【初心者】スレッド立てる前に質問をPart28【歓迎】
945 :
日本@名無史さん:2012/03/11(日) 07:37:10.04
西郷吉之助侯爵が男女両色を愛でた(両性愛の人物)とウィキペディアにありますが、
その根拠となる記録ないし証言にはどんなものがあるんですか?
活字になってる作品があったら、その書名も教えて下さい。
>>941 甲斐守とかはあくまで名前のごときもので、それ自体に意味はないそうです。
よって苗字が違えば被っても問題ないのだとか。
そもそも大名が二百数十人、旗本もかなりが官位持ちの諸大夫であり、
だぶらせないと官名が全然足りません。
同姓が多い松平とかはいろいろ調整が大変だったようです。
なお、有力大名で世襲的に使っているような場合は、
他の家が遠慮するようなことはあったようです。
それで、そんな遠慮は無用と幕府が通達を出したことがあるとか。
>>942>>946 そうなんですか。ということは、「じゃー、今日から俺○○守ね。」って
ある程度自由に名乗れるんですか。
でも、そうなると今度は実際にその役職についてる人との間でトラブルにはならなかったんでしょうか?
トラブル:たとえば老中は優先権があったらしい。
老中が名乗りたいって言い出したら、既に名乗ってる人は改名しなければとか。
まああとは家同士の力関係でしょう。
通常は先輩や上役や家格が上の人が既に名乗っていたら遠慮するはず。
家代代の慣習とかでどうしても名乗りたい場合は、交渉次第でしょうね。
そんなこんなで名乗りが変わる場合もある。
松平姓の旗本とかは調整が大変だろうな。
>941
基本的には複数はありで、幕府に許可を得て名乗ります。
ただし、
・同姓で同官名は避ける(誰だか分からなくなるため)
・国持大名による優先使用権(前田「加賀守」、伊達「陸奥守」、黒田「筑前守」、島津「薩摩守」など)
・老中職になった大名と同官名は避ける(別名に変更する)
・歴史的特例(真田「信濃守」、宗「対馬守」など)
・一部は禁止(「三河守」「武蔵守」「山城守」など)
など、占有・優先使用に関する決まりはあります。
さらに言えば、歴史的に加賀前田家は筑前守を名乗っていた時期がある(豊臣時代)ため、望めば
黒田家より優先して「筑前守」を名乗れたりとかします。(むろん、その場合は加賀守は名乗れません)
>>940 >戦国ー江戸は後方支援的行動も武士が自分でしてたけどね。
>なんでもかんでも、人を徴収ー民を苦しめた、にしてしまう
.教科書や本が多いからいけないのだけど。 ]
大名行列が、当時の軍隊の行軍(建前では)なんだが。
中間・小物など、荷物持ちや馬の口取りやったような人は武士じゃないぞ。
パート雇用の庶民だし、自分の領民でもない。
大名が金ないから、江戸付近でしか雇わず、後は武士自身が運んだりもするけど。
じゃあ、戊辰の従軍でも自分達で運べばってのは成り立たない。
荷物大量に運んでたら、すぐに戦闘できないから。
いちいち、戦闘のたびに荷物を捨てて、終わったらまた拾い集めたりはできない。
>>950 大名行列の話じゃないでしょ。
あと、戊辰なんて時期の話でもないと思うけど。
952 :
日本@名無史さん:2012/03/12(月) 21:41:11.67
質問です、日本最古の兵役は養老律令の軍防令ですか?
防人などはそれ以前から存在していますが、どう言った扱いなのでしょうか
幕末について質問ですが
高杉や坂本はちょんまげではないのですが
別にあの時代はちょんまげじゃなくても堂々と街を歩けたんでしょうか?
あと
土佐は山内系の上士と長宗我部系の下士がいましたが
こういう差別があったのは土佐だけでしょうか?
学者とか医者とかで総髪の人もいたし、別に月代そってなきゃいけないって決まりはないでしょ
現代にたとえれば、せいぜい、髭を生やしてる人、みたいな感じじゃない?
役所とか普通の会社でサラリーマンとして働くなら髭はそらないといけないが、髭を生やして
いるからって町を堂々と歩けないってことはない
>>953 >土佐は山内系の上士と長宗我部系の下士がいましたが
>こういう差別があったのは土佐だけでしょうか?
武家社会の身分による差別は、土佐に限らずかなり厳しかったようです。
江戸時代はじめはそうでもなかったけど、時代が下がるにつれてだんだん厳しくなっていく。
家によって、区分はは変わりますが、おおまかに上・中級武士、下級武士、奉公人と別れていて
それぞれの中では、あまり身分差はなく対等に接しているけど、階層が変わると厳しい差別があって、
例えば、上・中級武士と道で会った下級武士は履物脱いで土下座するなんてのも、
土佐郷士に対する特別な差別じゃなくて、結構どの藩でもあったようです。
服装や履物など身分による違いが規定されているので、遠目でも相手の身分が判るので、
急ぐときなどは道を変えて通る。
一番、こまごまとした決まりが厳しいのは下級武士で、奉公人はそうでもなかったみたいです。
これって本当ですか?
正確にいえば現在の朝鮮人の血は古来からの日本人に入ってない。
弥生系といわれる人達は朝鮮半島から来た人が多いけど、現在の朝鮮人とほぼ別人種。
現在の朝鮮人は元や南宋に蹂躙された匈奴などの末裔に夫余などが混じってのちに
モンゴル人との混血が進んだ人種。
古代日本に来た渡来系(弥生系人種)は純粋な高句麗や高麗などの民族と
それらの中の漢民族と混じったのとか。
それと古代日本人は元々、南方のベトナムや中国の福建省とか廈門から来たのと
ミクロネシアや南洋の民族と北方のシベリア・ツングース方面から来たのが混血したものが
固定化されて縄文系になり、その後、渡来系に駆逐されたり渡来系と縄文系の混血が進んだ。
日本人はそういう意味では他民族の混血人種であって遺伝子解析した結果、各地方で
遺伝パターンに特色がある。
縄文系遺伝子の特徴を強く残す遺伝子はアイヌ・北海道の原住民だった人・東北人の北部地域の人・
九州南部・沖縄。
* *
* + うそです
n ∧_∧ n
+ (ヨ(* ´∀`)E)
Y Y *
>>956 去年出た考古学の本に出てたね。
データが少ないと言う人もいるがかなり重要な事実だろう。
今後はそれがどういう経路だったか、とかがさらに詳しく
研究されるでしょね。
現在の人たちがずっとそこにいたとも限らないし
今後大事な研究じゃないかな。
似ているというのは解釈が難しいが
因子がまったく別、ということは少なくともその地域と
接触はなかったということが証明はできるわけだからね。
>>958 自演乙です。
>現在の朝鮮人は元や南宋に蹂躙された匈奴などの末裔に夫余などが混じってのちに モンゴル人との混血が進んだ人種。
せめて時間軸はあわせましょう。エサの質が悪すぎます。
又、匈奴の人種構成については諸説あるので、匈奴のDNAなどが特定できたのであれば、さっそく論文にまとめてはどうでしょう?
新聞のトップページを飾る快挙ですから。
>>959 いや、956の引用が正しいというのではなく
そういう研究が進んでるよ、という話ね。
シロウトの例えだろうし別に誰も匈奴のDNA?が特定
できたなんて話をしてるわけじゃないし。
明治以降の文部省について質問です。
この文部省というのは大学寮の上位機関の式部省の唐風名の文部省に肖って付けられた名前でしょうか。
それともただ単に「文」=「教育」というイメージからつけられた名前でしょうか。
近代世界史(西欧史)について書いてる本で
「欧州情勢は複雑怪奇と言った日本人には、欧州の外交は到底理解不能」という記述を何度も目にしてるのですが
そこまで日本人は、欧州の外交について知らない外交音痴だったのでしょうか。
あの総理大臣がそう言っただけで、日本の外交を全否定するのはおかしい気がしますが。
>>961 「考古学を科学する」だったかな。
ちなみにあとがきが素晴らしいんだ。
理系からみた文科批判?みたいなもんなんだけど。
>>963 チャーチルの『第二次世界大戦回顧録』のなかにこんなことが書いてある。
日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。
反論する相手を捩じ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。
すると議会は、いままで以上の要求をしろという。無理を承知で要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人はまったく別の顔になって、
「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことをいうとは、あなたは話の分からない人だ。ことここにいたっては、刺し違えるしかない」といって突っかかってくる。
これは、昭和十六(一九四一)年十二月十日、マレー半島クァンタンの沖合いで、イギリスが誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二隻が日本軍によって
撃沈されたときの日記だが、チャーチルは、これによってイギリスはシンガポールを失い、インドでも大英帝国の威信を失うのではないかと心配しながら書いている。
チャーチルは、「日本にこれほどの力があったのならもっと早くいってほしかった。日本人は外交を知らない」と書いている。
つまり、日本は相手に礼儀を尽くしているだけで外交をしていない、外交はかけひきのゲームであって誠心誠意では困る、ということらしい。
別の例では従軍慰安婦の場合。
韓国は「これは内国向けで日本が従軍慰安婦を認めればそれいじょうの問題にはしない」と口約束で確約した。
その後韓国は世界中に「日本政府が従軍慰安婦の存在を認めた」と定期的(韓国大統領選前)に発信し続けている。
日本人は日本人同士で通用するやり方を国外で行うべきではないのだが、人間というものはそう簡単に頭を切り替えられない…
>>964 前半はさておき、後半は盛大に吹いた新書だw
龍馬の結婚って正式なものなの?
脱藩浪士の身分でもたとえばどっか役所に届けてたの?
死にたいよ・・・・
971 :
日本@名無史さん:2012/03/19(月) 19:24:15.55
平安貴族が演奏してた管弦曲は
どんな感じの曲だった」のでしょうか。
雅楽みたいな雰囲気のものですか。
972 :
日本@名無史さん:2012/03/20(火) 01:29:38.54
973 :
日本@名無史さん:2012/03/20(火) 10:15:47.21
よく戦前の天皇は神輿(悪く言えばお飾り)であり、実権はなく、
時の権力者に動かされる傀儡だったとか言われますが、
張作霖爆殺事件の後、昭和天皇が岡田首相を叱責し、
それを苦にした岡田首相が自殺したという話がありますが、
これが事実ならとても天皇=神輿=傀儡ってイメージはしません
詳しい方、戦前の天皇と権力者との力関係や立場などを教えてください
織田信長は生前右大臣になりましたが、右大臣といえば朝廷の上位の立場ですが、
本人はほとんど安土城や自分の領土内にいたんですよね
朝廷の合議があるたびに参内しなくていいんですか?
どれくらいの頻度で合議があったのか知りませんが、それなりに多いと思いますし
>>973 そもそも「岡田首相が自殺したという話」が事実では無いんだけど・・・
知事というものはかつては知太政官事のように知+官職の名前(太政)+官職の種類(官)+事
と言うように使われていましたが、明治初期の知藩事は仙台藩だと知仙台藩事というように呼ばれていたのでしょうか。
それとも知藩事が固定で仙台知藩事のように呼ばれていたのでしょうか。
977 :
日本@名無史さん:2012/03/20(火) 14:04:47.78
>>975 すいません、勘違いがありました
岡田首相ではなく、田中首相でした
田中首相は自殺ではないですが、昭和天皇に叱責されて内閣を総辞職し、
その数ヵ月後になくなってしまったんですね
昭和天皇は自分が叱責したことが大きく影響したのではないかと自身の責任を
痛感し、以降、政府の方針に不満があっても異を唱えることを控えたとか・・
どちらにしても、「天皇には実権がなく、権力者に動かされる傀儡」という
イメージとは遠いんです
質問。なんでヤマトタケルって英雄扱いされてるんですかね?
どう見ても英雄に見えないんですが。
古事記を読んでた当時の人はヤマトタケルこそヒーローみたいな感じだったんですかね?
スサノオならわかるんですけど。
>>976 >知+官職の名前(太政)+官職の種類(官)+事
違う。太政官の事を知るだ。つまり知藩時も藩の事を知るだし、知県事(県知事)は県の事を知るだ。
知藩事という官職なんだから知仙台藩事とはならんだろ。
>>978 八岐大蛇を酒で眠らせて倒したスサノオと女装してクマソタケル兄弟を油断させたヤマトタケルに
大した差は無い。
>>980 村人に危害加えてた化け物を退治したスサノオと
敵対勢力をだまし討ちしたヤマトタケル
じゃあかなり違うとおもうんだが。
>>981 敵対してたんですかね?
平和に暮らしていた人たちのところにいきなり押しかけて、
歓待されたにもかかわらず、一方的に騙し打ちにした
とんでもない奴ってイメージなんだが。
それは頼光一味じゃないか。
>>974 摂関政治の時代じゃないしそんなに実務はなかった。
どっちかというと記念パーティーみたいなのばっかり。
ただ止める時のいいわけにはなったけどね、「忙しいから」って。
朝廷ってほぼ毎日のように政務(執務)が行われているんじゃなかったの?
イメージでは公卿や貴族は京都御所周辺に住んでいて、ほぼ毎日のように
参内してる感じなんだけど
信長は公卿ではなく武将だけど、正式に右大臣という官職に就任したんなら
個人の都合だけを主張するわけにもいかないと思うんだけど
986 :
日本@名無史さん:2012/03/20(火) 21:29:39.87
>>982 まああんまいいイメージないですよね。
最後、白鳥になるらしいけど。白鳥ってイメージでもないし。
悲劇の英雄になるには卑怯すぎる。
いつ頃から、やまとたける=英雄みたいになったんだろ、。
>>978 現代人の感覚や常識で、古代や中世の人の感覚を理解しようとしちゃいかん
たとえば、「戦争なんかしちゃダメだよね」っていうのは、第2次大戦後の感覚であって、戦前にはほとんどの
日本人は、戦争イケイケだった、あるいは、戦争もやむをえない、と思っていた
戦争反対を唱えていた人もいないわけじゃないけど、全体からみれば少数派にすぎなかった
たかだか数十年でさえ、人の感覚や常識はそれぐらい違う
「だまし討ちが卑怯」というのも、実戦の機会が少なくなり、また、儒教道徳が普及した江戸時代以後の感覚
生きるか死ぬかの戦いに明け暮れた戦国時代には、だまし討ちはイメージは悪かったかもしれないが、する方
が悪いというよりも、それ以上にだまされる方がマヌケだった
ましてさらに時代の古い古代ならば、手段を選ばずに勝てる奴こそ英雄だろう
女装して油断させ酒に酔ったところを倒す、スゲー!
剣を交換して敵には木の剣を渡して勝つ、頭いー!
その結果朝廷の勢力大きく拡大、チョー英雄!
ってなもんじゃね?
>>987 けど源平の時代には義経卑怯者って価値観があったんじゃなかったっけ?
平家から卑怯者呼ばわりされて。頼朝にも、戦場のルールを守らずみたいな告げ口された
みたいな話があったような。
>>986 何時頃からって、少なくとも古事記や日本書紀が編纂された時代や頼光が酒呑童子を退治した伝説が
作られた時代は英雄とはそういうものだったんだよ。
むしろ何時頃から、それが何か違うって感覚になったんでしょうね、と訊くべきだ。答えは知らんが。
>>988 その通り。夜討ち朝駆けは武士の常道だけど、非戦闘員の水夫を攻撃するのはルール違反だった。
だがマトモにやって勝てない相手には知恵を絞って何をしてでも勝つというのもまたアリだろう。多分。
>>988 義経と同時代の史料に、義経の戦法を卑怯と言うようなものはないよ
義経が弾劾されたのは、「自専」であって戦法じゃないから
>>989 平家物語は義経が水夫梶取りを射るよう命じたなんて書いてないでしょう
>>990 >平家物語は〜なんて書いてないでしょう
平家物語はフィクションだぞ
あんた、平家物語に書いてある、義経と梶原景時の逆艪論争が本当にあったとでも思っているのか?
史実ではその時、景時は九州にいて、義経と論争なんてできるはずがなかったんだぞ?
つーか、そもそも、川の渡し船じゃあるまいし、軍馬とかも海上輸送する大型の軍船が、船尾の艪だけ
で漕いでいくなんてありえないぞ
>>991 フィクションだなんて分かってるよ。
なんでいきなり逆櫓の話なんか持ち出してきたのか知らないけど
どちらにしろ、水夫梶取りを射るよう命じたなんて史料はないってのは事実でしょ
だったら「史料がない」と書けばいいのに、
>>990はわざわざ「平家物語は〜なんて書いてない」だろ?
どう読んでも、
>>990が平家物語を史料として信用しているようにしか思えない書き方をしているから、
平家物語がいかに不正確であるかの一例として逆艪を出したまで
>>989 つか、
敵に襲われて、死んだフリで油断させたあと、仲間をあつめて奇襲で相手をたおすような卑怯だって、知恵と呼ばれたりもする