:2012/11/10(土) 18:37:53.76
あららw
滇王之印=テン王之印
何が言いたいのか今1つ不明だけど
もう1つ同じ偽造の可能性はないの?
>>125 畑
>>138でなく田の畔から発見され、墳墓からでなかったのは当然だよ。
後漢から東夷の王に公認された証で、王個人の持ち物でなくその王家
代々の王が継承するものだから、一個人の墓に死蔵するわけがない。
そんな物が田んぼの畦にあった時点で、一緒に骨でも出てればともかく
164 :
日本@名無史さん:2013/01/03(木) 17:12:52.63
「漢委奴國王」印は亀井南冥による贋作、
と三浦佑之によって結論が出ている。
165 :
日本@名無史さん:2013/01/03(木) 18:26:39.01
伊都国王と読ませたかったのか
倭奴国王と読ませたかったのか
後者の贋作だとすれば人偏を意図的に省くと
かえって贋作っぽい印象を与えてしまうんだよね
>>157 漢、魏、晋時代の発音だと、好古都=フカタ
発音は如何にも博多っぽいと思いますけど
167 :
YAP?:2013/01/07(月) 16:30:26.56
上古音と中古音ノイズエ化と言うと、後漢初の金印は、上古音系だろうが、
「好古都」國の倭人語からの音写が、何時行なわれたかが問題だろう。
森博達説のように、前漢時代で上古音で、上代日本語(これは6〜7世紀だが)の
オ列ではなく、「ア」に近い音で、倭人語自体の特徴は、上代日本語と河っていないと
仮定すれば、「博多」に繋がると考えても良いのでは?
まあ、旁国が北部九州内に収まったとしてだが。
金印自体は、少し削って材質を調査すれば、真偽の判定は決着がつくような気がする。
個人的には真印だろうとは思うが、何しろ出土状況が?だからなあ。
邪馬台国って未だにどこにあるかわからないんでしょ。
金印が見つかった場所とは関係ないのかな?どちらにせよ
当時ありがたがっていたという事は倭の国は政府と
呼ばれるほどの勢力はなかったのかな。
169 :
日本@名無史さん:2013/01/10(木) 17:14:19.65
出所不明で怪しい物だから
九州から出てくる遺物ってそんなんばっかだけど
捏造盗賊団・支那共産党に関係する「文化財」で贋造でないものなどないはず
金印についてそれに記された文字。倭王 などとは製作に
どれぐらいかかるのか。卑弥呼が使いを送る前から 倭 は
認証され用意された印なのかそれとも倭の使いが来てから
打刻されたものなのか、のみ。
172 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 07:52:07.64
で、このハンコ、いったい何に押したのかね?
何に押すってそもそも文字を使ってたのかね?
押す文書とかあんのかね
傍にひかえた家来が口上と共にハンコをかざすと、暴れてた連中がへへーと平伏したんだよ
献上する品物に判子を押したんだろ。
つまり、生口の額に印があったんだよ。
177 :
日本@名無史さん:2013/04/28(日) 01:38:27.87
中国のページだが
ttp://page.renren.com/600038844/note/886655729 を見ると、倭奴=委奴は秦の時代は「ol-na」漢の時代は「oi-na」と読んだそうだ。
アイヌのカムイにオイナ族というのがいるそうだがこれは関係ないだろうな。
俺は委奴国の位置は志賀島に近い大きな神社宗像大社付近だとにらんでいるのだが。
この辺の人たちが北東方面から攻撃されて志賀島に逃げ込んでそこで滅びたんじゃないかと。
神武天皇東征のとき岡水門で一時都を置いてるでしょ。このときやられたのかなと。
この辺だと近い音だと稲元と言う地名があるがどう言う謂われがあるんだろう?
とか、いろいろ推理妄想するのは面白いね。
ə
つまり漢の属国待遇な訳でしょ。それでありがたがると
いう事は邪馬台国は日本列島を統一していなかったという
事ですね。つまり、 平安時代でいうなら一部の豪族。
戦国時代ならキリシタン大名ぐらいって事かな
実際、狗奴国と戦争中だったしね。まあ海を渡った東には弱小蛮族のクニしか無かったし
倭国を代表する二大勢力って程度だろう。
その頃の畿内なんて小国の乱立で邪馬台国と狗奴国程度のまとまりもなかったじゃん。
はあ?邪馬台国がその畿内なんですが
183 :
日本@名無史さん:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN
そのころの奈良って、唐古鍵遺跡くらいだろ。
ほとんどが、奈良湖が干上がりきれていない湿地帯なので。
184 :
日本@名無史さん:2013/07/25(木) NY:AN:NY.AN
亀井静香が、天皇陛下に「京都か広島にお住まいに」と進言!
亀井静香金融担当相(当時)は天皇陛下との昼食会の際に
「江戸城(跡地)にお住まいになるのは立場上ふさわしくないのではないか。
京都か広島にお住まいになってはどうかと、陛下に一方的に申し上げた」と述べた。
陛下は「京都は好きです」と応じた。
185 :
日本@名無史さん:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN
真の日本とは東北・関東縄文文明のこと
西日本のチョンの酋長なんてどうでもいいw
>>185 はいはい、在チョンの願望は解ったから
妄想してないでさっさと死ねよ
ここまで細石神社への言及なし
188 :
日本@名無史さん:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN
>>173 その考えはなかった
倭人の国に公文書ってあったのかな
なかったのはおまえだけ
190 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN
木簡に印は押さないよな
んじゃ粘土に押したのか
191 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN
封泥ってやつだね
192 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN
かんのいとこくのおう
193 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN
というか当時の日本人は中国の地図を持ってたのか?ならば
敬う必要ないのじゃないのか。兵士数や領土など把握して
いないならありがたがる必要ないじゃん。
夜郎自大乙
196 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN
これを貰えたクニは、実際のところ百戸くらいの集落でしかなかった
とかいうことはない?
197 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN
細石神社の話って本当なのかな?
君が代の話も。
198 :
日本@名無史さん:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN
細石神社は、いまでこそ寂れた消えそうな神社だが、
戦火で何度も焼き討ちに合う前は、かなりの大社だったそうで、
当時は海のほとりにある、鴻臚館や貿易港の一部だったのではなかろうか。
近くに周船寺、高来寺という地名もある。
近くの高祖山怡土城にある高祖神社と深い関係もある。
199 :
日本@名無史さん:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN
”金印は細石神社の御神体だった”説があるそうな
土の中にあれば傷だらけになるだろうからそっちだろうな
201 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN
このミッチリした凝縮感区重量感がたまらない
202 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN
御神体って、又、盗難?
九州の遺物は盗難が多いな
203 :
日本@名無史さん:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN
説で終わるのは噂の域を出ないから。
江戸時代とはいえ発見当時調査が行われたはずだ。
そんなに大事なものなら藩に盗難届は出てたはずだが。
204 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN
まぁ要らないもんだったんだろうな
あるいは盗難品か
205 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN
何処から盗んできたんだろ?
そりゃ作った人の所から
人には言えず泣き寝入りだわな
207 :
日本@名無史さん:2013/09/02(月) 07:46:43.29
ゴッドハンドF氏のことを思い出した。
今どうしていらっしゃるのだろう。
209 :
日本@名無史さん:2013/09/18(水) 11:01:09.46
この金印と同時期、朝鮮で金印を貰った者はおらず銅印どまり。
すなわち倭より朝鮮半島の方が重要度の低い後進地域だった。
という説は正しいの?
210 :
日本@名無史さん:2013/09/18(水) 11:06:41.74
当時は玉印のみが価値のあるものとされており
材質が金であろうが泥であろうが
差は無いものと考えて良い
金と泥には価値の差があるのに印にした瞬間に価値の差が無くなるのか
すごいね!
212 :
日本@名無史さん:2013/09/18(水) 15:35:52.16
>>210 すると、材質の差は気まぐれであって意味無し、と?
>>212 全ての印材と装飾は格式によって厳格に定められてたよ
金印は銀印より格上の政権に与えられる
楽浪郡太守が銀印だったっけ?
匈奴
匈奴国、玉。奴国、金。ワイ族、銀。三韓地方、無印良品。
217 :
日本@名無史さん:2013/09/25(水) 09:32:18.66
金印紫綬を授かった卑弥呼の正使・次使も銀印青綬を貰ってるんだよな
ということは韓の者は倭の大夫以下かい
金であろうが銅であろうが大差ないよ
着眼すべき点は玉ではなかったという一点のみでいい
朝鮮人くやしいのうw
>>210 材質が泥って…おまえバカだろ
どうせ封泥のことを泥製の印だと勘違いしてんだろうけどw
その発想はなかった
金印は江戸時代の贋作だと、
三浦は言っているが
日本語が不自由なんてレベルじゃ無いな、小学校からやり直せw>221
225 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 07:16:45.64
ほんとうに自分で埋めたかどうかは別として福岡藩の意思が入ったのは間違いないでしょ。史料とか史跡ってたいてい曲筆されてるか作られたか。実際は埋められもせず元から藩の手元にあったとか。一応掘り出したと大声で叫ばせて。
226 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 07:25:16.21
まあ、日本の考古学者や歴史学者は古代日本を過小評価しているから。
なぜ、そうなるかというと、江戸時代のバリバリ国学者だった本居宣長が
邪馬台国=大和朝廷を否定したことが、彼の思惑とは裏目に出て
日本の国家統一時期が大幅に遅れた説が出回るきっかけになった。
少なくとも、魏国側は倭国をかなりの大国と認識している。
異民族国家としては、大月氏国(パキスタン)と倭国は別格待遇。
満州にあった高句麗や半島にあった三韓は格下扱い。
227 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 08:38:32.32
>>226 大国認定はいかがかとは思うが、これは侮れないぞ、
一目をおくべきだとは考えていたと思う。
人間性はわりと高く評価していて、
倭の字には、人偏が含まれているのだからな
これが、他の東夷の民族だと、人間性からしてケダモノ扱いだからな
228 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 13:20:03.56
倭は矮に通じる
大中華はジャップの人間性などは全く評価しておらず
その矮小性のみをジャップの特徴としたに過ぎない
>>224 馬鹿チョンは泥印があると思ってたのかwww
漢字読めない民族は辛いなww
230 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 14:52:39.43
231 :
日本@名無史さん:2013/10/04(金) 11:09:52.35
金印が贋物だと最初に主張した人は誰なのよ
コストかけて偽物を作るんなら、よりインパクトがありそうな卑弥呼の親魏倭王のほうにするんじゃね?
>>232 そうだな。
それに偽物なら
漢委奴国王と解釈の分かれる解釈の難しい字ではなく
漢倭奴国王ともっともらしい字を使いそうなものだ。
>>232 親魏倭王のほうも畑に埋めたんだけど百姓が発見してくれなかったんだよw
>>233 倭の字が古くは委だったことは当時の学者でも予想つくだろ
>>234 「委」が昔は「倭」と書いた記録などないだろ。
>>234 これが南チョンか、流石全ての歴史が妄想で出来てる国は違うな
系図とかの偽造も本流はヤバイから傍流からってのが基本だろ
238 :
234:2013/10/10(木) 06:03:05.52
>>235 おまえは白痴なの? 自分で自分の言ってることがおかしいって気づかないのか?
>>238 反論があるなら具体的にな。
具体的な反論ができないから悔しいのはわかるが、罵詈雑言を浴びせるだけでは答えようがない。
240 :
日本@名無史さん:2013/10/10(木) 10:29:42.78
贋物説を検証した三浦説も説得力があって面白いが、
「漢」の字体を検証して本物説を打ち出した誰かさん(名前忘れた)の
説の方が感心したわ
そもそも倭じゃなくて委ねるだしな
だよな。人偏のような画数の少ない部首を省略する必然性がない。
縁起の良い画数とかあったんじゃない?
244 :
日本@名無史さん:2013/10/23(水) 10:50:45.28
金印は本物か?という議論は、明石原人は旧石器人の骨か?
というのと同じくらい面白い。
245 :
日本@名無史さん:2013/11/06(水) 11:39:51.91
明石散人が、国宝金印と江戸時代に作られた模造品、どっちが本物か分からなくなっているのでないか?
と書いてた。
その根拠は、黒田侯爵家の歴史編纂掛だった中島ナントカさんが取り違えていたから、だというのだが。
246 :
238:2013/11/06(水) 23:16:58.94
248 :
日本@名無史さん:2013/11/12(火) 16:06:20.91
金印を亀井南冥の偽造とは言わないが、模刻だろうという説は発見直後からあった。
それというのも中国にも日本にも印影コレクターが昔から居て、中国の歴史書に
登場する印綬を想像で拵え、印影を集めていた。
志賀島の金印は、そういう模刻の一つが出て来たのだろう、というわけだ。
こういう説が根強いのも、出土地点も出土状況もはっきり分からない弱さがあるためだ。
時代遅れの馬鹿乙
と罵倒すればいいだけ
>>235 日本書紀引用の百済三書は「倭」とかくべきところ「委」と書いてる
つまり後漢までじゃなくて南北朝の頃まで委だった可能性もある
委に人偏ついたのは則天文字の頃からじゃないかと憶測するが
西晋代に書かれた三国志、後漢書だと倭じゃん
それは文字の改訂があったから唐代以降の書写生が
「当時の認識で正しく」書いたってこと
倭の字は後世の写本にしか出てこない。木簡・竹簡で隋以前に倭の字はない
>>252 それ文字学の人にも同じこと言える(AA略
254 :
日本@名無史さん:2013/11/20(水) 17:32:57.65
>>254 いや、これぐらいは当然しってるようなやつじゃないと
そもそも捏造しようとはしないだろ
だからこの事自体は真作が偽作かの決め手にはならない
256 :
日本@名無史さん:2013/11/29(金) 10:11:48.67
遺跡から切り離された遺物は無価値同然というが、国宝金印はまさにそれだ。
なにせ出土地点すらも分からない。よって真贋自体が疑われる。
それでも国宝になってしまったのは、後漢書に記載されている印綬だと定説化した為だ。
国宝指定自体が早計だったのでないのか?
金印は非常に価値が高く、それ自体が遺跡其の物に匹敵或は凌駕する
貴重な文化遺産であり、当に国宝に相応しい遺物。
金属組成の各種分析結果や刻印された文面の内容等から
偽造と言い張る愚か者は最早学者の中には数匹の馬鹿しか残っていない
三国志、後漢書は元より同時代のその他印綬とも作りが合致している
稀少性、最古の日中関係という時代背景、将に国宝に相応しい遺物と云える。
258 :
日本@名無史さん:2013/11/29(金) 15:42:37.28
「漢委奴國王」の金印が本物であることは
中国で発見された印との比較から間違いない
江戸時代に得られた情報だけでは
偽の「漢委奴國王」の金印を製作することは不可能
多くの文献は有っても文字の堀方とかは実物が無いと真似できないからな。
259 :
日本@名無史さん:2013/11/29(金) 17:59:14.11
金印を本物と断定することは無理があるやろ
豪商のスノビズムによるものの可能性が高いな
260 :
日本@名無史さん:2013/11/29(金) 18:08:43.74
贋物だという方の証拠が出しやすかろう
一向に出て来る気配はないが
261 :
日本@名無史さん:2013/11/29(金) 19:04:18.59
贋物説は「漢委奴國王」の金印が邪魔な人達の願望にすぎないからな
前原の細石神社には「漢委奴國王」の金印は昔、細石神社の宝物だったが
江戸時代に売られるか何かで流失したとの伝承があるそうだ。
262 :
日本@名無史さん:2013/11/30(土) 03:09:17.30
263 :
日本@名無史さん:2013/12/12(木) 10:46:21.40
安本美典の古代史論争最前線に金印の真贋考証が論じられていた。面白い。
ちなみにこの人は本物説。
264 :
日本@名無史さん:2013/12/26(木) 11:06:54.30
金の含有率95%というのは随分高いらしい。
印は柔らかいから純金で印を作ると薄ぼんやりした陰影になってしまうという。
実用になる印を作るなら銀などを混ぜて硬度を上げるのだそう。
装身具なら18k、75%の含有率のものが金の輝きもあり傷も付き難く、主流になっている
265 :
日本@名無史さん:2013/12/26(木) 11:14:31.22
この時代は紙に印を押すのではなく
書簡の封印にろうを垂らして柔らかいうちに押して使ていたそうだから
硬度必要無かったんじゃないの
266 :
日本@名無史さん:2013/12/26(木) 11:14:42.41
>>264 誤:印は柔らかいから
正:金は柔らかいから
>>256 戦後の国宝指定の審査では、審議員の一人が金印を贋物だと主張して国宝指定が遅れたそうな。
昭和20年代後半に金印は偽物だとする説が複数流布したんだってさ。
と、「金印偽造事件」に書いてあった
267 :
日本@名無史さん:2013/12/26(木) 11:21:47.56
>>265 封泥で粘土でした
ロウはヨーロッパかな
268 :
日本@名無史さん:2013/12/26(木) 11:26:39.89
>>266 結局、その後の調査で本物であることは間違いないことは分かったが
出土場所や発見の経緯については疑問が残っているだな
269 :
日本@名無史さん:2013/12/26(木) 14:55:20.65
>>265 第一に身に付けて身分の証として人に見せるもの、とかいう説もある
270 :
日本@名無史さん:2014/01/02(木) 12:39:10.64
修猷館の学者らが、金印は安徳帝が入水したときに海に落ちたのが志賀島に流れ着いたのだとか
鑑定書に書いちゃったものだから後世の物笑いの種になった。
・・・のだが、亀井南冥の説を見ると、漢の皇帝から金印をもらったのは垂仁天皇で、臣下扱いされた
のに腹を立てて志賀島に捨てさせたのではないか、と述べている。
金印鑑定で名を上げた亀井南冥も、この点では五十歩百歩。
現在の知識・思想で過去の人々の行動を断罪するのはどうなのかねぇ
>>270 どちらも、なんで志賀島なんかから出土したのか?という疑問に答える仮説なんだよね
両者とも、他所から持ち込まれたものだと考えている
現代に至っても、金印と結び付けられるような遺跡は何も出ていない
273 :
日本@名無史さん:2014/01/02(木) 16:50:11.91
「漢委奴國王」は漢から王に冊封されてた委奴國の国璽だよな
漢王朝が存続している間は国璽として使われてたけど
漢王朝が滅亡し魏王朝が興ると卑弥呼は「親魏倭王」の新しい金印を貰った
「漢委奴國王」の最後の使用者は卑弥呼だろうな
274 :
日本@名無史さん:2014/01/02(木) 17:15:42.71
漢委奴國王
何と読むのか分かんないというのも凄いな
ナ国なのかイド国なのか、どっちなのよ
漢に委任された奴國王
276 :
日本@名無史さん:2014/01/03(金) 10:13:31.62
後漢書では
「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀」
「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」
倭奴國と倭國王
文献上は倭(委)奴國王の記載は見当たらない
委奴國王とは倭國王のことか?
277 :
日本@名無史さん:2014/01/03(金) 11:11:14.46
奴國王とかもどの文献にも存在しないだよな
「漢の倭の奴國王」とか文献上は存在しない奴國王を創り出していいのかよ?
倭は民族名、例えば東穢の銀印には穢王印とある
漢(宗主)倭(民族名)奴国(国名)王(職名)、文献通り
279 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 02:29:22.61
嘘に決まってんだろw
未開地方の近畿には漢字なんて伝わって無いw
281 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 09:26:52.17
鉄剣の金石文では、字体そのものは隷書体に、
楷書か行書(どっちか忘れた)が混ざったもの。
ただし、払いや止めが意識されていない彫り方なので、
彫師は下書きを真似ただけで、文字は書けない人、
と分析されてたな。
282 :
日本@名無史さん:2014/01/08(水) 10:48:49.98
>>278 「民族名+国名+官職」式表記の古代中国の印章は例が無い、
という指摘があるが、どうなのよ
シ真国も夫余国も夫租国も漢の領内藩故に何も入ってないけど
奴国はあくまで漢に従順な外蕃だから、漢の秩序に従う事を表す
大字の「漢」は絶対外せないっしょ
285 :
日本@名無史さん:2014/01/08(水) 20:16:26.92
"漢"に隷属している"委奴"国の印
「委な」だろう「な」は後に「那」の字があてられる語彙
287 :
日本@名無史さん:2014/01/22(水) 11:18:51.42
「悲劇の好字」なる最近出た本を読んだ。
この著者の説は「かん の わぬこくおう」だそうな。
奴をぬと読む新説を主張するのは面白い。
ただ、委の字を倭の略字とする通説を検討無に受け入れているのはツマラナイ。
なんで志賀島なんかで見つかったのかなあ。いまでも解せん。
こんな金印がある場所のようにはとてもおもえないが。
>>285 あたまについてる「漢」は漢に属するという意味ではないよ。
中華皇帝は全世界に君臨する建前なんだからいちいちそんな文字はつけない。
不臣の朝貢国なのであくまで「漢からみて」という化外の国の意味
例えば匈奴も漢ってついてるけどテン王之印はついてない。
290 :
日本@名無史さん:2014/05/15(木) 09:53:29.67
291 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 23:36:29.85
区切りは「漢の委の『奴国』の王」
「漢の委の奴の『国王』」というのは明らかにおかしい
292 :
日本@名無史さん:2014/05/20(火) 19:03:00.45
頑張ろうzww
293 :
日本@名無史さん:2014/05/20(火) 19:06:05.51
2chに初カキコ↑www
たぶん、本物を持っていた金持ちが、うれしくなって、
レプリカを何個も作らせ、いろんな人に、自慢しながら
配った中の一つが、その辺に放り出されていて、出土した。
歴史上の出来事とは、そういう、いい加減なもの。
そんな簡単に複製作れる物じゃないんだよ
千年を越えても複製の作れない印を量産した古代中国の超技術スゲー
297 :
日本@名無史さん:2014/05/23(金) 08:38:17.07
複製かどうかは、真っ先に調べられてると思うけどね。
298 :
日本@名無史さん:2014/05/23(金) 09:11:34.43
299 :
日本@名無史さん:2014/05/23(金) 09:59:02.30
糸島から志賀島へは、
船で行けば意外と近いもんだ。
300 :
日本@名無史さん:2014/05/23(金) 11:28:34.01
志賀島へ行くフェリーの名前は”きんいん”号
これまめちしきな
季刊「邪馬台国」2014年1月号に金印の「古代史真贋の森 金印・銀印」という特集が載っていた。
この記事での結論は、国宝金印=本物説。
301 :
日本@名無史さん:2014/05/23(金) 16:58:44.67
ちなみに朝鮮半島は銅印だw
ここまで明らかに区別する古代中国人のセンスわろたw
日本、金印
朝鮮、銀印(笑)
南韓、銅印(失笑)
>>296 千年も経ったら複製は作れんよ、そんな超技術は未だ人類は持って無い。
奴国と伊都国は隣の国。
どちらでも北九州なのは変わりないから
石器も青銅器も三種の神器も複製しとるがな
305 :
日本@名無史さん:2014/06/17(火) 10:23:33.96
「委」が「倭」の略字という説はどうなのだ
略するほど画数が多くないではないか
それとも土民など人間扱いしないから人偏を省略したのかね
歴史版で見たよ
天皇は土民
308 :
日本@名無史さん:2014/06/24(火) 10:34:09.59
歴史読本の最新号に、三国志の帝紀には卑弥呼の「卑」の字に人偏が付いているが
東夷伝では人偏を省略した「卑」の字で表記してある、と指摘されている。
これが本当だとすると、なぜに省略するのだ?
文章を書き進めるうちに省略したくなる中国人の習性なの?
309 :
日本@名無史さん:2014/06/24(火) 14:50:13.00
日向峠は奴国と伊都国の境
天孫降臨の地。
310 :
日本@名無史さん:2014/06/24(火) 15:02:53.59
漢のときが委、魏のときが倭
魏で表される鬼は鬼道だったら陰陽道
311 :
日本@名無史さん:2014/06/24(火) 15:04:22.33
陰陽道と言えば日本で有名なのは天文学者の菅原道真
>>308 そもそも人偏つきの卑なんて卑弥呼の名前ぐらいしか使われない字じゃん
要するに本紀はサービスで人偏つけてあげただけだろ。
>>310 南北朝あたりまで委だよ。人偏ついたのはたぶん唐初かな?
あるいはもしかしたら則天文字の名残かもな
313 :
日本@名無史さん:2014/06/27(金) 09:52:15.75
いま安本美典が面白い
安本なんか有り難がってるのは
ニワカと信者しかいないだろ
315 :
日本@名無史さん:2014/06/30(月) 01:40:56.87
>>305 だったら金印をあげないんじゃない?
何処かの国みたいに泥印で十分w
>>315 物知らずは黙ってろ
封泥は印章を押した跡が残った粘土のことだぞ
泥で作ったハンコのことだとでも思ったかw
金印は日本に送ったのを含めて2個しかないから特別なのだろう
日本、金印もらった
↓
歴史的に日本は中国の属国
↓
日本は中国の一部、日本人は中国人
↓
なのに中国の言うことを聞かない日本政府けしからん
↓
悪い政府の支配から日本人民を解放しなければならない
金印の代償は高くつく
∩___∩
| ノ ヽ-'''''';、 宗主国面をして威張り続けるには、貢ぎ物を大きく上回るお移りを
,,.....-| ● ● | ) 下賜し続ける義務があるので、正直、皇帝も楽じゃないわけよ…。
”” ; | ( _●_) ミ §
;; 彡、 |∪| 、`\__===・
; / __ ヽノ /´ ――┴;;
; (___) | ―――'"
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) ,,..-'''⌒;, /
 ̄ ̄ ̄ ̄ / ,,..-.';;-' |
( ,,...-''";;., ";,..-'"
中華皇帝 |"”” _,.-|; ;|
|_,,...--''" "'-''"
―――――'"
王朝の景気が良い間は気前よく下賜してやれたけど、落ち目で景気が悪くなって
たびたび来られるとたまらないから、朝貢してくる間隔を広くしろとか言わざるを
得なくなったことも実際にある。
ずっと昔にチンケな金印一個程度じゃ、有効期間はとっくの昔に切れてるからね。
希土類元素各種何トンとか大盤振る舞いしないかぎり、昔の威勢は取り返せないと。
ま、世の中はそう甘くはないと。
321 :
日本@名無史さん:2014/07/16(水) 11:27:27.54
弘安の役で元・高麗軍が志賀島に上陸して我が武士たちと一戦したんだよな。
実は金印は、この時の元・高麗軍の落し物なんだよ。
という仮説をいま考えた。
これをもっともらしく説明できる理屈を皆で考えてもらいたい。
322 :
日本@名無史さん:2014/07/16(水) 11:34:59.75
江戸時代に金印が見つかって邪馬台国論がしきりに唱えられるようになった
文学的にはかなり貢献したことだろう
はい、おしまい
>>321 高麗人は大元帝国の臣民であるから元・高麗軍などという軍は存在しない
元軍と呼ぶのが正しい
324 :
日本@名無史さん:2014/07/17(木) 03:15:57.97
>>321 金印を戦地へ持って行くかいな、、、
それと、朝鮮は金印をもらったことありません。
325 :
日本@名無史さん:2014/07/17(木) 03:17:01.86
>>321 もっと言うと、その金印になんて、かかれてます?
分析すれば江戸期の小判とほとんど一緒とか分かったりするんじゃねーの?
知らんけど。
江戸時代に冗談で作ったんだろ
倭人→金印
鮮族→銀印
韓賊→銅印
史実を否定したいものだなw
まあ、日本が属国どうしのランク争いに必死だった史実は否定したいものだ
330 :
日本@名無史さん:2014/07/19(土) 22:59:31.37
>>328 倭の金印、韓の銅印はわかるが「鮮族」ってなんだ?
銀印なら穢族の不耐穢王之印のことか?朝鮮人じゃないよなこれ。
>>330 箕氏朝鮮の被支配民が濊貊
朝鮮地方に広く住んでいたから朝鮮族と呼べなくもない。
勿論、李朝以降のなんちゃって鮮人とは別物
じゃ最初からわざわざ紛らわしい言い方すんなよw
>>329 そんな史実なんかあるわけないだろ?
お前は
朝鮮人か?
その朝鮮人というのは満州辺かなんかの騎馬民族のことか?
335 :
日本@名無史さん:2014/08/06(水) 09:54:19.10
>>323 その書き方はだな、志賀島にはモンゴル兵の他に朝鮮半島から動員された兵が上陸した、
という情報を読者に与えているのさ。
南宋の降兵らは別働隊として動員され平戸島に上陸し、志賀島には来なかった。
それは大間違い、敢えて書きたいなら
モンゴル人士官と旧高麗領出身兵から成る元軍、と書かなければ駄目
338 :
日本@名無史さん:2014/08/20(水) 12:43:33.13
>>312 >人偏つきの卑なんて卑弥呼の名前ぐらいしか使われない字
使役の助動詞の一種としてもつかわれるよ
「[イ卑]〜○○」「〜ヲシテ○○セしム」(ひらがなの「し」はフリガナ)
339 :
日本@名無史さん:2014/08/20(水) 12:45:11.43
あばよ
340 :
日本@名無史さん:2014/08/20(水) 12:46:49.05
元軍のハンコなら、パスパ文字でかかれてなきゃ♪
海中からはパスパ文字で書かれた「管軍総把之印」が引き上げられている。
341 :
日本@名無史さん:2014/08/28(木) 10:10:15.19
最近出た金印関係の本
(1)「悲劇の好字」黄黨時
内容:「奴」の字は卑字でなく「大」を意味する好字だ。
「委奴」は「大倭」という意味
感想:斬新な説ながらよくわからんので判断保留
(2)「金印再考」大谷光男
内容:黄氏の主張を踏まえ、「委奴」は「大倭」で大和と読む
感想:あんまり感心しない。中世の志賀島の領主を掘り下げたところは面白い。
(3)「季刊邪馬台国2014年1月号」安岡美典
内容:江戸時代に流布した印影集から漢委奴国王印を作れるかどうかを検証
偽造は不可能と結論
感想:「漢」の字体に着目したところが見事
続巻に一部訂正論文掲載
342 :
日本@名無史さん:2014/08/31(日) 12:39:55.33
三国史記で丹波国が多婆那国になってるように、倭人が国の前に「の」をつけるのをそのまま音写して、
委奴國(わの国)になってる、って説はあるの?
343 :
日本@名無史さん:2014/08/31(日) 14:04:03.46
漢委奴国 かん の わ の な こく
葦原中国 あしはら の な こく
狗奴国 = 巨奴国 = 大奴国
倭 → 大倭(自尊) → 大和(好字)
>>2 発見された金印も中国産じゃないのか?
学者は裏をきちんと確認したんだろうか Made in Chinaと書いてあるかもしれない
銘土 印茅 納
346 :
日本@名無史さん:2014/09/10(水) 03:48:28.82
>>341 「奴」が「大」の意味だなんてサッパリわからんなー。誰か解説してくれ
そもそも国名を表した印なのに「大倭」が「倭大」とひっくり返って
いること自体がおかしい。
風泥は被朝貢国が渡してくる公式印なので、そんな間違いをする筈も
ない。ましてや、同等の立場を意味する「大」を、朝貢国の、しかも
東夷に過ぎない小国の名につける(許す)わけがない。
348 :
日本@名無史さん:2014/09/12(金) 15:29:16.24
>>346 黄さんの説をものすごく簡単に要約すると
(1)「委奴」(または「倭奴」)は、日本人の発音に中国人が文字を当てたものだ
(2)「奴」は「ヌ」音を表す字として当てられたものである。表音であって表意でない
(3)「ヌ」は古い日本語の「nui」で、「大きい」という意味
(4)「委」の字の後ろに「nui」が置かれているのは後置修飾表現だから
(3)は、記紀の中に古代ポリネシア語が多く混じっている、とする説(茂在寅男)に基づいている。
万葉集と古事記から「大きい」を意味する「nui」に「乃」「野」「奴」「怒」の字を当てている例を挙げている。
349 :
日本@名無史さん:2014/09/12(金) 15:33:40.89
奴と書いてヤッコは江戸時代だっけ?
350 :
日本@名無史さん:2014/09/13(土) 03:36:10.19
>>348 >万葉集と古事記から「大きい」を意味する「nui」に「乃」「野」「奴」「怒」の字を当てている例を挙げている。
万葉集にも古事記にも「乃」「野」「奴」「怒」が「大きい」の意味で使われた例など無い。
それをあると言い張るのはひねくれた独自解釈にすぎないだろ。
あと形容詞の後置なんてベトナム語ならともかく古代日本語にありえんよ
351 :
日本@名無史さん:2014/09/13(土) 04:32:46.11
それはどの学識者とやらが出した説?
352 :
日本@名無史さん:2014/09/13(土) 15:58:58.48
元居宣長だのなんだのどうあがいても江戸時代に考察がされてる時点で学問の領域はでない
つまり伝承が途切れているのか記録がないだけなのかは知らんがどう足掻いても証拠なんか
でるわけないわな
353 :
フィクション大魔王:2014/09/13(土) 19:43:33.62
九州古代史の会
10月5日(日) 13:30〜
ももち文化センター 視聴覚室
福岡市早良区百道2-3-15 092-851-4511
(1)倭人(越人=安曇族)の渡来 講師 北村 泰一氏
(2)日本書紀を読む 司会・進行:高柴 昭氏
会費:会員 無料 会員外 500円
阿曇族ファンの方いかがですか
354 :
日本@名無史さん:2014/09/13(土) 20:11:08.15
元居宣長先生に決まっておろうが、誰だか知らんけど。
モト冬樹の本名かな?
ゲンイセンチョウ先生でしょ。誰か知らんけど、ともかく本居宣長とは別人らしい。
359 :
日本@名無史さん:2014/09/19(金) 13:31:36.44
>>347 「大」の字に同等の立場なんて意味はないよ…
>>348 ハワイ語で大首長をarii nuiというのと同じ感じなのかな?
ワカミケヌのヌを大と捉えているのか
斬新すぎてわからない
361 :
日本@名無史さん:2014/09/20(土) 14:22:41.57
イースター島はポリネシア語でRapa nui(広い大地)という
これが関係あるんか?w
>捏造
金って、不純物の割合とかで産地とか判ったりしないのか?
銅とかはよくそうやって産地を特定しているじゃん。
やっているなら、江戸時代の日本産か、漢時代の印かなんてすぐわかるだろ。
さすがに金印ぐらい貴重なものだと、削ったり出来ないのかな。
蛍光X線分析なら非破壊で微量元素の含有率が出せるんだけどな・・
しらんけど
すでに何らかの分析やって、
特に贋作という結果は出なかったんじゃないかな。
中国と共同研究かなんかしたけど、確か非公開になったはず
366 :
日本@名無史さん:2014/09/25(木) 14:19:29.02
やはり贋作だったんだな
本物なら問題なく堂々と公開したはず
日中の利害の一致w
「贋造」の時点に近い小判か何かとそっくりだったとかかね。
本物だという確信が得られたなら、中国が「返還」を要求してきそうな気もしますしねぇ。
贈った物を返還要求?そんな恥知らずは南チョン族だけ
370 :
日本@名無史さん:2014/09/28(日) 03:18:30.96
”委奴國”って、まともに読むと、イヌ国。
ソフバンCMの甲斐クンを連想しちゃった。(笑)
>>370 はるかに後世の訛りまくった出鱈目な読み方を基準にする馬鹿丸出しの発想を捨てることが先決だ。
>>371-372 先祖が銅印しか貰え無かったから
肥大した虚栄心全開で何時もの様に日本を恨んでるんだよw
>>373 それはひょっとして、昨年に中央アルプスで悪天候に見舞われたときに、
動けなくなった年長者をゴミのように道端に捨てたままで我先に逃げた、
大変ご立派な紳士淑女が満ちあふれているとかいう川向こうの国のことか?
375 :
日本@名無史さん:2014/09/30(火) 10:50:11.46
中国文献に毒された唐ゴコロを捨てるべきである。
大和心で読めば、オトコヤマトノ国王、となる。
大倭+邪馬壹(ジャマイェツ)→大和(ヤマティ)
377 :
日本@名無史さん:2014/10/01(水) 01:05:53.12
>>375 支那人が漢文で書いたのに?
むしろ唐ゴコロに熟達してなけりゃ解読できんじゃんよ。あほかw
>>376 そんならむしろ「邪馬台=ヤマト」のほうがストレートで手っ取り早いんじゃネーノ
>>377 大倭(ダイワ)→大和(ダイワ)
邪馬壹(ジャマイェツ)もしくは邪馬台(ジャマティ)→大和(ヤマティ)
って意味
基本的には自称の聞き書きで、ある程度交流があったのだから、国名を聞かれたときに
意味を取り違えて別の何かの名前を称するということもなかったはず。
壹は臺の誤植というか誤刻で確定ということで良いんじゃない。
ただし、当時は上古音なのか中古音なのかいくら厳密に調べても不明というのが定説だから、
そういう上古音系統の読み方かどうか確定的には分からんのだよね。
倭の字から「和」は出てこない。何か別系統の名前だよ
和「ワ」
倭「ワ」
中国での表記な大倭(ダイワ)→大和(ダイワ)音読み
漢語での表音な邪馬台(ジャマティ)→大和(ヤマティ)訓読み
>>360-361 縄文人とポリネシア人は同祖というのが通説。
そして言語にもその名残がある。・・・という説なのだな。
遅レスで失礼
383 :
日本@名無史さん:2014/10/16(木) 16:54:34.92
>>341 4)「漢委奴国王 金印・誕生時空論」鈴木勉
「漢委奴国王」印と「廣陵王璽」印を比較して、二つが全く異なる技法(「線彫り」と「浚い彫り」)
で製作されていることを指摘し、工具も製作者も同一ではないと結論した。
つまり、この二つが同時期に同じ工房で制作された兄弟印であるとする、今や通説となりかけている説を否定。
さらに「廣陵王璽」印が遺跡からの出土品でなく、「漢委奴国王」印と同程度の出所の不明瞭な新発見資料であることを指摘している。
感想:「漢委奴国王」印と「廣陵王璽」印が、互いの存在を真印である証拠として利用しあう様子を
循環論法として一刀両断にしたところが痛快。かなり面白い本
384 :
フィクション大魔王:2014/10/17(金) 13:04:46.18
385 :
日本@名無史さん:2014/10/17(金) 13:35:14.28
377
日本史って支那人が書いたんだっけ?
唐ごころとかそんなものは知らないけど
386 :
日本@名無史さん:2014/10/17(金) 19:52:12.77
上野でやってる日本国宝展で期間限定で金印が展示されるね
387 :
日本@名無史さん:2014/10/17(金) 19:55:49.38
見にいく価値あるの?
捏造くさいのにさ
388 :
日本@名無史さん:2014/10/17(金) 20:04:52.13
389 :
日本@名無史さん:2014/10/17(金) 20:08:51.78
>>387 無い人は行かなければ良い
それだけのお話
>>387 だから見に行くんじゃねーの? 2つだか3つだかあるとかいううちのどれが出るのか知らんけど。
391 :
日本@名無史さん:2014/10/19(日) 11:55:55.52
393 :
日本@名無史さん:2014/10/19(日) 17:01:08.95
金印は成り上がり者の卑弥呼が自分の地位を保証するため
偽造したものだ。「漢委奴国王」とはそこそこの歴史センス
からの自作自演的ネーミングである。深く追求しても無意味だ。
卑弥呼が共立されたのは197年頃でまだ漢代であった。
そうあって欲しいニダ(虚栄)→そうに違いないニダ(妄想)→これが真実ニダ(捏造)
漢の倭奴の国王 だろ 匈奴とかと一緒だろ
漢委、奴国、王
漢、委、奴国、王
どっちかだけど
397 :
日本@名無史さん:2014/10/19(日) 21:32:52.55
>>395 三段読みはないな
漢・委奴・国王
「ウェイヌ」
匈奴 「フンヌ」かな?
奴はナね
奴は上古音nag、中古音ndo
上古音は秦漢、中古音は五胡十六国〜隋唐時代の発音で、漢末魏晋は移行期にあたる
後漢初期なら奴はまだ「nag」と読まれただろう
中古音で読むなら、奴国はド国、卑奴母離はピドボリ、奴佳提はドカテイ、狗奴はコウドとなる
400 :
日本@名無史さん:2014/10/20(月) 23:50:20.40
委と奴をくっつけて匈奴とならべる発想は古田電波
ここは「奴国」の存在を前提として考えるのが当たり前の発想だろう
漢・委の「奴国」王 だろ
漢[委《【奴国】王》]
大倭奴津見神
402 :
日本@名無史さん:2014/10/21(火) 09:56:07.27
>>384 黄トウジ先生キター!
行って斬新な説を楽しめた人、レポートして頂戴
403 :
日本@名無史さん:2014/10/21(火) 18:32:04.72
奴には土地とか国て云う意味があるらしい
なら漢・委奴で漢の倭国とか倭地とも読める
倭面土國王師升にも通じるものがある
404 :
フィクション大魔王:2014/10/21(火) 19:44:13.31
>>403 >奴には土地とか国て云う意味があるらしい
>なら漢・委奴で漢の倭国とか倭地とも読める
じゃ三十余国のうち
「奴」がついてる国と「奴」の字が無い国があるのはなぜなんだ?
全部ついてるか全部ついてないかじゃないとおかしくね?
テンプレ見て思い出したけど、
金印発見したのは、甚兵衛じゃないと聞いた。
見つけた百姓が住んでる土地の地主が甚兵衛だったとか。
立命館の入試で出るくらいだから、聞き違いだろ。
408 :
日本@名無史さん:2014/10/31(金) 10:33:29.54
>>406 甚兵衛が所有する土地で小作人の秀治・喜平が発見した、という説
補足すると、甚兵衛なる名が寺の過去帳に載っておらず、実在しない人物でないかという指摘があった。
金印偽造説の傍証の一つでもある。
それに対し、甚兵衛は別の場所に住んでいた地主だからその集落の過去帳に名がなく、
実際の発見者は小作人だったのだ、とするいわば辻褄合わせの説だな。
これは
>>341で名が挙がった大谷光男説。
偽造だろ、ふつうに考えて。もう無理ポ
蛍光X線を測れば、微量元素の含有率が分かり、材料の産地が特定できるというのに・・・
非破壊だし、測定自体は難しくもなくすぐ終わる
なぜやらないのか、不可解だな
>>409 そもそも宗門帳が完全に残って無いのに意味不明だな
今時、金印が偽造だなんて主張してる日本人や中国人の学者は居ないよ
何処にあったものかじゃね?
少なくとも、当時は文字通り島だったこの場所にあったとは思いにくい
>>411 わかりきってるだろ。偽物だって判明するのが困るからあえてやらせてないんだよ
>>413 ムラ社会の中で「みんながこう言ってる」っていわれましてもねぇw
>>415 ニダ社会の妄言には史料の裏付けが無いよな
417 :
日本@名無史さん:2014/11/06(木) 21:35:49.66
>>413 日本や韓国にはいるだろ、少数派ってだけで。中国には確かにいなさそうだがなw
418 :
日本@名無史さん:2014/11/06(木) 22:42:10.03
>>411 そんなことをしたら偽造派の夢が壊れちゃうよ
国東破れて吉野が里
香春にして 甘木市
この辺りだろうか?
>>417 ちゃんとよく読めよ、日本人や中国人の学者には居ない。
日本に居る朝鮮族や韓族は含んで無い
>>420 ちゃんと読め? 元レスって
>>413だろ。
ちゃんと読めも糞も2行しかなくて無内容じゃん
金印偽造説を唱える日本人がいないなんて
オマエはどこのパラレルワールドから来たんだ?W
>>405 だから「わこく国」という意味、大和言葉と漢語が組み合わさっている、日本語でユナイテッドステーツオブアメリカ国と呼ぶようなもの
漢は奴国王に委ねる。
424 :
日本@名無史さん:2014/11/08(土) 12:01:44.05
志賀島の金印は中国製の粗悪品ではなく、小倉の殿様毛利氏あたりが多々良の名工に頼んで作らせた逸品。
九州王再興を企てて関が原に望んだものの夢敗れて志賀島で自決。
こんな筋書きが目に浮かぶようだ。
×こんな筋書きが目に浮かぶようだ。
○そうであって欲しいニダ。
金印の「委」を「ゆだねる」なんて意訳してるアホは学界にはいませんよ
割と有力視されてる読み方の1つじゃん、中国でも日本でも
>>427 印にそういう書き方をする通例とかがあったという話?
史書に委奴と記録されてる国も無いしな
つまり偽造品と
>>427 おまえはよくそんなしらじらしいことを堂々といえるなw
息をするようにナントカを(以下ryの民族かよw
…それとも真性の既知なのかな
>>431 同胞の祖先が銅印で倭人の王が金印
その上委任だったら民族の虚栄心が目も当てられ無いしなw
金印上野で見てきた。
すれ違う人々の多くの囁きは「小さい!」とか「こんなのよく見つけられたな」とかいうかんじ。
実際、あれが土の中にあって泥とかが付いてた状態だったと考えると発見したこと自体が
奇跡に近いとかんじた。
が、同時に同時代の展覧物をみると土偶とか銅鏡の類ばかりで金印のみが敢然と輝いてることが
逆に不自然にすら思えてきたからまた不思議。
もう少し歴史の物証が出てこないと流れが全然見えてこない。
金は錆び無いしな
小学生ですら知ってる
435 :
日本@名無史さん:2014/12/05(金) 09:55:06.78
1)遺跡から切り離された遺物は考古学的に無価値である。
「コレクターが所蔵していた品」とか「墓泥棒が古道具屋に持ってきた品」とか称する品が
世に出ることを思い浮かべると良い。それらは遺跡から切り離された品であり、値打ちを
議論する前に、真物であることを証明する必要がある品だ。
志賀島金印はそれらの同類である。現状、
a)出土地が分からない
b)なぜ志賀島から出たのか説明できない
以上二点から、疑いの余地のない品、とは認められない。
2)「漢委奴国王」の訓みは確定していない。
「かんのわのなのこくおう」はもっとも流布する説だが、有力な反論があり、
数ある説の内の一つ以上の存在とは認められない。
この品が真物であることも、「かんのわのなのこくおう」と読むことも、
議論なしに真実と受け入れるのは間違っている。
要するに日本は中国のおまけ。
日本人にも中国のようなもの
の一部もある。という侮辱的
な贈り物。
437 :
フィクション大魔王:2014/12/05(金) 22:14:32.02
ブログ 「ひもろぎ逍遥」
http://lunabura.exblog.jp/ 「安曇磯良と神功皇后」
安曇磯良は各地で神人として祀られ、神楽でも舞われていますが、正史からはその名が消えています。
磯良は仲哀天皇と神功皇后の時代に安曇族の長として天皇家を支えた人物です。神功皇后は志賀島(元宮)で祭祀をして
磯良を招きますが、磯良はなかなか現れませんでした。が、皇后の誠意に触れて、その龍船の舵取りをしました。
三韓から凱旋後は風浪宮、大善寺玉垂宮、高良玉垂宮に足跡を残し、その名を変えながら今なお祀られ続けています。
和布刈神事もまた磯良の遺風を伝えるものです。のちに安曇族の一部は漂泊の民となって傀儡舞でこの物語を伝えました。
歴史講座では安曇磯良の半生を二回に分けて紹介します。
1月11日(日) 13:30〜15:00
場所 志賀公民館 福岡市東区志賀島736−60
駐車場 志賀公民館裏 漁協広場
久留米地名研究会講演で、綾杉るなさんと少話しが出来た。
講演参加を約束した。中年の暦女で、とても詳しい人だ。
438 :
日本@名無史さん:2014/12/06(土) 12:47:16.39
そういや、太宰府付近出土と推測される金メッキ製の王冠があるが、
好事家が保存していたもので、どこから出たかはわからないそうな。
そういう情報大事だね
金印を贈られているということは、超大国の証なんだよね
ナ国の奴、すごいな。
超大国→漢
大国→金印
滇が大国なのか疑問はあるけど、アレは楚の軍団が建ててた国だからか?
442 :
日本@名無史さん:2014/12/18(木) 14:08:10.12
>>270 現代の学者たちは、なぜ金印が志賀島から出土したのか?を説明する努力をしていないのでないか。
江戸時代の学者は
>>270のように、なんとか説明をつけようと試みたのに。
現状だと、金印とはそこにあるはずのない品、いわゆるオーパーツじゃないか。
そこで皆に説明してもらいたい。なぜ金印は志賀島から出土したのか?
考古学的知見からでも、あるいは思いっきり想像でもOK。すっきり説明して下さい。
作らせた奴が手を回した。これですっきり
444 :
日本@名無史さん:2014/12/18(木) 21:56:22.65
志賀島周辺をくまなく調査しても金印が出土したとされる遺跡の跡が見つからず
金印自体も損傷が少なく埋められていた形跡がない
糸島の細石神社には金印は細石神社の宝物であったが江戸時代に市中に流失したとの
言い伝えがあるそうで
金印は伊都国(委奴国)から伝わるものではないのかな。
445 :
日本@名無史さん:2014/12/18(木) 23:09:34.42
船が使えれば、志賀島は糸島の近所だからね。
金印に含まれる微量元素の分析はよっ
これで金の産地が特定できますわ
仮に近所であっても船を使ってまで志賀島に運ぶ理由が無いって話だろ
448 :
日本@名無史さん:2014/12/20(土) 23:42:48.86
糸島には周船寺って地名も残っていて(正確には福岡市だが)
いわゆる202号線沿いは海だったと言われている。
実際九大の南側は堤防壊せばいまでも海水が入ってきそうなくらい、
標高が低い。
また、糸島の高祖山は元寇の時の望楼が作られるくらい、
博多湾がよく見える場所。
つまり糸島は博多湾の入り口にある海上防衛の重要拠点である。
ここをつなぐ志賀島までのラインは、日常的に海上交通が
行われている可能性が高い。
449 :
日本@名無史さん:2014/12/21(日) 21:21:59.88
>>435 なるほど。碩学の御意見と拝察いたします。邪馬台国論争なるものが、
実にあやふやな物によって右往左往させられているのだなと思います。
450 :
日本@名無史さん:2014/12/21(日) 22:10:49.60
「漢委奴国王」
倭じゃなくて委だな
委は倭の減筆だとされてるが
音が同じである事が前提だから
「かんのいのなのこくおう」や「かんのいとこくおう」だな
というか、奴国王に与える印でわざわざ「倭」の文字を入れる物だろうか?
「漢奴国王」じゃ駄目なんだろうか。
452 :
日本@名無史さん:2014/12/21(日) 22:32:39.92
普通に考えて委奴が一つの単語だな
奴国のものですらなかったのか
「かんのわのなのこくおう」って読ませる問題が小学校か中学校のテストでてきた覚えがある。
大した根拠がなくても、そうやって広めてるんだろうな。
455 :
日本@名無史さん:2014/12/22(月) 23:43:36.04
こういうのを試験問題に出すのは非科学的だから止めるべきだね。
ついでに考古学に関する問題はほぼ全廃すべきだね。藤村某事件もあったし w
中国の史書に日本は金印、韓国は銅印と書いてあるんだよね?
漢委奴国王印も金印
親魏倭王の印も金印
百均の三文判みたいなものだよ。要するに象牙とかいって単なるプラみたいな。
滇王の印も金だったし、委奴国王の印も金
当時最高の技術を使って作られた物
銅印だからって馬鹿にしてはいけない、勿論金印の保持者より格下だが
>>457 いくら銅印だからって百均の三文判ってことはない
オークションに出したら5万ぐらいにはなる
460 :
日本@名無史さん:2015/01/22(木) 22:36:16.81
志賀島金印の兄弟印だと主張する人がいる「廣陵王璽」印も、実は遺跡から出た品でない。
色々な資料に「甘泉2号墳から出土した」などと粗雑に記述されているが、実は古墳から
100mくらい離れた煉瓦工場のゴミ捨て場から”発見”された品だ。
一体なんでそんなところから見つかったのかというと、
・墓泥棒が盗掘した際に出た土を捨てた場所だった
・発掘調査が行われた際に出た土を捨てた場所だった
などと、いかにも後付けの説明がなされているが、聞くからに疑わしい。
・・・という話が鈴木勉「漢委奴国王 金印・誕生時空論」に載っている。
この本には、「廣陵王璽」印発見者に取材した人の記事が紹介されていて興味深い。
461 :
日本@名無史さん:2015/01/22(木) 23:55:40.44
>>38 >中国人学者間での有力説は
→漢委なこくおう。「委」を使ったのは
他の冊封国と違い中国の風下ではあるが中華秩序の外に位置する独立した地域という認識の為だろうと
ふつうに考えたらそうだよね。
「かんのわのなこくおう」と読んでしまった日本の学者が超馬鹿だっただけっぽいね。
中国の学者は「かんいなこくおう」と読むわけね。
462 :
日本@名無史さん:2015/01/23(金) 00:01:07.24
中国人学者間での有力説は
漢(漢から)委(中華秩序の外に位置する独立した地域のため漢から委ねられた)奴国王
これが正解だろうね。
金淫
漢委(中華秩序の外に位置する独立した地域のため漢から委ねられた)奴国王
親魏(中華秩序の外に位置する独立した地域にある魏の友好国の)倭王
「委」や「親」をつけて中華との関係をあらわしたのだろう
委奴国→イヌ国説の方が好きだな
後の奴国と同じ国と考えなくてもいいんでないの
>>465 チョンってやっぱり悔しいのか
倭国が金印をもらってたってことは倭国は朝鮮の兄だったってことだからな
印が無くて悔しいから金印を偽造しました。完
日本人にも中国人にも偽造を主張してる人間は居ない
低レベルな戦後の老害やチョンだけ
>>468 馬鹿って羨ましいなあ、「自分が知らない」と「存在しない」をイコールで結んで
心の平静を保てるのだから。
遺物それ自体だけでなく、
発見日、発見場所も大事なのは、標本と同じだね
471 :
日本@名無史さん:2015/01/27(火) 02:25:13.85
求菩提山縁起には犬ヶ岳の表記を「威奴(イヌ)岳」て書いてるんだよな。
これ委奴国の名残りじゃないのかな。
求菩提山って昔はサノダケって言われてて神武の伝承が多いんだよな。
さらに縁起にはイヌの邪神を滅ぼしたのは神武だって書いてるんだよな。
委奴国滅ぼしたのが神武ならおもしろいねw
472 :
日本@名無史さん:2015/01/29(木) 22:21:59.03
金印の「奴」は、魏志倭人伝に登場する奴国と同じ国である
Yes?
or
No?
皆の考えはどっちだ?
473 :
日本@名無史さん:2015/01/29(木) 22:37:56.07
No
委奴国=倭国
奴国=倭国の中の1国邑
474 :
日本@名無史さん:2015/02/05(木) 20:51:45.54
No
委奴国=イヌ国
そのまま読んじゃおうぜ
>>474 君は自分自身に人並みの知能があると思っているかね?
それとも、足りないことは自覚しているかね?
基地外にレスはしたくないんだが、イヌ国説は橋川時雄の説だって知ってるかい。
あとは自分で調べなさい。
>>476 無知な自称専門家もいるだけのことだな。
478 :
日本@名無史さん:2015/02/06(金) 07:04:11.24
これ同一人物だろ
>>466 >>475 まさかとは思うがこいつ、イヌ=犬だと思い込んでいるとか、
そんなことはないよな?w
>>478 音韻の変化のような最低限の常識さえも欠損してるようなのに限ってよく言うという実例。
イヌ国の方がアイヌとかにも通じそうでいいかんじだけどなー
古代の奴はナだからその可能性わ無いよ
残念
484 :
日本@名無史さん:2015/02/14(土) 06:23:37.12
鈴木勉ってやつ、別に歴史の専門家でもなんでもなく自称金属工芸研究家(笑)なんだな
昔話題になったグラハムコックとかもそうだが、定説から大きく外れたトンデモ説ぶちかます奴ってほぼ例外なく専門外の自称~なんだよな
こういう奴の特徴としては、著書の中でトンデモ説を裏付ける怪しげな証拠をこれまた怪しげな自称~の研究者やらに証言させ、その説を否定する数々の証拠から目をそらし意図的に著書への記述を避ける
こうなると素人はあたかも学界ではそのトンデモ説が定説として扱われてるんだとコロッと騙されてしまう
この鈴木勉も小遣い稼ぎ&売名程度にやってるだけだから素人相手の歴史本は出しても、ガチの専門家から小突かれないために正式な場での論文発表はしない
485 :
日本@名無史さん:2015/02/14(土) 21:56:55.56
1)最後に「之印」も「章」も「璽」もつかずに「國王」で終わってる。こんな例はない
2)「漢」が頭についてる。属国ならつかないのが定例
3)「委」がもし「倭」の意味だとしてこの王が倭国全体の代表だすると「奴委王」というのが当時の定法
結論:これは偽造だなw
漢匈奴悪適尸逐王
はい、完全論破。
487 :
日本@名無史さん:2015/02/15(日) 01:39:31.88
完全じゃないな 「填王之印」はなぜ漢がつかないのか?
「ない」と断定した事柄や「定例」だと断定した事柄を論拠にしてるのだから
「ない」としたものが一例でも存在したり「定例」でないものが存在していた時点で
論拠が崩壊する=論破されたことになるよ
漢××だと風下でわあるけど格下でわ無いんじゃない?
悪適が部族名で尸逐王が官職
490 :
日本@名無史さん:2015/02/16(月) 23:14:23.24
「漢」が頭についてるのはあくまで「漢からみて」とか「漢との関係では」とか
の意味だから、むしろ完全なる属国にはつかない。
匈奴のように対等の相手に贈った印。
東京都知事や田中首相や天皇も金印や石印もらってたらしいな
492 :
湘南人:2015/03/05(木) 09:26:42.71
トンでも説といわれるのを承知で書く。
『漢委奴国王』は、かんのくまこくおう、と読む。
証拠の1つは、後漢地理志の『注』にある。
証拠の2つ目は韓国と、九州の地名にある。
興味を持ってくれる方があるなら、あとで少し詳しく書き込む意思はあります。
493 :
湘南人:2015/03/05(木) 09:27:50.63
トンでも説といわれるのを承知で書く。
『漢委奴国王』は、かんのくまこくおう、と読む。
証拠の1つは、後漢地理志の『注』にある。
証拠の2つ目は韓国と、九州の地名にある。
興味を持ってくれる方があるなら、あとで少し詳しく書き込む意思はあります。
なぜ世の連中は「奴」を「ナ」と読みたがるのか?
かつて江戸時代の国学者たちが金印の印影を見て「奴」と書いてあるのに気分を害した。
奴隷のド、奴婢のヌ。神国日本を奴隷奴婢扱いとはケシカラン、というわけだ。
本居宣長、賀茂真淵の「ワヌ」国説が主流になれなかったのは奴婢のヌ、奴僕のヌだったからだ。
亀井南冥の「ヤマト」国説、上田秋成、藤貞幹の「イト」国説というこじつけ臭い説も奴隷奴婢から離れたい意図の表れだ。
なにせ南冥は、金印を貰った垂仁天皇が印文に腹を立てて志賀島に捨てさせたのだと言っている。
江戸時代人のものの考えが分かる説だ。
その点、現代の定番・三宅米吉「ワノナ」国説は見事にヌでもドでもない読みが、富国強兵明治人の気運に合致して成功したのである。
・・・などと考えちゃう昨今さ。
495 :
湘南人:2015/03/05(木) 10:41:44.43
委は倭の略字、という先生が居られますが、逆です。
倭人の倭、に引きずられて、金印の正しい「委奴国」を記録する時に
「倭奴国」、としてしまい、そのまま代々書き写されて今に至ります。
次の患者さんどうぞ
497 :
湘南人:2015/03/05(木) 18:06:46.53
今は故人になられましたが、
インターネットの世界では尊敬されていた『伊作氏』のブログに、
ー何故九州に熊の付く地名とが多いのだろう?熊ばかりでなく、
球磨も、隈も,隅もクマとするとこうなる。ーという地図付きの1文があり、
当時はそのまま読み流していました。
後に朴柄植氏の本を呼んでいるとき、百済がまだ正式に立国する前、
勢力下に治めた土地に熊の地名をつけながら南下してきて、
いわゆる朝鮮半島の西半分を席巻し、二つに分かれて一方はウガヤ・
アラカヤに至り、一方は、光州を経て済州島にいたる、おそらくは、
それはA・D100年ごろか?という、半島内だけの記録を見つけました。
朴氏の記録と伊作氏の研究をつなげるとどうなるか?
伊作が尊敬されてたとかどこのパラレルワールドだよ
まず「委奴」の音価がどうやったら「クマ」になるのか説明してもらわないとw
500 :
湘南人:2015/03/06(金) 15:37:22.06
委奴をクマと読む理由;
1、 国生みの頃、及び、天孫降臨の頃、
熊襲と名乗る強大な国が既に南九州にあった。
その国は57年以降漢に朝貢して居たと思われる。
倭国の極南界にあり、狗奴国といい、呉の太白の後裔、
と自称している。
2、 後漢書地理志を見てください。
本文は紹介してくれる方が沢山いるが、
『注』まで説明してくれる人は少ない。
前漢地理志の29ページ、後ろから4行目。
如淳曰 如墨委面在帯方東南万里
臣讃(王偏)曰 倭是国名不謂用墨故謂之委奴
顔師古曰 如淳云如墨委面 蓋音倭字耳此音非也
倭音一戈反今猶有倭国魏略云倭在帯方東南大海中
依山鳥為国度海千里複有国皆倭種
説明は 次稿にて。
499です、もういいです、「委」字に「ク」音、「奴」字に「マ」音があるというのことを、説明してもらえそうにないのでw
てかそんな音ないしw
502 :
湘南人:2015/03/06(金) 22:22:39.97
中途半端だからここだけは説明させてください。
要するに、後代の人もよく読めなくなっていたために
後漢書の文中に細かい字で解説を入れています。
如淳氏は、まっ黒い委面の国が帯方東南万里にある。といい、
臣讃氏は、国の名前にマッ黒はつけないよ、これを委奴という。といい、
顔師古氏は、如淳氏の言う如墨委面の委の音はイ(ウエイ)には聞こえない。
倭音では、カ行です。(一戈反)
魏略で言う倭国は帯方の東南大海中・・・・・云々
以上どう解釈しますか。奴については他にもありますが、
嫌われたようなのでいずれ又。
504 :
日本@名無史さん:2015/03/06(金) 23:30:37.27
505 :
湘南人:2015/03/07(土) 00:35:37.58
≫503 さま ≫504さま
増村 宏氏の論文のご紹介、と、文のご注意、ありがとうございます。
以前、少し読ませていただいたことがあったのですが、、
自説と違うからまあいいや、とスルーしていました。
読み直してもう一度、検討いたします。
クマをシンボルとする委奴国のイメージを、如墨と言ったろう、という確信は持っているのですが。
ただし、臣讃の文の最後、故不謂之委也 は少なくとも也ではありません。
私は奴、と判読して論を立てましたが、これも検討させていただきます。
妄想をどう膨らませるのも勝手だが
一戈反はk子音じゃないし
奴の子音はmじゃない
バカなの?
507 :
湘南人:2015/03/07(土) 09:22:41.61
『一戈反」というのが『カ行』という意味の言葉です。
京都霊長類研究所
『AKIRA』という作品観たことないの?
研究?施設に隔離されいた人たち「夢を見た 夢を見た」
それとも日本の話ではなく「欧米(西洋)」の陰謀かな
ロシア ドイツ 英 米…まさかユダヤではないはず
510 :
日本@名無史さん:2015/03/07(土) 11:07:32.19
古代日本なら、ありそうだよ
中華に植えつけられた嘘の記憶や話(記録して残されている事しか信じない)
こういう神がいるんだよ、これは何々という神だよ
さかきばら事件?の犯人:僕の考えた何々神
なぎ・なみ夫妻神みたいな話でしょ、スサとか
511 :
日本@名無史さん:2015/03/07(土) 11:19:00.56
『エンジェルウォーズ』→『セーラームーン』
かぐや姫なんかもそう、どちかが模倣、中身がなにもない
大国主と兎、藤原氏?の話
512 :
湘南人:2015/03/07(土) 11:27:30.81
繰り返しになりますが、
『漢委奴国王』という金印があって、
皆、なかなか読めなくて、
カンノワノナノコクオウと読むのが今主流といわれていて、
ーーそこまではいいですか。
それは変だと思うものがいても良いでしょう。
古代の日本の国名に関わる、委という字はカ行で読むのだ、と、
解説する中国の学者がいて、(一戈反はカ行、という意味だから)
それを根拠にするのがどうして馬鹿ですか。
バカにつける薬は無いとはよく言ったもの
「一戈反はカ行」なんてこと言ってるのは中国の学者じゃなくておまえだけなんだよw
反切下字は韻母を表すものなのに声母に使ったらダメだろ
そんな反切の解釈をしている人が他にどこにいる
戈がkだというなら一はitなんだからキツにしかならない
で、奴がmになる根拠は無いのか?
自分でトンデモというくらいだからレス乞食なのかもしれないけど
あまりにもお粗末すぎる
514 :
日本@名無史さん:2015/03/07(土) 12:36:35.09
『モモタロウ』という漫画も同じ、
主人公に負ける勢力、あれが本来の主人公側なんだよ
そのまま、盗まれた神話を表現したもの
というわけだよ
ここは金印スレなんで古田の話はよそでやってよ