それでも邪馬台国は九州にあった12

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1邪馬壹國
邪馬台国九州説について語ろう
2日本@名無史さん:2012/02/19(日) 14:29:43.37
>>1
3日本@名無史さん:2012/02/19(日) 14:58:08.92
>>1
4日本@名無史さん:2012/02/19(日) 15:04:48.13
魏志倭人伝に見る畿内説が抱える矛盾点

・郡より女王國に至ること萬二千余里と畿内には程遠い
 →女王國は畿内と九州を含んだ連合国とすると別の矛盾点が生じる
・伊都國から邪馬台國に至るまでの道のりが極端に短い(六十日行=千余里)
・伊都國から邪馬台國には南行して至る
・兵器に矛・盾・木弓や鉄鏃を使うとあるが、畿内(特に奈良)は鉄製品の出土数が圧倒的に少ない
・死するや棺有れども槨無くと北部九州の甕棺のような棺が出土しない
・倭国の特産品である絹製品がほぼでない
・女王國以北に一大卒を置き、これは伊都國にある。何度も書かれている通り女王國と伊都國の位置関係は南北
・「宮室・楼観・城柵、厳かに設け」とあるが、畿内説が推す纏向遺跡にはそれらの物が見当たらない
・「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種」とあるが、畿内では東の海の存在がない
・「周施五千余里ばかり」とあるが畿内まで行くと五千余里では狭すぎる
・出土する魏晋鏡の数が北部九州に比べて圧倒的に少ない
・畿内で弥生時代によく出土する銅鐸の記述が全くない
・女王の境界の尽きるところの南にあるという卑弥呼と敵対関係にある狗奴国の比定地に苦労する
 (当時の鉄鏃の出土数ベスト4は 福岡県>熊本県>>大分県>>>京都府)
5日本@名無史さん:2012/02/19(日) 15:47:57.58
>>4
>女王國以北に一大卒を置き、これは伊都國にある。
>何度も書かれている通り女王國と伊都國の位置関係は南北

そんなこと書かれていない。
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之。常治伊都國 於國中有如刺史。」
女王國以北の国に一大率を特置し、一大率が常治しているのが伊都國とあるだけ。
又、伊都國は、女王國以北にあるのであって、女王國の西又は東にあるとしても良い。

6日本@名無史さん:2012/02/19(日) 17:54:04.60
>>5
そんなみみっちい反論で勝ったと思ってるのか
三種の神器の出土も筑紫、青銅器も筑紫、古地名も筑紫、半島〜中国への距離も筑紫、
神話も筑紫、景行天皇の巡行も九州、神武の出自も九州、まだまだあるぜw
7日本@名無史さん:2012/02/19(日) 18:57:58.66
>>5
女王国以北の国々と言えば、末盧国、伊都国、奴国、不弥国等であることに異論はない。
つまり「女王国以北」と言うからには、女王国は以上のような国々の南にあるということだ。
8日本@名無史さん:2012/02/19(日) 19:03:36.15
9日本@名無史さん:2012/02/19(日) 19:32:26.02
>>6
何それ?倭人伝の記述に何の関係も無い事ばかりだねw
所詮九州説には何の根拠も無いという事だよ。
10日本@名無史さん:2012/02/19(日) 19:36:14.10
記紀の神話を持ち出すなら、国生みは淡路島からだよな?
次が四国で筑紫はその次。つまり九州なんて大陸、
半島の入り口に過ぎない訳だ。出島だよ、出島w
11:2012/02/19(日) 20:27:41.32
>>10
淡島≠淡路島
記紀に四国のことは書かれていない。
記紀に書かれているの九州だけ。

>>6は乱心?それとも何か勘違い?

>>7
女王國はどの国としているの?
奴國、不彌國、投馬國は女王國だよ。

>>9
>>6が書いているのは、記紀にある女王國についての記述部分。
126:2012/02/19(日) 20:58:03.66
いや、前スレの続きで畿内説の攻撃が続いてるのかと・・・

>>9
じゃあ倭人伝の記述についての検討以外禁止ってことかい?
邪馬壱国がどこにあったかを考えるのに、倭人伝の記述が不十分だから色々
多面的に検討するんだろうが。
13オレ、畿内説だけどw:2012/02/19(日) 21:10:48.47
>>12

いきなり>>4みたいなコピペを貼っちゃ、ただのアンチ畿内スレですって言ってるのと同じだぞ。
結局、前スレと同じく、だれも九州説を語ることなく消費される糞スレになるよ。
ここは、誰かがちゃんとした自説を展開するとか、九州各説のおさらいから始めないと。
とりあえず、サイキバ君タイプは発言に気をつけてくれないと要らないお客を呼び込むことになるよ。
14日本@名無史さん:2012/02/19(日) 21:12:28.27
倭人伝に出てくる倭錦や中国絹、鉄鏃の出土状況をみれば、畿内説は消える。
15日本@名無史さん:2012/02/19(日) 21:22:08.83
北部九州のそのまた一部分なら銀か銅でいいね
16日本@名無史さん:2012/02/19(日) 21:32:16.37
>記紀に書かれているの九州だけ。

これが九州脳って奴か、バカだろ実際w

>>14
丹山は四国だしなw

17日本@名無史さん:2012/02/19(日) 22:07:39.18
>>11
>女王國はどの国としているの?
>奴國、不彌國、投馬國は女王國だよ。
奴国、不弥国は女王国ではない。奴国、不弥国はどちらも郡から万六百里、
女王国は万二千里からだ。

18日本@名無史さん:2012/02/19(日) 23:07:21.61
>奴国、不弥国はどちらも郡から万六百里

忘れもんの島を追加すると、奴国、不弥国はどちらも郡から万二千四里
19日本@名無史さん:2012/02/19(日) 23:15:15.13
万二千四里→万二千餘里
20日本@名無史さん:2012/02/20(月) 07:05:50.82
古田式の数合わせは非常識。そんなことを言っていては笑われるだけだ。
21志紀:2012/02/20(月) 07:12:50.33
>>20
どう非常識なのか説明しろ。それに、笑うのが誰なのかもな。
でなければ書くな。
22志紀:2012/02/20(月) 07:14:33.67
>>16
「九州脳」ってなんだい?そういう学術用語があるの?
バカとか言う言葉は使わないでください。
23日本@名無史さん:2012/02/20(月) 08:11:24.14
九州脳…何でも九州主体でしか考えられない頭だろw
地名の件なんて典型的だよ、何の根拠も無いのに。
24日本@名無史さん:2012/02/20(月) 10:42:40.35
>>21
>どう非常識なのか説明しろ。それに、笑うのが誰なのかもな。
投馬国=方四百里、一支国=方三百里。古田式は、その2辺の里数を足していくという
考え方だと思うがそれでいいかね?
まず、方四百里などというのは、あくまでも四百里×四百里に相当する面積というにす
ぎない。実際の形を真四角だなんていってるわけではないよ。
対馬国の場合、地図を見れば明らかなように縦長だ。二百里×八百里というべきかな。
となると、2辺を足したら八百里ではなく千里になるんだ。つまり、方四百里といった
ところで、島の形により2辺の距離はどのようにでも変わってしまうものだ。
それを対馬国八百里、一支国六百里を加算するなどというのは、まったく合理性のない
数字合わせだ。そこのところを知っている人からみれば、古田式の読み方は常識知らず
のお笑いぐさというわけだ。文句あるかね?
25日本@名無史さん:2012/02/20(月) 11:33:01.09

@始度 一海千餘里
A又南渡 一海千餘里
B又渡 一海千餘里

千餘里の距離の一海を渡る(幅1000餘里の海を渡る)
@狗邪韓國の海岸から對海國の海岸までの千餘里
A對海國の海岸から一大國の海岸までの千餘里
B一大國の海岸から末盧國の海岸までの千餘里

航海方法は循海岸水行であるから、
對海國の海岸(沿岸)航行:400餘里+400餘里
一大國の海岸(海岸)航行:300里+300里

狗邪韓國の海岸から末盧國の海岸(津)までの距離は4400餘里。
26志紀:2012/02/20(月) 18:21:41.91
提示された論を根拠もなしに常識外れとかいう人は山ほどいますがね。特に、古田>>安本>>>>>>>>>畿内学者
の割合で罵倒する人の多い事w「方○里」の考え方ついては、古田氏が始めでもないですよね。ただ、架空・虚偽説よりは、
資料に忠実に読めばそうかな?という一つの説明ではあります。いかに多くの畿内説学者様が、この里程問題を「信用できな
い」と決めつけた前提で、説明しようとする論者をコケにしたか。あなたもそうなのかな?三国志編集にあたって、数値的な構想
も重要な編集方針だから、その記述も一貫しているという前提に立てば、古田説のような説明も必然性をもった展開だと分かり
ますよね、あなたなら。

面白いサイトを紹介しましょう。
ttp://photon.c.u-tokyo.ac.jp/~kuga/ss/070608LecturesOnFriday/070608LecturesOnFriday.pdf#search='物理学 非常識'

そもそも「常識」なるものが我々を女王国に導いてくれましたか?コペルニクスもシュリーマンもウェゲナーも当時はみんな非常
識でした。そういった反省から、欧米(に限らず、世界的に)では、思考実験として正しい論理を持つならば必ず一度は検討する、
という姿勢が徹底しています。日本の学者の頭の固さは相当なものですね。世界的研究の数は未だ少ないです。

>対馬国八百里、一支国六百里を加算するなどというのは、まったく合理性のない 数字合わせだ。
これは何でしょうか。この両島の問題については、資料自体が正確なのかという論争はありますが。

>文句あるかね?
文句などないですw
ただ、最初からそうやって説明があればいいし、ただの煽り文句としか読めない書き方に問題は無いでしょうか。
で、笑うのは誰かな?


2788:2012/02/20(月) 18:59:21.49
ttp://photon.c.u-tokyo.ac.jp/~kuga/ss/070608LecturesOnFriday/070608LecturesOnFriday.pdf#search
は、大学で、自然科学系で学んだものにとっては常識。

私の場合でも、専門分野での無意識の常識が社会では非常識となることがある。
28日本@名無史さん:2012/02/20(月) 23:15:18.60
>>26
長文だが、何を言いたいのか良く分からんね。

>三国志編集にあたって、数値的な構想も重要な編集方針だから、その記述も一貫している
>という前提に立てば、古田説のような説明も必然性をもった展開だと分かりますよね、
三国志は一貫しているよ。しかし、古田説は成立する余地がない。必然性もない。
まったくのこじつけだ。

>これは何でしょうか。
何を聞かれているのか分からないな。

>ただの煽り文句としか読めない書き方に問題は無いでしょうか。
私が「非常識。笑われるだけだ。」と言ったことかな?
残念ながら、島の2辺を足すなんて考え方はその程度の話。
29日本@名無史さん:2012/02/21(火) 06:00:42.24
>長文だが、何を言いたいのか良く分からんね。
>三国志は一貫しているよ。しかし、古田説は成立する余地がない。必然性もない。
 まったくのこじつけだ。

偉そうなじいさんだね。じゃあ古田以上に本売って下さい。

文章もロクに読めないのに論争とか、つうか史学板での議論自体無理じゃないのかな?
やる気も力もなさそうだけど、絡むのだけはいっちょまえw
30日本@名無史さん:2012/02/21(火) 09:28:26.41
>>29
>偉そうなじいさんだね。じゃあ古田以上に本売って下さい。
ははは、理論的に反論できないので、本の売り上げを持ち出したか。
贔屓の引き倒しってやつだな。やる気も力もなさそうだけど、絡むのだけはいっちょまえw

31日本@名無史さん:2012/02/21(火) 10:45:07.66
水行10日陸行1月の起点が郡だとか
狗邪韓国まで水行したとか
島の半周を一万二千里に加算するとか
卑弥呼は殺されただとか
倭王と卑弥呼は別人だとか

そんな馬鹿言うのはいい加減止めてほしい
そんなのは説ではない。
32日本@名無史さん:2012/02/21(火) 11:00:39.87
たぶん夏・殷王朝系亡命政権
33日本@名無史さん:2012/02/21(火) 11:20:39.13
>>30
議論ができないなら他へ行ってください。煽りや荒らしなら、他で
いくらでもどうぞ。
34日本@名無史さん:2012/02/21(火) 11:29:42.76
>>33
議論できないのはそちらだろう。>>24で私の意見は述べた。
それに対する反論らしい反論が出てこない。何か意見があるならどうぞ。
35日本@名無史さん:2012/02/21(火) 12:20:12.79
水行10日陸行1月の起点が郡だとか
狗邪韓国まで水行したとか
島の半周を一万二千里に加算するとか
卑弥呼は殺されただとか
倭王と卑弥呼は別人だとか

そんな馬鹿言うのはいい加減止めてほしい
そんなのは説ではない。

↓↓↓訂正

水行10日陸行1月の起点が郡だとか
狗邪韓国まで陸行したとか
島の半周を一万二千里に加算するとか
卑弥呼は殺されただとか
倭王と卑弥呼は別人だとか

そんな馬鹿言うのはいい加減止めてほしい
そんなのは説ではない。
36日本@名無史さん:2012/02/21(火) 12:46:43.49
狗邪韓国まで水行したとかは「あれっ」と思ったが、
安心したよ。

37日本@名無史さん:2012/02/21(火) 12:48:17.28
おれも。
3833:2012/02/21(火) 12:55:54.73
>>34
レスする相手が違いますよ
39日本@名無史さん:2012/02/21(火) 14:23:23.52
水行10日陸行1月の起点は郡である。
一万二千里には島の半周が含まれる。・・・海峡横断道程は4400餘里
倭王は二人。卑弥呼は兄王、弟王は伊都國の王と邪馬壹國の王。
40日本@名無史さん:2012/02/21(火) 15:53:05.37
>>39
言うだけなら何でも言える。

実は卑弥呼はかぐや姫で月へ帰って言ったんだぞ。
知らなかっただろ?
41日本@名無史さん:2012/02/21(火) 16:55:57.84
>>40
知ってたけど今まで言えなかった
42日本@名無史さん:2012/02/21(火) 16:57:55.88
筑紫の筑もつきてよめたりするけど

月支國とかもあったりするしね
43卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/21(火) 18:45:55.28
俾彌孤クンは語呂合わせばかりだが、
朝鮮に注目しているという点で、他の論者よりややレベルが上w

惜しむらくは、どうやら筑前を邪馬台国と見なしているらしいことである。
44日本@名無史さん:2012/02/21(火) 18:48:06.24
弁辰24のの宿題とかわるれるなよな
45日本@名無史さん:2012/02/21(火) 18:49:49.30
邪馬台国 とか
やめたい とか
じゃまたい とか しらんの?
46日本@名無史さん:2012/02/21(火) 19:01:51.36
もお「耶馬懿國」でいいよね
47日本@名無史さん:2012/02/21(火) 19:35:08.76
あれがやまたい とかしらんの?
48日本@名無史さん:2012/02/21(火) 19:43:47.82
やまたい とか

遠慮しなくてもいいから

やまとは何処ってやったほおがええよね

生の松原の南にも

佐賀の出口のところにも

やまととかあるからさ
49日本@名無史さん:2012/02/21(火) 20:50:11.56
皆さん、邪馬台国の研究はレッキとした学問ですから、キッチリ論証して下さいや。
論証できない意見・主張は何の説得力も無い、寝言みたいなもんですよ。
50日本@名無史さん:2012/02/21(火) 20:53:42.16
そんなものどこでもええわ

熊襲の女酋長の身元調査したのがましだろ

半島にも血つながった王様いたっぽいしさ
51日本@名無史さん:2012/02/21(火) 20:56:19.67
高句麗の王様の伊夷模さんのお名前のコードが倭人のと共通ぽいのも気になりますよ。
52日本@名無史さん:2012/02/21(火) 21:05:45.13
大加耶の初代の王の名は伊珍阿鼓王

別名は内珍朱智

朱智神社は息長氏を祀った神社

内珍朱智と息長氏は関係あるのだろうか?

 
53日本@名無史さん:2012/02/21(火) 21:34:10.99
「伊」は「李」にすり替わるとゆう構図
54卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/21(火) 21:54:42.07
>>52-53は面白い。
面白いと思っているのは私だけで、他の人は無関心だろうw
55日本@名無史さん:2012/02/21(火) 22:28:00.79
邪馬台国はたぶん琉球か台湾
56日本@名無史さん:2012/02/22(水) 09:18:39.31
たぶん間違ってますよ。
57日本@名無史さん:2012/02/22(水) 11:36:00.57
邪馬台国は筑紫平野
58日本@名無史さん:2012/02/22(水) 17:02:29.89
たぶん正解ですよ。
筑紫平野と言っても広うござんすけどね。
59日本@名無史さん:2012/02/22(水) 19:12:07.91
んなちっこくないw 那國の一派が海人族、鉱山師と列島のあちこち開拓したのは
ずっと前から
60日本@名無史さん:2012/02/22(水) 20:44:24.98
2‐3世紀の国はそんな大きくない。
たぶん。
61日本@名無史さん:2012/02/22(水) 22:32:47.41
邪馬台国は筑紫平野

邪馬台国七万戸の領域は北野平野と筑後平野内陸地域

邪馬台国は4ヶ国連合合併国

その4ヶ国の地域は、甘木朝倉、浮羽、久留米、八女。
各国其々は二万戸前後の大国。。
62日本@名無史さん:2012/02/22(水) 22:48:39.63
邪馬台国は、倭国自社ビル一階ロビー
63日本@名無史さん:2012/02/22(水) 22:49:34.65
そんなちっこい範囲じゃないし、まだ面じゃなくて点
64日本@名無史さん:2012/02/22(水) 22:52:21.82
>邪馬台国は4ヶ国連合合併国
その4ヶ国の地域は、甘木朝倉、浮羽、久留米、八女。
各国其々は二万戸前後の大国。

文献無視のしょうもない妄想です。
65日本@名無史さん:2012/02/22(水) 23:00:40.73
投馬国は、荒尾、大牟田を中心として、北側の現みやま市、八女市
そして、l南側の玉名を含む領域。

邪馬台国は、それ以外の熊本全域を含む領域
人吉などの球磨郡も含む。
66日本@名無史さん:2012/02/23(木) 00:17:29.76
邪馬台国は荒尾、大牟田を中心として、北側の現みやま市

それ以外の熊本全域を含む領域
人吉などの球磨郡も含む。
のは、狗奴国。
67日本@名無史さん:2012/02/23(木) 01:00:50.33
ブロックがひとつずれてるわけですねえ

奴国二万戸の面積から考えると
投馬国、邪馬台国共に、それなりの面積がいると思われます。
68日本@名無史さん:2012/02/23(木) 01:06:37.51
倭国は三十国、九州島をそれで埋めてしまわなければならないわけだからね。
投馬国、邪馬台国は、今の県一つか二つ分ぐらいを考えないと。
69日本@名無史さん:2012/02/23(木) 02:15:31.55
倭は三十ヶ国。
筑紫平野、福岡平野とその周辺を埋めればよい。
それに狗奴國の熊本平野。

豊、日向、大隅、薩摩は倭三十ヶ国外の地域。
豊、日向が統合されたのは景行遠征時の4世紀。
筑豊が統合された時期は、豊、日向統合以前の4世紀初頭と思われる。
大隅、薩摩が統合されたのは6世紀。

倭三十ヶ国で、奴國、投馬國、邪馬壹國、傍國の奴國と狗奴國を除くと、
残りの国々は千戸から二千戸の小国。

熊本平野の狗奴國は、女王國の様な連合国家、戸数も十万戸以上。
70日本@名無史さん:2012/02/23(木) 02:26:41.83
まだ律令国家でもなければ戦国時代でもないからそんなに面では統治されてない
九州、四国、山陰、紀州、関東の古い郡名、古い神社の祭神で広範囲で見たほうがいい
共立や統一を望むのは広範囲の中の主要交易國の首長達
その上で盟主が九州なら九州
倭国は九州に納まらない
71日本@名無史さん:2012/02/23(木) 02:46:34.65
海峡の北岸に 筑前 筑後 肥前 それに 山陰 加えて 海賊國 形成してるって さらっと考えた方が良いよ
72日本@名無史さん:2012/02/23(木) 02:56:17.35
狗奴國は肥前

伊都國と狗奴國は女宗族のがもともとコモン

狗奴國のはおれしきで変換してあげたら神野國だわ

これだと壹與たんが神崎あたりの出でもノープロブレムにはなるがな

狗奴國には平戸とか五島列島なんかも含むよ
73日本@名無史さん:2012/02/23(木) 07:15:06.26
>豊、日向、大隅、薩摩は倭三十ヶ国外の地域。
倭人伝はそんな地域があったとは書いていない。
周旋五千里、女王国の東渡海千里などから、九州全土で三十国でなければならない。
74日本@名無史さん:2012/02/23(木) 07:41:51.41
>>73
そんなもんだろ。大きな国の数は。
これが全国(中部地方以西)となると、相当数のクニがあったからね。
75日本@名無史さん:2012/02/23(木) 12:04:02.03
   
狗奴國連合国群は漢代の會稽海外東鯷人二十餘国である。

その範囲は、肥後全域と東シナ海沿岸の肥前。

五島は狗奴國連合国群に含まれないであろう。
76筑紫次郎:2012/02/23(木) 12:47:22.15
>>69
>倭は三十ヶ国。
筑紫平野、福岡平野とその周辺を埋めればよい。
それに狗奴國の熊本平野。

その通り。
末盧国〜伊都国は山越えの道だから五百里の距離があるが
人口密集地帯になれば
奴国二万戸なのに
伊都国〜奴国〜不弥国はそれぞれ百里しかない。
伊都国は佐賀大和都渡城、
奴国は佐賀大和〜吉野ヶ里、
不弥国は吉野ヶ里、
五万戸七万戸と言っても一大国三千戸の17倍23倍程度しかない。
人口大密集地帯の筑紫平野なら十分可能な数字である。
http://www.geocities.jp/fsrfb814/isekibunpuzu.JPG
吉野ヶ里〜佐賀大和が一大国の17倍程度の人口を誇る奴国。
遺跡分布図でも人口密集地帯であることが見て取れるが
ここには
大人口地帯であったことを裏付けるように九州で最大級の貝塚遺跡がある。

>残りの国々は千戸から二千戸の小国。

いや
博多湾岸九州北岸にも有明海沿岸に匹敵するほどの多数の遺跡があり、
大人口地帯だったのは間違いないようである。

>熊本平野の狗奴國は、女王國の様な連合国家、戸数も十万戸以上。

同意します。
77日本@名無史さん:2012/02/23(木) 14:17:42.50
>>73
>>豊、日向、大隅、薩摩は倭三十ヶ国外の地域。
>倭人伝はそんな地域があったとは書いていない。
>周旋五千里、女王国の東渡海千里などから、九州全土で三十国でなければならない。

倭人伝にはそんな地域がなかったとも書いていない。
しかし、そのような三十ヶ国に含まれない地域があったことを示す史料はある。

@景行紀 豊日向は遠征記事、肥筑紫は巡幸記事。
 豊地域が倭國に編入されたのは4世紀景行の遠征の時以降であることを示している。
 倭人伝の3世紀では未だ倭三十ヶ国がある地域にはなっていない。

A「女王國東 渡海千餘里 復有國」
 女王國の東に、千餘里の海を渡ると、また国がある。
 女王國とまたある国の距離が千餘里であると書かれているのではない。
 女王國と東の海岸の間の地域には、何があるのかは書かれていない。

B周旋五千里
 郡から女王國までが一万二千餘里。
 郡から狗耶韓国までが七千餘里。
 ゆえに、狗耶韓国から女王國までは五千餘里。
 絶在海中洲島之上或絶或連であるところの倭地は狗耶韓国から女王國の範囲を指す。
 狗耶韓国から女王國までを周旋可五千餘里としてまとめているのだ。
 
 
78筑紫次郎:2012/02/23(木) 16:23:25.54
五万戸七万戸と言っても一大国三千戸の17倍23倍程度しかない。
人口大密集地帯の筑紫平野なら十分可能な数字である。
http://www.geocities.jp/fsrfb814/isekibunpuzu.JPG
吉野ヶ里〜佐賀大和が一大国の◆17倍程度の人口◆を誇る奴国。

↓↓↓訂正

五万戸七万戸と言っても一大国三千戸の17倍23倍程度しかない。
人口大密集地帯の筑紫平野なら十分可能な数字である。
http://www.geocities.jp/fsrfb814/isekibunpuzu.JPG
吉野ヶ里〜佐賀大和が一大国の◆7倍程度の人口◆を誇る奴国。
79日本@名無史さん:2012/02/23(木) 17:31:15.92
>>77
>そのような三十ヶ国に含まれない地域があったことを示す史料はある。
必死にこじつけているが、駄目だな。

> 景行紀 豊日向は遠征記事、肥筑紫は巡幸記事。
そんなものは役に立たん。どこから何国なんてまったく書かれていない。
だいたい、景行紀なんてでたらめだ。

>女王國とまたある国の距離が千餘里であると書かれているのではない。
そう書かれているんだよ。読めないのは、読解力がないだけのこと。
新潟の南、渡海○日、八丈島なんて書くか? そんな馬鹿な文章はない。

>狗耶韓国から女王國までを周旋可五千餘里としてまとめているのだ。
倭国は対馬国からだよ。
 





8069:2012/02/23(木) 18:18:37.14
>>76
>>残りの国々は千戸から二千戸の小国。
>いや
>博多湾岸九州北岸にも有明海沿岸に匹敵するほどの多数の遺跡があり、
>大人口地帯だったのは間違いないようである。

傍國の奴國は福岡平野の数万戸の国。熊本平野の狗奴國の様に。
伊都國東南百里の奴國二万戸は、福岡平野の傍國の奴國の分国である。
福岡平野の奴國は帥升に滅ぼされた倭奴國の後継国で、
卑弥呼とはあまり友好的でないようである。
旧倭奴國の帥升王統討伐派且つ親卑弥呼派が作った国が二万戸の奴國。
と言うより、卑弥呼を福岡平野の由緒ある小国から筑紫平野に招き入れ
擁立し共立に持ち込んだのが二万戸の奴國である。
8169:2012/02/23(木) 18:38:21.38
>>79
>倭国は対馬国からだよ。
絶在海中洲島之上或絶或連ところの倭は狗耶韓国と對海國の間の海域から始まります。

>どこから何国なんてまったく書かれていない。
景行紀を読んで見なさい。国名はないが豊と日向に相当する地域では征服戦になっている。

>>女王國とまたある国の距離が千餘里であると書かれているのではない。
「渡海千餘里」は、渡る海の大きさが千餘里であると書いてあるのだ。
82日本@名無史さん:2012/02/23(木) 18:43:19.04
>>80
その根拠を教えてもらっていいですか?
83筑紫次郎:2012/02/23(木) 18:51:55.70
>>80
>傍國の奴國は福岡平野の数万戸の国。

同意。

>福岡平野の傍國の奴國の分国である。
>旧倭奴國の帥升王統討伐派且つ親卑弥呼派が作った国が二万戸の奴國。

伊都國東南百里の奴國二万戸は縄文時代から同様に無数の遺跡がある。
傍國の奴國の分国とか親卑弥呼派が作った国と言うのは考えづらい。

>福岡平野の奴國は帥升に滅ぼされた倭奴國の後継国で、

福岡平野の奴國が滅ぼされた痕跡も記録もない。
福岡平野の勢力(大和朝廷に親しい勢力)が
他の地域を滅ぼした記録は多いが滅ぼされた記録は無いはず。

>卑弥呼とはあまり友好的でないようである。

同意。
この勢力が邪馬台国を滅ぼしたので邪馬台国の記録が一切残っていないのだと考えています。

>卑弥呼を福岡平野の由緒ある小国から筑紫平野に招き入れ
擁立し共立に持ち込んだのが二万戸の奴國である。

卑弥呼はもともと平和志向の筑紫平野の人だったと考えています。
機構が温暖で海産物にも恵まれ、九州最大の人口密集地帯で
九州で一番繁栄していた筑紫平野の勢力は他国侵略の必要は無かったと考えています。
太伯の後と言うのは権力に対する野望が無い事を言ったのかもしれない、と考えています。
筑紫平野の勢力が他国を侵略した痕跡ゃ記録が無いことと、
四世紀には判っている限り全ての筑紫平野の国は女王が治める
平和志向の国だったようだからです。
8469:2012/02/23(木) 19:08:46.06
>福岡平野の奴國が滅ぼされた痕跡も記録もない。

福岡平野の奴國=倭奴國
倭奴國は帥升に滅ぼされ、倭奴國の将兵160人は生口として漢へ連れていかれた。
85日本@名無史さん:2012/02/23(木) 19:19:30.35
女宗族は最強です

なかなか滅びたりはしません

天照の若い男の神様派遣の例でもしっかりりかいできます

数次に亘る若い男の神様派遣事業は失敗の連続でした

なんせ若い男の神様は嫁のところが居心地良いもんだから居付いちゃうんですね

これわ他所から来る強い男とか優れた男を吸い取ってしまうアマゾネスの世界ですわ。
86日本@名無史さん:2012/02/23(木) 19:22:45.53
>>84 久留米氏

160人の生口が帥升に滅ぼされた倭奴國の将兵という根拠をおしえてください
87日本@名無史さん:2012/02/23(木) 19:26:19.97
>>85
女は魔物です。
88日本@名無史さん:2012/02/23(木) 19:47:52.97
女宗族のシンボルはなんだか分るだろ

そんなもの 「委」 とか 「奴」 とかにきまるだろ

「奴」「奴」「奴」「奴」「奴」 やだああ
89筑紫次郎:2012/02/23(木) 20:04:40.67
>福岡平野の奴國=倭奴國
倭奴國は帥升に滅ぼされ、倭奴國の将兵160人は生口として漢へ連れていかれた。

どこにそんな記録がありますか?
90日本@名無史さん:2012/02/23(木) 20:08:52.79
吉野ヶ里の環濠内40haのうち半分は墓域だからそれほど大きな集落じゃない
銅鏡は前漢鏡1枚と小型仿製鏡の破片
都市計画されてもないし、帥升の王都ではない
91日本@名無史さん:2012/02/23(木) 21:37:35.00
>>89 筑紫次郎
その証拠教えて下さい。
92日本@名無史さん:2012/02/23(木) 21:39:31.04
>傍國の奴國は福岡平野の数万戸の国。
旁国というのは、傍らの国、つまりは小国なんだよ。数万戸あったら大国だ。
93日本@名無史さん:2012/02/23(木) 21:44:38.61
中国語の「旁」は「その他の」という意味だよ
94日本@名無史さん:2012/02/23(木) 21:49:41.45
久留米も次郎も妄想家か?
95日本@名無史さん:2012/02/23(木) 21:56:59.50
ここの九州説の連中は『根拠なき憶測』で自己流物語かっている奴多いな。
そのうちジョーカーあたりに乱入されて荒らされるぞ。
9669:2012/02/23(木) 23:22:57.63
>>89
「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」
帥升は生口百六十人も献上したのにもかかわらず安帝に請見できなかった。
帥升は倭の将軍程度にしか見られていないのに倭国王として認められた。
その理由は、倭奴國の将兵160人を生口として献上することにより、
帥升は自分が倭の覇者であることを示したからである。
生口は敵の捕虜で、敵を打ち負かしたことを示す証拠品。
97日本@名無史さん:2012/02/23(木) 23:31:52.44
>>93
漢和辞典でもちゃんと見てみることだ。
98日本@名無史さん:2012/02/23(木) 23:53:05.73
>>97
漢和辞典ではなく中日辞書でも見てみなさい
99日本@名無史さん:2012/02/24(金) 00:01:00.13
そんなものは役に立たんよ。
10069:2012/02/24(金) 00:31:27.56
>>90
>都市計画されてもないし、帥升の王都ではない

吉野ヶ里遺跡は地元歴代の権力者が築き続けてきた城柵。
吉野ヶ里を城柵とする末期の自称王が帥升である。
吉野ヶ里城柵は倭国乱140年代の頃滅んだと見られる。
帥升の国倭面土國の城柵は吉野ヶ里遺跡であるが、
その湊もしくは津は、吉野ヶ里遺跡南東の「米多」である。
発音は、面土≒米多 メト、メタ
101日本@名無史さん:2012/02/24(金) 00:39:11.70
>>97
漢籍からの用例引用がある漢和辞典を見るべきだ。
102筑紫次郎:2012/02/24(金) 00:41:16.69
>>91
その証拠教えて下さい。

>>84
福岡平野の奴國=倭奴國
倭奴國は帥升に滅ぼされ、倭奴國の将兵160人は生口として漢へ連れていかれた。

に対して
>>89
どこにそんな記録がありますか?

と聞いているのは私です。
説を述べていないのだから証拠も何もありませんよ。
103日本@名無史さん:2012/02/24(金) 00:44:48.72
斉国の琅邪の出身のペテン師の「平原広沢」のが佐賀平野だけどほとんどがしょっぱい広沢

追ってきた派遣主の子孫を受け入れて熊退治とかしてからに火の国を拡張した拠点が吉野ヶ里なんだよ
104筑紫次郎:2012/02/24(金) 00:47:50.43
>>96
>帥升は倭の将軍程度にしか見られていないのに倭国王として認められた。

倭国王として認められたと言うより倭国王と自称しただけでしょ、

>その理由は、倭奴國の将兵160人を生口として献上することにより、
帥升は自分が倭の覇者であることを示したからである。

そんな記録があるのですか?

>生口は敵の捕虜で、敵を打ち負かしたことを示す証拠品。

根拠のない勝手な思いこみでしょ?
105日本@名無史さん:2012/02/24(金) 00:47:54.57
「旁國」が「傍らの国」にせよ「その他の国」にせよ「小国」と言う意味には成らんわな
106筑紫次郎:2012/02/24(金) 00:50:47.88
>>100
>吉野ヶ里を城柵とする末期の自称王が帥升である。
>吉野ヶ里城柵は倭国乱140年代の頃滅んだと見られる。
>帥升の国倭面土國の城柵は吉野ヶ里遺跡であるが、
>その湊もしくは津は、吉野ヶ里遺跡南東の「米多」である。

全てに同意できません。
貴方との話は終了します。
107日本@名無史さん:2012/02/24(金) 06:31:25.10
>>105
>「旁國」が「傍らの国」にせよ「その他の国」にせよ「小国」と言う意味には成らんわな
主たる国の傍らにあるのが旁国だ。必然的に小さな国を意味するんだよ。
旁訓と言えば、本文のわきに書いた小さな注を意味するだろう。

太平御覧引用の魏志を知らんか? 旁国の部分を省略して「小国有二十一」と書いている。
旁国=小国であることを端的に示しているだろ。

108日本@名無史さん:2012/02/24(金) 08:25:46.97
>>107
太平御覧の筆者が誤解しただけだろ。
太平御覧とか混一図とか根拠にならない物を引き合いに出して
解釈をねじ曲げるのはいい加減止めてほしい。
109日本@名無史さん:2012/02/24(金) 08:29:55.29
陳寿は旁国については大きさどころか
場所も戸数も判らないと述べている。
陳寿にさえ判らない情報が十世紀の太平御覧の筆者に判る訳がない。
110日本@名無史さん:2012/02/24(金) 09:11:26.77
そうだね
文章構成からしても「其餘旁國」は「女王國以北」との対になってるから「そのほかの国々」で良いと思う
国の大小は示していない
111須磨虎:2012/02/24(金) 09:30:48.42
>>109  >>110
どこぞにあったという投馬国が5万戸で、
古くから列島有数の出入りの盛んな大都市である続けている博多が2万戸か。

少なくとも『倭人伝』における人口比較でみて、投馬国に匹敵する人口がなければおかしい。
博多湾の都市は経由しておらず「その他の国」に入っている可能性考える必要がある。
博多は、文字通り読めば「はくた」だが、好古都を「はくた」と読むことは可能だ。
(「はかた」には伯方、伯太という地名文字もあるが、これも文字通りに読めば「はくた」だ)。

とまあ・天才ならではの読みからしても、その他の国は国土や人口の大小を限定していない。
112須磨虎:2012/02/24(金) 09:51:08.11
伯方は「はくかた」だった。
113日本@名無史さん:2012/02/24(金) 09:53:05.09
>>108 >>109
言葉を知らん連中は困ったもんだね。旁国といえば小国に決まっているから太平御覧引用の
魏志は「小国」としたんだよ。だいたい、考えてもみろ。使者は倭国を訪れた、その倭国が
どの程度の国か、それを書かずに報告になるか? 以北の国々や投馬国、邪馬台国について
の戸数等を記し、あとは小国ですよということで、倭国全体の規模が分かるわけだ。
旁国は大国もあるなどという君らの解釈を前提にしたら、倭国全体の戸数はまったく見当も
つかないという話になる、そんな馬鹿なことはないんだよ。
114日本@名無史さん:2012/02/24(金) 10:09:34.96
女王國以北と違い戸数も道里も分かりまへんって書いてあるのに大国だ小国だとよく議論出来るな
115卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/24(金) 10:11:43.47


主な意味は、傍ら、で、小さいという意味はないと思うが。
その反対の、あまねく、ひろく、という意味もあり、
旁旁 力強く盛んなさま という言葉もある。
116須磨虎:2012/02/24(金) 10:20:59.00
>>113
>旁国といえば小国に決まっているから
5000戸、3000家、4000戸、1000戸、1000家の国は
2万、5万、7万戸と同じく大国というわけかい。
邪馬台国に至るまでに経由した国以外の、
遠かったり訪問できなかった国が「その余の旁国」という表現で書かれているだけだろ。
117須磨虎:2012/02/24(金) 10:27:55.69
ここで、頭のいい奴には分かるだろうが、一つ教示しておく。

「使訳して通じるところ30国」を
30国がそれぞれに魏と通交していたとする受け売り付和雷同がいる。
使者や通訳を介して通交があったのなら戸数・道里ぐらいは書ける。
ということは、「使訳して通じるところ30国」とは、
「使者の伝える所で把握しているのは30国」と解釈しなければならない。
「通じる」にも、情報や音信などいろいあるからな。

なーに。天才の巡りの良さに舌を巻くにはまだ早いぞ。んー?
118日本@名無史さん:2012/02/24(金) 13:01:20.29
>>116
数千戸程度は小国だろう。以北の国は大国であろうと旁国であろうと様子が
分かっているんだよ。
119日本@名無史さん:2012/02/24(金) 13:39:40.78
>>113
>旁国といえば小国に決まっているから太平御覧引用の魏志は「小国」としたんだよ。

だから旁国と書いた陳寿は判らないと述べている。
つまり、陳寿は大小を知らないのに旁国を用いている。

>以北の国々や投馬国、邪馬台国についての戸数等を記し、

以北の国でも戸数等を記しているのは途中にあった国だけ。
その余旁国は北にあるのか南にあるのか場所すら判らないと述べている。

>倭国全体の戸数はまったく見当もつかないという話になる

倭人伝では倭国全体の戸数なんて全く問題にしてないね。
120日本@名無史さん:2012/02/24(金) 13:43:06.57
>>114
まったくだ。
あてにならない根拠をもとに強弁する。
困ったものだ。
121日本@名無史さん:2012/02/24(金) 14:35:25.57
>旁国と書いた陳寿は判らないと述べている。
陳寿が考えて書いたわけではない。元の資料にあったままの文章だ。

>旁国は北にあるのか南にあるのか場所すら判らないと述べている。
其の余というのは、以北ではないところと言う意味だよ。
以北に道里戸数の分からない旁国があったわけではない。

122須磨虎:2012/02/24(金) 16:11:59.68
>>121
>以北に道里戸数の分からない旁国があったわけではない。
俺はあったと思うぞ。
唐津から糸島半島・博多湾へ向かったとする場合も、
唐津から佐賀平野へ向かったとする場合も、
経由しないので分からないエリアが必ず生じる。
123日本@名無史さん:2012/02/24(金) 18:27:27.52
>>121
ちゅうこくご知らないのにでたらめゆう人多すぎるね。
124日本@名無史さん:2012/02/24(金) 18:36:44.62
>>123
現代ちゅうこくごで考えてはだめ。
現代ちゅうこくごと3世紀のシナ語では、全く違う言語なのだから。

だが、>>121はどうかしている。要治療
125日本@名無史さん:2012/02/24(金) 18:46:44.26
ちゅうごく知らない、わじん知らない、ぎし知らない、かんぶん知らない、にほんご知らない、
なんにも知らない、でたらめゆうなってむりゆうなよ
126日本@名無史さん:2012/02/24(金) 19:09:40.66
もともと邪馬台国・狗奴國は、呉末裔の倭人

邪馬台国→親魏派
狗奴國 →親呉派

統一国を作る→親魏派

127日本@名無史さん:2012/02/24(金) 19:47:46.43
>>112
伯方は貊方、伯耆は貊耆、伯濟國は貊濟國
128日本@名無史さん:2012/02/24(金) 22:56:13.85
>>122
>俺はあったと思うぞ。
君が思うのはかってだが、倭人伝には以北の国は道里戸数が記載できたとある。
129日本@名無史さん:2012/02/24(金) 23:55:45.79
弥生時代のメインの交通手段は船だ
関門海峡なんて陸続きとかわらない
出雲や丹後の日本海沿岸國が使訳が通じてないはずがないし、博多湾
沿岸國とも交流している
魏にとって九州の内陸の弱小三流國なんてどうでもいい
130日本@名無史さん:2012/02/25(土) 00:04:23.56
>>129
ましてや瀬戸内海の奥からさらに山奥に行った先の田舎とかw
131日本@名無史さん:2012/02/25(土) 00:16:10.92
瀬戸内海の奥からさらに山奥に行った先の田舎で辰砂が地表に露出してるとこは
那國の一派が開拓してる
132日本@名無史さん:2012/02/25(土) 00:20:58.83
中央構造線に沿った地域以外で辰砂の鉱床があるとこは嬉野と丹後
133筑紫次郎:2012/02/25(土) 01:25:57.76
>>129
>魏にとって九州の内陸の弱小三流國なんてどうでもいい

魏が関心があるのは倭である九州の卑弥呼だけ。

倭種の国である国が仮に少しばかり勢力を伸ばしていたとしても    
僻地の未開の地にある邪馬台国以外の国なんぞを優遇する理由など無い。 
134日本@名無史さん:2012/02/25(土) 01:26:09.81
中央構造線に沿ったところなら、
球磨地方も水銀鉱床はあるな。
135日本@名無史さん:2012/02/25(土) 01:43:57.29
棺桶におみあし突っ込みつつあるぽいぢっちゃんがむかし

渤海・黄海・東シナ海を一括して仮に「中国海」と呼び、「中国海を内海とする文明」という概念を、古代東アジアヘの探究のさい、導入すべき必要を説いた。


「中国海」という呼称には芸がないので、多少改変して進化させてあげた。


「渤海・黄海・東シナ海・日本海」を一括して仮に「東方海」と呼び、

「東方海を内海とする文明」を「東アジア古代学」の看板あげて解析すべし。


「東方海」には 陳壽の「東方人」と 逃げてきた「方士」とを ひそかに埋め込んでおいてあげたわ。。。
136日本@名無史さん:2012/02/25(土) 02:19:02.61
>>133
優遇ってなに?

>魏が関心があるのは倭である九州の卑弥呼だけ

魏が関心があるのは倭国内で最も経済力、徴兵力がある國とその交流國
通過上の傍や先に國にもなってない中集落があっても記載する必要性などまったくない
九州内はすべての地域が発展していたわけではない
137日本@名無史さん:2012/02/25(土) 02:37:43.56
中央構造線に沿った地域は辰砂の鉱床の他にも金属鉱床がある
高千穂近辺は金属鉱床がけっこうある
日本海側は黒鉱鉱床が分布する
坑道を掘る技術はまだないが、例えば島根の福石鉱床のように地表に近い鉱床は地表に
鉱石が露出している
138筑紫次郎:2012/02/25(土) 09:00:54.38
>>136
>優遇ってなに?

倭人伝読んだことないの?

>魏が関心があるのは倭国内で最も経済力、徴兵力がある國とその交流國

そんなこと一言も書いてない。

>通過上の傍や先に國にもなってない中集落があっても記載する必要性などまったくない

だから傍や先に国があっても記載してない。
畿内なんぞ國皆倭種と十把一絡げで十分。

>九州内はすべての地域が発展していたわけではない

何の根拠にもならない
当たり前の事を言っていどうするのですか?
139日本@名無史さん:2012/02/25(土) 09:22:24.30
>>138
九州からでたことある?
140日本@名無史さん:2012/02/25(土) 09:25:57.07
>>138
>>優遇ってなに?

>倭人伝読んだことないの?

何いってんの?w
141日本@名無史さん:2012/02/25(土) 09:31:43.44
>>138
1戸1人説なんて誰も納得しなかったでしょ?
まだわからないの?
142日本@名無史さん:2012/02/25(土) 09:49:51.52
>>124
なるほど。君も倭人伝の読み方を知らなかったんだね。
そんな連中のために、もう一度、述べておくか。

倭人伝は、次のように対比して書いているんだよ。
 自女王国以北 其戸数道里可得略載
 其余     旁国遠絶不可略載
すなわち、女王国以北と其余は地域の区分けだ。だから、女王国以北の国々については
全て戸数道里が書かれている。主要国(伊都国、奴国)も旁国(末盧国、不弥国、一支
国、対馬国は旁国だろう。)も全て書かれているというわけだ。
女王国は万二千里。したがって、旁国があるのは万二千里よりは南だ。
万二千里よりも南にある国といえば、投馬国、邪馬台国、そして旁国というわけだ。
主要国である投馬国、邪馬台国については、道里戸数が書かれている。しかし、主要国の傍らに
ある旁国については書けなかったということだな。

143日本@名無史さん:2012/02/25(土) 09:53:02.74
>>142一部訂正

旁国があるのは万二千里よりは南だ。→戸数道里が書けない旁国があるのは万二千里よりは南だ。
144日本@名無史さん:2012/02/25(土) 10:07:32.04
>>142
女王国より南に邪馬台国がある?
邪馬台国は「女王之所都」だぞ。すると「女王国」とは何だよ?
145日本@名無史さん:2012/02/25(土) 10:14:52.09
>>144
女王国より南とは言ってないよ。万二千里よりも南と言っただけだ。
万二千里は女王国に至る距離。そこから女王国が始まるんだよ。広大な女王国がね。
会稽東冶の東ってあるだろ。会稽の東あたりが女王国の始まり(つまり万二千里地点)
東冶の辺りが女王国の終わりと考えたんだろうな。ま、少しずれていたけど。
146日本@名無史さん:2012/02/25(土) 10:15:20.12
>>142

倭人伝の読み方の講釈の前に、オマエの書いた戯言の日本語としての読み方を教えてくれw
147筑紫次郎:2012/02/25(土) 10:24:48.71
>>140
>何いってんの?w

まだ理解できないの?

>>141
>1戸1人説なんて誰も納得しなかったでしょ?

1戸は1つの家です。
有屋室父母兄弟臥息異處から
1つの家には原則一人で住んでいたことが判る。
反対する人もいましたが
大勢は
1戸=一人+α
で決着しましたよ。
捏造してはいけません。
148日本@名無史さん:2012/02/25(土) 10:29:32.40
>>146
自女王国以北、其戸数道里可得略載。其余、旁国遠絶不可略載。

女王国より以北、その戸数道里は略載することができる。
その余、旁国は遠絶にして略載することができない。

149花宗川:2012/02/25(土) 10:34:17.05
>166
魏が関心があるのは倭国内で最も経済力、徴兵力がある國とその交流國

どこにそんなこと書いてあんだよ?
150日本@名無史さん:2012/02/25(土) 10:36:32.77
>>147
>1つの家には原則一人で住んでいたことが判る。
そうではない。有屋室父母兄弟臥息異處とあるだろう。有屋室と臥息異處は
深く関連しているんだ。建物には部屋がある、父母兄弟は別の部屋に寝ると
いうことだな。
151筑紫次郎:2012/02/25(土) 10:49:55.09
>>150
>そうではない。有屋室父母兄弟臥息異處とあるだろう。有屋室と臥息異處は
深く関連しているんだ。建物には部屋がある、父母兄弟は別の部屋に寝ると
いうことだな。

竪穴式住居に幾つの部屋があったのか是非とも教えてほしいものだ。
152日本@名無史さん:2012/02/25(土) 10:54:17.96
>>151
これでも見てくれ。
http://inoues.net/study/seminer3.html
153筑紫次郎:2012/02/25(土) 11:11:10.96
>>152
有屋室父母兄弟臥息異處とは
例外的に存在する花弁型住居の事を述べたのじゃないだろ?

一般的な
大多数の住居について述べたのなら
例外的に存在する花弁型住居をいくら提示しても根拠にはならない。
154筑紫次郎:2012/02/25(土) 11:16:37.88
>>151
魏使は宮崎県鹿児島にある花弁形住居は見てないだろうな。
155筑紫次郎:2012/02/25(土) 11:40:15.70
魏帝は卑弥呼の使者を率善中朗將、率善校尉に任じて謁見を許可しただけではない。
卑弥呼には金印紫綬裝を与え親魏倭王に任じている。

また
男生口四人女生口六人班布二匹二丈の献上品しかなかったのに
その返礼として
縫地交龍錦五匹?地?粟?十張?絳五十匹紺五十匹を与え
さらにそれとは別に
卑弥呼に特に賜うと断って
紺地句文錦三匹細班華?五張白絹五十匹金八兩五尺刀二口銅鏡百枚眞珠鉛丹各五十斤
を与えている。

さらには
辺鄙な未開の地からの朝貢にもかかわらず
一度ならず勅使までも派遣している。
全ては卑弥呼のためである。

つまり
卑弥呼は特別に優遇されている。
しかし
自己を尊大に表現して日本の王が皇帝に優遇された例は皆無のはずだ。

卑弥呼は勢力権力があったから優遇されたのではない。
倭人伝をよく読むべきである。
勝手な妄想、先入観念、予断で解釈していても真実にたどり着くことはない。
156日本@名無史さん:2012/02/25(土) 12:42:58.92
>>147
1戸=1人+αって何人なんですか?
山門が九州北部の盟主になる要素なんて一つもないでしょ
奴國が山門を擁立するメリットなんてなにもない

九州という単位の経済圏も文化圏もない
30國を無理やり九州に押し込めるのは単に「女王國東渡海千餘里」の海を関門海峡にして
畿内説に対抗したいんだろうが、そんなことせずに九州邪馬壹國を論証すればよい
157日本@名無史さん:2012/02/25(土) 12:59:13.86
>>155
「大作家、徑百餘歩、徇葬者奴婢百餘人」

卑彌呼の死に対してこれだけのことがなされ

「男女生口三十人、貢白珠五千、孔青大句珠二枚、異文雜錦二十匹」

卑彌呼の後継者の壹與がこれだけの貢献をしている

邪馬壹國に勢力がなければできない
158日本@名無史さん:2012/02/25(土) 13:50:22.63
>>147
>1戸=一人+α で決着しましたよ。

蜀史と呉史では成人5〜6人/戸だから、
魏史の戸も5〜6人の成人男女で構成されていると見るべき。


>>156
>30國を無理やり九州に押し込めるのは単に「女王國東渡海千餘里」の海を
>関門海峡にして畿内説に対抗したいんだろうが、

「渡海千餘里」は「千餘里の大きさの海を渡る」ですから、
その海は周防灘です。

倭30ヶ国は筑紫平野と福岡平野及びその周辺地域です。
それに狗奴國の熊本平野です。

筑紫平野(北野平野+筑後平野+佐賀平野+白石平野)は十数万戸
福岡平野は数万戸(十万戸未満)
熊本平野は十万戸以上
筑豊遠賀川流域は倭30ヶ国に含まれない。
159筑紫次郎:2012/02/25(土) 13:54:28.13
>>156
>畿内説に対抗したいんだろうが、

畿内説なんかは眼中にない。


>>157
>卑彌呼の後継者の壹與がこれだけの貢献をしている

勢力無くとも
紺地句文錦三匹細班華?五張白絹五十匹金八兩五尺刀二口銅鏡百枚眞珠鉛丹各五十斤
の一部を処分したのでしょう。


>邪馬壹國に勢力がなければできない

邪馬壹國に勢力があれば
班布二匹二丈の献上品では無かったでしょうね。
160筑紫次郎:2012/02/25(土) 14:01:08.77
>>157
>魏史の戸も5〜6人の成人男女で構成されていると見るべき。

戸に家族と言う意味はない。
建物も家族構成(倭は妻2〜3人)も違う魏史を持ち出しても根拠にならない。
勝手に
1戸は5〜6人の成人男女と思っていればよい。
また同じ話をするのは
もう、うんざりです。
161日本@名無史さん:2012/02/25(土) 14:02:20.74
> 畿内説に対抗したいんだろうが、

中味のないものにどうやって対抗するんだよ(爆)
162日本@名無史さん:2012/02/25(土) 14:33:35.27
「箸墓は畿内だ」と言えばたいていの人は賛成するだろうが
「邪馬台国は畿内だ」というのは「箸墓は朝鮮だ」というのに等しい。
賛成しそうな人がひとりいるようだが、あの人だってそう甘くないかもしれないぞw
「畿内説」を救う道はただ一つ。「箸墓畿内説」と改名しろwww
163158:2012/02/25(土) 14:46:15.83
>>160
>戸に家族と言う意味はない。
>建物も家族構成(倭は妻2〜3人)も違う魏史を持ち出しても根拠にならない。

其の通り。
戸と家族は全く別の概念。
晋の三国志読者は、1戸と言えば5〜6人の成人男女で構成しているとの常識を持っている。

家と家族も全く別の概念。
戸と家では似ているが、国(王、領主等)に対する社会的立場が異なる。
164日本@名無史さん:2012/02/25(土) 15:21:08.06
戸というのは住民の実態からはちょとずれずれのがふつうの「課税徴収単位」だから

「郡治」などでで直轄化とか準直轄化とかされている場合は端数まで把握されている。

-------------------------
夫餘 のが 「戸八萬」
高句麗のが 「戸三萬」
東沃沮のが 「戸五千」
挹婁のは不記載
濊 のが 「戸二萬」
馬韓 のが 「總十萬餘戸」
弁辰 のが 「總四五萬戸」でひどく曖昧。
-------------------------
狗邪韓國のは不記載
對海國のは 「有千餘戸」
一大國のは 「有三千許家」  家家家家
末盧國のは 「有四千餘戸」
伊都國のは 「有千餘戸」
 奴國 のは 「有二萬餘戸」
不彌國のは 「有千餘家」    家家家家
-------------------------
投馬國  のが 「可五萬餘戸」   可可可可
邪馬壹國のが 「可七萬餘戸」   可可可可
-------------------------

投馬國・邪馬壹國のは合算だって気付かないとまぬけっていわれそおですよ
165日本@名無史さん:2012/02/25(土) 15:42:40.85
「以婢千人自侍 (中略)
居處宮室樓觀 城柵嚴設 常有人持兵守衞」

城柵で厳重に仕切られたエロ狭い空間が「女王国」で良し

そこの狭い空間を拠点として「女王」は國國の集合体としての「邪馬壹國」及び「投馬國」を「都」べているのだ。

この國國の集合体の外側のラインが「女王境界所盡」

そこから外側は「倭國」に非ずだが「倭地」ではあるのだ。

「女王國東渡海千餘里(やく77km) 復有國」 なのだが 

そこに住まうのも「皆倭種」だけど「倭國」には含まれないのだ。
166矢部川:2012/02/25(土) 16:10:43.90
>>164
>>165


もうすぐ春たなぁ。
すでに妄想の花満開。
167日本@名無史さん:2012/02/25(土) 16:16:19.39
大宰府の梅って匂う?
168日本@名無史さん:2012/02/25(土) 17:09:33.81
>>153
>例外的に存在する花弁型住居をいくら提示しても根拠にはならない。
例外的ではないよ。南九州にはたくさんある。

>魏使は宮崎県鹿児島にある花弁形住居は見てないだろうな。
見てるよ。邪馬台国がそこにあったんだ。




169日本@名無史さん:2012/02/25(土) 17:12:11.72
>投馬國・邪馬壹國のは合算だって気付かないとまぬけっていわれそおですよ
「可」の意味が分かってないのかな?


170日本@名無史さん:2012/02/25(土) 17:21:18.33
花弁型住居は一族を統べる長の住居で
管理する食料庫だな
171日本@名無史さん:2012/02/25(土) 17:21:30.76
>>169
「國」の意味が分かってないのかな?
172貼っておきますね:2012/02/25(土) 17:28:13.85
0.  斯馬國
1. 已百支國
2.  伊邪國
3.  郡支國 or 都支國
4.  彌奴國
5. 好古都國
6.  不呼國
7.  姐奴國
8.  對蘇國
9.  蘇奴國
10.  呼邑國
11.華奴蘇奴國
12.   鬼國
13.  爲吾國
14.  鬼奴國
15.  邪馬國
16.  躬臣國
17.  巴利國
18.  支惟國
19.  烏奴國
25.   奴國  (再掲?)
173おつまみのおまけ:2012/02/25(土) 17:28:43.45
20. 狗邪韓國   不記載
21.  對海國  1,000餘戸
22.  一大國  3,000許家
23.  末盧國  4,000餘戸
24.  伊都國  1,000餘戸
25.   奴國  20,000餘戸
26.  不彌國  1,000餘家

27.  投馬國  50,000餘戸
28. 邪馬壹國  70,000餘戸
29.  狗奴國   不記載

a.  夫餘   戸80,000
b.  高句麗  戸30,000
c.  東沃沮  戸 5,000
d.  挹婁    不記載
e.  濊    戸20,000
f.  馬韓  總 100,000餘戸
g.  弁辰  總4-50,000戸
174日本@名無史さん:2012/02/25(土) 17:56:59.09
>>171
「國」の意味も分かってないのか。

175筑紫次郎:2012/02/25(土) 18:45:42.70
>>168
無理に反論はしませんよ。
無駄ですから。
176日本@名無史さん:2012/02/25(土) 18:48:54.98
>>159
>紺地句文錦三匹細班華?五張白絹五十匹金八兩五尺刀二口銅鏡百枚眞珠鉛丹各五十斤
の一部を処分したのでしょう

下賜された品を売りさばいて次の貢物揃えるような貧乏な國を九州の他の國々も
盟主國として認めませんよ
山門の住民が信奉してた程度のシャーマンでしょう
177日本@名無史さん:2012/02/25(土) 19:41:11.62
159も176も解釈間違いではないですか。台与は日本の弥生時代末期から古墳時代を切り開いた大勢力の女王だった可能性が高いですよ。
倭人伝の日本から記紀の日本へつなぐ、日本歴史上の大重要人物ですよ。
178日本@名無史さん:2012/02/25(土) 19:44:34.30
>>177

176ですが、そうですよ、私がいってることは。
179日本@名無史さん:2012/02/25(土) 19:57:32.02
卑弥呼が無理なら壱与(か台与)だけでも畿内へ連れて行きたい。
九州で二人取るのはずるい。一人ぐらい畿内にくださいよ。
詐欺もやることがせこくなってきたな。
180日本@名無史さん:2012/02/25(土) 20:08:07.08
>>165
>城柵で厳重に仕切られたエロ狭い空間が「女王国」で良し

間違い。

帯方郡から女王國の距離は、12000餘里

帯方郡から伊都國の距離は、11900餘里
伊都國と奴國及び伊都國と不彌國の距離は、それぞれ100里
よって、帯方郡から奴國まで及び帯方郡から不彌國までの距離は、それぞれ12000餘里

故に、奴國と不彌國は女王國に含まれる。
女王の居る邪馬壹國は当然女王國に含まれる。
邪馬壹國に前述されている投馬國も女王國に含まれる。

故に、女王國に含まれる國は、少なくとも奴國、不彌國、投馬國、邪馬壹國の4ヶ国となる。
上記4ヶ国以外に女王國に含まれる国々がある可能性を否定するものではありません。

なお、伊都國、末盧國、一大國、對海國、狗耶韓国の5ヶ国は女王國に含まれません。
女王國以北の餘旁國21ヶ国で女王國に含まれる國がないと言っているのではありません。
181日本@名無史さん:2012/02/25(土) 20:32:32.44
山の両側に2万戸の「奴国が」展開する

その北側に接して「伊都國」と「不彌國」の2つのポートがある

山の西側の谷には良く手入れの行き届いた灌漑された田圃が広がり

そこは女王家の墓所でもあり、かつまた女王家のはるかなる先祖の墓所でもある。

峠を下りた山の西側の地は「朝日之直刺國」とも呼ばれるが

そこに「城柵で厳重に仕切られたエロ狭い空間」があって

そこは生産することのない特殊な空間であってからに

冥界と対話のできる女王様が千人の美女に囲まれてお隠れあそばしておる。

俗にこの女の園のことを「女王國」とも言い習わしている。
182ごめん:2012/02/25(土) 20:38:02.55
ばつ 峠を下りた山の西側の地

まる 峠を下りた山の東側の地
183日本@名無史さん:2012/02/25(土) 21:34:25.29
>>181
糸島の?
184日本@名無史さん:2012/02/25(土) 21:45:06.04
2万戸の「奴國」とゆうのは戸2万 の「濊」全域の戸数のと同じで

戸3万 の「高句麗」全域の戸数の2/3じゃからとうてい糸島の谷には収まりきらんよな

海峡挟んで文明圏おkなら 山跨いでからに「奴國」でも良いかなとはおもた。
185筑紫次郎:2012/02/25(土) 22:11:26.84
>>176
>下賜された品を売りさばいて次の貢物揃えるような貧乏な國を九州の他の國々も
盟主國として認めませんよ

貴方の予断、先入観念、固定観念など勝手な思いこみなど
何の根拠にもならないし何の参考にもなりません。
186日本@名無史さん:2012/02/25(土) 22:16:41.91
>>185
あなたの妄想の方が常識なさすぎです。根拠がないことばかりです。
他人には倭人伝に書いてないとよくいってますが。
187日本@名無史さん:2012/02/25(土) 22:18:15.81
そういえば、遣唐使で、下賜された品を売り払って
記紀編纂資料を買いあさって、顰蹙を買っていた。

というエピソードの出所はなんだったかな?
188日本@名無史さん:2012/02/25(土) 22:36:58.05
皆さんは僕の信じてた宇佐説は完全否定ですか?
189筑紫次郎:2012/02/25(土) 22:42:46.08
>>186
>あなたの妄想の方が常識なさすぎです。根拠がないことばかりです。
他人には倭人伝に書いてないとよくいってますが。

貴方は倭人伝が何一つ理解できてないですよね。
私はほぼ理解しています。
190日本@名無史さん:2012/02/25(土) 22:46:47.62
>>189
>私はほぼ理解しています
貴方の思い込みです。山門でなければならないという。
191筑紫次郎:2012/02/25(土) 23:00:05.39
>>190
>貴方の思い込みです。山門でなければならないという。

私は特定の場所に邪馬台国を誘致しようと考えたり
予断、先入観念、固定観念を持って倭人伝を解釈したことはありません。
192日本@名無史さん:2012/02/25(土) 23:06:57.61
何も考えずに、数字だけ修正して当てはめたら、
人吉盆地になっちゃったけどなあ。
193日本@名無史さん:2012/02/25(土) 23:13:44.34
>>192
>何も考えずに、

それ、駄目ね。
194日本@名無史さん:2012/02/25(土) 23:18:41.27
>>192
>何も考えずに、

それ、大事ね。
195日本@名無史さん:2012/02/25(土) 23:31:32.00
いくつかやり方はあるけどね、
短里を周里算経より77mに設定。
一月行を隋書百済伝より80キロに設定。

あとはそのまま当てはめるだけ。

ほかに、短里77mは公里534mの約1/6と設定。
一月行を一日15キロとして、450キロ
これをそのまま当てはめたら、さすがに九州どころか本州も超えてしまうので、
同じく1/6した75キロで計算。

これでも、百済伝による80キロと大差ない距離になるので、
結論はほぼ同じ。

あとは地図を見ながら、当時の人達も使っていたであろう
地形と道を見ながら当てはめれば、どこかに着く。

短里と一月行の距離があれば誰でもできるのでやってみよう。
多分人によって派手に違う結果にはならないでしょう。
196日本@名無史さん:2012/02/25(土) 23:32:38.16
公里534→公里435 に修正
197日本@名無史さん:2012/02/25(土) 23:37:22.66
多分陳寿さんも各地から集まってきた距離数値を、
机上で扱うためには、机上で扱いやすいような単位に
換算、調整しただろうと推測。

それがだいたい近い数値の、一月行千里や、1/6換算法である。
こういうふうに決めておくと、陳寿さんも記録しやすいだろう。
198日本@名無史さん:2012/02/25(土) 23:43:55.94
計算自体はまじめにやったけど、
その結果行き着く先については、
実は余り考察していない。

九州みたいに腐るほど弥生遺跡が出てくるところでは、
遺跡の有無で、判断しても無駄だからね。

どこかしら何かあるもんだ。それも、それなりに個性的なものがね。
199日本@名無史さん:2012/02/26(日) 00:27:11.48
帯方郡はこのあたりらしいよ

http://maps.google.co.jp/maps?q=38.502400,125.757000
200日本@名無史さん:2012/02/26(日) 06:48:35.19
>>195
>いくつかやり方はあるけどね、
>短里を周里算経より77mに設定。
>一月行を隋書百済伝より80キロに設定。

随書百済伝より済州島の大きさ
東西長径1000里より1里=75m

モンゴロイド成人男子の足の大きさ=1歩=23.5cm
1里=300歩=70m

對海國の面積からも求められる
201卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/26(日) 09:43:27.68
いいかげんな人間が揃っているなぁ。

http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/list/size.html

ここに周代の一歩は119.4cmと書いてあるだろ?
周代以外は一里を360歩としているが、おそらく周代は一里を60歩としたのだよ。
だから数値が約6分の1になっているのだ。

ちなみに119.4×60=7164=約72mだ。

>>199
君もいいかげんなことを書かずに、私がドン来いスレに書いていることを見てくれ。
楽浪郡も帯方郡も遼東に在ったのだ。
202日本@名無史さん:2012/02/26(日) 15:00:46.34
>>180
女王国=邪馬台国だよ
普通に読もうよ
203日本@名無史さん:2012/02/26(日) 15:04:50.94
まあ九州ではないけどね、女王国も邪馬台国も。
204卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/26(日) 15:36:40.89
古田の「俾弥呼」を読んでいたら、面白い記事を見つけた。

周制 三百歩 里と為す (孔子家語 王言解)

周代、三百歩を一里としていたことが解る。358.2mだ。
魏晋代の434mよりやや短いが、短里と謂うほどのものではない。

短里というものは存在しなかった一つの証拠だ。
古田はこういう文献があることを知りながら、自説に都合が悪いので、沈黙しているのである。
205日本@名無史さん:2012/02/26(日) 15:40:12.01
>>188
ドン来いスレ109に倭人伝の距離をコンパスで測る説を書いている人がいるけど、
それが当たりなら宇佐説はかなり有力なのでは。要は自分で自説を論証する努力を
したらどうですか。
206日本@名無史さん:2012/02/26(日) 15:45:23.94
コンパス?バカだろw
207日本@名無史さん:2012/02/26(日) 16:53:57.92
俗にこの女の園のことを「女王國」とも言い習わしている。
208日本@名無史さん:2012/02/26(日) 16:57:37.18
明帝(曹叡)さんのとき、「太后」となり、「永安宮」と称したひとも「女王」ですがあ・・・・
209日本@名無史さん:2012/02/26(日) 17:00:43.68
210日本@名無史さん:2012/02/26(日) 17:04:31.77
これって卑弥呼のおばさまとかが化けて混ざりこんだのかなあ
211日本@名無史さん:2012/02/26(日) 17:27:16.04
>>202
>女王国=邪馬台国だよ
同じならば、同じ表記にするよ。女王国と邪馬台国はちがうんだ。
女王国の中の女王がいる国が邪馬台国。
212日本@名無史さん:2012/02/26(日) 17:35:46.33
海賊酋長の御子息が倭人の血筋ひいてたり、皇帝が自分の姓名乗ってもいいとゆうたり

これのまぎゃくぽいのもあってもおどろくよおなことじゃねよな

海賊酋長がちゅうこくに滞在中になした子とかてもろ想像に難くないもんな。。。

213日本@名無史さん:2012/02/26(日) 17:43:24.00
朝○くんにはもう利用価値とか失せちゃったなあ
214日本@名無史さん:2012/02/26(日) 18:01:12.93
>>211
横レスですが
「女王国」を構成するのは邪馬台国と投馬国、みたいな感じで伊都国や末盧国なんかは「女王国」には含まれないという見解ですよね
要は倭国内に「女王国」とそうでない国があると
では「女王国」とは倭国の中でどういう位置付けになるのでしょうか?
215日本@名無史さん:2012/02/26(日) 18:27:50.37
>>211
>同じならば、同じ表記にするよ。

もちろんそんなことはない。
從と自、戸と家、度と渡、到と至、
同じ表記にするどころか意識して別の表記にしているようだ。

>女王国と邪馬台国はちがうんだ。
>女王国の中の女王がいる国が邪馬台国。

こんなアホばかり。
216卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/26(日) 18:31:14.95
>>213
俾彌孤クンも、そろそろ古田のトンデモ説から脱したほうがいいぞ。
217日本@名無史さん:2012/02/26(日) 18:31:42.64
>>214
女王国以北は、同じ倭国の中にありながら、一大率の厳しい検察を受けている国々です。
女王国は、万二千里(伊都国から千五百里南)から南に広がる広大な国々です。
おそらく、倭国の乱は南の女王国と北九州の国々(どちらかと言えば文化的に進んでいる
と思われた国々)とが戦って、実質的には南が勝った戦いだったということだろうと思い
ます。
218日本@名無史さん:2012/02/26(日) 18:32:51.96
トンデモがトンデモを笑う。
219日本@名無史さん:2012/02/26(日) 18:33:43.78
スルメがイカを笑う。
220日本@名無史さん:2012/02/26(日) 18:36:53.74
水行と船行もあるね。
221須磨虎:2012/02/26(日) 18:37:24.47
>>128
>倭人伝には以北の国は道里戸数が記載できたとある。
投馬国については、日程・行程だけで距離(道里)が書かれていないが、
これは以北の国ではないということだな?

>>142
>主要国である投馬国、邪馬台国については、道里戸数が書かれている。
投馬国については、日程・行程だけで距離(道里)が書かれていない。

どんな詭弁を使おうが事実だ。
倭人伝の「以北の国は道里戸数が記載できた」という記録を論拠に持ち出す者には、
抜き差しんなない事実だ。
222日本@名無史さん:2012/02/26(日) 18:38:29.57
>>217
妄想じゃん。
223須磨虎:2012/02/26(日) 18:39:18.08
しつこい痔漏。

>>147
>有屋室父母兄弟臥息異處から1つの家には原則一人で住んでいたことが判る。
>反対する人もいましたが 大勢は 1戸=一人+α で決着しましたよ。
お前のいい分に無理があるということで決着してる。

>捏造してはいけません。
一つの家屋に(間仕切りがあって)父母兄弟は寝起きする所を別にするという意味だろ。
これが花弁型住居で、当時としては大型家屋に類する。
「有屋室父母兄弟臥息異處」の解釈をねつ造してるのか、間違ってるのかだ。

>>150が正解だ。

>>151
>竪穴式住居に幾つの部屋があったのか是非とも教えてほしいものだ。
花弁型住居も竪穴式住居だ。

>>153
>例外的に存在する花弁型住居の事を述べたのじゃないだろ?
>>168がいってるように、九州の大きい弥生集落にはたいがいある。
しかも、熊本県や、お前が好きな佐賀県からも発見されている。

>>170
>花弁型住居は一族を統べる長の住居で管理する食料庫だな
集落の中でも有力な人物の住居だろう。

224日本@名無史さん:2012/02/26(日) 18:39:43.53
「女の園」のことを「女王國」とも言い習わしているのであるが

「女の園」は「二萬餘戸」を擁するところのばかでかい「奴國」領域の内側にあった。
225日本@名無史さん:2012/02/26(日) 18:40:41.40
>>221
ドンと来いだけにしろよ。
226筑紫次郎:2012/02/26(日) 18:50:39.67
>>223
>しつこい痔漏。

しつこいのは天災ゴミ鶴のお前だ。
お前のような
脳タリンで誤魔化ししかないアホが論争してもらえるとでも思っているのか?

正論を述べているのならさぞかし賛同者も多いだろう。(爆笑)
二度と私にレスするな。
227日本@名無史さん:2012/02/26(日) 18:55:23.73
>>221
>投馬国については、日程・行程だけで距離(道里)が書かれていないが、
>これは以北の国ではないということだな?
道里はみちのり。これは里数だけではなく、日数でもよいと考える。つまり、投馬国は
道里戸数が書かれた国だ。しかし、以北かどうかは万二千里よりも北かどうかで決まる。
投馬国は以北の国ではない。(以北の国は道里戸数が書かれている。しかし、以北でな
い国には書かれている国と書かれていない国とがある。)

>>223
私とほぼ同じ考え方のようだ。(ちがう方がどうかしているんだが。)
228日本@名無史さん:2012/02/26(日) 19:14:17.87
筑紫次郎、かっこいい♥
229日本@名無史さん:2012/02/26(日) 19:21:53.07
女王國以北は単純に邪馬台国(女王國)までに紹介してきた国々のことでしょ
帯方郡から南下して邪馬台国まで辿り着いたのでこれまで紹介してきた国々を「女王國以北」と表現し、
旁國の最後に出てくる奴國が女王の境界の尽くる所でその南が狗奴國となっている
このように倭人伝の進行方向は北から南なので旁國は女王國よりも南(少なくともそういうつもりで書かれている)と解釈するのが自然でしょう
230日本@名無史さん:2012/02/26(日) 19:24:43.41
「城柵で厳重に仕切られたエロ狭い空間」が「女王國」で良し。
231日本@名無史さん:2012/02/26(日) 20:44:02.12
>>229
北九州から水行十日陸行一月と言ってるんだよ。それが僅か万二千里では辻褄が合わない。
それに女王国の南が狗奴国だったら、旁国はどこになるのかな?
232須磨虎:2012/02/26(日) 20:49:44.01
>>226 次郎
俺は暴言抜きで意見を書いたのだが、暴言でくるなら受けるぜ。

>脳タリンで誤魔化ししかないアホが論争してもらえるとでも思っているのか?
論争ではない。お前のは、そんな上等な内容でもない。ゴミクズ言説だ。
曹操の「戸兵制度」のこと。
『後漢書』郡国志に腐るほど登場する「戸」と「口(人口)」の関係。
これらを提示したが、それでも1戸一人というか。
返答してみろ。

「屋室」とは何だ。家屋の中にある部屋というほどの意味だろが。
「部屋が分かれていて、家族は寝起き別にする」。という意味だ。
返答してみろ。

>正論を述べているのならさぞかし賛同者も多いだろう。(爆笑)
お前の意見に賛同する者が多いか? んー?
相手にしていないというのが本当の所だろうが。
返答してみろ。

花弁型住居は竪穴住居じゃないとでも思ってたのしどうした。
できないで泣き言めいた暴言しかいえんだろうが。
返答してみろ。

九州には、土間式竪穴住居が多くは3種類ある。
小規竪穴住居(タコが描くタイプ)、ベッド状遺構つき竪穴住居、そして花弁型竪穴住居。
これに、掘っ立て柱住居だ。くだらん我流意見など目障りだ。
233日本@名無史さん:2012/02/26(日) 20:52:42.58
>>231
旁國として紹介されている国々は女王國よりも南、旁國の最南端が奴國、奴國の南が狗奴國
記述に従うならば位置関係は上記の通りでしょう
234須磨虎:2012/02/26(日) 20:54:25.36
>>228
どうかしてるぜ。お前は痔漏人の賛同か。
どこの世界に行ったら、戸とは一人単位の住宅なんてのが通用するか。

●戸は世帯単位の表現言語だ。

分かりやすくいえば、
1棟100戸の世帯が入っているマンションも、
「1棟は1戸」だと言い張るも同然なんだぜ。タコが
235日本@名無史さん:2012/02/26(日) 20:57:58.11
そうなると、女王国と狗奴国との間には二十一国がクッションとして入ることになる。
女王国と狗奴国とが紛争というのはおかしいな。それに、女王国の南四千里には侏儒国
があるはず。二十一国、狗奴国を飛び越えて女王国の南四千里と表現したというのも不自然。
236須磨虎:2012/02/26(日) 21:08:29.20
●筑紫次郎殲滅隊

>1戸は1つの家です。
>有屋室父母兄弟臥息異處から1つの家には原則一人で住んでいたことが判る。
>反対する人もいましたが大勢は1戸=一人+αで決着しましたよ。
>捏造してはいけません。
>捏造していないのなら、真性のバカということだ。

河南尹秦三川郡 戶二十萬八千四百八十六、口百一萬八百二十七。
河內郡     戶十五萬九千七百七十、口八十萬一千五百五十八。
河東郡     戶九萬三千五百四十三,口五十七萬八百三。
こんなもんだ。1戸にあたり何人の家族がいたことになるか。

@「有屋室父母兄弟臥息異處」の解釈ねつ造かバカ解釈。
その上でこういう。
@1戸は1つの家で、1つの家には原則一人で住んでいた。

これにに賛同する奴がいたら、束になって詭弁反抗をしてこい。
237日本@名無史さん:2012/02/26(日) 21:10:08.25
女王國のの「國」を極小化して読むとすべてが解決しちゃうよな

「戈」で大地を守るのが「或」でこれは「國」の古体で

あとで枠「□」が付加されて「國」になったってさ

枠の「□」は「城柵で厳重に仕切られた」のだから

卑弥呼さん用に特注されたみたいなふいんきさえかんじられますですよね。
238日本@名無史さん:2012/02/26(日) 21:19:48.80
何とかこじつけようってのは正道ではない。
239日本@名無史さん:2012/02/26(日) 21:23:19.59
>>235
「女王の境界の尽くる所」である所の奴國までが女王の勢力圏内でしょ
でもそこから先の狗奴國には勢力が及んでないということじゃないの?
侏儒国やら黒歯国やらは古代中国の伝説の国々らしいから、
倭国の先にはそんな伝説の国々がある、それほど世界の果てまで行った、という位の話なんじゃないの?
正直よく分からんが
240日本@名無史さん:2012/02/26(日) 21:32:59.77
全文対象の変換で「女王國」を「女の園」に書き換えてあげるとすべて矛盾無く読めちゃったりするけどね
241日本@名無史さん:2012/02/26(日) 21:35:01.47
平均的な竪穴住居は15畳程度。
今の家で6畳二間+α程度の大きさ。

この大きさの中に、生活道具、食料、かまど、あるいは、いろり、
そして寝具を確保することになる。

この大きさでは核家族がせいぜいで、それも子供が多くなると
生活は難しくなるだろう。

さらに、一夫多妻制で大人は5人、通常で3人程度の妻を持つという。
この一般的な竪穴式住居で、たくさんの妻とそれぞれの子が
生活できないことは確実である。

花弁上住居のような倉庫を持つ住居で、家族の長が食料を確保、管理し、
各妻と子共の戸が周りに立てられて、食料の配給を受けるという形式が、
一番素直な解釈だろう。

このような一夫多妻制の形式はアフリカや東南アジアで存在するらしい。
TVで見ただけなので、詳細は不明。
242日本@名無史さん:2012/02/26(日) 21:36:59.20
>>239
>「女王の境界の尽くる所」である所の奴國までが女王の勢力圏内でしょ
女王の境界という以上、女王国でなければね。単に勢力圏ということならば、
女王に統属すとかいう表現になるはずだろう。勢力圏を境界の尽きる所という
文例があったら出してみてね。

>侏儒国やら黒歯国やらは古代中国の伝説の国々らしいから、
どこからそんなことを考えたのかな? 邪馬台国を訪ねてそこで周辺のことを
聞いた結果を書いたと見るべきだろう。でなければ、四千里とか東南とか具体
的なことは書けないよ。
243日本@名無史さん:2012/02/26(日) 21:37:32.64
嫁のところに通っていってからに一夫多妻だからさ

            そこいらへんよくかんがえてみよおね。
244日本@名無史さん:2012/02/26(日) 21:46:19.54
ほれほれ

自「女の園」以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
自「女の園」以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之
自郡至「女の園」萬二千餘里
「女の園」東渡海千餘里 復有國 皆倭種
245須磨虎:2012/02/26(日) 21:49:52.51
>>241
>花弁上住居のような倉庫を持つ住居で、

かぼそい言い訳詭弁。
考古社会が花弁型「住居」でコンセンサスして、
花弁型「倉庫」という学者は一人もいない。
これには相応の根拠があってのことだろう。
ど素人が全国の考古学所見を覆すか?

>花弁上住居のような倉庫を持つ住居で、
じゃベッド状遺構をもつ住居はどや。
花弁型住居の明確な「間仕切り」は、
ベッド状遺構をもつ住居よりも立派な住居だ。

もっとマシな詭弁をいえ。
246須磨虎:2012/02/26(日) 21:55:52.03
おい痔漏。

前回、同じやりとりをしたとき、「頬かむりスルー」で消え、
ほとぼりが覚めた頃にまたぞろ持ち出して、
「大勢は 1戸=一人+α で決着しましたよ」。
「捏造してはいけません」なんて、
いったい・どんなツラして吹いてるのか、見てみたいものだな。
247日本@名無史さん:2012/02/26(日) 21:56:44.26
>>245
>じゃベッド状遺構をもつ住居はどや。
>花弁型住居の明確な「間仕切り」は、
>ベッド状遺構をもつ住居よりも立派な住居だ。

花弁状部分が、住居や倉庫などと「推測」されている
話は読んだことがありますが、

住居と「確定」されたという話は初耳ですねえ。
何かソースがあったら指示願います。
248日本@名無史さん:2012/02/26(日) 22:13:01.20
>>242
「女王の境界の尽くる所」より外の狗奴國は「女王に属さず」だから、
「女王の境界の尽くる所」の内側の旁國は「女王に属する国々」と解して何の問題も無いと思うけどなぁ…

珠儒国や黒歯国についてはよく分からんです
小人の国なんてあったとは思えないし
ただ隋書倭国伝に「倭人は里数を知らず」とあるので四千里という距離は倭人からの情報ではないと思うけど
249筑紫次郎:2012/02/26(日) 22:15:17.64
>>246
おい屑
いつまで絡むつもりだ。
理解能力もなく
詭弁と誤魔化しと強弁しかない
脳タリンのゴミ屑と論争するつもりはない。
250日本@名無史さん:2012/02/26(日) 22:35:18.70
>住居と「確定」されたという話は初耳ですねえ。
花弁部分の部屋を寝室や物置等に使用したであろうという説はあるが、建物全体が
住居ではないなんて説は聞いたことがないな。そんな馬鹿げた説を出している学者
がいるなら是非教えてくれ。おもしろい。
251日本@名無史さん:2012/02/26(日) 22:42:02.83
>「女王の境界の尽くる所」より外の狗奴國は「女王に属さず」だから、
境界の中が女王に属する国というなら、狗奴国について改めて「女王に属さず」と
書く必要はないだろ。わざわざ書いたのは、「女王の境界の尽くる所」というだけ
では女王国を構成していないというだけで、女王に従属するかどうかが分からない
からだよ。

>「倭人は里数を知らず」とあるので四千里という距離は倭人からの情報
女王国の東渡海千里だって使者が実際に行ったわけではあるまい。倭人から聞いた
日数等をもとに里数を推定して書いているだけだよ。


252須磨虎:2012/02/26(日) 22:42:46.69
>>249 筑紫次郎にとどめ。
「理解能力もなく 詭弁と誤魔化しと強弁しかない 脳タリンのゴミ屑」とは、
お前のことだということを証明する。

前にも提示したが、『三国志』呉書の華覈伝から。
「今吏士之家少無子女、多者三四少者一二、通令戸有一女、十万家則十万人。
人織績一歲一束、則十万束矣」。
 「いま、官吏・士人の家に子女のないところは少ない。多くて3〜4人、少ないところでも1〜2人はいる。
一般的に一戸につき一人の女子がいれば、10万家ですなわち10万人になる。
これらが1年に一束の織績(機織と紡績)をすれば、すなわち10万束の織物ができる。……」。

文中に「通令戸有一女」と「戸」を使った部分もあるが、
この戸は明らかに家族単位を意味しており、これを換言したのが「世帯」だ。
『後漢書』郡国志の戸数と人口の数の比較に、
『三国志』呉書の戸という表現の使い方、これでお前の言説はボツだ。

そもそも、常識から逸脱した言説をごり押しすることが間違いだ。
もう、抗弁できんだろ。今度こそ、完全に消えろ。

253日本@名無史さん:2012/02/26(日) 22:43:20.11
>>250

建物全体が倉庫とは言ってませんよ。
花弁状住居のような、「倉庫を持つ住居」ですね。

>>245氏がどういう勘違いをしたのかわかりませんがね。

254日本@名無史さん:2012/02/26(日) 22:44:03.43
>>245
>ど素人が全国の考古学所見を覆すか?

うーん、幾つか調べてみましたが、倉庫や住居、祭祀に使われたと
「推測される」、というのが、一般的な考古学の所見のようですね。

花弁上部分を住居で「確定」するのは、むしろ、考古学の所見に反するものと思われます。

なにか、確定した考古学者の資料があれば提示願います。
255須磨虎:2012/02/26(日) 22:55:33.66
>>247  >>253
>住居と「確定」されたという話は初耳ですねえ。
>何かソースがあったら指示願います。

だ・か・ら。花弁型住居と読んでいるだろ。これ以上説明がいるか?
なーにが「初耳ですねえ」だ。この野郎。

住居といっても、どこでも物置きや倉庫ぐらい伴うもんだ。
要は、住居か倉庫か、主機能・主用途の問題だろが。タコ
その意味で住居だから住居と読んでいる。

土間に直接寝ては健康に悪い。しかも夏は暑い。
ベッド型も花弁型も、竹か木材でつくった
台座のようなベッドのようなものがあったと俺はみているぞ。

>>254
>確定した考古学者の資料があれば提示願います。
これで分かったかタコ。
どうだっていいことに小姑みたいに。
256日本@名無史さん:2012/02/26(日) 23:01:26.93
>>254
それより、畿内にも部屋が分かれた住居はたくさんあるんだろうな。
その様子が分かる資料を教えてくれ。
257日本@名無史さん:2012/02/26(日) 23:06:51.14
>>255
>住居といっても、どこでも物置きや倉庫ぐらい伴うもんだ。

そうでしょうね、当然ですね。花弁状部分も倉庫として使われたと見ています。

>ベッド型も花弁型も、竹か木材でつくった
>台座のようなベッドのようなものがあったと俺はみているぞ。

花弁状部分のいくつかにベッドのようなものがあっても、おかしくはありませんが、
それはあなたの見方を表明しただけですね。

で、>>245は、>>241に対する反論だと思っていましたが、
反論ではなかったということでしょうか?

258日本@名無史さん:2012/02/26(日) 23:09:16.17
>>256

基本的に花弁状住居は南九州で、
北部九州にもいくつか認められると言う程度ですから、

畿内には花弁上にわかれた住居は殆ど無いのでは?
259須磨虎:2012/02/26(日) 23:11:23.42
花弁型住居跡は南九州独特のはなびら型をした、
弥生時代後期の住居跡です。
(熊本県教育委員会)

寝室などの占有スペースの設置は、
家族間の位置づけが明確になり
住居形態にも表れてきたのだろうと見ている。
高島忠平)

弥生時代中期前半に建てられたとみられる
竪穴式の花弁状住居跡が見つかった。
円形部分は現在の居間のような役割で、
長方形部分は寝室や物置などに使われていたとみられる。
(佐賀新聞)


尻尾を巻いて消えるか。
花弁型住居跡を「倉庫」だといってる資料でも提示しろ。外道
260筑紫次郎:2012/02/26(日) 23:13:05.73
>>250
建物全体が住居ではないなんて説は聞いたことがないな。そんな馬鹿げた説を出している学者
がいるなら是非教えてくれ。おもしろい。

花弁状縦穴に5-10人も住んでいたとは知らんかったわな。
261日本@名無史さん:2012/02/26(日) 23:15:51.86
>>258
もし畿内にあったら、畿内発祥ということになるんだろうかな。
262須磨虎:2012/02/26(日) 23:18:47.13
ほれ。
倉庫が主目的の建物を住居と呼ぶか。
倉庫が主目的の建物に「居間」のような役割のスペースがあるか。
文句があるなら「花弁型住居」という名称をつけた機関に抗議しろ。

な・倉庫と個別の物置は違うぜ。
湿気に敏感な稲籾や、貴重な文物を貯蔵する建物は掘り立て柱構造だ。
(イモや塩漬けものなどは貯蔵穴を使うのだろうがよ)。
263日本@名無史さん:2012/02/26(日) 23:20:23.98
>252
文中に「通令戸有一女」と「戸」を使った部分もあるが、
この戸は明らかに家族単位を意味しており、

一軒の家の意味だろうな。
自分で新しい意味を作り出すから誰からも相手にされん。
264矢部川:2012/02/26(日) 23:23:32.91
九州中北部でほとんど無い花弁形住居の話は倭人伝と無関係なはずだが。
265日本@名無史さん:2012/02/26(日) 23:28:07.81
>>251
むしろ「女王に属さず」の一文により「女王の境界」が意味する所もパッと分かると思うんだけどね
無駄な説明を削ぎ落とした簡潔な文章だと思うよ
珠儒國とか黒歯国とかは、やっぱり単なる付け足しだと思うけどなぁ
266日本@名無史さん:2012/02/26(日) 23:31:34.90
いつのまにか倉庫が主目的となってるが、

>花弁上住居のような倉庫を持つ住居で、家族の長が食料を確保、管理し、
>各妻と子共の戸が周りに立てられて、食料の配給を受けるという形式が、
>一番素直な解釈だろう。

これが趣旨なんでね。
じゃ、倉庫という言葉は撤回して、物置という言葉に変えようか?

変えても、上記の意図は変わらないからねえ。

また、湿気で困るようなものはわざわざ室内に保管しなくても、
別に高床式作ってそこに保管しとけばよかろうと思うが。
267日本@名無史さん:2012/02/26(日) 23:38:39.05
ググってたら、花弁状住居で、
物置じゃなくて、倉庫と表現しているのもあるね。

http://blog.goo.ne.jp/thetaoh/e/c9183b561f798f420bb5325b5ed9750d

世間では、物置と倉庫、そこまで区別してはいない様だ。
異様に目くじら立てているのは、>>262 だな。

まあ、ほかにツッコミようが無いのかもしれんが。
268須磨虎:2012/02/26(日) 23:39:45.29
>>263 名前:日本@名無史さん :2012/02/26(日) 23:20:23.98
>一軒の家の意味だろうな。
使われている意味はハコもの「家族単位の生活集団」すなわち世帯だ。
それだけのことだ小姑。

>自分で新しい意味を作り出すから誰からも相手にされん。
相手にしてくれなくて結構だ。横ちゃりもいらないぜ。
追っかけて来るなといったろが。
伊作人気にすがって微々たる日ゼニを稼ぐ板乞食が。

>264
>九州中北部でほとんど無い花弁形住居の話は倭人伝と無関係なはずだが。
これまで出なかっただけで、出てるぜ。これからも出るだろう。
花弁形住居との関連性がいわれる松菊里型も一緒に出てる。

弥生時代の住居の話しだよな。
「倭人伝と無関係なはずだが」て・近視眼思考やろう。
「倭人は花弁形の住居に住まう」とでも書いてなきゃ無関係か?
図式的に書かれていないと理解も想像も洞察もできないバカが。
269日本@名無史さん:2012/02/26(日) 23:43:08.00
聞く耳持たずで
爆走まっしぐら。

誰とは言わないがね。
270須磨虎:2012/02/26(日) 23:46:27.41
>>267
個人サイトからもってきたか。それで? 
>世間では、物置と倉庫、そこまで区別してはいない様だ。
信憑性に問題ありの個人レベルのサイト一つを持ち出してだ。
とまあ・決まりのようにいうわけだ。笑止

見境と節操のないのが俺にからんで来るな。
271須磨虎:2012/02/26(日) 23:48:42.59
>>267
ほれ。お前が代わりに返答してみろ。タマには中身のある投稿をしろ。

倉庫が主目的の建物を住居と呼ぶか。
倉庫が主目的の建物に「居間」のような役割のスペースがあるか。
文句があるなら「花弁型住居」という名称をつけた機関に抗議しろ。
正論だろ。

な・倉庫と個別の物置は違うぜ。
湿気に敏感な稲籾や、貴重な文物を貯蔵する建物は掘り立て柱構造だ。
(イモや塩漬けものなどは貯蔵穴を使うのだろうがよ)。
>>267
ほれ。お前が代わりに返答してみろ。タマには中身のある投稿をしろ。

倉庫が主目的の建物を住居と呼ぶか。
倉庫が主目的の建物に「居間」のような役割のスペースがあるか。
文句があるなら「花弁型住居」という名称をつけた機関に抗議しろ。
正論だろ。

単純な理屈だ。議論と呼べるような返答をしてみせろ。
272日本@名無史さん:2012/02/26(日) 23:57:30.00
>>269
そんなやつを
相手にするやつは馬鹿じゃ。
273日本@名無史さん:2012/02/26(日) 23:57:50.14
>>270-271

おいおい、それこそ、「それで?なに?」だぜ。
家長が食料を確保、管理して、各妻と子に分け与えるというのが、
一夫多妻制の趣旨だ。

当然、食料を蓄える物置(と変えておく)もあれば、
湿気に困れば高床式物置(笑)も作るだろう。

住居に隣接した花弁状の物置があって、なんの不思議もなかろう。

なにも突飛で変なことは書いてないはずなんだがな。
274須磨虎:2012/02/27(月) 00:10:39.86
>>273
いいから、そういう説でも発表しろ。

倉庫が主目的の建物を住居と呼ぶ。
倉庫が主目的の建物に「居間」のような役割のスペースがある。
実は倉庫なのだが「花弁型住居」というのは疑問。

とかなんとかよー。バカバカしくて相手してられない。

275日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:13:55.27
>>274

どうしてもそうしないと困るんだろうが、

>倉庫が主目的

まず、そのかってな思い込みがどこから来たのか
教えてもらおう。
276日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:15:46.86
>>274

書き忘れたが、氏の意見を尊重して、
倉庫を物置に変えておいたので、以降は物置でよろしく。
277須磨虎:2012/02/27(月) 00:17:54.60
>>275
おまえ。俺の投稿を最初から見直せ。
とんでもない読み違いをしているぞ。

倉庫が主目的の建物を住居と呼ぶ。
倉庫が主目的の建物に「居間」のような役割のスペースがある。
実は倉庫なのだが「花弁型住居」という。

こういわんばかり駄論を投げられているのが俺だ。
論旨二の次の日ゼニ稼ぎの「伊作追っかけ」が。
278須磨虎:2012/02/27(月) 00:21:32.65
では本論に戻って締める。

「屋室(家屋の中に区切られた部屋)があって、家族は寝起きを別のする」
というのが、ベッド状遺構住居や花弁型住居をいいあらわした記録ではないか。

これを否定するために、花弁型住居は倉庫だったと言い張るお粗末劇。
おわり。
279日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:22:38.43
>>277

思い込みがすぎるようだが、
俺は初めから。家長が家族の食料を管理する、
としか言ってないぞ。

主目的などとは一度も書いたことはない。

ぶっちゃけ、こちらとしては
倉庫だろうと物置だろうとどうでも良いのだ。

食料を置く場所があればいいのだ。
280日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:25:30.10
「花弁上住居のような倉庫を持つ住居」を
>>241は「花弁上住居のような、倉庫を持つ住居」(つまり花弁上住居=住居)という意味で書いたが、
伊作ちゃんは「『花弁上住居のような倉庫』を持つ住居」(つまり花弁上住居=倉庫)と読み違えてしまったみたいですな
281日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:27:03.01
>>268 須磨虎[] 投稿日:2012/02/26(日) 23:39:45.29
>使われている意味はハコもの「家族単位の生活集団」すなわち世帯だ。
それだけのことだ小姑。

1戸に一家族が住んでいる例を出して
1戸に一家族が住んでいない場合にあてはめて1戸は一家族だと決めつける。
それって誤魔化しだよね。
282日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:27:17.72
>>278

一歩引いて、花弁状住居に多数の人間が住んでいるとしよう。
だが、花弁状住居は数が少ない。

大多数の竪穴式住居はやはり、せいぜい核家族か、
個人で住んでいるという状況はなにもかわらない。

やはり竪穴式住居は、乳幼児を別にすれば、
一名か二名で住む住居なのである。

ごく一部にかなり巨大な竪穴式住居もあるが、
多くの竪穴式住居の大きさでは、核家族か個人がせいぜいである。
283日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:35:59.97
調べてみな。花弁状住居の数はけして少なくないから。
284日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:37:03.79
いくつ?
285日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:40:36.18
>>258
畿内に花弁状住居はないだろうが、花弁状ではなくとも、部屋が分かれた
住居はたくさんあるんだろ。それを教えてくれと言ってるんだよ。
286日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:46:14.14
>>283
 弥生時代中期前半(紀元前1世紀ごろ)の竪穴式の花弁状住居2 件跡が北部九州で初めて発見された。
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1111883.article.html
287日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:51:47.46
>>282
>やはり竪穴式住居は、乳幼児を別にすれば、
一名か二名で住む住居なのである。

そうだな。
吉野ヶ里でも主人の家の周りに家族の家らしきものがある。
別の家だが今で言えば別の部屋の感覚だろう。
288日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:53:51.02
>>280
そういうことですね。 論点がずれてしまってます。
289日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:53:59.52
>>285
邪馬台国とは関係ない国のことだから自分で調べろよ。
290日本@名無史さん:2012/02/27(月) 00:55:02.41
>>268 須磨虎[] 投稿日:2012/02/26(日) 23:39:45.29
>使われている意味はハコもの「家族単位の生活集団」すなわち世帯だ。
それだけのことだ小姑。

1戸に一家族が住んでいる例を出して
1戸に一家族が住んでいない場合にあてはめて1戸は一家族だと決めつける。
それって誤魔化しだよね。
291日本@名無史さん:2012/02/27(月) 01:12:18.12
三国志では人口を戸数で表しているわけだけど、中国と日本で1戸当たりの人数が
異なるとなると、倭人伝の数字自体が信憑性がなくなりますね
292日本@名無史さん:2012/02/27(月) 01:14:43.39
>>291
どうして?
293日本@名無史さん:2012/02/27(月) 07:30:31.54
>278
>では本論に戻って締める。

話をそらすなよ。
1戸に1世帯と言っているのはあなただけよ。
294日本@名無史さん:2012/02/27(月) 10:52:19.76
>>288
伊作にはよくあることw
295日本@名無史さん:2012/02/27(月) 17:24:45.00
須磨虎は行く先々で潰れている。よくある風景WW
296日本@名無史さん:2012/02/27(月) 21:02:57.70
>>268 須磨虎[] 投稿日:2012/02/26(日) 23:39:45.29
>使われている意味はハコもの「家族単位の生活集団」すなわち世帯だ。
それだけのことだ小姑。

1戸に一家族が住んでいる例を出して
1戸に一家族が住んでいない場合でも1戸は一家族だと決めつける。
それって誤魔化しだよね。

逃亡して
ほとぼりさめたらまた1戸1世帯を強弁するんだよね?
297須磨虎:2012/02/27(月) 22:14:39.05
●得意のゴミ処理

>>290
>1戸に一家族が住んでいる例を出して、
それが普通の居住パターン状態だ。
>1戸に一家族が住んでいない場合にあてはめて
そんな事例を誰か提示したか?
>1戸は一家族だと決めつける。 それって誤魔化しだよね。
「尻」が滅裂だ。イボ痔

>>291
>中国と日本で1戸当たりの人数が異なるとなると………
1戸当たりの人数など問題ではない。戸の意味解釈の話だ。
夫婦二人だろうが大家族だろうが、
「戸」が家族単位の表記言語だという事実を述べている。

>> 293
>話をそらすなよ。1戸に1世帯と言っているのはあなただけよ。
きちんと理解して書け。「1戸は1世帯」といっているのだ。タコ

>294
>伊作にはよくあることw
ぼんくら銀蝿のいつものパターンだ。

>295
>須磨虎は行く先々で潰れている。よくある風景WW
ずいぶん蹴散らしてきたが、一度も潰されたことはないぜ。
ウソだというならは、お前が潰してみ。受けるぜ
298須磨虎:2012/02/27(月) 22:18:26.55
●ゴミ処理のつづき

>>296
>逃亡して ほとぼりさめたらまた1戸1世帯を強弁するんだよね?

逃亡して・ほとぼりさめたら・また1戸1人を強弁する奴がいたから、
とっくに決着してる話を蒸し返してやったのだ。
逃亡してるのは、「1戸1人」をほざいた本人のほうだ。
それにしてもお前ら。伊作をコキおろすためには、
痔漏のバカげたいい分を支持するというわけか?  無節操もいいところだな。

中国には百家の円筒住宅がある。
1棟に平均して50家族ぐらいが共同で住んでいる。これが俺のいう50戸だ。
戸が建物の意味で、1戸に一人てえ説でいえばどうなる。応えられるか?
1棟は1戸で、1戸に一人か。
戸を使って書いているのは中国の歴史書なんだぜ。
299日本@名無史さん:2012/02/27(月) 22:22:07.35
いさくさんいさくさん

「戸」とゆうのは課税徴収単位ですよね

「戸籍」の「戸」ですからね

まあ知っているにきまるでしょうけどね
300日本@名無史さん:2012/02/27(月) 22:27:59.55
王妻號?彌(けみ) 後宮有女六七百人 名太子爲利 歌彌多弗利 無城郭
内官有十二等:
1.一曰 大徳
2.次  小徳
3.次  大仁
4.次  小仁
5.次  大義
6.次  小義
7.次  大禮
8.次  小禮
9.次  大智
10.次  小智
11.次  大信
12.次  小信 員無定數
13.有  軍尼 一百二十人 猶中國牧宰
14.八十 戸 置一伊尼翼 如今里長也
15.十  伊尼翼 屬一軍尼


 軍尼 - 牧宰
 |
伊尼翼 - 里長
 |
 戸                 こんなかんじかな
301矢部川:2012/02/27(月) 23:24:39.94
ゴミためでくたばった鶴の与太話を信じるようじゃ人間もお仕舞い。
302日本@名無史さん:2012/02/27(月) 23:30:23.24
>>300
で、俀國は9万6千戸
303日本@名無史さん:2012/02/27(月) 23:40:02.00
3世紀の倭では、大国3ヶ国が14万戸
7世紀の倭では、井領で構成する俀國が9万6千戸

304日本@名無史さん:2012/02/28(火) 00:52:56.05
>>284
花弁状住居の数かい? 数え切れんよ。
3世紀当時ならば数万戸はあっただろう。
305日本@名無史さん:2012/02/28(火) 05:40:57.31
>>303
内官 - 外官

俀國は9万6千戸  ←軍尼120

 軍尼 - 牧宰  ←10伊尼翼
 |
伊尼翼 - 里長 ← 80戸
 |
 戸  

80*10*120=96,000戸
306日本@名無史さん:2012/02/28(火) 06:25:32.12
   
糟屋屯倉は、岩井(倭薈)の井領

糟屋屯倉は、福岡平野にあった岩井(倭薈)の飛び地。

北野平野と筑後平野が岩井(倭薈)の主な領地(井領)。

307矢部川:2012/02/28(火) 08:05:34.20
>戸を使って書いているのは中国の歴史書なんだぜ。

購我頭千金、邑万戸
308須磨虎:2012/02/28(火) 08:24:03.11
>>298
いけね。客家だった。ていせい。

>>301
お前自信でくたばらせてからいえ。タコ
俺に潰された三流言説妄信やろうか何かの逆恨み板ストーカーか?
309日本@名無史さん:2012/02/28(火) 10:31:59.31
>>260
>花弁状縦穴に5-10人も住んでいたとは知らんかったわな。
何の話かと思った。普通、竪穴っていうな。一家で五人、十人は
珍しくないぞ。

310須磨虎:2012/02/28(火) 10:40:48.57
>>309
だから痔漏のは、最初から、バカげた、ど素人言説だといってる。
311筑紫次郎:2012/02/28(火) 10:56:57.46
>>309
>普通、竪穴っていうな。一家で五人、十人は
珍しくないぞ。

いつの何処のはなしだ?

>>310
いくら罵倒したところで
脳足りんんの屑と論争するつもりはない。
312日本@名無史さん:2012/02/28(火) 12:00:24.73
宇佐です
313日本@名無史さん:2012/02/28(火) 12:20:32.08
>>309
>普通、竪穴っていうな。一家で五人、十人は珍しくないぞ。

竪穴の中央の穴が便所で、挹婁のことだね。


314卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/28(火) 12:29:14.93
そもそも、あの時代の庶民の住居が竪穴式住居だったという証拠はあるのか?
何の証拠もないのにそんな話をしても仕方がないぞ。
315須磨虎:2012/02/28(火) 14:40:05.78

>>311 痔漏。
>いくら罵倒したところで………
俺の、誰を誹謗も罵倒するでもない「ふつうの投稿」に対して、
何も返答せず、人格誹謗の罵詈雑言を吐いたのはお前のほうだ。証拠を再掲するぞ。

●俺の横投稿
>有屋室父母兄弟臥息異處から1つの家には原則一人で住んでいたことが判る。
>反対する人もいましたが 大勢は 1戸=一人+α で決着しましたよ。
……お前のいい分に無理があるということで決着してる。
>捏造してはいけません。
……一つの家屋に(間仕切りがあって)父母兄弟は寝起きする所を別にするという意味だろ。
これが花弁型住居で、当時としては大型家屋に類する。
「有屋室父母兄弟臥息異處」の解釈をねつ造してるのか、間違ってるのかだ。
>竪穴式住居に幾つの部屋があったのか是非とも教えてほしいものだ。
……花弁型住居も竪穴式住居だ。
>例外的に存在する花弁型住居の事を述べたのじゃないだろ?
……九州の大きい弥生集落にはたいがいある。
しかも、熊本県や、お前が好きな佐賀県からも発見されている。

●これに対するお前の返答
>お前のような脳タリンで誤魔化ししかないアホが論争してもらえるとでも思っているのか?
>正論を述べているのならさぞかし賛同者も多いだろう。(爆笑)
>いくら罵倒したところで 脳足りんの屑と論争するつもりはない。

▼「脳タリンで誤魔化ししかないアホ」がまったくのウソであることは参加者が知ってる。
てめえが最初に罵倒しておいて、ウソで固めた逃げをいう下賎やろう。
たいがいの相手の場合は、勝負がついたと判断したところで放置するが、
お前だけは徹底的に潰す。お前みたいなウソつきの半端野郎が、
いっちょ前づらして邪馬台国を語るだけでも許さん。
掲示板を徘徊するからには・覚悟しておくことだ。
316日本@名無史さん:2012/02/28(火) 15:07:28.56
報道規制とあらゆるランキングの操作、CD等売上の捏造、サクラ動員の証拠画像等はこちら
やっと気付いた「AKBに電通が絡んでる」ではなく「AKBの正体が電通」な件 その118
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1329937920/
ようやく気付いたAKBに民主党が絡んでいる件
317日本@名無史さん:2012/02/28(火) 15:11:48.12
佐賀の花弁状住居は、中央円部が5m、
面積にして、20平方メートル。約12畳

中央に一箇所、周囲に八箇所の柱穴を持つ。

どっちかといえば、小ぶりの竪穴式住居に、
周りの花弁上部分を継ぎ足したという感じやね。
318日本@名無史さん:2012/02/28(火) 15:28:24.47
>たいがいの相手の場合は、勝負がついたと判断したところで放置するが、

翻訳すれば、
>俺がまともに答えることが出来ない場合は放置するが、
319筑紫次郎:2012/02/28(火) 15:39:34.97
>>315 ゴミ鶴
よっぽど遊んでもらいたいらしいが
相手にしてもらえるとでも思っているのか?
何と言おうが
理解能力もない
捏造と誤魔化しだけしかない
お前のような屑とは論争しない。


なお
他のまじめに人の質問にはお答えします。
320日本@名無史さん:2012/02/28(火) 18:36:31.18
>>318
>翻訳すれば、 俺がまともに答えることが出来ない場合は放置するが、
俺がまともに答えることが出来ずに放置した実例でもあるか?
ウソをついてまで誹謗するのはよせ。男のすることじゃない。
俺に矯正されて「黙りこくって引いた」奴の数こそ知れないぜ。
お前もその一人だろう。そして今や逆恨みの伊作攻撃分子になりさがった。
わーらわら
321日本@名無史さん:2012/02/28(火) 18:43:03.85
>>319 筑紫次郎
>よっぽど遊んでもらいたいらしいが
虚勢の逃げ口上だ。去勢したのか?

>相手にしてもらえるとでも思っているのか?
なんの、逃げ口上足れて逃げると予測してた。
反論のしようがないほどに事実としての反証を提示したから。

>理解能力もない 捏造と誤魔化しだけしかない お前のような屑とは論争しない。
それ自体がウソであることは長い経緯の中で見せてきた。
>>315 をみればそのことは誰にでも分かる。
(お前のサクラが誹謗するのを除けばだが)。

たいがいの相手の場合は、勝負がついたと判断したところで放置するが、
お前だけは徹底的に潰す。人間的にも許せないものがある。
322須磨虎:2012/02/28(火) 20:07:58.90
>>319 去勢次郎
事実無根の憎まれ口はいいから、
「1戸は1軒の家のことで、1戸に1人住まい」という文字解釈の面と、
現代でも借り住まいが少なくないのに、「1戸に1人住まい」という、
弥生時代の素敵な住宅事情面の二面から、論理的に説明してみたらどうだ?

「屋室があり・家族は寝起きを別にする」という記録だけを頼りに「屋室」の意味説明もせず、
同時としては大家族が住んでいた大型の竪穴住居の存在を知らず、
竪穴住居といえば小型のものだと思い込み、「竪穴式住居一戸に一人住まい」とした。
こんなていたらくでは、自演じみた「サクラ」ぐらいしか賛同者もいまい。

そういえば、サクラの季節も近い。
323日本@名無史さん:2012/02/28(火) 20:21:29.18
いさくさんいさくさん

「戸」とゆうのは「家」とはちがいますですよね

「家」のほおが「戸」より人数少ないぽいですからね

「戸」のはざっと周囲見回すと「一戸=五名」くらいの平均値が拾えたりしますが

奴婢とかはこの数値に含まれないみたいだってのはあるいみ常識化していますですよね

まああんたは知っているにきまるでしょうけどね
324日本@名無史さん:2012/02/28(火) 21:10:06.01
大多数の竪穴式住居は6畳二間+α程度の大きさだから、
一人か夫婦+乳幼児ってなところ。

さらに、一夫多妻制で、3人から5人の妻(とその子供)
がいるとすれば、その妻と子で一つの竪穴式住居って程度。

それを統べる夫は、食料などを管理するための、
花弁状の物置を持っている場合もある。

が、花弁状住居そのものが、数がすくない。

佐賀の花弁状住居は6畳二間+花弁部分で少し小ぶりだった。
325日本@名無史さん:2012/02/28(火) 21:39:03.15

http://www.miyazaki-archive.jp/maibun/demaekouza/school/2009/1-miyadai_fuzoku_es/fuzoku_es.html

触れたことで、頭でしか分かっていなかったことが確かになるのでよかった。
326須磨虎:2012/02/28(火) 21:42:15.03
>>324
どうだっていい。大きさの問題ではない。
居住形態(家族単位居住)と、居住人数(一人ではない)の問題だ。
327須磨虎:2012/02/28(火) 21:57:59.83
>>323
お前のいう家が1000家の「家」ならば、
軍人・武人・官吏・役人・交易商人などの「非民間人世帯」だろうというのが俺の見解だ。
家こそハコものを指す言葉ではない。
家は、その家の長の占有権が及ぶ、家屋敷地内の人的・物的すべてを包含する。
「家」にも身分などによって大小あるだろうし、
その敷地内には、家人といって使用人なども住んでいる。
使用人といっても、漁労や農作業をするのもいる。まちまちだ。

だから一概に「家」の人数特定はできないというのが自論だ。
328日本@名無史さん:2012/02/28(火) 22:01:57.48
1000家の「家」の件ならばお前のいうの支持してあげるけど

「家」のは馬韓・弁辰の件だからちょっと確かめてきてちょ
329須磨虎:2012/02/28(火) 22:19:56.45
>>328
馬韓・弁辰だけじゃない。
夫余伝に登場する家などはまさに、俺の読み通りだ。

邑落有豪民、名下戸皆為奴僕。
諸加別主四出道、大者主数千家、小者数百家。

「邑落ごとに有力者がいて、おのおの下戸をみな奴僕となす」
「馬加などの地位の者は、別れて都に通じる四道を治める。
大きな(力のある)者は数千家、小さな者で数百家(を領する)」。
330日本@名無史さん:2012/02/28(火) 22:26:55.36
ああ拾えなかったのか ここだよここ

馬韓 「凡五十餘國 大國萬餘家 小國數千家 總十萬餘戸」

弁辰 「合二十四國 大國四五千家 小國六七百家 總四五萬戸」
331日本@名無史さん:2012/02/28(火) 22:28:01.06
>>328
ちょうどいいや。馬韓伝にあるだろう。
「大国万余家、小国数千家、総十余万戸」。
大国は数万家、小国は数千家、全部併せて十万余戸になる。

各国の「勢力」としての軍人・武人などの世帯は「家」で示し、
馬韓全体の世帯数では「十万余戸」と戸数で書いている。

これでも「1戸に一人」という奴がいれば、何をかいわんやだ。
332須磨虎 :2012/02/28(火) 22:30:54.33
↑↑↑ thats all
タッチの差だ。これは俺だ。
なんか、ときどきハンドルが抜ける。
333日本@名無史さん:2012/02/28(火) 22:33:20.13
いさく ごめんな もうすこしまってあげればよかったな。
334須磨虎:2012/02/28(火) 22:38:18.27
>>333
まあいい。同時に書いただけのことだ。
それよりも重要なのは、馬韓の十万余戸と弁辰の四五万戸には、
大国・小国の「家」の世帯数も含まれているということだ。
335日本@名無史さん:2012/02/28(火) 22:39:00.55
>>331
>大国万余家、小国数千家、総十余万戸

ん、?

万余家って、一万数千家のことじゃなかろうか?
万二千余里も、一万二千余里、って意味だよね?

とすると、一万数千家+数千家で、二万家くらいとしよう。

これは、二万家=十万余戸 
つまり、一家≒5戸程度を表しているんじゃなかろうか?

336日本@名無史さん:2012/02/28(火) 22:43:31.04
>>335
さんすうできんふりしなくてもよろし。
337日本@名無史さん:2012/02/28(火) 22:45:55.19
>>335

間違った。
全部で、50余国あるから、
家数が少ない国でもたくさん集まれば、
10万余戸になるかもな。

>335は撤回。
338日本@名無史さん:2012/02/28(火) 22:47:08.82
國の規模は戸数でも家数でもそれぞれ別々に表現できるそれなりのルールが設定されているとゆうこと。

単位あたりの人数の規模は 戸>家
339須磨虎:2012/02/28(火) 22:52:06.34
>>338
実際に見て勘定したわけでもあるまいに、
お前などが一元的には断定できん問題だ。
くだらん投稿をするな。無駄な行為だ
340日本@名無史さん:2012/02/28(火) 22:53:20.77
もっとすなおになればええのに
341日本@名無史さん:2012/02/28(火) 23:00:20.43
>>340
>単位あたりの人数の規模は 戸>家
なんて・すぐに断定的に規定したがる性格こそ直せ。
342日本@名無史さん:2012/02/28(火) 23:08:33.21
馬韓 「凡五十餘國 大國萬餘家 小國數千家 總十萬餘戸」

これのの論理的帰結が 「単位あたりの人数の規模は 戸>家」

誰が読んでも 小國家數>2000家

2000家/國 * 50國 = 100,000家

大國萬餘家が含まれることを勘案してあげると

 「単位あたりの人数の規模は 戸>家」 といわざるを得ないのです

おれのせいじゃないぞ
343筑紫次郎:2012/02/28(火) 23:23:30.17
>>322 ゴミ屑馬鹿鶴
お前とは一度邪馬台国からの引退をかけて論争したことがあったな。
途中で逃亡して1月ほどは現れなかったが
その後又現れたな。
私は絡まないなら放置しようと無視していたら
再度アホな主張で絡んできて逃亡したが負けていないと勝手な論理で
その後お前はことあるごとに私に絡んでくる。
「お前だけは徹底的に潰す。人間的にも許せないものがある。」
と言うお前の台詞はそのままお前に返す。

それほど「許せないものがある」なら
再度邪馬台国論争からの引退をかけて論争しようじゃないか。
絶好の機会だぞ。
全員がきっと興味をもってくれると思うぞ。

ただし 今回は
@逃亡したら負けだ。
A論点をすり替えて逃亡するのを防ぐために論点は一つずつだ。
B質問は交互に行う。
C応えないで話題をすり替えるのを防ぐために質問に応えなかったら負けだ。

どうだ、
天災なんだろ?
私が目障りなんだろ?
私は凡人だが、お前は天才なんだろ?
天災が凡人に負けるはずも無かろう。

承諾するのなら
お前から一つだけ質問しろ。
それが、全て承諾の合図だ。
344日本@名無史さん:2012/02/28(火) 23:24:35.70
高千穂が宮崎にあるから邪馬台国も九州だろうJK
345筑紫次郎:2012/02/28(火) 23:27:55.29
 ゴミ屑馬鹿鶴

お前もお前の駄説も邪馬台国の解明のためには有害無益だ。
346日本@名無史さん:2012/02/29(水) 15:17:24.98
自分だけが不世出の天才で倭人伝を理解している、自説を否定することになる
他説は馬鹿だ○が足りないと見下した態度
あなたと伊作はかわりません
違いは伊作がコテを通してるのに対し、あなたはコテと名無しで人格を使い分
けてるところです
347須磨虎:2012/02/29(水) 17:30:42.26
>>343  虚勢を張る去勢次郎
メンツを保つために、別のテーマで論争しようというわけか。
>お前とは一度邪馬台国からの引退をかけて論争したことがあったな。
どんな内容の論争だったか、書いてみ。
現実は、82ではキチ害以外はお前をまともに相手にする奴はいなかった。
自分で立てたトピックは閑古鳥で、ほどなく潰れてしまった。
82はレベルが違う。まともなロンキャクはお前の学歴と学力のほどを疑ってたたろが。

>途中で逃亡して1月ほどは現れなかったがその後又現れたな。
醜い口論や罵倒合戦になると見た場合に引くことはあるが、
俺は正面議論から逃げたことはない。ウソをつくな。
その経緯があるなら引っ張って再掲しろ。
お前こそ、82から消えたと思ったら、ここで別人を装って駄論を垂れてたじゃないか。

>私は絡まないなら放置しようと無視していたら
お前は、ただ行程解釈だけで邪馬台国を八女にしたいでけのタマだ。
そのほかには、内容のある歴史談義はできない。
その行程解釈も小細工と詭弁で成り立っている。
よほどのバカかサクラ以外はみな無視してたろが。

>その後お前はことあるごとに私に絡んでくる。
82でもそうだったが、傍観していたらバカげたことをいうから潰しにかかったものだ。
今回も同じよ。
つづくし
348須磨虎:2012/02/29(水) 17:31:54.80
●虚勢を張る去勢次郎

>再度邪馬台国論争からの引退をかけて論争しようじゃないか。
>@逃亡したら負け。A論点は一つずつだ。 B質問は交互に行う。C質問に応えなかったら負けだ。
大きく出たが、それが条件ならば簡単に決着がつく。
条件にかんじんなことが抜けているので、これに俺が付け加えよう。
●小細工解釈、まやかし解釈をしない
●論拠のない推測(だろう・じゃないか)はいわない。
●文献や文字の読みや意味の解釈を造作して、この間違った読みや意味を論拠や反論に使わない。

>承諾するのならお前から一つだけ質問しろ。
なーにを偉そーにしてやがる。
いま、お前の「戸」に関する駄論を否定したところだ。
上の条件を守って、これの「けじめ」をつけろ。
弥生の住宅事情、戸に関するさまざまな歴史書記録の事実など、
ここで出た意見にだけでも否定してみせろ。ほれ、Cの応えなかったら負けだ。

>>345
>お前もお前の駄説も邪馬台国の解明のためには有害無益だ。
俺説が自論に都合の悪い奴はボロくそにいうが、
それと実態と本質的価値は別物だ。真の良識にはわかる。
俺とお前では格が違うのだ。やっかみをいうな精神的田舎者が。
349須磨虎:2012/02/29(水) 17:39:00.05
>>346
>あなたはコテと名無しで人格を使い分けてるところです
これは本当かい?
本当ならば、「自演サクラ」をやってたわけだ。

大衆の面前で誰にも分かるウソをならべて俺を誹謗する所などは、
卑しさと汚さが渾然一体となった性根を見せていたが。
こういうのが「邪馬台国」「卑弥呼」だものなー。
350日本@名無史さん:2012/02/29(水) 17:55:41.32
この二人はもっと他にする事が無いのか・・・
どっちが勝ってもただの自己満。
こんなとこで無益な罵倒合戦してる時点で目糞鼻糞。
二人とも居なくなればそれが最良。

>絶好の機会だぞ。
>全員がきっと興味をもってくれると思うぞ。

お前らの言う事にいちいち興味もってる奴はほとんどいないって。
ジカジョーもたいがいにしてくれないか。
351日本@名無史さん:2012/02/29(水) 18:24:23.50
竪穴式住居の構造や大きさ、
吉野ヶ里に見られる弥生の住宅事情を考えると、

竪穴式住居に住めるのは、個人か、夫婦+乳幼児程度の
人数だな。

後世の話になるが、口分田は6歳から割り当てられるんだっけか。
しばらくは親と同居だろうが、10歳とか12歳くらいになれば、
独立かね?
352須磨虎:2012/02/29(水) 18:45:53.61
>>351
じゃかましい。
●『後漢書』や『三国志』がいう戸とは何ぞや。
●倭人伝が「屋室があって家族が寝起きを別にした」というのは「どの規模の住居か」。
●「屋室があって家族が寝起きを別にした」が、
痔漏のいう「1戸に一人ずつ住んでいた」という解釈で正解か否か。
●魏の使節が見た倭人の住居は1戸に一人住まいだったか否か。

本題はこれだ。枝葉は煩雑になるだけだ。的確な投稿をしろ。
353日本@名無史さん:2012/02/29(水) 18:59:02.57
>>352

すでにわかってたら、議論になんかなるか、バカモノ

>●『後漢書』や『三国志』がいう戸とは何ぞや。

wikipedia
古代日本の戸籍における単位→戸 (律令制)。
家。または、家を数える助数詞。

>●倭人伝が「屋室があって家族が寝起きを別にした」というのは「どの規模の住居か」。

大多数は20平方メートルから30平方メートル。一部には大型家屋もあるが、
人口を左右するほど多くはない。

>●「屋室があって家族が寝起きを別にした」が、
>痔漏のいう「1戸に一人ずつ住んでいた」という解釈で正解か否か。

半分正解。夫婦+乳幼児の二名の家もあるだろうから。
花弁状住居の花弁部分もベッドサイズに過ぎない。これは居室には小さすぎる。
寝床がせいぜいである。また、そもそも花弁状住居そのものがあまりない。

>●魏の使節が見た倭人の住居は1戸に一人住まいだったか否か。

知らん。そんな資料があればとうに結着は付いている。
少なくとも、一夫多妻制の世帯全員が通常サイズの竪穴式住居に住むことはありえない。

これについては伊作はどんな資料を提示するつもりなのだ?
354卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/29(水) 19:02:23.08
竪穴式住居なんてものは、邪馬台国の時代の日本の住居ではないよ。
倭人伝にはいかにも原始的な日本人が描かれているが、あんなのは南洋の土人の記録の借用だろう。

もちろん何の根拠もなく、私の想像にすぎないが、3世紀の日本がそんな原始的な国家であるはずがない。
355日本@名無史さん:2012/02/29(水) 19:05:35.97
>>354
竪穴式住居は平安時代まであったそうで、
一部は鎌倉時代まで残ってた地域もあったとか。
356日本@名無史さん:2012/02/29(水) 19:11:38.17
北海道だと竪穴式住居は江戸時代まで続いていたらしいという話もある。
寒さを防ぐためか、他の地方より深く掘られており、北海道の原野で
竪穴の跡が埋まり切れずに残っているそうである。
357日本@名無史さん:2012/02/29(水) 19:41:58.45
>>352
ちょっと直してあげよう

●『漢書』や『後漢書』や『三国志』がいう戸とは何ぞや。
358日本@名無史さん:2012/02/29(水) 19:44:29.58
>>356
ふつうの高床だと寒くて死ぬらしいよ

入植したお侍がいいふりこいて床張りしたら全滅したとか
359日本@名無史さん:2012/02/29(水) 19:47:29.96
中途半端な板張りや土壁よりは、大地そのものを断熱材にしたほうが
温かいんだろうな。
北海道の寒さ、おそるべし。
360日本@名無史さん:2012/02/29(水) 19:50:23.16
>>357 のの答え書いてあげよう

戸とは支配下の領域の規模を表現するのためのツールでございますよ

バーチャルでの支配下の領域でも参考のために表記があったりするけど

そこのは数値は曖昧であることがちょくちょく

直営のところは端数まで把握しているけど

まんどくさいから書く時は余りとか使って書くのね
361日本@名無史さん:2012/02/29(水) 20:14:46.88
こんなかんじね

樂浪郡、武帝元封三年開。莽曰樂鮮。屬幽州。戸六萬二千八百一十二、口四十萬六千七百四十八。
362日本@名無史さん:2012/02/29(水) 20:29:51.38
後漢(25-220)  班固(32-92) 撰   1世紀後半ののデータですよ 

屬幽州
1.  代郡 縣十八  戸五萬六千七百七十一、口二十七萬八千七百五十四
2. 上谷郡 縣十五  戸三萬六千八、口十一萬七千七百六十二
3. 漁陽郡 縣十二  戸六萬八千八百二、口二十六萬四千一百一十六
4.右北平郡 縣十六  戸六萬六千六百八十九、口三十二萬七百八十
5. 遼西郡 縣十四  戸七萬二千六百五十四、口三十五萬二千三百二十五
6. 遼東郡 縣十八  戸五萬五千九百七十二、口二十七萬二千五百三十九
7. 玄菟郡 縣三   戸四萬五千六、口二十二萬一千八百四十五
8. 樂浪郡 縣二十五 戸六萬二千八百一十二、口四十萬六千七百四十八
363日本@名無史さん:2012/02/29(水) 20:38:46.68
所謂前漢の高祖が施行した郡國制から第7代武帝の頃に事実上の郡県制へと移行したその後のシステムののですよ。
364須磨虎:2012/02/29(水) 21:59:10.20
>>357 >>361 >>362
ついでに、『後漢書』郡国志の例も出さんかい。
365卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/29(水) 22:04:35.07
>>362
を見ると玄菟郡も樂浪郡も幽州に属している。
朝鮮は幽州には属していなかったはずだから、
玄菟郡も楽浪郡も朝鮮には無かったことが解る。

したがって帯方郡もまた朝鮮には無かったのである。
366日本@名無史さん:2012/02/29(水) 22:10:01.49
>>364
じぶんでやればばあ
367須磨虎:2012/02/29(水) 22:19:04.90
>>351
>竪穴式住居に住めるのは、個人か、夫婦+乳幼児程度の人数だな。
現場見てきたのか。
現在でも間借り人が腐るほどいるというのに、
弥生時代は一人1戸が普及してたというのか。ボケナス
竪穴住居人は、炉を中心に「ザコ寝」の土間式生活者だぜ。
368須磨虎:2012/02/29(水) 22:24:40.81
>>353
>すでにわかってたら、議論になんかなるか
お前のは、議論の輪に入れるほどのネタじゃない。だから詰問したのだ。
>家。または、家を数える助数詞。
要は「家(戸)」の中の居住形態が一人か家族単位かだ。
俺は後者とみるから「世帯」といってるんだ。夫婦二人だろうが「世帯」だ。常識だ。

●倭人伝が「屋室があって家族が寝起きを別にした」というのは「どの規模の住居か」。
>一部には大型家屋もあるが、人口を左右するほど多くはない。
人口の話じゃない。
「屋室があって家族が寝起きを別にした」と倭人伝が書いたのはは「どの規模の住居か」。
多少の問題ではない。話の主旨ぐらい的確に掴んでこい。

●「屋室があって家族が寝起きを別にした」が、 「1戸に一人ずつ住んでいた」という解釈で正解か否か。
>半分正解。夫婦+乳幼児の二名の家もあるだろうから。
8つも部屋割りのある花弁状住居に「夫婦+乳幼児の二名の家もある」か、バカ野郎。

>花弁状住居の花弁部分もベッドサイズに過ぎない。寝床がせいぜいである。
「寝起き」の話だから寝室の話だろが。クソ野郎
>そもそも花弁状住居そのものがあまりない。
花弁状住居は集落庶民のうてでも有力者の住居だ。多くなくて当然だ。

●魏の使節が見た倭人の住居は1戸に一人住まいだったか否か。
>そんな資料があればとうに結着は付いている。
なのに「1戸に一人」というタコがいるから、どう判断するか詰問してるんだ。

>一夫多妻制の世帯全員が通常サイズの竪穴式住居に住むことはありえない。
倭人伝の居住生活の様子が、「通常サイズの竪穴式住居」という独善的前提によっている。
>これについては伊作はどんな資料を提示するつもりなのだ?
てめえの考え方の支離滅裂を教えてやったから、これを整理して出直せ。
「脳細胞に空き部屋あり」のタコ
369須磨虎:2012/02/29(水) 22:26:24.35
>>366
おれが提示したのをみていないから、
知ったふりして『漢書』のほうほ出してきたんだな。晩期高齢のハナたれ
370日本@名無史さん:2012/02/29(水) 22:33:04.54
>>353
>花弁状住居の花弁部分もベッドサイズに過ぎない。これは居室には小さすぎる。
>寝床がせいぜいである。また、そもそも花弁状住居そのものがあまりない。
花弁状住居の実態を良く知らないようだな。
花弁部分は、大小様々だが、佐賀で見つかったものでも2×1.5というね。
それに、花弁状住居は南九州では定型化していたし、集落全体に行き渡っていた
地域もあるそうだ。
371日本@名無史さん:2012/02/29(水) 22:33:45.74
竪穴式住居については、
当然地域で変化の仕方は変わるだろうし、
場所によってはいつまでも変わらないところもあると思うが、
おおむね中国では、4000年くらい前で、竪穴式住居は終わったらしい。

中国の戸と、日本の戸の概念はだいぶ違いそうだな。
372日本@名無史さん:2012/02/29(水) 22:35:38.52
しらんけど

もし『後漢書』の方いぢったんだったらおまいのセンス疑われるけどいいの?

まさかおまいが『後漢書』の方いぢるようなおばかとはおもえんけどな
373日本@名無史さん:2012/02/29(水) 22:51:24.65
>>368
>倭人伝の居住生活の様子が、「通常サイズの竪穴式住居」という独善的前提によっている。

問題になるのは総人口なんでね。
「特別」な竪穴式住居はいくらかあるだろうが、
それで全体の人数を把握することはできない。

人口を把握するには、最も数の多い住居で推測しなければならない。

まあ、一歩譲って花弁状住居には100人住んでいるとしても良い。
通常サイズの竪穴式住居が圧倒的多数である以上、
全体の人口はいくらも変わらない。

……いや、100人だと、人口変わってしまうかな?(笑)
374須磨虎:2012/02/29(水) 22:53:07.72
>>941
>唯楊儀不假借延、延以爲至忿、有如水火という文章なのよ。
>魏延と楊儀の関係が有如水火なのよ。二人は相容れない仲と言っているのよ。
真に漢文に詳しいのが見たら失笑するぜ。
「唯楊儀不假借延、延以爲至忿、有如水火」のどこに「二人の相容れない仲」をいう語句があるか。
「延以爲至忿(延もって至忿なす)」
二人の仲がどうだっていい。いきさつ上、魏の怒りが頂点に達した。そ
れが「水火のようであった」というのだ。知ったふりしてホラ吹くのはいい加減にしとけ。

>検察は諸国の政治的な動きを監視し取り締まる役目じゃないの?
一大率の職務を皮肉って大ぎょうに書いてるだけだ。
実は大したことをやってはいない。卑弥呼関係の文物のチェックが彼の仕事だ。
さもなければ「倭国大変」で重要な役割りを果たしている。

>文書や荷物の照合、検査などは刺史本来の仕事である監察しかしない刺史の如き者で十分じゃないの?
ほんとにウソばかり並べる野郎だな。
刺史が本来は郡見回りの監視役で、のちには軍政権をもつと「牧」と呼ばれる。
倭国中に、刺史のような怖い役人がいっぱいいたというわけだ。
中国の一州よりも遥かに小さい島国にゴロゴロいて、そのわりには文書の照合をしていたか。わらわら

「文書」の意味を知っていれば、「文書や荷物の照合」とは書かんだろ。
375須磨虎:2012/02/29(水) 22:58:10.43
>>371
>中国の戸と、日本の戸の概念はだいぶ違いそうだな。
で・問題となっているのは「中国人が見た書いた戸の意味」だ。
何を考えて板を見てるんだ?

>>373
>問題になるのは総人口なんでね。
じゃほかをあたれ。
俺の議題は、倭人伝が書いた倭人の居住形態だ。
もう一度いうが、花弁型住居の数や人口の多い少ないではない。

>「特別」な竪穴式住居はいくらかあるだろうが、
>それで全体の人数を把握することはできない。
>人口を把握するには、最も数の多い住居で推測しなければならない。
>まあ、一歩譲って花弁状住居には100人住んでいるとしても良い。
>通常サイズの竪穴式住居が圧倒的多数である以上、
>全体の人口はいくらも変わらない。
>……いや、100人だと、人口変わってしまうかな?(笑)

ながながと、話がそれていることが自覚できたか?
376日本@名無史さん:2012/02/29(水) 22:59:54.58
いさくの反応がない避けているのかな?

いさくは粗雑でどおせ理解できないだろうから書いて置いてあげよお

『後漢書(續漢書)』郡國志五(幽州刺史部) 晉 司馬彪撰

梁 劉昭註のところは年代がさまざまなところの数値掻き集めているから統計史料的な用には向かない
377須磨虎:2012/02/29(水) 23:01:08.03
>>374 ていせい
中国の一州よりも遥かに小さい島国にゴロゴロいて、そのわりには文書の照合をしていたか。わらわら
↓↓
中国の一州よりも遥かに小さい島国にゴロゴロいて、そのわりには文物の照合をしていたか。わらわら

「文書」の意味を知っていれば、「文書や荷物の照合」とは書かんだろ。
↓↓↓
「文物」の意味を知っていれば、「文書や荷物の照合」とは書かんだろ。
378日本@名無史さん:2012/02/29(水) 23:01:21.71
「中国人が見た書いた戸の意味」

「中国人が見た書いた王の意味」

「中国人が見た書いた國の意味」
379須磨虎:2012/02/29(水) 23:03:48.69
>>376
脳細胞が酩酊しちまった
毛抜け・歯抜け末期高齢者のうわごとには
はんのうする価値がない。

寝れ。
380日本@名無史さん:2012/02/29(水) 23:06:18.24
>>375

>>中国の戸と、日本の戸の概念はだいぶ違いそうだな。
>で・問題となっているのは「中国人が見た書いた戸の意味」だ。
>何を考えて板を見てるんだ?

普通に一つの建物が一戸でよかろうもん。

大体、多い集落遺跡なら、数十戸は立ち並ぶだろ。
そのなかで、「世帯」なんてどうやって把握するつもりだね?

だいたい一つの集落なんて、親戚縁者入り交じって、
本人たちだってどこまでが世帯かなんて、把握するのが面倒だぜ。
381日本@名無史さん:2012/02/29(水) 23:11:25.95
そういえば、>>375 さんよ、
世帯を戸と言いはるなら、世帯の定義はどうするね?

親と子の関係は、「世帯」だろうが、祖父母は世帯に入れるのかね?
何親等までが世帯かね?
それとも、「成人」した時点で、世帯から外れるのかね?

成人した時点で世帯から外れるようなら、平均世帯数は「2名+成人前の子供」
ということになるが。
382須磨虎:2012/02/29(水) 23:30:40.04
>>380
>普通に一つの建物が一戸でよかろうもん。
客家の50家族共同の円筒住居も、500世帯の現代のマンションも、
一つの建物だから1戸か。世帯・家族単位で戸というだろが。

>大体、多い集落遺跡なら、数十戸は立ち並ぶだろ。
>そのなかで、「世帯」なんてどうやって把握するつもりだね?
陳腐な詭弁をいうな。
家長制度の厳しい時代だ。古代だけに家族分類・世帯分けは厳格だ。
家族分類のい加減な民族などどこにらあるか。タコ

>だいたい一つの集落なんて、親戚縁者入り交じって、
>本人たちだってどこまでが世帯かなんて、把握するのが面倒だぜ。
陳腐な詭弁の延長。
こんなレベルの投稿を平気でするんだから、己を知らぬ増上慢だな。
383日本@名無史さん:2012/02/29(水) 23:45:53.30
>>374
しょぼいうすっぺらな州刺史の理解だな 

おまいにしてその程度なのか

がっかりしたぞ
384須磨虎:2012/02/29(水) 23:54:51.74
バカなくせに自尊心とメンツだけは一人前。
俺にコケにされた憎しみ・恨みのほうが事実判断を超越して、
とにかく俺の意見に反意を見せる。

それは実は、自分でもバカげた意見と分かる暴論を支持することである。
バカだから、こうした簡単な論理循環に気が回らない。
回ったところで、反伊作の気持ちに支配される。

反意顕示が目的だから、論旨や主旨は二の次。勢い認識不足が目立つ。
これを指摘されてさらにバカにされて蹴散らされる。反伊作がつのる。
毎度おなじみのパターン循環だ。
385伊作に教育的指導:2012/02/29(水) 23:56:08.41
諸郡の軍事の監督

郡守→郡太守→軍事を兼任
郡尉→郡都尉→属国都尉は残る


諸州の軍事の監督

       督軍御史→都督
監察御史→州刺史・都護→州刺史
386伊作に教育的指導:2012/02/29(水) 23:57:01.11
都督(ととく)は、三国時代に現れ、軍政を統轄した。

それまでの諸郡の軍権とは別枠で諸州の軍権が新たに拡充され、都督が諸州諸軍事の長官とされた。

多くは州の長官である刺史を兼ね、都督府を置いて府官を任じた。

刺史を兼ねることによって本来指揮命令系統の存在しないところのごり押し企画が保障されたのですね。
387日本@名無史さん:2012/02/29(水) 23:57:31.39
>>382
>客家の50家族共同の円筒住居も、500世帯の現代のマンションも、
>一つの建物だから1戸か。世帯・家族単位で戸というだろが。

大丈夫だ、そんな特殊な建物は、古代日本には、
俺の知っている限り無いから、ふつうに数えれば良い。

どちらにせよ、建物を数えるのは比較的容易いが、
世帯を数えるのは面倒だ。

この円筒住宅なんかまさにその例で、本人たちが自己申告しない限り、
外の役人や使者では、そう簡単に世帯が把握できないのは
よくわかるだろ?
388日本@名無史さん:2012/02/29(水) 23:58:55.17
ちょっとその話題こっちじゃないw
389日本@名無史さん:2012/03/01(木) 00:03:05.36
そういや、円筒住宅は日本にはないが、
アパート状の洞窟住居があったな。

あれも世帯を把握するのは難しそうだ。
普通に一人一部屋とか使っていそうで。
390日本@名無史さん:2012/03/01(木) 10:49:30.54
河南省や山東省の穴居住居や山西省の窰洞(ヤオトン)が
一戸に相当するのであろう。
ひとつの住居には複数の親族世帯が横穴に分かれて住んでいる。
391須磨虎:2012/03/01(木) 12:21:24.18
>>387
>そんな特殊な建物は、古代日本には、 俺の知っている限り無いから、
タコ。あくまでも「戸」の解釈の話だ。

建物一つに500戸が住むマンションも1戸か。
マンションの個々の世帯を戸と呼ぶのはなんだ? 

漢籍に腐るほど出てくる戸と人口の関係はみたか?
1戸に一人住まいを「戸」と書いているか?

ここをきちんと決着してから、
好きな方向にレベルの低い推測妄想をめぐらせろ。

>>389
>普通に一人一部屋とか使っていそうで。
それで、「1戸に一人住まい」を論証したつもりか? はかない抵抗か?
392須磨虎:2012/03/01(木) 12:23:15.99
>>391
漢籍に腐るほど出てくる戸と人口の関係はみたか?
1戸に一人住まいを「戸」と書いているか?
↓↓↓
漢籍の志にいう「戸」は1戸に一人住まいだったか?
393日本@名無史さん:2012/03/01(木) 13:03:08.90
>>391
>建物一つに500戸が住むマンションも1戸か。
>マンションの個々の世帯を戸と呼ぶのはなんだ? 

まず、そんな特殊な建物が当時の日本にある可能性から検証してもらおうか?

>漢籍に腐るほど出てくる戸と人口の関係はみたか?
>1戸に一人住まいを「戸」と書いているか?

戸数万、口数十万と書かれているわけだが、
平均すれば5人程度。

だが、そのなかに一戸に一人住まいが絶対ないと言えるのか?
これも検証してもらおうか。

竪穴式住居が主流の日本と、竪穴式は無いか少なくなっていると推測される、
中国の住宅状況を一緒くたにするんじゃねえ。バカモノ

394日本@名無史さん:2012/03/01(木) 13:11:15.30
ちょっと言葉足らずだったな

>1戸に一人住まいを「戸」と書いているか?

細かいことは書いてないからわからんが、
一戸一名の家もカウントされてるかもしれんぞ。

そうでないという論拠はあるか?
395日本@名無史さん:2012/03/01(木) 13:29:49.96
>>393
>まず、そんな特殊な建物が当時の日本にある可能性から検証してもらおうか?

戸と言う文字が作られた時点で特殊な建物のことは想定してなかっただろうな。

特殊な建物を例に戸の人数を考えるのは不適当となる。
396須磨虎:2012/03/01(木) 14:32:08.56
>>393
>まず、そんな特殊な建物が当時の日本にある可能性から検証してもらおうか?
もの分かりが悪いな。建物1軒を1戸とするバカ論を思い知らせるための極端なたとえだ。

>戸数万、口数十万と書かれているわけだが、平均すれば5人程度。
なー。中国人がいう「戸」は1戸にひとりじゃないだろ。

>そのなかに一戸に一人住まいが絶対ないと言えるのか?
駄論・愚論。絶対的多数の問題だ・タコ。
この話の最初に一度、この前一度。呉書の華覈伝の文章を紹介したろう。
「いま、官吏・士人の家に子女のないところは少ない。
多くて3〜4人、少ないところでも1〜2人はいる。
一般的に一戸につき一人の女子がいれば、10万家ですなわち10万人になる……」。

>竪穴式住居が主流の日本と
おまえ、ちょいかじりのビギナーだろ。しかも頭も悪そうだ。
あくまでも中国人が書いた「戸」の意味解釈問題だぜ。
しかも、家の様式が問題ではない。1戸の平均域居住形態だ。バカモノ
「いま、官吏・士人の家に子女のないところは少ない。
多くて3〜4人、少ないところでも1〜2人はいる」だ。

>細かいことは書いてないからわからんが、
>一戸一名の家もカウントされてるかもしれんぞ。
絶対的多数の問題だ・タコ。

なんか・別の話題に横チャリしろ・邪魔くさい。
397須磨虎:2012/03/01(木) 14:36:35.84
>>395
まーた煩わしくも・うっとうしいのが現れた。
>戸と言う文字が作られた時点で特殊な建物のことは想定してなかっただろうな。
バカが末梢に食いついたものを、そこに食いつくタコがいるか。なんなんだ?。

>特殊な建物を例に戸の人数を考えるのは不適当となる。
「建物1軒を1戸」として「1戸に一人住まい」とするバカ論を思い知らせるための極端なたとえだ。


じゃまくさい。ボンクラども。
「1戸は建物1軒」で 「1戸に一人住まい」という駄論を支持するか否か。
広い意味の家族単位で住んでいた。戸とはこうした各世帯をいう。を支持するか。
それで、お前たちの知能程度と知識の程度と判断力がわかる。
398須磨虎:2012/03/01(木) 14:45:05.00
くだららねー駄論を図式的に思い浮かべてみろ。

ちんけな竪穴式住居一つに一人ずつ住んでいて、
食事のときは、どこぞに家族が集まって食べ、
寝起きする時はちんけな竪穴式住居に戻る。

これをして、「屋室あり、父母兄弟は寝起きする処を異にする」と書くか?
だいいち、ちんけな一人住まいの竪穴式住居を「屋室」というか。
屋室とは、家屋の中で仕切りをした個別の部屋をいうにのだ。
399須磨虎:2012/03/01(木) 15:02:06.96
現実論でいえば、
一つの家族が複数の住居を所有していることはあり得ただろう。
何度か振れた「戸兵制度」にも顕著なように、
戸数といえば、建物の数ではなく、世帯の数(家族単位の数)だと思うぞ。
400日本@名無史さん:2012/03/01(木) 15:03:45.72
>>396

>>>393
>>まず、そんな特殊な建物が当時の日本にある可能性から検証してもらおうか?
>もの分かりが悪いな。建物1軒を1戸とするバカ論を思い知らせるための極端なたとえだ。

検証不能なのはあきらかだろ。そんなくだらん例えをするのが馬鹿なのだ。
500戸がすむマンションなど当時はありえない。
だから、ひとつの建物が一戸でいいのだ。

なかには2戸が住む大型住居があることは否定できないが、
すくなくとも大幅に人口に影響するほど、多数存在はしない。

>あくまでも中国人が書いた「戸」の意味解釈問題だぜ。

その対象が中国の戸なら問題ないが、竪穴式住居の日本で
どう対応するかの問題だろうが。

その理屈なら、日本の戸と中国の戸が同じであることを説明しなくてはなるまい。
少なくとも俺は、日本と中国は違う住宅形態である、という主張だ。

その根拠は、中国の住居はすでに土壁、板屋根を使った住居であるのに対し、
日本の大部分では竪穴式住居が使われているという事実だ。
そして、竪穴式住居の形態では、居室は花弁状住居で別途サイズのものが認められる程度であり、
その数も少なく、大多数の竪穴式住居では認められないということである。

つまり、大多数の竪穴式住居には別れた居室はないのだ。
まあ、ムシロで分けたりはしとるかもしれんがね。しかし、その根拠はない。
401日本@名無史さん:2012/03/01(木) 17:33:18.25
>>400の言い分の方がまともだ。
402卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/01(木) 18:26:47.46
>その根拠は、中国の住居はすでに土壁、板屋根を使った住居であるのに対し、
>日本の大部分では竪穴式住居が使われているという事実だ。

これが事実だという根拠は?
403日本@名無史さん:2012/03/01(木) 18:28:26.24
須磨虎のプロフィール
1.自分が一番だと思っている。(傍からは自惚れの強さが一番くらいしか分からない)
2.自分は天才だと広言する。(傍からはIQは110くらいにしか見えない)
3.相手の意見は認めない。(自分に賛成する場合だけ認める)
4.相手をタコ呼ばわりする。(自分もタコであることを忘れている)
5.相手に謝罪を要求する。(自分は謝罪しない)
404日本@名無史さん:2012/03/01(木) 18:50:21.62
                 おまえはタコだ
    サッ ミ _______ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄
      ∧__||// ∧__∧  |  ∧__∧
     (・ω・||/<_#`Д´>  | <    >←伊作
     ( ⊃|| (    )  | (    )
     し―-J ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  u―u'
405日本@名無史さん:2012/03/01(木) 19:12:26.85
倭地は温暖で冬でも生菜を食う。
そのような暖地では、倭人は寒さに耐える為の竪穴式住居に
必ずしも住まなければならないことはない。

倭人の一部の大人は立派な竪穴式住居に住んでも、
大多数の下戸は掘っ立て小屋住まいだ。

藁や葦で作られた小さな掘っ立て小屋に下戸は住んでいたのだ。
大人であっても戸主は竪穴式住居に住んでも、
多くの妻やその他の身内は、竪穴式住居の周りの数軒の小さな掘立小屋に住んでいたのだ。
下戸でも複数の掘っ立て小屋に分かれて住んでいたのだ。

戸の構成員
戸主、妻、子、母親、亡父の妻、独立できていない兄弟姉妹、
兄弟の妻、兄弟の子

亡父や亡兄弟の妻も戸主の妻となる例が見られる。(神武紀等)
大人が四五婦の妻を持つのは社会的な一種の共済制度と思われる。

406日本@名無史さん:2012/03/01(木) 19:38:20.15
古代中国の戸籍制度を見ると、
基本的に戸は同じ家に住む同居人を含む。
家は一族を指す。家長は戸主を統率する。
戸の構成員を戸口と呼ぶ。

という定義のようである。

ざっと読んだだけなので、間違っている可能性もあるし、
時代によって変わる可能性もあるので、確認をお願いしたい。

中国の家は大きく作れるから、一族が同じ建物に住めば、
戸主と家長が同じということもあるだろう。
場合によっては数十人が同じ戸に住むことになるだろう。

この定義をそのまま日本に持って行って良いのか
というのが、今回の問題である。

また、この定義をそのまま使えば、前に出た円筒住居は一戸と数えられている
可能性がある。
中国の戸籍制度では、書かれた戸の下に、小男2、小女3、
など細かく記録されている。つまり人口を戸から推測する必要がないので、
戸はそのまま建物の数として数えても、なんの不都合もないのである。
407日本@名無史さん:2012/03/01(木) 19:40:31.71
修正

基本的に戸は同じ家に住む同居人を含む。

基本的に戸は同じ建物に住む同居人を含む。
408日本@名無史さん:2012/03/01(木) 19:56:32.65
中国の戸籍では、戸は同居する建物を単位とした、
記録するためのインデックスに過ぎない。

実際の人口戸籍ではその下に、男女、年齢、続柄が詳しく記載されており、
一戸が世帯でなければならないとか、何人でなければならない
といった規則はないのである。
409日本@名無史さん:2012/03/01(木) 20:00:46.14
戸籍が建物を単位とするのは、おそらく
税を取る際の住所、領地、に縛られるせいだと考える。

更に、奴隷も戸籍に収まっている例があるようである。
410卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/01(木) 20:01:34.25
私はそんなことに興味はないからどうでもいいが、

で、結局、戸と家がどう違うのか、さっぱり分らんぞw


411日本@名無史さん:2012/03/01(木) 20:05:15.16
>410
>基本的に戸は同じ建物に住む同居人を含む。
>家は一族を指す。
412卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/01(木) 21:03:19.04
>>411
もし戸と家に明確な区別があるなら、

○○国 戸△△ 家××

と書くだろう。しかしそうは書かれていないところを見ると、
戸も家も同じ意味で、ただ単に文章の単調さを避けるために、
適当に書き分けているのだと思われるが。
413須磨虎:2012/03/01(木) 21:15:31.35
>>400
このバカ。バカであることを思い知ることを知らんらしい。

>そんな特殊な建物が当時の日本にある可能性から検証してもらおうか?
建物1軒を1戸とするバカ論を思い知らせるための極端なたとえだ。

>検証不能なのはあきらかだろ。そんなくだらん例えをするのが馬鹿なのだ。
日本にある可能性だの検証だへっくれだの問題ではない。たとえて言ったのだ。

>500戸がすむマンションなど当時はありえない。だから、ひとつの建物が一戸でいいのだ。
たとえと現実の区別がついてない。そうとうなバカだな。

「あくまでも中国人が書いた「戸」の意味解釈問題だぜ」。
この意味が分かっていないから、こういうバカなことをいう。
>その対象が中国の戸なら問題ないが、竪穴式住居の日本でどう対応するかの問題だろうが。
建物の規模や形状など問題ではない。
中国人の戸に対する概念で「戸」と「戸数」を書いたのだ。(たぶんこの意味も理解できんだろう)。

>その理屈なら、日本の戸と中国の戸が同じであることを説明しなくてはなるまい。
バカ連ちゃん。

>少なくとも俺は、日本と中国は違う住宅形態である、という主張だ。
住宅の形状・構造・材料・規模は違うだろう。だから戸は居住形態に重きを置いた表現だといってる。

>大多数の竪穴式住居には別れた居室はないのだ。
間仕切り屋室がある花弁型住居は、集落の有力者クラスの住居だろうといってきたろう。
魏の使節たちが、1戸に一人住まいの住居について書いているのではないことは確かだから、
こうした大型住居について言及しているのではないのか? な

あまりにも稚拙で陳腐につき対応を打ち切る。勝手にビギナー発想を垂れろ。
414日本@名無史さん:2012/03/01(木) 21:29:37.97
>中国人の戸に対する概念で「戸」と「戸数」を書いたのだ

それにつきる。
415須磨虎:2012/03/01(木) 21:54:10.47
痔郎の「自演名無し」があることも想定内でザコ料理。

>>401
>400の言い分の方がまともだ。
そら・お前の平衡感覚がまともじゃないということだ。

>>403
>自分が一番だと思っている。
陽の当たらない便所の落書きみたいなここでは一番だ。

>自分は天才だと広言する。
お前たちに比べれば天才だ。俺が並みだといったら、俺より遥かに落ちるお前たちは何だということになる?

>相手の意見は認めない。
俺が認めるようなレベルの意見や所見を投稿しろ。できずにわがままをいうな。

>相手をタコ呼ばわりする。
俺が蹴散らしてる奴らのデキをみれ。実際タコだもの。どうしょもない。

>相手に謝罪を要求する。
不当な暴言や無礼な態度や、事実誤認・認識不足・誤解による横車を指摘されて、
謝罪した奴は一人もいないな。自己顕示欲と自惚れと安いメンツにこだわる外道ばかり。
416須磨虎:2012/03/01(木) 21:54:50.71
ザコ料理のつづき
>>405  
倭人の身分の高い者は掘っ立て柱の高床式住居に住んでも、
大多数の下戸は竹柱にむしろ壁の小屋住まいだ。
(環濠集落はいわば高級住宅地で、この手の住居は環濠集落の外にあったし痕跡が残らない)

>>406
>古代中国の戸籍制度を見ると、基本的に戸は同じ家に住む同居人を含む。
>場合によっては数十人が同じ戸に住むことになるだろう
倭国でも同じだろう。身分の高い者の家には奴婢や使用人もいる。

>この定義をそのまま日本に持って行って良いのかというのが、今回の問題である。
そうした概念で「戸」を使っていると、口を酸っぱくしていっているのだが。

>この定義をそのまま使えば、前に出た円筒住居は一戸と数えられている可能性がある。
1軒・1棟だろう。たとえば50の家族(世帯)がいれば50戸。

>中国の戸籍制度では、書かれた戸の下に、小男2、小女3など細かく記録されている。
戸ごとの居住者または家族の内訳だな。

>人口を戸から推測する必要がないので、 戸はそのまま建物の数として数えても………
ちょっと意味不明の飛躍的勝手論だな。戸ごとに人口はまちまち。戸数と人口は別物だ。
戸ごとに人数を「推測」ではなく勘定する。これで、「1戸(1軒)に一人」なんてのがふっ飛んだな。
417須磨虎:2012/03/01(木) 21:56:02.32
ザコ料理のつづき
>>408
>中国の戸籍では、戸は同居する建物を単位とした、
言葉たらずか意味不明。

>一戸が世帯でなければならないとか、
「戸とは居住集団単位の用語(最も一般的なのが家族単位)」
これを俺は世帯単位といっている。
微妙だが日本語の使い方の間違いか、俺の主張に対す何覧式不足・誤解があるぞ。

>何人でなければならないといった規則はないのである。
誰か、そんなバカげたことをいってたか。ああ痔漏のタコがいたな。

>>409
>>戸籍が建物を単位とするのは、おそらく
詐欺師みたいに決定したようにいうな。

>>410
>で、結局、戸と家がどう違うのか、さっぱり分らんぞw
それに対する意見はとっくに提示した。提示したのは俺だけだが。
再度提示しろといわれたら、そういう態度の要求は断固拒絶する。

>>412
>戸も家も同じ意味で、ただ単に文章の単調さを避けるために、
夫余伝、馬韓伝などの実例を提示したろう。
「大国は数千家、小国は数百家を有する。全部でナニ万戸」
家と戸は「中身(居住する人種か何か)」が明らかに違うのだ。
必然的につくりも異なる所があろう。
418須磨虎:2012/03/01(木) 22:03:38.96
詐欺はみたいな発言。特別に矯正しとこ。

>>409
>>戸籍が建物を単位とするのは、おそらく
戸籍こそ、戸主(世帯主)・家長などをトップとした世帯単位・家族単位ではないのか?
同じ建物に住む他人(居候客・使用人や下僕)まで戸籍には入れんだろ。
419日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:05:12.45
戸でも家でもどおでもええが子女の所属がきになる
420日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:21:10.41
>>相手の意見は認めない。
>俺が認めるようなレベルの意見や所見を投稿しろ。できずにわがままをいうな。

伊作先生 ドン来いスレからですが、担々麺さんのこの意見をどう思いますか。ご高説をお聞かせ下さい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
990 :担々麺:2012/03/01(木) 15:12:52.80
>>973 :須磨虎:2012/03/01(木) 12:07:17.90
>●解釈詐欺暴き・つづき
>魏延伝の「水火」は「洪水や火事のように勢いが激しい怒り」としての用法だ。

あなた言うとおり「水火」には4つの意味あるよ。
「衆怒如水火 」と「衆怒如水火焉」の「水火」は「洪水や火事のように勢いが激しい怒り」としての用法あるね。
しかしながらね、魏延伝の「水火」は
「延、既善養士卒、勇猛過人、又性矜高、當時皆避下之。唯楊儀不假借延、延以爲至忿、有如水火。」の文章で意味考える必要あるよ。
あなた言うように「魏延が洪水や火事のように激しく怒った」では文章の意味あるか?
「魏延が洪水や火事のように激しく怒った」からどうしたあるか?怒って何かしたあるか?
何か或る事件があって魏延が激しく怒ったというエピソードではないあるよ。
「魏延は善く兵士を訓練し、他の人以上に勇猛で、誇り高いから皆は彼を敬遠していた。でも楊儀だけは魏延に假借しなかった。そのため魏延は怒りを抱き
楊儀と特に仲悪くなった」との意味あるね。たからこの「水火」は比喻根本对立的事物あるね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
421日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:21:12.64
中国語に強くないので、誤読がある可能性もあるが、
残った戸籍をみるかぎり、祖父や祖母、叔父のほかに、
血縁関係ではなさそうな人間も、戸の中の戸口として
記録されている。
また、専門家の解釈を見るかぎりでは、
奴隷も頭数に入っているそうである。

つまり、戸が示すのは、戸と呼ばれる建物であると同時に、
戸に同居する同居人を指している。

それが1名であっても100名であっても、戸は戸なのである。
戸に人数の概念はないのである。

戸数万、口数十万、という記録があるが、
これは建物が数万個、人口が数十万人いるということを
そのまま表しているのに過ぎない。

倭人伝での5万戸や7万戸は、そのまま住居の戸数に過ぎない。

一つの竪穴式住居では、個人か、核家族が住む程度の大きさであることは
以前に述べたが、この定義で行けば、戸数に対する人口は夫婦二名+子供
程度になるだろう。

また、一夫多妻制であれば、一戸あたり妻一名+子供が居住することになり、
2倍程度に収まるだろう。
422日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:29:40.27
最終的な趣旨としては、

戸数と人口は別物なのである。

そして、倭人伝には戸数しか書かれていない。
5万戸、あるいは7万戸の住居があるということしかわからない。

各戸に何人いるかは、日本の住居と、
生活形態から推測するしか無いのである。

一般的な竪穴式住居の広さである、6畳二間+αでは、
核家族がせいぜいであり、一夫多妻制を取る場合、
全員が同居するのは難しい。複数の妻がそれぞれ子を
持っているはずだからである。

一夫多妻制の場合は、食料を管理する家長の一戸、
そして、それぞれの妻たちが、子と共に生活する戸を
持つことになると推測する。

それに似たような生活形態はアフリカや東南アジアに
存在するようである。
423卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/01(木) 22:30:10.23
東夷伝を読むと、次のような傾向があると思う。

1 国全体については、すべて、戸○○と書かれている。
2 国の中の△△国については××家と書かれている。
  ただし国の中の大国については○○戸と書かれている場合もある。
3 倭人伝はバラバラで規則性はないが、大体において大国は○○戸と書かれている。

要するに数の大小に応じて戸と家を書き分けている傾向がある。
424須磨虎:2012/03/01(木) 22:30:40.72
>>420
>担々麺さんのこの意見をどう思いますか。ご高説をお聞かせ下さい。
ウソつき病の演技オタクの >>990 に対する返答は、
ドンと来いの新しく立ったスレッドの>>6に提示した。

425日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:31:44.27
妻はあちらこちらに散らばって生息しているであろうとするのがふつう
426日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:32:20.22
>>421
妥当な見解だと思う。邪馬台国の戸数七万だと人口は15〜30万程度ですかね。
427日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:33:56.05
男系で相続しているように書いてあるのじたいがある種フィクション
428須磨虎:2012/03/01(木) 22:33:58.63
>>420
ついでに、ローガンに対する返答。
ドンと来いの新しいスレッドの >>14>>15もみれ。
429日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:37:28.96
夫壻とか無しでも子は生めちゃう

父親は不要とゆうか、いないほうがこうごうしくてよろしい。
430日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:43:39.83
卑弥呼は國中のよかおなごを選別して拉致して手元においてはべらせている

そこらへんに残されたのは不細工な娘ばかりだ

ここらへんが國中のひとが卑弥呼に逆らえない理由のひとつではないかとおもわれる。
431須磨虎:2012/03/01(木) 22:44:37.42
>>421
戸は建物のことだという意見なんだな。

ビギナー相手に難しいことをいっても無理だろうが、
じゃ曹操が安定的兵力供給を目的として導入した「兵戸制」するか。
これは、男子は兵役に、女子は後方支援にと、家族ぐるみで兵役・軍事にたずさわるという制度で、
専門的に代々兵役・軍事にたずさわることで、税も軽減された。
ここでいう戸は建物単位か?
432須磨虎:2012/03/01(木) 22:47:30.80
>>421
もっと視野を広く、思考深度を深く。周到な論考を経てかかれ。
世の中、何ごとにも上には上がいらっしゃるものだ。
僅かばかりの経験則で増上慢になるな。
433日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:50:27.05
いさくのがましだな
434日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:56:25.83
兵舎かもしれないからね。人口はわからない
435日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:58:03.90
元々の戸籍制度は、収税の単位であると同時に、
民衆をその場所に固定する狙いがある。
これは、収税単位である戸が、離散跳散することを
防ぐ意味がある。
この戸のなかで、人間が離散した場合、戸主のみならず、
戸口全員が罰せられる制度になっていたそうである。

いまでも、中国では都市戸籍と農村戸籍が存在し、
農村戸籍は農民を固定するのが目的で、
住所を変えることは許されていない。

436日本@名無史さん:2012/03/01(木) 22:59:30.20
樹木の上に巣造りして住んでいたひととかもいたかもしれんがそおゆうのは残りにくい。
437須磨虎:2012/03/01(木) 23:02:43.70
>>435
ほーら。建物の数が問題ではないということだ。
どだい「戸主」なんて言葉の意味は、建物の主ではないのだ。
438日本@名無史さん:2012/03/01(木) 23:08:01.57
一つの建物の同居人の主だな。
439日本@名無史さん:2012/03/01(木) 23:12:39.49
>>438
頑迷な。
一つの世帯に複数の建物をもつのも普通にいたろう。
倉庫や家畜や使用人の建物も建物だ。タコ
(倭国の3世紀には牛馬はいなかったらしいが)
440日本@名無史さん:2012/03/01(木) 23:15:13.13
一つの建物に住む同居人で、戸。
その中の構成員である戸口の人数で、
人頭税が課せられる。

やがて子は成長してでていくと、戸から離れ、
新たな戸をつくるか、別の戸に入る。

その戸同士の一族の繋がりを表すのが家。
441日本@名無史さん:2012/03/01(木) 23:18:22.77
中国の場合は戸籍制度があるから戸と人口の両方記載できるのでしょうね
そこから1戸当たりの平均の人数(世帯+使用人)が割り出せますね
倭国にも租賦があるので労働人口は把握していたでしょうが、人口全体はわからなかったのでしょう
倭人伝の戸数は倭人からの聞き取りによる情報を元にしているでしょうが
人口とは無関係の住居の数をそのまま記載しているならば、
倭国の規模を大きくイメージさせる意図があるということになりますね
実態に近い規模を記載するならば、聞き取り情報から計算したおおまかな人口を
中国人の戸に対する概念で戸数で表現しているでしょう
442日本@名無史さん:2012/03/01(木) 23:19:28.23
>>439

そりゃ、納屋や離れくらい作ってもいいとは思うがね。
戸の構成員が共同で使っていれば同居扱いだろ。

年代が下るうちに言葉の定義も変わっていくだろうが、
あくまでも戸の定義は同じ建物に同居だぜ。
443日本@名無史さん:2012/03/01(木) 23:27:37.36
そういや、戸籍の話を読んでると所有権の話がやたらとでてくるんだ。
戸主が全ての所有権を持っているのはもちろんだが、
相応の割合の所有権を持つ妻や子、所有権を持たない使用人など。

そういう意味では、所有権をもつ建物や家財道具一式を一戸としたほうが
定義としては正しいかもね。
444日本@名無史さん:2012/03/01(木) 23:56:11.27
所有権…
誰か言ってたな
445日本@名無史さん:2012/03/02(金) 00:03:33.60
所有権あったのは女。
446日本@名無史さん:2012/03/02(金) 00:03:56.10
たしかに庄屋みたいなものだと、建物一件では済まない。
戸主が所有権を持つ土地家屋を、共同で使う共同生活者を戸と呼ぶ、
という定義でいいかもしれない。
447日本@名無史さん:2012/03/02(金) 00:12:23.21
土地所有制があったのですか?3世紀の日本に
448日本@名無史さん:2012/03/02(金) 00:16:12.75
「戸主」は建物の主ではない。
「戸籍」は建物の登録文書ではない。

●戸主=一家の主人。家長。
戸主は家の統率者。家は、戸主と家族から構成される。
(※家=同じ家屋に居住する人々又は血縁関係を基礎とする集団のこと。
または、共通の先祖から引き継がれてきた血縁集団の結合体)。

●戸籍=戸と呼ばれる家族集団単位で、国民を登録する目的で作成される公文書。
現代日本語ではあるが、「戸と呼ばれる家族集団単位」とある。
449日本@名無史さん:2012/03/02(金) 00:17:30.17
ふつうのひとには外来語の「戸」なんて生活には無縁であったにちがいないわ
450日本@名無史さん:2012/03/02(金) 00:19:58.54
ふつうのひとには外来語の「國」なんて生活には無縁であったにちがいないわ
451日本@名無史さん:2012/03/02(金) 00:23:24.62
酋長さんのひとたちは半ばねいてぃぶのだから

「戸」とか「國」とか「邦」とか使い分けできる漢字使いじゃろて
452日本@名無史さん:2012/03/02(金) 00:28:43.95
>>448

古代中国の戸籍制度では、
家長は血縁関係の長で、親戚一族の長を示す。

戸主は各戸の長を示す。
血縁関係のある各戸の戸主を統率するのが家長。

という定義みたいですね。

当時の日本でそんな定義が共通認識であったかどうかは
わかりませんが。
453日本@名無史さん:2012/03/02(金) 00:28:51.25
酋長さんのひとたちはおつきあいとか開始してからに

3世代もたてばみんな御親戚になってしまうじゃろて
454日本@名無史さん:2012/03/02(金) 00:32:01.60
むこはんが通っていって夫婦が成立するのが

のちのちまでの列島西半分のありかただから

ありきたりな家父長的な妄想とかしても無駄じゃに
455日本@名無史さん:2012/03/02(金) 00:39:36.37
耆老 又言有「一國亦在海中 純女無男」

ちゃんと「女の園」即「女王國」の予告みたいのが記載されておるわな
456日本@名無史さん:2012/03/02(金) 00:50:15.95
>>455
そこいっぱい大事なこと書いてあるね
457日本@名無史さん:2012/03/02(金) 01:07:45.28
宇佐だってば。あそこに行くと何か感じるもの
458日本@名無史さん:2012/03/02(金) 01:14:06.33
確かに宇佐のミス卑彌呼はかわいかったなぁ…
459歴史の旅人:2012/03/02(金) 09:57:44.32
理解するのは、なかなか骨がおれるのですが、どうも邪馬台国は出雲にあったようです。
http://kodai21-s.sakura.ne.jp/
460日本@名無史さん:2012/03/02(金) 19:00:38.55
>>459
>理解するのは、なかなか骨がおれるのですが、

骨が折れちゃったりしたら大変だから
無理に理解しない方がいいよ。

末盧国から伊都国、奴国、不弥国、投馬国をすぎたら
次にあるのが邪馬台国だから
邪馬台国が出雲の可能性は無い。
出雲は方角も距離も違う。

後世に残る遺跡と言う点では
出雲にあったのは邪馬台国よりももっと立派な国。
461日本@名無史さん:2012/03/02(金) 23:08:08.01
宇佐なのに。あんたたち頭固すぎ。

あそこは出雲や伊勢と同じオーラがある。
462卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/03(土) 09:28:05.00
>>461
べつに日本のどこに最も宗教的オーラがあるか、という問題ではないと思うが。
463日本@名無史さん:2012/03/03(土) 09:52:26.63
宇佐八幡の社殿の下に埋まってある石棺開けてもらいたいよな。
卑弥呼の鬼道と宇佐の神託、共通点あるんだよな。
464日本@名無史さん:2012/03/04(日) 23:38:39.47
>>400
ということは、倭人伝の記載を信用する限り、南九州しか邪馬台国の可能性はないってことになるな。
465日本@名無史さん:2012/03/05(月) 00:39:03.47
南九州は倭地ではない。
もしも倭地なら狗奴国。
466日本@名無史さん:2012/03/05(月) 00:44:44.04
倭地でない? 初期古墳がいっぱいあるのにそれは無理。
狗奴国は種子島あたりだろう。とにかく、狗奴国は小国。問題外だね。
467日本@名無史さん:2012/03/05(月) 01:08:19.38
南九州問題外
468日本@名無史さん:2012/03/05(月) 06:46:00.26
>南九州問題外
理由は何かな? 合理的な理由があるならば結構だが、記紀がクマソを描いている
ことからの先入観かならば単なる思い込みだ。

469日本@名無史さん:2012/03/05(月) 13:25:05.59
>>468
可能性は高い。客観的に見れば、北部九州よりも高いかもしれない。
470卑弥呼の都は久留米:2012/03/05(月) 18:54:07.79
   
南九州と東九州は周旋五千餘里の倭地ではない。

周旋可五千餘里の倭地は有明海沿岸以北。
倭地の範囲を広げても菊池川流域の狗奴國以北が倭地。
471日本@名無史さん:2012/03/05(月) 22:05:31.19
>周旋可五千餘里の倭地は有明海沿岸以北。
それでは五千里にならない。五千里といえば四百キロ、九州全体でなければだめだ。

そもそも、倭人は山島に依りて国邑をなすと書かれている。九州島全体が倭地なんだよ。
472日本@名無史さん:2012/03/05(月) 22:09:33.88
九州山地の南と東を外したら何キロくらいになるかね?
473日本@名無史さん:2012/03/05(月) 22:52:07.60

反日ネット工作員
朝日新聞社→社員約300人
民主党とその取り巻きの資金が入った反日工作会社→数社約450人

朝日新聞の社員は捕まった49歳の編集者を含め新聞記事を書く合間に2chを荒らしている程度とみられているが
民主党が用意した反日工作会社は朝8時過ぎから25時半まで工作を行っている
工作範囲は民主党が予め工作費を流している2ch、ニコニコ動画を中心にyoutube、個人のブログなどである。
474卑弥呼の都は久留米:2012/03/05(月) 23:37:42.05
>>471
>>周旋可五千餘里の倭地は有明海沿岸以北。
>それでは五千里にならない。五千里といえば四百キロ、九州全体でなければだめだ。

⑴ 倭地の北端が狗邪韓國沿岸の海域とする場合。
  狗邪韓國沿岸から南へ5000餘里は女王國。
  女王國は筑紫平野の有明海沿岸部。

⑵ 倭地の北端が對海國とする場合。
  狗邪韓國から女王國まで5000餘里。 
  狗邪韓國から對海國まで1000里。
  對海國から不彌國(女王國)まで4000餘里。
  不彌國(女王國)から南へ1000里が倭地の南端
  不彌國は吉野ヶ里であるから、南へ1000里(70〜75km)は、
  緑川流域(熊本平野南部)となります。

「倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連」
⑴は海域も含めて倭地の範囲とする考え方の場合。
⑵は陸域のみを倭地の範囲とする考え方の場合。
475日本@名無史さん:2012/03/06(火) 00:02:54.32
周旋の始まりは狗邪韓国や対馬国ではない。九州島の大きさを言っているわけで、
末盧国からぐるりと巡っていく距離を言っている。
末盧国から南下し九州東南端までの距離だ。それがおよそ四百キロだということ。
476卑弥呼の都は久留米:2012/03/06(火) 00:23:47.97
>>475
>周旋の始まりは狗邪韓国や対馬国ではない。九州島の大きさを言っているわけで、

「洲島之上、或絶或連」
点々と並ぶ島々全部を倭地だと書いてある。
九州島及び対馬も含む周辺の島々(洲島)が倭地であると書いてあるのです。
477日本@名無史さん:2012/03/06(火) 00:34:35.73
>点々と並ぶ島々全部を倭地だと書いてある。
ちがうね。州島というのは、大陸、すなわち大きな島のことだ。周辺の小さな島々
のことを問題にしているわけではない。或絶或連は九州島の西側を南下したときに
そのような情景だったというだけのこと。
あなたの考え方では、倭地とあるのに対馬国から一支国、一支国から末盧国など海
の部分を足していることになる。それでは、陸域のみを倭地の範囲とする考え方と
は言えない。
478卑弥呼の都は久留米:2012/03/06(火) 00:42:35.98
>>475
巨済島は見乃梁海峡で半島本土と隔てられているので、
巨済島も洲島之上の倭地と考えることができる。前記⑴の考え方。
479日本@名無史さん:2012/03/06(火) 00:57:23.89
女王国以北の倭の国については、道里戸数が書かれているはずだったな。
巨済島については何も書かれていない。倭地ではないね。
480日本@名無史さん:2012/03/06(火) 02:32:57.55
ぶっちゃけ、
邪馬台国がどこにあったかは知らないけど、
日本の神が国政の中心を
富士だったり九州だったり
時代によって変えてるんだけどね。
481日本@名無史さん:2012/03/06(火) 02:35:52.49
文学部にいかず
経済学部に進んだおれは大馬鹿です。
一番面白くてやりたいことがやれる学部、文学部。
482日本@名無史さん:2012/03/06(火) 02:51:36.36
文学部なんかに行くとこのスレの連中みたいな馬鹿になるぞw
483日本@名無史さん:2012/03/06(火) 03:02:12.82
卑弥呼の正体ってみんなご存じなのかな。
中国の文書に卑しいと書かれたのはなぜかと疑ってみると
いいと思うな。
484日本@名無史さん:2012/03/06(火) 03:04:48.38
何を今ごろもそもそ言ってるんだ?おまえさん文学部?(爆)
485日本@名無史さん:2012/03/06(火) 03:08:39.35
ウィキってみたら
卑弥呼の正体と魏誌の年代が丸かぶりじゃないか。
まず古事記と日本書紀から読もうよ、みんな。
486日本@名無史さん:2012/03/06(火) 03:24:16.51
日本書紀には卑弥呼のことは書いてない。
487日本@名無史さん:2012/03/06(火) 03:25:27.12
古事記にも卑弥呼のことは書いてない。
488日本@名無史さん:2012/03/06(火) 03:28:15.02
>>486,487

まったくだよね。
489日本@名無史さん:2012/03/06(火) 03:31:20.72
鬼道をよくしって、神道をよくしってことかね。
中国だと、鬼神っていう言葉論語とかで使うしね。
490日本@名無史さん:2012/03/06(火) 07:41:07.48
畿内の古墳から出てくる銅鏡に卑弥呼が使いを送った景初三年と記されているからね。
偶然ではありえないよ。しかも、もし国産だとしても畿内には漢字が流入していたわけで。
491日本@名無史さん:2012/03/06(火) 08:02:46.55
今時畿内だとか景初三年銅鏡とか古すぎ。
畿内学者のゴッドハンドは知れ渡っており、騙されるのは一部の馬鹿だけ。
492卑弥呼の都は久留米:2012/03/06(火) 13:30:26.42
>>479
>女王国以北の倭の国については、道里戸数が書かれているはずだったな。
>巨済島については何も書かれていない。倭地ではないね。

其餘傍國には道里戸数が書かれていない。
巨済島が其餘傍國でないと証明されていない。
巨済島が其餘傍國である確率はゼロでない。
493卑弥呼の都は久留米:2012/03/06(火) 14:02:06.66
>>477
>州島というのは、大陸、すなわち大きな島のことだ。

あなたは誤解している。
まともな辞書で「州」を調べなさい。

州は大きな島や國。州は二千五百家(論語)

州の第一義
しま(島)水中に居るべきところ、洲に通ず。
494日本@名無史さん:2012/03/06(火) 14:04:21.21
>>486 >>487
それは、記紀が卑弥呼のいた時代をカバーしていないということだろうか。
それとも、記紀が卑弥呼のいた場所をカバーしていないということだろうか。
495日本@名無史さん:2012/03/06(火) 15:14:45.62
別勢力
496卑弥呼の都は久留米:2012/03/06(火) 15:57:34.91
卑弥呼は、記紀が記述忌避した勢力であるから。
497日本@名無史さん:2012/03/06(火) 16:26:47.80
周施ってグルッと一周って意味なの?
498日本@名無史さん:2012/03/06(火) 17:23:48.42
周旋五千里、
松浦から邪馬台国までが二千里位なので、
行って帰って、ちょっと寄り道する程度
499日本@名無史さん:2012/03/06(火) 17:25:55.04
つーか、万二千「余」里なんで、
片道二千余里だと、余の部分の距離によっては、
寄り道できないかもしれない。
単純に行って帰っただけかも。
500卑弥呼の都は久留米:2012/03/06(火) 18:08:09.47
>>497
>>498
「周旋」は片道
周旋五千餘里は、
狗邪韓國から女王國まで、
又は、
對海國から狗奴國まで。

グルッと一周は「周匝」しゅうそう

「周旋可五千餘里」≒「周匝可万餘里」
501担々麺:2012/03/06(火) 22:30:11.66
◎ 周旋 zhōuxuán
(1) [socialize]∶打交道;应酬
周旋于达官显贵之间
(2) [contend with]∶相机进退,与对手追逐较量
若不获命,其左执鞭弭,右属橐鞭,以与君周旋。――《左传·僖公二十三年》
在山区与日本侵略者周旋
(3) [circle]∶盘旋;旋转
跨蹑地络,周旋天网。――唐· 李白《大鹏赋》

周旋五千里の周旋は上記[(3)circle];盘旋;旋转の意味ね。
倭国は周囲長五千里ね。
502日本@名無史さん:2012/03/06(火) 22:43:34.09
>>501

自分には読めないから意味不明なんだけど、
単純に邪馬台国に行く途中で、国内を回った。(訪問した?)

という意味はないかな?
503担々麺:2012/03/06(火) 22:54:47.25
周旋五千餘里

倭国を円とすると半径八百餘里。里を周の里とすると半径約65km。
九州を南北に二分すると北の半分だけね。
504日本@名無史さん:2012/03/06(火) 23:20:44.35
>>492
>巨済島が其餘傍國でないと証明されていない。
>巨済島が其餘傍國である確率はゼロでない。
其餘の意味がまったく分かっていないな。女王国以北ではないところという意味だ。
女王国は万二千里。巨済島がそれより北にあることは明らかだ。
倭の国ならば、例外なく戸数道里が書かれていなければならないんだよ。

505日本@名無史さん:2012/03/06(火) 23:23:17.51
>>州島というのは、大陸、すなわち大きな島のことだ。
>あなたは誤解している。
>まともな辞書で「州」を調べなさい。
>州は大きな島や國。
同じじゃないか?
506卑弥呼の都は久留米:2012/03/07(水) 02:53:22.28
>>505
>>州島というのは、大陸、すなわち大きな島のことだ。
>州は大きな島や國。

州島というのは、大きな島や小さな島のことだ。
507卑弥呼の都は久留米:2012/03/07(水) 03:19:09.45
>>504
>其餘の意味がまったく分かっていないな。女王国以北ではないところという意味だ。

其餘旁國は、女王國以北にある戸數道里可得略載國を除く傍らの国。
其餘旁國は、女王國以北にある。
巨済島も女王國以北に含まれる。
508鈍なことゆうな:2012/03/07(水) 03:25:57.98
【州】   行政区画

【洲島】  在河之洲, 島

【洲】 本作「州」, 後人加水以別【州縣】字

州, 郡, 國, 縣, 邑 すべて行政区画
509卑弥呼の都は久留米:2012/03/07(水) 03:32:06.86
>>503

周旋五千餘里

倭国を円とすると半周5千餘里。1里を70mとすると直径約220km。
九州本島を南北に二分すると対馬からの北の半分だけね。
510日本@名無史さん:2012/03/07(水) 06:57:21.84
倭国を円とすると半周5千餘里。これはいいが、倭の領域ではなく、倭の地だから
海まで入れることはまちがい。
周旋五千里というのは、末盧国から九州東南端まで巡って行った距離だよ。
九州の大きさを示した重要な情報だ。

>周旋五千餘里は、狗邪韓國から女王國まで、又は、對海國から狗奴國まで。
変な読み方をするから、訳が分からんことになるんだよ。
狗邪韓国から女王国までは単なる引き算ですぐ五千里とでてくる。わざわざ
周旋五千里などと書く必要はないさ。


511日本@名無史さん:2012/03/07(水) 07:19:56.21
>其餘旁國は、女王國以北にある戸數道里可得略載國を除く傍らの国。
女王國以北戸數道里可得略載國と明記されているのに、そこに略載できない
国もあったというのでは、何のために女王國以北と書いたのか、意味をなさ
ないね。
512日本@名無史さん:2012/03/07(水) 09:10:35.78
>>509,510
担々麺引用の辞書によると「周施」は一周って意味らしいが、半周って意味もあるの?
513日本@名無史さん:2012/03/07(水) 09:38:26.68
>>507
其餘旁国は遠絶なんだよ
514須磨虎:2012/03/07(水) 09:42:28.15
>>512 ホラ吹きのホラを信じるな。
●正統派の正当的検証による正論

周旋の意味については、最も妥当な判断材料として『三国志』魏書に登場する用例がある。
・明帝紀に使われている周旋は「天体・五行の運行や循環」。
・曹仁、曹真、崔琰、郭嘉 、董昭、任峻、鄭渾、杜襲の各伝は「征討して回る」「軍事行動による転戦」。
・管輅伝の場合は、「常に馬車に同乗して巡る」と「万物の巡る変化」。
以上の用例から判断すると、周旋は巡る・回ると解釈して間違いない。
 
一方の參問とは、浙江大学は「訪ね問う」という注釈をつけている。
『倭人伝』のいう參問は、聞き取り調査を含む意味の倭地訪問調査といった程度の古語だろう。
まさに「訪ね問う」である。
わが国では禅の世界に參問という用語がある。これは、修行僧などが禅師のところへ出向いて
「質問する・問答をする・教えを乞う」といった意味で使われる。
『倭人伝』のいう參問は、その記録の性格や前後関係から見わたして、
訪問調査と翻訳にするのが最も妥当だと判断する。

つづく
515須磨虎:2012/03/07(水) 09:42:48.32
つづき
●倭地の周囲だという解釈りのウソ。

韓伝の方4000余里は、三韓の面積を4000余里四方で表現しているが、
これでいけば三韓の外周距離は1万6000余里になる。
これと比較すると、倭国の外周距離5000余里は狭すぎる。
仮に5000余里が倭地の外周距離だとすれば、倭地の面積は方1250余里になる。
これが九州半分にしたところでサイズが違いすぎる。

なお、この文章は倭地の沿革、倭地までの行程説明と各国の概要、その余の傍国、狗奴国の存在、
倭地風土記(刺青の習俗、そのルーツ仮説、服飾、農産物、生物、軍備、気候風土、寝食習慣、
葬喪儀礼、持衰、産物と天然資源、卜骨占い、寿命・婚姻制度)、法制・罰則、税制・経済、
出入国管理、民間人の対応・態度、女王誕生の経緯、来訪当時の卑弥呼の周辺状況、
女王国の周辺立地などなど、「倭地見聞調査記録」の結びとして書かれている。
この中の周旋5000余里を、里程計算や女王国の領域計算に取り込んではならない。

これが正統派の正論だ。
516須磨虎:2012/03/07(水) 09:48:58.51
●正統派の翻訳

「(倭地は)大陸から途絶えた海中洲島の上にあって、大小の島々からなっており、
訪問調査で周り巡ったのは五千余里ばかりである」。

倭国を訪問調査した魏の役人たちが「回り巡ったのは5000余里ほどである」というのだから、
目的地までの片道距離を述べているのではない。
あくまでも巡り回った距離が5000余里である。
単純計算でいえば、末盧国から邪馬台国までの往復4000里と、
対馬と壱岐のわずかな内陸踏査距離を含めると、
調査のために巡り回ったのは1000里弱になる。

倭人伝の諸国紹介記録からみても・そんなもんだろ。
517須磨虎:2012/03/07(水) 10:01:12.16
●正統派の矯正

>>506   久留米 これは迂闊だったな。お前らしいや。
>州島というのは、大陸、すなわち大きな島のことだ。
>州は大きな島や國。
この両者は決定的なミスいを犯している。

お前はそれに気づかずそのまま受けている。
>州島というのは、大きな島や小さな島のことだ。

これに対して、>>508が的確な指摘をしている。
【州】行政区画
【洲島】在河之洲, 島

現代でも「中洲」という言葉がある。中洲の意味ぐらい分かるだろ。
洲と島を端的に区別すれば、
洲は河川がもたらす土砂が積もってできた平らな島。
島は海中の山でなる陸地。これを「山島」とも表現している。

要は、倭地は洲と山島でなるというわけだ。
518卑弥呼の都は久留米:2012/03/07(水) 11:01:11.29
>>510
>倭の領域ではなく、倭の地だから海まで入れることはまちがい。

島と島の間の海も距離に含まれる。

「倭地 絶在海中 洲島之上 或絶或連」
倭地は、はるか海のなか、大小の島々の上にあり、
それらは、孤島であったり連なっていたりしている。

倭地の五千餘里には島と島の間の海の部分の距離も含まれる。


>狗邪韓国から女王国までは単なる引き算ですぐ五千里とでてくる。わざわざ
>周旋五千里などと書く必要はないさ。

だから⑵に示したように、周旋五千餘里は對海國は狗奴國までの距離との見方ができる。
519日本@名無史さん:2012/03/07(水) 11:25:09.88
邪馬台国って阿蘇付近じゃないのかな?
古代神宮があったらしいけど。
山島っていうのも、阿蘇山と雲仙天草あたりで、ばっちり当たってる。
悪神が雲仙に集まってるって言うのも付記しとく。
520大訂正!:2012/03/07(水) 12:02:20.35
「地合方四千餘里」とは田畑の総面積を記述したもので、
「方四千餘里」とは『方一里』の四千個に相当する面積です。
「方一里」は「三項七十五畝」です。
『一畝』は『廣15歩、従十六歩』の方形の面積です。
『百畝』をもって『一項』です。

一歩=六尺、一尺≒24cmで三項七十五畝を平方キロに換算すると
三項七十五畝≒0.184112平方キロ。

方一里(一里=1800尺、一尺≒24cm)の面積は
1800尺×24cm÷100000の二乗で
、方一里は、約0.186624平方キロ。
方四千余里は、0.186625×4000=746.5平方キロ

方可四千里の可は差し渡しです。
正方形、長方形であろうとその最も長い二点間の差し渡しと解釈してよいでしょう。
周旋可五千餘里は、倭地を回り、廻りその最も長い二点間の差し渡し距離でよいでしょう。


 「又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至」

「船行一年可至」も差し渡し距離です。

521日本@名無史さん:2012/03/07(水) 12:06:30.78
>>516
なるほど
その訳だとしっくり来るな
大体遠絶不可得詳な地域があるのに周囲長が分かる筈もない
522日本@名無史さん:2012/03/07(水) 12:10:08.78
なんか単に九州説でいいんじゃないかと思ってしまった。
鹿児島博多間って何キロあるんだっけ。
それか四国とかかな。
523日本@名無史さん:2012/03/07(水) 12:59:02.17
基本的に九州山地以西だろう。
524日本@名無史さん:2012/03/07(水) 13:04:05.72
邪馬台国台湾説とかあったらおもしれーなあ。
いままでの学説が大混乱しそうで。
525卑弥呼の都は久留米:2012/03/07(水) 14:17:15.12
   
「又有州胡在馬韓之西海中大島上」

大きな島に住んでいる胡人だから、州胡。

「州」には、大きな島、國の意味があることを示している。

水辺にある「州」を限定して「洲」とする。
「州⇔洲」の関係は「度⇔渡」の関係と同じ。
526大訂正!:2012/03/07(水) 14:33:05.48
>>525 名前:卑弥呼の都は久留米

勝負有り。
須磨虎の勝ち。

州:

水中可居曰州,周遶其㫄,从重川。昔堯遭洪水,民居水中高土,或曰九州。
《詩》曰:“在河之州。”一曰州,疇也。各疇其土而生之。
527日本@名無史さん:2012/03/07(水) 14:41:42.92
自演乙。
528大訂正!:2012/03/07(水) 14:52:35.76
>>520 名前:大訂正!

を読めば「自演乙」。
でないことがわかるだろう。

529日本@名無史さん:2012/03/07(水) 15:25:01.20
まぢもおどでいばらないときのいさくさんてすてき
530日本@名無史さん:2012/03/07(水) 15:29:28.52
中島の占い師に聞けや 
卑弥呼の生まれ変わりなんだとよ
531大訂正!:2012/03/07(水) 15:31:07.97
「又有州胡在馬韓之西海中大島上」、

「州胡」を 胡人の島とはいさくちゃんは解釈しないだろう。

「州胡」「州胡」「州胡」。。。。。。。
532日本@名無史さん:2012/03/07(水) 15:34:51.41
>>531

>>508 

【洲】 本作「州」, 後人加水以別【州縣】字

古い用法のが「州胡」

「九洲」のは反則
533大訂正!:2012/03/07(水) 15:37:08.80

胡:如老狼有胡  胡,壽也。

壽:久也。

胡人ねーーー。面白い翻訳だ。
534須磨虎:2012/03/07(水) 16:47:47.35
毎度毎度、本論で潰れると枝葉に逃げる。

本来は、「洲島」の意味解釈だ。
それがトチ狂って「州」の話になったから指摘されたのに、
今度は「州胡」だ「胡」だの話になってしまう。
(洲も州も同じだといいたいんだろうが、
どっちにも「大きな」という意味などない。
学も知識も無いクソたれが、勝手に意味をつくるな)

バカが議論すると、いつもこのていたらくだ。
535須磨虎:2012/03/07(水) 17:00:45.35
念のために申し添える。

俺が値切って買った漢和辞典には、洲を「新表記では州に置き換える」とある。
新表記とはいつからのことか知らんが、
『三国志』が洲と洲を使い分けている事実からは、この解説は該当しない。
従って、倭人伝中の洲島の解釈に限定していえば、
洲と州には同じ意味があるなどという逃げは通用しない。

一つ一つ、きちっとケリをつけてから、枝葉に移れ。
536卑弥呼の都は久留米:2012/03/07(水) 17:02:11.48
>>531
「州胡」は 胡人の州(島・国)

州胡の風俗は胡人に似ている
「言語不與韓同 皆髠頭如鮮卑 但衣韋 好養牛及豬 其衣有上無下 略如裸勢」

ちなみに、州胡は徳積島(徳積群島)。
現在でも中国への中国からの道に位置づけされる島
537須磨虎:2012/03/07(水) 17:07:00.82
>>536
一つ一つ、きちっとケリをつけてから、枝葉に移れ。
本題は「洲」の意味解釈だったはずだ。
538卑弥呼の都は久留米:2012/03/07(水) 17:30:49.87

ぐたぐた書きまくるワケワカメ。

用例がたくさん載った辞書でも読んで勉強しろ。
539担々麺:2012/03/07(水) 18:56:00.27
女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。
又有裸國、黒齒國復在其東南、船行一年可至。
參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里。

女王国の東、海を渡って千餘里にある国の人は倭種だけれど倭地でないね。
倭国の本体の地を倭地と言っているね。對海国と一大国は含まないね。

參は檢驗,用其他有關材料來研究,考證某事物の意味で〜看、〜閱、〜檢のように使われるね。
問はinquire(尋ねる、調査する)の意味ね。
「倭地について倭人に尋ねたところを檢驗すると絶在海中洲島之上、或絶或連で、周囲は約五千里である」ね。
540麺刺禰:2012/03/07(水) 19:55:30.00
聘問也。 小聘曰問。 時聘曰問。

訪問:聘問(古代指代表国家訪問友邦)。
541てへっ:2012/03/07(水) 20:02:58.66
「問」 聘問也。 小聘曰問。 時聘曰問。

「聘」 聘, 問也。 訪問:聘問(古代指代表国家訪問友邦)。
542須磨虎:2012/03/07(水) 20:26:11.19
>>538 久留米
お前もまた、潔くないカスであると、自ら公言したわけだ。

何年2ちゃんに巣食ってきたのかは知らんが、
たいがい、いいたいことはいったろう。
俺みたいなのが登場するとは夢にも思わなかったろうな。もう消えろ
543須磨虎:2012/03/07(水) 20:27:55.53
>>539 担々麺
臭い演技は嫌な性格の証拠だ。てめえも消えろ
544日本@名無史さん:2012/03/07(水) 20:39:59.06
てめえが消えろ。
545日本@名無史さん:2012/03/07(水) 20:43:24.26
土佐は人長三四尺の猿の国
546須磨虎:2012/03/07(水) 20:48:22.67
>>544
ウソつき・ホラ吹き・詐欺師
とんでも垂れ・妄想オタク・妄信オタクがいなくなったら、
俺の出番も自ずとなくなる。それだけのことだ。
547日本@名無史さん:2012/03/07(水) 20:49:49.33
>>514 :須磨虎
周旋の用例として下記のものもあります。
《列子·汤问》:“其山高下周旋三万里,其顶平处九千里。”
《三国志·吴志·诸葛恪传》:“众议咸以 丹阳 地势险阻,与 吴郡 、 会稽 、 新都 、 鄱阳 四郡邻接,周旋数千里,山谷万重。”
これらの例では周旋は周囲の意味ですね。

參問は問を考証することでしょう。問とは(倭人に)問う(て得られた知見)のことでしょう。
參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里。の主語は魏使でしょうか?
「參問するに、倭地は海中の洲島之上に(大陸から)離れて存在し、或は絶え或は連なり、周囲は五千餘里ほどである。」
と読むのが良いと思われます。

この文章は須磨虎さんが言われるように「倭地見聞調査記録」の結びとして書かれていますが、書かれている内容は倭地の
全体像であって、「訪問調査で周り巡ったのは五千余里ばかりである」という魏使の調査状況報告ではないでしょう。
548日本@名無史さん:2012/03/07(水) 20:52:19.84
>「訪問調査で周り巡ったのは五千余里ばかりである」という魏使の調査状況報告ではないでしょう。

同意。
549日本@名無史さん:2012/03/07(水) 20:55:13.53
>>525
>「又有州胡在馬韓之西海中大島上」

州胡=済州島が馬韓の西だとすると倭人伝の方位も修正したほうがいいでしょうか?
550卑弥呼の都は久留米:2012/03/07(水) 21:03:11.09
>>542
>俺みたいなのが登場するとは夢にも思わなかったろうな。

爺封で鼻摘まみ者だった頃から知っていますよ。
551卑弥呼の都は久留米:2012/03/07(水) 21:11:46.00
>>549
>州胡=済州島が馬韓の西だとすると倭人伝の方位も修正したほうがいいでしょうか?

州胡=徳積島だから、州胡は馬韓の真西となり方向の修正の必要はありません。

州胡=済州島とする従来説は誤りです。
552日本@名無史さん:2012/03/07(水) 21:17:04.82
>>518
>だから⑵に示したように、周旋五千餘里は對海國は狗奴國までの距離との見方ができる。
なるほど。(1)の見方は捨てるわけだ。しかし、對海國から狗奴國というのは恣意的だな。
使者が狗奴国を訪ねていないことは明白だ。その狗奴国を入れるからには、九州最南端まで、
いやその南の屋久島、種子島まで入れなければ筋が通らない。
どうみても、距離が合わないね。

553日本@名無史さん:2012/03/07(水) 21:39:12.74
>>551
徳積島ってそんなに大きな島には見えないですし、半島から近いあの島だけ身体、言語、風俗が韓と異なるというのは理解しがたいんですが
その説は久留米さん独自の説ですか?
554須磨虎:2012/03/07(水) 22:15:11.04
>>547
ホラ吹き演技オタクの別ハンだろ。
>周旋の用例として下記のものもあります。
周旋の用例として往復もあれば片道もある。周回もある。
それを『三国志』から拾って概略を紹介した。俺は限定的にいったわけじゃない。
何かにつけて、知ったふりのいい『 』したがる外道だな。
その中で、倭人伝のいう周旋をどう解釈するかの問題だろ。
周旋の意味を特定の意味に固定した固めのが木で来だはないぞ。タコ野郎

>參問は……
俺が提示した意味と、てめえが知ったふりして並べた意味と、
どんだけの違いがあるというえのだ。クソ野郎

>書かれている内容は倭地の全体像であって、
日本語大丈夫あるか?  あたま・大丈夫あるか?
「倭地の全体像」を述べた結びとして、
「訪問調査で周り巡ったのは五千余里ばかりである」といってるのだ。

性懲りもなく、バカ頭でこさえた我流解釈を吹きまくるが、
てめえの学力程度も学歴のほどもお里が知れてるんだ。もう来るな

>>548
>同意。
得意の自演か。じゃ・どん意味だというんだ。
結論だけじゃなく、そこにたどりつくまでの経緯つきで説明してみろ。
555須磨虎:2012/03/07(水) 22:17:59.90
周旋の意味を特定の意味に固定した固めのが木で来だはないぞ。タコ野郎
↓↓↓
周旋の意味を特定の意味に固定する話でははないぞ。タコ野郎
55622jp:2012/03/07(水) 22:18:53.90
中日貿易偽物 コピー專門店22jp.com
http://www.22jp.com
557須磨虎:2012/03/07(水) 22:25:57.11
>>550 久留米
>爺封で鼻摘まみ者だった頃から知っていますよ。

そうか。82でも俺の存在を知っていたわけだ。
で・とめえは何というハンドルで出てたんだ?
名乗る度胸などないとは思うがよ。

「鼻摘まみ者」てか。
掲示板浄化に孤軍奮闘。後ろめたい奴はみな毛嫌いするさ。当然だ
俺の努力で健常者が大人しくなった今じや、キチ害が幅を聞かす便所みたいなもんだ。

ウソをついて誹謗して見せたところで、
俺に一目置く証人が何人もいるんだぜ。姑息もの
558日本@名無史さん:2012/03/07(水) 22:28:27.59
>>550  久留米
古田亜流・古田パクリはともかく、伊作パクリには気をつけろ。
俺は、俺に敵対した奴の俺説のパクリも引用も認めない。

潰す
559日本@名無史さん:2012/03/07(水) 22:43:07.24
>>553
州胡は、現在の大韓民国の済州島の古名である。
三国時代に、州胡が馬韓の西の海上にある大きな島として記される。
他に該当する島はないため、これが済州島と考えられる。wiki

個人妄想を断定的にいうウソつきのいうことだ。軽く無視するよおに。
560須磨虎 :2012/03/07(水) 22:45:07.87
>>558 >>559 は天才の投稿。
ハンドルが勝手に消えた。
俺は名なしでは投稿しない人だから。
561日本@名無史さん:2012/03/07(水) 22:45:42.06
伊作が入ると、風紀が悪くなるな
562日本@名無史さん:2012/03/07(水) 22:53:45.86
>>554 :須磨虎
>>547 の解釈の方が正しいと思うよ。
だいたい「訪問調査で周り巡ったのは五千余里ばかりである」という魏使の調査状況報告を陳寿が書く訳がない。
倭人伝は魏使の倭国旅行記ではないのだから。
563日本@名無史さん:2012/03/07(水) 22:59:15.84
周旋の解釈。須磨虎説ではうろうろした軌跡というに過ぎない。わざわざ書く意味に乏しい。
それに、須磨虎説は万二千里で邪馬台国へ到達したことを前提にしている。しかし、北九州
から水行十日陸行一月の長旅をしているんだ。これをごまかしては駄目。
倭地を訪ねた使者、しかも北九州からそれだけの長旅をした者が九州島の大きさを報告しない
わけはない。周旋五千里はその大きさを示す数字。となれば、上陸地点である末盧国から
九州東南端までの半周に決まりだろう。一里八十メートルで約四百キロ、丁度ぴったりだ。
もともと、学者は、最初は素直に九州の大きさを示したものと解釈していたんだよ。
ところが、北九州説なんぞを主張する輩がでて、南九州までは行っていない、九州の大きさを
言ったとみると辻褄が合わないってことで無理な解釈を主張するようになったんだ。
564日本@名無史さん:2012/03/07(水) 23:04:52.24
>だいたい「訪問調査で周り巡ったのは五千余里ばかりである」という魏使の調査状況報告を陳寿が書く訳がない。


そうだな。
その方が説得力がある。
565547:2012/03/07(水) 23:29:20.54
>>554 :須磨虎
>>547
>ホラ吹き演技オタクの別ハンだろ。
何を言っているのですかこの人は。変な勘ぐりをする癖があるようですが、一度診察してもらったらいかがですか。

>周旋の用例として往復もあれば片道もある。周回もある。
>それを『三国志』から拾って概略を紹介した。俺は限定的にいったわけじゃない。
>何かにつけて、知ったふりのいい『 』したがる外道だな。
>その中で、倭人伝のいう周旋をどう解釈するかの問題だろ。
>周旋の意味を特定の意味に固定した固めのが木で来だはないぞ。タコ野郎
倭人伝の周旋は「周囲(長)」がぴったりです。「周り巡る」ではありません。

>>參問は……
>俺が提示した意味と、てめえが知ったふりして並べた意味と、
>どんだけの違いがあるというえのだ。クソ野郎
大いに違います。參問は「訪問して調査する」ではなく「問うて得た知識を考証すること」です。

>>書かれている内容は倭地の全体像であって、
>日本語大丈夫あるか?  あたま・大丈夫あるか?
>「倭地の全体像」を述べた結びとして、
>「訪問調査で周り巡ったのは五千余里ばかりである」といってるのだ。
「訪問調査で周り巡ったのは五千余里ばかりである」では倭地の大きさがわかりません。
周囲五千餘里と広さが示されてこそ全体像になるのです。
566日本@名無史さん:2012/03/07(水) 23:45:14.06
>>565
>周囲五千餘里と広さが示されてこそ全体像になるのです。

周囲と広さとは違うと思うのですが、「三国志」で周旋で広さを表している
用例を教えていただけませんか?
567日本@名無史さん:2012/03/07(水) 23:45:52.13
>>539 :担々麺
>倭国の本体の地を倭地と言っているね。對海国と一大国は含まないね。

「周旋五千餘里に對海国と一大国は含まれない」に同意。
理由は「既に對海国は方可四百里、一大国は方可三百里と書かれているから」。
568須磨虎:2012/03/07(水) 23:50:37.23
●近視眼的思考深度と思考視野しかない単細胞001
畿内説の名古屋のハナたれか?

>>562
>「訪問調査で周り巡ったのは五千余里ばかりである」
という魏使の調査状況報告を陳寿が書く訳がない。
それはお前の勝手な解釈。俺の解釈ほど説得力も論拠もない。

>563
>北九州 から水行十日陸行一月の長旅をしているんだ。
「バカづらさげた続け読みでは」という枕言葉が抜けてるぞ。

>九州島の大きさを報告しないわけはない。
>上陸地点である末盧国から九州東南端までの半周に決まりだろう。
女王国以北は遠絶で調査できなかったといってるが。
「九州東南端」て、女王国の南の狗奴国や隼人の土地まで行ったてか。タコ

>>564
で・どっちが筋の通った話になってるか?
569須磨虎:2012/03/07(水) 23:51:00.67

●近視眼的思考深度と思考視野しかない単細胞002
>>565
>何を言っているのですかこの人は。
やはり名古屋のハナたれか。

>倭人伝の周旋は「周囲(長)」がぴったりです。
だから、三韓の周囲16000余里と面積を図で比較してみろ。タコ

>參問は「訪問して調査する」ではなく「問うて得た知識を考証すること」です。
ほれ。またぞろ、我流解釈をくっつける。悪いクセが出てるぞ。
參問のどこに、「知識を」「考証する」になんて意味があるかホラやろう。

>「訪問調査で周り巡ったのは五千余里ばかりである」では倭地の大きさがわかりません。
30国のうち9国しか見ていない使節に倭地の大きさが「里程」で分かるはずがなかろう。
近視眼的思考深度と思考視野しかない単細胞が。

>周囲五千餘里と広さが示されてこそ全体像になるのです。
隈なく見て回ったわけでもないから、里程知らずの倭人から里程でも聞いたというのか?
570日本@名無史さん:2012/03/07(水) 23:52:16.20
周旋五千里、
鹿児島まで連続400キロでも、
ぐるっと回って400キロでも、

大体、万二千余里の、
二千余里部分で、熊本南部にくるな。
571須磨虎:2012/03/07(水) 23:53:25.28
>>566
>「三国志」で周旋で広さを表している用例を教えていただけませんか?
広さどころか、外周の意味に使っている用例もない。
572日本@名無史さん:2012/03/07(水) 23:54:51.65
まっすぐ五千里なら、鹿児島までで、
九州島の大きさを示したもの。

ぐるっと回って五千里なら、
肥前肥後の肥国全域を示したものとなる。

どっちでも、それなりに何かを表してはいる。
573日本@名無史さん:2012/03/07(水) 23:56:48.89
島々って、単純に瀬戸内海のことなんじゃないの?
574547:2012/03/07(水) 23:57:28.21
>>566
《三国志·吴志·诸葛恪传》:“众议咸以 丹阳 地势险阻,与 吴郡 、 会稽 、 新都 、 鄱阳 四郡邻接,周旋数千里,山谷万重。
という周旋の用例があり、これは周囲(長)の意味で使われています。
おっしゃるように、周囲長さと広さは違うものです。
私は面積が出せる場合には方可二千里などのように方を使ったが、はっきりと面積が出せない場合に広さの代りに周囲長さ
の周旋を使ったと推定しています。
575卑弥呼の都は久留米:2012/03/08(木) 00:05:39.09
>>552
レス忘れた

>對海國から狗奴國というのは恣意的だな。
>使者が狗奴国を訪ねていないことは明白だ。

⑴は、狗邪韓國から女王國までの五千餘里が「周旋可五千餘里」としている。
⑵は、狗邪韓國−千餘里=對海國から、女王國+千餘里=狗奴國までの五千餘里が「周旋可五千餘里」としている。

狗奴國は女王國の入り口から南へ千餘里にあると言っているのだ。
これは何も恣意的なことでない。

狗奴國と女王國の紛争地について書こう。
帯方郡から末盧國まで水行十日だ。
末盧國から邪馬壹國の紛争地までは陸行一月(千餘里)になる。
紛争地は女王國の入り口(不彌國)の南方四百餘里にある。
(不彌國〜伊都國〜不彌國=五百里+百里=六百里)
一方、末盧國から投馬國の紛争地までは水行十日である。帯方郡から水行二十日

女王國と狗奴國の紛争地は八女と瀬高と推定する。
紛争地の南方六百里(=千餘里−四百餘里)が狗奴國となる。
狗奴國は狗古智卑狗の居る菊池と推定する。
576日本@名無史さん:2012/03/08(木) 00:11:28.75
うーんワケわからん
577日本@名無史さん:2012/03/08(木) 00:21:34.77
>で・どっちが筋の通った話になってるか?

>>562がまともだろう
578卑弥呼の都は久留米:2012/03/08(木) 00:27:55.81
>>572
>まっすぐ五千里なら、鹿児島までで、
>九州島の大きさを示したもの。

「周旋可五千餘里」は、
女王國の入り口(不彌國=吉野ヶ里)の
南方千餘里(>>575参照)(70km)となり、
熊本平野から対馬の範囲までとなる。

579日本@名無史さん:2012/03/08(木) 00:28:34.80
>「九州東南端」て、女王国の南の狗奴国や隼人の土地まで行ったてか。タコ
広志には屋久島のことが書かれているようだな。薩摩半島の南まで行ったんだろう。

>倭人伝の周旋は「周囲(長)」がぴったりです。
周囲と一周するという意味かな? 一周ではないな。それなら周匝と書くはずだ。

>狗奴國は女王國の入り口から南へ千餘里にあると言っているのだ。
倭地の大きさを言う以上、狗奴国までの距離では中途半端だ。倭地の端までを言わ
なければいけない。


580日本@名無史さん:2012/03/08(木) 00:28:45.35
俺は伊作ちゃんに一票
581日本@名無史さん:2012/03/08(木) 00:37:35.15
倭地の面積や外周であれば旁國の道里も全てわかっていたということですね
582日本@名無史さん:2012/03/08(木) 00:43:57.20
>>580
ド民?
583卑弥呼の都は久留米:2012/03/08(木) 00:47:04.66
>>579
>倭地の大きさを言う以上、狗奴国までの距離では中途半端だ。倭地の端までを言わ
>なければいけない。

狗奴國が倭地の南の端ですよ。
狗奴國の南に何かあるとは書かれていませんから。
584日本@名無史さん:2012/03/08(木) 00:53:48.77
>>581
つまり面積や外周ではないという事になりますな
585日本@名無史さん:2012/03/08(木) 00:54:18.59
ヤマ大国が九州だとすると、
吉野ヶ里になるの?
志賀の島から大量の国宝級が見つかったって書いてあるけど。
586日本@名無史さん:2012/03/08(木) 01:03:13.01
>>581
そうはならないよ。
587日本@名無史さん:2012/03/08(木) 01:05:09.86
>狗奴國が倭地の南の端ですよ。
狗奴国をどこに比定しているのかな? 周旋五千里ではとうてい足りない
はずだが。
588須磨虎:2012/03/08(木) 01:06:55.52
>>574
>という周旋の用例があり、これは周囲(長)の意味で使われています。
またはじまった。原文を提示しただけでは分かるまい。
用例を出すならば、読みを並列した上で、「これはこういう意味だ」と明確に提示しろ。
ほれ。俺が分かりやすい原文を再掲する。
読み下しも意味解釈もできるんだろうから、何の周囲の長さなのかをやって見せろ。

衆議咸以丹楊地勢険阻、與呉郡、会稽、新都、鄱陽四郡接、周旋数千里、山谷万重、其幽邃民人、
未嘗入城邑、対長吏、皆仗兵野逸、白首於林莽。

俺が調べた限りでいえば、周旋とは動詞で使われている。
長さをいう名詞ではない。バカ野郎がよくいうぜ。
589日本@名無史さん:2012/03/08(木) 01:09:23.00
狗奴国は遠絶不可得詳の其餘旁国の更に南にあるんだよ
距離が分かったら理屈に合わない
590日本@名無史さん:2012/03/08(木) 01:13:53.90
沖ノ島 古代祭祀遺跡
遅くとも4世紀のものとされる
中国魏の時代の製作とされる三角縁神獣鏡出土
神宝12万点出土
女神の住む島として厳しい戒律が存在
591日本@名無史さん:2012/03/08(木) 01:21:43.78
>>589
久留米氏はたしか旁国は女王国の以北にあるという主張だ。
592須磨虎:2012/03/08(木) 07:11:16.13
周旋を倭地の外周だの、倭地の大きさだのと、くだらないことを言い張るタコども。
俺が提示したことにちゃんと返答しろ。

@女王国以北の国々以外は遠絶で調査できなかったといってるが。
どうやって倭地全体の外周距離が分かったというのか。

A30ヵ国のうちヵ9国しか見ていない使節に、
どうやって倭地の大きさが分かったというのか。

B九州説にしろ畿内説にしろ、倭地には狗奴国と隼人の領域があるが、
そこまで踏破して計測したといのうか。

C見ていない部分は、
「里程知らず」の倭人から里程で聞いたというのか。

D三韓の周囲16000余里と倭地の周囲5000里とを面積図で比較してみろ。
周囲5000里が畿内以西の列島はむろん、九州の面積と釣り合うか。

E俺が調べた限りでは周旋は動詞で使われている。
長さや面積をいう名詞の用例があれば出せ。

ほれ、この件も勝負ありだ。
593日本@名無史さん:2012/03/08(木) 08:09:14.42
松浦から、残り二千余里。
周旋五千里は、往復してちょっと寄り道した程度だろう。
594日本@名無史さん:2012/03/08(木) 08:24:51.01
倭地を実際巡った距離だよ。
595卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/08(木) 09:34:04.72
九州の外周を地図でざっと計ると約870km。
これは魏代の公里だと約2000里。短里だとその約6倍で12000里。

一方、北海道を除く日本の外周を地図でざっと計ると約3900km。
これは公里だと約9000里。短里だと約54000里。

どちらにせよ周旋五千里はデタラメな数値。
596日本@名無史さん:2012/03/08(木) 12:09:57.80
>A30ヵ国のうちヵ9国しか見ていない使節に、
>どうやって倭地の大きさが分かったというのか。

倭人に聞いたことから判断したのだろう。倭国王が居るのだから倭国の領域の大きさくらい知っているはずだ。
ここからここまでは大人の足で2日かかるとか5日かかるとか1日で行けるとか、いろいろ聞いたことを考証
して距離に換算したんだろう。それが「參問」だろう。
597日本@名無史さん:2012/03/08(木) 12:17:12.85
>D三韓の周囲16000余里と倭地の周囲5000里とを面積図で比較してみろ。
>周囲5000里が畿内以西の列島はむろん、九州の面積と釣り合うか。

周囲5000里は1里約70mとすれば350kmとなる。
九州の北半分はそれくらいじゃないの。
598大訂正!:2012/03/08(木) 12:21:24.11
>>592 :須磨虎

>@女王国以北の国々以外は遠絶で調査できなかったといってるが。
>どうやって倭地全体の外周距離が分かったというのか。
「參問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千余里」の
「周旋」は外周に当たるが「可五千余里」は、その外周距離ではない。
「可五千余里」は「周旋(外周)」の差し渡し距離だ。

>A30ヵ国のうちヵ9国しか見ていない使節に、
>どうやって倭地の大きさが分かったというのか。
「倭人在帶方東南大海之中」
「從郡至倭循海岸水行 韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國」
 「自郡至女王國萬二千余里」から、倭地は帯方北限の緯度を越えず、所謂現新発田市を北限とし、南限は新発田市から差し渡し5000余里≒2160kmの地点迄、
そこは沖縄・与那国島あたりになる。勿論そこが、「自女王國以北」に当たる「狗邪韓國」の領域内。

>B九州説にしろ畿内説にしろ、倭地には狗奴国と隼人の領域があるが、
パス。
599大訂正!:2012/03/08(木) 12:24:48.09
>>592 :須磨虎
>D三韓の周囲16000余里と倭地の周囲5000里とを面積図で比較してみろ。
>周囲5000里が畿内以西の列島はむろん、九州の面積と釣り合うか。
>>520 :大訂正!:2012/03/07(水) 12:02:20.35
「地合方四千餘里」とは田畑の総面積を記述したもので、
「方四千餘里」とは『方一里』の四千個に相当する面積です。
「方一里」は「三項七十五畝」です。
『一畝』は『廣15歩、従十六歩』の方形の面積です。
『百畝』をもって『一項』です。
一歩=六尺、一尺≒24cmで三項七十五畝を平方キロに換算すると
三項七十五畝≒0.184112平方キロ。
方一里(一里=1800尺、一尺≒24cm)の面積は
1800尺×24cm÷100000の二乗で
、方一里は、約0.186624平方キロ。
方四千余里は、0.186625×4000=746.5平方キロ
方可四千里の可は差し渡しです。
正方形、長方形であろうとその最も長い二点間の差し渡しと解釈してよいでしょう。
周旋可五千餘里は、倭地を回り、廻りその最も長い二点間の差し渡し距離でよいでしょう。
>E俺が調べた限りでは周旋は動詞で使われている。
>長さや面積をいう名詞の用例があれば出せ。
周旋は動詞でOK。
>ほれ、この件も勝負ありだ。
??????????

600卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/08(木) 12:42:34.02
差し渡しとは何のことだろうか。直径か、それとも対角線か。

どちらにせよ外周2000里の差し渡しは約700里で、周旋五千里にはならない。
ただし短里とすればその約6倍で4200里で、なんとか近い数値になることはなる。
しかし周旋と聞いて、直径とか対角線、もしくは半周を思い浮かべることは、まずないだろう。

ちなみに外周9000里の場合、直径もしくは対角線は約3200里となる。
これは周旋五千里にやや近い。
601大訂正!:2012/03/08(木) 12:57:00.60
>>600 名前:卑弥呼は朝鮮にいた
>差し渡しとは何のことだろうか。直径か、それとも対角線か。
三途の川の差し渡し。二点間の距離。
>どちらにせよ外周2000里の差し渡しは約700里で、周旋五千里にはならない。
周旋五千里じゃないでしょ。魏志の原文は「周旋可五千里」ですよ。
周旋五千里と「周旋可五千里」では全く意味が違う。
「周旋可五千里」には外周の長さは表記されていません。



602卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/08(木) 12:58:55.42
とはいえ九州の外周が約2000里、北海道を除く日本の外周が約9000里ということは、
現代のわれわれが地図を見て計算して分かることであって、
現代人であろうと当時の日本人であろうと、そんなことは分るわけがない。

それを思うと、周旋五千里というのは二千里と九千里のほぼ中間で、正しいと言えば正しいのである。
陳寿の推定なのか、倭人からの聞き取りなのかは知らないが。
603大訂正!:2012/03/08(木) 13:22:14.45
>>602 名前:卑弥呼は朝鮮にいた
>それを思うと、周旋五千里というのは二千里と九千里のほぼ中間で、正しいと言えば正しいのである。
>陳寿の推定なのか、倭人からの聞き取りなのかは知らないが。

何を云いたいのか意味不明だが、

魏志には 周旋五千里 とは記述されていない。

「周旋可五千余里」

です。
604須磨虎:2012/03/08(木) 13:23:24.01
「周旋は倭地の外周距離ではない」と証拠を見せて説いているのに、
「揺れる脳細胞」どもは、周旋を外周距離として話しかけてくる。
精神病棟の廊下を歩くと、きっとこういう感じなんだろうな。

>>596
>倭人に聞いたことから判断したのだろう。
「里程知らずの倭人から外周距離を里程で聞いたというのか」。ここが抜けてるぞ。

>>597
>九州の北半分はそれくらいじゃないの。
倭地周囲5000里説で、三韓と倭地の面積図で比較してみろ」といっている。
ほれこうだ。バカにも分かるように図にしてやったぞ。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/f4/c4afed3c1180627af5a733f45ef279d2.jpg?random=58f210d2bec2d2730e19914a54fdd2ff

>598
>「周旋」は外周に当たるが
はずれ。

>「可五千余里」は「周旋(外周)」の差し渡し距離だ。
外周でも外れなのに、さらに「さしわたし」ときたか。

ふにゃ頭連のデイケアをするほど俺は親切ではない。
ゲップ
605日本@名無史さん:2012/03/08(木) 13:25:24.53
ぢぢいデイケア常用すなのか
606卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/08(木) 13:51:57.82
周旋五千里も周旋可五千余里も、意味の上では大差はない。
また周旋が動詞であろうと名詞であろうと、意味の上で大差はない。

問題は参問だが、参にも問にも、二つの意味がある。
1 参上する、訪問する…など。
2 参考、参照、参究する、調べる…など。

伊作は1の意味で決まり!のごとく思っているようだが、必ずしもそうとは限らない。
2の意味である可能性も大いにある。
607大訂正!:2012/03/08(木) 13:52:35.93
>>604 :須磨虎:
>598
>>「周旋」は外周に当たるが
>はずれ。
馬鹿ではないようだな。
清代段玉裁『說文解字注』
周旋,逗。旌旗之𢫾𪎮也。左傳曰。師之耳目。在吾旗𡔷。進退從之。
手部𪎮下曰。旌旗所以𢫾𪎮者也。旗有所鄉。必運轉其杠。是曰周旋。
>>「可五千余里」は「周旋(外周)」の差し渡し距離だ。
>外周でも外れなのに、さらに「さしわたし」ときたか。
さしわたし。
あとは、「周旋」の解釈にかかる。
『周旋の外周』の『さしわたし』とでもかいておくか。

>ふにゃ頭連のデイケアをするほど俺は親切ではない。
>ゲップ
緯度は地平線と北極星の角度で対応できるし、
経度は南中高度から割り出せる。

二点間の距離は三平方の定理で割り出せる。

正確ではないが、OKだろう。

伊作ちゃんへの特別サ〜ビスだ。 藁!
608大訂正!:2012/03/08(木) 13:59:47.81
>>606 名前:卑弥呼は朝鮮にいた
>周旋五千里も周旋可五千余里も、意味の上では大差はない。

救いようがないな。

周旋とある領域の内を刺しているの意だ。

可五千里とあるから、周旋を可五千里のさしわたしの外周の二点間と
解釈が可能なのだ。

609大訂正!:2012/03/08(木) 14:03:23.77
×周旋とある領域の内を刺しているの意だ。

◎周旋とは、ある領域の内を刺しているの意だ。
610日本@名無史さん:2012/03/08(木) 14:04:54.01
結構、小さいですね邪馬台連合国
611日本@名無史さん:2012/03/08(木) 14:28:56.18
「可七萬餘戸」の「耶媽懿國連合」のは「可五萬餘戸」の「投媽國連合」と連邦関係にあります。

「投媽國連合」はいわば「つま」のポジションにあるのでし

両者ともに海賊・海運・略奪・通商のが得意技になります。

「神耶國連合」のも多数の酋長さんたちを束ねた海賊・海運・略奪・通商集団であるかとおもわれますが、

そのルーツは「狗邪韓國 」(こぅやはんこく : 神耶韓國 : 神耶彌媽國 : 伽耶彌媽國) だと独断してあげます。

「神耶國連合」の領域は「火の領域」にあたり

          火之夜藝速男~
          火之R毘古~ 
          火之迦具土~     がえろい御先祖となります
612卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/08(木) 15:35:02.39
>>608
何を言っているのか、さっぱり分らん。それはさておき、私の解釈を書いておく。

参問倭地 周旋可五千余里

意訳 様々なデータを照らし合わせて考えると、倭の地は周旋五千余里だろう。

可は推定の意、〜だろう、と訳す。あるいは〜ばかり、と訳してもよいが。
要するに私は、陳寿が机上で推定した、と考える。
613卑弥呼の都は久留米:2012/03/08(木) 19:43:23.72
>>612 卑弥呼は朝鮮にいた・・・・とは思わんが
其の通り。

倭地の範囲は對海國から狗奴國までで、その範囲を周旋五千餘里と計算したのだ。
對海國から不彌國(女王國の入り口)までの四千餘里と、
不彌國から狗奴國までの千餘里(始度一海千餘里と同じ距離)の、
合計五千餘里。
即ち倭地は対馬から熊本平野であることを周旋五千餘里と表現しているのだ。
614須磨虎:2012/03/08(木) 20:08:14.66
>>606
>周旋が動詞であろうと名詞であろうと、意味の上で大差はない。
???!

>問題は参問だが、参にも問にも、二つの意味がある。
「出向いて問う」、「たずね(訪問して)問う」=訪問調査と翻訳したが。

とうとう、イカれたハゲ爺いどものスレッドと化したようだ。
退散
615日本@名無史さん:2012/03/08(木) 20:08:29.91
>>613
>不彌國から狗奴國までの千餘里(始度一海千餘里と同じ距離)

って何で分かるの?
616日本@名無史さん:2012/03/08(木) 20:20:43.99
>>613
あと
>不彌國(女王國の入り口)

も意味がわからん
不彌國は不彌國だろ
女王國は邪馬台国だろ
617日本@名無史さん:2012/03/08(木) 20:39:00.34
女王國は女の園で城柵で囲まれた支配のための拠点だすよ

山挟んで2万戸の奴國が展開でその中に女の園がある

不彌國は奴國の東半分ののウオーターフロントだす
618日本@名無史さん:2012/03/08(木) 20:42:21.05
>>617
>女王國は女の園で城柵で囲まれた支配のための拠点だすよ

それは倭人伝のどの記述から導き出した推論なの?
619日本@名無史さん:2012/03/08(木) 20:45:32.96
へんにいぢらないで文章の流れに沿って矛盾が発生しないようにしてふつうに読むとそうなりますね
620日本@名無史さん:2012/03/08(木) 20:47:14.07
普通によんだら女王国=邪馬台国では?
621日本@名無史さん:2012/03/08(木) 20:47:42.06
國ののラベルはトリプルの意味内容を持っているとゆうことに気付かないとまぬけっていわれちゃいますですよ。
622日本@名無史さん:2012/03/08(木) 20:49:41.18
詳しく教えて下さいよ
まぬけなんで理解できません
623日本@名無史さん:2012/03/08(木) 20:51:08.33
「女王境界」なんて不安定な記述みて何も感じないひととかはセンスないつうかにぶいのかなあとはおもいますですよ。
624日本@名無史さん:2012/03/08(木) 20:55:43.63
鈍いしセンス無いんです
だからあなたのご高説を伺いたくお願い申し上げている訳であります
625日本@名無史さん:2012/03/08(木) 20:58:18.86
投馬國 可五萬餘戸

この戸数みて単一の國だって理解しちゃう人とかはお花畑の住民だろ

弁辰24國より規模でかいのだから

國國國國國ってのがまとめあがっているところの國だわな
626日本@名無史さん:2012/03/08(木) 21:08:26.81
つまり投馬國は複数の國が集まった國であるという事でしょうか?
それと女王国はどういう関係なんでしょうか?
627日本@名無史さん:2012/03/08(木) 21:10:36.38
というかまどろっこしいので貴方様の思うところを簡潔に教えて欲しいのであります
628日本@名無史さん:2012/03/08(木) 21:19:36.19
倭國亂 相攻伐
更立男王 國中不服 更相誅殺 當時殺千餘人

男王だけでやると揉めるから女王がいると良いのね

女王に固有の暴力装置とゆうのは宗族が持っているところのそれだよな

すなはち「男弟佐治國」のの「男弟」が指揮権もつののそれだよ

伊都國に特置されたかっこつけて一大率とよばれているやつのの生の中身がそれだよな
629日本@名無史さん:2012/03/08(木) 22:11:22.32
それがどうして>>617になるのでしょうか?
630卑弥呼の都は久留米:2012/03/08(木) 22:18:42.84
>>616
>>不彌國(女王國の入り口)
>も意味がわからん
>不彌國は不彌國だろ
>女王國は邪馬台国だろ
>>620
>普通によんだら女王国=邪馬台国では?

帯方郡から女王國までは一万二千餘里
帯方郡から不彌國までは一万二千餘里
故に不彌國は女王國である。

しかし女王が都するのは邪馬壹國である。
故に邪馬壹國も女王國である。

記述の順番は、不彌國→投馬國→邪馬壹國である。
不彌國と邪馬壹國が女王國であるから、中間の投馬國も女王國である。

一方、帯方郡から奴國までは一万二千餘里である。
故に、奴國も女王國である。

以上から、女王國は邪馬壹國、投馬國、不彌國と奴國の4ヶ国が連合したものであることがわかる。
投馬國と邪馬壹國は不彌國以遠であるから、不彌國が女王國の入り口にあたる國であることがわかる。

次に、投馬國と邪馬壹國は、郡から一万二千餘里にある不彌國より遠くにあることがわかる。
631卑弥呼の都は久留米:2012/03/08(木) 22:19:44.62
>>615
>>不彌國から狗奴國までの千餘里(始度一海千餘里と同じ距離)
>って何で分かるの?

帯方郡から女王國まで一万二千餘里
帯方郡から狗邪韓國まで七千餘里
故に、狗邪韓國から女王國までは五千餘里となる。

狗邪韓國から對海國までは始度一海で千餘里である。
狗邪韓國から不彌國までは五千餘里であるから、
對海國から不彌國までは四千餘里となる。
故に、對海國から五千餘里の國は、不彌國から千餘里にある。
不彌國から千餘里(70km)の國は、
不彌國を吉野ヶ里とすると、その南70kmは熊本平野になり、
熊本平野の狗奴國となる。

632日本@名無史さん:2012/03/08(木) 22:26:55.28
邪馬台国に行くには宗教上の理由によ
九州を船で1周半と一ヶ月の陸行をしなければならない
633日本@名無史さん:2012/03/08(木) 22:51:31.73
>>630
帯方郡から不彌國までは一万七百里じゃないの?
634日本@名無史さん:2012/03/08(木) 22:55:37.42
キチガイの相手なんかすんなよ
635日本@名無史さん:2012/03/08(木) 23:09:22.43
「帯方郡から不彌國までは一万七百里」などとむだに里数を読み飛ばすのは卑怯とゆうものだわ
636日本@名無史さん:2012/03/08(木) 23:10:40.55
記載してある数値は捨てたりしないで存分に活用してあげるべきだぞ
637日本@名無史さん:2012/03/08(木) 23:15:25.07
無理に合わないようにして読んでも無駄とゆうものだよ

脳内補正してあげても相手の云わんといていることを理解してあげようという姿勢が大切だよ

基本的に文字づらをいぢるのは知恵の足りないやつが常用する手法だけどもね
638日本@名無史さん:2012/03/08(木) 23:18:36.89
帯方郡から不彌國まで一万七百里じゃないってどういう計算なのよ?
639日本@名無史さん:2012/03/08(木) 23:24:02.06
もうね提示されてから30年以上経過しても有効な反論が出来ていないから定説化しちゃってるとみても良いかとはおもふが
640日本@名無史さん:2012/03/08(木) 23:25:37.04
だからどういう計算なのよ?
641日本@名無史さん:2012/03/08(木) 23:34:39.97
邪馬壹國 可七萬餘戸

この戸数みて単一の國だって理解しちゃう人とかはお花畑の住民だろ

投馬國抜いたので「自女王國以北」のと加算すると可拾萬餘戸で

馬韓の總十萬餘戸のとほぼ同程度の規模だろ

邪馬壹國 可七萬餘戸 とゆうのは

國國國國國ってのがまとめあがっているところの國だわな
642日本@名無史さん:2012/03/08(木) 23:44:25.20
それはいいからどういう計算をすると帯方郡から不彌國迄が一万七百里ではなく一万二千里になるのか教えてよ
643卑弥呼の都は久留米:2012/03/08(木) 23:53:57.76
>>626
>つまり投馬國は複数の國が集まった國であるという事でしょうか?
>それと女王国はどういう関係なんでしょうか?

邪馬台国が連合国であるから投馬國も連合国であると推定できる。

邪馬台国が連合国家であることについて
「官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮、可七萬餘戸」
邪馬台国には副官がいない。
邪馬台国には官1名と次官3名がいる。
副官の代わりに次官が3名いることが、邪馬台国が4ヶ国が連合している理由である。
力の拮抗した1万5千戸から2万5千戸の4つの国が連合して邪馬台国が成立した。
だから、共立した女王が自国内に都したのだ。

以上により邪馬台国には城柵が4つあると推定できる。
又、女王の都する城柵は上記いずれの4城柵とも異なる。
644日本@名無史さん:2012/03/09(金) 00:05:05.40
>>588 :須磨虎:2012/03/08(木) 01:06:55.52
>俺が調べた限りでいえば、周旋とは動詞で使われている。

あなたは勉強不足。
衆議咸以「、其幽邃民人、未嘗入城邑、對長吏、皆仗兵野逸、白首於林莽、
逋亡宿惡、咸共逃竄。山出銅鐵、自鑄甲兵。俗好武習戰、高尚氣力、其升山赴險、抵突叢棘、若魚之走淵、猨狖之騰木也。時觀闌пA出爲寇盜、每致兵征伐、
尋其窟藏。其戰則蠭至、敗則鳥竄、自前世以來、不能羈也」皆以爲難。
この文章の「 」内は丹楊の地勢や民や兵の様子を述べたものである。
「丹楊の地勢は險阻で、吳郡、會稽、新都、鄱陽の四郡と隣接しており、周旋數千里(周囲は数千里)で、山谷は幾重にも重なっている」と地勢の叙述であり、
周旋は名詞として用いられている。経百餘歩の経と同じ用法である。
動詞ならば主語を必要とするが、上記文章には該当する主語がない。
645卑弥呼の都は久留米:2012/03/09(金) 00:31:25.90
>>638 >>640 本当に知らない人の為に
>帯方郡から不彌國まで一万七百里じゃないってどういう計算なのよ?

從郡至倭の行程(「動詞+到」と「動詞+至」の文)

  区間距離 :: 行程区間
 7000餘里::帯方郡〜狗邪韓國
 1000餘里::狗邪韓國〜對海國
  800餘里::對海國の大きさ、方可四百餘里の2辺
 1000餘里::對海國〜一大國
  600里:::一大國の大きさ、方可三百里の2辺
 1000餘里::一大國〜末盧國
  500里:::末盧國〜伊都國
  100里:::伊都國〜不彌國(伊都國〜奴國は行程外:「動詞+至」の文ではない)
――――――――――――――――――
12000餘里::帯方郡〜不彌國(行程の合計距離)
646日本@名無史さん:2012/03/09(金) 00:37:02.40
古田先生は島の大きさも行程距離に入れていたような
記憶があるけど、自分は入れないな。

やっぱり船に乗って、いちいち降りて歩きはしないし、
島なら補給でどこか港について、補給したら
また船で出発するだろうから。

これは、松浦に到着して、その先の行き先が
糸島半島ではないという推論ともつながる。

糸島半島なら常識的にまた水行するだろうからね。
陸攻である以上、糸島半島ではない。
647日本@名無史さん :2012/03/09(金) 00:38:53.77
サガミハラハラは死んだのか?
648日本@名無史さん:2012/03/09(金) 00:55:02.98
對海國 : 土地山險 多深林 道路如禽鹿徑 (歩いている)
一大國 : 多竹木叢林 差有田地 耕田猶不足食 (観察している)
末盧國 : 濱山海居 草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆沈沒取之 (同)
649日本@名無史さん:2012/03/09(金) 00:59:13.60
>>646
それでいいんだ。
650日本@名無史さん:2012/03/09(金) 01:01:48.74
「東南陸行五百里 到伊都國」

出発は歩きで東南方向ですけど

全行程が東南方向なのかどうかは疑問の余地があるし、

全行程が歩きであるとは書いていない

川があったらふつうは船に乗るしね
651日本@名無史さん:2012/03/09(金) 01:13:11.75
>>650
みなみへ進んだり東へ進んだりして
東南の方角に目的地があると言うことだ。
それ以外の解釈は無い。
652日本@名無史さん:2012/03/09(金) 01:16:54.81
>>651
そおゆう断定はいけない

むつごろうの楽園に誘導したいのなら別だがね
653卑弥呼の都は久留米:2012/03/09(金) 01:19:57.57
>>646
>やっぱり船に乗って、いちいち降りて歩きはしないし、
>島なら補給でどこか港について、補給したら
>また船で出発するだろうから。

古田説が科学的に正しいかどうかを調べた。
つまり、対馬海峡の潮流の時間変化を調べた。

対馬海峡の潮流の時間変化を調べて判ったことは、
魏使は、往路も復路も対馬と壱岐のそれぞれの島を半周しなければならないことです。
つまり、それぞれの島の二辺の距離を行程距離に合算しなければ実際に合わないことがわかったのです。

狗邪韓國→→末盧國(唐津)の往路の場合
對海國(対馬)周辺の航路:対馬北海岸沿い東進+対馬東岸沿いの航路南進
一大國(壱岐)周辺の航路:壱岐北海岸沿い東進+壱岐東岸沿いの航路南進

末盧國(唐津)→→狗邪韓國の復路の場合
一大國(壱岐)周辺の航路:壱岐南海岸沿い西進+壱岐西岸沿いの航路北進
對海國(対馬)周辺の航路:対馬南海岸沿い西進+対馬西岸沿いの航路北進


654日本@名無史さん:2012/03/09(金) 01:22:25.89
>>652
断定してもいいのよ。
出だしだとか
途中だとか
終わりだとかの
進んでいる方角を記載してもな〜んの意味も無いのだから。

出だしが東南なら目的地は東北にあろうが西にあろうが
知った事じゃない、なんて言うのはアホです。(きっぱり)
655日本@名無史さん:2012/03/09(金) 01:23:19.30
>対馬海峡の潮流の時間変化を調べて判ったことは、

詭弁です。
656日本@名無史さん:2012/03/09(金) 01:30:06.46
東南の方角に目的地に出発するポートがあるんだとおもふよ

狗奴國のの全体眺めて港に下りてからに出発だろ
657日本@名無史さん:2012/03/09(金) 01:42:51.22
「倭人在帶方東南大海之中」  こおゆうのは明確に「東南」だけど

「東南陸行五百里 到伊都國」   こおゆうのは明確ではないから

断定したりするひとはまぬけ演ずる可能性がゼロではないのね

ようは書いた人のルールだからして

読み手にさっしてあげる許容度とかが要求されたりするのね
658日本@名無史さん:2012/03/09(金) 01:45:32.74
倭人伝を云々するより先に日本語を覚えなさい
659日本@名無史さん:2012/03/09(金) 01:46:57.55
日本語は多様です 国語は偏狭です
660日本@名無史さん:2012/03/09(金) 01:48:59.08
まともじゃない解釈をする奴は文章もまともじゃないね
661日本@名無史さん:2012/03/09(金) 02:07:37.27
>>657
>「東南陸行五百里 到伊都國」   こおゆうのは明確ではないから
>断定したりするひとはまぬけ演ずる可能性がゼロではないのね

中国人百人と
魏志倭人伝知らない高校生以上の百人に
「東南陸行五百里 到伊都國」 の伊都国の方角を聞いたら

中国人百人と
魏志倭人伝知らない高校生以上の百人が
東南と答えるでしょうね。

伊都国の方角はわからないと答えるのは
間違いなく○○です。
662日本@名無史さん:2012/03/09(金) 02:15:48.61
>>661
陳壽の俺様ルールが最強だからして勝手にルール決めてかかるひととかはだめぽ
663日本@名無史さん:2012/03/09(金) 02:31:17.82
>>662
貴方はね。
一番大切なこと忘れているよ。
それはね。
陳壽か゜一般のルールを無視して
俺様ルールなんかは使ってないと信じることです。
陳寿はそんなアホではないと信じるのが一番大切なことですよ。

誰もが勝手に俺様ルールで生きているなんて本気で考えたら、
恐ろしくて
外は歩けませんよ。
車なんか運転できませんよ。
664日本@名無史さん:2012/03/09(金) 02:39:26.92
島の半周を行程距離に加算するとか
水行十日陸行一月の起点が郡だとか言うのも一般のルールでは無いね。
陳壽の俺様ルールが存在すると言う妄想があるから
そんな出鱈目読みをするのです。

陳寿はそんなにアホではありません。(きっぱり)
もっと陳寿を信じてあげなければ可哀想です。
665日本@名無史さん:2012/03/09(金) 03:09:35.84
おまいらがかってに一般ルール設定してどおたらいってもむだ

東夷傳読むときには陳壽の用いたコードを使用して読むべきだとゆうこと

不明確なことは不明確なものとして理解しておくにゅうとらるな姿勢が大事とゆうことだわな

けっか多少嘘が混ざりこんでいてもよりすっきりしたビジュアルなイメージが再現できればしめたものとゆうとこ

出してきている里数捨ててしまって省みないとゆうのは卑怯だぞ

彼って無駄なこと書かないひとだからな

まぬけなひとは理解できなくても致し方ない罠とゆうかんもあるしね。。。
666日本@名無史さん:2012/03/09(金) 07:23:17.20
>>665
>おまいらがかってに一般ルール設定してどおたらいってもむだ

特定の場所へ行くために
あるいは
里数合わせのために無理な読み方をしては駄目だ。


>出してきている里数捨ててしまって省みないとゆうのは卑怯だぞ
>彼って無駄なこと書かないひとだからな

無駄なこと書いてないね。
方可四百余里方可三百里をかいたのは
對馬國一大國は周旋可五千餘里に含まれないと言う意味ね。
667日本@名無史さん:2012/03/09(金) 08:17:45.47
巴里国って、パリじゃないよね播磨のことかな
668卑弥呼の都は久留米:2012/03/09(金) 10:29:46.33
>>666
>方可四百余里方可三百里をかいたのは
>對馬國一大國は周旋可五千餘里に含まれないと言う意味ね。

違う

方可四百余里方可三百里をかいたのは
「對馬國一大國は郡から女王國一万二千餘里に含まれる」と言う意味

「對馬國一大國は周旋可五千餘里に含まれる」と言う意味ね。
669日本@名無史さん:2012/03/09(金) 11:33:42.60
>>668

だったら経費(距離)の二重計上になるね。
670大訂正!:2012/03/09(金) 12:12:20.06

>>547
>周旋数千里
>これらの例では周旋は周囲の意味ですね。
『周囲の意味』でって、
数千里というのは、2千里それとも3千里それとも4千里。
千里≒432kmとすると、少なくとも432km以上の誤差がある周囲というのは
何の価値もないね。 
「周旋数千里」というのは、周囲ではない。
例えていうなら、「周旋」といのはある種の運動と考えるのがベターだろう。
その運動は、ある領域を北へ進みそれから東に進む、右に行ったり左に行ったり前進したり後退したりの繰り返しでその領域を廻るとの総体距離が漠然と数千里ということだ。
これが、
『周旋可千里』と言うとその運動領域の最大距離のさしわたしだ。

方可四百余里も方可三百里も對海【馬】國、一大國のさしわたし距離だ。
田畑の測量はやっても国の総面積の為の測量などやるはずがない。

虎ちゃん 元気ね!
671大訂正!:2012/03/09(金) 12:16:02.95
×その領域を廻るとの総体距離が漠然と数千里ということだ。

◎ その領域を廻るその総体距離が漠然と数千里ということだ。
672日本@名無史さん:2012/03/09(金) 12:26:55.14
結局、邪馬台国と女王国とは別の所なの?
673卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/09(金) 12:40:11.83
女王国とは邪馬台国のこと。女王の境界とは女王の勢力範囲ということだろう。
しかしそんなに厳密に考えなくてもいいのだ。テキトーに考えればいい。

なにしろ陳寿はろくに日本のことを理解していないのだから。
674日本@名無史さん:2012/03/09(金) 12:49:32.40
----------(帶方郡)(平壌南方)-----------------------------------
           (韓地陸行を含む)七千餘里
----------(狗邪韓國)(金海)----------------
千餘里
四百餘里 1800+里
四百餘里
----------(對海國)(厳原付近)
千餘里
三百里  1600+里           五千餘里    自郡至女王國萬二千餘里
三百里                              水行十日 陸行一月
----------(一大國)(芦辺付近)
千餘里
----------(末盧國)(佐志付近)
五百里
----------(伊都國)(津和崎付近)
百里
----------(不彌國)(生松原付近)-----------------------------------
ゼロ
----------(奴國領域)(女王國は早良郡平群郷吉武村付近)
              (女王國は邪馬壹國の統合拠点)

「邪馬壹國」は仮想上で組み上げられた國國連邦で「女王國」は連邦政府乃至その所在地


別途に「參問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里」でも良し

この場合でも「倭地」たらはどのみち筑紫・肥の外部には出ようもない
675卑弥呼の都は久留米:2012/03/09(金) 13:21:41.03
>>669
>だったら経費(距離)の二重計上になるね。

二重計上ではないですよ。
明細書と概算書と決算書の違いですね。
676日本@名無史さん:2012/03/09(金) 13:35:56.51
女王国は、邪馬台国かも
邪馬台国は、女王国じゃないかも
677日本@名無史さん:2012/03/09(金) 13:42:33.75
>方可四百余里方可三百里をかいたのは
>「對馬國一大國は郡から女王國一万二千餘里に含まれる」と言う意味
>と「對馬國一大國は周旋可五千餘里に含まれる」と言う意味ね。
まったく無関係だよ。


678日本@名無史さん:2012/03/09(金) 14:09:23.87
>>670 :大訂正!

なんだこの馬鹿は。漢文をろくに読めないくせに知ったふうな口をきくな。

>数千里というのは、2千里それとも3千里それとも4千里。
>千里≒432kmとすると、少なくとも432km以上の誤差がある周囲というのは
>何の価値もないね。

おまえの乏しい脳味噌では理解できないだけだ。
周旋数千里とは「周囲が数千里もある」ということだ。広いということを言っているのだ。

>「「周旋」といのはある種の運動と考えるのがベターだろう。」
おまえの足りない脳味噌で考えてもしょ〜がねえんだよ。運動だったらその動作の主体は何だ?
動詞なら主語がある筈じゃね〜か?主語は何だ?答えてみろ、このアンポンタン。
679大訂正!:2012/03/09(金) 14:32:55.39

>>678
>>670 :大訂正!
>>数千里というのは、2千里それとも3千里それとも4千里。
>>千里≒432kmとすると、少なくとも432km以上の誤差がある周囲というのは
>>何の価値もないね。

>おまえの乏しい脳味噌では理解できないだけだ。
>周旋数千里とは「周囲が数千里もある」ということだ。広いということを言っているのだ。
広いということを言っているのだという解釈はただしいが、
周旋数千里を「周囲が数千里もある」と解釈するするのは、
お前のようなトンチンッカン野朗だけだ。
周旋を学びなおして出直して来い。

>>「「周旋」といのはある種の運動と考えるのがベターだろう。」
>おまえの足りない脳味噌で考えてもしょ〜がねえんだよ。運動だったらその動作の主体は何だ?
>動詞なら主語がある筈じゃね〜か?主語は何だ?答えてみろ、このアンポンタン。
主語を答えたら、お前こそ『蚤程度の脳の持ち主』であると認めるか?




680日本@名無史さん:2012/03/09(金) 15:10:45.76
>>630 :卑弥呼の都は久留米
>以上から、女王國は邪馬壹國、投馬國、不彌國と奴國の4ヶ国が連合したものであることがわかる。

 女王國は4ヶ国の連合国である。邪馬壹國がその都である。
 投馬國、不彌國と奴國は含まれない。 この国々は、女王國以北である。
681大訂正!:2012/03/09(金) 15:20:03.57
>>680

共立ということは、先ず考えろ。

邪馬の『邪は宗』で『馬は武』だろう。

宗武が一体となって邪馬だ。

卑弥呼が武なら「自為王以來少有見者」とは
記述されないだろう。


682日本@名無史さん:2012/03/09(金) 15:22:27.30
>>672
邪馬台国と女王国とはお・な・じ・国。
683日本@名無史さん:2012/03/09(金) 15:26:30.58
>>675
明細書か概算書か決算書か
どれか一つで良いの。
他の二つは無駄。
684卑弥呼の都は久留米:2012/03/09(金) 16:07:47.27
>>683
脱税容疑で逮捕する。


>>680
>女王國は4ヶ国の連合国である。邪馬壹國がその都である。
>投馬國、不彌國と奴國は含まれない。 この国々は、女王國以北である。

 女王國は4ヶ国の連合国である。邪馬壹國にその都がある。
 邪馬壹國も4ヶ国が連合したものである。官1名と次官3名がその連合合併を示している。
685日本@名無史さん:2012/03/09(金) 16:09:03.99
>>672
倭人伝には、「邪馬壹國」はわずかに一回しか出てこない。
その代わりに「女王國」が使われているのかもしれない。
「女王國」は5回出てきて、だいたい邪馬台国と同じと考えてもいいと
思われるが、倭国というふうに広く考えた方がいい場面もある。

基本的に女王國=邪馬台国だが、そんなに厳密に考える必要はないかも。
というか、女王の都するのが邪馬台国で、卑弥呼は倭王だから、邪馬台国も
倭国も女王國でいいのかもしれない。
686日本@名無史さん:2012/03/09(金) 16:10:53.20
いい加減、目覚めなさい

日本という国は、そういう特権階級の人たちが、楽しく、幸せに暮らせるように、
あなたたち凡人が、安い給料で働き、高い税金を払うことで、成り立っているんです。
そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる?

今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。 

世の中のしくみや、不公平なんかに気づかず、
テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら、上司の言うことを大人しく聞いて、
戦争が始まったら、真っ先に危険な所に行って戦ってくれればいいの。
687卑弥呼の都は久留米:2012/03/09(金) 16:17:39.80
   
邪馬壹國に都が5つある。

➊女王卑弥呼の都
➋官伊支馬の都
➌次官彌馬升の都
➍次官彌馬獲支の都
➎次官奴佳鞮の都
688卑弥呼の都は久留米:2012/03/09(金) 16:32:59.36
>>685
倭人伝には、「邪馬壹國」はわずかに一回しか出てこない。
「投馬國」「不彌國」「奴國」もわずかに一回しか出てこない。
だから「女王國」が「邪馬壹國」の代わりをしているのではない。

邪馬壹國は単に女王が居する所にすぎない。


689日本@名無史さん:2012/03/09(金) 16:48:10.61
>>687 :卑弥呼の都は久留米

 「官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮」
 必ずしも次官とはいえない。 同格の官とも読める。
 投馬國、不彌國、奴國には、すでに官がいる。
 「女王國以北」の記載が意味を失くす。
690卑弥呼の都は久留米:2012/03/09(金) 17:08:53.23
>>689
>必ずしも次官とはいえない。 同格の官とも読める。

邪馬壹國には同格の官が4人いても宜しい。
「副曰」は副官と読めるから、「次曰」は次官としただけ。

>「女王國以北」の記載が意味を失くす。
上記意味を理解できない。
691日本@名無史さん:2012/03/09(金) 17:18:25.05
>>687 :卑弥呼の都は久留米

 「到伊都國。丗有王、皆統屬女王國。」
 伊都國も女王国となる。 
 不彌國が女王國の入り口にはならない。

 >>「女王國以北」の記載が意味を失くす。

 以北の国が、對馬國、一大國だけになる。文章としての意味がない。
 一大率の居場所がない。
 
692須磨虎:2012/03/09(金) 18:25:22.56
>>644  知ったふりのホラ解釈を垂れ流す無学者。
「伊作憎し」が高じてのことか、「何とかやり込めたい」という一心からか、
失笑もののウソ解釈をしてまで、それを論拠に伊作説を否定する。それを「論拠ねつ造」という。

>あなたは勉強不足。
「不動の正統派」を騙せるとでも思ってるのなら、相当な自惚れ屋だぜ。

>「丹楊の地勢は險阻で、吳郡、會稽、新都、鄱陽の四郡と隣接しており、
>周旋數千里(周囲は数千里)で、山谷は幾重にも重なっている」と地勢の叙述であり、
フェアにやれ。諸葛恪は何をしに丹楊に赴いたのだ?
やや難解な部分を含むが、呉書・諸葛恪伝の問題の箇所。
諸葛恪は申し述べた。
「丹陽郡は山が険しく、勇猛果敢な民が多く、さらにその深遠には服わぬ民がいます。
私が丹陽に赴けば、3年で甲士4万を得ることが可能です」。
(諸葛恪は丹楊の平定を命じられる)。
人びとは口をそろえていう。丹楊は地勢が険阻で、呉郡、会稽、新都、鄱陽四郡と隣接する。
征討して回ること数千里、山谷は万重にも重なり、そこの民人は奥深くもの静か……(難解につきパス)
諸葛恪は丹楊平定したが、彼に帰順しなかった民はことごとく逃げ去るか険しい山に潜伏した。
こんなところか。

>周旋は名詞として用いられている。経百餘歩の経と同じ用法である。
無学のカスが、すぐにバレるホラを吹くな。

>動詞ならば主語を必要とするが、上記文章には該当する主語がない。
諸葛恪とその軍隊が丹楊平定でめぐったのだ。

お前が持ち出した呉書の周旋の用例へとつづく
693須磨虎:2012/03/09(金) 18:25:46.13
つづき
「周旋」という熟語は、『三国志』の中で30回ほど、みな動詞として使われている。
その中で、二つだけ「周旋○○里」と里程のついた表現がある。
それが、魏書の「周旋可五千余里」と呉書の「周旋数千里」だ。
「好都合!!」とばかりに飛びついて、「周旋は周囲の長さ」などと
表社会では通用しない造作解釈をしたくなるわけだ。

その呉書の一つを持ち出して「周囲の長さをいう名詞だ」という、
「まやかしの手の内」をバラしてやろう。
●呉書の周旋の用例。
・呉主権/★周旋民間、語言飲食、與人無異、然不見其形
・孫霸/願陛下早発優詔、使二宮★周旋礼命如初

・步騭/(孫)策薨、與張昭等共輔孫権、遂★周旋三郡
・黃蓋/以便弓馬、有膂力、幸於孫堅、従征伐★周旋
・蒋欽/與(孫)策★周旋、平定三郡、又従定豫章
・朱桓/(朱)桓督領諸将、★周旋赴討、應皆平定
・虞翻/小大皆出、遂従★周旋、平定三郡
・張温/然臣★周旋之間、為国観聴
・潘濬/濬子翥亦與★周旋

上の2つを除けば、征伐・討伐・平定などで巡り回った意味に使われている。みな動詞だ。
まして「周囲」「外周」などという意味ではない。
文句があるならば、
提示した呉書の周旋の意味がみな「外周距離をいう名詞」だと証明することだな。

逆の立場になってみろ。俺がそんなことをいえば、寄ってたかって誹謗攻撃される。
お前は、そんな程度のウソをいい続けているのだんぞ・おい。
694日本@名無史さん:2012/03/09(金) 18:29:50.93
女王國は城柵の内側
女王國は奴國の領域内にあります
女王の宗族は伊都國におわします
女王國の北側には山門があります
女王國のウオーターフロントのが不彌國でクニウミのの現場
女王國は邪馬壹國の首都だけど東西独逸の西伯林みたいな感じ
女王の弟のが難升米さんで一大率で卑弥呼のの暴力装置
邪馬壹國は20國國連合ので女王おわします時だけうまくもちつく
20國國ののにはそれぞれ酋長さまおわしまして共立能力をいちおう備えているのがお約束
20國國のはトータルで戸数が可七萬餘戸
女王國のあたりは平群郷っていってた時もあったけどもとのが比良とか比羅とか日羅とかいったっぽい
女王國のあたりは溝掘る工事しただけなのにいろんなものがザクザクでてきた
695卑弥呼の都は久留米:2012/03/09(金) 19:01:05.75
>>691
>「到伊都國。丗有王、皆統屬女王國。」
> 伊都國も女王国となる。

伊都國に居る丗有王が女王國に統屬しているのであって、
伊都國や官爾支が女王國に統屬しているのではない。
だから、伊都國は女王國ではない。

女王國以北の國は、
伊都國、末盧國、一大國、對海國の4ヶ国と、
女王國内の、奴國、不彌國、投馬國、邪馬壹國の4ヶ国の、
計8ヶ国である。
(以北とは女王國も含めた北のこと)

これら8ヶ国の東側、西側、北側にある国が「其餘旁國」となる。
「其餘旁國」は、魏使の行程から外れているので、
遠絶で不可得詳であると述べているのである。
(「其」は上記8ヶ国を指す)
696日本@名無史さん:2012/03/09(金) 19:05:50.82
>>679 :大訂正!
>>動詞なら主語がある筈じゃね〜か?主語は何だ?答えてみろ、このアンポンタン。
>主語を答えたら、お前こそ『蚤程度の脳の持ち主』であると認めるか?

認めるから答えてみんしゃい。
ついでに「周旋数千里」が出て来る下記の文章を訳してみんしゃい。
恪、以丹楊山險、民多果勁、雖前發兵、徒得外縣平民而已、其餘深遠、莫能禽盡。屡自求、乞爲官出之、三年可得甲士四萬。衆議咸以「丹楊地勢險阻、與吳郡、會稽、新都、鄱陽、四郡鄰接、周旋數千里、
山谷萬重、其幽邃民人、未嘗入城邑、對長吏、皆仗兵野逸、白首於林莽、逋亡宿惡、咸共逃竄。山出銅鐵、自鑄甲兵。俗好武習戰、高尚氣力、其升山赴險、抵突叢棘、若魚之走淵、猨狖之騰木也。時觀闌пA
出爲寇盜、每致兵征伐、尋其窟藏。其戰則蠭至、敗則鳥竄、自前世以來、不能羈也」皆以爲難。恪父瑾聞之、亦以事終不逮、歎曰「恪不大興吾家、將大赤吾族也」恪、盛陳其必捷。權、拜恪撫越將軍、領丹楊太守、
授棨戟武騎三百。拜畢、命恪備威儀、作鼓吹、導引歸家。時年三十二。
697卑弥呼の都は久留米:2012/03/09(金) 19:06:35.14
>>694
>女王國は城柵の内側

城柵の内側は女王の都する所、即ち女王の居所。
女王國は、奴國、不彌國、投馬國、邪馬壹國4ヶ国の総称。
698日本@名無史さん:2012/03/09(金) 19:19:14.09
久留米くんさあ

女王が死ぬと女王國は即座に消滅するとゆう構図

女王が死んでも國國は即座に消滅とかしないとゆう構図

ここらへん考慮して欲しいな 期待しているよ
699卑弥呼の都は久留米:2012/03/09(金) 19:21:28.39
>>696
掲載文について、
「周旋數千里」は、うろつき回ったら数千里あるの意。
A点からあっちこっち訪れ回ってZ点までいったら数千里あるの意。

A点からあっちこっち訪れ回ってA点に戻ったたら数千里あるの意は、
「周匝數千里」

700日本@名無史さん:2012/03/09(金) 19:25:51.97
卑弥呼って、責任取らされて自害(殺された)したのかな
701卑弥呼の都は久留米:2012/03/09(金) 19:44:58.69
>>698
>女王が死ぬと女王國は即座に消滅するとゆう構図
>女王が死んでも國國は即座に消滅とかしないとゆう構図

其の通り両方です。

卑弥呼が死んだら、男王が立ったので、國國間で不服があふれ、
更に相誅殺至り、千餘人を殺しあう戦争状態になった。
そこで國國は壹與を共立し直した。

そして再興したのは、女王國ではなく倭國だったと読み取れます。
この倭国領域は狗奴國領域を含まぬ倭地。
702日本@名無史さん:2012/03/09(金) 20:01:04.40
倭大夫率善中郎將掖耶狗は狗奴國の王家の出であるとは考えられませんか?
703日本@名無史さん:2012/03/09(金) 20:02:12.95
ちょっと誤植 もっともこっちのが正規表現なのかも
704日本@名無史さん:2012/03/09(金) 20:18:44.59
「更立男王 國中不服 更相誅殺 當時殺千餘人」のの「男王」が誰なのかは

陳さんによってふつうに対象に設定されるような読者さんたちには

即座に判読できるような構図があらかじめ仕組まれていますですよ

「男弟佐治國」 「男弟佐治國」 「男弟佐治國」

いさくさんには読めているはずだけどさ
705日本@名無史さん:2012/03/09(金) 21:32:30.33
倭人伝には人を狂わす何かがあるのかしら?
706須磨虎:2012/03/09(金) 21:52:52.17
>>705
倭人伝にちょっかいょ出す奴の圧倒的大多数が、ももともと狂ってるだけのことだ。

>>704
>「男王」が誰なのかは
卑弥呼姉さんの威光を傘に、一大率なんて名で、
政治を手伝っているふりをして、偉そうに振る舞っていた弟。
こいつが最初に後継王に担がれたが、誰も納得せず反対派に殺された。

倭国最大のお粗末劇さ。ちょんちょん。
707須磨虎:2012/03/09(金) 21:56:08.89
>>705

>>702 こいつなんか、狂ってるタイプのニューフェイスだ。
イカれたオタクの種は尽きまじ。ほとんど無尽蔵状態だな。
708日本@名無史さん:2012/03/09(金) 22:16:48.81
イサクも霞むガイキチの巣窟だな
709須磨虎:2012/03/09(金) 22:21:17.04
>>708
やる気も失せる・けたたましさ・かしましさよ。
710邪馬台国は九州宮崎の地にあった。:2012/03/09(金) 22:46:04.66
邪馬台国は当時の天体測量に結果得られた楽浪郡の南一万二千里、即ち宮崎の地にあった。会稽は帯方郡の南一万二千里にあり、緯度にして二度ほどずれている。これは編者陳寿の郡の位置を帯方郡と取り間違えと考えられる。
711邪馬台国は九州宮崎の地にあった。:2012/03/09(金) 22:47:00.09
邪馬台国は当時の天体測量に結果得られた楽浪郡の南一万二千里、即ち宮崎の地にあった。会稽は帯方郡の南一万二千里にあり、緯度にして二度ほどずれている。これは編者陳寿の郡の位置を帯方郡と取り間違えと考えられる。
712日本@名無史さん:2012/03/09(金) 22:48:36.73
灘升米さんが倭王になったのは

「其(正始)四年(243) 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等・・・掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬」

の時だぞ

倭王になるの皇帝さんに報告した難升米さんは狗奴國男王卑彌弓乎さんのまねっことかして

弓とか駆使してからに鬼道ごっこ担当したんだよな

でっ、それだけでなくて掖邪狗に一大率譲ったふりして

じつのところは院政ぽいのひいてからに暴力装置のトップに居座り続けたのだわな

でっ、酋長さんたちが許容しないわけですわ・・・「 國中不服 更相誅殺 當時殺千餘人」

難升米さんもたんなるまぬけさんとかでないから、権力独占してないっぽくみせる企画してただろ

そしたらふつうに狗奴國の王子さまとかひっぱってきてそれっぽくみせたりするのでわ

とゆうか大儀名分からして狗奴國のの勢力が反抗的とかなら

司馬懿さんのところだってこおゆうう温和な対応とかしないかなとはおもふが
713日本@名無史さん:2012/03/09(金) 22:54:14.52
無理が通れば道理が引っ込む。

《意味》
まちがったことが堂々と行なわれると、
正しいことが行なわれなくなること

《同類》
石が流れて木の葉が沈む
714卑弥呼の都は久留米:2012/03/09(金) 23:16:02.81
>>704
>「男王」が誰なのかは

➀と➁、どっちかな。

➀女王卑弥呼(兄王)の政治を手伝っていた男弟(弟王)が後継兄王として
 シャシャリ出たが、國國の反対にあってノックダウン。
 卑弥呼ゆかりの壹與が國國よって再共立された。

➁卑弥呼の死と共に女王國は崩壊。
 女王國に統屬していた世有王は、倭王(兄王)に返り咲こうと急遽旗揚げしたが、
 國國の反対にあってノックダウン。
 卑弥呼ゆかりの壹與が國國よって再共立された。
715日本@名無史さん:2012/03/09(金) 23:25:18.67
卑弥呼の死と共に女王國は崩壊。
男王が即位したら男王國にふつうにシフト。
716卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/09(金) 23:29:47.02
久留米もかなりの妄想家だなww

伊作は伊作で周旋は動詞だと言い張っているし。
周旋して五千里であろうと外周が五千里であろうと意味は同じなのにw
おまけに卑弥呼の弟が一大率で、しかもそれが後継王だという妄想にあいかわらず浸っているし…。

(まったくこいつらは進歩がないな…)
717日本@名無史さん:2012/03/09(金) 23:35:25.49
>>692 :須磨虎:2012/03/09(金) 18:25:22.56


>フェアにやれ。諸葛恪は何をしに丹楊に赴いたのだ? やや難解な部分を含むが、呉書・諸葛恪伝の問題の箇所。
>諸葛恪は申し述べた。
>「丹陽郡は山が険しく、勇猛果敢な民が多く、さらにその深遠には服わぬ民がいます。 私が丹陽に赴けば、3年で甲士4万を得ることが可能です」。

そう、諸葛恪は何回も献策したのである。「屡自求、乞爲官出之」は「私を丹陽の官として之(勇猛果敢な民)を連れて来させて下さいと屡(何回も)
申し出た」ということだね。

>(諸葛恪は丹楊の平定を命じられる)。

アホ抜かせ。そんなことは書かれていない。諸葛恪の献策を評議した孫権の家臣の意見は全て(衆議咸以)
『丹楊地勢險阻・・・・・・・不能羈也」ということで(諸葛恪の献策は)難(実現が難しい)とした(すなわち却下した)。
この「 」内には丹陽の地勢、深く隠れた民人は城邑に入ったこともなく長吏(高級官僚)に敵対的であること、(丹陽に居る呉の)武装兵は放縦で統制がとれて
いず逃亡が日常化していること、山は銅、鉄を産出し、武器を自製していること、民は戦闘訓練を好み気力が高く、険しい山に登ったり茨の叢を突き切って行くと
きは若魚が水中を走るがごとく、猿が木に登るが如くであること、暇のときは盗みをするので兵を出して征伐し隠れ家を捜すこと、戦は蜂が(襲って)来るようで
負けると鳥が逃げるようであること、前世以来(手なずけて)制御することができていないこと」が記述されている。この記述の理由で諸葛恪の献策は難とされ却
下されたのである。

718日本@名無史さん:2012/03/09(金) 23:42:57.31
「周」
>「稠密」の「稠」の原字
http://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%91%A8

「稠密」
>人・家などがある地域に多く集まっていること。
http://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A8%A0%E5%AF%86
719日本@名無史さん:2012/03/09(金) 23:59:43.56
>>693 :須磨虎:2012/03/09(金) 18:25:46.13
>「周旋」という熟語は、『三国志』の中で30回ほど、みな動詞として使われている。
>その中で、二つだけ「周旋○○里」と里程のついた表現がある。 それが、魏書の「周旋可五千余里」と呉書の「周旋数千里」だ。
>「好都合!!」とばかりに飛びついて、「周旋は周囲の長さ」などと 表社会では通用しない造作解釈をしたくなるわけだ。

周旋に単一の意味しかないと言ってはいないのだよ。周旋には
(1) [socialize]∶打交道;应酬
(2) [contend with]∶相机进退,与对手追逐较量
(3) [circle]∶盘旋;旋转
などの意味がある。文章中でどのように周旋が使われているかで判断しなければならない。
三国志に出て来る周旋の多くは(2)の戦うという意味である。(1)の意味のものもある。
周旋○○里」と里程のついた表現はそれらとは異なり、(3)の意味なのである。

>提示した呉書の周旋の意味がみな「外周距離をいう名詞」だと証明することだな。

ナンセンス。提示した呉書の周旋の例は「 周旋○○里」と里程のついた表現」ではない。
720日本@名無史さん:2012/03/10(土) 00:15:11.28
難しく考えんなよ。
倭国は五千余里(数千里)にわたって集落が点在してる国、ってだけの話。
721卑弥呼の都は久留米:2012/03/10(土) 00:19:53.66
>>715
>男王が即位したら男王國にふつうにシフト。

隋書を読みたまえ。
倭は二元統治国。
宗教を司る兄王と世俗政治をする弟王の二元体制の国である。
「卑弥呼」女王は宗教を司る兄王であり、
「男弟」は政治を佐ける弟王のことだ。
両者には大きな違いがあるのだ。

男弟(弟王)が男王(兄王)となることは、
國國の官(弟王の立場)にとって見過ごすことはできない。
今まで同格であった男弟(弟王)の下に、
國國の官(弟王)がくる事になるからである。

普通にシフトはできないのだよ。
そこで武力で従えようとしたが失敗したのだ。
男弟は岩井の様に殺された可能性がある。
少なくとも男弟勢力メンバーは、壹與の男女生口三十人になった可能性が高い。

以上は➀のケース。
722日本@名無史さん:2012/03/10(土) 00:38:27.58
春だなぁ。
右を見ても左を見ても
前を見ても後ろを見ても

妄想の花満開だなぁ。
723日本@名無史さん:2012/03/10(土) 04:42:23.29
2chだからね。
724日本@名無史さん:2012/03/10(土) 07:23:03.92
>「周旋○○里」と里程のついた表現はそれらとは異なり、(3)の意味なのである。
単なる屁理屈だな。里をつけたからといって、とたんに意味が変わるものではない。
「周旋五千里」は、倭の地の始まる地点から倭の地の尽きる所までの距離を言った
ものだ。榎がそのことを指摘しているよ。

725日本@名無史さん:2012/03/10(土) 07:28:29.78
そんなのは何の根拠にもならない。
726日本@名無史さん:2012/03/10(土) 09:25:29.32
>「周旋○○里」と里程のついた表現はそれらとは異なり、(3)の意味なのである。
これも何の根拠もない。
727日本@名無史さん:2012/03/10(土) 09:34:19.21
>>592
>女王国以北の国々以外は遠絶で調査できなかったといってるが。
>どうやって倭地全体の外周距離が分かったというのか。
>倭地には狗奴国と隼人の領域があるが、そこまで踏破して計測したといのうか。
使者は自分で確信を持てたから書いたということだな。つまり、九州南端まで踏破
したんだよ。

728日本@名無史さん:2012/03/10(土) 10:13:28.32
水行20日ってあるけど、普通あぶない夜に船出&海中停泊なんてしないから
千里て一日での行程て考えていんじゃねえの?
だから20日ってのは陸伝いに一日ごとに停泊して航行したはずだから
壱岐〜松浦間の20倍の距離にある場所を考えれば、近畿ってのは無難な答えだと思うが
どうだろう
729日本@名無史さん:2012/03/10(土) 10:27:11.26
>普通あぶない夜に船出&海中停泊なんてしないから
船行一年というのがあるね。毎日港に入っていたとは思えないよ。
730日本@名無史さん:2012/03/10(土) 10:35:40.56
卑弥呼の時代、朝鮮半島から対馬、松浦への航路を支配していたのは安曇氏だろう。
安曇氏の協力なしには、卑弥呼は魏に使いを送ることは出来なかったし、
邪馬台国と朝鮮半島を結ぶ航路に一定間隔ごとに中継点となる港を持っていたはずだ。
安曇氏が信仰した海神を祭る神社をつないでいけば邪馬台国にたどり着く。

731日本@名無史さん:2012/03/10(土) 10:42:57.02
>航路を支配していたのは安曇氏だろう。
>中継点となる港を持っていたはずだ。
>邪馬台国にたどり着く。

だろう。はずだ。を根拠にたどり着くのは別の場所。
732日本@名無史さん:2012/03/10(土) 11:06:58.39
朝鮮人犯罪があまり報道されない理由

韓国文化放送(MBC) 〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F
フジテレビジョン 、、 〒137-8088 東京都港区台場2-4-8 

韓国聯合TVNEWS(YTN) 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6
TBSテレビ     、 、、 .〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6  ←オウムに坂本弁護士の自宅の住所を教えて殺させた犯罪幇助のテレビ局

大韓毎日   、、、、、、、、、、、、 〒108-0075 東京都港区港南2-3-13 4F
東京新聞(中日新聞社東京本社) 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13

京郷新聞  、、、、、、〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
(サンケイスポーツ、夕刊フジ、日本工業新聞社)

朝鮮日報   、、、  〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1-1 4F
毎日新聞東京本社 〒100-8051 東京都千代田区一ツ橋1-1-1

韓国日報  、、、、  〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F
読売新聞東京本社 〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1

東亜日報   、、、  〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2
朝日新聞東京本社 〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2(AFP、NYT)

日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C
733大訂正!:2012/03/10(土) 11:44:45.83
>>696
>>679 :大訂正!
>>>動詞なら主語がある筈じゃね〜か?主語は何だ?答えてみろ、このアンポンタン。
>>主語を答えたら、お前こそ『蚤程度の脳の持ち主』であると認めるか?
>認めるから答えてみんしゃい。
>>692
>>動詞ならば主語を必要とするが、上記文章には該当する主語がない。
諸葛恪とその軍隊が丹楊平定でめぐったのだ。

名無しのトンチキ野郎。
主体も主語も俺様だ。 解るかこの意味。
俺れ様が『周旋』の『師』だ、ということだ。
俺様の『目と耳』がその域の運動距離を『五千里』と決定したんだ。
此処まで云えば、『蚤程度の脳の持ち主』でも理解できるだろう。

お前に出来る事は重箱の隅にかじりつくことだけだろう。
ま〜〜歯が欠けない様に頑張れ。藁・・・・


734大訂正!:2012/03/10(土) 12:17:01.18

×俺様の『目と耳』がその域の運動距離を『五千里』と決定したんだ

◎俺様の『目と耳』がその域の運動距離を『数千里』と決定したんだ
735卑弥呼の都は久留米:2012/03/10(土) 13:44:46.77
>>729
>船行一年というのがあるね。毎日港に入っていたとは思えないよ。

船行一年 = 海行一年 = 海行十二月 = 水行十二日 = 一万二千里
外洋航行  海域航行          沿岸航行

外洋航行:九州から関東までの太平洋沖合い航行、天気が良ければ夜間無寄港。
海域航行:黄海、東シナ海沖合いの数日間の無寄港航行
沿岸航行:夜には必ず寄港する昼間航行
736大訂正!:2012/03/10(土) 14:03:08.16
>>735 名前:卑弥呼の都は久留米 :
>船行一年 = 海行一年 = 海行十二月 = 水行十二日 = 一万二千里
>外洋航行  海域航行          沿岸航行

何これ?
現代風 しりとり遊び かね?

737大訂正!:2012/03/10(土) 14:15:04.12
正解は↓だ。

船行一年 = 海行一年 = 海行十二月 = 水行三百六十日 = 九千余里
738日本@名無史さん:2012/03/10(土) 15:00:36.31
丹楊地勢険阻、与呉郡、会稽、新都、ハ陽四郡隣接、周旋数千里とある
丹楊郡というのは 上は長江(魏)で区切られ、下が呉郡、会稽郡、新都郡、ハ陽郡に隣接している
丹楊郡の外周は北部九州の外周の2倍はある
これで測れば、五千里の外周は瀬戸内と畿内を含む領土と一致する

まあ、外周だけ別の単位で測るってことはないと思うけどね
739日本@名無史さん:2012/03/10(土) 15:38:18.08
つーか、この特派員は不弥国までしか行ってない気がするわ
あとは伝聞で書いたんじゃないの?
740日本@名無史さん:2012/03/10(土) 15:58:35.02
卑弥呼の城のレポートがあるから邪馬台国まで行ってるでしょう
741日本@名無史さん:2012/03/10(土) 16:49:57.85
又聞きなんじゃね?
卑弥呼の国からきた人にインタビューしただけで行ったわけじゃない
だから以前の倭国大乱の歴史についても知っている
742日本@名無史さん:2012/03/10(土) 17:31:14.16
どうだろう、壹與が自分の姿を過去に投影して卑弥呼の虚像のが浮かび上がってそれが記録されたみたいな感じでも別に驚くのに値しないな
743日本@名無史さん:2012/03/10(土) 17:53:44.16
>>721
『隋書』東夷傳に出てくる阿毎 多利思北孤 阿輩雞彌の二元統治国ののは

「倭王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺座 日出便停理務 云委我弟」だから

時間帯別ののかわり番この二元統治国のだからして

「宗教を司る兄王と世俗政治をする弟王の二元体制」とゆうのは誤解であると云わざるを得ない。

時間帯別ののかわり番この二元統治とゆうのは近世においても日の出前のの若衆組沙汰なんかでも残存。

「冥界と此世をそれぞれハンドリングする二王が機能分担」とゆうのは別件とゆうことにはなりますが。
744日本@名無史さん:2012/03/10(土) 18:12:35.57
久留米てへんなひと

男の王様のくせに女王を称すみたいな御高説たれてやがるの

そのうちに卑弥呼はじつはムツゴロウさんですとか言い出しそう
745日本@名無史さん:2012/03/10(土) 18:30:55.38
邪馬台国の西側の国は、だんまりですね
何があったのかな?
746日本@名無史さん:2012/03/10(土) 18:58:36.43
>>733 :大訂正!

漢文を読めないのなら黙っていなさい。君が口を出せる問題ではない。
須磨虎氏も自分の間違いに気付いている頃だろう。恥ずかしくて顔を出せないかな。
747卑弥呼の都は久留米:2012/03/10(土) 19:57:07.66
>>744
>久留米てへんなひと
>男の王様のくせに女王を称すみたいな御高説たれてやがるの

倭(日本)の兄弟政治(二元政治)について勉強しなさい。
兄王は常に天皇。
弟王は、関白、征夷将軍、総理大臣と変遷している。
748日本@名無史さん:2012/03/10(土) 20:05:30.74
天皇の呼称なんて天武以降だろ おまいきいたしかか 洗脳されてるのね くるくるめ
749卑弥呼の都は久留米:2012/03/10(土) 20:08:39.73
>>745
>邪馬台国の西側の国は、だんまりですね
>何があったのかな?

何もなかったから。
西側の国の地域は、
小城、多久、武田尾、白石、鹿島、嬉野。

伊万里以西以南は狗奴國派。
750名無しさん:2012/03/10(土) 20:14:06.78
「台」という略字なくて「臺」を使用しろよ
751日本@名無史さん:2012/03/10(土) 20:15:15.88
潮が引いたら移動もままならないのが佐賀以東の干潟

移動に支障をきたさなくなったのは軍道が整備されてからです。
752日本@名無史さん:2012/03/10(土) 20:19:48.99
753卑弥呼の都は久留米:2012/03/10(土) 20:39:29.64
>>743
>時間帯別ののかわり番この二元統治国のだからして

夜番(兄王)は、祈りの時間、祭りごと。・・・卑彌呼、卑彌弓呼、現代の天皇
昼番(弟王)は、権力争い、外交、戦争、祭りごと以外の全て昼間活動。・・・男弟、各國の官、総理大臣


>「冥界と此世をそれぞれハンドリングする二王が機能分担」とゆうのは別件とゆうことにはなりますが。

冥界ではない。神との対話祈り
此世ではない。日々の出来事への対処。
754須磨虎:2012/03/10(土) 20:43:25.18
ウソと分かるウソを重ねてまでウソを通したがる虚言癖を叩き潰す。
>>717 
>アホ抜かせ。……諸葛恪の献策は難とされ却下されたのである。
その言葉に責任を持てるか? ……タマなしには無理だろうな。
続きをみるとこうだ。
▼権拝恪撫越将軍、領丹楊太守、授棨戟武騎三百。拝畢、命恪備威儀、作鼓吹、導引帰家。
孫権は諸葛恪の申し出を容れて「撫越将軍・丹楊太守」に任命している。
▼恪到府…………恪自領万人、余分給諸将。
着任したあと万人を得ることに成功。(到府は着任を意味する古語)
▼権嘉其功、遣尚書僕射薛綜労軍。…………拝恪威北将軍、封都郷侯。
孫権利はことの成功に喜んで、諸葛恪に威北将軍を拝し都郷侯に封じている。

ウソにウソを重ねるから、ウソをついてつくろうにも、どんどん苦しくなるな。
つづくぞ
755須磨虎:2012/03/10(土) 20:43:50.24
続き
>>719
>文章中でどのように周旋が使われているかで判断しなければならない。
倭地の外周がこんな規模でいいというのか。
360度全角度的にみて判断するのがすぐれた解読だ。タコ
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/f4/c4afed3c1180627af5a733f45ef279d2.jpg?random=92d42d2a275bf019e8cf11b443a3ac97

>三国志に出て来る周旋の多くは(2)の戦うという意味である。
周旋に「戦う」という意味はない。ウソをいうな。
(1)打交道:応酬
(2)相机、進退、与対手追逐 較量。このどこに「戦う」という意味があるか?
(3)盤旋(旋転)
どうしてそう、ウソと分かるウソを重ねてまでウソを通したがる? 虚言癖充足か?
(2)のどこに「戦う」という意味があるか?
●そもそも外周という意味はなかろう。●意味は違えど、みな動詞だよな。
●お前が調べたクソ事典にも「動詞」となっているんじゃないのか?

>「周旋○○里」と里程のついた表現はそれらとは異なり、
以上、総合的に判断しても、回り巡った距離の表記だ。

ウソまでついて知ったふりをする神経が俺には理解できん。消えろ
756日本@名無史さん:2012/03/10(土) 20:44:36.42
廣志
倭の西南海行一日に伊邪分国あり
757須磨虎:2012/03/10(土) 20:52:39.05
>>717 
こいつは、ここ数ヵ月間、筋の通らない文法談義を持ち込んだり、
自論に都合のいい部分だけを切り取りして反論材料に使ったり。
多くの用例の中から、自分の我流解釈ができそうな用例を持ち出して、
説明も不十分なまま、我田引水解釈を垂れたり。
一環して姑息な「論拠ねつ造」という手法に頼り、
汚い手口を使って伊作の正統派正論を否定せんとしてきた。

それが暴かれて潰されても、またぞろ、
ほとぼりが覚めたら同じことを繰り返すのだろう。これも一種のびょーにんだ。
758日本@名無史さん:2012/03/10(土) 20:53:46.12
>>753
卑彌呼とか、卑彌弓呼とか、現代の天皇とかは

夜番専門にしてからにお昼寝好物だとかゆわれてもなあ

そおゆう嘘くさいことは酒でも呑みくらっているからいえちゃうのかなあ
759日本@名無史さん:2012/03/10(土) 20:55:13.37
「宗教を司る兄王と世俗政治をする弟王の二元体制」とゆうのは誤解と強く指摘してあげたけど、

ちょっと具体性をもたせてゆうと

多利思北孤さんの場合は「聖なるもの」の方に興味があってぱわあの方には興味とか失せてて

日弟王さんにおんぶにだっこでうまく煽ててこき使ってるみたいなかんじにみえたりします。

天兄王さんみたいなお仕事のはまんどくさいから、日弟王さんのほうはそおゆうの興味わきませんてなかんじ。
760須磨虎:2012/03/10(土) 21:01:38.99
周旋は動詞だ。
魏使は倭地を隈なく回っていない。どうやって倭地の外周を里程で計ったのか。
倭人は里程を知らない。倭人が伝えた倭地の外周距離でもない。
三韓の外周16000余里と比較して、倭地の外周が5000余里では比較にもならない。

これでもまだ。「周旋5000余里」を倭地の外周だというのがいるか?
基本的に頭が悪い末期高齢者ども。頑迷なのもいい加減にせい。
761日本@名無史さん:2012/03/10(土) 21:03:20.04
ほんとうのことゆうと

多利思北孤さんはお日様だから

日出ると天に昇ってぴかぴかするお仕事があるから

「日出便停理務 云委我弟」
762日本@名無史さん:2012/03/10(土) 21:25:55.21
たしかに魏の遣使が倭国にくるまで一万二千里、倭国についてから五千里の道のりを周回して旅したという意味にとれば
無難に解釈できるな
実際に回らなかった倭国の場所は聞き書きでしたということにもなる
763日本@名無史さん:2012/03/10(土) 21:33:35.78
松浦までで一万里、よって残りは二千余里。
つまり邪馬台国まで往復四千余里。

余の具合によっては、ほとんど寄り道しなくても
五千里くらいになるかもしれない。
764日本@名無史さん:2012/03/10(土) 22:03:53.96
奴国が女王を共立する連盟国の最西端(最北端)だと思うのだが。
女王が都するところが邪馬台国なわけで一応奴国も女王国のひとつと思われ
万二千里の二千里は、奴国にくるまでの万里+αのαなのでは?
765日本@名無史さん:2012/03/10(土) 22:34:16.19
>松浦までで一万里、よって残りは二千余里。
郡から邪馬台国までが万二千里だと考えているのでは、長い水行、陸行の日数を
とうてい理解できない。
万二千里は女王国までの距離、邪馬台国までの距離ではない。
766須磨虎:2012/03/10(土) 22:44:28.82
つくづく思うのだが。
>>717
>三国志に出て来る周旋の多くは「戦う」という意味である。

もしも俺が、相手の解釈を否定するためにこういうバカげたことをいえば、
寄ってたかってホラ吹き扱いで集中攻撃を受けるだろう。
まとまった論考サイトを公開してるわけでもない名無しの、
無責任な、恥の書き捨て・言い放題の垂れ流し。
2ちゃんがゴミ箱レベルの評価しか受けない主因の一つだろうな。

767須磨虎:2012/03/10(土) 22:51:51.64
>>765
>万二千里は女王国までの距離、邪馬台国までの距離ではない。
また一人。脳不全の末期高齢者のご登場だ。
無責任な、恥の書き捨て・言い放題。
ちゃんがゴミ箱レベルの評価しか受けない主因の一。
768卑弥呼の都は久留米:2012/03/10(土) 23:04:52.94
>>761
>多利思北孤さんはお日様だから
>日出ると天に昇ってぴかぴかするお仕事があるから
>「日出便停理務 云委我弟」

隋の煬帝に喧嘩を吹っかけた多利思北孤さんは、弟王。
外交はお昼のお仕事。
769卑弥呼の都は久留米:2012/03/10(土) 23:05:07.74
>>761
>多利思北孤さんはお日様だから
>日出ると天に昇ってぴかぴかするお仕事があるから
>「日出便停理務 云委我弟」

隋の煬帝に喧嘩を吹っかけた多利思北孤さんは、弟王。
外交はお昼のお仕事。
770日本@名無史さん:2012/03/10(土) 23:11:30.55
ゴミ箱レベルの評価しか受けない駄説
1 朝鮮内は陸行した。
2 日数は郡からだ。
3 日数の一日は水行千里だ。
4 万二千里には方四百里、方三百里の島巡りを含む。
771日本@名無史さん:2012/03/10(土) 23:15:34.65
>>754 :須磨虎

おいおいおい。「自論に都合のいい部分だけを切り取りして反論材料に使ったり」しているのは君だろ。
「  」皆以爲難。までは前回説明したとおり、恪が何回も献策したが却下されたことを述べている。
その直後の文章は
恪父瑾聞之、亦以事終不逮、歎曰「恪不大興吾家、將大赤吾族也」恪、盛陳其必捷。だ。
これは恪の父親の瑾が息子の献策が容れられなかったことで嘆いたことを書いている。
「またしてもうまくゆかなかった。」「恪は我が家を興隆させない。我が一族は大赤(赤色)を旗印とする将であるのに!」
ところが恪は諦めなかったのである。恪、盛陳其必捷。盛んに説き嘆願し成功した(献策が受け入れられた)。

それで
權、拜恪撫越將軍、領丹楊太守、授棨戟武騎三百。拜畢、命恪備威儀、作鼓吹、導引歸家。時年三十二。
孫権は恪を撫越將軍、領丹楊太守に任命し、棨戟(絹布付きの戟)武騎三百を授けた。簡札を授けて恪に威儀を備えさせ鼓笛
を付けて家に導かせた。時に恪32歳であった。(献策を始めて随分と年月が経っていたようである)

これを見れば「「  」皆以爲難。」の「 」内の「周旋数千里」は恪が軍隊を連れて周り巡ったものではないことが分かる。
「周旋数千里」は丹陽の叙述なのである。
772卑弥呼の都は久留米:2012/03/10(土) 23:25:53.61
>1 朝鮮内は陸行した。
2chにはいないな

>2 日数は郡からだ。
水行に関してはそうだが

>3 日数の一日は水行千里だ。
水行一日が凡そ千餘里

>4 万二千里には方四百里、方三百里の島巡りを含む。
島巡りはない。
万二千餘里には、方可四百餘里と方可三百里の循海岸水行千四百餘里を含む。
773日本@名無史さん:2012/03/10(土) 23:33:31.98
俺三国志演義読み返そうかな。
なんかヒントありそうだな。
774日本@名無史さん:2012/03/10(土) 23:52:23.31
>>766 :須磨虎

周旋の「戦う」という意味には「追撃する」、「相手と戦うべきかどうか否か形成判断をする」など
も含まれる。戦い方はいろいろある。
775日本@名無史さん:2012/03/11(日) 00:01:32.57
そんな難しく考えなくていいと思うが
776日本@名無史さん:2012/03/11(日) 00:14:23.50
周施可五千餘里の解釈とは関係ない方向に話が行ってるな
777日本@名無史さん:2012/03/11(日) 00:26:32.38
女王から水行十日 陸行一月とか離れたとこで

國中人にお土産お披露目とかするんだ

一大率からの女王への業務連絡とかたいへんだな
778日本@名無史さん:2012/03/11(日) 00:34:02.28
女王のところに行くのであれば旅程は複数あるのにきまるわな

とるコースによってかかる日にちはちがってくるにきまるわ
779日本@名無史さん:2012/03/11(日) 00:41:23.92
距離同様に日数も多めに書いてあるんだよ
780日本@名無史さん:2012/03/11(日) 00:54:08.22
郡から出雲が20日だったら、難升米糸島直行便とかだと10日もあれば十分お釣りが出そうだな
781日本@名無史さん:2012/03/11(日) 00:55:15.75
>>770
激しく同意。
782日本@名無史さん:2012/03/11(日) 01:17:05.96
このへんの解釈は、さすがに伊作のほうが常識的だ。
俺も伊作の方を採用する。
戸の件で色々書いたけどな。
783卑弥呼の都は久留米:2012/03/11(日) 01:20:46.72
日本列島周旋・日本列島周匝
   
「周旋」は九州からあちらこちら寄りながら北海道まで行き着くこと。

「周匝」は九州からあちらこちら寄りながら北海道まで行って、
又、あちらこちら寄りながら九州に戻ってくること。
784日本@名無史さん:2012/03/11(日) 01:47:52.14
>>768
「俀王 姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌」

「俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺座 日出便停理務 云委我弟」

俀王云「委我弟」

俀王さんに自演させるおつもり?
785日本@名無史さん:2012/03/11(日) 01:59:15.11
まああれだわ

女王たてるかどうかはオプションで選択のので

女王いなくても國國の基本の構図は崩れないけど

女王國は即座に消滅して邪馬壹國國國連合も即座に解体してからに

もとののばらばらな國國の戻るとゆうことなだけだわな

要するに揉めるだけのことじゃに
786日本@名無史さん:2012/03/11(日) 02:00:52.18
たぶんあれだよ

女王國に民なんていないのさ

んで

徴税権とかなんかも皆無なんだろな
787日本@名無史さん:2012/03/11(日) 02:30:02.64
>>777
基本的に明治までそんな感じでしょ
788卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/11(日) 10:00:01.78
韓半島の外周を地図でざっと計ると、

鴨緑江以南を韓半島とすれば、約2000km。魏の公里だと約4700里。
ソウル以南を韓半島とすれば、約1400km。約3000里。

一方>>595で見たように九州の外周は魏の公里で約2000里。
北海道を除く日本の外周は約9000里。

これで見ると倭人伝の、韓地は方四千里(=周旋一万六千里)、倭地は周旋五千里というのは、
明らかにバランスが崩れている。

上の計算で見ると、韓と倭の外周は、47:20≒2:1、もしくは3:2だが、
倭人伝では16:5≒3:1である。
789卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/11(日) 10:05:28.16
しかしバランスが崩れているにせよ、
倭地を九州と本州を含めたものと考えると、
そのバランスは完全に崩れるのであって、
倭人伝の記述によるかぎり、
倭地とは九州であると見なさざるをえない。
790日本@名無史さん:2012/03/11(日) 10:17:14.66
周旋五千里を外周(一周)と思い込んでいるからバランスが崩れるんだよ。
周旋とはあまねく巡る、こちら側から向こう側まで全部を巡るってことだ。
つまりは片道でいいのさ。倭地(九州)は、一周にすれば、一万里=八百キロ。
丁度合ってるだろ。
791日本@名無史さん:2012/03/11(日) 10:28:35.33
古事記を単純に読んで大和王権つくった人たちの先祖は南九州のムラにいた一族じゃないのかな
2世紀初頭?に狗邪国勢力に敗れて東へ東へと移動
邪馬台国は普通に北九州地区の連邦政権だろ
なんで畿内とか馬鹿なこと言う人がいるのかわからない

畿内説の人は古事記、日本書紀の前半部をアタマから馬鹿にしてるんだと思う
大和朝家の過去に巫女王権で周辺のクニグニを従わせた歴史があれば、かならず歴史語り部から歴史語り部へと伝わってるよ
アマテラスが卑弥呼?
とんでもねえ

邪馬台政権は台与の代に九州で潰れ、消滅したんだよ
狗邪国にやられたか、まあそんなとこだろ
隼人とかクマソとかが九州の古き国々の生き残りだろ

792大訂正!:2012/03/11(日) 12:07:42.37
>>760 :須磨虎
>三韓の外周16000余里と比較して、倭地の外周が5000余里では比較にもならない。

韓在帶方之南、東西以海為限、南與倭接、方可四千里。 ・・・・『三国志魏書』馬韓伝
大者萬餘戸、小者數千家、 各在山海閨A地合方四千餘里、東西以海為限、皆古之辰國也。・・・『後漢書』馬韓伝

『三国志魏書』馬韓伝の方可四千里は北に韓、南倭その二点間のさしわたし。
『後漢書』馬韓伝の「地合方四千餘里」は、韓三国の田畑の地積。
これも、外周ではないでしょう。



793卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/11(日) 12:42:11.49
たしかに周旋が片道だけのことなら、
韓と倭の外周は3:1となり、倭人伝の3:1とちょうど合う。
しかしそれは帯方郡がソウルに在ったと仮定した場合の話である。

帯方郡が遼東に在った場合は、47:10≒5:1となり、バランスはさらに崩れる。
しかし、その場合でも、倭地は九州であると解した方が、倭人伝の記述に合う。
794日本@名無史さん:2012/03/11(日) 13:29:04.94
九州王朝は、聖徳太子で終わった。
795日本@名無史さん:2012/03/11(日) 14:03:20.07
女王国から先には行ってないのに、なんで九州の北端から南端までの距離が分かるのよ
796日本@名無史さん:2012/03/11(日) 14:17:15.67
女性の内面は男性だから、男神を祭る神社がくさいなあと思ったんだけど。
中心地で言うなら、福岡の志賀の島(沖島だっけ?)が
怪しいと思った。ものすごい数の宝物が出たところ。
797日本@名無史さん:2012/03/11(日) 14:21:00.48
爆笑
798日本@名無史さん:2012/03/11(日) 14:23:07.82
コメディアンは人を笑わすだけで自分は笑わないものです。
799日本@名無史さん:2012/03/11(日) 14:24:03.27
>>795
>女王国から先には行ってないのに、なんで九州の北端から南端までの距離が分かるのよ
行ってないとはどこにも書いてないね。使者は、行ったんだよ。
伊都国からは放射式に書いている。投馬国までは水行二十日だ。使者はまず投馬国まで行
った。それから邪馬台国へ行くのにどうしたと思う?
邪馬台国は伊都国から水行十日陸行一月だ。投馬国から水行十日分戻るか?
それも一つの方法だが、そうではなく、投馬国から先へ行き、九州南端をめぐってそこか
行った方が簡単だ。鹿児島湾に入るか、志布志湾まで行く、そこで上陸した方が一月も歩
かず邪馬台国へ到達できる。つまり使者は、九州の南を舟で回っているんだよ。
800日本@名無史さん:2012/03/11(日) 14:32:04.76
卑弥呼が神社で祭られてるって可能性はないの?
801日本@名無史さん:2012/03/11(日) 14:35:24.73
>>799
放射式の読み方にそもそも無理があるんじゃないの?
それに女王国より先に行ったのであれば「其餘旁國遠絶不可得詳」と矛盾するでしょ
802日本@名無史さん:2012/03/11(日) 14:42:55.66
>>801
無理なんか全然ないね。文献史学者の多くは放射式の読み方が正しいと言っている。
書き方が放射式の書法に変化しているのに、それを無視した読み方の方がずっと無理な読み方だ。

>「其餘旁國遠絶不可得詳」と矛盾するでしょ
全然矛盾はないと思うが、どんな状況を考えているのかな?

803日本@名無史さん:2012/03/11(日) 15:11:54.51
熊襲の女酋長さんのこと どうしても東の方に持っていきたいという まぬけな脳みそが理解できない
804日本@名無史さん:2012/03/11(日) 15:15:29.78
>>802
だってさあ、>>799で示したルートなら一月も陸行しなくていいんでしょ?
だったらそっちのルートを書くんじゃないの?
「其餘旁國」は「女王國以北」との対比だから女王國以南ってことになるでしょ
これを「遠絶不可得詳」と言ってるのだから当然女王國より南には行ってないということになるよね
805日本@名無史さん:2012/03/11(日) 15:31:33.30
反日ネット工作員
朝日新聞社→社員約300人
民主党とその取り巻きの資金が入った反日工作会社→数社約450人

朝日新聞の社員は捕まった49歳の編集者を含め新聞記事を書く合間に2chを荒らしている程度とみられているが
民主党が用意した反日工作会社は朝8時過ぎから25時半まで工作を行っている
工作範囲は民主党が予め工作費を流している2ch、ニコニコ動画を中心にyoutube、個人のブログなどである。
806日本@名無史さん:2012/03/11(日) 15:32:18.94
>>800
伊勢神宮に祀られているのかもしれない。
807日本@名無史さん:2012/03/11(日) 15:53:23.15
>>804
>だってさあ、>>799で示したルートなら一月も陸行しなくていいんでしょ?
>だったらそっちのルートを書くんじゃないの?
陸行は短くてすむけど、水行の日数がかかるだろうが。投馬国から更に水行二十日、
陸行十日かかるとしたらどうだい? 伊都国から五十日のルートになってしまう。
水行十日陸行一月の方が短いだろ。

>「其餘旁國」は「女王國以北」との対比だから女王國以南ってことになるでしょ
ならないよ。以北以外のところというだけだ。だから、女王国に含まれる国々も「其余」
に入ることになる。 旁国は邪馬台国よりも北にあったってかまわないさ。
808日本@名無史さん:2012/03/11(日) 16:02:15.33
放射説なんてややこしいまねしなくていいよ
ただ単に無視すればいい
奴国不弥国投馬国邪馬台国に関する記述は無視するんだ
使者は伊都国までしか行ってないし邪馬台国のことも知らなかったんだ

あれはちんじゅが書き足したんだよ
809日本@名無史さん:2012/03/11(日) 16:09:39.00
ぜんぶ陳壽の脳味噌にあるなかみ文字化しただけだろ
810日本@名無史さん:2012/03/11(日) 16:12:27.90
>放射説なんてややこしいまねしなくていいよ
ややこしいものか。地誌の書き方には、連続式と放射式があるんだよ。放射式の
記載などいくらでもある。その書き分けなんぞ学者にすれば常識的なことだ。
陳寿が書き足したものではない。使者が報告書に放射式で書いたんだろう。
それでないとうまく書けなかったからだよ。


811日本@名無史さん:2012/03/11(日) 16:28:20.71
「其餘旁國」に含まれないような「復有國 皆倭種」のの國國にも

「使大倭」ヴァーチャル任命とかあったって考えた方が良いかな


「大倭」なんちゃらってよろこんで名乗ってたらしい酋長さんとかたくさんいるじゃん
812日本@名無史さん:2012/03/11(日) 17:09:52.00
>>807
なるほど
確かに50日のルートより40日のルートを書くだろうね
でも何で50日も掛けて投馬國経由で邪馬台国に行ったのかな?
最初から40日で邪馬台国に行けばいいんじゃない?
あと以北以外は以南でしょ?邪馬台国より北だったらおかしいよ
813卑弥呼の都は久留米:2012/03/11(日) 17:17:46.08
>>784
>俀王云「委我弟」
>俀王さんに自演させるおつもり?

784はちゃんと読め

「使者言 俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺座 日出便停理務 云委我弟」

俀國使者言「俀王以天爲兄 以日爲弟」
俀國使者言「(我兄王)天未明時出聽政 跏趺座 日出便停理務」
俀國使者云「(我兄王)委我弟(王)」

俀國王に自演などない。
俀國王は一人しかいないと決め込むから自演に見えるだけだ。

重ねて言う「俀國王は兄王と弟王の2人指すのである」且「多利思北孤は俀國弟王である。」
814日本@名無史さん:2012/03/11(日) 17:21:49.51
「Oタ」ってなんなのよ
携帯だから文字化けしてんのかいな
815日本@名無史さん:2012/03/11(日) 17:28:15.62
多利思北孤って聖徳太子?
816日本@名無史さん:2012/03/11(日) 17:49:40.46
>>815
聖徳太子は皇太子であって倭(タイ)国王ではない
817卑弥呼の都は久留米:2012/03/11(日) 18:00:01.76
多利思北孤
聖徳太子
上宮法皇

年号(元号法興)を持つ唯一の弟王  法興:1年(AD592)〜32年(AD623)

多利思北孤の墓は宮地嶽古墳

以上古田説からも引用
818日本@名無史さん:2012/03/11(日) 18:00:51.21
>>808
じゃ「親魏倭王」の金印は誰が渡したのさ
卑弥呼のお城に関する描写は誰が見た光景なのさ
819卑弥呼の都は久留米:2012/03/11(日) 18:03:09.37
多利思北孤は、日本書記の中では聖徳太子。
820日本@名無史さん:2012/03/11(日) 18:09:13.10
久留米は読めていない以上にあたまとか弱いのか?

俀王遣使が詣闕

なかみがどうであっても対ちゅうこく外交では俀王は一人。

俀王は名前あかしている

俀王は、姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌だろ

兄弟の関係は 「以天爲兄 以日爲弟」

俀王は「天未明時出聽政 跏趺座 日出便停理務」

俀王云「委我弟」

俀王多利思北孤は、「兄」で「天」です

いさくさんもあきれてくちさえださず。。。
821日本@名無史さん:2012/03/11(日) 18:11:19.86
正しい日本語で書けよ
822日本@名無史さん:2012/03/11(日) 18:17:27.49
邪馬台国(倭)は移動している。
海中にあったときもある。大陸雲南省からベトナム、台湾、沖縄、奄美大島を経て九州に上陸。
卑弥呼の父の土地が北部九州筑紫のときに卑弥呼生まれる。但し、現在の長門市。お墓もそこにある。
松江にいた邪馬台国の大指導者が邪馬台国とその敵とのあいだの和平に成功させる。
卑弥呼は敵地の奈良に乗り込み女王になり、敵の神も含めた祈りをささげる。
卑弥呼は偉大なシャーマンであり、政治家でも軍人でもない。
卑弥呼が女王になり、数世紀ぶりに和平が到来し、伝説の女王になった。
これがマクモニーグルの透視の要点。
823日本@名無史さん:2012/03/11(日) 18:17:41.81
「あたまとか弱い」から無理
824日本@名無史さん:2012/03/11(日) 18:28:42.27
そんなことゆわないでください
825日本@名無史さん:2012/03/11(日) 18:29:31.86
卑弥呼の行った祭祀形式は神道ではなかったと透視されている。
箸墓の発掘調査では道教祭祀を行っていたことがわかっている。
ただし、箸墓は卑弥呼の墓ではない。
826日本@名無史さん:2012/03/11(日) 18:37:51.62
ちんじゅが書き足したんだよ
魏志倭人伝は2つの資料を足して書かれているんだよ
実際に伊都国まで来た使者の報告書と
大和に関するきわめていい加減な情報
だから奴国から邪馬台国までの記述は無視していいんだ
827日本@名無史さん:2012/03/11(日) 18:43:33.77
大和て卑弥呼ねたにして△縁現世利益鏡とか銅鐸鋳潰したの有効利用してからに大量生産したあれか?
828日本@名無史さん:2012/03/11(日) 18:45:28.65
無視したほうがすっきり読めるんだ
くな国は熊襲 海を渡って東の倭種の国は出雲や吉備や丹波や大和
其餘旁國は伊都国と熊襲の間にあった小さな国々
奴国が2回出てくるのも余計な記述を挟み込んだせいだ
それから距離に関してもあう
女王国と熊襲の教会まで1万2千里だ
829日本@名無史さん:2012/03/11(日) 18:50:23.70
聖徳太子って調子こきすぎ
かの国の人みたい
830日本@名無史さん:2012/03/11(日) 18:54:05.78
>>812
>でも何で50日も掛けて投馬國経由で邪馬台国に行ったのかな?
>最初から40日で邪馬台国に行けばいいんじゃない?
魏の最大の関心事は邪馬台国が呉と通交しているかどうかだろう。邪馬台国が日向にあれば
日向から直接中国に船をだすのは難しい。九州の西側つまり投馬国から船をだすことになる。
投馬国を訪ねたのは、通交の有無や状況を調べるためだろう。安田哲也「邪馬台国の暗号」
がそうゆう説を出しているよ。

>あと以北以外は以南でしょ?邪馬台国より北だったらおかしいよ
もしそうなら、以南は略載できないと書けばいいわけだろ。しかし、そうではなく「其余」
と書いた。それは、旁国があったところは「以南」ではないからだよ。
つまり、女王国の中に旁国が含まれていたんだ。邪馬台国+投馬国+旁国21国、それが
女王国なんだよ。旁国は女王国の中だから、以南とは書けないということさ。
そして、女王国の中の配置はどうでもいいわけさ。邪馬台国の北に旁国があったとしても、
女王国の中が「其余」であることはまちがいないのだから。







831卑弥呼の都は久留米:2012/03/11(日) 19:04:41.38
>>820
>なかみがどうであっても対ちゅうこく外交では俀王は一人。

外交は日出後の理務。
日出後の理務ができるのは弟俀王。
だから、隋から見れば交渉相手の俀王はひとり。

煬帝から見れば、俀國の政治体制について「此太無義理」と考えるよね。

兄王と弟王は後世の天皇と征夷将軍の関係とよく似ている。
後世の中国も征夷将軍を日本国王と認識していた。


>いさくさんもあきれてくちさえださず。。。

森村伊作さんも、自分を超える天才に気付き、呆然としているのではないでしょうか?

いや、私は天才ではありません。
私は地道に論理を積み上げただけです。
832日本@名無史さん:2012/03/11(日) 19:11:05.49
東南至奴国から七萬余戸まで無視するんだ
旁国は伊都国の南、熊襲の北にあるんだ

実は魏略には邪馬台国に関する記述はなかったんだよ
ちんじゅが書き足したんだ
833卑弥呼の都は久留米:2012/03/11(日) 19:18:05.24
   
で、卑弥呼にもどるけれど、

卑弥呼は「兄王」の立場です、

だから、卑弥呼には國を治めるのを佐ける「男弟」がいたのです。
「男弟」は、まさに女王國の男性の「弟王」であることを的確に表していますね。
834日本@名無史さん:2012/03/11(日) 19:27:27.52
魏と使者のやり取りをしていた倭国は北九州にあった
1世紀に漢から金印をもらっていた国と同じ国だ
倭国乱は倭国(筑紫)内部の王位継承争い
女性が王になるのは異例だった
もちろん卑弥呼も弟王も台与も倭国(筑紫)王家の一族のものだ
だからこそ国を治めることができたんだ
連合政権なんて冗談じゃないよ
835日本@名無史さん:2012/03/11(日) 19:37:44.86
北には、大和朝廷の軍事施設が、在ったんだろう
836日本@名無史さん:2012/03/11(日) 19:43:06.35
邪馬台国は大和のことだが後から挿入された情報だからまったく無意味だ
邪馬台国に女王がいたとか7万戸あったとか全部うそだ
伊都国に大率を置いていたのも実は伊都国なのだ
伊都国は倭国(筑紫)の首都
大率は国の役人として首都にいて伊都国より北の国を監督していただけだ
837日本@名無史さん:2012/03/11(日) 19:47:06.14

反日ネット工作員
朝日新聞社→社員約300人
民主党とその取り巻きの資金が入った反日工作会社→数社約450人

朝日新聞の社員は捕まった49歳の編集者を含め新聞記事を書く合間に2chを荒らしている程度とみられているが
民主党が用意した反日工作会社は朝8時過ぎから25時半まで工作を行っている
工作範囲は民主党が予め工作費を流している2ch、ニコニコ動画を中心にyoutube、個人のブログなどである。
838日本@名無史さん:2012/03/11(日) 19:50:57.89
「邪馬壹國」は「邪馬大倭國」ともゆう、「邪馬臺國」でもよい

「耶馬懿國」のが本当のだけれども露骨すぎるから「邪馬壹國」としている

すなわち正規表現で書くと「耶馬懿」からである。
839日本@名無史さん:2012/03/11(日) 20:00:39.73
「やまいっこく」って読んだら違う国
840日本@名無史さん:2012/03/11(日) 20:05:35.96
「やまゐ國」は「やまだゐ國」ともゆう、「やまだゐ國」でもよい

「やまゐ國」のが本当のだけれども露骨すぎるから「やまゐ國」としている
841日本@名無史さん:2012/03/11(日) 20:12:44.03
>>830
貴方の話は、邪馬台国は日向にあり投馬國は九州の西側にあったという仮説が前提だったのですな
となると仮説の俄然性の話になるので私には何とも言い様が無い
其餘旁國については、以北は略載出来たと書いてる時点で以南は略載出来ないってことを意味しているんだよ
これにわざわざ「女王國以南不可得略載」なんて書いたらくどいだけよ
842日本@名無史さん:2012/03/11(日) 20:46:54.32
>>841
>貴方の話は、邪馬台国は日向にあり投馬國は九州の西側にあったという仮説が前提だったのですな
何のために遠回りをしたかという話になれば、具体的な比定地を考えないと
何も言えないのではないかな?

>「女王國以南不可得略載」なんて書いたらくどいだけよ
前の文章との関係で女王国は省略し、「以南不可得詳」と書けばいいだけだと思うがね。


843須磨虎:2012/03/11(日) 21:30:00.18
>>831
ガキレベルの稚拙な文字づら読みを潰しとこう。

●男性太陽神
『記紀』が編纂される100年ほど前の西暦600年、隋を訪れた倭国の使者に
隋の文帝が役人に命じて倭国の風俗を問わせた。使者が答えていわく。
「倭王は天を兄とし日を弟としている。天がまだ明けないとき出かけて政(まつりごと)を聴き………」。
使者の返答内容をみると、ここでいう風俗とは
「政に関するお国ぶり」「国体としての信仰様式」の意味と解釈しなければならない。
つまり、天神と日神の関係を述べているのだ。
ここでは太陽神を天神の「弟」に位置づけているから、太陽神は明らかに男性神である。
つまり、『記紀』が編纂される前は太陽神は男性だったわけだ。

終戦直後にやっと高校に行かせてもらった程度の頭でよくやるぜ。

●饒速日命はアマテラス以前の男性太陽神はだった
その男性太陽神が実は、『古事記』では天火明命、『日本書紀』では火明命、あるいは天照国照彦火明命、
『先代旧事本紀』では天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊として登場し、一般に饒速日命として知られる人物である。
饒速日命は高千穂に降臨した瓊々杵尊の兄で、
瓊々杵尊よりも先に天磐舟に乗って奈良県の鳥見の地に降り立っている。
この地に神武が天鳥舟でやってくるのだが、二人とも特別な舟で九州からやってきたことが分かる。
ここで神武は饒速日命の神宝をみて、互いが同じ天神の子であることを確認する。
このあと、饒速日命は国譲りにも似た無血開城の形で鳥見の地を神武に開け渡す。
844須磨虎:2012/03/11(日) 21:37:39.11
>>831
>自分を超える天才に気付き、呆然としているのではないでしょうか?
ちゃんちゃらおかしくて奥歯で失笑してるぜ。

>私は地道に論理を積み上げただけです。
倭王は兄弟で統治など、どこに論理があるか。
「太子」が登場するだろう。
中国人が太子といえば皇太子すなわち次期王位継承者だ。
倭王が「日出るところの天子」とのたまう時代の倭国が、
「王は一人、太子も一人」という世界の常識からはずれていたとでもいうのか。
歴史錯誤もほどほどにせい。
845日本@名無史さん:2012/03/11(日) 21:54:30.04
そそ、感光して孕むくらいだからして太陽神は♂

天照は造作物だな 実権とか無いみたいだしね

なにかにつけて高木神にお伺いとかたてているしね。

それで天照のは起請文向きではないってゆうよね

嘘つきだからって中世文書とかにあるらしいしね。
846日本@名無史さん:2012/03/11(日) 22:17:29.07
>>842
つーか遠回りを前提としないと放射式の読み方は成り立たないって事でしょ
やはり倭人伝に関しては放射式の読み方は無理があると言わざるを得ないよ
其餘旁國についてはやはり女王國以北に対する「其餘旁國」だから言うまでもなく女王國以南てことだし、
それに続く内容も旁國の國名を列挙してその南が狗奴國だって言ってるのだから明らかに旁國は女王國以南だよ
素直に読もうよ
847日本@名無史さん:2012/03/11(日) 22:41:13.00
いやいや放射式自体は正しい
ただし邪馬台国以外には行ってない
邪馬台国以外は倭人からの伝聞情報だ
848卑弥呼の都は久留米:2012/03/11(日) 22:42:41.25
>>844
>倭王は兄弟で統治など、どこに論理があるか。

「高祖曰 此太無義理」
遺作も煬帝も同じことを言っている。


>「太子」が登場するだろう。

嫁さんは雞彌と言い、
太子の名前は利歌彌多弗利と書いてあるだけ。

登場人物
兄俀王:名前の記述なし、勤務は夜勤
弟俀王:多利思北孤、勤務は日勤
王妻:雞彌
後宮:600〜700人の女官
太子:利歌彌多弗利
849日本@名無史さん:2012/03/11(日) 22:50:18.94
>>760 :須磨虎
>周旋は動詞だ。

こんな例文もあるが、この周旋は動詞かね?
《列子·汤问》:“其山高下周旋三万里,其顶平处九千里。
850日本@名無史さん:2012/03/11(日) 22:52:46.99
ほほう、放射式の読み方が嫌いなのかな? 倭人伝の行程どおりで素直に読めて
しまうってことがあなたにとっては困るのかも知れないね。

説明のつかない迷路に迷い込む読み方よりも、ちゃんと読める読み方の方が素直
な読み方だよ。
851日本@名無史さん:2012/03/11(日) 23:04:29.01
好き嫌いじゃなく不自然じゃんって話だよ
>>847の説なら理屈は合うがご都合解釈過ぎるし
852日本@名無史さん:2012/03/11(日) 23:24:33.62
別に不自然なところはないよ。倭人伝に従って伊都国を比定すれば放射式で
読むのがもっとも自然な読み方だ。
使者は、自分が行ったところしか戸数道里は書いてないよ。
伝聞などという考え方は間違いだね。
853日本@名無史さん:2012/03/11(日) 23:26:28.90
放射説の場合、どこを基点にして『南に水行』なのか?
854日本@名無史さん:2012/03/11(日) 23:39:45.03
遠回りを前提にしてまで放射式にこだわる位なら連続読みでいいんじゃない?
遠回りしたのであれだけの日数がかかったと
その方がまだ自然に思える
放射式はどうもややこしい
855卑弥呼の都は久留米:2012/03/11(日) 23:44:31.57
   
邪馬台国はなかった!

放射行程もなかった!

順次行程もなかった!
856風の中のゴキブリ:2012/03/11(日) 23:46:30.04
倍暦は存在していた
857卑弥呼の都は久留米:2012/03/12(月) 00:19:27.79
『此地帝都。近気於今。在一百餘歳。一百年竟。遷京北方。在三百年之後。』

この文が書かれたのは617年

此地を都したのは510年〜515年頃(百餘年前:一百餘歳)

此地が京になったのは517年
二倍歴だと、此地を都したのは218年頃になり、卑弥呼の都した年
一倍歴だど、此地を都したのは468年頃になる、倭王旨の都した年




此地が京になったのは、
858卑弥呼の都は久留米:2012/03/12(月) 00:21:39.68
>>857の修正

『此地帝都。近気於今。在一百餘歳。一百年竟。遷京北方。在三百年之後。』

この文が書かれたのは617年

此地を都したのは510年〜515年頃(百餘年前:一百餘歳)

此地が京になったのは517年
二倍歴だと、此地を都したのは218年頃になり、卑弥呼の都した年
一倍歴だど、此地を都したのは368年頃になる、倭王旨の都した年
859日本@名無史さん:2012/03/12(月) 03:57:39.95
>>853
>放射説の場合、どこを基点にして『南に水行』なのか?
伊都国だよ。

860日本@名無史さん:2012/03/12(月) 04:08:54.28
>>854
>遠回りを前提にしてまで放射式にこだわる位なら連続読みでいいんじゃない?
遠回りが前提ではないよ。単に倭人伝が放射式に書かれているから、それに従って
読んでいるだけのこと。理解できないというのは、君が史書の読み方に慣れて
いないだけのこと。
861大訂正!:2012/03/12(月) 12:04:31.42
>>859 名前
>>853
>>放射説の場合、どこを基点にして『南に水行』なのか?
>伊都国だよ。

はずれ。
末廬國だ。


末廬國⇒奴國⇒不彌國⇒奴國⇒末廬國
末廬國⇒投馬國⇒末廬國
末廬國⇒邪馬壹【臺】國⇒末廬國
末廬國⇒伊都國。

「行」と「到伊都國」の「到」を解釈すると上記の行程になる。
「到其北岸狗邪韓國」の「到」も同じで、「韓國」の国々を訪れて「狗邪韓國」に
到った。という記述になっている。
862卑弥呼の都は久留米:2012/03/12(月) 12:45:07.88
上記 >>857-858は取り消し

『此地帝都。近気於今。在一百餘歳。一百年竟。遷京北方。在三百年之後。』

この文が書かれたのは617年

此地で都したのは一百餘年間(510年頃〜617年)

此地が京になったのは517年

此地で最初に都したのは、
一倍歴だと、此地を都したのは218年頃になり、卑弥呼の都した年。(617年の300年前)
二倍歴だど、此地を都したのは468年頃になる、倭王旨の都した年。(617年の150年前)
863日本@名無史さん:2012/03/12(月) 12:52:35.24
>>783 :卑弥呼の都は久留米
>日本列島周旋・日本列島周匝
   
>「周旋」は九州からあちらこちら寄りながら北海道まで行き着くこと。

>「周匝」は九州からあちらこちら寄りながら北海道まで行って、
>又、あちらこちら寄りながら九州に戻ってくること。

それは間違いですね。
周匝:[round]∶环绕一周;围绕;也指周围 环(ring、指輪や腕輪のような内部が空になった輪)の縁を一周することが原義。
周旋:[circle]∶盘旋;旋转 盘(tray,皿や盆)のようなものの縁を軌道として回ることが原義。
同じ意味で用いられることもあるのです。

864卑弥呼の都は久留米:2012/03/12(月) 12:57:15.04
此地で最初に都したのは、
一倍歴だと、此地を都したのは218年頃になり、卑弥呼の都した年。(517年の300年前)
二倍歴だど、此地を都したのは468年頃になる、倭王旨の都した年。(517年の150年前)
865日本@名無史さん:2012/03/12(月) 13:05:20.28
普通に畿内の遺跡から漢字の書かれた鏡が発掘されてるんだから当時は畿内まで中華文明
が流入していたと考えるべき。
866日本@名無史さん:2012/03/12(月) 14:17:04.24
>>859 >>861
伊都国がどこで、末盧国がどこなら、南に水があるのかな?
867大訂正!:2012/03/12(月) 14:34:53.22
>>866
>>859 >>861
>伊都国がどこで、末盧国がどこなら、南に水があるのかな?

南に当たる『水がある』処は、瀬戸内海だ。



868日本@名無史さん:2012/03/12(月) 15:21:13.49
參問倭地、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里。
倭地を1周した距離は400km足らず。
福岡県と佐賀県、それに大分県の一部が卑弥呼を王とする倭国だったのだ。
869日本@名無史さん:2012/03/12(月) 16:49:48.35
>>863
>同じ意味で用いられることもあるのです。
違いが分かってないようだ。一周;围绕。これは一回りしているね。
盘旋;旋转 盘の縁を巡って行くだけで、戻ってくるわけではない。
870日本@名無史さん:2012/03/12(月) 16:51:41.60
>>859
>伊都国がどこで、南に水があるのかな?
佐賀のあたりだね。南に有明海がある。

871日本@名無史さん:2012/03/12(月) 16:52:49.24
872<font color=red>:2012/03/12(月) 17:42:01.32
>>859>>866>>867
873日本@名無史さん:2012/03/12(月) 18:00:12.55
>>869
>盘旋;旋转 盘の縁を巡って行くだけで、戻ってくるわけではない。

それも間違いですね。
盘旋:指大致呈圆形地运动,也可指迂回绕圈儿 ほぼ円形の地を廻ることを指す。又回りくどいことを指すことも可。
旋转:谓围绕着作圆周运动 円周運動をなすように包囲する(あるいは廻る)ことを謂う。
行くだけではこのようなことは出来ません。
874須磨虎:2012/03/12(月) 18:12:47.32
>>849
>こんな例文もあるが、この周旋は動詞かね?
>《列子·汤问》:“其山高下周旋三万里,其顶平处九千里。
この文章がどういう状況かの会話で何をいわんとしているまのかを説明しろ。
できなかったら、前後の様子が見える範囲の文章を提示しろ。
その上動詞か名詞ン判断するのが議論だろう。
とことん卑劣外道。
こんないかがわしい用例の一つ提示したからと、正論は動かないぞ。
周囲が三万里もある山なんて途方もないが、この文章そのものがいかがわしい。

こんな部分では判断できん。前後の様子が見える範囲の文章を提示しろ。
875日本@名無史さん:2012/03/12(月) 18:36:24.10
動詞か名詞かとか、周旋がどうのとか、
細かい文法を議論しても不毛だぞ
意味はたいして変わらんだろ

究極を言えば、
現代の辞書が、三世紀の辞書と同一とは限らない
陳寿の語法が辞書通りとは限らない

基本は三国志に記述された用例で示すこと
876日本@名無史さん:2012/03/12(月) 19:14:11.90
>>875
毛とか無いの?
877日本@名無史さん:2012/03/12(月) 19:17:54.15
>>875
漢字考古学のお奨め

漢字の史的方言的発音とか

漢字の史的方言的意味内容とか

漢字の史的方言的用法とか
878日本@名無史さん:2012/03/12(月) 19:23:29.91
列島地方でいわれている漢字の「音」の中には列島地方特有の勝手「音」が混ざり込んでいる模様
879日本@名無史さん:2012/03/12(月) 19:27:17.06
漢字解釈のの殿様仕事のはかなりな程度にこじつけごっこのが散見されるから眉唾で対処しませう。
880須磨虎:2012/03/12(月) 19:50:23.95
>>875
>現代の辞書が、三世紀の辞書と同一とは限らない
あたり前だ。現代の辞書を持ち出してるタコにいえ。

>陳寿の語法が辞書通りとは限らない
当然だ。しかるに、
烈子などからいかがわしい用例を引っぱりだしてくる
あのホラ吹き野郎にいえ。

>基本は三国志に記述された用例で示すこと
それはすでに、十分にやったことだ。
エラそーに『 』つけてほざくな。
881日本@名無史さん:2012/03/12(月) 20:14:17.44
>>873
馬鹿なことを。必ず一周して戻ることだという解説でも探してから言え。
882日本@名無史さん:2012/03/12(月) 22:16:59.66
>>874 :須磨虎
其山高下周旋三万里,其顶平处九千里。
前後の文章が無くても分かるだろ。分からないなら漢文が読めないということだ。
「その山は高く下(麓の意味)は周囲三萬里、山頂の平たいところは九千里。」
山の大きさ、形状を述べている文章だ。
883日本@名無史さん:2012/03/12(月) 22:27:30.91
>>880 :須磨虎:2012/03/12(月) 19:50:23.95
>>基本は三国志に記述された用例で示すこと
>それはすでに、十分にやったことだ。
>エラそーに『 』つけてほざくな。

三国志の用例で「周旋の後に里数が付いた」ものは倭人伝の「周旋可五千餘里」と
三国志64 吳書19 諸葛滕二孫濮陽傳第十九の「周旋数千里」だけである。
後者については丹陽の地勢叙述であり「周囲数千里」の意味であることが明白である。
倭人伝の「周旋可五千餘里」も文章から判断しても「周囲五千餘里」であることが明白である。
884日本@名無史さん:2012/03/12(月) 22:30:47.65
>>881 名前

>>873に書いてあることが理解できないのか?
885日本@名無史さん:2012/03/12(月) 22:42:09.78
外周の距離はわかるけど内側の國は遠くて距離がわからない?
886日本@名無史さん:2012/03/12(月) 22:52:51.62
>>884
君がいうところは単なるこじつけ、ないしは思い込み。
一周とはどこにも書いてないだろ。
887日本@名無史さん:2012/03/12(月) 23:05:18.65
>>885
そこに矛盾を感じない人がいる事に困惑するばかりであります
888風の中のゴキブリ:2012/03/12(月) 23:08:42.77
伊作は、
一大率=卑弥呼の弟=スサノオ
と言っていたキチガイですよ
相手にしてはいけません
889おせっかい:2012/03/12(月) 23:25:55.87
>>874 :須磨虎

列子・湯問篇にあるよ。殷王朝の創始者湯王が問い革が答える形で書かれている。
湯又問:「物有巨細乎?有修短乎?有同異乎?」革曰:「渤海之東不知幾億萬里,有大壑焉,實惟無底之谷,其下無底,名曰歸墟。
八絃九野之水,天漢之流,莫不注之,而無摶ウ減焉。其中有五山焉:一曰岱輿,二曰員嶠,三曰方壺,四曰瀛洲,五曰蓬莱。
其山高下周旋三萬里,其頂平處九千里。山之中闡葛試オ萬里,以為鄰居焉。其上臺觀皆金玉,其上禽獸皆純縞。珠玕之樹皆叢生,
華實皆有滋味;食之皆不老不死。
890日本@名無史さん:2012/03/12(月) 23:29:27.40
>>887
いろいろな状況を想定してみたら?
891日本@名無史さん:2012/03/12(月) 23:37:44.28
>>886
君は漢文を読めないようだな。
其山高下周旋三萬里,其頂平處九千里。の周旋は周囲の意味であることを理解できない筈はないのだが。
892日本@名無史さん:2012/03/12(月) 23:42:03.86
その文章は私には関係ないよ。相手をまちがえているのかな?
893日本@名無史さん:2012/03/12(月) 23:46:16.80
894日本@名無史さん:2012/03/12(月) 23:59:06.10
>>887
其餘旁國については国名が書かれているがこれは倭人から聞いたものであろう。それらがどのように
位置しているかも尋ねたであろう。そして、それらの国と国の距離についても尋ねたであろう。倭人は
里数でなく歩いたら半日とか1日とかと答えたであろう。それは「伊都国から奴国までの距離(所要時間)
と同じか」、「末盧国から伊都国までの距離と比べてどうか」などと尋ねたであろう。
そのように尋ねて分かったことを吟味して(參問倭地)絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里。
ということになったのであろう。倭地(對海国と一大国は除いて)は周囲五千餘里と見積もったのである。
女王に属する
895日本@名無史さん:2012/03/13(火) 00:28:33.66
周旋と表現しているのは、自分が巡って行き確かめた距離だからだよ。倭人からの伝聞
ではない。伝聞ならば、方○千里とか表現したとろうな。
旁国については、使者は訪問していない。使者が滞在していた邪馬台国から旁国までは
かなりの距離があった。それだけのことだろうね。
896日本@名無史さん:2012/03/13(火) 03:02:32.19
>>895
何訳の判らないことを。
897日本@名無史さん:2012/03/13(火) 06:32:04.65
邪馬台国の大きさとか旁国の位置とか考えたことがないと理解できないかも名。
898日本@名無史さん:2012/03/13(火) 08:58:46.24
>>803
うむ
899日本@名無史さん:2012/03/13(火) 11:00:35.52
おもふに 旁國でも復有國のでもよいが たとえば

そこの國の酋長さんが「使大倭」に叙任されたらきっと大喜びとかすることでしょうが

そこの國の酋長さんは、貰った官の呼称のこと誇らしげにおおいばりで被せてからに

御自身のお名前自称するのがふつうかなって思いますねえ

たとえばさ 大倭なんちゃら命 みたいにさ・・・

あれだろ 魏率善邑君なんちゃらさんだとかが

魏の大酋長だろうとかっておもふひとなんておほぼけさんだろ
900日本@名無史さん:2012/03/13(火) 11:29:48.36
おもふに 旁國でも復有國のでもよいが たとえば

そこの國の酋長さんが「使大倭」と何処かの「卑狗」に叙任されたらきっと大喜びとかすることでしょうが

そこの國の酋長さんは、貰った官の呼称のこと誇らしげにおおいばりで被せてからに

御自身のお名前自称するのがふつうかなって思いますねえ

たとえばさ 【大倭かんちゃら日子なんちゃら命】 みたいにさ・・・


ところで3世紀の件に限ってゆうと

官の「卑狗」がいる國國は倭國を構成する國國の中でのコアなグループでしようね

海峡の南北を連ねておいでになるとかからすると海賊ぽいふいんきのの

倭地ののでも官の記載のないところはコアグループへの従属性が低くって

王がいるところから彌彌のところから

「使大倭」がおいでのところから男王の卑彌弓呼のところから

邑君だか 侯だかしらんけど なんか騙っているかもしれんのだとか様々なんだろ
901大訂正!:2012/03/13(火) 11:51:12.34
>>891
>>886
>君は漢文を読めないようだな。
>其山高下周旋三萬里,其頂平處九千里。の周旋は周囲の意味であることを理解できない筈はないのだが。
周旋をまだ、理解れきないでいる者があるな。
では、聞くが
『或る山の頂上(高)から裾野(下)迄、螺旋状に下った場合、其の山を見たり聞いたりして得た情報の総体としてその距離は三万里になるだろう。』
とい表現を端的に漢文にすると君ならどう書くの。
俺様は、「其山高下周旋三萬里」と記述するが何か障りがあるかな?
念を押すが、
周旋に周囲(外周)と言う意はない。


902日本@名無史さん:2012/03/13(火) 12:44:12.10
>>901 :大訂正!
あほか?
周旋にはいくつもの意味がある。

词语解释
◎ 周旋 zhōuxuán
(1) [socialize]∶打交道;应酬
 例文:周旋于达官显贵之间
(2) [contend with]∶相机进退,与对手追逐较量
 例文:若不获命,其左执鞭弭,右属橐鞭,以与君周旋。
 例文:在山区与日本侵略者周旋
(3) [circle]∶盘旋;旋转
 例文:跨蹑地络,周旋天网。

それらの意味の内の(3)についても「円を描くように廻る」という動詞に用いられることもあるし、
「周囲」と名詞的に用いられることもある。

其山高下周旋三萬里,其頂平處九千里。という文章は其山高下周旋三萬里と其頂平處九千里が対を
なして(対応して)いるのだ。
その山は高く周囲は3万里、その頂の平らな所は9千里。周旋と平處が対応しているのだ。
共に名詞でなければ対応にならないだろ。



903日本@名無史さん:2012/03/13(火) 12:54:57.55
>>886
>>873に書かれている下記の意味を考えてみれば分かるでしょう。
>盘旋:指大致呈圆形地运动,也可指迂回绕圈儿 ほぼ円形の地を廻ることを指す。又回りくどいことを指すことも可。
>旋转:谓围绕着作圆周运动 円周運動をなすように包囲する(あるいは廻る)ことを謂う。
>行くだけではこのようなことは出来ません。

「行くだけでなく元に戻って来なければcircleになりません。」と言っているのです。
904大訂正!:2012/03/13(火) 12:55:59.44
>>902
今度は誤魔化しか?

(3) [circle]∶盘旋;旋转
は「旋」の解釈で「周旋」の解釈でない。
寝ぼけたことを云うな。







905大訂正!:2012/03/13(火) 13:11:56.92

>>904 名前:大訂正!
>>902

旋の〈动〉
鲵旋之潘为渊。——《列子·黄帝》。注:“旋,谓盘旋也。”
旋入雷渊。——《楚辞·招魂》。注:“旋,转也。”
のそれぞれを「周旋」を溶接して解釈をゆがめる確信犯か
それとも只の馬鹿か?




906日本@名無史さん:2012/03/13(火) 13:13:30.29
>>904 :大訂正!
漢文を読めないなら黙っとけ。
そもそも周には
名詞:周围 [circumference;circle;ring;periphery]
動詞:绕一圈,环绕 [make a circuit]
という意味もあるのだ。
907大訂正!:2012/03/13(火) 13:20:21.16
>>903

「行くだけでなく元に戻って来なければcircleになりません。」と言っているのです。

開いた口が塞がらないZO.
今度は、動詞と名詞の癒着用法か?
旋をcircle と解釈するのは名詞の場合で、
盘旋;旋转の旋は動詞だ。

いい加減に馬鹿な解釈はやめなさい。 あほ草。。。。


908大訂正!:2012/03/13(火) 13:31:44.63
>>906
>>904 :大訂正!
漢文を読めないなら黙っとけ。
>そもそも周には
>名詞:周围 [circumference;circle;ring;periphery]
>動詞:绕一圈,环绕 [make a circuit]
>という意味もあるのだ。

今度は旋から周へ逃避行か?
ホレ↓
http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic91ZdicA8.htm



909日本@名無史さん:2012/03/13(火) 15:26:57.51
>>907 :大訂正!
>旋をcircle と解釈するのは名詞の場合で、
>盘旋;旋转の旋は動詞だ。
とは何を言っているのだ?まるで意味をなさないじゃないか。おまえの言っていることがアホ草だ。
>>903が言っているのは「周旋の動詞としての意味はcircleをなすように廻る」ということだろ。
その周旋が名詞として用いられた場合は周囲という意味になるのだ。
910卑弥呼の都は久留米:2012/03/13(火) 15:30:47.51
      
三国志38ヶ所の「周旋」を読んでいるのかな?

現代中国語の「周旋」を持ち出すのは論外。
911日本@名無史さん:2012/03/13(火) 15:32:31.64
>>908 :大訂正!
>今度は旋から周へ逃避行か?

何を言っているのだ?おまえの頭には脳味噌は詰まっていないのか?
同じニュアンスを持つ周と旋を重ねた周旋がどういう意味を持つか分からんのか?
912日本@名無史さん:2012/03/13(火) 15:43:11.57
>>910 :卑弥呼の都は久留米
>三国志38ヶ所の「周旋」を読んでいるのかな?

お尋ねします。
三国志38ヶ所の「周旋」のどれが片道行なのでしょうか?
913卑弥呼の都は久留米:2012/03/13(火) 15:43:31.82
>>911

後世のシナ語を振り回すのはやめれ。
914日本@名無史さん:2012/03/13(火) 15:52:25.91
>>913 :卑弥呼の都は久留米
古語詞典を持っていないのかね。ネットで見ることが出来るのがあるよ。
http://www.longwiki.net/周
http://www.longwiki.net/旋
915須磨虎:2012/03/13(火) 16:48:28.22
だのホラ吹き野郎かと思ったが、前後不覚の単なるバカだったようだ。

>>882
>前後の文章が無くても分かるだろ。分からないなら漢文が読めないということだ。
なっとらんな。文章の意味をより正しく理解するために、より詳しくて維持しろと要求したのだ。
自分が提示した用例について、こっちが要求したことにすら応えない。
ということは、「まずい部分」があることを認識した上での意図的隠蔽だ。
応えもしないで、↓↓↓こんなウソ解釈を連呼する。

>「その山は高く下(麓の意味)は周囲三萬里、
>山頂の平たいところは九千里。」 山の大きさ、形状を述べている文章だ。

自分が提示した用例について、こっちが要求したことにすら応えない。
ということは、「まずい部分」があることを認識した上での意図的隠蔽だ。
ところが悪いことはできないもんだ。代わりに>>   が書いてくれた。
革曰:「渤海之東不知幾億万里,有大壑焉,実惟無底之谷,其下無底,名曰帰墟。
八絃九野之水,天漢之流,莫不注之,而無摶ウ減焉。
其中有五山焉:一曰岱輿,二曰員嶠,三曰方壺,四曰瀛洲,五曰蓬莱。
其山高下周旋三万里,其頂平処九千里。

道教経典の一つとされる『列子』が、神仙思想や森羅万象の神秘性について言及したくだりのようだ。
ここは、玄幻的書き物といわれる『山海教』同様と途方も無い「空想」で占められている。
俺が「いかがわしい記録」と直感した通りだっとたな。
中で、岱輿、員嶠と、方壺(方丈)、瀛州、蓬莱の五神山に関する話だ。
「その山」という不特定の表現から、「その山」とは五神山をさす。
「その山(五神山)は高下(こうげ=高いのや低いの)があって、五神山を巡る距離は三万里」。

これが正しい翻訳だ。 つづく。
916須磨虎:2012/03/13(火) 16:49:52.49
>>873
>盤旋:ほぼ円形の地を廻ることを指す。又回りくどいことを指すことも可。
>旋転:円周運動をなすように包囲する(あるいは廻る)ことを謂う。
ほれ。お前が出した現代の用例ですら、巡る・回る「動詞」じゃないか。タコ

>>883
>三国志の用例で「周旋の後に里数が付いた」ものは倭人伝の「周旋可五千餘里」と
>三国志64 吳書19 諸葛滕二孫濮陽傳第十九の「周旋数千里」だけである。
ほかの数十例しみな「動詞」として、「回る・巡る・周回・転回」の意味だったよな。

>後者については丹陽の地勢叙述であり「周囲数千里」の意味であることが明白である。
違うな。(おそらくは)呉都・建業から隣接する諸郡を巡って丹陽に至る距離のことだ。

>倭人伝の「周旋可五千餘里」も文章から判断しても「周囲五千餘里」であることが明白である。
「明白である」。「明白である」の連呼か。
普通の常識と判断力があれば、いうはずのないバカ論法だ。
ということは、まったくの無学なのか、どうしてもウソを押し通したいということだ。

>>902
>周旋にはいくつもの意味がある。
すでに指摘したが、スルーしてまた連呼か。ほれ。
>(1)打交道:応酬
>(2) 相机進む退,与対手追逐較量
>(3) 盤旋:旋転
>(3)についても「円を描くように廻る」という動詞に用いられることもあるし、
>「周囲」と名詞的に用いられることもある。
「名詞的に用いられる」だと。 「名詞として用いられる」と断言しにくくなったか。
無理ウソをいうな。3つとも明らかに「動詞」だ。
917須磨虎:2012/03/13(火) 16:51:07.31
>>902
>「その山は高く周囲は3万里、その頂の平らな所は9千里」。
「その山は高下」とあるが、高下の「下」が訳から抜けているぞ。外道
自ら馬脚をさらしておいて臆面もなく出てくるとは、そうとうの無神経野郎だ。

>>911
>同じニュアンスを持つ周と旋を重ねた周旋がどういう意味を持つか分からんのか?
お笑いぐさだ。
文字は複数の意味を持つ。
だが熟語の場合は、文字個々の意味よりも完成熟語としての意味が優先する。
古代の中国語古語熟語の意味を、現代語の文字個々の意味で語ろうとはマンガだ。タコ
918卑弥呼の都は久留米:2012/03/13(火) 17:02:21.11
>>914
古語詞典に時代別用法を明記(原典非表示)していないのがイカンのだよ。

特にシナ本土政権側のものは特にイカン。
自己達に都合よく改竄している。
ネットの維基文庫からの原文引用等も避けたほうがいい。

台湾、日本の方が信頼性が高い。
919須磨虎:2012/03/13(火) 17:05:00.45
>>902   
いかに殷初期の古代人による空想話とはいえ、
周囲が3万里もある山なんてあるか。
少しは常識でモノをいえ。

文句があるなら、岱輿、員嶠、方壺(方丈)、瀛州、蓬莱の五神山のうち、
「周囲が3万里ある」と書いた文献でも探して持ってこい。
ホラ吹きの無学者が。
920日本@名無史さん:2012/03/13(火) 17:30:38.36
>>910
陳寿の本文で使われている「周旋」は、
23ヵ所だけ
http://www.seisaku.bz/search/search.php?word=%E5%91%A8%E6%97%8B&mode=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&taisho=honbun
921須磨虎:2012/03/13(火) 17:39:49.06
訂正。
>>916
>(おそらくは)呉都・建業から隣接する諸郡を巡って丹陽に至る距離のことだ。
丹陽(丹楊)郡は江蘇省にあるようだから、呉都・建業からさほど遠くはない。
この部分は訂正して撤回しておく。いけね・いけね。
922須磨虎:2012/03/13(火) 17:46:05.42
>>920
>陳寿の本文で使われている「周旋」は、 23ヵ所だけ

俺が数えたところでは、魏書15回、蜀書9、呉書13回 合計37回。
923日本@名無史さん:2012/03/13(火) 17:56:50.14
>>915 :須磨虎
必死で考えたようだね。
其山高下周旋三万里,其頂平處九千里
(1)高下を熟語ととれば高低という意味があるね。そうすれば其の山には高いものと低いものがあり・・・ という訳になるね。

(2)一方、其山高 下周旋三万里と高は高いという形容詞、下は底という名詞ととれば
其の山は高く麓の周囲は三万里 という訳になるね。

ところで、(1)の場合には其頂平處九千里はどういう訳になるのかね。

五山はいずれも巨大でそれぞれが周囲三万里、頂上の平處は九千里ある。
頂上の平處が九千里もある山を五つも巡ったら三万里では済むまい。
924日本@名無史さん:2012/03/13(火) 17:57:41.06
>>919
昔は富士山はばかすぎるくらいでっかくて
河口湖は海かと思う位ひろかったそうです。(科学的整合性は知りません)
それから北極には北極妙山というのがあって、今は海の底に沈んでるそうです。
世界一高い山は海抜から計ったらエベレストだけど、
海底から計ると富士山が世界一なんだって。
925日本@名無史さん:2012/03/13(火) 18:01:13.06
>>924
>世界一高い山は海抜から計ったらエベレストだけど、
>海底から計ると富士山が世界一なんだって。

矛盾してないか?
基準にする「海底」が異なるってこと?
926日本@名無史さん:2012/03/13(火) 18:11:20.40
>>925
ちょっと書き方悪かったか?
ふつう海面を0mとして高さ決めるじゃん?
でも山って言うか陸地は根っこは海底でしょ?
そっから考えると富士山が一番高い山らしいよ。
海抜っていうことばは海底を意味するのかな?
海抜何メートルっていうから海面のことかと思った
927卑弥呼の都は久留米:2012/03/13(火) 18:15:16.09
>>920
>陳寿の本文で使われている「周旋」は、23ヵ所だけ

提示資料が間違っている。

陳寿の本文で使われている「周旋」は、魏書5回、蜀書9、呉書12回。計27ヶ所
928日本@名無史さん:2012/03/13(火) 18:23:09.13
周瑜旋風脚 アチャー
929日本@名無史さん:2012/03/13(火) 18:25:27.51
>>928
omosiroi
930日本@名無史さん:2012/03/13(火) 18:30:33.15
>>915 :須磨虎:2012/03/13(火) 16:48:28.22
>だのホラ吹き野郎かと思ったが、前後不覚の単なるバカだったようだ。

>「その山(五神山)は高下(こうげ=高いのや低いの)があって、五神山を巡る距離は三万里」。
>これが正しい翻訳だ。 

あの五神山については 山之中闡葛試オ萬里 と書かれているぞ。
山と山の間は七万里も離れているのだぞ。
その五神山を巡ったら35万里にもなるぞ。

懸命に考えて反撃できたつもりだったろうが、残念だったな。
大口叩いたつけを払ってもらわねばならんな。どうする?
「ただのホラ吹き野郎か、前後不覚の単なるバカは私須磨虎でございました」と謝罪しな。
931日本@名無史さん:2012/03/13(火) 18:39:16.58
>>927
5+9+12=27?
932須磨虎:2012/03/13(火) 18:41:25.77
>>923  演技狂いのホラ吹き野郎。
>必死で考えたようだね。
原文をちゃんと提示しないで、第三者が提示してくれたところで、
これを見てかるーくギミックを暴いたが。

>一方、其山高 下周旋三万里と高は高いという形容詞、
>下は底という名詞ととれば 其の山は高く麓の周囲は三万里という訳になるね。
得意の手口だ。「高下」という熟語の寸断、「其山高 下周旋三万里」だと。タコが

>五山はいずれも巨大でそれぞれが周囲三万里、頂上の平處は九千里ある。
周囲三万里といえば、大きな大陸並みだぜ。
それがナニ、5つもあるってかボケ。常識ってものがあるだろ。

>ところで、(1)の場合には其頂平處九千里はどういう訳になるのかね。
のぼせるなよ。俺はとりあえず・そういう読みを書いただけだ。
これが「其の頂きの平らな処九千里」ならば、
径なのか周なのか方(面積)なのかの表現がなければおかしい。
ということは「其の頂きの平らな処九千里」という読みも不確実だ。
(お前のホラでいけば、山裾の周囲を書いて頂上は周囲か径かも不明でいいてか?)

三万里だの九千里だの。もともと現実ばなれした空想談義だ。タコ
こんな信憑性の乏しい記録を持ち出して、動詞熟語を名詞にしようとは泥棒のほうがマシだぜ。
933須磨虎:2012/03/13(火) 19:28:22.01
おっと、そうきたか。

>>930  
>あの五神山については 山之中闡葛試オ萬里と書かれているぞ。
でえー・ナニか? 5神山巡りをすると35万里てか。
俺はさんすーに弱いから計算して出せ。地球を何周する理屈だー? 
巡り巡って山と山の間がくっついてしまうなんて茶番ありだぜ。

この部分も、「山と山の間は七万里も離れている」という読みでは通じない。
ということは、別の読みがあるか、記録がはちゃめちゃかだ。
無学のくせに、てめえの読みで決まりのようなことをいうな。

バカ話につき合ってやってるが、態度デカくなってきたな。んー?
「『三国志』が使った周旋の意味は何か」という本論からズレて、
玄幻的書き物の中にある周旋がどういう意味かの話になって、
まーたズレて、玄幻記録の解釈談義になってきた。

>山と山の間は七万里も離れているのだぞ。
山上の台観は金玉で作られいるだの、玉樹があってその実を食えば不老不死になるだの。
どだい、何をいってるのか分からんほど徹底して空想世界の話だぜ。
書いてることを疑うべきところ、こんなのを真に受けて否定論拠に使いやがる。

自説・自論に都合のいい記録はないかと文献漁りをして、
その文献の信憑性検証もすることなく二流・異聞とされる文献に飛びつくのも、
確かに個性的「穴狙いど素人」の常套手段の一つだが、
それをやった時点で二流・三流扱いをうける宿命にあるのだ。
934卑弥呼の都は久留米:2012/03/13(火) 19:31:52.42
>>931
>>927
>5+9+12=27?

呉書を数え間違えて13から12に減ったのに、
合計を修正し忘れた。
正しくは、5+9+12=26です。
935日本@名無史さん:2012/03/13(火) 21:14:22.70
以前、yahooなんかでよく見たが、どんどん細かいところに入り込んで行って、
どうでもよい部分でカンカンガクガクやっている。
旗色の悪い畿内説がそういう手法を取っていると思っていた。
936日本@名無史さん:2012/03/13(火) 21:48:07.93
>>932 ,>>933:須磨虎
>どだい、何をいってるのか分からんほど徹底して空想世界の話だぜ。
>書いてることを疑うべきところ、こんなのを真に受けて否定論拠に使いやがる。

見苦しいな。お粗末だな。漢文を読めないくせに知ったかぶりを続けて来たが、有如水火に始まって周旋で
化けの皮を剥がされた。本まで出したからには誤りを認めたくないのだろうが、潔さがないな。

「列子」は老子』、『荘子』とともに老荘思想の三本の柱と言われる古典である。
書いてあることは現代の人間から見れば非現実的であるが、哲学的、思想的なものであるからおかしいと言っ
ても仕方がない。古代中国の知識人はそこのところは弁えて読んでいたのだ。
937日本@名無史さん:2012/03/13(火) 22:09:56.94
列子は本当に風に乗ったような
938日本@名無史さん:2012/03/13(火) 22:11:18.75
続き
人物だったんだろうな。
老子も孔子も荘子も孟子も日本で死んでます。
939日本@名無史さん:2012/03/13(火) 22:21:20.38
中央研究院のサイトで検索したら、
「周旋」は、『三国志』陳寿の本文に23個、注釈に14(15)個という結果が出た。

なお、何故(15)なのかについては、ここでは触れない。
940日本@名無史さん:2012/03/13(火) 22:24:56.04
>>933 :須磨虎
>この部分も、「山と山の間は七万里も離れている」という読みでは通じない。
>ということは、別の読みがあるか、記録がはちゃめちゃかだ。

その読みで通じるよ。
其山高下周旋三萬里,其頂平處九千里。山之中闡葛試オ萬里
「閨vは隙間のことだが「山之中閨vで「山と山の間」を意味する。
「相去」は「相互の隔たり、相互の距離」である。
しかして、「山之中闡葛試オ萬里」は「山(五神山)の相互間距離は七万里」となる。
これ以外の読みはないね。
七万里が現実離れしていることに文句を言っても始まらない話である。
941須磨虎:2012/03/13(火) 22:40:39.01
>>936
>見苦しいな。お粗末だな。漢文を読めないくせに知ったかぶりを続けて来たが、
逃げるなよ。ほれ応えろ。
●5神山巡りをすると35万里てか。 地球を何周する理屈だー? 計算して出せ。

>有如水火に始まって周旋で 化けの皮を剥がされた。
「高下」を「「高」と「下」でちょちょ切った手法そのまんま。
有如刺史を「有」と「如刺史」にちょちょ切るは、
有如水火を「水火のような(仲)の如くあり」と奇妙な訳をするわ。
挙げ句は黙りこくって逃げたくせに、勝った振りだけするな・外道。
世人は「見る目」というものを持っているもだ。
誰か、自演サクラ抜きで、お前のバカ読みに賛同したのはいるか?

>本まで出したからには誤りを認めたくないのだろうが、潔さがないな。
まとまった論の一つも構築する能なしが・やっかむな。

>「列子」は老子』、『荘子』とともに老荘思想の三本の柱と言われる古典である。
ウソをいうな。『荘子』等の内容を引いているが、
現存本は魏晋代以降に成立した偽書であるとの説も根強い。wiki

自説・自論に都合のいい記録はないかと文献漁りをして、
その文献の信憑性検証もすることなく二流・異聞とされる文献に飛びつく。
節操のない人間のすることだ。
942須磨虎:2012/03/13(火) 22:46:09.20
>>940
>「山之中闡葛試オ萬里」は「山(五神山)の相互間距離は七万里」となる。
>これ以外の読みはないね。
その読みに万歩譲っても超現実的だわな。
ほれ、お前がいったことだ。
「5神山巡りをすると35万里」。 地球を何周する理屈だ? 計算して出せ。

>七万里が現実離れしていることに文句を言っても始まらない話である。
現実離れした空想談書いた記録のいう周旋を都合よく解釈しておいて、
『三国志』が書いた周旋とをおなじ土俵で語る手法のアホらしさ。
これを指摘しはてるのだが・無学者には理解できんだろうな。
943須磨虎:2012/03/13(火) 22:51:15.04
>>936
>本まで出したからには
けへへ。よほとじうらやましいようだな。
その嫉妬(妬み嫉み)から、何とか否定しようというわけだ。
そんなヒマがあったら、てめーで本でも出したらどうだ。

もっとも、本の1冊分の論を構築する能はないし、
書いたところで、アホ無学もろ出しの解釈連発では
取り上げてくれるような「お人よしの出版社」などないわなー。

けけけ
944須磨虎:2012/03/13(火) 23:03:22.26
>>936
やりとりの中に、当人の知性・品性・知能程度というものは出るものだ。
お前は実際のところ頭が悪い。ウソが見え見えだし文章力もない。
ひいき目にみても高卒だな。

いわれて悔しかったらな。
他人に「漢文が読めるの・読めない」のいう前に、
てめーが提示する漢文の読みと訳文ぐらいは俺みたいに提示するものだ。
つつかれるのを怖がって、原文提示でやり過そうとする・腰抜け。

そういうところに、いやーな性格が覗くぜ。


945日本@名無史さん:2012/03/13(火) 23:10:50.35
>>941 :須磨虎
>その文献の信憑性検証もすることなく二流・異聞とされる文献に飛びつく。
>節操のない人間のすることだ。

書いてあることは現実離れをしていても、それは哲学的思想的な内容だから仕方がなかろう。
問題は文章としてどうかであろう。列子は稚拙で間違いだらけの文章で書かれているというのなら例文として挙げるには
問題があるだろう。
しかし、列子の文章が稚拙で間違っているという評価は聞かれないぞ。むしろ簡潔でいい文章じゃないか。
946日本@名無史さん:2012/03/13(火) 23:18:43.92
>>942 :須磨虎:2012/03/13(火) 22:46:09.20
>「5神山巡りをすると35万里」。 地球を何周する理屈だ? 計算して出せ。

なにをピント外れのタワゴトを言っているのだ?
君が五神山を巡った距離が三万里だなどとトンチンカンなことを言うから山と山の間は七万里離れているのに
五神山を巡った距離が三万里など有り得ないことを具体的に示したものだ。

947須磨虎:2012/03/13(火) 23:23:27.55
>>945
>書いてあることは現実離れをしていても、それは哲学的思想的な内容だから仕方がなかろう。
>列子は稚拙で間違いだらけの文章で書かれているというのなら
>列子の文章が稚拙で間違っているという評価は聞かれないぞ。

お前と同じで、常識的な判断ができなかった人間の言葉を記録したくだりだ。
だからこそケタはずれのことをいう。常識外れにもほどがある。
頭が悪いと筋論も見失うらしいな。

で・問題は、
「その山は高下、周旋3万里」か、「その山は高く、下は周旋3万里」かだ。
麓や山裾ののことを「下」と書いた用例を探してこいや。
948須磨虎:2012/03/13(火) 23:29:31.16
>>946
>なにをピント外れのタワゴトを言っているのだ?
ほれ↓↓↓↓、自分でこう読むといってるだろ。

>>930 :日本@名無史さん
>山と山の間は七万里も離れているのだぞ。
>その五神山を巡ったら35万里にもなるぞ。

問題はこの読みの正否だ。お前の読みが出しければ、
「5神山巡り35万里」は地球を何周する理屈か回答せ。

949須磨虎:2012/03/13(火) 23:33:51.70
>>946
ほれほれ。バカげた枝葉につき合ってやってるんだ。
てめーが言い出しっぺのネタだぞ。
枝葉から枝葉へ逃げてばかりいないで、きちんと回答しろ。

「5神山巡り35万里」は地球を何周する理屈か回答せ。
麓や山裾ののことを「下」と書いた用例を探してこい。
950須磨虎:2012/03/13(火) 23:43:37.59
>>946  ●バカの証明。

お前が引っぱり出した辞書の意味説明も用例もみな動詞だった。
これで勝負はついている。

自分が提示した辞書が動詞として解説しているのに、
名詞に見えそうなゴミ用例の一つを持ち出して、
ぼんくら丸出しの読みで無理に「名詞」だという。

手の内みえみえのバカさ加減は、まさに芸術的だぜ。
951日本@名無史さん:2012/03/13(火) 23:48:50.56
>>941 :須磨虎:2012/03/13(火) 22:40:39.01
>>有如水火に始まって周旋で 化けの皮を剥がされた。
>「高下」を「「高」と「下」でちょちょ切った手法そのまんま。
>有如刺史を「有」と「如刺史」にちょちょ切るは、
>有如水火を「水火のような(仲)の如くあり」と奇妙な訳をするわ。
>挙げ句は黙りこくって逃げたくせに、勝った振りだけするな・外道。

有如刺史は担々麺が論じていたことで私には関係ない。
私が論争に参加したのは有如水火である。
延既善養士卒、勇猛過人、又性矜高、當時皆避下之、唯楊儀不假借延、延以爲至忿、有如水火。
の有如水火について君は「魏延の怒りは洪水や火事のように激しかった」と解釈し、
私は「楊儀と魏延は水と火のように相容れなかった」と解釈したのである。

そして君は他に「如水火」のある例文を示し、これも「洪水や火事のように激しい」と解釈した。
私はこの水火は「災害や危険の比喩」である可能性があると思っていたが、それ以後レスしていない。
逃げたわけではない。改めて検討しよう。もう一度「如水火」の例文を前後の文章も付けて示してくれないか。
952日本@名無史さん:2012/03/14(水) 00:00:09.66
>>950 :須磨虎
>お前が引っぱり出した辞書の意味説明も用例もみな動詞だった。
単語や熟語を辞書で見れば動詞しか書かれていなくても文章として意味をとれば周旋を周囲としてもよいのだ。
「周廻する3万里」とか「周廻する五千餘里」は意味としては「周囲3万里」や「周囲五千餘里」と同じだろ。
953日本@名無史さん:2012/03/14(水) 00:24:54.18
(要拡散)

民主党の実態
有楽町のマリオン前で民主党関係者が女性の首を絞める

民主党関係者が女性に暴力!マリオン前
http://www.youtube.com/watch?v=PayoHHi1Jvw
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17240051
13日23時時点で被害女性はまだ警察の事情聴取を受けているようです
954須磨虎:2012/03/14(水) 01:11:53.54
まーだバカやってやがる。バカの上塗り。
>>951
>君は他に「如水火」のある例文を示し、これも「洪水や火事のように激しい」と解釈した。
>もう一度「如水火」の例文を前後の文章も付けて示してくれないか。
俺が出したのはこれだ。
▼春秋左伝/昭公
「王至矣、国人殺君司馬、将來矣。君若早自図也、可以無辱。君若早自図也、可以無辱。衆怒如水火焉、不可為謀」。
▼史記/ー楚世家
「王至矣!国人将殺君,司馬将至矣! 君蚤自図,無取辱焉。衆怒如水火,不可救也」。
漢文学の大博士が「洪水や火事のように激しい」と解釈してるが。

>>952
>単語や熟語を辞書で見れば動詞しか書かれていなくても文章として意味をとれば周旋を周囲としてもよいのだ。
そんな理屈がどこで通用するか。勝手なことをいうな・ボンクラ

>「周廻する3万里」とか「周廻する五千餘里」は意味としては「周囲3万里」や「周囲五千餘里」と同じだろ。
「周廻する3万里」とか「周廻する五千餘里」の話ではない。ボンクラ
955須磨虎:2012/03/14(水) 01:14:17.33
>>951
バカに「おべんきょう」のすすめ
知り合いの文献研究者のサイトから引用。(『後漢書』礼儀志中の皇帝陵規模)
周囲の長さでいうときは、「周」という書き方をしている。
光武原陵  山・方三百二十三歩・高六丈六尺
明帝顯節陵 山・方三百歩・高八丈       
章帝敬陵  山・方三百歩・高六丈二尺
和帝慎陵  山・方三百八十歩・高十丈
▼殤帝康陵 山・周二百八歩・高五丈五尺
▼安帝恭陵 山・周二百六十歩・高十五丈
順帝憲陵  山・方三百歩高八丈四尺
沖帝懷陵  山・方百八十三歩・高四丈六尺
質帝靜陵  山・方百三十六歩・高五丈五尺
桓帝宣陵  山・方三百歩・高十二丈
霊帝文陵  山・方三百歩・高十二丈

●『三国史』が周囲の寸法に「周」と「囲」を使っている用例。
・広一丈六尺、長一丈七尺一寸、囲五丈八寸。
・周囲七尋、中高一仞。
956須磨虎:2012/03/14(水) 01:17:33.90
>>951
>逃げたわけではない。改めて検討しよう。
▼春秋左伝/昭公
「王至矣、国人殺君司馬、将來矣。君若早自図也、可以無辱。君若早自図也、可以無辱。衆怒如水火焉、不可為謀」。
▼史記/楚世家
「王至矣!国人将殺君,司馬将至矣! 君蚤自図,無取辱焉。衆怒如水火、不可救也」。

「衆の怒りは水火の如し」だ。いじりようがあるまい。
無学のバカ読みで漢文学の権威に対抗できるならやれ。タコ
957日本@名無史さん:2012/03/14(水) 01:38:49.54
論点がずれ過ぎ
原点に戻ろう
958風の中のゴキブリ:2012/03/14(水) 04:55:32.14
つーか、須磨虎って何?
「リンかけ」からのパクり?

皆さん、
伊作を相手にしてはいけません。単なるキチガイですから。
959日本@名無史さん:2012/03/14(水) 10:35:48.91
周旋を周囲だと思い込んでいる連中は、周旋五千余里がどこの話しだと思っているのかな。
倭の地に周囲五千里は存在しない、よって倭人伝はデタラメだといいたいわけかい?

960須磨虎:2012/03/14(水) 11:27:57.67
>>958
寺山修司が主催していた天井桟敷という劇団に「支那虎」という人物がいた。
「リンかけ」の志那虎も、たぶんその存在を知っていてつけたをものだろう。
いま支那虎でググればラーメン屋しか出ないようだ。

お角違いが、ヒョウタンから駒だったな。
961須磨虎:2012/03/14(水) 11:29:42.45
>>959
>周旋を周囲だと思い込んでいる連中は
九州北部説のタコだよ。
畿内説にそんなバカをいうのはいないはずだ。
962日本@名無史さん:2012/03/14(水) 12:09:48.66
>958
はーい。
963大訂正!:2012/03/14(水) 13:28:06.12
『周旋五千余里』ではなく「周旋可五千余里」。

「周旋可五千余里」の「可」は

可:骨闢肎肎箸也

箸:飯攲也。
攲:持去也。


去:人相違也。違,離也。人離故从大。大者,人也。从大。𠙴聲。丘據切。五部。凡去之屬皆从去。


可はさしわたし。
964卑弥呼は朝鮮にいた:2012/03/14(水) 15:06:15.60
周旋論争が続いているようだが、倭地が単独の島なら、周五千里 でもよいのである。
しかし倭の地は 絶在海中洲島之上或絶或連 なので周旋五千里と書いたのだろう。

あまりにも遠く離れた小島などは無視して、或いは絶え或いは連なる主な島々の周りをざっと経巡ると五千里だという意味だろう。
訳すとすれば、周旋するに、あるいは周旋すること五千里と訳すべきか。

その意味では伊作が正しいのだが、意味としては周囲と解しても大差はないのである。
965大訂正!:2012/03/14(水) 15:35:06.92
>>964 名前:卑弥呼は朝鮮にいた

「可」解釈はどうしたの。

>その意味では伊作が正しいのだが、意味としては周囲と解しても大差はないのである


て、
結局「周旋」を理解できていないということだ。

倭地を周旋するにそのさしわたしは五千余里。

五千里は約2160kmだ。
966風来坊:2012/03/14(水) 18:07:18.91
須磨虎の書き込みがやたらと多いね。
読んだ感想であるが、須磨虎は狼狽しているね。自分の間違いを糊塗するために必死になっているね。

諸葛恪伝の周旋数千里のところで「周旋」を「諸葛恪とその軍隊が丹楊平定でめぐったのだ。」と言ったが、それが無惨にも否定された。
あの「周旋数千里」は諸葛恪が「自分が丹陽郡に赴けば、3年で武装兵4万人を手に入れられます。」と上申した時に孫権配下の諸将が反対
言葉の中にあったもので、諸葛恪が撫越将軍・丹陽太守に任じられる前のことなのであった。
諸葛恪伝をちゃんと読めていればあんなミスは犯さなかっただろうに。

次は列子湯問篇に出て来る「其山高下周旋三萬里,其頂平處九千里。」の解釈で大ボケをかましてしまった。
「その山(五神山)は高下(こうげ=高いのや低いの)があって、五神山を巡る距離は三万里」。
これが正しい翻訳だ。
と大見得を切った。この辺りの書き込みはまるで鬼の首でも穫ったかのようなはしゃぎぶりだった。

ところが、その文章の直後に「山之中闡葛試オ萬里」と記述されていることを指摘された。
あら大変。山と山の間は七万里もある。これじゃ一つの山から隣の山に行くだけでも三萬里じゃ足りない。
提示された列子湯問篇の文章をちゃんと読めていればこんな恥ずかしいミスは犯さなかっただろうに。

これじゃ正気を失うのも分からないではないね。議論の本筋に関係のないことまで書き連ねている。
・やりとりの中に、当人の知性・品性・知能程度というものは出るものだ。
・お前は実際のところ頭が悪い。ウソが見え見えだし文章力もない。
・ひいき目にみても高卒だな。
967日本@名無史さん:2012/03/14(水) 18:35:52.66
>>966
伊作=須磨虎が品性下劣なのは、とっくにみんな了解済み。
その上で、「生暖かい目」で見てあげてるのよ
968日本@名無史さん:2012/03/14(水) 18:46:35.77
可はこの場合はおよそって意味だろ
周施することおよそ五千里とでも訳せばよいかな
969日本@名無史さん:2012/03/14(水) 19:22:52.10
倭地は広いぞでっかいぞ

海も含むし、土器ぼこりの鉄器欠乏症候群の「復有國皆倭種」のも含む。


倭地のことぐるっとして五千餘里とかで済むはずとか無いべさ。

てかねぽまいらってまぬけさんでねえの?
970卑弥呼の都は久留米:2012/03/14(水) 21:02:26.18
「郭奉孝年不滿四十 相與周旋十一年 阻險艱難 皆共罹之」魏書十二郭嘉傳

郭奉孝は四十才にも満たず、ともに十一年が過ぎ、
険阻や艱難を、みなと共に被ったである。・・・小生の試訳

上記は十二年の時間の流れを周旋している。

周旋を地形で表す時に使った場合、
周旋に一周の意味も往復の意味もないな。
周旋は片道行だな。
周旋は、A点→B点→・・・・・・・→Z点で終わり。
周旋に、A点→B点→・・・・→Z点→A点はないな。
971卑弥呼の都は久留米:2012/03/14(水) 21:13:43.19
>>965
>>964 名前:卑弥呼は朝鮮にいた
>>その意味では伊作が正しいのだが、意味としては周囲と解しても大差はないのである
>て、結局「周旋」を理解できていないということだ。
>倭地を周旋するにそのさしわたしは五千余里。
>五千里は約2160kmだ。

倭地を周旋するにそのさしわたしは五千余里即ち350km。
972須磨虎:2012/03/14(水) 21:39:32.12
>>966
>自分の間違いを糊塗するために必死になっているね。
自演するようじゃ知れてるぜ。

>孫権配下の諸将が反対言葉の中にあったもので、
そうだな。それでも諸葛恪が撫越将軍・丹陽太守に任じられた。

>諸葛恪伝をちゃんと読めていればあんなミスは犯さなかっただろうに。
例文を提示した者がきちんと翻訳を提示すればいいものを、
しないから自力で読んだ。いい男だろ。しかも「難解だ」とことわってる。
で? それが周旋の解釈にどれだけの問題があるというのだ? タコ

>「その山(五神山)は高下(こうげ=高いのや低いの)があって、五神山を巡る距離は三万里」。
>これが正しい翻訳だ。と大見得を切った。
正しい読みだ。

>その文章の直後に「山之中闡葛試オ萬里」と記述されていることを指摘された。
得体の知れない神仙空想話に登場する記録だ。
解釈に議論の余地を残すのに、高卒以下の勝手な解釈で決定したようにいう。
いつものパターンだが、そんな数値などどうでもいい。
周旋の解釈にどれだけの問題がある?

>あら大変。山と山の間は七万里もある。
で?  山と山の間が7万里もあるのを5つで35万里という。
地球を何周するかと問えば返答なし。
それほどにいかがわしい記録を議論材料にするのがまともだとでもいうのか。

>議論の本筋に関係のないことまで書き連ねている。
>やりとりの中に、当人の知性・品性・知能程度というものは出るものだ。
>お前は実際のところ頭が悪い。ウソが見え見えだし文章力もない。ひいき目にみても高卒だな。
俺の総合評価もたいしたもんだろ。
973須磨虎:2012/03/14(水) 22:00:07.49
>>966
風来坊てのは、俺が別の板で名乗ったことがあるが、
お前はそれを知っている「縄文人」だよな。
曲学のところで「H」を名乗っていた伊作パクリ野郎だよな。
俺とメールのやりとりをしたことがあるよな。

俺もてめえには、ほかにいいたことがある。
そろそろ、直対面で決着むつけるか?
974須磨虎:2012/03/14(水) 22:09:50.06
>>966 こそ泥根性のホラ吹き縄文人。ほれ

944 :須磨虎
他人に「漢文が読めるの・読めない」のいう前に、
てめーが提示する漢文の読みと訳文ぐらいは俺みたいに提示するものだ。
つつかれるのを怖がって、原文提示でやり過そうとする・腰抜け。
そういうところに、いやーな性格が覗くぜ。

947 :須磨虎
で・問題は、 「その山は高下、周旋3万里」か、「その山は高く、下は周旋3万里」かだ。
麓や山裾ののことを「下」と書いた用例を探してこいや。

949 :須磨虎
バカげた枝葉につき合ってやってるんだ。 てめーが言い出しっぺのネタだぞ。
枝葉から枝葉へ逃げてばかりいないで、きちんと回答しろ。
「5神山巡り35万里」は地球を何周する理屈か回答せ。

950 :須磨虎
お前が引っぱり出した辞書の意味説明も用例もみな動詞だった。
これで勝負はついている。

逃げまくりだな。
975須磨虎:2012/03/14(水) 22:26:29.12
>>951 伊作パクリ縄文人
>君は他に「如水火」のある例文を示し、これも「洪水や火事のように激しい」と解釈した。
>私はこの水火は「災害や危険の比喩」である可能性があると思っていたが、それ以後レスしていない。
>逃げたわけではない。改めて検討しよう。もう一度「如水火」の例文を前後の文章も付けて示してくれないか。
▼春秋左伝/昭公
「王至矣、国人殺君司馬、将來矣。君若早自図也、可以無辱。君若早自図也、可以無辱。衆怒如水火焉、不可為謀」。
▼史記/ー楚世家
「王至矣!国人将殺君,司馬将至矣! 君蚤自図,無取辱焉。衆怒如水火,不可救也」。
漢文学の大博士が「洪水や火事のように激しい」と解釈してるが。

ほれ。逃げまくりだな。
話題すり替えで放置している宿題が多すぎるようだが、
スレッドが新しくなったら、「伊作パクリ縄文人特集」でも組んで回答しろ。

俺のサイトからパクって、ここでいい顔していたが、
偽物が出没するからと俺が出てきたら、別ハン・名無しを駆使して伊作攻撃キャラか。
しかも、どうみても頭がいいとは思えない稚拙さだ。どんな育ち方をすればそうなれるんだ?
976須磨虎:2012/03/14(水) 22:37:38.79
なあ縄文人よ。

伊作のサイトからパクって2ちゃんでやってたら。
伊作のサイトを知ってる参加者がいて「これは伊作だ」と噂になった。
伊作だと思われて伊作になりきってやってた。

2ちゃんで伊作が話題になっていることと偽物が横行していることを聞きつけて、
本物の伊作がやってきたら、すごすごと姿を消して、2とゃんを傍観していた。
ほぼ半年か1年か、時折り名無しでちょっかいを出す以外は2とゃんを傍観していた。

従来通りのキャラで出ればすぐにバレるし、出たくても出られず、
出たところで伊作と同じことをいうわけにもいかず、
2ちゃんに参加するには反伊作になるしかない。
てめえの心理動向はこんんなところだろう。
977946:2012/03/14(水) 22:41:22.59
>>972 :須磨虎:2012/03/14(水) 21:39:32.12
>>孫権配下の諸将が反対言葉の中にあったもので、
>そうだな。それでも諸葛恪が撫越将軍・丹陽太守に任じられた。

何を言っているのやら。自分の間違いが分からないのか?じゃ、もう一度説明してやろう。
孫権の配下の諸将がこぞって反対した言葉の中に「周旋数千里」がある。諸葛恪が撫越将軍・丹陽太守に任じられる前のことだ。
「諸葛恪とその軍隊が丹楊平定でめぐったのだ。」など有り得ないのである。
「周旋数千里」は丹陽の地勢を述べたもので「周囲数千里」の意味なのである。
諸葛恪が撫越将軍・丹陽太守に任じられたのは反対に逢いながらも「(自分の計画は)必ず成功すると盛んに上申したからである。
そして撫越将軍・丹陽太守に任じられた諸葛恪は丹陽に赴き、「乃分內諸將、羅兵幽阻、但繕藩籬、不與交鋒、候其穀稼將熟、
輒縱兵芟刈、使無遺種。舊穀既盡、新田不收、平民屯居、略無所入、於是、山民飢窮、漸出降首」というような策略を使って
民を帰順させる事に成功したと書かれている。この部分には「周旋数千里」はもちろん出て来ない。
978946:2012/03/14(水) 23:00:06.91
972 :須磨虎:2012/03/14(水) 21:39:32.12
>>「その山(五神山)は高下(こうげ=高いのや低いの)があって、五神山を巡る距離は三万里」。
>>これが正しい翻訳だ。と大見得を切った。
>正しい読みだ。

アホか?

>>その文章の直後に「山之中闡葛試オ萬里」と記述されていることを指摘された。
>得体の知れない神仙空想話に登場する記録だ。
>解釈に議論の余地を残すのに、高卒以下の勝手な解釈で決定したようにいう。
>いつものパターンだが、そんな数値などどうでもいい。
>周旋の解釈にどれだけの問題がある?

哲学的思想的な内容だから現実離れした数値があっても問題にすることではないだろ。
文章として用語の使い方が間違っているだとか稚拙な表現が多いだとかの欠陥があれば例文として用いるのには問題が
あるだろうが、そうではないだろ。
「解釈に議論の余地を残すのに」とはどういうことだ?数値が大き過ぎると言うのか?そんなことは問題じゃないだろ。
周旋三万里の周旋は五神山を周り巡った距離ではない。一つの山の周囲が三万里だということだ。


979須磨虎:2012/03/14(水) 23:14:43.09
>>977
わかってるぜ。
>孫権の配下の諸将がこぞって反対した言葉の中に「周旋数千里」がある。
>「諸葛恪とその軍隊が丹楊平定でめぐったのだ。」など有り得ないのである。
わかってるぜ。難解だとことわったところだ。
要は、反対する理由の一つとして「丹陽まで諸郡を巡って数千里もある」といったのだ。

>諸葛恪が撫越将軍・丹陽太守に任じられたのは
それでも諸葛恪が撫越将軍・丹陽太守に任じられ。結果として軍功をあげた。
てめえが、諸葛恪の申し出は却下されて、
丹陽には行っていないといったのは頬かむりか。よくやってるぜタコが。

要は周旋の解釈だ。これにつては勝負はついている。
こんなあがき明田やって何の意味があるというのだ?
陽の当たらない便所壁の落書きで名無しのメンツを保つためか。
なあ、縄文人よ。
俺説が2ちゃんで噂になっていることを知った。俺の偽物が出没していることを知った。
で・他で知り合ったローガン、唐松山、大国が2ちゃんでやっていたので、
俺は2ちゃんへのエントリー方法を知らないから、偽物に警告するように頼んだ。
そうしたら3者いわく。
●大国 「2ちゃんへのエントリー方法を知らないとは思えない。(自分でやれ)」。
●ローガン 「2ちゃんにいらっしゃい」。
●唐松は2ちゃんで1度警告してくれた。「本物の伊作さんが怒ってるよ」
この3者は、俺が2ちゃんに出張るに至ったことのいきさつを良く知っている。
お前が百面相といわれるほどの演技オタクで別ハン使いだということも彼らは知っている。

で・俺がやってきたら、お前の出る幕がない。
やることは、こんなはしたないザマだ。
980日本@名無史さん:2012/03/14(水) 23:27:40.79
つか、海が千里とかどうやって測ったの?シナ人は
暦もろくにつくれないのに、まともに距離が測れるとはおもえんわ
当時の航海技術で対馬海峡が一日で渡れる距離なのかも不明だし
981須磨虎:2012/03/14(水) 23:29:07.47
>>978
>哲学的思想的な内容だから
哲学的思想的な内容ではない。列子そのものが道学に基づく道家思想的書物だ。コケ

>現実離れした数値があっても問題にすることではないだろ。
現実離れした数値を「ああだ・こうだ」いってどうするか。イボタコ

>文章として用語の使い方が間違っているだとか稚拙な表現が多いだとかの欠陥があれば
>例文として用いるのには問題があるだろうが、そうではないだろ。
道家思想的書物として、いろいろと問題がある書き物だ。玄幻的書き物。

>「解釈に議論の余地を残すのに」とはどういうことだ?
お前のその低学歴の独善読みはまったく信用できない。ということ
玄幻的書き物の勝手な読みで勝手な結論をいうし。

>周旋三万里の周旋は五神山を周り巡った距離ではない。一つの山の周囲が三万里だということだ。
その独善読的解釈を断定的にいうのが、低学歴のあかし。
982日本@名無史さん:2012/03/14(水) 23:31:16.98
>「周旋数千里」は丹陽の地勢を述べたもので「周囲数千里」の意味なのである。
これはちがうだろうな。隣接4県との境あたりを奥まで行く距離のようだ。
戻ってくる距離は入っていないだろう。
983日本@名無史さん:2012/03/14(水) 23:37:22.97
>>980

朝鮮半島           -- 彌媽那(みまな)
 |   対馬海峡西水道
対馬
 |   対馬海峡東水道 -- 瀚海(はんかい : 韓海 : 彌媽 : みま)
壱岐
 |   壱岐水道
東松浦半島
984日本@名無史さん:2012/03/14(水) 23:40:30.59
>>981 :須磨虎

冷静になれよ。言っていることが滅茶苦茶だ。
985須磨虎:2012/03/14(水) 23:41:14.85
さて、演技マニアの百面相縄文人。

動詞熟語として古くから300ばかりある周旋の用例の中で、
外周距離という名詞として読めそうな用例の2つばかり持ち出して、
無理に外周距離と読むために稚拙なごたくを並べたが、ご苦労だった。

俺が目障りで2ちゃんではやりにくいなら、てめえが消えろ。
986須磨虎:2012/03/14(水) 23:43:41.02
>>984
どこがめちゃくちゃだ。
動詞熟語として古くから300ばかりある周旋の用例の中で、
「外周距離」という名詞として読めそうな用例の2つばかり持ち出して、
無理に外周距離と読むために稚拙なごたくを並べてる枝葉につき合って、
「それも名詞ではなく動詞用法だ」と、
縄文人のバカさ加減を笑っているのだが。
987鄙彌孤:2012/03/14(水) 23:46:42.55
ほれほれ

1.官曰 卑狗    (ひこぅ)   (鄙~) --- ひなのおかみ
2.副曰 卑奴母離 (ひな・もり) (鄙那母離・鄙守=邑守) 複数いるのね


《周禮・天官・大宰》以八則治都鄙
         《註》都之所居曰鄙 公卿大夫之采邑 王子弟所食邑在畿内者
《周禮・地官・遂人》掌造縣鄙形體之法 五酇爲鄙 五鄙爲縣
《周禮・地官・遂人》五家爲鄰 五鄰爲里 四里爲酇 五酇爲鄙 五鄙爲縣 五縣爲遂
《周禮・地官・遂人》五縣爲遂 王國内有六ク 外有六遂
988日本@名無史さん:2012/03/14(水) 23:47:10.51
>>983
だから、その千里の感覚と、他で使ってる里程があってるとは証明できないでしょ

テコキ船で、釜山から真南に対馬までいく航路なんて、潮の流れで不効率だし
もし帆船で真南にいくとしたら、航路はジグザグになる、風の流れ的にな
989須磨虎:2012/03/14(水) 23:49:58.44
>>984
お前が以下の詰問に明確に回答できたら、俺のいい分がめちゃくちゃといえる。やれ

「その山は高下、周旋3万里」か、「その山は高く、下は周旋3万里」かだが、
麓や山裾ののことを「下」と書いた用例を探してこい。

「5神山巡り35万里」は地球を何周する理屈か。こんなマンガ的解釈ありか。

「周旋」については、辞書の意味説明も用例もみな動詞だった。
名詞としての解説や用例を提示している辞書があれば提示しろ。
990日本@名無史さん:2012/03/14(水) 23:50:06.64
周旋なんて、へめぐるって意味以外のなにものでもないだろjk

へめぐる、経巡る、経廻る、巡回と同じ。
町を巡回するっていったとき、外周だけをめぐるとはかぎらん。
991日本@名無史さん:2012/03/14(水) 23:58:36.13
>>979 :須磨虎:2012/03/14(水) 23:14:43.09
>>孫権の配下の諸将がこぞって反対した言葉の中に「周旋数千里」がある。
>>「諸葛恪とその軍隊が丹楊平定でめぐったのだ。」など有り得ないのである。
>わかってるぜ。難解だとことわったところだ。
>要は、反対する理由の一つとして「丹陽まで諸郡を巡って数千里もある」といったのだ。

ははは。よく言うぜ。

>てめえが、諸葛恪の申し出は却下されて、
>丹陽には行っていないといったのは頬かむりか。よくやってるぜタコが。

そう。諸葛恪の申し出は諸将の反対で(皆以爲難)取り上げられなかった。それを聞いて父親の瑾が嘆く。
それでも恪は諦めず「必ず成功すると盛んに説き嘆願した」ので遂に孫権が取り上げて恪を撫越将軍・丹陽
太守に任じたのである。私はこのことは言っている。頬かむりなどしていないぞ。過去のレスを見てみろ。
992日本@名無史さん:2012/03/15(木) 00:07:46.89
東夷伝の主要国の夫余と高句麗は方可二千里、韓は方可四千里と面積が書かれている。
倭地については周旋可五千餘里と書かれている。この周旋が魏使が訪れた距離ではサマにならんだろう。
993日本@名無史さん:2012/03/15(木) 00:17:50.17
>>992
>方可四千里

これを実際に量ったとするのは古代人を尊敬しすぎだろ
ダイヤ守るだけでビビる外国人で、しかも古代人とくればもっとガサツに考えてもバチはあたらんよ
暦の杜撰さも四大文明でとびぬけて杜撰なシナがそこまで信用あたうのか疑問すぎる

方可四千里とくれば伝聞とするのが無難。
もしくは国境から首都までの距離を短辺として、2倍したものを方何里としただけだろうよ

たとえば、滋賀県を周旋したとするとき、たいてい、湖まわりの街道の長さでもって
周旋何里と書くのが常識的といえる

周旋可五千里も同程度に常識的に考えればいい
994日本@名無史さん:2012/03/15(木) 00:20:01.98
>>988

現地では、釜山は「弁辰瀆盧國」だという比定

「狗邪韓國」は洛東江を挟んでの西側らしいしね


対馬を目指す時は

錦江湾(金海)よぎってからに巨済島の西側まわって南下すると

海流で東に流されて対馬西岸に無理なく流れ着くよ


対馬
 |   対馬海峡東水道 -- 瀚海(はんかい : 韓海 : 彌媽 : みま)
壱岐

ここに立派なお名前がついていてわざわざ掲載されているとゆうことは

壱岐対馬のの領域は倭國のメモリアルな支配領域で

政権維持上からもここ失うとたいへんなことになるとゆうようなドメインだとおもふよ
995日本@名無史さん:2012/03/15(木) 00:23:09.08
>>994
ならますますおかしくないか?
壱岐ー松浦間がとびぬけて短い&潮流にも反することになる
996須磨虎:2012/03/15(木) 00:27:00.25
>>991

バカにも分かるように説明してやろう。
▼縄文人のいい分はこうだ。
「周囲が3万里もある山が5つあって、互いの間隔は7万里」
俺のいい分はこうだ。
▼「巨大大陸なみの山が5つもどこにあるのか。
その山を巡れば35万里というが、地球を何周する距離になるのか」。

周旋という古語熟語の解釈にあたって、
300を超える動詞用例があるのにいかがわしい記録一つをとりあげて、
周旋が周囲距離をいう名詞だというために、無理に周囲距離だと解釈する。
結果その解釈でいけば、「巨大大陸なみの山が5つもあって、その山を巡れば35万里」となる。
現実は慣れしているのは事実だから、
記録がいかがわしいのか解読がいかがわしいのかいずれかだ。
どだい、こんなことをしなきゃ論証できないようでは、その論がウソだということだ。
こっちはすでに、辞書の解説も数多の用例もみな動詞である事実を提示している。
これについての反論は一切なしのまま、枝葉論議で抵抗を続ける。

諸葛恪伝に関してがいい例だな。
最初は出されたのは原文だけで何の説明もなし。で・俺が「難解な部分を含むが、……こんなもんか」と
出された原文を翻訳した上で自論を述べた。
ところが今になって、どこからか引っ張ってきた翻訳文を提示して、
俺の読みが間違いだどうだと、とんでみない方から反撃してきやがる。
本論とはかんけーねーだろ。じっさいのところ、いやしさと卑劣さにヘドが出そうだぜ。
997日本@名無史さん:2012/03/15(木) 00:31:26.91
>>995
1600 - 1800 - 1000 なら だいたいよかあんばいじゃに
998じゅんばんちがいだたわ:2012/03/15(木) 00:32:20.47
1800 - 1600 - 1000
999日本@名無史さん:2012/03/15(木) 00:41:11.75
倭國政権のの海賊性のぷろぱてぃ勘案すると

出雲の領域が系列化とかされてないと海峡おさえるのに支障が出ますね

五島平戸佐世保あたりのの海賊さんたちのご協力とかもないと海峡おさえるのに支障が出ますね

前者は 投馬

後者は 狗奴   なのでわ
1000日本@名無史さん:2012/03/15(木) 00:41:11.72
>>998
そこまで許容するなら、今の邪馬台国論争はどうでもよくなる
そして、俺のスタンスはそれ
すこし楽しむくらいでいい
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