1 :
日本@名無史さん:
やっぱ宮本武蔵が最強なの?一番有名だし。
2 :
日本@名無史さん:2011/03/20(日) 08:59:07.31
ちなみに上泉何とかとかいうあまり有名じゃない人と戦うと
武蔵はどんな風に切り捨てるの?
3 :
日本@名無史さん:2011/03/20(日) 09:16:44.17
針谷夕雲斎が最強じゃねーか?
4 :
日本@名無史さん:2011/03/20(日) 09:19:31.72
上泉最強だろ。対空技としては飛ぶ燕をも切り落とす「燕飛」があるし
斬釘截鉄は鉄を斬るくらいだからガード不能技だし無敵すぎるわ。
この手のスレで武蔵最強を唱えると厨扱い。
逆に上泉最強を主張すると通っぽい。
6 :
日本@名無史さん:2011/03/20(日) 09:41:38.21
やはり塚原卜伝ではないだろうか?
7 :
日本@名無史さん:2011/03/20(日) 09:42:31.21
>>5 >>1-2は厨ってよりかは、ただのネタっつーか確信犯だろ。
大して面白くもないネタだが。
9 :
日本@名無史さん:2011/03/20(日) 11:00:20.65
>>5が言ってるのは、
「日本文学史上で最も偉大な人って誰? ってスレに
『ノーベル賞を取ってる川端と大江』って答えると厨扱い。
夏目漱石とか松尾芭蕉とか答えると、通っぽい」
って言ってるようなもんだよ。
前者は確実に厨だが、
後者は別に通でもなんでもない、ただの普通の答え。
10 :
日本@名無史さん:2011/03/20(日) 11:25:18.49
早速剣豪通っぽいのが来たな。
>>9 そのたとえは色々とおかしいな。武蔵に相当する人物を大衆小説家にでもしたほうがいい。
>>11 いやまあ、こんな比喩にこだわっても仕方ないが
武蔵は立派な剣豪であること自体には間違いないから、
川端程度が妥当だと思うよ。
ただ、別に「史上最強」と評価すべき理由は、知名度以外には何もないだろう、って話。
13 :
日本@名無史さん:2011/03/20(日) 11:59:44.44
>>9 それは違う
夏目や芭蕉の頃はまだノーベル賞なかったから
>>13 そういう意味じゃなくて、・・・
単に、「一般的な知名度だけから言えば(世界的には)川端と大江なんだが、
実際の評価は知名度とは関係なくなされるべき」と言ってるだけなんだが。
もし夏目漱石が悪かったら、谷崎でも芥川でも何でもいいが、
ちなみに言っておくと、漱石が「こころ」を書いた大正3年には、既にノーベル文学賞は創設されている。
川端・大江よりよっぽど漱石や芭蕉の方が厨っぽいんだけどw
16 :
日本@名無史さん:2011/03/20(日) 15:16:08.33
上泉や卜伝より一刀斎の方が強いよ。
あと、弟子の小野さんは柳生に圧勝している。
17 :
日本@名無史さん:2011/03/20(日) 18:40:37.06
柳生より小野が強かったのは常識みたいだな。
幕末も一刀流が大活躍したのに比べて新陰流は役に立ってないし。
幕末といえば天然理心流と示現流と北辰一刀流。
大河ファンなもんで。
確かにそれらの流儀に比べると幕末の柳生新陰流ってパッとしないな。
天然理心流も北辰一刀流もメディアに出る人たちは復元だったり
正統か怪しい人たちみたいだな。
近藤勇も剣豪に入れていいの?
実戦で強いことは強いが剣の道を究めるといった剣豪のイメージに合わん。
22 :
日本@名無史さん:2011/03/21(月) 15:15:23.83
近藤の強さがよくわからん。阿部十郎の談話に永倉・沖田・斎藤の
新撰組ベストスリーが挙げられているが、近藤のことはまた別格に扱っていたように思えた。
23 :
日本@名無史さん:2011/03/21(月) 16:57:25.19
神道無念流 最強。永倉新八
24 :
日本@名無史さん:2011/03/22(火) 19:46:27.10
25 :
日本@名無史さん:2011/03/22(火) 21:59:55.12
新撰組最強じゃね?
島田虎之助が最強だという話を読んだことがあるな。
ソースとか無いのわかってて聞いてるだろw
こういうスレでは自分がそう思ってる奴ダラダラ書きゃいいんだよ
つ千葉周作
この人以降目立った理論は確立されてないと思うのでこいつが最強
28 :
日本@名無史さん:2011/03/23(水) 16:29:50.10
そもそもこういう話になると何をもって「強さ」とするのか?って話になるよな。
時代が違えば求められるものも違うはずで
戦国時代なら鎧甲冑で馬上の槍や弓が比重が置かれるんだろうし…
時代を超えてとなると、それこそ山田風太郎の「魔界転生」になっちまうだろうがw
実際にはじゃんけんのグー・チョキ・パーみたいな三竦みというか相性の問題もあるだろうし
所謂「格」ってやつで立ち会う前からのまれたら終わりだろうし…
とりあえず単純に斬った人間の数・試合数で言うと誰が最多なのかな?
武蔵の六十余度は結構最高ランクなのかな?
斎藤一は稽古のときはさほどでもなかったらしいが
警察官として実戦で突撃したときはホントにヤバかったって同僚らが言ってる
その活躍に国から金一封貰ってる
まあでも多数の素人相手と剣豪同士の一対一の戦いとだとまた全然別なんだろうな
あ、強さの種類がってことね
32 :
日本@名無史さん:2011/03/23(水) 19:07:12.85
>>28 武蔵の決闘数は卜伝の三倍くらいだな。ただ、立ち合い以外に卜伝は真偽不明の
尋常じゃない首スコアがあるけどw
>>26 島田虎之助の最強説は俺も読んだことがあるな
中里介山は島田を高評価してたな。
35 :
日本@名無史さん:2011/03/23(水) 20:40:01.66
学生の時試合した大分県の中津の剣道場のやつらが島田最強を断言してたよ
36 :
日本@名無史さん:2011/03/23(水) 20:46:30.71
男谷にかなわなかったはずだが、男谷に師事した結果
師を越えたということか?
37 :
日本@名無史さん:2011/03/23(水) 22:24:29.94
男谷って風貌が男らしくないというのがちょっと残念。
でも中国武術の達人とかも小太りが多いらしいんだよな。
38 :
日本@名無史さん:2011/03/24(木) 00:46:42.38
何を以って最強というかはわからないが、講談・物語中の人物だけど、あえて平手造酒を推したいな
39 :
日本@名無史さん:2011/03/24(木) 07:57:19.71
平手造酒は北辰一刀流だっけ?
千葉チャンが最強だろ
41 :
日本@名無史さん:2011/03/26(土) 20:25:09.03
もっともマイナーな剣豪って誰?
伊藤一刀斎
43 :
日本@名無史さん:2011/03/26(土) 21:14:51.50
梶原長門
44 :
日本@名無史さん:2011/03/26(土) 21:42:31.34
いたかどうかすら曖昧な吉村貫一郎
45 :
日本@名無史さん:2011/03/26(土) 22:02:02.19
吉村貫一郎って一応史料には名前が出てくるんだっけ?
>>43 薙刀名人ってどういう称号で呼べばいいんだろうな?
リアル「飛ぶハエを箸で捕まえる」宇野金太郎を瞬殺した人ってどこの流派のだれだっけ?
>>45 存在はしてるし、助勤なのも間違いない。
小説のキャラに比べて年齢は若い。
実戦での活躍は記録なし。
最後も不明。鳥羽伏見以降記録なし。
死んだのか、逃げたのか…
近藤勇は道場ではたいしたことないが
真剣もって戦場に立つと
戦闘力が倍率ドンさらに倍になるタイプだったんだろーな。
池田屋なんか、土方隊が到着するまで一人で支えていたようなもんだし。
49 :
日本@名無史さん:2011/03/27(日) 08:10:13.35
少年時代にすでに冷静に状況見極めて泥棒退治できるくらいだから
さぞ肝っ玉の据わった御仁だったんだろう。あの太い木刀で鍛えた力も
実戦では頼りになっただろうしね。
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昔はレイプやり放題だったのか・・・
新選組内ランキングは散々議論されてるけど、新選組メンバーと他の有名所の剣客の比較って
当時の誰かはしてないのかな?
試衛館が小さすぎて、有名所と比較される対象にならなかった?
幕末三大人斬りと新選組がやりあった記録とか無いの?
上泉とか言ってる奴は、どーせ太閤立志伝や信長の野望の数値の高さに惹かれた奴だろ
「別格扱いが前提」みたいな語り方なのがそもそもおかしい。
カイシャ剣法時代の人間が武蔵や兵庫助と戦って勝てるのかね?
逆に武蔵が中西千葉らと戦って勝てるかね? 真剣なら結構勝ちそうだけど
55 :
日本@名無史さん:2011/03/27(日) 18:33:53.48
>>52 近藤の地元では榊原よりも強いと言われてたが
ただのおらが町自慢だろうからな。
>カイシャ剣法時代の人間が武蔵や兵庫助と戦って勝てるのかね?
まだその頃は完全に素肌に移行してはいないのでは?でも上泉の技術を受け継ぎ
より発展させたと考えると兵庫の方が強いかもね。
上泉信綱の頃の伝説時代は資料もないし議論のしようがないけど、
文献が残っている幕末に関しては島田虎之助が最強でいいのでは。
武蔵と厳流みたいに、真剣勝負の公式記録が残ってる奴って同時代で誰かいる?
58 :
日本@名無史さん:2011/03/27(日) 20:00:59.21
緋村剣心は?
60 :
日本@名無史さん:2011/03/27(日) 21:11:56.35
素肌剣術の奴が戦場で力発揮できるのか?
>>18 神道精武流とか、鹿島神傳直心影流とかあるでしょ。
実戦は度胸
たくさん人ブチ殺した奴が強い
64 :
日本@名無史さん:2011/03/27(日) 23:34:12.45
>>62 直心影流で人を切りまくった人っているかな?
あまりそういうイメージが無い。
新陰流系統と一刀流系統が広まって、剣士の殆どがこの二系統のどちらかに習熟して
活躍したと見ていいし、この中に最強がいたとするの普通だろう。
この二系統の中で様々な流派があるものの、根幹の技術はそう変わらんて。
>>64 今井信郎が見廻組。戊辰戦争も戦ってるよ。
見廻組ってことは旗本、御家人の中で、
そう身分が高くない者って条件は付くけど、
そうとう腕の立つ剣士の一人だったということ。
>>61 介者剣術と素肌剣術は別物じゃない、介者剣術を鎧が無くても戦えるようにさらに発展させたのが素肌剣術だ
武蔵・兵庫助あたりをサンプルとするなら、華法化した江戸中後期以降のものとは区別して考えるべき
まあ当時は技術的な乖離自体がそんなに顕著ではなかったかも知れんけど
戊辰は小火器の発達で素肌剣法で十分。
重い鎧を来ても長州征伐のようにアウトレンジされてお終い。
つーか幕末なら武器の性能も上がってるから、介者剣法の要領で鎧で受けたら大怪我するかもな、逆に
鎧の防御力を問う前に、そもそも事前に鎧を準備できるケースが稀だって事もあるがな
そうそう簡単に完全武装出来るとは限らんし、幕末の人斬りなんてそんな感じだろ
71 :
日本@名無史さん:2011/03/28(月) 01:27:03.32
甲冑や鎖帷子着用での銃創は素肌よりも悲惨な結果になる。
事実として長州討伐で幕軍は鉄片や鎖が肉や骨に食い込む銃創を恐れて甲冑を脱いだ。
そこまで行くと、もはや剣術の必要性自体を論ずる事になりかねんぜ
西南を見ればまだまだ役に立っただろう。
日中戦争まででもそれなりだし。
そら兵卒はみな銃を持ってるし、槍のように扱えるから、銃剣術を訓練したほうが効率はいいがね。
それでもキラっと輝く白刃は恐怖を与えるし、実際、充分に与えたよ。
なんぼ火器が発達したと言っても、白兵戦はあるしな
まあそれも、固形燃料を使った兵器が出るまでの話だが
それでも、現代の軍隊ですら一通りの格闘術は修めるしね
武術の戦闘術としての価値はまだ有ると思う
戦場で剣術で活躍したというと、やはり伊庭八が一番かね?
76 :
日本@名無史さん:2011/03/28(月) 07:45:07.12
戊辰戦争の土方は指揮官として実績を残したようですが、
彼自身も実際に抜刀して切り込んだりしたんでしょうか?
77 :
日本@名無史さん:2011/03/28(月) 17:29:44.22
>>76 そういう話は残ってないですね。
戊辰戦争では新選組の指揮官として、よりも幕軍残党の指揮官の一人として
より大きなレベルで指揮に当たっていることが多いですし。
剣術屋ではなく、陣地構築しての銃撃で真価を発揮する普通の近代指揮官です。
80 :
日本@名無史さん:2011/03/28(月) 23:01:38.84
>>75 強いのかも知れんが心形刀流ってイマイチ地味だよな。
81 :
日本@名無史さん:2011/03/29(火) 10:24:39.96
日本刀を武器に実際の戦場で戦った最後の剣士は江連力一郎
82 :
日本@名無史さん:2011/03/31(木) 10:05:08.79
最強から話がズレてるぞ。
単に名前を上げるだけでなく、最強と言われる人たちの話題を掘り下げることは、
剣豪たちの話題を豊富にしこそすれ、別に話がずれているわけではないだろう。
新選組って一対一で誰それを倒した、って話が無いから「剣豪」って言われるとなんかイメージ違うんだよなー。
土方とか、個人戦闘でも強かったんだろうけど、それよりは部隊指揮官としての面の方が戦場では目立つし。
だけど世の中に必要とされるのはタイマンでのみ力を発揮する芸者ではなく
指揮官の才能だよなあ。
>>84 >>85 つーか、それは「ソルジャー」であって、「ウォリアー」じゃないんだよ
新撰組も徴組も剣術道場上がりが多いから剣豪とカウントされがちだが、あくまで軍属に準ずる組織なんだから、活動内容でみたらそうなるのは当然だ
お互いに互換する部分が多いから混同されがちだが、違う業種なのだから当たり前だ
>>85 歩が無いと世の中成り立たんだろ
会社を纏めるのは管理の才能だが、事務処理能力に秀でた社員が多く無ければクオリティの底は下がるし、偉い人間もなるべくなら事務処理が出来た方が良いに決まってる
>>87 芸者はプライドがあるから求めれる「歩」にはなれるかどうか。
「剣豪」って軍隊とかのラインのスタッフとして役に立つような種類の人じゃないと思うんだよな。
独立した一匹狼のイメージ。
歴史上意味のある行動をしたかとか、誰かの役に立ったかとか、そういう価値観とは全く無縁の存在。
>歴史上意味のある行動をしたかとか、誰かの役に立ったかとか、そういう価値観とは全く無縁の存在。
武蔵はそっち方面で実績を残すことを渇望していたようだけど。大の兵法ということで
集団の指揮もしたがっていた。
>>90 「大の兵法と小の兵法の違い」についての本を書いただけで、渇望というほどフォーマルな立場に固執していたとは見られないよ
小笠原家に伊織を推挙した時も、そんなにやりたかったなら自分でやるだろうし
水野勝俊の護衛に付いて騎馬武者として大坂の陣に参陣していたが、当時嫡男の勝俊附きとして騎乗資格を許される上級待遇だったのなら、そのまま仕官してもおかしくないし
そもそも新免家は黒田長政に三千石で迎えられた、という話を信用するならばそこそこ以上の武家なんだから、武蔵が真面目に武士をやりたかったのならハナから回国修行などやる必要が無い
武蔵のキャリアを見るに、あんまり宮仕えには興味が無かったというか、むしろ避けていた節があったように思えるんだよねえ
司馬遼太郎の真説宮本武蔵はあくまで小説だよ
>>88 技能的には、最前線の兵や要人の護衛には対人戦闘の高い技術が求められるだろう
軍人になるには、それ以外に覚えなきゃならん事があるけれど
つーかそれは当人の気質の問題だから、今言われてる軍人と剣豪の差とはあんま関係ないんじゃね
避けていたとも言えない感じではあるが。
時代が時代だから、方向定まらないのも無理はないけどね。
推挙をたびたび断っていたのに仕官したがっていたというのもしっくりこない話だが
だまってりゃ武士になれる出自だし
宮本武蔵は金に困った事が無かったらしい
吉川栄治の小説のように百姓になっていたというわけではない
好きな剣術をやって、絵や金工を売って暮しながら、大名に召しだされて気まぐれに指南や町割りをやって、細川の殿様に温泉に招待されてるだけで満足だったんじゃね?
従来的な説で言うと仕官したくても出来なかったそうだが、自分の息子を本多忠刻の小姓に推挙出来る人間が仕官のクチに困るかな?
95 :
日本@名無史さん:2011/04/02(土) 01:01:39.47
>>94 その件については父親の無二斎の名前で
結構どこに行っても客分として迎えられたと言う話があったなw
まあ仕官については条件として色々あったんじゃないのか?
仮に将軍家の指南役のお声がかかったら流石に断っていないと思うw
正直生涯一剣術家として孤高の存在だったと言うのは…
>>95 別に将軍家に拘る必要ないし、枠も無いじゃん。武蔵もアホじゃないんだからそんくらいわかるべ
本多つったら徳川と婚姻関係にある譜代の名門、それに付いては説明する必要もないとは思うが
ツテとしては充分だろ。仕官したくて仕方が無かったのに、本多家や水野家のツテを頼らず、生家のコネも使わずに将軍家に拘ったのか?
武蔵が将軍家に特別拘ったという話は俺は知らないが、「仕官を渇望していた」という結論の為にそういう理屈を取るのは、武蔵の環境から考えて無理やりすぎる意見だと思うが
どうなんだろうね?
仕官云々は、直木三十五に同調する人が、
「上昇志向が強いが、野望を叶えられなかった身の程知らず」「虚名だけで下手だったから大名に見向きもされず、仕官出来なかった」
という、非名人的な武蔵像を肉付けするために唱えた説がそのまま実しやかに囁かれているのだと思うが、
武蔵の家は武門の出としては悪くないし、当人の名声もかなりのものではあっただろう
本当に親の名だけで渡り歩いていたペテン師なら二天一流が天下五流儀の一角になってはいないし、各国の大名だって馬鹿じゃないんだから騙されまい
各地の大名や宿老が武蔵に興味を持ち続けたのは、武蔵自身に見所があったというに他ならない。
その上で、武蔵が何故仕官しなかったのかを考えるべきだろう
興味が無かったと考えるべきか、本当に本多や小笠原に召喚されながら、それを蹴ってまで将軍家に拘り続けたのか
それともいきなり大名になれるなんて言う誇大妄想を本気で抱いていたか。異相で差別を受けたか、性格的に折り合いを欠いたか
剣豪に指揮させても島津の釣り野伏せに引っかかってボコられた誰かさんみたいになるのがオチ。
津軽卜伝流とかで流儀全体で見ると素肌向けの構えをしているにも関わらず、
介者っぽく低く構えて切り込む型を残しているんだけど、こう考えると
それなりに意味があるんだな。
空手でもたまに四股立ちに近い構えで打つ人がいるけど、
出来る人はそれでも出来るが、やはり腰高のフォームが主流
伝統的な構えを教えられる人が少なくなってきているという理由もあろうが、何より膨大な稽古量が必要で、そうそうモノにならないという理由もあるだろうな
102 :
日本@名無史さん:2011/04/04(月) 00:09:59.41
甲冑着用で練習すれば自然と介者の構えが板につくかな?
103 :
日本@名無史さん:2011/04/04(月) 00:56:31.18
104 :
日本@名無史さん:2011/04/04(月) 14:51:02.84
剣豪なんてありきたりなのはいいから剣王はいないのかよ?
105 :
日本@名無史さん:2011/04/04(月) 20:34:17.86
剣聖と剣王はどっちが強いんだ?
天下無双が一番だろ
107 :
日本@名無史さん:2011/04/04(月) 23:06:03.63
剣獣 とかの方が強そうだな
108 :
日本@名無史さん:2011/04/04(月) 23:23:59.23
剣獣は強いことは強いだろうがイマイチ騙し討ちとかに弱そうだなw
剣帝が最強だろ。
109 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 05:50:40.13
鷹の眼ミホークが最強
いつから日本史板は平均年齢こんなに下がったんだ?
111 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 09:50:37.49
2ちゃん自体が高齢化してるのにおかしい話だな。
まあ、大半は
>>110みたいな加齢臭親父なんだろうけど。
112 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 19:24:10.56
剣姦はどうだ?
113 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 20:04:21.23
114 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:36:18.08
マジレスすると剣神が最強です。
115 :
日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:39:17.36
殺人剣た゛な
日本で剣の神様って香取大明神?
117 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 03:07:55.18
118 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 08:09:43.45
119 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 09:49:24.61
時代劇みたい刀と刀をガンガンぶつけ合うなんて出来ないからな
120 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 09:58:22.08
121 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 10:11:44.37
力いっぱいやったら刀が折れて危険窮まりない
122 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 10:23:41.56
刃がつくとそんなに折れやすさが違うものなのか?
踏み込む前の一瞬の構えで刀筋を読める強者同士の戦いなら刀は激しくぶつかり合うよ
噛み合う戦いと全然噛み合わない戦いがあるからな
ボクシングとかでも同じ
126 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 14:19:12.12
実際に戦わせてみたら幕末の剣士が最強だろうね
時代が下る方が技術も進歩してるだろうし
多分、岡田以蔵や沖田総司、大石鍬次郎あたりだろう
生きた人間の体をぶった切るために作られたもんが、そう簡単に折れるわけねえだろ
司馬の異説に毒され過ぎだ
鍔迫の技術は古く一刀流にも組み込まれているのに、刀がそれを想定しない作りになっているわけが無い。なんの為の湾曲と四方詰め構造なんだ
よくしたり顔で「実際には刃と刃を合わせるような事は有り得ない〜」とか語ってるバカ居るけど
むろん、相手の身体を目がけて打つものであって、わざわざ相手の刀に向かって振り下ろしたりはしないとのいうなら、その通りだが
日本刀って西洋の剣と比べて無茶苦茶手間をかけて作られてるらしいね
製鉄も構造も特殊だから、切れ味が鋭い上に、折れにくく曲がりにくいんだそうな
達人なら西洋の甲冑を着た人間を切り倒す事も出来たのかな
甲冑はしらんけど当時の歩兵とかの鎧とか兜なら破れる
「懲秘録」
日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。
朝鮮人の一般的な鎧では日本の刀槍は防げなかったということはわかる。
132 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 21:45:40.42
日本の具足も鉄砲に対応して堅牢になったんだけどね。
具足にあわせて刀槍も丈夫になったのはおもろい。
133 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 22:22:49.48
戦い方が変化しただけ
>>132 具足で種子島防げたの?
遠くからうたれた場合なら防げたのかな
>>134 正面から受ければまず不可能、火縄銃は口径がでかく、弾丸が重いため威力そのものはかなり高い
しかしながら弾道性能がザルなので、遠間で撃ってジャストミートさせることは非常に難しい
逸れた玉なら防げたし、あると無いではやはりかなり違っただろう
とはいえ、火縄銃の火薬量にもよるし、具足の品質でもかなりかわる。何より、遣い手の腕が問題だ
確かに刃と刃を強い力でぶつけ合ったらこぼれるだろうが、
それまでスパスパ斬れてたものが、多少こ刃が欠けたりこぼれた程度でいきなり斬れなくなったりするようなもんなのか?
>>134 いわゆる南蛮胴は曲面のある一枚板の装甲で被弾カイシを狙うから、遠距離なら大丈夫
>>136 少々の刃こぼれのある包丁でも切るということはできるよな。
切断面が汚くはなるけど。
140 :
日本@名無史さん:2011/04/07(木) 17:08:49.66
刃こぼれしてる刀で切りかかられても安心ですか?
141 :
日本@名無史さん:2011/04/07(木) 17:48:08.71
んなわけないじゃん!? 刃こぼれでも十分怖いわ!!(笑)
142 :
日本@名無史さん:2011/04/07(木) 18:19:51.90
脂まみれの刀はどうでしょうか?
143 :
日本@名無史さん:2011/04/07(木) 18:30:25.31
あんま関係ないと思う
そもそも人体内部何て油まみれだし
ttp://sorceress.raindrop.jp/blog/2005/06/ Q:人を一人斬ると刀身に膏がべっとりと付いて、二人目からは斬り難くなるという話がありますが、本当でしょうか?
A:以前、肉屋から豚の頭をそっくり買って来まして、真正面から頭蓋骨ごと(ただし牙だけは避けて)スパリ、スパリと
何度も斬撃を試みたことがありますが、スライス・ハム状になるまで、何回でも抵抗感なく骨ごと断ち斬ることができました。
どうも、膏のせいで日本刀が切れなくなることはないのではないか、というのが、現在の心証です。
145 :
日本@名無史さん:2011/04/07(木) 19:12:42.68
刀と刀の刃を力いっぱいぶつけあったら両方とも廃棄処分するしかないほど致命的なダメージを受けるのは常識的に考えて当たり前な話し
修復可能な刃こぼれなんてレベルじゃすまないよ
常識的に考えて重ねの厚さと刃の付け方次第ですw
147 :
日本@名無史さん:2011/04/07(木) 20:29:39.84
148 :
日本@名無史さん:2011/04/07(木) 21:05:40.39
重ねの厚い刀どうしぶつけたら破壊力増すな
149 :
日本@名無史さん:2011/04/07(木) 21:09:28.27
重ねが薄かろうが厚かろうが刀の刃と刃をおもいっきりぶつけ合ったら折れなくても焼刃より内に食い込むから修復は不可能
近藤好和『弓矢と刀剣』
・日本刀というと、いかにも切れ味鋭いというイメージがある。刃を鋭く
するためには研がなければならない。すなわち、焼き刃に研ぎ刃を加える
のである。現在の研磨はあくまで鑑賞のための「化粧研ぎ」だが、その刃は
剃刀のごとくで、いかにも切れ味が鋭そうである。
しかし、太刀の「打つ」という機能表現からは、鋭いというイメージは
湧きにくい。中世の太刀の刃の鋭さ(すなわち研ぎ刃)の問題は、現在の
化粧研ぎの感覚では推し量れない。
http://www.samurai-nippon.net/923/ 「コメント」
松村昌直は熊本藩士にして肥後延寿の末裔と云う。伯耆守正幸の門人で、
十代綱広や水心子正秀にも師事を受けたと云います。刀剣鑑識家としても
有名であった云いますが、出来の良い物は古作名刀に直されたりしたので、
作品数は極めて少ないです。棟には実戦の証の刀疵が数カ所あります。
>149
斬り合いで刀の刃と刃をおもいっきりぶつけ合うことは、
まず無いと思うが如何か?
>>120の試合で、刃を添えるようにしながら引く技があったが、
人を殺す、倒すという事を念頭に入れると、別に一刀両断する必要は無い
5センチくらいの深さの傷が入れば戦闘能力は奪えるだろうし、手首や喉ならちょっとの傷で簡単に骨まで到達する
そもそも、金属バット並みの重量のある刃物を加速をつけて打ち込むのだから、
多少刃がこぼれようが脂が巻こうが、人を殺傷するには十分なのではないだろうか
157 :
日本@名無史さん:2011/04/08(金) 01:48:10.43
折れたりするからあまり現存しないだけで斬り合いになれば刃と刃がぶつかり合う事もあるだろう。
修復不可能なのは荒木又右衛門の折れた刀とか、桜田門外での井伊家の侍の指料とかしかないかな。
又右衛門は大事に臨んで新刀を使うとは迂闊なヤツとか言われてたような。
159 :
日本@名無史さん:2011/04/08(金) 08:17:43.48
ちょっとした鉈だな。
161 :
日本@名無史さん:2011/04/08(金) 12:10:35.24
たとえ刃こぼれしてようが木にこんな痕をつける刃物なんて
くらいたくないわw
162 :
日本@名無史さん:2011/04/08(金) 12:20:12.26
163 :
日本@名無史さん:2011/04/08(金) 18:52:33.37
二刀流って強いんですか?
弱いよ
どうして?刀を二本使うから一本だけ持つときの二倍強いのでは?
本来、小刀は投げつけるんだよ。不意を打てれば強いだろうが現代の剣道では
むろん反則。
そういう技法もあるってだけでそれが二刀流の全てじゃないでしょ。
168 :
日本@名無史さん:2011/04/08(金) 22:31:10.71
相当な腕力が無いと片手で致命傷を与えるのは難しいんじゃないかな
両手を同時に別々に使うのは難しい。
>>168 所詮、素肌剣術だからなー。
骨まで切れなくても、手傷を負わせるだけで戦闘力は低下する。太い血管とか切ればそこで終わり。
171 :
日本@名無史さん:2011/04/09(土) 07:37:56.76
>>169 二刀の場合、片方を防御、片方を攻撃に使うんだよ
一方で相手の刀を受け止め、もう一方で斬りつける
172 :
日本@名無史さん:2011/04/09(土) 09:27:09.67
でも、両刀で受ける十字受けもあるからな。
強い打ちは片手だけでは受けきれないという考えからだろうし。
あとは防御に留まらず、攻めのために相手の剣を抑えたり
払ったりするのにも使う。
>>166の人もそうだけど、二刀流はこうだと一つの用途に限定する
必要もないでしょ。
正統派の一刀流に対して二刀流は曲者扱いされてきたけど、
初めての相手に対しては一時的に戸惑いを与える効果はあるね。
174 :
日本@名無史さん:2011/04/09(土) 10:24:02.49
二刀流の元祖は宮本武蔵
176 :
日本@名無史さん:2011/04/09(土) 17:10:22.34
多分、青銅器の時代から二刀使いは居る
刀を二本持つ事自体は誰でも思いつく事だから
有名人で元祖は劉玄徳かねぇ?
あれは小説
野田派は二刀は「両方いっぺんに打つべし」と言ってるし、武蔵は「そもそも片手で自在に操れる事が重要なんであって、二刀に拘る事は重要じゃない」と
野田派理論で言うと、バラバラに使っていたのでは一刀とさほど変わらない、一度に二刀両方を動かす事で、相手の対応の隙をついていける、とか
例えば小太刀で小手を抑えつつ、太刀では面や胴を狙う、とかね。実際にそんなに上手くできるのか知らんけど
剣道の人間に言わせると、両手持ちは手首の動きだけで自在に太刀筋を変えられるのに対し、片手打ちは肘から上を全部使わなければならず、モーションがでかくなって非効率的なんだとか
またそれ以上に、剣道ルールでは片手打ちが有効打だとして認められにくいという要素がでかいという
スポーツチャンバラの世界では結構活躍してる人もいる、ま、スポチャンが武術かといったら語弊があるが
要するにルールによって変わるから、現行の剣道主体の環境で通用しにくいからと言って、武術的に欠陥かというと、そうとも限らないという事だ
>>176 刀剣じゃないけど漢代の石刻画か何かで双戟が描かれている。
>>176 刀剣じゃないけど漢代の絵で双戟が描かれている。
日本でも古墳時代の盾が出土してるから、ある時期までは片手武器で片手盾だったと
思うんだよね。それがいつからか両手剣を用いるようになった。
それは甲冑の発達と関係があるんじゃないか。
武士が騎射をメインにした兵種として発達したことに関係があるんじゃないかね?
大鎧も騎射を前提に、盾を持たないために肩当を大型化、騎乗するから重くても構わない、
という思想でああなったんだし。
弓戦の後で、ケリを付けるためだけの刀だから騎乗しながら抜いて斬りつけるには盾は不要、
いざ斬り合いとなったときに相手を馬から落とすのには力を懸けなければいけないから、
両手持ちに切り替える。
幕末の頃に、長大な竹刀をつかう道場破り対策に、巨大な鍔で防御して勝ったのって誰だっけ?
ある意味で攻防一体のオサレ武器と言えなくもないかも。
>>184 大石進に対して巨大な鍔で応じたとあるのは千葉周作だが、史実かは怪しい。
それに、勝利したではなかったはず。
186 :
日本@名無史さん:2011/04/09(土) 22:49:52.23
剣豪将軍を押すひとはいないか
神話だと十握剣なんて両手剣らしき物が出てくるんだけどねえ。
刃の部分を含めて「十握」の長さと言う意味だよ。
北畠は逸話が本当なら滅茶苦茶強いだろうね
公方様と伊勢国司が戦ったらどっちが勝つのか?
=゚ω゚) 有馬流の二刀一剣で家康が勝つ。
>>179 =゚ω゚) どっちかつーと二天一流は打ち込むというより
カウンターで張って払って突く、打つ感じジャマイカ?
まあ、剣道では迎え突きになって危険行為だろうね。
>>192 そういう意見もあんだろうね、俺も二刀流をまともに稽古したわけではないからわからん
二天一流も会派がいくつか分かれているようだし、それによって差異もあるのだろう。
俺が受けた事のある武道講習会でやってた、そっちの先生の披露してた技法で
相手の剣を抑えると同時にもう一方で下肢や面を打つ、小手を打つと同時に面を打つ、という、
二刀を同時に使う、というのが印象的だったのよ
巨大な鍔をつけた長竹刀を振るう俺が最強
=゚ω゚) ん?あ〜っ!大和の二刀は無一剣じゃった!
197 :
日本@名無史さん:2011/04/11(月) 03:07:07.34
逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな、上にゐては足も苦しからうがな、上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、
http://go-and-measure.tumblr.com/ 足はやはり下の方が気楽ぞ、あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、この道理分りたか。岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。
198 :
日本@名無史さん:2011/04/11(月) 12:09:16.07
二刀流は武蔵より丸目長恵が先にやってて、示現流の一の太刀をかわすために短刀を投げるというもの。忍者の頭領でもある丸目ならではの発想だね〜
薩摩の示現流の東郷重位は元々は丸目のタイ捨流門下だったのに
どういうタイムパラドックスなんだろうか?
二刀流で小太刀を投げる敵に対する技は「二刀打物」としてその新陰流にあるんだが
どういうことなんだろうか?
200 :
日本@名無史さん:2011/04/11(月) 15:59:45.35
二刀流は、木刀の世界での話で
201 :
日本@名無史さん:2011/04/11(月) 19:32:47.82
タイ捨流だった東郷重位が善吉和尚から天真正自顕流を習って示現流を打ち立てたんだよね。
そしてタイ捨流師範の東新之丞と御前試合で長時間に渡る戦いの末に勝って、その後薩摩藩は示現流になったんだよね。
それを聴いた丸目長恵が二刀流による対策を考えたと読んだけど、元々新陰流にそんな技があったとは知らなかった。
って事は、丸目長恵が新陰流時代に伊勢守から教わったって事だね。
だから新陰流には二刀を相手にするときの太刀が
上泉の時代からあるからさ。ちなみに中国に伝わった日本刀術の書である
『単刀法選』にも小刀を投げる技法は出てくるよ。
ttp://tokyo.cool.ne.jp/jiyubei/ken/yagyu-i.html > 天狗抄の中の上記記載の二刀、二刀打物はその名のとおり打太刀が二刀である業、
二人懸もその名のとおり複数を相手にした業です。奥之太刀には九箇之太刀の必勝の
ような左太刀による業があります。
なお、上泉伊勢守より宗厳への目録では、二刀、二刀打物は、二具足、打物と記載
されています。
小刀投げるのありなら、手裏剣術の人のがつおい。
宮本武蔵も手裏剣の達人だったな、弟子の竹村頼角がその技を継いでいる
だが、別に手裏剣に打つだけが二刀流じゃあるまい
むしろそれは曲技のようなものだろう
もともと手裏剣術は武士の護身用の嗜みだろ
小刀に限らず大刀も、あるいは犬槍と嫌われようが槍を投げることもあったようだし。
208 :
日本@名無史さん:2011/04/13(水) 15:30:20.31
晩年の山岡鉄舟
209 :
日本@名無史さん:2011/04/13(水) 18:30:43.61
池田屋で十数人を相手にほぼ1人で持ちこたえた近藤
その近藤ですら敵わないと言われた沖田
そして、その近藤や沖田が数人がかりで寝込みを襲う事でようやく殺せた芹沢鴨
こう考えると、最強の剣士は芹沢鴨では?と思えてくるなぁ
210 :
日本@名無史さん:2011/04/13(水) 20:02:06.79
実は芹沢鴨、伊藤甲子太郎、清川八郎あたりの暗殺された道場主・免許皆伝クラスの中に
一対一では最強の剣士がいるかもね。
211 :
日本@名無史さん:2011/04/14(木) 00:32:22.03
殺し合いでは生き残る者が最強なわけだよ
213 :
日本@名無史さん:2011/04/14(木) 02:17:43.82
無住心剣術では、真の達人同士が向かい合うと
「相抜け」と呼ばれる状態に至り、互いに刀を納めるという。
これに従えば、「誰が最強か」っていう問いは意味がないことになる。
但し針ヶ谷夕雲から無住心剣術を継承した小田切一雲は、その更に弟子の
真里谷義旭に終に敗れたという話もあり(本当かどうかは知らん)、
異論の余地もないわけではない。
相抜けは年老いた武芸者が自分を守るために考えそうな屁理屈。
216 :
日本@名無史さん:2011/04/14(木) 13:39:14.46
生き残るだけなら処世術に長けた者が最強って話になってしまうんでちょっと難しいな…
>生き残るだけなら処世術に長けた者が最強
=゚ω゚) いや、伝書の心得とかにもふつうにそう書いてある。
「ケンカになったら、とにかくその場を静めて後日双方の縁者に頼んで云々」とかさw
まあ、その場の機とか利徳とかを読めるなら
状況判断能力が高いと言える。
日常でも心が動いたら負けだしね。
天道流の伝書にもそんな感じの虎の巻みたいなのがあったな。
まあ、流祖の伝鬼房先生はそういうのに失敗して亡くなられたようだが。
試合とケンカは違うだろ。ケンカは勝っても罰せられる。
ケンカに勝っても社会的に負けるようではダメ、とか骨法のセンセが言ってたような。
=゚ω゚) まあたしかに試合とケンカは違うけど
武士や武家奉公人のケンカは即実戦だからなあ。
ささいなケンカで斬合い闇討ち、生き残れば切腹、手打とかさ。
むしろ日常生活も実戦と考えた方が良いかもね。
>骨法のセンセ
=゚ω゚) ちゃんと弟子の教育せいよホリベエ
時代にもよるが武士は家督を無事に受け継ぐことが一番の大事。
223 :
日本@名無史さん:2011/04/15(金) 03:36:30.28
>>222 出典はなに?
主君に尽くすのが一番の大事、っていう倫理なら至るところに見られるが。
新撰組が最強とかって・・・
大河ドラマ見すぎもいい加減に
>>223 それは手段であって目的ではないのだろう。
>>224 自分が推す最強の剣豪書いてけよ。批判するだけだと大河ドラマ見すぎ以下。
>>226 もちろん既に何人か書きこんだんだが、
久しぶりに覗いたら変な流れになってるんでね。
まあ新撰組が好きなのは構わないけど、
「時代が下る方が技術も進歩してるから、幕末の剣士が最強」
とか。何を根拠にそんな無茶なことを?
そしたら現代の剣道家が技術が一番進歩してるから最強なんですかって。
>>225 葉隠とかも読んだことない?
読めば、「手段であって目的ではない」ってのは嘘だってわかるはずだが。
>>227 そう主張してる人に直接アンカーつけてレスしたらどうかな?
というかすでに新撰組を語る流れは終わってるし。
もう死んだけど戊辰戦争でたことある近所のじいさんが言ってたが
だいたい向かいあったら実力差がわかるんだって
勝てると思ったら勝負して負けると思ったらさっさっと逃げるんだってよ
刀で死んだ奴は相手の実力も見抜けない奴だけだってよ
次郎長は刃を付き合わせたときにわかるようなことを言ってたな。
で、もう死んだけど1869年ごろの戦争に出た近所の爺さんってどれだけ長寿の人?
重千代さん?
俺が74なんだよ恥ずかしいこと言わせんなよ
名前は忘れたがそこそこ有名な人だったから調べればわかる、調べておいてやろうか?
戊辰戦争当時少年だった市村鉄之助でさえ1854年生まれだから相当ご長寿かつ
亡くなられて大分経つってことか?
>>230が直接話を聞いたのなら。
主君に尽くすなんてのは徳川太平の世の話であって、儒学教育のたまもの。
所領安堵し家督を子孫に受け継ぐことが最も大事。一所懸命。
重千代って鹿児島の人か?
奈良県ですよ 今日寄り合いあるから名前聞いとくわ
泉重千代さんは鹿児島県徳之島の人だけど、
>>230の人よりも確実に年下。
>>227 時代が下る程技術が進歩するのは常識
しかし、現代は真剣で斬り合う事何て無いから、実戦を想定した剣術があったのは幕末まで
となると、幕末の剣士達が最強だと考えざるを得ない
ま、戦国期の剣術は鎧を着て戦う事を前提にしてたらしいから、江戸期の剣術とは一概に比べられん所もあるだろうがね
後、新選組を貶せば通ぶれる、新選組を誉める奴はミーハーとか考えてるんだろうけど、そういう考え自体、頭悪いし、自分の頭で物事を判断出来てない証拠だよ
>>227の人が逃げずに受ければ熱い論争になりそうだね。
今帰ってきたけどよ、勘違いしてたみたいで西南戦争だったわ
で名前はさだむら90歳くらいのおじいさんで、戦時中に戦意高揚で村長に頼まれて話した時の会話だってよ
で本人は日本人殺したこと恥じてて本当のことあんまり語らんかったらしく名前も偽名違うかって話だったわ
すいませんね
直接聞いたわけじゃないのか。なーんだ。
そこに一番がっかりしたわ。
いや直接聞いた、ただ60年以上前の話だからな
もう寝るおつかれさん
>>219 現代なら警察が優秀だから、
相手がどんなに理不尽なクレーマーだろうが陰湿ないじめっ子だろうが尊大で人を著しく侮辱するような上役だろうが
ぶちのめすどころか、手を挙げた時点で自分の立場が悪くなってしまう。その代わり、滅多に殺されるような事も無いから、ひよった発想になるわけだが
謝って穏便に〜というのは、戦後の左翼教育から広まった考え方であって
昔の人の喧嘩沙汰というのは殆どイコール刃傷沙汰だから、むしろ事を構えたらサクっとやってしまえ、と推奨している。グダグダやってて殺されたら元も子もないからな
武術家が言う事で今も昔も共通しているのは、みだりに刀を抜くな、という事であって
一旦始まったら、迷わずにやっつける事に徹しろ、先手を取っていくべし、と、武蔵を始め多くの兵法家は、むしろそう言っている事が多い
そもそも、「うかつに手を出したらこっちがやられるかもしれない」という意味も含めての「みだりに刀を抜くな」という教えであって、であるが故に、達人ほど喧嘩はしない、という事だ
今は中途半端に「何をされてもじっと我慢しなさい」などというから、こっちがやられるかも……という危機意識が希薄になるために、却って喧嘩自慢やそれを賛美する風潮は増えていると言えるだろう
普通の人間にはそんな危機意識なんて無くても道徳心が働くが、それがない馬鹿には歯止めが無いから調子に乗る。結果的に暴力の抑止は悪化していると言えるだろう
相手が手を出してこなきゃ、そりゃ調子にも乗るってもの。常識の無い馬鹿はいつの時代も一定量居るのだから
護身や平和的解決の意味を履き違えてる奴が多すぎる。そりゃ弱者に泣き寝入りしろ、という意味ではないんだ。今の風潮で言う「相抜け」というのは、そういう意味になってしまっている
まあ技術論とはちょっとずれた話になっちまうがな
246 :
日本@名無史さん:2011/04/16(土) 05:56:44.85
時代が下れば必ずしも技術が発展するわけじゃないのはローマ帝国みればわかるだろ。
剣術の場合、十七世紀半ばからは切り合う機会が減っきて、十八世紀後半にシナイ防具が一部の地域で普及しはじめ、幕末にはかなりの地域に現代の剣道式の試合道具が広まってた。
剣術を真剣切り合いの技術と考えれば、江戸初期に高いレベルにあったと思うけど、シナイ試合技術で言えば各地で交流が盛んで、剣術人口も多かった幕末明治くらいが最高じゃないかな?
今の剣道ルールとは結構違ったから今のルールなら微妙かもしれないけど
平均的、あるいは体系化された技術と、個人の技量は別だからな。
技術が未発達でも、体系化はされなかったがある剣豪個人が習得した事により、
その剣豪が後世の剣豪より強いという事はあり得る。
>>246 幕末なら真剣で斬り合う事も珍しくなかったし、道場でも実戦を想定した訓練をしてたはず
ちゃんとした剣士なら、真剣での鍛錬もかかさなかったろう
だから、真剣での斬り合いの技術も、江戸初期より幕末の方が高いレベルにあったと考える方が自然
ローマ帝国の事はよくしらんが(キリスト教が広まったおかげで科学技術が衰退した事言ってるのかな)
スポーツでは、時代が下るにつれ技術が進歩する事はあっても、退歩する事はまず無い
剣術が盛んだった日本国内で技術が退歩する事はちょっと考えられない
>>247 それは分かるが、それを言ったらきりがないよ
もともときりがない話題だけどな
刀の定寸とかけ離れた長竹刀の流行に代表されるように、実戦と竹刀稽古の乖離が目立つ時代なんだけどな。
そこで竹刀稽古向きの技術が発達しようが合戦が身近にあった時代の素朴な剣術の方がまだ強そうだ。
型稽古だけより竹刀による自由攻防を取り入れてるほうが強くなると思うがな。
その自由攻防で鍛えた格闘家がケンカで呑まれて不覚を取ることはよくあるな。
型稽古だけならもっと駄目な奴だったろうよ。
元々の資質つーもんもあるからな。
型稽古して合戦で斬り覚えるのが戦国時代。
>>252 酔っぱらったときとか不意打ちで不覚を取ったからと言って、それがなんだというんだ?
>>245ではないが、「危機意識」を持つ、という心構えは残念ながら失伝した
本来的な武術の意味合いで言うなら、「抜かない」事が最上だからな。現代では社会事情的に、そんなことは教えないから仕方が無い
技術とは関係のない話である。技術自体は間違いなく向上している
大体、良くあるよくあると言うが、そんなによくあることか?
今の日本に格闘技を修める人間が、一体何人いると思ってんだ。一体何分の一の確率の事を指して、よくあると言ってるんだ?
問題は、明らかに入ってるのにポイント取らないとか、面打ちを首で受けてポイント獲られないようにするとか、そういう小細工的なテクニックだろう
それは確かに、明らかな実戦との乖離、欧化・スポーツ化の弊害として、批判されてしかるべき点だろう
剣道にはかつて蹴りや足払いがあったし、空手にも掴みや投げがあった。その点において実戦から乖離したのはその通りだ
だが基本的に「得物で持って打ち合う」という根本が変わっているわけではない。より合理的に、よりモーションを小さく突き詰めて言った結果、今の形になったまでの事
大体、技術論を論じているのに「ケンカで呑まれる」だの、抽象的な事を言うなよ
>だが基本的に「得物で持って打ち合う」という根本が変わっているわけではない。
その得物が既に幕末に実物と乖離してるということを認めない進歩論者w
時代を経るほどに進歩した技が大活躍なら薬丸自顕流のような単純な剣術が入り込む余地はないはずなんだがねえ。
そもそも現代の剣道は手元でちょこっと振る打ちになってて、刃物で斬る動作とは乖離してる。
薬丸自顕流なんて津本の与太話は別として実際に活躍してないよ。
youtube見てみ、笑えるぞ。
あんな抜きが最初の一人に偶然当たったとしも、他の奴が見てればそこから対処可能な状態になるよ。
示現流はどこでも練習出来る上、比較的簡単に強くなれるから爆発的に広まったんじゃないかな
実際、総合力は低くても一つの技を極めた奴は強い
また、実戦だと捨て身で向かってくる奴何てなかなか居ないから、相手にとってはかなり威圧感があったんじゃないか
斎藤一「どうもこの真剣の斬合というものは、敵がこう斬込んで来たら、それをこう払っておいて、
そのすきにこう斬込んで行くなどという事は出来るものでなく、夢中になって斬り合うのです。
この夜も、私が無茶苦茶に暴れていると、敵の誰かが、そ奴は何か着ているぞ、斬らずに、突け突け!
といっているのが、耳に入ったので、ようし突いて来るなら俺もこうしてやると決心した位のものでした」
>>259 お前の情報源は津本の小説とyoutubeかw
そりゃ話が通じないわけだww
着込み(鎖帷子)を着てるなら戦い方はまったく違ってくるな。
示現流がどこでも練習できるなら他流もどこでも練習できるんじゃね。
比較的簡単に強くなるからってなんじゃそれ。
タイ捨流の土台の上に別流派を組み合わせた人間がタイ捨流だけの人に試合で勝って藩に採用されただけじゃん。
流祖に限っては示現流での実戦があんのか。
>>262 ではファンタジストの君の情報源は具体的になによ。
薬丸自顕流のあほ信者がそんな情報源しか出してこないんだから仕方が無いね。
では示現流系統以外で立ち木打ちをやっている流派とは?
立ち木打ちだってよ。
物を打って勝手にひとりで練習なんて誰でもやろうに。
相手が動かないことほど簡単なことはねえよ。
ファンタジストには示現流の立木打ちでないと強くならないという根拠を聞きてえな。
思うに、撃剣(竹刀稽古)だけでは実戦には通用しなかったんじゃないかな。だから
経験豊富な新撰組なんかは、実戦の中で真剣の技法を身につけていった。
示現流は各派の中でも比較的実戦に適していたんだと思う。ただし最初の一撃が
決まらないと変化に弱いんじゃない。
示現流以外は立木打ち以外にも色々やらなくちゃならなかったけど、示現流の場合は立木打ちだけでもそこそこのレベルになったんでしょ
>>266 強くならないじゃなくて稽古法の話をしてるんだけど。
>示現流がどこでも練習できるなら他流もどこでも練習できるんじゃね。
>物を打って勝手にひとりで練習なんて誰でもやろうに。
こう自信満々に書くからには何か信頼ある情報源があるんだよね?出典を明確にして頼むよ。
斎藤一「どうもこの真剣の斬合というものは、敵がこう斬込んで来たら、それをこう払っておいて、
そのすきにこう斬込んで行くなどという事は出来るものでなく、夢中になって斬り合うのです。
この夜も、私が無茶苦茶に暴れていると、敵の誰かが、そ奴は何か着ているぞ、斬らずに、突け突け!
といっているのが、耳に入ったので、ようし突いて来るなら俺もこうしてやると決心した位のものでした」
こういう戦いになるなら余計な小細工の練習するより真っ向からの切り込みだけ磨いたほうがいいかもね。
>>270 ただ斎藤の述懐は多数体多数の戦いの話のようだから、一対一ならおのずと実戦経験および
技量の差が出るんじゃないか。
それに幕末の場合は剣の修行のではなく目的があっての斬り合いだろうから、勝つためには
着込み、鉢金着用で一人に対し多数で当たるような戦い方がよかったんだろう。
剣の修行のではなく→剣の修行ではなく
>>269 出典て真性のあほか。
剣道ですら相手がいなければ、素振りに加えて相手を見立ててものを打つこともあるのに。
人間の自然な欲求としても当たり前だろうがよ。
で、立木打ちだけしか駄目な根拠をききてえなあ。
それから示現流は対人稽古くらいするだろう。
立木打ちならト伝とかもやってたんじゃん?
尾張柳生でも八勢で立木打ちやってたらしい。
たぶんどの流派も師範によってやってると思う。
八勢の話は俺もまろばしの人から聞いたことあるよ
つーか、実戦実戦と言った所で、それを語るものが現代人の感覚でそれを捉えているなら何の意味も無い
ラウバルやガ島の死闘、幕末の戊辰戦争、武蔵の出陣した大阪の陣の決戦や、戦国時代、源平合戦
すべて豊かで安全な現代から見れば、常軌を逸した世界だった筈だ。そもそも、現代人の常識で捉えられる範疇ではないだろう
技量の試し合いである試合と目的を達成するためなら何をやってもよい合戦じゃ
まったく違うだろ。
技術的には介者剣術と素肌剣術は別物だし。
>>252のように、「ケンカで呑まれて〜」なんて表現をする事は、勘違いの最たるものだ
最前線を生き残った兵士と、その辺のチンピラ風情を同列に語れるわけ無いだろ
そもそも軍隊の兵士は、平時から一流の武道家やアスリートと遜色ない稽古を積んでいるだろう。戦時中であればなおさらの事だ
ただ少し話がずれるけど、合戦や戦争でも何しても良いって事は無いんだけどな。
ルールがあったり、無い部分でも様々なバランスで事実上する事が出来ない事があったり。
あるいは倫理道徳的に合戦や戦争でもしてはいけないラインがあったり。
アスリート並みの稽古してるのは軍隊でもごく一部では?
昔の軍隊がどういう訓練を積んでいたかわからないからなあ
今でいえば、北海道陸自なんかは鬼の訓練を積んでいるが
元々武道出身の隊員も多い
今の戦争はたいがいは空爆で事足りるし、白兵戦など部分的に起こっても戦局に影響を
与えるものではない。もちろん国際法を重視して行われるのが建前。
合戦は源平の頃なら弓戦が主だったろうけど、正々堂々名乗りを上げて戦うイメージが
あるけど、戦国時代は出世を目指して合戦中も逃げ隠れしながら相手の大将首をねらう
というイメージだな。主殺し親殺しの下克上も多いし。
>>283 白兵戦を「せざるを得ない」という場面は現代でも存在する
>>284 もちろんそうだが、局地的紛争ならともかく、戦争の勝敗にかかわるようなことにはならない。
スレちだからもうやめるけど、今の戦争はとにかくミサイル攻撃と空爆で決まってしまう。
ただ占領してからのゲリラやテロによる人的損失は大きい。
自衛隊は基礎体力、行軍、徒手格闘、銃剣格闘などよく訓練してるよ。
確かに日露戦争の203高地など近代の戦争は陣取合戦の要素が大きかったが
今は制空権を握るのが最重要だろう。米軍の空爆に耐えられる軍隊はない。
空爆しても戦車や歩兵はなかなか倒せないらしいよ
だから地上を制圧するにはやはり地上兵力をある程度充実させないといけない
まあ、現代は大国間戦争何て殆ど無く、大国が小国を一方的にいたぶるような戦争が大半だから、何とも言えない気もするが…
中国対アメリカならそうなるだろうな。
290 :
日本@名無史さん:2011/04/17(日) 22:50:39.49
ノストラダムスの終末予言がだいたいは中国対アメリカの核戦争なんだよ
エドガー・ケイシーの日本沈没の予言も気になるが・・・
ところでここは剣豪スレだよな〜
俺の思う最強は戦国時代〜江戸初期で、武将剣豪の上泉秀綱と丸目蔵人佐の師弟が最強で次点が塚原ト伝、小笠原長治、小野忠明。
ところで、幕末の話だと、江戸時代ずっと素肌剣術だった諸流派は鎧兜が復活した時代にどう対応したんだろうか?
面打ちとか胴とかって相手が鎧着てると意味ないよね?
戊辰戦争最終局面まで鎧着てる人は結構いるから、当然直面した問題だと思うんだが。
鎧の繋ぎとかを狙うだろ
面とか胴とか、固定部位を狙わなければポイントにならない現行の剣道ルールと、江戸時代の撃剣は微妙に違う
そもそも剣道が面ばかりになり、空手が上段突きばかりになり、柔道から当て身が消えたのもスポーツ化の流れに対応した結果だからこそで、
武術の歴史を紐解けば、状況に際して変化し、改良されていくものだというのがわかる
卜伝の18回、一刀斎の30回、武蔵の60回、真里谷の1000回
そのままの数値かどうかは疑問が残るが、全くのデマでもあるまい
実数とはどれくらいの乖離があるのだろう?
ボクデンは真剣勝負の回数といってるから木刀等を使った回数はもっと多いのでは?
武蔵は良くわからんが、回数と時代を考えたら他流武芸者との木刀やシナイでの他流試合の回数じゃないか。
真里谷はシナイ(袋シナイ)の試合回数だからそれくらいあってもおかしくないだろ。
一刀斎は良くわからん。時代や試合回数を考えると木刀、シナイの他流試合回数と思うけど
295 :
日本@名無史さん:2011/04/18(月) 10:52:39.16
>>250あたりの話しになるけど、長竹刀が大石神影流で使われ始めた理由は、大石が三尺近い長刀を帯刀してたからなんだが。
それを真似た江戸の人は知らないが、元々江戸以外じゃ定寸とか気にしてない藩も多かったんだ。
かなりいろいろな流派で長寸の刀が推奨されてるよ
>>294 真里谷以外は真剣勝負(本人談)
つーか現代のボクシングなんか見てればわかるが、プロアマ通じて100試合に到達するケースすら一握り
アマ時代から二十年近く選手やってる人間ですらそうで、大昔、一日に2〜3試合こなしてた無茶苦茶な時代のボクサーでも、一番多くてプロキャリア200戦くらい
たまにアマで200戦してるとかいう選手もいるが、それにしたって公式戦で千という数字は見た事が無い、半分の500ですらありえないような数だ
千試合こなすだけで途方も無い事なのに、その上、無敗だぜ。あってもおかしくない? そんな馬鹿な。
ボクシングに照らすなら、プロアマ通じて無敗で終えた世界王者はリカルド・ロペスくらいだが、彼ですらプロアマ通じて92戦91勝1分け、千の10分の1にも満たん
数の上で言うなら、他三人の方がまだ幾許か納得のいく数字だ。
297 :
日本@名無史さん:2011/04/18(月) 17:32:18.85
最強は伊庭八郎に決まってる。
298 :
日本@名無史さん:2011/04/18(月) 18:24:18.96
>>296 > 真里谷以外は真剣勝負(本人談
真剣を使った勝負なのか一羽弟子決闘や武蔵小次郎みたいな木刀使った真剣勝負なのかわからんよ。武蔵は片方真剣だけど。
ちなみに疋田文五郎の回国記じゃ相手が真剣使った勝負は出てこないんだな。
真里谷の千勝にしても同門との試合も含んでるかもしれないし、倍くらいに誇張してるかもね
299 :
日本@名無史さん:2011/04/18(月) 18:32:56.78
江戸後期の修行者の手記とか英名録みてると1日に十数人と試合したりする
当たり前だけど、ボクシングみたいに何ラウンドもどつきあうスポーツと一緒にしちゃダメだろ。
負けたり勝ったり、も競技が確立してれば当たり前だけど、みんな形稽古や入身試合くらいしかしなかった時代なら、戦略的にやれば負けないことも可能だろ
植芝盛平や武田惣角が負けた話なんかほとんど無いだろ?それと一緒だろ
スポーツと違って実戦ではお互いに相手の手の内を知らない状態での一発勝負だからね
初見では受けようのない技を持ってたら百連勝出来る
301 :
日本@名無史さん:2011/04/18(月) 22:45:47.99
じゃあ斎藤一さんが最強という事で
牙突最強
>>295 三尺程度では五尺の長竹刀とはかなりの差があるな。
五尺の真剣で竹刀勝負のときのように片手突きは決められるかな?
真柄さんならできるんじゃね?
一丈の槍でも片手突き使うよ?
別に五尺なら槍の長さの半分だからたいした事無いよ
まあ、コウブショの規定を見てもわかるように、実際に帯刀してる刀より長めの竹刀を使う傾向があったみたいだね。
>>299 確かにプロだとその通りなんだが、アマだと一試合2〜3ラウンド程度だ。
一般クラスで2分の3Rだったかな。当時は一本に付き時間無制限か? その辺ちょっとわからんが
アマの大会の場合、トーナメント方式などで一日に何試合もしたりするケースはある。
それでも、生涯戦績200戦くらいだ。300も行かないんじゃないかな。これは平均ペースではなく、極端に多い部類での話だ
強い選手は途中でプロに転向するし、並みの選手はそこまで行く前に引退するからな。
やってる事は自由稽古の乱取りと同じでも、試合となれば緊張感が違うわけで、疲労の度合いも異なるし、千という数になれば相手にも困るだろう
いくら平面上で語れないとは言っても、まともに考えて千という数字は、ちょっと想像がつかないよ
306 :
日本@名無史さん:2011/04/19(火) 07:10:45.83
>>305 > 確かにプロだとその通りなんだが、アマだと一試合2〜3ラウンド程度だ。
> 一般クラスで2分の3Rだったかな。当時は一本に付き時間無制限か? その辺ちょっとわからんが
当時から五本勝負とかやる人もいたみたいだけど、何度も打ち合うボクシングと一瞬で一本取って終わる場合もある剣術の試合じゃ比べられないんじゃない?
まあ千は誇張してると思うけど、一月に三道場巡って、一つの道場で十人と稽古したら一年で360人と試合する事になるんだが
江戸後期の武者主義者の英名録みても、稽古した相手の氏名が相当な数載ってるよ
地方に指導に行って、各地の道場の若造どもをなぎ倒して帰ってくれば100人やそこらはスコアが伸びるだろうしね
斎藤弥九郎なんてわざわざ長州までいってたりするし。
出稽古というか、出張指導は普通だよね。
>>248 幕末は、実戦経験がない人間が、
京という生活の場での斬り合いを極めて短い間行った。
その後は鉄砲や大砲がメインの戦闘に移行するから、
実戦を現実的に想定して鍛錬に励む期間は極めて短かったのでは?
江戸初期なら家光擁立の頃まで幕府転覆を狙う人間が沢山いて、
現実的に実戦間近な気分があったと思うけれども。
実際に実戦を経験した人もいっぱいいたし。
>>308 > 幕末は、実戦経験がない人間が京という生活の場での斬り合いを極めて短い間行った。
> 実戦を現実的に想定して鍛錬に励む期間は極めて短かったのでは?
色々記録を読むと、一部の下級武士や百姓、比差別階級は江戸時代を通して治安維持や喧嘩、水争いなんかで真剣使った実戦経験を持ってる。
幕末の剣士でも喧嘩や捕り物で実戦経験ある人間は結構いたと思うよ。
310 :
日本@名無史さん:2011/04/19(火) 14:55:57.28
柳生でしょ
>>306 稽古の掛け試しや乱取りは試合とは言わないんじゃね?
312 :
日本@名無史さん:2011/04/19(火) 18:30:36.30
>>311 > 稽古の掛け試しや乱取りは試合とは言わないんじゃね?
今の格闘技や剣道はそうだろうけど、道場や師範によって流派が違った昔は同門との稽古はともかく、出稽古でのなんかは勝負、試合でしょ。英名録なんかにもしめて○○本とか書いてるし。
いや、よく考えたら違うな。
大会とか無いから、試合と言ったら試合稽古や撃剣の事なんだな。
実際統計取ったわけではないだろうけど
要するに「何処の道場に行っても無敵だった」って事だろう
稽古含めりゃ千回やっててもおかしくない、つーかそれならむしろ千回以上やってんじゃね?
まず戦場での働き○○回、そのあと真剣での立合い○○回って
来るんじゃないか?
道場での試合稽古なんて比較にされないよ。
道場の稽古なら、幼少時から剣道やってるから1000回なんてもんじゃないな。
剣道?
結局、戦国期の剣士と幕末期の剣士、どっちが強いの?
319 :
日本@名無史さん:2011/04/21(木) 07:15:27.72
320 :
日本@名無史さん:2011/04/21(木) 11:53:53.01
斉藤一・牙突零式
321 :
日本@名無史さん:2011/04/21(木) 12:03:39.09
室町〜江戸初期の場合、剣豪っていうか兵法者、武芸者の方がいい
2ちゃんの電波ではなく、隠された歴史の真実を書き込みますけど、
佐々木小次郎の末裔は、福岡県福智町の六角氏(佐々木)として今日まで続いています。
六角家(佐々木)の邸宅は、福岡県の重要文化財に指定されており、
幕末動乱の時期には、小倉藩藩主の小笠原宗家を六角家の邸宅に迎えています。
宮本伊織の末裔も今日まで続いており、佐々木小次郎の末裔とは交流があるようです。
六角家にゆかりの深い人物の話では、陸上自衛隊幹部候補生学校の初代校長は、
佐々木小次郎の末裔で、小倉藩藩主一族の平井男爵家へ婿養子として迎えられたそうです。
佐々木小次郎は京極氏の一族ではなく、六角氏の一族ですので歴史を見直す必要があります。
歴史の歪曲を正しく修正しなければ、佐々木小次郎の本当の姿は見えてこないでしょう。
歪曲とか真実とか書く人の方が怪しいですw
そこで史料を出してくれるなら見直すんだけどなあ。
324 :
日本@名無史さん:2011/04/21(木) 16:53:47.53
手永庄屋六角家の話や平井重文の話は聞いたことなかったけど、佐々木小次郎豊前佐々木氏出身説は昔からある。
>>324 平井重文陸将は六角家からの養子ではなかったか?
小笠原宗家や常陸宮家とも関わりある名家なので、書き込みに注意しなければ。
佐々木小次郎 - 副田(佐々木) - 六角(佐々木)
室町から幕末にかけて姓が変わっている。調べれば直ぐに分かる。
>>324 昔からあっても何を根拠としているかだよね。特にこういう野史や誤伝の
入る余地がたくさんあるジャンルの場合は特に。
鎌倉以来の豊前における名門は、その殆どが歴史から抹殺され真実が伝わっていない。
城井(宇都宮)、佐々木(六角)がその典型。
小説家が歪曲した架空の話を、真実として捉える国民性が歴史の歪曲に拍車をかけているだけ。
そもそも「佐々木小次郎」という名が信頼できる史料にあるのか?
佐々木岩流とか巌流ではないのか?
それなら宮本武蔵の子孫探した方が強そうだなwww佐々木小次郎は負けた
んだし。
武蔵の子孫は知らんが、伊織と巌流の子孫は実在するぞ
佐々木巌流=六角氏の話はガチ
武蔵の戦い方は卑怯なので論外として
伊東一刀斎と佐々木巌流に一票
岸和田三十朗に一票。
明智左馬之助の子孫が坂本龍馬だったりするわけだから
系図の世界では何でもアリですよね。
佐々木小次郎自体、生前は有名じゃなく、後年、武蔵物の歌舞伎で巌流島をクライマックスにしたものが大ヒットした事から有名になったらしいからなぁ。
でも流派としての巌流を捏造するヤツとかいなかったのかな?
バットマン松林もガンリュウだけど何か関係あるの?
巌流と願立で意味が違うし、松林は武蔵よりだいぶ若い。
>>329 沼田家記には「豊前で師範をやってた岩流って流派の小次郎さん」という風に出てくる
これで見ればむしろ佐々木姓よりも小次郎の名前の方が確からしい
確か日本剣道史だったと思うが、厳流の兵法として一心一刀という技法が出てくる
それを信用すれば、江戸時代のある時期まで存在していたという事になるな。
厳流小次郎?佐々木厳流?
小次郎の名前を使っていた事だけは確か。姓が佐々木なのか六角なのかはミステリー。
細川と武蔵の策略で闇に葬られた謎の多い人物。
武蔵はダシに使われただけだろ
細川の小次郎暗殺の為の協力者、というならそうかもしれんが
なんで武蔵が小次郎を殺すために策略を練らねばならんのだ、小次郎が死んだって武蔵には何の得も無い
武蔵に限った事じゃないが、小説や歴史本のネタに多く使われる人物は、その中の設定がまるで真実であるかのように語られている、という事がよくある
武蔵はよく卑怯もんだとか二天一流が全然広まって無いとか普通の人間には使えなかったとかって話はよくいわれるが、司馬遼あたりが発祥のイメージだろう
武蔵は特に卑怯と呼ばれなきゃいけないような戦い方はしていない。巌流島で遅刻したという話は二天記が初出で、それ以前の伝記や史料には遅刻の事実は書いてないし、小倉の碑文では「同時に相対し」と書いてある
二天一流は実際は江戸期から流行っていて、武蔵の再来と呼ばれた新免信盛や、尾張で流儀を継いだ竹村頼角などの剣豪が居た。江戸を始めとした各地で兵法を指南した柴任三左衛門も武蔵直系の弟子だ
明治時代には三橋鑑一郎という、武蔵流で範士を賜った達人が居る。この人は武徳会の元で最初の剣道型を作成した七人のうちの一人でもある
342 :
日本@名無史さん:2011/04/22(金) 08:14:35.87
本位田又八って史実でもああいう人だったんですか?
343 :
日本@名無史さん:2011/04/22(金) 09:00:42.83
>>342 吉川英治のオリキャラ
あまりのへたれぶりに実在の本位田家からクレームがはいった
344 :
日本@名無史さん:2011/04/22(金) 11:27:50.12
宍戸梅軒は強いと思う。
345 :
日本@名無史さん:2011/04/22(金) 13:24:09.81
確か又八がニセ小次郎を名乗る話もあったよね。思うに史実の佐々木小次郎とは
又八のことなのではないだろうか?
佐々木小次郎は本姓を副田氏といい、佐々木種次の一門。
豊前佐々木(副田)氏は、小次郎死亡後も命脈を保ち明治維新を迎えている。
その嫡流たる六角家が現在まで続いている。
347 :
日本@名無史さん:2011/04/22(金) 18:07:13.12
>>346 つまり諱もはっきりしないけどなんか有名な人が先祖筋にいたかもと
主張する人たちがいるということですね。
最強は岸和田三十郎
349 :
日本@名無史さん:2011/04/22(金) 20:49:54.06
最強は国井善弥
最強は真壁暗夜軒氏幹
最強は権田二毛作
352 :
日本@名無史さん:2011/04/23(土) 08:05:36.37
では真剣を持った本位田又八とボクサーらしく素手の権田二毛作なら
どちらが勝つか?
権田じゃね?
全盛期の本位田又八が寛永御前試合に出場したら結果はどうなる?
FC東京
又八が逃げて不戦敗じゃね?
陸奥が優勝
結局沖田総司あたりかねー
自称通からは不満が出るだろうが…
359 :
日本@名無史さん:2011/04/24(日) 10:16:20.32
上泉とト伝は外して考えるようにしないか!?
だとすると、仮ランキングとしては
@丸目蔵人
A小野忠明
B小笠原長治
C富田重政
D伊藤一刀斎
E東郷重位
F千葉周作
G沖田総司
沖田含む新選組系の人の欠点は、強い人と差しでやった記録が身内と道場内で戦った記録しか無い点だと思う。
結局、新選組内ランキングしかわからず、例えば江戸三大道場のトップクラスと戦ったらどうなのか、とか分からないので評価のしようがない。
新撰組は着込み(鎖帷子)鉢金着用で「、3人で1人に当たるような戦い方だから、集団として
強かったとしかいいようがない。
「新選組」として強いのは否定しないんだが、それって剣豪としての強さとは違うものだよね、という話。
巨人軍の4番打者は自動的に日本1のバッターか、というとそうじゃないでしょうと。
新撰組に多かった郷士や百姓や脱藩者が、自らを剣豪だなどと考えてはいなかっただろう。
あほくさい。
やっぱり中村憲剛じゃないか?
365 :
経済学者 「日本復興計画」:2011/04/24(日) 16:34:00.33
特区の考えですけど、わたしは5年でも10年でも所得税0、
法人税0やっていいとおもいます。
するとみんな東北に行きますよね。
デフレ脱却につながります。
東北に仕事をしようとみんな東北に行きまして、
国全体の賃金レベルが上がります。
日銀が復興債(ふっこうさい)をかいますとデフレ脱却ができます!
これによって一番税収が上がる政策だとおもいます!!!
特区+日銀+税制政策をやりますと、復興はできると思います。
小さく小さくやりますともう絶対ムリですね。
デフレが悪化して、財政が破綻します。
被災地にお金がむかう法律でないとダメなんです!!”!
資金が被災地にむかう流れをつくらなければならない!!
※増税ををやると経済が悪化し、デフレ、経済が崩壊すると思います!
経済学者10人の意見
「日曜あさ10時 サンデーフロントライン」
>>363 そういうのが、むしろ妙な価値観に捕らわれず実践では強かったんじゃないの?
千葉周作だと思うけどな
>>366 だから、主張するのは勝手なんだが、差しでやった実績がないから評価のしようがないという話。
幕末の剣客で名を残したものに百姓・町人出身者はいない、という事実もある。
新選組とか勤王の志士とか集団戦闘で名を残したものはいても、1対1の戦闘で名のあるものを倒した、
試合で有名人に勝った、という庶民出身者はいない。
>>359 北畠具教も入れてちょ
>>360-362 幕末の剣士ってろくに実戦をせずに終わった人が多いし、そういう人に関しては何とも言えんと思う
試合では強い、人に教えるのも上手い、だからと言って実戦でも強い…とは限らないわけだし
だから果たし合い形式じゃなくても、実戦経験の多い新選組がやはり強いイメージになってしまう
真剣での斬り合いに慣れてる人と初めての人が戦えば、よほどの技量の差がない限り
慣れてる人が勝つ。殺し合いは撃剣とは違うから、ちょっと額をかすめたり、指を斬られ
たりするとオタオタして構えが崩れてしまう。そこを止められる。
ただ、殺し合いに慣れているから剣技に優れてるというのもまた違う気がするんだな。
372 :
日本@名無史さん:2011/04/25(月) 07:21:25.40
>>368 > 幕末の剣客で名を残したものに百姓・町人出身者はいない、という事実もある。
ちゃんと調べた方がいいよ。特に関東の拡藩の幕末の師範の出身みてみな。
ちょっと遡るけど文化文政以前から武家出身以外にも流派を立ち上げた人がたくさんいるぞ。千葉周作だって武家の家系じゃないだろ。甲源一刀流、念流、柳剛流、神道無念流なんかの有名流派の師範層が武家かどうか調べてみたら?
>>371 そもそも、ズブの素人がいきなり勝負の場に出たって何もできないけどな
ある程度訓練を積んで下地のある人間のみ、初めて殺し合いに参加出来る
真剣に慣れてる慣れてないというのは、それ以降の話だ
元々技術のある人間が斬り合いの経験を重ねることで、斬り合いに則した技術というのを獲得していく
そうして生き残った人間が「強い」と言われるわけだから
必然的に剣や武術に練達した人間が選り分けられる
素人に関しては慣れる慣れないの問題じゃない、そもそも、何もできない
レシピも知らないのにいきなり料理を作れったって、まともに作れるわけが無いのと同じだ
基礎知識があるからこそ、応用が利く。
未だ童貞の新兵とはいっても、何の軍事訓練も無しにいきなり戦場に放り込まれるなんてのは有り得ないわけで
374 :
日本@名無史さん:2011/04/26(火) 06:43:24.34
≫373
童貞の新兵って…童貞関係ないやん!?(笑)
実戦経験がないという意味の童貞じゃまいか
376 :
日本@名無史さん:2011/04/26(火) 08:38:43.55
初陣の前にしかるべき所で筆を下ろしを済ませ、未練を断ち、腹をくくってから出征するのが新兵
この前、第二次世界大戦出征経験のある人が、
女を知っている、社会に出て働いたことがある、
こういう兵隊は何が何でも生きて帰ろうって気持ちが強かった、
女も社会も知らない若い兵隊はある意味潔かったと書いてた。
兵隊はね「靴下を捨てるくらい簡単に命を捨てるのがよい兵隊だ。」と毎日殴られながら
教えられる。案外銃剣持って(弾は撃たない)幕末の剣士と戦えば第二次大戦の兵士が
勝つかも知れんぜ。
そんな理屈をつけなくとも、平和な道場の中でも銃剣道と剣道がやりあえば、概ね銃剣道が有利。
381 :
日本@名無史さん:2011/04/26(火) 19:55:09.64
幕末の剣士なら大抵槍も稽古してるだろ。幕末には槍術の武者修行や他流試合も剣術並みに盛んだったし。
槍は銃剣術の元になってるけど槍の試合はヤバいぞ。そもそも剣術より先に槍術の互角試合が始まったとも言われてるし
たんぽ槍は防具の上から食らっても強烈だけど、今は上手い人はほとんどいないね。
383 :
日本@名無史さん:2011/04/26(火) 21:35:32.76
385 :
日本@名無史さん:2011/04/26(火) 22:18:21.11
386 :
日本@名無史さん:2011/04/27(水) 01:11:00.74
質問です。
剣豪で男色を好まなかった人は居ますか?
むしろ好んだ人が思いつかない
まあ、いたとは思うけど
武蔵は?
389 :
日本@名無史さん:2011/04/27(水) 08:41:57.79
≫384
それはもはや武板のネタだが、個人的に興味あるな。
390 :
日本@名無史さん:2011/04/27(水) 11:08:29.70
鹿島古流ってなんだべ
道場やってるなら門下生いるの?
鹿島古流?
国井さんのところ?
なんだ、道場生の勧誘かよ、このスレ。
武蔵
終了
国井さんのところは色々怪しいと言われるな。
http://mimizun.com/2chlog/budou/sports.2ch.net/budou/kako/1039/10395/1039594981.html 131 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/19 18:14 ID:Mykj2nnL
国井氏はの剣術は念流だよ、門人帳にも出てるし、手はハの字、足はソの字の鏑木足で
念流そのもの、大昔内弟子だったって先代の樋口宗家が言ってたよ。だから明治神宮の奉納演武では鹿島神流は念流の手前演武やらないの。
132 名前:国井道之 :02/12/20 00:14 ID:rXbTMlxE
>>131 しー!
本当のこと言っちゃ駄目だってば。
宗家に伝わっている国井家伝の剣術の型以外は全て念流からのパクリだって
みんなに分かっちゃうじゃないか!
133 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :02/12/20 22:06 ID:SQk7s9eP
>132
宗家に伝わっている国井家伝の剣術?お前そんなの信じてるのかよ。
念流意外はすべて創作だよ。それから盛平とのことは、盛平が演武
しているときに会場で盛平に向かって罵声を浴びせたという証言は
あるよ。そのとき盛平は全く無視していたそうだ。やはり盛平は紳士
だよ。国井はちんぴら武道家だよ。ヤクザの用心棒していたし。鹿島
神流の柔術は合気道のぱくりだということは有名だし、恩を仇で返すとは
人間として失格か?
いや、そのレスも怪しいよ。
もちろん創作もあるはずだが(どの流派にも)
もともと新当流や陰流、神影流は創設期から念流を取り入れてるし
樋口家自体が鹿島新当流の師範だった。
国井さんのはそれらがちゃんぽんになってるから見分けるのは難しい。
剣術に関しては古いスタイルの柳生や直心に似ている部分もあるので
「全部念流で後は創作」ってのは研究不足だ思う。
その念流や鹿島新当流は間違いなく戦国時代からあるからな。
近代になってからちゃんぽん武術を作った国井さんとは違うわけで。
国井せんせのところの家伝ってたぶん直心陰流でしょ。
>>397 そ、直心影流の本名が「鹿島神流」だね。
だから直心の伝書にも鹿島神流って書いてあるし
用語や文章もほぼ同じ。
国井さんから念流とちゃんぽんになったのかというと
昔から念流や新当流、新影流はちゃんぽんだったというのが実際の話。
神谷以前の時代に分派した直心なので
研究してみると面白いと思う。
>>399 念流新当流ごちゃまぜの流派を代々相伝してきたのではなく、国井さん本人が
念流修行してたわけで
>>397 素直に考えりゃ直心影流伝書をアレンジして自分ちの家伝流儀にしてしまったって
ことなんだろうね。伝書にある「鹿島神流」をそのまま流儀の名前とした、と。
念流修行の前に神陰流の免許もらってるから
たぶん念流は併伝ていどの存在だと思う。
新影流は基本剣術だけだしね。
直心影流や新当流関係で名前の出る松本備前守に教えてあげたのが
国井さんの先祖って話なんですね。
http://www.kashima-shinryu.jp/i_history.html 時代は下って16世紀前半頃の戦国期、鹿島家筆頭家老であった
松本備前守紀政元(まつもとびぜんのかみきのまさもと)は思うところがあって
家老の座を退き、鹿島神宮祝部として神武の顕現に志しました。これを知って
鹿島に赴いた國井景継(くにいかげつぐ、鹿島神流初代宗家)の支えのもとに鹿島の神前に
奉仕して神示を仰ぐ日々を経て、備前守は一之太刀を頂点とする武道大系としての
鹿島神流を完成させるに至ります。このことは、鹿島神流の兵法伝記に
「常陸源氏國井景継之後助又大与而也」と記されています。
404 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 07:48:34.83
有名な一つの太刀は国井景継の助力なくしてはありえなかったって理屈だね。
鹿島神流二代目ってことになっている上泉はもちろん、塚原卜伝の名声も
国井家がいただきってわけだね。よく考えたよ。
405 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 07:49:29.82
>>399 > 神谷以前の時代に分派した直心なので
そう名乗ってるだけで実際はどこかの時点で長沼家から習ったはずだよ。
長沼家伝になる前に別れた系統はどこも鹿島神伝は名乗ってない。だいたい流祖を上泉にするシンカゲ流を名乗ってる。鹿島神伝は長沼家になってから。
国井さんのシンカゲ流免許もたぶん直心陰流系統の流派の免許じゃないかな。直心陰流系統でシンカゲ流を名乗ってたところはたくさんあるし。
柳生流の技をよく知らなかった話もあるから、古い技術を残してる新陰流系統ではなかったんだろな。
長沼家に限らずその末流からも直心は習えたわな。なんと言っても
江戸後期屈指の人気流派だから。
>>406 柳生と松田はだいたい同じだけど疋田や直心は柳生とかなり違うからなぁ。
同じ神影でも時期的に変わってきている。
疋田や直心、神流には柳生と同じ技も有るし違う技もある。
左太刀、無刀取り、奥義など石舟斎以降の工夫も多いし
構成や名前ががわざと変えてある。
用語は各派全く違うね。
たとえば「猿廻」と言っても柳生、疋田、直心それぞれ違うから
柳生流の技を国井さんに聞いてもわからないと思うわw
ただ動画で見た限りでは国井さんの技には神影の技が入っていると思う。
また神影とは違う技もあるね。
そりゃあ同じ技があるのは当然だな。
何しろ国井さんのご先祖が松本備前守に教えて、さらにそれが上泉伊勢守に伝わったって話だからな。
新陰流の方は国井景継の技が入っていることを認めているの?
認めてないんじゃない?
てか柳生や疋田は影流だし流祖が違うからな。
直心は杉本・・・ゴホッ
柳生にも一の太刀はあるが由来はわからない。
国井という武将なら当時の常陸に居たから
つながりがあってもおかしくないが
仮に松本備前に影響を与えたとしても
数ある新当流、念流師範の一人じゃね?
412 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 18:34:55.15
疋田にも左太刀あるよー。失伝しちゃったけど無刀もあるよー。
414 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 19:36:50.30
剣豪じゃないが御新番組の佐野新左衛門がかなり強い
いざという時に相手を仕留める力がすごい
>>411 当時の常陸には既に国井さんの先祖はいないよ。
そうなるとつながりがあるとおかしいって理屈になるね。
>>411 そのゴホゴホ言ってる杉本よりも国井景継なんて怪しい存在だろw
418 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 21:55:53.37
>>408 国井さんは柳生の演武を見て「あんなものは使えない」と言ってたけど、後で構えや動きの意味を聞いて、意味があったのにわからず批判してしまった、と恥じていたらしいよ。
燕飛の動作の分ける場所や名前は流派や分派で違うね。動作自体は似てるけど。奥山系統は直心も神陰も加藤田も夕雲も燕飛(猿飛)はやらないよね。共通してるのは三学だけかね
>>418 燕飛は無いけど猿廻や丸橋は有るね。
まあ、技の名称として残ってる程度だけど
勝口の部分。たとえば截合、太刀付けの部分では共通部も見えると思う。
むしろ柳生は奥に持っていった感がする。
国井さんの所は高曲などまで下で処理しているが
直心は大調子にしていたりね。
420 :
日本@名無史さん:2011/04/30(土) 22:39:42.95
ワンピースの刀くわえてる人
ああ、その人はつおい
423 :
日本@名無史さん:2011/05/01(日) 08:55:58.08
刀を咥えるなんて、なんて顎強いんだ!!尊敬するよ!!
>>399 国井さんのところの伝系は長沼の末流からだぞ。
神谷以前の分派なんて誰が言ってるんだ?
足利義輝
427 :
日本@名無史さん:2011/05/02(月) 12:24:41.50
>>368 調べてみたら神道無念流で有名な斉藤弥九郎や戸ケ崎熊太郎や岡田十松も農家出身なんだな。柳剛流の岡田奇良も農家?
428 :
日本@名無史さん:2011/05/02(月) 21:04:48.53
農民は足腰強いからな。案外実戦向けかもしれん。
戸ケ崎熊太郎、岡田十松、岡田奇良は埼玉県内の百姓出身
よくわからんが
>>368を晒し者にする流れになってるの?
431 :
日本@名無史さん:2011/05/03(火) 13:22:12.29
浅利又七がアサリ売りだったっていうのは創作?
432 :
日本@名無史さん:2011/05/03(火) 16:21:59.21
徳川吉宗じゃないかな
テレビで多分1000人以上切ってる
スサノオ
伝説が本当ならば…
調べてみたら油谷大吾朗が油屋の息子というのは、知られざる事実。
435 :
日本@名無史さん:2011/05/04(水) 15:29:39.35
>>433 伝説が本当でも騙し討ちだからな。ガチでやったらオロチさんが勝つ流れだよ。
源頼光もそだね。
作戦の上手さも強さの内だし、酒で眠りこけてるとはいえ、怪獣の首を切り落としていく何て生半可な腕と度胸では務まらない。
つまり剣の腕前以外の部分での高評価ということですね。
剣豪談義になると奇をてらって
>>433みたいなこと言い出すヤツいるよな。
アホのせいでとまっちまった
スサノオを擬人化したらヤバいだろ
もうその話はいいから。
引用忘れてた。
>2.を裏付けるように、國井大善の前代にあたる鹿島神流の第11代師範家までの系譜が
直心影流剣術と一致する。(これについて國井善弥は、第2代師範家の上泉伊勢守や
第4代師範家の小笠原長治や第7代師範家の山田一風斎らが鹿島神流を学んだことを秘して、
新陰流や真新影流や直心影流を開いたためと主張している)
>雑誌『極意』での國井家へのインタビュー記事において、武田惣角や植芝盛平も
鹿島神流を習った、との同席した國井善弥の高弟の発言が記載されている[2]が、
このような主張も鹿島神流関係者以外からは聞かれない。
それもどうかな、現在の直心を正当化しすぎてないか?
山田一風斎の師匠が高橋重治だけど、
高橋も相弟子の流儀に他流の混入が多いとして
自分の流儀を「正統流」とした人だからな。
じゃあ他の神谷、田村、安食、北条、松平の伝系は
あるいは小林、美濃部、永野の伝系はどうなのって事になる。
高橋が言うようにもともと分派や混入の多い流派だったわけだし
防具稽古がこれだけ発展しなければ高橋系も傍系扱いだったはずだから
ま、どっこいどっこいだね。
その正当かどうか疑問のある流儀の伝系をマルパクリしてるのが
鹿島神流だから。上泉が鹿島神流を習ったことを隠してたとか
よく信じる人がいるもんだな。
直心の伝書に鹿島神流ってしっかり書いてあるが?
それを国井さんのところが後付けで自流の名乗りにしたってだけの話じゃねえかw
直心の正当性は疑うくせにその伝書は鹿島神流の根拠にしようとするなんて都合いいですねww
450 :
日本@名無史さん:2011/05/08(日) 22:31:49.38
直心の伝書に鹿島神流と書いてあることと上泉が国井さんの家の流儀を
習ったことを隠していたなんて駄ボラの間には何の関係もないが。
剣豪将軍
直心の正当性も高橋の自己申告だけどな
453 :
日本@名無史さん:2011/05/09(月) 11:04:59.16
いくら直心を貶めてもその伝系をパクってる近代成立某流派の恥ずかしさは変わらないからさ。
むしろ直心を貶めれば貶めるほどその流儀も辱めることになるな。
ここは歴史板だぜ。
資料を出して語れよ。
まだ肯定する資料も否定する資料も出ていないと思う。
>>454 本気で言ってるのか?最強の剣豪って誰ってスレだぞ?
直心の伝書くらい検索すりゃ出るだろ。鹿島神伝とかのフレーズは
山田一風斎以前を遡り得ないよ。
で、国井家伝の鹿島神流はそもそも江戸時代にすら遡るものがない。
そういう流儀が自家の技を上泉が習ったけど隠していたとか手前味噌な主張したって
信じる理由がないよ。しかも国井家鹿島神流の伝系は直心の丸パクリだし。
てか直心も夕雲や柳生とずいぶん違くね?
458 :
日本@名無史さん:2011/05/16(月) 00:21:19.58
緋村剣心
実際の所よくわからんよね
有名な剣士同士の果たし合いもあんまり記録にないし
千戦無敗?
真里谷円四郎
一刀斎より強いと小野忠明のお墨付き?
伊藤忠也
以上もし本当なら最強かもしれん二人
四大流派の一つ神道流開祖日本兵法中興の祖
飯篠長威斎
四大流派の一つ新陰流開祖剣聖
上泉信綱
以上最強かどうかは別としても100% 確実に最強に近いクラスの強さな達人お二方
宮本武蔵を押す人がいないのは、有名すぎて恥ずかしいってこと?
結構名前上がってない?
足利義輝は、既出でっか?
464 :
日本@名無史さん:2011/05/17(火) 00:41:33.20
>>459 それこそ、宮本武蔵の巌流島くらいしかないよね、他流決闘の話って
あとは自分の弟子を立ち会いで負かして門弟にしたとか、実在したのかもわからん唐人十官やら梅津某やらをしばいたとか、そんなんばっか
吉原一門とも、具体的な内容は全く不明ながら、
果し合いが行われたと考えて問題ないのでは?
武蔵が人気なのって決闘の記録が沢山あるからかねー
高田吉次とどっちが強かったんだろうね、本当の所
塚原卜伝
ムソゴン
吉岡側の記録と武蔵側の記録では違うんだよね
武蔵側の記録だと吉岡は全滅したって書かれてるが、吉岡側の記録だと武蔵は決闘にすら来なかった、吉岡道場が無くなったのも単に人気が無くなったからと書いてる
「全滅した」吉岡側の子孫がいて、記録が残ってるのがおかしいよね、まず。
でも、当時超有名だった吉岡道場が、何の理由もなくいきなり廃れるのもおかしいし。
結局、吉岡の誰かが(当主かどうかはともかく)、武蔵に負けて、それで評価が下がって廃れた、
ってのが妥当なラインだろうか。
『続武将感状記』の「吉岡兼房与太田忠兵衛闘事」に書かれている
憲法禁裏暴れまわり事件が吉岡流断絶の原因じゃないのか?
473 :
日本@名無史さん:2011/05/17(火) 21:40:25.72
>>464 しかも実は梅津某に先に拳を打たれていたのを隠していたって説があるとかねw
吉岡記は恐らく司馬遼太郎が引用して以降から引き合いに出されるようになったのだろうが、
実際には吉岡記の記述ってかなり無茶苦茶だし、武蔵と吉岡の戦いで吉岡方の勝ちを伝えてる史料は基本的に吉岡記だけだろ
それに武蔵が吉岡に負けていたなら、伊織は顕彰碑で吉岡との決闘について触れないと思うんだよねえ
伊織は話は盛るだろうけど、あまりに事実を改竄するような事は書けなかったと思うんだよ。当時は吉岡との成り行きを知ってる人がまだかなりいただろうし
何より、二天記のような妄想日記とは史料の性格からして全く異なるもんだからな。衆目に発表してるわけだし
バガボンドが「一条下り松で討たれたのは吉岡道場の新当主だけど、吉岡一族の跡取りの子供じゃない」って
したのは、吉岡記と通説の間をとったのかなー。
>>474 けど、吉岡記以外は皆武蔵側の資料と言っていい状態だから、
やはり勝ち負けは分からないとするしかないと思う。
その中にも「先に打たれたという噂だが?」と武蔵が尋ねられる記録もあるし。
幕末みたいに公家の日記でも残ってればいいんだが。
まぁ、弱かったということだけはあり得ないよね。
政治的な背景があるわけでもなく、道場とかで門人が全国にいるわけでもない人間が剣の腕だけでメジャーになってるんだから。
478 :
日本@名無史さん:2011/05/18(水) 22:16:26.60
>>477 でも親父は結構有名人だったと言う話があるぞw
宮本武蔵の兄の嫁、つまり宮本伊織の母の理応院は小原城主のお姫さま
伊織の弟で、母親の実家を継いだ小原玄昌は禁裏典薬寮の法眼だぞ。
地方名士だから目立たないだけで、武蔵は普通以上に恵まれた出自だ。
徳川家に仕官できなかった場合の柳生一族並みには基盤を持っている。
夢想権之助との再戦の話って神道夢想流伝記が出典?
481 :
日本@名無史さん:2011/05/19(木) 06:55:36.78
岡田以蔵だとどっかのスレで。
482 :
日本@名無史さん:2011/05/20(金) 21:51:13.40 BE:4282400579-2BP(0)
>>479 でも、その程度の生まれの人は日本中にある程度いたわけだけど、
その中で剣で名を挙げた人は数えるほどしかいないわけで。
武蔵を虚名だという人は、ならなんで有名になったか、を説明できない。
483 :
日本@名無史さん:2011/05/20(金) 23:11:22.28
>>482 >ならなんで有名になったか
吉川英治の小説
吉川で有名になったんなら
五輪書も禅画も残ってないよ
誰を相手に戦っているんだ?
武蔵が当時から高名の剣客だったことまで
誰も否定してやいないだろう。
なんか武蔵の信奉者って
武蔵を必要以上にハングリーの塊で
何の後ろ盾もない最低辺の階層から剣の腕一つでのし上がったみたいにアピールしたがるんだよね。
禅画や学問の素養があったことや
養子の伊織を小笠原家へ仕官させたことからも
播磨・美作にもともと地盤を持っていたと考える方が自然だろうに。
487 :
日本@名無史さん:2011/05/21(土) 11:57:30.07
宮本伊織の小倉藩で4000石筆頭家老ってすげーな
>>487 吉川小説で有名になっただけ
って言ってるやつは武蔵の同時代や江戸時代の評価なんて何も知らんだろ
脳内で勝手に敵を作って息巻いてんじゃねーよ
戦国板のスレとかでも、吉川小説以前から武蔵は日本における強い男の代名詞だった、
とか主張されるとちょっと違うなって思うよね。
講談では仇討ものになってたんだよね。
新免vs吉岡の。
491 :
日本@名無史さん:2011/05/21(土) 21:28:34.88 BE:2175187384-2BP(0)
>>490 佐々木小次郎が親の仇、ってのは読んだことがあるな。
石ノ森章太郎の宮本武蔵。
小次郎の巌流島での実年齢って?
493 :
日本@名無史さん:2011/05/21(土) 21:33:33.59
若くて18
下手したら68〜78
494 :
日本@名無史さん:2011/05/21(土) 21:48:27.36 BE:4350374988-2BP(0)
年齢が高い想定は師匠が生きてた年代からの推測だけどね。
若い想定も根拠ないけど。
>>489 あのスレは前田慶次の信者が馬鹿すぎる
剣使いの武蔵と槍使いの慶次なら慶次の勝ちとか
剣術・武術を「実戦性の皆無なチャンバラスポーツ」と呼んで
チャンバラスポーツの武蔵が戦人の慶次に勝てるわけがない
とか中学生みたいなこと言ってるやつらだろ
「武蔵の功績は捏造・嘘ばかり」と何の根拠もなく否定してかかるくせに
石山軍記や花の慶次の慶次の活躍が史実だと思ってる
496 :
日本@名無史さん:2011/05/22(日) 13:15:51.90
>>495 慶次信者は論外、武蔵は江戸時代から高名。だけど武蔵は吉川以前から
日本における強者の代名詞であったわけではない。
論敵の慶次信者が馬鹿だから釣られて話を大きくしてしまうのかも知れないけど
どうか正確を期していただきたいなあ。
確かに司馬遼太郎や吉川英治の宮本武蔵は嘘ばかり
実際の武蔵は一貫して徳川方に付いていたし
流派は九州から北陸まで広く伝わり、近畿や江戸でも普及した。明治制定の剣道形にも武蔵流の技は取り入れられたし、古流として現代まで続いている
生活はセレブで、働かなくても各地の大名がVIPとして迎えてくれたので貧乏したことがない。生家は赤松家の重臣、新免氏であり、主家滅亡後は黒田家に迎えられ、多くの家臣に兵法を指南する役を担った武門の家柄
息子は皆高官となり、社会的地位も安泰。吉原で遊び、泉にも入った。
芸術家としても長谷川等伯、円山応挙らの作と同位の評価を受ける
流派が流行らなかったとか世間に受け入れられなかったとか、負け戦で落独活になったとか一生風呂に入らなかったとか、そんな事は全然なかった。
当世から他流の伝承にも名前が出てくる武術界の第一人者で、社会的にも経済的にも全く不自由せず、人生イージーモードのまま畳の上で平穏に往生した。
ただ、兄が理応院を迎えたにも関わらず、武蔵が嫁を取らなかったことを考えると、新免の主筋からは外れたのかも知れない。それだけは不幸だったかもな
>>497 江戸明治ですでに柳生十兵衛、荒木又衛門の向こうを張る剣豪、豪傑の代名詞だろ、武蔵は
武蔵はどこで武術を身に付けたんだか、よくわからない
多くの著名な剣豪は開祖レベルも含め修行した流派がわかってるが、武蔵は誰に師事したんだろう?
>>498 言葉が足りなかったかな。他を圧するとつけるべきか。
例えば吉川以後なら「○○の宮本武蔵」というだけで二刀流に関係なく
その分野の第一人者となっているが、それ以前なら例えば奥村左近太が
希代の二刀流剣士として有名になって明治の武蔵と呼ばれた例はあるけど
一刀の最強武芸者で武蔵になぞらえられた例はあるかい?
よく考えたら武蔵って諱?通称?東百官?
諱で武蔵って名前はさすがに・・・おかしい よね?
武蔵は通称
諱は玄信
政名は別人
ふつう、たけぞうってよまね?
>>500 國井善弥先生
>>502 しかし、当理流開祖として有名な新免無二斎が本当に武蔵の父親かは不明瞭だったりする。
史料のひとつには武蔵の生まれる前に既に没していると書いてあるものもあるでな
506 :
日本@名無史さん:2011/05/23(月) 08:58:12.72
宮本武蔵
vs
伊東一刀斎
vs
河上彦斎
vs
東郷重位
稽古を重ねるたびに
自分の未熟さを知らされる。
何年続けたら宮本武蔵に近付ける?
>>507 つか真剣での切り合いと竹刀での剣道は別物って事にしかならないと思うんだが…
逆に言えば武蔵だろうが伊勢之守だろうが防具つけて竹刀での現行の剣道ルールだったら
コテンパンにやられるんじゃね?
別に言えば武蔵だろうが伊勢之守だろうがまわしつけて現行の相撲ルールだったら
コテンパンにやられるんじゃね?
そういう事言ってんじゃないと思う
511 :
日本@名無史さん:2011/05/26(木) 14:58:00.04
だから剣豪の力を現代の剣道ではかるのは相撲ではかるくらい無意味ということだよ。
武蔵も悩みながら稽古したのかね
515 :
日本@名無史さん:2011/05/28(土) 23:46:58.00
中村憲剛
岸和田三十郎
517 :
日本@名無史さん:2011/05/29(日) 01:44:18.25
武蔵という奴は、剣術というか、
戦いが好きで好きでたまらんかったようだね。
だから、いろんな術とか、いろんな武器とか研究するのが
好きだったようだ。
だから、悩みながら稽古したのじゃなくて、
恍惚とよだれを流しながら稽古した、というのが正しいと思う。
だって、ずっと自分の好きなことやってたわけだから。
人に言われて稽古したわけじゃないからね。
五輪の書を読んでも、なんかすごく楽しそうに
研究していたんだろうなーって思う。
何かに打ち込んだことがある人はみんなそうだろう。
519 :
日本@名無史さん:2011/05/29(日) 15:26:27.24
>>517 武蔵は忍術とか軍学的な造詣はどうなんだろう?
520 :
日本@名無史さん:2011/05/29(日) 17:45:30.03
521 :
日本@名無史さん:2011/05/31(火) 17:19:14.08
これはあれだよ、トランス状態で書いたものだよ
ひふみ考に通ずるものがある
宮本武蔵って要は羽柴筑前のようなかんじだよね
諱は憚られるし、通称だとなれなれしくなってしまうような目上の人でないが、関係の遠い人の場合
筑前殿と言ったりするあれと同じでしょ
とくに江戸時代となると、武蔵守は徳川家に配慮して誰もが公式、私的にも使えなかったし
武蔵介さえも避けられていたんじゃないかな
羽柴筑前守秀吉の例にならうなら
宮本武蔵介玄信なんかな。武蔵掾、武蔵主典?
524 :
日本@名無史さん:2011/05/31(火) 18:33:12.44
>>523 武蔵国は親王任国だから守はなかったんじゃなかったか?
上総とかもそうだけどさ
太閤立志伝だと石舟斎あたりが
527 :
日本@名無史さん:2011/06/03(金) 09:22:28.73
新免武蔵守藤原玄信って自著で名乗ってるのに。
>>525 上野・上総・常陸あたりはそのケースだけど武蔵はそうだっけ?
山科言継卿は間違って大胡武蔵守とか書いてたの?
529 :
日本@名無史さん:2011/06/10(金) 13:27:56.58
幕末、薩摩の桐野利秋(人斬り半次郎)剣の腕前はどの程度だったんだろう?
連也斎は
531 :
日本@名無史さん:2011/06/24(金) 11:42:19.16
最強のマイナー剣豪って誰なの?
532 :
日本@名無史さん:2011/06/24(金) 16:24:35.38
足利義輝
本来剣を振るう立場でないにもかかわらず無駄に剣豪なので、最高の兜首ではあるがタイマンではまず討ち取れないであろう。
533 :
日本@名無史さん:2011/06/26(日) 02:02:21.18
大正期に立川文庫が武蔵を題材にした小説を書いてるし、江戸時代から武蔵物の歌舞伎が上演されてたそうだから、武蔵が吉川武蔵以前から有名だったのは確実だね
名は知られてないが強い剣豪は沢山居たろうね
やっぱり剣士ってのは逸話を残したり門弟を沢山作らないと名が知られない物だから
今時武蔵の江戸時代からの剣名と知名度を否定するのなんてよほど無知なヤツじゃないか?
ただ、その知名度が他を圧するようになるのは吉川武蔵以後というだけで。
>>490にも書いてるから読んでくれ。
これが吉川以前の武蔵ものの主流だ。江戸時代からの。
上泉の新陰流 一刀斎の一刀流
この二人より後に大流派は無しか
偉大だよなあ
537 :
日本@名無史さん:2011/07/10(日) 23:33:37.91
>>535 何が言いたいの?
それくらいは知ってるけどさ。
吉川以前の武蔵は、義に篤くてやたらイケメンで、なんかもうとにかく強いという完璧超人
そして佐々木小次郎は卑怯な手で父・無二斎を討ち果たした、鬼がわらの様な顔をしたにっくき壮年剣士
ひと昔前の時代劇のノリに近いが、浄瑠璃や歌舞伎、その読み本の中での宮本武蔵は大体そんな感じ
江戸時代の大衆一番人気の剣豪といえば、何といっても荒木又右衛門で、武蔵はその次くらいだった。その次に、荒木の師匠であった十兵衛
忠臣蔵の面々も非常に人気が高かったらしい
いずれにしても現代の強さをひたすらに求め続けたハングリーな挑戦者、という、吉川以後の武蔵とは異なり、他の仇討ものの豪傑らと大差ないような性格付けがされていたようである
また、同時代から既に決闘話や山籠りの最中に狼を斬った伝説のような武勇伝が創作されたり、絵画・書画にも通じる文武両道の剣聖、天下の達人と、偶像化されていた節がある。まあこの辺も他の著名な剣豪と似たようなもんである。絵画書芸に長じていたというのは事実だろうが
539 :
日本@名無史さん:2011/07/20(水) 10:58:35.30
ここは宮本武蔵を語るスレなのか?
そうじゃないなら、大石進でいいよね
郷土の英雄ということで、宇野金太郎を
ぶっちゃけ”剣”の時点でマイナーなんだけどね
んなわけがない。
江戸時代の剣以外の名人なんて、本当に数えるほどしか名が残ってないだろ。
戦国以前は単純に人間として強い、って人はいても、これこれの武術の名人として強い、
って名前の残り方はしてないし。
戦国時代から集団戦になって
長巻みたいな一対一では有利な武器はマイナーになってきたからね。
そもそも名人ってのが平和な時代の武術の芸化の現れだし。
ある程度話が進むと必ず出てくるメタ論者。
剣の時点でマイナーだろうがメジャーだろうが、最強の剣豪を考えるのに関係ない。
まぁ、剣はマイナーではないけどな。
なぜ剣術と弓術だけこんなに発達したんだろ?
刀は日常誰でも持ち歩きやすいから、護身用にも暗殺用にも最適。
庶民でも道中差とかで持ち歩けるし。
弓は的あての競技にしやすいので楽しい。
矢場とか庶民の娯楽施設だし。
やっぱ、裾野が広い競技が盛んになるよね。
じゃあ、誰が最強のバッターなの?
というのに似てるね、このスレ
不毛な議論はやめなさい
548 :
日本@名無史さん:2011/07/28(木) 20:55:25.38
>>547 それは承知の上での議論なのでご心配なく
リアル暴れん坊将軍・足利義輝
塚原卜伝の免許皆伝の腕前、門外不出の秘剣「一の太刀」も伝授された
当時の幕府は史上最弱の政権だったが、
将軍本人は殺人記録を持つ史上最強「人斬り将軍」
数千の適勢に囲まれた御所の寝所で、畳に何十本の名刀突き刺して仁王立ち、
甲冑で武装した20人もの鎧武者をバサバサと切り殺し、大立ち回りを演じた
剣聖は上泉信綱
剣豪は小野忠明
伝説は塚原卜伝
知名度は宮本武蔵
551 :
井戸魔神F ◆Tny1JrNujM :2011/09/12(月) 06:00:40.41
トゥバン・サノオ
眠狂四郎
>>508 そんなことはない。
割と最近まで生きていた鹿島神流師範家十八代・國井善弥は、剣道でも相手を子供扱いにしていた。
ある程度以上の人になれば、相手の動作の起点がすべて読めるし、瞬間的なスピードも
とんでもなく速いので、ルールの違いぐらいは大した障害にはならない。
554 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 12:34:40.36
鹿島神流wwwwww
このアホは、國井善弥を知らないのか
556 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 15:13:02.04
そりゃ知ってるよ。上の方で散々怪しいとかいわれてる
国井念流の人だろ。
それがどうかした?
流派の正当性の話は、この際どうでもいいんだよ。
なんらかの古流であることには間違いないんだから。
559 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 15:46:24.54
どうでもいいなんていうなよ。国井宗家は伝統ある流派の十八代目で
あることを誇っておられただろうが。
それをなんらかの古流なんて「古流か何か」みたいな言い方するなんてひどいなあ。
昭和3、40年代って、今の日本と違ってそうとういい加減で(戦前はもっとだけど)、
武術界も怪しいこと言ってる人やたら多かったしな。
今の韓国を笑えないぐらい。
今と違って情報がとにかく少なかったんで、なかなか疑われなかったし、古流オタみたいなのも
ほとんどいなかったんで、気にするやつも少なかった。
まあこのスレは強いかどうかを問題にしているわけで、捏造かどうかは二の次なわけだが。
>>553 なんかえらそうだけど、鹿島神流の宗家と師範家の違いも知らない人ですか?
このスレ、強いかどうかを語るスレだろう?
なんで正当性の話ばかりしてるの?
>>553は、こう直せば無問題
割と最近まで生きていた「古流」の國井善弥は、「現代剣道」でも相手を子供扱いにしていた。
ある程度以上の人になれば、相手の動作の起点がすべて読めるし、瞬間的なスピードも
とんでもなく速いので、ルールの違いぐらいは大した障害にはならない。
念流と言えば、津本陽の短編『孤独な武者振り』を思い出した。
当時、現代剣道しか知らなかった著者が、実際に経験した出来事を小説にしたものだが
その中に念流の続飯付のような技を使う年寄りが出てくる。
道場で大きな顔をしていた連中も、みんなこの年寄りに結局負けてしまう話。
なんで、
>>508ってことはないんじゃないかと思う。
よくこういうこという人がいて、一理あるんだけど、自分たちが下手なことの言い訳でしかないようにも見える。
「真剣でやりあえば現代剣道なんか」って言われても、じゃあ真剣でやりあおうなんて言ってくる相手はいないしね。
565 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 20:38:10.72
>相手の動作の起点がすべて読めるし、瞬間的なスピードも
>とんでもなく速いので、ルールの違いぐらいは大した障害にはならない。
どうなんかねえ?
真剣でも竹刀でもオールマイティと言うのは…
現実問題人間の反射速度には限界がある。
反射に頼っても差がつけられないからある程度博打うってスタートしてフライングになっちまったのがこの間のボルトの100m w
じゃあ経験に基づく「先読み」もルールや兵器の種類、あるいは様々な環境が違えば違ってくるだろうに…
真剣でも竹刀でもいかなる状況下でも強い達人と言うのは幻想のような気が…
566 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 22:16:59.61 BE:2718984858-2BP(0)
話がずれてるように思う。
>>508が「過去の剣豪でも現代剣道ルールなら勝てねえだろ?」ってのに対して
最近まで生きてた古流の人が剣道でも強かった、って例が上がってたんだろ?
なら、実際にどちらでも強い人がいたんだから、武蔵とかも現代剣道選手と
剣道ルールで戦っても強い「かもしれない」で終わりだろ?
実際に試すことはできないんだから。
反論があるというのなら、逆に古流の有名人に剣道の名選手が勝ったケースを
挙げるべき。仮定で反論しても意味がない。
>>565 もしかして、「反射速度」と「瞬間的なスピード」を同じ物と見ている?
全然指している物が違うだろ?
568 :
日本@名無史さん:2011/09/17(土) 23:10:49.27
おまえら日本刀所持してる?
所持してないやつは安いやつでいいから定寸の大小を早く買い求めろ
569 :
日本@名無史さん:2011/09/18(日) 15:57:06.82
安い刀って言っても健全な外装付きの刀だと25〜30万はかかるから厳しいよ
もしかして模擬刀じゃなくて、本当の刀のこと言ってる?
571 :
日本@名無史さん:2011/09/18(日) 18:31:42.45
日本刀って言ってるんだから模擬刀なんかじゃなくて日本刀だろ
いや大小そろえるとか言ってるしね。
そんなら30万なんかじゃきかないよ。
小だけで15万ぐらいするだろ。
573 :
日本@名無史さん:2011/09/18(日) 20:59:34.66
脇差なら9万で買った事あるよ
刀は20万以下はなかなか無いかもな
汚い脇差とかならビッターズで6〜8万円でよく出てるし
574 :
日本@名無史さん:2011/09/18(日) 21:12:33.66
>>570 模造刀で30万はないな
しかも安いのって書いてあるからなおさら
だから、もしかしてって言ってるんだろう?
つーか、スレ違いだと思うけど
576 :
日本@名無史さん:2011/09/19(月) 08:45:33.65
居合に使う刀って一様に肥後こしらえで樋入れされた刀身なんだが、あれは何故なんだろう?
樋入れした刀身って軽いからか?
>>568 前から知りたかったんだけど、大の重さってどれぐらいなの?
長さにもよるだろうけど。
両足で乗ってピョンピョンとべるあのスコップぐらいの重さだよ たぶん
>>577 刀の重量は長さや幅や重ねでそれぞれ違うよ。
同じ二尺四寸でも重ねが薄くて樋入れがある居合刀とかは軽いのが多いし、据物斬で使うような幅広で重ねの厚い刀はかなり重い。
最大公約数的でかつキリのいい数値で表すと
刃渡り70センチ、反り1,5センチ
元幅3センチ、先幅2センチ、元重ね7ミリ、先重ね5ミリ
刀身重量700g、拵えつけた抜き身の状態で1kg
鞘に収めた状態で全長1m
こんなとこかな?
樋が無かったり浅かったりすれば
もうちょっと重くなるかも。
なんか、模造刀と比べて、本物の日本刀はずっと重いみたいなことどこかで書いてたけど、
それじゃ大して変わらないな。
まあ模造刀って材料が千差万別だから、軽い材質のものしか知らないやつが書き込んだのかもしれないけど。
いや実際真剣は同じ大きさの模擬刀よりは重いよ。
材料の比重が違うから。
話が噛み合ってないように思うのは気のせいか?
584 :
日本@名無史さん:2011/09/21(水) 08:58:34.17
座る時刀の置き方を工夫したり、居合いなんて技術があったり
闇討ち不意打ちに備えるのも剣術ってイメージあるけど
当時の人が剣技を処世術って解釈してたなら
最強の剣豪は徳川家康だと思う
って考えた所で、多分お前らが言いたいのはそういう事じゃないって事に気が付いた
585 :
日本@名無史さん:2011/09/21(水) 12:50:19.41
俺は征夷大将軍・足利義輝公を推したい。
塚原卜伝からの免許皆伝、最後の時の鎧武者斬りまくり、まさに再起!
586 :
日本@名無史さん:2011/09/21(水) 12:54:15.25
↑
最強だた…画龍点睛を欠いちまたヨorz
ㄟ⁰ㄋㄟ⁰ㄋㄜㄝㄋ
588 :
日本@名無史さん:2011/09/21(水) 21:00:41.92
東郷重位 示現流は幕末も中村半次郎とか強すぎ
589 :
日本@名無史さん:2011/09/21(水) 21:08:46.48
勝海舟の父、小吉は 千葉、桃井等の棟梁が三人かかりでも敵わない程強かったらしい
590 :
日本@名無史さん:2011/09/21(水) 22:35:29.12
模造刀って買う意味あるの?
居合いの練習に使うだろ。
真剣なんて、道場に持って行こうにも無理だし。
職務質問されたりしたらアウト
592 :
日本@名無史さん:2011/09/21(水) 23:05:19.10
剣豪で強かった奴って全部身長高くて、身体的に優れた奴ばかりだよな
今の格闘技の強い基準と同じジャン
術なんか関係ねえんじゃね?
>剣豪で強かった奴って全部身長高くて、身体的に優れた奴ばかりだよな
どこが?
ちなみに幸福の科学では、佐々木小次郎とルシファーは一緒に地獄にいるそうだ
カルトは意味わからんな
それともただのアホか
595 :
日本@名無史さん:2011/09/22(木) 04:54:28.92
一体どう言う組み合わせだよwwwwwwwwww
596 :
日本@名無史さん:2011/09/22(木) 05:28:44.31
いっそ地獄でバトロワしてくれたら強さはっきりするな
つまり、佐々木小次郎は武蔵に敗れたのではなく、ルシファーを倒すために地獄に赴いたのだよ
小次郎=キリシタン説が山口県には伝わってたりする。
嫁さんの墓(と称されるもの)がキリスト教式だったり。
598 :
日本@名無史さん:2011/09/22(木) 07:48:35.75
居合の練習も本身でやってるよ。
刀入れに収納した本身を携行していて職質されたことないが無問題だろ。
いっぽう北海道では車に模擬刀を乗せていたら逮捕された。
601 :
日本@名無史さん:2011/09/23(金) 16:08:32.14
NHKBSプレミアム
「塚原ト伝」
これまでテレビ番組であまり語られる事の無かった戦国時代の剣豪、塚原ト伝。
そんな塚原右衛門(後のト伝)の生涯を描いた歴史ドラマがいよいよ放送。
この番組ではその魅力をたっぷりとお伝えします。
NHKBSプレミアム9月25日(日)18:45〜19:15
602 :
日本@名無史さん:2011/09/24(土) 00:52:49.34
>>596 つ「魔界転生」山田風太郎
まああの小説でも武蔵最強っぽかったなwww
地獄で戦っても死なないから
負けず嫌いは永遠に負けを認めないだろ
ドラゴンボールのアニメで大界王のところで全宇宙の死んだ武術の達人たちが
永遠に修行と戦いを続けてるって描写があったけど、
戦い大好きな人にとっては地獄も修羅界もヴァルハラなのかもしれない。
605 :
日本@名無史さん:2011/09/26(月) 00:22:44.40
>>593 千葉周作、山岡鉄舟、榊原鍵吉、柳生連也、宮本武蔵、針ヶ谷夕雲、伊藤一刀斎、他多数
書くのが面倒になるくらい180センチオーバーばかりじゃねえか!!
606 :
日本@名無史さん:2011/09/26(月) 03:32:02.57
タイマン
宮本武蔵VS岡田以蔵
俺もけっこう長い方かな ///
608 :
日本@名無史さん:2011/09/26(月) 11:12:24.72
>>605 身長2m超えの大石進は、168cmの白井亨にかなわなかった、というね。
まあ168cmでも当時にしたら高いほうだが、
いずれにせよ剣術ってのは、身長だけではどうにもならないのは確か。
609 :
日本@名無史さん:2011/09/26(月) 11:20:22.28
>>592 > 今の格闘技の強い基準と同じジャン
現代の格闘技ではそれこそ、「身長の高い人が強い」なんて観念はないよ。
合気道の開祖、植芝盛平は身長156センチ、
その高弟・塩田剛三も身長154センチくらい。
それでも、巨漢の相撲取りや西洋人含め、この人らを投げ飛ばせる人は
誰もいなかった、ってのは有名な話。
>>609 誰もいなかったとか言われてもその逸話自体幻想だろw
近現代なのにまともな記録すら残っていない。
611 :
日本@名無史さん:2011/09/26(月) 14:13:47.09
>>609 現代の格闘技の最先端では、皆高いレベルで技術を身につけてるから
高身長でリーチの長い選手が圧倒的に強いんだが
612 :
日本@名無史さん:2011/09/26(月) 15:20:57.79
と言うか空手だの柔術だの徒手空拳で戦う格闘技なら体格の差は絶対的なものがあるが
剣術の場合それが無いのでは?
いくら体格差があっても真剣は無論、木刀ですら当たれば大ダメージ食らうわけで…
兵器そのものに威力があると言うか…
まあスポーツ化すると体格大きい方が有利だわな。
急所を攻撃できなくなるんだから。
小柄を打ち投げるなんてこともないし。
あたりまえだろ。小柄<拳銃<自動小銃<機関銃<小火器<重火器<通常ミサイル<核ミサイル
とかになるじゃねえか。素手に限定しないと比較にならんわ。
>>611 >高身長でリーチの長い選手が圧倒的に強いんだが
×強い → ○有利
術なんだから、当然そういう相手に対する技もあるよ。
>>564にある続飯付とか。
>>612 >剣術の場合それが無いのでは?
無いということはない。
素手ほど極端に差が出にくいというだけ。
ただ、結局は間合いにどれだけうまく入り込めるかってことなんだよね。
槍と剣では、前者が圧倒的に有利。
ただ、いったん間合いに入られると、立場が逆転する。
手足の長さについても、武器術の場合ほどではなくても、似たようなことが起きる。
そのため中国の武術でも、昔から接近戦に特別の工夫を凝らしてきた。
>>610 >近現代なのにまともな記録すら残っていない。
そうそう、こういう人たちが投げ飛ばされた記録はないんだよ。
>>605 お前どうやって伊藤一刀斎の身長分かったの?漫画に書いてあった?
まあ手足長い方が有利なのは間違いないんだけど、
手足長い方が確実に勝つというわけじゃないからね、だから技術というものが今日まで持て囃されているわけで
昔ナジーム・ハメドというボクサーが居たんだが、
彼は同階級の選手と比べてもひときわ身体が小さく、手足も短かった。にもかかわらず、相手に先に攻撃を当てる事が出来た。体の使い方の妙だろう
>>605 柳生連也、宮本武蔵、針ヶ谷夕雲の身長の記録ってあったっけ?
兵法大祖武州玄信公伝来に身の丈八尺だと載ってるけど
加藤清正の例もあるよって、実際にどうだったかはわからんね
>>610-611 塩田剛三なんて、つい15年前くらいまで生きていたんだが?
「まともな記録」云々の話じゃなくて、現に生前の様子をまだ多くの人が記憶しているわけで。
まあ、誰もが塩田にかなわなかっただろう、とか思うのなら、それも勝手だが、
少なくとも現代の武道である合気道の世界では、「身長の高い人が強い」なんて観念はない、
っていうのは明白な事実。
ごく一部のものだけ取り出して、「現代の格闘技の最先端」なんていわれても困る。
ごめんw
>まあ、誰もが塩田にかなわなかっただろう、とか思うのなら、それも勝手だが、
→「誰もが塩田にかなわなかった」なんてウソだろう、とか思うのなら、それも勝手だが、
624 :
日本@名無史さん:2011/09/27(火) 04:01:53.71
現代の武道の話は置いておいて、
昔の剣豪の話で言えば、身長の高い人が多かったのは事実。
でも、大柄な剣豪が小柄な剣豪と戦って全く敵わなかった、っていう例も
多数あるのも事実なんで、
>>592のような主張は成り立たないね。
水野柳滴斎
どんな奴か知らないが
柔もやるということで
626 :
日本@名無史さん:2011/09/27(火) 19:54:20.28
三田の介秋重は?
塩田先生の逸話で有名なのはアメリカ大統領にあった時に、大統領に言われて立ちあった
大男のSPが一瞬でひねり倒されて、「今日は朝飯を食べてないんです」と言い訳した話かな。
大統領のSPを務めるぐらいなんだから、当然体術の訓練もしてて、体格で優越してても
塩田先生の技術に遠く及ばなかった、という話。
素肌剣術は竹刀剣術と違って、とにかくどこか切れば終わりなんだから体力で押しつぶす、
みたいな真似は難しいんじゃないかね?
サモ・ハン・キンポーがインタビューで「実戦では映画みたいに長時間打ち合うことはない。
一撃で勝負はつくよ」って言ってた。
628 :
日本@名無史さん:2011/09/29(木) 03:02:33.40
真剣に話しせんかい
629 :
日本@名無史さん:2011/10/02(日) 09:57:22.36
>>624 >昔の剣豪の話で言えば、身長の高い人が多かったのは事実。
多かったといえるほど昔の剣豪の身長なんてはっきりわかるもんなの?
>>622 でもそういう合気道の人たちって試合とか自由乱取りとかの場だと
力を発揮できないみたいですねw
631 :
日本@名無史さん:2011/10/02(日) 10:08:42.65
(身長高い)
大石進
山岡鉄舟
逸見長英
渡辺昇
↑
白井亨
男谷信友
↓
河上彦斎
(身長低い)
>>630 なんで? 合気道とかの「達人」さんは一般相手の自由組手でも圧倒的に強いよ?
つか、合気とか古式柔術の高位段者が総合とかに出たケースは無いと思うけど、
あなたは何の試合実績で語ってるの?
633 :
日本@名無史さん:2011/10/02(日) 18:04:07.99
>>632 合気道で自由乱取りなんかやってるなんて合気道SAくらいだろ。
あそこで達人が活躍しているなんて話は聞かんし、過去に身分を隠して
参加した他流の有段者が試合についていくスタミナがなくてバテバテになった
話をあそこの人間から直接聞いたわw
後はナイフ捕りごっこをやってる富木流くらいだな。でもあれは格闘とは違うし。
自由乱取りの意味わかってる?
>>630 競技組手の形式だと、どうしても有効打突面が一定になるし、要所要所で「やめ」が掛かって仕切り直しになる
だから一定時間動き続けるスタミナがないと戦えない、というか、そこのルールに対応していないと、力を発揮するのは難しいね
逆説的考えりゃわかる。空手や柔道を修めている人間が、合気道の道場で投げられたからと言って、合気道の方が強いという事にはならん
>>633 お前の証言だけで語られても、ソースにはならんと思うよ
大体、櫻井代表は剛三の弟子だし、一般的な意味合いでの「達人」の範疇に入る人間だと思うが
えーと、ここはどの達人が強いかを論ずるスレで、どの格闘技が強いかを話す場所じゃないよね?
最強は 如月右京太夫
直接対決したんじゃなきゃ、どっちが強いかなんて判らねぇよ。
アホクサ
失伝した技と進歩した技の、どっちが優れているか
宮本武蔵とか、今でいえば大学で武道武術教えてる名誉教授みたいなポジションだろうに
司馬とその後発の小説家たちのせいで、自称とか経歴詐称とか言われててかわいそうね
首刈り五平と言う百姓がいた。
17歳から戦場で戦い、57歳までの間に40数度の闘いに出て居る。
首を切る動作が独特でまるで稲を刈るがごとく首を刈る姿から「首刈り五平」と言われていた。
その強さから召し抱えたいと申し出た織田信長を前に、あさりと断り、年貢を免除して貰いたいと願い出た。
自分の申し出を断られ激怒した信長は斬りかかるも、五平は「やるならやんぞ!!」と怒鳴りあげ信長を震え上がらせたと言われている。
その後信長の領地で唯一年貢を免除された男として首刈り五平は有名である。
かの秀吉も五平を召し抱えようとするも「秋だし狩ろうかな」と言われて引き下がったと言われている。
五平が刈った首は100を超えていたと言う。
一体人知れずこの男はどれだけの戦功をあげていたのだろうかと武士達の間では伝説的な農民であった。
57歳の時、ついに五平は関ヶ原にて討ち死にした
鉄砲に頭を撃たれ即死だったという。
40数度の戦に出て、生き延びた首刈り五平。有名ではないが多数の戦をした男であり
戦国最強の一人である。
そのコピペはもう使い古されている
642 :
日本@名無史さん:2011/10/03(月) 03:17:51.69
コピペなんか?w
でもまあ人を斬るのは実際に人を斬ってこそ覚えられるものだろうというのは素人でも得心するところw
一刀斎が弟子が武者修行に出る際一言
「斬りを覚えよ」
とだけいったという話も後世の作り話かなんか知らんがそんなもんだろうなと…
それで言えば戦国時代から江戸初期まで人を斬りまくった経験がある人間が有利なのではと・・・
確かに、似たような事を長倉新八も言ってるし
高田又兵衛も宮本武蔵も「ただ“当てる”のとちゃんと“打つ”のは全然違うよ」って言ってる
でも、実際問題、ズブの素人がいきなり斬り合いの場に出て活躍したなんて事は皆無だろ
幕末でどんぱちやってた人間は皆どこそこの道場で剣術を学んだっていう連中だし
剣豪と言われてる人間も、大体は幼少期から家伝の兵法か偉い先生の下で基礎を学んでいる
第二次大戦で活躍した舩坂弘も、剣道と銃剣道の達人、素人のままぶっつけで実戦に出たわけじゃない
そういう背景がある以上は、技術体系の話を抜きにしては考えられんと思うが
勝負なんてのは、一度勝った相手でも、何度も対戦すればいつでも勝てるってもんじゃない。
真剣勝負なら、一度しか対戦機会が無いけどな。
だから、誰が強いか?なんてナンセンス。
誰が誰に勝ったか?それが全てだよ。
直接対決したことが無い者同士で、どっちが強いか?議論するだけ無駄。
だが、それがいい
平時における一対一の真剣による決闘での強さと
戦場での強さてのはかなり違うと思うわ
決闘の場合は情報収集能力、分析力、戦略、戦術が占める要素が大きいと思う
身体能力能力が劣っていてもそれ以外の部分でかなり補える
というかそれ以外の部分のが重要だと思う
良く言えば兵法家としての総合力の高い奴、悪く言えば狡賢いやつが有利なのが平時の決闘
対して戦場の場合は対戦相手は誰かもわからないから事前対策立てようがないし
戦場という環境では精妙な技術も使うのが難しい
こういう状況では単純に反射神経や筋力がものをいうと思う
シンプルに身体能力の高い奴が戦場では強いのではないかと
647 :
日本@名無史さん:2011/10/04(火) 02:00:46.80
と言うか合戦の場合メインは槍とか弓じゃね?w
戦場で強いってのは敵と味方の空気を読んで進退できるって事でしょう。
空気読まずに突出して無双する奴はいくら強くても死ぬ。
>>647 んなことドヤ顔で言わんでも皆わかっとるがなw恥ずかしいやっちゃな
戦は飛び道具と長槍を用いた集団戦が主ではあるが
個対個の白兵戦闘が全くなかったわけではないだろ
このスレはそのメインではないがそれなり行われていたであろう
個対個の直接戦闘の強さを論じてるんだよ
>>648 このスレで問われてるのはその種の強さじゃないよ
最後まで上手く生き残った奴が強いとかじゃなくて
AとBガチで戦えばどっちが勝つ?そういう単純な強さの話してんのよ
>>646 果死合いと戦場戦闘は別もんだわな
やっぱ最強決めるなら両方で高い実績のある人間てことになるな
そうなると上泉と塚原の二大レジェンド巨頭のどっちかてことに落ち着くわな
>>650 × 果死合い
○ 果し合い
直接対決が無かったんだから、そんな議論しても無駄。
652 :
日本@名無史さん:2011/10/05(水) 07:49:34.30
>>647 槍と弓だけってことはないけど。戦況によって何が最適か変わるだけ。
『一五五七年十月二十八日(弘治三年十月七日)付、パードレ・ガスパル・ビレラが平戸より
インドおよびヨーロッパの耶蘇会のパードレおよびイルマン等に贈りし書翰』
・市民は叛逆者が自邸或は田野において攻撃を受くるを見物す。双方まづ矢を放ち、更に近づきて
槍を用ひ、最後に剣を交ふ
>>651 無駄なことしたくないのに
なんでこんなスレ来てんの?
ここ無駄なことするところだよw
上泉とか塚原とか言ってる奴は、太閤立志伝で知ったんだろどうせ
ゲーム廚なのか
よく知らんがそんなの
直接対決してないんだからやっても無駄だよってかw
656 :
日本@名無史さん:2011/10/05(水) 19:58:01.35
>>654 パラメーター的にはどっちが上なんだ?w
>>656 数値的には1差で上泉の方が上
ただ、この二人は数値外の補正が掛かるから主人公キャラを同じパラメータまで育てたとしても、圧倒的に向こうの方が強い
だからゲーム上この二人は他を圧倒する最強キャラとして君臨している
パラメータ的にはこの下に一刀斎、石舟斎、勢源、武蔵と続くが、こいつらはチートかかってないから普通に倒せるし、強さ的にも大差ない
故にこのゲームから信綱・ト伝を知った奴は、高確率でこの二人の厨と化す。
流派の宗家になれる武人が強いのは当たり前だけど、一番強いかと言ったら、必ずしもそうじゃないよね
例えば極真で言ったら、マスよりも八巻や数見の方が試合ルールでの強さは上だろ、ほぼ間違いなく
実際に立ち会ってどうなるのかは知らんが
日ノ本十大剣王
剣聖 上泉信綱
剣豪 塚原卜伝
剣鬼 伊藤一刀斎
活人剣 柳生石舟斎
剛剣 東郷重位
人越剣 丸目蔵人
あと四人は?
パラメータ、数値、いずれもゲーム作者が勝手に決めただけ。
ナンセンス
662 :
日本@名無史さん:2011/10/06(木) 09:15:40.34
夢想権之助はもう少し強キャラの方が面白かったはず
武蔵のプチ相棒的な
鎌倉時代までは、武士の表芸は騎射だったわけで、剣術の流派が生じたのが室町初期のこと。
一番最初に成立したのは、念阿弥慈音による念流。
続いて創始されたのは、飯篠長威斎の天真正伝香取神道流、愛洲移香斎の陰流、中条長秀の中上流など。
まあ、この連中は別格だな。
665 :
日本@名無史さん:2011/10/06(木) 18:05:49.45
>>663 そういう伝説は知ってるが、史実はどうなんだろう?
南北朝当時の文献に慈音の名前が出るとかあるのかな?
最古の剣術伝書っていつくらい?
>>663 武士の表芸が騎射だったのはその通りだけど
剣術に限らず、諸武芸の流派が勃興したのは室町以降だよ
特に近世
>>666 剣術の流派が生じたのが室町初期のこと。
それが次第に発展したわけだ。
「室町以降」という言葉の意味は、当然室町も含まれる。
つまり、君の言ってることは
>>663 を追認しているに過ぎない。
668 :
日本@名無史さん:2011/10/07(金) 09:07:30.07
どこまで遡れるかといえば、弥生時代中期だな。
ただし文献の裏づけは無い。
福岡県のスダレ遺跡からは、磨製石剣の先端が胸椎に刺さったままの人骨が発見されている。
背後から貫かれて絶命した戦士の遺骨と目されている。
この他にも磨製石器の武器破片と一緒に戦死者の骨が発見されたケースが多々ある。
武器として刀剣が使われた以上、その扱い方に工夫を凝らす者がいなかったとは考え難いな。俺の私見だけど。
弥生後期に、青銅器、鉄器へと剣の素材が変化し、3世紀後半から4世紀末にかけての頃、最古の剣術が創始されたとの伝承がある。
伝承であるから、史実として証明されたわけじゃないけどな。
常陸の国鹿島神宮の祝部(はふりべ)、国摩真人(くになずのまひと)が「鹿島の太刀」を編み出したという。
戦士が背後から貫かれるなんて屈辱の死だな
>>669 文献の話とかしてるのに弥生時代とか意味不明だな。
念流とか鹿島の太刀とかじゃなくて現実的な話は出ないのか?
>>671 色々とマルチしてるけど元ネタは義輝スレあたりか?
>>672 考古学的資料があるという話をしているのだが?
誰が書いたか分からない文献なんぞよりも、よほど現実的だぞ。
中国の武術も、かなり古そうに言われてるけど、残ってる確実な文献だけを比べると、日本と大差無いんだよね。
そもそも中国四千年ってのが詐欺だし
日本と同じぐらいと言うと、400年?
>>676 > 残ってる確実な文献だけを比べると
その「残っている確実な文献」ってのはどういうものなのかな?
著者名、文献名、収蔵場所などだが?
>>675 12世紀の京・堀川に実在した陰陽師・鬼一法眼が創始して、鞍馬山の僧八人に授けたことから京八流といわれる。
と、いう伝説ですな。
さらに言えば、この8人の僧のなかの一人が牛若丸(源義経)であった、とも伝えられている。
だから成立は関東七流より後ということですな。
681 :
日本@名無史さん:2011/10/08(土) 15:57:08.70
武蔵と戦った吉岡の源流が京八流なんだっけ?
どっちにしろ、現代に伝わってないから詳細不明だな
>>683 >現代に伝わってないから
鞍馬流、中条流は伝わってるだろ?
>>679 明代には武術の記録がほとんど無いんじゃなかったっけ?
686 :
日本@名無史さん:2011/10/08(土) 20:57:17.35
>>674 考古資料があることと流派についての話はまったく関係ないからなあ。
何の答えにもなってないのと一緒。
>>684 鞍馬流は幕末にかなり編みなおされてるからちょっと残念な流派。
>>685 『単刀法選』とかあるじゃないか。倭寇から伝わった神秘の日本剣術の書ですけどw
>>684 中条流がどれくらい京八流の影響を残しているかがわからんだべ
剣術って、山伏が金剛杖を使う術から大きな影響を受けて生まれてきたって説が有力なんじゃなかったっけ?
>>687 それは明末だな。
すでに日本は江戸時代で、資料がわんさかある時代。
>>673 野生生物板での最強猛獣議論スレでの人間最強派がよく使う動画ですよそれ
史上最高 上泉信綱
史上最強 塚原卜伝
塚原卜伝の一の太刀って、どんなんだろう
>>693 幕末の剣豪・千葉周作が「ただ上段に振りかぶって、振り下ろすだけのもの」だと言ってる。
いろんな流派が、いろんな名前を付けてるけど、要は速さと正確さ・タイミングの問題だそうな。
上段って言っても、戦国期と江戸期では全然違うけどね。
なら「振りかぶって、振り下ろすだけのもの」でいいよ
結局、突き詰めるとSimple is Bestになっちまうって事かね。
全然違う
最強は天叢雲剣を持った日本武尊でしょう!
>>696〜
>>697 剣術の流祖なんてのは、運動は得意だけど学問はからっきしなわけよ。
だから得意技を伝えるにも、言葉じゃ上手く説明できないわけ。
もったいぶって技に大げさな名前を付けて、商売のネタにしてる面もあるわな。
免許皆伝の奥義書なんかでも、読んだだけじゃわからない説明しか書いてない。
具体的には実技指導で、なんて書いてあるだけ。
>剣術の流祖なんてのは、運動は得意だけど学問はからっきしなわけよ。
っていうより戦国時代には、術理をわかりやすく説明できるほど、日本語が成熟してなかったんだよ。
当時最高の知識人がそろってる仏教界でも、千葉周作のように合理的な文章を書ける人はいなかったわけだし。
なんで、例えを多用して、間接的に悟らせるような説明が多くなる。
703 :
日本@名無史さん:2011/10/09(日) 21:35:51.05
と言うか微妙な呼吸タイミングなんてどの道文字だけで表現するのは無理だろうに・・・
武蔵や千葉周作がどれだけ論理的に表現しようが無理だねw
>>700 >剣術の流祖なんてのは、運動は得意だけど学問はからっきしなわけよ。
単なる先入観で決めつけないように。
一つの流派の体系を作るのは、相当頭良くないと出来ないよ。
実際にはかなり雑な術理しかない流派もあるから、運動バカみたいな流祖もいるんだろうけど。
>一つの流派の体系を作るのは、相当頭良くないと出来ないよ
頭の良さにも、いろいろ種類があるわけでね。
剣術が上手いからといって、言語能力が優れていることになならない。
小説家が物理学に強いとは限らんのと同じ。
単なる先入観で決めつけないように。
>>706 >剣術が上手いからといって
だから、流派を開くのは、単にうまいだけじゃ駄目だってことだろうが。
小脳じゃなくて、大脳が発達してないと駄目なの。
>>706 おいおい、いろいろごったまぜにしすぎだぞ。
例えも分かったようでようわからんし。
自分の頭先に整理してから書き込んだらどうだ?
>>707 当たり前。
パトロンを得たりするには、それなりのテクニックも必要だからな。
だが、だからといって技の解説書を書く能力が優れているとは限らんということだ。
>>708 ほお?君にはわからんか?
頭が悪そうだな。
711 :
日本@名無史さん:2011/10/10(月) 06:06:14.30
下江秀太郎
ぷっ!
情報は只だと思ってやがる。
ぷっ!
金取れる情報だと思ってやがるwwww
715 :
日本@名無史さん:2011/10/11(火) 18:00:46.87
つまり
>>694は出典も出せないウソ情報ってことか。ろくなスレじゃないな。
涙目www
>>715 なんとか只で情報を手に入れようとする図々しい野郎ってことじゃん。
そんな手に乗るかい。阿呆め。
>>706 今ここで話題になっている能力は3種類。
A. 頭の良さ
A-1. 文章力
B. 運動能力
>>700が書いているのは、Bが優れている人間はAが駄目ということ。
>>705が書いているのは、AとBは両立するということ(A-1については何も書いていない)
>>709 君が書いているのは、A-1について。
話が噛み合ってないんだよ。
頭良いからって学があるとは限らない
宮本武蔵を弱いという奴はだいたいニワカ
716と719しか書き込んでないが?
724 :
日本@名無史さん:2011/10/13(木) 14:32:20.95
>>717 お前がウソをついているかどうかに興味があるだけ。
725 :
日本@名無史さん:2011/10/13(木) 14:50:20.11
塚原卜伝でしょう、強さのその上に達したこと、長命だった事がそれを
物語っています。
その理論ならうちの爺さんだな
鬼のように強くて来年97歳だし
730 :
日本@名無史さん:2011/10/14(金) 00:19:10.28
>>694 んで、夢想剣は千葉周作はなんて言ってんの?
731 :
YAP?:2011/10/14(金) 00:28:59.59
兵法〜武道の大流派の改組と言うのは、実際にある規模以上の豪族に近い武士のことが多い。
上泉伊勢守、柳生石舟斎、塚原卜伝など皆そうだ。
結局、戦国時代の兵法家の試合と言うのは、今のような個人戦では無くて、団体戦のような物だったのだろう。
そうなると、一族とか主従とかいった運命共同体単位で、名を挙げることになる。
開祖よりも、側近の高弟のほうが、実際には強かったのだろうな。
ついでに、佐々木さんの燕返しって、本当にあったのですか
また、どんな技ですか
燕掴んでぶん投げる技
>>731 ただたんに、名前が伝わりやすかったってだけじゃねぇの?
兵法のもともとの意味は兵(つまり下っ端のヤツラ)が使うワザってことなのよ。
「孫子の兵法」なんていう場合の兵法とはニュアンスが違うわけよ。
だから集団のカシラは兵法なんかには無関心なことが多かったわけ。
いくさ上手と言われた連中は戦術には関心があっただろうけどな。
戦国武将でも、孫子の兵法を知ってたのは、武田信玄などごく一部。
単身で、日本刀で、最多人数を殺傷した奴が「最強の剣豪」だろうな
で、ワシは 足利義輝 を推すよ
都井睦雄の勝ち
いいや、南京の日本兵。
739 :
日本@名無史さん:2011/10/16(日) 02:26:34.50
>>732 最大奥義を気のせいだと?
気のせいで、ただ剣を振るだけか?
ワシの青春かえせ!
740 :
YAP?:2011/10/16(日) 02:45:37.32
佐々木岸柳(巌流)の秘太刀というのは、確か「虎切」とか「献追」だか「献枝」だかでは
無かったかな。綿谷雪氏の本に載っていたのだが、今本棚を探したが、見つからなかった。
「燕返し」と言うのは、講談ネタが元だろうが、陰流、新陰流その他に、「猿飛」「猿回」と言う
業(技)名あり、「猿」と「燕」が音通で「エン」で、時に「燕飛」「燕回(廻)」等とも書かれるので、
「燕返し」と言うのは、「燕廻」を訓読みしたのかもしれないな。
佐々木小次郎の名は『二天記』に出てくる。
『二天記』というのは、宮本武蔵の伝記。
著者は熊本藩の陪臣、豊田正剛ら。江戸中期に書かれたもの。
それによると、小次郎は富田盛源のもとで中条流を学んだという。
実像はよくわからない。
現在流布している佐々木小次郎のイメージは、吉川英治が創作したもの。
ああ、ちなみに小次郎が編み出した技の名前は「一心一刀」。
このワザが「ツバメ返し」と同じものかどうかは不明。
>>733 あらかじめ自分の前にある牌山の中に聴牌又は和了となる牌をまとめておき、隙を見て牌山と手牌をすべて入れ替えてしまう技。
最強は小島武夫だったが桜井章一にとって変わられた
>>733 武士や忍者が敵から身を守るために、素早く畳を叩き反動で衝立のようにする動作のこと。
746 :
YAP?:2011/10/17(月) 12:14:20.39
佐々木巌流(小次郎の名は良質な史料では確認できないので使用を控える)の流系については、
中条流⇒富田流の系統なのか、それとも戸田清玄の戸田流なのかはっきりしない。
戸田清玄も綿谷説だと、初代、二代目と2人おり、初代は、外他流つまり鐘巻流の開祖外他道家(だと思う)
つまり鐘巻自斎の弟で、新陰流の上泉伊勢守の四天王の一人で戸田流を開いたと言う。
二代目はおそらく初代の子で、同じく上泉門下四天王の一人疋田文五郎の門下だったと言う。
従って、戸田流には、中条流と新陰流両派がmixされているわけだが、当時の流派は皆同様の
mix状態にあったものは多いから、技名からは流系の見当はつきかねるが、
個人的には佐々木巌流は、初代戸田清玄の門下ではないかと思う。
戸田清玄には、戸田清眼とか、戸田清喜とか、どうもそっくりの名が多く、史料上の混乱は
ひどいものがある。
巌流は、確か鳥取藩に流系が伝わっていたはずだが、それでは宮本武蔵は佐々木に敗れて
弟子入りし、門人となって秘太刀(前にあげた献○とかだ)伝授後に、佐々木を暗殺したとか
言う話になっていたと思う。
747 :
日本@名無史さん:2011/10/17(月) 16:08:14.65
固定で自説を長々と書く人はホームーページでもやればいいのにって思うわ。
>>744 武ちゃんは実績でも人気でも哲さんを超えてなかったと思うが。
749 :
征天皇大将軍:2011/10/18(火) 03:00:19.26
足利义辉
750 :
日本@名無史さん:2011/10/18(火) 08:21:37.54
>>749 自分の国の伝統文化を自分の手で滅ぼしちゃった国の人が何か書き込んでるのかな?
751 :
YAP?:2011/10/19(水) 11:55:24.73
自説部分は少なくて、殆ど綿谷氏の本の受け売りだ。
まあ、戸田清玄の弟子ではないか?と言うのは、綿谷氏の説とは言い難い。
氏の膨大な史料蒐集で、相矛盾する伝書や伝承類を、どのように解釈するかあが、
氏は必ずしもも結論を出しえいるわけではない。
鳥取藩か何かの巌流の伝承者の伝えた話と、『二天記』など武蔵側の話が、
狗食い違うのは当たり前だろう。
宮本武蔵に費えも、肥後の『二天記』Tom養子の宮元伊織の一族の伝承とでは、大きな
相違があることぐらいは、常識だろう。
勿論、『二天記』の方が少なくとも武蔵の家系については、誤謬が多いことは、皆
ご存知のとおりだ。
>>751 君さあ、「書き込み(W)ボタン」をクリックする前に、いちど自分が書いた文章を読み直したほうがいいぞ。
誤字やタイプミスが多すぎるぜ。
こういう投稿自体に慣れてないことがよくわかる。
おじいちゃんなのかな?
慣れてるとか慣れてないとかの問題じゃねぇよ。
ちゃんとした文章を書く能力があるかどうかの問題だわさ。
755 :
日本@名無史さん:2011/10/19(水) 20:04:03.34
つか、日本人なのかな?
ハングル変換のキーボードなんだろうな
海外の剣術マニアが書き込んでるとかなら面白いけど。
758 :
日本@名無史さん:2011/10/20(木) 18:26:30.26
夢想剣について誰か教えてくれ〜〜
>>758 1ヶ月ほど禁欲していると、夢に女神様が出てきて秘所をご開帳してくださるのじゃ・・・
これは夢精剣じゃったの、ほほほ。
>>758 修練を積むと、いちいち頭で考えなくても体がとっさに反応するようになる。
剣術に限らず、どんなスポーツでも起こる現象だ。
それにもったいぶって「夢想剣」と名付けただけ。
払捨刀について誰か教えてくれ〜〜
>>761 やられるとキエーと奇声をあげながら、相手の懐にもぐり込んで喉に貫手を入れるんじゃ・・・
これはブッチャー刀じゃったの、ほほほひ。
763 :
YAP?:2011/10/20(木) 23:00:41.67
繰り延べていた年金をこの10月14日から、貰いだした国家公務員歴も
4年半ほどあるれっきとした日本人なのだが、アナログ人間で、おまけに
視力低下が著しく、英文はもう殆ど読めなくなった状況だ。
その上、PCが不調で、打鍵した文字をしばしば、拾わないので、変な
変換が起ってしまう。
一応書き込み前に、チェックするし、読み直しもしているのだが、
疲労して来ると画面が霞んで、見落としが出てくるのだ。
まあ、何とか察してくれ。歳の分だけ本の類は、沢山読んでいるのが、
まあ、とりえだ。
マジで年配の人か。ブログ形式だったら簡単に作れるから
個人サイトを持つ事を勧める。こんなところでゴチャゴチャ言われるより
マイペースでやりなよ。
荒木又右衛門はどうかな
手裏剣なげるし
小刀を投げるのはありふれた手段だが。荒木が投げたのってどんな状況?
出典とか頼む。
>>55アンチ近藤の阿部十朗が「実戦だったら榊原より近藤の方がたぶんつえー」っつってんだよ
普通、小刀は投げないだろう。
小柄のこと?
銭形平次じゃねぇけど、いざって時にゃあ、投げられる物ならなんでも投げりゃエエだに。
砂なんか、案外効果的だぞ。
固めの糞とかな。
>>768 大小二本のうちの小ってことでそれを投げるのは二刀流における
常套手段で剣術伝書にも書かれているが。
中国に渡った日本刀術の書である『単刀法選』にも大刀に
見せかけて小刀を投げる技が収録されている(「蔵刀勢・飛刀勢」。
では投げないって根拠は何?
現実問題、重さもない上、投擲向きに重心が配慮されているわけでもな小柄は
投げるのに向かない。確かに何でもいいから投げりゃいいという状況下において
選択されることはあるだろうが、脇差しや短刀の方が遥かに殺傷力を期待できるだろうな。
>>770 >では投げないって根拠は何?
一対一で、十分に相手を引きつけた後という限定的な状況なら、脇差しを投げることも
合理性があるけど、一般的な状況では無い。
まず第一に、非常に高価だから。
次に、元々投げることを想定して作られてないので、重さのバランスが良くない。
かなり近くからなら、相手に致命傷を与えることも可能かもしれないが、
ちょっと離れた相手に対して使う武器としては、かなり不適当。
つか、4mの間合いがあれば相手の上半身に脇差しを投げつけて(傷を与える必要はない)
防いで構えが崩れた隙に飛び込んで斬るのは有効だろな。
「一刀流兵法目録」
無一剣(有馬流極意)○両刀にて脇指を投付、刀にて陰より打込なり。
ああ書き忘れたが、抜いて投げるのは論外で相手に飛び込まれてしまう。最初から二刀抜いて
持ってる場合な。
二刀を使う流派だと、そういう技を考えたくなる気持ちはよく分かる。
実際に、使ってたかどうかは二の次として。
少なくとも高価だから投げないなんて現代人が考えた噴飯物の理屈よりは
一刀流の伝書の方が信用できるねw
>>772 投げた脇差しが、傍らの石に当たって刃が大きく欠けてしまったら、
無茶苦茶ショックだろうな。
対面保つために、大枚はたいて買ったのに研ぎに出してもどうにもならないし。
新しいの買う金なんてあるわけないし。
ましてや、何人かいる相手に向かって投げた後に、拾って持っていかれでもしたらw
苦しい理屈をなんとか笑いに持って行きたいのかな?
大体戦国武士は自分で研ぐための砥石も携帯していたんだけどね。
782 :
日本@名無史さん:2011/10/22(土) 21:24:19.02
>>780 わかるのは両刀に構えて脇差しを投げ、相手が怯んだ隙に大刀で
かかるってことだろうね。新陰流の二刀打物という型で打太刀側が
やはり脇差を投げるからそれを自分の目で見て参考にしたらどうだろう?
「柳生新陰流を学ぶ」
P195
二刀打ち物(にとううちもの)
@打=二刀(右手・脇指、左手・太刀)に構える
使=車に構え待つ
A打=二刀とも右肩上に上げ、脇指を使太刀の人中路(体の中心)に
向かって真直ぐに投げる(投げ剣)
○投げた後、右手は太刀に添え、攻撃に備える
使=車から右足を踏み込んで左拳を砕くように打つ
http://www.s-t.jp/column69.html また「単刀法選」には「飛刀勢(ひとうせい)」という小刀を投げる動作が出てくるが、
影流の流れを汲む柳生流(新陰流)の「燕飛(えんぴ)」という型にも同様の動作が含まれている。
神道流系の有馬流にも、それを他流勝の太刀に取り入れた一刀流にも
そして↑の新陰流にも普通に知られていたってことだな。
784 :
日本@名無史さん:2011/10/22(土) 21:55:51.22
>>760 ありがとう、現代の千葉周作さん
ところで八寸の延金ってなんですか?
白井亨が復活させたらしいけど無敵の技法みたいですし
>>778 >噴飯物の理屈
別に噴飯物ではないと思うがな。
確実に回収できる状況じゃないと使わない技だという推測には役立つから。
>>781 >大体戦国武士は自分で研ぐための砥石も携帯していたんだけどね。
>>779が書いているのは、研ぎ屋に出してもどうしようもならないってことだろ?
携行用の砥石では、欠けた刃の修復なんてとてもできないよ。
>>771 >重さもない上、投擲向きに重心が配慮されているわけでもな小柄は
俺、古流の手裏剣術やってたことあるけど、真剣の脇差しは投げるには重すぎると思うんだけどな。
実際に持ったこと無いし、ましてや投げた事なんてないけど。
手裏剣代わりに、(手裏剣に比べると)重めの鉄の棒で練習した話を先生にしたら、
「肩壊すよ。」
って注意されたぐらいだし。
刃を立てるつもりが無ければなんでも投げられると思うけど。
別に投げつけた脇差で相手を殺傷するのが目的じゃないし。
中国拳法の達人の人のインタビューで「喧嘩ではとにかくその辺にあるものを投げる。
その辺に止めてある自転車はくるくる回りながら飛んでいって大勢巻き込むからいい」
ってのがあった。
これもそれで倒すのが目的じゃなくてとにかく敵に隙を作るのが目的だよね。
自転車が当たったら怪我はするだろうけど、それで戦闘不能にはならないだろうし。
要は奇襲みたいもんでしょ。
>>772も、それは認めてると思うけど。
>>788 >真剣の脇差しは投げるには重すぎると思うんだけどな。
日本刀は重さは10kgあるし数人切ったら使い物にならなくなる。
だから戦場では常にサブウェポン。
>>790 奇襲というか二刀を相手にするときはこれに注意せよ、とされたくらいのセオリーですよ。
歴史小説はたくさんあるけど、やはり武蔵を倒した柳生さんじゃない
出典はジュリー
『三河物語』にも槍を投げる場面があるし、奇襲的に色々物を投げたりは
してたんじゃないかな?
伝奇小説だろそれ
>>794 鉄砲が普及するまでの合戦では、弓矢についで、石つぶてが主要な武器だった。
槍・刀での接近戦は案外少ない。
10kgの刀っすかw
>>796 もしかして、ネタ元は「日曜歴史家」鈴木眞哉?
>>787 これはいくらなんでもインチキじゃないの?
なんか都合良く大刀を左手に、右手に小刀を持ってるけど、普通は逆でしょ?
で、真剣だったら、投げる前に頭の上でこんなにくるくる回そうなんて思わないよ。
朝倉家の真柄さんじゃないの?<10kg
ただ、あれの場合、血糊で切れ味が鈍ってようが、殴られただけで死ねるよね。
>>792 そもそも、二刀使い自体が超マイナーなんじゃ?
>>799 インチキくさいよな。くるくる回せば投げますといってるようなもので相手は離れていくだろう
と思う。その場合、相手の構えの崩れを狙って斬り込むのができなくなる。
>>794 >『三河物語』にも槍を投げる場面があるし、
槍は形状的に投げやすいだろ。
ネックは重量だが、軽いものならなんとか。
>>789 新陰流は確か直打ちで、刃が相手に垂直に刺さるように投げたはず。
なんで、せいぜい2mぐらい先の相手にしか使えない。
>>779が言うように、刃を損傷するような技はまずありえないと思うよ。
>>778 >現代人が考えた噴飯物の理屈よりは
伝書の妄信は危険だよ。
江戸期の真剣がまったく使われなくなった時代になった後に書き加えられたり
しているものもあるんで、ちゃんと古流の経験がある人間が、武器の特性を
考えて、実現可能か検証する必要がある。
脇差は確かに高価なんで、手裏剣のように無くしたり、損傷したりしてもいいというような使い方はしないと思う。
結局小刀を投げるのは「斬りつけ」だと思うんだよな。「斬りつけ」というのは相手の構えを崩す
ことで、一撃で致命傷を与えなくとも刃が額をかすめたり指をちょっと斬ったりするだけで、相手は
構えが崩れておたおたする。そこを深く「斬り降ろし」て仕留めるという発想。
>>805 >伝書の妄信は危険だよ。
>江戸期の真剣がまったく使われなくなった時代になった後に書き加えられたり
小刀を投げる技は一つの流派ではなく色々な流派に伝えられているからその解釈の方が無理だわ。
>>804 で、大久保彦左衛門のころの槍はどれくらい軽いんでしょうかね?
>>796 前に戦国板に貼ったものだけど、烟田(かまた)文書(京都大学総合博物館所蔵・『鉾田町史中世資料編 烟田史料』所載)から
手柄や受傷など、それが白兵戦によるものか遠距離戦によるものか、不明かを分類してみた。
白兵戦:9件
「二九 塙政茂軍忠状写」
手柄:怨敵三騎を討ち捕え(白1)
「四二 烟田時幹軍忠状写」
手柄:家人井河又三郎幹信御敵一人を切り落とす(白2)
負傷:家子鳥栖太郎三郎貞近右小膝を切られ(白3)
「四四 烟田時幹軍忠状写」
手柄:家人富田左近允信之、御敵の頚を捕りおわんぬ(白4)
「四五 烟田時幹軍忠状写」
手柄:鳥栖太郎三郎貞親壁を切り破り、城内に責め入り、散々に合戦を致し、切り捨てせしめおわんぬ。(白5)
:同じく若党富田次郎太郎信行、同じく城内に責め入り切り捨ておわんぬ。(白6)
「九四 烟田幹胤軍忠状写」
手柄:(飯田民部丞)前浜の御合戦において太刀打致し(白7)
:武者一騎切って落とし、頚を捕らんと欲するところ、御敵堕ち重なる間、押し隔てられ分捕れざるの間、証拠として腰刀を捕りおわんぬ。(
白8)
負傷:飯田民部丞御不審の刻、乗馬を切られ(白9)
遠戦:4件
「三四 烟田幹宗・時幹軍忠状写」
戦死:旗差弥次郎男射殺されおわんぬ(遠1)
「四二 烟田時幹軍忠状写」
負傷:(家子鳥栖太郎三郎貞近)同じく乗馬を射らるる(遠2)
「四四 烟田時幹軍忠状写」
負傷:旗差別当三郎国重左肩を射られおわんぬ(遠3)
「一一四 烟田幹胤軍忠状写」
手柄:日々矢戦仕る。(遠4)
不明:8件
「二九 塙政茂軍忠状写」
戦死:山本四郎義長討ち死に(不明1)
「三四 烟田幹宗・時幹軍忠状写」
戦死:家人鳥栖彦太郎幹安討死におわんぬ(不明2)
「四五 烟田時幹軍忠状写」
負傷:若党新堀修理亮公夏右脛に疵を被りおわんぬ(不明3)
「七一 烟田重幹軍忠状写」
負傷:家人小高根三郎左衛門尉・塙衛門二郎疵を被る事(不明4)
「七五 烟田重幹軍忠状写」
負傷:切岸において合戦、若党鳥栖式部丞疵を被りおわんぬ。(不明5)
「九四 烟田幹胤軍忠状写」
負傷:(前浜の御合戦において太刀打致し)若党松山左近将監疵を被る(不明6)
「一○六 烟田幹胤代胤幹軍忠状写」
負傷:城責めの時、最前に切岸に上り、合戦を致すの間、家人小高根左衛門四郎疵を被るの条、(不明7)
「一一二 烟田幹胤軍忠状写」
負傷:庶子上谷田疵を被りおわんぬ。(不明8)
以上、『烟田文書』として伝わるうちに、内容の重複しない軍忠状は17件。
ただし「五五 烟田時幹軍忠状写」「五九 烟田時幹軍忠状写」「七七 烟田重幹代井河信吉軍忠状写」
「八一 烟田重幹軍忠状写」「八三 烟田重幹軍忠状写」「一○三 亀谷田胤幹軍忠状写」からは
手柄や受傷などの情報を得られなかったので、それらを除いた11件が今回のサンプルということで。
>>805 >脇差は確かに高価なんで、
命とどっちが高いかだよな。
日本三名槍
御手杵・・・室町、穂4尺6寸(138cm)、全長7尺1寸(215cm)
日本号・・・室町?穂2尺6寸1分5厘(79.2cm)、全長10尺6分余(321.cm)、総重量2.8kg
蜻蛉切・・・戦国、穂1尺4寸(43.7cm)、茎1尺8寸(55.6cm)、重さ498g
柄は長さを変えて付け替えて戦うことができる。蜻蛉切で有名な本多忠勝はそうしていたようだ。
短い槍ならそう重くはないだろう。
あと投石は一般的な戦闘行為だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B0%E5%9C%B0
>>799 心形刀流の三心刀だろこれ。
複数の流派の伝書や形に剣を投げる形があって
たとえば小倉碑文にも武蔵が投剣をよくした事が書かれているのに
剣投げなかったよ派の根拠が「俺はそうは思わない」じゃ説として成り立たないよ。
>>813 印字打ちくらいは知ってるけどそればかりが中心で
白兵戦が行われないような意見を否定しただけだよ。
で、忠勝は槍を投げたりしたんですかね?なんか脇差は投げると刃こぼれの
恐れがあるようだって話だけど、槍は大丈夫なの?
816 :
日本@名無史さん:2011/10/23(日) 09:47:17.15
>>814 高価だから、とか投げるには重そうだから、という確固たる根拠が
あるじゃないですか!
>>815 忠勝は槍は投げないだろ。ww 日本に投擲に特化した槍があったとか聞いたことがない。
しかし乱戦の中でとっさに投げた場合はあるかも、くらいは言えるだろ。
799 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2011/10/23(日) 07:40:17.56
>>787 これはいくらなんでもインチキじゃないの?
なんか都合良く大刀を左手に、右手に小刀を持ってるけど、普通は逆でしょ?
で、真剣だったら、投げる前に頭の上でこんなにくるくる回そうなんて思わないよ
http://www1.ocn.ne.jp/~masaki-o/thesis1.html この中で注目したいのは三心刀である。この構えは『二刀流を語る』によると、「短刀を頭上に廻轉して進み、
敵の氣たるむ機を見て短刀を敵へ投げつけ、投げると同時に長刀にて敵の胸板を突く、この構は短刀を右手に長刀を
左手に持つ逆二刀の構である」15)と説明している。この三心刀は、短刀を投げるという点と、通常の構えとは異なる
逆二刀をとっていることが特徴的である。
>>815 槍を投げることはあった。
なぜなら犬槍という名前がついてるから。
しかしこれをやると周囲から臆病者とバカにされる諸刃の刃。
ま、素人は大人しく打根や手突槍でも投げてなさいってこった。
>>819 『三河物語』で双方槍を投げあったとか投げ突きにしたとか書かれているのを見ると
現実にその観念があったのかどうか疑わしく思う。『甲陽軍鑑』などではなく
戦国時代当時の史料から拾ってきてご教示いただきたい。煽りじゃなくて本気で知りたい。
↑「犬槍」の観念ね。文献上の初出は本当にいつなのかを知りたい。
822 :
805:2011/10/23(日) 18:19:23.07
>>807 よく読め。
投げることについては肯定している。
伝書については、一般論として批判的に読む必要があると言ってるだけ。
古文書全般、なんだってそうだろうが。
>>812 だから、兼ね合いだろ。
消耗品のような使い方はするわけがない。
天下五剣
童子切安綱 刃長79.9cm・反り2.7cm
鬼丸国綱 刃長78.2cm・反り3.2cm
三日月宗近 刃長80cm・反り2.7cm
大典太光世 刃長65.75cm・反り2.7cm
数珠丸恒次 刃長81.1cm・反り3.0cm
>>824 だったらそこに書かれた長刀ってのは薙刀かよボケw
長短であらわしてるだけだろ。
>>818 心形刀流って、江戸期のかなり太平になってからの流派でしょ?
竹刀とか木刀しか想定していない気がするけど。
>>827 気がするとか思うとか、お前はそればっかだな。
心形刀流って伊庭八郎でしょ? 戊辰で活躍しまくった伊庭八が真剣を想定していなかったって変だろ。
つか、道場剣法と揶揄された江戸時代発祥の流派が幕末で実戦で活躍してることを考えれば、
「道場剣法」だから真剣での戦闘を考慮していない、って主張はおかしい。
自分じゃ何一つまともな根拠も上げず、文献を引くわけでもなく
思うとか気がするばっかw
ニュー速とかvipとかなら勝手にしろって思うけど、ここは何の板だよ?
くるくる回すのって、心形刀流だけ?
なんというか、戦国期の剣術の話だったのに、いつの間にか江戸期や幕末期について話されているね。
戦国期の記録はかなり限定されるから仕方ないけど、参考にしていいのは江戸初期までまででしょ。
いずれにしろ脇差しや小刀を投げる術は様々な流派に知られた二刀流における一つの
セオリーってことだけは間違いないようだな。
小太刀を投げる投げないという話で
宮本武蔵―竹村頼角の名前がここまで出てこない件
836 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 02:14:05.89
武蔵の逆二刀も武蔵が左利きと言う根拠だっけ?
左利きの武蔵にとって投げるのは左手に持った小刀と言うことで。
実際、刀で切り合ったのは、幕末ぐらいじゃないのか
新撰組はどうなんだ
鞍馬天狗以外でね
ぼんちゃん
838 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 04:41:19.54
剣心
>>833 いや、スレタイからすると、戦国期限定ってわけでもなさそうだぞ。
>>836 武蔵に刀を投げたエピは無いなぁ。
>>835って駿河城御前試合ネタ? あれだと武蔵は小刀を投げる二刀流に否定的な立場だよね。
841 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 07:59:12.51
>>837 戦国時代に刀で切りあうことがあっただろうというのは実は日本刀首取り道具説の
鈴木眞哉すら認めていることだが。
842 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 11:11:28.03
松山主水は既出?
>>840 竹村頼角は投剣(手裏剣)の型を残してるだろ
小倉碑文の中にも武蔵に着いてそれらしき記述が残ってる
844 :
日本@名無史さん:2011/10/24(月) 20:34:50.61
>>840 >武蔵に刀を投げたエピは無いなぁ。
なんだ、肝心の二天一流では投げてないの?
伝書にも無いのかね?
>>837 江戸初期と幕末を除くと、江戸期は実戦で真剣を使ったことが生涯一度も無い武士がほとんど。
幕末も、真剣での斬り合いって、実際にはかなり少なかったらしい。
当時の外国人の記録類を読むと。
>>846 当時の記録類ってなんだ?ジャパンヘラルドの編集人だった
J・R・ブラックの「ヤングジャパン」には外国人に対する
刀を使った襲撃事件の報告が無数にでてくるが。
そりゃニュースエージェンシーには、無数に事件が集まってくるだろ。
今の日本だって、一般人にとっては平和そのものだけど、連日のように凶悪事件が報道されている。
849 :
846:2011/10/24(月) 23:48:36.55
>>847 題名空で覚えてないから、ちょっと検索して探してみる。
基本的に外人の日記類。
戦国時代の戦は、鉄砲、長やり、弓矢が主力だからな
>>845 二天一流が伝えるのは五方の構え
円明流には伝わってるはずだが、840の所見を聞かなければなんともいえんねえ
852 :
840:2011/10/25(火) 07:23:41.09
や、流派としてどうか、じゃなくて、一般に知られる宮本武蔵の逸話・伝承に刀を投げたものは
ないなー、って話なので。
それを言い始めると、そもそも武蔵が実戦で二刀流をつかったエピは無いって話になるんだが。
853 :
日本@名無史さん:2011/10/25(火) 07:48:48.05
>>847 お前のやることは出されたソースにケチつけることじゃなくて
少ないっていうソースを出すこと。
>>850 戦況によって何が最適か変わるだけ。
『一五五七年十月二十八日(弘治三年十月七日)付、パードレ・ガスパル・ビレラが平戸より
インドおよびヨーロッパの耶蘇会のパードレおよびイルマン等に贈りし書翰』
・市民は叛逆者が自邸或は田野において攻撃を受くるを見物す。双方まづ矢を放ち、更に近づきて
槍を用ひ、最後に剣を交ふ
855 :
日本@名無史さん:2011/10/25(火) 08:09:53.94
>>847 さながらバグダッドやアフガンみたいなものか
テロリストに常に襲撃されるリスクがあって
856 :
847:2011/10/25(火) 10:44:12.06
857 :
日本@名無史さん:2011/10/25(火) 12:35:43.29
>>855 まさしくそんな感じで日常茶飯事。
・三人のロシア人が殺された
「水兵一人と艦の給仕をつれた一人の仕官が食料を買いに上陸していた。
艦へ帰る途中、店がまだ開いている時間に、一行は数人の日本人から
猛撃され、ありとあらゆる、ひどい傷を受けて、たたき斬られた」。
この事件以来、われわれは、日本人がうまく倒した相手を切り刻む
やり方に慣れてしまった。
・またも流血事件
「続いて(八月)十七日、安藤対馬守邸の門に脅迫状が貼られた。翌十八日、
真偽のほどはわからないが、米国公使館が襲撃された。ド・ベルクール氏が、
このような暗殺と脅迫と流言の雰囲気を、『精神の荒廃』と呼んだとしても、無理はない。
毎日不慮の事件が起こっている。
ただ、一方で日本という国に対して多くの外国人が強烈な魅力を感じたのも事実なんだな。
・訪問者はみんなチャームされる
しかし、彼は日本訪問ですっかり魅了されていたので、その国と国民についての話しぶりには、
熱狂的なところがあって、話のすべてに、興をそえるものがあった。
>>814 武蔵は大刀を投げたんだね。
1kg以上ある刀をどうやって投げたんだろうか?
相手が逃げることが出来なかった、って書き方しているところをみると、
背中に向けて、両手で投げたとか。
859 :
日本@名無史さん:2011/10/25(火) 16:42:48.64
1キロってのはそんなに重いかい?
槍投げ競技は800グラムの槍を片手で100メートル以上も飛ばすことあるのに。
刀だったら重心の問題でそこまで飛ばないのは明らかだが投げるということ自体は
十分すぎるほどに可能。
で、武蔵が大刀を投げたってのはどこに書いてあるの?
>誠に武剣の精選なり。或ひは真剣を飛ばし、或ひは木戟を投げ、
北る者、走る者、逃避する能はず。其の勢、恰も強弩を発するが如し。
百発百中、養由も斯れに踰ゆる無し。
居合も、古流の剣術もやったこと無い人が書き込んでるのかなぁ。
なんか机上の空論みたいなのが目立つけど。
元々投げやすい形状の槍と、投げることを想定して作られてない日本刀を、重さで比較してどうするの?
なんでもいいから適当に投げさえすればいいのなら、そこそこ飛ばせるだろうけど、
槍投げの場合と違って、戦闘中だよ?
>>858 小倉碑文って、そんなに信用していいのかなぁ。
兵仗弓箭(刀・槍・薙刀などの武具と弓矢)で武装した数百人の武人を相手に一人で勝利する、
なんて書いてあるんだろ?
>>861 そんな駄法螺と同列にするほど一キロ程度の刀を投げるのは無茶じゃないと思う。
一つのアイデアとしたら、反りの弱い刀で投げるのに持ちやすい所の刃を引いてしまうって手法もあり得る。
今時の正座の仕方を探求してそうな武道家と
人切り包丁の扱いで立身しようとした人間を同列に扱うもんじゃない
ま金属バットくらいの重さだわな。それに投げつけて傷を負わせるというよりフェイントだから。
864 :
日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:14:58.04
真剣ってあるだけで大刀とは一言もないからなあ。
別に脇差し短刀だって構わないわけで。
>>863 逃げようとしても逃げられなかった、ってことは、フェイントじゃなくて致命傷与えるってことじゃないのかな。
>>862 >一つのアイデアとしたら、反りの弱い刀で投げるのに持ちやすい所の刃を引いてしまうって手法もあり得る。
最初から投げやすい形状の刀を用意しておくってこと?
まあ小柄なんかは投げやすいかもな
鍔もないしほぼ直線だし
小柄は柄の方が重いから投げてもまず刺さらないよ
>>866 脇差ならものにもよるが、だいたい太刀の半分くらいの規格
そこまでの小細工せんでも、鍛錬すればパッと投げるのは十分可能だろ
小倉碑文には誇張が混じってるだろうが、全くのデタラメだとも思わない。
仮にも公職についていた伊織が、事実無根の喧伝をしていたなら家名に泥縫って晒してるようなもん。当時は武蔵自身とその技術体系を知る人間がたくさんいただろうし
つーか、なんで866に答えてるの?
>>862に言うべきだったか?
同一線上の議題だから構わんと思ってな、すまん
>>869 致命傷を負わせるのにパッと投げた程度じゃ無理だろ
脇差しを抜き打ちに投げるって方法が思い付かないが、それもありとは思うがな
873 :
872:2011/10/26(水) 06:49:12.12
因みに、漫画のアイデアでは柄(つか)に火薬を仕込んで、ミサイルのように刀身をとばすというのがあった。
まあ、巨匠が書いたことだから一抹の真理はあるかもしれん
>>873 それ、柄にバネを仕込んで刃を飛ばすスペツナズナイフのパクリだろ
>>874 そんなのを白土三平?が知ってたんだろうか
876 :
日本@名無史さん:2011/10/26(水) 12:14:12.39
そりゃ白土三平ほどのニンジャだったら鉄のカーテンを越えて東側の機密を
探るくらい造作ないわ。
877 :
日本@名無史さん:2011/10/26(水) 13:48:39.11
実はスペツナズが白土三平の漫画を参考にしていたとか。
空手バカ一代は本当に読んでるらしい。
878 :
日本@名無史さん:2011/10/26(水) 14:19:06.49
大久保利通
>>872 うーん。実行可能な範囲内だと思うがなあ。投げ槍があるくらいなんだから。100m向こうの相手を打つのは無理だろうけど、立ち合いの最中の奇襲としては可能じゃないの
仮にそれで仕留められなくても、相手がそれに対して何かしらの反応をすれば崩せるでしょ
別にいかなる場合も投剣一本で決めるというわけじゃなくて、数ある攻撃手段の中の一手という話じゃない
小澤正夫の著書によれば、武蔵流の手裏剣術は直打法であり、だいたい一間半〜二間が適正な距離、だというが
3m前後というところだね
致命傷を与えるには、頚動脈をかするだけで充分だ。
882 :
日本@名無史さん:2011/10/27(木) 18:46:01.68
実際に行われたかどうかは別にして日本刀を投げるなんて技術的に不可能でもなんでもないと思うが?
恐らく1/4回転90度回転で相手に突き刺さるイメージだと思うが…
ただ避けられた場合のリスクと言うより
もう半歩で切っ先が互いに届くぐらいの間合いなら
その投げるモーションに合わせて突っ込まれた場合のリスクが大きいと思う。
現在剣道の試合で二刀流はありだよな?
(実際に二刀流で出ている人もいるらしいし)
でも投げつけるのはルール上ありなのかな?
もし実際やってみた人がいるなら感想を聞きたいところw
竹刀を手放したら警告取られる
※追記
現行のルールだと片手打ちだと両手打ちに比して全然取ってくれん
それに片手打ちは両手打ちよりもモーションがでかくなる
特別な事情でもない限りわざわざ二刀を取らない
宮本武蔵は、五輪書曰く、人差し指と親指の働きだけで剣を振る事が出来、手首を利かした冴えた打ちを打てたらしいな
それが実行出来たなら、成るほど、両手打ちと同じように片手で打つ事が出来ただろうが
誰もマネできなかっただろうね。本当に「一刀と同じように二刀が振れた」のなら、武蔵の技術は全く異次元のレベルであったろう
>>882 >実際に行われたかどうかは別にして日本刀を投げるなんて技術的に不可能でもなんでもないと思うが?
脇差しを左手で素振りする or 棒手裏剣を投げた経験ってある?
どちらか一方でいいから、やってみてから言って欲しいな。
>恐らく1/4回転90度回転で相手に突き刺さるイメージだと思うが…
それを直打ちと言うんだよ。
つべ見ろよ
外人がKATANAやTANTO投げまくってんぞ
887 :
日本@名無史さん:2011/10/28(金) 00:49:17.04
古武道やってるオレかっけーアピールがうざいです。
>>860 日本の槍は別に投げやすく作られているわけではないが
それでも戦闘中に投げられているね。
『三河物語』
・塘ヱ懸上、鑓ヲ互ニ投ゲ入ルより、其儘突クヅシテ、河ヱ追イハメケリ。
伝蔵兄弟四人、是ヲ見、突立テケレバ、何れモ負ジト立て、鑓ヲ投ゲ入ケレバ、
889 :
882:2011/10/28(金) 06:32:11.26
>>885 棒手裏剣ねえ…まあ「お手製」の奴(火箸を切ったりドライバービット削ったり)ならガキの頃よく投げて遊んだ(ハイ中二病ですw)
真剣は家にあった爺さんの軍刀を振った経験しかないがwww
あと「直打ち」云々で言えば流派によってぐるぐる回して突き刺すのを狙うのがあると言うのは知っている。
で?何が言いたいんだ?
そもそも棒状の手裏剣なんて”思いっきり”投げるもんじゃない。
(角度のコントロール、リリースの瞬間のスナップ・・・)
スローイング用のアックスなんてのもある。
「日本刀投げるのは不可能ではない」何か間違ったこといってるかな?
「重心の位置が違うから投げられない」というのこそ、机上の空論だと思うがね
脇差の規格に合わせて鍛練すればいいだけの話だろ。なんのための稽古だよ
>>889 >そもそも棒状の手裏剣なんて”思いっきり”投げるもんじゃない。
反転打とか回転打のこと言ってる?
直打は「思いっきり」投げるんだけど。
>>889 そういうのは、投げた経験に入らないじゃないの?
手裏剣術をやったことがあるか、ってことでしょ。
>あと「直打ち」云々で言えば流派によってぐるぐる回して突き刺すのを狙うのがあると言うのは知っている。
なんか、いろいろ誤解してるねww
どうでもいいが草生やしまくるのはやめたまえ
草生やしてるのは古武術やってる俺かっけー君か。
小学生かお前ら
反論できなくなると、すぐそれ
スレタイからして、野生生物板レベルのスレではあるけど。
つーか、いつもいつも刀を投げるのを戦術として勝ち続けてきた剣豪なんていねーだろ。
特殊な場合にこだわってもしかたあるまい。
まあ伝書に載ってる技って、実際にはかなり特殊で、ほとんどの弟子は全く教えられていないものが多いからね。
二刀自体が特殊。ただしその二刀を抜いた場合は
手裏剣という手段があるということ。この刀を投げる件に関しては
新当流、新陰流、天流、一刀流などの伝書で確認した。
あと、自流の技というよりも二刀を相手にするときには手裏剣を注意すべきという
教えだな。
>
まあ伝書に載ってる技って、実際にはかなり特殊で、ほとんどの弟子は全く教えられていないものが多いからね。
このことについてのソースは?
流派にもよるし、一子相伝とか一国一人相伝とかあるだろうが、普通は免許皆伝者は教えられるだろ
常に刀を投げつけての戦法を取る流派があったというのは考えにくいと思うが
生き死にのかかっている場面で相手が何をやってくるかわからないのだし
(そう言えば武芸十八般のなかには「手裏剣術」以外にも「含針術」なんてのも含まれているんだっけ?)
自分がそれを行うより、それを学習しておけば相手が使ってくる事を予想しやすくなるんjじゃない?
二刀流と対峙した時は当然一刀を投げつけてくることも念頭においておくと…
>>900 免許皆伝なら、基本的にみんな教えられるだろうね。
ただ流派や時代によっても違うけど、免許皆伝もらえる弟子なんて、全体の中のほんの僅か。
武術の場合、基本が出来てないのに技ばっかり教えても全く意味がないため、
過半数はごく初歩的な技しか習わずに終わる。
あと武術界は、特に情報公開を嫌ったので、同時代の自流派のことは意外なほど知らなかったりする。
師匠が自らの権威を保つため、もったいぶって教えなかったケースも多いけど、
社会がごたごたしていた時代は、十分信用できる相手以外に秘密を教えてしまうと、
自分達を守る技が無くなってしまうから。
剣術にしても、はめ技、だまし技の類が結構あって、スポーツ化した時代では、一度使うと
2度目以降は効かないので、廃れてしまったりしているけど、情報が行き渡らない時代は
非常に有効だった。
904 :
日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:37:35.98
はめ技って何?どこかの専門用語?
>>902 単に孫引きの話をそれらしくまとめただけだろ。
もっと具体的な話はできないのか?たとえばこの時代のこの流派は
こういう伝授の仕方をしているとか具体的な話だよ。
ソースつきでな。
なんか武道板と逆の流れで面白いな。
武道板では、武道オタクって罵倒が多いけど、こっちはそういうのが一つもない。
逆に、武道板ではソース出せってまず見ないけど、こっちは二言目にはソース出せ。
>>905 秘伝とか、ああいう武道オタが好きだった雑誌には腐るほどこういう話が出てたな。
ぐだぐだの内紛話とか。
>>906 あいつらは自分がソースだから
突っ込みいれるとオフで教えてやるから来いやって話になるからな。
>>902 ハメ技ってのはスクリューハメとかのことか?あれは2度目以降でも有効だぞ。
ソースがどうのこうのと、下らんことに拘ってる者がいるな。
このスレのテーマに関しては、ソースだの文献だのは無意味だよ。
直接対決してないのに、どっちが強いかなんて誰にもわかんないんだからな。
書き込む人の主観が全てさ。
主観にソースも醤油もないよ。
>>908 細かいことなんか覚えてないよ。
20年近く前のことだし。
筆者が関係している比較的マイナーな流派の卑近な話とかが多かったと思うけど。
古武術界なんてみんなお互いに知り合いばっかりで、ちょっと固有名詞出すとバレバレの
狭い社会なんで、色んなところに配慮した文章。
資料としてとっておくほどの価値は無かったと思う。
気になるならバックナンバーでも漁ってみたら?
わざわざそんな昔の記事探さなくても、明治期の大東流関係の裏話が書いてある本を
読めば、こういう読んでて気が滅入ってくるような事情が散々出てくるよ。
>>912 だからさ、ソースだとか文献だとかは無意味だって言ってるの。
君の主張は「畳の上の水練」にすぎんわけよ。
頭でっかちなだけで、実際の闘争の場では何の役にも立たないのよ。
ただの言葉遊び。無価値。 ワカルカナ?
足利義輝かな
池袋近辺にいる青竜刀もった中国マフィア
なんか2chで初めてソースって言葉覚えたアホって見苦しいよな。
>>903みたいな人格壊れてるやつもいるし。
見知らぬ人が自分が知らないこと言ってて、その真偽に疑問があったり、興味があってさらに詳しく調べたい場合、
まともな精神状態の人間なら、
「その話、何か文献的裏付けあるの?」
と書くところを、いきなり
「ソース出せクズ」
だからな
本当に学問やってるのかね?
いい加減うざくなってきた
まだ「ソース」がどうたら言ってる馬鹿がいるねえ
>>920 ソースが出せないヤツにとっては出されるだけで目障りな言葉だからな。
ここは武板と違って日本史の板なんだから少しは自分の体験以外の
根拠も探してくるといいよ。
本当はソース、体験、理屈のどれが欠けても駄目なんだけどね。
過去レス見てると、両サイドともソースオンリーだったり、理屈オンリーだったりで、
どっちもどっちの話ばっかりだから水掛け論になる。
ただ、ソースソースと叫んでいるやつは、最初から悪魔の証明に類することを
要求している場合もあるので、理屈を詰めて考えた方がいいんじゃないかな?
武術未経験者だとしても、それぐらいは出来るはず。
上泉信綱
そもそも、術技については文字では表現し切れないのだよ。
だからソースだの文献だのにこだわるのは滑稽だと言っているのさ。
925 :
日本@名無史さん:2011/10/31(月) 08:00:49.04
武板は素人ばかりだし
>>926 武道板で素人ばかりならこの板は「尚更」だろうに・・・
>>927 どう見ても素人のくせに経験者ぶってる奴ばかりだからタチ悪いんだよ
こっちは一部を除いて、知ったかぶりはしないからまだいいほうだよ
暦板だから基本は文献話だろ ソース要求があれば出すのは常識だろ
>>905 凄い抽象的な質問の仕方だね。
全くの素人さんなのかな?
あと出典不明な件に対して突っ込むなら、どの部分に関してなのか具体的に言わないと駄目だよ。
学生さんなのかな?
>>928 自分の経験を最大限に活用できるとして板を選んでいるのならウザがれられるだけ。
案外、武道板でもお前さんのことを「素人のくせに経験者ぶってる奴」って思っている奴いるかもよ?w
932 :
日本@名無史さん:2011/11/01(火) 01:07:13.92
八寸の延金を考案した人最強
それを使える人最強
東郷重位、以外にも示現流のルーツは京都
寺町今出川上がるの寺に開祖の僧侶の墓がある
>>931 一回見てみ?
煽りと水かけ論ばかりでまともな話になんかなってないから。
そのくせ、権威づけの為に俺は黒帯だー全国経験者だーと言ってる。
「俺の体験だが……」と言って、裏付けのない武勇伝書いて他流叩いてたり、そういうのがアホくさくてかなわんのよ。
ここはそういうのが少ないから、ずっとマシだと言ってる。少なくとも、こっちの板の話し方の方が俺は好きだ
そもそも剣術に関して文献を求めるほうがどうかしている。
文献があるとしても、免許皆伝の免状とか奥義書くらいしかない。
そうした文書は基本的には非公開だし、肝心な部分は「実地指導による」とかしか書いてない。
その他は聞き書きの類しかないわけさ。
要するに、自分の実体験以外には又聞き情報しか無いわけよ。
ソース、ソースと騒ぐのは無いものねだりにすぎませんな。
今の総合格闘技にしたって、たった数年間で技術が飛躍的に進歩して
4年前まで最強と言われていた格闘家がちょっと時代遅れの練習環境に留まっただけで
今ではまるっきり通用しなくなったりしている
剣術だって時代が違えば技術も全然違っているだろうし
案外塚原ト伝や上泉信綱も江戸時代の無名剣士にあっさりやられたりするのかも
>>935 記述や文献が少ないなりにそれを根拠にして論じるのは大切。
最初から放棄は論外。こういうのがイヤならこの板にくることもないよ。
とりあえず二刀に構えて小刀を投げる戦法があるってのは複数の流派の明文化された部分にも見られるわけだから
確定ってことだな。
>>934 まあ武板の全盛期は5、6年前に過ぎたからな。
熱意のある奴らはだいたいオフで知り合って
横のつながり作って卒業しちゃったし。
今の武板見るよりその頃の過去ログあさってた方がずっと濃くて面白い。
>>937 > 記述や文献が少ないなりにそれを根拠にして論じるのは大切
だったらさ、その記述や文献にはどんなものがあるんだい?
少ないそうだから、探すにも手間は取られないだろ。
ここで紹介してみてくれないか?
他人に要求するからには、まさか嫌だとか出来ないとかはないよな?
>>939 まずは『日本武道全集』とかで伝書類見てみたら?
>>937 >記述や文献が少ないなりにそれを根拠にして論じるのは大切。
当たり前のこと。
それについては誰も異論はないと思うんだけど。
>>940 伝書類ねえ・・・・・?
ただの言い伝えで、歴史文献とは言い難いのだが?
歴史資料としての信憑性が検証されているものでは意味がないのでは?
書き間違い
× 信憑性が検証されているものでは意味がないのでは?
○ 信憑性が検証されているものでなくては意味がないのでは?
>>942 いわゆる伝聞証拠にしかならないってこと?
つか各流派に伝わる伝書を否定して一体何を持って論じようというのでしょうか
なんにでも資料批判は必要ってだけの話だろ。
>>945 武術の場合、いわゆる一次資料は非常に少ないってことが分かった?
歴史学においても、実体験による知見は重要ですな。
950 :
日本@名無史さん:2011/11/04(金) 02:22:49.52
師岡一羽はどうよ?
介護放棄って、そこまでせめられにゃならんことやろか
いや別に介護が嫌で逃げ出したわけじゃあないだろ・・・
他にも介護してくれる弟子はいたわけだしさ
むしろその後の行動こそが熊ちゃんを怒らせちゃったんじゃないだろうかね
しかも兎さんが負けてトンヅラこいてる間に弟子が熊ちゃん騙し討ちにしてるわけだし
まあ、実際文献でしか武道を知らない歴史学の権威や大作家より、そこらの空手や剣道の先生の方の言葉のが信用できると思うわ。こと、この話題に関しちゃ
しかしね、歴史上の人物を語るのに史料批判は抜きにして語れないし
ましてここの住人同士では互いの顔や武の位などわかろうはずもないのであるから
自分の体験や修行した技法を元に語るとしても、何かしらの資料なり何なり、第三者的な裏付けは必要だろう
それこそ、武板の連中の様に、ド素人のくせに経験者を騙って、法螺を吹き合うだけのスレに成り下がるぞ
そもそも史料批判に耐えられる文献なんか存在してないんじゃねぇの?
史料批判ってのは、オールオアナッシングじゃなんだけどなぁ
956 :
日本@名無史さん:2011/11/06(日) 22:55:16.93
幕末最強 勝小吉
江戸最強 小野忠明
塚原ト伝
上泉伊勢守
この4人が戦って最後に立っていた者が歴代最強の剣豪だろ?
その勝者が師岡一羽の挑戦権を得られる
なんだその4人。
ゲームかなんかでたまたまキャラになってたとか?
小野忠明の逸話って武蔵の武勇伝よりも遥かに荒唐無稽だよね
武蔵と吉次は仲が良かったらしいけど
類友というかなんというか、血の気の多い奴は同じような奴と波長が合うんだろな
佐々木巌流って、大蔵氏族の佐々木(副田、後の六角家)出身なんだろ?
巌流島では、武蔵ではなく細川の刺客に巌流は討たれたと思うんだが・・・真実はどうなのよ?
やっぱ、ガチだと武蔵の方が強かったのだろうか?
>>961 細川の刺客に討たれたと考える、その根拠は?
963 :
YAP?:2011/11/09(水) 17:27:31.86
原田夢果史『真説宮本武蔵』が、細川氏による小次郎暗殺説のハシリだった様に思うが、著者が、
小倉藩士の家系で、宮本伊織家の子孫とも交流があったこともあり、結構説得力があった。
逆に言えば、肥後細川方といわば、武蔵を巡って、どちらの側に武蔵の(名声の)相続権があるか否か、
一種の感情的対立ともいえそうな部分も、あるような気がする。
『二天記』で、伊織のことを血脈の知れない男として、貶めているのは、江戸時代から
そう言う対立感情があったんだろう。
客観的に見れば、血統的には、小倉側、剣法の技芸面では、肥後側だろう。
ただ、『肥後武道史』を見れば、肥後細川家で最上位とされたのは、新陰流、最近では
肥後新陰流といわれているようだが、要するに疋田文五郎の流系だ(疋田陰流ではない)。
次が武蔵の二天流と柳生系の新陰流、最後が四天流といったところのようだ。
但し、剣道のみだが。
>>962 ttp://homepage3.nifty.com/ganryu/kousatu.htm こんなサイト見つけた。
>>961 勝った、負けた、なら武蔵が勝ったと言えるが、どっちが強かったかどうかは、どうだろうな
一回しか戦ってないし。真剣勝負だから当然それはそういうものだが、再戦したら小次郎が勝つかもしれない
それに、武蔵が優れた剣術家であったらしい事は史料がいっぱいあるし、現代まで流派が残っていることから考えてもわかるが、小次郎がどんなもんかだったのかはわからない
中条流系、免状持ち、伊藤一刀斎の兄弟弟子、白刃三尺の大刀を自在に操る、と聞けば、かなり強そうだけど、所詮それが何処まで本当か知れん。何せ厳流は絶えている
まあ曲がりなりにも史料に名前が記載されてるくらいだから、素人に急に剣持たして戦わせたってわけじゃなかろうし、並以上ではあったんじゃないか?
ガチでどっちが強いもなにも武蔵が勝手小次郎が死んでるんだし
もう一回やったらも何も無いだろ
>>965 勝負なんてのは、強い方が勝つとは限らねぇのさ。
たとえば、去年のプロ野球では、パリーグ3位のロッテが日本一だろが。
剣術の勝負だって同じこと。
967 :
日本@名無史さん:2011/11/10(木) 06:07:10.48
〉〉960
勝小吉は江戸3大道場でも歯が立たないシロモノ
人間性が悪すぎて剣豪としては?だが
白井亨は八寸の延金の使い手だから、小笠原源信斎並みに強いとしたらどうだろうな?
だから、複数度の決闘ですべて勝利を収めてきた武蔵はすごく強かったんだろうし、どんな場合でも安定して力を発揮できる完成度の高い剣士だったんだろう
ただ、武蔵に殺されたがために歴史に名の残らなかった未来の達人・名人も少なからずいただろうね
別に武蔵に限ったことじゃないんだけど。若い時に未熟でも、壮年の頃には大成したかもしれん。でも死んだらそれっきりだからな
>複数度の決闘ですべて勝利を収めてきた武蔵はすごく強かったんだろうし
本人が「俺は一度も負けたことがない」と書いてるだけですな。
実際にどうだったかは謎ですな。
しかも対戦相手は亀田と同様、無名の格下ばかり。
>どんな場合でも安定して力を発揮できる完成度の高い剣士
勝つための工夫はしたんだろうね。
遅刻して相手をイラつかせるとか、先に行って隠れてて、いきなり斬りつけて逃げ去るとかな。
>>969はどうみてもにわかだろ。武蔵非名人説なんて直木の時点でとっくに終わった説
話の流れ?
そんなことより、実際にはどうだったかを考察するほうが有意義なのだが?
>どうみてもにわかだろ
根拠のない罵声にすぎませんな。
>>972 >しかも対戦相手は亀田と同様、無名の格下ばかり。
>武蔵に殺されたがために歴史に名の残らなかった
つまり、武蔵に敗れた名無しの剣豪も当時は有名だったのかもしれんし、後に有名になったかもしれない
という仮説。だからお前の指摘は筋違い
典型的なのが小次郎だろうよ。
「其比小次郎と申者岩流の兵法を仕是も師を仕候」と沼田家記ある。岩流は流名と解釈して問題あるまい
一流の師範であるにも拘らず素性不明、流派も断絶。敗死したからに他ならない
生き残れば少なくとも流派は次代に継がれただろうし、それと同時に本人の事績も幾許か残ったはず。ひょっとしたら武蔵より優れた技を持っていたかも。
「強い方が勝つとは限らない」とはそういう事だが、死亡した以上は真実は闇の中。小次郎と同じケースが他にもたくさんあっただろうな、というお話
なんで逐一こんなことを説明しなければならないんだ……レスを追っていけば理解できるだろうに
で、
>遅刻して相手をイラつかせるとか、先に行って隠れてて、いきなり斬りつけて逃げ去るとかな。
の出典は? 二天記ですか?
>>973 > だからお前の指摘は筋違い
だから? なんで「だから」になるんかいのお???
ワケワカメ
論理の飛躍っちゅうことでんなあ〜
あはは
>>966 野球じゃ人は死なないからね
戦闘なら相手殺して生き残ってるほうが強いに決まってるでしょうが
強いほうが勝つんじゃなくて買ったほうが強いの
よく言われることだけどさ
買ったほう???
確かに買収できるほどの財力があれば強いよなあ。
たぶん球団を買収したら勝ちという意味だろう
979 :
日本@名無史さん:2011/11/12(土) 13:28:48.47
野球の話にはついていけない。
塚原卜伝はどうなの?
少なくとも武蔵よりは清潔感がある
遺伝子を残した点では伊藤一刀斎
ガンジー
>>980 ト伝は優秀な弟子を輩出してるけど
梶原長門という素性の良くわからない長刀使いを切ったくらいしか話がない
剣豪の逸話なんて、往々にしてその程度でしかないがな
一刀斎も、正体不明の唐人十官と居たかどうかもわからん富田一放なる男を切ったという以外に逸話がない
しかも、ト伝も一刀斎も第三者史料や一次資料と呼べるようなものは無い
むしろその件に関しちゃ武蔵の方が多いくらいだ
984 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 14:33:55.47
卜伝も左太刀使いとの決闘の逸話とか武蔵以上にダーティな感じがする。
でも戦国時代は勝ってなんぼだから別に否定はしない。
あと一刀斎は払捨刀の逸話から考えると女にだらしない点があったのかもしれん。
一刀流系の剣客って生き方がROCKな子が多いよね
986 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 19:59:53.53
比較的大人しいはずの小野があれなんだから
善鬼ってのはどれだけ暴れん坊だったんだか。
>>966 リーグ戦やってんじゃねんだよ殺し合いだぞ?勝った方が強い
秋吉博光
日本シリーズはリーグ戦じゃありませんが?
>>989 パ・リーグで3位だなんだって言ってんじゃないっすか〜
例えば虎とライオン闘わせてさ
ライオンが殺されちゃったとして
「でも実はあのライオンの方が実力は上だよね。」なんて言う奴いるか?
調教の時の動きや前戦までの内容次第ではいるでしょ、そりゃ
勝った奴より負けた奴の方が強いなんて言うような天の邪鬼がいたんじゃあ決闘するほうも身が入らねえな
まぁまぁ。
強さのベクトルは人それぞれってことだ。
ただ、991みたいな考えの人間ばかりになったらスポーツすら成り立たなくなってくるわな。
試合に熱くなれないもの。
>>990 そういうのを「番狂わせ」って云うのだよ。
平幕が横綱にたった一度だけ勝ったとて、横綱のほうが強いことに変わりは無いのさ。
>>994 だから相撲だの野球だののはなしはしてないんですよw
相撲が殺し合いだったら平幕に殺されちゃった横綱つえーってなるの?
あっなるのか、調教の時の動きや前戦の内容とやらでwww
横綱の格が〜とかスレチだからやめてね(^^)
君さあ〜 剣術の試合したら、負けたほうは必ず死ぬと思ってないか?
吉岡憲法も初代は武蔵より強かったのかもしれん
なんとでも言える
>>996 戦国時代の剣豪の試合で木刀使って死なないように止めたケースって非常に少ないと思うが。
武蔵VS吉岡の長兄ぐらい?
まあ一つ確かなのは、勝ち残った武蔵が強いという事のみ。
それは事実だからな。「もしかしたら」は可能性の話でしかない
まあ可能性がある、という事を否定してはいかんけど。様々な事象や状況が考えられ得る以上、結果として及ばなかった人間であろうとも全否定する事は出来ない
勝負に100%は無いのだから
だが、少なくとも武蔵が真剣勝負でも実力を発揮した強豪であるという事は確実だし、それに文句つけるやつはいなかろうよ
>>974以外には
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