古代出雲王朝は実在した

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1記憶喪失した男

「古代出雲」
 日本の歴史において、まだ学術的に不確かな古代王朝。
 西日本を中心に支配した大和王朝の以前に、西日本を支配していた最古の王朝である。
 出雲が日本の古都のひとつである証拠に、日本神話の八百万の神々は、十月、神無月に出雲に集まり、出雲地方では、十月を神在月と呼ぶ。

歴史
 出雲は、もともと、小さな国にすぎなかった。当時の西日本には、渡来した中国系盗賊団が住み着いており、先進的な武器を背景に、日本の先住民を支配し、搾取していた。
 そこに、出身地不明の旅人スサノオがやってくる。スサノオが出雲に来た時、渡来系盗賊団ヤマタノオロチが、出雲の領主の娘を生贄に差し出すように要求していた。
それを聞いて、出雲の領主の娘クシナタ姫を救うために、スサノオは十握の剣を武器に旅に出る。
 そして、なんと、スサノオは一人で渡来系盗賊団ヤマタノオロチを退治してしまったのだった。
 なお、スサノオは、渡来系盗賊団ヤマタノオロチの跡地から、製鉄された剣天の叢雲の剣を手に入れている。
 この偉業によって、スサノオは西日本先住民の英雄となる。出雲の領主の娘クシナタ姫と結婚したスサノオは、西日本の盟主として、出雲王朝の開祖となる。ここに、出雲王朝が始まる。
 西日本は、出雲を盟主に六代、時代を重ねたが、スサノオから六代後の大国主の時代に、政変が起こる。
西日本の盟主である出雲の王、大国主に、属国で新興国である大和が盟主の座を明け渡すように要求したのである。出雲の王、大国主は、大和に服従することを誓い、降伏する。
 出雲の王族、建御名方だけが反乱し、大和の軍と戦うが、敗れ、諏訪の地に逃げのびた。
 こうして、西日本の支配は、出雲から大和王朝へと移ったのである。俗にいう「国譲り」である。
 大和王朝の王は、日本神話の最高神である太陽神天照の子孫を名のり、出雲の建国の王スサノオを天照の弟とした。
これにより、大和王朝の王家、いわゆる天皇家がスサノオの子孫(現代にも出雲千家として伝わる)よりも権威ある存在として認められ、君臨した。
 なお、出雲王朝のスサノオは出身地不明の旅人だが、大和王朝の王家である天皇家は風聞ではY染色体が縄文系だといわれており、日本の先住民が、日本の支配権をとり戻したことになる。
2記憶喪失した男:2011/11/08(火) 12:26:47.95 BE:958096627-2BP(1)

神話
 出雲の建国の王スサノオは、日本最古の竜殺し(ドラゴンスレイヤー)である。
 出雲を継いだ大和の王は、太陽神の子孫である。

スサノオの出身地
 スサノオは、日本列島の北にある朝鮮半島の北東にあった国、渤海の人であるという学説が出されている。
 最近の考古学的、遺伝学的調査では、三万年前から日本に住んでいた縄文系と、
紀元前二百年頃に日本にやってきた弥生系の人々ははっきり異なっており、日本語は、弥生系に由来するとみる傾向が強い。
 この記事の記者が推測するに、朝鮮人、弥生人、ともに、中国江南出身の移民ではないだろうか。
すると、スサノオ、ヤマタノオロチ、ともに、中国江南出身者だと考えるのが自然であろう。

疑問点
 三世紀に卑弥呼の治めていた邪馬台国が、西日本の盟主だったのは確実である。
 邪馬台国は、ヤマト国と読むと考える説が強い。
 すると、ヤマトの古代の王は、女王だったことになり、男性の天皇がヤマトを治めていたという古事記、日本書記の記述と矛盾することになる。
 出雲王朝は、邪馬台国以前、三世紀より前に存在したと考えられる。

http://ja.yourpedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%87%BA%E9%9B%B2
3日本@名無史さん:2011/11/08(火) 15:24:05.11
クソスレ建てんなボケ
4日本@名無史さん:2011/11/08(火) 22:18:02.95
神々の国
5日本@名無史さん:2011/11/09(水) 22:47:57.27
古代王朝
6日本@名無史さん:2011/11/10(木) 12:48:40.71
神聖国家
7日本@名無史さん:2011/11/12(土) 13:46:02.75
ネタスレ?
東奈良遺跡は弥生時代初期から巻向と同時代まであった巨大な環濠集落で
あそこが出雲の中心だったんじゃないかと思うけど。
8日本@名無史さん:2011/11/12(土) 17:58:49.06
杵築より意宇について語って欲しい
9日本@名無史さん:2011/11/13(日) 02:11:14.67
出雲国造家ってあるんだってね。
国造ってクニノミヤツコで読み方あってる?
10日本@名無史さん:2011/11/13(日) 15:44:49.66
そうだね。
国の宮つ子っていうことなんだろうね。
11日本@名無史さん:2011/11/16(水) 22:44:46.16
>>9
出雲では「こくそう」って呼ぶけどね
12日本@名無史さん:2011/11/18(金) 11:41:42.67
>>10
ミヤツコの語源は「御家つ子」らしいけどね
現在でも皇族などに使われる「宮」はもともと「御家(みや=立派な家)」で
立派な家に住む貴人のことを指した言葉
13日本@名無史さん:2011/11/18(金) 13:12:18.01
まあ、宮でも御家でも、ミヤにどういう字を当てようと、同じ意味。
14日本@名無史さん:2011/11/19(土) 07:37:27.74
こくそう家は古代王朝の血統?
15日本@名無史さん:2011/11/19(土) 11:23:03.59
スサノオ−大国主−太田田根子−神朝臣−俺
16日本@名無史さん:2011/11/19(土) 11:41:28.09
国造家は出雲本来の豪族で、幽閉された大国主の監視役でしょう
17日本@名無史さん:2011/11/19(土) 12:57:16.26
>>2 >>スサノオは、日本列島の北にある朝鮮半島の北東にあった国、渤海の人であるという学説が出されている。

・・・渤海?渤海は10Cの国で時代が違う。スサノオの時代ならユーローだろ。
18日本@名無史さん:2011/11/20(日) 00:22:09.40
大国主(縄文人)=日本の原住民の王【龍・蛇】=ヤマタノオロチ
スサノオ(弥生人)=イスラエル10支族の王【牛】
神武(弥生人)=ユダヤの王【ヤハウェ】
みんな同族、宇宙人の子孫
19日本@名無史さん:2011/11/20(日) 16:40:37.28
井戸遺跡に見る古来の水環境ttp://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201111140001.html
 出雲市内で発掘された井戸の遺跡を通じ、弥生時代からの生活用水の歴史を紹介する企画展「井戸からのぞく古志
のくらし」が、出雲市大津町の出雲弥生の森博物館で開かれている。12月12日まで。
 古志遺跡群(同市下古志町など)で約160基の井戸の遺構から出土した約70点を展示している。約2千年前の弥生
時代中期、井戸の底で使われていた土器や、直径80〜90センチのケヤキの丸太をくりぬいて作った井戸の側壁
(鎌倉時代)などが並ぶ。ttp://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn20111114000101.jpg
 同博物館は「水は今も昔も生活に不可欠。それぞれの時代の人と井戸の結びつきを想像してほしい」としている。
入場無料。火曜日休館。【写真説明】発掘された井戸の木枠などが並ぶ企画展
20日本@名無史さん:2011/11/22(火) 21:25:31.46
>>15
百姓まで落ちぶれたのか.....
21日本@名無史さん:2011/11/24(木) 22:16:37.51
>>19
これ面白そう
今度の休みに行ってみよう
22日本@名無史さん:2011/11/24(木) 23:37:36.58
年末に出雲行くけど見るとこ大杉w
23日本@名無史さん:2011/11/30(水) 05:37:14.98
>>22
俺、去年、三泊したけど、時間全然足りなかった(´・ω・`)
24日本@名無史さん:2011/12/01(木) 14:00:28.39
出雲大社見られないんでしょ?
25日本@名無史さん:2011/12/11(日) 13:06:16.28
元々邪馬台国は、出雲の神を奉っていたからな

天照が優勢になっていくのは11代垂仁天皇ぐらいから
26記憶喪失した男:2012/01/21(土) 12:33:30.65 BE:1231837463-2BP(2)

ヤマタノオロチが製鉄技術をもっていることから、
ヤマタノオロチが大陸からの渡来人なのは確実。
27日本@名無史さん:2012/01/21(土) 12:49:24.58
出雲族から強引に国を奪い取ったのが天孫族なので、
たたらないように、出雲の神をちゃんと祭り、出雲大社も建てたんだろうよ。
天照が優勢になるのは三輪王朝からだし、崇神のところで
やはり王朝が交替してるとみていいだろう。
28日本@名無史さん:2012/01/21(土) 21:48:20.30
オオクニヌシ系の王朝は、記紀でも否定しとらんように思うのだが。
29日本@名無史さん:2012/01/26(木) 06:50:48.51
ムラクモノ剣が、神器に指定されたのって、製鉄技術の伝搬を意味してるんじゃろか?
30日本@名無史さん:2012/02/07(火) 12:25:20.48
待て>>25
11代天皇だと、やはり、8代孝元天皇の大彦命が、素戔嗚尊で妹が天照=卑弥呼なのか?
弟が、9代天皇
31日本@名無史さん:2012/02/08(水) 03:21:17.72
っていうか、出雲が西日本を支配した王朝ってのは違うだろ。
考古学的には出雲が影響力を及ぼしたのは
山陰と北陸じゃね?
32日本@名無史さん:2012/02/08(水) 07:16:25.72
>>31
あと北陸経由で諏訪

鹿島神宮のタケミカヅチは諏訪からさらに出雲残党を追って茨城まで出ちゃったんだろうか?
33日本@名無史さん:2012/02/20(月) 00:36:04.61
 島根県では古事記1300年のイベントがあるらしく、今年は山陰に足を延ばそう
かと思います。まず鳥取県の白兎海岸での白ウサギの話のあと、オオクニヌシの
神は、八十神にいじめられたあたりが鳥取県日野郡あたりで、その後根之堅洲国
のスサノオ神からも試練を受ける。このあたりは島根県安来市の富田八幡宮の
境内社須賀神社あたりになろうかと思います。近くには、古代出雲王陵の丘と
言う弥生大型墳丘墓の一種四隅突出型墳丘墓の密集地帯があるそうです。
イザナミ神の神陵地である比婆山にも寄ってみたい。そうやって島根県
松江市にある黄泉平坂のある揖夜神社に寄って、出雲大社や古代出雲歴史
博物館のある島根県出雲市へと向かいます。こうやって、オオクニヌシの神
の移動に合わせて観光するのも一興だと思います。古代歴史博物館に飾ら
れている錆びずに出土した奇跡の大刀は、中間地点の安来市から出土した
らしく、ここはたたら吹き製鋼法を伝える和鋼博物館や、日本庭園世界一
の足立美術館などもあります。
34日本@名無史さん:2012/02/20(月) 06:12:03.57
公共交通が貧弱なのでレンタカー借りるほうがいいですよー。
最近はパワースポット観光バスがあるのでメジャーどころだけならツアーで回れますが。
揖夜神社と黄泉比良坂はちょっと離れてるので注意して下さい。
黄泉比良坂はぶっちゃけ住宅地の中のただの坂なのであんまり面白くないですw
出てないところだと、八雲神社とか八重垣神社もお勧めです。
古墳はそこら中にありますので、どこでもそれなりに見るものがあります。
35記憶喪失した男:2012/02/22(水) 14:20:53.55 BE:1231838036-2BP(3)

>>31
ヤマトに国譲りしたことから、
ヤマトの領土も影響力の範囲内だと考えた。
36日本@名無史さん:2012/02/22(水) 18:22:11.02
>>33
出雲視点           高天原視点
八十神にいじめられた = 乱暴者のスサノオ追い出した

たぶん同じ出来事
37日本@名無史さん:2012/02/22(水) 18:44:50.37
>>32
「毛野国」がもともと出雲と同族だった。
38日本@名無史さん:2012/02/22(水) 21:50:08.73
 でも千年の秘技、たたら製鉄が行われているみたいだし。
39日本@名無史さん:2012/02/23(木) 01:52:02.08
アメノムラクモが鉄剣かはわからないぞ
江戸時代除いてみたら、石の剣だったというゴシップもある
40日本@名無史さん:2012/02/29(水) 19:54:58.79
 言語解析ソフトで国宝、真福寺本の原文を分析していくとどうしても
須佐之男=日立ってなってしまうんだよな。なんでだろう?
41日本@名無史さん:2012/02/29(水) 21:26:40.05
スサノヲは秋津島に降り立った天つ神の先駆者=パイオニア=日立
42歴史の旅人:2012/03/02(金) 09:44:53.95
理解するのはかなり骨が折れるようですが、どうも邪馬台国は出雲にあったようです。
http://kodai21-s.sakura.ne.jp/
43日本@名無史さん:2012/03/02(金) 18:38:13.23
建速須佐之男命

これってほんとうはなんて読むの?
44日本@名無史さん:2012/03/02(金) 21:39:59.01
タケハヤスサノヲノミコト
45日本@名無史さん:2012/03/02(金) 23:43:53.91
速須佐~かあ
46日本@名無史さん:2012/03/03(土) 00:06:24.84
底筒之男命
中筒之男命
上筒之男命

こおゆうのを略して

「ツツノヲ」とはいわんじゃろな

「スサノヲ」のはなんかへんだよ。
47日本@名無史さん:2012/03/03(土) 00:09:52.73
「建速須佐之男命」の「佐」は「佐治國」の「佐」だしね。
48日本@名無史さん:2012/03/03(土) 01:39:54.32
でも、タケミカヅチやタケミナカタの『タケ』は尊称と言うから、それを取って『ハヤスサノオ』でも良いと思う。
あとクマソタケルやヤマトタケルやイズモタケルの『タケル』や、
タケシウチノスクネの『タケシ』なんかもそう。
49日本@名無史さん:2012/03/03(土) 02:22:04.22
出雲の末裔って三輪族なん?
50日本@名無史さん:2012/03/05(月) 00:15:13.70
近畿地方まで出雲だった説ならそうじゃね?
51日本@名無史さん:2012/03/05(月) 07:26:08.64
オオナムチって出雲大社と大神神社の両方の主祭神だしな
マジ大物
52日本@名無史さん:2012/03/05(月) 22:01:58.69
オオナムチは元々、倭国の元首

53日本@名無史さん:2012/03/05(月) 22:47:18.03
オオナムチの出生地は吉武高木だな

かあちゃんが 刺國大~之女 名刺國若比賣
54日本@名無史さん:2012/03/05(月) 23:36:17.75
オオナムチ。
オオ(オホ)は尊称。
ナは国道や領土など。(ナラなど)
ムチは尊貴で特別な人の敬称
オホナ=大国。ムチ=大王(ムチが付与されるのは大日霊女貴命と雅日霊女貴命と大己貴命のみ)。
オオナムチで大国主命(大国を統治し数多の国を従える大王陛下)

55日本@名無史さん:2012/03/06(火) 03:45:24.43
刺國って須佐のことじゃないのか?
まあ近所で那国の勢力圏だろうけど
56日本@名無史さん:2012/03/07(水) 18:50:28.56
>>49
三輪氏、加茂氏が出雲神族で、国造は出雲臣族。
王朝の末裔は前者でしょうね。
57日本@名無史さん:2012/03/08(木) 04:20:10.70
三輪族、諏訪族って言うけれど、
もしおれが該当するならすわだな。
三輪って言う顔してない。
本籍も諏訪町だし
58日本@名無史さん:2012/03/08(木) 07:05:56.77
三輪一族で一番メジャーな人って、三輪〈カイザー〉清宗だろうか
魔術考証家の
59日本@名無史さん:2012/03/08(木) 15:07:50.92
出雲大社→千家家
大神神社→高宮家

三輪氏の本家も脈々と続いてきている。

諏訪はどうなってるんだっけ?
60日本@名無史さん:2012/03/14(水) 22:44:09.68
おれも出雲族の末裔だろうか・・・。王族?
61日本@名無史さん:2012/03/20(火) 19:11:30.56
 まあ日立金属さんだったら御存じかもしれませんね。
62日本@名無史さん:2012/03/20(火) 20:40:52.54
ねえ、日立市だとどんな王朝とか部族に入りますかね
鹿島からも離れてるし、日立製作所もなかった時代は
土着信仰かなんかですか?
63日本@名無史さん:2012/03/22(木) 21:19:23.80
 単純に考えて、出雲地方の出土品や古墳は北九州や近畿と明らかに違うし、タタラ製鉄も、鉄資源も後代まで続くから、一つの大きな勢力だった事は間違い無い訳で、それを無視して、畿内で国譲り神話を考える事は出来んわな。
64日本@名無史さん:2012/03/23(金) 09:48:20.27
出雲に国譲りを強いたのは、九州勢力か、
畿内勢力かわからない。

出雲で発達した製鉄で考えるなら、九州は輸入鉄が比較的豊富だから、
必死で出雲を欲しがったのは畿内勢力と思えるが。
65日本@名無史さん:2012/03/23(金) 09:53:30.67
 スサノオのヤマタノオロチ退治というのは、出雲王のたたら製鉄民の支配話
なんでしょ?
66日本@名無史さん:2012/03/23(金) 09:57:13.99
大国主はスサノオの子孫だな。
67日本@名無史さん:2012/03/23(金) 10:04:04.92
子孫であって同じ神魂で同体異名だったりするんですかね
68日本@名無史さん:2012/03/23(金) 10:11:27.10
一応、古事記によると、大国主はスサノオの6代後ということらしい。
69日本@名無史さん:2012/03/23(金) 11:18:30.88
>>64
 そうそう、俺が言いたかったのは>>7当たりで東奈良とかって出て来たから、畿内内部の話が拡大したんじゃなくて、纒向が東奈良に国譲りを迫ったような話でなく、神話と同じく素直に、近畿勢力が出雲勢力を服属させたんじゃないかというつまらない話です。
70日本@名無史さん:2012/03/24(土) 00:48:08.14
>>69
ところが、そうすると「国譲り(支配者交代)」ではなく、単なるローカルな地方征服物語になってしまう。
>>63が諸刃の剣なのはここで、
「出雲の独自性」というのは、実は出雲の「ローカル性」に繋がるため、
話がずれていってしまう。
日本各所にある出雲系神社の縁起を、つなぎ合わせてそのまま鵜呑みにすれば、
山陰から関東東北まで、日本列島の大半の地域にあまねく広がる「島根人が支配する大出雲帝国」があって、
それを大和朝廷が乗っ取ったという話にならざるを得ないが、これは考古学とは完全に矛盾する。

これを説明するため、「出雲の国譲りは、実は奈良盆地内部の話じゃね?」などという立論がされることになる。
俺自身は、
・天孫族が、先住民、とりわけ東国の先住民を征服したというプロトタイプ物語があった
・しかし、この征服譚をそのまま神話にすると、東国の反感を買ってしまいまずい
・島根県には、よく知られるローカル勢力が存在した
・プロトタイプ物語の虚構の舞台として、島根勢が選ばれ、「出雲神話」として仕立て上げられた
という仮説を持っている。その「物語」を尤もらしくする舞台として、出雲大社が巨大建造物として建てられた。
71日本@名無史さん:2012/03/24(土) 07:10:48.67
>これは考古学とは完全に矛盾する。

どの辺りで矛盾するの?
各地の主要な王朝には出雲族が関係していたと考えられないのかな?
72日本@名無史さん:2012/03/24(土) 12:23:44.02
>>71
だからさ、埼玉の氷川神社を掘ったら、弥生期・古墳期の島根固有の遺物が出てきたりするのかね?
栃木の前方後方墳を掘ったら、島根固有の遺物が出てきたりするのかね?
奈良の前方後方墳を掘ったら、島根固有の遺物が出てきたりするのかね?

いずれもあり得ない。少なくとも現状の考古学では聞いたことが無い。
出雲系遺物が出てくることで有名なのは、神戸にぽつんとある前方後方墳だが、あれは例外中の例外だ。

島根の発掘が進んで、固有の文化性が明らかになったということは、
実は、「出雲の普遍性」にとっては、皮肉にもとどめの一撃になったんだよ。
逆に言えば、出雲文化は全国に広まって「いない」ことが分かったわけだから。
73記憶喪失した男:2012/03/25(日) 21:10:41.21 BE:1231837092-2BP(3)

現在の古代出雲研究はどのくらい進んでますかね?
74日本@名無史さん:2012/03/28(水) 09:38:40.89
>>72
それって戦国時代の城郭を見て室町幕府は存在しなかったって言ってる感じじゃないのかな?
前方後円墳が作られた邪馬台国の頃は乱世だったんでしょ?

でもまあ那国=根の国=出雲王朝って程度の規模なのかもしれないけど
75日本@名無史さん:2012/03/28(水) 23:20:18.53
>>72
言っていることは理解できるが、まず弥生時代から始めるべきだと思う。

そもそも、荒神谷や加茂岩倉の解釈も定まっていないのに、独自性や普遍性を論じるのは時期尚早。荒神谷などは「農道」の工事がキッカケ。宅地造営などで掘りまくっている北九州や畿内とでは発掘回数が全く違う。なのに、総出土数は多い。勿論、これは青銅器の話。

つまり、弥生時代に出雲の黄金期があり、宗教的先駆としての役割もあったとしても良い。古墳期はむしろ下り坂の時期と考えられなくもない。
なのに、そこを論じないで前方後方墳の例え話をするのはどうかと思う。

第一、最古式の銅鐸ともいわれる菱環鈕式の僅か7鐸中、1つが荒神谷出土。巨大墳墓としての四隅突出型の出現期の早さ。
影響を与えられた側というよりは、与える側だったように思う。
76日本@名無史さん:2012/04/02(月) 14:31:51.02
考古学的成果とやらは絶対的基準には成り得ないよね。

>>75が言うように発掘頻度、発掘場所にムラがあり過ぎる上に、
遺物の「流行」が廃れたり変化したりした(例えば銅鐸)あとに、勢力が移動した可能性だって考えられる。

まあ俺は基本的には、出雲士族の関東移住はその上澄み部分だけで、それらと在地勢力の首長一族との招婿婚によるものとは考えているけどね。

招婿婚というより「招種婚」といっても良いかもしれないな。

日本におけるこの婚姻文化は神代の時代から現代まで続いてるよ。
77日本@名無史さん:2012/04/07(土) 09:42:17.15
>>70
>・島根県には、よく知られるローカル勢力が存在・・・・・
とすると、ご自身も言われる山陰・近畿・北陸日本海沿岸の気多神社、
東海の野見神社、関東の氷川神社などの日本各所にある出雲系神社>>70は、
どう説明されるのですか?
出雲系神を奉じる出雲部族の移住植民と領地化の痕跡ではないとでも?
78記憶喪失した男:2012/04/12(木) 15:34:57.98
建御名方が諏訪でかくまってもらえたことから、出雲王朝の支配領域は長野県を含めていたと考えている。
79日本@名無史さん:2012/04/12(木) 16:22:51.80
>>78
薩長に倒された徳川将軍家が静岡で存続するのを許されたのと同じようなものだな。
80日本@名無史さん:2012/04/12(木) 22:25:30.47
兄に追われた九郎判官義経が奥州藤原氏にかくまわれたようなものです。
81日本@名無史さん:2012/04/12(木) 23:51:41.99
でも義経は奥州でヌッ殺されちゃったでしょ
82日本@名無史さん:2012/04/14(土) 09:34:21.20
兄に殺されたのは義経の影武者で、義経自身は大陸に渡って後にジンギスカンと呼ばれるようになる。
そして、アジア大陸を制覇し、故国日本の地を踏むべく大軍を送ったのだけれど、
神風によって、夢破れたのであった。おしまい。
83日本@名無史さん:2012/04/15(日) 21:39:21.97
出雲王朝の末裔という當當雄氏の伝承は、どういう扱いなの?
トンデモ?
84日本@名無史さん:2012/04/23(月) 12:32:19.17
 その大刀は1911年に発見されたらしい。ちょうどそのころ(1913)、安来鉄鋼合資会社
(現;日立金属安来工場)の伊部喜作という人物が、玉鋼に合金元素を添加して東洋で初の高速度工具鋼(ハイス)
を開発したらしい。それ以来、日立金属になってまでずっとハイス国内シェアーは第一位。
つまり、ハイス国産100周年というのが来年にあたる。なにか匂わないか?
85日本@名無史さん:2012/04/25(水) 20:00:05.15
>>70です。
>>77>>78
出雲と越(東日本の日本海側)には、深い関係があることは全く否定しないよ。
そのまま新潟くらいまでは、緩やかな交易関係があったと思われる。

だが、出雲(山陰)は、地理的に、東日本の【太平洋側】とは、関係を持ち得ない。
近畿地方を突っ切って、国土軸線を斜めに切り裂かなければならないので、これは地理的に無理。
だから、諏訪も埼玉も、山陰とは確実に関係が無い。
どちらも、真の故郷は東海西部(今の中京地方周辺)ではないかと思われる。
諏訪の「出雲神」部族は、おそらく今の愛知県豊橋市あたりが直接の故郷とすると、
地理的にも神社の縁起としても、自然な説明が出来る。糸魚川は銅像まで建てたが、あれはコジツケだ。
武蔵国の「出雲系」は、今の静岡もしくは山梨経由だろう。これも考古学と一致する。
古い関東の勢力は、大雑把に言って、毛野と武蔵が対立するが、
これは、碓氷越えの東国勢と、足柄もしくは大月越えの東国勢の二派があったと考えれば、ごく自然に理解できる。
中部山岳の山脈の方向(北北東−南南西)を考えれば、結局は双方東海西部が一応の故郷ということになるだろう。
東海地方以前に、どこにいたのかは、それは分からない。
東経137度の進出東端に達した「遠賀川式土器集団第一陣(=弥生人第一陣)」の、ずばり末裔ではないかとも思う。
86日本@名無史さん:2012/04/26(木) 21:41:09.15
大和王朝が出来る前に
敦賀あたりから南下してきたんでしょうかね
87日本@名無史さん:2012/04/29(日) 14:31:59.75
出雲地方の神社に祭られている神様の名前の多彩さには、驚かされる。
他の地方のいかにもよそからの神様を勧進いたしました的なコピペみたいな神社
とはまったく別。あれは、出雲が他と違う文化圏だったことの証なんじゃないかな。



ま、行ったことないんだけどな、、、出雲
88日本@名無史さん:2012/05/02(水) 21:59:46.27
>>87自分の目で確かめることは大切ですよ。
行けばいいんじゃないの?
89日本@名無史さん:2012/05/07(月) 08:51:40.28
古代出雲王国−スサノオの光と影−53 被差別民の真実−彼らは出雲族 ...

http://ameblo.jp/shig1956/entry-10270407634.html
2009年5月29日 ... 金刀比羅宮の章でみたように、ニギハヤヒが統治した、愛媛県では、 ... 大正 元年(
1912年 )、明治天皇 の葬送にあたり、喪宮 から葬礼場まで棺を陸海軍 いずれの
90日本@名無史さん:2012/05/11(金) 14:46:00.97
>>87
免許持ってるなら、是非行くといいですよ。
事前に史跡関係を調べて、出雲関連の神話等をもう一度読んで、それぞれの資料や
神社を見ていくと、実に面白いです。自分は出雲神社と古代出雲歴史博物館程度で
「はひぃ」となってました。

石見銀山ブームもかなり落ち着いたので、宿もとりやすいと思います。
91日本@名無史さん:2012/05/18(金) 18:51:12.58
>だが、出雲(山陰)は、地理的に東日本の【太平洋側】とは関係を持ち得ない。

直接的な関係は持ち得ないだろうね。
また、関東は東海の影響を確実に受けるし、関係もまた当然あるだろう。
一経済圏で飢餓が起きれば、生き延びる為には隣接する経済圏と交流せざるを得ず、その過程を経て文明圏を確立していく訳で(その後の隣接蛮国による被侵略文明継承)。

逆に、日本という文明圏が確立していない時代に於いて、出雲(や北九州、畿内等)の影響、関係が間接的にも無い、なんてことも有り得ないだろうね。

インドと日本には直接的な関係はないけど、日本の仏教は紛れもなくインド産な訳で、そういう話が日本ではし難いのかねえ
92日本@名無史さん:2012/05/22(火) 00:24:25.66
>>88, 90
やっと書き込めるようになった…。
行ってみたいなぁ、できたら一ヶ月ぐらいかけてじっくり旅してみたい
93日本@名無史さん:2012/07/01(日) 16:28:01.53
>>90
出雲人から一言

これから神話博はじまっから観光客めっさ来る
94日本@名無史さん:2012/07/19(木) 06:57:07.91
なぜ出雲に王朝ができた?鉱山のせいか?
95日本@名無史さん:2012/07/19(木) 09:00:19.91
元々出雲の都が伊都だろう。
96日本@名無史さん:2012/07/21(土) 23:36:25.34
島根よりも
出雲隠岐という地名の方が格調高く聞こえる
97日本@名無史さん:2012/07/22(日) 00:25:25.20
>>1
ヤマタノオロチは北陸じゃないの
98日本@名無史さん:2012/07/23(月) 00:51:39.64
 いずれにしても、九州王朝を仮想してみても、古事記の内容は完璧に別格で、
天皇家の本当の祖先が出雲にいたと解釈するのがなんとなくあっている。それを
ねじ曲げた、摂家神道が問われるべき。
99日本@名無史さん:2012/07/23(月) 12:30:28.36
>>98
出雲って文化が独特なんだろ
土器の形も出雲大社の形も畿内とは相いれない
100日本@名無史さん:2012/07/23(月) 13:31:40.87
大まかには、出雲が先行し日向が簒奪。
但し、どちらも祖を同じくする同族。

このあたりは神話で高天原での天照大神(大日霊女貴命♀/日向王朝)と素戔嗚尊♂(出雲王朝。わが国の太祖)の誓約で御子を化成する場面の記述が
政略結婚して御子(五男+三女神=八御子神/実際はもう少し少ない模様)をもうけたことを著しているかと。

時代が中古に移って、ある天皇は、
・・・素戔嗚尊はわが国の本主たり。依って津島牛頭天王社(津島神社/牛頭天王=素戔嗚尊)をわが国の総社と崇め奉るなり云々。
また、伊予一宮、大三島鎮座の大山祇神社は朝廷より日本総鎮守を以て奉られ尊崇をうける。
その大祝家(神主家)は素戔嗚尊からの神裔を以て神代から直系八十数代を以て祭祀するを公称(宝物殿で家系図を公開)。
神代からの習いとして祭神を鎮祭するにその神主家は祭神の子孫(神裔)でないと祭神も鎮まらずまともに祭祀出来ない云々とは記紀の端々に度々しつこく記述されているところ

古来、皇居/都の付近には必ず素戔嗚尊並びに異名同神が配されて鎮祭。
京都は正に素戔嗚尊だらけ。

101日本@名無史さん:2012/08/14(火) 11:33:47.34
 島根県安来市にある、日立金属さんの関係者あたりに聞けばわかるんじゃないの?
102日本@名無史さん:2012/08/29(水) 07:31:30.73
日本政府の明治以来の大きな課題

http://music.geocities.jp/jphope21/02/2/14A_6.html

日本における最大の邪魔者は、周辺の王朝の歴史的存在だ。
103日本@名無史さん:2012/08/29(水) 08:04:07.19
弥生時代末期の北部九州。
漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)国も、跡継ぎを巡る「大乱」で卑弥呼(アマテラス)に国を譲る。
これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と交戦状態になり、和国は分裂。卑弥呼はその最中(もなか)に急死する。

【分裂した「和」国】
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)日向→神武東征≡瀬戸内海⊇≡「大和」
....................隅国隼人(鹿児島)

卑弥呼の跡を継いだ筑紫邪馬台国♀女王「台与」は日向投馬国王♂を婿として迎えた後、薩摩隅国(隼人)との三つ巴で
肥後狗奴国 (後の熊襲)を滅ぼし、「和」国を再統一する。
その男系末裔であることを示すため、神武は本拠地・投馬国(日向)から大和へ東遷。「大王」に即位し、「大和」朝廷を樹立。

※記紀が投馬国の祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)をその姉としたのは、
(投馬国王と台与の子孫である)大王家の系図操作。漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は建国の功績を消され出雲に祀られる。

-大和朝廷における、♂投馬国(日向)系大王と♀邪馬台国(筑紫)系大王の(それぞれの男系が途絶えたことによる)政権交代

【前期古墳】…イリ三輪(銅鏡)王朝(神武〜仲哀)=♂投馬(日向)系大王
【中期古墳】…ワケ河内(鉄剣騎馬)王朝(応神〜武烈)=♀邪馬台(筑紫)系大王(朝鮮半島支配強化で王権強大化)
【後期古墳】…近江王朝(※継体〜天智〜桓武〜現在)=♂投馬(日向)系大王


-継体・安閑・宣化=日向系大王→継体の大王即位が筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫君磐井の乱」を誘発
-欽明〜皇極(斉明)=筑紫系大王(筑紫系大臣蘇我氏による日向系皇族大弾圧)→「乙巳の変」へ
-天智〜弘文=日向系大王、「白村江の戦い」惨敗で朝鮮半島権益を完全喪失→「壬申の乱」へ
-天武〜考謙(称徳)=筑紫系「天皇」、両系和解の記紀編纂(日向系イリ三輪王朝の活躍>筑紫系ワケ河内王朝の活躍)
-光仁・桓武〜現代=日向系天皇、筑紫系天皇の平城京から本拠地・琵琶湖近くの平安京に遷都

一白
大王陛下
104日本@名無史さん:2012/08/30(木) 07:35:30.18
スサノオが日本を建国したらしいというのは何となく解るが、
なぜ神話上の人物にされたのか、
なぜ出雲という一地方の「暴れ神」に封印されたのか?と考えると、
彼の功績が天皇家を上回っていたからとしか考えられないよな。
105日本@名無史さん:2012/08/30(木) 09:36:51.52
天皇家が大和朝廷を創始したことは確かだが、
日本を建国してはいないという事実を覆い隠すことが記紀神話の目的であり、
応神朝の天皇たちの異常な長寿の原因なのだろう

大和朝廷の創始は「空白の4世紀」と考えられるが、その外交デビューが5世紀の五王時代なのもそれを裏付けている

当時の東アジア世界では新たに建国したり、王朝が交代すると、中国皇帝に朝貢して外交デビューを果たし、周辺国と名刺交換が慣例だった
漢委奴国王も帥升も卑弥呼も五王もタリシホコも天武もその慣例に従ったに過ぎない
よって日本を建国したのは天皇家ではなく、後漢に最初に朝貢した「漢委奴国王」である
「空白の4世紀」には中国が五胡十六国の動乱期であったため、大和朝廷も朝貢すべき(中原を支配する)中国皇帝がおらず、
外交デビューできなかったというににすぎない
106日本@名無史さん:2012/11/13(火) 16:17:44.35
>>104
>>スサノオが日本を建国したらしいというのは何となく解るが、
なぜ神話上の人物にされたのか、
なぜ出雲という一地方の「暴れ神」に封印されたのか?と考えると、
彼の功績が天皇家を上回っていたからとしか考えられないよな。

激しく同意。それしか考えられないね。
スサノオこそ日本の創始者だったとしか考えられない。
そして古代出雲王国こそ大和朝廷の母体だったと考えないと、古事記に出雲神話
が書き残されている必然性がないよね。
107日本@名無史さん:2012/11/16(金) 15:01:38.72
スサノオ=モーセ
108日本@名無史さん:2012/11/20(火) 00:25:32.03
そもそもスサノオは出雲の神なのか?
109日本@名無史さん:2012/12/13(木) 00:13:21.93
スサノオは出雲で生まれた。
出雲市平田にある「宇美神社」にスサノオの父、「布都御魂」が祭られている。
スサノオが産れたところだから、この地に「宇美神社」が祭られた。
ちなみに不弥国に否定されることの多い福岡の宇美町は「宇美神社」があるために
宇美町という地名になった。これもこの地で応神天皇が産れたため。景初3年には宇美
という地名は無く、ここを不弥国とするのは間違い。
110日本@名無史さん:2012/12/13(木) 08:57:50.96
誤 否定  正 比定  訂正します。
111日本@名無史さん:2012/12/15(土) 08:54:38.36
不弥国は宇美町ではないことはおわかり頂けましたね。
「大和朝廷成立の謎」という本によれば、魏志倭人伝では「方位時計回りのずれの法則」
が存在し、この区間にも適用される。そして「旅程距離5倍の法則」も適用される。
不弥国は福岡市南西部の奴国から東北に20里(8km強)離れたところ。
すなわち、博多湾東岸に収まる。
さあ、博多湾東岸の不弥国から卑弥呼のいる邪馬台国へ向けて船出しましょう。
112日本@名無史さん:2012/12/18(火) 10:34:51.23
>方位時計回りのずれの法則

この法則、実際の位置や方向が正しい可能性があれば、
一瞬で吹っ飛ぶ。

位置がほぼ確実な松浦までは、方位はズレてはいないので、
この法則は間違いである。
113日本@名無史さん:2013/01/10(木) 13:46:43.44
114日本@名無史さん:2013/01/23(水) 12:41:07.13
イツツヒコ王権についての考察で詳しい所ありますか?
115日本@名無史さん:2013/01/23(水) 20:59:22.11
どなたかのホムペが有ったかと。
116日本@名無史さん:2013/02/05(火) 08:35:20.04
そうそう。こちらが土壌汚染データ。これ見て私は、一昨年、青ざめたわけだ。そして移住。
ウランやプルトニウムがうじゃうじゃいるところに子持ち家族が住めるわけがない。
関東地方は、劣化ウラン使って戦争した後の状態
QT>米軍による土壌汚染核種の調査http://aoitombo.s100.xrea.com/dojou.html
https://twitter.com/Fibrodysplasia/status/293979038899384320

これらの患者数は湾岸戦争から12年が経過した今になっても減らず、
バスラだけでなく、バスラから500キロ離れた首都バクダッドなどでも、
1995年ごろから劣化ウラン弾が原因と思われる白血病やガンなどの患者が増えだした。
http://www.tanakanews.com/d0204iraq.htm

三井化学岩国大竹工場が爆発、2012年4月22日 深夜に爆音・炎上
http://www.youtube.com/watch?hl=ja&v=EmaC_HNhivg

地元自治体も「劣化ウラン」は寝耳に水だったようで、
管轄の文部科学省に安全確認を要請した模様です。
この情報源はここから恐ろしい日本の暗部について語り始めます。
それは、三井化学大竹工場内に、

 1)アイソトープ爆弾の弾頭工場、
 2)炸裂弾の小弾頭(炸裂弾に詰め込まれている中身)工場

の二種類の工場が存在し、ここで造られた爆弾弾頭は全て、
近くにある米軍の岩国基地に供給されているというのです。
問題となるのは、日本の民間工場が外国軍のためにせっせと(準)核兵器を製造しているという点です。
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/859741febbb07a74f8f93b23b9b3429f
117日本@名無史さん:2013/02/06(水) 07:55:55.79
嵯峨天皇「素戔嗚尊は即ち皇国の本主なり、故に日本の総社と崇め給いしなり」
118日本@名無史さん:2013/02/09(土) 10:48:58.39
119日本@名無史さん:2013/04/07(日) 11:50:48.11
しかし、現実問題、
出雲大社とか抹殺された
古代王権の祟りを鎮めるための社とか
言われたら一部のマニア以外
行かなくなるわな。

縁結びの大黒様とした
江戸時代の人々の発想のが夢があっていいね。
120日本@名無史さん:2013/04/07(日) 11:54:58.66
古代王権ブームは
一時的にはいいかもしれないが
長期的には地方にマイナスだな。

誰も呪われた地に行く気にはならない。

平和的に国を譲ったという(ことにした?)
古代の人々の知恵を
少しは見習ったら
どうか?
121日本@名無史さん:2013/04/07(日) 12:56:56.74
そう考えると、古代人の方が未来のことをよく考えてるように見えるな
単純にインテリと庶民の違いかもしれんが
122日本@名無史さん:2013/04/07(日) 21:22:55.25
そう。だからこそ国を譲ったんだ。
まさに昭和天皇が
太平を開かんとするために
ご聖断により終戦を決意されたようなことだ。

その大国主命の大御心を
わからずに古代出雲と
大和が血みどろの戦いをして
出雲大社に大国主命を
封印したなどというのは
不敬であり、歴史の冒涜以外の何者でもない。
123日本@名無史さん:2013/04/07(日) 21:29:11.14
おまえら、せっかく古代の人や
江戸時代の人たちが
いい感じに大国主命や
出雲大社を恋とロマンスの神にしたのに
大和王権に監禁された
怨霊とか言うやつらが
出てきて出雲大社と
出雲市は閑古鳥が鳴いてるじゃねえか。

この落とし前はどうすんだ?
124日本@名無史さん:2013/04/07(日) 21:36:04.52
古代史ブームなぞ
一部のマニアにしか受けない。
婚活ブームはいつの時代も需要はある。

おまえらがいらねえこと言うから
出雲は商売あがったりだし、
出雲大社に行かないから
日本は少子化が進むわで
さんざんじゃねーか。

どう責任とる気だ?
125日本@名無史さん:2013/04/07(日) 21:38:32.46
戦後史観の爺さんらが虐殺と怨念の出雲にしてくれたからなー
また恋とロマンスの神にしてくれ
126日本@名無史さん:2013/04/07(日) 23:23:51.99
縁結びはウサギさん(白兎神≒ニギハヤヒ)。
127日本@名無史さん:2013/04/07(日) 23:30:29.45
ワニを騙して海を渡り、皮を剥がれたニギハヤヒ
シュールだなw
128日本@名無史さん:2013/04/08(月) 20:50:23.83
天武天皇が功績を奪って史実を改竄した為に意図的に隠滅されたという紀氏系出雲王朝↓
「本当のスサノオ」
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1304225092/257

「紀氏...強力な水軍を有した謎の古代豪族」
http://park18.wakwak.com/~teramoto/yacht/yimp51b.htm

↑出雲王朝を自称する籠神社の海部一族も紀記以前に家系図を偽造の説があるし、
こういうの見るとシュメール王朝神農氏に系譜が繋がる紀氏(木氏・貴志箕氏・岸・幾志・姫氏・吉士)達こそが本当の出雲王族の気がしてくる。

「消えたシュメール王朝と日本古代の謎」
http://blogs.yahoo.co.jp/ludolf777/36470671.html
「溶け込んで行った古代ユダヤ王朝」
http://plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/diary/200904250000/
129日本@名無史さん:2013/04/08(月) 20:54:55.46
>>128
籠神社の海部氏みたく天皇家より古い家系図秘匿してるという紀氏は、秘匿家系図ではスサノオが祖先らしいから海部氏同様にガド族で釈迦末裔系なのに、生き残る為に天皇家受け良いようにいろいろしたらしい。
逆に天皇家も十種の神寳と天照大神を結び付けた話作ったようだけどこれは元々は須佐之男系のキシ氏の神器の節がある。

箕氏朝鮮出自の辰国がシウクといい、その王朝がシウクシと言われていたらしいけれど、この「シウクシ」の意味こそは、恐らく正統持ち主の王が死者を生き返らせる等の為に十種神宝を使う時に唱えるキーワード「ふるえる」とか「ゆらゆら」という意味。
「幻影の古代民族史14 夫余民族の出自のさらなる考察」
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/3010/genei-14.html

「十種神寳-togusa 神奈備にようこそ」
http://kamnavi.jp/mn/togusa.htm
130日本@名無史さん:2013/04/08(月) 21:06:32.72
>>129
この十種の神寳は大和王朝が奪い、そして豊臣秀吉ほか時の権力者が真の持ち主の手に渡るのを恐れて保管していた。
今は藤原氏陰明術で日本を破滅させ日本人のエネルギーを奪い衰退させ呪う結界にそれぞれ使われている。
この神寳が力を発揮して日本人と日本が活力を取り戻すのは真の持ち主の元に返った時。
131日本@名無史さん:2013/04/09(火) 07:01:20.70
神田明神は平将門の怨霊を鎮めるためで
徳川など関東の政権に庇護されて観光名所にもなってる

戦国時代に武田が諏訪を併合したいきさつをみれば分かるな
政治的には併合しても現地の信仰と融合して神話体系にとりこむ
132日本@名無史さん:2013/04/09(火) 12:34:18.29
ワニ(和邇)→昔はフカ(大きな鮫)の事→もっと昔は八尋亀の事
133日本@名無史さん:2013/04/10(水) 17:33:32.62
「キシ(キシュ)」こそは特にシュメールや古代世界では神器が認め神霊の託宣を受ける事のできる人類最初最古の菊花紋の世界の王の中の王。
だから秦氏は(ガド族と同化した?)キシの託宣を頼りにキシに付き従って日本までやって来た。
このキシ王の権威による承認と神への許可が出雲国譲り新王権誕生に必ず必要だった筈。
http://blogs.yahoo.co.jp/judaist55/6230106.html
134日本@名無史さん:2013/04/10(水) 18:29:57.07
籠神社の海部一族が十種の神寳を返してくれってどっかの神社に要求したらしいけど、
海部一族はマナの壷をレビ族から託されたかも知れないけど、はっきり言って海部とか大和王朝とか津軽安東王朝はみんな同じユダヤ部族同士王権争いでその同じイスラエルの神や神器って感じだけど、
十種の神寳はキシ族の持ち物で、このシュメール文明は最初の文明なのにいきなり高度な数学とかで出現なので、
大洪水で人類壊滅以前のもっと測り知れない得体の知れない古いものだろうからその呪力の源の神も何なんだかよく分からない。
135日本@名無史さん:2013/04/10(水) 20:08:23.47
粘土板のエリドゥ王名表には「天より王権が降り来るとき...大洪水が襲ったあと最初の王権はキシ(キシュ)にあった」と記されている
http://homepage2.nifty.com/ekondo/rekisi3/mesopotamia.html

そしてこのキシ(キシュ)王朝のシンボルは菊花紋。
http://6729.teacup.com/siyujin/bbs/214

現在はこの降臨天孫と菊花紋の持ち主が全く違っている事を考えれば、
歴史や真実というものが権力を求める者によって抹殺隠蔽され都合よく書き換えられてしまうという事が容易に解る。

このシュメールのエリドゥ王名表の大洪水前の王達と某国神話の欠史〜代は見事に対応性がある。
だから高天原や豊芦原がシュメールや豊かにパピルスの生い茂った古代エジプトの事で、
大国主や天火明命等もキシ氏で野望を抱く等何らかの利益ある者達が懸命に捏造しているのが分かる。
136日本@名無史さん:2013/04/11(木) 19:32:42.28
をい、出雲大社の
参拝客低下をどう立て直すんだ。

呪われた神とか喧伝した
古史古伝マニアは
どう責任とるんだ?
137日本@名無史さん:2013/04/11(木) 20:27:37.34
http://www.escude.co.jp/product/kanosora/img/chara14.jpg
出雲の暗黒イメージは加速して行くだろう…
138日本@名無史さん:2013/04/11(木) 22:03:44.52
どうしても怨念とかそっちの方向に持って行くんだな
139日本@名無史さん:2013/04/11(木) 22:37:28.27
尾張の織田信長も紀氏と同じ木瓜紋。
須佐之男なら菊花紋と祇園守と木瓜紋。
140日本@名無史さん:2013/04/13(土) 16:17:15.92
>>128-130>>133-135
いろいろな事言ってみて、その反論と見較べてみたくて、ただ言ってみただけ。
141日本@名無史さん:2013/04/13(土) 22:24:42.78
尾張の織田信長のご先祖は、継体天皇ゆかりの越前二宮(福井県)?剣神社の神官の家系。

尾張での織田家は尾張守護職(国主)の一家臣で代官職を世襲した家
142日本@名無史さん:2013/04/14(日) 06:24:50.09
織田家の先祖はタカミムスビ系の忌部氏か大伴氏のどちらか。
タカミムスビ系の忌部氏は、中臣氏とともに神事を司った名家で
もとは中臣氏よりも格上だったけど、その後、衰退。
大伴氏は、タカミムスビ系の名門。言わずとも有名だろう。
143日本@名無史さん:2013/04/14(日) 06:36:30.98
大和朝廷において、タカミムスビ系の貴族は
王家創設期からの王家の外戚だった名家。
ニニギやホアカリの生母がタカミムスビ系で、
その生母の兄妹の子孫が、大伴氏や忌部氏などが出た。

鎌倉幕府の源家における北条氏、
室町幕府の足利氏における上杉氏、
江戸幕府の徳川家における水野氏や酒井氏みたいな存在と言えば
分かりやすいと思う。

一方、藤原氏の先祖の中臣氏ってのは、元々は中級の貴族で
鎌倉幕府においては、安達氏、
室町幕府においては、伊勢氏
江戸幕府においては、田沼氏とか、その程度のレベル。
144日本@名無史さん:2013/04/14(日) 08:15:13.23
大彦命の子周辺がいちばん混乱する。
それぞれの母方も含めるとホアカリやらニニギやら大国主やら海部氏系図やら出雲王族とか朝鮮半島経由スサノオやらとそれぞれみんな繋がってる記述がそれぞれに見られるし、
でも貴族の貴とか君なんてついてて佐々貴山君が1番高貴そうだしでも捨て子云々ともあるし、
波多武日子命の波多は秦だし。
145日本@名無史さん:2013/04/14(日) 09:06:50.89
>>144
スサノオって、高天出身だから、記紀を信じれば、畿内の分派だよ。
あくまでも信じればの話。
まあ、天忍穂耳命以前は、直接の親子関係ないんじゃね?
146日本@名無史さん:2013/04/14(日) 09:11:37.37
そりゃ出雲出身にしたら、ヤマト王権と別の王権の存在を
認めるわけで。
147日本@名無史さん:2013/04/14(日) 10:59:38.10
んと、「仲哀記」によると神功の船が水門の洞海に入ったらオオクラヌシとツブラヒメの二神のせいで動かなくなったので大彦命の曾孫の伊賀彦を呼び出して祈らせ〜と。
この伊賀彦の祖神縁がある可能性あるオオクラヌシは、「海部氏勘注系図」ではホアカリの子のアマノカゴヤマがオオヤツヒメを娶り産んだ子で、
オオヤツヒメは「日本書紀」では父親がスサノオで、アマノカゴヤマの父のアマノホアカリはニギハヤヒでもあって、
「先代旧事本紀」ではアマノミチヒメを娶っててアマノミチヒメは「勘注系図」ではオオムナチの子でオオムナチはオオクニヌシの若い頃の呼び名でと〜
148日本@名無史さん:2013/04/15(月) 07:57:05.39
大彦命の頃の母系見てもどっちみちその後の皇統には出雲王朝と大和王朝の血が併さってる気がする。
でも大室寅之介すり替わり説とか目にすると自信なくなる←ホントなの?
149日本@名無史さん:2013/04/16(火) 14:35:12.08
平将門も怨念系の話になるけど、織田信長も古来から何度も現れては消えるこの國にまつわる怨念なのか?葛城氏系尾張氏の?

葛城氏は加羅王族だった?(箕氏王-シュメール王族だった?)
『複合王朝としてのヤマト---葛城氏の正体』
http://web1.kcn.jp/tkia/mjf/mjf-53.html


雄略天皇は大王家を脅かすとして葛城一族家屋敷郎党の総てを焼き滅ぼした。
その後に復活した葛城一族が蘇我氏(「我」は「蘇」りたり」)。
『葛城氏』
http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-2.html


蘇我氏自体が王族だった?『蘇我氏の正体-僕の頭の中にある世界』
http://savage.blog.shinobi.jp/Entry/58/


紀氏の系図は失われてしまっているがこのような史実が→天皇家は都合の悪い有力士族に系図その他を差し出させ史実の抹殺を図った
『【ヤマト】纏向は王権の礎の地か【マキムク】18』
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1341536153


『尾張氏葛城氏海部氏紀氏日下部氏草部吉見系阿蘇氏=多氏熊襲...』
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/53248202.html


蘇我をサカ(釈迦=ガド族)とする説も。
しかし、聖書の神は、ユダヤ人の救世王はユダ族にすると約束すると言っているのを見ると、
本来の人間界の王統である佛教系シュメール王統の紀氏(箕氏)葛城王朝から勝手に自分の都合で、
謂われなく正統な王座権威を奪い肉親の命や富を奪い全てを盗み取って潰して、
新らしく自分で作った王統に与えておきながら、ご自身の権威は崇め言う事をよく聞けよなんて、
天国で王様やってる聖書の神様というのはまるでマフィアのようでで救いようもない。
150日本@名無史さん:2013/04/16(火) 18:16:00.98
スサノオが渤海人wwww

何でも朝鮮人にしたがるヒトモドキの説だろwwww
151日本@名無史さん:2013/04/16(火) 18:20:07.18
古事記・日本書紀なんてのは奈良時代の人間が
自分達の生い立ちを、さも高貴であるかのように捏造した書物w
152日本@名無史さん:2013/04/16(火) 22:13:10.23
その中から史実を探りあてるのにみんな必死なんじゃん。
153日本@名無史さん:2013/04/17(水) 05:53:59.45
高皇産霊神の子の少彦名命って出雲系?
154日本@名無史さん:2013/04/18(木) 16:12:02.74
蘇我=須賀=スサノオ・出雲 と考えればスッキリする
155日本@名無史さん:2013/04/21(日) 09:00:26.26
前方後円墳と共に4世紀に成立したであろう大和朝廷以前とは言っても、
天地創造からではなくて、1世紀の漢委奴国王、2世紀の帥升と倭国大乱、このあたりを寓話(神話)化してる訳だから、
彼等と日本建国の神々(王たち)との対応関係がそのまま史実の仮説になりうるのではないか?
156日本@名無史さん:2013/04/21(日) 13:29:36.63
天津神系や国津神系、アマテラス系、高木神系、
当時の勢力を示唆しているようには見えるが、
決定打にするのは難しい。
157日本@名無史さん:2013/04/21(日) 16:24:27.51
すごく縄文臭の強い久米氏の祖先神が天孫降臨した天津久米命で、
天津久米命は高皇産霊神の子供だもんな
神話から歴史を導くのは難しい
158日本@名無史さん:2013/04/21(日) 17:09:43.46
久米歌にでてくる石椎の太刀って、考古学的には何にあたるの?
159日本@名無史さん:2013/04/21(日) 21:40:18.80
21世紀になっても天皇家が納税者に真の歴史を公開しないなんて、どう考えても民主主義じゃないよな?
リッチな北朝鮮みたい
160日本@名無史さん:2013/04/21(日) 23:02:02.44
歴史は公開してるでしょ>日本書紀
161日本@名無史さん:2013/04/21(日) 23:16:06.43
日本は太古の昔から今も民主主義ではない。
民主主義である必要はない
162日本@名無史さん:2013/04/22(月) 07:10:13.27
>>159
日本国民=日本銀行(皇室)と日本経団連(薩長)の使用人

使用人に歴史を知る権利や人権などありません。
163日本@名無史さん:2013/04/22(月) 07:34:37.84
陰謀論こじらしてる暇があったら、漢文訓読のトレーニングをつんで、日本書紀でも丁寧に読みこんだ方がマシ
164日本@名無史さん:2013/04/22(月) 08:47:05.01
記紀読み込んで史実が判るというならとっくの昔に解明されてる罠w
つまり読み込んでも無駄だったということw
165日本@名無史さん:2013/04/30(火) 18:29:05.90
出雲は大和と和解して
平和的に解決したという事実こそ大事なのに
大和との対立を煽って
出雲を怨霊の地とかにしている
最近の古史マニアや自称研究者などは
出雲地域の経済について
責任とれるのか?
166日本@名無史さん:2013/04/30(火) 18:34:00.29
せっかく大黒様として
(習合だが)国民的人気のある神様だったのだが
戦後に勝手な推測で
怨霊にされてしまった。
167國學院大學OB:2013/04/30(火) 19:02:11.56
怨霊説の根拠の一つに
御神体が西を向いて
参拝者にそっぽを向いてるからというのが
あるが、これは参拝者に対して西を向いているわけではない。

山口県土井が浜から出土した
弥生時代の人骨はそのほとんどが
西を向いていたという。
すなわち、西向きは
古代のこの地域または
部族の風習なのだ。


出雲大社は怨霊ではない。
168日本@名無史さん:2013/05/01(水) 00:10:48.60
出雲を貶めなければならなかったほど、古く長く深く日本の歴史に関わってるんだろうな
169日本@名無史さん:2013/05/02(木) 20:00:38.44
>>137
ラノベとマンガ読みすぎた奴の安易な善悪設定の安っぽさがなんともなぁ
170日本@名無史さん:2013/05/03(金) 01:10:32.22
中二病ってやつなのか大人はちょっと着いて行けないな
中学生とかはこれが興味持つきっかけになるかもしれんし良いかもね
普通の中学生は大国主とか知らんものな
171日本@名無史さん:2013/05/03(金) 16:47:38.36
松江・出雲あたりは婚活中の若い女2〜3人組と
古代史大好き白髪のじっさま連中でいっぱいみたい
172日本@名無史さん:2013/05/03(金) 23:29:35.30
中二病もたいがいではあるが、逆に頭の固い連中が定説を振り回すことで
日本古代史は閉息感と動脈硬化のような状態にもなっているな。

>>興味をもつきっかけ

おかげでこれがなかなか出てこない要因でもある
173日本@名無史さん:2013/05/26(日) 14:47:15.74
>>83
最近、本が出版されたみたい
174日本@名無史さん:2013/05/26(日) 21:21:03.37
イノシシ。山の神の化身。
イノシシ。猪、、獣変の者。
(イノ)シシ。宍・・・蓋され(ウ冠)そのまた下に蓋(ナベフタ)をされた八=出雲/素戔嗚尊。
イノ(しし)・・・イノは熊野(ゆの、ゆや、いや、いの、いぬ。くまの、くまぬ)
175日本@名無史さん:2013/05/27(月) 16:30:27.79
尾張には
熱田神宮あって
尾張八州と言われ
草薙の剣があり
海部郡があり
名古屋市の旗が八で
出雲とのつながりが非常に強い
やまたのおろちの八
尾張の尾はやまたのおろちの尾が語源らしい

おそらく出雲系(物部蘇我)が藤原によって奈良から追い出され尾張に勢力を張って東国に行ったんだろう

天照の天が海だったら海照らす神=スサノオだし
176日本@名無史さん:2013/05/29(水) 10:40:40.95
>>175
俺のイメージの物部氏は、橘氏に入った物部氏が、後の楠政重氏に成った方のイメージ。
今の平氏落ち武者が隠れ住んだ隠れ郷の逃げ込んだ楠政重の末代、竹村氏や喜多氏なイメージ。
177日本@名無史さん:2013/05/29(水) 10:48:14.68
>>144
紀氏蘇我は物部と言うより、紀氏で言うと、古代波多な古代渡来の白人系秦氏のイメージ。
紀氏蘇我は、百済姫ばかり代々妻にしてきた母系百済人なイメージ。
178日本@名無史さん:2013/05/29(水) 11:02:57.89
古代出雲が本来の邪馬台国=倭国で、3世紀〜5世紀に百済人が渡来して大化の改新以降の奈良王朝が百済和氏の絡んだ渡来北朝王朝の大和王朝なイメージ。
そして、藤原仲麻呂が倒されて京都へ遷都。
179日本@名無史さん:2013/05/29(水) 12:42:42.64
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01206.htm
紀氏に付きまとう物部のイメージって
かなり変異な系譜を使ってる、物部氏の越智筋の河野・・林・・伊藤や新井のせいだね。
孝霊天皇皇子の彦狭島命から5代目栗鹿が物部の4代目若伊香加の籍に入って・・物部栗鹿から15代目で紀氏の細売を妻に・・18代目で紀氏の3代目紀益躬が物部栗鹿から18代目籍に入ったのが越智始祖。
越智から伊予橘・・楠氏や伊予北条・・河野・・林・・伊藤、又は、久万/土居の大伴の東や富永・立花・宇都宮・不破が発生してるようだね。
180日本@名無史さん:2013/05/30(木) 00:55:21.18
>>175
つうか、後の尾張国(と伊勢国)こそが、「本当の『出雲の地』そのもの(の一つ)」なんじゃないの?
弥生時代以来、中世以降まで一貫して、
尾張・伊勢からスタートして、甲信から関東に入り、宮城から岩手付近まで達する、文化・遺物伝播の基本形がある。
基本的には、豪雪を避けながら、太平洋側をずっと東へ伝播する文化で、
日本海側を北上する北陸系の文化とは、かなり質が違う。
181日本@名無史さん:2013/06/01(土) 05:53:21.32
>>180
なるほど

真実かどうかは別として、納得感を感じた
182記憶喪失した男 忍法帖【Lv=21,xxxPT】(4+0:5) :2013/06/21(金) 11:07:06.08 BE:3832382887-2BP(333)

出雲を怨念とかいってるのは、皇室系の工作だろう。

出雲は、日本の最古都。
出雲で神無月に、神々が集まって縁結びしているってことにしても、別にいいじゃないか。
183記憶喪失した男 忍法帖【Lv=21,xxxPT】(5+0:5) :2013/06/21(金) 11:24:08.84 BE:3695511896-2BP(333)

出雲で神々が縁結びをやっているというのは、
最近、流行した森見登美彦の「四畳半神話体系」に出てくるので、
アニメも流行ってるし、
割と、有名。

考古学的宣伝が、出雲を怨霊と扱っているのかは知らないが、
今のオタク系男女からしたら、
普通に、出雲大社は、縁結びの神。
184日本@名無史さん:2013/06/29(土) 10:49:38.96
出雲の神名とかはズーズー弁なのか?
185日本@名無史さん:2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN
尾張〜美濃に跨る濃尾平野には、加茂という地名が多く見られる。
三輪姓が集中している地域でもあり、出雲の気配があちらこちらに…。
岐阜県各務原市にある「蘇原」は、蘇我の原だといわれ
蘇我倉山田石川麻呂の墓と伝わるものが存在する。
186日本@名無史さん:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN
前方後方墳も濃尾平野が発祥地だしなぁ
信州・関東地方に前方後方墳を伝授して行った形。
187日本@名無史さん:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN
ひゅうが型護衛艦 出雲

 凄い名前ですね。専守防衛、国を譲ったと見せかけて、実は日本(といっても西日本)統一を果たした出雲。
通常はヘリコプターしか搭載しませんが、有事になれば、空母に変身。まさに出雲です。
188日本@名無史さん:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN
>>185
浜名湖らへんが元伊勢だからね
あそこらへんは大田田根子の後裔の神(三輪)姓が多い
189記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN BE:1231837463-2BP(427)

873 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=21,xxxPT】(2+0:5) :2013/06/21(金) NY:AN:NY.AN ?2BP(333)
おれは、
天照は、皇室の神。
だから、国譲り以前の出雲系には太陽崇拝はない。

つまり、卑弥呼=日巫女が出現した時期は、すでに、国譲り以後。

という説が気になっている。

874 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=21,xxxPT】(2+0:5) :2013/06/21(金) NY:AN:NY.AN ?2BP(333)
だが、
出雲には太陽崇拝がない、
大和には太陽崇拝がある、
とすると、出雲と大和は、まったくの別文化圏ということになってしまう。

そこが、難しい。

875 :記憶喪失した男 忍法帖【Lv=21,xxxPT】(3+0:5) :2013/06/21(金) NY:AN:NY.AN ?2BP(333)
出雲と大和が別文化圏であったら、

出雲の神と大和が尊敬し祭ることはないだろう。
やはり、出雲を同じ国の正統な本流と見るから、出雲の顔を立てているのであり、
大和は、出雲と同じ文化圏にあった傍流と見るのがよいのではないだろうか?

つまり、出雲にも太陽崇拝はあった。
190日本@名無史さん:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN
いやいや、出雲は太陽帝國ムーの名残を残す国家だから太陽神でしょう。
ただし守り神はシリウスからやって来た龍蛇神(国常立=丑寅の金神)=アマテラス?で、
超科学知識と国家の繁栄を齎して下さるが年に一度ほど処女の娘の生犠を必要とする。

現在は須佐之男によって肉体を滅ぼされたので、その一族の正当古代天皇家日本武尊仲哀天皇一族に祟って滅ぼし、
自分の血をひく応神や継体を皇位につけ、
しかしヤハウェ崇拝のモーセの兄アロン族でレビ族の藤原氏が日本中に施した呪術によって、
凄まじい霊力が封印されている。

因みに日本人にはこれらヤハウェ、丑寅の金神、の他に、
地球の何百何千倍もある有翼円盤に乗って太陽から出入りするヤハウェ派プレアデス系、
時間の流れの違う異界の龍宮に住む大海亀シリウス系がいらっしゃる。

因みにこのうちニ柱は私でもまだお会いした事がない。
迷っているので、お聞きしたい。
あなたがたがリスペクトするのは上のうち何れの神?
191日本@名無史さん:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN
>>190
いやいや、枕元に蛇女神様(恐らく丑寅の金神様の娘神様)がお立ちになられて、封印解除に際して必要な鍵(神器)をお教えになられたからさ。
早くやらないから再び枕元に立たれてわんわんお泣きされてしまって...
でもそれ以前に既に上記ニ柱の神に面識があって(だから広義で言うと、
面識ある神ご勢力はこの蛇女神様を丑寅の金神様とすればお会いしてない神は上記で一柱だけという事にもなるか)...
いやぁ〜人様には計り知れないでしょうあれこれ、いろいろ困っちゃったんだなぁ...
192日本@名無史さん:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN
難しく考えすぎる。
卑弥呼=箸墓古墳の被葬者=ヤマトトトヒモモソ媛命と考えれば
全てうまくまとまる。

当然、出雲国譲りも、神武東征も、卑弥呼よりもずっと前の出来事だ。
邪馬台国王権が誕生したのは、出雲国譲りの時だ。
その時の王が、天照国照彦ホアカリ命。
その後、この王権は、何度となく大乱があった。
最初の大きな反乱は、ニギハヤヒの乱で、この人物は自信をホアカリ命のご落胤としょうして
クーデターを起こした。
これは王権の九州分家であったワカミケヌ命(神武天皇)の活躍なので
鎮圧された。
次に会った大乱は、卑弥呼(モモソ媛命)擁立のきっかけになった大乱。
193日本@名無史さん:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN
出雲弁は新羅語由来だから、ずうずう弁というのは、本当か?
それから、出雲は鶏林(新羅)からの移住者の地域があり、そこは今も鶏肉を食わないというのは本当か?
194日本@名無史さん:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN
箸墓が卑弥呼の時代の古墳というのは歴博の捏造だぞ
195日本@名無史さん:2013/08/21(水) NY:AN:NY.AN
>>193
そんなのはトンデモ。

>>194
必死なのはわかるけど
箸墓は卑弥呼の墓で正解だ。
196日本@名無史さん:2013/08/21(水) NY:AN:NY.AN
歴史好きで歴博を信じてる奴が居たんだ
197日本@名無史さん:2013/08/21(水) NY:AN:NY.AN
>>193
出雲神話にでてくる地名や神名はズーズー弁か?
出雲のズーズー弁は後世のものだよ
198山口壮一@再臨のイエス・キリスト:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN
お前ら以外といい線行ってるね?実は余は山口組を支配する山口家の山口壮一なんだが、神が出雲大社は倭国王(日本国王)の墓だって
言ってるわ。日本全国の神社は出雲大社を頂点とする墓のピラミッドで、伊勢神宮は卑弥呼の墓。伊勢神宮が社格に入って無いのは位が
高すぎるからではなく、卑弥呼が倭国王の一族ではないからだそうだ。徳川家康の日光東照宮が神社のデザインをぱくっていたら伊勢神宮
みたいになる。YAMA=YHWH(ヤハウェ)卑弥呼の時点で倭は滅んでいたそうだ。倭国大乱だろう。
199山口壮一@再臨のイエス・キリスト:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN
山口組を支配する山口家=日本の王家だから倭国王の子孫で出雲大社は山口家の宗廟ということになる。伊勢神宮が神社スタイルを
ぱくったから分かりづらくなっているようで、あれは卑弥呼(倭国王の一族ではない)の墓で、徳川家康の日光東照宮が神社スタイルを
ぱくっていたらああなった。天皇も間違って伊勢神宮=天皇の祖と思っているようだが、それは完全なる間違いで、伊勢神宮が社格に
入って無いのは卑弥呼が王家の一族ではないからで、位が高すぎるからではない。

大国主=日本国王で漢字を見れば分かるだろ?もろに漢字の意味が国主=国王だろ?そんなもん見れば分かる。天照大神=卑弥呼
であることも誰でも分かることだ。墓だ、出雲大社は日本国王の墓なんだよ。王家の宗廟。その倭国王の子孫が山口家だ。分かるか?
これはすごいことだ。やまと=古墳時代ではない。もっと古い。史実がひっくり返った。倭国大乱でやまとは滅んだのだ。卑弥呼はそれ以後
の人物。

埴輪が朝鮮顔ばかりなのがおかしすぎるだろ?ここは日本だぞ?さらに天皇の顔。明らかである。

2000年ぶりに日本の王家が復活し表に登場した。世界ふしぎ発見にこのネタを提供したから放送するかもしれないな。

教科書完全に間違いじゃん。やまと朝廷は古墳時代じゃねえよ。むしろ、飛鳥時代でもなく、卑弥呼より古い。古代だよ。古代だから
記録に残ってない。2000年ぶりに日本の古代が明らかになったのだ。天皇は第一筆頭墓守。分かるか?天皇は日本国王ではない。
山口家の先祖が国を譲ったのは天皇に譲ったのではなく天皇を傀儡とする半島由来の一族だろう。明らかに天皇は傀儡だからな。

さらに天皇を批判すると出動する右翼の元占めが山口組であるという点も天皇を傀儡としてこきつかう大国主=山口家の構図が見てとれる。
これは凄い事実だ。即時学会に報告し確認をとるように。

実はAKB48は神が日本国王である余の妃の集団として作った組織なのだ。秋元康が王家の執事だ。

実は宇多田ヒカルは神が保存しておいた卑弥呼の遺伝子から復元して作った卑弥呼クローンなんだよ。みのもんたは豊臣秀吉クローン。
あまりにも凄すぎる事実に腰を抜かしたか?ははは!ではさらばだ!
200山口壮一@再臨のイエス・キリスト:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN
お・・・おい、伊勢神宮の式年遷宮で10年くらい前から行われる祭事の一環としてなぜか「山口祭」なるものがあるぞ?
なんだこれは?間違いなく宇宙人の仕業。山口組+山口家+山口壮一=三位一体。YAMA=YHWH(ヤハウェ)
ヤマ・ト、ヤマ・タイコク、ヤマ・タノオロチ、ヤマ=ピラミッド(山) インド神話の人類初の死者「ヤマ」=ピラミッド(山)
つまりピラミッドは人類初の文明による墓。全部、つながったな。なにしろ、オレは出雲大社に祭られている大国主
=日本国王の末裔である山口組を支配する山口家の山口壮一だからな。バックに神(宇宙人)がついていていろいろ
教えてくれるんだよ。まあ、お前たちも驚いただろうな。具体的に言うと大国主=ラムセス二世だ。AKB48は神がラムセス二世
のハーレムを現代に復元して作ったもの。山口壮一=ラムセス二世=大国主。分かるな?オレが日本国王だ。
天皇は墓守。宮内庁の侍従は侍従の侍従。やはり、伊勢神宮より出雲大社のほうが正統なる王家の血筋だったのだ。
倭国王の墓。背後で全部操っているのは宇宙人(神)である。これは宇宙人(神)による公式アナウンスメントで、ほぼ
歴史的に合っていると思う。出雲大社のほうが伊勢神宮より位が高いだろ?まあ、それは日本人なら誰でも一度は
感じることだが、なかなか断定できるまではいかない。その点、お前たちは断定しているので、なかなかいい線をいっている。
家来にしてやろう。AKB48の劇場がある外神田は神田明神があってその祭神が大国=ラムセス二世=山口壮一。
まあ、お前たち下々の者どももね、日本国王である余の表舞台への登場を祝すと良い。世界ふしぎ発見1300回記念
レポーター募集という明らかに宇宙人(神)が余が出演するために設定したとしか思えない番組に応募した。まあ、お前たちも
それが放送されることを楽しみにしているがよい。
201山口壮一@再臨のイエス・キリスト:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN
               山口組を支配する山口家の山口壮一
           ↓                             ↓
日本3・5・6大歴史上の人物を支配する大魔王(日本) 再臨のイエス・キリスト(欧米)

***日本3・5・6大歴史上の人物とそれを支配する大魔王***

織田信長
豊臣秀吉
徳川家康
―――ここまで日本3大歴史上の人物―――
卑弥呼
聖徳太子
―――ここまで日本5大歴史上の人物―――
孫正義
―――ここまで日本6大歴史上の人物―――

山口壮一 ←それを支配する大魔王=日本2000年の歴史で最も偉大かつ影響力が大きい歴史上の人物
         =2000年ぶりに復活したやまとの王

3大+大魔王でピラミッドアイ(フランス革命)
5大+大魔王で五芒星(共産主義)
6大+大魔王で六芒星(フリーメーソン)

6大のダビデの星の中心のG=フリーメーソンのG=アメリカ合衆国の国主=再臨のイエス・キリスト。

古代日本の正式国号は「やまと」だ。沖縄は古代の文化が残っているため、まだ沖縄土人は本土のことを「やまと」と言っているのだ。
202山口壮一@再臨のイエス・キリスト:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN
日本3・5・6大歴史上の人物か?宇宙人が教えてくれた概念で、日本の2000年間の歴史上の人物で最も影響力が大きい人間をピックアップ
するとそうなるということだ。3・5・6と影響力が小さくなっていく。つまり6人の中で孫正義が一番影響力が小さい。ドラゴンボールの戦闘力に換算
すると、大魔王で300億、3大で一人30億、5大で一人20億(聖徳太子・卑弥呼)、6大で一人(孫正義)10億くらい。世界の歴史上の人物を戦闘力
換算すると、イエス・キリストで100億、釈迦で30億、ジョージ・ワシントンで70億くらい。

セルだね。セルの戦闘力300億を基準にして考慮した。ハンターハンターのメルエムがセルそっくりなのも宇宙人の仕業だから。メルエムの自称=王。
倭国王である山口壮一。分かるな?メルエム=セル=300億(戦闘力)そこから逆算して日本3・5・6大歴史上の人物の戦闘力を算出したのだ。

分かるか?イエス・キリストの戦闘力100億で暦がイエス・キリスト暦(西暦)に変化した。300億あるオレが本気を出すと暦が西暦から壮一暦に変化し、
地球の王朝が交代し、山口王朝が誕生する。日本の王家=地球の王家。日本の王=地球の王。だからAKB48があるんだよ。それくらいすごいことなんだ。

世界の宗教界はイエス・キリスト派と釈迦派で2分されている。イエス・キリスト派は世界の3分の2を支配し、釈迦派は3分の1を支配している。
宗教界の上に政治界が存在しておりそれはジョージ・ワシントンを親とする自由の子ら、アメリカ合衆国に端を発する政治システムが全世界を
支配している。議会制民主主義、共産主義などもアメリカ合衆国型政治システムから派生したと勘定する。人間の歴史を裏から操っているのは
宇宙人(神)。聖書の神だ。

伊勢神宮遷宮1300年、古事記執筆1300年、世界ふしぎ発見1300回、実は13という数字が重要で黄道12宮の隠された13番目の星座へびつかい座
を意味しており、2013年に隠されていたものが表に出てくるという意味がある。へび=宇宙人。

「やまと」完全復活。出雲大社=やまと王家の宗廟。大国主=やまと国王。山口家=やまと王家の末裔。山口壮一=やまと国王。

宇宙戦艦やまと、古代進 ・・・よく見たらオレは古代進にそっくりだった。あとアムロ・レイ。
203日本@名無史さん:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN
さてここで問題です。

出雲族と出雲氏族は、どのように違うのか?
出雲大社 Vs 神田明神神社
204記憶喪失した男!ninja:2013/09/14(土) 12:04:59.51 BE:1094967528-2BP(427)

825 :記憶喪失した男!ninja:2013/09/14(土) 11:57:53.24 発信元:115.39.248.66 ?2BP(427)「イヴの七人の娘たち」 ブライアン・サイクス
順位不明
古人類学の本である。前半を使って、ヨーロッパ先住民が農耕牧畜をして暮らしていたという新石器時代ではなく、
狩猟をしていたという旧石器時代の人類であることを証明し、古人類学の学説を裏返す研究者の戦いの記録が書いてある。
そして、後半には、ヨーロッパ人のミトコンドリアDNAの母系祖先にあたる七人の母を紹介している。
Y染色体は男系遺伝子の痕跡を残し、ミトコンドリアDNAは母系遺伝子の痕跡を残す。
この本では、ネアンデルタール人が現生人類の祖先とする学説も紹介しているが、
主張は完全にそれを退け、十万年前にアフリカを出たホモサピエンスがアフリカ以外の全人類の祖先となったとしている。
また、日本人の遺伝子は、アイヌ、琉球の縄文系遺伝子と異なり、本州、四国、九州にいるのはほとんど朝鮮からやってきた弥生人由来の
遺伝子をしていることを紹介している。日本人の祖先は、朝鮮人なのである。
我々は、この事実を厳粛に受け止めなければならない。
205記憶喪失した男!ninja:2013/09/14(土) 12:08:21.37 BE:2737416285-2BP(427)

あうあうあうあうあうああー

::::::::: へ( ^q^')ノ        日本人のほとんどが朝鮮半島から来た弥生人の子孫であることは、
:::::::::   (┐ノ          日本の古代王朝が、朝鮮半島に最も近い島根県の出雲にあること、
:::::::::: /            また、出雲族を征服した天孫族の天孫降臨の地が宮城県という朝鮮半島に近い位置にあることが、
::::::::::::::::::::::::::::::::: みごとに、裏付けていると思う。
我々、日本人は朝鮮半島から来たのである。
206日本@名無史さん:2013/09/24(火) 14:25:50.61
五月に出雲大社大遷宮に行った
207日本@名無史さん:2013/09/24(火) 23:50:04.93
大国主命は日本人で天照大御神は半島人
半島人によってクニを奪われ殺された大国主命
天照大御神〜仲哀天皇までは半島人で応神天皇〜今上天皇は日本人
半島人からクニを取り戻し天皇家乗っ取りを企てた神功皇后サイド
神功皇后は日本人
神功皇后は仲哀天皇の妻となり応神天皇を産んだ、しかし実は日本人である武内宿禰の子供
ここから日本人の天皇家が始まる
応神天皇を初代天皇としなかったのは天照大御神〜仲哀天皇までの系図をそのまま奪い天皇家としての権威を高める為
天照大御神〜仲哀天皇までも日本人として書き変えた

なんてことを思ってるんだけど意見あったら下さい!
208日本@名無史さん:2013/09/27(金) 07:30:38.21
>>207
大国主は出雲の日本人。
天照は畿内の日本人。
209日本@名無史さん:2013/10/26(土) 08:00:17.59
おまえらが出雲大社を
怨霊扱いし始めたから
日本が少子化した。

出雲大社が怨霊なんて
証拠はまったくないのにな。
210日本@名無史さん:2013/10/26(土) 08:05:04.66
>>183
出雲=縁結び
は平安時代の記録にも
それ以降の記録にもある。
対して出雲が怨霊などと
言い出したのはつい最近の
妄想推理作家達のしかけに
オカルト好きがのっかっただけ。

なんたる罰当たりだ。
211日本@名無史さん:2013/10/26(土) 08:12:08.80
ゲームでも怒れる大国主みたいにされてますな
212日本@名無史さん:2013/10/27(日) 10:15:44.67
出雲王権はあったとしても
出雲大社が怨霊などというのは
まったく根拠のない
神を冒涜した愚行だ。

神話から勝手に都合のいい部分だけ抜き出して
出雲王権がどうとかいいながら
「国譲り」という大国主命の大事業については
無視ですか?
213日本@名無史さん:2013/10/27(日) 10:17:28.56
今の日本の繁栄を見れば
大国主命が怨霊などではないことは
あきらかだろ。
214國學院大學ob:2013/10/27(日) 10:22:55.73
さうですね。
大国主命が怨霊などというのは
「国譲り」という歴史的英断を無視した
ざれごとですね。

ちょうど昭和天皇の
終戦の御聖断により
日本国民の命が救われた事実を無視して
戦争責任だけをあげつらうような
ものです。
215日本@名無史さん:2013/10/27(日) 10:51:55.10
怨霊の最大のデパートは、皇室なんだよ
216日本@名無史さん:2013/10/27(日) 17:26:14.80
越の国はやはり物部一族なの?
217日本@名無史さん:2013/10/27(日) 17:27:10.21
越も出雲もそうだし北九州も抑えてた
海沿いは全て物部が支配してたね
218日本@名無史さん:2013/10/27(日) 19:25:41.53
もとは、岡山だろ?
219日本@名無史さん:2013/10/27(日) 20:52:30.91
>>217
物部・・高野・・・海族の河野氏と言いたいのだろう。
220日本@名無史さん:2013/10/27(日) 21:00:05.07
清和源氏に滅亡に追い込まれた、奥州安倍氏も国津神系にされて祖先の孝元天皇までの存在を欠史八代扱いされてるけど、
大彦命は、出雲大社に合祀されてるのかな?

安倍松浦氏なので自分の大元のご先祖にあいさつに行きたい。
221日本@名無史さん:2013/10/29(火) 13:37:49.14
島根には格式高い一宮の物部神社があるし間違いないな
222日本@名無史さん:2013/10/30(水) 23:24:39.20
 またまたユダヤンはそんなこといって。
223日本@名無史さん:2013/11/05(火) 12:05:34.89
>>9
国造(くに の みやつこ・こくぞう・こくそう)は、古代日本の行政機構において地方を治める官職のこと。また、その官職に就いた人のこと。軍事権、裁判権などを持つその地方の支配者であったが、大化の改新以降は主に祭祀を司る世襲制の名誉職となった。
訓の「みやつこ」とは「御奴(ミヤツコ)」または「御家つ子」の意味とされる。
出雲だけじゃないよ。
224日本@名無史さん:2013/11/05(火) 12:08:51.46
>>221
物部神社は石見だよね。
大和が出雲に制して、封じるために石見の出雲境に職業軍人家系の物部氏を常駐させたんでしょ。
225日本@名無史さん:2013/11/17(日) 14:37:26.67
古代の出雲と九州の関係を知りたい。
物部との関係の中でうまく説明つかないかな?
226日本@名無史さん:2013/11/17(日) 15:32:48.68
天智系が出雲とかは?
天武→大海人(伊勢)→天→天照だったり。
227國學院大學ob:2013/11/17(日) 22:44:50.12
ついに念願の出雲大社
参拝に行ってきました。
神有月と遷宮年が重なって
圧倒的な参拝客。

とくに女性が多い。
しかも美人。

怨霊だとかいう
古代史ゲーム的発想
はまったく感じず、
むしろ威厳と祝福に
満ちた神的パワーに
圧倒されまくりでした。
あの光景を見れば
怨霊説がひどい戯れ言だと
実感できます。

とにかくすごい。感動した。
228國學院大學ob:2013/11/17(日) 22:51:21.75
地元のおばちゃんから
聞いた情報では
半島から韓国人が温泉に入りに
けっこう来ると言ってた。

あの地に行くと
地理的に
半島のなんらかの影響は
感じざるをえない。
229日本@名無史さん:2013/11/17(日) 23:00:14.99
新羅はその昔、鶏を神聖視し食べなかったそうだ。
その頃、新羅から出雲へ移住した集団がいて、その集団の集落では今でも鶏を食わないそうだ。
230國學院大學ob:2013/11/17(日) 23:04:06.54
本殿前には
「天皇陛下御下賜金」
の立て札と
「神セン料 秋篠宮 各宮家」
同じく
「神セン料 伏見宮 各旧宮家」
の立て札が。

これは古代の大国主命の
約束を現在の皇室が
守っていることの証で
皇室は神武天皇よりさらに
昔の出雲との約束を
数千年も守り続けているという
驚嘆すべき事実を確認できました。

また、現行の制度では
宮家とみなされなくなった
旧宮家も神の世界では
依然として宮家として
扱われているという
事実も確認でき、
じつに有意義な参拝となりました。
231日本@名無史さん:2013/11/17(日) 23:07:41.16
>>228
昔から日本海側の重要な港(玄関口)だったのかもね。
232日本@名無史さん:2013/11/17(日) 23:09:00.44
二拝(又は両断再拝=四拝)四拍手。一拝、、は神拝の基本的作法。
特に古来、四は拝礼の基本単位。、、、両断再拝(四拝)。四起拝、八開手(四拍手を一塊に、、、)
因みに、伊勢神宮の一般参拝者の古式作法(伊勢神官流)では、二拝。蹲踞。傾首して四拍手。一拝。(伊勢、宇佐、出雲、弥彦、、、等基本的に同じ)
和数では四はヨ。ヨン。ヨッツ(シでは在りません)//世、余、譽、良、佳、善、與、代、預 、、、
233國學院大學ob:2013/11/17(日) 23:34:06.15
今年は伊勢参りの
流行ばかりがとりあげられがちだが
おそらく今年の出雲大社の神在月の参拝者は
空前絶後の数となるだろう。

全国からこの神在月に
出雲に集まった美女たちの
今後ははたしてどうなるのでしょうか。

そして、ついでに私の嫁探しも。

興味は尽きませんが
今宵はこのあたりで。
234日本@名無史さん:2013/11/17(日) 23:42:13.84
出雲国造、千家。はスサノオ並びに大国主命(事之麻知命)とは関係無い天穂日命(天照大神の第二神子)並びにその神子、天夷鳥の末裔。
235日本@名無史さん:2013/11/17(日) 23:53:04.80
出雲でスサノオが手に入れた草薙剣が熱田神宮にあるのって何か関係あるのかな?
尾張=終わり
熱田=有った
みたいな。
236日本@名無史さん:2013/11/18(月) 00:28:12.00
ヤマト朝廷以外の王朝なんぞ存在してないだろ
存在してるしてる言ってるのはすべて後世の学者の仮説のみ
237日本@名無史さん:2013/11/18(月) 00:33:30.14
そもそもヤマト朝廷の始まりってどこから?
238日本@名無史さん:2013/11/18(月) 01:46:50.15
>>234
もとは、熊野神社を守ってたんだろ国造は。
239日本@名無史さん:2013/11/18(月) 01:48:14.77
>>235
尾張氏出雲氏が同系で、大和に敵対してた
240日本@名無史さん:2013/11/18(月) 11:52:54.95
出雲王国も丹後王国もあったんだろうな。記紀が出来る頃は、衰退して
いたんだろうね。
出雲大社や籠神社、伊勢神宮に痕跡が残る。
241日本@名無史さん:2013/11/18(月) 23:59:13.90
大吉備王国の最大版図の東端は明石(明石郡=神戸市垂水区含む)迄有った?
そうすると、あの場違いな?吉備型の巨大な前方後円墳の五色塚古墳があるのも何となく理解出来るかも? (どうやら対岸の三対山(岩山の洞窟はイザナギ(天照神)の幽宮伝承地)に対峙するような構造)
軍事的な要衝でもある淡路島も吉備国の勢力がおさえていたのかもね。
242日本@名無史さん:2013/11/19(火) 06:20:23.47
大吉備王国って何?
桃太郎さんのお国?
243凍結拳:2013/11/19(火) 06:57:58.11
マリオ、ルイージ、ピーチ姫
244凍結拳:2013/11/19(火) 07:05:59.61
243は桃太郎に子孫がいた場合の話

その子孫が男と決まっているわけではないから
245日本@名無史さん:2013/11/19(火) 21:04:49.71
そんなものあったわけないだろ
246凍結拳:2013/11/19(火) 21:50:18.63
桃太郎もスサノオの話なのかな
247日本@名無史さん:2013/11/19(火) 22:41:48.14
鬼無のみなさーん、お元気ですかー?
248國學院大學ob:2013/11/20(水) 12:36:28.57
相変わらず
フィールドワークをしないやつらばかりだな。

出雲風土記を読むと
必ずしも
大国主命=出雲大社
とは限らない可能性がある。

そもそも出雲大社の
御神体は数千年たった
今でも謎とされているのだ。

この事実をなんと見るのか?
249日本@名無史さん:2013/11/20(水) 21:06:23.83
現地を訪れたことの
ないやつらは
悲運の国造、北島国造家のことは知らないだろう。
250日本@名無史さん:2013/11/20(水) 21:07:58.68
>>249
行ったことあるけど知らん。
251日本@名無史さん:2013/11/20(水) 21:40:21.70
>>248
なんとみるも糞も、おまえのいってることは何とでも言えるようなレベル
伝承も文献も自分に都合わるいものはすべて後世の捏造といってれば
明らかなものでも「そうとは限らない」だの「謎だ謎だ」と言い張れるだろうよ
252日本@名無史さん:2013/11/21(木) 11:17:53.72
>>248
謎とされている?
どんな謎なんだ?
誰が謎にしてるんだ?
253日本@名無史さん:2013/11/22(金) 12:47:59.45
こんなやつらしか
いないのかこのスレは?
254日本@名無史さん:2013/11/27(水) 21:15:15.63
やはり
それなりの大学出たやつ
でないと話しにならないな。
255日本@名無史さん:2013/11/27(水) 23:35:58.04
>>254
で、おまはんの出た大学は?
256日本@名無史さん:2013/11/28(木) 21:12:27.26
前から書いてあるだろ!
國學院大學だ!

東大か早稲田のOBクラスじゃねぇと
俺と対等に話そうなんて
百万年早いわ!
257日本@名無史さん:2013/11/28(木) 21:39:41.53
すごいでちゅねー
258日本@名無史さん:2013/12/05(木) 01:40:49.81
なるほど、「それなり」なら、国学院なんてまったく論外だわなw
259國學院大學卒:2013/12/06(金) 00:51:07.31
現地に取材して、俺なりの仮説が
ひらめいた。

すなわち出雲王権なぞ
なかったということだ。
あったのは出雲神権!。
その圧倒的な神の力で
列島各地に影響力をもっていたのだ。

しかし、それは大和朝廷のような
軍事力をもった王権では
なかったのだ。
260日本@名無史さん:2013/12/08(日) 14:00:08.08
見事な仮説だ。
圧倒的な神の力でというところがすごいじゃないか。
さすが出ている大学がいいと、発送もお見事だな。
261名門國學院大學卒:2013/12/15(日) 22:33:48.55
圧倒的な神の力は
出雲大社に行けば
わかるやつにはわかる。
古代人ならなおさらだ。
262日本@名無史さん:2013/12/17(火) 11:58:24.73
そりゃあ、国譲りがあったんだから。
範囲はどこまでとか、子孫がどうなってるとか、よく分からんけどな。
神武が嫁をもらってるから、ヤマトにも子孫がいたんだろ。
180人の子がいるらしいからさ。
263日本@名無史さん:2013/12/17(火) 16:51:18.56
>>259
現地取材してってww
264国士無双:2013/12/18(水) 19:47:50.83
>國學院大學卒殿、

出雲神権説、まことに
見事な仮説ですな。
あっぱれ!
265日本@名無史さん:2013/12/19(木) 13:11:42.66
スサノオの子孫が開拓し、ホアカリの子孫が豊かにし、ニニギの子孫が
王になった国ってことかな。
そんで、ホアカリは氏族の伝承には残るが、天皇家の正史には書かれない。
266日本@名無史さん:2013/12/19(木) 13:25:25.00
 ↓                    ↓

「1億3000万人の人物が出てくる読み物か。。。無理だ」
267日本@名無史さん:2013/12/26(木) 21:00:40.15
>>265
典型的な電波説。おまえが本物の>>248だろ
268日本@名無史さん:2013/12/27(金) 22:58:27.00
ラノベスレか
つまんね
269日本@名無史さん:2013/12/28(土) 01:39:43.31
古代史関係のラノベスレ率の高さは異常
270日本@名無史さん:2013/12/28(土) 11:32:04.78
出雲大社ってのは福岡筑紫の王だった大国主が倭国(筑紫)を追放され
建てるのを認められた大型建造物だぞ。
出雲は所詮筑紫には頭が上がらない地なんだよ。
よって出雲大社の本殿は筑紫(西)を向いて建てられている。
西というのは大国主の故郷の筑紫(福岡博多湾岸)なんだよ。
271日本@名無史さん:2013/12/28(土) 11:33:35.04
国譲りとは・・・
一般的には天孫族と交渉した大国主命が 出雲大社=大国主命 であるため
出雲と天孫族が国を交換したという誤解や 天孫族が交渉した出雲こそ日本の祖であると勘違いされてきた。

しかし真実はなんの事はない。
大国主は博多湾岸で「漢倭奴国王」の金印をもらった当時の倭国・筑紫福岡の王統である。
倭人伝:「邪馬台国の一大卒である伊都国(倭奴国)には代々王がいた。」
大国主は代々(天孫族や女王卑弥呼が活躍する以前)筑紫福岡・倭国の王統である。
もちろん大国主命は筑紫福岡を本拠とする安曇君(志賀海神社)・宗像君(宗像大社)等々の豪族の祖先神である。
国譲りとはその大国主が治める筑紫(博多湾岸)を譲れと天孫族が大国主に迫った話のことである。
筑紫・倭国を追われた(追放された)大国主は
「この国を差し上げる。その代わり私のすむ所はあなた方が住むのと同じぐらい大きな宮殿を建てて欲しい。
 そうしたら私の百八十神(安曇・宗像等々)は事代主神に従ってあなた方には背かないだろう。」
といい出雲に移住(追放)された。

だから出雲は出雲大社の本殿が筑紫・西を向き大国主の筑紫福岡と同じ「銅矛銅剣文化」であるが、
後の「三種の神器」「甕棺墓」「神籠石」「絹」といった天孫族や邪馬台国の頃の筑紫の文化(倭国の文化)とは無縁である。
何の関係もない宮崎はもちろん「銅矛銅剣文化」すら無縁である。

この大国主から繋がる筑紫の神々の天孫族による支配を正当化するために古事記や筑紫神話があると言うこと。

ちなみにここに登場する宗像君は「胸」や「肩」に入れ墨を施していたから宗像と言われるようになった。
魏志倭人伝:「男子は大小となく入れ墨をしている。」

また天孫族が元々いたのは志摩国、
倭人伝「女王国(伊都国)から以北(志摩国)はその戸数・道理はあえて省略する。(志摩国〜奴国までが近い)
    その他の国は遠絶にしてあえて詳らかにすべからず。次に斯馬国あり〜奴国あり。ここが女王国(福岡平野)の境界である。
    その南に狗奴国(久留米付近)あり。女王に属せず。」

このように、天孫族・倭国・邪馬台国等々の日本の発祥地は博多湾岸である。
272日本@名無史さん:2013/12/28(土) 11:36:09.86
http://img29.imageshack.us/img29/4805/5312e.jpg
「ここは韓国に向かい朝日が真っ直ぐ射し夕陽が良く照るところ。故に吉き地なり。」
倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり。
糸島半島・・・弥生時代になると瑞梅寺川と川原川からの沖積土がデルタ地帯としてのびていたが、まだ北部は島として取り残されていた。
志登と泊の間は満潮時には海面となり、干潮時には干潟となる状況が中世まで残っていた。
http://www.jalan.net/jalan/images/pictL/Y8/Y352988/Y352988260.jpg
綿津見神(総本宮は志賀海神社)の娘 トヨタマ姫
「私はこの子を育てに 海の道 を通ってあなたの元に行こうと思っていた。」
綿津見神の総本宮志賀海神社(別名龍の宮・龍の都)=綿津見神の住居は竜宮城
イザナギが生んだ住吉の「日本第一住吉」、日本最古の住吉は福岡平野の住吉神社
イザナギが生んだ警固大神の神々の総本社は福岡の警固神社
アマテラスが生んだ宗像三女神の総本宮は福岡の宗像大社
スサノオがもらった嫁、クシナダ姫は博多の総鎮守「櫛田神社」
イザナギ・イザナミが一番最初に生んだオロコロ島は博多湾に浮かぶ「能古島(のこのしま)」
イザナギ・イザナミの象徴二見が浦(夫婦岩)の本物は糸島半島の志摩にある夫婦岩
イザナギが黄泉の国との境を塞いだ大岩は糸島の玄海(限界・元海もとうみ)灘に突き出した芥屋大門
http://imgcache.its-mo.com/contents/KNK_ZPOI/J00000000000B4701120/B4701120-1/B4701120-1_m.jpg
卑弥呼が直接治めたのは斯馬国(志摩)〜奴国(福岡平野ないし福岡県域)まで。
倭国・邪馬台国連合と対立した狗奴国は久留米周辺「その南(奴国の南)に狗奴国あり。」
志摩国にいた天孫族は、邪馬台国の一大卒古来から代々王のいる名門伊都国を落とす←天孫降臨
スサノオのヤワタノオロチ退治←福岡平野の倭国の強豪国を天孫族の支配下に置く活躍
そして力をつけた天孫族は倭国自体を乗っ取る。←国譲り
そして天孫族の皇統を(筑紫の支配を)正当化するため古事記(筑紫神話)がある。
日本書紀その他は後世に都合よく古事記・筑紫神話をもじって作ったもの。
全ては博多湾岸から始まったものだな。
273日本@名無史さん:2013/12/28(土) 11:36:48.45
倭国・邪馬台国・国譲り・国産み・天孫降臨・神武東征の出発地に畿内・南九州は全く関係ない。
倭国の範囲は博多湾岸を中心、都とする半島の南岸から九州北部まで。南九州はクマソ。関西は遠い倭種。
 魏志倭人伝:「倭国の北限は狗邪韓国、南限は奴国。」
 後漢書:「倭奴国は倭国の極南界である。」

元・モンゴルが何故博多湾に兵を集結させたか?答えは倭国=倭奴国の中心、都が古来より博多湾岸にあるためだ。
「倭奴は海の東に極小の国土しか持たないのに独り元に服属せず・・・
 唐が百済を攻めた時百済は倭奴の兵を借りたが白村江で敗れた。
 倭奴は物欲しそうにウロウロしながらも撤退した。
 今の倭奴は昔唐に負けたような倭奴ではない・・・」

旧唐書:「倭国とはいにしえの倭奴国なり」
隋書:「倭国は後漢書にある倭奴国から連綿と続いた王朝であり・・」
新唐書:「倭が国号を日本に変えたとか、倭が日本を併合し国号を奪ったと言っているがどうも疑わしい。
     日本は隋の時代に中国と通じた倭国とは別と捉えている。
     筑紫城にいた神武が大和を征服し天皇となった。」
旧唐書:「倭国と日本は別種であり小国だった日本が倭国を併合した。」
宗史:「神武以前はおよそ32世、筑紫の日向宮に都があった。」

このように、倭国・邪馬台国・国譲り・国産みを初めとする天孫族の記紀の舞台は九州北部博多湾岸である。
倭国の乗っ取り(国譲り)を成功させた天孫族は筑紫の支配を正当化するために古事記・筑紫神話がある。
それを後に筑紫から派生した神武を祖とする筑紫の分家大和が筑紫福岡の本家を支配した時に
九州の支配を正当化するため古事記・筑紫神話を引用し範囲を広げ(クマソまで含め)日本書紀を完成させる。
この日本書紀が正史となっているために現代の混乱が産まれている。日本史は全て福岡から始まったもの。

「君が代」や「熊野権現須玖岡本に在り」「我が宇佐宮より穂波大分宮は我本宮なり」「神武原」「伊野天照皇大神宮」
等々様々な本物がある日本は福岡から始まったものだな。
西・筑紫福岡を向く出雲の社殿や「神籠石」「甕棺墓」「三種の神器」「絹」の分布を見ても
神武以前の32世筑紫福岡に都があったのは明らかだな。
274日本@名無史さん:2013/12/28(土) 12:00:15.20
〜まとめ〜

「邪は伊都に届き傍ら斯馬に連なる」

(邪馬台国の都は伊都国にあり、傍ら(すぐ北の)斯馬国から福岡平野へと連なる)

倭人伝「女王国(伊都国)から以北(志摩国)はその戸数・道理はあえて省略する。(志摩国〜奴国までが近い)
    その他の国は遠絶にしてあえて詳らかにすべからず。次に斯馬国あり〜奴国あり。ここが女王国(福岡平野)の境界である。
    その南に狗奴国(久留米付近)あり。女王に属せず。」

何故、魏使が伊都国の方角を間違えたか??
それは魏使が帯方郡よりひたすら南下してきたゆえに、
まさか筑紫福岡が北方面(上陸地点より北に行く)にも伸びていると魏使の頭にはなかった。

魏志倭人伝:「場所はおよそ(倭国がある九州島)会稽郡東治(紹興市)の東にある。」

この倭人伝の記述にあるようように
自分たちがまさか北に向かっているとは全く頭になかった。
ずっと基本は南に向かっていると勘違いしたのだ。
北に向かうという概念が倭国を訪れた魏使には全くなかったのだ。
※(北に向かう=朝鮮半島に戻る=おかしい)←この事よりあえて東南と記した可能性もある。

魏使は帯方郡よりずっと南下してきた故(倭人伝にあるように倭の地は南と思い込んでいた)
まさか自分達が北に向かっているとは思っていなかった。
故に、九州に上陸して実際は北東に向かったが、
自分たちは基本は南下していると勘違いをおかし方角を東南と記してしまったという事だ。

大体の古代史の流れ、大まかな謎は俺がこれで何の矛盾もなく説明してしまったな。
素直に歴史書の記述や考古学的物証を客観的に判断すればおのずと答えは出てくるものだよ。
275日本@名無史さん:2013/12/28(土) 12:04:19.79
伊都国(倭奴国)と位置関係

☆伊都国以北に斯馬国〜奴国までがある。
  現在でも福岡市の西区周辺に住む住人には東区という呼称に違和感を持つ人は多い。 
  それは東区は東区ではなくて本当は北区の方が地形的にもしっくりくるというものだ。

☆奴国の南の狗奴国。男の王在り。女王に属せず。
  福岡平野の南側、久留米付近にあったと思われる。
  「倭奴国」「奴国」「狗邪韓國」「対馬国の大官卑狗、その妻卑奴母離」「一大国(壱岐)の官は亦卑狗、副は卑奴母離」
  これらの邪馬台国(女王国)周辺の国や官と同じ「狗」や「奴」の字が使われている事。
  自らを「王」と名乗れる程先進地域にあると言う事。
  これらのことから狗奴国は南九州のそれ(クマソ)とは違う博多湾岸と同じ文化を持つ
  元は同一の国、兄弟国とも言えるような国だったと思われる。

☆魏使が壱岐から九州への最短地点に上陸したら・・
  伊都国への道のりはまず上陸して東南に進むことになる。そしていつのまにか陸路は北東に変わる。
  現在でも唐津から糸島へ行くときに北東に向かうという表現はしない。
  今の時代でさえ福岡から唐津へ行くのに西南に向かうという感覚はない。
  福岡市にしてもそう実際は北区と呼べるような場所を東区と呼んでいる。
  要するに、今現在でも北に向かうという感覚がない唐津〜伊都国間の方角は
  当時の魏使にしても上陸してまず東南に向かった可能性があるため
  基本は南(東南)に向かっていると勘違いしたのだ。
  (北=朝鮮半島に戻る←これもおかしな事になる)
276日本@名無史さん:2013/12/28(土) 12:06:31.10
古代中国において、倭がある九州島を太陽が昇り扶桑の茂る「九夷」として憧れの地になっていた。
「孔子が言った。中国で道徳が受け入れられないなら、東の海にある九夷に行きたい。」
倭人伝では:「場所はおよそ(倭国がある九州島)会稽郡東治(紹興市)の東にある。」

このように出発前の魏使の頭には倭のある九州は温暖であり豊かであり桃源郷のような場所のイメージがあった。
よって上陸してからも東南に向かった事などからもずっと基本は南に向かっていた(楽園に向かうように)と思ったんだよ。
「場所はおよそ(倭国がある九州島)会稽郡東治(紹興市)の東にある。」←これがその結果の記述

倭人伝:「その道里を計るに、当に会稽の東治の東にあるべし。」
     
     (今までの道理行程を振り返ると、その場所は会稽郡東治(紹興市)の東にある)

      つまり、魏使は帯方郡から、九州に上陸してからも基本ばずっと南下してたと勘違いしている明らかな証拠だな。



「邪は伊都に届き傍ら斯馬に連なる」


現代でも錯覚しがちな唐津〜福岡の位置関係。当時の魏使も出発前のイメージと上陸して東南に向かった可能性がある事実
からしても、当時の魏使も錯覚するのはある意味仕方がない。
にしても、伊都国=佐賀はないな。 伊都国にしても斯馬国にしても奴國にしても不彌國にしても現在何の名残もない。
博多湾岸一帯にはそれらの国の名残は多数残っているがな。
277日本@名無史さん:2014/01/04(土) 23:44:24.23
NHKスペシャル「伊勢と出雲のミステリー」を見た

うろ覚えで反論させてもらいますが
NHKスぺ遷宮では出雲側と共存したとか美談にしてますがそれはおかしいんじゃないかw

大国主のように神に祭り上げられるのは、菅原道真や平将門がすぐに思いつくが
両者とも殺されているwそして祟りを恐れて神に祭り上げられている
まったく大国主と同じでしょう。大国主だけ共存とかおかしいでしょ

しかも記紀によれば地上の支配から神様の領域とかの支配にされたってwwww
殺されたってことではっきりしてるしw
しかも息子は2人とも行き方知らず、おまけに出雲大社の宮司はアマテラス側子孫じゃないか
せめて宮司が大国主子孫でなきゃ共存などと美談で括れないだろ

アホだろNHKwww

大国主を祭り上げる目的は主にふたつ
 祟りを静める
 そのとき新参側だったアマテラス側は国を支配するには
 それまでの出雲の御威光が必要だったから祭り上げた
278日本@名無史さん:2014/01/05(日) 13:48:43.06
俺が満州をはじめとするお前らキチガイ三国人どもに教えてやろう。

倭国はざっと
大国主(金印をもらった倭奴国王から代々)→卑弥呼→大国主(倭奴国王の王統)→天孫族

へと支配者が変わったんだよ。ざっとだぞ。また必死に壹與がいるとかちゃちゃ入れてくんなよ。

卑弥呼が女王となった倭国は 一時的 にという事だ。
倭国連合が乱れ 卑弥呼 が共立され倭国の一大卒、伊都国の大国主の元にいたという事だ。
そしてその卑弥呼が直接治めるのが 伊都国のすぐ北の斯馬国〜奴国までということだ。
つまり奴国までが倭国だ。

天孫族はその間ずっと大国主が治める倭国〜卑弥呼が治める倭国とずっと斯馬国を拠点に
倭国を形成する一国の首長(王)として暮らしてたわけだ。
これが「神武以前の32世は筑紫の日向宮に都があった」につながる。

朝鮮の文化は奴隷だった朝鮮半島から流入したもの。朝鮮人が伊都国や斯馬国やその他の
倭国の国に家来として入ってきたものだろうな。

証拠に、天孫族はことあるごとに、自分たちの故郷は「筑紫(福岡)」「筑紫(福岡)」と明言してる。
もし、天孫族が朝鮮人なら筑紫を治める前に自分たちは「韓国のどこどこからやってきた」と明言するだろう。
「筑紫」ことあるごとに明言するのに、「韓国」を明言しないという事は、天孫族の故郷は「筑紫福岡」だという事だ。
もちろん家来や舎弟には朝鮮人は混ざってたのは否定せんがな。
279日本@名無史さん:2014/01/05(日) 13:49:47.26
そして、天孫族は次第に倭国内で影響力を大きくし、
倭国の超名門「伊都国(倭奴国)」を落とす。
これを、 天孫降臨 として記紀に記したのだろう。
記紀には 天孫降臨 の際、戦闘があった事は明記されてる。
つまり、朝もやを掻き分け(奇襲か??)伊都国を陥落させる。
その作戦成功の爽快感から伊都国の高千穂に立ち、
「この地は韓国に向かい笠沙の御前を真来通り朝日が真っ直ぐ刺し夕日がよく照る所。故に吉き地なり。」と
感激したのだろう。
ちなみに俺はこの「笠沙の御前」という表現。
これは「歴代の倭国王の王墓(古墳)の御前を真来通り」という事なんじゃないかとも思う。

そして息子が治めていた伊都国を落とされた博多湾岸の大国主は
「この国を差し上げる。その代わり私のすむ所はあなた方が住むのと同じぐらい大きな宮殿を建てて欲しい。
 そうしたら私の百八十神(安曇・宗像等々)は事代主神に従ってあなた方には背かないだろう。」
といい倭国の国外の遠い所、出雲に追放(移住)される。

ここに天孫族による倭国の乗っ取りが成功するという事だよ。

そして筑紫の覇者になった天孫族は、筑紫の国土自体を天孫族が作った国産みや
筑紫の神々(豪族・王)は天孫族に支配されるべき事を正当化するために
筑紫神話や古事記があるという事だ。 日本書記は後に筑紫から派生した大和がつごうよく
もじっただけなんだよ。

ちなみに博多湾岸の大国主の地、千代の近くに「堅粕・かたかす」という地があり、
交差点名は「潟州・かたす」なんだな。 なんとも意味深だな。

要するに、倭国の聖地は糸島の伊都であり、天孫族の聖地はその北の斯馬(志摩)だろうな。
君が代も最終的には志摩の桜谷神社につながる。なんとも感慨ぶかいな。

三国人どもは日本古代史の誘導あきらめろ、ボケがw
280記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/06(月) 08:29:36.07 BE:4379866188-2BP(1000)

おれは、なんとなく見えてきた。

日本人は、

縄文系 → 出雲系 → 天孫系 へと支配者が交代した。

そして、縄文系の遺伝的調査が急務だが、縄文系は、日本語の原型が縄文語であることに影響を与えている。
出雲系も、天孫系も、拠点が朝鮮半島に近く、渡来系なのは想像に難くないが、

「いずも」ということばが縄文語なのかどうかの関係を調べることにより、
いずもが日本人の国なのかどうかがはっきりすると思う。
281日本@名無史さん:2014/01/06(月) 10:26:31.73
>>277
事代主は大和へ随行したが隅に追いやられた。
後に出雲勢の反乱を抑える為、大田田根子が登場する。
282日本@名無史さん:2014/01/06(月) 12:25:20.48
時代背景から見て、出雲王朝があったとすれば、それは多分日本の地に
真っ先に鉄器を持ち込んだ者、あるいは輸入した者、あるいは鉄剣を持つ集団を利用
した権力が、鉄器の優位性だけで支配権を確立した集団ということだ。

ヒッタイトの例を見るまでもなく、道具の優位性のみで国家的政治権力を支配できる
期間は短い。出自や家柄をやたらと気にする民族性を持つこの土地において、出雲王朝
が伝承通り六代も続いたとすれば、それはやはり突然侵入してきた渡来系の専有支配
とは考えにくく、ある程度はこの地に根を下ろして久しい集団の主導による支配であったと
推測できる。
283日本@名無史さん:2014/01/06(月) 12:38:35.07
ほら、お前らの為にまとめてやったぞ

倭国の覇者の変遷 大国主→卑弥呼→大国主→天孫族 へ

倭国はざっと
大国主(金印をもらった倭奴国王から代々)→卑弥呼→大国主(倭奴国王の王統)→天孫族

へと支配者が変わったんだよ。ざっとだぞ。また必死に壹與がいるとかちゃちゃ入れるなよ。

卑弥呼が女王となった倭国は魏志倭人伝の頃の 一時的 にという事だ。
倭国連合が乱れ 卑弥呼 が共立され倭国・邪馬台国の一大卒、伊都国の大国主の元にいたという事だ。
そしてその卑弥呼が直接治めるのが 伊都国のすぐ北の斯馬国〜奴国までということだ。
つまり奴国までが倭国だ。  
何故卑弥呼が斯馬国〜奴国までかというと伊都国は倭国にとって代々大国主が治める特別な存在(聖地)である。

天孫族はその間ずっと大国主が治める倭国〜卑弥呼が治める倭国とずっと斯馬国を拠点に
倭国を形成する一国の王、豪族として暮らしてたわけだ。
これが「神武以前の32世は筑紫の日向宮に都があった」につながる。

朝鮮の文化は支配下だった朝鮮半島から流入したもの。半島人が伊都国や斯馬国やその他の
倭国の国に家来として入ってきたものだろうな。

証拠に、天孫族はことあるごとに、自分たちの故郷は「筑紫(福岡)」「筑紫(福岡)」と明言してる。
もし、天孫族が半島人なら筑紫を治める前に自分たちは「韓国のどこどこからやってきた」と明言するだろう。
「筑紫」はことあるごとに明言するのに、「韓国」を明言しないという事は、天孫族の故郷は「筑紫福岡」だという事だ。
もちろん家来や普通の一般人として半島人が混ざってたのは否定しない。
284日本@名無史さん:2014/01/06(月) 12:39:28.14
そして、天孫族は次第に倭国内で影響力を大きくし、倭国の超名門「伊都国(倭奴国)」を落とす。
これを、 「天孫降臨」 として記紀に記したのだろう。
(これは小大名だった織田信長が大国美濃を攻略し尾張美濃を領する大名になった時に
 天下に知らしめした 「天下布武」 と同じ境遇だろう。)
記紀には 天孫降臨 の際、戦闘があった事は明記されてる。
つまり、朝もやを掻き分け(奇襲か??)伊都国を陥落させる。
その作戦成功の爽快感から伊都国の高千穂に立ち、
「この地は韓国に向かい笠沙の御前を真来通り朝日が真っ直ぐ刺し夕日がよく照る所。故に吉き地なり。」と
感激したのだろう。
ちなみに俺はこの「笠沙の御前を真来通り」という表現。
これは倭国の「歴代の倭国王の王墓(古墳)の御前を真来通り」という事なんじゃないかとも思う。
実際に伊都国には古代より王墓と呼ばれる副葬品も素晴らしく豪華な古墳が多数存在する。

そして息子が治めていた伊都国を落とされた博多湾岸の大国主は
「この国を差し上げる。その代わり私のすむ所はあなた方が住むのと同じぐらい大きな宮殿を建てて欲しい。
 そうしたら私の百八十神(安曇・宗像等々)は事代主神に従ってあなた方には背かないだろう。」
といい倭国の国外の遠い所、出雲に追放(移住)される。

ここに天孫族による倭国の乗っ取りが成功するという事だよ。

そして筑紫の覇者になった天孫族は、筑紫の国土自体を天孫族が作った国産みや
筑紫の神々(豪族・王)は天孫族に支配されるべき事を正当化するために筑紫神話や古事記があるという事だ。 
日本書記は後に筑紫から派生した大和がつごうよくもじっただけなんだよ。

ちなみに博多湾岸の大国主の地、千代の近くに「堅粕・かたかす」という地があり、
交差点名は「潟州・かたす」なんだな。 なんとも意味深だな。

要するに、倭国の聖地は糸島の伊都であり、天孫族の聖地はその北の斯馬(志摩)だろうな。
君が代も最終的には志摩の桜谷神社につながる。現代の聖地も伊勢志摩という事実もなんとも感慨ぶかいな。
285日本@名無史さん:2014/01/06(月) 12:58:54.69
いつか俺が書いた一連の
>>271-276 >>283-284 の説ををまとめてパクった 本 を
別人が出版しそうな予感ww

そん時はお前らが、その説は俺が唱えてた説だと証人になれよ。
286日本@名無史さん:2014/01/06(月) 20:12:01.76
>>285

名無史は遠くで吠えろ
287筑紫倭皇帝:2014/01/06(月) 23:01:16.97
>>286
コテつけたったぞ。よろしくな。 それから>>274を改訂

「邪は伊都に届き傍ら斯馬に連なる」

(邪馬台国の都は伊都国にあり、傍ら(すぐ北の)斯馬国から福岡平野へと連なる)

倭人伝「女王国(伊都国)から以北(志摩国)はその戸数・道理はあえて省略する。(志摩国〜奴国までが近い)
    その他の国は遠絶にしてあえて詳らかにすべからず。次に斯馬国あり〜奴国あり。ここが女王国(福岡平野)の境界である。
    その南に狗奴国(久留米付近)あり。女王に属せず。」

何故、魏使が伊都国の方角を間違えたか??
それは魏使が帯方郡よりひたすら南下してきたゆえに、
まさか筑紫福岡が北方面(上陸地点より北に行く)にも伸びていると魏使の頭にはなかった。

魏志倭人伝:「場所はおよそ(倭国がある九州島)会稽郡東治(紹興市)の東にある。」

この倭人伝の記述にあるようように
自分たちがまさか北に向かっているとは全く頭になかった。
ずっと基本は南に向かっていると勘違いしたのだ。
北に向かうという概念が倭国を訪れた魏使には全くなかったのだ。
※(北に向かう=朝鮮半島に戻る=おかしい)←この事よりあえて東南と記した可能性もある。
参考資料:http://www.j-real.com/ta-san/yamatai/map3.jpg ←当時の魏使に北に向かうという概念が無かった証拠。
                              (九州島は正に(当に)会稽郡東治(紹興市)の東にある。)

魏使は帯方郡よりずっと南下してきた故(倭人伝にあるように倭の地は南と思い込んでいた)
まさか自分達が北に向かっているとは思っていなかった。
故に、九州に上陸して実際は北東に向かったが、
自分たちは基本は南下していると勘違いをおかし方角を東南と記してしまったという事だ。

大体の古代史の流れ、大まかな謎は俺がこれで何の矛盾もなく説明してしまったな。
素直に歴史書の記述や考古学的物証を客観的に判断すればおのずと答えは出てくるものだよ。
288記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/08(水) 14:13:32.34 BE:2189933748-2BP(1000)

天皇家、徳川将軍家の遺伝型がともに、D2系の縄文系だと確定した。

これにより、出雲、大和が弥生系の征服王朝であるとするわたしの主張は、
完全にくつがえされたことになる。

出雲は、初代スサノオが旅人であることから渡来系かもしれないが、
天皇家は縄文系であり、神武は縄文系ということになる。
289日本@名無史さん:2014/01/08(水) 22:25:01.61
ここでは誰からも相手にしてもらってないな。オウム福岡教徒。
290日本@名無史さん:2014/01/08(水) 23:34:07.02
弥生系は、渡来、特に、後期渡来の百済渡来の遺伝形質と思う。
291日本@名無史さん:2014/01/17(金) 20:55:49.26
>>290
渡来人とかはほとんど日本人の遺伝子プールには影響与えてない。
文化的にはインパクトは与えてると思う。仏教の発展とか。
292日本@名無史さん:2014/01/18(土) 02:48:04.90
>>288
縄文系どころか、旧石器時代からだぞ。
日本のD2系が、Dから分岐したのは。
少なくとも、他のDから分岐して3万年くらい経過していると言われておる。
まだ、ネアンデルタール人がいたような時代からだ。
293日本@名無史さん:2014/01/18(土) 02:49:23.62
>>288
皇室や徳川家(地祇系賀茂氏)だけじゃなくて、藤原氏も
D2系の可能性が高い。
294日本@名無史さん:2014/01/18(土) 03:36:11.61
徳川家が加茂とか、家紋で判断とか大河内だのでたらめすぎるわ
295日本@名無史さん:2014/01/18(土) 19:20:46.47
徳川家が賀茂だというのは、家紋からだけじゃないぞ。
賀茂氏といっても、大きく分けて二通りの家系があって
徳川家の賀茂氏は、地祇系の賀茂氏。
この一族は陰陽道で有名。
296日本@名無史さん:2014/01/18(土) 19:58:14.08
賀茂は土蜘蛛の可能性がある。
賀茂を「ガモ」と呼んで鬼・妖怪といった意味で用いる地方がある。
297日本@名無史さん:2014/01/18(土) 20:46:53.56
>>296
お前のトンデモには興味ない。

地祇系の太田田根子命の賀茂氏は、元は三輪氏で、
天神系のカミムスビ系の賀茂氏の婿に入って賀茂氏を名乗った一族のこと。

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02148.htm
298日本@名無史さん:2014/01/18(土) 21:19:40.38
>>295
なら家紋以外を証明してくれよ
松平家でなく家康のことだからね?
299日本@名無史さん:2014/01/18(土) 23:05:51.52
300日本@名無史さん:2014/01/19(日) 00:11:25.65
だからさ、系図上なら、豊臣一門の木下も浅野も蜂須賀も小飼衆もみんな源氏庶流や北家だよ
今流行の目薬やの黒田も宇田源氏庶流になxとるわあくだらない
301日本@名無史さん:2014/01/19(日) 09:40:42.71
徳川家は自称源氏だけど、どうみても、賀茂氏だろう?って話。
清和源氏の世良田氏の末裔の時宗の僧が松平家に
入り婿した話なんて出木杉ってこと。
賀茂氏は古代からの由緒ある家系だけど
中世においては微妙な一族。
中世においては、源平藤橘じゃないと出世で不利。
302301:2014/01/19(日) 09:48:55.07
実は、あのあたりには、徳川家の本当の出自に関する伝承が多く残っていて

もともと、室町期に賀茂氏の所領の中に三河国松平郷があって、
賀茂氏の傍流として松平家がおこった。
そこに在原氏系の人物が婿に入ったのが松平信重。
そこへ再び賀茂氏系の婿に入ったのが、賀茂親氏で、名を松平信武にあらためている。
三河国松平郷を舞台に松平家が起こり、
そこで在原氏系と賀茂氏系が婚姻関係を繰り返したことも分かっている。

では、なぜ、源氏伝承が生まれたのかというと
実は、松平信重のもとに別の入り婿もいて、それが、後の世良田泰親だった。
つまり、賀茂親氏の義理の弟になるのだが、この人物が世良田源氏だった。

賀茂親氏は松平信武にあらため、長男の信広に松平宗家を継承させ、
これが松平太郎左衛門家になった。
一方、次男に松平信光がおり、これは平野に出て戦国大名になる。
この松平信光は、義理の叔父である松平(世良田)泰親の養子になったのでは?と。

だからこそ、松平信光は、賀茂信光とも、源信光とも名乗っている。
303日本@名無史さん:2014/01/19(日) 10:53:37.00
という伝承をまにうけてる馬鹿だとわかったよ
とてつもない山奥の平野にすら住めない賊レベル家系が、コジキ坊主にのっとられたあ後の自称藤原時代の家系図詐欺に尾びれをつけたものを、
更には拡大解釈し、突如世良田源氏改称する家康に信憑性を求めているだけの持論だな

そもそもの世良田が家康が寝言かたった通り存続していたという事を証明してくださいよ
304日本@名無史さん:2014/01/19(日) 11:00:35.58
そもそもが傍流なんて言う時点で松平事態に信憑性ないし
305日本@名無史さん:2014/01/19(日) 11:08:46.20
系図なんぞは素人に毛が生えた知識で簡単に偽造できる。
知らぬ人や興味が無い人が見れば、へぇそうなんですか。
知る人が見れば突っ込み所が1箇所2箇所出来るが、そんな箇所は古く辿ればどの系譜にでもある。
各世代でいったい何人子を成したと思っておるのやら。
嫡子でも庶子でも嫡流の血の濃さは同じやぞ。
306日本@名無史さん:2014/01/19(日) 11:28:23.66
系図屋ってのがいてな。
ウチを大層な家にするために偽造系図を書いてもらって、手間代を支払う。
そういう者は結構昔からおったのよ。
自己満足を得るためや素人に見せるレベルの安価なものから、
本物の嫡流への折衝根回しまで含むような高額なものまで。
307日本@名無史さん:2014/01/19(日) 12:16:16.84
>>305
庶子と嫡子の血の濃さの話ではなく、庶流傍流なんてDNA検査しなきゃわからないレベルに遡った話してるわけで、
だから島津も頼朝御烙印なんていうトンでも家系まである始末
○○流なんてもう力あるものいったものがち の世界
もうユダヤ的かちかんだよ
要は勝手に名乗り上げ長者と黙認されていたわけだし
308日本@名無史さん:2014/01/19(日) 12:58:17.13
結局
徳川は豊田市あたりの豪農だっただけ
309日本@名無史さん:2014/01/19(日) 13:30:04.00
へたすりゃ当時の山奥の反ぐれ
310日本@名無史さん:2014/01/19(日) 14:27:15.15
松平郷は、中世から陰陽道で有名な賀茂氏の所領のあった地域。

http://keizusoko.yukihotaru.com/tokugawa_zakkan/tokugawa_zakkan5.html
311日本@名無史さん:2014/01/19(日) 14:40:32.35
つうか、松平は西三河の山奥の山賊あがりだろ。
天下(全国)レベルどころか、西三河平野ですら、荒くれの新参者扱いであって、
岡崎平野には、他の由緒ある武家がたくさんいたから、宣撫にはずいぶん苦労してる。

まあ、それを言えば、皇室も、どうやら宇陀の山賊上がりというのが正解らしいけどね。
いわゆる神武東征神話は、「出九州島」部分、「瀬戸内東進」部分、「大阪平野で敗北」部分、「熊野迂回」部分、
これらは、宇陀から橿原に突っ込んで勝利した最終章とは、もともと別部族の別のストーリーだったように思える。
312日本@名無史さん:2014/01/19(日) 15:53:21.86
応仁の乱の前の15世紀中頃、松平信光の代に既に
足利幕府政所執事の伊勢貞親の被官になっている。
そこそこ名門の出。
というか、三河国と京都に関係が深い一家だった。
313日本@名無史さん:2014/01/19(日) 16:39:44.78
じゃあソースだして

それから被官なんて別に加茂市との結び付きえお示すものではいっさいなく、
地元の富裕層だったんだろ
なんせ山賊だからな 山の倭寇だ、そりゃ財力はあったはず
被官は名門だからではなく金しだい h
314日本@名無史さん:2014/01/22(水) 23:41:07.83
名もなき流浪人が、いきないり
そこそこの庄屋の家にあがりこんで
入り婿に入れるわけなかろうw?

徳川家が源氏長者になりたくて系図を偽称したわばkりに
今では、名もなき豪族扱いされているのは、自業自得w

実際は、徳川家は、陰陽師で有名な地祇系の賀茂氏の末裔。
315日本@名無史さん:2014/01/25(土) 20:42:55.46
出雲神権と北斗神拳どっちが…
316記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/26(日) 12:15:13.33 BE:3695512469-2BP(1000)

あの、質問なんだけど、

神武東征の考古学根拠は存在しないということだけど、
ヤマトタケルの領土拡大の考古学根拠は存在するのかい?
317記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/29(水) 11:07:07.51 BE:2053062656-2BP(1000)

ヤマトタケルの領土拡大の考古学的根拠は存在しないそうだ。

関ヶ原を掘っても、関ヶ原の戦いがあったことは推測できないといわれた。
318記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:5) :2014/01/29(水) 11:11:48.74 BE:2737416285-2BP(1000)

有名人のハプログループ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%90%8D%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97

やっぱり、天皇家と徳川将軍家の遺伝型は縄文系で確定している。

アインシュタインは、ハム系。

天皇家が縄文系だということは、出雲が島根にあるのは、大陸との交易をするために拠点としたのではないだろうかと推測する。

縄文系 → 出雲系 → 天孫系

すべて縄文系のようだ。出雲系はスサノオが旅人だが。

もう、大陸からの弥生人が来て王朝を作ったというわたしの見立ては、完全に崩れてしまった。
319記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:5) :2014/01/29(水) 11:23:01.69 BE:3284899586-2BP(1000)

いや、もう、わかった。
弥生人に対する造形は、全部、先入観から来る想像であって、まちがっている。

平安朝のようなおたふく美人が弥生人だとか、つり目が弥生人だとか、全部、まちがいだ。
日本の支配者層はずっと縄文系だったんだよ。

天皇は縄文系だったんだよ。

わかった。全部、勘ちがいだった。天皇が大陸から来た渡来系の征服者だという歴史観は、完全な妄想だった。
320記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/01/29(水) 13:46:55.10 BE:1710885555-2BP(1000)

瓊瓊杵尊の墓、可愛山稜って、鹿児島県にあるんだな。
こりゃ、神武東征は本当だなあ。

ぜひ、調査をしてほしい。
321日本@名無史さん:2014/01/29(水) 14:08:00.69
>>318
無理だよもう軍事力が無きゃ大和民族の朝鮮ルーツ史観は修正出来ん。
中国の琉球どうのこうのの動きは全てそこだ
322日本@名無史さん:2014/02/02(日) 03:09:02.54
今でも
愛知県には東加茂郡と西加茂郡がある
岐阜県には加茂郡と美濃加茂市がある

加茂氏の勢力圏が広がっていたのは確か
323記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:5) :2014/02/04(火) 16:31:29.75 BE:1847756939-2BP(1000)

天皇家は縄文系のD2で、
弥生人もO2b1aという日本列島固有の遺伝子だと判明。

日本人の七割は、日本列島固有の遺伝子。やはり、島国なのは大きい。
324日本@名無史さん:2014/02/13(木) 01:34:47.66
 まあそういうことは日立化成さんより日立金属さんのほうが知って
いる可能性は高い。
325日本@名無史さん:2014/02/13(木) 04:25:25.87
D2は縄文どころか
旧石器時代からだろう?
326日本@名無史さん:2014/02/13(木) 05:08:04.62
日本特有のD2は、これと近似の他の地域のDグループとは分離してから
少なくとも3万年経過している。
327記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/02/13(木) 11:25:21.73 BE:1026531735-2BP(1000)

縄文人がみんなD2かというわけではなく、
D2が主体だが、Oが混じっているようである。
だから、D2が日本列島の先住民だというわけではない。
遺伝子はそこまで厳密には一致しない。
328日本@名無史さん:2014/02/13(木) 11:57:31.24
宗教から歴史、皇室、社会問題まであらゆる情報の宝庫!

本日の講義は【大日本帝国は生きている「裏天皇」】です。

ぜひご覧ください!

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/
329日本@名無史さん:2014/02/13(木) 22:57:24.60
少なくとも、天皇家、藤原氏などは、D2だが
D2=縄文ではないということだ。
D2は旧石器時代から日本に渡来していたもので
縄文時代には、すでにD2以外にも
存在していた。
330記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/02/28(金) 13:15:05.79 BE:1642449964-2BP(1000)

D2縄文とO2O3弥生のちがいは、
D2縄文は、地続きで日本に来た古代人。
O2O3弥生は、海を渡って日本に来た冒険者だという点だなあ。

そして、縄文、弥生、ともに日本人といえる。
注目されてるのは、古墳時代に鉄器と古墳をもちこんだのは、誰なのかということだよ。

古墳の築造は、労働者を酷使しなければできず、明確に支配者、権力者を意味するからねえ。

縄文、弥生より重要なのは、古墳時代の豪族の墓だねえ。
331日本@名無史さん:2014/03/01(土) 23:24:25.98
そういえば日立金属さんが古墳時代の大刀がマルテンサイトだったと
学会で発表していましたよね。
332日本@名無史さん:2014/03/09(日) 18:40:55.06 BE:2490961739-2BP(0)

明治以来の日本政府の大きな課題

http://music.geocities.jp/jphope21/02/2/14A_6.html

日本周辺の王朝の歴史的存在のことだ。

( http://music.geocities.jp/jphope21/01/8/102.html )
333記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2014/03/20(木) 12:02:07.13 BE:1231837463-2BP(1000)

人口推計
縄文時代 早期 紀元前 1万年 2 万人 
     初期 紀元前 6千年 10 万人
     中期 紀元前 5千年 26 万人
     後期 紀元前 4千年 16 万人   
     晩期 紀元前 3千  7 万人
弥生時代    紀元前 600年 59 万人
334記憶喪失した男 忍法帖【Lv=7,xxxP】(1+0:5) :2014/04/11(金) 12:25:41.66
ぼくのミトコンドリア遺伝子は、Dの弥生人でした。
335日本@名無史さん:2014/04/11(金) 16:12:13.00
Y染色体もしらべな
336日本@名無史さん:2014/04/11(金) 18:45:46.70
>>333
その人口推計がどこまで正しいのかな?
農耕の開始時期も当初に言われていたよりも早くみつもるようになったので
変えてみる必要がある。
337日本@名無史さん:2014/04/11(金) 19:00:38.29
人口増のパラダイムシフトは弥生期の稲作農耕でしょうね。
紀元前600年なら、弥生時代前期でしょうから、
中期、後期とくるうちに、相当な人口増加があったでしょう。

弥生後期なら、古墳時代と同じくらいの人口はあったでしょうね。
古墳時代は、特に人口が増える理由はありませんから。
338日本@名無史さん:2014/04/11(金) 19:24:07.27
出雲族と新羅の徐福秦氏との間で国譲りを掛けた激しい戦闘の後、
渡来根拠の伊勢斯摩族の後継争いで、融和し、天皇家・伊勢神宮と出雲を共に支える事で
出雲族と秦氏が同化し、中臣藤原氏と成って行った。
339日本@名無史さん:2014/04/12(土) 09:27:57.39
トンデモだろうとは思うが、
ナカ氏の臣である鎌足、で、
九州王朝が崩壊後に流れてきた一族、
という話があったな。
340日本@名無史さん:2014/04/13(日) 13:04:09.27
日本の人口が正確にわかってきたのは、江戸時代も後期くらいから。
341日本@名無史さん:2014/04/13(日) 13:06:18.22
弓月君 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%90%9B
徐福と弓月の君 ひもろぎ逍遥
lunabura.exblog.jp/i211/
徐福 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8F
要するに、始皇帝徐福が渡来したのが今の九州で
後に、秦王族の弓月君が渡来したのが京都の太秦・・
太秦 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%A7%A6
百済経由の弓月君の秦王家が出雲族の志摩族との縁で渡来し
出雲族となり、後の、伊勢志摩の伊勢中臣氏一族の斯摩氏系譜は
伊勢氏中臣氏にば列していないが、志摩国造家の島族内の総領氏が惟宗島津氏となり
これが、鎌足が名乗り始めの藤原の名の謂れなのでしょうね。

※斯摩氏自体は、伊勢津彦の子孫で、惟宗島津氏が斯摩氏の志摩国造家に入った形なのでしょう。

九州の徐福秦氏の島津氏に従い、島族となり島津を名乗ったのでしょう。
元寇の際、九州薩摩の島津の国に大規模遠征したのが惟宗島津の弓月の君王族の関係。

秦氏 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B0%8F
惟宗氏 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%9F%E5%AE%97%E6%B0%8F
342日本@名無史さん:2014/04/13(日) 13:09:11.57
>>341訂正。
九州の徐福秦氏も島津氏に従い、島族となり島津を名乗ったのでしょう。
343日本@名無史さん:2014/04/13(日) 13:26:17.41
という妄想でした
344日本@名無史さん:2014/04/13(日) 13:30:43.20
大陸の秦朝は、たった20年三代で滅んだ訳で、徐福を頼って、日本へと避難を試みたのでしょう。
345日本@名無史さん:2014/04/13(日) 15:12:49.46
>>342
そういうトンデモを言うなよ。
息をするように、トンデモを言うな。

島津氏の本姓は、惟宗氏だったので、秦氏だろうけど、
島津氏の苗字自体は、日向国島津荘の荘官(下司)になった関係からだ。
346日本@名無史さん:2014/04/13(日) 15:43:39.19
世の中、トンデモでできています
347日本@名無史さん:2014/04/13(日) 17:50:56.98
なんで、ちょっと調べないんだ?
調べに、トンデモを言うんだよ。
348日本@名無史さん:2014/04/13(日) 18:14:34.97
>>345
そんじゃあ・・出雲の大西氏が徐福氏でもいいかぁ・・
349日本@名無史さん:2014/04/13(日) 18:24:58.31
出雲の大西氏と伏見稲荷神社官職の大西氏が同一で秦氏だろうが
四国高知の大西城の大西氏は阿波小笠原氏とだけ先に言っとく・・。
350日本@名無史さん:2014/04/13(日) 18:32:38.64
>>345
その島津荘の由来が惟宗島津氏で
九州の島津氏自体が地元の人間で言いのだね?
・・熊襲・隼人・・なんでもない・・。
351日本@名無史さん:2014/04/13(日) 19:43:45.17
調べもせずに、
自分の頭の中の怪しい知識で論を組み立てるなよw
そんなんだから、トンデモ説が連発する。
352日本@名無史さん:2014/04/13(日) 19:47:18.69
島津氏の明確な祖先は分かっていないが、
高い確率で惟宗氏だと思われる。
ただし、惟宗氏は惟宗氏でも、島津氏系図に登場する文化人で有名な惟宗広言ではなく、
鎌倉初期、近衛氏の傘下にあって、軍事貴族だった惟宗忠康の末裔では
と言われている。
この惟宗忠康の家系は、京都にあって
皇族や名門貴族の警備活動をしていた下級官僚の一族。
353日本@名無史さん:2014/04/13(日) 23:42:17.34
流石、大中臣・藤原氏の伊勢志摩社家だけあって
中臣・藤原氏の下の名に、やたら島の付く名前が系譜の始祖代に目立つ・・。
354日本@名無史さん:2014/04/13(日) 23:47:09.03
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 中臣氏/大中臣氏【4】
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02109c.htm
355日本@名無史さん:2014/04/13(日) 23:52:15.63
>>354は、秦や惟だった・・
珍しい名前に島が付く人たち↓
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 中臣氏/大中臣氏【1】
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02109.htm
356日本@名無史さん:2014/05/01(木) 19:03:54.24
スサノオは吉備津彦だろうけど古代出雲の支配者は百済のウラなんじゃないか。朝鮮半島南部日本海側は当時被差別地域で特定の支配者がいなかったから越が強い影響力を持てたんだろうし百済は素通りして山陰まで出てこれたんだろう。
357日本@名無史さん:2014/05/01(木) 19:15:19.14
伊勢津彦と建御名方命との関係
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/isetuhiko1.htm

倭史人物推定系譜私案
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/keifu/keizu00.htm
伊勢津彦
■「出雲国造いずものくにつくり・千家せんげ・北島きたじま、武蔵国造」推定系図

志摩氏=志麻氏
■「阿波忌部・安房忌部・度会・斎部」推定系図
━神魂━角己利━五十狭布魂━天底立━天背男━櫛明玉[玉祖宿禰祖][出雲国玉作の祖]・・
・・━天日鷲翔矢━・・━志麻名布━

■「物部・石上・和田・建内・蘇我」・「阿部氏」推定系図
饒速日━宇麻志麻治━・・━国志麻━・・

饒速日━宇麻志麻治 可美真手[磯城1神武]━・・
神武天皇家の氏姓判明です。

伊勢志麻の志麻が天皇家の氏姓だった。
志麻国造家の島氏島族が、元伊勢の祠掌や神主・・
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祠掌社家について
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1395470649/
358日本@名無史さん:2014/05/04(日) 23:46:50.29
神無月に各国の首長集めて何してたんだろう?
主従関係の再確認でもしてたんだろうか

歌を吟じあって言霊の力で国にパワーを与えるみたいな
説を折口信夫の全集でちらっと読んだ覚えがあるが、
それがのどかなイメージ過ぎて、どうもピンと来ない。
359日本@名無史さん:2014/05/05(月) 12:32:45.56
>>356
越と出雲の関係よりも日本史に直接関係する大阪平野南部大和川流域の邪馬台国と岐阜県九頭竜川流域のクナ国の関係が気になる。
360日本@名無史さん:2014/05/05(月) 22:10:18.97
弥生後期に瀬戸内海で戦乱が頻発して、そのため出雲〜丹波経由での交易路が発達
出雲勢力が伸長したという説はどれくらい信頼性があるんだろ

東海道の勢力がどれくらい近畿、瀬戸内、北九州に影響を与えていたかも気にはなるが
361日本@名無史さん:2014/05/05(月) 23:07:21.37
倭国の大乱に乗じて瀬戸内海に伸びてきた出雲(ウラ)を叩いたのが畿内から派遣された吉備津彦で桃太郎のモデルじゃないか
362日本@名無史さん:2014/05/05(月) 23:41:54.22
出雲でウラだのだと
神武天皇の本姓、宇麻志麻治
浦島太郎が出雲志麻太郎で、神武天皇の前後の世代の話かと思ってしまう。
363日本@名無史さん:2014/05/05(月) 23:48:07.50
松浦姓が、末出雲とも読めてしまう・・。
卜部も出雲部と・・
平で大羅
松平は末大羅
364日本@名無史さん:2014/05/07(水) 01:29:33.67
>>357は×

@阿波忌部氏のルーツ(鴨県氏、葛城氏)※度会氏の天日別[伊勢朝臣]系譜説在り
伊勢志摩国造家の島氏島族。
A物部氏・穂積氏のルーツ
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 島谷祠掌・元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 島谷神主
大宮売神社 島谷宮司の島族。
※天太玉命は天日鷲あめのひわし命、手置帆負たおきほおい命、彦狭知ひこさち命、櫛明玉くしあかるたま命、天目一箇あめのまひとつ命をひきいた。
天日鷲命は阿波国忌部等の祖。手置帆負命は讃岐国忌部の祖。

天津彦根命=天若日子命。その子神が、天目一箇命=天御影命で天日鷲命と天鈿女命は、兄弟の神。北伊勢大神(多度神)
365日本@名無史さん:2014/05/07(水) 08:13:36.37
>>364の事を調べた結果。
どうも、A物部氏・穂積氏のルーツとは、応神代で氏姓のつながりが観えるが
末代には、島谷氏は居ないようで、やはり
@阿波忌部氏のルーツ(鴨県氏、葛城氏)※度会氏の天日別[伊勢朝臣]系譜説在り
伊勢志摩国造家の島氏島族ルーツの縁で
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 島谷祠掌・元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 島谷神主
大宮売神社 島谷宮司の島族のようだ。
366日本@名無史さん:2014/05/16(金) 18:37:27.14
弥生時代の日本では、山陰出雲、山陽吉備、北陸越など、各地の王国が分立していた。
それは弥生土器や墓制の違いから明らか。
古墳時代になって、それらいくつかが統合して全国王権となった。
367記憶喪失した男:2014/06/05(木) 19:52:21.31
出雲千家、縄文系のD1bが確定。天皇家と同じ。

もはや、出雲の渡来王朝説は葬り去られた。
368記憶喪失した男:2014/06/05(木) 19:55:49.04
出雲千家が大国主の子孫だという伝承を信じるなら、旅人スサノオは、縄文系地元民である。

これをこのスレの結論とする。
369日本@名無史さん:2014/06/05(木) 20:00:29.20
出雲国造家は天照大神の二男天穂日命の末裔だろ?
370日本@名無史さん:2014/06/05(木) 20:13:53.07
出雲地方を治めた人物、
他の地方に親や一族がいたはず
371記憶喪失した男:2014/06/05(木) 20:20:40.45
詳しくは知らないが、出雲王朝は縄文系で確定だ。
372日本@名無史さん:2014/06/05(木) 20:51:34.21
「ここがふるさと」八上姫物語
http://www.ncn-t.net/ss151123/chiikiokoshi/kawahara/yakamihime.html
出雲氏概略系譜
373日本@名無史さん:2014/06/07(土) 08:50:01.26
山陰だからウラか
むしろウラだから山陰なのか
374日本@名無史さん:2014/06/19(木) 15:13:12.59
>>1
そんなもの実在したわけないだろ
375日本@名無史さん:2014/06/19(木) 15:35:08.01
大陸や南方から渡ってきた時期もまちまちだろうに部族や地域国家が存在しない方が不可思議だわ
376日本@名無史さん:2014/08/09(土) 10:37:54.88
出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books?id=I49bk2tY4R4C&pg=PA84&lpg=PA84&dq=#v=onepage&q&f=false
出雲王国の正体: 日本最古の神政国家 著者: 武光誠
http://books.google.co.jp/books?id=_V9GDh7VBpQC&pg=PA124&lpg=PA124&dq=#v=onepage&q&f=false
377日本@名無史さん:2014/09/01(月) 04:03:51.24
日立金属、自動車事業拡大へ…米特殊鋼大手買収
378日本@名無史さん:2014/09/01(月) 04:07:17.76
出雲=日本
379海軍大佐:2014/09/07(日) 18:28:04.81
なんの策もないまま戦争の泥沼にはまり込んでしまった大日本帝国ではなく、無条件降伏という屈辱からはじまる戦後日本でもない。
ふたつの時代にふれたからこそ、私の脳裏にうかぶ国がある。
四海に囲まれ独立し力に満ちたその国は間違いなく我々の眼前に存在する。
それが黄金の国ジパングだ。
380日本@名無史さん:2014/09/13(土) 18:33:46.67
東秩父村の能気神社って、能義神社と関係あるの?
381日本@名無史さん:2014/11/06(木) 19:18:51.19
古代出雲王国は実在したか:多羅尾整治が解く古事記/34 スサノヲの西征/1 /島根
http://mainichi.jp/feature/news/m20141105ddlk32070587000c.html
382記憶喪失した男:2014/12/07(日) 10:38:25.42
国立遺伝学研究所・研究集会
DNAから見た日本列島人の地域的多様性を生み出した要因をさぐる
http://www.saitou-naruya-laboratory.org/meetings/NIG_meeting_Dec21&22_0014.html

日時:14年12月20日(土)午後 および 12月21日(日)終日
場所:遺伝研(国立遺伝学研究所)講堂
使用言語:日本語
参加費:無料

本研究集会の目的
近年急速に進展しつつあるヒトゲノム内のDNA個体差の研究は、
人類集団の古い遺伝子交流の層を掘り起こしつつあります。
日本列島への古い移住の層(旧石器時代から縄文時代にかけてと考えられる)と
新しい移住の層(弥生時代以降と考えられる)の違いは、
斎藤成也・徳永勝士・尾本惠市らが2012年に発表した
ヤポネシア3集団(アイヌ人、本土人、琉球人)のDNA多型を解析した論文で明らかにしました。
また、東北地方人の独自性は理化学研究所が2008年に発表した論文で示されています。
さらに、現在斎藤の研究室では出雲人のDNA解析を進めていますが、意外な結果を得ています。
ヤポネシア人自身が残してきた最古の記録である記紀神話と関連する可能性が予想されます。
そこで、ヤポネシアを中心としたヒトゲノムの遺伝的多様性を調べている研究者と、
ヤポネシア人のさまざまな側面(言語学、考古学、民俗学、人口学、古代史学など)の
歴史を研究している専門家が一同に会して、これらDNA解析の結果をおおいに議論することにより、
神話まで射程に含めた「DNA歴史学」の確立をめざします。

>さらに、現在斎藤の研究室では出雲人のDNA解析を進めていますが、意外な結果を得ています。

>神話まで射程に含めた「DNA歴史学」の確立をめざします。
383記憶喪失した男:2014/12/07(日) 10:39:57.20
ウィキに大国主のY染色体ハプロが記述される日も近いかもしれません。
天皇家がD1bだというのは、東大医学部遺伝学研究所の水準で確定です。
384日本@名無史さん:2014/12/07(日) 16:55:10.03
>>383
大国主の神門家と・・その子筋の建部氏・島氏(島族)事代主の向家
385日本@名無史さん:2014/12/07(日) 16:57:40.20
>>384もとい
>>383
国常立神(クナト大神)の子孫。
大国主の神門家と・・その子筋の建部氏・島氏(島族)
事代主の向家と・・その子筋の富家と諏訪氏(神家)
386記憶喪失した男:2014/12/09(火) 09:16:40.12
>>385
国常立神までは戻るまい。
スサノオの子孫だというとさすがに国民に衝撃が大きすぎるから、大国主の子孫くらいにしておくのが妥当かと。
387記憶喪失した男:2014/12/09(火) 09:22:11.30
出雲人をスサノオの子孫だというと、ニニギノが貫録負けしてしまうからな。
あと、万が一、出雲人がD1bじゃなかった場合の影響力が大きすぎる。

出雲千家の子孫がD1b2だというのは公表されてるからたぶん大丈夫だろうけど、
万が一、それが特殊例で、出雲人はO2だったという可能性もあるから、
まだスサノオの遺伝子というのは速い気がする。
388日本@名無史さん:2014/12/09(火) 20:35:51.20
>>386
いやいや・・
元々、大国主と事代主の祖がクナト大神(国常立神)で、国譲り以降に
千家の出雲氏祖の祖のスサノオに摩り替えたのだから仕方ないよ・・
大国主の神門家と事代主の向家は、クナト末代
千家や宗像家がスサノオ・・
天皇家と度会家、海部家と尾張家の祖が・・大綿津見神=天照大神・スサノオ=徐福秦氏
389日本@名無史さん:2014/12/09(火) 20:42:56.27
大国主の神門家の子筋が・・
建部(武部)家と島津(志摩)国造家の島家(島族)
武内宿禰・葛城襲津彦と斯摩宿禰(千熊長彦)

事代主の向家の子筋が・・
建御名方の諏訪氏(神家)と登美家(富家)
390日本@名無史さん:2014/12/09(火) 21:12:43.19
古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1 - アウトドアライフの記録
http://blog.goo.ne.jp/yochanh1947/e/6c6663b99e1cc5d9cd8443606c7157c4
古代出雲王朝系図

八千矛(大穴持=大国主)の子

味鋤高彦(阿遅須枳高日子=櫛玉命・出雲建子=伊勢津彦)の子

塩冶彦(鹽冶毘古能=長髄彦)の子

古事記の速甕之多気佐波夜遅奴美神=神門 速甕之建沢谷地乃身神(初代:旧出雲大社(杵築大社)司祭:神門氏)の裔


?阿多(阿多都比売 またの名を木花之佐久夜毘売)の子

出雲(神門)振根=(倭健)日本武の子

出雲(神門)鹽手命=神門伊賀曽熊の子

>>389

千家家に取り込まれた神門家の系譜・・子筋の建部氏・島氏の乗った系譜。

日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02119.htm
391日本@名無史さん:2014/12/09(火) 21:19:55.54
>>390
出雲臣の祖・佐比祢足尼=阿多の孫が、出雲笠夜=島津(志摩)国造家の島氏(島族)
392日本@名無史さん:2014/12/09(火) 22:01:23.62
出雲王朝で最も重要なのは勿論、
最も重要だからこそ百済王子で中国・鮮卑遺伝子の藤原氏と
その親戚ご一族である、
今の今上天皇陛下様のご先祖中大兄皇子様(天智天皇)が、
徹底滅亡して歴史記録を抹消してお仕舞いになった、
宮内庁正倉院管理が証言する出雲大王家の聖武天皇
〜天武天皇〜蘇我大王家。
経済人類学者栗本慎一郎元明治大学教授の
最近の研究本でも蘇我氏が遥か悠久の歴史を持つ日本人の大王家。
今上天皇陛下様は勿論尊いけれど
真実を誤魔化してはいけない。
393日本@名無史さん:2014/12/09(火) 23:20:30.55
>>388修正。
>天皇家と度会家、海部家と尾張家の祖が・・大綿津見神=天照大神・スサノオ=徐福秦氏
天皇家と度会家、海部家と尾張家に安曇(安住)家と安倍(阿部)家の祖が・・大綿津見神=天照大神・スサノオ=徐福秦氏
394日本@名無史さん:2014/12/10(水) 10:17:23.91
日本人は気候変動でいったん西に行って上古エジプト人や古代イスラエル人になってまた日本に戻って来た。

京都造形芸術大学渡辺豊和教授の著書『扶桑国王蘇我一族の真実‐飛鳥ゾロアスター教伝来秘史』、
経済人類学者で栗本慎一郎元明治大学教授の著書『シルクロードの経済人類学』『シリウスの都・飛鳥‐日本古代王権の経済人類学的研究』『全世界史』

で、この説明だけど、以下のような話(ここから妄想になるけど
ttp://www.kumagai-mitsue.jp/cont12/82.html )では、
日本人は滅亡したシリウス星からやって来た龍蛇種族で、
だから世界中にはピラミッドや神社などのシリウス聖方位向きの古代遺跡があり、
その頃からずっと蘇我大王家で蘇我が宇宙創造の神の分身であるシリウスの龍神王(金龍、国常立尊)の直系嫡流で日本人にもその金龍の遺伝子(Yap遺伝子?)が分け与えられているって事。
最近の発表で蘇我稲目の墳墓もちゃんとシリウス聖方位ピラミッドだ。
在日勢力は蘇我が高句麗ルーツだとか高句麗の影響だとかのおちにしようとしてるけど。
因みに今の天皇陛下様のご先祖の中大兄皇子(天智天皇)は、この蘇我大王家を徹底抹殺してその偉大な悠久の歴史を隠滅捏造されてすり替わられた百済(韓国)王子ね。
勿論今上天皇陛下は尊いけれど、みんなの歴史を隠滅捏造し続けるのはよくないでしょ?
(
『秦氏と藤原氏』『二人の兄弟王子を中心とする亡命・百済王族達数千人のその後』『御寺の位牌に隠された秘密』『ツランの儀式』等で検索すると幾らでも出て来る。
今上天皇家様は百済(韓国)王家であって、
百済(韓国)王家の神器で百済(韓国)王家のツラン儀式は継続されるが、
日本人の天皇家の三種の神器は米国のロックフェラーとかいう人達等に、お渡しされてしまわれるそうだ。)
長文すまん。
395日本@名無史さん:2014/12/11(木) 10:30:46.91
倭人=中国大陸に渡り中国文明を作るとともにイズモ王国を作った日本人と
大陸から日本に渡来して大和王朝を作った古代イスラエル人が何故逆転現象を起こしたのか
ペルシャに追われ日本に戻って出雲大社を作った古代日本人と
イスラエルの文化を持ち込んで伊勢神宮を作った渡来人
396記憶喪失した男:2014/12/21(日) 16:50:55.02
やっぱり、出雲人の遺伝型の発表があったみたいだ。

斎藤成也 ‏@Saitou_Sayer · 12月19日
明日とあさって、遺伝研で研究集会「DNAから見た日本列島人の地域的多様性を生み出した要因をさぐる」を開催します。
最初は主催者の私が「DNAデータから提唱するヤマト人の内なる二重構造モデル」と題して話します。
国つ神と天つ神の対立という記紀神話の世界にDNAが挑みます。
397日本@名無史さん:2014/12/21(日) 16:57:05.77
空海がなきそうな話だな

俺の功績は〜とか

鑑真大和尚は?
江南からの帰化僧で日本から何度も日本に
渡ってくれるように日本側からたのんでやっ
ときてもらった人だが
398日本@名無史さん:2014/12/21(日) 16:59:04.35
長安てのはこの時代、仏教の都

長安寺
399日本@名無史さん:2015/01/04(日) 14:35:46.25
http://www.amazon.co.jp/dp/4800234530/
〈邪馬台国は出雲勢力が建てたクニである!〉
〈出雲勢力が大和の地で邪馬台国を作った〉
だとさ
400記憶喪失した男:2015/01/27(火) 10:45:26.19
出雲族の遺伝型は縄文系D1bで確定。

斎藤成也氏(ゲノム進化学・国立遺伝学研究所集団遺伝学研究部門教授)

――最後に、これから取り組まれる予定の研究テーマをお聞かせいただけますか?

斎藤氏:一つには、いろいろな文化を創り出した人間の知性や自意識といった
もののDNA的な基盤を知りたい。また、骨などの形を決める遺伝子は、
まだよくわかっていません。
こうした部分は、発生学者が研究していますが、別の方法でできないかと考え、
体中のCTスキャンを取り、それをDNAの研究と組み合わせるといったことを
やろうとしています。

もう一つは、今度新しく研究会を立ち上げる予定の、「DNAから神話へ」
というテーマ。

私は、子どもの頃から「古事記」が大好きなのですが、最近、出雲神話の舞台
である出雲地方の人のDNAを調査したら、驚くべきことがわかりました。
日本海側だし西日本側は、おそらく朝鮮半島の人々と近くなるだろうと
予想していたら、そうではなく全く逆の結果だった。

それで、日本国内の多様性をくわしく調べれば、これまで指摘されなかった
日本列島人の新しい移住のパターンが見つかるのではないかと考えています。
ひょっとすると、戦後、柳田國男が提唱した「海上の道(南方からの渡来)」が、
彼が指摘したよりずっと古い時代になりますが、本当にあったということに
なるようです。
401日本@名無史さん:2015/01/27(火) 10:53:51.03
出雲族とか言ってるところが神話からの引用プンプンだけどなw
402日本@名無史さん:2015/01/27(火) 11:16:18.05
403日本@名無史さん:2015/01/27(火) 19:02:08.84
>>400
斎藤成也さんへ
神門臣家・向家・富家・宗像家・諏訪家・志摩国造・島家・・
神門臣家の子、斯摩宿禰を祖とする島谷=島屋家の遺伝子の調査もお願い致しますっ
404日本@名無史さん:2015/01/28(水) 22:36:22.93
どこにD1bだなんて書いて有るの?
しかも現代人調べて意味あるのかね
405日本@名無史さん:2015/01/30(金) 07:52:19.02
大和朝廷が日本列島統一する過程で征服された、一部族だったんだろ。
ただ、他の部族と違って、圧倒的な武力の差を目の当たりにし、最初から無駄な戦闘を避け、戦わずに降伏したのだろう。
大国主の「国譲り」の話は、こういった出来事が元になっているような気がする。
406日本@名無史さん:2015/02/02(月) 18:57:52.10
逆にすべて物語だったほうが面白いな
どういった心理からうまれたんだろうか?
407日本@名無史さん:2015/02/18(水) 13:53:46.71
出雲方言は東北弁に似てるからなあ。
島のように取り残された地域なんだろ。
408日本@名無史さん:2015/03/02(月) 02:01:58.33
 オノゴロ島は古事記を熟読すると安来の十神山と思ってしまう。
409日本@名無史さん:2015/03/02(月) 09:27:52.21
出雲王朝という言葉は存在しない
出雲王朝というものも存在しない
日本列島に存在した王朝は畿内王朝だた一つだけだ
410日本@名無史さん:2015/03/02(月) 14:25:02.50
丹後の言葉って尾張地方と似てるんだよなあ。
海部氏の系図とか尾張氏の系譜とか関係があるんだろうなあ。
411日本@名無史さん:2015/03/02(月) 15:53:11.61
広域に分布するある物の中心が出雲
出雲王朝的な何かはあったんでしょうね
そして国譲りした出雲には他の抵抗者とは違う格別の高配をせよと
412日本@名無史さん:2015/03/02(月) 16:09:09.40
うるせーよ馬鹿
413日本@名無史さん
マジで畿内以外で王朝という言葉は使わないでほしい