【ヤマト】纏向は王権の礎の地か【マキムク】その17

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935日本@名無史さん:2012/03/27(火) 10:39:38.93
拝仮て直接あったってことになるの?

上意を伝える使者が上座に座り、それを受けるものが下座に座るような作法があるが
そういうことじゃないの?
936日本@名無史さん:2012/03/27(火) 10:51:07.53
拜假
拜授臨時官爵とあるね。

拜は敬意礼節を表すことを意味して、直接会うことは意味していないようだよ
937日本@名無史さん:2012/03/27(火) 20:54:19.19
僕は記紀の記述をこう解釈します!的な書き込みは時間の無駄。

せめて書いてあることをそのまま読むか、誤りと無視するかのどっちかにしてよ。
僕なりの記紀の新解釈、こう読めば新発見が!みたいな、根拠のない珍説は要らないから。
938日本@名無史さん:2012/03/27(火) 20:57:19.15
つーか何で邪馬台国スレでやらないんだよ
939日本@名無史さん:2012/03/28(水) 01:28:15.18
ついでに倭迹迹日百襲姫について一言。
この人は、確か、古事記には登場していないはず。
日本書紀には、三つのエピソードが書かれている。

一つは、ちまたに疫病が発生し、反乱するものが後を絶たず、崇神天皇が困り果てて
いるとき、百襲姫が大物主神として神懸りし、「我を祀れば災いは収まる」と
言ったので、そのとおりに大物主神を祀ると災いが収まった。

二つ目は、少女の歌が、武埴安彦の謀叛を表していると崇神天皇に告げた。
武埴安彦とその妻の吾田媛は攻めてきたが、結局は征伐された。

三つ目は、百襲姫は大物主神の妻になった。ところがその神は、夜にしかやってこない。
明るくならないと、あなたの顔が見えませんと言ったところ、では櫛箱の中に入って
朝を待つことにしよう。私を見ても驚かないようにと大物主神は言った。

朝になって、百襲姫が櫛箱の中を見ると、小さな蛇が一匹いた。
百襲姫は驚き、叫び声を上げた。
大物主神は、お前は私に恥をかかせた、私もお前に恥をかかせようと言って、天に
舞い上がった。百襲姫はそれを見て腰を抜かし、箸でホトを突いて死んでしまった。

百襲姫は大市に埋葬されたが、昼は人が作り、夜は神が作ったとの伝説がある。また、
大坂山の石を使って作ったが、山から墓まで人が列を作り、手渡しで運んだとも伝えられる。
940笑っ虎:2012/03/28(水) 10:08:47.64
>>933  >正始元年、(帯方郡)太守の弓遵は、建忠校尉の梯儁を倭国に派遣した。
天子・皇帝が何かの権限や使命与えるときは、節という「からうしの尾」がついた旗をあたえる。
この節を持った使者が「使節」だ。
節を与える資格権限も勅使・使節を立てる資格権限も天子・皇帝だけのものだ。
魏本国から皇帝の詔書と金印と、別途の詔と贈答品を持参した勅使・使節がいて、
これを護衛を兼ねて先導してきたのが、帯方郡太守が派遣した弓遵だ。
「天子代理の使節」を太守風情が立てると読んでは常識はずれの極みだ。

>梯儁は、詔書・金印等を奉じて、倭女王に拝仮した。
「梯儁は」ではない。「梯儁等」とある。
ここに、中国では「いわずもがなの常識」たる使節と随行員一行の存在がある。

>正始六年、皇帝の命により、難升米に黄幢を賜り、帯方郡に預けた。
「帯方郡に預けた」ではない。帯方郡を介して難升米に「假授した」とあるから、一連の行動は完結している。

簡潔にして饒舌をもって「よし」とする中国正史だ。
書いてない行間のほうが遥かに饒舌だ。これを「知識」で埋めて読むのが解読だ。
他人に詳しく読むことをすすめる者が、文字づら追いの表層読みをしてどうするか。
941笑っ虎:2012/03/28(水) 10:09:21.32
>>936 >拜授臨時官爵とあるね。
假授、拝假の假は「仮に」ではない。「与える」だ。假授は「授与」という古語熟語。
拝は「授ける」だが、拝假は天子・皇帝に変わって授けることをいう古語熟語。
文字は複数の意味を持つが、熟語の場合は完成単語としての意味が優先する。

>拜は敬意礼節を表すことを意味して、直接会うことは意味していないようだよ
封拝(諸将・諸官を拝し・諸王・諸侯を封じる)もまた天子・皇帝だけが行なえる特権。
拝は「授ける」で、諸将・諸官を任命する(官位を授ける)ことをという。
封は「与える」で、諸王・諸侯に位と領地を与えることをいう。
領地を封(あた)えて建てさせることを「封建」という。(いずれも、厳粛な授与儀式が伴う)。

いかにど素人とはいえ、公に発信するにはひどい内容だし、無責任すぎる。
己が無知・無学であるという謙虚な認識に立って、勉強と確認をしてから発言したらどうだ?
942日本@名無史さん:2012/03/28(水) 11:42:00.39
三輪山に登られたし
山頂には何か
943日本@名無史さん:2012/03/28(水) 11:45:20.76
まあ高貴な立場の女子がウンコ箸でまんまんを誤って突いて死ぬという事故はあったんだろうと思う
944日本@名無史さん:2012/03/28(水) 17:34:50.03
>>939
モモソ媛命は、古事記には出来事としては登場しないが
普通に、孝霊天皇の皇女として、その出自は出てくる。
945日本@名無史さん:2012/03/28(水) 18:17:57.52
>>941
假は、与えるというより、貸し出すってことだと思うけど。

太祖將討袁譚,而柳城烏丸欲出騎助譚。太祖以招嘗領烏丸,遣詣柳城。到,?峭王嚴,
以五千騎當遣詣譚。又遼東太守公孫康自稱平州牧,遣使韓忠齎單于印綬往假峭王。
峭王大會群長,忠亦在坐。峭王問招:「昔袁公言受天子之命,假我為單于;今曹公複言當更白天子,
假我真單于;遼東複持印綬來。如此,誰當為正?」招答曰:「昔袁公承制,得有所拜假;中間違錯,
天子命曹公代之,言當白天子,更假真單于,是也。遼東下郡,何得擅稱拜假也?」
忠曰:「我遼東在滄海之東,擁兵百萬,又有扶餘、?貊之用;當今之勢,強者為右,曹操獨何得為是也?」
招呵忠曰:「曹公允恭明哲,翼戴天子,伐叛柔服,寧靜四海,汝君臣頑?,今恃險遠,背違王命,
欲擅拜假,侮弄神器,方當屠戮,何敢慢易咎毀大人?」便捉忠頭頓築,拔刀欲斬之。峭王驚怖,
徒跣抱招,以救請忠,左右失色。招乃還坐,為峭王等?成敗之效,禍福所歸,皆下席跪伏,
敬受敕教,便辭遼東之使,罷所嚴騎

袁氏と公孫氏と曹氏が天子の代わりに任命する権を争っていたのが分かる
言ってみれば三人とも独断で任命して、事後処理的に天子に自分の言う事を聞かせるってやり方をしてるだけ

まあ、印綬を奉じてきた使者を遠方の部下に受け取らせるってのは危ういからしなさそうではあるよな
義満にしろ明に発注して自分で受け取ってるし、大内氏は義満の押した印から木印を偽造してつかっているが
おそらく、最終責任者として印は身元においておいただろうしさ

ただ、古代ということを考えれば、摂津に港があったのか確かめようがないが、おそらくなかっただろうし
漢文の素養のある人物はそういなかったであろうから祐筆がいるとしても、
使者と直接交渉できる伊都国に滞在していると方が何かと便利だったろう
本国から派遣する刺史のようなものに伝言して、祐筆に指示を伝えればよいのだし
946笑っ虎:2012/03/29(木) 20:19:50.32
>>945
>假は、与えるというより、貸し出すってことだと思うけど。
それが費用層的ど素人がやってきた間違いの一つだ。
假に「与える」「仮に」という意味はあるが、「貸し出す」だの「貸し与える」という意味はない。
古代中国人が「假す」といえば、天子が官位・爵位を与える時に使うものだ。

俺は、半端な考察で結論をいう男じゃないぜ。
魏書・牽招伝か。んーなのは、とっくに論考済みだ。
お前のやったことは、俺に言わせれば「相手知らずの夜郎自大」だ。

http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/233b19496691212c0152ec2f6c7135cb
947笑っ虎:2012/03/29(木) 20:41:12.77
天子に代わって封拝する「専断権」について、虎のサイトにこういう論考がある。

ものごとには、何ごとにも例外がつきものである。この場合も、
例外的に天子に代って封拝する実例があるので紹介しておく。
▼『後漢書』ケ禹伝
ケ禹は旧知の先輩である光武帝が河北を平定したと聞くと、
杖をついて北に渡り、鄴の地で光武帝の軍勢に追いついた。
光武帝はケ禹を見て大いに喜んでいった。
「我は封拝の專を得る。(私は諸王・諸侯を封じ諸将・諸官を拝する専断権を天子から得ている)。
君は遠くから来たが、私に仕えることを望んでいるのか」。
ケ禹はかくして光武帝に仕えることになるのだが、
光武帝は左右の群臣にケ禹を将軍と呼ぶように命じて軍中で重用している。
将軍は天子政府の爵号であり、天子のみが与えることのできる称号である。
(これを、天子が詔勅でもって、例外的に専断権を与えた事例である)。

つづくし。
948笑っ虎:2012/03/29(木) 20:41:59.89
専断権を与えた理由と事例。
▼『三国志』魏書・武帝紀
建安20年9月、天子は、曹操に詔勅を下して諸侯・太守・国相を封拝する専断権を与えた。
孔衍の『漢魏春秋』にいう。「天子はもって、公は外の任務を担っており、
ことに当って恩賞を速やかに行なわなければならない。
すなわち、公は諸侯・太守・国相を封拝する専断権を「承制詔勅」によって得たのである」。

天子が専断権を与えた理由。(専断権を得ずに封拝を実行した事例を含む)。
▼天子曰く「そもそも軍事において大切なことは、速やかに善を宜しくすることである。
ゆえに『司馬法』にいう[日を跨がず]とは、人民の欲する善(恩賞)を速やかに行なう利のことである。
むかし、ケ禹は関中に入ると、祭酒李文を河東太守に拝し、来歙は高峻を通路将に拝した。
その様子をみると、みな先に 天子の承諾を得たのではない。ことに当って自らの判断で称号を刻んだ印綬を与えている。
これは、世祖(光武帝)の神明が、速やかに用いる利をわきまえていて、それによって威光を示す手だてとしたからである。
そもそも春秋時代の大夫は、国境を出てことに当たるに独断によって処置した。
仮にも、社稜に利益を与え国家を安んじる目的に沿っていればよい。
君は内外の任に当たる二伯の任を兼ね、中原の内外を征して九州を統率している。
藩甸(天子の支配領域)の外に出陣した際の得失はそのことにかかっている。
恩賞をひきのばし、務めを停滞させるのは、固く私の望むところではない。
これより以後は、ことに当って称号を加えるべき者には印章を刻んで假授し、みな忠を得て励み疑いをもたせないよう」。
949笑っ虎:2012/03/29(木) 20:45:04.69
天子の封拝行為に用いられる言葉を、原則論として分類すると次のようになる。
原則論だ。僅かな例外的用例はここでは受け付けないぞ。

▼封: 天子・皇帝が親近血族や功臣などに領地を与えたり公侯に取り立てるときに用いる。封じる(あたえる)。
▼拝: 天子・皇帝が臣下に諸官・諸将の位を授けるときに用いる。拝す(授ける)。
▼假(仮): 天子・皇帝が臣下に官位を与えるとき、假す(与える)。
     その官位に見合った指揮幢や印綬など(主に物品)を与えるときに用いる。假す(与える)。
▼賜: 天子・皇帝が物品やメッセージをおくるときに用いる。賜う・賜る・賜える
▼假授: 「授与」という古語熟語。
 (一例のみだが)私が確認した事例では、中国では假授を「授与」と訳している。
950笑っ虎:2012/03/29(木) 20:48:16.60
短絡細胞に釘。

「仮司馬、仮節」といった位階は完成熟語で、
ここにある仮の文字談義をしても意味はない。
文字個々の意味よりも完成熟語としての意味が優先する。
951日本@名無史さん:2012/03/29(木) 21:48:15.68

纏向遺跡に関するレスだ。
952笑っ虎:2012/03/29(木) 21:58:51.20
>>951
何かといえば、ふた言目にはそういうバカ野郎がいるが、
纏向遺跡だけに限定して何が語れるか?
纏向遺跡に関する投稿だけではないからこういう矯正投稿をするのだが、
それに対して、そういうバカげたセリフを吐いて効果があるのか?

ごちゃごちゃいうならば、お前が纏向遺跡の話題で、
客を集めて白熱する議論スレにして見せたらどうだ。クソ野郎
953笑っ虎:2012/03/29(木) 22:02:16.87
>>951
纏向遺跡。100年も150年も時代を古くサバ読んだ詐欺所見に便乗して、
歴史の深層が見えて来るとでも思ってるのか。尻馬ゴミ。
954日本@名無史さん:2012/03/29(木) 23:04:10.89
>>949
この部分はどう訳す?

今以汝爲親魏倭王、假金印紫綬、裝封付帶方太守假授汝
955日本@名無史さん:2012/03/30(金) 00:56:07.55
>>947
辞書に書いてあるわけだが・・・。貸し出すって・・・。
天子がなんたらみたいな意味はぜんぜんないよw

形容詞に、すばらしいって意味があるな嘉と同じ意味で。形声・仮借かしらんが
假哉皇考・・・すばらしきかなわが父君って意味らしいぞ
956日本@名無史さん:2012/03/30(金) 01:11:27.70

@貸す
ア貸し出す
イ与える、開倉廩仮貧民…米倉を開放して貧民に与えた
A借りる
ア利用する、善仮於物也…物を利用するのがうまい
イかこつける
B委ねる
C寛容に扱う

以上、4つの用例のうち、@の貸すからの転だろ、拝仮は。
957日本@名無史さん:2012/03/30(金) 02:00:03.40
漢和辞典にも、假(仮)の意味として「かす」「かりる」というのが書かれている。
ただ、倭人伝全体から考えると、「ゆだねる」という意味の方が合っているように思われる。
ということになると、当事者同士が介入しないときの受け渡しに使われるのかもしれない。
958日本@名無史さん:2012/03/30(金) 02:11:22.43
>>948
ざっと見たかんじだと仮節ってのは承制で皇帝の意を承けた後、
遠方の地へ行って、皇帝の代わりに位を授けるって意味だと思うが
だから、皇帝の代わりに位を授けるって部分を受けて、仮にって意味が強調されて仮の字が
使われたと考える方が分かりやすいな
959笑っ虎:2012/03/30(金) 09:30:22.56
>>954
「自分はこう訳すが、お前はどう訳すのか」
と、オープンマインドな質問の投げ方をしろ。精神的田舎っぺが。

>>955
古語用法の話だが、減多勢のクソ辞書見てゆっるんじゃあるまいな。タコ

>>956
中国で古文を学んだ中国人のアドバイスだ。
さらに、俺なりに拝仮について延々と論考をしめしたが、
お前は、「貸すからの転だろ」という推論で終りか?

>>957
>>当事者同士が介入しないときの受け渡しに使われるのかもしれない。
こっちでも「かも知れない」か。

>>958
>ざっと見たかんじだと
ざっと見て判断できる話じゃないぜ。

>仮にって意味が強調されて仮の字が使われたと考える方が分かりやすいな
バカ野郎。仮の字を使った資格権限をあらわす熟語だ。
・仮司馬=副部隊長
・仮節=軍規・軍令違反者を処罰する権限
ほかに節のつく資格権限としては、
使持節(刺史・太守以下を処罰する権限。倭王武がこれを併せ持った)
持節(官位のない者を処罰する権限)

●ざっと見た所感をいえば、バカな日本人の多いことよ。
960笑っ虎:2012/03/30(金) 09:31:50.04
もう、>>951 のように、
「纏向遺跡に関するレスだ」などと、
了見の狭いことをいうタコは出てくるなよな。
961笑っ虎:2012/03/30(金) 09:45:32.67
おほほーい。
前後の時間の脈絡がちょちょ切れた状態で纏向遺跡だけをとりあげて
「ヤマト王権」などという願望夢想を語るタコども。

国家の存亡にかかわる諸将に重要な使命と
これを遂行するに必要な資格権限を与えるのに、
「仮に与える」とか「貸し与える」なんてあるのか?
「命をかけた職務も仮に与える」てかー。
少しは常識でモノごとを判断しろ。

漢字は複数の意味をもつ。その中からどの意味を採るか、
使われている状況ともども正しく判断するるのが解読というものだ。
962日本@名無史さん:2012/03/30(金) 10:32:48.53
>>960
>「纏向遺跡に関するレスだ」などと、
>了見の狭いことをいうタコは出てくるなよな

スレタイを一万回声に出して読め低脳伊作
963笑っ虎:2012/03/30(金) 10:33:14.06
この野郎とくに気に入らねーな。
>>955
>辞書に書いてあるわけだが・・・。貸し出すって・・・。
「文字の意味」として色々ある中で「与える」という意味も紹介してるだろ。

>天子がなんたらみたいな意味はぜんぜんないよw
天子の許可を得て天子以外の人間が封拝する例外を除けば、
諸将・諸官の位階は天子が与えるものだ。封拝に関する假は「与える」だ。
お前みたいなタコにも分かるように、
細かい論考説明つきで翻訳してやってるのだが・理解できんらしい。

>形容詞に、すばらしいって意味があるな嘉と同じ意味で。
動詞用法についての話に形容詞用法を持ち出してどうするか。

>假哉皇考・・・すばらしきかなわが父君って意味らしいぞ
まったく意味違いで用いられている用例を持ち出してどうするか。

お前は考え方の整理・分別ができていない。
思考細胞が幼稚なガキのまま大人になった、いわゆるバカだ。
964笑っ虎:2012/03/30(金) 10:40:05.50
>>962
>スレタイを一万回声に出して読め低脳伊作
スレッドの主旨が理解できないわけじゃないぞ。外道
纏向だけで、どれだけ日本の古代史がまともに語れるか。

纏向だけじゃ・ほとんどネタ切れで閑古鳥状態だろうが。
てめえが、纏向だけでやって行けるように盛りあけでみせろ。
できもしないくせに、ケチなことをいうのなら、
こんなクソスレッドなど放置して潰せ。
965日本@名無史さん:2012/03/30(金) 10:49:27.32
>>964
閑古鳥が鳴こうがdat落ちしようがお前の知った事ではない。
スレ違いはスレ違いだ阿呆。

自分の気に入らないスレにイチャモンつけているだけのヒステリー爺。
966日本@名無史さん:2012/03/30(金) 11:04:38.35
>>964 伊作
>纏向だけで、どれだけ日本の古代史がまともに語れるか。

ここで「日本の古代史」全体を語る必要は無い。
纏向で見えてくる事だけを語ればよい。

スレ違いと言う事を理解しろ馬鹿。
967日本@名無史さん:2012/03/30(金) 11:30:10.57
>>959
べつにいんじゃないの?www
何が逝けないのか違いが分からないわかけだが

・仮司馬=副部隊長
・仮節=軍規・軍令違反者を処罰する権限

仮司馬も、本来的には司馬の権能を仮に預かるものだから仮の字を使ってるんだろ
店長がいないとき、店長代理がうけもち、いるときでも補佐するような役割をうけもつようなもんだ

仮節も、軍規というのはいちいち中央の意見をうかがっていては戦況に影響するから、果断に決定することが求められる
だから、本来中央に行って、きちんと礼をつくして、官位に即くのを省いて、現地での即位を許すんだろうよ
これも本来的ではない仮の権能という意味で仮の字が使われていると解しておかしくない

>>963
辞書が気に入らないのなら、それだけの例示義務があると思うのだが、おまえは何様だよwww
承制にしても、制には、みことのり、王命とちゃんと意味が書いてあるわwww
なんで仮だけ辞書的意味でなく、おまえの独断を許さなければならんのだよwww
しかも、辞書の意味はきちんと、そういう意味となる出典元を書いているよw
漢代の用例として、おまえのような使い方がありえるなら書いてるはずだわ
968日本@名無史さん:2012/03/30(金) 11:35:54.68
つーか、俺が言っていることが理解できない時点で、辞書も調べずに論考してたのがまるわかりなんだけどwww
何が中国人だよwww、おまえの友達はそんなにえらいのかwww、シナ人崇拝アホすwww
969日本@名無史さん:2012/03/30(金) 11:38:37.44
二人とも他所でやれ
970笑っ虎:2012/03/30(金) 11:46:07.72
じゃ・もとの閑古鳥にもどれ。
971日本@名無史さん:2012/03/31(土) 00:33:10.71
基地外が来るより、閑古鳥の方が遙かにマシなんだがw
さっさと巣に帰れw
お前なんかお呼びじゃないんだよ、カスwwwww
972日本@名無史さん:2012/03/31(土) 23:04:47.07
じゃ・もとの閑古鳥にもどれ。(震え声)

だっておwwwwww
973日本@名無史さん:2012/05/21(月) 09:28:02.77
ho
974日本@名無史さん:2012/05/25(金) 21:17:31.30
【中野・柳沢遺跡の銅戈、近畿型と九州型でスズの割合に違い】

 県埋蔵文化財センター(長野市)は23日、
2006年度から3年にわたって発掘調査した中野市の柳沢遺跡の報告書をまとめ、これまでの調査の成果を発表した。
出土した弥生時代の青銅製祭器の金属成分を調べたところ、
「近畿型」の銅戈(どうか)と「九州型」の銅戈とでは、スズの割合が異なることが新たに分かった。

 同遺跡では、全国で初めて、大阪湾周辺で出土している銅戈と、九州北部を中心に出土している銅戈が、
同じ埋納坑(まいのうこう)から見つかった。
同センターは、銅鐸(どうたく)を含め出土した青銅器13点全ての金属成分を調べた。
スズは、近畿型の7本など11〜15%と割合が高いグループと、九州型の1本など5%以下の低いグループに分かれた。

 同センターは「他の遺跡でも金属成分の分析が進めば、青銅器がどこから来たのかが分かってくるかもしれない」とした。

 青銅器13点は、発見時の状況から、約2千年前、一つの埋納坑に同時に埋められた可能性が高いという。
このうち5個見つかった銅鐸は、いずれも高さが21〜22センチで、ほぼ同じ大きさと判明。
同センターは「銅鐸をまとめて埋める際、大きさをそろえる西日本と同じ傾向が、柳沢遺跡でも見られる」としている。

(提供:信濃毎日新聞)
975日本@名無史さん:2012/05/25(金) 21:22:26.09
【九州・近畿型の銅戈、銅鐸と同じ埋納坑で出土か】

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120524-OYT1T00622.htm

 弥生時代の青銅器が相次いで出土した長野県中野市の柳沢遺跡について、
県埋蔵文化財センターは23日、青銅製の祭器「銅戈」8点と銅鐸5点が、
同じ「埋納坑」に埋められていた可能性が高いとする発掘調査報告書を公表した。

 同センターの広田和穂調査研究員は
「青銅器は力を持った集団でないと持てなかった。
 県内に複数の力を持った集団がおり、近隣の集団との交流で青銅器が伝わったのではないか」
と話している。

 出土した銅戈は矛の刃の部分で長さ約22〜36センチ。銅鐸は釣り鐘形で高さ約21〜22センチ。
どちらも日本では農耕祭事に使われた。
柳沢遺跡では2007年、東日本で初めて銅戈が完全な形で出土。
08年には全国で初めて九州型と近畿型の銅戈が同じ埋納坑から出土した。

 埋納抗は縦約26センチ、横約66センチ。銅戈7点と銅鐸1点は、07年に堤防建設工事現場を重機で掘削中に発見された。
また、翌08年、すでに掘削を終えていた土を調べたところ、銅戈1点と銅鐸4点のほか、
掘削中に発見された銅鐸の一部も見つかったことなどから、同じ埋納坑に埋められていた可能性が高いと判断した。

 当時貴重だった青銅器が複数発見されているのに、周辺には住居跡が数件しか見つかっていないことから、
報告書は、複数の集団が、現在の中野市周辺だけでなく、長野市付近からも埋納坑に青銅を持ち込んだ可能性を指摘した。

 広田研究員は
「少なくとも長野県までは、西日本と同様に稲作や農耕祭事が行われていた可能性が高まった」
と、発掘の成果を話している。

 出土品の一部は7月28日〜8月19日、伊那市の伊那文化会館で展示される。

(2012年5月25日10時18分 読売新聞)
976日本@名無史さん:2012/05/25(金) 21:24:11.96
まじでか。長野にこの手の研究で先を越されるとは!
977日本@名無史さん:2012/05/26(土) 22:14:31.89
【纒向石塚古墳:桜井市教委、全調査のまとめ刊行 今後の活用に期待 /奈良】
毎日新聞 2012年05月25日 地方版

http://mainichi.jp/area/nara/news/20120525ddlk29040597000c.html

 国内最古の前方後円墳とされる、桜井市の纒向(まきむく)石塚古墳(3世紀前半〜中ごろ、全長約99メートル)について、
桜井市教委が71〜05年度にかけて行った9回の発掘調査をまとめ、発掘調査報告書を刊行した。
71、75年度の第1、2次調査については報告書が出されていたが、それ以降は概要発表などだった。
全てまとめた報告書は初めてで、今後の研究での活用が期待される。

 報告書は、それぞれの調査内容や図面、資料写真などを掲載し、図版編と合わせてA4判約600ページ。
纒向石塚古墳は、古墳時代の始まりを巡る論争上非常に重要で、これまで延べ3752平方メートルの調査が行われ、
06年には史跡纒向古墳群の一つとして国史跡指定を受けている。
周濠からは、弧文円板や鶏形木製品などの木製祭祀(さいし)遺物が見つかった。
当初は円墳と推定されていたが、76年度の第3次調査で前方後円墳と確認された。
報告書には、現在予想されている、馬てい形の周濠を持つ墳形復元案も掲載された。
築造年代については、さまざまな解釈があることも示されている。

桜井市纒向学研究センターの寺沢薫所長は
「報告書は、古墳時代がいつ始まったのかという議論をするための基礎となる。
 すべての研究者が同じ土俵に立って議論できるようになる価値ある資料だ」
と話した。

 報告書は300冊作られた公機関用とは別に、100冊限定(1冊6000円)で一般に販売している。
問い合わせは桜井市埋蔵文化財センター(0744・42・6005)。
978日本@名無史さん:2012/05/27(日) 06:52:32.73
pdfで公開しろよ
979日本@名無史さん:2012/05/27(日) 22:08:19.74
【「卑弥呼の鏡」コンパスで製作、「挽型」と一致】

http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120526-OYO1T00445.htm?from=main1

 「卑弥呼の鏡」とも言われる三角縁神獣鏡の製作に、
「挽型」と呼ばれる木型が使われていたとみられることが、奈良県立橿原考古学研究所の調査でわかった。
円形の鋳型を作る際、コンパスのように回転させて使う道具で、謎の多い鏡の製作過程を知る手がかりになると期待される。
27日に東京・立正大で開かれる日本考古学協会総会で発表される。


 挽型は、鋳型の断面を刻んだ板で、軸を中心に回転させて粘土などを削り、立体的な鋳型にする。

 鏡の調査を続ける同研究所が、同じ文様を持つ9組の鏡計36面について、3次元計測で精密なデータを比較。
このうち、同県天理市の黒塚古墳で出土した13、19、25号鏡など7組の33面で、
挽型の軸を立てた際にできたくぼみとみられる跡や、同心円の凹凸の形状が完全に一致した。

 同研究所の水野敏典総括研究員は「同じ挽型を使い回していたとみられ、
製作工房は比較的小規模で、様々な種類の鏡を短期間にまとめて作っていたのではないか」と話している。

(2012年5月26日 読売新聞)

http://osaka.yomiuri.co.jp/zoom/20120526-OYO9I00441.htm
980日本@名無史さん:2012/05/27(日) 22:19:16.12
【ホケノ山古墳の銅鏡】

http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000141205180001

 ◆特異性象徴 尽きぬ議論
 桜井市ホケノ山古墳(3世紀中葉築造)は、最古級の古墳として「石囲い木槨(もっかく)」を埋葬施設とするなど、
多くの点で特異な面をもつ古墳であるが、その一つに銅鏡がある。

 1999年の発掘調査によって銅鏡は3面分、出土している。
完形復元できる画文帯神獣鏡1面と、もう1面の画文帯神獣鏡片、及び内行花文鏡片である。

 画文帯神獣鏡は、日月運行を表現する飛天や雲車が描かれた画文帯をもち、
西王母などの古代中国の道教世界が表現された青銅の鏡である。
日本列島において銅鏡の出土分布の中心が、北部九州から畿内へと移る初期のものであり、
卑弥呼の鏡とも呼ばれる「三角縁神獣鏡」とも共通の文様をもつことがあり、関係の深い鏡でもある。

 完形となる画文帯神獣鏡は、崩落した石材に押し潰されて割れていた。
直径は19・1センチと大形で、その文様は一辺8ミリの方格の中に4文字を鋳上げており、
これほど文様の精緻(せいち)な画文帯神獣鏡は中国でも珍しい。後漢末から三国時代初頭につくられた中国鏡である。

 ホケノ山古墳以降、多くの前期古墳に中国鏡が副葬される。
このことは、古墳造営の中心地である奈良県東南部の勢力が、
銅鏡入手に象徴される中国との交渉ルートを継続的に確保したことを示唆しているのであろう。

 一見すると、完形の画文帯神獣鏡が目立つが、
ホケノ山古墳を考える上でさらに重要なのは、もう1面の画文帯神獣鏡片と内行花文鏡片である。

つづく
981日本@名無史さん:2012/05/27(日) 22:19:57.61
【ホケノ山古墳の銅鏡】

つづき

 もう1面の画文帯神獣鏡片は復元すると直径16センチほどである。出土したのは、鏡面の12分の1にすぎない。
発掘調査によって副葬品の多くは木槨の蓋(ふた)の上など木棺の置かれた床よりも高い場所にあったことが判明しており、
その一部は木槨柱痕跡内に落ち込むなどの乱雑な出土状況であった。

 鏡片は10点出土したものが接合して2片となり、最大6・3メートル離れた鏡片が接合していることから、
副葬の時に鏡片であったものをさらに砕き、木槨の蓋の上に撒(ま)くような祭祀(さいし)を行ったことを示している。

 そして内行花文鏡片も同様の破砕鏡である。
復元すると直径約26・3センチの大型鏡となるが、出土したのは鏡背面の約10分の1である。
弥生時代後期の北部九州には鏡片を利用した破鏡と呼ばれる祭祀があり、
ホケノ山古墳における鏡片の使用と破砕は破鏡に近いものである。
銅鏡の扱いには弥生時代的な要素を色濃く残しており、ホケノ山古墳の特異性を象徴している。

 ホケノ山古墳は墳長80メートルの前方後円形の墳丘を持ちながら、木槨系の埋葬施設と破砕鏡という弥生時代的な要素を併せ持つ。
その築造時期は、調査によって埋葬施設や副葬品が判明している古墳の中で
古墳時代最古相とみられる天理市中山大塚古墳よりもさらに古くなる可能性が想定され、
何をもって古墳とするかという古墳の定義の問題と古墳時代開始年代について、議論の尽きない古墳である。

 なお、6月17日(日)まで、県立橿原考古学研究所付属博物館で開催中の特別展「三国志の時代―2・3世紀の東アジア―」で、
ホケノ山古墳の銅鏡を含めた出土品が展示されている。
(県立橿原考古学研究所 総括研究員 水野敏典)

(2012年05月18日 朝日新聞)
982日本@名無史さん:2012/05/27(日) 23:09:20.74
>>979
三角縁神獣鏡の大枠が挽型によって形成されたこと、
三角縁神獣鏡には挽型を共有する鏡群が幅広く存在することは
岩本崇の研究によって明らかになっている。

挽型を共有する鏡群間で神獣像表現が相違する事例がみられることは、
同一の原図や同一の挽型で作製された鏡群に複数の工人が関与していることを示しており、
同じ工房で製作されていた可能性はかなり高い。
983日本@名無史さん:2012/05/27(日) 23:19:20.89
布留1が出てるのに最古相か。
984日本@名無史さん
>>982
「複数の工人」ってどういう意味で使ってるの?
一人で作っていたわけじゃないのは当たり前だよね。
技術系統が違うってこと?
どういう根拠で何を言おうとしているの?