1 :
日本@名無史さん:
あお庄屋様が奉公人風情の下級武士と、庄屋の格の違いを圧倒的に見せつけます。
下級武士程度が庄屋にたてつくなんて千年早い!!
あほ庄屋様
曾祖父が、「徳川の時代なら、うちは庄屋だぞ!」と酔うと良くいってたんですが……。
庄屋さまって、何してたんですか?(´・ω・`)
それは本当なようで、実家に県とか大学の調査チームが入ったこともあるんだけど、
いまいちようわかりません。ちなみに場所は栃木南部。
水戸黄門だと、悪いことして黄門様に叱られるか、娘をお代官様にとられるかしか知らない。
4 :
日本@名無史さん:2011/10/21(金) 01:03:39.33
>>1 なにはともあれさんくす!!
現実の序列は圧倒的に庄屋であった現実を啓蒙していきます
5 :
日本@名無史さん:2011/10/22(土) 15:07:30.00
お庄屋様、早く出てきてくだせえまし。
6 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 15:54:01.82
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%BF%A0%E5%BA%83 これは戦国大大名肥後五十万石の熊本城主、加藤庄屋様であるが、
その中にこう書かれています。
↓
>>家臣のうち希望した6人が庄内藩に召抱えられ、その子孫は幕末まで庄内藩に仕えたという。
さあ。そこでだ。5000石の庄屋になられた肥後五十万石熊本城主、加藤庄屋様であらされるが、
なぜ、武士にならなかったのですか?家臣はみな省内藩の中級武士になっています。
皆さんが言うように、武士になることこそが絶対的価値観だったというのならば、
なぜ、殿様である加藤家は、武士にならず、家臣の希望するもののみを藩士にさせ、自身は庄屋のままだったのですか?
加藤家が庄内藩に藩士になること願い出れば、たやすく上士になれたはずを、なぜでしょうか?
他にも改易大名家で江戸初期、庄屋になられた旧大名家も存在しますが、
やはり家臣は藩士に志願させてますが、自身の家は庄屋のままの旧大名家が多く存在します。なぜ?
下級武士程度でも武士になることが絶対だという皆さんの意見お聞かせください。
>>6 加藤氏は改易されたから庄内藩がそれを召し抱えたら幕府に反抗した事になります。
その家来筋を召し抱える事はさほど問題有りません。謀反人明智光秀の重臣の娘が
将軍家光の乳母になってるんですから。
8 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 18:39:18.10
加藤忠広はは庄内藩に預けられたまま赦されずに亡くなり、加藤家は
断絶した。子孫の庄屋とは娘の嫁ぎ先だ。清正の家が庄屋になったのではない。
9 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 20:55:50.65
YO!!足軽どもww
>>7>>8のこの話が二転三転する足軽特有の庄屋蔑みwww
でだ、清正が庄屋になったわけでもなくゆかりもないなら、
なおさらなんで5000国も拝領されるほど藩や幕府から気を使われてた加藤家は、
家臣を藩士にさせ、自身は上士にならなかった?
ほら、いってみろ足軽w
10 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 21:02:58.31
五千石の庄屋なんてあるわけねえだろw
11 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 21:32:08.85
12 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 21:43:36.18
出典がウィキwww
だから五千石の庄屋なんてありえねえってのwww
13 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 21:48:28.79
14 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 21:54:16.49
だから五千石だ、三千石だっつうのは旗本とか藩預りとしての禄高や捨て扶持料じゃんよw
百姓が禄五千石なんて絶対にありえんよ。
何度も言わせんなアフォッタレw
15 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 21:56:00.64
>>14 だから加藤家が旗本預かり地5000石の庄屋という意味だxsつたというのを示せよw
何度も岩センナやww
16 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 22:02:51.67
なんだ預り地の庄屋じゃんw
17 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 22:06:35.32
あ庄屋さま、病院から帰ってきて絶好調なようですね♪
村落の自立性が高いのが日本史の特徴
信長も家康も中央集権じゃなかった
5000石の庄屋がいても不思議ではない
19 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 23:05:55.44
だからそれだと五千石の禄高を持つ庄屋って意味じゃないんだっての。
預り地である村々の総石高が五千石ということ。
そこの代表百姓=庄屋っていうこと。
「合わせて五千石」の村々の中には庄屋以外にも普通に本百姓がいっぱいいる。
庄屋=領主ではないんだから。
↑
馬鹿なの?w
>>9 wikipediaの記事をちゃんと読め!!家臣を藩士にさせたのは改易された加藤忠弘。その男系子孫は
断絶している。女系は庄屋様に嫁に行った。庄屋様に藩士にするような家来などいる筈もない。
22 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 23:47:20.50
庄屋さまの知能では理解できないのも仕方がないw
23 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 23:56:50.40
>>21 で?www
女系ですら庄屋に嫁に来たといってるんだよww
大名家の女系は下級武士などの嫁に来る筈もない。
24 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 00:04:42.87
>>21 失礼だが、どこに庄屋様に嫁にいったと書いてあるの?
25 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 00:06:17.29
足軽よりも下の庄屋さまに嫁に行かされたんだねw
お可哀想にw
>>24 正確には娘の子孫と書いてあって、娘が嫁に行ったとは書いて無いな。
『女子某の子孫は5000石相当の大庄屋、加藤与治左衛門(または与一左衛門ともいう)家として存続し、
明治年間に屋敷へ明治天皇が行幸する栄誉に浴している。』
>>23 改易された時点で「大名家の女系」では無い。
27 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 00:14:37.51
>>25 これで明らかだろ?
江戸初期大名家は庄屋には嫁に行った。
江戸初期、下級武士程度よりはるかに、旧武家の再就職先もしくは、
旧武家層の体面を保持するために庄屋を置いたということが。
間違っても肥後五十万石の大名家の女子が下級武士足軽なぞに
間違っても嫁にいく分けない。が、庄屋にはいった。
これがすべてだよwすべて物語ってるだろ江戸初期の。
28 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 00:20:22.91
>>26 この大ほら吹きwwww
>>wikipediaの記事をちゃんと読め!!
>>wikipediaの記事をちゃんと読め!!
>>wikipediaの記事をちゃんと読め!!
たいそうご立派な台詞ぶちこんでくれるのー大将!!ww
お前がちゃんと読めよ低学歴ww
で、改易された時点で大名家ではない女子でも、その末裔は下級武士になってないだろww
どこに足軽下級武士の類になったと書いてあるんだよほら吹き低脳w
29 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 00:29:26.60
だから禄五千石の意味ではないっての
>>19をちゃんと読めよw
ったくウィキをソースにして勝ち誇ったような気になる馬鹿の相手は疲れるわw
俺はもう疲れたから止めたよ。
31 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 00:37:19.64
>>29 で?だからなんだってんだよ?ww
庄内藩内の五千石相当の村々の大庄屋という意味だが、それをさっきからなんだってんだよ?ww
で、具体的に庄屋はこの五千石相当の村々の権益税収を上乗せして独り占めできるわけだ。極端に言って。
でお前は藩主とは別物といったが、具体的に藩主と、これら何十か村も治める大庄屋とまるでかけ離れた権益、もしくは権者であるというのことを、
俺に具体的に論じてくれないか?
いいか?藩主と大庄屋、属性が違うのはわかってるんだぞ?しかし、国税的村の取扱、徴収税のあり方、それによる内部留保等
あんたは別物だといったわけだが、何が違うのか、論じてくれよ。
いったい、庄屋と藩で何が違うのか。
32 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 00:43:49.79
失敬、領主=庄屋じゃないといったよな?
属性ならともかく、石高が五千石じゃなくとも、五千石相当の村々収める大庄屋と、
五千石相当の領主。
何が税制や徴収、運用にまるで違うというのか論じてくれよ。
33 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 00:48:50.14
あ庄屋さまはお相手を見つけて大興奮でございます♪
うちは大庄屋だから貧乏侍よりはマシだな
ま、清正なんて元百姓だしな。
百姓→大名→百姓
と大乱高下でしたね。
36 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 02:24:59.37
>>35 おっと、大名家を百章呼ばわりする前に、だったらそれらに使える下級武士は百章どころか、
野盗、小作等ではないという根拠あるの?
江戸期の大半がこのような下克上で成り上がった大名だらけの中で、
それらに使えてた下級武士という末端が、一体全体、野党、小作でなかったという根拠を教えてくれませんか?w
下級武士足軽こそ、百章上がりどころか、キングオブ流れ者でしょw
本百章のほうがどれほど信用に値するか。
37 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 02:33:01.29
そもそも徳川家直参の御家人自体、伊賀衆や雑賀衆だとはっきりしてるのに、
どうしてさらにその末端のいち大名程度のまたさらに末端の下級武士足軽は
これら御家人の忍者足軽用兵よりましな家計がほとんどだといえるの?
その根拠はなに?必殺の源氏の末裔という言われですか?wswwwww
38 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 02:45:02.28
名主でも穢多・非人・皮多・藤内・なんかの頭は財力も権力も
相当あったらしいから きっとそれらの子孫だよ
39 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 02:59:23.18
末端の将軍に仕える末端の大名に仕える末端の足軽に仕えるその最末端が庄屋www
40 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 04:20:17.38
親のお小遣いでアキバ通いしてるニートのあ庄屋さまなんだから許してあげてね♪
お庄屋さま、早く出て来てくだせえまし。
42 :
日本@名無史さん:2011/10/26(水) 05:26:52.85
あ庄屋さまは現在治療中でございます。
時国家は?
庄屋も色々だよ
村で適当に廻してたりもしたよ
45 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 14:36:34.56
>>44 言い返せなくなると、黄身みたいなこという人多いけどさ、もう下士だと庄屋より格下だと認めてるんだろ?w
だって、そんなの武士どころか旗本も御家人も、はたまた大名までいろいろだよ。
そもそも下士程度で江戸初期より代々続いてるいえなんて全体のほんの何パーだよwww
で、何で庄屋だけ、すぐ極端な例外を上げつろう?w
46 :
武田24将のその後:2011/11/12(土) 14:45:02.70
47 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 15:05:19.95
>>46 例を挙げるのに、偽作系図っぽいところばかりを選ぶ理由がわからない
下級武士なんて庄屋様の使用人してやりするんじゃねーの?
名主より庄屋がメジャーなの?
50 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 16:12:43.96
>>47 家計図詐欺なら本家江戸大名、その過信たちのほうがお手の物だろww
だったら高家以外で江戸審判譜代大名家で家計図詐欺してない武家上げてみろよww
数家以外いってみな?www
51 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 16:16:24.17
53 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 16:20:59.72
>>51 脳タリンじゃないなら、感じが少し間違えてもわかるんだからはよ、
本来の武家層で家計図詐欺してない武家上げてみろ高家以外でww
下士は論外なwwww
二言目には源氏の末裔という「言われ」が代々伝わってるとか寝言ばかりいうからwwwwww
まったく傭兵雑稼党の集団は源氏の末裔という言われがあるのが一般的だそうだからwww
54 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 16:25:51.36
それから、一人でいいから、まっとうな室町旧武家の末裔の下級武士上げてくれないか?ww
一人でもいいからいるの?www
庄屋なら腐るほどいるぞwww
>>47 家系図云々より、これだけの屋敷、これだけの格を与えたのは当時の幕藩なわけで、
信憑性を疑っても当時の幕藩が武田家重臣と認めたが故の屋敷と格だから仕方がないだろう
Idないスレはやりにくいな
57 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 16:47:32.79
とりあえず下級武士が純然たる武士に属する証拠などなにひとつないじゃん
ださないしさwwだせないんだろうが。
いくらでも、庄屋が当時の下級武士より立場も格も屋敷も身分も圧倒的に格上だったという証拠出せるぞ私はww
いくらでもなww
時代劇の世界からじゃ想像もできないんだろうがww
下級武士など、そもそもの藩事態が武士と認めてないのに。
郷士の中には家柄最強のもいるよ
59 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 16:54:27.87
だから、郷士も庄屋も属性は基本一緒だろ。
庄屋にも家柄最強いるよ。旧大名家の庄屋もゴロゴロいるしな。
で、相反する下級武士にはいるのかと聞いているんだよww
たった一人でもいいからいるのかよ?w
由緒正しい雑賀党やら、伊賀黄河衆以外にさw
見たことも聞いたこともないんだが?
>>59 家柄最強の在郷武士といえば多田院御家人・多田郷士かな
この人達みたいな立場の郷士は日本史唯一だから、この話題にてきしているかわわからんが。
ちなみに俺51と別の人だから
61 :
鎌倉御家人庄屋:2011/11/12(土) 17:09:10.99
《鎌倉御家人庄屋》
http://www.oct-net.ne.jp/~miyuki32/rekisi/souran.htm ●大友家没落後の稙田
@稙田主要所は府内領となる。
新領主・・・福原直孝府内領主 12万石
A稙田荘宗方郷 名家 安東家7代当主 貞吉は太閤検地に竿役(責任者)をつとめる。
B領主 福原直孝の任官勧進を貞吉は辞退し、野に伏し帰農の民となる。安東氏にならい多くの武士が百姓に帰す。
C安東貞吉、宗方郷の庄屋となる。(実質名主)
豊後方・・・・・大野泰基(神角寺)、阿南惟家(高崎山城)、阿南家親(鶴ヶ城)
鎌倉方・・・・・古庄重直、安東常輝、稙田有綱
※この阿南家のち庄屋
748 :旧武家[sage]:2011/09/09(金) 15:36:46.51
http://dayzi.com/zisyo/y-isshikitou.html (名門一式家)
◎江戸時代の一色党(伊予)・・・一色右馬三郎の末裔
・一色右馬三郎重之の子重勝は、文禄二年(1593)村の長(郡代官)になりました。
・その長男重次は周布三谷の庄屋になりました。
・次男重直が三津屋の庄屋になりました。
・重次の長男重政は、慶長十九年十月(1614)大阪冬の陣に三津屋港から
軍平二百余人とともに出陣しましたが摂津国尼崎で25歳をもって戦死しました。
さらに源氏の正統名門一式家は
・次男重昌は、周布村一色大庄屋お祖となりました。
・三津屋村庄屋は、三男の重行が継いで大庄屋になりました。
・彼の五男重好(新兵衛範好)は、明理川村の入庄屋になり、貞享元年(1689)には高橋氏に代って壬生川村の入庄屋になり貞享三年から大庄屋になりました。
・明理川の方は、彼の次男が継ぐことになって、一色家は四ヶ村の庄屋を勤めて繁栄しました。
63 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 17:14:55.23
64 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 17:23:10.19
65 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 17:27:04.36
いい?
いくらでも名門旧武家庄屋あげろというなら、このスレガ潰れるまで挙げてやるよwww
で、下級武士とやらは、一家でもいいからいるのかよリアル旧名門武家の下級武士ってwww
必殺の源氏の末裔という言われだすなよな?wwwwww
一式家や阿南家、安東家はリアル鎌倉御家人の末裔だぞww
67 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 17:50:43.24
>>66 何がいいたいのかわからないんだけど?
郷士は庄屋と属性は一緒の在郷の旧武家だろ。
郷士=庄屋だろ
69 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 18:00:11.62
いい?私が言ってるのは、城下で長屋に暮らす江戸下克上大名家直参の家臣団の末端の徒のなんちゃって武士のことを言ってるのですよ。
これら下級武士という輩は、武士とは名ばかりの大名家お目見え以下の長屋住まいの癖に、
何かと庄屋を見下し馬鹿にしくさっている。
その根拠は時代劇wwwwwwwww
現実は、江戸初期、庄屋は名門室町旧武家層の天下り職として庄屋を置いた。
かたや、雑賀党や伊賀衆根来衆等、土地を持たない傭兵集団の下克上の成れの果てが下級武士なのに、
何を勘違いしたか、下級武士は庄屋より格が上だと勘違いしてる
いい?このありえないほどのおお間違えの一般化した常識を事実とは無根だとはっきりしたいのですよ。
70 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 18:05:28.82
江戸期、徳川は、この庄屋が下士をたたき切ったり、まったく言うこと聞かなかったり、
はたまた年貢を徴収しに下士が行った際、たたき切ったり追い返したりしてたという文献が九州の大名家にはごろごろ残ってるんだよ。
さらには、下士どころか、藩命にまで背いて旧武家庄屋は一揆三昧だったともかかれてる。
いい?だから徳川は、江戸期末端の非常勤程度の平にまで、庄屋は逆らうことを禁じた。
わかる?下士が武士的性格を帯びさせてもらえた背景は、下士自身の功績ではなく、
庄屋があまりにも力持ち過ぎていたために、幕藩体制の秩序の観点から一律底上げさせてもらえたんだろ。
下士が武士的性格を帯びられたのもすべて、庄屋のおかげなんですよ。
いい?庄屋が江戸中期以降没落したのも、庄屋が力持ち捨て、藩にたてつきすぎた結果の自業自得であって、
下級武士は武士としての権利権限は有してないものの、武士としての性格を帯びられたのも、
これら庄屋に江戸初期、たたき切られてたからこそ、武士的性格もてたんですよ?
庄屋のすべておかげでしょ。
で、なんで下級武士程度が庄屋より格が上になるのか....
おかしすぎるとわかるでしょ?
江戸初期の庄屋の一例
( 江戸初期の岡藩 )
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n332.htm ↓
〈旧在地領主層を庄屋に任命〉
>>大分県下における近世大名は、すべて他国から入部してきた大名である。この大名が領主として領民を支配し、
>>年貢などを納入させることは、当初かなりの困難が伴った。
>>例えば、 中川氏 は文禄3年(1594)に 岡藩主 として入部したが、
>>入部の行列が 大友氏 の浪人の集団に襲われたり(赤岩合戦)、領内の村々に古年貢帳の差し出しを命じた際も、
>>磔(はりつけ)木を持参するという強行手段を構じなければ提出させられなかったりしたのである。
>>このような困難な状況を打開するために近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。
>>岡藩 の場合、各村に庄屋を任命し、それを統轄し 郡奉行 と庄屋とのパイプ役として千石庄屋を任命している。
>> 千石庄屋 の名称は、1,000〜1,500石を統轄範囲単位として1人ずつ任命されていることによる。そして、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。
>>また、 杵築藩 では各 手永(てなが) ごとに 大庄屋 を配置していたが、この大庄屋は士分に準ずる取り扱いをうけていた。
>>>>>>>>>このように諸藩では、旧在地領主層との妥協の上に藩政をスタ−トさせたのである。
↓
↓
>>71の続き
いいか?岡藩家中の重臣家老クラスですら500石が最高クラスで数人しかいないのに、
在地旧武家層には1000石を二十数人に与えてるんだぞ?
ドンだけ庄屋に気を使ってるんだよ?
たかが百章なのか?
下級武士程度がしゃしゃり出てくるレベルと格が違いすぐるんだよwww
庄屋は大名家とさし争えてるんだよ?わかる?
きちんと書いてあるだろ?旧在地領主層を庄屋に任命し特権を与え、
さらには旧大名家が庄屋に妥協したと!!
で、下級武士が、江戸大名家から妥協してもらった特権言ってみなよ!!wwww
格が違うんだよw
73 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 18:36:16.38
あ庄屋さま、きょうは朝までネット生活でござるな。
>>73 いやーもう結論が出てしまったw・・・・
庄屋が下士ごときより格下になったのは、
>>71にも書いてあるとおり、
庄屋の力が絶大であったため、島原の乱以降、徳川の都合により、江戸中期以降足軽以下と対面上せざるを得なかった。
ただそれだけのこと。だからこそ、屋敷から門構えから装束から何から何まで庄屋が立派過ぎるという矛盾があるということ。
これが結論。
「江戸初期、江戸下克上大名家が恐れおののき、室町旧武家層に妥協して特権を与えた職種こそ庄屋だったということ。」
なにもはんろんできないでしょう。下級武士という雑賀衆、伊賀衆、足軽の成れの果てとレベルが違うんだということ。
結論を出してしまった...................
75 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 19:05:43.81
下級武士で室町武家層?の家系って、つまり
守護(国主)→分家(城主)→さらに分家(家老格)→さらに分家(奉行格)→さらに分家(無役)→
みたいなパターンなんじゃね?
76 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 19:15:08.08
>>75 そのパターンもありえないですね。一億パーセント。
江戸初期、下士の雑兵と、上士の騎馬格ははっきり線引きされてた。
仮に、家老格が分家を繰り返し無益の分家が成立しても、中士の末端どまりで、
下士扱いされることはまずない。
下士が下士たる武士とは名ばかりの所以は、元は雑賀党や野党、足軽の雑兵だということから、
上士と超えることのない壁出へ立たされてる。
だからお目見え以下の家中なのです。ですので基本原則そのようにまで、分家を無秩序に繰り返しても、
下士になることなどありません。
下士と同程度の生活水準はいたでしょうが。
77 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 20:29:05.12
江戸時代の城主が帰農して庄屋になるケースは多いし、そういった有力農民層が
財政手腕を買われて勘定方の下役になるケースは多い。
78 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 21:09:23.91
えらい誤記だな。
×江戸時代の城主が帰農して
○戦国時代の城主が帰農して
80 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 21:29:10.77
あ庄屋さま、本日も絶好調でござるな。
81 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 23:44:50.28
あ庄屋さまはただいま長グソでござる。
82 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 02:55:16.66
あ庄屋さまは若殿さまと太刀比べをなさっています
414 :地震雷火事名無し(香川県):2011/11/11(金) 07:37:23.23 ID:cFyCdIxu0
ふと気になったのだけど、緊急自然災害板の各都道府県スレッドを見てみると
どこも同じようにツーマンセルで荒らしているのがいるね
なんだろう、この現象
415 :地震雷火事名無し(兵庫県):2011/11/11(金) 07:43:19.63 ID:1AAl7FsH0
>>414 ツーマンセル? ググると、2人組 ですか。
2人組もいるし、2人組のふりをしたのも居るのですね
スルーされるのが寂しい人なのか、いわゆる工作員の新戦略なのか・・
春夏に比べれば、東西の罵り合いも減ったし、何より、推進派・安全厨が何を言おうと
世間が、事実を認識するようになった分、連帯感もあるし ひるまなくなったよね
416 :地震雷火事名無し(香川県):2011/11/11(金) 07:51:35.74 ID:cFyCdIxu0
>>415 そうです。ちょっと前は特定の一人だったけど、最近は特定の二人で延々書き込みを続けてスレッドを流している
特徴的なのが相手にレッテルを貼って互いに攻撃し合うこと
震災前から他の板でも時々見かけた現象なんだけど、なんだろうね
ていうか江戸時代以前の名主庄屋っていわゆる地侍でしょ
それが仕官できた奴が正規の武士に ならなかった連中が帰農した
それでまだ戦国の遺風が残る江戸時代初期の帰農した地侍階級と
仕官して侍になった連中のうち 下級の連中と対比しても意味がない
ただ身分差は現存してるから庄屋は足軽クラスでも手打ちに出来なかった
それは確かよね
85 :
日本@名無史さん:2011/11/14(月) 23:56:10.99
>>84 おこたえしましょう。
いいですか?まず地侍層が武士になっても上級武士になってるということ。
地侍庄屋層 → 上士 がようは江戸上士です。
しかし
地侍庄屋層 → 下士 なんて一切存在しないということ。
理由ですか?そんなの簡単です。
江戸初期、上士層からその後帰農して庄屋や豪農といったものは江戸期に入ってもそれなりにいます。
元の鞘に戻ったのでしょう。
そして、上でも述べた要に庄屋層は江戸初期、唯一、一揆を起こせるほどの在地での絶大な力を誇示しています。
で、下級武士層は下克上の賜物の癖に、なぜ庄屋のような反乱すら一切なかったのでしょうか?
もし、地侍庄屋層が下士になだれ込んでいた属性なら、必ずあれだけひどい待遇の下級武士であることに絶えかね、
反乱、もしくは一揆が必ず起きていたはずです。
しかし、下級武士の属性は、元は地侍庄屋そうではなく、在地もなければ土地すらなかった野党、根来衆、足軽といった属性だったからこそ、
下士から庄屋に帰農できるものなどおらず、あれだけの過酷な福利厚生であっても、
元が在地のない傭兵を生業としてた足軽ですから、不平不満など出るはずもない。
だから、庄屋層からは一揆三昧なのに、下克上なのに、下士から一揆などなく、
庄屋層が江戸期に入っても下克上ならぬ合戦を繰り広げていた。
86 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 00:05:37.39
>>84 いい?下士は仕官したのではなく、足軽傭兵たちが、在地を持たないため、
食い扶持として下士としてあの過酷な福利厚生でも甘んじなければ生きていけなかったものたちの
あくまで、食い扶持として下士しか選択枠がなかったからが故の下級武士ということ。
庄屋そうのように、上士になるか、それとも武士という側面を捨てても、在地であらゆる権限特権の保証の元で、
zそのまま在地領主層でいきていくか、という選択の元でのものではないということ
現代的価値観の新撰組的な武士観は江戸初期ありえないといってるんです。
といっても案の定新撰組も豪農層の次男三男の食い扶持に困らないものですが、
さらに土方家は後北条家の重臣にも名が残ってる家の末裔ですよ。
結局、地侍庄屋層がまた幕末も旗本寄り合いにまで上り詰めちゃってる遠いう落ちですけどねwww
あの下克上の幕末ですら下士なんてなってないでしょww
87 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 00:44:40.34
バカらしい
88 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 01:19:05.32
>>87 その証拠に、
江戸初期まで庄屋層は新興大名家相手に合戦繰り広げてますが、
中期以降、足軽下士程度よりも一律逆らうことを禁ずとされても、
その足軽下士は、屋敷や待遇は江戸初期より上がったのですか?
なんら江戸初期より福利厚生屋敷などほとんど変わりないでしょ。
下士足軽の地位が向上したわけではなく、
庄屋の江戸初期以前の
>>71のような1000石庄屋のような極端に力を誇示してる庄屋層を
対面上押さえ込むための施策であって、
下士足軽の立場が一切上がったわけじゃないにもかかわらず、
対面上は庄屋が下肢以下になってるんですから、一目瞭然で、
当時の幕府や藩の意図がうかがえるはずですよ。
にもかかわらず、下士が上と誇ることがいかに真意と逆行する低脳まるだしかというのがわかるでしょ理論敵にいわれれば?
89 :
日本@名無史さん:2011/11/15(火) 02:38:10.43
庄屋VS足軽にしろよ
>>89 あ庄屋さん
庄屋が下級武士を手打ちにした実例を出してください
あ庄屋様が銀座のマンション一戸と北海道の農家の自宅を比較して何か仰せです
93 :
日本@名無史さん:2011/11/17(木) 20:01:43.06
>大名旗本レベルだとわかるだろ庄屋は。
庄屋は武士としては中の下のお代官様にぺこぺこする存在。大藩であれば代官でもそれなりの屋敷に住んでるし。
あと、リンクのうち3つは庄屋より格上の大庄屋屋敷だろう。
どうでもいい
大庄屋はたいてい士分準士分だろ?
96 :
日本@名無史さん:2011/11/18(金) 09:17:08.99
足利一門上野氏が庄屋になったとか。
どんな扱いなんだろうな?
97 :
日本@名無史さん:2011/11/18(金) 10:34:23.34
実家が庄屋だが武士に貸し付けた詳細が書かれた貸付台帳がある。
なかには苗字からして名門と分かる武士も
武士は相当逼迫してたことが分かる。
実家に甲冑数十あるのも担保かなんかなのかな
とりあえず、隣の村まで他人の土地踏まずに行けたらしい。
98 :
日本@名無史さん:2011/11/18(金) 10:37:27.94
>なかには苗字からして名門と分かる武士も
名門の一族がみな名門なわけじゃない。普通に松平が浪人だったりする。長沢松平とか。
>実家に甲冑数十あるのも担保かなんかなのかな
質屋でもやってたんじゃね。
99 :
日本@名無史さん:2011/11/20(日) 01:24:04.76
今回のあ庄屋さまのうんこは長いな。
あ庄屋さまは自分のご先祖のことをなぜかお話にならぬ。あ庄屋さまが自慢してる家柄や
屋敷はすべて他家の物なんだよ。
庄屋の子孫なんて掃いて捨てるほどいるよ。俺もそうだ。あ庄屋さまはどんなりっぱな
暮らしをしているんだろう?
し
ょ
う
た
106 :
日本@名無史さん:2011/11/22(火) 19:03:33.11
そろそろあ庄屋さまの出番ですぞ、厠からお出ましあれ!
庄屋の祖先は戦国時代の上級武士。大名の子孫も幾らでもいる。
下級武士の祖先は野盗河原者選民。
し
ょ
う
ゆ
そうきたか
113 :
日本@名無史さん:2011/11/24(木) 01:13:26.74
あ庄屋さまはお亡くなりになりました。
法名は畜籠長糞信士です。
あ庄屋さま早く出てきてくだせえやし。おらたち百姓を救うために
磔になってくだせえやし。
115 :
日本@名無史さん:2011/11/24(木) 16:16:32.63
長糞信士の墓はゴミ箱の脇にあります。
公衆トイレを先祖の屋敷と言ってるよ。
し
ょ
う
が
な
い
123 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 17:44:25.84
>>96 それは、今で言う治外法権ですよ。
これら領内の名門庄屋には実質免税などの特権もあり、
事実上の治外法権で、藩はほとんど野放し状態です。
それほどのものですよ。
124 :
白熱教室:2011/11/26(土) 17:50:21.95
仕方がない、私は本当にノイローゼになるほど仕事で疲れ果てているが、
歴史家教授クラス程度ではできないほどの歴史講義をしてあげましょうw
私クラスの人間の講義は、まじでリアルに時給〜〜万クラスですよ。
それをただで聞けるんだから、本当に感謝すべき!!
中高の歴史の先生程度の歴史おたなど、私の指先ひとつでダウンですよw。
また大学教授クラスで、やっと私の足元にくらいついてこれるでしょう。
いずれも私に即論破でしょうがw
マイケルサンデルクラスじゃないと私と対等に論述合戦は不可能でしょうねw
その、私クラスの、大学教授程度では即論破の私の講義、見せましょう。
今日は疲れてるので、端的に短く行きましょう。
125 :
白熱教室:2011/11/26(土) 17:56:48.76
いいですか?
今まで、庄屋と下級武士のスペックと申しますか、比較検討で、もはや、
下士程度は何も反論もできないほどの圧倒的庄屋の現実が浮き彫りになってきましたね。
そこで、それでは、下士が二言目には「百章の癖に」「武士になれなかったくせに」
とほざきますが、
今回はこの旧室町武家層が帰農した {帰農} について圧倒的格の違いを論破したいと思います。
126 :
白熱教室:2011/11/26(土) 18:01:00.28
帰農・・・・・・
帰農とは日本社会において何であったのか。
帰農を定義するに当たり、私クラスがこれを論説するなれば、このように定義いたします。
帰農とは、社会システムや社会秩序の観点からマクロ的潮流の崩壊、そして変換により起こる、
旧支配階層の必然的選択としての流れにおける、立場の帰結及び、保身が機能であったと定義できます。
その根拠ををお見せしましょう。疲れてるから端的に。
127 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 18:07:42.78
まず、日本社会において、帰農と呼ばれる現象が、旧武家層で起きたのは二度ほどございます。
その一度はご存知戦国時代です。
>>71にも書かれてるとおりです。
そしてもうひとつは、幕末です。
徳川家の崩壊により、主に徳川家一門(譜代審判)、そして直参の家臣(旗本御家人衆)
の明治期です。
ここを比較検討することにより、帰農のメカニズム、そして、帰農とは本当に負け組みの象徴だったのか、
当時の価値観における帰農、また、当時の帰農の必然性とは・・・が浮かび上がってくるのです。
では、この幕末期に帰農した、というより帰農できた階層とは徳川一門で出の階層であったのか。
128 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 18:11:43.05
当時徳川家の崩壊により、駿府に本家は移されました。
それに追随していったものの大半は、旗本直参衆(高家、寄合は直参ではないので除外)です。
その直参衆でどの階層が茶葉農家など、再就職の斡旋を帰農という形で許されていたのでしょうか。
129 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 18:27:26.59
130 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 18:34:14.56
さらに幕末、御家人衆は、大半が職にあぶれ、在地土地すらなく、ごく一部、
そのまま同心等が警察官として出奔できてる程度です。
当時下級武士というのは、このように、土地がなく在地もなく、下士にならなければ食い扶持がままならなかった層
というのがはっきりわかりますよね。
帰農とは、このように、一部の特権階級に許されし、在地の領主権の行使。コレガ帰農なんですよ。
わかる?さらに庄屋ともなれば、
>>71で述べたとおり、藩主の妥協により中世以来の領主特権も認められてのこと。
帰農とは、時代の変遷の中での、ひとつの勝ち組という価値の証だというのがわかるでしょ。
132 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 19:17:14.02
あ庄屋さま、お久しぶりですな。
一説に畜籠長糞信士となられたと聞きましたが?
133 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 19:20:59.13
あ庄屋さまのレスはあぼ〜ん推奨。
134 :
日本@名無史さん:2011/11/26(土) 19:54:46.44
刳瑠信士
武陽信女
どうでもいい
それでお前らの家は庄屋なの?下士なの?
137 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 02:22:13.01
あ庄屋さまは糞。
138 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 05:12:23.50
139 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 05:33:08.11
庄屋ってもう少し自身持ったほうがいいかもね☆
140 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 05:47:01.83
>>139 田舎者だからバカにされてると思い込んで郷里の旧家のことを自分の家の
ように吹聴してますますバカにされるあわれな田舎者だ。
>>136 千石台の士族だった。
義兄(姉婿)の家が北関東の大庄屋の生まれ。
どっちも今は普通にサラリーマンや公務員。
大名のスレないの?
あるないよ
下級武士とは具体的にどの層なんだ。
徒歩あたりか。
147 :
日本@名無史さん:2011/11/29(火) 15:50:23.05
長屋に住んでる人
吉田松陰の生家は長屋じゃないね。
何石何俵何両から下士なの?
>>149 藩ごとに独自の身分構造を持ってるはずだ
つまり300種類あると・・・
152 :
日本@名無史さん:2011/12/03(土) 01:24:55.18
>>148 たかだか一例をもって全体をなすというのはどうですかね?ww
そもそも長屋住まいじゃない下士のほうが全体の割合で行くと少なくなりますよ?ww
中元足軽は、畳一条の割り当てだった藩教えましょうか?w
下士は8畳4人詰だった藩がいくらでもありますが?
よくて長屋の6畳一部屋独占ていうのが、下肢でも全うなほうですが?www
どうでもいい
154 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 21:01:23.67
どうでもいい
156 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 23:37:40.57
157 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 00:53:16.02
5千石の庄屋って凄いね。
いったい何ヶ村になんだろ。
158 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 02:36:41.34
まー、それは地域差もありますし一概に言えないよね。
まーでも十村弱と見てれば余裕で間違いないんじゃないはずですよ。
庄屋なら千石はあたりまえですよ。十二俵一人扶持の下級武士とは身分が違うんです。
下級武士が庄屋に土下座しなかったら無礼討ちされたんですよ。
160 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 20:27:08.78
外ヶ浜
三百九十一石一斗 新城村 百三十二石九斗 細越村 二百五十一石九斗 荒川村
二百十石七斗 原別村 二百三十一石三斗 野内村 十八石九斗 浅虫村
三十六石九斗 堤村 十石一斗 野内村 二百二十石二斗 新田村
百十四石 茂浦村 三百十四石七斗 油川村 二百八十六石四斗 山口村
三百十石三斗 田沢村 五百十石 小湊村 二百十四石 瀬戸子村
百四十二石 童子村 四百六十七石一斗 蓬田村
〆高三千九百六十三石五斗 村数十七ヶ村 (津軽平野開拓史)
たとえば十七ヶ村で約四千石
小さな村だと十石、大きな村だと五百石とかいろいろだね。
161 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 20:32:19.40
上方は村割りされて石高は数百石程度。防長なら中世のままの村が続いていて
数千石の村が珍しくない。
でも表高だろ
庄屋の禄は2、30石だよ
500石だの1000石だのと言うのは禄ではなく単なる所有地だ
164 :
日本@名無史さん:2011/12/11(日) 22:44:32.75
所有地???
管轄地だろ
所有地なら"千町地主"のように面積で表示されるはずだ。百姓の高、村の高、士分の扶持が
石で表示される。
庄屋の千石は配下の村高だ。
>>165 だからそれは禄ではない
広さを表記する時は町で、収穫量を表記する時に石を使うだけで
禄と所有地を区別するものではない
徳川の旗本がガチで外様の大身と喧嘩できたように
藩に仕える下士は土着の庄屋不在を風下に置けた
下請けのオーナー社長に個人資産があっても発注元から派遣される平社員を丁重に迎えるのと同じ
下級武士は正社員じゃないよ。バイトか派遣か日雇いだよ。
そんなもんに下請け社長は頭を下げない。上級武士が
正社員だ。
庄屋なら千石二千石は当たり前だよ。千石以上の武士が
武士の何%いるの?庄屋が武士より格が上だってことは
わかるでしょ。
>>169 幕藩体制になる前はな
>>170 お前は代紋の重さを知らないチンピラだ 処刑ライダーww
>>170 池田家と仇討ちめぐってやりあった直参旗本は何石だった?www
庄屋風情が財に奢ってれっきとした公儀の下士を侮辱したら
公儀の威信にかけてただではおかれないでしょう
財産没収の上 打ち首かなw
例幣使つーのがあってだな
貧乏公家がやってるわりに村方は無償労働させられてたんだぜ
宿場町ってのはだいたい本陣・問屋・庄屋を兼ねていてだな
周辺の村から助郷役をやとったりと何かとリーダー役をひきうけるえらい人なんだ
部下にあたる組頭のなかには造り酒屋をやって1000両の無尽に応えたりする人もいる
だからって庄屋が千両うごかせるわけじゃないんだが
ともかく大名行列が通る町の庄屋ともなると庄屋オブ庄屋というような感じだろ
でも、そんな人でも位が上のものには頭が上がらない、これが現実だ
ちなみに、一石あたりだいたい一両だそうだ
ここによると、
ttp://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J004.htm 大工さんは月給約2両で、年収26両だそうだ。ということは26石だね
で、武士の給料はここ。
ttp://homepage1.nifty.com/SEISYO/kyuryo.htm 武士には家禄と職禄があり扶持米がある
映画で有名なたそがれ清兵衛さん、おそらく知行50石どりだそうで年貢率を加味すると50俵ぐらいらしく
20石ほどだそうです。こりゃ内職でもしないとやってられませんね。ですが、実はこれ、まだましな部類です。
無役になると職禄がなく、無高郷士なるものもいたようで、そうなると士分でありながら小作人同様の暮らし
となったそうです。
さりとて百姓といえど、似たようなもので長男は家業をつぐとしても
次男三男は十三四から草刈奉公にでて、末は雲助で、末っ子でも馬追いか駕籠かきになるしか
ありませんでした。
神君の娘婿の家系で城持ちの30数万石の池田に対して
1千石から数千石ほどの直参旗本たちは決して引かず 久世なんて1万石の大名になってさえ
池田に屈しなかった
公儀の意向はそれほど強い
徳川の数百国の直参旗本には大庄屋でさえ頭が上がらなかった
無礼を働けば軽くて分をわきまえぬ振る舞いとして家財没収だなぁww
大富豪でもそういった先例はあるしw
178 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 21:30:37.24
wsdsbojds
179 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 21:42:20.77
>>163 いろんなスレで、嘘ばかりつくなw
30石は、納税額な。
30石払える土地は100石以上の土地持ってんだよ。わかるか?
おまえは早く
>>31を答えろよw
君は村方騒動の意味すらわかってないだろ?まじで。
またコピペしてやる。
↓
@庄内藩内の五千石相当の村々の大庄屋という意味だが、それをさっきからなんだってんだよ?ww
で、具体的に庄屋はこの五千石相当の村々の権益税収を上乗せして独り占めできるわけだ。
でお前は藩主とは別物といったが、具体的に藩主と、これら何十か村も治める大庄屋とまるでかけ離れた権益、もしくは権者であるというのことを、
俺に具体的に論じてくれないか?
いいか?藩主と大庄屋、属性が違うのはわかってるんだぞ?しかし、国税的村の取扱、税制、運用のあり方、それによる内部留保等
あんたは別物だといったわけだが、何が違うのか、論じてくれよ。
いったい、庄屋と藩で何が違うのか。
はい答えてください。
A 庄屋には税が免除されてる庄屋も多数いる。税が免除されてるということは、
事実上「領主」という概念に当たるわけだ。
ここまであらゆる権利が封建社会の主たる大名家より与えられてる庄屋。
これについても、封建社会の中での庄屋という観点で論絶しろ。
できないなら、フルボッコ論破したとみなすw
180 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 21:55:08.16
>>177 おい低能wwいい加減なことばっか言ってるなよww
百石以上なら普通に将軍お目見え以上の、家督相続の際、どのような形でするかわかってるよな?
下級武士足軽がいつからお目見え以上のれっきとした武士になった?
武士じゃないだろ。奉公人だろうが。
なにを旗本目線で下士と比較してるんだよ?w
下士足軽はいつ、いち大名家程度ですらの登城が許されてるんだよ?w
自分の会社にも社長にも、出社も許されてないのが社員だ?wwwwwwww
181 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 21:58:59.50
訂正
自分の会社にもかかわらず、 社長と謁見許されず、出社も許されず、福利厚生もなく、長屋と食い扶持だけ配給されてる従者。
こういうのを、中世で武士といったか?ww
はたまた西洋ではこういうのを騎士といったのか?ww
182 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 22:04:16.52
>>173 次の下記の事実事例に対し自身の私的推測考察と乖離したこの事実に対し、理論的に論述しろ
dきないなら、フルボッコ論破とみなす。
( 江戸初期の岡藩 )
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n332.htm ↓
〈旧在地領主層を庄屋に任命〉
>>大分県下における近世大名は、すべて他国から入部してきた大名である。この大名が領主として領民を支配し、
>>年貢などを納入させることは、当初かなりの困難が伴った。
>>例えば、 中川氏 は文禄3年(1594)に 岡藩主 として入部したが、
>>入部の行列が 大友氏 の浪人の集団に襲われたり(赤岩合戦)、領内の村々に古年貢帳の差し出しを命じた際も、
>>磔(はりつけ)木を持参するという強行手段を構じなければ提出させられなかったりしたのである。
>>このような困難な状況を打開するために近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。
>>岡藩 の場合、各村に庄屋を任命し、それを統轄し 郡奉行 と庄屋とのパイプ役として千石庄屋を任命している。
>> 千石庄屋 の名称は、1,000〜1,500石を統轄範囲単位として1人ずつ任命されていることによる。そして、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。
>>また、 杵築藩 では各 手永(てなが) ごとに 大庄屋 を配置していたが、この大庄屋は士分に準ずる取り扱いをうけていた。
>>>>>>>>>このように諸藩では、旧在地領主層との妥協の上に藩政
183 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 22:12:09.75
>>177 さらに、それら上記の事例を踏まえたうえで、
封建社会の絶対的領主である大名家より、
・在地領主権
・苗字帯刀
・戒名
・長屋門
・自身の部下とはけた違いの、広大な土地、敷地、屋敷
・中世よりの既得権益
等をなぜ、封建制といわれる時代においても、これだけのことが許される唯一の階層が庄屋で、
またこれだけの利権を君らでいう百姓程度の庄屋に集中させているのか。
「封建」という時代背景を踏まえながら論述しろ。
できないならフルボッコ論破とみなす。
>>180 奉公人も代紋背負ってたら強いんですけどw
庄屋がわざと幕府の同心程度でも肥溜めに突き落としたら
公儀を侮ったと斬首ですねー
将軍の列を豪華な装いで見物していた大富豪の夫人が
分をわきまえぬ所業だと家財没収ですからwww
たとえ数百石の 昇進といえる直参旗本でも
30万石超えの神君の婿 松平賜姓の外様大大名相手に
対等の喧嘩をした
これほど公儀の三つ葉葵の代紋の威力は凄いのに
何で直参の幕臣が土田舎の土豪の成れの果て 土百姓の
庄屋にびびるんですか?www
>>183 何で土田舎の土豪の成れの果てが城主格の大大名の松平賜姓より偉いんですか?www
同心でも背中に背負ってるのは御公儀の代紋ですけど?www
土田舎の庄屋ってじつわ闇の庄屋ネットワークに支えられて
三河の庄屋だった徳川家をも支配していたとかwww
コテだしてすみませんでしたw
188 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 00:44:56.22
ぜんぜん答えになってないよ。
理論的に言ってよ。感情論だよ君。
宿場町では、水戸の浪人が庄屋にやってきてさんざん文句をいったあと
紙と筆をだせといって扇子2本ほど書かせたところ、酒、銭、草鞋をねだったそうですよ
もちろん出ていってもらったようですけど、叩き切るなんてもってのほかのようですね
その後、その浪人はほかのお店、扇屋だとかにぐずりこんで相当厄介だったようですが
やはり帰ってもらっていますね。金策に窮まっての行動でしょうが
お金のない下級武士たちは腐っても、位が上、眉をひそめれど殺すというようなことはありえなかったようです。
また、長崎の御目付永井様が下向のおり、家来たちが、人足がおそいというので問屋と口論になり
五人で主人を打ち据えたという逸話もあります。そのとき木刀が折れたというほどです。
庄屋がどれほどえらいのか、
江戸初期のように当地を治めきれなければ幕府から改易を申し付けられるような外様大名が
庄屋を懐柔しに図ったこともあれば、土佐、薩摩のように幕府の信認あつければ、郷士をのきなみ
弾圧するような例もあります。
ですが中期ともなれば関係はかなり位によったのではないでしょうかね
熊本細川藩では、惣庄屋というものがありますが、士分です。
越前藩にヘッドハンティングされた横井湘南、彼の弟子たちの多くは惣庄屋の出ですね
藩下で10を超えないものしかなれない相当な身分のひとたちです。
>>188 いーえw
30数万石の城持ち大名と1000石足らずの直参旗本が
対等に
喧嘩した例がある
土田舎の土百姓な庄屋連中が処分受けずに他国の城持ち松平姓
名乗れる外様大名と対等に喧嘩できるんですか?
士分以外の豪商が将軍にその富を見せただけで
分をわきまえぬ行為として家財没収ですよ あ庄屋さんwww
暴れ者で嫌われ者の旗本の三四男が宿場でフルボッコ
どう見ても旗本側が悪く宿場は江戸の出入り口で重要地点
庄屋も格式高い
しかし旗本側のボコられタ奴が自分で切腹 その首の代償に
宿場潰されてますけどwww
庄屋様の威光はどこに??www
>>179 武士の禄と言うのは上位権力から支配権を認められた土地であり、簡単に言えば納税の義務のない土地である
だから武士は小さくとも領主であるわけだが
庄屋に認められるのは禄ではなくて役引きである
役引きとは、20石だったら20石分の納税を免除されると言う事を指す
ここで重要なのは、「庄屋個人」の納税を免除されると言う事
武士の禄のように納税自体が免除される訳ではない
庄屋が免除された分の額は村全体で補って年貢は完納しなくてはならない
つまり庄屋の土地自体には課税されていると言う事
これが庄屋は藩士(旗本)ではなくあくまで百姓身分たる所以である
勿論領主でもない
禄の有無が武士と百姓の違いでもある
>>31は別人だから俺に言われても知らん
あ庄屋打ち首wwww
大庄屋は郷士だよ。つまり士分だ。
代官や勘定所と庄屋の関係はどうなんだろうね
大庄屋は代官も兼ねること多かったんじゃないの?
庄屋は事実上の法人である村の長だ。、大庄屋は村々の上に立つ統轄者で
職掌権限は代官に近い。庄屋は村ごとに置かれたが大名屋敷並みの庄屋屋敷が
村ごとにあったわけではない。意図的に混乱を振りまいてるヤツがいるのではないか。
>>194 陪臣の士分じゃ御公儀の直参には勝てません
私財が何千石あろうが系図が何間もあろうとw
公儀の直参数百石の旗本を愚弄したらよくて家財没収
悪ければ斬首のうえ領主にもとばっちりが行きます
あ庄屋晒し首www
199 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 11:24:31.79
あ代官さま参上
200 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 11:47:00.16
>>198 君の脳内心理を論破しましょう
下士足軽では到底庄屋には及ばない。
そこで庄屋を蔑むために持ち出したキーワードが 「旗本 「講義」
これクラスの大儀を出さないと庄屋を論破することができないという事実
そう、これが庄屋なんですよw
君が証明してくれたね^^
201 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 12:33:02.30
>>192 ようやくまともに論述できる人が現れましたねw
私も誠意を持って、ハイ論破!!したいと思います。
>>武士の禄と言うのは上位権力から支配権を認められた土地であり
これは違いますね。支配権を認められてるのはあくまで公儀からの大名家であり、
末端の下士は、そのなかの一部を「間借り」しているにすぎません。
>>だから武士は小さくとも領主であるわけだが
こんなの、格下とおもxってる庄屋にだから言えることであって
自分の上司の上士、家老、大名家に対し、面と向かって同じこといえますか?w
>>ここで重要なのは、「庄屋個人」の納税を免除されると言う事
>>武士の禄のように納税自体が免除される訳ではない
>>庄屋が免除された分の額は村全体で補って年貢は完納しなくてはならない
このすたいるを「大名」というんですよ?wwわかる?
202 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 12:43:09.31
>>192 君は勘違いしている。将軍や一部例外以外、大名も納税の義務は課せられている。
それは租庸調と同じく、大名も庄屋とは違った形での義務が課せられている。
下士等は自らの土地を持ってないため、納税できないだろ。
その見返りとして、永遠の徹底「奴隷服従」を税負担と返させられてるだろ。
>>これが庄屋は藩士(旗本)ではなくあくまで百姓身分たる所以である 勿論領主でもない
では、中世においての土豪、地侍は、まるで江戸庄屋と同じスタイルの納税すたいるですが、
これらも百章というくくりになるんですね?
そして、下士のように、土地を介した主従関係ではなく、納税義務の代わりに徹底服従という奴隷納税を課されたものが、
中世では武士と呼んだんですね?
>>禄の有無が武士と百姓の違いでもある
こんなもの、言葉の違いだけでしょ。
自らの土地を持って、それを開発し、石高を上げる鎌倉御家人たちは、
禄とはいわないので、百章ですか?
君はね、ひたすら武士が絶対と思い込みたいがため、
その言葉尻程度で分けようとしたり、意味合いが違うものとしたいだけなんですよ。
いい?下士足軽は、派遣社員と一緒。
従属奴隷化してる(労働力提供)してるときは、長屋(社宅)利用を許されるが、
解雇されたら、大名家(会社)から差し押さえられるだろ。
また、社会情勢や藩の私的に乗じて禄も勝手に上下する。
いつの中世にこれを支配と呼んだ?
203 :
日本@名無史さん:2011/12/17(土) 12:48:42.34
>>192 下士は、その土地に根拠や由来があるわけではなく
大名家自身に、下士の存在たる根拠があり、
その大名家の存在において、自身に初めて主体性が帯びてるのですよ?
「支配」とは、その土地において、そこに必然性を成す根拠を持つものの範囲を「支配」というんですよ?
麻生家はたしか荘官だったんじゃなかったっけ?
戦国期になるまで九州なんかは荘園が残っているのが多かったそうで
朝廷直属の臣である意識が高かったかなんかで容易に武家に習わなかったとか
大宰府は軍事貴族としては傍流の大蔵氏がかろうじて府官として残ったくらいだからな。
軍事貴族主流の源・平・藤は、東国の鎮守府や秋田城司には多く任官してるのと違って、大宰府府官にはあまり任官していない。
その関係もあるだろう。
>>200 公儀だけじゃなくて各大名家も同じだよw
江戸時代は秩序最優先だったから
たとえばあ庄屋のような土百姓代表の庄屋が非常時の
年貢減免の一揆を起こしたり 苛政を江戸表に訴え出ると
例えそれが先例にかない要求が受け入れられても 幕府が
問題大名を処分しても訴え出た庄屋は間違いなく処刑www
まかり間違うと連座で一家全滅ww
そして神社に祭られるわけだw
庄屋惨めwww
あと公儀の小身や下士でも三つ葉葵のご威光で千石以上の家財を持つ
格式のあるw土百姓庄屋はとてもかなわないと認めたのは立派www
藩内でも同じこと
薩摩とかだともっと露骨で扶持の少ない下士たちには兼業が認められ
堂々と指物職人とかしていた
そして庄屋のような土百姓が箪笥などをヘイコラしながら購入していたw
庄屋に認められてる格式は当然藩中の武家にも認められていたのw
>>202 あのさー
町方同心などはそれこそ一代お抱え席だったりするけど
多摩あたりの大庄屋が町方同心侮辱して袋にしたら
ただで済むんですか?www
内藤新宿はどう見ても非があった旗本奴の首一つで取りつぶしですが?ww
>>201>>202 抽象的過ぎて何を言っているのか理解できない
もう少し具体的且つ簡潔に書いてくれると有り難いのだが
面倒なら論拠になる出典を提示してくれてもいい
庄屋は身分じゃなくて役職だよ。もちろん地域の有力者が就任したし世襲も多かったが
、あくまで任免権は領主にある。庄屋じゃない有力者もいたし、庄屋を辞任しても有力者
でなくなるわけでもない。
百姓のトップが庄屋で、武士のトップが将軍だ。どっちが偉いかなあwww
一揆の時は庄屋スルーで決起されても
監督責任取らされて家財没収の上追放とかよくあった
江戸時代には庄屋よりも換金作物の集荷人とかしてる方がお徳w
まあ、藩によって違うんだろうけど
うちの藩では有力者は郷士か藩士になってるな
庄屋はあくまで百姓の代表だから藩の役職には就けないし
うちでも本家は郷士で分家が庄屋をやっていた
庄屋は百姓だよ。
大庄屋や横目も庄屋のカテゴリでいいの?
大庄屋は郷士だよ。
元庄屋は士族?
220 :
日本@名無史さん:2011/12/21(水) 20:11:44.75
分かって言ってるんだと思うけど、社長vs公務員って話だろ?
社長=大名
公務員=藩士
>>221 公務員のトップがなぜ社長なん?
大名も庄屋も公務員だよ。
知事=大名
公務員=藩士
農協=庄屋
農家=百姓
だろ
いや、百姓かならずしも農民ではない。商工業者もいるし、都市化した村もある。
225 :
日本@名無史さん:2011/12/23(金) 22:01:23.55
うちの先祖に庄屋がいるけど、固定の庄屋じゃなくて、有力者の持ち回り
のような感じだね。
それに、有力者も固定じゃない。うちの先祖の中には、他人の土地を歩かずに
○○までいけたって人がいるが、子孫がずっとそうだったわけじゃない。
曾祖父さんの時代は落ちぶれていた。
近隣には数軒「他人の土地を・・」と伝わる家がある。
まあ、盛衰があったんだろうな。
西日本限定かもしれんけどね。東は大庄屋が固定化していたらしい。
だからそういう家にいろんな資料が残っていて、歴史家が分析してる。
西はそういうのが少ないから資料集めが大変だとか。
今でも、「本家」という意識は東のほうが強いと思うよ。
庄屋は身分じゃなくて役職だから一代限りだよ
世襲のようになっていた所も多いけどね
特権を見ると庄屋より郷士の方がおいしい感じがする
郷士は豊かなのから貧しいのまでピンきりだろ?
228 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 05:42:19.22
>>さろめ
君には直々に論破してくれるよw
だが今日は疲れてるのでちょっと控える。
俺の江戸封建の真実のみ書いたのでは、俺が完全論破しすぎてしまうので、
君の理論を経由して、君の土俵で君を論破しながら、自身の定義を打ち立ててやるよw
>>212 おい、庄屋が役なら、下士足軽は何?
役すら与えられてない平民は黙ってろww
>>214 >>一揆の時は庄屋スルーで決起されても
>>監督責任取らされて家財没収の上追放とかよくあった
当たり前。それを領主というんだよ。藩主もまさに公儀では庄屋と同じほどの半内の責任負わされてますが?
その責任すら負わされない内職平民下士足軽が、言えた義理じゃないだろw
229 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 05:58:41.15
>>215 徳川系の大名地は郷士と庄屋の違いはさほどないですよ。
ただ、将軍家のお膝元は、庄屋はほとんど旧武家だらけ。
豪農層まで全国的にびっくりするほど旧武家層が多すぎるというほど多いですよ。
>>216 庄屋は百章だと定めたお定め書はどこにありますか?
230 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 06:05:32.03
http://www2.ttcn.ne.jp/~voce-someno.y/section1.html のように庄屋が江戸初期、下級武士を2人たたききった例もあります。
また九州のの旧武家庄屋のように氾濫につぐ氾濫があった。
その延長に島原の乱も起こり
幕府はその後、秩序の観点から、このような警告のお触れを出すにいたったんですよ?
この生瀬事件に関して
当時水戸藩は、「佐竹家中の帰納庄屋に手を焼いており」
と書いてあるだろ。
さらに、この佐竹旧臣の庄屋は、水戸藩からの達しに「不服を述べた」とかいてあり
さらに、水戸藩兵150に対し、この庄屋は村一村でフル武装して戦いを挑んだと書いてある。
わかる?さらにこの一揆(合戦)は「数ヶ月にも及んだ」とも書いてある。
一方的な虐待じゃないんだよ。抵抗してるの。わかる?
江戸中期以降考えられないようなことが江戸初期、各地で旧武家庄屋は起こしてるんだよ。
九州地方はもっとすごいんだぜ?
231 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 06:09:18.00
>>220~
>>223 それからな。なあ、どうして庄屋は村長なのに、いちいちわかりずらく格下にするわけ?w
↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E9%95%B7 >>1871年5月23日(明治4年4月5日)に戸籍法[1]が制定された際に、7・8ヶ村を「区」と呼ばれる単位に編成して戸籍を区単位で管理することとした。
>>各区にはその責任者として戸長・副戸長が置かれた。
>>1872年5月15日(明治5年4月9日)に太政官布告によって、旧来の庄屋・名主などの村役人の呼称を廃止して戸長・副戸長と呼ぶこととなった
わかる?普通に村長な?
この村長が、江戸期、島原の乱などで、江戸初期徳川幕藩体制の確立誇示のため、
治安の観点から、庄屋(村長様)を、下士足軽(非常勤現業職、水道局、自転車警邏)程度より下に強引に対面上させられていたまで。
あくまで治安の観点でなww
現在の行政区となんら変わらないんだよ。
小藩の大名程度は現在の市長クラス。戸長たる村長、
明治期や大正なども市長クラスが大名家がおおく、村長町長は庄屋。
一般下士足軽は・・・・いわないのは旧武家の情けなw
そして、一介の村内や市内の自転車警邏、非常勤現業職程度が、徳川時代、
強引に村長より一律対面上、江戸中期以降に上にしただけ。
明治四年には庄屋は大区、郡長たる旧藩執政重役の直近下位の行政区長になってんだろ。
まさに、治安の問題がなくなり、職制の適正化がなされれば、
庄屋が地方行政官長たる、真の支配階層だと浮き彫りになってるんだよ
下士はまた先祖どおり暴徒とかし、新政府より討伐されてるほど、新政府より相手にすらされてないだろw
薩長や一部例外以外では、治安維持のための用兵意外に何の使い道を見出されてた?ww
明治以降即、この評価が現実の評価なw
下士をたたっ切った庄屋とその村はどうなった?
お構いなしか?じゃないだろ。成敗されただろ。
切捨て御免とは要件を満たし、手続きを踏みさえ
すればお構いなしなんだよ。下士でも百姓町人を
切り殺してもよかったんだよ。藩士を庄屋が切り捨
ててよかった藩があったか?
233 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 07:21:48.70
>>232 成敗された?www
何いってんの?
ここの時系列で判断するのではなく、
江戸初期、庄屋によって下士がたたききられてる事実。
そしてその水戸藩にたいし、不服をためらいもなく述べ、
それの追撃に対し、応戦してるだろ。
討伐された部分など結果論に過ぎず、その前に
中世よりし旧武家庄屋VS超大藩公儀系大名家
という図式が成り立っていたこと
そしてそのきっかけが、下士wwのようなこわっぱの存在がたまたまきっかけとぃてあったまで。
わかる?下士こわっおあVS庄屋なんてもんじゃないということ。
この終結とときっかけは、結果論であって、
この図式に当時の意味合いが隠れてるんだよわかる?
234 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 07:24:10.72
初期のことしか言わないんだなw
235 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 07:29:47.30
>>232 このほかにも、岡藩等、旧武家層が新興大名家に対し、いくらでも九州等で合戦起こしてるだろ。
わかる?
庄屋が下士をたたききった例はあっても、下士が、独断で庄屋をたたききった
、もしくはしょうやを切り捨てごめんしたなんて事例など一例すらない。
さらに地方藩では、庄屋が足軽をふるぼっこにしても無罪放免なんて事例などいくらでも出てくるんだよ。
わかるか?島原の乱でもわかるだろ?
パワーバランスの機軸に旧在地勢力の庄屋と新興である江戸下克上大名家の図式は存在しても、
個別の下士単体でのものは存在しないんだよ
いい?在地は城下とは切り離されており、在地では庄屋を頂点にしたヒエラルキーが城下とは並列した独立した形で存在してる。
だから、このような在地の頂点の庄屋と城下の頂点の大名が、このような拮抗する対抗勢力として衝突を繰り返してたということ
236 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 07:38:09.90
>>234 それは仕方がないこと
江戸中期以降島原以降は、大名家だって弾圧取り潰しの大粛清が、強制的になされてるんだから。
要はその引き締め弾圧に象徴されるほぞ、在地勢力というのは強大であった裏返しだからな。
下士wwは裏山だよなww何もしなくても、庄屋が没落粛清されることで、
何の価値も何の力なくとも、治安上底上げしてもらえてさw
ほんと、なんっっっっの価値もない存在だからなww
237 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 08:11:16.39
238 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 08:41:48.59
ああ言えばあ庄屋
庄屋が大名に反抗すれば一揆と呼ばれる。武士が主君に反抗すれば謀反と呼ばれる。
つまり、庄屋は武士じゃないんだ。武士が滅ぼされても一族と家臣しか責任を問われな
い。領民は新しい領主を迎えるだけだ。庄屋が一揆を起こせば本人と一族だけでなく村ごと
撫で斬りだ。百姓の分際で武家領主に反抗した報いだ。わかるかね。
240 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 09:58:53.79
百庄屋カワイソス(´・ω・`)
241 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 10:04:30.25
>>239 いや、ナにいってるかわからないんだけどw
謀反なんて下級武士が起こせた事例言ってくれよw
一例でも下士程度が起こせたことある?ww
さらに村全部が粛清でもないし、
仮にそうなのは、それだけ庄屋の在地での権力の反映を示してるんだが?w
下士単体の家に何ができるの?www
内職の長屋暮らしになにができた?ww
それどころか、上士とイサカイ起こせるほどの意見すら聞き入れてもらってないだろw
いつ反省に口出せる身分になったのよ?www
それに萩のランや陣風連のランを謀反なんて呼ばれてないだろ?ww
斬首されてるだろうが賊どもがww
242 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 10:08:33.55
庄屋・・・無茶しやがって
243 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 10:09:02.14
イイデスカ?
下士足軽=内職町人
庄屋=行政区の長
格が違うんだよwwwwwwww町人乙
244 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 10:16:24.41
庄屋は土民
一揆しか起こせない庄屋が何を言うか。
「一揆」よりも「士族反乱」のほうがかっこいいよw
「庄屋反乱」と言ってもらえない庄屋かっこわるwww
247 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 10:27:38.92
>>245 そんなの言い方の違いだでしょww
だから、反乱なんて下士はおこせてないじゃんwww
いつ足軽の反乱wwwなんてあった?www
一揆もイメージだよ
いい?旧大名家に庄屋は単体で合戦できてるんだぞ?
下士なんて単体の家ひとつで何ができるよ長屋8畳四人詰めwww
案の序先祖帰りのド党を組んでの暴徒化だろw
>>237呼んでみろ?「雑魚は引っ込め」www雑魚なwww雑魚雑魚www御雑魚様♪ww
そりゃ庄屋も雑魚にはかなわんわwww
248 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 10:29:50.97
>>246 おい、早く赤穂に正当性があるっていう証明してくれないか?ww
249 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 10:36:15.00
結局野党あがりの下克上集団は何をやってもこうなwww
赤穂でもフル論破ww
下士は町人だった事実をまず受け入れるべき!!
現実町人扱いだったんだからww町人ナ町人ww
町人と一番接点多いのも下士足軽だしww
250 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 19:20:11.71
くるくるぱー庄屋
庄屋は百姓
252 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 19:26:18.56
百姓屋
253 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 19:46:11.68
姓屋ダセッ!
伸びてると思ったらスレ主の馬鹿が湧いてるのか
>>228 下士は最悪斬罪 首や身体は遺族引取り
庄屋は獄門や磔
ためしものにされたり犬に食われる
大差があります
明治以前な 身分制がある時代だぞwww
比較するなら百姓のトップと武士のトップ、百姓の底辺と武士の底辺を比較しろ。
武士のトップは将軍で百姓のトップが庄屋だ。どっちがどんだけ偉いか。
百姓の底辺は地面を這って働き続けて米の飯を口にせず年貢を払うために
娘を売り、それでも払えなければ水牢入り、潰れ百姓化。武士は労働せずに
地位と収入と住居を保障されたうえに苗字帯刀を許され、切捨て御免の特権まで
与えられた。どっちが上か?
庄屋が下級武士よりも豊かで大きな家に住んで権力を持っていたなどと
、誰でも知ってることをえんえんと書きつらねるあ庄屋はアホかキ◯ガイか。
258 :
日本@名無史さん:2011/12/25(日) 10:51:56.79
>>256-257 しかも豊かさでいったら断然商人なのにな。
そのことは完全スルーで、まず庄屋ありきの後付け理論。
ほんとウザいわ。
テレビの時代劇を見てもほとんどの武士は質素な生活してるのに庄屋さまは
大きな庭付きの大きな屋敷に住んでる。子供でも知ってることを誰にむかって
講釈してるつもりなのか。あ庄屋が今住んでる家(ネット難民でないならば)を
見て笑ってやりたいよ。
>>259 庄屋は一揆発生時の死亡率が半端ない
旧日本陸軍の戦車乗りが歩兵を馬鹿にするのと同じ
261 :
日本@名無史さん:2011/12/27(火) 14:01:20.46
>>256 「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」
勝負はついたね。。。
おまえはなぜ庄屋の家に生まれたのだ。。。と明最後の皇帝みたいな台詞
刑場で嫡男につぶやいた庄屋も多かったと思う
水面下で貧農代表と藩政担当者と年貢減免の話がつき
ある日突然 一家全員処刑が決まった庄屋もいたことだろう
豪壮な屋敷から引き出され 河原あたりで日常は貧窮な暮らしの
下士に首を刎ねられ晒される庄屋の一家。。。。。
264 :
日本@名無史さん:2011/12/27(火) 15:45:04.69
>>261 うん、借金のカタに農地を買い漁った商人の圧勝!
商人>>>>>>>>>>>>>>>>百庄屋
265 :
日本@名無史さん:2011/12/27(火) 20:32:15.42
あ庄屋さまには及びもせぬがせめてなりたや本百姓
本間は士分なんだけど
267 :
日本@名無史さん:2011/12/27(火) 22:55:15.90
いんや士分格の大庄屋だから身分は農民
268 :
日本@名無史さん:2011/12/27(火) 23:20:53.16
俺の先祖、士分格の刀鍛冶だったけど身分は士族だったよ
269 :
日本@名無史さん:2011/12/28(水) 00:34:22.13
刀鍛冶は一種の神職。
神社の神官などもそうだけど〜守とか官位を名乗ってる場合もある。
鎌倉期にはすでに刀工にも公式に官位が与えられたらしい。
家康はもとより吉宗も刀工を重くあつかっている。
むろん苗字帯刀を許された刀工もけっこういた。
というか、薩摩の朝鮮筋目の陶工とか、全村が士族だろ。
もともと士分だったんじゃねーの?
法律、行政職でなくても専門職、技能職の公務員がいるのはいまも同じ。
うちはただの郷士だけど士族
士族と卒族に分けられたときに士族だったのがきっすいの武士だな。
272 :
日本@名無史さん:2011/12/29(木) 13:01:13.15
うちは水戸藩士族。
鎧と家系図がある。先祖の肖像画もある。
幕末の当主は諸生党の一員として天狗と戦った。
>>272 水戸藩士というと、水戸の前はどこにいたの?
うちは鎌倉以降ずっと御家人
>>275 場所は言わないけど戦国江戸も御家人だよ
佐竹関係かね
281 :
日本@名無史さん:2011/12/30(金) 11:04:27.03
爺さんは福岡県士族の家に生まれたけど、
長男でなかったからどのみち婆さんと結婚したときに平民になったんだろうね。
結婚したら平民になんの?
ならないよ。分籍したんだろ。
正気の歌とか知ってんの?
分籍って分家?士族が分籍したら平民なんの?
>>285 士族は当主とその家族だけだからね
戸籍から抜けたら平民になる
288 :
日本@名無史さん:2011/12/31(土) 14:47:23.36
そうそう分家すると平民になるが、今と違って昔は一家族一つの戸籍ではないので
本家の戸籍に入れば士族のまま・・
ただ、時代が進むにつれ華族の家柄の子孫同士の結婚時でも分家同士のため双方平民と
族籍の意味は薄れていったが士族意識は残り続け敗戦まで続く。
現状はどうでしょうか?
>>288 「士族意識」と制度としての「戸籍」は別物だよ。華族の族籍の意味が薄れたとは
何のことやら。華族には特権があるから薄れようがない。「士族意識」が残ったっていうけど
「華族意識」「旧皇族意識」は今でも強固なもんだよ。
公爵の直系と同級生だったけどまじ高飛車でウザかったわ
はじめのころ年金がけっこうあったろ士族とて
下級公家華族の戦後の零落はひどかったよ。肉体労働ができないから
明治の士族よりももっとみじめだったかもしれない。
295 :
日本@名無史さん:2011/12/31(土) 23:05:41.63
なあ、だったら次の簡単な疑問に答えてよw
マー楽しく今日はいこうよwいくよ?
296 :
日本@名無史さん:2011/12/31(土) 23:14:11.05
>>290>華族の族籍の意味が薄れたとは
ちゃうちゃう。華族の子孫が平民だらけで族籍の用を足さなくなってって意味かな。
族籍の意味はそれなりにはあったと思うけど、江戸時代なら見ることも話すことも
出来ない人と一介の庶民が同じ大学生で友情を分かち合いなんてあるからね
あくまで意識レベルに留まるのかも
297 :
日本@名無史さん:2011/12/31(土) 23:30:40.07
俺の家、戦国期まで地侍で、墓は五輪塔が代々。
その後江戸期は通年で院号居士。
蔵には親父が売ってしまって、残ってるものでも、甲冑一体。
刀は数十本。十文字槍一本
屋敷は三千坪ほどだが、湧き水が出てる池があり、山も持ってる。
↓
だが、明治期以降、県令たる旧大名家よりじきじきに官選により戸長に任命。
数か村、数百世帯、数千人の領主たる明治期の覇者、戸長に従事。
だが平民。
俺のばあちゃんの家は俺ごときの実家より遥かに凄く、室町期、急守護大名家の上級武士団の在地土豪で
被官により、確か、いつも忘れるんだが、摂津守を与えられている。
元は数百人の家臣団を与えられていたので、
蔵には甲冑数対、槍、刀は50本ほどあり、弓が数十本。
旧守護大名家滅亡後在地で帰農。その後庄屋
戒名はなぜか居士のみ
土地は近隣最大で、江戸期で30町近く。農地解放によりほぼ大半を失う。
しかし、平民
さらに、近隣で、御館様と呼ばれる庄屋様。この方は凄い。
急守護大名家の最上級の重臣の一家で、ばあちゃんちと縁戚関係だが、
屋敷の坪数は8000坪。山も持ち、蔵は5棟にもおよび、旧連合戸長役場にも指定。自宅が役場であった。
↓まじでこの程度の庄屋屋敷とはレベルが違う。
http://www.youtube.com/watch?v=TmDSqCAxoEk まず表門に長屋門があり、さらに中に入ると、またもうひとつ門がある。
近隣ではお殿様とも呼ばれ、文化財に指定されており、
屋敷内には、甲冑十数体、槍刀あわせ百数十本、火縄銃数丁、大筒2丁が展示されてる。
戒名は代々院号居士。藩家老とも縁戚関係。
明治期以降、連合戸長に任命され、数十か村、数千世帯、数万人を治める明治期の大領主に。
その後県会議員、市長を歴任。 ↓
しかし平民。
298 :
日本@名無史さん:2011/12/31(土) 23:34:29.30
で、
>>297をよんで、たかが足軽風情の下士士族程度が、なにがえらかったのか教えてくれよ。まじでwqww
何がえらかったの?ねえ?まじで。何が凄いの?ww
まじしりたいわ。
299 :
日本@名無史さん:2011/12/31(土) 23:44:23.46
>>297主君たる守護大名が滅ぼされた結果だろうね。
逆に言えば最後まで残った美濃、尾張、三河辺りの小豪族が大名や旗本に
なったわけでね。パイの大きさが変わらない以上どこかに皺寄せが来る
大名、旗本、上級武士の多くは百姓の上層と元々は同じ階層だったんだよ。
上昇するものも転落するものもいた中でほぼ元の地位を保持し得たのが
江戸時代初期の庄屋村役人その他の在地の有力者だ。
徳川も松平郷の小土豪だったな。
302 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 00:08:15.11
県令に任命された旧大名って、誰?
303 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 00:27:00.27
>>299>>300 そのとおり。
時代の流れで栄枯盛衰はつき物。
その中で庄屋は旧室町武家層の再就職としてあっせんされた。
中世から現代まで、その力を誇示し続けてる唯一の階層って庄屋以外ないんですよ。
前にも言いましたが、チョク人 庄屋
麻生総理 名門旧室町大名家庄屋
福田 在地土豪庄屋
森 旧柴田家家臣庄屋
竹下 大庄屋
田中 越後庄屋
後藤田 旧長祖壁家臣庄屋
わかる?普遍性を唯一誇示してる階層が庄屋だろw。わかる?w
成り上がりは明治期即淘汰されてるでしょ?ww何よりの証拠ですよ。
>>297 それで仕官できないのはよほどのうつけwww
306 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 01:06:40.27
>>304 一揆も力のうちですよw一揆は庄屋の力の象徴です。
>>305 みな旧勢力は在地ですさまじいほどの屋敷と土地で庄屋となってますね。
そもそも、何が何でも仕官するのが当たり前とか考えてるあんたは、足軽敵価値観がそうさせるわけ?w
江戸期においても武士として在地を離れてでも武士としての職業武士にこだわる必要性がそれほど在地勢力に魅力あったとでも思ってるわけ?
307 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 02:12:18.53
>>255 >>下士は最悪斬罪 首や身体は遺族引取り
戊辰時、会津藩の遺体は、さらし者にされ、遺体の埋葬まで禁止されてましたが?
うそ乙 ハイ論破w
>>明治以前な 身分制がある時代だぞwww
その身分制があったと仮定するならば、その身分制とは藩執政と庄屋の上下関係であって、
下肢足軽ごときは、一切この政治的身分秩序に関係するものではないが?
だから屋敷から戒名から門から財力から土地から・・・・言えばきりないほど格が違いすぎるんだろwww
はい論破
>>256 >>武士のトップは将軍で百姓のトップが庄屋だ。どっちがどんだけ偉いかの比較
そのとおりなんですよ。もはや庄屋と比較できるのは大名旗本くらいしかないという事実。
ですがね、庄屋を大名家と比べれば勝てると思ってるようですが、
大名以上の庄屋もごろごろいちゃうのが、江戸期唯一の階層である庄屋なんですねww
旧室町大名家の庄屋麻生閣下なんか、3万石程度以下の大名じゃ、はっきり言って勝てないですよw
成り上がりがたい藩追えど下克上大名じゃ出自すら勝てないし、
実際合戦しても、旧室町大名家庄屋麻生閣下にフルぼっこでしょうねww
どうやったら勝てるんだよww
大名と比較しても勝てちゃうのがごろごろいちゃうのも、庄屋階層のみwww
残念wwwww
>>武士は労働せずに 地位と収入と住居を保障されたうえに
そんな法螺まで吹くのなら、下肢足軽の屋敷出してみろwww
一家でもいいから平百章以上の屋敷住んでたのいるの?ww
藩としての労働すら許されてない身分だろwほんと釣りがうまいなww
308 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 02:24:41.49
>>258 >>しかも豊かさでいったら断然商人なのにな。
おまえさんは、いつもいつもほんと馬鹿乙だよなw
文脈から意図するものって読み取れないか?w
いいか?身代の大きさだけが庄屋か?
商人は、事実上御用商人や時代劇の中のちりめん問屋や回線問屋、呉服屋なんてホンの全体の数パーセントのみ。
あとは寅さんのような露天商がおおい。わかりやすくいえば、土方歳三が薬売りで出稼ぎして全国回ってたような。
それに、一台で紀伊国屋のようにも成りあがれた。
いい?わざわざ馬鹿にこの俺ほどの男がいちいち説明してやるが、
庄屋は江戸期のインフラにかかわれる大名形骸では唯一の階層。
このインフラにかかわる特権を持つ庄屋だから、身代もまた、特権も肥大化している。
東日本では庄屋はなりあがれてなれるものではない。
身代の大きさの優位性のみしか見れないから低脳低偏差値だといわれてるのわからないか?w
その身代の大きさ屋敷は、その裏にはその庄屋の政治的特権に由来するものでもあるからだということすら読めないお前さんは、
ほんと、俺ほどの男とディベートできるだけでも、まず幸せかみ締めろよ
>>307 戊辰戦争の時 奥羽列藩同盟は『朝敵』ですので
庄屋はただの破廉恥罪で磔や晒し首です
下士でもよほどのことがなければ切腹です
庄屋は一揆の後始末で晒しw
>>307 だから例え下士でも幕府や藩政の公務についてれば庄屋風情は土下座です
例幣使の随行の公家なんて富裕度から言えばほとんどが下士程度ですよ?
それでも各宿場の御大身な庄屋はいびり倒され金銀巻き上げられても土下座ですが?
>>306 一揆のほとんどすべてが庄屋破廉恥刑で処刑して終わりですねw
公儀や藩政側に切腹赦された庄屋って何割ですか?
311 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 02:38:46.41
>>260 >>庄屋は一揆発生時の死亡率が半端ない
いいか?死亡率の前に一揆率も半端ない事実をなぜ出さない?
一揆という名の合戦を。
要は庄屋は幕藩体制化の武家社会と呼ばれる統治下において、
いかに強大な在地主権を与えられていたかの現われなんですよ。それは藩主もしかり。
どれだけの統治管理者としての権限を付与されてるが故、徳川政権をゆさぶるような統治能力をもつものは、
強制的に改易された事実は庄屋と大名でしょ。
下士ごときには無縁の世界でしょうがw
たとえば
>>311 あ庄屋どのに問う
貴殿の実家の庄屋が100石の武家の知行に割り当てられた
さてその武家がじきじきに来村して知行の検見をはじめる
あ庄屋家は2000石の鎌倉以来の家柄
さて御領主様をどう扱う?www
313 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 02:54:33.41
>>311の続き
たとえば群上一揆 4年にも及ぶ庄屋の一揆を抑えることすらできず、
藩主は改易だ。
天草一揆直後も改易大名が連発してるのはわかるよな?
いいか?島原による踏み絵政策。
これに代表される恐怖政治も、また江戸期を通した一揆数もすべて、
徳川政権下の日本における新興宗教にたいする概念や、
また在地勢力に対する基盤が確立されていなかったものの表れだということが浮き彫りになっているというのがわかるよね?
だからこそこのような強行策をとらざるを経ないわけだ。
庄屋に関しても、城下のネットワーク社会をきづけていた江戸体制ではあるが、
在地社会においては、庄屋にかなりの裁量における在地特権まで与えている。
その反対で言えば、城下と在地は完全に切り離されており、在地主権を完全に庄屋に丸なげ委任していたということ。
だからこそ、あれだけの一揆数になるわけ。
ゆえに、庄屋の氾濫たる一揆が、城下やはたまた徳川幕政に与える影響というのは、
島原の乱に代表されるように計り知れないものであるということ。
故に在地を揺るがす不正や動乱が行われた際、
その在地統制能力、また在地危機管理のネットワークを基本的に持たない徳川幕藩は、
その一手のみでしかなしえない在地管理能力であったわけ。
また、一揆が江戸通年を通しこれだけ多発していることをいうなれば、
それほど庄屋は在地統治能力と在地特権、在地支配層とのネットワーク化が
なされていたという事実が浮き彫りになってるんですよ。
ハイ論破。
>>313 それは農民がしたたかだってこと
庄屋の首で一揆収拾
つまり庄屋って底辺校のパシリの学級委員ってところだな
316 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 03:00:41.52
>>309 朝的ということで破廉恥罪で晒されたんだろ
庄屋も同じ理由だろ。
なにいってんだこの馬鹿ww
だから土下座がどうしたよ?ww
江戸初期はその下士はぶった切られていたり
また新興大名家自体のゆうことっすら聞かれてないだろww
>>入部の行列が 大友氏 の浪人の集団に襲われたり(赤岩合戦)、領内の村々に古年貢帳の差し出しを命じた際も、
>>磔(はりつけ)木を持参するという強行手段を構じなければ提出させられなかったりしたのである
どこに土下座外交してたなんていう記述あるんだよ?w
江戸初期はフルぼっこにされてましたといえよww
>>316 朝敵の朝は朝廷の朝
幕府よりさらに上ですから
江戸初期だって村皆殺しだろ常陸www
318 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 03:07:50.49
319 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 03:12:18.60
>>317 上とかどうでもいいんだよww
会津藩が晒された事実は武士なら絶対的に庄屋と同じ視に方はありえないというお前の理論は論破されてるということw
その前にお前は、この前の論破されたよな?ww武士なら斬首はないとかほざき、
陣風連のランや萩のランで斬首された下士どもで論破されwwwww
基地外で有名なサロメ君、いきてて恥ずかしくないの?www
>>318 江戸初期は武力鎮圧で庄屋皆殺し
明治時代は警察によって弾圧
っていうか江戸と明治なぜ同一に?政治体制まったく違うだろwww
>>319 幕末や維新後は江戸時代の体制と違います
江戸時代限定で議論しろwww
321 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 03:25:48.02
>>320 なんでもいってるだろ?皆殺しは結果論に過ぎない。
だったら、九州千石庄屋は合戦起こして、藩が妥協して、
てめーの家臣より管轄地与えとるがなwww
庄屋に無礼打ちされてるという下士がいたという事実が、江戸初期のパワーバランスの
重要な位置づけなんだが?ww
>>明治時代は警察によって弾圧
無知乙www庄屋は弾圧なんかされてないが?ww
政策により戸長制度を解体したということ。
しかしその後の町村制においても結局町長村長になったものは、庄屋でした・・という落ち付きでなww
そして警察により弾圧討伐されたのは、暴徒とかし、先祖帰りした夜盗出自の下士足軽たちという事実ナww
ハイ論破
>>っていうか江戸と明治なぜ同一に?政治体制まったく違うだろwww
低脳乙
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 >>府知事および県令−郡長−戸長の上下関係の下に置かれ、官吏懲戒令の対象にもなり得た
この県令は旧大名家 維新功労者
郡長は旧藩執政
戸長は庄屋
何も江戸期より変わってないだろww
323 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 03:40:30.77
>>322 結果論ですねw。
問題は庄屋が大名家に粛清されたという事実が問題ではないという意味ですよ。
改易粛清なんて、島原の乱以後大名家でもいくらでもいるんだから。
ここでの議論において、問題なのは庄屋が下士を無礼うちにしたという事実。
いい、これを通じ、庄屋とは戦国期から江戸期に写り行く中で、在地においてどのような位置づけとしておかれていたのかが、
浮き彫りになるということなんですよ。
そこで一度話はしたんですが、再度この事例と比較検討してみましょう。
324 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 03:45:34.55
>>322 まず、日本社会において、帰農と呼ばれる現象が、旧武家層で起きたのは二度ほどございます。
その一度はご存知戦国時代です。
そしてもうひとつは、幕末です。
徳川家の崩壊により、主に徳川家一門(譜代審判)、そして直参の家臣(旗本御家人衆)
の明治期です。
ここを比較検討することにより、帰農のメカニズム、そして、帰農とは本当に負け組みの象徴だったのか、
当時の価値観における帰農、また、当時の帰農の必然性とは・・・が浮かび上がってくるのです。
では、この幕末期に帰農した、というより帰農できた階層とは徳川一門で出の階層であったのか。
これを検証しましょう。そうすると、
↓
325 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 03:50:47.14
326 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 03:53:10.83
このことから庄屋を定義すれとこうなります
↓
帰農、そして庄屋・・・・・・
帰農庄屋とは日本社会において何であったのか。
帰農を定義するに当たり、私クラスがこれを論説するなれば、このように定義いたします。
↓
「帰農とは、社会システムや社会秩序の観点からのマクロ的潮流の崩壊、そして変換により起こる、
旧支配階層の必然的選択としての流れにおける、立場の帰結及び、保身が機能であった」
と定義できます。
327 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 04:01:33.22
帰農とは、ようは主家の崩壊により、限られた階級の旧武家層にのみ許されし特権待遇であったということ。
その中でも庄屋に任命されるということは、・・・もうわかりますよね?
武士、特に下級武士足軽層になる事しかできなかったものは、
実は、これら帰農することすらできなかったものが、その下士足軽という身分にすがりつき、食い扶持とすることでしか生きられなかったものたちの階級であった。
という事実。
これが現実ナ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
328 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 04:05:09.68
完全無欠論破ここにあり!!wwwwwwwwwww
329 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 08:31:05.13
県令に任命された旧大名って誰?
330 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 09:32:38.19
当時では旧大名家(藩知事)に当たる県令という意味ですた。
うちは郷士だけど大庄屋なんて格下だぞ
333 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 10:50:47.63
郷士と庄屋の差なんて動でもいいよこの際w
そこ論じてるんじゃないってわかるよな?
地域にもよるが、郷士株なんて普通の庄屋の家なら余裕で買えるんだよ
後はほしいかほしくないか程度だそんなもん
テス
>>333 旧領主が郷士になって庄屋を兼ねる場合と、百姓あがりの農が庄屋になって郷士株買ったのでは格が違うと言ってるんだよ
百姓か武士かは選べるものじゃないんだよ。
兵農分離は幕藩領主によって上から強権的に行われたんだ。
>>323 下士を殺害した代償は一家村の根斬り
ただ庄屋発狂の事実だけが残るwww
帰農したら封建秩序では農民に落ちる
いくら富裕でも 経済力を誇示してもただの百姓
一揆が起きれば羞恥刑
村に来る小心の知行取 御領主様には土下座
街道を行き来する公儀や調停の使者にも土下座で集金される(茶壷や例幣使など)
>>327 戦国時代に主家を裏切ったり
没落の果て高家に成れなくて帰農したり
落ちぶれて仕官できなかったり
そういった土豪や落ち武者や下克上されてしまった連中が
身を落として形成されたのが庄屋層
江戸時代初期は太閤検地の肥後の土豪ののりで新領主に反抗したが
一家全員皆殺し 全村根斬りになったりしてようやく大人しくなった
江戸時代通じて一揆の時の殺され役になり公儀や藩政の公務を遂行する
下士には土下座
自慢の屋敷も数百石未満の知行主が検見に来た時の旅館代わり
断って土下座もしなければ切り捨て もちろんんそんなアホはあ庄屋の先祖だけ
で明治でなり上がりを試みるが政党運動に乗り損ねた連中は反政府分子として逮捕w
あ庄屋の理論だと
戦国以来のネットワークと人員
とくに間引き防止で僧侶にした人材を豊富に抱えていた
本願寺が最強ですね
寺も庄屋の華美な屋敷と違い 城砦ですし
このスレの議論はどの地域を基準にしてるんだ?畿内のどこだ?
>>340 一揆がないみたいだからあ庄屋は関東近郊だと思われ
>>341 坂東の田舎百姓の話かいな?どうりで話が食い違う訳や
代々医者の家系て、賎民扱いなの?
江戸時代初期には村役人は戦国時代の土豪だったが、江戸時代にかなり交代してる。
幕藩領主は村を直接掌握するために大庄屋の権限や支配領域の削減を目指した。天領では
大庄屋は廃止された。
345 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 11:14:01.05
>>335 >>百姓あがりの農が庄屋になって郷士株買った
おい、この無知野郎
お前らっていっつも思い込みと妄想だよな
だったら、東日本で、一介の百章が庄屋になったのが恒例化してた例だせや。
東では庄屋より土地を持ってる豪農など腐るほどいる。
たとえば、100町豪農といわれるのが点在する越後も、これらは庄屋になっていない。
一部、江戸中期以降の新田開発に豪商豪農が入っている場合など例外はあっても、
どこに東日本で一介の農家が庄屋になってるのが恒例化してると子あるのか出せよ、
それから、なんだ旧領主って?www
肥後郷士は足軽もぎょーさんおるのーw
お前の家よりみんな庄屋は格下の家しか存在しないとでも思ってんのか?
近世では百姓は武士より格下だったんだよ。
347 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 11:19:59.41
348 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 11:23:33.73
349 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 11:32:39.84
あまりにも思い込みだの無知がが多くてねw
俺だけだろいつもソース出してるの。
何が何でも庄屋を最下層の糞百章の生き恥さらしのカッペにしたい気持ちもわかるが、
そもそも、農家なんかやってねえっつーのwwwwわかる?wwww
↓これミロや
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E9%95%B7 >>職掌は戸籍の管理と並んで、
>>地券管理・
>>国税徴税・
>>義務教育・
>>徴兵事務・
>>布告布達の伝達・
>>水利土木厚生等公共事業の施工などに及んだ。
★はいここ重要→→→→→→→ >>これらは旧来の村役人としての性格を並存させており
どこに百章やって立って記述あんだたこ
明治期に入ってもそのままの村役人の性格を踏襲したと書いてあるこの中に、どこに百姓って書いてあるの?w
カッペの低脳がw
庄屋は百姓。武士の下。
武士>百姓
352 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 11:40:44.97
そもそも土地な。武士とは土地!!!
この土地に根拠があるから、武装して武士としての側面にも大義名分が生まれる。
土地すら持たないのに武装してたのを、雑我党や伊が衆根来衆という野党集団として存続してるんだよ。
用兵ナ。
>>338 >>一家全員皆殺し 全村根斬りになったりし
うそこくナカスwwだったら逸機しただけで全村皆殺しという例出せw
生瀬に関しては、旧武家庄屋が、一かそんまるっとフル武装して対峙したと書いてあったろうが。
あげくは、その合戦は数ヶ月にも及んだと。
さらにその水戸藩兵にも多数の死傷者が出たと。
庄屋は村で持ち回りだったりするから大したもんじゃないよ。
354 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 11:56:39.70
>>338 それからな、土下座が何だってんだよ?
現代でいえば、麻生室町大名家庄屋様が、選挙のときは遊説しながら有権者に深々とおじ帰しながら挨拶してるが、
これで現代のパワーバランスは、有権者>>>麻生 ってなんのかお前の脳内は?
この糞下士足軽どもの狼藉は宿場でマナーの悪さはいたるところで書かれてるようだが、
お前の発想だと、このマナーの悪さこそ身分の序列だということだな。
さすがだよ野党集団の価値観の序列はww
庄屋は平民。
356 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 12:01:20.99
>>339 何をどう解釈したらそうなるわけ?wwwwwww
すげーおつむしてんなwwwww見習いたいわwww
まーでも、釣られてお前さんの解釈で語ってやろう。
>>本願寺が最強ですね
だろうな。史実が証明してるし。
しかし、思想が絡む集団だったから重宝はされなかった。
しかしこれらと同列の集団、雑賀党などは、時を同じくして、やはり目立った集団でしたよね?
これらは極端に言えば、ドライに金さえもらって代理戦争するような者どもですので、その後、
あらゆる覇者の大名家の武士団に組み入れられました。
これら、土地すら持たなく在地すら存在しないこの傭兵集団こそが、下級藩士足軽、初期中級武士、直参御家人 の正体ナ!!!
だもん、ある意味で下克上とはこれらのような無法集団の代名詞として意味を成す言葉。
そりゃある意味最強だよな、だってよーーー、
それまでの武士と呼ばれる「土地」を介在にした在地リーダーたる在地領主層が庄屋に大量になり、
無産階層が江戸期、今度は武士と呼ばれるように勝手にナっていっちゃったんだから。
こんなのが江戸社会ナ。
>>353 東日本の庄屋で持ち回りだった村全部あげろ。
大半が永代だが、その一部でいいからだしてみろよ。
そのごく一部例外地域を早く出してみろよ
>>356 東夷の田舎百姓の話かよ出自捏造率90%超えてんだろ
雑賀も根来も一向宗も武士。これ常識なw
359 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 12:22:23.04
>>357 いいから
>>345答えろや
それから出自?www
必殺の源氏の末裔ですがなにか?キリ ってやつか?wwwwwwwwwwwwプッ
馬鹿かよwww高家ならいざ知らず、現代人は7割がたすーぐこれゆうよな、ほんっと!!!wwwwww
仮にそうだとして全国何百万人いるとおもぅてんだよwwwwwwww
だからなんだよ?wwwww
庄屋は百姓だから武士の下だ
362 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 12:33:19.06
>>350 ならなんで屋敷や門から戒名から在地特権から出自から明治期以後の社会階層まで
すべて圧倒的に格下なん?ww理論的に答えてみろよw
庄屋は武士じゃない。百姓だ。武士に無礼をはたらけば切捨て御免だ。
>>362 うちは明治以降も士族だけど庄屋は平民じゃん
はい論破
庄屋は百姓。武士の下。
366 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 12:39:54.99
そもそも士族程度が分家にも過去の代の跡継ぎの嫁の実家にいないとでも思ってんのか?
まーーいいや。
俺んち明治後戸長で数百世帯の村々おさめ、半端ねー屋敷にすみ、行政の長に君臨してんじゃん
ハイ論破
>>366 そうか、成り上がり者なんだな。
平民からよく頑張った。
ただ、明治以降の成功をみても、お前うちより格下だわ。
368 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 12:45:21.21
>>367 何が成り上がりなん?お前戸長制度の意味もしらねーだろ?w
369 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 12:49:23.92
父方も、母方も、江戸時代は、大地主。
父方は、大正時代、その地を引き払う。
母方は、戦後、少なくとも、みかんができる以上のまともな部分は農地改革でほとんど、取られ、
今、小区画の地が40件ほど。
山林部分は、自分が死ぬまでかかっても、どことどこにあるのか、境界はどこか、分からないだろうな。
父方の記録では、江戸時代、
堅実な世代では、どんどん農地が増え、小作を大量に抱え、
浪費する世代では、どんどん失っていったそう。
豪農と貧農は、境目がないと思う。
なお、豪農でも、庄屋だったとの記録はない。
370 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 12:51:00.67
追伸:
両家とも、しっかり、姓を名乗っていた。
それで、家系図も大切に。
372 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 12:56:09.94
>>369 >>小区画の地が40件ほど
これってどの程度のこと?
それから、大地主なんだからきちんと在地に根拠のある由緒ある家。
下士足軽何ぞよりはるかに由緒ある家計だよ。誇りに思ったほうがいい。
うちは爺さんまではすごかったよ。田畑も千町ぐらい持ってたかな。農地改革で手放したけど
山を持ってたから製材所と映画館と旅館を経営して、その地域でトップクラスの資産家だったよ。
林業がダメになったから子供はみんな都会に出てサラリーマンになって田舎の家は廃墟に
なってる。ただし、祖先はわからない。江戸時代は後進地帯以外では百姓は勤勉と才覚と運しだいで
幾らでも豊かになれたんだよ。庄屋もよく交替したしね。
ウィキ引用でえばってる あ庄屋ww
常陸の一揆で全村根切りがあっただろうがww
それと知行主には100石の小身にも大邸宅の大庄屋が土下座接待は
認めるんですねw
さらに おまえは盛んに土豪や地侍の帰農を言い立てるが
要するに仕官できなかったッてことだろ?w
大庄屋の前身である土豪が所領安堵でさらに知行もらって仕官したほうが
どう見ても勝ち組だろうがw
375 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 13:17:17.36
>>373 日本で1000町クラス持っていたとされる豪農は全国で5件とされてる。
その五件とも健在だが?
うそはいてまで庄屋を格下にしたいのか?w
マーそこまでしなきゃ、下肢足軽程度じゃレースにもならないというのはわかるけどさ。
>>375 そいつらなんで仕官できなかったの?www
御公儀の御家人とかにしてもらえばいいのにw
庄屋は百姓だか武士の下だ。
378 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 13:21:05.13
>>374 それは違うな。それは
>>344みたいな、ウィきのコピペをあたかも全国くまなくそうだったと述べてるやつのことだろ。
おれは、自分の論述の要所要所に、その事実を示すために、わざわざめんどくさいが入れてやってんだろ。
てめーらはみんな妄想憶測の類を永遠と何の根拠もなく垂れ流してるだけじゃねーか。
庄屋といっても色々だよ
>>378 お前はレスの度に自分が並の庄屋の家系でないことを説明しろ。
武士になれなかったから百姓になったのだよ。みずから百姓を選んだのではない。あたらしい大名に召抱えられて武士として
て知行を認められたほうがいいにきまってるじゃないか。それが許されなくて百姓にされたのだ。
382 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 13:24:14.26
>>376 お前さ、基本の歴史すら知らないで、もういいよ。
基本中の基本知らないやつとか、さすがにめんどくさい。
自分の無知の分読み返してみ?
ただ単に歴史好きってだけのやつはめんどくせーなw
庄屋は配下の村から年貢を徴収して領主に納めなければならない。その村が知行地になれば
年貢は自分の物だ。藩の役職にも就ける。上級武士として威張れる。なぜそうしなかった?
うちは前殿様で食客上級郷士だから大概の庄屋は格下。
武士身分を捨てたのではない。捨てさせられたのだ。武士のほうがいいにきまっている。
386 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 13:33:09.33
庄屋は百姓だから武士の下だ
あ庄屋をからかうのは楽しいなあwwww
389 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 13:41:56.39
>>385 お前の気持ちをきいてんじゃねーんだよ。なあ?
そうなら、その理由は下級武士足軽のどの部分にあるのか具体的にかけや。
ちなみに庄屋。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E9%95%B7 >>職掌は戸籍の管理と並んで、
>>地券管理・
>>国税徴税・
>>義務教育・
>>徴兵事務・
>>布告布達の伝達・
>>治安維持機構
>>水利土木厚生等公共事業の施工などに及んだ。
★はいここ重要→→→→→→→ >>これらは旧来の村役人としての性格を並存させており
在地のこれだけの特権与えられてるのは、庄屋しかイないんですよ。
さらに庄屋の中には納税免除されてるものも多く、
さらに屋敷は下級武士、中級武士にすら許されてないほどの大きさや、長屋門まで許されてるものも多く、
さらに税制の面で、村内で半の納税率に上乗せ徴収する権利も認められてる。
在地の特権と先祖代々の土地を捨てて、その下級武士w程度でも武士こそが最高の職で、メリットがあったといわれるそのものを
具体的に列挙し、合理的に論述しろや。はよ。
>>389 100石未満の知行主からの借金断れないし
踏み倒されても泣き寝入りですけど?ww
>>389 同じ石高の土地を実高として持っている武士のほうが権威があり
庄屋が発狂して襲って来たら切り殺せた
>>389 そいつらなんで仕官できなかったの?www
御公儀の御家人とかにしてもらえばいいのにw
>>389 そんな面倒くさいことやらなくても年貢がまるまるフトコロに入る武士領主のほうが
ずっといいよ。武士を捨てたんじゃなくて捨てさせられたんだよ。
394 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 14:01:30.83
>>390 それも全部、仮定の状況ばかり話しやがって・・・・
俺のお前馬鹿にしてんのか?w
踏み倒され没落した江戸気象やだせや。
>>391 土地すら持ってねー下級武士の配給程度の微々たる給地で、寝言こいてんじゃねーよかすw
ならなんで長屋でくらしてんだよ?平百章以上の屋敷ととちもってる下肢足軽の屋敷だせやw
なんだ畳一条だの、8畳4人詰だの内職だの、ふざけてんのかよかすがw
庄屋を勝手に切り捨てた下肢、江戸期一例でも存在したなら出せ
>>392 馬鹿は黙ってろw
庄屋は配下の村から年貢を領主に納めなければならない。領主は年貢を自分の所得にする。
どちが得か?誰が領主よりも庄屋を選ぶか?
396 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 14:06:25.52
>>395 だったら、なんで下級武士は水のみクラスの生活しいられてんだよ?w
それから、室町気の土豪地侍は、庄屋と同じ生活スタイルの納税だが、
何が不利だった?江戸期下級武士と 江戸庄屋とほとんど同じスタイルの土豪地侍
この比較から、下級武士より不利な側面上げろっつってんだろぼけが。
397 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 14:11:59.27
ハイ完全論破www
結局庄屋最強だろ。
帰農がミットもねーというなら、
まず、合唱しろやw
幕末、駿府に帰農した寄合旗本ども。
こいつらに「百章の分際で、旗本きどんなや!!!このどん百章ごときめ」
とお前ら言え。w
話はそれからだ。
>>397 つまり
中士や上士から見たら庄屋は下級ってことですね
400 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 14:20:58.57
ついつい、会社でのストレスで2チャンということ忘れてしまった・・・・w
ふぁびょってしまってスマネww
最近釣られなれてないので、つい本気で回答してしまった・・・w
402 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 14:25:55.83
>>399 それはない。
事実上在地の一人大名が庄屋。
下士というふざけすぎた奉公人ごときと比べたから大差が出てしまったが、
事実上、旗本=庄屋です。
もう少し厳密に言うと、庄屋=小大名でしょうね。
あらゆる多角的視点で評価すればそうなりますね。
>>402 その庄屋の土地を知行として支配するのが中士 上士
庄屋はいわばそこの管理人
家主が大名で、管理人が庄屋だ。全然別だよ。
406 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 14:33:30.10
>>403 いいですか?
知行として一括支配してるのが藩主たる大名なんですよ?
その管轄地の根拠が藩主でしょ。
その藩主から間借りしてるだけの分際がそのコワッパどもでしょw
支配なんてしてないでしょうにw
407 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 14:40:55.56
408 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 14:45:29.62
たとえば、一介の上士程度が、麻生閣下のような在地庄屋に、
単体で赤穂浪士のように討ち入りできるの?wwwww
単体同士じゃ大名家じゃなきゃもう勝てないジャンwwww
百パー村から生きて出られないだろうなww
409 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 14:50:40.91
あっそれから、
わかりやすいところで、幕末
伊藤博文
貧農→足軽でしたよねw。
こういう流れですよ実際w。
豪農土方→旗本
結局戦国期も同じような流れでしょ。
410 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 15:05:21.17
私にはもう、年度末で会社をやめ、人生を見つめなおすため一人旅で全国を放浪しようと思ってるので、
時間がありません。
ですので、以前約即した、
>>228のこと、
そう、サロメ君の理屈。これを論破しながら、
私が以前から言っていた江戸封建の真実。
どうして封建なのに、矛盾が存在するのか。
これを書き添えていきたいと思いますよ。
中学高校の教師程度じゃまず教えられないですし、
大学の教授程度でも無理。士農工商なんて寝言ほざいてるような教授じゃねーw。
ということで、飯食ったら、私の最後の贈り物として、
知識のパンドラを分けてあげましょうw
。
>>406 藩主は幕府から本領安堵されてる
司法権 行政権も与えられている
だから処刑場もあった
その藩主から本領安堵で知行与えられてる中士 上士はいわばミニ領主
庄屋は委託された権限が行使できるだけの家来以下です
>>407 明治初期の時代と江戸時代以前を混同しないでねww
>>408 麻生家が一揆を起こしたら上士 中士は藩に報告
追討の軍勢が差し向けられます
麻生個人が発狂したなら上士 中士の陪臣によって討ち取られます
あ庄屋さま早く飯と糞を済ませてください。
庄屋は百姓で、下級武士は武士だ。これだけが真実。
まだかなまだかなw
あ庄屋さま糞が長い
>>410 りっぱなご先祖のもとへ早く旅立ちなさい。あんたはこの世では価値がない人間だから。
あ庄屋はネットカフェ難民w
あ庄屋さまは餅が咽に詰まって旅立たれました。
419 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 17:21:37.47
いやー、牛丼食いにいって、帰りにAKBでAVでてるというのがいるらしく、
帰りにビデオや寄ってきたんだが、見つからなかったなー。見たかったぜ。
ミヤビッチにクリ卒の女イネーかなー?w白人大好きの俺が、唯一東洋人で一目ぼれしたよな。
お前らのようなろくに英語もできない低のうには縁がない話だなw
ミヤビッチかわえーーわーーー
420 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 17:34:33.63
>>411 >>司法権 行政権も与えられている
これを与えられてるのは庄屋も一緒。
行政主体は県と同じに市町村であるように、当時の村も行政庁にあたる。
だからこそ、藩主も庄屋も、責任を取らされた。
さらにいえば、独人制が許されてるのも、自己と責任において行う主体たるこれら。
仮に、庄屋をいち行政機関に過ぎないとするならば、いち藩自体もいち行政機関に過ぎなくなる。
その証拠が鉢植え。
幕末の外圧等すべての根源は徳川政権のみに主体が存在するとすることになるから。
仮に、権限の監督というものがこれらに適用するなら、
庄屋と藩は、上級機関と下級機関という形でしか存在し得ない。
全委任とすればこの監督権がなくなり、独立行政法人という形になる。
しかしそれは多少なりにも違うとするなら、
藩も庄屋も定義では同列上の行政庁ということ。
規模が違うだけ。
421 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 17:40:12.91
訂正
独人制→独任制
その証拠に、明治期、江戸の行政を適正化、簡略化した形が明治太政官布告
中央政府(国家)→県令(藩主)→郡長及び大区長(藩執政)→小区戸長(庄屋)
というように、これが江戸行政の無駄を省いたシンプルな形にしただけなものがこれ。
これから察すれば県も町村も一自治体にすぎず、アクまでどちらもいち行政機関でしかないのはあきらか。
422 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 17:47:51.15
>>411 >>その藩主から本領安堵で知行与えられてる中士 上士はいわばミニ領主
だからこれなんてもってのほかだよねw。
今で言えば、ただ単に給料もらってる社員というだけ。
社員が、会社の売り上げからの給料もらってるだけで、いわばミニ社長だって言ってるのと同じ。
仮に家禄没収されたら、自身の屋敷もすべて差し押さえられるだろ。
領主でもなんでもなく、間借りしてるだけの社員だからだ。
根拠が藩主にあるため、藩主に寄生して生きてるノミみたいなやつらだから、
これらは一切行政機関という概念には値しない。
423 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 17:56:21.68
>>411 >>庄屋は委託された権限が行使できるだけの家来以下です
これも完全におかしいよねw
たとえば、庄屋が本当に一介の委託に過ぎない出先機関であったなら、
添えは社員たる藩士が庄屋の任に当たるはずだ。
なぜなら、権限そのものは移転しないわけであり、効果はその主体たる藩に帰属するわけだ。
もしそうであれば、庄屋は処罰は去れないわけだ。
委任されてるとした場合、権限自体が、村に直接移るわけであり、
受任先が自己と責任において行使する。よって帰属先は自身になる。
だから庄屋は処罰された。
たとえば、明治期、戸長役場を賞や宅にしているのが多いように、
完全なる委任行政庁という形が庄屋に当たる。
委託という形ではまったくないというのが説明できっる。
424 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 18:04:19.27
>>411 >>明治初期の時代と江戸時代以前を混同しないでねww
これも何度も言うけど一緒だよw。
明治4年には太政官布告で交付されてる。
上記にもあるが、トップダウン式の支配体制を簡略化しただけ。ようは無駄を省いただけ。
単純に、今で言うリストラクチャリングということ(首という意味じゃないよ?ww)
単純化させることで無駄を省き、効率性を上げたまで。
まったく江戸期と一所。
ここで、藩執政と一部上士以外、行政機関たる行政庁官に任命されてないのは、
江戸期自体からなんら行政権限を与えられてなかった証拠。
だから、リストラクチャリングにより簡略化で真っ先に省かれた。
ようは、中級武士以下は、当時から一切行政上の権限を追っていなかった証拠
425 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 18:10:35.93
>>411 麻生家と中級武士の単体の家同士という意味だよ。www
麻生屋敷に単体で打ち入れるか?ww
仮に中級武士一家と庄屋が合戦するとなった場合、どれだけの兵隊と武器弾薬と食料と橋頭堡築けると思う?w
麻生家って陣屋以上だぞ個人の邸宅自体がww
で、そのえらすぎる中級武士閣下が、糞庄屋風情の麻生家と三日後に合戦するとなった場合、
余裕で単体でかてんだろうね?wwwww
かてるよな?wwwwwだって中級武士様さまだろ?wwwwwwwwwww
刀4本くらいもってんのか?麻生家なら旧守護大名家だから、刀なんぞ数十本じゃ聞かないぞ?wwwwww
426 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 18:22:26.67
ハイ完全論破ww
ミヤビッチかわいすぎだろ・・・・
あっそうそう、だいじなことわすれていた。
インフラ裁量が与えられてるのも庄屋。
もう完全なる一人行政。
西洋では、完全に地方在官領主。
下級武士は完全なる労働契約による雇用関係。
幕末、西洋人が、日本の権力基盤は一介の武士より庄屋豪農のほうが上だと勘違いした理由は
上記の事由にもゆるもの。
みやびっち テラかわゆす
下級でも武士は武士、庄屋は百姓。これだけが真実。
あ庄屋さまはなんで会社勤めなんかやってんの?なぜ国会議員にならないの?庄屋なんでしょ?
パンドラの箱はまだ開かないのか?www
430 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 20:55:50.80
庄屋は下士に分類される訳だから不毛な言い争いだ
何で現代法の世界で江戸時代論じてるの?w
典型的な廚設定だな あ庄屋は
433 :
日本@名無史さん:2012/01/02(月) 22:00:20.25
>>428 ビジネスエリートも、飽きたね。
俺が会社辞めたい理由のひとつは夢を追いかけたいのもあるんだ。
一度だめもとでやってみようと思うんだよね。
>>429 いやーパンドラのはこ、今日はついつい空けちゃったんだよw
さっき、こないだかった、みやびちゃんの写真集見てたら、ついついみやびちゃんに垂らしちゃったよ・・・
今日はもう・・・
>>430 下肢ごとき荷分類されてません。庄屋は庄屋です。別に江戸下克上武士の際末端の奉公人風情に無理して区分されなくて結構!!
>>431 それは違う。あくまで当時の性質を分析するとという意味。
全部つじつまが合ってるんだよ
みやびちゃん、かうゎうぃすぎだろ・・・・東洋史上最強の美人だよ・・・
床屋に一瞬見えた
>>1 どっちが上の身分でもそういう差別は良く無いぞ
>>1 まあ武士による差別も庄屋による差別も
他の誰かによる差別も駄目ではあるが
現代において、東大はマーチごときより圧倒的に格上といえば差別なの?
俺は不細工嫌いといったら?
嫌いだから、君は仕事首といったらそうだろうな。
好き嫌いと混同してるのか?
そもそも士農工商という序列が存在したみたいな嘘かいてる教科書書いてる無能にいえば?w
>>433 >全部つじつまが合ってるんだよ
あってないです
江戸時代初期と明治初期を混同なんてw
どこだへんがあってないのかな?w
庄屋は下士じゃないよ。百姓だよ。
下級でも武士は武士、庄屋は百姓。これだけが真実。
信長は庶民を苦しめる将軍や叡山を打倒した。
パンドラの箱はついに開かなかったが、あ庄屋が"ビジネスエリート"であるという貴重な証言wは得られた。
あとはりっぱなご先祖様のもとへ一日も早く旅立つことを祈るだけだ。生きててもこの世に何の益も
ないニンゲンモドキだからね。犯罪候補者だ(いや、もうやってるかもしれない)。
あ庄屋が上げてる例は庄屋の中でも別格だ。当人たちは並の庄屋と一緒にするなと思ってるよ。
446 :
日本@名無史さん:2012/01/03(火) 13:46:39.62
445
俺もそう思う
庄屋なんて寒村にも一軒はあり、しかも持ち回りだったりもする。
大抵の庄屋は普通の本百姓と大差ない暮らしだった
447 :
日本@名無史さん:2012/01/03(火) 16:33:47.47
今年のしょうやさまからは事件の臭いがします
448 :
日本@名無史さん:2012/01/03(火) 22:00:33.23
449 :
日本@名無史さん:2012/01/03(火) 23:54:03.36
>>446石高が低いと無いとこも多い。組頭を置いて遠方の庄屋の管轄にする
山梨とか調べみ
テスト
>>449 すべての庄屋は戦国武士だの家系だという証明をしてください。
改易された大名・上級武士はすべて庄屋になったという証明もよろしく。
>>451 448で紹介されてるスレではあんたは"名門庄屋"と"小作庄屋"を区別してるが、
なぜこのスレではすべての庄屋について語ってるんだ?キチガイに質問しても
ムダかな。
453 :
日本@名無史さん:2012/01/04(水) 15:40:44.16
雑賀、根来、一向宗の大将・司令官は国人地侍層だよね。
正月までこのキチガイは一人で暴れてたのかw
惨めだな
456 :
日本@名無史さん:2012/01/10(火) 09:52:13.27
あ庄屋さまの祖先は平良文なんだw
庄屋屋敷が最大の家だなんて、どこのど田舎だwwww
どうでもいい
459 :
日本@名無史さん:2012/01/31(火) 07:36:47.43
あんまり煽るようなのじゃ無い庄屋スレがもう一つあると良いかもな。
戦国時代
庄屋←飯屋
下級武士とやら、←自警団、予備役、ODA
馬鹿は毎日きてるようだがw
征夷大庄屋
465 :
日本@名無史さん:2013/12/28(土) 10:11:19.11
ほー
466 :
日本@名無史さん:2013/12/28(土) 17:03:09.12
あ庄屋さまってのは有名らしいけどニートか何の取柄もないコンプレックスで先祖に執着してんのか?
467 :
日本@名無史さん:2014/02/10(月) 11:35:13.82
下級武士は乞食レベルの扱いだからな
468 :
日本@名無史さん:2014/02/10(月) 13:00:22.20
いや、本当に江戸時代の下級武士が竹細工の内職していた事実。
この竹細工こそひとつのひもとく鍵で、竹細工は紀伊の山中のササラと呼ばれるものだとはっきりする。
ササラ者が下級武士層のルーツの紐解く一つの要因なんだ。
下級武士と武家奉公人は違う
470 :
日本@名無史さん:2014/02/10(月) 13:36:32.86
そんなのは百も承知だが、
そもそも奉公人、若党れべるが皆その後下級武士層になっていった。
竹細工は奉公人ではなく下級武士層が主力の内職
高度な竹細工技術は紀伊のササラ。
もうひとつが白山信仰
全部が点で繋がっているだなあ
471 :
日本@名無史さん:2014/02/13(木) 21:08:05.25
>>411 明治になったとたん、武士が突然いなくなっても行政は滞り無く平常運転だったんだぜ。
村が大混乱に陥ることもなく、以前と変わらず納税し、宗門改帳まで作ってる。
下級武士はリーマンの支店長以下の存在だな。
いや、武士はある意味えらかったと思うよ。
だけど、村の領主ではなかったんだよ。
472 :
日本@名無史さん:2014/02/13(木) 21:32:25.76
>>411 一揆って何か知ってるか?
麻生家だけでは一揆にはならんのよw
武士は地主ではない。俸禄をもらってるだけだ。
上級武士は結構な給料だけどな。
まあ、今の公務員と同じだな。
身分はあるから頭は下げるけどさ。
上級公務員に大企業の役員が頭を下げるのと同じさ。
>>471 下級武士は支店長以下どころじゃなく、
分かりやすく言えば、郵貯の配達員レベルでしょ
各藩が地方知行制を廃止して、武士を城下町に集めて、
土地から切り離した 武士は主君から米俵を貰うだけになった
土地はすべて藩が一元管理下に置かれた
(一門重臣クラスは独自の領地を持ってたので、例外はある)
477 :
日本@名無史さん:2014/02/13(木) 22:17:29.64
武装農民集団から戦闘要員行政要員切り離した
→刀狩りから徳川政権ですね
しかし、全地域武装解除は実質できていなくて
薩摩なんか武士が全人口の三分の一。
秋田や米沢も地域誌なんかによると武士がかなり多い
俺の田舎も庄屋とお寺が実質 村行政権裁判権持っていた
武士の一元支配に異議あり
478 :
日本@名無史さん:2014/02/13(木) 22:24:55.78
まあ庄屋は世襲が多いからね
479 :
日本@名無史さん:2014/02/14(金) 02:08:48.43
>>476 そもそも江戸時代の藩士は、もともと在地の領主や知行地持っていた層じゃない
土地から強制的切り離しをした層は譜代などの大名クラスだった武将が主で、
在地の地侍や土豪層を徹底的切り離し政策はしていない。
現実に将軍家のお膝元の関東の在地は大量に元武士階層がそのまま残されてる。
徹底した切り離されたのは旗本や譜代大名レベル z
480 :
日本@名無史さん:2014/02/14(金) 02:14:20.95
>>476 土地は一切一元管理なんぞされてない。
土地から上がる米高は管理されていたが、
管理でなく周知されてはいたが、実質的管理者は庄屋名主層
それは完全に勘違いしてる。
鎌倉幕府が御家人地を管理してたという解釈が間違えてるのと同じ
保証はしていた。
481 :
日本@名無史さん:2014/02/14(金) 02:28:11.89
>>477 いい着眼点だね
外様はつねに臨戦態勢を確保していなければならないため、
そのまま在地武装有力豪農をそのまま実質的武士身分のまま残して国を運営し続けたから
幕末に幕府を圧倒した。
幕府が外様のようにできなかっのはそもそもが下克上大名がゆえに、
他の地域への入植支配なため在地の武装解除兼武士身分剥奪せざるえお得なかったということ
関東の豪農や庄屋層の出自は事実上外様大名レベルがごろごろいるが
一介の農民身分なのは将軍家の入植地がゆえに
482 :
日本@名無史さん:2014/02/15(土) 19:44:13.71
>>481 母方が庄屋で名主だけど、郷士の身分持ってるぞ。
親藩だけどな。
483 :
日本@名無史さん:2014/02/15(土) 19:48:55.27
485 :
日本@名無史さん:2014/03/04(火) 20:08:52.73
>>483 >>482じゃないけど世襲で庄屋を出してる家なのに土佐藩家老の家臣だった。藩から見れば陪臣だけど庄屋は百姓がやるものだと思い込んでたからちょっとした発見でした。
ちょっと読んだが面白いなこのスレ。
487 :
日本@名無史さん:2014/03/05(水) 12:59:43.80
陪臣といっても、大身家老の家臣には相応の格の家も付いてるからね。
大塩平八郎は幕府御家人である与力で、禄米が現米八十石、知行で言えば200石相当。
その平八郎の祖父は、徳島藩筆頭家老稲田家の家臣で、知行200石。
平八郎の弟子の小泉淵次郎は同じく大坂町奉行組与力で、実家は大和郡山藩青木家、
知行200石だった。縁組の範囲は、家禄の水準が同程度の所が選ばれていたらしい。
直参陪臣というのも、偏狭な人間がこだわってただけじゃないのかなあ。おのれの不遇を
形式上は下となる人間を見下すことで発散させていたとか。
旗本と御家人がイカだタコだと言い合っていたような下らない話。
まあ、旗本は養子縁組がかなりタイトだったというのは周知だろうけど。
またその話かよ
489 :
日本@名無史さん:2014/03/09(日) 12:59:46.27
毛利とか島津とか、古来の領地をそのまま持ってた大名は、家臣も戦国の
領地を引き続き所有してたらしいな。
まあ、そんなのはごく一部で、領地替えや戦国大名が滅んだりお家取り潰しに
なったりした地域は、新しく来た大名の部下は領主じゃない。
土地は地主が持ち、領主は「納税」された年貢を配下に給料として出した。
米の場合もあるが、西日本は早くから貨幣納入が多い。
全国的にも下級武士が領地から米で給与をもらうなんてなかったよ。
年貢を大量に大阪へ輸送し、お金に替えてたんだ。
だから堂島の米市場は、世界最先端の先物取引の現場だった。
490 :
日本@名無史さん:2014/03/09(日) 14:13:01.42
だから下級武士は支配地というものではない
単なる金魚のふんごときのヒラリーマン程度
492 :
日本@名無史さん:2014/03/09(日) 16:22:44.42
戦国以前の知行と江戸傭兵藩士の知行とじゃ意味合いも質も違う
>>485土佐藩は例外、階層として庄屋までが藩士、他藩では足軽徒歩あたりが区分点
494 :
日本@名無史さん:2014/03/22(土) 10:24:06.82
>>493 485だけど藩直参じゃなくて藩士の家臣だから陪臣だよ。事情があって維新の前に藩士になったようだけど大半の時期は在郷のままだよ。
495 :
日本@名無史さん:2014/03/22(土) 12:27:54.03
リッチな庄屋がなんで武士にならなかったの?
もともと武士が帰農したのが庄屋の始まりじゃないの?
>>495 なんでって誰でも武士になれるわけじゃなかったからだろ。
497 :
日本@名無史さん:2014/03/22(土) 15:11:51.84
>>495 庄屋の多くは戦国時代以前の土着の領主が多いから土地も財産も名誉もある。民の世話するって家業があるのにわざわざ兵役など役人の仕事までやる必要がないからだよ。
吉村寅太郎は朝廷から村役を任じられた家で何の仕事の時だったか忘れたけど藩の役人に呼び捨てにされた事に立腹して騒ぎを起こしてるよ。
その仕事は更迭されたけど他に処罰は受けてないはず。よくある上士と庄屋のイメージだと呼び捨ては当然だし騒ぐと即切り捨てられそうでしょ?
江戸時代は身分とは別に家格という家の格があって門構えなども格に応じた作りしかできなかったんだけど庄屋はそこらの藩士より高かったんだよ。
>>497 勘違いしてるのか言葉を正しく理解してないのか知らんが、
吉村虎太郎が呼び捨てにされたのは上士じゃないぞ。
499 :
日本@名無史さん:2014/03/22(土) 16:29:14.74
大坂町奉行組与力の大塩平八郎は、天領庄屋の橋本忠兵衛などの門人に対しては
「殿」付けて呼んでいたようだけどね。
鬼平犯科帳でも、旗本の長谷川平蔵は母方の実家である名主の親戚に対して
「殿」付けて呼んでる。
ああいうのを見ると、庄屋って同心よりも格上だったのかという気分になる。
500 :
日本@名無史さん:2014/03/22(土) 17:17:58.33
>>498 須崎村庄屋屋敷跡(の説明文)
山内藩政時代、須崎村(郷浦)に庄屋が置かれ川渕氏が幕末まで代々世襲して村方の支配をしてきた。
幕末期には、土佐勤王党で天誅組に参加し、大和十津川で倒幕の兵を起した吉村虎太郎が転任してきた。
虎太郎は、郡奉行の役人と宴席で口論となり呼び捨て事件を起す。
その後、下分村庄屋(新荘)へ転任となる。
Wikiだと下役人とだけ書かれてるけど吉村の与力じゃなくて郡奉行配下の役人だよ。
>>500 だから、郡奉行じゃなく郡奉行配下の下役人だろう。
502 :
日本@名無史さん:2014/03/22(土) 20:00:00.65
通常郡奉行に配慮があれば下役でも騒ぎなど起こせない。
吉村は郡奉行程度ならびびってすらいないし、そもそもが下役人程度の雑魚が庄屋たる家に呼びつけしてるのがよほど癪にさわったんだろう。
当時の力関係というか、潜在意識的な面がわかるよな
庄屋層は下役人程度に呼びつけされる程度でも癪にさわるほど下に見てたということ
503 :
日本@名無史さん:2014/03/22(土) 20:12:02.71
まあもともとは豪士だろうしなあ
そもそもそういうとこからの発展が武士の起源だろうし
土佐は、同時期に庄屋の島田家が足軽に、
喧嘩から重傷負わせてるが、藩からは無罪おとがめなしと沙汰されてる
505 :
日本@名無史さん:2014/03/22(土) 20:36:12.97
つうかさ、呼びつけされただけで評定に訴えてるとかwww
よほど格下に見てねえとここまでやらないうおなwww
ましてや幕藩体制の時代によwww
呼びつけされただけで激おこプンプンだけじゃなくてさあ
呼びつけが許せねえよ藩に訴えてんだぜ?www
つかよびつけされることがよほど想定外相手だったんだろ役人がwww
たかが呼びつけだけでだぜ?www
506 :
日本@名無史さん:2014/03/22(土) 20:37:33.33
呼びつけしただけで訴えられるとかwww
507 :
日本@名無史さん:2014/03/23(日) 05:36:06.17
そんな面倒くさい存在のこしたまま幕藩体制しけたもんだな。
刀狩りみたく土地狩りして庄屋から土地引きはがして武士が直接支配する体制しいとけば
未だにお武家の支配社会を維持出来てただろうにイギリスの貴族みたく。
武士って甘いな。
508 :
日本@名無史さん:2014/03/23(日) 07:12:29.55
イギリスとは歴史的環境が違いすぎる。
日本は土地土地で食糧生産の条件が細かく変わってくるから、支配者は被支配者に
けっこうな支配権限の委任をしなければ生産力が下がってしまうからな。
509 :
日本@名無史さん:2014/03/23(日) 07:18:46.44
だから、江戸時代も下るに従って庄屋大庄屋層に苗字帯刀を簡単に与えて
支配側に取り込もうという動きが強まっている。
土地をよく知った人間を引き入れてしまえば、支配は思うままと考えて。
実際には領主は領民のことなんざろくに考えていないから、庄屋を取り込んでも
村人が圧迫を受けて庄屋糾弾につながるだけなんだけどね。
510 :
日本@名無史さん:2014/03/23(日) 07:23:37.33
欧州なみに領民にドライに接したのが例えば南部藩。
天保の飢饉の最中、領民が次々に餓死し、領外に食い物求めて流れているというのに、
年貢率を下げないどころか更に課税して搾取しようとした。
欧州なら、自領で食えなければ他領から奪うために戦争を起こし、食い物奪うついでに
口減らしを行うところだけどね。欧州人が野蛮なのは、そういうことばかりやってきたからだ。
511 :
日本@名無史さん:2014/03/23(日) 11:01:37.11
>>507 それができる力があるならやってるでしょ
戦国時代後期から強制的に在地庄屋から土地を強制解離、没収令出せば百パーセント第二次戦国時代到来でしょ
はっきり言うが5万石未満の小藩程度が、戦国時代後期の在地の武装化庄屋層の力をとても押さえられるはずない
512 :
日本@名無史さん:2014/03/23(日) 11:12:11.83
それどことか幕府が庄屋層に土地権利の利権保証して懐柔政策で乗りきってるレベルなのに、在地の武装化庄屋層を武力だけでねじ伏せられるならやってみればいいよな
信長軍団みたいなどこぞの馬の骨寄せ集め大量傭兵集団ですら石山本願寺どころか僅か二千にも満たない地元青年団程度の雑賀衆に結局勝てなかったろ、天下布武とかほざいた張本人でさえさ
武力だけで庄屋層ねじ伏せられると思ってるなら甘いわ、成り上がりの小大名なら返り討ちにしてやる
513 :
日本@名無史さん:2014/03/23(日) 11:12:57.97
まあ刀狩りとかあったもんなw
つか武士が専業化したの江戸時代以降でねえのけ?
戦国ころまでは長男が百姓、次男以降が武士化したの多かろ
514 :
日本@名無史さん:2014/03/23(日) 11:14:59.36
在地離れるってのそういうこったもんな
515 :
日本@名無史さん:2014/03/23(日) 11:16:18.68
室町の悪党の起源もこの辺かもね
516 :
日本@名無史さん:2014/03/23(日) 11:42:07.12
>>513 刀狩りは秀吉が雑賀討伐でやったのが期限
秀吉クラスですら、雑賀には正攻法の正面武力衝突は徹底的に避けて、水攻めで雑賀衆を皆殺しにしてるレベル。
その後雑賀の地元民を男は大量虐殺され刀や武具のみならず農具まで没収したのが刀狩りの期限
秀吉クラスのスーパースターがそれほど恐れた恐怖心が刀狩りという形で政策として現れた。
織豊時代の大名は軍勢だけでも十万弱になるが、
以外にも戦わず降伏してる地域ってないよな?
確かに一向衆や本願寺、雑賀、長曽我部、後北条と、
どこも滅亡するまで戦ってる。
それこそ雑賀なんて本当に小さな地域なのに、
あの織豊両方と真っ向から喧嘩売ってるし
当時の日本人の地元愛意識は半端じゃないと思うわ
518 :
日本@名無史さん:2014/03/23(日) 16:43:45.03
延々やってるけど、要は地方財閥(庄屋)VS武士(公務員)と一緒なんでしょ、江戸時代も。
519 :
日本@名無史さん:2014/03/23(日) 16:54:37.01
517
地元愛ってより一揆結んでれば地元からでたら生きていけないだろ
生きる方法がないもんなあ、他所者って違うとこいったら厳しいのよ
520 :
日本@名無史さん:2014/03/23(日) 16:59:27.22
古代なら余計そうだろうが全く知らない土地にいって生きられるのはよっぽどの運がらないとな
平安時代・鎌倉時代は源氏や平氏などの地域移動が盛んだった。
>>522 村役人なんで藩から扶持貰っている場合がある
524 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 09:37:34.04
>>518 それも地方財閥は大昔からの旧家で地方役人は呑百姓出身という構図だろ。
525 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 09:50:24.13
藩とかなんとかどうみても江戸時代以降の話ばっかりやね
江戸時代の武家なんてもう武士じゃねえぞあれ
武道ってなった時点でもう武士の名を借りた振り
526 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 09:57:54.10
江戸時代はいろんなとこの開拓とか進んだけど例えば藩ごとの商業政策とかやってるが
もはややってるの商人と同じ、アイヌ問題やらも蝦夷地の開発関連で起きてるからな
国後あたりの新しい産業、アイヌの減少も商業関連で富の差を使って漁師とかがアイヌ
の女たち買ったのが根源
527 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:39:03.60
>>525 源平名門大名や徳川将軍家、旗本吉良あたりまでは武家でいいよ。
528 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 18:53:14.04
>>525 その通りなんですよ
江戸時代の武士なんて武士じゃないですよね!
よほど豪農のが武家を彷彿とさせる
江戸時代の藩士は武家にあらず!
あんなの戦国時代以前こそ江戸藩士が元呑農や雑多でしょ
529 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:00:42.98
まあ武家というのは高家や寄合レベルの旗本までにしてほしいわ
武士は中世以前からの地侍レベル以上を言うてほしいわ(名主庄屋層)
江戸藩士はいい加減軍人という扱いにすべき
江戸藩士はは大半が元は雑多層からの成り上がりなんだから、軍人とか自衛官という扱いにすべき
真の武士階層は在地の名主庄屋豪農層也
530 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:15:52.28
531 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:33:08.33
532 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:34:23.44
なんでウィキが正しく表示されねんだよ
533 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:47:44.76
ウィキが表示されないが
江戸成り上がり基準だと、
武家の正統にして武家の棟梁たる足利公方家すら武士扱いせず平民とかふざけてんだろ
何で江戸武士程度が、源氏の正統平島公方家より武士扱いなんだよ成り上がり基準はさ
ありえないわ
534 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:57:33.83
それいえば和歌山であったなんとか団体の抗議とかもあったじゃん
和歌山にいたのは新宮党の連中だぞ、南朝にも絡みそうだな
535 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 20:03:44.72
海野氏の祖と言われてるらしき貞和親王が住み着いたって逸話もみつけたし
サンカ関連で騒いだのもあったな
どういう経緯で騒いだのかねえ?
吾妻五郎が全国の源氏を数えてる記述もみつけたけどさ
536 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 20:05:02.45
どうみてもなんらかの正当性が絡む話だろ
537 :
日本@名無史さん:2014/03/27(木) 20:11:28.00
とにかくあの辺は系図関係がいくつかの数家だけで保存されてたらしく
戦国時代の騒乱の中で失われてるらしいからねえ
地元で800石クラスの新田開発をした元戦国武士(800石超えると幕府から証明書がもらえるらしい)
の家の持分が20石程度と知って微妙な気分になるよね。管理は任されたらしいけど、どいういう配分になるんだろうか?
私財を投げ打っての開発で20石程度しか得られないのかね?
20石丸々年貢免除なんだろ
20石=20俵=玄米1200キロ=上白米840キロの収入になる
800石-20石=780石=780俵
780俵から年貢を納めて273俵=上白米16380キロが手元に残る
780キロ+16380キロ=17160キロが収入
条件がわからないから何とも言えないけど。
いろいろあるよ。
4人で、開発費100%出資
許可もらう
人集めたり・作業を指導
完成
20*4石土地もらう(普通1割)+720石分近隣百姓に売却
新田の管理業務(主に水利)
新田は、初年度無税で、段階を経て標準課税になる。新田耕作要員
確保のため。
9割売却は強制。理由は、新田開発請負人の大地主化抑制。
新田開発すると水利系で従来の田と紛争が起きやすいため。
4人と思ったのは、普通は1割(80石だから)。
>>540 普通、売却はしないだろ
売却せずに水呑に小作させるだろう
売却したら開発した旨味がない
免租されたのが20石
租税負荷対象が780石
というのならわかる
>>541 > 売却したら開発した旨味がない
デベロッパーの存在意義を否定するのか。
江戸時代にディベロッパーという概念はない
新規に開発した土地を所有して、百姓ならその一部を自分で耕作し、残りを小作にやらせる
開発者が商人なら、全てを小作にやらせる
お上は開発させて新規に課税対象地を増やし、収入を得る
新田地は本田畠よりも、税率が優遇されていた
>新田地は本田畠よりも、税率が優遇されていた
土が出来上がるまでの最初の数年は収穫あまり見込めんしな
収量の少ない土地は少なめの税率が普通。免除もありうる
田畑永代売買の禁
>田畑永代売買禁止令
これ今でいう親告罪で、特に訴え出るものがなければスルーされていた
武家の次男坊三男坊に親が田畑を購入して農業させるってのが普通にあったしなぁ
田畑を質草にして流してしまうというパターンもあったり
新田開発した耕地を早々に売却した事例はあったのか?
禁令に触れることが前提の開発が認可されていたのか?
>>547 無いと思うよ
基本的に民営の新田開発は利益目的の投資だから
農民だって売りたくて田畑売る奴は稀
レス538の場合、代官見立新田と土豪開発新田のチャンポンっぽいね
代官見立新田(代官による新田開発)の場合、代官は新田からの年貢の1/10貰える
800石(4公6民)なら320石の1/10で32石手に入る
新田なら税率はもっと低いだろうし、20石は妥当なライン
北田屋新田 請負った2名に1/10を与えて残り売却
>>550 請負った者に売却する権利があるのか?
開発主体は発注元である殿様じゃないのか?
>>549 これ、売却じゃなくて新田開発を請け負って1/10の土地を報酬として受け取っただけじゃないか
こりゃ村請新田か町人請負新田になると思う
あと、江戸期なら新田の開発は藩主か幕府に届け出るのが決まり
石高の増加(税収の上昇)につながるからね
553 :
日本@名無史さん:2014/05/23(金) 12:23:29.87
うちの先祖は旧武田家下級家臣の傍流で200石の新田開発を行ったが天領であった
為か庄屋になっただけだった。他藩だと200石レベルなら苗字帯刀や郷士への
取立ても藩によっちゃあるらしいがね。年貢が安いのがせめてもの救いか
554 :
日本@名無史さん:2014/05/25(日) 13:08:05.43
まあ天領だと帯刀や郷士は石高に限らず不可能に近いほど極小だよ
555 :
日本@名無史さん:2014/06/01(日) 01:16:07.79
親戚の家(庄屋)が某藩の城普請で寄付したので一時宮使いして武士だった時が
あるのだがその後苗字帯刀はない。どっちが良いんだろうな?
>>538 資金を全部自分が出したのとは違うんじゃないかなあ。
大阪の鴻池新田なんかだと、158町の開発を鴻池が出してるけど。
江戸時代って、人口が急増したのは、大規模な新田開発のおかげだね。
戦国時代もかなりやってたみたいだけどね。
関ヶ原とかが田んぼになったのは江戸時代なんだろな。
領主が田んぼをぐちゃぐちゃにするわけないし、隣の領地でやったら
百姓にも恨まれることになるし。
関ヶ原自体は竹中氏の所領だったんだっけ?
558 :
日本@名無史さん:2015/01/25(日) 16:21:06.11
559 :
日本@名無史さん:2015/01/25(日) 16:53:27.76
>関ヶ原とかが田んぼになったのは江戸時代なんだろな。
>領主が田んぼをぐちゃぐちゃにするわけないし、隣の領地でやったら
>百姓にも恨まれることになるし。
領主は旗本の竹中氏で、戦後に家康から見舞金みたいな名目で米を補償されてる。
うちの100超える婆さんが、ご近所さんのことを家来言ってるんだけど、ボケてきたの?
確かに家は江戸初期に帰農した名主だったようだけど、お迎えが近付いてるのか、ご近所を下げずんだり、農地解放の愚痴ばっか言ってる。
>>560 お前んちのばーさんがボケたかどうかを2ちゃんで聞くって、
お前がボケてきてるんじゃないか?
江戸初期?
400年農民してて家来って・・・。
565 :
日本@名無史さん:2015/01/31(土) 22:05:19.23
>>560 家来という表現がよくないんでしょう
「うちの小作さんや」とか「おとこし(家の雑用係みたいなん)さんや」とかそういう感じなんだと思います
でも、そういうことを言うようになっていらっしゃったってことは
自分の若いころ「いとさん」って言われて育ったことを改めて考えると
今の状況が酷くなってきたってことではないでしょうか
ちゃんと自分の家の格式とか残ってますか?
周りの家から今でも、「あの家はここらでは一番の〜」とか言われるような家ですか?
そういうことをおばあさんは嘆いていらっしゃるんだと思いますよ
566 :
日本@名無史さん:2015/01/31(土) 22:57:59.20
でも、戦国時代に滅ぼされた大名家とか、
旧家臣の帰農家に花印のついた旧家臣であったと証明する書状を送っている例は江戸中期以降かなり存在する
>>566 「でも」って何に対して反論してるんだよ。
568 :
日本@名無史さん:2015/02/01(日) 12:25:14.47
>>567 「つまるところ」などの言葉を選ぶべきでした
紛らわしいことを書いて申し訳ありません
うちの地方でも小作のことを家来って言うな。
へー。
571 :
日本@名無史さん:2015/02/02(月) 19:41:39.57
まあ、明治以降の寄生地主は高利貸しや商人あがりだったんですけどね
>>571 農地を買うのは資金回収率が悪かったんで
街中に家を買って借家として運用したって話は聞いたことがあるな
自分のところの地元の廻船問屋は地主をやってた例が多い
そこで取れた米を北前船で北海道に送って、海産物を仕入れて戻ってくる
取れた農産物を使った交易で利益を上げていた模様
あとは造り酒屋やってた家も地主だったという話
今コンビニやってるわ
血統書付きの庄屋の娘