>>590 素晴らしい質問ですね。
そのとおりです。戦国期以降の関東の歴史を簡単に言うとこうなります。
@武田家は戦国中期、徳川の急成長の前期末位に滅びたので、その後仕官したものもいたようです。
しかし、武田家に代々仕えた旧在地豪族などで帰農したものもも非常に多いです。
武田家の二十四将重臣クラスも、その後帰農庄屋は調べただけで7家存在してます。
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Aその後戦国末期、小田原攻めによる後北条家滅亡時には、旗本八万旗を引き連れての関東入府のため、
ごくごく一部以外はほとんどが帰農してます。
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Bさらに、戦国の世が終わった時点での佐竹移封時の佐竹家臣団はもっと悲惨でした。
佐竹旧家臣の庄屋の反乱で一村壊滅させてしまうほど、
佐竹旧武士団の帰農は徹底した弾圧をしています。
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Cそして、徳川の天下を知らしめた、関東統治の大号令である、元和演武の大号令により、
関東全域、要は関八州の中世よりの戦国大名に仕えていなかった、一般土豪、地侍層も徹底した武装解除により、帰農を徹底されました。
ですので関東には郷士も他地域に比べ極端に少なく、ほとんどいません。
古代豪族クラスの名門武家ですら庄屋格がほとんどです。
今からもっとわかりやすい資料を出しましょう。