淡路島の歴史

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58日本@名無史さん:2013/11/09(土) 12:56:09.70
淡路島の神社の数は地域の規模の割には意外な程多く
一宮の伊弉諾神宮の本名宮司様のお話では、
(淡路国一宮、伊弉諾神宮として)把握しているだけで
約400社超を数えるのだそうです
未把握の祠やら社もあるでしょうから実態はそれ以上と考えられマス。
59日本@名無史さん:2013/11/09(土) 13:08:39.77
別に、北部の津名地域では 我々の宮総代さんらの話では山の背に沿って南北線に神社が並んでいるようです
60日本@名無史さん:2013/11/09(土) 14:37:45.17
淡路島は、律令時代の郷名がよく保存されているところで、津名郡10郷、三原郡 7郷のうち、現存地名に該当する名がないのは郡名起源地の「津名郡津名郷」だけです。
平安時代中期に編纂された『和名抄』にのる郷名は、歴史価値が高い地名ですので、千年以上も地元の方々に親しまれてきた地名は、これからも大切に扱う義務があると思います。
その名を、「平成の大合併」以前の懐かしい町名で記しましょう。

津名郡
 津名郷 つな    洲本市由良
 志筑郷 しつき   津名郡津名町志筑
 賀茂郷 かも    洲本市上加茂
 乎安郷 あえか  洲本市安乎町
 物部郷 ものべ  洲本市物部
 廣田郷 ひろた  三原郡緑町広田
 都志郷 つし   津名郡五色町都志
 育波郷 いくは  津名郡北淡町育波
 来馬郷 くるま  津名郡東浦町久留麻
 郡家郷 ぐんけ  津名郡一宮町郡家

三原郡
 倭文郷 しとり   三原郡三原町倭文
 幡多郷 はた   三原郡三原町上幡多
 養宜郷 やぎ   三原郡三原町養宜
 榎列郷 えなみ  三原郡三原町榎列
 神稲郷 くましろ 三原郡三原町神代
 阿萬郷 あま   三原郡南淡町阿万
 賀集郷 かしふ  三原郡南淡町賀集

律令時代の漢字の当て方は現代と違いますので、慣れるのに時間が掛かります。が、これでも優しい部類に属します。
津名郡の郷の配列に一貫性がないため、津名郷の位置は確定していませんが、大勢が支持する由良湊をあげました。
また、三原郡の起源地名も現存しませんが、『天保国郡全図』にのる三原(みは;水際+はら.原、腹;台地≒湊)の位置をもとに、「三原郡西淡町湊」を推定しました。
「淡路伊佐奈伎神社→伊弉諾神社。兵庫県津名郡一宮町多賀」が淡路国の一の宮であることを町名が示していたのが消えたのは残念ですが、
この地に津名郡の郡家(こほりのみやけ→グンケ:郡役所)が置かれた史実を留めるところは貴重です。
61日本@名無史さん:2013/11/09(土) 14:48:21.01
「下加茂岡古墳」;淡路島
http://blogs.yahoo.co.jp/senkoin2002/31065025.html
62日本@名無史さん:2013/11/09(土) 14:59:07.83
63日本@名無史さん:2013/11/09(土) 15:11:32.10
64日本@名無史さん:2013/11/09(土) 15:37:55.26
65日本@名無史さん:2013/11/17(日) 07:46:41.57
先日、淳仁天皇陵に行ってきました。
道に迷いましたが、なんとか着けました。
66日本@名無史さん:2013/11/17(日) 17:00:33.01
67日本@名無史さん:2013/11/17(日) 17:01:20.88
68日本@名無史さん:2013/11/17(日) 17:14:47.56
69日本@名無史さん:2013/11/17(日) 17:33:24.37
70日本@名無史さん:2013/11/19(火) 04:05:53.38
オノゴロ島
71日本@名無史さん:2013/11/20(水) 11:10:20.70
歴史が古い神社は多いが
霊験あらたかな神社は意外と少ないと
神社仏閣板の住人が言っていた。

ちなみに伏見稲荷の参拝を推薦していた。
72日本@名無史さん:2013/11/22(金) 23:29:20.22
>霊験あらたか

山の中で動物の視線を感じるように、誰もいない状況で人の視線を感じることはあるから、霊について否定的ではないのだけど
この場合の霊験あらたかってのは何を指すの?
あと最後の一行は笑うトコ?
73日本@名無史さん:2013/11/23(土) 23:55:01.46
74日本@名無史さん:2013/11/24(日) 18:19:27.70
75日本@名無史さん:2013/11/24(日) 19:46:31.95
南あわじ市 神代國衙  ← 地名がかっこいい
76日本@名無史さん:2013/11/25(月) 22:12:03.03
>>75
じんだいこくが
77日本@名無史さん:2013/11/26(火) 05:14:29.13
奇祭がたくさん残っていそうで、意外と残っていない。
78日本@名無史さん:2013/11/26(火) 18:06:14.01
倭文の蛇供養、栢野の柴燈、下内膳の三昧とか。
79日本@名無史さん:2013/11/26(火) 18:38:32.68
>>78
> 倭文の蛇供養

これは室町時代の後期から始まったものだから、古代チックな感じはしない。
80日本@名無史さん:2013/11/26(火) 19:03:39.36
奇祭=古代発祥じゃないからな。

奇祭じゃなくとも由緒ある祭りなら普通にある。
81日本@名無史さん:2013/11/26(火) 19:49:00.64
地神塔の全国分布

近畿地方の分布
近畿地方では、兵庫を除いて地神塔の手掛かりはない。
地神信仰がまったくないのではなく、例えば和歌山では、社日は地神・農神を祀る日で、この日に土を掘り返すと凶事があるといい、
近在の神社を巡って7つの石鳥居をくぐるといわれる(野田三郎『日本の民俗 和歌山』(昭和49年刊)。
あるいは、倉田正邦氏が三重の民間信仰にふれて、地神と社日講の1項を設けていることからもうかがえる。
しかし、地神塔にはふれられていないから、ここでは兵庫のみを取り上げる。

兵庫県内の分布
淡路島に五神名地神塔が分布している点は、平野栄次氏が『日本石仏事典』(雄山閣 昭和50年刊)の中でふれているが、
西谷勝也氏の『季節の神々』(慶友社 昭和45年刊)が詳しいので、これから引用しよう。
島内については、西谷氏は「淡路島の全域にわたって、シャニッツアンという五角面の石塔が祭られているのが分布する。
三原郡においては、各部落にそれらをみることができるが、津名郡の北部においては、その分布は希薄になっている。
これは石塔の五面の各面に、大己貴命、小名彦命、天照大神、倉稲魂命、埴安媛命の五神をそれぞれ陰刻したもので、
これが小石を累積した台座上にすえて祭られている」と述べ、津名郡五色町鮎原の塔の写真を載せている。
この文章からは、五神名地神塔のみが分布するように受け取れるが、グラビアの写真の中に津名郡北淡町大坪にある「地神」銘の自然石塔があって、
必ずしも五神名地神塔だけではないようだ。

島の外の分布にもふれて、西谷氏は「淡路島付近のこの石塔の分布を見るに、島の北の対岸の摂津・播磨にはその姿を見ることはできない」としている。
従って、兵庫では淡路島だけに分布するようで、和田邦平氏もそうした事情を知り、『日本の民俗 兵庫』(昭和50年刊)では、
「基壇の上に立てた石塔に天照大神を正面に倉稲魂命などの神名を刻んであって、シャニッツアンと呼ばれ、淡路の民間信仰で農業の神として、広く祀られている」と記している。
82日本@名無史さん:2013/11/26(火) 21:13:31.15
現代日本の食屍習俗について
http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/bitstream/10502/4756/1/KH_036_3_003.pdf

火葬後、近親者が集まり、遺骨を粉にして服用する。あるいはこれに類する行為をおこなう。
そのような習俗が日本のいくつかの地域で近年までおこなわれていた。公然とではないが点在していた。
この原稿では、何人かのインフォーマントから聞いた話と、近年の報告を紹介する。
そして、こうした習俗が行われていた理由について考えてみる。
主要な事例報告対象とした地域は、以下のとおりである。
兵庫県淡路島南部、愛媛県越智郡大島、愛知県三河地方西部、新潟県糸魚川市。
近親者による食屍は、アブノーマルなことに思われる。
しかし、長寿を全うした者、崇敬を集めていた人物が被食対象となっていることからは、
死者の卓越した生命力や能力にあやかろうとする素朴な思いが反映していることを認めることができる。
最愛の妻などの遺骨をかむことに対しても、哀惜の感情が表明されている。
これらの行為は、素朴な人間感情の表出であると考えてよい。

資料名称 標準名 火葬骨の粉末
製作者  死者の縁者
製作法・材料 天寿を全うした者の火葬骨をすりおろし、粉末状にする。
使用法 粉末にしたものを服用する。頭が良くなるようにといって服用する。
これは、同席した体験者(婦人)からの聞き書きだが、体験者が多くを語りたがらず、その内容は不確かな部分が多い。
また人道的立場から、公表にあたってはきわめて慎重でなければならない。
正月を過ぎてまもなく、郷里で葬式に参加した際(夫の郷里か否か不明)、
葬式後に参会者が死者の遺骨(火葬骨)を持ち帰り、粉にすりおろして服用する場に同席した。
頭が良くなるのだといわれ、驚くとともに大変気持ちの悪い思いをしたという内容であった。
その伝承地は、あるいは伝承者は、南淡町福良の附近というより判明しない(略)(近藤1989)。
83日本@名無史さん:2013/11/30(土) 17:18:35.01
洲本城の天守閣(?)まで行ってきた。
84日本@名無史さん:2013/11/30(土) 21:35:40.67
真言宗と八幡様が多いイメージ。
85日本@名無史さん:2013/12/04(水) 11:40:53.52
京都や難波/大坂/大阪、福原/神戸に近かったのに大津や奈良にも比較的近く、
四国、瀬戸内海への通り道であるのになんで大して発展しなかったんだろう
86日本@名無史さん:2013/12/04(水) 16:40:12.17
陸続きじゃないから
87日本@名無史さん:2013/12/04(水) 20:58:46.77
陸続きになったはいいが、神戸に行くにも徳島に行くにも洲本に出るにも
バス代が高い。
88日本@名無史さん:2013/12/04(水) 22:47:54.92
明石海峡大橋に電車を付ける構想もあったが予算が足りなくて断念した。
89日本@名無史さん:2013/12/04(水) 23:28:48.46
鳴門大橋には電車スペースがあるのにね
90日本@名無史さん:2013/12/07(土) 16:48:21.39
>>89
でも徳島本土すら「電車」が走っていない。
ディーゼル車は走っているけど。

淡路島は鉄道を残しておくべきだったね。
40年前に廃止になってしまったが。
91日本@名無史さん:2013/12/08(日) 11:56:10.56
今も鉄道が残ってたら鉄オタがわんさか来ただろうね。
92日本@名無史さん:2013/12/08(日) 14:46:07.10
鉄道は残しておくべきだったと今の住民としては思うけれど、
40年前の世相では無理だったのだろう。

福良〜洲本〜(淡路島北部・西海岸方面)の路線があれば
便利だったのに。
93日本@名無史さん:2014/04/09(水) 01:45:02.53
淡路南部の山の中は灌木が多いけど原生林だからみててたのしいよ
植生複雑だからいろんな緑が入り交じってる
94脇坂様を知りたい。:2014/06/07(土) 06:15:13.08
淡路交通線(たしか軌間1067mm)再考証。鉄板をROMってきます。
95日本@名無史さん:2014/06/07(土) 10:46:31.54
仙石秀久が主人公にも関わらず『センゴク』では洲本城攻略戦はスルーされた
96日本@名無史さん:2014/06/09(月) 23:00:17.68
鉄道跡ってある?
97日本@名無史さん:2014/06/11(水) 19:03:00.07
江戸期は稲田家だっけかここは

大概大藩ともなれば上級家臣連中は曰く付きのが多いけれどここもそうだよねw
98日本@名無史さん:2014/06/13(金) 17:41:40.92
>>97
江戸末期というか明治初期にいろいろありましたね。
99日本@名無史さん:2014/06/13(金) 17:47:57.20
今はパソナ島になってるなw
100日本@名無史さん:2014/08/10(日) 07:12:40.84
35日は先山に登って、後ろ向きにオニギリを投げる風習がある。
101日本@名無史さん:2014/09/27(土) 06:46:09.19
神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。

http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em
102日本@名無史さん:2014/10/14(火) 02:27:34.54
松帆の浦は百人一首のおかげで有名だと思うんだけど、特に何もないところみたいだね
明石大橋と神戸の街をいれる写真が撮れそうなんで、いつか行きたい
103日本@名無史さん:2014/12/11(木) 12:37:17.09
独立して淡路県になれたらなあ…無理だろうけど。
104日本@名無史さん:2014/12/12(金) 20:23:00.09
>>103
人口約16万人。シンガポールほどの広さ。
たまねぎ以外に何かめぼしい産業があれば。
北も南も橋で繋がっていますし、いざとなれば
定期フェリーも復活できるかも。
105日本@名無史さん:2015/02/26(木) 01:20:03.12
>>99
パナ利用してイスラエルが淡路島の土地買い占めてるってマジ?
106日本@名無史さん:2015/02/26(木) 02:10:44.57
さっさとフェリー復活して原付渡せや
夏まで待てん
107日本@名無史さん
淡路島とイスラエルは関係ないから。
伊勢神宮と緯度がどうとかも偶然そうなっただけだろう。
オカルトじみた話は地元にとって迷惑なだけ。