1 :
日本@名無史さん:2012/05/26(土) 20:20:13.09
土偶と埴輪は確かに違うものではあるけれど、でも同じ日本という国で生産された土を焼いた造形物であるという極めて大きな共通点を持つ
また、共に呪術的な意味を持った土人形として利用されたという用途も共通している
初期の埴輪は弥生時代に出現しているし、年代もほとんど離れていない
であるからには、何らかの形で土偶と埴輪の間には関係があると考えるのが妥当だよね
その辺りをネットで調べても、残念ながら「土偶と埴輪の違いは何か?」などという幼稚で低レベルな文章しか出てこない
ということで、真剣に土偶と埴輪の関係について語りましょう
2 :
日本@名無史さん:2012/05/26(土) 20:55:38.92
板違い
考古学板へいけ
3 :
日本@名無史さん:2012/05/26(土) 21:23:34.45
>>2 なんで?
確かにどっちに立てるべきか迷ったけど、三角縁神獣鏡のスレがあるんだから板違いではないと思うんだが
4 :
日本@名無史さん:2012/05/27(日) 01:40:06.96
面白そうな話題ではあるな
しかもですね、中大教授殺害事件の犯人の顔もハニワみたいな顔だった
6 :
日本@名無史さん:2012/05/27(日) 05:50:54.15
土偶と埴輪は、あきらかに違う。
どれぐらい違うかというと、銅鐸と銅鏡ぐらい違う。
土偶はアートだ
8 :
日本@名無史さん:2012/05/27(日) 21:46:25.22
確かに、関係性については全く語られてこなかったよな
語られてもおかしくない話題なのに
普通郵便切手200円の図柄も埴輪だったんですよ
郵政省が絡んでたってことか
11 :
日本@名無史さん:2012/05/30(水) 01:00:37.09
>>6 それくらいの差なら、明らかに文化的関係性があるじゃん
恐らく、埴輪が作られ始めた頃にはまだ土偶は忘れられていなかっただろうし
縄文土器は芸術品
13 :
日本@名無史さん:2012/05/30(水) 02:05:31.94
はにゃ
15 :
日本@名無史さん:2012/06/01(金) 10:57:51.22
土偶って一部破損してるのがほとんどらしいな
しかも故意に
生贄の代わりみたいなものなんだろうか
埴輪も殉死の代わりって側面があるらしいが
17 :
日本@名無史さん:2012/06/07(木) 09:59:12.78
>>15 というか、そのもの
土偶は土器で埴輪は土師器
土器と土師器に繋がりがある以上、土偶と埴輪にも繋がりがあると考えるのが妥当
>>16の言うように、用途も共通してるしね
18 :
日本@名無史さん:2012/06/07(木) 17:58:15.13
何の本で読んだか忘れたが、土偶は再生の儀式に用いる呪術人形で
遮光器土偶の腹が大きく縦線がはいっているのは、妊婦の死と新たな生(帝王切開)を表しているらしい。
つまり、古代はお産で死ぬ事が多かったため、代わりに人形の腹を割って埋めた。
同じ理由で腕や足が無いのは人形に病魔や悪霊を移すことで治癒させる治療の一種。降霊術、依代だね。
目が大きいのは、目はもともとが生の象徴。土偶の目が閉じてるのは、
依り代として妊婦の代わりに死んだ土偶が迷わず黄泉の国に行けるようになんだと。
目が開いてるとそこにとどまって、身代わりにされた恨みに強力な悪霊となり、村に祟りをなすと考えられていた。
人体を表す漢字に「月」がはいっているのは本当は「目」だったらしい。
月神信仰と結びつけられたのは意外に新しく、天文学が普及した明治ではないか。
共通するのはむしろ同じ日本ではなく、樫で作った人形をタールの沼に沈めたケルト民族だろう。
同じように足や手が意図的に削りとられている事が多い。
一方、埴輪は中国の庸が原型で、寄代ではなく大和民族の生前の再現と考えられる。
多くの埴輪は埋められず人の目につくところに配置されている。
ジオラマというか、古墳の上に往時を再現する事によって、これはどこどこの誰のお墓で
こんな立派な兵隊や家を持っていたんですよという一種の墓碑というか、記録のようなものだったようだ。
豊穣や安産、厄よけや呪殺は藁人形やイヌの生き埋め・屠殺で行われ、イヌを丁寧に埋葬する土偶文化とは相入れない。
要するに、共通項はほぼ無いと言ってよいのではないか。
19 :
日本@名無史さん:2012/06/08(金) 11:50:37.70
埴輪はほとんどが赤土で作られている。赤という色にももちろん意味があったのだと思うが、
砂鉄は赤土から採取するから、
その際に余った大量の廃棄土を再利用したものだと言うのが本当ではないか。
20 :
日本@名無史さん:2012/06/09(土) 00:30:15.45
土偶って依り代とか専ら呪術的意味合いで作られて使われたものだったんだね
21 :
日本@名無史さん:2012/06/09(土) 00:58:16.58
土偶はすべて妊婦なんだな、これが
22 :
日本@名無史さん:2012/06/09(土) 10:31:50.20
>>18 じゃあ、貴方からしたら
>>1で挙げたような土偶と埴輪の共通点は繋がりがあるからではなく偶然によるものって認識なの?
>>21 男の土偶とか動物の土偶もあるけど
23 :
日本@名無史さん:2012/06/09(土) 12:46:42.12
このスレは興味深い
24 :
日本@名無史さん:2012/06/09(土) 14:05:32.68
>>22 土偶は恐らく、黒龍江辺りからバイカル文化センターに至る北方狩猟民の骨偶がルーツ。
骨偶はマンモスやアザラシ、トナカイの骨を削って顔や人形にしたもので最古のものは5万年前をゆうに超える。
対して埴輪は3世紀頃のものが最古で、まず、年代が違う。
出土地域も埴輪が主に西、土偶が東と奇麗に分かれている。
おそらく、日本もバイカルと同じ文化圏の民族が住んでいて骨偶を作っていた。
しかし乾燥し寒冷なシベリアと違って、
湿度が高く温暖な日本では骨の人形は土に還ってしまい、残らなかったのではないか。
やがて2万年前に土器が発明され、土で作られるようになった偶だけが現在にまで残っていると考えることもできる。
ちなみに日本最古の土偶は「馬」であるとされ、一般的にはその頃日本には馬がいないとされてるから
その点でも非常に興味深い。
ただ、骨偶と土偶がにてるのは土偶の初期の頃までで、
晩期の土偶は明らかに埴輪や彩文土器の造形を意識しているように見える。
25 :
日本@名無史さん:2012/07/02(月) 15:42:25.15
>>24 呪術的な意味合いの具体的内容は文化の違いに比例して違ってたにしろ、埴輪という概念を発明するに当たって共通点の多い土偶が参考にされた可能性は無いの?
例えば、ヒエログリフはメソポタミアから文字という概念が伝わったから作られた訳じゃん
ヒエログリフと楔型文字の間に具体的な相関関係は全く無いけど、でも楔型文字が無ければヒエログリフは無かった
土偶と埴輪の関係も、それと同じだと思うんだよ
骨偶から土偶に発展し、土偶という呪術的土人形の概念を元に埴輪が発明された
そう考えるのが自然だと個人的には思うんだけど
人型の物を作るのはタブーだったんだよね
27 :
日本@名無史さん:2012/07/11(水) 15:17:12.75
>>25 >土偶という呪術的土人形の概念を元に埴輪が発明された
それが行われたとすれば、それは日本ではないだろうね。
埴輪の埴は赤土という意味で、つまり、それ以外の土を使った物は埴輪じゃない。
ならば赤土で初めて人形を作ったのは誰か、というと旧約聖書のヤハウェなんだよね。
アダムの語源はアダマで、赤土の事なんだよ。
日本にヘブライ文化の痕跡が広く残るのは周知。
埴輪を作る職人の土師は秦氏の一族で、
秦氏は日ユ同祖論でユダヤの一支族だとされてるし、何らかの関係はあるのかもしれないな。
28 :
日本@名無史さん:2012/07/11(水) 18:54:57.68
埴輪の起源については日本書紀に
従来大王が死ぬと仕えていた人間や愛馬などを墳墓の周囲に生き埋めにしてあの世のお供としていた
しかしあまりに残虐だということで土で作った人や馬でこれに代えたという記述がある
だけど土偶の起源は書かれてないね
というか土偶のことは一切書かれてない
これネタじゃないけど、大阪から東京に転じて…
(さらに東京から千葉へ転居した)
こっちの、特に、千葉・茨城辺りに土偶体型の女性が多くて
「土偶は妊婦」とは限らないような気がする。
大阪に肥満女性人口が、少ない訳じゃないと思うけど遭遇す
る頻度がかなり違うし体型もちょっと違うような。
千葉で会ったうちの一人は両親ともに沖縄出で、一人は奄美
の徳之島出身でしたが。
そんな人たちは、単に肥満つうより土偶と同様に手足が短く
、そして短身と言う共通点があります。
茨城の一家で典型的な3人の成人女性がいましたが、身長は
それぞれ140cm台 で顔も遮光器土偶とそっくりで…。
偏見かな、やっぱり。
30 :
日本@名無史さん:2012/07/12(木) 14:07:31.10
31 :
日本@名無史さん:2012/07/12(木) 14:24:27.46
>>30 ありがとう
件の、親が沖縄出身の女性は上げてくれた画像と似た体型です。
茨城の3人は、妊娠してなかったけど妊婦に見えた(失礼)ん
です。
デザインするのに、ディフォルメしたのか、写実的に意識し
たのか…ちょっと興味があったんで。
どっちも有り得るか…。
32 :
日本@名無史さん:2012/10/30(火) 12:59:14.34
土蜘蛛が作っていた土人形は、土偶だろうか埴輪だろうか?
『肥前国風土記』
佐嘉郡郷六所 里十九 駅一所 寺一所。
昔者、樟の木一株、此の村に生ひたり。幹と技秀高く、茎も繁茂れり。
朝日の影には杵島郡の蒲川山を蔽ひ、暮日の影には養父郡の草横山を蔽へり、
日本武尊の巡幸したまいし時、樟の茂りたるを御覧して日りたまわく、此の国は栄国と謂うべしと曰りたまいき。
因りて栄郡(さかえのこおり)と曰う。後に改めて佐嘉郡と号う。
一は云う。郡の西に川あり。名を佐嘉川と曰う。年魚あり。
其の源は北の山より出で、南に流れて海に入る。
山の川上に荒ぶる神有り。往来の人、半ば生き半殺にき。
ここに県主らが祖大荒田、占問いき。時に土蜘妹の大山田女、狭山田女といふものあり。
二の女子の云へらく、下田村の土を取りて、人形、馬形を作りて此の神を祭祀らば、
必ず応へ和むことあらむとまをしき、即ちそのことばのままに、此の神を祭りしに、神此の祭を受けて、ついに応へ和みき。
ここに大荒田云へらく、此の婦はかく実に賢しき女なり。故れ賢女を以て国の名と為むと欲うといいて、
因りて賢女郡(さかしめのごおり)と日う。今佐嘉郡と謂うは訛れるなり。
33 :
日本@名無史さん:2012/10/30(火) 22:24:28.35
子供のおもちゃとかじゃないの
シラク元大統領の親日家ぶりの話で、よく土偶と埴輪の違いを説明できるといわれるけど、内容はあってるのかな。
実際、何が違うんだ?
時代?焼き方?
36 :
日本@名無史さん:2012/11/04(日) 17:35:16.15
土偶は埴輪より高温で焼かれている。
37 :
日本@名無史さん:2012/11/05(月) 00:17:59.29
埴輪の立案者である野見宿禰の実在はともかく、その子孫である土師氏は後の菅原氏。
土師は出雲の出であるというが、出雲風土記には一切の記述なし。
恐らく、大阪近辺に根を持つ陵墓造営技師集団の頭であったようだ。
前方後円墳が、大陸南方の円墳と北方の方墳をあわせた物である事を鑑みれば
土師氏の立ち位置が何となく見えてくる。
彼らは中国中原以北の、傭の概念を導入した渡来人だったのだろう。
野見が相撲の初代横綱的立場である事からもそれは伺える。
傭の本場、秦は相撲の本場でもあり、明末期までむしろ日本よりも相撲が盛んであったのだ。
その生い立ちから、埴輪制作はは明らかな男系の盛名誇示であり、支配者特権であった事が解る。
特権故に、一般の人間は制作は許されなかっただろうし、実際、諸処の文献にもそうある。
38 :
日本@名無史さん:2012/11/05(月) 00:30:41.16
一方の土偶は明らかなる産土神と豊穣祈願、
そして妊婦の加護を祈念した呪詛的な「形代」で、その起源は遥かに古い。
同じ場所からよく出土する男根石棒と違い、土偶は体の一部、
あるいは全部が意図的に破壊され埋められている。
この風習は「正月(冬至)や大晦日に人形を焼く』というケルトや南米の文化と同一の物だ。
南米が顕著であるように、日本でもこの風習の残る地域は女系、もしくは
女性の祭りが強く残っている地域である。
土偶は村の巫女が作っていただろう。形代は現代でも巫女が折り、信徒はそれを買い求める。
小規模・民間的で、権勢欲にまみれた大規模造営の一部である埴輪とは何一つ相容れない。
39 :
日本@名無史さん:2012/11/05(月) 00:39:52.17
埴輪の「はに」は赤土の事で、この土以外で作った物は埴輪とは呼ばれない。
赤土であることは重要な意味があった。
それは即ち、赤土は鉄を産する。
赤土はそれそのものが権力の証だったのだ。
,-‐8‐-、
d <ヽ-ノフ b
d o ̄o ̄o b
d o o o b
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/ 介 ヽ / 介 ヽ
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41 :
日本@名無史さん:2012/11/07(水) 17:41:45.67
>>39 埴輪の開始より、国内製鉄の開始のほうが遅いだろ…
42 :
土蜘蛛:2012/11/13(火) 01:55:35.74
われらは、土蜘蛛。断じて柳生にあらず!
ダメだ…凍える…
中大理工学部理工学科の高窪統教授を刺殺した山本竜太は埴輪みたいな顔をしていた