̄ ̄ ̄ 半島 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄i ̄ ̄ ̄
......::: 対馬┼─ :::......
....:::::....::::: 壱岐 ┿ :::...::......
┏──┓‐ ‐ ┏へ┐┏末┼へ冖┓ _ ┏冖──へ─┓┓へ─へ
─へ┌─┘ ┬┥へ┗┛盧│へ不┗──┛二 へ │┗━──━──┓へ
━━┛  ̄ │┠┓へ 伊 弥 へ λ 万 へ ┗へ─┓┏──┓┗━━
_ _ ┌─┘┗へ へ ┏都─┓奴┬──────へ──┓躬┛/\┃『女王国』
 ̄  ̄ ̄ ┗━━━━┓へ┃│_┗■│ 烏 支 巴 へ ┗臣┓┏━┛東渡海千里
_ ___ ┌─┐ ┗━┛│ ̄ ̄┃狗 奴 惟 利 ┏邪──┛┗─へ─┓→
 ̄ ̄┏へ─へへ└──┓ ̄│┳─┛奴 へ _ 鬼 ┗馬─┓為 /\ ┗┓
┃へへ┏━━━━┛┳┼┛ ■ へ/ \奴 ┏──┛吾 /\ ┗┓
┻━━┛┳━───┛λへ /\ 華 へへ ┃鬼 /\ /\ ┏┛
___┏投─┛ /\ λ /\ /\奴┏/\┛ /\┏━━━━┛
 ̄ ̄┳┛馬.satsuma /\へ 姐 対 蘇 蘇┃ 呼 ┏━━┛_‐ ̄
┏─┛ ■ 五 /\ ┃奴/\蘇 奴へ奴┗λ─邑 ┃
┃ 万/\ /\ へ 弥へ┏/\─/\─不┛ ┃
┗┓ /\ __へ┃ 奴 ┗λ/\━好━呼┏━┛
┏┛ ┏━┓ ̄/\┃へ┏━━━へ━━古━┛┃
┛ ┏━/\│ /\ ┃都┃ /\ 都━━┛
/\┏━┛ ┏┛/\ ┃支┗━へ━━┓伊┃ ____
┏┛_┏──┛/\ ┃ /\已 ┃邪┃ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄
┏┛__│ 邪┃ 百 .izanaki┃
│ ̄ ̄ ̄│ 七 馬■━斯━支━━┛┏┛
┗┓__│ 万 ┏台━┓馬. kushima.へ┃
┏┛ ̄┏┛ /\┏┛__┗┓ /\┏━┛
┛┏━┛ /\/\ ┗┓  ̄  ̄┃へ┏━┛
┏┛ /\/\ ┃ ┗━┛
┛ /\ ┏━━━┻↓『女王国』南四千里 ─ 侏儒国
/\ ┏━┛
http://www.youtube.com/watch?v=RciEIpyYq-o _10.0
━━━━┛ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
もう完全スルーするしかないなw
4 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:49:37.86
1000 名前: ゴミために降りた鶴 投稿日: 2012/02/02(木) 01:45:16.48
「海路距離の途方もない数値をどういう解釈するのか」。
新しいスレッドが立ったら、引き続きこの要求について追いつめる。
誰か一人でも詭弁抜きで明解に答えられるか見物だ。
俺の「1日航海千里単位表記説」に文句をいうのだから、
さぞや立派な代案がでることだろう。
行程なんかいつまでやっても答え出ねーよ。
995 :日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:39:08.45
>>983 おまえ日本語読めないのか?
997 :日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:41:35.84
>>995 君よりかはね。
ワロタ
7 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:54:13.70
里程は短里、連続説
一月行は千里で、実質の日数ではなく、
距離の単位である。
短里は周理算経より、
一月行は隋書百済伝より、
でよろしく。
8 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 01:55:42.91
追加、水行陸行とも、同じ距離とする。
さて寝るとするか
明日も酒の肴に不自由はさせないぜ プ ゲラ
ま、モモソは卑弥呼で決まりだね。
12 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 02:03:00.41
Zzzzzz。。
(^ν^)
('_')
いさくー!
新スレだ。
今度こそ、帯方郡から狗奴韓国までの海路表記が過大・誇張だと、
一日航海の距離表記が千里になることの「理屈」をちゃんと説明しろよなw
いいか、問われてる(オマエが逃げまくってる)のは、表記が過大なことや、記述が千里単位になってるつーことじゃないよ。
一日航海が千里になる、それが「事実」だと主張できる「理屈」の方だかんな。
コピペのように訊かれもせんことばかりダラダラと書き連ねて前スレを消費した落とし前をつけろよな。
16 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 02:18:21.07
郡〜3000里〜伯濟國付近〜4000里〜狗邪韓國〜4400里〜末盧國〜500里〜委都國〜100里〜邪馬壹國
郡〜 5日 〜伯濟國付近〜 26日 〜狗邪韓國〜 5日 〜末盧國〜 3日 〜委都國〜 1日 〜邪馬壹國
おれっちの企画した 宿でくつろぎつつ逝くスケジュールだすよ
伊都国、字がちがいますよ。伊と委は音もちがう。デタラメはやめましょうね。
18 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 02:32:28.99
「都」 で 「すべる」 のです
「総べる」 の表記の使用もしますけどね
「都合」なになに とゆうのは 「とおたるで」なになに といふいみです
「恵心僧都」とかのは 「づ」 の発声をしますですよ
(えしんそうず)とか表記のもあるけど(えしんそうづ)だとおもいますよ
19 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 02:44:48.40
「邪馬壹國 女王之所都」
やまいこく あまの わんの づ とするところ
「みやこ」って読むから騙されるんだぞ
20 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 02:58:34.17
「女王之づ とするところ」 みたいに読まないで
「女王之すぶ所」でよいかとはおもふが
21 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 03:03:27.53
「國」の用法 つまりは、指し示すなかみは 2つのレベルで存在するからして
女王國 とか 邪馬壹國 のは 中國のの でかいほうので考えるのが良いよ
22 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 03:31:18.67
郡〜 13日 〜狗邪韓國〜 7日 〜投馬國
ここらへんも 行くぶんには スケジュール上は無理が無いかとはおもふが
帰りは逆昇らにゃならんから たいへんかとわおもふが
難升米さんとか 帥升さんとかは 得意ぽいお名前ですけど
のぼり つかうんだろな
23 :
竹斯の民:2012/02/02(木) 06:19:49.02
実は畿内説などよくわかっていない反九州警備係反キチ
畿内説の蓋然性などこれっポッチもなかろう。
畿内の弥生時代の遺跡に「邪馬台国」の欠片もない。
「弥生の人口は畿内の方が多い」にしたって、過去に指摘したように
昭和40年代当時の弥生遺跡に掛け算した程度の極めて信憑性の低いデータだ。
古墳だって、必死に時代を溯上しようとしているが無理が生じてボロ出しまくり。
年輪・C14に至っては皆しってのとおり。まさか△鏡はなかろうね?
で、畿内説の蓋然性って・・・なん?
上記に対して下記が回答か?
>「畿内説の蓋然性」なんてそう難しい話じゃない要は
>邪馬台国の時代既に畿内ヤマトを中心とした連合体のようなものができていたなら
>魏に朝貢した勢力はそれを当てるのが妥当だろう
蓋然性になってない。蓋然性の根拠もない。ごまかしの言い逃げか・・ダメなやつだ。
まだグダグダと水行一日=千里をやっているのか。
少なくとも倭人伝では間違いない。何回話せば理解出来るんだ?
釜山〜対馬〜壱岐〜松浦
この間が各千里表示。これを水行に置き換えたら、間違いなく一日。これは現実。
ここからこの各千里=水行一日だ。
壱岐〜松浦 は他の2航海の距離は約半分だが、やはり千里表記。
ここから実距離に関係なく千里表記が使われていることが確認出来る。
つまり上の等式はひっくり返しても成り立つ。
水行一日=実距離に関係なく千里表記。
万二千里を実距離と考える者は、倭人伝行程記事の里程をすべて実距離と認めねばならない。
壱岐〜松浦 が他の2航海の半分であることから、まずこれが崩れる。
水行=実距離に関係なく千里表記 から投馬国、邪馬台国の水行にこの等式は当てはめられる。
ここを俺は伝聞と判断しているが、伝聞でも実際に行っていても関係ない。
伝聞の場合は倭船での水行日数になるが、倭船でも関係なくなる。
これで連続説でも放射説でも万二千里をオーバーすることから、万二千里が具体的数値でないことがわかる。
ここまで現実と一般的解釈のみで成り立っていて、どこにも推測、勝手解釈は入っていない。
よってこれは万二千里が実距離(具体的な数値)を表すものではない証明になる。
これを否定しようと今まで出てきたもの
1 釜山〜対馬あるいは壱岐〜松浦 を認めない
2 釜山〜対馬 の航海は一日では無理
3 渡海と水行は違う
4 3航海を足して3で割れば辻褄が合う
こんなところだ。他に何かあったかな?
1 は最も一般的な解釈を否定する勝手解釈になる
2 は現実無視
3 は沿岸水行の方が渡海より楽なことから、はじめから反論になっていない
4 はご都合主義の極み
その他、倭船なら〜は上記の通り。
俺の話を否定しようとすれば、否定する側が勝手解釈、ご都合主義解釈、現実無視をやるしかない。
これで万二千里を実距離としなければならない九州説はすべて否定出来る。
水行一日あたりどれくらいになるかの検討はまだだが3航海の一番短い 壱岐〜松浦 を想定しても
投馬国、邪馬台国の合計水行三十日で畿内など行きすぎてしまう。
なんせ渡海と水行は違うんだから一番短いものを想定するのは大サービスだ ワラ
もっとサービスして 壱岐〜松浦 の何割引きにしてやっても畿内には収まらない。
さらに陸行一月まで残っている。
これで畿内説も否定出来る。
文句あっか?
27 :
Crab louse:2012/02/02(木) 07:36:09.16
>>268夢GEN
前
>>805 >邪馬台国は九州には絶対に存在しない。倭人伝が嘘を書いているんじゃなきゃな。
>文句あっか?
ある。
改竄はないんだな。
全てに整合性があるんよな?
ついでに言っておいてやる。
やたら短里を言う奴がいるが、なぜ実距離を示すのにわざわざこれなんだ?
魏には公式な尺度が存在しているんだ。
これを使わない理由を見たことがねえぜ。
短里教の馬鹿ども、公式尺度を使わない理由を言ってみ。
短里なんてのはコジツケたいために出てきたマヤカシみたいなものよ。
伊作の1/6なんてのも同じ。
正史になるほどの書なら実距離なら公式尺度で書かれるのが当たり前。
書かれている里は実距離ではないんだよ。
「行程記事における里は距離の単位ではない」
これも何回も言ってきたな。
後漢に朝貢した倭奴国=半島系の筑紫国、伊都国や奴国の前身
中国江南地方から東シナ海を渡って肥の国に上陸した一族=邪馬台国の前身
耕地に恵まれない邪馬台国はその鉱山技術、より高度な製鉄技術、冶金技術+鬼道をもって
一気に有明海沿岸、阿蘇、伊都国連合をも含む北部九州を席巻、一大率を置き諸国を検察
薩摩大隅の狗奴国をも支配下に置こうと画策するも苦戦、魏への朝貢はこの頃
狗奴国は天草島(投馬国?)から侵攻を始め一気に肥の国を蹂躙、夜須川(天の安河?)まで進出
邪馬台国の王族は逃亡し日田から山国川あるいは駅館川をさかのぼって宇佐に落ち着くも小規模勢力に
4世紀はじまり前後(?)朝鮮半島南部(高天原?)の騒乱の影響で多羅からやってきた一団(タラシ系の王族=景行天皇、神功皇后)が
八女、宇佐など北部九州を平定しようとするも地元豪族たちの抵抗に遭う
神夏磯姫と縁戚関係を結んでいにしえの邪馬台国の血筋を入れたタラシ系の王族(イザサワケ=応神天皇)は瀬戸内海を東進
吉備の勢力と手を結び河内に入り、後の大和朝廷の基礎をつくる
自分の家の近所にあり、小さい頃から目の前で見てきた大仙陵古墳の被葬者はこうして西からやってきた征服王なのではないか
自らの事跡を誇るために海から見えるあの場所に陵を造らせたのではないか
根拠のない妄想にすぎないな。
31 :
Crab louse:2012/02/02(木) 07:59:38.65
>>28 >「行程記事における里は距離の単位ではない」
好い線いってると思う。
一票入れとく。
私は古代史を勉強し始めて2年ちょっと。
君も真面目に研究したらどうだい。
まわりはアホばかりだろ?
さ、ご出勤。
そりゃ二年ちょっとじゃダメだな。
>>30みたいな泣き言レスなんぞ要らんぞ。
畿内説否定には、こんな反論があったな。
「水行十日陸行一月」を「水行なら十日、陸行なら一月」
これも、いわゆる勝手解釈。
水行十日は水行一日の十倍ではない。
これも勝手解釈。
勝手解釈振り回すだけで、まともな反論は今まで出てきていない。
寝るぜ、俺が落ちてた方が書きやすいだろ ワラ
いや吠えやすいかな、遠吠え? ゲラ
34 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 08:28:38.45
雪が積もってる
すごーい♪
年に一度あるかないかだ
雪やコンコン
35 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 08:33:59.06
雪が積もるなんてスゲー。もっと降れ、沢山降れ。猫もこたつで丸くなれ。雪バンザーイ
>>33 >勝手解釈振り回すだけで、まともな反論は今まで出てきていない。
基地外は昔から皆そう言ってるぞw
>>23 畿内の弥生時代の遺跡に「邪馬台国」の欠片もない。
そうか?じゃ阿波で決まりだな。畿内への影響力もある。
海人の本拠もあるし丹の山もあるぜ。これは北部九州には存在しないからな〜
38 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 09:28:13.49
>短里を言う奴がいるが、なぜ実距離を示すのにわざわざこれなんだ?
>魏には公式な尺度が存在しているんだ。
日本人だって中国の話をするときには中国の里を使うことはあるし、アメリカの話をす
るときにはアメリカのマイルを使うことがある、当たり前のことだと思うね。
39 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 09:30:46.60
>連続説でも放射説でも万二千里をオーバーすることから、万二千里が具体的数値でないことがわかる。
オーバーしちゃいかんか?
航海には倭人の案内人がついただろうしな。
途中から日数併記だし、別に公式の尺を用いたとは限らない。
41 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/02(木) 09:44:20.00
>>7 里程は短里、枝分かれ説
一月行は千里で、実質の日数ではなく、
距離の単位である。
短里は周髀算經より、
一月行は隋書百済伝及び俀國伝より、
でよろしく。
42 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 09:52:35.28
>一月行は千里で、実質の日数ではなく、距離の単位である。
その根拠は何? あなたの直感だけかな?
43 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/02(木) 09:57:00.41
1歩≒23cm
昭和20年代の日本に於いても未だ使われ続けていた。
1歩≒23cmならば、
1里≒69mになる。
東夷傳では、この里が隋書が書かれた時代(7世紀初頭)まで使われていた。
44 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/02(木) 10:01:58.05
>>42 >>一月行は千里で、実質の日数ではなく、距離の単位である。
>その根拠は何? あなたの直感だけかな?
その根拠は隋書百済伝及び俀國伝である。
45 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 10:19:09.80
古代史関連雑誌に論文でも投稿して評価仰げ。
46 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 10:22:43.32
>その根拠は隋書百済伝及び俀國伝である。
そんな記載はないと思うが、どこをどのように読んだのかな?
47 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 10:38:02.21
あらら、もう雪が止んだ。お天気様が眩しい〜
48 :
卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/02(木) 10:51:25.51
49 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 10:51:26.89
静岡も雪がやみ、解け始めたよ
50 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:08:01.89
学者などみんな邪馬台国問題が大嫌いだから手を出さんよw
そんなもんに首突っ込んだら馬鹿にされるよw
51 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:09:30.27
やっぱり夢さんの話はわかりやすいし納得できます
伊作さんとやりあってた人も伊作さんもダンマリですか?
52 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:11:52.73
>学者などみんな邪馬台国問題が大嫌いだから手を出さんよw
邪馬台国に関しては、学者と言う名のド素人だからなw
素人が学者と対立したがっているが、学者がビビッて逃げているしなw
53 :
卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/02(木) 11:16:39.54
>>48 いや、まちがえた。やはり地球半径を掛けるのか。
しかしこの人が出しているラジアンの値は正しいのか?
54 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:19:30.06
天気は晴れ晴れ
新潟は雪で大変だよな〜
裸で過ごす人なんているのかよw
55 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/02(木) 11:22:35.48
>>46 >>その根拠は隋書百済伝及び俀國伝である。
>そんな記載はないと思うが、どこをどのように読んだのかな?
「其南海行三月 有[身冉]牟羅國 南北千餘里 東西數百里」百濟
「其國東西二千里 南北千餘里 都於平壌城」高句麗
「新羅國 在高麗東南 居漢時樂浪之地 或稱斯羅」
「其國 東西四百五十里 南北九百餘里 南接新羅 北拒高麗 其都曰居抜城」百濟
「俀國在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居」
「其國境 東西五月行 南北三月行 各至於海」
@『東西』『南北』は何についてを示すのか確定すること。
A高句麗、新羅、百濟、[身冉]牟羅國、俀國の位置関係とその領域の確定をすること。
ヒント
[身冉]牟羅國:東西に長細い島国
高句麗:南北に長細い領域
百濟:東西に長細い領域
新羅:高句麗の東南にあり、且つ北に百濟がある
俀國:南北に長い領域の島国
56 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:27:07.50
吉野ヶ里に行こうかなーて、思うと雪なんだよな。山越えが無理だから、行かないけどね。暇だから酒でも飲むか
57 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/02(木) 11:28:48.05
>>48 >この人は地球半径にラジアン角を掛けているが、それは完全なまちがいで、地球の円周に掛けなければならないのである。
君が完全な間違いをしている。
数学を勉強し直し給え。
58 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:33:31.68
邪馬台国などやめてakbにでもはまったほうが楽しいよ
59 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/02(木) 11:34:02.31
>>53 >しかしこの人が出しているラジアンの値は正しいのか?
正しい。
君は高校数学三角法を勉強し給え。
60 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:38:16.30
>akb
五人ぐらいは顔と名前が一致する。俺って、すごいだろう。
61 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:38:34.71
c14はピンポイントで時代絞れる精度はないわ。
補正が難しすぎる。おまえらもこのへんの研究したほうがいいんじゃないか?
つかC14がピンポイント無理なのは世界の常識だから
63 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:43:36.59
>>60 たった5人かwさすがは邪馬台国スレだけあってジジイの集まりだな。
俺は15人くらいは顔と名前が一致するぞ。神7以外のメンバーも
アル程度までならわかる。下位順位の子は全然わからんがww
64 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:45:02.13
つーか、C14は日本では学者の必殺技。その名もゴッドハンド。
65 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:47:04.97
C14は補正が完璧じゃなきゃ使えん。
その補正もさまざまなファクターがありすぎて
完璧に補正するのは無理だろう。±50年くらいの幅でなら
使えるけど、邪馬台国問題では使えんわ。
年輪年代のほうがまだ精度高い。ホケノ山古墳から出てきた
板を年輪年代測定したら3世紀中盤だたのでこれは信頼していいだろう。
>>63 回りで五人もわかるのは俺ぐらいなもんだからなw
>>65 お前は標準年輪曲線を自分で見たのか
なぜ石野などが年輪を参考にしていないか考えてみろ
68 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:53:20.90
>>55 どこにも「一月行は千里で、実質の日数ではなく、距離の単位である。」なんて書いてないな。
69 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:54:04.66
俺が思うにココの平均年齢は35〜45ぐらいじゃねーの
70 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:54:30.01
箸墓が卑弥呼の墓じゃないなら、卑弥呼の墓はどこなんだ?w
径百余歩の塚など箸墓以前にはないぞ。
>>52 >素人が学者と対立したがっているが、学者がビビッて逃げているしなw
めでたい奴、狂犬に目を合わせたらダメ。皆そう思ってますw
72 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 12:02:00.92
倭人伝は先行する魏略などはあるにしろ、ほぼ単一といってよい同時代資料だ
だから他の文献との比較検討が難しく、どこが誤りでどこが正しいのかの根拠がない
同様に年輪年代についても、奈良文化財研のは標準パターンが公開されていない
ので、他との比較検討ができない
良心的な学者であればこれに寄りかかって論を構築し、年輪こけたら皆こけた状態に
するわけにはいかない ただし畿内の年代遡上は年輪のせいというより九州年代に
合わせたからなんだけどな
74 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 12:06:10.99
伊作は論理的な思考が不得手だし夢幻如は知識が無く論理にも疎いからこの二人を相手にしてもまともな議論にならない。
無視しておけばいいのだが、笑い者にするのも楽しいし、迷うところだ。
75 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 12:10:04.30
天下りの報酬を削減して、畿内と九州をバンバン掘ればいいんだよ。
わしも飲むかの
77 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 12:14:58.41
>>72 素人の勝ちなんて、皆「2chの勝利宣言」だよw
78 :
隊長:2012/02/02(木) 12:20:52.87
邪馬台国戦隊ヨッパライジャー 集合
79 :
卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/02(木) 12:36:14.33
80 :
卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/02(木) 12:54:21.55
ちなみに
>>79のサイトの表では周代以後はすべて1歩=5尺となっている。
だから魏晋代の100歩は約120mである。
だから卑弥呼の墓は径120mということになる。
81 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 13:06:24.54
飲ん兵衛にとってこの時間帯は眠いもしくは寝てる
平日この時間から寝て飲んでるのは西成位しか知らないな。
83 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 13:13:56.81
伊作も無限も、「水行千里」と書いてある場合実距離とは関係なく一日水行の事であると言う
つまり水行千里=水行一日であったとしても、水行千里は実距離を表していないので水行一日は実距離の千里を意味しないという事になる
従って水行千里=水行一日であったとしても、水行十日は実距離の一万里を意味しない
それとも、里数表記は実距離を表していないが日数表記は実距離を表しているというトンチキな理屈なのだろうか?
84 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 13:32:43.80
>>83 そうよね。彼らは論理というものが分からないから自分が言ったことの矛盾に気がつかない。
夢幻如なんか「九州説も畿内説も認めるルートだから、多数派が認めるルートだから正しいとしてよい」などと言い出すマヌケだからね。
その伝でゆけば、東北説など九州説者も畿内説派も認めない、ごくごくマイナー説だから正しくないとしてよい。
自分で自分の説をいい加減なものだと言っていることにも気がつかない。極上の糠味噌脳の持ち主だ。
85 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 13:40:32.92
>>51 :日本@名無史さん:2012/02/02(木) 11:09:30.27
>やっぱり夢さんの話はわかりやすいし納得できます
>伊作さんとやりあってた人も伊作さんもダンマリですか?
ここにもチンパンジー脳の持ち主がいたか。可哀想に。
86 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 13:45:24.96
ココは飲ん兵衛が多いんだから、春になったら、吉野ヶ里公園で宴会しようぜ。
論争荒らしのテンプレコピペより
・違う話題がはじまっているのにしつこく蒸し返す→悔しかったのです。
・理詰めの反論ではなく人格攻撃をする→自分の意見に自信がないからです。
・相手を異常者認定する→ホントは自分も異常者ですが、そう言われないように先手を打っています。
・過去の事例をしつこく持ち出す→その時の当事者です。
・自分の意見をスレの総意だと主張しようとする→みんなは両方ウザがってます。
・自分で「スルー推奨」と書く→オマエがスルーしろよボケ。
今日はろくな肴がないな。伊藤ハムのウィンナにしよう。
89 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/02(木) 14:50:48.31
>>88 肴が伊藤ハムのウィンナ!
君は関西の爺かな?
90 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 14:59:05.46
七千里はそのまま七千里と受け取ればいいんだよ。ただ、倭人伝の言う1里がどの程度か
となれば、韓は方四千里とか、狗邪韓国からの千里、千里、千里とか、対馬の方四百里
一支国の方三百里も考え合わせ、1里80メートル前後だということになる。
その七千里を何日で来たのか、千里を何日かかって渡ったか、などはまったく分からない。
適当に推測することは可能だろうが、書いてないということは確かだ。
それに、末盧国までの1日当たりの水行距離と、伊都国以降の水行距離とはまったくちがう
可能性が大きい。末盧国までは魏の大船、伊都国以降は倭の舟だろう。
だから、末盧国までの水行をあれこれ言って、伊都国以降の日数を距離に換算することはや
めた方がいい。倭の舟は、風を利用することはなかったろう。となると、かなり遅いという
ことを考えるべきだろう。
日数が多いからといって郡からだなどというのは、愚の骨頂というべきもの。
91 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/02(木) 14:59:32.68
水行1日≒水行1000里と言うことは、
1工数≒8時間労働/人と言い換えるようなものだ。
外は酔いが吹っ飛ぶ寒さだ!
93 :
卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/02(木) 15:07:25.10
試しに計算してみた。
倭人伝が周代の短里で書かれていると仮定して、周代の1里=72mとすると千里=72km。
これは韓国〜対馬間の実距離とほぼ合う。
一方前スレの829によると河川水行一日は30里〜150里。唐代の1里=約560mだから、
水行一日16.8km〜84km。
つまり潮に乗ってうまく渡れば1日で渡れるが、下手をすると4日かかる。
94 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 15:22:22.27
>>51 >やっぱり夢さんの話はわかりやすいし納得できます 。
夢幻如、自作自演乙。
95 :
訂正!:2012/02/02(木) 15:27:18.57
陳寿の概念は、「都」の解字にある。
不確定の数値を基に水行二十日、水行十日陸行一月と記述してはいない。
都:清代陳昌治刻本『說文解字』
有先君之舊宗廟曰都。从邑者聲。周禮:距國五百里爲都。當孤切
都;清代段玉裁『說文解字注』
周禮。歫國五百里爲都。此周禮說也。周禮載師注引司馬法曰。王國百里爲郊。二百里爲州。三百里爲野。四百里爲縣。五百里爲都。大宰注曰。邦中,在城郭者。四郊,去國百里。邦甸,二百里。家削,三百里。邦縣,四百里。邦都,五百里。
水行二十日を里換算するなら五百里になる。
96 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 15:36:34.75
>>24 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/02(木) 06:54:06.18
>壱岐〜松浦 が他の2航海の半分であることから、まずこれが崩れる。
現在の地図を眺めて言っているのだろう。3世紀の海岸線など夢GENの低脳には思い浮かばないだろな。
夢GEN、誰も支持者がいないから自演に走ったかw
98 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 16:22:03.17
おれっちの企画した 宿でくつろぎつつ逝くスケジュール丸改だすよ
郡〜3000里〜貊濟〜4000里〜彌馬那伽耶〜4400里〜末盧〜500里〜委都〜100里〜邪馬委
郡〜 5日 〜貊濟〜 26日 〜彌馬那伽耶〜 5日 〜末盧〜 3日 〜委都〜 1日 〜邪馬委
郡〜 13日 〜彌馬那伽耶〜 7日 〜投馬國
郡〜 13日 〜彌馬那伽耶〜 5日 〜末盧〜 3日 〜委都〜 1日 〜邪馬委
↑
韓地巡礼オプションはずすと
99 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 16:31:48.58
末盧〜委都の3日間の日程には、末盧でのお泊りのご一泊と委都でのお泊りご一泊が含まれます。
本人は楽しいんだろうな
101 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 17:35:09.50
前スレ
>>936ごみために降りた鶴
>>倭人伝には循海岸水行歴韓國とある。これは韓の諸国に立ち寄りながら行ったことを示す。
>「歴」に立ち寄るという意味があるのか。はつみみだホラ吹き野郎。
横からだが。
歴には経巡るという意味がある。travel throughの意味もある。
歴を「立ち寄る」とは訳せないだろうが、経巡るためには立ち寄らねばならないわけで、縄嘉ーの言うことは間違いじゃない。
このところ伊作は感情にかられて子供じみた揚げ足とりばかりをしてるね。
102 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 17:38:45.91
伊作は文脈は無視、行間は読めないときたもんだ。
103 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 18:28:20.37
『歴訪』だな
ざっとみたところ、まともなレスは一個もなし。大笑い ゲラ
これが「ぐぅの音も出ない」つーやつだな。
「ぐぅ」は出ないものの「すぅ」くらい出してる奴にレスしてやるか ワラ
>>83 >従って水行千里=水行一日であったとしても、水行十日は実距離の一万里を意味しない
>それとも、里数表記は実距離を表していないが日数表記は実距離を表しているというトンチキな理屈なのだろうか?
水行十日は一万里表記になるが、当たり前で実距離じゃない。
日数表記とこれは説明したように置き換えられる。
だから当然、日数表記も実距離を表さない。
こんな当たり前のことを説明せにゃならんのか。
「行程記事の里は距離の単位ではない」
何回も言わすな、ボケ。
無限尿がバカすぎて相手にする気が全く出ない。
鯨統一郎の小説だけであとは要らない。
106 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 19:29:59.88
>>24 お前の言ってる事は結局水行一日も水行千里も実距離は不明ってことだろ
だから水行十日も水行二十日も実距離は不明
実距離が不明だから距離表記だけで考えれば九州説・畿内説その他どの説も否定されない
九州説を否定しようと頑張ったが、結局いかなる説も否定できなかったね
107 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 19:33:12.39
伊作にはまだ反論する価値くらいはあるが、
夢GENの相手する価値は全くないからねえ。
伊作は大便、夢幻は尿程度には差はあるだろう
伊作のほうが存在感はあるが臭い
109 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 19:35:15.80
伊作は途中でまずいと思ったのか、話をそらす戦術に出たが、
それを理解出来ない夢GENは相変わらず、妄想をたれ流している。
まあ、今は東北には元気でふんばってもらいたい時だからな
>>84 >夢幻如なんか「九州説も畿内説も認めるルートだから、多数派が認めるルートだから正しいとしてよい」などと言い出すマヌケだからね。
どこが間抜けなわけ、馬鹿頭くん。
ルートを一般的解釈に従って考えるのが一番真っ当だろうが。
独自解釈、勝手解釈のルートなら山ほどあるが、それにいちいち構っていられるか。
人文科学の分野における多数は前に言ったように無意味ではない。
出尽くした資料から最も合理的説明可能で無理がないものが多数に支持される。
証明が出来ないのであれば、ここを基準にするのが真っ当なのよ。
俺は行程記事の放射説などコジツケ以外の何物でもないと思っているが
これは連続説と並んで一般的解釈として認められている。
だから同等として取り上げて、万二千里を否定したんだがね。
で、こう言うと九州説、畿内説は多数派だ、だから正しいになるんじゃないのか、になるわけね。
いくら多数派でも300年以上やって、どっちとも確定出来ない。
これは「どちらでもない」という可能性が十分あるから起こることだ。
ここまで確定出来ないからには、この可能性は絶対に否定出来ない。
わかるか、足りない頭で ワラ
伊作は一応、根底である論理は理解しており、
ここが崩れるとまずいことはわかっていた。
だから話を逸らしても論理を維持しようとしたわけだが、
夢GENに論理などは理解できてなさそうだ。
114 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 19:39:29.13
多分、夢GEN本人は、
「は、論理なんて知ったこっちゃねーよ、プゲラ」
としか理解できてないだろう。
115 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 19:41:39.43
>>104 だったらあんたの言ってる「水行一日=千里」は何の意味も持たない事になるのだが
>>90 馬鹿はレスすんな、の典型かな プ
人の話に突っ込むでも反論するでもなく、里は距離単位だと言い張る。
倭船は性能悪いはずだから魏船と同じに考えられない。
馬鹿か、おのれは!だょん ゲラ
それを全部俺は説明したんだ。
ま、そこに反論出来ないから自論をダラダラ流すだけなんだろうがなあ ワラ
>300年以上やって、どっちとも確定出来ない。
その程度の史料ってことだよ
中国の権力者が書かせた正史の数字を日本人の視点で解釈しても無駄だ
特に三国志はオンタイムだからね
邪馬台国東北説・・・これだけで「私は究極の馬鹿です」と言っているようなものだ。
119 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 19:48:43.18
無限尿には反論する価値も突っ込む価値もないからな。
そもそも崩すべき論理がない。
120 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 19:51:10.63
>>96 海岸線が3キロほど後退していたら、俺の話はひっくり返るのか プ
あとはお決まりの「自演だ」か。
反論に窮すると必ずこうなる。どこのスレでも同じだな。
負け犬のお決まりのパターン ゲラ
さらに短里馬鹿。これは救えねえ。信仰かな ゲラゲラ
>>106 >だから水行十日も水行二十日も実距離は不明
>実距離が不明だから距離表記だけで考えれば九州説・畿内説その他どの説も否定されない
馬鹿粘着のジョーカーと同じことを言ってやがる。本人かもな プ
水行一日、千里だけでは実距離をいくら指すのかはわからない。
だからといって「不明」ではない。馬鹿じゃわからないか。
倭人伝の中では釜山〜対馬が最大距離。壱岐〜松浦が最小距離。これを基準にすりゃいいわけよ。
なんせ渡海と沿岸水行は違うらしいからな ワラ
渡海より容易な沿岸水行なら、この幅より上に見ていいわけだが
最小距離を適用して、さらに念のため何割か割引いて考えてもいいわけよ。
そこで一日の平均的な航続距離は想定出来る。
これで、九州はもちろん、畿内でも遥かに通り越してしまうわ。
千里の実距離がわからないからといって、想定も出来ないわけじゃねーよ。
ジョーカーレベルの馬鹿じゃなきゃ、こんなこと言わんわ ゲラ
122 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 20:10:38.41
>人の話に突っ込むでも反論するでもなく、里は距離単位だと言い張る。
君の話は論理が一貫していないので、意味が分からんのだよ。
だから、反論のしようもないし、反論する価値もない。
>それを全部俺は説明したんだ。
そんなこと言ってたのかね。もう少し、相手に分かるように書けばいいものを。
>>120は俺だ。携帯は一回ごとコテ入れないと駄目だからメンドイの。
あとはピーチク、パーチク囀ずるばかりの「負け犬以下」しかいないみたいだ。
負け犬にすらなれない糞みたいな板のゴミだな。
ま、これも 枯れ木も山の賑わい か ワラ
夢さんステキ!プ
夢さんステキ!ゲラ
125 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 20:16:55.69
>>121 ならあんたが散々言ってきた「水行一日=千里」なんて何の意味も無いじゃん
単純に釜山〜唐津の各実距離から水行一日あたりの移動距離を算出してみましたってだけの話じゃん
尿・・・・・己が巨大な釣り針であることを楽しんでるヤツ。
伊作・・・楽しむも何も己の姿を自覚していない釣り針。
よって 尿>>>|壁|>>>伊作
結局まともな奴は一人もいない、と。しょーもないスレだねえ。
さ、仕事だ。
明朝までに、まともに対峙出来る奴が出てくることを期待してるよ。
じゃあなあ〜
129 :
志紀:2012/02/02(木) 20:27:44.37
今日もポン引きか
やれんのうw
130 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 20:32:55.44
昨日も指摘したが水行一日=千里の等式が成り立つのなら全て里数表記になるはず
無限尿は「伝聞だからそのまま書いた」と反論したが、苦しい言い訳だわな
それに「伝聞だからそのまま書いた」のなら方角についても伝聞そのままに書いたってことになる
みなみに倭人伝には南と書いてあるね
131 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 20:38:06.70
マツラ国へ渡るのに「南」とは書かれてないよな?
この辺からズレてるんだろう。
132 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 20:38:31.08
「水行一日=千里」から「水行一日も千里も実距離を表さない」にシレッと主張を変えてる辺りが微笑ましい
夢GENさん、
夜の警備、頑張って!
134 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 21:23:04.74
>>126 読み直しても馬鹿なことを言ってるとしか思えんなあ。説明になってないぞ。
135 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 21:23:53.43
>>123 負け犬はお前だろう。お前の説明の失敗、すり抜け理屈は皆が次々と指摘している。それに対してお前はまともに反論できていない。単に逃げているだけじゃないか。スカイツリーから頭を下に飛び降りて、お前という人間を一から作り直せ。
136 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 21:33:46.50
素人はさすがに邪馬台国からは撤退しろ。
どうしてもやりたいなら考古学の学芸員資格でも取り、
考古学関連の仕事に就け。文献史学で邪馬台国はプロでももうないわ。
素人とプロじゃ子供と大人くらいのレベル差があるし、邪馬台国の分野で
素人なんかがやるだけ無駄。素人なら邪馬台国一極集中に傾ける
労力を分散させて雑学拾い集めてクイズとか極めたほうがまだましw
無限尿はいい加減に、ヤバイ仕事から足を洗って、
オラが村利益誘導=邪馬台国東北説をさっさと捨てろよ。
139 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 21:39:12.35
>>136 >どうしてもやりたいなら考古学の学芸員資格でも取り、
>考古学関連の仕事に就け。
邪馬台国の所在は、考古学では分からんよ。漢文の読み方でも勉強した方がいい。
140 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 21:55:06.90
暇潰しの推理ゲームでいいじゃん
邪馬台国が何処でも人類の進歩には何の関係も無いよ
142 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 22:04:52.51
クイズでアタック25でも目指したほうがまだ有意義だぞ。
負けてもパネル数だけ金貰えるしw邪馬台国じゃなんにもならん。
素人がそんなもんやってもせいぜい妄想の垂れ流しで終了。
143 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 22:11:10.62
まぁ、自称名古屋大はここではカスだから、妬んでるんだろう。19のカスは馬鹿だから、みんな許してやれw
144 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 22:20:57.53
辰王治月支國 (略 號の列挙)
其官有
魏率善邑君
歸義侯
中郎將
都尉(属国都尉)
伯長
↑
辰王 のパトロン
145 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 22:29:13.45
>>144 魏率善邑君
官て書いてあっるけどなかみ酋長だな
丁寧に魏が任命したのですってことわっています
狗邪韓國にいた酋長が辰王をリモコン操作とかする仕組みか?
146 :
縄嘉ー:2012/02/02(木) 22:47:35.71
>>111 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/02(木) 19:36:35.13
>で、こう言うと九州説、畿内説は多数派だ、だから正しいになるんじゃないのか、になるわけね。
こいつは読解力もないね。
>>84 が言っていることは「対立する九州説と畿内説の双方の多数派が認めるから正しいとしてよいというおまえの言い分をもってすれば
九州説と畿内説とを問わず圧倒的多数の者が東北説はないと認めていることは正しいとしてよいことになる」ということだ。
おまえの論は論理的な見地からすれば零点しかつけられないものだということだ。
ついでに教えてやるが、末盧国は唐津市に比定してよいが、3世紀の当時は海面が現在より3mほど高く、現在の海岸線から内陸部の相知
辺りまで入り江が入りこんでいた。現在の海岸から11kmも離れたところに魏の船は停泊、係留されたのだ。
末盧國、有四千餘戸、濱山海居、草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之
は入り江の港までの行程で観察された光景とも考えられるのだ。
なお、對海国へ向けて出航した狗邪韓国の港は巨済島にあったと考えるのが合理的だ。この島は位置的に重要な拠点である。
これは儂の独断的な意見ではない。ウイキにも
「古来、この島は日本と朝鮮半島との間の交通の要衝であった。
元寇・応永の外寇では朝鮮半島から日本列島へ向かう軍勢の集結地となり、逆に海上からは倭寇が侵入を繰り返した。
文禄・慶長の役ではこの島を日本軍が足がかりとし、今も倭城の遺跡が残る。」とある。
ルートを巨済島ー対馬ー壱岐ー唐津の相知 とすれば各渡海距離はおまえの言うような比率にはならない。
ほぼ等しいと見て差し支えないものだ。つまり、倭人伝の記述に合ったルートが存在するのだ。
倭人伝には間違いや誤写が全く無いとは言わないが、倭人伝の記述のとおりに辿ったらどうなるかという立場で見るのであれば、
巨済島ー対馬ー壱岐ー唐津の相知というルートは最も有り得るルートなのだ。
147 :
志紀:2012/02/02(木) 22:53:45.72
東北は無いわ
随書でも「阿蘇山あり」で終わってるのにw
148 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 22:58:40.65
149 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 23:01:12.43
150 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 23:02:45.98
>>121 メクラ・カタワのゴミクス無限尿
相変わらず自己矛盾の低脳ゴミクズ。
結局のところ「中国人の渡海」も「倭人の水行」も同じと見なして『 換算 』をしている。
その換算ができないとほざいたのが自分なのを忘れている馬鹿。
いくらその数値に幅を持たせようと「換算可能であればなんで陳寿はそれをしなかったのか?」と言う質問に逆戻り。
そもそも壱岐水道横断を最小距離に想定する根拠が無い。
途中寄るべき場所もない海峡横断と沿岸航行では条件が違う。
どうしても「最小距離」を言いたいのであれば条件が同じもので出すのが筋。
尚且つ時間による表記は「移動に費やした以外の時間」がどれ程あるか分からない。
151 :
148:2012/02/02(木) 23:04:57.52
152 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 23:06:44.33
じゃあためしに
この糖尿馬鹿のその場しのぎの理屈を陸行に当てはめてみる。
九州に上陸して700里。
一日500里が可能か100里可能なのかは分からないが短く100里の方を一日の移動距離にする。
呼子〜宇美で(面倒なんで地形無視してw)直線距離で50〜60km程か?
ここから百里を7〜9kmと計算(これを一日の最小移動距離と言うのも流石に無理があるとは思うがw)
陸行一月は210〜270km。
で、糖尿馬鹿は、いけるところまで船で行った最短距離で移動以外の時間を大幅にとるような考えはしていない。
さて東北の何処を想定すればこれが消化できるのか?
(見ての通りこの数字は各段階で相当にと言うか無理やり短く見積もってある実際はもっと長い距離になる)
太平洋側にでてしまうのなら
「じゃあ何故太平洋側から行かなかったのか?」
と言うツッコミは当然出て来る。
そこでこの糖尿馬鹿が「ボクの考えた古代の高速帆船は太平洋の波には耐えられません」とかほざいたらもう笑うしかないがwww
155 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 23:26:48.08
ごめん、もう寝る
158 :
稗箕狐:2012/02/02(木) 23:39:25.50
>>155 「不耐」て頭髪ぼうぼう髭とか剃らないから毛むくじゃらなのかな?
>>147 そこをくわしく
卑弥弓子の謎に迫れそう
160 :
稗箕狐:2012/02/03(金) 01:59:20.87
>>156 もっとまじめによんだら?
漢武帝元封二年(BC108)
伐朝鮮 殺「滿孫右渠」 分其地爲「四郡」(BC108) 以「沃沮城」爲「玄菟郡」
後爲夷貊所侵 徙郡句麗西北 今所謂「玄菟故府」是也
沃沮還屬樂浪
漢以土地廣遠 在單單大領之東 分置「東部都尉」 治「不耐城」
別主「領東七縣」 時沃沮亦皆爲「縣」
漢光建武六年(30) 省「邊郡都尉」由此罷
其後皆以其「縣」中「渠帥」爲「縣侯」 不耐 華麗 沃沮諸縣皆爲侯國
161 :
稗箕狐:2012/02/03(金) 02:11:26.20
濊
南與「辰韓」 北與「高句麗 沃沮」接 東窮「大海」
今「朝鮮之東」皆「其地」也戸二萬
3世紀の時には「韓は朝鮮ではない」のね
162 :
稗箕狐:2012/02/03(金) 02:18:15.99
正始六年(245)
樂浪太守劉茂 帶方太守弓遵 以領東濊屬句麗興師伐之
不耐侯等舉邑降
其八年(247) 詣闕朝貢詔更拜不耐濊王
居處雜在民間 四時詣郡朝謁
二郡有軍征賦調 供給役使 遇之如民
>>130 伝聞で聞いたものをそのまま表記したであろうが、苦しい言い訳?馬鹿か プ
修辞とは読み手と書き手が共有出来るイメージだ。
直接行ったとこならイメージ通りの修辞を使えばいいが、伝聞なら自分のイメージはない。
そのまま表記するのが読み手に一番正確に伝わるだろうよ。
わざわざ里程に置き換えて修辞にする方がよほど不自然だ。
方角は最初から「混一」的なイメージを持っていたら距離だけ聞き
それを当てはめたと考えれば不思議じゃないね。
>>132 低脳、最初から里は距離単位じゃないと言ってるのが理解できないか。
馬鹿はレスすんな。
>>134 理解出来ない?あ、そう。
馬鹿レベル降下サービスはなしだ ワラ
>>135 俺が説明の何を失敗し、何に反論出来てないと言うのかな?項目あげな。
俺の説明は終始一貫変わっていない。突っ込まれたことは必ず応える。
俺はお前みたいな、言いっぱなしの糞名無しじゃないんだ、負け犬以下くん。
伊達にコテ張ってるわけじゃねえんだよ。
>>140 そういうこと。推理ゲームでいい ワラ
これは完全に推理なのは確かなんだから、楽しめればいいのよ。
どこと証明されてもどうってことないことに、血眼になってオタクになる奴の気がしれねえよ。
ただ、遊びは真剣にだ。
真剣に遊べば、九州説も畿内説も簡単に否定出来てしまう。
俺の否定論にまともな反論は一個も出ていない。
出てるのは東北説の否定 ワラ
ここでは東北を何も主張してないのに、ここさえ叩けば
俺の九州、畿内説否定を誤魔化せるとでも思ってんだろ。
反論出来ないから話題をすり替えたいのかも知れんがね ワラ
あとは馬鹿粘着が例によって一匹 ワラ
自然科学の例を出して多数は云々言うくらいの馬鹿のくせして
自分では一丁前なことを言ってるつもりらしい ゲラ
帰宅してから馬鹿にしてやるから、楽しみにしてな。
166 :
志紀:2012/02/03(金) 07:26:37.78
誰も楽しみになんてしてねーよ
お前はコテ汚しだ
167 :
観客その2:2012/02/03(金) 07:46:22.79
>>166 コメントしたら相手にしているのと同じ・・・
気持ちはわかるがスルーが一番
見えません
>>166 お前も俺の粘着だな プ
馬鹿な九州説者、俺の
>>24-26には「ぐぅの音」も出まい。
ガキは厨房板にでも行ってな、坊や ゲラ
>>167 それが正解だ。負け犬になりたくなければスルーが一番だぜ ワラ
170 :
卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/03(金) 09:12:53.15
古田の本を読んでいると参考になることが多い。
たとえば古田はアメノヒボコとアメタリシホコ(阿毎多利思北孤)の名前の類似に注目している。
たしかに契丹古伝によると辰国にはムス氏、コマ氏、カラ氏、アメ氏、ヒミ氏があったわけで、
アメノヒボコやアメタリシホコはアメ氏と考えればうまく説明が付く。
つまり阿毎多利思北孤は日本の天皇ではなく、朝鮮の倭王だったかもしれないのだ。
ついでにいうと、貴国も朝鮮の倭国の中の一国だったかもしれない。
隋の時代になっても、中国は朝鮮の倭と日本の倭を混同していた可能性があるのだ。
早い話、陳寿は朝鮮の倭と日本を混同し、朝鮮の倭の卑弥呼と大和朝廷の神功皇后を混同した。
それだけのことなのだ。
171 :
Crab louse:2012/02/03(金) 09:15:24.75
163 :夢GEN
>直接行ったとこならイメージ通りの修辞を使えばいいが、伝聞なら自分のイメージはない。
「参問倭地・拜假倭王」梯儁の正確な報告書があったはずだ。そう思うのが普通だ。
>そのまま表記するのが読み手に一番正確に伝わるだろうよ。
わざわざ里程に置き換えて修辞にする方がよほど不自然だ。
先行する他書の万二千里の修辞の意味を理解し継承して、表記を書き直した。
>方角は最初から「混一」的なイメージを持っていたら
「計其道里、當在會稽東冶之東」
陳寿は、はっきりと所感を述べている。
正確な報告書をよんでる証だ。
二年生一学期
夢GENさん、
夜勤、ごくろうさんでした!
馬鹿粘着の本命は後回しで雑魚を先に。
>>150 >結局のところ「中国人の渡海」も「倭人の水行」も同じと見なして『 換算 』をしている。
その換算ができないとほざいたのが自分なのを忘れている馬鹿。
厳密には「換算」じゃなく「置き換え」だな。
で、俺がいつ出来ないとほざいたのかな?レス持ってきな。
>いくらその数値に幅を持たせようと「換算可能であればなんで陳寿はそれをしなかったのか?」と言う質問に逆戻り。
まだわからないからジョーカーは馬鹿なんだがな ゲラ
行程記事に出てくる里数はすべて修辞だと何回言ったら、その馬鹿な頭に入るのかな?
馬鹿に生まれたことを恨め。時間表記をわざわざ修辞に「換算」して、どうすうんだ、馬鹿頭。
>途中寄るべき場所もない海峡横断と沿岸航行では条件が違う。
突込みにもなっていないと馬鹿にしたことすら理解出来ないオツムには敬服するぜ ゲラ
海峡横断はしんどい。沿岸航行はこれに比べれば楽。
なら、沿岸航行の航続距離が海峡横断より少なくなるはずがねえよな。
理解できない?できないんだろうなあ、そのオツムじゃよ プ
>尚且つ時間による表記は「移動に費やした以外の時間」がどれ程あるか分からない。
説明済みの話ばっか繰り返すのは馬鹿だからだろうな ワラ
過去ログ漁れ、もう面倒くさいわ。
お前みたいな馬鹿でゴミの粘着にもアンカーつきでレスしてやったんだ。
泣いて喜べ ゲラ
174 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 09:34:00.47
横からだけど。
>「参問倭地・拜假倭王」梯儁の正確な報告書があったはずだ。そう思うのが普通だ。
これはそのとおりでしょう。
>先行する他書の万二千里の修辞の意味を理解し継承して、表記を書き直した。
これは梯儁が書いたとおりじゃないかな。つまり実際の距離。
ただ、女王国とあるわけで、これを邪馬台国と混同してはいけない。
>「計其道里、當在會稽東冶之東」
これも梯儁の報告にあったものだろう。梯儁は自分たちが進んできた道のりを
計算し、女王国は会計東冶の東辺りになりそうだと書いたんだね。
175 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 09:34:41.88
>>163 とんだご都合解釈だね
伝聞ならその内容は当然方角と距離がセットだ
でないと情報として意味を為さないからね
「水行一日=千里」の等式があるのなら日数表記を里数表記に書き換えても情報の意味は変わらないが、
方角を書き換えたら情報の意味が全く変わってしまう
だから伝聞説を採用する以上、方角は南しかあり得ないわけよ
距離情報は伝聞そのまま、方角は書き換えましたって、そんなこと誰がするかっつーの
>>152 こいつも新参か?過去ログ見てないようだな。見ていたなら馬鹿つうだけだが。
参勤交代やら秀吉の大返しなどの話が出ていたのは忘れたのか?知らんのか?
この時代なら一日せいぜい10キロだろ。これは平坦かそれに近い条件。
山道になればもっと落ちるだろうよ。
>太平洋側にでてしまうのなら
「じゃあ何故太平洋側から行かなかったのか?」
と言うツッコミは当然出て来る。
太平洋岸を行った場合
日本海側にでてしまうのなら
「じゃあ何故日本海側から行かなかったのか?」
と言うツッコミは当然出て来る。
わな ゲラ
>>175 >伝聞ならその内容は当然方角と距離がセットだ
なぜ?自分でイメージする地理観、つまり「混一」的なものがあれば
わざわざ方角など聞く必要がないと思う方が自然だがね。
馬鹿相手にしてたら眠くなってきたぜ。
本命馬鹿は寝てからだな ワラ
178 :
Crab louse:2012/02/03(金) 09:46:39.49
>>174 >これも梯儁の報告にあったものだろう
記載されている場所が行程から離れている。、陳寿の所感と判断します。
>女王国とあるわけで、これを邪馬台国と混同してはいけない。
勉強中ですので、明確に反論できませんが・・・
邪馬台国は女王国(連合国)の中の小さな国と、今は想像しています。
179 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 09:55:50.60
>記載されている場所が行程から離れている。
言われる意味が良く分からないが。会計東冶が梯儁らの行程から離れているということかな?
梯儁は女王国を訪ねた、そして、その女王国が緯度的に本国(中国)のどのあたりに相当する
かを考えたわけだよ。本国の地理については、一応の常識をもっていたのだろう。
郡から女王国までどのぐらい南下してきたか、それと中国の地理とを合わせ考えて「ここは会
稽東冶の東辺りだろうな」と判断したということだ。
陳寿が机上でそんな計算をすれば間違いのもとだ。慎重な陳寿はそんな愚かなことはしないと
思うよ。
>邪馬台国は女王国(連合国)の中の小さな国
小さくはないだろうが、女王国の一部という考え方は正しいと思う。
70000戸を小さいとはいえないだろう。
181 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 10:08:22.29
>>177 距離だけ伝えて方角を伝えない馬鹿が何処にいるんだよ
お前の説は破綻してるんだよ
いい加減見苦しいよ
182 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 10:16:11.34
投馬國の40000戸も決して小さいとはいえないだろう
弁辰・辰韓の24カ國合計で40000〜50000戸
ひとつの國としてハンドリングされてはいるけど
なかの酋長さんのひととかたくさんいるとみるのがふつうだろ
投馬國のひとが 私は投馬國のひとですってゆう時は
「東方人名我爲阿」だからして 阿投馬國の ってゆうのかな?
183 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 10:25:00.09
女王國
は、
邪馬壹國
投馬國
不彌國
奴國
の4ヶ国
184 :
axxxxx:2012/02/03(金) 10:30:17.64
戦国時代から、江戸時代にかけて、
江戸や京の中枢に近いほど小さい領地の大名が多く、
遠方の大名ほど広い領地を持つ大名が多い傾向がある。
倭人伝でも、松浦に上陸してからしばらくは、500里や100里で
次の国に着くことから、小さい国が多いように思われる。
投馬国や邪馬台国は5万戸、7万戸と巨大である。
ここで示さなければならない中枢が、福岡太宰府なのか、
佐賀肥前国庁あたりか、または久留米付近なのかは考える必要があるが、
文化政治の中枢がそこにあり、周囲の小国家を含めた一つの大型文化圏であり、
投馬国や邪馬台国は、また半ば独立した別の文化圏だったのではないだろうか。
185 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 10:30:23.16
馬韓五拾余ヵ國が合計で拾余万戸で奴國+邪馬壹國で九万戸
邪馬壹國のもなかの酋長さんのひととかたくさんいるとみるのがふつうだろな
186 :
axxxxx:2012/02/03(金) 10:38:11.87
戦国時代の類推から考えると、
最初は各土地に小集落があり、あまり文化程度も高くない。
そのため、肥国や筑紫国と言った広域文化圏を形成できた。
構成員は、生活が変わらなければ、形成された広域文化圏に
どういう意味があるかすらわからなかっただろう。
しかし、それを構成する集落の文化レベルが向上し、
豪族となって力をつけるようになってくると、
それぞれが独立を始める。
推論だが、やはり文化中心地に近い豪族ほど、
知識があり、独立の意思を持つようになる。
文化中心地から遠い領域では、なかなか
独立の気運は高まらなかっただろう。
強い支配がなければ、独立の必要性もなかったかもしれない。
それが邪馬台国や投馬国だったのではないだろうか。
187 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 10:44:44.60
中枢が、糸島水道南岸なのか、糸島水道の北側なのか、三種の王具の初出のところなのか、
香椎のあたりなのか、福岡太宰府なのか、佐賀肥前国庁あたりか、または久留米付近なのかは
中枢がいったりきたりとか
役割分担で多中枢だとか
いろいろかんがえてみれや
とりあえず無意味な御くに自慢とかやめちょけ
てか半島の南岸にも王家のご親戚とかいたってあたりまえだからな
すりかわってダブルでお名前残しているかもしれんしさ
188 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 10:45:57.48
× 糸島水道の北側
○ 糸島水道の南側の裾野
189 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 10:47:26.52 BE:2195073656-2BP(0)
a
当時の吉野ヶ里や鍵・唐古といった弥生遺跡で千〜二千の推定人口。
戸だといくらかな?70000戸だとあの規模の集落が
少なくとも数十の単位で必要だろう。
これを基準に考えると、邪馬台国を北部九州に収める事は
到底不可能な事がわかる。
191 :
axxxxx:2012/02/03(金) 10:50:33.12
やがて、幾多の戦を経れば、戦に勝つだけが平安な生活を維持する方法ではなく、
平和協定という約束で平和を維持し、平安な生活を維持する方法を覚えてくる。
そうなれば、文化中枢に近い小国家から、遠方の大国家までが同じ席について
話し合いを行うことになる。
このあたりが卑弥呼の時代だろうか。
そして、こういう状況になると、大国家の発言権は大きいのである。
豊臣政権末期、秀吉の周囲には五大老や五奉行がいたが、
遠方であっても、家康の250万石は脅威なのである。
次は、同じく遠方だ100万石の前田氏である。
この背景が卑弥呼を排出させたのではないだろうか。
話は以上である。
妄想を失礼した。
192 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 10:56:47.36
征服したとこのはお姫様に仕込んで孕ませちゃえばふいんきなごむからええよね
193 :
Crab louse:2012/02/03(金) 11:14:33.37
>>179 >慎重な陳寿はそんな愚かなことはしないと
思うよ。
有り難うございました。
勉強し直してみます。
194 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 11:23:08.61
>>177 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/03(金) 09:43:08.19
>
>>175 >>伝聞ならその内容は当然方角と距離がセットだ
>なぜ?自分でイメージする地理観、つまり「混一」的なものがあれば
>わざわざ方角など聞く必要がないと思う方が自然だがね。
夢GEN はものを知らないだけじゃなく考えも浅はかだな。
「混一」的な地理観は後世のもので(しかも例の地図も書き間違いの可能性もある)魏の使者が来た頃のものではない。
当時は「倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑」という程度の地理観しかなかったのだ。
「混一」的な地理観は倭人伝の伝える邪馬台国を隋、唐以降の大和と看做したことにより形成されたものなのだ。
こんなことも知らぬからアホ丸出しのレスで得意顔をして居れるのだから、オメデタイ奴だ。中学生以下。糠味噌脳。
195 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 12:10:11.80
今日もむげんが自爆してますね(^-^)
196 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 12:29:44.16
>>177 大体な、そのナントカ地理感でイメージしてるのはあくまで倭地全体のフォルムだろ
邪馬台国の位置が倭地内の南なのか東なのか西なのかはその段階では不明なわけ
もしかしたら西に百里かも知れないし東に五百里かも知れない
距離だけでなく方角も聞かないと邪馬台国の位置は分からないでしょ
だから伝聞説を採用するならば方角は南しかあり得ないんだよ
197 :
訂正!:2012/02/03(金) 12:38:52.75
「自郡至女王國萬二千余里」
「女王國東渡海千余里復有國皆倭種」
と
「自女王國以北」
の
「女王國」と「自女王國」との使い分けによって、
ピンポイントで「女王國」の位置を決定できる。
因みに、
「女王國」の領域は日本列島の北緯26度(会稽東治【冶】之東)・・・@
から
北緯38度(「自郡至女王國萬二千余里」)迄。・・・・A
「自女王國」という時、その「女王國」は@に当たり、
「自郡至女王國萬二千余里」並びに
「女王國東渡海千余里復有國皆倭種」という時、その「女王國」はAに当たる。
全て、「自」の解字による。
自:清代陳昌治刻本『說文解字』
鼻也。象鼻形。凡自之屬皆从自。棹,古文自。疾二切
自:清代段玉裁『說文解字注』
鼻也。象鼻形。此以鼻訓自。而又曰象鼻形。王部曰。自讀若鼻。
今俗以作始生子爲鼻子是。然則許謂自與鼻義同音同。而用自爲鼻者絕少也。
凡从自之字,如尸部㞒,臥息也。言部詯,膽气滿聲在人上也。
亦皆於鼻息會意。今義從也,己也,自然也皆引伸之義。疾二切。十五部。
凡自之屬皆从自。
198 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 12:39:16.37
つーか伝聞説もナントカ地理感説も無限の推論だからな
前提条件に推論が混じっている以上奴の言う「証明」にはなんないな
199 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 13:08:21.27
板乞食潰し。
●大前提:無限如の「1日千里」と伊作これを混同するな。(バカ頭で非難するには一緒のほうが便利だろうがよ)。
●伊作説:海路距離は正確には測定できない。測定できないものを「何里航行した」とは表記できない。
正確に表記できないから、アバウトな中国人らしく、1日航海分を千里と表記するか、
1航海を1日単位または千里単位で表記した。これは実際の航行距離ではない。
あくまでも表記法だ。数多の歴史書が千里単位、日数単位で表記している。
●しかと認識しろ。1日千里は距離表記が不可能な海路の表記法だ。
以上のことを踏まえて板乞食を潰す。
200 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 13:09:06.40
>83 の板乞食
>水行千里は実距離を表していないので水行一日は実距離の千里を意味しないという事になる
このタコ。たった数行の文章もまともに書けないらしい。
水行1日千里は実距離とは無関係な表記法だといってるだろが。
>従って水行千里=水行一日であったとしても、水行十日は実距離の一万里を意味しない
当たり前だ。
>里数表記は実距離を表していないが日数表記は実距離を表しているというトンチキな理屈なのだろうか?
水行千里とあれば1日航海だ。水行一日とあれば彼らの符牒では千里だ。これは実際の航行距離てはない。
>84 の板乞食
>彼らは論理というものが分からないから自分が言ったことの矛盾に気がつかない。
無限如と俺のいい分違いすら把握せず、俺説まで無限如と一緒くたにして、
てめえらこそが論理というものが分かったいない。
論理が分かるなら、てめえが説明してみろ。ほれ
●「海路距離は正確には測定できない。測定できないものを「何里航行した」とは表記できない。
正確に表記できないものをどう表記するか。論理で答えろ。
●三韓の面積表示距離4000余里の二辺合計8000余里よりも長い帯方郡から狗邪魔韓までの
沿岸航行距離が7000余里だが、海路距離と陸地距離のこの違いをどう説明するか。論理で答えろ。
まともに回答できず、名無しで、取り巻き群集に隠れてヤジとバス腰抜けが。
>極上の糠味噌脳の持ち主だ。
極上の糠味噌脳の持ち主はてめえだ。
201 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 13:09:44.30
>90の板乞食
>七千里はそのまま七千里と受け取ればいいんだよ。
てめえにも詰問する。
●三韓の面積表示距離4000余里の二辺合計8000余里よりも長い帯方郡から狗邪魔韓までの
沿岸航行距離が7000余里だが、海路距離と陸地距離のこの違いをどう説明するか。論理で答えろ。
>ただ、倭人伝の言う1里がどの程度かとなれば、韓は方四千里とか、狗邪韓国からの千里、
>千里、千里とか、対馬の方四百里 一支国の方三百里も考え合わせ、
>1里80メートル前後だということになる。
それがてめえのいう論理か。何の論拠もない。
狗邪韓国・対馬、対馬・壱岐、壱岐・唐津がみな1000里とあるが、
1里を一定の数値で計算してどう整合するか説明してみろ。
思いつきのアバウト空論しか吹けないクソ野郎。
>愚の骨頂というべきもの。
利口ぶって空論並べてるてめえこそ愚の骨頂だ。
>>91 :卑弥呼の都は久留米
すっこんでろタコ。反論する相手の論旨もきちんと把握せず愚論を並べるな。
>水行1日≒水行1000里と言うことは、
●伊作説:海路距離は正確には測定できない。測定できないものを「何里航行した」とは表記できない。
正確に表記できないから、アバウトな中国人らしく、1日航海分を千里と表記するか、
1航海を1日単位または千里単位で表記した。これは実際の航行距離ではない。
あくまでも表記法だ。数多の歴史書が千里単位、日数単位で表記している。
●しかと認識しろ。1日千里は距離表記が不可能な海路の表記法だ。
その実例はもう何度も提示した。
202 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 13:11:31.77
名無しで、自分の投稿に責任もとれないふ抜けども。
俺が提示した『漢書』 『魏略』『晋書』『隋書』『南斉書』『旧唐書』『新唐書』の、
それぞれがが用いている日月年数表記の距離や、千里・万里単位で表記している距離を計算し、
視野を広げて見渡した上で倭人伝の海路距離がどうこうと能書き垂れろ。
てめえらの計算方法をこれらに当てはめて検算して、てめえらのバカらしさを自覚しろ。
203 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 13:24:39.78
>>15 >一日航海が千里になる、それが「事実」だと主張できる「理屈」の方だかんな。
俺は「一日航海が千里という表記法だ」と主張しているが、
まーだ「一日航海が千里になる」と誤解してるタコ。
相手の論旨を理解せずごたく並べるのも誹謗だぞ。外道
ほれ。俺の詰問に論理で答えた奴は皆無だ。何ならお前が答えてみろ。
●海路距離は正確には測定できない。測定できないものを「何里航行した」とは表記できない。
正確に表記できないものをお前ならどう表記するか。答えろ。
●三韓の面積表示距離4000余里の二辺合計8000余里よりも長い帯方郡から狗邪魔韓までの
沿岸航行距離が7000余里だが、海路距離と陸地距離のこの違いをどう説明するか。論理で答えろ。
●狗邪韓国・対馬、対馬・壱岐、壱岐・唐津がみな1000里とあるが、
1里を一定の数値で計算してどう整合するか説明してみろ。
これに答えてから、いっちょ前のタメ口たたけ。
▼俺はこういう回答を出した。
海路距離は正確に表記できないから、アバウトな中国人らしく、1日航海分を千里と表記するか、
1航海を1日単位または千里単位で表記した。これは実際の航行距離ではない。
あくまでも表記法だ。数多の歴史書が千里単位、日数単位で表記している。
天才伊作のいう「1日千里」「1航海1日」は、正確な距離表記が不可能な海路の表記法だ。
答えられないてめえらに文句をいう資格はない。文句をいうなら論理的な代案を出せ。
「論理的な代案」だぞプゲラ
205 :
箸墓に眠る女王:2012/02/03(金) 13:32:49.40
龍城国というのはどこになるのか教えてください。
丹波臭いですが。
学問板です。痴呆症はご遠慮ください。
207 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 13:36:36.77
つまり表記上水行一日と水行千里は置き換えが可能、というだけの話ね
どうでもいい話だわ
208 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 13:38:59.64
209 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 13:43:42.51
●海路距離は正確に表記できないから、数多の歴史書が千里単位、日数単位で表記している。
たったこれだけの事実と理屈を受容する能ある者は一人もいないか?
「名無し能なし超能力者」の集まりだな。2ちゃんはよ。
210 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 13:45:46.54
>>208 日本@名無史
>206=名無しの伊作
俺はお前とは違って、集中砲火をへともしない勇気栽培人間だから、
お前らみたいに名無しでは書かない。
211 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 13:49:03.90
名無しにもメンツがあるらしいから、
蹴散らされて悔しかったら、俺の再三にわたる詰問に答えろ。
バカが3人集まったところで「文殊の知恵」とはいくまいが。
くだらねー負け惜しみ投稿しか書けないようなら勝負ありとする。
蹴散らされて悔しかったら、俺の再三にわたる詰問に答えてみせろ。
>>210 >勇気栽培人間
サイバイマンってドラゴンボールにでていたあの…
やむちゃーーーーーーーっ!
213 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 14:01:26.90
アホな質問に答えられるか。ブアーカ。
214 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 14:04:07.05
>>203 >●海路距離は正確には測定できない。測定できないものを「何里航行した」とは表記できない。
>正確に表記できないものをお前ならどう表記するか。答えろ。
>●狗邪韓国・対馬、対馬・壱岐、壱岐・唐津がみな1000里とあるが、
>1里を一定の数値で計算してどう整合するか説明してみろ。
>これに答えてから、いっちょ前のタメ口たたけ。
航路によって違うだろうが、
釜山−対馬間がおおよそ短里換算で、1350里
対馬−壱岐間で961里、
壱岐−唐津間で584里、である。
ちなみに、合計は2895里となる。
で、自分は誤差を含むものの、荒っぽく千里と記録したと主張する。
これには異論があるだろうが、少なくとも、ケタが違うほど大きい誤差ではない。
215 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 14:04:54.44
>●三韓の面積表示距離4000余里の二辺合計8000余里よりも長い帯方郡から狗邪魔韓までの
>沿岸航行距離が7000余里だが、海路距離と陸地距離のこの違いをどう説明するか。論理で答えろ。
この七千里が実距離ではないが、方4千里から何故出たかということだね?
つまり、机上で七千里がどうして出たかということでいいか?
第一案:まず実距離で約一万里のところ、当時の計測では誤差が出て七千里となった。
第二案:朝鮮半島の南側を丸い半島とした。
方四千里=4000×4000=16000000平方里、これを円とすると、直径4514.6里の円となる。
円周は4516.6*3.14=14176里、これより、半周は 7088里 約七千里となる。
この計算は、半径×半径×3.14=円の面積、を知っていれば計算できるよね、ね?
第一案、第二案どっちでもいいほうをとれ、と言うか、結果は変わらんので、
いまのところどっちかは、こちらとしても区別がつかない。
216 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 14:10:09.16
>●三韓の面積表示距離4000余里の二辺合計8000余里よりも長い帯方郡から狗邪魔韓までの
>沿岸航行距離が7000余里だが、海路距離と陸地距離のこの違いをどう説明するか。論理で答えろ。
「三韓の面積表示距離4000余里の二辺合計8000余里よりも長い帯方郡から狗邪魔韓までの 沿岸航行距離」
なんておまえが勝手に言っているだけだろ。方4000里の二辺合計8000里という陸路距離の概算値から考えて
7000里としたいうことで何の問題もない。
217 :
214-215:2012/02/03(金) 14:21:20.47
どちらにせよ、一日水行千里を適用しなければ、
絶対に七千里が導かれることはない、ということにはならない。
わりとどうにでも説明はつくものである。
つまり、一日水行千里論が、ほかの考え方を否定する材料にはならない。
218 :
Crab louse:2012/02/03(金) 14:32:38.62
>●三韓の面積表示距離4000余里の二辺合計8000余里よりも長い帯方郡から狗邪魔韓までの
>沿岸航行距離が7000余里だが、海路距離と陸地距離のこの違いをどう説明するか。論理で答えろ。
対馬に渡るための出発点は、北東にあたる巨済島が適切である。
釜山ではないと考える。したがって、1000里短く書いた。
以前、カヌーで釜山発と対馬発の渡海が試みられた。
対馬発は、約四時間半で到着した。
釜山発は、全員リタイヤしている。
219 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 14:40:13.94
確かに巨済島と対馬の上陸場所を調節すれば、千里くらいにはなるな。
また、壱岐から、松浦の上陸場所を奥のほうに設定すれば、
ちょっと足りないものの、千里に近くなる。
220 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 14:47:04.26
>>219 呼子経由で距離が伸びたということも考えられる。
221 :
ローガン:2012/02/03(金) 15:41:26.98
>>171:Crab louse
>「参問倭地・拜假倭王」梯儁の正確な報告書があったはずだ。そう思うのが普通だ。
横失礼。「参問倭地」からは、報告書云々は導けませんよ。
「参考」とかの参に同じ。参問で「照らし合わせ調べる」でしょう。(岩波本は、「まじえとう てらしあわせたずねる」と。又、筑摩本は「いろいろな情報を総合してみると」と訳してる)
手元にあった複数の資料をまとめたわけです。
222 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 16:04:58.58
どいつもこいつも、内から出るもので応答するとなると、
中卒レベルの返答しかできんらしい。へなちょこ詭弁ばかりじゃないか。
>>214 >釜山−対馬間がおおよそ短里換算で、1350里
>対馬−壱岐間で961里、
>壱岐−唐津間で584里、である。
ターコ。誰が勝手な計算数値を出せと要求したか。
その、てめえが出した距離とて明らかに矛盾があるだろが。
明らかな距離の矛盾の「理由」を説明しろとゆってるんだ。
>>215 >この七千里が実距離ではないが、方4千里から何故出たかということだね?
>つまり、机上で七千里がどうして出たかということでいいか?
ターコ。三韓の面積表示距離4000余里の二辺合計8000余里よりも
実際には帯方郡から狗邪韓国までの沿岸航行距離長いが、
これが7000余里と表記されている理由を詰問してるのだ。
>実距離で約一万里のところ、当時の計測では誤差が出て七千里となった。
>朝鮮半島の南側を丸い半島とした。
バカが。
223 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 16:05:25.35
>>216 >方4000里の二辺合計8000里という陸路距離の概算値から考えて
>7000里としたいうことで何の問題もない。
ターコ。三韓の面積表示距離4000余里の二辺合計8000余里よりも
実際には帯方郡から狗邪韓国までの沿岸航行距離長いが、
これが7000余里と表記されている理由を詰問してるのだ。
>>218 >対馬に渡るための出発点は、北東にあたる巨済島が適切である。
>釜山ではないと考える。したがって、1000里短く書いた。
巨済島−対馬間、対馬−壱岐間、壱岐−唐津間の距離が
等しく1000里なのはなぜかを詰問してるんだ。ターコ
海路に短里もへったくれもあるか? どうやって計測したというのだ。
>以前、カヌーで釜山発と対馬発の渡海が試みられた。
海人でも船乗りでもない現代学生を集めた実験にいかほどの価値があるというのだ。タコ
>>219 >千里くらいにはなるな。 >千里に近くなる。
距離のつじつま合わせを聞いてるのではない。
実際に432キロもあるかタコ。
巨済島−対馬間、対馬−壱岐間、壱岐−唐津間の距離がもな同じか。
違うのは明白なのだから、違う理由を説明しろ。
224 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 16:06:56.27
二束三文の返答しかできんくせに、
ぬけぬけと・いっちょ前口で他人には論理だへったくれだといいやがる。
てめえらの「頭の悪さ」もそうとうなもんだぜ。
225 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 16:17:06.92
この天才が総攻撃を受ける理由は明白だ。
海路距離は表記しようがないから、
1航海千里、1日航海千里で表記されたものを、
バカづらさげて真に受けて、小細工を弄して「何キロだ」と
したり顔で計算してやってきた手法がみな崩壊する。
揺るぎない事実を前に、誹謗するしか手はなかろう。
だが、口先空論を並べてで批判することはできても、
ここにツラ出す輩の一人として、
この天才の新説を超える代案を出せることは絶対にない。
他人のことはいい。
「かくかくしかじかだから・こうだ」といえば済むことだ。
できるならやってみろ。それが最強の反論なのだが、できまい。
不当に否定することしかできないだろ。ゴミクズども
誰か。この天才の勝利を素直にも認める勇気のある奴はいないか。
ま・クズ論にしがみついてきた奴には無理な相談だろうがよ。
226 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 16:22:15.98
>>222 >
>>214 >>釜山−対馬間がおおよそ短里換算で、1350里
>>対馬−壱岐間で961里、
>>壱岐−唐津間で584里、である。
>ターコ。誰が勝手な計算数値を出せと要求したか。
>その、てめえが出した距離とて明らかに矛盾があるだろが。
>明らかな距離の矛盾の「理由」を説明しろとゆってるんだ。
正確な距離の計測は望めないから誤差だと行っているだろう?
あなたの根拠のない一日水行千里よりはマシだと思うが?
>ターコ。三韓の面積表示距離4000余里の二辺合計8000余里よりも
>実際には帯方郡から狗邪韓国までの沿岸航行距離長いが、
>これが7000余里と表記されている理由を詰問してるのだ。
7000里と表記されてて、なにか問題があるのか?
別に必ず8000里よりも長くなければならない、ということにはなるまい?
むしろ、三韓の面積などが、なぜそんなに気になるのかわからない。
そんなもん、距離計測に必要はなかろう。
>>実距離で約一万里のところ、当時の計測では誤差が出て七千里となった。
>>朝鮮半島の南側を丸い半島とした。
> バカが。
まあ、これは考え方の一例であって、俺もそんなに信じているわけではない。
だが、そんなに七千里が大事なら、そういう計算もできるというだけのことだ。
しかし、7日で行けそうもない七千里よりは、理屈になってるだろ。
初めから七日の日程などとは行っていないからな。
227 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 16:31:42.23
伊作はもう、タコとかバカとしか反論できてないな。
幼稚園児以下かよ。
228 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 16:45:39.59
>>224 >>225 まあ、泣くなよ。
学問は修正ができる姿勢ってのも、たまには必要なんだぜ。
「俺様絶対正論」ってガチガチに固めると折れちまうもんさ。
「そういう論もありますねー」って柳に風のほうがいろいろと
やりやすいもんだぜ。
229 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 16:50:54.33
「表記上水行一日=水行千里」かどうかなんてどうでもいい話なんだが、
伊作説ではこれが肝なんだったな
そりゃ必死になるわけだ
230 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 16:53:33.04
奈良に行くには、まず松浦に上陸して下さい。そこで奈良への道のりを聞いて下さいね。
231 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 16:57:37.40
他人をタコ呼ばわりしてると、不利な議論でも、
なかなか自分からは逃げられないんだよなあ。
白旗上げると、そのタコ以下ということになってしまうからな。
自説でも、わからんもんはわからん、論拠が薄いものは薄い。
と、きちんと表明していると、結構応援してくれる人がいて、
ありがたかったりもするのだが、バカタコ呼ばわりすると、
お手伝いしてくれるひとがいなくなってしまう。
232 :
Crab louse:2012/02/03(金) 17:00:36.96
>タコ
このゴキブリ野郎!
233 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:01:03.42
帯方郡から狗邪韓国は沿岸航行だから里数は陸を見ながらの目分量だろう
狗邪韓国〜対馬国〜一大国〜末盧国はそれぞれ肉眼で島影が見えるからこの里数も目分量だろう
実距離と合わないというが、古代人にそれほどの精度を求めるのは酷というもの
234 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:03:09.96
ゴミために降りた鶴と自称するくらいだから頭の程度は知れている。
半島の図に正方形を描いてこの2辺の合計8000里より航路距離は長いと言っているが、正方形の大きさを大きくすれば
航路距離の方が小さくなる。こんなもの正方形の描き方次第でどうにでもなるのだ。それも分からん馬鹿か?
この馬鹿は何を根拠にあんな正方形を描いたのか?1里を何メートルとしたのだ?ん〜
235 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 17:05:12.97
>>227 >伊作はもう、タコとかバカとしか反論できてないな。
罵倒ははんろんではない。タコ。てめこそ反論も返答もできんだろが。
>>228 >まあ、泣くなよ。
強がりをいわず返答してみ。
>学問は修正ができる姿勢ってのも、
だから口ほどに立派な返答をしろや。んー?
>>229 >「表記上水行一日=水行千里」かどうかなんてどうでもいい話なんだが、
とうとう逃げ出すのが出てきたぞ。
>伊作説ではこれが肝なんだったなそりゃ必死になるわけだ
とんだ誤解まじりに必死で否定にかかってたのは誰だ?
うるせーから蹴散らしてやったのだ。
>>231 名前:日本@名無史さん :2012/02/03(金) 16:57:37.40
>他人をタコ呼ばわりしてると、不利な議論でも、
タコよぱ゛わりされてグーの音も出ないじゃないか。
>白旗上げると、そのタコ以下ということになってしまうからな。
素直に白旗をあげなてのは名無しのふ抜けどもだ。
>バカタコ呼ばわりすると、お手伝いしてくれるひとがいなくなってしまう。
けっこう。タコにお手伝いしてもらう意思などない。
236 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 17:07:10.87
ざまあみろ。
このごに及んでも、泣き言か・強がりか・逃げ口上か、
ふにゃふにゃのたわごと・しか聞こえてこんぞ。ゴミクズども
237 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:08:15.39
>>235 >>バカタコ呼ばわりすると、お手伝いしてくれるひとがいなくなってしまう。
>けっこう。タコにお手伝いしてもらう意思などない。
筑紫氏とか応援してくれるひともいるじゃん。
ひどいやつだなー。
238 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:10:32.25
ゴミために降りた鶴=泥まみれになったアホウ鳥
>>234に答えてみな。
239 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:12:29.75
>泣き言か・強がりか・逃げ口上
>>235を参照せよ。
240 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 17:15:33.67
>>226 >正確な距離の計測は望めないから誤差だと行っているだろう?
その「誤差」が詭弁だろうが。
「間違いだ・誇大表記だ」で逃げるのとどう違うというのだ。タコ
>あなたの根拠のない一日水行千里よりはマシだと思うが?
お前の空論には根拠があるのか。んー?
「海路距離は正確に表記できない」どうしたか。
「数多の歴史書が千里単位、日数単位で表記している」。
理屈の通った立派な根拠じゃないか。
>7000里と表記されてて、なにか問題があるのか?
こいつ、真性のバカなのか?
三韓の面積表示距離4000余里の二辺合計8000余里よりも
>実際には帯方郡から狗邪韓国までの沿岸航行距離長いが、
>これが7000余里と表記されている理由を詰問してるのだ。
>別に必ず8000里よりも長くなければならない、ということにはなるまい?
>むしろ、三韓の面積などが、なぜそんなに気になるのかわからない。
>そんなもん、距離計測に必要はなかろう。
完全にいっちゃってる。
バカげた話ならもっとふさわしい相手を探せ。
241 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:16:21.14
方4000里と知られているから、
一辺ともう一辺の3/4くらいに来たから7000里くらいやな。
242 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:16:28.08
>ゴミために降りた鶴
「胡散臭い」って意味でOK?
寝てる間に伊作まで出てきて、進みすぎだ。流し読み。
ざっと見た中で
>>214 馬鹿の典型 ゲラ
短里教の馬鹿の上に超勝手解釈振り回す糞九州説者の典型だな。
>>219 粘着馬鹿を叩こうと思ってたとこだが、同じことを言うご都合主義者だねえ プ
244 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:21:34.78
夢GENまで出て来た。来るな。ピエロは一人で沢山だ。
その前に
>>181 >距離だけ伝えて方角を伝えない馬鹿が何処にいるんだよ
聞かなきゃ伝えねえだろ。アホか。
>>194 マヌケ。「混一」的地理観とは単純に南北に長い日本と言う意味だ、糞頭。
何を関係ないことを得意げに話してるかな。
あ、馬鹿のジョーカーか? ゲラ
246 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 17:25:25.58
>>233 >帯方郡から狗邪韓国は沿岸航行だから里数は陸を見ながらの目分量だろう
また「だろう」か。それが陸地よりも長くなるのはなぜだ。
>狗邪韓国〜対馬国〜一大国〜末盧国はそれぞれ肉眼で島影が見えるからこの里数も目分量だろう
「だろう、だろう」で回答したつもりか。タコ
>実距離と合わないというが、古代人にそれほどの精度を求めるのは酷というもの
狗邪韓国〜対馬国〜一大国〜末盧国の距離を、
何かといえば肉眼でみえる距離だのいうわりには、
432キロだと途方もなく見誤ったてか?
ヘタな万引きだってもっと気の利いたへ理屈をいうぜ。
>>234 >正方形の大きさを大きくすれば航路距離の方が小さくなる。
>こんなもの正方形の描き方次第でどうにでもなるのだ。
その詭弁を使うと、三韓の版図が帯方郡までとどくわなー。
それも分からん馬鹿か?
>この馬鹿は何を根拠にあんな正方形を描いたのか?
方とは不定形の面積を正方形に見立てた表記方法だ。
お前の理屈で三韓の版図を描いてみろ。タコ
247 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:26:11.70
>「数多の歴史書が千里単位、日数単位で表記している」。
この事自体を否定するつもりはないが、
一日、と、千里、はどういう論理でつながるのかな?
一日と書かれているところを実際に計測し、
千里というところを実際に計測して、
結果的に同じような距離になったとしよう。
ここで、初めて、「一日=千里」という「仮説」が生まれるのではないかな。
248 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:27:53.78
伊作も夢で寝小便も可哀想だね。誰からも好かれず、馬鹿にされ、軽蔑され、嗤いものにされ。
あ〜かわいそ〜。
249 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:28:49.88
>三韓の面積表示距離4000余里の二辺合計8000余里よりも
>実際には帯方郡から狗邪韓国までの沿岸航行距離長いが、
>これが7000余里と表記されている理由を詰問してるのだ。
八千里よりも七千里が長いわけがないだろ。三韓の方四千里の線の
引き方がまちがっているんだよ。自分でまちがった線を引いて「理
由を詰問する」とはあきれた話だ。
250 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:29:58.95
>方とは不定形の面積を正方形に見立てた表記方法だ。
まさに、そのとおりであって、正方形ではないのだ。
だから2辺の8000里を問題にすることがナンセンスなのである。
伊作はこの8000里の何にこだわっているのか?
251 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:30:38.14
>>246 推論なんだから「だろう」としか言い様がないっつーの
あんたの言ってる事も推論なんだからそんなに怒るなよ
252 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:32:25.97
>古事記等の東遷の記述と結びつけ、北部九州勢力が大和へと移動してヤマト朝廷を建てたとする。
これでいいよ。
253 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:35:21.13
>>173 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
とりあえずこのキチガイの過去の御発言。
>いいか、個別の里程は修辞だが、万二千里も独立した修辞なんだよ。
>陳寿が計算出来ないんじゃない。
>計算すべきではないものを計算するお前が馬鹿なだけだ。
馬鹿は必死に言葉尻だけ変えて誤魔化そうと必死だが別に言い方を変えても同じ
「中国人の海峡横断・渡海1日」=「倭人の沿岸航行・水行1日」=千里 と言う「置き換え」が可能なら当然その(修辞距離の総合計の)計算も可能になる。
その計算が「できない」「すべきでもない」と言うのは日数を距離に「置き換え」ると言うこと自体ができないと言うお話。
どれ程の幅を持たせようが日数を一度修辞上の距離に「置き換え」て
それを実際の距離に「換算」「計算」しなければ九州・畿内を大幅に過ぎる距離なんてものは出てこない。
自分がその計算をやって他説を否定しているのと、倭人伝の記述がそのような数字になっていないのはどうやっても二律背反。馬鹿の自爆劇場。
あと「時間」の中身について
「移動に費やした以外の時間」がどれ程あるか分からない。に対してこの馬鹿は何の説明もできていない。
(と言うかその中身を限定できたらそれだけで史学の世界に名を轟かせる事ができるんだろうがw)
いくらキチガイがわけの分からないことをほざいても時間は時間。
船が停泊し或いは陸に上がって微動だにしなくても時間は過ぎる。
念を押して言っておくが
「修 辞 な ら ば 修 辞 と し て 何 故 統 一 し な か っ た の か ? 」
(修辞として”別物”と言うのなら同一の換算基準(水行一日千里)をあてはめること自体が不可能)
陳寿本人は日数を恐らく距離の目安としても認識していない。だから時間は時間として書いた(当たり前)
無論その中身「移動以外の時間」だのの内訳なんか考えもしなかっただろう。
てめえで「すべきじゃない」と言った計算でも、他説を否定したいから計算して
必死に誤魔化して強弁しているのがこの ゴミクズ東北説 の糖尿馬鹿。
一体この馬鹿の脳味噌に皺の一つでもあるのか?w
254 :
253の続き:2012/02/03(金) 17:36:13.84
>自作自演で自分の事を「夢さん」とか言う恥ずかしいゴミクズ無限尿 (ゲラゲラゲラ
そもそも「朝鮮海峡」や「対馬海峡」を一日でいけるのなら
壱岐〜末盧はかなり時間が余る話になる。
糖尿馬鹿の脳内の「ボクの考えた古代の高速帆船」は徒歩よりずっと早かったようだから
伊都国・奴国、更には不彌国を目指せばいいはずだw
(まあ伊都国を水行ではいけない有明方面、佐賀大和に求める説もこの板にはあるが東北説には都合が悪いだろうw)
「一日で行けるところまで行く最低でも○km!」なんてノルマはそこにはないw
目標として(目視により)分かりやすい位置、船を停泊させるに都合の良い地形
(ちなみに原の辻には東アジア最古と言われる船着場があるが自然地形を利した港湾があればそれを目指すは当然)
…等々を近場で目指して航行して、それが一日の最大の航続距離の半分だろうが、更にその半分だろうが構わない。
水行二十日の航行を、この 壱岐〜末盧 よりもっと ” 小さく刻んで ” 何か不都合でもあるのか?
255 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:37:15.65
>>176 脳味噌カタワのアキメクラ ゴミクス無限尿
>日本海側にでてしまうのなら
>「じゃあ何故日本海側から行かなかったのか?」
>と言うツッコミは当然出て来る。
>わな ゲラ
オツムの弱い奴の切り返し方の典型だなクズそのもの。
そう「陸行一月」は九州だろうが畿内だろうが東北だろうが日本の何処に持っていても説明に困る。
あとは「一日の誤り」とかだがそれでなければ
これは移動以外の時間が多く含まれると言うのが一番シンプルな説明。
(後世の隋使裴世清の事例等もある)
…が、このゴミにとっては陸行でそれを認めたら水行でもそれを認めざるを得なくなるからできないとwwwwwww
まあ過去(♪邪馬台国ドンと来い♪106)に…
>陸行の場合は普通に歩いて一日で行ける距離を陸行一日とし、陸行一月はその30倍だ。
>まあともかく、その時代時代で一日平均のおおよその距離の常識はあるわけよ。
>古代であればせいぜい10〜15キロ程度だと思うが
との発言もしているのだし是非最寄の港から300〜450km(爆w)の「東北邪馬台国」が何処に当たったのか?
を是非具体的に言ってもらいたいなw
「コテは自分の発言に責任を持つ」というのがこのキチガイなりのポリシーだったよな?wwwwwww
256 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:40:16.38
糖尿馬鹿の脳には皺の一つもない。これは定説。
さて馬鹿粘着叩き ワラ
>>146 >九州説と畿内説とを問わず圧倒的多数の者が東北説はないと認めていることは正しいとしてよいことになる
ここはまあ、どうでもいいんだが、一応触れとくか。
俺はここで東北説を主張していない。九州説と畿内説の否定をやってるだけだ。
なんで東北否定が出てくるわけ? プ
大体「仮」比定しただけで力説もしてないんだがねえ、ここなら叩きやすいってか。
圧倒的多数の者は東北を真剣に考えたわけでもなかろ。単なるイメージで「ないわ」だけだ。
多数もヘッタクレもねえよ。
>3世紀の当時は海面が現在より3mほど高く、現在の海岸線から内陸部の相知
辺りまで入り江が入りこんでいた。現在の海岸から11kmも離れたところに魏の船は停泊、係留されたのだ。
見てきたような妄想はネタか?
じゃあ海岸近くの唐津駅あたりは海の底になるわけだ、へえ〜 プ
四神鏡や鉄刀、ガラス玉など大量の出土がある遺跡は海中都市のものだったんだ、へえ〜 ゲラ
>對海国へ向けて出航した狗邪韓国の港は巨済島にあったと考えるのが合理的だ。
>ルートを巨済島ー対馬ー壱岐ー唐津の相知 とすれば各渡海距離はおまえの言うような比率にはならない。
これも勝手解釈でしかねえんだけどな。糞九州説者だけがすがってるだけじゃねえか。
確か韓国考古学界でも狗邪韓国=釜山で定説化してるんじゃなかったかな?
一般的解釈になるにはちゃんと理由がある。無駄な足掻きだ ワラ
辻褄合わせたいがために出発点、到着点の超勝手解釈笑わせてくれるぜ。
258 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:47:41.90
東北で桃の種が出れば、もしかしたら、もしかするかもなw
259 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:54:29.65
まあ一般的解釈、その時代の最大公約数的共通認識に妥当性を求めるのは
別に考え方そのものとしては間違いではないだろうがw
それで言うのなら
「倭人伝の行程記事なんかから位置を特定することなんかできない」
というのが今の一般的解釈だわなwww
260 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 17:55:07.22
>>247 >一日、と、千里、はどういう論理でつながるのかな?
千里船といって、1日に千里進むという大ぎょうな言葉ができたほどだ。
「数多の歴史書が・千里単位・または・日数単位で表記している」
この二つの表記方法しかない。書き手によって違うだけで「どっちでも同じ」だ。
アバウトなことを大ぎょうにいう中国人の大ぎょうな表記だ。
正しく書きようがないものを、どう書いたところでウソになる。
ウソを書くよりも、中国人らしく途方もない千里にしてしまったのだ。
>一日と書かれているところを実際に計測し、千里というところを実際に計測して、
ターコ。
潮待ち、風待ちで正午に出発して夕刻に到着しても、1日航海で千里と表記する。
>結果的に同じような距離になったとしよう。
それは、古代人が距離測定をできたという前提での話だろ。わかるか?タコ
群集の中から、利口なふりして発言する奴もいるが、とんだ恥さらし発言だな。
>ここで、初めて、「一日=千里」という「仮説」が生まれるのではないかな。
ここで初めて、自分が思慮不足のタコだと自覚できるのではないかな?
261 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:57:10.64
古代人は目的地から遠く離れた場所に上陸するのが当たり前なんです。
262 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 17:58:59.83
【この板全員の一致した意見】
ソウル付近から対馬・壱岐経由で北部九州沿岸までは当時の船では10日で来ることは不可能
〈中共工作員モドキ低脳ゴキブリの考え〉(別名 ゴミ鶴)
論点を逸らしてなんとかごまかして切り抜けよう
263 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 18:03:00.13
>>260 千里単位、日数単位。非常にアバウトな表記だ。
不確実な距離をアバウト表記したものを、実際に計測して、
それを証明材料にしようという提案だが、証明材料の目当てがお角違いだな。
そもそもここの連中のやることときたら、
実際とはかけ離れた千里単位表記、
どれだけ進んだかも不明確な日数単位表記をつかまえて、
キロ数に換算したり、ノット数を出してみたり。
バカげた行為をバカげているとは自覚できていない。
264 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 18:03:00.28
>>260 >アバウトなことを大ぎょうにいう中国人の大ぎょうな表記だ。
この部分も否定はせんのだが、一日と千里が繋がるという根拠には
全くなっていないぞ。むしろ、誤差を含んで大雑把に千里と記述したという
主張を肯定していないか?
265 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 18:10:01.76
>>237 >筑紫氏とか応援してくれるひともいるじゃん。
バカのあげ足。筑紫氏をタコだとは思っちゃいない。
バカが勝手な推測で決めつけて、それに基づいて揚げ足してる。
お前のようなバカには、実際のところ、俺なんかが理解できんだろうな。
俺の板のほうにも一人賛同者が現れたぜ。
そもそも、俺説に賛同する人はちまちま細かいことをいわない。
細かい質問もしなければ異論もいわない。
事前にやりとりしたわけでもないのに、突然のように現れる。
こっちが驚くぐらいだぜ。
で・タコ。お前も俺の賛同者志願か? ん・んー?
266 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 18:17:09.45
>>264 >一日と千里が繋がるという根拠には 全くなっていないぞ。
日数単位表記か千里単位表記。
どのみちアバウトだ。どっちを採るかは当事者の勝手。
>むしろ、誤差を含んで大雑把に千里と記述したという主張を肯定していないか?
天才の説をダシに、どさくさ紛れに駄論の宣伝か?
あのな。次元の高い言い方をするぞ。
「誤差」には、ある程度正確に測定できたという前提が必要なんだ。
お前の無意識の意識下には、これが潜んでいる。
何度もいうても・わからんかなー
「誤差」などという詭弁に頼るほど俺は非論理的ではないぞ。
267 :
卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/03(金) 18:58:53.72
自東莱出石経、襲和龍、海行四百余里 ( 100里単位)
廣州東南海行二百里至屯門山 (100里単位)
伊作大先生よ、百里単位の記述があるではないか。
それに、あなたの挙げている例は、日数表記の場合は里数表記がなく、里数表記の場合は日数表記がない。
つまりたとえば、一日海行千里とか、千里海行一日などという例はどこにもない。
伊作がいると「水行一日=千里」の解だけが同じなんでややこしくなる。
俺は魏志倭人伝だけでこれを証明してるのが伊作と違うとこだ。
もう一度まとめ直すぞ。
釜山〜対馬〜壱岐〜松浦
狗邪韓国から北九州のルートはこれが最もコンセンサスが得られたものだ。
これ以外は勝手解釈として退ける。
この3航海は千里表記されているが、水行に置き換えた場合は間違いなく一日航海だ。ここは現実。
よってここから(a)海路千里=水行一日 が成り立つ。
壱岐〜松浦は他の2航海の実距離は約半分。ここから千里が実距離でないことがわかる。
海路千里表記は実距離と無関係から(a)の等式は
(b)水行一日=実距離と無関係な海路千里表記 になる。
これを投馬国、邪馬台国の水行合計三十日に当てはめれば実距離とは無関係だが
表記合計は三万里で連続説の場合「万二千里」をオーバーする。
放射説の場合、伊都国から邪馬台国への水行だけで一万里になり
北九州までに一万里かかっていることから、これもオーバーする。
つまり連続説、放射説とも万二千里は各行程の合計にはならず、具体的距離を表したものではない。
「万二千里」は、これだけで独立した遠距離を表す修辞である。
万二千里を実距離と見なして成り立つ九州説は以上から否定される。
(1)万二千里を実距離と見なす者は、倭人伝行程記事のすべての距離を実距離としなければならないが
3航海で明らかに短い 壱岐〜松浦 も千里表記から、倭人伝の里は実距離を指さない。
(2)放射説でも万二千里は邪馬台国までの具体的距離にならない。
「万二千里」を実距離としなければならない九州説はすべて終了。
出てきた反論潰し
1 釜山〜対馬〜壱岐〜松浦 ルートを認めない
これは勝手解釈。
2 釜山〜対馬は一日で渡れない
現実無視で論外。
3 渡海と水行は違う
渡海の方が難易度が高く、水行を考えた場合は渡海以上の航続距離が可能。問題なし。
4 倭船の性能の疑問
(b)水行一日=実距離と無関係な千里表記 から倭船の場合も同じになる。
5 3航海は合計して3で割れば、ほぼ短里3000里になる
超ご都合主義解釈で問題外。馬鹿の戯言だ。
さらに伊作が言うように実距離を測る術が当時あるわけではない。
さらにさらに、短里なんてのがマヤカシ。公式な里を使わない理由がない。
ついでに言うなら、伊作の九州説は
・行程読みが連続説、放射説以外の勝手解釈で「結論先にありき」からのコジツケ。
・短里と同じで倭人伝だけ1/6だの1/6.5だのと、ご都合主義解釈。
これで否定される。
九州説はすべて否定完了だ。
魏志倭人伝は九州を指していない。
271 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 20:01:46.75
272 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 20:06:11.26
>>266 一つ、例をだそうか。
「一日あたりの歩行距離を15キロとしよう。
これが一日の距離なので、一日と表記する。
ただし、中国人は大雑把なので、10キロの距離も、
あるいは15キロの距離も、一日と表した。」
伊作の好きな論理とやらでいうなら、これは論理的には正しいことは理解できるか?
そしてもうひとつ
「77キロ、短里千里の場所を千里と表記した。
ただし、中国人は大雑把なので、50キロの場所も、
100キロの場所も千里と表した」
これも論理として正しいことはわかるだろう。
この2つから、「一日と千里は同等」
これが導き出せるかどうかを考えろ。
無限尿の東北説は、初めから完全否定されているから、相手にしても仕方がないなw
溺れた負け犬の相手をしに、わざわざ川に飛び込む馬鹿はいない。
水行一日=実距離に無関係な千里表記
これだけでは実際の水行一日がどれくらいの航続距離かわからない。
だか想定は出来る。
魏船は一日で釜山〜対馬の距離を航海出来るわけで、倭船もたいして変わらないだろ。
最大一日90キロ程度は可能とみることができる。
だが、沿岸水行は無理する必要もないから、ここから大幅に割引いてもいいわけで
半分ないし1/3くらいでもいいかもしれない。
仮に20キロとしても連続説なら水行だけで600キロ。
これに陸行一月が加わるわけで畿内などに収まるはずがない。
連続説を取らねばならない畿内説もこれで終了。
倭人伝は畿内も指していない。
>>273 腐れ馬鹿。
俺が今、東北説を主張してるか?
東北説を否定すりゃ九州説、畿内説が助かるわけじゃねえぜ ゲラ
276 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 20:17:34.76
>>274 >だろ、かもしれない、はずがない
プゲラ
議論の初歩から勉強しなおせ。
>>271 こいつみたいに逃げるしか術はねえだろうな プ
反論ないなら論破になってしまうが、いいのかな?
落ちる。
278 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 20:20:47.85
>>269 まだ性懲りもなく駄説を垂れ流すのか
水行一日=千里の等式が成り立つのなら全て里数表記になるはずだと言ってるだろ
「伝聞だからそのまま書いた」と苦しい言い訳をするが、それなら方角についても伝聞そのままに書いたってことになる
これに対してお前はナントカ地理感で言い訳したがこれも
>>196で潰した
お前の主張は完全に破綻しているんだよ
279 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 20:21:06.62
>>277 >反論ないなら論破になってしまうが、いいのかな?
それは大変だ(棒読み)
280 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 20:22:32.13
夢GEN=糖質
ぜがひでも新潟にしたいらしいが、無理だよカス。
>>276 最も無理がない最小想定で話を構築する。
これが不明部分を語る議論のイロハだ、坊や。
ディベートで俺に講釈垂れるのは百万年早いわ ゲラ
しゃあな〜
282 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 20:25:28.74
>>277 だって無意味じゃん
表記上水行一日=水行千里だって言ってるだけだろ
そんなこと正しかろうが正しくなかろうが邪馬台国比定にはなんも関係無い話だよ
283 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 20:30:59.07
>>281 >最も無理がない最小想定で話を構築する。
>これが不明部分を語る議論のイロハだ、坊や。
笑
。
。゚
\ ∧_∧
(( ∩(´∀` )
ゝ l工l⊂ )
( ( (
(_(__)
。
゚ 。
∧_∧ /
( ´∀`)∩ ))
( つl工l ノ
) ) )
(__)_)
285 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 20:38:23.96
夢幻如
全行程の内里数は実距離ではない修辞で表現し、日数は実所要最短日数であり修辞ではないとする根拠を示さなければならない
10日、20日、1月は里数同様きりがよすぎる
286 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 21:04:11.21
>>282 >そんなこと正しかろうが正しくなかろうが
>邪馬台国比定にはなんも関係無い話だよ
そうか。そう思うならば口を挟むな。ぼんくら
287 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 21:10:40.21
>>286 お前は関係無いだろ
お前こそ絡んでくるなよ統合失調症野郎
288 :
縄嘉ー:2012/02/03(金) 21:34:18.18
>>257 :夢GEN
>>3世紀の当時は海面が現在より3mほど高く、現在の海岸線から内陸部の相知
>> 辺りまで入り江が入りこんでいた。現在の海岸から11kmも離れたところに魏の船は停泊、係留されたのだ。
>見てきたような妄想はネタか?
>じゃあ海岸近くの唐津駅あたりは海の底になるわけだ、へえ〜 プ
>四神鏡や鉄刀、ガラス玉など大量の出土がある遺跡は海中都市のものだったんだ、へえ〜 ゲラ
これだから無学な奴は駄目だ。現在より海面が3m高くても桜馬場遺跡や菜畑遺跡など弥生時代の遺跡は沈まね〜よ。
古代の集落は入り江や川の近くの小高いところに営まれたのだ。特に漁業や交易によって生活していた海人と呼ばれた
人々は荒波に洗われる危険な海岸は避けて入り江や川の岸辺近くに集落を構えたのだ。
それからな、松浦川沿いの土地は土砂の堆積によって現在の土地は高くなっている。川底も上がっている。
このような変化があってそうは見えないかも知れないが、弥生時代には相知辺りまで入り江となっていたのだ。
289 :
志紀:2012/02/03(金) 21:35:31.59
尿はさっさとポン引き逝けや
客とディベートしとけどアホ
スレ占有率考えろや屑
アク禁にしたるわキチガイ
というわけで
>>167さん有難う。こいつを相手した時点で負けやわw
290 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 21:43:10.85
>>272 多分ゴミため氏にはその質問の意図が理解出来ないと思うよw
291 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 21:47:03.19
>>163、
>>173 おーまーえーはーアー○ーか。前に指摘した。3世紀当時の中国では距離をどのように計ったのか、それも知らずして邪馬台国論に口出すな。もっと勉強してからにせい。ドア○ウ!
日本海ルート論者です。まとめて持論を。
1.まず、日本海交易圏ができる。
その後、出雲=投馬を盟主に連合となる。
(国力は並でも地政的理由から利害調整役)
2.連合成立前後、倭奴国王(博多)が朝貢。
(宗像三社の存在から「東西並立期」も可)
3.倭国王帥升=出雲王、漢に使い。
治政の為、穏健的多数派として銅鐸祭祀を行う=巨大化流行
(山神祟り->祭祀->埋めて奉納->繰り返す)(必要無し=埋めたまま)
4.利害不調、食糧問題が浮上(桓帝=146〜)
(交易圏の拡大=太平洋・瀬戸内、関係)
5. 倭国大乱期(狭義178年 - 184年)に盟主が大和へ。
(卑弥呼=モモソ姫、銅鐸祭祀辞める->地域毎の山神崇拝から神の輸出へ=革命的!)
(単一的価値観への変化。墓制にも波及。銅鐸は埋められたまま忘れられる)
6.卑弥呼没(247)後の内乱=崇神期の武埴安彦命の乱など。盟主は出雲に戻らず。
四道将軍(実際は取り込み)以降に瀬戸内が倭国連合の内海に。
台与没後に乱?崇神朝は断絶、応神朝へ(応神朝で瀬戸内の内海化完成?)。
266〜391でも125年=崇神朝の系譜足らず?疑問多し…
続きます
つづき。(流れぶった切りでスミマセン)
a.邪馬台国への旅程=主要港路は、
新宮町近辺->出雲(米子安来)->丹波(久美浜)
(盟主が大和になり、例えば勾玉は越->出雲->半島から
越->東海->大和->丹波->出雲と、一部陸路の大和経由へ。)
(大出雲圏弱体政策で丹波取り込み中)
(琵琶湖水系は応神以降と考えます)
b.卑弥呼時代の航行は、土着海人のリレー。
(二国間交易の荷に、大和で封泥した荷を相乗せ)
(この時点で権益独占だとその後の地域古墳の巨大さに疑問が…)
但し、荷守りは邪馬台人。
宗像->出雲->丹波で違う船に乗り換え。
現地で荷守りの歓待&荷調べ。
公認代行業者による航行は少なくとも台与以降(応神以降?)
c.魏国官僚は伊都国より先には行けず
(行ったと判断できる材料がない)。
邪馬台を知りたい魏と知られたくない邪馬台の関係かと。
d.狗奴国は九州内の連合と南接していた別宗教国。
戦争中にも関わらず連合は卑弥呼没後に内乱する余裕がある。
狗奴国より内乱が大変。狗奴国との国力差はかなりあるのでは?
294 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 22:29:01.45
>>272 >一つ、例をだそうか。
エラそーにタコが。海路距離の話に陸路の例を出してどうするか。
持ち出す証明材料がピントはずれの次は、例の出し方がピント外れだ。
295 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 22:36:02.42
>>272 >「一日あたりの歩行距離を15キロとしよう。
これが一日の距離なので、一日と表記する。
ただし、中国人は大雑把なので、10キロの距離も、
あるいは15キロの距離も、一日と表した。」
>「77キロ、短里千里の場所を千里と表記した。
ただし、中国人は大雑把なので、50キロの場所も、
100キロの場所も千里と表した」
ほれ・タコ。
海路距離じゃ実際に何里航行したか分からないから例にしようがあるまい。
いめえだって、海路航行距離は不確実なことを自覚してるわけだ。
苦しいたとえ話だな。
てめえ自身が(自己分析できるほどのタマじゃないから)、明確に自覚できていないだけだ。
バカだからくどくいうが、アバウトな航海距離の「表記法」の話だぜ。
実際に何里航行しょうが、1日は1日、千里は千里だ。
296 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 22:38:53.50
いっちょ前づらして天才説にいちゃもんつけるんだ。
見所のある反対意見をもってこい。
反対意見を出すほうのバカさ加減が露呈するだけの愚論ばかりじゃ疲れるぜ。
とりあえず熊本説の論拠をはっきり示してみろ
298 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/03(金) 22:42:40.85
>>287 >お前は関係無いだろ
そうかあ。
「表記上の水行一日=千里」だといってるのは俺だ。
ぼんくら加減は見えたところで、なんならじっくり相手になってやるぜ。
299 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 22:53:08.61
ゴミために降りた鶴よ
おまえの「海路距離の真相 投稿者:管理人 投稿日:2012年 1月30日(月)01時34分53秒」にある正方形は小さすぎないか。
半島に内接する図じゃなくて、外接する図(それも半島南部が入ってしまうように、もちろん帯方郡にかからぬように)にしたらどうだ。
それと、航路距離も曲がりくねらさずにざっくりと直線距離にしたらおまえが言うほどの問題にならんと思うぞ。
もっとも、7千里は(勿論魏の公式の里ではないが)海岸に沿っての航行だから目測なり何なり測定できたとして
何の問題もないけどな。
300 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 23:06:03.28
>>298 元々無限馬鹿へのレスだ
お前には関係ない
気持ち悪いからあっち行け
シッシッ
鶴なら、ゴミためと会話するなよ
釣るなら、いいけどよ
302 :
志紀:2012/02/03(金) 23:24:46.07
>>293さん。
出雲もかつて学会の権威のおっさんどもがこぞって否定していたエリアですよね。
その後重要な発掘が相次いでから手のひらを返してきたのは全く馬鹿と言うか、それで
学問なの?って感じですがw
出雲神話の国引きや国譲りなどはどうお考えですか?「神有月」などと言ったり、九州エ
リアより先に栄えて居たのでは無いかと思うのですが。
半島から普通に海流に乗ればどんどん出雲〜越〜東北に行くわけです。海の民なら楽勝
だったでしょう。出雲に加賀の潜戸がありますが、これも、加賀の国の名称の元ではないか
と思います。奈良の古地名にない「ヤマト」が九州に沢山あるようにね。
無限には最近飽きてきたな。
304 :
○:2012/02/03(金) 23:47:02.28
>>292 :日本海ルート論者さん
お久しぶりです。
貴説の補強に「素環頭太刀・舶来鉄刀」の勉強をお勧めします。
奴国中心が豊前へ流れ、山陰ルートで北陸へと移って行きます。
瀬戸内海は、かなり遅れています。
特に丹後地区「丹後市三坂神社墳墓群・左坂墳墓」から出土してます。
政治的な交流がなければ、手に入らない時代の品物です。
明日、潮見浩著「東アジアの初期鉄器文化」を借りて来ます。
じっくり読んでみたいと思ってます。
では、また!
305 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 23:58:40.63
>>303 そうですね。鶴にもうんざりさせられるけど。
ピエロを演じるならもっと芸を磨いてもらいたいですね。
306 :
稗箕狐:2012/02/04(土) 00:16:20.17
空(から)から
あめっこが
おやまに
ふる・クダル
こおゆうかんけいになります
>ピエロを演じるならもっと芸を磨いてもらいたいですね。
イイ例えをいいますねw
308 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/04(土) 00:31:31.11
けっきょくのところ、まともな返答を返した奴はいない。
中身のない奴ばかりってことだ。
勝負あり。
倭人伝の陸路は6〜6.5倍表記、海路は千里単位表記。
邪馬台国までの水行10日は、
帯方郡から末盧までの海路1000余里を日数表記にしたもの。
これが、現時点では最強の説というわけだ。気分爽快
309 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 00:33:27.91
>>294-295 例として出してるのに、やはり理解できてないかwww
>>実際に何里航行しょうが、1日は1日、千里は千里だ。
わかってるじゃないか。そのとおり、一日と千里は独立の事象ということで書いた。
一日は一日の距離、千里は千里の距離であり、その間には何も関係はないのだ。
だから、一日と千里を結びつける論理が必要だ。
で、それはなんだ?
310 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 00:47:55.21
追加するぞ。
一日と千里を結びつけるためには、同じ距離や場所を一日と千里と表記しているとか、
地図上の同じ距離を一日と千里と表記しているなどの、根拠が必要だ。
これをもって、初めて「仮説」となる。
この仮説を証明するためには、全く関係ない記録からの「検証」などが必要となる。
これはそう簡単ではないだろう。
しかし、今の段階では「仮説」ですらないのだ。
伊作の「思い込み、思いつき」に過ぎない。
私もよく思いつきを書きこむことがあるが、
それは「妄想」と断ってから書いている。
それは、知識の豊富なほかの読者が、
いくつかの根拠を知っていて、
「仮説」に昇華してくれないかという期待からである。
311 :
風の中のゴキブリ:2012/02/04(土) 03:06:13.81
>>308 ようクソムシwww
>けっきょくのところ、まともな返答を返した奴はいない。
>中身のない奴ばかりってことだ。
無限馬鹿と同じ言いかたじゃねえかwwwww
てめえも無限尿と変わらねぇカスだってことよwwwww
2chはカスの集まりだろう 何をいまさら
伊作もまた同じ ゴミためのゴミでしかない
>>278 腐れ頭は同じことをぐだぐだと アキレ
なんで伝聞を里程換算して書かなきゃならんのだ。
で、伝聞なら方角も聞くはずだから伝聞じゃないってか。
>>196なんて読み飛ばしていたわ ワラ
何回も言ってるが、倭人伝行程記事は先遣調査隊の報告書の転載と判断する。
この使者は伊都国までしか行っていない。あとは伝聞。
で、伝聞で聞くのは距離というより「所要日数」だ。これが一番大事なことは馬鹿でもわかるだろ。
この聞いた日数を自分の頭にある地理観に当てはめ報告書になる。
その地理観は「混一」的なもの。あるいは宋代の「古今華夷区域総要図」的なものだ。
簡単に言えば、南北にのび北九州から南に国土が広がる国だ。
なぜ所要時間だけで方角を聞かないか?少し頭を使えばわかるだろうが。
本隊の正使が来た場合にかかる日数だけ調べればいいからだ。
正使使節団は自分で邪馬台国を探しながら訪れるわけじゃねえぜ。
当然、道案内がつく。前もって方角など知る必要はない。必要で大事なことは所要日数だけだ。
方角に関心がないのは当然なんだよ。
>>282 無意味じゃねえよ。
これで九州説、畿内説とも否定出来るんだからな。
>>283 馬鹿じゃ理解出来ないか、そうだろうな プ
この場合、相手は畿内説者。畿内説は連続説をとるから出来るだけ水行の距離を短くしたい。
短くしたい相手を対象に議論する場合は、可能な最小想定で話した上で否定するってことだ。
>>285 >全行程の内里数は実距離ではない修辞で表現し、日数は実所要最短日数であり修辞ではないとする根拠を示さなければならない
根拠というより信用に値する理由なら前に散々示している。
お前、自宅から最寄りの駅までどれくらいか聞かれたら何と答えるよ?
870メートルですとか1.5キロですとは言わんだろ。
ちゃんと調べたことがある者ならいざ知らずだが、普通は距離を正確に知ってさえいない。
普通「歩いて○分」「車で○分」という答え方になる。時間表記だ。
これと同じ。
日数は間違いなく数えられるが、測りようがない里数で無理やり言えば ”当てずっぽう” になる。
日数表記はかなり信用度は高い。
だがキリがよすぎるというのは確かだな。
一桁台の四捨五入程度の幅はみていいだろうよ。
つまり十日は5〜14日、二十日は15〜24日、一月は25〜34日程度は許容範囲だろうな。
>>288 馬鹿粘着、破綻してるのに気がつかない滑稽さは笑えるぜ。
>これだから無学な奴は駄目だ。現在より海面が3m高くても桜馬場遺跡や菜畑遺跡など弥生時代の遺跡は沈まね〜よ。
当たり前だ、馬鹿頭。沈まないから遺跡として現在ある。
縄文時代からずっと陸上なんだよ。つまり港としても機能し続けただろうことは容易に想像できる。
港をわざわざ相知辺りの内陸まで下げるのは 壱岐〜松浦 の距離を出来るだけ延ばしたい
”超、超、超ご都合主義”なことを知れ。
317 :
稗箕狐:2012/02/04(土) 07:11:27.63
東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸世有王皆統屬女王國郡使往來常所駐
区切るところがへんだからまぬけなこと騙ってばかりになる
東南陸行五百里
到伊都國
官曰 爾支
副曰 泄謨觚 柄渠觚
有千餘戸
世有王
♪♪♪♪皆統屬女王♪♪♪♪
♪♪♪♪國郡使往來常所駐♪♪♪♪
王遣使詣京都 帶方郡
♪♪♪♪諸韓國及郡使倭國 ♪♪♪♪
皆臨津搜露
傳送文書 賜遺之物
詣女王 不得差錯
「諸韓國」のお使いのひとも定宿なんだね
318 :
稗箕狐:2012/02/04(土) 07:15:02.43
王遣使詣京都
♪♪♪♪ 帶方郡諸韓國及郡使倭國 ♪♪♪♪
皆臨津搜露
傳送文書 賜遺之物
詣女王 不得差錯
こっちのがええわ
>>308 何が気分爽快だ ゲラ
お前の話を俺は否定してるんだが、見・え・ま・せ・ん・か プ
なんで魏に公式尺度があるのに ”倭人伝だけ” 特別な尺度で書かれなきゃならねえんだ?
他のことでは三國志に似たようなものはないとか、東夷伝の中では、という奴が
里だけは倭人伝特有だとご都合主義かい ワラ
「水行一日=千里」はいいが、他は全部 ”ご都合主義”説に過ぎないね。
320 :
稗箕狐:2012/02/04(土) 07:17:28.78
321 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 07:23:54.90
>>274 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
ハイそこの馬鹿
「遠足は家に帰るまでが遠足」、「倭人伝行程記事は邪馬台国に着くまでが行程記事」だゾwww
(最低移動距離)×(日数)
…これを陸行にも当て嵌めてきちんと見積書か旅行プラン、企画書を完成させようなw
お前の過去の発言から
(10〜15km/日)×30日=300〜450km
…このフツ〜に日本列島を横断できる距離(核爆w)をきちんと説明できなければ
少なくともその日数には移動以外の時間がかなり入ることを否定できない。
(フツーの並みの知能を持った人間ならこれを距離にそのまま換算・想定できないことにほぼ直感的に分かる話)
水行にしても途中何ヶ所かで余分に数日くってしまえば
馬鹿が必死に計算した600km(投馬まで400km)もあっという間にその半分近くにはなるだろうw
出雲や吉備なら丁度いい塩梅?(ゲラゲラゲラ
322 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 07:24:28.13
>>281 文献駄目考古駄目議論ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>最も無理がない最小想定で話を構築する。
>これが不明部分を語る議論のイロハだ、坊や。
ヨコからだが…所謂「オッカムの剃刀」と言う奴だろうがw
これも自分に返ってくるブーメランwww
方角に関して言えば九州説の言うように「南と書いてあるのだから南」というのが最もシンプル。
いくら必死になって古地図等を持ち出して古代人の地理観を説明したところで
それはあくまで「こう言う見方も可能だ」というだけの話。
・情報提供者が東(畿内・東北)に移動→当時の地理観に”修正されて”南と記述された
・情報提供者が南(九州内)に移動→そのまま南と記述された(当時の地理観にも合致)
後者は前者のように何らかの「修正・変換」を想定しなくていい。
オッカムの剃刀的考えをするのなら後者がよりベターな選択w
r"`ヽ、
\::: \
\::: \
ノ´⌒`): )
γ⌒´ /::: /
// ""⌒〈:: / )
i / ⌒ 〈/ ヽ )
!゙ (・ )`┃( ・)i/ <ディベートで俺に講釈垂れるのは百万年早いわ ゲラ
| 尿 (__人_) | .
\ `ー'┃/
/ ∩ ヽ
/ ⊂ニニ_)
〈 ヽ-' ノ
〉__〉 ̄〉__〉
>>309 >一日は一日の距離、千里は千里の距離であり、その間には何も関係はないのだ。
だから、一日と千里を結びつける論理が必要だ。
伊作への突っ込みだが、俺が答えてやる。
釜山〜松浦 の3航海が各千里表記。
この千里表記の航海は現実に何日かかるか?一日だ。
一日と千里を結びつけるのは「現実」
何回もまとめ直して書いているんだから、いい加減こんな馬鹿質問やめてほしいね。
いくら伊作宛でもよ。
324 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 07:39:27.63
>この千里表記の航海は現実に何日かかるか?一日だ。
1日では無理だ。千里を2、3日、 狗邪韓国から末盧国まで10日はかかるだろう。
326 :
Crab louse:2012/02/04(土) 07:49:44.03
>>323夢GEN
>この千里表記の航海は現実に何日かかるか?一日だ。
アホか? 一日だったら、陳寿が瀚海などと呼ぶか。
対馬〜壱岐は、渡海が難航したんだ。
普通に感じることだ。
陳寿の表意を学べ。
卑弥呼は、倭語か?
327 :
321-322:2012/02/04(土) 07:52:14.48
>>325 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>>277 名前: 夢GEN ◆vaujymvCDcV.
>こいつみたいに逃げるしか術はねえだろうな プ
>反論ないなら論破になってしまうが、いいのかな?
…というわけでこの自惚れだけの糖尿オヤジは自身が負け犬である事を認めて敵前逃亡w
はい ろんぱ〜 しちゃいましたwwwwwww
328 :
Crab louse:2012/02/04(土) 07:59:48.82
>>308 :ゴミためのゴキブリ
>勝負あり。
倭人伝の陸路は6〜6.5倍表記、海路は千里単位表記。
このゴキブリ野郎!
皆が、何故6〜6.5倍で書かれているのか研究してるのに。
完全にズレてるな。見たままじゃねえか。
算数の勉強かい? ん・ん〜!
329 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 08:09:24.28
>>292-293 日本海ルート論者
個人的にはあの行程記事は日本海ルートじゃないかと想像しているんだがw
無論「たら・れば」の仮定を前提にしたものでそれで畿内説を主張するものでないが…
先ず結論から言うと日本海側の隆盛とヤマト王権の勃興には直接的関係はなさそうだ
少なくとも現在それを直結させるものはない…と言う事。
それまでの山陰のイメージをひっくり返してしまった荒神谷や加茂岩倉
確かに一つの遺跡からなら同時代の北部九州を上回るような量の鉄を出している丹後の遺跡
…等々をヤマト王権発生に結び付けたくなるのは分かるw
まして記紀神代に出雲神話の占めるウェイトを考えればなおさらだが・・・
先ず状況として認識しなければならないのは
「雲太、和二、京三」と歌われるように平安時代に出雲には巨大神殿があり
記紀における出雲神話のウェイトは何のことはない記紀編纂時の出雲の影響力の反映とも見る事ができる。
あと纏向で出た「ツクシ型フイゴ羽口」等の技術も含め
どうやら古代の鉄を研究している学者は古墳時代になってヤマトに投がれこむようになる鉄や技術は
日本海側からの枝分かれじゃなくてあくまで瀬戸内ルートを考えているみたいだw
…その他etc
まあ出雲神話にとり憑かれた人間は何が何でも自分のストーリーに固執してしまうのが
過去のパターンなんだがw
330 :
329:2012/02/04(土) 08:23:57.23
331 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 08:24:40.69
332 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 08:32:49.33
>>331 無視するのなら未練がましい「捨て台詞」も吐かずに徹底的にスルーすべきだなw
それができないのは結局自分が叩かれている事に耐えられない。
少なくとも気になって気になって仕方が無い。
(だから夜勤の休憩中にも携帯で必死にレスするw)
「俺は2ちゃんの有名コテだぜ〜!」とほざく割には
こいつ結構 打たれ弱い wwww
まあ別に俺が指摘した矛盾を馬鹿尿以外の誰かが反論してくれても構わないお。
お前でもいいんだぞ?w
阿呆尿なんかの更に後ろから小石投げるだけってドンだけ情けないんだ?っちゅう話だなwwwww
最近、ジョーカーの分析が冴えてるな
334 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 08:40:18.10
335 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 08:41:47.08
>>333 そうかあ?さらっと否定されてばかりじゃん
>>333 自演するにしても、もう少し時間空けようや・・・ジョーカー
渡海と水行は違う(キリッ
は反論にもならず笑われて逆に無限にいいように使われていたね
恥ずかしい奴w
338 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 08:49:14.12
339 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 08:53:05.14
>>無限尿
291への反論はできないようだな。お前さんのレスへの評価だよ。
321・322・327はジョーカーだが、お前さんは完璧に負けている。もっと邪馬台国について基礎的なことから学んだ方がいいぞ。お前さんはカッコいいと思ってやっているのかも知れないが、実にみっともない。
340 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 08:58:09.31
>>313 全然反論になってないなぁ
南北に長いというのはあくまで倭地全体のイメージ、その中の何処に邪馬台国が在るのかは不明
東も西も南もあり得るわけだ
なのに邪馬台国の位置を南に限定して想定していたというのはご都合解釈としか言い様が無い
つまり伝聞情報は方角と距離がセットでなければならない
伝聞説を採用するならば方角は南となる
方角が南ならば九州しかあり得ないからお前の説は崩壊する
伝聞ではないとするならば、実際に行った所は里数表記にしたという前提に反する
従ってこの場合もお前の説は崩壊する
どう転んでもお前の説は破綻している
341 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 09:11:01.63
>>313 ・伝聞説
・ナントカ地理感説
・「邪馬台国の位置を南と想定していた」説
これらは全て推論、勝手解釈
前提条件に推論、勝手解釈が含まれるからお前の言う「証明」にすらなってないな
342 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 09:23:34.39
>この使者は伊都国までしか行っていない。あとは伝聞。
こうゆうことを言い出すのは、倭人伝の読み方が分からないと言っているに等しい。
343 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 10:10:32.74
所要日数だけ聞いて方角は聞かない先遣調査隊w
何の為の調査隊なんだよw
飯食って、風呂入って、さあPCでと思ったらジョーカー必死 ゲラ
>>339 それいつか見たレスにそっくり ワラ
「彼はジョーカーといって畿内説者だが九州説にも詳しい論客」なんて自演で
俺からレス欲しがってたのの再現か。
そこまでして突っ込んでいながら、あっさり蹴散らされてお終いだったじゃねえか。
こいつの突込みなどゴミ、屁にもならん。簡単に1レスで片付けられるぜ。
だが、レス欲しがる馬鹿粘着の相手はしてやらん。乞食に餌やる趣味はねえ。
ま、馬鹿レベル降下サービス期間になったら、ついでに話してやるさ。
さらに
>>291へ何を反論しろと?
こうやって距離は測るんだ、と突っ込んできたら相手してやるよ。
>>340 >南北に長いというのはあくまで倭地全体のイメージ、その中の何処に邪馬台国が在るのかは不明
東も西も南もあり得るわけだ
お前も真性の馬鹿だな。
魏の倭国全体のイメージが南北に長いというイメージだったのはいいんだな。
それで何で「東も西も南もあり得る」になるわけよ?マジで馬鹿だな。
魏の使者は南からやってきて北九州だ。北は海しかない。で、北は無し。
東西は手が届く距離で行こうと思えば行ける範囲だ。
だが邪馬台国は遠隔地。連続読みなら2ヶ月、放射読みでも1ヶ月と10日かかる。
東西にその広がりは無い。
南北に長いというイメージがあれば、あとは南しかねえじゃねえか。
>なのに邪馬台国の位置を南に限定して想定していたというのはご都合解釈としか言い様が無い
限定するも何も、倭人伝では南と表記されてるんだよ、キチガイ プ
>つまり伝聞情報は方角と距離がセットでなければならない
それはお前が馬鹿だからそう思うだけ ワラ
南にあると決めつけてるんだから、あとは所要日数だけ聞けばいい。
不必要なことを聞く必要があるか?細かな行程はガイド任せでいいんだ。
必要な情報は所要日数だけ。
てことで
>>343 お前の馬鹿レスも終了 ゲラ
>>341 これもジョーカーなんじゃねえの?馬鹿さのレベルが一緒だぜ ゲラ
伝聞であろうが、実際行っていようが
地理観がどうであろうが
邪馬台国を(あり得ないが)南以外と想定していようが
「万二千里」は具体的距離を表すものではない、という証明は成り立つんだぜ。
馬鹿じゃわからないか プ
>>342 ループ
倭人伝の読み方が、なってねえのはお前だ。
過去ログ読んでから出直せ、馬鹿頭。
347 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 11:10:12.80
>>344、345
お前の方が一万倍もウマシカだな。プッ、ゲラ。
邪馬台国の研究は日本古代史という学問の一分野だ。単なるディベードとは違う。そのことがお前は解っていない。もっと古代史の基礎から勉強しろ。恥ずかしい奴だ。
348 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 11:15:15.92
日本古代史専攻の専門家で、邪馬台国専門に研究してるやつなど
聞いたこともない罠wwむしろ邪馬台国は避けてる人ばかりだ罠ww
邪馬台国などに関わるのは素人ばかりだ罠ww
まともな奴はいねえのかってな プ
>伊作
お前の6倍だか1/6だかには突っ込んだぜ。
なぜ魏の公式尺度ではなく、倭人伝だけは特別な里なんだ?説明しろ。
正史になるほどの書が、わざわざ倭だけ特別な里で書いたという合理的説明をしな。
>まともな九州説
「水行一日=千里」から万二千里が実距離でないことは論証した。
反論は無しでいいのか。
>まともな畿内説者
水行合計三十日プラス陸行一月では畿内に絶対に収まらない。
倭人伝は畿内を指していない、に反論無しでいいんだな。
>>344 具体的な突っ込みも出来ない泣き言なら聞かねえよ ワラ
あ、これも馬鹿粘着の自演か?しまった、レスしちまったぜ ゲラ
350 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 11:30:19.24
>>345 だから反論になってないってば
伊都国の時点では邪馬台国までの距離も方角も不明なんだよ
つまりこの時点では水行十日かどうか分からんわけよ
仮に倭人の答えが陸行一日とかだったら方角の見当が付かないだろ
だから方角と距離はセットで聞かないと意味がない
大体、肝心要の邪馬台国迄の情報だよ、距離だけ聞いて方角は聞かないとかあり得ないでしょ?
お前がしきりに言う普通の感覚ってやつで考えてみなさい
てゆうか本当は自分でも苦しい言い訳だなぁと思ってるんだろ?
これはお前にとって単なる推理ゲームなんだからあまり意地を張るなよ
351 :
お風呂で(-。-)y-゚゚゚:2012/02/04(土) 11:34:32.59
352 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 11:40:12.00
>>346 伝聞説を抜きには「水行一日=千里の等式が有るのなら全て里数表記のはず」という指摘に反論出来ない
更に伝聞説を前提とするとナントカ地理感説を持ち出さないと方角について反論出来ない(まぁ反論になってないけど)
ということで推論抜きにはお前の説は成り立ちません
>>342 こう言う、自分の考えすら言わないで、批判だけする馬鹿って消えてくれないかな!
354 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 11:51:32.45
>なぜ魏の公式尺度ではなく、倭人伝だけは特別な里なんだ?説明しろ。
中国じゃないからだろう。現地で使われている里を使ったまでだろう。
>「水行一日=千里」から万二千里が実距離でないことは論証した。
実際の距離だよ。それ以外に何を記載するんだ? 馬鹿馬鹿しい。
355 :
お風呂で(-。-)y-゚゚゚:2012/02/04(土) 11:53:19.90
>>348 お前って、小学生みたいな奴だな。四年生ぐらいじゃねーのw
> >「水行一日=千里」から万二千里が実距離でないことは論証した。
> 実際の距離だよ。それ以外に何を記載するんだ? 馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しいよね。このカキコ。
357 :
訂正!:2012/02/04(土) 12:01:20.15
到
清代段玉裁『說文解字注』の大雅曰に「靡國不到」とある。
所謂、「行ったことのない國は ない」との釈。
従って、
「從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國」は
「狗邪韓國」に到るに当たり「韓国」の国は全て訪れた。
又、
「末廬國」→「東南陸行五百里 到伊都國」は
「末廬國」から「伊都國」に到るに当たり全ての国を訪れた。
その訪れた国は、「奴國」・「不彌國」・「投馬國」「邪馬壹【臺】國」
である。
だから、この四ヶ国の起点は全て「末廬國」と成る。
と、陳寿は記述している。
>>355 てっぺん禿げ
風呂なんか入ってないで、棲みかのドブ沼にでも帰れ!
359 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 12:02:25.89
>>353 >>356 君のカキコが馬鹿馬鹿しいんだよ。使者は邪馬台国まで行ったと書かれている、距離は
当然実際の距離だ、どこか問題があるかい?
360 :
訂正!:2012/02/04(土) 12:34:34.24
>>357 名前:訂正!
×だから、この四ヶ国の起点は全て「末廬國」と成る。
↓
◎そのうち、「奴國」・「投馬國」「邪馬壹【臺】國」の三ヶ国の起点は 「末廬國」と成る
「末廬國」 →「東南陸行五百里 到伊都國」は 、
「末廬國」から「伊都國」に到るに当たり全ての国を訪れた。
その訪れた国は、「奴國」・「不彌國」・「投馬國」「邪馬壹【臺】國」 である。
◎そのうち、「奴國」・「投馬國」「邪馬壹【臺】國」の三ヶ国の起点は 「末廬國」と成る
故に、
「末廬國」→「奴國」→「不彌國」。
「末廬國」→「投馬國」。・・・・は「水行二十日」=五百里=216km
「末廬國」→「邪馬壹【臺】國」。・・・・は、「水行十日陸行一月」=千里=432km
と解釈すれば、
陳寿が記述した行程地図となる。。
361 :
縄嘉ー:2012/02/04(土) 12:56:19.54
>>316 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/04(土) 06:59:27.99
こいつは馬鹿だと思っていたがやっぱり馬鹿だったな。
こいつは倭人伝と常識で論じるのだと言っていたが、倭人伝も読めないし常識もない。基礎的な知識もない。
>>316で
>>288に反論できたと思ってやがる。オメデタイ糠味噌脳だ。
こいつには理解できないかも知れないが、もう一つ教えてやる。
半島から対馬海峡を渡るのは簡単なことではない。今は動力船があるから直接釜山から対馬へ行くことが出来るが、
古代ではそうはゆかなかったのだ(こいつには知識がないからそんなことも知らない)。
半島から対馬に渡るには東北方向の潮の流れが弱くなる時間帯に風の具合がマッチしたときに一気に漕ぎ渡るのだ。
潮の流れは6時間ごとに変わる。風向きも変わることがある。もしも風が止み、あるいは逆風になったら、さらに、
強い西風が吹き出したら船の進みは遅くなり、東北への潮の流れが強くなったら日本海を漂流することになる。
そういう危険があるところだ。古代の海の男はこいつほど馬鹿じゃないからどうすればいいかを知っている。
対馬への距離が最も短い所から出航するのだ。その場所が巨済島の南岸なのだ。元寇の船団が一旦この島に集結して、
ここから対馬へ向けて出航したのはそのためだ。
狗邪韓国が何処だったかにはいろいろな見解がある。のちの伽耶や加羅の地だという人もいる。まあ、金海や釜山辺り
がその中心地であったかも知れないし、巨済島だったかも知れない。
しかし、出航地は巨済島南岸だった可能性が最も高いのだ。理由は先述のとおりだ。最も安全確実に対馬に渡るには
最短距離の航路をとる。巨済島南岸で潮待ち風待ちをして一気にわたるのだ。
362 :
訂正!:2012/02/04(土) 13:07:13.97
陳寿の行程地図
「末廬國」を中心とした半径百里(43.2km)の円を描く。・・・@
又
「末廬國」を中心とした半径千里(432km)の円を描く。・・・A
@ とAで表記された内側が「奴國」の領域である。
A 所謂Aの現す境界線は「奴國」と「邪馬壹【臺】國」の境界でもある。
又、{奴國}領域内に「伊都國」がある。
と、陳寿の行程地図は記述されている。
所謂、
「伊都國」は「奴國」の国都である。
と、いうことだ。
363 :
Crab louse:2012/02/04(土) 13:08:57.50
>>361 :縄嘉ー
>出航地は巨済島南岸だった可能性が最も高いのだ。
お!イイねえ。 同見解です。
>>218 >のちの伽耶や加羅の地だという人もいる。
確か南端の高い山が、加羅山と聞いたが。
秀吉もここが戦場だった。
出入り口であったことは、間違いないでしょう。
364 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 13:31:41.47
>>349 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>まともな奴はいねえのかってな プ
…まあキチガイから見れば他人はみな「まともじゃない」と見えるんだなあw
>>まともな畿内説者
>水行合計三十日プラス陸行一月では畿内に絶対に収まらない。
>倭人伝は畿内を指していない、に反論無しでいいんだな。
そりゃ日本の何処にも収まらないんだから畿内が収まらないのは当たり前(ゲラゲラゲラ
自分でほざいたものがもたらす結果
陸行10〜15Km/日 × 30日 =300〜450km
…について早く適当な言い訳を考えような?おっさんwww
365 :
お風呂で(-。-)y-゚゚゚:2012/02/04(土) 13:34:36.43
卑弥呼の湯に行こうぜ
366 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 13:48:16.55
水行一日=千里説は、帯方郡から狗邪韓国までを七日で水行したと証明しないと成立しない
当時の魏船の性能で果たして七日で着けるのか?
それなりの性能があったとして、逆に七日どころか六日で着いた可能性をどう否定するのか?
六日でも八日でも十日でもなく、間違いなく七日きっかりだったと証明しないとこの説は成立しない
367 :
訂正!:2012/02/04(土) 14:09:28.00
>>366 >水行一日=千里説は、帯方郡から狗邪韓国までを七日で水行したと証明しないと成立しない
「從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千余里」・・・@
の起点は「帶方」ではない。
陳寿は@の起点を、魏の国都、洛陽と置いてある。
「從郡至倭」は『群を通り過ぎて倭に至』と読むのが正しい。
故に、
七千余里という距離は、「帶方」〜「其北岸狗邪韓國七千余里」とするのは誤りである。
368 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 15:26:13.01
>>366 帯方郡から狗邪韓国までを七日で水行したと証明したって成立しないよ。
単なる偶然かも知れない。ほかの水行もそうだということにはならない。
>302 志紀さん
記紀でなぜ出雲が重要視されたか?
討伐回数だけ見ても異常な訳ですが…
それは今後考古学で説明できるようになる
と思っています。
ただ、その考古学では発見成果の解釈が
畿内か北九州かと大きく二分されている。
そこに日本海を含め、三極で説明していく
必要があると思うんですよね。
魏志倭人伝は罪作りでもあるかと。
日本車をトヨタと日産で二分するような異
常さがあります。マツダは?とか(笑)
国作りの神話とかは出雲以外にもあったと
思います。内容も素朴というか、日本に留
まらない記述は、むしろリアリティがあると思う。本当は他の風土記、特に南九州と
西四国の神話が読みたいんですが。
370 :
稗箕狐:2012/02/04(土) 15:33:50.10
おれっちの企画した 宿でくつろぎつつ逝くスケジュール丸改だすよ
郡〜3000里〜貊濟〜4000里〜彌馬那伽耶〜4400里〜末盧〜500里〜委都〜100里〜邪馬委
郡〜 5日 〜貊濟〜 26日 〜彌馬那伽耶〜 5日 〜末盧〜 3日 〜委都〜 1日 〜邪馬委
郡〜 13日 〜彌馬那伽耶〜 7日 〜投馬國
郡〜 13日 〜彌馬那伽耶〜 5日 〜末盧〜 3日 〜委都〜 1日 〜邪馬委
↑
韓地巡礼オプションはずすと
末盧〜委都の3日間の日程には、末盧でのお泊りのご一泊と委都でのお泊りご一泊が含まれます。
371 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 17:01:01.43
わざわざ変な基準を捻り出さなくても「魏使が千里だと思ったから千里と書いた」で何の問題も無い
余計な解釈を差し挟むからややこしくなる
372 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 17:22:42.08
>>315 夢幻如
>十日は5〜14日、二十日は15〜24日、一月は25〜34日程度は許容範囲だろうな。
いや、伊都國での聴き取り調査ならそんな範囲ではないな
倭船の中でのランク、天候、季節、乗り継ぐか否か、海流を考慮し往復での速度差とルートが違う可能性、目的による移動速度差
身分・人数による速度差とルートの違い 等々水行陸行ともに最も速い場合と遅い場合では数倍の差が出る
調査隊の報告ならば複数のパターンでの所要日数の情報があるだろう
加えてできるだけ大国に見せたい倭国側の思惑もあろう
調査する司馬懿側にも大国のほうが都合が良い
その幅のある情報が10日、20日、1月というまるめた数値で表現されている
また方位についても肝心の渡海のところで2ヶ所省略されている
初めて倭国の情報に接する者が地図も使わず位置をイメージできるようには書かれていない
だから俺は行程説明の数値は修辞としてしかとらえないし、方位も比定の材料にはしない
行程説明からはいくつもの仮説がたてられその仮説を検証できない
他の仮説を否定できるものではないと考える
373 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 17:39:51.64
所詮行程記事の読み解きは「たら・れば」の世界
374 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/04(土) 17:53:35.26
>>366 >水行一日=千里説は、帯方郡から狗邪韓国までを七日で水行したと証明しないと成立しない
逆だ。水行一日=千里で表記している事実から、
帯方郡から狗邪韓国までを七日で水行したと主張している。
>当時の魏船の性能で果たして七日で着けるのか?
大和から白村江まで5000の援軍を送ったときの手漕ぎ倭船で1週間。
>それなりの性能があったとして、逆に七日どころか六日で着いた可能性をどう否定するのか?
何の根拠もない推測。六日で着いた可能性を証明してみ。
>間違いなく七日きっかりだったと証明しないとこの説は成立しない
それはいいから。
帯方郡から狗邪韓国まで7000里、狗邪韓国から末廬まで3000里。
この海路の途方も無い数値の理由を説明せんか。ゴキ
>>368 >単なる偶然かも知れない。ほかの水行もそうだということにはならない。
希望的推測のたられば。偶然だった可能性を説明してみ。
>>371 >「魏使が千里だと思ったから千里と書いた」で何の問題も無い
なぜ千里という途方もない数値を書いたのか理由を説明してみ。
>>373 >所詮行程記事の読み解きは「たら・れば」の世界
ゴキどもの泣きごとが「たら・れば」だがなー。
いさくもどき いさくもどき
なんかほしいものとかあったら
なんなりと いってちょ
また貼ってあげるからさあ
年金問題を解消するために65歳以上の老人は硫黄島に捨てたらどうだろう
>304 ○さん
お久しぶりです。プロバイダ規制が…
いつも色々と情報をありがとうございます。
勉強してみます。
丹波からの出土は、「日本海諸国=海洋交
易民」という自分の印象にも合います。
覇権国家なら、装飾鉄刀より即戦的な鉄鏃
に金(丹波なら丹?)を払うでしょうし。
(勿論「鉄の武器≠戦争に強い」ですが)
ところで、鉄と言えば
垣内遺跡については○さんはどう思いますか?
379 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/04(土) 18:10:44.45
>>309 >一日は一日の距離、千里は千里の距離であり、
1日は1日航海のことである。
距離表記ではない。言語は正しく使え。タコ
1日航海分を大ぎょうな数値であらわした距離表記法が「千里」である。
どっちも実際の距離とは無関係だ。
>一日と千里を結びつける論理が必要だ。
結びつける必要などない。
千里は1日航海分のアバウトな距離表記だ。わからんか? どタコ
日数表記も千里表記も同じ。どれを使うかは書き手の自由。
これで伊作の名も伊作説も、邪馬台国論の最底辺で有名になったな。
不動の新説だ。邪馬台国への視界良好・気分爽快で・ちょん。
>>369 >日本海を含め、三極
同意ですね 日本海沿岸交易ルートは倭人伝の時代以前から発達していたと感じます
富山の縄文遺跡からも大陸の技術の影響が感じられます
對海国って具体的に対馬のどのあたりのことなんですか?
対馬をヨイショって回転させれば対馬海峡の半分くらいの長さがあるわけで。
382 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 18:33:32.56
>1日は1日航海のことである。距離表記ではない。言語は正しく使え。タコ
里やキロだけを距離表記だと思うのはまちがいだな。
時間で距離を表す場合もある。例えば一光年。水行十日も立派な距離表記だよ。
383 :
○:2012/02/04(土) 19:01:51.61
>>377 :日本海ルート論者さん
>垣内遺跡については○さんはどう思いますか?
今は、高地性集落の存在から紀元前後から九州勢の東征があってたと思ってます。
鉄の供給と団結の必要性を感じた近畿勢が、まとまって大工房を築いた。
壱岐ルートを捨て、沖ノ島を開拓し伽耶まで届いて逆転した。
今迄九州の事ばかり勉強して、山陰・近畿が不足してます。 (反省)
まだまだ勉強してみますよ。
また
あはは、伊作ちゃんはまた俺を回避してるのか、なるほど、なるほど ワラ
俺は個人に粘着する馬鹿じゃないから、回避するならそれなりにやるさ。
しかし回避は正解だぜ。
難升米に魏軍の指揮権論で負けたばかりだからな、連敗はまずいわな ワラ
しかも今回はお前の論の中心の6倍論だ。これで連敗は出来ないよな〜 ゲラ
なぜ公式なものを使わず倭人伝だけ特殊な里なのか、ストーリーが出来たら出ておいで。
トンデモ無限尿が何を喚いても、誰も相手にせず。
天之尾羽張神、別名 伊都之尾羽張
天(高天原)と伊都、尾張は密接な関係にあった。
特に、伊都之尾羽張(伊都これ尾張)、伊都国は尾張の配下であったというのは、
言論統制の下で巧妙に残された暗号。
>>350 >伊都国の時点では邪馬台国までの距離も方角も不明なんだよ
つまりこの時点では水行十日かどうか分からんわけよ
仮に倭人の答えが陸行一日とかだったら方角の見当が付かないだろ
あのな〜、ちったあ常識働かせろよ アキレ
先遣調査隊は未開の地に入り、ゼロから情報収拾したと思うわけ?呆れるねえ。
それまで郡使からも情報は上がってるはずなんだぜ。
ただ地方公務員クラスの情報だけで国の方針は決定されない。
朝廷直属の国家公務員クラスの調査は絶対に必要で、それが先遣調査隊だ。
前にも言ったがな、先遣調査隊は事前調査だが、事前調査の最終段階だ。
情報ゼロで行ってんじゃえよ。
邪馬台国が遠いことはわかっている。どれくらいかかるかを確認すりゃいいわけよ。
事前に郡使らは正確な方角などを報告してるかもだが
中央はてめえらのいい加減な地理観で遠方なら南しかないと思い込んでるだろう。
なら方角は聞くまでもないわな。実際に行く時はガイドをつけるし、方角はどっちだっていいんだ。
大事なことは所要日数だけ。わかる?
388 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 19:54:48.14
>>352 馬鹿頭、今まで散々、行程記事は正使のものだと言ってた奴とやり合ってきたんだ。
水行、陸行表記は遠くて里で表せないから、が言い分だったがな。
この言い分は簡単に否定出来るし、してきたが、これを仮に認めても「水行一日=千里」は崩れない。
馬鹿じゃわからんか プ
390 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 20:05:20.85
>ゼロから情報収報収拾したと思うわけ?呆れるねえ。
>先遣調査隊は事前調査だが、事前調査の最終段階だ。
>情報ゼロで行ってんじゃえよ。
そうだ、そうだ。列島がどちらへ伸びているか、そんなこと知らんはずはない。
東北、北海道の情報だってある程度は知ってたはずだ。
前に示した21カ国の並び(斯馬國=下関、・・・ 鬼國=岡山 ・・・ 烏奴國=安濃津 次に奴国)と
>>386、
取り敢えず2方向から邪馬台国は東海であるという証明はなされた。
、
>>354>>356 参加する能力がないなら出てくるな。
>>361 まだ馬鹿晒す気? プ
昔の唐津の海岸線は云々言って突っ込んできたのは
桜馬場遺跡で簡単に破綻したのに、まだ懲りないか プ
どうせ馬鹿なんだから「あれは海中都市の遺跡だ」くらい言って欲しかったぜ ゲラ
で、今度は潮流かい。
もう何回か言ってるがな、秀吉の朝鮮出兵で小西行長は午前8時に対馬を出発し
午後2時に上陸作戦を開始している。6時間で渡海してるわけだ。
時代はずっと下るが非動力船であることは変わらない。
6時間つうとお前が言う潮のいい時に一気だったのかな?残念ながら違う。
小西行長は先陣の一番隊でな、このあと続々と上陸部隊は続き九番隊まであるのよ。
6時間で潮目が変わるのなんぞ無関係で次々渡海して上陸している。
潮の話は無駄 ワラ
で、最短だから出発地点は巨済島と言い張るなら、到着地点も最短にしなけりゃねえ。
呼子にすりゃ壱岐から最短だぜ。
ご都合主義だから出発は最短を、到着は最長を考える ワラ
ルートは釜山〜対馬〜壱岐〜松浦
これが最も合理的なことから多数に支持される一般的解釈。
これ以外は勝手解釈、ご都合解釈で論外。
>329
雲太の件も含め、以前は自分も瀬戸内ルートでした。一方で日本海ルートの考えが捨
てきれず、踏み出した、という感じです。
因みにこの旅程は卑弥呼時代限定です。
>どうやら古代の鉄を研究している学者は古墳時代になってヤマトに投がれこむようになる鉄や技術は
>日本海側からの枝分かれじゃなくてあくまで瀬戸内ルートを考えているみたいだw
東海・瀬戸内の後押しで、大和への盟主交
代(卑弥呼共立)が成立したと思ってます。
時代の要請とも言えるかと。
その鉄は、まず瀬戸内の完全な内海化に使ったと思ってます。
>>330 >とりあえず出雲は前方後円墳ではなく前方後方墳の地域と言う事もある。
>早期の前方後円墳−所謂「纏向型」山陰にはいまだ見つかっていなかったと思うが・・・
出雲は元盟主で切り崩されている当事者。
逆に、他の首長が大和に追従していく中で、なぜ出雲がアイデンティティを保ち続けようとするか?の答えになるかと。
無限尿まとめ
・オラが村=新潟の村おこしに邪馬台国を使った
・鯨統一郎の推理小説からヤマタイ=ハチマンタイ説を盗用した
・以上がネタバレしたので罵詈雑言で誤魔化し続けている
395 :
ローガン:2012/02/04(土) 20:49:59.39
>>392 日本から半島に渡るほうが楽なのはよく知られてるよ
対馬海流が北上してるから
397 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 21:03:41.20
>>379 これで、
一日 「=」 千里
は正式に放棄宣言とする。
398 :
Crab louse:2012/02/04(土) 21:11:48.77
399 :
志紀:2012/02/04(土) 21:29:58.83
>>369 レス有難うございます。
「百余国」なんて記述もあったわけで、実際の所中国のような超巨大国家とは
まったく時代が違うんですよね。どのエリアにもクニがあって、先祖や創始者
や父祖の宗廟があって、農業や道具の生産があったわけで。
そのあたりの成長発展統合について、出来るだけ記紀に塗り込められたヤマト
一元支配の分厚い皮を破りたいものです。
風土記は、良く言われますが、やはり出雲など現存するものは新作・修正に
よって許されたのでしょう。文献すら希少な古代に焚書を行った暴挙が現代ま
で後を引きずりまくって、未だに昔の国の形がわからないでいるのは悲しい事
です。
>そこに日本海を含め、三極で説明していく必要があると思うんですよね。
むしろ縄文晩期とかは、出雲一極ではなかったのかとも思います。
>>377 横レスしてもいいのかな・・・。
垣内遺跡が「外部からの影響は乏しい」という評価ですが、そもそも大量の
鉄をどこから仕入れてどこへ運んだのか、むしろ外部の大勢力の工場地帯
と見る方が自然と思いますが。
400 :
縄嘉ー:2012/02/04(土) 22:00:39.38
>>392 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/04(土) 20:28:07.59
>>354>>356 >昔の唐津の海岸線は云々言って突っ込んできたのは
>桜馬場遺跡で簡単に破綻したのに、まだ懲りないか プ
>どうせ馬鹿なんだから「あれは海中都市の遺跡だ」くらい言って欲しかったぜ ゲラ
この馬鹿は学習能力ゼロだな。海面が3m上がっても桜馬場遺跡は水没しないと言ったのが理解できないか?
何故なら、桜馬場遺跡は海抜3m以上のところにあるからだ。ちゃんと調べろ。どアホ。
>もう何回か言ってるがな、秀吉の朝鮮出兵で小西行長は午前8時に対馬を出発し
>午後2時に上陸作戦を開始している。6時間で渡海してるわけだ。
>6時間つうとお前が言う潮のいい時に一気だったのかな?残念ながら違う。
>小西行長は先陣の一番隊でな、このあと続々と上陸部隊は続き九番隊まであるのよ。
>6時間で潮目が変わるのなんぞ無関係で次々渡海して上陸している。
また無知を曝して恥ずかしくないか?対馬海峡の底流は北東方向なのだ。これに潮汐流が加わるからその流れが
止まったり弱まったりする。対馬から釜山に渡るのは逆のルートに比べるとはるかに楽なのだ。
現地の事情に詳しい人なり海上保安庁の人間に聞いてみろ。
>で、最短だから出発地点は巨済島と言い張るなら、到着地点も最短にしなけりゃねえ。
>呼子にすりゃ壱岐から最短だぜ。
アホ丸出しだな。
巨済島から出航するのは危険な海峡を最短距離で(最短時間で)行けるからだ。それが最も安全確実だからだ。
釜山からだと距離が大きい上に東に寄っているためより潮流に逆らわねばならず、下手すると日本海へ流されるか
人も殆ど住んでいない対馬上島の僻地に辿り着くのがせいぜいだ。
それからな、おまえは東京から千葉県庁に行くのに近いからといって船橋に行くか?
呼子が目的の末盧国の港であれば行くだろうが、目的地が唐津の相知だったらそっちに行くだろ。
おまえは話にならん馬鹿だ。どうせ馬鹿なら愉快に笑ってもらえる書き込みをしろ。
中学生の相手をするのは基礎から教えなければばらんから疲れるぜ。
402 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/04(土) 22:45:05.70
>>397 >一日「=」千里 は正式に放棄宣言とする。
放棄してほしいらしいな。もう、そんな手しか思いつかなくなったか。
正確に距離測定ができない海路に関する中国正史の表記法。
@航海日数単位(日月年)または千里単位(千里・万里)で表記する。
A1航海を1日単位で表記する方法と、1日分の航海距離を千里と表記する方法がある。
たとえば、水行3千里とあれば3日航行で、逆に水行3日とあれば3千里航行を意味する。
▼ただし海路の千里・万里は、実際の距離とは無関係なアバウト表記である▼
これで伊作の名も、伊作の不動の新説も有名になった。
これからだ。
403 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 23:19:41.14
>>402 やっぱり認めてもらいたくて仕方ないおっさんなんだw
「水行一日=千里」に限って言えば無限の方が説得力あるね
404 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 23:28:09.32
>>402 :ゴミために降りた鶴
自東莱出石経、襲和龍、海行四百余里
廣州東南海行二百里至屯門山
河川距離は陸路距離と平行して把握が可能だから、ある程度正確な距離表示ができる。
上記はあなたの書いたものである。
循海岸水行ならば河川水行と同様にある程度正確な距離を求めることが出来たのではないかな。
七千餘里も数百里の積算で出されたとして何の不思議もない。
水行1日=千里の根拠は依然として見出せない。
405 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 23:33:56.68
>>403 >無限の方が説得力あるね
それは違うだろ。「無限よりも説得力がないね」が正しい評価だろ。
406 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 23:36:10.78
二人とも論理学を勉強すべきだね。今のままではまともな議論ができない。
407 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 23:47:31.26
>>402 >@航海日数単位(日月年)または千里単位(千里・万里)で表記する。
>A1航海を1日単位で表記する方法と、1日分の航海距離を千里と表記する方法がある。
@に関しては、日数と千里は「OR」の関係ですね。
どちらか、ということになります。これについては否定しません。
Aは前半と後半にわけます。
前半の「1航海を1日単位で表記する方法」は、倭人伝では千里で表記されているので
成立しませんね。
後半の「1日分の航海距離を千里と表記する方法がある」は、
まず、一日分の航海距離がどのくらいかを規定する必要がありますね。
ここでそれなりの根拠が必要です。
そして、その距離が千里と書かれているかの確認となります。
ここで大事なのが、循環論理に陥らないために、
規定された航海距離と近い距離の、「別の記録」であることが重要です。
循環論理とは「山田は私だ、従って、私は山田だ」という論法のことです。
これにハマらないようにしなければなりません。
さて、証明になるでしょうか?
408 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/05(日) 00:06:03.70
>>407 >「1航海を1日単位で表記する方法」は、倭人伝では千里で表記されているので成立しませんね。
ここは普遍的なことをいってるのだがな。
「1日分の航海距離を千里と表記する方法がある」は、
>まず、一日分の航海距離がどのくらいかを規定する必要がありますね。
>そして、その距離が千里と書かれているかの確認となります。
これに対する答えは簡単だ。
水平線しか見えない大海原を行くのに、1日でどれだけの距離を進んだのかは誰にも測りようがない。
測りようがない中で、たとえば「水行5000里」という記録があった場合、何をもって5000里としたかだ。
お前が当事者だったら、何を距離に置き換えて里数表記するか。考えたことはあるか?
アバウトではあるが「1日あたり何里」という数値を基準にしなければ距離算出のしようがない。
その数値こそ、数多の正史の記録からみても、「1日あたり1000里」が基準になっている。
つまり、1日航海距離を1000里とみ立てて、5日間航海分を5000里と表記しているというわけだ。
(目測可能な数百里の近距離を例外とすれば、海路の里数表記は1000里が最小単位だから、
1日あたり2000里、1日あたり3000里が基準だった可能性はない。
また、そうした数値では割り切れない里数表記が現実に存在する)。
それで・なに。「論理的な意見」でもほざいたつもりか?
409 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/05(日) 00:09:48.91
>>407 ほれ・名無し。
計測できない海路の「適当な里数表記」にも
背後に「日数」が関係している事実が見えたか?
ちと難しすぎるかな。
410 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 00:12:08.25
>>402 :ゴミために降りた鶴
>正確に距離測定ができない海路に関する中国正史の表記法。
>@航海日数単位(日月年)または千里単位(千里・万里)で表記する。
>A1航海を1日単位で表記する方法と、1日分の航海距離を千里と表記する方法がある。
>たとえば、水行3千里とあれば3日航行で、逆に水行3日とあれば3千里航行を意味する。
>▼ただし海路の千里・万里は、実際の距離とは無関係なアバウト表記である▼
正確な距離の測定が出来ない海路とは水平線しか見えない海路のことでしょうね。
ところが、倭人伝に書かれた郡から狗邪韓国までの循海岸水行も狗邪韓国ー対馬ー壱岐ー末盧国の渡海
も距離測定(慣れた者なら目測出来ます)が出来る航路ですね。勿論、測定値は凡そのものです。
ですから、あなたの論はピント外れなのです。
どう見ても郡から末盧国までを水行十日にしたいがためのこじつけにすぎません。
411 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/05(日) 00:18:16.66
>>404 「河川距離は陸路距離と平行して把握が可能だから、ある程度正確な距離表示ができる」。
>上記はあなたの書いたものである。
たったこれだけでも斬新で、目からウロコの洞察だろ。んー?
>循海岸水行ならば河川水行と同様にある程度正確な距離を求めることが出来たのではないかな。
三韓の沿岸距離を魏が計測した事実でもあるのか。
計測したと譲っても、方4000余里の二辺合計8000余里よりも長い沿岸航行距離を、
8000余里よりも短い7000余里としている矛盾はどう説明する。
もうちっと、自分の意見の周囲を見渡して「抜け」がないように固めてこい。抜けさく
>七千餘里も数百里の積算で出されたとして何の不思議もない。
抜けさくの・程度のひくーい詭弁な。しかも根拠の無い推測というやつだ。
>水行1日=千里の
誰が「水行1日=千里」といってるんだ。
誤解されるような書き方をするな。クソ野郎
きちんと俺が書いてるように書け。
412 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 00:21:32.77
>>408 >その数値こそ、数多の正史の記録からみても、「1日あたり1000里」が基準になっている。
しれっと捏造するなよwww
ソース出してからほざけや
413 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/05(日) 00:23:16.72
>>410 論理循環などとほざいた名無しか? よくいうぜ。
>倭人伝に書かれた郡から狗邪韓国までの循海岸水行も狗邪韓国ー対馬ー壱岐ー末盧国の渡海も
>距離測定(慣れた者なら目測出来ます)が出来る航路ですね。
どうやって距離測定するんだ。
測定したものをなんで途方も無い距離表記しているんだ。
測定したものが、方4000余里の二辺合計8000余里よりも長い沿岸航行距離を、
8000余里よりも短い7000余里としている矛盾はどう説明する。
>勿論、測定値は凡そのものです。
詭弁です。というわけだな。
>ですから、あなたの論はピント外れなのです。
ピンとずれ以前に論理不整備だがな。てめ。板乞食の名古屋か。
>どう見ても郡から末盧国までを水行十日にしたいがためのこじつけにすぎません。
なんの。従来の解釈などふっ飛ぶ万全の論考だ。
414 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/05(日) 00:25:29.60
415 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 00:28:42.23
水行一日=千里、と言いながら、
千里は実距離ではないと逃げを打つ。
ならば、どう見ても7日ではいけない七千里
これは、なぜ七千里なんだ?
10日や20日で、一万里や二万里ではないのか?
416 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/05(日) 00:33:31.86
数多の正史の記録が海路距離をいうときは「1日あたり1000里」を基準にしているし、
倭人伝もこの基準に従って書いていることは明白なのに、
朝鮮半島の沿岸は計測できるから云々などとバカが。
お前たちは俺に反論しているように見えるが、俺説を認めては
詭弁と願望と空想で築いた計算自論がなり立たないからあがいてるんだろが。
万歩ゆずってだ。
魏が朝鮮半島の沿岸距離をやったとして、
それが何年頃に可能だったか考えていってるのかボンクラども。
どんどん「たら・れば」の世界になっていくぞ。
417 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 00:37:56.34
>>410 >どう見ても郡から末盧国までを水行十日にしたいがためのこじつけにすぎません。
すべてを物語っているね。
伊作君、連戦連敗。
逆算古代史の成れの果て。
東夷伝は陸行でも千里単位ばかりだから、めんどくさいから2日かかっても3日かかっても
千里単位にしてんだよ それだけのことだ
419 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 00:46:09.43
>>387 >事前に郡使らは正確な方角などを報告してるかもだが
中央はてめえらのいい加減な地理観で遠方なら南しかないと思い込んでるだろう。
またご都合解釈かよ
自分で書いてて無理がありすぎると思わない?
正確な方角を報告してるかも知れないとお前自身思ってんじゃんか
大体ナントカ地理感も先遣調査隊もお前の推論だろ
「伝聞なら方角もそのままのはずだ」という極当たり前の疑問に対して推論に推論を重ね壮大なストーリーを持ち出さないと反論出来ない時点でお前の説は崩壊してるよ
変な意地を張るなよ
420 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 00:49:45.78
帯方郡から狗邪韓國まで短く見積もっても800km.
平均時速ニノットで一日10時間航行して、22日必要。
つまり、伊作の一日=千里で書かれた場合
実距離はどうあれ、22日水行で二万二千里前後で書かれなければならない。
これが七千里と書かれている以上、実距離と関係なく、
一日千里という説は成立しない。
正史で海行千里が1日当りと書かれているものは一つもないな
日数で書かれているもののほうが多いから、風待ち潮待ちとかで経過した日数が余計かかった時などに
大雑把に千里単位を使ったのかも知れんな
422 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 00:52:46.60
平均時速2ノットは、8世紀の遣唐使船の最速記録に匹敵する。
3世紀にこれを大幅に超える速度を設定するのは、難しい
423 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 04:47:35.90
>秀吉の朝鮮出兵で小西行長は午前8時に対馬を出発し
>午後2時に上陸作戦を開始している。6時間で渡海してるわけだ。
ほんとかい? 資料は?
>>398 千年以上の時を隔てても木造の非動力船であることは変わらないぜ。
ま、性能は良くなっているだろうから計算する時はちゃんと勘案している。
行長軍が6時間なら、この倍の時間がかかって12時間でも水行一日だ、とな。
倍の見積もりじゃ不足か?
>>400 この馬鹿粘着の低脳さは特筆ものだな ワラ
>何故なら、桜馬場遺跡は海抜3m以上のところにあるからだ。ちゃんと調べろ。どアホ。
当たり前のことを書いて何か楽しいのか、馬鹿頭。
お前、何が破綻で何を笑われたか全く理解してないだろ。
海岸線が後退していて現在の唐津駅辺りがすべて水没していたなら相知で仕方ない。
だが、唐津駅付近は陸地のままで、遺跡から見ても中心地だったはずなわけよ。
ここがあるのに、なんでわざわざ奥に引っ込まなきゃならんのだ、相知になる必然はねえよ。
と笑ったわけ。わかる? プ
>対馬から釜山に渡るのは逆のルートに比べるとはるかに楽なのだ。
だから何?そこまで勘案しての行長軍の倍見積もりだ。
>呼子が目的の末盧国の港であれば行くだろうが、目的地が唐津の相知だったらそっちに行くだろ。
だからなんで相知なのってよ ワラ
海を渡る危険回避が出発時は最優先で最短を支持するなら
到着も渡海を最短にする呼子にしなきゃご都合主義だぜ。
まあ目的港は桜馬場遺跡近くが妥当な線だが、お前は呼子を支持しなきゃなあ ワラ
こいつも無視対象に戻した方が、よさげ。
>>419 >正確な方角を報告してるかも知れないとお前自身思ってんじゃんか
大体ナントカ地理感も先遣調査隊もお前の推論だろ
正確な報告や、倭に渡った者からの正確な情報もあったと思うぜ。
文献に東西に長い国とするものまで残っている。
だが、中央は終始一貫して出鱈目地理観を崩していない。
その証拠が「混一〜」地図であり「古今華夷〜」地図だ。
魏の時代から何百年経っていても、この出鱈目さ。
根本的に倭に対して関心がねえんだよ。
そりゃ「冊封に入れて下さい、子分になります」と申込まれ、決定するとなると
国の威信、面子に関わることだから一応きちんとした調査はやるだろ。
だが、根本的にどうでもいい国と思っているから地理もどうでもよくなる。
どいつもこいつも日本側目線だから、相手も日本との外交は重視したはずと思いたがる。
が、絶対にそんなことはないわけで、古代中国は一貫して「どうでもいい国」としか見ていない。
だから何百年経っても琉球より蝦夷が南にあるような地理観なんだよ。
魏にしても倭の地理など「どうでもいい」
行けさえすれば事足りるから、所要日数だけにしか関心がないと思う何が不自然だ。
俺の話を推論だろうと言うが、当たり前だ。
お前の方角と距離をセットで聞くはず、正しい地理情報も把握してるはずも推論なんだぜ。
だが、お前のは単なる思い込み。
「セットで聞くのは常識」が精々の根拠だが、魏をはじめとする古代中国の常識ではない。
俺の推論には古地図という物証がある。
先遣調査隊である根拠も何回も繰り返し出した。新参で見てないのか?
お前ごときじゃ崩せんよ ワラ
427 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 07:38:15.10
>俺の推論には古地図という物証がある。
古地図の見方がまるでなってないな。
「混一〜」地図は朝鮮製だ、中国の地理感にはまったく無関係。
「古今華夷〜」は島の位置や形を描いたものではない。海外にどんな国があるかを
示しただけのものだ。
君の主張の証拠にはまったくならない。
>>427 ぶぁか ゲラ
「混一」は朝鮮製だが、元は中国の古地図だ。
「古今」は位置を示さない?馬鹿も休み休み言えよ。
どこにどんな国があるかを示さず地図になるか、阿呆。
大雑把に示すにしても出鱈目すぎなんだよ。
「倭国」と「日本」が別にある。「蝦夷」が日本最南になる。
まともな情報をちゃんと取り上げる姿勢があれば、ここまで出鱈目にはならねえよ。
古代中国にとって古代日本は「どうでもいい国」だったんだよ。
どうでもいい国の地理など、当たり前で「どうでもいい」になる。
日本人としてはプライドが許さないが、歴史的事実は事実として受け入れなきゃな。
429 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 08:46:50.89
>「混一」は朝鮮製だが、元は中国の古地図だ。
何の証拠もないことを言わんことだ。中国の古地図をみつけてから言え。
>どこにどんな国があるかを示さず地図になるか、阿呆。
「古今」地図をちゃんと見てないな。海外の部分は地図ではない。
430 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 08:49:17.43
431 :
志紀:2012/02/05(日) 08:50:01.62
>>429 馬鹿はスルー推奨。
そいつをかまってやるとそんだけスレが死ぬ。
尿などほっとけよ。
432 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 08:53:57.53
…まだ必死に粘っているのかこのゴミクズ無限尿はw
結局『 陸行一月 』は本人の置き換えによると
10〜15km/day × 30日 =300〜450km
と言う数字をきちんと説明できない限り、少なくともその日数を連続して移動したと見做す事には無理が生じる。
水行一日の距離 × 30日 →九州も畿内も過ぎるゼ!やったぜ俺 サマ
…というこの馬鹿の目算もあえなくご破算wwwwww
あと
>俺の推論には古地図という物証がある。
とか馬鹿をほざいているがその古地図に照らし合わせても
少なくとも投馬国から水行10日の後「西」に陸行というルートも想定しえる。
この馬鹿の脳内地図の日本列島は南北に伸びて幅がほぼゼロの1次元なのか?www
>先遣調査隊である根拠も何回も繰り返し出した。
根拠ねえ、里数が日数に変わるとかその程度のお話だったか?
あまりにも下らなかったので詳細を覚えていないがwww
その程度の話は別に遣使の報告書があったという想定や複数資料の想定で説明がつく
精々「自説を主張する根拠」になったとしても「他説を否定できる」根拠にはならない。
ここまで馬鹿だと痴呆症を疑うな(子供が成人だと言うから爺と言っていい歳なのかもしれない)wwww
433 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 09:14:46.86
賛成。431さん支持。一票。
尿は邪馬台国はディベードだと意識している。だからスレに出てくるレスに対して反応し、やり返そうとしているだけ。邪馬台国論を展開するには基礎的な知識や勉学が必要なこと、
考古・論文などの情報をわきまえること、論理学の修養が不可欠なことなど、まったく解っていない。邪馬台国論争に加わる資格は無い。
434 :
Crab louse:2012/02/05(日) 09:15:37.92
>>426 :夢GEN
>俺の推論には古地図という物証がある
>何百年経っても琉球より蝦夷が南にあるような地理観なんだよ。
著者名、著書名は思い出せないが・・・
周囲の文字などの関係から、誤って90度曲げて写生されたことは
すでに分析されている。 納得できるものだった記憶がある。
その証拠に正しい地図が存在している。
>根本的にどうでもいい国と思っているから地理もどうでもよくなる。
なら、こっちだろう。
「資料的価値は康熙帝が望んだとおり現在でも高い評価を得ている」らしい?
http://www.geocities.jp/cato1963/hideyoshi.html
435 :
志紀:2012/02/05(日) 09:19:51.95
>>433 ついでに言えば、相手を尊重する精神的余裕や常識がない
社会人としては一緒に仕事はできないな
436 :
稗箕狐:2012/02/05(日) 09:32:53.28
おれには見えないけどな
437 :
卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/05(日) 11:30:57.74
古田の「失われた九州王朝」を読んでいるのだが、古田は一貫して朝鮮の倭国と九州王朝を混同しているように思える。
たとえばこういう記事の紹介がある。
百済灼莫古将軍、日本の斯那奴阿比多を遣わして、高麗の使安定等に副えて、来朝して好を結ぶ。(継体紀)
古田は、この日本を九州王朝と解釈しているのだが、私が思うにこの日本は朝鮮の日本である。
朝鮮に倭国も日本もあったのである。任那日本府があった。
日本にも日本も倭国もあったのだが、朝鮮にも倭国も日本もあったのである。
朝鮮の文献で倭国、日本とあっても、それを日本列島のことだと即断してはいけないのである。
438 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 11:34:02.92
439 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 11:35:49.87
もう昼だぜ。さっさと飲もうぜ。
440 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 13:53:50.05
>>413 :ゴミために降りた鶴:2012/02/05(日) 00:23:16.72
>>倭人伝に書かれた郡から狗邪韓国までの循海岸水行も狗邪韓国ー対馬ー壱岐ー末盧国の渡海も
>>距離測定(慣れた者なら目測出来ます)が出来る航路ですね。
>どうやって距離測定するんだ。
そんなことも知らんのか?目測の能力は現代人の大部分の者が失っているが、古代人は生きてゆくために身につけた
能力として目測技術に長けていたのだ。遠方に見える人影や動物の大きさからそこまでの距離が分かる。海では水平
線上に現れた点までの距離(観測者の目の高さが海抜3mであれば約50kmだが)も測れた。
おまえのような生物的能力や本能が衰えた人間とは違うのだ。
>測定したものをなんで途方も無い距離表記しているんだ。
途方も無い距離表記というのは千里を430kmとしての話だろ。
倭人伝に書かれた里が魏の公式の尺度によるものかどうかはわからんだろ。
魏の使者の乗った船であっても水先案内人や操船の指揮者などは現地の海に詳しい半島人だろ。
その半島人の使った距離単位を里として書いた可能性もあるだろ。例えば大人の百歩(歩幅の百倍)の距離を表す単位だ。
>測定したものが、方4000余里の二辺合計8000余里よりも長い沿岸航行距離を、
>8000余里よりも短い7000余里としている矛盾はどう説明する。
方4000余里は面積を表すだけのもので、おまえのような計算に使えるものではない。
441 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 13:57:31.90
古代人は空も飛べたかもしれん
ありゃ、寝てしまったが寝る前に書いたはずのレスがない。
ま、いいか ワラ
>>430 記憶なんで出典は覚えていない。多分「日本の歴史」じゃないかと思うが、定かじゃない。
で、何?また「混一〜」地図の話を最初からやれってか?何回目だ。
443 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 14:28:40.09
>>426 もう無茶苦茶だねぇ
俺はお前の作った壮大なストーリーに乗った上でそれでも辻褄が合わないと指摘しているんだよ
最初の情報を上げた人は倭人から必ず方角と距離を聞いてる訳よ
この人は邪馬台国が倭地内の何処に在るのか分からない(前も書いたが西に陸行一日とかの可能性もある)からね
聞いた結果が東のかなり遠い場所ってことだったら、
それはナントカ地理感を覆す重大な情報ってことになる
そんな重大な情報を郡使が無視するかね?
それよりも最初からその報告内容は南だったと考える方が自然だろ
これはそのナントカ地理感にも反しないしね
お前のストーリーは誰かがどこかで方角情報を無視したというご都合展開が不可欠なんだよ
登場人物がお前の都合の良い様にミスしてるわけ
こんな三文ストーリーじゃ佳作もとれないぞ
>>429 てめえで少しは調べてから物を言え。
混一彊理歴代国都之図は二つの中国古地図「声教広被図」「混一彊理図」が元になっている。
古今〜の海外は地図じゃないってか、呆れた馬鹿だな。
それを認めたにしたって日本は出鱈目に書かれている。
まともな認識があればあんな出鱈目にはならねえよ。
>>434 九州説者がコジツケで「スペースの関係で90度回転させた」という話以外知らんね。
90度回転しているのは龍谷大学所蔵図で、回転してないのが本光寺所蔵図。
世界中で「混一彊理歴代国都之図」はこの二つの写本しか現存していない。
龍谷大学図は朝鮮で写本されたもの、本光寺図は後代に日本で写本されたものといわれる。
本光寺図は東海諸国紀に収録された地図に告示してる部分があることから
情報が更新されたものと言われている。普通に考えて本光寺の方が修正されている。
類似地図で本妙寺所蔵図、天理大学所蔵図があるが、これは中国が「元」から「明」に変わっている。
オリジナルより情報は明らかに更新されている。
この地図のこと全部話すか?
この二つの古地図成立がモンゴル帝国からの地図を元にしてることから話してやってもいいぜ。
>>443 >聞いた結果が東のかなり遠い場所ってことだったら、
それはナントカ地理感を覆す重大な情報ってことになる
そんな重大な情報を郡使が無視するかね?
無視するのは郡使ではなく中央。「どうでもいい国の地理は、どうでもいい」からな。
>それよりも最初からその報告内容は南だったと考える方が自然だろ
それが不自然極まりないから「東だろう」になってる。大元を誤魔化すな。
南だったら九州通り越して、沖縄も通り越して邪馬台国は海の中だ。
それじゃ困るから連続説を否定し、放射説と言うコジツケを生む。
そのコジツケだけでも不十分だから距離を誤魔化し短里なんて出鱈目が生まれる。
さらに修辞でしかない「万二千里」を実距離として妄想論を言う。
それが九州説よ。
>>433 俺は遊びで参加してるしディベートのつもりでやってるが
基礎的情報や知識は当然わきまえている。
何が論理学だ。お前に論理学が語れるのか?俺と論理学について話してみるか?
文句があるなら論で対抗しろ。論vs論で俺は逃げない。
出来ないからって泣き言を言うんじゃねえよ。
>>435 ガキ、まだいたのか。厨房板へ行けといった筈だぜ。
お前は俺を無視しろといいながら、俺を叩くために、そうやってレス潰してるだろうが。
新参のガキが、なにが「スレが死ぬ」だ。
俺が参加するスレは間違いなく活性化するんだよ。
ま、そこには俺憎しの奴らが増えるってのもあるがな ワラ
>伊作
俺を回避してるのは賢明だから、俺からお前に絡んでいくのは当分やめよう。
しかし、お前は議論が下手だねえ。
お前は異論、反論を受けずに自説を表明できる本を書いてる方がいいぜ。
お前はこういう場じゃ無理だわ。
ま、援軍になるつもりはサラサラないが「水行一日=海路千里」は俺の論でもある。
お前とは関係なく、お前に突っ込んできてる奴らに、俺が突っ込んでやるわ。
448 :
Crab louse:2012/02/05(日) 15:14:18.17
>>444 :夢GEN
>この二つの古地図成立がモンゴル帝国からの地図を元にしてることから話してやってもいいぜ。
やっと本性現してきましたね。
90度回転は著書を探してみますよ。
>>387 >中央はてめえらのいい加減な地理観で遠方なら南しかないと思い込んでるだろう。
>>426 >中央は終始一貫して出鱈目地理観を崩していない。
その証拠が「混一〜」地図であり「古今華夷〜」地図だ。
張華がいるんだ。 首席秘書官から司空(副総理)まで務めた。
三国志の公認請願も張華だ。 中央の中の中央だ。
出鱈目地理観などあるはずないと考える。
>>111 >ルートを一般的解釈に従って考えるのが一番真っ当だろうが。
90度誤写が一般的解釈なら、根底から崩れますよ。
気長にお待ちくださ〜い。 よろしく。
>>448 おう、いいぜ。気長に待つさ。
>出鱈目地理観などあるはずないと考える
考えるのは結構だが「地理情報は地図に結実する」ここを忘れるな。
古代中国どころか中世になっても
中国にまともに日本を記した地図が無いことが、すべてを物語っている。
450 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 15:21:47.51
>>445 無視したのが郡使でも中央でも一緒
誰かが無視するご都合展開が不可欠な三文ストーリーを作らないとお前は俺の指摘に反論出来ない
海にドボンでもなんでも伝聞説を採用するなら倭人からの情報は南に水行十日陸行一月なんだから仕方ないだろ
もっとましなストーリーを考えなさい
451 :
縄嘉ー:2012/02/05(日) 15:31:23.66
>>425 :夢GEN
>こいつも無視対象に戻した方が、よさげ。
がはは。儂のことを太刀打ち出来ぬ相手だと分かってきたらしいな。早く気付けこのトンマ。
しかし、いつまで無知をさらし続ける気だこの馬鹿は?
いい嗤いものになっていることも知らないとは。親が知ったら恥ずかしくて首くくるぞ。
さて「水行一日=千里」の方だ。
>>422 遣唐使船が2ノット、よく出てくる話だな。
俺はお前みたいな奴がいるのが不思議でしょうがないよ。なんで信じれるの?ってな。
2ノットといったらイモトのタライ舟だ ワラ
潮流に乗れば漂流したってこれ以上の速度は出る。
こういう奴らは文献にあるから、と信じ込むのだろう。いわゆるこれが「文献馬鹿」だ。
随書百済伝に240キロを三月行とあればそれも信じてしまうような奴らだろ。
「文献にあるから」の前に「普通の感覚」はねえのか?
240キロを3ヶ月と出た時点で、2ノットなんていう速度が出た時点で
普通におかしいと思えよ。
周髀算経を出してた奴もこうだったな。
これでは水行二十日は666里になる。総距離12700里で万二千里だ〜とかな。
これだと釜山〜対馬も壱岐〜松浦も水行一月表記にしなければならなくなる。
この時点でおかしいと思うのが普通なんだが
文献に周髀算経があるから、だけで信じる。
郡から狗邪韓国の7千里が水行7日になるかどうかだが、普通に7日で行けるだろうよ。
ま、帯方郡がどこか正確にわからないから細かな数字は出せないがね。
2ノットなんて馬鹿な数字になるはずが無いからな。
何回も言ってるがな、日本人だって縄文時代に青森〜新潟間の航海に成功してるんだ。
古代船についての常識、情報は最初から疑うべきものなんだよ。
453 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 15:54:11.71
>>452 基本的にはそのとおり。こちらには文献や計算による根拠があるが、
お前にはなにもない。
お前の脳内妄想をいくら並べても、こちらの否定材料にはならない。
またおいで。
まず垣内遺跡から。
>383 ○さん
五斗長垣内遺跡から推測できるのは、
「秘密の(本当は簡単な)鉄加工工場があった」ですが…
鉄加工の動機も「外注」「職能集団の移住(自衛目的)」と複数…
結論付けるのはまだ先ですね。
とにかく、鉄が回収されずに出土したって
ことは、北九州以外では珍しい鉄余り状態
だったと言えそうです。他でも見つかると
期待します(見つからないとツヌガア(ry
>399 志紀さん
>そもそも大量の鉄をどこから仕入れてどこへ運んだのか
仕入れは、九州勢もあり得るし、丹波系と
見られる土器もあったそうですので…
まあ鉄は売れるから流通してたと思います。
銘文鉄刀を鋳潰して加工する気には普通な
らないでしょうけど。
個人的には、仕入れ先は日本海の商人国。
買い手が仮にいるなら米との交換かな?
米なら痕跡は残らないかも…
455 :
縄嘉ー:2012/02/05(日) 16:07:40.53
>>448 :Crab louse
貴殿はまともな考え方をしておられますな。
夢GENは「ルートを一般的解釈に従って考えるのが一番真っ当だろうが。」と言うが、一般的解釈の妥当性を検証もしないし、出来ない。
「これは証明だ」と宣言していたのだが、証明とは如何なるものであるかを知らない。
「論理vs論理で俺は逃げない」と言うが、論理を知らない。
混一的地理観ははるか後世に形成されたもので、魏の時代には帯方郡の東南海中の島というくらいの漠然とした地理観しかなかったことが
倭人伝の記述から読み取れるのに夢GENには理解できず
混一的地理観が3世紀にもあったとして論じている。前提が間違っているのだ。
456 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 16:08:43.05
>>452 尿
>何回も言ってるがな、日本人だって縄文時代に青森〜新潟間の航海に成功してるんだ。
>古代船についての常識、情報は最初から疑うべきものなんだよ。
この馬鹿が繰り返し言っているこれは何の話だ?
ヒスイ?或いは三内丸山の土器とか?
何れにせよそれが青森から新潟までの”直行便(ノンストップ・無寄港 )”なのかどうかは分からないと思うのだが…
誰か知らないか?wwww
>>450 >誰かが無視するご都合展開が不可欠な三文ストーリーを作らないとお前は俺の指摘に反論出来ない
馬鹿言ってんじゃねえよ。
まともな地図が無いという証拠の前に、妄想こいてるのがお前だ。
自分の推論はまともだとでも思ってるわけ?
俺は古地図の存在と、まともな地図の不存在という根拠を持って推論を出している。
お前の根拠は何だ?何もあるまい。
>>451 笑いものになってるのはおめだ プ
相知をいう馬鹿さは理解できたのか?何を笑われたか理解できたのか?
お前を相手にしてると馬鹿にして笑うことまで「なぜか」の解説がいる。
馬鹿レベル効果サービスを毎回やらされたらたまらんのよ ワラ
>>453 出鱈目を見抜けない馬鹿が文献馬鹿ということだ。お前みたいなな ワラ
240キロ三ヶ月を信じるのか、壱岐〜松浦が水行一ヶ月になるのを不思議と思わないのか?
2ノットなんてこれと同じだ。タライ舟で言ってるわけじゃねえぜ。
俺は当たり前の感覚と常識がある。文献馬鹿にはこれがない。わかる プ
458 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 16:40:53.67
一応公平を期して和船の速度に関して…
wikiだが
『小早』(小回り・速度・機動性に特化した小型船)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%97%A9 >徳川家康が彦根の井伊氏に命じて水軍として備えさせた小早は朱塗で、中の障子は黒の塗縁、絹の腰板、24挺艪。
>彦根から大津まで、湖上15里を2刻(4時間)で漕ぎ渡ったという。
15里と言うから約60km(念のため地図でも確認したが大体それくらい)
これを4時間だから 15Km/h ノットに換算して約 8ノット。
基本的に「竜骨」を持たない構造は同じだったろうから漕ぎ手の数をそろえる力技等で
馬鹿尿が言うように2ノット以上は出たように思える。
もっとも朝から晩まで漕ぎ続け、それも20〜30日続けたとも思えないがwwww
第一海峡横断時と沿岸航行で同じ船であったと言う確証もない。
末盧国から陸路になっているのだから…
穏やかな湖面と波のある外海航行を同列に考えちゃあかんよ
460 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 16:50:23.20
>>457 クズ尿
>俺は古地図の存在と、まともな地図の不存在という根拠を持って推論を出している。
>お前の根拠は何だ?何もあるまい。
あ〜ヨコだが(勿論別に返さなくていいからw)
じゃあ隋書の『都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也』だなw
九州王朝説ならぬ東北王朝説をとらずw隋使が訪れた地を普通に大和とするなら
中国人にとってあの倭人伝の記述が大和であっても何の問題もないわけだwwww
「中華思想」で日本の地理になんか関心もないんだから当然w
461 :
Crab louse:2012/02/05(日) 16:51:28.07
>>455 :縄嘉ーさん
初めまして、
貴方の投稿は楽しみに読んでますよ。
夢幻如の説は間違っているのは、よく分かるのですが
それを文字として証明する難しさを痛感しています。
彼は、ほとんどを理解した上での論戦でしょう。
例えば、当時の地図が存在しない、を前提に論戦していますよね。
相手に証明のチャンスを与えない戦い方の訓練みたいに感じてます。
初心者としては勉強になります。 決して嫌いじゃありません。
何時かは・・・ってとこですかね。
よろしく。
462 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 16:52:22.64
>>459 逆に言えば海は潮流を利用できる。
まあ湖も琵琶湖ぐらいの大きさになると湖岸にそって流れが生じたりするが
(この辺は九州王朝大好き(現・久留米)が詳しいwwwwwww)
463 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 16:56:18.15
>>458 現在のカッター競技で8ノットから10ノットくらいだからなあ。
大きさもそれに近い感じか。
波というよりはうねりだな
あれで推進力がかなり削がれる
>399 志紀さん
>むしろ縄文晩期とかは、出雲一極ではなかったのかとも思います。
自分も一極だと思います。
まあ交易史が明確じゃないですけども、原
則は「ニ国間交易」の「リレー方式」だっ
たと思うんです。だから、正確には日本海
一極。そこからの伝播があったかと。
理由は船の性能と、小国分立です。
多分、その後こういうことが起こってき
たと思ってます。
1.半島と筑紫(博多王)と出雲の交易
2.3に丹波や越の物産(珍物)が加わる。
半島商人、目の色を変える->筑紫大儲け
3.出雲以東の諸国、利益均等を筑紫に要求
->筑紫拒否(渡海路を押さえている強み)
4.出雲以東、筑紫への産物供給停止
筑紫を経由せずに半島との交易
(5. 沖ノ島ルート。但し、遺跡は4世紀後半
なので、これは難しい?)
6.2ルートによる交易に慌て倭奴王(博多王)
倭の主権を漢に訴える->その後、和睦?
妄想ですが…
>465
>2.3に丹波や越の物産(珍物)が加わる。
「3」ではなく「1」でした。(謝;;)
467 :
縄嘉ー:2012/02/05(日) 17:24:42.68
>>457 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/05(日) 16:30:54.77
>相知をいう馬鹿さは理解できたのか?何を笑われたか理解できたのか?
がはは。相変わらず馬鹿だな。
末盧国は伊都国に行くための海から陸への玄関口だ。末盧国の集落が現在の唐津港(これも江戸時代に造成され、
明治以降に整備されたものだが)の近くにあったとしても、その近くの海岸に魏の船が停泊、係留されるわけはね〜んだよ。
少しは常識(持ってないだろうが)働かして考えろ。嵐が来れば船は波にさらわれる場所だぞ。
前に教えてやったように、弥生時代には入り江が相知辺りまで伸びていて、松浦川の河口はそこで海とつながっていたのだ。
このような地勢のところは古代人の生活の要地だ。魏の船はこの松浦川河口の港に停泊し係留されたのだ。
さらに大事なことだが、魏使一行は東南五百里の伊都国まで陸路で行っている。船で行くのと歩いて行くのとどっちが楽か。
船で行くのが楽に決まっている。相知まで船で行けるのに唐津港で下船して歩くか?そんなことをするのは馬鹿なおまえだけだ。
あ〜、いかん。また馬鹿の相手をしてしまった。悪い病を移されないよう風呂にはいって洗い流すとしよう。
上陸なんかしてないですよ。
渡海から切り替わったため陸行という表現にしてる。
陸行というのは陸に沿って沿岸航行すること。
渡・度にしろ行にしろ、陸地のある方向が一番大事。
東南陸行というのは陸地のある方角が東南方向ということ。
469 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 17:44:49.70
>>468 おいおいおい。唐津辺り、呼子でもいいが、海岸に沿って東南に行けるか?
470 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 17:48:59.30
>陸行というのは陸に沿って沿岸航行すること。
それは循海岸水行だな。
471 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 17:56:37.18
もう果てしなくトンデモのオンパレードになってってるなこのスレ
>383 ○さん
>壱岐ルートを捨て、沖ノ島を開拓し伽耶まで届いて逆転した。
なるほど。4世紀後半に畿内勢の沖ノ島開
拓。それまでは北九州が半島との交易国=
女王連合(日本海も領有?)ってことでしょうか。
宗像三女神の順序から、日本海諸国の取
り込み->宗像上陸・領有の順?
(瀬戸内経由の宗像->出雲もあるか…)
すると仲哀の香椎宮(熊襲=邪馬台征伐断
念)->神宮の三韓征伐->好太王碑文(征伐の
成功と失敗)->応神朝への交代と繋げる?
(史実性は別として記紀との辻褄合わせ)
色々と質問&
後半の件は、神武東征=応神朝成立の
記憶と考えている自分が勝手に脚色してま
す。お許しを。
473 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 18:05:08.69
陸行と書いてあっても
その区間が全て陸行ということにはならんよね
川とかあったらふねにのる罠
474 :
○:2012/02/05(日) 18:07:54.39
>>465 :日本海ルート論者さん
「日本書記」
景行天皇の筑紫行幸の際、岡県主の先祖「熊鰐」(和邇氏)が出迎え、
遠賀川に宿泊する。 次に五十迹手が出迎えて、香椎宮に来られた。
和邇氏+阿曇氏が、日本海ルートの主役と考えています。
この二氏は琵琶湖西岸に入植し、阿曇川、志賀町を現在も残しています。
和邇氏の本拠地が、「滋賀県滋賀郡志賀町和邇春日」で裏付けしてます。
この若狭湾二氏+四隅突出型の海部氏が加わり、交易ルートが完成した。
自説です。
沖ノ島ルートは、ご指摘の通りと思います。
宗像氏は、もっと後と思います。
475 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 18:11:06.02
>>444 >古今〜の海外は地図じゃないってか、呆れた馬鹿だな。
>それを認めたにしたって日本は出鱈目に書かれている。
呆れた馬鹿だなというんならば、あくまでも「地図だ」で頑張ればいいじゃないか。
「それを認めたにしたって」と言うのは、地図を見直して、ようやく海外は地図の書
き方ではないってことに気づいたんだな。
ならば、素直に「間違ってました」といえばいいものを。
末盧国が上陸地点なら、その重要な地点に到ではなく至の字が使われてるのは明らかにおかしい
もう造船技術は1300年間なんの進歩もなかったってことでいいじゃないか
東北人がそういってるんだから ハイハイってことで
478 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 18:34:41.82
>末盧国が上陸地点なら、その重要な地点に到ではなく至の字が使われてるのは明らかにおかしい
倭国最初の地、対馬国にも至だ。邪馬台国にも至。
>>467 なんだったらそのまま佐賀まで船で行けよ ロープで引っ張ったんだろ?
どこまでも船で行けw
>>478 まさにそういうことを言ってるんだよ
対馬も壱岐も寄港しただけ
末盧も同様なんじゃないかと
邪馬台国へは行ってないんだから至で当然
481 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 18:59:09.39
お泊りして美女おつまみにして酒盛り
482 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 19:04:06.26
>>461 まあ、頑張れや。
文字にして証明が難しいというようでは先が思いやられるがな。
ここはテキストワールドだ、テキストがすべて。それを踏まえて、心してかかってきな。
>>475 お前も馬鹿だね。
お前の言い分でも出鱈目だと言うのを理解出来ないのか。
古代華夷〜も間違いなく地図だ。
海外の、というか日本について、方位も形も並びも把握してないから、あーいう表記になる。
この地図が出来るまで腐るほど日本についての地理情報はある。
それをまともに取り上げていれば、どう間違ってもあんなものは出てこない。
日本をどうでもいい国と見ていたから地理もどうでもいい把握しかしていない。
いい加減わかれ、腐れ頭。
484 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 19:08:28.49
ばかだなあ韓地陸行しなきゃ古老とかから聞き取り調査とかできないだろ
船について調べた者がいるが、こんなことは調べるまでもない。
2ノットと聞いて「おかしい」と思わない奴が非常識なんだよ。
前にも言ったがな、文献馬鹿やオタクになると、この常識がなくなる。
千里を一ヶ月水行にすることに全く疑問を持たない。
240キロに三ヶ月かかるのを変だと思わない。
歩くより遅い速度の船を不思議に思わない。
なぜか?文献にそう書いてあるから。馬鹿だろ ワラ
487 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 19:13:40.87
半島内の韓地の一区画の指揮権の委託譲渡とゆうのは考えられなくは無いよね
>474 ○さん
レス有難うございます。勉強になります。
考えてみると○さんの持説は部分的にしか
伺っていないことに気づきました。
幾つか質問させて下さい。
・卑弥呼時の邪馬台・投馬の比定地。
・卑弥呼共立の原因
・日本海ルート領有の推移
・阿曇氏の拠点を若狭にする理由
・公認水夫の存在はいつから?
(記紀と卑弥呼を別系とする場合もあるので)
ぼちぼちで構いませんので、宜しくお願い
します
今日は書き間違いがやたら多いな、疲れてるかなあ。
まあ、わかるだろうから訂正はしない。
釜風呂に入りたいが、オフは明日。早く大好きな釜風呂でスッキリしたいねえ。
>>486 河川・湖沼の運行に特化された船がうねりのある外海に出てもマトモな航行なんか出来ない
240キロを航行したというよりも、240キロを移送したとみるべき
釜風呂に入るより、ヤクザな商売から足を洗えよ。
492 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 19:29:08.66
>>486 お前も馬○だよな。3世紀の中国人が距離をどう測ったか知らずに邪馬台国論をやっているんだものな。きちっとどういうやり方で距離を測ったのか書いてみろ。
493 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 19:30:37.80
>>486 クズ尿
>前にも言ったがな、文献馬鹿やオタクになると、この常識がなくなる。
で「陸行一月」はどうなんだと ゲラゲラ
常識のある人間なら日本の何処にもっていっても説明に苦しくなると分かるw
ならばその日数が大幅に移動以外の時間が含まれると解するしかない。
(もしくは伝聞の伝聞で元々いい加減だったとか…)
そうなると水行の日数も怪しくなる。
どれ程古代船のスピードを早く見積もってもそれに掛け合わせる日数=時間が分からなければ意味が無いwwww
>>458のような事例を出してもお前の矛盾を突くに何ら困る事はないwwwww
>>492 どうやって測ったかを言わなきゃならないのは、てめえだ、クズ。
俺は海路、さらに少なくとも旅程においての陸路も計測出来ないと言ってんだよ。
どう正確に測るのか言ってみろ。星宿図かな プ
ついでにもう一個。
魏の船、また当時の倭船も帆船だと思う。絶対にただの手こぎ船ではない。
いくつか前のスレで「風を利用することはチンパンジーでも考える」というのがあったな。
その通りで、布があるのにこれを考えつかない馬鹿はいない。
土器の絵や舟形埴輪から、また遺跡からくり抜き船や準構造船を当時の船としてるが
そんなはずはないのよ。
帆と櫂を組み合わせた船(ガレー船というのかな?)くらいあったはずだ。
帆を作れば、馬鹿でも順風以外でも使えないかと考える。考えれば普通に工夫する。
古代人といえど人間だ。今の人間より知能が劣るわけじゃない。
劣ると思い込んでいたから、縄文時代の常識は三内丸山遺跡でひっくり返った。
同じ間違いが古代船でもあると俺は思うね。
496 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 19:48:44.17
>>483 十二世紀の地図でどうこう言われてもなあ。3世紀、呉と対立していた魏にとっては
倭国がどちらにつくか、大変な関心事だったんだよ。
そんなことも知らんかったのか?
>>493 たまにはアンカーつけてやるよ、レス乞食。
「邪魔」 以上 ワラ
てめえの突っ込みなんぞ話にならねえから無視してんだ。
陸行一月がそんなに不思議に思えるオツムに乾杯 ゲラ
Gは魏の高性能船とか取り下げてえらかったな
>>496 いや、魏が関心があるのは朝鮮半島内の倭人だったろうよ。
海を隔てた島国には興味は薄い。
味方になっても戦力にならず、敵に回っても海の向こうじゃ脅威にはならない。
前に世界中の古地図を出して話したが、地理情報は蓄積されるものなんだよ。
魏の時代に蓄積された地理情報があるなら、後代にそれは必ず表れる。
だが、情報はありながらまともに把握しようとしなければ、古今華夷〜や混一〜みたいな出鱈目地図になる。
「地理情報は地図に結実する」これは絶対だ。
ここまでだな、じゃあな〜
500 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/05(日) 20:08:21.32
良くは意味の理解できないレスが二つほどあって、
関わるほどの質ではないとみて無視する。
↓↓あとはゴミクズレベルのいい訳抗弁だな。
>>421 >正史で海行千里が1日当りと書かれているものは一つもないな
1日あたり千里単位で書いているのだ。
>日数で書かれているもののほうが多いから、
船の速度と航行距離は一定ではないし海路の距離は測定不可能だから、
日数表記のほうがまともだわな。
>風待ち潮待ちとかで経過した日数が余計かかった時などに
そんなのを「航海日数」に入れるバカはいない。
>大雑把に千里単位を使ったのかも知れんな
そのアバウトに距離表記が1000里だ。
日数表記をするかアバウトに1000里と表記するしか方法はない。
>>422 >平均時速2ノットは、
3世紀の魏の楼船が「平均時速2ノット」だったことを論証してからの話だ。
論拠だ論理だという奴にかぎって、自論の論証なしで空論だけをいう。
501 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/05(日) 20:10:04.18
つづき
>>440 >遠方に見える人影や動物の大きさからそこまでの距離が分かる。
遠方とはどのくらいだ。実例を示せ。
狗邪韓国・対馬、対馬・壱岐、壱岐・唐津間はすべて目測したのか?
目測したと譲って、100キロそこそこの距離を432キロと書くほどの精度か?
>倭人伝に書かれた里が魏の公式の尺度によるものかどうかはわからんだろ。
魏の公式の尺度によるものではないと主張し続けている。
>魏の使者の乗った船であっても水先案内人や……
水先案内人には現地に詳しい人間を起用したといい続けている。
>その半島人の使った距離単位を里として書いた可能性もあるだろ。
苦しい詭弁だなー。論拠・証拠を提示してからいえ。
論拠だ論理だという奴にかぎって、自論の論証なしで空論だけをいう。
>方4000余里は面積を表すだけのもので、おまえのような計算に使えるものではない。
はあー? 「方4000余里」は海路距離とは無関係という意味でいいのか?
俺は、海路距離と三韓の版図面積表記の数値が遊離していると指摘している。
だから、この不条理をどう説明するか待っているところだが。
論理だという奴にかぎって、論理で意見をいえないようだな。
502 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/05(日) 20:16:07.19
>>440 >倭人伝に書かれた里が魏の公式の尺度によるものかどうかはわからんだろ。
へへへー。バカの心理は簡単に透けて見える。
これは、狗邪韓国・対馬、対馬・壱岐、壱岐・唐津間の距離を
1000里(432キロ)と書いていることに対する逃げの方便だな。
>倭人伝に書かれた里が魏の公式の尺度によるものかどうかはわからんだろ。
それならば、どんな尺度で書かれたのかを論証しろ。
ただし、短里説を出す場合、陸路距離と海路距離の整合性を論証しろ。
ヘタの加減計算詭弁や「誤差」などという詭弁抜きでだ。
503 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 20:16:09.17
半島内よ、君のトンデモにも友達ができたぞ。→499
504 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 20:25:12.88
>俺は、海路距離と三韓の版図面積表記の数値が遊離していると指摘している。
君が遊離させているんだよ。海路距離から計算した里で方四千里の正方形を書
けば遊離しない。
506 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 20:31:26.54
夢さんが引っ込むと言ったら鶴さんw
そんなに露骨に避けなくてもw
507 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 21:02:54.75
>>502 >「誤差」などという詭弁抜きでだ。
おいおい、誤差を認めないなら、
会稽東治の東には、何も無いことになっちまうぞ。
それが伊作の持論だったっけか?
508 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 21:14:01.99
>500
>
>>422 >>平均時速2ノットは、
>3世紀の魏の楼船が「平均時速2ノット」だったことを論証してからの話だ。
>論拠だ論理だという奴にかぎって、自論の論証なしで空論だけをいう。
8世紀の遣唐使船の速度は、20日間で平均速度1ノット
最速記録で8日間でニノットちょい。
それから考えて、3世紀の船が、一日10時間航行で6ノット、
24時間航行の暗闇、休みなしで3ノットは考えにくい。
とくに、朝鮮半島の南西部は細かい島嶼が多い地帯であり、
暗闇の中で昼夜高校素ののは危険である。
よく地理を知った水先案内が乗っていたとしても、
魏の威信をかけた使者が、そのような危険で
余裕のない旅をしたとは考えにくい。
倭人伝や他の記録を調査しても、
水行一日と千里とを関連付ける記録はなく、
帯方郡から狗邪韓國まで七千里を七日で行ったという記録もない。
従って、一日千里を成立させる根拠はない。
以上。
509 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 21:15:42.40
修正
暗闇の中で昼夜高校素ののは危険である。
暗闇の中で夜間航行するのは危険である。
510 :
○:2012/02/05(日) 21:20:13.58
>>488 :日本海ルート論者さん
了解しました。
要約してからにします。
結構奇抜なので、笑わないで下さいね。
では、また!
511 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 21:44:38.77
>>508 夢さんに常識ないと言われた話をよく出せますねw
512 :
卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/05(日) 21:52:37.52
>いや、魏が関心があるのは朝鮮半島内の倭人だったろうよ。
>海を隔てた島国には興味は薄い。
夢幻如小先生もやっと気づいてくれたか。ジュブナイル小説?で佳作になったというのだから、
まんざら○○でもないわけだ。そのうち私の説にも一理あると気付いてくれるだろう。
いや、もう気付いているかも。
伊作大先生もお兄さんが東大卒だそうだから、それほど○○でもないわけで、
そのうち私の説の真価に気付いてくれるだろう。
いや、もう気付いているはずである。
君らも、うすうす、私の説が真実だと思い始めているのじゃないのか?
本当のアホやw
朝鮮半島は日本の領土だよ?
515 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 22:27:30.70
>>457 いい加減見苦しいですぞ
俺は
・伝聞説
・先遣調査隊説
・ナントカ地理感説
これら数多くの貴方の推論を全部肯定した上で辻褄の合わない点を指摘しているだけなんだがねぇ
たかが推理ゲームなんだからサ、見苦しい意地を張るのは止したら?
そんな態度じゃゴミためのナントカさんと変わらないよ
>>510 ○さん
仮説は多い方が良く、
奇抜でなければ、
打ち破れないかと。
楽しみにしています。
517 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 22:46:08.26
>>374 「水行一日=千里」が正しいかどうかを問うてるのに「水行一日=千里」を前提にされても議論になんないんだよね〜
困ったもんだ
お前の説が正しいのなら帯方郡から狗邪韓国まで六日でもなく八日でもなく七日きっかりだったと証明してみろよ
あと水行一日=千里ってほざいている奴がもう一人いた気がするけど、反論不可能だからスルーしてるんだろうな
スルー=反論不可能=論破で差し支えないな
518 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/05(日) 22:46:10.14
>>507 >誤差を認めないなら、会稽東治の東には、何も無いことになっちまうぞ。
ここは海路距離表記の話だよな。
「誤差」とは、実際の距離との誤差だろう。
誤差をいうならば、「実際の距離を測定した」という論証が先だ。
次に、100キロ程度の距離を432キロ(1000里)としたのを誤差というか問題だ。
会稽の位置は固定だ。
海路距離の誤差と、会稽からの方角の誤差を一緒にする論理か。
比較対象となる実際の海路距離が測定できない状況でいう誤差と
いっしょにする知能程度なわけだ。わかるか? 赤恥ぼんくら
519 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 22:51:07.36
本日の芸能ニュース
夢幻如と伊作に1卵性双生児疑惑
二人の性格(鼻持ちならぬ臭い性格)の類似から兄弟ではないかと囁かれていたが、
信頼出来る筋によれば二人は1卵性双生児であるという。
また、二人を知る小学校同級生の談として二人は異母兄弟であるということも言われている。
二人がともに頭が悪くて互いを嫌悪する様子から見ると異母兄弟よりも1卵性双生児の可能性が高いと脳科学者のK氏は行っている。
520 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 22:58:39.22
本日の芸能ニュースで「・・・脳科学者のK氏は行っている。」とお伝えしましたが、
正しくは「・・・脳科学者のK氏は言っている。」でございました。
お詫びして訂正致します。
521 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 23:17:12.49
>>501 :ゴミために降りた鶴
>>その半島人の使った距離単位を里として書いた可能性もあるだろ。
>苦しい詭弁だなー。論拠・証拠を提示してからいえ。
この人はかなり頭が悪いようだ。
あの「可能性がある」とは「考慮から除外できない」というような意味だ。
可能性があると言う理由は「(魏の公式尺度ではない)半島人の使った距離単位」が無かったという証拠がないからである。
半島人の使った距離単位についての文献記録があれば有力な証拠となるが、それは未だ知られていない。
しかし、文献証拠が見つかっていなくても考慮から除外はできないだろ。
522 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 23:29:46.84
>>389 誰といくらやり合っても推論は推論
推論が混ざってないから「証明」と言ったのはお前自身だ
てめぇで言った事位覚えておきなさい
523 :
?:2012/02/05(日) 23:43:03.60
>>499 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/05(日) 20:01:41.46
>前に世界中の古地図を出して話したが、地理情報は蓄積されるものなんだよ。
>魏の時代に蓄積された地理情報があるなら、後代にそれは必ず表れる。
>だが、情報はありながらまともに把握しようとしなければ、古今華夷〜や混一〜みたいな出鱈目地図になる。
>「地理情報は地図に結実する」これは絶対だ。
混一〜は13世紀か14世紀に作られたもので、日本の部分は明らかに魏の時代のものではない。
魏の使者らは末盧国、伊都国、奴国、不彌国、投馬国、邪馬台国には行ったが他の国には行っていない。
こんなことで混一〜のような地図が描けるわけがない。
混一的地理観が3世紀にもあったということを証明したいならその時代の地図を持ってくることだね。
しかし、この夢見る中学生は地図がないのは魏が倭国に関心がなかったからだと言う。
地図の有る無しで関心の程度を測ることができるわけはないだろうに。まともじゃない。
524 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 00:05:38.31
>>501 :ゴミために降りた鶴:2012/02/05(日) 20:10:04.18
>狗邪韓国・対馬、対馬・壱岐、壱岐・唐津間はすべて目測したのか?
そうだ。古代の海の男はそれが出来た。現代人の(特に生物的能力と智慧が足りないお前の)基準では分かるまい。
525 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 00:36:21.68
>>497 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>陸行一月がそんなに不思議に思えるオツムに乾杯 ゲラ
精一杯の負け犬の遠吠え乙
チンケなプライドの維持も大変だのうwww
不思議か?と言われればそれ自体は不思議でもなんでもない
それを合理的に説明する仮説はあるが
お前の過去の発言による条件を満たすような物となると見当がつかない。
不思議と言うのならこんな事をほざく馬鹿がいるのが不思議だと言う話だなwwww
>特別な天候や、予め無駄になる日を想定した日数ではない。
>陸行の場合は普通に歩いて一日で行ける距離を陸行一日とし、陸行一月はその30倍だ。
>まあともかく、その時代時代で一日平均のおおよその距離の常識はあるわけよ。
>古代であればせいぜい10〜15キロ程度だと思うが
>それが当時の常識で陸行一日になっているはずだというのは合理的推察だろ。
10〜15Km/日 × 30日 =300〜450km
この日本列島を横断できる距離wwwww を東北でどうやって消化するのか?
(魏使の大名行列のような行進でもなく倭人の通常の最短距離として)
何らかの仮定の下に仮説を組み立てても
その仮説の中できちんと話の筋として完結しなければ仮説ですらない。
526 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 00:51:46.69
>日本列島を横断できる距離wwwww を東北でどうやって消化するのか?
この考え方は、大切だねえ。たいがいの説は、この陸行一月で参ってしまう。
吉備にしろ、大和にしろ、陸行一月は不要だ。陸行よりは船の方が楽なことは
当然だから、我が国のほとんどの所は、近くまで船で行けただろうという突っ
込みに答えられなくなってしまう。
527 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 00:55:41.97
混一地図?だっけ、これって九州以外の説を肯定する材料にはなっても九州説を否定する材料にはならないよね
必死になってる夢精尿は間抜けだよね
528 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 00:56:31.31
中央の大型船のは帆には見えんな
旗っぽいけどな
531 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 01:57:43.13
>>511 >夢さんに常識ないと言われた話をよく出せますねw
その「夢さん」とやらが非常識なわけだがw
夢さんステキー プ ゲラ
533 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 02:09:21.42
どう見ても尿の自作自演 プ
534 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 02:12:03.68
手こぎ船で長時間漕ぐ場合、どのくらいの力を想定すればいいんだろ。
一般的には瞬間的に出せる力が1馬力、連続して出せる力が
0.1馬力、なんて目安があることはあるが、これは足の場合なんで、
手を使う舟漕ぎはどのくらい持つものやら。
臭いぞ、尿臭!
もうすっかり尿が通り名だなw
最低やね。
さてと、順番に行くか。
>>515 見苦しいのはお前だぜ。
俺は根拠を示している。お前は自分の推論の根拠を示せない。
俺の話で辻褄が合わないとこなんて、ひとつもねえよ。あったら箇条書きでどうぞ。
>>523 >地図の有る無しで関心の程度を測ることができるわけはないだろうに。まともじゃない。
まともじゃないと言うより、はっきり言ってお前は馬鹿だ。
地図はそれまでの地理情報の結実なんだよ。
魏の時代に得られた日本の地理情報をちゃんと把握する気なら、後代の地図にそれは蓄積される。
全体像などわからなくてもいい。わかるだけでもいくらでも正確な情報はある。
それが後代の地図には一切反映されていない。ここで分かれ、馬鹿頭。
>>526 大和説も陸行一月でどうにもならんわな。
どうにもならんから「水行十日陸行一月」を「水行なら十日、陸行なら一ヶ月」という
コジツケ読みに走るしかない。九州説にいたっては、ここはどうもならん。
だがな、これだから邪馬台国は内陸部になるわけよ。
お前の上で粘着のレス乞食が喚いているが、俺は陸行一月を説明できるぜ。
ま、これは後のお楽しみだ。俺はハッタリかます趣味はねえから、楽しみにしとけ。
>>527 九州説以外を肯定できたら、九州説は終了だろうが。お前はマジ馬鹿だな ワラ
>>528 俺のフォロー役、ご苦労 ゲラ
540 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 11:17:10.52
夢GENのアホがまた寝しょんべんの言い訳してるぞ。
ピーチク、パーチクのピーパー名無しのあとは、馬鹿名無しに行こうかね。
>>517 >あと水行一日=千里ってほざいている奴がもう一人いた気がするけど、反論不可能だからスルーしてるんだろうな
スルー=反論不可能=論破で差し支えないな
馬鹿ほど論破を言いたがる。出来ないことへの憧れなんだろうな ワラ
伊作相手に話してるとこを傍観してたらスルーってか。
「水行一日=千里」は証明済みだ。何回でも繰り返してやるぜ。
俺は伊作ほど緩くねえからな、反論できるならやってみろ。
釜山〜対馬〜壱岐〜松浦、この3航海を倭人伝は千里と表記している。これは事実。
この各千里航海を水行に置き換えてみる。どう見たって、これは一日航海だ。
ここから「千里表記=水行一日」が出てくる。だが、これはこの場合だけかもしれない。
が、違うんだな。壱岐〜松浦が他の2航海と比べ実距離は約半分。これも事実。
ここから「千里表記は実距離と無関係」という解が出る。ここに推測は無い。
ここから最初の等式「千里表記=水行一日」は「実距離と無関係な千里表記=水行一日」になる。
水行一日の実距離はどうでもよくなるわけよ。そうなると、この等式はひっくり返しても成り立つ。
「水行一日=実距離など無関係な千里表記」だ。ここまで、ついてこられたか プ
ここまでの論に推測もコジツケも何も無い。なくてやれるから、これは「証明」なんだよ。
で、郡から狗邪韓国の7千里。同じ倭人伝の中の話だからな。
「7千里」は以上から、当然「水行7日」になる。これが証明だ。
証明、証明とほざくてめえは、この7千里を水行何日かに証明できるのか?
出来るならやってみれ ムリダロウガナ、プ
542 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 11:31:33.92
>魏の時代に得られた日本の地理情報をちゃんと把握する気なら、後代の地図にそれは蓄積される。
魏の時代に得られた日本の地理情報は倭人伝に書かれた程度のものである。
>全体像などわからなくてもいい。わかるだけでもいくらでも正確な情報はある。
それが倭人伝に書かれた程度の情報だ。
>それが後代の地図には一切反映されていない。ここで分かれ、馬鹿頭。
地図にできない情報だからだ。あるいは混一的な地図の作成者が馬鹿だったからだ。少しは考えろ、 馬鹿頭。
>>540 ピーパー、ピーパー!お前は救急車だな ゲラ
544 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 11:38:20.60
>が、違うんだな。壱岐〜松浦が他の2航海と比べ実距離は約半分。これも事実。
おまえが無知で検証能力がないからそんな馬鹿なことが言えるのだ。
>「水行一日=実距離など無関係な千里表記」だ。ここまで、ついてこられたか プ
>ここまでの論に推測もコジツケも何も無い。なくてやれるから、これは「証明」なんだよ。
推測とコジツケだらけだ。証明の意味すら理解していないな。も少し勉強してから来い、ボウヤ。
>>542 くっされ頭、馬鹿に生まれたことを嘆くんだな プ
倭人伝に書かれた程度って、全部南でいいってか?邪馬台国は海の中 ワラ
先遣調査隊だろうが正使せあろうが、倭国の地は踏んでるわけだ。
邪馬台国までの道程は正確にわかるはず。わかっていれば、それが後代の地図情報になる。
「混一〜」より、ここは「古今攘夷〜」の方がわかりやすいな。
伝聞であれなんであれ倭国の全体像は、倭人伝にある程度情報として出てくる。
これが反映されてれば琉球が蝦夷と並ぶような馬鹿地図なんぞ絶対に出てこんのだよ。
馬鹿に生まれたことを恨みな ゲラ
>>544 具体的な突込みが出来ないだけで、吠えるだけの馬鹿レスならするんじゃねえよ、ど腐れ。
馬鹿なこととは何だ?どこが推論で、どこがコジツケだ?言うてみ プ
馬鹿レスでレスを消費するな。
547 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 11:46:12.39
郡から末盧国まで何日かかろうが、行程記事を読む上ではどうでもいいことだと
思うが、夢幻は何でこだわっているのかねえ。
後の水行20日や水行10日陸行1月の解釈に使えるとおもってるのかな?
末盧国までの水行と伊都国から先の水行とはまた別の話のはずだが。
あ〜また書き間違いだ。
>>545 × 「混一〜」より、ここは「古今攘夷〜」の方がわかりやすいな。
○ 「混一〜」より、ここは「古今華夷〜」の方がわかりやすいな。
549 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 11:48:39.81
>倭人伝に書かれた程度って、全部南でいいってか?邪馬台国は海の中 ワラ
馬鹿が「距離に換算できない水行二十日や水行十日陸行一月」を距離にあてはめようとするから「邪馬台国は海の中」となるのだ。
>馬鹿に生まれたことを恨みな ゲラ
おまえには馬鹿であることの自覚もなかろう。嘲笑されても苦にせず生きて行ける。馬鹿に生んでくれた親に感謝しろ。
550 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 11:57:00.95
>>545 >倭人伝に書かれた程度って、全部南でいいってか?邪馬台国は海の中 ワラ
水行や陸行の速度を勝手にかなりのものと考えているんだろうね。
常識的に考えれば、十分に九州の中だよ。
内容:
>>547 >夢幻は何でこだわっているのかねえ。
「万二千里」が実距離ではなく、具体的距離を表さないという証明のため。
>後の水行20日や水行10日陸行1月の解釈に使えるとおもってるのかな?
末盧国までの水行と伊都国から先の水行とはまた別の話のはずだが。
別じゃねえよ。同じ倭人伝の中にあるものなら同じ。
そして、お前が別だと言ってもだな、上で言ったように「千里表記」は実距離に無関係。
実距離と無関係なら、倭人伝の中であれば、どの水行に当てはめたって成り立つ。
おわかり?
>>549 水行を距離換算できることを証明して見せたのに理解できない馬鹿さは賞賛に値する ワラ
ま、理解できていながら反論できないというのが本当かな プ
お前よ、一個ぐらい具体的に突っ込めや。情けない奴だな〜〜っと ワラ
お前は馬鹿に生んだ親を恨め ゲラ
>>550 「万二千里」を実距離としなければ成り立たない馬鹿九州説者、乙 ワラ
水行、陸行を常識的に考えた距離で示してくれ。吸収内に収まるというやつをな。
俺は容赦がないから、心して出せよ。
さてと馬鹿からかいだけも詰まらん。
今夜オフだと思うと気が緩み、酒量はいつもの倍以上。寝よ ワラ
じゃあなあ〜〜
553 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 12:36:18.69
>「万二千里」が実距離ではなく、具体的距離を表さないという証明のため。
やめた方がいいよ。実距離だから。ただ、倭人伝の一里がどのくらいかをちゃんと見極めな。
>水行、陸行を常識的に考えた距離で示してくれ。
条件によってちがうが、水行10日で百キロ前後、陸行1月で150キロ前後だろう。
554 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 12:46:53.57
>>541 お前の回答内容も伊作と同じだな
水行一日=千里が正しいかを問うてるのに水行一日=千里を前提にされても議論になんないんだよ
こういうの循環論法っていうんだよ
ぐだぐだ言わないで帯方郡から狗邪韓国まで六日でもなく八日でもなく七日きっかりだったと証明してみろ
帯方郡から狗邪韓国まで七日きっかりで移動したと主張してるのはお前なんだからお前にはそれを証明する義務がある
555 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 13:11:44.24
おいおい、もう昼過ぎだぜ。そろそろ飲もうZ
556 :
飲もうZ:2012/02/06(月) 13:16:31.86
お酒はぬるめの 燗がいい♪
肴はあぶった イカでいい♪
557 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 13:51:02.32
>>541 :無知無学低脳夢GEN
>釜山〜対馬〜壱岐〜松浦、この3航海を倭人伝は千里と表記している。これは事実。
そうだ。事実だ。
>この各千里航海を水行に置き換えてみる。どう見たって、これは一日航海だ。
水行に置き換えなくても1日航海だ。馬鹿な文章を書くな。ノータリン。
>ここから「千里表記=水行一日」が出てくる。だが、これはこの場合だけかもしれない。
「千里表記=水行一日」が出るのはおまえが根拠なく(と言うより無知だから)渡海と水行を混同しているからだ。
>が、違うんだな。壱岐〜松浦が他の2航海と比べ実距離は約半分。これも事実。
おまえが言っていることが「違うんだな」だ。
倭人伝には狗邪韓国から末盧国までの3回の渡海距離を全て千里余としている。半分の距離なら五百里とするだろ。
ということはおまえの言うルートが間違いということだ。
倭人伝に書いてあることと常識で考えるとおまえは言う。ならば、おまえの言い分は間違いだ。
おまえは倭人伝の里数は実距離ではないと言う。もちろん、里が魏の公式尺度で書かれていないことは自明だが、
距離を表すものだと考えるのが常識だ。そうでなければ行程記事が意味をなさない。
おまえは言葉遊びをしているだけだ。だが、論理学の素養はなし、自然科学とまではいかなくても高校レベルの理科や人文地理の知識もない。
だから皆から嘲笑されているのだ。
558 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 13:57:06.15
>今夜オフだと思うと気が緩み、酒量はいつもの倍以上。寝よ ワラ
あの馬鹿、猪口2杯のビールで沈没しやがったぜ。弱いやっちゃな。
559 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 14:03:42.24
焼酎のお湯割り3杯目♪
560 :
隊長:2012/02/06(月) 14:09:41.01
邪馬台国戦隊集合せよ
561 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 15:21:30.97
>>539 >九州説以外を肯定できたら、九州説は終了だろうが。
頭大丈夫?
その地図の件は九州以外の説の可能性がアップするってだけの話でしょ
その地図の中の九州内に邪馬台国があっても別に何の問題も無いんだけど
562 :
訂正!:2012/02/06(月) 15:31:28.71
陳寿の「到其北岸狗邪韓國 七千余里」の行程地図は、
起点を緯度335度12分40秒、経度114度39分34秒の長垣当りとしている。
長垣は魏の国都洛陽から五百里(216km)の位置にある。
長垣→威海市(迄 715.978 km)→沙里院(迄 337.781km)→済州島(迄 561.657 km)
→台湾・満州郷(迄 1,392.369 km).
長垣〜台湾・満州郷、迄合計 3,007.785 km≒6962.4652里≒七千里。
「其北岸狗邪韓國」の現在地名は、台湾の満州郷である。
満州郷は北緯22度02分38秒、東経120度50分18秒にある。
「始度一海千余里」の大きさで三度渡る位置は、
初が4度差の北緯26度、・・・・@
次が更に4度差の北緯30度、・・・A
最後の4度差は北緯34度。・・・・・B
@ は会稽東治【冶】之東で對海【馬】國
A は会稽之東は一大國
B はほぼ北緯34度線上にある下関市で末廬國。
と、記述されている。
563 :
大訂正!:2012/02/06(月) 15:44:45.70
陳寿の「到其北岸狗邪韓國 七千余里」の行程地図は、
起点を北緯35度12分40秒、東経114度39分34秒の長垣当りとしている。
長垣は魏の国都洛陽から五百里(216km)の位置にある。
長垣→威海市(迄 715.978 km)→沙里院(迄 337.781km)→済州島(迄 561.657 km)
→台湾・満州郷(迄 1,392.369 km).
長垣〜台湾・満州郷、迄合計 3,007.785 km≒6962.4652里≒七千里。
「其北岸狗邪韓國」の現在地名は、台湾の満州郷である。
「始度一海千余里」の大きさで三度渡る位置は、
北緯22度02分38秒の満州郷から
初の4度差は北緯26度、・・・・@
次が、更に4度差の北緯30度、・・・A
最後の4度差は、北緯34度。・・・・・B
@ は会稽東治【冶】之東で對海【馬】國
A は会稽之東は一大國
B は、ほぼ北緯34度線上にある下関市で末廬國。
と、記述されている。
564 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/06(月) 16:13:55.23
陳寿の「従郡至倭」の郡は北緯37度。
郡の真南12000里は北緯30度。
会稽東冶も北緯30度。
565 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 16:14:07.17
緯度335度ってどこから計るんだ?
566 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 16:16:03.22
>>541 何が何でも自説ありき与太話の押し売りセールスマン ゴミクス無限尿
この馬鹿は例によって自惚れだけで勘違いしているがそもそも『 証明 』になっていない。
>同じ倭人伝の中の話だからな。
「単一史料の倭人伝で位置を求めないでどうする?」
…がこのゴミクズの言い分だったなw
それを後の水行に当て嵌めると全体の数値に齟齬が生じる。
別に万二千里が「修辞」でも構わない。
修辞なら修辞で何で統一しなかったのか?だ。
この馬鹿の理屈はとりあえず(実距離は不明であっても)修辞の千里には置き換えが可能と言うことで成り立っている。
が倭人伝はそのような置換をやっていない。
これは”推測もコジツケも何も無い”事実。ゲラ
部分的に求め成り立つ数値を見つけて全体に当て嵌めたら等式が成り立たない。
そんなものは『 証明 』などと言わない。馬鹿丸出し ゲラ
水行一日千里が全体を当して適用できるなら、邪馬台国までは
10700里 + 1000里/日 × 30日 =40700里
これに +陸行一月 が加算された物でなければならない。
はい ろんぱ〜 wwwwww
小学生からやり直して来い馬鹿者。
567 :
ローガン:2012/02/06(月) 16:28:07.18
漢書の注に「帯方東南萬里」とある。
三国志には「自郡至女王國萬二千餘里。」と。
使者来倭以降の数字は「萬二千餘里」なので、漢書注にある萬里とは、通交が始まる事による情報入手より以前の認識と判る。
しかしそれ以前の東夷は絶域。よってこの「萬里」とは修辞。
この修辞の萬里に通交により得た情報から、二千余里が付加されたものが三国志の記述。
二千余里(道のり約900km)が水陸行2ヶ月。
又、修辞の「博多辺りまで萬里」は 3渡海と韓地水行。これを渡海各千里及び七千里水行という机上計算をした為、
韓地が方四千里という伸長された数字になった。全ては机上計算に拠るもの。
568 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 16:32:48.39
里程も日数も全部1/6換算してるだけだろう。
倭人伝の記録は6倍に伸長しているというべきか。
569 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 16:34:58.56
なるほど
七千里=一万里−(千里 × 3渡海)
…っちゅうわけやね、話としては分かりやすいwww
570 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 16:38:01.41
>使者来倭以降の数字は「萬二千餘里」なので、漢書注にある萬里とは、
>通交が始まる事による情報入手より以前の認識と判る。
倭人伝は、七千里+三千里、つまり一万里で九州島に上陸できることを明記している。
万里というのはそのことだろう。
魏志倭人伝での「里」が正確な距離をあらわすものでない以上、「里」で議論するのは無意味。
「なんとなく三千里じゃね?」というレベルで書かれている。
572 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 16:46:05.11
お前ら、いい感じに酔っ払ってんな
よし、俺様も飲むとしようw
573 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 16:51:09.52
爺ちゃんは近くのスーパーまで歩いて30分
普通は10分もかからん
574 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 17:16:44.18
雪国は雪掻きが大変だよな。まったり熱燗でも飲んで一息入れようぜ
575 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 17:24:43.85
帯方郡から九州島上陸までを一万里としたら、上陸してから女王国までが二千里
実距離というより割合を表しているんじゃないかな
つまり九州島上陸から女王国までの距離は帯方郡から九州島までの1/5くらいってことなんじゃないの?
海原千里・万里(うなばらせんり・まり)
1970年代に一世を風靡した姉妹漫才コンビ。アイドル的な人気を誇っていた。(wikipedia)
日本でもよく使われる表現の一つ
577 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/06(月) 17:42:00.15
>>575 >帯方郡から九州島上陸までを一万里としたら、上陸してから女王国までが二千里
そりゃ違う。
帯方郡から九州島上陸までは11400里、上陸してから女王国までが600里
上陸してから邪馬台国の城柵までは1000里。
>>570 >倭人伝は、七千里+三千里、つまり一万里で九州島に上陸できることを明記している。
>万里というのはそのことだろう。
倭人伝は、七千里七日航海+三千里三日航海、つまり一万里十日航海で九州島に上陸できることを明記している。
十日目に上陸しないでそのまま航海を続けると、二万里二十日航海で投馬國に上陸できることを明記している。
以上全て大まかな距離表現。
>>577 じゃなんで九州島に上陸してから久留米まで40日もかかるんだよ?
579 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 17:50:56.01
とりあえず、倭人伝の距離を、公里の1/6すると、全部つじつまが合うよ。
日数表記も一月行を1/6の5日行にすると、そう変な場所じゃなくなるよ。
陳寿が記録するときに、机上の計算で、東夷の里程を一律に6倍して書いたんじゃないかね?
580 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 17:54:17.57
距離(長さ)は兎も角、時間まで1/6ってナニ?w
581 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 17:55:14.44
>>578 現代みたいに道路が整備されていると思っているのかよ。このドアホが!
赤ちゃんからやり直せ!
ワンワン
583 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/06(月) 17:57:57.28
>>577 九州島に上陸してから久留米までは約750里。
2日ないし3日の陸行。
末盧國〜伊都國 500里35km 1日ないし2日の陸行
伊都國〜不彌國〜女王が都する所 250里18km 1日の陸行
>>581 峠越えが整備されてなきゃ博多湾から入って来い この低脳が!
585 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:02:17.22
>>584 山越えしか頭にないのか?このドアホが!
586 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:02:43.44
>>580 距離ってのは、時間と速度の関数なのだよ。
わかるかね。
587 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/06(月) 18:03:49.26
アンカー間違い
×
>>577 ○
>>578 >>581 >現代みたいに道路が整備されていると思っているのかよ。このドアホが!
倭の中心地だから道路は完璧に整備されていた。
588 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:04:17.88
唐津から山超えたら方向違うね。
山超えなくても、厳木、多久、小城方面なら、方向も一致するよ。
>>585 久留米は山越え説だ 割り込んでくんな! このサイキバが!
590 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:04:39.32
>>584 九州じゃないなら九州に上陸すんなよ。お前さ、本物の馬鹿だろうw
592 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:07:02.74
>>587 >倭の中心地だから道路は完璧に整備されていた。
どこがどう整備されてたか言えよ。この糞キチが!
593 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/06(月) 18:07:11.90
>>585 >山越えしか頭にないのか?このドアホが!
自転車ででも越えられる山越えだよ。
594 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:08:05.06
>>588 はぁ?一直線に行く必要があるのか?お前、馬鹿過ぎw
595 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:08:46.30
596 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:10:34.87
>>593 お、お前マ、マジで言ってんのか?この基地外が!
597 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:11:15.01
藻前ら、おちつけ
598 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:13:05.52
まあゴミ尿も含め
「砂鬼四荼羅本願功徳経」を根本経典とする暗号解読ゴッコ教団の内部抗争は続くwwwwwwwwwww
599 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 18:13:14.04
だいぶ伊作説が浸透してきたようだな。いいことだ。
倭人伝の行程読みは伊作説を超えるものはない。
ちょっと釘を刺しておくぞ。
>>577 :卑弥呼の都は久留米。
>倭人伝は、七千里七日航海+三千里三日航海、
>つまり一万里十日航海で九州島に上陸できることを明記している。
いま、伊作のこの説が集中砲火をあびている中で、
批判と反論に対する意見を何もいわず、いいとこ取りの盗っ人のマネするな。
この説は、天才伊作が平成2年、平成8年に出した本で提唱していることで、
以降、ホームページ、ブログを通して主張してきた。
ことわりもなく自論のようにいうな
お前は古田説亜流だとみたが、彼は韓国陸行説をとってきたのだぞ。
倭人伝は、七千里七日航海+三千里三日航海、
つまり一万里十日航海で九州島に上陸できることを明記している。
邪馬台国までの1万2000里行程を日数表記したのが水行10日陸行1月だ。
この説を採るのは構わないが、提唱者のクレジットぐらいは入れろ。
600 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/06(月) 18:14:32.78
>>592 >どこがどう整備されてたか言えよ。この糞キチが!
周りに水田のある山越えと平野の道。
それほど手を入れる必要はない。
江戸時代の東海道のようなもの。川越えは筑後川だけ。
キチガイのサイキバが入ってくると話がごちゃごちゃになるなwwwww
>>600 >周りに水田のある山越え
そら今だろーwww
603 :
591:2012/02/06(月) 18:28:36.29
604 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:40:01.92
>>599 整備されていない道を歩いてから言え。このハゲ作が!
605 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 18:41:13.58
●天才説の次へ行こう。
いよいよ、「倭人伝の陸路距離は魏の公式尺度の6〜6.5倍」説だ。
「論拠を示せ」というリクエストに応えて提示する。長くなるので俺の板に転載した。
http://8234.teacup.com/isaq/bbs ボケナスどもよ。揚げ足とり、言葉尻攻撃もいいが、せめて、
自分の意見に穴がないかと、よく煮詰めてからかかってこい。
俺のボケナスどもへ対応した書き込みの内容は、
ボケナスどもの不備(誤解・考え違い・論理欠如・お角違いなど)を指摘して、
どう不備なのかを説明するのが大半だ。疲れるし
606 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:46:38.33
>>605 >いよいよ、「倭人伝の陸路距離は魏の公式尺度の6〜6.5倍」説だ。
それについては、ほとんどが否定しとらんと思うが、
穴といえば、千里と一日の関係についてはどうなったかな?
>>606 >それについては、ほとんどが否定しとらんと思うが、
勝手に決めつけんでくれよwww
608 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:53:05.91
>>605 そこまで出したんだから、水行十日陸行一月や、水行二十日を
1/6してみい。
七千里を7日で行ったとか、三千里を3日で行ったとか、
苦しいことをしなくてもよくなるから。
609 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:53:43.02
610 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 18:56:43.00
>>608 自分の意見に穴がないかと、よく煮詰めてからかかってこい。
俺のボケナスどもへ対応した書き込みの内容は、
ボケナスどもの不備(誤解・考え違い・論理欠如・お角違いなど)を指摘して、
どう不備なのかを説明するのが大半だ。
ほれ、いった舌の根が乾かないうちにこれだ。
海路表記の問題も陸路距離尺度の問題も区別がつかんようだが、
ここ数日間、いったい何を考えて板を覗いてたんだ? 中卒ハゲ
611 :
卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/06(月) 18:58:15.75
612 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 18:59:02.95
>>610 中卒ハゲといった相手に、論破されんようにきをつけなよ。
613 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 19:00:26.98
>>609 気にするな。きちんとした論拠でもって否定できる奴はいない。
例によって、ふにゃふにゃ詭弁か否定文言だけを垂れるしかできん。
これも天才伊作が唱えた独自の新説だ。不動の事実だ。
しょくんは、日本初の凄い新説を唱えた天才とやりとりしている。
この有り難みこそ痛感すべきだな。
614 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 19:04:47.96
>>612 「論破」という言葉の意味と実際が、中卒のハゲには分かるまい。
あっちいってろ。中卒の「思考と論理のロレツが回らないボケ」がくるところではない。
天才の投稿をみるのなら、「表現用ボキャブラ」の勉強でもしろ。
615 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 19:08:16.64
理系の論文でよくあるけどね、
論理をつなげて行っても、
一点だけ論理の飛躍があると、そこでおじゃんなのよ。
一ミリでも隙間があるとダメ、って表現を良くする。
査読する人もそれを目を皿のようにして探すわけだ。
特に物理学や数学では、それでおしまいになる。
工学はもうちょっと逃げ道もあるけどね。
でも、その逃げ道も考えとかないと、
逃げられなくてパージということも時々ある。
遺作には算数は無理だ 過去に何度も赤恥を晒しているwww
617 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 19:13:07.46
●過去にやった経験から、古田武彦の短里説を採る者に釘を刺しておく。
古田武彦は、この天才説が論拠とする洛陽から遼東までの4000里(後漢書は3600里)を、
遼東における司馬懿軍の公孫淵討伐距離だとして、この4000里を短里としている。
両者の説のなりたちが根本的に違うことを認識した上で、
天才説を古田の短里説に取り込むことを画策しても無駄だと知れ。
618 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 19:13:57.48
>>539 見苦しいを通り越して情けないよお前
「伝聞情報は方角と距離がセット」の根拠は
>>350や
>>443で書いてる(てゆうかそもそも常識)
その他はお前の仮説推論に沿っているので争点にはならない
でお前の反論は結局の所誰かが方角情報を無視するというご都合展開なわけ
「方角は伝聞そのままの南」
と
「方角は先遣調査隊の前の事前調査の段階では東という情報が上がってきたが、
当時の中国人には倭はどうでもいい国なので上がってきた情報の内わざわざ方角情報のみを無視し、
ナントカ地理感に当てはめ南とした(尚、先遣調査隊もナントカ地理感も仮説推論)」
どっちが自然な解釈か一目瞭然だよね
619 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 19:16:24.59
>>614 >>615 「例によって、ふにゃふにゃ詭弁か否定文言だけを垂れるしかできん」。
こう予見しているにもかかわらず、恥知さらしのコケザルが徘徊する。
620 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 19:17:24.91
行程情報は、開始位置、方向、距離が絶対に必要だね。
これで、水行十日陸行一月を、帯方郡からの全距離としてしまうと、
現在位置からの距離がわからなくなってしまう。
621 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 19:18:49.32
>>615 Nスペの「リーマン予測」とか数学者のドキュメンタリー見たけど
ある難解な問題を解いたと発表しても数年間は批判に晒されて
それで生き残らないと認められないってやってたなあ…
工学系の逃げ道と言うのは「今後の課題」とか「今回のデータでは言える範囲」とかのニュアンス?wwwwwww
まあゴミクズ尿がやろうとしているのはまさに数学の世界の証明みたいなもんだろうな。
他説を完全に否定できるかできないか。
一部でも隙があったら負け。
勿論穴だらけで負け犬の醜態を晒しているわけだがwwwwww
議論ゴッコとしては不公平だが本人が自らに課したルールだから仕方が無いw
ただ九州説も畿内説も完全否定できたなら考古資料による肉付けの様なものは一切いらないって算段なんだろうが
622 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 19:19:18.37
>>619 そろそろ、恨み節っぽい言葉ばかりになってきたから気を付けようね。
624 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 19:23:21.22
>>621 「今後の課題」では、さすがに逃げすぎだ。
しかし、計測した結果の検証は、どんな計測であろうとも、全部
「今回のデータでは言える範囲」でしかない。
そして、できるだけ計測の仕方や、実際のデータを公開して、
他人にも追試ができるようにするわけだ。
どうしてこう、馬鹿ばっかなんだろ、呆れるわ。
言っている意味が理解できない馬鹿相手だと、こうなるんだろうな。
>>554 >水行一日=千里が正しいかを問うてるのに水行一日=千里を前提にされても
馬鹿は参加するな。面倒くさい。
俺の話のどこが「水行一日=千里」が”前提”なんだ?脳味噌腐ってるな。
俺の話のスタートは
>釜山〜対馬〜壱岐〜松浦、この3航海を倭人伝は千里と表記している。これは事実。
この各千里航海を水行に置き換えてみる。どう見たって、これは一日航海だ。
ここから「千里表記=水行一日」が出てくる。
百回読んで、前提にしているかどうか理解できなければ死ね。
その頭じゃ生きてる価値ねえわ プ
>>557 >「千里表記=水行一日」が出るのはおまえが根拠なく(と言うより無知だから)渡海と水行を混同しているからだ。
あれほど言ってやったのに、また「渡海と水行は違う」かよ ゲラ
あ〜違うよ。渡海の方が沿岸水行より困難だ。
だから渡海で出たものを、より条件が緩い沿岸水行に当てはめるのは無問題。
沿岸水行から導き出されたものを、より条件が厳しい渡海に当てはめたら駄目だろうがね。
>倭人伝には狗邪韓国から末盧国までの3回の渡海距離を全て千里余としている。半分の距離なら五百里とするだろ。
ということはおまえの言うルートが間違いということだ。
人の話を理解できないというか、馬鹿というか・・・
釜山〜対馬〜壱岐〜松浦 これは最も一般的解釈。一般的解釈の意味は言ったな。
これを否定するのは勝手解釈。
つまり、お前は一般的解釈を否定し都合がいい勝手解釈を持ってこなければ反論できない。
一般的解釈を否定し、勝手解釈を通したいなら相当な証明が必要になる。
壱岐〜松浦ルートを否定して「ここだ」というなら、相当数に納得させられるものを出してから言いな。
>距離を表すものだと考えるのが常識だ。
その距離を具体的なものとするなら倭人伝では常識じゃねえよ。
海路はどうやって距離を測定するんだ?陸路はどうやって出すんだ?
出せないものは出せない。「行程記事の里は具体的距離の単位ではない」
その証明が 壱岐〜松浦 の千里なんだが、お前はここに勝手解釈を持ってくるしかない。
陸路でも測定など不可能だし、やっていない。
それも馬鹿な縄文人相手に証明したはずだがねえ。
627 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 19:25:31.31
ついでに、論理の穴ではなくて、
計測した手法がまずいと怒られるのが工学だ。
>>566 これは馬鹿粘着ジョーカーだろうな。本当にこいつの馬鹿さには毎度呆れるわ。
>別に万二千里が「修辞」でも構わない。
修辞なら修辞で何で統一しなかったのか?だ。
馬鹿レベル降下サービスはする気が無い。こいつはマジ馬鹿だからな。
このレスの馬鹿さがわかる者はわかるだろう。わからない奴は同レベル。
修辞の意味が理解出来ないんだろうよ。
629 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 19:32:18.22
>>624 >全部「今回のデータでは言える範囲」でしかない。
そうだな実験データから帰納的に結論を得た場合その制約は言わずとも常に付きまとう。
言い方としては不味かったなw
630 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 19:36:12.08
>>628 キチガイ 無限尿
>このレスの馬鹿さがわかる者はわかるだろう。わからない奴は同レベル。
さあ世界中の人間が皆「わからない奴」だったらどうするよ?ゲラ
まあ確かに物理や数学の世界なら世界中でそれを理解できるのが十数人とかという理論とかあるんだろうが ゲラゲラ
中身の無い捨て台詞吐く暇があったらさっさと陸行一ヶ月の説明考えろボケカスwwwwwwww
>>626 >だから渡海で出たものを、より条件が緩い沿岸水行に当てはめるのは無問題。
結局水行一日=千里を前提としてるんだろ?
しかもその根拠は
>どう見たって、これは一日航海だ。
という個人的主観だろ?
>>567 さすがローガンは一応説得力のあることを言うわな。
だが「万二千里」が独立した修辞かもしれないぜ。俺はそう思う。
「千軍万馬」は千と万の羅列。「万二千里」は「一万二千里」だから一と二の並びかもな。
あるいは「一万プラスα」表記が遠隔地を表す一般的表現に使われる修辞とかだ。
これは○氏が例示した大月氏国の例がある。
机上の計算で出たものか
あるいは実際航海が7日、3日だったことから各7千里、3千里としたのか。
後者の方が説得力あると思うがね。
633 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 19:45:01.66
夢幻は逃げてんのかな?
>水行、陸行を常識的に考えた距離で示してくれ。
条件によってちがうが、水行10日で百キロ前後、陸行1月で150キロ前後だろう。
634 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 19:49:11.99
>>626 与太話の押し売り 笑えるセールスマン 無限尿
>だから渡海で出たものを、より条件が緩い沿岸水行に当てはめるのは無問題。
>沿岸水行から導き出されたものを、より条件が厳しい渡海に当てはめたら駄目だろうがね。
ハイこれも内容が馬鹿そのものw
厳しい条件の航行にはそれを可能にする労力を費やすが
じゃあ緩やかな条件になっても、その厳しい条件下のものをそのまま持ち越したかどうかは分からない。
距離もあ潮の流れも速い。チンタラやってたら日が暮れる北東に流される。
多人数を投入して一気に渡る。
それを不彌國以後の水行に用いたと言う根拠は何もない。
そもそも九州に上陸して一度陸行になっているのだから。
>>630 邪魔
>>631 まだ「前提」としてるかどうかすら理解できないのか アキレ
3航海がそれぞれ一日航海に見えない奴がいるのかね?現実だ。
これを認めない奴は難癖の類になるだろうよ。
>>635 >まだ「前提」としてるかどうかすら理解できないのか アキレ
1日で80km弱の渡海ができるから性能の劣る倭船でも1日20kmくらいは最低進む ってのを前提にしてるんだろ?
それを皆が水行一日=千里を前提としてるといってるんだよ アキレルヨマッタク
>3航海がそれぞれ一日航海に見えない奴がいるのかね?現実だ。
これを認めない奴は難癖の類になるだろうよ。
反論にも何にもなってねーよ
z
>>633 あん?逃げてる。話すことがありすぎなんだよ。
コテ張れないなら数字コテや捨てハンくらいつけて欲しいもんだぜ。
>水行10日で百キロ前後、陸行1月で150キロ前後だろう。
陸行は馬鹿粘着が必死だが、内陸部という話をしなきゃならないから、いずれちゃんとやるが
水行十日で100キロはねえよ。一日10キロ、これじゃ2ノット航行以下か ワラ
何回も言わすな、それじゃ「イモトのタライ舟」
倭船にしたって朝鮮に渡れる船があるんだ。倭船も3航海は各一日航海だろうよ。
一日に相当数の航続距離を出せる能力のある船が、なんで2ノット以下の航行をせにゃならんのよ?
一日に10キロなら5時間航行でも1ノットちょいだ。
むしろ、こんな速度で進む方が難しいわ ワラ
>>638 イモトのタライ舟が好きみたいだが、タライ舟じゃ波が荒い日本海なんかまともに進めねーよ
もっとましな例引っ張って来いよ
640 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 20:10:18.16
>>635 ゴミ尿
>3航海がそれぞれ一日航海に見えない奴がいるのかね?現実だ。
単なる「主観」。
根拠無し。
逆に大型の船なら速度は遅い。
反面準構造線よりスペースはあり居住性は良いだろうから
それを優先して一日(日照時間)以上の時間をかけた可能性があると言って否定できるのか?
>>636 >釜山〜対馬〜壱岐〜松浦、この3航海を倭人伝は千里と表記している。これは事実。
この各千里航海を水行に置き換えてみる。どう見たって、これは一日航海だ。
ここから「千里表記=水行一日」が出てくる。
百回読んだか?読んでから出直せ プ
>>639 珍獣ハンター、イモトは、その日本海で佐渡から新潟のどこかまで
タライ舟で渡りきっているんだが。確か「水行一日」じゃないかな。
古代船はタライより劣るってか ワラ
642 :
○:2012/02/06(月) 20:18:02.65
>>632 :夢GEN
>机上の計算で出たものか
あるいは実際航海が7日、3日だったことから各7千里、3千里としたのか。
對馬國 千餘戸, 一大國 三千許家
末廬國 四千餘戸, 伊都國 千餘戸
奴國 二萬餘戸, 不彌國 千餘家
合計 三万戸
投馬國 五萬餘戸
邪馬壹國 七萬餘戸
到其北岸狗邪韓國、七千餘里。
狗邪韓國・末廬國 三千餘里。
すべては、虚数なり。
【 夢幻の如くなり 】
今気がついたが、イモトは「沿岸水行」じゃなく「渡海」したことになるんだな。
こりゃ結構すげえわ。
644 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 20:23:32.51
ゴミクズ無限尿 の馬鹿の一つ覚え 「イモトのタライ舟」。
はっきり言ってしまえば竜骨も持たないその構造はタライ舟と何処か変わるんだという話。
どうしても構造的に船底はフラットに近い物になる。
無論波に飲まれて転覆する危険や一度スピードに乗っってからの慣性とかで違いはあるだろうが
逆に車で言うパワーウェイトレシオ(だっけ?重量を馬力で割った数値)ならタライ舟の方が上かもしれないwww
>>641 現代のTVお笑い番組が根拠かよ TVってのはいろんなやらせで楽しませるんだよ アキレ
佐渡から新潟までの渡海と玄界灘の渡海や日本海沿岸30日航行をいっしょくたにすんなよ
現実的な比較例を使え
646 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 20:25:23.37
641 名前: _ 投稿日:
642 名前: _ 投稿日:
643 名前: _ 投稿日:
644 名前: _ 投稿日:
またむだに涌いているのか
647 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 20:28:40.11
o o
ノi^ヽ、_,ヘ、
./ _,,,......,,,_i 対馬から大宰府までが4日間 壱岐から大宰府までが3日間と
γノノλノ)) 吉川弘文館の日本史年表に書いてあります
,ヘ,ゝ゚ - ゚ノ,)
,ゝ((つ旦O
ζ_./'~|鬥「|ゝ
£'r_,ィ_ァ┘
>>642 なるほどね。
だが伊都国までの戸数はほぼ実際だと思うがね。
投馬国、邪馬台国の戸数は虚数だろう。
七千里、三千里は上記の通り。
まあ実距離を表さない虚数には違いないけどな。
話は変わるが、日本海ルートとのやり取りは注目している。
お前さんが何説か、奇抜だという説を俺も聞きたいね。
九州説、畿内説を否定する者としては興味がある。
近江説者にも興味あったんだが、消えてしまったしな。
649 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 20:29:54.31
>>625 あんたの話はあくまでも「水行一日=千里」という仮説の根拠
これが他の全ての水行にも当てはまる事を立証しないと「水行一日=千里」が真であるとは言えない
証明とはそういう事
650 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 20:34:56.86
>>625 毒尿
>ここから「千里表記=水行一日」が出てくる。
それを全体に当て嵌めたら辻褄が合わない。
そんなものは「証明」したと言わない小学校からやり直せ馬鹿者。
あと相変わらず短里にすがりついてる奴ら
それと1/6を言う伊作
魏には公式な里があるのに、倭人伝だけは特別な里なんだ?
公式尺度を使わない合理的説明をしてみろ。
あ、伊作は俺を回避中だったな ワラ
652 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/06(月) 20:38:20.60
>>599 自惚れや
>>倭人伝は、七千里七日航海+三千里三日航海、
>>つまり一万里十日航海で九州島に上陸できることを明記している。
>いま、伊作のこの説が集中砲火をあびている中で、
>批判と反論に対する意見を何もいわず、いいとこ取りの盗っ人のマネするな。
>この説は、天才伊作が平成2年、平成8年に出した本で提唱していることで、
>以降、ホームページ、ブログを通して主張してきた。
>ことわりもなく自論のようにいうな
>お前は古田説亜流だとみたが、彼は韓国陸行説をとってきたのだぞ。
上記説は「九州王朝はなかったのか?」スレで、君より前に書いている。
調べて見ろ。ヤフーにも書いたことがある。
私は、古田史観を支持するが、残念ながら、古田信者ではないので悪しからず。
東北王朝は、本が発行された時から支持したことはない。
私が最近にも、水行1日≒1000里と書いたら、否定したのは君だったよな。
>>649 >これが他の全ての水行にも当てはまる事を立証しないと「水行一日=千里」が真であるとは言えない
しただろうが。
壱岐〜松浦、この航海は 釜山〜対馬、対馬〜壱岐のほぼ半分。
ここから同じ千里表記されていながら「実距離には関係ない」という解が出る。
だから、どの水行にも当てはめられるのよ。
「水行一日=実距離に関係ない千里表記」ま〜だ理解できないか アキレ
>>650 頼むからよ、お前俺にレスすんな。馬鹿すぎて嫌になる。
辻褄が合わないから万二千里が具体的距離を表す数字ではないと言ってんだよ!
邪魔なんだよ、ゴミ粘着。
654 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 20:46:46.77
>>678 無限尿へ
あのさ、魏の使者は日本国土が東向きになっている地図
(混一疆理歴代国都之図)を元に日本に来たのか?
655 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 20:50:15.07
>>653 話にならんな
「当てはめられる」のではなく「当てはめた」だけだろ
馬鹿の振りをして誤魔化しているのか、本当に馬鹿なのか…
帯方郡から狗邪韓国まで七日きっかりで移動したと証明しない限り「水行一日=千里」は単なる仮説だよ
こっちのが賑わってるな。
>対馬から大宰府までが4日間 壱岐から大宰府までが3日間と
>吉川弘文館の日本史年表に書いてあります
誰かさん〜一発で論破されてるじゃんw
あそこは、潮の流れが速いので、水行一日=千里もありえるんだよね。
仕事空けに酒飲んで寝るのは毎日なんだが
今日は起きてからまた飲んでしまったからなあ ワラ
これじゃ釜風呂にも行けない。
いい加減酔ってきてるしやめるか・・・
雑談スレなら、呑んべい無駄レスしてるアホといくらでも酒の話をしてやるんだがね。
ワインは全くわからんが、それ以外の日本酒、洋酒は何でも薀蓄ならいくらでも語れる酒好きなんだ。
しかし、さすがにそれをここでやるわけにはいかんわな ワラ
658 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 20:53:49.83
>>653 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>辻褄が合わないから万二千里が具体的距離を表す数字ではないと言ってんだよ!
馬鹿が。
「具体的距離を表す数字」であるかどうかなんて関係が無いドアホウ。
お前は…
狗邪韓國に至る七千余里の水行も
投馬国、更に邪馬台国への水行も
同じ『水行一日=千里』と言う”置き換え”をしているんだから
その置き換えができるなら修辞として統一できる、できなければおかしい。
逆に辻褄が合わないと言う事は(渡海のシーンだけなら兎も角)全体に『水行一日=千里』を当て嵌める事が間違っていると言う事だ。
何か理屈としておかしい事を言っているか?阿呆。
659 :
夢精尿:2012/02/06(月) 20:54:41.01
釜山〜対馬〜壱岐〜松浦、この3航海を倭人伝では千里(ホントは千餘里だけど、これはナイショだ)と表記している。
どう見たって、これは一日航海だ。
壱岐〜松浦が他の2航海と比べ実距離は約半分。
ここから「千里表記は実距離と無関係」という解が出る。
ここから「千里表記=水行一日」(これは推測だなんて野暮な指摘にはプゲラで反論)になる。
そうなる(何でそうなるのかは訊くな)と、この等式はひっくり返しても成り立つ。
ここまでの論に推測もコジツケも何も無い。なくてやれるから、これは「証明」なんだよ。
で、郡から狗邪韓国の7千里。同じ倭人伝の中の話だからな。
「7千里」は以上から、当然「水行7日」になる。これが(時際に7日で行けるかどうかは知ったこっちゃないが)証明だ。
証明、証明とほざくてめえは、この7千里を水行何日かに証明できるのか(証明できなきゃ7日も否定するな)?
出来るならやってみれ(一切認めないけどなプゲラ)
>>655 馬鹿は死ぬまで馬鹿なんだろうよ。ご愁傷様 ワラ
「当てはまる」のを否定したいなら具体的にやれ。出来ないなら引っ込め。
あとは文献馬鹿?常識で考えような プ
661 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:01:02.36
>>657 糖尿
メチルアルコールでも飲んでさっさと氏んどけクズ。
こっちは面倒だから「不彌國から先は倭人からの聞き取り」とか「先遣隊による情報収集があった」とかを一応是として話してやっているが
そもそもそれらにしても根拠が無い。
少なくとも精々が「自分の説を主張できる」と言う根拠であって「他説を否定できる」と言う根拠にはなりえないものばかり。
662 :
観客その1:2012/02/06(月) 21:05:29.54
「尿」を相手にカッカしてはだめ。
この物体はどんな悪態をつく書き込みも餌にしてしまう恐ろしいバクテリアだ。
今後餌を与えるべからず。
ジョーカーは、
志紀氏に続き、無GENからもレスすんな言われてるねw
おめぇはシツコイから嫌われるんだよw
女性に対しても同じように、シツコクしたら駄目だぞwww
664 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:05:40.79
>>660 都合が悪いからって詭弁と罵倒で逃げるなよ
いいから早く帯方郡から狗邪韓国まで七日きっかりで移動したと証明してくれ
>>657 >その置き換えができるなら修辞として統一できる、できなければおかしい。
ここがお前の馬鹿の馬鹿たる所以だ。
修辞として統一 プププ
ちゃんと統一されてるんだがねえ。そこがわからない頓珍漢だから嫌になるのよ。
お前「修辞」って何か全然わかってないだろ。
お前俺にレスすんな、マジ邪魔だわ。
いちいち簡単なことを説明しなきゃならなくなるから面倒くさいんだよ。
寝よ、明日は多分お気に入りの風呂に行ってスッキリしてるだろう。
じゃあなあ〜
時代関係ないなら 今なら北九州からプサンまで4,5時間だな
半島から九州方向で海流が使えるのは壱岐から宗像だが沖ノ島に縄文から弥生の遺跡があるってことは
中継地ってことだな
667 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:11:58.35
関係の無い共通点を見つけ法則であるかのようにでっち上げる
無限尿の水行一日=千里説は井崎修五郎の競馬予想と同じ
裴世清の来倭
「九年 春三月 遣使入隋朝貢 隋文林カ裴C奉使倭國 經我國南路」・・・(『三国史記』卷第27 百済本紀第5 武王9年3月)
「六月壬寅朔丙辰 客等泊于難波津 是日」 (6月15日) ・・・(『日本書紀』)
「秋八月辛丑朔癸卯 唐客入京是日」 (8月3日) ↓
「九月辛未朔乙亥 饗客等於難波大郡」(9月5日) ↓
ずいぶん日数がかかってるねー
669 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:13:55.40
670 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 21:17:37.62
>>652 :論説泥棒・卑弥呼の都は久留米
はっきりさせておこう。
「この説は、天才伊作が平成2年、平成8年に出した本で提唱していることで、
以降、ホームページ、ブログを通して主張してきた」。
>上記説は「九州王朝はなかったのか?」スレで、君より前に書いている。
その板はいつできた板か?
2ちゃんに書いた先着順の話ではないぞ。
どうしてとこう、話の筋を取り違えるタコばかりそろってるんだ?
ここは尋常小学校卒と中卒老人の集まりか?
671 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:20:09.30
>>665 ゴミクズ尿
>そこがわからない頓珍漢だから嫌になるのよ。
お前が嫌になろうが知った事かカス。
理屈として成立していない物はいないというだけだゴミカス。
あくまでも位置論争は倭人伝の解読によるべきだと言うのなら
その倭人伝の解釈で矛盾をきたすような事をやってどうする?と言う話だ脳味噌カタワのアキメクラ。
672 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:20:40.58
水行一日=千里なんて荒唐無稽な珍説誰も信じてないよ
673 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 21:21:08.47
>>666 >今なら北九州からプサンまで4,5時間だな
これは、どういう条件でどういう根拠でかは知らんが。
伝馬船にケが生えたような船で韓国から密航してきた船が、
飲まず食わずで一昼夜でやってきたこと書いた。
これは、報道記録が残っていれば確認できる事実だ。
674 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:21:28.57
>>638 >水行十日で100キロはねえよ。一日10キロ、これじゃ2ノット航行以下か ワラ
>何回も言わすな、それじゃ「イモトのタライ舟」
「イモトのタライ舟」は海流に乗って名がされるように計算してやってんだよ。
倭人伝の行程は、そんな都合の良い海ではない。君がかってに高速船と思い込んで
いるようだが、それは君が常識がないということだ。
676 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 21:23:10.65
>>672 否定したい気持ちは分かるが、気持ちだけが出ていて説得力ないな。
ジョーカーは涙目だしw
伊作ともう一人のは、水行一日=千里説の取り合いして
お前ら何しとんwwwwwwwwwwwwww バカかw
678 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:25:05.10
>>673 JR九州高速船使ってのギャグだからw 約3時間みたいだw
680 :
○:2012/02/06(月) 21:28:01.44
>>648 :夢GEN
>だが伊都国までの戸数はほぼ実際だと思うがね。
私も戸数に限り実数に近いと考えてます。
伊都国の激減に注目してます。
合計三万にするだけなら、奴国他で調整できます。
奇抜というのは、結論に行くまでの考察の仕方であって結果ではありません。
以前にも書きましたが、八女説です。
基本的には、伽耶降臨説、伊都国東遷説、邪馬台国幻想説です。
テーマは、「海から見た古代史」です。
夢幻さんが、期待する程のものじゃありません。
ついでに、倭人伝改竄説です。
卑弥呼の都は久留米氏の范曄後漢書編集も支持しています。
(それでも邪馬台国は九州にあった11・569)この際表明しときます。
また、ボチボチと。
681 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 21:37:51.42
>>678 口先だけの否定文言は無用だ。小学生じゃないんだろ。
お前らが好きな「論拠」という奴を提示して否定せんか。
まとまった文章の2行も書けない低知能には、
はじめから無理な注文だろうがよ。
682 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:39:42.46
>>674の続き
有明海に詳しい宮崎康平は、次のように書いている。
少しは参考になるかな?
百キロの海岸コースを十日もかかるのかと疑問を抱かれる人もいるだろう。
それは、船がエンジンを備えている現在の常識から、単純に百キロ÷10で
一日辺り十キロといった考え方をするから誤解するのである。
有明海の満干時の潮流が奔騰することは重ねて力説する必要はないと思うが
実際に沿岸を航行できるのは、一日のうち二、三時間から四、五時間である。
半日もの引き続いての航行は不可能に近い。それは満潮時前後か、干潮時前後
の潮流が鈍ったときに航行しなければならないからだ。(中略)
一日平均十キロ内外しか進めないだろう。
683 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:45:50.46
>>681 何言っても聞く耳持たないだろあんたは
幾ら虚勢を張っても本当は自説に自信が無いからこんな所ににょろにょろ現れるんだろ
自説に自信があるのならどーんと構えていなさいよ
ここに来るのは暇でやることがないからだろ
所詮は2chと同レベル
685 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 21:50:37.33
そろそろ、手の内少し明かしておこう。
●俺が本を出したことを、やっかみ半分に揶揄するのがいる。
本などいくらも売れちゃいない。
俺が本を出すのは商売でもなければゼニが目当てでもない。
「いつ・どこで・どういうこと発表したか」、証拠づくりの意味が強いのだ。
●こんなところではなく、学者や学会に発表しろという奴がいる。
専門家や学会が、一ど素人の論説などとりあげることは絶対にない。
優れた論説だろうと保身のために黙殺する。そのことは周知の事実だ。
それでも、ど素人のくせにお高くとまって学者論文のまねごとでこ難しい言い方をする者もいる。
学者がど素人の意見など取り上げるものか。お笑いだ。
俺は、邪馬台国研究の底辺からムープメントを起こす道を選択した。
その一つが、借り物ではない自分の言葉使ったホームページであり、
ブログであり、WEB上での対論だ。
掲示板は「最底辺」の意識改革を意図した活動だ。紛うことなく最底辺だ。
明確なモチベーションをもってやっている。大ぎょうにいえば戦略的だ。
>自信があるのならどーんと構えていなさいよ
....〆(・ω・。) メモメモ 伊作が器が小さいと。。。
陸行一月って船で大和川を遡ったんだろうねー
ものぐさなチウゴク人が一月も歩くわけないよねー
これは陸行五百里にも言えるんじゃないかなー
>>682 宮崎康平の情熱には敬服するが、諫早に行くためのルートだし海行の便が悪い地域が
経済発展し大国になるのは疑問がある
690 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:55:44.64
いさくもどきは粗雑だけどまあがむばってやってくれや
691 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 21:57:15.38
戦略的な天才に本当に勝とうと思ったら、
視野と思考領域を広げ、思考深度を深めて取り組むことだ。
無知・ゆえの自惚ればかり目立って、論らしいことを書ける奴は皆無だ。
無能の集まり、最底辺の面目躍如というたころだな。
各自、この天才に対しては、
「自分がこれまでに接したタイプではない」という、
謙虚な姿勢になることが先決だな。
692 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:57:34.32
>>682 そういう例を何度も言っているが、東北説のキチガイが認めないんだよな
693 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 21:59:20.18
>>689 諫早に行くルートだったか? それは違くねーか?
伊作は寂しいジジイ それ以上のものではない
695 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:00:18.28
学会なら年間一万か二万程度の会費で入れるよ。
そして、査読なしの学会もあるから、
学会員が投稿すれば、発表はさせてもらえる。
そして、その記録はきちんと残り、
先発権の根拠として使えるよ。
696 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:01:05.29
引き潮にのれればらくちんくいっくで外に出れたりするけどな
697 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 22:01:24.01
>>688 いい加減に「あおり」投稿はやめとけ。板乞食。
こんなところで、微々たる日ゼニ稼ぎするゴミ人生。
何をしに生まれてきたのか、一度は自問したほうがいいぞ。
ハゲ作に勢いがない
ハゲ作の時代もそろそろ終わりそうだな
699 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:02:00.57
ついでに、査読があっても、発表者が少なくて、
ザルというところも結構ある。
700 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:03:50.02
いさくもどきは調べものして持ち込んだ時だけは
とりあえず役にはたつから
うざいけどとりあえずみえたりしている
701 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:05:05.72
>>689 諫早に行くためのルートばかりじゃないよ。有明海を南下する場合には同じ問題が
ある。
>>693 比定地は諫早じゃなかったっけ? 出身地だよね もう忘れちゃったけど
703 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:05:22.87
いさくもどきはからまれるとやだから
こっちのほおみないふりしている
卑弥呼の時代から370年後でも
>>668なんだよねー
潮の流れと風向きの条件が揃わないと航海なんて出来なかったんだろうねー
そんな外海航海の大変さを知らなかった魏人は航海にかかった日数だけ聞いて7000里とか1000里とかって判断しちゃったんだろうねー
魏使が実際に日本へ来たのならその辺りの大変さを理解できるだろうし、やっぱり帯方郡での聞き取りなんだろうねー
705 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 22:06:39.28
>>695 俺は「その道」を選択しなかった人だといっているだろ。
徒党を組まず・誰にも与せず・誰の引き立て役もやらない。
会などつくらないし、会にも入らないし、講演会に行ったこともない。
真性・孤高の天才よ。
706 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:06:42.84
俺は最底辺工学研究者なんで、
赤面するような発表を相当やらかしてきたけどなあ。
それより恐ろしいのは、それにすら気づかなかったりすることだ。
他人のズレた学会発表を、生暖かい目で見られるようになるには、
なかなか、年季がいるもんだ。
そうやってみんな成長していくんだよ。
707 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:08:08.56
708 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:10:09.38
709 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:10:46.87
>>691 あんたは自説を披露して自尊心を満たしたいだけなのか?
それとも学問的探求心から倭人伝を研究しているのか?
後者なら絶えず自説の妥当性を検証する謙虚な姿勢が不可欠だろ
前者なら無限尿と同類
好きにやってくれ
710 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:12:19.87
>>707 史学会で一万二千円だね。
医学系を別にすれば、だいたい似たようなもんだと思う。
あと、学生の発表の場が必要だから、
必ず査読なしの学会があるはず。
ただし、ほかの学会との共催になってる場合がある。
711 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 22:13:15.29
ゴミ掃除
>>698 >ハゲ作
俺は剛毛・直毛でハゲない家系だ。
>>706 >それにすら気づかなかったりすることだ。
周囲に気づかされるのと、自らに気づくのとでも大きく違うぞ。
>他人のズレた学会発表を、生暖かい目で見られるようになるには、
そんなナアナアだから、日本ではろくなのが育たないんだ。
(抜けた才能はタマに出るが、全体水準という意味でお粗末)
>そうやってみんな成長していくんだよ。
ウソこけ。そういうお前が成長したようには見えんぞ。
712 :
○:2012/02/06(月) 22:13:28.08
>>567 :ローガンさん
>漢書の注に「帯方東南萬里」とある。
三国志には「自郡至女王國萬二千餘里。」と。
有り難うございます。
自説に取り入れさせてもらいます。
よろしく。
714 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:15:16.78
>>697 純粋な知的好奇心から質問してるだけなんだよなー
なんせ神とか天才とか自称してるお方だし
学問版にいるなら、知らないことは知らないとはっきり言う勇気を持った方がいいと思うよ
詭弁で逃げても皆んなわかってる
恥を晒してるだけなんだよなー
717 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 22:22:04.34
>>709 >後者なら絶えず自説の妥当性を検証する謙虚な姿勢が不可欠だろ
自説を述べる前に、必ず「自説の妥当性を担保」する検証結果や論拠を、
正直かつフェアに提示している。ローガンが認めるところだ。
その点では、従来の姑息な邪馬台国論とは別格だ。
お前の発言が「自尊心を満たしたい」かっこつけの発言ではないのなら、
黙って俺のサイトを見れば、俺の姿勢と情熱のほどは確認できるはずだ。
お前がまともなら、
この返答だけで俺が半端な相手じゃないことがわかるばすだ。
718 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:25:42.31
719 :
縄嘉ー:2012/02/06(月) 22:27:16.87
>>653 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/06(月) 20:43:49.06
>壱岐〜松浦、この航海は 釜山〜対馬、対馬〜壱岐のほぼ半分。
この馬鹿まだこんなこと言っとるわい。学習能力ゼロだな。
そんなもの一般的解釈ではないぞ。一般的誤解だ。
儂が説明してやっただろうが。
狗邪韓国(その中心地は金海だろうが釜山であろうがどこでも良いが)から對海国(対馬)へ渡海するときの出航地は巨済島南岸だ。
対馬海峡の潮流は東北向きだから出航地は出来るだけ西寄りでかつ對海国の港へ最短距離となる場所を選ぶのが常識だからだ。
始度一海千餘里はこの渡海の距離だ。直線距離にして約78kmで浅茅湾に入る。
對海国から一大国(壱岐)への渡海が千餘里で約60kmだ。
魏の大型船を係留できる末盧国の港は現在の唐津港などのある海岸線には無く、入り江が入りこんだ先の相知辺りだ。
外海に面した海岸に船を長期係留する馬鹿はいないし、末盧国から東南に陸行するのに船で相知まで行かずに唐津港辺りで下船して歩く馬鹿はいない。
壱岐からこの相知までの航路距離は直線距離では約50kmであるが玄界灘に回り込むので55〜60kmだ。
720 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 22:29:02.04
はじめっから「抽象的な中傷色」が漂っていたが、
中傷的な否定が、中傷的な誹謗になっているぞ。
頭がわるいから、具体的かつ論理的な指摘はできんのだろ。
ゴミ箱でうごめく銀蠅の幼虫。
伊作は寂しくかつ目立ちたい それだけのジジ
722 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:30:13.62
>>665 無限尿
お前が修辞とはどういうものか解ってないだろうが。3世紀の中国人がどうやって距離を測ったか答えられない罠。だから修辞という言葉で逃げているんだ罠。修辞というのは修辞される本体が有ってこそ成立する。しかしお前の言う修辞、12,000里の本体とは何だ?
具体的な距離、キチッと測られた距離が有ってこそ修辞は成り立つ。しかしお前は
具体的な距離の測り方を知らないのだから、説明できないのだから、お前の言う修辞は実は修辞ではなく、ごまかしに過ぎない。したがってお前の九州説、畿内説の否定は成り立たず、お前の「証明」の失敗が証明されている。
お前は論理学ができると自慢しているが、たいした論理学だなあ。
723 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 22:30:23.40
>>721 われわれが相手してやらないと自殺するかもしれんな
725 :
718:2012/02/06(月) 22:31:07.81
この学会も基本的に査読はなさそう。
>>719 >外海に面した海岸
松浦川河口は古代から外海に面してない
727 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 22:33:56.30
>>724 日ゼニ稼ぎの板乞食が。
「ほっとけ」「無視しろ」といってもからんでくる。
俺が無視すりゃ名指しであおる。
桶が3日もでなきゃ、ラブコールが起きる。
この事実があるのに、わくもそういうウソが吹けるな。
それもあおりのつもりか? 板乞食
>>723 かわいい奴だなー
このあたりがバカにされつつも愛されてる理由なのか?
729 :
縄嘉ー:2012/02/06(月) 22:58:08.72
>>726 :日本@名無史さん:2012/02/06(月) 22:33:34.99
>>719 >>外海に面した海岸
>松浦川河口は古代から外海に面してない
儂の文章を途中で切ってくれるな。松浦川河口が外海に面していたと言っているのではないからの。
現在の松浦川河口から相知までは入り江だったのだよ。だから、3世紀頃の松浦川河口は相知辺りになるのだよ。
>>729 貝塚か何かで確認してるの?
単純に海面3m上げたら唐津平野ほとんど沈むよ?
731 :
日本@名無史さん:2012/02/06(月) 23:16:21.47
おねがいだから志登支石墓とか水没させないでください。
732 :
縄嘉ー:2012/02/06(月) 23:17:46.16
>>567 :ローガン:2012/02/06(月) 16:28:07.18
>この修辞の萬里に通交により得た情報から、二千余里が付加されたものが三国志の記述。
ほう、ローガン氏の見解はこういうものでしたか。
しかし、陳寿ともあろうものが修辞にすぎない万里に実距離の二千里を加えて万二千里とするナンセンスに気付かなかったですかな?
それと修辞についての疑問じゃが、
単に遠いことを示すだけならば万里だけでよく、餘をつける必要もないじゃろう。狗邪韓国までの七千餘里も七千里でいいし、
渡海も千餘里でなく千里でいい筈だが、どうして餘が付いているのでござろうな?
733 :
縄嘉ー:2012/02/06(月) 23:26:29.30
>>730 :日本@名無史さん:2012/02/06(月) 23:10:24.84
>
>>729 >貝塚か何かで確認してるの?
>単純に海面3m上げたら唐津平野ほとんど沈むよ?
弥生遺跡は沈まないから安心して頂きたい。倭人伝に書いてある濱山海居とは外海に面した海岸部のものも
含まれるが内陸に長く入り込んだ入り江の岸辺の情景にぴったりだ。
734 :
縄嘉ー:2012/02/06(月) 23:32:14.26
>>731 :日本@名無史さん:2012/02/06(月) 23:16:21.47
>おねがいだから志登支石墓とか水没させないでください。
確かに志登支石墓遺跡の海抜は3m以下だが、これは地盤沈下によるものではないかと思う。あの辺りは
軟弱地盤だから隆起したり沈下したりが考えられる。
なお、儂は「水中墓だったら面白い」と思ったことがありますがの。
735 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/06(月) 23:39:20.56
●浙南石棚墓群(浙江省温州地市瑞安)
1993年に浙江省温州地市30を超える石棚墓が発掘され、春秋時代の器物が多数出土した。
石棚墓とは日本でいう支石墓のことである。これは、紀元前1700年〜紀元前256年頃にか
けて江南地方で営まれた墓制で、石棚墓の下には甕棺も埋葬されている。その形状や葬送
様式などから、九州北部や朝鮮半島南部に展開する支石墓のルーツかとも考えられる。
紀元前1500年頃になると遼東半島から吉林省南部地域にも出現するが、これは、支石を箱
形に並べた上に高くびえる形で天井石を載せたもので、テーブル式と呼ばれる。一方、朝
鮮半島南部に支石墓が出現するのは紀元前500年頃からで、数個の支石の上に長方形に近い
天井石を載せたもので、碁盤式と呼ばれている。韓国では、高くそびえるテーブル式を北
方式、低い碁盤式を南方式と分類しており、両形式のおおよその境界は全羅北道付近とされる。
浙南の石棚墓は後者の南方式と呼ばれる碁盤式である。日本では、碁盤式と呼ばれる南方式
の支石墓が縄文時代晩期末の九州北部に出現している。唐津市の葉山尻支石墓群が最古とされ、
縄文時代晩期末(弥生時代前期)〜弥生時代中期の支石墓と甕棺墓がある。(wikpedia)
浙江省温州地市といえば、出身者には海外で活躍する華僑が多い土地柄である。しかも、
『倭人伝』が倭人の文身のルーツではないかとした会稽・東冶(春秋越の領域)の真ん中ほど
にあたる。この碁盤式支石墓のルーツが浙江省温州地一帯にあるとすれば、長江流域や河口
部の民族だけではなく、さらに南方の大陸沿岸部の海人たちもやってきていたことになる。
それほどに多様な民族が、日本列島に早くからやってきていたということだろう。
http://blog.goo.ne.jp/isaq2011/e/feb38310affc1341db8f81b06fa43f45
>志登支石墓遺跡
あそこの〜大きな石(墓石)の上に載ってぴょんぴょん跳ねてきたぜ〜
おれってバチが当たるかなwww
>>733 菜畑遺跡のあたりだけはね 松浦川の両側の平野部は全部沈む
千餘里を実測距離にしたいだけの妄想でしかない
佐賀平野のように貝塚のラインがわからなければ地層図とか調査してから断定しないと説得力ないよ
いや、ちがうよ。
志登支石墓って、行ったことがあるんだが、
周りの田んぼか草かしらんが少しだけ盛り上がったところにあるんではなかっただろうか。
(低い所にあるわけでは無いというか)
だから、水没うんぬんの話ではないと思うぞ。
ていうか、縄文人って北部九州の話しかしないよね・・・。
近畿とか、東海、又は関東とか行ったことないのかい?
古代史が好きなら、私みたいに、関越自動車道をとおって関東の神社巡りだとか
東海地方の古代史の旅とか普通〜するだろう。
740 :
縄嘉ー:2012/02/06(月) 23:57:16.54
>>737 :日本@名無史さん
>菜畑遺跡のあたりだけはね
いや、桜馬場も柏崎貝塚遺跡も 宇木汲田遺跡も久里大牟田遺跡 等も沈まないよ
>千餘里を実測距離にしたいだけの妄想でしかない
妄想とは全く根拠のない空想だな。地形、弥生時代の海面高さなどから導かれる話を妄想とは言えんだろ。
>>740 遺跡が沈むといってるんじゃないの 遺跡はやや丘陵になったとこにあるから
十分に米が作れないの
>>740 >>742の地図見て、船を長期係留するためにわざわざ相知までロープで引っ張って行く必要がある?
ふと目が覚め…
携帯見て気づいたら…
丹波での上陸地ですが、
久美浜湾じゃなくて美保湾でした。
(最初から網野銚子山古墳と書けば良かった…)
745 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 07:17:07.23
唐津かもっと松浦川を遡っているかはともかく、末盧国がその周辺であることは
問題がなかろう。次は、伊都国がどこかだ。
末盧国から東南五百里、しかも陸行したところだ。怡土説はまちがっていると思
うがどうかな?
746 :
志紀:2012/02/07(火) 07:35:49.88
>巷間の匿名の議論の場では、出された意見に対する意見や正当な反論ではなく、
意見を出した人間に対する不当な人格攻撃や誹謗・中傷が必ずみられる。
私の実体験として、これにまともに対応しては泥仕合を演じることになる。
こうした現象は畿内説を支持するアマチュアに多く、
中には古代の真相究明などそっちのけで、人格攻撃や誹謗・中傷を専らとする者もいる。
史実検証は純粋かつ崇高な行為のはずなのだが、
実際のところ、邪馬台国論の底辺は極めて醜いといわざるを得ない。
実際には、誰彼構わず噛みついてるようにしか見えないが。
尿みたいなのに付きまわとわれるのは何故か?ってことくらいわからなきゃだめだよ。
747 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 07:51:22.07
>>739 古代史が好きなら、九州を旅するんじゃないかな〜
748 :
志紀:2012/02/07(火) 07:54:27.36
>>739 大概行ったよ>近畿
でも、なんか違うんだよね。九州。
俺は特に熊野(大分)の古仏が良かった。不動明王最高。
あと宇佐八幡宮。日本の神社の別格って良くわかったわ。
あれ、和歌山の熊野の元じゃね?
749 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 08:02:26.91
志紀は古代史を根本的に勘違いしてる、観光客の感想文だな。
750 :
志紀:2012/02/07(火) 08:06:34.64
日本語でおk
古代史が好きで不動明王〜とか言ってる時点でさw
あれこれ批判する前に最低縄文から勉強やりなおせ。
752 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 08:56:11.37
不動明王と言えば真言宗でOK?
>>664 前提だの循環論法だのトンチキしかいえない馬鹿は、馬鹿の一つ覚えか。
釜山〜松浦 の3航海から「水行一日=実距離に無関係な千里表記」は証明できる。
最初はここ。これがあるから群から狗邪韓国の7千里は水行7日とわかる。
グダグダ繰り返すな、低脳。
>>669 >あのさ、魏の使者は日本国土が東向きになっている地図
(混一疆理歴代国都之図)を元に日本に来たのか?
元の質問が出鱈目だ。
「混一〜」的な、あるいは「古今華夷〜」的な地理観は東に伸びていない。
使者は日本国土を南北に伸びた国だと思って来ている。
>>671 倭人伝の中で修辞の用法で一切の矛盾はねえよ。
修辞の数字を合算するという馬鹿を考えるのは、本物の馬鹿だけだ。
>>674 いやそれがな、潮に押し流されて2時間くらいは全く進んでない途中経過もあったんだ。
GPSで位置測定しながらで、バラエティではあるが中々の企画で面白かったぜ。
俺が見たのは1回目チャレンジに失敗した後のリベンジ企画だった。
計算ずくで成功を確信しての企画じゃなかったぜ。
それとな、別に当時の舟を高速船とは思っていない。
くり抜き船や準構造船の常識で見るなと言ってるだけだ。
>>680 ふむ、ボチボチと聞かせてくれ。
基本は俺相手じゃなく、日本海ルート支持者とでいい。
>>719 >そんなもの一般的解釈ではないぞ。一般的誤解だ。
そうやってご都合主義からの勝手解釈を持ち出さなければ、てめえの話など成り立たない。
人文科学ではな、証明されないものは一般的解釈にたってやるのが真っ当なの。
「俺だけ正しい、他が全部誤解してる」で通るか、阿呆が。
海岸線にしたって叩かれてる通りだ。都合よく解釈重ねて相知、馬鹿丸出し。
>>722 こいつも馬鹿の繰り返し。
どうやって距離を測ったか、早く言え、糞頭。俺は測れないと言ってるんだ。
>具体的な距離、キチッと測られた距離が有ってこそ修辞は成り立つ。
馬鹿じゃなきゃ、こんなことは言わねえよ。上の奴と同じ奴かな?
お風呂、お風呂。楽しみ、楽しみ。
今日は雨の中の露天風呂も楽しめそうだ。じゃあなあ〜
伊作、俺の「水行一日=千里」はお前の論とは関係ないからな。
狗邪韓国からの3航海千里表記を水行に置き換える、という柔軟な発想から導き出したものだ。
ここが俺の頭の良さ、なんちゃってな〜 ワラ
お前は人生を熊本説に賭けてるんだろうが、馬鹿馬鹿しい。
基本は、どこだと証明されても「あ、そう」で終わる話だ。
オタクの情熱も、度が過ぎるとただの病気だぜ ゲラ
756 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 10:26:55.57
倭王讃の晩期(418)に天竺僧の清賀上人が雷山に
大悲王院千如寺のもとになるやつでっちあげたかも
ってゆうのべえすで思惟するとですけどね
倭域に持ち込まれたぶでぃずむのやつは
多分に呪術的要素がでかい形で受容された
受容する側のクオリティによるわけなんでしょうがね
>>755 >お風呂、お風呂。楽しみ、楽しみ。
>今日は雨の中の露天風呂も楽しめそうだ。じゃあなあ〜
自分語りが好きな奴だなあ。
ここはお前の日記帳じゃない。
758 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/02/07(火) 11:16:51.22
>>756 清賀上人の千如寺の件は418年あたりではなく、倍暦換算でその実年代は
成務48年頃=338年頃
である。
通説の
成務48年=178年=若帯日子 立太子年
の178年は実年代ではなく、160年分、倍暦により実年代との年代差が在る。
759 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 11:27:53.71
邪馬台国オタクの妄想だらけだなこりゃww
760 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 11:28:07.90
>>741 :日本@名無史さん
実際、水田の多いところではなかったのではないかな。
米は山際の小川から水を引ける場所に作るのではないかな。
倭人伝の記述「濱山海居 草木茂盛 行不見前人好捕魚鰒 水無深淺 皆沈沒取之」はどう見ても漁村の風景だね。
761 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 11:38:38.28
完全に平坦で広大な平野って、意外と水田作りにくくてね、
川の水面が、水田より下にあるから、汲み上げなきゃならない。
どっか川底が高いところまで、水路を引くとか、しなきゃならない。
人力揚水だと、どこの拷問ってことになる。
今なら、電動かエンジンで組み上げるけどね。
762 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 11:53:51.10
763 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 12:00:56.74
>>753 >使者は日本国土を南北に伸びた国だと思って来ている。
そんなこと思ってないよ。女王国の東渡海千里にまた倭種の人々が住む地があると
書いている。本州、四国が東にあることを知っているんだよ。
南に延びているのならば、東には何もないとなるはずだ。
764 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 12:06:51.71
>>743 :日本@名無史さん:2012/02/07(火) 00:23:01.10
>
>>740 >
>>742の地図見て、船を長期係留するためにわざわざ相知までロープで引っ張って行く必要がある?
>>742の地図は現在の地形を基に海面を3m上げてみたもので参考にはなるが、3世紀の姿そのものではない。
例えば、虹ノ松原は海砂が波の作用で積み上げられてできたもので、弥生時代の姿ではないだろう。
また、松浦川の川底と流れの周囲は土砂の堆積で弥生時代より高くなっている。
したがって、>742の地図に見られる湾口を閉ざすような形でせり出している虹の松原は弥生時代には浅瀬で、
入り江は相知辺りまで伸びていたと見てよい。
船を長期係留する場合は風波によって流されないことと船食い虫の被害を避けることが重要である。
このため、風波の害が少ない入り江や河口に係留することが常識である。
内陸部に深く入り込んだ入り江の奥の河口は最も理想的な係留点である。風波の害の心配がなく、河口であれば真水
が多いので船食い虫の被害も少ない。また川の流れに舳先を向けて係留すれば川が大雨で増水しても流されることもない。
相知辺りに船を乗り入れるのは一つには上記のような理由があるが、のちの東南陸行を考えればここまで船で来るのが当然でもある。
松浦川沿いに東南に向かい小城市辺りに出るのに現在の唐津港辺りで下船して歩くのは考え難い。
765 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 12:31:19.97
露天風呂なら、酒だ。もう昼かよ。そろそろ飲むとするか。とりあえずビールだな
766 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 12:45:06.07
そう言えば、去年の夏にビールを飲みながら友人に卑弥呼を語っていたら、後ろの席のタトゥーいれた二人組の兄ちゃんが「ジジ臭い話しだな(笑)」と言ってた
それは許したが、兄ちゃん「金印みたいな〜バカ?(笑)」 と聞こえたので、ボゴボゴにしてやったが、しかし、意気がってたわりに、めちゃくちゃ弱かったな
爆笑したのは、卑弥呼さま〜と言え(怒)
兄ちゃん「卑弥呼さま〜」だって。だから許してやったよ。夏のいい思い出なんだけどね。人様をバカにする時は、皆も気をつけた方がよいよ♪
767 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 12:56:36.72
>>753 だからな、水行一日=千里はお前が三航海から考え付いた仮説なんだよ
たまたま三航海とも一日だっただけかもしれないのに
それをもって日数を基準に里数表記したと結論付けるのは論理が飛躍し過ぎている
水行一日=千里が正しいとするにはまだまだ検証が足りないんだよ
だから先ずは水行七千里は七日きっかりだったと立証してみなさい
話はそれからだ
768 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/07(火) 13:11:48.89
>>746 >実際には、誰彼構わず噛みついてるようにしか見えないが。
お前もそうだが、実際に礼節をわきまえ、かつ、論らしいやりとりの仕方をしているのがいるか。
誰彼かまわずではない、俺から噛みついてるんじゃないぞ。
俺に噛みついてくる奴を、無礼な態度の倍々返しで蹴る散らしてるだけだ。
それほどに無礼な口上・態度をする奴ばかりということだ。
他人に注文をつけるなら、事態と本質ぐらい見極めてからいえ。
>尿みたいなのに付きまわとわれるのは何故か?ってことくらいわからなきゃだめだよ。
俺は魅力的な人間でな。人気者だし、みなが俺の投稿だけは興味をもってみる。
お前もその一人だろ。82でも視聴率が高いので評判だった。
82では、完璧にイカれた気違いまでもが俺にまとわりついたものよ。
それでナニ、上から目線で気の利いたふりでもしたつもりか。
↓↓↓そのお前などには思いもつかない立派な「最底辺批評」だろうが。
巷間の匿名の議論の場では、出された意見に対する意見や正当な反論ではなく、
意見を出した人間に対する不当な人格攻撃や誹謗・中傷が必ずみられる。
私の実体験として、これにまともに対応しては泥仕合を演じることになる。
こうした現象は畿内説を支持するアマチュアに多く、
中には古代の真相究明などそっちのけで、人格攻撃や誹謗・中傷を専らとする者もいる。
769 :
大訂正!:2012/02/07(火) 13:18:22.33
>>567 :ローガン:2012/02/06(月) 16:28:07.18
>漢書の注に「帯方東南萬里」とある。・・・@
>三国志には「自郡至女王國萬二千餘里。」と。・・・A
「自帯方至女國 万二千餘里」・・・魏略翰苑 ・・・B
@ とBの起点は「帯方」です。
@ の「帯方東南萬里」は、「如墨委面」を受けて「委」を刺している。
で、@の着点は北緯37度30分の長岡当り。
A の着点は北緯34度53分57秒の新城市と北緯36度03分51秒の福井市をむすんっだ
あたり。
B は北緯37度30分の会津若松当り。
概略ですが、
@、A、Bの着点が異なるでしょう。
それから、
Bの起点は「帯方」ではありません。
770 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 13:23:26.96
>>768 このレスが、そのまんま「人格攻撃や誹謗・中傷」
伊作の場合、伊作説を否定する=無礼。
だから、すぐに議論じゃなくて罵倒合戦が始まる。
伊作が他人を批判する言葉は、そのまんま鏡に映った自分への批判。
771 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/07(火) 13:27:51.52
>>770 お前みたいなタコ名無しでも、自己弁護はするわけだ。
772 :
大訂正!:2012/02/07(火) 13:33:10.19
>>769 >@ の「帯方東南萬里」は、「如墨委面」を受けて「委」を刺している。
再掲。。。。
伊都国王は魯の宣公の後、所謂「季歴之後」である。
周公旦
魯の開祖で周公は称号と思われる。文王の第四子で、初代武王の同母弟である。
文王は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。
魯の宣公(せんこう、生年不詳 - 紀元前591年)は、魯の第21代君主。
名は餒(俀(たい))。
魯の宣公の名が「俀であり委」だった。
左伝宣公元年(紀元前719年)の『経典釈文』に,
「宣公, 名俀, 一名接, 一名委。 文公子, 母敬『えい』。 謚法: 善問周達曰宣」とある。
から、
魯の宣公の
母敬『えい』は始皇帝(しこうてい)の姓・『えい』と同じである。
黄帝=土徳(黄)、夏=木徳(青)、殷=金徳(白)、周=火徳(赤)、秦=水徳(黒)。
【如淳曰:「如墨委面、在帶方東南萬里。」
臣[王贊]曰:「倭是國名、不謂用墨、故謂之委也。」
師古曰:「如淳云『如墨委面』、蓋音委字耳、此音非也。倭音一戈反、今猶有倭國。
の、委は黒で水徳の秦の系。
773 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/07(火) 13:40:52.83
>>767 >たまたま三航海とも一日だっただけかもしれないのに
俺の説を否定する根拠が「かもしれない」か。
それで、よくも他人の論説を批判する気になれるもんだな。
抽象的な否定文言はもう無用だ。議論らしい議論をしよう。
@「水行5000里」という記録があった場合、何をもって5000里としたか。
お前が当事者だったら、何を基準に距離表記するか。応えろ
A帯方郡から狗邪魔韓国まで7000里(約3000キロ)あるか?
この途方もない数値は何を基準にした数値か。答えろ
B狗邪魔韓国―対馬、対馬―壱岐、壱岐―唐津間が1000里(432キロ)あるか?
この途方もない数値は何を基準にした数値か。こたえろ
明確な論拠と自論があれば提示しろ。それが最強の反論になる。
ただし、陳腐な詭弁か「だろう」「かも知れない」レベルのたわごとが出たら勝負ありだ。
俺みたいに、危機感をもって集中的に批判されるほどの説でも出せれば奇跡だ。
774 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 13:47:35.81
>>732 :縄嘉ー:2012/02/06(月) 23:17:46.16
>
>>567 :ローガン:2012/02/06(月) 16:28:07.18
>>この修辞の萬里に通交により得た情報から、二千余里が付加されたものが三国志の記述。
>れと修辞についての疑問じゃが、
>単に遠いことを示すだけならば万里だけでよく、餘をつける必要もないじゃろう。狗邪韓国までの七千餘里も七千里でいいし、
>渡海も千餘里でなく千里でいい筈だが、どうして餘が付いているのでござろうな?
修辞は「言葉を美しく巧みに用いて効果的に表現する」ためのものだから、餘が付いているのは修辞とは言えないですね。
千軍万馬や一瀉千里を千軍餘万馬餘 or 千餘軍万餘馬、一瀉千里餘 or 一瀉千餘里じゃあ様にならない。
万二千餘里も千餘里も修辞とすれば文章家が唾棄するダサイ表現だから実数と見るのが正解ですね。
775 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 13:54:26.51
なるほど。
「餘」、が付いているから、実距離をより正確に説明しようと努力した
と言えないこともないのか。
776 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 14:19:37.85
>@「水行5000里」という記録があった場合、何をもって5000里としたか。
まあ、古代において5000里をどこにも寄らず一気に航行するなど考え難いから、50里とか100里とか500里とかの
航行を積算して5000里と記録した公算が高い。それが最も常識的だ。
>>773 伊作、頭にまた血が上ってるのか ワラ
>>767は俺へのレスだ。お前に言ってるもんじゃねえぜ。
その
>>676 >だからな、水行一日=千里はお前が三航海から考え付いた仮説なんだよ
たまたま三航海とも一日だっただけかもしれないのに
それをもって日数を基準に里数表記したと結論付けるのは論理が飛躍し過ぎている
仮説じゃねえよ、証明だ。
唯一つく条件は「狗邪韓国から北九州までの3航海ルートを一般的解釈で見る」だけ。
「たまたま」も成り立たない。
壱岐から松浦までが他の2航海の実距離が半分だからだ。いい加減分かれ、馬鹿頭。
>だから先ずは水行七千里は七日きっかりだったと立証してみなさい
腐れた頭で同じ馬鹿を言い続けてろ。
3航海で「水行一日=実距離に無関係な千里表記」は成立するんだから
7千里表記されたものは水行7日だ。
778 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 14:23:10.68
>A帯方郡から狗邪魔韓国まで7000里(約3000キロ)あるか?
>この途方もない数値は何を基準にした数値か。答えろ
約3000キロはない。したがって、7000里の里は魏の公式尺度によるものではない。これが最も常識的な理解である。
779 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 14:27:53.75
夢GENはものを知らないし常識もないから相手にしなくてもよい。
なにしろ口先だけでひとを騙して商売した奴だから。ジョーユー2世だから。
>>774 >修辞は「言葉を美しく巧みに用いて効果的に表現する」ためのものだから、餘が付いているのは修辞とは言えないですね。
>万二千餘里も千餘里も修辞とすれば文章家が唾棄するダサイ表現だから実数と見るのが正解ですね。
ずいぶんと乱暴な話だな、おい ワラ
「餘里」がついた方が、言葉の響きとしては流麗になると思うがね。
実距離にしたい馬鹿九州説者なんだろうが
実距離と言うなら@どうやって実測したんだA壱岐〜松浦の距離は同説明するんだ
答えてみな。
781 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 14:32:06.84
>B狗邪魔韓国―対馬、対馬―壱岐、壱岐―唐津間が1000里(432キロ)あるか?
>この途方もない数値は何を基準にした数値か。こたえろ
432キロはない。これも里が魏の公式尺度によるものではないことを示す。これが最も常識的な理解である。
>>778 >したがって、7000里の里は魏の公式尺度によるものではない。これが最も常識的な理解である。
その根本がねってねえ。全く非常識。
実距離なら、なぜ公式尺度で書かれてないんだ。なぜ倭人伝だけ特別なんだ?
お前も
>>780の二つの質問とこれを答えてみな。
>>781 自分は常識的なことを書いていると思っている非常識馬鹿。
俺の突っ込みに答えな。
書き間違い訂正
× 実距離と言うなら@どうやって実測したんだA壱岐〜松浦の距離は同説明するんだ
○ 実距離と言うなら@どうやって実測したんだA壱岐〜松浦の距離はどう説明するんだ
785 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 14:46:57.96
>>777 :夢GEN
>仮説じゃねえよ、証明だ。
>唯一つく条件は「狗邪韓国から北九州までの3航海ルートを一般的解釈で見る」だけ。
>「たまたま」も成り立たない。
>壱岐から松浦までが他の2航海の実距離が半分だからだ。いい加減分かれ、馬鹿頭。
狗邪韓国から北九州までの3航海ルートの一般的解釈とはどういうものだ?
それが一般的解釈だとどうして言えるのだ?
また、一般的解釈が必ず正しいと言えるか?
前提が正しくなければ結論は間違いだ。先ず前提の正しさを証明しろ。
それと誰もが指摘していることだが、お前は知識が無さ過ぎるし、科学的、論理的考察ができない。
「この板に書き込むなど百年早え〜よ」と思っているが、中には馬鹿をいじるのが好きな者もいるからおまえも相手をしてもらえている。
少しは状況を見ろ。と言ってもおまえには無理か。馬鹿は死ななきゃ治らないからな。
あ〜忘れてた
>>763 >女王国の東渡海千里にまた倭種の人々が住む地があると
書いている。本州、四国が東にあることを知っているんだよ。
南に延びているのならば、東には何もないとなるはずだ。
そこは伝聞。伝聞をそのまま表記したものだ。魏の使者の地理観ではない。
東北にはこだわらないが、東北の内陸部なら東にも港はある。
前に言ったな、北海道の東側に行くなら東の海岸に出るだろうよ。
朱儒国は北海道しか考えられないんだからよ、九州説はここでも無理があるんだよ。
787 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 14:53:39.89
>>782 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/07(火) 14:35:27.75
>実距離なら、なぜ公式尺度で書かれてないんだ。なぜ倭人伝だけ特別なんだ?
また無知をさらして馬鹿だな〜。
倭人条だけではない。東夷伝の里数記事の全てが魏の公式尺度によるものではないぞ。
788 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 14:57:53.36
夢GENは負けてばかりだな。
>>785 腐れ頭、笑わすな プ
>それと誰もが指摘していることだが、お前は知識が無さ過ぎるし、科学的、論理的考察ができない。
俺に具体的反論が出来ない馬鹿の戯言が何だって プ
お前らとは知識も頭のよさも桁が違うんだよ ワラ
>狗邪韓国から北九州までの3航海ルートの一般的解釈とはどういうものだ?
それが一般的解釈だとどうして言えるのだ?
また、一般的解釈が必ず正しいと言えるか?
ループ。アホくさいから繰り返さない。過去ログ漁れ。
俺はコテだ、検索しな。
790 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 14:59:05.45
うん。しかし遺作とはいい勝負するな。
791 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 14:59:26.81
私は、短里77mを周里算経を根拠にしているわけだが、
ちょっと前に、朝鮮氏がラジアンの間違いじゃないかと言ってたな。
すぐに撤回したようだが。
ラジアンってのは、角度360度を2πラジアンで表現するものだが、
計算結果は、半径1の単位円から計算した結果に2πラジアン掛けた数値になる。
つまり2×3.14倍の結果になる。
これは、6.28倍であり、公里と短里の比率に近いものになる。
よく伊作が言っている6.5倍にも近い。
周代の里程の計算法は周里算経にすでに載っているわけであり、
魏の時代の公里は、同じくラジアンの計算を間違えたまま、公里としたと
いえないこともないのではなかろうか。
ちなみに九章算術でも円周率に近いものは出てくるから、
πを使用することそのものは問題ない。
まあ、妄想だが提案しておく。
>>787 だから「なぜ公式尺度じゃないんだ」と聞いている。意味わかるか、馬鹿。
そしてその中でも倭人伝だけは、なぜ1/6と言う特殊な里なわけ?
実距離にしたい奴の無理無理コジツケが生んだ産物よ。
で、実距離はどうやって実測したんだろうねえ。
793 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 15:05:59.40
ランドマーク(目印)がはっきりした所で、
公里を1/6すると、だいたい倭人伝の記述と一致するから、
短里を捨てる理由はないな。
方四千里は現韓国の国土面積にぴったりで、
これも矛盾はない。
794 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 15:07:23.05
>>789 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/07(火) 14:58:07.74
>ループ。アホくさいから繰り返さない。過去ログ漁れ。
>俺はコテだ、検索しな。
馬鹿だねえ。おまえの過去レス がなってないから改めて聞いてやっているのだ。
こうして逃げるのがこいつの常套手段だということは誰でも知っているぞ。恥ずかしくないか?
>>788 俺が今まで言ってきたことで、一つも崩されたものは無い。
あるなら箇条書きで出しな。
>>794 俺がいつ逃げた?笑わすな、腐れクズ プ
散々話してきたばかりのことも理解できず
>狗邪韓国から北九州までの3航海ルートの一般的解釈とはどういうものだ?
なんて馬鹿質問してる、てめえの馬鹿さに気づきな。
人文科学における一般的解釈が持つ意味も説明済み。
今は馬鹿レベル降下サービス期間じゃねえ ワラ
796 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 15:19:50.45
>795 名前: 夢GEN ◆vaujymvCDcV. [sage] 投稿日: 2012/02/07(火) 15:15:31.25
>
>>788 >俺が今まで言ってきたことで、一つも崩されたものは無い。
>あるなら箇条書きで出しな。
「何一つ実証されたものはない」、のまちがいだろ?
「俺様の常識」では、実証された事にはならんぞ。
797 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 15:24:47.40
>>792 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/07(火) 15:01:05.09
>>787 >だから「なぜ公式尺度じゃないんだ」と聞いている。意味わかるか、馬鹿。
違うから公式尺度じゃないと言っているだろ。そんなことも分からんのか?
おまえの聞きたいことは別のことだろ?おまえの聞き方がまずいのだ。文章がまずいのだ。
何故魏の公式尺度と異なる里で書かれたのか?
それは、東夷(遼東や半島)の国では周時代の里が用いられており、東夷の記事にはその里を公式尺度の里に換算することなく用いたからだ。
>そしてその中でも倭人伝だけは、なぜ1/6と言う特殊な里なわけ?
倭人条だけではないと指摘されたろが。東夷伝を自分で調べろ。
>で、実距離はどうやって実測したんだろうねえ。
簡単なことよ。水上では目測、陸上では歩測。訓練すればできる。
おまえみたいな生物的能力に劣り記憶力もない人間では無理だがな。
>>795 >なんて馬鹿質問してる、てめえの馬鹿さに気づきな。
>人文科学における一般的解釈が持つ意味も説明済み。
>今は馬鹿レベル降下サービス期間じゃねえ ワラ
説明できないんですね。とてもよくわかりますwww
799 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 15:28:58.84
もうさ、邪馬台国は宮崎県の高千穂でいいよ
800 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 15:32:45.34
今日もまた夢GENが馬鹿をさらしただけだな〜。スレの無駄だ。
801 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 15:43:57.82
>>786 >そこは伝聞。伝聞をそのまま表記したものだ。魏の使者の地理観ではない。
女王国の東渡海千里にまた倭種の人々が住むというのが伝聞なら、それを教えて
くれた人は正しい方向感覚をもっていたわけだ。北九州から南に投馬国や邪馬台国
があるというのも正しいということになるな。
水行1日10キロに対する反論は、たらいが1日流されたらそれ以上になるって話
でおしまいか? もう少しまともなことを言うのかと思ったが情けねえなあ。
>>796>>798 ピーパーさえずってれば、何とかなると思うわけ?負け犬以下 プ
>>797 1/6は倭人条だけだろうが。
>水上では目測、陸上では歩測。訓練すればできる。
無理。不可能だよん。
水上での目測は伊作が突っ込んでたが、それをやったという証拠でも出してから言え。
歩測に関しては何回も言ってきた。
踏破距離は出せるが直線距離は出せない。そしてなにより、行程記事ではそれをやっていない。
馬鹿粘着、縄文人に言ってやったことだがね。
歩測で測るなら、踏破距離はかなり正確に細かく測定できる。
三桁表記ではなく二桁の表記が出てきてもおかしくない。おかしくないが出てこない。
百三十里なんてのがない。そこまで正確に記す必要がないと言うなら歩測する必要もない。
どこをどう曲がったかを克明にメモすれば直線距離も出せると馬鹿は言ってたが
そもそも国(実態は町か村だが)と国という面積を持った面と面の距離をどうやって実測するんだ?
計測基点が無ければ計測自体が無意味になる。
東京なら日本橋が基点だが、こういうものが倭の各国にあるわけが無い。
感覚的に隣接する国、隣接しないが近い国などを修辞の里であらわしているだけなんだよ。
>>801 水行10キロ、5時間航海で1ノットちょい。
こんな馬鹿なものを信じる奴がオメデタイだけの話だろ。
つまり「非常識馬鹿」でおしまい ゲラ
8時間航海や、それ以上をやってたら1ノットにすらならない。
こんな遅速で進むほうが難しいわ。
文献馬鹿やコジツケ必死馬鹿には「常識がない」以上、何を言えばいいんだ ワラ
804 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 15:51:48.18
歩測に関しては踏破距離で数値的に問題ないね。
想定される古道を道なりで距離を計測すれば、距離的にはぴったり合う。
ところで、陸上距離が直線距離って、どこから出てきたんだ?
普通は道なりだろ?
釜山〜対馬、対馬〜壱岐から考えるに時速10キロは優に出ている。
ノットで言えば6ノット前後だな。これくらいを常識としてみるべきなのよ。
沿岸水行も6ノット前後、時速10キロ想定すべきものだ。
渡海でこれが出来るなら沿岸水行なら楽勝になる。
「沿岸だからゆっくりでも」というならこの基準から何割引かで考えればいい。
古代船の基準速度は時速10キロ、これでいい。
806 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 16:06:55.23
相変わらず、根拠なしでよく言うなあ。
>>804 直線距離がわからなければ、どうやって郡から邪馬台国まで万二千里とわかるんだ ワラ
それを測る術など当時はないんだよ。
踏破距離にしたって、正確にやっていれば二桁は出てくるはずなの。
踏破距離で問題ないって、どこからどこを測って問題ないわけ?
測定する基点はなぁに、ってことよ。
倭人伝に出てくる個別の里程表記は、すべて独立した個別の修辞だ。
万二千里も独立した個別の修辞。
この個別の修辞を合算しようとする馬鹿、実距離より大きく書かないと修辞にならないと思う馬鹿
こんなのがピーパー言ってるだけ。
無視してる馬鹿粘着ジョーカーもこの類だから無視なんだよ ゲラ
>>806 根拠は釜山〜対馬、対馬〜壱岐の一日航海からだ。どこが根拠無しだ。
こんくらいにしておこうか。
俺を否定するのは大いに結構。ジャンジャン否定してくれ。
ただし具体的に論を持ってやりな。
誹謗中傷の類は、俺は伊作と違って気にしないし、これを相手に叩き合うのも大好きだ ワラ
だが、これじゃ俺の言い分をいつまでたっても否定できないぜ。
抽象的な話で言ってくる奴も駄目だね。
俺を否定したければ具体的論でやれ。具体的論でやれ。具体的論でやれ。
読めたかな? ワラ
具体的にどうぞ。俺は絶対に逃げないからよ、心してかかって来い!
809 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 16:42:52.96
>>805 >>807 ほほう、時速10キロで、1日5時間航行かね。景気いいねえ。
しかし、倭の地は周旋五千里、倭人伝の里からすれば400キロぐらいの話だ。
水行20日ってことは、倭の地を2回半も巡ったということか?
いったいどこまで行くんだい? まったく辻褄が合わん解釈だね。
810 :
ローガン:2012/02/07(火) 16:48:40.64
>>732:縄文人
>しかし、陳寿ともあろうものが修辞にすぎない万里に実距離の二千里を加えて万二千里とするナンセンスに気付かなかったですかな?
さあ。どうでしょう。(笑)
「遂周觀諸國、采其法俗、小大區別、各有名號、可得詳紀。」 進軍ついでに見て回った所に関してだけは「可得詳紀」である。
それ以外は「使譯時通、記述隨事、豈常也哉!」 通訳を伴った使者が通じ、その情報に従って記述しただけである。
軍が行っていない地域の情報、その真偽は定かでは無いという認識は持っていたでしょう。
>それと修辞についての疑問じゃが、単に遠いことを示すだけならば万里だけでよく、餘をつける必要もないじゃろう。
だから、萬里が修辞。方制萬里とか、宇内萬里、地方萬里と同じように。
後は、誰かの机上の創作。地誌にする際に利用された数字。ゆえ、現実と乖離したものになったんですよ。
811 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 16:56:54.89
なるほど、老眼もいつの間にか、修辞だ、でたらめだの世界に逃げ込んだわけだ。
812 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 17:05:42.07
老眼はまぬけだから三国志編纂が晋朝の国家プロジェクトであるところが理解できていない
「遂周觀諸國、采其法俗、小大區別、各有名號、可得詳紀。」
現地調査は進軍とは全く無関係だからな ここめもしておけよ
813 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 17:26:40.08
>自説を必死に押し売りする 笑えるせーるすまん ゴミクス無限尿
>修辞の数字を合算するという馬鹿を考えるのは、本物の馬鹿だけだ。
その自分で「合算できない物」と言っている物に対し(他説否定の為) 『同じ基準=水行一日千里』 を当て嵌めると言う
馬鹿をやっているのがこの馬鹿尿本人と言う馬鹿話。
同じ基準を当て嵌める事ができる物なら当然計算もできる。
計算もできない様なものなら同じ基準を当て嵌めるべきではない。
>倭人伝に出てくる個別の里程表記は、すべて独立した個別の修辞だ。
>万二千里も独立した個別の修辞。
>この個別の修辞を合算しようとする馬鹿、実距離より大きく書かないと修辞にならないと思う馬鹿
個別の修辞なら
渡海一日の千里も修辞なら水行二十日だの十日だのも独立した修辞。
『同じ基準=水行一日千里』を当て嵌めるべきではない。
ようするのこの阿呆のやっている事は…
自分は他説を否定するために『同じ基準=水行一日千里』を当て嵌めて計算もするが
じゃあ何故倭人伝の総距離が『同じ基準=水行一日千里』を当て嵌めて書かれていないのか?と言われれば
「それは しゅーじ だからだ」という誰にも通用しない脳内理論と言うよりご都合主義の妄想。
馬鹿は氏んどけ プゲラゲラ …とwwwww
814 :
もう一丁ヨコから:2012/02/07(火) 17:31:04.69
>>807 >根拠は釜山〜対馬、対馬〜壱岐の一日航海からだ。どこが根拠無しだ。
それを半島の水行や不彌國以後の水行に当て嵌められるという根拠が無い。
夢GENの100%妄想のうえに構築している論など、見る価値もない。
いい加減、相手するのやめようや。
>>812 >「遂周觀諸國、采其法俗、小大區別、各有名號、可得詳紀。」
これは魏の時代のことで、晋朝ではない。
晋書陳壽伝には、陳壽が死んだあと、三国志を採録してくださいという願い出があって、
それで勅使が陳壽の家まで行って、三国志を書写したとある。
三国志編纂が晋朝の国家プロジェクトであるはずがない。
817 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 18:02:49.40
三国志編纂が晋朝の国家プロジェクトと言うのは流石に初めて聞いた話だなwwwww
官撰的性格が一番強いのは王沈『魏書』だっけ?
818 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 18:42:01.62
治書侍御史陳壽作三國志 これをどう読むか
明帝の勅はどこから引っ張り出してきたのか?
三国志の大部分のところは
禅譲の結果引き継がれた晋朝の書庫のなかみが利用可能な立場にある時期に編まれた
失職後にちまちまやったとゆうのではない
蜀漢から流れてきたもと敵国の青年に
『益部耆旧伝』 『益部耆旧雑記』 『諸葛亮集』を編纂させたとゆうのもふつうではない
819 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 18:50:54.51
>>773 あなたは無限尿みたいにディベートごっこで他人を言い負かしたいって訳じゃなく、あくまで真実を探究している人だと思っている
そしてあなたにとって自説と真実のどちらが大事なのかは言うまでも無いと思っている
水行七千里が本当に七日だったのか、真実を探究するあなたならキチンと検証するべきなのではないの?
820 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 19:14:00.01
陳寿は、譙周のふろくで魏朝に滑り込んで、直後に魏から晋朝への禅譲をむかえるとゆう流れ
譙周さんのゆうこときいて降伏した劉禅さんはけっか先祖代々の土地である幽州の安楽県で安楽公に封じられた。
譙周さんも魏の相国であった司馬昭に陽城亭候に封ぜられた。
陳寿さんが魏から晋朝への禅譲の流れを正当化するような作文期待されていたとゆうのは嘘ではないだろうな。
821 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 19:28:25.65
そもそも半島の水行七千里のソウル〜釜山を7日で行けたというのなら
日本では九州から7日で北陸についていないか?
能登半島をどうするかだが
20日あれば北海道にすら達しそうだがw
同じ沿岸航行と言う条件でなんでこれだけペースが落ちるんだ?w
822 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 19:31:20.62
>>816 さんあたりには
まんがでもええから
ねんぴょうかいてみてから
ちみつにちんじゅつすべきだと
いってあげたい
823 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 19:31:30.66
半島の七千里って実質は700〜800キロあるからねえ。
倍の14日行けば、九州から北海道を余裕で超えるな。
824 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 19:40:35.23
じゃあ投馬国を北海道
邪馬台国は樺太の北部と言う事でw
どなたかなぜ
>>668のように日数がかかってるのかを合理的に説明して頂けませんか?
826 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 19:45:59.34
半島を七日で移動したとして、一日あたり120キロ程度。
水行十日で1200キロ。
水行二十日で2400キロ。
ありゃ、本当に樺太についちまうな。
樺太は日本の領土である
828 :
志紀:2012/02/07(火) 20:07:13.97
829 :
志紀:2012/02/07(火) 20:30:08.15
>>791 面白いですね。
劉徽の測量法が当時の地図製図に採用されていたのは間違いない
ので、「三国志」への採用もあり得ます。
呉の王蕃との算術合戦?でも劉徽の方が円周率計算が上だった
って事だそうで。
ならば魏の優位を誇るために測量法や3.14を扱った可能性もありますね。
妄想どころじゃないかも。
830 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/07(火) 20:33:28.63
>>768 九州北部説のがんたれ。
用心深く遠巻きにみてればいいものを。
どのみち古田亜流か安本亜流なのだろうから、
いずれ、掛け合い詭弁を弄してからんでくるんだろうよ。
ま・ 意見を出した人間に対する不当な人格攻撃や誹謗・中傷から入ってくるタマだ。
程度は知れてる。気が向いたら相手をしてやるぜ。
831 :
志紀:2012/02/07(火) 20:38:50.86
劉徽は天文測量大会(笑)にも参加してるようですから、もしかすると
天文観測から距離を割り出す計算も、三国志編纂時に魏朝廷公認の
距離式として扱うよう命じられていたかもしれません。
一度計算してみます。
832 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/07(火) 20:40:20.16
無限痴呆。
正直なところ。ここずっと、
お前の投稿とこれに対する掛け合い投稿は読んでいない。
なぜならば、つまらんから。
お前も、最初に入れ込んだ相手が悪かった。
伊作と出会うのが遅かったし、出会い方がまずかった。
すべては自分が選択したこと、それだけのことだ。
833 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 20:46:40.35
しかし 無限尿 と 伊作 捨て台詞の言いあいだなwwwwwww
834 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 20:51:55.16
>>810 :ローガン:2012/02/07(火) 16:48:40.64
>
>>732:縄文人
>>732は儂の書き込みじゃが、なんで縄文人というHNが付いとるのかの〜。
修辞ならば餘は不要ではないかという儂の問いの答えにはなっていないの〜。
「「餘里」がついた方が、言葉の響きとしては流麗になると思うがね。」という意見もあったようだが、
この意見の持ち主は文章のセンスに欠ける人物で誰もが認めるアホだからね〜。
835 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 20:57:42.63
>>754 無限尿
お前さんのドア○ウはこれで立派に証明されたな。おめでとう。これからもこの板で、そのマ○ケさ加減をさんざん晒すんだよ。めでたい、めでたい。
836 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 21:00:10.78
>>832 なんかえらく気にしているみたいやな。おまえを無視しているとわざわざコメントするところが笑える。
837 :
志紀:2012/02/07(火) 21:04:01.95
838 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 21:05:17.77
>>具体的な距離、キチッと測られた距離が有ってこそ修辞は成り立つ。 ・・・A
>馬鹿じゃなきゃ、こんなことは言わねえよ。上の奴と同じ奴かな? ・・・B
明らかにAが正論である。Bみたいなコメントは馬鹿でなきゃ出せない。
839 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 21:09:59.58
>>777 まさか本気で証明だなんて思って無いよね?
そこまで馬鹿じゃないよね?
ディベートごっこの技法として単なる仮説を証明だって強弁しているだけだよね?
本音を言ってごらんよ
コテだと本音が言いにくいなら名無しでもいいからさ
キチッと測られた距離がなくても修辞で書くのが中国人
841 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 21:13:45.68
修辞に関する問題
夢や鶴に最も相応しいのは次の四つの表現のうちどれでしょう。
1.古今東西稀に見る馬鹿
2.史上稀に見る馬鹿
3.筆舌に尽くし難い馬鹿
4.オールラウンド馬鹿(どこから見ても馬鹿)
5.
842 :
志紀:2012/02/07(火) 21:14:37.57
当時の数学ルネッサンスに鑑みれば、結構数字へのこだわりは有ったと思う。
領土のでかさこそが魏のウリだしw
843 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 21:16:48.12
>>840 :日本@名無史さん:2012/02/07(火) 21:10:59.81
>キチッと測られた距離がなくても修辞で書くのが中国人
そんないい加減なことを書く君は中国人か。
844 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/07(火) 21:18:39.00
>>836 未練がましく、名指しで呼び出しのレスが混じるのでな。
決別の意思を再三にわたって告げているのだ。
どっちが気にしているか、バカでもなければ分かる。
ゴミをよりわける能力に長けた俺は見切りをつけるが早いのだ。
お前らはより分けられて腐敗したゴミ。
日本みたいに細かいこと気にしないんだよ
10倍で戦果報告するのが慣習なくらいに
847 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 21:41:03.10
>>808 :夢GEN ◆vaujymvCDcV. :2012/02/07(火) 16:23:56.72
>俺を否定したければ具体的論でやれ。具体的論でやれ。具体的論でやれ。
狗邪韓国から末盧国までの航路距離については縄嘉ー氏が具体的にお前の論(正確に言えば論とは言えないが)の
間違いを指摘している。
お前はそれに対して「一般的解釈だ」という”前提にできない”ルートを繰り返すだけだ。
その前提のルートを具体的に検証しろと言われても能力がないから出来ない。ひたすら逃げる。
対馬海峡の実態を知らず、古代船とその航法についての知識がなく、倭人伝も読めずでは空想的な話しかできない。
じぶんでは具体的論をしているつもりだろうが、数字はだしても抽象論を出ていないのだ。
848 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 21:46:37.96
漢書の「在帯方東南萬里」からまず郡〜末盧国までの総距離を10000里とし、
狗邪韓国〜末盧国の各一渡海を1000里、
郡〜狗邪韓国は10000里から上記の1000里x3を引いた数だろ
「対馬→壱岐間が千里」と「郡より女王國まで万二千余里」の両文ともに
「倭人伝」冒頭の地理・行程紹介の一連の文章内にあることからすると、
陳寿はこれらが不整合だと認識していたとは考えにくい。
したがって、やはり「一日水行=千里」に問題があると思われる。
「一日水行=千里」は「対馬→壱岐間千里」という史料事実と、「対馬→壱岐間渡海一日」という事実から導き出されるが、
これは「対馬→壱岐間を一日渡海」した者が「対馬→壱岐間千里」という記録を残した、
もしくは、「対馬→壱岐間渡海一日」という事実を知っている者が「対馬→壱岐間千里」と記述した、
という前提があってはじめて成り立つものだ。
しかしながら、上記の事実を示す史料は実はどこにもない。
である以上、陳寿が「対馬→壱岐間が千里」と「郡より女王國まで万二千余里」を併記している事実は尊重されるべきであろう。
そしてこのことは次の二点を示している。
1.陳寿(を含めて“千里”と記述した者)は対馬、壱岐間の実距離を知らなかった。
2.当時「水行一日=千里」という認識などなかった。
無限尿まとめ
・オラが村=新潟の村おこしに邪馬台国問題を悪用
・鯨統一郎の推理小説からヤマタイ=ハチマンタイ説を盗用
・以上がネタバレしたため、罵詈雑言で揉み消し
851 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 22:04:08.99
>>844 :ゴミために降りた鶴
随分とひとを見下した態度をとっているが、おまえも大したことはないな。
たしか天子のなんたら言うて詔を持参できるのは節を与えられた天子の代理で、これを派遣できるのは天子だけで
郡の太守なんかには派遣できない、また軍人を使節にはしないみたいなことを言ってたな。
だが全てが原則どおりに行かないのが現実だ。現に、
正始元年、太守弓遵遣建忠校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國、拜假倭王、并齎詔賜金・・・
と倭人伝に書かれている。太守弓遵が建忠校尉梯儁等に詔書を持たせて派遣している。
漢籍を調べるのはいいが、そこに書かれていることが倭人伝の世界に全て通じるとするのは軽率だ。
852 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 22:20:16.71
叩かれても踏まれても 私は私の道を行く
笑われても指さされても 私は私の道を行く
帰るとこなどないのだから 待ってくれる人など居ないのだから
あ〜あ〜2ちゃん人生 果てぬ旅〜
854 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 22:26:29.73
>>822 国家プロジェクトであったのなら、陳壽が死ぬまで放置され、
採録してくださいという請願があって、はじめて書写の詔が出されるということはありえない。
どんなに年表を書いてみたところで、この事実は変わらない。
856 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 22:41:33.95
857 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 22:45:39.77
○晋朝の書庫のなかみが利用可能な立場にある時期に編まれた
より厳密には
○晋朝の書庫のなかみが利用可能な立場にある時期に編まれ始めた
ここはがちだろ
○魏から晋朝への禅譲の流れを正当化するような作文期待されていた
これは御期待に沿ってやりすぎるとクレ−ムとかつきがちだからけっこうむずかしいよ
クレ−ムつけてくるやつは魏の時からの生き残りのやつだよな
だいたいにおいて自費で周觀諸國なんてありえないだろ
官費で派遣にきまるだろ
それほど魏朝のこと貶してるなんてみえないけど
やっぱクレームつける過去の亡霊みたいなカスのひとがいたんだよな
出来上がった頃には呉も降ったあとで司馬炎さんももおどおでもええみたいなふいんき
858 :
縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2012/02/07(火) 23:09:04.33
>>852は儂が夢のために作詞したものじゃ。
ここのごみため なんにもね
さんじもね よいしょもね
おりゃこんなとこあきた〜 おりゃこんなとこいやだ〜
と〜きょさゆこ〜お
たれか おいら を よんど〜くれ〜
これは誰にやろうかな。
859 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 23:11:12.95
>>857 >だいたいにおいて自費で周觀諸國なんてありえないだろ
>官費で派遣にきまるだろ
これは、魏が高句麗を討伐して東で大海に臨んで、
そこの長老に話を聞いて東夷を調査したということを言ってる。
晋が陳壽に調査させたということではない。
そこのところを勘違いしているんじゃないの。
860 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 23:21:19.73
それはおまいのかってなりかい
おまいがかってなりかいしてもべつにやめたらとかはいわんけどさ
現地聞き取り調査とゆうのは多数やっても使えそうなのは極わずかなのがふつう
他人様の取材のを自分が取材しましたみたいにいったらぱくりだろ
ちゃんと「書けます」って書いてあるのにそいつが嫁ないとゆうのなら
もまいが文盲だとゆうことにはなるが どおなの
861 :
日本@名無史さん:2012/02/07(火) 23:28:21.63
畿内説の根拠って何?
畿内説は、いつ、誰が、何に、基づいて始まったのか?
862 :
○:2012/02/07(火) 23:35:01.06
>>488 ルート66さん
>公認水夫の存在はいつから?
応神天皇三年十一月
各地の漁民が騒いで、命に従わなかった。 阿曇連の先祖「大浜宿禰」をつかわして、
そのさわぎを平らげられた。 そこで、漁民の統率者とされた。
実年数は、考察中。 何時になるか自信なし。
反対に、ルートさんの見解を、どうぞ。
863 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 00:15:18.94
>>860 まずは、レスアンカーを付けてね。
それで、やっぱり、誤解してたわけやね。
晋朝が派遣して調査させたのなら、魏書ではなく晋書に記載するべき事業でしょ。
ここで漢文読解をしてみせるのは面倒なので、ちくま学芸文庫の正史三国志の訳を載せとく。
−−−−−−−−−−−−−以下引用−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
のちに高句麗がそむくと、ふたたび軍の一部を分けて討伐におもむかせた。
その郡は極遠の地をきわめ、烏丸・骨都をこえ、沃沮を通り、肅慎の支配地に足を踏み入れて、
東方の大海に臨む地にまで到達した。
[そこに住む]老人の言葉によれば、不思議な顔つきの人種が[さらに東方の]日が昇る所の近くにいる、
とのことであった。ひきつづいてそのあたりの国々をくまなく観察してまわり、
その掟や風俗を採訪して、彼らの間の大小の区別や、それぞれの国の名が詳細に記録されることになった。
これらは夷狄の国々ではあるが、祭祀の儀礼が伝わっている。
中国に礼が失われたとき、四方の異民族の間にその礼を求めるということも、実際にありえよう。
それゆえこれらの国々を順々に記述し、それぞれの異なった点を列挙して、
これまでの史書に欠けているところを補おうとするのである。
−−−−−−−−−−−−−以上引用−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「遂周觀諸國」の訳は、「ひきつづいてそのあたりの国々をくまなく観察してまわり」。
魏軍がやったということがわかるでしょ。
ついでに言うと、「遂」は「ひきつづいて」という意味で、だれかが言ってたような、
魏が国家を挙げての事業を 【とうとうやり遂げた】 みたいな意味ではないよ。
864 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 00:18:41.04
>>861 畿内説の先駆は新井白石といわれるが、江戸時代から明治中期までは九州説
が通説、ただ、東回りを考えたため陸行一月の説明がうまくできず、一日の
誤りとか無理をせざるを得なかった。そこで、その後、内藤湖南が7万戸の
大国は九州とみるよりも畿内の方が適当だろうとして畿内説を称えた。
865 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 00:32:36.30
修史とゆうのは次の王朝がするもんだとかってしらんの?
魏志は晋朝の正当性を叙述するのがその目的なんだよね
長老説有異面之人 近日之所出
遂周觀諸國 采其法俗
小大區別 各有名號 可得詳紀
雖夷狄之邦 而俎豆之象存
中國失禮 求之四夷 猶信
故撰次其國 列其同異 以接前史之所未備焉
ここのところは陳壽の東夷伝ポリシーの表明のところで
過沃沮 踐肅愼之庭 東臨大海までのは
有異面之人 近日之所出 をひっぱりだすためのふりの部分だぞ
他人の訳文出すより自分の頭でかんがえたら?
らくちんだからって教科書的な知識にのっかってちゃだめだろ
867 :
ローガン:2012/02/08(水) 00:41:42.07
>>834縄文人
>修辞ならば餘は不要ではないかという儂の問いの答えにはなっていないの〜。
いつもながら、人のレスを読まない縄文人。私は萬里が修辞だと述べたんだが。
貴方が云う所の「餘里」云々については、所謂 舞文だと云う意味で書いたもの。
質問がトンチンカン。
868 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 01:02:17.89
>>786 「女王国東〜」の方角は伝聞そのままだが、
肝心の邪馬台国の方角については先遣調査隊の前の事前調査で東と報告されるも
中央の役人が無視しナントカ地理感に当てはめ南に変えたと
相変わらずご都合解釈全開ですな
869 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 01:10:19.91
水行一日=千里説って太国の二倍暦説と変わらないよね
870 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 01:21:34.05
>>865 次の王朝は、前の王朝が残した資料によって史書を編纂するよ。
次の王朝が、前の王朝の代わりに現地調査して、前の王朝の実績として史書を編纂するなんてことはしない。
前の王朝のときに解ってない事を、新たな調査で書いてしまったら、未来日記になるでしょ。
>ここのところは陳壽の東夷伝ポリシーの表明のところで
陳壽の編纂ポリシーは、
「魏軍が調査した結果、法俗や大小の区別や名前などが詳しくわかった。
それによると、夷狄の国ではあるけれど、祭祀儀礼がちゃんと伝わっている。
そこで私=陳壽は思った。
「中国で礼が失われたら、これを四方の夷狄に求めるというけれど、その言葉は本当だな」と。
だから、それらの国を撰次し、それらの同異を列記して、漢書にまだ備わっていない部分を補うのだ。」
というもの。
「過沃沮 踐肅愼之庭 東臨大海」までは魏軍の行動だとわかるよね。
だったら、次にいきなり出てくる長老は、誰に向かって「有異面之人 近日之所出」と言ったんだろう。
文脈から、魏軍の誰かに言ったってことは明白でしょ。
ここで長老が陳壽や晋の役人に「異面の人あり」と言ったんなら、
その前の文と全くつながりがなくなるし、そもそも、ここまでに陳壽や晋の役人は出てきてないんだから。
そして、「遂」は、現代日本語だと「ついに」だけど、漢文では「ひきつづき」「そこで」「すぐに」のような意味。
現代中国語の辞書にも、そういう意味で載ってる。
すると、魏軍が長老に話を聞いて、「そこで、ひきつづき」諸国を周観したという意味にしか読めない。
こういう意味だから、陳壽は調査なんかしてない。魏軍の調査の記録をもとに編纂したと言ってるだけ。
>らくちんだからって教科書的な知識にのっかってちゃだめだろ
説明に使用しただけで、自分で読んでるよ。自分の読みと今鷹・小南訳は同じ。
それに、今鷹・小南両氏は、単に京大の教授というだけでなく、実力は信用できる。
871 :
ローガン:2012/02/08(水) 01:26:37.64
♪邪馬台国 ドンと来い♪特別編(286)
「128: ローガン 2010/02/09(火) 19:08:00 ID:6BRHcyXk
漢書の魏代注記に「帯方東南萬里」とあります。このソースが郡使来倭情報に基づくものであれば、倭人伝同様の里数「帯方東南萬二千餘里」とされたでしょう。
よってこの萬里は卑弥呼遣使以前のものである事がわかる。しかし三国志東夷伝序文に「而公孫淵仍父祖三世有遼東天子爲其絶域委以海外之事遂隔斷東夷不得通於諸夏…」とあります。
件の注記、基点を帯方としている以上、公孫氏が自立している時代であり、その頃、魏は東夷の事など何もわからない。淵誅後ようやく東夷を知る事となる。
という事はこの「帯方東南萬里」とは具体的な距離情報に立脚したものではない。
「萬二千餘里」とはこの萬里に郡使来倭によりもたらされた実数である二千餘里が付加されたものであろう。
私は2ちゃんへ入れないのでこちらに書いておきます。」
「129: 縄文人 ◆ cM49xEAzX6 2010/02/09(火)21:09:27 ID:Opg4Bx3w
>>128 ローガン氏
>「萬二千餘里」とはこの萬里に郡使来倭によりもたらされた実数である二千餘里が付加されたものであろう。
そうでしょうね。
ところで、今でもこの里は約420mと考えておいでですか?私は80m前後(大人が大股で歩いて100歩の距離)では ないかと思います。」
『そうでしょうね』と…www
872 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 01:41:01.12
状況説明ので
過沃沮 踐肅愼之庭 東臨大海 のところまでで
東夷征服大作戦が完了しましたといっておるのだろ
異面之人 近日之所出
これは倭系のひとのことだとか倭地自体のことをいっているんだろ
なにも日本海側の北のほうでなきゃ聞き取りできないわけでもなし
むりに聞き取り地限定する必要もないし
ただたんに文章構成上そおゆうよみかたも可というだけだろ
もまいがそおゆうよみかたしたいのならそれも良いだろ
でもな 采其法俗 小大區別 各有名號
そおゆうのを拾い上げて比較して叙述するには又聞きとかじゃだめだろ
そのあたり少し考えてみてね
ご自分で思惟しているというところのはよく理解できますたですよ
873 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 01:50:04.07
>>870 あれっ このひとたら
さいしょの3行とかは事情とかぜんぜん理解できていないっぽいね
陳壽は壹與の泰始二年(266)あたりのへんから過去のこと振り返って魏志とか書いているのに未来史とか逝ってなんじゃ
874 :
風の中のゴキブリ:2012/02/08(水) 01:51:54.00
>>786 無理があるのは、てめえだwwwww
カス野郎がwwwww
875 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 02:09:40.60
「遂」のは
thereupon
其れで, ほんで, だもんで, そんで, 所へ, 其処で, すると
そのあたりでええべさ
白文を読み下すと微妙に意味がずれるとゆうことに関しては
荻生徂徠なんかも気がついていて現地音の練習していいふりこいてたのな
むりに読み下さなくても良いかなとおもったりもするよ
読み下すこと自体が和訳になっているから当然ずれるし
史料を気付かずにへんな色眼鏡かけて読み込んじゃって
本人はぜんぜん何等疑問も感じないとゆうのもあるよ
876 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 02:35:33.22
>>873 さいしょの3行じゃなくて、最後の3行じゃないの?
倭人伝の最後に、その後の様子を付録として3行書き加えるのと、
【魏志】東夷伝を編纂するために【晋朝が】調査団を派遣するのとでは、
全然はなしが違う。
後日談として簡単なエピソードを加えるのは未来日記とは言わない。
晋朝の調査で分かったことを魏志の記事として書いたら未来日記になる。
そこら辺を混同して思い込みを持ったままでは、
どんなに説明しても正しく読めないだろうなあ。
まあ、いいけどね。
>>862 ○さん
ルート66とは、アメリカンな響き。
まあ関東生まれ&育ち、親は瀬戸内。因み
に瀬戸内は荷を奪うには最高の海ですぜ…
(割とココ大事)
さて本題。
自分は倭奴王を邑の時代としてるので、
公認水夫は早くても倭の五王あたりかと。
多分、391年前後に開始->既成事実化。
んで半島進出の成功で黙っていた反対勢力
が、その後の失敗で、応神朝を担いだと。
ここで卑弥呼同様に女王共立を挟んだ可能
性があります(1人じゃないかも)。
4世紀末の半島進出を待たずに取り掛かれ
ば、まず頓挫したと思います。盟主国以外
に益がない。半島を従えるには結束が必要
だ!という説得力、流れがなければ無理。
それを強引にやって頓挫=大乱=崇神朝の
系譜不足の理由?
(本来は崇神朝=女帝多数存在説です)
ただ、九州・日本海・畿内と各々に覇権国
家があったとするなら、話は別でしょうね。
ちくまの今鷹・小南訳を読んでも稗箕狐さんが解釈してるように読めるよ
陳壽が東夷伝を書く理由を物語風に書いてるだけだから
太国はどこいった?
20世紀まで、日本人の外国文献の翻訳能力はそんなに高くは
なかったが、今は21世紀だ。そして「魏志倭人伝」の最新の翻訳が
これだ!
↓
881 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 09:33:12.83
>倭人伝同様の里数「帯方東南萬二千餘里」とされたでしょう。
倭人伝は、郡から倭の地までは一万里としている。万二千里は倭の地の中の女王国までの距離だ。
882 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 10:32:32.29
行程記事の読み方は、伊都国からの放射式。邪馬台国へは水行10日+陸行1月。
これこそが21世紀の読み方だ。
883 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/02/08(水) 10:39:49.00
直接レスしてきてるものを片っ端から。
>>809 その五千里が修辞だ、阿呆。実距離と言うならどうやって五千里を計測したんだ?
>>813 例によって馬鹿すぎるから無視 ワラ
>>814 水行一日=実距離に無関係な千里表記
「実距離に無関係な千里表記」もう一回書くぞ「実距離に無関係な千里表記」
わかるか?不弥国以降の水行に当てはめられる根拠はここ。
>>835 具体的な反論が出来ない遠吠えだな。理解した ワラ
>>837 厨房坊や、星宿図があるぜ。俺が教えてやるのもなんだがな プ
>>839 きちっと測れないから修辞なんだがね。
5,6千の軍隊は「千軍万馬」2,3万の軍隊も「千軍万馬」10万の軍隊も「千軍万馬」
邪馬台国まで「万里+α」大月氏国までも、ほぼ同等の「万里+α」
>>847 釜山〜対馬〜壱岐〜松浦
これがルートの一般的解釈だが、これを否定するのは勝手解釈。
こういうものは証明は中々出来ない。
ならば最も多くの人間が、合理的と考え無理、矛盾がなと考える
一般的解釈に立脚するのが、まともな論の進め方。
勝手解釈を正当化しようと思えば、相当な論証が必要になる。
馬鹿粘着の相知説など、出しただけで叩かれまくりじゃないか。論証には程遠い。
885 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 10:57:29.02
>>851 名無しの腐敗ゴミ
>詔を持参できるのは節を与えられた天子の代理で、
……節をあたえられた天子代理の使者を使節という。
>これを派遣できるのは天子だけで郡の太守なんかには派遣できない、
……厳然たる事実だ。太守風情にできることではない。
>軍人を使節にはしないみたいなことを言ってたな。
……国家間使節交流の礼儀だ。どうしても武人を起用するときは「それ」らしい肩書きを付加する。
>だが全てが原則どおりに行かないのが現実だ。
……一般論として当然、ものごとには何ごとも例外というのがある。だが当該シーンは例外ではない。
>現に、太守弓遵が建忠校尉梯儁等に詔書を持たせて派遣している。
……彼は、魏本国から詔書を携えてきた使節団の護衛と先駆をを兼ねた「付き添い」だ。
皇帝が派遣した使節団に対して、地方長官たる帯方郡太守として当然の配慮だ。
詔書を持参したのは正始元年と8年の2度だな。どっちも「梯儁等」「張政等」とある。
ここに、中国人にとって常識たる「使節の存在」が省略してある。
お前のような歴史知らず・制度知らずの表層的文字づら読みでいけば、
皇帝の詔書を魏本国から帯方郡まで誰が持参したことになるのか?
省略されていることについては、行間を読むほどの知識もないか?
自分の意見の周囲を隈なく見渡して、ちゃんと筋の通った返答を用意した上での投稿か?
そうではあるまい。思考深度と思考領域の狭い短絡意見だろう。軽卒なのはお前だな。
こうやって、2ちゃんでは幾分まともに見える問答でさえ、
相手の「認識不足によるお角違い」を矯正することから始めなきゃならん。毎度のことだ。
見下した態度をとられて当然だろ。んー?
お前が逆の立場になってみて、それでも紳士的かつ懇切丁寧に対応するか?
886 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 11:12:12.09
>>851 名無しの腐敗ゴミ 。ダメ押しの追加をしておく。
正始元年の使節は、卑弥呼に対する親魏倭王の封爵使節だ。
格式と形式と儀礼を重んじた時代の話だぞ。
ただ「ポイ」と金印と詔書を渡すのではなく、
持参した儀式支度を整えて厳粛な授与儀式を執行して渡す。
先に、孫権が公孫淵を燕王にするときに、
封爵儀式に必要な一式を使節団に持たせている事例を紹介した。
いちいち書かれてはいないが、封爵使節が本国から着ていることは事実だ。
これ以上、恥かき詭弁は意味がなかろう。
>>849 >「倭人伝」冒頭の地理・行程紹介の一連の文章内にあることからすると、
陳寿はこれらが不整合だと認識していたとは考えにくい。
まったく不整合などとは思っていないだろうねえ。
>「一日水行=千里」は「対馬→壱岐間千里」という史料事実と、「対馬→壱岐間渡海一日」という事実から導き出されるが、
これは「対馬→壱岐間を一日渡海」した者が「対馬→壱岐間千里」という記録を残した、
もしくは、「対馬→壱岐間渡海一日」という事実を知っている者が「対馬→壱岐間千里」と記述した、
という前提があってはじめて成り立つものだ。
しかしながら、上記の事実を示す史料は実はどこにもない。
あのな、史料がすべてなら文献馬鹿だぜ。何回言ったらわかるんだ。
3航海はいずれも千里表記。だが実距離は一つだけ大幅に違う。
この事実だけから導き出せることに史料は必要ねえよ。
>陳寿が「対馬→壱岐間が千里」と「郡より女王國まで万二千余里」を併記している事実は尊重されるべきであろう。
尊重すべきだね。だが解が違う。
すべて修辞だから不整合ではないし、併記できている。これが正解。
すべて修辞なんだよ。千里も水行何日も万二千里も五千里も。径百歩もだ。
その修辞は同等の修辞に置き換えることが出来る。それが「水行一日=千里」だ。
これを合算しても万二千里にはならない。
万二千里を実距離とする者は、行程記事の里をすべて実距離としなければならない。
つまり出てくる里、置き換えられる里の合計が万二千里にならなくてはならない。
どんなにイチャモンつけようが3航海から「水行一日=千里」は現実だから成り立つのよ。
それですべての行程の里の合計は、連続説でも放射説でも万二千里をオーバーする。
これで実距離説は崩壊だ。
ならば合算しても不整合にならないものは「修辞」という解しか出てこない。
ま、その前に 壱岐〜松浦 を他の2航海と同じ千里表記していることで
ここに記された里が実距離でないことはわかるんだがな。
個々の独立した修辞の里数を合算しても、総距離の修辞の里数に一致しないのは当たり前。
不整合は無いぜ。
889 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 11:24:20.61
>>884 >その五千里が修辞だ、阿呆。実距離と言うならどうやって五千里を計測したんだ?
君は修辞という言葉をでたらめという意味で使っているようだから、あえて言おう。
五千里は実距離だよ。使者が自ら巡っていき体験したことと見たことから出した数字だ。
だから、概ね正しい距離を示している。
君のように都合の悪い数字はすべてでたらめとするのでは、せっかくの資料を無価値に
するだけだね。
>伊作
お前が俺を回避してることに、とやかくは言ってねえぞ。
回避してるなら俺からも無理には絡んでいかないと言ってるんだがねえ。
何を息巻いてるわけ? プ
俺はお前と全く違うアプローチで「水行一日=実距離に関係ない千里表記」を論証したが
お前はこれを流用して自説の補完材料にすりゃいいじゃないか。
狗邪韓国〜末ろ国 の千里表記3航海を「水行」に置き換えるという柔軟な発想で
「水行一日=千里」を論証したのは、紛れもなく俺だが、使っていいぜ。
俺はお前と違って、他人様に認められたいという願望はねえからよ。
お前の「郡から万二千里」は否定するが、ここは結局同じだから遠慮なく使え。
難升米でやられたからって、意固地になるな ワラ
891 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 11:43:49.88
>>880 なんですか?
ところでどちらさんですか?
>>889 >君は修辞という言葉をでたらめという意味で使っているようだから
とんでもない! キッパリ
修辞は「書き手と読み手が相互に理解しあうことが出来る形容詞(形容「語」といった方が正確か)
五千里が正しいというなら「どうやって実測したのか」教えてちょ。
眠くなってきた。おやすも・・・
893 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 11:48:50.83
>>851 名無しの腐敗ゴミ 。矯正措置
中国王朝は、厳格な階級制度と明確に細分化された職務分担によってなる。
数千年前に生まれた組織としては完成された組織構造体だ。
職域を越えた任務・権限や新たな任務・権限を与えるときは、
それにふさわしい肩書きが付加される。勢い、色んな肩書きが並ぶことになる。
よい実例では司馬懿。もともとは軍人(大将軍―大尉)なのだが、
宮廷にあって少帝の補佐をするためには軍人の肩書きではまずい。
そこで、太傅(太子の教育役・天子の目付役)の肩書きが与えられる。
ほんらいが軍人の司馬懿に太傅という肩書きは奇妙に見えるが、
実はそうした配慮があっての措置とみなされる。
もう一人、幽州刺史の毋丘倹。
刺史とは郡監査役の官吏で軍隊を率いる軍人ではない。
これが、遼東征伐にはじまって高句麗討伐などに携わるのだが、
彼に軍隊を預けるために度遼将軍・使持節・護烏丸校尉の肩書きを付加している。
船乗りは船乗り、櫂漕ぎは漕ぎ手、艦長は艦長、賄いは賄い夫。
使節は使節役、調査は調査団、護衛は護衛兵、庶務は庶務役人、荷役は荷役夫。
倭国に派遣された人材も、明確な職務分担があったと考えるのが当然だ。
●最底辺の貧困イメージ亡者・貧困精神亡者に喝。
数人の片手間「兼任仕事」などというマイナー発想は、もう捨てよ。
894 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 11:52:47.13
常識で考えれば帯方郡から狗邪韓国まで水行七日で行くのは不可能
七日だったと言い張るのは勝手解釈以外の何物でもない
895 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 11:59:36.97
>>890 板ゴロ
>お前が俺を回避してることに、とやかくは言ってねえぞ。
そうか。じゃ名指しで呼ぶことは金輪際やめろ。
>俺はお前と全く違うアプローチで
そうだろ。だから、お前の投稿はほとんど飛ばしている。
>これを流用して自説の補完材料にすりゃいいじゃないか。
けっこう。俺は俺独自にやってきた。過去の証拠がある。
そのために本やブログで発表してるのだ。
単発的・断片的板ゴロとは格が違うところを随所に出しているが、
それもお前には認識も自覚もできまい。その程度ということよ。
お前は、俺と出会い俺を知るのが遅すぎた。しかも出会いの形が最悪だった。
俺とお前は済む世界が違う。わるいが、お前にこれ以上かかわる気はない。
896 :
尿の自宅前で(-。-)y-゚゚゚:2012/02/08(水) 12:11:17.64
雪スゲーな
今日から明日にかけて
またまた寒くなるらしい
897 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 12:24:41.87
>>885 :ゴミために降りた鶴
おいおい。使節の名前は省略して「付き添い」の名前を書くとはどういうことだ?
898 :
佐賀で(-。-)y-゚゚゚:2012/02/08(水) 12:30:51.89
佐賀大和は雪で通行止め
899 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 12:30:55.73
寒いな〜 ここで一句
今日も又
夢の駄文と鶴の愚痴
900 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 12:42:57.26
無限がいくら日数表記も里数表記も修辞だと喚いたところで方角までは変えられないからね
先遣調査隊説やナントカ地理感説を持ち出しても方角=南を覆せなかったのは過去のやり取りで明白
方角が南となると当然邪馬台国は九州のどこかってことになる
まぁ「南に水行二十日水行十日もすると海にドボンだから方角も日数も出鱈目だ!」
と言うなら別にそれでもいいけどね
そうすると倭人伝の記述からはどこにも比定出来なくなるけど
901 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 13:03:24.62
>>897 書いた本人に聞け。そんなのは書く人間の感性の問題だ。
考え方の順序からいえば、使節派遣は常識だ。不動の事実だ。
書いてないからいなかったただの、
使節の名前を書かずに先駆役のなを書いたのはどういうことだのとは、
お前らのくだらない感性が出たものだ。
どう書くかは書く人間の感性の問題だ。そんなことまで俺が知るか・タコ。
どう書いてあろうが、本国からの皇帝命令による使節派遣は常識だ。
不動の事実だ。
文句があるならば、古来の儀礼を維持する宮内庁に行って、
郡太守風情が地方の中堅官吏を使節に立てたたかどうか聞いてこい。
げっ、家帰れるかな。
903 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 13:12:12.29
>>897 名無しの腐敗ゴミ 。
お・ま・え。
俺の以下の投稿に目を通した上での返答か。ん?
>>885 >>886 >>893 目を通したのなら、「私の認識不足でした」とか、
「ご教示ありがとうございます」とか、
…………いうわけないか。
過去にうんざりするほど矯正したが、そういった奴はただの一人もいないし。
蹴散らされて黙って引っ込むか、別方向で切り返して抵抗する奴ばかり。
お角違いを指摘して矯正してやったのに、
>使節の名前は省略して「付き添い」の名前を書くとはどういうことだ?
などと、付き添いの名を省略して使節の名をを書くのが当然という、
バカの勝手な思い込みに基づく返答を寄越しやがる。
904 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 13:23:01.38
>>897 名無しの腐敗ゴミ 。
常識ってのは・あるか。
いささかでもあるならば、その乏しい常識で考えろ。
帯方郡の警察関係か何かの武人が、
国家間トップ外交の「礼儀・儀礼」を身につけていたと思うか?
そんな無粋なのを使節に使うとでも思ってるとすれば、
中国側だけではなく、倭国側を相当バカにした考えだぜ。腹が立つ
隋の「清がそうだったように、外交窓口で鍛えられ、
外国の王室に出向いても派遣した皇帝に恥をかかせないほどの、
礼儀と儀礼を身につけていたものを起用するものだ。
わかったら素直に認めて、相手してもらった礼の一つぐらいいえ。
905 :
大訂正!:2012/02/08(水) 13:36:17.03
>>871 >漢書の魏代注記に「帯方東南萬里」とあります。
>このソースが郡使来倭情報に基づくものであれば、
>倭人伝同様の里数「帯方東南萬二千餘里」とされたでしょう。
【如淳曰:「如墨委面、在帶方東南萬里。」
臣[王贊]曰:「倭是國名、不謂用墨、故謂之委也。」
師古曰:「如淳云『如墨委面』、蓋音委字耳、此音非也。倭音一戈反、今猶有倭國。
「帯方東南萬里」は「委」の領域を記述したものである。
「帯方東南萬里」から「委」の北限は北緯37度30分の長岡あたりになる。
帯方=沙里院として、沙里院は北緯38度30分であるから、この緯度より高緯度には委は居ない。
もし、「帯方東南萬二千里」とするなら、「「帯方」〜「韓」〜「倭」の行程で倭の北限は北海度迄にいたる。
「自帯方東南萬二千余里」との記述は、「韓」経由の行程ではない。
沙里院→威海市→長垣福州→満州郷→倭
との行程地図になる。その時の倭の北限は北緯38度13分26秒 ,東経 139度28分48秒
の村上市当りになる。
女王国が北緯39度、所謂帯方の緯度を越えることはない。
906 :
大訂正!:2012/02/08(水) 13:49:30.29
狗邪韓國は北緯22度で現台湾
↓ 4度差で千余里(432km)
会稽東治【冶】之東は北緯26度で現沖縄(對海【馬】國)
↓ 4度差で千余里(432km)
会稽之東は北緯30度で現種屋久島(一大國)
↓ 4度差で千余里(432km)
北緯34度で現下関(末廬國)
↓4度差で千余里(432km)
北緯38度で、そこが倭国の北限(邪馬壹【臺】國)
陳寿の行程地図は概ね上記の区分けと成っている。
907 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 13:53:24.98
さて、そろそろ飲むか♪
908 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 13:53:31.96
>>897 名無しの腐敗ゴミ
その場その場での思いつきだから、俺の詰問には即答できんだろが。
深く広く考えていかなる返しにも即応するよう用意していないってことだ。
帯方郡の中堅官吏武人にいきなり使節をやらせて、
倭国側の王族・群臣・高官が着飾って居並ぶ中で、
中国王朝の儀礼にのっとった封爵儀式と詔書・金印の受け渡しができるかどうか。
そこまで考えた上で「帯方郡太守が梯儁を使節に派遣した」といってるのか。
一郡太守が、本国の皇帝にしかできない封爵儀式支度を用意したというのか。
応えろ。
過去の例に漏れず・だんまりか、話をすりかえて切り返すか。
909 :
隊長:2012/02/08(水) 14:13:44.58
邪馬台国戦隊集合せよ
910 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 16:17:50.36
>>901,
>>903,
>>904,
>>908 :ゴミために降りた鶴
痛いとこを突かれて狼狽しているな。見苦しい奴だ。
太守弓遵遣建忠校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國
に書いてあることは嘘だと言うのか?
ちゃんと「太守弓遵が建忠校尉梯儁等を派遣し詔書印綬を奉じて倭国に詣らせた」と書いてある。
「書いた本人に聞け。そんなのは書く人間の感性の問題だ。」とは。陳寿は馬鹿だと言っているようなものだ。
911 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 16:23:55.69
記述内容よりも持論を優先する読み方は間違っていると思います
無限しかり鶴しかり
912 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 16:27:17.67
伊作は自分が一番だと勘違いしている夜郎自大だからな。
誤りを指摘されて感謝するどころか、教えてくれた相手を罵倒し、あまつさえ謝罪を求める。
狭量と言うか、人間の器が小さい。相手をした者全てに不快感と嫌悪感を与える哀れな奴だ。
無限と伊作は似た者同士
914 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 16:41:13.04
まだまだ飲むぞ♪
915 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 16:41:21.13
はい、梯儁は間違いなく卑弥呼にあってますね。当然のことながら、行程は正しい
実際の距離で書かれております。末盧国東南五百里、方角を間違えたり、距離を間
違えたりすることはありません。伊都国は有明海沿岸ですねえ。そこから放射式に
進む。文献史学者の多くがその解釈の正当性を認めています。
異論のある方はどうぞ、理論的に反論してください。誹謗、中小は自らの頭のなさ
を示すものだと心してね。
916 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 16:45:36.09
>帯方郡の中堅官吏武人にいきなり使節をやらせて、
>倭国側の王族・群臣・高官が着飾って居並ぶ中で、
>中国王朝の儀礼にのっとった封爵儀式と詔書・金印の受け渡しができるかどうか。
>そこまで考えた上で「帯方郡太守が梯儁を使節に派遣した」といってるのか。
出来るでしょう。儀式に詳しい者から教授されればよいし、同行させてもいい。
実際に出来たから倭人伝に記載されたのでしょう。
>一郡太守が、本国の皇帝にしかできない封爵儀式支度を用意したというのか。
もちろん皇帝の命を受けてやったことでしょうし、詔書その他下賜品も郡に送られて来たものでしょう。
封爵儀式支度も儀礼に詳しい吏官が一緒に来ていた筈ですから何の問題もないでしょう。
917 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 16:54:55.51
九州説は候補地があちこちにあるから楽しいよね
それに比べて畿内説は、しょぼい
918 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 17:02:55.06
右翼は一人一殺
九州説は一人一説
919 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 17:07:30.94
過去に海だとか、工事で削られたりして無ければ
弥生遺跡の無い所がないものなあ。
920 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 17:10:13.05
お〜い鶴っぱげ〜。
>>916でお前の言い分が木っ端微塵にされてるぞ〜。
もう恥ずかしくて出て来れないか〜。
921 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 17:13:39.01
まああれだ
中郎将の付き添いついてるからいいじゃまいか
922 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 17:15:31.91
みんな安心しなよ。奴はホトボリが冷めるまで待つだろうから、冷静な議論が出来るよ。
923 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 17:18:28.71
未来日記のおにいちゃんいないのか?
ガードあけてあげてからに待ってるんだけど
有効打とかおまいには無理か?
924 :
814:2012/02/08(水) 17:25:46.69
>>884 与太話の押し売りのセールスマン ゴミクズ尿
>「実距離に無関係な千里表記」もう一回書くぞ「実距離に無関係な千里表記」
>わかるか?不弥国以降の水行に当てはめられる根拠はここ。
馬鹿丸出し。
「実距離に無関係な千里表記」 と言いつつ
結局は他説否定の為に実距離を当て嵌めて「九州も畿内も過ぎる」と言う阿呆。
この馬鹿が他説を否定するためにはどうしても
(最低)実距離 × 日数 が九州畿内を軽くオーバーする事を示さねばならない。
「実距離に無関係」なのだから壱岐〜九州間の半分でも、更にその半分でも「千里表記」と言う可能性はあるわなw
要は距離に関係なくそこで一日の航行を止めればいいだけなのだからwww
「実距離に無関係」 だというのなら当然 「実距離を当て嵌めるな」 と言う話だ阿呆。
925 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 17:26:40.62
とりあえず誰もが気づく馬鹿尿説の疑問点(つうか単に与太話へのツッコミだが
・「水行一日千里」を行程記事全体を通して適用できるものとした場合
半島のソウル〜釜山の航行は7日になるがそれを日本に当て嵌めれば
20日で恐らくは北海道あたりにまで達する。
何故ここまでピッチが落ちるのか?(馬鹿尿は和船は機能・性能は大陸のものと劣らないといっているのだから尚更)
元々「水行一日千里」を同一基準として当て嵌めるのが馬鹿だと言うのが一番合理的
・無限尿のゴミクズが説明を逃げ回っている「陸行一月」
これをロスを含まない(魏使の行列とかではなくて)通常の歩行速度で考えれば余程不自然な遠回りするしかないだろう。
(馬鹿尿自身の計算だと30日で300〜450km日本列島を横断できる距離w)
なら元々その日数に大幅なロスが含まれると考えるのがこれまた合理的
それは当然水行の日数にも関係してくる話。
天候不順や何かしらのイベント等によって何日かのロスがあれば総距離は大幅に減る。
926 :
和船について 1/3:2012/02/08(水) 17:28:57.61
さてゴミクズ無限尿語る和船の性能に関する話は殆どがこの馬鹿の単なる願望で
一番良く出てくるのは「 イ モ ト の タ ラ イ 舟 」だがw
朝鮮出兵における小西行長の事例がまあ具体的な事例か?
その対馬を6時間で渡海して上陸作戦を開始していると言うお話の真偽は分からないんだが
(誰かがソースを求めていたがだんまりだったな)
和船の技術の進歩を少し当たってみた。
以下の画像は和船、江戸時代の弁才船模型の画像だが
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/zusetsu/C20/C202.htm 目を引く特徴として長い船首を突き出した鋭角的な「一本水押し形式」の船首が如何にも速度が出そうではあるがw
事実6.5ノットと言う速度を出しているらしい
参考)wiki『弁才船』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%89%8D%E8%88%B9 >航行能力 [編集]
>特に新綿番船や新酒番船に至ってはレースとしての側面から、前者は1859年(安政6年)に大坂・浦賀を50時間、平均7ノット、
>後者は西宮から江戸までを1790年(寛政2年)に58時間、平均6.5ノットの記録を出している。
(まあ馬鹿尿の脳内の古代船はこの速度を普通にたたき出しているわけだがwwwwwww)
が中国や朝鮮では近世になっても殆どが「箱型の船首」で
(…現在埴輪等から考えられている古代船の形もそれだが)
何故日本で凌波性を重視した船首の形になったかというと、どうも人力=漕櫓での航行を重視したが為の進化だったようだ。
(続く)
927 :
和船について 2/3:2012/02/08(水) 17:30:31.29
で、この
「一本水押」は戦国時代16世紀後半あたりに出現し速度が要求される関船や小早(前出
>>458)と言った戦船から採用されたとの事。
つまり馬鹿尿の言う小西行長の上陸作戦はそう言った技術革新を経て可能になったと言うお話で。
単純に「動力船ではない」で同一にくくれる物ではないと言う事だ。
「文禄慶長の役」なんか時代が離れすぎて(その間に技術革新があり)根拠にはならない。
こうなると本当に1日で渡海できたかどうかも怪しい。と言うか根拠が無い。
(自分自身「小早」の事例とかで漕ぎ手の数を揃えて力技で速度を出せるかと考えたがどうもぁゃιぃwww)
以上、参考:ものと人間の文化史 『和船T・U』石井謙治 法政大学出版局
※ちなみに秀吉の朝鮮出兵は秀吉が耄碌したからではなく信長の時代からの計画であった
…とする意見を最近どこかで見たが
何れにせよあまり評判が良くない朝鮮出兵だがw造船技術の進化を促したと言う「功」の部分はあったぽいw
(秀吉も最新式の安宅船(大型戦艦)の図面を取り寄せていたり)
まあ戦争が技術を押し上げるのは今も昔も同じだとwwwwwwwwww
928 :
和船について 3/3:2012/02/08(水) 17:31:33.49
先に上げたwiki『弁才船』に
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E6%89%8D%E8%88%B9 >航行能力
>江戸前期の廻船は順風帆走や沿岸航法しかできず、大坂から江戸までは平均で32.8日、最短でも10日も要していた。
>しかし上記の弁才船の改良や航海技術の発展により、江戸後期の天保年間には同じ航路を平均で12日、最短では6日と大幅に短縮されている。
…とあるように同じ「非・動力船」であろうとも船体や帆の改良、航行技術の発達等でこれだけ進化している。
戦国時代と邪馬台国の時代との航行を「非・動力船」と言うことで括って大して変わらないとするなら
逆にそれはその間に技術が殆ど進歩していないと言う話になるっちゅう話だわなwwwwww
929 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 17:48:30.50
葦原色許男~の段階だと帆が無いというのはどうかなとはおもふ
筑紫から越までのが女あさる勢力範囲
葦原色許男~の名前自体が何事かを騙るのかもな
930 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 17:53:09.52
このスレは肴になる
飲ん兵衛にはお勧め
931 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 18:01:40.88
葦原色許男~の相棒の渡来~の乗ってきた船もちょっと気になる
自波穗乘天之羅摩船而 内剥鵝皮剥 爲衣服 有歸來~
衣服だけでなくて天之羅摩船も内剥鵝皮剥だたりかなとも
932 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 18:03:52.74
邪馬台国は九州内だろう。ゆとりでも知っているぞ。
933 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 18:06:08.43
>>923 今来た。ガードあけてるってなんのこと?
コテもレスアンカーもついてないので、もれなくチェックはできないよ。
934 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 18:08:24.57
自主ゼミの続きよろ
935 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 18:11:08.29
吉野ヶ里も雪が積もってんだろうな〜 385はドライブには最高
936 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 18:11:58.70
楠木製のモノコックボートなんてエロ贅沢だけどな
ばらけて沈むとかは稀有だろ
937 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 18:22:36.40
免許取りたての時に、
旧道385号坂本峠を通って、地獄を見た。
938 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 18:56:31.78
939 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 19:00:52.00
無限尿って距離表記も方角表記も否定してるんだよね
そんなことしたら何処にでも比定可能だっちゅーの
無限尿は、故郷の村おこしが目的だから、
自分の矛盾や論理破綻なんかどうでもいいんだよ。
941 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 19:11:58.78
奴の言ってる事は非論理的な屁理屈だ
しかも自分では論理的だと思っているから始末が悪い
論理的会話が出来ないので問題点を指摘してもそれを理解出来ない
相手するだけ無駄
942 :
○:2012/02/08(水) 19:35:13.45
>>877 :日本海ルート論者さん
>アメリカンな響き。
アン・マーグレットでも登場しそう。
「卑弥呼時の邪馬台・投馬の比定地」
邪馬壹國・・・八女
投馬国 ・・・佐賀平野
改竄
邪馬壹國・・・改竄時の都(大阪・奈良)
投馬国 ・・・吉備
書いてると長くなるので、超簡単に・・・おいおい。
>瀬戸内は荷を奪うには最高の海ですぜ…
日本海ルートに遅れた最大の原因でしょうね。
943 :
○:2012/02/08(水) 19:51:49.61
>>877 :日本海ルート論者さん
「卑弥呼共立の原因 」
政治力のなさ、軍事力皆無、貧乏、小さな国
紀元前から長く倭人達に支持を受けてきた宗教的行為が
広く深く浸透していたから。盟主に遠い状態だったから。
影も形も残らない。
944 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 20:06:05.64
>>920 「出来るでしょう」。「されたのでしょう」。「やったことでしょうし」
「来たものでしょう」。「来ていた筈ですから」「何の問題もないでしょう」。
こういうのを「木っ端微塵にされてる「」というのか。中学中退
このスレの平均年齢は63、8歳(太国を除けば62.2歳)
伊作はジジイの中に咲くジジイの花
946 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 20:12:58.10
>>912 >伊作は自分が一番だと勘違いしている夜郎自大だからな。
現実に俺が一番だが。
>誤りを指摘されて感謝するどころか、教えてくれた相手を罵倒し、あまつさえ謝罪を求める。
誰か、俺に何かを教えた者がいるか?
俺が罵倒して矯正している奴らのことだが、逆のことを逆手に塗り付けるという初歩的な手法だ。
>相手をした者全てに不快感と嫌悪感を与える哀れな奴だ。
不快感と嫌悪感を与えられているのは俺のほうだ。
逆のことを逆手に塗り付けるという初歩的な手法だ。中学中退レベルの
>913
>無限と伊作は似た者同士
これも盛んに使われているようだが
程度の悪いのと比較してコキおろしたり一緒にしたりも、
程度の悪い誹謗の手法だ。
947 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 20:18:22.35
>>945 >>912 >>913 お前らの、サル山のハゲ猿レベルの知能態度を物語る投稿だな。
寄ってたかってその程度の悪知恵しか浮かばないか。
もうちっと、気のきいた誹謗の仕方を考えろ。
どうせ見え見えにしろ、あまりにも陳腐すぎるぜ
948 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 20:22:04.67
>>912 >伊作は自分が一番だと勘違いしている夜郎自大だからな。
現実に俺が一番だが。
949 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 20:24:55.33
>>912 >伊作は自分が一番だと勘違いしている夜郎自大だからな。
これなー。中卒のタコが知るわけがない熟語だ。
夜郎自大だの化外慕礼だの。
この天才の投稿が教える知識だけでもありがたく思え。
その点、お前らにはなーんの存在価値もない。
伊作が一番、太国が2番、夢幻が3番で、朝鮮にあった と 唐松が4番を争ってるというのはいい線だろう
メ とジョーカーはプロ固定だから除く
951 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 20:27:34.07
>>944 横レスだが
古代の文献について「こうだ」と断定するのと「〜だろう」と断定しないのと
どちらが良心的態度であるか、言うまでもないでしょ
あなたは安易に「こうだ」とだ断定し過ぎ
言葉が軽い
>>951 横レスだが
2chだから言ったもん勝ち
>>887 > 3航海はいずれも千里表記。だが実距離は一つだけ大幅に違う。
> この事実だけから導き出せることに史料は必要ねえよ。
「この事実だけから導き出せること」は「千里は3航海の実距離ではない」だ。
「千里=一日航海である」とするためには、
「対馬→壱岐間は渡海一日」という事実を知っている者が「対馬→壱岐間は千里」と記述した、という事実が前提になる。
で、その事実を示すものはなにもない、というわけだ。
>>888 陳寿は「対馬→壱岐間千里」と「郡より女王国まで万二千里」が同時に成り立つとみなしている。
そして陳寿によれば、帯方郡から不弥国までは万七百里なので残りは千三百里。
この千三百里を水行二十日と水行十日陸行一月と記しているのだから、陳寿が水行一日=千里などと思っていなかったことは明白だ。
陳寿がそう思っていなかったということは、水行一日=千里なんてものはなかった、
もしくはあったとしても史家が気にも留めないほど一般的ではなかったものといえるだろう。
では、陳寿は対馬→壱岐間千里についてどう思っていたのか。
彼は、「倭人伝」を書くにあたり収集した史料に依拠して対馬→壱岐間を千里と認識した。
そして対馬→壱岐間の距離を自分の認知している度量衡(一里434m)で把握しただろう。
つまり彼は対馬→壱岐間を一日渡航だと思っていなかった、ということだ。
955 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 20:34:55.20
>>952 勝ちなのか負けなのか…
本人が勝ちと思ってればそれで良いのかもだけど…
本まで出しといてそんなんでいいの?と言いたくなってしまうのです
>>955 2chに書いてる時点で大きく見れば「負け」じゃないの。
957 :
メ:2012/02/08(水) 20:36:56.49
>現実に俺が一番だが。
あ〜〜 ご本人が言ってる通り、そうなんじゃない?
正しいか、間違ってるかは別としてだが...
で、おれと、ジョーカー、ローガン、人豚、恨み節で、ドングリの背比べしてるように感じるwww
夢幻と、朝鮮と、19歳の、三者はまだ勉強が足りんかなw(逃げ)
958 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 20:37:54.94
「勝ち」は大学で若い学生に講義とかしてるだろ
もちろん邪馬台国専門ではないだろうし
960 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/08(水) 20:41:42.28
>>937 >旧道385号坂本峠を通って、地獄を見た。
新道バイパスのトンネル出入口で積雪。
気温−3℃〜−4℃
路面温度−1℃〜−2℃
961 :
メ:2012/02/08(水) 20:43:35.27
>2chに書いてる時点で大きく見れば「負け」じゃないの。
いや、いや、誰だって趣味ってあるだろう。
その自分が関心とする事を追及してるだけで、たまたま古代史、邪馬台国に興味が有るだけで
ネガティブでは無く、ポジティブプラスに受け取ってた方が良いと思うぞ。
962 :
卑弥呼の都は久留米:2012/02/08(水) 20:44:49.80
自宅は気温−0.2℃
964 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 21:12:09.76
965 :
○:2012/02/08(水) 21:21:17.37
>>877 :日本海ルート論者さん
「日本海ルート領有の推移 」「阿曇氏の拠点を若狭にする理由 」
被るので一緒に
漢委奴国王時に博多湾志賀島に阿曇氏がいて、遠賀川以東に和邇氏がいた。
二世紀頃、二氏が近畿勢に捨てられた琵琶湖西岸に入植したと思われる。
森浩一氏によると、幾重にも大規模土木工事が行われている。
西岸に二氏の名残りが多く残っている。
http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-10.html 若狭湾以東に遠賀川式土器が出土してない。 若狭付近は、四隅突起墳が
避けているようにみえる。日本海側は、共栄共存したと考えます。
駅伝交易が、二氏によって博多湾から若狭湾まで幹線化したのでしょう。
このルートにより南鮮の技術、人が渡来したと思ってます。
古くは湖西一帯を思賀と呼んだ。延喜式・和名抄の十世紀には、滋賀と書く
ことになったが、和名抄の訓は、以前「志賀」と読ませている。
>>942 ○さん
>>影も形も残らない。
あ〜
倭人伝成立後にこれを読んだ
ヤマト王権が「我が祖なり」と
騙ったと。
卑弥呼の血脈は、
岩戸山古墳にも繋がらないと?
967 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 21:48:48.11
>>944 :ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 20:06:05.64
>「出来るでしょう」。「されたのでしょう」。「やったことでしょうし」
>「来たものでしょう」。「来ていた筈ですから」「何の問題もないでしょう」。
>こういうのを「木っ端微塵にされてる「」というのか。中学中退
じゃあ
>>916の文章にある上記の表現を「出来る」、「された」、「やった」、「来た」、「来ていた」、
「何の問題もない」と書き変えたらどうなの。
>>916は婉曲な表現をとったものでしょう。断定する文章でなければ意味はないと言うのですか?
逃げずに
>>916に反論しなさいよ。あなたに勇気があるならの話だけどね。
968 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 21:52:53.31
もう一度書く。
倭人伝のとおりならば、国土地理院の地図の壱岐にコンパスの針を刺し、対馬までの距離を採り、九州北岸に半円を書くと、この半円と海岸線が交差する所が魏使達の上陸地点だ。
おおよそ宗像市のあたりになる。
つづいて、コンパスで壱岐・釜山間の距離を得て、針を上記の交点に刺して東から南へ4分の1円を書いた時、邪馬台国はこの4分の1円の線の付近のどこかに有ったことになる。
これが1万2千里の線だ。
したがって邪馬台国は九州東沿岸部しか有り得ない。他の説はすべて成り立たない。
969 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 21:55:15.30
>>950 :日本@名無史さん:2012/02/08(水) 20:26:09.97
>伊作が一番、太国が2番、夢幻が3番で、・・・
うまいねえ。節つけたら
♪伊作が一番♫夢幻が2番♪♪3時のオヤツは文明堂♪♩
不味そうだな。
970 :
卑弥呼は朝鮮にいた:2012/02/08(水) 21:55:57.19
私を100とすれば、君らはみんな60だなw
私は東大京大クラスだが、君らはMARCHクラスだなw
正直言って、出来の悪い生徒ばかりを受け持った担任のような気分だ(爆笑)
971 :
メ:2012/02/08(水) 22:03:37.59
>>970 いや、おまぃさんよりも、
卑弥呼の都は久留米てやつのほうが上手だと思うぞww
972 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 22:13:22.57
明日は九州も雪が積もるらしいから気をつけよう
>>965 >若狭湾以東に遠賀川式土器が出土してない
おいおい爺さん、何十年前の話をしてんだよ?
松橋石遺跡の以前で知識吸収が終わってしまってるみたいね
974 :
メ:2012/02/08(水) 22:19:16.46
>>964 >そりゃないな 俺は30代だ
30代も結構いますよね。
>♪伊作が一番♫夢幻が2番♪♪3時のオヤツは文明堂♪♩
それって昭和時代のなんて音楽だw
たぶんカステラ一番だろうが、分かるおれも、おれも俺だがwww
975 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 22:42:02.42
横から改作
♪伊作が一番♫太国2番♪♪3時のオヤツは夢幻如♪♩
976 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 22:46:17.52
●あおり名無しの正体見たり「板乞食」
こんなスレッドでも2ちゃんではヒット数が多いほうらしく、
複数のプロ固定がたかっているのか、何人かのプロ固定が自演しているのか。
ここで横ちゃりする名無しの共通点は、
ほとんど投稿内容を理解していないし、古代史の知識がない。
ピントはずれの横ちゃり、無知まる出しの横ちゃりで、
ただあおって日ゼニ稼ぎをしているようだな。
977 :
竹斯の民:2012/02/08(水) 22:50:46.61
978 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 22:54:08.42
>>955 >本まで出しといて
本を出すのは、自説発表の証拠づくり。
>>956 >2chに書いてる時点で
2ちゃんでの活動は底辺の底上げ。
俺の影響がそちこちにあらわれている。
ただかき回して
微々たる日ゼニ稼ぎのアルバイトをしてる野郎に比べれば、
なんぼ立派なことか。あおり名無しの正体見たり「板乞食」
979 :
○:2012/02/08(水) 22:56:28.94
>>966 :日本海ルート論者さん
私は、卑弥呼のような女子は一国に一人ずついたと思ってます。
平原遺跡1号墓もその種の女性でしょう。
沢山の女子の中から選ばれた一番強い感性を持った女子と考えてます。
「卑弥呼」と陳寿は表した。
中国人読者は、それだけでどんな類の人か理解した。説明は不必要だった。
卑・・・いやしい、よこしまな
弥・・・いよいよ、ますます
呼・・・叫ぶ
大和王統とは、何の関係もない宗教人と思ってます。
素人愛好家のカンですけどね。
私は岡田英弘支持ですから、ルートさんとしては面白くないでしょう。
「海から見た古代史」の勉強に戻ります。
では、また!
ニセモノだろ 本当の先生がこんなことを言うはずもない
そもそも名無しなど歯牙にもかけないお方だ
981 :
竹斯の民:2012/02/08(水) 22:58:32.21
982 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 23:00:59.66
>>878 この一行あけでレスしてくる人、稗箕狐ってコテの人?
983 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 23:01:41.41
>>977 本物だよ。
邪馬台国関連で、板乞食がたかってるのは、ここだけのようだな。
俺がスレッド移動すれば、またぞろ金魚のフンみたいについてくる。
それが板乞食の証拠だ。あおり名無しの正体見たり「板乞食」
984 :
竹斯の民:2012/02/08(水) 23:05:56.93
自分の主張を認めない全ての人間を敵視し始めるのはカルト信者の末期症状
986 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 23:10:20.09
おお〜い どぶ鶴〜
>>967に勇気がないと言われているぞ。どうする〜。
987 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 23:12:28.97
板乞食は、あおり甲斐のある者に集中する。
自分が集中的に攻撃される役を演じるとか、
炎上するネタを振りまくとかすればいいのだが、それだけの中身はない。
中にはネタを振りをしているのもいるかも知れないが、薄っぺらすぎて閑古鳥。
頭の悪いのが利口な気になってやることは、ま・そんなところか。
988 :
筑紫の民:2012/02/08(水) 23:17:19.77
竹斯の民はニセモノです。
でも、先生、
>>967にあんなこと言われています。
私も
>>916を読んでなるほどと思いました。先生が間違っているなど思ってもいなかったのでショックです。
ですから、私を納得させて下さい。説明して下さい。お願いします。
アンカーつけて意見聞いても
>>675みたいに遺作脳では答えられない質問は無視し続けられるわけだが・・・
990 :
竹斯の民:2012/02/08(水) 23:20:58.25
こりゃえらいこっちゃ、親趣味。
991 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 23:22:39.90
邪馬台国は大和でした。
ちゃんちゃん。
992 :
筑紫の民:2012/02/08(水) 23:25:14.77
伊作は横を向く〜♪ ♪♪♪
民を見捨てて横を向く〜♪ ♪♪♪
993 :
メ:2012/02/08(水) 23:28:55.15
伊作が、くだらん横チャリをする奴がおるの〜思ってる名無しって
実は、竹斯の民の名無しだったりするw おまぃら仲間割れか?wwwww
994 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 23:29:26.27
遂に筑紫の民も伊作を見限ったか。
辛抱強く従っていたのに裏切られたか。可哀想に。
995 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 23:32:17.64
信じていたのに裏切られたら憎しみが募るわな。
996 :
ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 23:37:24.32
>>986 バカバカしいので放置したが、またぞろあおりか。ご期待に応えよう。
>>916 >儀式に詳しい者から教授されればよいし、同行させてもいい。
具体性のない空論な。何の証拠提示もない。詭弁ともいえないレベルだ。
使節というものは、隋の「清がそうだったように、外交窓口で鍛えられ、
外国の王室に出向いても派遣した皇帝に恥をかかせないほどの、
礼儀と儀礼を身につけていたものを起用するものだ。この事実に勝るものを書け。
>実際に出来たから倭人伝に記載されたのでしょう。
使節は魏本国からやってきている。
中国人には、詔書が来ていれば使節が魏本国からやってきていることは分かる。
当然のことだから、いちいち書いてないだけだ。
正史は、お前みたいな現代のバカ日本人を読者対象としている書き物ではない。
当然、梯儁は使節団の護衛と先導役として記載されているのだ。
>もちろん皇帝の命を受けてやったことでしょうし、
使節は皇帝がじきじきに任命して派遣するものだ。覆しようのない事実だ。
>詔書その他下賜品も郡に送られて来たものでしょう。
詔書は皇帝が任命した使節しか持参できない。
この事実に逆らうならば、宮内庁に行って確認してこい。
>封爵儀式支度も儀礼に詳しい吏官が一緒に来ていた筈ですから
儀礼に詳しい吏官を派遣して使節を派遣しないといバカげた話があるか。 タコ
ざっとこういうところだ。
いじめ集団のケツについて加担するような、チビた板乞食よ。
997 :
メ:2012/02/08(水) 23:40:22.45
>947 :ゴミために降りた鶴:2012/02/08(水) 20:18:22.35
>
>>945 >>912 >>913 >お前らの、サル山のハゲ猿レベルの知能態度を物語る投稿だな。
>寄ってたかってその程度の悪知恵しか浮かばないか。
>もうちっと、気のきいた誹謗の仕方を考えろ。
>どうせ見え見えにしろ、あまりにも陳腐すぎるぜ
たぶん、945、912、913の中に竹斯の民の名無しがいたんだろうww
998 :
メ:2012/02/08(水) 23:52:50.93
この伊作の>996の議論は面白いな。
私も混ぜて貰おうか・・・。
>>996 伊作
裝封し帯方郡に付ける と書いてあるとおり、基本、魏使ではなく、郡使だよ。
又、「直送」とある通り、魏使も来ている。
すなわち、正確にいうと魏使&郡使なんだが、基本は郡使なんだよ。
999 :
メ:2012/02/08(水) 23:57:20.45
伊作 さん
ヤフーではなく、2ちゃんで議論すると雰囲気が違うというか、
集団によって考え方が違うので面白いでしょ?
ヤフーでは、それが一般的な考えだったのかもしれないが、
私は倭人伝を解析し、基本「郡使」と決定づけてる。
まあ、反論があるようなら、相手してやってもいいですよ。
1000 :
日本@名無史さん:2012/02/09(木) 00:00:45.96
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