息長帯媛の伝承自体が、元々は筑紫地方に伝わる母子神信仰
オホタラシ媛伝承が畿内神話に採用されただけだからな。
海洋民である息長氏が伝承していたオホタラシ媛神話が、
記紀に採用されて神武と応神東征伝承として記述されたという。
920 :
日本@名無史さん:2013/02/16(土) 04:59:41.04
921 :
日本@名無史さん:2013/02/16(土) 13:16:52.39
>>919 > 海洋民である息長氏
息長氏が海洋民であるとは断定しがたい。
ただ水運を活用しての交易には長じていたような感じはするが。
和邇氏は名前からして海洋民っぽいが、あれもよくわからないんだよね。
水軍に関係していたとの説もあるが、要するによくわからない。
922 :
日本@名無史さん:2013/02/16(土) 13:18:00.27
>>918 息長氏は室町時代の日野氏みたいなもので、
大王家がここから嫁さんもらうことが多かった、という感じなのだろうか。
>>902 何故に榮倉奈々先生が、継体天皇スレにお立寄りなされたのかえ?
924 :
日本@名無史さん:2013/02/16(土) 19:53:38.90
>>922 むしろ上杉は?
初代王の母の実家で、畿内の外に本拠地があり
独自の勢力も持っている。
眉唾というより妄想だな。
ここまで妄想が進むと、まだ日本書紀のほうが史実って感じ。
古事記も日本書紀も天皇家の権威を高めるために創作された
なんて奇想天外な説を何でみんな疑いもせずに信じてるの
伝わっている話をそのまま書いたに決まっているじゃない
架空の人物を何人も創作して家系を古く見せかけるなんて聞いたことがない
外国の歴史書でそんな例が一つでもあるの
シナでもヨーロッパでもそのほかでもそんな歴史書が一つでもあるなら言ってみなさいよ
確かにそういう視点が抜けてた。
外国にも、同じような歴史書の例はあるんだろうか?
お隣の韓国じゃないのかw
929 :
日本@名無史さん:2013/02/17(日) 16:25:28.18
三国史記?
あれって架空の人物で家系を古く見せかけるという指摘はされてるの?
930 :
日本@名無史さん:2013/02/17(日) 17:42:43.90
チンギス・ハンにしろヌルハチにしろ
架空の人物を足して家系を古く見せてるみたいだけど。
931 :
日本@名無史さん:2013/02/17(日) 17:45:02.04
今の天皇の先祖か。
ただの福井の豪族だろ(笑)
>>930 実際のところ、誰まで実在すると研究されてるんだ?
>>932 ヌルハチに関しては祖父のギオチャンガという人物は確実なんかな?
934 :
日本@名無史さん:2013/02/18(月) 10:22:54.06
>>919 神功皇后(息長帯媛)は三韓征討の時に越前(福井県)の角鹿(現在の敦賀)
から出航している。
息長氏が越前と深い関係を持っていた証であり、
筑紫を経由しない独自の海路を持っていた証だろう。
筑紫など、何の関係もない。
神功皇后は、現在筑紫に眠っているわけだが
>>933 疑問形で返されても困るw
>架空の人物を足して家系を古く見せてるみたいだけど。
この発言のタネ本とかないの?
それとも適当に言ってみただけ?
938 :
日本@名無史さん:2013/02/18(月) 19:09:34.64
>>937 「ヌルハチの都」とかいう本にはヌルハチの家系図は怪しいとか書いてあった
939 :
日本@名無史さん:2013/02/18(月) 19:28:28.89
今調べたら、クローヴィスの家系図も怪しいらしい。
940 :
日本@名無史さん:2013/02/18(月) 19:35:22.31
夏、殷、周も怪しいらしい。
941 :
日本@名無史さん:2013/02/18(月) 19:43:16.47
むかーしのスレに書いた
記憶があるが
継体天皇のおやじを
まつる神社がどっかにあったな。
昔は、血統がものをいった時代だからね
でっち上げてでも、貴種につなげる必要があっただろう
でないと、諸侯が従わない。
夏、殷、周の王族の血統は、すべて黄帝につながっている
943 :
日本@名無史さん:2013/02/18(月) 20:32:40.99
>>934 海流とか風の関係で
越前〜新羅
は航海しやすいと聞いたことがある。
946 :
日本@名無史さん:2013/02/18(月) 21:30:05.01
>>942 シナや朝鮮の方では倭王は呉太伯の系統で姫姓と勝手に黄帝の子孫と言ってくれているのに、皇室は古代から全力否定してるよ。
>>919 これだから記紀原理主義者はw
母子神信仰とか聞いたことない?
他にも天孫降臨にしろ、北アジアに広く分布する始祖伝承の影響があるし、
イザナギイザナミやら海幸山幸とか南方系神話とか知らないの?
記紀の記述を鵜呑みにして、比較神話学やら民俗学とか、
お前多分、そういった関連の本、一切読んだことないだろ?
「記紀に書いてるから」「わざわざ嘘を書くわけがない」とかばっかりだしw
948 :
947:2013/02/18(月) 21:58:22.73
>>946 そりゃ、古事記の記述と矛盾しちゃうからだろよ
つまり、呉太伯を取ると、古事記はウソで〜す、ってことになっちゃう
倭人は昔は呉の太伯の裔を名乗ってて、
途中で天孫降臨神話を創造したということ。
五六世紀頃のことだろう。
中国から来ましたって最初言っていたのに、途中から、「えーっと空から降ってきました」と言い出したと思うと、なかなか傑作w
まあ、揃いも揃って臣下の部族も、途中で出会って付いてきましたって言い張るしw
何があったんだ、お前らって感じだな。
中国からって言う話は、当初は取引をスムーズに進めるための与太話に過ぎなかったんじゃないかと。
魏晋朝の頃、日本が呉の背後にあると軍事的に有利っぽいってんで、傍証として拾い上げられたから記録に残ったとか、その程度だろ。
もっとも、その与太話をした連中は大和朝廷関係者じゃなくて九州王朝の人間で、後にヤマトに滅ぼされて消滅したとかかもしれんがな。
祖先が天から降りてきたって話は、日本に限らず、わりとメジャー。
中国周辺の諸王朝で始祖神話として採用される事例が散見されるし、
中国でも史記の古い時代の記述にいくつか類例がある。
953 :
日本@名無史さん:2013/02/19(火) 00:37:55.52
呉の太白のまま黄帝の子孫を名乗っといた方が華夷世界では幅が利くでしょうが。
華夷世界からは遠ざかりたかったんでしょ
ヘタに中国の一部とか言っちゃうと、中国の天下に飲み込まれちゃいそうだったとか?
程々に離れて、独自の世界を築きたかったら、呉太伯とか言えなかったかもね。
後漢末期やら三国時代だったら、辺境諸国へ攻め込もうなんて意欲は少なかったけど、
隋唐ぐらいだと、そうも言えなかっただろうしな。
実際、高句麗や百済が攻め込まれたし、新羅も攻め込まれる寸前だった。
治天下大王とか名乗ってる人らが、華夷秩序なんて喜ぶわけがない
記紀にはちゃんと自分たちの世界観を提示してある
記紀の神話作成も
「でっち上げてでも、自分たちを貴種につなげる」
作業の一つと言えるかもな
958 :
日本@名無史さん:2013/02/19(火) 11:05:10.44
継体天皇とは「体制」を「継続」させるという意味
959 :
日本@名無史さん:2013/02/19(火) 11:17:36.59
おいらの通ってた高校の日本史の先生は
仁明天皇と光孝天皇は血の繋がりなく断絶してると言ってた。
古代史はトンデモ説が飛び交うアヘン窟だからね
しょうがないね
「記紀には間違えているところもあるかもしれない」
じゃなくて
「記紀は天皇家の権威を高めるために創作されたものだ」
という奇想天外なトンデモ説を前提にして
意地でも記紀と違う歴史を構築しようとしているからね
いろいろ無理も出るよね
単純に考えたら大和に現れた
血統と宗教的権威と軍事力の3つを兼ね備えた王権が
軍事力によって他の勢力を従えていって日本を統一した
って考えるのが普通だけど
それだと記紀と同じになっちゃうから
無理やり違うストーリーを考えてるって感じだもんね
いやまあ、そう考えるのは勝手だが、考古学やら同時代の中国史料から、
そうはならないんだな〜。残念ながら。
>>961 今後コテハンかトリップ付けてくれると助かる
お前のレスは読む価値無いから
964 :
日本@名無史さん:2013/02/19(火) 20:23:38.95
>>942 というか、古代中世未開世界の系図で
古く高貴に見せかけてないものって無いんじゃ?
まだ未開・神話要素が残っていた夏殷周は当然として、
例えば曹操や李淵、趙匡胤も名門の家系を名乗ってるぞ。
記紀原理主義者は
「わざわざ嘘を書くわけがない」をお題目のように唱える狂信者だから。
まともに議論が出来ないよ。
学問板から宗教板に移ってくれれば良いのだが
記紀に誤りがあるのを認めてるのは良いとして、
自説に都合の良い部分は正しくて、
都合の悪い部分は誤りとか恣意的にも程があるだろw
で、反論されたら「記紀、嘘つかない」だからなw
お前は記紀の正誤を瞬時に判断出来てるつもりかしらんが、
世間ではお前みたいな奴のことをキ○ガイと呼ぶ。
肯定するにも否定するにも、あの時代は結局、記紀に頼らざる得ない。
蘇我氏の古墳をよく調べたら、古代の図書館の入り口ぐらい出てきたとか、
そういうことがない限り、どうにもならんよ
968 :
日本@名無史さん:2013/02/20(水) 00:07:09.75
>>967 そうなんだが、唯一の頼みの綱たる記紀の記述でさえ、全幅の信頼を置くほどのものじゃない。
その分、文献以外の資料を使わざるを得ない。のに、これがとっても希少。
記紀の内容には錯誤、混乱、粉飾などが含まれ、どこまでが正しいかの判断は難しい。
その判断の基準になるのが考古学だということ。
お前の脳内妄想を基準にするな。
970 :
日本@名無史さん:2013/02/20(水) 01:17:03.13
>>969 オレは珍説を唱えたりしてなーい
だって、
「こうだったに違いない」とか、「じつは、こうだったんだよ!」とかいうこと自体をいってないもん。
独自の説を唱えたら、十中八九、珍説にならざるを得ないわなってこと。
でもさあ、もっと新しい時代でも、
例えば信長の前半生あたりとかでも、記紀の時代と事情が大差ないんだよなあ。
そっちではオレも珍説を言ってる記憶があるぞ。
>>969 でもそれは記紀に限らず基本的にどの時代にも言えることだよ
ただ正直古代史はおかしな珍説が流布されあまつさえそれを間に受ける人が多すぎる気がする
あまり見てて好ましいとは言えないなあ・・・
発掘したら、ザクザク木簡でも出てくれればいいのに。
974 :
日本@名無史さん:2013/02/21(木) 06:29:14.64
>>972 既に盗掘されつくして、ろくな物証は残っていないのではないだろうか?
975 :
日本@名無史さん:2013/02/21(木) 10:17:57.62
>>974 許可されたのは「立ち入り」だけで発掘は認められていない
研究者たちは箸墓の周囲を歩いて外側から眺めただけだそうだ
976 :
日本@名無史さん:2013/02/21(木) 12:37:57.53
やまとととひももそひめは卑弥呼である
やまとととひももそひめは記紀では女王だとは一切書いてない
しかしその理由を説明する必要はない
一事が万事この調子だ
古代史の世界にはアホしかいないのか
「記紀には間違えているところもあるかもしれない」
というのと
「記紀は天皇家の権威を高めるために創作されたものである」
とはぜんぜん違うからね
架空の人物を10人も20人も創作して
王朝の交代も隠して家系をでっち上げるなんて
人類の歴史上ほかに例を見ないきわめてユニークな例だからね
日本は普通の国であり昔の日本でも普通のことが起こった
ほかの国で起こらなかったことは日本でも起こらなかったと考えたところで
狂信者扱いされる筋合いはないよ
考古学考古学っていってるけど
継体天皇の新王朝なんて考古学的な証拠なんて何もないじゃないか
継体天皇が新王朝を立てたって言うのの根拠は
「応神天皇の5世孫って怪しくね?」
って言うただそれだけだよ
ほんとにそれだけなんだからビックリしちゃうよ
「記紀は天皇家の権威を高めるため創作されたものである」
っていう奇想天外な奇説を前提にして
「万世一系はありえない 必ず断絶があるはずだ」
という強い信念のもと
記紀の記述をもとに記紀の記述を否定するという
わけの分からないことをやっているんだよ
エクストリーム屁理屈だよ
明確な根拠とは言えないが(古墳比定が正確とは言えないので)、
継体天皇以降、古墳の規模が小さくなった
王朝交代が理由とも考えられる
>>978 編纂時の事業としては、創作じゃなく脚色程度だろうよ。
だが、伝承ってのは意外と急速に変化することが判明した。
古くから伝わる創業神話と思ってたら、その内容がせいぜい百年程度しかさかのぼれない新しい内容だったなんて事は多いんだよ。
>架空の人物を10人も20人も創作して
>王朝の交代も隠して家系をでっち上げるなんて
古代の別王朝の王を自分の祖先につなぎ合わせる作業なら、史記もふくめ世界各地で見られることだよな。
記紀でも同様の加工が行われてたって不思議じゃないよな。
ノルマン朝、プランタジネット朝、チューダー朝
名前を見ると別王朝だけど血縁がないわけじゃないしなあ。
その程度の意味で考えるなら、王朝交替っぽい事件があってもおかしくない気はする。
982 :
日本@名無史さん:2013/02/23(土) 00:12:03.24
近年の考古学の成果で言えば、真・継体陵は太田茶臼山ではなく
今城塚ということが分かった。
太田茶臼山の被葬者は継体から二世代前くらいの三島古墳群の王。
今城塚と太田茶臼山の埴輪は同じ新池遺跡で作られたことが分かっている。
普通に考えれば、太田茶臼山は今城塚の祖父。
継体は三島の造墓集団の後継者だろう。
しかし何故か記紀では近江やら越前から来たことになっている。
記紀信者はこれに対してどう説明するんだろ?
太田茶臼山は稚野毛二派皇子の墓でしょ。
古墳や陪塚のあり方からして「大王墓」ふうでしょ。
あの前後の時代の三島の古墳の動向からして、
「太田茶臼山は三島地域の王の墓」なんて言う奴はどうかしてる。
で、皇子の「子孫」の代に近江や越前を本拠とする豪族に分化した。
いわゆる息長氏(近江)、山道氏(越前)など。
984 :
日本@名無史さん:2013/02/23(土) 00:32:29.81
>>981 >古代の別王朝の王を自分の祖先につなぎ合わせる作業なら、史記もふくめ世界各地で見られることだよな。
この例が知りたいです。別王朝の王を祖先につなぎ合わせて自分の王朝とした例ですよね?
全国21位、226メートルなんだから、王としても良いと思うが。
まあ同時代の百舌鳥古市に比べれば見劣りするんだけど。
継体は大王にはなれなかった人の孫ということ
986 :
日本@名無史さん:2013/02/23(土) 00:41:41.89
だから「若沼毛二俣王」の墓で良いっしょw
三島累代の首長族の中からあの古墳を築くものが現れた、とは普通考えられないでしょ。
あの前後の古墳のあり方からして。
連合から代表者を推戴してひとつに纏まる時には、
共通の始祖を加上して擬制的同族化を行う。
クランの項を見よ。
988 :
日本@名無史さん:2013/02/23(土) 00:49:02.27
そのクランによって前王朝を自分の王朝につなぎ合わせた例をご教示いただければ幸いです。
989 :
日本@名無史さん:2013/02/23(土) 00:54:01.16
そもそもワカヌケフタマタの墓が三島地域にあったという伝承ってあるの?
ワカヌケが三島の王なら
息長の本拠地って三島にあったの?
なぜ継体が近江やら越から来たことになってるのやら。
クレクレの不勉強な奴が多いスレだな。
せめて自分なりにググってから書いてくれよめんどくさいw
反論なら応じるからさ
991 :
日本@名無史さん:2013/02/23(土) 01:03:07.46
伝承はない。
ただ、子女の名前に淀川流域の地名が見られることや、
娘たち(允恭后妃)のエピソードに中臣・闘鶏といった
この地域ゆかりの豪族がからんでいることくらいかな。
あとは単純に難波から近江に抜ける要衝だという点から、
皇子の一人がそこに配された可能性とかね。
繰り返すけど、近江・越豪族となるのは、記紀や新撰姓氏録など見ても
「その後」の時代。継体はその末裔と考えればそんな難しい話ではない。
父方が近江ゆかりの応神裔で、母方が越前三国の三尾氏族。
992 :
日本@名無史さん:2013/02/23(土) 01:10:51.62
>>991追加
あと、これも我田引水的で証拠とはならないと言われればそれまでだが、
墳丘規格の相似性からの推定ね。
つまり誉田御廟山と太田茶臼山の相似性
そして太田茶臼山と市野山の相似性(というよりは合同性)から。
記紀の人物名を当てはめれば、誉田御廟山=応神、
太田茶臼山=フタマタ、市野山=允恭、とも考えられる。
>>991 おいおいw伝承がないのに妄想していいの?
記紀に記載がないこと書くのは不敬だと思うが。
もっとご本尊を大事にしなよw
あとまあダメを押しとくと、三島野古墳群の最初は弁天山で、三世紀後半なんだが。
これはどう説明する?
994 :
日本@名無史さん:2013/02/23(土) 01:30:37.87
いや妄想言うたら、記紀の伝承無視して「継体は前王朝と繋がり無し」なんてのも立派な妄想ですわ。
弁天山付近は前期以来代々古墳が造られた地域っしょ。
しかし太田茶臼山は「そこ」には造られていませんわな。
「そこ」に造られたのはむしろ今城塚っしょ。
今城塚はその弁天山の子孫だとでも言うわけですかな。
まあそう言われちゃそれまでだが。
いやまあなんというか、
淀川水運を押さえた豪族が三島野古墳群を造った。継体はその子孫。
というのが考古学的結論なんだよな。
応神の皇子とか年代が合わないし、そもそもそんな伝承なんかない。
記紀は後世の歴史家が少ない伝承から、
当時の研究水準から一番それらしい解釈を書いた書物。
色々政治的しがらみもあったようだが。
卑弥呼=神功皇后とか、最初の畿内説を唱えたのが紀の編者。
継体天皇が男系で応神天皇の血をひいてなかったら、
わざわざ大伴も田舎から都に呼び寄せんって
正統性があったからこそ御輿として価値がある
997 :
日本@名無史さん:2013/02/23(土) 01:51:14.57
いやあ私はそんな結論聞いたことありませんなあ。
前期と中期さらに後期とで、三島の古墳形成のあり方は変わるし、
そこにはヤマト王権の政策とか介入が絡んでると見る方が常識的でしょ。
むしろ「三島の万世一系」にこだわるのが良うわからん。
三島各地域ごとの古墳年表とかみりゃ、太田茶臼と今城塚の「異質」性は素人にも感じとれるっしょ。
年代そんなに合わないか?
応神没=5世紀初、1世(フタマタ)=5世紀前半没、2世=5世紀中期没、
3世=5世紀後半没、4世=5世紀末〜6世紀初没、5世(継体)=6世紀前半没
多少のズレを考慮すれば、そんなおかしくないと思うんだが。
998 :
日本@名無史さん:2013/02/23(土) 01:55:16.88
逆に
>>995氏に訊きたい。
私のような仮説のどこが問題、というか否定される部分なのであろうか。
「記紀に書いてるから」よりは余程マシだと思うがなw
あとまあ、倭の五王の記述を見ると、
倭王は自分だけでなく、20人もの臣下の称号も要求している。
倭王の権力が強ければそんなことをする必要はない。
当時の大王権が実質寄り合い所帯で、懐柔の必要があったから、
部下に称号をもらってやる必要があった。
三島の王もその1人だろう。
各地に大型古墳が造られてることにも符合する解釈だ。
今日は次期天皇陛下の誕生日(^O^)
1001 :
1001:
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