♪邪馬台国ドンと来い♪113

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1卑弥呼
前スレ:♪邪馬台国ドンと来い♪112
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1330594441/

よし書きこめ
ビシッ       / ̄ ̄ ̄ ̄\
    / ̄\.(  人____)
   ,┤    ト|ミ/  ー○ ー ○ン
  | \_/  ヽ    (_ _) )
  |  __( ̄ |∴ノ  3 ノ
  |  ___)_ノ ヽ     ノ
  ヽ__) ノ    ))   ヽ
2日本@名無史さん:2012/03/19(月) 08:47:19.72
>>1 乙
3卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/19(月) 09:02:44.92
新羅本紀を途中まで読んだ。感想としては−

1 新羅は、西は百済、南は加耶と接していたようである。
  北は不明だが、楽浪、靺鞨、高句麗が侵入したという記事がしばしば見られる。
2 民族国家の中の一国家、あるいはどこにも所属していない国、あるいは所属不明の国は○○国と書かれているようである。
  たとえば貊国、金官国、倭国…など。加耶は加耶国と書かれている場合もある。
  倭国は、卑弥呼が使いを送ってきたという記事では、倭と書かれている。
3 加耶と倭国は別のようである。

新羅本紀を読む限りでは、倭国とは日本のことであるような気がするが、
著者がそのつもりで書いているかもしれないので何ともいえない。
あるいは半島南部に、加耶の中の一国として、あるいは加耶とは別の国として、倭国があった可能性もある。
4日本@名無史さん:2012/03/19(月) 09:41:00.39
後漢に朝貢した倭奴国=半島系の筑紫国、伊都国や奴国の前身
中国江南地方から東シナ海を渡って肥の国に上陸した一族=邪馬台国の前身
耕地に恵まれない邪馬台国はその鉱山技術、より高度な製鉄技術、冶金技術+鬼道をもって
一気に有明海沿岸、阿蘇、伊都国連合をも含む北部九州を席巻、一大率を置き諸国を検察
薩摩大隅の狗奴国をも支配下に置こうと画策するも苦戦、魏への朝貢はこの頃
狗奴国は天草島(投馬国?)から侵攻を始め一気に肥の国を蹂躙、夜須川(天の安河?)まで進出
邪馬台国の王族は逃亡し日田から山国川あるいは駅館川をさかのぼって宇佐に落ち着くも小規模勢力に
4世紀はじまり前後(?)朝鮮半島南部(高天原?)の騒乱の影響で多羅からやってきた一団(タラシ系の王族=景行天皇、神功皇后)が
八女、宇佐など北部九州を平定しようとするも地元豪族たちの抵抗に遭う
神夏磯姫と縁戚関係を結んでいにしえの邪馬台国の血筋を入れたタラシ系の王族(イザサワケ=応神天皇)は瀬戸内海を東進
吉備の勢力と手を結び河内に入り、後の大和朝廷の基礎をつくる
自分の家の近所にあり、小さい頃から目の前で見てきた大仙陵古墳の被葬者はこうして西からやってきた征服王なのではないか
自らの事跡を誇るために海から見えるあの場所に陵を造らせたのではないか

5日本@名無史さん:2012/03/19(月) 11:06:04.59
論争荒らしのテンプレコピペより

・違う話題がはじまっているのにしつこく蒸し返す→悔しかったのです。
・理詰めの反論ではなく人格攻撃をする→自分の意見に自信がないからです。
・相手を異常者認定する→ホントは自分も異常者ですが、そう言われないように先手を打っています。
・過去の事例をしつこく持ち出す→その時の当事者です。
・自分の意見をスレの総意だと主張しようとする→みんなは両方ウザがってます。
・自分で「スルー推奨」と書く→オマエがスルーしろよボケ。
6卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/19(月) 15:14:06.57
百済本紀を読んでいるのだが、これを見ても明らかに馬韓と百済は別である。
馬韓は百済の南にあったようだ。

前6年の百済の領土として、南の境は熊川だとある。そして後6年に、そこに熊川柵を作ったら、
馬韓の王が、領土侵犯だと文句を言った、という記事がある。

それと後9年に馬韓は滅亡した、とある。

一体どうなっているのだろう。魏志東夷伝に書かれている情報は時代遅れの情報ではないのか。
7日本@名無史さん:2012/03/19(月) 15:16:37.88
ヒント:伯済
8日本@名無史さん:2012/03/19(月) 15:28:40.48

640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー反日朝鮮人 磯智明(反日・天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

@『監査法人 (2008)』反体制・反社会

A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会

B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会


日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C ←よく痴漢やヤクで捕まるのはここの工作員


テレビが言えない民主党のスポンサー=韓国北朝鮮
あとはもうわかるよな
民主党は、朝鮮人だらけ。
野田はどうだろうか。韓国人の集いに出席し、韓国人暴力団から賄賂を貰っている野田は
9卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/19(月) 16:53:13.90
新羅本紀でも、61年に、馬韓の将軍が降伏した、という記事を最後に、馬韓の記事は途絶える。
馬韓は早くに滅亡していたのではないか。

陳寿の時代、半島の韓はすでに百済と新羅に変わっていたのに、
陳寿はそれを知らなかったのではないか。

卑弥呼の情報も、いかにも魏代のごとく書かれているが、
一時代前の情報であった可能性がある。
10日本@名無史さん:2012/03/19(月) 17:11:20.76
韓には三種あり、一に馬韓、二に辰韓、三に弁辰という。馬韓は西に在り、五十四カ国、その北に楽浪、南に倭と接する。辰韓は東に在り、十有二国、その北に?貊と接する。弁辰は辰韓の南に在り、また十有二国、その南はまた倭と接する。およそ七十八国、伯済はその一国である。
11卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/19(月) 18:44:49.44
>>10
新羅本紀や百済本紀を読む限り、百済と馬韓は明らかに別である。
しかもどちらも百済国とも馬韓国とも書かれていないから、複数の国々を包含する民族国家である。

百済は、馬韓の中の一国というような小国ではない。
始祖王の時代(前18〜後28)にすでに北はバイ(サンズイに貝)河、南は熊川、
西は大海、東は走壌という広大な領土を有していた。

学者は、新羅や百済の建国は実際はもっと後だろうと考えているようだが、
何を根拠にそんなことを考えているのか分らない。
三国史記の記述が疑わしいという根拠は何もないのである。

東夷伝に書かれていることは、おそらく、旧弊な情報である。
12日本@名無史さん:2012/03/19(月) 19:08:25.17
伯済 九州に在ったのか?
13日本@名無史さん:2012/03/19(月) 19:26:52.75
朝鮮くんは「ばいすい」が何処だと思っているのかな

「ばいすいは遼東にあり」 とかまた言い出したりするのかな?
14日本@名無史さん:2012/03/19(月) 19:31:24.02
日本列島の位置が今とは違っていたと
何度言ったらry
15日本@名無史さん:2012/03/19(月) 20:01:25.55
三国史記の成立年代知ったら、どっちが信用できるかっていったら後漢書だろww

新羅王家に残ってた史書もろもろから編纂したんだろうけど
百済に関しての文書も王家成立が確実になった4世紀以降に王家や民間伝承で残ってた話を
まとめたもんだろう

おそらく百済の前身となった国の説話を百済の建国神話として遡って書いたもの
アメリカがインディアンの建国神話をとりこむようなもん
16日本@名無史さん:2012/03/19(月) 20:27:45.50
朝鮮くんのごへんじまだかなあ?
17卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/19(月) 21:11:06.81
バイ水は鴨緑江。臨津江ではない。熊川は錦江。

後漢書は魏志のコピーだから意味がない。
18日本@名無史さん:2012/03/19(月) 21:16:31.65
浿水
19日本@名無史さん:2012/03/19(月) 21:35:57.00
>>17
浿水が鴨緑江だと、もまいの「遼東に楽浪あり」のはとりあえず取り下げなんだな

まあ浿水は鴨緑江でないとおもうけどさ
20日本@名無史さん:2012/03/19(月) 22:30:23.36
浿水河口に滿潘汗が位置する

現在の安州市が河口にある清川江が浿水で

その西側に鴨緑江のところまで広がっている地が「西方」「西邊」で

鴨緑江のところまで公称で2000里150kmほど (実距離でいうと100kmちょい)

平壌府も、現在の安州市で過去に西安平と呼ばれた地も、「西方」「西邊」も

まとめて「平安西道」に展開していた。

なお、西安平付近には高句麗王の「伊夷模更作新國 今日所在是也」

これはすなわち 小水貊のことであり、たぶんこれは百済ののルーツのではなかろうか

「西安平縣北有小水 南流入海 句麗別種依小水作國 因名之爲小水貊 出好弓 所謂貊弓是也」

21卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/19(月) 22:37:39.10
鴨緑江と長白山脈の北に楽浪郡と高句麗があった。

高句麗は遼東の東千里にあり、南は朝鮮濊貊と、東は沃沮と、北は夫餘と接す。丸都の下に都し…

丸都は現在の集安。南は浿水(鴨緑江)に臨み、好太王碑が立っている。
22日本@名無史さん:2012/03/19(月) 23:07:43.88
またまぬけなことゆうとるわ

集安から東千里が遼東だと

集安に向かって遼東がむだにわあぷしたとゆうことになるだけだろ

高句麗には縄張りとゆうものがあってだな

その縄張りの一番「遼東」=「襄平 」 【東夷校尉所居】に近いところからの数値が千里にきまるわ
23日本@名無史さん:2012/03/19(月) 23:27:04.59
魏晉のの行政区画とか調べてからにしたらええのに

『晉書』地理志上 平州

平州 案

禹貢冀州之域

於周為幽州界

漢屬右北平郡

後漢末 公孫度自號平州牧
及其子康 康子文懿並擅據遼東 東夷九種皆服事焉

魏置東夷校尉 居襄平 而分
 遼東(郡)
 昌黎(郡)
 玄菟(郡)
 帶方(郡)
 樂浪(郡) 五郡為平州
後還合為幽州
及文懿滅(238)後 有護東夷校尉 居襄平

咸寧二年(276)十月 分
 昌黎(郡)
 遼東(國)
 玄菟(郡)
 帶方(郡)
 樂浪(郡) 等郡國五置平州

統縣二十六、戸一萬八千一百 (18,100)
24日本@名無史さん:2012/03/20(火) 00:44:22.42
  .-、  _
  ヽ、メ、〉      r〜〜ー-、__      ________________
  ∠イ\)      ムヘ._     ノ      |
   ⊥_      ┣=レヘ、_ 了     | え−−い、纏向はいいっ!
-‐''「 _  ̄`' ┐  ム  _..-┴へ   <
  | |r、  ̄ ̄`l Uヽ レ⌒',    ヽ.   | 吉野ヶ里を映せっ! 九州説の戦い振りをっ!!
  (三  |`iー、  | ト、_ソ   }     ヽ   |
  | |`'ー、_ `'ー-‐'    .イ      `、   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | |   `ー、    ∠.-ヽ      ',
__l___l____ l`lー‐'´____l.       |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||  .|      |
               ||  |__.. -‐イ
               ||   |    ノ/
25卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/20(火) 08:33:26.41
>>22
>集安から東千里が遼東だと

俾彌孤がこんなに○○な男だとは思わなかった。>>21をよく読め。

高句麗は遼東の東千里にあり
26唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/03/20(火) 09:12:02.81
その十二國は辰王に属す。辰王は常に馬韓人を用いてこれを作(な)し、世世相繼ぐ。辰王は
(辰韓人が)自ら立ちて王となるを得ず。【魏略にいわく、明らかにそれ流移の人為(た)り、
ゆえに馬韓の制するところとなる。】

女系辰国は新羅 。
奈勿大聖神帝紀より抜粋 直訳。
2年の記事(378年・318年)
神の父親の類似(儒礼)は帝位にいアニハル敵神生んだわけで神は父としていなかった
し、神の祖父美醜(味邹)が帝位にいアニハル敵神の母親を生んだわけで神(外)おじ
いさんジラしなかったので、これが神が極めて円筒にここはバーです。 神の母親が淫
乱であることを好きで多くの夫を置いたわけで、神が類似の息子ではないといっても神
が十分に訴えることもできなかったが、神の容姿はこれまでにと大変似ている音はシン
フ(神后)についても、知っているところです。

今 与えられ(夫余、不耐濊)と高句麗(句丽)と中原(中原)のいくつかの国は、すべての人
を王とした理由で兵士が強く国は大きくなったが、わが国だけは一人の女性の 賃金を
重視してそのようなわけで、たとえ夫の王を立てた個人的な恋人に違いありませんので
国の威厳が大きく毀損されました。 幸いにも今のシンフがホドン(好童)太子の後継
者(国嗣)で指定したいという意味がありますので、かつて太子を立てるのが当たり前
であり、これにより南通(男统、 人王の系統 )を定めようとさ五です。
27唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/03/20(火) 09:31:31.12
奈勿大圣神帝纪ネムルデソンシンジェギ) @323年 7年(AD383)正月里子(水羊=癸未)
@三月夫余流民三十户又来降夫余与倭相通年年受其民散置都鄙倭臣熊彦美而善辩与阿尒相
通多听其言故国人异反或归于我亦归于丽
Aファシー(火豕=丁亥、AD387)
A禁买扶余女为妻先是小民无妻者多买扶余女子扶余怨之至是命禁之仍许加耶民相婚
Bファンシ(黄豕=己亥、AD399)黄豕正月以扶余降民分置南路择其有技者属于各典以通其才

❶3月扶余の流民30戸がまた来降してきた、扶余と倭は相通じており年々その民を受け入
れ、町や村に散置してきた。熊彦(千熊長彦)は美男で良く弁舌がたち民(与阿=子供)と
仲が良い。ゆえに国民はその言を聞き、高句麗や新羅に帰属した。
❷扶余人の嫁が不足するから、伽耶人が扶余の女との結婚を禁止する。
❸己亥年正月 扶余の降民を南路に分置し、技術者をその才能にあわせ各典に配属する。

千熊長彦は扶余人が伽耶などに移住した時代の人物である。その時期を韓国考古学は
4世紀に入ったあたりと認識しているから、千熊長彦は323年であり、AD383
にはなりえない。

http://members3.jcom.home.ne.jp/kofun2-hp/kankknkime2.htm
E4世紀以後、金官伽耶時代の木槨墓から中国系とは異なる北方農耕遊牧民文化の副葬品が出土する。
28唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/03/20(火) 09:45:19.70
四年 正月 行白龍祭 (320年)
4년(AD380) 정월 백룡(白龍=庚辰)제를 행하였다.
三月 夫余入貢 公兌等還京

登保角干薨 奈解帝孫也祖母曰 玉帽太后 父曰 仲解太子 母曰 登世宮主
助賁帝摩腹女也 其母冬禮 孫光女也 冬禮與月歌俾登戶 通而生也 公體鴻偉
有智略 與大西知公 長マ公爲柱國三公而護帝 故以太公禮葬之 年六十四
賜公妻翊皇三元等 年穀 三元以裙白之女 好淫 本爲公從叔 長宣之妻 而生長生
未幾與公私通 而生三生禮生等至是自以爲公正妻 居翊皇之上 人多憤之
ドングボ(登保)各間が死んだ.
内海制(奈解帝)の孫で祖母は玉貌(玉帽)太后で, お父さんは重くて(仲解)太子と言って, お母さんはドングセ(登世)弓奏で鳥糞(助賁)提議マボックニョ(摩腹女)だ.

>>26 の”神”とは登保のことであり、奈解帝の孫なのである。
つまり、320年をあてがうことはできるが、380年をあてがうことはできない。
新羅の女系も320年ころまでであり、このころには馬韓は衰退している。
29唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/03/20(火) 09:59:38.57
奈勿大圣神帝纪 を検討
323癸未・皇二四九己巳・7年(AD383)正月里子(水羊=癸未)剤を行った。千熊長彦
329己丑 ・皇915 乙亥五十五年。百濟肖古王薨。
338戊戌・皇二六四甲申・8年(AD384)正月牧神(木神=甲申)剤を行った。夫余谨须殂
枕流立其母阿尒执政遣千世吊之
338戊戌 ・皇924甲申 384 仇首王キュウシュ薨
345乙巳・皇二七一辛卯・白土(白兎=辛卯、AD391)年 十一月辰斯卒于狗原阿尔乃立阿
莘为君
事実は?
323年神功49年=奈勿大圣神帝纪7年(AD383)。60年の差がある。
338年神功64年=奈勿大圣神帝纪8年(AD384)。46年差ではあるが年の干支が
日本書紀と整合する。
日本書紀の編年は、奈勿大圣神帝纪を使用していない。
百済本紀は日本書紀より後で編纂されている。
近仇首王即位から腆支王即位までの時空は、百済本紀と日本書紀で大きな違いは無い。
ここから推論を下せば、
正しい奈勿大圣神帝纪に百済王家などを差し込んでいる。
そして、高句麗に占領された、占領百済の王朝が抜かれて編纂されたのが百済本紀である。
30日本@名無史さん:2012/03/20(火) 23:42:26.11
半島南部だけで七十八国だったということは、
三十数カ国の邪馬台連合はせいぜい筑前筑後肥前肥後程度の領域に広がっていたということだろうな。
31日本@名無史さん:2012/03/21(水) 01:59:43.17
三十数カ国が隣接しているとは限らないでしょう
32日本@名無史さん:2012/03/21(水) 07:00:15.77
三十数カ国が隣接していないとは限らないでしょう
33日本@名無史さん:2012/03/21(水) 12:45:11.47
色々な形態の国があると思うよ
農業立国や貿易立国や工業立国など
民族的な出自も違ったかもしれない
34日本@名無史さん:2012/03/21(水) 13:21:24.33
>>30
> 半島南部だけで七十八国だったということは、
> 三十数カ国の邪馬台連合はせいぜい筑前筑後肥前肥後程度の領域に広がっていたということだろうな。

そんなこと言ったら、戸数は馬韓50余国合わせて10万余戸しかないのに、邪馬台国、投馬国の2国だけで12万戸だ。
偏狭な北九州になんかには、絶対に納まらないだろがw
35日本@名無史さん:2012/03/21(水) 13:59:06.08
可処分所得を考えたら、大陸へ朝貢するくらいの費用捻出できるのは
10万戸くらいの生産力がある政権でないと無理
36卑弥呼の都は久留米:2012/03/21(水) 14:33:30.23
>>34
>戸数は馬韓50余国合わせて10万余戸しかないのに、邪馬台国、投馬国の2国だけで12万戸だ。
>偏狭な北九州になんかには、絶対に納まらないだろが

馬韓は50余国が城郭もないバラバラの非統一国家群。
絶対に納まらないのは偏狭な福岡平野のことである。

>>35
>可処分所得を考えたら、大陸へ朝貢するくらいの費用捻出できるのは
>10万戸くらいの生産力がある政権でないと無理

其の通り。
ほとんどが山間部海岸沿いの馬韓より遥かに温暖(冬季でも野菜が育つ)で、
且広大な白石平野、佐賀平野、北野平野、筑後平野には、15万戸以上の生産力がある。
37日本@名無史さん:2012/03/21(水) 14:52:18.50
馬韓は穀倉地帯だろう
帯方郡を置いたのも魏軍の兵糧調達の為だし
馬韓辰韓の族長どもと外交関係を結んだのも運脚として協力させる為だ
38日本@名無史さん:2012/03/21(水) 14:58:30.98
自分が知らないものはすべて間違いとか、キチガイの言い草だ。
3938:2012/03/21(水) 14:59:44.74
失礼、誤爆した。。。
40卑弥呼の都は久留米:2012/03/21(水) 16:43:50.76
>>37
>馬韓は穀倉地帯だろう

3世紀の馬韓では未だ穀倉地帯になっていない。

「馬韓在西。其民土著、種植、知蠶桑、作緜布。散在山海間、無城郭」
馬韓は山海間に散在して居住している。
故に、人は集中して住んでいないの城郭もない。
国としてまとまっていないので帥はいるが王はいない。
人口は平均1800戸/國。(数千家/國〜1万家/國)

馬韓の地には、山海間に散在して居住しているので、穀倉となれるまとまった平野がないことがわかる。
又、農業は畑作で稲作に比べ生産性は低い。

馬韓の平野は低湿地で穀倉ではなかった。
馬韓の平野が、現在の様な穀倉平野となれたのは、
日本が農地開発した20世紀にはいってからである。


> 馬韓辰韓の族長どもと外交関係を結んだのも運脚として協力させる為だ

弁韓には城郭があり王がいるから、馬韓のような帯方郡の支配下には入っていない。
辰韓人には弁韓人の王がいる。
以上から、弁辰では馬韓のような帯方郡の支配下にはいっていない。

>>38-39
誤爆ではない。>>38の言い分は間違いではない。
41日本@名無史さん:2012/03/21(水) 20:03:42.09
妄想おじいさん
42日本@名無史さん:2012/03/21(水) 23:42:54.36
奴国も金印もらってるじゃん
北九州だけで十分だよ
43日本@名無史さん:2012/03/22(木) 14:12:02.51
>>42
大正解
44日本@名無史さん:2012/03/22(木) 19:09:45.59
紀元前後には列島にはかなりの国家が成り立っていたと思うが
45日本@名無史さん:2012/03/22(木) 19:54:32.35
今回のスレは久留米臭くて嫌だな・・・
46日本@名無史さん:2012/03/22(木) 20:40:18.95
     _______                     __
    // ̄~`i ゝ                    `l |
    / /        ,______   ,_____    ________  | |  ____ TM
   | |     ___ // ̄ヽヽ // ̄ヽヽ (( ̄))   | | // ̄_>>
   \ヽ、   |l | |    | | | |    | |  ``( (.  .| | | | ~~
      `、二===-'  ` ===' '  ` ===' '  // ̄ヽヽ |__ゝ ヽ二=''
                         ヽヽ___//   日本
         ______________  __
         |街宣車の正体  朝鮮人工作員     .| |検索|←をクリック!!


テレビが言えない民主党のスポンサー=韓国北朝鮮
あとはもうわかるよな

47唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/03/22(木) 23:06:06.76
>紀元前後には列島にはかなりの国家が成り立っていたと思うが

邑長ぐらいの実力はあったかも?
48日本@名無史さん:2012/03/23(金) 11:07:04.22
国家という概念も無い時代に
国家という幻想に縛られて生きていたとは思えない
49日本@名無史さん:2012/03/23(金) 11:48:14.79
じゃあ、村落共同体からより広域統治をする機構、権力への帰属意識の芽生えがあった、でどうですか
50日本@名無史さん:2012/03/23(金) 13:03:20.39
>>49
それが国家という概念だろ
数世紀前に生まれた国民意識ってやつじゃないか
51日本@名無史さん:2012/03/23(金) 14:02:56.17
ええ・・・
国民国家と国を勘違いしてないすか?
52日本@名無史さん:2012/03/23(金) 14:59:23.70
逆に国家って何?
53日本@名無史さん:2012/03/23(金) 15:53:44.50
だから、あれじゃね?
国土と国民が決められていて
国家は国民全員の意志を代表する政府によって運営されていると
国民全員が共通の認識をもっているような国家のことじゃね?
54日本@名無史さん:2012/03/23(金) 20:57:03.74
人類の歴史からすれば二千年前なんて瞬きする時間くらいの昔の話。
現代人と然程違わない感覚を持っていたであろう。
当然、国家という概念もあった。
野蛮人の時代だったというのは現代人の傲慢。
考古学的に資料が明らかになるとともにその事実も明らかになっていってる。

55日本@名無史さん:2012/03/23(金) 21:20:25.42
まあ、国民国家概念の創出はヨーロッパの歴史の変遷上、自分たちの発展段階の優位性を示すモニュメント的
なものでもありますから、進歩史観という前提をおきたい人にとっては国際世界上避けられない言葉なんですよ
56日本@名無史さん:2012/03/23(金) 21:29:07.87
日本で農耕社会に入ったのは、最近では
遅くとも4000年前という説が強くなってきている。
つまり、卑弥呼のいた時代は、日本で農耕が始まってから
少なくとも2000年経過していたことになる。

一昔前だと、日本での農耕に入ったのは
2300年ぐらい前という説があって、
その場合は卑弥呼のいた時代は農耕が始まって500年ほどしか経過していない
とされてきた。

そのように考えると、最近の遅くとも4000年前に農耕が始まっていた説で行くと
卑弥呼の時代に対する解釈も大きな変更が出てくる。

卑弥呼の時代の生活というのは、江戸時代末期に比べると
文字で記録することが公でないくらいの違いで
さほど大差がなかったことになる。
57日本@名無史さん:2012/03/23(金) 21:39:28.21
たしかに水稲の痕跡がみられるのは4000年前だろうけど
水路を整備し、大規模な水田をつくって共同生活をするような集団は壱岐か対馬のbc500年前の遺跡が
はじめてなんじゃなかったか?つまり村落国家が成立しはじめたのが紀元前3世紀ごろだと思うのだが
58日本@名無史さん:2012/03/23(金) 22:33:53.09
登呂遺跡もけっこう整った灌漑式水田なんだよな
村落国家でなくても水田は出来る
59日本@名無史さん:2012/03/23(金) 22:35:21.63
登呂遺跡って弥生前期でしょ
青森にも弥生前期の水田の遺跡はあるよ
60日本@名無史さん:2012/03/23(金) 22:38:40.36
水田などで、集落が平地化したのが
弥生文化かな?
61日本@名無史さん:2012/03/23(金) 22:57:18.46
「稲作が日本に伝わった」って表現が、なんだかなぁ
もともと日本人がいて、技術を教わって、新化したかの様に聞こえる
実際は、稲作技術をもった人たちが移民して来たんだろ
より新しい農法とか、鉄器とか、騎馬とか、そのつど最新技術を持った人たちが移民してきて
つぎつぎ上書きされたんだよ、日本民族は
漢字だって、学んだんじゃなくて、持ち込んだ民族が政権を打ち立てて、記録を残したんだよ
漢字使う文明人からすれば、弥生人すら土蜘蛛なんじゃないかな
62日本@名無史さん:2012/03/23(金) 23:00:07.69
少なくとも方形周溝墓の時代に、それらの存在する地域を網羅した勢力があったことは確かなこと。
63日本@名無史さん:2012/03/23(金) 23:04:25.09
>それらの存在する地域を網羅した勢力
それが1つの民族だと考えないのかい?
方形周溝墓が流行った時期があったんじゃなくて、そういう墓を作る習慣の民族が、ある時期いたということ
64日本@名無史さん:2012/03/23(金) 23:04:29.04
>>61
でも、民族構成として弥生人勢力が自分たちの国を築いて、もともといた縄文人をぬっころしてって
感じじゃないらしいよ、どっちかっていうともともといた人たちの国にとりいって弥生文化が華ひらいたようです
65日本@名無史さん:2012/03/23(金) 23:12:56.94
>64
アメリカ大陸の西部開拓史でも、インディアンを全部ぬっ殺したわけじゃないよ
争いを交えつつ、強いほうがシェア増やして行った
縄文人は狩りが得意だから、弥生人に雉や鹿とかの肉や皮・骨・羽根を供給して、米と交換したかもしれない
でも全体としては次第に弥生人がシェアを増やして行った
66日本@名無史さん:2012/03/23(金) 23:16:53.77
水田稲作なんてそんなに簡単に北に拡がるもんじゃ無い基礎基盤無しでw
67日本@名無史さん:2012/03/23(金) 23:19:32.23
>66
移民がそう自由に土地を選べたかは解らんぞ
関東までAという民族が既に分布していたなら
そこにBという民族が入植するのは難しい
だから未開の北に伸びて行くしか無かったって事はあるかもだよ
68日本@名無史さん:2012/03/23(金) 23:31:03.48
>>65
いや、Y染色体遺伝子ってのは父親から受け継ぐ遺伝子で民族構成を把握するのにこれが
もちいられるんだけど、つまり、日本人は縄文系のD3遺伝子が20%近くも残ってて
九州においても江南系と思われるO2遺伝子と同程度含まれてるんだよ
たかだか二三百年の統治でアメリカや南アフリカなどは白人のY遺伝子が圧倒的優位になっている
少なくともアメリカや南アのような異民族が勝手にやってきてって感じではないことは
考古学では常識ですよ
69日本@名無史さん:2012/03/23(金) 23:39:14.78
>68
混血はしてるだろうさ
でも縄文系のD3遺伝子というのは、どうやって抽出したんだい?
純粋な縄文人はすでにいないのに
70日本@名無史さん:2012/03/23(金) 23:42:45.85
民族血統DNAなんて単品D系だけっつのはあり得ん。数種類のグループ構成の筈。アフリカ出のピュアな単品DNA集団なんて何処に在るの?中国が出す分子生物学データなんて特にYーD系に関しては強烈な嘘が在る可能性の方が高い。
71日本@名無史さん:2012/03/23(金) 23:54:25.30
>>69
一人のY染色体の中にD系とO系がまざってるんじゃなくて
人ひとりあたりDかOかどっちかだと思われ
つまり、父親をずっとたどれば縄文系ということになる
あくまでY染色体というのはたしか88だっけ?ぐらいの染色体の一つで
それが縄文系の形質のすべてを伝えるわけじゃない
民族構成や文化を見るうえで、おもに役立つと考えられている

あと、弥生人はそれほど一気に列島に入ってきていない
4000年ぐらい前からすこしずつすこしずつ列島に入ってきて混ざった
稲作によって人口は爆発的に増えたから
そのころまでには弥生系と縄文系が半々の村落共同体ができていないと
縄文系が20%も割合を占めるとは考えにくい
つまり、紀元前3世紀には新生日本人がすでにできあがっていた計算になるな
72日本@名無史さん:2012/03/24(土) 00:12:03.55
>71
我々の先祖は紀元前3世紀には出来あがっていたのか、なるほど
でも4000年掛けてすこしずつ入ってきた弥生人は、1つの民族とは限らないだろ
しかも、ポイント的に入ってきた地域もあるだろうし、列島内の民族分布は後世まで多様だったと思われ
73日本@名無史さん:2012/03/24(土) 00:25:41.01
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(反日・天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

@『監査法人 (2008)』反体制・反社会

A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会

B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会


日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C ←よく痴漢やヤクで捕まるのはここの工作員


テレビが言えない民主党のスポンサー=韓国北朝鮮
あとはもうわかるよな
民主党は、朝鮮人だらけ。
野田はどうだろうか。韓国人の集いに出席し、韓国人暴力団から賄賂を貰っている野田は

74日本@名無史さん:2012/03/24(土) 00:40:14.61
>>72
そうだと思う、現代のものだから、いつかは分からないが、漢人系も満洲モンゴル系も日本人の中には
入ってるし、色んな所から入ってるのはたしか
そもそもデータにしろどの程度の範囲でサンプルとったかも気になる所
75日本@名無史さん:2012/03/24(土) 01:02:49.03
漢人というのは人種ではないだろ
漢字を使う士大夫以上の者を大まかに指すのであって、出自はは多様
満州人やモンゴル人は民族と呼べるけど、彼らが中原に侵入して、漢人を科挙でとって政務に当たらせた
古代日本には日本人というのも居なかった
倭の大王が地方それぞれの君を束ねたのだ
76日本@名無史さん:2012/03/24(土) 07:26:04.86
>>75
そのへんの具体的なところはよくわからない
漢人系といわれるO3系と、いわゆるチンギスハーンがばらまいたといわれるC系がモンゴル高原以西に広く
分布していて、モンゴルより下らへんはO3系が増えて、また沿海州あたりの満洲系がまたC系の割合が
一番多かったりする、このへんの民族構成がいつつくられたのかは不明、ただおおざっぱに類推したのみ
実は鮮卑系はO3系だったのかもしれないし
漢人系もO2系で支配層がO3系だったのかもしれない。
ちなみに江南人のO2系は長江流域にはいなくて福建沿岸や、貴州にいるだけ
世界で唯一チベットが日本の縄文と同じD系統を多くの割合で保存している
77日本@名無史さん:2012/03/24(土) 09:23:03.80
日本列島に人間が住み始めたのはおよそ5万年前。ポリネシア・ミクロネシア・フィリピン・台湾・江南などから
海流に乗ってやって来た人達、カムチャッカ・沿海州から北海道・本州とやって来た人達、モンゴル・満州・朝鮮
半島から来た人達が個々に住みつき、やがて混血した。この混血人が原日本人だ。
その後も日本列島への流入は続き、平安時代まで続いた。今の現日本人には多民族の遺伝子が混ざっている。
そう言えば最近、ドナルド・キーン氏も日本人になり、鬼怒鳴門さんに成られたそうな。
78日本@名無史さん:2012/03/24(土) 11:10:52.35
>77
混ざるって意味がさ、ミックスジュースみたいに均質に混ざる感じでなくて、
ある地域にその民族が住み着いて、小国を立ててもいいわけだろ。
まつろわぬ民でなくてさ、朝廷にしたがって、国司の下向も受け入れて、文化や言語も受け入れて、穏便に定住って事もあったと思うよ。
7978:2012/03/24(土) 11:12:58.27
魏志倭人伝の倭国内30余国というのも、民族的に違ってもおかしくない。
ローマ帝国だって、中華帝国だって、民族的には多種多様だよ。
80日本@名無史さん:2012/03/24(土) 11:14:03.61
混血についてはブラジルとかのケースがけっこう参考になるんじゃないか
81日本海ルート論者:2012/03/24(土) 13:59:01.07
東征毛人五十國西服衆夷六十六國渡平海北九十五國(宋書)
倭王武の手紙からは小中華思想が読み取れるけど、実際は縄文人を母体とした混血によって日本人が形成されていったと思う(倭王武も例外ではないと自分は思う)。アイヌ語や琉球語は古倭語から派生した日本語の兄弟とも思うし。

とにかく遺伝子からの考察は面白いですね!楽しく読ませて貰ってます。
82唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/03/24(土) 14:47:49.97
崎谷によれば、華北の雑穀農耕を担ったヒト集団は、その後漢民族として拡大していく集団、すなわちY染色体O3亜型、特にO3a3cと関連する集団であるという。http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_2Ysennsyokutai_karamita_sosenn..html

このO3a3c(扶余)大量渡来が古墳中期の大型古墳を築いた。
この集団は、百舌鳥野=百残=百済と認識されていた。
8378:2012/03/24(土) 15:26:15.72
O3a3cの種は大陸でいつごろ繁殖(失礼だが適当な言葉が見つからない)したんでしょう?
84日本@名無史さん:2012/03/24(土) 15:50:46.08
>>81

     渡平海北
     九十五國  ←50余+24に加えて20國ほど(郡治下の諸縣?)
      ↑
諸華 ← 西服衆夷 → 東征毛人
     六十六國    五十國 ←「女王國東渡海 復有國」の
     --------
     ↑
 5世紀末のだと「使譯所通三十國」からかなり増えていますよ


倭王武の手紙からは小中華思想が読み取れるとしたら 

それは、あんたののおみそのつくりのせいかも
85唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/03/24(土) 16:05:28.68
1)まず本土日本人は東北アジア、とくに中国東北地方や朝鮮半島からの渡来弥生人の影響を
  強く受けている。
2)また沖縄の人々、アイヌの人々の先祖は、おそらく縄文時代には遺伝的にかなり近かった。
3)その後もアイヌ民族は縄文時代人の特徴をよく残してきた一方で、沖縄の人々には、弥生系
  とは異なる大陸系の新しい遺伝子の流入があったため、結果的には本土日本人や大陸側の
  集団と近縁になった。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08.html

先の貼り付けの2〜3ページ前の記述だ。
そこのグラフから見ると、韓国より中国東北地方の方が日本人に近いともいえる。
そうすると、やはり古墳時代中期直前には北方扶余などの大量渡来を考えなければならない。

86日本@名無史さん:2012/03/24(土) 16:14:04.58
>>84 ふろくのまめちしき

順帝昇明二年(478) 遣使上表したのので 「奄喪父兄」で

使持節 都督 倭 新羅 任那 加羅 秦韓 慕韓 六國諸軍事 安東大將軍 倭王武

のとおちゃんとにいちゃんは460年代から470年代にかけていずれも戦死しているんよね

○ 濟死 世子興遣使貢獻    世祖大明六年(462) 直近

○ 興死 弟武立          順帝昇明二年(478) 直近

この時のメインの相仇のひとは 高句麗 長寿王 高l (在位413-491)

414年に広開土王碑建てたり、475年に百済の蓋鹵王余慶のこと殺してくれたひとだよ
87日本@名無史さん:2012/03/24(土) 16:43:29.53
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(反日・天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

@『監査法人 (2008)』反体制・反社会

A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会

B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会


日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C ←よく痴漢やヤクで捕まるのはここの工作員


テレビが言えない民主党のスポンサー=韓国北朝鮮
あとはもうわかるよな
民主党は、朝鮮人だらけ。
野田はどうだろうか。韓国人の集いに出席し、韓国人暴力団から賄賂を貰っている野田は


88日本海ルート論者:2012/03/24(土) 22:58:48.79
>>84 ご高論痛み入ります。

毛人、衆夷との表現。これは小中華思想と言えるかと思います。
また、ご指摘の通り、毛人は倭人伝の「復有國」にあたる人々も含まれると思います。つまり、倭人伝当時において後世のアイヌも「皆倭種」であったと考えています。

>5世紀末のだと「使譯所通三十國」からかなり増えていますよ

魏志の韓伝の「國」の解釈に沿えば、その程度になるのではないかと思います。弁辰の雑居の件と近い表現にするなら、宋時代の倭国には、その程度の「ムラ」があったでしょう。
勿論、ムラと都市国家を同一視するのは行き過ぎですが、そういう外交手段を取ることが益になると判断したのでしょうね。統一国家としての箔にもなるし。
一転して、魏志の倭人伝にある國は、記述から察するに、領域国家が存在していたと考えます。つまり、國の数の上では三韓の方が多いけど、面積では卑弥呼連合の方が大きい可能性があるということです。

とまあ、こういう話はいつでも出来るので、今は遺伝子の話が聞きたいのですが…
89日本@名無史さん:2012/03/24(土) 23:08:02.34
伊作は死んだか?
90日本@名無史さん:2012/03/24(土) 23:18:55.99
伊作以外にもかなりの人数のコテが死んだと思うがw
91日本@名無史さん:2012/03/24(土) 23:25:58.76
そのうち新説を携えて戻ってくる奴もいるだろ。
92日本@名無史さん:2012/03/24(土) 23:28:47.66
アク禁か?
93日本@名無史さん:2012/03/24(土) 23:31:20.38
みんな他スレには書いてるよ。
94日本@名無史さん:2012/03/24(土) 23:32:53.78
>>93
ふーん サンキュ
95日本@名無史さん:2012/03/24(土) 23:53:42.34
>>88
陳壽さんの作文読み込んでゆくと諸華の人のくせに謙虚なのでちと違和感です

中華思想とゆうのはある意味で劣等感の裏返しとゆう構図のもあるっぽいしさ

出来上がって本格化していくのも、プレ范曄 アフター陳壽とゆうふいんきなのかもね

玉垂の仲間のの物部連(つら)のの倭王武においいては漢文の作文えろ上手ですねえ

自身は東夷の代表者の一人のつもりで作文しちゃってますよ

自身のことを東夷の代表者とするのは「小中華思想」とはとてものこといえませんですよ

本家の「中華思想」ベースので居座って誇りを持って「東夷」の履歴騙ったりしていますよ

それが昂じては「東夷」えろい 現「諸華」ののぽまいらは「もと賽外民のの子孫」でしょ

となると「哆唎思北孤」のの段階ね

ここまでくると、いぢけた「小中華思想」発症の直前だわね
96日本@名無史さん:2012/03/24(土) 23:55:06.80
のの、って何だ?
97日本@名無史さん:2012/03/25(日) 00:02:50.69
>>84
倭王武の上奏文は、基本的に中国皇帝に対して朝貢しているには変わりがない。
自分のことを、あなたの臣下だと宣言しているわけだから。
また、そうしないと、半島での軍事指揮官の地位に任命してもらえない。
中国の皇帝にとっては、朝鮮半島は自分たちの領土だった失地なので、
そこの軍事史記を認める人物は、自分の臣下でないと認めないわけで。

しかしながら、倭王武にもプライドがあって、
なかなか、中国の皇帝が認めようとしなかったから
自分で無断で勝手になのって、自らの領域を天下と名乗ったりしている。
そういう意味で、小中華思想の走りと言えなくもない。
98日本@名無史さん:2012/03/25(日) 00:14:05.39
「自らの領域を天下と名乗ったりしている」とゆうのは初耳だけど

「天率」名乗るくらいだから「天下」とかは日常用語みたいなものかw

「日下」の「ひのもと」とか「日本」とかのもね

くろだぶしにもでてきたりするけどさ
99おまけ:2012/03/25(日) 00:15:37.35
「封國偏遠 作藩于外 自昔祖禰躬擐甲冑 跋渉山川 不遑寧處
東征毛人五十五國 西服衆夷六十六國 渡平海北九十五國
王道融泰 廓土遐畿 累葉朝宗 不愆于歳
臣雖下愚 忝胤先緒 驅率所統 歸崇天極 道逕百濟 裝治船舫

而句驪無道 圖欲見呑 掠抄邊隷 虔劉不已 毎致稽滯 以失良風 雖曰進路 或通或不
臣亡考濟 實忿寇讎 壅塞天路 控弦百萬 義聲感激 方欲大擧 奄喪父兄 使垂成之功 不獲一簣
居在諒闇 不動兵甲 是以偃息未捷 至今欲練甲治兵
申父兄之志 義士虎賁 文武效功 白刃交前 亦所不顧

若以帝徳覆載 摧此彊敵 克靖方難 無替前功 竊自假開府義同三司 其餘咸假授 以勸忠節 」
100筑紫次郎:2012/03/25(日) 00:16:26.31
水行二十日水行十日陸行一月を
所要日数と判断して矛盾は無いと言う者もいるが、
それは間違った読み方をしているから。

正しい読み方をすれば必ず矛盾が生じる。
水行二十日水行十日陸行一月は所要日数ではなく
距離とは無関係な日数だと気付いてほしい。

南至投馬國
南至邪馬台國
で判る場所に投馬国、邪馬台国はある。
101日本@名無史さん:2012/03/25(日) 09:35:57.37
>>96
> のの、って何だ?

ジョーカーの”www”と同じで、文体による自己表現でしょ。
102日本@名無史さん:2012/03/25(日) 10:27:36.85
            気
         あ  を
         の  付
         民  け
      元  主  .ろ
      朝  党
      鮮  .員
      人
   圖 
  ∧_∧
 ( ´∀`)
 (  ○ )


280 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 12:26:01.31 ID:sGoAT50E
三年前ごみんすに投票した連中、今どんな気持ち?
287 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 12:27:00.18 ID:P8V2Yy+50
>>280
橋下様なら何とかしてくれるとお経上げてるよ。


09年の選挙では 民主なら誰でもよかった 
今度の選挙では 維新なら誰でもよかった
幾らB層でも流石にこうはならないな


103日本@名無史さん:2012/03/25(日) 23:12:34.76
無限尿って死んだの?
104日本@名無史さん:2012/03/25(日) 23:12:39.94
アイヌ語について何かあるかと思いきや、残念…

>>95さん
強調したいのは、宋の時代にして倭国が国際舞台に登場するだけの力と交渉術を持ったということ。そして、「これ以降」、蝦夷・隼人と言った、まつろわぬ人々を人種的に別種としていく思想が生まれていく、ということです。
それ以前は、人種どうこうなく基本縄文人ベースで受け入れ同化し続けていたと思います。(半島進出前)(回廊の底の日本=人種のるつぼに人が溜まって行く時期)

まあ、そういう意味でも、
九州説では余程国内で戦争の形跡がなければ倭の五王に間に合わないと思う訳です。
(畿内説日本海ルート論者より かしこ)

ps.
その一方、倭人伝の記述を全て鵜呑みにするなら、九州周旋説最強!となる罠…


105卑弥呼の都は久留米:2012/03/25(日) 23:39:22.98
みんな死んだのですか?
106日本@名無史さん:2012/03/25(日) 23:45:53.33
死んだよ
107日本@名無史さん:2012/03/26(月) 00:33:09.83
朝鮮人犯罪があまり報道されない、そしてテレビが日常的に嘘を吐く理由。

韓国文化放送(MBC) 〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F
フジテレビジョン 、、 〒137-8088 東京都港区台場2-4-8 

韓国聯合TVNEWS(YTN) 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6
TBSテレビ     、 、、 .〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6  ←オウムに坂本弁護士の自宅の住所を教えて殺させた犯罪幇助のテレビ局

大韓毎日   、、、、、、、、、、、、 〒108-0075 東京都港区港南2-3-13 4F
東京新聞(中日新聞社東京本社) 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13

京郷新聞  、、、、、、〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
(サンケイスポーツ、夕刊フジ、日本工業新聞社)

朝鮮日報   、、、  〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1-1 4F
毎日新聞東京本社 〒100-8051 東京都千代田区一ツ橋1-1-1

韓国日報  、、、、  〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F
読売新聞東京本社 〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1

東亜日報   、、、  〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2
朝日新聞東京本社 〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2(AFP、NYT)

日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C
108日本@名無史さん:2012/03/26(月) 14:52:26.31
狗邪韓國、七千餘里
對馬國、  千餘里
一大國、  千餘里
末廬國、  千餘里
伊都國、  五百里

其餘旁國 千五百里

「自郡至女王國、萬二千餘里」

伊都國〜奴國〜不彌國〜「其餘旁國」〜女王國
糸島〜吉武遺跡〜有田〜須玖岡本〜大宰府〜筑後川南岸

其餘旁國は、「次有」連続である。
109日本@名無史さん:2012/03/26(月) 18:07:40.39
でっていう…
110日本@名無史さん:2012/03/26(月) 21:21:17.75
どおん
111日本@名無史さん:2012/03/26(月) 22:37:11.71
>>108 面白味として。
自郡至女王國萬二千餘里(中略)
計其道里当在会稽東冶之東

之東を証明する為の萬二千餘里は、
南だけの距離では…と仮説。

乍南乍東7000(7000-α)
南渡海1000×3(3000)
東南500(500÷一夜一夜に人見頃≒353)
東南100(100÷一夜一夜に人見頃≒70)

韓在帶方之南東西以海爲限南與倭接方可四千里
南の上限は4000なのでαは3000以上。
112日本@名無史さん:2012/03/26(月) 22:52:23.06
>>111に追加。
編纂者の計算方法として渡海千里=水行10日?陸行500里=10日?
113日本@名無史さん:2012/03/26(月) 23:06:05.39
編纂者は換算なんて考えて無いに一票。
114日本@名無史さん:2012/03/26(月) 23:23:05.61
換算したかどうかは不明だが、換算したとすれば、
一月行=公里千里(435km)/6=短里千里(72.5km)=30日/6=実日数5日
115日本@名無史さん:2012/03/26(月) 23:30:41.71
どういう理論で日が短くなるんだよ。
里は必死に数字に合わせようとしてるのにさ。
一貫性が無いね。
116日本@名無史さん:2012/03/26(月) 23:30:47.75
目的地が初めに決まってるからね
117日本@名無史さん:2012/03/26(月) 23:42:43.02
里程も日数も1/6換算すれば、一切矛盾なく収まる。
ただし、放射式か連続式かまではしらん。
118日本@名無史さん:2012/03/26(月) 23:48:19.20
削除って人もいるしね
119日本@名無史さん:2012/03/27(火) 00:00:59.74
>>111
「萬二千餘里」は、ローガン説を支持。

 漢書の注に「帯方東南萬里」とある。
三国志には「自郡至女王國萬二千餘里。」と。
使者来倭以降の数字は「萬二千餘里」なので、漢書注にある萬里とは、
通交が始まる事による情報入手より以前の認識と判る。
しかしそれ以前の東夷は絶域。よってこの「萬里」とは修辞。
この修辞の萬里に通交により得た情報から、二千余里が付加されたものが三国志の記述。
二千余里(道のり約900km)が水陸行2ヶ月。
又、修辞の「博多辺りまで萬里」は 3渡海と韓地水行。
これを渡海各千里及び七千里水行という机上計算をした為、
韓地が方四千里という伸長された数字になった。
全ては机上計算に拠るもの。

120日本@名無史さん:2012/03/27(火) 00:04:36.37
>>119
>この修辞の萬里に通交により得た情報から、二千余里が付加されたものが三国志の記述。

 女王国は、伊都国から二千里相当で十分。
121日本@名無史さん:2012/03/27(火) 00:14:31.64
狗邪韓国まで七千里、
松浦まで三千里、
合計一万里

松浦以降、残りは二千余里
122卑弥呼の都は久留米:2012/03/27(火) 10:06:42.96
狗邪韓国まで水行七千里、
末盧國まで渡海三千里、
合計水行一万里
即ち、水行十日

末盧國以降、残りは陸行一月
即ち、陸行千里

不彌國まで陸行六百里
不彌國から邪馬壹國に入って陸行四百里
邪馬壹國の王(官)の居る城柵に到着

邪馬壹國の王(官)の居る城柵は女王の居る城柵とは別
別途計算すると、不彌國から邪馬壹國の女王が都する城柵までは二百里
123日本@名無史さん:2012/03/27(火) 11:59:20.24
何と出鱈目な計算だこと。
124卑弥呼の都は久留米:2012/03/27(火) 12:09:27.61
修正
× 邪馬壹國の王(官)の居る城柵に到着
○ 邪馬壹國の官伊支馬(旧自称王)の居る城柵に到着
125日本@名無史さん:2012/03/27(火) 14:01:57.87
むう、死んだように人が消えたな
126日本@名無史さん:2012/03/27(火) 16:42:54.33

テレビで
女性に人気の
とか言っているのを見て真に受けて買い求めに走る女とか見てると テレビっ言う宗教の信者なのかと思ってしまう


やらせA 就活中
(p)http://livedoor.blogimg.jp/jin115/imgs/3/1/31a6f8e6.jpg
やらせB 就職後
(p)http://livedoor.blogimg.jp/jin115/imgs/2/b/2b790359.jpg

世論調査もこんな感じで捏造してます
いい加減、目覚めなさい

日本という国は、そういう特権階級の人たちが、楽しく、幸せに暮らせるように、
あなたたち凡人が、安い給料で働き、高い税金を払うことで、成り立っているんです。
そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる?

今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。 

世の中のしくみや、不公平なんかに気づかず、
テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら、上司の言うことを大人しく聞いて、
戦争が始まったら、真っ先に危険な所に行って戦ってくれればいいの。
127日本@名無史さん:2012/03/27(火) 21:28:54.57
>>125

みんな、尿とそれに群がる蠅みたいな連中に辟易して、ここを見捨てたんだよ。
そいでもって尿も消えた。コテに見放されたのを悟って潮時と判断したんだろう。
で、残ったのがオイラ達、つまり蠅だけだw
128日本@名無史さん:2012/03/27(火) 21:32:41.99
【県文化財保護審:旧中尾家住宅主屋、牟田寄遺跡出土銅印、同遺跡出土卜骨の3件を県重文に /佐賀】

毎日新聞 3月27日(火)13時50分配信

県文化財保護審議会は26日、
旧中尾家住宅主屋(唐津市)▽牟田寄(むたより)遺跡出土銅印(佐賀市)▽同遺跡出土卜骨(ぼっこつ)(同)
−−の3件を新たに県重要文化財に、仁田埴輪(はにわ)窯跡(唐津市)を県史跡に指定するよう、県教委に答申した。

中略

銅印は平安時代前半の9〜10世紀のものとみられる私印で、3・4センチ四方、高さ4・3センチ。
印面の文字は判読できていない。
佐賀市兵庫町の牟田寄遺跡で95年度の発掘調査の際に出土した。
律令期の印としては県内唯一の出土例という。

卜骨も同遺跡から同時期に出土し、全8点。弥生時代後期後半〜古墳時代初頭の鹿やイノシシの骨だった。
骨を点状に焼き、ひびの形で吉凶を占ったとされ、九州本島では初の出土例。

後略
129日本@名無史さん:2012/03/27(火) 21:37:54.88
お初です

末盧国=唐津
  ↓
(東南・陸行・五百里)
伊都国=吉野ヶ里付近
  ↓           
(南・水行・十日+陸行・一月)
南・水行・十日=八代付近
八代付近から陸行一月=陸邪馬台国=日向方面3世紀半ばまで遡れる西都原生目川南のいずれか

伊都国から南・水行・二十日の投馬国は薩摩半島

出土品などは全無視、真摯に魏志倭人伝の文体のみから考察
まあ流してやってください
130日本@名無史さん:2012/03/27(火) 21:50:08.99
まあよくあるパターンかな
131日本@名無史さん:2012/03/27(火) 22:39:10.73
132日本@名無史さん:2012/03/27(火) 22:53:43.11
>>129
正解に近い。出土品などは自然についてくるよ。
倭人伝の行程は最後まで南のみ。西都原は少し不自然だ。
133日本@名無史さん:2012/03/27(火) 23:10:37.58
魏志倭人伝だとどーしても九州から出ないんだよなぁ
近畿説はどっからでてくるんだろう・・
急に「里」じゃなくて「水行」と言ってるのはまぁ確かに
ギザギザに瀬戸内でも通ってんのかなとも思わんでもないけれど。
でも昔の人が方角間違えるとも思えんし。そしたら帰れんし。
134日本@名無史さん:2012/03/27(火) 23:14:16.55
>近畿説はどっからでてくるんだろう・・
大和朝廷に対する信仰だよ
135日本@名無史さん:2012/03/27(火) 23:26:35.37
>>132
西都原の5世紀のものは九州が畿内勢力に組み込まれる過程あるいは後のものじゃないかと思っています
箸墓古墳の築造時期を3世紀半ばに早めて2分の1相似形云々は様々な理由から信じがたい
従来どおり4世紀はじめのものと思ってる
あまり話に上がりませんが気候も考えるべきかなと思います
弥生時代末期は温暖化の途上にあったものの現在より寒冷だったと考えられること
6世紀には温暖の極に達してそこまでの間に畿内が生産力で圧倒して組み込まれる過程があったように思ってます
136日本@名無史さん:2012/03/27(火) 23:49:14.72
温暖化云々なら、畿内よりは九州のほうが温かい。
福岡の玄界灘側はそれでも寒いけど、
有明海側はかなり温かい。

宮崎周辺はよく知らんが、
有明海側以上に温かいのではないか。

九州の生産力が落ちるのは、むしろ猛暑による
干ばつのほうが影響が大きい。
137日本@名無史さん:2012/03/27(火) 23:50:43.16
規模がでかいのでしか競えない首長がでかい墳墓築いてからに忠誠心表明したんだろな
138日本@名無史さん:2012/03/27(火) 23:54:28.98
>>133
方角を間違ってたら海峡渡って来れないし帰れないし
畿内説は当時の人を故意に舐めすぎ
139日本@名無史さん:2012/03/27(火) 23:57:59.61
むだに墳墓築かされてからに体力消耗させられた関西人の怨念が畿内説のエネルギー源なのかも
140日本@名無史さん:2012/03/28(水) 00:08:22.36
弥生時代の畿内は銅鐸しかないしな。
141日本@名無史さん:2012/03/28(水) 00:08:45.14
方角については
@政治的な理由であえて間違った方位を書いた
A著者の知見に合わせるため修正した
Bそもそも元となるレポートが間違っていた

色々説があるな
142日本@名無史さん:2012/03/28(水) 00:19:01.94
だが、どれもまともな説ではない。
143日本@名無史さん:2012/03/28(水) 00:22:13.00
畿内のは銅鐸鋳潰してからに

現世利益△人物画像鏡大量生産して

特産品で売却して

鉄と交換してもらったりしたのかな?
144日本@名無史さん:2012/03/28(水) 00:37:10.61
朝鮮人犯罪があまり報道されない理由、テレビ番組が息を吐くように嘘を付く理由

韓国文化放送(MBC) 〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F
フジテレビジョン 、、 〒137-8088 東京都港区台場2-4-8 

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145日本@名無史さん:2012/03/28(水) 01:14:16.54
>>111
漢書の注から萬里、加えて別情報から2000里(長里)か。有り得ますね。別資料の存在は否定できないし。

まあ、どうせ修辞だから、後は面白味。
>>111は、不彌国から4500里。水行陸行の速度2:1。
水行30日で3千里(43.56km/1日)、
陸行1月で1500里(約22km/1日)。
この理屈っぽさが根拠。
(水行速度が当時の晋の読者を納得させられるなら?)

>>116
完全に同意w
146日本@名無史さん:2012/03/28(水) 01:16:43.57
上のミス。>>119宛て
147日本@名無史さん:2012/03/28(水) 01:40:22.96
>>124
伊支馬は邪馬台国統治、卑弥呼は巫女として連合の旗振り。二重構造の統治で黒幕は伊支馬…

とかですか⁇

148日本@名無史さん:2012/03/28(水) 02:16:56.89
当時、畿内勢力と半島南部・九州勢力があって
どちらも独自の半島・大陸との交流ルートを持っていた
ただ距離的に九州の方がやはり魏と交流が深かったので
魏の人々は倭国=九州、つまり倭国王は卑弥呼だと認識した
狗奴国は九州に近い畿内勢力の一国?
149日本@名無史さん:2012/03/28(水) 04:51:02.93
邪馬台国=大陸系
狗奴国=南方系
150日本@名無史さん:2012/03/28(水) 08:21:38.90
普通、報告書には最新のニュースをかきます。ですから、諸国の官の名前は魏使が帰る時にいた官の名なのです。
魏使が帰る時には、邪馬台国の王は壱与なのです。
ですから、邪馬台国の官の伊支馬は壱与のことなのです。
壱与とは、倭王に即位してからの名前でしょうから、俗称が伊支馬なのです。
おそらく、イキマのイをとって壱与となずけたのでしょうね。
これが正解です。
151日本@名無史さん:2012/03/28(水) 08:51:51.68
どうすればここまで愚かになれるのか?
152日本@名無史さん:2012/03/28(水) 11:41:53.98
なったんじゃなく、もともとだろ。
153日本@名無史さん:2012/03/28(水) 19:46:59.20
>>108
>其餘旁國は、「次有」連続である。

翰苑
邪届伊都、傍連斯馬。 (傍らから、連らなっている)
154ああああああ人生:2012/03/28(水) 19:49:39.47
やまとこくと読まれていたかもしれない
155日本@名無史さん:2012/03/28(水) 20:52:53.51
当て字は漢字1文字で1音だから
邪馬台で3音には違いないだろう
156日本@名無史さん:2012/03/28(水) 21:08:11.66
支那人がそう聞き取ったというだけだから、原音を正確に反映してるとは限らない
157日本@名無史さん:2012/03/28(水) 21:29:38.60
漢字の意味を当てたのかも知れない
邪馬台=邪なる馬のいる丘 みたいな
158日本@名無史さん:2012/03/28(水) 22:47:46.66
馬=大じゃない?
159日本@名無史さん:2012/03/29(木) 00:31:41.38
ウマいねーし!
160日本@名無史さん:2012/03/29(木) 02:09:42.45
馬韓にはいたのかよ
161日本@名無史さん:2012/03/29(木) 03:44:07.76

     _______                     __
    // ̄~`i ゝ                    `l |
    / /        ,______   ,_____    ________  | |  ____ TM
   | |     ___ // ̄ヽヽ // ̄ヽヽ (( ̄))   | | // ̄_>>
   \ヽ、   |l | |    | | | |    | |  ``( (.  .| | | | ~~
      `、二===-'  ` ===' '  ` ===' '  // ̄ヽヽ |__ゝ ヽ二=''
                         ヽヽ___//   日本
         ______________  __
         |街宣車の正体  朝鮮人工作員     .| |検索|←をクリック!!


テレビが言えない民主党のスポンサー=韓国北朝鮮
あとはもうわかるよな
民主党は、朝鮮人だらけ。
野田はどうだろうか。韓国人の集いに出席し、韓国人暴力団から賄賂を貰っている野田は
162日本@名無史さん:2012/03/29(木) 05:36:06.93
邪馬台=ヤマタノオロチ
雉の鳴女(キジノナキメ)=躬臣国の難升米
五百木入彦(イホキイリヒコ)=已百支国王
興台産霊(ココトムスヒ)=好古都国王
五百箇御統玉(イホツミスマルノタマ)=已百支国産の宝玉
163日本@名無史さん:2012/03/29(木) 09:54:45.49
ふつうはオフザケでやってると思うだろ?
ところがマジだったりするから恐ろしいw
164日本@名無史さん:2012/03/30(金) 06:13:31.20
邪馬台じゃなくて、邪馬臺だから。
臺の字の意味は皇帝の住む場所。
165日本@名無史さん:2012/03/30(金) 09:57:15.54
ここも無職老人がみないなくなってすっきりしたな
166日本@名無史さん:2012/03/30(金) 19:10:13.41
おまえら延々と堂々巡りしている話題でよく飽きないな
167日本@名無史さん:2012/03/31(土) 05:14:10.84
>>166
趣味ってそういうもんだろ。たぶん。
168日本@名無史さん:2012/03/31(土) 08:21:11.34
堂々巡りしててかつ証拠なしの妄想ばかりだしなw
こんなん意味ない不毛すぎる。
169日本@名無史さん:2012/03/31(土) 08:31:51.81
いいんだよ
楽しければ
170日本@名無史さん:2012/03/31(土) 09:09:41.61
ヤマタイは畿内の事ですよ。大阪湾を中心としたエリアですが。
171日本@名無史さん:2012/03/31(土) 12:11:44.73
掲示板で学問しようって根性が、そもそも間違っている。
そう、掲示板は楽しければそれでいい。
それが根本にある限り学問と言う体裁は間違いなく成り立たない。

「楽しければいいんだよ」
「楽しければいいんだよ」
九州にあろうが畿内にあろうがどっちだっていいんだよ「楽しければ」
楽しいほうに分があるのが掲示板なんだよ
九州が楽しければ
九州にあった方がいいに決まってる。畿内の方が楽しければ畿内にあった方がいいに決まってる
172日本@名無史さん:2012/03/31(土) 12:17:40.78
一般社会で「趣味は古代史研究です」というのは、お見合いの席で「趣味はSMです」
というくらいの恥ずかしさだろうし
社会も間違いなくそう見ている。
173日本@名無史さん:2012/03/31(土) 13:18:32.28
堂々巡りの理論
自己満足の理論

これらは、なにも2chだけのことじゃない。
学会の研究・論争でも、似たようなもん

人間、そうそう発展しないもんさ
174日本@名無史さん:2012/03/31(土) 13:27:40.38
机上論がどうどう巡りになるのはしかたがない
決定的な考古学的発見でもあれば別だが
175日本@名無史さん:2012/03/31(土) 16:49:55.86
1 名無しさんにズームイン! [] Date:2012/03/28(水) 08:28:15.02  ID:NWYs/2ZP Be:
 やらなけゃいけない
 電○の各局への圧力が半端ないんです
 昨日、一昨日前田AKB卒業ネタやった情報番組全てが前田AKB卒業ネタ中の毎分で視聴率がダダ下がりしました。
 各局本音では毎分視聴率ダダ下がりするこのネタははやりたくなかったけど原子力村以上に電○からの圧力が凄いんです

ブーム捏造、枕営業、自社買い、サクラの動員そして
AKBの捏造ブームのために税金が大量に使われている証拠がこちら

やっと気付いた「AKBに電通が絡んでる」ではなく「AKBの正体が電通」な件 その122
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1332925336/

テレビの捏造ブームに騙されるな
176日本@名無史さん:2012/03/31(土) 20:42:08.15
自分らの伝承になくても聞きかじりの卑弥呼の話が天照を作る原因になったか影響を受けた可能性はある
177日本@名無史さん:2012/04/01(日) 08:50:38.33
>>176
すべては政治的な意図。
政治が記紀をつくらせた。
178日本@名無史さん:2012/04/01(日) 10:47:12.86
趣味古代史研究は間違いなくマニアだと思われるし
女だったらこの人頭大丈夫かしらくらいに思われそうw
179日本@名無史さん:2012/04/01(日) 11:43:03.28
男でもそう思いますがw
180日本@名無史さん:2012/04/01(日) 11:59:43.82
古代史ファンでもいいじゃん
限られた現場状況から推測するのは楽しいよ
今に続いてる過去のこの世界のことだし推理小説で想像を巡らすより楽しい私は変人
181日本@名無史さん:2012/04/01(日) 12:00:49.61
天武天皇子こと大海人皇子が古事記を編纂するまで
天照は、皇祖ニニギの祖母ではなく、皇祖ニニギの兄だった。
つまり、天照は、女ではなく、男であり、
アマテラスではなく、アマテルと呼ばれていた。
また、皇祖ニニギの祖母ではなく、兄なのだから
天照は、皇室の男系の先祖ではなく、皇室の男系の先祖の兄にあたる。
(母系も入れれば、先祖にはなるが...)
182日本@名無史さん:2012/04/01(日) 14:08:20.55
卑弥呼様〜LOVE〜
183日本@名無史さん:2012/04/02(月) 16:09:36.10
朝鮮人犯罪があまり報道されない、そしてテレビが日常的に嘘を吐く理由。

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フジテレビジョン 、、 〒137-8088 東京都港区台場2-4-8 

韓国聯合TVNEWS(YTN) 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6
TBSテレビ     、 、、 .〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6  ←オウムに坂本弁護士の自宅の住所を教えて殺させた犯罪幇助のテレビ局

大韓毎日   、、、、、、、、、、、、 〒108-0075 東京都港区港南2-3-13 4F
東京新聞(中日新聞社東京本社) 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13

京郷新聞  、、、、、、〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
(サンケイスポーツ、夕刊フジ、日本工業新聞社)

朝鮮日報   、、、  〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1-1 4F
毎日新聞東京本社 〒100-8051 東京都千代田区一ツ橋1-1-1

韓国日報  、、、、  〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F
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東亜日報   、、、  〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2
朝日新聞東京本社 〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2(AFP、NYT)

日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C ←NHKの社員がよくチカンやヤクで捕まるのはここの工作員

640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(反日・天皇制度廃止論者)のプロデュース作品
@『監査法人 (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会
184日本@名無史さん:2012/04/02(月) 17:44:39.12
>>183
何が面白いのか解らん
185日本@名無史さん:2012/04/02(月) 20:58:13.51
朝鮮人犯罪があまり報道されない、そしてテレビが日常的に嘘を吐く理由。

韓国文化放送(MBC) 〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F
フジテレビジョン 、、 〒137-8088 東京都港区台場2-4-8 

韓国聯合TVNEWS(YTN) 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6
TBSテレビ     、 、、 .〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6  ←オウムに坂本弁護士の自宅の住所を教えて殺させた犯罪幇助のテレビ局

大韓毎日   、、、、、、、、、、、、 〒108-0075 東京都港区港南2-3-13 4F
東京新聞(中日新聞社東京本社) 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13

京郷新聞  、、、、、、〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
(サンケイスポーツ、夕刊フジ、日本工業新聞社)

朝鮮日報   、、、  〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1-1 4F
毎日新聞東京本社 〒100-8051 東京都千代田区一ツ橋1-1-1

韓国日報  、、、、  〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F
読売新聞東京本社 〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1

東亜日報   、、、  〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2
朝日新聞東京本社 〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2(AFP、NYT)

日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C ←NHKの社員がよくチカンやヤクで捕まるのはここの工作員
186日本@名無史さん:2012/04/02(月) 21:05:28.99
>>185
何が面白いのか解らん
187日本@名無史さん:2012/04/02(月) 22:04:47.71
古代史なんて結局推測だからな。
学問的見地で見れば実にばかばかしい作業だから
学者は相手にしない分野だ。
188日本@名無史さん:2012/04/02(月) 22:21:42.60
いいえ、古代史に推測の入る予知はありません。
古代史は、事実を積み重ね、検証を繰り返して真実に迫る学問です。
誤解されている方が多いようですね。
困ったものです。
189sss:2012/04/02(月) 22:26:45.21
>>187
邪馬台国論争を東大Vs京大という構図にしたのが間違いだったな。
これで、東大はともかくとして、京大は、負けるに負けられない、引くに引けない
重い十字架を背負わされた感じになってしまった。

絶対に負けられない意地が京大にあって、その意地のために邪馬台国論争に
終止符が打てないということだろうなあ。
190日本@名無史さん:2012/04/02(月) 22:31:40.63
絶対負けられない戦いがそこにある
191日本@名無史さん:2012/04/04(水) 10:45:01.51
しかし、絶対に勝てない戦いなのだ。
192日本@名無史さん:2012/04/04(水) 15:05:42.24
考古学的にも文献資料的にも九州説はもう有り得ないけどな。
倭人伝の頃、倭国の中心は西日本、瀬戸内だよ。
193日本@名無史さん:2012/04/04(水) 16:55:22.96
西日本?どこのことかな? 近畿、瀬戸内ならば、当時はまた毛人の世界だろう。
194日本@名無史さん:2012/04/04(水) 17:35:32.87
九州は北部以外土蜘蛛の巣窟だしな。
195日本@名無史さん:2012/04/04(水) 17:44:21.06
九州北部は交易拠点、大宰府以来の支店領域以外の意味持ってんの?宗教権威地つぅ感じもしない。
196日本@名無史さん:2012/04/04(水) 18:00:56.28
>>194, >>195
九州の古代のことをどれくらい知っているのだ?
197日本@名無史さん:2012/04/04(水) 18:01:40.52
北部九州は貿易拠点、大陸に近いだけの場所ですよ。
貨泉だって北部九州〜瀬戸内〜畿内へと流れる。
普通に理解出来るでしょ、ここが倭国の主舞台だと。
198良識の俎:2012/04/04(水) 20:18:09.11
>>194
>九州は北部以外土蜘蛛の巣窟だしな。
熊襲も、土蜘蛛も熊鷹も北部が多かったが。知らんのか?
身長が短くて手足が長い土蜘蛛なんて、縄文人の特徴だ。
199日本@名無史さん:2012/04/04(水) 20:35:39.93
そう言うのは良く在るのよ。俺ら大和民族お前等アイヌ土人、琉球土人。俺ら大和貴人、お前ら毛人、土蜘蛛。
200日本@名無史さん:2012/04/04(水) 21:04:15.14
僅かながら選挙の匂いが漂ってまいりました。

                    _____________
                    ||                      |
                    ||   ちょっと待て .  .     .|
                    ||         .           |
                    ||    その民主党員  . |
                    |l -――-               |
                     '"´: : : : : : : : :`丶 . 帰化鮮人|
                 ':.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ______|
                  /.::.::./.::.::.::.:j.::.::.:|.:ム;ヘ.::.:ハ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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                :.::.::.::j:|.:!.:_:/´|_.::_」   くV <|
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                 八:::::::圦   、' _   "/_ノ.::,'.::j
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               / 丶∧::| 丶 `ニ´ 彡// :厶|∧
            {/  丶ヘ|     ノ / |:/ (こ ハ
                /       }ヽ、 ∧ /  'x┴〈 }_ゝ、
           /         \∨ ∨  /  ニW }  )
             〈       _ノ∧ 厶=7  ,.-、) 人ノ
           }⌒ヽ     `<__,>イ  |__ノ| |/∨
           /   ヘ   /  │  丶ノ.| |   \
             /    ヽ      \__/ | |    ノ
         /       >'"⌒\ 〃⌒\| ト、__/
201良識の俎:2012/04/04(水) 21:42:25.06
>>199
渡来系労働集団の末裔に限って、大和貴人などという願望妄想を抱くのだ。コケザル
202卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/04(水) 22:07:05.71
古代史には謎が多い。土蜘蛛というのも、何のことか分らない。

神武紀には有尾人が登場する。これも実際に尾が有った人間かもしれず、
紀元前一万年頃にそのような人間が実際に日本にいたのかもしれず、
そのことは、神武東征というのが、通説より遥かに上古のことであったという可能性を示唆するのである。
2032ch邪馬台国カテ有名人総選挙!:2012/04/04(水) 23:59:31.21
さあ、今年も総選挙の時期になりますた。

基本エントリーは次のメンツ。

・倍暦大人  太国魂
・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁
・浪花のオッサン ローガン
・KYチャンプ メ(スポーツ)
・ジョーカーwwww
・The サ・イ・キ・バ

その他自薦他薦飛入り新人大歓迎!

投票はこのレスをコピって気にった候補者のところに★マークを加えてね。
204日本@名無史さん:2012/04/05(木) 00:06:39.19
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
・倍暦大人  太国魂
・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁
・浪花のオッサン ローガン
・KYチャンプ メ(スポーツ)
・ジョーカーwwww  ★←今ここです。
・The サ・イ・キ・バ
205投票:2012/04/05(木) 00:10:05.73
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
・倍暦大人  太国魂 ★←今ここです。
・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁
・浪花のオッサン ローガン
・KYチャンプ メ(スポーツ)
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・The サ・イ・キ・バ
206日本@名無史さん:2012/04/05(木) 15:19:32.56
近年、大和政権、大和王権とかヤマト政権という言葉を良く聞くが、これらがどういう
意味かを知っている人がここにどれくらいいるんだろうな。
207日本@名無史さん:2012/04/05(木) 23:24:02.77
>大和政権、大和王権とかヤマト政権という言葉

それは、大宝律令以後の政権だな。
208日本@名無史さん:2012/04/06(金) 00:46:47.12
いや、大和政権というのは畿内説の造語。

記紀によると、神武東征により、神武天皇に相当する人物が、大和朝廷と
呼ばれるほどの勢力を確立したという考え方が出来る。
俗に言えば、天皇はこのときから存在していたことになる。

しかし、畿内説は神武東征のようなものを想定していない。卑弥呼は各地の豪族に
よる連合体に担ぎ出されたものと考える。豪族の連合体なので、確固とした一つの勢力が
存在しないことになる。このような状態を大和朝廷と呼ぶわけに行かないので、
大和政権なる言葉を作る必要があった。まあ、天皇不在と言えるかも知れない。

歴史教科諸問題で検定がゆるくなり、様々な教科書が容認されるようになって
大和政権なる言葉が登場してきたようだ。
文科省の指導要綱では大和朝廷となっているらしい。
209日本@名無史さん:2012/04/06(金) 00:53:51.22
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
・倍暦大人  太国魂 ★★←今ここです。
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210日本@名無史さん:2012/04/06(金) 01:20:58.32
SSS必死だな
211日本@名無史さん:2012/04/06(金) 01:45:25.77
日本神道は土着のもの
それを外から入って来たものが統治に利用した
まあ天皇さん(当時は院)が土着民
蘇我氏らが外来種
まあ人の受け売りだから詳しくは知らない
212日本@名無史さん:2012/04/06(金) 01:58:32.43
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
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・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁
・浪花のオッサン ローガン
・KYチャンプ メ(スポーツ)
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・東遷命  sss ★←今ここです。
213日本@名無史さん:2012/04/06(金) 07:13:00.41
蘇我が外来種というのは勘違いだな。
元々倭人が半島辺りまで根付いていたにすぎない。
214日本@名無史さん:2012/04/06(金) 08:27:32.12
蘇我の遠祖ってやっぱ百済人?
文化的に豊かな百済を滅ぼした蛮族が今の鮮人の先祖だが。
215日本@名無史さん:2012/04/06(金) 08:37:54.86
蘇我は百済に縁がある倭人だろう。
216日本@名無史さん:2012/04/06(金) 10:29:29.89
邪馬台国とどう繋がるの?
217日本@名無史さん:2012/04/06(金) 11:07:43.30
蘇我は釈迦族
インド渡りの仏教伝道者さ
218日本@名無史さん:2012/04/06(金) 13:14:42.97
仏教を進んで受け入れる蘇我は元々道教、
鬼道がベースにあるね。我蘇るだよ。
馬子の墓には桃がつき物だったよな?
219日本@名無史さん:2012/04/06(金) 17:51:22.52
あれていないよおだからここでやるかな
220日本@名無史さん:2012/04/06(金) 17:54:07.29
「漢委奴國王」

これってどう読むのかな
221日本@名無史さん:2012/04/06(金) 19:56:56.03
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
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・東遷命  sss ★
222日本@名無史さん:2012/04/06(金) 20:11:36.97
高句麗の四部

『三国志』  『三國史記』
--------------------------------------
1.涓奴部    1.貫那部
2.絶奴部    2.提那部
3.順奴部    3.掾那部
4.灌奴部    4.桓那部
--------------------------------------
5.桂婁部    5.沸流那
--------------------------------------
「那」は「奴」と同音であり、意味上「壌」に相当

人名に使用される場合「くに」のケースもあったりする

http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5ZdicA3Zdic8C.htm
http://www.dai3gen.net/kg10.pdf

--------------------------------------
漢委奴國王 かん いな こく おを
         漢 委那 國 大夫
--------------------------------------
223日本@名無史さん:2012/04/06(金) 20:15:28.26

-----朝日新聞やNHKが煽る「国の借金」について

日頃メディアや、反日工作員が必死になって「国の借金」という単語を使い
財政破綻論を展開させていますが、現実、現在の日本には「政府の借金」1000兆円近く存在いたしますが、
「国の借金」は存在いたしません。

朝日新聞やNHKは、雇い主である中国共産党より日本人に対して不安や政府に対する不信を持たせ、煽るために
局内の共産党員を使用して既に数十年間、「国の借金」を連呼し続けております。

<違和感なく「国の借金が1000兆円もある」という幻想に浸ってしまっている一般の方々は、朝日新聞やNHKに見事に騙されて続けている訳です>

数十年もテレビや新聞から情報を得てきた方々の中には、「メディアが嘘を付く訳ない」と思う、そう思いたい方もいるでしょう。
  しかし、長い目で見れば、もともと戦前から日本を転覆させるために存在してきた報道機関ですから、
これくらいの嘘は朝飯前で御座います。

それでも、「国の借金は1000兆円ある」と考えをお持ちの方は、複式簿記の勉強をしてから、日本のバランスシートをご覧ください。
 
  実質中国共産党の持ち物でありますNHK、朝日新聞は、これからも嘘を付き続けます。デマを流し続けます。捏造し続けます。
     

  -------そのニュース、核心はデマだ。             長文失礼いたしました。---------- 
224日本@名無史さん:2012/04/06(金) 21:17:52.82
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
・倍暦大人  太国魂 ★★
・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁 ★★★★★←今ここです。
・浪花のオッサン ローガン
・KYチャンプ メ(スポーツ)
・ジョーカーwwww  ★
・The サ・イ・キ・バ
・東遷命  sss 
225日本@名無史さん:2012/04/06(金) 21:19:09.91
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
・倍暦大人  太国魂 ★★
・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁 ★★★★★☆☆☆☆☆←今ここです。
・浪花のオッサン ローガン
・KYチャンプ メ(スポーツ)
・ジョーカーwwww  ★
・The サ・イ・キ・バ
・東遷命  sss 
226日本@名無史さん:2012/04/06(金) 21:39:36.80
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
・倍暦大人  太国魂 ★★
・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁 ★★★★★☆☆☆☆☆★★★★★☆☆☆☆☆←今ここです。
・浪花のオッサン ローガン
・KYチャンプ メ(スポーツ)
・ジョーカーwwww  ★
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・東遷命  sss 
227無意味な投票:2012/04/06(金) 21:45:04.42
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
・倍暦大人  太国魂 ★★
・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁 ★★★★★☆☆☆☆☆★★★★★☆☆☆☆☆★★★★★☆☆☆☆☆★★★★★☆☆☆☆☆★★★★★☆☆☆☆☆★★★★★☆☆☆☆☆★★★★★☆☆☆☆☆★★★★★☆☆☆☆☆★★★★★☆☆☆☆☆★★★★★☆☆☆☆☆←今ここです。
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・東遷命  sss 
228無意味な投票:2012/04/06(金) 21:47:23.34
ということで、無意味な投票をやめて、
邪馬台国探し再開しようよ
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
・倍暦大人  太国魂 ★★
・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁 ★
・浪花のオッサン ローガン
・KYチャンプ メ(スポーツ)
・ジョーカーwwww  ★
・The サ・イ・キ・バ
・東遷命  sss ★
・九州王朝大好き! 久留米 ★←今ここです。
230日本@名無史さん:2012/04/08(日) 14:14:51.10
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
・倍暦大人  太国魂 ★★
・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁 ★
・浪花のオッサン ローガン
・KYチャンプ メ(スポーツ)
・ジョーカーwwww  ★
・The サ・イ・キ・バ
・東遷命  sss ★
・九州王朝大好き! 久留米 ★
・漢文不可読 卑弥呼在朝鮮 ★←今ここです。
231日本@名無史さん:2012/04/08(日) 19:55:21.72
ホツマはなぁ…
神代文字は江戸時代以前には無かったと言うし、江戸時代の国学者の創作だろう。
あの時代は封建体制についてはいろいろタブーがあったし。
希望的観測も含めた江戸時代の解釈はこうだったという資料にはなるが、
事実はこうだった、という資料には成り得ないんだよな。
232日本@名無史さん:2012/04/08(日) 19:57:48.67
ホツマ伝を現代語訳したものしか読めないが、
神話としては、いい具合にお話になっていて面白い。

記紀に書かれていない部分がフォローされてるようなところもある。
233日本@名無史さん:2012/04/08(日) 21:27:38.32
NHKスペシャル『MEGAQUAKEU巨大地震』で、
2000年前に南海トラフを震源とする超巨大地震が起き
宝暦の大震災の津波の2倍以上の巨大津波が西日本の海岸の村を襲ったことがわかってきました。
邪馬台国が平地にあったとすれば、津波で滅亡したはず。

縄文集落は盆地で発達したのではなく、太平洋沿岸の平地の集落はすべて津波で壊滅したのだ。
だんだんわかってきましたね。
234日本@名無史さん:2012/04/09(月) 00:18:21.55
>>233
2000年前ということになると、邪馬台国とは直接は関係ないな。
1800年とか1700年前と言うことなら、いろいろと影響が見えてくるのだが。
畿内説の考古学者に頼んだら、300年くらいなんとかしてくれるかもしれない。
235日本@名無史さん:2012/04/09(月) 05:43:31.78
津波で平地の国々が滅亡して、パワーバランスが崩れたとか、
食糧危機がおきたとか、そういうことで倭国大乱につながったのかもしれんね。
そうすると、2000年前でも、邪馬台国と無関係とはいえなくなる。
236日本@名無史さん:2012/04/09(月) 07:00:09.57
実際、海彦山彦の話など津波を彷彿とさせますね。
237日本@名無史さん:2012/04/09(月) 23:48:42.27
┏━━━━━━━━━━━━━━┓
┃┌───┐                ┃
┃│.ワイプ.│        テロップ..  ┃ 
┃│ 画面 │        テロップ.. ┃ 
┃└───┘               ┃  <ナレ:次の瞬間! と、そのとき!
┃  【YouTubeの動画垂れ流し】   ┃
┃                     ┃ <SEを被せる(ど〜ん、どし〜ん
┃     流れるテロップ・・・・    ┃  どか〜ん、ぴろぴろぴろぴろ・)
┃                      ┃ 
┃       やたらとデカイ      ┃  
┃         テロップ        ┃ <SE:え〜
┗━━━━━━━━━━━━━━┛       ナレ:このあと、○○にスタジオ騒然!(CMへ)
   /\     /\     /\
 SE:え〜  SE:あははは  SE:へぇ〜

テレビで
女性に人気の
とか言っているのを見て真に受けて買い求めに走る女とか見てると テレビっ言う宗教の信者なのかと思ってしまう
もちろん買いに走る振りをさせて(やらせ)収録することもあるが

やらせインタビュー(裁判傍聴業者)
http://blog-imgs-44.fc2.com/h/i/m/himablo21/20100922213922a0d.jpg
238日本@名無史さん:2012/04/10(火) 12:57:12.74
>>236
日本書紀では、潮満玉と潮涸玉。
潮満玉を使って海幸彦を溺れさせる、というような話は海のない大和で
生まれた話ではないね。
海幸彦、山幸彦は日向神話なんだが、なるほど日向らしいという感じがする。
239日本@名無史さん:2012/04/10(火) 13:52:49.48
潮が満ちたり引いたりするのは古代人にとっては不思議のひとつだっただろうな。
240日本@名無史さん:2012/04/10(火) 20:46:19.98
潮で人を溺れさせるというのはやっぱり津波的発想だろうな。
241日本@名無史さん:2012/04/10(火) 20:55:02.10
遠浅海岸とか岩礁で孤立させる事だろ。
242卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/10(火) 21:43:27.30
氷河期と間氷期のことだという説もあるぞ。
243日本@名無史さん:2012/04/10(火) 22:15:44.77
邪馬台国の記述が日本に残ってないというのが味噌。
歴史は勝者のものだから存在ごとデリートされたんだよ。
不自然に歴史が消えている地域、そこが邪馬台国
244日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:22:20.80
最近ジョーカーを見かけんが船でも作っとらせんかな
245日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:23:16.11

「オウムは統一教会をラジカルにしたもの」
「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。」
 【殺された石井こうきの発言から】

そうか、統一教会、オウム、朝鮮総連、民団→朝鮮人だらけの民主党
すべて繋がっている
246日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:23:49.42
完全にデリートされたわけではない。クマソとして描かれたのさ。
247日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:27:27.16
ジョーカーは東北の方で何やら日当の高いバイトをしているようだ
248日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:41:09.35
>>243
それは、アメリカの昔の文献にジャパン(Japan)という記述があるが、日本の
文献にはない。ジャパンは日本の歴史から抹殺されたのだ、というのに
等しくはないか?
249日本@名無史さん:2012/04/11(水) 00:08:14.03
潮の満ち引きの凄さといえば有明海沿岸と博多湾沿岸。
干潟が豊かな幸を与えてくれた豊穣の地。
古代の人々はその神秘に畏怖の念を抱き、感謝の念を捧げていただろう。
250日本@名無史さん:2012/04/11(水) 00:15:54.77
>>249
逆に、津波を考えれば、有明海や玄界灘は考えにくい。
やっぱり日向ということになるだろう。
251日本@名無史さん:2012/04/11(水) 00:49:49.24
確かに日向は天然鰻とか海亀とか来るとこなんで魏使も遊びには行ったかもわからんね
252日本@名無史さん:2012/04/11(水) 09:53:19.16
日向って地名は、もっと後の時代だろ?
253日本@名無史さん:2012/04/11(水) 20:53:07.97
日向って呼称が生じるからには
視点が西の地に無くてはならない
つまり熊本や鹿児島からみた宮崎の地ってことだ
254日本@名無史さん:2012/04/11(水) 21:01:05.81
日向と日下、ついになる言葉ではないかと推測。
255日本@名無史さん:2012/04/11(水) 21:16:05.77
もとのが峠の日向って呼称が移動しているからには

ニュー日向とかノバ日向とかのが実体なのが

ニューフロンティアのの日向なんだろうな
256日本@名無史さん:2012/04/11(水) 21:41:53.05
全体的な地形として日向なら東北から茨城あたりも日向と言えるな
それ+日の本畿内に対しての日向なら日向と阿波くらいしかない
ひなたなら全国どこでもある
257日本@名無史さん:2012/04/11(水) 21:46:44.34
どんどんどんどん東に行ったわけやね
258日本@名無史さん:2012/04/11(水) 22:28:22.98
それは「日高見の国」だろ
最初は飛騨であり、次は常陸であり、最後は北上川なんだから
大和政権の東方進出に伴って、陽炎の様に東方フロンティアもどんどん東に去っていく
アメリカの西部開拓史における「西部」という呼称と同じだ
259日本@名無史さん:2012/04/11(水) 22:49:39.65

┏━━━━━━━━━━━━━━┓
┃┌───┐                ┃
┃│.ワイプ.│        テロップ..  ┃ 
┃│ 画面 │        テロップ.. ┃ 
┃└───┘               ┃  <ナレ:次の瞬間! と、そのとき!
┃  【YouTubeの動画垂れ流し】   ┃
┃                     ┃ <SEを被せる(ど〜ん、どし〜ん
┃     流れるテロップ・・・・    ┃  どか〜ん、ぴろぴろぴろぴろ・)
┃                      ┃ 
┃       やたらとデカイ      ┃  
┃         テロップ        ┃ <SE:え〜
┗━━━━━━━━━━━━━━┛       ナレ:このあと、○○にスタジオ騒然!(CMへ)
   /\     /\     /\
 SE:え〜  SE:あははは  SE:へぇ〜

テレビで
女性に人気の
とか言っているのを見て真に受けて買い求めに走る女とか見てると テレビっ言う宗教の信者なのかと思ってしまう
もちろん買いに走る振りをさせて(やらせ)収録することもあるが


やらせインタビュー(裁判傍聴業者)
http://blog-imgs-44.fc2.com/h/i/m/himablo21/20100922213922a0d.jpg
260日本@名無史さん:2012/04/11(水) 23:01:18.86
そしてベーリング海峡を渡ってアラスカから北米、南米大陸に行くわけやね
すごいね、日本人って。
261日本@名無史さん:2012/04/12(木) 22:28:09.25
ベーリング海峡は氷河で繋がっていました。
トナカイを追って日本人【縄文人】はアメリカ大陸に渡り、
最終的にはペルーにたどり着いています。
262日本@名無史さん:2012/04/12(木) 23:00:45.21
>>261
北米南米はほとんどの日本人に関係無いよ。ただ南米湿地帯で甕棺埋葬の農耕演ってた連中は南海周りの可能性高いな。
263日本@名無史さん:2012/04/12(木) 23:02:52.81
ほとんどの日本人は弥生系ですからね。
しかし、縄文系の日本人も居ますし、私のそのひとりではないかと思っています。
264日本@名無史さん:2012/04/12(木) 23:16:41.21
シベリア南部山岳地帯から北周り北米入りらしい。一部少量アジア残存。
265日本@名無史さん:2012/04/13(金) 07:17:43.20
>私のそのひとりではないかと思っています。

自分はxxxの末裔である・・・って典型的な中二病だよね(^ ^)
266日本@名無史さん:2012/04/13(金) 09:01:43.57
自分が縄文系だと思うというのは別に自慢してるわけじゃないから
自分はxxxの末裔であるっていうのとはぜんぜん違うと思うぞ
267日本@名無史さん:2012/04/13(金) 13:09:37.12
縄文系(笑)
268日本@名無史さん:2012/04/14(土) 00:51:15.95
弥生人ってゆーのは何?
269日本@名無史さん:2012/04/14(土) 00:52:06.10
耳あかが乾いてる人
270日本@名無史さん:2012/04/14(土) 03:48:23.59
>>250
馬っ鹿じゃね?
271日本@名無史さん:2012/04/14(土) 09:30:52.91
たとえば、石に彫られたエジプトの文字や粘土板に刻まれたシュメール文字は、数千年後にも残って歴史の証人になる。
ところが、FDDにせよCDやDVDは何年持つのだろう?
国が滅んで文化が継承されなくなった後まで歴史を残せる記録媒体をきちんと用意すべきだろう。
さもないと、記紀以前の歴史は神話の世界という日本の古代史の二の舞を演じることになる。
国の歴史は電子媒体ではなく石碑に刻むべきなんじゃないのか?

そういう提案を野田総理にしたほうがいいぞ。
大きな地震や放射能汚染で日本列島に人が住めなくなって、数百年後に戻ってきた人たちに、
ここで何が起きてたのか知らせるために。
272日本@名無史さん:2012/04/14(土) 11:37:28.75
朝鮮人、中国人と日本人は良く似ているわけだが、日本人には朝鮮人にないタイプの
顔がある。それを縄文系と言ってもいいのかもしれないな。
273卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/14(土) 13:01:57.98
東大理学部の発表によると、二千年前の山東省臨淄の遺跡出土人骨と、
同時期の佐賀県千代田町遺跡出土人骨のDNAを分析、
遺伝子の配列が特定の部分で同じ人がいると確認、云々。(1996年)

山海経の倭は山東省あたりと予想したが、それが裏付けられた形だ。
尤も、私は科学はあまり信用してはいないのだが。
274日本@名無史さん:2012/04/14(土) 13:38:01.49
>>273

秦始皇帝陵墓付近出土人骨のDNA分析から
「ペルシア人らしい」旨の検査結果が披露された。

ペルシャという国は秦始皇帝陵墓付近にあった。
私の推定どうりだった。
275日本@名無史さん:2012/04/14(土) 15:51:42.50
服を着ているとわかりにくいが風呂屋に行くとこのオッサン絶対縄文人だろ
って人が必ず1,2人いる
たまに北京原人も来ている
276日本@名無史さん:2012/04/14(土) 16:49:54.91

     _______                     __
    // ̄~`i ゝ                    `l |
    / /        ,______   ,_____    ________  | |  ____ TM
   | |     ___ // ̄ヽヽ // ̄ヽヽ (( ̄))   | | // ̄_>>
   \ヽ、   |l | |    | | | |    | |  ``( (.  .| | | | ~~
      `、二===-'  ` ===' '  ` ===' '  // ̄ヽヽ |__ゝ ヽ二=''
                         ヽヽ___//   日本
         ______________  __
         |街宣車両の正体  朝鮮人工作員     .| |検索|←をクリック!!
277日本@名無史さん:2012/04/14(土) 21:15:17.82
♪ほいや〜〜〜〜あああああああ〜あああああああああああああああ〜

イ・ヨ・マン・テ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
278日本@名無史さん:2012/04/15(日) 21:43:45.03
   r∞呂∞ュ
  |三(((川))三|
  Lミj ・ω・)ミj
┗―wヽv丞/^
   V**|ヽ_|
   └ァt__\
279日本@名無史さん:2012/04/16(月) 21:23:43.06
無GENは死んだのか〜

○、何か書け
280日本@名無史さん:2012/04/17(火) 01:10:13.05
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
・倍暦大人  太国魂 ★★
・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁 ★
・浪花のオッサン ローガン
・KYチャンプ メ(スポーツ)
・ジョーカーwwww  ★
・The サ・イ・キ・バ
・東遷命  sss ★
・九州王朝大好き! 久留米 ★
・漢文不可読 卑弥呼在朝鮮 ★
・馬耳東風王 夢幻のニョー  ★←今ここです。
281日本@名無史さん:2012/04/17(火) 20:56:27.25
<=( ´∀`)  
 (    )  朝鮮人は宇宙一ニダ
 | | |   
 〈_フ__フ


  Λ_Λ    
 < ;`Д´>  あ…
 (    )ポロ 
 | | |  ヽヽ
 (__フ_フ =( ´∀`)
朝鮮人だらけの東京のテレビ局が日夜流す、デマや歪曲に騙されないようにしましょう。

282日本@名無史さん:2012/04/17(火) 23:32:47.08
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
・倍暦大人  太国魂 ★★
・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁 ★
・浪花のオッサン ローガン
・KYチャンプ メ(スポーツ)
・ジョーカーwwww  ★
・The サ・イ・キ・バ
・東遷命  sss ★
・九州王朝大好き! 久留米 ★
・漢文不可読 卑弥呼在朝鮮 ★★←今ここです。
・馬耳東風王 夢幻のニョー  ★
283日本@名無史さん:2012/04/18(水) 21:08:08.29
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
・倍暦大人  太国魂 ★★
・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁 ★
・浪花のオッサン ローガン
・KYチャンプ メ(スポーツ)
・ジョーカーwwww  ★
・The サ・イ・キ・バ
・東遷命  sss ★★★←今ここです。
・九州王朝大好き! 久留米 ★
・漢文不可読 卑弥呼在朝鮮 
・馬耳東風王 夢幻のニョー  ★


284卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/18(水) 21:45:59.41
ここは何を書くのも自由だから、好きなことを書かせてもらう。

なんとなく、馬韓の中の伯済国が百済になったのかと漠然と思っていたのだが、
三国史記を読む限り、百済と馬韓は明らかに別である。

魏志東夷伝を読んでも、馬韓の条に扶余のことは何も書かれてないから、
馬韓というのは扶余民族ではないから、伯済が百済になったのではない。

中国の史書にあるように、百済はもとは遼東の東にあって、遼西に移り、
そこから渤海を渡って、帯方の故地に移ったのである。

で、その帯方の故地とはどこかといえば、列水以南の遼東半島地域であり、
仇台の碑が立っていたという熊岳(現在の営口市の西南)がその中心地だったのである。
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
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・浪花のオッサン ローガン
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・東遷命  sss ★★※>282で一度に二票入ったので一減しますた。
・九州王朝大好き! 久留米 ★
・漢文不可読 卑弥呼在朝鮮 ★★★←今ここです。
・馬耳東風王 夢幻のニョー  ★
286唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/04/18(水) 22:47:49.14
>三国史記を読む限り、百済と馬韓は明らかに別である。

やっと気が付いたか。それで西晋が滅びた時点で、半島南部で武力をもつのは倭だけであり、
楽浪、帯方方面で武力をもつ勢力は、不耐濊しかない。
遼東には、,東夷校尉、平州刺史崔がおり、高句麗はこれに従う。
287卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/19(木) 12:27:59.86
佃収「倭人のルーツと渤海沿岸」を読んでいるのだが、驚くべき記事を発見。

風俗通曰 呉公子夫概奔楚 其子在国 以夫余為氏 今百済王夫余氏也(広韻 余)

夫概は呉王の弟。その子が夫余氏となり、今の百済王の夫余氏だという。
佃氏は、この記事から、百済には北扶余系と呉系があったと推測している。

ところで倭人は呉の太伯の後裔を自称していた。呉系の百済も出自が呉。
とすれば倭人も、呉系の百済人も、その実体は呉人だということになるのである。

倭人が新羅ばかりを襲って百済には侵攻しなかった理由がこれで理解できる。
288卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/19(木) 12:41:30.58
百済之先 出自高麗国 … 始立其国于帯方故地 (隋書)
百済国 本亦扶余之別種 嘗為馬韓故地 (旧唐書)

帯方故地に建国したのが北扶余系百済で、
嘗為馬韓故地が呉系百済ではあるまいか。

三国史記に仇台のことがまったく書かれていないのは、
帯方故地に建国した北扶余系百済のことが省略されているからでは?
289日本@名無史さん:2012/04/19(木) 21:02:30.73
百済、百越・・呉の国もかなりの数が存在したことが知られている。
斉も越も呉も漢民族に滅ぼされ、その棄民は日本列島に渡ってきたのだ。
彼らが弥生時代や古墳時代を演出している。
卑弥呼は斉王の姉だ。
290日本@名無史さん:2012/04/19(木) 21:18:23.57
韓なんてのも元々は中原にあった国だし(始皇帝に滅ぼされたが)。
その遺民が朝鮮半島に逃れて建国したのが朝鮮半島の韓。

それを北方からやって来て乗っ取ったのが現代の朝鮮の起源。
彼らが現在の日本に対してやっているように、寄生して内部から食い潰したのだろう。

291日本@名無史さん:2012/04/19(木) 21:21:10.39
この辺りの時代はどこまでが国でどこからが原野なのか判然としない。
特に半農半牧の半島以北は人口も少ない。
現在の感覚で国をイメージすると重大な齟齬を生む。

恐らく、日本も初期の頃は集落国家であったはずだ。
それは、中国自体がそうであり、それ以外の政治形態が無かった。
集落と集落の膨大な隙間を田園が埋めて所有者が決まるののはずっと後の時代。

そうなると、支配域とは具体的に何をさす言葉であるのか。
それは、大陸においては牧草地のことだ。
家畜を所有するために必要な土地の確保が、支配域だった。
では、日本の場合はどうか。
牧畜があまり発達しなかった日本の場合、それは商業圏であったろう。
大陸からの先進文化の産物を優先的に手に入れる権利。
その文物を駆使して国内の統治を行うのだから、それは彼らにとって最重要事項だったはずだ。
となれば、百済が日本の出張所、出先機関であったとする説も説得力を帯びるね。

292日本@名無史さん:2012/04/19(木) 21:32:42.05
大陸と日本の関係はフランクとイギリスの関係に似ていたと考えられる。
つまり、倭王は同族の王であると同時に大陸政権の将軍でもあり、
大陸に本拠を置く封建領主が倭王を兼ねたのだ。
イギリス王をフランクのノルマンディー公が兼ねていたのと同じだ。

それは、神武天皇もともと半島か、あるいは燕にいた可能性を示すものだ。
293日本@名無史さん:2012/04/19(木) 22:27:46.88
つーか、バイキングがノルマンディに上陸してしまってセーヌ川まで侵略してきたのを
フランク族がそこの領土を認めてやるから臣下の例をとれってはじまったのが始まりなわけで
フランク王の存在もバイキングの侵攻を食い止めることができた英雄が担うようになっているのを見ると
イギリスとフランスもあまり変わらないと思うけどな。
イギリスが劇的なのは、ウィリアム以前、ケルト、アングル、サクソン、デーンとことごとく異民族に侵略されてるのに
以後は政治的に安定してくるところだよね13世紀?
フランスはフランク王から安定して王位がサリカ法典によって近代までつづくのでフランスの歴史の古さと安定性は異常。
294日本@名無史さん:2012/04/19(木) 22:33:32.29
ケルト人は有色人種。
そこへ白色人種がやってきてついには乗っ取ってしまった。
イスラム教とキリスト教の争いとされている地中海の覇権争いも、
有色人種と白人の争いと見るべき。
295卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/20(金) 09:09:12.38
白狼水と倭と百済 その1

どうも倭人と百済は密接な関係があるような気がする。
たとえば倭人が渤海の北にいたと思われる資料がある。

白狼水又東北径昌黎県故城西 地理志曰 交黎也 東部都尉治 …
高平川水注之 水出西北平川 東流径倭城北 蓋倭地人徙之 (水経注)

白狼水の支流のあたりに倭人がいるという記事。
この白狼水というのは大凌河の上流だとされている。
ところで百済も一時期そのあたりにいたようなのである。
296卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/20(金) 09:19:52.93
白狼水と倭と百済 その2

晋時句麗既略有遼東、百済亦拠有遼西晋平二郡。今柳城、北平之間  (通典 百済伝)
柳城と北平の間に百済があった。それはどこかといえば白狼水のあるあたりである。

師古曰 有白狼山故以名県 (漢書地理志 右北平郡 白狼県の註)
遼水右会白狼水 水出右北平白狼県東南 北流西北屈径広成県故城南 (水経注 広成県は右北平郡)

公(曹操)登白狼山 望柳城 (水経注 柳城県は遼西郡の西部都尉治)

曹操が白狼山に登って柳城を望んだ、とある。柳城県は遼西郡の西部都尉治で、白狼県は右北平郡にある。
柳城と北平というのはおそらく白狼水の東西にあるのである。
時代は異なるが倭と百済が同じ地域に居住していたのである。
297卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/20(金) 09:57:02.12
白狼水と倭と百済 その3

隋書によれば、東明王の後裔に仇台という者がおり、帯方の故地に建国。公孫度の娘を娶って強国となった。
初めに百家で海を渡ったので百済と号したという。

この海とは渤海、帯方の故地とは太子河以南の遼東半島地区と私は解するが、
とにかく渤海を渡ってきたということは渤海の北にいたのだろう。つまり倭人のいた地域である。
晋の時代に百済が渤海の北を領有したというのは、かつての故郷を取り戻したということではないのか。

ともかく、倭と百済はなにやら関連がありそうなのである。
298日本@名無史さん:2012/04/20(金) 14:19:37.07
僅かながら選挙の匂いが漂ってまいりました。

                    _____________
                    ||                      |
                    ||   ちょっと待て .  .     .|
                    ||         .           |
                    ||    その民主党員  . |
                    |l -――-               |
                     '"´: : : : : : : : :`丶 . 帰化鮮人|
                 ':.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ______|
                  /.::.::./.::.::.::.:j.::.::.:|.:ム;ヘ.::.:ハ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                  ,'.::.::.::i.::.::.::.:/|.::.:: l/  `|.::./7
                :.::.::.::j:|.:!.:_:/´|_.::_」   くV <|
                   |:ハ_::_ル'´     /⌒丶 j//V|
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               / 丶∧::| 丶 `ニ´ 彡// :厶|∧
            {/  丶ヘ|     ノ / |:/ (こ ハ
                /       }ヽ、 ∧ /  'x┴〈 }_ゝ、
           /         \∨ ∨  /  ニW }  )
             〈       _ノ∧ 厶=7  ,.-、) 人ノ
           }⌒ヽ     `<__,>イ  |__ノ| |/∨
           /   ヘ   /  │  丶ノ.| |   \
             /    ヽ      \__/ | |    ノ
         /       >'"⌒\ 〃⌒\| ト、__/
299日本@名無史さん:2012/04/20(金) 20:16:27.56
【2ch邪馬台国カテ有名人総選挙】
・倍暦大人  太国魂 ★★
・ホツマ魔王 唐松山
・孤高老人  伊作翁 ★
・浪花のオッサン ローガン
・KYチャンプ メ(スポーツ)
・ジョーカーwwww  ★ ★ ←今ここです。
・The サ・イ・キ・バ
・東遷命  sss ★★※
・九州王朝大好き! 久留米 ★
・漢文不可読 卑弥呼在朝鮮 ★★★
・馬耳東風王 夢幻のニョー  ★
300撒き餌しとくわ:2012/04/20(金) 20:29:23.99
>>295-297

『後漢書(續漢書)』郡國志五
遼西郡
3.令支(縣) 【有孤竹城】[伯夷 叔齊本國]

『晉書』地理志上 平州
慕容熙(401-407) 以幽州刺史鎮令支(縣)
301日本@名無史さん:2012/04/20(金) 20:58:47.16
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

@『かんさほうじん (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会

大河の画面が汚いのも、役者が大根なのも、衣装がぼろぼろなのも、役者の下品な立ち回りも、
画面が薄暗いのも、役者が汚いのも全ての原因は




NHKが汚れているから
 史実うんぬんの話ではないのですよ。あの大河は役者、セット、演出等が、いまのNHK内部の汚れ具合を見事に反映しているのです。

薄汚れた空間内で繰り広げられる捏造・妄想(=今年の大河)は、反日・在日の脳内を表しているのだ。
302卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/21(土) 09:27:08.83
>>300
たぶん俾彌孤だろうが、何が言いたいのか不明だが、孤竹は、

註[正義] 括地志云 孤竹故城在平州蘆龍県南一十里 殷時諸侯孤竹国也 (史記 封禅書)

とあり、今も灤河と山海関の間に蘆龍県というのがある。孤竹というのは唐山市あたりか。

それはさておき今朝の新聞を見て驚いた。ウガヤという姓があるらしい。
烏賀陽弘道「報道の脳死」(新潮新書)
烏賀陽をウガヤと読むらしい。
303日本@名無史さん:2012/04/21(土) 14:56:37.42
「国の借金」について

日頃メディアや、反日工作員が必死になって「国の借金」という単語を使い
財政破綻論を展開させていますが、現実、現在の日本には「政府の借金」1000兆円近く存在いたしますが、
「国の借金」は存在いたしません。

朝日新聞やNHKは、雇い主である中国共産党より日本人に対して不安や政府に対する不信を持たせ、煽るために
局内の共産党員を使用して既に数十年間、「国の借金」を連呼し続けております。

<違和感なく「国の借金が1000兆円もある」という幻想に浸ってしまっている一般の方々は、朝日新聞やNHKに見事に騙されて続けている訳です>

数十年もテレビや新聞から情報を得てきた方々の中には、「メディアが嘘を付く訳ない」と思う、そう思いたい方もいるでしょう。
  しかし、長い目で見れば、もともと戦前から日本を転覆させるために存在してきた報道機関ですから、
これくらいの嘘は朝飯前で御座います。

それでも、「国の借金は1000兆円ある」と考えをお持ちの方は、複式簿記の勉強をしてから、日本のバランスシートをご覧ください。
 
  実質中国の広報機関であるNHK、朝日新聞は、これからも嘘を付き続けます。デマを流し続けます。捏造し続けます。
   
 ---そのニュース 核心はヤラセだ       長文失礼いたしました。---
304日本@名無史さん:2012/04/21(土) 19:56:22.65
スレタイはどこへ?
305日本@名無史さん:2012/04/21(土) 23:58:02.69
>>302
そこのは移住してからに後付けで発生した地名だな
306日本@名無史さん:2012/04/22(日) 00:00:08.94
>險涜(縣)
險涜(城)
【應劭(-204)曰:「朝鮮王滿都也。依水險、故曰險涜。
 臣瓚(晋代)曰:「王險城在樂浪郡浿水之東。此自是險涜也。」
 師古(-604)曰:「瓚説是也。浿音普大反。】

3枚あるけどこれとか読むと良いよ
http://www.searchnavi.com/~hp/koguryo/kwang-1.htm
307卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/22(日) 10:11:09.55
>>306 浿水はどこにあったか。

浿水出楽浪鏤方 東入海 (説文解字)
浿水 出楽浪鏤方 東南過臨浿県 東入海 (水経注)

東入海のような河川は朝鮮半島(西部)にはない。それがあるのは渤海北岸地域。

燕人衛満亡命 為胡服 東渡浿水 詣準降 (魏略)
東に浿水を渡る、とあるから、浿水は南北に流れている河で、渤海北岸の河。

漢が衛氏朝鮮の王険城を攻めた時の描写(史記 朝鮮列伝)
遣楼船将軍楊僕 従斉浮渤海
左将軍破浿水上軍 乃前城下 囲其西北 楼船亦往会 居城南
渤海から攻めて城の南に来たのだから、浿水と王険城が渤海北岸地帯にあったことは確実。

王險城在樂浪郡浿水之東 此自是險涜也
王険城が浿水の東にあり、それが医巫閭山のあたりにあったとすれば、浿水は大凌河。

佃収氏は浿水は興城河に比定、浜名寛祐は大凌河に比定していたと思う。
浜名寛祐は浿水は沛水か、とも考証していたように思う。
浜名寛祐はまともな在野の学者だよ。「契丹古伝」はまともな研究書。
308日本@名無史さん:2012/04/22(日) 10:40:41.95
まともかもしれんけどまぬけだよ

遼東郡の諸縣だとか配置する場所無くなるもんね

治所の襄平とか
汶とか
鉄の出る安市とか
よくやられる西安平とか
新昌とか
衛満の用心棒にどおですかってだまくらかして取り上げた半島北部支配した本部の險涜とかさ

ここらへんの縣とか城とかさらっと消せるひとは楽浪郡の支配した土地は遼東にあったと思えば良いだけだわ


309日本@名無史さん:2012/04/22(日) 11:03:45.54
東入海のような河川は遼東にはみあたらないなあ

大凌河の方は南北に流れてきているし

まがって東に放出だったとしてもあくまで湾内だし

小の方はまだましだけど

正規のであるとしたら遼西の煙台河くらいなものか


ここのは「鏤方の東で入海」と理解するのが良しで

地図上で見ても納得できる鏤方のポジションとかもあったりするよ
310日本@名無史さん:2012/04/22(日) 11:22:18.46
浿
《説文》水出樂浪 鏤方東入海
《前漢・地理志》浿水出遼東塞外 西南至樂浪縣 西入海 又縣名
《十三州志》浿水縣 在樂浪東北
311卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/22(日) 15:44:07.39
襄平、遼東、遼水とはどこか。

燕亦筑長城自造陽至襄平置上谷漁陽右北平遼西遼東郡
起臨洮至遼東 [註]東入遼水 (史記 匈奴列伝)
至是燕築塞 繞満灌幹城 曰襄平 (契丹古伝)

燕は長城を築いて、おそらくその内側に五郡を置いた。
長城の東端が山海関であるとすれば、襄平、遼東、遼水、満灌幹(満番汗?)はそのあたりにあった。

参考サイト。佃氏も同じ見解。
http://blogs.yahoo.co.jp/mirobii/10547946.html
312日本@名無史さん:2012/04/22(日) 22:20:15.73
1 名無しさんにズームイン! [] Date:2012/03/28(水) 08:28:15.02 ?ID:NWYs/2ZP Be:
 やらなけゃいけない
 電○の各局への圧力が半端ないんです
 昨日、一昨日前田AKB卒業ネタやった情報番組全てが前田AKB卒業ネタ中の毎分視聴率ダダ下がりしました。
 各局本音では毎分視聴率ダダ下がりするこのネタははやりたくなかったけど原子力村以上に電○からの圧力が凄いんです

なんか海外でも日本でAKBがバカ売れしてるっていう情報に騙されてAKBヲタになった人が最近気付き始めてる件
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1334516585/

税金垂れ流しのヤラセブーム
313日本@名無史さん:2012/04/22(日) 22:21:48.09
奇妙なスレになったな
314日本@名無史さん:2012/04/23(月) 00:24:59.46
無限尿が毒撒いてから、おかしくなったな。
315縦目仮面:2012/04/23(月) 00:38:40.49
復活しようかとも思うけど、海外にいる期間が長くて・・・。
316卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/23(月) 09:25:40.22
後漢書郡国志の奇怪さ その1

遼東属国 3260里 無慮 有医無慮山 うち3県はもと遼西郡
遼西   3300里 令支 有孤竹城
遼東   3600里 襄平 無慮 番汗など
玄菟   4000里 高句麗 遼山 遼水出 西蓋馬 遼陽など うち3県はもと遼東郡
楽浪   5000里

并州のうち興味深い郡を抜き出してみた。奇怪なのは、まず、
遼東属国が遼東より西にあること、玄菟が楽浪より西にあること。さらに、
無慮が遼東属国と遼東にあること、そして令支、孤竹が遼西にあること。
令支、孤竹というのは山海関の内にあるはずなのである。

しかし実はここに秘密が潜んでいるのであって、おそらく秦代は令支、孤竹が遼西だったのである。
医無慮(医巫閭)山のある無慮も昔は遼東属国で、遼東より東にあったのだと思われる。
317卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/23(月) 09:40:11.96
後漢書郡国志の奇怪さ その2

しかし最も興味深いのは玄菟郡だ。その位置が楽浪より西なのは意外だが、
史書をよく読むとこれが意外でも何でもなく、正当なのである。そして、
最も注目すべきは高句麗県に遼山があり遼水が出るところと書かれていることだ。
この遼水が遼河だとすると水源は長春の南あたり、大凌河だとすると渤海北方となる。
高句麗は吉林省か渤海北方にあったということになる。さらに、
西蓋馬という県があること。これは蓋馬大山というが吉林省あたりにあったことを想定させる。
さら遼陽という県があり、これは今も遼陽市というのがある。

要するに高句麗は通説よりずっと北方にあったわけで、これで、三国史記にある、
南に帯方を襲った、という記述が理解できるものとなる。
帯方郡は太子河以南の遼東半島地域にあったのだが、そこは高句麗からみて南になるのである。
318日本@名無史さん:2012/04/23(月) 10:47:04.77
>>315
スレ キトク スグカエレ
319卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/23(月) 16:45:32.09
建武二十五年(49年)春、句驪寇右北平、漁陽、上谷、太原、而遼東太守祭肜以恩信招之、皆復款塞。

高句麗が右北平、漁陽、上谷、太原を襲ったという記録。太原というのは山西省の太原市か。
高句麗が通説のような位置にあったとしたら、こんなところを襲うのはとても無理で、吉林省の遼源市からでも遠すぎる。
高句麗は渤海の北方、遼西や遼東の北方にあったのではないか、少なくとも漢代は。
320卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/23(月) 17:05:26.38
投稿した後でピンときたのだが、この襲った句麗というのが、もとの百済ではないのか。
遼源市あたりにあった高句麗県が高句麗で、渤海の北方にいたのが扶余の別種の百済ではないのか。
百済はそのあたりから渤海を渡って帯方の故地あるいは馬韓の地に来たのでは?
321日本@名無史さん:2012/04/23(月) 17:45:24.93
百済の故地は遼西ですから
322日本@名無史さん:2012/04/23(月) 20:28:05.43
>>313
朝鮮スレだな
2chも韓流だ

>>314
無限は無茶苦茶だったが、まだ読めた
今よりはマシ
323日本@名無史さん:2012/04/23(月) 21:55:59.81
百済の故地は山東半島だろう?
百越と百済は対になる言葉だ。
324唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/04/23(月) 22:20:47.51
>渤海の北方、遼西や遼東の北方にあったのではないか、少なくとも漢代は。

であるならば、「燕」と呼ばれていたであろう。
燕と句麗は別である。
325日本@名無史さん:2012/04/23(月) 22:37:53.42
きのこのは鮮卑って掻き直したほおがええかも
326日本@名無史さん:2012/04/24(火) 09:24:30.62
>高句麗が通説のような位置にあったとしたら、こんなところを襲うのはとても無理で、
>吉林省の遼源市からでも遠すぎる。
近いところの小国だったらすぐに討伐されてしまうだろう。
327卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/24(火) 09:26:58.79
百済の謎 

民族の出自がはっきりしない。三国史記によれば扶余族だが、馬韓の伯済から出たなら韓族である。
百済最後の太子隆の墓誌には「辰朝の人なり」とあるそうだ。辰朝とは辰国で馬韓辰韓弁韓のこと。つまり韓族だ。
さらに呉の系統の夫余氏もあったようなのだ。

建国の時期もはっきりしない。三国史記によれば百済も新羅も紀元前には建国されているが、陳寿の東夷伝には百済も新羅も出てこない。

所在位置もはっきりしない。なにしろ楽浪郡や帯方郡が半島内にあったかどうかも不明なのだ。
楽浪郡治は平壌だったというが、楽浪郡に平壌県などというのはない。
また三国史記によれば高句麗が丸都から平壌に遷都したのは247年だが、
そのころはまだ楽浪郡があったのだから、平壌に遷都できるはずはない。
328日本@名無史さん:2012/04/24(火) 09:30:26.92
ま、卑弥呼は朝鮮にいないのは確実に言える。
329日本@名無史さん:2012/04/24(火) 09:55:03.91
世界史板の↓の方が詳しい人いるんじゃまいか

【高句麗・百済】夫余系総合スレ【渤海・日本】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1327411004/
330日本@名無史さん:2012/04/24(火) 11:31:00.47
>三国史記によれば百済も新羅も紀元前には建国されているが、
古く見せかけているだけだろう。
331唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/04/24(火) 15:01:22.49
>2 :世界@名無史さん:2012/01/26(木) 06:11:20.04 O
夫余は韓国・朝鮮にあらず
むしろ日本に近い

神功49年の半島占拠。この時に大量の北方扶余が渡来している。
千熊長彦 383年の 人. 
奈勿大聖神帝紀(ネムルデソングシンゼギ) 7年,   熊彦=千熊長彦
323年 七年 正月 行水羊祭 光臣伊伐〓 白花稟主 7年1月, 水羊(癸未年)祭を行った。
三月 夫余流民三十戸又来降 夫余与倭相通 年年受其民 散置都鄙 倭臣熊彦美而善弁 与阿□相通 多聴其言 故国人異反 或帰于我 亦帰于麗 休礼太后生長?子勿? 始立戸口典 禁民子母相婚

3月 扶余の流民がまた30戸来降してきた。扶余と倭は通じており、年々その民を受け入れ
都や村に散置してきた。倭臣千熊長彦は良く弁舌がたち、住民と仲がよい。
住民はその言の多くを聞き入れ、故に国に背き、千熊長彦に従う。(大量渡来)
或いは我(百済?)に帰順、また高句麗に帰順する。
323年 神功49年 半島占拠と領土分与。

韓国考古学は、伽耶の北方扶余系遺物を、4世紀初めからとする。

>古く見せかけているだけだろう。

百済本紀は、46年程度新しい方へ移動している。
だから、日本書紀を百済本紀で編年できない。
332唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/04/24(火) 15:15:42.26
>百済の謎 民族の出自がはっきりしない。三国史記によれば扶余族だが、馬韓の伯済から出たなら韓族である。

百済土器は、馬韓土器と異なる。
つまり、百済は馬韓ではない。
だから、百済の前身は、扶余であり、
辰王=桂林=新羅。濊貊=不耐濊=扶余=百済。*注 扶余には、北方扶余と百済が含まれる。
晋代まで、「不耐濊」、すなわち不耐城の候王が、濊国を代表するものだとした。

『三国志』巻4魏書第4三少帝紀正始7(246)年条
 七年春二月,幽州刺史毌丘倹討高句麗. 夏五月,討濊貊,皆破之.韓那奚等数十国各率種落降.
不耐濊こそ後の百済である。

魏志によれば、辰王に馬韓人をたてる。
つまり、辰王朝は、女系で系譜をつないでいる。
その記事が載っているのが、奈勿大圣神帝纪ネムルデソンシンジェギ)なのである。
新羅本紀の男王による世継ぎは、これを重視して読まないとならない。
そして、辰王朝が女帝から男王に切り替わるのが、西晋滅亡後の320年代なのである。

不耐濊は郡の下働きを生業とする。
西晋が滅んだ時、不耐濊はそのまま残留するが、323年神功49年 倭に従うことにより
領地を得て独立するのである。
326年七支刀の文言そのまま。

333唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/04/24(火) 15:21:20.75
夢村土城は、5世紀前葉からの遺構が確認されているが、遺構以外で4世紀に遡るべき遺
物が土城内にみられることも事実であり、土城内に未知の「4世紀の遺構」が存在した可能
性は残っている。
http://inoues.net/korea/yumemura_dojyo.html

E4世紀以後、金官伽耶時代の木槨墓から中国系とは異なる北方農耕遊牧民文化の副葬品
が出土する。騎馬用甲冑・馬具・各種鉄製品・蒙古鉢形冑・桂甲・轡・木芯鉄張り輪鐙が
出土。初めて殉葬が確認される。北方系の墓制が前時代の墓をつぶして築造したので大成
洞遺跡では、重なった墳墓があった。
 日本書紀同様、韓国にも詮索不可の史実が有るようだ。
http://members3.jcom.home.ne.jp/kofun2-hp/kankknkime2.htm

「日本書紀同様、韓国にも詮索不可の史実が有るようだ。」この文言こそ、三国志に歴史を
合わせられないということをあらわしている。
神功52年七支刀=369年の数字では、同49年の半島占拠は、両国の学者によって成
立しない事は確認事項である。
逆に言えば、神功52年七支刀は、369年になりえないということの確認である。
334日本@名無史さん:2012/04/24(火) 16:49:27.37
つまり、いま朝鮮半島に住んでいる連中と
古代の高句麗、百済人は(個人レベルではともかく)
血縁関係は無いでFA?
335日本@名無史さん:2012/04/24(火) 17:00:55.17
朝鮮に限らんが大陸や半島で主体的に古層血統の連続性を保てる領域が常識的に考え存在し得ないだろ。

もう万里の北も南も無い。
336日本@名無史さん:2012/04/24(火) 17:33:17.67
確かに狭い島の中だけで自己完結してる倭人が変なんだよな
337日本@名無史さん:2012/04/24(火) 18:04:18.13
以前に高句麗=扶余族=渤海=女真族=清国
と言う記事をみたな
338日本@名無史さん:2012/04/24(火) 18:10:21.36
>>333
神功52年七支刀=369年の数字では、同49年の半島占拠は、両国の学者によって成
立しない事は確認事項である

誰が確かめた?369年=神功52年
339唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/04/24(火) 19:54:26.28
342年 高句麗は前燕に大敗する。
句麗、百濟及宇文、段部之人,皆兵勢所徙,非如中國慕義而至,咸有思歸之心。

この時点で高句麗も百済も前燕に帰順している。
まあ、それだけの勢力であることが認識されている。
それより後に倭が半島に進出する隙間が無い。
だから、七支刀=369年では、半島占拠は否定されるのであるが、
馬韓土器は百済土器ではない。
馬韓が空白域として存在しなければ、369年の七支刀は否定されるのであるが、
空白域が不可能であるから、百済の領土という考え方があるわけであるが、
土器は百済ではない。否定されている。

であるならば、半島占拠は343年以前の出来事でなければ、百済が誘いに乗らない。
340唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/04/24(火) 20:03:17.36
http://cafe.daum.net/newhuman/Ci2X/605?docid=UnMBCi2X60520100305110049
直訳
ハーブ大聖霊提起(奈勿大圣神帝纪)上

他のデータの内容がでたらめにかき混ぜていた文書からのハーブ大聖霊提起の記録だけ別に抜き出して作成してみるとひょっとして間違いがあったのかもしれません。
抜けている部分や解釈が間違ってところがあれば指摘してください。
ハーブ大聖霊提起(奈勿大圣神帝纪)
月内神経(月嬭神经)で話す。

"ファンギェ(黄鸡:油349/289?)4月、

韓国にも時空が合わないという認識はある。
時空を考古学に合わせれば、
崇神(188〜216年)・垂仁(217〜239年)・景行(240〜261年)
これが纏向の時空である。
その場合 神功(275〜343年)となる。
323年 神功49年。 奈勿大圣神帝纪ネムルデソンシンジェギ) 
@323年 7年(AD383)正月里子(水羊=癸未)
@三月夫余流民三十户又来降夫余与倭相通年年受其民散置都鄙倭臣熊彦美而善辩与阿尒相
通多听其言故国人异反或归于我亦归于丽

ちょうど60年差が算出される。
伽耶の扶余系遺物と整合させるならば、323年が正解となる。

341日本@名無史さん:2012/04/24(火) 23:35:39.49
                      -=-::.
  / 朝 鮮 人\:\ ♪ガッガーーウィイ
  .|  教 祖 様  ミ:::|
 ミ|_≡=、´  `, ≡=_、|;/
  ||..◎ .| ̄|. ◎ |─/ヽ  いい加減、ストーカーするの止めてくれる?
  |ヽ二/  \二/  ∂>
 /.  ハ - −ハ   |_/
 |  ヽ/ヽ/\_ノ  / |ナンミョ〜ソフォ〜レンングエ~キョーーナンミョ^フォテンジ゙エキョヤーーー
. \、 ヽ二二/ヽ  / / ナンミョ^フォーーーーーーレンゲヨー アニョハセヨーーーーーー
.   \i ___ /_/

      ,. < ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ > 、
    /     谷 垣      ヽ   _
   〈彡                Y彡三ミ;,   先生!支持率が上がりません!助けてください!
   {\    \|_ \>ー 、  ト三三ニ:}
   人{ >、,___.>、/三 ヾ\ |わ三彡;!  先生に見捨てられたら、もう自民党は終わりです!
  /./ トミ;,_       Y/  \>ノー〜=- "
  V / /!   ̄ ̄ ゝ  |   /  _       助けてください!おながいします!
  し/'┴──----─''|  ン}\-ヾ彡
              ヾ、___ノー'''`                
342卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/25(水) 10:20:36.29
ある疑問。

右北平郡に大揭石山というのがある。そしてどうやら小碣石山というのもあったようである。
《禹貢錐指》驪城之山稱大碣石必有小碣石在蓋即壘縣海帝之石矣

この小碣石というのが所謂碣石か。碣石山は二か所ある、という文献があるが、
要するに大碣石山と小碣石山のことか。
343卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/25(水) 10:35:51.65
代郡   戸五萬六千七百七十一
上谷郡  戸三萬六千八
漁陽郡  戸六萬八千八百二、
右北平郡 戸六萬六千六百八十九
遼西郡  戸七萬二千六百五十四
玄菟郡  戸四萬五千六
遼東郡  戸五萬五千九百七十二
樂浪郡  戸六萬二千八百一十二

この戸数だけを見ても、漢代に楽浪郡がソウルまで広がっていたとはとても思えない。
344日本@名無史さん:2012/04/25(水) 17:36:43.23
大国主の国譲りまでは饒速日系
海幸山幸からが神武系
二系統の神話を神代、人代に別けた説もあるよね
345日本@名無史さん:2012/04/25(水) 18:30:25.26
>>342
おにいちゃん碣石って碑のことじゃに
346卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/26(木) 11:25:45.23
遼西郡の西部都尉治、柳城をネットで調べると朝陽市朝陽郡南西部とある。
また、東部都尉治、交黎を調べると錦州市北部とある。
おそらく大凌河上流の白狼水のある辺りから大凌河までが遼西郡だったのだろう。

で、>>343を見ると各郡の戸数は似たようなものだから、郡域も似たようなものだったと思われる。

で、遼東郡の西部都尉治は無慮で医巫閭山あたりだから、東部都尉治の武次は撫順市あたりではないか。
ブジとブジュン。音も似ている。

ネットには武次は丹東市鳳城市とあるが、それでは郡域が広すぎる。
それに医巫閭山から見れば鳳城市は東南であって、東ではない。

要するに現在の遼寧省の省域に、右北平郡、遼西郡、遼東郡、楽浪郡がすっぽりと収まる。
347卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/26(木) 16:07:54.58
箕子朝鮮は、最初はおそらく山海関の東にあったが、燕に襲われて千余里退いた。
退いてどこへ逃げたかといえば翳父婁(おそらく医巫閭)である。(契丹古伝その他)
で、燕と箕子朝鮮は満番汗を境とした。遼東郡に番汗県がある。

漢は箕子朝鮮との境を浿水とした。その浿水の東に王険城があるという。
遼東郡に険涜県があり、王険や衛満が都したところだという。

要するに箕子朝鮮は大凌河の東にあったのであり、大凌河の東が遼東であり古朝鮮であった。
そこへ衛満が亡命してきて、箕準は海を渡って韓地(朝鮮半島)へ逃げた。

その衛氏朝鮮を滅ぼして漢の四郡を置いた。
だから、漢の四郡はすべて遼東にあったのであり、朝鮮半島内にあったのではない。
348日本@名無史さん:2012/04/26(木) 19:41:45.65
考古学で楽浪郡ってピョンヤン辺りにあったってわかってるんじゃないの
349日本@名無史さん:2012/04/26(木) 19:51:50.87
カルト信者乙
350日本@名無史さん:2012/04/26(木) 20:40:47.78
>>348
人間、信じたいものを信じる傾向があるからね。
自分の説に惚れてしまうと、なんでもその証拠に見えてしまう。
351唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/04/26(木) 22:07:24.81
新羅(辰国)を北に追いやって南に倭の領土を作る。

317年(神功43年。仁徳5年) 元年丁丑五月受禅 十一月加耶君守克殂慕诃立以宣失为太后时加耶与倭相通不遵朝廷之令
320年 4年(AD380)正月白龍(白龙=庚辰)登保角干薨 奈解帝孫也 祖母曰 玉帽太后 父曰 仲解太子 母曰 登世宮主 助賁帝摩腹女也・・・年六十四
322年 6년[임오382/322] 정월, 현마제(玄馬祭)를 행하였다.六年正月行玄馬祭
倭と和親してホシ(互市)を開いてギョホン(交婚)したがその国を野党(野)と称した.与倭和親互市交婚称其国曰野 【野党=ヤマト】
七月夫余(不耐濊=百済)禿山城主布髣ヲ三百人來降命居六部夫余請還之不許

新羅が倭と親交を持つのは320年。
だから、317年の出来事も限定的にしか認識していない。
320年には、楽浪・帯方も衰退し、その下働きをしていた不耐濊の一部が新羅に逃げ出す。

352日本@名無史さん:2012/04/27(金) 00:17:35.31
史書だって普通に読めば朝鮮が朝鮮半島にあったことはすぐ分かるよ。
353唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/04/27(金) 00:29:02.57
神功皇后 275年〜343年 
応神天皇 344年〜384年
仁徳天皇 313年癸酉〜399年 神功三九年己未 大歳を元年とする。
癸酉+46=己未
この46年差が半島の歴史書に散見される。
神功皇后摂政六二年(壬午二六二 )二月新羅不朝。即年遣襲津彦撃新羅。〈百濟記云。壬午年。
書紀の主張を百済本紀に整合させれば、120年差が成立する。はたして正しいのか?

ネムル王 7禺聖未383] (水羊祭) (323年癸未・神功49年己巳)三月夫余流民三十戶又來降 夫余與倭相
通 年年受其民 散置都鄙 倭臣熊彦美而善辯 與阿尒相通多 聽其言 故國人異反或歸于我亦歸于麗
ネムル王 8年[甲申384] 正月, 木神制(木神祭) 夫余謹須殂枕流立 其母阿尒執政 遣千世吊之
(338年戊戌・神功64年甲申) 付与の斤数(謹須)が死んで(□) チムリュ(枕流)が立った.

ネムル王 7年癸未の記事は、干支が書紀とは整合しない。しかし、
ネムル王 8年甲申の記事は、書紀と整合する。
ネムル王自身は、儒禮泥師今(284~298)や基臨泥師今(298~310)に近い世継ぎである。
ネムル王(奈勿麻立干)が317年からであれば、基臨泥師今以前につながることは確実である。

ネムル王 7禺聖未383] (水羊祭) (323年癸未・神功49年己巳)で60年差。
ネムル王 8年[甲申384] (338年戊戌・神功64年甲申)で46年差。

[甲申384]−338年戊戌=46年
354日本@名無史さん:2012/04/27(金) 15:43:15.30
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

@『かんさほうじん (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会

大河の画面が汚いのも、役者が大根なのも、衣装がぼろぼろなのも、役者の下品な立ち回りも、
画面が薄暗いのも、役者が汚いのも全ての原因は




NHKが汚れているから
 史実うんぬんの話ではないのですよ。あの大河は役者、セット、演出等が、いまのNHK内部の汚れ具合を見事に反映しているのです。

薄汚れた空間内で繰り広げられる捏造・妄想(=今年の大河)は、反日・在日の脳内を表しているのです
355卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/27(金) 15:47:27.98
秦自是益豪 燕亦加彊 殷遂以宇涘勃大水為界 譲曼灌幹之壌 而東(中略)
至是燕築塞 繞曼灌幹城 曰襄平 (契丹古伝)

殷とは箕子朝鮮のこと。箕子は殷の紂王の親戚だからである。
曼灌幹はおそらく満番汗。襄平県は遼東郡にある。宇涘勃大水はおそらく大凌河。

これをみても箕子朝鮮は大凌河以東を本拠地としたことが分かる。
そこを衛満が攻めて箕準を追い出し、自分の領土とした。
漢がその衛氏朝鮮を滅ぼし、そこに四郡を置いた。
だから漢の四郡は大凌河以東に置かれたのであり、朝鮮半島内に置かれたのではない。
契丹古伝は鴨緑江を奄淥大水と書いているから、宇涘勃大水は鴨緑江ではない。
356卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/27(金) 16:13:54.61
大率皆魁頭露紒布袍草履

後漢書の馬韓伝を読んでいたら、大率という単語が出てきた。
大率というのはもともと中国の単語ではないのか?
357日本@名無史さん:2012/04/27(金) 16:28:24.39
ほう、さすが。
でも、倭人伝のは「一大率」だから、微妙に違うな。
358日本@名無史さん:2012/04/27(金) 16:49:50.26
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

@『かんさほうじん (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会

大河の画面が汚いのも、役者が大根なのも、衣装がぼろぼろなのも、役者の下品な立ち回りも、
画面が薄暗いのも、役者が汚いのも全ての原因は


NHKが汚れているから
 史実うんぬんの話ではないのですよ。あの大河は役者、セット、演出等が、いまのNHK内部の汚れ具合を見事に反映しているのです。

薄汚れた空間内で繰り広げられる捏造・妄想(=今年の大河)は、反日・在日の脳内を表しているのです
359卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/27(金) 17:04:30.87
東明之後有仇台 篤於仁信 始立國于帶方故地 漢遼東太守公孫度以女妻之 遂為東夷強國 (北史 百済伝)
永寧元年 乃遣嗣子尉仇台(印)〔詣〕闕貢献 天子賜尉仇台印綬金綵 (後漢書 夫余伝)

尉仇台は公孫度の娘を娶ったとされるが、尉仇台が貢献した永寧元年は120年。
公孫度は?〜204年だから、120年にはまだこの世に生まれているかどうかも分からない。
尉仇台が公孫度の娘を娶ったというのは誤伝か。
360良ババ:2012/04/27(金) 18:28:54.02
>>357
>ほう、さすが。
なーにが「さすが」だ・タコ。
お前みたいに簡単に騙されるのがいるから、
ホラ吹きど素人が・いつまでもノサばるんだ。

大率とは中国語では「だいたい」「あらまし」という意味だ。
『後漢書』馬韓伝の大率の意味を詩文で調べてみたのか?
朝鮮の野郎、てめえが提示する事例の意味や真意も調べず、
文字づらだけで表層的に検索して引っ張ってくる。
そうして自論に都合のいい用例でもあるかのように・ほのめかす。
そうした手口をちゃんと認識してかかれ。

むしろ『隋書』百済伝に、大率という官名が登場する。
百済には、倭国は長く・相当なインフラ投資をしてるからなー。
倭人の影響がのちのち・こうやって出てくるわけだ。
三国時代にはひざまづいて恭啓する習俗がなかったものが、
隋代にはひざまづいて恭啓するとある所なんかもそうだな。

なんでもいいから、朝鮮の投稿にいちいち反応するなや。安っぽい
361日本@名無史さん:2012/04/27(金) 18:42:02.56
>>356
朝鮮くんっていまごろそんなことゆうてさ
362稗箕孤:2012/04/27(金) 18:52:14.83
領域呼称なんかでも「國」とかは純粋に中国の単語だろ

「クニ」なんかってもないな

みなさん勝手に妄想たれて使っているだけだろ

郡なんて当然のことあるわきゃねえよな

独自にぱたあんにんしきしてあげたら

たぶんこんなかんじかな


大官曰 卑狗(ひこぅ)(鄙~)

副曰 卑奴母離(ひな・もり)(鄙那母離・鄙守=邑守)

「那」と「奴」はフリーで交換可能
363日本@名無史さん:2012/04/27(金) 19:04:31.40
>>359
たぶん范曄のおっちょこちょいがここでもやらかしたんだってもっぱらの噂ですけどね
364日本@名無史さん:2012/04/27(金) 19:24:07.96
いさくさんは烏丸鮮卑東夷傳の烏丸鮮卑のところはよくめえとおしていないのか

率衆王のがべえすで「率善中郎將」「率善校尉」「率善邑君」のネーミングがおこる。

「率衆王」の「率」する対象は「部衆」

その上に

「率する」のは「統帥する」の「帥する」のに置換可能だろ

「大帥」は「大率」に置換可能だろ
365ちょっと書き忘れた:2012/04/27(金) 19:27:35.00
その上に
  ↓
その上に皇帝さんが派遣した将軍様てきな人が座るのだ
36619歳某国立大生:2012/04/27(金) 20:40:50.83
久しぶりにきてみたけどあいかわらずまだやってるみたいだねw
でも前より寂れてるみたいだしいいことだ。邪馬台国はさすがに
不毛だよ。正月のころの俺はどうかしてたわ
367日本@名無史さん:2012/04/27(金) 21:30:28.04
文字は古代中華風の発音で好き勝手に当て字してるだけだから
率と師と卒で議論しても無意味じゃね?
368日本@名無史さん:2012/04/27(金) 21:34:32.39
小野妹子→おののいもこ→ぉのぃもこぅ→そぉのいもこぅ→そいんこう→蘇因高

みたいなレトリック
369日本@名無史さん:2012/04/27(金) 23:13:35.45
ばかたれ

ちゅうこくの読者にしてみれば「帥」も「率」もかぎりなく等価だろつうおはなしだわ
370日本@名無史さん:2012/04/27(金) 23:19:58.46
各国の王が話し合いによって世襲によらない王を立てた
しかも女性の

こんな話をそのまま受け入れられる人はよっぽどの馬鹿だよ
371sss:2012/04/27(金) 23:31:14.17
>>370
織田信長と上杉謙信と武田信玄と北条氏と毛利氏と長宗我部氏と島津氏が
話し合って都を建設し、どこかの娘を王にした。
というような話だからなあ。
まあ、壮大なドラマではあるが、古代の話としては壮大過ぎるかな。
畿内説に言わせれば、これが学界の定説ということらしいが…。
372唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/04/27(金) 23:35:05.91
307年丁卯 二月先今儒礼崩 先代儒礼が死ぬ(儒禮泥師今 284~298)
(321年・神功47年丁卯)9月には、高(康世)の娘チョンガン(千康)を付与太子(夫余太子)ギルス(吉须)の先(妻)とした。 九月以康世女千康妻夫余太子吉须
315年乙亥目視(木豕)
(329年己丑・神功55年乙亥)11月、グンチョゴ(近肖古)が死ぬ(殂)と兵站学(谨须)が立った。 渤海(发亥)を送って弔問した。 十一月近肖古殂谨须立遣发亥吊之
ネムル王元年丁丑五月受禅 317年(神功43年。仁徳5年) 十一月加耶君守克殂慕诃立以宣失为太后时加耶与倭相通不遵朝廷之令
至是以倭王女为妻而不听宣失之言遣使责之
夫余与丽争地战于?木 <十月谨须以兵三万袭平壤故至是丘夫使其弟伊連来功也>
付与(夫余)が高句麗とジェンジ(争地、 敵とお互いにしようと争う地、戦略的要衝地 )して
青木(?木)から戦った。
ネムル王 六年正月行玄馬祭 322年壬午
倭と和親してホシ(互市)を開いてギョホン(交婚)したがその国を野党(野)と称した.与倭和親互市交婚称其国曰野 【野党=ヤマト】
七月夫余禿山城主布?率三百人來降命居六部夫余請還之不許
ネムル王 7年(水羊)  (323年癸未・神功49年己巳)
ネムル王 8年 (木神) 324年甲申
(338年戊戌・神功64年甲申) 付与の斤数(謹須)が死んで(□) チムリュ(枕流)が立った.
ネムル王 10年(火狗)  (326年丙戌・神功52年壬申)付与(扶余)が官房(宮城)を大きく設置して高句麗(句麗)に備えた.

>こんな話をそのまま受け入れられる人はよっぽどの馬鹿だよ

そこまで理解できているのに、半島の史書は信じる。
373日本@名無史さん:2012/04/27(金) 23:47:46.32
樂浪郡でなくて

樂浪縣つうのがあったんだけど知ってる?

たぶん樂都とも呼ばれていたのかな?

いつのことでしょうかね
374日本@名無史さん:2012/04/27(金) 23:50:02.85
戦後の古代史は馬鹿すぎる
戦前のほうがマシだわ

何で古代の王様たちが共同で巫女さんを王様にするんだ
大和に現れた王様が軍事力でほかの国を従えていったに決まってるじゃないか
375日本@名無史さん:2012/04/27(金) 23:53:02.01
>>374
大和民族は男系だよな琉球は宗教権威だが確かに嘘こいてるなw
376日本@名無史さん:2012/04/28(土) 00:02:32.92
鉄の流通をめぐって争っていた
話し合いで巫女さんを王様にした
吉備や北九州の風習を持ち寄って新しい宗教を作った
話し合いで新しい宗教なんて作れるの
その宗教は三輪山がご神体で農耕民族丸出し
流通のことでもめてたんじゃないの
大和にでかいもの作ったけど大和がリーダーじゃない

何一つ納得いかない
377日本@名無史さん:2012/04/28(土) 09:03:39.29
>>376

誤) 何一つ納得いかない
正) 何一つ理解できない

理由) 無知だからw
378日本@名無史さん:2012/04/28(土) 12:50:56.43
>>376
根拠がないからなあ。
頭の中で都合良く考え出したものだから小説のような世界だ。
379日本@名無史さん:2012/04/28(土) 13:03:23.26
京都の事故

44 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/04/12(木) 20:06:17.25 ID:LKXz/REk0
かつてはてんかん患者の自動車免許取得は法的に制限されていたが、
2002年6月の道路交通法改正によって、発作が起きても意識障害を伴わない又は、
発作が就寝中に限るなどの患者は、公安委員会の検査や、医師の診断書を提出するなどの条件付で取得に道が開かれた。
日本てんかん協会の運動で、てんかんでも免許取得が可能になった。
その結果、案の定、2002年以降、てんかん患者のひきおこした重大な事故が急増

2011/04 栃木・鹿沼   6人死亡 (持病を隠蔽、過去に事故2件)
2011/04 島根・松江   1人死亡 (持病を隠蔽、薬飲まず)
2011/05 広島・福山   4人重軽傷 (過去に事故2件)
2011/07 愛知・岩倉   2人死亡 (通院歴なしで不起訴)
2011/10 鹿児島・姶良 1人死亡4人重軽傷 (過去に物損事故、薬飲まず)
2012/02 栃木・宇都宮 6人重軽傷 (昨年7月に事故、運転しないと誓約書)

すると2002年の法改正で可能になった、てんかん患者の自動車免許取得を既得権益とする
共産党が支援している日本てんかん協会は
「てんかん患者の権利を守れ」と法務大臣に要望書を提出
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1334225953/

その三日後にまたしても死亡事故発生
2012/04 京都・東山区 7人死亡9人重軽傷     (数日前に発作、姉と相談)

日本てんかん協会 (共産党の支援団体)
住所 東京都新宿区西早稲田2-2-8

>>権利を守れ
>>西早稲田2-2-8    差別利権で食ってる団体だな
380日本@名無史さん:2012/04/28(土) 13:55:45.94
もう畿内説なんて2chにはいないだろ
381日本@名無史さん:2012/04/28(土) 14:16:33.34
なぜ栃木県にてんかん患者が多いのか?
ドキュンも多いし、怖いですね。
382日本@名無史さん:2012/04/28(土) 15:04:47.11
>>379
コピペにレスするのもなんだが。
持病を隠蔽して事故おこしたやつとか、通院歴なしとか、
法律の改正で免許を取得したてんかん患者とは無関係やん。
許可されてたら病気を隠す必要はないし、
運転しませんなんて誓約書かくはずないんだから。

こうやって、感情だけで非論理的な非難をすれば、
てんかん患者が余計に病気を隠すようになり、治療すらしなくなるかもしれん。
すると、重大事故が余計に増えることになる。

こんな愚劣なコピペを作ったやつも貼ったやつも恥を知れと言いたい。
383日本@名無史さん:2012/04/28(土) 17:04:14.89

★人間を無知にさせるための道具★
1.テレビ
(どのチャンネルも、芸人.オカマ.在日.カルト信者)
2.スポーツ
(無知に与えられた娯楽ゲーム。マスコミを使ってスポーツ奨励
サッカー野球陸上スケート・・皆背後に役人、政治家)

「愚民には政治や世の中のことを考えてもらうよりも、球追っかけてくれてたほうが都合がいいの」
384日本@名無史さん:2012/04/28(土) 22:09:31.08
いまどき邪馬台国が近畿なんて妄言
信じるバガはいないだろ
385日本@名無史さん:2012/04/28(土) 22:42:21.39
天皇を神に祀り上げた明治時代、「かつて天皇は奈良にいたはず」、
という思い込みで畿内説をでっち上げただけ。

畿内説は、非科学的学問の典型です。
386日本@名無史さん:2012/04/28(土) 23:02:33.51
明治時代は天皇を皇帝に祀り上げたんだろ
天皇は昔は神だった
387日本@名無史さん:2012/04/29(日) 00:25:01.81
民俗学の折口信夫の説によれば
天皇は、即位の大嘗祭のときに天皇霊と合体することで天皇になる。
だとすると、天皇霊という神を身に宿しているから現人神だという考え方なんだろう。
退位すれば天皇霊は離れるんだろうから、現人神ではなくなるんだろう。
388日本@名無史さん:2012/04/29(日) 00:30:27.60
皇室には極秘の伝統行事が脈々と受け継がれているのかもしれない。
389日本@名無史さん:2012/04/29(日) 00:32:40.67
ジョーカーとローガンが来ないと畿内説ってほとんどいないんじゃないか
390日本@名無史さん:2012/04/29(日) 00:34:35.90
そういえばジョーカーを久しく見ないな。
391日本@名無史さん:2012/04/29(日) 00:51:41.44
ジョーカーは今船作ってると思う
392日本@名無史さん:2012/04/29(日) 06:21:44.34
もう次スレはいらんだろここ
393日本@名無史さん:2012/04/29(日) 06:49:31.56
纒向に決まってしまったしな
394日本@名無史さん:2012/04/29(日) 06:53:39.22
纒向は卑弥呼時代の只中に伐採された木があったしね
アレ以上の状況証拠が九州に無いなら畿内で確定
センセーたちの大勢もとっくに畿内に大きく傾いております
395日本@名無史さん:2012/04/29(日) 07:11:02.02
邪馬台国である証拠にはならない
396日本@名無史さん:2012/04/29(日) 08:20:46.81
>>394
木が伐採されることは、日本国中いつの時代でもどこの場所でもあっただろうに。
九州では3世紀前半に木が伐採されることはなかったのか?
397日本@名無史さん:2012/04/29(日) 08:52:23.41
纒向しか縋るところがなくなったみたい
398日本@名無史さん:2012/04/29(日) 08:52:29.57
年末頃までは畿内説も勢いはあったが、古墳を古くしようとしていた詐欺や
纒向は実は5世紀だったことがばれて萎んできてしまった。
着ない説がこれ以上発言すればさらにボロが出るから地下に潜んでいる状態
399日本@名無史さん:2012/04/29(日) 09:34:01.00
ほぼ宗教化…
400日本@名無史さん:2012/04/29(日) 09:37:57.22
そらどっちもw
401唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/04/29(日) 11:09:36.96
>古墳を古くしようとしていた詐欺や

記事の差し込みで時代設定が間違っている【半島の歴史書】をいまだに信じている。

307年丁卯 二月先今儒礼崩 先代儒礼が死ぬ(儒禮泥師今 284~298)
【(321年・神功47年丁卯)9月には、高(康世)の娘チョンガン(千康)を付与太子(夫余太子)ギルス(吉须)の先(妻)とした。 九月以康世女千康妻夫余太子吉须】
312年壬申(水猿)6月、ギリムジェ(基临帝)がブーン(崩)春秋が43歳だった。 (基臨泥師今 298~310)
315年乙亥目視(木豕)
【(329年己丑・神功55年乙亥)11月、グンチョゴ(近肖古)が死ぬ(殂)と兵站学(谨须)が立った。 渤海(发亥)を送って弔問した。】【 十一月近肖古殂谨须立遣发亥吊之】
317年 ネムル王元年丁丑五月受禅 (神功43年。仁徳5年) 十一月加耶君守克殂慕诃立以宣失为太后时加耶与倭相通不遵朝廷之令
至是以倭王女为妻而不听宣失之言遣使责之
夫余与丽争地战于?木 <十月谨须以兵三万袭平壤故至是丘夫使其弟伊連来功也>
付与(夫余)が高句麗とジェンジ(争地、 敵とお互いにしようと争う地、戦略的要衝地 )して
青木(?木)から戦った。
322年壬午 ネムル王六年正月行玄馬祭 
倭と和親してホシ(互市)を開いてギョホン(交婚)したがその国を野党(野)と称した.与倭和親互市交婚称其国曰野 《野党=ヤマト》
七月夫余禿山城主布?率三百人來降命居六部夫余請還之不許
323年癸未・ネムル王 7年(水羊)  (神功49年己巳)
3月 扶余の流民がまた30戸来降してきた。扶余と倭は通じており、年々その民を受け入れ
都や村に散置してきた。倭臣千熊長彦は良く弁舌がたち、住民と仲がよい。
住民はその言の多くを聞き入れ、故に国に背き、千熊長彦に従う。(大量渡来)
或いは我(辰国)に帰順、また高句麗に帰順する。
402日本@名無史さん:2012/04/29(日) 13:01:41.42
纏向は饒速日じゃね?
403日本@名無史さん:2012/04/29(日) 13:43:18.49
でしょうね。
404日本@名無史さん:2012/04/29(日) 15:05:50.46
1 名無しさんにズームイン! [] Date:2012/03/28(水) 08:28:15.02 ?ID:NWYs/2ZP Be:
 やらなけゃいけない
 電○の各局への圧力が半端ないんです
 昨日、一昨日前田AKB卒業ネタやった情報番組全てが前田AKB卒業ネタ中の毎分で視聴率がダダ下がりしました。
 各局本音では毎分視聴率ダダ下がりするこのネタははやりたくなかったけど原子力村以上に電○からの圧力が凄いんです

ブーム捏造、枕営業、自社買い、サクラの動員そして
AKBの捏造ブームのために税金が大量に使われている証拠がこちら

やっと気付いた「AKBに電通が絡んでる」ではなく「AKBの正体が電通」な件 その127
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mor●ningcoffee/1335468718/

AKBの宣伝に税金を使い、その税金が民主党に流れている
テレビの捏造に騙されるな
405日本@名無史さん:2012/04/30(月) 00:46:45.73
>>387
天照と合体するのかと思ってた
天照とスサノオのウケヒによって子神をもうけたんだから
天皇はスサノオの子孫なのかという疑問もでてくる
406日本@名無史さん:2012/04/30(月) 09:21:17.92
スサノオとか大国主が饒速日と長髄彦
そこに突撃してきたのが神武
ただわからんのが、饒速日と神武の関係
饒速日→物部らしいが、だとしたら物部連(ムラジ)ではなく物部臣(オミ)にならないとおかしい
407日本@名無史さん:2012/04/30(月) 15:09:59.83
 やらなけゃいけない
 電○の各局への圧力が半端ないんです
 昨日、一昨日前田AKB卒業ネタやった情報番組全てが前田AKB卒業ネタ中の毎分で視聴率がダダ下がりしました。
 各局本音では毎分視聴率ダダ下がりするこのネタははやりたくなかったけど原子力村以上に電○からの圧力が凄いんです

AKBの宣伝に税金が使われ、その税金が民主党に流れている。
ブーム捏造、枕営業、自社買い、サクラの動員そして
AKBの捏造ブームのために税金が大量に使われている証拠がこちら

やっと気付いた「AKBに電通が絡んでる」ではなく「AKBの正体が電通」な件 その127
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/133∵5468718/     ∵を外して貼り付け

テレビのやらせブームに騙されるな
408卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/30(月) 23:33:37.81
以前、楽浪郡は朝鮮半島には無かった、という韓国の新聞の記事を紹介したが、
同じ新聞が帯方郡も朝鮮半島には無かったことを論じている。

http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/657482.html

これを読むと、どうやら言い出しっぺは津田左右吉のようだ。それに朝鮮の学者が追従した。
またしても津田左右吉。津田左右吉こそ諸悪の根源だ。
409日本@名無史さん:2012/05/01(火) 00:13:02.14
朝鮮半島のでふぃにっしょんにもよるが

天然の塞としてのふぁんくしょんから その北限を鴨緑江としてあげるとすると

やられて後退して西安平に二郡の治所が避難してきていたような時期には

二郡の治所は半島内には無くって遼東郡の支配領域にあったということにはなるがな
410日本@名無史さん:2012/05/01(火) 00:47:36.79
鴨緑江を北限として朝鮮半島だとしてあげると

鴨緑江と清川江と燕のでっちあげた塞とに囲まれた領域は

歴代の王朝から遼東郡の支配領域として指定されている時期が多々だから

朝鮮半島の一部の領域は遼東郡の支配領域に含まれるということができるよな

清川江を北限として朝鮮半島だとしてあげるとそこらへんのは回避とかできるけどね
411唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/01(火) 01:11:31.49
主流史学界は高句麗,美川王が在位14年(313)に楽浪郡を攻撃し2千人余りを捕虜としたことによって楽浪郡
と漢四郡が全て滅亡したと見ている。

317年 ネムル王元年丁丑五月受禅 十一月加耶君守克殂慕诃立以宣失为太后时加耶与倭相通不遵朝廷之令
至是以倭王女为妻而不听宣失之言遣使责之
夫余与丽争地战于?木
付与(夫余)が高句麗とジェンジ(争地、 敵とお互いにしようと争う地、戦略的要衝地 )して
青木(?木)から戦った。

313年に楽浪郡が滅亡したのであれば、317年に高句麗が扶余(百済)と争うか?
また、東夷校尉、平州刺史崔が高句麗と手を結ぶか?

412日本@名無史さん:2012/05/01(火) 01:25:44.76
崔さんは慕容廆にやられて高句麗に逃げ込んだとかってしらんの?
413日本@名無史さん:2012/05/01(火) 01:36:49.57
285 夫餘王依慮 鮮卑慕容廆に攻められ水没 子弟走保沃沮

これってなんか遼西にいた夫餘っぽいですけどね

従って、317年の夫餘とゆうと東沃沮あたりが拠点のなんだろ
414卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/01(火) 08:54:53.87
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/628237.html
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/638501.html
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/666908.html#more
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/675582.html
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/687957.html
http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/695945.html

これらを読むと、すべて津田左右吉らの日本人学者と、それに追随したイ・ビョンドの捏造だと分かる。
陳寿の東夷伝と三国史記の内容が食い違っているので、どちらを信用していいのか分らなかったが、
どうやら三国史記が正しいようだ。
415日本@名無史さん:2012/05/02(水) 00:12:50.92
北韓だとかって

本気でそうゆうまぬけなテクニカルターム使用しているところのがおばか
416唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/02(水) 00:43:39.49
>崔さんは慕容廆にやられて高句麗に逃げ込んだとかってしらんの?

そう、319年に高句麗へ出奔している。
だから、その前に同盟しているのであるが、316年に西晋が滅ぶ前は
崔は西晋の官である。
313年はその時空である。
417唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/02(水) 01:14:52.18
ネムル王紀に書かれた扶余とは、この不耐であり、後の百済。

[シ歳]は南は辰韓と、北は高句麗・沃沮と接し、東は大海に窮す、今朝鮮の東皆その地なり。
正始六年、楽浪太守劉茂・楽浪太守弓遵、領東の[シ歳]、句麗に属するを以って、師を興し
これを伐つ。不耐侯等、邑を挙げて降る。その八年、闕に詣り朝貢す。詔しさらに不耐[シ
歳]王を拝す。居所民間に雑在し、四時郡に詣り朝謁す。二郡軍征賦調あるに、役使を供給
す、これを遇すること民の如し。

永嘉の乱以降、軍事力も持たしてもらえたと思われる。
しかし、西晋が滅ぶと、領土を持たない軍隊となる。
奈勿聖帝 四年 正月 行白龍祭 (320)
十月 麗使方夫流至 甚無禮三生欲殺之 帝止之 厚遇而送之 夫流歸 贊帝コ
10月高句麗の使臣防腐類(方夫流)が来たが甚だしく無礼だった. (320)
323年 神功49年 この百済を誘い半島占拠を達成する。
307年丁卯 二月先今儒礼崩 先代儒礼が死ぬ(儒禮泥師今 284~298)
【(321年・神功47年丁卯)9月には、高(康世)の娘チョンガン(千康)を付与太子(夫余太子)ギルス(吉须)の先(妻)とした。 九月以康世女千康妻夫余太子吉须】
310年庚午金馬(金马) 【324年 神功50年庚午 10月、高句麗(丽)の理由(斯由)が付与(夫余)と戦って死んで息子曲げ(丘夫)が即位した。】
六年 玄馬 322
倭(倭)と和親してホシ(互市)を開いてギョホン(交婚)したがその国を野党(ヤマト)と称した.
七月夫余禿山城主布髣ヲ三百人來降命居六部夫余請還之不許
323年癸未・ネムル王 7年(水羊)  (神功49年己巳)
3月 扶余の流民がまた30戸来降してきた。扶余と倭は通じており、年々その民を受け入れ
都や村に散置してきた。倭臣千熊長彦は良く弁舌がたち、住民と仲がよい。
住民はその言の多くを聞き入れ、故に国に背き、千熊長彦に従う。(大量渡来)
或いは我(辰国)に帰順、また高句麗に帰順する。
326年丙戌・ネムル王 10年(火狗)  (神功52年壬申)付与(扶余)が官房(宮城)を大きく設置して高句麗(句麗)に備えた.
ネムル王 9年モックギェ(木鶏:乙酉385) 正月,
339年己亥・神功65年乙酉 10月, チムリュ(枕流)が卒(卒)と弟陳謝(辰斯)が立った
418唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/02(水) 01:19:24.24

これで、時代の流れがわかったか。
322年には、扶余(百済)の一部が先行きの不安から出奔する。
323年神功49年扶余の王子貴須の嫁さんは辰(新羅)人。
倭も婚姻関係を結んでいる。
だから、軍事力はほとんど使われずに半島占拠を達成する。
領土分与を受けた百済は建国。七支刀の文言は正しい。

北方扶余の伽耶への入植は4世紀前半。考古学とも整合する。

419日本@名無史さん:2012/05/02(水) 06:40:20.59
>津田左右吉らの日本人学者と、それに追随したイ・ビョンドの捏造だと分かる。
理由らしい理由は何も書いていないのに?
420日本@名無史さん:2012/05/02(水) 17:26:37.75
22 :可愛い奥様:2012/02/19(日) 20:10:14.60 ID:BAiCWuwH0

AKBを全面に出したバスが走ってて
http://www.akb-sg.net/akbus01.jpg

バスに書かれたリンクに行ったらAKBのページがあって
クールジャパンとは関係ないショップやカフェの広告が出てて
http://www.cooljapan.com.sg/akb48_live.html

クールジャパンとは関係ない現地のAKB企業HPへのリンクが貼ってあり
経済産業省の文字の真上で是非リンク先に訪れて下さいねと書いてある Please visit the official AKB48 Singapore website for the latest schedule of highlights!
www.akb48.com.sg

これのどこが日本の利益になるの?
税金使ってAKBと秋元康のバックにいる民主党への利益誘導をしてるだけでしょ
421日本@名無史さん:2012/05/02(水) 19:46:26.98
422日本@名無史さん:2012/05/03(木) 02:10:54.02
こうやの宮
423日本@名無史さん:2012/05/03(木) 13:16:32.31
中国人がやってきて国を作った
それが朝鮮の歴史の始まり
残念ながらこれは否定できない
424日本@名無史さん:2012/05/03(木) 15:05:03.31
>>421 >>422

邪馬台国の秘密を明かすでない。
425日本@名無史さん:2012/05/03(木) 15:08:46.85
邪馬台国の秘密ー実は河童の国だった
426日本@名無史さん:2012/05/03(木) 15:41:02.76
>>421
最初見たとき笑ったよ
どう古く見積もっても40〜50年前程度のもんだろw 
あの保存環境でこの状態だと
427日本@名無史さん:2012/05/03(木) 16:07:38.24
>>426
漆を塗り直しているんだよ。

七支刀の折れた一本は修復しないで
塗り直している。
428日本@名無史さん:2012/05/03(木) 16:11:33.90
真実が明らかになれば国宝だろう。
429日本@名無史さん:2012/05/03(木) 16:15:37.96
九州一帯は3世紀当時河童が支配していたのだ
430日本@名無史さん:2012/05/03(木) 16:51:53.31
>>421
この怖そうなうつろな眼しているおいちゃんは狗の耳とかつけちゃっていますねえ

物部連のところに来たお客さんですよ
431日本@名無史さん:2012/05/03(木) 20:20:44.88
ああそうか 狗奴国はもちろん狗人の国だ
西洋でいうコボルトだな
432日本@名無史さん:2012/05/04(金) 00:31:51.78
>>421

伝承をもとに、江戸時代あたりにそれを製作した職人がいたんだろうけど、
そういうのを出していいなら、

上津本山天満宮の豊姫像だな。
この本山という地名は、高良山のもとの山の意味。

実際に行ったことがあるけど、
始めてみたときちょっとドキッとした。

こうやの宮は瀬高だったっけか。山門郡だね。

433日本@名無史さん:2012/05/04(金) 02:12:20.59
434日本@名無史さん:2012/05/04(金) 10:56:34.59
>>432
>伝承をもとに、江戸時代あたりにそれを製作した職人がいたんだろうけど、


伝承をもとに、それを製作して神宝として祭ると言うのは普通しないことだろう。

それに
【七支刀は、神功皇后の時代に百済の国から奉られたと伝えられ、
奈良県天理市石上神宮(いそのかみじんぐう)に保存されていた。
千年以上もその存在が忘れられていたが、明治時代初期、
当時の石上神宮大宮司であった菅政友が刀身に金象嵌銘文が施されていることを発見した】

千年以上もその存在が忘れられていた存在すら知られていなかったのだから
伝承をもとに、それを製作した可能性はない。

また
七支刀を奈良の石上神功でたまたま目撃して
それを持った像を造り神宝として祭ると言うのはあり得ない事である。
つまり
七支刀は山門郡の王に贈られ、そのとき像を造り神宝としたと言う可能性が
最も高いし、その他の可能性はほとんど無いのだ。

神功皇后が山門郡の田油姫を
【鬼道を操り人民を惑わして神功皇后を暗殺しようとした。】と濡れ衣を着せて攻め滅ぼした時
財宝はことごとく奈良へ持ち去ったと言われている。
七支刀もその時持ち去った物だろう。
だから
七支刀は宮廷ではなく石上神宮に保管されているのであり
七支刀の由来の記録も無いのだろう。
435日本@名無史さん:2012/05/04(金) 10:59:33.40
>>433
なんで河童をUPしねえんだよ
九州は河童が支配していた国なんだぞ
436日本@名無史さん:2012/05/04(金) 12:25:05.52
クフ王が大ピラミッド造ってた時わが日本人は何してたの
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1336098301/
437日本@名無史さん:2012/05/04(金) 16:17:49.29
しかしずいぶん小さい剣だな…
なんか木の枝みたいな
438日本@名無史さん:2012/05/04(金) 20:11:48.70
色彩光沢は後世重ね塗ったものとしても顔の表情とか全身のフォルムとか
どう見ても昭和どんなに古くても精々明治なんじゃないの?w
439日本@名無史さん:2012/05/04(金) 20:16:08.64
畿内説はほとんどいないし、伊作もいない
九州説はチャンスじゃね
ちゃんとした論陣を張れよ
440日本@名無史さん:2012/05/04(金) 22:04:40.37
九州説の論陣張りは、発掘待ちだよ。
畿内説みたいに捏造ネタは作らないからな。
441筑紫次郎:2012/05/04(金) 22:11:45.95
狗邪韓国から南へ進んで最初にある国が対馬国
対馬国から南へ進んで最初にある国が一大国
一大国から南へ進んで最初にある国が末盧国
末盧国から東南へ進んで最初にある国が伊都国
伊都国から東南へ進んで最初にある国が奴国
奴国から東へ進んで最初にある国が不弥国
不弥国から南へ進んで最初にある国が投馬国
投馬国から南へ進んで最初にある国が邪馬台国

其餘旁國遠絶不可得詳とはそういう事を意味している。
邪馬台国は幻の彼方にあったのではない。
邪馬台国は末盧国からわずか5銀目にあった国だ。

末盧国 唐津
伊都国 佐賀大和都渡城
奴国 佐賀市北部
不弥国 吉野ヶ里
投馬国 八女筑後三潴
邪馬台国 山門郡大牟田荒尾
442筑紫次郎:2012/05/04(金) 22:25:44.02
山門郡の堤地区には戦前まで卑弥呼神社があった。
(今は個人の所有地に巨石がころがっているだけだった。)
存在さえしられていなかった七支刀を持った彫像まで神宝としてある。

大和朝廷系列の神功皇后が山門郡(邪馬台国)の田油津姫を滅ぼしたと言う事は
大和朝廷と邪馬台国は別の勢力だったことになる。

記紀を始めとして大和朝廷の記録に
邪馬台国卑弥呼の情報が一切無いのは
邪馬台国が大和朝廷ではなかったからである。

濡れ衣を着せて自らが滅ぼした邪馬台国の
記録を残すことはできなかったのだろう。
443日本@名無史さん:2012/05/04(金) 22:27:38.68
>>437
だな
あれが七支刀に見える連中の視力が心配だw
刃先の分かれ方も違うし向きが違うものもあるし
刃先とは思えない筋状の表現がなされているものもあるからな
444筑紫次郎:2012/05/04(金) 22:35:16.00
濡れ衣の着せ方が
【鬼道を操り人民を惑わして神功皇后を暗殺しようとした。】
と言うのは失笑ものである。

悉可以示汝國中人使知國家哀汝により
卑弥呼は超有名人になってしまったが、
卑弥呼、壹與‐‐‐に続く田油津姫も
卑彌呼事鬼道能惑衆を受け継いでいたのだろうか。
445日本@名無史さん:2012/05/04(金) 23:16:11.92
末盧国 唐津
伊都国 佐賀大和都渡城
奴国 佐賀市北部
不弥国 吉野ヶ里
投馬国 八女筑後三潴
--------------------------
ここまで全部はずれ

邪馬台国 山門郡大牟田荒尾

ここのはいちおう筑紫管内だから当たりに近い

ただし七万戸のうちの一部

   二十ヶ國のうちの一部としてね
446日本@名無史さん:2012/05/04(金) 23:22:58.80
佐賀大和から吉野ヶ里にかけての領域で二万二千戸とか食わすのはとてものこと_
447筑紫次郎:2012/05/05(土) 00:01:30.15
>>446
>佐賀大和から吉野ヶ里にかけての領域で二万二千戸とか食わすのはとてものこと_

http://www.geocities.jp/fsrfb814/isekibunpuzu.JPG
唐津の遺跡分布図も探し出した。
遺跡分布図は唐津四千戸の五倍二万戸はあると言っている。
448日本@名無史さん:2012/05/05(土) 00:02:05.41
>>442>>445

だ〜か〜ら〜、ヤマトなんていう地名は、卑弥呼よりずっとあとになってから、
「都」として認識された地名なんだから、邪馬台国の候補地として不適格。
探したいんなら「とうきょう」という地名でも探したほうがいい。
449筑紫次郎:2012/05/05(土) 00:15:31.63
>>448
訳の判らないことを言って邪馬台国を何処へ誘致するつもりだ?
450日本@名無史さん:2012/05/05(土) 00:20:15.30
>>448
>だ〜か〜ら〜、ヤマトなんていう地名は、卑弥呼よりずっとあとになってから、



>「都」として認識された地名なんだから、邪馬台国の候補地として不適格。

??

>探したいんなら「とうきょう」という地名でも探したほうがいい。

???
451日本@名無史さん:2012/05/05(土) 00:55:12.13
くろねこか?
452日本@名無史さん:2012/05/05(土) 01:20:02.68
根拠が卑弥呼神社とあのお人形?
453日本@名無史さん:2012/05/05(土) 01:24:02.31
>>449-450

卑弥呼の時代、都は「ヤマト」という名ではなかったよね。
奈良時代に「ヤマト」が都になったよね。
だから、卑弥呼の都を探すのに、山戸・山門・山都・耶麻都などの
地名を必死に探しても、卑弥呼とは無関係だよね。
454日本@名無史さん:2012/05/05(土) 01:28:45.54
>>453
卑弥呼の時代、都は「ヤマト」という名ではなかったよね。

邪馬台国は何だ?
455日本@名無史さん:2012/05/05(土) 01:30:24.28
>>452

根拠は
>>441
456日本@名無史さん:2012/05/05(土) 01:30:47.57
邪馬台壱国も邪馬台国も、絶対にヤマトとは読めないけど、なにか問題でも?
457日本@名無史さん:2012/05/05(土) 01:37:37.84
>>456
>邪馬台壱国も邪馬台国も、絶対にヤマトとは読めないけど、なにか問題でも?

何と読むの?
458日本@名無史さん:2012/05/05(土) 01:37:39.12
邪馬台を「ヤマタイ」と読む可能性は少ないだろうな
中国人が倭人の発音を元に漢字の音を当てはめたとすれば
一字一音である可能性が高い
当時の発音を正確には再現できないが「ヤマド」「ヤメド」などが考えられる
ただこれはあくまで中国人の聞き取りだから
実際の発音とは微妙にずれている可能性もある
英語の発音をカタカナ書きしたようなものか
いっぽう当時の倭人の言葉には「やまー」「ーと(ど)」というものがあったのでは
ないかと推測できる
459日本@名無史さん:2012/05/05(土) 01:43:29.62
むしろ、何と発音したかは知らないけど、邪馬台がのちに「ヤマト」になった可能性が高いな。
もとが「ヤマド」でも「ヤメド」でも構わないが、時代を経て「ヤマト」の名に受け継がれたということだ。
460日本@名無史さん:2012/05/05(土) 01:44:42.84
>457
邪馬台壱国も邪馬台国も、絶対にヤマトとは読めないけど、なにか問題でも?

絶対に読めない理由は?
461日本@名無史さん:2012/05/05(土) 01:46:39.17
>>459
>何と発音したかは知らないけど、

何と発音したかは知らないけど「絶対にヤマトとは読めないけど」だって?

馬鹿だ。
462日本@名無史さん:2012/05/05(土) 01:49:44.79
全て漢字だから、オツムがアレな>>457には読めないつーことじゃないかw
レス全体から、そう言う臭いがプンプンするでしょ。
463日本@名無史さん:2012/05/05(土) 01:50:52.59
何が議論の的になってるかがよくつかめないが
「ヤマト」が当時の倭語で「山処」や「山門」のような意味を持つのであれば
現在地名で例えば「山田」などが全国あちこちにあるように
こう呼ばれる場所もあちこちにあったのではないか
464本田:2012/05/05(土) 06:55:42.48
邪馬
如墨
いすれもJAVAと読むんだろう。
JAPANの語源。
465本田:2012/05/05(土) 07:41:04.17
邪馬壹國は30国で構成される連合王国。
女王國は日向国にあった。

卑彌
日向
いずれもhimeと読むんだろう。
466日本@名無史さん:2012/05/05(土) 11:43:02.06
JAPANも発音によってはヤパンだし、ヤマト、ヤマタイと同語原かもしれない。
つまり、名前なんて言葉や時代の違いによって、あるていど響きに幅があるということだ。
邪馬台壱も、魏の当時の言語感で、倭人の発する響きがそう聞こえたので文字にした、ということに過ぎない。
魏、呉、蜀などといっしょで現存しない。
国を指す呼称も、風化して当然だし、当時の魏の人にでも聞かなければ、邪馬台壱が何を指すのかは正確に解らない。
唯一、中国で時代を通して共通の呼称は「倭人」だ。
これは民族に対する呼称だよ、作っている国や住んでる土地を指す概念ではない。
日本語というか、やまと言葉を話し、倭人伝にあるような習俗をもち、人種的にも区別がつく一集団がいた。
だから、その集団に対して「倭人」という呼称が生まれるんだろ。
名前を付けて呼ぶほどの存在感はあったということだよ。
大国ならば周辺の様子にも注意を配るから、その倭人とは何だ? 束ねているのは誰だ?という事になるのは当然。
だから、漢代の前例にも触れ、大陸の王朝に対して敵対どころか、自ら朝貢して来るような穏便な民族だと書き出している。
そして、卑弥呼が朝貢して来たので、倭国王の称号をもって遇した。
これは冊封というより、外交をもった国への信任状みたいなものだと思うが。
つまり倭人の存在証明なんだよな。
その政権が都とした邪馬台壱国がどこに有ったかなんて、かなり小さい事なんだよ。
467日本@名無史さん:2012/05/05(土) 11:54:27.89
そう「倭」「倭人」と云う血統集団が重要。俺の処に朝貢して来てんだぞw

でっち上げハッタリの可能性だって在る。
468日本@名無史さん:2012/05/05(土) 13:43:26.94
>JAPANも発音によってはヤパン

14世紀ころの華北方言では「日本国」を”ジッペング”に近い音で発音。
それがマルコ・ポーロ経由でローマに持ち込まれ「ZIPANGU」と表記される。
さらにフランス語経由で英語表記「JAPAN」が誕生、これをドイツ語読みにすると「ヤパン」とか・・・

他にも諸説あるが、「倭国」や「大和」「邪馬台国」由来説では
どの言語でもしつこく表現される語尾の「n」音に対する説明ができない。
なので「日本国(ジッペング」由来とするこの説が一番有望でしょう。



469日本@名無史さん:2012/05/05(土) 15:32:15.57
結局、

卑弥呼の時代、都は「ヤマト」という名ではなかったよね。
奈良時代に「ヤマト」が都になったよね。
だから、卑弥呼の都を探すのに、山戸・山門・山都・耶麻都などの
地名を必死に探しても、卑弥呼とは無関係だよね。
470日本@名無史さん:2012/05/05(土) 16:54:53.64
まとめるとカッパが七支刀で日本統一を果たして、後にカッパが訛って
ジャパンと呼ばれたということだな
471唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/05(土) 17:16:27.51
六年 玄馬 正月芝公伊伐飡 兜花稟主 芝公儒禮帝子 母碧芝味鄒帝女 322
與倭和親互市交婚稱其國曰野 (新羅本紀312?)
倭(倭)と和親してホシ(互市)を開いてギョホン(交婚)したがその国を野党(ヤマト)と称した.
472日本@名無史さん:2012/05/05(土) 18:25:26.60
与党日の本国と野党邪馬台国
政権交代が起きたというわけだな。
473日本@名無史さん:2012/05/05(土) 19:23:58.20
久留米とかはむつごろうの天国で河童がとてもおいしくいただいていました。
474日本@名無史さん:2012/05/05(土) 19:37:02.00
御勢大靈石神社の伝承は本当なんかな?
佐賀平野は熊襲の国ということになっちゃいそうだが
475日本@名無史さん:2012/05/05(土) 19:41:28.67
そういえば九州では河童サミットとかやってるなあ・・・
476日本@名無史さん:2012/05/05(土) 20:22:41.86
http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/img/tsuchigumo_kouyanomiya14.jpg

やられてごめんなさいとかした土人だろ

久留米地方あたりの原住民の倭人のひとだな
477日本@名無史さん:2012/05/05(土) 21:35:19.06
華北方言のジッペングの由来はなんだろう?
478日本@名無史さん:2012/05/05(土) 22:45:35.29
十返舎一九
479日本@名無史さん:2012/05/05(土) 22:59:04.23
おそらくcopper(銅)はカッパに由来していると考えられる
自然銅を採集していた縄文(人?)であろう
カッパは鉄、鹿の角、猿を嫌うので、鹿トーテム、猿トーテムの鍛冶技術を持つ集団に土地を奪われたのだろう
カッパは義理堅く、礼儀正しい愛すべき(人?)たちである
480日本@名無史さん:2012/05/06(日) 00:16:35.55
河童の頭の皿のが良く理解できないけど

辮髪していているから毛が無いのでしょうか?
481日本@名無史さん:2012/05/06(日) 00:58:19.95
おっと、ロスチャイルド兄弟の悪口はそこまでだ。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/d8/36d2bc9b287e413fe83155f4b6be350a.jpg
482日本@名無史さん:2012/05/06(日) 02:25:06.35
>>480
辮髪は逆に頭頂部に毛があって周りを剃っているので…
ユダヤ教徒やカトリックの牧師さんが頭の上に乗せているキッパという
小さな円形の布をご存知だろうか
見た事ねーよという方はググって画像検索してもらいたい
ユダヤ教ではお祈りの時には髪を隠すという習慣があるらしいので簡略化した形だろう
NYあたりではユダヤ人の若い衆なんかも普段からカラフルなキッパを乗せている
しかしカッパとは関係ないと思う
ストレスによる円形脱毛症だったのではないか
483日本@名無史さん:2012/05/06(日) 10:25:36.95
中国風の皿などに描かれている唐子(からこ)、
たぶん、中国とは関係のない朝鮮半島の加羅から渡ってきた渡来人の風習ではないかと思われるのですが、
この髪型を放置しておくと河童のようになるのではないかと思いませんか?

http://www.otemo-yan.net/usr/iwashiroya/IMG_0801.JPG
484日本@名無史さん:2012/05/07(月) 18:55:36.19
これは元々韃靼人の風俗だからね
485女王国は糸島:2012/05/07(月) 19:01:40.17
 真の伊都国とは、「有千餘戸」の小さな国である。
歴代の王達は、全員女王国に従って暮らして来た。
 「丗有王、皆統屬女王國」。
現在の糸島市志摩南部である。
 
 「南至邪馬壹國、女王之所都」
女王国は、糸島(三雲・井原・平原)にあった。
伊都国は、女王国の鴻臚館として存在して来た。 

 「郡使往來常所駐」
常に郡使の宿泊する処である。

大宰府 ー 筑紫館、 大和朝廷 − 難波館 に同じ。
486日本@名無史さん:2012/05/07(月) 19:24:04.40
つか魏略の

>東南五百里 到伊都國 戸万余

この記述はどう思うねん
487日本@名無史さん:2012/05/07(月) 19:40:45.79
糸島平野だけで二万戸を養うのは無理だろ
488女王国は糸島:2012/05/07(月) 19:47:46.03
「自郡至女王國、萬二千餘里」は、女王国の入り口と判断している人が多い。
だが、そうだろうか?
この文章の書かれている場所を考えると、そうも言えない気がする。

 「 其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。
   自郡至女王國、萬二千餘里。」

 これを読むと、女王国の勢力範囲の南に狗奴國が存在して、その国境を表しているとも読める。
そうすると、「萬二千餘里」とは、

     女王国の南限である。 と、私は思うが。 どうだろうか?

489日本@名無史さん:2012/05/07(月) 20:04:56.08
そら思うだけならなんとでも
490日本@名無史さん:2012/05/07(月) 20:10:36.68
女王境界所盡のラインはほぼ福岡県の県境だな

佐賀県から唐津半島の頭の部分と頂戴して

長崎県からでかめの島さんこと頂戴して

それに半島の南端からちょぼっとで女王差配の領域の出来だな
491日本@名無史さん:2012/05/07(月) 20:18:58.70
つか伊作はじめ九州説のけっこうな割合は
「東南」の記述にこだわって糸島を伊都国に比定してないわな
佐賀方面にしているのが多いか
ここが九州説内での岐路になってる
492女王国は糸島:2012/05/07(月) 20:34:24.07
【 丗有王、皆統屬女王國 】

伊都国の歴代の王は、全員漏れなく女王国の統制の下に属してきた。

 
493日本@名無史さん:2012/05/07(月) 20:39:38.66
女王はいかにして再生産されるかだな

馬鹿読みしていないでケツの國とか消したら?
494日本@名無史さん:2012/05/07(月) 21:18:38.08
>>491
2chの九州説だけなんじゃないの?
倭人伝の前の時代は郡使が滞在し郡使のもとを中国人商人が往来したと考えられているのは
大量の楽浪土器の出土から糸島
倭人伝の後の時代はご存知博多湾岸の筑紫館
倭人伝の時代だけ極端に利便性の悪い山の裏側の佐賀平野にする理由がわからない
「一大率」もこんなとこにいたら湾岸諸国は各国自由貿易体制になってしまう
伊作の場合は特殊な状況を想定してるみたいだけど
495日本@名無史さん:2012/05/07(月) 21:21:58.48
又渡一海千余里 至末廬國 で 東南陸行五百里 到伊都國
だから佐賀方面じゃないのか
糸島なら陸行に切り替える必要がない
496日本@名無史さん:2012/05/07(月) 22:32:05.05
佐賀と唐津の間は谷が続いており、
比較的アップダウンの少ない街道でつながれている。
また、文禄・慶長の役でも、諸将はこの唐津街道を使って唐津へ向かっており、
佐賀城下に滞陣した話も多く残されている。

糸島と唐津は、海いっぱいまでせり出した岸壁を通るか、
標高400mに達する山越えをする必要がある。
唐津と黒田藩を繋ぐ交通路もなくはないが、
3箇所の渡し船に乗らなければならないという記録が残されている。
497日本@名無史さん:2012/05/07(月) 22:44:52.04
焔台まで完備した湊町のところまで南東に歩いてから船に乗って逝くんだよな
498日本@名無史さん:2012/05/07(月) 22:50:20.05
王墓もどきがざくざく出てこないところは伊都國にも奴國にも比定しようも無いよ

そのあたりはむしろ唐津周辺はそこらへんの資格はあるとゆうべきだろうけどな
499日本@名無史さん:2012/05/07(月) 23:42:34.69
壱岐から糸島に行くなら小船でもないかぎり、呼子付近の港にも寄らないんじゃないかな
500日本@名無史さん:2012/05/07(月) 23:48:40.69
大量の楽浪土器だとか銅鏡だとかは、朝鮮半島と交易をしていた連中ならば簡単に
手に入れることができるものだ。けして大国ではなくとも、玄界灘沿岸の連中が貿
易を生業としていたと考えれば納得できる。
501日本@名無史さん:2012/05/07(月) 23:51:36.54
登望驛とかあるの知らんの?
502日本@名無史さん:2012/05/07(月) 23:54:54.61
銅鏡って簡単に手に入ったんだ
503日本@名無史さん:2012/05/08(火) 00:11:33.50
そうさ、しょせん化粧道具だ。貴族が使用する贅沢品だが、けして威信財という
ほどの物ではない。
504日本@名無史さん:2012/05/08(火) 00:15:25.08
>>501
正使も魏船を呼子で降りる?
505日本@名無史さん:2012/05/08(火) 00:47:36.53
魏船とゆうのは現地でチャーターしたやつだよな

中原の人とかは水音痴だからな
506日本@名無史さん:2012/05/08(火) 01:06:24.91
水音痴だったら羊祜が呉を攻める方法として水戦が有効だと考えて
益州刺史の王濬を益州諸軍事に任命して、船団の建造にあたらせたりはしないでしょう
ま、272年だから240年くらいは船は苦手だったのかもしれないけど
チャーターしたかどうかはわからない
507日本@名無史さん:2012/05/08(火) 01:10:08.55
当時帯方郡にはかなりの数の軍船があり大船もあった
魏使が乗ってきたのはそれらだろ
508日本@名無史さん:2012/05/08(火) 06:44:48.38
魏が公孫氏を攻めた時、当時公孫氏が支配していた帯方郡や楽浪郡を攻めるときに、水軍を率いて
黄海をわたってせめたそうです。
終戦時には、半島には魏の船が相当あったようです。
509日本@名無史さん:2012/05/08(火) 07:57:44.72
呉書に、船が小さくて馬を80頭しか積めなかったという記述があり
当時の小船でも数百人は乗ることができたようだ
魏から倭への使いは少なくとも数百人から千人規模の大人数であった可能性が高い
そして倭では準軍事行動として機敏に動いたと思われる
そしてこれら完全武装した魏使の一行を見た倭人は
魏の強大さを知って邪馬台国に従う者が増えたであろう


510日本@名無史さん:2012/05/08(火) 09:06:51.27
し、しかし魏水軍の赤壁の戦いでのあのどんくささを見るとちょっとね
32年後は進歩しとったかもね
511本田:2012/05/08(火) 21:13:14.23
>>492

伊都国歴史博物館 - 糸島市ホームページ
http://www.city.itoshima.lg.jp/soshiki/33/hakubutsukan.html


×伊都国の歴代の王は、全員漏れなく女王国の統制の下に属してきた。
○30人の王は、全員漏れなく女王国の統制の下に属す。


邪馬台国は30王国で構成された連合王国。
当然、30人の王がいた。

女王国は日向国にあった。
512日本@名無史さん:2012/05/08(火) 21:59:04.46
ちょっとちがうな。

>邪馬台国は30王国で構成された連合王国。
倭国は狗奴国を除く29国で構成されていた。

>当然、30人の王がいた。
これはよし。

>女王国は日向国にあった。
邪馬台国は日向にあった。

513日本@名無史さん:2012/05/09(水) 00:02:50.53
>邪馬台国は日向にあった。

全然違うな。
514日本@名無史さん:2012/05/09(水) 01:01:48.42
理由は書けないだろうな。
515日本@名無史さん:2012/05/09(水) 06:41:52.69
伊都國には代々千餘人の王がいて皆女王國に属していた。
邪馬壹國はハワイにあった。 アロハ!
516日本@名無史さん:2012/05/09(水) 06:48:02.75
世の中の王という者は皆例外なく女王國に属している。
517日本@名無史さん:2012/05/09(水) 07:02:43.45
伊都國には世さんという王がいたが、皆はこれを認めず女王國の方に属していた。

518日本@名無史さん:2012/05/09(水) 07:13:34.84
郡使が往來するときには常に29の各国の王のもとに
滞在しなければならなかったので大変だとこぼしていた。
人気者でひっぱりだこだったのだろう。
519日本@名無史さん:2012/05/09(水) 07:38:35.32
29国合計で7万戸なら九州どこでも不思議はない
520日本@名無史さん:2012/05/09(水) 21:13:06.61
20国合計で7万戸でし
521日本@名無史さん:2012/05/09(水) 21:34:03.26
>>421
いれもの造り直した時に順番がかわちゃっているみたいでし
http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/img/tsuchigumo_kouyanomiya03.jpg

鏡漏ったおばはんがいっとエロいらすぃよ
http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/img/tsuchigumo_kouyanomiya12.jpg

えらそおにしているけどおにいたんかもな
http://jyashin.net/evilshrine/gods/tsuchigumo_shrine/img/tsuchigumo_kouyanomiya11.jpg

むねに七支ののを貼っちゃていたりするけどな
522日本@名無史さん:2012/05/09(水) 22:48:53.26
>29国合計で7万戸なら九州どこでも不思議はない
ごまかしの読み方をしてはだめだね。
523日本@名無史さん:2012/05/10(木) 10:26:05.31
少なくとも北部九州は、当時生活できそうなところは、
弥生遺跡でびっしりだからね。

各市町村の遺跡地図を見ればわかるし、
県の面積もあるから一概には言えないが、
青銅器の出土量は、九州以外と比べるとヒトケタ多い。
鉄の出土量の多さも、過去に議論されていたとおり。

筑前筑後、肥前肥後などの旧国名単位であれば、
7万戸はむしろ少ないくらいだろ。
524日本@名無史さん:2012/05/10(木) 14:03:30.00
要するに、青銅器が出土しない地域には人が住んでいなかったとw
525日本@名無史さん:2012/05/10(木) 17:12:11.75
>>511 :本田:
>×伊都国の歴代の王は、全員漏れなく女王国の統制の下に属してきた。
○30人の王は、全員漏れなく女王国の統制の下に属す。

「東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。
有千餘戸。丗有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。」

常に郡使の駐する所が、30ヶ所もあったことになるよ。
×で良いんじゃないかな?
526サガミハラハラ:2012/05/10(木) 18:03:04.34
倭国には30人の王がいました。〇です、
後漢書では、国々に王がいるとかかれています。
ところが、魏志倭人伝においては、王がなく官となっています。
この王と官はおなじものです。
魏の時代において、諸国の王は「官」と魏では記載されたのです。
527日本@名無史さん:2012/05/10(木) 18:54:28.36
↑話のポイントが違う
528日本@名無史さん:2012/05/10(木) 20:17:21.68
>>525
>常に郡使の駐する所が、30ヶ所もあったことになるよ。
>×で良いんじゃないかな?
どちらもまちがい。
対馬国から伊都国までの国々は女王国に統属していた、そして、郡使往来に常に駐
するところであった。
529日本@名無史さん:2012/05/10(木) 20:29:16.09
>>523
鉄や青銅器の多さに人口は比例しないし
その遺跡の数から算出された人口も九州にとてもそんな数は見込めない。

よしんば今後その数(算出方法)が大きく変動しても
それは九州のみならず他地域も等しく変動する。

九州こそ人口密集地であったなんて姿は出てくる道理が無い。

そう言った「おらが九州日本一」「九州・アズ・ナンバーワン」的な幼稚な想像の果てあるのが九州説。
530卑弥呼の都は久留米  :2012/05/10(木) 20:38:45.87
「東南陸行五百里、到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。
有千餘戸。丗有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。」

○伊都国の歴代の王は、全員漏れなく女王国の統制の下に属してきた。

歴代とは卑弥呼共立後2世紀末から。
それ以前に、倭國王帥升王統の王であり、倭國乱の頃に倭國王としての権威が低下したものである。

卑弥呼共立後、伊都國の上記の王に代わり、伊都國の統治官として正副の官を3人置く。
副官の一人は半島への窓口である末盧國の官を代行。

伊都國は、古の倭都國で、末盧國(唐津)の東南五百里(35km)の佐賀平野北部に存在した。
伊都國の範囲は、倭の旧都の城柵及びその周辺のみである為、人口は僅か千戸のみなのである。
531日本@名無史さん:2012/05/10(木) 22:24:53.52
弥生遺跡って言っても500〜600年の幅があるからね
各遺跡の最盛期も違うし
532日本@名無史さん:2012/05/10(木) 22:27:09.77
つか畿内説が消えたから九州だったってことでここ終了しね?
唐松ちゃんのために一つ残しておけばいいだろ
533日本@名無史さん:2012/05/11(金) 00:01:31.12
そうだ、結論は九州の発掘待ちだな。
534日本@名無史さん:2012/05/11(金) 00:45:19.88
青銅器文明と鉄器のそれとは別だが
535日本@名無史さん:2012/05/11(金) 01:17:08.46
発掘しなくても畿内説は消えているよ。
536日本@名無史さん:2012/05/11(金) 01:30:12.74
箸墓築造は3世紀になった!
箸墓は卑弥呼の墓だ!って勢い付いているよ畿内説
537日本@名無史さん:2012/05/11(金) 03:47:33.91
畿内説は基本、詐欺だから放置しませう。
538日本@名無史さん:2012/05/11(金) 05:20:41.80
弥生期の北部九州の遺跡の密集具合を
否定している人はそうはいないと思うがな。

それを否定している文献があれば教えてほしい。
539日本@名無史さん:2012/05/11(金) 05:31:18.88
ついでに、弥生土器、土師器、そして人骨の出土量でも、
「おらが九州日本一」「九州・アズ・ナンバーワン」なのだ。

少なくとも弥生期の北部九州は密集地帯であることは疑いようはない。

しかし同時に古墳期に畿内で古墳が多く出現することも否定はしない。
540日本@名無史さん:2012/05/11(金) 05:36:40.27
個人的には否定的だが、
>>539から、「東遷説、東征説」が出てくるのではないかな。

個人的には大群が東征するなどありえないという立場だが、
ごく少数が現地に行って、隙間に紛れ込むくらいはありえるかもしれない。
541日本@名無史さん:2012/05/11(金) 06:08:57.39
弥生後期の人口は、北部九州(福岡、大分、長崎、佐賀)よりも
南部九州(熊本、宮崎、鹿児島)のほうが多いという統計もある。

北部 4万人。 南部 6万5千人。

http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/EV_P_NJ1.html
542日本@名無史さん:2012/05/11(金) 07:03:59.20
この統計では南部九州に熊本が入ってるのが大きいな。
なんだかんだ言っても、熊本は広くて、当然ながら遺跡も多い。
543日本@名無史さん:2012/05/11(金) 08:17:58.99
邪馬台国は甲斐・信濃・飛騨に決定いたしました。
544日本@名無史さん:2012/05/11(金) 08:18:33.07
で、北部九州に人口が集中していた事を示すデータは?

いまだに見たことが無いのだが・・・
545日本@名無史さん:2012/05/11(金) 08:29:09.31
この表の翌年から北部九州の人口が激増してしていくわけやね
北部九州だけね
546日本@名無史さん:2012/05/11(金) 14:02:06.20
やっぱり有明海南下説が現実味を帯びてくるかも。
547日本@名無史さん:2012/05/11(金) 16:09:35.01
全国の全遺跡名を網羅したリストがないものか。

ぐぐって、福岡県見つけた。
これでも、主な遺跡名ということで、
無名のものはまだまだどっさりあるだろう。
名前ついてないまま、調査されて消えて行くのも多いし。

http://park20.wakwak.com/~fujimaki/iseki.htm
548日本@名無史さん:2012/05/11(金) 16:15:10.25
有明海〜唐津〜博多湾三角地帯は、微小な地域差はあるにせよ、
いわば一つの広域共同体を形成していたのだと思う。
これを、長崎県か福岡県か佐賀県なのかと考えると見えなくなる。

「唐博有平野」とか、「玄海有明海峡」などという呼称が無いのが問題だ。
549日本@名無史さん:2012/05/11(金) 17:44:48.23
住人の感覚だが、福岡、佐賀は掘っていけば多分、ずーっと遺跡が続いてる。
便宜的に目立ったものが出てきたところに、遺跡名をつけているだけ。

削られたり、以前海だった所でなければ、多分全域に遺跡がある。
550日本@名無史さん:2012/05/11(金) 18:34:01.65
・・・と言うか>>541の鬼頭のデータで言えば弥生時代の人口は
熊本をどっちに組み入れようと九州全体としては畿内+畿内周辺≒近畿・関西と大して変わらない。

更に言えば
関東も北と南を合せれば引けをとらない数字だし
あまり大きな平野が無いであろう東山が一番数字が大きい。

九州の北半分だけで100万ぐらい軽いとかほざくここの馬鹿九州説は
平野一面に水田が広がった姿でも想像しているのか?

551日本@名無史さん:2012/05/11(金) 18:44:09.49
まあ、もともと、鬼頭氏のデータは、既に発見された遺跡数に、
単純に係数をかけただけだからな。

大規模遺跡も小規模遺跡も同じく一つと数えるが、全体としては
平均化されることを狙っている計算法。

大雑把な傾向は読み取れるが、それほど絶対視すべき数値でもない。

最新データを元に、遺跡の規模まで考えると
どんな人口比になるんだろうな。
552日本@名無史さん:2012/05/11(金) 18:52:36.76
>>551
掛け合わせる係数が変わった所でそれは九州だけが変わるわけじゃないw

東山が人口が多く見積もられているのはそれだけ居住の痕跡が多いからだろうが
それは当時の食料体系で一番バランスが良かったからじゃないかと思う。

当然水田からの上がりの米で腹一杯食える筈もなく
山菜や堅果類と言った物とのミックスになるだろうがそのバランスが一番良かったんじゃないだろうか?

現在算出されている数字が水田の生産性について楽観的に過ぎていてそれが反映されていた場合
将来その部分が見直されたらむしろ今より更に東日本の数字が上がるのではないか?と思っている。
553日本@名無史さん:2012/05/11(金) 18:57:42.28
つーか九州は大陸・半島から逃げてきた渡来人の入り口で当然人口は多いだろ
それらの人の間で争いが起きて、負けた方が山間地に逃れてまた集落を作ってということを
くり返してきた

http://www.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000290.html


554日本@名無史さん:2012/05/11(金) 19:06:15.31
奈良文研の遺跡データベース

http://mokuren.nabunken.go.jp/Iseki/johogen.html

とりあえず、福岡と奈良の弥生時代遺跡の検索数はこのとおり。

1. [福岡県,30など複合条件] 1715件
1. [奈良県,30など複合条件] 588件



555女王国は糸島:2012/05/11(金) 19:27:06.43
>>528
>対馬国から伊都国までの国々は女王国に統属していた、そして、郡使往来に常に駐
するところであった。

 同感!

「魏略」逸文をみると、

   「其国王皆属女王也」とある。 
 (其の国の王達は、全員、女王に属している)

556日本@名無史さん:2012/05/11(金) 19:30:10.89
1. [福岡県,30など複合条件] 1715件
1. [佐賀県,30など複合条件] 1116件
1. [熊本県,30など複合条件] 1566件
1. [宮崎県,30など複合条件] 299件

1. [奈良県,30など複合条件] 588件
1. [兵庫県,30など複合条件] 1945件
1. [大阪府,30など複合条件] 1226件
1. [愛知県,30など複合条件] 752件

1. [島根県,30など複合条件] 294件
1. [鳥取県,30など複合条件] 293件

兵庫県、すげえ、畿内周辺では、むしろこっちが中心地っぽいな。

出雲の島根や鳥取が案外少ないのは意外だった。
鉄を生産する古墳時代以降、増えてくるのかな?

557日本@名無史さん:2012/05/11(金) 19:35:25.63
京都府を忘れてた。

1. [京都府,30など複合条件] 1045件

これから見るに、奈良はむしろ弥生時代には真空地帯かもな。
奈良湖、あるいは奈良湖の名残の湿地帯で、開発できなかったのかもしれん。
558卑弥呼の都は久留米  :2012/05/11(金) 19:44:25.38
>兵庫県、すげえ、畿内周辺では、むしろこっちが中心地っぽいな。

兵庫県は、扶桑國(播磨國)のあった先進地域。仏教も播磨國から畿内に伝えられた。
559日本@名無史さん:2012/05/11(金) 19:56:24.48
関西は、土木国家の傾向があるから、魏志倭人伝に出てくる
絹とか鉄鏃などで比較すべき。
560日本@名無史さん:2012/05/11(金) 20:00:48.41
直感だが、
鬼頭氏の人口60万人を前提とすると、
20万人くらいずつ、九州と畿内にいて、
後20万人が各地に散らばってるような感じかな。

561日本@名無史さん:2012/05/11(金) 21:10:50.09
シラス大地にそれだけの人口扶持力はない。
562日本@名無史さん:2012/05/11(金) 21:29:31.16
え?
五万戸とか七万戸とか言う数字もそのまま信じてるのか?w
563日本@名無史さん:2012/05/11(金) 21:38:33.50
>>562
中華思想を持った側の記述だから、過小はあり得るが過大はないだろうな
564日本@名無史さん:2012/05/11(金) 21:44:16.15
奈良はある時点で土木技術が入ってきたか、
土木技術を持つテクノクラートが移住してきて、
開発できなかったところが、一気に開発できるようになり、
農地が大幅に増加した。

そのため国力が一気に増加し、土木技術と相まって、
大型古墳ラッシュが始まった。

なんて妄想しちまったわ。

そのテクノクラート集団が神武一族だったりして。

実際問題として、記紀に書かれているようなよそ者は、
すでに住み着いているところに入る余地は殆ど無い。

開発できなかった真空地帯を開発して住み着く技術があったから
よそ者が入り込めたとすれば、ひとつのストーリーになる。

まあ、妄想ついでに。
565日本@名無史さん:2012/05/11(金) 21:57:14.85
巨大古墳は農地開拓の過程で産まれたものだろうな
残土処理と威信の誇示の両面で意味を持つ
566日本@名無史さん:2012/05/11(金) 21:57:16.07
遺跡の発見は公共工事に伴う場合が多いから、古都以外では高速道路や再開発が活発でない県は
どうしても件数が少ない傾向にあるんじゃないかな
567日本@名無史さん:2012/05/11(金) 21:58:18.34
>>563
あちらさんとしては、朝貢してくる国が大きければ大きいほど
気分が良いんじゃなかろうか。
568日本@名無史さん:2012/05/11(金) 22:08:52.49
巨大古墳は、農閑期の公共事業。
古代のニューディール政策だ!
569日本@名無史さん:2012/05/11(金) 23:04:00.04
古代の推定人口につてかなり前から疑問を持っていました。
特に現在の弥生遺跡の発掘数・質・集落・・・などなどどれをとっても九州が上なのになぜか畿内周辺や関東が多い事になっている。そこで古代の推定人口について根拠となる資料をだれがどのように調べたか掲載します。
旧石器時代・縄文時代・弥生時代の鬼頭宏の推定人口は、小山修三(1978,1983年)に依拠している。小山修三氏の推定法は下に掲載
<小山修三氏の人口推定の方法>
@遺跡数
 時代別、地域別に遺跡数の分布を調べる。基礎資料として文化財保護委員会が昭和40年にまとめた『全国遺跡地図』(全47巻)が利用された。
 人口推計の対象とされたのは草創期と晩期を除く縄文早期〜後期の5期と、弥生、土師器の 各時代である。地域は北海道・沖縄を除く、本土の九地域である(東北・関東・北陸・中部・東海・近畿・中国・四国・九州)。
A基礎人口
 推計の基礎になる人口を土師器文化期(3〜12世紀)の中ほどにあたる8世紀に求める。選ばれたのは、澤田吾一が出挙稲をもとに推計した奈良時代の左右両京を除く良民人口(全国で約540万人)である。
B集落規模 詳しい数量的データの得られる東京および関東地方の遺跡から各時代の集落規模(人口)を推し、土師器文化期を1として比例定数を決定する。
 縄文早期は土師器時代の20分の1、縄文前期〜後期は7分の1、弥生時代は3分の1とされた。
C8世紀の集落人口 関東地方の土師器時代の集落あたりの人口を八世紀人口に対応させて計算する。
 (943,000人÷5,549=170人)
D関東地方の人口 例えば関東地方の縄文中期人口は次のようにして求められる。 土師器時代の集落あたり人口(4)×比例定数(3)×縄文中期遺跡数(1)=
 170人×1/7×3,977=96,600人
E時代別、地域別人口 上のようにして得た関東地方の人口を基準にして、各地方と関東地方の遺跡数の比率から、時代別・地域別人口を計算する。
570日本@名無史さん:2012/05/11(金) 23:04:46.92
で、上記を基にしたグラフがこれhttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7240.html

特に@については、地域ごとに考古学的発掘に対する力の入れようが違うのでバランスを
欠くのではないか疑問が残る所です。
当時は、関東・関西の都市化が著しく、工事の都度遺跡が発掘され九州とは発掘数に差があっただろう。
現在では九州も遺跡発掘は進んでいるし、そこから推定される弥生集落の発展は評価が変わってきているし・・・

古代の人口について再考の必要がありそうですね。
571日本@名無史さん:2012/05/11(金) 23:16:59.63
>>569
現代の海岸線と当時の海岸線の位置は違うということがわかってるのに、
現代の海岸線をもとに面積・人口密度を計算してる。
そこで大きな誤差が生じている。
572日本@名無史さん:2012/05/11(金) 23:20:35.84
>>571
何か勘違いしているね
573日本@名無史さん:2012/05/11(金) 23:39:08.08
縄文時代後期までの九州の人口が激減したのはわかるが西日本全体が東日本に比べて
異常に少ないのが気になる
574日本@名無史さん:2012/05/11(金) 23:43:18.13
考古学の年代が大きく変わってきているけど
あいかわらず、たとえば、人口推定値なんかは、
昔の考古学の知識で割り出されたものが殆どなので
石野先生は、新しい考古学の知識をもとにしたものも
割り出してほしいとか言っているようです。
575日本@名無史さん:2012/05/12(土) 00:28:01.76
>>574
石野先生が出てくるとややこしくなるから出てこなくていいよ。
そんな基礎的な資料は邪馬台国と一切関係ない人がやるべき。
576日本@名無史さん:2012/05/12(土) 00:55:18.03
石野先生は要望してるだけだろw
577日本@名無史さん:2012/05/12(土) 02:47:51.14
>>570
>当時は、関東・関西の都市化が著しく、工事の都度遺跡が発掘され九州とは発掘数に差があっただろう。
>現在では九州も遺跡発掘は進んでいるし、そこから推定される弥生集落の発展は評価が変わってきているし・・・

要するに現在出されている数字が自分にとって気に入らないからイチャモンをつけているように聞こえるな。
じゃあ具体的に過去から現在にどれだけ件数に差があったのか言ってくれ。

開発に伴う緊急発掘は全国で年一万件を超えるそうだが その殆どは簡単な調査だけで破壊されるとのこと(小林達雄)
吉野ヶ里のような広域保存は例外中の例外。
むしろ九州の方が何だかんだ言って過去の邪馬台国ブームの恩恵にあずかっているようにすら思える。






578日本@名無史さん:2012/05/12(土) 03:22:08.94
しかし開発に伴う遺跡調査・発掘と言うのなら奈良より福岡の方が条件が良いのではないか?

福岡市内にも遺跡は多くあるが奈良の場合弥生古墳時代となると奈良市のある盆地北部ではなくてもっと南部になるわけで。
579日本@名無史さん:2012/05/12(土) 07:27:42.51
>>577
夜中にそんなに必死に書き込まんでもいいだろ ┐(´ー`)┌ マイッタネ♪
なんか鼻血出しながら猛烈に打ち込む姿が浮かんでくるぞ ( ´ー`)フゥー...
580日本@名無史さん:2012/05/12(土) 07:53:14.82
逃げか・・・
581日本@名無史さん:2012/05/12(土) 09:55:30.88
まあ九州だけで100万などというのはないだろ
582日本@名無史さん:2012/05/12(土) 10:00:21.99
>>578福岡市の中心部である海岸沿いの地域は、奈良時代までは海だったので遺跡はまったくない。
山との境(つまり山門)を掘らないとだめです。
583日本@名無史さん:2012/05/12(土) 10:09:15.60
都心部とか調査してるのを見ると1週間くらいの簡単な調査ですぐ埋めてるもんなー
584日本@名無史さん:2012/05/12(土) 10:19:59.88
何も見なかったことにして地下式横穴墓とかどんどん潰されているんだろうな。
あまりにも大規模で、隠し切れないものだけが通報される。
585日本@名無史さん:2012/05/12(土) 10:38:21.86
>>578
奈良のほうが発掘進んでいるよ。
ただ掘っても掘っても弥生時代の遺跡が無いだけ。
586日本@名無史さん:2012/05/12(土) 10:50:48.64
奈良が少ないのは弥生時代から古墳時代に同じ場所に連続して水田が営まれたからでは?
いったん放棄された場所は遺跡として残りやすい
587日本@名無史さん:2012/05/12(土) 10:53:09.54
水田跡の場合はそうだね
588日本@名無史さん:2012/05/12(土) 12:25:54.86
>>584
土建屋のオッサンや作業員に、遺跡の見分けがつくのか?
気づかず潰してる可能性もあるんじゃないか?
589日本@名無史さん:2012/05/12(土) 12:36:36.46
シロウトで悪いが、古代史を科学する、という新書で
邪馬台国は宮崎日向とか言われてたけどこういう手法は
どうなんでしょう。
その他の部分についても感想教えてもらえるとうれしいな。
590日本@名無史さん:2012/05/12(土) 12:39:39.17
つくから通報してるんだろう
気付かなければそのまま掘削なり扁平化なりするだけ
工程が狂うことを恐れ知りつつまたは可能性を認めつつ黙って進めたりもありそうだが…
591日本@名無史さん:2012/05/12(土) 12:42:58.54
>>589それはこっちのスレのほうが詳しい。

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1296451185/l50
592日本@名無史さん:2012/05/12(土) 12:52:48.33
地面を掘削して人工的な石組みがあればわかるよ
住居跡、水田跡などならわからない可能性があるだろう
土器などもよほど大量に出ないとまぎれてしまう
どうせ掘れば各時代の遺跡だらけだし

593日本@名無史さん:2012/05/12(土) 12:53:18.44
>>591
ありがとう。
594日本@名無史さん:2012/05/12(土) 13:23:42.80
大きな建築会社なら埋蔵文化財担当の部署があって
大きな工事なら電気調査や地中レーダー、地質調査などもあらかじめやってるだろ
ガス管、下水管などの問題もあるし
普通の家を建てる程度じゃ何も出てこない
595日本@名無史さん:2012/05/12(土) 13:46:41.02
たとえば、東京スカイツリーを立てた大林組は、もとは出雲大社を建てた御柱立て命の集団だし、
組織としては生き残っていなくても血は脈々と流れている。
エジプトのピラミッドを築いた石工集団は、新たな仕事を求めて中国に移り、万里の長城を築いた。
一部は日本にも渡来し、古墳を造り、さらに、城の石垣を積んで、これからも震災復興で万里の防波堤造りに活躍することだろう。
彼らは、貴重な文化財を破壊したとなると建設会社として信用にかかわるから、遺跡を大事にしているだけではないのだ。
596日本@名無史さん:2012/05/12(土) 15:13:18.78
埋蔵文化財包蔵地周辺の工事では、ほぼ100%事前届けが出されてるしな。
597日本@名無史さん:2012/05/12(土) 17:50:09.85
福岡、佐賀では届け出じゃなくて、必ず調査する
一般の家だと、そのあと若干制限かけて、そのまま建てる
598日本@名無史さん:2012/05/12(土) 18:28:40.35
そもそも>>570 のような意見は近畿や関東は条件に恵まれていて
九州は不当に条件が悪いから現在の結果だと言う話だろうが

この根拠のない憶測はよく出て来るが勿論今まで根拠が出てきたためしはない

仮に百歩譲って関東や近畿に対してはそのご高説が通ったとしても
じゃあ何故東山=(山梨・長野)に上回られているのか説明ができるのか?

(他にも上回られている地域やか近い数字の地域はある)

>>570 の理屈で言えば東山は九州は元より近畿や関東よりさらに好条件で遺跡発掘の機会に恵まれていたと言う話になりかねない。

とにかくここの九州説の馬鹿連中は 九州vs〜 でしか物を考えられない。
まともな冷静さを持っていれば関東や近畿のみならず他地域との比較もできるがそれができない。

599日本@名無史さん:2012/05/12(土) 18:35:05.93
>>589
その本は幾つかの候補地があげられていてその中の一つとして日向が出ているんじゃなくて日向一択なのかな?

タイトルが『古代史を科学する』なら科学的根拠があるんだろうが是非かいつまんで教えて欲しいな。

大雑把に言って南九州はどちらかと言うと文献=行程記事解釈において利があると言うイメージだが・・・
600日本@名無史さん:2012/05/12(土) 19:03:40.06
>>598
根拠なくただの条件反射的反論所謂稚拙な書き込み

調べた時代そして現代出土した遺跡数も質も変わってきた。
だから現代の考古的発見に基づいて解析する必要があるといっただけなのに
九州説VS畿内説ってか?
その条件反射的稚拙書き込みはジョーカーか?
601:2012/05/12(土) 19:26:44.63
>>600
条件反射的稚拙書き込みの典型
602日本@名無史さん:2012/05/12(土) 19:54:18.85
>>601
根拠自体何かわからず落書きしかできないニートの書き込み
603日本@名無史さん:2012/05/12(土) 19:59:02.61
遺跡調査は義務だよ
行政に開発許可を出したときに、可能性ありの地域は試掘が条件とされる
604日本@名無史さん:2012/05/12(土) 20:02:55.81
家立てるときに、小さくトレンチ掘ったな。
「あり」だったので、杭打ち制限受けて、
若干設計変更して家立てた。

佐賀大和の原住民
605日本@名無史さん:2012/05/12(土) 20:07:57.90
>>601
そういやこんなやつ昔からいたよな
本論に参加できず横からチャチャばかりで最後は無視されて終わり
ここは過疎化していたがちょっと前からまた活発になってきて
こういう蛆虫もわいて出てきたところか?
また腐れ板に変わっていくんだな
606日本@名無史さん:2012/05/12(土) 20:18:39.62
「出身地を邪馬台国の比定地として主張してはならない」という条文を日本国憲法
に追加したらどうだw
607日本@名無史さん:2012/05/12(土) 20:25:20.53
そもそも>>600が何を言っているのか?良く分からない。

先ず関東・関西は開発云々で調査の機会に恵まれていて云々の話は
「じゃあ何故東山やその他の地域に上回られ肉薄されているのか?」と言うことに対し答えがなく
単なるピント外れのイチャモンにしか聞こえない。

発掘された遺跡の数と言うのなら無論当たり前の話それは蓄積されてきているんだろうが
じゃあ各地域間の比重が大きく変わる様なことがあったのか?(ぶっちゃけていえば九州が近年に他地域より抜きん出て数が多いとか)

質に関してもじゃあどういう質の物が出てきてあるいは新しい解釈が出てきて見直しが迫られるのか?
一向に話が見えてこない。

要するに「結果が気に入らないからもう一度やり直せ」と言うクレームをつけているに等しい。

せめて「こう言う点から見直せば大きく変わるはずだ」と言う具体的な指摘があれば話も続けられるんだが
608日本@名無史さん:2012/05/12(土) 20:33:26.71
まあ「今後の伸びしろ」と言うことであれば個人的には九州や近畿より日本海側東日本に期待するところが大きいかな

80〜90年代の荒神谷加茂岩倉や丹後といった大きな発見が続いているし・・・

どの道ここの九州説どもの夢想しているような九州が列島で最多人口を誇るようなモデルが出てくるのは俺には想像すらできんw
609日本@名無史さん:2012/05/12(土) 20:44:28.72
基本的には弥生時代は、「平地の民」なんで、
地図見て平地を探してみるといいよ。

それが当時の勢力図と近いものになるだろう。

ただし、当時海の可能性も考慮してね。
610日本@名無史さん:2012/05/12(土) 20:47:09.50
あと、稲、米が栽培できるようになる時代も考慮してね。
611日本@名無史さん:2012/05/12(土) 20:48:07.56
612日本@名無史さん:2012/05/12(土) 20:55:58.12
丹後の土器は半島南部から出土してるからね
613日本@名無史さん:2012/05/12(土) 21:00:13.42
ここ10年くらいの考古成果で九州VS〜とかっていう構図自体が考えられなくなってるんだよね
614日本@名無史さん:2012/05/12(土) 21:08:19.00
前出の鬼頭の数字に関して反発する奴が多いのは恐らく
「弥生時代は西から始まった稲作が東進し人口も西高東低である」
と言う思い込みがあるからなのだろうか?
615日本@名無史さん:2012/05/12(土) 21:12:08.94
もともと地域ごとの差異を考慮するほど緻密なデータじゃなくて、
全体の傾向を捉える程度のものにすぎないからな。

問題はそれを絶対視する人がいることだろう。
616日本@名無史さん:2012/05/12(土) 21:35:58.83
稲作は弥生前期には青森県から南は鹿児島県で始まっていたのは昔からわかってたことなんだけどな
617日本@名無史さん:2012/05/12(土) 21:42:55.56
つーか邪馬台国七万戸や投馬国五万戸を九州島内に納めたいなら
鬼頭の数字は受け入れ難い
また倭人伝の戸数の記述が間違いとも認めたくない
(これが間違いや虚構なら他の部分もそうである可能性が出てくるから)
この板の九州説はというとこだろ

人口については比較的確実なところから増加率を逆にたどっていけば
ある程度の概数は出るんじゃないかな
 弥生末で150万〜200万くらいと自分は考える
618日本@名無史さん:2012/05/12(土) 22:11:26.62
奈良時代で500万人だからね
619日本@名無史さん:2012/05/12(土) 22:18:09.20
それが今や人口1億3000万
1世代20年として60世代で25倍
ねずみ算じゃなくて人間算っていうべきだよな
620日本@名無史さん:2012/05/12(土) 22:19:35.47
太閤検地の頃で2000万人
621日本@名無史さん:2012/05/13(日) 01:27:40.20
遺跡からでは、人口が分かるはずはない。
622日本@名無史さん:2012/05/13(日) 01:57:55.01
はいちゃぶ台ひっくり返しきた
623日本@名無史さん:2012/05/13(日) 02:10:09.85
>>621
分かるはずがない、正解
遺跡は類推し仮説を立てる学問だ
所詮結論は出ない
624日本@名無史さん:2012/05/13(日) 06:17:18.25
小山や鬼頭の推計をまったく無駄だとは言っていない、ただ彼らの推計は倭人伝等が
伝える当時の戸数を我が国全土、すなわち本州も含めた数字だという前提で考え、それ
に合わせているってことを忘れてはならない。倭国が九州だけとなれば、彼らの数字を
4、5倍はしなければならんのだよ。
それと、まあ、どのあたりに人が多く住んでいたのか、彼らの推計から相対的なことは
ある程度見当がつくといっていいだろう。
625日本@名無史さん:2012/05/13(日) 06:45:55.10
そもそも倭人伝の五万戸とか七万戸とかを実数と考えるなんて馬鹿の極み。

今時考古学者だろうが文献史学者だろうがそんなことを考えてる奴いないだろう?

この板の九州説のトチ狂った爺ぐらいじゃね?
626日本@名無史さん:2012/05/13(日) 07:54:44.66
どーして全国から九州と範囲が狭くなったら人口を4、5倍しなければならない
という理屈になってんだよ、だいじょぶか?w 誰かはわかってるがw
627日本@名無史さん:2012/05/13(日) 08:02:13.07
九州だけ人口が多かったという前提をわすれちまっんじゃんw
628日本@名無史さん:2012/05/13(日) 08:59:32.51
>>626
分からんのか? 倭人伝が伝える戸数(総数20万戸かな)を九州だけとみた場合には、
列島全体では百万戸ぐらいを考えないといけないだろうが。

629日本@名無史さん:2012/05/13(日) 09:04:48.69
鬼頭氏の人口算出経緯の一部抜粋 wikipediaより

弥生時代に関しては遺跡数に56、中期以降の縄文時代に関しては遺跡数に24、
期間が2倍に渡る縄文時代早期に関しては遺跡数に8を乗じた値をそれぞれの
時代の推定人口とすることで、縄文時代早期、前期、中期、後期、晩期、弥生
時代の推定人口は、それぞれ2万0100人、10万5500人、26万1300人、
16万0300人、7万5800人、59万4900人と算出される。

この56人と現在?の遺跡数を掛け合わせると

1. [福岡県,30など複合条件] 1715件 96040人
1. [佐賀県,30など複合条件] 1116件 62496人
1. [熊本県,30など複合条件] 1566件 87686人
1. [大分県,30など複合条件] 1085件 60760人
1. [宮崎県,30など複合条件] 299件 16744人

1. [奈良県,30など複合条件] 588件 32928人
1. [京都府,30など複合条件] 1045件 58520人
1. [兵庫県,30など複合条件] 1945件 108920人
1. [大阪府,30など複合条件] 1226件 68656人
1. [愛知県,30など複合条件] 752件 42112人

1. [島根県,30など複合条件] 294件 16464人
1. [鳥取県,30など複合条件] 293件 16408人

ちなみに今だした分を全部足すと 667734人
九州と畿内の主要な部分を足しただけで、当初の数値を超えた。
全国だとこの二倍から三倍くらいありそうだな。

この数値、リアルなようなそうでないような……
630日本@名無史さん:2012/05/13(日) 09:09:17.55
あと、人口の多そうなところは関東があるから、
全体で見れば100万戸くらいは行くかもね。
631日本@名無史さん:2012/05/13(日) 09:15:01.71
>>629の数値と>>611の平野面積をにらめっこしてみると、
平野の広さと人口に関係がありそう。

やはり、北部九州、畿内周辺、そしておそらく関東は、
大勢力の拠点になっただろうことは、容易に想像できる。
632日本@名無史さん:2012/05/13(日) 09:21:44.33
>>628
九州説は日本の各地域人口が増加したんじゃなくて九州だけ伸びたんだろ?
日本全体で4,5倍にするなら九州の人口増加率を何倍にしようと思ってんだよ?
633日本@名無史さん:2012/05/13(日) 09:34:07.75
人口増加率? 何のこっちゃ? 倭人伝が伝える戸数を九州だけの話とみるか、列島全部の
話とみるかだよ。これまでの推計は、畿内説を前提として列島全部の話と考えているんだよ。
634日本@名無史さん:2012/05/13(日) 09:38:49.16
>>633
倭人伝の戸数なんぞ鬼頭氏の計算に使われとらん
何勘違いしてんだ?
635日本@名無史さん:2012/05/13(日) 09:42:46.01
畿内説ってこの間の年末に崩壊してしまったんだろ?
今必死こいて畿内説ウ〜!!とかほざいている奴は敗残兵か?
春が過ぎて涙を拭いて復活してきたか?
636日本@名無史さん:2012/05/13(日) 09:51:57.07
別に畿内に勢力が無いとは誰も言ってないからな。
九州にも畿内にもそれなりの大勢力があるってだけだ。

そして、それらの間で大戦争の痕跡がない以上、
支配、被支配の関係には無いってことだ。

個人的には別国でほとんど関係はなかったと思ってる。
若干の人や物の行き来はあっただろうが。
637日本@名無史さん:2012/05/13(日) 09:52:45.01
>>634
>倭人伝の戸数なんぞ鬼頭氏の計算に使われとらん
せっかくの資料があるのに、それを使わなかったってか?
それを念頭において、遺跡から考えたように格好つけただけだよ。
そのぐらい分からんのか?
638日本@名無史さん:2012/05/13(日) 09:57:13.44
>>637
勝手に妄想するな 
639日本@名無史さん:2012/05/13(日) 10:00:46.54
鬼頭氏の計算手法的には、倭人伝の数値が使われる部分はない。
結果が倭人伝と一致しそうか直感的にあたりつけるくらいだろ
640日本@名無史さん:2012/05/13(日) 10:05:54.21
>倭人伝と一致しそうか直感的にあたりつけるくらいだろ
それが倭人伝を考えているってことだよ。当然、鬼頭は計算結果が倭人伝と
矛盾しないと思っているわけさ。

641日本@名無史さん:2012/05/13(日) 10:26:30.76
>>640
だいたい>>541で鬼頭氏の研究結果出してお前だろw
北部九州より南部九州の方が人口が多かったといいたいがために
で今度は鬼頭氏は畿内説だから数値が偏ってるってか
642日本@名無史さん:2012/05/13(日) 10:28:32.53
全体に少ないって言っているんだよ。地域の比較としてどこが多いかは
相対的な話だ。それは遺跡数などである程度は分かるだろう。
643日本@名無史さん:2012/05/13(日) 11:09:45.97
鬼頭氏が「畿内説を前提として遺跡から考えたように格好つける」ような研究者だと
考えるなら、初めから自説の根拠の一つとして提示して都合のいいとこだけ使うなよ
そんな恣意的に計算された数字なら信用できんだろ
644日本@名無史さん:2012/05/13(日) 11:40:25.98
つーか鬼頭の人口推定は、弥生時代以前は小山修三の研究を用いていて、
小山は当然ながら倭人伝を何らかの形で参考にして推計しているわけではない。
そう思うのは、邪馬台国のことで頭がいっぱいになっているこの板の九州説だけだろ。
この研究は古いので、最近では小山は弥生末で100万超とも言っているな。
645日本@名無史さん:2012/05/13(日) 11:46:22.18
邪馬台国と無関係の人が出した数字だから使えると言うのもある。
畿内説の考古学者が関係したら、最初から数字を想定し、
その想定数字に合わせようと必死になる可能性大。
646日本@名無史さん:2012/05/13(日) 12:55:11.32
感情的になってはいかん

小山氏の人口研究で現代にそぐわないのは下記であり本論争の焦点
@遺跡数
 時代別、地域別に遺跡数の分布を調べる。基礎資料として文化財保護委員会が昭和40年にまとめた『全国遺跡地図』(全47巻)が利用された。
 人口推計の対象とされたのは草創期と晩期を除く縄文早期〜後期の5期と、弥生、土師器の 各時代である。地域は北海道・沖縄を除く、本土の九地域である(東北・関東・北陸・中部・東海・近畿・中国・四国・九州)。

昭和40年にまとめられた資料って所に「見直しが必要だ」といっているのだよ。
647日本@名無史さん:2012/05/13(日) 14:13:02.27
>>625
残念ながら、そもそも邪馬台国論争は魏志倭人伝という謎の文面から出発しているので、
その文献を疑いだすと邪馬台国そのものの存在まで疑念が遡及しかねない
本当は、方角や日数や距離など、数字として記されている部分は一切触っちゃ行かんのかも知れない
数字というものは、概念や主観と違って、いじり回しが利かない難物なんだな
書いた人を信じるしかないし、嫌なら書いた人を恨むしかない

648日本@名無史さん:2012/05/13(日) 14:43:35.39
邪馬台国論争の発端はご存知新井白石・本居宣長
新井白石は天皇家が紀元前から存在するという記紀に基づき、
「倭国王卑弥呼の首都邪馬台国は当然畿内に存在したはずである。」
という立場から魏志倭人伝を曲解した。これが邪馬台国畿内説の
そもそもの始まり。
本居宣長は「天皇家の先祖である倭国王が中国に朝貢したり臣と
謙ることなどない。だから、邪馬台国の卑弥呼は倭国王を騙った
九州の酋長にすぎない。」とした。そして、邪馬台国とは別に
「畿内にヤマト政権は存在した。」とした。
つまり、古代全てを曲解した上で成り立つのが畿内説なのだ。

現在、魏志倭人伝も弥生時代の発掘調査もすべて国民皆が
目の当たりにすることができ、その解釈は九州説が圧倒的だ。
それはなぜか・・・
@魏志倭人伝にある邪馬台国への道程は九州を超えない
A弥生時代の九州の先進性
B弥生時代の畿内の後進性
にあるからだ。
それに対し、畿内説一派であるマスコミとそのマスコミ
報道を利用して発掘財源を国(国民の税金)にたかる連中は、
畿内にありもしない邪馬台国を必死で掘り続ける。
そしてたわいもない成果(土器・桃の種)をでっち上げ、
「邪馬台国ここにあり」とマスコミを煽動しさらなる財源を確保する。

これでいいのか?みんなの税金を無駄遣いしているんだよ
649日本@名無史さん:2012/05/13(日) 15:21:19.49
数値情報を
「いじりまわしが聞かない難物」とみるか、
「だれにでも同じ情報を伝えられる便利な手段」とみるか。

初めからいじりまわそうとは思ってないから、
俺は後者だな。
650日本@名無史さん:2012/05/13(日) 15:45:07.72
数値は書いた人も確定符をうてるから数字で書いたのであって
文中に矛盾がなければ信じるしかない
行程に2回も出てくる奴国とやらの扱いの方が難解だ
651日本@名無史さん:2012/05/13(日) 18:36:09.51
始度一海千里 至【對馬國】」 方可四百余里 有千余戸
又南渡一海千里 至【一大國】 方可三百里 有三千許家
又渡一海千里 至【末廬國】 有四千余戸
東南陸行五百里 到【伊都國】 有千余戸
東南至【奴國】百里 有二萬余戸
東行至【不彌國】百里 有千余家
南至【投馬國】水行二十日 可五萬余戸
南至【邪馬壹國】 女王之所都 水行十日陸行一月 可七萬余戸

自女王國以北其戸數道里可略載其餘旁國遠絶不可得詳

次有斯馬國 次有已百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國
次有奴國 此女王境界所盡
其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
自郡至女王國萬二千餘里
652女王国は糸島:2012/05/13(日) 18:46:35.59
>>648
 全面的に賛同するよ。
素人愛好家は、よく解かっているんだけどね。
しかし、如何ともしがたいのが現実だ。
82には、集団で九州説潰しがいるみたいだ。
653日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:12:34.82

ゴミクズレベル九州説の大好きな陰謀論
654日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:25:31.78
>>653 久ぶりだな「ゴミクズレベル九州説」
監視要員か君らは
これが仕事なら社会人としてクズですね
655日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:27:01.02
『九州説』って言い方は範囲広すぎて漠然としすぎだよな
九州の広さを畿内にもってったらかなりの範囲のどこかって話になるぞ
656日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:27:31.00
>>653
82は知らないが
2chの近畿は弱いな
657日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:30:52.64
人吉盆地と奈良盆地が同じ程度っていうんだから、
九州全域だと相当な面積になるな。
658日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:35:35.12
要するに九州説どもは自分に都合が悪いものは
畿内説の息のかかった者が出したから信用できないと言っているだけ。

無論データを妄信するのは戒められねばならないが

それ以上に先ず自説ありきでそれらを否定するのはもはや学問でもなんでもない

邪馬台国九州説教と言う宗教。

先に新井白石を畿内説の祖とする云々があったが
だったら九州説の祖は本居宣長でその動機は天皇家の祖が外国に膝を屈するが如き真似はしたはずが無いという
皇国史観丸出しのものであったのは誰もが知るところ。

で邪馬台国ブームはマスコミが扇動したいびつな部分がかなりあって
そのブームが去って真っ当な線に戻ったのが今の状況。

がここの九州説はかつてのブーム時の
市井のマニアが「すなお読み」一つで学者を相手取って闘えたような環境が忘れられない、もしくは憧れている。

畿内説に九州説が屈したと言うより邪馬台国論争そのものが既に過去のものになっている事を理解しない。

トチ狂った爺どもの脳内抗争劇は続く

659日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:38:17.69
このジジたちが死に絶えれば邪馬台国に関心を持つ者は
かなり減るだろうな
660日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:41:47.92
と言うかネットが最後の砦になってそうだなw

どの道リアルじゃ邪馬台国論争なんてものが前世紀のイベントで
そろそろ教科書も九州説を書いた両論併記も消えるんじゃないかな?
661日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:46:21.36
>>660
僻みだろう
検定委員達の(笑)
662日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:47:00.03
もう本も売れとらんだろ
663日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:48:36.18
無いのなら 作ってしまおう 畿内説
664日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:48:41.60
九州説は生かさず殺さず
665日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:51:16.01
基本的に素直読みほど強いものはないからな。
ひねくれた曲解が増えれば増えるほど、賛同者が減ってくる。

素直読みで場所が特定できないとしても、
できるだけ少ない修正で読める解釈が望ましい。

また、曲解が増えるほど批判もしやすく、
曲解が少ないと批判はしにくいものである。

曲解に曲解を重ねた論を見ると、
その論を書き込む人が痛ましく見える。
666日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:52:03.92
伊作のことだな
667日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:52:18.05
そのうちミス卑弥呼もおばあさんとかになるだろうな
668日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:54:13.60
人口の問題で言えば今後どのようにその数字が変わってもそれは全国的に変わるのであって九州のみが伸びる事はない。

ここのゴミクズレベル九州説の「九州・アズ・ナンバーワン」のドグマにも似た思い込みが満たされる事はないだろう。

あと倭人伝のその数字をそのまま信じるなら少なくとも奴国二万戸を三倍強も上回るものを九州内で見つけて来いという話になる。
投馬国の五万戸と合せれば6倍だ。

通説どおり奴国を福岡平野に求めるなら今とは遺跡の分布も全く変わったものにならなければならないが

もう算出方法の修正とか最新のデータの更新とかで済む話じゃない。

九州のどこかに巨大都市が埋もれていてそれが発見されれば遺跡分布そのものが根底から変わるような話になるのだろうか?w


669日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:56:14.01
>>662
アマチュアが納得する様な本がないからだろう
南も東もよくわからん人が多いからな〜。
670日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:59:59.19
普通に考えたら纏向遺跡は大和朝廷の都
それを認めないからおかしなことになる
大和朝廷が3世紀にどのくらいの勢力を持っていたかが問題で
邪馬台国も卑弥呼もどうでもいいんだよ

俺は大和朝廷が北九州を支配したのは4世紀になってからだと思ってるけどね
神功皇后が新羅に攻め込む直前だね
671日本@名無史さん:2012/05/13(日) 20:00:08.35
所詮邪馬台国ブームの時の市場がマスコミメディアによって”作り出された”ものであって
そもそも3世紀頃の古代史なんてそんなもんだろw
672日本@名無史さん:2012/05/13(日) 20:18:36.57
わかってると思うけど当時の日本列島で最大の大きさの国が邪馬台国ってわけじゃないからね
北九州を勢力下に収めてないとそれは魏志倭人伝に出てくる倭国じゃないから
伊都国が倭国の勢力に加わっているのは確実だから
どっちにしても北九州が倭国の一部であるのは間違いないからね
纏向が邪馬台国だって言うんなら
纏向が北九州を支配下においていたって言う確実な証拠が必要だからね
建物の方向がそろってるとか桃の種が出たとかホントどうでもいいから

逆に言うとね
もし中国の鏡が出たとしても
もしそれが北九州をスルーして出雲とか丹波とか日本海側のルートをつかって
入ってきたものだとしたら
纏向にあった国は魏志倭人伝に出てきた国じゃないってことになるからね
畿内説超不利じゃない?

その鏡にしても中国から一枚も出ない鏡を中国の鏡だって言い張ってるみたいだけど
673日本@名無史さん:2012/05/13(日) 20:30:30.05
伊都国というのは山幸彦海幸彦の話しで言うところの綿津見の国のこと
674日本@名無史さん:2012/05/13(日) 20:36:41.81
>>672
・・・で、九州内に
「北九州を支配下においていたって言う確実な証拠」を持った物が何処かにあるのかな?

大和は仮にそれが邪馬台国でなかったとしても
3世紀後半頃までにはそれまでなかったような規模の物が出現しているのは間違いが無い。

現状ではこれを邪馬台国に当て嵌める以外選択肢が無い。

先に出てきた戸数で言えば奴国福岡平野の3倍強の国勢を伺わせるものがあって初めて比較検討となる。
それもなければ事実上の一択。




675日本@名無史さん:2012/05/13(日) 20:40:20.28
奈良は福岡の1/3しか弥生遺跡がないからねえ。
676日本@名無史さん:2012/05/13(日) 20:41:03.79
>九州説の祖は本居宣長でその動機は天皇家の祖が外国に膝を屈するが如き真似はしたはずが無いという
>皇国史観丸出しのものであったのは誰もが知るところ。
馬鹿なことを! 宣長の九州説は単に倭人伝の行程記事を素直に読んだ結果だよ。
そこから得られた邪馬台国の位置と近畿との関係を説明するために、偽僭説を考えたにすぎない。


677日本@名無史さん:2012/05/13(日) 20:43:27.46
>奴国福岡平野の3倍強の国勢を伺わせるものがあって初めて比較検討となる。
日向は北九州の三倍以上の国政を示しているだろ。邪馬台国時代に続く古墳時代の
勢いをみてみろ。
678日本@名無史さん:2012/05/13(日) 20:44:58.76
>>675
1/3?
絶対数で?
密度で?
679邪馬台国は糸島:2012/05/13(日) 20:45:40.62
>>673
「有千餘戸。丗有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐」
伊都国は、女王国の鴻臚館。千戸の小さな国。所謂出島。
歴代の王達は、女王国に統屬してきた。
680日本@名無史さん:2012/05/13(日) 20:49:23.19
奴国が福岡平野か佐賀平野かを考えなければならないが、
当時の海岸線を考えれば、想定される二万戸の面積に対して、
七万戸に相当するのは、筑後川上流部の甘木朝倉か熊本しか無い。

福岡平野も佐賀平野も当時海だったところが大きく
、かなり当時の面積は小さくなる。

それにくらべ、筑後川上流部の甘木朝倉や熊本平野は、
標高が比較的高く、海であったところは少ないのである。
681日本@名無史さん:2012/05/13(日) 20:50:44.86
>>678

>>629を参照せよ。
682日本@名無史さん:2012/05/13(日) 20:55:01.89
>想定される二万戸の面積に対して、七万戸に相当するのは、筑後川上流部の甘木朝倉か熊本しか無い。
邪馬台国は一つの平野とは限らない。多い戸数はそれだけ国の領土が広いと考えれば
いいんだよ。

683日本@名無史さん:2012/05/13(日) 20:56:33.53
とりあえず畿内説でも奈良はありえないな。
兵庫県を候補にすべきだろう。

弥生遺跡の数から見て、あきらかにそちらのほうが
畿内弥生勢力の中心地だ。
684日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:05:37.72
俺ミス卑弥呼がおばあさんになったらもう邪馬台国関連やめるわ
685日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:09:47.13
王都及び周辺が福岡市街地の遺跡の3倍以上だったらいいかげんその片鱗くらいでとかないかんわ
竪穴の穴ポコとかじゃなくてさ
686日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:10:34.13
一大国(壱岐)が三千の家
末廬国が四千戸

弥生時代末の壱岐に一万数千も人口があったのか
家や戸というより人口の方が適だ
七万戸→七万人
687日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:18:24.95
1戸1人説再現…
688日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:21:58.41
幼い子供を別にすれば、一戸には大人が1〜2名ってところだろうから、
七万戸=七万人か、それより1.5倍程度ってとこだろう。

幾つかの竪穴式住居が集まって、部屋みたいな扱いをしているようだから。
689日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:25:27.68
6畳二間程度の面積に、炉や生活用品詰め込んでんだから、
大人が4人も5人も住むことはありえない。

子供も10歳にもなれば半独立状態だ。

せいぜい核家族が住む大きさが、一般的な
竪穴式住居の大きさだ。

ごくたまには、かなり大きめの物もあるそうだが。
690日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:25:33.33
ようするにフィクション説に近いってことだよね
中国じゃ1戸1人なんて注でも書いてなきゃわかんないから
691日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:28:45.83
>弥生時代末の壱岐に一万数千も人口があったのか
対馬よりは住みやすい島なのではないかな。それに、倭国の乱で壱岐に逃げて住み着いて
いた人々がけっこういたのかも知れんし。
692日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:29:38.23
距離を誇張、戸数も中国人の認識より誇張してるなら、朝貢関連記事も誇張が入ってる
と考えねばならんだろう
693邪馬台国は糸島:2012/05/13(日) 21:30:20.53
>>686
伊都国は、一千人だな?
694日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:36:39.07
伊都国は魏史や一大率がいて、往来する人間も上層階級だから一般人の出入りは制限されとったろう
そのコアなところが千余戸なんじゃないの
695日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:38:03.24
伊都国は重要な地
人口一千のうち結構な割合は外交監視折衝にあたる人間たちとその家族で
国というより土地もっと言えば役場
696日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:43:39.39
伊都国内のコアな部分の周辺は農民、漁民集落があったんじゃない?
697日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:44:51.98
伊都国の戸数について魏略の逸文は万余と書いている。1万戸か千戸か
まずそこが問題だな。
698日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:48:27.13
だから魏略の逸文の方は伊都国全体の戸数で魏志はコアな制限されてる部分の戸数を書いてんじゃないか
と思うんだけど
699日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:54:06.05
一大率が監察権と軍事権を併せ持つ刺史のような存在なら、軍が常駐してるはずで全体で千余戸じゃ少なすぎでしょ
700日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:55:01.56
>魏略の逸文の方は伊都国全体の戸数で魏志はコアな制限されてる部分の戸数
どちらもそんな説明はしていない。東夷伝を通覧しても、コアな部分のみを書
いた例は見当たらない。同じ伊都国全体の戸数を書いただけで、一方が誤写を
したと考えるべきだろう。
701日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:57:47.67
東夷伝の中の伊都国のような存在の国ってどこ?
702日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:02:19.11
よく書いてないっていう話になるけど、書いてる内容だけで全てが明確になるかな
それだと書いてる内容は距離も戸数も中国の基準で読まないといけないんじゃない?
703日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:02:47.38
>伊都国のような存在の国
何か思い込みがあるようだな。
704日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:04:47.70
>書いてる内容は距離も戸数も中国の基準で読まないといけないんじゃない?
そんなことはないさ。まったく無関係。

705日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:05:26.48
行政区画とかは決め方次第だから如何様にも分割とか可能なのね

その時々でぼくっちるうる設定してくれたりするからなあ

飛び地とかも得意技だしね
706日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:06:31.61
>>694
そのコアなところだけの人数を伝えてどうするの?
他の国の記述もコア限定なの?
伊都国だけ解釈を別にするなら根拠を示さなきゃ
707日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:07:48.17
いや、俺も想像してるだけなんだけどさ
千余戸じゃしっくりこないんだよね
伊都国の重要さからして
708日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:08:53.07
>>700
誤記と言ってしまえば全ての箇所に誤記を差し挟む余地を与えてしまうよ
誤記とはせず、その少ない戸数を信じてみては
なぜ少ないのかを考えてみよう
709日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:09:05.52
だから、普通は魏略逸文の万余の方が正しそうだとみているよ。
710日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:13:18.91
2つ文献があって齟齬があるなら、誤記の可能性は50%だね
711日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:13:29.67
他の国は魏使も一大率もいないでしょ
頻繁に中国人も出入りしないでしょ
倭國側は魏使と中国人の絶対的な安全性を確保する必要があると思うんだよね
加えて伊都国王もいままでどおりいるわけでしょ
単なる役所じゃないんじゃないかなって思うんだけどね
712日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:17:38.86
なぜ、伊都国の戸数の話になったんだっけ?
713日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:20:19.10
いや、知らん。
まあいいけどね俺が想像してるだけなんでw
714邪馬台国は糸島:2012/05/13(日) 22:33:54.88
>>707
>千余戸じゃしっくりこないんだよね

私は、現在の志摩=伊都国説なので
千余戸で、ピッタシカンカンですけどね。
715日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:34:18.28
ここの九州説が馬鹿なのは(あるいは分かってやっているならレベルの低い詐欺師だがw)

「九州は弥生時代の遺跡が豊富」と言うのならその遺跡の分布密度等々で
邪馬台国の位置を論ずるべきだろうがそれもしない。

とりあえず「九州」と言うことだけを決めたらそこから先は自由気まま何の一貫性もない。

九州の遺跡遺物特に舶載品とかになればその中心は当然玄界灘周辺地域で
倭人伝ならそこは伊都国であり奴国であるというジレンマに陥るからだ。

716日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:39:34.06
九州の中のどこかについては、行程記事をみるべきだからだよ。
遺跡がどう、地形がどうと言ってみたところで、しょせん我田引水
の話にしかならん。
717日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:42:37.25
都城だと遺跡遺物の話はしたくないだろうしね
718日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:47:19.45
ジョーカーは倭人伝の前の時代の倭国の中心地は玄界灘周辺地域だと考えているようだけど
それが大和に移るまでのプロセスを一度聞いてみたいな
719日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:51:38.51
いや、遺跡遺物の話をしても理解できる奴はあまりいないってことだよ。
720日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:53:12.54
>>719
理解できる奴がいる掲示板のほうがいいんじゃない、ここより?
721日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:55:14.17
要はここの九州説はご都合主義の塊で

自分に都合がよければ考古資料を良いように使うが
旗色が悪くなったら掌返して

「遺跡遺物で何が分かる!」

と火病を発症するだけ。

722日本@名無史さん:2012/05/13(日) 23:01:27.68
倭人伝の時代なんてごく短い期間で
4世紀には大和を中心とした体制に移るのはわかってるんだから
どこにあったなんて必死にならんでも、気さくに情報交換とか意見交換とかできんもんかね
といつも思う
723日本@名無史さん:2012/05/13(日) 23:06:58.20
遺跡遺物はしょせん補助的なものだ。そして、解釈はむずかしい。
724日本@名無史さん:2012/05/13(日) 23:09:28.06
いはゆる筑紫の那珂郡の領域は那珂川流域なんだけど

これは20,000戸でカウントされている「奴國」に含まれちゃってるとみたい。

倭國の酋長さんのうちのおひとりの倭載斯烏越さんのシマの「烏奴國」から「奴國」に移動するには

千石山をよぎりつつただたんに坂本峠を越えちゃえばもおそこは那珂川流域となるのだ。
725日本@名無史さん:2012/05/13(日) 23:15:12.69
新素敵ちゃん ‏ @shinsutekichan
日本書紀は神功皇后を卑弥呼にあてていますが、日本書紀は宇佐神宮
の祭神からこの二人を結びつけようとしたとは考えられないでしょう
か。神武東遷が応神天皇の大和入りのコ−スとダブっていることはよ
く指摘されていますが、これは九州の勢力が大和入りし、天皇家と
なったということを暗示しているよう
726日本@名無史さん:2012/05/13(日) 23:15:32.20
新素敵ちゃん ‏ @shinsutekichan
邪馬台国は九州にあり、そして畿内の秦王国をほろぼしたのだと個人
的には思います 古事記や日本書紀はデタラメです
727日本@名無史さん:2012/05/14(月) 00:22:20.35
>>723
あんた考古学の根幹を否定してますよ
魏志倭人伝なんかの文献を優先するのは歴史学
考古学者は文献学者と呼んでるよ
728日本@名無史さん:2012/05/14(月) 00:57:29.98
文献から得られる情報と考古資料から得られる情報では前者が勝ることは当然だよ。
だから、文献がある時代については、主となるべきは文献史学であり、考古学は文献
史学を補完する役割をもつにすぎないんだよ。これ常識ね。
729日本@名無史さん:2012/05/14(月) 01:24:19.05
糸島は現在の人口密集地帯の国道202号沿いが、当時は海なんで、
平原や高祖神社のある、怡土、井原、曽根、高祖あたりが、本来の領域。

さざれ石神社から南のほうだね。

千戸くらいで妥当だと思うけどな。
730日本@名無史さん:2012/05/14(月) 01:33:54.62
そういえば、景行天皇から神功皇后まで、
北部九州で(景行天皇は宮崎まで遠征)
様々な事跡を上げているわけだが、

九州から一度畿内まで帰って子作りしたのか、それとも、
九州で生まれたのだろうか?

かなり長期にわたって九州にいたわけだが、
本国は誰が政務を見ていたのか?
731日本@名無史さん:2012/05/14(月) 06:53:52.95
天皇が長期にわたり都を離れるなど、実際にはありえないことだね。
732日本@名無史さん:2012/05/14(月) 07:02:46.16
3世紀の日本は文献では何もわからんよ
倭人伝の行程と風俗しかない
733日本@名無史さん:2012/05/14(月) 07:12:00.32
>倭人伝の行程と風俗しかない
それが大変なことだ。遺跡遺物ではとうてい分からないこと。

734日本@名無史さん:2012/05/14(月) 07:30:48.22
都城に邪馬台国をもっていくことだけが目的なら、その仮説も一応たてられるってだけでね(笑

735日本@名無史さん:2012/05/14(月) 08:04:02.43
そう。倭人伝がなければ当時の中心が畿内だっていうような妄想も大手を振って通用しただろう。
しかし、倭人伝があるために倭国は九州だということが明確だ。
736日本@名無史さん:2012/05/14(月) 08:12:39.70
都城はまず倭国の王都とか考える前に痩せた土地と海岸部をもたないという大きなハンディで
どうやって十分な食料と塩、金属器を周りの國から分けてもらったのかというレベルから考えないと
渡来弥生人が興味をもたない土地なんだから

都城盆地…中央部は都城層と呼ばれる湖底堆積物地層の上にシラスやシラスを起源とする段丘堆積物が積み重なっている
シラス(白砂、白州)…水はけが良すぎる為に稲作には不向きな上に栄養分も乏しく、そのような土壌でも育つサツマイモ
           や桜島大根を代表とするダイコン、ダイズ、アブラナ等が主産品となった
737日本@名無史さん:2012/05/14(月) 08:17:00.20
長期間都を離れている天皇は、なにか裏があるのかもな。
つーか、歴代の天皇で都を離れた天皇はどれくらいいるのか、
調べると面白いかも。

暇見つけて漁って見るか。
738日本@名無史さん:2012/05/14(月) 08:23:12.08
考古資料からは
宮崎平野部には北部九州人が行って在地人と交配してるのもわかるし
都城と宮崎平野部では人骨形質が異なるのもわかる
鹿児島に北部九州の文化が熊本中南部を飛越えて及んでいるのもわかる
739日本@名無史さん:2012/05/14(月) 08:59:39.94
都城説の言う都城が南九州の王となり北部九州を征服し、北部九州の都市は焼き払われた
その後人口が圧倒的に勝る九州勢が一気に東征し畿内を征服した
なんてのは文献にも見られないし、考古資料からもそのような痕跡はない
都城が発信した文化なんぞ北部九州には何一つ見られない
都城説がたびたび持ち出す「ゴホウラ貝で作った腕輪」は弥生時代前期の土井ヶ浜人から腕につけている
最近の調査で、中国山東省の遺跡で発掘された漢代の人骨資料の中に、
土井ヶ浜人ときわめてよく似た形質をもつ資料が多く見つかっている
740日本@名無史さん:2012/05/14(月) 09:13:12.24
>>737
14代・仲哀天皇も熊襲征伐ということで九州にやってきている。
と言うか、二年に山口県の穴門に豊浦宮を立てて、その後は橿日宮(香椎宮)に移り、
九年に香椎宮で死んでいるわけで、大和とはほとんど縁がないとも言える。

仲哀天皇の后が神功皇后。男勝りに三韓征伐で新羅まで出かける。その後帰ってから
応神天皇を生むことになる。このへんの年代観は微妙だが。
とにかく、応神天皇は九州の出身とも言える。

その後、都に帰ると、仲哀天皇の王子である忍熊王らの反乱があり、これを鎮める。
このへんの記述をどのように解釈するか。
741日本@名無史さん:2012/05/14(月) 09:53:15.89
>>739
>文献にも見られないし、考古資料からもそのような痕跡はない
文献を正しく読めない、考古資料の意味を正しく解釈できていない、ということだよ。
倭人伝や宋書倭国伝に書いてある。古墳や異物は九州勢力の東征を裏付けている。

>「ゴホウラ貝で作った腕輪」は弥生時代前期の土井ヶ浜人から腕につけている
南の人が早くから土井ヶ浜にまで来ていた証拠だ。

742日本@名無史さん:2012/05/14(月) 10:37:49.71
>>736
>都城はまず倭国の王都とか考える前に痩せた土地と海岸部をもたないという大きなハンディで
>どうやって十分な食料と塩、金属器を周りの國から分けてもらったのかというレベルから考えないと
ほほう、で、あなたの考え方によるとどうなるのかな?
743日本@名無史さん:2012/05/14(月) 18:12:24.31
>>741,>>742  都城説

・文献は妄想せずに読むように
・よその國のものを勝手に自分の國のもののように考えないように
・強情を張らずに周りの國に仲良くしてもらって教えを請うように
744日本@名無史さん:2012/05/14(月) 20:29:45.56
>>743
736とは別人かな? まったく説明になっていないね。
745日本@名無史さん:2012/05/14(月) 22:37:19.99
>>728
だから考古学を解ってないって言われるんだよあんた
文献屋は遺跡が出てくるたびに適当に考古学を利用してるだけ
自分の下絵に合うように貼り付けるパズル屋なんだよ
746日本@名無史さん:2012/05/14(月) 22:50:23.64
>>739
人吉盆地や都城盆地が奈良盆地と同じくらいの広さだ。
都城盆地が邪馬台国と言ってもよし。
高千穂峰もすぐそばにある。
宮崎平野→大分→熊本・福岡→佐賀の順で侵攻し火災の跡もある吉野ヶ里などは焼き払われた。
747日本@名無史さん:2012/05/14(月) 23:00:24.70
>>745
そんなことを言ってるようじゃ、君は考古学を学んだことはないな。
748日本@名無史さん:2012/05/14(月) 23:04:04.37
考古学は掘って調査して分析するだけだよ
出土品が全てだと言うこと
文献とのすり合わせは門外
ある意味数学に似ている
数式を論じるだけ
その成果を応用するのは工学
749日本@名無史さん:2012/05/14(月) 23:40:38.73
>>746

> 人吉盆地や都城盆地が奈良盆地と同じくらいの広さだ。
> 都城盆地が邪馬台国と言ってもよし。

なんでさw
行き成りそんなこと書かれても誰にも理由がわからないよ。
750日本@名無史さん:2012/05/14(月) 23:49:09.81
>>728
そりゃ同時代の複数の文献で確認できる事象についてまで一々考古資料を探してくるような真似はせんわな普通。

が、じゃあ問題は邪馬台国の時代はどうかって話で

文献と言っても基本倭人伝一本単一史料。
後世のものはその改編コピペだったり時代的に先行すると思われるものも散逸していて大した情報が無い。
その手の研究は本職の文献史学者がもう過去に散々やりつくしている。

それでも「すなお読み」で正解に辿るつけるとしないと成り立たないのが「暗号解読ゴッコ」


751日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:07:30.73
まあ今「人吉」がネタにされているのでついでになんか書いておく

かつて70年代と言うから邪馬台国ブームの頃
中国語学者の工藤篁は不彌國からの水行を福岡県飯塚市から遠賀川遡行に当てていたそうだが
その行程記事解釈とその他には特に考古資料はないっぽい。

遺跡遺物で目を引く物としては凝灰岩に掘られた大村横穴群と言うものがあるらしいがこれも古墳時代後期。

まあ一部装飾が施されているようなので
装飾古墳が死ぬほど好きなここのゴミクズレベル九州説にとっては捨てがたいネタかもしれないがwww
752日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:08:53.72
>問題は邪馬台国の時代はどうかって話で
歴史は続いているんだよ。前も後も考えなければな。3世紀だけの話ではない。

>基本倭人伝一本単一史料。
史書をまともに読んでいないな。いろいろあるぜ。宋書、隋書、旧唐書などなど。

>それでも「すなお読み」で正解に辿るつけるとしないと成り立たないのが「暗号解読ゴッコ」
素直読みで辿り着けるというだけで大変なことだ。つい先頃まで、倭人伝はどう読んでも答は
でないと言われていた。素直に読む手が残っていたとはね。これ以上まともな読み方はない。






753日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:16:38.13
>>751
球磨盆地には才園古墳の金鍍金鏡があるな。
754日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:20:05.21
>>752
>素直に読む手が残っていたとはね。

お前の「素直」は他人の「ひねくれ」だよ阿呆w

もうキャンキャン吠えるのは良いからどれが一番素直な読み方なのかいい加減決めてきてくれ。

所詮「素直」なんて自己申告のオレサマ基準。

基準そのものが主観的に過ぎて比較検討すらできない。

755日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:22:08.18
>>754
南を東と読み替えないのが素直。
756日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:26:31.33
いやいや、これまで誰も「素直な読み方」にまともに反論できた奴はいないぜ。
これまでは「倭人伝はまちがっている」と言って好きな所に伊都国を持って行って
いた。それを倭人伝どおりに進めよと言っただけのこと。
あとは学者が認める正しい読み方をつなぎ合わせただけだ。だれも文句は言えない。
どこが「ひねくれ」かな? 答えられんだろ?
757日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:28:13.01
>>753
で?
古墳自体は6〜7世紀らしいがその鏡がいつのものか?邪馬台国の時代3世紀にまで遡る可能性があるのかな?

・・・ったくここのゴミクズレベル九州説は「考古学のなんたるか」とか得意げに語るが
美術品的・工芸品的価値と考古資料的価値の区別が付いていない。

少なくとも年代も無視して「お国自慢」の如きメンタリティで何でも出してくる。
758日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:30:12.24
>>756
>あとは学者が認める正しい読み方をつなぎ合わせただけだ。だれも文句は言えない。

キメラや鵺は架空の生き物だ阿呆w
759日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:40:14.38
>>757
中国の学者は、3世紀前半に呉で作られた鏡と言っていたな。
ちょうど卑弥呼時代か。
760日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:44:14.61
>>758
いよいよ発狂したか、可哀想に。
761日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:48:11.89
>>759
ほう、できれば何らかのソースかその根拠の要約でもご教示願えないかな?

副葬が6世紀、仮に日本への伝来が5世紀南朝の時代としても200年からの伝世になると思うが
762日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:50:51.25
鄭張尚芳によると
邪馬台の読みは「ヤマト」で、大倭=市場、大夫=外交、大率=大宰府なんだけど。
763日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:52:25.64
中國語言學家鄭張尚芳認為邪馬台是 Yamato(日語大和)的音譯。大倭管市場,大夫管外交,大率是刺使(日後的太宰府)。
764日本@名無史さん:2012/05/15(火) 00:53:22.51
>>761
「才園古墳 呉」で検索してみたらどうかな?
765日本@名無史さん:2012/05/15(火) 01:01:44.84
>>761
こんなのもある。
http://onnagumi.jp/annakonna/dai86kai.html
熊襲と関係付けていいのかどうかは疑問だが。
766日本@名無史さん:2012/05/15(火) 01:06:30.90
>>764
一応検索してみたがな。

少なくとも「邪馬台国人吉説」にはそれを3世紀に入手してなければならないがそんなことを書いたサイトが見るからなかったが


767日本@名無史さん:2012/05/15(火) 01:31:43.97
>>766
と言うか、卑弥呼時代にこの地方も独自に呉と交流していたと言うことかな。
768日本@名無史さん:2012/05/15(火) 01:34:34.86
>>767
だからそれを証明するにはそれの入手時期が3世紀である事を証明しなければならんと言う話だ。

5世紀ごろしかもヤマト経由で入手したとしたら大笑いだがw
769日本@名無史さん:2012/05/15(火) 01:40:29.33
北部九州では、「ヤマタイ」と言う言葉は現存しているよ。
山たい=山だよ
大陸の使者がジェスチャー交じりに
「一番偉い奴の元へ連れて行け」と言ったのに
言葉がわからず、一番高い所へ案内した。
「ここは何処だ?」
「山たい!」
そこから眺めた下界には、多くの家々が存在していた。

なんて物語が存在してたら、楽しいけど・・・
770日本@名無史さん:2012/05/15(火) 01:42:01.46
その「ヤマタイ」はラーメンの「マルタイ」と何か関係がありますか?
771日本@名無史さん:2012/05/15(火) 01:43:12.52
弥生・縄文人口の研究は、何か速水・鬼頭らの歴史人口学者が
計算したように思っている人がいるみたいだけど、
これはもともと小山氏が推計したもの。

で、この小山人口推計が信用できない!みたいなことを書く人はたくさんいるけど、
人口遺跡分布を使って改めて計算し直している人は皆無。
ちなみに小山推計の元論文はこれ

http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/259/1/SES02_002.pdf

弥生人口に関しては、何百年にも渡って続いた弥生時代を一まとめにして
推計を出している時点で、百年レベルの人口の変化を算出するのには向いていない。
だから小山推計をもとに大量の渡来人の存在を結論した埴原論は、完全に数字の扱い方を誤っている。

小山氏(って言ってももう歳だろうけど)でも他の研究者でもいいから、
弥生時代の人口推計を最新の遺跡分布を使ってもっと時代を区切って
計算し直してくれればいいんだが。
772日本@名無史さん:2012/05/15(火) 01:48:45.22
ちなみに小山推計での弥生時代人口は以下の通り
都道府県 遺跡数 推定人口(遺跡数x56)
青森県  38  2,100
岩手県  88  4,900
宮城県  208  11,600
秋田県  39  2,200
山形県  45  2,500
福島県  179  10,000
東北合計  597  33,400
茨城県  305  17,100
栃木県  148  8,300
群馬県  248  13,900
埼玉県  293  16,400
千葉県  69  3,900
東京都  295  16,500
神奈川県  410  23,000
関東合計  1768  99,000
新潟県  154  8,600
富山県  29  1,600
石川県  103  5,800
福井県  84  4,700
北陸合計  370  20,700
山梨県  31  1,700
長野県  1245  69,700
中部合計  1276  71,500
岐阜県  227  12,700
静岡県  537  30,100
愛知県  450  25,200
東海合計  1214  68,000
773日本@名無史さん:2012/05/15(火) 01:49:44.10
都道府県 遺跡数 推定人口(遺跡数x56)
三重県  536  30,000
滋賀県  110  6,200
京都府  129  7,200
大阪府  204  11,400
兵庫県  434  24,300
奈良県  204  11,400
和歌山県  317  17,800
近畿合計  1934  108,300
鳥取県  86  4,800
島根県  91  5,100
岡山県  237  13,300
広島県  290  16,200
山口県  346  19,400
中国合計  1050  58,800
徳島県  53  3,000
香川県  45  2,500
愛媛県  259  14,500
高知県  181  10,100
四国合計  538  30,100
福岡県  257  14,400
佐賀県  172  9,600
長崎県  252  14,100
熊本県  472  26,400
大分県  42  2,400
宮崎県  94  5,300
鹿児島県  588  32,900
九州合計  1877  105,100
全国合計(北海道・沖縄を除く)  10624  594,900
774日本@名無史さん:2012/05/15(火) 02:06:55.93
と言うかここのゴミクズレベル九州説どもの言う人口って
既に現在の数字の基礎データや算出方法の見直しとか言う話のレベルじゃないから

吉野ヶ里を例に取れば最盛期の人口が1000〜1200人ぐらい。周辺の中小の集落を合せて5000人ぐらい。
(この辺の数は甕棺とかから算出されてるらしいが)
これが中〜大規模のクニということになるか?

で「七万戸」と言う数字で言えば時代・史書において一戸あたりの人数もばらついているが小さい方の数字で5人ぐらいだったと思う(ウロなので間違っていれば指摘ヨロ)
七万×5=35万人。先の吉野ヶ里のようなクニが実に70国分だ。

どんな巨大な帝国なんだよとwもはや現在の数字を2倍3倍10倍しても追いつかない。

(ちなみに高島忠平が地理誌や遺跡を基に九州北部に再現したクニグニがやく30ぐらい)

まあまともに聞くのも馬鹿馬鹿しいアホの戯言レベル
775日本@名無史さん:2012/05/15(火) 02:14:04.51
吉野ケ里の中で千人くらいとすれば、それをが支配している区域が5000人ということはあるめえ。
いわば、あれは県庁と職員宿舎だぜ。
776日本@名無史さん:2012/05/15(火) 06:34:08.11
>吉野ヶ里を例に取れば最盛期の人口が1000〜1200人ぐらい。周辺の中小の集落を合せて5000人ぐらい。
>(この辺の数は甕棺とかから算出されてるらしいが)
>これが中〜大規模のクニということになるか?
国を一つの集落(周辺の中小の集落を含むにせよ)だと思い込んでいるようだな。 おめでたい話だ。
九州全体を三十か国に分けてみれば、一つの国がどの程度の大きさになるか、一つの国にいくつの大集落
を入れるべきか、少しは見当がつくはずだ。
777日本@名無史さん:2012/05/15(火) 08:39:00.66
人口だけで勢力考えてもだめなんだよね
土人が日本国の基つくったわけじゃないんでね
778日本@名無史さん:2012/05/15(火) 09:05:54.69
>>773
島根県  91  5,100

出雲がこんな数字だったはずはないよ
中四国、畿内、北陸を勢力下におく大勢力の発祥地で中心地
絶え間なく利用され続けて遺跡が残らなかったということなんじゃないの?
いったん放棄されないと残らないよ
侵略を受けたりすれば多く残ると思うよ
779日本@名無史さん:2012/05/15(火) 09:19:36.67
各時代にまたがる複合遺跡をどのようにカウントしてるかによるけどな
遺跡の大小は平均化されるという考え方だろうから、地域別の人口はあてにならんな
社会構造のピラミッド化進んでないとこほど人口が多くなるな
780日本@名無史さん:2012/05/15(火) 15:27:59.81
>>778
小山氏の手法で求まる弥生人口は、紀元200年の人口というより、
紀元前400年〜紀元500年の900年間の平均人口で、
小山氏自体は最終的に都道府県別ではなく、
中国地方・四国地方のレベルでのみ人口を算出している。

また56という係数は、1つの遺跡当たり56人暮らしているという意味ではない。

関東地方における土師期(紀元300年〜1300年の約1000年間)と
弥生時代(紀元前400年〜紀元500年の約900年間)の遺跡の数が
5549:3977で、かつ弥生時代の遺跡の平均面積が土師期の1/3であることから、
澤田吾一による奈良時代の関東地方の推定人口94万3300人に対し、
関東地方の弥生時代の推定人口は、以下のように求まる。

943,300 x 1,768/5,549 x 1/3 = (943,300/5,549/3) x 1,768 ≒ 100,183

ここで943,300/5,549/3 ≒ 56.64 というのが、発掘された遺跡数に掛ける数字ということになる。


781日本@名無史さん:2012/05/15(火) 15:28:50.82
なお小山氏の1978年の論文では遺跡数に対して56.6を掛けているのに対し、
後の1984年の小山氏の『縄文時代』に対して56を掛けて算出しているので、
数字の丸め誤差を含めて結果が異なる。

地方  遺跡数 1978年(x56.6) 1984年(x56)
東北  **,597  *33,800  *33,400
関東  *1,768  100,100  *99,000
北陸  **,370  *21,000  *20,000
中部  *1,503  *85,100  *71,500
東海  **,987  *55,900  *55,300
近畿  *1,934  109,400  108,300
中国  *1,050  *59,400  *58,800
四国  **,538  *30,500  *30,100
九州  *1,877  106,300  105,100
合計  10,624  601,500  594,900
782日本@名無史さん:2012/05/15(火) 15:35:48.99
鬼頭氏の推定人口は、結局のところ小山氏の推定人口に乗っかっているだけで、
さらに小山氏がまとめた都道府県別遺跡数でより細かく按分して
人口を出している(南九州と北九州など)。

1978年〜1984年の小山氏の推定人口を改訂するとするのなら、

(1) 1965年の『全国遺跡地図』以降に発掘された遺跡を含め、弥生時代の遺跡を数回の時期に分けてカウントし直す(できれば遺跡規模も考慮して)
(2) 遺跡数に乗じる係数を見直す (場合によっては遺跡規模毎に分類して)

これをどっかの研究者がやってくれれば、もっとまともな推定人口が算出されると思う。
783日本@名無史さん:2012/05/15(火) 15:40:47.87
なお>>772-773の都道府県別遺跡数は、1978年の論文の6頁目のTable 2に載っている
http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/259/1/SES02_002.pdf
784日本@名無史さん:2012/05/15(火) 15:55:21.38
奈良文研のデータベースだと、福岡県だけで1800あるからな。
当時と根本的に数字を見直すべきなんだろうな。
785日本@名無史さん:2012/05/15(火) 16:26:19.89
ちなみに小山修三の原著論文(1978年)でも、1965年全国遺跡地図の遺跡数が、

茨城県で、2594→3622 (1974年改訂)
栃木県で、1306→2920 (1975年改訂)
群馬県で、2259→3821 (1974年改訂)
埼玉県で、1413→6079 (1975年改訂)
東京都で、747→3618 (1974年改訂)
神奈川県で、1337→3156 (1971年改訂)

と、登録された遺跡数がほぼ倍増していることが指摘されている。

実際に計算に使われたのは、1965年版の数字だけど
786日本@名無史さん:2012/05/15(火) 16:37:08.50
都道府県別遺跡数でぐぐってみた。

http://www.komakino.jp/zenkoku-isekisu/iseki-shoumetu.htm
787日本@名無史さん:2012/05/15(火) 16:53:12.94
奈良文研のデータベースが 422442件 なので
>>786 の文化庁が出したという44万件とほぼ近い感じ。
788日本@名無史さん:2012/05/15(火) 17:01:55.39
これ縄文時代の遺跡も入ってる?
789日本@名無史さん:2012/05/15(火) 17:07:02.84
あと集落跡だけじゃなくて古墳も1つで数えられてない?
790日本@名無史さん:2012/05/15(火) 17:35:46.90
特定地域で検索してみたけど奈良文研の弥生集落跡のデータベース数は
>>783のリンクのTable2の倍くらいにはなったけどね
単純に数だけなら
791日本@名無史さん:2012/05/15(火) 18:37:45.90
>>788

縄文時代の遺跡も入ってるから、
奈良文研のデータベースは弥生時代でフィルタしなければならない。

フィルタすると>>629 の件数の数字になる。
792日本@名無史さん:2012/05/15(火) 19:02:53.77
>>791
弥生時代でフィルタしただけだと古墳が入ってこない?
793日本@名無史さん:2012/05/15(火) 19:25:10.39
>>792
そこまではわからん。
いい具合のフィルタ条件見つけたら教えてくれ。
794日本@名無史さん:2012/05/15(火) 19:36:51.95
>>793
弥生でフィルタかけただけだと、ざっと見ると古墳や粘土採掘跡とかも入るね
795日本@名無史さん:2012/05/15(火) 19:47:21.43
同じ遺跡でも数次にわたって調査してるとこは複数としてカウントされるから
遺跡ごとに内容で拾い上げるしかないんじゃないかな
796日本@名無史さん:2012/05/15(火) 20:07:16.81
小山氏の手法の
>関東地方における土師期(紀元300年〜1300年の約1000年間)と
弥生時代(紀元前400年〜紀元500年の約900年間)の遺跡の数が
5549:3977で、かつ弥生時代の遺跡の平均面積が土師期の1/3である

というのがどういう遺跡を選択してるのか、全部ひっくるめてなのかが
わからないな
797日本@名無史さん:2012/05/15(火) 20:17:27.34
弥生時代(紀元前400年〜紀元500年の約900年間)の遺跡数が増加しても
同時に土師期(紀元300年〜1300年の約1000年間)の遺跡数が増加すれば
比率はかわらなくなるから、単純に弥生遺跡が〜倍になってるから
人口を〜倍にすればいいってもんでもないだろうしね
798日本@名無史さん:2012/05/15(火) 20:19:52.52
>>796
英文見る限り、大小を問わず、全部ひっくるめて計算しているっぽい。

そして複数の時代に渡り存在する遺跡は、それぞれの時代毎にカウント

>Categorization of the site in official records is not uniform but is done by description such as:

>1) shellmounds
>2) scattered artifacts (often unexcavated)
>3) village settlements (often excavated and revealing some dwellings)
>4) cave or rock shelters
>5) c'amp sites
>6) mounded tombs (of the Tumuli period)
>7) relics of some historical period (Buddhist temples, castle fortifications, kilns, stone mounds, monuments, etc.)
>8) others (sometimes with no description).

>The temporal units for the sites are given by conventional time divisions (periods)
>or by artifact types (pottery chronology) (Table 1).
>The Jomon period is often subdivided into five stages or phases usually
>translated as Earliest, Early, Middle, Late and Latest.
>Here, these are termed simply Jomon 1 to 5.
>When Jomon subdivisions could not be ascertained,
>the site is counted in another category, unidentified Jomon.
>In referencing site records, these Jomon subperiods and the Yayoi and Haji periods
>were used to characterize individual site components.
>Thus in the computation below sites containing more than one component
>are counted more than once (Table 2 and 3).
799日本@名無史さん:2012/05/15(火) 20:20:21.37
1人でレスし続けて楽しい?
800日本@名無史さん:2012/05/15(火) 20:35:18.60
>>799
いいよー、何か別の話題あるなら(笑
801日本@名無史さん:2012/05/15(火) 22:14:57.92
wiki邪馬台国の英語版を見たら「水行十日陸行一月」の部分が
[This journey] takes ten days by water and one month by land.
となっていて、この旅程全体の距離ということになってるんだが。
これだと、英語圏だと九州説確定になってしまうんだが、お前らこれでいいの?
802いい男:2012/05/15(火) 22:38:11.32
いい。
803日本@名無史さん:2012/05/15(火) 22:40:36.89
畿内説
 推定人口でリードしてやろう   ×
 古墳を古くして弥生に突入だー  ×
 ならば土器ジャー        ×
次何を出すんじゃ?

 これが前年末あたりだったな
 この辺よくわからん人たちは過去ログ漁れだな

あとジョーカー復活したみたいだな
相変わらず「何言っているかよくわかんないんだけど」だけど

あっちはローガンや伊作も出てきたみたいだしみんな元気そうじゃん
804日本@名無史さん:2012/05/15(火) 23:16:58.30
この粘着の仕方は伊作の金魚の糞、筑紫のド民ぽいな
805邪馬台国は糸島:2012/05/16(水) 07:24:09.67
>>801
>お前らこれでいいの?

当然でしょ!

天子(洛陽)から女王(邪馬台国)までの総日数と思う。
806日本@名無史さん:2012/05/16(水) 09:05:15.12
帯方郡からじゃなくて?
807日本@名無史さん:2012/05/16(水) 09:09:04.44
>>801
世界の考古学者の見解ではほぼ九州で決まってるらしいからね。
日本の考古学はおいてけぼり。
808日本@名無史さん:2012/05/16(水) 09:28:41.48
洛陽でも帯方でも大差ないよ。どちらもトンデモ。
809日本@名無史さん:2012/05/16(水) 11:09:10.16
橿原考古学研究所を中心とした学閥は、カルトです。
810日本@名無史さん:2012/05/16(水) 12:01:58.49
>>809
「学閥」なんだから京大とかの方がいいんじゃないの?低脳くんw
811日本@名無史さん:2012/05/16(水) 12:06:55.81
中心とした学閥って意味だろw
812日本@名無史さん:2012/05/16(水) 12:15:21.83
九州説って日本語のセンスが無いな。
813日本@名無史さん:2012/05/16(水) 12:20:33.56
畿内説は世界的にはウリナラ説と同レベルらしいぜ。
814日本@名無史さん:2012/05/16(水) 12:22:56.36
サイキバ君発火
815日本@名無史さん:2012/05/16(水) 15:21:26.10
最近勉強し始めたので、この板の詳しい方にご教示頂きたいのですが
魏志倭人伝には「倭人は鯨面」とあるんですよね?
この時点でもう、畿内はあり得ないと思うんですが・・・

普通に考えて九州、日本海側ではないでししょうか?畿内説を推す方、ご意見下さい

それか邪馬台国=大和で、九州から徐々に北上していったんですかね?
816日本@名無史さん:2012/05/16(水) 15:49:00.57
連レスすいません

鯨面ってこんな感じですよね?
その後の大和朝廷を見る限り、これが奈良県とかマジであり得ないと思うんですが・・・・・

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/007/257/52/N000/000/006/127713220290916217306_z2.JPG
http://a1.bbkz.net/forum/attachment.php?attachmentid=452593&d=1319863090

817日本@名無史さん:2012/05/16(水) 15:56:04.07
和泉黄金塚古墳から巴形銅器3個が着いた革製漆塗の隼人の盾がでている。
南九州の勢力が北上していったということだろう。
818日本@名無史さん:2012/05/16(水) 16:02:54.32
819日本@名無史さん:2012/05/16(水) 16:04:10.98
「倭」呼称が既に血統の意味を含んでる。元々が大陸南方起原の呼称。

朝鮮は煽り呼称に倭系呼称使って来るが中国は朝鮮が使ってるの知りながら連中に歩調を合わせない。小日本、鬼子だw
820日本@名無史さん:2012/05/16(水) 16:21:39.09
>>812
畿内説は考古学のセンスがないw
821日本@名無史さん:2012/05/16(水) 16:26:58.74
>>817
隼人は早い段階で大和朝廷に移住させられ、組み込まれていったと読みました
邪馬台国も隼人や熊襲同様朝廷に滅ぼされた九州の国?

>>818
URLありがとうございます
古代日本の刺青=海辺の民族のまじない系、
その後大和朝廷に制圧されると刺青文化も消えるとの理解ですがあってますかね

なんかごちゃごちゃ書いてすいません
822日本@名無史さん:2012/05/16(水) 16:32:34.21
環境によって生態系から受ける脅威の量が違う。南の方は海陸共多くなる。
823日本@名無史さん:2012/05/16(水) 17:32:48.65
>>803

・・・確かにこの芸風は伊作の腰巾着ポチの筑紫のド民ぽいな

>畿内説 推定人口でリードしてやろう   ×

まあ相変わらず頓珍漢のピント外れの馬鹿丸出し。

別に畿内が他地域より抜きん出て人口を多く擁し国力があったからそこに邪馬台国があり古墳時代を迎えたなんて
およそこの板の畿内説の誰も言っていない。

ったく九州説のボケ爺はまともに日本語が通じない。
824日本@名無史さん:2012/05/16(水) 17:42:51.97
>>815
そもそもその部分は所謂「太白伝説」で
本当に当時の実際の見聞に基づく日本の風俗かどうかも怪しい
ちなみに潜水して獲るのが魚蛤(はまぐり)で末盧国に出てくる魚鰒(あわび)と違い
そもそも潜水して獲るのはあまりない、潮干狩りでも獲れる。

またその後に倭地の風俗描写が出てくるが
そもそも畿内説にとって九州も倭地なら本州も倭地と言う解釈なので
その描写が九州であっても何ら問題ない。

・・・とこれももう九州説の馬鹿相手に何十回言ったか
825日本@名無史さん:2012/05/16(水) 17:46:11.15
>>807
ああ、これはゴミクス九州説の最下層サイキバっぽいなw

「キナイセツは世界から笑われている」とかが持ちネタだからな

無論「じゃあその笑っている批判している海外の学者とか紹介してくれ」と言っても返事が帰ってくる事はない(苦笑

826邪馬台国は糸島:2012/05/16(水) 18:34:00.00
>>806
>帯方郡からじゃなくて?

帯方郡からだと、
水行十日、陸行一月 = 自郡至女王國、萬二千餘里 でダブる。

「計其道里、當在會稽東冶之東」
陳寿は、常に洛陽を強く意識していると思う。
827日本@名無史さん:2012/05/16(水) 18:41:12.40
>>826
>ダブる。

・・・?じゃあ不彌國まで里数数えたのはダブらないのか?

まあこれもゴミクズレベル九州説どものすなお読みのカタマイズパーツの一つだがwww
828日本@名無史さん:2012/05/16(水) 18:54:17.06
>>824

>またその後に倭地の風俗描写が出てくるが
>そもそも畿内説にとって九州も倭地なら本州も倭地と言う解釈なので
>その描写が九州であっても何ら問題ない。

すいません、ここがちょっと不明なんですが・・・
描写が九州であれば邪馬台国も九州ではないんですか?
829日本@名無史さん:2012/05/16(水) 19:10:04.08
畿内説の気違いに餌やるなよ
830日本@名無史さん:2012/05/16(水) 19:24:04.44
>>828
不明なのはこっちだな。
じゃあ今度はこっちから訊くが
描写が九州であって邪馬台国が九州以東で如何なる矛盾齟齬が生じるのか?
831日本@名無史さん:2012/05/16(水) 19:28:27.35
ジョーカーってかわいそうな人なの?
832日本@名無史さん:2012/05/16(水) 19:36:29.34
うんキチガイで火病だもの
毎日板を監視して必死に駄文を打ちまくる
71歳のぼけ老人なの
833日本@名無史さん:2012/05/16(水) 19:40:31.04
酷い自作自演を見た
834日本@名無史さん:2012/05/16(水) 19:51:23.09
祭器場
835日本@名無史さん:2012/05/16(水) 19:51:41.88
>>830
ええと、素人考えなんですが
「倭人の風俗」の「倭人」には邪馬台国も含まれてますよね

もし邪馬台国が畿内であれば、
倭人=南方系の鯨面・貝拾って食ってる海の民ですよとは書かずに
「九州や出雲には刺青とかしてる海土人もいるけど都会っ子の邪馬台国は別で、これこれこういう風俗です」
と書くと思うんですが、どーですかね・・・?
836日本@名無史さん:2012/05/16(水) 19:52:17.81
畿内説のキチガイおじいちゃん達は日頃世間様に相手にされないので
ここで書き込んで相手にしてもらえることを喜びとしているの
でもね調子に乗りすぎるから餌は与えてはいけないんだよ
837日本@名無史さん:2012/05/16(水) 19:53:16.05
>>828
畿内説というのは、倭が畿内だけという意味ではない。
対馬から(説によっては半島南部から)畿内までが倭国。
だから九州の風俗が倭の風俗として紹介されていても、
畿内説としては当たり前のこと。
大陸から遠い畿内よりも、大陸に近い対馬や九州沿岸部の情報が
より多く伝わっていただろうことは想像に難くない。

倭人伝に九州の風俗とおぼしきものが記述されていても、
まったく畿内説否定の根拠にはなりえない。
838日本@名無史さん:2012/05/16(水) 19:54:20.31
普通に魏志倭人伝読むと九州としか思えないんですが・・・煽りじゃないです素人考えですいません・・・

この板IDでないし・・・
839日本@名無史さん:2012/05/16(水) 19:55:31.57
>>837
ありがとうございます
入れ違いで>>835を投稿してしまったので、よければ教えてください・・・
840日本@名無史さん:2012/05/16(水) 19:57:06.99
ジョーカーって呼ばれていたヒネクレ老人も
変な薬でも飲んだのか蘇ってきたようだし
お遊びの無駄な駄文はやめて餌を与えないように
そうすればここ2〜3か月みたいに餓死状態に戻るから
841日本@名無史さん:2012/05/16(水) 20:02:38.80
サイキバはまず社会に出て人間社会ってものを知らんと古代の日本社会も理解できんだろ
2chの世界だけを知っとっても

842日本@名無史さん:2012/05/16(水) 20:03:42.59
>>839

現代日本で考えてみるといい。
日本ではジャガイモがとれスイートコーンがとれ、冬はマイナス20度を下回り、雪が深い。
この記述は、日本の説明として間違っていないが、
だからといって、これに合わないからといって宮崎・鹿児島・沖縄は日本ではないということにはならない。

大陸の使者が通った国々ですら戸数道里が略載できただけで、
そのほかは遠絶でよくわからないと書いてある。
倭国の状況を全域にわたって詳しく知らないで書いた情報が倭人伝の風俗記事。

日本について北海道しか知らない外国人が紹介記事を書いて、
その記事を読んだ人が、これが日本なら鹿児島は日本じゃないと判断するようなもの。
843日本@名無史さん:2012/05/16(水) 20:07:51.39
>>842
たとえが分からないってか何かに縛られているようで必死
爺さん無理するなバカのうえボケがはじまっているのだから
844日本@名無史さん:2012/05/16(水) 20:08:58.75
>>842
なるほど・・・魏志倭人伝書いた人も、実際邪馬台国に行って自分の目で見た訳じゃないからって事ですかね?

そう考えると畿内説もありですね
勉強になりました!長々とありがとうございました

845日本@名無史さん:2012/05/16(水) 20:11:43.83
大体九州だの畿内だのどころか神仙世界桃源郷のバイアスがかかってるんじゃないかと思われるところがあるw

散々出てきた人口の問題にも関わるが百歳とか八十九十歳の人間がゴロゴロいそうに書いているが
九州だけで100万人とか言っている九州説の電波爺さん達にとってはそれもリアルなのか?

縄文時代なんて平均寿命が二十歳未満。
無論あくまで「平均」なので死亡率の高い新生児乳幼児の頃を乗り切れば或いは70・80まで生きた人間も出たかもしれないが

古代にそうゴロゴロしてたとも思えないのだが、古代九州人は余程長命だったのかな?
846日本@名無史さん:2012/05/16(水) 20:14:51.29
実際に邪馬壹國に行ったのか、邪馬壹國までは行かなかったのかそれはどこにも書いていないしわからん。
実は行ってませんでしたという当時の告白記でも見つからない限り永久に不明。
847日本@名無史さん:2012/05/16(水) 20:52:06.00
江戸時代の新井白石から一歩も進歩せずに、さらに詐欺ばかりやっているのが畿内説。
848日本@名無史さん:2012/05/16(水) 20:54:03.04
>神仙世界桃源郷のバイアスがかかってるんじゃないかと思われるところがある

東沃沮伝の末尾の古老に聞いたエピソードの部分でも見られるよな
849日本@名無史さん:2012/05/16(水) 21:35:42.77
夫租が東沃沮に化け得ることができたとゆうのは たぶん発声のが「をそ」だからだな

夫租は扶余の故地だろ とおぜん高句麗百済の故地でもあるわけだわ

玄莬(くろうさぎ)郡が引越ししたときに原住民も少しは移動しているのにきまるだろ

ここのを島根とか隠岐だとかとリンクして思考できないところが学者さんの痛いところ

ちなみに「玄莬郡」のお引越し先は「高句驪縣」だからめもしておこうね
850日本@名無史さん:2012/05/16(水) 22:22:03.18
>>845
>縄文時代なんて平均寿命が二十歳未満。
だれがそう言のか?バカじゃねえか、犬猫じゃあるまいし
ちっと、常識で考えれば、「検討の余地あり」だろうに
自分の説に近いものは何でもありの畿内説ぼけ老人

なにしろ畿内説を擁護できるものは数が少なすぎるから
我を擁護できるものはなんでも「OK、ウフ」ってお前らローラか

ほらもう寝る時間だよおじいちゃん達、畿内説は夢で見ようね
851日本@名無史さん:2012/05/16(水) 22:32:33.41
>>842
>日本ではジャガイモがとれスイートコーンがとれ、冬はマイナス20度を
>下回り、雪が深い。 この記述は、日本の説明として間違っていないが、
>だからといって、これに合わないからといって宮崎・鹿児島・沖縄は
>日本ではないということにはならない。

喩がぶっ飛んでて何言ってるかよくわからんわ〜┐(´ー`)┌

畿内のおじいちゃん、必死になって考えたんだろうけど、
また口説得力ありませんわ〜(゚Д゚)ハァ?
852日本@名無史さん:2012/05/16(水) 23:12:55.49

陳寿が倭国に持ってるイメージ

『其俗常以七月取童女沈海。又言有一國亦在海中、純女無男。又説得一布衣、從海中浮出、其身如中(國)人衣、其兩袖長三丈』

こんな感じの衣? 

ttp://www.youtube.com/watch?v=zbT0sKAxUb4

『其域皆在沃沮東大海中』

こんなような文化(伝説)が中国から伝わった国が沃沮の東の大海中にあるのだろう
853日本@名無史さん:2012/05/16(水) 23:38:38.50
邪馬台国と大和朝廷のあいだには直接的なつながりはありませんよ。
854日本@名無史さん:2012/05/17(木) 01:10:39.06
卑弥呼は子孫を残さなかったから天皇家の祖先は卑弥呼の後にどうやって政権を取ったのかが
謎なんだよね
855日本@名無史さん:2012/05/17(木) 04:34:28.47
>>842
>現代日本で考えてみるといい。
>日本ではジャガイモがとれスイートコーンがとれ、冬はマイナス20度を
>下回り、雪が深い。

東京が−20度になったり雪深なったりするのかよ
お前畿内説やりすぎて脳が破壊されているな
856日本@名無史さん:2012/05/17(木) 07:29:15.15
>>855
文脈から言って北海道とか北日本の話だろうに
857日本@名無史さん:2012/05/17(木) 08:59:25.02
畿内説はまともな思考が出来なくなっているのか?
858日本@名無史さん:2012/05/17(木) 09:52:35.08
倭人伝の風俗記事は使者が自分で確かめたことを書いている。倭国内のどこかが
それに該当すればよいなんて話ではない。ちゃんと邪馬台国を訪ねそのあたりの
風土風俗を書いているんだ。
>>842は、倭人伝無視の畿内説論者らしい単なる屁理屈だよ。
859日本@名無史さん:2012/05/17(木) 11:52:16.49
倭人伝に記されてることは畿内とはまったく一致しない。
九州の弥生遺跡とはかなりの整合性がある。

こうなったら畿内説は屁理屈捏ねまくるしかない。
860日本@名無史さん:2012/05/17(木) 11:58:01.16
畿内説にいろいろと無理があるのは認めますが
それでもあの時代、畿内にひとつの文化圏はあったでしょう
それは邪馬台国ではなく、まったく異なる別の国だったでしょうけれども
861日本@名無史さん:2012/05/17(木) 11:58:34.50
まともな思考ができていないのは九州説。
最古の纒向石塚古墳をはじめとする纒向古墳群で日本最大最古の勢力が畿内にあったことは確定だろう。
862日本@名無史さん:2012/05/17(木) 12:05:54.85
>>861
倭人伝読んだことある?
863日本@名無史さん:2012/05/17(木) 12:15:27.95
纒向の宮っていうと垂仁や景行じゃない?
または磯城に宮をおいた崇神とか
邪馬台国じゃないことは確かだな
864日本@名無史さん:2012/05/17(木) 13:39:43.08
日本最大の勢力が畿内にあることと邪馬台国が畿内にあることは別だよ
懐良親王が日本国王になったこともあったしね
魏志倭人伝だけじゃなくて明史も読んでみたらいいよ

まあ普通に考えたら纏向にあったのは邪馬台国じゃなくて大和朝廷だろうね
865日本@名無史さん:2012/05/17(木) 15:07:07.63
纒向は建築様式から見ると5世紀のものと言えるらしい。
無理に邪馬台国に拘らず、普通に大和朝廷の遺物として研究するべき。

箸墓もしかり、輪鐙が出た時点で4世紀より遡る事はありえない。
崇神朝の成り立ち、吉備との関係など、記紀に見える記述との関連性を考慮して研究を行ってほしい。

近頃の歴博や橿原研究所の発表は見苦しい。
866日本@名無史さん:2012/05/17(木) 16:52:58.86
記紀だってニニギは九州で即位し、神武は九州から畿内に行きついたことを
明示しているとおり、畿内はもともと邪馬台国とは異質な勢力圏だったが
九州の系譜を引いた政権が畿内を統一したわけなのだ。

神国日本は天地開闢以来畿内の国だ、なんて妄想している奴らは哀れだよ。
867日本@名無史さん:2012/05/17(木) 17:01:33.05
江戸並の開拓地じゃ無いのか?
868日本@名無史さん:2012/05/17(木) 17:02:14.85
>普通に考えたら纏向にあったのは邪馬台国じゃなくて大和朝廷だろうね
>邪馬台国に拘らず、普通に大和朝廷の遺物として研究するべき。
弥生時代の奈良盆地にはたいした遺跡がない。人はさほど住んでいなかったところだ。
そこに突如として巨大古墳がつくられるようになる。その勢力はどこから来たんだ?
吉備からわさわざ奈良盆地に進出する理由があるか? ないだろうな。
巨大古墳を造った勢力は銅鏡をばらまく。その銅鏡には卑弥呼の遣使に関係する年号が入っている。
この銅鏡の製作地がどこか論争されているが、本来そんなことは大した問題じゃない。製作地がどこ
にしろ、邪馬台国との関係を無視するわけにはいかない。
問題は、鏡が邪馬台国製作ならば邪馬台国が畿内にあったことにまちがいないとする知能の低さだ。
邪馬台国はどこにあったにしろ、近畿で鏡をつくってばらまくことはできる。邪馬台国に従うように
なった連中に安物のメダルをくれてやるようなもの。鏡は邪馬台国の所在地を示すものではない。
畿内は4世紀ころから東へ勢力をのばした邪馬台国が本州の物資を九州に送るためにつくった物流セ
ンターだ。




869日本@名無史さん:2012/05/17(木) 18:26:01.56
弥生遺跡は奈良には少ないけど、周りにはそれなりにあるから、
やはり奈良は新天地だったんだと思うよ。

で、開墾して平地を作り、水路を作り、余った土砂でついでに古墳を作った。

すでに人が住んでいる集落をわざわざどかせて、追い出しては、
古墳は作りにくいと思うんだ。

後、なんで奈良の遺跡が少ないかという話になると、
どうしても奈良湖が脳裏に浮かんでくるなあ。
870日本@名無史さん:2012/05/17(木) 18:43:32.25
元々畿内にあるわけない邪馬台国を探すもんだから
土器インチキ年代法・古墳年代遡り・妄想連合王国
そりゃもう必死でウソつかないかんワナ
871日本@名無史さん:2012/05/17(木) 18:57:10.83
崇神天皇が四道将軍を派遣して吉備や東海地方や北陸や丹波を支配したんだよ
一代でここまで領土を広げたわけだから突然大きな都が出現しても不思議じゃないでしょ
神武天皇は崇神天皇より10代も前の人だし天皇家は大和に10年は住んでるよ
大和に来たのは3世紀じゃない 東遷説は成り立たない

畿内説は屁理屈がひどいけど東遷説も似たようなもんだ
872唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/17(木) 18:57:54.07
纏向1類(前) 弥生X様式土器 後漢193年冷夏凶作(崇神5年) 。
考古:弥生後期後半、各地の遺跡で住民の移動。2世紀末各地の土器が纒向に持ち込まれる。
纏向1類(後) 210年金官伽耶の建国(三国遺事、新羅本紀)
纏向2類(前) 3世紀前半辻の大型建物(古韓尺)
纏向2類(中) 石塚
纏向2類(後)
纏向3類(前) 庄内3式期末  ホケノ山(225〜250年) 楽浪鏡・鉄器 埴輪(穴あき壺)
倭人伝 邪馬台国官、伊支馬(イクメ・垂仁)、 都市牛利(たしうり・田道間守)
前半の建物跡を土盛り(土地は乾く=ヒ)と整地(シロ)をして中期の大型建物。
纏向3類(中) 廻間II初頭 多孔銅鏃と東海土器の分散
纏向3類(後) 九州北部に庄内式土器(纏向3類)
纏向4類(前)
纏向4類(中)
倭人伝 使大倭監之、 自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國、於國中有如刺史。
大倭は伊都国に勅使の如きを置き女王国(九州)の北部に置いた1大卒を監督する、1大卒は諸国を
検察し、諸国はそれを畏れ憚る。
873日本@名無史さん:2012/05/17(木) 18:59:39.20
10年じゃなくて100年だった
874日本@名無史さん:2012/05/17(木) 19:26:16.45
>>873
何ひとつ根拠がないな。

畿内説は根拠がないから嘘をつかなければ成り立たない。

箸墓から輪鐙が出たときは酷かった。
普通は5世紀のものが出たら、その古墳も4〜5世紀のものだろうとなるが。
どうしても邪馬台国の時代にしなきゃいけないので、日本は3世紀に鐙を使用してたなんて言っちゃった。
中国よりも早く鐙を使って馬に乗ってたらしい。
これには世界中が大仰天。
日本の考古学は赤っ恥。

出世や保身も大事だろうけど、学問でまで中国に馬鹿にされるような事はやめてくれ。
875日本@名無史さん:2012/05/17(木) 19:35:04.07
>>850-851

>だれがそう言のか?

…と脊髄反射で言う前に「平均寿命 古代」とかで検索したらどうだ?九州説のゴミカス
(この馬鹿さ加減はサイキバっぽいが・・・

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%AF%BF%E5%91%BD%E3%80%80%E5%8F%A4%E4%BB%A3&ie=utf-8&oe=utf-8&aq=t&rls=org.mozilla:ja:official&hl=ja&client=firefox-a

逆に古代の平均寿命が7・80とは言わない、50も超えるようなデータがあるのなら教えてくれって話だな。
(ちなみに猫なんかんも人に飼われてりゃ10年近く或いはそれ以上生きるが野良になるとその半分以下の精々3〜4年だぞ阿呆)

あと>>842は俺じゃないがここまで親切に噛んで砕いて説明してもらっても分からないのか?
ニホンゴワカリマスカ?
876日本@名無史さん:2012/05/17(木) 19:37:33.40
もうジャガイモはいいじゃない
877日本@名無史さん:2012/05/17(木) 19:39:44.49
>>874
>これには世界中が大仰天。日本の考古学は赤っ恥。

具体的なソースヨロ

ここのゴミクズレベル九州説は直ぐに「キナイセツは世界から笑われている」と言うが
その具体的な例を示した事が無い。

脳内ソースなのか?ww



878日本@名無史さん:2012/05/17(木) 19:40:14.74
畿内説が詐欺だとバレた時の逆襲語 > サイキバ

ぜんぜん逆襲する効力が無いわけだがwwww
879日本@名無史さん:2012/05/17(木) 19:42:30.62
証拠もくそもないだろ。畿内から桃の種が出てきても

  「これぞ卑弥呼が畿内にいた証拠」・・・これじゃ、世界中(宇宙中?)が笑うだろ。
880日本@名無史さん:2012/05/17(木) 19:46:18.44
>>878-879

この馬鹿っぽさはサイキバ阿呆本人ぽいがなんでこの馬鹿この板にいるんだろうか?
古代史そのものにさして興味もなく学習し新しい知識を身につけようなんて好奇心・姿勢は微塵もない。

ただひたすら悪のキナイセツを叩く俺カッコイイと言う中二病馬鹿丸出し。

881日本@名無史さん:2012/05/17(木) 19:54:03.85
>>860 >>864

まあ東遷説や九州王朝説のキチガイが自身の妄想の為に邪馬台国の時代既に
畿内に後のヤマト王権の基になる勢力が発生していたということすら認めないのと比べれば
真っ当な意見だが、

じゃあ九州に当時大陸と交渉を持った勢力があったかどうかで
それがなければ事実上畿内説一択と言う状況に変わりはない。


882日本@名無史さん:2012/05/17(木) 19:59:32.64
畿内説は何も反論できない
883日本@名無史さん:2012/05/17(木) 20:02:45.11
畿内説もうんこだけど東遷説もクソだよ
纏向にあった国とは別に北九州に国があったんだよ
ぜんぜん関係ない国が
記紀に邪馬台国や卑弥呼のことがさっぱり書いてないことがその証拠だよ
884日本@名無史さん:2012/05/17(木) 20:11:53.47
九州王朝説は九州王朝が5世紀まで続いたっていってるからおかしくなる
九州にあった国は4世紀神功皇后が新羅に攻め込んだころには大和朝廷に従っている

3世紀に北九州に大和とは別の国があって半島や大陸と交渉を持っていたことは
朝鮮半島南部の遺跡から出てくるものでわかるよ
3世紀の遺跡からは北九州のものしか出てこないけど
4世紀になると大和のものが出てくるんだよ
885日本@名無史さん:2012/05/17(木) 20:15:40.83
まあ万が一初見の人がいたら勘違いするかもしれないので老婆心から一応書いておくが・・・

一口に鐙(あぶみ)と言っても馬に乗る為のステップとしての片側だけに付いたものと
乗馬中踏ん張って体を安定させる為両側に付いた物がある。

で片側だけのものなら既に西晋(265 - 316年)に出現していたと言うのが通説。

>>874
>中国よりも早く鐙を使って馬に乗ってたらしい。

・・・と言うのは何を言っているのか良く分からない。
まあ言っている本人が分かってないのかもしれないがwww
886日本@名無史さん:2012/05/17(木) 20:20:38.81
お、ひさびさにジョーカーを見た(ハート)
887日本@名無史さん:2012/05/17(木) 21:11:47.93
>>881
おやおや、化石と化したはずの自生説か?
888日本@名無史さん:2012/05/17(木) 21:15:08.86
>じゃあ九州に当時大陸と交渉を持った勢力があったかどうかで
>それがなければ事実上畿内説一択と言う状況に変わりはない。

夢見る畿内説大好きジョーカー爺さんだね

畿内に邪馬台国あるわけないでしょ
中心遺跡もなければ周辺遺跡もない

ジョーカー爺さん今日も餌もらって元気いっぱい書き込みですか?
あまり必死に打ち込むと高血圧に影響しますよ
889日本@名無史さん:2012/05/17(木) 21:43:02.06
ジョーカーは、まだ四十代だよ
890日本@名無史さん:2012/05/17(木) 21:49:00.17
ジョーカーだんまりか?ショボくなったね
黙って消えてなくなってりゃよかったのに
891日本@名無史さん:2012/05/17(木) 21:59:57.43
とうとう畿内説の敗残兵も消滅です。
892日本@名無史さん:2012/05/17(木) 22:24:28.03
景行天皇から神功皇后までの、九州在住の天皇は、
そもそも畿内と関係があったのかどうかわからんな。

高良山の景行天皇の仮宮や、神功皇后の福岡の事跡は
4世紀くらいを思わせるが、

記紀では1世紀から2世紀。

だいぶ色々と手を入れられているような気がするな。


あと、磐井の反乱でも、戦争が終わってから磐井の弟が
糟屋の屯倉を返上する話が出てくるが、
本州方面から磐井を撃破するなら、
磐井の弟を先に撃破するだろ。
背中に敵を置いたまま戦うつもりかよ。

そして磐井がなぜ筑豊北九州方面に逃げるのよ。
敵の本拠地方面に逃げるんじゃねえ。

なんか色々と動きに矛盾がある。
893日本@名無史さん:2012/05/17(木) 22:30:46.60
どうあがいても畿内説は成立しないから、マトモな人は畿内説を軽蔑してるよ。
大声でわめきたてても、畿内説は矛盾と捏造だらけ。
894日本@名無史さん:2012/05/17(木) 22:33:10.89
>>858
>倭人伝の風俗記事は使者が自分で確かめたことを書いている

そもそもこれ自体根拠が無い。
ゴミクズレベル九州説、暗号解読ゴッコのゲームが成り立たせる為の設定でしかない。

ここまで述べてきたように五万戸七万戸などと言う数字にリアリティがなかったり
古代では考えられないような長寿を書いていたり
現在明確に考古学的には確認されていない殉葬が描かれていたりetc

卑弥呼の下にまで赴いた魏使の見聞に基づいて書かれていると言う保証は無いというより大いに疑わしい。

人口のことに関して言えばそもそも邪馬台国ブーム真っ盛りの頃でさえ松本清張なんかは
「五万戸七万戸なんかは三・五・七と言う陽数(奇数)を好む中国人の修辞」とかなんとかでバッサリ切り捨てていたと思うし
他の学者も似たりよったりだと思うが

これを今ここのゴミクズレベル九州説みたいにリアルな数字として扱っている学者っていた(もしくは現在もいる)のか?


895日本@名無史さん:2012/05/17(木) 22:38:22.45
上記の様子が年末から24年年始だった。
そして畿内説が静かになって皆が黙っていった。

要するに一般民衆における「畿内説の終焉」だったんだね。
896唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/17(木) 22:41:01.99
>纏向にあった国とは別に北九州に国があったんだよ

北史 倭國
漢光武時,遣使入朝,自稱大夫。安帝時,又遣朝貢,謂之倭奴國。靈帝光和中其國亂,
遞相攻伐,歴年無主。有女子名卑彌呼,能以鬼道惑衆,國人共立為王。…
至奴國。... 又南水行十日,陸行一月,至邪馬臺國,即倭王所都。

謂之倭奴國… 其國亂...歴年無主。有女子名卑彌呼,國人共立為王。
だから、九州倭奴国に共立卑弥呼は、倭奴國王位継承。
至邪馬臺國,即倭王所都。畿内大和である。正始元年”倭王位”授与。
晋書 正始元年 東倭重譚納貢。

東倭とは、倭奴国に対する言い回しであり、統一倭国を大倭と表記する魏書。
乱で疲弊した倭奴國で卑弥呼が共立されるのは、遣使の直前。
だから、魏はあてにならない倭奴國女王卑弥呼以外に、それ相応に離れた地(邪馬台国)
の王に“倭王位”を授与するのである。
女王卑弥呼は、景初2(3)年に認められている、であるならば、正始元年の“倭王位”
が卑弥呼になることは無い。
また、卑弥呼が邪馬台国に住んでいるのであれば、同一地域に2王を認めることとなるが
これでは、夷を制御できない。
半島においては、辰王を認めるが、辰王は馬韓人である。だから、馬韓には王位は認められない。
半島南部は、辰王一人しか認められていない。
897日本@名無史さん:2012/05/17(木) 22:44:54.15
>>894
畿内の周辺で人口過密な遺跡が皆無であれば畿内に邪馬台国は無い
畿内に殉葬ないのだろ?であれば畿内に邪馬台国は無い
山口やら佐賀やらは殉葬と考えられる弥生の大量の死体が発見されている
898日本@名無史さん:2012/05/17(木) 22:49:10.35
>>897
>山口やら佐賀やらは殉葬と考えられる弥生の大量の死体が発見されている

ソースは?
「殉葬と考えられる」根拠を是非教えて欲しいな。

・・・っていつものように有耶無耶でピンポンダッシュなんだろうな
899日本@名無史さん:2012/05/17(木) 22:51:14.00
邪馬台国も卑弥呼もどうでもいいんだよ
纏向にあったのは大和朝廷の国
3世紀にはまだ北九州を支配下に入れてない
魏に使者を送ったのは北九州にあった別の国
各国の王が共同で王にした卑弥呼なんていなかった
あれは北九州にあった国の王位継承にまつわる揉め事で大和朝廷とは何の関係もなかった

各国の王が相談して一人の巫女を女王にした
そして近畿から北九州にまで広がる国が成立した
これは戦後創作されたファンタジーだから

大和にいた一族の天皇家が軍事力でもって他の国を次々と従えていったって
いうほうが現実的で常識的だろう
900日本@名無史さん:2012/05/17(木) 22:58:20.05
>>885
こいつ鐙のこと何にも知らないんだなw
901日本@名無史さん:2012/05/17(木) 22:59:40.99
>>885
輪鐙って分かる?
902日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:06:03.58
>>900
ケチレスは良いから具体的に突っ込んでくれんかねゴミクズ君。

じゃあ少し鐙の話を続けるとだ

九州説にしたら本来鐙が出たということで5世紀頃の年代を主張したいのだろうが
(ここのゴミクズレベル九州説なら平気でやりそうだがw)

そこまでできず「足して2で割る」ような4世紀半ばにするのは何故か?

箸墓の鐙以後馬具や馬の骨といったものを出さない古墳群があり件の鐙を普及品の走りにできない。

どの道後世国家によって大々的に導入される前のレアケースとするしかない。

ならば中国で普及して半島で普及してその後日本に伝来と言う形ではなくて
中国からの直輸入のようなケースでも構わない。



903日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:07:01.93
>898
知らずに発言ですか?バカ丸出しですね
904日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:11:27.76
可哀想なジョーカー…
905日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:15:59.65
>>903

言っておくがその可能性が考えられると言うレベルの話なら自分も全く知らないわけじゃない。
が、

>>894
>現在 ” 明確 ”に考古学的には確認されていない殉葬が描かれていたりetc

きちんと万人に対して立証できうる形の物があるというのは聞いたことが無いと言っている。

ケチレスで遠くから小石しか投げられないような真似をするのだったらスパッとソース出したらどうだゴミクズレベル九州説さんよ
906日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:17:16.72
>>902
なんだかちょこまかと必死だけど
その一件だけで邪馬台国が畿内に行ってしまうのか?
嘘を繰り返すからここでも必死に嘘の上塗りしているじゃなか
自分が書いた文を見直せ 馬鹿者
907唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/17(木) 23:17:37.26
>3世紀にはまだ北九州を支配下に入れてない

前半の建物跡を土盛り(土地は乾く=ヒ)と整地(シロ)をして中期の大型建物。
纏向3類(中) 廻間II初頭 多孔銅鏃と東海土器の分散
纏向3類(後) 九州北部に庄内式土器(纏向3類)
纏向4類(前)
纏向4類(中)
倭人伝 使大倭監之、 自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國、於國中有如刺史。
大倭は伊都国に勅使の如きを置き女王国(九州)の北部に置いた1大卒を監督する、1大卒は諸国を
検察し、諸国はそれを畏れ憚る。
纏向4類(後)箸中山(最初の大王墓)・燈籠山、布留0の指標、(260±10年程度)

歴史は、希望ではない。
九州北部に庄内式土器(纏向3類) 以後九州の土器は、畿内の土器に似てくる。
そして、箸墓は最初の大王墓。
長畑馬場遺跡
http://www.pref.nagasaki.jp/jiten/ruin.php?id=3100
長畑馬場遺跡 (ながはたばばいせき) 平戸市大島村前平1456
本遺跡は弥生時代中期中頃を中心とし、古墳時代初頭まで継続している。住居址は弥生時代中期のもので、同時に甕棺、土坑、
箱式石棺からなる墳墓群も形成さ れている。出土遺物は多彩であるが、特に土師器は畿内の庄内系の土器の影響下に成立した
在地甕である。 本遺跡が位置する大島村は、壱岐とは一衣帯水の地 であり、また平戸や生月、北松浦の半島は交易のルート
上にあり、五島列島や対馬を含めて同じネットワークで結ばれた集団であったことが推測される。

景行に服従し、神功に滅ぼされる。 すべて3世紀中の出来事。
908日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:21:07.04
>>905
はいはい出ました<出せ出せ攻撃>
もう十分ん出ている。それをガキオヤジ畿内説ボケ老人が聞いていないだけ
過去ログあさって明日やってこい。
909日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:21:18.11
>>906
日本語の文章が理解できない低脳ゴミクズ。

(お前学生時代国語の長文読解とか成績良くなかったろ?w)

いつ俺がそれで邪馬台国が畿内である根拠になるとかいったんだ?阿呆。
ゴミクズレベル九州説が例によって万年ループの鐙のネタを出してきたから対して常識的なことを言っただけだ。

910太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/17(木) 23:21:55.46
歴史は、希望ではない。
臭魔電のカリスマ化を目論んでの景行日本統一はオマエの希望であり、
歴史ではない。
911唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/17(木) 23:28:52.44
箸墓を4世紀初めに設定する。
これは、百済本紀に日本書紀を合わせたときの考察である。
それが、否定された。ということは、百済本紀は時空が狂っている。
七支刀=369年。16日丙午の存在しない年である。これを“吉祥句”
といって、存在しない事実を無視する。
例えばだ、28歳の誕生日に、縁起の良い数字だからといって、
末広がりの“八八才おめでとう”と書いてあるカードを喜ぶか?
同じことだ。
912日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:29:58.80
>>908

ゴミクズレベル九州説お得意の、いつもの誤魔化しトンズラの言い訳入ったな。

まあ手っ取り早くwikiだが

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%89%E6%AD%BB

>古代 [編集]
>考古学的に確認できる確実な殉死の例はなく、普遍的に行われていたかは不明であるが、弥生時代の墳丘墓や古墳時代には墳丘周辺で副葬品の見られない埋葬施設があり、
>殉葬が行われていた可能性が考えられている。また、5世紀には古墳周辺に馬が葬られている例があり、渡来人習俗の影響も考えられている。

・・・とまああくまで可能制止まりのお話、そもそも殉葬でなければ必ず副葬品を伴うと言う話でもないだろう。

(ちなみに馬の葬られている事例は「犠牲馬」と言われ明確に首を切られた跡があるらしい)

ひょっとしてどこかで見た聞きかじったうろ覚えの話でも脊髄反射で書き込むゴミクズレベル九州説の悲しい習性かな?
913日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:30:13.94
>>909 もう必死に汗ダクで脳内フル回転で打ちまくっている低能ジョーカー君
落ち着けお前の書き込み支離滅裂になってきているじゃないか
914日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:37:59.39
北九州からは近畿の土器が出てくるけど
纏向からは北九州の土器が出てこないよね

それに鉄の流通をめぐって争っていたはずなのに
女王のいたはずの近畿より北九州からたくさん鉄が出てくるのは何で
畿内説は屁理屈にしたって出来が悪いよ

纏向にあった国が北九州を支配下におさめたのは4世紀だよ
その勢いで朝鮮半島まで攻め込んだんだ
関東から西の日本列島を統一したのは神功皇后だよ
915日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:38:00.69
東遷云々とは別に、奈良盆地に突如として出現し始める古墳群は
吉備の影響なしには考えにくいですね。
大和朝廷と九州とのつながりはわかりませんが、
吉備と大和朝廷のあいだに深いつながりがあるのはほぼ確実でしょう。
916日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:43:04.15
そりゃ吉備津彦命と倭迹迹日百襲媛命は兄弟だもの
大和朝廷は纏向に都を構えるころには吉備を支配下においてるんだよ
917日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:46:09.03
それが4世紀。
918日本@名無史さん:2012/05/17(木) 23:56:18.37
で誰か >>897 のゴミクズレベル九州説が言いっぱなしのトンズラこいたっぽい
佐賀山口の殉葬跡とやらを出せる奴はおらんのか?

弥生時代と言うことは墳丘の首長墓の周りにある土壙墓をそれに見立てているって話だろうか?

919日本@名無史さん:2012/05/18(金) 00:53:06.99
桃太郎も吉備の物語だし
道教のシンボル須弥山をかたどった前方後円墳が
吉備の影響があるというのは至極当然
920日本@名無史さん:2012/05/18(金) 00:56:44.78
鬼国は魏志倭人伝にも出てきてるが邪馬台国の勢力外
921日本@名無史さん:2012/05/18(金) 01:05:49.40
>>915
皇室の歴史書といわれる古事記や日本書紀には、大和朝廷は九州から
やってきたと書いてあるんだろう?
古墳の内部、棺の様子だって九州色が濃い。

何を持って吉備との関係というのかわからないが、それを認めながら、
九州の影響を拒否するというのは非常に意図的な見解と言えるな。
922日本@名無史さん:2012/05/18(金) 01:16:51.05
初期の前方後円墳の周囲においてあった、特殊器台や朝顔形土器、円筒埴輪は甘露を受ける器なんだよ
須弥山の頂から降るという、不老長寿の甘い水
それらは吉備が起源だろ
923日本@名無史さん:2012/05/18(金) 01:36:32.68
倭人伝に記された墓制はヤマトのそれと別物で合致するのは九州と言ってみたり

今度はヤマトの墓は九州起源と九州版ウリナラ起源説言ってみたり大変だなw
924日本@名無史さん:2012/05/18(金) 01:37:35.70
特殊器台って、吉備ではもともと何に使われてたんだったかな?
墓に飾るというような習慣があったのかな。
925日本@名無史さん:2012/05/18(金) 01:43:00.08
>>923
九州では弥生中期の甕棺などに副葬品が見られる。
この頃から副葬品が見られるのは九州だけだろう。
しかも、鏡や剣、管玉や勾玉などと言うわけで、
古墳時代の副葬品とも明らかに連続性がある。
926日本@名無史さん:2012/05/18(金) 02:30:43.88
「魏志倭人伝」には「男子は大小と無く、皆黥面(げいめん)文身す」とあるから、
当時の日本人の男は大人も子供も顔や体に入れ墨をしていたらしい。水に潜って魚をとる海人が大魚の襲撃を防ぐまじないにしたのが、
後に飾りとなったのだという
▲ならば入れ墨のない者は当時の役所をクビになったのか??とは、むろん大阪市での職員への入れ墨調査を聞いて頭をよぎった妄想である。
役所が職員の入れ墨の有無を一斉調査するというのもびっくりだが、「110人」という調査結果にも驚いた向きが多かろう
▲そういえば最近タトゥーと呼ばれるファッション感覚の入れ墨を就職活動を機に消す手術をする若者が多いという。
欧米の映画などをまねて気軽に入れたタトゥーも、いざ職探しとなれば入れ墨がアウトローのシンボルとされてきた日本社会の市民感覚に突きあたる
▲さて映画では片肌脱いで桜吹雪を見せる遠山の金さんこと町奉行、遠山景元には本当に入れ墨があったか。
放蕩(ほうとう)ざんまいの若い頃に遊び仲間と腕に桜の入れ墨をしたと記すのは元幕臣の漢学者、中根香亭だ。
旗本の子弟が「武家彫り」などという入れ墨をした時代だ
▲だが香亭によれば、幕府で昇進をとげてからは常に肌着をきつくまとい、夏も脱ぐことがなかったという。
さて景元は「若気の至り」を後悔したのかどうか。ともあれこと奉行としては若い時の体験ゆえに下情に通じたみごとな裁きをしたと香亭は絶賛を惜しまない
▲大阪市職員の入れ墨事情は人それぞれだろうし、何らかの措置が必要なケースもあろう。
ただ未来の景元を失わぬようにするのも組織の「マネジメント」だ。

毎日新聞 2012年05月18日 00時16分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120518k0000m070123000c.html
927日本@名無史さん:2012/05/18(金) 06:32:14.42
和泉黄金塚古墳からは隼人の盾も出ていたな。
928日本@名無史さん:2012/05/18(金) 06:33:19.01
一強単独で考えるからいつまでも先が見えん
929日本@名無史さん:2012/05/18(金) 06:50:06.28
>>921
九州の影響を拒否はしません。
吉備から畿内に流入したのはほぼ確実だろうというだけです。
九州のものが吉備を通って畿内に入ってきた可能性は高いと考えています。
930日本@名無史さん:2012/05/18(金) 07:54:25.51
銅鐸の出土状況は邪馬台国の勢力の拡大を良く表してる。

出雲、瀬戸内西部、東部と銅鐸を捨てている。

その後畿内の勢力が邪馬台国に屈し、銅鐸を捨て東海地区に残党が残る。

931日本@名無史さん:2012/05/18(金) 08:26:31.59
>>930
瀬戸内西部は元から邪馬台国の勢力内でしょ
932日本@名無史さん:2012/05/18(金) 10:04:15.52
吉野ヶ里でも銅鐸が見つかっていたはずだとぐぐってみたら、
島根で発掘された銅鐸と同じ鋳型の兄弟銅鐸だそうだ。

もってきたんだろうね。

銅鐸の本場は島根の方だろうから。
933日本@名無史さん:2012/05/18(金) 10:25:59.21
>>932
鋳型は九州で見つかっている。安永田遺跡など。
だから、九州で作られ、出雲に運ばれたと考えるのが普通。

荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の銅鐸も九州産の可能性が高いかも。

銅矛は綾杉文からも九州だろう。銅鐸も銅矛も九州なら、銅剣も
九州からという可能性が高くなる。
934日本@名無史さん:2012/05/18(金) 10:38:26.58
九州から出土する銅鐸は数も少なくて小さい。

ルーツが九州で、原始的な小型銅鐸が、
中国、山陰、近畿地方に広まっていく過程で、
大型化したと考えられなくもないが、

出土量自体は、本州のほうが多いから、一応はそっちが
本場だと見てる。

出雲周辺と兵庫県に多いね。

九州は、あるにはあったけど、余り興味を持ってなかった感じがする。
935日本@名無史さん:2012/05/18(金) 10:51:28.45
話は変わるが、鳥栖の安永田遺跡や神埼の吉野ヶ里遺跡では、
鏃や剣(矛?)が刺さったまま亡くなったり、首を切られて亡くなったような、
戦闘痕跡が生々しい遺体が多く出ている。

このあたりが、倭国騒乱の最前線ではないかと想像している。

今で言うところの、福岡県と佐賀県の県境だね。
936日本@名無史さん:2012/05/18(金) 10:52:30.34
ついでに言うと、筑紫国と肥国の国境でもある。
937唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/18(金) 11:04:26.18
>銅鐸も銅矛も九州なら、銅剣も九州からという可能性が高くなる。

ホ09124 サホコクニ かえてイツモの クニはこれ
九州の銅剣は幅広。出雲は細い。

天皇家の領地として、神武の足跡 伊予・吉備・紀、これらの国は大和への入植以来の領地であろう。
ホ30036 ヲヲモノヌシは アワウミの ヲヲクニミヤを つくりかえ サホコみな タミをおさめて
しつかなり いまアマキミの クラヒなる

近江伊勢遺跡は、弥生後期の始まりから、後期後半までの遺跡である。
中期と後期の切り替えは、神武東征であり、その終了は、後漢193年の冷夏、崇神5,6年の飢饉。

938日本@名無史さん:2012/05/18(金) 11:59:01.96
倭国騒乱=筑紫国の勢力と肥国の勢力との抗争。
939太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/18(金) 15:17:27.46
後漢193年の冷夏≠崇神5,6年の飢饉。
940日本@名無史さん:2012/05/18(金) 15:43:02.74
狗奴国との戦いは熊本県北部が最前線じゃない?
941唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/18(金) 15:55:30.94
>倭国騒乱=筑紫国の勢力と肥国の勢力との抗争。

正解。
この抗争を鎮めたのは、筑紫と大和の連合軍。
その戦いの中で、女王卑弥呼及び男王が死ぬ、後を継いだのは大和から派遣された五百野姫
五百野姫=壹與。
942唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/18(金) 16:14:04.29
>後漢193年の冷夏≠崇神5,6年の飢饉。

崇神は纒向の最初の王。時代は、考古学の言う二世紀末各地の土器が持ち込まれたのが
崇神11年異俗多歸。國内安寧。だいたい西暦200年になる。
ここから神功渡海を割り出せば、神功渡海は274年晋が幽州を分け平州を置く。
神功52年 七支刀=326年東晉明帝太寧4年5月16日丙午(晋の官暦では、17日丙午)
この数字を容認する資料として、奈勿大圣神帝纪がある。
ネムル王 7禺聖未383] (水羊祭)三月夫余流民三十戶又來降 夫余與倭相通 年年受其民 散置都鄙
倭臣熊彦美而善辯 與阿尒相通多 聽其言 故國人異反或歸于我亦歸于麗
(323年癸未・神功49年己巳)3月, 付与(夫余)の流民(流民) 30号(戸)がまた投降して来た.
付与(夫余)が倭(倭)とお互いに上通(相通)して毎年その民を受け入れて都城と田舍に分散させて配置した.
ウェシン(倭臣) ウングオン(熊彦)は美しくて話術が良くて子供(阿□)とお互いに情を通じてその言葉を聞き入れる事が多いのでお吸物である(国人)らが離反(離反)してあるいは私たちに来てあるいは高句麗に行ったりした.

韓国考古学は、北方扶余の遺物を4世紀初めという、そこに”倭臣熊彦(千熊長彦)、ここが神功49年の指標になる。
時代は、383年では説明できない、323年であれば、考古学とも整合する。


943太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/18(金) 16:46:04.40
五百野姫≠壹與
944太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/18(金) 16:50:51.82
大和から派遣されてない五百野姫
945唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/18(金) 16:51:36.75
>五百野姫≠壹與

323年癸未・神功49年己巳 この否定は?
946太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/18(金) 16:56:00.81
そんなのはオマエの書きこみだ。コチラはそんなの見てはいない。

だいたい日食が数日間続かないのは今度の月曜の朝7時すぎに明確に
なり、オマエのインチキが丸見えになる。

500≠1
947日本@名無史さん:2012/05/18(金) 16:59:13.45
>>946
唐松山さんとはどういう人なのですか?
948太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/18(金) 17:01:53.90
稀代のデ○パを把握されたい。
949太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/18(金) 17:35:25.81
>>947
奴は宿主と名づけている。
いわゆる秀魔伝という魔書に釘付けになり、もはや奴の脳内はそこから
生まれた妄想に蹂躙されている。
もはや治療は困難だろうが、とにかく治療目的の書きこみを続けること
にしている。
950日本@名無史さん:2012/05/18(金) 17:37:36.26
【毎日新聞】 「『魏志倭人伝』には『男子は大小と無く皆黥面文身す』とある。ならば入れ墨ない者は当時の役所をクビになったのか」★6
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1337324361/
951日本@名無史さん:2012/05/18(金) 18:24:34.49
崇神の即位が西暦200年頃だって?
さすがホツマ真理教だと、なんでもアリですね。
200年頃は神武の治世でしょ。
952太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/18(金) 18:40:17.15
>>951
神武の治世は1世紀前半ころです。

崇神即位は237年ですね。宿主は188年だと言ってますが、具体的解説が
奴は出来ず奴の好きな秀魔伝に権威、カリスマをつけたいための恣意的編年です。
953日本@名無史さん:2012/05/18(金) 18:46:47.21
>だが、出雲(山陰)は、地理的に東日本の【太平洋側】とは関係を持ち得ない。

直接的な関係は持ち得ないだろうね。
また、関東は東海の影響を確実に受けるし、関係もまた当然あるだろう。
一経済圏で飢餓が起きれば、生き延びる為には隣接する経済圏と交流せざるを得ず、その過程を経て文明圏を確立していく訳で(その後の隣接蛮国による被侵略文明継承)。

逆に、日本という文明圏が確立していない時代に於いて、出雲(や北九州、畿内等)の影響、関係が間接的にも無い、なんてことも有り得ないだろうね。

インドと日本には直接的な関係はないけど、日本の仏教は紛れもなくインド産な訳で、そういう話が日本ではし難いのかねえ
954日本@名無史さん:2012/05/18(金) 18:49:06.22
上のミスwスレ違いw
955日本@名無史さん:2012/05/18(金) 18:59:49.60
>>953
以後の島根県の状態ときたら・・
単なる何やらの通り道だったんでしょうかね
956卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/18(金) 19:30:13.95
>>951-952
人皇の始祖は神武天皇なり。名は狭野。地神の末主彦瀲尊の第四子。母は玉依姫。俗に海神の女と称す。
庚午の歳を似て生まれる。周の幽王十一年なり。
四十九年戊午、大倭州に入り、尽く中洲の賊衆を除く。五十二年辛酉正月庚申、初めて天皇を号す。
百十年己未、国都を定む。在位七十六年。寿百二十七。(「海東諸国記」)

五十二年辛酉は前720年。
957唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/18(金) 19:34:58.11
>崇神の即位が西暦200年頃だって?

崇神 188〜216年(基本的に38年の空白)
新羅に合わせれば188年から29年間、後漢に合わせれば189年から28年間。
纏向1類(前) 弥生X様式土器 新羅192年・後漢193年冷夏凶作 。[崇神5年]
考古:弥生後期後半、各地の遺跡で住民の移動。2世紀末各地の土器が纒向に持ち込まれる。[崇神10年異俗多帰]
纏向1類(後) 210年金官伽耶の建国(三国遺事、新羅本紀)[崇神58年?任那建国]
216年 任那より朝貢、
垂仁 217〜239年(76年の空白)
纏向2類(前) 3世紀前半辻の大型建物(古韓尺)[217年垂仁元年]
纏向2類(中)・纏向2類(後)
纏向3類(前) ホケノ山(225〜250年) 楽浪鏡 庄内3式期末 [239年 垂仁末年]
廻間I式4段階≒ホケノ山古墳 埴輪(庄内式穴あき壺)田道間守の殉葬。
239年 邪馬台国の官伊支馬(イクメ)は都市牛利を派遣
景行 240〜261年(38年の空白)
晋書正始元年東倭重譚納具。
前半の建物跡を土盛り(土地は乾く=ヒ)と整地(シロ)をして中期の大型建物。[景行]
纏向3類(中) 廻間II初頭 多孔銅鏃と東海土器の分散
纏向3類(後) 九州北部に庄内式土器(纏向3類)≒250年 景行による九州
纏向4類(前)・纏向4類(中)
纏向4類(後)箸中山(最初の大王)・燈籠山、布留0の指標、[261年 景行没]
成務 262〜265年(基本的に57年の空白)  仲哀 266〜274年
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 纏向5類 (布留1)。 △鏡。[274年神功渡海]
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
考古: 纏向5類と半島の土器(居住区)の共存。
纏向5類(前)東殿塚・下池山  308年永嘉の乱
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 [313年仁徳元年]
纏向5類(中 後 )渋谷向山 五社神古墳 316年晋滅亡、兵の引き上げ
纏向5類(後プレ)椿井大塚山  [323年神功49年]
考古:北部九州から半島の土器(居住区)が消える。
958日本@名無史さん:2012/05/18(金) 19:40:15.09
わざわざマイナーな場所チョイスしてからに

むだに土器編年ごっこしても

つかえないのができちゃてるだけだな
959日本@名無史さん:2012/05/18(金) 19:41:06.98
纒向は崇神か垂仁か景行だろ?
時代は4世紀
960太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/18(金) 19:56:15.17
>成務 262〜265年(基本的に57年の空白)←57年空いていない。
成務元年 成務天皇 即位
成務2年 景行天皇を山の辺の道陵に葬る
成務3年 (熊野年代記)熊野 大波で民屋が多く流さる
成務4年 国々に首を置く
成務5年 金神社(岐阜市)物部臣賀夫良命 国造赴任
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務8年 林神社(明石市)少童海神の赤石が海中に没する
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務10年 丹生神社(和歌山県)同地 栗栖の栗木に因み 建立
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務13年 嶋田神社(奈良県)神八井耳命の末裔 仲子上が嶋田臣を賜る
成務13年 山梨岡神社(山梨県)麓の梨木を切り、山梨の語源となる
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務17年 藤並神社(和歌山県)武内宿禰 勅により水主神を勧請し 創祀
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務40年 日本書紀等 神功皇后 誕生
成務41年 宝蔵院(愛知県刈谷市)同年 創立
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務51年 甲斐古蹟考(山梨)土本毘古が廟土を持ち向山鎮座し高屋という
成務59年 二俣神社(山口県)この年 創祀
成務60年 成務天皇 崩御
961唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/18(金) 19:59:36.99
旧編年 百済本紀を正しいとする。
七支刀=369年から崇神=卑弥呼(240年)は割り出された。約130年後
新編年 新羅本紀の2世紀は正しい。しかし、356年 奈忽王即位は書き換えられている。
崇神=2世紀末から約130年後が七支刀=326年である。
962日本@名無史さん:2012/05/18(金) 20:34:26.48
たこくとカラマツはちょいとにぎやかになった
邪馬台国関連スレに引っ越してくる

さびしいんだろうね・相手にしてほしいんだろうね

でもウザイよね

それでも九州の大反転爺さんと絡んでてほしいよね
963日本@名無史さん:2012/05/18(金) 20:48:42.42
根拠を何一つ書かない超低レベルレスよりはまだよかろ

964唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/18(金) 20:50:53.01
>57年空いていない。

1年は春夏秋冬の四季1順を以って1年となる。
307年丁卯 2月、先代ニトグム(先今)類(儒礼)がブンハヨトダ。 二月先今儒礼崩
(321年・神功47年丁卯)9月には、高(康世)の娘チョンガン(千康)を付与太子(夫余太子)ギルス(吉须)の先(妻)とした。 九月以康世女千康妻夫余太子吉须
ネムル王 7禺聖未383] (水羊祭)三月夫余流民三十戶又來降 夫余與倭相通 年年受其民 散置都鄙
倭臣熊彦美而善辯 與阿尒相通多 聽其言 故國人異反或歸于我亦歸于麗
(323年癸未・神功49年己巳)
ネムル王 8年[甲申384] 正月, 木神制(木神祭)を行った.
夫余謹須殂枕流立 其母阿尒執政 遣千世吊之
339年己亥・神功65年乙酉 10月, チムリュ(枕流)が卒(卒)と弟陳謝(辰斯)が立った

百済本紀の王家は、神功紀の干支で説明できる。
つまり、書紀の百済王家を後付では説明できない。
そこで、太国3倍年とは、四季が3順する時空が必要となる。
簡単に言えば、四季は正しい。
正しい四季を60年集めれば、太国2倍、3倍年が出来上がる。
そこに表示される数字が太陽暦や太陰暦と整合することは無い。

だから、書紀の編年には、書紀に書かれた年度のみ整合させればよい。
朝廷は、引き延ばされた編年を容認する。だから、その空白を使うことも容認する。
その真意は、引き延ばされた太陰暦を認めることにより、朝廷のシノギである種貸しを楽にする
24節季を見えなくする。
これにより、農事暦の配布もできる。
そのカラクリにまんまと引っかかった太タヌキ殿。
四季が1順する時空が1年である。
それを倍数で短くしても、24節季を得ることはできない。
農業をするためには、朝廷に従い、農事暦の配布を受ける。
民の思考が太国倍年である。
965日本@名無史さん:2012/05/18(金) 21:56:14.26
倍歴、3倍歴といった高度な暦法を使っていたのは、相当文明の進んだ国の出来事でしょう。
そんな高度な暦法を使いこなせるのは、古代バビロニアしかしおらず、
邪馬台国はパビロニア空の征服王朝だということだ。
彼らは、鉄の製法を独占し、騎馬兵士を手なづけ、海洋民族を買収して日本へやってきたのだろう。
966日本@名無史さん:2012/05/18(金) 22:08:48.40
パ、パビロニア?w
おやおやまたそんな突拍子もないことを
日本に来たのはペリシテ人ですってば。

967太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/18(金) 22:40:43.92
そこで、宿主空白年とは、四季が0順する時空が必要となる。
基本的に言えば、四季は正しい〜これは前付けの場合であり後つけがある。
正しい四季を空白年集めれば、宿主0倍、空白年が出来上がる。
そこに表示される数字が太陽暦や太陰暦と整合することは無い。
もともと不正注入だから整合なんかしない。ww
968太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/18(金) 22:48:27.45
だから、書紀の編年には、書紀に書かれた年度のみ整合させればよい。
だから、古記の編年には、書紀に書かれた年度には無用となる。
朝廷は、引き延ばされた編年を容認しない。だから、その空白を使うことも容認しない。
しないから、成務の年表を見れば57年の空年が存在しない。
その真意は、引き延ばされてない太陰暦を認めることにより、朝廷と無関係である空白年を葬る
秀魔電を埋葬する。
これにより、倍暦の行使も把握できる。
そのカラクリにまんまと引っかかった空腹多ヌキ殿。
空年は四季が1順する時空が0年である。
それを空白で無としても、四季を回すことはできない。
暦法をするためには、朝廷に従い、秀魔電の埋葬を受ける。
朝廷の思考が太国倍年である。
969太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/18(金) 22:50:54.51
>>965
いい線いってます。

>倍歴、3倍歴といった高度な暦法を使っていたのは、相当文明の進んだ国の出来事でしょう。
そんな高度な暦法を使いこなせるのは、古代バビロニアしかしおらず、

古代マヤも太陰暦(ルナー・シリーズ)で2倍暦を行使してます。
970太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/18(金) 23:00:16.02
>人皇の始祖は神武天皇なり。名は狭野。地神の末主彦瀲尊の第四子。母は玉依姫。俗に海神の女と称す。
庚午の歳を似て生まれる。周の幽王十一年なり。・・・(「海東諸国記」)

海東諸国記を書いた者が倍暦を知らずそのまま年を宛がっただけの編年で
あり、前720年は真の年代ではない。これを容認すると天皇が百歳以上の
超長寿の連続を肯定することになり、不合理である。

神武の誕生した実年代はクレオパトラの活躍の時代あたりである。
971太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/18(金) 23:06:54.74
新羅192年・後漢193年冷夏凶作 ≠[崇神5年]
972唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/18(金) 23:29:47.50
>書紀の編年には、書紀に書かれた年度のみ整合させればよい。

書紀は、正朔であると、書紀自身が主張している。
だから、季節は正しく、その月も正しい。
とはいえ60年・99年という治世は受け入れられない。
書紀に書かれた、月と季節は正しいが、その長さは受け入れることが出来ない。
その分析を”倍年”ですると、月や季節が外れる。

>新羅192年・後漢193年冷夏凶作 ≠[崇神5年]

考古学の主張する纒向は、この時代からである。
纏向の最初の天皇は崇神である。
何処に間違いがある?
973唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/18(金) 23:58:52.79
「古記」は、「暦数は、十九年を一章と為し、三年閏九月、六年閏六月、九年閏三月、十一年閏十一月、
十四年閏八月、十七年閏五月、十九年閏十二月とす。閏を置かざれば、未だ三年に盈(みた)ざるに一月差
(たが)ひ、正月を反て二月と為す。
「古記」は、「大宝令」の注釈書であって、天平一〇(七三八)年頃に成立したという。その頃の日本国で
は、儀 鳳暦が行われていた。儀鳳暦は、章法から脱却した破章法による暦法であって、「古記」が示すよう
な固定的な閏月の型を示さず、閏月は次第に進行する性質を 持っている。「古記」が解説する暦法は、儀鳳
暦ではない。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/simin16/rekihouz.html

書紀は”正朔”を主張している。
それを容認するのが”古記”である。
書紀 仲哀元年は閏11月の年である。
仲哀9年は、閏12月の年となる。その翌年から19年を数えれば、それが正しい暦となる。
この1年は短くできない。短くできるのは、改元として、年度の切り替えでしか説明できない。
年度の切り替えは、原則として各天皇紀で終結する。
その切り替えで増された数字は、1章こと19年7潤の倍数となる。

974日本@名無史さん:2012/05/19(土) 00:31:07.40
なんか気持ち悪くなってきた
975日本@名無史さん:2012/05/19(土) 08:47:17.81
邪馬台国は幻の国 そんな国はない
だいたい邪馬台国も卑弥呼も当て字だし
畿内説の人は大和 九州説の人は筑紫と呼べばいい
正式な名前がわかっているのに何で妙な当て字を使うのか
で、魏志倭人伝に書かれているのが大和なのか筑紫なのかってことになるんだけど
やっぱり筑紫だと思う
まあどっちにしても邪馬台国なんて国はない
特に各国の王が相談して巫女さんを女王にしたなんてのは最悪な冗談だろう
こんなことをまともに信じてるやつは相当頭が悪い
当時は日本中にうちの家のご先祖様は神様だったって言っている王様がたくさんいただろう
つまり王様としての血筋と宗教的な権威が一体となっていたはずだ
巫女さんだって王家の一員だったに決まっている
倭国(筑紫)の女王になった巫女さんだっって筑紫の王族だっただろう
だからこそ宗教的な権威をもてたんだしその弟が実際の政治を動かすこともできた
うちの先祖は神様だって言ってる王様たちが集まってどこの馬の骨ともわからない女性を
王様にするわけがないんだ
そんなことは常識的に考えてありえないしどんな文献にも載っていない作り話だ
馬鹿の作ったファンタジーだよ
976日本@名無史さん:2012/05/19(土) 09:14:57.42
明後日はいよいよ金環食がありますね。
天気もまずまずなので、日食で一体どんなことが起こるのか?よく観察するといいでしょう。

975年8月10日(天延3年7月1日):皆既食 『日本紀略』に「天延三年七月一日辛未、(中略)、
卯辰刻皆虧 如墨色無光 群鳥飛亂 衆星盡見 詔書大赦天下(以下略)」(天延三年七月一日辛未[975年8月10日]、
卯辰の刻に皆虧[午前七時に皆既]、[太陽は]墨色の如くにて光無し。鳥の群れ乱れ飛び、多くの星すべて見えたり。
天下に大赦を発布す)と書かれており、他にもこの食を記録した文献は多い。
日本の首都で見られた史上初の皆既日食で、大事件であり、朝廷は天下に大赦を発布して、通常は対象にならない死刑囚まで罪を減じられている。
中心食は中国の重慶付近で始まり、中国地方から関東地方を通った。京都での食甚は午前7時48分(京都真太陽時)とされる。

977日本@名無史さん:2012/05/19(土) 09:35:57.96
金環食なので、明るさはあまり変わらないね。暗くはならない。
しかし、2009年のときは、部分日食だったが妙な雰囲気だった。
今回もかなり変わった雰囲気を味わえるかもしれない。
くれぐれも目を傷めないように…。

ちなみに、2009年の皆既日食は今世紀最大で、その時間は6分39秒だった。
978太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/19(土) 10:36:09.85
>書紀は、正朔であると、書紀自身が主張している。

ならば空年の不正注入をしてないということを書紀は主張してることになる。

 正朔←→不正注入

上の両矢は水と油であることを物語る。即ち不正注入の空年はデタラメである。

〜その分析を”倍年”でしても、月や季節が外れない。

季節は後付けであるから外れない。このことは秀魔伝でも年月日文の各冒頭個所
に季節がついてない文が多々あることから、書紀の原文である朝廷書庫の各原書群
には季節のついてない書が多数あったとみるのが相当である。
朝廷文書でない秀魔伝でもそうだ。

ところが書紀のそれら年月日文の各冒頭には殆どに季節がついておる。このこと
は、書紀の季節が後付けであったことを意味しておる。つまり書紀の編者連が
倍暦を知らず後付けしたものである。だから月も季節もあと付けから倍暦が外れ
てるとは全く言えない。

書紀は月なんぞも観測値からの文ではなく、後付け(ただし佛伝以前の書紀の
記述)であるから、月食の記事が佛伝以前は全然なく、た〜だ朔望ばかりちり
ばめ特殊望たる月食生起が見当たらないことは観測ではく、後付けの逆算であっ
たことを物語る。すなわち倍暦にほころびはない。
979太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/19(土) 10:42:45.01
>>973
オマエは

>書紀の編年には、書紀に書かれた年度のみ整合させればよい。

と言っておる。古記は書紀ではないから、オマエの主張の古記をいれると整合
しなくなるとオマエが言ったも同然の矛盾である。

だから、書紀の編年には、書紀に書かれた年度のみ整合させればよいとは、
「のみ」と言ってるんだから古記は含んではダメだということを意味する。

それなのに古記をどうのこうの言うオマエは、恣意的なインチキをしてると
言うことになる。都合の悪いときは矛盾を平気で強行するデタラメだ。
980太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/19(土) 10:46:26.15
>その時間は6分39秒だった

このように日食という日と太陰の運行からの生起現象は数日間も継続しないわけ
であり。宿主は274年の日食が数日間も続くということを肯定する精神病院ご歓迎
の論を強行して物笑いwwになっておる。月曜日は、宿主の主張がインチキの極で
ある文句ない証拠となる。
981太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/19(土) 11:06:12.64
>1章こと19年7潤の倍数となる←↓偉そうに言っても論より証拠 ,空年は無い
成務元年 成務天皇 即位
成務2年 景行天皇を山の辺の道陵に葬る
成務3年 (熊野年代記)熊野 大波で民屋が多く流さる
成務4年 国々に首を置く
成務5年 金神社(岐阜市)物部臣賀夫良命 国造赴任
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務8年 林神社(明石市)少童海神の赤石が海中に没する
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務10年 丹生神社(和歌山県)同地 栗栖の栗木に因み 建立
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務13年 嶋田神社(奈良県)神八井耳命の末裔 仲子上が嶋田臣を賜る
成務13年 山梨岡神社(山梨県)麓の梨木を切り、山梨の語源となる
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務17年 藤並神社(和歌山県)武内宿禰 勅により水主神を勧請し 創祀
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務40年 日本書紀等 神功皇后 誕生
成務41年 宝蔵院(愛知県刈谷市)同年 創立
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務51年 甲斐古蹟考(山梨)土本毘古が廟土を持ち向山鎮座し高屋という
成務59年 二俣神社(山口県)この年 創祀
成務60年 成務天皇 崩御
982日本@名無史さん:2012/05/19(土) 12:58:59.86
>成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建

鐸比古鐸比賣神社(大阪府柏原市大県4丁目)
祭神−−鐸比古命・鐸比売命

※由緒
 社頭に掲げる案内には、
 「成務天皇21年の創建と伝えられ、延喜式内の古社にして、従三位の神階を給う(両神とも)。
 往古、鐸比古命は当社奥之院高尾山頂に祭祀され高尾大明神と称し、また鐸比売命は高尾山麓姫山に祭祀され比売御前と称し、雨乞いの勅願所でもあった。

高尾山の西方一帯には“大県遺跡”(オオガタ)・“高尾山遺跡”・“平野山遺跡”・“平野大県古墳群”などの古代遺跡があった。
高尾山頂上付近の急斜面からは“多紐細文鏡”(BC2世紀頃鋳造の舶載鏡、径21.7cm、わが国出土9面の中で最大)が出土した。
多紐細文鏡-タチュウサイモンキョウ−−鏡背にこまかい鋸歯文様がある白銅製凹面鏡で、中心からはずれた位置に2個の鈕が並んでいる古式の鏡で、朝鮮半島に多い。

多紐細文鏡は、鐸比古鐸比賣神社の起源は、漢の武帝が衛氏朝鮮を討って楽浪郡を設置した時代、朝鮮半島との交易によってもたらされた舶来鏡である。
したがって、成務天皇の在位期間を131年から190年としても何の矛盾も生じない。
983日本@名無史さん:2012/05/19(土) 21:09:39.64
はあこの鹿毛と申すは
984唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/19(土) 21:13:40.72
>書紀は月なんぞも観測値からの文ではなく、後付け

書紀の書き換えを正当化しようとしても無駄である。
神功紀は、太国3倍年である?
百済王朝は、神功紀と丁度120年差とされているが、
奈勿大圣神帝纪では、百済王朝は、書紀の干支が使われた差し込み記事になる。
つまり、太国3倍年は、神功紀において、3年の時空が必要である。
そうでないと、百済王家の説明が出来ない。

”倍年”が使われていたとする文献は存在しない。
”19年7潤”の太陰暦が使われていたとする文献は存在する。
985唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/19(土) 21:43:01.08
>後漢193年の冷夏≠崇神5,6年の飢饉。

崇神天皇五年(戊子前九三)。國内多疾疫。民有死亡者。且大半矣。
崇神天皇六年(己丑前九二)。百姓流離。或有背叛。其勢難以徳治之。
崇神天皇十二年(乙未前八六)春三月・・・寒暑矢序。疫病多起。百姓蒙災。然今解罪改過。

新羅 192年 4月大雪
新羅 193年 倭人が大飢饉となり避難民到来
後漢 193年 6月寒風冬のごとし。

後漢193年の冷夏≠崇神5,6年の飢饉。を認めると太国倍年が立ち行かなくなる。

>ならば空年の不正注入をしてないということを書紀は主張してることになる。

その通り、不正をしていない事の証明として“朔”が振られている。そして正しい。
逆に言えば、不正隠ぺいのために“朔”を表記している。
だから、書紀は“正朔”は主張しても“正歳”とは主張していない。
986太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/19(土) 22:12:21.73
書紀の書き換え無いを正当化しようとしても無駄である。
オマエの大好きは秀魔電の季語が大抜けなのが、書紀の後つけを証明
したも同然。ww

応神紀は、宿主3代年である? ←精神病院ご歓迎ww
百済王朝は、神功紀と丁度120年差とされているが、これでは半島文献
が現今では使い物にならないことを意味する。
987太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/19(土) 22:15:41.37
後漢193年の冷夏≠崇神5,6年の飢饉。を認めると宿主空年が立ち行かなくなる。

>>ならば空年の不正注入をしてないということを書紀は主張してることになる。

>その通り、不正をしていない事の証明として“朔”が振られている。そして正しい。
>逆に言えば、不正隠ぺいのために“朔”を表記している。
>だから、書紀は“正朔”は主張しても“正歳”とは主張していない。

不正を隠しているならばこれは不正朔だ。ww

正朔なんて誤魔化してえらそうに言うな。不正朔と言え。pp

988太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/19(土) 22:19:24.45
”空年”が使われていたとする文献は存在しない。
”19年7潤”の太陰暦が使われていたとする文献は存在しても、
これは空年とは書かれていない。太陰と太陽の現象の〜日食は数日間
続かず274年の神功前年記事は日食にはならない。また〜
太陽暦が使われていたという文献は存在する。

989唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/19(土) 23:19:40.04
>”空年”が使われていたとする文献は存在しない。

ホツマは空年が使われたと言っている。
だから、ホツマを否定するんだろ?
しかも、ホツマと書記は同じ太陰暦の廻しであり、古記のいう太陰暦と整合する。

>正朔なんて誤魔化してえらそうに言うな。不正朔と言え。pp

崇神天皇十年 今既禮神祇。災害皆耗。然遠荒人等。猶不受正朔。
書紀に文句を言っているのか?
990唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/05/19(土) 23:22:57.91
太タヌキ殿は浦島太郎の昔話から読み直すんだな。
まあ、早い話幼稚園から遣り直し、
小学校で算数の勉強をしてからかな?
991太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/05/19(土) 23:54:06.30
ホツマは空年が使われたと言っているならその文を出してみろ。
どうせウソだ。ww

しかも、秀魔と書記は同じ太陰暦の廻しか判然とせず、秀魔は古記のいう太陰暦と整合しない。
しないからアスス暦とかで1年が385日だとか1年が265日だとかの〜四季が狂うと
オマエがいう暦をオマエが肯定しておる。ww

書紀に文句を言っているのではなくオマエに言ってるんだぜ。
オマエは書紀に正朔とあるのにこれが不正隠蔽だと書紀をアウト・ローさせて
書紀をインチキよばわりしておる。つまりオマエは書紀の敵であり朝敵である。

空腹多抜き度のは精神病院で日食が数日間続く計算でもしていろ。
2ちゃんの皆からこれでオマエはせせら笑われている。ppp
992日本@名無史さん:2012/05/20(日) 10:38:40.84
浦島太郎は竜宮城に行っている間に、巨大津波が押し寄せても説いた家も村も流されてしまった。
宇宙人は津波の到来を予測していたのだ。
993日本@名無史さん:2012/05/21(月) 09:44:41.95
ドーーン!
994日本@名無史さん:2012/05/21(月) 16:25:45.22
喪黒か?
995日本@名無史さん
うまい話には用心せよ、オーッほっほっほっほっ…