『非常民の民俗境界』(明石書店) 赤松啓介
明治中期以降になって、日本の資本主義の発達による大阪市の工業都市化、河内平野の近郊農村化につれて、いろいろの社会的矛盾が激化し、
これはまた古い伝統的宗教の他に、天理教、金光教、黒住教などの新興宗教を発生、成長させることになる。
こうして生駒山系の西麓の谷道、峠道などに沿って、多くの民間信仰といわれる神祠や堂舎が建てられるようになった。
(中略)
いまのPL教団、戦前のひとのみち教団が弾圧されたのは、要するに既成の教団を動揺させるほど大きくなり過ぎたからで、それが真実だろう。
しかし一つの理由として、教義に性的迷信があり、教祖が十五、六歳の処女を数人も侍女として接触したなどとの噂もあった。
同教団は教育勅語を表向きの原理としていたので、当然に「夫婦相和シ」も根本の理念としたわけだが、教育学界と違うのだから、そう公式的な堅い論理で一般の信者を説得できるわけがなく、
いろいろの具体的な信者の相談に対して、教師の側でもそれ相応に具体的な解決の指針を出さざるを得まい。
したがって具体的であればあるほど、セックス的なものは危険になってくる。
そうした例も、かなり摘発されたようだが、ある意味では民間信仰型教団、教師にとっては宿命的といえるだろう。