1 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 09:43:43.30
児玉党とそれ以外の方々について語ろう。
スカイツリーも建ったし。
634.
2 :
日本@名無史さん:2012/01/07(土) 09:11:43.17
名字と在地武士の研究には
よく登場するね
マイナーだけど
横山党の地元に住んでいます。
4 :
日本@名無史さん:2012/01/07(土) 20:13:00.77
野与党が勢力あるとこら
今も昔も水田あまり無いですが陸稲だっただろうか
旧入間川方面は条里の痕跡がある
武蔵7党っつっても同盟組んでたわけでもなんでもないんだよな。
地元は西党だな。平山さんが有名
>>3ですけど、今でも普通に横山さんとか近所にいるから驚きです。
あとは何故か近所に大庭さんが多いですw
8 :
日本@名無史さん:2012/01/09(月) 10:48:53.55
武蔵七党が出自の名字を
名乗ってる人多いはず
9 :
日本@名無史さん:2012/01/09(月) 13:20:11.61
千葉一族
武蔵は七刀じゃなくて二刀流
11 :
日本@名無史さん:2012/01/09(月) 23:24:16.84
ボケてみました
12 :
日本@名無史さん:2012/01/13(金) 10:10:29.82
審議中(AA略)
13 :
日本@名無史さん:2012/01/17(火) 15:14:13.40
武州南一揆
14 :
日本@名無史さん:2012/01/17(火) 23:00:18.81
<〆`∀´>ウリは両刀!
両刀使い
ウッホ
アーッ
キマシ
タワー
20
21 :
日本@名無史さん:2012/03/20(火) 18:20:25.33
七党っていっても実際は九つあるんだよな
坂東八平氏とか由利十二頭とかもそうだね。
北海道の道南十二館はドンピシャらしいが。
23 :
日本@名無史さん:2012/04/10(火) 08:56:08.59
北条に家を則られて強制隠居させられるも、最後まで秩序のために上杉謙信に味方し北条氏邦に毒殺された鉢形城主「用土新左衛門」(
藤田康邦)。
猪俣党は小野妹子の子孫だけあって、生き様は格好良い人が多い。
↑の用土の娘は「前田慶次郎」に嫁いでたりする。
>>23 じゃ藤田信吉と慶次郎の嫁は
おじめいの関係なのか
25 :
日本@名無史さん:2012/06/17(日) 14:44:45.33
>>23 武蔵七党の横山氏・猪俣氏の出自が、中央豪族小野氏というのはお決まりの
仮冒だろ。
26 :
日本@名無史さん:2012/06/17(日) 15:28:36.13
小野薯子は中性か無性か
>>25 武州多摩郡における小野氏の足跡を見ると決してそうとも言い切れない。
小野姓も
篁や好古とかが有名だけど
分家や支流が多くあっただろうしな
>>28 町田市の小野路にはその小野篁を祭る小野神社がある。
武蔵国司で篁の7代子孫の小野孝泰が建立したと言われる。
「小野路」は「小野へ向かう道」の意味。
武蔵国府の置かれた多摩郡域は古くは「小野県」「小野郷」などと呼ばれた。
そこへ向かう道筋の意味。
他にも古代には勅旨牧であった「小野牧」「小野馬牧」もあった。
国司としては孝泰のほか、武蔵掾→武蔵介→武蔵守と武蔵の国司を18年間にも渡って勤めあげた小野(高向)利春などがいる。
これだけ同地の歴史に小野氏が絡んでいながら現地豪族として根を下ろしていない(現地豪族と姻戚関係を結んで婿入りしていない)と考える方が逆に不自然。
小野氏は公家として生き残った家がないのが哀愁を感じるな
大伴氏とかもそうだけど
ほとんどが藤原北家
31 :
日本@名無史さん:2012/06/20(水) 14:11:09.56
千葉、児玉ってまだ普通にいるからね。
武蔵、秩父、千葉、方面は普通にまだ当時のままで残ってる。
農家、旧家はほぼそっち計なんだよ。
だから彼らに話を聞き、考古額的にしらべればいいかも。千葉、武蔵、秩父はまだ存命なんだよね。
小野姓や横山姓も旧多摩郡の中部、南部あたりに今でも多いよ。
うちの鎮守神社の氏子世話役は小野姓だし、武蔵総社大國魂神社の世襲の神職には横山姓の人がいる。
ちなみにうちの近くの商店街の会長も横山さん。
33 :
日本@名無史さん:2012/07/31(火) 19:40:40.61
武蔵総社・六所宮(現大國魂神社)の宮司職を鎌倉時代以来世襲する猿渡氏(秀郷流藤原氏)は、元々は都の武官(軍事貴族)から鎌倉御家人になった家柄なのだが、
頼朝から平賀氏が武蔵国司に任じられた時、同時にその猿渡氏は武蔵総社神職に任じられている。
吾妻鏡によるとこの猿渡氏は、この時期横山氏と行動を共にしていたことが分かっている。
多摩横山荘(現八王子市横山と言われるが異説もあり)を本拠地に持つ多摩郡の有力豪族・横山氏は、おそらく平安末期頃の武蔵総社宮司職を勤めていた可能性が高い。
武蔵総社宮司職に任命された猿渡氏は実際には、代々同総社宮司職を世襲していたこの横山氏に婿に入ったと見るのが妥当だろう。
その横山氏も同様に中央貴族・小野氏が多摩郡の有力豪族に婿入りしたものだろう。
その有力氏族とは、おそらく出雲氏族で初代武蔵国造・兄多毛比命(天穂日命の後裔・出雲国造氏同族)の末裔である笠原氏だと思われる。
しかし調べてみるとどうもその笠原氏にも更に前身氏族があって、どうやらそれは物部(ry
横山大膳は、横山党か?
横浜なんだが、
35 :
日本@名無史さん:2012/11/16(金) 17:09:41.59
ネットで検索すると、
武蔵七党で最大の党は児玉党と言われる場合と横山党と言われる場合とがあるけどどっちが本当?
水戸藩で有名な藤田氏の先祖って横山党?猪俣党?
37 :
日本@名無史さん:2013/01/11(金) 00:13:36.01
彼女の地元が丹荘安保領で、いまちょうど徹底的に安保氏を調べているところ
武蔵七党としたらちと異端かもしれんが中々面白い
結構な勢力だったのにパッタリといなくなり、以降一切無名となったナゾの幻の一族だよね
家の田舎の近くにも小野っていう地名があって城跡がある
ちょっと町田の小野路はまわってみたいかも
39 :
日本@名無史さん:2013/09/03(火) 22:25:40.55
40 :
日本@名無史さん:2013/10/16(水) 23:01:05.27
横山氏って、横浜の西部にまで勢力張ってた?
近所に伝説があるんだが、、
実はネタ豊富でおもしろいよな、武蔵七黨。地味で知られてないが
42 :
日本@名無史さん:2014/05/26(月) 22:37:21.79
43 :
日本@名無史さん:
尾張の支配者変遷
尾張氏 熱田大宮司。尾張国造、つまり尾張の古代豪族。
藤原氏 尾張氏の婿となり大宮司職を継承。初代は三河四郎大夫季範(源頼朝の外祖父)。
小野氏 武蔵国多摩郡(東京都)出身、横山党。平氏追討戦で活躍。尾張国守護として3代任じられる。
中条氏 武蔵国北埼玉郡中条発祥の横山党小野氏族。小野氏に代り尾張守護に任じられる。頼平(神奈川県)ら剣の中条流で知られる一族。基本的に鎌倉在住。
名越氏 北条氏族(神奈川県)。鎌倉末期の守護。
中条氏 再び
南北朝以降は土岐、足利、今川、一色・・・と移り変わり、織田氏の登場を待つ。
長秀の剣法中条流は、中条氏の祖小野氏時代より刺撃の術を伝え、中条頼平に至り特に精妙となり。
これを平法とも中条流ともいった。これが長秀に伝わり、長秀が念流系の中条流の中興の祖といわれた。
(『豊田市史』より抜粋、『大日本剣道史』)