それでも邪馬台国は九州にあった14

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952日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:06:15.53
三国遺事は三国史記の100年もあとにかかれたものだ
三国史記は国が威信をかけて作ったもので
三国遺事は一人のお坊さんがちょっと怪しい話でもかまわず書いたものだよ
檀君神話には仏教の影響が強く感じられるしやっぱり仏教が伝わった後に作られた話でしょ
953日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:07:35.49
>>917

亀レスだが、伊都国が糸島の伊都国とすれば、
今現在一番人口が多い市街地は当時海なので、
千戸が妥当。
平原遺跡や細石神社あたりの集落だけなら、
今でも千戸くらいだったりしてな。

福岡が奴国だとして、その二万戸の半分なんて、とんでもない。


さらに、佐賀伊都国説だと、自分は小城を伊都国と推定するが、
それだと、千戸でやはり妥当だろう。
奴国を佐賀市から大和町(両方佐賀市だが)とする。
954日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:10:51.48
刀伊の入寇では高麗の支配が及ばない奴らが高麗に入り込んでた
こいつらが現在の朝鮮民族の前身だと思う
寄生して内部から食いつぶして乗っ取ったのだろう
955日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:25:33.49
さすが がめつい佐賀人w
956日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:28:25.44
放射読み、短里、一月は一日の誤り
でオケでしょ別に。

卑弥呼が居たのは吉野ヶ里近辺。
卑弥呼の後、倭の五王までのどこかで、都を朝倉へ移動した。
不弥国は宇佐。
投馬国は「つまこく」で、宮崎県西都原の妻。
狗奴国は熊襲、狗古智卑狗は菊池彦。

これでいいっしょ。
別に何も問題ない。
957日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:31:30.68
朝鮮半島に櫛文土器時代が現れるのが6000年前でしょ
この時点で朝鮮半島から満州シベリアにいたる大帝国があったっていうのは
さすがにひどい妄想としか言いようがないね
そのあと江南から水稲耕作が伝わるのが3000年前
朝鮮半島の北半分にはきし朝鮮や衛氏朝鮮といった漢人の作った国があったわけで
dnaの研究でも江南から来たと思われるdnaと華北から来たと思われるdnaが
8割に達しているわけで
櫛文土器を作っていた人たちのところに
大陸から人が来て住み着いて今の朝鮮人になっているってことでしょ
958日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:36:10.15
5〜6世紀くらいになると思うが、太宰府を本拠地とする倭国王が
大宰府と久留米(高良山)に時々本拠地を移している形跡があるんだな。

大陸との関係がきな臭くなってきた時に、退避していたのかもしれん。
959日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:40:01.36
>太宰府を本拠地とする倭国王
前提からして妄想マンマン
960日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:41:03.40
九州王朝説だ!
961日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:42:18.09
金印の倭国王帥升や天多利思比孤は筑紫の王だと思われ、
また中国側にも記録が残っているわけだが、

肥前、肥後を通る倭人伝の行程では、陳寿が別の国と気づかずに、
ごっちゃになってしまったということはないだろうか。

昔からの記録がある筑紫国旅行記と、倭人伝の肥国旅行記が
混ざってしまったとか。
962日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:45:42.91
>筑紫の王だと思われ
前提からして妄想マンマン
963日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:49:49.95
どっちにしてもですね
畿内説だと対馬と壱岐で2カ国松浦と伊都国と奴国とふみ国の北九州で4カ国
瀬戸内海に1カ国近畿で1カ国
残りの21カ国については大和と濃尾平野の間の琵琶湖の南辺りにあることになるけど
それじゃあんまりおかしいからごまかさざるを得ない
そして魏志倭人伝には連合国だとは一言も書いてないけど
東海地方に狗奴国連合があったということにしたいと
こういうことになるわけですよ
これをおかしいと思わないのはちょっとアレなんじゃないかな
964日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:53:40.13
>松浦と伊都国と奴国とふみ国の北九州で4カ国
前提からして妄想マンマン
965日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:57:46.26
伊都国は重要だよな。
郡使が往来するときつねにとどまるところとあるから、
これから放射読みの起点であることが分かるし、
一大率を置いて、邪馬台国へ入る物品の検査をやっていた
ことが銘記してあるから、邪馬台国が近畿とかありえない
ことも分かる。当然食物とかの検査もやっていただろうからな。
今で言う税関的な役割なんだから、伊都国から近畿じゃ
離れすぎ。近畿説はありえないことが分かる。
966日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:59:01.23
もうちょっと妄想ついでにいうと、

天皇に相当する天多利思比孤などの天子血統と、
白村江で出てきた筑紫君薩夜麻は別で、将軍に相当する、
実効部隊司令官にすぎない。

白村江で大敗北を喫して、筑紫君薩夜麻が捉えられると、
太宰府の天子は辞任、あるいは殺されて(斉明天皇のエピソード)

すでにある程度の勢力を誇っていた畿内勢力に権力が移行する。
天子の血統が畿内にも移動していたのかもしれない。

それであれば、同じ血を引く子孫ということで、大戦争を
起こさなくても権力の移行ができるというものである。
967日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:00:34.93
食物www
968日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:00:41.51
>>960
それでいいと思うよ。
倭の五王は、九州王朝説を取らないと、説明が全く不可能だからね。
969日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:01:00.26
倭の海人の本拠地は阿波周辺だろ、今更だけど。
九州王朝なんてのよりずっと可能性ある。
970日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:02:57.62
普通考えて分かる。3世紀に西日本全体を統括するような勢力の
存在はありえない。

なら、近畿説はあり得ない。
伊都国なんかに一大卒を置けるわけがないから。

近畿説って、バカが言う説w
971日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:04:17.72
記紀で国産みは淡路島からだと、はっきり言ってるしな。
九州は四国の後だよ。
972日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:05:25.67
一々妄想を指摘すんの面倒くさくなってきた
妄想の大量襲撃だーーー
973日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:05:40.02
>>971
本州は更にその後wwww
974日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:06:15.26
>>972
えらく簡単に敗北宣言だすのなw
975日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:06:49.64
元々九州説は妄想の積み重ねだしな、有り得ない話。
976日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:07:41.51
977日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:10:15.64
>>973
四国説が浮上して結果九州説は終了だよw
978日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:11:16.71
>>977
オマエだけで勝手に不浄しててくださいwww

>>970
たったこれだけで敗走するもんね畿内説ってw

歴博のモモソヒメ=卑弥呼もズタズタに反論されて
沈黙しちゃってる状態だし。
纒向から邪馬台国関連の出土なんてゼロだし。

勝負ありましたなw
979日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:11:44.16
四国がんばれ! 何かあったっけ? 墓? うどん?
980日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:13:08.85
九州の邪馬台国関連の出土おしえて〜www
981日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:14:59.54
定説に反旗を翻すオレって賢くてカッコイイーーー
これが本居宣長以来の九州説の伝統
982日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:16:55.13
>>981
そもそも定説でないwww

纒向が邪馬台国だと言っている学説など存在しないし、
モモソヒメ=卑弥呼に至っては、発表した直後に
これは学会の説とは関係ありませんとアナウンスされる始末ww
983日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:20:28.31
アホの頭のなかではマスコミが騒いだ=定説なんだろうな。
984日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:20:40.57
畿内説というかもう邪馬台国自体妄想の積み重ねだもん
諸国の王が共同で巫女さんを女王にしたとか
魏が特別に鏡を作ってくれたとかそれを配ることで権威を保っていたとか
すごい屁理屈だよ
985日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:21:33.64
九州歴史資料館に行って来ました。
出土物が大量に展示されていて、考古学の方に興味がある方なら、
九州国立博物館よりおすすめです。

出土資料の分類や分析を行なっているところを見ることもできます。

未処理の出土物がうんざりするほど並べられ、
積み上がっているのを見ることができました。

また、ここを建設する際に、弥生遺跡が出土したそうです。

以前と場所が変わっているので、
行く時には予め場所を確認しておくことを
おすすめします。
986日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:33:50.95
吉野ケ里から8世紀、9世紀の木簡が出てるんで、
3世紀以降吉野ヶ里が衰退したという説は、すごく疑問。
そこで役所機能をしてたってことだからね。

当時すでに肥前国庁が出来てるはずなんで、
かなりの部分を移管したんだろうけど、
形態を変えながらそれなりに続いてたんじゃないかね。
987日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:34:32.28
阿波には丹の山があるからな、それだけで九州説なんて終了だべw
邪馬台国は吉備や阿波から一団で畿内に入っただけの話。
988日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:36:03.28
九州説って妄想だらけだよね、って言って妄想を言う畿内説www
989日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:36:46.40
畿内説の最大の特徴は、自己紹介。
990日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:39:30.91
やっぱり九州説はアスペだw
991日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:41:13.11
自己紹介ご苦労さん
992日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:41:17.03
>>990

>>970

だから、自己紹介ばっかすんなってwww
それが反論になるかよクズwww
993日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:45:36.21
>3世紀に西日本全体を統括するような勢力の存在

これ主張してる説ってどの説???
994日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:47:04.83
>>970一発で敗走してしまうような畿内説なんてものが、正しいわけもなくwww
995日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:52:55.18
>>993
俺はそれを信じてるよ
方形周溝墓の分布から、同一文化圏がかなり広く存在してたとしか考えられない
996卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/09(土) 21:54:35.85
>>948
だからそのような、民族としての自尊心を失った朝鮮人に、民族の誇りを喚起させるために、
揆園史話や桓檀古記は書かれているわけだよ。

>>952
三国史記はたった一人の男が書いたもので、日本書紀のようなものではない。
また檀君神話には仏教の影響など見られないよ。

>>957
満州や朝鮮にわたって民族が住んでいたというだけで、別に国家としての名などはなかったのだよ。
だから妄想でも何でもない。日本にもその頃人は住んでいたが国家としての名はなかったのと同じことだ。

それに箕子朝鮮や衛氏朝鮮は遼東にあったのであって、半島北半分にあったのではないよ。
そんなことはちょっと歴史を調べればすぐに分かることなんだ。
997日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:55:38.80
>>993
そんなもん無いってのが、それこそ学会の定説ですwww
マスコミが言ったとかじゃなくてwwwww
998日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:56:12.17
方形周溝墓って九州のが古いよ?
999日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:57:31.38
銅鐸は、数は少なくなるものの、
九州から関東まで分布している。

多分、畿内勢力が広がる前は、うすくひろい文化圏があった。
支配、被支配の関係ではない文化が。
1000日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:57:52.74
>>998
でもここで問題にしてる時代には広く分布してるでしょ?
時系列を考えて欲しいんだが
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