1 :
竹斯の民 :
2011/12/17(土) 18:00:38.17 o 。 ______o O 。 。 °
。 ○ o ○ / ィ ○ o ○
o /ニニニ)⌒ヽ o
o (。・-・。) _ _) メリークリスマス!
○ 。 ○ /○ ○) /|,. O o
。 o o ∠∠______∠_/ / ○
o .|/ / |_/ ○ 。 o O 。
o O / ̄ ̄ ̄/ ̄ o 。
。 ノ / o O
o o ∧ ∧___ノ)∧ ∧___ノ) 。 o ○
o (*゚ー゚) (゚Д゚*) つ o ° o
。 o ∪-∪'"~ ∪-∪'"~ 。 。 o °o 。
__ _ 。 __ _ o o__ _ °
__ .|ロロ|/〜 \ ____. |ロロ|./〜 \ __|ロロ| __../〜 \
_|田|_|ロロ|_| ロロ|_|田|.|ロロ|__| ロロ|_|田|.|ロロ|_|田|__| ロロ|_
前スレ ♪邪馬台国ドンと来い♪101
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1323690790/l50 101書き終えてからこっち来てね。
2 :
日本@名無史さん :2011/12/17(土) 18:19:18.77
3 :
竹斯の民 :2011/12/17(土) 18:36:28.57
え?本当?池ね池ね
4 :
伊作というより爺嫌いなねちねち君 :2011/12/17(土) 19:26:16.86
おーい伊作よ、反論できんからもうでてこれないかww おまえさんの景初2年の証明は完全に論破済みだからww 劉マ劉夏の件のみでもほぼ勝負あったわw 伊作は帯方郡の先行平定を主張しており、平定してから 間髪いれずに卑弥呼が郡に難升米らを送ったと そのスピードを強調してるし、つまり帯方郡を先行平定した 劉マが、難升米らが郡にきたときに劉夏に変わってるわけがないw つまり交代説などありえないことを伊作自身が言ってるようなもん。 となると劉マ劉夏は同一人物とするしかこいつの説は成立しないが、 その根拠が中国人の学者がそう言ってたからときたww じゃあ学者はほぼ畿内説なんだから畿内説を支持するのかと。 でもこいつは学者の言うことなど馬鹿馬鹿しいと俺は九州説のホープだとか 言ってるし矛盾しまくりだよww それに劉マ劉夏が同一人物なら、三国志内で、同じ役職で名前が似てれば 全部同一人物だということもまかり通ってしまうだろww 前に言った蜀漢皇帝の劉備と劉禅とかも同じ役職で名前も親子だから 似てるよなww完全にこいつの説は成り立たない。論破達成。 つまりこのようなでたらめなこと書いて本出して金詐取してる トンデモ野郎ということが皆よくわかったでしょ。
5 :
メちぁん :2011/12/17(土) 19:41:24.34
重複だから時間の遅いこっちを削除依頼だな
8 :
日本@名無史さん :2011/12/17(土) 23:27:37.48
あげ、あげ、あげ
9 :
サガミハラハラ :2011/12/18(日) 08:30:48.36
邪馬台国は佐賀県小城市甘木です。 卑弥呼の墓は小城公園内桜ケ岡です。 卑弥呼の墓には金印が埋納されているという説がありますが、卑弥呼の死後、金印は後継者の 壱与が魏との貢献に遣っています。 この点の印鑑は伝世されてつかわれるものなのです。
10 :
日本@名無史さん :2011/12/18(日) 09:29:20.06
あげ
このスレには書き込むな
はい、はい
7月の段階で民主党が2兆円の復興予算を組んだとき 自民党が要請した復興予算は累計17兆円 自民党の17兆が7月時点でに決定されていたのなら 今の日本はもう少し違って居た筈だ ちなみに関東大震災のときは復興予算として現在の価値にして150兆円以上を組んでいた。 この事実を知れば、予算の規模の小ささ、ましてや増税なんて奇知涯にも程があると思わざる負えない。
15 :
日本@名無史さん :2011/12/18(日) 15:27:29.08
>>14 7月の復興予算が2兆円だったのは予算原資のメドが付かなかったから。
関東大震災に150兆円同等の復興予算を使って東京はチンケな町にしか成らな
らなかった。別の町に遷都した方がよかった。
今の日本政府の財政構造は増税しなければ持たない。問題は財務省の好き勝手
にさせてはならず、国民が財政・金融を監視すべしということだ。それを国民
は今まで充分やっていない。
悪徳金融ユダヤ人がCIAを使って、日本の金を吸い上げる策略の一環さ。 日本の大企業社員を派遣労働者にして減給、その分をユダヤ人の配当に回させた。 郵政民営化(=ユダヤ資金化)が、途中で暗礁に乗り上げ失敗、 日本の高齢者個人資産を盗み損ねたので、保険加入でだまし取ると同時に、 高齢者医療で吸い上げ、消費税で吸い上げて、金融ユダヤ人に献納するよう、 自民も民主も陰で操作されている。我々は着実に、彼らの奴隷になりつつある。
17 :
日本@名無史さん :2011/12/18(日) 19:17:47.22
ただ今から、 ここが、本スレです。 さあ来い!捏造畿内バカ。集まれ、ゴミクズ九州説!
18 :
日本@名無史さん :2011/12/18(日) 19:39:18.12
好ましいことではないが、ねちねち自演如の自慰的連投をみれば、避難するのも やむを得な
夢幻如はねちねち君で、さらに19歳やら69歳やらいろんなハンドルを使い分けて 様々な説を並べ立てているが、正体は近江厨だろう
ここを消化するのが筋だろうな。 前スレ最後で自称天才、低脳伊作が名無しで遠吠えしてたのは笑えた ワラ で、またまた俺を無視する宣言してやがる。 宣言したことは守れよな、愚図へタレ プ 一方的に叩いてやるよ。
>前スレ946 >つまり、水行二十日と水行十日陸行一月がその計其道里には含まれていないのではないかということですが。 それこそ「そうしたいから、こう解釈する」という見本に見えるね ワラ 会稽東冶の東というのは「混一〜」的地理感であれば何の矛盾もなく説明がつく。 一番わかりやすい説明がつくのが真実に最も近いと思うぜ。 そうしたくない理由があるんだろうがね ワラ
方角も距離も否定して 証明した、間違いないと言われてもね〜。 信じる者は馬鹿だけ。
23 :
廃物再使用アゲ :2011/12/24(土) 10:56:31.05
24 :
夢幻如 ◇vaujymvCDcV. :2011/12/24(土) 11:14:48.77
廃物再使用アゲ
25 :
日本@名無史さん :2011/12/24(土) 11:39:55.77
26 :
日本@名無史さん :2011/12/24(土) 11:58:15.21
東と南を間違えるような奴が中国から日本に来られる訳がない 九州しかないよ
27 :
日本@名無史さん :2011/12/24(土) 13:08:35.05
邪馬台国の比定って、基本的に「お国自慢」の要素が大きいと思います。 で、邪馬台国スレの常連さん達に質問です。 皆さんの出身地(幼少期を過ごした地)と現住地を教えてください。 公表又は漏れ伝わっているプロフィールから判明している方々はこんな感じですかね。 伊作 熊本県出身、埼玉県?在住→熊本説 ローガン 大阪府?出身、大阪府在住→畿内説 改め ???出身、三重県在住→畿内説 竹斯の民 福岡県?出身、福岡県在住→筑後説? 太国 ???出身、???在住→九州?説 唐松山 ???出身、神奈川県在住→畿内説? 久留米 奈良県出身、奈良県在住→九州王朝説 河童虫 茨城県出身、茨城県在住→筑前説 19歳 ???出身、愛知県在住→畿内説? 以下の方々やその他のコテ、名無しの皆さんもアンケートに答えてちょ ジョーカー ???出身、???在住→畿内説 サイキバ ???出身、???在住→九州説? 恨み節 ???出身、???在住→九州王朝説 元縄文人 ???出身、???出身→熊本説? 夢幻如 新潟県?出身、???在住→八幡平説
28 :
日本@名無史さん :2011/12/24(土) 13:09:29.77
捏造畿内説考古学者も本当は九州なんじゃないかなぁって思ってるらしいよ。 だけど今更そんなこと言えないんだって
29 :
日本@名無史さん :2011/12/24(土) 13:29:46.08
★邪馬台国比定地「お国自慢度」アンケート★ 伊作 熊本県出身、埼玉県?在住→熊本説 ローガン 大阪府?出身、大阪府在住→畿内説 改め ???出身、三重県在住→畿内説 竹斯の民 福岡県?出身、福岡県在住→筑後説? 太国 ???出身、???在住→九州?説 唐松山 ???出身、神奈川県在住→畿内説? 久留米 奈良県出身、奈良県在住→九州王朝説 河童虫 茨城県出身、茨城県在住→筑前説 19歳 ???出身、愛知県在住→畿内説? ジョーカー ???出身、???在住→畿内説 サイキバ ???出身、???在住→九州説? 恨み節 ???出身、???在住→九州王朝説 元縄文人 ???出身、???在住→熊本説? 夢幻如 新潟県?出身、???在住→八幡平説 アンケートに回答! 名無し君1号 東京都出身、東京都在住→九州だったら好いな♪説 あと、元縄文人も熊本出身だったような気がス。 現在までのところで、判明しているお国自慢率は、 該当(伊作、ローガン、竹斯、元縄文人)4名 非該当(改め、唐松、19歳、久留米、河童、名無し1号)6名で 40%ってところか。
30 :
日本@名無史さん :2011/12/24(土) 13:53:05.10
>>21 メルカトール図法で地図を認識しているド○ホウ。当時の中国人の方位感覚を
研究しろ。
31 :
日本@名無史さん :2011/12/24(土) 14:02:50.83
32 :
日本@名無史さん :2011/12/24(土) 19:09:58.12
今時九州説って爺の集まりかよw
>>30 お前が当時の中国の地理感を研究したらどうよ?
世間様はイブだしな、今日は雑談だけにしておくか。
俺は埼玉在住だ。
高校まで新潟だったが大学以降は都内か首都圏、途中6年間和歌山で暮らしたこともある。
だから近畿に縁があるといえばいえるかな。
邪馬台国論争は「ここを邪馬台国にしたい」というのがあるから迷走してる、てのもあるよな。
馬鹿馬鹿しい限りだぜ。
もし邪馬台国がおらの町なら自慢できるってか?
それがなんの自慢になるんだろうな アホラシ
34 :
19歳某国立大生 :2011/12/24(土) 19:41:58.19
画文と△の分布見てもまだ九州とか言ってるやつの気がしれんわw
詐欺に騙されてる馬鹿が、騙されたまま大威張りかよ
伊作は熊本か。熊本になんとしても邪馬台国をもってきたいわけだ。 これが目的になっているから、すでに学問じゃないわね。 何を調べ、研究しようが「邪馬台国はどこにあったのか」がテーマではなく 「邪馬台国を熊本に比定するためには、どう解釈するか」がテーマなんだろう。 他の奴も似たり寄ったりだろうがね。 ここに邪馬台国論争のくだらなさがある。
新潟出身のお前もな
>>37 自分の物指しでしか他人を見れないのが人間だから
他人をどう見るかで、そいつのレベルはわかる。
お前みたいなゴミが邪馬台国論争を歪めてきたんだろ プ
さてお仕事。 世間様と関係なく俺は仕事だが、お前らはPCかじりつきか? ここ邪馬台国オタクのニート多そうだもんな ワラ
40 :
19歳某国立大生 :2011/12/24(土) 20:06:34.41
仕事w 今日土曜日だし今夜の8時でしょ。 今からやる仕事って何よ?夜のやばい仕事とかじゃないの? 僕は学生だし、邪馬台国オタじゃなくて 大学で専攻してる分野だから勉強してるだけ。 大学卒業したらこんな無駄なこと絶対しないからw オタクにはなりたくないしね。
無限尿 「邪馬台国は魏から新潟を経由した場所だ」 →お国自慢はもうやめようよ。
いいかげん一人何役もの自演やめろよな サイキバ以外はみんなわかってるから
19歳=69歳=ねちねち君=夢幻如
44 :
19歳某国立大生 :2011/12/24(土) 20:18:44.69
夢幻と69歳は違うww てか僕の書き込み見てまだ69歳と思うような 洞察力しかないなら頭悪いww 夢幻など東北説とか言ってるようなレベルだし、 僕とは別人だということくらいわかるでしょ。
うん。79歳だね。
正体は近江厨
後漢に朝貢した倭奴国=半島系の筑紫国、伊都国や奴国の前身 中国江南地方から東シナ海を渡って肥の国に上陸した一族=邪馬台国の前身 耕地に恵まれない邪馬台国はその鉱山技術、より高度な製鉄技術、冶金技術+鬼道をもって 一気に有明海沿岸、阿蘇、伊都国連合をも含む北部九州を席巻、一大率を置き諸国を検察 薩摩大隅の狗奴国をも支配下に置こうと画策するも苦戦、魏への朝貢はこの頃 狗奴国は天草島(投馬国?)から侵攻を始め一気に肥の国を蹂躙、夜須川(天の安河?)まで進出 邪馬台国の王族は逃亡し日田から山国川あるいは駅館川をさかのぼって宇佐に落ち着くも小規模勢力に 4世紀はじまり前後(?)朝鮮半島南部(高天原?)の騒乱の影響で多羅からやってきた一団(タラシ系の王族=景行天皇、神功皇后)が 八女、宇佐など北部九州を平定しようとするも地元豪族たちの抵抗に遭う 神夏磯姫と縁戚関係を結んでいにしえの邪馬台国の血筋を入れたタラシ系の王族(イザサワケ=応神天皇)は瀬戸内海を東進 吉備の勢力と手を結び河内に入り、後の大和朝廷の基礎をつくる 自分の家の近所にあり、小さい頃から目の前で見てきた大仙陵古墳の被葬者はこうして西からやってきた征服王なのではないか 自らの事跡を誇るために海から見えるあの場所に陵を造らせたのではないか
48 :
あらため :2011/12/24(土) 21:18:05.34
>>47 おーちゃくに長文を書き込みやがってw全部妄想じゃねーか
終止符スレに来いこのヤローw
49 :
日本@名無史さん :2011/12/24(土) 21:24:13.32
★邪馬台国比定地「お国自慢度」アンケート★ 伊作 熊本県出身、埼玉県?在住→熊本説★御当地説 ローガン 大阪府?出身、大阪府在住→畿内説★御当地説 改め ???出身、三重県在住→畿内説 竹斯の民 福岡県?出身、福岡県在住→筑後説?★御当地説 太国 ???出身、???在住→九州?説 唐松山 ???出身、神奈川県在住→畿内説? 久留米 奈良県出身、奈良県在住→九州王朝説☆非御当地 河童虫 茨城県出身、茨城県在住→筑前説☆非御当地 19歳 ???出身、愛知県在住→畿内説? ジョーカー ???出身、???在住→畿内説 サイキバ ???出身、???在住→九州説? ※SSS(名無し恨み節) ???出身、???在住→東遷説※訂正 元縄文人 ※熊本県出身、???在住→熊本説?★御当地説 夢幻如 ※新潟県出身、※埼玉県在住→八幡平説☆非御当地 名無し君1号 東京都出身、東京都在住→九州だったら好いな♪説☆非御当地 ただ今★5:☆4 御当地率55.6%
50 :
日本@名無史さん :2011/12/24(土) 21:25:57.09
★邪馬台国比定地「お国自慢度」アンケート★ 伊作 熊本県出身、埼玉県?在住→熊本説★御当地説 ローガン 大阪府?出身、大阪府在住→畿内説★御当地説 改め ???出身、三重県在住→畿内説 竹斯の民 福岡県?出身、福岡県在住→筑後説?★御当地説 太国 ???出身、???在住→九州?説 唐松山 ???出身、神奈川県在住→畿内説? 久留米 奈良県出身、奈良県在住→九州王朝説☆非御当地 河童虫 茨城県出身、茨城県在住→筑前説☆非御当地 19歳 愛知県出身、愛知県在住→畿内説※☆非御当地 ジョーカー ???出身、???在住→畿内説 サイキバ ???出身、???在住→九州説? ※SSS(名無し恨み節) ???出身、???在住→東遷説※訂正 元縄文人 ※熊本県出身、???在住→熊本説?★御当地説 夢幻如 ※新潟県出身、※埼玉県在住→八幡平説☆非御当地 名無し君1号 東京都出身、東京都在住→九州だったら好いな♪説☆非御当地 ただ今★5:☆5 御当地率50.0%
名無し2号です! 九州西北部説です。 出身は神奈川県です。(神奈川出身というコテハンの人とは別人) 親戚縁者一同、全員関東地方出身&在住で、例外はありません。
52 :
日本@名無史さん :2011/12/24(土) 22:15:17.91
○⌒\ (二二二) (⌒( ・∀・) ヤア! ( o つ (__し―J /⌒○ (二二二) チョットマッテテ (・∀・ ) (( o; と ) ゴソゴソ (__ノ―J /⌒○ (二二二) アレ…? (・∀・;) (( o; と ) ゴソゴソ… (__ノ―J /⌒○ (二二二) アタッ♪ (・∀・ ) ( o; と ) (__ノ―J ○⌒\ (二二二) ドゾ (⌒( ・∀・) ( o つ愛 (__し―J 楽しいクリスマスを迎えられますように。
53 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/24(土) 22:55:58.38
唐松(当然読み替え)を苗字とし、唐松の自生する地方出身で ハラハラさんの近くに居住。
54 :
佐賀原住民 :2011/12/24(土) 23:01:38.58
普段は名無し 熊本南部説 糸島、福岡、久留米、佐賀、大分あたりが生息域 残念ながら熊本には親戚縁者がいないので、 熊本南部の土地勘がない
>唐松の自生する地方出身 特定地域が広すぎ。 どうせ新潟の福島県境寄りでしょ? あと、ハラハラさんは、いま東京都日野市在住じゃない?
56 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/24(土) 23:35:59.50
宿主という野郎は表面上は紀が正しいことだと言い張ってるが、これは 表の顔であって、裏の顔はそうではない。 この野郎は記紀の転覆を狙っているのであり、その奥の目的は秀魔電という 厄物を記紀を葬り権威を持たせることにある。さらに野郎自身が松本と いう男の上になり上がって天下をとりたい名誉欲を慣行満足させる行動を したいがためにある。そのために景行を誇張、デッチ上げしてるのである。 る 楽観視はしてはならない。ホツマ・真離狂教主たる〜 〜この朝敵からしっかり記紀を護らねばならないのだ。
57 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/24(土) 23:44:49.23
新潟や福島県は積雪地帯であるから自生はしない。
>>57 隠しても意味ないでしょ。出身都道府県はどこ?
59 :
ローガン :2011/12/25(日) 00:22:40.91
ローガンというhnで参加しているものです。大阪に住んでいます。 別に邪馬台国なんかどこでも良いんですが、この国の形の生い立ちというか… 少しずつ纏まりはじめるその黎明期の姿を、中国が記録に残しておいてくれた と言う前提で畿内説指示です。 あまり深くは考えいません。
60 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/25(日) 00:29:11.00
ピンポイントの第2ヒント 世界的には砂漠にすむ蜘蛛の日本唯一の生息地。だから雪は少なく降水量も少ない。 第3ヒント 縄文中期で300体の人骨を発掘した遺跡が近くにある。
61 :
ローガン :2011/12/25(日) 00:37:56.53
>>60 唐松山氏
クモのことは判りませんが・・・・
縄文遺跡のメッカで、カラマツの自生域(東北南部・関東・中部)と言うことから長野県出身と推定!
63 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 03:19:12.33
>>59 なんだそれ?
畿内説が不利になったら、いつでも九州説になりますよ宣言か?
こんなやつだから、ローガンはいまいち信用できん。イラつく。
宇佐説も忘れないでくれ。 って言うかさ、神籠石の山城って、邪馬台国とはなんかで繋がってないの? 九州から東に向かって構えられた城だと聞いている。
65 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 04:13:30.56
関門海峡の東に邪馬台国があるなら、ヤマト一択しかないね。
66 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 04:23:42.89
関門海峡の東側は九州だ、 というツッコミを入れたくなるなあ。 まあ、非常にどーでもいーことだが。
67 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 04:28:21.20
九州の神籠石は、だいたい軍事的重要地点にあるねえ。 太宰府大野城とか、基肄城とか、久留米高良山とか。 あと、糸島や、佐賀吉野ケ里の近くにも。
邪馬台国の東に海があって、さらに倭人の国がある、 となっているから、宇佐説なども生きてきそうなんだよな。 それから、宇佐の辺りは対岸との繋がりが強かったことも分かっている。
69 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 04:33:27.83
>>59 老眼
>少しずつ纏まりはじめるその黎明期の姿を、中国が記録に残しておいてくれた と言う前提で畿内説指示です。
この姿勢は正しい…と言うか現在の畿内説といわれている物の基本的なスタンスと言って良いだろう。
更に言うなら、それとは別に九州に(あるいは東北でも関東でも)邪馬台国があっても良いと言う理論的可能性は残す。
無限尿とかいう阿呆が
>邪馬台国に比定したい地は最初から決められ、あらゆる資料はすべてそこに向くよう勝手解釈をする。
>フラットに物事を見る目がなくなっているから、こんな簡単なことにすら気づかない。
とかほざいていたが要するに
「自分は虚心坦懐本当にすなおに読んだんです」…と強調しているだけ
もううんざりするほど聞いてきた台詞だ。
仮に地元贔屓がなかったとしても
「誰も成しし得なかった暗号解読に自分こそが成功した」
と言う自分贔屓=自惚れがそれに変わるだけ。
先に言ったように真っ当な畿内説なら邪馬台国が畿内以外にあった理論的可能性を残す。
それこそ「畿内だけ」に固執しない。
他説を採るものはイチャモンつけるだけでなくて、さっさと証明しうる材料をもってこい。
「すなお読み」以外手段が無いというのなら
どれが一番正しい読み方なのか決着をつけて来い。
>>67 神籠石を使った大陸式山城の技術を持った人々の渡来年代は推定できますか?
九州から山口県、岡山県へと東進していて、岡山の鬼の城が一番レベルが高いらしいね。
東進した勢力は、神武より前なのか後なのかも知りたい。
71 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 04:40:41.66
宇佐もだけど、宮崎、大分も含めた九州東岸は 瀬戸内海の影響が強いと思う。 宮崎の古墳群と畿内の古墳群には、 何らかの関係があると思ってるが まだ、個人的な印象程度にすぎない。 記紀で、天皇家のルーツは、日向といってるし、 宇佐神託のはなしもあるしね。 この九州東岸と、中西部の有明海、玄界灘とは、 文化の乖離があるようなきがするんだな。
72 :
69 :2011/12/25(日) 04:41:44.68
少し続けると ここのゴミクズレベル九州説が異常なのは >少しずつ纏まりはじめるその黎明期の姿 …について現在邪馬台国論争とか関係のない、それこそ一般常識レベルで認知されているその姿に納得できず 「オレサマ日本創世記」 にしがみ付いているからだ。 もっと言えばゴミクズレベル九州説どもが欲しているのは 「ボクだけの創造神話」 ファンタジーとしてやるなら結構だが、リアルな歴史にそれを持ち込まれると、もう話がグチャグチャだと…
73 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 04:55:32.38
>>71 >記紀で、天皇家のルーツは、日向といってるし、
天皇家が本当に自分達のルーツが日向にあると思っていたなら
古代中世、伊勢神宮に匹敵する崇敬を集めた神社があっただろうなw
「夜目、遠目、笠の内」日向が天孫降臨の舞台に選ばれたのは
逆に リアリティ=生っぽさ を排除できる程の地域だったと言うことでもあるんだろうw
>この九州東岸と、中西部の有明海、玄界灘とは、
>文化の乖離があるようなきがするんだな。
日向あたりだと銅矛の文化圏からも外れていたと思う。
まあ昔の列島の東西に銅鐸・銅矛の二つの円を重ねた例の図だと
その範囲に入っているがw
>>69 朝イチから叩きがいがあるレスだな ワラ
>「自分は虚心坦懐本当にすなおに読んだんです」
素直に読むだけでわかるなら誰も苦労しないし、とっくに邪馬台国は比定されてるわ。
読み方をどう考えるか、が問題でやっていることはお前らと同じ。
方位をどう見るか、距離をどう考えるか。
俺は時代背景や当時の思想などから推測する。
結論先にありきの奴らは、結論に合うようコジツケを考える。
その違いだ。
邪馬台国は畿内と決まっているんだから、と言っていたのはローガンじゃなかったか?
俺が投馬国はどこだと聞いた時だったと思う。
畿内と結論が決まっているから、そこから投馬国を考える。
考え方が逆なのよ。
おまえさんは一度笑わせてくれたから役目は済んだんだよ 同じネタで二度笑わせようったって飽きられるだけだ
76 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 07:25:29.11
>> 無限尿(要成人用オムツ) 黙れカス。 「時代背景」と言うのならその東北の” 何処か ”にあったと言う邪馬台国はどのようにして興り 一体北部九州や当時成立しつつあった畿内を中心とした連合体を出し抜いて どうやって朝貢に漕ぎ着けたのか? またその東北邪馬台国のその後はどうなったのか? きちんと資料をもって蓋然性のある話をしてみろゴミ。 「自分は結論ありきから入ったんじゃない」 とはどいつもこいつも言う常套句。 そもそも投馬国なんて単独で比定できる物ではない。 じゃあ仮に東北の何処からか金印が出てきて邪馬台国がその場所に決着したとしよう。 が果たしてお前が言うような日本海ルートだったのか?それとも太平洋ルートだったのか? そんなことは誰にも分からない。 これは畿内説だろうが九州説だろうが同じ。 そこに至るルートは複数想定され逆に言えばあの行程記事の読み解きで位置が特定できる物じゃない。
77 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 07:53:08.40
そうそう「時代背景」と言うのなら、この無限尿とか言う阿呆が自分の東北説の為に 縄文時代の優位性や米所としての東北の優位性を説いていたが これも「先ず自説ありき」の馬鹿丸出しの牽強付会。 先ず確かに人口の推定でも縄文時代は東日本の方が多かったとされるが それも寒冷化により大きく植生が変化し東西で逆転することになる。 …常識レベルの話。 「米所」の優位性って一体いつの時代の話で じゃあ弥生時代の古代人が米だけで腹いっぱい食えたのか?と言う話で これもナンセンス。 結局、自説=東北説 ありきで何でもかんでも脈絡なく引っ張ってきているアホ。 この点は「絹!鉄!金印!」を連呼するゴミクズレベル九州説と同じレベル。 お国の特産自慢と大して変わらない話だwwww
広田神社の天照大神荒魂は向津姫となっていて、日向の姫らしいが、 日向っていうのは、北九州のほうの地名を指してるよな?
79 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 08:13:44.09
>>38 上にジョーカー氏が書いているように、38と同じ理由でお前さんのレベルもこ
の板の住人達は見抜いているのさ。自分のウマシカ加減を自覚せい。
夢幻如は一人何役も自演して邪馬台国の否定場所もさまざまだな こいつはハナから東北などというのは信じてないだろ あえて言えば邪馬台国の場所などどこへでももっていけるし どんな屁理屈でもつけられることを示しているにすぎない かつてさんざんやられた復讐なのかもしれないな
天智天皇が唐・新羅連合軍の襲来に備えて築いた城と神籠石の城は、 石の使い方などぜんぜん違うから、年代がかなり違う可能性もあるかなと。 うろ覚えで悪いけど、御所ヶ谷神籠石の発掘現場から出土した土器が、 7世紀後半のものだったから、いちおう年代を特定していたような。 ただ、それでは神籠石の城が、大陸の敵を迎え撃つように配置されていないことや、 7世紀後半だとすると、東に行くほど築城のレベルが高くなっていることの説明がつかないようだし。 さて困った。
ゴミどもがギャアギャアと プ
>>76 考古学的証拠を出せとでも言いたそうだが、そんなものでわかるのはごく一部だ。
発掘された物からしかわからない。その発掘はほとんどが偶然だ。
極々限られた発掘から全体像なんてのはつかめない。
新しい発掘があれば、それまでの常識はひっくり返る。
九州や畿内で発掘された物ですべてわかると思うんじゃねえよ、馬鹿頭。
発掘されたものより未発掘の方がはるかに多いということを肝いに命じておけ。
>そもそも投馬国なんて単独で比定できる物ではない。
これが九州説、畿内説とも最大の難所なんだよ。
どっちも投馬国が邪魔でしょうがない。そうだよな プ
前に投馬国がポイントだといったが、これで両説は否定できるんだよ。
>そこに至るルートは複数想定され逆に言えばあの行程記事の読み解きで位置が特定できる物じゃない。
だから魏志倭人伝の投馬国への行程は ”無視したい” わけだよな プ
ピンポイントで特定する必要はない。アバウトでいい。
ルートは複数?違うね。一個しかない。日本海側だ。
>>77 東北を無視できない材料提示も糞頭だとそう見えるわけだ。
てめえが「結論先にありき」だと他人もそう見えるわけね ゲラ
連続説での話になるが。 投馬国へのルートがなぜ日本海側しかないか。簡単なことだ。 陸路を東方向に進んで今さら一旦西に向い九州を回り込まなければならない太平洋はない。 畿内説の者は瀬戸内海ルートを言うが「水行二十日」なら瀬戸内海抜けてしまう。 まあ抜けて太平洋に出たとしてもいいが紀伊半島先端辺りか三重へ少し回り込む辺りが 投馬国でもまずいわな。 邪馬台国はそれから「水行十日陸行一月」だ。畿内は通りすぎてしまう。 邪馬台国はどこか?倭人伝を見なくてどうするよ。 九州説は連続読みでも放射説でも倭人伝は九州を指していないから否定できる。 畿内説もまた連続説では倭人伝は畿内を指していないのよ。
ここは日本海側にこだわらず瀬戸内海ルートもありとして考えていいわけよ。 どうひねって考えても北九州から水行合計三十日、陸行一月は畿内を通り越す。 この単純極まりないことが書いてある倭人伝をなぜ無視するわけ? 畿内説者 投馬国をどう見てるのか答えてみな。 前にも聞いたが、まともな答えはなかったな。
投馬国は無視するか、無視に近い軽視で流すか? 無理無理解釈押し通し北九州とするか? 畿内説論者の見解を聞きたいね。 ねちねち受け売りの腐れガキ。 大学で日本古代史を専攻してんだろ?嘘じゃないならお前も答えな。
俺の主眼はここにある。 魏志倭人伝からは邪馬台国をピンポイントでは特定できない。 だがアバウトな位置は指していて、それは九州でも畿内でもない。 ここを言いたいわけ。ここが邪馬台国だ、と言いたいんじゃないんだよ。 だが当然「じゃあ邪馬台国をお前はどこだと思っているんだ?」となるのは必定。 だから便宜上「投馬国は富山」「邪馬台国は八幡平」を ”最有力” と言って ”仮” 比定しだに過ぎない。 何回も書いているのに馬鹿には ”最有力” も ”仮” も見えないらしい。 300年以上の論争をし、いまだにどちらとも比定できないのは 九州にも畿内にも邪馬台国は存在しなかったからだ。
87 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 10:57:33.36
総相 川端達夫 帰化人。 在日韓国人法的地位向上議員連盟 法相 平岡秀夫 帰化人。 在日韓国人法的地位向上議員連盟 文科相 中川正春 在日韓国人法的地位向上議員連盟 厚労相 小宮山洋子 帰化人。 在日韓国人法的地位向上議員連盟 自身の選挙区の太平建設と談合 国家戦略相 古川元久 パチンコ協会政治アドバイザー 韓国人から賄賂を貰っている野田 韓国人の集いに参加している野田 野田は日本人じゃないだろ
88 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 11:19:11.39
神籠石は、軍事的な要所に構築されているから、 神域と言うよりは、軍事的な山城に近いところだろうが、 wikipediaでは 「列石の配置は、山頂から平野部に斜めに構築する九州型と、山頂を鉢巻状に囲む瀬戸内型がある。」 となっているように、いくらか種類があるっぽい。 この違いは導入した時期によるものなのか、 それとも、構築した勢力の違いなのか。
89 :
お国自慢アンケート集計委員会 :2011/12/25(日) 11:47:03.79
邪馬台国比定地「お国自慢度」アンケート集計 【確定組】 伊作 熊本県出身、埼玉県?在住→熊本説★御当地説 ローガン 大阪府出身、大阪府在住→畿内説★御当地説 河童虫 茨城県出身、茨城県在住→筑前説☆非御当地 19歳 愛知県出身、愛知県在住→畿内説☆非御当地 久留米 奈良県出身、奈良県在住→九州王朝説☆非御当地 竹斯の民 福岡県?出身、福岡県在住→筑後説?★御当地説 元縄文人 熊本県出身、???在住→熊本説?★御当地説 夢幻如 新潟県出身、埼玉県在住→八幡平説☆非御当地 唐松山 カラマツ自生地域出身、神奈川県?在住→畿内説☆非御当地 サガミ 神奈川県?出身、東京都?在住→小城説☆非御当地 ひとぶた 東京都出身、東京都在住→一応畿内説☆非御当地 佐賀原住民 佐賀県出身、佐賀県在住?→熊本南部説☆非御当地 名無し1号 東京都出身、東京都在住→九州だったら好いな♪説☆非御当地 名無し2号 神奈川県出身、神奈川県在住→九州西北部説☆非御当地 ただ今★4:☆10 御当地率28.6%(意外に低くいぞ!) 太国さーん、改めさーん、ジョーカーさーん、恨み節さーん、サイキバさーん! そして、その他の皆さん、アンケートに応えてね。
90 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 12:03:41.45
国宝海部氏系図
91 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 12:11:50.69
国宝海部氏系図では日女命、またの名を倭迹迹日百襲姫、日神とも言う。 と書かれてるんだし、ここのみんなはこれ無視してるわけ? 天照大神の別名も大日女、日神だし同じだよ。 系図の始祖は彦火明命、またの名を饒速日命。饒速日命の9代目の孫が 倭迹迹日百襲姫。饒速日命を天神として祀っていたのが鬼道ではなかろうかと。 倭迹迹日百襲姫の死後は、天照大神として倭迹迹日百襲姫が投影されたんだろう。 卑弥呼はもちろん倭迹迹日百襲姫。箸墓のような巨大古墳造られたのも その権力を表してるしね。
92 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 12:28:13.94
>>85 投馬国は吉備に比定できるだろう。
延喜式では北九州から近畿まで水行30日程度となってるので
倭人伝の記述とも整合するし、瀬戸内ルートを使ったとみるべきだ。
伊都国〜投馬国まで20日かかったんだろう。
何度も言うように倭人伝の記述は複数の記録を陳寿がまとめたものにすぎない。
下賜品持った魏使が通った道ではない。魏使はすべて水行で船を使い
伊都国までいき、それから船で瀬戸内で大和までいったに違いない。
それが最も合理的な道だし。
>>91 天照大御神は、数々の伝説や神社があるスサノオの姉になる
スサノオは誰?
94 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 12:37:11.60
卑弥呼にも男弟がいると書かれてる。 おそらく記紀の作者が倭迹迹日百襲姫を共立して女王にすえた史実は 万世一系の天皇家が日本を統治する基本理念に合ってないので、 天照大神として神話世界の人物として記紀に反映させることにしたんだろう。
95 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 12:41:09.44
あんまり人いねーな。 買い物行ってくるか。
96 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 13:05:53.11
「倭地温暖」となってる以上、邪馬台国は温暖と考えるのが一番自然な解釈だろう これに関する夢幻如の言い訳は非常に苦しい
97 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 13:24:34.66
>>91 君の通ってる大学では、海部氏系図の信憑性はどういう位置づけなのかな?
海部氏系図は国宝だから
それなりに検証されていると思う
>>94 あの、スサノオは若くして高天原を追放されているんだが
99 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/25(日) 13:35:36.83
記紀の作者が倭迹迹日百襲姫を共立して女王にすえた史実は どこにも記載無く、成立しない。
皇祖神と設定された天照大神は、持統天皇が女神一柱に宗教改革する前は、男女のペアだった。 その痕跡は、 天皇が即位した年に行われる、大嘗祭の悠紀殿と主基殿に二柱の神を祀っている事。 天照大神には荒魂と和魂があり、伊勢神宮の原型となった瀧原宮と瀧原竝宮は、それぞれを分けて祀っている事。 記紀神話はイザナギ・イザナミの男女ペアの神の陰陽思想を説く形で始まっている事。 その他30項目近く挙げることが出来るが、省略する。 記紀神話成立以前の天照と名がつく神社を調べていくと、そのほとんどが男神を祀っていて、 天照系の女神が単独で祀られている事例を発見できない。 したがって、天照大神は記紀神話創作時に誕生した新しい女神と考えるべきだろう。 新しく創作された神話と神の普及の妨げになると思われた、古い神々は、 出雲系と設定されて、この範疇に押し込められた可能性が高い。 大国主の別名が不必要なほど数多く存在するのは、多くの神々の流刑地になっているからだ。 記紀神話成立以前は厚い信仰を集めていたスサノオは、愚弟として貶められて描写されている。 古い時代の天照系の日の巫女の神だった瀬織津姫は、大日霊*女貴神の普及の妨げになるからだろう、 八十禍津日神という、災厄の神に貶められている。
明治期に、日本中の神社を統廃合したからな。 国粋主義で最高神といえば天照大御神だから、 馬鹿の一つ覚えのよいに、みな天照を祀った。
日本初の宮を構えたとされるスサノオこそ、本当の初代天皇だった可能性もある。 スサノオに神憑りする神事を伝承する神社が幾つかあるが、 内に力を秘めて容易に表に出さない底知れぬ胆力を備えた、 物静かな立ち居振る舞いをする男性で、暴れ者の愚弟の気配は微塵もない。 新しい時代の女神の天照大神は、 キンキン声で話す癖のある(予想外の行動をよくする)気難しい、じっとしていられない気質の人物。 鼻を高々と持ち上げて、上から目線で目を見開いて威圧的に周囲を見渡す癖がある。 高圧的な雰囲気を振りまいて、周りの人を畏怖させることに満足感を見出しているように感じられる。 古い時代の日の巫女の王は、満面の笑みで人の心を安堵させる雰囲気を備えた、 片足を引きずって歩く癖があるお婆さんだ。 人の話を聞きたがる人で、ときどき、ずる賢こそうに相手の心中を探ろうとする目つきをする。 茶目っ気のある表情を作ったりはするが、目が笑っていないことがあるから、 腹づもりが読めない人のように感じる。絶対に他人を信用しない人柄が、時々表に出ることがある。 二十代の巫女が神憑りした場合も、老婆の声になるのが面白い。 神降ろしする神々の気質や所作の癖といった、文字化出来ない要素は、 千数百年のときを経て世襲で伝承されて来た。社家によって伝承内容は異なる。内容の保証はない。 日の巫女の王と、女神の天照大神は、まったく別人として伝承している社家もある、程度の参考にされたい。
オカルトは、唐松山を連れて、別な板でお願いします。
>>92 >下賜品持った魏使が通った道ではない。魏使はすべて水行で船を使い
伊都国までいき、それから船で瀬戸内で大和までいったに違いない。
「それから〜」以降は同意できないが、いい推測だと思う。
正使が対馬や壱岐に道草する必要はなく、目的が邪馬台国であれば当然スルーすべきだ。
ここから倭人伝に記された国、行程紹介が正使のものではないというのは実に合理的推測。
俺も今後使わせてもらう。
で、投馬国は吉備だってか。今の広島の岡山より一部から岡山全体だな。
不弥国がどこかによるが北九州に間違いない。
北九州から岡山まで水行二十日?無理があるねえ。無理無理だ。
釜山あたりから対馬、壱岐、そして北九州までの現実的スピードを考えろよ。
倭人伝でそれぞれ「千余里」としている行程を
俺が「水行一日」に置き換えたことに異論があるか?
延喜式で北九州から近畿まで水行三十日と書かれていることは知らない。
どこでどういう風に記されているのか知りたいところだね。
あれは格式を記した書だから直行ではなく何かをやりながら、あるいは何ヶ所も立ち寄りながら
ではないのかと、今の段階では想像しておく。
>何度も言うように倭人伝の記述は複数の記録を陳寿がまとめたものにすぎない。
これは常識。陳寿は倭国には来ていないからな。
すべて他人の渡航記録の何かを元にしている。
つまり最初の使者から卑弥呼死後のことまでを二千字にまとめているが一貫したものではない。
だが、国、行程紹介、直後に続く風俗紹介は一連のものと見るべきだ。
これは先遣調査だった最初の使者の報告書だろう。ここにつぎはぎはないはずだ。
ついでだから伊作の馬鹿論にも触れておこう。 観察記述が伊都国を境に消滅することも使者が邪馬台国まで言ってない証拠の一つとしたが これに対し伊作は別章で書かれているから問題ないとした。 別章は別な引用元があるわけで、国、行程紹介とは引用元が違う。 それぞれ個別に独立した記述だから国、行程紹介の中だけで消える意味を考えなくてはならない。 多分わかっていながら言い張る屁理屈だろうよ プ こいつは距離表記が里程から時間表記に切り替わることはスルーしてるしな。 熊本にどうしても邪馬台国を持っていきたいというだけの邪馬台国論などグダグダよ。
でさあ、八幡平のどこが温暖なのさ?
107 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 18:20:21.24
>>84-85 無限尿(要成人用オムツ、オツムは子供)
投馬国投馬国と馬鹿が吠えているなw
そんなに投馬国比定のアイデア聞きたけりゃ一つ言ってやるから感謝しろゴミ。
畿内説で日本海ルートで投馬国=出雲。
不彌國までの地理情報は伊都国に駐留した中国人がかなり詳しく調べたもので
そこから先のものは倭人からの断片的あるいは少ない情報量からのもの。
つまりあの行程記事は不彌國までとそこから先でソースが違う。
実際に卑弥呼に会見した魏使の報告書による物ではない。
で投馬国、邪馬台国までの情報をもたらしたのは(半島との交易の為)北部九州に頻繁にやってきていた出雲の人間。
当然、自分達が邪馬台国に行く場合の行程を述べる。
方角は東に水行で南に陸行だが中国人の”思い込み”によって改編さたか
あるいは南に陸行と言う部分は倭人の言ったことがそのまま伝わったか…
少なくとも距離に関して行けるところまで船で行ってその後陸行が一月と言うのはこれが一番分かり易いだろうw
ついでに地名は御覧に「於投馬(えとも)」と言うのが出ているが現在の松江市の恵曇(えとも)に重ねればかなり近いw
少なくとも何処ぞの阿呆の 富山=投馬 よりはマシだろうwwwwww
その馬鹿は自説の為に環境(植生)の全く違う縄文時代のことを出していたが
弥生時代の山陰の繁栄は今更言うまでもないだろう。
が所詮これも仮定に仮定を重ねたお話で自分もこれを根拠に畿内説を展開した事はない。
所詮議論百出の中の一つワン・オブ・ゼムに過ぎない。
邪馬台国論争にケリがつかなかったのは所詮、行程記事の読み解きで解決できなかったからで
じゃあそこに東北説という回答を持ち込めば解決する物でもなんでもない。
所詮毛色の変わったゴミが増えただけ、色が白かろうが黒かろうがゴミはゴミ。
平松サイド 橋下サイド 民主党 大阪市民(ナマポ、70代以上の大半を除く) 自民党 共産党 財界・関西電力 連合・自治労 日教組・公務員 毎日新聞・MBS 解放同盟・反日極左 朝鮮総連・韓国民団(野田の支持母体) 革マル派・中核派
>>106 この馬鹿は何回同じ説明をさせる気だ?
説明したことに突っ込むならいざ知らず、馬鹿の一つ覚えか。
当時の中国から見た日本(倭国)は北九州が国の最北なんだよ。
>>107 魏志倭人伝から読み解きは出来ないんじゃなく
読み解いていけば畿内はなくなるから無視、あるいは軽視したいだけだ。
何回もいうがな、倭人伝でピンポイント比定は出来ない。
だが、アバウトに地域とするなら十分にわかるはずなのよ。
そしてそれは畿内を指さない。
お前の話を見ると「混一〜」的地理感は認めているわけだ。畿内説なら当然だがね。
で、出雲ね。日本海側か。
ねちねち小僧と裏日本か表日本かの違いはあるが共通するのは距離が無理無理ということ。
畿内を通り過ぎちゃ駄目だから、という「結論先にありき」がここにも出るわけよ。
対馬、壱岐、北九州までのスピードを考えたら、水行二十日では出雲でも吉備でも通り越すはずだ。
結論が何も定まってなく、結論に何かを合わせようという邪心がない者なら
もっと遠くを投馬国があった地域だと普通に見る。
日本海側なら富山を仮比定してるがピンポイントでここだと言ってるわけじゃない。
この辺りまでいくだろうという地域を示すための仮比定だ。
富山にしろ八幡平にしろ「仮」比定の方にばかり食いついてくるのは
いつまでたっても文意が掴めない馬鹿だからだよ プ
念押しののためにここは強調しておく。 >邪馬台国論争にケリがつかなかったのは所詮、行程記事の読み解きで解決できなかったからで 違う。 九州だ、畿内だと結論が先にあるから解決できないだけだ。 そしてどちらにもないんだから、これから千年論争しても無駄。 300年の無駄から何も学べない馬鹿さは驚きに値するよ ワラ
112 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/25(日) 19:46:01.31
到伊都國。官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。有千餘戸。丗有王、皆統屬女王國...。 南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。 官有伊支馬、…。 自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳...。 北史 倭國 漢光武時,遣使入朝,自稱大夫。安帝時,又遣朝貢,謂之倭奴國。靈帝光和中其國亂, 遞相攻伐,歴年無主。有女子名卑彌呼,能以鬼道惑衆,國人共立為王。… 至奴國。... 又南水行十日,陸行一月,至邪馬臺國,即倭王所都。 伊都国近方に女王卑弥呼は在住し、卑弥呼共立は、邪馬臺國までの勢力。 「邪馬壹國、女王之所都」=邪馬臺國は女王の勢力範囲であり、 その勢力範囲の北は、遠絶にして、詳らかにできない。 238年 魏使(先遣隊)は、伊都国において、旧勢力(後漢に朝貢した実績を持つ倭奴國)に朝貢を 促すが、長年の乱に疲弊した倭奴國は大王を名乗れないほどに疲弊している(暦年無主)。 そこで、倭奴國王(後の男王)は、その祖先を祀る斎王を柱として、このごろ急速に勢力範囲を 広げる大和までをまとめ、女王卑弥呼を立て239年の朝貢へと駒を進める。 魏使(先遣隊)は、狗邪韓国においてその建国(210年)を助けた情報も得ている。 だから、朝貢団に大和が加わるのは、魏使の意思でもあったと思われる。 239年 難升(斗)米=ナトベ=奴国大夫 斗は書紀 都市牛利=田道間守。 この田道間守の帰国に同行して、 正始元年、太守弓遵遺建中校尉梯儁等、奉詔書印綬詣倭國、拜假倭王、 梯儁等は大和を訪れ、その王に倭王位を授与する。
113 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 19:52:58.07
>>107 ジョーカー
おされてるやんっていうか敗北か?畿内説は東北説に負けたんか?
畿内説に比べれば無限尿とかいうのの妄想のほうがまだマシだなw
115 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 19:58:23.47
>>111 無限尿(要成人用オムツ、オツムは子供)
まあ「行程記事の読み解きで位置が特定できる」…これを認めなければ
「暗号解読ゴッコ」と言うゲーム自体が成り立たないからなw
馬鹿にすればここは必死になって譲れないところだろうwww
で東北説を持ち込んだらどう解決するんだ?w
10000000000歩譲って全国の学者や素人も全員が東北説で一致したとして
東北中をくまなく掘り返すのか?ゴミクズwww
考古学資料をもってピンポイントで位置を指摘できないも、まあ良いだろう。
じゃあもっと広く地域・ブロックで構わない。
東北に邪馬台国が出現した事を何に見るんだ?
例えば舶載品がその時期に急増でもしたか?
あるいは東北に広範な連合体、大きなクニの出現を思わせる材料があるのか?
お前が言っているのは所詮「掘ったら出てくる」のホレホレ詐欺だクズ。
「すなお読みで九州でも畿内でも決着がつかないから今度は東北にしましょう」
とかほざいても誰が本気にするんだよ馬鹿がwwwww
まあこの板には「暗号解読ゴッコ」の同士=ゴミクズレベル九州説がいっぱいいるからなw
精々その連中を全部叩き潰して這い上がって来いwww
さて俺は今夜も仕事。明日は待望のオフだが。 >ねちねち小僧 世の中にはな、土曜だろうが日曜だろうが社会を支えている仕事はあるのだよ。 俺はずっとバリバリの営業マンで自分の会社も持っていたが 夢見ていた超早期リタイアを実行した。 だが、駄目だった。働かないというのは非常に苦痛なものだった、俺にはな。 金はもう死ぬまで困ることはない。 金のためではなく、世の中に役に立っていることを実感したくて今は働いている。 ま、スレチな雑談だが、これから世の中に出る小僧のための脱線話だ。 小僧、ここから何かを感じ取れ。 というか、19歳がクリスマスに2ちゃんはねえだろ ワラ 彼女いないのか?
117 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 20:20:03.55
「倭地温暖」の「倭地」に邪馬台国は含まれない、何故なら邪馬台国は東北にあったから これをトートロジーという
>>115 腐れ頭が突っ込まれ返せないと東北否定かよ プ
別に東北でなくても関東甲信越あたりの内陸部でもいいんだ。
ともかくな、魏志倭人伝は畿内など指していないという事実を俺は言ってるの。
それにこれは暗号解読じゃない。
なんとか九州や畿内にもっていきたい連中が勝手解釈振り回し
単純な普通の記述を暗号化してるだけじゃねえか。
ないものをないと言ったら気に触るか ワラ
じゃな、明日はたっぷりやれるが、今日はここまでだ。
>働かないというのは非常に苦痛なものだった オレも同感だわ
120 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/25(日) 20:25:59.10
210年 任那(狗邪韓国)建国 209年新羅、三国遺事(541年時点で建国330年) 216年 任那より朝貢 3世紀初めの大型建物(古韓尺) 225〜250年 ホケノ山古墳。 木槨石囲い構造 鉄器 画紋帯神獣鏡 埴輪(穴あ き壺) 東海・西瀬戸内の壺 纏向3類(前)庄内3式期末 ホケノ山(225〜250年) 徳島県萩原墳墓群その1号墓 木槨石囲い構造 画紋帯神獣鏡(大同江区域出土の同笵鏡) 兵庫県綾部山39号墳 石槨木棺石囲い構造 鉄器 画紋帯神獣鏡 讃岐系の土器片1点 と在地の土器片2点が出土。 播磨の墳丘墓からは吉備の土器が出土しない。 大和と阿波・讃岐・播磨は同盟的性格がある。 大和と東海は同盟的性格がある。 大和と吉備・出雲は同盟的性格がある。しかし、吉備と播磨の間にはそれがない。 この時点(ホケノ山)で、畿内大和は中国地方〜東海までの盟主的性格がある。 晋書正始元年東倭重譚納具。邪馬臺國畿内説を擁護する。
121 :
115 :2011/12/25(日) 20:29:48.95
まあ「行程記事の読み解きで位置が特定できる論争に決着を付けられる」 …なんて当の学者らも考えていなかったというのが実際のところのようだw とある本で佐伯が象徴的な言葉として取り上げている物に久米邦武(九州説)の 「邪馬台の考証時代は既に通過したり今は其地を探検すべき時期に移れり」 と言うのがある。超意訳すれば 「文献解釈でああだこうだ言ってても埒あかねえ。 もうさっさと其地=神籠石について考古学的な検証に入ろうぜ!」 と言うところだろうか?wもう戦前と言うか明治大正の話だwww で近くは邪馬台国ブームの立役者松本清張(九州説)も邪馬台国論争参戦のきっかけとなった短編小説の中で やはり倭人伝の読み解きにより位置を割り出そうとする市井のマニアを一種道化の如く描いていたりするwww 実際のところ「すなおに読んだらピタリと分かる」なんてのはブームの中で起きてきた珍現象かもしれない。 (古田の芸風が多大な影響を及ぼしたか?w)
素直に読んだらドボンと海に落ちるだろうがw
123 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 20:40:22.26
>>118 無限尿(要成人用オムツ、オツムは子供)
>腐れ頭が突っ込まれ返せないと東北否定かよ プ
本当に頭が悪いなクズw
俺は行程記事の読みときで位置が割り出せると言う方法論自体を否定している。
アカデミズムの世界で畿内説でほぼ決着したと言われている現状は知っているよな・
まさか行程記事の読み解きゴッコの果てに畿内説が勝利したとでも思っているのか?w
極端な話、行程記事の読み解きだけで畿内ヤマトを唱える人間がいたら
少なくともその考察プロセスは否定するし
行程記事の読み解き以外の方法で(まあ具体的には考古資料だが)
邪馬台国が畿内以外に出てくる理論的可能性も認めている。
お前みたいに「先ずオレサマの説=東北ありき」とは違う。
お前のお仲間は暗号解読ゴッコに興じているこの板のゴミクズレベル九州説だw
124 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 20:49:54.36
>>123 九州説でも畿内説でも勿論東北説でもない傍観者からだが
>お前みたいに「先ずオレサマの説=東北ありき」とは違う。
これは違うと思うね。
夢幻如は東北を主張したいのではなく九州と畿内を否定したいのだろう。
傍観者としては夢幻如が見ていて一番楽しい存在だ。
ディベートはこの中ではピカ一だしね。
125 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 21:02:49.81
>>124 >夢幻如は東北を主張したいのではなく九州と畿内を否定したいのだろう。
この無限尿と言う阿呆にとって「東北を主張すること」と「九州と畿内を否定すること」は同義だよw
まあ精々鶏と卵どっちが先かって話だwww
畿内説と九州説、長きに渡って論争して来た物を数段高い壇上から見下ろして
「オレサマ・アズ・ナンバーワン!」
と悦に入りたいだけのゴミカスw
もう時代は既にそんなレベルではないと言うことすら知らない阿呆・情弱・勘違い野郎www
その無限尿の結論=邪馬台国は八幡平、というのが、馬韓丸出しのごろ合わせかよw
127 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 21:11:05.91
まあ邪馬台国ブーム華やかりし頃には九州畿内以外、東日本でも比定地として挙げられた事があるみたいだが 結局淘汰されて畿内と九州になり今じゃあほぼ畿内で決着してると言われているのが現状。
ここ、大笑いするところだね >今じゃあほぼ畿内で決着してると言われているのが現状
129 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 21:18:38.07
九州説を声高に唱えるほうが世間から笑われるわい。
131 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 21:45:59.11
夜勤の工場かなんかで働いてるようなレベルじゃ そりゃ邪馬台国も東北だと勘違いするかw
132 :
天才論客 :2011/12/25(日) 21:50:53.20
>>105 :夢幻如 ●一発穴狙いの山師
>ついでだから伊作の馬鹿論にも触れておこう。
よう。雲助山師。お前は気づいてないと思うが。
強弁と我を張るだけで、誰とも議論が成り立っていないぞ。
大上段に「議論」と吹いて登場したが、あれは大冗談だったようだな。
それに。自論に自信があれば、自論を提示するだけでいい。
他人がどうこうとキャンキャン吠えるのは、
自己矛盾をかかえているがゆえの強迫観念があるからだ。
他者を誹謗攻撃することによって、強迫観念を払拭せんとする心理だ。
このジャンルでは、お前みたいな「一発穴狙いの山師」も決して珍しくはない。
ここにも紙一重のオタクがほかに2〜3人出入りしている。
それは、度が過ぎると奇形児と同じだ。
ざっと見たところ。死ぬまでその生き方を貫いて埋没するか、
よしんば自論の修正とか自論の完成度を高めようとしても、
基本的に文献をいじり回す素養はないとみた。
133 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 21:52:30.14
ゴロ合わせ「八マンタイ国=邪馬台国」説と 詐欺で固めた畿内説を比べると、 畿内説は悪質、八幡平説は底抜けの馬鹿、という違いだな。
135 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 21:59:08.63
>>132 学問が議論(=声闘)だと勘違いしてる時点でアンタは間違えてる
真実は議論するまでもなく論理の積み重ねで証明されるものなんだよ
137 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 22:04:49.18
>>125 >もう時代は既にそんなレベルではないと言うことすら知らない阿呆・情弱・勘違い野郎www
東北説にそこまで強迫観念を感じずとも・・・畿内説瓦解を予感しているのか・・
138 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 22:06:51.72
まぁもうすでに畿内説は瓦解してますけども・・えぇ今月中頃に
139 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 22:07:19.45
>>124 >ディベートはこの中ではピカ一だしね。
しかし前から気になってるんだがコテのランキングにもディベートの評価をあげて得る奴もいたが
そんなものが必要なのか?
無論、個人のスキルとして無いよりあった方が良いだろうがそれはあくまで表現・説明の為の手段。
それで語られる歴史の中身がどう変わるものでもないだろう。
まあこの板では九州説の方がディベートの志向が強いかな?w
ディベートゴッコに終始するなら初めから言って欲しい。
こっちはあくまで歴史に興味があるのであって
何もディベートとやらのテクを磨こうなんて思ってないんだからwwwwwwwww
140 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 22:11:54.93
>>97 うちの大学では海部氏系図というか、
6世紀以前の古代史は研究対象ではないという雰囲気だなw
なのでみんなそんなもん興味ないよ。
俺があんまり勉強熱心なほうじゃないから、古文書購読などやりたくないし
弥生時代専門でいいかなと思ってるだけで。
俺の周りは麻雀やコンパとか中心の生活のやつばっかだよw
彼女いないからクリスマスに2chだねえw
高校まではいたんだが、大学に入ってからは一人身で寂しい限りだ。
そうだね、ディベートなんかどうでもよくて、 どの説が正しいかなんていう次元もとうに過ぎて、 あとは畿内説の詐欺を暴くだけが課題となっている。
>>140 >俺があんまり勉強熱心なほうじゃないから
熱心かどうか以前に、能力の問題だよ。
143 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 22:18:31.07
>>140 だったら、海部氏系図を持ち出したのは、君にとって意味の無い行為ではないのかね?
むしろ失点なのでは?
144 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 22:23:34.99
>>140 >俺の周りは麻雀やコンパとか中心の生活のやつばっかだよw
お前は何世紀前の学生だ?ブッ
145 :
天才論客 :2011/12/25(日) 22:24:27.89
>>135 >無視するんじゃなかったっけwww
無視してるだろ。まともに話が通じる相手じゃない。
唐松山、大国、久留米、相模原と同じく、意識世界が違うのだ。
勝手にやらせて置けばいい。
それができないお前らも・どうかしてる。
ま・それが2ちゃんらしいともいえるがのぃ。
146 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 22:25:45.61
193年『六月倭人が大飢饉にみまわれ、食糧を求めて千余人も来た』とする。 このへんの気候の寒冷化による食糧難が倭国大乱の一因とみた。 九州は耕地面積が人口に比して少ないので、食糧危機になり、 後漢の混乱が倭国にも波及し政情不安になったのも重なり、 その影響が東の瀬戸内畿内にまで達し、高地性集落が作られたんだろう。
147 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 22:30:04.70
>>142 能力などなくていいよwこんなんお遊びでやってるだけだし。
>>143 失点なのは文学部にきたことだよw歴史に興味あったから
文学部にしたんだが、こんなんなんの役にもたたん。
>>144 今の学生も麻雀とコンパが中心だよ。
もちろん賭け麻雀だし、俺は弱いからあんまりやりたくないんだがw
合コンもろくな女が来ないしもう飽きたな。
148 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 22:31:21.19
>>140 19歳某国立大生とほざく偽りの無職親のすねしゃぶしゃぶ
>俺の周りは麻雀やコンパとか中心の生活のやつばっかだよw
お前は何世紀前の学生だ?ブッ
149 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 22:33:33.86
>>146 >193年『六月倭人が大飢饉にみまわれ、食糧を求めて千余人も来た』とする。
それどこの文献?
150 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 22:34:21.98
学生なんだしそりゃまだ職に就いてないさww すねかじりで何が悪い? 偽りとかあんたら、何言っても嘘だろと否定するくせにww
151 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 22:35:30.63
>>147 合コン行ってる割にはボキャ貧で面白みに欠けるカキコばかり
っていうかカキコがジジくさい
152 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 22:37:03.18
153 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 22:37:10.11
>>149 『三国史記』新羅本紀。
伐休尼師今(ばっきゅうにしきん)十年(193年)『六月倭人が大飢饉にみまわれ、食糧を求めて千余人も来た』とする。
この年の『四月、王都に大雪が降り、三尺もつもった』とする。
>>153 その当時は半島にも倭人が居住してたよね?
155 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 22:43:28.61
ようするに、寒冷化によって、九州が飢饉で大打撃を受けたところに、近畿ヤマトの邪馬台国が九州を征服したわけだ。 誰も論破できまい。 結論は出た。 >www氏、もう九州説を甘やかすのは止めようや。
157 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 22:44:14.58
>>154 倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。旧百余國。
漢の時朝見する者あり、今、使訳通ずる所三十國。
倭人というのは今の日本列島に住んでた人を指すニュアンスでいいんじゃないかな?
ヤマト朝廷の元は九州、これは記紀で確定してる 北九州で執政していた天皇も居る 畿内は九州に征服された、これは確実 卑弥呼は畿内で邪馬台国は九州ってのが一番可能性が高い 畿内には邪馬台州があったのだろうw
159 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 22:48:06.25
>>155 >ようするに、寒冷化によって、九州が飢饉で大打撃を受けたところに、近畿ヤマトの邪馬台国が九州を征服したわけだ。
九州が寒冷化しているときに近畿は無事だったんだ?何でも言うな アホまる出し
>>157 弓月君もはっきり漢人としてたわけだしはっきり区別できる特徴があったんじゃない?
161 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 22:49:56.41
寒冷化なら、九州より畿内のほうが 深刻な被害をうけるところだ。 九州は寒冷化による被害というのは少なく、 降水量が増えるため、むしろ収量良くなる傾向がある。 それより、九州では高温化による、干ばつのほうが弱い。 特に福岡は度々渇水に見舞われている。 筑後は筑後川で若干被害は少ないが。
162 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 22:55:12.13
九州が飢饉で大打撃。中国に朝貢し九州を統治していた奴国伊都国も 後漢の衰退で権威低下。なので戦争で食糧奪い合う大混乱状態になり、 九州だけではおさまらず、瀬戸内畿内にも波及、高地に集落つくり、 警戒体制に入り、しまいには食糧生産力で勝る畿内に王権を作り 混乱収拾することで同意し、北九州は畿内連合政権の一員となった。 こんなかんじだろう。
163 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 22:57:48.65
>>162 まったくその通り。
大学でも、そう教わっただろ?
>>162 高地性集落は常住してた場所じゃないんだけど
九州より寒冷な新羅はもっと悲惨だなw
166 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:05:54.05
>>165 あたりまえ。
飢餓に苦しむ九州は、半島はあてにできないから、
近畿からの食糧援助に頼るしかなくなった。
そうして、食料物資を通して、近畿は九州を支配できたのだ。
庄内土器の動きがその証拠。
167 :
19歳某国立大生 :2011/12/25(日) 23:05:54.74
九州は寒冷化の影響もあるが、個人的には台風上陸する確率が 九州は高いので、これが結構九州衰退の一因なのかとも考えてる。 古代で台風が頻繁に上陸してたら農作物もだめになるし、洪水も起こるし 住居もふきとんだりと台風の影響は現代以上だったんじゃなかろうか。
倭国が西(九州)と東(畿内)で争っていたとするのははっきり言って大間違い 高地性集落という、瀬戸内海を挟んで南北で争っていた痕跡があるのに、、、
170 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:11:17.72
>>159 >九州が寒冷化しているときに近畿は無事だったんだ?何でも言うな アホまる出し
もちろん、近畿も多少の被害はあったが、乗り切れた。
近畿の土器が九州に流れてるのは、「近畿には物資があった」ということだ。
九州の土器が拡散してないのは、「九州には物資が無い」ことを意味する。
鉄器じゃ、腹はふくれないからな。
171 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:13:31.70
>>167 僕ちゃんの説は根拠なしの上想像力に乏しい 所謂 =雑魚の妄想=
>>168 名古屋79歳は、たぶん大学じゃなくて高等師範じゃないかな?
九州が稲作地を求めて、畿内に人間をやって入植させ、 収穫を献上させたんだろ。
174 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:17:22.16
近畿の土器が九州に流れてるのは、「近畿から奴隷がいっぱい九州に来て土器を作った。」証拠 九州の土器が拡散してないのは、「九州の人々の生活が安定しており流出しなかった。」証拠 そう聖徳太子様も言っていただろ?
175 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:22:11.92
九州から畿内に勢力がチェンジするのに、 飢饉を理由にしようとしているようだが、 飢饉=寒冷化、というのは勘弁して欲しい。 九州では寒冷化は大した影響はない。 高温化と発想しないのは、畿内以北の 人間が多いからだろうか。 九州は本年度は穏やかな気候だったが、 昨年は水は足りていたのにもかかわらず、 気温が高い日が続いて、収量がかなり落ちた。 米は熱帯に近い地方の作物なので、影響は少なかったが、 果樹や畑作の被害が大きかった。
176 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:22:12.45
>>167 親のすねしゃぶしゃぶ
>僕の反論:魏からの下賜品が思った以上に豪勢だったために後で、
>朝鮮各国から取り寄せた貢物を届け埋め合わせたと文献にある。
文献とは何?
177 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:24:06.34
九州が飢えで苦しみ、近畿から食料援助を受け、なおかつ、九州に邪馬台国なる独立国があったというなら、 それはまるで北朝鮮そのものじゃないか。 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
178 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:25:17.22
そんなのどうとでも解釈出来る事じゃん
179 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:25:18.47
608 :19歳某国立大生:2011/12/24(土) 09:34:26.82
>>607 日本古代史の解説本にそう書かれてるだけなので
詳しくは作者の学者様に聞いてくれw
609 :日本@名無史さん:2011/12/24(土) 09:40:18.83
>>608 日本古代史の解説本ってどこの出版社から出ている何という解説本?
>>177 畿内の王は、みな九州出身だから心配するな。
181 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:27:27.21
畿内というか、纏向には東海北陸の土器が多く出るが 九州土器はほとんど出ない。 九州では畿内の土器も出土する。 この土器のほとんどが、壺、カメ形の土器であることから、 何かを九州に運んでいたのだろう。 高坏や皿などの食器が多く出れば、人の動きを示すが、 あまり聞いたことはない。
182 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:28:50.51
>>166 >飢餓に苦しむ九州は、半島はあてにできないから、
>近畿からの食糧援助に頼るしかなくなった。
所謂 =雑魚の妄想=
船に慣れた九州人は、水場を知っている。 船に慣れない畿内人は、水を持って出かけるしかない。
184 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:32:47.27
飢饉による九州勢力の衰えと 畿内勢力の入れ替わりを考えるなら、 弥生、古墳時代の高温期、日照りによる 渇水の痕跡を調べるべきだろう。
185 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:33:55.49
♪親のすねしゃぶしゃぶ♪は泣いて逃げてしまったか。 また明日の朝シラッと出てくるんだろうな。
>>180 神武天皇は畿内移住後、即正式な皇后を迎えてるんですがwww
しかも何代も畿内豪族の皇后らしいし
九州の血なんて10代までで消えてますw
187 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:36:04.52
>>184 寒冷化が起きたのは事実だから、議論の余地無し。
188 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:37:44.95
神武は当然だが、欠史九代の天皇も九州出身だと、 色々理屈に合う部分はある。 まあ、しかし、景行〜神功までの天皇の実像が鍵だろうな。
189 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:39:10.69
>>187 つまり畿内のほうが被害が大きくて、
九州はあまり関係がなかったということですな。
190 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:39:38.73
>>188 邪馬台国九州説と、ヤマトの王が九州出身かなんて、全く関係ないだろ。
バカ?
191 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:41:44.92
>>189 九州の経済圏は小さすぎて、飢饉が起きたら対処できない。
近畿の経済圏はでかいから、丹波、東海、関東から食料を調達できて、飢饉を乗り越えられるということだよ。
もっと、現実を見たら?
192 :
ひとぶた :2011/12/25(日) 23:43:14.57
九州が凋落し始めた主原因は、自然災害などではなく、半島情勢の変化だと思いますけどね。
>>190 仲哀天皇は筑紫と下関に住んで執政していた
卑弥呼と近い時代に畿内勢力が北九州に居たんだが
194 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:44:20.26
何度も過去、奈良付近の弥生遺跡が少なく、 その少ない銅鐸勢力も短期間で入れ替わってるという話が出てくるが、 寒冷化により壊滅的な打撃を受け、 食料も豊富な南西部の勢力から、乗っ取られたということもあり得るかな。 奈良湖がどうとか出てくるが、まあ、そのへんは話半分で。
195 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:45:33.29
>>191 どんな種類の食料を・どういった輸送手段で・どの程度の期間で運んだんだ?
しかも計画的に生産して計画した時期に計画的に流通させたのか?
お前も古代の状況をよく考察して書き込めよ
196 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/25(日) 23:45:46.24
>九州はあまり関係がなかったということですな。 吉野ヶ里の衰退は、183年・193年の凶作が原因だろ。
197 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:48:37.52
>>196 九州が凶作なら日本中凶作じゃまいか?
自分の説に都合よく解釈するんじゃないじぇりあ
198 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:49:22.98
>>195 庄内土器という動かぬ証拠があるだろ。
バカなの?
199 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:49:59.69
九州は弥生から古墳時代まで、盛大に痕跡が腐るほど残っているわけだが、 いつ勢力が衰えたのか、よく理解出来ない。 入れ替わるなら、支配者層の頭が入れ替わるということしか、考えられない。 支配者層が戦争で壊滅して、新たな支配者層が、これまでの一般層の上に 乗り替わるのはあり得ると思う。
>>196 優劣が決したので城が不要になって平地に移住したとも考えられるよ
安定すると便利な平野に行くよ
201 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:50:49.62
>>192 1〜2世紀頃半島が倭国に重大な影響を及ぼすって何?
船作って軍隊送りこんだってか?妄想もいい加減にせい
202 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:51:23.83
>>199 >いつ勢力が衰えたのか、よく理解出来ない。
平原遺跡後の王墓が無いから、そのころに九州は滅んだんだよ。
わかったかタコ。
>>199 その古墳機が終わった後に、優劣は決定してるのだけど
九州は畿内の支配下だった
ただエミシはまだ逆らっていた
204 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:52:38.38
>>198 >庄内土器という動かぬ証拠があるだろ。
そのしょーもない土器でどれだけの物資を運んだのかい?
それは、その地域の糧食を満足させられるものだったのか?
下らない妄想だな。
205 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:54:46.69
>>196 ずいぶんとピンポイントで衰退してますね。
吉野ヶ里は5世紀くらいまで祭祀の痕跡があるので、
かなりゆっくりとした変化のはずですが。
5世紀中旬以降の須恵器も出てきてますよね。
206 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:54:49.63
>>198 発言の最後に>バカなの?
これって畿内説のクセだな
207 :
日本@名無史さん :2011/12/25(日) 23:58:34.27
>>202 平原の遺跡が王墓などと言っているのは畿内説の連中
あれは筑紫平野の一豪族の墓場
平原よりもその他の地域の方がお宝わんさかだしね。
208 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 00:01:10.38
209 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 00:01:30.34
>6月に飢餓ってのが謎だな 新羅192年4月大雪 193年倭人大餓 後漢 193年 6月寒風冬のごとし 冷夏凶作 秋まではなんとか食いつなげるが、冬には飢餓・餓死 翌春 逃散が起こる この春には田の手当てはほとんどできない。 夏6月野山でなんとか食いつないだ民も秋以降、冬のシノギを考える。 田作りは放棄しているので実りを充てに出来ない。 そこで考え出されたのが”渡海”である。
210 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 00:01:33.60
>>201 >1〜2世紀頃半島が倭国に重大な影響を及ぼすって何?
何で「1〜2世紀」の話になるの?
その頃の九州って絶盛期でないの?
>船作って軍隊送りこんだってか?
「半島情勢の変化」から、そんなことしか思いつかないのかな。
>妄想もいい加減にせい
つまり、全て貴方の「妄想」w
遠賀川の東西で出土品がはっきり異なってるって話しだけど、これはどういう風に理解すればいいんですか? 出来れば九州説、畿内説、立場を明確にした上でお答えお願いしたいです
212 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 00:06:15.82
三十カ国共立だから、それぞれの豪族がそれぞれに古墳をもってておかしくない。 集権国家なら、仕事の集中と分離が行われるもんだが、 糸島、福岡、筑後、佐賀、とそれぞれが銅器や土器の工房を持っていて、 独立性を示している。 いずれ土器や銅器は福岡の春日に集中していくようだが、 かなり後のことになる。 筑後は鳥栖の方に集中していく傾向にありそう。
213 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 00:06:34.90
>>207 >平原よりもその他の地域の方がお宝わんさかだしね。
そんなことは無いと思いますよ。
「お宝わんさか」な例があったらご教示を。
>>209 海に魚は居なかったのか?
貝や海藻もあったろうに
対馬はどうだったの
215 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 00:08:17.72
>192 :ひとぶた:2011/12/25(日) 23:43:14.57 >九州が凋落し始めた主原因は、自然災害などではなく、半島情勢の変化だと思いますけどね。 時代は何時頃?
216 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 00:09:09.54
>>211 > 遠賀川の東西で出土品がはっきり異なってるって話しだけど、これはどういう風に理解すればいいんですか?
> 出来れば九州説、畿内説、立場を明確にした上でお答えお願いしたいです
どっちの説の立場でも、政治的、文化的に別れていたってことで、そのまま理解すればよいのでは?
217 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 00:09:25.25
>九州は弥生から古墳時代まで、盛大に痕跡が腐るほど残っているわけだが、 いつ勢力が衰えたのか、よく理解出来ない。 九州の庄内式土器は畿内の九州進出、布留式=古墳も畿内からの持ち込み。 九州の衰えたのは、吉野ヶ里の衰退と期を一にする。九州編年の吉野ヶ里衰退3世紀末=畿内3世紀初め 3世紀初頭、前原王墓の終了は畿内と同年代である。 編年には、遺跡調査員の私見がまかり通るから整合しない場合がある。
218 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 00:11:38.49
佐賀の吉野ヶ里周辺だが、 鳥栖市で環濠集落が6 神埼市で環濠集落が4 佐賀市大和町で環濠集落が4 出土し、痕跡が認められている。 吉野ケ里の大きさは別格だが、 郡どころか、村の単位で出てくるような感じである。
>>216 その、「政治的、文化的に別れていた」理由を知りたいのです
わがまま言ってすみません
飢餓で渡海ってさ 海に行けばそこに魚や貝や蟹や海藻がいる訳だし 渡海する必要ねくね?
221 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 00:15:19.33
飢餓で渡海ってのも、 船を確保するために、どのくらいの食料を消費するのか 想像もつかないな。 無理に出港しても大部分が沈むことだろう。
222 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 00:16:46.38
鎏金鏡 熊本県あさぎり町才園古墳 糸島郡二丈町一貫山銚子塚 日田 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡 志賀島 金印 平原の自国製デカ鏡に比べればよっぽど=お宝=
223 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 00:17:08.69
>遠賀川の東西で出土品がはっきり異なってるって話しだけど、 遠賀川東岸は、景行の九州遠征の兵站基地である。この地は奴國に背いたため 景行により最初に平定されたが、博多方面は、卑弥呼、男王の領土であり景行に 浸食されることは無かったが男王の死亡により、大和に吸収される。 たとえば 日本武尊による豊浦の平定は仲哀の宮となる。
224 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 00:19:57.92
>>215 >時代は何時頃?
「建安中、公孫康分屯有縣以南荒地爲帶方郡」
やはり、帯方建郡以降、この時、半島・倭への政策変更があったのでしょう。
実際のところは判らないのですが、現象として日韓交易の拠点が、それまでの「原の辻」独占から、博多湾岸などに拡大しはじめます。
>>223 景行天皇は防府から行橋(京都郡)に行ったんじゃなかったでしたっけ?
北九州を避けて行軍したように見えますけど
226 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 00:22:07.12
西都原古墳 81号墳 発掘風景写真 (2005・08撮影) 国内最古級の前方後円墳 2005年9月3日 81号古墳から土器の中に遺体を納める土器棺の一部が見つかった事が2日わかった。 土器棺は弥生時代に用いられた埋葬形式。 宮崎大学柳沢一男教授は「81号墳が国内最古級の前方後円墳である可能性がさらに高まった」としている。 宮崎大学グループは遺物の発掘状況も加味し、81号墳は卑弥呼の墓とされる奈良県の箸墓古墳より古い3世紀前半の古墳とみている。 どうやら、空白の3世紀後半〜4世紀を埋める古墳が九州から出てきたようだ。
227 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 00:24:43.28
>>219 > その、「政治的、文化的に別れていた」理由を知りたいのです
まず地勢的に違いますし、遠賀川流域は甕棺墓制も受け入れていません。
鉄製品の供給・消費量も違いますから、明かに「境界」が引かれていたのでしょう。
判ることってそれくらいでしょう。
228 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 00:24:51.82
>飢餓で渡海ってのも、 後漢193年 6月寒風冬のごとし。 この凶作が九州にも及んでいたら、ここが吉野ヶ里最後の時代となり 九州から千人の渡海ともとれる。 畿内においては、唐古・鍵遺跡の放棄や近江伊勢遺跡の変化はこの時代であり 青谷上寺地遺跡の分解された人骨は食人をあらわす。
>>227 結局何もわかってないってことなんですね
ありがとうございました
230 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 00:27:06.56
>>229 わかってることは、
宇佐説は無いってことだよ。
>>103 何を心得違いした、愚かなことを語っているのだ。
社家の伝承は文化財であってオカルト(超常)現象ではないぞ。
神社が伝える社伝が、オカルト現象だ、などと主張する輩は、学会に誰一人いないだろう。
それぞれの神に関する、気質や立ち居振る舞いの所作などの伝承は、祖先から受け継がれた文化だ。
人格の母型(マトリックス)の伝承は、
芸能人の物真似の型が、一つの文化、というのと同じ性格のものだ。
科学知識を持つ人々で構成される今日の社家では、
憑依現象をオカルト(神の奇跡)として扱っていない。
自己催眠の暗示によるもの、という、オカルト(超常現象)現象とは異なる認識で、
心理的な技法として扱われるようになってきている。
社家が伝承する多くの情報を切り捨てながら、
社家よりも自分達のほうが神道を正しく理解しているなどと錯覚し、
致命的な間違った推論を流布しすぎてきた帰来がある。
古代の祭祀形態を伝承している社家が持つ情報を抜きにして、
古代の斎場の祭祀形態を推論することは出来ない。
そこには、足を引きずって歩く老婆の所作ゆえの祭壇の配置、といった要素も含まれてくる。
卑弥呼の祭祀跡は、必ず足を引きずって歩く人物の癖が染みついたものになる。
この情報を斬り捨てて、卑弥呼の神殿を探し当てたと、結論を出すことは出来ない。
神憑りによって日の巫女の王本人を招いて、祭祀して頂けば、判別が容易になる。
霊が存在するのではなく、伝承されている生前の所作の型(マトリックス)が再現されるのを、
意味を取り違えて、オカルトと言っていては、蒙昧に過ぎる。
寒冷化で北九州は壊滅的な被害だったけど 朝鮮半島は被害無しとか有り得ないからw
234 :
あらため だよん :2011/12/26(月) 00:30:28.12
>結局何もわかってないってことなんですね あ〜ら〜ひとぶたさん、ちゃんと答えてやって下さいよ
235 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 00:32:03.68
崇神天皇五年(戊子前九三)◆五年。國内多疾疫。民有死亡者。且大半矣。 崇神天皇六年(己丑前九二)◆六年。百姓流離。或有背叛。其勢難以徳治之。 崇神天皇十二年(乙未前八六)三月丁亥《十一》◆十二年春三月丁丑朔丁亥。詔曰。朕初 承天位。獲保宗廟。明有所蔽。徳不能綏。是以陰陽謬錯。寒暑矢序。疫病多起。百姓蒙災。 然今解罪改過。敦禮神祇。亦垂教而緩荒俗。擧兵以討不服。 崇神5年の出来事は、同12年に説明されている“寒暑矢序”により“疫病多起”(えやみ =凶作)により、百姓蒙災なのである。
236 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 00:34:07.62
九州が飢饉で、畿内や朝鮮半島が豊作という ストーリーを導き出すためには、 温暖化、高温化の条件を設定しなければならない。
237 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 00:34:36.68
>>234 > >結局何もわかってないってことなんですね
>
> あ〜ら〜ひとぶたさん、ちゃんと答えてやって下さいよ
基本的なことは答えたけどさ。
>>219 氏が知りたいらしことは判らないよ。
あなたが引き継いでくれますか?
日本列島に疫病が伝来したのに 朝鮮半島が無傷とか有り得ないからwww
九州は寒冷化で飢餓! しかも疫病で大変! でも朝鮮半島は平気でした これが朝鮮学校クオリティーwww
240 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 00:38:38.58
>>238 > 日本列島に疫病が伝来したのに
>
> 朝鮮半島が無傷とか有り得ないからwww
「九州内陸型の巨大地震」説つーのもあったみたいですけど、
紀元後に動いた痕跡のある断層と言うのは、まだ見つかってませんよね。
241 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 00:39:12.61
>>237 何もわかってないのに九州説なり畿内説なりの立場をはっきりとれることがものすごく不思議
243 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 00:41:09.12
高温、渇水でわりと簡単に北部九州は 飢饉になるんだけどなあ。 なぜ、飢饉のストーリーを作りたがる割には、 高温渇水にしたがらないのかよくわからない。
244 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 00:42:30.03
>>240 百姓のみが疫病にかかるか?
疫病=えやみ=凶作飢餓。
食料を蓄えている朝廷には及ばない。
245 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 00:44:20.69
>>243 寒冷化という、事実のほうが先にあるからだよ。
高温は寒冷と違って決定的な不作にはならない あと九州で水不足なら朝鮮半島は全滅レベル
>>229 遠賀川の境界は、考古学の成果だが、
それをもって、卑弥呼の墓が宇佐ではないという結論にはならないだろう。
生活圏内に墓を作らない、という古来からの常識を無視して、
古墳がある、と大喜びする困ったさんを多く見かける。
卑弥呼の古墳は、邪馬台国の市街地の中には絶対にない。
ある程度離れた場所にある。
これは確定情報と言ってもいいだろう。
248 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 00:45:42.61
>>239 気候の寒冷化で長期的な変動はあったと思いますけど、それは、九州でも、吉備・畿内でも、そして朝鮮半島でも同じでしょうね。
ただ、海退化によって、沖積平野が拡大して、新たな耕作適地が生まれ、それまでの耕作域が衰退すると言う流れはあります。
まあ、1〜2年の飢饉とかでは無く、100年単位のレベルでの変動でしょうけど。
249 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 00:47:34.39
>>242 >
>>237 > 何もわかってないのに九州説なり畿内説なりの立場をはっきりとれることがものすごく不思議
どこが不思議なの?
そう言う貴方の「気持ち」の方が不思議。
250 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 00:48:14.49
251 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 00:50:23.66
>高温渇水にしたがらないのかよくわからない。 このデーターが無ければ、この主張をしても無意味である。 疫病=えやみ=凶作飢餓。 を裏付ける記事が翌年の、民の離散=逃散 逃散は飢餓により起こるが、親族の病気を理由にそれを捨てて逃げ出すことは無い。 逃散のピークは翌春である。これも、どの凶作においても同様である。 だから江戸時代の凶作を調べればすぐわかる。
252 :
あらため だよん :2011/12/26(月) 00:50:44.75
>あなたが引き継いでくれますか? おk >その、「政治的、文化的に別れていた」理由を知りたいのです まず、ひとぶたも言ってると思うんだが、 そこから九州を二部にして考えると埋葬方法があきらかに違う。 九州を二部というのは福岡平野や筑紫平野なんかがある地域と もう一方では、豊前、豊後の太平洋側と言いますか・・・ 「屈葬」というのはご存じだろうと思うが、これの起源は朝鮮半島にあり 北部九州でもこの方法を根強くあるが、遠賀川を境にして東側、ようは、豊前、豊後地方では、 足を折り曲げて甕館内に収める「屈葬」ではなく、足を伸ばして葬るという方法をとっている。 そして、豊前、豊後地方の埋葬方法と言えばドコウボがメインであり、甕棺墓による埋葬は少ない。 たとえば、吉野ヶ里やスグ岡本遺跡の甕棺墓は巨大だが、 九州全体でいうと佐賀を中心に九州全体に伝播する。 しかし、遠賀川を境にして東側では、巨大な甕棺墓ではなく、 成人は「ドコウボ」、子供は「子供用の小さな甕」を繋ぎ合わせた小さいものなのです。 あきらかに、北部九州や、佐賀地方を中心とする文化と違う事が分かるだろう?
神籠石を用いた大陸式山城が、最初に作られるようになった時代と、 邪馬台国が繋がれば、面白いんだがな。 寒冷化による飢饉を逃れて、大陸の文化が日本に来て、神籠石城がその証拠、 という図式が書ける可能性はあるか? 神籠石は丈夫な鉄がなければあのように加工できない。 かならず鉄製品の変化を伴っているはずだ。 いつ頃加工が可能な鉄の道具が出現したかが、一つの鍵になりそうだ。
254 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 00:53:40.56
>生活圏内に墓を作らない、という古来からの常識を無視して、 こんな常識は日本に無い。 棺桶を担いで10キロ、20キロの遠方に墓を築くことは無い。これが日本の常識。
255 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 00:53:50.55
>>251 明治以降の気象情報ですら、
九州の高温渇水による不作、
東北北陸地方の低温による不作のデータは
かなりあると思いますが?
凶作は秋には分かる 4月には田植えが有る 6月に新羅移住とか有り得ないな せっかく田植えしたのに無視かよw
257 :
あらため だよん :2011/12/26(月) 00:59:04.88
遠賀川を境にして東側、西側ていうのは、甕棺墓にしろ 足の折り曲げ方が「きついのか」「ゆるやかなのか」の差があり 有る一定の地域「差」が認められておるんですわ。 分かったかね?名無しのあんちゃん
258 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 01:01:38.51
九州は低温といっても稲作ができなくなるほど低温になることはまず無い。 高温になると降雨量が減って、割と容易に不作になる。 畿内や朝鮮半島は高温といっても、降雨量が減ることはまず無い。 低温になると南方由来の稲作は、容易に不作となる。 ということではないかと。
>>252 一大卒が派遣されていた土地と、邪馬台国は、
同じ墓制だったか、違うものだったか、という議論は
どの程度行われたんだろう。
260 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 01:06:01.00
>>257 どうも件の名無し氏は、筑豊境界に対する解釈は、畿内説と九州説では違うはずだと思ってるらしいよ。
「どっちの立場でも同じことでしょ」って結論じゃ、話が続かなかったみたいだ。
その後、突然に宇佐ネタが出てきたりしたから、宇佐説について語りたかったんじゃないかな?
宇佐説は、貴方が得意だと思ってバトンタッチしたんだよ。
>>254 今でも剣山の山頂まで、神輿を担いで登ってるぞ。
神輿は、戦場で戦死した王族を運んだことに由来するものだ。
ルーツを知る社家の者の常識に照らせば、
何十キロも運ばないなど、知識不足の人間の嘘にしか聞こえない。
現代人の常識感覚で、卑弥呼の墓の位置の選定を考えてはイカン。
古代人になり切って考えるのだ。
>>252 事実の列挙ははっきり言って知ってますから結構です
知りたいには何故そのようなはっきりした文化的差異があったのかということなんですが、、、
政治区分によるものならば、遠賀川両岸を支配してたのはそれぞれどんな勢力なんですか?
263 :
あらため だよん :2011/12/26(月) 01:10:25.72
>>259 >一大卒が派遣されていた土地と、邪馬台国は、同じ墓制だったか、違うものだったか
まず、一大卒が置かれていた場所と言うのは伊都国であり、
現在の糸半島付近と考えられる。
糸半島付近というのは、私が上記した通り北部九州に該当し、
ここの弥生時代の墓制はというと三雲遺跡群に代表される「甕棺墓」が主流なんです。
弥生時代の「甕棺墓」というのは佐賀を中心に伝播するんですが、
邪馬台国を畿内と考える場合は、甕棺墓は九州独自に該当するので該当しない。
邪馬台国九州説では、どこを邪馬台国とするかによって変わるんじゃないでしょうか。
甕棺墓を掘り出す時に、 どのような所作でどのような儀式を行って埋葬していたか、 信仰の行動様式の検証がまったくされていないから、 埋めかたの違いから、信仰形態が異なることが見て取れる場合でも、 重要な証拠が記録されないケースが目立つ。 発掘時に、信仰の形に関する多くの情報を放り捨ててしまっている。 墓荒らしと一緒では困る。
>>264 結局何もわかってないってことなんですよね
それなのに
>>257 みたいな返答ははっきり言ってあまりに不誠実すぎます
知らないなら知らないと言えばいいのに、、、
で、データ的にどうなの?
267 :
あらため だよん :2011/12/26(月) 01:18:36.79
>>262 >政治区分によるものならば、遠賀川両岸を支配してたのはそれぞれどんな勢力なんですか?
そこから言えることは
「足はきちんと折りたためバイ」て言う勢力勢と
「足はちゃんと伸ばすケン」て言う勢力勢なんじゃないスか?wwwww
268 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 01:22:07.67
凶作は秋には分かる わかったところで冬の食料を得ることはできない。農作物が不良なら 自然の恵み(どんぐり)はさらに不作となる。 4月には田植えが有る 春(1〜3月)が逃散のピークである。目の前の田植えより今の空腹解消が大事。 6月に新羅移住とか有り得ないな 夏はカエルでも魚でも口に入るものは食べることが出来るが秋(7〜9月)は目前である 田植えをしなかった、逃散した民にとっては、食料のあるうちに冬の手当てを考えねばならない。 せっかく田植えしたのに無視かよw 田植えをしないものに分与する余裕は無い。 逃散し野山を徘徊する民を農業に戻す。これが4道将軍を各地に派遣する理由の一つである。 これを怠れば、盗賊、強盗団の発生となる。 もし九州においてこれを怠ったならば、中国と同様に大乱の世となる。
はっきり言おう。 卑弥呼が行った祭祀の形態は、かなり分かっている。 神殿跡は、すでに発掘済みだと思う。 しかし、重要な手掛かりとなる情報を、発掘という行為によって、すべて放り捨ててしまった可能性が高い。 したがって、卑弥呼がそこで祭祀を行っていたことを、永遠に証明できなくなったと考えている。 その結果、邪馬台国の位置は、特定不能になっている。 考古学の勇み足がもたらした、大失態だと思う。 今からでも、卑弥呼と同じ祭祀形態の祭祀跡を、新しい遺跡の調査によって分類していくことは可能だろう。 それらの祭祀跡を繋げば、卑弥呼鬼道の邪馬台国文化圏が見えてくる可能性は残っている。 なにも墓制だけが重要な情報ではない。
270 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 01:24:03.21
>>261 横します。
> 現代人の常識感覚で、卑弥呼の墓の位置の選定を考えてはイカン。
> 古代人になり切って考えるのだ。
でも、現実に一般人レベルでは、集落に接して墓域が設けられる方が圧倒的に多くないですか?
古墳クラスの特定個人墓になると、スペースの関係で集落に隣接させることは難しいですが、
天武天皇の浄御原宮と野口王墓なんか2qも離れていません。
>>260 なるほど、なるほど、
彼独自の世界観があるようで、疲れるので貴方にバトンタッチします。
ひとぶた→あらため→ひとぶた 俺、寝よーっと♪(* ̄ー ̄)v zzz・・・
>>269 > はっきり言おう。
ほう。
> 卑弥呼が行った祭祀の形態は、かなり分かっている。
それは、どんなもので、どうやって検証したのか教えてください。
>>260 >>271 盲信者の妄言ですね
私は真実に対してニュートラルな立場ですよ
おやすみなさーい
>>268 九州でその状態なら
新羅は全滅してると思えるのですがw
275 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 01:40:59.32
>>273 「盲信」と言えるほど自説に自信もこだわりもないけど。
貴方は、結局、何が言いたかったのか、何も答えてくれなかったのねw。
>>270 ちゃんと2キロも離してある。
生活圏のど真ん中に作らない、のは常識。
スペースの関係もあるから、生活圏に王族の墓があるとは限らない。
むしろ、ど真ん中にあるようなものは、
そこにあった集落とは、時代が違うと見なければならない。
古墳の角度を見れば分かるだろうが、
王族の墓は、方位などをかなり意識して作られている。
だから、レイラインのような話も出てくる。
卑弥呼の墓探しも、古代人の発想をしなければ見えてこない。
卑弥呼の時代の王族の墓の配置には、信仰上の理由から、幾つかのパターンが認められる。
このパターンの違いから、信仰形態が異なる文化圏の分類も可能になるが、
今まで試みた学者が皆無らしい。
※※※
民の墓が集落に接するように配置されてなくてどうする?
それこそ、「何十キロも担いでいく」ようなことは、通常しない。
戦場が王都から離れていれば、神輿を何十キロも運ぶことはあった。
信仰上の理由から、条件が揃うように、それなりに離れた位置に墓が作られることはある。
庶民と王族の墓の位置は、決定方法が異なる。
何もかも混ぜた話にするのは感心しない。
277 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 01:47:22.17
>>274 山の彼方の空遠く幸い住むとひとのいう…。
新羅が凶作であることを知るすべがない、だから、溺れる者藁をもつかむ。
278 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 01:52:51.34
新羅が凶作であることを知るすべがない、 これもあるが、この時代の新羅は、麦が主食だろう 日本式農業(水田)の導入は、4世紀初めである。←この文献もあるが すぐには出てこないのであしからず。
>>196 吉野ヶ里は、呉国の衰退とともに不要になった防衛基地。
衰退したのではなくて徐々に撤収した。
280 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 02:00:23.38
>>276 はあ、「社家の伝承」ってのは王墓だけの話だったんですか?
失礼いたしました。
それは、存じ上げないと言うか、前レスや前々レスからは読み取れませんでしたね。
出来ましたら、次回の投稿は素人にもわかるように前振りをいただければと思います。
>>254 それは嘘。
たとえば文献で辿れる平安時代でも、遺体は山まで担いでいくのが一般的。
宅地のそばに埋めたり安置したりは絶対にしないのが日本の伝統。
>>268 適当なウソを言うな。
飢饉には春飢饉と秋飢饉があって、春がピークなどとは言えない。
>>272 卑弥呼の生前の気質や所作が伝承されている。
定まったシキタリの型は、長期間(少なくとも千年)変化しない。
封印が施された神庫から、古い文献が発見されたが、
日の巫女の王の所作が現代のものとまったく変わらないことが、
挿絵や文面から明らかになっている。
この箱は内部に空気が入らないように封が施されていたため、
おそらく、宗教改革に伴って葬られた可能性が高い。
現在はまったく伝承していない神事の形態を示すものも出てきている。
残念なことに、伊勢の斎宮が存在しないため、
伊勢斎王が伝承していただろう神事との突き合わせなどは望めないため、
限られた親しい社家の間でしか情報交換はしていない。(非公開神事)
祭祀形態に顕著な経年変化がほとんど見られない
(15か所ほどの些細な違いは発見された)ことから、
卑弥呼当時の宗教儀礼をそのまま引き継いでいる可能性が高い。
遺跡にどのような痕跡が残るかは、専門用語(古語)の羅列になるため、
このようなテキストベースの掲示板では、解説が困難になる。
ビデオ解説が必要だが、非公開神事ゆえ、実写映像は公開できない。
神事を簡略に模した、3DCGキャラクターを用いたデモンストレーションは、
SecondLifeと呼ばれるメタバース(仮想空間)のバーチャル神社において、
神道教育の一環として、過去3回、公開されている。(公開は週一回4ヶ月間)
今回、意識調査を行ったが、オカルト呼ばわりの暴力行為が顕著に認められるため、
一般公開すれば、神事内容まで誹謗中傷の対象となることが懸念される。
よって、以後は、3DCGであろうと、
関係者以外に非公開神事の内容は公開しないことが、耀姫様の名で決定された。
284 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 02:07:35.63
スゴく伸びてるねえ
>>207 日本は古来から、はるばる遺体を山まで運びます。
山と里の両墓制もありうるが、遺体は住宅のそばには絶対に安置しません。
>>283 への追記。
意味を拾いにくい書き方になっていたので補足する。
メタバースを用いた、通信公開講座が週一回四ヶ月間行われ、
日の巫女の王(斎王)に関連するバーチャル神事は、計三回執り行われた。
>>285 代弁ありがとう。
社家が伝承するシキタリを交えてこれを解説すると、
オカルト呼ばわりのレスが付いたり、
発掘現場でも、
あの神主さん達は邪魔だ、下がらせろ、
何が自分達の祖先の眠る墓だ、
こっちはお上の許可を得てやっているんだ、うるさいぞ、
墓荒らしなどであるものか。
となって、
正常な情報伝達が困難になるのは、
困った風潮と言える。
「柳沢教授は、現在、入退院を繰り返す状態で、健康が思わしくないとの話であった。」 鸚鵡真理教とか塔一協会と同様、インチキ学会から言わされているわけですね、わかります。
なんつー進みようだ。
>>123 >俺は行程記事の読みときで位置が割り出せると言う方法論自体を否定している。
行程記事では比定は出来ないと俺も言ってるのがわからないか、腐れ頭。
魏志倭人伝でわかるのはアバウトな地域だけだ。
だが、これを無視した比定などあるはずがない。無視したいのは畿内がそこに入らないことがわかるからよ。
出雲じゃ無理だとわかるから、お前も反論放棄だろ プ
>アカデミズムの世界で畿内説でほぼ決着したと言われている現状は知っているよな・
誰かも言ってたが、笑うところか? ワラ
畿内だからではない。アカデミズムが笑いどころだ。
もし畿内説が正しいとやったら「決定的確証はないが、畿内ということにしよう」になるだけだ。
アカデミズムの世界とやらが畿内説が正しいと決定を下したら
他にあった邪馬台国が畿内にワープするわけじゃねえぜ ゲラ
>お前みたいに「先ずオレサマの説=東北ありき」とは違う。
馬鹿頭の読解力の無さは凄まじいな。
魏志倭人伝が示す投馬国は「日本海側、北九州より水行二十日のどこか」
邪馬台国はそこから「水行十日陸行一月のどこか」を指している。
そこから出る答が東北の内陸部だが、水行陸行の行程が以外と短く
例えば群馬でも栃木でも長野でも構わんのよ。
明らかに畿内など指していないというのが主眼だ。
わざわざ「仮比定」を使ってる意味をいつになれば理解出来るのやら。
馬鹿はしょうがねえな プ
291 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 07:18:07.16
平原遺跡以外の弥生九州お宝遺跡 光正寺古墳 3世紀中頃-後半 福岡県糟谷郡宇美町 ヒスイ(硬玉)製勾玉x2、碧玉製管玉、変形獣首鏡、鉄器、他 馬渡束ヶ浦遺跡 弥生時代前期末-中期前半 福岡県古賀市青柳町 勾玉、○銅製腕輪x5、碧玉製管玉x30(首飾り)細形銅剣、 細形銅戈、細形銅矛など青銅製武器 立岩遺跡堀 弥生時代 福岡県飯塚市立岩 耳飾り、○ゴホウラ貝製腕輪(釧)、碧玉製管玉,、大量のガラス製なつめ玉、 ガラス製管玉、ガラス丸玉 (首飾り)、内行花文日有喜鏡、内行花文清白鏡、 重圏姚皎鏡、重圏清白鏡、単圏久不相見鏡、素環頭刀子、鉄剣、鉄矛などの武器
292 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 07:21:30.36
隈・西小田遺跡群 くま・にしおだ 弥生時代-古墳時代 福岡県筑紫野市光が丘 勾玉、○諸岡型貝製腕輪(釧)x8、○イモガイ製腕輪(釧)、 ○ゴホウラ貝製腕輪(釧)x41、管玉、ガラス製小玉など(首飾り)、 前漢鏡、細形銅剣、鉄剣、鉄戈、銅戈などの武器 平塚川添遺跡 弥生中期-古墳時代初 福岡県朝倉市平塚 勾玉。○諸岡型貝製腕輪(釧)、菅玉、玉類 (首飾り 内行花紋鏡. 中国貨幣(貨泉)、広型銅矛耳部, 銅ぞく, 鋳型片 他 原田遺跡 弥生時代中期 福岡県嘉麻市嘉穂町馬見 ヒスイ(硬玉)製勾玉、碧玉製管玉(首飾り)、後漢鏡、小銅鐸
293 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 07:28:26.41
吉野ヶ里遺跡 弥生時代 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町 勾玉、コバルトブルーのガラス管玉x79(首飾り)、銅鏡、織物、布製品などの装飾品、 把頭飾付細形銅剣、銅把頭飾、祭祀用品、銅剣、青銅器、鉄器, 他 二塚山遺跡 弥生時代 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町 ガラス製勾玉、○貝製腕輪(釧)、ガラス製管玉、ガラス製小玉、 土製玉類 (首飾り)、銅鏡、細線式獣帯鏡、長宜子孫系連弧文鏡、 渦文鏡、波文獣帯鏡、連弧文偽銘帯鏡、朝鮮製小型鏡、小型倭製鏡・ 内行花文鏡鉄矛他武器、他 柚比本村遺跡 弥生時代 佐賀県鳥栖市弥生が丘 勾玉、ガラス製玉類 (首飾り)、赤漆玉鈿装鞘銅剣 (漆膜を三層に重ね碧玉を埋め込む) 石把頭付銅剣、銅把頭付銅剣、銅剣、他
>>126 ここは読解力なしの馬鹿が集まる巣窟か プ
俺がそう結論をいつ出したんだ?お前も仮比定が見えないアキメクラか ワラ
>>131 せっかく仕事の本質を考えるキッカケを与えてあげたのにねえ。
そのレスじゃやっぱりただの腐れガキだな。
受け売りが精一杯のオツムなんだろ。
このご時世に文学部じゃな就職も大変だろ。しかも受け売りしか出来ないオツムじゃな。
ま、頑張りな、小僧 プ
「アカデミズムの世界で畿内説でほぼ決着したと言われている現状」 決着などしていない。 邪馬台国の東には海があり、その海の先にはまださまざまな倭人の国がなければならない。 これをどうするんだ?
日付で距離を表している部分は、 他人が書いた旅行記を元ネタにしているから、 宿に泊まって滞在している期間と、移動期間の区別がつかなくなっていて、 両方ひっくるめた時間経過が書いてある、 と見るのが、もっとも自然だろう。
>>295 畿内説はもともと方角は信用しないんでしょ
東である必要はないよ
>>132 無視してると言いながら全然無視してねえ ワラ
お前は読解力だけじゃなく言葉の意味も駄目かあ 。
誰かこの馬鹿に「無視」の意味を解説してやれ ゲラ
>自己矛盾をかかえているがゆえの強迫観念があるからだ。
それ、お前な。
熊本に邪馬台国をもってくるためだけにやってるから、お前の話は脆弱なのよ。
その脆弱さを自覚するから強迫観念があるんだろうよ。
>他者を誹謗攻撃することによって、強迫観念を払拭せんとする心理だ。
お前のはそう。
俺のは、これがスタイルなの。
俺は政治板が一番長いが哲学、宗教などの板にいた。健康板も長かったな。
どこでも回り中、敵だらけのところしかいかない。
そこで片っ端に論破していくのが俺の遊びなんだよ。
論破したあともとどめを何度も差すような性格の悪さだから恨まれてねえ ワラ
ところで ねちねち小僧。 腐れ名無しの出雲と同様、吉備はギブアップでスルーか ワラ
300 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 08:48:47.28
>>298 >そこで片っ端に論破していくのが俺の遊びなんだよ。
↑
それはおっさんの勘違いの思い込み
おっさんは人の話を聞かずにただ好き放題書きまくっているだけ
おっさんゴトキに誰も論破されていない
バカがうつりそうだから相手にしたくないだけ
おっさんは早く眠たくなってここから出て池
おっさんが逝けばみんな出てくるよ
>>296 別にそれでいいんじゃないか。
時間表記は「感覚」で理解できればいいものだ。
「陸行○日」と言われたら、その当時の常識的な宿泊や休憩を含むものになる。
それで言った方も、聞いた方も互いに通じればいいわけだ。
これは現在でも同じ。
「最寄り駅まで何分ですか」と聞かれ「歩いて15分です」と答えるのはごく普通だ。
この時聞いた方は「800Mくらいか」とは考えない。ただ感覚で距離をつかむだけだ。
これで別に何も問題はなかろ?
>>300 感想は自由だ。そのうちわかる。
ここでも九州説は「万二千里は実距離ではない」証明で、もうほとんど論破だがな。
303 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 09:07:41.02
>>296 >俺はずっとバリバリの営業マンで
何の営業だ?たわし売りか?
>自分の会社も持っていたが
たわしの露店販売を個人でやってそれを会社とよぶのか?
>夢見ていた超早期リタイアを実行した。
バブルはじけてたわし売れなくなって此処にいるんだろ
で今は警備会社か?クリスマスはさぞ忙しかっただろう
次は年末年始大変そうだな ま がんばれ そしてさっさと寝ろ
304 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 09:16:21.36
>さてお仕事。 >世間様と関係なく俺は仕事だが、お前らはPCかじりつきか? >ここ邪馬台国オタクのニート多そうだもんな ワラ それはそのまま自分に帰ってくるんだよ。そのことも考えずに書き込むところがバカ丸出し
305 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 09:20:26.36
>>74 >読み方をどう考えるか、が問題でやっていることはお前らと同じ。
>方位をどう見るか、距離をどう考えるか。
↑
素直に読まずに自分解釈して言いはってりゃそれは「捏造」だ
>俺は時代背景や当時の思想などから推測する。
↑
どんな時代背景と思想だったんだよ?解ってないくせに
解ってないから東北言ってしまうのか・・・なるほど
>>303-305 今後、この手のレスは一切無視する。
長いこと傍若無人キャラでやってきてるから、こういう奴はごまんと引き連れてきた。
そしてその対処方法もよ〜く知っている ワラ
こいつらと煽り合い、叩き合いも大好きという自分でも始末が悪い性格なんだが
馬鹿遊びしてたら本線話が進まないからな。
307 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 09:31:16.81
308 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 09:32:27.48
なんだか
>>302 のレス頭から見ていってると
バカになりそうだわ・・・本当に・・もうギブアップ
309 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 09:34:28.06
>>306 >俺は時代背景や当時の思想などから推測する。
どんな時代背景と思想だよ?どうせ思いつきカキコで答えられないだろうが
310 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 09:37:55.62
>>306 >
>>303-305 >今後、この手のレスは一切無視する。
えらそうに。相手にしてやっているのにその態度は無いだろう
何の営業をバリバリしてたんだ?
どんな会社経営してたんだ?
ここまでふているんだから創り話でも応えろよ
311 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 09:40:32.53
>>306 >本線話が進まないからな。
進めなくて結構 だれも見ちゃいない
だってウソだと分かっているから興味は無いし
見ていると疲れるし
>>297 それを言い出すと、卑弥呼は朝鮮半島にいた、説だって成り立つじゃないですか!
方角を信用すると奄美か沖縄だろ
314 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 11:14:24.42
距離を信用するとパプアニューギニアだ。
方角は畿内説者も「混一彊理歴代国都之図」を肯定だろうよ。 この地理感で倭人伝はすべて謎が無く読むことが出来る。 この地図を邪馬台国論争に持ち込んだのも畿内説の学者だしな。 これはまず間違いなく正解。 九州説論者が必死に抵抗しているが無駄だね。 畿内説論者は南を東と読まなきゃ畿内にもってこれないからだったろうが これをもってきたら今度は投馬国の存在が邪魔になる。 方位を解決できたら距離で悩まされるわけよ。 九州説が四苦八苦して距離を縮めようとしたのと同じ苦労をすることになる。 しかし所詮無理だから「読み解きでは否定できない」とご都合主義になるわけ。 「方位を何とか南を東に」は、読み解きじゃなかったとでも言うのかね プ
今夜はオフだと思うと無理に寝る必要がないせいか はたまた、緊張感から開放されてる気楽さからか 徹夜明けなのに眠くないわ。 でもまあ寝るとするか。 今夜はゆ〜〜〜〜っくりやれると思うぜ ワラ
魏の使者が九州北部で滞留して 伝聞情報を元に国と方向を書いた、これで何も問題ない 仲哀天皇が筑紫で執政してる以上、ヤマト王権と邪馬台国は並立しない
「混一彊理歴代国都之図」を肯定しているのは馬鹿だけ。
319 :
19歳某国立大生 :2011/12/26(月) 12:59:47.30
えらいスレが伸びてるなw 寒冷化の影響で、大地を温かくする日の光の価値が高まり、 そして太陽信仰が強まり、 太陽神を祀る卑弥呼を王として共立するコンセンサスができたと。 その流れだろう。
纏向に太陽信仰を推察させるような遺物があるのか
321 :
19歳某国立大生 :2011/12/26(月) 13:09:34.42
巻向では太陽神を祀るのにふさわしくないから 伊勢に天照を移したんだろう。
纏向の土坑で見つかるのは籾殻や木製食器などだ これは農耕や共食に関する祭祀で使用したものを投げ込んだ跡 太陽神など無根拠もいいところだろう そのような祭祀形態を思わせる遺物は出土していない 鏡は葬具だ そもそも強力な神を祀っているのであれば前方後円墳は必要あるまい そこに見られるのは首長霊に対する信仰だ おそらく偉大だった前首長の霊が穀物霊に働きかけて豊かな実りをもたらすとか そういったものだったろう 環濠集落が解体し分散居住になったのもこの首長霊信仰が広まったせいだろうな
>>321 アマテラスは後代の創作
アマテル神が3世紀からあったかどうかは不明
おそらくなかった可能性が高い
記紀の記述は信用できない
324 :
19歳某国立大生 :2011/12/26(月) 13:21:28.87
卑弥呼以前の太陽神は男神で饒速日命を祀った形態が多い。 その9代目子孫の孫の倭迹迹日百襲姫を女王として推戴し、 天神を祀る鬼道をもって祭王として国を統治したとみるべきだろう。 当時は寒冷化の影響で太陽信仰が最も強かった時期だろう。
>>324 考古学的に太陽信仰をうかがわせる形跡は纏向にはない
これはもう何年も前に纏向スレで結論が出ている プロの考古学者の見解もそうだ
大学に行って教授に聞いてみればいい ww 文献の教授ではわからんかもしれんが
倭人伝が信じられないなら 記紀もまた信用できないだろう ましてやはるか後代の系図などw
一般的に本邦の信仰形態の推移は、精霊信仰(アニミズム)→穀霊信仰→首長霊信仰だ
これにずっとあった祖霊信仰がからむ
銅鐸の祭祀は集落共同体による祭祀で農耕や狩猟に深い関わりのあるもの
その銅鐸信仰がすたれて環濠集落が解体された
農耕に有利な分散居住が始まり、前方後円墳が造られる
前方後円墳上では、各地の首長と共食の儀礼を行った跡が発掘されている
これは前首長の魂を受け継ぐための儀式だろう
やがて豪族居館ができそこでは水の祭祀が行われる
大規模土木工事による水路工事と係わりがあるだろう もうこれは古墳時代の話だ
記紀に出てくる神々が3世紀からあったなどとは歴史オンチもはなはだしい
あれらはずっと後代にできたものだ
記紀にもモモソ姫はシャーマンではあっても太陽信仰を行った記事などないだろう
夢幻如は卑弥呼の鬼道を占星術などと言っていたが単なる思いつきレベルの話 ある信仰形態がそこそこ広範囲の地域で行われていたのなら 必ずそれと関連した遺物がでるはずだ 占星術なら星を描いた絵画土器とかな しかしそのようなものは何もない 太陽信仰に関しても同じだ 鳥型木製品はあちこちで出土するので鳥信仰のようなものはあっただろう あとは農耕に関するものばかりだ そして前方後円墳
銅鐸はね 春分と秋分の日に地面に置いて、日の出の太陽光が鈕の穴を通過した瞬間に 巫女が手ですくった水を降り注ぐの その行為で、太陽の霊力みたいなものを大地に鎮座させるわけ
天皇の紋章は日輪だが 家紋も神紋も中国にも朝鮮にも無いぞ そもそも神社が朝鮮には存在しない 仏教伝来の時に古来の神と仏教を巡って争っているので 古来の神々は仏教伝来よりかなり前から存在してたのは明白
考古学的な根拠の示せない太陽信仰などと言っていると 九州説と同じトンデモに墜ちることになるぞ.。ww
>>330 考古学的根拠は有るな
結婚式や子供の誕生も成長や神社
初詣も神社、山頂に有るのも神社
後発の仏教は葬式しか普及していない、古来の神々の信仰を崩せなかった
初日の出を拝んだ事無いの?
>>329 仏教伝来の頃には日本の神々はあっただろう
その頃はすでに王権が確立していたからな
しかし3世紀の邪馬台国の頃にはどのようにして王が選ばれていたかもわからない
世襲制度があった形跡は考古学的にはない
これは高貴な血をひく子供が古墳に埋葬されたという例が発見できないなどのことからだ
おそらく王は有力者のもちまわりだったのだろう だから祖先神なども定まってはいなかったはずだ
次代の首長は前方後円墳上で前代の首長の魂を受け継ぐ儀式をしていたと考えられる
>>331 アホー 初日の出とか現代の風習が考古学か
話にならん
>>333 いや
発見されてない物は存在しな(キリ
って発想自体が根本的に間違いであり低知能なんだがw
あなたは神社は仏教伝来後に広まったという説だと思う
それは何時だね?
答えられない場合は、自分が馬鹿な事を認めるだけだぞw
>>334 お前は話にならないからこれが最後のレス
>あなたは神社は仏教伝来後に広まったという説だと思う
日本で一番古いともいわれる大神神社の祭祀遺物について調べてみればいい
神社(の古形態)がいつ頃からあったかわかるだろう
むろん仏教伝来以前だ それから神社の社伝等は捏造・創作が多く信頼できない
336 :
年末大掃除 :2011/12/26(月) 14:22:21.36
>>290 無限尿(要成人用オムツ、オツムは子供)
>魏志倭人伝でわかるのはアバウトな地域だけだ。
だから(ピンポイントでなく)アバウトでもいいから
>>115 で問うた
広く地域に見られる邪馬台国の痕跡等を述べてみろゴミ。
東北に邪馬台国があった「時代の背景」を言ってみろカス。
お前が「300年の無駄」とほざいた中には考古資料による検証も含まれる。
知ったかぶりで大口叩くならそれを否定できる少なくとも対抗できるだけの材料を出して見せろゴミクズ。
>明らかに畿内など指していないというのが主眼だ。
>わざわざ「仮比定」を使ってる意味をいつになれば理解出来るのやら。
何のことはない「畿内でも九州でもないだから自分が正しい」とほざきたいだけの馬鹿。
他説を否定することだけに躍起になっているだけの阿呆。
それが自身が寄って立つ最大の根拠。
だから東北の邪馬台国の姿を描き出すことは二の次(それが「”仮”比定」)
この馬鹿にとって北海道でも樺太でもいいのかもしれないw
兎に角「畿内でも九州でもない」と押し通せばそれが即「オレサマ説大勝利」に繋がると言うクズの発想だな。
それこそ主眼としては「 比定 」ではなくて他説の「 否定 」だと言うお話。
この無限尿と言う低脳ゴミカスの言わんとするところは要するに
「倭人伝読んだら畿内でも九州でもないだからボクが正しい」
と言うだけの話、下らない。
337 :
年末大掃除 :2011/12/26(月) 14:23:21.58
>>298 無限尿(要成人用オムツ、オツムは子供)
>熊本に邪馬台国をもってくるためだけにやってるから、お前の話は脆弱なのよ。
要するに比定地を押し出すとそれにより脆弱になるから
自分は広く東北と極々大雑把にしておくが有利と言う姑息な計算かな?下らないやつだ。
(まあこれが競技ディベードとかいうものならアンフェアな条件と言うことで競技が成立しないのかな?)
「比定より否定」がこのゴミクズの芸風と言うことだなwwwww
大体このゴミが「”仮”比定」と言う語に拘るのは
(そもそも邪馬台国の位置論争においては全ては仮説なのだから、わざわざ”仮”をつけるのもおかしいし、実際そう言うのは見たことが無い。
ほぼこの無限尿と言う馬鹿の造語だなw)
自分がディフェンス側に回るのが嫌でオフェンスオンリーでやりたいと言う願望の現われだろうとw
無論、東北邪馬台国の姿を描き出すには知能も知識も足りない。
>そこで片っ端に論破していくのが俺の遊びなんだよ。
…吠えるのう、駄犬の如くw
大体2ちゃんで「俺はロンパーしまくりだぜ!」とかほざいているのにロクな奴はいない。
むしろ袋叩きにされて最期は遁走と言うのがパターンだがw
そもそもこの邪馬台国の問題は全て蓋然性の範疇で語られるべきもので
ロンパーした/しない…とか言う話に基本馴染まない。
ロンパーゴッコがやりたければ他でやれ低脳厨房。
338 :
年末大掃除 :2011/12/26(月) 14:25:34.08
それから前後したが
>>110 無限尿(要成人用オムツ、オツムは子供)
>お前の話を見ると「混一〜」的地理感は認めているわけだ。畿内説なら当然だがね。
これも誤解の無きように言っておくが”あのような”地図があったからといって
機械的に「南を東に読み替えてよし」とするような立場を自分はとらない。
確かに古代の中国人の日本列島に対する地理観がかなりいい加減な物であったことを示す証左にはなっても
だからあの行程記事の「南」と言う表記が必ず間違っていると言う根拠にはなりえない。(ちゃんと南北が正しい地図もあるのだから)
つまり無限尿にしても畿内説にしても自説を主張する事はできても
「行程記事の方角は正しい」とする九州説を否定できるものではない。
>畿内を通り過ぎちゃ駄目だから、という「結論先にありき」がここにも出るわけよ。
つうかこのゴミの「畿内を通り過ぎるべき!」と言う思い込みが出てるだけ。
古代の準構造船で沿岸沿いに日中に進み、時に潮待ちの時間も考えるなら長すぎる想定ではないだろうに。
よく言われる延喜式にある大宰府までの所要日数が30日と定められていると言う点からも妥当なところだろう。
無論沖合いに出て海流に乗れば話は別なんだろうが魏使と言う超VIPの移動でなくてもそんなリスクをとる必要もない
と言うか「水行二十日あれば必ず北陸東北に至る」と言う論調は過去聞いた事もない。
「先ずオレサマ説ありき」の為の牽強付会。ゴミクズレベルの話。
まして通説の奴国=福岡平野を超える…かどうかは分からないがそれに比肩しうる規模の弥生時代のクニを求めるなら山陰はその資格は十分にあるだろが
この無限尿とか言う阿呆にはそのような蓋然性の付加も無い。
地名にしても何処ぞの馬鹿の 投馬=富山 よりは十分マシだろうとw
「長き論争に決着がつかないのは両方間違ってるからじゃね?どれどれオレサマが正解を出してやろう」
…と言うワン・アイデアで引っ張っただけのあまりにも幼稚な話。
339 :
年末大掃除 :2011/12/26(月) 14:27:38.55
>>306 無限尿(要成人用オムツ、オツムは子供)
>今後、この手のレスは一切無視する。
それからなこれは歴史の話と関係ないがゴミクズよ
そうやって突っ込まれたらシカト決め込むんだったら最初から
「自分はバリバリの営業職で過去会社も経営していて今じゃ悠々自適(ry」
…なんて中途半端なカミングアウトはしない方が良いと思うぞド阿呆w
まあリアルな自慢話か脳内ストーリーかは判別しかねるところではあるがwwwwwwwwwwww
夢幻如はわざとありえないところに邪馬台国を比定して、屁理屈で引っかき回すことを 楽しんでるだけだから真面目にレスするのは馬鹿らしいぜ
夜中の営業職=無限尿の本業は・・・ ・空き巣 ・麻薬の密売 ・暴力団の恐喝 ・自販機の釣銭拾い ・酔っ払いを狙うスリ
やつは近江厨じゃないか
>>283 > 今回、意識調査を行ったが、オカルト呼ばわりの暴力行為が顕著に認められるため、
> 一般公開すれば、神事内容まで誹謗中傷の対象となることが懸念される。
> よって、以後は、3DCGであろうと、
> 関係者以外に非公開神事の内容は公開しないことが、耀姫様の名で決定された。
そうか、それは善かった。
じゃ、もう二度お日様の当る世界に這居出てくるんじゃないよw
344 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 19:22:41.41
>>283 ☆←耀姫星
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 電波を感知しました。 |
|__________|
/ /
/
_ ビビビ
/||__|∧ /
。.|.(O´∀`) /
|≡( )) ))つ
`ー| | |
(__)_)
345 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 20:11:07.27
>>291-293 アンカー無いけど
>>213 への御返答と言うことでしょうか。
何か、いっぱい調べてくれて・・・ありがとうございます。
しかし、訊き方がよろしくなかったようです。
下の流れを見ていただけると分かるかと思いますが、お題は「平原後」の王墓です。
>>207 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2011/12/25(日) 23:58:34.27
> 平原の遺跡が王墓などと言っているのは畿内説の連中
> あれは筑紫平野の一豪族の墓場
> 平原よりもその他の地域の方がお宝わんさかだしね。
>>213 名前:ひとぶた[sage] 投稿日:2011/12/26(月) 00:06:34.90
> そんな ことは無いと思いますよ。
> 「お宝わんさか」な例があったらご教示を。
せっかく調べていただいたのに、時代もバラバラだし、対象も古墳だったり、環濠集落(平塚川添みたいに首長墓未発見のも)だったりですね。
そして、何と言っても、それらのどれをとっても、平原一号墓一基から出た副葬品を凌駕しているように見えないところが残念です。
346 :
天才論客 :2011/12/26(月) 20:36:14.45
>>345 それほど豪華な副葬品でもなかろう。
青銅鏡は地下の鬼神を鎮める明器(呪具)にすぎないし、
神宝・祭具としての鏡は白銅鏡だよ。
(こういえば、どこぞの神社に奉納された青銅鏡の存在をあげたバカがいたが、
それは何らかの「いわく」つきの奉納鏡であって、その神社の神宝・祭器とは別物だ)。
むしろ平原1号墳ばあい、もともと武器類の副葬が少ない方形周溝墓であること。
通常ならば多くても数枚で充分なはずの副葬用青銅鏡が、
常識はずれともいえるほど副葬されていることと、
ことごとくが破壊されていたこと。
この事実が告げることを考えるほうが先だろう。
俺はこの墓は王墓などという性格のものではなく、
武器・武力とは無縁の大陸渡り鏡職人が自作品と見本品にうずもれた墓だとみている。
「破鏡重円」そのものが中国人の精神性だしな。
347 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 20:42:01.93
348 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 21:03:40.80
さすがに伊作は格が違う
あほくさ。
>さすがに伊作は格が違う 君から見たら凄いんであって 他の人から見たらそうでもないつうかw だよね?ひとぶたさん w
351 :
天才論客 :2011/12/26(月) 21:05:53.34
>>347 50枚の銅鏡よりも1枚の玉壁。
玉壁は高貴な身分の証しとなる宝器だが、
使者を天上界(神仙界)へ導く呪具でもある。
たぶん伊作が言ってる「玉壁」だとか「節」だとか、 みんなはピンっと来ないんだろうな〜
あ、もちろん伊作氏の「玉壁」「節」ていうのは、 日本国内のことではなく〜海外での話をしてるんですよ。 ALL
354 :
天才論客 :2011/12/26(月) 21:13:09.42
>>354 おめぇさん、自分の自分のことを「天才論客」て言ってるけど
まあ、たしかに詳しいね>< 言うだけあるよ〜うん
356 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 21:21:11.47
>>346 伊作氏はこんなところで遊んでいたのか。
>ことごとくが破壊されていたこと
とあるが、故意ではなく、事故で壊れたらしいということだぞ。よく知らないが。
まあ、分かり易く説明したら「玉壁」ていうのは最高のモノであり 金印より格が上つーことで、「玉壁」が最高のしるし、NO.2が我らが卑弥呼の 「金印」ていうことにな〜る、その次が「銀印」だよーん 「節」ていうのは、倭人伝にもその節があっただろうという話で、 皇帝の代わりに帯方郡の太守が代わりを務めた。 その代わりを務めるのに「節」がでてくるわけでして・・・ まあ、簡単にいったらこんなかんじかな〜
伊作よ おめーさんが、せっかく良いことを言ってるのに 無げんにょなんてスルーだろ?w アハハハ いつだったかスルーされてたねw
359 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 21:36:44.77
>>358 蠅
美味しそうな食物(良記事)のまわりで飛び回るな 蠅たたきでたたき落とすぞ
>>346 >それほど豪華な副葬品でもなかろう。
何言ってんだか・・・
貴方の言うもっと豪華な副葬品て何だよ?もしかして「玉壁」?
日本国内の出土品でいえよ。
>青銅鏡は地下の鬼神を鎮める明器(呪具)にすぎないし、
根拠は?
>神宝・祭具としての鏡は白銅鏡だよ。
>(こういえば、どこぞの神社に奉納された青銅鏡の存在をあげたバカがいたが、
>それは何らかの「いわく」つきの奉納鏡であって、その神社の神宝・祭器とは別物だ)。
出土例をあげて下さい
>むしろ平原1号墳ばあい、もともと武器類の副葬が少ない方形周溝墓であること。
甕棺墓の方が少ないだろう
>通常ならば多くても数枚で充分なはずの副葬用青銅鏡が、
>常識はずれともいえるほど副葬されていることと、
>ことごとくが破壊されていたこと。
>この事実が告げることを考えるほうが先だろう。
で、おまえさんはどう考えてるの?
361 :
19歳某国立大生 :2011/12/26(月) 21:39:06.76
伊作説:3年説に従って第一回目の朝献が新帝・斉王芳への朝賀訪問だったとすれば、 その献上物が第二回目以降のそれに比較すると格段にお粗末すぎる。 新帝の即位を祝う朝賀の貢ぎ物とは見えない。 僕の反論:魏からの下賜品が思った以上に豪勢だったために後で、 朝鮮各国から取り寄せた絹織物等を届け埋め合わせた。 伊作爺がこの情報を知らないだけ。 このソースは日本文芸社 鈴木旭著「面白いほどわかる古代日本史」 P81より。 ソースについて聞かれたから一応答えた。これでいいか?
>>359 あ〜おっかないねえ、もう><
しかし、君には無理だなww
363 :
19歳某国立大生 :2011/12/26(月) 21:45:37.04
三輪山が太陽信仰のメッカなんじゃないのか? そう本に書いてあったぞ。
364 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 21:51:33.32
>>361 親のすねしゃぶしゃぶ
ショボイ情報源でここにお出ましか・・・これが文献か?・・・
ぼくちゃん小学生でしゅか?勝手にパソコンいじっちゃだめでしょ?
はやくねなしゃい。
>>362 蠅はだまってろ ここにくるな
365 :
19歳某国立大生 :2011/12/26(月) 21:58:23.19
伊作爺は僕に論破され敗れて以来、 すっかり僕を避けるようになってしまったなw さすがにちょっと攻め立てすぎたかw
366 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 22:00:42.75
>>282 (昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記
されている。
「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。 しかし、山裾
にある町村は、 未曾有の凶作に悩み、 木の実・草の根、 人間の食べられるものは
全部刈り取り掘り尽くし、 米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ 飢餓地獄にのたう
つ惨状、 秋田県由利郡直根村百宅部落 のごときは、空飛ぶ鳥類さえ 斃死したかと思
われ、 400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、 天に号泣し地に哀訴の術も空しく
飢え迫る日を待つのみの状態である。
天明3年9月〜翌年6月までの津軽藩内の餓死者は8万1702人と記録されている。東北地方の天明の飢饉に関しては,悲惨なエピソードが多い。食物を確保できなくなった農民家族は栄養失調に陥り,疫病にかかったり,家を棄てて流浪しても食物にありつけず死に追いやられた。
家を棄てて流浪.。通常翌春にピークが来る。
崇神5,6年は飢饉で説明されるべき時代である。
367 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 22:01:56.86
後漢書 志15 183年 靈帝光和六年冬,大寒,北海、東萊、琅邪井中冰厚尺餘。[一]袁山松書曰: 「是時羣賊起,天下始亂。讖曰:『寒者,小人暴虐,專權居位,無道有位,適罰無法, 又殺無罪,其寒必暴殺。』」 193年 獻帝初平四年六月,寒風如冬時。[一]袁山松書曰:「時帝流遷失政。」 養奮對策曰:「當溫而寒,刑罰慘也。」 獻帝興平元年夏,大蝗。是時天下大亂。 青谷上寺地遺跡の人骨は、食人をあらわす。 唐古・鍵遺跡の環濠が埋まるのもこの時期である。 飢饉とは、『寒者,小人暴虐,專權居位,無道有位,適罰無法,又殺無罪,其寒必暴殺。』 「當溫而寒,刑罰慘也。」で説明される。適罰無法,又殺無罪は食人をあらわす。 環濠とは、外敵から一族を守るための施設である。環濠内での殺人、食人に対しては、 逃げ出すこともできない施設へとかわる。 環濠内で人々は殺し合い、相食む。春には、食べられるものを求め、野山にさまよい出る。 飢饉が去った後も人々は、この環濠に帰ることを拒否し、東山麓に住み着くが、そこに環濠は 掘られない。 2世紀末各地の土器が纏向に持ち込まれる。崇神11年異俗多帰。 野山に流出した民は、また農業に就く。
368 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 22:03:17.88
>>365 今宵は「白銅」の定義でも問いただしてみたらw
>>366 意味不明。反論になっていない。
春の飢饉と秋の飢饉の両方があったことは、史上当たり前の話。
今だと北朝鮮が真っ先に飢饉になるな 秋田より緯度が高いし更に寒いし
371 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 22:15:55.56
>>365 親のすねしゃぶしゃぶ
日頃は誰にも相手にされず実家に籠ってネットでイジイジ
定職にはつかず学校にも行かずただネットで仮想現実な
自分に感じているだけの毎日を過ごしている君だけに
「論破」なる夢を此処に映し出してそれを現実と思いこむ・・・
親が見たらさぞ悲しむだろうよ。
ちょっと犯罪者候補の第一歩を歩み出した感もあるな。
心療内科を勧める 是非行って来い 治療してもらえ
372 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 22:17:48.75
>>357 玉壁が最高のモノだという根拠は?
ただの学説か?
それとも文献に根拠があるのか?
前スレ >683 > 対馬国、一大国がその間1000里・・これを「水行」に換算したら・・どう見たって「水行一日」。 > つまり「水行一日」=千里になる・・投馬国までは水行二十日・・投馬国に行くだけで二万里・・ > 邪馬台国までは一万里(水行十日)プラス「陸行一月」だ。万二千里じゃ収まらんわね。 夢幻如の「対馬→壱岐=一日行程」は現代の地理観にもとづいている。 「倭人伝」の地理観は現代のものとは違うと主張しているにもかかわらずだ。 当時の中国人の地理観を地図に表すと「こんちき図」のようになる。 郡から狗邪韓国まで七千里、韓は方四千里、の地理観が、あのバカでかい半島だ。 当時の中国人の地理観にしたがえば、対馬→壱岐千里は一日行程にはならない。 編者は(夢幻如と違って)対馬→壱岐千里を一日行程とは思わなかった。 万二千里は編者が原資料の「投馬国まで水行二十日、邪馬台国まで水行十日陸行一月」を 里数に換算して、不彌国までの総距離に加算して算出したもの。
374 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 22:26:28.49
>>369 >春の飢饉と秋の飢饉の両方があったことは、史上当たり前の話。
主食とできるのは、6月頃の麦と秋の米 これを1年間食いつなぐ。
春の飢饉とはなんだ?
375 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/26(月) 22:26:35.65
>人間の食べられるものは >全部刈り取り掘り尽くし、 米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ 飢餓地獄にのたう >つ惨状、 秋田県由利郡直根村百宅部落 のごときは、空飛ぶ鳥類さえ 斃死したかと思 >われ、 400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、 天に号泣し地に哀訴の術も空しく >飢え迫る日を待つのみの状態である。 飢饉で千人も渡海出来ないのが、これで分かったか?ww オマエの言う崇神5,6年での飢饉空腹農民千人もの多勢はメシものどを 通すことがならず、日本海の荒波を渡ることは不可能事である。
>>372 >>372 >玉壁が最高のモノだという根拠は? ただの学説か?
>それとも文献に根拠があるのか?
じゃなくって
教えて頂きありがとうございました でしょ?
>>373 あははは、あははは
馬鹿伊作が無視宣言してるもんだから 名無し で出てやがる。
あははは、笑える。
あと頭に血を上らせ顔真っ赤にして書き込んでるアホ名無しもいるな。
だが、今夜はやめだ。
家族一同で外食してきた。
うんっまい!しゃぶしゃぶをたらふく食ってきたら、まったりしてしまってな
今夜はお前ら「どう〜〜でもいいわ」 ワラ
378 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 22:42:51.72
>>361 19歳某国立大生
>鈴木旭著「面白いほどわかる古代日本史」
これが僕ちゃんの「文献」なのでしゅか?単なる雑誌がでしゅか?
「面白いほどわかる僕ちゃんの程度」だね。
379 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/26(月) 22:44:20.87
>>376 私は玉壁とは何かを知らないから聞いているのである。
君が、玉壁が最高のモノだという知識をどこから得てきたかを聞いているのである。
君が素人であろうと学者であろうと、玉壁が最高のモノだという根拠はどこにあるかを確認しなければ信じることはできないのである。
380 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 22:45:57.58
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n193.htm 秋が深まるにつれ事態は深刻度を増していった。10月末には「中以下の難儀の者、当冬来
春に至り、飢えに及び候者」が多いことが予想された。人々は植え付 けなければならない
麦種子を食用にしてしまい、麦 蒔(ま)きもできない状況となり、藩では62石の「たね麦」
を貸し渡している。先に述べた姫島では10月27日、庄屋小右衛門が大坂に行き、「村中取
り救 い銀」を才覚したい旨願い出ている。困窮者は冬から春にかけて増加していった。
381 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 22:46:41.30
>>377 >だが、今夜はやめだ。
>家族一同で外食してきた。
>うんっまい!しゃぶしゃぶをたらふく食ってきたら、まったりしてしまってな
>今夜はお前ら「どう〜〜でもいいわ」
うらやましいね 美味しかったかい? 何処のしゃぶしゃぶ食べたの
383 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 22:53:22.35
>>382 >まあ、分かり易く説明したら「玉壁」ていうのは最高のモノであり
>金印より格が上つーことで、「玉壁」が最高のしるし、NO.2が我らが卑弥呼の
>「金印」ていうことにな〜る
に対して、なんで「金印」よりも「玉壁」が格上なのか?と聞いているのだよ
詳しく・よろしく
えええええええええええええええ まじで知らないの??? 全然話になっとらんというか〜おまえら名無し連中は私と議論する「器」じゃないよW もっぺん、図書館でお勉強して来いよW
385 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 22:58:58.72
>困窮者は冬から春にかけて増加していった。 この状況で麦が普通に収穫できるとも限らない。 しかし夏の間は、野山のもので飢えをしのぐことはできる。 一番の問題は、春の種まきができなかったり、種まきに参加しなかった、逃散した人々 その連中が渡来したと新羅で記録される。 大彦を越に派遣、4道将軍の派遣。チョウサンした民の農業復帰と種もみを食べつくした 民への種もみ貸付。異俗多歸。國内安寧。となる。 國内安寧のうらに、海外(九州)大変が隠されている。
なあ〜? ひとぶたさん W
388 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/26(月) 23:03:24.20
389 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 23:04:14.40
>>384 あらため だよん
本当は知らないのだろう・・・笑っちゃうね
390 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 23:06:03.25
玉璧って、横山光輝の三国志か史記で知ったなあ。 子供の時だ。
391 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 23:06:37.09
>>388 渡来人は朝鮮半島が飢饉だったから日本に来たという事か?
393 :
ひとぶた :2011/12/26(月) 23:10:00.56
>>386 ヤフオクだと「玉壁」が800円、金印そのままは出品無いが「金印風香合」っていうのが1000円で出てたよ。
あと、白銅鏡へのツッコミは任せた。
394 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 23:13:11.21
395 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/26(月) 23:14:17.87
>>392 そういうことでないですよ。
〜あれとは切り離して
宿主という男が言うに、
崇神5,6年の農民の飢饉が新羅192,3年に相当してるんだと主張してること
で、奴が言うに半島文献の192,3年に倭民が千人半島へ渡ったとあるんで
すが、それは千人の多勢の畿内人民が腹をすかして全員の渡海は出来
ないとコチラが否定、つついているわけです。
397 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 23:18:04.00
>>396 ドツボ
早く答えてくださいよ?なぜ「金印」よりも「玉壁」が格上なのか?
398 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 23:21:36.79
金印は実用品として地位を示すもので、 壁は美術品で、権威を示すもの。 一概にどっちが上とはいえないが、 史記に壁で国を売る話があったなあ。
>>397 なんで私が君達、名無しに一から十まで、何もかも教えて差し上げないといけないんだね?
もっぺん、図書館行って、お勉強して来いって言ってるでしょ。
それに、ここは自分が専門としているスレではないし〜
400 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 23:25:46.76
>>396 ドツボ
おいおい「金印よりも玉壁が格上」というものが君に常識としてあるんだろ?
ちと回答が遅すぎでないかい?それとも逃亡か?ま・いいけど・・
402 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 23:28:00.30
>>399 ドツボ
いい加減なこと言って偉そうにして回答できずに逃亡か?
かっこ悪いな
ドツボ、ドツボ、うるせいょWWW ねる ZZZ
404 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 23:34:41.05
>>403 ドツボ
ごめんね 意地悪なこと言って おやすみ
>>374 春の収穫期というものがある。天候不順が続き、
秋の実りが全く無い年の翌年、冬がいつまでも続き、
あるいは降水が皆無で、春に新芽が出ない年がある。
毎年、春の芽吹きは重要な食糧源なのだが、
春の芽吹きが無いと、ここで飢饉になる。
406 :
天才論客 :2011/12/26(月) 23:50:20.81
>>379 >私は玉壁とは何かを知らないから聞いているのである。
>玉壁が最高のモノだという根拠はどこにあるかを確認しなければ
玉壁にも格があって、天子が天を祀るときの神器が至上のもの。
王侯の身分を現す宝器であり、死者を天上界へ導く副葬呪具でもある。
疑問があれば、自分で調べて確認すること。
自分でしらべたことは自分の知識となる。
何でも参加者や発言者に問えばいいというものではない。
「そうではない」という反論ネタを自分で探そうというのでもいい。
その途中で天才のいっていることの正しさを自ずと知ることになる。
ここでいちいち、常識ごとを説明するなどご免だ。
407 :
日本@名無史さん :2011/12/26(月) 23:55:22.54
ま、知らないふりして回答聞き出して、それの綻びにケチつけようという姑息な考えてなんだろ
408 :
天才論客 :2011/12/27(火) 00:05:36.94
>>377 一発穴狙いの山師。
伊作、伊作とうるさいが、俺を叩くことで偉そな存在感を保とうという魂胆か。
目立つ奴を叩いてその上を行こうという怠け性根が見えてるぜ。
『倭人伝』の行程記録の一部をかじっただけで、「到」の我流解釈と「会稽東冶の東」という編纂者の所感と、
これに「インチキ図」をからめただけで、いっぱしになった気持で大口を叩くが、
これが「到」の読みに関する正論だ。とはいっても正視する了見はなかろうが。
↓↓
狗邪韓国と伊都国に「到る」。
明帝の詔書の中に、倭国が使者の難升米たちを「京都に到らしめた」「使節が還り到らば」。
この4回使われているが、4回とも到達する意味では共通している。
狗邪韓国は陸地の途切れた渡海の起点であり、
ここから「始めて一海を渡る」すなわち、一連の航海で最初の渡海が始まっている。
これが狗邪韓国に「到る」を使った理由だ。
伊都国は郡使たちの普段の目的地だから「到る」にしたものだ。
面白い実例がある。
▼『日本書紀』推古天皇16年
4月、小野臣妹子が使節代表の裴世清と12名の随員を伴って帰国。
(難波津の高麗館の上に迎賓館をつくるまで筑紫で2ヵ月ほど待機。
迎賓館の完成とともに難波津に入り、ここを定宿とする)。
8月3日に裴世清らが入京して倭王と接見。(8月16日裴世清らを朝廷でもてなす)。
9月11日、裴世清らが帰国。
やや半年にも及ぶ滞在期間中、入京(朝廷内に立ち入る)したのは1度だけである。
外来の役人とて、簡単には王都へ入ることはできない。
帯方郡の使者は伊都国を定宿としていたことから、彼らの目的地は伊都国になる。
1度だけ、魏本国からやってきた使節団は金印と詔書を携えて倭王の都に入っている。
これが伊都国に「到る」を使った理由だ。
これで、お前の我流言説の土台は液状化したわけだ。
にわか仕込みで偉そなマネはやめて、どこぞの・もといたカテでバカやってろ。
409 :
天才論客 :2011/12/27(火) 00:13:53.85
>>407 親の教育がよくてなー。
俺はオープンマインドな人間に育ったから、
いつも脇を甘くして発言すべきことを発言している。
俺の論説にほころびなどない。
俺は、論拠ら乏しい推論はそう断っていうし、
断定的にいう場合は相応の論拠と根拠がある。
まともな議論ならばとことん説明するだけの用意があるが、そんな相手はここにはいない。
ご覧のとおり、ほころびないから、意図的誤解まじりに
お門違いの誹謗やあられもない横車を押すんだ。そこが人気者のつれーところよ。
410 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 00:29:03.70
>>406 >玉壁にも格があって、天子が天を祀るときの神器が至上のもの。
>王侯の身分を現す宝器であり、死者を天上界へ導く副葬呪具でもある。
>疑問があれば、自分で調べて確認すること。
>自分でしらべたことは自分の知識となる。
礼記とか読んで調べてみたw
上記の説明じゃ100点満点中の20点と言うところだな。
玉壁・・・硬玉製の円盤で装身具、転じて威信財。
穀壁・・・爵位を示す瑞章の一つ(魏制下では子爵が持つ、侯爵以上は圭と言う角盤になる。)
卑弥呼の親魏倭王と言うのが魏制の爵位に該当するのかどうかわからんが、
王に値するなら鎮圭と言う最高位の瑞章を持つことになるな。
411 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 07:55:04.35
金印の上は玉璽であって、玉壁ではない。 印璽と璧は目的を異にするものだから、金印と玉壁は比較できない。
412 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 09:05:55.24
伊作爺は僕に論破され敗北した腹いせに 名無しで人格攻撃かw いい歳してほんと情けない。 素直に負けを認めて、サイトの論破された個所は 削除しときなさい。
413 :
天才論客 :2011/12/27(火) 09:19:57.33
>>409 >>410 てめえで客を惹きつけるだけの魅力もなければ、
話題になるネタを書くほどのオリジナリティもないタコどもが、
他人がまいたネタに横づけして、知ったふりのにわか衒学。
てめえら。
バス電車の中でも職場でも、「よりすがり人生」してるんだろうな。
>>413 >バス電車の中でも職場でも、「よりすがり人生」してるんだろうな。
わかりにくい。
だれかどういう風に落ちているのかおしえて
415 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 09:48:07.35
万二千余里も具体的な数値ではなく抽象的数値だろう。 洛陽ーーーーーー→帯方郡 ↓ ↓ ↓ ↓ 会稽ーーーーーー→女王国 この図式で洛陽から会稽までが万二千余里であり、 その東に女王国がると陳寿は認識していたので、 帯方郡から女王国まで万二千余里に設定しただけだろう。
>だけだろう 妄想にはもう、うんざりです。
>てめえで客を惹きつけるだけの魅力もなければ、 イサクは客を惹きつける魅力というより 叩かれ役のピエロだな。
体当たり芸人? よごれ?
419 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 10:14:01.66
混一地図と、倭人伝の記述から古代中国人の地理観を 鑑みるにこれが正しい。万二千余里は西の大月氏と対比した 抽象的数値。
420 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 10:15:55.39
421 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 10:25:23.07
>>420 >>411 にも書いたように、玉壁は金印と比べるようなものではないので、
>金印より格が上つーことで、「玉壁」が最高のしるし、NO.2が我らが卑弥呼の
>「金印」ていうことにな〜る、その次が「銀印」だよーん
と、あらため氏が思った理由は調べても知りようがない。あらため氏に聞くしかない。
422 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 10:30:47.93
海部氏系図の評価低いなw 日女命(ひめみこと)と卑弥呼の名前が入ってるし 倭迹迹日百襲姫命と卑弥呼とほぼ同時代の人物で、 かつ日神と天照大神の名前まで入ってるってのにw 箸墓説話も6世紀以降の作り話だろう。 3世紀に箸など存在しないよ。
423 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 10:45:28.65
>>421 あらためだよんという男は八幡神を論じたサイトではまじめな調子で書いている。
しかし2chは遊びの場だと心得ているのかおちゃらけモードである。半分人をなめているとしか思えない。
>混一地図と、倭人伝の記述から 混一地図を持ち出した時点で妄想確定。
>日女命(ひめみこと)と卑弥呼の名前が入ってるし 倭迹迹日百襲姫命と卑弥呼とほぼ同時代の人物で、 かつ日神と天照大神の名前まで入ってるってのにw だから 根拠が語呂合わせと妄想だけしかない話などうんざりだ。
426 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 11:08:53.43
タン耳・朱崖やら会稽の東冶も東やら、 陳寿の地理認識は倭国は実際よりだいぶ南にあると 認識してるのは間違いないんだし、 混一地図のほうが間違いだと考えるのは現代人の認識で考え過ぎだ。
自説に都合のいい資料なら吟味せずに採用するという不誠実さを感じるね
428 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 11:13:29.46
429 :
天才論客 :2011/12/27(火) 11:14:44.51
●2011年のおわりに。 倭人と倭国の外交対象はあくまでも中原王朝であって、 中原が不安定な間は殻を閉じた貝のように、50年、130年と頑に大陸との接触を絶つ。 邪馬台国時代以降、どれが禅譲を受けた正統王朝かも分からないほどの、 5胡16国の争乱の長いトンネルを抜けたあと中原をまとめた宋朝に外交をしかけたのは、 あろうことか、中国名を名乗る男王たちだった。 俗にいう「万世一系」というものがあるとすれば、それはここから始まっている。 ……なぜならば。 王が死亡したり後継者不在の間も、国家組織と体制と国家経営の人材は存続する。 卑弥呼もその一族の女子とされる臺與も、 国家を支える有力者たちの合議によって「苦肉の策」として担がれたリリーフ役だからだ。 (卑弥呼が倭国支配層に連なる女性だった可能性は10%あるか否かだろう)。 それでは、倭王臺與から倭王讃に至るまでの見えない空白の世紀に 一体どのようなことがあったのか。 実は、日本における古代史の最大の検証課題はここにある。 ……だが現状は惨憺たるもの。 邪馬台国までの行程議論と所在議論に埋没する小者や姑息者や、 卑弥呼、卑弥呼でトチ狂った真性オタクはまだ無邪気なほうで、 邪馬台国を私利に利用し研究・検証の足を引っぱらんとする一派と、 これに連なる末端人材の悪辣な攻撃とプロパガンダ活動に、 独善我流で穴狙いの言説を吹く山師どもまでが入り乱れてカオスの世界を構築し、 一歩も前に進まず、本来やるべき検証課題に着手するにはほど遠い現状にある。 ……そこで、古代史オタクの卑弥呼熱病患者たちに、この天才が冷や水を浴びせた。 卑弥呼は「鬼道を身につけた」大陸からの渡来人か、 残るかすかな可能性としては、倭人語を話せない隼人族の女性だった。 卑弥呼は倭人ではない。このことはすでに明確な思考順路と論理でもって説明した。 卑弥呼熱病シンドロームとは無縁の、 スマートでクールな論客が登場すれば、来年、また会うことがあるかも知れない。
>>408 お前はよ「無視」という言葉の意味を知らんのか? プ
無視すると宣言したら、何を言われても無視しなきゃ無視にはならねえぜ。
こらえ性がないと言うか耐性がないというか、まあいかにもへタレらしいけどな ワラ
>一連の航海で最初の渡海が始まっている。
これが狗邪韓国に「到る」を使った理由だ。
それ、前にやった俺の説明 ワラ
>伊都国は郡使たちの普段の目的地だから「到る」にしたものだ。
先遣調査隊の目的地でもあったから「到」なんだよ。
観察記述では引用元が違う別章で書かれてるからOKなどと愚論を言い
距離表記の切り替えはスルーで答えられない。
金印、詔書他、かなりの量になる土産まで持って対馬や壱岐に道草する理由もない。
ないっていうか、こんな危険なことはやるわけがない。
魏志倭人伝に書かれている国、行程紹介は先遣調査隊のもので、彼らは伊都国までしか行っていない。
伊都国に近いところに邪馬台国があればこんな馬鹿なことは絶対になく
必ず邪馬台国まで行っている。
倭人伝冒頭の国、行程紹介で九州に邪馬台国がなかったのは明白なのよ。
431 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 11:20:35.88
ごろ合わせというレベルではなくそっくりそのまんまじゃんw 日神とは天照大神のことだし、天照大神の別名が大日女で 大は敬称なので、日女。つまり太陽神に仕える者という意味だ。 これもごろ合わせじゃなくそっくりそのまんまじゃん。日女命なんだし。
>>429 熊本に邪馬台国を持ってくることがテーマの馬鹿が偉そうに プププ
>独善我流で穴狙いの言説を吹く山師ども
卑弥呼帰国子女説がそれな、自己紹介か ゲラ
433 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 11:25:03.21
>>429 >伊作爺
景初2年の証明もその卑弥呼の正体もすべて論破したのに
まだ言ってるのかw
卑弥呼が太平道極めた渡来人なら、当時の倭国はカルト宗教の女を王として
衆を惑わす気違い宗教国家ということになるなw
そのような国を魏は冊封したのか。
>混一地図のほうが間違いだと考えるのは現代人の認識で考え過ぎだ。 妄想もここまで重傷になると 現代地図より混一地図の方が正しいらしい。 もはやカルト。
435 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 11:30:07.91
>>434 しっ、相手にしてはダメ、枯れてなくなるまで待て
>>429 ここにもくだらない妄想家がいた。
>スマートでクールな論客が登場すれば、来年、また会うことがあるかも知れない。
クズはもう来るな。
>一連の航海で最初の渡海が始まっている。 これが狗邪韓国に「到る」を使った理由だ。 アホ−が二匹。
438 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 11:33:02.65
さようなら伊作先生 今年最後にいい事があったなw
頭に血を上らせた顔真っ赤名無しが、俺がやってるのは「比定」ではなく「否定」と言ってたな。 これ九州説と畿内説の不毛なののしりあいを指して「比定」ならぬ「否定合戦」と俺が言ったことだ。 まあ、それはいいが 俺がやっているのは「否定」ね、その通りだ。 邪馬台国を比定するには一番の大元の根拠にしなければならないのは倭人伝だ。 ここから九州説も畿内説も否定できるということを俺は論じている。 じゃあどこだと比定できるのか、といわれればピンポイントでは出来ない。 倭人伝からは大まかな地域しかわからない。 便宜上ピンポイントで富山や八幡平を出しているが、これは話をわかりやすくするため。 俺がやっているのは「魏志倭人伝は九州も機内も指していない」を主張することだ。 考古学的なものにやたら重点を置く奴も多いが、これもなってねえよ。
440 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 11:36:10.25
いまだに混一図を論拠にする奴がいたとはね・・・ あきれたわ
441 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 11:38:52.16
どんなにリキんでも「ああそういう解釈もありますねぇ」としかならない これがわからん奴は馬鹿
442 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 11:42:40.68
ハ,,ハ ( ゚ω゚ ) 夢幻如と19歳某国立大生の出現 ,べヽy〃へ 謹んで ハ,,ハ / :| 'ツ' | ヽ お断り申し上げます ( ゚ω゚ ). o |=宗=! o | ,くリ=ッ=[ゝ.__」「「「「L_.」 じ(ノルハ)Jつ」」」」」⊂ソ.,
443 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 11:43:29.13
ハ,,ハ 夢幻如と19歳某国立大生 ,,_( ゚ω゚ ) お断りします ノ フ / / / / ω__ノ_/ " ̄/ l " / .| (__ノ 彡
444 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 11:44:58.84
_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_∧_ |夢幻如と19歳某国立大生 | < お断りします > ☆ ピコピコ |_ _ _ _ _ _ _ _ _ _| ☆ コロン . ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ∨ ______ \| (___ ♪ |\ `ヽ、 デケデケ ♪ ♪ | \ ♪ \ ☆ ♪ ハ,,ハ | \ 〉 ♪ ヽ ( ゚ω゚ ) .| ♪ \ / =≡= ハ,,ハ ☆ ♪ ‖ / つ| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ノ / 〃( ゚ω゚ ) / ∬ ‖( 匚______ζー―ーrー´ 〆 ┌\と\と.ヾ∈≡∋. ハ,,ハ |⊂ 〓〓UU ‖ ハ,,ハ || || γ ⌒ヽヽコ ノ || ( ゚ω゚ ) ノ ‖ヘ ボンボン ☆ ‖ ‖. ‖) ( ゚ω゚ -┓ || .|| ΣΣ .|:::|∪〓 || | ( ‖ ) ボンボン ♪ ◎ l つ.| ‡ ◎ ./|\人 _.ノノ _||_ /|\ |つ━)━╋(━ ヽ | ¶.@ ♪ ドムドム. (__ (__( ∬ .) UU し′ ダダダタ! ⌒†⌒ ☆ ☆ ブ-ブ- ♪ ♪ ☆
445 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 11:45:45.75
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | お断りします | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |__| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|りします | ∧| お断りします |____| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ぞろぞろ・・・・・ . . ( ゚ |_______|. || | お断りします | / づΦ. ∧∧ || ( ゚ω゚ )|| |_______|ぞろぞろ・・・・・ . ( ゚ω゚ )|| / づΦ ∧∧ ||  ̄ ̄ ̄| / づΦ ぞろぞろ・・・・・.( ゚ω゚ )|| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| り | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| / づΦ. | お断りします | _| お断りします | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |_______| |_______| | お断りします | ∧∧ || . ∧∧ || |_______|. ( ゚ω゚ )|| . ( ゚ω゚ )|| . ∧∧ || / づΦ / づΦ ( ゚ω゚ )|| ぞろぞろ・・・・・ / づΦ
446 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 11:46:13.35
混一図と全く同じ地理認識だったかはわからんが、 現代人と同レベルの地理認識があったと考えるのも早計だろう。 南も東を兼ねるんだし、対呉牽制のために南と表記した可能性もあるし、 考古学的にみてもう邪馬台国は畿内でほぼ決着してるんだから、 そう解釈するしかないだろう。むしろまだ九州だ東北だと言ってるやつのほうが ただの古代史オタク臭くて気持ち悪いw いかにもオタク心理で、専門家と異なること言って古代史通気取ってるだけ。
447 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 11:47:42.39
/::::::::::;:ィ::::::::';:::::::::::`ヽ::::::::::::::ヽ ,'::::::;':::/ l:::i::::::ヽ:::\:::::::';:::::::::::::::', i:::l::::i:/ ';:::';:::::::',\::ヽ:::::::::::☆::: l::l::;イ__, ヽ、ト、::::ヽ、\:',ヽ〃l:::::: ';l l::l ` ‐- l:::::l:::::: こ、ここ、これ読んで下さいっ! l::::l == 、 ,.ィ== l:::::l::::::::: l:::::li //////////// l:::::l:::::::::: , -ーl::::lヽ、 r....::´`ヽ /l:::;'> 、::::: , -ー 、'´`ヽl::::l// ` ‐-r‐ァ' ´ ,':/ー、 '; / , ノ ` l::::l li /ニく /⌒ヽ \.i , └ '´  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / ノ__ ', ,イ: / \ (⌒⌒) , └ '´ / i/ / ヽ / ー ' / /,.イ ∠ __ / / /  ̄ ̄ ̄プ ー r── -------/-‐'´ / | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | | | | / 夢幻如と19歳某国立大生 /_____ / お断りします / // / ハ,,ハ / / / / ( ゚ω゚ ) / / / / ____ / / / / / / / / / / /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ / /
448 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 11:52:19.03
>>446 おまいのせいで名大みんな馬鹿と思われるだろ
いまさら「混一彊理歴代国都之図」を否定しなくてはならないのは九州説の阿呆だろう。 地図が出鱈目なのは言うまでもないが、それが古代中国の日本観だったんだからどうしようもない。 馬鹿伊作が文献では東に行った記録はいくらでもあるとほざいていたが 現場と中央は違うと前に説明したとおりだ。 日本(倭国)に来た者は当たり前で正確な地理情報がなければ目的地にすらいけず仕事にならない。 その現場の人間の正確な地理情報は当然中央にも伝わる。 そのいくつかが文献に記録されることになるが、それだけなのよ。 東とすべきところが南のままのものと混在することが中央(王朝)の日本への関心の薄さの証明だ。 地理で相反する二つの情報があった場合、そこが重要な地域なら情報は整理される。 当然正しい情報に統一される。 だが、関心がない地域ならどうか?現場の人間がもたらした情報もいい加減に扱われるだけだろ。 どうでもいいところの情報は、どうでもいいんだよ。 古代中国にとって日本は「どうでもいい」に限りなく近い関心が薄い国だった。 馬鹿伊作が倭国発見は一大事だの倭国調査は文化事業だの、ありえない。 その証拠がまともに日本を描かれた地図がまったく存在しないことだ。 地理とは究極的に言えば「正確な地図を作ること」だ。 これが日本に対し中国では一切されていない。関心が薄い国だったからだ。 古代中国王朝の地理観は間違いなく「混一」的な地理観だった。
450 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 11:56:35.24
451 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 11:57:30.01
ここの書き込みみてると みんなその名大レベルもないようなアホばっかっぽいんだがw 高卒とか三流私立文系卒とかそのレベルとみた。 まあたいして知能指数高くない爺ばかりだろう。 知能指数高ければそもそも邪馬台国問題など不毛だからスルーするはずだしなww
452 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 11:59:47.75
この期に及んで昆一かよw 畿内説も東北説(w)もつらいねぇ。
453 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:01:48.08
スペースの都合で日本を縦に描いただけだろ
454 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 12:05:18.79
九州説などいまだに言ってるのはオタクくらいだからww てか邪馬台国問題などもうほぼ終焉してるから。 だって畿内でもう揺るがないよ。どっかの馬鹿が勝手に 邪馬台国をやまたい国と読んで、かつ陳寿が曖昧な書き方したために アホなオタクが九州もありうると勘違いしちゃっただけで 最初から邪馬台国は大和のことだよ。
話が飛んだな。 考古学的調査からは絶対的な情報は得られない。 99の発掘で得られた考察からの結論が、一個の新たな発掘で覆ることは常識だ。 三内丸山遺跡がまさにそれだった。 邪馬台国に関すると言われる九州、畿内の数多くの発掘で色々言ってるものが これから発掘されるもので一挙に無駄になる可能性の方がはるかに高い。 考古学的調査は重要だし意味があるものだが、それをすべてとするのは危険。 危険と言うより馬鹿だな。 俺が小学校の頃は銅鐸文化圏と銅矛文化圏のことが社会の教科書に載っていたが これは仮説としてではなく、「こうだった」と確定的に書かれていた。 これがその後の発掘で覆ったのは知っての通り。 古墳にしたって発掘されていないものの方がはるかに多いはずで 限られた発掘からのみで何かの結論を出すのは愚挙でしかない。
456 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:05:47.82
近い年代のまともな地図もあったんじゃなかったっけ?
457 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:08:56.29
九州説はもはや論破した。何回も確認したよな プ 九州説の多くが頼りにする「万二千里」も実距離を表さないことは証明した。 これははっきりと証明したわけで推論じゃない。 倭国に渡り倭人伝に記された国、行程紹介の報告書がそれを証明している。 ここは必要なら何回でも語ってやるぜ。 九州説は終了。 次、畿内説否定だな。
459 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 12:12:46.72
結論は大和なんだし、答えから逆算すると、 南は実質東なので対呉牽制でそう書いたか 混一の地理認識だったかでいいだろう。 伊都国から水行30日で大和にいったはずなので 陸行一月は吉備〜大和間の日程で伝聞で聞いたものだろう。 獣道を一月もかけて魏使が重い荷物持って歩くわけない。 末櫨〜伊都までの陸行は魏使が歩んだのとは別の記録だろう。 女王国まで万二千余里も抽象的な数値ととらえるべきだ。
460 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:14:02.56
461 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:15:27.68
この勝負、思い込みの強いほうが勝つ。
462 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:17:50.95
東北の勝ちだな 畿内はトンデモだからなw
463 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 12:19:56.94
世界史選択だし、教員免許も世界史でとる。 やっぱ日本史はオタ臭い。
464 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:22:03.85
アホか 自演だよ
夢幻如=19歳 いいかげん察してやれや
畿内説では方位は「混一」的地理観を肯定だろう。 倭人伝に書かれている国、行程紹介は連続読みも肯定だろう。 ここで投馬国が邪魔になる。 北九州から畿内までの途中に「水行二十日」もの投馬国がなければならない。 ねちねち小僧(19歳)は吉備と言い、顔真っ赤名無しは出雲だと言った。 ともに延喜式の大宰府から畿内までの船行で「水行三十日」を根拠にしている。 俺は延喜式を読んだことがないので想像するしかないが 途中で何かをやりながらか、あちこちに立ち寄らない限り「水行三十日」は成り立たない。 よほど呑気な物見遊山でも三十日はかかるまい。 具体的に出雲と吉備を投馬国にはなりえない証明を試みよう。 北九州から出雲まではおおよそ300km ここを水行二十日なら一日あたり15kmしか進まないことになる。 吉備でも似たようなものだ。北九州から岡山市までは約350〜360kmくらいか。 一日辺り18km程度。 15kmにしろ18kmにしろ一日船を使っての移動で、こんな短距離になるはずがない。 この当時で魏からの使者は海路50km以上を一日で航海しているんだ。 これで延喜式を根拠にした出雲も吉備も成り立たない。
468 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:25:38.38
自演と言ったら夢幻如
469 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:29:06.46
畿内説押されてます。 迷大逃亡か?
470 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 12:29:37.06
延喜式言うなら平安時代の北九州の人口は42万人だ。 なのに3世紀の邪馬台国時代の戸数が倭人伝に出てくる対馬〜邪馬台国までで 15万戸、1戸平均4〜5人で60万〜75万人だ。 3世紀のほうが600年後の延喜式ができる平安時代の倍近くの人口がいることになるし この時点で九州説がありえないこともわからんようではだめ。
471 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:31:29.10
おや?粗大ゴミの森村伊作とうとう片付いたのか?めでたいwwwwwww で、最近沸いたゴミの 無限尿 とか言う阿呆の立ち位置ちをはっきりさせておこうか… この阿呆の説…と言うのもおこがましい与太話の眼目は他説(畿内説・九州説)の否定にある。 なにせ東北説といっても場所も定かではないし、そのクニの姿を描き出すような材料も出てこない(時代背景とか思想とか何処へ行った?w) だったら他の選択肢を潰して「それしかない」と言うところまで持っていかねばならない。 とりあえず畿内説・九州説を否定できれば後のことが如何にいい加減であろうがそれでほぼ自説が証明されたような物…という目算なんだろうが。 そもそも他説の否定に成功しているわけでもない。 混一疆理歴代国都之図にしても「そう言った地理観”も”ありえる」という話で「そう言った地理観”しか”ありえない」と言う話ではない。 行程記事の南が確実に間違っていると言う保障にはならない。 日数にしてもそれを距離に換算しうるものとせず「実際にかかった日数」とした場合、例えば天候不順等々で足止めがあった可能性もあるだろう。 その場合距離はこの馬鹿が考えているより相当短くなる。 その可能性をどうやって排除できるのか? 放射説だって例え筆者の陳寿の意図がどうあれ元資料がどのような物か分からなければ可能性を排除できない。 その他諸々大盛り特盛りてんこ盛り…で「ボクだけのすなお読み」に用いられるカスタマイズパーツは数あるのだろうが それを悉く排除できて初めてこいつの与太は成り立つ。 結局この阿呆のほざいている内容は行程記事を「こう言う風に”も”読める」と言うことだけで 要するに無数にある「すなお読みの」中の一つに過ぎない。 そう言う構図がここのゴミクズレベル九州説だった分けだが、それを否定する対象を畿内説のみならず九州説にまで広げた …つまり量的に少し拡充しただけの与太がこの 無限尿 と言う馬鹿のゴミクズレベル東北説。 少しばかり風呂敷の広げ方を大きくしたところで所詮ゴミはゴミ。 他説の否定のみが生命線…と言うことであれば九州説より更に劣化しているとも言えるか?w
日本海側にしろ瀬戸内海側にしろ「水行二十日」は近畿地方を通り過ぎる。 しかもそれは投馬国で邪馬台国ではない。 邪馬台国は投馬国からさらに「水行十日陸行一月」南に(つまり東ないし北)に行った先だ。 近畿圏などはるかに通り越してしまう。 これが魏志倭人伝に書かれている内容だ。 魏志倭人伝は「邪馬台国は内にない」と書いてあるようなものだ。
473 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 12:37:30.58
3世紀など舗装もなにもされてない獣道を一月歩いて 東北まで行くわけないだろww 現代の感覚で考え過ぎだって。そんな都合よく街道など 整備されてないよ。
おうお、顔真っ赤名無しか ワラ
>>471 >(時代背景とか思想とか何処へ行った?w)
中華思想からの周辺国蔑視、そこから来る日本観を行ったのが理解できない馬鹿だよな プ
>そもそも他説の否定に成功しているわけでもない。
九州説は完全完璧に否定に成功してるが、何か ワラ
これから畿内説だ。
>「そう言った地理観”しか”ありえない」と言う話ではない。
古代中国王朝では「そういった地理観しかありえない」んだよ、馬鹿頭。
中華思想がわかれば当然の結論だ。まともな地図がないのがその証拠。
馬鹿相手はこれくらいでいいよな ワラ
475 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:39:46.56
>>455 無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説)
>99の発掘で得られた考察からの結論が、一個の新たな発掘で覆ることは常識だ。
別にお前みたいな阿呆に諭されずとも少なくともここの畿内説の人間なら分かっていることだ心配するなw
ひっくり返ったらその時に考えれば良い。
そんな事を言ったら凡そ学問なんてどのジャンルでも成り立たない
「科学とは反証可能な仮説体系」
と言う言葉を借りれば物理の教書も断定的な文章では書けないことになるし
文献にしてもそれまでの通説をひっくり返す物も出てくる可能性は常にある。
まあ次に出土する一つがそれまでの99から推定されている内容を更に補完するものである可能性もあり
確率からすればそっちが高いwww
>>475 わかっているなら考古学的なものを絶対視するな、顔真っ赤馬鹿 ワラ
考古学的考察は限定的情報しか得られないことを肝に銘じな。
477 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:51:01.39
とりあえず、ここで一服。 今夜から年末年始無関係で俺は2日まで連チャン仕事だ。 貴重な今日の昼間を2チャンだけで潰すわけには行かない。 貴重なオフをしゃぶしゃぶ食ったくらいで済ますわけにはいかんのよ。 出かけるんで空くぜ。
479 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:54:02.79
>>476 無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説)
はて?
いつ俺が考古学を絶対視したのかな?ゴミクズ。
お前は考古学は自分に不味いから全否定して
文献史学者が匙を投げている行程記事からの読み解きができると
倭人伝を 絶 対 視 している阿呆だと言うのは分かるがwwwwww
480 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/27(火) 12:57:39.38
君らの説は一長一短がある。私が正解を教えよう。 1 倭人伝記載の邪馬台国は大和である。二十日、十日、一月というのは修辞であって気にする必要はない。 南とあるのは日本列島が南北に延びているという認識があったため。 2 卑弥呼は朝鮮にいた。これは別のスレで論じているから再説しない。 3 日本に来たのは帯方郡使ではない。行程記事は民間の交易商人か旅行者等から得た情報である。 4 女王は邪馬台国に都す、というのは陳寿の思い込みであって、誤記事である。 その理由も別スレで再三述べているので再説しない。3の理由も別スレで述べている。 今のところ私の説は珍説と思われているようだが、そのうち、無視できない有力な説の一つとなるだろう。
481 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 12:58:08.92
一度 無限尿 とかいうゴミクズ以外のゴミクズレベル九州説のアホどもにも素で聞きたいんだが・・・ お前らのアタマの中には 「行程記事の読み解きで邪馬台国の(畿内・九州・東北といった大雑把なレベルですら)位置は分からない」 …と言う解答の選択肢はないんか?wwwwwwwwwww
482 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 13:02:56.37
ちょっと調べれば「混一〜」が畿内説(及び東北説)の論拠になり得ないのは明らかなのに・・・
483 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/27(火) 13:07:10.32
君らは行程記事等で論じているばかりだからだめなのである。 卑弥呼が短期間に何回も魏や帯方郡と通行した。そのうちの一回は軍事支援要請であった。 よく考えてみたまえ。遣唐使ですら7年に一度の派遣であった。しかも遣唐使船はしばしば沈没した。 このことから考えて、卑弥呼大和王説は消える。 卑弥呼九州内陸部王説も苦しい。そんなところからわざわざ魏に行くはずがない。 残りは九州北岸か朝鮮である。朝鮮の可能性が最も高い。
馬鹿だな わかると思ったからこの道に入ったんだろ その質問はレーゾンデートルを問うてるようなもんだ
485 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 13:23:40.60
>>483 卑弥呼は朝鮮にいた
はっきり言ってウザイわw
>君らは行程記事等で論じているばかりだからだめなのである。
そもそも今時行程記事の読み解きで位置論争に決着できるなんて考えているのは
九州説の一部(と思いたいw)やこの板じゃあ加えてゴミクズレベル東北説をほざいている無限尿ぐらいだろう。
大体行程記事が実際に卑弥呼の下にまで赴いた魏使の報告書によって書かれていると信じて疑わないなんて奴の方が俺には信じられないw
あと…
>しかも遣唐使船はしばしば沈没した。
遣唐使船がたびたび遭難に遭う様になったのは半島との関係が悪化して東シナ海を横断するルートを取らざるをえなくなたからだ。
無論玄界灘とてノーリスクではなかったろうがその辺分かって書いてるか?
486 :
sss :2011/12/27(火) 13:33:49.19
>>481 白紙の状態から邪馬台国の場所を探そうと思ったら、倭人伝の行程の記事を考えざるを得ない。
というか、これ以外の方法でどうやったら邪馬台国の場所を探せるのかわからないと言ったほうがいいかも。
結局、倭人伝の行程の記述が当てにならないというのは、その記述通りに進んでは自分の邪馬台国に
たどり着けないと言っているのに等しい。
個人的には、狗邪韓国から対馬・壱岐を経て末盧国に至り、東南陸行五百里で伊都国。
この時点で、郡使一行は、有明海を目指しているとしか思えない。
奴国・不弥国を経て南に水行で、有明海南下が確定と思っている。
だから、福岡県南部・熊本・宮崎しか候補地は思いつかない。
一大率を北部九州において、諸国を検察する必要性があるのも、邪馬台国が北部九州になかったからであり、
その意味からもこれらの候補地には妥当性があると思っている。
487 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 13:37:13.35
>>486 sss
なんか久しぶりに遭遇したな無論全く嬉しくも無いがw
>その記述通り
で暗号解読ゴッコに興じている皆が皆、自分こそが「その記述通り」に読んでいると言っているわけだがwwwww
488 :
sss :2011/12/27(火) 13:46:12.10
>>487 ジョーカーも早く九州説に宗旨替えしたほうがいい。
お前がいくら頭が良くても、ディベート力があっても畿内説はしょせん石器集団。
装備が弱すぎるから、最新鋭の鉄器集団・九州説には絶対に勝てない。
489 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 13:57:41.96
>>488 sss
仮に俺が
「今までの事を悔い改めて九州説に改宗します」
と言って九州の何処を比定地にすればいいのかな?
”九州説”なんて一口に言っても福岡平野と人吉盆地じゃあその成り立ちから
歴史における意味合いまで全く違うぞ?w
そして選ぶ時の基準は?
九州説なんて俺に言わせれば現状”非”畿内説に過ぎない。
つうか…
>最新鋭の鉄器集団・九州説には絶対に勝てない。
いまだに「無敵鉄器軍団」の幻想に囚われているのか?
お前のアタマが石製とちゃうんか?wwwwwwwwwwwwwww
490 :
sss :2011/12/27(火) 14:09:13.58
491 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/27(火) 14:14:28.67
ジョーカーがいくら紀無いだと頑張っても、記紀は紀無いに卑弥呼はいないから 記載しませんと言い張っている。神功39年のは倭人伝の借用だし、朝廷の書庫には 卑弥呼の情報はありませんと記紀は主張しているの同然。 神功39年の記事があるんじゃ、到底卑弥呼隠匿説は成立いないし、19歳の妄想男 が頑張っても隠匿ではないことが自明だな。仮に他人が挿入したというなら、 当然隠匿したいんだからそれを即 退くつまり削除するだろう。しかし削除は なされていない。 おまけに隠匿するより都合のいい方法があるわけで、大陸側を属国扱いにしての 記載は軽く可能だ。よって隠匿はない。このことは卑弥呼が紀無いにいなかっ たわけで、当然卑弥呼が九州所在だったことを物語る。 百襲媛の即位記事も記紀には無い。つまり彼女は女王ではないから、卑弥呼には ならない。
492 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 14:58:31.44
邪馬台国って温暖で鉄鏃があって絹があって矛があるんだよね。 埋葬するときは槨の無い塚を造って棺に入れて埋める。 女王国の北に一大率をおいて一大率はいつも伊都国にいる。 畿内にあてはまる事なんて一つもないじゃん。 箸墓の年代や三角縁神獣鏡の問題以前に畿内説はなりたたないみたいね。
とっくに論破済みの九州説を語る馬鹿がワラワラと プ
こいつらは後だ。
>>477 ここでいう「混一〜」は龍谷大学所有のものだな。
これは1402年に作成されたというオリジナルを朝鮮で写本したものとされている。
本光寺所有のものは江戸時代に日本で写本されたものと言われ
東海諸国紀に収録された地図と類似していることから情報が更新されたものと言われている。
類似地図では本妙寺所有の物、天理大所有の物があるが
これは中国が「元」から「明」に変わっていて、それぞれ「大明国地図」「大明国図」と言う。
当然情報は更新されたものになっている。
つまり竜谷大所有の「混一〜」地図が最も古く、オリジナルを忠実に写本されたものと見られるわけだ。
オリジナルは現存していないがね。
>>486 >白紙の状態から邪馬台国の場所を探そうと思ったら、倭人伝の行程の記事を考えざるを得ない。
というか、これ以外の方法でどうやったら邪馬台国の場所を探せるのかわからないと言ったほうがいいかも。
結局、倭人伝の行程の記述が当てにならないというのは、その記述通りに進んでは自分の邪馬台国に
たどり着けないと言っているのに等しい。
ここまではまったく正しいが、それでなんで熊本や宮崎だ、頭大丈夫か ワラ
九州説は既に葬り去った。お前が反論するか?
卑弥呼は朝鮮にいたという奴は、どうでもいいわ ゲラ
>>479 倭人伝を 絶 対 視 している阿呆だと言うのは分かるがwwwwww
方角も距離も間違いとしているのに
倭人伝を 絶 対 視 していると言えるのか、アホ。
496 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 15:45:09.09
>>493 龍谷図は行基図を挿入したもんだって事で結論出てるよ
畿内説の俺でも根拠に採用せんわ
馬鹿伊作は倭国発見は中国にとって一大事で特筆大書すべきことのように妄想し 倭国調査は文化事業だとまでほざいている。 国を挙げての文化事業ならまともな地図くらい作りそうなものだが、これはない。 正確な地図を作ろうと思えば情報はいくらでもあったにも関わらずだ。 こいつが文献では東に行っていると記されたものが多数あると力説するほど 古代中国王朝の日本軽視が証明されるだけなのよ。 それだけの情報がありながら、なぜ日本をまともに記した地図を作成しなかったか? 徐福伝説から言われる「三つの島からなる」という固定観念を いくら新しい情報が入っても変えなかったことを「混一〜」地図は示している。 中央にとって、どうでもいい国の情報は「どうでもよかった」ということだ。 中国は周辺国を蔑視する中華思想の国だということを忘れるな。 その周辺に対してもシルクロードがある西には高い関心を示すが 海しかない東になんぞ関心がなかった。 東夷調査に大いなる力をかけたとか重大視していると記録されてるのは当然で 「いい加減に考えてます」とは書かないだけの話。 何か新しいことをやる時に予算もろくにつけなくても「我々は大いに期待してます」 くらいのことはどこでも言うだろ。あれと同じよ。
498 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 15:54:37.46
499 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 16:03:21.55
オラが村東北説vs売り奈良畿内説w
>>498 それ、明らかに九州説者の解説じゃねえか ワラ。
龍谷大所有のものは「スペースの関係で南北が逆転した」てか、ありえねえ〜。
龍谷大所有のものは前述通り類似地図に比べて最古のものだ。
これは
>>496 が言うように行基図も構成要素には言っていると見られている。
・声教広被図
・道士の清浚による「混一彊理図」
・無名の朝鮮地図
・行基図
この四つが構成要因と言われている。
でな、日本製の行基図の要素が入っていようがいまいが関係ないのよ。
これが作られたのは15世紀だ。当然3世紀の古代中国の頃より情報は更新される。
だが決定的なことは変わっていない。
南北逆転が都合悪い九州説者はスペースの関係だと言い張るが
行基図の要素が入りながらも尚且つあの地図は三つの島を日本としている。
四国がまともに書かれてないんだよ。本州と陸続きだ。
これは上で言った徐福からくる。
いくらでも情報があり、その後より正確な地図も参考に出来、実際していてあの地図だ。
いかに中国が日本を軽視していたかの証明にもなる。
古代中国人は南北逆転を信じていたと見るべきだね。
さらに後代になる江戸時代に日本で写本されたとする本光寺所有の物は
古代中国の地理観を探る手がかりにはならない。
訂正
× これは
>>496 が言うように行基図も構成要素には言っていると見られている。
○ これは
>>496 が言うように行基図も構成要素に入っていると見られている。
× 古代中国人は南北逆転を信じていたと見るべきだね。
○ 古代中国王朝は南北逆転を信じていたと見るべきだね。
まあ「信じていた」というより「どうでもいい国の地理などどうでもいい」から
徐福話を「それでいいじゃないか」にしていたんだろう。
単純な話だと俺は思うぜ。
朝鮮半島の南東に北九州を玄関口にする倭国がある。国はその奥に広がる。
中国から見て南に玄関口がある国の「その奥」はさらに南と認識しただけだろ。
深く考えてなければ自然な考えだ。
あ〜あ、
>>492 の書き込みで、
無限尿も69歳も朝鮮馬鹿も木端微塵だったな。
3人とも、100%完全論破されちゃったよ。
記紀では仲哀天皇が筑紫や下関に居住して執務をしていたと書いてあるが 九州説の人は、これをどう説明するの?
504 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 16:55:54.71
\ ヽ ! | / \ ヽ ヽ / / / 夢幻如お断りだああああああああああぁぁぁ!! \ | / / ,イ  ̄ -- = _ / | --''''''' ,,, ,r‐、λノ ゙i、_,、ノゝ -  ̄ ゙l ゙、_ .j´ . .ハ_, ,_ハ (. ─ _ ─ { (゚ω゚ ) /─ _ ─ ). c/ ,つ ,l~ ´y { ,、 { < ゝ lノ ヽ,) ,
初期の天皇の多くが九州系でしょ。 文武天皇あたりが最後かな。
506 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 16:57:20.45
≡≡≡ ≡≡≡ ハ,,ハ 夢幻如なんか おことわり〜♪ / ̄/ (゚ω゚ ) /─ ハ ハ ハ ≡≡≡≡≡ ノ[ ̄]ノo \二⊂ノ ノ _ ≡≡≡  ̄ ) ̄)Ninja\ ハ ヽ ̄ノ ノ ̄\ ≡≡≡ // //冊||冐呪| ハ ヽ ニニニo┘ ≡≡≡ /⌒/ ハ川 重⌒ハ (__)言 ´ニヽ ≡≡≡ ( ̄(/ / ) 巛○(○)| /ニニ(○)) ≡≡≡ \_ ノ  ̄ ̄ ̄  ̄  ̄ \ 二 ノ ≡≡≡
507 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 16:58:05.23
>>503 つまり九州人だったんじゃね?
むしろ畿内での業績ないよね。
508 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 16:58:14.48
∧∧ ∩ ( ゚ω゚ ) / ハ_ハ ⊂ ノ ハ_ハ ('(゚ω゚`∩ (つ ノ ∩´゚ω゚)') ハ_ハ ヽ 〈 (ノ 〉 / ハ_ハ ('(゚ω゚`∩ ヽヽ_) (_ノ ノ ∩´゚ω゚)') O,_ 〈 〉 ,_O `ヽ_) 夢 幻 如 (_/ ´ ハ_ハ お 断 り し ま す ハ_ハ ⊂(゚ω゚⊂⌒`⊃ ⊂´⌒⊃゚ω゚)⊃ (( n n )) (( n n )) (ヨ ). ハ,,ハ ( E),、 , (ヨ ) ハ,,ハ ( E) \\ ( ゚ω゚ )/ / ヽ、,,./ ヽ、\( ゚ω゚ )// ヽ <∞> / .\ <∞> / __/ V / ○ ○ \ V \__ /⌒ヽ 。゚ 。゚/ \゚。 ゚。 /⌒ヽ く __Y ヽ__/( (__人__) 丿\__/ Y__ノ ⊂____) \ \ / / (____⊃ > ) (. < (\ / )) (( ヽ/) く_⊃ ⊂_ノ
509 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 16:58:29.19
>>493 >さらに後代になる江戸時代に日本で写本されたとする本光寺所有の物
とか
>竜谷大所有の「混一〜」地図が最も古く
とか
シレッと嘘を混ぜるなよw
510 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 16:59:19.25
東北説の夢幻如 ハ,,ハ <お断りします .ハ,,ハ <お断りします ( ゚ω゚ ) ハ,,ハ ( ゚ω゚ ) ハ,,ハ / \ ( ゚ω゚ ) <お断りします / \ ( ゚ω゚ )<お断りします __| | | |_ / ヽ、 .__| | .| |_ / ヽ、 ||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | | ||\  ̄ ̄ ̄ ̄ /| .| | ||\ ハ,,ハ (⌒\|__./ ./ <お断りしますハ,,ハ (⌒\|__ / ./ ||. . ( ゚ω゚ ). ~\_____ノ| .ハ,,ハ || ( ゚ω゚ ) ~\_____ ノ| .ハ,,ハ . _/ ヽ<お断りします \| ( ゚ω゚ ) _/ ヽ<お断りします\| ( ゚ω゚ )<お断りします . | ヽ \ / ヽ. | ヽ \ / ヽ、 . | |ヽ、二⌒) / .| | | | |ヽ、二⌒) / .| | | . .| ヽ \ ハ,,ハ (⌒\|__./ ./ . .| ヽ \. ハ,,ハ (⌒\|__../ ./ ヽ、___ ( ゚ω゚ ) . ~\_____ノ | ハ,,ハ __ . . ( ゚ω゚ ) ~\_____ノ | .ハ,,ハ .お断りします>_/ ヽ . \ ( ゚ω゚ ) _/ ヽ<お断りします \ ( ゚ω゚ ) . | ヽ \ / ヽ、 | ヽ \ / ヽ<お断りします . | |ヽ、二⌒) / .| | | . | |ヽ、二⌒) / .| | | . .| ヽ \\ (⌒\|__./ ./ . .| ヽ \\ (⌒\|__./ ./ . ヽ、____ \\ ~\_____ノ| ヽ、____\\ ~\_____ノ| <お断りします
511 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 17:00:28.09
藤原京と前後して、太宰府にも条坊制都市が作られるわけだが、 同じ大和朝廷が作らせたのか、 筑紫と大和が競争して作ったのか?
512 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 17:01:36.75
>>503 それがどうかしたの?
三韓征伐は4世紀の話しでしょ?
513 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 17:02:11.89
514 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 17:02:17.99
515 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 17:02:37.34
516 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 17:08:01.98
景行、成務、仲哀、神功と、九州の事跡が多数ある。 そして彼らに関係のある遺跡や神社はだいたい4世紀前後。 九州に該当する人物がいて、 記紀で畿内の2世紀あたりの天皇の事跡にくっつけたんじゃないかね。
初代神武からして九州出身だからな。
518 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 17:09:16.81
確かに
>>492 は畿内説にとって致命的だな。
とうとう決着ついたか。
519 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 17:11:02.47
隋書などの中国正史では日本について「東西五月行」「南北三月行」と書いている。 つまり東西に細長い島国と認識してたんだよ。 「南北に細長い島国」なんて認識はなかったという証拠。
520 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 17:19:47.74
>>492 常に駐する伊都国周辺の風俗を書いたんだろう。
それが倭国の全てではないだろう。
九州の風俗を書いた旅行記を日本の全てだとおもったら、
北海道は日本じゃなくなってしまうのとおなじ。
521 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 17:20:18.55
>>472 >日本海側にしろ瀬戸内海側にしろ「水行二十日」は近畿地方を通り過ぎる。
>古代中国王朝では「そういった地理観しかありえない」んだよ、馬鹿頭。
景行天皇十二年九月甲子朔戊辰。到周芳娑麼。
景行は、周防サバまでを20日間かけている。だから通り過ぎることは無い。
晋書正始元年東倭重譚納具。 東の倭とは方角的に見れば
西の倭奴國から見た邪馬臺國である。
522 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 17:29:39.92
>>520 お前頭悪いな
邪馬台国の描写もあるだろ?
そういうのを詭弁というんだよ
523 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 17:35:58.07
>>522 で風俗の描写の何処に「邪馬台国」と言う文字が出てくるんだ?
「倭地」なら出てくるが(倭地温暖…)
>>522 邪馬台国の描写は、気候風俗とは別の場所に書かれてるだろ。
525 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 18:07:52.45
526 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 18:10:50.84
>>492 >畿内にあてはまる事なんて一つもないじゃん。
260年頃(壹與の時代)大倭(大和)は北の女王国(九州)に(自ら)一大率を使い検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(一大率)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。
527 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 18:15:52.33
北部九州に存在する3世紀半ばの庄内式土器は、大和が1大卒を置いた証拠品である。
528 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 18:20:48.30
529 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 18:26:29.20
>>528 庄内式土器=大和の1大卒。
布留1式と半島の土器=神功渡海以後。
530 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/27(火) 19:01:37.56
夢幻如さんは二十日、十日、一月というのは修辞であって現実的な数字ではないということが分かっていないのが難点。
>>485 君は想像力、推理力、判断力が足らないのが難点。
>>502 君は倭人伝が各種の資料に基づいて書かれているという、学者が等しく認めていることを分かっていないのが難点。
>>513 都合よく解釈してるサイトを鵜呑みか、馬鹿頭 プ
本光寺のは東海諸国紀と類似と説明したのが見えないのかなぁ〜っと ワラ
>>518 畿内説など擁護する気はないが、どこが致命的なの?
畿内も「混一」地理観なら伊都国の南。
というか邪馬台国が日本のどこにあっても伊都国の南だ。
>>519 だから、正確に把握していた者は当然いたわけだし文献にも残るだろ。
だが、地理観は正誤入り交じったまま整理されることもなかった。
まともに日本を描いた地図が存在しないことがすべてを語っている。
534 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/27(火) 19:14:58.88
>260年頃(壹與の時代)大倭(大和)は北の女王国(九州)に(自ら)一大率を使い検察する。 オマエは卑弥呼が九州にいて、邪馬台国は畿内にあったと言ってたでは ないか? これだと女王国は九州じゃないか? オマエ、都合によりクルクルクルクル説を変えて豹変するな。 オマエは精神病院で診てもらえ。
>>521 古文書馬鹿、現実計算を考える頭はねえかい?
北九州から出雲でも吉備でも「日速」15kmや18kmになるんだぜ。
時速じゃないぞ日速でだ。
仮に1日8時間走行としよう。時速2km前後で歩くより遅い。
実際の目的を持った長距離航海は1日8時間航海で、あとは洋上に停止してるなどあり得ない。
24時間動き続けているはずだから、まともに計算したら時速1kmにも届かない。
ナメクジが這うようなスピードで航海したとでも言う気か?
どんな文献に水行何日と書かれていようと
何かをしながらか、途中何回もあちこち寄港しただろうものとは比較にならない。
現実計算をする頭を持て。
>顔真っ赤名無し、ねちねち小僧
お前らの投馬国が出雲や吉備説は以上で否定する。
反論あるか?
>>411 >金印の上は玉璽であって、玉壁ではない。
>印璽と璧は目的を異にするものだから、金印と玉壁は比較できない。
すまそ、「玉璽」と「玉壁」字が似てるので勘違いしてたゎーんww
>>530 修辞句ねえ。じゃあそうだと論証してみろ。
俺が「万二千里は実距離ではない」と論証したようにやってみな。
恐らく「二十日」「十日」は二十日くらい、十日くらいのアバウトなものだろうが
そう大きく誤差はないはずだ。
ともかく、たかだか十日単位のものを修辞句と片づけるのは無茶だね。
>>420-421 >あらため氏に聞くしかない。
>>536 をどうぞ。
>>423 >あらためだよんという男は八幡神を論じたサイトではまじめな調子で書いている。
>しかし2chは遊びの場だと心得ているのかおちゃらけモードである。半分人をなめているとしか思えない。
(。・艸・)プッ
ふう、携帯だと一個づつレス見てカキコだからやりにくい… 通勤時間にやるにはちと酷だな ワラ さて俺は国民の義務を果たさねばならないから、ここまでだ。 九州説がウザいが、もう一度論破し直してほしいなら明日やってやるぜ。 畿内説の顔真っ赤名無し、ねちねち小僧、古文書馬鹿も反論あるなら受けてやる。
540 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/27(火) 19:47:31.77
>>537 万二千余里、 二十日、十日、一月が修辞だということは既に松本清張が述べている。
あとは清張の説に賛同するかどうかだけ。私は賛同する。清張だからではなく、論理的に正しいと思えるからだ。
陳寿が日本の地理を正確に把握していないことは明白である。だからこそ議論が混乱しているのだ。
とすれば上記の数字が修辞である蓋然性がきわめて高いのである。
>>415 楽浪郡は洛陽の東北五千里、会稽郡は洛陽の東三千八百里(『後漢書』郡国志)
女王国は「其の道里を計るに當(まさ)に会稽東治(冶=福州市)の東に在り」
>>420 > 「あらため だよん」という男
どつぼだよん めだよん
543 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/27(火) 19:53:49.86
>>528 奴はご都合により畿内説になったり九州説になったりあるいは
九州兼畿内説を主張したりクルクルクルクル説を豹変させます。
もう一個
>>540 「万二千里」が実距離ではないことは俺が論証した。
たかだか十日単位のものを修辞句だというなら、お前が他の用例などを出し
そこに現実計算でもあてはめ修辞句であることを論証してみろ。
清張が言ってるから、では話にならねえよ。
じゃあな。
>俺が論証した。 お前の夢と幻の中でな。
最近うちの子が「論証」とか「推論」とか「鎮守のあやまり」とか 変な言葉ばっかり憶えてしまってそればかり使いたがるんです。 私の育て方が悪かったんでしょうか?
>>408 でイサクは
> これが伊都国に「到る」を使った理由だ。
とか言ってるが、論点はそこではなくて、邪馬台国に「到」じゃなく「至」が使われていること。
夢幻如はこれを理由に「奴国以降の行程は伝聞によるもの」と主張している。
「到」も「至」も同じ意味で使われるのだから、
「邪馬台国に至る」は実際に邪馬台国に到着した者によって書かれた記録を編者が引用したものと受け取っておかしくはない。
(「倭人伝」以外に)「到」と「至」が混在している例もある。
道程記事の伊都国までの部分と奴国以降の部分は明らかに書き方が違うことから、
別の記録を参照してひとつにまとめたものと考えられる。
投馬国以降は里数ではなく日数なので、これもまた別の記録を参照したと考えられる。
投馬国以降は実際に邪馬台国へ行った魏使の記録によるものだろう。
その記録者は「邪馬台国に至る」と書いた。それだけのこと。
平松邦夫/民主党 大阪市役所・自治労・大阪市労働組合・日教組・大阪市教育委員会・自民党・共産党・社民党・関西電力・住友グループ ・毎日放送・毎日新聞・関西経済連合・日本原子力発電株式会社 ・ 週刊文春・週刊新潮・NHK・朝日新聞・読売新聞 ・部落解放同盟・朝鮮総連・在日本大韓民国民団・日本遊技関連事業協会・全日本遊技事業協同組合連合会・日本弁護士連合会・生活保護受給者・反日左翼・9条の会・革マル派・中核派 VS 橋下徹/維新の会 大阪市民・みんなの党・国民新党・亀井静香・石原慎太郎・東国原英夫 様子見:公明
550 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 21:02:43.10
>>533 あのね…
文献の多くは東西に細長なわけよ。
南北は一つも無いわけ
南北の地図は「行基図を挿入」で説明がつくわけ
どっちが古代中国の地理感かは明白でしょ
551 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/27(火) 21:04:24.04
>>544 戸数の二万、五万、七万。婢千人。銅鏡百枚。径百余歩、殉葬百人…。
これらも私は修辞だと思っているので、いちいち用例を挙げて論証しようとは思わない。
これが中国人の文章作法なのである。
倭人伝の風俗記事にしても、南方的色彩が強すぎるから、琉球か台湾あたりの風俗が混入しているのではないかと学者も想定している。
日本のことをろくに知らない中国人の書いたものをそれほど信用する必要はない。
552 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 21:07:07.00
>>536 >すまそ、「玉璽」と「玉壁」字が似てるので勘違いしてたゎーんww
邪馬台国なんて趣味なんだから、このくらいユルイほうがいいわ。
みんな、変にプライドかけてギスギスしすぎ。
とくに伊作とか夢幻如とか。
>>552 おまいみたいな奴ばかりなら、世の中、平和なんだがな
554 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 21:13:51.50
>論点はそこではなくて、邪馬台国に「到」じゃなく「至」が使われていること。 邪馬台国は、倭国の行きづまりではない。 倭国は、邪馬臺國のその先につながっているが、遠絶につき、詳らかにできない。 との主張である。
555 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 21:26:28.03
絹に関しては風化しやすいし、決め手にならんだろうに。
>>497 >中国は周辺国を蔑視する中華思想の国
そこなんですよね
中華思想的には魏の卑弥呼に対する歓待ぶりは明らかに異常です
そこで考えられるのは神仙思想です
魏が神仙の国から使者が来たと勝手に勘違いしたのならこの歓待ぶりは納得いきます
違うと判明したら、その後蔑字をあてて腹いせしてることも。。。
”海中洲島の上に絶在”とか”鬼道”とかの記述も神仙の蓬莱を意識してるように思えます
卑弥呼からの使者を蓬莱からの使者として魏が歓待したのならば、
それを聞いた卑弥呼側は自国のことを中国では蓬莱と読んでると理解したでしょう
そして自国の都の地名に蓬莱の名をつけることになりました
それが蓬莱山です。
つまり、邪馬台国は***にあったということになるわけです
ーーー 完 ーーー
557 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 21:36:54.83
>>555 時代設定に”絹”はパスすることが出来るが、
ホケノ山(225〜250年)をパスすることはできない。
ホケノ山 石積み木槨墓、鉄器、楽浪鏡。東海・西瀬戸内の壺。埴輪(庄内3式の穴あき壺)
ここから得られる年代は、垂仁末である。
これが、否定できなければ 崇神=卑弥呼は無い。
558 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 21:43:24.42
>>497 倭人伝とは、倭国を冊封した成功譚として存在する。
乱で疲弊した(倭奴國)にかわる”邪馬臺國”に倭王位を授け、乱の倭国(倭奴國)を平定し
邪馬台国 1国を倭国(大倭)として冊封することが出来た。その成功譚として、倭人伝”は存在する。
559 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 21:45:29.28
卑弥呼の墓は殉葬される奴婢100名と倭人伝に書かれてるわけで、 垂仁期は殉葬はむごいから廃止にする記事が記紀に出てるから、 卑弥呼の死亡時期(248年前後)は垂仁期以前と考えてよいだろう。
560 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 21:45:48.62
>>531 無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説)
>本光寺のは東海諸国紀と類似と説明したのが見えないのかなぁ〜っと ワラ
「海東諸国紀」wikiでだが1471年(成宗2年)に刊行とあるがそれが何か問題なのか?
そもそも龍谷大の物が諸説あるが古い時代の物をとっても文禄・慶長の役(1592〜1598)にゲットした物
単純に考えればより古い情報が反映されている可能性が高いだろうに…
一体何が言いたいんだこの低脳ゴミカスは?
それから
>>535 の航行距離については
ひょっとして二十日間ぶっ通しで洋上とか考えているのか?
弥生時代あたりの船ならまだ帆は確認されてなかったと思うが
潮の流れにプラス漕いで推力を得るなら一日数時間でも良いと思うぞ?
そもそも「準構造船」つっても基本丸太舟だ。水や食料をどれ程積めると考えているんだ?
積載量が増せば増すほどスピードも落ちるだろうに。
「途中何回もあちこち寄港」して一番にやることは水や食料を得ることだな。
あと潮の流れも利用する為に陸上で待つ場合もあるだろう。
無論時と場合により強行軍と言うのもあっただろうが普通なら日毎に寄港して何の問題がある?
まあ机上の計算じゃなくてお前が古代の船を作って実際に二十日程度で余裕綽々で九州北岸から富山までたどり着いてくれw
ちなみにその昔、角川春樹の肝いりで作った古代船は実際の洋上では平均1.7ノット(時速3kmチョイ程度)だったらしいw
参考)
http://inoues.net/science/war.html
561 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 21:51:48.49
>卑弥呼の死亡時期(248年前後)は垂仁期以前と考えてよいだろう。 九州と大和の地域差が反映されていない。 畿内に卑弥呼を持ってきたければ”暦年無主”の説明が必要になる場合もある。 3世紀初頭で終了する前原王墓はその資格を得ている。 または、暦年相攻伐を大和に設定しなくてはならない。 まだまだ。
562 :
19歳某国立大生 :2011/12/27(火) 21:54:32.33
九州説なら人口はどう説明するのやら・・ 対馬〜邪馬台国まで15万戸で約75万人。 これ+旁国21カ国と狗奴国も足せばゆうに100万人に達する。 3世紀の時点でこれだけの人口が九州にいたとは思えん。 600年後の平安時代でも延喜式によると北九州42万人程度だぞ。
563 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 21:55:51.84
>>559 へ 追加発注
暦年とは、暦(太陰暦)とは、19年7潤を1勝と数える積み重ねである。
つまり、暦年とは”章”で数えられる”暦”を積み重ねたもの。
>>563 太歳紀年法のことを何故無視する?
日本書紀にも各天皇の記述に一回ずつ出てきてるだろ?
565 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/27(火) 22:09:12.62
>>559 垂仁の崩御は書紀によればAD70年で、これを素直に信じれば、卑弥呼の時代よりずっと以前に禁止されているのだから、
殉葬百人は偽記事か、そうでなければ大和を遠く離れた九州か朝鮮のことだろう、ということになるのである。
おそらくこの記事は偽記事である。かつての日本の風習の風聞に基づいて書かれたものだろう。
日本でも朝鮮でも、この時代にそのような蛮風が残っていたとは思われない。
566 :
560 :2011/12/27(火) 22:13:20.49
>無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説) あ、そうそう前にも聞いたがそもそも日数を距離に換算しうる目安じゃなくて 実際に移動した結果だった可能性をどうやって排除するんだ? (たまたま長期の天候不順に見舞われたとしたら移動距離は大幅に減る) お前が必死こいてほざいている東北説は中身はスッカラカンで 他説を完全否定しない限り成り立たないんだから 是非ナイスなアイデア聞かせてくれwwwwww
567 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 22:16:14.54
>太歳紀年法のことを何故無視する? 書記の”太歳”とは、天皇の代替わりか、暦の書き換えを意味する。 決して天体と連動していない。 その中で、注目しなくてはならないのが”神功39年太歳である。 私はここを 313年仁徳元年 に設定している。 私の主張は、神功・応神、仁徳はそのままの数字を主張している。 であるならば、神功・応神に書かれた百済王朝はそのまま認められなくてはならないが、 七支刀=369年で、神功紀は否定される(半島占拠の否定)、であるならば、神功紀はこの時代では無い。 神功紀(275〜343年)・応神(344〜386年) 仁徳紀(313〜399年)神功39年太歳を元年とする。 この主張から外れる主張はしていない。 この数字が間違いである部分を書き込んでくれ。
568 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 22:17:39.22
訂正 ×19年7潤を1勝と数える ○19年7潤を1章と数える
そもそも神武元年が紀元前600年とされたのも、太陽太陰暦と太歳による干支が一致するというだけの理由で、 そのせいでご存知の通り記紀の編年が滅茶苦茶になってるわけで、、、 決して無視出来るものではないよ 太歳の記述がある天皇の時代には、実際に太歳が使用されてたってことなんだよ!
570 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/27(火) 22:28:30.60
唐松山さん、そもそも七支刀が、百済から神功皇后に献上されたものだという証拠はないのだから、 そんなもので年代を決定するのは無理なんですよ。 それに泰■を東晋の太和とするのは学者のインチキだと前にも指摘したはずです。 あなたは考古学に頼りすぎている。考古学を信用しすぎている。
571 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/27(火) 22:30:39.66
>卑弥呼の死亡時期(248年前後)は垂仁期以前と考えてよいだろう そのとおり、崇神の代だね。 そして古事記の崇神没年の戊寅年は258年が正解。215年説はデタラメ。
しかし
>>556 が無視されてるのは寂しいな
そんな変なこと書いたかな?
べつに電波野郎じゃないから批判は受け付けるんだけどな
573 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 22:36:10.67
神功紀(275〜343年)・応神(344〜386年) 仁徳紀(313〜399年)神功39年太歳を元年とする。 この主張に、齟齬を生じる分分もある。 371年 応神天皇二八年(丁巳二九七)九月◆廿八年秋九月。高麗王遣使朝貢 370年 仁徳天皇五八年(庚午三七〇)十月◆冬十月。呉國。高麗國並朝貢。 これは、同等の記事ではあるが、その誤差を1年誤差では説明できない。 だから、書記の主張のどちらかが間違いとする。 372年に百済が爵位を授けられた事実と整合させると、東晋の冊封使は、倭国を 訪れてから、百済の冊封を行ったとおもわれる。
574 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 22:39:48.44
>>570 書記の神功49年を信じている。
それ以上の主張はない。
575 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/27(火) 22:40:20.69
>>572 私は少し面白い説だと思った。琵琶湖西北にあるということは近江説か。
近江は大和ではないから、そのあたりに邪馬台に類似する地名があれば面白いが。
576 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 22:57:48.03
>そもそも七支刀が、百済から神功皇后に献上されたものだという証拠はないのだから、 私の主張は、神武から太陰暦の記録がなされていた。しかし、その数字は、正しい 太陰暦に空白の太陰暦を差し込んだものである。 これが、私の主張であり、その思考で再現した古代王朝が私の主張である。 その数字を文献に整合させると、今の考古学の数字と整合する。 だから、考古学の数字は文献と整合させられる。と私は主張している。 七支刀=323年=大陸が政治的空白期である。≒半島占拠は可能である。 否定する数字ならば、この時代以外に設定すれば、すべてで神功49年半島占拠は 否定することが出来る。 ただ否定できる時代と整合できるのは、369年を示す百済本紀以外に無い。 百済本紀を否定するだけで、時代設定は変わる。 百済本紀では、夢村土城に、未知の4世紀遺構ができる。 この解消は、百済本紀の数字が、50年ほど遡上する必要がある。 このていどですよ。
577 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/27(火) 23:04:03.10
>魏が神仙の国から使者が来たと勝手に勘違いしたのならこの歓待ぶりは納得いきます 景初3年6月郡に到着。 郡は倭人の鏡好きを知っている。 勝手に来たとはできない。それが238年の魏使(斥候)である。 魏使(斥候)は、少なくとも伊都までの風物誌(博物誌)を書き留めている。
578 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/27(火) 23:06:40.51
>成務天皇 262年〜265年←成務4年間↓どこにも57年分の空年の形跡は無い。 成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず 成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命 成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける 成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加 成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす 成務7年 六嶽神社(福岡県)長田彦が山上に神籬を営む 成務8年 林神社(明石市)少童海神の赤石が海中に没する 成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る 成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る 成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座 成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る 成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座 成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請 成務13年 嶋田神社(奈良県)神八井耳命の末裔 仲子上が嶋田臣を賜る 成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀 成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る 成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建 成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず 成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建 成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る 成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命 成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎 成務40年 日本書紀等 神功皇后 誕生 成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文 成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子 成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す 成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る 成務51年 甲斐古蹟考(山梨)土本毘古が廟土を持ち向山鎮座し高屋という 成務59年 二俣神社(山口県)この年 創祀 成務60年 宮城熊野神社(千葉県)この頃 創立 成務60年 成務天皇 崩御
579 :
日本@名無史さん :2011/12/27(火) 23:12:03.48
文献上古代中国の日本に対する地理感が「東西に細長な島国」だったのは疑う余地がない よって東北説はもちろん畿内説も有り得ない はい畿内説東北説はこれで論破
>>575 ありがとう
当時の琵琶湖の水位は今より低くて当時は陸地でもいまでは水没してしまってる区域がかなりあるみたいなんですよね(琵琶湖大橋以南とか)
>>571 レスありがとう
でもあなたのお相手するのは私にはムリ
あれ、古事記だと 崇神天皇の子のヤマトヒコが初めて人垣をしたと書いてあるが???
584 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 00:11:35.84
夢幻如の東北説は混一図の件で一気に説得力ゼロになっちゃった 方角以外ではそれなりに説得力があったのに残念だな
585 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/28(水) 01:13:26.21
夢幻如の東北説は混一図の件以前に、魏から承認を得なければ、女王卑弥呼も倭王も主張できない。 ホケノ山古墳が作られた時点で、大和は東海から西瀬戸内・半島とも友好関係以上の結びつきがある。 九州にそれが見られなくとも、倭奴國王位が後漢から認められた実績と、 それを認めた後漢から譲位された魏時代である。
586 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 01:59:08.75
夢幻の東北説の根拠は「古代中国王朝の地理感=龍谷大学の混一図(日本は南北に細長い島国)″しかない″」だからね
この主張は
>>533 で
>だから、正確に把握していた者は当然いた
と夢幻某自ら否定している
てことで夢幻の東北説は消えました
587 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 02:20:59.73
>>535 >実際の目的を持った長距離航海は1日8時間航海で、あとは洋上に停止してるなどあり得ない。
夜間は帰港したに決まってんだろ
洋上で停止って、バカか
588 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 02:41:16.99
>>474 >古代中国王朝では「そういった地理観しかありえない」んだよ
>>533 >だから、正確に把握していた者は当然いたわけだし文献にも残るだろ。
こういうの「矛盾」て言います
>>547 まあここは「推論」vs「推論」になるから、どちらも自分が正しいと論証は出来ない。
どっちが不自然じゃないか、整合性があるかの話になる。
そっちの話をまとめると
1 伊都国までのソース
2 奴国、不弥国のソース
3 投馬国、邪馬台国のソース
と三つの引用元があると言うわけだ。さすがにそれは無理じゃね? ワラ
「至」をなんとか到着するの意味にしたい無理無理論に見えるぜ。
俺の推論をまとめ直す。 国、行程紹介は一つのソース、先遣調査隊のものだ。 先遣調査だから正使なら絶対にやらない道草食って風俗を調査している。 調査したからには当然報告書はあるはずだ。それを陳寿は引用した。 この報告書が伊都国以降の記述が不十分なら他のものを引用したというのはあるかもだ。 だが伊都国以降は簡略すぎる。わざわざ簡略なものをもって来たのか?違うだろうねえ。 これは一つの報告書だ。 奴国、不弥国は隣だから伝聞でも百里としたのだろう。 ここは「卑弥呼は朝鮮にいた」コテのいう修辞でいい。 投馬国は伝聞をそのまま載せたと俺は見る。 水行が修辞でないことは後で述べるが、まあこんなとこだ。 さらに言うなら前に行った著者である陳寿と読者である魏国民の東夷と倭国への関心の薄さ。 正使編纂されたものではないからこそ倭人伝はたった二千字と極めて扱いが低い。 陳寿の簡単に済ませようと言う意図が見え見えだ。 こんなだからいくつものソースを組み合わせるなどという面倒なことはしていないと思う。 一個のまとまった報告書があるはずなんだから、それで済ませられる。 行程紹介は一連のものだ。 一連のものだからこそ「到」「至」の使い分けに意味があるわけよ。
どっちの推論が無理がないだろうねえ? 感想は自由だから、どう判断しても構わんけどね。
>>550 ならなぜ「混一〜」以前にまともな地図が一つもないんだろうねえ?
倭人伝の素直読みしたら、南、南で邪馬台国は太平洋の中になる。
古代中国人が倭国は南に伸びる島国と思っていなければあり得ない記述だ。
古代中国地図には日本はまともに書かれていない。日本がないものさえあるらしい。
存在する「混一」以前の中国古地図はほぼ丸の比較的大きな三つ島と小島で表され南に伸びる。
行基図で情報更新された部分は、このただの丸でしかない島に形を与えたことだろうよ。
593 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/28(水) 10:01:31.31
夢幻如氏は郡使が日本に来たと思っている。そこがまちがいだな。学者もほとんどがそう思っている。それがまちがいだ。 古墳から前漢時代の鏡などが出ていることを思うと、日本と中国で以前から交易があったことはまちがいない。 だからある程度の日本の地理情報は中国にもたらされていたのだ。陳寿はそれを基に書いただけ。 郡使や先遣調査隊の報告に基づくものではない。
594 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 10:08:13.25
邪馬台国は大和ですが。 卑弥呼は、モモソヒメね。 これ、常識な。
595 :
19歳某国立大生 :2011/12/28(水) 10:21:30.65
伊作爺のサイトにコメントしたらすぐに削除されたw 自説に都合の悪いコメントは即削除。これがこの爺さんのやり口かww まるで北朝鮮と同じだな。
九州王朝としての倭国(扶桑国としてのヤマト国とは別)があったとすれば、 そもそも今の日本の九州とは関係なく、9つの州が集まった連邦国家、とも 考えらる そして、対馬海峡やら瀬戸内海までも含んだ「海」を支配する民族だったとしたら、 北九州や瀬戸内、対馬や済州島、朝鮮半島南部を海を制覇することで 支配していた、とも考えられる。そして、これらの地域には媽祖やら宗像三女神 信仰などの共通点がある
597 :
19歳某国立大生 :2011/12/28(水) 10:34:19.88
>>594 何をそんなわかりきってたことをw
どっかの馬鹿が勝手にヤマト国をヤマタイ国と読み、
陳寿が手元にある資料を自分の誤った地理観をもとに
まとめたせいで、現在オタクどもがこのような不毛な論争を
繰り広げてるにすぎない。
モモソ姫が卑弥呼だってのもちゃんと海部氏系図に書いてあるし。
日女命(ひめみこと)とね。天照大神を表す日神とも書かれてるし、
明らかに女王卑弥呼のことでしょうに。
天照大神を始めて祀った皇女は豊鍬入姫、すなわち倭人伝に出てくる
台与のことだろう。
598 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/28(水) 10:41:49.79
>モモソ姫が卑弥呼だってのもちゃんと海部氏系図に書いてあるし。 君の常識は、考古学・文献史学の非常識。 その主張を正しいとする文献もなければ、考古学の数字もない。これが常識。
>>592 >倭人伝の素直読みしたら、南、南で邪馬台国は太平洋の中になる。
そんなの行程の解釈次第でどうとでも説明がつく話。
それよりも、文献上東西に長いという記述(「東西五月行」「南北三月行」)がある以上
あんたの「古代中国王朝では「そういった地理観しかありえない」んだよ 」
という主張は成り立たないんだけど、そこは無視?
600 :
19歳某国立大生 :2011/12/28(水) 11:01:52.85
そもそも絳地交竜錦五匹・絳地スウ粟ケイ十張・セン絳五十匹・紺青五十匹を以て汝が献ずる所の貢直に答う。また、特に汝に紺地句文錦三匹・細班華ケイ五張・白絹五十匹. 金八両・五尺刀二口・銅鏡百牧・真珠・鉛丹各々五十斤 このようなものすべて倭人の筏などで運べるわけない。 魏の船で運ぶしかない。ましてや陸路で持ち歩くなど 警備上も危険だし、舗装もされてない獣道だし、ありえない。 そうした観点でみれば倭人伝の行程など魏使が通った道を 示しているわけではないことがわかるだろう。 魏使はすべて自分の船で水行で邪馬台国までいったとみるべきだ。
601 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 11:14:20.71
今更だがこの 無限尿 とかいうゴミクズは陸行一月をどうやって消化してたんだっけ? 水行二十日もどうやら昼夜ぶっ通しで航行という強行軍 (夜間に天候が変わったらアウトなスリリングな航海だったんだろうな流石に古代に灯台なんて無かった労使w) 陸行もそれなりの速度なんろうが更に北上して下北半島あたりまで行くか? 恐山のイタコを卑弥呼に重ね合わせると言うのも一興だなwwwwwwwwwwwww まあこのゴミのご高説は他説を完全否定できるという前提があってこそだからもうgdgdで敗走決定。 あとは如何に取り繕うかだけだなw しかしまあ良くこんな物で意気軒昂この板に乗り込んで畿内説や九州説をまとめて潰して オレサマ説をぶち上げようなんて気になったな自惚れもここまで来ると一種の才能だなw まあ自惚れと言えば 森村伊作 も大概だが この無限尿との違いは 無限尿が他説の否定に特化しているのに対して 伊作の場合、脳内に妄想ストーリーをたんまり抱えている その違いだろうか?w
602 :
19歳某国立大生 :2011/12/28(水) 11:23:48.68
現代は森林を伐採して道を切り開いて道を作った状態であり、 3世紀の古代など、ほとんど森林だらけのはず。なので陸路より 水路での移動がメインだったはずだ。 倭人伝に出てくる陸行一月もおそらく伝聞で吉備〜大和 間が 当時陸路でそのくらいの日数がかかったと聞いた記録だろう。 水行なら3分の1の日数の10日で行けたということだ。
603 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 12:06:42.64
なんだよこいつら推測100%じゃねーかw
604 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 12:29:35.46
ほとんどプロレスだなw
じゃあ、話題を変えてみよう。 日本の歴史家って、なんで、扶桑国の記述に関しては頬かむりしてるの? 当時、日本に扶桑国という、別の国が存在することを中国が認めていたことを、 どうしてひた隠しにするの? 日本の今の歴史なんてこんなもん
>>602 >はずだ。
>だろう。
いつまで妄想と語呂合わせばかりを垂れ流すのか?
手に負えない公害と同じ。
607 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/28(水) 14:20:19.34
>このようなものすべて倭人の筏などで運べるわけない。 準構造船の絵は、弥生後期後半の土器に描かれている。 青谷上寺地遺跡からは、船団の描かれた木片も出土している。 つまり、新羅192年時点で、それ相応の船は存在する。
新羅は倭にさんざん攻め込まれても 海戦が不慣れで倭に攻め込む事は出来なかった と新羅本紀に書いてあるね
609 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/28(水) 16:09:32.35
つまり、崇神6年時点で、それ相応の船は存在しない。 船舶の初めて製造されたのは紀の崇神17年であるから、畿内空腹餓鬼同然 農民が千人もの渡海は出来ない。 つまり193年は崇神6年にはならない。
610 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/28(水) 16:30:59.54
準構造船の絵は、弥生後期後半の土器に描かれているとしても〜 青谷上寺地遺跡からは、船団の描かれた木片も出土しているといっても、 それらは紀の崇神17年以降である。しかも餓鬼で今日のメシもありつけ ない栄養失調では半島渡海は到底出来ない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 193年 後漢 6月寒風冬のごとし(飢饉)≠崇神5,6年疫病(飢饉)。 ↓ >人間の食べられるものは >全部刈り取り掘り尽くし、 米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ 飢餓地獄にのたう >つ惨状、 秋田県由利郡直根村百宅部落 のごときは、空飛ぶ鳥類さえ 斃死したかと思 >われ、 400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、 天に号泣し地に哀訴の術も空しく >飢え迫る日を待つのみの状態である。 飢饉で千人も渡海出来ないのが現実だね。 オマエの言う崇神5,6年での飢饉空腹農民千人もの多勢はメシものどを 通すことがならず、日本海の荒波を渡ることは不可能事である。pp
611 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/28(水) 16:55:24.90
>それらは紀の崇神17年以降である。 崇神17年に弥生後期後半の数字を与えない太国倍年。 太国倍年は間違いであると主張している。
612 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/28(水) 17:12:45.57
>飢え迫る日を待つのみの状態である。 秋深くか初冬でこのありさま。 厳冬を乗り切った住民は翌春に逃散(冬に野山に出かけても食物は得られない) 6月夏の終わりまでは、なんとか食いつないだが秋はそこまで来ている、その先に冬がある。 体力の回復した今のうちに冬をどう過ごすか、また乗り切るか?
613 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/28(水) 17:22:53.92
366 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 22:00:42.75
>>282 (昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記
されている。
「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。 しかし、山裾
にある町村は、 未曾有の凶作に悩み、 木の実・草の根、 人間の食べられるものは
全部刈り取り掘り尽くし、 米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ 飢餓地獄にのたう
つ惨状、 秋田県由利郡直根村百宅部落 のごときは、空飛ぶ鳥類さえ 斃死したかと思
われ、 400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、 天に号泣し地に哀訴の術も空しく
飢え迫る日を待つのみの状態である。
天明3年9月〜翌年6月までの津軽藩内の餓死者は8万1702人と記録されている。東北地方の天明の飢饉に関しては,悲惨なエピソードが多い。食物を確保できなくなった農民家族は栄養失調に陥り,疫病にかかったり,家を棄てて流浪しても食物にありつけず死に追いやられた。
家を棄てて流浪.。通常翌春にピークが来る。
崇神5,6年は飢饉で説明されるべき時代である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上の書きこみから
192、3年 後漢 6月寒風冬のごとし(飢饉)≠崇神5,6年疫病(飢饉)。
614 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/28(水) 17:25:00.31
崇神17年に船舶初めて製造の数字を逆らう宿主空年。 宿主空年は間違いであると認容している。
615 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/28(水) 18:03:50.91
準構造船の絵は、弥生後期後半の土器に描かれているとしても〜 青谷上寺地遺跡からは、船団の描かれた木片も出土しているといっても、 青谷上寺地遺跡の分解された人骨は、食人をあらわし、脳が腐りきる前に 埋没した。 この食人は、崇神5,6年の飢饉であり、新羅192,3年か後漢193年である。 この埋没を崇神17年以降に配置するためには、同様な飢饉が想定できなければならない。 倭人伝に238年以降の飢饉は登場しない。だから時代錯誤がある。
616 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/28(水) 18:19:04.59
>>613 青森は北辺であり、大和にそのまま当てはめることはできない。
飢饉の状況は大体同じでも、大和に春がやってくるのは青森より1ケ月以上早い。
積雪も大きく違う、ただ大和でも冬に野山へ飛び出したら凍死する危険の方が大きい。
その程度の常識も持ち合わせない太国か。
617 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/28(水) 18:38:19.01
>この食人は、崇神5,6年の飢饉であり、新羅192,3年か後漢193年である。
以下の食人状況では千人もの餓鬼農民の半島渡海は出来ない。
つまり上の主張はインチキである。
↓
366 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/26(月) 22:00:42.75
>>282 (昭和9(1934)年10月26日付け秋田魁新聞)と題する現地レポートには次のように記
されている。
「秋晴れの鳥海は清らかな山姿を、紺碧の空にクッキリ浮かせている。 しかし、山裾
にある町村は、 未曾有の凶作に悩み、 木の実・草の根、 人間の食べられるものは
全部刈り取り掘り尽くし、 米の一粒だに咽喉を通すことのできぬ 飢餓地獄にのたう
つ惨状、 秋田県由利郡直根村百宅部落 のごときは、空飛ぶ鳥類さえ 斃死したかと思
われ、 400名の部落民からは生色がほとんど奪われ、 天に号泣し地に哀訴の術も空しく
飢え迫る日を待つのみの状態である。
天明3年9月〜翌年6月までの津軽藩内の餓死者は8万1702人と記録されている。東北地方の天明の飢饉に関しては,悲惨なエピソードが多い。食物を確保できなくなった農民家族は栄養失調に陥り,疫病にかかったり,家を棄てて流浪しても食物にありつけず死に追いやられた。
家を棄てて流浪.。通常翌春にピークが来る。
崇神5,6年は飢饉で説明されるべき時代である。
618 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/28(水) 18:49:00.18
>>605 扶桑国は実在したかどうかも分からない国。日本の別名として使用されることもあるが、日本とは限らない。
大和 岩雄 「日本国はいつできたか―日本国号の誕生」参照
619 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/28(水) 19:04:59.91
寛永の大飢饉(1642〜50)では、会津藩(福島県)の被害は甚大で、 餓死寸前に追い込まれた百姓は、田畑や家を捨て妻子を連れて隣国に 逃散したと記録されている。その逃げ散りの様は大水の流れにも等しいものであった。 その逃げ散りの様は大水の流れにも等しいものであった。 この状況が新羅で記録された。
>>618 > 扶桑国は実在したかどうかも分からない国。日本の別名として使用されることもあるが、日本とは限らない。
そういうふうに、都合の悪いことは全部そうやって切り捨て、
都合のいいことは、これは史実とか言って文献参照するんだよな
マスコミの捏造歪曲とまったく変わらない。扶桑国実在が分からないなら、
邪馬台国も倭国も実在わからないで良いではないか。なぜ、都合よく
歴史書の記載を解釈する?そして、議論を避ける?
途中で寝ちまったよ。
>>599 てめえの頭に詰まっているのは味噌じゃなく糞か プ
何回同じ話をさせる気だ?
現場の人間の正確な情報がありながら、文献にも記録が残りながら
まともに日本を描いた地図が一点も存在しなかったのはなぜだかを考えな。
地理とは究極的には正確な地図を書くことだ。
日本に来た中国人、大陸に渡った日本人から正確な情報は得られるし記録もされた。
だが中央(王朝)は興味、関心が薄い対象だから「どうでもいい」
日本は徐福伝説からの地理観のままで何も不都合がないからどうでもいいままだった。
ずっと時代が下ってもこうだ。邪馬台国の頃なら出鱈目地理観が公式地理観だったろうよ。
622 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/28(水) 19:30:34.28
>>618 扶桑国っていうのは日本のことですよ。
梁書の永元元年(=499年)に日本の乙祁(=袁祁:顕宗天皇)の記事
があります。
>>601 顔真っ赤名無し、頭悪いというかお前も文章読めねえな。
俺は水行を8時間計算してんだぜ。
ただ帆船なら目的地まで夜も進むだろうという話だ。
この馬鹿はどうでもいいが余談を一つ。
日本の帆船は古墳時代に登場したと言われている。
銅鐸に描かれた絵やその他の考古学資料は櫂でこぐ舟などしかないが、帆船はかなり早くからあったと思う。
世界で初めて帆船が現れるのは、これよりも三千年も四千年も前だ。
日本人は優秀な民族だからねえ、世界に何千年も遅れをとるというのは考えにくい。
縄文時代にすでに青森〜新潟間の航海に成功しているのは間違いない。
これを途中ろくに寄港地すらないと思われる中、手こぎ舟か?
青森といえば津軽三味線があるが、これは沖縄の三味線(確かサンシンといったかな?ここ、うろ覚え)
と共通するものが多いと聞いたことがある。
こんなことから古代から青森〜沖縄の交流があった可能性も高いらしい。
手こぎ舟でこの超遠距離航海は無理だろ。
航海術や舟は我々の常識が違うんじゃないかね。
銅鐸文化圏、銅矛文化圏の常識が間違っていたように
縄文時代の常識が三内丸山遺跡でひっくり返ったように
舟の常識はかなり怪しいと俺は思うぜ。
625 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 19:55:54.48
今日は中途半端になっちまったが、近々話を整理してまとめよう。 じゃあな。
627 :
遣唐使 :2011/12/28(水) 19:59:44.37
諸君知阿知使主乎?
>>625 余りの頭の悪さ、文章の読めなさに呆れてもう一個。
行基図で丸でしかなかった島に形を与えただけだろ、と説明したのは見えないか、腐れ頭の目腐れ。
馬鹿はレスするな アキレ
629 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 20:20:44.68
目くそ鼻くそを笑う
630 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 20:25:02.59
>>624 無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説)
>俺は水行を8時間計算してんだぜ。
>ただ帆船なら目的地まで夜も進むだろうという話だ。
無論24時間漕げる分けが無い自分もそんな話をしたつもりは無いが?
まあ夜間も航行していたという話だろうが根拠が無い。
>帆船はかなり早くからあったと思う。
お前の想像はどうでも良いド阿呆。
よしんば帆船があって夜間も航行できたとして
それによって殆どリスクが増加しないような物だったのか?
お前がほざいているのは東北まで”可能であると”言う話であって山陰山陽を確実に過ぎるという話ではないゴミカス。
二十日と言う数字が山陰や山陰ではあまりに近すぎると言うだけの根拠をもってこいカス。
前にも言ったがこれが目安としての日数じゃなくてある人間(遣使)が実際にかかった日数だったと言う可能性をどうやって排除できるのだ?
つまり「大体(相場として)二十日ぐらいかかります」じゃなくて「(私の場合)二十日ほどかかりました」と
ひょっとしたら天候不順による足止等々がその日数に含まれている可能性をどうやって排除できるんだ?
(まあこの話は「謝銘仁」と言う学者が言ってたんだっけ?自分は読んでないが…)
■民主党政権になって放送禁止になった言葉一覧■ [道義的責任・進退問題・発言のブレ・閣内不一致・派閥・プライマリーバランス 空気が読めない・庶民感覚・国民目線・バラマキで人気とり・国民に信を問うべき・OECDの貧困率 ワーキングプア・ネットカフェ難民・世襲・料亭・漢字・読み違え・直近の民意・国民の生活が一番、政権交代が最大の景気回復策、公務員改革 ガソリン値下げ、景気回復策、解散総選挙、ホッケの煮付け 世襲制廃止、地域主権、議員定数削減、地球温暖化対策]
632 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 20:31:47.32
議論になってないw
633 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 20:32:13.89
常識的に考えて古代の中国が日本の地理をまともに把握していなかったのは間違いないと思うよ。 九州説連中は認めたくないだけなんだよ。
634 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/28(水) 20:33:43.11
知阿知使主は、大和に関係した人物ではあるが 380年代に九州に在住し、半島の事を任されていた人物。 だから、半島での出来事に大和が関与していない事実もたくさんある。
635 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 20:40:04.48
>>633 勿論自分も古代中国人の日本の地理にはいい加減だったと思うが
だからといって必ず九州から東は南とされたと言う根拠が見出せない。
まあ今時畿内説でも機械的に方角を90度読み替えるようなのもいないと思うのだがw
636 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 20:44:16.90
>>626 無限尿
>近々話を整理してまとめよう。
一つ釘を刺しておくが元々お前の広げた風呂敷は
「こう”も”読める」じゃなくて「こうで”しか”読めない」だからなw
それを忘れるなよゴミクズ。
637 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/28(水) 20:54:47.02
至奴國。... 又南水行十日,陸行一月,至邪馬臺國,即倭王所都。 晋書正始元年東倭重譚納具。 ここで南が東に変更されているとみてよい。 景行は周防サバまでを20日間で移動していることと考え合わせれば、 大和<>筑紫間は1ケ月であろうが、この数字は通路がそこそこ整備されて以後と考えれば この2倍程度までは許せる。
638 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 21:04:54.17
>>633 思うよってお前…
妄想はやめろよ。
まぁ、そう考えないと畿内説は成り立たないからなw
方角は間違い、鉄は腐る、絹は風化、銅鐸は無視、矛なんて知らない、楼観も城柵も関係ない、有棺無槨?読めない。
もう無茶苦茶だなw
639 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 21:05:17.54
t
640 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 21:06:09.57
航海と言えば「倭地温暖」ではじまる風俗記事の部分に例のj「持衰」が出てくるが 恐らく無限尿の立場としてはこの風俗記事はあくまで「倭地」の物であって九州でも構わないと言う物になると思うが。 この「持衰」による願掛けは中国に詣でる時にやる物だと出ている。 玄界灘で対岸の島影を見ながらの航行ですらそれだけのリスクがあったということだろうか? 後世遣唐使が東シナ海ルートで事故が多発したのも無理からぬところ。 無論二十日で九州から昼夜をぶっ通しで富山まで辿りつけないとは言わないが 普通に考えて何でそんなリスクをとらねばならないのかと あと「帆」が出土したとしてもそれだけじゃあ船のキャパは変わらないw 食料や水を積み込めば荷物の積載量も下がる。 だったら日毎寄港し荷物を最大限積み込んだ方が合理的。
641 :
ローガン :2011/12/28(水) 21:11:14.23
>>620 >そして、議論を避ける?
横失礼。
「倭國一名日本,在中國直東 扶桑國復在倭國之東,約去中國三萬里,蓋近於日出處。」とか
「積水不可極,安知滄海東。九州何處遠,萬里若乘空。
向國惟看日,歸帆但信風。鰲身映天 ,魚眼射波紅。
樹扶桑外,主人孤島中。別離方異域,音信若爲通。」
というような認識を中国人はしていたって事でしょう。
642 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 21:19:26.53
643 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 21:20:12.32
まあこう言う作業は馬鹿馬鹿しいのだが少し話をまとめてみるw 古代中国において公的・スタンダードな?日本の地理は南北に伸びる物だったとして 仮に現地の報告書に東とあったとしてもそれに合わせて南に修正されたたしよう。 が、その現地からの報告書が元々「南」と書いてあったら? 無論そのまま通るwwwwww つまり方角に関して 無限尿 とかいう馬鹿がどんなに頑張っても それは自説の可能性を主張できるだけで他説(九州説)を否定できるものにならない。 これがこの話のオチw
>>641 >というような認識を中国人はしていたって事でしょう。
どうゆう認識なんですか?ww
645 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 21:29:08.27
畿内対東北のプロレスごっこは終わりか?
>扶桑国 良いネタが出てるんですが、 以前話したのでは、台湾もしくはその周辺の島国であって 日本の可能性は低いんじゃなかっただろうか。 まあ、ローガンさんが何か語ってくれそうなので、期待しましょうよw
647 :
19歳某国立大生 :2011/12/28(水) 21:48:50.86
ホケノ山古墳からも画文帯神獣鏡が出てくる事実は大きい。 箸墓以前の古墳だし、3世紀前半から中盤の古墳だ。 陸行一月は記紀に出てくる武埴安彦命の領土が河内と南京都なので この領域を迂回するためだった可能性もあるな。 武埴安彦命が狗奴国の男王と同一人物であるかは微妙なとこだが 時期的にみてその可能性もあるだろう。
648 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/28(水) 21:51:32.08
649 :
19歳某国立大生 :2011/12/28(水) 21:59:46.84
>>648 卑弥呼と同時代の王族の墓だろう。
具体的に誰だか比定できれば苦労はないw
650 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 22:05:29.81
自演か?
651 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 22:08:40.70
九州スレの82の人がレポートしている、Nという畿内説学者の説(倭人伝の中の 数字はすべて10分の1が正確だという説)が本当だとしたら、どう考えても邪馬 台国は九州に有ったことになる。これが畿内説学者が言っているというのだか ら、畿内説ってふしぎだねーーーー。
652 :
19歳某国立大生 :2011/12/28(水) 22:17:00.42
九州に邪馬台国があったならホケノ山古墳からなぜ大陸の画文鏡が出る? なぜ畿内政権は魏に朝貢しなかった? 九州説などとってるやつこそ不思議でしょうがないわw
653 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 22:20:20.51
迷大はアホばっかりやなw
654 :
19歳某国立大生 :2011/12/28(水) 22:25:44.55
そりゃそうだw 東大京大入れない奴が行く大学だし。 俺も歴史なら京大だろうと思い京大志望してたが センター試験でこけて安全に名大にしたレベルだし。 自宅から通えるし名大のほうが親は喜んでる。
655 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/28(水) 22:58:04.86
>>649 >卑弥呼と同時代の王族の墓だろう。
考古学が主張するからここまでは正解としよう。
そこで、君の主張する時代にホケノ山が存在しなければならない。
私は、その形態から垂仁とするが
崇神世を主張する限り、その形態から誰かを推理する必要がある。
そして、それが正しいことを文献も使って主張してもよい。
これが”学徒”の道。
656 :
俺を越えて行け :2011/12/28(水) 23:14:49.72
倭人伝に書かれている邪馬台国は九州内だからね。まぁ、バカでもわかる簡単な問題だw
中国人も半島人も航海は苦手 島々の位置を把握してたのは倭人ぐらいだろ 5千年前に八丈島にも行ってるしな
659 :
ローガン :2011/12/28(水) 23:45:59.39
>>657 まあ、そんなもんですわ。例えは悪いが、歴代国都図みたいなもの。
そもそもがアバウトなので 議論の対象にならん。
660 :
日本@名無史さん :2011/12/28(水) 23:54:45.33
K林「必殺伝世鏡!」 こんなのが名誉教授で S原「畿内の鉄は腐るんだ!ホントはあったんだ!」 「捏造なんてない!」 こんな人がいた狂大の考古学をめざしてたのかw
小便鬼 古田
662 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 00:23:40.52
K林「必殺伝世鏡!」 こんなのが名誉教授で S原「畿内の鉄は腐るんだ!ホントはあったんだ!」 「捏造なんてない!」 こんな人がいた狂大の考古学をめざしてたのかw
663 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 00:30:42.20
664 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/29(木) 00:43:27.24
T大の崇神世=卑弥呼の呪縛が解けない限り解明は無い。
665 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 02:33:55.67
>>621 論点をずらすなよ
お前は「古代中国王朝の地理感は龍谷大学の混一図(=日本は南北に細長)しかない」って言ってるんだろ
しかし中国の文献で「日本は東西に細長」ってのが複数ある。かつ「南北に細長」は一つも無い
龍谷大学図以外の地理感があった事が明らかな以上あんたの説は否定される
そこを無視すんなよ
666 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 03:01:56.29
>>665 >「日本は東西に細長」ってのが複数ある
しらんなあ。
ローガン氏は知ってるかね?
667 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 03:23:02.58
>>666 隋書等で日本について「東西五月行」「南北三月行」、すなわち東西に細長と書いている。
調べれば分かる事だよ
669 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 04:58:28.79
夢幻は龍谷大学所蔵の混一図のみ採用し本光寺図・天理大学図・本妙寺図は無視 自説に都合の悪い資料を無視するのでは話にならない
670 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 05:25:04.48
>>667 ヤマト王権が日本統一してからの情報だろうが。
>>665 読解力のない奴は面倒臭いよ ヤレヤレ
>お前は「古代中国王朝の地理感は龍谷大学の混一図(=日本は南北に細長)しかない」って言ってるんだろ
誰がそう言ったんだ?
「混一」は端的にその地理観を表しているが、これしかないとは言ってねえぜ。
中国の「混一」以前の古地図に日本をまともに書かれたものは存在しない。
何回も言うが「混一」に行基図が取り入れられた部分は「方位」ではなく「形」だ。
それまでただの丸島みたいなのが南に存在するとしたものの形をいくらか正確にしただけだ。
こういう出鱈目地図しかない(中には日本が描かれてない物もあるという)
ことを根拠にしてるんだよ。
文献に東西に長いという記録がありながら
多くの現場の人間から情報を得ようとすれば得られる状況にありながら
少しの調査、というか情報確認をやれば出来たはずでありながら
なぜまともな地図が存在しないか俺の説以外で説明出来るか?
古代歴代中国王朝は日本を軽視し関心が薄かったからだ。
東夷の島国などどうでもよかった。だから日本の正確な地理などに興味などない。
ないからまともな地図もない。当然まともな地理観もない。
「混一」的な地理観なら倭人伝はすべて説明がつく。
すべてに説明がつくことを否定に躍起になる理由はなんだ?
>>640 別に昼夜ぶっ通しで航海しなくても北九州から富山くらい二十日で行けるだろ。
釜山〜対馬の距離を20倍したそれ以内なら何の問題もないはずだが。
ま、そこは今はどうでもいい。
次に話そうと思っていたとこにいい塩梅のレスをお前がしてる。
>この「持衰」による願掛けは中国に詣でる時にやる物だと出ている。
これも少なくとも九州説は成り立たない証拠になる。
続きは帰宅してからの後程。
>>671 当時、軍隊にとって地図は機密情報じゃないかな。
残っていない→興味がない とは言えないと思うけど。
674 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 08:12:08.80
こと方角に関してこの 無限尿 とか言うゴミクズが言っているのはあくまで
「東北”でも”比定可能」と言う話で
「東北で”しか”比定できないという話ではない。
>>643 の内容をもう一度書いておくが
(A)畿内説・東北説(邪馬台国が九州以東)
現地からの情報は「東」→大陸の中国人の地理観に合わせて「南」に修正される。
(B)九州説
現地からの情報は「南」→大陸の中国人の地理観に合うのでそのまま「南」。
…つまりどっちにしても「南」になるわけで方角の件に関して九州説を否定できる理屈にならない。
675 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 08:19:22.67
>>672 無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説)
>対馬の距離を20倍したそれ以内なら何の問題もないはずだが。
” 以内 ”と言うのなら山陰も山陽も以内だドアホウ。
このゴミクズ無限尿が畿内説を”否定”する為には投馬への二十日で余裕で山陰山陽を過ぎる
どれ程ゆっくりした航海でもあまりに近すぎる…ということを立証しなければならない。
そんな材料はここまで何も出ていない。
このゴミクズは自分が広げた風呂敷の大きさを既に失念している。
「東北で”しか”比定できない」と知ったかぶりで大口叩いて、結局ほざいているのは
「東北で”も”比定できる」と言う内容止まり。
自分が言ったことの内容すら整理できていないゴミクズレベル。
>>674 修正なんかされねえよ。「無視される」あるいは「一顧だにされない」だ。
>>675 以内でもナメクジが這うようなスピードの到達地点はないと言ったことも理解できないか。
馬鹿相手してると話が進まんわ。こいつらしばらく放置 ワラ
677 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 09:01:51.58
ちなみに対馬海流がwikiだと
>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E9%A6%AC%E6%B5%B7%E6%B5%81 >流速は流軸付近で毎秒50cm程度である。
と言うから仮にこの数字で計算するなら時速にして1.8Km/h
夜間を避けて昼間だけで、無限尿に倣ってw8時間で計算すれば
1.8Km/h×8h で一日約10km程度。
二十日で200kmだ。
これに漕ぎによる部分がプラスされるが過去の再現実験だとあまり期待できる物ではない。
無論古代人に何らなのノウハウがあってもっと効率がよかったかもしれないが過大評価もすべきではない。
やはり潮の流れに負うところが大きかったのだろう。
まあ、そもそもこの速度は「流軸付近」と言うから船を海に出していきなりその恩恵を受けられると言う話でもない。
陸に挙げた船を海に出し海流に乗る為沖合いまで漕ぎ出す手間隙もかかる。
潮待ちの時間だって考慮しなければならないだろうし
多分これは素人による話にならないような甘すぎる計算で現実はもっとシビアなんだろうが
何れにせよ投馬を出雲や吉備に想定して「二十日ではあまりにも近すぎる」となるような不都合も無い。
「持衰」にいこう。 これは願掛けなんて生易しいものじゃない。人柱といっていいものだ。 航海に厄災がないように、持衰がすべての厄災を引受ける身代わりとなるものだ。 何事もなく無事航海が済めば褒美を与えられるが 遭難するどころか一行に病人が出ただけで持衰は殺される。 身体を洗うこと衣服を洗うことを禁じられるのは、できるだけ持衰が穢れることで 厄災を引きつけ引受けさせるためだろう。 生口といわれた奴隷のような最下層階級がこれに当てられたかもしれないが 生口はいわば国内人種差別だから違うかもしれない。 同じ人種だが出身地か何かで下級人種とされた者がいて人種差別されていたのだろう。 人種差別は「人を差別すること」ではない。「人間を人間として扱わない」ことだ。 大事な航海の身代わりを「人ではないもの」にしていては「人柱」にならないからな。 まあここはわからないが、ともかく人命を賭けた一大事であることは確かなことだ。 ここから九州説は成り立たない、言いすぎなら極めて考えにくい、なる。
679 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 09:16:40.91
古代の航行を話される時によく出てくる”例の”「なみはや号」(まあ結果がアレだった奴w)
検索すればいくらでも拾えるだろうが、とりあえず今個人のサイトだが画像を拾ってみた。
http://www.geocities.jp/tadoru_ono/osaka-118-1.html 見れば…と言うか見なくても分かるんだがw
左右に漕ぎ手を並べれば幅は一杯。
(確か何本かの丸太を張り合わせる…という技術もあったと思うが弥生時代にあったかどうか…
それにそれで幅が数倍になるようなものでもなかったはず)
これに積荷が加わる。
この上に何日間(無限尿と言う阿呆は二十日間無寄港を考えているのか?)もの食料や水を積むのか?
無論途中寄る島もないような海域を突っ切るためやむ得ずそう言う状況になる事もあるだろうが
沿岸沿いに進んでいけるのに何故そんなリスクを負う必要があるのか?
この無限尿と言う馬鹿の言うことには一々リアリティが無い。
先ず最初に「オレサマ説ありき!アレサマ・アズ・ナンバーワン!」の物事を冷静に考えることができない単細胞生物以下リサイクルもできないゴミの中のゴミ。
680 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 09:20:14.42
>>678 だろうだろうってなんなんだよ。
分からないが確かなことだ!ってお前アタマおかしいんちゃう?
681 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 09:21:22.20
>>678 無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説)
例によって馬鹿丸出し
それは「九州からなら極めて安全ほぼノーリスク」と言う一種「たら・れば」を前提としただけの話。
根拠にならない。
邪馬台国が九州のどこにあったとしても大陸への航海は伊都国からだろう。 伊都国から狗邪韓国の入り口、おそらく釜山あたりまで対馬経由を考えても二日。 ここから帯方郡まで水行七千里だから伊作説を取るまでもなく水行七日。 合計十日にも満たない。 航海自体が往復合計二十日に満たないものでそんなに危険度が高いものじゃない。 大事な使者を乗せた大事な船だから、という理屈は立つが 人柱を立てねばならないほど困難な旅程ではないだろ。 もし生口にされるような人扱いされていない最下層人種でない者を持衰にしていれば尚更だ。 伊都国からの旅では人柱は大袈裟すぎる。 しかしこれに合計水行三十日を加算したものならどうだ? 邪馬台国からの総水行は片道最低39日、往復80日くらいの長い航海になる。 数々の厄災を心配しなければならない長旅になる。これなら人柱を立てる意味が出て来る。
683 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 09:23:49.94
伊作にまで相手にされないなんて可哀そう 新潟帰った方がいいよ。
684 :
681 :2011/12/29(木) 09:26:18.18
そもそも人柱による願掛けしなければならないほど危険ならば 天候が変わっても直ぐに陸に上がれるように沿岸沿いに 無論夜の暗闇を避けて昼間だけ 日毎に寄港する…のが当然の選択だと思うのだが 東北邪馬台国の人間は余程チャレンジャーだったのかとwwww 馬鹿の与太は言えば言うほどいびつな物になってくるwwwwwwww
685 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 09:30:26.10
>>682 無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説)
>伊都国からの旅では人柱は大袈裟すぎる。
だからそれが単なる「オレサマ基準」で根拠が無いというのが分からないのかゴミクズ脳w
686 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 09:36:29.00
混一図を持ち出した時点で夢幻如は負け犬w
687 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 09:41:10.35
>>676 無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説)
>修正なんかされねえよ。「無視される」あるいは「一顧だにされない」だ。
…ったく下らないツッコミしかできないクズだな、どっちでも同じことだ阿呆。
じゃあ
>>674 を以下に修正
(A)畿内説・東北説(邪馬台国が九州以東)
現地からの情報は「東」→大陸の中国人の地理観に合わせて現地の情報は無視され「南」とされる。
(B)九州説
現地からの情報は「南」→大陸の中国人の地理観に合うのでそのまま「南」。
…つまりどっちにしても「南」になるわけで方角の件に関して九州説を否定できる理屈にならない。
ゴミがゴチャゴチャうるさいが無視 ワラ 航海は帰ってこなけりゃ無地だったかどうかの確認が出来ない。 だから帰港までは往復総水行に向こうでの滞在期間が加算される。 仮に滞在期間約一ヶ月としよう。 伊都国からなら出航から帰港まで一ヶ月半から二ヶ月になる。 持衰はこの間身体も衣服も洗えないわけだから相当汚れる・・・と思いきや、だ。 一ヵ月半や二ヶ月程度ではそれほど汚れるものじゃない。 二ヶ月程度の新米ホームレスなんて、十分に見られるものだ。 垢で顔や腕、足などが黒光りするようになるには最低数ヶ月はかかるらしい。 夏物でも冬物でも二ヶ月毎日着たとして見られないほど小汚くはならんだろ。 持衰は汚れて汚くならなくてはならないものだ。 汚れるほど、汚くなるほど穢れを纏うことになり、それだけ厄災を引受けたことになるからだ。 総水行80日に滞在期間約一ヶ月を加算した総日数で4ヶ月近くなれば持衰の汚れはかなりになる。 四ヶ月の汚れは二ヶ月の倍にはならない。 汚れだしたら加速度的に汚れは酷くなるから単純な倍以上の汚れになる。 汚し、穢すための持衰を立てるならこのくらいの期間があって然るべきなのよ。 ここから邪馬台国が九州にあってはかなり持衰が不自然になる。 北九州〜投馬国、投馬国〜邪馬台国の合計水行三十日がなければ持衰は意味を持たない。 九州説はここからも極めて考えにくくなる。 九州説論者、反論あるか?
689 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/29(木) 09:58:00.36
君らはみんな○○だな。 持衰の話は倭人の風習の話であって、倭の王の遣使とは関係ない。 また、持衰の話がほんとうに倭人の風習だったかどうかも不明である。 なにしろ倭人伝の風俗記事は南方の習俗が混入している可能性があるのだ。
690 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 10:00:19.93
>>682 >邪馬台国が九州のどこにあったとしても大陸への航海は伊都国からだろう。
そんなワケないだろ。神功皇后の三韓征伐や大伴狭手彦は現在の唐津ら辺から出兵してるし、帰国の時も唐土の裏に入船してる。
691 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 10:00:23.06
>>688 無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説)
>夏物でも冬物でも二ヶ月毎日着たとして見られないほど小汚くはならんだろ。
>持衰は汚れて汚くならなくてはならないものだ。
これもオレサマ基準まったくの根拠なし。
大体「衣服垢汚」がどの程度の物を指しているのか分からない。
そもそもその風俗が九州説が陸行水行してやっとたどり着くとする(倭地の中の)邪馬台国の風俗とすれば矛盾は無い。
平行線で循環するだけだゴミ。
寝ちゃいそ・・・
693 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 10:07:50.40
逃亡w
694 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 10:15:41.06
(無)不彌國から先、水行計30日、陸行一月の邪馬台国は東北 ↓ (無)なぜなら中国での滞在期間に上記を足せば十分「持衰」はヨゴレになる ↓ (九)九州の邪馬台国からならその時間もかかるが? ↓ 最初に戻ってくーるぐーる…とw 結局この話も無限尿のゴミクズの 「あの膨大日数は九州内では消化できない」と言う前提ありきで始まっている。 他説の否定を前提とした物を根拠に他説を否定するというのは何のことは無い、単なる循環論法。
695 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 10:16:18.53
夢幻如は勉強不足だなw 6世紀でさえ唐津から島伝いに最短距離の航海で朝鮮半島に渡ってるんだよ。 当時の航海はそれ程大変だったってこと。 何が伊都国からだw
696 :
19歳某国立大生 :2011/12/29(木) 11:01:55.34
新潟といえば翡翠がとれる産地か。
697 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 11:35:41.51
夢幻如っておもちゃはもう壊れたの?
698 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 11:47:22.70
>>671 >>474 >古代中国王朝では「そういった地理観しかありえない」んだよ
自分で書いたこと位覚えておきなさいよ
699 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 11:54:35.21
もうフルボッコ。
700 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 11:57:08.57
>>671 「混一〜」の本光寺図・天理大学図・本妙寺図では日本の位置はまともだ
これらは無視か
>「混一」的な地理観なら倭人伝はすべて説明がつく。
そりゃあどんな説でも自説に都合の良い資料のみをツギハギすれば説明がつくだろw
701 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 12:10:45.43
無限尿の場合「これで説明がつく」だけじゃあ駄目。 「これ(東北説)でしか説明がつかない」じゃないと…
703 :
都城で逝ってみよう♪ :2011/12/29(木) 13:23:55.85
末羅は唐津、 伊都は久留米、 奴は日田、 不弥は別府、 投馬は延岡、 邪馬台国は都城、 そして狗奴は鹿児島です。
704 :
都城で逝ってみよう♪ :2011/12/29(木) 13:33:36.05
素直読みならこれが一番です。
オラが町の邪馬台国。
706 :
都城で逝ってみよう♪ :2011/12/29(木) 13:55:47.38
私はハマっ子でありんす。
無限尿は、自分の出身地=新潟のそばに、 邪馬台国を持っていきたいだけ。おまけに ヤマタイ=八マンタイというゴロ合わせ付き。 だから、無理強いや屁理屈を繰り返す。 所詮、利益誘導型の利己主義邪馬台国論。
708 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 15:00:36.21
いさくはくさい
伊作位牌臭い
ウマス
>>689 ○○はおめえだ。魏志倭人伝の記述を否定するなら邪馬台国論争から撤退しな。
>>690 唐津なら末廬国だろうが、同じ。伊都国からとまったく同じ。
わからんか、馬鹿頭。
>>694 >「あの膨大日数は九州内では消化できない」と言う前提ありきで始まっている。
出来ない。絶対に出来ない。
「万二千里が実距離ではない」ことを証明したことで九州は連続説でも放射説でも消えてるんだがね。
持衰はその補完、補強だ。
キャンキャン言うだけでまともな奴はいないねえ プ
新潟をキャンキャン宣伝する奴にまともな奴はいないねえ プ
713 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 16:21:43.72
>>711 >唐津なら末廬国だろうが、同じ。伊都国からとまったく同じ。
何が同じなんだよw
もう少し歴史勉強して出直せ。
お前の言うように当時の航海が安全ならば、わざわざ末廬国まで行かずに伊都国から真っ直ぐ壱岐や対馬に向かえばいいだろ?
それをしていないという事は6世紀でさえ航海のリスクが高かったからなんだよ。
だいたい何を考えて伊都国からなんて言ってるんだ?
× 唐津なら末廬国だろうが、同じ。伊都国からとまったく同じ。 ○ オラが村=新潟の宣伝なんだから、なんだろうが全く同じ。
715 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 16:27:05.48
>>711 >○○はおめえだ。魏志倭人伝の記述を否定するなら邪馬台国論争から撤退しな。
自分で言ってたら世話ないなw
東と南も分からんようじゃ話しにならんよ。
消えな
716 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 16:29:07.10
>>711 「万二千里が実距離ではない」ことを証明した
すまんがどういう理屈で証明したのか教えてくれ
このスレを見返しても該当の書き込みが見当たらないんでね
717 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 16:31:25.75
>>711 >「万二千里が実距離ではない」ことを証明したことで九州は連続説でも放射説でも消えてるんだがね。
お前何一つ証明できてないから
× 「あの膨大日数は九州内では消化できない」と言う前提ありきで始まっている。 ○ オラが村=新潟の宣伝と、ハチマンタイ=ヤマタイのゴロアワセと言う前提ありきで始まっている。
九州説否定をまとめるか。 (1)一連と見られる国・行程紹介での「到、至」の使い分け (2)伊都国を境に消滅する観察記述 (3)里程表記から時間表記に切り替わる距離紹介 以上のことから倭人伝冒頭の国・行程紹介で示されている報告書作成の使者は 伊都国までしか行っていない。他は「伝聞」だ。 これは先遣調査隊だが、九州内に邪馬台国があるなら伊都国で止まることはあり得ない。 最も詳しく調査すべき対象の邪馬台国を外すはずがない。だが外れている。 邪馬台国が北九州から遠隔にあり、時間を無制限にかけられない調査隊は行けなかったからだ。 ここから邪馬台国は九州内に存在しなかったのは明らかだ。
(4)「万二千里は実距離ではない」 狗邪韓国のおそらく現・釜山〜対馬、対馬〜壱岐、壱岐〜北九州の末廬国 これがすべて海里で千余里。これは「水行一日」の置き換えられる。 釜山〜対馬を「水行二日」かかるかもという者もいたが 実距離で一番短い壱岐〜北九州も千余里と釜山〜対馬と同等に書かれている。 ここからすべて「水行一日」と置き換えて間違いないはずだ。 連続読みの場合 不弥国から投馬国までは「水行二十日」これを対馬国、一大国、末廬国紹介で得られた 「水行一日=千里」を当てはめると二万里になる。 これだけで帯方郡から邪馬台国の総距離「万二千里」をオーバーする。 放射説の場合 伊都国を基点にして邪馬台国までを「水行十日陸行一月」と見た場合 伊都国から邪馬台国までの水行だけで一万里になる。 郡を出て末廬国までに既に海里で一万里を費やしているので、これも「万二千里」をオーバーする。 基点が末廬国でも同じ。 倭人伝記述では「水行一日=千里」である以上、邪馬台国を九州内にもってくるには (a)「水行十日陸行一月」は帯方郡からの行程である (b)「水行」「陸行」は実際の経過日数を表さない この二点くらいしか対抗論はなくなるが、(a)なら超勝手解釈になるし (b)なら元々「里はいい加減なもの」と認めることになる。この説明は必要あるまい。 九州説の基盤になる「万二千里」も実距離ではないと以上で証明できる。 九州説が「万二千里」を実距離としているのは帯方郡から末廬国までに一万里を消化して 残り二千里なら九州内に収まるからだが、これは成り立たない。 (5)「持衰」の存在も吸収否定の傍証になる。
お、細かな誤記が・・・ワラ まあいいか、わかるだろ。
>>716 説明したぜ。「千余里」を「水行」に置き換えることですべてがわかる。
この表記方法の置き換えに気づきさえすれば「万二千里」が実距離でないことは
誰にでもわかることだ。
あとは馬鹿ばっかだから無視 ワラ
723 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 17:06:49.34
証明じゃなくて単なる仮説じゃんかよw まぁそういう解釈もあり得ますね、としか言いようが無い
「倭人伝の万二千里は実距離ではない」 これを初めて証明したのは俺になるのかもな〜 ゲラ 倭人伝の中で距離表示は里程表記と時間表記の二つある。 この二つをもう一方の表記方法に置き換えるという単純極まりない発想を なぜ誰も今までやってこなかったのか? 「結論先にありき」で頭が固いからだ〜よ、っと プ
>>723 これは仮説じゃないよ。証明だ。わからんか、馬鹿頭。
どこにも「推論」は入っていないし独自の解釈も入っていない。
倭人伝記載の千里の航海は現実で一日だ。
どこかに疑問があるかい?
726 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 17:17:19.76
「万二千里は実距離ではない」は「水行一日=千里」という仮説に基づく仮説でしかない 自分で書いてて分からないのかな?
無限尿はカス
つーかこのアホは単に引っかき回したいだけだろ 自分でも信じてはいないだろ こんな穴だらけの説を
729 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 17:19:59.86
>>726 お前頭大丈夫かよ プ
千余里と書かれた航海の実際の日数を考えろ。ここは現実計算だ。
千余里を水行一日としたのは仮説ではなく現実。わかる?ボクちゃん。
>>729 答えるべきものは何もなさそうだがね プ
今日は少し早出だ。年末だというのにね。ここまで。
732 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 17:34:11.15
>>731 都合が悪いとダンマリか
みっともないね〜
733 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 17:40:03.10
>>730 千余里を一日で移動したと解釈可能な記述があるってだけの話でしょ
仮説の域をちっとも出てない
あなたはどれですか? 1 邪馬台国はなかったと思っている人 2 邪馬台国は沈んだと思っている人 3 邪馬台国は太平洋上のどこかだと思っている人(タヒチ、イースター島、その他) 4 邪馬台国は東アジアではないと思っている人(ペルー、エジプト、その他) 5 邪馬台国は地球上ではないと思っている人(冥王星、アルファケンタウリ、その他) 6 邪馬台国は中国だと思っている人 7 邪馬台国は台湾だと思っている人 8 邪馬台国は朝鮮だと思っている人 9 邪馬台国は四国だと思っている人 10 邪馬台国は九州だと思っている人 11 邪馬台国は琉球だと思っている人 12 邪馬台国は北海道だと思っている人 13 邪馬台国は樺太だと思っている人 14 邪馬台国は本州のどこか(畿内以外)だと思っている人(富山、亀戸、その他) 15 邪馬台国は畿内だと思っている人 16 畿内だとは思っていないが畿内だと嘘を言う人 17 週刊誌に書いてあるから畿内だとわめくハナタレ
735 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 18:27:44.82
>>734 >15 邪馬台国は畿内だと思っている人
これかな。普通。
教授陣が代々「畿内説」を継承してしまった以上、 いまさら畿内説は間違いでしたと謝罪して、 あっさりと九州説に転向するなんて、 絶対にできません。
738 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 18:41:28.14
詐欺ってのは、九州説の本が売れるから九州説の本を書いて儲けてる安本とか関とかのことだろ。
739 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 18:43:10.68
もう東北だろうが九州だろうが「すなお読み」「暗号解読ゴッコ」は少しうんざりなんで 箸休めに古代の航行についてw 潮の流れが大きく関係したと言われる歴史上のイベントといえば 源平の戦いのクライマックス「壇ノ浦」がある。 巷間言われているのは流れが逆転してそれが勝敗の帰趨を決したと言うもの。 誰もが一度は聞いたことがあるだろうが(自分も最近までそう思っていたw)どうも現代じゃあ否定的みたいらしい wiki『壇ノ浦の戦い』 ここに潮流の速度が出ている >この黒板説については、近年になって反論が出され、海事史の金指正三博士は潮流のコンピュータ解析を行い、合戦の行われた日は小潮流の時期で、8ノットという早い潮流は無く、 >また大正時代に潮流を調査した場所は最も狭い早鞆瀬戸であり(ここで千艘以上の兵船で戦うことは不可能)、広い満珠島・干珠島辺りの海域では潮流は1ノット以下であり合戦に影響を与えるものではないとした[4]。 >海上保安庁の潮流の調査に基づいても、合戦の行われた早鞆瀬戸より東側の海域では1ノット以下という結果が出ている。 対馬海流でも(地形によるもの?)最大3ノットと言うのがあるが大体平均で1ノット程度 ※ 1ノット=1.852km/h 漕ぐことによりプラスアルファがあっても主に潮の流れに助けられたのなら 実にゆっくりした速度だ。 しかも時間帯によりこれが向かい風ならぬ向かい潮になる。 そんな時に海に漕ぎ出す馬鹿はいない。 当然「潮待ち」の時間がかなりある。 こうやって考えれば延喜式で大宰府まで30日と言うのは何ら矛盾の無い妥当な数字。 無限尿とかいうゴミは根拠なしにその数字にイチャモンをつけ 考古学に対しどうのこうの垂れておきながら自分は出土さえなく確認されていない古代の帆船を妄想している。 全ては先ず「オレサマ説ありき」我田引水牽強付会まあゴミの中のゴミ。
740 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 18:43:45.49
井沢なんとかは、九州説だったくせに、さすがに最近は恥ずかしくなって畿内説に転向したそうじゃないか、 これだけ、畿内説が常識になってるんだから、生き残りたければ、畿内説を採るしかないよな。
741 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 18:50:17.02
>>740 え?そうなん?w
以前安本式の東遷説から奠都説に転向したのは何処かの本の中の森浩一との対談で見たがwww
(奠都説の場合九州邪馬台国と纏向が並存していても構わず
とりあえず考古学的に無茶振りしなくて済むwwwwww)
| / ̄ ̄ ̄\ / .\ .| .∧ | .| ./川\ | \/┏┷┓\/ 。┃祝┃。 ゙ # ゚┃!┃; 。 ; 。 ・┃九┃・ # 。 ;゙ #┃州┃# 。 ゙・# : ┃説┃。 ; 。 .;:# ゙。゚┃!┃゚ 。 # ; 。;; ゙.:。┗┯┛。 # : # ∧_∧ │ . ( ´・ω・)│ オメデタス :/ つΦ
__ | | | 畿 | | 内 | | 説 | ,,,. | | ,'"';, 、''゙゙;、). | | 、''゙゙;、),、 ゙''!リ'' i二二二二!゙''l!リ'''゙ ‖ `i二二二!´ ‖ 昌 |: ̄ ̄ ̄ ̄:| 昌 | ̄:|_|;;;l"二二゙゙l;;|_| ̄:| | :|::::::| |;;;;;;;;;;| |::::| :| | :|::::::|┌─┐|::::| :| ./゙゙└‐┴ ┴l,,,,,,,,,,l┴┴‐┘゙゙゙゙\ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  ̄|三|三三|三三三三|三三|三| ̄ | |::: |: : : : |:: | | | |::: |: : : : |:: | | /_|::: |: : : :.|:: :|_ヽ _|___|;;;;;;;;;;|,;,;,,,,,,,,,,,,,,,;,;,|;;;;;;;;;;|___|_ l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l
744 :
739 :2011/12/29(木) 18:57:15.01
しかしこうしてみると今まで古代の船を再現して 実際に航海にトライしてもトホホな結果に終わっているのはw 再現された船の構造とかの問題より 古代人が如何に潮の流れを熟知していたかと言うことではないか? 無論今のその地の漁業関係者とかなら相当詳しいだろうが 動力船もなく多分に潮任せだった古代人はそれこそその知識が命綱だったんだろうと・・・
潮の流れの熟知もあるだろうが3世紀頃なら奴隷労働で漕がせたからじゃね
746 :
19歳某国立大生 :2011/12/29(木) 19:10:55.92
狗奴国は武埴安彦よりも東国経営の過程で衝突した 東海エリアとみるほうがいいか。
747 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 19:12:49.72
そう言えば狗奴国=東海説に関して名大的にはどうなんだ?w
748 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/29(木) 19:16:16.42
夢幻如の説は夢幻の如し 報告書作成の使者。先遣調査隊。そんなものがいるはずがない。 持衰。倭の王の遣使がそんな原始的な舟に乗って渡海したと思っているのだろうか。 水行一日=千里。狗邪韓国から末廬国まで、渡海しようと思えば一日で渡海できるのではないのか。 一日で狗邪韓国から対馬までしか渡海できないとどこかに書いてあるのか。 >倭人伝の中で距離表示は里程表記と時間表記の二つある。 >この二つをもう一方の表記方法に置き換えるという単純極まりない発想を >なぜ誰も今までやってこなかったのか? そんなことは実に多くの人が試みているはずだが夢幻如は知らないのか。
>>733 腐れ頭かわいそ〜 ゲラ
対馬や壱岐さらに北九州へと示された千里を水行表示にに置き換えたらどうなるか。
答えは一日しかないんだよ、低能。他にあり得る解があるなら出してみろ。
魏志倭人伝で示されているのは「海里千里=水行一日」
これは仮説ではない。
認めたくないからといってな、馬鹿こいてんじゃねえよ。
あまりの馬鹿さに通勤時間につい書き込んじまったぜ ワラ
>>732 何が都合悪いのかさっぱりだ。
読解力ない奴の突っ込みは理解に苦しむよ プ
751 :
19歳某国立大生 :2011/12/29(木) 19:19:21.40
混一地図の地理認識でいえば女王国エリアの南に狗奴国があるので 我々名古屋エリアが狗奴国の領域となるだろうw 男王もいて女王国と対抗しうるだけの力もあったようなので、 濃尾平野を中心に東国に勢力を伸ばしていた国とみていいだろう。
752 :
19歳某国立大生 :2011/12/29(木) 19:36:39.25
だいたいもうあらかたネタは出尽くしたか。 しばらく歴史の勉強はお休みして遊ぶ。 飽きてきたし、オタクも多いから気持ち悪くなってきた。
>>739 おいカス。
魏志倭人伝は釜山〜対馬を一日で航海していることを示している。
これは無視か?
日速15kmや18kmなんてのはあり得ねーんだよ。
一日8時間航海としたら時速2kmくらい。歩く速度より遅い。
俺はあまりTVを見ない人間なんだが、前にたまたま見た番組で面白いのがあった。
珍獣ハンターで売れたイモトが佐渡から新潟のどこかまでタライ舟で渡る企画をやっていた。
一回目は失敗らしかったが、俺が見た二回目チャレンジで成功している。
確か二日とかからず成功していたはずだ。
ちっこいタライに一人で乗り櫂一本だけで「水行一日」で佐渡から本土に達している。
日速15kmや18kmなら、古代船はイモトのタライ舟以下だな ワラ
754 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 19:43:13.85
「海流」つながりでもう一丁www
気象庁の「日本海 日別海流」データ
http://www.data.kishou.go.jp/kaiyou/db/maizuru/daily/current_m.html 年・月・日を自由に変えられるがとりあえず「月」を1月から今の12月まで変えてみると
沿岸部の海流が活発になるのはどうやら夏場みたいだ
今の12月なんか場所によって表示すらなくなっている。
(まあやってみれw)
(…といってもやはり精々1ノット(1.852km/h)程度、そもそも白〜青の濃淡で速度を表しているその数値の上限が1.5ノット)
大陸半島から九州以東に渡る為に日本に来るならやはり夏場が良さそうだw(それが魏使とは限らないが)
それは末盧国で前を行く人間が見えないほど草木が茂り鰒漁のシーズンと言えば夏と言うことにも合致するw
「お前の脳内常識」が、魏志倭人伝にも通用すると考える方がどうかしている。
>>748 お前は明日そのレスをボコボコにしてやる。
楽しみにしてな。
じゃあな〜
以上、新潟に利益を誘導する無限尿の、自己宣伝でした。
ヤマタイとハチマンタイをゴロ合わせして、新潟の宣伝を思い付きました by無限尿
759 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 20:21:04.89
距離に関しては夢幻如の説は説得力ある。万二千里の証明はどこにも齟齬がない。
760 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 20:25:33.67
対馬−釜山の陸地間最短距離で50キロ程度 主要港だと百キロ近い。 海里(1ノット時で1海里)に直すと、 50キロ=27海里 100キロ=54海里 一日で渡海するには、 ちょっと難しい距離だね。 ちなみに遣唐使船南航路、約900キロ≒486海里を 最速で8日、通常20日程度で移動している。 24時間帆で航行していたと考えると、 最速のケースで時速2.5ノット 通常のケースで時速1ノット程度。 対馬海峡は潮流が早い所で1ノットくらいあるから、 45度くらい斜めに流されることになる。
ヤマタイとハチマンタイをゴロ合わせして、 オラが村=新潟の宣伝を思いついた無限尿の 涙ぐましい徒労には説得力がある。
762 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 20:44:52.46
>>753 無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説)
ん?別に無視してやってもいいんだがなゴミカス。
先ず本当に一日であった根拠を聞かせてくれ。
で「壇ノ浦」でも出ていたが陸地と陸地に挟まれた狭くなった海域では局地的に海流の速度が上がる(当たり前だが)
既に紹介したサイトに出てたんだが対馬海峡で海流が夏場最大3ノットになると出てた(現在この話の裏は取れてないんだが)
夏場なら昼の時間も長い、釜山・対馬間が大体60kmか?3ノットの12時間なら人力のプラスも考えれば一日でつけるが
日本海のようなところに出てしまうとそう言う地形による流速の上昇も無くなる。
無数の島々のある瀬戸内海なら局部的に速度の速い海域がありそうだが流れの向きの変化が大きそうだ。
…以上理屈の上で何の不都合も無いが?
(まあ対馬海流を利用したとしたら半島から日本へは釜山より西、
日本から半島へは対馬の北端より南端の方がいいのかも知れんが)
「現実計算を考える頭はねえかい?」…とはお前の台詞だったがゴミクズw
763 :
762 :2011/12/29(木) 21:10:11.14
対馬海流の速度で個人のサイトではなくて公的な機関ポイ所と言うことで
「福岡県立大学人間社会学部紀要」とされる物を見つけたんで出しておく
http://www.fukuoka-pu.ac.jp/kiyou/kiyo18_2/1802_okamoto.pdf それのp84に
>黒潮の分岐である対馬暖流の主流は、本州北岸に沿って、最大流速2〜3ノット(1ノット=時速1852m)で北上しているといわれる。
と出ているが
先の気象庁のデータでも夏場の日を適当に変えれば日によっては
沿岸部の海流の表示がひょこっと消えている日もある。
仮にこの数字をコンスタントに期待できるとしても
その海流を利用するならかなり沖合いに出なければならないのだろう。
…ところで照会先の資料、p81あたりからトンでもない地図が載っているwwwwwwww
チョッとあとで読んでみるわwwwwwwwwww
765 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/29(木) 21:56:55.98
水行十日陸行一月 これは普通、順次式と放射式で読まれているが、次のような読み方もあると思う。 1 まず陸行して、それから水行したのだが、投馬国へ水行と書いた関係上、文章的体裁を考えて水行陸行と書いた。 2 水行したり陸行したり水行したり陸行したり…しながら行ったのだが、水行の合計が十日、陸行の合計が一月だった。
766 :
メ :2011/12/29(木) 22:16:17.91
あ〜仕事疲れて帰ってきてレスする気になれんワw てことで誰か書き込み宜しく。
768 :
メ :2011/12/29(木) 22:17:45.97
しかし良いネタ出てないなw
日本の船は伝統的に櫂が有る 一生懸命にこぐのが伝統
770 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 22:50:26.10
>>750 >>671 >>お前は「古代中国王朝の地理感は龍谷大学の混一図(=日本は南北に細長)しかない」って言ってるんだろ
>
>誰がそう言ったんだ?
>>474 >古代中国王朝では「そういった地理観しかありえない」んだよ
逃げちゃ駄目だよ
771 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 23:05:27.50
>>753 だからさ〜あんたの言ってる事は「そういう解釈も成り立つ」ってだけなのよ
百歩譲って千里を一日で移動したという記述だったとしよう
だからと言って他の「水行○日」という記述の水行一日分を千里と読まなきゃいけないってことにはならんのよ
数ある解釈の一つとしては素晴らしいと思うけど、他の解釈を退けるものでは無い
772 :
日本@名無史さん :2011/12/29(木) 23:35:08.16
>>750 卑怯者には質問を変えよう
古代中国王朝の地理感は
・「混一〜」の龍谷大学図的地理感しかない
・上記以外の地理感もあった
あんたの見解はどっち?
あまり虐めるなよw
>>772 休憩時間とはいえ仕事中に2ちゃんなどやっちゃいけないんだがなぁ。
あまりの馬鹿さについつい ワラ
ようするに国語力がないゆえの馬鹿質問てことか。理解出来た。
>「古代中国王朝の地理感は龍谷大学の混一図(=日本は南北に細長)しかない」
これなら答えは NO
>「混一〜」の龍谷大学図的地理感しかない
これなら答えは YES
解説してやらなきゃ理解出来ないか?出来ないだろうな、馬鹿だから ゲラ
お前、中学の国語からやり直した方がいいんじゃないかね。
説明はしてやらん。考えな プププ
他人を馬鹿呼ばわりして 自分はヤマタイ=ハチマンタイのゴロ合わせと オラが村=新潟の宣伝目的の邪馬台国論かよ。
776 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 08:38:12.17
>>774 お前の浅学ぶりはよく分かったからもう消えな
777 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 08:57:35.05
>>774 論点ずらしに必死だねぇ(苦笑)
まぁそれはいいとして
>>「混一〜」の龍谷大学図的地理感しかない
>
>これなら答えは YES
隋書などの中国正史では日本について「東西五月行」「南北三月行」と書いている
すなわち「「混一〜」の龍谷大学図的地理感」以外の地理感があったという事
従ってあんたの説は間違っている
いい加減に認めろ
778 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 09:42:26.11
無限尿は要するに 「Aという記述(一日で千里航行した)を信用するとBという記述(万二千余里)が成り立たない」 という命題に対し 「故にBという記述は間違っている」 と言ってる訳だが、この命題には 「故にAという記述は間違っている」 という解も成り立つ つまりどっちの記述を信用するかってだけの話だ 証明でも何でもない (まあそもそも「水行一日=千里」と読めるのかという疑問があるが、この際そこには触れない)
>>776 馬鹿はどこまで行っても馬鹿ってか プ
まず、
>>774 でコピペした二つの文をお前は同じ意味だと思っている。
中学の国語からやり直せ。
いくら文献に書いてあろうが ”地理とは究極的には正確な地図を得ること” だ。
まともに日本を描かれた「混一」以前の中国古地図は存在しない。
日本に対して正確な地図を持たないことは文献などに記録された地理情報を
ちーとも真剣に考える気がなかったということだ。
何回言えば理解できるのかな?
地理は、その結実が地図になる。まともな地図がないことがすべてだ。
>>778 理屈では成り立つな。しかし「現実」では成り立たない。
こんな簡単なこともわからないか。
国・行程紹介はまず個別に行程を距離表示している。
そして最後に総行程として「万二千里」が出てくるんだ。
「万二千里」は個別距離の合算として出て来る、個別紹介の ”まとめ” なんだよ。
その ”まとめ” が実距離か修辞かということが問題になる。
これは個別を正しいとしなければ成り立たない問題点だ。
わかるかな?
>>771 俺が言ったのは「そういう解釈も成り立つ」という『説』ではない。
魏志倭人伝における里程と時間表記の実際からの『証明』だ。
これを否定できる対抗論がやれるなら、やってみろ。
782 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 10:28:39.98
>>779 屁理屈と言葉遊びはいいから(苦笑)
古代中国王朝に「日本は東西に細長い島国」という認識があった、という事はお前も認めてるんだろ
お前は「倭人伝は「混一〜」的地理感で書かれた、何故ならそれ以外の地理感は無かったから」
と言ってるが、
古代中国王朝に「日本は東西に細長い島国」という認識があった以上、この認識で倭人伝が書かれたという可能性を否定する事は出来ない
つまりお前の主張は成り立たないんだよ
783 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 10:48:07.07
無限尿とか言う馬鹿の与太話の、先ず方角に関して 面倒だからじゃあ仮に邪馬台国に実際に赴いた中国人(魏使でも先遣隊でもその他でもよい)が ” 本当 ”に九州を南下してその情報を上げたら中央の記録にはどう残る? 当然「南」と書いて問題ない。 当時の中国人の日本に関する地理観が南北に伸びる物であっても問題ない。 つまり距離はとりあえず別にしても方角に関して 無限尿 は ”自説は成り立つと言うことは主張できても他説を否定できるものにはならない” 先ず「オレサマ説=東北説ありき」の我田引水牽強付会ゴミの中のゴミ。
784 :
783(2/3) :2011/12/30(金) 10:51:04.16
次に距離(速度) ここまで古代の船が最低どれくらいの速度が出たかについて何の具体的な根拠も出していない。 そもそも狗邪韓國〜対馬國の渡海が本当に1日で済んだと言う根拠は何処にあるんだ? どれくらいのスピードが出るのか?その推力をどうやって得たのか? 何も具体的に根拠を出しているわけでもない。 (延喜式の数字にもイチャモンつけ、確認もされていない帆船を妄想等々…根拠なし) 場所や時間帯によって時に流れに逆らっても、それでも余裕で3ノット(約5.6km/h、まあ陸上の徒歩速度程度)以上をたたき出せるなら 8時間20日なら800km以上だが過去に古代の航行を再現ししたものではとてもそこまで行っていない。 今まで出してきた過去に古代船の再現実験でも「3ノットは可能」と仮定して動力船に曳航してもらっているのが精々。 古代人に特別なノウハウがあったとてかなり「きつい」数字であったろうと考え潮の流れを最大限利用したと考えるのが常識的なところだろう。 で仮に余裕でその速度を出せたとしてそもそもあの日数が距離に換算しうる目安であるという保証も無い。 ある人物が邪馬台国まで行った時の実際にかかった日数である事を否定できない。 少なくともこれを否定できたというものを自分は知らない。 結局距離に関しても ”自説は成り立つと言うことは主張できても他説を否定できるものにはならない” 先ず「オレサマ説=東北説ありき」の我田引水牽強付会クズの中のクズ。
785 :
783(3/3) :2011/12/30(金) 10:53:02.12
まとめ しかしこの 無限尿 のゴミカスは本当竜頭蛇尾と言うか中身が自分のほざいた法螺に追いついていないなw そう言えば最初もえらく勿体つけるからどんな説なのかと皆期待?したが 「投馬は富山、邪馬台国は東北の何処か」で皆ずっこけたなw(コントならここでバナナの皮に滑るアクションが入る) 実際のところ畿内や九州以外に比定するのは別に目新しいものでもなんでもない。 リアルタイムで知っているわけじゃないが、邪馬台国ブームの頃には雨後の筍の如く出ているみたいだが 自費出版の超マイナーな物まで含めたら一体どれだけの比定地が日本全国にあったやら… がブームが去ったらそれらは全て消えて淘汰されたといっていいんだろうが どれもこれも「自分は倭人伝をこう読みました」と言うだけでそこ止まり、次が無い。 この 無限尿 も同じ。 こいつの出してくるネタなんて凡そ全て何処かで聞いたような話、そをれを組み合わせ羅列しているだけ。 で結局、精々が「こう(東北)で”も”読める」に止まるだけ。 一体こんな物でどうやって論争に決着をつけるのだ? 自惚れも大概にせえよゴミクズの中のゴミクズwww
786 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 10:53:53.42
>>780 各行程の里数の記載自体は正しいでしょう
「万二千余里」を信用するか「千里を一日で航行した」を信用するかという話だね
それにだ、仮にある海域で千里を一日で航行したのだとしても、他の水行○日の一日分を千里に置き換えなきゃいけないってことにはならない
仮説としては立派なんだから「証明」だなんて風呂敷広げなさんな
787 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 11:02:54.84
788 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 11:19:32.36
まとめると 1.千里を一日で航行したとする根拠が弱い 2.仮に千里を一日で航行したのだとしても、他の水行一日分が全て千里という事にはならない どのみち「証明」としては2.で成立しないな
789 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/30(金) 11:26:32.21
天皇即位前紀甲寅年(前六六七)十一月甲午《九》◆十有一月丙戌朔甲午。天皇至筑紫國崗水門。 神武天皇即位前紀甲寅年(前六六七)十二月壬午《廿七》◆十有二月丙辰朔壬午。至安藝國。 神武天皇即位前紀乙卯年(前六六六)三月己未《六》◆乙卯年春三月甲寅朔己未。徙入吉備國。 神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)二月丁未《十一》◆戊午年春二月丁酉朔丁未。皇師遂東。 神武天皇即位前紀戊午年(前六六三)三月丙子《十》◆三月丁卯朔丙子。遡流而上。徑至河内國草香邑 筑紫から安芸まで47日、そこから河内まで30日 つごう2ケ月20日。 だいたい、筑紫から大和までを2ケ月20日が神武である。 奈良時代ならば、だいたい1ケ月。 魏使の示す邪馬台国はこの数字の範囲内に無ければ大和に特定できない。 まあ、この範疇に入ることは間違いない。 景行は周防サバまでを20日で移動している。
龍谷大学以外の混一地図では日本の位置は皆まともだ 龍谷大学のはスペースの都合でああいう位置に描かれたってだけ こんな黴の生えた話を今さら持ち出すとはねえ
>>589 > 「至」をなんとか到着するの意味にしたい無理無理論に見えるぜ。
「至」には到着するという意味がある。無理どころかここでわざわざ導き出す必要もない。
「至」と「到」は同じ意味であり使われ方にも違いはない、ということはガイシュツ。
「渡」と「度」についての議論も過去スレにあるが、
漢字は文字が異なれば意味が異なる、という夢幻如の前提が間違っているだけ。
> 三つの引用元があると言うわけだ。さすがにそれは無理じゃね?
引用元が三つというのは、奴国以降の記述に里数と日数があるという理由からだが、
その理由が「奴国、不弥国は隣だから・・百里としたのだろう」でいいなら、ソースは二つでいい。
夢幻如が無理と感じる理由はなくなった。
>>590 > 国、行程紹介は一つのソース、先遣調査隊のものだ。
> 調査したからには当然報告書はあるはずだ。
先遣調査隊などないと思う理由。
伊都国=糸島、奴国=福岡は共通理解。そのうえで、
伊都国→奴国百里と末盧国→伊都国五百里が整合しない。
実際はほぼ等距離なのに五倍も違う報告書を提出するとは思えない。
> 一個のまとまった報告書があるはず
“実際はほぼ等距離なのに五倍も違う報告書”があるはず、はない。
以下余談。
> 倭人伝はたった二千字と極めて扱いが低い。
何文字あれば扱いが高いといえるのか? 何を規準に関心が低いと判断するのか?
他の史書の外国伝(たとえば『漢書』「西域伝」の各国)と比較してみて“関心が低い” といえるだろうか。
「倭人伝」は「東夷伝」中もっと文字数が多い。『漢書』『後漢書』に比べると内容ははるかに詳細。
“関心が低い”とは夢幻如の主観であり、自己の主張を補完したいがためのバイアスがかかっているのではないか?
>>790 同感同感!
日本地図で、沖縄や北方領土だけ、無理な構図ではめ込まれているのと同じ。
これを証拠に珍説を繰り出しても、馬鹿な脳みそを晒しているだけ。
794 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 17:12:31.96
無限の説だと投馬国邪馬台国への行程は倭人からの伝聞てことになるから「水行十日陸行一月」は当然倭人の距離感覚てことになる 倭人の一日辺りの水行距離と魏の使節のそれが果たしてイコールになるものなのかね?
795 :
竹斯の民 :2011/12/30(金) 17:20:25.01
) ( ;) ∧_∧ (: ( ,;` .( ・∀・) ___ ( .) ( つ-O――|::::| .:) ∧∧ 早く来い来い ) )) ). |_.|== 、 (゚Д゚,,) お正月〜♪ (__)_) (( 人,〜、 ))と とヽ |゙==="| ヽ ) |::::::::::::::::::::| (_( つ |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| 辰 トト..,,,,___ Σ(● 〜od〜 <l (,,゚Д゚) ッ <(/ト─イヽ) i\,,,<l ト─イ ':,____ソー‐イ  ̄∪∪ 来年もよろしくばい
796 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 17:42:50.18
>>719 おまえホームラン級のバカだなw
邪馬台国が何処にあろうが掛かる日数は「水行十日陸行一月」だ
日数的な理由で邪馬台国には行かなかったのだとすれば、邪馬台国の場所が何処であろうと関係ない
はい論破
797 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 18:38:25.17
>>719 無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説)
>邪馬台国が北九州から遠隔にあり、時間を無制限にかけられない調査隊は行けなかったからだ。
一体何のための先遣隊なんだ?わけわからん・・・
邪馬台国まで行かないのなら郡使からの報告書でいいじゃないかw
そんな脳内ストーリーを根拠にして証明しただの否定しただのほざかれてもなwww
論争荒らしのテンプレコピペより ・違う話題がはじまっているのにしつこく蒸し返す→悔しかったのです。 ・理詰めの反論ではなく人格攻撃をする→自分の意見に自信がないからです。 ・相手を異常者認定する→ホントは自分も異常者ですが、そう言われないように先手を打っています。 ・過去の事例をしつこく持ち出す→その時の当事者です。 ・自分の意見をスレの総意だと主張しようとする→みんなは両方ウザがってます。 ・自分で「スルー推奨」と書く→オマエがスルーしろよボケ。
朝日新聞は一時期300人のネット工作員をかかえ、反日工作していた。 捕まった編集者は49歳ですが、こんなカスでも1500万円の年収がもらえるんですよ。 Domain Information: [ドメイン情報] a. [ドメイン名] ASAHI-NP.CO.JP e. [そしきめい] かぶしきがいしゃ あさひしんぶんしゃ f. [組織名] 株式会社 朝日新聞社 −「朝日新聞社は、とある思想やパラダイムに日本の世論を誘導する見返りに、中国から大量の資金を貰っている。」− これはおそらく週刊誌さえ書けない。 「失語症躁鬱ニートは氏ねよ」【ネット】朝日新聞社員(49)ネットで荒らし行為、会社ごとアクセス規制へ 09.3
>>796 掛かる日数じゃなくて「掛かった日数」だろうね。
元の資料は789みたいな記述だったんじゃないかな。
邪馬台国への訪問は親善や国情調査を目的としたものだったろうから、
郡使側にも慌てて邪馬台国へ入る必要はなかったろうし、
邪馬台国側も、郡使を受け入れる準備が必要だっただろう。
道々で酒宴を繰り返しながら、のんびりと女王国へ至ったんじゃないかな。
801 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/30(金) 19:52:46.54
>郡使側にも慌てて邪馬台国へ入る必要はなかったろうし、 >邪馬台国側も、郡使を受け入れる準備が必要だっただろう。 >道々で酒宴を繰り返しながら、のんびりと女王国へ至ったんじゃないかな 邪馬台国で酒宴を繰り返しながら受け入れ準備を待つ。 これが正解だろ
802 :
800 :2011/12/30(金) 19:52:57.36
「それでも邪馬台国は九州にあった11」スレの142と143に同じ事がまじめに論じられてたね。 パクッたつもりはないので、謝罪はしない。
「呉の太伯の末裔」を自称する倭人が、呉と敵対する魏に貢献してきたわけで、 よほどじっくり観察しただろうね。
804 :
800 :2011/12/30(金) 20:10:59.35
>>801 いやいや、”郡使が停まるところ”は伊都国にあったんだから、
邪馬台国には郡使が居住するのにふさわしい受入施設がなかったんだと思うよ。
途中の国や集落なら、国王や族長の住まいを明け渡させれば良いかもしれないけど
邪馬台国では、さすがに卑弥呼の住居を差し出すわけには行かないだろう。
かといって漢皇帝の名代となる郡使に王の館よりもみすぼらしいところに住まわせることも出来ないだろう。
805 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 22:01:46.99
つうか魏の使節が邪馬台国迄行ったのかどうかは余り重要じゃないと思うけどね それによって何処其処に比定出来るとか何処其処は比定地から外れるなんて言えない訳だし
806 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/30(金) 22:55:00.55
大丈夫だ 魏使が酒好きなら、酒さえ与えればすべてうまくゆく 余興のつもりで素潜りを見せればいい... 大和じゃだめか...
807 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/30(金) 23:11:19.84
決定 魏使は伊都国までしか足を運んでいない。 そこで酒をしこたま飲まされ、グテングテンの状態で邪馬臺國の情報を持ち帰った これですべての邪馬台国は正しいとなる。 どや
>>807 そんな魏使は、唐松山と連座で、処刑だな。
809 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 23:27:07.44
810 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 23:39:49.66
811 :
日本@名無史さん :2011/12/30(金) 23:45:34.44
一人で行ったわけじゃないだろうから、 従者のひとりからでも、行ったことがないことがバレたら、 首が飛ぶんじゃないかなあ。
魏と倭は、その前後互いに何度か遣使し合っている。 いいかげんな報告(倭王にあってないのにウソを言うとか)をしたら、すぐにばれるぞ
813 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/30(金) 23:49:59.38
大丈夫だ、処刑は無い その証拠に我々がその報告書を読んでいる。
だから、報告はいいかげんじゃなかったのよ
唐松山だけ、「太国と同伴させられる刑」に処せられたらしい。
>>811 危険で行けなかったと言えば何も問題ない
魏志倭人伝から伝わってくるのは 警備の物々しさと卑弥呼の必死さ
818 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 00:23:40.99
>>816 そういう報告書になっているかどうかですな。
卑弥呼に会ったとは書いていない
820 :
ひとぶた :2011/12/31(土) 00:26:50.27
>>816 > 危険で行けなかったと言えば何も問題ない
会えなかったと報告したのなら、金印や詔書は持ち帰らないといけないのでは?
それに「危険で行けない」ことが許されるようなところの相手に「親魏倭王」に任じたとなれば、それはそれで大失態かも。
>>820 それ皇帝の失敗だから責任を取らされる事は無い
822 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 00:29:18.04
行程記事の読み方を知らん奴が「行かなかった」と言うんだよ。
「北史倭国伝」 魏主假金印紫綬。 魏主は假(仮の)金印紫綬を授けた。
卑弥呼は金印を受け取っていないのでは?
拜假倭王
>>823 「授けた」という文字はないぞ。
假が「仮の」なら、「魏主は假の金印紫綬」となって動詞がなくなる。
假が動詞。 皇帝の代理として授ける場合に使われた例も多い。
>>782 >>783-785 何度も同じ説明をしながら理解出来ない馬鹿は無視 ワラ
堂々巡りするほど暇じゃねえ。
しかし、お前らは暇だな プ
>>788 >1.千里を一日で航行したとする根拠が弱い
>2.仮に千里を一日で航行したのだとしても、他の水行一日分が全て千里という事にはならない
根拠もあるし、他の水行も一日分は千里になるんだな、これが。
これは伊作の説と同じになるんだが(気分はよくないが ワラ )
俺はあいつと違うから具体的に説明しよう。
釜山とおぼしき所〜対馬、対馬〜壱岐。 これはおおよそで見れば等距離といって差し支えない。これが千余里だ。 注目すべきは、壱岐〜北九州。 これは前二つと比べると極端に短距離だ。しかしこれも千余里。答えはここにある。 これだけ距離が違えば航海した感覚、あるいは体験的なもので里程を表すなら同じになるはずがない。 なぜそれが同じになっているかだ。 「一日航海だから」としか説明がつかない。 釜山〜対馬、対馬〜壱岐は、ほぼ目一杯の丸一日航海だろ。 壱岐から北九州はまだいくらでも行ける時間的余裕があっただろうが、どん詰まりだ。 それ以上水行できないんだから仕方ない。 だが航海時間が少なく済もうが水行一日には違いない。だからここも水行一日扱いで千余里だ。 実際の距離ではなく水行一日を基準にしてるから前二つと同じになる。 これは、水行は一日かければ距離関係なくすべて千里としている具体例だ。 壱岐〜北九州は誰がどう見ても一日以上かかる航海には見えまい。 イモトのタライ舟でも一日で着くだろうな。 だから、ここと同じ里程の 釜山〜対馬 も一日航海ということになる。
831 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/31(土) 08:59:03.89
君らはまだそんなことを議論しているのか。千里というのが修辞だということがまだ分からないのか。 もし行程記事の里数について議論したいのなら、現実に渡海にどれくらいかかるか、ということより、 当時の中国で一日水行が何里とされていたかを議論すべきであって、それはすでにいろいろ議論されている。 河川と海、順行と逆行の場合について、中国の文献にいろいろ出ている。
補完説明に
>>794 >倭人からの伝聞てことになるから「水行十日陸行一月」は当然倭人の距離感覚
>倭人の一日辺りの水行距離と魏の使節のそれが果たしてイコールになるものなのかね?
いいポイントだねえ。同じ話をループさせてる馬鹿とは違う。
投馬国、邪馬台国の「水行」は伝聞だ。倭製の船での水行が魏製の船での水行に当てはまるか、だよな。
答えは「当てはまる」
根拠は上記。実距離が半分になろうが1/3になろうが一日かけた航海なら千里だ。
このアバウトさから”細かなことは無視している”のがわかる。
魏製の船だって当然性能に優劣はあるはずだが船のスピードなど関係ない。
どの船で行こうが「当時の船」でさえあれば
それで一日かけたものは「水行一日=千里」のはずだ。
じゃあ倭製の船ならどうか?同じだろう。細かなことは関係ない。
使者は倭製の船は当然見ているはずだから「当時の船」認定した。
だから水行表記をしている。
もし「これが倭の船です」といってイモトのタライを見せられたら
さすがに船扱いはしなかっただろうがな ワラ
833 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 09:05:17.06
軍事行動にもつかわれるかもしれない、官吏の書いた報告書の数字が修辞だとはおそれいりやした。
>>831 お前のレスをボコボコにしてやると言ったままだったな。
時間がなくてねえ ワラ
ま、修辞というのは当たらずとも遠からずだ。
水行での千里は修辞の一面は確かにあるが、一つの単位でもある。
船で一日賭けた旅程はみな「水行一日」だから、単なる修辞ではない。
以上で >1.千里を一日で航行したとする根拠が弱い >2.仮に千里を一日で航行したのだとしても、他の水行一日分が全て千里という事にはならない の返答にする。
836 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/31(土) 09:30:43.93
たとえば「唐六典」に一日の行程は陸行歩で50里、水行45里とあり、これが秦漢以来の古制だそうだ。 すると狗邪韓国〜対馬間が千里とあるからには、約22日かかることになる。 いうまでもなくそんなことは現実と全然合わない。ゆえに千里というのは修辞なのである。 もし修辞でないとしたら、魏の時代にはいわゆる短里が使用されていたと想定するしかない。以上。
>>790 こいつもループ馬鹿 プ
九州説論者の暴論を正論にしたいのはわかるがね。他の類似地図についても説明済み。
>>791-792 こいつもループ馬鹿だが、さらに読解力がない馬鹿だ。
「到、至」については同意味としても構わないが、なぜあの短文の中で使い分けられているのか。
俺の説明以外に説明がつかない。つかないから別ソースというトンデモを出すしかなくなる。
そのトンデモでは
>夢幻如が無理と感じる理由はなくなった。
馬鹿だからそう見えるのか ワラ
調査隊の報告書が投馬国や邪馬台国について不備なら他のソースからのツギハギの可能性はなくはない。
当然そのツギハギ部分は元の物より詳細じゃなければ意味がない。
簡略極まりない、というか対馬国などに比べようもない説明のなさはツギハギではない証明だ。
説明したはずなのにねえ、だから馬鹿相手は嫌なんだよ。
>伊都国→奴国百里と末盧国→伊都国五百里が整合しない。
実際はほぼ等距離なのに五倍も違う報告書を提出するとは思えない。
修辞の意味がわからない馬鹿だから整合しないように見えるだけだ。
隣接するものは「百里」
距離関係なく少し離れたところところは「五百里」という修辞だ。
この五百里は百里の5倍ではない。実距離は無関係。
あと二千字か。古代中国は西には興味があっても東には興味がない。
これでわからなければ、もう説明は無駄だな ワラ
838 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 09:33:41.57
>>835 ご苦労さん
素晴らしい推論だね
でも証明にはなってない
>>793 も
>>796 もゴミ。無視でいい ワラ
>>797 もゴミ中のゴミだがレスしてやろう。
>邪馬台国まで行かないのなら郡使からの報告書でいいじゃないかw
帯方郡にいる郡使はいわば「地方公務員」
先遣調査隊の使者は朝廷のいる中央の人間だから、いわば「国家公務員」
直属の信頼置ける「国家公務員」に直接調べさせずに
金印ほか大事な物を持たせた正使が出せるはずがない。わかる?
無限馬鹿は説明が説明になってないんだから話もループするわなw 無視宣言したレス=回答不能って事でよいね
>>838 馬鹿にはまだ理解できないか ヤレヤレ
いいか、倭人伝の中の記述だけで「証明」になるんだよ。
九州説論者は「万二千里」を実距離としなくてはならない。
ならば同じ行程紹介の対馬などへの千里も肯定しなくてはならない。
この千里は時間表記に置き換えれば「水行一日」だ。これも否定できない。
ここで「水行一日=千里」の等式が確定する。
これを投馬国、邪馬台国の時間表記に当てはめると、どうやったって「万二千里」はオーバーする。
したがって「万二千里は修辞でしかなく実距離を表していない」という当然の答えが出る。
ここまでに、どこにも推論も勝手解釈、独自解釈は入っていない。
だから「証明」なんだよ。
今日やったのは理解できない馬鹿への説明。わかるかな? プ
あと、いくつかピーチク、パーチクがあるが無視していいものばかり。 こんなの相手してたら話が進まんわ。 ぼちぼち限界かなあ・・・眠い・・・
俺は前に言ったように大晦日も元旦もない平日そのままの年末年始だからしょうがない。 仕事だからな。 だが、お前らも世間様並みの年末年始はねえのかよ? 2ちゃんやるしかない年末年始も悲惨だな ワラ
845 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/31(土) 10:13:00.06
仮に「唐六典」一日の行程陸行歩50里水行45里を信用するなら、 投馬国は900里、邪馬台国はそこから450里+1500里=1950里のところにあったことになる。 起点は伊都国か不弥国。そうすると俄然九州説が有利になってくる。
846 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 10:24:14.03
年末に尿と朝鮮の2大バカコラボだ
847 :
ひとぶた :2011/12/31(土) 10:25:41.55
>>821 > それ皇帝の失敗だから責任を取らされる事は無い
「皇帝の失敗」なら、皇帝が天命に適わなかった失徳の「責任」を取らんといかんねw
848 :
ひとぶた :2011/12/31(土) 10:38:31.11
>>832 > 投馬国、邪馬台国の「水行」は伝聞だ。倭製の船での水行が魏製の船での水行に当てはまるか、だよな。
> 答えは「当てはまる」
> 根拠は上記。実距離が半分になろうが1/3になろうが一日かけた航海なら千里だ。
> このアバウトさから”細かなことは無視している”のがわかる。
> 魏製の船だって当然性能に優劣はあるはずだが船のスピードなど関係ない。
> どの船で行こうが「当時の船」でさえあれば
> それで一日かけたものは「水行一日=千里」のはずだ。
> じゃあ倭製の船ならどうか?同じだろう。細かなことは関係ない。
> 使者は倭製の船は当然見ているはずだから「当時の船」認定した。
> だから水行表記をしている。
じゃ、投馬まで水行20日、邪馬台まで水行10日、計30日×千里=3万里と、総行程1万2千余里の齟齬は問題ないのかな?
849 :
天才論客 :2011/12/31(土) 10:44:38.77
海路距離の場合は、日(月・年)数単位か千里単位で表記するしか方法がなかった。 修辞ではない、いわば符牒のようなものだ。 『倭人伝』が1日航海分を1000里単位で表記していることを、 それぞれ明らかに異なる海路距離を一律1000余里としていることで告げている。 ●海路の日数表記と1000里単位表記 ・『漢書』 地理志 自日南障塞、徐聞、合浦船行可五月/有都元国、又船行可四月/有邑盧没国、又船行可二十余日。 ・『魏略』西戎伝 従安息界安谷城乗船、直截海西、遇風利二月到、風遅或一歲、無風或三歲 水行半歲、風疾時一月到/西南又渡一河、乗船一日乃過/西南又渡一河、一日乃過。 復直南行経之烏遅散城、渡一河、乘船一日乃過/周迴続海、凡当渡大海六日乃到其国。 ・『晋書』陶璜伝 又南郡去州海行千有余里/又廣州南岸、周旋六千余里 自東莱出石経、襲和龍、海行四百余里 ( 100里単位) ※目測など何らかの形で測定可能な短距離は例外的に百里単位表記をしている)。 ・『隋書』流求国伝 流求国、居海島之中、当建安郡東、水行五日而至 赤土国、在南海中、水行百余日而達所都/百済……其南海行三月、有□牟羅国 ・『南斉書』林邑伝 南夷林邑国、在交州南、海行三千里 ・『旧唐書』 自安南府南海行三千余里至林邑/墮婆登国、在林邑南海行二月/自交州船行四十日乃至 ・『新唐書』 自州正東海行二日至高華□、又二日至□□□、又一日至流求国 廣州東南海行二百里至屯門山 (100里単位) 乃帆風西行二日至九州石、又南二日至象石、又西南三日行至占不勞山 直交州南、海行三千里/自交州海行四十日乃至 東南有拘□蜜、海行一月至。南距婆利行十日至。東距不述、行五日至。西北距文單、行六日至。 投和、在真□南、自廣州西南海行百日乃至
850 :
天才論客 :2011/12/31(土) 10:45:11.85
●内陸河川航行は陸路距離に準じているため細かい距離表示が可能となる。 ・『山海経』東山経 南水行五百里、流沙三百里。至于葛山之尾、無草木多砥礪。 南水行三百里、流沙百里。曰北姑射之山、無草木多石。 南水行五百里、曰流沙行五百里。有山焉、曰跂踵之山。 南水行五百里、流沙三百里。至于無皋之山、南望幼海。 ※流沙は中国西北方のタクラマカン砂漠。 ここでいう水行は、タリム河やホータン河など砂漠内の河川行である。 河川距離は陸路距離と平行して把握が可能だから、ある程度正確な距離表示ができる。 『山海経』の水行の細かい里程は、ほぼ陸路距離に準じているとみなされる。 ここまでフェアにやってはじめて、「1航海1000里単位表記」「1航海1日表記」といえる。 ここまでやっても論証としては不完全かも知れんが、「論証努力」とはそういうものだ。 「従安息界安谷城乗船、直截海西、遇風利二月到、風遅或一歲、無風或三歲」 (風利に恵まれれば2月で至る。風遅ければあるいは1年、風なければあるいは3年) 「水行半歲、風疾時一月到 」 (水行半年、風疾る時1月で到る) 船の速度などは、時代(船舶技術の進展)によっても異なるし、 天候や状況によってまちまちだ。こんなものを一定速度で航行距離を規定するバカがいるか?
851 :
19歳某国立大生 :2011/12/31(土) 10:51:48.72
>伊作爺 自分のサイトで自分に都合の悪いコメントを即削除するような 北朝鮮の独裁国家みたいなまねするような爺さんの言うことなど信用できんわw 政治家といいなぜこの国の爺さんはこんな汚いのばっかなんだ?
852 :
天才論客 :2011/12/31(土) 10:55:10.23
ところで無限暴。 先遣隊、先遣隊と作り話を連呼するが、 方角も距離も適当な把握してできずに何の先遣隊なのだ? お前の「先遣隊派遣・距離方角は適当」は最初から矛盾しているぞ。
853 :
天才論客 :2011/12/31(土) 10:57:25.35
>>851 19歳某国立大生
お前の誹謗も度がすぎているぞ。そこまでして俺の正論を否定したいか。
二人きりで相手になってやる。
細かく議論する気があるならば、説明図つき、文字数制限なしの掲示板を立てる。
即刻返答しろ。
854 :
19歳某国立大生 :2011/12/31(土) 11:02:17.64
>伊作爺 度が過ぎてるも何も間違ってる個所を指摘しただけで かつ筋道立ててちゃんと論破しただろうにww 議論しても、旗色悪くなればまたすぐに逃げて、名無しで 人格攻撃に走るくせにww
855 :
ひとぶた :2011/12/31(土) 11:09:33.01
>>839 > >邪馬台国まで行かないのなら郡使からの報告書でいいじゃないかw
>
> 帯方郡にいる郡使はいわば「地方公務員」
> 先遣調査隊の使者は朝廷のいる中央の人間だから、いわば「国家公務員」
> 直属の信頼置ける「国家公務員」に直接調べさせずに
> 金印ほか大事な物を持たせた正使が出せるはずがない。
その前に、倭の朝貢を受け付け、「親魏倭王」に叙する意志決定は、どのような「報告」に基づいて行われたとお考えですか?
856 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 11:17:59.07
19歳浪人爺 何を言う。オマエはコチラのコテハンを悪く言ったことがあるだろう。 そんなことを言える柄か〜 。><
857 :
天才論客 :2011/12/31(土) 11:29:24.31
858 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 11:41:06.60
>>854 横から。
お前さんはただ主張をしているだけで、論証なんかしていない。論破という言
葉を使えるほどの内容はお前さんのレスには無いよ。もっと勉強せい。
859 :
天才論客天才 :2011/12/31(土) 11:46:46.96
858
860 :
天才論客 :2011/12/31(土) 11:51:04.87
>>858 俺と俺の論説に不当な誹謗レッッテルを貼り、それを喧伝するという手口だ。
俺の論説がよほど目障りなんだろうが、
それだけに畿内説にとっては危険な論説ということだ。
こういう手合いはこれがはじめてじゃない。畿内説の上等手段の一つだ。
目に余るのでマジに相手してやろうと決闘の場を用意したが、
やってくるだけの度胸があるかどうか。
やってきたら、どっちが手負いになって逃げるか傍観していてもらいたい。
861 :
19歳某国立大生 :2011/12/31(土) 11:55:39.27
>>856 太い国さん
僕が何を言ったというんです?
あなたこそ僕のこと毎回老人だの留年だのと
意味不明な中傷じみたこと言ってるでしょうに。
ほんとあなたもいい歳してみっともない。
ほんと爺さんはどいつもこいつもしょうもない。
>>857 伊作爺
またやるのかいwとりあえずあんたのサイトの
鏡と景初2年の証明と鬼道と邪馬台国への行程のとこまでは読んだが
それ以上は馬鹿らしくなり読んでないから
また読まないと新しい議論のネタはないw
まず景初2年の証明に関しては僕があんたの主張をすべて
間違いだと証明したはずでしょ。それなのにあんた自分のサイトに
書き込んだ僕のコメント全部消去しちゃったじゃんw
そんな汚いやり方じゃ議論にならんって。
>>858 伊作爺が名無しで援護射撃かwほんと姑息な爺さんだ。
862 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 11:58:43.13
863 :
19歳某国立大生 :2011/12/31(土) 12:06:44.56
まず旗色悪くなっても逃げない。 自分に都合が悪い意見はスルーせずちゃんと応対する。 負けたと思ったならしっかり負けを認める。 後から負けた腹いせに名無しでこそこそ人格攻撃に走らない。 負けたなら素直に負けた個所は削除するか書き直す。 こうした取り決めを守らないかぎり、議論してもしょうがない。 こないだみたいに旗色悪くなれば逃げ出すようじゃあこっちも馬鹿馬鹿しい。
864 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 12:09:54.69
865 :
19歳某国立大生 :2011/12/31(土) 12:16:11.71
では手始めに前回議論となった景初2年の証明問題から そのサイトに書いておく。これから大学の友人と飲みにいき、 カウントダウンライブにいくので反論書いておいてくれ。 後日見て返答する。
866 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/31(土) 12:40:44.73
>じゃ、投馬まで水行20日、邪馬台まで水行10日、計30日×千里=3万里と、総行程1万2千余里の齟齬は問題ないのかな? ざっと見たところ、これが一番まともな意見。
867 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 13:14:59.92
>>842 つまり回答不能ってことね
まぁそうやって誤魔化して逃げてればいいんじゃないの
868 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 13:31:04.99
>>866 「だから万二千余里はでたらめ」が奴の主張
「だから水行一日=千里はでたらめ」とも結論付けられるからほっとけばいいさ
869 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 13:41:18.96
>>830 無限尿
根拠なし。
そもそもそうやって日数を距離に換算しうるのなら水行20日を2万里と書けばよい。
「おらが東北説ありき」でその日数が距離に換算しうるものとしただけの牽強付会。
それに
>極端に短距離だ。
と言うが対馬の南端から壱岐の北端ならかなり話が違ってくると思うが考慮しているのか?(対馬は結構大きいぞ?)
海流で北東に流される事を考えたらそっちの方がいいかもしれない。
(ただし時間によって複雑に変化するのでどういうコースが一番良いのかは素人の自分には判断しかねる)
あと…
>イモトのタライ舟でも一日で着くだろうな。
先ず無理だろうな。
以下は個人のサイトだがカヤックで海峡横断やっている人の物。
http://zenjp.com/crossing/crossing.htm ちょうどそこに「佐渡海峡」と「大韓海峡(釜山へ)」の事例二つが載っている。
全然条件が違うのが分かる。
(先に言った「潮に流される」と言うのも分かるだろう)
硬軟織り交ぜバラエティのネタも構わないが他にネタが無いからと言って引っ張るなゴミクズ。
870 :
天才論客 :2011/12/31(土) 13:54:52.84
>あんた自分のサイトに
>書き込んだ僕のコメント全部消去しちゃったじゃんw
>そんな汚いやり方じゃ議論にならんって。
>あんた自分のサイトに
>書き込んだ僕のコメント全部消去しちゃったじゃんw
>そんな汚いやり方じゃ議論にならんって。
>あんた自分のサイトに
>書き込んだ僕のコメント全部消去しちゃったじゃんw
>そんな汚いやり方じゃ議論にならんって。
折りのサイトのコメント欄は不当かつ認識不足に基づく誹謗を受け付ける場じゃない。。
ご希望のようだから、この板のレスから拾って再現して掲示板に掲載する。
文句があれば、一つ一つ、テーマを絞ってかかってこい。
http://8234.teacup.com/isaq/bbs
871 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 13:58:38.36
19歳老人 だってオマエは19歳学生にしては随分大人びて、ナマイキな書きこみ をするではないか? このことはオマエがかなり年齢が行っていることを 覚知する。ということは、オマエが留年か浪人をしてたから、そんな 年齢だということを彷彿させる。w だからその年齢で学生なんだろう?
872 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 14:00:54.16
873 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 14:05:00.49
19歳←→91歳?? 過去にこちらのコテハンを毀損したコテハンはジョーカーと宿主だけだと 思った。あ、そうそう〜確かいま独りいたのを思い出した。そいつは 半玉だ。w それ以外はまずいないと思ったところ、オマエがコチラの コテハンを乱暴にも毀損した。それでいて、あんな被害者らしき書きこみ が出来るのか〜? ふざけんな。
69歳名古屋は、欲求不満をキンサンで晴らしてきなさい!
>>841 あのね、「証明」っていうのは自説を矛盾無く説明した上で他説の可能性を完全に排除出来て始めて完了するものなのよ
例えば「全ての水行一日を千里に置き換えると全行程万二千余里とする記述と矛盾する、従って水行一日=千里という置き換えは妥当ではない」
この主張には合理性があるし、この主張の可能性を完全に排除する事は不可能でしょ
勿論君の説の可能性も排除出来ない
これは作者じゃなきゃ分からない領域の話
証明は不可能なんだよ
876 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/31(土) 14:41:40.93
210年 任那(金官伽耶)建国 垂仁天皇 217年〜239年 任那より朝貢。3世紀前半の大型建物(古韓尺) 田道間守の派遣。ホケノ山。東海と西瀬戸内の壺・楽浪鏡・鉄器・石囲い木槨墓・埴輪・殉葬墓 景行天皇 240年〜261年 4世紀半ばの大型建物(土盛りと整地=土地は乾く・ヒ、整地・代) 九州遠征。諸縣(玄海町諸津)庄内式の持ち込み。箸墓布留0の指標。 成務天皇 262年〜265年 仲哀天皇 266年〜274年 九州遠征。田油津媛→田平津媛(田平=平戸) 遺跡名 長畑馬場遺跡 (ながはたばばいせき)所在地 平戸市大島村前平1456 本遺跡は弥生時代中期中頃を中心とし、古墳時代初頭まで継続している。住居址は弥生時代中期のもので、 同時に甕棺、土坑、箱式石棺からなる墳墓群も形成されている。出土遺物は多彩であるが、特に土師器は 畿内の庄内系の土器の影響下に成立した在地甕である。 本遺跡が位置する大島村は、壱岐とは一衣帯水 の地であり、また平戸や生月、北松浦の半島は交易のルート上にあり、五島列島や対馬を含めて同じネッ トワークで結ばれた集団であったことが推測される。 274年 仲哀天皇九年(庚辰二〇〇)三月丙申《廿五》。轉至山門縣。則誅土蜘蛛田油津媛。 時田油媛之兄夏羽。興軍而迎來。然聞其妹被誅而逃之。 この田油津媛を田平津媛とすれば、田平・平戸が滅びるとなる。
877 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 15:28:06.54
成務の代 ↓ 空年は無い。空年はウソ! 成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加 成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす 成務7年 六嶽神社(福岡県)長田彦が山上に神籬を営む 成務8年 林神社(明石市)少童海神の赤石が海中に没する 成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る 成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る 成務10年 丹生神社(和歌山県)同地 栗栖の栗木に因み 建立 成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座 成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る 成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座 成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請 成務13年 嶋田神社(奈良県)神八井耳命の末裔 仲子上が嶋田臣を賜る 成務13年 山梨岡神社(山梨県)麓の梨木を切り、山梨の語源となる 成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀 成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る 成務17年 藤並神社(和歌山県)武内宿禰 勅により水主神を勧請し 創祀 成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建 成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず 成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建 成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る 成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命 成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎 成務40年 日本書紀等 神功皇后 誕生 成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文 成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子 成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す 成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る 成務51年 甲斐古蹟考(山梨)土本毘古が廟土を持ち向山鎮座し高屋という 成務59年 二俣神社(山口県)この年 創祀 成務60年 宮城熊野神社(千葉県)この頃 創立 成務60年 成務天皇 崩御
無限尿は自説に酔っているだけで、何の証明もしていない。 無数にある「泡沫邪馬台国論」の一つを、鯨統一郎からパクッてきただけ。
879 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/31(土) 16:21:41.33
長畑馬場遺跡が示すよう大和の北部九州への庄内式土器持ち込みから、布留1期 の神功渡海までは、短時間である。 晋書 274年 幽州を分け平州を置く。この直後から東夷による朝貢は毎年の如く繰り返される。 ということは、神功渡海をここに置かねば、渡海の機会が奪われる。 渡海のためには、渡海を阻止する勢力を平らげ、渡海に協力させねばならない。 田平を平定することにより、その南方の勢力を加担させることが出来る。 初期古墳の分布域がその勢力に入ることは間違いない。そのために、景行・成務は各地に屯倉を 設け、朝廷の臣下などを配置する。 時代は下がって、岩井が大和に対し「同じ釜の飯を食った仲」と表現した如くに 昔からの現地の現地在留勢力とはしがたい。 神功渡海の目的は、晋の冊封体制への参加。馬韓あたりは247年ころ魏に背いている。 であるならば、この勢力に軍事力を与えずに、この地を支配したい。倭としては、対岸の 進んだ文化を吸収したい。双方の思惑の一致するのが、神功渡海である。
>>879 だから、冊封体制というのは今日の色眼鏡で見た実在しない「体制」だって。
神功説話も漢籍に卑弥呼や壱与が登場するのに合わせて、アリバイ創作しただけ。
原典批判をしないで、創作部分を根拠に論理を展開すると、空想の世界に飛んでしまうだけ。
881 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/31(土) 16:50:51.45
>>880 古墳時代の文化の急速な発展を説明できなければならない。
卑弥呼の時代の武器は主として弓である。
メスリ山には大量の槍が副葬される。これは、大陸の徒軍の主要武器。
1,2本の槍であれば、輸入で良いが大量となれば軍編成までを考えねばならない。
しかし、倭国内には、それほどの軍編成を要する戦いは無い。
ホケノ山からメスリ山までは3,40年である。
882 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/31(土) 16:54:17.87
訂正 ×ホケノ山からメスリ山までは3,40年である。 ○箸墓からメスリ山までは、4,50年である。
883 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/31(土) 17:06:35.20
七支刀=369年 この数字では、半島占拠は否定されている。つまり時代に齟齬があると認定されている。 であるならば、渡海から50年後とされる半島占拠はどこか? 千熊長彦 383年の 人. Name:radio2010/06/04(金) 17:38 奈勿大聖神帝紀(ネムルデソングシンゼギ) 7年, 熊彦=千熊長彦 323年 七年 正月 行水羊祭 光臣伊伐〓 白花稟主 7年1月, 水羊(癸未年)祭を行った。 三月 夫余流民三十戸又来降 夫余与倭相通 年年受其民 散置都鄙 倭臣熊彦美而善弁 与阿□相通 多聴其言 故国人異反 或帰于我 亦帰于麗 休礼太后生長?子勿? 始立戸口典 禁民子母相婚 3月 扶余の流民がまた30戸来降してきた。扶余と倭は通じており、年々その民を受け入れ 都や村に散置してきた。倭臣千熊長彦は良く弁舌がたち、住民と仲がよい。 住民はその言の多くを聞き入れ、故に国に背き、千熊長彦に従う。(大量渡来) 或いは我(百済?)に帰順、また高句麗に帰順する。 この文献が示す如く323年であれば、半島は政治的空白である。占拠は可能。 ここで半島占拠が成立するためには、その前から半島に倭軍が存在しなければならない。 274年の渡海であれば、冊封体制への参加として軍を送れる。 その軍が、伊都国の1大卒と同じような行為を行っていれば、半島占拠につながる。 巨大古墳と武具の副葬。これを可能にする半島よりの朝貢。 高句麗の南下により終了する。
884 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 17:07:17.48
創作すれば、当時の公文書偽造で身の危険に至る。 そんなことはよっぽどの利害がない限りやるわけがない。 当時でさえ政敵が多かったことはいずれの時代もそれが言えるだろうから、 そいつらにタレこまれて失脚することになる。創作ではない。
885 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 17:14:37.01
>>884 いや、日本書紀全部が創作なのではなく、皇統に万世一系風の脚色を加えたり、
漢籍の卑弥呼や豊余に相当する人物を、畿内の神功に当てて創作したり、
中国の属国として朝貢した部分を削ったりと、派手に事実を改ざんしているわけ。
889 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 18:54:18.78
>>886 卑弥呼を神功にあてたことは確かだが、相当年代に女王(女天皇)の記事
がなかったことから紀の編集者らが神功ではないのかと通常最初に浮かび
やすい 卑弥呼=神功皇后 説 を考えて神功39年等に当てたもので、
これは別に創作することが目的ではない。
また大陸の属国を削ったというが、これだけでは説明不足である。
何処に削ったという文などがあるのか? それを言わねば君こそが
削ったということを創作したことになる。
>>889 日本書記に、中国へ朝貢した記事なんかあったっけ?
891 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 19:02:20.14
読んだことは確かだが、あれから随分年が経つので漠然箇所が多くなって いるが、仁徳あたりから先代ではなかったと思ったがね?
白村江でボロボロに負けて降伏した記述は 日本書紀のどこにありますか?
魏から鏡を100枚貰って大喜びした記述は、日本書紀のどこにありますか?
894 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 19:05:17.76
そうそう神武と思える東夷王が大陸に国珍を奉じたことは、紀ではないが 漢書王莽伝にあるな。
金印を二度も貰って、中国の傘下に入った記事は、 日本書紀のどこにありますか?
どうして日本書紀には、大事な国家行為が書いてないんですか?
897 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 19:08:55.74
>>893 それは書かれないはずです。
畿内には相当年代に鏡作がいましたから、舶載がなくても自製で間に
あいます。ただし景初3年とかの大陸年号がありますので、鏡作には
渡来の大陸人が関わっていたでしょう。
そうなるとモデルの鏡を彼らが持参した可能性は否定できないですな。
唐の高宗が行った泰山封禅儀式に、天皇が参列していますが、 どうして日本書紀に書いてないんですか?
899 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 19:10:36.24
日本書紀には、重要なことをわざと書かない「創作」があるとしか思えませんが?
日本書紀には、どうでもよい些末な記事があるのに、 こういったことが書いてない、あるいはぼかしてあるわけです。 神功説話は、漢籍の卑弥呼等の記述に宛がって、 漢籍と日本書紀とのつじつまを合わせてあるだけでしょう。
ですから、日本書紀に内容はすべて客観的事実をありのままに書いた、 等と考えて、紀に載っているから事実だ真実だとして、 議論を進めていったら、とんでもないことになります。
903 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 19:15:38.31
>>892 キュウショをつつくねぇ〜。 感心。
それはキュウシュ ウ王朝のことでないの?
>>898 日本の天皇が唐へ行幸したという記事の文を提示されたい。
これから仕事だし、大晦日でもあるし、簡単にやるか。 回答不能とか言ってる馬鹿は自分が回答不能なことを知れ、糞頭。 文献にいくら記載があろうと ”地理とは究極的には正確な地図を得ること”だと言ったんだ。 地図の集大成の結実したものが地図になる。 「混一」以前の中国にはまともに日本を記した地図はない。 まともな地図がない=まともな地理観がなかった これが動かぬ証拠だ。 まともな地図がないことに合理的説明をつけられてからほざけ。 ここを避けて答えられずループさせているから馬鹿にしてんだよ。 「混一」類似地図に関しては過去二回、長々と説明済み。 これもグダグダループだ。
905 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 19:18:20.39
当時、九州王朝は畿内をいう日本ではないから、日本書紀(ヤマトブミ) になくてもおかしくはないですよ。当時の九州は畿内とは別国ですから。
906 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 19:19:46.73
>>900 わざと書かない記事はあったことは確かですが、創作とはこれまた別
です。
907 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 19:22:26.80
>>901 それはそのとおりです。
つじつまあわせは紀の信用度に絶大な影響があるから、困りながら
紀の編集者らはやってたり保留したりをしていたと観てます。
>>875 >例えば「全ての水行一日を千里に置き換えると全行程万二千余里とする記述と矛盾する、従って水行一日=千里という置き換えは妥当ではない」
>この主張には合理性があるし、この主張の可能性を完全に排除する事は不可能でしょ
これとか
>>868 の馬鹿が言う
>「だから水行一日=千里はでたらめ」とも結論付けられる
これは完璧に排除出来る。つーか、もうしてるんだがねえ。
頭の悪い奴らのレベルに合わせるのはしんどいよ プ
まあ、それは明朝語ろう。
もう一度言う。万二千里は実距離ではない、これは「証明」だ。
909 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/31(土) 19:26:52.16
履中天皇六年(乙巳四〇五) 悲哉。吾兄王何處去耶。この話は、前年404年 帯方界での敗戦で行方不明 者捜索の話である。 義煕九年[413]『是歳、高句麗、倭國、及西南夷銅頭大師、竝獻方物』(晉書安帝紀)高句麗と倭国は和平協定 を結び、百済・新羅は高句麗の属国となる。 允恭天皇三年(甲寅四一四)春正月辛酉朔。遺使求良醫於新羅。医者に対する態度から、新羅は高句麗の 傘下であることを認めている。であるならば、允恭は倭王賛。 允恭天皇二四年(乙亥四三五)夏六月。御膳羹汁凝以作氷。天皇異之卜其所由。卜者曰。有内亂。 ここで記事は途絶え、その後の倭王とは重ならない。 雄略天皇五年(辛丑四六一)六月丙戌朔。孕婦果如加須利君言。於筑紫各羅嶋産兒。仍名此兒曰嶋君。 この記事は、墓碑で確認できるから動かない。 継体天皇二五年(辛亥五三一)冬十二月庚子《五》◆冬十二月丙申朔庚子。葬于藍野陵。〈或本云。天皇廿八 年歳次甲寅崩。而此云。廿五年歳次辛亥崩者。取百濟本記爲文。其文云。大歳辛亥三月。師進至于安羅營乞。 是月。高麗弑其王安。又聞。日本天皇及太子皇子倶崩薨。由此而。辛亥之歳當廿五年矣。後勘校者知之也。〉 欽明天皇二年(五四一)四月◆夏四月。安羅次旱岐夷呑奚。大不孫。 三國遺事卷二 より 洎新羅第三十王法敏龍朔元年辛酉(541年)三月日.有制曰.朕是伽耶國元君九代孫仇衝王之 降于當國也. 位己卯年(559年)置便房,降及仇衝朝末,三百三十載之中,享廟禮曲,永無違者.其乃仇衝失位去國. 欽明天皇も動かない。 問題は、倭王と継体の死に齟齬があること。 河内の巨大古墳が2系統をあらわすならば、任那の主体である金官伽耶の亡命まで続くとみてよい。
910 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 19:27:04.68
>>902 片面的にはそのとおりですが、逆に殆どインチキと考えるのは津田病患者
の得手言です。これはやりすぎですな。
一日航海千里については、あとは面倒臭いから「伊作に聞け」と書こうかと思ったのよ ワラ だがやめた。やめたのにあいつが勝手に俺の補強をやってやがる ゲラ 色んなものを並べ「論証努力」ねえ、頭の足りない奴はそれが真っ当な方法だ。 だが魏志倭人伝の最初の三つの千余里だけで、水行一日=千余里は証明出来る。 俺くらいの頭脳があればな。 ま、無視するといいながら出てきて補強作業したんだから「ご苦労」とは言っておこうか ワラ
>>910 旧唐書の665年によれば、唐の高宗が封禅のために、
周辺国四国王を集めたそうです。
封泰山、仁軌領新羅及百濟、耽羅、倭四國酋長赴會、高宗甚悦
>>910 冗談じゃない。津田の立場と正反対です。
津田は部分にケチをつけて全体を否定した。
私は「どういう創作をしたのか」「なぜ創作が必要だったのか」を
明らかにして、日本書紀を事実と嘘を調べ尽くすのが正しい、
と言う立場です。
その 伊作 vs ねちねち小僧 今まで口を挟まず傍観してたが、ここまでは ねちねち小僧 の優勢だな。 伊作は突っ込みに答えていない。 ま、存分にやりな。一段落したら今度は俺が行こうかな。 しかしサイトの書き込みを削除はねえな。 2ちゃんもそうだが、テキスト世界はテキストがすべて。 テキストにはテキストで返すべきで削除は姑息だ。 もし誹謗中傷であるなら、それを批難しテキストで排除しなけりゃならんのよ。 まあいい、お互い頑張りな〜。
>>913 横からだが、それは正しいね。
いずれ話すが俺は同意だ。
916 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 19:51:18.71
>>914 ションベンジジイは黙ってな 単なる目障り
来年は俺が、近江那国から大和ヤマト朝廷への政権交代・遷都説を証明していくかよろしくねー それでは皆さん、良いお年を
918 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 19:57:42.92
>>912 有難う。その四国は四方の国という意味で、倭と四国がくっついては
いますが、新羅、百済・・・倭として唐中心での四方の国との意味と
するのが妥当だと思いますが。
>>913 当時の公文書偽造同行使たる創作のホシは誰ですか?
つまりその考えで、古代史捜査をせねば裏付けたとは言えませんが?
やったんですかな? その動機は?
919 :
本物の天才 :2011/12/31(土) 20:00:50.36
>>911 >面倒臭いから「伊作に聞け」と書こうかと思ったのよ
何さまのつもりだ? 山師野郎。
>あいつが勝手に俺の補強をやってやがる ゲラ
何さまのつもりだ? 雲助野郎。
>色んなものを並べ「論証努力」ねえ、頭の足りない奴はそれが真っ当な方法だ。
何さまのつもりだ? ホラ吹き野郎。
>ま、無視するといいながら出てきて補強作業したんだから「ご苦労」とは言っておこうか
何さまのつもりだ? 肉体労働者。
>>914 >伊作は突っ込みに答えていない。
ここでは文字数が足りなく書かないだけだ。
>一段落したら今度は俺が行こうかな。
こなくていい。きてもすぐに削除する。
>サイトの書き込みを削除はねえな。
汚れのない場所でな。不当な誹謗を受け付ける場ではないのだ。
>テキストにはテキストで返すべきで
度がすぎるんで、場をつくってそうした所だが。
>誹謗中傷であるなら、それを批難しテキストで排除しなけりゃならんのよ。
度がすぎるんで、場をつくってそうした所だが。
実に堂々としていて男らしくいだろ。
行程記録の一部をかじっただけで、
倭人伝を読み切った気になっている山師には通じないだろうが。
>>916 馬鹿はレスすらするな。
一定以上の頭がない馬鹿は学問板には要らん。
>>917 やるならコテつけてやりなよ。
わずかな仕事までの時間はワンセグで紅白でも観るか。
全然興味ないが、少しは年末気分を味わえるかも、だからな ワラ
じゃあなぁ〜
年末年始も2ちゃんしかないプーども ワラ
921 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 20:14:32.22
>>912 いま一度考えましたが、百済以下4つの国の意味でしょうか?
922 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 20:33:54.48
>>919 悔しいのはわかるがw
知識ではオタクのお前が勝っているだろう
だけど『頭のよさ』とそこからの『ディベート力』では夢幻如の方が上だなあ
口汚く書くのは関心しないが説明は上手いし分かりやすい
夢幻如を無視すると言って無視しきれないのもお前の未熟さだよ
伊作は未熟だ しかし老人だから熟す時間もない
倭四國と言われて思い浮かんだのは四道将軍だな 倭国が四道の連合国家だったとしたら、、、?
民主党党員名簿 (党員資格/代表選選挙人名簿) ※ 党外秘 1. 青木大姫 2. 秋山慶姫 3. 新井正煕 4. 金村成勲 5. 木下勲鍋 6. 佐井明博 7. 豊田檀君 8. 本山舜臣 1. 安藤重根 2. 池田青天 3. 金子佐鎮 4. 金山淑恵 5. 木子奉昌 6. 田山明雲 7. 平山明河 流石反日朝鮮人だらけの政党なだけはあるなw野田も韓国人疑惑があるくらいだし
>>921 [新羅・百濟・耽羅・倭]=4国の酋長を、泰山封禅の儀に参列させたわけです。
日本書紀はそんな記事が出てこない。
ここは倭国王=薩夜麻が参列したから書けなかったんだと思いますが。
927 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 21:11:29.54
>>904 無限尿(おらが国の東北説)
根拠なし。
そもそもあの龍谷大図が本当に一番古いものかさえ異説がある。
よしんば古かったらオリジナルを正確にコピーした物と言う保証があるわけではない。
じゃあ「如是我聞」で始まる仏教経典で一番古いものはそれだけで釈迦の言った事がそのまま伝わったと言うのか?
そもそも現地からの報告が東だろうが南だろうが結局は南と書かれるのなら両者を峻別のしようが無い。
そんな事も分からない白痴が必死に「おらが国の東北邪馬台国」をほざいているだけ。
それから確かに大晦日2ちゃんやっているのも大概イタイが
仕事中に必死に眠気を払いながら書き込んでいる馬鹿も相当に痛い事を自覚した方が良いぞゴミクズ。
己の与太話でみんなひれ伏すかと意気軒昂に乗り込んできたが馬鹿にされて袋叩きw
悔しくて気になって仕方が無いからシフト勤務で眠い目をこすりながらわざわざ年末の職場から必死に書き込んでいる。
自分こそが暗号解読に成功したと自惚れたゴミクズの典型だなw
928 :
本物の天才 :2011/12/31(土) 21:26:13.31
>>922 >悔しいのはわかるがw
別に。俺は余裕よ。
>知識ではオタクのお前が勝っているだろう
それがモノをいう世界だ。
>『頭のよさ』と
俺にかなう奴はまだ登場していない。
>『ディベート力』では夢幻如の方が上だなあ
もともと義務教育レベルの暴論だ、俺がムキになることはなかろう。
マジにやりとりするには、一から説明しなきゃならんし、疲れるわなー。
やったところで野郎は聞く耳をもたない。処置なしというやつだ。
>説明は上手いし分かりやすい
それは理路と論理が整っているということだ。
むろん、こっちのほうが真の能力判断の基準となる。
>夢幻如を無視すると言って無視しきれないのもお前の未熟さだよ
俺が出てこないと場が寂しいだろ?
俺は「言われっ放し」にはしない男だ。度がすぎればいつでも出てくる。
慌てるな。おいおい完全に無視するようになる。
俺が完全に無視している奴も少なくはないんだぜ。
>>923 >伊作は未熟だ
汚れたお前らとは違って、純粋なだけだ。
そういうてめえはどだ。何さまのつもりだこの野郎
929 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 21:58:28.80
>>928 余裕がないから無視しきれないw
お前じゃ夢幻如に勝てないね
930 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 22:02:58.71
たしかに、夢幻如の意見のほうが、的を射ているな。 伊作は追い込まれて、反論にも無理がある。 所詮、九州説熊本説に勝機があるわけが無いのだが。
自説が否定された時の反応見てもカルト信者そのもの
932 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 22:07:30.27
しかし「ディベート」って好きな奴がいるなあ…と言うかカッコイイのか?w まあ 森村伊作 も 無限尿 もその他ゴミクズ連中はディベートゴッコやりたいなら他でやってくれ。
民主党党員名簿 (党員資格/代表選選挙人名簿) ※ 党外秘 1. 青木大姫 2. 秋山慶姫 3. 新井正煕 4. 金村成勲 5. 木下勲鍋 6. 佐井明博 7. 豊田檀君 8. 本山舜臣 1. 安藤重根 2. 池田青天 3. 金子佐鎮 4. 金山淑恵 5. 木子奉昌 6. 田山明雲 7. 平山明河 流石反日朝鮮人だらけの政党なだけはあるなw野田も韓国人疑惑があるくらいだし
934 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 22:23:22.77
>>924 四道将軍っていうのは崇神の代ですよ。この代の初期が景初年間です。
唐の時代はずっと後代でしょうから、これは関係薄いと思います。
935 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 22:27:53.65
>>926 ふむふむ〜。
薩夜麻っていうのは九州王朝関係でしょう?
936 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/31(土) 22:42:25.19
神功の話が創作だとか、卑弥呼の年代に合わせたとか、そんなことはないのである。 学者でさえそんな説を唱えているのだから、情けないことだ。 神功の話が創作だとしたら、神功の伝説などが各地に残っているはずはないのだ。 また、神功=卑弥呼にするつもりなら死去の年を一致させるはずだが、そうしてはいない。 だから神功=卑弥呼ではない。神功紀に分注として魏志を挿入したのは、単に参考として入れただけで、 卑弥呼を神功だと解釈していたわけではない。
938 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 22:54:22.91
>>937 貴方は唐代が四道将軍のいた崇神の代だと想ってるのか?
そんなことはなかろう。
崇神の代が景初年間で倍暦で計算すると、崇神没年が259年になるの
だが、これは古事記の 崇神没年=258年(戊寅年)説に1年違いで合致
する。いい加減なことを言ってるのではない。倍暦計算は日本書紀の
年代に拠っていることから、記紀の年代は一見して不一致だが、ここん
ところはほぼ整合している。このことは記紀の重要年代に整合性が存在
することを意味するのだ。
>>935 王朝かどうかわかりませんが、薩夜麻は倭国王でしょう。
兄弟統治の「兄王」だという説もありますね。
大皇弟・東宮太皇弟と呼ばれている大海人皇子が
弟王だったかもしれません。
940 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/31(土) 23:08:45.02
941 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/31(土) 23:13:09.31
新羅及百濟、耽羅、倭四國酋長 酋長とあるから国王ではない。朝鮮の倭の酋長だろう。
942 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 23:14:46.27
>>932 ディベートは必要でしょ
自分の考えを表現できるかどうかの能力だからね
>>941 倭の酋長でありながら倭国王ではない人物とは誰?
944 :
日本@名無史さん :2011/12/31(土) 23:26:45.81
>>719 > 九州説否定をまとめるか。
> (1)一連と見られる国・行程紹介での「到、至」の使い分け
そんな語感の違いみたいな子細なことでなんで九州説が否定されるんだ?
> (2)伊都国を境に消滅する観察記述
後段の観察記録はどうするんだ?
伊都を境に文体が違うと言うことに意味はあるが、それを勝手な理屈で「証拠」扱いされてもなw
> (3)里程表記から時間表記に切り替わる距離紹介
これも文体というか表記法(参照原典が違うと言うことだろう)の問題だが、
> 以上のことから倭人伝冒頭の国・行程紹介で示されている報告書作成の使者は
> 伊都国までしか行っていない。他は「伝聞」だ。
これは何だw
まずは、冒頭部分が「報告書」なのかどうか論証されてないだろう。
言われてる意味がわからんかもしれんがwww
以下の妄想譚(有り得ない、はずがないetc)で締めくくっても論破とは言えない。
> これは先遣調査隊だが、九州内に邪馬台国があるなら伊都国で止まることはあり得ない。
> 最も詳しく調査すべき対象の邪馬台国を外すはずがない。だが外れている。
> 邪馬台国が北九州から遠隔にあり、時間を無制限にかけられない調査隊は行けなかったからだ。
> ここから邪馬台国は九州内に存在しなかったのは明らかだ。
945 :
卑弥呼は朝鮮にいた :2011/12/31(土) 23:34:34.00
>>943 普通、国王を酋長とは書かないだろうから指摘したまでで、別に国王であってもかまわない。
私が言いたいのは、倭といえばすぐ日本と思うのはまちがいだということ。朝鮮にも倭が存在した。
>>945 泰山封禅の儀では、「周辺野蛮国の酋長を参列させる」という中華思想が
あるために、わざわざ酋長と書いただけで、倭の国王だ。
そもそもこのとき、倭人は半島の領土を失っている。
947 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/31(土) 23:52:03.32
中華思想とは、唐なら唐でいいが魏も同じ、”諸国王”という爵位を授与したことが無ければ ”王”とは呼ばないし書かれない。 だから、卑弥呼は239年に倭王卑弥呼を認められているということは、後漢から禅譲された魏であるから 後漢から倭奴國王と認められた爵位の継承である。
948 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 00:01:29.19
,へ \ | / ,ハ百 \ \ \ | / ム.只 /へ/) ./ ̄\ ∧_∧∩ )( ‐ ‐ ‐−──( ゚ ∀ ゚ )──−‐‐ =夫=_ .(*・∀・)7 ( ! ______ノ'""ゝ. \_/ フi三iヽ ゚ .冂つム゚_」 Y (_ ____) ':; | \ '─' ゜ ム_」」」」ゝ 人 ___) (__∠__ \| \ (,_,,ノ `ー´ ( '; (__________) ~':;,,. \ ,' . / .' ヽ (_ ,,;::'~ ~':::;;,,,_ / / ' \ヽ. __,,,,-‐''"~ ∧_∧ ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) '0 __,,..l⊂Z_).⊃! ( ´∀` )  ̄ ̄ ̄ ̄) (二二二二二...... 0 0Π0- ‐‐'''"" |;;:.:. ヮ . .:::;| ,べヽy〃へ ( ̄ ̄ ̄ 0Π0 HΠH ∩.∧_∧∩ ∧∧/ :| 'ツ' | ヽ  ̄λ_λ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧∧ ̄ HΠH EEE 匸(´∀`;)フ (,゚Д゚,). o |=宗=! o | ( `ー´) ヮ (゚ー゚*) EEE |l|lil|ili| 瓜ゞッ=Lく ,くリ=ッ=[ゝ.__」「「「「L_.」 厂〉=ッ冂づ ヌ Oヮ⊂[]ヨ |l|lil|ili| ,,.<卅卅ゝ.__.,.,.,___.__.,.,.,(__)ヾZ)'_.,.,_じ(ノルハ)Jつ」」」」」⊂ソ.,_.,_.(入ム]つつ.__,L!__. (_」つ.,<卅卅ゝ,,.,,
949 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 00:02:32.05
∧_∧ ( ´Д` ) 新年あけまして / ヽ し、__X__,ノJ /´⌒⌒ヽ l⌒ ⌒l おめでとうございます ⊂ ( ) ⊃ V ̄V ○ /⌒\ (__) \●/(__)/⌒\ ∩ (・∀・ )\●/ あけおめ Y  ̄ ||y||  ̄`''φ Lノ /ニ|| ! ソ > 乂/ノ ハ ヽー´ `ー-、__|
950 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 00:04:11.23
∩ 新年 ∩∪ あけまして ∪.| |∩ おめでとう . | |.| |∪ ございます . | |.| |.| | (∩∩∩∩) 2012年元旦. (∪∪∪∪) |≡≡≡| /≠≠≠\
951 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 00:04:47.52
(~ヽ γ~) |ヽJ .あ |し'| | (~ヽ .け γ~)| .| (~ヽー|ヽJ ま し' |ー γ~) |ヽJ | | お .す .| | し''| | ∧|__∧ | め .よ |∧__|∧| リ(´・ω・`)彡 で ミ(´・ω・`)彡 ⊂ミソミソ彡ミつ と (/ミソ彡ミソ彡つ 》======《. う 》======《 |_|_|_|_|_|_|_| |_|_|_|_|_|_|_| `u-u´ `u-u´
952 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 00:05:37.87
,へ \ | / \ \ \ | / /へ/) / ̄\ ∧_∧∩ )( ‐ ‐ ‐ ───( ゚ ∀ ゚ )── (ι・∀・)| ( ! ______ ノ'""ゝ.\_/ ゚ .|。つ ノ Y (_ ____) ':; | \ ゜ ノ , ⌒l 人 ___) (__∠__ \| \ (,_,,ノ `ヽ_) ( '; (__________) ~':;,, \ ,' . / .' ヽ (_ ,,;::'~ ~':::;;,,,_ / / ' \ヽ. __,,,,-‐''"~ ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ __,,..l⊂Z_).⊃l  ̄ ̄ ̄ ̄) - - ‐‐'''"" |;;:.:. ヮ ..:::;| お ま い ら ( ̄ ̄ ̄ ∩∧_∧∩  ̄ ̄ ̄ ̄ l (´∀`#)ノ も ち つ け l⌒ ヾ ,,.__.,.,.,___.__.,.,.,___.__.,.,.,(__)^、_)__.,.,.,___.__.,.,.,___.__.,.,.,___.__.,.,.,___.__.,.,.,___.__.,.,.,___.
953 :
【大吉】 :2012/01/01(日) 00:23:56.24
test
どれどれ
>>919 >何さまのつもりだ?
四連発もせんでも答えてやるわ ワラ
何様って、お前より数段頭の出来がいい「俺様」だ ゲラ
ねちねち小僧 の突っ込みをテキストで撃退出来ず、削除するような姑息な無能が
よくもまあ天才などとほざけるもんだ。しかも「文章の天才」とも言ってたよな。
テキスト世界はテキストがすべて。それを放棄して何が「文章の天才」だ。
初笑いネタを提供してるつもりのサービス精神かね プププ
>>944 gdgdループ馬鹿、そこに俺は論を張り既に済んでいる。
その論に突っ込みなら話は進むが、お前は馬鹿だからループさせる。
堂々巡りしかやれないのは議論能力がない根っからの馬鹿か、確信犯の卑怯者よ。
お前の場合は前者だろうがな ワラ
さて今朝の本題。 >例えば「全ての水行一日を千里に置き換えると全行程万二千余里とする記述と矛盾する、従って水行一日=千里という置き換えは妥当ではない」 >この主張には合理性があるし、この主張の可能性を完全に排除する事は不可能でしょ 水行一日=千里の置き換えは妥当そのもので、これを否定する余地はない。 理由は簡単。壱岐〜北九州間が千里になっているからだ。 魏から渡海し倭国にこれる船と航海術があるものが 目と鼻の先と言っても過言じゃない距離を一日以上かかるはずがない。 これは常識のレベルの話だ。 壱岐〜北九州間を千里としていて、現実問題として水行一日。 ならば千里行程を指すものは全て水行一日。これは合理的という以前の当たり前の話だ。 これのどこが否定が出来る? どこをどう見たら >水行一日=千里という置き換えは妥当ではない」 この主張には合理性がある になるんだ?言ってみ。
>>868 の馬鹿が言う
>「だから水行一日=千里はでたらめ」とも結論付けられる
これもあり得ない。
魏志倭人伝の中だけの特有のものなら「千里は百里の誤記」なんていう
超勝手なご都合主義の誤記論が入り込む可能性も少〜〜〜〜しはあるだろ。
だが、ここは伊作が俺のために( ゲラ )補強した説明で事足りる。
古代中国では魏志倭人伝”以外でも”たびたび水行一日=千里が出てくる。
これで倭人伝の誤記説すら入る余地はなくなる。
上で話した壱岐〜北九州の話と合わせ「水行一日=千里はでたらめ」など逆立ちしても出て来ない。
つまり出鱈目なのは実距離と見る場合の「万二千里」
しかしこれを修辞と見れば出鱈目ではなくなる。
どちらも間違った記述じゃないと読めば「万二千里」は修辞しかないわけよ。
以上で 「万二千里は実距離ではない」 これが単なる「説」や「推論」ではなく「証明」であることがわかったかな?
あ〜一つだけ誤記説が入る可能性があるな。 「万二千里」は「一万二千里」とは書かれていない。 これは「四万二千里」で四が抜けた誤記だ、ならあるかもな。 しかしこれじゃ九州説全滅だから主張する奴はいないわな ワラ 畿内説も苦しくなるから畿内説者も言うはずないし ゲラ
961 :
本物の天才 :2012/01/01(日) 09:30:00.06
>>956 たしかに、やりとりと口論のやり方は心得ている。
返答に困る所は、見ないフリ・頬かむりが上手だ。
>ねちねち小僧 の突っ込みをテキストで撃退出来ず、削除するような姑息な無能が
>よくもまあ天才などとほざけるもんだ。しかも「文章の天才」とも言ってたよな。
>テキスト世界はテキストがすべて。それを放棄して何が「文章の天才」だ。
>初笑いネタを提供してるつもりのサービス精神かね プププ
とぼけてスルーして同じ誹謗を繰り返しているが、
すでに「ねちねち小僧の突っ込みをテキストで撃退」している。
俺の正々堂々とした所と天才の天才たるところもちゃんと証明している。
お前の正確では認めることができんらだろうが。ほれ
http://8234.teacup.com/isaq/bbs
962 :
ひとぶた :2012/01/01(日) 10:01:44.65
>>957 > 理由は簡単。壱岐〜北九州間が千里になっているからだ。
> 魏から渡海し倭国にこれる船と航海術があるものが
> 目と鼻の先と言っても過言じゃない距離を一日以上かかるはずがない。
> これは常識のレベルの話だ。
> 壱岐〜北九州間を千里としていて、現実問題として水行一日。
> ならば千里行程を指すものは全て水行一日。これは合理的という以前の当たり前の話だ。
では、「水行十日」は一万里の表記と置き換え可能なのですか?
963 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 10:07:58.11
>>957 >水行一日=千里の置き換えは妥当そのもので、これを否定する余地はない。
>理由は簡単。壱岐〜北九州間が千里になっているからだ。
そう簡単ではないな。魏の船と倭の舟では速力もちがうだろう。水行二十日や水行十日
は倭の舟の可能性が高い。
壱岐〜北九州の間だって2日、3日かかってるかも知れん。壱岐からまず加唐島に渡っ
て一休み、呼子に渡って一休み、で唐津ならば3日だよな。
>>961 >返答に困る所は、見ないフリ・頬かむりが上手だ。
お前じゃないんだからよ、そんなことはしねえよ ワラ
俺は突っ込まれたことは絶対に逃げない。ループじゃなきゃな。
だからコテをやっている。
コテは自分の発言に責任を持たねばコテ張る意味がない、が俺の持論だからよ。
で、ねちねち小僧とは始まったばかりで小僧が突っ込み直してるぜ。
ま、ここは傍観させてもらうわ。頑張りな。
>>957 謹賀新年
ちょっと話が分かってない見たいだね
まず「朝鮮半島から九州までの行程では実距離に関係なく水行一日=千里としていた」という君の主張、
とりあえずこれは正しいという前提で話を進める
この「水行一日=千里」を「水行二十日」「水行十日」にまで当てはめると「万二千余里」と矛盾するわけでしょ
となると
・「水行一日=千里」を「水行二十日」「水行十日」にまで当てはめるのは妥当ではない
という結論と
・「万二千余里」は実距離でない
という二つの結論が成立しうるわけだ
で「水行二十日」「水行十日」についても「水行一日=千里」として記述したかどうかは作者じゃなきゃ分からない領域の話なわけね
だからどちらか片方の結論のみ否定する事は出来ない
つまり証明は不可能なわけ
理解出来た?
966 :
本物の天才 :2012/01/01(日) 11:12:26.59
>>964 大口叩くな。
俵ネズミみたいに端っこをちょいかじりしただけのビギナーが。
俺にいっちょ前のタメ口叩くのは20年ばかり早いぜ。
>>962 >では、「水行十日」は一万里の表記と置き換え可能なのですか?
だから、そう言っている。
倭人伝の中では「水行一日=千里」の等式が確定している。
ならば水行十日は一万里、二十日は二万里に換算される。
それで倭人伝を連続読みしようが放射説を採用しようが総行程は万二千里をオーバーする。
連続説、放射説友に駄目なら、残るのは超勝手解釈しかなくなる。
俺は伊作の本もサイトも見たことがないから、今までの奴の書き込みから想像するしかないが
「水行一日=千里」を認めながら熊本説を張る根拠は
帯方郡から「水行十日陸行一月」との解釈からの万二千里なんだろう。
もしそうなら、これがいわゆる超勝手解釈の見本だ ワラ
朝鮮コテはこれを修辞だという。
倭人伝の中の百、五百、千、万などは修辞だろう。
だが、たかだか十日単位のものを修辞で表す必要はどこにもない。
無論正確に「十日」「二十日」ではないだろうが最大限に幅を見て四捨五入の範囲内だろうよ。
水行十日は五日以上、十四日以内。水行二十日は十五日以上、二十四日以内。
この最少で計算しても連続説なら邪馬台国まで合計水行だけで二万里でオーバー。
放射説なら伊都国から五千里で、すでに北九州までの水行で一万里だからこれでもオーバー。
>>969 魏製の船、倭製の船の場合の話も既にした。ループだ。
俺はコテだ。俺のレスは簡単に検索できる。このスレないだから、そこに反論しろ。
ちょこっとだけ結論を言っておけば
倭人伝の投馬国まで、邪馬台国までは伝聞だから、この水行は当然、倭製の船でだ。
それで何も問題はない。
だが行程紹介で記される狗邪韓国から末ろ国までは魏の船だ。
狗邪韓国から対馬までひと休みする港はないぜ。そこを千里表記だ。
一大国から末ろ国までも同じ千里。ひと休み入れなきゃたどり着かないというのは
強弁にしかならない。
まあ、強弁だとわかってやってるレスだと思うがね ワラ
>>966 お前が俺様の頭脳に対抗するには十万年早いがな ゲラ
さてさて、ぼちぼちオネムの自覚症状が・・・ 最近はいきなりばたっと寝てしまうからなあ。歳かなぁ ワラ 寝る。出れたら今夜八時前かな。 俺は今夜も仕事だから、その前にちょこっとやれるだろ、多分。
971 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 11:46:20.15
無限は喧嘩馴れしてるなw 伊作よ、煽りでも負けてるぞww
>>965 ぁ、悪りい。
謹賀新年が頭にあったから、俺に関係ないレスかと思い読み飛ばしていたわ ワラ
それも後でな。
973 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 12:02:57.37
畿内説は東北説に負けました。
974 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 12:24:05.65
お前らはここで喧嘩をしている積もりなのか。だったらお前らは邪馬台国を論 じる資格は無いわな。喧嘩をする奴は邪馬台国から手を引け。
975 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 12:51:36.71
>>972 又読み違えられると面倒なので
>>965 をちょっと修正する
まず「朝鮮半島から九州までの行程では実距離に関係なく水行一日=千里としていた」という君の主張、
とりあえずこれは正しいという前提で話を進める
この「水行一日=千里」を「水行二十日」「水行十日」にまで当てはめると「万二千余里」と矛盾するわけでしょ
となると
・「水行二十日」「水行十日」については「水行一日=千里」としては書かれてない
という結論と
・「万二千余里」は実距離でない
という二つの結論が成立しうるわけだ
で「水行二十日」「水行十日」についても「水行一日=千里」として記述したかどうかは作者じゃなきゃ分からない領域の話なわけね
だからどちらか片方の結論のみ否定する事は出来ない
つまり証明は不可能なわけ
理解出来た?
976 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 12:59:34.14
>>957 無限尿(ゴミクズレベルおらが国の東北説)
>水行一日=千里の置き換えは妥当そのもので、これを否定する余地はない。
仮に妥当としてもそれは該当部分だけの話。
それを『 不彌國以後に当てはめられると言う根拠が無い 』
それはお前が言うように「水行一日=千里」とするなら水行20日で二万里10日で一万里
都合三万里にもなり当然、万二千里なんて問題にならないくらいオーバーするからだ。
あの記事を書いた中国人はそんな計算もできないアホだったのか?と言う話だなw
977 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 13:11:41.92
>>964 無限尿(ゴミクズレベルおらが国の東北説)
>俺は突っ込まれたことは絶対に逃げない。ループじゃなきゃな。
その意気や良しw
で方角の件に関して言えば実際現地の人間が東に進もうが南に進もうが
結局史書には南と表記されるのならそもそも判別することは不可能。
要するにこのゴミクズが言っているのはあくまで
「オレサマ説=東北説」でも成り立つと言う話だけ。
これについて何か反論があったかな?
距離についてはそもそもあの日数は距離に換算しうる目安ではなくで(ある移動で)実際にかかった日数と言う説を
理論的に否定してもらったことがあるかな?
確かこれは謝銘仁と言う学者が以前発表した内容だったと聞くが
それが理論的に否定されたなんて話を聞いたことが無い。
ついでに言えば「放射説」にしても同じでこれが理論的に否定されたと言う話を聞いたことは無い。
結局 無限尿 謹製 おらが国の東北説は「そのような解釈も可能だ」と言うレベルの話で
本人が妄想しえているような百年以上の論争に決着を付けられる画期的な説でもなんでもない。
まあここまで自惚れられるのが才能と言えば才能。そこら辺は 森村伊作 と良い勝負かな?wwwwwwww
978 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 13:11:44.93
変な計算が横行しているな。万二千里ってのは、せいぜい熊本だ。だが、 それは女王国の境界の話。邪馬台国はもっと南だよ。 万二千里は邪馬台国までの話ではない。
979 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 13:31:08.26
阿弥陀仏よや、おいおい
981 :
本物の天才 :2012/01/01(日) 13:56:51.83
>>971 >無限は喧嘩馴れしてるなw
見りゃわかるだろ。ほとんど毎回、まずいことには言及せず。自己主張のの繰り返し連呼。
どいつもこいつも、口先だけでフェアな奴はいやしない。
腐った目ん玉で傍観してるのなら、俺にかまうな。ゴミ箱銀蝿
982 :
ひとぶた :2012/01/01(日) 13:57:24.56
>>968 > >では、「水行十日」は一万里の表記と置き換え可能なのですか?
> だから、そう言っている。
> 倭人伝の中では「水行一日=千里」の等式が確定している。
> ならば水行十日は一万里、二十日は二万里に換算される。
> それで倭人伝を連続読みしようが放射説を採用しようが総行程は万二千里をオーバーする。
> 連続説、放射説共に駄目なら、残るのは超勝手解釈しかなくなる。
うーん、水行千里の解釈と連続、放射の問題は別の話でしょw
> 倭人伝の中の百、五百、千、万などは修辞だろう。
> だが、たかだか十日単位のものを修辞で表す必要はどこにもない。
「修辞」に「百」も「十」も関係無いと思いますが。
と言うか、貴方自身、後段で「十日」の解釈として「四捨五入で十」と説明ていますが、
それだって広い意味で「修辞」の技法のひとつです。
> 無論正確に「十日」「二十日」ではないだろうが最大限に幅を見て四捨五入の範囲内だろうよ。
> 水行十日は五日以上、十四日以内。水行二十日は十五日以上、二十四日以内。
> この最少で計算しても連続説なら邪馬台国まで合計水行だけで二万里でオーバー。
> 放射説なら伊都国から五千里で、すでに北九州までの水行で一万里だからこれでもオーバー。
実は、私自身も「万二千余里」は虚数であろうと考えており、あまり距離にはこだわっていませんが、
貴方の理屈に従って言えば、壱岐・九州間(郷ノ浦・唐津として40km)も
対馬・壱岐間(約100km)も同じ「千里(一日)」と認知されるわけで、
距離の単位としての実効性が無さげに(要は字面どおり所要日数としか)見えますね。
まあ、私がそう思うだけなので貴方と同じレベルの見解ですけどねw
あと
>>855 にも答えておいてくれるとありがたいな。
983 :
熊次郎 :2012/01/01(日) 15:37:58.58
あけましておめでとう 熊次郎万歳
985 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 15:53:25.89
倭国乱であって倭国と他の国が戦争したとは書かれていないのだ つまり男王がいた時代から日本列島の勢力はある程度まとまっていなくてはならない 一世紀の段階で日本列島がひとつにまとまっていたということにならなければ 日本列島の勢力が共同で王を立てるなんてことは無理だろう 考古学的に一世紀の段階で日本列島がひとつの同質な世界にまとまっていた ということは不可能なんだから 倭国乱っていうのは北九州の倭国内部の王位継承争い 西日本一帯を巻き込む戦争などではないってことだよ もしそんなだったら戦争はそんな簡単に収まるわけないし 100年くらい続いててもおかしくないよね
986 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 15:57:05.03
つまり倭国乱は倭国乱であって 倭国大乱なんてなかったってことだね
>>837 > なぜあの短文の中で使い分けられているのか。俺の説明以外に説明がつかない。
「至」には“実際に到着する”という意味がある。したがって
「邪馬台国に至る」は実際に邪馬台国に到着した者によって書かれた記録を編者が引用したものと受け取っておかしくはない。
道程記事の伊都国までの部分と奴国以降の部分は明らかに書き方が違う。そのことから
伊都国までの記述は別の情報を編者が参照したものと考えられる。
その情報は、漢代から魏代にかけて種々の人々がもたらした可能性がある。
楽浪商人や韓人をはじめ官吏、伊都国に常駐した郡使などさまざまなソースが考えられる。
その、編者が引用したものには「到」が使われていた。
以上で説明はついた。
> 別ソースというトンデモ
ソースが複数だと考えるのは自然なことで、トンデモでもなんでもない。
夢幻如の場合も、先遣調査隊が直接見聞したものと倭人からの伝聞というように分けて考えている。
> 調査隊の報告書が投馬国や邪馬台国について不備なら・・そのツギハギ部分は元の物より詳細じゃなければ意味がない。
“報告書”であれば「意味がない」のかも知れないが、「調査隊の報告書」なるものを前提としていないので、
詳細じゃないこと、にはなんの問題もない。
編者は入手できる最大限の情報を「ツギハギ」してまとめた。
手に入れた、伊都国までの情報と奴国以降の情報とに差があっただけ。
>>837 > 隣接するものは「百里」
> 距離関係なく少し離れたところところは「五百里」という修辞だ。
> この五百里は百里の5倍ではない。実距離は無関係。
実距離を報告しなかった先遣調査隊?
「奴国は隣です。末盧国は少し離れています。」と修辞で報告書を書く先遣調査隊?
先遣調査隊などないと思う理由は、その調査の中身にリアリティがないからだった。
糸島からほぼ等距離の、唐津まで(直線距離約24.3km)と福岡まで(直線距離約19.5km)を
五百里と百里と報告するのはおかしい、というと「実距離ではなく修辞だ」という。
つじつまを合わせたつもりだろうが、
「実距離を報告しない、修辞で報告書を書く先遣調査隊」など、さらにリアリティがなくなってしまった。
先遣隊なら、馬鹿みたいに正確かつ克明に報告するのが当たり前。
時間切れで結局東北の邪馬台国まで行かず 途中で引き返している先遣隊(笑)
軍の訓練で95%も凍死したことがある八幡平を、 「倭地は温暖」とデタラメな報告した先遣隊は、 全員処刑されてるだろうな。
992 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 19:40:12.49
そもそも先遣調査隊だったっつー仮定からは九州説の否定は出来ないんだけどな 奴はバカだからまともな論理構成ができない
このスレでは収まらんが、やれるだけ。
>>975 >・「水行二十日」「水行十日」については「水行一日=千里」としては書かれてない
>という結論と
>・「万二千余里」は実距離でない
>という二つの結論が成立しうるわけだ
先ず「読み違える」とか誤魔化しているが、お前の最初の話はこうだ。
>例えば「全ての水行一日を千里に置き換えると全行程万二千余里とする記述と矛盾する、従って水行一日=千里という置き換えは妥当ではない」
>この主張には合理性があるし、この主張の可能性を完全に排除する事は不可能でしょ
誤魔化しがよくわかるだろ プ
お前は「水行一日=千里」が妥当ではない可能性を言ってきたんだ。それを否定され言い換えた。
そんなつもりで書いたのではないというなら国語力の問題だがな。。だが、答えてやろう。
水行二十日や十日は水行一日=千里で書かれていない可能性はない。
なぜなら水行一日=千里を常識としている古代中国人の書だからだ。
実距離がどうであれ一日かければ水行一日で千里なのは壱岐〜北九州で証明出来る。
ここから細かな船の性能の差も問題にならないこともわかる。
他の文献でもこの常識があったことは伊作が補強している。
この常識を持つ古代中国人が水行二十日と言えば単純に水行一日の20倍しかあり得ない。
他に違うどういう可能性があるのかね?あるなら具体例で出してみろ。
全部完全に否定してやるよ。
それとな、姑息な誤魔化しは俺には通用しないぜ。
994 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 20:02:48.56
>>993 無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説)
>水行二十日や十日は水行一日=千里で書かれていない可能性はない。
>なぜなら水行一日=千里を常識としている古代中国人の書だからだ。
その”置き換え”をやると万二千里を軽くオーバーするのに
そんな事も分からない古代中国人。
この阿呆は「オーバーする」と言うことで鬼の首をとったが如く
はしゃいでいるが何のことは無い逆に言えばそのこと自体が
「水行一日=千里」と言う等式が成り立たない証左。
995 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 20:09:03.48
>>993 俺の国語力よりあなたの読解力の問題だと思うけど…
それはどちらでもいいとして
単純なこと「万二千余里」と書いてある以上これを「正しい」と仮定して読む事は別に非合理的ではない
あなたの説を否定してるのではなく、別の説の可能性を否定しきれない、と言ってるわけ
別の説の可能性を否定しきれない以上証明にはならない
それともあなたがいう「証明」は意味が違うのかな?
>>976 「万二千里」を修辞とすればアホでもなんでもなく、倭人伝は全て真っ当な文章だ。
>>977 ループ馬鹿は過去レス読んでから出直せ。
現場から南だ東だとどういう報告があろうが中央は関心がない。理由は言った。
距離は実際にかかった日数の伝聞でいいじゃないか。
それを古代中国人の常識で置き換えることは可能だ。
そもそも里程は正確な距離を表すものではない。
水行一日=千里は中国人の常識だが、これは正確な距離を表さない。
それと放射説をいつ否定した、糞頭。まだしてねえよ。
放射説を採用しても万二千里は実距離にならない、と言ってんだがね。
俺を結論先にありきと思い込む程度の低い糞頭じゃこんなもんだろうがな。
てめえは馬鹿すぎ、ズレすぎ。
これはサービスだ。以後お前は無視。
限られた時間で他の人からのレスに答える邪魔になる。
997 :
994 :2012/01/01(日) 20:12:29.40
リアルなお話としては 日中に航行するとしても潮の流れがベストなのは時間帯が限られる。 かなりの距離がある海峡横断で途中寄るところが無ければ仕方が無いが 岸に沿って移動するなら潮の流れが変わる前にさっさと寄港した方が利口。 この無限尿とかいうゴミカスがあげたイモトのタライ船による佐渡への航行にしても 調べてみるとやはり潮の流れを最大限利用すべく夜間に出発したり 最終的に佐渡についたが潮に流されて予定の場所よりも大きく変わってしまったようだ 仮に壱岐〜九州を一日で渡ってそれを千里と見たとしても 不彌國から先それを最低ノルマの如くにしなければならない合理性は何処にも無い。 全ては オレサマ説=おらが国の東北説 ありきの為の牽強付会我田引水贔屓の引き倒し阿呆の戯言wwwwww
998 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 20:18:02.23
水行二十日 水行十日陸行一月 水行一日が千里であれば、 最低でも三万里以上となる。
>>979 >>796 の馬鹿レスの意味すらわからん。
馬鹿はスルーされて当たり前だ、馬鹿頭。
>>981 俺を無視出来ないチキンが何か言ったか ワラ
>>982 以下には明日答えよう。
時間がないし、携帯だとレスを見ながら返事ができない。
新スレになっても、ちゃんと答えてやるぜ。
1000 :
日本@名無史さん :2012/01/01(日) 20:18:39.28
>>996 無限尿(中身無しのゴミクズレベル東北説)
>現場から南だ東だとどういう報告があろうが中央は関心がない。理由は言った。
誰もそれを否定していないぞゴミクズ。
現場からの報告が南でも東でも結局南と記録されるならその記録からの判別は不可能
ニホンゴワカリマスカ?
現地の報告が 東 or 南 史書の記録は 南
…ならば、その逆は
史書の記録が 南 ならば 現地の報告は 東 or 南
と言う可能性があると言う極めて単純な話。
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