継体天皇について執拗に語ろう 皇太子3人目

このエントリーをはてなブックマークに追加
323日本@名無史さん
>>322
ヤマト王権というか、前ヤマト王権が
北九州から関東ぐらいまでを支配領域においたのは
天照国照彦(火明命)が倭王の時だと思う。
それは、おそらく、紀元前後。
出雲の大国主命が、娘婿にあたる火明命に、
出雲王権の支配領域を譲渡することにより、
火明命が事実上、倭国の全体の王になった。
かれは、天照国照彦と呼ばれるようになる。
この事件を後世、出雲国譲りと呼ぶ。

火明命には、ニニギという弟がおり、
出雲国譲りの直後、九州高千穂の統治を任される。
このニニギ命の曾孫にワカミケヌがおり、
後に近畿本国でクーデターが起こったので
宗家を助けるべく、援軍として駆けつける。
その後、その時の功績が認められて、イワレヒコとして天下の政治を補佐する。
これを後世、神武東征とよび、
また、後に、このイワレヒコを神武天皇とよぶ。