弘安の出兵理由ではないかというもう一つの話をしよう。
元は世界で初めて完全紙幣経済を成功させた国だ。
中統砂(本当は金へんに少ないと書く。俺のパソには入ってない)という紙幣を発行していたが
ヨーロッパには無い概念だったのでマルコポーロは大変驚いて東方見聞録のあちこちに書いている。
至元13年、南宋併合の際には7000万貫という巨額の発行がなされ、その後もどんどん発行し続けた。
普通ならインフレで紙くずに戻るところ。そこにはちょっとしたからくりがあったのだがひとまず置く。
至元中期になってこの紙幣は金銀との兌換が禁止される。
それは大体22年頃の話で、即ち弘安の役が収束した後の事だ。
つまり、解り易く言うと、
弘安の役は旧南宋に元の紙幣を浸透させる為の公共事業に似た金銀の吸い上げ、
隠し財産の強制没収の隠れ蓑として行われたのではないか。
紙幣は言うまでもなくほとんどタダ同然で作れる。それがすべて金銀にかわって政府に納められる。
これ以上のぬれ手に粟は無いだろう。
ひとまず置いておいた、インフレ防止のからくりも関係がある。
実は、この紙幣は金銀ではなく、塩税を裏付けにしたものだ。
塩は消費材だ。そして、塩は必ずこの紙幣でないと買えない事になっていた。
年間5億貫もの塩の売り上げが、インフレを防ぎ、この紙幣を流通させていた。
そこで、問題になったのが江南の塩梟たちだ。
彼らが勢力をもてば持つほど、税収は下がり、魔法の紙である紙幣の価値が下がる。
彼らは海賊であり、船乗りだった。
彼らに職をあたえ、歩兵とともに出征させ、沈めよう。
そう考えた人間がいても何ら不思議は無い。
もちろん、ソースなど無い。
しかし、状況から考えれば十分にありえる話であろうかと思う。