899 :
日本@名無史さん:2015/03/04(水) 23:09:58.33
さっきNHKで井伊直弼暗殺の深真相をやっていたが、徳川斉昭が銃と短刀を手下に渡して 殺らせたらしい
任侠と何が違うんだよ
任侠が武士の猿真似集団
家紋を表に出したり直参だとか組長だとかの単語を使用してるけど
これは元々武士のもの
901 :
日本@名無史さん:2015/03/04(水) 23:21:20.18
武=暴力
902 :
日本@名無史さん:2015/03/04(水) 23:43:42.52
真似るもなにも、馬鹿が必死で信望してる軍事貴族論の本質も893の本質も一緒だろ
893の本質ってなんなんですか?
904 :
日本@名無史さん:2015/03/04(水) 23:53:58.46
ホモに人殺しを依頼したホモの頼長とかは
インテリヤクザ風の貴族ヤクザ?
武士って牢屋で仲間増やしてたんですか?
藤原信頼みたいに武装するやつもいたから、中央貴族でも武闘する時はするんだろ?
花燃ゆ視聴者がここに一人
909 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 00:11:28.98
>>906 普段着なら馬に乗れても武装姿で乗ると即落馬だからなあ。
常日頃から体を鍛えていない色白肥満のボンボンだしね。
それでも信頼などは貴族の中じゃ骨太タイプでしょ。
>>897 個人で開発できる程度の簡易な開墾では荘園として認めてもらえないって知らんのかよ
荘園として認められる、永年私財の墾田は用水路まで全部を自分で新規開発した場合だけ
既存の用水路を使った墾田は一代限り私有だぞ
開墾して成り上がるとか、できるはずないだろ。
911 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 00:19:52.82
相手は武官だからテロではない
クーデター
913 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 00:29:18.55
>>912 テロとは政治的目的の為に暴力に訴えることですから紛れもないテロですよ。
914 :
892:2015/03/05(木) 00:37:27.51
こら!
お前等w議論が出来なくて悔しいだろうが
くだらん雑談でスレ埋めするんじゃねーぞwwwww
915 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 00:40:32.79
クーデターじゃないだろ
一私人とさして単なる私恨を晴らしたチンピラだろ
916 :
892:2015/03/05(木) 00:47:48.90
養老五年正月、元正天皇は「文人と武士は国家が重んじるものである」旨の詔を出している
即ち武士というものの概念(カテゴライズ)が王権のもとに示されたのである
※この当時は武芸官僚で後代の武士とは質的に異なることは断って置く
元正天皇の祖父は壬申の乱の勝者である天武天皇でその舎人達の活躍が念頭に在ったことは疑いが無い
謂わば天皇の手足となって奉仕する武力である
43年後の藤原仲麻呂の乱鎮圧での綬刀舎人達の活躍でも王権の守護としての武力が如何なく発揮されている
律令制が瓦解してゆく後代においても王権の武力「武士」の概念は存在し続け
国家の危機、寛平延喜東国の乱や王権の危機、承平天慶の乱の鎮圧勲功者の子孫
※この場合は武芸官僚ではなく軍事貴族や在地領主
に「朝家の守護」たる武士の認定をした
そして院政期に確立した家職分業の「家の制度」により武力をもって王権に奉仕する職業的身分「武士」が成立したのである
917 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 01:20:23.55
「朝家の守護」たる武士が出自の武士がどれだけいるんだ?
認められる武士ってのは外国から防衛する者どもだ。
我欲で他人が苦労して築いた財物農地を奪い、無辜の町人や農民を殺し、
こんなもんが認められるかい。
クーデターってのは宮廷内での争いだろ
宮廷を離れた遠方で殺害したり、廷外で殺害したりしてる時点で条件に合わない。
主な争いが宮廷内で、たまたま外で殺害したとかだったらともかく、
桜田門外の加害者側は江戸城内にいなかったわけだしな。
同様の意味で、226とかもクーデターじゃない。
老中ですけど
民主制の国でクーデターは起こらないということですね
921 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 02:01:13.71
養老五年正月、元正天皇は「文人と武士は国家が重んじるものである」旨の詔を出している
即ち武士というものの概念(カテゴライズ)が王権のもとに示されたのである
※この当時は武芸官僚で後代の武士とは質的に異なることは断って置く
元正天皇の祖父は壬申の乱の勝者である天武天皇でその舎人達の活躍が念頭に在ったことは疑いが無い
謂わば天皇の手足となって奉仕する武力である
43年後の藤原仲麻呂の乱鎮圧での綬刀舎人達の活躍でも王権の守護としての武力が如何なく発揮されている
律令制が瓦解してゆく後代においても王権の武力「武士」の概念は存在し続け
国家の危機、寛平延喜東国の乱や王権の危機、承平天慶の乱の鎮圧勲功者の子孫
※この場合は武芸官僚ではなく軍事貴族や在地領主
に「朝家の守護」たる武士の認定をした
そして院政期に確立した家職分業の「家の制度」により武力をもって王権に奉仕する職業的身分「武士」が成立したのである
922 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 02:37:58.41
923 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 08:45:49.88
出自がどうあれ、
傭兵として官に公的に、或いは皇族や貴族に私的に雇用された暴力団が武士と認定され、そのはじまり。
武士のやってたことは暴力団そのものだもんね。
924 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 08:47:22.56
後続と武士しか存在しない国w
926 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 09:27:56.28
暴力を以て家職とす
大河も時代劇もつまらないな、なんでだろう
漫画、アニメ、ゲームのほうが進んでるからかな…
実写では表現できないものを表現できる
でも漫画などは危険なんだよな神仏、物の怪なんかが登場し過ぎ
928 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 10:07:25.80
経基君は図らずも武門源氏の開祖と担がれ仰がれ神にまで祭り上げられました
あの世で経基君は「血の繋がりよりも義理だ」との言葉を深く噛みしめたことでしょう
陽成ボス崩御後、陽成グループがどうなったか定かではありません
しかし血の掟は脈々と闇の世界で受け継がれました「独り占めは許さない」と
まんまと源氏の養子に納まり摂関家権力をバックに莫大な富を蓄えた満仲も例外ではなく謎の襲撃を何度も受けました
経基君の子孫を自称するならず者達は自分勝手な欲望の果てに混沌たる「武者の世」をもたらしました
>>920 そういうのはクーデターじゃなく叛乱じゃね?
戦国大名ってすごい姓の人もいる
ベッ○ョとか浮きたる者とか
公家であっても乞食に落ちぶれて何処かへ消える時代。
暴力と徒党力が物を言ってより強い暴力と徒党力に滅ぼされる時代。
戦時に攫った町人農民を奴隷として南蛮に売る者もいる時代。
修羅なんてものではないが、リセットとか言ってるのはこれが望みかね。
932 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 18:31:06.69
○ッショの何が凄い姓なの?
別○氏は赤松氏から分かれた家なので凄い
赤松って言ったら武士としてはかなり名門ですね
満仲あたりはそのまんま暴力団でしょ。
当時の貴族社会からの扱いも暴力団みたいなもの。
藤原道綱に用があるけど満仲邸に入り浸ってるから近づきたくないみたいな記述があったはず。
935 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 19:36:00.79
スレの皆さん「安寿と厨子王」のお話はご存じですよね
実はこの物語には武士勃興の鍵が隠されています
この姉弟の父親は陸奥もしくは出羽の受領で岩城正氏と言いました
無実の讒言で一族は不幸に見舞われ、母親と姉弟は人買いに騙されて売られてしまいます
悪役として登場するのが佐渡の山岡大夫と丹後の山椒大夫です
時代は永保二年(1082年)とされています
山椒大夫とは何者か?
彼は由良・岡田・河守の3ヶ所の庄(荘)を領していた在地領主だったのです
無慈悲で悪辣な所業として描かれていますが、公田(口分田)から逃散した農民を奴隷をとして駆使し領地を経営する
初期の在地領主系武士の実像とも考えられます
そして京都に逃れ成長し地位と名誉を回復した厨子王は山岡大夫を刑死で報い
山椒大夫を軍勢で打ち取ります
成長した厨子王は軍事貴族系武士だったと思われます
936 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 19:40:05.68
>>935 残念ながら、江戸時代初期の乞食の語り芸に平安時代の社会の実情なんか反映されていないよ。
937 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 19:57:11.28
>>936 wikiの受け売り(笑)
それは浄瑠璃本の「山椒大夫」だろw
1639年(寛永16)説『さんせう太夫』
「安寿と厨子王」の原型は、中世に起こった「語り」の一種で、説経節と呼ばれ、庶民に親しまれてきた。
歌経節、説経祭文、説経浄瑠璃など少しずつ形を変えながら、近世に引き継がれ、通俗化していく。
江戸時代に入って、人形浄瑠璃や歌舞伎などに取り入れられた。
938 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 20:01:31.11
939 :
日本@名無史さん:2015/03/05(木) 20:09:23.21
その日、頼信は焦っていました
とにかく焦っていました
「俺もヤバイのか?」
見えない闇の勢力が自分にも迫りつつあることを敏感に感じ取っていました
平忠常の乱を平定し大将軍と持て囃され平直方とも提携して坂東に足がかりを築き始めたばかりの時でした
危機を感じていました
「兄者の大和源氏のように没落したくない」
「親父の満仲のように出家して逃れるか?」
「いや頼光兄者のように歌の世界で生きるか?」
「だけど俺には才能は無いけど野望だけはある」
気が付いた時、頼信は誉田神社に駆け込んでいました
そして八幡神に縋ろうと筆を執り一心不乱に書き綴りました
応神天皇ーーーー清和天皇ー陽成ボスー元平先輩ー経基君ー満仲親父ーオレ
頼信は八幡神(応神天皇)の前で闇の勢力陽成グループに「義理を果たした」と信じました
願いは届いたのか頼信の子孫だけが武門源氏として繁栄したのでした
>>930 大名じゃないけど、アクマってのも居るぞ。
>>931 >戦時に攫った町人農民を奴隷として南蛮に売る者もいる時代。
南蛮じゃなくても売ってるぞ。というか、メインは南蛮以外。むしろ国内市場向けだ
あと、掠われた当人の家族とかムラが「買い戻す」というのも広義の奴隷市場だぞ
形式的には奴隷というよりか誘拐産業みたいな形だけどさ。
発展途上国で内乱が起きてるようなとこじゃいまも日常的な風景が、日本でも戦国時代には日常だったってトコだろ
941 :
日本@名無史さん:2015/03/06(金) 18:26:12.05
承平六年五月、一人の高貴な女性が殺害されました
数え年で十六歳の少女でした
早朝の都大路で衣を剥ぎ取られ野犬に喰われた無残な姿で発見されたのでした
幼い甥っ子を可愛がっていた心優しい少女でした
捜査に当たったのは若い検非違使の下級官吏でした
何故かすぐにこの下級官吏は事故だと断定し上奏され沙汰止みとされました
本来であれば王朝国家を揺るがす大事件だったのですが或る勢力によりその真相は隠蔽されたのでした
殺害された高貴な女性の名前は斉子内親王と言い亡き醍醐天皇の皇女で卜定され伊勢斎宮の宣下を受けたばかりでした
そしてにわかに後任の伊勢斎宮に卜定されたのは式部卿重明親王の王女で摂政太政大臣藤原忠平の外孫の徽子女王だったのでした
亡くなった斉子内親王の母親源和子の母親は藤原氏ではありませんでした
応和元年、ある富裕な受領の京の邸宅が武装強盗団に襲撃を受けました
単なる物盗りだけではなく恨みによる犯行とも考えられました
程なくして捕えられた強盗の一味が主犯と共犯は醍醐天皇の皇孫親繁王と清和天皇の皇孫源蕃基と供述しました
「頭目は親繁王で奪った財物も全て親繁王の元にある」と
源蕃基は経基君の兄弟で、頭目とされた親繁王は25年前に無残に殺害された斉子内親王が可愛がっていた甥っ子だったのでした
そして襲撃を受けた邸宅の主こそ、斉子内親王殺害事件当時、疑惑の若い検非違使の下級官吏であった源満仲だったのでした
942 :
日本@名無史さん:2015/03/06(金) 21:51:41.23
943 :
日本@名無史さん:2015/03/07(土) 12:26:59.21
山椒大夫の名前は三つの荘を領有していたことに由来すると言われる
11世紀初頭においては本所領家から派遣された荘官だとは考え難い
おそらく開発領主であっただろう
中世初期の「今昔物語」説話集、寺社縁起から説教語り、室町中期までに成立したと言われる「御伽草子」には
地方の有力者として「長者」がしばしば登場する
善悪は別として山椒大夫は正しく長者のカテゴリーに当て嵌まる
「百姓」という言葉は、「百」=「あまた」(用例として「文武百官」は単位数ではなく「あまたの文官武官」の意のように)
そして「姓」=「有力者」(カバネは古代以来の有力者の特権)
即ち「百姓」とは「あまたの有力者」の意味である
従って、近世以降の農民を指す同義語では全くないのである
開発領主には大きく分けて旧国造の郡司層と国司の任期を終えても在地留住した富豪浪人の二系統がある
資本力と権力を併せ持つ彼等は開墾集積により田堵負名層となり、中央から見て「あまたの有力者」である「百姓」、
在地においては「長者」と呼ばれるようになった
この「長者」こそは開発領主系武士の原型である
開発領主である「長者」は受領の圧迫に対し武装して反抗襲撃するようになると
受領、押領使としその反乱の鎮圧にあたった軍事貴族は武力の行使だけでなく懐柔し鎮撫した
その過程で軍事貴族と開発領主は婚姻や臣従により武士団を形成するようになったのである
>>943 >「百姓」という言葉は、「百」=「あまた」(用例として「文武百官」は単位数ではなく「あまたの文官武官」の意のように)
そして「姓」=「有力者」(カバネは古代以来の有力者の特権)
ちがうぞ、元は中国から入った漢語で、「様々な姓の人々」つまり「天下万民」みたいな意味。
まあ、農民って意味じゃないのは事実だが。
945 :
日本@名無史さん:2015/03/07(土) 15:37:33.74
>>944 そう来ると思ったよ
wiki見たんだろ?
946 :
日本@名無史さん:2015/03/07(土) 16:10:23.33
呉音では「ひゃくせう、ひゃくしょう」
呉があった周代では士大夫層の有姓階級を指す言葉
漢音では「はくせい」
論語などでは天下万民の意
律令国家建設により正音とされた漢音の論語は遣唐使以降、我が国に入って来た
しかし「ひゃくせう、ひゃくしょう」と訓むのは周代の呉の音と意味が我が国に根付いていた傍証ではないか
>>945 944だが、wikipediaなんざ見るまでもなく常識だろ
もちろんwikipediaの百姓とか関連の項目は全く見てないぞ
>>946 文献の中で用いられている「百姓」の用例を分析した網野研究で、古い時代の用例はもっぱら「はくせい」の意味との結論が出た後、
有効な反証が出されないまま定着しただろ
いまでいう「ひゃくしょう」の用例(読み方じゃなく意味の方)は江戸時代後半に都市部在住の論者たちが使い始めたもので、広範囲に使われるようになったのは明治以後だろ
948 :
日本@名無史さん:
>>947 岩波講座「日本通史」岩波書店1993年刊 第一巻 網野善彦氏論文「日本列島とその周辺ー『日本論』の現在」の
主題はそこじゃないだろ
網野善彦の研究を持ち出して権威付けか?