神武天皇や神武東征をほのぼの語ろう

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181日本@名無史さん
天照国照って言うとなんかサルタヒコ大神連想するわ
182日本@名無史さん:2011/11/29(火) 16:24:35.65
>>181
天照国照彦とは、天と国の両方の支配者って意味だろう?
文字通り、出雲国譲りをして、天つ神と国つ神の両方の王になったつー意味だ。
播磨国風土記でも、天火明命は、義理の父親(妃の父親)の大国主命から
国譲りされたような記述が出てくる。

また、もともとヤマト王権では、女神アマテラスではなく、男神アマテルを
ヤマトの始祖として崇拝していたという説があるが
この根拠になる神社が、天照御魂神社だ。この神社の主宰神が天火明命だ。
男神アマテルとは、天照国照彦のことであり、天火明命のこと。

この天火明命にはニニギ命という弟がおり、出雲国譲りの直後、
九州高千穂に降臨することになる。
このニニギ命の曾孫がワカミケヌ命、つまり、のちのイワレ彦(神武天皇)だ。
183日本@名無史さん:2011/11/29(火) 19:27:49.87
>>181
猿田彦命を祀っていたのも元はやはり播磨明石の勢力で、
伊勢津比古、伊勢津比売の後裔である「伊勢族」という海人族。

彼らは潜水に巧みで真珠貝等の採取に優れていた他、海流を読むのも非常に上手な部族だった。

宇治大王と仁徳大王との間で繰り広げられた大王位争奪戦争で彼ら伊勢族は宇治大王方に味方したため、戦後になって身の危険を感じた彼らは紀州灘を迂回して伊勢(三重県)に逃げたり、また一部は阿波等に落ち延びたりした。

のちに允恭大王の御代になって、外貨獲得のための真珠貝が必要になったため、彼ら散り散りになった伊勢族が再び大王の命によって探し出される。

伊勢等に逃げた者達はそのまま隠れ通したが、唯一阿波に落ちた一族だけが名乗り出る。
阿波の伊勢族は大王のために懸命になって海に潜り、真珠貝を採取するのだが、余りにもはやりすぎて一族の多くの者が比良夫貝等に手を挟まれて命を落としてしまう。
そのあたりのことが神話の猿田彦の話に投影されて描かれている。

鳴門の「あま塚」はそんな阿波・伊勢族の霊を鎮魂するために允恭大王の命で建てられたもの。