1 :
日本@名無史さん:
大石進種次で決まりなわけだがw
前にも似たようなスレタイで立ってたな。
3 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 22:37:06.58
@上泉伊勢守
A塚原ト伝
B丸目蔵人佐
C小野忠明
D小笠原長治
E東郷重位
4 :
日本@名無史さん:2011/11/25(金) 23:20:46.77
平山行蔵
寺田宗有
高柳又四郎
白井亨
中村一心斎
岡田十松
島田虎之助
大石進
比留間与八
男谷信友
榊原鍵吉
山岡鉄舟
千葉栄次郎
下江秀太郎
門奈正
高野佐三郎
或時先生の咄に、中年の頃雷電といひし相撲取のありしが、我宅へ参り、種々力業など致し我に見せ高慢し、
御自分様我と力を較べ給へとて、或時醤油樽二つ足駄に履きて、酒樽を差上げて参りける。
我等申すは、なかなか其様の業は出来ず。我が持つ一貫目筒をため見候へと申す。
彼者は大筒を取りため得ず、ただ持つ計なり。
それより御自分様御ため御覧候へと申す故に、立ちだめにて致し見せ候へば大いに恐れ、
それより我と胸押致し候へと申しければ、雷電我等と胸押致しけれども叶わず、
三度まで致し、武士は違ひ候ものとて屈服致しけり。
(勝夢酔『平子龍先生遺事』)
5 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 08:47:50.22
塚原ト伝もそうだけど昔の剣豪って自己申告の戦績や大分話が盛られてる気がする
6 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 09:17:35.95
柳生伊予守
7 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 11:02:14.52
先生としてか、創始者としてか、実践の生き残りとしてか、人殺しとしてか
基本、侍が戦以外でチャンバラすることなんてほとんどないだろ
戦でも槍や弓がメインだし
室内で激怒して切りかかる殺しはあったようだから居合いや小太刀を習っている侍有利かな
8 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 11:06:41.03
切りあいだとやはり維新の頃になるのか
中村半次郎
服部武雄
近藤勇
沖田総司
だけど剣術を切り合い殺し合いって定義すると岡田以蔵になるかな
殺した数とその後の効果はダントツだろう
生き残ったという面では
永倉新八 斉藤一 島田魁
9 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 21:55:28.66
>>8 岡田に関しては
殺した数はダントツだが一人で殺したわけじゃない(グループ)
その後の効果についても政治上の重要人物は殺してない
ただ、勝海舟護衛やジョン万次郎護衛(コレに関しては議論多々あるが)など
護衛の際の1対多数の斬り合いで鬼のような強さを見せてはいる
中村半次郎も斬った相手はかつての恩師一人だけだしね
まあ戊辰戦争で生き残った連中ってのはつわものばかりだったと思うよ、確かに
11 :
日本@名無史さん:2011/11/28(月) 20:37:10.64
>>7 普通に白兵戦のメインが刀だと思うけどね。
パードレ・ビレラ
・双方まづ矢を放ち、更に近づきて槍を用ひ、最後に剣を交ふ。
12 :
日本@名無史さん:2011/11/29(火) 01:24:17.89
個人的に足利義輝であってほしい・・・
江戸で道場破りを行なった頃の大石に完勝したとされる白井
その白井が最強と見なして崇拝した過去の剣豪、針ヶ谷夕雲
夕雲の前半生における多数の決闘に勝ち続けた強さのソースは、
師匠・小笠原長治から伝授された秘技・八寸の延金
八寸の延金を編み出した小笠原も、
ピーク時の強さは夕雲と同等以上だったのではないかと考えられるほど傑出している
まあ白井は、夕雲の孫弟子にあたる真理谷円四郎についてはスルーしたが
強かったのは確かだが、尊敬を集め難い円四郎では仕方がない
14 :
日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:31:00.14
普通に人外の天狗の剣術の念阿弥慈恩だろ
それじゃあつまらないので塚原か上泉か忠明と勝小吉の頂上決戦で
人外なら松山大吉でも
>>13 江戸時代の「剣豪」は袋竹刀で闘うケースが多かったから
強さについては当てにならないって話を昔の歴史家の対談で読んだことがあるんだが。
やっぱり竹刀相手と真剣相手じゃ緊張が全然違うらしく、普段竹刀ではテダレの者でも
全然実力が発揮できないとかいう話。
17 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 08:14:17.53
>>16 なので戦場経験の豊富な上泉や丸目などの武将剣豪が最強
真剣で五十数勝の夕雲と、竹刀で約一千勝の円四郎とでは、
勝ち数の多い円四郎の方が上とは一概には言えないという話でしょうか
>>16 >江戸時代の「剣豪」は袋竹刀で闘うケースが多かったから
袋竹刀なんて、新陰流以外じゃつかわんだろう
安全対策きっちりやった方が平均的な技術は向上するから、それこそ一概には言えない
21 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 15:53:07.99
22 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 16:22:35.70
伊庭八郎ということにしておこう。
23 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 19:59:56.09
24 :
日本@名無史さん:2011/12/06(火) 03:26:48.24
>>14 「人外」なんてものを含めてよいのなら、
「全知全能の神」が最強に決まってるだろうが・・・
何言ってるのかわからん
>>20 ガチの殺し合いは技術より度胸というからなぁ
>>25 「いうからなあ」って言うのが、誰から聞いた話なのかわからん以上何の根拠にもならんよ
基本的に「ガチの殺し合い」というのをやってた人間は皆、軍人にしろ剣客にしろ十分な訓練を積んだ上で実戦の場に出て場数を踏んでる
ズブの素人のまま戦場に出てプロより活躍した人間の話なんて、少なくとも俺は聞いたことがない
ていうか、道場稽古はその度胸というか慣れを養うためのものでもあるんじゃね?
28 :
日本@名無史さん:2011/12/07(水) 09:41:23.74
念流は元々天狗の剣術だろ
殺戮マシーンひしめく戦国時代の剣豪が江戸以降の剣豪に負けるわけなし
29 :
日本@名無史さん:2011/12/07(水) 20:19:46.13
30 :
日本@名無史さん:2011/12/07(水) 21:48:17.85
栄養を十分に摂取でき科学的なトレーニングを積める
現代の剣道家の方が強いだろ。
31 :
日本@名無史さん:2011/12/07(水) 22:20:41.29
というか、この時代の剣豪は皆強いじゃん
剣豪でなくとも、「片手千人斬り」の異名をとった土屋昌恒とかいるし
佐々木小次郎の必殺技「燕返し」とかプレデター相手でも楽勝
三尺三寸(約1m)の長船長光とか喰らったらプレデターでも真っ二つw
※映画「プレデターズ」のヤクザVSプレデターを参照
32 :
日本@名無史さん:2011/12/07(水) 23:07:39.53
>>30 ト伝を相手に真剣を使って出小手で勝てるかw
33 :
日本@名無史さん:2011/12/07(水) 23:48:40.79
仙人クラスの楳本法神か中村一心斎 VS ト伝
辻月丹 VS 富田重政
樋口定次 VS 柳生十兵衛
富田勢源 VS 上泉信綱
松本備前守 VS 千葉周作
諸岡一羽 VS 大石進か山岡鉄舟
一刀斎 VS 真里谷円四郎
慈恩 VS 高柳又四郎
足利義輝 VS 小野忠明
さあ!! 誰が強い?
34 :
日本@名無史さん:2011/12/08(木) 00:07:53.72
>>33 上から順番に
塚原卜伝
富田重政
相打ち
相打ち
千葉周作
諸岡一羽
伊東一刀斎
高柳又四郎
小野忠明
35 :
日本@名無史さん:2011/12/08(木) 09:48:52.32
36 :
日本@名無史さん:2011/12/08(木) 19:03:35.44
○高柳又四郎 VS 千葉周作●
一刀斎つーたら外他一刀斎でんがな
勝小吉はネタだよ。
強かったには強かったが、彼の周辺には超人剣客が数多存在してたため、
相対的にトップではないことは明らか。
近い年代では兄貴分・男谷信友が剣術では上。
上の世代では中村一心斎、白井鳩洲、師匠・団野真帆斎、学問の師・平山行蔵。
男谷と互角に近かった大石進にも、やはりかなわないだろう。
39 :
日本@名無史さん:2011/12/08(木) 21:17:20.63
●富田勢源 VS 上泉信綱○
40 :
日本@名無史さん:2011/12/08(木) 23:58:04.28
千葉周作ってそんなに強いんか!?じゃあ
東郷重位 VS 柳生兵庫助
丸目蔵人 VS 石舟斎
ト伝 VS 小野忠明
中條長秀 VS 飯篠長威斎
男谷精一郎 VS 夕雲
勝小吉 VS 武蔵
さあ!誰が強い?
41 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 08:02:53.65
○東郷重位 VS 柳生兵庫助●(接戦)
○丸目蔵人 VS 石舟斎 ●(これは定説)
○ト伝 VS 小野忠明 ○(接戦)
△中條長秀 VS 飯篠長威斎△
△男谷精一郎 VS 夕雲△
●勝小吉 VS 武蔵 ○
42 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 08:04:13.55
訂正
○東郷重位 VS 柳生兵庫助●(接戦)
○丸目蔵人 VS 石舟斎 ●(これは定説)
○ト伝 VS 小野忠明 ●(接戦)
△中條長秀 VS 飯篠長威斎△
△男谷精一郎 VS 夕雲△
●勝小吉 VS 武蔵 ○
43 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 09:07:17.79
東郷対柳生をなぜそうしたのか聞きたいな。
別にケチつけてるわけじゃないんだがどうしてかなと思って。
千葉周作ねえ…
男谷には全く歯が立たないし、勝小吉よりも下に見える
江戸後期の強豪の一角ではあるが、最強論の場に出していい人物じゃない
45 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 12:20:34.16
千葉栄次郎 VS 斎藤歓之助
塚原卜伝
上泉源五郎
伊東一刀斎
小笠原金左衛門
針ヶ谷夕雲
真理谷円四郎
寺田五右衛門
中村一心斎
白井亨
男谷精一郎
俺的に最強候補を10名までに絞ってみた
丸目長惠、小野忠明、東郷重位、柳生連也斎、大石進
といったところを惜しみつつ外した
彼らが、先に挙げた10名よりも劣るとは言えない
実力伯仲!? 本当にあったライバル物語
柳生但馬守 VS 小野次郎右衛門
無想権之助 VS 宮本武蔵
男谷精一郎 VS 大石進
千葉栄次郎 VS 斎藤歓之助
夢の対戦!? 剣豪小説家が書いてみたくなるような同時代人同士の対決
服部藤次兵衛VS 小笠原源信斎
小栗仁右衛門VS 神谷丈左衛門
針ヶ谷夕雲 VS 松林左馬之助
中村一心斎 VS 白井鳩洲
日本武尊とか武甕槌命とかは?
49 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 22:26:27.34
剣豪の考察本を総括すると、戦国剣豪を最強に挙げる本がほとんど。
5傑は
・上泉信綱
・塚原ト伝
・丸目長恵
・小野忠明
・宮本武蔵
続くのが
・伊東一刀斎
・東郷重位
柳生では兵庫が最強かもしれないがあくまで一族最強
50 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 22:45:16.92
高野茂義が挙げる幕末・近代最強の剣客は男谷下総守
次いで下江秀太郎
次いで養父の高野佐三郎
51 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 23:43:53.66
丸目の評価がなんで高めなんだろう?
なぜかこういうところに名前の出ない疋田の方が使いそうだけどな。
52 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 00:31:24.69
疋田文五郎はじめ上泉門下は史上稀にみる剣豪集団だね。
伊東一刀斎は小野忠明と善鬼の二人なのに。
53 :
香流荘のアルベルティーニ佐藤拓の元気が出るTV:2011/12/10(土) 03:46:06.23
最強のっつても見だごどもねえのに、よぐ語れんなって?
居酒屋☆古呂名でもさ、よく話題になってたよ。晩年の堀内が力投していたが知ったこっちゃねえの。薄い刃でね内腿をスパッと。多人数じゃ不利だけど一対一じゃまげねぇヨ
結論☆わがんねぇ(苦笑)
華は咲く咲く香流荘
ボランティア団体 大福星
佐藤レポート 12月号より
54 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 10:25:48.68
示現流に薩摩を追い出されたタイ捨流の流祖はもっと低めでいいだろ。
ベスト10に入れる必要はない。失点のない疋田が入ったほうがいい。
丸目は体調不良で臨んだ決闘で勝ったから
伊東一刀斎門下には古藤田勘解由左衛門もいて、一派(古藤田一刀流)を立てていますが
なんで無視して二人という話にまとめるんだろ
男谷と大石との対決では大石優勢だと思うが、
それでもやはり江戸後期最強剣豪を一人だけ挙げろと言われたら、
男谷が選出されるのは仕方ない気がする
>>49 一刀斎は小野忠明や武蔵より強いんじゃない?
59 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 17:10:52.94
さあ、どちらが強い?
塚原ト伝 VS 上泉伊勢守
宮本武蔵 VS 伊東一刀斎
佐々木小次郎 VS 小笠原源心斎
丸目蔵人 VS 柳生兵庫
小野忠明 VS 東郷重位
60 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 18:50:05.72
上泉伊勢守 VS 丸目蔵人佐
小野忠明 VS 疋田景兼
柳生石舟斎 VS 佐々木巌流
東郷重位 VS 林崎甚助
北畠具教 VS 雲林院松軒
さあ!誰が強い?
なんで仏生寺弥助が出てないの?
63 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 23:17:24.10
64 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 21:20:59.18
鳥羽伏見、箱根戦、五稜郭で実戦した伊庭八郎はトップ集団に居るべき
伊庭八って片腕無くした後はガンマンに転向したんじゃなかった?
66 :
日本@名無史さん:2011/12/12(月) 01:03:55.65
男谷精一郎では小笠原玄信斎には勝てない
大石進では疋田豊五郎には勝てない
白井亨では丸目長恵には勝てない
桃井春蔵では奥山休賀斎には勝てない
斉藤弥九郎では神後伊豆守には勝てない
千葉周作では富田重政には勝てない
沖田総司では荒木又右衛門には勝てない
我が戦国時代の圧勝かと
67 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 19:31:52.90
鬼一法眼と慈恩、どっちが強い?
68 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 20:41:42.41
69 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 22:12:41.98
千葉周作では栄次郎にも勝てない
宮本か大石だな
一対一の勝負なら相性やなんやがあるからわからんが
例えば剣豪1000人集めてリーグ戦やれば
身体のデカいヤツが結局圧倒すると思う
71 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 09:28:14.61
ちなみに剣道の試合というのは高身長の選手が勝ち進む傾向とかあるの?
>>71 あんまり関係ないね。ノッポも多いけど、現役では最高峰の呼び声高い高鍋や内村もそんなにでかくは無いし。
歴代の強豪選手を見ても体格的に恵まれた選手が特別多いわけでもなく、むしろ大体、168cmから175cmの間と言ったところ。
ルール上リーチのある方が有利だと言える剣道ですらそうなんだから、
下段への攻撃が有効だったり、手首を浅く打っただけでも致命傷になり得る真剣の立ち合いの方が、ヘタすりゃ体格差関係ないかも。
73 :
日本@名無史さん:2011/12/18(日) 00:24:01.66
74 :
日本@名無史さん:2011/12/19(月) 17:54:54.09
>>72 白井亨や男谷精一郎のことですね分かります
75 :
日本@名無史さん:2011/12/22(木) 18:31:46.28
中村
足利義輝は純粋な個人の先頭力では歴代将軍中最強だろう
征夷大将軍強さランクを作れば
ダントツ一位 足利義輝
最下位付近 宮将軍、徳川後期の将軍らの団子状態
て感じ?
だが、徳川家康or吉宗に火縄銃で狙撃される
78 :
日本@名無史さん:2011/12/23(金) 21:43:31.67
むしろ家康は二位くらいに入れるんじゃないのか?
一つの太刀は卜伝直伝ではないがその弟子から得ているし。
征夷大将軍ランキング、坂上田村麻呂はどのへん?
80 :
日本@名無史さん:2011/12/25(日) 21:17:28.58
おう、田村麻呂ーっ、見てるかーっ!!お前は……帰れない!!
源義仲
>>78 その辺のクラスの奴らになると名誉段位みたいなのがありそうだが。
家康あたり戦国時代経験してる連中が弱かったわけはないけど。
83 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 11:27:03.08
有馬流のエピソードを聞くと名誉段とも言えないと思う。
武蔵の五輪書はすごい
俺は空手を修行しているものだけど
剣術や古伝空手などの高段者の先生方が指南される事に類似・共通する点がいっぱいある
特に歩方などね。文章で技術を説明すると言うのは、その技術に対して高い理解度を持っていないと不可能
比較論争的に最強と呼べるのかはわからないが、武蔵は本物であったに違いない。
ちょっと武術に詳しくなってから五輪書読むと、ちょっと感動するよ、マジで。
85 :
日本@名無史さん:2012/01/03(火) 21:14:11.14
ちょっと武術をやると詳しくなったつもりで色々錯覚を起すんだよな。
>>85 俺は十三年空手続けてようやく諸先生方の凄さが見えてきたからな
高校時代は基本稽古なんてやらなくていいと思ってた
その当時では武蔵の凄さはわからなかっただろう
歳とって若いのに勝てなくなってくると古典だの伝統武術だのにすがる。
よくあるパターンだな。
>>87 その認識は少し違うな
そもそもハナから空手は武術であって、スポーツじゃねえ。競技空手と古伝空手は別のものではなく、地続きのものだ
もっと言うなら、競技はあくまで武術としての空手の稽古法の一つだと言う事だ
まあ従事者だって誤解している人いるから、素人さんがイメージ先行してしまうのは無理からぬ話だろうな
重要なのは、本物がいると言う事は、偽物も居ると言う事だ。俺は本物に触れる事が出来て、幸運だったとは思う
現役の格闘家が塩田剛三に殴りかかって肩外された実話もあるし技術極めれば歳を取ってもそれなりに強いだろうさ
90 :
日本@名無史さん:2012/01/04(水) 09:02:27.86
>>90 裏付けも糞もやられた本人が言ってるんだが?w
92 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 08:16:44.48
本人が面白おかしく言うケースもあるわな。
約束稽古中のアクシデントとかを膨らませて。
93 :
日本@名無史さん:2012/01/06(金) 14:20:48.76
ちょっとまて過去の剣豪で裏付けあるケースなんて存在しないだろw
94 :
日本@名無史さん:2012/01/07(土) 00:15:45.98
戦国はむろん江戸初期も殺伐としてたんだろうけど、
やっぱいくさではなく純な斬り合いとなると幕末かなぁ。
戦国から江戸初期の剣術家は芸者ともいわれ、
はなにやら奇行、奇術、凝った道具などで名をあげたやつもいたろうし、
弟子の数が強さのバロメータみたいな感もあるんでわからん。
幕末の新撰組も実戦での実績があるが、かたびらとか着込んでたんだろ。
だから純な斬り合いとなると一種の異常さ、体の強さ、膂力がものを言う。
有無も言わさず人を斬る、刀を落としても絞め殺す、殴り殺す。
そういうイメージで岡田以蔵あたりはかなり強かったんでは?
江戸初期では武蔵かな、やはり。
95 :
sage:2012/01/07(土) 00:25:08.23
日本歴史上で最強の剣豪はどう考えても二階堂勝重だろ
あずみ最強間違いなし。
97 :
日本@名無史さん:2012/01/07(土) 20:57:28.54
98 :
日本@名無史さん:2012/01/19(木) 00:19:57.81
やべー、宮本武蔵しか知らんw
東郷重位って名字が東郷だから薩摩の人か?
ってことは慈源流(漢字あってるかどうか不明)のアレだよな、
チェストーぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!
二刀流って頭良い人じゃないとできないよね
100 :
日本@名無史さん:2012/01/23(月) 17:42:16.40
二階堂勝重は伝説中の伝説だからな
一太刀で何人も斬っていたという
青江又八郎
>>98 塚原卜伝を知らないとなれば、本当にやばいぞw
「チェスト」という掛け声があるのは薬丸示現流か、その分派だろう
東郷が開いた示現流の子孫ではあるが、あくまで分派(ただし本流よりも繁栄)
103 :
日本@名無史さん:2012/02/01(水) 18:44:54.75
チェストなんて掛け声はない。本流よりも繁栄とは何を根拠に?
1対1の真剣勝負だと1つでいいから
絶対の剣技さえ持ってれば勝ち残れる
そういう技は秘剣とか奥義とか呼ばれて
通常道場での竹刀立合では使われない
105 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 09:25:03.18
絶対の剣技なんてないので勝ち残れませんね
一対一の斬り合いと多対多の斬り合い。
果たしてどちらがどれほど重要なんだ?
一対一の立ち会いなんて実戦でありうるのか?
一匹狼の暗殺者とか漫画みたいなシチュ考えんと想像できない
目立ちたがりの鎌倉武士ならやったかもしれんがw
108 :
日本@名無史さん:2012/02/02(木) 22:18:19.22
えろい人なら蒙古という日本のルールが全く通用しない相手の来たときの絵じゃなくて
馬の世話役や船の漕ぎ手が戦闘に参加せずに戦場の記録係が付いて歩いた
通常の侍同士の戦で集団戦術が機能していたと証明できるモノをもってこいよ
110 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 00:20:16.99
つ「今昔物語集巻二十五 源充と平良文と合戦せる語 第三」
107の言ってるのは「やったかも知れん」だから
そうと思える例がひとつあれば足るよな?
源義平と平重盛もやってる
>>107 五輪書流にいうなら
10対10の戦いであっても、ミクロの視点で見れば剣を振るう一人一人に行きつく。集団とはそれの集合体
だから結局、個の技量は大事よ
だそうだ
114 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 09:35:01.09
>>109は鎌倉武士のルールであるかのように主張してるがねw
その証明はまだなんですか?
115 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 11:03:23.19
とりあえず110の絵巻物みたいに派手な鎧着て真っ正面から戦うするのは
まともな集団戦術とは言いにくいんじゃね?
身をさらしていても人数で圧倒できるような重厚な布陣には見えないし
てか馬が立派すぎ、日本にあんな馬がわんさか居たのかよ
木曽馬とか結構立派なもんよ。それに馬に乗ってんのは偉い人たちだけで、そういうのは特に良馬に乗ってるだろうし
当時の武士団の組織力や馬の能力から言っても数百騎の騎馬で突撃して歩兵の大軍を切り開くとか
常にアウトレンジを保ちながら騎射部隊で包囲せん滅とかは無理だったんじゃないのかな?
その辺の小規模武士団の小競り合いなんて数騎対数騎の争いになるだろうし
>>113の言うような
ことを考えても一対一になる状況は比較的多くなりそうな気がするんだけど実際どうだったの?
教えてエロい人!
118 :
日本@名無史さん:2012/02/03(金) 22:58:02.65
最強の剣士は存在するよ
でもそれが誰なのか誰にも分からない
ここはもう歴史上の人々をクローン技術で完全に再現して
地下闘技場で戦ってもらうしかない
歴代剣士達もこんな大会があると知ると戦いたくてウズウズするはずだ
※宮本武蔵は参加拒否するかもしれない
もちろん真剣勝負。相手が参ったと言うか戦闘不能になるまで続行
こんな大会があったら大金払っても見に行きたいわ
Aブロック第一試合、沖田総司vs上泉伊勢守
とかワクワクしね?
どんな武術や格闘技でもそうだけど、
大会とかでルールを定めると「そのルールの中での最強」は決まる。
しかしそのルールが変われば最強ではなくなる。
120 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 12:57:13.07
ルールも何もだだっ広い場所で一対一で切り合えば
強い方が勝つでしょ?
それは「もだだっ広い場所で一対一で切り合う」という
非現実的な状況において一番強いものが決まるだけの話
多対多ではどうか、一対多ではどうか、狭い場所ではどうか、
密林や街中ではどうか、混戦のさなかではどうか、
足場の悪い場所ではどうか、石つぶても使ってよいとしたらどうか
すべての状況において最強なんて人間はおそらくいない
122 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 13:22:18.94
下江秀太郎→門奈正→高野佐三郎→持田盛二→中倉清→宮崎正裕→高鍋進
123 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 13:52:49.01
>>121 このスレ的には普通に平地で一対一で戦って強いのは誰か?
と思っていたんだけど
足場の悪い場所で最強は誰なのか、という発想は無かったわw
というかそんな限定的な状況は別に考える必要はなくね?
ルールなんて言葉はそもそもスポーツが発達してからの言葉でしょ?
昔の人はそんな細かいこと気にしないと思うんだけどなぁ
と言うかそうあって欲しい
小野忠明に足場が悪かったから実力が出せなかったとか言い訳してもらいたくない
124 :
日本@名無史さん:2012/02/04(土) 18:04:22.96
幕末なら
神道無念流は練兵館の風呂焚き仏生寺弥助で決まりでしょ
字も読めないほか、人間的に問題はありますが
当時の剣豪で名をはせた宇野金太郎相手に
「面いきます!」と宣言したのち3回も面をいれ
「前蹴りいきます。」と前蹴りをいれる
後にも先にもこんな人いないでしょう。
125 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 19:00:54.42
>>124 よく聞くけどその話の出典って何なんだろう?
126 :
日本@名無史さん:2012/02/05(日) 22:42:23.75
面いきますって宣言したら、相手は面をガードしてたら防げるじゃん
どう考えても都市伝説の類だな
予告前蹴りって、極真の安田英治の逸話だろ
予告斬りなら戦国時代の梶原長門も有名だな
塚原卜伝と立ち会って一刀のもとに斬り伏せられた例の薙刀使い
幕末なら仏性寺弥助で決まり…とは断言できないが、
候補の一角ではあると俺も思う
幕末屈指のイロモノ剣士という意味で
千葉重太郎&桂小五郎<宇野金太郎<仏性寺弥助
戦国でイロモノと言えば草深だけどその草深に勝った卜伝さん半端ねえっス
132 :
日本@名無史さん:2012/03/11(日) 22:10:50.37
133 :
日本@名無史さん:2012/03/13(火) 04:29:09.12
個人的には沖田総司の三段突き
一歩踏み出し相手が「あっ」と思った時には
三回突かれてるという
免許皆伝を持ってる近藤、土方ですら
竹刀の稽古ではまるで
子供扱いだったという
若くして病死したから
あまり名前は残せなかったけど…
池田屋事件では沖田の顔を見ただけで
長州藩士が逃げ出したそうだ
一人斬った後、喀血して
失神しちゃうんだけど
病気じゃなかったら
もっと活躍してたと思う
服部武雄>斎藤一>沖田
土方は強さ自体は隊長クラスどころか新撰組全体で見ても弱いほうじゃね
ところで、土方が免許皆伝と初めて聞いたのだが?
137 :
日本@名無史さん:2012/03/13(火) 20:52:14.39
下江秀太郎>千葉栄次郎>門奈正>千葉周作>海保帆平>森要蔵>塚田孔平>>>>>>>>>>服部武雄
土方は道場では弱かったけど実戦では滅茶苦茶強かったんだろ?
本多忠勝にもそんな話があるけど
土方は「天然理心流」の型ができてなかったから免許がもらえなかった、って設定が小説だと多いよね
もともといろんな道場を渡ってたから我流になっちゃってた、と
140 :
日本@名無史さん:2012/03/15(木) 18:24:28.49
実戦でもそこらの下っ端隊士と変わらんよ土方さんは
剣術より組織内での政治力タイプ
141 :
日本@名無史さん:2012/03/16(金) 16:00:23.92
>>133だけど間違った。
土方は天然理心流中極意目録を6年掛かるのを
3年で取得。師範代になってる。
天然自体“臨機応変”がモットーだったから
ある意味 土方は正統らしい
足を先に斬って動けなくしたり
石を投げて相手がひるんだ隙に
羽織の袖で落としたり
正に喧嘩刀剣だったらしい。
142 :
日本@名無史さん:2012/03/16(金) 16:47:53.41
目録はコネで貰ったり金で買えた時代だからね幕末は
新撰組なら服部や永倉や沖田や斎藤が強くて
少し差が開いた二番手グループに近藤、三番手グループに土方って感じかな
阿部十郎の談話って昔読んだだけなんでうろ覚えなんだけど
かなり近藤の腕を評価してなかったっけ?人間性についてはボロクソだけど。
稽古ではそのグループわけどおりなんだろうが実戦面になるとまた変わってくるのかもしれないと思う。
あれ?
ここまで足利義輝が出てこないとか。
実践派として最強の男だろ。
145 :
日本@名無史さん:2012/03/16(金) 19:18:46.91
>>144 残念ながら義輝の最後には諸説あって本当にああいう活躍があったのかは
わからないんだよ。
146 :
日本@名無史さん:2012/03/16(金) 20:31:21.54
公方様(義輝)御前に利剣をあまた立てられ、度々とりかへ切り崩させ 給ふ御勢に恐怖して、近付き申す者なし。
147 :
日本@名無史さん:2012/03/17(土) 12:09:36.31
土方歳三>沖田総司・・・
多分・・・実によくわからない
伝説で言えば北畠具教の最期も義輝並じゃん。
同じ数十人斬りでも49歳という年齢でやって北畠の方が30歳って体力的な盛りでやった義輝より凄いかもしれん。
伊藤一刀斎に四十八人斬りの逸話があるけどこれは嘘だとはっきりしてるらしい
高田馬場で堀部安兵衛が 嘘だけど
151 :
日本@名無史さん:2012/03/17(土) 23:29:36.59
土方は剣は大したことないが統率力は素晴らしかった
よく小野忠明が最強と言ってる奴も見るけどどんな実績があるんだ?
153 :
日本@名無史さん:2012/03/21(水) 16:46:00.45
あの善鬼を倒した。あの柳生十兵衛に勝った。あの柳生宗矩を火のついた短い薪で
いいように打ち据え身体中を焼けどさせた。
154 :
日本@名無史さん:2012/03/21(水) 16:53:17.63
新当流や新陰流の武芸者を倒しているあの宮本武蔵も一刀流に対しては
戦いを挑んでいないことから一刀流の強さが隔絶したものであったのは間違いない。
槍の彦左こと大久保彦左衛門も薪一本であしらわれたとか、
柳生の高弟3人掛かりでも歯が立たなかったとか
156 :
日本@名無史さん:2012/03/21(水) 17:54:30.59
柳生の高弟の中の人も一刀流のかませにされたり
示現流のかませにされたり大変だな。
157 :
日本@名無史さん:2012/03/21(水) 17:58:04.63
小野忠明はそれ絶対ウソでしょって話が多過ぎなんだよね
宗ノリを炭薪で煤だらけにして、武蔵を怖気づかせて戦わずして退散させた事になってる
どう考えてもそんなわけねえだろと
当時1、2で有名だったビッグネームを連覇した設定にしてるのが余計にわざとらしいんだな
柳生宗矩と宮本武蔵は他流のかませ犬にされる事が多い
これらはそれだけ勇名があったという事なんだろうが
小野忠明がかませにされる事が殆ど無いってのが、当時の一般認識を物語っている気がするな
どうせホラ吹くなら二番手倒してもしょうがない、宣伝するならチャンプやランキング1位のやつ倒した事にしないと
知名度で言えばトップが柳生一派、次点が宮本武蔵や新当流、一刀流系はその他強豪の内のひとつ、ってな感じの認識だったんじゃないかな
実際の実力の序列はワカランけどね
時期にもよると思うんだよね
武蔵が有名になり始めるのは史料を読むに江戸期以降から
新当流江戸時代より前は有名だったが、江戸時代に入るにつれて比較的名前を見る事が少なくなる
武蔵が実績を残したであろうと考えられるのはどう見積もっても関ヶ原以降だし
卜伝由来の新当流の主な弟子たちが活動していたのが江戸以前だから、当然と言えば当然だろうけどね
161 :
日本@名無史さん:2012/03/21(水) 23:25:24.76
でも卜伝は江戸時代柳生但馬に嫉妬して屋敷に抗議に行くという逸話が。
武蔵の木刀鍋で止めたり宗矩に心が下手だと言われたり卜伝先生長生きし過ぎだろ
それはそうとその話を聞いて思ったんだが、
確かに江戸期に謳われた天下の五大流儀のうちに新当流に由来する流派は含まれていないな
163 :
日本@名無史さん:2012/03/22(木) 00:15:12.24
五大流儀って誰が言い出したんだろうか?江戸三大道場みたいに元々は個人の批評が
だったりするのかな?
165 :
日本@名無史さん:2012/03/22(木) 11:28:17.45
吉岡流は将軍家指南役というが具体的に何代将軍あたりと
関わりを持ってたんだろうか?
あくまで本当だと仮定すると
新免無二と戦ったという吉岡直賢が足利義昭に指南し、彼が三代目だという
おじいちゃんの直元が十二代目義晴に仕えたというから、その縁から代々だと思われる
>>159 勇名高いと言えば上泉伊勢守や伊藤一刀斎が噛ませにされる逸話ってあるのかな?
>>167 まず、そいつら自流絡み以外の記録に殆ど出てこないからなあ
剣豪や戦前の武術家みたいのなんてみんなそんなもんだが
上泉は公文書とか当時の公家の手記なんかにもチラッと出てくるけど、一刀斎は俺の知る限りでは殆ど無いな
まあ武蔵や柳生みたいに他流の引き合いにしょっちゅう出されてる方が稀なんだけど
疋田に勝って柳生但馬守が「上泉より強い」とか言ったとかって逸話を読んだことあるな。
これは上泉が噛ませ的扱いと言えるかも。
まあ確実に与太話だけどね。
ていうか、それまさに内輪だけの話だしな
すまん、誰が疋田に勝ったか書き忘れてたw
小笠原玄信斎の例の話のことです。
あと柳生石舟斎が無刀取りを完成させて上泉本人が自分を超えたと言ったって逸話もあったよな
慈恩、長威斎、移香斎って実在したのかな?
174 :
日本@名無史さん:2012/03/23(金) 14:31:15.05
源徳修斎、橋本菊月斎って実在したのかな?
飯篠はともかく、移香斎の実在を疑う説は聞いたことないが
小笠原源信斎が、
疋田栖雲斎から「上泉よりも上手い」と評価された逸話と、
柳生但馬守から「達人である」と評価された逸話、
これらルーツが異なる別々の話を、一本にまとめてみました
あれ?
違ったか?
出典はわからんが直木三十五が書いてた覚えがあるが。
源信斎が疋田他の剣豪を総なめにして宗矩が「流祖でも敵わないだろう」と言ったって話。
無理だよなあ
小笠原が疋田と接触した時期と、但馬守と接触した時期とが隔たってるし
小笠原と(記憶の中の)上泉師匠とを比較したことにされているのは疋田
但馬守は上泉を引き合いに出してはおらず、自身が直に知っている剣客の中でも
小笠原は優れている程度のことを言ったまで
疋田の発言も宗矩の発言もどっちも法螺だろうけどね
180 :
日本@名無史さん:2012/03/25(日) 19:47:48.22
>但馬守は上泉を引き合いに出してはおらず、自身が直に知っている剣客の中でも
>小笠原は優れている程度のことを言ったまで
疋田が言ったという夕雲流剣術書の方は知ってるけどこの宗矩の方の出典はなんですか?
竹光で石を斬った寺田宗有が最強
宗矩はやたらと(?)他の剣客を褒めまくる人物だったからな
史実にせよホラにせよ、宗矩に褒められた話が残ること自体は不思議でも何でもないが、
宗矩に褒められたからといってどれだけの価値があるの?と思えてしまう
183 :
日本@名無史さん:2012/03/26(月) 10:40:15.93
>宗矩はやたらと(?)他の剣客を褒めまくる人物だったからな
例えば?
雲林院弥四郎
細川忠利が「柳生流の指南役も欲しい。誰か斡旋してくれ」と宗矩に頼んだ。
宗矩は弥四郎を紹介することにし、弥四郎は凄腕だ、その父も傑出した兵法家だった、
と太鼓判を押して送り出している。
まあ大手の外様大名に斡旋するのに、わざわざ腐すわけはないわな。
服部藤次兵衛
徳川家光に新陰流を講義する際、講師として藤次兵衛を招いた。
具体的には忘れたが、神技の域だったか何か、かなりの褒め言葉を添えて
家光に紹介した。藤次兵衛は柳生門ではないが、しっかり褒めている。
185 :
日本@名無史さん:2012/03/26(月) 15:58:37.41
やたらとという割には二名でしかも内一人は柳生門ですか。
186 :
日本@名無史さん:2012/03/26(月) 16:59:30.26
緋村抜刀斎は?
>>184 そこに小笠原が加わっても違和感はないとは思うが、
新陰流ばっかじゃないか…
たしか宗冬については高く評価してなかったよな
近親だから厳しかったのか、あるいは宗冬の実力が実際に低かったのか
いずれにせよ、全部が全部を褒めたというわけでもなさそうだな
既知の剣客全てを褒めると勝手に拡大解釈した輩に突っ込まれそうになったのかもしれんけど
188 :
日本@名無史さん:2012/03/26(月) 19:46:13.98
出典も明らかでないのに不思議はないとかで納得しちゃっていいのかよw
疋田が小笠原を称えたのは事実かどうかはさておき『剣法夕雲先生相伝(夕雲流剣術書)』に
確認できるが宗矩は出典不明。
小説か『夕雲流』の逸話を誤認したかのどっちかだろ。
どっちでもないな
綿谷氏の著述からの又引きだ
綿谷氏がどこから引用したのか、そこから突き止めるのは骨が折れるから、すぐにというわけにはいかん
判明したとしても、綿谷氏の記述自体に間違いも多いから、信憑性が増すわけでもないがな
お前が知らなかったから、小説か誤認のどっちかだと決め付ける態度は良くないぞ
つか、
>>180に対するレスは未だ出ておらず、
宗矩が他剣客を褒める性情があったか否かの話題への論評に対して
>>188は筋違いのことを言っている
態度の問題ではなく、読解能力の問題だ
剣豪ランキング
S5 アルトリア・ハイマン、あずみ、EXルーミア
S4 緋村剣心
S3 美女丸 (あずみ)、真里谷円四郎
S2 なち (あずみ)
S その他のあずみの刺客、佐々木小次郎、御剣平四郎
全日本チャンプ、赤石剛次、明羅、覇王丸
A 坂本龍馬、宮本武蔵、魂魄妖夢、有栖川樹璃
綿月依姫、ソフィーティア
B 犬走椛
技術に関して細かく文字にして残してくれたのが宮本武蔵くらいしかおらんから
前時代の剣豪に関しては逸話くらいしか語る余地がねーんだよなあ
194 :
日本@名無史さん:2012/03/28(水) 21:07:04.90
剣豪ネタに関して不確かなことを書いちゃった後は「綿谷氏が書いてた」とか
言い訳して逃げればいいってこと?
武蔵は合戦では何の武功も立てられずに参加すれば怪我ばかり。
サブウェポンの日本刀を幾ら使えても大して意味なし。
剣豪なんて戦争映画にいる敵のナイフ使いと同ポジだよ。小物。
結論として前田慶次が最強。
よく知らないけど上泉が書いた目録とか残ってるんじゃなかった?
あんまり詳しく技術論は書いてないの?
198 :
日本@名無史さん:2012/03/29(木) 18:37:34.20
大した活躍してねえよ
>>198 福田正秀という人の研究寄稿に詳しい
機会があったら読むといい
200 :
日本@名無史さん:2012/03/30(金) 09:54:59.19
武蔵関連の研究書や史料なんて数多く出版されてるってのに
そういうのには目もくれず、司馬遼太郎の『真説宮本武蔵』程度を読んで実像を
知った気になってる手合いが多すぎるな。
まあ学者でも前時代の「武蔵非名人説」に凝り固まってる人間はいまだに居るよ
山本博文に言わせると、武蔵の遺した技術体系も五輪書も数点の書画も
「武蔵神格化の為に後世が行った捏造」なんだとよ。
彼の著である日本史の一級史料は全体としてみれば歴史学の概論を説いている良著だが
武蔵に関しての研究は稚拙だね。つか個人的好みが介入し過ぎなんだよ。絶対赤穂浪士ファンだろお前
>>201 あの手合いは所詮は書生。
歴史学に関しちゃ凄いんだろうが、武術に関しては素人
だから五輪書を読んでその凄さがわからないし、流儀の継承性ってのの感覚がどういうもんかわかって無いから、簡単に「捏造だ」って結論まで行けちゃう
そもそも、原本ではない→捏造なんだ! ってのが論理の飛躍過ぎて歴史学者としてもどうなのと思うが
あの本はそもそも史料考証の大切さを説いてるんであって、その槍玉として武蔵が使われたという感じだから、まあ偏った意見なのも意図が見えすいとるわな
大体、あの人の得意分野って将軍家や豊家に関しての論文じゃん。たぶん、武蔵には詳しくねーまま書いたんだよ
肩書が立派でも鵜呑みにしちゃいけないって好例だ
203 :
日本@名無史さん:2012/03/31(土) 22:00:52.98
まあアレだね。
吉川英治の宮本武蔵像が一人歩きし過ぎだってのはあるね
いかに武蔵といえど農民の投げた臼だか石だかを避けれず直撃して大怪我するのが実際の話だし
どんな武術の達人でも素人に不覚を取る場合はある
204 :
日本@名無史さん:2012/03/31(土) 23:05:38.19
なんで臼?
>>203 島原の話で武蔵非名人節を唱える輩に
「テメー柳生清厳さんディスってんのかアぁン!?」って言ってやってくれよ
前後状況考慮しないで知った口利く奴多過ぎるよな
206 :
日本@名無史さん:2012/04/01(日) 13:06:00.45
だいいち、戦場で活躍した剣豪っておるん?
たくさんいるだろう
武蔵もそうだし
指揮官として活躍した人間は知らないけど
そもそも戦場で強かった「打ち者達者」と呼ばれた人達が、流派を起こしたりして後の武芸者になったのだよ
209 :
日本@名無史さん:2012/04/01(日) 19:14:55.46
>「打ち者達者」
この表現は具体的にいうとどういう文献に見られますか?
上泉伊勢守が軍学でも有名だったって話を聞くけど指揮官としての実績何か残ってるのかな?
>>209 異本小田原記などにみられる
正しくは「打物達者」だ。すまん
分権といっていいかは太平記にも打ち物達者という表現があるね
大阪の陣で奮戦したという武蔵の得物は木刀だったらしい
やはり木刀が実戦的だと考えていたんだろうか
ちなみに宗矩が真剣で7人斬り、忠明が味方と喧嘩していた時の頃の話である
島原の乱で武蔵が投石食らったのを鬼の首取った様に言ってる人って
その話の典拠も知らなそうだな
あれって自己申告だぜ
永倉新八のお孫さんが永倉新八の晩年の逸話、やくざを気合だけで退散させたとか警察学校で無双してた話とかを語っていたけれど
やっぱり達人ってのは年取っても強いもんなのかな
幕末で言えば福澤諭吉がどれだけ強かったのかも気になる
216 :
日本@名無史さん:2012/04/02(月) 22:23:48.63
>>213 出典も示されてないのに勝手に結論付けられてもこまるわ。
いちいち典拠示さねばならないなんてなんてめんどくさいスレだ
武蔵が木刀を使った記述は黄耈雑録や尾張中山家に伝わる中山七太夫の写本に散見
宗矩のは大日本剣道史、忠明の話は徳川実紀に載っている
ただ宗矩の話は実紀に載って無いんだよね。
宗矩クラスがそれほどの大活躍をしたなら実紀にも載るとは思うのだが
信憑性的にはそこがネックかな
219 :
日本@名無史さん:2012/04/03(火) 00:00:30.40
>>217 武蔵の木刀は江戸中期以降の文献だろ。二天記並みの信憑性だな。
黄耈雑録を纏めたのは尾張藩書物奉行の松平君山だぜ
二天記より遥かに信憑性あるよ
宝暦年間なんていくらなんでも時代が下りすぎてるな。
講談じみた軍記物さえも史実として扱っちゃう時代だから
書物奉行だろうがなんだろうがやはり価値は落ちる。
たしかに黄耈雑録ひとつでは信憑性には疑問が残るが……
水野藩の古記録や小場家文書中の史料からも武蔵参陣の裏は取れる
さらに文中に「橋の上」と出てくるが、これは水野隊が奮戦したという道明寺河原の戦いに一致する
史料的価値は低くない
水野藩が改易になってなかったら史料も散逸せず、もっと詳しい事がわかったんだろうがねェ
それ言い出したらそもそもこのテの話に信頼に値する価値のある史料なんかねーよ
公文書ですら都合合わせの粉飾や恣意らしき記述がみられるのに
上田七本槍だって実際には抜け駆けした連中だしさ
>>221 確かに言えてる
しかし傍証出来るっていうのは少なくともこの手の武勇伝の中では希少だし
信頼出来る方だよ
ぶっちゃけ、その辺には多少目をつぶるしかないんじゃない?
225 :
日本@名無史さん:2012/04/03(火) 08:40:10.51
>>224 参考史料としては大いにありだと思う。少なくともこういう伝承が江戸中期にはあった、と。
上泉信綱の長野十六本槍、上野国一本槍ってのは信頼出来る史料に記されてるの?
撃剣叢談にそう載ってる。が……肝心の感状そのものは残っておらなんだ筈
これは日本剣道史における貴重史料として色々な所で引用されているが
>>221の言を借りるなら、宝暦よりもさらに時代の下がった著書で、しかも武蔵より100年近く前の人間の話だしねえ
俺が知らないだけでもっと史料価値の高いものに記載されている事なのかもしれんが
武術家の評価ってのは結局、歴史家じゃなく武術家にしか出来ないと思う
彼らの遺した伝書や剣術論から読み解くしか。だって記録少な過ぎるもの。
江戸時代や戦国期の史料とかは多くが火事や戦争時の空襲で焼けちゃったんだろ?
残って無いのも仕方が無い気はするな
229 :
日本@名無史さん:2012/04/03(火) 19:37:45.87
上野一番槍は同時代の史料にはないはず。
>>227 だが武術一本に生きてきた人間の評価のみでは正確性を欠く。
『正伝柳生新陰流』とかも考証としてはひどいもんだよ。
230 :
日本@名無史さん:2012/04/03(火) 22:08:12.56
『一刀流極意』によれば一刀斎は卜伝や上泉にも勝っている。
>>229 そりゃああれ、著者が直系の子孫じゃん
自分の御先祖様の記録「これは捏造」「あれも捏造」って出来んだろ、人情的にも
歴史家だからとか武術家だからとかって以前の問題だろ
武術家が武術的な技術理合等に関して論ぜられている分にはよい
だが史料吟味うんぬんしだしたら「それはちょっと違うぞ」ってなるのは当然だな
逆に上で挙がった山本博文氏みたいなのが「実際の武蔵は大した事ない」といった所で
「あんた所詮素人でしょ」って武術家には一蹴されてしまう
詰まる所武蔵が凄いって言われて、数多の現代武道家に持て囃されているのは、戦績云々じゃなくて武蔵の残した技法が具体的かつ理に適っているからに他ならず、それを否定できるだけの材料は無いから
「でも五輪書は武蔵の弟子の写本しかないし、武蔵の弟子が勝手にでっち上げたものかも知れないだろ! 捏造だ!」と言った所で
「武蔵から伝えられた流儀なんだからどのみちその継承の流れの中に武蔵がいるでしょ。要するに武蔵の技術でしょ。何の問題があんの?」っていう風に武術家は言うだろう
餅は餅屋。専門分野以外の事についてはタダのヒトでしかないって事に識者自身が気づかなきゃ理解は深まらんよ
233 :
日本@名無史さん:2012/04/04(水) 00:43:50.21
五輪書は柳生兵法家伝書のパクリなんじゃ?
そうとする根拠は?
当時の伝書ったらその流派の外には容易には出ないもんだろ
何で同時代の武蔵がパクったっつー話になるんだか……
大小の兵法の認識や心の自在性について説いている点で類似する点も見られるが
それは同じ剣術についての技術者が考えを深めて行った時、同じ要点や解釈に辿り着いたと考えるべきで
それを以てパクリだと言ってんだとしたら短絡的で幼稚
236 :
日本@名無史さん:2012/04/05(木) 20:11:59.97
武将として戦場経験が豊富な剣豪が説得力があるだろう
上泉秀綱・丸目長恵・富田重政とか場数も豊富かな。
武蔵の技術は竹内流のパクリ。
継承と派生が基本の武道という文化において「パクリ」って指摘の方がナンセンスだろ
239 :
日本@名無史さん:2012/04/05(木) 23:11:47.93
でもどの辺がパクリなの?
>>236 武術としての剣術の最盛期は江戸初期から中期だよ
養之昇平 用之戦陣 父子相承 刺撃遒健 隔世異時 厥技胡遜 宗伯之槍 武蔵之剣
242 :
日本@名無史さん:2012/04/06(金) 00:29:56.69
剣術人口の増加という面から見れば江戸後期から幕末が最盛期。
そのあたりは華法化が著しいから一概に全盛とはいえないんじゃね?
幕末期はさすがに実戦性もあったんじゃないの?
245 :
日本@名無史さん:2012/04/06(金) 13:32:49.01
華法化の最たる時期ってのは泰平の世となって久しく
また試合等も盛んではなかった江戸中期頃じゃないの?
竹刀の普及=華法化ってことでは?
大石進の長竹刀の戦法なんて真剣だったら五尺以上の剣を同じように振り回せるのかって思うし
実戦から遠く離れた上に型稽古に終始する時代よりは
試合稽古全盛の時代の方がマシじゃないのかな?
>>247 竹刀試合自体は江戸時代のごく初期からあっただろう
武蔵や高田又兵衛が当たりについて苦言を呈す逸話がある
特に武蔵は五輪書の中で「竹刀とかは、小手先の速さの比べっこになっちゃってちゃんとした打ち方が疎かになりがちだから、あんま良くないよね」って言ってるが
逆に言えば当時既に、それくらい模擬試合の稽古は隆盛してたって事だろう
>>248 誰が竹刀試合がその頃なかったなんて言ってんだよw
だから、武蔵が苦言を呈したって事は当時から既に竹刀試合が無視できないくらい盛んだったってことだろが
江戸中期に試合が盛んでなかった、てこたあるまい
251 :
日本@名無史さん:2012/04/06(金) 23:09:51.88
正徳年間の長沼四郎左衛門 竹刀による打ち込み稽古の流行
宝暦年間の中西忠蔵子武 竹刀と道具による実戦的な稽古
後の試合隆盛時代への萌芽が見られる衰退期みたいに言われることが多いな。
http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/kenzyutu/kenzyutu.htm ◇江戸時代中期の剣術
衰退期
元禄年間(1688〜1704年)に入ると元禄文化が栄え、武士の生活は華美になり、
本格的に剣術を行う者は減った。幕府は他流試合により遺恨が生じ、流派間の抗争が
起こることを懸念し、他流試合の禁を出したことで流派間の競争がなくなった。
流祖を神格化し、宗家が流祖伝来の「秘伝の太刀」を一子相伝で独占することで
宗家の価値を高め門人に対して絶対的な権力を持つようになった。業名や構えなど
剣術用語は宗教的・哲学的な抽象的で難解な言葉を用いるようになる。儀式や形式に
こだわり、剣術を実情以上に奥深い価値のあるものと錯覚させる目的で秘密主義や神秘主義を取り入れたことで閉鎖的で難解なものになっていった。
心身を鍛える剣術から、流祖伝来の業を守り続けることが目的とする「伝統芸能」化した
流派が多くなる。「いかにして技を美しく見せるか」ということに重点が置かれ、剣術が
剣舞に近いようになった。剣術の稽古を積んだ者の中には文字通り「型通り」の対応しか
できず、剣の腕は上達せず、素人にすら負けることもあったそうだ。剣客を目指す者を
満足できない状況を招き衰退していった。
木刀で殴りあうと大怪我する人が続出するから禁止
→型稽古しかしなくなり、そもそも「当てられない」剣術家増加
→竹刀と防具により、「斬り合う」感覚を学習できるようになる
って流れだと思ってたけど。
竹刀全盛期を経た幕末に、竹刀の本場、千葉道場の剣士が活躍してるん
だから、役に立たないってことはなかろうさ。
上泉信綱が袋竹刀発明したって言われてるけど
だとしたら近世初期の時点で最大勢力の新陰流系は竹刀稽古中心だったってことか?
竹刀稽古を備えているということは間違いないとして
中心であったのかどうか?
竹刀で打ち合うと弱いってバレちゃうから木刀で型稽古のほうが
都合よかったんじゃないかな
当時は実力無しに生き残れるほど甘い時代では無かっただろう、現代と違って
立ち合いが試合ではなくて掛け試しの時代でしょ?
掛け試し?
それもしかして空手?
空手だけの呼び方なのかな?>掛け試し
ようするに今の感覚に比して取り決めの緩かった倒し合い、打ち合いの時代でしょう
形骸やはったりで通用したものかな?
260 :
日本@名無史さん:2012/04/08(日) 21:13:50.78
「掛け試し」で検索しても空手のことばっかり出てくるわ。
それはすまん。わかりにくかっただろうな
うーん、なんて言えばいいのかな……喧嘩と言うのも違うだろうしね
空手のスレになったのか?
263 :
日本@名無史さん:2012/04/09(月) 23:21:01.30
掛け試しには立会人がいてルールもそれなりにあったみたいだな。
で、終わった後にはアドバイスもらったりしたとか。
ってただの試合じゃねーかwww
掛け試しの時代って何だよwww
>>263 とはいうが、実際にはオフィシャルな規定が無かった為に場合や相手によってコロコロ状況が変わり、
金的喉を含む局部打撃アリの時間無制限先取り一本制なんていうのも認められていた荒っぽいもんだったらしい
俺らの感覚で言う試合とはかなり異なる様相であったと思う
立ち合い人は勝負が決まったと判断した瞬間に止めを掛けるが、基本的には禁じ手というものが無く、今のように場が煮詰まったらストップ掛けて仕切り直すと言う事も無かったそうだ(その立ち合い人すら居ない場合もあったという)
265 :
日本@名無史さん:2012/04/10(火) 08:21:33.71
掛け試しについてもっと詳しく。
できれば参考文献出してほしい。
掛け試しで有名なのは本部朝基だが、本部関連の書籍や「隠されていた空手」という書籍に掛け試しの話が出てくる
あと琉球新報に寄せられた本人のインタビュー記事にもちらっと体験談が載っているな
あとこれは俺が自分の師範から聞いた話で確かな典拠とかがあるわけではないんだが
師範らの修業時代というのは今のように競技組手が発達していなくて、各々の道場がそれぞれ独自性の強い稽古を行っていたのだと言う
大山マスタツの大山道場では金的掴みと眼つぶしがスタンダードな技術だったと言うが
師範曰くウチらの道場の草創期の組手というのは、いわゆる「試合終了」というのが無かったらしい。双方の合意でなんとなく終わるもので、シンプルな「殴り合いの練習」だったという
だから30分くらい立ち合っている事もあったし、投げや引き込みもアリだったから歯の欠損や骨折は頻発し、約束稽古でも素面で全力で入れに行くから事故が多発したという。とにかく血塗れになったそうだ
それが戦後の話だから、飲み屋の辻で往来の人間に吹っ掛けたり賭け試合を行ったという本部が行っていたような掛け試しは果たし合いに近い物で、話以上に荒っぽいもんだったと思われる
他流試合が行われていた頃の剣術も安全性などは全く保障されていないだろうし、実戦的な強さに欠ける流派は生き残れなかったと思う
268 :
日本@名無史さん:2012/04/10(火) 17:29:26.55
権力と結びついてハッタリ効かせたところが強いわけですね
柳生?
270 :
日本@名無史さん:2012/04/10(火) 19:44:02.46
>>267 参考文献がよりによって捏造確定の『隠された空手』かよw
271 :
日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:30:04.40
>>270 掛け試しの話がどこまで実態に近いかだな
>>268 基本そうじゃない。講道館も全剣連もようするに「権威」でしょ
ただ、成熟期と勃興期で様相が違うと言うのはその通りであると思う
空手も戦後間もなくは防具の隆盛や、柔道ではプロ柔道なんつーのもあったし
そういう中で、試合といってもルール的に整備されたわけでは無く現在の感覚の試合からは逸脱したものだ、という指摘はその通りであると思う
本部のボクサー狩りなんかも、相手のレベルが実際にどれほどのもんだったかはともかくとして、そういう倒し合いの試合が行われていたというのは事実であったみたいだしさ
ttp://museum.hikari.us/news/270706j-nj.jpg 剣豪の逸話なんかでも木刀や真剣で先の取り合いをやってる話が多いし、他流同士だと負けるわけにもいかないから多分今の剣道や剣術の組太刀みたいにきれいなものでは無かったと思う
まあでも、胡散臭い自称達人が多い空手界で、本部朝基はやはり実証できる達人
だったと思うよ。ピストン堀口とのスパーリングの話も有名だし。
大塚博紀とか、実際の弟子も本部朝基は傑出していたと述懐しているし、あの時代
では飛び抜けていたと思う。
274 :
日本@名無史さん:2012/04/11(水) 11:47:13.90
ここってもしかすると空手スレ?
>>272は当時の新聞記事だな
本部はテンプルへの一打で外人ボクサーを昏倒させたらしい
http://motobu-ryu.org/jissendan.aspx そもそもこの試合、柔道vsボクシングの興業の際の一幕で、しかも本部の提案で急遽素手での立ち合いになったというから
やはり試合と言ってもかなり野蛮だったのだと推測される
武蔵が体当たりで決闘相手を倒したという逸話があるけど、当時の果たし合いも何でもあり的な感じだったのかもね
276 :
日本@名無史さん:2012/04/11(水) 19:48:58.29
体当たりくらいでなんでもありってw
体当たりは今の剣道でも必須テクだな
この前からいる草生やして一行レスしてるやつは一体何がしたいんだ?
茶化すだけならロムれ
体当たりという手段以上に「相手の息の根を止めるまでやってる」っていう方が重大かと
まあ逸話を額面通りに受け止めれば、だが
ピストル持った俺>>>>>>>>>>>>最強の剣豪
281 :
日本@名無史さん:2012/04/11(水) 21:50:37.68
>>278 剣道でも古流にもある体当たりを特別な技とか思ってるあんたの方がおかしいわw
別に当て身が特別な技なんて言ってる奴一人もいなくねえ
やっぱ一人おかしいヤツが居るわ
283 :
日本@名無史さん:2012/04/11(水) 23:34:01.39
>>282 >武蔵が体当たりで決闘相手を倒したという逸話があるけど、当時の果たし合いも何でもあり的な感じだったのかもね
剣道にもある体当たりを何でもありの例として出してるのがいるんだけどw
お前のやってる事はただの言葉狩り
話の要点そこじゃねえだろ常考
285 :
日本@名無史さん:2012/04/12(木) 11:08:40.01
わかってない人の要点を理解するのは難しいな
剣の最強を論ずるにしても、甲冑部門と平服部門に分けるべきでしょう。
甲冑部門
上泉信綱 真壁氏幹 富田重政 etc
甲冑部門では、組み打ち技術・股や腋を狙って斬る技術が不可欠です。
平服部門
宮本武蔵 荒木又右衛門 小野忠明 堀部安兵衛 土方歳三 etc
平服部門では、暗殺や急襲以外で、実際にやり合った形で人を斬った実績をあげてみました。
竹刀剣法では大石進ですかね?
287 :
日本@名無史さん:2012/04/13(金) 23:53:22.49
288 :
日本@名無史さん:2012/04/14(土) 19:21:04.76
おまえら芹沢鴨忘れてるぞ
永倉もかなわない腕で 酔って寝入ってる時襲撃したのだ。
3人で襲撃したが 寝込んでたのに反撃され沖田は怪我負わさせれてる
上泉、重政、卜伝辺りは甲冑でも平服でもどっちでも実績あるんじゃない?
290 :
日本@名無史さん:2012/04/17(火) 12:29:18.80
芹沢鴨が真面目に鍛練したら凄く強いだろうな。
山本勘助は1人で200騎余りと戦って7,80人を斬り伏せて切り抜けたとか
292 :
日本@名無史さん:2012/04/17(火) 22:26:41.79
史実の山本菅助も京流だの新当流だのをやってたんだろうか?
293 :
日本@名無史さん:2012/04/18(水) 15:41:27.93
告知!
〒869-3471熊本県宇城市不知火町永尾の古屋敷で
「剣豪 丸目蔵人 顕彰奉納演武」
が4月28日(土)10時〜14時に行われますので
ぜひおいでください。
熊本県宇城市不知火町永尾は
丸目蔵人が本当に隠れ住んだと最近明らかになった
丸目蔵人の隠れ里です。
丸目蔵人先生のお墓参りと顕彰奉納演武を兼ねておいでくださいませ。
294 :
日本@名無史さん:2012/04/19(木) 12:20:53.95
295 :
日本@名無史さん:2012/04/19(木) 12:23:07.34
卜伝差し置いて鬼真壁とかそいつ頭おかしいよ。
296 :
日本@名無史さん:2012/04/19(木) 13:35:00.58
土方は士官として優秀かもしれんが剣豪としては
沖田に負けると思うな
297 :
日本@名無史さん:2012/04/21(土) 18:47:21.91
新撰組内での剣の実力は沖田、永倉が相壁だろ
斎藤は暗殺が得意だけど、道場や真っ向勝負の実戦では
沖田永倉より一段落ちる
298 :
日本@名無史さん:2012/04/21(土) 21:03:40.26
道場と真っ向勝負の実戦はまた別なんじゃないのかな?
服部武男で決まりだろ
>>161 江戸時代にはとっくに死んでるが。ゾンビか幽霊にでもなったのか。
301 :
日本@名無史さん:2012/04/23(月) 17:23:46.76
>>300 有名な逸話だぞ。但馬守に剣は上手だが心は下手だって言われて
卜伝がすごすごと退散するんだ。
302 :
日本@名無史さん:2012/04/23(月) 23:16:14.15
永倉新八曰わく
「沖田は猛者の剣。斎藤は無敵の剣」
303 :
日本@名無史さん:2012/04/28(土) 09:07:43.34
永倉新八曰わく
「卜伝は心が下手」
304 :
日本@名無史さん:2012/05/06(日) 11:56:13.23
>158
小野忠明は,弟子がやった柳生関連のねつ造はひどすぎるけど
それを差し引いても,徳川の公式記録で強さが強調されたり
あの性格で秀忠には気に入られてたっぽいところを見ると
やっぱり当時の剣豪の中でも相当強かった部類だとは思う
305 :
日本@名無史さん:2012/05/06(日) 17:28:48.41
1上泉伊勢守信綱
2塚原卜伝
3柳生一門
306 :
日本@名無史さん:2012/05/06(日) 17:30:04.14
明治以降なら森寅雄
307 :
日本@名無史さん:2012/05/07(月) 14:16:46.85
永倉新八曰く
「芹沢鴨は下半身が剣豪…」
永倉新八曰わく
「明治以降ならタイガー・モリ」
盥の水に斬りつけたら離れた場所にいた敵が真っ二つになったとかいう奴。
名前忘れたけど。
311 :
日本@名無史さん:2012/05/08(火) 20:12:06.42
撃剣叢談も読んだことない人がアンカミスして何か言ってるな
313 :
日本@名無史さん:2012/05/11(金) 15:16:25.01
塚原卜伝
剣豪っていったらこの人物でっしょうが
宮本武蔵は嘘っぽい、昭和の映画全盛がこさえたヒーローにすぎなくねえか
なんかなつかしいかな、水戸黄門漫遊記が好きだったの
で、光圀一行が感激していた、それだけすげえ剣豪だったんでねえかなあ、そう思ってえ
誰の本か忘れたけど、そんな文庫があったの
えーと、卜伝っていつまで生きてたんだ
ちがう、遺跡めぐりでの回想だってさ。塚原ト伝はとっくに歴史の遺物化
していたという設定。直木三十五か、なんかじゃなかったか。
そこまでめちゃくちゃに書かねえ、いっくらなんでも
317 :
日本@名無史さん:2012/05/15(火) 09:55:46.98
日本語勉強中の人が来てるのかな?
煽り専門の人もいるスレみたいですねw
煽りですいません。まじめに読みます
塚原卜伝関連の書籍でなにが読みやすいかしら?
>>315 >561:名無しさん@12周年:2011/10/04(火) 23:05:02.11 ID:jwJ0v3W90
>塚原卜伝伝説
>元亀2年、常陸の国鹿島で死亡を確認される。享年八十三。
>慶長末年頃、某山中で庵を編んで隠棲しているところを確認される。宮本武蔵相手に鍋のふたで圧勝。推定年齢当時百二十。
>元和年間、琵琶湖の渡し舟に乗っているところを目撃される。無手勝流に流儀名を変更。挑戦してきた浪人を離れ小島に残して舟で去る。推定年齢当時百三十。
>寛永年間、江戸に出現。ぼけちゃったのか柳生宗矩に「心が下手だ」とたしなめられる。推定年齢当時百四十。
>武蔵vs卜伝やるの?
>柳生vs卜伝までやるの?
流れを読まないで教えてクン。
小野次郎右衛門忠明の元和〜寛永年間の平時の役職について
誰か御存じではありませんか?
二代目の忠常が御書院番→小普請だってのは
調べて分かったんですが…
323 :
日本@名無史さん:2012/06/04(月) 18:19:58.55
>>321 卜伝の名前を養子が継いだ
2代目だって線はないのかね
>>323 卜伝と柳生との逸話を収録した『撃剣叢談』著者でさえ虚妄の説とか書いてるのに
ずいぶんこだわるよね。
卜伝にとっては孫くらいの世代にあたる松岡兵庫が家康に一つの太刀を
伝授してることを考えると、将軍家指南役となった後の柳生に抗議しに行くというのは
養子だとしても苦しい。普通に作り話でかまわんだろ。
× 有名な逸話
○ 採り挙げるに値しないホラ話
単なる誤文だよ
327 :
日本@名無史さん:2012/06/15(金) 22:28:05.11
まだこだわってんのか。変わった人だな。
ガッツだろう
次がボスコーン将軍
329 :
日本@名無史さん:2012/07/07(土) 08:26:19.21
何の話かわからんけどボスコーンって響きが間抜けでいいなww
ベルセルクだね。漫画の話。
鷹の目のミホーク
兵法理論的に一番優れてるのは武蔵か宗ノリのどっちかだろう
性格や環境的に文書に残さなかった人の中にも
二人の境地に居た人はいるんじゃない?
いたとしても分からなきゃ議論のしようがないだろ?
想像で話すんなら、それこそ漫画のキャラと変わらん
最強剣豪とは関係無いが武蔵というか五輪書は別格だべ
上泉も理論と方法論が優れていたからこそあれだけ多くの剣豪を育てられたんじゃね?
有名な弟子は弟子になった時点既に剣豪なような
疋田以外
丸目は?
タイ捨流を語れるくらいタイ捨流の心得が無いからわからんな
神後伊豆守は疋田と並ぶ上泉の高弟だったらしいけど強さに関する逸話は全然知らないな
342 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:53:57.58
>
>>333-337 柳生兵法家伝書のベースはどう考えても上泉伊勢守の教えのはず。
同じく丸目も裏太刀まで伝授されたからタイ捨も同等又はそれ以上の伝書があったんじゃ?
推測ではあるが、柳生流とタイ捨流で若干の差異が生まれている筈
逆説的にその差異でどれくらい上泉色が濃かったかがわかる
だがいかんせんそれを指摘できるほどタイ捨流の情報が俺には無い
だれかその辺りの知識ある奴カマン
344 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 22:42:51.81
>>343 伝書を見る限りじゃ若干の差異どころの話じゃないけど。
345 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 23:08:55.36
タイ捨は甲冑を装着した合戦を想定した兵法なんだろう?
346 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 23:17:42.16
>>345 別にそれに限らないと思うけど。『徹斎於諸国仕合之覚』では普通に試合をしているだけで
甲冑装着の記述なんてどこにもない。真剣でやったのだって豊後の鎌使いに「真剣に為すべし」と
言われたときくらい。甲冑専門みたいなことなんて誰が言ってるの?
347 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 23:29:28.03
柳生兵庫以前は基本介者剣術じゃねーの
349 :
日本@名無史さん:2012/07/19(木) 00:16:22.48
開園が最強だと聞いたが?
>>344 大幅に違うならあまり上泉の影響は無いと考えるのが自然なんじゃね
変な言い方だが、両者に共通する用語や考え方を用いられてる箇所が上泉色だと考えればよい筈だから
351 :
日本@名無史さん:2012/07/19(木) 09:36:55.73
>>350 違うことは違うんだが、面白いことに新陰の型名を微妙に変えて
使ってる感じなんだ。懸待表裏という用語なんかはそのまま出てくるし。
あれを見る限り影響がないとは思えんね。
強く影響は与えたが丸目はそれを消化した上で別流を立てた感じだろうな。
分派同士に大きな差異があるのって、もともと上泉に双方の要素があって
丸目と柳生がそれぞれ上泉の別の側面を継承したのか、
それともどちらか、もしくは両方が上泉が教えたものに創意工夫を加えて大幅に改変したのか。
師に直接教えを受けた期間が長いのは丸目の方?
個々の技は,上泉が考えた
「自分の思うように相手を動かして勝つ」って発想に乗っ取って
石舟斎なり丸目なりの弟子が各々で発展させた所が大きいんじゃないかと思う
十兵衛も『上泉よりも石舟斎がすごくて親父はもっと凄い』って書いてるし
その辺りの時代の技術進歩は今想像するよりも凄かったのでは
>>352 現代の武道の修業を参考に考えると、一般的に師匠の中で消化された技術を弟子達に伝授していくというスタイルだ
だから弟子の個性が出て多様化する事はあっても、教えて貰う内容は同じの筈
技術や理念の方向性は基本から応用まで一貫して繋がりのあるものでなくてはならないからだ
練度の差によって習う事の性質が全く変わってしまうと云う事は武術の修業においてはあり得ない
師匠の持っている技術を弟子達がそれぞれ片割れの様に継承していくというのはかなり考えづらいな
あるとすれば後者だろう
355 :
日本@名無史さん:2012/07/19(木) 22:54:09.00
タイ捨の伝書じゃ燕飛にしたって、元々新陰流の技だが
自分が新陰のものとは形を変えた、みたいなこと書いてあるし。
ブルース・リーが長春拳からジークンドーを作ったみたいなものじゃね?
極真空手からフルコン空手諸派ができたり。
>>333 本屋で売ってる現代語に書き下してる五輪書と兵法家伝書を読んだら
立会いに挑む時の達人の心の持ち様とか心理戦の方法とかを
自分みたいな武道の初心者でもわかりやすく説明しててすげーって思うけど
そういう精神面の動かし方を噛み砕いて文章にできるレベルで理解してたのは
当時の剣豪でもこの二人が特別すごいのか,
自分が他の伝書を読んでないだけで案外一般的なのか。
古文読めないからわからん
358 :
sage:2012/07/20(金) 00:05:14.96
柳生新陰流とタイ捨流といえば忍者組織のレベルも相当なものだったらしいね。
忍術といっても諜報部隊的な軍学の事だろうけど。
359 :
日本@名無史さん:2012/07/20(金) 06:37:14.84
柳生れつぜん
あずみ
361 :
日本@名無史さん:2012/07/20(金) 19:02:14.84
タイ捨流って、初歩の型からいきなり殴る蹴るでしたっけ
363 :
日本@名無史さん:2012/07/20(金) 20:56:19.78
マッハのトニージャー?
364 :
日本@名無史さん:2012/07/20(金) 21:19:15.56
烏丸少将
「出ておじゃれ・・・おーほほほ!」
365 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 00:54:18.40
足利義輝だな。
試合や道場で強さを発揮した剣豪は多いが、実戦においてその能力を発揮した剣豪はほとんどいない。
宮本武蔵も大阪攻めや島原ではなんの役にも立たないダメ兵士だったし。
>>365 こういう議論以前の屑レスでズバッと斬ったつもりでドヤ顔してるにわかが居るからこのスレは盛り上がらんのだよ
367 :
sage:2012/07/21(土) 07:17:10.49
>>365 いやいや普通に多い
戦国時代の武将剣豪は合戦での武功もそうとう挙げてる。
上泉伊勢守・丸目蔵人・冨田重政などがそれ。
塚原ト伝や小野忠明もすごい。
武蔵や石舟斎はたいした事ないけど。
368 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 08:34:09.05
>>367 いや、石舟斎は松永久秀からの感状という武功を挙げた証拠があるが。
逆に卜伝たちの後世の文献によらない同時代の武功の証拠を教えてくれ。
たいしたことないという石舟斎に比べてすごいというからには
ちゃんと把握してるんだろうしな。
369 :
sage:2012/07/21(土) 09:19:05.59
石舟斎って落馬して重傷とか小手を射られたとか、ドジなイメージしかない。
ト伝の武勇伝は、後世の人がたとえ5割増しに言ってるにしても強い。
370 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 09:26:52.96
見事にイメージで語ってるだけだね。
鹿島新陰流の血を引く鹿島 丈博。
塚原卜伝の子孫の塚原光男、直也親子。
こういう優れた身体能力を持った剣豪同士が真剣で戦う姿は、オリンピック以上に迫力があったろう。
372 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 12:17:54.37
鹿島新陰流(笑)
違ったか。鹿島示現流。たぶん、これだ!
笠間示現流ならあるけどね。
375 :
sage:2012/07/21(土) 13:20:07.60
鹿島新当流か又は鹿島神流のことじゃ?
新当流を修めた鹿島氏というと鹿島治時くらいしか知らんが。
鹿島神流にいたっては後世作られた伝承があるだけで
鹿島氏とはまったく関係ないし。
さすがに戦国前期〜中期の剣客は戦場の武功なしに名を上げるのは難しかったんじゃないか?
有名どころじゃない人も含めて探してみれば結構出てくると思うよ。
夢想権之助の師匠の桜井大隅守なんかも感状が残ってる。
武蔵も大坂の陣では水野隊の精鋭部隊として参加していたよ
道明寺や天王口の白兵戦に参加したと推測される
ていうか兵士として任務を遂行する力とタイマンの強さは別種だと何度言えば
でも戦国時代だったら戦場で役立たない武術なんて無意味だったのでは?
立花宗茂
>>382 戦場で役に立つのは石、弓、鉄砲
武術のメインは襲撃を切り抜けたり平時において人を制圧したり殺傷したりする事にある
兵隊としての訓練と武術家としての稽古は目的が異なる
武術の中でも刀ってのがなぁ。
>>384氏がおっしゃる飛び道具の応酬があって、長柄武器による白兵戦があって
最後の予備武器で戦うことに特化したのが「剣の達人」なわけでしょ?
>>384 残念だが鉄砲以外の飛び道具の殺傷率は低い。
今時鈴木眞哉説なんか真に受けてんなよ。
ttp://togetter.com/li/319904 武器別に殺害と負傷の割合をみると、太刀(※引用者注:切疵)=53:47、
矢=20:80、鑓=100:0(しかし一例しかない)となり、武器の効率の差異は明らかである。
【※弓矢の意外な殺傷率の低さ?】
・武士や馬を射殺すことは非常に難しかったようで、
南北朝期の軍忠状には「射殺」という言葉は五回しかあらわれない。(中略)
弓矢の殺傷率が低かったことは、以下の事例からも明らかとなる。
たとえば、今川頼国が討ち死するには矢が二○本も必要であった。
外国人が伝える情報では結構使われているようだけどねえ。
フロイス『日本史』
・彼我の戦備は極度にちぐはぐであった。すなわち隆信勢は多数の鉄砲を
有していたが弓の数は少なく、長槍と短い太刀を持っていたのに反し、
薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に
長い太刀を備えていた。
・そして戦闘が開始された。それは熾烈をきわめ、両軍とも槍を構える暇もなく、
手当たり次第に(刀で)相手の槍を切り払った。薩摩勢は、敵の槍など
眼中にないかのように、その(真只)中に身を投じ、鉄砲も弾を込める
間がないので射つのをやめてしまった。
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら
鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。というのは、
薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、
鉄砲など目にもくれなかったからである。
・日本軍は極めて計画的に行動し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼のようにして先を争って遁走した。
ヴァリニャーノ『東インド巡察記』
http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg564.html 日本人は、人を殺すことを、動物を殺すことよりも重大には考えていない。そのため取るに足りない理由からだけではなく、自分の刀の切れ味を試すためであれば
人を殺してしまうのである。各自は自分の屋敷でも人を殺すことがあり得るし、戦争が実に絶え間ないので、大部分の人々が刀で命を奪われているものと思われる。
388 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 19:37:35.90
柳成竜『懲録』
・日が暮れ、賊(日本軍)は、(白)光彦らの緊張がやや緩んだのを見て、白刃をきらめかせて
大声をあげて突進して来た。光彦らは、あわてて馬を探して逃げようとしたが、間に合わず、
みな賊に殺されてしまった。諸軍はこれを聞いて恐れおののいた。
・翌日、賊はわが軍が怯えきっているのを察知し、数人が刃を揮って勇を誇示しながら
突進して来た。三道の軍はこれを見て総潰れになり、その声は山崩れのようであった。
打ち棄てられた無数の軍事資材や器械が路を塞いで、人が歩行できぬほどであった。
・まだ川に身を投じていなかった者には、賊が後ろから長刀を奮って切りかかったが、
みな這いつくばって刃を受け、敢えて抵抗する者もなかった。
(金)命元と(韓)応寅とは、川の北から遥かにこれを眺め、気力を喪失してしまった。
・わが軍は、賊がまだ山の下にいると思っていたのに、突然一発の砲声が響き、
四方面から大声で呼ばわりながらとび出してくるのがみな賊兵であったので、
仰天して総崩れとなった。将士たちは、賊のいない処に向けて奔走したところ、
ことごとく泥沢の中に落ち込んでしまった。賊が追いついて、まるで草を刈るように
斬り倒し、死者は数しれなかった。
・このとき(李如松)提督が率いていたのは、みな北方の騎兵で、火器を持たず、
ただ切れ味の鈍い短剣を持っているだけであった。(一方)賊は、歩兵であって、
その刀剣は、みな三、四尺の、切れ味無比のものであったから、これと
衝突激闘しても、(長刀)を左右に振り回して切りつけられ、人も馬もみな倒れ、
敢えてその鋒先に立ち向かう者もいなかった。
・倭兵は、城外にあって二重、三重にとり囲み、それぞれ要路を守り、長刀を奮って、
やたらと切りつけた。明国軍は、首を垂れて刃を受けるのみであった。たまたま月が
明るく、脱出できた者は何人もいなかった。
朝鮮人のいう「長刀」は薙刀ではなく↓のような大太刀であることに注意。
http://halto112.blogspot.jp/2011/09/blog-post_23.html
389 :
日本@名無史さん:2012/07/21(土) 19:43:33.95
古典的装備の薩摩が大勝
鑓合わせには鑓以外にも参加している。当然刀もね。
『雑兵物語』
・おれが旦那は二番鑓を合わせしが、かす手もおわない。其鑓脇傍輩衆をたのんで刀鑓脇をつめなさつた。
・一番の鑓ががつちと合と、其まま其敵を突き殺し首を取なさつた。おれもすけべいと思つたが(中略)敵が壱疋旦那を
打べいとてみやうたん柿のうんだごとくなさ鉢の男が刀を抜て来る所で、
・二の先から横鑓は入ないで、まづ騎馬を引勝て三十騎、鑓を持人もあり、刀を持人も有、弓を持人もあり、鉄砲を持人もあり、
打ち尽くす、あるいは接近されて有利に戦えなくなる飛び道具側にとってみれば
刀の習得はむしろ必須だったかもね。
『信長公記』
www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_1.pdf
浮野合戦の事
・然るところを、信長の御小姓衆佐脇藤八走り懸かり、林が頸をうたんとするところを、
居ながら大刀を抜き持ち、佐脇藤八が左の肘を小手くはへに打ち落す。
かゝり向つて、終に頸を取る。林弥七郎、弓と太刀との働き比類なき仕立なり。
www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_8.pdf
樋口夫婦御生害の事
・其の中、心ある者ども、はだかになり、伐刀ばかりにて、七八百ばかり切つて懸かり、伐ち崩し、
御一門を初め奉り、歴々数多討死。
www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_16.pdf
信州高遠の城、中将信忠卿攻めらるゝの事
・歴の上掾E子供、一に引き寄せ差し殺し(城内の将兵は、妻子を一人ずつ引き寄せて刺し殺し)、切つて出で、
働く事、申すに及ばず。爰に、諏訪勝右衛門女房、刀を披き切つて廻し、比類なき働き、前代未聞の次第なり。
又、十五、六のうつくしき若衆一人、弓を持ち、台所のつまりにて余多射倒し、 矢数射尽し、後には刀を抜き切りてまいり、
討死。手負・死人、上を下へと員を知らず。
明軍も倭寇の使う日本刀の性能を認め、主要装備とした。
戚継光『紀効新書・長刀解』
日本人には遠くからの鳥銃が有効である。 だが武士は全く臆せず攻めたり刺したりできる至近まで突っ込んでくる
兼ねてよりこの銃手が弾を込める間に時間を取られて接近を許すことが多い。その勢いを止められない。
日本人の刀捌きは軽くて長く接近を許した後の我が軍の銃手の動きは鈍重すぎる。
われわれの剣は銃を捨てて即座に対応するための有効な武器ではないのだ。 それゆえ我々も日本式の長い刀を
備えるべきだ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm 隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、その本から見えるが、長刀及び長刀法は、
もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を
配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を
短兵として習得させる」を要求された。歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に
長刀或は短刀を配った。毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、「元の習った倭刀でやる」、
下は馬の足を斬って、上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、
素早くて、上等である」。或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。
日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという貴重な考え方を表わした(76)。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/1shou.htm 嘉靖年間、倭寇の被害が激しさをきわめ、戚継光、兪大猷らの提唱推薦で、日本式の長刀、腰刀が中国軍の主要装備の一つになった。
このような大量の使用に日本からの輸入だけで足りるはずがなく、主体は中国自身の製造に頼らねばならない。兵器史家の周緯は、
中国兵器史上、明代の武器は日本刀の使用と模造で一大特色をなすと述べている(23)この論断は歴史的事実と確かに一致している。
小太刀で槍に勝った人とかいなかったっけ?
林田と同じ富田流の人かな?
武蔵は小太刀サイズの棒を手にして、鋲を打った木刀で挑んできた夢想権之助を
一蹴したな。
小太刀メインの流派自体、富田流以外聞かないんだが。
流派の中で余芸として身に付けてるのはともかく。
富田流って小太刀メインなの?
小太刀が有名、なことは間違いないけど。
398 :
日本@名無史さん:2012/07/22(日) 00:13:43.90
武蔵の小太刀はどういう系統なんだろう?
愛洲移香斎久忠をあげときましょうか
陰流の祖にして、明での活躍などスケールが違いまする
そんなの陰流ファンクラブみたいな人らが言ってるだけだろ。
>>398 伝承をまともに信じるなら当理流、その元祖は竹内流に求められるのだろう
402 :
日本@名無史さん:2012/07/24(火) 01:11:02.38
塚原卜伝と上泉信綱ってなぜかよく比較されるよなw
生涯で斬った人数なんかは、卜伝のほうが圧倒的に上。
でも、その後の剣術に多大な影響を与えたのは信綱の新陰流。
個人の強さとしては卜伝に、流派としては信綱の新陰流に、それぞれ軍配が上がると個人的には思ってる。
可児吉長みたいに戦場での武勇が伝わる武士より有名剣豪は強いんかね
強さの種類が違うんじゃないかな
現代でもリングの上でタイマン張れば修羅場くぐった兵士よりアスリートのが強いけど
兵士として生き残るには長距離重武装の行軍に耐える体力や長時間の拘束、緊張状態に耐え得る精神力といった意味でのタフさが必要になってくる
またあらゆる状況に左右されず実力が発揮できるとか、逆に地の理状況の変化を味方に付けられるという力も影響してくるんじゃないかな
昔の剣豪がやってた果たし合いは今の競技試合より相当ラフなモンであった事は想像に難くないけど
目の前の一人に集中してぶっ殺す能力と、大勢入り乱れる中で前後左右に気を配りつつ降ってくる矢の雨に対応しながら切り抜けられる能力って、厳密には違うんじゃないかと
405 :
sage:2012/07/24(火) 07:08:24.30
>>403 剣豪が戦場でも強いのかっていう論調は江戸時代以降の道場剣豪の千葉周作とかをイメージするから。
戦国剣豪が戦場でも強いのは当たり前。
名人越後がその最たる武将剣豪。
剣道日本一がスポチャンの団体戦でどうなるか見てみたい
『卜伝百首』なんかは剣豪が読んだ道歌というよりは戦場で手柄を立てるための
心得だしな。
義輝や具教の最期の胡散臭い逸話を仮に信じるなら、
二人の師匠だった卜伝と信綱の教えは乱戦でも有効だったんだろうと思う
>>408 同時代の報告ではその大活躍はどうなってんだろ?特に公方様殺害は当時としても
大事件だったわけだし。
410 :
日本@名無史さん:2012/07/24(火) 13:42:27.98
自身でも中西派一刀流(七段)をされている作家の小島英記氏の小説「卜伝!」には、こんなことが書かれている。
実を云えば、戦国の世で兵法者は長いあいだ、異端であったのだ。
武田信玄の家臣で、高坂弾正という名で知られた豪の者がいる。
正しくは春日虎綱と云い、『甲陽軍艦』にひんぱんに出てくる武田四名臣のひとりである。
この男が信玄に云った言葉がある。
「戦国の武士は武芸知らずとも事すむべし。木刀などにて稽古するは太平の代にては切るべき者なきにより、その切様の形をおぼゆる迄のことなり。戦場に出る時は始めより切り覚えに覚ゆれば、自然の修練となるなり」
要するに当時の戦場往来の武士の多くは、いわゆる兵法を「畳の上の水練」よろしく実戦に役に立たないものと軽蔑して学ばなかった。
それが、戦国の世が移るにつれて、卜伝のような剣豪が輩出し、市民権を得るようになった。
411 :
日本@名無史さん:2012/07/24(火) 13:44:33.41
↑の続き
明治・大正の剣豪であった山田次朗吉は、その著『日本剣道史』で、あらまし次のようなことを述べている。
「しかるに、心ある者は、ひそかに剣術修業に精を出して、戦場に乗り出す士の働きに大利益があった。
それは阿吽の呼吸で、千軍万馬のなかで奮闘しても息切れがしない。
大力無双の荒武者でも時間が経過すれば疲労がはなはだしいが、剣を学んだ者は呼吸が乱れない。
これがだんだん武士の間で知られてきて、単に敵を切るためばかりの業ではなく、兵の精鋭を尊ぶ気力に大いに関係があることがわかって剣に没頭する武士がでてきた」
大ざっぱに云えば、そういうことになろうか。
以上。
個人的には、ふむふむ、なるほど…と思える。
412 :
日本@名無史さん:2012/07/24(火) 15:07:11.27
>>410 卜伝は高坂弾正よりはるかに前の世代ですが。
『軍鑑』や『武具要説』見る限り武田には卜伝シンパも多いし、
武芸者も抱えている。一方で彼のように剣術稽古に批判的なものもいただろう、
程度に自分は見ているが。
413 :
日本@名無史さん:2012/07/24(火) 16:02:55.16
>>412 はるか前ではないだろw
卜伝の没年は1571年
高坂の没年は1578年
生きた時代はほぼ重なるよ。
卜伝も上泉も戦経験多いんじゃなかった?
高坂って信玄公のお稚児だったっけ
>>412 卜伝公が三度目(最後)の廻国修行に出掛けたのが1556年で、それから鹿島に戻ってきたのが1566年。
天下に名を響かせて、のちに剣聖と言われることになるのはこの頃と言われている。
高坂弾正が信玄に「兵法者なんて〜」と言ったのがそれ以前だとしたら、話の辻褄はちゃんと合うよ。
>>414 信綱はどれくらいか分からんが、卜伝は戦に39回出て、真剣勝負を19回やったとされている。
それで生涯に矢疵が数ヶ所のみだったんだから、それがマジだったら恐ろしく強いよね。
>>413 日本語通じてないのか?
1489年生まれの卜伝は1527年生まれの高坂に比べて
遥かに前の世代だと言ってるの。
>>416 それ、“はるか前の世代”っていうか、ただ単に卜伝のほうが“年上”ってだけじゃね?
卜伝のほうが早く生まれて、途中から高坂が生まれて没するまでは同じ時代を生きたじゃん。
とりあえず途中からにせよ、少なくとも“世代”という点では半分くらいは重なってる。
甲陽軍鑑にどれだけ史実性があるのかは知らんが
駿河に山本勘助がいた時代(天文5年〜14年という説がある)に
既に新当流が流行っていて勘助は京流だからと義元に軽んじられたという。
卜伝は天文23年(1554年)に伊勢の豪族雲林弥四郎に皆伝を与えていることは
史実。この頃既に畿内〜東海での名声は確立していたと考えることもできるな。
>>415 同時代に剣聖なんて呼び名はないぞ。鹿嶋の郷土史家あたりが主張してるんだろうけど
そんな称号は後世の人間が勝手に付けただけ。
>>418 ちゃんと読めw
「のちに剣聖と言われることになる」と書いてるぞw
>>419 人によっては「前の世代」と言ったりするかもしれんが、「はるか前の世代」は言い過ぎだろw
それじゃ卜伝の没後に高坂が生まれてきたような書き方だ。
422 :
日本@名無史さん:2012/07/24(火) 17:17:06.04
>>421 30近い年の差がある人間を「人によっては前の世代と言ったり」ですかw
じゃあ親子ほどの年齢差がある人間、なら文句ないかな?
俺の感覚がおかしいのかな〜と、一応『はるか』と『世代』をそれぞれ辞書で引いてみた。
はるか:“遙か”
距離、時間、程度がひどく隔たるさま
「〜な昔」「〜に上手だ」
せだい:“世代”
1.親、子、孫と続いていく、それぞれの代。
2.同じ時代に育ち、考え方や行動の共通した年齢層。
う〜ん、卜伝と春日の38歳差で「はるか前」は、やっぱ言い過ぎじゃなかろうか?
「戦国の武士は武芸知らずとも事すむべし。木刀などにて稽古するは
太平の代にては切るべき者なきにより、その切様の形をおぼゆる迄のことなり。
戦場に出る時は始めより切り覚えに覚ゆれば、自然の修練となるなり」
この文章も別に武芸の否定じゃないんだよな。太平の世の場合木刀で稽古するしかないってことだけで。
木刀稽古で覚えた技術が無駄だというわけでもない。全体で見ても『甲陽軍鑑』は武芸を習うことを否定してないし
卜伝、勘助、前原筑前(武田家家臣の兵法者)らの武芸者としてのエピソードも載せているし。
>>422 お、かぶったw
うん、その表現は俺も妥当だと思う。
で、発端になった文に照らし合わせると
「卜伝と高坂弾正は親子ほどの年の差がありますが」
となる。
親子ほどの年の差があっても、話としてはおかしくないと思うのだけれど…。
戦国の武士は武芸なんか知らなくても大丈夫。
木刀などで稽古するのは、平和な世では斬る相手がいないから、その斬り方を勉強してるだけ。
戦場に出る時は実際に敵を斬って勉強すれば、自然と修練になる。
って感じか?
冒頭の部分は明らかに否定的にも思える、原文でも。
世代とかどうでもいいが、肝心なのは別に高坂弾正が剣術稽古を否定してないってことだが。
高坂の言葉を軽蔑して学ばなかったとは読めないよ。
あと、
>>415の第三回修行とやらの時代になると、卜伝本人ではなくその弟子の世代が
中国・四国・九州で新当流を広めていることが伝書などからわかる。
松浦道可や毛利輝元なんかも卜伝から直接ではないようだが新当流を学んでいる。
上井覚兼も天正年間の日記に若いころ武士に生まれた身の上だからと
卜伝流や新陰流を学んだことを書いている。
戦国武者のほとんどが剣術を軽蔑したような言説はマユツバくさい。
428 :
日本@名無史さん:2012/07/24(火) 18:30:09.11
流れをぶった切るようで悪いんだけど、最強剣豪の候補に真柄十郎左衛門も入れてくれ!
最強になるかは分からんけど、5尺3寸の大太刀だぜ!
近間に飛び込まれたら不利かもだけど、飛び込まれなければリーチの差はデカいと思うww
そして、個人的には林崎甚助も結構すげぇとこまでいきそうな気がするw
林崎甚助が使ってた3尺4寸の長大な刀は、山形県の居合神社に現存してるみたい。
ようつべにその動画があった。
429 :
日本@名無史さん:2012/07/24(火) 18:45:25.47
ん?流れをぶった切るっていうか、こっちが本題なのか。
松林蝙也斎、白井亨、榊原鍵吉、武田惣角あたりもおすすめw
>>426 人による、でいいんじゃね?
武士の中には剣術を軽視してた人もいるだろうし、逆に重要視してた人もいるだろ。
人によって考え方も違ってたんだろ。
みんなちがってみんないいwww
『甲陽軍鑑』の類を信じるなら天文年間に既に卜伝の流儀は
甲斐に浸透してるよ。「天文〔原文欠〕年五月八日」に信玄が
家臣たちに武道具の類を論じさせた『武具要説』に、卜伝の教えが
何度も何度も引かれるくらいだから。
ちなみに『武具要説』の奥書は「高坂弾正書置之」となっている。
432 :
ジャック:2012/07/25(水) 07:06:49.88
戦国時代は(剣豪+取っ組み合い剛(つよそう))
今川氏真
塚原卜伝
北畠具教
真柄兄弟
最上義光
武田勝頼
ちょうそ元信親子特に息子
カッキー
ダメだ… ここの住人。 各々の逸話をそのまま信じちゃってるよ 早く何とかしないと…
といいながら何もできなそうだなw
自分の言うとおり早く何とかしろよww
ある程度のレベル同士の戦いで100戦100勝なんてないだろ
やらせて勝った方が強い、以外なんの意味もない
まずは日本語をしっかり使いこなして欲しい。
(内容的には賛成出来そうな意見だが)文法が変だからおいそれと飛びつけない。
さらばでござる、またスレ探しの旅へ出る。
437 :
日本@名無史さん:2012/07/28(土) 13:54:08.74
日本語が不自由なヤツに限ってこういうこと言うんだよなあ
438 :
日本@名無史さん:2012/07/28(土) 19:17:46.97
武蔵はそんなに強くない。
勝つために用意周到となりふりかまわないから怖い。
林崎みたいなのと立ち会ったら一撃で死亡する。
439 :
日本@名無史さん:2012/07/28(土) 20:19:26.45
そんなに強くない根拠は?
そんなの、都怒我阿羅斯等の一族(神功皇后のお家)に決まってるじゃん。
あの一族の現役で、一番デカイ人は、197cm 160kgあって、
握力はギネス級らしい。(チンパンジーと腕相撲できる)
相撲取りと違って腹は出ていない。骨太で筋肉質の体格でその重量。
神事で2m60cmの大太刀の神剣を、苦もなく振り回す。
普通の太刀では受けられない(太刀打ちできない)と思う。
都怒我阿羅斯等=つのがあるひと だから、
つまり、昔から天日矛を祀る秦氏の社家は、鬼呼ばわりされてきたことになる。
蒙古の王族に、190cmクラスの巨漢がいた記録が残っているが、
日本にも渡来してたんだなと、つくづく思うよ。
しかも、合気道のもとになったテゴイを伝承しているから、
子供の時から素手でも強い。
相撲の技では、大人の力士ですら小学生の子供に絶対に勝てない。
都怒我阿羅斯等の一族に大太刀を持たせたら、まさに鬼に金棒だな。
甲冑を着てても一撃で即死だろう。
都怒我阿羅斯等は、天日矛、兵主(蚩尤)、牛頭天王などの別名を持つ。
祇園祭の神様として、今でも多くの人々から崇拝されている。
応神王朝は神功皇后から始まるようだが、
彼女は天日矛の子孫ってことだから、
天日矛の一族は天下を取って皇室の祖になった伝説が残るわけだ。
で、この一族のルーツだが、
大陸の蚩尤の信仰を受け継いでいることから、
じつは、新羅の王族ではなく、元は高句麗の王族で、
直系の子孫の話では、遼寧省桓仁満州族自治県が本拠地だったらしい。
大陸の高天原という噂もある、五女山と呼ばれるテーブルマウンテンがある。
驚いたことに清朝の皇帝となった一族も、
ここを祖先が眠る聖地(禁足地)としていた。
倭、日本、高句麗、百済、新羅、清などの、
大国を統率した東アジアの王族は、皆、五女山城址がルーツなのだから、
王になる資質を備えた最強の一族が存在すると考えて間違いないだろう。
今でもその末裔が、神社が伝承する大太刀を使いこなせて当然だと思う。
442 :
sage:2012/07/29(日) 06:50:43.30
>>442 最強の剣豪は、一人で生まれてきたりしない。
武士が、個人よりも家名を重んじて、一騎うちの果し合いを繰り返してきたのは、
最強の血統を生み出すため。
すなわち、戦を用いて積極的に劣者を淘汰する、品種改良のシステム。
その結果、最強となり王位に就いた血統こそ、最強の剣豪の一族。
重視されるのは、個人ではなく、あくまでも家名であり血統。
しかし、清帝国のラストエンペラーが、
最強の王の血統を生み出した、五女山の出だったとは驚いた。
2千年も経つと、あんな軟弱な体型に、劣化してしまうんだね。
まあ、今の日本の皇室だって、普通の人と変わらないレベルまで公家化(劣化)して、
屈強な王族の面影はほとんど残ってないけどね。
5部族を無血統一して高句麗国を興した、東明聖王(朱蒙)が見たら泣くな。
445 :
日本@名無史さん:2012/07/29(日) 09:37:56.36
ただの武芸者が、紙に書かれて有名になりすぎてるのは、どうかと思う。
最強王者決定戦に出場するのが、王ではなく一般兵だったら、
肩書が変だって、誰でも思う。
やはり、最強の剣豪は、大国を築いた王でなくては感覚的に納得できない。
その点朱蒙(東明聖王)の弓の技(現代に流鏑馬として伝わる)は最強クラス。
接近戦に限ってみるなら、
今でも剣道を圧倒する、
宮本武蔵の二刀流を破ったとされる、神道夢想流杖術は、本物だと思う。
447 :
sage:2012/07/29(日) 10:21:47.14
剣豪の話題に日本書紀ぐらい昔の話って何だかな〜
せいぜい室町ぐらいからだろう
448 :
日本@名無史さん:2012/07/29(日) 10:51:56.93
古代の朝鮮人の話題とかもどうでもいいわな。
あと杖術が剣道を圧倒するとかほざいてるから参考↓。
夢想権之助(杖道の流祖)は本当に武蔵に勝ったのか?
http://blog.iai-mugairyu.com/?eid=805055 > いつも決まった形の流れの中で、もし真剣ならどうなるだ
ろうと思いながら稽古をすることが多いが、太刀持ちを五段
のYさんとY師範で、杖側は二段から五段までが入れ替わりで
立ち会ったが、ほとんどは予想通り太刀の勝ち。
バッサリと言うことはないまでも、どこか斬られて降参と
なってしまった。特に杖が先に動くとほとんど勝てない。
杖がいかに”後の先”ということを実感した稽古だった。
杖側が相当腕が上でなければ難しい。本当に神道夢想流杖道
の流祖、夢想権之助が剣聖宮本武蔵に二度目の対戦で勝った
というのは本当だろうか?と思ってしまう。
>>448 「古代の朝鮮人の話題」
ハイ嘘つき確定。
故意に差別的な誤情報を書き殴ってるよな?
私が管理する掲示板なら、即アクセス禁止にする。
>>440 「蒙古の王族に、190cmクラスの巨漢がいた記録が残っているが、
日本にも渡来してたんだなと、つくづく思うよ。」
という、正しい情報を得ていながら、
故意に偏見を流布するのは悪質と受け取られる。
高句麗の王族は大陸系とされているし、
清朝の皇帝が朝鮮民族などという話、どんな学者も受け付けない。
嘘つきには消えてもらおうか。
450 :
日本@名無史さん:2012/07/29(日) 13:06:43.62
朝鮮人でも蒙古人でもいいからスレ違いクソ野郎は消えろよ。
>>448 神道夢想流杖道についても、
故意に誤った認識を流布しようとしてるよな?
問題のサイトを読めばすぐに分かるが、応用杖の稽古と称する、
太刀との稽古を普段ほとんどやってない人達だろう?
夢想権之助は、長期間宮本武蔵を倒すことを考えた。
やっていることがまったく違う。
杖は太刀と同じ動きも出来れば、それ以上の動きも出来る。
したがって、有利になることはあっても、不利になることはあり得ない。
子供でも分かる理屈だ。
故意に誤情報を流布するのは、最も嫌われる迷惑行為。
452 :
日本@名無史さん:2012/07/29(日) 13:08:37.86
>>451 お前がそう主張するならやるべきことはこんなところでブツブツいうんじゃなくて
「本当に武蔵に勝ったのか?」と疑いを持つ人に対する直接の抗議だろ。
>>452 嘘の次は煽りか。
このスレッドは慎重に読む必要があると、教えてくれてありがとう。
君が書いたものをフィルターしたほうがいいと、読者は気付いたと思う。
>>450 皇室の祖先を罵ってることに気付かないのか?
皇室=日本人。
どこまでも、寝惚けた誤情報を流布し続けるとは、たいしたものだ。
一般には出回ってないが、多氏の社家が管理する道場は
奉納試合の記録を持っているから、流派別の強さの比較などもある程度できる。
455 :
日本@名無史さん:2012/07/29(日) 14:59:06.69
電波うざいわ
夢想権之助の工夫を否定するわけではないが
「我が流祖は今伝えられる技に開眼し、かつて敗れたかの名高き達人と再戦し、そして勝ったのだ」っていう逸話は如何にも出来過ぎてて跡付け臭い
つーか事ある毎に「事実とするにはソースの信頼度が薄い」「根拠となる出典に乏しい」「片方の伝記にしか載って無い逸話なんて与太話だろう」とするここの住人が
そんな逸話を鵜呑みにしちゃうわけ?
457 :
日本@名無史さん:2012/07/29(日) 18:26:38.22
458 :
日本@名無史さん:2012/07/29(日) 18:31:15.22
>>451 でも448を見たら“今でも剣道を圧倒”している感じは受けないんですが
そりゃ普段から太刀との稽古をやってる人なら
杖との稽古をやってない人圧倒できるんだろうけど・・
最古の皇別氏族多氏が日本人じゃないとか、
無茶苦茶書いて荒らしてるのがいるな。
皇室も、その御一族から生じた種族も、全て日本人。
平家や源氏だって、れっきとした最強クラスの皇別氏族だが、
日本人じゃないと主張すれば、
ハア? 頭おかしいんじゃね?
と思われるだけ。
どんだけオカシイことを書いてるか自覚しろ。
460 :
日本@名無史さん:2012/07/29(日) 21:01:31.36
このスレで多氏とか気にしてるキチガイはお前だけだが。
邪魔だから消えろスレ違いのクズ。
平家や源氏出身の剣豪って、あまり聞かない。
京の五条橋の牛若丸と弁慶とか、牛若丸の八艘飛びとか、伝説だし。
特別枠の武家だから、
合戦以外での活躍は、記録されてないのか。
>>440 渡来系氏族・秦氏でしょ?
葛城の役行者が使役した、前鬼・後鬼っていう伝説の鬼。
鬼の子孫は紀州にもいるらしい。
奉納相撲の行事を務める神主のほうが、力士より体格が良くて、
ビビらせまくってるのなら見たことがある。
相撲を取る前に、見るからに行事優勝!って、
どうすりゃいいんだ?
>>461 一応甲源一刀流の逸見家は甲斐源氏の系統ということにはなっているけど。
>>461 大将に斬り合いさせるのは配下の恥でしょうし。
465 :
日本@名無史さん:2012/07/29(日) 23:11:53.58
>>464 平家物語とか太平記じゃそんな観念は見えないけどなあ。
>>444 神武の皇位を三男が末子相続して、
二男が多氏を名乗って社家になったとか。
多氏は、国造の家としても各地に分散していったから、
子孫を名乗る武将は散発的に登場してるけどね。
劣化したのか、あまりぱっとしないね。
>>464 集団戦になった時代はどうか知らないけど、
名乗りを上げて戦う一騎打ちの時代は、
大将同士の戦いが中心だったと思う。
>440
剣道でも小さくて強い人がいくらでもいるので
達人レベルの戦いで体格は決定打にならないと思う
>>467 名乗りを上げて一騎打ちとかまだそんなもんが主流の時代があったとか信じてるのかよ。
470 :
日本@名無史さん:2012/08/03(金) 18:48:53.37
殺し合いなら戦国時代>幕末>現代は間違いない
>>469 反対に無かったと言える明確な根拠があるのか?
472 :
日本@名無史さん:2012/08/04(土) 09:50:15.92
>>471 お前が一騎打ち主流の時代はいつからいつだと明確な根拠を挙げて示せば
>>469は謝るよ。
>>468 実際の刃物同士の立ち合いだったら撫ぜる様な一打でも有効なダメージになり得るだろうしな
>>472 >>467は俺じゃないから謝られてもね。
で、結局根拠もなく分からないのに何となくそんな気がしたから批判してたわけね。
475 :
日本@名無史さん:2012/08/04(土) 14:15:39.06
なんつーか低レベルなやり取りだなwww
で、一騎打ちの時代っていつよ?近藤好和氏なんかは
『弓矢と刀剣』中で「一騎討の特殊性」と題して
平安時代の一騎打ちなんかも特殊な事例だから一騎打ちが記録されるというようなことを
書いてるね。あと、片方からの呼びかけで始まる偶発的なものであるともね。
『弓矢と刀剣』
「一騎討の特殊性」
・当初から想定されておらず、誘いかけがなければ始まらなかった一騎討が、
当時の普遍的な戦闘といえるだろうか。普遍的な戦闘であれば、特別な
誘いかけなど必要なかろう。
むしろ普遍的な戦闘といえるのは、当初行おうとした両軍各五、六百人による
射組戦であろう。
そもそも呼びかに応えるという事自体がそういった精神性があったと言う事だろ。
近代戦の常識なら呼びかけもしないし、ましてやそれに応えるなど愚かのきわみ。
もし応えたら集団で襲い掛かるわな。
また平安当時の主力武装の一つだった薙刀は集団戦には不向きだから戦国時代
には槍にとって変わられたと言う説があり支持する者も多い。
そのことから平安時代は集団の戦いより個人の技量を頼みとした戦い方をしていた
とも考えられる。
まあ戦いの主流であったかどうかはともかくそういう一騎打ちが許された時代が有った
とは言えるしその頃を一騎打ちの時代と呼んだところでおかしいことは無いと思うね。
478 :
日本@名無史さん:2012/08/05(日) 20:56:02.15
一騎打ちの技量が戦国以降よりも意味がある時代はあっただろうが
467が言ってる意味での一騎打ちの時代は無かったので469も間違ってない。
なぜ
>>467が皆からコケにされてるのか?
戦など大将ひとりいればよいということになり、
武士の否定にまで繋がっていくからでしょうか…?
この項続く(かも)
自分の中ではスター選手の個人技主体のサッカーと集団戦術のサッカーとの違いくらいの
意味合いだと思うけどな。
どちらにせよ数が居なくちゃ勝負にはならんでしょう。
481 :
日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:17:45.53
スコットランドとイングランドの決戦であるバノックバーンの戦いで
後のスコットランド王ロバート・ブルースとイングランド側のヘンリー・ド・ブーアンが
一騎打ちをした事例から伺えるように、西洋では14世紀になっても重要な戦争の勝敗を
一騎打ちに委ねていたのである、みたいな理屈も言えるよなww
挑まれたら名誉をかけて戦う精神があるってのと、一騎打ちが主流じゃ
もう主張が全然違ってる。
482 :
日本@名無史さん:2012/08/06(月) 22:32:47.56
そもそも
>>467は
>名乗りを上げて戦う一騎打ちの時代は、
>大将同士の戦いが中心だったと思う。
と言ってるだけで一騎打ちが主流とか言っちゃってるのは
>>469だしな。
数が違うのに初めから一騎打ちなんかしないだろうし、双方兵力が均衡している状態で
決着をつけるのに一騎打ちが都合よかったんじゃないのかと思う。
兵と言っても一族郎党が多い時代だと単なる駒としての兵とは意識も違うんじゃないか。
一騎打ちって言うのは無駄に身内の血を流させるよりも代表戦で決着をつけようとか
そんな感じの時に有ったんではなかったかと予想している。
戦を切り上げる作法の一つみたいな。
484 :
日本@名無史さん:2012/08/07(火) 02:45:18.97
後三年の役において報告されるただ一例の一騎打ちは
兵糧攻めをされた側の申し入れによって行われてる。
http://www.yokotekamakura.com/kanezawa/battle/battle2.htm > ▲兵糧攻め
吉彦秀武、義家に兵糧攻めを建策「軍をまきて陣をはり…一方は将軍、
一方は義光、一方は清衡、重宗(しげむね)これをまく」やがて数日後、
武衡は、互いの陣から剛の者を出して一騎打ちをしようと申し入れる。
だいたい「雁行の乱れ」によって伏兵を知るとか、兵糧攻めとか見てわかるように
ここ以外では普通に合戦してるわけで、この一騎打ちは双方の名誉がかかった那須与一の弓の
場面みたいなもの。それに大将同士ではなく、あくまで双方の剛の者同士だよ。
>>483 >>467は
>集団戦になった時代
>名乗りを上げて戦う一騎打ちの時代
って書いてる。
こうやって対比して書けば、
一騎打ちが主流と読み取られても仕方ないと思う。
だいたい「集団戦になった時代」なんてのが大嘘で、
あくまで集団戦術が洗練された時代ってだけだろ。
それ以前は一族郎党単位で集まって戦ってた。
それを「名乗りを上げて戦う一騎打ちの時代」なんていうのは無理ありまくり。
487 :
日本@名無史さん:2012/08/07(火) 10:03:57.86
近藤好和儲が今のトレンド
489 :
日本@名無史さん:2012/08/07(火) 10:29:51.85
どこに一騎打ちの時代という論拠があるんだ、と尋ねると近藤信者になっちゃうんですねww
戦の中の1シーンとして一騎打ちというものがあり
それがその戦の転機になるようなこともあった
というくらいでいかがでしょうか?
一対一で戦える状態は戦場ではなかなか作りにくい。
その意味で、一騎討ちは特殊な戦闘といえる。
一騎討ちではじまった組討戦が重層的になっていくのはそのよい例である。
逆に一対一で戦える条件が揃えば、一騎打ちはいつの時代もありえる戦闘である。
そこで、騎射戦イコール一騎打ちの誤解から、一騎打ちが源平時代の戦闘の特徴の
ようにとかれることがよくあるが、それは間違いである。
一騎打ちそのものが時代の特徴なのではなく、一騎討で戦われる内容が時代の特徴
となるのである。つまり源平時代の組討戦などがそれに相当する。
一騎討ちは特殊な戦闘であるために、それで戦われる内容が、時代の象徴として誇張
されるという理解である。
(近藤好和)
ようするに戦闘スタイルとしての一騎討が注目されるようだが一騎討へと至る戦のありよう
こそ注目されるべきだと言ってるんだろ。
492 :
日本@名無史さん:2012/08/07(火) 13:30:15.59
もう全然剣豪関係ないな。
一騎打ちについて語ろう、でも立てるか?
平安の頃の剣豪っていうと鬼一法眼か?
他に誰かいる?
494 :
日本@名無史さん:2012/08/07(火) 20:08:53.79
平安時代の兵法家なんて伝説以外いないでしょ。
誰それに勝ったっていう話も弟子の捏造がほとんどだったら
剣豪の強さってどうやったらわかるんだろうな?
為朝も一応は鹿島七流だかの継承者だったという伝説があるんじゃなかったか?
義経流剣術がある以上、義経も剣豪だったはず
為朝さんは流されるまでは関東とはあまり接点がなかったんじゃ?
単発で強い剣豪って、
武家社会では、あまり意味がなかったんじゃないのか?
当時は、個人より家が重視されていたが、
それって、優れた血統を生み出すことが最終目的だよな。
一騎打ちの決闘で、積極的に劣勢遺伝子を淘汰して、強い一族を作り上げること。
人類の種としての品種改良を推し進めることが、
命を懸けた剣豪同士の対決の、最終目的ということになる。
では、大勢の剣豪が闘った結果として、最強の血統を生み出せたのか、
が一番重要なことだろう?
500 :
日本@名無史さん:2012/08/10(金) 14:23:19.90
最強の剣豪は、剣の腕一つで一国一城の主になった人物じゃないとな。
そういう人いる?
伊勢の北畠具教くらいしか思いつかないけど、
もともとが名門で伊勢国司の家柄で切り取ったわけでもないし
最期は織田に滅ばされてるからちょっと違うか…
とすると家老止まり、出城の城主くらいか
卜伝とか上泉あたりの
柳生みたいな小名もいたけど、あれも代々の領主だったか…
城主になって大名扱いされると、なかなか果し合いが出来なくなるから、
実力が把握し辛いだろうな。
>>498 すまん、鹿島流は勘違いだった
筑紫にいた頃に九州一の名人に剣術を学んで師を遥かに超える腕になったと保元物語にあるみたいね
>>500 有名な剣士で、大名に一代で上り詰めた例自体が
柳生宗矩くらいじゃないか? 彼にしたって剣の腕でとは言いがたいし
石高なら富田重正
平服と甲冑の違いを書いたものだが、
考えてみると、太刀→打刀への変遷も考慮せねばなるまい。
太刀は刃を下に佩く、打刀は刃を上に差す。
戦国期以降、武将たちはあたら名刀の太刀を磨りあげて実用的な刀としてしまった。
剣達者・抜刀などは、太刀が実用品として刀となってからであろう。
古の名刀〜鎌倉中期は、騎乗から斬り抜ける事を前提に反りが強い。
さらに刀よりも長大であり、抜き打つ事自体が不便きわまりない。
やはり、それなりに事跡がたどれる上泉信綱が(弟子達も加味して)が、
甲冑部門ではトップと考える。
指南役の家の実力で、大名の実力は測れないから、
一国一城の主になった剣豪の腕前は分からないだろ?
柳生は他流試合を禁じられているとかで、
試合を申し込んで来た相手に、
自分は猿二匹で稽古をしているからって説明して、
猿に相手をさせて、逃げてたよなー。
現代まで、その血統が伝わっていれば、
剣道の試合を見て、
剣豪達が命をかけて闘って押し進めた品種改良とやらの成果を
推測できるだろうか?
逃げたって・・・
自分達の剣は悪を斬るたにある、立合いに
執着する奴は駄目だとまで言ってるような
宗矩がいちいち相手にする訳ないでしょ
真剣と現代の剣道の試合じゃ、違いすぎて、品種改良の成果は分からないよな。
剣道ってどの流派がベースになってるの?
>>508 柳生宗矩系だけ見ればそれも一理あるかもしれない。
だが、石舟斎が関ヶ原前に家康に剣技を所望された事から、当時すでに剣達者としての名声があったと考えられる。
また、新陰流正統の厳利は実際に同僚を斬った経歴を持ち、次代の厳包は父厳利以上の腕と評された。ちなみに尾張柳生は他流試合を禁じていないし、すすんで迎え撃っている。
上泉の弟子は、柳生の他にも、丸目、神後、奥山、疋田など後世流派の原形群ともいえる達者揃いである。
>>511 どの流派でもないが、強いていうならば直心流。
一応のおおまかなルールは、直心流榊原健吉の後継者であった山田次郎吉によって作られたと思われる。
徳川家康が選りすぐって決めた最後の嫁が春日の局。
借り腹、とする文書が出てきたことで、春日の局が三代将軍の実母と確定か?
春日の局は、男勝りの凄い武勇伝の持ち主らしいな。
謀反人の家だったにもかかわらず、徳川の命運を委ねたのは、
家康も最強の武家の血を求めたってことか。
謀反人の汚名を晴らすため、
夫と子供を捨てて徳川に身を置くことを選ぶあたりが凄い。
よくわからなかったんだけど、
>>508が『大名に求められる実力と剣術指
南役に必要な実力はちがうから大名になった
剣豪が強いかはわからない
(大名になった)柳生但馬も道場破りから
逃げてて強くなさそう』って言って
>>512が『柳生但馬はしょぼいかもしれないが、他の新陰流剣士はちゃんと実績あるよ、
道場破りから逃げたのも江戸柳生だけで
尾張は迎え撃ってるよ』
って意味でオッケー?
真剣だって、戦国時代の武器と比較すれば、タケミツと大差ないよ。
普通の日本刀は鎧武者を斬れないし
弓や槍のようには重視されていなかった時代があった筈だが、
なぜか武士の魂と呼ばれるようになって
携帯武器として普及してしまった。
普通の日本刀を使う流派は、
実戦的でないスポーツ的な剣術をやっている
と受け取っていいのだろうか。
>>516 極めて乱暴な話になるけど、一口に剣術といっても
戦国時代から営業している流派と江戸時代以降に生まれた流派では
事情が違うかと。江戸時代以降は鎧を着て戦う技術を磨くより、
平服で斬り合う技術や、乱心者を取り押さえる技術の方が実用的だろうし。
>>516 日本刀が鎧武者に通用しないなら戦場に日本刀を持って行かない。
君の説は前提からして間違ってるよ。
いい加減、鈴木説を盲信するのはやめたまえ。
逆に考えると、日本では戦場用の鈍器(西欧のメイスみたいなの)が
あまり流行らず、サイドアームはほぼ刀一色だった。鈍器の方が
安価で頑丈、維持管理も操作習得も楽なのに刀を選択する程度には
刀が信頼されていたんじゃないかと。
戦国期に多くの流派が成立したのは需要があったからじゃないの?
戦国時代から続く流派って、神道流、念流、新陰流、中条流…あと何かあったっけ?
一刀流もギリギリ戦国時代じゃね?
いや、桃山時代か・・・
戦国時代という区分はともかくとして武勇が必要とされた戦乱の時代ということなら関ヶ原まででいい気がする
>>518 刀も鎧も作っている、社家付きの刀匠の家が、
日本刀で鎧は斬れない、長巻を使わなくては無理、と言っている。
実際に何度も斬るテストをやってから、神社に奉納している家だよ。
今は、一般の刀匠は、刀を作っているだけでは食っていけないが、
社家付きの刀匠の家は、まったく伝承・制作環境が違うし、
コストのかけ方も違う。
刃付けされていない神剣に分類されるものだが、
最近打たれた、一番長い隕鉄合金の大太刀形状のものは、2m60cm。
日本刀には、
倒した相手の首を切断して持ち帰って証拠とする、
という重要な役目があったから、戦場で必需品とされたのだ。
戦備えの長柄武器が、江戸時代に入って個人所有が禁止されたから、
武士は、短くて軽い日本刀しか携帯出来なくなった。
とうぜん、戦国時代の剣術と江戸時代では違うものになっている。
>>525 やはり鈴木説信者か。
首を取るのに太刀は使わない。首取りにしか使わないんならなんで重くて長い太刀を持っていく必要があるんだ?
太平の世の江戸時代になると、たとえ士分であろうと、
戦道具に分類される、三尺以上の長巻や大太刀を所有することができなくなった。
そこで、神社などに奉納された他は、
長巻き直しなどが行われて、短く造り直されている。
日本刀という場合、両者が混同されることが多いが、重さも威力もまるで違う。
ドイツの重い両手剣と軽い日本刀で打ち合ってみれば分かるが、
重い剣に軽すぎる日本刀ではかなり不利で、
あっさり負けてしまうことも多い。
江戸時代の日本刀と戦国時代に流行したものは別物で、
江戸時代のツルハシより軽いような刀では、合戦は出来ないと思ったほうがいい。
>>526 勘違いしまくりの、本物の長巻や大太刀を振ったことがない、
まったくの素人とお見受けする。
あなたが知っている、居合で使うような江戸時代の日本刀は、
戦道具には分類されない、竹光に毛が生えた玩具だ。
両者を振り比べ、斬り比べてみれば、混同できないことが分かる。
だからこそ、幕府は個人所有を禁止した。
一種の軍縮政策だ。
論点がずれてるような・・・
530 :
日本@名無史さん:2012/08/12(日) 13:18:52.91
>>528 『首切るのにしか使わないなら何で合戦であんな邪魔なものを携帯してるの』
って質問に答えてないよね?
戦国時代から剣術流派が存在して
たのかの理由も説明できないよ
当世具足等の武士の場合、刀で鎧ごと斬ったり貫いたりするのは困難だ。
だが、最初の武器は槍として、それが叶わぬ場合には刀が必然的に武器となる。
膂力ある者ならば大刀の斬撃だけでも相手に衝撃を与えられるから、それなりに役に立つし、護身を考えた場合は不可欠である。
刀で鎧武者と相対するため、即ち、
数人に槍で押し込まれぬよう穂先を斬ったりかわしたりしながらの体さばき
具足の弱点であり一撃で致命傷となる腋・股(動脈切断してしまうため)への攻撃法(これは寛永期ごろまでは特に重要視された)
体勢によって物打を的確な角度で当てたうえで、返しの動作で身を守る
などなど・・の技術は、日ごろの訓練が物を言い、それらがための剣術なのであろう。
徳川家康の言とされるが、
自分(即ち采配をとる高身分のもの)が必要とする剣術とは、
襲ってきた者の初〜三撃くらいを逃れるための技である(その間に近習たちが来て討ち取る)。
相手に打ち勝つ剣術ではないとしている。
護身術としての剣の有効性を、家康は認識していたと思われる。
>>515 512ですが、その部分はOKです。
大事なのは、上泉には多くの優れた弟子がいて、彼らから後世へと繋がる剣術流派がたくさん生まれたことです。
現代でも確認できていることだが、
軽い日本刀は重いドイツの両手剣と戦うと一瞬で負ける。
(ユーチューブに採り上げているのを見つけた)
甲冑相手に有効な野太刀や長巻の存在価値はその重さにあった。
もちろん長槍を用いた集団戦に移行した結果、出番が少なくなっていったが。
太平の世になって、
それら戦道具が士分であっても個人所有することが禁じられると、
携帯しやすい軽いものだけが残り、形式的な武士の命とされた。
三尺を超える長くて重い刀を扱う技は、
大太刀を堂々と所有して神事で振り回せる社家の伝承を除いて
自然消滅していったらしい。
今暴れてる馬鹿、鎧を高く評価してる点は好印象
隙間を狙う剣術の存在と、首取りは小太刀・脇差しを使うだろって突っ込みをスルーしてるのは論外
>>531 >具足の弱点であり一撃で致命傷となる腋・股への攻撃法
そのとおり。
佐々木小次郎の物干し竿のような刀を用いたツバメ返しとは、
そのような弱点を突く、ヒラリヒラリと舞う剣さばきを指していたらしい。
社家が伝承する大太刀を用いた剣舞にも、この動きが残っている。
剣舞の舞手に握力を尋ねたら、
若い頃はもっとありましたが、今は180sぐらいです.
という返事だった。
短い柄しかない大太刀を豪快に振り回すには、
相撲取り以上の腕力が必要とされるようだ。
握力180キロって世界一だな
大太刀で禁止されたのは「所持(持ち歩くこと)」であって「所有(購入または製造すること)」ではないのでは?
佐々木小次郎の実態は不明だが、
物干し竿のように長い刀を、
燕が獲物を狩るように
振り下ろした状態から斬り上げて
鎧武者の手足の動脈を切断する必殺の剣技が、
戦国時代ならあっただろうな。
宮本武蔵が編み出した新しい二刀流に対して、
長槍が主流となる以前の古臭い戦国時代の時代錯誤的な剣法の使い手を
敵役として対峙させたのは、
講釈師の演出か?
だって、幕府が禁止したから、そんなもの当時は持ち歩けないよ?
創作だってバレバレじゃ?
さてさて、武蔵の二刀流の構えでは、
どう頑張っても大太刀の重みを受けきれない。
構えを崩され太ももを斬られ、必殺剣の一息で致命傷を負ってしまう。
どうする武蔵、勝てるのか?
しかたないから、物干し竿よりも長い木刀を作ってて遅刻しそうに・・・
モシモ〜シ講釈師の武蔵さん、重量で負けて相手に木刀をコントロールされたら
少しぐらい長くても、まったく意味ないです。
天下無双の剣豪のナンセンスな机上の空論?(五輪の書は、いろいろ問題アリスギ)
>>538 武蔵が、お説の通りの装備で巌流島に臨んだのなら
「切り上げる前に」相手の頭を叩き割るのが目的なのでは?
どうせいつもの刀を止めるなら、長槍とか持って行けば良いだろうにとは思う。
540 :
日本@名無史さん:2012/08/12(日) 18:06:27.12
>>533 軽い刀で重い武器は制せないというのは
あなたの妄想もしくは根拠のない思い込みです
明や朝鮮の記録にはあなたが言う『軽い』日本刀の素早さに
槍でも太刀打ちできてない記録がかなり残ってるし
>>538のとおり宮本武蔵も『軽い』木刀で岩流の重い刀を制してる
戦で刀を使用してる実例もいくらでもありますよ
>>532 宗矩の剣達者としての実績、名声も疋田
や兵庫介と比べて劣ってないんじゃない?
後世の剣術に与えた影響の大きさは、
新陰流の中だと奥山に次ぐと思う
youtubeで西洋の両手剣と日本刀比較してる動画はいくつかあるけど
普通に日本刀が勝ってるのもあったぞ?
刺突、斬撃共に日本刀の方が威力が勝ってるという結果が出てるのもあった
>>541 そういう見方も一理あるかもしれないと書いたが、実績や名声が劣っていたわけではない。
宗矩が将軍家指南役となったから、柳生家や新陰流の地位が飛躍的に向上したのは事実であろう。
ただ、新陰流兵法宗家は甥の兵庫厳利に授けられたため、相対的に宗矩の技量が疑われる事になってしまった。
新陰流伝播の最大功労者たるは柳生宗矩であることは否めないと思われる。
タイシャの丸目も捨てがたい。
>>543 上泉は後継者として多数の弟子を
差し置いて石舟斎を選んでるけど
それを理由にして丸目や疋田の技量が
(相対的にでも)疑われる事はそんなに無いよね。
宗矩の場合だけ技量を疑うのも変な話じゃない?
柳生が勝手に正統を名乗ってただけってことはないの?
>>545 正当云々の話が出てくるのは
新陰流でも尾張柳生だけだな
>>540 西洋でも両手剣よりスピードが勝る、片手で扱える軽いものに変わっていったし、
太平の世になって、日本刀が全体的に、軽量化の方向に進化したことは、
デメリットだけではなかったと思う。
刀は折れることがあるから、刀で打ちあうことを嫌って、
速攻で斬ることを是とする剣客も多かったらしい。
そうなると、重さよりもスピードだね。
示現流みたいに斬られる前に斬れとばかりに剣速を追求した流派も有ったしな。
そして運動エネルギーに重要なのは重さより速さ。
>>540 相手の剣をコントロールする技術はいろいろあって、
仰るとおり、単純に重量だけで決まるものではないだろう。
たとえば、
刀を振り下ろすタイミングを、相手よりわずかに遅らせれば、
相手の刀の先を、自分の刀の根元付近で受けることになる。
テコの原理で、軽い刀で重い刀を制することも不可能ではない。
つまり、ある程度上級者になってくれば、後出しジャンケンのようにして勝てる。
しかし、多氏斎王家の大太刀の剣舞に、
さらに上をいく?所作が入っているのを見つけてしまった。
単純に刀をヒラヒラ返すように振るだけの動きとは違う、
剣舞から受ける奇妙な印象の正体が分からず質問したら、
「谷底を流れる川の水を汲み上げる、
平安時代からある水時計用のポンプを応用した技です」
だってさ。
奥義を知らない私にはまるで理解できないが、
そういう特殊な剣技の要素が含まれているらしい。
伝説のツバメ返し恐るべし。
>>549 漏刻用のジオコンクリート(古代コンクリート)製の水槌揚水機だな。
運動エネルギーを自分から急激に止めることで、
水槌のように動きを圧力に変換して相手の剣を制したり、
別の方向に向かう運動エネルギーに一瞬で切り替える喩か。
今でいう甲野善紀氏の影抜の技だろう。
>後出しジャンケン
剣豪に勝ちたいなら、相手より先に動くなということだ。
551 :
日本@名無史さん:2012/08/15(水) 18:39:56.78
>>547 西洋じゃ両手剣が普及した時代はかなり後ですが。
江戸期の同太貫なんかの方がそれ以前の戦国期の物より重ねが厚いんだけど・・・
それに野太刀自顕流は今でも続く流派だし尾張の方にも大太刀を伝えている流派がある。
どちらにせよ同寸ならば江戸期に刀が軽くなったなんてことは特に無い。
553 :
日本@名無史さん:2012/08/16(木) 16:41:00.86
江戸期の定寸より戦国時代の片手打ちの方が軽いな。拵えつけて
鞘を払って1キロないのも普通にあるし。
え、社家がどうとかあんなに語ってて全部適当かよ
555 :
日本@名無史さん:2012/08/16(木) 23:09:31.44
むしろあのキチガイの駄ボラの何が信用できるんだよ。
解釈には妄想入っててたとしても、
元になる知識はあった上で偉そうなのだと思ってた
「両手剣ていうけど日本刀にも両手打ちはあるじゃん」と疑問感じてたけど適当なこと言ってただけだったのか・・・
てか、よく考えると幕末辺りの西洋人の日本刀の高い評価見ても
江戸時代の刀が西洋剣に対して大きく性能が劣ってたとは考えにくいよね
実戦で試した上で評価したわけじゃないだろうし
それを根拠にするのは弱いと思う
実戦となると剣術の技法の問題も出てくるから結局純粋な剣自体の性能を計るのは難しいだろう
>>557 少しピントがずれてるかと
例の人はそういう重い刀が存在しないと言ってるのではなく江戸時代以降消えていったと主張してるのだから
561 :
557:2012/08/17(金) 03:57:14.03
>>552 それは、長巻を一斉に短く作り直す流行が起こった反動で、
不安になって重いものを求めた結果だ。
いきなり腰が軽くなったら、歩き辛いと感じる武士もいただろう。
馬上から人を斬る用途や、
大将が田楽刺しの態勢に追い込まれないように、
長槍の束を薙ぎ払って接近を防ぐ目的で使われていた、
長さ2mを超えるような大太刀が
江戸時代の短い刀よりも軽いなんて話に、置き換わるわけがないだろう。
>どちらにせよ同寸ならば江戸期に刀が軽くなったなんてことは特に無い。
江戸時代になって、長い刀の個人所有が禁止されたため、
侍が持ち歩く刀が短く軽く仕立て直された、と書かれてきたんだが、
故意に「同寸」の比較の話に持って行って、以下の情報操作を仕掛けているんだな?
>>555 誹謗中傷・情報の歪曲工作確定だな。
スレッドの内容を必死で捻じ曲げようと畳み掛けている
オカシイのがいるようだから、注意して読もう。
>>562 その2mを超える刀を使ってた有名人って朝倉家の真柄親子以外に誰がいるの?
たくさんいたんならなんで名前が残ってないの?
ありふれてたから残ってないって言うなら、なんで真柄親子だけ名前が残ってるの?
565 :
日本@名無史さん:2012/08/17(金) 08:20:26.22
>>562 根拠無しの妄言はもういらないので、出典を明記して説を引いて欲しい。
>>562 大太刀と太刀や打刀と混同しているのは君でしょ。
戦国期に二尺ちょっとの打刀がたくさん作られてるし、反対に江戸期でも江戸から離れた
薩摩の刀なんかは長寸だったそうだしね。
それに
>>537氏が言うように幕府が長柄武器等の個人所有を禁止したことなんて無いよ。
そんなことしてたら何で婦女子の武術として薙刀が普及していたのさ。
あくまで許可なく持って歩くのを禁止していただけ。
拝一刀の胴太貫
平山行蔵が四尺の刀差してたんじゃなかった?
幕末の土佐者の間では無反の長刀が流行ったが、結局斬り合いでは役に立たないのですぐに廃れた、って話があるな。
竹刀剣術じゃあるまいし、長い刀の方が有利って発想自体が小2レベル。
>>557 当時も西洋人は両手剣を使っていて、
それらと比較して、軽い日本刀を高く評価した、とでも主張したいのか?
これって、
他の書き込みと連動させた、
故意に愚者を装ってスレッドの内容を錯誤状態に誘導する歪曲工作だよな?
世界の戦争史では遠戦が主流で、西洋の近接戦闘の発達は、特異的と言えるものだったが、
幕末当時は、西洋でもすでに重い両手剣の時代ではなく、かなり軽量化されていた。
だから、軽いうえに強度が高く、半端ない切れ味の日本刀が、高く評価された。
重い鎧を着ても、銃弾に対してほとんど意味がない時代になっていたから、
(徳川家康の南蛮風の鎧は、火縄銃の弾に対してほぼ無敵だったが、時代が違う)
鎧や鎖帷子の上からでも有効な打撃が可能な重い両手剣を使う西洋人などまずいない。
したがって、当時は誰も重い西洋の両手剣と軽い日本刀を対戦比較評価などしていない。
こんなことは百も承知で、
愚者を装ってナンセンスなことを書き並べて荒らしているんだよな?
故意に嘘偽りを平然と書き並べてスレッドの流れを捻じ曲げていく、
議論に勝ちたいだけ?の、ナンセンス・スピーカーがいると感じていたが、
どうやら正体が露見したようだな。
>>569 特定の話者をターゲットに小2と罵る君は、
明らかにこのスレで誹謗中傷行為を
繰り広げている工作員だね?
その評価の話自体が、ソースのない嘘の情報なんだろう?
>竹刀剣術じゃあるまいし、長い刀の方が有利って発想自体が小2レベル。
明らかな錯誤への誘導だな。しかも確信犯だね?
長巻の登場、薙刀の普及といった史実を、
都合よく身勝手に無視したフリを装って、
事実に反すると誰にでも分かる情報を
確信して書いてしまっている釣りの文章を書く。
悪質な嘘つきの嵐君には退場してもらおうか。
>>566 >それに
>>537氏が言うように幕府が長柄武器等の個人所有を禁止したことなんて無いよ。
>あくまで許可なく持って歩くのを禁止していただけ。
まず、「長柄武器等」は、
スレッドを混乱させたい君自身の手になる、
身勝手に捏造した作文だね?
さらに、
幕府が許可を出せば持って歩けた、
その史実があると主張しているんだね?
では、その許可&許可証の名称は?
江戸城に登城する時は、
許可証を提示しないと、規則を破っているとみなされるだろう?
「戦道具」に分類される刀の長巻直しが盛んに行われ、
最初からそう見えるような仕立ての、
長巻直し造りも登場したことは現存する刀から確認できる史実だが、
幕府から許可をもらって、
刀身長三尺以上の「戦道具」に分類される刀を差して歩いた、
という怪しげな情報は、君が発信源の、歴史の捏造行為だろう?
>>566 >大太刀と太刀や打刀と混同しているのは君でしょ。
誰も混同などしていないが、
誹謗中傷目的で荒らし君が「混同している愚か者」に仕立て上げたい
悪意を持って、嘘を執拗に繰り返し書き並べている事実は理解した。
「大太刀や長巻を短く作り直した」と書かれているものを、
「混同したことを書いている」という偽情報にすり替えて、
印象操作を試みている悪質な工作員がここにいますよ、
とアピールして故意に釣っているんだね?
なかなかの策士だな。
歴史の捏造&誹謗中傷工作をネット上で展開する反日工作員が荒らしている
と某掲示板で話題になっているので観察に来ました。
先日、在日二世の東大教授がテレビに出て現職の韓国大統領に批判的な発言
をしました。在日のトップエリートの影響力は大きく日本国内担当の工作員は
惨敗ムードです。これ以上両国間で無用な領土紛争が起こることを望む在日は
ほとんどいない実態も報道されています。大多数の在日から嫌われ少数派と
なった彼等の命運は尽きかけています。
少しでも挽回しようと、匿名板を中心に歴史認識の歪曲と捏造を熱心に仕掛
けているようです。彼等は日本国内に居住し正しい歴史を詳しく学んでいなが
ら、歴史と文化を破壊する怨恨目的で、虚言を弄して日本人を錯誤へと誘導し
ます。日本人名を名乗れるため、歴史分野の有名教授になって嘘を承知で言い
広めるケースもあるようです。
神社に奉納されて宝物として残っている大太刀を用いた高度な剣技など日本
の戦国時代に存在しなかったと思わせようと、熱心に情報を歪曲する工作活動
を展開していることが手に取るように分かる流れになってきているようです。
気付かないうちに感化されて彼等が目的とする伝統文化の継承の妨害と破壊
活動に協力しないようご注意ください。
討幕を目論む勢力が、幕府の禁を破って大量に鉄砲を調達したついでに、
禁じられてきた、戦国時代の長大な刀を再現して使おうとして駄目だったんだろう。
幕末にそんな剛腕の人間がいたのか?
鍛えあげた筋力がなければ長く重い刀は扱えない。
急ごしらえして軟弱者が扱おうとして駄目だった話など、剣豪について語るスレでは、なんの意味も持たない。
分かってて故意に愚者の書き込みを演じている?
罵る態度で得意満面嘘や曲解を並べ立てる。<確信犯
重い刀は軽い刀より不利、と主張してる連中の、
神社が伝承する大太刀の剣技に対する迫害の意思が丸見え。
昨年は、靖国神社に放火しておいて、
私も放火者だとツイッターなどで一斉に名乗りをあげて騒いでいたが、
今年はより賢く進化して、
お寺や神社が伝承してきた大切な文化を盛んに攻撃し
文化破壊の成果に得意満面の状態。
気付いてない人も多いが、あちこちで情報を歪曲しまくり。
巧妙化しているから素人は騙される。
むしろ剣術全盛の幕末の方が真っ当に鍛えてる人間は戦国時代よりも多かったと思うぞ
体格は小さいけどね
>>575 長い短いはおいといて、重い軽いを単純に優劣として良いのでしょうか?
重い方が丈夫なのは当然でしょうが、戦国時代以前の武士が求めたのは
丈夫な鎧を着た相手と戦う道具で、幕末に求められたのは軽装の相手と戦う道具ですよね?
重くて丈夫な刀は軽装の相手に不利かどうかまでは存じませんが、不利がなくても特に有利が無ければ
それは単なる過剰品質ではないでしょうか。
579 :
日本@名無史さん:2012/08/18(土) 08:13:13.62
キチガイがファビョってんなwww
何が神社が伝承する大太刀だよ。どこの神社でいつから伝承されてんのか
言ってみな。
>>572 >>527-528 >太平の世の江戸時代になると、たとえ士分であろうと、
>戦道具に分類される、三尺以上の長巻や大太刀を所有することができなくなった。
どう考えても戦道具に分類されるものが所有禁止になったと言っていると判断出来るだろ。
それなら槍など長柄武器が入るのも当然。
また神社に奉納された大太刀の多くは奉納目的で初めから打たれたものが多く実戦用じゃ
ありません。
また幕府が決めたのは二尺三寸ほどの定寸で、それ以上の長さの物を指して歩かない用に
通達していたが、江戸から離れた肥後などではきっちり守られていたわけじゃないし、八王子
千人同心は職務上長寸の刀を帯刀していた。
それに幕末の土方歳三の愛刀は個人所有の二尺八寸、会津兼定だと伝えられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%93%E5%88%80 だいたい許可&許可証の名称はとかいうなら所持を禁止した禁止令の名称を君が言えよ。
それと社家に残ったという大太刀の流派名も。
>>533 >三尺を超える長くて重い刀を扱う技は、
>大太刀を堂々と所有して神事で振り回せる社家の伝承を除いて
>自然消滅していったらしい。
一刀流や自顕流に残っている大太刀の形は何なわけ?
長巻も荒木流に残ってるよ。
話を聞いて来てみたが、たしかに、相当荒らされてるな。
大太刀と太刀と打刀の混同とか、滅茶苦茶をほざいてるが、
このような中傷を行うこと自体が絵空事で、根本的に間違っている。
馬上で使う想定の太刀と徒戦用の打刀は、
銘の切りかたで線引きできるとされるが、例外も多く、
専門家でも刀身や外装から判断がつかない物も多い。
これは、研究者が愚かなのではなく、
両者の使用区分が不明確なまま混在していたことを意味する。
馬を降りれば徒戦になるのは当たり前で、
徒戦に太刀を用いてはならないタブーなどありはしなかった。
それを、明確に区別出来るのがさも当たり前で、
出来ないのは、我々後世の研究者の落ち度ででもあるかのように
矛先を向けて、判別できないことを愚かと中傷する空気を作るなど論外だ。
まっとうな日本人研究者なら、このようなゴタクは並べないだろう。
摺り上げられて通常の長さに直されたもの、
研ぎ減っているものも多いから、
大太刀のまま残っていることはほとんどない。
したがって、大太刀と他の物は混在していて、
元がどのようなものだったか、推測が困難な物も多い。
大太刀を用いて馬上決戦する剣技は、
室町時代以降、数の減少に伴って廃れていったと思われる。
長巻と薙刀と太刀と刀の区別も曖昧。
銃刀法では両者とも薙刀扱いだからこれも混在状態。
長巻として確立される発展途上の、茎が比較的短いものは
太刀もしくは刀として登録されたものも存在する。
それらをどこで線引きするかは、研究者によっても異なる。
この板にもIDが必要だな。
まあID無くても例の人の書き込みはわかる
合戦で使われた剣技が幕末まで保存されていたかどうかによるな。
社家が伝える剣舞に、影抜きの所作が含まれているなら、
刀身の軽い重いは、剣さばきの速度を決める要素ではなくなる。
重ければウォーターハンマーに喩えられる力は増して、
剣圧を高め、剣の切り替えを加速し、結果として技のキレに有利に働く。
重みに見合う剛腕も必要だが。
>>581 長具足の大太刀とその範疇に含まれない太刀、打刀を混同、同列に語っていると言ってるんだよ。
>>562 だいたい「いきなり腰が軽くなったら・・・」って三尺超えるような長具足の大太刀は大抵腰には
佩かないっての。
たとえば、長大な大太刀担いで池田屋騒動に向かう新撰組隊員がいたら
点呼の段階で作戦参加不可だろうな。
塚原卜伝に狭いところの戦いではとっさに脇差しを抜いた逸話があるが
常に大は小を兼ねるわけじゃない。
近代かつ銃器の話で恐縮だが、45口径以下の拳銃は豆鉄砲だから
9ミリ主体の先進諸国軍の銃器選択は誤りだと言ってるようなものじゃないか。
いきなり腰が軽くなったから江戸時代の刀が重くなったってのは無理があるよな
最初は戦国時代の戦場で日本刀は重視されておらず首を斬るために使われていたって話の真偽に関する議論だったのに、
途中から江戸時代と戦国時代の日本刀は違うって話になってないか?
590 :
日本@名無史さん:2012/08/18(土) 09:25:39.31
>>589 首切りのための道具なら二尺は使いづらい。
それ用ならば右手差という小刀を携帯してる。
鈴木眞哉の「刀と首取り」でも実際は首を取るのは右手差や鎧通しを使っただろうと書いてる。
彼のいう「首取りの道具」ってのはあくまで「」付きの鈴木用語でしかないのよ。
刀は乱戦・白兵戦用に使われてるよ。
長大重厚でなければ戦場で役に立たないというのにも疑問を感じるな。
それこそ剣舞なら刀に困る事ではないのだろうが、刀は基本的にサイドアームである以上
弓や槍からの「持ち替えやすさ」は生死を分けるほどに重要だ。そして当然、短い方が
抜きやすい、すなわち主力武器から持ち替えやすい。
ただしこれは、槍とか持っている人にとっての刀。最初から「俺のメインウエポンは五尺の大太刀」
という人にとって太刀は腰間の具ではないし。
つーか、いい加減鈴木説スレ行けと思うが。
ここは最強の剣豪を決めるスレであって、戦国時代の実情を語るスレじゃねえよ。
確かにこれ以上の議論は禁止すべきレベル。
鈴木スレでやってね。
あと神社どうこう言ってる電波も巣に帰れよ。
元々最近は話すネタも書き込みもないスレだったんだから別にいいと思うが・・・
>592、>593は文句言うくらいなら何か違う話題だせば?
幕末の話など、どうでもよか
大太刀だの重厚な鎧だの
そんなもの無腰で扇子1本持った蔵六ひとりにやられちまったじゃねえかww
じゃあヒマそうなスレをにぎわしてこいや。
>>587 卜伝は梶原長門との仕合で薙刀相手に太刀で挑むことを危惧する弟子たちに
「刃渡りはこちらの方が長いからこちらが有利だ」と言ったという逸話があるけど、
これが本当なら仕合では刃渡りが長い程有利だと考えてたってことなのかな?
その逸話の信憑性はわかんないけど
石舟斎は兵法を知ってる奴が使う長物を
刀で相手するのは不利って書き残してるから
人にもよるんじゃない
>刃渡りはこちらの方が長いからこちらが有利だ
それだけじゃなくてもっと色々言ってるだろ。
601 :
日本@名無史さん:2012/08/18(土) 21:56:42.14
刀と長物といえば武蔵と高田又兵衛の立会いの結果って
それぞれの陣営が別々の話を言ってると聞いたんだが。
602 :
日本@名無史さん:2012/08/22(水) 19:29:02.68
武蔵と言えば吉岡伝七郎との試合でも双方の弟子が
「ウチの師匠の方が優勢だった」と書き残してるな
剣を用いて最大の戦果を上げたという基準で考えれば
日本史上最大の剣豪は、文字通り剣一本で異民族を切り従えた
ヤマトタケルではあるまいか。
子どものころ買ってもらった「こども 日本むかし話」全集ではそうなってた
605 :
543:2012/08/22(水) 23:14:46.52
>>544 宗矩の場合は気の毒な面もある。
剣技(新陰流兵法)を持って徳川に召し抱えられ、豊臣家によって没収された柳生家所領を取り戻したのは柳生宗矩。
将軍家側近として辣腕をふるい、新陰流伝播に大きな影響を与えた。
当時、宗矩自身の剣の腕が疑われていたとは思えない。
ところが、石舟斎が次代の新陰流兵法宗家として選んだのは孫の利厳だった。
これは宗矩にとっては堪え難い屈辱だったであろうし、甥の方が強いのではないかと囁かれもした。
また、柳生庄でも、領主は宗矩だが剣の宗家は利厳という事で、門弟まで割れてしまう。
宗矩は、新陰流兵法宗家としての利厳を決して認めなかったため、利厳は結果的に柳生庄を追われる形になる。
宗矩と利厳、お互いが剣の宗家と故郷を奪い合った形となり、決定的な亀裂となった。
後に宗矩の道統は柳生新陰流となり、利厳は新陰流兵法を伝える事となる。
>>544 尾張柳生が主張する兵庫介や石舟斎の正当性については
江戸柳生は勿論、数多く存在する柳生以外の新陰流も全く触れていないし
そもそも兵庫介について言及している同時代の記録が柳生と尾張藩のもの以外で全くない点を見るに
尾張柳生こそが天下に広く伝わる新陰流の中でも唯一正当な宗家だという主張が
尾張藩以外の地域で認識されてたとは考えずらい。
尾張柳生が主張する『伝承』だけを元に
“甥の方が強いのではないかと(尾張藩以外でも)囁かれた”と言い切るのは
根拠が甚だ薄いと思う。
>>602 そもそも一流所と戦った記録が相手方にも残ってる
剣豪自体、この時代だと武蔵しかいないけどね
強い奴は流派関係無く強いだろ
609 :
日本@名無史さん:2012/08/23(木) 12:55:55.07
吉岡伝を記録と言えるのかどうか。まあ確かに敵方に名前残すのは
稀有な例ではある。神道夢想流の伝承にも出てくるとは言うけど
文献あさっても初出がどの伝書なのかわからないから
口伝の類かな?後世作られた可能性もあるね。
>>608 むしろ技術の発展途上期なら
同時代の強い奴らを上から並べれば
同じ流派の奴で固まる気がする
新陰流に限らず、一位が小野忠明なら10位くらいまで一刀流みたいに
613 :
日本@名無史さん:2012/08/23(木) 21:15:19.12
でも疋田と富田流の人が戦うように言われてどっちも傷つくような試合は
イヤだとか言って拒否したし、他流にも疋田と同格の実力者は
いたんじゃないの?
現代の剣道と違って、他流の試合を見たりトップ同士が実際に戦う機会は極端に少なかったろうから
一流同士なら実際に戦ってみるまでどちらが優れているのか
本人達にもわからないのでは
戦場で倒れるのは武士の本懐だが、斬り合いごっこで傷つくのも
傷つけるのも馬鹿馬鹿しいし。
616 :
日本@名無史さん:2012/08/23(木) 23:06:11.32
力量差があるなら疋田ちゃん得意の竹刀で戦えば相手は傷つけずに済むよね。
だいたい武士じゃなくて兵法者として関白に仕えたんじゃないの?
>>616 仕官したら普通は指南役でも軍役を負うし、行政にも関わるものだから
武士としてとか兵法者としてとか分けれないでしょ
618 :
543:2012/08/24(金) 07:41:22.62
>>606 >尾張柳生こそが天下に広く伝わる新陰流の中でも唯一正当な宗家だという主張が
>尾張藩以外の地域で認識されてたとは考えずらい
そのとおりだと思う。
新陰流伝播の最大功労者は柳生宗矩であり、世間一般的には江戸の将軍家指南の柳生家=新陰流だろう。
>尾張柳生が主張する『伝承』だけを元に
>“甥の方が強いのではないかと(尾張藩以外でも)囁かれた”と言い切るのは
>根拠が甚だ薄いと思う。
このあたりは、剣に造詣あるものの中の話し程度だと思う。
ただ、江戸の柳生家の方が優れているといった主張がないし、宗矩が試合をしない事を不審に思われても仕方がない。
619 :
543:2012/08/24(金) 07:42:16.96
上泉信綱の直弟子たる剣達者たち即ち丸目、奥山、疋田らは、各々が自分こそ上泉の後継者であると主張している。
当時、上泉の弟子に人物多しといえど、天下の大大名たる家康に剣技を所望され仕官を勧められたのは、上泉を流祖と主張する新陰流兵法柳生石舟斎であり、宗矩であった。
徳川の天下とともに柳生の剣勢もまた巨大化していくが、それでも丸目、奥山、疋田らは自流派の正統性をしっかり主張し続けている。
「柳生と丸目、奥山、疋田らの関係」と、「宗矩と利厳の関係」は似て非なるものであるから分けて考えなければならない。
丸目、奥山、疋田らにとって、柳生の中での流派後継者が誰かという事自体は関係ないからだ。
柳生利厳は自らが石舟斎から後継者とされた事を強烈に主張し続け、それに沿った行動を取り続けている。
柳生宗矩は柳生家当主であり、石舟斎推挙の剣技を持って徳川家に仕えたいきさつを持つ。
通常的に考えれば、宗矩が後継者となるのが当然の流れであろう。
ところが、公然と後継者を名乗ったのは利厳であり、門弟を持ち、後には”剣の柳生宗家”として尾張徳川家に推挙され仕官した。
このような利厳の行動に対して、宗矩は無視の態度を貫いているが、自らの正統性についての主張もしていない。
もし、利厳の主張に疑義ありなら、それこそ宗矩どころか将軍家に対する誹謗ともとられ、罪を受ける虞もある。
かたや公然と宣言し、一方は沈黙を貫く(反論もない)・・かたや他流試合容認、一方は他流試合禁止、・・・では主張する方に分があると見られても仕方ない。
石舟斎・宗矩の剣が家康に評価された事は事実であり、それだけ見ても宗矩は当代有数の剣達者だったと言えよう。
もし、宗矩が将軍家指南役ではなく、また幕臣として辣腕をふるう立場でなかったとしたら、彼が柳生の剣の宗家となっていたかどうか?興味深い。
仮にの話しだが、石舟斎が孫の利厳の才能を見込んでいたとして、いったん宗矩を剣の後継者とし、しかる後に利厳を宗矩の後継者とするような約定ができていたら、柳生家が分裂する事もなかったのではなかろうか。
・・・当時としては、できなかったんだろう・・・
620 :
日本@名無史さん:2012/08/24(金) 07:55:33.42
公然と、とか宗家を名乗るとかってのはどういう文献に裏付けられてるの?
>>619 他流試合を禁止することが時代の進歩に取り残される危険性を含んでる事は
宗矩でなくても予想がつくと思うし
もし宗矩が自らの死後守るべきものが、先祖から受け継いだ柳生家でなく
親から託された流儀であったならば他流試合を禁止にはできなかったんじゃない?
将軍家指南役が他流試合を受けていたら、柳生家の門前は
一発売名を狙う挑戦者で、毎日6時間待ちの行列になりそうだな。
623 :
日本@名無史さん:2012/08/24(金) 21:03:34.14
>>619 例えば一刀流の伝承では、一刀斎が上泉と卜伝に勝ち
小野忠明は柳生をぼこして、武蔵は忠明を恐れて戦わずに逃げたと主張し、
その主張に対して卜伝、上泉、武蔵等の弟子筋は沈黙を決め込んでいるが
(一刀斎や忠明を最強と思う人はいたにしても)
“この伝承を理由にして”
『反論ないから新陰流、新当流、二天一流に対して一刀流に分があるな』と考えるようになる人はいないのでは
ん? 一刀斎でしょ最強は
地味でとりわけ政治ができるわけじゃないからくすんじゃうんだけど
一刀斎で地味なら派手な剣豪なんていねえよ!
626 :
543:2012/08/24(金) 22:04:00.87
>>623 釣りに一応マジレスするが、
流派内の後継者に関する重要な事柄と、他流派間の関連性的伝承ではわけがちがう。
>例えば一刀流の伝承では、一刀斎が上泉と卜伝に勝ち
小野忠明は柳生をぼこして、武蔵は忠明を恐れて戦わずに逃げたと主張し、
その主張に対して卜伝、上泉、武蔵等の弟子筋は沈黙を決め込んでいるが
そのような説を信じる者とておらぬだろう。
627 :
543:2012/08/24(金) 22:05:43.37
>>622 宗矩の指示は徹底していて、自分の門弟にも他流試合を禁じ、破ったものは破門と通達している。
628 :
543:2012/08/24(金) 22:08:40.99
>>621 宗矩の立場になって考えてみれば、彼の懊悩もまた大きかったのではなかろうか。
そのような思慮深さが彼をより高い地位へと導いたのかもしれない。
だから史上最強の剣豪はヤマトタケルだと。
剣一本で戦争に勝利するレベルまで行ったら、もはや剣豪という次元ではないというなら仕方ないが。
630 :
543:2012/08/24(金) 22:17:46.99
>>620 宗家として門弟に色々な種類の免状を発行しているのです。
例えば尾張柳生であれば、”新陰流兵法” 〜師範 とか、 〜世など、一種の登録商標のようなものです。
ヤマトタケルは純粋な武力で勝つ自信がないから、
女装して油断させたり敵の剣を偽物に取り換えたりしたんだろう
>>626 尾張の指南役が「同じ柳生でも自分が正当だ」って言うのと
将軍家指南役の小野が「同じ将軍家指南役でもうちの方が凄い」と言うのとで
第三者が聞く側として、そんな違いがあるか?
633 :
日本@名無史さん:2012/08/24(金) 23:57:50.13
だいたい戦国〜江戸初期頃に宗家なんて制度あったのかね?
上泉の弟子だって思い思いに自分で指南してる感じだが。
宗家論議みたいなのって後世じゃなくて当時の史料であるのかな?
一刀流の忠明と善鬼の話だと、一刀斎は後継者を一人に絞ってるぽいが
635 :
sage:2012/08/25(土) 08:46:02.13
>>633 だよな、みんな自分が興した流派の創始者に成りたかったと思われる。
636 :
日本@名無史さん:2012/08/25(土) 09:48:27.25
善鬼なんていう実在したかどうかわからない人のことを持ち出してこられても…。
実在した一刀斎の直弟子である古藤田俊直が小野を宗家と認めたことを示す
史料でもあるなら納得するけど。
>>636 その話自体が事実か嘘かを証明する方法もないけど
少なくともその話が語られてる(作られた)時には、既に剣術流派に宗家という概念があったと言えるのでは。
陰流と違って中条流はすっきりと繋がってまんね
639 :
日本@名無史さん:2012/08/25(土) 17:24:55.41
>>636 だけど忠明→伊藤忠也→井藤忠雄と瓶割刀を継いできた忠也派一刀流が
「宗家」として尊ばれていたのか?
640 :
日本@名無史さん:2012/08/25(土) 21:32:26.77
三祖伝の一刀斎大島出生説も信用ならんようだな。
古藤田の伝書には近江片田(堅田)の住人とあり、
忠一の系統には西国の生だと伝えられている。
瓶割刀の初出ってのも三祖伝かな?忠也派に受け継がれた刀の
来歴を自派の箔付けのために誇張?
>>636 仮に忠也派が宗家でも、選ばれなかった方は尊んだりしないでしょ
642 :
日本@名無史さん:2012/09/07(金) 21:41:10.37
結局数多の流系が生まれる時代には宗家制度なんてなかったし
通用しなかったんじゃ
宗家制度とは別に技に関しては唯授一人の場合があってもおかしくないと思う。
644 :
日本@名無史さん:2012/09/07(金) 23:15:46.04
「唯授一人」も名ばかりだったみたいで。
>>643 仮に流派の代表が所有する道場や地位、場合によっては財産等が存在するならば
宗家制度の必要性があるかも知れないけど
技を伝える対象を“一人だけ”に限定するメリットがわからない。
後世で技術が途絶える危険性が増すだけじゃないの?
秘伝だ口伝だってのは中世以来の日本の学問芸能の悪しき伝統だからなぁ
>>645 有名流派は御留流でも無い限り諸藩にそれぞれの道場がある場合が多いので
宗家制度で全てを統括するのは無理があるけれど、技を伝える対象を一人だけに
限定すれば嫡流の道場は他の支流の道場に対して優位性を保てると思う。
例え気分的であってもね。
>>647 技を教えられたその一人が他の弟子に対して優位性を持つ事は
選ばれた当人が嬉しいだけで、流派全体の発展には何の利点も無いのに
その師匠はそんな事するかな?
宗家で“統括”するよりも
きちんと技術を継承した弟子をたくさん育てて
各地で流派を広めさせた方が流派の発展ためにいいと思う
>>648 ところが何処の道場でも同じことをやっているとなると意外と自分のやってきたことを
大事にしないんだよ。他所でもやっているんだから自分が止めても良いだろうってね。
だから多くの藩に広まったはずの剣術や柔術が一部を除いて残らなかった。
むしろ諸賞流のような一部でしっかりと伝えていたような流派が残っている。
それに武士の時代では武術は軍事技術だからそうそう簡単に技術は公開しないし最後の
ところでは自分達の優位性を捨てるようなことはしないよ。
今で言えば軍用機を売っても中枢はブラックボックスにして公開しないようなものだと思う。
宗家って考え方が出来たのは竹刀が普及してからでは無いかと。
それまでは稽古や試合であっても死ぬことがあったわけで。
651 :
日本@名無史さん:2012/09/08(土) 22:03:22.47
>>649 >他所でもやっているんだから自分が止めてもいいだろう
確かに明治以降の剣術や柔術を続ける事が経済的に難しい時代に
残ったのは家業としてやってる意識が高い所だけがかも
でも江戸初期でむしろ剣術が飯のたねになる時代に
そんな時代になると予想して技術を一子相伝にしたような
先見性を持ってた人なんてそうそういないんじゃない?
>>649 >軍事技術だからそうそう簡単に技術は公開しない
他流派に秘密を持つ利点はわかるけど、自分とこの高弟には教えてあげていいと思う。
例えば小野忠明が忠也と忠常双方に、
あるいは上泉が疋田や丸目、柳生、鈴木、神後達5人に
自分の技の全てを余すことなく教えたとしても
そういう問題には繋がらないでしょ?
伝える人間の数を絞り過ぎると流行り病でプツンと途絶えそうな時代w
>>651 でも江戸時代には既に財産は跡継ぎが総取りの世の中だからね。
技術も財産(それこそ飯の種)だからそう簡単に渡さないよ。
自分の価値が下がるし。
>>652 いや、他流派もそうだけど同流派でも他藩の道場に技術が流れるのは嫌がるでしょ。
場合によっては戦の相手になる可能性があるわけだし。
上泉伊勢守は城勤めのあとフリーで諸国回遊しながら教えていた人だし、道場持ち
とは少し違うと思う。
まあそれでも高弟と呼ばれるのは僅か数人だったとも言えるけどね。
昔の剣術道場はわりとこぢんまりとしていて窓の位置が高く、中は薄暗いのが普通
なんだけど、これも外から覗かれないように警戒してのことだったそうだよ。
655 :
日本@名無史さん:2012/09/09(日) 00:26:36.72
>>654 他藩にばれたら軍事的にまずいくらいの奥義があるなら
たった一人の藩士が知るだけで
後の何千何万の藩士が知らないなんて状況の方が変でしょ。
絶対その藩の藩士には教えといた方がいい
そりゃ道場を経営して、飯の種にしてる人は簡単に渡せないだろうけど
生涯一人にしか奥義を教えなかったら財産として全く活かせてないと思う
“師匠の生涯育てた弟子の中で一人しか最強の技を教えられない道場”と
“免許皆伝にふさわしい腕まで頑張った人には全部教えてくれる道場”があれば
自分だったら絶対全部教えてくれる道場にいく
想像だけど、一子相伝とか秘伝とかっていうのは
実は中身は実戦性のない形式的な技術だったりするのを
流派の神秘性を演出するために設けてる場合も結構ありそうな気がする
658 :
日本@名無史さん:2012/09/09(日) 18:25:02.01
ちょっとした小技やトリックプレイなんかは分析され対策ねられると困る場合もあるな
そういうの藤沢周平の小説だとよくでてくるけど
実在の流派のモデルがあるのかな?
松山主水の二階堂流とか?
十文字と心の一方は完全秘伝で主水で途絶えたし、
中伝の八文字を相伝する時でさえも誰にも見せなかったって逸話があったはず
まあ心の一方は実在性自体疑わしいけど
心の一法は一子相伝とかじゃなくて
主水以外誰も覚えれなかっただけじゃない?
実在すればだけど
一子相伝というわけではないだろうけど秘伝ではあったみたい
誰にも教えないのは秘伝とは別なのでは
伝説通りなら松山主水は暗殺されたんだから、
教える気があっても教えられなかっただけかもしれないぞ。
それに松山主水自身も先祖伝来の二階堂流を継承しただけということになってる。
奥義を授ける時に授ける弟子自身以外の誰も立ち入らせなかったという逸話もあるし
「二階堂流の奥義は秘伝だった」と考えられていたのは確かだろう。
やっぱ秘伝とか一子相伝だと技法が断絶するリスクも高いんだな
もったいない
剣関係ないけど華岡青洲の麻酔薬なんかも秘伝だったせいで製法不明なんだよな
華岡青洲の麻酔は調合が難しい上に
わずかでも分量間違えたら悲惨な事になるから
公表できなかったって話もあるな
それでも一人くらいには教とけば良かったのにと思うが
669 :
日本@名無史さん:2012/09/22(土) 08:46:10.32
日本刀って、倭寇みたく狭い船の上では突いたり切ったりできたから良い武器だったろうけど
普通の戦じゃあまり役に立ちそうもないよな
両手持ちであんな細っぴーんじゃ耐久性も無さそうだし
日本刀って、マジでサムライのシンボルってか、実用武器じゃなくて決闘用の武器だろ
670 :
日本@名無史さん:2012/09/22(土) 09:56:42.18
>>669 倭寇の胡蝶陣とか長蛇陣なんて船上でやる陣形じゃないんだが。
とりあえず知識不足なのはよくわかったわ。
http://www.japanology.cn/japanese/book/nihonzo/07/2.htm 李言恭と郝傑の共著による『日本考』に「寇術」の一節があり、倭寇の常用するさまざまな戦術が紹介されている。いくつか挙げてみよう。
(1)胡蝶の陣。明軍と対陣するとき、首領が扇をふるうと、倭寇らは一斉に刀を振りまわし、光の反射で満天を舞う胡蝶のようにみえ、明軍の集中力を攪乱した一瞬に、敵陣に切りこむ。
(2)長蛇の陣。倭寇が集団で移動するとき、百脚旗(蜈蚣を印とした旗か)を先導にして長蛇のような細長い隊列をなして進む。命知らずの武者を前後に配して、攻撃するときに鋭い矛となり、退却するときに堅い盾となる。
672 :
日本@名無史さん:2012/09/22(土) 10:50:26.48
>>670 倭寇はどーでもいいから
日本刀ってサブウェポンにしかならない
象徴的な武器だろ?
使えるのはタイマンはる時だけだよな
673 :
日本@名無史さん:2012/09/22(土) 10:58:10.15
>>672 倭寇はどうでもいいも何も、まず自分から倭寇のことを言い出しておいて
しかも認識が間違ってるって時点でお前は話にならないよな。明らかに
陸の集団戦で使ってるの見て都合が悪いと思ったんだろうけどww
サブウェポンと象徴じゃ実用上の意味において全然違うのに。
675 :
日本@名無史さん:2012/09/22(土) 12:01:38.11
結局刀を貶すことさえできればサブウェポンでも象徴でも構わない
手合いなんだろうねw
野太刀は槍衾を切り払うのとかに使われてたんじゃなかった?
日本刀はな、素晴らしいんだ、美術的価値が半端でない
凝り性なんだよな、元来日本人は。鎌倉時代の刀が一番
美術的価値を持つ。使い手はどうでもいいんだ、今さら。刀だ
これぞ日本の伝統美、究極のお宝だぜ
刀が美術として持ち上げられるようになったのは近代に入ってかららしいがな
車とか携帯電話とかデザインこだわりまくってるけど美術品では無いみたいなもんで
実用としての価値がある間は美術品カテゴリに入れる必要がない
陶磁器とか漆器とかの工芸品や建築物の類は実用価値と美的価値が同時に認められると思う
剣豪の逸話は後世の弟子の創作がほとんどなので
徳川公式記録で“剣術無双”と謳われた忠明
五輪書に書かれてる戦闘技術が高く、かつ今でも読まれるほど普遍性がある武蔵
兵法家伝書の、相手の動きを読み勝つ事とメンタルコントロール論はずば抜けた宗矩
は江戸初期だと強かった証拠がちゃんと残ってる方だと思う
堀部安兵衛はダメ?
本人の残した『堀部武庸日記』なる日記があるの
高田の馬場の決闘の方は一次資料が乏しいのだけど
忠臣蔵の方の経緯は結構はっきりしている
実は各流派の秘技が明らかになった上で組み直された剣道が最強だと思う
でも卜伝の一ノ太刀とか失伝してるんだろ?
剣がサブウェポンっていうのはそうかもな
剣より薙刀や槍のほうが圧倒的に強い
>>1大石進もアホみたいに長い刀で強かった
圧倒的に強いなら、なぜ槍一筋の高橋泥舟が直心影流剣術の
榊原鍵吉に負けるんだろうか?
昔の剣豪スレはめいめい流派内の伝承を根拠にして好きな剣豪あげまくってたが
最近は逸話の信憑性の無さが周知されたから盛り上がらなくなったな
流派伝承よりも逸話集とかのエピソード基準じゃないか?
一刀流とか二天一流みたいな流祖顕彰文献があるところもあるが。
流祖顕彰でも別にいいんだけど
一刀流みたいに柳生も武蔵も卜伝も上泉も有名所一通りに勝った話を捏造してしまうのは
当時の世間から評価されてなかった裏返しにしか見えない
690 :
日本@名無史さん:2012/10/20(土) 00:20:32.70
悪いのは弟子達であって小野忠明や一刀斎ではない
ちょっと前の議論になるけど、一子相伝だの(一国)唯受一人というのは決まり文句みたいなもんで、よくよく伝書を読めば金を積まれても熱心な人以外には教えるな、とか身分問わず熱心な人間には伝えろ、と書いてある場合も多いよ。
新陰流なんか有名な四天王以外にもたくさん弟子がいて、各人が教えて色々残ってたし。
例えば有名なところでも一円流や幕屋、水戸の新陰流なんかは四天王と関係無い系統なんかがあったし。
693 :
日本@名無史さん:2012/10/28(日) 09:50:46.60
一般にマイナーな史料にはまだまだ面白い剣豪逸話がたくさんあるよ。渋川時英の著書とか
>>691 上泉みたいに本人が生涯修行中で教える内容自体が次期毎に進化する人は一子相伝とか意味ないかもね
免許もらった後は師匠の新技教われないの?
教えてもらえないことはないけど
師匠と離れた場所で就職してたら会いに行くのに時間はかかるわ、長期休暇は中々とれないわで大変
上泉の弟子の丸目みたいに新技教わりにいく途中で師匠が死んじゃった例もあるし
免許とったら一人で工夫して上達出来るくらいになってるだろうし。
698 :
日本@名無史さん:2012/11/01(木) 20:20:23.26
上泉みたいに流派たてた弟子が多い場合でも
後から入った弟子の流派>初期の弟子の流派とも限んないしな
700 :
日本@名無史さん:2012/11/02(金) 09:21:11.48
岩本虎眼でしょう
漫画のスレ行けよクソ野郎
戦国期で剣術家として最大の実績を残したのは逸話抜くと上泉信綱でしょ
天皇の前で剣術披露するなんてことをやったのは上泉だけ
天皇よりは落ちるかもだけど将軍が弟子入りしてたり、当時の普及具合が一人勝ちレベルの卜伝は逸話抜きでもすごいよ
704 :
日本@名無史さん:2012/11/11(日) 21:59:44.35
逸話レベルだと伝鬼房も天覧の太刀やってるからな。
当時の朝廷のことを考えるとそこまですごいことではないような。
権威主義者の人はそういうのを評価するんだろうけど、
上泉のすごいところはそれではないよなあ。
上泉の場合は一次資料で天覧してるから逸話でなく史実だからね
他の胡散臭い逸話レベルと違ってしっかりした記録が残ってる
最強ってのは結局結論出ないから実績で評価せざる得ないと思う
明確な記録だけだと、柳生宗矩みたいに大名と付き合いのある人は残りやすいのが微妙
(宗矩に実績が無いという意味でなく例として)
>>706 つまり一刀斎あたりより宗矩の方がはっきり強いってことだよ。
なぜなら一次資料に残ってるから。
日本剣道連盟の剣道殿堂に殿堂入りしてる歴史上の剣豪の中で武蔵と宗矩だけが別格顕彰
歴史小説だと若干色物なわりに剣道家からの評価高い
剣道殿堂って「剣道」の歴史に貢献した人物が基準だから顕彰されてるのは
その二人以外幕末以降の人間ばかりだし。
その二人も剣の腕の評価というより武蔵は知名度、宗矩は剣術を権力者(将軍家)に
庇護させた実績という辺りが評価の対象になってる気がする。
剣の勝負に勝つためには技だけでなく(心理戦、メンタルコントロール等の)精神面の向上が必要な事や
逆に剣術で培われた精神が他分野にも応用できるという主張を理論立てて文章に残した最初期の人物だから
そして本人達の立場や死後の知名度の高さもあり
その思想が後世の他流派にも浸透した事で現代剣道の方向性に多少の影響を与えたから
ついでにその著作が300年以上経過した現代でも、剣道家から実用書として使える程の水準にあって剣道界にファンが多いから
711 :
日本@名無史さん:2012/11/16(金) 21:54:14.06
>>710 確かに平易で現代人にも理解しやすい剣術理論を説いた
五輪書と兵法家伝書の功績だろうね。
日本武道館から解説書も出てるし。
712 :
日本@名無史さん:2012/11/20(火) 20:31:29.75
いい技術書を書いたからって強いとは限らない
「なあ 好奇心で聞くんだが ………DIO 君が出会った『剣豪』の中で……
一番『弱い』剣豪って…… どんなヤツだい?
君が今まで世界中で出会ったヤツでもいいし… 歴史上のヤツでもいい…」
【どんな者だろうと人にはそれぞれその個性にあった剣術がある
大名には大名の…… 庖丁人には庖丁人の…… それが剣を修めるという事だ
剣豪とて同様 『強い』『弱い』の概念はない】
「質問が悪かった……
ちゃねらーが遊びで話す『卜伝と上泉はどっちが強い?』
そのレベルでいいよ」
ディオが出会った剣豪ってポルナレフとアヌビスとタルカスブラフォードあたりか
>>301 塚原卜伝は弱い。
塚原卜伝のお爺さんとお父さんが強い。
柳生但馬守など弱すぎて相手にならない。
>>302 >永倉新八曰わく
「沖田は猛者の剣。斎藤は無敵の剣」
その斎藤一。
晩年、大日本武徳会剣道天覧試合で、
直心影流の富山圓に直心影流の隠し剣「落とし突き」で負けているけどね。
>>305 >1上泉伊勢守信綱
2塚原卜伝
3柳生一門
上泉伊勢守と塚原前土佐守は新當流の同門で同世代の三代。
柳生の里は忍の里で柳生但馬守宗矩は新當流目録止まり。
腕が悪いのではなく、疋田文五郎に新當流の稽古法を教えてもらえなかった。
新當流の稽古法は門外不出で、
一年で達人になれるという殿様剣法。
>>306 >明治以降なら森寅雄
森寅雄レベルはうじゃうじゃいました。それが戦前剣道。
それは斬新な解釈ですね
>>314 >塚原卜伝
剣豪っていったらこの人物でっしょうが
塚原卜伝は弱い。
新當流だった塚原卜伝のお父さんとお爺さんはすっげえ強かった。
718 :
日本@名無史さん:2012/11/24(土) 19:50:46.39
上泉信綱じゃね
719 :
日本@名無史さん:2012/11/25(日) 13:31:13.12
>>715 > 直心影流の富山圓に直心影流の隠し剣「落とし突き」で負けているけどね。
富山圓とは警視庁の撃剣試合で引き分けたんじゃなかったっけ?
>>715 >柳生の里は忍の里で柳生但馬守宗矩は新當流目録止まり。
>腕が悪いのではなく、疋田文五郎に新當流の稽古法を教えてもらえなかった。
柳生石舟斎に新陰流教えたの上泉でしょ?
721 :
日本@名無史さん:2012/11/25(日) 16:26:14.09
ジキチン(MASA)君…こんなところまで出張ご苦労さん…
戦国板の剣豪スレでも、
新スレ立てる前に埋め立てしやがったんでいい迷惑だよ>キチガイ
永久に消えてりゃいいのに
元々数ヶ月間1レスもないスレだったし別にいいよ
それなりに続いたスレがああいう終わり方というのもさびしいけどね。
二刀流って真剣でも強い?
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/mobile この巻には「逃げ出したり足がすくむ藩士も多かった中、最後まで井伊直弼の駕籠をまもって奮戦した
のが『井伊家きっての剣豪 二刀流の河西忠左衛門』」と記述されているほかもうひとり「永田太郎兵
衛」も二刀流で奮戦し、戦死した・・・とされている。
<二刀流>というと、なんか俗説・・・というか私がどこかで聞いたイメージでは、
「たしかに宮本武蔵は二刀流で強かった!だけどそれは、怪物的な膂力を誇った武蔵一人のための、ワンアン
ドオンリーなテクニック。これは一般化できるたぐいの技術体系ではなく、ために二天一流はさかえなかった。
剣道でも、ルール違反ではないのに二刀流をやる人がほとんどおらず、全日本大会にも近年ひとりがようや
く出場できたのみ。二刀流の(例外的なフィジカル・モンスターを除いての)非実戦性は明らか」・・・
という話だったんだが。
727 :
日本@名無史さん:2012/12/12(水) 20:28:37.51
幕末から明治にかけてだと試合では直心影流から出て奥村二刀流を名乗った奥村左近太が活躍してるし
もう少しあやふやな伝聞以外の情報を得たほうがいいのでは?
728 :
日本@名無史さん:2012/12/12(水) 20:38:31.34
そうだそうだ!
729 :
日本@名無史さん:2012/12/12(水) 21:56:24.53
二天一流系は結構栄えたでしょ
武蔵の名声の割には・・
剣道では学生剣道で一時期二刀は禁止されていたからしかたがないと言うか。
成人になっていきなりスタイルを変える人も多くないだろうしな。
二刀流は竹刀だから可能で真剣だとムリという話も聞くけど歴史上にちゃんと使い手いるんだな
新撰組の服部の最後も二刀流だった気がするし
733 :
日本@名無史さん:2012/12/13(木) 09:13:14.36
片手打ちの刀もあるんだからやりやすい得物を選べば可能でしょ
でも片手で、両手で持ってる相手の刀を捌くって結構な怪力じゃないと厳しいんじゃあないかな
馬上での剣戟は片手打ちが基本だったんじゃないの?
武蔵の二刀流もそのことも想定してのものじゃなかったっけ?
五輪書だと多人数相手にした時と立て込もった時なら有効、だったっけ?
桜田門も新撰組の服部も史実で使われたシチュは多人数相手だな
一方で受けてもう一方で攻撃すりゃ最強じゃね
みたいな単純な厨房理論を極めたんだよ
その理屈だと片手に盾持った方が強いでしょ
剣のほうで受けちゃうと盾で攻撃になっちゃうから悲しいでしょ
それは悲しい・・・
俺も泣けてきたわ…
フツーに西欧の騎士の映画見てると盾で殴ったり、蹴ったりしてるけどな。
日本の刀しか使わないちゃんばらと違って面白い。
本来日本の剣術も刀法以外も含んでるんだから、戦場ではなんでもありなはずなんだが。
確かに日本は携行する盾のイメージ無いね。
なんでだろ?
744 :
日本@名無史さん:2012/12/16(日) 00:55:39.00
なんでもいいよ。このスレでやることじゃないし。
>>744 では君は誰が最強の剣豪だと思うんだい?
>>735 武蔵は刀は本来片手で振るものだという例で馬上の戦闘を挙げたんだけど、
そこから「武蔵の二刀は馬上で戦うための練習で二刀流で戦ったわけではない」
と言い張る人がいるんだよな
>>743 鎧の肩当てが盾代わりになるからだろ?
あと武士の表芸は長いこと弓だったから、持ち楯は使えない。
持ち盾はかっこ悪いという風潮が強かったんだろうな
世界的に見てもフルプレートが発達したら盾は使われなくなるのが一般的だったらしい
日本では早めに大鎧等ができたから盾を使わないのは不思議でもなんでもない、とコピペで見た
>>747 ヨーロッパのロングボウ射手やクロスボウ射手ならバックラーを携帯する例もあるが。
弓が表芸でも白兵戦で使いたければ持つだろ。
>>750 そいつら歩兵だろ? 日本の武士は重装弓騎兵だからな。
752 :
日本@名無史さん:2012/12/16(日) 13:02:44.07
>>751 だから重装ってところがポイントなんだろアホww
753 :
日本@名無史さん:2012/12/16(日) 13:08:27.39
鉄砲が普及してからは盾も結構使われるようになったんじゃなかったか?
ああ、すまん
ちゃんと読んでなかったわ
758 :
日本@名無史さん:2012/12/16(日) 15:27:55.72
剣豪話好きなやつって日本史の基礎的な知識が欠落してるのが多いからな。
いや、知識以前の問題で話の流れをちゃんと読んでなかったわ
ごめんな
>>758 日本史の基礎的な知識がある君が強いと思う剣豪は誰?
宗矩ちゃん、口八丁であそこまで上りつめた手腕は最強レベル
>>761 やっぱり口八丁でのぼりつめたって批判されてる文献が残ってたりするの?
ライバルを斬り殺して上り詰めたわけじゃないよね?
大坂の陣で宗矩が七人斬り殺したって逸話には信憑性あるの?
出典は?
それならだいたいの剣豪は口八丁になる気がするけど
盾の件はスレ違いの話を始めた挙句うやむやになったな。
むしろ“ライバルを斬り殺して上り詰めた”口八丁じゃない剣豪っているか?
>>761 どの辺が口八丁なの?印象じゃなくて具体的に頼む。
東郷重位あたりは?
ライバルを斬り殺した記録が残ってる事が口八丁じゃない条件ならほぼ全滅だよな
771 :
日本@名無史さん:2012/12/16(日) 17:15:04.28
>>761の口八丁おじさんにもっと詳しく口八丁剣豪について語ってほしい。
剣豪の評価の基準になるのって
@他流試合の記録
A当時の文献に残ってる評価
B指南役等の地位の高さ
(少くともその藩内で最強クラスで無いと勤まらない)
C現代に残ってる自筆の武術書への評価
D流派をどれだけ普及させたか
こんなもん?
ただ@は幕末だと多いが戦国〜江戸初期だと記録自体極めて乏しいと思う
戦場の武功もじゃね?
774 :
日本@名無史さん:2012/12/16(日) 17:43:43.46
>>773 戦場の武功は槍働きが主だし、多分剣豪以外の武将でいくらでも凄いのがいるから剣豪の評価としては微妙じゃない?
>>774 「あいつは口八丁だ」みたいな記録が残ってたら考慮したらいいのでは
他流試合以外でも新撰組の池田屋とか岡田以蔵の勝海舟の護衛も剣豪の実績じゃね?
幕末は暗殺やら私闘やらも多いもんな
>>775 >「あいつは口八丁だ」みたいな記録が残ってたら
具体的には?
>戦場の武功は槍働きが主だし、
得物はなんでもいいから武功があるなら具体的に出してみようよ。
780 :
日本@名無史さん:2012/12/16(日) 18:18:51.27
口八丁の人は消えちゃった?
塚原卜伝や松本備前守は戦場の武功も売りにしてるよね
自己申告の武功なんて怪しいもんだけど
782 :
日本@名無史さん:2012/12/16(日) 18:22:52.88
卜伝百首の編者や甲陽軍鑑の著者が書いてるのに
自己申告か?普通はそういうのは伝承というだろ。
>>781 え?自己申告ということは卜伝や備前守が自分で吹聴している文献が
あるわけですか?
784 :
775:2012/12/16(日) 18:24:39.99
>>778 見たことないから具体的にだしようが無いなー
>>783 ああ自己申告は言い方が不味かったな
しかし、少なくとも弟子筋の吹聴はあったから
没後それほど経ってない段階でその手の逸話が出来たんだろう?
渡辺幸庵の「武蔵の方が遥かに強い」発言辺りは「口八丁」とまではいかなくても
「剣の実力だけで登りつめたわけではない」と見てると考えていいんじゃね?
ああ、あの実在が確実視される幸庵さんね。
あの一言がなければここまで宗矩の実力がどうこう言われることもなかっただろう。
それと「竹村武藏、上泉伊勢、中村與右衛門、此三人同代劔術の名人也」という
ように上泉伊勢の同時代人である竹村武蔵さんに比べて弱いと言っても
そんなに恥ずかしいことではないのでは?
やけに突っかかるね
別に幸庵が架空人物だったとしても一緒では?
話を捏造した人間が宗矩の実力を疑問視してたことは事実だろう
将軍家指南役の柳生家へのやっかみによるものだとしてもね
確かに一刀流のかませにされたり宗矩はよく捏造逸話の被害者になるな。
疑問視される=実力が低いではないけどね。
地位や権力へのひがみ加えて
剣禅一如とか活人剣やらの胡散臭い思想への疑いの目もあったのかもね
>>786 前世代の剣豪を持ち上げるための比較対象に宗矩使ってるのは
その世代を代表する剣豪として見られてる証だと思うんだよな
昔の柔道ファンが「全盛期の山下泰弘なら石井慧でも楽勝」とか
30代の漫画好きが「ドラゴンボールに比べたらワンピースはクソ」って言うようなもんでしょ?
いや、幸庵の発言というのが仮に本当だとしたら多分宗矩の死後かなり経ってからになると思う
>>790 剣禅一致を説いた沢庵の不動智なんかは名著ともてはやされて江戸時代の剣術に影響与えてるし
剣禅一如が胡散臭いってイメージができたのは戦後の剣豪小説からじゃね?
柳生の方だって上泉が石舟斎が自分を超えたと認めたとか
その石舟斎よりも宗矩は更に上で十兵衛はその更に上で・・・
みたいに逸話がどんどん膨らんでるじゃん
>>794 その話だって“あの偉大な上泉を”石舟斎が超えたって話だし
やっぱり比較元は評価されてる奴じゃないと務まらないよ
そりゃ確かに
ていうか、評価されてなくて幕府の指南役になれるはずもないよなw
本当に実力を疑う人がいたとしてもそれは高い評価が前提にあって
その高い評価に対して「疑い」を抱くわけだしな
「上泉を超えた」「小野の方が強いんじゃね?」「いやいや武蔵の方が」という話も
「マラドーナを超えた」「メッシよりクリロナの方が」「いやいやイニエスタの方が」みたいなもんだろな
>>792 つまり「全盛期の木村政彦なら山下泰弘なんて一分持たない」の方が近いのか
>>797 いや、山下の全盛期は木村はフツーに生きてるだろ。
木村本人の山下に関するコメントもあるし。あいつはまだまだだとか言ってる。
>>795 上泉さんという「不動の高評価」がいるからこそ、それより上なら文句なしに凄いとなるのか…
戦前の柔道家木村との比較対象に
戦後を代表する柔道家として穴井等の現役では無く、遥か前に引退した山下が今でも選ばれる
という例えだったんだけど、わかりづらくてすまん
>>800 それなら「全盛期の木村政彦なら石井なんて一分持たない」でいいじゃん。
死後かなりたってるのに宗矩が戦国時代の剣豪の強さの比較対象に持ち出される事例の例えとしては
引退して間も無い石井よりも
引退してかなりたっても木村最強論の比較対象に持ち出される山下の方が適当だと思う
803 :
日本@名無史さん:2012/12/16(日) 23:37:24.93
つまり全盛期の石井が宗矩と柔道ルールで戦うとどうなるの?
石井が勝つだろ
武藤取りで宗則が一本勝ちする可能性も
柔道の源流になった起倒流は宗矩の弟子が作ったんだっけ
石井と全くつながりが無い訳でも無いんだよな
当時の柔が既に今の柔道超えてたら侍どんだけ凄いんだよって話になる
808 :
日本@名無史さん:2012/12/16(日) 23:52:54.56
良移心当流も確か十兵衛の著書に出てきたような。
その割には新陰流本体にヤワラの技が残ってないね。
>>807 漫画だったら既に三百年前に通過しているとかの話になんじゃねえのw
立った状態で関節取りに行ったらアウトだからな
ファンタジーな武道技のほとんどが該当するから
厳しい
>>810 その辺もルール変わったのか?20年くらい前なら
全日本で金野が吉田に立った状態で腕固めとかかけにいってた。
取りに行くこと自体はOKだったはずだが
勢いよく倒れこむのと立ったまま極めるのがアウトなんじゃなかったっけ?
飛び間とか腕がらみ極めながら後転とか立ちで間接取ってもそのままスムーズに寝技に移行すれば有りだった気がする
「手首の関節決めたら反則ね。手刀を入れるのも不可」
「そんな。それじゃどうやって敵の武器を封じろと?」
柔道ルールでやってるんだから相手武器持ってないし
無刀取りって今の尾張の継承者の方にも伝わってるの?
正直すごい無茶そうなんだが
817 :
日本@名無史さん:2012/12/17(月) 00:26:32.74
無手に拘るなとかの心構えとかくらいしか伝わってないんじゃない?
無刀取りの心構えと言えば兵法家伝書でも書かれてたな。
刀取るのにこだわるな、要は切られなきゃいいんだって。
話が少し戻るが、宗矩の強さは小野忠明と比較しても
そう遜色はなかったんじゃないかと思うけどな。
明らかに腕が劣っていたなら、既に忠明がいたところに、
家康が指南役として認めるとも思えんし。
大体、二人の強さの比較に引っ張り出される逸話って、
ほぼ一刀流内の伝承だから参考にならんのではないかな。
石舟斎や宗矩の弟子が関わった起倒流の基本の形には関節技は一切無いよ。当身は少しだけあるけど、全部投げ技。
初期の講道館は他流派に比べたら寝技弱かったらしいしな
他の古流から柔道入りした武徳会系の者達に寝技で苦しめられたとは聞いた事がある。
>>794 宗矩が石舟斎を超えたという逸話があったっけ?
逸話は知らんが評価として父に勝る名人みたいなことは後世に言われてたみたいだな
十兵衛が書いてなかったっけ?後で月之抄とか見てみる。
打撃ありだと蹴られるからって理由だったな
江戸時代の古流に下になって積極的に寝技をやるとかあったのかな?
刃物を持った相手にねっころがってイノキアリ状態とか
自分から下になって引きこむとかは無謀な気が。
ガードからの攻めは国内だと高専柔道で劇的に進化したらしいけどその前から存在はしてたのかな
>>822-824 文脈としては十兵衛の「昔飛衛といふ者あり」かな。
そこにこういう一文があったよ。
>我が祖父 古但馬守宗厳 上泉武蔵守秀綱に従い此の道を相伝してより、
>その身一代深く修行して、心に得て是を手にする事、おそらくは、氷は水より成りて、水よりもすさまじき物歟。
>老父(*柳生但馬守宗矩)その伝を継いで、若年よりこの道に心をつくし、
>太刀のみならず鑓長刀の類にいたるまで、兵道とさえいえば聞かずという事なし。
>一代その身に得てつかうまつる事、またおそらくは藍より出て藍よりも青き物歟。
あと、日本武術神妙記からの又引用になるけど、
「柳生但馬守宗矩は父但馬守宗嚴にも勝れる劍術の上手であつた」って記載が
「撃劍叢談」にあるらしい。
830 :
日本@名無史さん:2012/12/20(木) 15:41:00.44
千葉周作
撃剣叢談の記事は
>二代目但馬守宗矩(初の名は又右衛門)は父にも勝れる上手也
か。ほとんど訳文と変わんないけど
ぶっちゃけ殺した人数が一番多い奴が最強でよくね?
殺した人数の確かな記録が残ってる奴なんているのか?
雑魚たくさん倒したら最強?
んじゃ、項羽で確定でいいんじゃね?
戦国最強本多忠勝。
個人で殺した数なら可児才蔵とか
>>836 本多サンは個人の武勇より、前線指揮官としての優秀さの方が目立つな
人数だけなら満州で百人斬りした日本兵も相当なもんじゃね?
ウソかホントかはっきりしないみたいだがそれは剣豪たちも同じだし
確かな記録が残ってるのは近代以降の殺人鬼とかか
>>839 明確に嘘だろ、あれ。
つか、記事書いた本人が嘘だと認めてる。
信頼性のある記録に残ってる武芸者の真剣勝負とか実際にはどれだけあるの?
17世紀前後の試合の記録なんて、流派内の記録や伝承でもほとんどがシナイか木刀使っていて、真剣勝負は少ないよ。
ましてや外の記録なんてあるのか?真剣使った武芸者の立合記録なんて仇討や捕物くらいじゃないかな
御前試合とかはあったんじゃないの
後は一次資料なるものを漁るしかないけど
三河物語とか、さすがにちょっとがあるだろ
真剣ではやらせんだろ
846 :
日本@名無史さん:2012/12/23(日) 22:28:39.31
小熊と兎角の決闘もわざわざ木刀でやらせてる。
巌流島はかなり特殊な例なのか
とにかくいっぱい殺したら勝ちってのも乱暴な話だな。
新選組とか幕末の人切りとか、ある程度殺した相手がはっきりしてるのもいるけど、
闇討ち、集団で囲んで切り付け、挙句に家族を人質に切り殺したりしてるのを見ると、
到底剣士としての評価になるとは思えん。
何でもいいから殺せばいいって言うなら、そもそも剣士じゃなくて単なる殺し屋だろ、それは。
戦闘での刀の限界はあると認めた上で、
なお、剣を使って戦った時の強さが評価基準だと思うけどな。
849 :
日本@名無史さん:2012/12/25(火) 15:10:00.68
そうだね刀は首取りの道具でしかないもんね
首取なら刀は長いだろ。だいたい戦場以外じゃ首なんか取らないし。
>>849 煽るにしても、今時鈴木説はないだろ。
もうちょっと考えて煽れよ。
不意打ちではあるけど池田屋の近藤と永倉はすごいと思う
853 :
日本@名無史さん:2012/12/25(火) 21:49:08.42
永倉の覚書を見るとちょっと意味は取りにくいけど
池田屋で島田魁が槍の穂先を切り落とされたみたいだな。
日本の槍は切り落とされにくいとは言うけど、一応の切られた具体例だな。
なんかの剣豪小説で、穂先を切り落とされた時にそのまま穂先を撃ちだして相手を倒す技が宝蔵院流槍術にある!って書いてあって、ガキの時分信じたことがあるな。
戦国時代の大太刀は主に槍の穂先を切り払うために使われてたんだっけ?
そんな話しは聞いた事がないけど。
清軍の槍兵達が倭寇や秀吉の軍の大太刀で穂先を切られまくった話しなら知っている。
「辛酉刀法」に記載されてる話だな。
槍といっても矛みたいな作りだったらしいから、切り落とすことができたんだろうな。
日本の槍は茎があるから穂先を切り落とすとか無理だぞ。
木の棒に見えても、中に鉄芯が通ってるわけだし。
払うにしてもリーチが違いすぎるから、槍同士でやるのが普通。
島田魁の相手はよほど凄かったのか
860 :
日本@名無史さん:2012/12/28(金) 00:16:28.15
>>858の話を聞く限りよほど凄かったんだろうな。
ちなみにその後刀を抜いた島田魁にあっさり仕留められてるけどwww
>払うにしてもリーチが違いすぎるから、槍同士でやるのが普通。
普通というけど、どういうときに槍同士で払ったの?
具体的にはどういう文献に載ってるだろうか?
長さが違うから刀は槍先を払うか抑えるかして入身、槍は太刀を槍に触れさせないように突くか抑え打つ、というのが戦国時代の槍術だよ。
刀に槍先に触れられると小回り効かない槍は不利だし。
863 :
日本@名無史さん:2012/12/28(金) 09:15:18.96
>>858 「辛酉刀法」って戚継光が得た剣術の通称であって文献名じゃねえだろ。
>日本の槍は茎があるから穂先を切り落とすとか無理だぞ。
必ずしも無理というわけでもない。
茎が有るといっても数十センチだからそれより相手の手元近くならうまくやれば切り落とせる。
だけど日本の樫の堅いやつを固定もしないで切り落とすのは至難だとは思うよ。
清軍のを簡単に切り落とせたのは柄の材質が違うからだと思う。
865 :
日本@名無史さん:2012/12/28(金) 12:35:58.20
卜伝も梶原長門の小薙刀を鍔元から一尺のところで切り落としたとあるな。
両断されなくてもある程度切り込まれたら折れるからね。
槍も太刀打は頑丈でも先の方は案外細いし。
867 :
日本@名無史さん:2012/12/28(金) 15:40:13.33
ものにもよるんだろうが十分あり得ると。
>>857 ありゃ?
記憶違いだったかな?
徳川家康だったか誰だったか有名な武将が
大太刀は槍衾を払うのに有効だみたいなこと言ってたような覚えがあったんだけど・・・
鹿島神流の流れをくむ体操の鹿島、塚原卜伝の血を引く体操の塚原直也、
彼らの身体能力なら、剣豪としてのレベルはすごいのではないだろうか?
塚原親子がともに金メダリストになったように、身体能力はきちんと次世代に受け継がれている。
常人がいくら修行しても対抗できるとは思えない。
話題にならないから埋没してるんだろうけど遺伝継承失敗例のほうが圧倒的に多いんじゃねかに
カ、カツノリ・・
872 :
日本@名無史さん:2012/12/29(土) 19:43:57.36
鹿島神流w
そんな流名って江戸中期の直心影流の伝書以前に遡れますかね?
だいたい体操の塚原親子って別に鹿島にゆかりがある人じゃないだろ。
874 :
日本@名無史さん:2013/01/03(木) 20:05:03.39
突然質問!
香取神道流って今は門人の数ってかなり多いのかな?
なんかさー最強の剣豪が誰かを決めるスレなのに違う話する奴多くね?
強さに関係する話以外禁止しろよ。
877 :
日本@名無史さん:2013/01/04(金) 15:42:54.75
まずルール。
最強を決めるのだから真剣による斬り合いとする。
現代では真剣による試合は実質不可能。
寄って場数の踏めない現代剣道家は除外。
江戸時代最強の男谷信友、剣術黎明期に剣聖と謳われた上泉信綱。
このどちらかだろう。
松井秀樹だな。
全盛期の松井の太刀を受け止められる相手はおるまい。
別に最強議論はやりたきゃやればいいと思うけど、
普通に剣豪や流派の話があったっていいんじゃないの。
>>878 同時代の中での突出度だと上泉と卜伝がトップだと思うけど
十兵衛の「月の抄」によると上泉→石舟斎→宗矩と各々伝えられた技術を進化させてきたみたいだし
兵庫介も石舟斎以前の技術を悪しと断じて直立の構えを編み出した訳なので
実戦の機会がある剣術黎明期の剣豪同士では後の世代ほど有利と思う
柳生最強は?
石舟斎?十兵衛?兵庫助?連也斎?
創作物を読むと兵庫助が最強に思える。
>>882 単純に技術的なことだけで言えば十兵衛か連也のどっちかな気がする。
二人とも自家の流れの技術を整理研究した上で新たに体系化してるし、
世間の評価的にも、それぞれ親(宗矩・兵庫助)以上の腕前ではないか、と言われてる。
ただ、真剣で戦って誰が一番強いのか、ということでいうとなかなか難しいな。
戦での実戦経験だと石舟斎がダントツで、次が宗矩、あと兵庫助も少しはある程度で、
十兵衛と連也はゼロだし。
>>883 的確な考察だね。
宗矩は剣豪というより政治家みたいな印象があるので名前を出さなかった。
実際は強かったんだろうけど。
最強かどうかはわからんけど、宗矩が強かったのも確実だと思うよ。
家康が、既に小野忠明がいた上で秀忠の指南役に付けてるけど、
腕前的に二人に大きく差があるなら、そんなことしないだろうし。
あと、他の流派の逸話で、宗矩に勝ったとする話でも、
「天下の名人」柳生宗矩より自流派の開祖が勝るのだ、という形で、
前提条件として「宗矩は強い」となってるしね。
強さではなく、一族内で一番の傑物、という上げ方をするなら、
まず宗矩だろう、という感じかな。
宗矩は強かった事を示す痕跡(当時の評判・武術書他)は記録が少ない同時代の剣豪の中では断トツに多い。
ただ大名だったから評判が記録に残りやすかったのはあるし
その辺の影響を除外して他と比較するのは不可能な気がする。
ただ当時を代表する超一流の剣豪の一人なのは間違いないと思う。
>>885 性格上嫌われる事が多かったであろう忠明と職務上嫌われる事が多かったであろう宗矩が同じ将軍指南役にいて
どっちも腕前については「剣術無双」「古今無双の達人」「比類無し」と賞賛する言葉しか残って無いんだから
両者の腕前の生前の評価はどちらも疑いを挟む余地さえない位高く明確な差は無かったんでしょ。
評価に極端な差があれば嫌ってる相手から「小野(または柳生)に比べたら弱い」と格好の悪口材料になると思うし
実際に戦ってどうかは知らんけど
宗矩スキー多いなw
有名な剣客には偏執的な性格のやつも多いからな。
まぁ、1つの物事に打ち込める性格だから剣客として名を残したのだろう。
>>888 剣豪以外の側面も大きいのと、他流派の逸話の絡みで、
剣豪としての評価が低く見られがちだから、
話題に出るとフォローしたくなるのよ>宗矩
しかしこんな時間に割と皆起きてるもんだなw
891 :
日本@名無史さん:2013/01/05(土) 06:56:42.89
最強というと上泉を推す声が多いのが不思議。
実戦経験&斬った人数ともに卜伝のほうが多いんだけどなぁ。
記録に残っているだけで斬った人数が212人て。
昔の有名な剣豪にロマンを感じたいって気持ちは分かるけど
技術も進歩してるはずだし体格も向上してるんだから
現代人のスポーツ剣道家のほうが強い気がするわ
895 :
日本@名無史さん:2013/01/05(土) 09:51:19.87
戦国後期の開祖クラスより技術を進化させつつ戦乱の時代の空気も
吸っていた慶長・元和あたりの武芸者の中に最強がいるんじゃないかな?
具体的にいうと柳生兵庫に開祖上泉が勝てるのか?
甲冑着けてたらだと上泉先生
>>891 上泉は一流派を立てた弟子が多いから凄さが伝わりやすいし小説に出しやすい
>>891 実際に強いかどうかというより、位勝ちな感じなんだよな。
負けた側の弟子筋が、門下入りしたのをむしろ誉れとして書き残してるわけだし。
「自らは誇らないが、周囲が称える」という日本人が一番好きなパターンだから。
逆に「あいつに勝った!」「こいつにも勝った!」「○○人ぶっ殺した!」
「俺無敵!」「俺最強!」って自賛が目立つと胡散臭く感じる、ってのが
ト伝と伊勢守の評価の差なのかもね。
>>898 武蔵も自賛してるけど世間的にはある意味上泉以上の最強剣豪のイメージがある訳だし
自賛以外の評価も相当高い卜伝と上泉の印象差は大成した弟子の数と創作に使われる頻度の差によるものが主と思う
900 :
日本@名無史さん:2013/01/05(土) 12:00:02.51
総括すると、剣豪としては卜伝、指導者としては信綱ってことになるか
剣豪としては優劣つかない
指導者としては上泉
武蔵は史料だけでもそれなりの評価はできるんだが、
吉川英治による創作の印象が強過ぎて、
最強のイメージのうち、どこまでが武蔵本人によるものか判別しづらいのがなあ。
アンチも昔から根強いし。
というか、なんで武蔵はアンチがこんなに目立つのかね。
一般世間で圧倒的に知名度があるものが叩かれるのは分野によらずよくあること
有名人の評価はしばしば両極端に振れるからな。しかもうろ覚えの情報を根拠に
叩くヤツの多いこと。『沼田家記』を誤解して武蔵は小次郎との決闘を避けて弟子たちに
襲わせた卑怯者、だから本当は最弱とか書いて悦に入ってるバカを何回か見かけたことがある。
約束は破ったが決闘では勝ってるだろって。
何故か出ない鐘捲自斎。
最近鐘捲自斎って名前を知って書いてみたくなっちゃった?
>>891 212人斬ったってのは伝聞情報で確かな記録に残ってるわけじゃないでしょ
908 :
日本@名無史さん:2013/01/05(土) 18:53:23.96
記録とは言えない伝承の類だな
「卜伝の活躍なんて伝承だけでたしかな記録なんて無いぜ」って人は
「宮本武蔵なんて有名な奴とは戦ってないし柳生や小野からは逃げた!」って人に通じるものを感じる
は?
「記録に残っている」というから「それは記録とは言えない」という事実を指摘しただけだろ
記録とは言えないとはいっても、その内容が嘘とは言えないのもまた事実。
卜伝の行動をリアルに目で見たわけでもないし。
信綱って、剣豪としての強さを詳細に記した記録とかあんのかな?
そーだ言葉に気を付けろ!
将軍からの天下一のお墨付きは明確な記録だな
つーか卜伝と信綱に関しては他の剣豪と比べて頭ひとつ抜けた存在として認識されてた事に疑う余地は無いと思うんだけど
914 :
日本@名無史さん:2013/01/05(土) 19:50:15.51
林崎甚助も忘れちゃイヤ
>>875 そもそも自流派伝承以外がソースの剣豪の活躍自体が乏しいし
実際に剣術の経験があって武術書を自分で読んで評価できる位の知識がある奴位しか剣豪の強さなんか比較できないだろ
そんな奴はここにいないと思うけど
916 :
日本@名無史さん:2013/01/05(土) 20:03:23.93
宮本武蔵の親父も「天下無双の兵法術者」って呼び名を将軍だったか大名だったかから賜ってたよな
>>915 有名武芸者なら武芸や特定流儀にそれほど関係ない逸話集とかにも
ちょくちょく出てくるぞ。卜伝や上泉は『甲陽軍鑑』にも登場するし。
関連書の『武具要説』では卜伝の逸話がいくつも出てくる。
918 :
日本@名無史さん:2013/01/05(土) 20:11:13.57
卜伝の212人斬りも自称じゃなくて他人が記録したやつだしなぁ。
加藤ナントカって人じゃなかったっけ?
少々斬った数を盛ってる可能性もあるんだろうが、他の剣豪に比べてケタ違いに斬りまくったのは事実じゃないかな。
そうすると、経験値からすれば卜伝はズバ抜けてるかもしれん。
>>916 将軍の前で吉岡の親父に勝ってもらったとかいう話でしょ
後の息子同士の対決を因縁づけるための創作だと思ってた
現物あったっけ?
>>919 武蔵の養子の伊織くんが書いた記録に載ってるらしいね。
“吉岡某”とか書いてないから、吉岡一門の吉岡かどうかは分からない。
921 :
日本@名無史さん:2013/01/05(土) 20:59:38.58
>>906 そうなんだよ。
ちょっと通ぶりたくてね。
>>918 加藤信俊は卜伝の同時代人じゃないので一次史料とは言えないよ
加藤が何らかの信憑性のある史料を元に212人という数字を書いた可能性もあるが、
それも今となっては確認しようがない
他の剣豪は何人斬ったかを書いた史料がないので比較はできないんじゃない?
300〜400人くらい斬ってる奴もいるかもしれないし、卜伝自身も実はそれくらい斬ってるかもしれない
卜伝百首だと卜伝は十九回の真剣勝負と
数えきれない木刀試合をこなしたって話だけど
十九回っていうのは武蔵の六十余回に比べると少々控えめな気がするなぁ。
時代の違いか?
それとも武蔵のは木刀試合も含めてなのかな?
ここはひねくれものの集まりだなw
高く評価されてると貶したがって、叩かれてると庇いたがるw
別格扱いの上泉や卜伝を貶す奴はこのスレにもいないだろ
卜伝が叩かれてるんじゃなくて後世の文献に現れる記述を軍忠状などの
同時代の武功記録などと同等のものだと勘違いしてる君が叩かれてるだけ。
>>924 @卜伝は既に天下一の名声が揺るぎ無かったので特に盛る必要が無かった
A武蔵の時代は戦が無くなった分武芸者同士の立ち会いが流行ってた
B後の人は前の人より多めに申告する傾向がある
929 :
日本@名無史さん:2013/01/05(土) 23:00:45.21
卜伝の場合、真剣勝負だけ記録して、木刀の腕比べはカウントしてないという可能性もある
>>920 身内の伝承(しかも吉岡関連は盛ってる記述が多い)の無二と現物が残って上泉では大部意味合いが変わってくるけどね
上泉、卜伝や宗矩みたいに生前に当時の世間から最高峰の評価をを得てる人物は
自己申告や後世の弟子の作った伝承ではそんなに派手な話がない(作る必要が無い)傾向があると思う
十九回の真剣勝負と数えきれない木刀試合をこなしたというのはかなり派手でしょ
>>932 小野は生前から最高峰の評価得てたはずだけど盛られまくってないか?
・真剣の仕合十九ヶ度、軍の場を踏むこと三十七ヶ度、一度も不覚を取らず。
木刀等の打合、惣じて数百度に及ぶといへども、切疵、突疵を一ヶ所も被らず。
矢疵を被る事六ヶ所の外、一度も敵の兵具に中ることなし。凡そ仕合・軍場共に立会ふ所に
敵を討つこと、一方の手に掛く弐百十二人と云へり。五百年来無双の英雄と云々。
天明六年丙午十一月廿九日
生前はともかく三祖伝とかが作られた時代には唯一の将軍家指南役になった柳生と比較されて忸怩たるものはあったんじゃない?
今さらの案なんだが、いきなり最強を決めるより、まずトップ5(ないしトップ10)くらいを選んで、そこから逸話や伝説、伝承を交えて最強を絞り込んでいったほうがごちゃごちゃせずスムーズにいくと思う。
まず大前提は“無敗”ってことから。
古くは卜伝から、近年では國井善弥まで。
絶対むり
技術の進歩を無視して上泉か卜伝でいいんじゃね。
時代や流派毎の技術進歩まで考慮するなんて剣術素人にできる訳ないし。
信綱と卜伝の二大巨頭って事で良いのでは無いかと。
同時代の人からの評価や、後に神格化されてる感じからして。
柳生宗矩でいいんじゃね?
宗矩は当時トップの一人ではあるだろうけど
誰も文句出ないくらい突出した存在としては上泉と卜伝でいい
平成の侍、町井勲。
卜伝と上泉というが、上泉の高弟で卜伝の直弟子にも教えを受けている
疋田の方がより洗練されていて強いんじゃないの?
史上最強馬は?と同じく自分の好きな人(馬)でいいんじゃね?絶対答え出ないし。
じゃあ俺吉岡清十郎。
師匠と弟子の場合、稽古によって師匠は弟子の癖を理解しているから、弟子が師匠に勝つってのはほとんどありえないよね。
師匠から3〜4世代過ぎて別流派を修めた弟子ならまだしも。
まぁ、俺たち頭でっかちなオタクがト伝だ信綱だっていくら議論してても、実戦に出れば剣道部の中学生に滅多うちされるのがオチ。
剣道家ってルール外の攻撃に思い切り弱い競技選手のことですか?
まあ俺達が棒もってても勝ち目はないだろうけどな
俺達にあるのは股間の棒と有り余る性欲だけだからな。
路上で剣道はマジやばい
>>950 剣道家は首振って面よけるから簡単に一本取れないよな。
アンカ間違ってないか
真剣で鎖骨を割られ、大血管と神経を切断されて薄れ行く意識の中
剣道家の頭に去来するのは「面は避けた…これは一本じゃない」
という思いだった。
競技しか知らない剣道家は強いけど、真剣同士では勝てても大怪我する可能性が高い、そういう戦い方でしょ。
暗い部屋でカタカタやって最強論議してるお前らを天国の上泉は笑ってるよ。
958 :
日本@名無史さん:2013/01/07(月) 09:21:33.23
上泉さんが見てくれてるなんて逆に幸せなんだが。
前提が違うから、道場派・市中派・戦場派で分けた方がよくね?
上泉が2ちゃん見てたらちょっとおもしろいな
黒河内伝五郎も入れるべし。
もはや神の領域に達しているぜ。
>>961 なんか幕末に間に合うように平山行蔵が生まれてたら
こんな感じかなって人だな。
しかし、美形って言われてるけど「八重の桜」だと
>黒河内伝五郎/六平直政
…出番があるだけいいのかなあ。
>>962 まだまだヒヨッコながら武術をやってる身として、黒河内伝五郎は神様みたいなもんだわ。
黒河内神社とか建ててほしいくらいw
>>915 とりあえず、実際にいま武術をやってる連中でも、卜伝や信綱、足利義輝とかはレベルが違いすぎてそもそも理解すら出来ないよ。
添えられてる絵を見て想像するくらいじゃね?
信綱の技術体系は史料からある程度は推測可能っぽいけど卜伝はどうなんだろ?
義輝は自己独自の見識や方法論を持ってたのか?
ト伝はともかく、義輝は兵法に関する自著がほぼないから
実際にどのくらいの腕前だったのか確証が持てんのがなあ。
せめて伊勢守に問うた兵法下問の内容がわかれば・・・。
正直、剣豪将軍って評価も、最後が華々し過ぎたことで、
評価に補正が入ってるような気もする>義輝
ハットリタケオが油小路で二刀で奮戦して評価が上がったようなもんだな。
維新の嵐では新撰組最強の武力199。
ハットリは剣術師範?やってたみたいだし、強かっただろうけど。
武術書>>華々しいは実戦での実績
ってのもよくわかんないけどな
実戦で強かったんだったら強いでいいんじゃないの
義輝の最後には諸説あって何とも言えん。
それ以外の面では宗矩の書簡にあるように卜伝弟子という点で
評価されているくらいだよな。
いや、勝ったならともかく、結局殺されてる上に、
まともに戦ったのってその最後の時だけだから、
その伝聞情報だけで「実戦で強い」と判断するのは微妙じゃね?って話。
せめて自著の伝書なりがあれば、兵法自体への理解度も推測できたんだろうけど、
そういうのは何もないから、どこまで実際に使えたかわからんのよなあ。
地位を考えたら、義理免許の可能性だって有り得るし。
>>968 宗矩という当時剣に関しては頂点クラスの存在から
天下に広く普及した卜伝の弟子の中でも5本の指に入ると認識されてるのは普通にすごいけどな
>>968 他にはどんな説があってどれが信憑性高そうなの?
義輝の最期のイメージっつったらやっぱあれだよな、多勢に奮戦してるやつ。
絵巻物にも残ってるぐらいだし。
畳に刀を刺して戦ったらしいからな。
>>968 “卜伝弟子という点で評価されている”のと
“卜伝弟子でも5人といないレベルと評価されている”だと大部意味合いが違う
そろそろ次スレが要るか。
いらん
次スレにいっても各々の推し剣豪の張り合いになるだけだろうしなぁ
ちなみに俺は卜伝推し、卜伝信者w
>>977 卜伝百首前書きを卜伝の時代の記録と同等と勘違いしてたバカか。
どうせテレビドラマで卜伝の名前を知った手合いだろうが
確かにお前みたいな無知がいるとスレが荒れるだけで有益な情報も出てこないよな。
979 :
日本@名無史さん:2013/01/08(火) 00:02:28.48
>>978 いいじゃん勘違いしてても、そうやって話題だしてくれるだけで。
以前の過疎っぷりに比べりゃ100倍まし
>>978 それで俺は卜伝百首の前書きが卜伝の時代の記録じゃない事を知ったから
俺にとっては有益だった
982 :
日本@名無史さん:2013/01/08(火) 00:21:38.46
>>981 お前らどれだけ無知なんだって話だな。
どういう性質の文献に出てくるのかも知らずに他人の受け売りで
記録なんだと信じてきたわけだww
そーだそーだ悔い改めよ!
一人粘着質でしつこいのがいるな。
どうせ現実では剣豪の話する人なんていないんだから仲良くやればいいのに
>>979 名前忘れた。
でも畳に刀が刺してあって、畳で四方から塞がれて殺されてる絵、見たことない?
>>977 横から見てる限り、好きな人物にバカもなにもないんじゃないか?
>>1とか特にw
それぞれ推しメンがいてもおかしくないし、お前もこれと言って一次資料から信憑性のある有益な情報を持ってきてるとも思えん。
一次資料だから正しいというワケでもないしね、最初からウソを書いた可能性もあるワケだし。
>>986 まったく参考にならない答えだなww
どうせそんないい加減なことだろうとは思ったが。
989 :
日本@名無史さん:2013/01/08(火) 15:40:39.66
そもそもこの中に有益な情報をもたらしたやつって何人いるんだ?
義輝や北畠の最期が本当に逸話に残ってる通りだったとしたら
2人の師匠である卜伝の指導力は相当凄かったんだろうな
確定的な文献や記録が発見されない限り、義輝や具教、卜伝とかは逸話の内容を想定としよう。
でなきゃ何年経っても話が進まんわ。
伊藤一刀斎や草深甚四郎も確かな記録がないから逸話で語るか?
1人で48人を斬ったとか遠く離れた敵を真っ二つにしたなんて話があるけど・・・
>>992 それも事実。
井戸の底に向けて1日100回の素振りを続けると100日目に水面が反応する。
これを百歩神剣と呼ぶ。
義輝の奮戦についてはフロイスも書き残してるんじゃなかったっけ?
誰か次スレ立ててくれ
俺はレベルが足らん。
>>992 流派内伝承と流派外の逸話だと意味合いが大部違うべ
夢想剣!
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。