歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ25

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1日本@名無史さん
まえ
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ24
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1284385725/
2日本@名無史さん:2011/01/23(日) 11:04:33
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
3日本@名無史さん:2011/01/23(日) 11:05:18
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
4日本@名無史さん:2011/01/23(日) 11:51:13
古事記、日本書紀の記述は何割くらいが事実であり、何割くらいが創作だと思いますか?
5日本@名無史さん:2011/01/23(日) 19:45:13
飛鳥時代から奈良時代にかけて、今上帝は、
日常生活では何と呼ばれていたのでしょうか?
6日本@名無史さん:2011/01/23(日) 20:26:48
質問させてください
奈良時代や安土桃山時代などの人達は
歯磨きしていましたか?
特に寝起きなど口臭があると思いますが、
なにか対策していたんでしょうか?
7日本@名無史さん:2011/01/23(日) 21:38:45
>>5
天子様 天朝様
8日本@名無史さん:2011/01/24(月) 22:48:32
法皇、上皇、天皇の意見がバラバラな場合、一番発言力があるのは誰ですか?
9日本@名無史さん:2011/01/24(月) 23:11:50
軍事力が一番ある人
10日本@名無史さん:2011/01/25(火) 00:07:53
>>8
三人が家族なのであれば、家族内で一番発言力と実績のある人
時代、だれかで異なる
11威迦櫓守:2011/01/26(水) 16:13:06
■663年「白村江の戦い」
それに至るまでの道のりにおいて、当時既に強大な大帝国を築いていた「唐」や「新羅」の連合軍を敵に回すリスクを冒してまで、百済復興支援・援軍の半島出兵を行った中大兄皇子(天智天皇)ら日本側の一連の決断の是非を、どうお考えでしょうか?

半島では日本軍は大敗北を喫し、敗戦で失われた日本側被害は甚大であった事でしょう。

しかしいろんな要因にも恵まれ、結果として唐の直接的な日本侵攻など日本列島を舞台にした国難、国家存亡の危機には遭わずには済みました。

唐の拡大化と半島への介入、百済滅亡、高句麗滅亡などの現実を踏まえ、大局に立って国防・国益を真に考えた時、如何に決断すべきだったでしょうか

出兵か、中立的立場を貫き完全不介入か、あるいはそれ以外の第三の道か?(裏で支援はするが介入はしない、むしろ唐と手を結ぶ等々)

出兵するにしても戦略・戦術や計画などがまずかったのか?

無謀な戦いを挑んで、国家を危機に陥れた愚作か?
いや、むしろ国を救った賢明策だったのか?

判断する為に必要な資料は少ないでしょうが、反戦平和思想・人命尊重思想など、現代的なモラルの観点の呪縛に捕らわれずに、自由に考えてみて意見をお聞かせ下さい
長文失礼いました
宜しくお願いいたします
12日本@名無史さん:2011/01/27(木) 01:14:56
江戸時代の京都御所は一般庶民も入る事のできた場所だとのことですが本当ですか
13日本@名無史さん:2011/01/27(木) 03:41:53
>>11
メールもネットも無い時代に情勢分析には限界あるべ。
天下の名将でも一歩間違えばポカやって全滅する時代のことをろくな資料もなしに
考えるといっても結論でないのでは?
んなことは学者さんが死ぬほど考えてるのに答えないじゃん。
14日本@名無史さん:2011/01/27(木) 05:06:55
>>8
治天の君という言葉を調べてみようか
15日本@名無史さん:2011/01/27(木) 19:30:39
>>13
ネットやメール無いから情報分析や収集あまりしてない云々みたいにナンセンスな事言うけど、原始時代でも自分の集落と敵の集落の戦力比較したり集落の偵察、敵の優れた武器を真似たりとか幾らかはあったでしょ

もちろん古い時代ほど文明の利器の恩恵にあずかれないので、手間や不便や情報の速報性が低かったり不可能な事はあったでしょうが

白村江の戦いに関しても、約1350年も大昔の出来事で現在に伝えられてる資料もかなり限られているでしょうが、
限られた情報の中でも戦前の軍部研究機関とかでは、外交戦略含めてどうすればベストだったかとか考えられたでしょ

ただ戦後の平和国家日本でそういう戦争学・戦史研究みたいな学問が半ばタブーになって廃れたり研究しても公表されなかったり注目されない

歴史学者は事実や資料研究であって、推論や仮定の話(if)は考えないから、よそ行けと言われればそれまでですが
16日本@名無史さん:2011/01/27(木) 21:29:53
戦争のことなんか研究したら軍国主義が復活して世界から孤立しますぅ。
17日本@名無史さん:2011/01/27(木) 22:46:07
>>16
犯罪学や犯罪心理学を盛んに研究して、世の中が犯罪者だらけになりますか?

むしろ抑止の為のアプローチになる場合もありますよ
警察だって犯罪心理学やプロファイリングは、万能ではないにしても、いくらか役立てているでしょう

広義の戦争学には、戦争状態を研究するだけでなく戦争が起きない様にするにはどうするべきかも含まれているんじゃないですか

孫子にあるように百戦百勝は実は最も危うい、次は敗れるかもしれない
戦わずして勝つ(負けない、被害受けない、戦争にさせない)のが最高の理想ですよね?

剣術家の最高の極意は、敵の白刃を如何にかわすかではなく、敵に抜刀すらさせない、もっと言えば殺しに来た相手と理解和睦する事ですよね

広義の意味の戦争学って、こういう政治や外交や交渉や和平化、国益を考えるなど含むんじゃないですか
18日本@名無史さん:2011/01/27(木) 23:17:49
>>17
すまん。ちょっとふざけてみずほになってみただけ。
団塊の連中が護憲・非武装を言い過ぎて子供の世代は騙せたが孫の世代は
反動でえらいことになるんじゃないかと思う。
21世紀中か22世紀の初めに日本が戦争を起こしたら確実に旧社会党と共産党のせい。
19日本@名無史さん:2011/01/27(木) 23:50:15
江戸時代の将軍交代というか、新将軍に代わった時、
どういう行事をやったのでしょうか。
前将軍のお葬式、新将軍のお祝いに
全大名が参列したと思いますが、その名称なども教えて下さい。

また庶民、町民も何かやった/やらされたのでしょうか。
20威迦櫓守:2011/01/27(木) 23:50:22
>>18
了解でーす
いやぁ〜>>16の語尾があんな感じだったので、僕もわざとかなとも思ったんですけどね〜

日頃思ってる事だったんで凄いマジレスしちゃいました
21日本@名無史さん:2011/01/28(金) 00:46:09
精度の高い日本の地図は江戸時代の伊能忠敬が完成させたと思うのですが、
そのずっとずっと以前からある程度の精度の地図はあったということですよね?
領主同士が敵対していた戦国時代に敵対してる国の使者や武将、飛脚なども
その国を通過することがあったと思うのですが、問題にならなかったのでしょうか?
22日本@名無史さん:2011/01/28(金) 09:46:10
>>21
写真入りの身分証明書が無い時代はどこの誰かを偽装するのは権力者なら楽勝なのでは?
23日本@名無史さん:2011/01/29(土) 00:42:13
他領土を通るたびに偽装するなんて、そんな手間隙かけてたの?
にわかには信じられないな
24日本@名無史さん:2011/01/29(土) 01:38:10
白紙の勧進帳と迫真の演技でクリアーする
25威迦櫓守:2011/01/29(土) 02:42:54
>>24
歌舞伎の「勧進帳」か!
白紙はタモリさんぐらい能力と演技力ないとな

しかし関所通行は、さすがに無理だろww
26日本@名無史さん:2011/01/29(土) 20:43:10
後ずさりしながら関所に侵入
通る事罷り成らんと入ってきたのは逆の方向に追いやられる
無事関所通過
27日本@名無史さん:2011/01/30(日) 00:25:26
>>26
それが舞運有王躯(むうんうおおく)の始まりの瞬間である

民明書房刊『舞蹴・王的歩風』より
28日本@名無史さん:2011/01/30(日) 20:50:53
聖徳太子って、日常生活では周りの人から
どんな風に呼ばれていたのですか?
29日本@名無史さん:2011/01/30(日) 20:57:54
ウマちゃん
30日本@名無史さん:2011/01/30(日) 21:20:45
>>21
精度は高くないが漠然とした地図はあったよ。
敵を攻めるためには地形や城内を周知していることが必要で
独自に資料を集める(それこそ忍者のように)ことはあった。
全国地図にはしていなくとも的を絞ればそれほど難しいことではない。

関所が厳しくなったのは江戸時代から。
各地に設けられる関所に自分の所属する寺から発行された
身分証明書を出さなければ関所を通過できなかった。
それ以前はそうでもない。
他国との行き来もそう難しくなかった。
31日本@名無史さん:2011/01/30(日) 22:59:47
>>21
最低限の流通・貿易や経済活動は必ず必要なのだから、どんな国も人の往来を完全には制限出来ない
(例えば内陸部は、塩は輸入しないと手に入らない)
農地という土地に縛られる農民みたいな定住民以外の、交易商人や職人、諸芸能、林業、医師薬師、僧、狩猟を生業に生きる者は、いくらか制約を受けつつも国から国へ渡り歩く場合もあったろう
そういった渡り歩く民や敵国の地元農民から地形を含む敵国内情を聞き出しもしただろうし
間者(スパイ)がそういった非定住民に扮して、第三国経由で目標の敵国に入国したりもあったろう

また正式な外交交渉の使者も、入国した敵国の内情をさかんに観察し情報収集した事だろう
人の出入りの制限にも限度はあるし、となると人の口に戸は建てられないし、秘密保持にも限度がある
32日本@名無史さん:2011/01/31(月) 02:18:43
大宝律令での大学は、どのような人達を対象としていたのでしょうか。
またその教育内容と、対象人物達にはどんな役に立つものだったのかを教えて下さい。
お願い致します。
33日本@名無史さん:2011/01/31(月) 04:33:51
江戸時代の講武所では一番頬・二番頬といったように
組や隊といった意味で「頬」という言葉を使っていたようです。
なぜ頬(ほほ)なんでしょうか?由来をご存知の方教えてください。
中国の単位かなんかですかね??
34日本@名無史さん:2011/01/31(月) 20:54:01
最近、博士は長期不在なんですね。
質問しても回答なし。
たまに雑談が始まるだけ。
35日本@名無史さん:2011/02/01(火) 07:43:00
博士いないならもう一つの質問スレと統合しちゃえよ
36日本@名無史さん:2011/02/01(火) 17:47:24
だめ、それはだめ
37日本@名無史さん:2011/02/02(水) 00:02:06
博士は昼はエビの皮むき工場 夜は冷凍食品工場で多忙なんだよ
38日本@名無史さん:2011/02/02(水) 00:22:27
今は昔、博士は加護ちゃんファンでしたとさ(泣)
39日本@名無史さん:2011/02/02(水) 01:49:34
【急募】人の痛みがわかる議員と内閣

日本という国。労働者の権利をひたすらシカトし
生き血を啜り生産性を上げる事で労働コストの安いBRICSと張り合う道を選んだ。
この戦略を考えた戦犯は誰?
しかしこの国は労働者がゴミのように扱われるケースが多く
制度を定めた新旧与党も厚生労働省もその問題を黙殺する状態が現在もなお続いている

それに苦情を言うと労働者が悪者になる意味の分らない国と企業。
戦おうとしても、裁判制度は素人には殆ど情報公開されておらず
殆どの人が無き寝入りを強制される、封じられた社会。

自力でやれる事すべてが駄目んなって、力尽き、詰んじゃった時に
魂が被る傷の深さについて、国会で真剣に議論した事あるの?
力が湧かず、動けず、喋れず、怒れず、考えられず、何もできなくなっちゃった時の事
経験してない人が国会にいちゃいけないよ。
お金じゃ許されない侮辱とは鬱と引き換えてでも戦おうよ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13455493
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=3424302

twitter:H_e_lpbad_corp
mail:[email protected]
40日本@名無史さん:2011/02/02(水) 14:35:48
よくある
日本史初心者質問スレとか日本史何でも質問スレ
ってなぜか無いですね
41日本@名無史さん:2011/02/02(水) 17:05:17
みんなで博士を探しませんか?心配です
42日本@名無史さん:2011/02/02(水) 19:15:52
博士ってバカなの?
43日本@名無史さん:2011/02/03(木) 16:55:42
もし保元の乱で崇徳上皇方が勝っていたら日本の歴史って
どうなっていたでしょうか?
崇徳上皇は怨念に狂う前は割りと坊ちゃん的な人格だったようですし
そうなると後白河法皇を島流しにすることもなく
義に熱い為朝が武家のトップになるわけだから
結構その後の歴史が変わったのではないのかなっと

何より日本に対する呪いが亡くなるわけですし
44名無しさん@お腹いっぱい:2011/02/03(木) 18:32:26
武士と公家は利害構造から対立することは必至
どういう経緯になるかわからんが朝廷とは別の武家政権ができたと思われ

よっしゃこい
45日本@名無史さん:2011/02/03(木) 19:53:25
公家の門流についての質問です。

久我家の様にどこの門流にも属さない家がありますが出世に不利とかかなったの
でしょうか?
門流にならなかった家は何故に門流にならなかったのでしょうか?
46日本@名無史さん:2011/02/03(木) 20:28:44
あそこは源氏の名門ですが?
47日本@名無史さん:2011/02/03(木) 21:30:52
>>46
久我家以外で門流にならなかった家は何故なのでしょうか?
48日本@名無史さん:2011/02/15(火) 16:11:09
現在、誰でも自由に意見を書き込める掲示板がセットになったニュースサイトが日常生活に欠かせなくなりました。既存マスメディアによる一方通行の情報に身を委ねていた方々へ。目からうろこが落ちる納得の毎日を約束します。

2NN - 2ちゃんねるニュース速報+ナビゲーター
http://www.2nn.jp/
記者記事に特化したニュース勢いランキング ※2ちゃんねるトップページにリンク有り。Twitter・RSSもどうぞ。

2ちゃんねる全板縦断勢いランキング
http://2ch-ranking.net/
記者記事以外で勢い良く書き込まれている話題もわかります。このサイトと同じ表示になる2ch専用ブラウザもあるようです。 ※時間帯や曜日などによりランクインするスレのジャンルが全く異なったりもします。
49日本@名無史さん:2011/02/18(金) 13:58:19
応神天皇陵:立ち入り調査へ
http://mainichi.jp/select/today/news/20110218k0000e040051000c.html

こういうの、他の国はどう管理しているのでしょうねえ
イギリスなどの欧、モロッコなどのアラブ、カンボジアなどのアジア、
50日本@名無史さん:2011/02/18(金) 18:16:56
日本と同じようなもんだよ
51日本@名無史さん:2011/02/18(金) 21:04:23
適当に指定して
適当に立ち入り禁止

思い入れのある遺跡は何が何でも立派に作り直す
・レバノンの十字軍関連遺跡をフランスは、地域社会を敵に回してまで徴用修築
・ギリシアでは古代ギリシア遺跡は重視するが十字軍やトルコ関係は放置
52日本@名無史さん:2011/02/19(土) 01:03:04
>>51
>・ギリシアでは古代ギリシア遺跡は重視するが十字軍やトルコ関係は放置

今のギリシャ人って、ギリシャ文明当時のギリシャ人と全然違うんでしょう
ギリシャ語は受け継いでいても

って日本史でないか
53日本@名無史さん:2011/02/19(土) 01:29:01
現代ギリシア人のアイデンティティは古代ギリシアなの。
ギリシア正教を信じていた人々が西ヨーロッパ人の手引きでトルコと喧嘩別れして建国したのだから。

・宗教はギリシア正教
・言語は復元ギリシア語(トルコ時代には一部の宗教関係者の古文を読むための言葉だった)
・首都はアテネ(トルコ時代には寒村にまで落ちぶれていた)
・通貨はドラクマ(ギリシア時代の呼び名)からユーロへ統合
54日本@名無史さん:2011/02/19(土) 01:30:39
ようするに文系の博士課程に行った人間っていうのは
・常識判断能力
・人生設計能力
・危機管理能力
が著しく欠けてる人種
異論は無いはず
55日本@名無しさん:2011/02/19(土) 10:42:03
>>54
博士課程落ちましたか?
56日本@名無史さん:2011/02/20(日) 12:51:55.80
大津宮は壬申の乱で炎上して廃墟になったのですか?
57日本@名無史さん:2011/02/23(水) 10:48:16.14
とある参考書の問題の文章で、
「地券の実施で登記法は廃止された」とのことなのですが、
講義本を見てもウィキペディアを検索してもそのようなことが書かれていません。
本当にこの答えで正しいのでしょうか?
58日本@名無史さん:2011/02/23(水) 11:29:34.32
あげ
59日本@名無史さん:2011/02/23(水) 11:44:03.24
>>56
大海人皇子が大津宮に火をかけた記事はないので
(大津宮から逃亡した大友皇子を討っている)
大津宮はおそらく炎上はしていない。
天武天皇が天智朝の都大津宮を捨て、
都を飛鳥に戻したので、大津宮は住む人がいなくなり
荒れ果てて廃墟となった。
60日本@名無史さん:2011/02/23(水) 20:10:13.90
なぜ、日本本土では、歴史的に小麦とトウモロコシを栽培しなかったのですか?
早くから存在を知っていたはずなのに。
61日本@名無史さん :2011/02/24(木) 00:39:58.00
博士課程を受けても(特に史学や日本文化)大学の色に合わなかったら落とされる。もっとも内部進学はパスだけど、学外からの入学者は特に国公立(独行)は強く拒むよ。O山大学なんかは良い例。
62日本@名無史さん:2011/02/24(木) 02:32:27.22
>>60
米の方が効率がいいから
63日本@名無史さん:2011/02/24(木) 05:40:47.11
江戸時代までの昔は交通網も近代ほど発達していなかったと思いますが
火急の知らせなどは例えば江戸から陸奥、薩摩まで早くてどれくらいで届いたのでしょうか
64日本@名無史さん:2011/02/24(木) 07:05:09.84
宇佐八幡宮神託事件で和気清麻呂から道鏡即位拒絶の答えを言われても
称徳天皇の職権で道鏡に譲位することはできなかったのでしょうか?
65日本@名無史さん:2011/02/24(木) 19:31:15.13
【考古学】応神陵に立ち入り調査 天皇陵で初、大阪
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1298519407/
66日本@名無史さん:2011/02/25(金) 00:13:36.88
>>60
君の言う「歴史的」とか「本土」ってのがわからんが

コムギは語源に「小麦=古麦(古来から栽培されてる麦)」説があるくらい
古くから利用されてないか?
うどんや冷麦などの原型は奈良時代に伝わってるし

あと、時代は下るが、トウモロコシはカボチャや唐辛子くらいには栽培の歴史があるよ
67日本@名無史さん:2011/02/25(金) 00:14:49.87
欧では他人の前でくしゃみ、日本ではおならはタブーです。
くしゃみがダメなのは、欧州でペスト大流行していた頃に
起源があると最近知りました。
日本でおならがだめなのにも、臭うからは別として、
元になる社会現象がありますか。
68日本@名無史さん:2011/02/25(金) 19:50:45.49
ペストが大流行(萩原流行)しなかったからだろ
69日本@名無史さん:2011/02/28(月) 21:51:45.35
室町時代、将軍に仕えている走衆の人も
奉公衆に分類されるのでしょうか?
70日本@名無史さん:2011/03/02(水) 14:55:45.46
毛野国(けぬのくに)の意味は、
まだ大和朝廷の支配下にない国という意味なの?
71日本@名無史さん:2011/03/07(月) 22:05:13.39
日本史ではどこから宇宙世紀ですか?
72日本@名無史さん:2011/03/07(月) 22:12:14.32
明日からです
73日本@名無史さん:2011/03/07(月) 22:24:18.18
一年戦争に志願したいんですが原付免許しかありません。
74日本@名無史さん:2011/03/07(月) 23:27:59.85
ボールなら乗れます
75日本@名無史さん:2011/03/08(火) 09:21:52.07
トリアーエズなら無免許でも乗れる
76日本@名無史さん:2011/03/08(火) 18:05:01.49
柴田勝家って、刺繍が趣味だったんですか?
作品は残ってますか?
77日本@名無史さん:2011/03/08(火) 20:06:48.81
博士ドコ?
78日本@名無史さん:2011/03/08(火) 20:14:04.21
日本の歴史上、最もいい女は誰ですか
79日本@名無史さん:2011/03/10(木) 21:18:43.47
戦国時代とかの坊主の行いが乱れてた頃に寺に入って勉強してた子供は
大抵が坊主の相手させられたと思っていいの?
仮にそうだとすると男の半分くらいが掘られた経験があるという
恐ろしい結論に至ってしまうんだけれど
80日本@名無史さん:2011/03/10(木) 21:38:30.72
寺に行かなくてもその手のはいたので7割くらいは掘られてたでしょう
81日本@名無史さん:2011/03/10(木) 21:58:16.20
真面目に7割?だとすると男色が流行するのも仕方ない気がするわ
回答ありがとう
82日本@名無史さん:2011/03/12(土) 03:15:34.56
そんなアメリカの凶悪犯刑務所並みの確率で、野郎が掘られるかい
普通に女子襲われてるだろ
83日本@名無史さん:2011/03/12(土) 03:18:52.05
両方出来れば世界が倍に広がる
84日本@名無史さん:2011/03/12(土) 20:41:20.43
85日本@名無史さん:2011/03/12(土) 22:00:40.79
ジャ○ーズは大丈夫だよね。掘られてないよね。
86日本@名無史さん:2011/03/12(土) 22:11:46.02
あそこは昔からその手のネタの巣窟なのだが
87名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 10:44:01.95
>>60
小麦は五穀の一つとして平安時代にはあったね
戦国時代の小田原の北条氏政にこんな逸話がある

農民が麦を刈っているのを見た北条氏政。
腹が減っていたのか、氏政は「あの穫れたての麦で昼飯にする」と言った。
知っての通り麦を収穫してから食べられる状態にするには脱穀や乾燥ほか様々なプロセスが必要で1日じゃ済まないが、
氏政はそれを知らなかった。そして、それを聞いた武田信玄はそれを笑ったという話。



88日本@名無史さん:2011/03/14(月) 11:51:02.21
麦は平安時代どころか弥生時代の遺跡からも出土している。
一般に普及したのは江戸時代から。
89日本@名無史さん:2011/03/14(月) 20:04:51.29
>>87->>88
それは、大麦のことでしょ?
問題は、小麦とトウモロコシ。
これほど手間暇掛からず痩せた土地でもOKの作物を、なぜ歴史上栽培しなかったか?
なぜ食糧としなかったか?ということ。
存在を知らなかったわけではないのにだ。
サツマイモの場合とはその点根本的に違うんだ。
90日本@名無史さん:2011/03/14(月) 20:11:08.44
小麦やトウモロコシより手がかからないアワとかヒエとかソバがあったからじゃねか
91日本@名無史さん:2011/03/14(月) 23:01:08.51
収穫が梅雨では腐れるだけ
92日本@名無史さん:2011/03/14(月) 23:02:16.82
トウモロコシは南米の作物
コロンブスやピサロ・コルテスが登場しないと無理
93日本@名無史さん:2011/03/15(火) 07:20:37.49
何故世界史板には質問スレが2つもあるのですか?
教えてください
94日本@名無史さん:2011/03/15(火) 09:13:17.68
>>89
小麦のことだよ。
95日本@名無史さん:2011/03/15(火) 20:36:36.31
>>93
一つは初心者が質問するスレ
96日本@名無史さん:2011/03/16(水) 21:49:54.69
戦国時代の市が立ったり人が住んでるような
まあまあ平均的な町の大きさは東西南北何Kmずつぐらいありましたか?
97日本@名無史さん:2011/03/18(金) 23:22:01.44
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1440426.jpg
こんな物を手に入れました。
弁財天の下は何と読むのですか?
また使い道は何ですか?
98日本@名無史さん:2011/03/19(土) 02:40:09.06
弁財天の護符ですね
初午際で配られるものでしょう
99日本@名無史さん:2011/03/19(土) 14:37:21.10
弁財天様のオマ・・・
100日本@名無史さん:2011/03/19(土) 16:41:08.61
3文字だからオメコもしくはマンコと書いてあると推理するのが妥当
101日本@名無史さん:2011/03/21(月) 22:38:44.37
戦国時代板の有名人・仙台藩百姓が地震以来行方不明です
皆さん彼が無事であるよう祈りましょう
102日本@名無史さん:2011/03/21(月) 23:58:22.93
あれ(ジャスティスブレイブ・ソフトクリーム・仙台IP)は水沢周辺と思うから、死んではいないでしょう
Wikipediaにおける粘着自尊編集も、元仙台藩で岩手県内の地域が特に酷かったし
海産物や沿岸産業はシカトして、仙台藩北の平野部の農地や領土の変遷・会津あたりに集中的に愛情を投入していたし
103日本@名無史さん:2011/04/04(月) 04:54:48.06
昔トリビアの泉で
「寝惚けて切腹した大名がいる」
っていうのを見た記憶があるんだけど、
これ誰のことかわかる?
検索してもわからん
104日本@名無史さん:2011/04/05(火) 06:24:43.35
あげ
105日本@名無史さん:2011/04/05(火) 09:34:23.86
博士は旅に出ているのですか?
106日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:34:37.48
>>103
博士じゃないけど伊勢長島の松平忠章か?
107日本@名無史さん:2011/04/06(水) 21:35:35.71
>>106
ありがとう、たぶんそれだ
大名にはなってないのな
108日本@名無史さん:2011/04/06(水) 23:21:58.00
CHATAHAM の意味教えてくれませんかね? 博士 様方
109日本@名無史さん:2011/04/07(木) 00:45:48.22
徳川幕府とアイヌ諸部族の関係はどんなもんだったんでしょうか?
琉球と島津みたいな感じ?
110日本@名無史さん:2011/04/07(木) 15:53:21.28
歴史上の巨大地震について教えてください
111日本@名無史さん:2011/04/07(木) 15:54:06.56
ポンペイ
112日本@名無史さん:2011/04/07(木) 23:36:25.50
スケール感は違うけど、幕末の倒幕運動と現代の倒閣運動は質的には似たようなことなんですよね?
現政権を打倒するという意味では
あくまでもスケール感は違うけど!
113日本@名無史さん:2011/04/07(木) 23:45:26.58
全然違うでしょ。幕末の討幕運動はシステムそのものを変えようとする運動だけど、
政権打倒とかの運動は単に政権を変えるに留まっているから。
憲法規範みたいな制度の根底を変える様な運動なんて起きてないし。
114日本@名無史さん:2011/04/07(木) 23:52:18.39
倒幕は幕府を倒して幕府とは全然違う新しい政体にしようとした運動で、
倒閣は内閣を倒して違う内閣にする運動ということかな?
内閣を倒して内閣とは全然違う新しい政体にしようとする運動でないと
倒幕には匹敵しないと!

だからちゃんと「スケール感は違うけど」と念を押したのに!
115日本@名無史さん:2011/04/07(木) 23:54:42.02
>>112
何を期待しているのかわからないから自作自演で回答を書くといいよ。
116日本@名無史さん:2011/04/07(木) 23:56:43.21
例えば今の選挙で議員を選ぶ仕組みから
くじ引きで議員を選ぶ仕組みに変えろ!だと近い気がする
倒閣はあくまで今の仕組みのままやることを変えようってだけだし
スケールじゃなく性質が違うんでないか?
117日本@名無史さん:2011/04/08(金) 00:11:59.24
スケールの問題じゃなくシステムの問題。
118日本@名無史さん:2011/04/08(金) 00:19:01.27
大和朝廷成立と大化の改新、鎌倉幕府成立と明治維新、GHQ改革、政権交代、
日本史史上の重要度で格付けするとどうなりますか?
最下位は政権交代だとわかっていますが
119日本@名無史さん:2011/04/08(金) 08:30:22.46
時代が違いすぎて格付けなんて出来ないよ。

大和朝廷成立と大化の改新→豪族の集合体統治から天皇中心の中央集権国家の基盤となる
鎌倉幕府成立→日本史上初の軍事政権。日本東部の勃興。
明治維新→日本はアジアから西欧への大転換
GHQ改革→日本史上初めての民主制の確立。天皇の地位転落
政権交代→ただの交代。制度内の出来事。
120日本@名無史さん:2011/04/08(金) 18:01:32.88
:名無しさん@十一周年:2011/04/08(金) 17:40:16.68 ID:xUI61tNN0
「大丈夫?」っていうと、
「大丈夫」っていう。

「漏れてない?」っていうと、
「漏れてない」っていう。

「安全?」っていうと、
「安全」っていう。

そうして、あとでこわくなって、

「でも本当はちょっと漏れてる?」っていうと、
「ちょっと漏れてる」っていう。

こだまでしょうか。
121日本@名無史さん:2011/04/08(金) 18:43:16.27
>>109
徳川幕府とアイヌの関係は島津と琉球の関係とは違いますね。
江戸時代の北海道はすでに日本の一部でした。
江戸幕府は北海道に松前藩を置き、北海道を統治させていたのです。
当然、アイヌたちから租税も集めていました。
一方、島津と琉球の関係は、表向きは琉球国の独立を認めていました。
島津は琉球に攻め込んで影響力を行使し、租税も徴収していましたが、
琉球国は独立国で、日本ではなくましてや薩摩藩の一部でもなかったわけです。
沖縄が日本の領土になったのは明治時代の廃藩置県によってです。
122日本@名無史さん:2011/04/09(土) 01:10:00.97
>>119
GHQ改革の前にすでに普通選挙が行われてたんじゃないか?
天皇は象徴になったけれども、地位の転落というべきかどうかは微妙
123日本@名無史さん:2011/04/09(土) 06:03:10.06
>>109
アイヌとの交渉や取引やらは松前藩担当の専業だったか、幕府役人や他藩も関わってたか俺も気になるな

つまり幕府期間が考え調整する懸案か、担当の藩で管理すべき懸案か
124日本@名無史さん:2011/04/09(土) 06:46:12.63
>>122
普通選挙は民主制の重要な要件だけど、それだけでは民主制とは言わないよ。
それに女子に選挙権が付与されたのは戦後からで、戦前の普通選挙権は男子のみ。
また、治安維持法とのバーターだった。
125日本@名無史さん:2011/04/09(土) 10:17:39.56
>>119
あくまでも私見です
@大和朝廷成立→ある意味で「日本国家」の始まり
A明治維新→封建制度・武家社会から中央集権の近代国家への大転換
BGHQ改革→日本最大の国難と社会制度・価値観の大転換
C鎌倉幕府成立→朝廷による統治から幕府による統治への大転換
D大化の改新→日本における「元号」の始まり
E政権交代→自民党政権から民主党政権への転換、正直大した事ない
126日本@名無史さん:2011/04/09(土) 13:53:14.91
>>123
現地にお任せ、ソースは漫画
127日本@名無史さん:2011/04/09(土) 22:29:32.62
座と株仲間の違いを教えてください
128日本@名無史さん:2011/04/10(日) 14:01:32.38
自発的ギルドと君主からの特許状所持者集団との違い
129日本@名無史さん:2011/04/10(日) 21:34:16.16
>>128
ありがとうございます
130日本@名無史さん:2011/04/10(日) 22:15:08.96
なぜ西洋剣のブロードソードのような厚みのある日本刀は無いのでしょうか?
131日本@名無史さん:2011/04/11(月) 08:34:12.15
>>119
天皇の地位転落ってより、
明治維新〜終戦までの大日本帝国期が国家の思惑(悪く言えば為政者の都合で利用された)で、異常に持ち上げられ奉り上げられ権威付けされた
幕末までの1000年以上は、明文化こそされてないが天皇は例外を除くと基本的にはある種の「象徴」的な存在だった
132日本@名無史さん:2011/04/11(月) 09:07:26.60
>>131
天皇の地位転落と書いたのは戦後は、日本史上初めて国民が主権者の地位を得て
相対的に天皇は地位として国民の下位に置かれた(憲法上)画期となったという意味。
133日本@名無史さん:2011/04/12(火) 06:08:40.77
中国史上最強の英雄がサモ・ハン・キンポーって本当ですか?

それからイギリスにたこ焼き屋ってありますか?
134日本@名無史さん:2011/04/12(火) 06:56:47.45
知らん
一説には中国最大の英雄は「チンギスハン」という話もある。
(要するに、モンゴルなんて中国の一部という意識がある。
彼らの発想で言うと、豊臣秀吉も、もし征服に成功していたら、漢民族になっていたのかもしれない。)

たこ焼きはあまり食べないと思う。ラテンなら食べるが、アングロサクソン=ゲルマンでは蛸はゲテモノに近い。
135日本@名無史さん:2011/04/16(土) 01:43:00.55
この平成時代が後世にどのような評価をされるのかって事にすごい興味ある
全体的に平和だし豊かな社会なので、平安末期や戦国、幕末期、戦争期に比べて
良い時代なのは間違いないだろうけど、少子高齢化、大失業時代、格差拡大、
弱腰外交、自殺者急増など、まるでボディーブローを食らってジワジワと弱っているのが
実感できるんだよね
136日本@名無史さん:2011/04/16(土) 05:04:06.53
>>135
認識が甘い。

武士道清貧が社会の消費を減らし、
経済規模が縮小し人口を維持できないのに、更に節約と叫んでは隣人を解雇した。
更に質実剛健を名乗りエコが世界を救うという主張が流布された。

誰も生きられない社会になりつつある。
馬鹿武士道は日本を破壊した。
137日本@名無史さん:2011/04/16(土) 20:41:39.42
九州の肥沃地帯と言えば筑紫平野と熊本平野です
しかし、これらの平野を持つ肥前(特に今でいう佐賀県のあたり)、肥後は日本史上も現在も今一パッとしません
むしろシラス台地でまともに米の取れない鹿児島の方が日本史に与えた影響が大きいような気がします
何故裕福な土地を持ちながら佐賀、熊本は今一活躍出来なかったのでしょうか
138日本@名無史さん:2011/04/19(火) 20:23:59.86
ありもしない美徳にしがみ付いて日本は優秀と嘯いても、
実際の美徳は清貧武士道を叫ぶ連中が尽く破壊し、実態が残っていない。
平成の清貧武士道は、清く正しく美しくと叫んでいながら、実態は汚濁に満ち虚偽に溢れどうしようもなく汚かった。

失業者、自殺者、犯罪者、全てが会津武士道と共に日本に蔓延した。
139日本@名無史さん:2011/04/19(火) 21:05:25.38
福島と岩手はおそらく過去の教訓から県都を内陸に作って、今回の
津波でも助かってるのに、なぜ宮城県は仙台を県都にしたの?
140日本@名無史さん:2011/04/20(水) 20:53:49.70
何で北条時宗の後の執権は
地味キャラの短期政権ばっか続いたの?
有名な人物は貞時(これも微妙な気がするが)
と高時だけじゃん
141日本@名無史さん:2011/04/20(水) 20:58:25.95
よく混同されるけど執権と得宗の違いは?
142日本@名無史さん:2011/04/23(土) 12:28:38.74
100年後、明治〜平成〜それ以降の時代区分はどうなっていますか?
143日本@名無史さん:2011/04/23(土) 12:40:08.73
明治〜終戦
戦後〜平成
かな。
後者はバブル崩壊を画期とするかどうかで違ってきそう。
144日本@名無史さん:2011/04/23(土) 13:16:30.83
100年後には平成からまた元号が3〜5つくらい変わってるかも
明治〜終戦
戦後〜
これは有り得そう
145日本@名無史さん:2011/04/23(土) 16:57:03.77
織田信長って洋風の鎧だか兜だか着て馬に乗り、全然重要視されてない弱小城とかまで
わざわざご自身が先陣きって攻入ってたっていう話ありますか?
146日本@名無史さん:2011/04/23(土) 19:35:50.18
知らないなあ
若狭戦役は朝倉誘き寄せに不可欠だったし
147日本@名無史さん:2011/04/24(日) 00:48:02.38
質問です。
池田屋事件で被害にあった志士達が京に火を放ち、天皇を奪回する計画を練っていたってのは本当でしょうか?
148日本@名無史さん:2011/04/24(日) 00:50:09.08
京に火を放ち、天皇を奪回するってのは、新撰組がでっちあげた冤罪だよ。

土方が壮絶な拷問で古高(近江出身の志士)に無理矢理自白させたもの。
しかも新撰組は、池田屋を直接捜索してないんだよ。
祇園で片っ端から旅籠を捜索しまくってる記録が残ってる。
つまり、新撰組は、情報キャッチ出来てなかったって事。
次に、古高を証人として、生かしておく事はしないで
早々に処刑してしまってる。貴重な証人のはずなのにな。

歴史をきちんと調べてたら、池田屋事件は新撰組が起こした冤罪事件とすぐ解ります。
京に火を放ち、天皇を奪回する計画は、土方に壮絶な拷問を受けた近江の古高の自白以外確証は一切ない。
149日本@名無史さん:2011/04/24(日) 01:00:59.69
>>148
おお、丁寧な回答ありがとうございます。

ついでに伺いたいのですが白虎隊の悲劇はどこまで信用してよいのでしょうか?
150日本@名無史さん:2011/04/24(日) 01:06:18.46
>>149
あれを史実と思い込む奴がいるから会津観光史学洗脳者がいるんだよ。
ちゃんと史料を紐解けば、白虎隊は、少年ではなく青年、
飯盛山の自刃は、お爺さん一人の証言で確証は一切ないと解る。
151日本@名無史さん:2011/04/24(日) 01:41:49.92
織田信長が少年〜青年時代、うつけ者を装っていたこと
また諸国に尾張の跡取りはうつけ者という噂が立っていたこと

この2点は史実でしょうか、伝説の類でしょうか?
152日本@名無史さん:2011/04/24(日) 02:23:34.23
>>150
なるほど、史料があるのですね。ありがとうございます。

最後に坂本龍馬暗殺を企てた黒幕は現在の学説では誰なのでしょうか?
153日本@名無史さん:2011/04/24(日) 02:31:36.27
>>152
有力なのはグラバーの陰謀。フリーメーソンの一員だったのは間違いないとされてれるし
小説やアニメでも有力なおは間違いない。

154日本@名無史さん:2011/04/24(日) 02:32:37.35
>>152
今のところ、命令を会津藩主松平容保が行い、
伝達したのは会津藩士の手代木直右衛門で、
実行したのは見廻組の佐々木只三郎ということになる。

実行したのが佐々木ということについては、実兄である手代木直右衛門や
見廻組隊員の証言もあり、もはや不動。

伝達者については、本来の上役の見廻役が事件を知らないと証言しており、
事件の詳細を語る手代木直右衛門自身が伝達者ということになる。

命令者としては、手代木直右衛門に暗殺命令を許す権限があった人間はただ一人。
会津藩主松平容保が承認しない限り、手代木は動けない。

また、会津藩主松平容保は大政奉還に強く反対していたことが
当時の佐幕派とされた人々の記述からも多数裏付けられており、動機も充分。
155日本@名無史さん:2011/04/24(日) 08:18:22.31
>>153
そのような説は正当ではない。
論拠とされていたグラバー園内のフリーメイソン石碑は、
他の西洋屋敷から昭和になって運び込まれたものと判明している。
156日本@名無史さん:2011/04/24(日) 09:50:19.01
>>151
織田信長関係の史料で最も信憑性のある、信長公記に記載がある。
後見役が諫死目的で自ら命を絶ったなど、うつけと呼ばれていたことは確からしい。

彼を味方とした斉藤道三は、信長にとって最大の恩人の一人であった。
157日本@名無史さん:2011/04/26(火) 21:18:43.20
織田信長の側室生駒吉乃や生駒家?ってどんな人たちですか?実在しますか?
先祖は生駒大名だとか祖母が言うのですが、教科書レベルの知識しかないので…
158サガミハラハラ:2011/04/26(火) 21:34:01.68
お訊ねします。
西南戦争がはじまるとき、私学校において、作戦を皆で議論しているときに、「死ぬのが怖くて
理屈をいう」と発言し、議論をおわらせて、タイ勢を決する発言をしたのはだれだったのでしょうか。
159日本@名無史さん:2011/04/27(水) 01:17:01.75
赤穂義士の神崎与五郎と箕作十兵衛との関係を教えて下さい。
親族らしいのですが、名字が違うので姻戚かとは思うのですけれど、よく分かりません。
この箕作十兵衛と箕作義林という人物とは別人なのでしょうか?
よろしくお願いします。
160日本@名無史さん:2011/04/28(木) 23:55:00.01
田中角栄や小泉純一郎は100年後くらいの日本で、
現在で言うところの田沼意次や水野忠邦くらいの
ネームバリュー(日本史の重要人物としての)が
あるのでしょうか?

昭和後期〜平成の人物が後世どれくらいのネームバリューとして
残るのか、実に興味深いです
161日本@名無史さん:2011/04/29(金) 08:57:59.05
受験生が歴代総理大臣を丸暗記するから、教科書にのらなくても参考書にはのるだろう。
162日本@名無史さん:2011/05/01(日) 06:19:13.29
ゴムがなかった時代はどのように,避妊していたのでしょうか?
163日本@名無史さん:2011/05/01(日) 06:34:04.46
さあ

神功皇后は石を抱いていたら、先の天皇が死んで1年以上経過した後に天皇の子を出産しましたが
まあ、それはアレだから

江戸期の遊郭などでは和紙を入れて蓋をしておくとか、魚の膀胱でコンドームなどあったようですが
確実とはいえなかったようですし、性病には無力ですな
164日本@名無史さん:2011/05/01(日) 08:09:12.00
やればできる、とおもっていたから避妊などかんがえなかったでしょうね。
165日本@名無史さん:2011/05/01(日) 09:03:59.85
昔は乳児の死亡率が高くて産んでも生き残る華道か分からなかったから避妊なんかしませんでした。
天皇も江戸時代の桜町天皇から明治の大正天皇までの九代は庶子(側室の子)です。
166日本@名無史さん:2011/05/01(日) 18:06:11.32
このイラストの元ネタとなったような時代や似たような建築様式は何か分かりますか
ttp://orb1.ocnk.net/zoom/14317
167日本@名無史さん:2011/05/02(月) 23:55:52.90
150年くらい未来の日本では浅間山荘やよど号ハイジャックなどを含めた
一連の全共闘事件と松本サリンや地下鉄サリンを含めた一連のオウム事件、
どちらがより大きな事件として伝えられていると思いますか?
当時の社会的影響や後世への影響などを含め、意見を教えてください
168日本@名無史さん:2011/05/06(金) 17:32:58.83
天皇陛下は戦前と戦後で大きく変わったと言われますが、本質的な意味では大して
変わっていないように思えます。元首から象徴へとか不敬罪がなくなったりとか
変化そのものは認めますが、もともと戦前においても政治は総理をトップとする
内閣が行っていましたし、例外はあるとしても通常は天皇は政治に口を出す存在では
なかった。また、現在は元首ではなく象徴であると言っても、諸外国は天皇を
元首扱いしています。
戦前と戦後で天皇陛下の本質の変化はどう解釈したら良いのでしょうか?
169日本@名無史さん:2011/05/06(金) 21:56:15.09
>>168
戦前の天皇は口を出しまくってたよ。元をただすと明治天皇は若い頃は余り政治に関心がなかったんだけど、
周囲の元勲らが心配してもっと政治をやってくれをお願いした。明治憲法は天皇の独裁ではなかったけど、
一般に言われている様な立憲君主でもなかった。昭和天皇は組閣に不満があれば反対の意思表示をしていた。
そのクセが抜けなかった昭和天皇は沖縄の割譲や朝鮮戦争に対してGHQに進言までしていたからね。

分かりやすく言うと戦前は天皇が主権者、戦後は国民が主権者。
170日本@名無史さん:2011/05/06(金) 22:34:13.51
大金持ちや有力政治家、やくざの親分、新興宗教の教祖もみんな国民、
国民でないのは皇族だけ、この解釈で合ってるよね?
171日本@名無史さん:2011/05/07(土) 10:02:26.39
>>170
ちょっと違う。日本国民の要件は国籍法に基づくが、皇族の要件は皇統譜に基づく。
狭義の国民といえば皇族を除いた日本国籍保持者だが、広義の国民の概念には皇族も含まれる。
但し、皇族の場合はその地位の特殊性から国民に比べて様々な制限が課せられている。
172学士:2011/05/07(土) 17:33:24.25
>朝鮮戦争に対してGHQに進言までしていたからね
↑が何を指しているのか不明だが一寸言い換えると

>168
明治天皇は自分が元老の駒だということを自覚していたのに対し
昭和天皇は226のときに「自ら近衛を率いて…」とちょっち勘違いしているところが戦前にはあった
173日本@名無史さん:2011/05/08(日) 10:09:54.04
>>172
> >朝鮮戦争に対してGHQに進言までしていたからね
> ↑が何を指しているのか不明だが一寸言い換えると
ダレス宛の昭和天皇のメッセージ。「ダレス文書」に依れば松平康昌が宮中とのコネクションがあった
パケナムを介して昭和天皇からのメッセージをダレスに伝えた。他にもマケルロイ国防長官と会談した際、
日米安保が日本の安全保障に欠かせないことを進言している。
174日本@名無史さん:2011/05/08(日) 10:44:44.27
近代の天皇では明治天皇と昭和天皇の存在感が抜きん出ているけど、もう今後、
これらの天皇を超える存在感の天皇は出てこないでしょうか?
時代的、または制度的にも
もし出てくると仮定したら、それは国の形や制度が今と大幅に変わった時かな?
175日本@名無史さん:2011/05/08(日) 12:02:00.19
昭和天皇は歴代天皇で唯一外国勢力の統治を許したという意味では
確かに抜きんでているな。
176学士:2011/05/08(日) 12:57:43.27
>173
それは未見なので判断は保留するけど、昭和天皇が朝鮮戦争でどの程度主体的に行動したのか疑問はある
GHQの陸軍師団増設要求や海軍の掃海艇投入命令等、あの時期はマッカーサーの無能に起因する混乱で
米側も日本側も統一された意思決定のもとで行動していたとは言いがたいからね
昭和天皇からのメッセージの内容を教えてもらえると助かる

>マケルロイ国防長官と会談した際、日米安保が日本の安全保障に欠かせないことを進言している。
明治天皇とは違い自分の周囲には無能な人間しかいなかったと自らの不明を恥じ入るのではなく泣き言を言う人なので
単純に陸海軍に嫌気がしていたから米軍の庇護を望んだだけじゃねぃ?
177日本@名無史さん:2011/05/08(日) 13:14:37.70
>>176
主体的行動したなんて言ってないよ。あくまでも進言だから。昭和天皇にしてみれば共産化は脅威だったらしい。
ダレスやパケナムは昭和天皇が軍事作戦について色々訊いてきたり、戦術についての話をするもんだから驚いたそうだ。
178日本@名無史さん:2011/05/08(日) 13:17:02.48
>>176
> 昭和天皇からのメッセージの内容を教えてもらえると助かる
詳しく知りたければ豊下楢彦氏の『安保条約の成立――吉田外交と天皇外交』『昭和天皇・マッカーサー会見』を
読んでください。
179日本@名無史さん:2011/05/10(火) 05:31:03.92
幕末の京都で「目明し文吉」が殺されましたが、その時の殺害方法とか
屍骸の晒しかたがよく分かりません。
どうか詳しく教えて下さい。

他のスレで問うても返答して貰えないので、歴史学博士にお伺い申し上げます。
よろしく願い上げます。
180威迦櫓守:2011/05/11(水) 16:59:43.64
天皇や皇子(皇太子)の自殺について

一休宗純(天皇の皇胤)の入水自殺未遂でふと思ったのですが、天皇や皇子や皇族、(高級)貴族などに
「自殺」に際しての切腹など刃物傷や舌を噛む(毒を煽る)などの出血を避ける様な思想や信仰はありますか?

天皇で自殺といえば
■壬申の乱で敗れ、首をくくった弘文天皇(大友皇子)
■壇ノ浦で抱えられて入水した安徳天皇
などがあります

徳川時代の武家ならば切腹・自刃などの自殺(?)の作法は有名ですが、
平安時代を頂点として天皇・皇族や貴族や神道では穢れる事(触穢)を最も忌み嫌う一種の信仰が最盛期を迎え、
血(出血、出産、経血、刺殺、殺し、死、悪感情)は穢れでもありました

それはたとえ自殺という特殊状況に際しても重要視された程に根深いのではないかと仮定しているのですが、裏付ける皇子や皇族、高級貴族の自殺のデータを当方は持ち合わせていません

皇族や高級貴族の詳細な自殺方法データや、私が仮定した事の反証となる様なデータがあるのかどうか知りたいのですがいかがでしょうか

長文失礼しました
181日本@名無史さん:2011/05/11(水) 17:07:03.86
 
1993年の災害は、足利尊氏の建武の新政

http://s1.shard.jp/deer/02/2/14B_2.html

日本政府は、ことごとく歴史を繰り返す。

とんでもない国だ。
182威迦櫓守:2011/05/11(水) 19:23:46.75
>>180
補足
流刑され怨みながら亡くなった崇徳院は、一説には舌を噛みきり憤死したという話もあるが真相は不明
183日本@名無史さん:2011/05/12(木) 13:13:26.55
幕末に目明し文吉が殺されましたが、その時の殺害方法とか
屍骸の晒し方がよく分かりません。
詳しく教えて下さい。
他の板で訊いたのに、回答を貰えなかったので、歴史学博士の方々に伺います。
よろしく。
184日本@名無史さん:2011/05/13(金) 00:37:59.32
同じスレで何回聞くんだよw
185日本@名無史さん:2011/05/13(金) 12:15:00.65
100回!
186日本@名無史さん:2011/05/18(水) 00:41:33.26
人間の生贄って日本ではいつぐらいまでありましたか?
187日本@名無史さん:2011/05/18(水) 02:23:10.23
>>186
生け贄の意味を拡大させて「殉死」まで広げると明治天皇や昭和天皇の崩御に際して殉死した人は複数人いたからね
乃木希典の様な明治天皇が気に掛けた人から、無名の市井の国民まで

殉死も自分の意思でやる場合と、太古の奴婢が殉死を強制させられたと思われる例もある
江戸時代の名君は殉死者が多かった殿様もいたらしく禁止令も出されたがその後も殉死者はいた

古代なら人柱といって洪水被害を止める為の人身御供(一種の生け贄)もあった
あと一説には埴輪は殉死の身代わりに作られ始めたという説が昔は有名だったが、最近はその意見の否定派の方が主流

神道系や仏教などの影響を強く受け、平安時代をピークに天皇や皇族や貴族に死の穢れを嫌う信仰が盛んで、
基本的に「けもの肉」を食べない食文化が次第に日本全体に広まり、人や動物を殺す事も極力忌避される事になったのも生け贄などに及ぼした影響もあっただろう
188日本@名無史さん:2011/05/18(水) 21:33:58.45
>>187
なるほど言われてみれば殉死も生贄と考えられますね
人身御供は江戸時代までありそうだと思っていたのですが古代だけのようでびっくりです
詳しい説明ありがとうございました
189日本@名無史さん:2011/05/19(木) 00:00:39.66
真田信之が松代転封の際に、書類全部燃やしてから松代に移ったって話は
一次史料にも出てることなのでしょうか?
190補足 長文失礼します:2011/05/19(木) 09:14:51.07
>>188さんへ
>>187を書いた者ですけど、人身御供や生け贄も地方の特殊な土着信仰などで江戸時代(もしかしたら戦前くらいまで)に、幾らかレアなケースがあってもおかしくない気もします
実例を知らないので半ば都市伝説みたいな話ではありますが
離島だとか奥地とか多少隔絶された様な排他的で集落コミュニティー内部の繋がりが強い地方などで、古くからの伝統が連綿と秘密裡に守られたりだとか、独自進化したりだとかあってもおかしくないと個人的に推測します

あと神への捧げ物とは全く違うでしょうが、悟りの究極的な形としての断食行や生き仏みたいなケースや、修験者の命懸けの荒行など

また仏教系や神道や道教系のカルト新宗教や、文明開化以降の欧米の悪魔信仰やキリスト教系のカルト信仰などまで入れてしまうと、
明治以降から現代まで人間の生け贄の幾つかの例もあり実際の事件が映画にもなったりとかあります
(そう言った欧米由来話は論旨と違うかもですが)

あと生け贄=神への捧げ物で御機嫌を取ってわざわいを祓う
って趣旨だと思うんですが、勿論日本でも捧げ物としての供物はありましたが

日本の場合は主に墓や神社(神殿)を建て、祭祀で奉り慰める作法だと思われます(怨霊化した菅原道真公も、丁重に奉り慰め御霊とする)

神道の女性の巫女も未婚(で処女)の若い女性で神に仕え、身の回りのお世話や神に奉納する舞で慰め喜んで貰う役目であり、
斎王と呼ばれる巫女は未婚の皇女(内親王や女王)が一生涯独身のまま神に仕えたり、口寄せといって神託(憑依)で神の言葉を人々に伝える役目を担ったり、
場合によっては神と一種の夫婦となって妃として神にお仕えしたりという云われも日本書記にみられる

基本的に日本では
人間の生贄より→神を讃え慰め舞や雅楽や供物など捧げ物を奉納し身の回りの世話をし、時に夫婦となって仕えたんじゃないでしょうか

長々と失礼しました
191日本@名無史さん:2011/05/19(木) 19:16:40.15
柳田国男『巫女考』によれば、巫(かんなぎ)系巫女、口寄せ系巫女を問わず多くの巫女が結婚した後も巫職を継続した。


192日本@名無史さん:2011/05/19(木) 21:25:30.91
全くの歴史素人です
アニメを見ていて大正時代に興味を持ったのですが、文化や風俗がよくわかるような小説や映画、アニメなどありませんか?
あの時代特有のロマンある自由な空気が大好きです
193日本@名無史さん:2011/05/19(木) 21:49:19.96
前のレスに追加で失礼なのですが、大正天皇の謎めいた感じも興味があります
よろしければ、かの人物についても歴史に造詣のある皆様から教えていただければ幸いです
194日本@名無史さん:2011/05/19(木) 22:22:13.53
その程度の知識量なら、漫画「はいからさんが通る」を読んでいれば良いでしょう
195日本@名無史さん:2011/05/19(木) 22:34:48.25
>>190
再びの説明感謝です
どれも興味深い内容で読んでいて楽しかったです
こうして詳しい解説を聞け非常に為になりました
これをきっかけに自分でも色々と調べてみようと思います
ありがとうございました
196:2011/05/20(金) 02:08:56.60
>>187
では埴輪は一般的に厄除け何でしょうか?よく肩や手、とか一部が破損してる埴輪が多いみたいだけど病を埴輪人形が身代わりしてくれる様に考えたのでしょうか?

呪いの藁人形の逆パターンですが。
197日本@名無史さん:2011/05/20(金) 03:07:43.10
>>196
埴輪のその辺の意味は意見分かれてるでしょうが、なにかしら呪術的意味合いも強くあったでしょうね
僕もその辺りは興味はあるんですが掘り下げてないですね

中国でも有名な秦の始皇帝の兵馬傭(ヘイバヨウ漢字間違ってたらスイマセン)の大兵団や軍馬の等身大像が有りましたよね

始皇帝の陵墓の周りを、人工的な造り物ではあるけれども呪術的作法に乗っ取って命を吹き込まれた大兵団が半永久的に始皇帝を穢されないように護衛させているんでしょうね

こちらは等身大で大規模な軍団だから、陵墓造りもですが兵馬傭にもそれだけ力や祈りが注がれたでしょう

兵馬傭の数量とかも生前の身辺警護隊そのままの忠実再現かもしれないし、別の意味かもしれません

ヒトガタ、ニンギョウ、人形って人間を型どったり仮託してるといいますか、強い呪術的意味合いや代償物としての意味合いはあるんじゃないでしょうか

近代でも藁人形や東北のコケシ人形に深い背景や裏事情が有るように
198日本@名無史さん:2011/05/20(金) 03:37:54.63
>>196
ちょっと今思い出したんですけど、沖縄の池間島という離島の風習で幼子が死んだ場合は身体をズタズタに切り刻むか釘を打ち込まないと、生き返るというのがありますね
(民俗学者の谷川健一氏の対談より)

老衰=一番よい死に方
で幼くしての死は不完全な死だから、この世に未練があると
(もしかしたら怨みを持っての死や殺されたとかも生き返る可能性ありとみられたかもしれません)

そういうのと同じで埴輪を一部欠損させて、復活を防ぐ(挫く)呪術があったかもしれません

遺体の骨を折るとかの葬り方も聞いた事ありますね
199日本@名無史さん:2011/05/20(金) 04:54:04.41
>>197
>>198
なるほどですね。埴輪には身代わり的な意味があったかも知れませんね。
しかし例えば古代なら卑弥呼が無くなり奴隷を2百人を一緒に埋葬したみたいですが、これはあの世で卑弥呼の飯使いの為に埋葬された?、もしくは卑弥呼自身の祟りを恐れて2百人の奴隷を道連れにしたんでしょうか?
死んだ老婆に包丁を持たせて土葬するような感覚でしょうか?
200日本@名無史さん:2011/05/20(金) 22:54:57.53
>>199
うーん卑弥呼や邪馬台国の件は、全て俗にいう「魏志倭人伝」の記述頼みですからね

判断材料としての記述内容も少ないし、記述を裏付けるそれらしい考古学的発見や陵墓もまた分かってないし邪馬台国の場所すら確定されませんからね

それに説明すると長くなりますが、いろんな要因から記述内容を疑ってかかった方がいい思える事は多いですが、個人的には非常に興味深い鋭いと思える記述もいくらか見られるのは事実です

だから記述を全て信じるしかないし、不明瞭な部分が多い為に想像の占める割合が高くなる様な推察しか出来ませんね

だから例えるなら
事実…を元にした報告書…を元に後は推測で補った推論しか無理ですね
学問じゃなく小説とか読み物、物語になっちゃいますけど…?
201日本@名無史さん:2011/05/20(金) 23:54:52.46
>>199
話ちょっとズレますが、「持衰(じさい)」という魏志倭人伝の記載はちょっと興味深いですね
一見すると人柱や人身御供にも近い様な信仰・祭祀ですね
海洋信仰、自然信仰の一形態ですかね

もし興味持たれたら調べてみてください
202:2011/05/21(土) 03:49:20.65
>>200
>>201
ありがとうございます。色々自分でも見てみます。邪馬台国を出したのは一例を出したつもりです。すなわち、古代に見られる殉死?だかお供の埋葬について不思議だったんです。護衛の為にお供を連れるのか祟りを恐れて人間を差し出すのか?
ってのが疑問です。道真の祟りを恐れて神社を建てたり豊穣を願い大仏を建てるくらいだから意味はあるはずですよね。

しかしヒトラーを埋葬するのに連合国が祟りを恐れて人柱を一緒に埋めるのかな。

まあ色々見てみます。
203日本@名無史さん:2011/05/22(日) 00:01:38.79
あくまで個人的見解ですが
仮に記述通り殉葬があったとして
祟りを怖れての殉葬100人という可能性は薄いと思いますね
むしろ尊敬され、うやまわれて特例中の特例でそれだけの豪華な扱いを受けた
(ボディーガード役でありお手伝いさんであり、身の回りの世話人や淋しく無いように話し相手の御伽衆じゃないですかね)

半世紀以上もの長きに渡り祭司王として連合国家に君臨した特別な女王ですからね
(20年で王が死に交替するとして、葬儀ごとに毎回殉葬100人していたら国が持たないですし)

祟るのも万人が祟るわけじゃなく、祟るだけの理由があって初めて祟りますしね
じゃなかったら世の中怨霊だらけですよ

それと祟るのを先に予見して気を利かせてあらかじめ一緒に殉葬するなんて、逆に卑弥呼の怒りを買いませんかw

大きな災いが頻発するなどして、祟りや怨霊化が判明してから慌てて手厚く祀ったりするもんなんですよ

祟りを取り除く方法も、不満を感じている原因を取り除くのが一番なんですよ
(無実の罪で左遷や流罪→現地で憤死→怨霊→罪状取り消しや名誉回復や真犯人逮捕・罰則、虚偽密告者に罰則など)

僕らだってそうでしょ?
不安不満やストレスを何か別の事で発散よりも慰めの言葉よりもプレゼント貰うよりも、本当に一番いいのは不安やストレスの原因自体を解決解消する事ですからね(笑)

死者だって怨霊だってそういう理窟は通るんですよ

中には「そんな要らない人間の生け贄なんか捧げやがって誰が要るっていったわ馬鹿!要らんわ!」ってなって怒りを買ったら全く鎮魂じゃなく本末転倒なんですよね

204日本@名無史さん:2011/05/27(金) 14:19:08.38
お願いします。

平安時代の新撰姓氏録が編された時点で、すでに335氏に及ぶ皇別が記されているそうですが現代ではどうなってるんでしょうか?

神別の、藤原一統で近衛・冷泉家などは有名で僕らにも認識はありますが、その335氏の中には、いろんな意味で未だに皇別たる格式を誇るような氏族はあるんですか?
もう途絶えてたり、あまりにも数多な枝分かれで市井に紛れてしまってるのか皇別の今に興味が深いです。

漠然過ぎな質問ですが、是非ともよろしくお願いします。

205伊作:2011/05/27(金) 18:17:14.65
>>188
>殉死も生贄と考えられますね
基本的には「つき従って死ぬ」ことでしょう。
自発的な殉死と強制的な殉葬でね。

>>196
>埴輪は一般的に厄除け何でしょうか?
『日本書紀』によれば殉葬に代わるものです。
殉葬は生きたまま埋めたようです。

>>201
>「持衰(じさい)」……一見すると人柱や人身御供にも近い様な
江戸時代まで、日本海で活躍した「北前船」に持斎を載せていた事実があります。
青森県深浦の円覚寺に奉納された額(絵馬)に、
海が荒れ狂う中で船の舳先の柱に縛りつけられた持斎の絵があります。

『倭人伝』によれば、陸にいる時に斎戒(女子を近づけず・肉を食わせず・
汚れたままにするとか)して、航海の時に持衰を載せます。
航海中、疾病や海難が起きなければ、貴重な積み荷と同じように大切に扱うが、
疾病や海難が起きれば、それを解消するために海に放り込んだのでしょう。
実態は人身御供に近いですね。
206伊作:2011/05/27(金) 18:18:25.42
古代人はとかく、土地の神や病気をもたらす鬼神に対する畏怖と畏敬が強かったらしく、
土地の神を鎮めるために地鎮祭をやったようです。
大切な銅鐸や銅鏡を集落や開墾地に埋めたのも、その目的だったのではないでしょうか。
いま、私たちは巨大地震を体験しましたが、古代人の信仰のほどを思い知らされます。

地鎮祭には鋤・鍬・鎌を使いますが、これは土地の神に土地に手を入れる許しを乞う儀式だそうです。
地鎮祭には「地鎮具」を埋めたようで、現在の地鎮祭でも地鎮具のレプリカを埋めます。
その内容は、人形(ひちがた・ひとがた)・鏡・矛・楯などです。
人形とは人柱でしょう。大規模土木工事や大規模建設などで、土地の神を鎮める意味で
生きた人間(人柱)が埋められたことを思わせます。
207日本@名無史さん:2011/05/27(金) 23:41:39.71
私も先祖神には供物も人と同じ様な物
自然神(大自然の猛威からの鎮魂)には、場合により人身御供もあったのかなとは思います
208日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:10:30.55
暗殺された天皇はどれぐらいいるのですか?
崇峻天皇だけ知っています
209日本@名無史さん:2011/05/28(土) 22:24:23.78
安康天皇
210日本@名無史さん:2011/05/29(日) 00:45:10.77
>>208
個人的にも大変気になるテーマなので調べて、迷惑かも知れませんが少し拡大して
暗殺、暗殺されかけた、暗殺説が囁かれる、解釈によって殺害ともみられる、自殺、不審死や異常死、憤死などをまとめてみます

少しお待ちを
211日本@名無史さん:2011/05/29(日) 01:52:34.38
>>208
〈暗殺〉
公式に天皇暗殺が記録(認定)されているのは、第20代・安康天皇と第32代・崇峻天皇の2人
安康天皇を暗殺した眉輪王は皇族、崇峻天皇を暗殺した東漢直駒は蘇我家臣

〈暗殺説〉
真偽をめぐって最も「毒殺による暗殺説」が囁かれ続けているのは第121代・孝明天皇

〈暗殺未遂の記録〉
暗殺未遂が記録されている天皇は
皇后に殺されそうになった第11代・垂仁天皇
勘違いの嫉妬で矢を射掛けられて袖を突き通され、さらに別の矢で従者を射殺された第65代・花山天皇(当時は退位して花山法皇)
第92代・伏見天皇が宮中に乱入した甲斐源氏浅原為頼の一族に命を狙われかけ女装して御所から脱出
昭和天皇も1923年12月27日車の外の至近距離から銃撃され、1932年1月8日に手榴弾を投げられたが、いずれも逸れたりして難をのがれた

〈欧米解釈なら暗殺?〉
8歳の第81代・安徳天皇は、壇ノ浦の合戦で二位尼時子に抱かれて入水し崩御したが、無理心中などの概念が理解されにくい欧米なら天皇が幼子でもあり、もしかしたら二位尼時子の天皇殺害・兼自殺と解釈されるかもしれない

〈自殺〉
公式に記録されているのは上記の安徳天皇の入水自殺
あと日本書記にも天皇即位の記録は見られないが先帝天智天皇の皇太子だった大友皇子が、壬申の乱で敗れ自ら首をくくって自決
(明治時代になって第39代・弘文天皇として歴代天皇に加えられる)

〈不審死・事故死〉
第14代・仲哀天皇は古事記に、暗所での神託内容を侮辱して神の怒りを買いその場で呪い殺された。日本書記には神託無視の後日に俄に体調を崩し崩御(また一説に熊襲の矢に当たって崩御)
第87代・四条天皇は御所の廊下にろう石を塗り人が転ぶのを見るといういたずらをしていた所、自ら転倒して大怪我しそれが原因で12歳で崩御
第60代・醍醐天皇は清涼殿に落雷して5人が即死した衝撃等で俄に体調を崩し崩御。落雷も天皇崩御も菅原道真の怨霊が囁かれた

その他にも島流し、幽閉、追放、不遇な待遇などによる緩かな衰弱死や憤死も疑われる天皇も多数(孝徳、崇徳、後鳥羽など)
212日本@名無史さん:2011/05/29(日) 10:02:05.39
208じゃないけど興味深く読ませてもらった。
すげーな、こんなにいるんだ。まとめた211もすごい。
俺的には四条天皇の死因でファンタ吹きそうになったw
そういや承久の乱がらみで2ヶ月間だけ天皇やってた仲恭天皇(享年17歳)も
死んだ時の状況から暗殺説が濃厚じゃなかったっけ?
213日本@名無史さん:2011/05/29(日) 15:11:58.87
皇子や皇族の殺害とか不審死とか入れたら、記録があるものだけでもとんでもなく増えるだろうな
214:2011/05/30(月) 23:24:25.82
岩倉ともみと利通の疑惑は本当なんでしょうか?
215日本@名無史さん:2011/05/31(火) 05:29:47.23
>>211
後醍醐天皇も暗殺計画がありましたね。
216日本@名無史さん:2011/05/31(火) 09:34:58.51
>>214
絶対にあったとも言えないし、絶対に無かったとも言えないでしょうが、犯罪行為があったと主張する側に立証責任が有り、それが出来ない限りは法的にも歴史的・文献的にも無罪でしょうね
じゃなかったら権力者の不審死・突然死の全てが怪しいと言われてしまいます

>>215
実際は実行にまで移されなかった天皇に対する謀反計画、暗殺計画を全て入れたら正直もうキリがないんじゃないんでしょうか
実際に実行に移されて命の危険があったと認められる極めて危ういケースだけをあげました

たとえば今上天皇に火炎瓶が投げこまれて、近くで可燃物が炎上した事もありましたが、
これも一歩間違えば大変危険な状況といえるでしょうが、独自判断で殺人未遂には含めず傷害未遂と判断して除外しました

計画だけなら少し前のオウ○とか、過激カルト教団、極左過激活動家、精神破綻妄想者も今現在でも幾らでもあるんじゃないですかね
外国からも狙われてるでしょうし
もしかしたら誰からも殺したいと思われた事がない天皇というのは史上いないかも知れません
217日本@名無史さん:2011/06/02(木) 02:30:09.18
ttp://livedoor.2.blogimg.jp/nwknews/imgs/e/0/e04e63de.jpg

この絵見てほしいのですが、この絵ってなんて種類の絵なの?浮世絵?
218日本@名無史さん:2011/06/02(木) 07:23:42.32
親王とか内親王って何で英語でキング・クイーンと訳されないのか? 彼らは英国王とかと同格なのに。だから“王”の字が付いてるわけで。なのにプリンス・プリンセスってw 白人どもは日本ナメてんでしょw
219日本@名無史さん:2011/06/02(木) 08:08:14.94
明治時代にキング・クイーンの和訳に王・女王とあてはめたせいで
それらは使えなくなったと聞いたことがある。
なので、天皇はエンペラー、皇太子はプリンス、内親王はプリンセスになったんじゃないか?
220日本@名無史さん:2011/06/02(木) 19:17:14.63
元寇→土塁 実際に役立った
白村江の敗戦→水城???
どうして白村江のとき、博多湾に土塁を作らなかったの?
水城って実戦で役に立ったことあるの?
221日本@名無史さん:2011/06/02(木) 23:07:32.68
ある
222日本@名無史さん:2011/06/03(金) 17:43:22.08
坂上田村麻呂の諱は何ですか?
223日本@名無史さん:2011/06/04(土) 16:31:05.54
田村麻呂
224日本@名無史さん:2011/06/05(日) 09:30:50.01
かつての朝廷、幕府、そして現代の政府、それぞれの共通点や相違点などを
挙げて説明してもらえないですか?歴史博士、是非お願いします。
225日本@名無史さん:2011/06/06(月) 16:45:57.16
飯田橋駅
神楽坂側
セントラルプラザビル(2階に本屋たダイソーのあるビル)
あの下の石垣は模造でしょうか?

226日本@名無史さん:2011/06/06(月) 16:51:16.75
江戸時代初期に御茶ノ水を掘割した後
洪水から江戸城側を守るために南岸だけ土手を作った(下流が柳原土手)わけですが
この片側堤防の名残りが、飯田橋〜水道橋のJR線路の下部分に見られるというのは今でも可能なのでしょうか?
具体的な観察ポイントはどこになりますでしょうか?
227日本@名無史さん:2011/06/06(月) 19:48:30.00
プリンセス・トヨトミは本当に(ry
228日本@名無史さん:2011/06/09(木) 22:27:25.44
南北朝時代、朝廷が北朝(京都)と南朝(吉野)に二つ並立していましたが、
官位の授与など重要な役割はどちらが担っていたのでしょうか?
(室町幕府が支持していた北朝の可能性が高いと思いますが)

では、残るもうひとつの朝廷は何をしていたのでしょうか?
229日本@名無史さん:2011/06/09(木) 22:40:45.28
両方がやっていた。
南北両方に摂政・関白や大臣・将軍などがいた。
230日本@名無史さん:2011/06/09(木) 22:51:59.27
北朝側の子孫である明治天皇の「正統は南朝側の方である」という発言があったというのは本当ですか?

何故自らの天皇位の正統性を危うくしてまで、その様な発言をしたのでしょう?
客観的に誠実に見て、やはり南朝側がより正統だと思っていたという事ですか?
231日本@名無史さん:2011/06/10(金) 00:01:51.99
>>229
初耳です!それはマジですか?
室町幕府の足利将軍は北朝側が任命したと思うのですが、
では南朝側が任命した将軍は誰ですか?
232日本@名無史さん:2011/06/10(金) 02:09:57.57
南朝側では、鎮守府将軍の北畠顕家が、光明天皇(北朝)が征夷大将軍に任命した足利尊氏に正対する存在であったと思われる。

後醍醐天皇は、誰も征夷大将軍に任命することはなかった。鎌倉幕府の再生を恐れたためとされている。
得宗専制抜きの幕府の再生が鎌倉武士の願いであったため、
後醍醐天皇の足利尊氏への征夷大将軍任命拒否は、鎌倉幕府崩壊後の後醍醐天皇と足利尊氏の関係が決定的に悪化する一因となった。
233日本@名無史さん:2011/06/10(金) 23:34:22.31
武田信玄時代の金の生産量はどのくらいですか?
234日本@名無史さん:2011/06/10(金) 23:37:06.46
235記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/06/11(土) 18:29:37.72 BE:1772659384-2BP(791)

ちょっと、論考を考えました。評価をお願いします。

  時計の伝来

 日本には、古代は時計がなかった。中華から水時計が輸入され、天皇が使っていたらしいが、時刻を計るという風習を一般に広めてはいなかったようである。時刻を計るには、太陽の動きを計測し、時計をつくる必要がある。
 日本の朝廷において、太陽の動きを観察していたのは陰陽寮だ。のち、安部清明を祖とする土御門家に完全にのっとられてしまう部署である。
 しかし、民間に日本において、時刻を知らせたのは、寺の鐘の音だった。これは、インドから伝わったものである。日本の民間の時刻の概念を導入し、思考させてくれたのは、道教による陰陽師ではなく、仏教による仏僧であった。
 ここにおいて、日本には、インドの時間の概念が仏教によって導入されたことがうかがえる。太陰暦を司ったのは、陰陽師であるけれども、民間に時を知らせたのは仏教の寺であった。
 日本は、道教より、仏教に大恩ある国であることが示される。
236日本@名無史さん:2011/06/11(土) 21:13:12.22
>>232
後醍醐天皇は護良親王を征夷大将軍に任命しただろ
後に幽閉して足利家に引き渡したけど

その後の南朝の征夷大将軍には宗良親王がいる
また征西大将軍として懐良親王がいる
237日本@名無史さん:2011/06/11(土) 21:35:36.77
>>235
0点
238日本@名無史さん:2011/06/11(土) 22:12:45.44
>>235
そもそも
"時計"ってなんなのさ?
"古代"っていつなの?
他にもやる事は山程あるぞ
239日本@名無史さん:2011/06/12(日) 00:41:01.06
>>238だけど
ゴメン、なかった事にして下さい
240日本@名無史さん:2011/06/12(日) 01:09:26.28
>>239
241記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/06/12(日) 17:16:15.23 BE:2991363269-2BP(791)

オラオラオラオラオラ。
おらの時計伝来論考に手も足も出ない歴史学者ども。
時計っていったら時刻を知らせるものに決まってるだろ。
仏寺の鐘が日本では時刻を伝えていたんだよ。

ありがたく思ったら、詳しく調べて補足しやがれ。
寺がいつ頃から時刻の鐘を鳴らし始めたのか、時期を調べるのが良いぞ。
242日本@名無史さん:2011/06/12(日) 18:14:51.26
>>232
>>236
北朝(擁立)の足利将軍が日本を統治してるのに、南朝に将軍が立っても
なにもできないんじゃないのかな
南朝の将軍は政治的に何か具体的なことをしましたか?
243日本@名無史さん:2011/06/13(月) 22:19:56.50
>>240
こんなのにレスする自分がちょっと嫌になっただけ
>>241の書き込みで「やっぱり感」
244日本@名無史さん:2011/06/14(火) 21:08:52.78
古代日本の記事って中国の歴史書にしかないの?
西洋の歴史書には全然出てこないの?
245日本@名無史さん:2011/06/14(火) 21:27:02.57
その中国の歴史書の日本史自体が怪しいもの。
246日本@名無史さん:2011/06/14(火) 21:58:23.77
古代の天皇の場合、記紀以前の文献資料がないから難しいね。
247日本@名無史さん:2011/06/15(水) 16:41:22.51
もしかして見つかってないだけでラテン語で書かれた日本の資料があったりして!

なくても、映画のアイデアになりそう
248日本@名無史さん:2011/06/15(水) 21:29:14.04
お堀には興味がありませんか?
249日本@名無史さん:2011/06/16(木) 22:59:12.35
知恵袋でも質問したのですが、回答がないためここでも聞きます。

徳川綱吉のwikipedia見ていて、「その他」の項目で綱吉が天領の代官たちに対していった言葉が非常に気に入ったのですが、この発言の出典ってわかりますか? 山室恭子氏の本ですかね?できれば出典の本を買いたいのでよろしくお願いします。
wikipediaはあまり信憑性がないのは承知なのです。また別の人物の発言だったりでもいいのでその人物の本などを是非教えてください。
250日本@名無史さん:2011/06/16(木) 23:23:07.27
>>249
『wikipediaはあまり信憑性がない』とかナマイキ言う前に、
オマエの質問がカスだ。なぜ、その綱吉のセリフを書かない?

あー、いや、まず、手元の辞書で「出典」を引け。
17-18世紀の人間が、
20世紀生まれの女の著書を元に発言できたら、
SFなんだぞ、わかるか?
251日本@名無史さん:2011/06/17(金) 01:51:32.97
>>250
すみません。わたしの質問が悪かったと反省しています。

綱吉が天領の代官たちに対していった「支配者が寛かに民を扱うと、民は奢りに走り
本業を怠る 奢侈を許してはいけない 民は為政者を信用していない 為政者もまた民を疑っている
このようなことが起こらないように意思の疎通に心がけよ 代官等は率先して身を慎み、
職務をよく理解し、年貢の収納に努め、下役に任せ切りにせず、自らが先に立って職務に
精励することが肝要である」という発言です。

綱吉がこのような発言をした、と書かれている出典元を探しています。
本当に綱吉がいったか知りたいため、知っている方がいましたら是非
お教え願います。
252251:2011/06/17(金) 01:53:39.73
>>250

知恵袋も訂正しておきます。ご教授ありがとうございました。
私の質問の仕方が悪かったため、回答がなかったのですね・・・
253 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/06/17(金) 22:59:13.28
寛に過ぐるときは又縦弛の弊これ有り候。是れ等を以て人心を得候は、最も末なる者に候。我が徳義おのずから人を蒸化候処之れ有り候えば、人心は服し候者と存候。
英明主に人の服し申さぬは、権略にかたより候より、人其の為る所を詐欺かと思い候ゆえに候。
蕩然たる徳が意内にみちて外に現れる時がある者に、誰か服せずして有るべきや。 施しもすまじきには非ず。人君の吝なるは至りての失徳に候。
254251:2011/06/18(土) 10:49:16.86
>>253
これは・・・松浦静山の水雲問答ですか?
ということは徳川綱吉ではないということですか?
255日本@名無史さん:2011/06/19(日) 21:40:04.89
高一です
なんでアロー戦争にフランスまで加わったのですか?
お願いします
256 忍法帖【Lv=6,xxxP】 :2011/06/20(月) 00:40:23.26
英のロジスティックスにただ乗りできるとふんだからじゃねぃ?
257日本@名無史さん:2011/06/26(日) 19:37:51.02
歴史学博士になれば可愛い女子大生たちとエッチできるようになりますか?
258日本@名無史さん:2011/06/26(日) 19:43:40.30
ドバイ〜仕事のない外国人は強制退去
http://zarutoro.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_cad8.html
シンガポール〜外国人は調整弁 、妊娠検査も
http://hiroya.web.infoseek.co.jp/john2826.htm
外国人より動物が大事、スイスの超排外主義
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2010/12/post-1864.php
オランダ〜ブルカ禁止、移民半減
http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010100101000351.html
英国人の約7割、「失業中の移民は帰国すべき」=調査
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-37000120090316
デンマーク〜移民を完全禁止・極右が第一党
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%85%9A
「迷惑な街」チャイナタウン、現地社会と「同化」できない中国移民―イタリア.
http://news.livedoor.com/article/detail/4046948/
オーストリアの移民排除法案、可決
http://matinoakari.net/news/na/item_39845.html
ベルギー統一地方選、移民排斥掲げる極右政党が勝利 - ベルギー
http://www.afpbb.com/article/politics/2123605/963982
「多文化主義は完全に失敗した」=メルケル首相発言
http://gannriki.iza.ne.jp/blog/entry/1860352/
仏ルペン極右政党党首、世論調査で1回投票でトップ
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110306/erp11030619220006-n1.htm
フィンランド総選挙、民族主義政党が大躍進
http://www.afpbb.com/article/politics/2796091/7103142?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics
ハンガリ〜左翼大敗、極右が大躍進
http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042601000192.html
在特会会員10100人突破!日本マスコミ究極のタブー!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E7%89%B9%E6%A8%A9%E3%82%92%E8%A8%B1%E3%81%95%E3%81%AA%E3%81%84%E5%B8%82%E6%B0%91%E3%81%AE%E4%BC%9A
259日本@名無史さん:2011/06/27(月) 21:05:55.59
質問です。自分は北海道民ですが最近あちこちで『会津観光史学』と言う言葉を耳にします。
会津厨に言わせると捏造された言葉だそうですが本当はどうなんでしょうか?
260日本@名無史さん:2011/06/27(月) 21:08:45.25
>>259
参考までに

 >会津贔屓の奮闘も空しく、ウィキの会津観光史学項目の存続が決定しましたので報告します。
  ******************
  終了 意見が割れていますが、議論途中で依頼されノートの議論が不十分であったこと、
  依頼理由「ケース E。独自研究及び一部でのみ使用されるネットスラング。信頼できる情報源に適合した出典が無い」は
  田中悟氏の著書の存在により妥当とはいえなくなっていること、
  この記事を削除しなくても法的問題が起きることは考えにくいことから、
  この依頼は存続で終了します。
  ********************************
  以上、正義と真実が勝ちました
261日本@名無史さん:2011/06/27(月) 21:11:58.06
>>260
博士さん、ありがとうございます。
もしかしたら『会津観光史学』と言う言葉は2ちゃんねるから火がついて流行語大賞までいくかもしれませんね。
本当にありがとうございました。
262日本@名無史さん:2011/06/27(月) 22:44:10.87
ttp://i.imgur.com/bbjoe.jpg
いかがすべき
263日本@名無史さん:2011/06/28(火) 21:10:32.05
真田十勇士って武田信玄と主従関係にあったの?
264日本@名無史さん:2011/06/29(水) 03:21:03.79
他スレで見かけました。

>15 :日本@名無史さん:2010/09/13(月) 22:42:57
>京都で帝や住民を守る為に、長州のテロ活動を防いだばかりに

>会津で報復され50万人が大虐殺されてしまった。。。。。

50万の大虐殺が本当だとしたら許せないと思うんですが皆さんはどう思いますか?

265日本@名無史さん:2011/06/29(水) 03:22:19.88
良スレアゲ
266日本@名無史さん:2011/06/29(水) 09:39:33.58
会津若松に関する限り、会津若松市民らが唱える被害者論は根拠がない。

小説上のでっち上げを地元を検証する目的で掲げ、他人へ強盗傷害目的で虚言を撒く。
現在の会津若松市にはそのような観光業者や行政関係者が大勢存在している。
267日本@名無史さん:2011/06/29(水) 12:36:31.97
>>264
50万人も虐殺されたなんて悲しい歴史だね。
はたして当時の住民の何パーセントが虐殺されたのだろうか。
だれか知っている人はいないかな?
268日本@名無史さん:2011/06/29(水) 12:57:35.44
安禄山の乱では3600万人が死んだらしい。
当時の中国の人口に比べ多すぎる気もするが。
269日本@名無史さん:2011/06/29(水) 13:16:07.23
>>268
話を変えるな会津観光史学洗脳者さんよ

都合が悪くなると話題をそらす
どんだけ御都合主義なんだよ
270日本@名無史さん:2011/06/29(水) 13:18:45.78
会津観光史学とは、会津を美化・悲劇化し、会津の加害や売国は棚上げし
薩摩・長州を何の証拠もなく悪影の加害者として、現代の鹿児島や山口までも
中傷する、日本唯一の怨念地場産業であるが、PCの普及で、最近はその嘘がバレ
ネットを中心に、会津観光史学の嘘がバレ、酷評に晒されている。

この会津観光史学という美化・悲劇化は、会津への観光誘致に成功したが
会津観光史学による頻繁な発信により、会津観光史学洗脳者を生み、薩摩・長州への
根拠なき遺恨をぶつける、会津恨人を生んでしまい、会津が鹿児島・山口を恨む会津恨文化が繁栄してしまった。
271日本@名無史さん:2011/06/29(水) 13:21:34.42
>>269 50万人大虐殺当時の会津の人口を検証してるんだよ。
意味を理解してから書き込もうね。
272日本@名無史さん:2011/06/29(水) 13:22:42.37
273日本@名無史さん:2011/06/29(水) 16:23:17.24
50万人ってえ〜wwwwww
南京大虐殺をうわまわるなwww
会津観光史学は南京大虐殺を認めてるんだwww
274日本@名無史さん:2011/06/29(水) 16:26:42.06
だから、会津は観光史学による美化なんだって。
しかも特定の地域を中傷してる。
だから叩かれるようになったんだよ。
韓国みたいだってね。会津を賛美してるのは
時代劇や小説や小説家が書いた自称研究本しか読んでない輩なの。

275日本@名無史さん:2011/06/29(水) 16:30:41.42
>>274
会津観光史学の会津厨はまさに同情乞食だな

史実を捻じ曲げてでも同情ひいて金もうけ企むとか絶対許せねえだろ

2ちゃんの佐幕系スレの住人は★か会津若松市に金で雇われたアルバイトの可能性が極めて高い

会津観光史学に洗脳される奴が増えないようにみんなで注意しようぜ

276日本@名無史さん:2011/06/29(水) 22:56:42.50
スレ違い
277日本@名無史さん:2011/06/29(水) 23:01:36.38
>>264の質問にみんなが答えているだけだとしか思えない。
278日本@名無史さん:2011/06/30(木) 00:51:59.26
ここで聞いていいのか分かりませんが、よろしくお願いします。
日本で「寸」から「センチメートル」を使うようになったのは、何時代ですか?
大正だと遅すぎるような気がするのですが、
明治だと、明治の初期か、中期か、後期か、分かりません。
ご教示願います。
279日本@名無史さん:2011/06/30(木) 01:08:22.67
工業的には幕末の横須賀造船所あたりです。
だって元々メートルやキログラムは、フランスのフランス革命期以降の地域的な単位系なのですから。
280日本@名無史さん:2011/07/01(金) 00:23:27.32
>>279
そうでしたか。かなり昔だったのですね。
明治後半あたりには、
一般庶民はセンチメートルという言い方を普通に使っていそうですね。
ありがとうございました。
281日本@名無史さん:2011/07/01(金) 06:37:57.23
>>280
そんなわけがない。職種による。
古来単位系はものを扱う職種ごとにあり、日本の一般市民では終戦後暫く間で尺貫法が主流だ。
尺と言っても衣類と建築ではまた異なることに注意すべきだろう。
282日本@名無史さん:2011/07/01(金) 15:10:32.88
日本におけるメートル法導入の起源は、幕末の横須賀造船所あたりということになる。
しかし明治のお雇い外人の頃には導入元の国家ごとに単位系も異なっていた。
そして一般市民がどの単位を用いてきたかもまた別問題だ。

日本の場合、一般市民は昭和40年前後まで尺貫法で生きてきたと思われる。
また地域ごと、職種ごとに単位系は異なっていた。
283日本@名無史さん:2011/07/01(金) 21:35:11.65
まあ、今でも宅地なんかは俗に「坪」を使ったりするし、
日本酒なんかは「(石、斗)、升、合」の方が一般的かも。
もちろん正式にはuやℓ、mlで表示するのだけど。
284日本@名無史さん:2011/07/02(土) 18:56:10.98
質問です
四箇格言で華厳宗などが批判されてないのは
なぜなのでしょうか?
285日本@名無史さん:2011/07/02(土) 20:28:19.90
一説には明恵上人=鎌倉幕府を恐れたなんて言いますけどね。
華厳宗や法相宗はあまり庶民への教勢拡大を行わなかったので、ライバルではなかったのかもしれません。
286日本@名無史さん:2011/07/02(土) 22:00:15.09
>>285
なるほど
布教活動を積極的に行っていなかったんですね
知りませんでした
ありがとうございます
287日本@名無史さん:2011/07/03(日) 01:05:47.05
>>281
フォローありがとうございます。
職種ごとですか。なるほど。
288日本@名無史さん:2011/07/03(日) 01:06:35.52
>>282
>>283
ありがとうございました。
289日本@名無史さん:2011/07/03(日) 15:41:30.93
>>282
ヲイヲイ いくらなんでも昭和40年前後ってことはないぞ。
戦後の教育はメートル法が採用されたわけだから、少なくとも戦後生まれの世代は尺貫法を日常用いたことはないはず。
290日本@名無史さん:2011/07/03(日) 16:45:28.04
>>289
戦後も一般社会では米は一升、布は一尺でしたが?
291日本@名無史さん:2011/07/03(日) 17:25:09.41
1斗缶とかあるし。

単位系は廃止を政府が宣告しなければ、元の単位が続行する。
日本の場合は、昭和40年ごろに鯨尺などの禁止や一升一斗などの表示の禁止が実行されたから、
それ以前は、教育ではメートル法と他の単位との換算数値を教えて、実社会では尺貫法が生きていた事になる。

工業製品は別だろうけどね。
292日本@名無史さん:2011/07/03(日) 21:22:33.09
菅首相側、北の拉致容疑者親族の周辺団体に6250万円献金
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110702/crm11070208000002-n1.htm


拉致容疑者親族周辺団体へ献金 鳩山前首相側も1000万円
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/snk20110703059.html?fr=rk


新聞では産経新聞しか報道してないのでは。。
293日本@名無史さん:2011/07/04(月) 15:25:30.44
>>289
これが西側脳か
294日本@名無史さん:2011/07/05(火) 21:57:17.34
国語の教科書は標準語が多かったけど
日常では方言だぜ
295日本@名無史さん:2011/07/06(水) 06:33:18.50
いくらなんでも昭和40年代にゃあ、既にメートル法が主流だわさ。
アホ言っちゃいけねぇよ。
296日本@名無史さん:2011/07/06(水) 16:08:44.89
腐ってるなあ、尺貫法の使用禁止は昭和40年前後。
戦前から政府は度量衡の統一を掲げていたが、実施は先送りされ、
メートル法とポンドヤード法、尺貫法はこの時期まで並存する。
297日本@名無史さん:2011/07/06(水) 19:46:25.68
>>295
>いくらなんでも昭和40年代にゃあ
>昭和40年代
>40年代
>代

改竄してはいけません
298日本@名無史さん:2011/07/06(水) 21:31:52.14
>>1
楽して金稼ぐ方法教えろ
299日本@名無史さん:2011/07/07(木) 14:51:06.63
>>1
「歴史学博士」って、ホントはないんだよね。
歴史学で博士号とっても文学博士だよね。違和感あるー。詳しい人教えて!
300日本@名無史さん:2011/07/08(金) 00:07:48.01
社会学士ではなくて?
301日本@名無史さん:2011/07/08(金) 16:10:24.87
>>297

282 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2011/07/01(金) 15:10:32.88
> 日本の場合、一般市民は昭和40年前後まで尺貫法で生きてきたと思われる。

なるほど、原文では「昭和40年前後」となっているな。
それを「昭和40年代」と改ざんしてはいけない、と。

昭和40年代といった場合との違いは最大でも11年程度だぞ。
平均すれば5〜6年の違いしかない。

で? 君は高々そんな短期間に、尺貫法がメートル法に切り替わったと言いたいのか?
302日本@名無史さん:2011/07/08(金) 16:33:57.70
事実そうですし。

昭和39年の法改正による法律条文からの尺貫法の排除と、
41年の一般業務における尺貫法の度量衡機器販売禁止と尺貫法表示による販売禁止で、
日本はメートル法へ統一されました。

それ以前は日常生活に尺貫法は厳然と存在していました。
永六輔が鯨尺の存続運動をやらかし、今でも正式なものではないが使用は認められるに至った例を見れば、
もっと昔に尺貫法が消えていた、と主張するほうが傲慢かつ現実を見ていません。
303日本@名無史さん:2011/07/08(金) 16:50:24.80
メートル法の日本への移入自体は、横須賀造船所とフランス技官招致、
明治の大阪の精密舎から砲兵工廠建設に始まる事は明らかです。

但しこの時期はメートル法はあくまでも大陸系欧州及び米国のローカルな単位系としてのものであり、
イギリスから技術導入した場合はポンドヤード法でしたし、
尺貫法と共にこの三つの単位系は戦前の日本では並存していました。

大正中ごろから単位系の統一へ議論が進行しますが、古来の尺貫法を存続させる世論が強く、
結局戦前の法体系では単位系の統一は先送りされました。

ですから工業規格におけるメートル法の振興をもって、戦前から一般社会は全てメートル表記だと謳われても困ります。
工業表示なら戦前でもかなりの部分がメートル法なんです。
しかしポンドヤード法もありましたし、ましてcmで服を仕立てたなんて書いたら考証不足です。
304日本@名無史さん:2011/07/09(土) 08:28:01.37
昭和30年代生まれだけど物心ついた時期から尺貫法なんて聞いたことない。
大工さんとか仕事によっては使っていたのかも知れないが、日常的にはメートルを使ってたよ。
305日本@名無史さん:2011/07/09(土) 09:44:12.78
足の大きさは十一文で
身の丈は六尺
体重は十五貫ですが
306日本@名無史さん:2011/07/10(日) 20:53:35.16
10歳までの記憶がないのは、多少記憶が劣化しているような
307日本@名無史さん:2011/07/11(月) 17:45:41.86
両親が20年代後半生まれだけど
10代の頃はふつうに尺貫法使われてたってよ
308日本@名無史さん:2011/07/11(月) 20:12:05.06
特殊な条件のところにいたんだろう。
309日本@名無史さん:2011/07/13(水) 00:39:43.77
かつての公家は朝廷に仕える上級官人だったので、
現在に置き換えると霞ヶ関の高級官僚ってこと?
この解釈で合ってる?
310日本@名無史さん:2011/07/13(水) 15:10:31.82
間違ってる、カルザイの側近みたいなもん
311日本@名無史さん:2011/07/13(水) 23:37:23.37
>>310
現代の日本で置き換えると誰?
宮内庁のお役人?
312日本@名無史さん:2011/07/14(木) 00:33:47.83
現代でいえば国民が主権者だから公家は国民に仕える公務員。
でも世襲の公務員なんていったら天皇しかいないから

かつての公家は現代の日本で置き換えると天皇
天皇の意味は象徴天皇制になって国民の権威に服す身分となった。
313日本@名無史さん:2011/07/14(木) 14:19:37.16
平安貴族で、生涯1人としか結婚しなかった人はいますか?
314日本@名無史さん:2011/07/18(月) 16:00:41.96
主君に幼少から仕えて、後々重要な家臣として活躍するような武士のことは何型と言われますか?
他には家老型と言われる型があるそうなんですが
315日本@名無史さん:2011/07/18(月) 16:18:23.84
小姓型
316日本@名無史さん:2011/07/18(月) 21:19:30.03
>>315
ありがとうございます
317日本@名無史さん:2011/07/19(火) 21:36:59.94
日本の国家は大和朝廷以降現代まで一度の断絶もなく、国家の連続性が
認められているようです。
日本国家の最大の危機は太平洋戦争の敗北によるGHQ支配下の時代と言われていますが、
そのGHQ支配下の時代以外で国家の危機といえば後は何が挙げられますか?
318日本@名無史さん:2011/07/19(火) 22:44:43.57
対外的なことなら
白村江
元寇
319日本@名無史さん:2011/07/19(火) 23:02:45.49
歴史の授業では過去の政治・経済・文学・宗教とかを学ぶでしょ。
100年や200年先になればスポーツも歴史で学ぶようになると思いますか?
その場合「なでしこ優勝」「北島金メダル」「大投手ダルビッシュ」とか覚えるようになると思いますか?
320日本@名無史さん:2011/07/19(火) 23:07:15.96
それは文化史として重要なこと
321日本@名無史さん:2011/07/19(火) 23:24:40.48
スポーツ界で覚える事になりそうな人物候補は誰ですか?
322日本@名無史さん:2011/07/19(火) 23:26:04.23
千代の富士
323日本@名無史さん:2011/07/20(水) 00:36:02.96
スポーツ
北の湖、千代の富士、王、長島、イチロー
高橋尚子、キングカズ、力道山、猪木、山下泰祐

宗教
大川隆法、池田大作

政治
小泉準一郎、
324日本@名無史さん:2011/07/20(水) 01:08:52.39
多田野
325日本@名無史さん:2011/07/20(水) 04:33:59.24
TDN
326日本@名無史さん:2011/07/21(木) 11:13:15.09
蝦夷、アテルイなどはアイヌ民族か?
327日本@名無史さん:2011/07/23(土) 07:30:01.42
琉球王国に「花当」という舞童子が本当に居たんですか?
支那からの冊封使を歓迎する為に、化粧して踊ったというのが
もしも事実ならば、とうぜん男色相手もつとめていたんでしょうね。
詳しい記述のある書物があったら、教えて下さい。
328日本@名無史さん:2011/07/23(土) 11:38:28.37
>>326
そう主張する人もいるが明確にはわかっていないのが現状

よっしゃこい
329日本@名無史さん:2011/07/24(日) 05:09:33.55
琉球王国に「花当」という舞童子が本当に居たんですか?
美貌を武器に出世するというからには、男色関係を利用したのでしょうか?
支那からの冊封使を歓迎する為に、化粧して踊ったというのが
もしも事実ならば、とうぜん閨房相手もつとめていたんでしょうね。
詳しい記述のある書物とかあったら、教えて下さい。
琉球王国の歴史も「日本史」に含まれてますから、
歴史学博士なればご存じだと思ってお聞きしました。
是非ともヨロシク
330日本@名無史さん:2011/07/26(火) 12:54:10.98
勉強で古文を読もうと思うんですけど
江戸時代の歴史書ってなにがありますか?
331日本@名無史さん:2011/07/26(火) 14:25:41.87
甲 陽 軍 鑑
332日本@名無史さん:2011/07/26(火) 17:04:06.98
天草軍記とか
333330:2011/07/26(火) 17:23:40.93
ありがとうございます
334日本@名無史さん:2011/07/26(火) 20:43:43.84
>>330
甲陽軍艦は歴史書じゃないよ。
武田家の歴史なら「妙法寺記」が当時の様子を伝える一級品。
335日本@名無史さん:2011/07/27(水) 02:11:19.53
灰吹法って知ってる?
336日本@名無史さん:2011/07/27(水) 02:32:11.21
>>335
銀を精錬する方法の一種
鉛と銀の合金、貴鉛を作りそれから銀を精製する
337日本@名無史さん:2011/07/27(水) 02:50:24.30
>>329
日本史は種子屋久から北の歴史。一義的に。
338日本@名無史さん:2011/07/27(水) 10:27:01.16
貴鉛って何ですか?
339日本@名無史さん:2011/07/27(水) 10:47:25.99
>>338
貴鉛は鉛とその他の貴金属の混ざったものです
銀の精製の場合
銀の鉱石と鉛を溶かすと、鉛と銀の混ざった貴鉛ができ、その他の不純物は取り除かれる
貴鉛は銀と鉛のみでできているものなので、それを溶かして鉛だけを灰に吸わせると銀が残る
という訳
340日本@名無史さん:2011/07/28(木) 17:49:59.13
[タックル!]菅政権と北朝鮮の闇を徹底追求[7月25日](1/2)
http://www.youtube.com/watch?v=7ARWbDC799U&feature=feedf
http://www.youtube.com/watch?v=iDcKbPXbYsQ

マスコミが2週間近く無視、隠蔽、沈黙を続けてきた、
日本の政治 史上最大の北朝鮮スキャンダル
菅政権と北朝鮮スパイの関係を、TVタックルが白日の下にさらす!!!


まだ見てない方はぜひご覧下さい。
341日本@名無史さん:2011/07/28(木) 17:57:29.82
地震や原発事故をコレ幸いと,アジアでの地位を高めようと,
日本の没落を国と政府を挙げて願ってる・・・それが韓国だ。

また,それにもかかわらず,韓流とかKPOPとかを
垂れ流し,日本人を洗脳するマスゴミ各局。

マスゴミは,ほとんどが韓国からの献金やコネで
操作されているのだ。

それを真に受けて韓国ブームの日本人って,
ホントにバカだよね。
しかし,それを助長してるのはすべてマスゴミだ。

日本人よ目覚めよ,SONYがサムソンに追い越され,
トヨタ自動車も,ヒュンダイに抜かれるぞ。

342日本@名無史さん:2011/07/28(木) 22:32:08.19
>>341
SONYがサムスンに追い越されたり、トヨタがヒュンダイに抜かれる事はまず無いだろうが、日本人はもっと危機感を持った方がいいな
343:2011/07/29(金) 00:39:07.03
武陽陰士さん元気かな
344日本@名無史さん:2011/07/29(金) 15:15:26.87
>>341-342
その前に税金による東電救済を可決させたバ官僚共をなんとかしろよw
345日本@名無史さん:2011/07/29(金) 23:15:12.16
網野善彦ってめちゃくちゃ面白いこと言ってると思うけどおまいら的にはどうよ?
346日本@名無史さん:2011/07/29(金) 23:33:46.22
347日本@名無史さん:2011/07/30(土) 03:06:34.71
地域差別をやらかした時点で網野は大嫌いですが、何か?
348日本@名無史さん:2011/07/30(土) 08:18:11.51
中間、小者はどの藩でも士分ですか?
349日本@名無史さん:2011/07/30(土) 08:18:18.42
地域差別なんてしてないでしょ。
350日本@名無史さん:2011/07/30(土) 10:23:28.64
現在は学校制度が定着し、授業で日本史を体系付けて教えられるし、
日本史関連の書籍も豊富で授業なしでも関心さえあれば日本史を
独学で学べます。
一方、学校制度が始まる明治以前は日本史について習う機会もほとんどないし、
日本史関連の書籍も農民や庶民が手にするレベルではあまりなかったと思われます。
それならば、明治以前の農民や町民、被差別民(つまり人口の大多数)は自分の
生きてる時代のずっと以前の日本史の重要人物や重要な出来事について、
ほとんど知らなかったのでしょうか?
具体的には江戸時代の農民は推古天皇や源頼朝、遣隋使、元寇、応仁の乱など
について、ほとんど知らなかったのでしょうか?
351日本@名無史さん:2011/07/30(土) 13:48:46.72
小者って士分か?
352日本@名無史さん:2011/07/30(土) 13:59:08.16
均一の教育が施行されない状況では知識の分布も均一ではないと思います。
個々の環境により知識は異なったでしょうから一例を抽出して全体を語る事も出来ません。

現代に於いても日本史専攻では無い人だと史実の知識は乏しいと感じませんか。
ドラマや小説や講談、そんな楽しく創られた物語を知識として蓄えているものの
退屈な史実は居場所を与えられていない、そう思いませんか。
353日本@名無史さん:2011/07/30(土) 14:38:59.28
中公文庫 日本の歴史(19)開国と攘夷(旧版)に、徳川家茂の上洛後の様子について
以下の記述があります。

「幕府側では、将軍が長く滞京してはますます窮地におちいると考え、しきりに江戸に帰るよう申し出たが、
容易に許可が出なかった。」

質問ですが、この場合に「許可」を与えるのはだれなのでしょうか?この時点ですでに「朝廷」が許可を与えなければ、
「将軍」は江戸に帰ることができないということなのでしょうか?
354日本@名無史さん:2011/07/30(土) 15:23:13.08
>>353
その文だけでは判断できません。

幕府側の幕臣が将軍に申し出たが、将軍や重臣の賛意を得られず許可が出なかったのかもしれません。

本文をよく読めば文意がわかると思います。貴方の読解力なら十分なはずです。
355日本@名無史さん:2011/07/30(土) 15:50:40.11
早速の回答ありがとうございます。少し引用が不十分だったかもしれません。直後の文は、

「のみならず、攘夷開始の期日を何月何日からとはっきり答えることを要求され、結局、
文久三年五月十日(一八六三年六月二十五日)と答えた。」

となっています。「要求」したのは「将軍や重臣」ではなく「朝廷」側でしょうから、「許可」を出すのは、
やはり「朝廷」側なのかと思って読みました。
356日本@名無史さん:2011/07/30(土) 15:59:06.42
この時期は、京都では「天誅」などが盛んで、将軍といえども「攘夷」勢力を無視できない、ということなのかな?
と思いました。ただ、それにしても「許可」ということはどういうことなのか?

もしかすると「上洛」という制度の建前上、「天皇」の「許可」が必要で、それを盾に足止めされた、
ということなのかな、と今キーボードを叩きながら思ったりしました。
357日本@名無史さん:2011/07/30(土) 16:02:23.24
>>355
貴方の見解が正しいと思います。

おそらく貴方が引っかかったのは
「しきりに江戸に帰るよう申し出たが」
の部分ではないでしょうか。
「帰るよう」だと自分の意思で帰るように進言する意味合いになります。
ですから本当は「江戸に帰れるように申し出たが」が正しいと思います。
358日本@名無史さん:2011/07/30(土) 16:09:19.25
>>356
上洛の件を詳しい方が質してくださると思いますが、
朝廷の要請によって上洛した形式であれば、
帰る時も朝廷を立てる儀礼を重んじるのではないかと思いますが
私の私見にすぎませんので、別の方御願いします。
359回答本当にありがとうございます:2011/07/30(土) 16:22:00.12
「許可」を与えたのが「朝廷」側だとすると、この時点で幕府や将軍が政策に関して
イニシアチブを取ることが相当難しくなっているということなのか、というのが疑問の中心でした。

ただ、ご回答を読んで、自分で少し考えてみると(まちがっているかもしれませんが)何となく理解できた気がします。
そもそもこの上洛も、薩摩、長州、土佐藩主の連盟で勅使を江戸に派遣してほしい、というのを受けて
三条実美を勅使として、江戸へ送りだした結果、「上京して申し上げる」と幕府が答えざるをえなかった、
というものです。ですから、やはり朝廷側(攘夷側)が主導権を握っていたということなのかな、と思ったりしました。
360日本@名無史さん:2011/08/01(月) 00:33:16.45
江戸時代以前、身分によって付けられる名前も違っていたのでしょうか?

例えば、○○衛門と言う名前は侍のイメージですが大名などは漢字二文字の訓読みの名前が一般的で、衛門と言う名前は見かけません。
また、私の先祖は下級武士ですが、○太郎や○吾、○作など現代とそう変わらない名前で、こちらにも衛門や○乃丞みたいな名前も見かけません。
ある程度は身分で名前も分かれていたのでしょうか?
361日本@名無史さん:2011/08/01(月) 00:56:20.62
「衛門」は門を持っているから当主です。
少なくとも庄屋の以上の当主しか使えません。
「惣」は惣村を意味し、村全体の統括者の近親者を意味します。
362日本@名無史さん:2011/08/01(月) 02:08:00.99
百人一首の赤染衛門は女当主って事?
363日本@名無史さん:2011/08/01(月) 02:46:52.92
それは○○の妻とか
○○の娘とかいう意味
364日本@名無史さん:2011/08/01(月) 11:06:16.33
清少納言は少納言?
ちがいます。夫や親の名や地位を女の名の代わりに呼んで、それが通称化したものです。
365日本@名無史さん:2011/08/01(月) 12:02:05.40
諱と通称も江戸時代までは違うし幼名もある。

幼名 亀之介
通称 新衛門
諱 宗長
とか
366日本@名無史さん:2011/08/01(月) 12:05:48.56
違うな。
これでは幼名が立派すぎる、将軍の幼名か無役の旗本並みだ。
367日本@名無史さん:2011/08/01(月) 13:53:35.35
>>365
それは一般武士でも?
368日本@名無史さん:2011/08/01(月) 15:16:56.44
>>345
面白いけど研究者じゃないなw
御大で有益な人物はあるけど学者じゃなく政治者
369日本@名無史さん:2011/08/01(月) 15:27:31.67
>>367
です。
370日本@名無史さん:2011/08/02(火) 23:03:29.20
ドラマなんかで、例えば信長であれば「信長様」とか「信長公」とか名前の呼び方がまちまちだけど、実際はどうだったんでしょう。
個人的なイメージでは、
直接の家臣→御館様
その他→右府様
敵→信長
てな感じなのかなと想像したりしますけど
371日本@名無史さん:2011/08/02(火) 23:28:34.36
>>370
信長っていうのは本名だから家臣はその名前で呼ぶのは避けるだろうね
織田上総守、織田上総介とかの呼び方もあるし
正式な官位で呼ぶなら織田権大納言様、織田右近衛大将様とか
他の貴族などの例を考えると二位右大臣様と呼ばれていた可能性もある
右近衛大将就任以降は上様とも呼ばれていたらしい
372日本@名無史さん:2011/08/03(水) 00:06:58.64
ドラマなんかで、例えば信長であれば「信長様」とか「信長公」とか名前の呼び方がまちまちだけど、実際はどうだったんでしょう。
個人的なイメージでは、
直接の家臣→御館様
その他→右府様
敵→信長
てな感じなのかなと想像したりしますけど
373日本@名無史さん:2011/08/03(水) 12:36:14.29
>>362
赤染衛門は父の赤染時用が左衛門尉であったことから付けられた女房名。
左衛門尉は令制下の官職。
平安時代、平安宮の宮門を守る衛士は右衛門府と左衛門府に所属。
左衛門尉は左衛門府に勤務する六位相当の官僚の職。

ちなみに、赤染時用は赤染衛門の義父で、母の先夫平兼盛が実父とも。
374日本@名無史さん:2011/08/05(金) 23:55:43.48
>>371
遅ればせながらありがとう
じゃあドラマみたいに「信長様!」って呼びかけたりすることはないってことか

というか昔は誰それの忌み名が何で通称が何、とかどうやって知ってたの?
官位上がったりしても官報なんか無いし。やっぱり噂程度ですかね?
あと「様」と「公」の使い分けってあります?
375日本@名無史さん:2011/08/06(土) 08:31:32.19
見世清掻きってもう聞くことができないのでしょうか?
376日本@名無史さん:2011/08/07(日) 00:48:27.45
山賊集落が伊賀にあって旅人を襲ったり傭兵したりしていたそうだけど
忍者と関係あるの?
377日本@名無史さん:2011/08/08(月) 11:17:53.43
本職です
378日本@名無史さん:2011/08/08(月) 22:20:30.45
忍者はバイトって事か
379日本@名無史さん:2011/08/09(火) 04:45:29.13
山賊とか海賊は戦のとき便利だろうな。
賊の側も給金もらって鎮圧は免れ、戦に勝てばやりたい放題のオマケ付きだし。
380日本@名無史さん:2011/08/09(火) 11:33:06.06
興福寺の勢力が衰えたのは
何時くらいなのですか
延暦寺の方は焼かれたりしてますが
興福寺も何らかの攻撃を受けたのでしょうか?
381日本@名無史さん:2011/08/09(火) 12:53:37.48
思いつきなんだけど、
織田による伊賀の里襲撃の理由

織田領内に徳川シンパの伊賀の里がある。
伊賀の里は本職で織田領内の治安を乱している。

治安維持の名目で伊賀の里を襲撃すれば徳川のメンツもたつだろう。

襲撃
博士、なんとなくこんな感じでいかがでしょう。
382日本@名無史さん:2011/08/11(木) 03:30:42.76
>>211
こういう裏歴史もっと知りたいな
383日本@名無史さん:2011/08/11(木) 21:08:32.68
「蝦夷は毛皮を被って洞窟にすんでます」
「農業はしませんまじ野蛮ハンパナイ」
みたいな記録をどこかで見たことがあるんですが
なんて言う本だったか思い出せません。
確か中国に行った時に、日本の使節が話した内容だと
記憶しているんですけど

なんて言う本に載っていたか思い出せません
教えてください


384日本@名無史さん:2011/08/11(木) 21:14:31.71
>>383
そ言うのは、話半分で良いのよ。明治建国時もアイヌと琉球の土人云云。権威付けは何処でやる。
385日本@名無史さん:2011/08/12(金) 21:27:35.35
>>384
いやそうじゃないんです
記載されている原典が知りたいので
新唐書かと思って調べてみたんですが記載が無くて困ってるんです^^;
386日本@名無史さん:2011/08/12(金) 22:06:42.84
>>385
日本書紀は?
俺、今ちょっと確認できないけど
387日本@名無史さん:2011/08/13(土) 01:03:30.04
「前方後円墳」っていうか古墳時代の墓は、東西南北に決まり事って無かったのでしょうか?
みなバラバラな向きに中軸線が有りますよね。自然を利用して労力の少ない方向に長軸を向けたような?
土坑にしても石室にしても長軸とか決まった方向が無いようなのですが縄文時代のほうが東西の向きを重要視
してるように見えるのですが古墳時代ってそんなものなんでしょうか?
388日本@名無史さん:2011/08/13(土) 01:15:51.99
江戸時代に○○太郎や○○次郎って名前が付いている人は身分としてはどの階級の人と推測されますか? 日本人男子の定番の名前ですがどの階級でも一般的な名前だったのでしょうか?

明治になって士族と名乗れたのはどこから上の階級だった人なのですか?例えば在郷の武士や郷士は士族なのですか?
389日本@名無史さん:2011/08/13(土) 02:19:22.27
>>387
方墳では大体が四辺と東西南北が対応してますね
横穴式石室がある場合は南向きがほとんどです

前方後円墳に関しての向きは、同じ地域では同じ向きにした例はあります
・佐紀盾列古墳群
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/e/e3/Sakitatenami_kohungun_aerial_1.jpg
しかしバラバラのものもあります
・古市古墳群
http://www.city.habikino.lg.jp/10kakuka/34shakaikyoiku/03bunkazai/04isekishokai/04chuki/images/c_hu_01.jpg
横穴式石室では、前方後円墳では二つあるなんてのもあるぐらいで、南向きも東向きも普通にあります
ただし、意識していなかったのではなく、建造する上での都合上、やむ終えないものもあったと思われます
L字に羨道が折れ曲がった古墳も存在していて、建築者の意図が見て取れます
390387:2011/08/13(土) 19:29:38.01
389さん有難うございます。
バラバラ系のは例えば尾根を切断して作る都合上とか 周濠に水を張る都合上なのでしょうか。
実際大和古墳群に行ってみて え?と思うくらい好きな方向を向いて建っていて感動したもので。
391日本@名無史さん:2011/08/13(土) 19:46:21.32
江戸時代、役職に就いている旗本/御家人の家来は、主人の役職に
関わる仕事もしてたんでしょうか?
例えば、長崎奉行に任じられた旗本の場合、
・家来も長崎に同行。役所に詰めて奉行職務の補佐
・家来も長崎に同行するけど、役宅?内の家事とか私用だけ
・そもそも長崎に同行しない

奉行でも時期や役目によって↓みたいな違いがあったりしますが‥どうなんでしょ?
・役宅がなくて旗本屋敷が役所兼用
・町奉行のように常設の役所がある
392日本@名無史さん:2011/08/13(土) 19:59:32.24
>>390
さらに調べてみたところ、古代東国では東枕に亡くなった人を安置していたようです
近畿では古墳初期から北枕だったようです
(ただし、見瀬丸山古墳は別々の向きを向いた石棺が二つ存在する)
東に後円部を向けた前方後円墳を多く見るのですが、大概が後円部に南向きの石室がありますね(二つ目が前方部にある場合もある)
南に前方部を向けた前方後円墳は、後円部に竪穴式石室がある場合が多いようです

群馬県伊勢崎市の権現山2号墳は南向きに羨道が開きながらも途中で90度に折れ、東へと埋葬部が続きます
これは、東枕に先祖を葬りたいという意思が表れていると考えられています
393日本@名無史さん:2011/08/13(土) 20:00:10.57
韓国の人から混戦では扱い方が特殊で長い日本刀より手斧や短剣のほうが有利と聞きました。本当でしょうか?
394日本@名無史さん:2011/08/13(土) 20:33:07.65
いいえ。実際の戦闘では戦闘可能になるまでの相手との距離が重要視されます。
そのため槍術使いと長剣とで戦闘をした場合、槍がほぼ完勝します。

長いものは通常の場合は有利なんですよ。剣は儀礼としての物体として考えるべきです。
395日本@名無史さん:2011/08/13(土) 20:46:07.53
なぜ戦国時代の新潟県民は最強だったのか
396日本@名無史さん:2011/08/13(土) 20:47:20.98
>>395
戦国時代に新潟県は存在しない
397日本@名無史さん:2011/08/13(土) 20:55:32.91
アメリカと戦争しない道ってあったんですか?
398日本@名無史さん:2011/08/13(土) 21:00:29.41
>>387
中国から撤退する
399日本@名無史さん:2011/08/13(土) 21:55:00.04
>>398
数字違うぞwww
てか正確には、
1.アメリカが日本の甲案もしくは乙案を受け入れる
2.日本がハル・ノートを受け入れる
400日本@名無史さん:2011/08/13(土) 23:15:43.75
>>399
1.はアメリカ側が日本との戦争を回避する道じゃね?
401日本@名無史さん:2011/08/14(日) 01:47:10.16
満州を米国企業にも開放そればよかっただけのこと。
402 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/08/14(日) 02:33:08.70
東南アジアを保障占領
英の真似だけをしていれば無問題
403日本@名無史さん:2011/08/14(日) 03:05:24.65
>>393
「混戦では」という条件設定に陰湿な意図を感じます。
歴史上の通常の戦闘では、どちらが早く相手を射程に収めるかで戦闘が決してしまう場合が少なくありません。
古代ヘレニズム文明での長槍密集戦術の伝統を考えれば、お分かりいただけると思います。

扱える範囲内で、得物は長いほうが有利です。特に理由もなく短いのは、製造技術が劣っているせいと考えられます。
404日本@名無史さん:2011/08/14(日) 17:32:42.40
岩倉具視の他人には言えない悪事(陰謀)って何ですか?
405日本@名無史さん:2011/08/14(日) 17:41:40.77
鹿児島の郷中教育は、女子も対象だったんですか?
406日本@名無史さん:2011/08/14(日) 18:11:38.31
>>405
いいえ。四書五経的な部分より木刀反復訓練と野戦行軍を中心とした戦闘員養成教育なのですから、
江戸時代を通じて女性は対象外です。
リポビタンCのCMを毎日集団で実地でやっているようなものです。

女子教育は上流の姫様教育を除けば育児家庭維持が主体でした。
407日本@名無史さん:2011/08/14(日) 20:42:38.13
小学生レベルですが
ポツダム宣言後に何かと米軍が日本を支援した理由を教えてください。
408日本@名無史さん:2011/08/14(日) 20:54:31.11
支援にかこつけた利用や新市場開拓活動も多い

腐って腹痛起こすの分かってる上での廃品利用的な脱脂粉乳の日本への配給とか
「米食は頭が悪くなる、癌になる」とデマ宣伝まで使って主食を米から小麦に置き換えて、小麦輸出を謀ったり
児童給食にパンを積極的に導入するよう強く働きかけて、日本の子供にパン食文化を刷り込んだり

廃品は捨てられる、日本に貸しは出来る、食文化植え付けて次世代輸出に繋げられる

日本全体がアメリカ用の人体実験場みたいだよな
409日本@名無史さん:2011/08/14(日) 22:19:01.80
リポビタンC飲んでみたいのですがどこで売ってますか?
410日本@名無史さん:2011/08/14(日) 23:19:35.21
411日本@名無史さん:2011/08/15(月) 00:21:36.09
>>407
正確にはアメリカの日本への支援は、中国共産党が中国で優勢になってからです。

日本へのアメリカの支援拡大は、合衆国の同盟国となるはずだった中華民国が台湾に逃亡し
中国本土が赤化(共産化)し、極東ソ連も併せ、欧州の軍事対立が極東でも現出したからです。

当時アメリカの占領下にあったのは日本台湾韓国でしたので、
これらの国は共産主義への防衛線としてアメリカの支援が得られたわけです。
412日本@名無史さん:2011/08/15(月) 00:57:54.43


平将門首塚に今度東京に行くことになったのでいってみようかなと思います・・・・・・

祟りがちょっと怖いのですけど大丈夫でしょうか?


これってやっぱり先祖とか関係するんでしょうかね?
(ちなみに自分の先祖は有名どころを挙げると上田悌子と佐々木高綱です)
413日本@名無史さん:2011/08/15(月) 06:45:02.03
8(^ι^)8ノ<弥生人だよー
日本史板の方達ってこんなAA使うって本当ですか?
414日本@名無史さん:2011/08/15(月) 06:51:51.50
>>412
実際いってみればわかる。
呪いも祟りもないよ。見るからに何もなさそう。
「えっ、これだけ?」という感想を得て終わりだと思う。
415日本@名無史さん:2011/08/17(水) 11:08:34.31
今後の日本で太平洋戦争の敗戦を超えるような出来事ってありますか?
もしある場合はどんな出来事が想定できますか?
宜しくお願いします。
416 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/08/17(水) 18:28:36.90
ハト 日米同盟弱体化        周辺国の跳梁を許す

    円高誘導助長は継続     国内産業空洞化

カン 電力不安を誘発        対案は政商(外国人)への利益誘導

ノダ? 増税              民主党によるパラダイムシフト完成




日本オワター\(^o^)/
417日本@名無史さん:2011/08/18(木) 23:11:05.85
一つ教えていただきたいのです。
1988年に富山県小矢部市の桜町遺跡から出土した 巨大な「Y」の字の木製品って何だってんでしょうか?
長さが3メートルって「修羅」にしちゃ小さいし、半面だけ鉋がかかってる縄文時代の遺物って答えは出たんでしょうか?
418日本@名無史さん:2011/08/19(金) 00:52:33.74
>>417
建物の柱っぽくないですか?
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2000/nto20000909.html
419日本@名無史さん:2011/08/19(金) 08:14:05.44
お返事ありがとうございます。桜町遺跡から出てきたのはYの字の斜め部分の方が長い位で
どっっちが表だか分かりませんが 片面は石斧(鉋と書きましたけど縄文時代です)で平たく加工されYの曲がり角というか「股」の部分にすり減った
痕跡があって「なんじゃこりゃ?」となったのです。それともう少し保存も良かった状態でしたが一つしか
出ませんでした。
420日本@名無史さん:2011/08/19(金) 12:47:51.92
417です。
ネットを探したら現物の写真が出てました。
http://siyasin.ninja-x.jp/sisou-2/kodaisi/hokuriku/sakuraC/kentiku.html
が、そのもので やっぱり目的不明になってますね。本当に何をするものなんだろうか?と。
現物がけっこう大きくて、縦寸が身長と同じくらいに見えました。
421日本@名無史さん:2011/08/21(日) 10:09:36.88
歴代の天皇や将軍でほとんど無名に近い人がいるのが不思議だって意見があったけど、
将来の人が「総理大臣に登りつめた羽田さんや海部さんがほとんど無名で総理大臣に
なれなかった小沢さんや橋下さんのほうがビックネーム扱いなのが不思議だ」と思うのと
本質的には同じなのですか?
〇小沢さん橋下さんが総理大臣になれなかった、というのは今日現在での仮定です。


422日本@名無史さん:2011/08/21(日) 21:53:33.73
そりゃ、天皇や将軍、総理大臣よりも有名な賎民とかいるくらいだから・・
423日本@名無史さん:2011/08/21(日) 22:11:59.02
昔はあまり見られなかったタブーな話題に触れる事になる

「実は祟ると一番怖いのが天皇である(と大昔の人々の間で実は長い間深く信じられてきた)」

というような歴史本が作家によっていくつか出始めてきています

怨霊・呪い祟り・穢れ・言霊・祈祷・陰陽師といった物に対する現代視点から見た「有る無し論」の如何に関わらず、
当時の人々がそれを深く信じて実際に行動として突き動かされたならば、幾らかは歴史事象(の一部)であると認識しなければ、動機や背景などはいくら経っても割り出せないと思うんですがどうでしょうか?

日本民俗学、日本宗教学と重なる部分が出るので避けるような傾向が有るのでしょうか?

そういった広義の信仰とかオカルトめいたものを恥じるように蓋をするのは違う気もしますが

現代でもみんな葬式もすれば墓も建てますよね


何故天皇は満足に軍事力も持ってない時代も含め、滅ぼされることなく2000年近く続いているんですか?
424日本@名無史さん:2011/08/21(日) 22:20:34.57
天皇は神道の最高の祭祀だし、そういう宗教色を帯びた聖的存在だから、
祟ると一番怖いって話にも説得力があるね
現に平安遷都も怨霊から逃れるためとか何とか
425日本@名無史さん:2011/08/22(月) 00:22:13.90
東日本でおそらく史上最恐の怨霊、平将門公は桓武天皇の五世末裔という

日本史上で最大の怨霊は崇徳上皇

桓武天皇の実弟の早良親王も怨霊化して桓武天皇を終生恐怖に追いやった

天武孫の長屋王は藤原氏と対立し、一族ごと滅ぼされたが数年後に藤原四兄弟を天然痘で同時に死なせて長屋王の祟りと囁かれたろう

菅原道真公は貴族だが、藤原氏と対立し大宰府に左遷されなくなり、平安京で怨霊蜂起したといわれ大いに怖れられた

ほかにも後鳥羽上皇、後醍醐天皇ら無念を抱えたまま一生を終えた天皇は怨霊化を怖れられた
426日本@名無史さん:2011/08/22(月) 13:10:36.74
>>423
その後政権を取った源氏も足利氏もコ川氏も「天皇の子孫である」ということを売りにして
周辺の有力武将を押さえた(コ川氏が清和源氏なんてほとんどねつ造に近いが)
だから権力の本家本元である天皇家を潰せなかったというのが実情に近いかな
武力で政権を取った後は政権を維持しなければならない、その根拠が
「わが将軍家は天皇の血筋である」という貴種性を皆に知らしめることだった
427日本@名無史さん:2011/08/22(月) 19:41:56.70
KWもずいぶん寂れてきたな。

428日本@名無史さん:2011/08/22(月) 21:18:11.85
>>426
今の政界でもいまだに二世議員、三世議員の世襲だもんな

細川護煕首相の様に、世が世なら熊本の殿様だった人も居たし

なんか日本人の中に染み付いてる世襲の伝統好きって物あるよね

創業300年の老舗、22代目当主とかね
429日本@名無史さん:2011/08/22(月) 23:42:04.50
特に東京では伝統がある、老舗だっていう基準が江戸時代だからな
そういうのを自慢げに言ってるのを聞くと微笑ましくなるわw
430日本@名無史さん:2011/08/22(月) 23:51:16.05
摂津源氏と多田院御家人と幕末志士多田隊について教えてください。
431日本@名無史さん:2011/08/23(火) 00:39:50.27
天皇は神主さんみたいにお祓いとかできますか?
432日本@名無史さん:2011/08/23(火) 03:14:34.11
天皇や天皇位を脅かした皇位皇統の危機として深刻だった脅威の順に首謀者を挙げるとどうなりますか?

蘇我蝦夷・入鹿
藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)道鏡
足利義満
織田信長
豊臣秀吉
その他
433日本@名無史さん:2011/08/25(木) 11:54:59.23
爵位制度で侯爵と公爵って両方読みが こうしゃく ですよね?
文章ではいいとして喋る時って当時の人達どうやって区別してたんですか?
434日本@名無史さん:2011/08/25(木) 21:43:30.31
平将門公って、理不尽な朝廷側役人とのいざこざはあるにせよ、怨霊化するほど悲劇のドラマあったかな
(例えば無実の罪を着せられ左遷や島流しに遭う、怨みをのんで憤死、殺される、自殺、子孫も滅ぼされ供養慰霊されない、呪いの文言)

普通強い憤りがあるから怨霊化すると思うんですが

しいて言うなら「生まれ」ですか?
戦で討たれたり、首級を取られた事ですか?

国府襲撃や新皇と称して関東一体で暴れたり、結構好き放題した面もあるとは思うんですが
435日本@名無史さん:2011/08/25(木) 22:23:10.29
>>431
神主みたいなお祓いはしないんじゃないかな
やり方も教えられてないと思うよ
昔は、国の長としてのお祓い的なことはしてた
436日本@名無史さん:2011/08/25(木) 23:00:38.75
>>435
今は新嘗祭・神嘗祭や四方拝を執り行っている
437日本@名無史さん:2011/08/25(木) 23:05:17.67
>>435
代々天皇から皇太子に口伝えや身振り手振りで直接伝承されてきた細やかなしきたりや型や形式はあるだろうね
天皇を継ぐ者しか知らない、見ることの出来ない特別な祭祀儀礼とか

大まかな事は書類の資料も有るだろうし
438日本@名無史さん:2011/08/27(土) 10:39:49.85
この「王家」表記は妥当? NHKホームページ
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/pre/03/diagram.html
439日本@名無史さん:2011/08/27(土) 11:54:29.46
>>437
天皇が死んで皇太子は赤ん坊なんてこともあるんだからそれは無理
貴族たちでも子孫のために儀式を記録して残していた
(貴族の日記はそれが最大の目的)
口伝なんて文字のなかった古代ぐらいで簡単に途絶えてしまうよ
440日本@名無史さん:2011/08/28(日) 08:14:54.66
映画などの映像作品で描かれる帝は、御簾の向こうのシルエットだったり、直接会話する事なく取りつぎ役を介した会話だったりします
古い書物にもそう書かれていると聞きます

「身分の低い臣下が帝を直接見ることは不敬に当たる為」

などと説明されますが、果たしてそれだけなのでしょうか?
「穢れ」の問題、「触らぬ神に祟りなし」の様に、臣下側に振り掛かる影響を軽減させるとか、帝側に俗世間をあまり見ていただかない(見えない)様にしているとか、視点を替えて考えるといろんな考え方が出来ますが、実際のところどうなんでしょう?

あと御簾の向こうの存在になったのは一番古い記録でいつ頃ですか?

個人的考えでは例えば「太陽」って農業には無くてはならない恵みを生む偉大な存在で、光や熱のエネルギー源ですよね
でも直接人間が太陽を直視し続けると、紫外線で目が徐々にやられますよね
原発だってダイナマイトだって薬だって大自然だって、「功罪」や「利点と欠点」や「効果と副作用」「恵みと恐ろしい脅威」を併せ持ちますよね

「触らぬ神に祟りなし」
「神木や祠を粗末に扱うな」

という日本の伝統を考えてしまいます
441日本@名無史さん:2011/08/28(日) 08:45:04.33
>>439
公表されていない皇室の秘密資料はありそう
三種の神器についても皇居にある説と熱田神宮にある説がある
442日本@名無史さん:2011/08/28(日) 09:41:50.89
>>439
「天皇家」と表記する方が違和感がある。(「皇室」はもっと変)
むしろ、そこまでこだわるなら「平家」ではなく「平氏」、
「摂関家」を「藤原摂関家」と表記されている方に違和感を抱く
443日本@名無史さん:2011/08/28(日) 11:01:47.45
どっかに論文出したらw
444日本@名無史さん:2011/08/28(日) 15:16:21.83
>>439
皇太子の指名って事前の天皇即位までの心構えってのもあるけど、準備期間つうか見習い勉強期間なのかなと思うんだけどどうかな?

もちろん諸事情で立太子されずにすぐ天皇即位した皇子(親王)は沢山いるんだけどね

でも不仲だけど決め事で皇太子指名した人間とかよっぽどの事が無ければ、直接やり方見せたり教授したり説明したんじゃないかな
普通は仲の良い実の息子が多い訳だし
445日本@名無史さん:2011/08/29(月) 19:49:41.92
>442
>「天皇家」と表記する方が違和感がある。(「皇室」はもっと変)

NHKが『天皇家』を『王家』と併記する事を決定
王家(天皇家)の後継争いに始まった保元・平治の乱。そこで清盛が見たのは、子が親を兄が弟を討つ地獄絵図だった。
の中で清盛は、朝敵となった源義朝討伐をかつての雅仁親王・後白河上皇から命ぜられる。だが義朝の息子・頼朝には恩情をかけ命を救ってしまい、この判断が大きな悲劇を生むことになる。
http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/pre/03/index.html
446日本@名無史さん:2011/08/29(月) 22:11:53.80
王家じゃないんだから王家の表記は変だよ

左巻きに絡められて歪めたかと疑わざるをえない
447日本@名無史さん:2011/08/29(月) 22:35:21.04
王朝とか大王もダメ?
448日本@名無史さん:2011/08/29(月) 22:55:52.43
大王(大王家)って7世紀以前みたいだしな
遅くても天武天皇の時代には「天皇」を名乗って、国号を「日本」とした
449日本@名無史さん:2011/08/30(火) 03:53:50.17
来年の大河ドラマ「平清盛」でNHKが大和朝廷のことを「王家」と表記しているが、これってありなの?
古墳時代のことを「ヤマト王権(大和王権、倭王権etc)」と呼称することは学界ではかなり一般的になっているようだけど、12世紀の日本に「王家」はかなり違和感があるんだが?
450日本@名無史さん:2011/08/30(火) 04:37:27.77
天皇≒皇帝≒帝王≒大王。

そして「王」は、それら「皇帝」などの臣下ということでok?
451日本@名無史さん:2011/08/30(火) 05:52:17.24
日本人は勤勉って言われるようになったのは明治時代に入って、欧米に対抗して富国強兵や工業化したのが始まりと聞いて、さらにビックリしたのが…江戸時代までの日本人は怠け者だったのは本当だったんですか?
なのになんで世界でも屈指の文明国家だったんでしょうか?
怠け者が多い国で高度な文明を持った国って聞いたことがありません。
欧米は奴隷を使って白人は楽をして、経済が回ってたのは何となく推測はできるんですが…
452日本@名無史さん:2011/08/30(火) 06:02:03.68
勤勉じゃない民族がある時を境にして急に勤勉になど成り得ないっしょ
453日本@名無史さん:2011/08/30(火) 06:49:17.39
>>452
幕末や外国人顧問で明治時代に来た欧米人は文化・文明水準の高さは認めてるが、日本人は怠け者だとみな評してたみたい。
つまり現代ならラテン系の国のような気質だったみたいなんだよ…
454日本@名無史さん:2011/08/30(火) 11:49:22.33
労働のやり方が慣習に縛られてたということ。
他人よりも多く働くことなんて出来ない。
455日本@名無史さん:2011/08/30(火) 15:03:33.04
>>447
天皇国と天皇しかダメ
スルタン国やスルタン朝やスルタンを王や王朝と呼ぶ老害じゃないんだから
456日本@名無史さん:2011/08/30(火) 15:46:21.87
>>449
「天皇家」と書くと現在の天皇家のこと書くみたいで
スキャンダラスに描くと宮内庁から苦情が来るとか
457日本@名無史さん:2011/08/30(火) 16:24:17.46
>>454
労働に慣習ができたのは明治時代か戦後からじゃないの?
江戸時代は時計がなかったし時間の概念に大雑把だったから、きっちり働くってことはなかったって聞くが?
農民はわからないけど。
458日本@名無史さん:2011/08/30(火) 16:25:56.73
>>450
まず「皇」も「帝」も「王」よりも上位を指す。
で「皇」や「帝」よりも偉いのは?ってんで作られたのが「皇帝」。※秦の始皇帝の時
「帝王」はあくまで位は「王」でありながら、「帝」に比肩する実力を持った「王」。
「大王」は「王」のなかでも特に有力な「王」。
「天皇」については……。
一説では「天(アマ)族」の「皇」。
「天(アマ)族」とは「アマテラス」等の一族。
隋の煬帝へ「日出ずる処の天子、〜」で始まる手紙を送ったのも、一般には「聖徳太子」となっているが隋書では「アマノタリシホコ」。
459日本@名無史さん:2011/08/30(火) 17:32:26.43
>>457
農民は日が登って日が落ちるまでの12時間労働だし
町民も日が登ってから日が落ちて後始末するまでの14時間労働の記録が残ってるだろ
460日本@名無史さん:2011/08/30(火) 19:35:23.19
日本史板の常連ってほとんどが史学科なの?
461日本@名無史さん:2011/08/30(火) 20:24:51.48
>幕末や外国人顧問で明治時代に来た欧米人は文化・文明水準の高さは認めてるが、日本人は怠け者だとみな評してたみたい

どの本で誰がそう言っているのか、「みな」と言っているのだから五冊以上は言えるよね

文明人と未開人の二種類の日本人がいると思い込んでいた外国人の話なら読んだことはあるが>453のようなことを書いている本を読んだことがないよ俺はね
民族性なんてものは教育や環境で一朝一夕に変わるもんじゃない
旧共産圏で東独逸やチェコが高い生産性を示したことには理由がある
462日本@名無史さん:2011/08/30(火) 20:42:05.81
登城や奉行所に出勤は2日に1日出勤で良かったんだろ

農民は働いていたんじゃないの
農閑期や雨の日だってやることはあるし
463日本@名無史さん:2011/08/30(火) 21:56:24.06
怠け者の節句働き
464日本@名無史さん:2011/08/31(水) 13:05:45.87
たけしの「ニッポンの味方」という番組内で明治時代に日本に来た外国人が
日本人は怠け者で働かないと言ったという証言を取り上げていたな
江戸時代は武士や町人は働く日にも半日しか働かなかったと言われている
(安政の大獄で徳川斉昭や松平春嶽は江戸城に出勤しなくていい日に
出勤したことを咎められて藩主の座を追われ蟄居させられたのは有名)
ちなみに現代日本人も労働意欲が低く怠け者であり、非正規が増え労働時間が減っても
「もっと労働時間を増やしてくれ!」という抗議が起こらないのだという主張は
日経ビジネスか何かで読んだ
465日本@名無史さん:2011/08/31(水) 16:55:15.60
ビートたけしを、況してテレビをソースに持ってくるとかバカか
466日本@名無史さん:2011/08/31(水) 19:07:26.13
一首可以走进国际的作品,有商业价值又不失艺术本质。。
467日本@名無史さん:2011/08/31(水) 19:20:36.81
>464
だから誰がどういう状況でそう発言したから「みな」がそう認識していると確信できたわけ?
当時の職制に無駄が多いことと「怠け者で働かない」こととは別事

>ちなみに現代日本人も労働意欲が低く怠け者であり、非正規が増え労働時間が減っても
>「もっと労働時間を増やしてくれ!」という抗議が起こらないのだという主張は
>日経ビジネスか何かで読んだ
欧米にはみられない過労死で死ぬまで働くワーカーホリックと揶揄したり先進国の中でも労働時間が短いと文句をいったり
日経さんもタイヘンだね…で、それが何か?文句を言うことだけが奴等の仕事だろ

話をかえよう
米国に郵便小包を送ると規則では生物(味噌・納豆等)は税関で没収されることになっている
だが現実は煎餅からカップメンにいたるまで食料品は全て没収する税関職員もいれば
禁止されている和菓子や魚までオールフリーで通す税関職員もいる
インボイスの枚数が足りないと言って放置する職員もいればインボイスを入れ忘れても税関を通ることもある

たった一度米国に小包を郵送しただけで「米国の税関では……」と薀蓄を語りだす痛い香具師と君の言っていることはどこが違うんだい?
468日本@名無史さん:2011/08/31(水) 19:43:36.42
>>432
あくまで私見

マッカーサー(GHQ)>蘇我蝦夷・入鹿>足利義満>織田信長>徳川家康>

藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)道鏡はよくわからん
豊臣秀吉はむしろ朝廷(天皇)の権威にあやかろうとしたから
全然脅威ではないんじゃね


469日本@名無史さん:2011/09/01(木) 00:45:41.60
>>468さんへ
僕は>>432です。ありかとうございます

僕もほとんど同意見な感じですね〜
あとマッカーサーはナルホド〜ですね

個人的には徳川家康は、朝廷や天皇家や貴族の権力や財力にある程度制限を与えて抑え込もうとした、徳川幕府存亡の障壁となる部分は枝打ちしようとしたり、監視しようとしたりコントロール下に置こうとした感じはあると思うんですが
権威を必要以上に貶めようとしたり、皇位皇統を脅かすとか能動的に意図的に壊すまでは全然考えなかった気はするんですよね

「和して同せず」
「触らぬ神に祟りなし」みたいに

ただ天皇家や貴族から将軍に嫁いだ女性は、数多く居るのにも関わらず1人も子供を生んでないんですよね
(おそらく生んでもすぐ闇に葬られた)

家康は秀吉と逆でむしろ身分の低い女性との間に子を成しているんですよね
「高貴な家からは嫁は貰うが、子は絶対に成さない」というね

蘇我氏は日本書記の記述を信じれば確かにそうなるでしょうね

つい最近になって秀吉が家康より天皇家に対して結構ヤバいんじゃないかと思い始めました
470日本@名無史さん:2011/09/01(木) 00:57:20.70
【動画】千利休の切腹の謎(10分)
http://www.youtube.com/watch?v=0nMjvoFh92g&sns=em

この方の動画はいかほど信憑性がありますかね?
この方は初めから「ドキュメンタリー風フィクション」とは断ってらっしゃいますし、不明瞭な部分は空想で補った部分もいくらかあるようでは有りますが

真偽はともかく演出や構成などは大変面白い作りだとは思います

この方の動画みて、残されている唐入り後などの天皇移送計画なども鑑みて秀吉が結構ヤバいと影響され思いました

利休の心の移り変わりの様子や拘りや信念や意地の本当を知りたいです
471日本@名無史さん:2011/09/01(木) 04:10:34.08
>>468
家康は何が脅威だったの?
信長とは違い、保守的だとずっと思ってた。
472日本@名無史さん:2011/09/01(木) 11:03:47.98
>>469
江戸幕府15代将軍徳川慶喜の母は宮家出身
大名家では公家や宮家の母親を持つ当主は数多くいる
徳川将軍家自体が軟弱体質でしょっちゅう絶え養子貰いまくりだから
特に都から正室として迎えた天皇や公家の姫を排斥して
身分の低い女だけを召していたようにも見えないが
473日本@名無史さん:2011/09/01(木) 12:23:09.06
>>472
徳川慶喜は将軍の実の子じゃないじゃん
遡れば水戸藩の尊皇思想の水戸徳川家出身でしょ
他の藩の事は全く言ってないし

徳川宗家で将軍職を継いでる(継ぐ可能性のある)男子だよ
474日本@名無史さん:2011/09/01(木) 12:32:08.36
あと「婚姻すれど子は成さず」ってちゃんと言ってんじゃん

関係性を強めるために円満な婚姻は盛んにするけど、そういった高貴な正室からは子は成さない

誰も無下に扱ったりとは言ってないし、普通に常識的に扱われたと思うよ
夫婦関係の良好な「東おとこに京おんな」夫婦も幾らでもあったろう

ただ子どもは作らんだけで
475日本@名無史さん:2011/09/01(木) 14:53:53.12
>>473
そもそも御三家や御八卿は将軍になる可能性があるのに
そこでは宮家出身の正室に子供産ませてるっておかしくないか?
徳川宗家は将軍側の問題で正室にも側室にも子ができない、
もしくは多くの側室侍らせても側室一人にしか子ができない(秀吉状態)も多いんだよ
意図的に将軍正室とは子を作らなかったという明確な資料も証拠もない
476日本@名無史さん:2011/09/01(木) 22:34:44.97
>>469
レスどうもです
信長は本能寺がなければ天皇家を攻撃したかも知れないという説があるけど、
信長本人は尊王家だったという説もあるし、判断が難しいね
ただ、信長だったらやりかねんという気はする
>>471
家康は幕府を開いた後、禁中並に公家諸法度をだして皇室や公家の生活を
大分縛り付けたし、天皇を御所に閉じ込めて外出を許可しなかったようだ
皇統の危機というわけではないけど、皇室の権限や行動範囲をかなり
弱めて幕府の管理下に置こうとしたからね

477日本@名無史さん:2011/09/02(金) 03:40:08.13
ペニシリンも無い時代には出産が極めて死の危険があったので、高貴な姫君には子供を生ませなかったんだろう。
478日本@名無史さん:2011/09/03(土) 16:07:54.79
>>476
俺も信長ならやりかねないっていうか、自分が下した価値判断が全てで伝統や神秘性やハッタリや罰当たりとかは通じないというか

だから「もう形骸化してて残す価値無し」と判断されてしまったら解体される可能性あったかなと

「利用価値十分にあり」「面白い」となったら残した

十分にタブー化されてた比叡山やら巨大宗教組織にメスを入れた人だからね

江戸時代の人間より進んでた気がする
江戸時代は武家社会内に朱子学とかの悪影響で重農主義とか政治執行に枷がありすぎた
479日本@名無史さん:2011/09/03(土) 20:53:02.76
阿倍仲麻呂は日本に帰国せず唐で亡くなったのですが
百人一首の
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」
という和歌はどういうルートで日本に伝わったのですか
480日本@名無史さん:2011/09/04(日) 02:34:13.13
僕は大学一年の男です。
誰にもいえない悩みです。
アイドルの少女○代が好きで好きでたまりません。
でも人には言えません。
ネットなどを通じて、彼女達の母国の日本への対応にとてもショックを受けました。
とても受け入れることはもうできません。
でも、テ○ンに恋してしまいました。
わかりますよね?このメンへらになりそうな気持ち。
自分としてはもはや受け入れることができない国のアイドルなら嫌いになろうと決めました。
でも好きで嫌いになれない自分に嫌悪を抱くようになってしまいました。
どうか嫌いになる方法教えてください。
481日本@名無史さん:2011/09/04(日) 03:46:28.33
nhkドラマ、平清盛で天皇家を王家つっちゃてるけどいいの?
482日本@名無史さん:2011/09/04(日) 09:13:21.27
>>480
いっその事あなたが半島人になってしまえば問題有りません。
483日本@名無史さん:2011/09/04(日) 09:25:17.61
>>480
国家と個人は別と考えても良いのでは?

今後、日本へ否定的な発言もするかも知れないですが、あちらでも芸能活動する限り有名人はその手の発言を求められ、日本擁護すれば大バッシングされる国ですから…
484日本@名無史さん:2011/09/04(日) 10:39:16.25
NHKもチョンに侵されたか?
王はキング。
天皇は(ジャパニース)エンペラー

485日本@名無史さん:2011/09/04(日) 11:02:56.52
「天皇制」とか「天皇制度」という言い方はおかしいと聞いた事がある

「天皇家」は正しいのですか
「皇室」は古代史や日本史などではあまり使われないイメージが有るが明治以降や終戦後などに使われ出した言葉のですか?
古代史に使うと変ですか?
486日本@名無史さん:2011/09/04(日) 12:59:16.76
これより清盛天下の権をほしきまゝにして、程なく太政大臣にあがり、其子大臣大将になり、あまさへ兄弟左右の大将にてならべりき〈 この御門の御世のことならぬもあり。ついでにしるしのす。
天下の諸国は半すぐるまで家領となし、官位は多く一門家僕にふさげたり。王家の権さらになきがごとくになりぬ。此天皇天下を治給こと七年。二十三歳おましき。(『神皇正統記』)
                                             ~~~~~~~~~~                                       
>>484の説だと、村上源氏の北畠親房も朝鮮人だったのか……
487日本@名無史さん:2011/09/04(日) 14:05:52.91
「天皇」なんて言い方は、明治以降のこと。
たしかに天武天皇の時代に「天皇」という称号は始まっているが、江戸期までは「おかみ」とか「天子はん」とかが普通の言い方。

もともとは「おおきみ」だったわけだから、大王家で不都合無し。
488日本@名無史さん:2011/09/04(日) 14:24:17.00
>>487
日本書紀の古代から正式名称は「天皇」だよ
天皇という言葉ができたのは飛鳥時代の天武朝らしいが
実際の呼び名が「御門(みかど)」や「主上(おかみ)」だってだけだろ
征夷大将軍だって実際の呼び名は「上様」「殿」「公方さん」だ
489日本@名無史さん:2011/09/04(日) 14:25:05.37
>>478
まあ、たしかに信長ならやりかねなかった。
現に、朝廷の専管事項だった暦の制定に口出ししてるからな。
暦の制定ってのは時を支配するという意味で、その国の権威を象徴するものという意識があった。

そういう意味では、源頼朝も独自の暦を制定しようとした事実がある。
鎌倉幕府以来、二重権力構造が確立したわけだから、実質的には頼朝はかなりのキーパーソンだな。
490日本@名無史さん:2011/09/04(日) 14:29:26.41
>>488
だからさ、普段はめったに使われてなかった称号なわけよ。
しかも京都周辺のローカルな権威に過ぎなかったわけだからな。
それだけのこと。
491日本@名無史さん:2011/09/04(日) 14:44:51.34
>>451>>465
実に馬鹿げた議論だな。
そもそも「日本人は」を主語にすること自体がナンセンス。
日本人の中にも勤勉な者もいれば怠け者もいる。
こんな明白なことすら理解できてないアホばかり。
492日本@名無史さん:2011/09/04(日) 14:50:11.40
>>479
誰かが日本に伝えたのさ。
あの時代でも、多くの人々が行ったり来たりしてたのさ。
外洋を渡ることの困難さばかりが強調されてるが、現代人が思うほど、日本列島が孤立してたわけじゃない。
493日本@名無史さん:2011/09/04(日) 15:54:55.34
>>489
>独自の暦を制定した

作家の井沢元彦さんは、日本各地の地名の命名権や変更権も、天皇にだけに許された特別な特権だったんじゃないかという説を出している

だが信長が禁を破って「岐阜」に変えたり「安土」に変えたりしたんじゃないかと

その後は信長を模倣して羽柴秀吉「今浜」→「長浜」、蒲生氏郷が「会津黒川」→「会津若松」
と地名を変える例が増える
494日本@名無史さん:2011/09/04(日) 16:04:13.55
呼び名や変名がいろいろと多いのはその事柄に豊富に、文化や伝統や歴史が支持などがある証拠

書類では「天皇」と書いて「すめらみこと」と読ませたりもしてるな

「米」に呼び方と関連ワードが多い
「こめ」「べい」「まい」「めい」「ご飯」「稲」「銀しゃり」等々

聖徳太子も「厩戸」とか「豊耳」「法王」まだまだ無数にあるよな
495日本@名無史さん:2011/09/04(日) 16:16:54.36
>>487
呼称を天皇に一元化したのは確かに明治以降だね。
律令では天皇号は勅書に限られていたから。
496日本@名無史さん:2011/09/04(日) 17:55:41.43
>>493
福島には磐梯熱海という地名が有るが、伊豆から来た伊東氏が鎌倉時代につけたとされているが。
497日本@名無史さん:2011/09/04(日) 19:32:29.97
>>493
んな訳ない。
国郡はともかく、それ以下の地名が出そろうのは中世以後

独自の暦って、鹿島暦や大宮暦や三嶋暦はスルーかよ。
信長が申し入れたのは領内で閏月の配置がまちまちになって困っているので、現実に支配が及ぶ朝廷に調整を依頼せざるを得なくなった。
そもそも、陰陽寮は自分たちの計算ミスを隠すためにルール違反の暦づくりを散々やりまくった癖に信長が言ったから悪いとか、主張している奴の頭がおかしいわ。
498日本@名無史さん:2011/09/04(日) 21:07:13.57
>これより清盛天下の権をほしきまゝにして、程なく太政大臣にあがり、其子大臣大将になり、あまさへ兄弟左右の大将にてならべりき〈 
>この御門の御世のことならぬもあり。ついでにしるしのす。
>天下の諸国は半すぐるまで家領となし、官位は多く一門家僕にふさげたり。王家の権さらになきがごとくになりぬ。此天皇天下を治給こと七年。二十三歳おましき。
>(『神皇正統記』)

清盛天下の権をほしきまゝにして官位は多く一門家僕にという嘘を
後世敷衍させた悪書の一つ…

官位についていた時期が微妙にずれていて清盛一門が同時期に官位を独占していたことはないんだけどな
世界史板でも北朝が南朝を王家と書いた史料があるというブログを貼っていた香具師がいたけど
NHKが言う同時代史料に「王家」と書かれているという論拠は未だ出てこないね

問題にしているのは平安時代の話だよな?
499日本@名無史さん:2011/09/04(日) 21:20:18.92
質問です。

権門体制論などに始まる、『中世における”朝廷並びに貴族”と”寺社勢力”と”武家政権”の関係性』
に関する議論って、今どんな感じですか?
500日本@名無史さん:2011/09/04(日) 21:21:21.19
教授に聞けよ
君のレベルに合わせて回答してくれるだろうさ
501499:2011/09/04(日) 21:34:01.40
現在大学生じゃないので、聞ける相手が居ません
502日本@名無史さん:2011/09/04(日) 21:47:19.90
670 名前:日本@名無史さん 投稿日:2011/09/04(日) 00:58:22.53
大学で史学を学んでいる学生です。
中世史を専攻しているのですが、「権門体制論」や「荘園公領制」といった
中世史の研究の中で提唱され、メジャーになっている学説等について整理したいのですが、
お勧めの本があったら紹介してほしいです。
できれば、どういう順序で読んだら良いかがわかればそれもお聞きしたいです。
503日本@名無史さん:2011/09/04(日) 21:57:11.70
672 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2011/09/04(日) 08:47:35.86
>>670
ここは初心者向けなので、専攻の方は↓で
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ25
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1295743878/

ちなみに私は当該スレの670ではありませんが、670の質問を見てふと思い出したのは事実です。
504日本@名無史さん:2011/09/05(月) 22:05:06.44
初代〜15代くらいの天皇は神話上の存在であり、実存してないと言われている
また、奈良時代に日本最初の歴史書「古事記」「日本書紀」が編纂されたが、
天皇家の歴史の正当性を高めるために、実在していない初代〜15代くらいの天皇を
組み込んだと言われている
しかし、初代神武天皇の即位から実在の天皇までの時代年数が合わず、計算上、
初期の天皇はみな100歳くらいまで生きたことになる
誰が中心になって「古事記」や「日本書紀」の実務を取り仕切ったか知らないけど、
有能な人間が複数関わっているはずなのに、なぜこんな初歩的なミスを犯しているのか?
少なくとも、時代年数に関してはもっと整合性がつくようにできたはずなのに

この辺はどう解釈したら良いのでしょうか?
505日本@名無史さん:2011/09/05(月) 22:25:14.62
縦に繋げるから辻褄が合わない。
あの時代は王国や首長国がいくつもあって、中でも播磨、隼人、久米、出雲、毛野などが有力な王国で、当然それぞれが独自の大王を戴いていたんだ。
ただ、有力な首長国同士は既に何代にも渡って姻戚関係を築いていて、みんな親戚同士というか殆んど同族みたいになっていたし、
7-8世紀時点での編纂で、天皇家の権威を高めるという意図もあって万世一系ということにしたんだ。
506日本@名無史さん:2011/09/05(月) 22:26:05.87
>>504
現代の感覚で考えては合理的な説明はつかないでしょう。
奈良時代の常識的感覚では、伝説的な天皇が常人離れした長寿であっても、なんら不思議ではなかったのではないでしょうか。
507日本@名無史さん:2011/09/05(月) 22:52:10.84
神武陵はどうやって説明したらいいのさ。実際にあるじゃんか
508日本@名無史さん:2011/09/05(月) 22:55:24.37
あれは飽くまでも「伝」○○陵では?
509日本@名無史さん:2011/09/05(月) 23:05:05.29
>>504
合理的でないから神代と人代を繋ぐ物語としてふさわしいとは思いませんか?
510日本@名無史さん:2011/09/05(月) 23:06:18.20
>>505
>>506
ありがとうございます
>>505
つまり、実在してないと言われる初期の天皇も存在した、あるいはモデルとなる
人物は存在した(=他の有力首長国の大王)という事?

存在そのものを捏造したのではなく、モデルとなる大王は実在し、
その関係性(万世一系)を捏造したって事?
511日本@名無史さん:2011/09/05(月) 23:18:27.48
>507-508
神武陵の古墳(だろう、たぶん)は実際に作られたけど、
欠史八代の時代よりあとで作られたんだろ。

それと、
現在の「〜天皇陵」という対応付け(「治定」という)は、
江戸時代に考案された対応が基本であって(一部は明治期に修正・訂正されている)
造営された頃からずっと呼び続けられている呼び名ではない。

「神武天皇陵(とは当初は呼ばれてないが)として作られた古墳」は実在するが、
宮内庁の治定で「神武天皇陵」とされている古墳ではない。
512日本@名無史さん:2011/09/05(月) 23:32:51.89
判りにくい。「神武陵として作られた古墳」は実在するがそれは、現在宮内庁が治定してるそれでは無い。
これくらいに判り易く書けないの?
513日本@名無史さん:2011/09/06(火) 05:41:06.22
そもそも神武天皇という呼称は、ずっと遥か後の時代になってからつけられたもの。
仮にもし、神武天皇のモデルになった人物が実在したとしても、彼自身がその名を名乗ったことはない。
したがって彼の墓が「神武天皇陵」としてつくられたはずもない。

現在「神武天皇陵とされている古墳」が、実際にはいつの時代に誰のために作られたのかは謎のままである。
発掘調査をすれば何らかのことが分かるはずだが、それは宮内庁が許可しない。
514日本@名無史さん:2011/09/06(火) 15:54:58.36
>宮内庁が許可しない

たとえ宮内庁が許可しても
イルミナティが許可しない
515日本@名無史さん:2011/09/06(火) 16:23:23.36
イルミナティねえ・・・・ヤレヤレ
516日本@名無史さん:2011/09/06(火) 16:37:03.08
>>513
そういうのって、文字資料残ってないのでしょうか
すでに漢字は伝来してたのに
517日本@名無史さん:2011/09/06(火) 17:50:13.97
>>516
だからさ、古墳の発掘調査をすれば、画期的な発見があるかもしれないのだよ。
宮内庁がそれを頑なに拒む理由は何だろう?
もしかしたら、何かを知っていて、それが世間一般に明らかになることを恐れているからではないか?などと思わぬでもない。
518日本@名無史さん:2011/09/06(火) 18:25:59.17
>>516
神武天皇は神倭伊波礼琵古命(古事記)あるいは神日本磐余彦尊(日本書紀)と名乗っていたと
伝わっている。読みはいずれも「カムヤマトイワレヒコノミコト」だ。
即位して始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称した。(日本書紀)

「神武天皇」というのは奈良時代になってから淡海三船という人が付けたとされている。
519日本@名無史さん:2011/09/06(火) 19:08:08.05
>宮内庁がそれを頑なに拒む理由は何だろう

ツタンカーメンの墓を暴くことを快挙とみるか忌わしいとみるか
俺としては学問のためなら何をしても許されるという人物に学問には係わって欲しくないね
520日本@名無史さん:2011/09/06(火) 19:29:15.85
>>519
陵墓の発掘って、生体解剖と似ているね。
生体解剖で学問的知見は得られるが、解剖された検体は死んでしまうか、一生残る傷を負うか。
陵墓発掘で学問的知見は得られるが、そこにまつわる信仰は死んでしまうか、回復不能な傷を負うだろう。
521日本@名無史さん:2011/09/06(火) 20:25:49.17
「神武陵として作られた古墳」は、現綏靖陵という説もあるね。
522日本@名無史さん:2011/09/06(火) 20:29:35.04
>>517
「天皇陵」として治定されてしまっている以上、役人の常でそれを簡単に改定出来ないだけの話で、
「何か知っている」とか「隠している」とかいうのは考えすぎだよ。
現に、以前から「真の継体陵ではないか」とか「真の斉明陵ではないか」と言われていた古墳(で、実際にその蓋然性が高い)は、
宮内庁の治定に引っかかっていなかったために発掘調査がおこなわれて、
それなりの成果をおさめているよ。
523日本@名無史さん:2011/09/06(火) 20:56:47.71
>蓋然性が高い
522は蓋然性が低いという言い方もするの?
524日本@名無史さん:2011/09/06(火) 21:56:22.68
>>523

522ですけど、どういうこと?
525日本@名無史さん:2011/09/06(火) 23:26:18.80
>513,518
たしかに、古事記や日本書紀の編纂時には、まだ使われてなかったはずではある。
初出は続日本紀か

>520
だが、主要な古墳の多くが江戸時代の「修築」事業によって、壊変されてしまってたりするし...

>522
>「何か知っている」とか「隠している」とかいうのは考えすぎ
同意。

まあ、宮内庁関係の予算や人的資源が乏しすぎるのも消極的になる原因の一つかもな。
526日本@名無史さん:2011/09/07(水) 11:56:23.58
500年以上経過したものは宮内庁管理からはずせばいいんだな
維持費は国持ちな訳だし
宮内庁は仕事、縄張りが減り減員だから猛反対するだろうが

戦国大名や鎌倉、室町時代の墓は子孫が管理しているわけでないだろう。
奥州藤原氏、蘇我入鹿、織田信長、信玄、薩摩の島津、藤原道長の墓で
子孫が管理し発掘不可のものってあるの?
527日本@名無史さん:2011/09/07(水) 12:14:51.21
>>526
信長は遺体が発見されてないから発掘しても意味が無い。
入鹿も首塚か何か有ったかもしれないけど掘っても何も出ないだろう。
奥州藤原氏三代の遺体と四代目の首は金色堂に安置されていて、昭和の大修理の際に調査されている。
他は知らん。だが上杉謙信は神格化されてるから発掘不可と思われる。
528日本@名無史さん:2011/09/07(水) 14:46:20.26
>>526
天皇家と戦国大名を同じにするなよ。
しかも、古い物ほど有難いというのが宗教の世界だ。
500年以上経過したものは、なおさらしっかり管理せねばならん。
529日本@名無史さん:2011/09/07(水) 15:05:48.81
天皇家の物は、元をただせば民衆から収奪した富であがなわれた物。
よってすべて国民の物である。
学術調査して成果を広く知らしめるべし。
530日本@名無史さん:2011/09/07(水) 15:26:39.17
>>529
国民一人から一円あつめると一億二千万円以上になる。
すべて国民の物だから国民に返せとなると、ひとり一円の価値しかない。
一円でできることなどほとんどない。
しかし、これを一元管理すれば、一億二千万円はかなりの力になる。

文化も同じこと。
天皇という核のもとに集約して管理しておけば、この先数百年でも伝えていける伝統文化も、
国民の物だという愚かしい意見で壊してしまえば、すぐに雲散霧消してしまうだろう。

それから、風姿花伝に「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」とある。
文化というものは、知ることと秘することの両様の価値を常に考えなければならない。
531日本@名無史さん:2011/09/07(水) 15:54:01.66
>>528
> 500年以上経過したものは、なおさらしっかり管理せねばならん。

そのためには宮内庁でなく、博物館や専門家組織の方がいい。

小さな国、地域では最初に出来た権威が長く続きやすい
(日本、タイ、イギリス、ネパール)が一般則でない。

大きい国や地域だと権威は次の権威に変わる。
中国やインドの皇帝、イスラムのカリフ。
532日本@名無史さん:2011/09/07(水) 17:15:41.27
大学で出されているレポートなのですがこれだけ簡単に説明できる方お願いします

1、坂東(あづま)の政治的な自立運動を平将門と源頼朝の活動を例にとり説明しなさい

2、東南アジア系モンゴロイド(縄文人)と北アジア系モンゴロイド(弥生人・古墳時代人)の混血、共存としての
  「日本人」の成立を東西日本と言う観点も考慮しながらまとめなさい
533日本@名無史さん:2011/09/07(水) 17:28:30.70
>>532
羊と貝だよこの謎を解け。程度低い洗脳大学だなw
534日本@名無史さん:2011/09/07(水) 18:39:31.40
日本やタイが小さな国っていう感覚が理解できん
歴史にも地理にも興味がなくて陵墓が宮内庁管理であることが気に入らないと言い続ける
何しにこの板へ来たのだろうか…
535日本@名無史さん:2011/09/07(水) 19:16:20.45
>>530
馬鹿じゃねぇの?
古墳を学術調査して、その知見を公開することが、ひとり一円の価値?
536日本@名無史さん:2011/09/07(水) 19:19:58.22
>>532
簡単に説明なんか無理だろ。
まずは網野善彦『日本の歴史を読み直す』ちくま学芸文庫を読むがいい。
ヒントがいっぱい書いてあるぜ。
537日本@名無史さん:2011/09/07(水) 20:08:56.62
>>535
>古墳を学術調査して、その知見を公開することが、ひとり一円の価値?

考古学の知見に興味を持つ国民がどれだけいる?
大半は興味ないだろう。
新聞記事を読んで、「へ〜」と思ってすぐ忘れるのが少しは居るくらいか。
そういう人間にとっては、一円の価値しかない。
それなのに、自分の好奇心を満足させるために国民の物だと錦の御旗を振りかざし、
考古学以外の分野の文化的価値を壊すことを意に介さない。
そういうことを言っている。
538日本@名無史さん:2011/09/07(水) 20:38:32.97
>>537
学術的な知見の価値は、その学問に興味を持つ国民の数で決まるわけじゃねぇさ。
たとえば、医学に興味を持っている国民は、国民全体の何%だ?
そんなことで医学的な新発見の価値が決まるわけじゃねぇよ。それと同じ。
539日本@名無史さん:2011/09/07(水) 20:53:01.65
>>538
まず、医学の進歩は、興味の有る無しに関わらず利益を享受する。
考古学は、興味がない限り、利益を享受する可能性はかなり低い。
医学と考古学は、同列には語れない。

次に、有る分野の学問で価値があるからといって、それが何時でも善とは限らない。
医学的な新発見をしようと細菌収拾のために、
ある部族が文化的宗教的に大切にしていた森林を荒らす。
そういうこともありうる。
540日本@名無史さん:2011/09/07(水) 20:56:00.40
俺は倭王の墓を暴いて土足で踏みにじりたいんだでいいんじゃねい?
541日本@名無史さん:2011/09/07(水) 21:11:04.19
>>539
ふむふむ。
考古学なんかは実益が無いから価値が無いと言いたいようだな。

君にとっては芸術なんかも無価値なんだろう。

かわいそうな人物であることが明らかになった。
542日本@名無史さん:2011/09/07(水) 21:12:13.18
>>540
お前は“その程度”の低レベルだとわかった。
543日本@名無史さん:2011/09/07(水) 21:35:53.19
>>541
>君にとっては芸術なんかも無価値なんだろう。


そうではない。芸術のためなら何をやっても良いということにはならんだろう。
実学のほうが考古学より価値があるわけでもないだろう。
それと同様、科学である考古学のためなら、
非科学である宗教を踏みにじっても良いということにはならんと言っている。

自分の学問を大切にするなら、他人の持つ価値観も大切にしなければならん。
考古学的知見を得るために、神道の信仰と、それにまつわる複雑多岐にわたる
民俗学的な日本の伝統文化の全てにダメージを与えるようなことはするなと、
そう言いたい。
544日本@名無史さん:2011/09/07(水) 21:41:39.33
古墳の発掘調査が、日本の伝統文化の全てにダメージを与える?
論理が飛躍してますなあ。
545日本@名無史さん:2011/09/07(水) 21:53:52.49
>医学の進歩は、興味の有る無しに関わらず利益を享受する。
>考古学は、興味がない限り、利益を享受する可能性はかなり低い。
>医学と考古学は、同列には語れない。

こう ↑ 発言した人物が、舌の根も乾かないうちに
こう ↓ 発言することを「二枚舌」と云う。

>実学のほうが考古学より価値があるわけでもないだろう。
546日本@名無史さん:2011/09/07(水) 21:56:02.15
>自分の学問を大切にするなら、他人の持つ価値観も大切にしなければならん。
>考古学的知見を得るために、神道の信仰と、それにまつわる複雑多岐にわたる

たしかガリレオガリレイの地動説を非難した連中も同じようなことを言っていたようだぞ。
547日本@名無史さん:2011/09/07(水) 22:46:18.54
>>529
仮にだが国民の共有物とするなら、それで何故すぐ発掘調査へと結び付くのだ

発掘調査に反対の国民はゼロだと思ってるのか?

仮に君の家の先祖墓を暴いて、そっとしておいて欲しい秘密を全て包み隠さず全世界公開して晒せと迫られて、子孫として憤りや理不尽は感じないか?

まああの方々は、それが国民の総意ならば粛々と受け止められて国民の意に沿うようにされるだろうがな
548日本@名無史さん:2011/09/07(水) 22:58:45.78
単純に言えば墓荒らしだし、高松塚の様になるのはごめんだもんな
549日本@名無史さん:2011/09/07(水) 23:04:35.06
暴いたところで何か見つかる可能性は数パーセントといったところか?
550日本@名無史さん:2011/09/07(水) 23:34:25.23
>531, >534
面積が広い方から順に国を並べたら、
国連加盟国 180余国のなかで日本は60番ぐらいで、
上位1/3以内にランクインしてるわけだし、
海洋面積なら4位という超大国。人口も、平均よりは圧倒的に多い。(面積の60位よりは上)
「小さい国」ではなく「辺境の国」という方が、まだ妥当性があるんだろうな。
551日本@名無史さん:2011/09/08(木) 05:31:59.00
>>547
発掘調査することによって、今まで解っていなかったことが判明する“かもしれない”。
調査する動機としては充分だ。

>>548
学術調査と墓荒らしとの違いがわからぬ馬鹿である。

>>549
研究というものは「せんみつ」と言ってなあ、千やってに三つの成果で当たり前。
それを厭うておっては、何の進歩も得られんわ。
552日本@名無史さん:2011/09/08(木) 06:09:45.89
>>551
>>548は特殊な歴史観の持ち主による逃げ口上なだけ
553日本@名無史さん:2011/09/08(木) 09:27:10.42
日本における最大の「パンドラの箱」は天皇陵

知識欲を満たすこと、知ることが必ずしも国民の幸福や活力に繋がるとは限らない
国民としてのアイデンティティが大きく傷つけられる恐れもある

どうしてもやるなら天皇家や皇族が絶えて100年後とかで良い

直接の子孫が現存する墓の調査と、一家滅亡した古い支配者の墓の調査では意味合いが違う

女性の下着の中に学問的発見があると分かれば、躊躇なく断りや了承や説明責任を果たさず力ずくで下着をひっぺがす様なモラルの持ち主に「学問云々」言われたくない

教育や学問以前に、もっと大切な社会人として日本人として人間として守るべき一番大切な物をを喪失している

モラルなき、マッドサイエンティストの悪魔の実験と同じだ
もしくは左翼で、天皇と天皇の歴史を辱しめて権威を落としたくてたまらない思考の持ち主
554日本@名無史さん:2011/09/08(木) 09:28:59.25
>>547
> 仮に君の家の先祖墓を暴いて
天皇陵は近年の研究者から幾つかの認定に間違いがある疑いを指摘されている。
つまり、天皇家の墓ではない可能性があるということだ。
きみは他人が君の先祖の墓を自分の先祖の墓だと決めつけていいと思ってる?
そうした問題を解決するという意味でも発掘調査は有益。

>>548
> 高松塚の様になるのはごめんだもんな
高松塚古墳は発掘調査ではなく、かつて盗掘された際の穴から土砂が流れ込んで
壁画の劣化が起こっている。発掘調査が行われなければ、こうした問題も分からなかった。
むしろ学術調査のおかげで劣化を防ぐべく様々な対策が施されているのだよ。
555日本@名無史さん:2011/09/08(木) 09:32:49.83
ただ、まずそういう議論をすること自体は反対はしないし、欲求が有ること自体に否定はしない

議論を挟まず性急に事を進める様なのは論外
556日本@名無史さん:2011/09/08(木) 13:39:12.36
昔の女性の名前にカタカナが多いのは何故ですか?男性は漢字がほとんどなので識字率とは別の問題と思いますが…
557日本@名無史さん:2011/09/08(木) 13:48:05.42
女性が自分のことを「わらわ」と言っていたようですが
かなり言いにくい発音だと思います。
実際はどんな発音だったのでしょうか
558日本@名無史さん:2011/09/08(木) 14:40:44.04
河内王朝が大和王朝とは別の勢力だったのは定説ですか?
559日本@名無史さん:2011/09/08(木) 18:02:44.74
>高松塚古墳は発掘調査ではなく、かつて盗掘された際の穴から土砂が流れ込んで
>壁画の劣化が起こっている。発掘調査が行われなければ、こうした問題も分からなかった。
>むしろ学術調査のおかげで劣化を防ぐべく様々な対策が施されているのだよ。

はずかしいほどの間違いです
560日本@名無史さん:2011/09/08(木) 18:14:38.05
>>553
> 日本における最大の「パンドラの箱」は天皇陵
そんなことは実際に調査してみなけりゃわからんよ。
何の根拠もなしにそう決め付けることがおかしい。

> 直接の子孫が現存する墓の調査と
君さあ、もしかして万世一系とか信じちゃってる?
それって嘘だから。

現在の天皇の、直接のご先祖様じゃないけんね。

> 女性の下着の中に
あの〜・・・
古墳と女性の下着って、全然違うんですけど? あはは
561日本@名無史さん:2011/09/08(木) 18:32:46.49
天皇は最高の恵み間をもたらす神であると同時に、最高の祟り神
安らかに眠ってる天皇や高貴な方を無理やり起こす事になったら、放射能汚染の被害どころで済まない

崇徳上皇や平将門公を見なさい
長屋王、早良皇子、菅原道真公を見なさい
562日本@名無史さん:2011/09/08(木) 19:32:41.72
>>553
> モラルなき、マッドサイエンティストの悪魔

古墳の学術調査をしたいと言っただけで、こんな気が狂ったような反応とはねえ。

>>561
祟り神?

現代人が言うことかねえ?
563日本@名無史さん:2011/09/08(木) 19:35:41.09
でも掘ったところでその状態を保存できる技術はあったとしてもお金がない
564日本@名無史さん:2011/09/08(木) 19:43:49.94
>>562
マッドサイエンティストの悪魔

なんて言ってない

マッドサイエンティストの悪魔の実験

と言ったんだよwww
意図的な改変で悪イメージ操作か?
単に文章読解力がないのか?w
565日本@名無史さん:2011/09/08(木) 20:04:52.39
>>564
いずれにしても、気違いじみた発言であることに変わりは無い。
566日本@名無史さん:2011/09/08(木) 20:40:33.47
>>553
> 左翼で、天皇と天皇の歴史を辱しめて権威を落としたくてたまらない思考の持ち主

自分が気に入らない意見を言う者には、すぐコレだからねえ。
ワンパターンのレッテル貼り。

まあ、この発言で >>553 が随分偏った考えの持ち主だとわかるよ。
567日本@名無史さん:2011/09/08(木) 21:21:57.16
邪馬台国で喧嘩してる方々って どういう状態になれば論争が終わるんでしょうか?
当時の日本は文字が無いですよね?土器編年って相対年代で絶対ではないから「決定」と言えないし ましてや
「ここが邪馬台国です」とか「戒名卑弥呼」という看板は出ないわけで「絶対にここ」って未来永劫決まらないのでは?と。
それから 何故そんなに「邪馬台国」って人気が有るんでしょうか?別に何処だっていいんじゃないでしょうか?
568日本@名無史さん:2011/09/08(木) 21:26:10.19
>>567
まあ卑弥呼が魏からもらった「親魏倭王」の印が出土すれば決定的とも言われるね
569567:2011/09/08(木) 21:48:46.18
ってことは まず余程の奇跡に恵まれない限り 不毛なバトルが続くわけですかあ.........
まあミチノク寸前に住んでる当方は 全く無縁です。
もう少し北だと「東北旧石器文化研究所」御一党さんが 縄文石器を埋め込んでてくれたと思うのですが。
570日本@名無史さん:2011/09/08(木) 21:55:28.83
いや、印は簡単に持ち運べるから決定打にはならないよ

畿内から出土しても、九州説の人は
「東遷したからだ」とか「邪馬台国が滅ぼされた際に略奪された」
という主張ができるからね

決定打となるのは、魏からの文書につけられていた「封泥」だろう
文書開封時に破損してそのまま廃棄されるものだから、
出土した場所が開封場所近くと特定できる
571日本@名無史さん:2011/09/08(木) 21:59:57.41
>>567
卑弥呼に「親魏倭王」の金印が贈られたのは、西暦239年。
それより前の西暦57年に、倭の奴国王は後漢の光武帝から「漢倭奴国王」の金印を貰っている。

だから少なくとも西暦57年には、日本にも漢字は伝わっていたと考えられる。

一説によれば紀元前3世紀頃に、すでに日本に漢字が伝わっていたとする説もある。

というわけで、卑弥呼の時代の文字資料が、今後発見される可能性はゼロではない。
572まあいいや:2011/09/08(木) 22:13:50.27
「職能としての武士」論と「在地領主」論は矛盾しないと思うのです。「職能としての武士」の中に
「中央軍事貴族」と「在地領主」(辺境軍事貴族の末裔と自称する連中)がともに包含されるのではないでしょうか?
573日本@名無史さん:2011/09/08(木) 22:14:44.45
>>557
妾(わらわ)は、童(わらわ)と同じ言葉から来たもの。
『和名抄』には「和良波」と書かれているから、その時代に実際にどのような発音であったかは、推測できるでしょう。
574日本@名無史さん:2011/09/08(木) 22:22:01.84
漢字が伝わってることと、それが通用されることとは別だよ。
アルファベットや西暦は秀吉の頃にも伝わっていたぜ。
575日本@名無史さん:2011/09/08(木) 22:34:26.26
文字は伝わったが、それを読み書きできる者はいなかったとでも言いたいのだろうか?
文字が伝わったということは、人の行き来があったということだ。
576日本@名無史さん:2011/09/08(木) 23:10:10.75
そうじゃなくて、必ずしも日常的に使用されるとは限らないということ。
577日本@名無史さん:2011/09/08(木) 23:24:18.95
弥生時代の資料で漢字があるのって金印と銅鏡ぐらいじゃね?
それも年号ぐらいで、まともな文章が書かれたものとなると古墳時代まで存在しないだろ
578日本@名無史さん:2011/09/08(木) 23:45:48.95
>>573
ありがとうございます。
童(=子供)から来てたのか

>その時代に実際にどのような発音であったかは、推測できるでしょう
すみません、、
浅学でわかりません。

万葉集を当時の発音で読むと、今の日本語よりタガログ語(フィリピン)に近いという
のを聞いたような(うろ覚えなので違ってるかも知れません)
579日本@名無史さん:2011/09/09(金) 00:47:51.42
>邪馬台国で喧嘩してる方々
今でも九州説を主張している学者先生って佐賀大の某の他誰?
九博の人のラインしか思い浮かばないんだが…
580日本@名無史さん:2011/09/09(金) 01:42:15.53
>577
文章じゃなくて漢字を一文字だけ、ではあるが「墨書土器」とか、なかったっけ?
あれは弥生じゃなく古墳時代だった?
581567:2011/09/09(金) 08:26:33.10
まとめてしまうと
「余程の僥倖に恵まれなければ、ここが邪馬台国である」というのは まず決まらない、と。
文字資料がポイントだけど 当時有ったかどうかは不明。
ってこた この板で延々続いてる論争は未来永劫続くわけですし 何処に邪馬台国が存在しても言いっぱなしで
構わないと........なんだかなあ
582日本@名無史さん:2011/09/09(金) 10:44:42.72
今九州説を唱えている極一部の人間は近畿説には疑問があるから認めないと言っているだけにすぎん
近畿説できまりなんだよ

間違った結論を他人に押し付けるためにこの板へ来たのか?
583日本@名無史さん:2011/09/09(金) 11:02:24.72
金印発掘してから言えや>近畿厨
584567:2011/09/09(金) 12:50:06.54
>582さん、気分を害されたらゴメンナサイ。自分のように邪馬台国に興味が薄い人間から見ていると
絶対年代を特定できたとしても中々諸説引込みの付かない状態で何が決め手になるのか知りたかったのです。
それと皆を論争に引きこむ謎の魅力の正体ですかね?それが知りたかった。自分は骨学系ですから もっと近代の
あまり皆が興味を持たない分野なものですから正直ちょっと羨ましい。
それと飛鳥 奈良 京都とかは大規模な発掘は不可能ですよね?現状で天皇陵古墳も発掘は不可能という一種ハンデ?
とも思えますが有望な発掘箇所とかは如何でしょうか?マスコミは何でも「卑弥呼」「邪馬台国」オン・パレードで
ちっとも目安にならないのです。
585日本@名無史さん:2011/09/09(金) 13:12:55.63
邪馬台国は無かった説
邪馬台国(九州)と大和王国(奈良)が別組織で並立してた説
邪馬台国の東遷説は?
586日本@名無史さん:2011/09/09(金) 13:28:20.57
邪馬台国がどこにあったかもちろんわかった方がいいのだろうけど、
あまりそればっかりに熱中するのにも違和感がある。
それよりも当時の社会や暮らしを明らかにするほうがずっと大事。

一万年後、今の日本という国の首都がどこにあったかで
白熱した大論争が起こっているようなもの。
重要度は低い。
587日本@名無史さん:2011/09/09(金) 15:33:07.10
>581
いや、文字を使う人間は居ただろうさ。ごく少数。
ただし、倭人ではなく中国からの渡来者。もしくは朝鮮半島かもしれんけど。
定住者じゃなく一時滞在かもしれん。

おそらく、行政に文字を使うほどの漢字の定着はなく、
中国との交渉に用いる文書以外では文字は用いられなかったんじゃなかろうか。

>583
九州で出た金印とて、あの発掘状況では証拠能力ゼロだがな。
イト国が九州だっただろうという推定は金印の出土とは無関係に提出されてるだけだよ。

>585
邪馬壱国は誤写 説を忘れてるぞ



(って、あえて挙げる意味もないから忘れてるわけじゃないだろうけど)
588日本@名無史さん:2011/09/09(金) 16:36:59.32
中国政府(民国)は1926年10月から、殷墟において本格的な学術調査と発掘を行った。
その結果、10万点に及ぶ甲骨片が発見された。
同時に発見された甲骨文字の判読も進められ、およそ3千文字の甲骨文字が解読された。
この結果、『史記』に記された商王朝の系図がほぼ歴史的事実であったことが示された。

589567:2011/09/09(金) 19:32:44.82
三世紀つまり西暦200年代の日本列島って、現在の「ムラ」か少し大きくなったか程度の集団で、一応「エライ人」
と「ふつーのヒト」位の身分制度が有って(葬制から推察)大きなお墓を作る位の人数を動員出来るレベルを「クニ」と
表現してたのでは?と。その中で当時の中国に対して貢物を出す知恵を持った集団が居た、と。
でも当時の中途半端な構造船(精精丸木舟に舷側版と前後に板を追加したレベル)で大航海をして行ったわけですよね。
そう考えると結構「ムラ」レベルが幾つか集まったにせよ相当な力を持った集団が西暦200年代に 何処かに居たわけですね。
その証拠を発掘するのも大変でしょうが、文字とか絵文字とかハンコとか相当な僥倖が無いと論争は決着しないんですねえ。
590日本@名無史さん:2011/09/09(金) 20:19:53.59
> 当時の中途半端な構造船(精精丸木舟に舷側版と前後に板を追加したレベル)で大航海をして行ったわけですよね

これが大きな誤解なんだな。
当時すでに、朝鮮半島から北九州にかけての一円に、きわめて活発な交流があった。
出土品などからわかることだ。
対馬からの距離は、九州北岸よりも朝鮮半島の方が遥かに近い。
591日本@名無史さん:2011/09/09(金) 21:14:13.54
>>590
北九州って、インド系の土器というか壺まで発見されているんでしょ。
華南や、マレー方面からの流入もあったのでしょうかね
592日本@名無史さん:2011/09/10(土) 00:53:28.49
>論争は決着しないんですねえ。
現在ありもしない論争とやらがどうしてもあることにしたいようだが
君の脳内世界の現実を他人にみせることは可能だと考えているの?
どうすれば俺は確認できるんだろうか?
紀要でも商業誌でも同人誌でもトンデモ本でも何でもいいから
何所に決着しない論争が書かれているのか教えてくれ

593日本@名無史さん:2011/09/10(土) 08:15:37.57
>592
この板なんか もう「大有り」じゃないですか?ちょっと変みたいですが。私のような邪馬台国そのものに
あまり興味のない人間の所に届く大手新聞の歴史系は毎週のように「邪馬台国」「卑弥呼」が踊ります。
やれ九州は鉄が出るけど機内は出ない、とか。遺跡の数や記紀を見りゃ機内だろと喧しいんですね。
だから どうなりゃ「決定」になるか、ジャッジングポイントは何?と聞いただけなのですが?
594日本@名無史さん:2011/09/10(土) 12:29:34.11
畿内及び中国地方(四国・中部西側あたり)を支配下に持つ国内最大勢力の「ヤマト政権」があって、
それとは別に九州に巫女である女王を盟主に戴く諸王国の連合政権である国内第二勢力があって、お互い張り合ってた
九州側は鉄や交易を支配し、畿内側勢力に暗に圧力を掛ける事も出来た

さらに九州側勢力は中国と交流し冊封を受け入れることで、中国の昇任を得て国内覇権争いの巻き返しを計った

九州側勢力が国内最大勢力である畿内側勢力の国名「ヤマト」を拝借して(あるいは倭=和の連合国という意味で大和とした、この場合では畿内はヤマトとは名乗ってなかった)中国側に謁見(「邪馬台国」と表記される)

だが3世紀半ばから後半に掛けて、九州側勢力は畿内側勢力に結果として武力と数の力で飲み込まれ併合された
畿内としても鉄の流入を止められ(握られ、制限され)ている以上、九州側を長期において黙認する事は自らの衰退を意味していたし、九州側が中国との協調強化で畿内を巻き返そうとしてるのは明らかで一刻の猶予も無かった

大規模な戦乱もあり、また降伏した勢力もあった
そして畿内と九州の上層部による婚姻関係も結ばれた

かくして北九州までの西日本が概ね1つになった

(九州連合国家は実質上畿内に飲み込まれて滅んだが、九州側の溜飲を下げさす、遺恨を緩和する意味に於いて「ヤマト(邪馬台)」の名を名残として畿内側が受け入れて九州側を立てた?、あと正妃も受け入れたり)

こういうんだったら、なに派に分類されるの

九州説?畿内説?二朝並立?
595567:2011/09/10(土) 13:07:30.84
先日読んだ本に匂わせて有ったのは
「邪馬台国」「卑弥呼」で盛り上げてマスコミを呼ばないと、遺跡ごとさっさと潰されてしまうから。
という切ない理由が書かれていました。機内の場合 大都会の下の層に何層にも遺跡が埋まっている
わけですよね?トレンチを掘るのも大騒ぎでしょうね。
長屋王邸宅なんて丸ごと出土したのに、全て「奈良そごう」の建設優先で貴重な資料を全て叩き壊した挙句
「そごう」倒産という有様でした。もしかして とても大事な物を守る為には工事を止める口実として「邪馬台国」に
登場願うのも悪いとも言えないのかな?
596日本@名無史さん:2011/09/10(土) 13:14:05.78
もしも〜し、日本語分かりますか?
「何という雑誌・書籍に書いてあるのですか」と聞いております。

過去十年。九州説に立脚した書籍・雑誌・学術刊行誌を教えてください。
597日本@名無史さん:2011/09/10(土) 13:19:31.76
天皇は日本神道のトップなのに、なぜ仏教に帰依したり、出家したりしたのですか?
また、天皇が仏教徒になる事によって、神道のトップとしての権威がそがれる事が
なかったのはなぜですか?


598日本@名無史さん:2011/09/10(土) 13:25:35.74
>>593

文献では邪馬台国はわからないというのが文献学者の一致した見解。これは不動。
考古学では畿内というのが、学会の主流。
考古学は、ひとつの遺跡の発掘で見解がコロッと変わる可能性はゼロではないが、
ゼロではないという程度。
プロの学者の動向は、それでおしまい。


本を売ったりして、邪馬台国ゴシップを仕事とする人たちは、
「決定」してしまったら、それ以上、商売にならなくなるから、
むしろ「決定」したら困るだろう。


趣味で「オラが邪馬台国説」を唱える人は、
郷土愛あり、ロマンあり、思い込みありで、
掃いて捨てるほどいて収集はつかない。
599日本@名無史さん:2011/09/10(土) 13:26:06.76
本地垂迹説
600日本@名無史さん:2011/09/10(土) 18:30:31.98
>>595
そういう事は有ると思います。
601日本@名無史さん:2011/09/10(土) 23:09:11.53
西郷隆盛の「征韓論」はネーミングのせいで誤解されそうですが、大きな目で見て東アジアや朝鮮の為を憂いての行動なんですよね?
西洋列強やロシアの侵略に備える意味で大東亜共栄的な

旧態依然な鎖国を続ける朝鮮に改革や富国強兵をさせる様な
602日本@名無史さん:2011/09/10(土) 23:31:06.47
まぁそうです。放置すれば列強に取られる。朝鮮は混乱状態で自分で改革出来ない。
列強に取られるくらいなら日本が取るべきって事ですね。
603日本@名無史さん:2011/09/11(日) 01:22:13.99
ありがとうございます

朝鮮を守る、東アジアを守る事が延いては日本を守る事に繋がる

日本を守る為に、あえて積極的に先にうって出ようというような積極先制的防衛論みたいのですかね
604日本@名無史さん:2011/09/11(日) 01:54:49.97
そうですね。その後の歴史も改革派を支援して何とかしようとしたけどうまく行かなくて、併合やむなし
という事になったようです。もちろん全ての日本人がそう思ってた訳ではないです。一等国という言葉に
酔い痴れた者も少なからず居たでしょう。
605日本@名無史さん:2011/09/11(日) 02:28:41.12
それに関連して

伊藤博文は朝鮮併合反対派の筆頭格だったようですが、皮肉にも朝鮮人革命家(?)の安重根に暗殺されたとされています

また安重根を「オズワルド」のようにダミーに使ったロシアの陰謀論で真犯人のロシア暗殺組織は別に居たという説もあります

Q1.伊藤博文はどういった意味で朝鮮併合に反対だったのですか?
伊藤が考えた併合しない方が良い理由や併合して悪くなる要因などはハッキリ分かっているのですか?

Q2.仮にロシアの陰謀論として伊藤博文暗殺を企てた意図は日本と朝鮮の反目・離反工作ですか?何か利点や意図は客観的に考えられますか?

Q3.安重根ら革命組織側は伊藤博文が「朝鮮併合反対派の急先鋒」と知っていましたか?
何故狙ったのですか?
606日本@名無史さん:2011/09/11(日) 03:22:20.53
>>605
1.知らんけど単純に信義にもとるという事じゃないのかなぁ。他の民族に支配されるのは嫌だと
反対する者が少なくないのは当然だし、すんなり統治出来ない可能性も考慮しなきゃならん。

2.陰謀説を取るなら離反工作となるだろう。でも歴史が証明するように日本を利する結果となった。
ロシアの陰謀ではないんじゃないの。

3.知らなかったんじゃない。韓国統監たる伊藤博文が諸悪の根源と信じたからの行動でしょう。
幕末に人斬りが流行って多くの人材が死んだのと同じ。
607日本@名無史さん:2011/09/11(日) 03:26:10.19
>>606
最後の一行を補足すると、幕末の人斬りもよく知らないまま噂だけで事を起こすから
無駄に人材が死んだという批判です。
608日本@名無史さん:2011/09/11(日) 20:49:13.88
孝明天皇や明治天皇は即位前に、祟った事で日本史上で最も有名かつ恐ろしいとされる大怨霊の崇徳上皇を祀った四国の神社まで即位の許しをもらいに勅使を出してから天皇即位しています

昭和天皇や今上天皇も科学万能なる現代に於いても怨霊信仰や御霊信仰の実在を信じ、畏れ日々あるいは事ある事に丁重に祀っておられた(おられる)と思いますか?
609日本@名無史さん:2011/09/11(日) 21:58:18.87
608は陸地の見えないところまで小船で漕ぎでて世界の大きさと自己の矮小さを実感したり
人工の灯かりの全く無い山中の小道を一人で歩いて漆黒という言葉の意味を理解した経験はあるの?

前近代の人間が天土に何をみていたのか気軽に追体験できるからやってみ
文明の利器に囲まれた快適な暮らししか経験したことのない香具師には共有認識がないから幾ら説明したところで絶対理解できないことでも
一夜の体験で幾らかの認識を得ることもある
608は痛覚の欠落した人間に痛みを言葉で説明できるかい?
重度の色盲患者に色を言葉で説明できるかい?

霊魂や信仰という形而上の概念をどう捉えるかを他者と完全に共有することはできないし
個個人の体験によって大きく変わりうる事柄について個人がどう認識しているのか他者が知ることもできない

できることはせいぜい共有認識をもてたという錯覚や自己欺瞞であり
そういうことは学問板で論じるべきテーマではない

608は来る板を間違えているね
610日本@名無史さん:2011/09/11(日) 23:59:38.66
500年、1000年、1500年と培った祭祀の伝統はいかに
明治以後の信仰の自由を失った皇室
終戦後の目に見えぬ制約下に主張することなく生きてきた皇室
21世紀を迎えた現代の皇室

といえども簡単に変容する様な事はないと思いますが
611日本@名無史さん:2011/09/12(月) 00:18:38.58
スレチだが、
最近、「さかな(魚)」の語源は「坂(さか)」で、「逆(さか)らう」も含めて同じものを意味するんじゃないかと考えてる。
元々の概念は「坂」から出発してる。即ち、「斜面」もしくは「斜面を登ること」。引力に逆らう的な感覚もある。
勿論、古代人は引力など知らないが、「わざわざ大変な思いをして、抗いようのないものを逆に行く」みたいな概念。
「魚」とは、産卵のために上から下に流れ下る川をわざわざ逆らって遡上する魚のこと、即ち元々は「川魚」のことを指したのかもしれない。
「逆らう」とは「主に、いかんともし難い上下関係の中、わざわざ上に盾つこうとする」というのが元々の概念なのかも。
「坂」を登っていく姿を想像すれば全部共通する。全部「坂」が語源なのに違いない。
612日本@名無史さん:2011/09/12(月) 00:26:42.73
>>611
「魚」→「坂(上から下への流れ)を登る「な」」。「な」とは「魚」のそもそもの呼び名なのかも。
「イワナ」という淡水魚がいるが、「岩魚」と書く。岩の多い渓流に棲む「な」、即ち「魚」という意味なんだろう。
「逆らう」→殆ど文字通り「坂」の動詞形なのかも。
613日本@名無史さん:2011/09/12(月) 00:38:54.88
614日本@名無史さん:2011/09/12(月) 00:57:09.24
>>611
「さかな」は「酒菜」で酒の肴に由来する。魚を使う事が多かったので魚が「さかな」と呼ばれるようになった。
615日本@名無史さん:2011/09/12(月) 00:59:44.63
>>612
魚が「さかな」になる前は「まな」だった。これを調理する時に使うのがまな板。
616日本@名無史さん:2011/09/12(月) 01:03:25.83
>>613-615
誤説も百遍言えば通る例だな…。あるいは方言だ。
617日本@名無史さん:2011/09/12(月) 01:05:09.83
>>613
というか、これに関しては完全な後付けだろうね。
618日本@名無史さん:2011/09/12(月) 01:08:11.20
「逆らう」と「坂」との関係を考えれば、「魚」が別派だとは考えづらい。
619日本@名無史さん:2011/09/12(月) 01:24:11.10
>>616
では反証をどうぞ。
620日本@名無史さん:2011/09/12(月) 01:51:03.67
http://okwave.jp/qa/q6985969.html
この話題が結構広がってますが、5,6世紀辺りは、日本と百済の方が仲良く
新羅は敵対関係にあったように聞いてましたが(秦氏が帰化するのに新羅が
邪魔をしたとか色々(これは3世紀頃?)この辺すっきりしないですよね。
てか、奈良・飛鳥以前(古墳時代)の日本史が不明瞭杉ますですよ。
これって、歴史学者の怠慢じゃないんですか? 案外色々資料は有るけども
ややこしいから黙ってようって感じじゃないんですか? って聞きたい。
621日本@名無史さん:2011/09/12(月) 01:58:53.73
>>620
どんな話題が広がっているのか判らないし、何が聞きたいのかも判らない。
622日本@名無史さん:2011/09/12(月) 02:12:57.43
>>620
ちなみに新羅が日本の支配を受けていた件なら既に広開土王碑にある。それによると、
「新羅と百済は高句麗の支配下にあったのに近年倭に従うようになった。好太王は倭を蹴散らして
新羅と百済を再び支配下に置いた。」という事が書いてある。
その後高句麗の力が弱まった時代に日本と百済は共同で新羅に当たり、困った新羅は唐と結んで
高句麗と百済を滅ぼし、更に唐も追い出して半島を統一した。
この位は以前から判ってる事だよ。
623日本@名無史さん:2011/09/12(月) 02:23:29.14
>>622
どう見れば良いのかな? 
秦氏渡来の時期は、日本=百済が仲良く、新羅が敵対してて
秦氏渡来が成った後に新羅を日本が攻め、新羅・百済を属国に置いた。
その後、新羅は高句麗と組んだりなんやかで、新羅が秦氏を詐称しだして、
唐と組んだってこと? 良く分らんのだよの。奈良・飛鳥以前の日本史(と日本の外交史)
歴史学者は嘘ついてるだろ。明治神話につかず離れずって感じだろ、って思う。
そういう無教養な事やってない? って思うんだ。
624日本@名無史さん:2011/09/12(月) 03:05:59.54
>>623
>秦氏渡来が成った後に新羅を日本が攻め、新羅・百済を属国に置いた。
秦氏が何時何処から渡来したのかはハッキリしない。秦氏と新羅がともに秦の末裔を称している事を
結びつける見解もある。属国にしてる頃に新羅・百済のどちらかから来たとも考えられる。

梁職貢図と好太王碑を合せて考えると、新羅は建国からしばらくは百済の影響下にあり、その後百済と
ともに高句麗の支配下に入った。一時日本の支配下に置かれるが好太王が取り戻す。
実際には百済はそこまで弱くなくて、一時的に高句麗に屈する事はあっても対抗し続けていた。その為も
あって日本とは手を組み続けた。
その間に力を付けた新羅は高句麗から独立し時に百済と同盟したりなどしながら更に勢力を伸ばす。
更に力を付けた新羅は百済にちょっかい出そうとしたんで百済は日本と共同で新羅に当たる事にする。
孤立した新羅は困って唐と手を組み、高句麗・百済を滅ぼす。
日本は百済を再興しようとして唐と新羅の連合軍に敗れる。
625日本@名無史さん:2011/09/12(月) 03:08:49.27
学者が嘘をついてるのでは?という疑問に同意がほしいの?
ならまず嘘ついてる証拠を君が出しなさい。話はそれから。

仮に学者が嘘をついてるのが事実だとして、それが君の意見の正しさを証明しないことも知っておいてね。
626日本@名無史さん:2011/09/12(月) 03:15:39.12
>>623
ちなみにこの間の日本の半島に対する動向は日本書紀にある任那日本府をどう解釈するかで
大きく変わるんで難しい。
627日本@名無史さん:2011/09/12(月) 08:57:48.20
>>611
さかなは新しい言葉
古語はウオ、イオ、ナ
628日本@名無史さん:2011/09/12(月) 18:58:07.99
>仮に学者が嘘をついてるのが事実だとして

嘘ではなくても朝鮮寄りの主張をしておかないと、他の日本人研究者から
朝鮮への差別意識があるのではないかとのレッテルを貼られて、
面倒な立場に追いやられることはある。

自国の史書に気に入らないことが書いてあるからといって全て処分し、
中国や日本の史書と整合性の取れない文章を創造する民族は現実に
存在するし、そういう文書寄りであるかないかで日本人研究者間での足の
引っ張り合いは、一般人が想像するより遥かに醜い。

だから俺は古代東アジア史については中国と欧米の文献しか信じないことに
している。
629日本@名無史さん:2011/09/13(火) 01:54:01.09
>628
誰もそんな話題聞いてない
630日本@名無史さん:2011/09/13(火) 16:49:12.73
しかし、残念なことにそれが日本の学会の現状
631日本@名無史さん:2011/09/13(火) 17:58:08.00
日本の現状がどうあれ中国の学説にはファンタジー要素
たっぷりなので俺は眉唾でみてる。
632日本@名無史さん:2011/09/13(火) 20:52:21.09
>>631
中国のは昔の日本の皇国史観に似ている
633日本@名無史さん:2011/09/13(火) 22:25:16.89
結局歴史の発祥なんて中国でもギリシャでも王位(皇位)や国家のアイデンティティーとか正統化・正当化の為に、自慢話や武勇伝やドラマを子孫や支配下地域に語り継ぎ洗脳する為に生まれたんだと思う
それにヒストリー(歴史)と、ストーリー(物語)の語源は元々同じなんだろ!?

数学の定理と違って答えは1つじゃないし、立場によっても違ってくるし簡単に偽史が作られ意見が立場によって見方が180度違うじゃないか

歴史はいつだってその時の都合で体制の為に道具にされてきた
だけど歪められ演出された情報の中からでも、潜んでいる真なる情報を必死に探ろうとされる専門家の努力は頭がさがる

悲しい宿命の時流の風に煽られまくる残念な学問だと思うけど、真を読み解く力を少しでもつけたいよ
634日本@名無史さん:2011/09/14(水) 01:09:36.74
最近来たんだけど、このスレの「歴史学博士」というのは、大学の博士課程に所属しているという意味ですか?
回答を読んでいると、単に知ったかぶりの人が多いように思うのですが。素人の私が読んでも「?」と思うようなレスが
結構な割合で存在するのですが。

あるいは「歴史学博士【ら】」の【ら】を勝手に拡大解釈して回答している人がほとんどということですか?
635日本@名無史さん:2011/09/14(水) 01:56:20.06
そうです。
636日本@名無史さん:2011/09/14(水) 04:37:59.43
昔のお姫様はノーパンですか?
637日本@名無史さん:2011/09/14(水) 05:01:47.99
別にお姫様に限った事ではないです。
638日本@名無史さん:2011/09/14(水) 05:37:48.17
>>629 僕が聞いてるのはそういう事です。
>>628が言うような事が実際に起きてるんじゃないかなと。
例えば、僕が小学校の頃に漆器は韓国からやってきたとか、
勾玉も韓国からやってきたとか聞いたんですよ。
でも三内丸山やX線蛍光分析の結果とか聞いたら全然違うじゃないですか。
もちろん歴史や考古学って難しいのは分りますよ。でも、証拠も無いのに
言い切って来た馬鹿が沢山居るんじゃないかなって思うんですよ。
639日本@名無史さん:2011/09/14(水) 06:21:11.02
>>638
>例えば、僕が小学校の頃に漆器は韓国からやってきたとか、
>勾玉も韓国からやってきたとか聞いたんですよ。
それは日本の学者じゃないな。それとも俺の知らない時空での話かな。
640日本@名無史さん:2011/09/14(水) 06:25:02.02
>>639
今から30年程まえになりますか。
でも、今でも同じで新しい証拠が見付からない限り、
嘘を付き続けてるのが歴史学者と小学校中高校の教員ですよ? 
これまで言って来たことに何の論拠も無いのに、言い続ける勇気だけで
語ってるのが歴史学者で嘘ばかり言ってる。動かせない証拠が出ると
俺が死ぬまでは認めんって事をやってるんですよ。正直。
641日本@名無史さん:2011/09/14(水) 06:40:32.11
>>640
おかしいな。俺が小学生だった15年前くらいより以前からそんな話聞いた事ないぞ。
朝鮮人学校か?
642日本@名無史さん:2011/09/14(水) 06:46:46.30
>>634
昔はそういうコテハンがいたのです
643日本@名無史さん:2011/09/14(水) 06:48:52.72
>>641
ゆとりじゃんお前(笑
644日本@名無史さん:2011/09/14(水) 07:08:06.22
ニャニオー。でも確かに三内丸山以前は漆の技術が縄文時代まで遡るとは思ってなかったのは思い出した。
ある程度の時期に大陸から半島経由で入って来たって言われてた訳だな。638が韓国とか言うから
ワケ判んない事になるんだ。(人のせいにしてるだけです、ハイ)
勾玉っていうか管玉やトンボ玉のガラスの技術も大陸からの伝来に違いない。
645日本@名無史さん:2011/09/14(水) 08:22:08.52
何でも半島原産だと今でも喚き散らしてるバカも多いがな。
サッカーも半島で出来たんだとか言ってるぞ。
将軍様大好きな日教組は平気でウソを教えてたし、それは教え子を戦場に送らないため云々とかいう
日教組のお題目とも反する事なんだがね。
ちなみに勾玉は国産だよ、半島の美的感覚と違うらしい。
>636
ノーパンなんだが生理中の女性に関しては専門書も有るから探してみれば?民俗学の範疇になる。
646日本@名無史さん:2011/09/14(水) 09:47:56.82
>>638
まあ、世の中には色々な人がいる。教師にも色々な人がいるということでは?

日露戦争のところで、「フィンランドには東郷ビールというのがあって…」と言っているバカ教師もいまだにいると思う。
本人には悪気はないのだろう。
647日本@名無史さん:2011/09/14(水) 10:10:36.73
>>638
戦時中の皇国史観なんかを考えると「証拠も無いのに言い切って来た馬鹿」はたくさんいると思う。
ただ、それを今の私たちが言うのは後出しジャンケンのようなものだろう。
当時には、当時の状況があるであろう。それを「馬鹿」と言ってすませるのは、それこそ
客観性を欠く態度だと思う。

実は、そういう無意識的な主観、偏見的な態度が誤った歴史認識を生み出したりする。
人は間違うもの、真実は日々更新されるものという当たり前のことを肝に銘じたい。


648日本@名無史さん:2011/09/14(水) 15:11:47.42
>>631
ファンタジー要素たっぷりなのは韓国の学説
中国の史書や碑文からも目を背けてるからなw
649日本@名無史さん:2011/09/14(水) 15:40:23.86
いやあ、学問的な姿勢にタガをはめて規制していた皇国史観は「馬鹿」と言われても
仕方がないくらい問題の多い政策だったよ。特に国体明徴声明以降の日本は、
まるでカルト国家みたいな様相を呈していた。アメリカ政府が当時はまだ黎明期といって
差し支えない文化人類学まで動員して戦争相手の日本を知ろうとしてのに比べると、
恥ずかしいまでの非科学振りだったからねえ。
650日本@名無史さん:2011/09/14(水) 16:50:06.17
>>649
もう国家の血統中心性につけ込まれてんだよな、アメリカに。
651日本@名無史さん:2011/09/14(水) 17:10:29.19
>>649
その頃アメリカの州によっては学校で進化論を教えてはならないって法律があったんだよ
今は進化論と聖書を同じ時間だけ教えるようにという法律になっているがね

技術面と思想面での科学力は同じように考えちゃならんでしょう
科学技術が進んでいようとも科学的な思想はなかなか持ちにくいものです
652日本@名無史さん:2011/09/14(水) 17:50:28.97
日本の家っていつから天井あるんですか?
653日本@名無史さん:2011/09/14(水) 17:50:43.14
>>647
だから、戦前の皇国史観が、朝鮮半島からの技術流入説の元になっているんだって。
百済・新羅滅亡の過程で、百済と新羅に中国古王朝の末裔を名乗る事を覚えさせたり、
朝鮮半島から文物がやってきたと刷り込みをやったのが、皇国史観なんだよ。
史学者は皇国史観と売国史観両方の要請から、本当の歴史を見い出そうとしてないんだよ。
史学者と小中高の歴史教師は愚昧かつ卑怯者なんだよ。
654日本@名無史さん:2011/09/14(水) 18:14:20.36
アメリカと中国喜ばせたんだよなwどうすんだよ洒落に成らん時代に入ったぞ。震災原発事故、朝鮮民主党なんの巡り合わせだよ全く。
655日本@名無史さん:2011/09/14(水) 22:52:07.74
>>653
>史学者は皇国史観と売国史観両方の要請から、本当の歴史を見い出そうとしてないんだよ。

寡聞にして知らないのだが、たとえばどんな人?いても、ごく少数の人じゃないか?
656日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:08:01.15
>>655
だから、昔や今の教科書で論拠無しの記述を削除しない現状を認めてる人全員だって。
つまり、大学入試に関わる史学者と、小中高の史学の先生全員。
論拠の有る事のみ記述するべきなんだよ。論拠無いことを書き過ぎなんだよ。
657日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:17:42.26
例えばだけど、神代文字(今現在これが神代文字だと言ってるのは眉唾だけど)
無かったと書いちゃ駄目なんだよ、見付かっていないと書かないとね。
宮内庁が比定している古墳群も、宮内庁はそう言ってるが論拠に乏しい。
とちゃんと書かないと。
それから勾玉の件で明かになったんだけど、勾玉系の部族(豪族?)が歴史から
完璧に葬りさられていた事は、論拠が有る(勾玉自体は三種の神器なのにまるで
伝わってない)から、古事記編纂以前に朝廷権力がこの部族を歴史から抹殺した
とは明確に述べるべきだと思うし。
658日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:19:53.56
てかなんて言うか、縄文・弥生銅鐸・古墳文明と、奈良飛鳥に凄まじい歴史的
断絶が有るじゃん。その辺ちゃんと言えよって思う。昔だから分らないんじゃくて
古事記編纂の辺りで、朝廷権力が抹殺してるは明かじゃん。
659日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:25:40.43
>>657
むしろ銅鐸だろう
勾玉ならヤマトの古墳から大量に出土しているし、神話にも登場するが、銅鐸に至っては一切文献からは見受けられない
弥生時代の遺物の中でも、矛も櫛も鏡も記紀に記述があり、後の古墳時代にも存在するが、銅鐸だけは弥生時代を境に一切製造されなくなる
660日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:32:14.90
>>657
>古事記編纂以前に朝廷権力がこの部族を歴史から抹殺した
>とは明確に述べるべきだと思うし。

ここは、

>>656
>論拠の有る事のみ記述するべきなんだよ。論拠無いことを書き過ぎなんだよ。

ここと矛盾するよね。結局、自分こそ無根拠に自説を述べているだけでは?
661日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:34:54.40
>>659
勾玉にしたって、あれ程記述が有るのに勾玉部族に関して殆ど記述が無いよね。
>>660
だから駄目なんだよお前は、皇国史観を下敷にして、それに反すると論拠を
求める。蛍光分析や、炭素同位体、DNAを駆使して、反駁すると黙ってしまう。
史学じゃねーじゃん(笑)自然科学史学じゃん。史学者は歴史を一言も述べてないじゃん。
662日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:35:14.15
>>651
> >>649
> 今は進化論と聖書を同じ時間だけ教えるようにという法律になっているがね

そうなの?
公的教育で特定の宗教を教えているのか、それじゃイスラムを批判しにくいね

宗教から独立した教育が建前の日本は進んでいる
中国もか、いや中国や旧ソ連は反宗教かな
663日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:38:23.88
記紀の文学的解釈をやるのが史学じゃねーだろ、
イチミリも歴史を明かにしようとしてないじゃん。
死ねよ歴史を気分で語るだけの寄生虫史学者と史学教員。
って思う。
664日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:38:32.75
>>661
何か、被害妄想気味ではなかろうか?どこをどう読めば、私が「皇国史観」を下敷きにしていると?
そもそもそんな大それたことなんか言っていないし。

>蛍光分析や、炭素同位体、DNAを駆使して、反駁すると黙ってしまう。

それは、だれが反駁して、だれが黙ってしまうの?どこで?
もし、学界でのことなら、あなたにとってビッグチャンスではないのか?
665日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:40:46.05
>>663
>記紀の文学的解釈をやる

本当に、具体的にだれのことなのよ?あなたの妄想が生み出した架空の学者では?
666日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:41:12.95
>>664
陳腐な言いわけばかり。
史学の成果じゃなくて人格批判ばかり。そういう所がまた駄目なんだよね。
史学者って本当にゲスの固まりだと思う。
667日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:51:16.63
>>666
あのさぁ、私は史学関係者ではないよ。そんなことも推測できないのか?
歴史学以前の問題じゃないの?

それに666を自分で読みなおしてごらんよ。たった三行の中で自家撞着に陥っている。
668日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:54:49.21
>>667
まともな史学関係者ならもうすこしまともに対応してるって
如何に史学者が無知蒙昧で卑怯者で堕落して愚劣な人間かって
話をちゃんとしてるって(わらい)
669日本@名無史さん:2011/09/14(水) 23:58:39.17
いわゆるODが、憂さを晴らしているということ?
670日本@名無史さん:2011/09/15(木) 00:03:27.93
ちなみに私は>>634だ。全くの素人。

最近、歴史の本を読んで疑問が湧いたので、この板で何度か質問した。
けれど、納得の行く回答をもらえたことがなかったりする。

そのうち、何か被害妄想を喚き散らす人も出てくるし。何か残念な板だ。
671日本@名無史さん:2011/09/15(木) 00:09:51.52
>>670
それだけ世の中危なくなってんのよ。
672日本@名無史さん:2011/09/15(木) 00:10:42.84
なんのこっちゃ!
673日本@名無史さん:2011/09/15(木) 00:11:15.20
なんかホンモノっぽいな。
674日本@名無史さん:2011/09/15(木) 00:13:56.26
中国基地外レベルも東シナ海で上昇してるしな。
675日本@名無史さん:2011/09/15(木) 03:09:01.95
>661
そもそも、「勾玉部族」なるものを想定する方が無理。
だから教科書に記述がない。

>662
>宗教から独立した教育が建前の日本は進んでいる
ように見えるが、宗教の内容に優劣を付けたり、
教義の特徴を不適切にピックアップして誤解を植え付けたり、
様々な欠陥を抱え込んだままになってるみたいだよ。

>634
ほとんどかどうかは知らんけど、オレは残念ながら「ら」の方。
676日本@名無史さん:2011/09/15(木) 03:20:48.22
>>675
でたよ。都合が悪くなると否定すれば良いって考え方。
翡翠の産地とその供給量と、後の歴史に一切記述が無く、
翡翠産地事歴史から忘れさられたことから鑑みて、
勾玉部族を想定しない方が無理が有るだろ。
677日本@名無史さん:2011/09/15(木) 03:50:44.30
竹島って歴史的観点から見てどっちの領土なの
678日本@名無史さん:2011/09/15(木) 04:59:44.92
日本
679日本@名無史さん:2011/09/15(木) 06:00:55.88
いや、勾玉部族などというものを想定するなんて、ただの妄想。
ただ単に、翡翠産地の住人が採取して、交易品としたと考えるほうが自然。
680日本@名無史さん:2011/09/15(木) 07:06:10.05
古墳時代の鉄だって鉄鋌が発見されていて、朝鮮半島から輸入していたと考えられるが、そんなこと記紀には一切触れられていない
勾玉なら飛鳥寺の心礎からも発見されているくらいだから、飛鳥時代まで存在していたみたいだし
681日本@名無史さん:2011/09/15(木) 07:21:53.98
>>677
マジな話、日本には17世紀には竹島(当時の呼称は松島)の正確な地図が作られていた
朝鮮では鬱陵島の西や北、北東などにグルグル移動するうさん
682日本@名無史さん:2011/09/15(木) 07:26:51.61
>>681
間違えた
朝鮮では鬱陵島の西や北、北東などにグルグル古地図によって移動する于山島を竹島と論じている
鬱陵島やその付属の島々を于山島とした地図も結構ある
竹島は二島からなるが、于山島が二つの島として描かれているものは鬱陵島と付属の島が于山島とされている古地図だけ
683日本@名無史さん:2011/09/15(木) 11:54:22.20
よろしくお願いします。

真田幸村氏の兄、信之氏が
24時間態勢で何か(書類?)を守り抜いたと
昔テレビで見た覚えがあるのですが、
何のために、何を守っていたのかを知りたいです。

徳川の世になってからの話だったと思います。
自分でもいろいろと調べたのですが
まったく辿り着けませんでした。
よろしくお願いします。
684日本@名無史さん:2011/09/15(木) 11:59:06.87
すみません。
「吉光のお長持」が見つかりました///

検索の仕方が悪かったみたいです///

申し訳ございませんでした。

685日本@名無史さん:2011/09/15(木) 12:13:38.10
>>657
>勾玉系の部族(豪族?)が歴史から
>完璧に葬りさられていた事は
玉造部を葬ってんのはお前さんじゃないの?
っていうか知識が無さ過ぎる。

>>683
wikipediaで見たような気がする。幸村の手紙だったような。
でも今見たら書いて無かった。ちなみに幸村というのは後世の人の間違いで
信繁が正しいです。

>>634
俺も「ら」の方。
686日本@名無史さん:2011/09/15(木) 18:10:01.70
>>685
だからそれが、歴史からの抹殺だって言うんだよ。
翡翠の原産地は新潟の姫川だ。なんで玉造が機内に居るんだよ。
ありえないんだよ。東京の銀座が、銀の産地種族集落だったか? 
違うだろ。たんなる加工工場を部族扱いするなよ屑。
文系はそういう部分がまるで駄目。特に日本神話で見えるのが
日本は土地産物農地と密接に結びついているので、これらの根拠を
持たない人間は流浪民だからそれが政治力持ってたとしても、
アメリカで言うロビー活動かで有ってただの下衆。
687日本@名無史さん:2011/09/15(木) 18:12:53.09
>>686
だから朝鮮で掘った鉄を畿内で刀にしてるだろうが
金象嵌の金もどこで掘ったのやら
688日本@名無史さん:2011/09/15(木) 21:16:03.51
>>687
だからその製鉄伝来もどうにも信用し難いんだよね。
銅に関しては、鉱山そのものが無かったので良いんだけど。
3ー6世紀辺りで、朝鮮出兵の失敗によって大量の難民と朝鮮貴族の扱いに困って、
朝鮮人と言えども、色々凄いんだって言う事にしてしまっただけの話だと思うんだよね。
その過程で本来の日本部族が卑下されてしまった。日本の文系は古来からそういう事を良くやる。
689日本@名無史さん:2011/09/15(木) 21:19:19.32
今でもソフトバンク万歳、サムソン万歳とか言ってる気違い文系日本人沢山居るでしょ。
自分じゃなに一つ産み出せない屑文系は、日本のメーカーを褒めると自分の首が絞まる。
お前は何もしてないじゃんって言われる。それが困るから、外国の商品を褒めて、
自国の技術を卑しめて、自身のプレゼンスを強化する。武家社会になってようやく辞めたけども、
天皇支配の時は常にそうやってる。天皇そのものが屑だから。それと同じ事が記紀なんだよ。
鉄・勾玉に関しては、渡来経路は日→朝鮮半島だと思う。
690日本@名無史さん:2011/09/15(木) 21:24:30.04
皇国史観と韓国のウリナラマンセーは実は相反する考えかたじゃなくて、
同根なんだよね。天皇家は自身の対韓国出兵政策の失敗を糊塗するために
記紀の時からずーと大和民族を貶して来たんだよね。それはとても問題だと
思うんだ。だから史学者は文系で屑だから、皇国史観的にも、韓国に擦りよる
意味でも、韓国渡来を否定したくないわけだ。って事を前提にしてるから
自然科学的調査矛盾しまくりの論拠も根拠も無いことばかり言ってる。
691日本@名無史さん:2011/09/15(木) 21:35:55.17
>>690
もうよ、大和民族朝鮮同祖で良いから其れで軍事力強化してくれや。アメリカと中国が東シナ海で強気なのはそこなんだよな。
692日本@名無史さん:2011/09/15(木) 22:29:09.21
>>686
玉造部は翡翠だけを扱っていたわけではないから
693日本@名無史さん:2011/09/15(木) 22:35:13.46
>>692
それが何か? って事だね。そういう職人が居たのは良いんだよ。
街中に電器店が有る事と、シャープの本拠地が大阪だと言うのは
まったくもって別の話。今の時代で言うと、カルフールがシャープの
液晶テレビ売ってたから、液晶テレビはフランスの製造だと言うような
無茶苦茶が記紀から、姫川鉱床再発見まで言って来たんだよ。
それを歴史事実だと言って平気な顔してたのが、日本の史学者連中。
言い訳できなくなったから、認めたに過ぎない。
694日本@名無史さん:2011/09/15(木) 22:49:00.65
何を主張したいのかさっぱり分からん

翡翠は日本ではとれないらしい
 ↓
じゃ、原料輸入か輸入品だったんじゃね?
 ↓
日本にも鉱床があった!
 ↓
じゃ、国内産でいいじゃん

と、新しい知見にもとづいて学説を進展させているのではいのか?
学問に対するまっとうな姿勢だと思うがそれのどこがいけないというのか?
695日本@名無史さん:2011/09/15(木) 22:52:25.15
>>692
多分、その人はホンモノだと思う。あまり相手にしないほうがいいと思う。

私はど素人だが、>>690に書いてあることはもうツッコミどころ満載。ただ、それをやると、
さらにレスが来て…

おそらく指数関数的にツッコミどころが増加していくと思う。それも亦楽しいかとも思ったけど、
やはりホンモノをからかうのはよくないのでやめた。

ああ、でも何かツッコミたい気もする。でも触らぬ神に祟りなしだよなぁ。
696日本@名無史さん:2011/09/15(木) 22:55:14.83
>>694
翡翠が日本で取れるか取れないか分らない。
だから安易に外国から持ち込まれたとも言えないし、
日本で取れとも今は言えない。と言うべきで有って
外国の鉱床も検討せずに安易に外国から持ち込まれたとか
言うのが、史学者の皇国史観(ウリナラマンセー)的な愚行という指摘。
つまり史学者は歴史的事実を見い出そうと努力してなくて、自身の物語を
守ろうとしてる、卑怯者だという話。
697日本@名無史さん:2011/09/15(木) 22:56:23.28
別のスレで「自分は理系」っていうだけで
まともな知識もないのに文系を見下した主張を繰り返してる奴がいたな
698958じゃねえけど:2011/09/15(木) 23:02:07.98
>>696
新潟で採れるよ
むしろ外国産の可能性はまずない
硬玉はアジアじゃ日本とミャンマーでしか採れない
699日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:03:04.34
>>696
勾玉は現在の韓国の領域内からも出土していて
かつては朝鮮半島に翡翠の鉱床があるものと信じられていたからね
化学分析によって韓国内の勾玉のうち
翡翠が日本産であると確定したのはここ10〜20年くらいだね

そのときに知られている情報を総合して学説をくみ上げることのどこがいけないのか
あなたの主張は後出しじゃんけんにしか見えない
700日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:03:51.32
>>695
いや真剣で、ウリナラマンセーと皇国史観は、表裏一体のものだよ。
韓国に偏ってるのがウリナラマンセーで、皇国に偏ってるのが皇国史観。
日本史はそのどちらでも無い。天皇が政治の中心だったけども、天皇の政治は
日本形成にさほど影響を与えてない事実が有る。
日本史で真に重要なのは民族学的な歴史であって、天皇を中心とした政治史は
その鏡みたいなもで有って日本史ではないんだよね。
701日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:08:50.83
>>699
だから、朝鮮半島で翡翠鉱床が発見されていないのに、朝鮮半島での
勾玉発見を持って朝鮮半島伝来としたのは、無根拠な記紀の記述を元に
した皇国史観的日本史愚弄行為だと言ってる。それを史学者がこぞって
やってきたのが日本の史学者だと言ってる。鉱床発見と分析の結果を
以てようやく勾玉に関してだけ記述を変えたけども、ありとあらゆる
記述で無根拠な皇国史観(ウリナラマンセー)的なファンタジーが残ってる。

702日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:13:06.47
後出しジャンケンだと言うけども、今の日本史は先に言い切った者の勝ちで
構成されていて、無根拠な記述に溢れかえってる。って話をしてる。
そして、その無根拠な記述を一所懸命守ろうしてる卑怯者が日本の史学者だと
言ってる訳。
703日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:14:03.71
何かよくわからんが、武家社会以前の「文系」って何よ?

みたいなツッコミをすると、また意味不明のレスがつくんだろーな。
704日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:15:39.20
>>702
具体的に何よ
承久の変なんか意味もなく承久の乱に書き換えられているぞ
705日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:16:51.68
>>704
そうなんだよ。こういうホンモノの人って具体的な思考が苦手なんだよね。
多分、具体的なことは何も出てこないと思う。
706日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:17:25.12
>>703
意味の無い突っ込みだからね、返事も無意味になる。
記紀を書いたやつらを文系としてみた。自分じゃ何も産まず、
見付けず、整えないから、手柄を横取りする記述をする為だけに
生きてる人間=文系。
707日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:27:24.90
>自分じゃ何も産まず、
>見付けず、整えないから、手柄を横取りする
前首相のことですか?
あ、彼は東工大出のバリバリの理系でしたねw
708日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:29:50.76
>>706
だったら始めから「手柄を横取りする記述をする為だけに生きてる人間」と書けよ
文系にそんな意味があるなんて我々一般人は知る訳ないしな
709日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:36:49.16
>>708
てか真剣で、史学者酷いと思うんだよね。
殆ど皇国史観の部分修正しかやってないんだよ。
ウリナラファンタジーとか書いてるのを目にするようになって、
日本史勉強しなおしたら、日本の歴史記述も、皇国史観やウリナラファンタジー
レベル(内容はちょっと違うけど)で無根拠いい加減な決め付けのオンパレード。
色々な可能性の検討すらやってない。先に言い切った者の勝ちで歴史が記述されてる。
710日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:38:56.64
>>702
>日本史は先に言い切った者の勝ちで
>構成されていて、無根拠な記述に溢れかえってる。

先に言ったもの勝ちなのは日本史に限らず学問すべてにおいてそうだろ
その先人の主張を検証していく作業が学問的研究の柱のひとつではないのか
検証作業を生き抜いた学説の提唱者は賞賛されるし生き残れなかった学説は見向きもされなくなるというのが
あるべき学問の姿だと思う
711日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:41:14.77
>>709
その勉強し直したという際に読んだものは何か教えてもらえまいか
712日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:47:14.56
>>710
自然科学だと証拠と論拠と理論とともに一番最初に言った者の勝ちなんだけど
日本の史学と言語学(非コンピューター活用系統)は、証拠と論拠と理論が無くても
屁理屈でもって一番最初に言えば勝ちなのがおかしいって言ってる。
死ねよ文系。
713日本@名無史さん:2011/09/15(木) 23:56:46.64
>>712
具体的にどんな?
714日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:01:05.49
結構前から「具体的には?」「あなたの妄想では?」と尋ねているけど、未だに具体例を出せない。

自分の頭の中の「文系」「史学者」と戦っているのだろう。
715日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:04:00.11

だから知らないんだろ
716日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:06:27.81
勾玉で具体例述べてるんだけど? 
具体例具体例って言うのは何故? 
そういう言いかたすれば史学者が愚昧な皇国史観を子供達に教えてる事を
糊塗できると考えて、具体例、具体例って聞いて来てるんだと思う。
そういう卑怯で姑息な態度が日本史を皇国史観にしてると思うんだ。
邪馬台国論争を読んだときに思ったのだけど、そういう議論じゃなくて
揶揄中傷の合戦ばかりしてるから史学者は駄目なんだと思う。
717日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:07:54.22
その愚昧な史学者って「具体的にだれ?」と尋ねているのに、理解できないんだから。

やはりホンモノだわ。
718日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:07:56.58
あなたも議論ではなく揶揄中傷に徹しているではありませんか!
719日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:17:43.67
朝廷史と日本の文化史産業史、そして日本史を混同してる馬鹿が
教科書を書いてるのがまず本当におかしいんだよね。
記紀は朝廷の事を一部書いてるだけで、それを日本史として扱うのが
異常で異様なんだよ。だから辻褄が合わない事が一杯ある。
ちゃんとした日本史を書こう、見い出そうって気が無い。
>>718
中傷合戦を止めてくれと言うと中傷だと言い出すのは朝鮮人と文系。
720711:2011/09/16(金) 00:21:06.69
>>719
質問にお答えいただけませんか?
721日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:21:58.79
だから、

>記紀は朝廷の事を一部書いてるだけで、それを日本史として扱う

というのは、具体的にだれのこと?どの教科書のこと?
そんな人も教科書も現実世界には存在しないよ。
722日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:24:38.32
>>657の自己矛盾のせいでここまでレスが延びるとはな

勾玉王朝みたいな話は恥を塗り重ねるだけだぞ
まず質問
勾玉王朝が存在していたという客観的な根拠はあるのかね?
723日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:25:51.32
勾玉を出したら「具体的」とか、記紀を書いたから「文系」とか、言葉の意味が独特。
これはアレな人の特徴のひとつ。本人は自分の定義の特殊性に気が付いていない。むしろ
自分以外のほうが特殊だと思っているのね。

こういう人に対しては、ひたすら「具体例は?」と尋ねるに限る。一般的なところで話を進めると
自分勝手な定義で勝手に議論を続けるので、手に負えなくなる。
724日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:31:19.57
>>722
勾玉部族って書いてるけども? 勾玉王朝とは言えないだろ。
歴史からの消え方見ても。
725日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:33:08.64
右翼はやたらと朝鮮人とか在日を連呼するけど
わざわざ外国の掲示板に外国語で書き込むだろうか?
日本語が堪能でネット環境が整っていて日本のスラングや習慣にも詳しくて、
そんな奴が大量にいるなら朝鮮人は優秀な連中って事になるぞ。
逆に日本人が朝鮮や韓国の掲示板に現地語で書き込んだりするか?

あと、俺は今まで生きてきて同級生にも同僚にも在日なんていなかったけど
右翼の周囲には在日が大量にいるのか?右翼以外の人達、今まで在日って何人ぐらいいた?
いても2〜3人じゃないの?

なんか右翼の言動は現実離れしすぎている。
726日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:40:28.28
>>724
その勾玉部族なんて日本中にいたろうなあ
で、その中で大和王権にとりいって栄えたのが玉造部な訳だ
他の勾玉職人(勾玉部族?)も日本のあちこちの王に仕えていたのだろう
そんなん記紀に書く程もないな
銅鏡だの鉄剣だのを作る地方の王の家臣の事なんか中央政権は興味ない

それより象嵌技術の方が謎だぜ
記紀に象嵌については触れられていない上に、埼玉の古墳でも象嵌鉄剣が出土している
これはヤマトで作られたものなのか、地方にも技術者がいたのか、興味深いですね
727日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:44:39.16
>>725
↓こういったバカが日本人だと思いたいか?
天皇は韓国系。故に日本国=韓国
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/asia/122443837
なぜ日本人は韓国に憧れ続けるのか?
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1288348805
日本は天皇を廃止して、大韓民国に服従すべき
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/asia/122371119
何故、世界中の人々は韓国を憧れるのか?
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/korea/1287334679
728日本@名無史さん:2011/09/16(金) 00:55:37.38
>朝廷史と日本の文化史産業史、そして日本史を混同してる
これが「具体的に」何を意味しているのか不明。本当に何を言っているのだろうか?
むやみに一般化しないで、「具体的」に言えばいいのに。まさか「勾玉」のことなのか?

>馬鹿が
>教科書を書いてるのがまず本当におかしいんだよね。
これも、一体だれのことなの?どの教科書なの?わけがわからない。

>記紀は朝廷の事を一部書いてるだけで、それを日本史として扱うのが
>異常で異様なんだよ。だから辻褄が合わない事が一杯ある。
>ちゃんとした日本史を書こう、見い出そうって気が無い。
「記紀」が「朝廷のことを一部書いているだけ」って常識ではないの?

いったい、この人はだれと戦っているのよ。
729日本@名無史さん:2011/09/16(金) 01:04:29.19
>>726
姫川の翡翠の話をしてる。産地が守られて隠されて、
そして葬られた事の意味なんだよ(こっちは歴史ロマン)
勾玉は朝鮮からやってきました。だって翡翠の産地が日本に無いんだから、
ガラスの勾玉とかビーズとか日本の方がいっぱい出て、日本を中心に勾玉文化圏が
見えるけども、翡翠は日本から出ないから中国から朝鮮半島を渡って来た文化ですよ。
と言った馬鹿が歴史学者で、自然科学的な証明がなされるまで、そういう記述で大学に
入学して、大学で研究者になっても何の疑問を抱かず承認してきたのが史学者。
730日本@名無史さん:2011/09/16(金) 01:14:08.53
>>728
日本の朝廷史=日本史だと勘違いしてる馬鹿。
小学校からそう教えられるから勘違いするのもしょうがないけどもね。
朝廷史は日本の史で言えば、2%程度の意味合いしか持たない。
例えて言えば、FMいるかの番組史を持って日本の放送番組の歴史だと言うようなもの。
その位日本史を見る上で中途半端なことをやってるのが日本の史学者。
行政の都合の為だけに皇国史観を整えてるのが日本の史学者。
731日本@名無史さん:2011/09/16(金) 01:17:08.53
結局、具体的なことって「勾玉」のことだけじゃね?だったら、それでスレ立ててそこでやればいいと思う。
無意味に一般化して無知をさらけ出すことはないと思う。
732日本@名無史さん:2011/09/16(金) 01:19:05.83
>例えて言えば、FMいるかの番組史を持って日本の放送番組の歴史だと言うようなもの。

そこは譬えなくてもいいところだ。説明すべきは「日本の朝廷史=日本史だと勘違いしている馬鹿」がだれなのかということ。
そんな人いるの?
733日本@名無史さん:2011/09/16(金) 01:24:54.85
>>732
だから記紀の記述を元になんでもかんでも朝鮮半島渡来だと言って来た
戦後の史学者と小中高の史学の教員。自然科学的な反駁がなされるまで
勾玉一つ反論を認めて来なかった。って何度も言ってる。
そしてそういう無根拠な記述のまま今の教科書もできている。
734日本@名無史さん:2011/09/16(金) 01:31:42.42
なんだ、やっぱり「勾玉」のことだけじゃんねぇ。

だったら、「勾玉」のことだけでいいのに、「なんでもかんでも」とか「史学者」とか
「文系」とか「教科書」とか、自分の力以上に話をでかくしないほうがいいと思うけど。

多分市井の歴史マニアだよね?学界で「勾玉」の発表でもしたことがあるの?
大学で研究もしてたりするの?
735日本@名無史さん:2011/09/16(金) 01:33:05.56
>>732
そんな人居るのとか問われるのが分らん。勾玉は朝鮮半島渡来だと
鉱床の発見とさらに、蛍光分析による、それぞれの勾玉が本当に
日本の鉱床産だという事実を突き付けられまで、認めないで来たのが
歴史学者なんだって、今の有名大学に入学してるやつって、この程度の
根拠薄弱な知識を溜め込んで大学に入学して史学者になってる奴等ばかり。
逆に問うと、そういう薄弱な事を一切言わない(つまり今の教科書と大学入試
を認めていない史学者って存在してるの? トンデモ除く。って聞きたい。)
736日本@名無史さん:2011/09/16(金) 01:34:39.81
あんまり思い詰めると熊沢寛道みたいになっちゃうよ。
737日本@名無史さん:2011/09/16(金) 01:41:21.17
史学に限らず、学問に無謬性を求めると、最終的には宗教に行ってしまう。
オカルトな人がよく「科学ですべてを説明できますか?」と言うけど、あれと同じ。

人は間違う。それを踏まえて科学は進歩する。
738日本@名無史さん:2011/09/16(金) 01:42:22.95
>逆に問うと、そういう薄弱な事を一切言わない(つまり今の教科書と大学入試
>を認めていない史学者って存在してるの? トンデモ除く。って聞きたい。)

日本語をまずしっかり書くこと。
739日本@名無史さん:2011/09/16(金) 01:44:52.95
>>734
具体的に勾玉の例示をすると→勾玉だけじゃん。
全体的に無根拠だと言うと→具体例を出せ。
こういう行為を議論だと勘違いしてるが文系なんだよね。
千字文を持って漢字渡来だとか言ってみたり
(これは反証が余りに豊富で長く続かなったが)
朝廷が新羅から漢字の学者を迎えた事と、日本に漢字が伝来した事は
まったく違うのに平気でこういう混同した記述をするのが日本史史学者なんだよ。
枚挙に暇が無いほど無茶苦茶な無根拠な記述で溢れてるのが今の日本史。
740日本@名無史さん:2011/09/16(金) 01:49:33.14
>>737
それも分るけども、鉱床の発見だと殆ど黙殺されて、勾玉文化圏というべき
位の分布と深みまで見付かってたのにそれでも無視されていて、最終的に
X線蛍光分析で、確かに日本の姫川産で、反駁も無視も不可能となってから
勾玉文化(圏)というものが考察の対象になったってのは、歴史を葬ると一緒だと
思うんだよね。分らないのなら分らないにすれば良いのに半島由来って言い切ったが
為に、勾玉文化を考察する事自体が忌避されてきてしまった。
741日本@名無史さん:2011/09/16(金) 01:52:45.35
そもそも「勾玉」って「史学」の範疇じゃなくて「考古学」の世界じゃないの?

742日本@名無史さん:2011/09/16(金) 02:25:28.80
>>740
半島由来と言い切った研究者はだれで、どの著作でのことか
具体的に指摘していただきたい
743日本@名無史さん:2011/09/16(金) 07:53:09.47
昭和51年4月10日
改訂新版 第3刷発行
詳説 日本史
著者 竹内理三
株式会社 向上社

[参考]縄文時代の交易
…硬玉を材料とした玉類は特殊なもので、産地は新潟県糸魚川市の小滝川上流・同県青海町青海川上流といわれるが、玉類は各地にみられる。…


35年前には、ヒスイは糸魚川で採掘されていたと推定していたという証拠が出てきました
それ以降に勾玉は朝鮮由来などと教科書に載っていたのなら、それは文系の正論をねじ曲げたものですね
言っとくが、記紀には材質の特定された勾玉の記述はないと思うぞ
てか石の産地なんて一切載ってないよ
大王の石棺がどこどこで掘られたと記録されているのかね?
744日本@名無史さん:2011/09/16(金) 08:27:56.67
>>743
>〜川上流といわいわれる「が」
ってどういう意味?と受けとった?  
君の引用は後段を省略してる「が」、意図的に省略する人っているよね。
がの次が読点で、「玉類は〜」と続くので、接続助詞の「が」だよね。
つまり逆意説接続の「が」になる。日本語的にはそういう意味になる。
もちろん「が」には順接続の用法もあるが、逆意接続の意味もあるので、
意図的に意図を不明瞭にしてるのが明らかじゃんかよ。
そういう事するのが愚劣蒙昧な文系って言うこと。
745日本@名無史さん:2011/09/16(金) 09:03:23.13
>>744
硬玉は産地が限定される「が」、普通の玉はそこいら中にありふれている。
としか取れんがな。
746日本@名無史さん:2011/09/16(金) 18:16:23.53
>わざわざ外国の掲示板に外国語で書き込むだろうか?

俺はウヨじゃないけど
習得中の言語の腕試ししたくて
その言語の掲示板にレスするってのは
やったことあるぞ

結果は…まあ聞くな(苦笑
747日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:15:36.16
>>745
硬玉は産地が限定される「が」、硬玉製の玉類は広く分布している。

じゃないか?
748日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:18:45.22
>>745
逆意接続助詞か、順意接続助詞か? そもそも混乱する接続助詞「が」
を使う意図に皇国史観ウリナラマンセーを感じる。という議論してるのに、
そこを明示しないで、どちらにも取れる接続助詞「が」を使って
レスするその態度が、駄目なんだって話をしてるんだってばさ。
749日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:40:00.45
>>748
皇国史観ウリナラマンセーとのつながりをわかりやすく
わかりにくく書く事なら日本国憲法も負けてやいないぞ
750日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:40:05.89
ようするに文章読解能力が不足してるってことだろ
751日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:45:28.33
>>750
お前ばかだろ、順意接続とも取れるし、逆位接続とも取れる表現をしておいて、
読解力の問題とか言う根性が分らん。接続助詞「が」は、文意が明らかな場合に
しか使ちゃ駄目なんだよ。教科書は何の為に書かれるか考えたら良い。
意図的に誤読を招き、誤読を促し、そして抗議されると順意ですと逃げを打てる
ような表現をすることが、皇国史観ウリナラマンセーの現われだ。
752日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:52:25.84
「が」一文字で何か騒いでいるけど、その本に勾玉は日本独自の装飾品ってあるんだよな
その頃まだ朝鮮半島で勾玉出土してなかったのかね
少なくとも勾玉が日本独自のものだなんて江戸時代の国学者にだって常識だぜ
古文献を無視して勾玉は朝鮮由来とか騒いだのは誰なのやら
753日本@名無史さん:2011/09/16(金) 22:56:32.47
あの文章で順意に取るやつは普通いないだろう。

自分の読解力のなさを執筆者のせいにし、
さらにはそこから根拠不明な論理的飛躍を行う。
しかも言ってることは抽象的なことだけで具体性のみじんもない。

真性だねぇ。
754日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:04:41.32
引用だということも気が付いていないのではなかろうか?

この人は「文系」?「理系」?
755日本@名無史さん:2011/09/16(金) 23:07:47.20
>>752
韓国の勾玉で有名なのは天馬塚古墳出土の金冠についていたものだね
天馬塚古墳は新羅の王都・慶州にあり、新羅王陵のひとつと推定されている
1973年の発見
756日本@名無史さん:2011/09/17(土) 04:14:05.35
>>747
あ、そうだった。
757日本@名無史さん:2011/09/17(土) 22:14:04.73
>>754
「草食系」
758日本@名無史さん:2011/09/17(土) 22:15:21.60
かぐや姫って、白村江の戦いと関係有るのかな? 
燕の子安貝はつばめなくて(燕、中国東北部の古王朝の子安貝=お金)
仏の御石の鉢は仏教とその教団、蓬莱の玉の枝は道教とその道士、龍の首の珠は龍=中国皇帝玉=家臣
火鼠の裘が難しいけども。
大陸進出の野望とその挫折を暗喩してるって説はどうだろうか? 
759日本@名無史さん:2011/09/17(土) 22:23:01.80
日本で最古(出土)した車輪って何時の時代なんだろ? 
縄文・弥生期に日本で広範囲に物流が有った事は既に史実ぽいんだけど
物をどうやって運んでいたのかなって思うのだよ。
舟は有ったのは良いんだけど、陸路はどうしていたの? 
760日本@名無史さん:2011/09/17(土) 22:46:18.71
弥生時代から馬はいたようだけど、埴輪でも駄馬は発見されていないよなあ
761日本@名無史さん:2011/09/17(土) 22:54:51.96
>>760
やっぱ弥生期以降に車輪が発明されたんだよね。
となると、車輪を発明した(持ってきた)偉い人が存在してる筈なのに、
日本史で極めて重要なことなのに、朝廷史ばかり見てる史学者の屑は、
そんな重要なことですら、知らないんだよね。馬鹿だ怠慢だと思うんだ。
朝廷なんて糞だと思う。今の民主党や自民党見てれば分ると思うんだけど、
インターネットが充分に使えるようになってから、インターネットだとか言うのが
政府なんだよ。
762日本@名無史さん:2011/09/17(土) 23:09:50.40
>>761
青銅器を持ってきた偉い人がいる筈なのに、須恵器を持ってきた偉い人がいる筈なのに、紙を持ってきた(ry
763日本@名無史さん:2011/09/17(土) 23:15:57.30
>>762
そうそう、そういう観点で歴史をまともに見ようとしてない。
朝廷に千字文が伝えられて始めて漢字伝来とか言う発想をしちゃうのが
馬鹿で屑で怠慢だと思う。漢字という文化が大衆に根付いて朝廷も文盲じゃ
不味いよなって考えて朝廷が漢字使える人いない? って言い出すのが日本の歴史。
武家社会になって、各藩が自律経営に乗り出すまで、朝廷主導でなにか成された事など
一回も無いのが本当の日本史なのに、朝廷史ばかり読んでる無知蒙昧だと思う。
764日本@名無史さん:2011/09/17(土) 23:16:26.18
>>761
しかし道路がないとあまり役にたたない
765日本@名無史さん:2011/09/17(土) 23:19:03.22
>>764
その辺どうなってるんだろうね。飛鳥の巨石文明だと石舟といって
ソリタイプの運搬具が見付かってるので、そり使ってたのは明かぽいんだけど、
ソリだと奈良盆地を出られないと思うし。日本史って本当に何も見えてないよね。
史学者が無知蒙昧に過ぎるから、全然日本史が明らかになってない。
766日本@名無史さん:2011/09/17(土) 23:25:09.15
>>765
ではどのような学説をお持ちでしょうか
やはり租調庸の頃のように歩きだと考えるのが妥当だと思われますが
馬・修羅は個人で使うには非効率すぎる
ポイントは、
・運搬具が発見されていない
・運搬具に関する記述・絵画・遺物が残されていない
これらが一切存在しないとなると、普及していた運搬具はないと考えるのが自然だろう
767日本@名無史さん:2011/09/17(土) 23:31:17.41
>>766
運搬具を発見しようとしてるのか? って問題が有るんだよね。
唐古・鍵遺跡で、褐鉄鉱を入れ物にした勾玉がたまたま発見されたけど、
土砂だと思われてて捨てようとしてたらしいし。朝廷史ばかり見てる
史学者がまともにそういう(朝廷は馬鹿という前提に立った)検討を
してないのが問題だと言ってるんだよ。
768日本@名無史さん:2011/09/17(土) 23:34:09.93
今、経済産業省がクールジャパンとか言ってるじゃんか。
朝廷史しか見えない白痴蒙昧怠慢怠惰な史学者の手にかかれば、
日本政府が、大衆文化の発展を促した。って解釈になると思うんだけど、
逆だよね。政府が無能無策で、頑張ってきた大衆文化に政府がのっかって
るだけだよね。今の時代に生きてる僕等はちゃんとそれを知ってるけども、
今の史学者の態度見てると、本末転倒した歴史になっちゃうよね。
って思うんだよね。だから日本史って矛盾しまくってる。
769日本@名無史さん:2011/09/17(土) 23:36:08.93
修羅も馬具も出土しているのにそれだけ普及していた道具が存在するなら普通発見されてるでしょうな
埴輪にも残る筈だし

勾玉の件も、逆に言えば石ころの中から勾玉を発見するというのは凄い事ですよ
もしあなたが遺跡で捨てられた土砂の中から勾玉を発見できるのなら別ですが
770日本@名無史さん:2011/09/17(土) 23:46:53.54
>>769
だから、俺が言ってるのは弥生期に車輪が無くてもそれは良いんだって。
ただ、それ以降となると、もう文献有史時代なんだから、何時日本が車輪を
使い始めたのか昔過ぎて分らないって言い訳が効かないって事。
もしくは朝廷は馬鹿で阿呆で屑で無知蒙昧だったので、日本史を編纂してない、
単に朝廷史を書いただけ。という扱いにして歴史を記述しなきゃ変だよねって事。
朝廷史=日本史とする論拠薄弱な記述に現代史学は溢れているって話。
771日本@名無史さん:2011/09/18(日) 00:02:12.17
>>770
論拠薄弱な記述とは具体的に何ですか
772日本@名無史さん:2011/09/18(日) 00:08:00.10
>>771
朝廷史を中心に日本史を記述している所って具体的に書いてるじゃん。
773日本@名無史さん:2011/09/18(日) 00:09:31.47
>>772
どの本のどのような記述が論拠薄弱であるのでしょうか
774日本@名無史さん:2011/09/18(日) 00:14:29.71
随分昔だが、少し頭がアレな人と話す機会があった。
「私が頭が悪いのをいいことに、あの店でおつりを誤魔化された」と誰彼となく話していた。
憤懣やるかたないという感じで。私は少々気の毒に思ったのだが、普段その人と接している人はみな
聞き流している。それも気の毒な感じがした。

そんな私に気づいたのか、ひとりの人が言ったのが「ほっとけばいいよ。20年以上も前の話なんだから」。
本当にびっくりした。怖くなってぞっとした。まるでつい先ほどのことのように話していたから。

真正の人って、時間間隔がおかしいのね。私が特に怖いと思ったのは、>>689
そんな昔に「文系」なんていない。いや、「いない」とかの問題ではなくて、そのアナログな感じがホンモノだた思う。

それから、この人「理系」ではないと思う。たとえば「だから女はダメなんだよ」と繰り返し書いている人がいたとして、
その人が「女」だったらゾッとしませんか?なんていうか自己認識能力に欠けるというか、
世界をどのように見ているのか。

ホンモノと話をした人は少ないと思うけど、結構話はできたりします。でも、ところどころで「?」となる。
掲示板のようにテキストだけのやりとりだと、よけいに分かりにくいかもしれない。
でも、この人はホンモノだと思うよ。
775日本@名無史さん:2011/09/18(日) 14:51:31.67
>759
1. 河川舟運を利用できないような場所には村が存在しないぞ
2. 初期のクニは河川の流域にそう形でまとまりを作っていた模様。
つまり、国内流通に関しては河川流通だけで足りる。
(当時のクニは、のちの郡に相当する程度の面積規模)

だから、陸路での流通が必要だったかどうか、という疑問点そのものが不明瞭。

古墳時代後期ぐらいになれば、飛鳥を中心に(?)、
いくつかの大規模な道路が造られたことが分かってるけど、
それより古い陸上交通があったかどうかは不明ではないか。

>766
>馬・修羅は個人で使うには非効率すぎる
というか、個人レベルの移動を考えること自体が...


ところで。
>朝廷史を中心に日本史を記述
この人って、編年体って言葉の意味をマトモに理解できてない人ですか?
776日本@名無史さん:2011/09/18(日) 15:08:32.58
その通りだな。陸路は朝廷などの強い権力があって初めて整備/維持出来るのであって、
それが無い時代には陸路自体無い。
777日本@名無史さん:2011/09/18(日) 22:41:08.66
石舟ってのは巨石を運ぶためのソリのようなものね。
重量物輸送の手段でした。
古い陸上交通が有った事は確かじゃん。
翡翠や勾玉の出土状況を見れば縄文の頃から日本全土で
交易されていた事は、もう疑いようのない事実。
僕が問うてるのは、その時の運搬手段だ罠。
778日本@名無史さん:2011/09/18(日) 22:58:59.15
>>777
石舟をソリの意味で使ってる例はググっても出て来ないな。存在しないからな。
779日本@名無史さん:2011/09/18(日) 23:02:57.16
どちらかというと修羅だよな
実物が出土しているし
780日本@名無史さん:2011/09/18(日) 23:17:34.28
>>779
僕が小学生の頃の国立民族学博物館では、それを石舟と表記してた。
当事から舟ぽいけどその表記でええの? って思ってた。ごめん。
781日本@名無史さん:2011/09/19(月) 00:29:59.84
766他繰り返し「修羅」と書かれてるのに都合の悪い物は見えない人か?
782日本@名無史さん:2011/09/19(月) 00:37:45.72
>>781
おまえがなー>>766の時点では、まだ、車輪は何時誰が日本で使い出したのって
話をしてるんだって。それを聞いてる時に橇の話されても困る。
そして>>775は交易そのものが無いとか卑怯な事言い出したので、話題が変ったわけ。
783日本@名無史さん:2011/09/19(月) 01:00:41.69
>>782
翻訳すると人の書いた物はちゃんと読んでないって事だろ。
784日本@名無史さん:2011/09/19(月) 01:04:49.86
>>783 はぁ? 石舟=修羅は常識だと思っていたごめんって話だよ? 
ところで、ググルと須恵器が朝鮮半島伝来とか言う無根拠な記述が沢山有るのだけど、
古墳時代って、卑弥呼の頃だから、朝鮮半島の下は日本領だよね。
この辺議論が有るにしても、朝鮮半島伝来という根拠は何? 
日本史は、皇国史観ウリナラマンセーに溢れていると思う。
http://www.ishikawa-maibun.or.jp/hiroba/sue/suekitoha.htm
785日本@名無史さん:2011/09/19(月) 01:07:04.12
皇国史観ウリナラマンセーとか言ってるとこ見ると、共産主義も資本主義も同じように考えてんじゃねえのか?
786日本@名無史さん:2011/09/19(月) 01:24:29.52
>>784
>朝鮮半島の下は


「朝鮮半島の下」って、朝鮮半島南端部?
たとえば南方面を下
東方面を右って言っちゃう人って…
787日本@名無史さん:2011/09/19(月) 01:26:17.08
それか朝鮮半島の下って、朝鮮半島の地底の国家?
788日本@名無史さん:2011/09/19(月) 01:29:02.58
階級的に朝鮮の下はあり得ないからなあ
789日本@名無史さん:2011/09/19(月) 01:33:15.78
で、須恵器に戻るのだけど、中国伝来ってのは疑いようが無いと思うんだよね。
兵馬俑見るまでもなく、窯業の深い時代は中国に有ったようだっておもうし。
でもそれにしても、鉄器、青銅器が弥生の中期には入ってるのに、窯業土器が
古墳時代にまで下るのは、なんか変な感じがするんだよね。
この辺を上手く説明できるまともな史学者って居るの? 技術的に両方とも
野焼きじゃ無理なのに、土器は野焼きが古墳まで続いて、鉄とか銅とか炉や窯を
使う技術が先行してるのが不思議だよね。
790日本@名無史さん:2011/09/19(月) 01:34:52.33
埴輪は登窯で焼いてるよな
791日本@名無史さん:2011/09/19(月) 01:43:01.63
>>790
あれ? 須恵器が始めての窯業じゃないの? そう書いてるよ?
本当に皇国史観ウリナラマンセーの史学者は、いちいち一品毎に矛盾した事書いてる。
で、陶芸家さんのHPが参考になったんだけど、須恵器の特徴は還元炎を始めて使った
事なんやね。了解了解。ウリナラマンセーの皇国史観の史学者にはこういうテクノロジー
的な理解は一切無理なのかなぁって思う。
792日本@名無史さん:2011/09/19(月) 01:47:42.26
>>784
須恵器が半島伝来とされる根拠
1それまで列島内で生産されていた土器(土師器)とは全く異なる技術体系で作られている
 例:土師器=野焼き 須恵器=窖窯焼成、轆轤の多用
2そうした須恵器の技術体系がそれまでの列島内での土師器生産技術から発展した痕跡がない
 (土師器から須恵器への中間段階がなく、いきなり完成形であらわれるということ)
3朝鮮半島南部に須恵器とよく似た技術体系で生産されている土器がある(陶質土器)
4その陶質土器は列島内で須恵器生産が始まるよりも早く半島南部で生産が開始されている
5陶質土器の技術体系は同じく半島南部に見られる瓦質土器の系譜を引いている

つまり、半島南部では技術的発展過程が追えるが、列島内では追えないということ




 
793日本@名無史さん:2011/09/19(月) 01:51:20.78
>>791
埴輪は当初は野焼きで焼成していたが
須恵器の生産技術が列島内に伝播してからは窖窯焼成となる

>>792で解説しておいたように考古学の立場では技術的な視点を重視している
794日本@名無史さん:2011/09/19(月) 01:55:31.05
>>792 いや、だから、>>791 埴輪は既に窯業だと言う人まで居るし。
そもそも、鉄・銅は窯が必要だから、(形態は違うが)。鉄の技術が、土器に移行した可能性とかちゃんと検討しているの? って事。
君の説明は僕のこれらの疑問に一切答えてなくて、半島由来だと言い切ってるだけじゃん。
半島での窯業推移をきちんと説明した上で言うのならまだ聞く気も有るけどもね。
795日本@名無史さん:2011/09/19(月) 02:03:20.68
>>792
新羅土器をぐぐっても、日本の須恵器と同時代だよね。
(若干下るんじゃね? って思うし)交易は活発だったようだけど
(半島に日本領が有ったのだから当然?)
弥生土器と新羅土器が同時期なら、説明になってると思うんだけどね。
796日本@名無史さん:2011/09/19(月) 02:05:53.34
>>794
自分の意見の補強も無しに他人を批判するとはおこがましい
弥生土器の延長なら土師器だわな
http://www.pref.iwate.jp/~hp0910/korenaani/a/021.html
797日本@名無史さん:2011/09/19(月) 02:06:07.58
>>796
ちょっとミスった
798792:2011/09/19(月) 02:25:22.12
>>794
鉄や銅に必要なのは炉であって窯ではない

>>795
新羅土器なんかでググるからだ
半島の土器の変遷と列島内との併行関係は下記の論文を参照するとよい

ttp://www.ops.dti.ne.jp/~shr/wrk/2000a.html

理解できていないようだから再掲
>半島南部では技術的発展過程が追えるが、列島内では追えないということ
799792:2011/09/19(月) 02:29:34.66
追記
>>794
・金属の鋳造に必要な炉と土器を焼くための窯は構造が全く異なる
・埴輪生産を窯業と呼ぶのであるならば何をもって「窯業」と規定するのか明確にしていただきたい
800日本@名無史さん:2011/09/19(月) 02:31:54.02
まず、須恵器に用いられる還元焔法というのは、大陸発祥です
そこで問題になるのが、それが日本に伝わって須恵器になったかどうかですね
日本で最も古い須恵器は、大阪で発見された
大阪。当時の都だ
記紀には百済の王子とともに陶工が渡来したと記述がある
>>761で言うところの「偉い人」だな
これが事実なら、都で初めて製造されたのも納得できる
801日本@名無史さん:2011/09/19(月) 02:51:18.83
>>796 >>799
縄文→弥生式→土師器はそりゃそうだ。そこに疑いは無いよね。
縄文→弥生式→(金属生産の技術)→須恵器って言う系統も有りえなく無いよね
って話をしてるんだよ。
あと平行して作られている点も、面白い。さらにさらに言えば、金属炉と土器炉は
違うと言うが、それは効率の面で、違う進化をしたわけだよ。
802日本@名無史さん:2011/09/19(月) 02:56:57.97
>>801
>縄文→弥生式→(金属生産の技術)→須恵器
そういうのを木で竹を接ぐって言うんだよ。

>>801
>金属炉と土器炉は
土器炉なんて物は存在しない。
803日本@名無史さん:2011/09/19(月) 03:00:11.33
>>802
技術史(本物の歴史)を勉強した事無いだろ、ヤマハの兼業じゃないけども、
技術の発展とはそういう物なんだよ。一般化と特殊化の繰り返し。
皇国史観のウリナラマンセーには理解できない発想なんだ。
804日本@名無史さん:2011/09/19(月) 03:04:44.65
史学者の言う技術は、アップルのアイフォンはアップルの技術だと言うようなもんだ。
そりゃアイフォンを作って普及させたのはアップルし、インタフェースの設計はアップル
だけども、要素技術は全部他者が開発してる。技術的な発展の延長線。
だからスマートフォンは別にアップルの技術から派生した訳じゃないんだよね。
むしろパームの思想を普及させたのがアップルだと言うだけの話。
史学者には、その辺の読み間違いに慎重な態度が見えないんだよね。
805日本@名無史さん:2011/09/19(月) 05:21:23.26
技術史を勉強してないのはそっちだろw
金属鋳造用の炉の構造と土器焼成用の窯の構造の共通点を
具 体 的 に 述べよ
806日本@名無史さん:2011/09/19(月) 05:48:51.95
>>792 に禿同
807日本@名無史さん:2011/09/19(月) 05:53:36.57
>>805
ググッてみたら過ぐにあった。登り窯と似てない? 
そういう発想が出来ないから、何時迄も皇国史観ウリナラマンセー
なんだよ。http://www.eitoku-sugimori.com/kodai.htm
還元炎、還元炉、鉄酸化物とか言っても分らないだろうけども、
この古代炉復元の試みをどう評価する
808日本@名無史さん:2011/09/19(月) 06:17:18.75
>登り窯と似てない?
それのどこが 具 体 的 なんだ?
すくなくとも日本での鋳造技術の歴史くらいは押さえてから書き込め
恥を上塗りしているだけだぞ
809日本@名無史さん:2011/09/19(月) 06:36:38.82
>>808
砂鉄を利用した、たたら系は、平安期移行の話。
それ以前の話をしてるんだってばさ。
還元炎を利用する炉登り窯の須恵器と一緒。(西洋だと18世紀に現われる反射炉)
だけど、中国は漢の時代から反射炉使ってたんじゃねーかという話も有るみたい。
てか、ぐぐっても、ぐぐっても、中国の製鉄方法って良く分らんのだよなー
製鉄の歴史をぐぐると西洋製鉄の歴史ばかり出てくる。
810日本@名無史さん:2011/09/19(月) 06:44:46.67
はあ?どこのだれがたたらの話しをしたんだ?
古い炉の構造も分からずに、よく似てるなんてほざけるもんだ
811日本@名無史さん:2011/09/19(月) 06:50:27.34
http://www.city.gobo.wakayama.jp/gobo/1120ka/katadaiseki/katadaiseki.html
あと不思議なのが、坩堝を使用していた事は確実なのに、須恵器まで野焼きの土器
なんだって部分。何かを大きく見誤ってると思う。
溶融炉と製鉄炉は違うって話が見えてない? 
812日本@名無史さん:2011/09/19(月) 07:10:50.02
では、溶融炉と製鉄炉の違いを 具 体 的 に説明してもらおうか

あとな、須恵器は耐熱性が低いんだよ
だから、須恵器が伝来しても火にかける役割の土器は土師器が担っている
それくらいの調べはつけてから書き込め
813日本@名無史さん:2011/09/19(月) 07:25:37.56
>>812
高校のレベルだけど、製鉄炉ってのは酸化されている鉄を還元して
鉄にする炉。還元炎や還元剤(たたら製鉄の木炭)が必要なのね。
溶融炉ってのは鋳型に流す湯を作る炉で、こっちはひたすら温度を上げれば良いだけ。
あと鉄には、鉄と鋼っていうのもあってややこしいんだけどさ。
814日本@名無史さん:2011/09/19(月) 07:33:48.90
で、窖窯に似ているのはどちらなのかな?
815日本@名無史さん:2011/09/19(月) 15:06:13.97
>>807
鋳造してるとこを実際に見た事無いからそんな訳判らん事が言えるんだ。
816日本@名無史さん:2011/09/19(月) 19:15:42.65
>>814
製鉄炉。
>>815
鋳造は溶解炉。
817日本@名無史さん:2011/09/19(月) 19:49:49.76
初期から時代が下るまでの須恵器が、神器として生産されている事に
注目するべきだと思うんだよね。登り窯みたいな操業するのが大変な
陶芸技法を神器のためだけでに作りそれを全国規模に波及させる程
当事の日本は暇だったのか? って話と土師器より使い易い土器なのに
土師器を駆逐していない不思議。つまり登り窯製鉄の副産物が須恵器で、
だから神器なんだよ。
818日本@名無史さん:2011/09/19(月) 19:54:06.39
>>817
須恵器が、神器として生産されている
出典はどこからでしょうか
819日本@名無史さん:2011/09/19(月) 20:01:39.93
>>818
須恵器が実用品だったという出典を聞きたいくらい(笑)
程度低いよお前、前から思ってるんだけど。
だいたい皇国史観ウリナラマンセー説の人は、俺は(前は)そんな風に考えてない
こんな風に考えているって言うばっかりで、反論になってないんだよね。
記紀に詳細な製鉄法が記載されていて、それで、工人を呼んだというなら
信用出来るけども、記紀の記述者って工学的な知見持ってないから、ジョブスが
アイフォンの設計やってるとか勘違いしてる勢いの頓珍漢を平気で言ってると思う。
820日本@名無史さん:2011/09/19(月) 20:29:34.50
http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/sisi/006801.html
縄文土器・弥生土器・土師器と須恵器には、大きな違いがある
・野焼きと窯焼き
・手びねりとろくろ成形
・焼成温度の違いによる色の違い
そして、これらは5世紀初めには共存していた
これらから想像できる事は、弥生土器から発展した土師器とは違う技術の導入だ
これらの変化が一度に訪れたとは考えにくい
土師器と須恵器が同時期に存在していたという事は、土師器が段階を経て須恵器に進化したのではないという事だ
縄文土器から弥生土器への移行には、大量に大陸から渡ってきた事が大きく関わっている
これと同じ事が、須恵器にも言えるのではないか
821日本@名無史さん:2011/09/20(火) 00:39:25.73
弥生式土器は、稲作は稲作なんだけども、酒造の為の土器で、縄文時代の火焔土器は、暖房器具。
目的が違うのだから、形状に断絶が有るだけの話で、製造方法は一緒。
しかも、朝鮮半島に弥生式土器の先行例が見られないので、弥生式土器
半島(大陸)由来説も眉唾もの。弥生人の体躯の変化は単に農耕定住で栄養状態が
良くなったからだよ。
822日本@名無史さん:2011/09/20(火) 00:46:15.49
>>821
栄養状態がよくなると二重まぶたが一重になり、毛抜き状の噛み合わせがはさみ状になるのか
ふーん
823日本@名無史さん:2011/09/20(火) 00:55:28.32
>>822
半島由来の製鉄技術と言うわりに、その製鉄技術を説明できない奴が、
一重から二重になったとかどうやって調べたの? 噛み合わせも、個体差
以上の優位を記述した論文を見た事ないぞ? 
皇国史観ウリナラマンセーで、最初に言った人の説が一人歩きしすぎだよ。
824日本@名無史さん:2011/09/20(火) 01:05:50.25
半島由来って強調するヤツ多いけど
半島は単なる経由地で、もともとは中国華南モンゴルシベリアから
文化は伝わるものだから、さらに遠くに起源のあるものは多い
825日本@名無史さん:2011/09/20(火) 01:14:27.79
もう、「自分のブログでやってなさい」でいいと思うけど。

なぜこの板で?なぜこのスレで?
826日本@名無史さん:2011/09/20(火) 02:17:59.63
すんません。
須恵器とは全然ちがう話なんですけど。。。
しかも初歩的な質問で恥ずかしいんですが。

明治時代以降の「詔勅」って
実際に詔勅が出るまでの流れって、どんな感じなんですか?

議会で野党に攻撃されて、
「今から○日間、議会停止!」とか「衆議院解散」っていう詔勅は
どうして、その日のうちにすぐ出るんですか?

本当に、ちゃんと天皇本人の署名と玉印、もらってるの???
とか思うんですけど。。。
827日本@名無史さん:2011/09/20(火) 10:43:59.95
>>826 近代史痛かも? 
話し変って。
http://uma.equinst.go.jp/jiten/equus/caballus/1-1-9.htm
馬は朝鮮半島から来たと言うけども、遣隋使より頻繁に渤海使を
送って交流してたのだから、馬は、渤海系の住民との交易で手に
入れたと考えるのが普通(だって騎馬民族なんだから)。
皇国史観ウリナラマンセーは嘘ばかりつく。
828日本@名無史さん:2011/09/20(火) 16:52:58.09
「騎馬民族なんだから」というのはどうなの?日本人は騎馬民族ではないよね。

たとえば「√記号を使えば、簡単に処理できるのに、なんで昔の学者は無理数を無視してたのかね?」
と言っているようなものだろう。

>隋使より頻繁に渤海使を
>って交流してたのだから、
よく知らないけど、渤海が成立するのは隋が滅んでからだよ。

たぶん、「だから渤海系だと書いていますが?」みたいな意味不明のレスが返ってくると思うけど。

それから、そのリンク先には、
829日本@名無史さん:2011/09/20(火) 16:57:14.23
>>827
隋の滅亡は7世紀前半
渤海の建国は七世紀末
遣隋使の派遣は4回程度(600?~614)
遣渤海使の派遣は13回(728~811)
遣新羅使の派遣は22回(675~779)
遣唐使の派遣は17回計画最後は中止(630~894)
830日本@名無史さん:2011/09/20(火) 17:21:11.27
>828 (>827-829 )
横レスですが、
827氏の引用文中の
>(だって騎馬民族なんだから)
は、たぶん、日本ではなく渤海が騎馬民族だって言ってるのではないかと...

もっとも、「騎馬民族」って用語自体がダメな気はするけど。
遊牧民系とか半遊牧・半農耕ぐらいに呼ぶべきですよね?

渤海は、高句麗滅亡後に高句麗遺民が建てた国ですよね?
日本列島では、それより以前に設置された「牧」が少なからず存在するわけで、
牧が設置され始めた時期には高句麗との交流はないし、渤海国は存在しない。
(渤海郡という、隋や唐の行政区画はある)

日本への馬の移入ルートとして想定可能なのは、加耶諸国や百済のほうが妥当な気が。
831日本@名無史さん:2011/09/20(火) 18:13:10.38
>>830
>たぶん、日本ではなく渤海が騎馬民族だって言ってるのではないかと...

まあ、ちょっとした誘導尋問をしようと思った。つまり、日本人は騎馬民族ではないのに馬を受け継いだ。
「騎馬民族から馬文化を継承した非騎馬民族」を827自身が想定している。だったら、
「騎馬民族から馬文化を継承した非騎馬民族 から馬文化を継承した」と考えても別におかしくはない。

やはり「騎馬民族なんだから」というのは何も言っていないし、考えていないと思う。

まぁ、何かどこかおかしい人なのだと思う。
832日本@名無史さん:2011/09/20(火) 18:15:49.43
もしかすると、「新騎馬民族征服王朝説」でも主張したいのだろうか?

「証明責任」という言葉を教えてあげたい。
833イケメン2号:2011/09/20(火) 18:49:22.74
漏れの先祖は九州久留米藩の武士で勝海舟が学長の海軍操練所氷川塾の出身で
航海術等を学び坂本龍馬より歳は6歳下で2年後輩でした。
卒業後は藩が購入した外国製蒸気船で士官として藩の為全国の物資を運輸する
業務に就きましたが
海軍操練所の塾生の一覧表が記載されているサイト等は無いのでせうか?。
834日本@名無史さん:2011/09/20(火) 19:18:46.37
ググレ
835日本@名無史さん:2011/09/20(火) 19:46:23.86
戦国〜江戸時代のお酒のクオリティーについてお聞きしたいのですが。
大河ドラマ等で信長が良く酒を飲んでいるのですが、現在の日本酒
と比べて品質等に差があるのでしょうか?
また、これまた時代劇等でみるのですが、下っぱの町人が良く今で
言う居酒屋的な所で酒を呑んでますよね。
彼等の呑んでお酒のクオリティーは、現代の日本酒で言えばいくら
くらいのレベルの品質なんですか?
よろしくお願いします。
836日本@名無史さん:2011/09/20(火) 19:54:42.22
今の日本酒のクオリティって低いんじゃないのか?
3倍醸造とか混ぜ物とか大量生産の為に劣化していると聞いた事がある。
837日本@名無史さん:2011/09/20(火) 20:08:49.30
昔の日本酒の方がクオリティーが高いんですね
オール手作業で作った昔の手法の方がやはり美味しいのか
838日本@名無史さん:2011/09/20(火) 20:15:12.56
高級なお酒は「昔ながらの素材を丁寧に手作りしています。」が売りだとすれば
技術的にも完成されていた江戸時代のお酒は、現代の高級品と同じなのかもしれない。
俺は酒は安い物の味しか知らないし、めったに飲まないからよく分からないけど。
839日本@名無史さん:2011/09/20(火) 20:21:10.45
量産化の為の機械の導入や新たな科学的な手法の導入は、もちろん
味に影響があると思うのですが、原料となる米に関して言えば現在
の方が酒作りに最適な米の品種が豊富な為、一律の長があると思う
のですが…
840日本@名無史さん:2011/09/20(火) 20:52:55.20
質問に答えるだけの知識はないし、時代も明治のことなので参考程度ということですが、
サラエボで暗殺されたオーストラリア皇太子のフェルディナントが1892年末に日本を訪れて
日記を残しています。その中で、

さて、娘さんの幾人かが膳を運んでいる間、ほかの娘さんが日本酒を磁器徳利から小盃に注いでくれた。
少量ずつ幾回も飲むのだが、これがじつに美味というほかなかった。

とあります。ハプスブルク家の人で美味しいものをたくさん味わってきたでしょうから、まぁ本当に旨かったのかなと。
ただ、一方でハリスの通訳ヒュースケンの日記には、

第一奉行は、私の健康を祝って乾杯したいといった。彼はそういって日本の酒を小さな
陶器の盃で飲んだ。私もそれに倣った。酒はいやな味がしたが、私は愉快そうな顔をしていた。
(略)私はきれいな日本の盃をたくさん所有することになった。しかし、その恐るべき飲物が
盃から胃に流れこむときときは、口の中がたまらなくいやな感じだった、

とあったりします。まあ、好みの問題ですね。

まぁ、現代の日本酒との比較はわからないけど。
841日本@名無史さん:2011/09/21(水) 03:15:42.15
アメリカはならずもの国家韓国に、
朝鮮戦争で多大な犠牲を払った上、
巨額の軍事援助や経済援助をしました。

韓国にこれほどの援助を行うぐらいなら、
朝鮮戦争で韓国政府を見捨てて、
李承晩は金日成に処刑させ、
アメリカは、珍島、巨済島、済州島を合衆国海外領土として編入し、
そこを軍政下に置いて、島に基地を建設するなどして要塞化し、
鬱陵島を日本に割譲した方が良かったのでは?

韓国が存在する現状が、却って現在の西側諸国への大きなお荷物になってしまっているのでは?

842日本@名無史さん:2011/09/21(水) 05:16:56.72
>>841
ヲイヲイ
「韓国」を日本に、「朝鮮戦争」を太平洋戦争に置き換えても成り立ってしまいそうな文章だぞ。
スレ違いだから、他所でやってくれ。
843日本@名無史さん:2011/09/21(水) 06:02:48.36
渤海って書いたのは渤海地方という意味ね。
渤海地方との交易はあったと思うんだよね。
これだけ文明が進んだ今の日本で見ても、まずは民間貿易・外交が有って
それから政府との外交が始まるんだよね。だから馬は朝鮮半島経由じゃなくて
渤海経由。縄文・弥生期の半島に、馬の名産地が有ったり騎馬民族がいたのなら
話は別だけど、モンゴル系の馬が直接日本に入ってるのだから、渤海経由。
844日本@名無史さん:2011/09/21(水) 07:03:48.67
この人、他人には厳しいのに、自分にはすごく甘いのね。

主張の根拠が「あったと思うんだよね。」とか「今の日本で見ても」じゃまずいでしょ。
卒論すら書いたことのない人なのか?

自然科学と違って、人文科学に100%の証明なんてそもそも不可能。それなのに、この人の発想は
通説に対して「この通説は100%の証明をしていない」という一点で批判している。
で、いきなり「だから」と自説を述べる。まるで「科学ですべてを説明できない→だから⇒神はいる」
と言ってしたり顔をする宗教勧誘のおばさんレベル。

「証明責任」がどちらにあるのか理解できていないのだろう。
845日本@名無史さん:2011/09/21(水) 07:16:44.12
A=B、B=C ∴ A=C って主張の「A」をエーと発音するか、エイと発音するかには
拘らない。拘る意味が無い。
だけども、A=B、A=C、A=D だったら、A=Eと言って良いだろとか言う
皇国史観ウリナラマンセーの史学者は容認しがたいって話。
846日本@名無史さん:2011/09/21(水) 07:44:11.78
この人の譬えって、自分の思っていることを譬えているだけだから説明が一歩も深化しない。

A:あいつはずるいやつだよ。
B:何があったの?教えてよ。
A:ああ、教えてやるよ。あいつはキツネみたいなやつなんだ。
B:キツネ?
A:ああ、ヘビのようなやつと言ってもいい。
B:ヘビ?
A:そうなんだよ。あいつは愚劣で卑怯者でキツネやヘビみたいなやつなんだ。
B:(こいつホンモノだわ)
847日本@名無史さん:2011/09/21(水) 07:59:42.31
古墳時代に渤海地方との交易があったという根拠を示してください
百済とは馬冑の形状の類似が交流の根拠として挙げられるな
848日本@名無史さん:2011/09/21(水) 09:09:42.48
>>847
1)縄文・弥生期には馬の化石が出て来ない。馬の化石が古墳時代から出て来る。
2)明治維新より前から日本に居た馬のDNAを調べると、モンゴル馬のDNAだと判明
3)中国の草原系馬のDNAは混っていない事が判明
4)渤海地方には騎馬民族で有名な民族が存在。
5)縄文時代から渤海地方との交流も活発。
6)渤海から馬が来たのは当然。
馬冑のルートは、渤海民族→日本→朝鮮半島南部という経路
だから、朝鮮半島中部・北部では出土例が少ない。
朝鮮半島北部へ騎馬民族が侵入してからの時代は別だけど。
849日本@名無史さん:2011/09/21(水) 09:26:14.27
http://inoues.net/ruins/otani_kofun.html
さて、この馬冑出土例の大谷古墳なんだけども、
金細工物が多く出土しているのも特徴だよね。
で、金と言えば、後に金帝国を立てる女真族(渤海系)
彼らが金を名乗った理由の一つに金を産出する事。
もうねこの理屈を疑う方がおかしいと思う。
850日本@名無史さん:2011/09/21(水) 13:47:35.67
>>849
その金が渤海地方との関連があるかどうかが示されていませんね
日本の遺物に使用された金で場所が分かるものは、奴国王金印と七支刀など
金細工物=渤海地方というのは強引ですよ
渤海で同一の形状の遺物が発見されているなら別ですが
>>848
縄文時代から渤海との交流があったはずなのに騎馬民族渤海から馬が伝わらなかったのはなぜですか

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku209.htm
851日本@名無史さん:2011/09/21(水) 14:08:18.03
>>850
渤海〜沿海州・北海道で、勾玉やビーズは見付かってるって。
君が示したURLにも、日本の東北地方から馬が増えてるって書いてあるじゃん。
>縄文時代から渤海との交流があったはずなのに騎馬民族渤海から馬が伝わらなかったのはなぜですか
鉄の使用が弥生期からだから、弥生期の鉄使用に習熟して舟が大型化するまで、
馬は運べなかったんだよ。非朝鮮半島航海なら10日位の航海になるから。
逆に鉄が弥生期に半島経由で来てたのなら、何故その時に馬が来なかったのかが
不思議なんだよね。一日の航海だから馬運べたはずなんだよ。
852日本@名無史さん:2011/09/21(水) 14:14:15.72
つまり
縄文期は、渤海・沿海州と日本海側の交易が有って、鉄と青銅と稲作は中国南部東シナ海ルート、
で弥生時代が始まって、弥生晩期〜古墳期に半島で鉄鉱石が見つかって、日本の朝鮮半島進出
それに伴う、日本の鉄鋼産業が発達と、造船技術も発達して、古墳時代を迎え、
馬を渤海・沿海州から持って来たと。
あと、騎馬民族説は噴飯物。金や馬を買った代金に翡翠や布を渡してただけの話。
尿で顔洗う奴の文明を受容する訳が無い。
853日本@名無史さん:2011/09/21(水) 14:40:43.19
>>851
勾玉やビーズなら朝鮮半島でも見つかってますが
日本の東北地方から馬が増えてるとどこに書いてあるのでしょうか
朝鮮半島からなら一日の航海で運べたから朝鮮半島から伝わったと考えられるのであって、弥生時代に馬が伝わらなかったのは君の言うように鉄使用に習熟するまで馬を運べなかったからだよ
弥生時代に馬を十日間は運べないが一日なら運べる舟があったのなら別だが
854日本@名無史さん:2011/09/21(水) 14:49:22.31
>>853
>弥生時代に馬を十日間は運べないが一日なら運べる舟があったのなら別だが
もちろんそういう小型船の時代だったのだよ。弥生時代は。
てか馬に泳いでもらっても大丈夫な距離だぞ?昔の人舐め過ぎ。
ただ馬を運ぶとなると、家一軒位の大きさになるので、半島で鉄鉱石が見つかって、
鉄文化が発達しないと厳しい。これは古墳時代まで待たないと駄目だった。
855日本@名無史さん:2011/09/21(水) 14:59:26.47
×ただ馬を運ぶとなると、家一軒位の大きさになるので、
○ただ馬を運ぶ舟となると高さが家一軒くらいの大きさになるので、
856日本@名無史さん:2011/09/21(水) 15:03:03.38
馬って人を乗せたまま泳げないの?
ちょっと無理なのか
857日本@名無史さん:2011/09/21(水) 15:04:47.48
当時の馬のサイズってのが問題じゃないのかな?
土偶とか、鞍の出土物のサイズとかから見ると 大人の馬でも何か今の馬の半分位しかなかったんじゃ。
それの子馬だと年齢にもよるけど今の大型犬程度で 大した大きさの舟は要らなかったでしょう。
馬って基本的に臆病だから 舟で運べて人間が制御できるのって小型馬で子馬だったからじゃないのかね?
858日本@名無史さん:2011/09/21(水) 22:30:56.45
現在の日本の馬のサイズってのは、明治以降にサラブレッドが輸入されてからのもの。
それ以前は、木曽駒などにみられるように、現在よりは非常に小さかった。
859日本@名無史さん:2011/09/21(水) 23:01:48.07
馬で海を渡れたら平氏は屋島で滅んでたな
860日本@名無史さん:2011/09/22(木) 04:27:22.17
日本人って朝鮮半島から日本に渡って住み着いたのでは無く、
南方(長江らへん)から渡ってきてから日本文化が始まったの?
んで、朝鮮半島に渡って国々(百済・新羅)をつくったんだろ?
861こういうことか?:2011/09/22(木) 09:50:21.23
日本人=元中国人 
862日本@名無史さん:2011/09/22(木) 12:57:28.42
「藤の木古墳」のことなのですが、あの「同時埋葬」らしいとされた被葬者は穴穂部皇子と宅部皇子というのが
概ねの御意見なのでしょうか?
成人男性二人を同じ石棺に同時に埋葬する事は それこそアズナイの罪系トラブルとかを連想するのですが。
それと、こういう風に発掘してみたら皇族かも?という場合に 後から宮内庁が陵墓指定して立入禁止にするという事は無いのでしょうか?
863日本@名無史さん:2011/09/22(木) 14:54:58.29
>>830
渤海は粟末マツカツの建てた国で国民の大半はマツカツ人
指導層もマツカツのみとする説と高句麗の遺民も含むとする説がある

南韓に輸出するほどの馬はいない
864日本@名無史さん:2011/09/22(木) 17:48:50.90
>>850
シュクシン、ユウロウ、フンキツを記録している中国の史書を読むと
三国志まで馬の記述が無いが、晋書に馬を飼っている記述が初めて見え
ヨクソもまた三国志に馬が少ないとある
865日本@名無史さん:2011/09/22(木) 18:05:28.98
>>864
戦国時代、趙の武霊王が胡服騎射を取り入たことはよく知られている。
866日本@名無史さん:2011/09/22(木) 19:16:21.11
>>865
商王朝時代に戦車が使われ始めたことはよく知られている。
867日本@名無史さん:2011/09/22(木) 19:56:25.67
>>866
商が戦車を使い始めたのは、商王朝が成立する以前から。
868日本@名無史さん:2011/09/22(木) 19:57:23.69
いずれにしても、三国志の時代よりはるか以前から馬は利用されていた。
869867:2011/09/22(木) 20:23:15.38
>>868
渤海のあった地方では使われていないって意味なんだがw
870日本@名無史さん:2011/09/23(金) 00:41:15.25
>>862
藤ノ木古墳の被葬者に関しては様々な説があって断言できませんが、かなり身分の高い、けれどもおおっぴらに葬儀を行ったりできない、権力闘争に敗れたりした人物だろうと考えられ、それに穴穂部皇子と宅部皇子が比定されています

宮内庁が発掘後に陵墓指定した例はないと思いますけど、牽牛子塚古墳が今後斉明天皇陵として認定される可能性はあるね
まあ、かなり崩れているし、発掘調査も詳しく行われているから立入禁止にされても学術的な影響は無いと思います
体面を重んじる宮内庁が陵墓認定するかはわかりませんが

似たような事例としては、三瀬丸山古墳が陵墓参考地とされていました
しかし、立入禁止区域に横穴式石室の入口は含まれていませんでした
1991年に民間人によって内部の石棺の写真が撮影され、それが発覚した直後に宮内庁は石室を立入禁止にしました
おそらく、陵墓および陵墓参考地の石棺写真はこれらだけだと思います
三瀬丸山古墳に関しては江戸時代の絵図も残っていますけど
ちなみに三瀬丸山古墳にも幾つか謎があって、二つある石棺の手前の方が様式が古いとか
871日本@名無史さん:2011/09/23(金) 01:18:15.89
>870さん有難うございます。
男性同士で同一の石棺に同時埋葬という例は ここ以外は無い(見つかってない)のですよね。
872日本@名無史さん:2011/09/23(金) 02:01:44.28
>>871
男性同士以外でもなかなか無いと思います
二つ三つの石棺を置く例は結構ありますし、場合によっては石室が二つある事もあります
木製の棺と石棺とかの組み合わせもあります
とにかく、朱塗りの凝った作りの石棺なのに、その中に二人を葬るというのは不自然ですよね
始めから二人一緒に葬るつもりなら大きめの石棺にすればいい話で
木棺を別に作って葬るとかの方法もありますし
一つの石棺に二人以上の人を葬るというのは、被葬者に対して失礼のような気もしますから、謎は深まっていくばかりです
873日本@名無史さん:2011/09/23(金) 02:29:31.21
被葬者二人の近親者も全員抹殺されて、葬儀に関与できなかったということなんでしょうか。
たたりを恐れる部外者だけで行った葬送。
874日本@名無史さん:2011/09/23(金) 02:46:26.28
>>873
祟りを怖れる思想は、平安京で育まれた。
だからそれ以前はそれほど祟り思想は無かったはず。
具体的に言うと、陰陽師が自身のプレゼンスの為に
祟り思想を振り撒いただけ。古事記と日本書紀もその思想の元に
書かれている。
875日本@名無史さん:2011/09/23(金) 13:00:22.08
>874
確立したのは平安時代だけど、原型は奈良時代中葉までさかのぼれるでしょ。
「長屋王の祟り」と同時代に呼ばれた事例もあったんだし、
そのように言われるからには、祟りを恐れる感情が既にあったのではないかと。
876日本@名無史さん:2011/09/23(金) 13:23:59.50
打倒した政敵の祟りって日本独特なんですかね
ケルトを全滅させたさせたカエサル
項羽を破った劉邦
東ローマを滅ぼしたメフメト2世
みんなその後相手を弔ってないような気がする。

案外こういうことが天皇存続の起源だったりして
877862:2011/09/23(金) 13:46:16.22
御霊信仰とか怨霊とかいう前に扶桑略記斎明天皇7年=661に群臣卒士多く死す。時の人の云う、豊浦の大臣の霊魂のなすところなり。
というのや同じく斉明天皇7年で朝倉社の神木を切ったので宮中に鬼火が出たとか ただ扶桑略記が平安末期だったな。
日本書紀にも斎明天皇即位の後5月1日 空に唐人風の姿形をしたのが飛んでたというのもある。
これははっきり書いてないけど蘇我蝦夷か蘇我入鹿の怨霊のようですね。後から斉明の葬式を同じ奴が山から見てたようだしね。
祟りというのに似た感情は別に長屋王よりも先に 何か不気味なもの的には感じられてたと思うけど。
878日本@名無史さん:2011/09/23(金) 14:00:56.46
「麻呂」という一人称は実際に使われていたのでしょうか?
また、「朕」はいかがですか?
879日本@名無史さん:2011/09/23(金) 15:54:46.56
>>876
日本だって、東北の蝦夷に対しては丁重に祀ったりしてないよ
外の国の完全なる異民族(野蛮な民族)と思ってる存在は、今でいったら別の動物(または亜種)か異星人くらいの違いを感じてたんじゃないかな

平安京を築いた桓武天皇あたりで、戦や殺しの「怨み」や「死の穢れ」を嫌い国軍廃止、死刑廃止しても蝦夷への侵攻の軍事政策は別口とばかりに進めていたし

異星人が宇宙船で不時着死しても、宗教儀式的にはおそらく丁重に祀らないでしょ?
880日本@名無史さん:2011/09/23(金) 15:55:58.91
>>876
項羽は劉邦が丁重に葬ったぞ
魯公として
881日本@名無史さん:2011/09/23(金) 17:09:15.59
世界の常識では打倒した旧王朝の宮殿や政庁や陵墓が無惨に暴かれ侵される
そういった物には財宝が納められてる場合も多いし、君臨したシンボルでありレリーフに侮辱して革命成功をはっきり現したい

日本にだって戦乱も争いもあったけど、俗にいう「判官びいき」だとか敗れ去って殺されたり土地を追われていった、場合によっては騙され奪われていった敗者達への憐れみや情だとか、丁重に葬り祀り続ける事で怨み心を慰め讃えるような信仰はあるね
882日本@名無史さん:2011/09/23(金) 18:43:08.85
天皇も子孫末裔として天皇先祖霊を祀る存在だから必要なんだろう
神であり、神が宿る入れ物であり、神官・宮司でもあるというか

出雲大社宮司も同じ一族が代々継いでいる
先祖の大國主神を子孫が祀って慰めているのだろう
883日本@名無史さん:2011/09/23(金) 18:46:56.89
>>876
ケルトが全滅してたらその後のガリアやベルガエの住民は誰なんだ?
『その後、ウェルキンゲトリクスはローマへと送られ、6年間トゥッリアヌムに投獄された後、カエサルの凱旋式が
行われた際に処刑された。カエサルは基本的に敵に回った人間でも処刑することがなかった(蛮族に対しても
やや基準が厳しいが、人質の倍増で済ますことがほとんど)が、彼に対してだけはそうはしなかった。』
884日本@名無史さん:2011/09/23(金) 21:14:41.32
映画「武士道残酷物語」やその原作「被虐の系譜」は史実を基にした話なのでしょうか?
885日本@名無史さん:2011/09/23(金) 21:43:51.34
>>883
カエサルはガリアで何度か落とした都市の住民を絶滅させてるよ
886日本@名無史さん:2011/09/23(金) 22:19:06.23
>>885
それでもケルト人が全滅した訳では有るまい。
887日本@名無史さん:2011/09/24(土) 00:05:50.80
もちろんケルト人が全滅したわけは無いけど
カエサルも他のローマ人と同様に敵に回った人間に対し
万単位の徹底的な族滅を図ってる
888日本@名無史さん:2011/09/24(土) 00:21:53.48
Celt《ケルト人…》だっけ?「鷲の翼」とか言って人間の胸郭を切り開いて木にくくりつけて晒すっての。
それとか カゴで編んだ大男に人間を押し込んで火をつけると大男が動くという「ウィッカーマン」ってやつ。
ストラボンとかの記録もあるけど それを見たり実際殺されたりで やり返したってのも有るよ。
チンギスハンなんかは無意味に何十万人も首チョンパしてるだろ。
889日本@名無史さん:2011/09/24(土) 00:52:53.59
論点ずれるけど
敵国ならいくらか仕方ない部分もあるけど
スターリンや毛沢東なんかは、自国民を数千万人は粛清して葬っているからな

対外戦争戦死者より、独裁者に殺された数が上回るんだから
890日本@名無史さん:2011/09/24(土) 01:12:47.92
スターリンは400万前後だけどな
1921〜23年と1930年代初頭の人災飢饉は
当時主導権を握ってた右派の中央委員会や農・労・食料調達部のチョンボ
891日本@名無史さん:2011/09/24(土) 01:25:23.35
じゃあ社会主義国で世界恐慌に巻き込まれなくても、別の理由で世界恐慌以上に悲惨な状況を過ごしたロシア人が居たんだな
892日本@名無史さん:2011/09/24(土) 01:49:51.67
そりゃ内乱に陥って各産業が荒廃してたんだし
893日本@名無史さん:2011/09/24(土) 03:00:56.55
>>874-877
怨霊信仰は既に古代中国で発生しており、その起源は少なくとも紀元前1000年以上前にさかのぼる事ができる。
古代殷帝国が周によって滅ぼされた時、周の人間は殷人を皆殺しにはせず、別の地域に強制移住させて先祖の祭祀を行わせたのである
それは子孫を根絶してしまうと、その家系の先祖の霊を祀る者がいなくなり、その霊が怨霊になってしまうからだ。
これが怨霊信仰の原型である。

そして、それが早くから日本に伝わっていたことは、『日本書記』の崇神天皇の条に、この周人と同じような供養をしたことが記録されている(※1)ことからも、明らかである

(小説家・井沢元彦著『逆説の日本史』より抜粋)
894日本@名無史さん:2011/09/24(土) 03:06:22.12
ぷぷぷぷぷ 井沢
895日本@名無史さん:2011/09/24(土) 03:19:26.94
(※1)
第10代・崇神天皇五年、『日本書記』には、このとき国内に疫病が蔓延し、人口の半分以上がばたばたと死んでいったという。
翌年になると、ついに農民が土地を離れうろうろする始末で、不穏な空気が覆いはじめていたという。
国家レベルの緊急事態である。天皇の徳をもってしても、抑えられなくなってきた。
そこで崇神天皇は必死になって、朝夕、天神地祇をお祀りした。
(中略)
崇神天皇は八百万の神々を集めて占いをしてみた。するとヤマトトトヒモモソヒメノミコトに神がかりした神が、
「天皇はなぜそれほど憂えるのか。もし私を敬い祀れば、必ず平穏が取り戻せるだろう」
というので、天皇は「お名前を」と神に尋ねると、ヤマトの大物主神であることが分かった。
(中略)
大物主神が「もし、我が子・大田田根子に私を祀らせるのならば、すぐにでも世は平静を取り戻すであろう…」
896日本@名無史さん:2011/09/24(土) 03:26:17.54
俺は文献に全く詳しくないから、小説家の書いた物を検証出来ないから、周の逸話が文献にあるのか無いのか教えて欲しい
(何の文献かは書いておらず)

崇神天皇の話は日本書記に書いてあるし、いろんな書で同様な文章をよく目にするので訳は大きく違わないとは思う

笑うのはそっからでもいいと思うし、井沢だからって全てデマカセなわけない
897日本@名無史さん:2011/09/24(土) 03:41:57.39
殷の勢力を強制移住させたのは確かだが、それは残存勢力が大きくて皆殺しなど
到底不可能だったからだ。先祖の祀りうんぬんはまったくない話ではないだろうが、
主たる理由ではない。「三監の乱」などを調べてみればいい。

井沢の「逆説の日本史」は噴飯物の内容。というか歴史読み物だ。史実にはほど遠い
部分が多いぞ。
898日本@名無史さん:2011/09/24(土) 03:42:21.87
>>893
国家以前にもともとアジア全般にそういう信仰があったからなのかな
いまでも東南アジアには精霊信仰があるし、昔は華南にもあったのではないでしょうか
899日本@名無史さん:2011/09/24(土) 04:15:04.87
>>897
井沢(笑)ではあるけど
春秋時代までは敵国を大破しても直轄領にせず
社禝を残したまま属国にする方が多かったよ。統治技術の問題
900日本@名無史さん:2011/09/24(土) 05:56:01.30
>>897
>主たる理由ではない

主たる理由であるかないかを問うているのでもなく、
井沢元彦氏の歴史著書全般の真偽を問うているのでもなく
一番肝要なのは敵側による、旧支配者勢力への鎮魂、広義の怨霊鎮魂という信仰形態が周の時代にあったか否か一点でしょ?

引っかけWordにあまりに囚われ引き摺られすぎて、思考停止も甚だしい
901日本@名無史さん:2011/09/24(土) 10:14:16.87
>>900
その一点ははっきり言って不明。春秋の頃にはそういう考え方が有ったんじゃないかと思うが
周初に有ったかどうかは判らない。いろんな文献が多く出てくるのも春秋戦国以降だから。
詩経・書経などのわずかな文献(それも後世の筆が入ってないとは言い切れない)と金石文
からはそこまで判らん。
伝承では殷だけでなく、それより前の夏や堯舜の子孫を封建して祖霊を祭らせた事になってるけど
その伝承が何時始まったかもはっきり言えない。
902日本@名無史さん:2011/09/24(土) 12:13:04.55
「臣」と言う苗字は渡来人でしょうか?
903日本@名無史さん:2011/09/24(土) 13:09:10.13
>>901
解説ありがとうございました
904日本@名無史さん:2011/09/24(土) 13:33:21.34
>>902
苗字は判らんなぁ。何て読むの?
905日本@名無史さん:2011/09/24(土) 13:48:03.02
>>893-894
マケドニア王国もペルシャ帝国を征服したあと
クル大王やダレイオスの墓を引き続いて墓守りさせてるしな
906日本@名無史さん:2011/09/24(土) 15:59:58.12
>>904
「おみ」と読むそうです
907日本@名無史さん:2011/09/24(土) 16:23:30.37
>>906
それは苗字でなくて姓(かばね)じゃないの。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/臣
908日本@名無史さん:2011/09/24(土) 17:11:25.49
>>907
実際に「臣」という苗字の人がいます
全国に40軒ほどあるそうです
909日本@名無史さん:2011/09/24(土) 17:19:52.63
>>908
それは知らなかったが、だとしたらそういう珍名さんの由来はこういうとこで訊いても判らんと思う。
910日本@名無史さん:2011/09/24(土) 17:27:30.04
ここで訊けば何か糸口が掴めるかと思ったもので
911日本@名無史さん:2011/09/24(土) 17:53:07.71
臣は渡来人と関係無いと思います(歴史的には)
渡来系と考えられる要因が無いので

歴史的に確定的な渡来系氏族は、西文(かわちのふみ)氏、東漢(やまとのあや)氏、秦(はた)氏、鞍作(くらつくり)氏、高麗(こま)氏ぐらいじゃないでしょうか
呉(くれ)氏っているかどうかわかりませんがいるなら渡来系だと思います
912日本@名無史さん:2011/09/24(土) 18:00:02.33

一字姓だから帰化系だと考えるのは、漢字が左右対称だと朝鮮人とか
いうのと同じで、2ちゃんでしか通用しないデマ。(世間では馬鹿にされる)

麻績とか苧績の転かも知れんでしょ?
913日本@名無史さん:2011/09/24(土) 19:09:05.91
呉智英はペンネームだったな。
914日本@名無史さん:2011/09/24(土) 19:57:12.17
>>900
周が殷人に祭祀を続けさせたのは、思想的には、「二王の後を存す」といって、
前とその前の王朝の子孫を封爵して礼遇するというのが礼の規定ということになっている。
前の王朝も、天命を受けて天下を治めていたのだから、それに対する当然の礼儀ということ。
天命が革(あらた)まり王朝が交代する革命思想が無く、
萬世一系ということになっている日本には関係のない考え方。
殷周革命当時の考え方ではなく、後世、儒教として整理された考え方だろうけど、
そこに敵国の祟りを恐れて祀り上げるという考え方の痕跡は見られないと思う。

春秋左氏傳とか公羊傳とか読むと、
先秦時代では、滅ぼした敵国の宗廟の屋根と床下を覆って天地と交流できなくするとか、
完全に破壊して、土地は掘り下げて窪地・湿地にしてしまうとか、
そういうことで敵の祖霊の力を徹底的に封じ込めるということをやっていたみたいで、
日本でやってた神様に祀り上げて鎮めるという御霊信仰とは真逆な対応をしていたみたい。
915日本@名無史さん:2011/09/24(土) 23:25:23.72
思想家(とその書物)や時代背景によって考え方は微妙に違ってくるとは思うんだけど、
易姓革命や放伐や禅譲の規定の建前って、徳を失った暴君なら討ってもいいんだろ?
革命に成功した=天命が確かにあった証というか

禅譲という「建前」の実際は物言わぬ脅迫というか、綺麗事の建前理論はイロイロあっても、
現実的には前王朝の王の親類縁者を片っ端から根絶やしにする方が向後の憂いの種を摘めるというか実際そういう類いか、幽閉やら監禁・軟禁状態みたいな事だったりした訳で

易姓革命や放伐には、王はともかく一族郎党根絶やしとか、征伐するまでは建前上認められてないの?

王すらも「放伐」ってくらいだから、あくまで殺さずに余所へ追い立て逃がすイメージの建前なの?
916日本@名無史さん:2011/09/24(土) 23:26:32.77
もちろん「あくまで理想論」て事は理解してます
917日本@名無史さん:2011/09/25(日) 02:46:14.02
そもそもは周が殷に取って代わった後で自らを正当化する為に作り出した理論なので……。
「認められてないって誰に?」って話になる。ちなみに殷の王族は諸候として殷の遺民を治め続けたよ。
上の方にも書いてあるけど。
918日本@名無史さん:2011/09/25(日) 06:00:59.64
春秋時代の覇者の一人として数えられることもある宋の襄公は商(殷)の末裔ですな。
(例の「宋襄の仁」のエピソードの主)

ちなみに「殷」というのは周が前王朝を貶めて言った言葉。
「商」というのが正しい言い方。
919日本@名無史さん:2011/09/25(日) 15:40:57.76
920日本@名無史さん:2011/09/25(日) 16:54:01.93
>>912
それ、戦中や戦前世代からの言い伝えだよ。
921日本@名無史さん:2011/09/25(日) 17:02:12.70
朝鮮半島系帰化人と在チョン系で苗字・通名に傾向の差異あるのかな
922日本@名無史さん:2011/09/25(日) 17:16:26.40
>>920

間違った言い伝え、ということです
923日本@名無史さん:2011/09/25(日) 18:10:09.54
>>911
やはりそういう見解ですか
ありがとうございます
>>912
言い伝えは確証ではないですからね
924日本@名無史さん:2011/09/25(日) 19:42:52.23
さいきん、聖徳太子は実在しないとわかってきたのは本当ですか?
925日本@名無史さん:2011/09/25(日) 20:02:14.47
>>924
聖徳太子は存在しないけど厩戸皇子は存在するみたいな事じゃね
ちなみに明治時代の教科書(國史紀要:明治二十年)には聖徳太子とは書かれてなくて豊聰耳皇子とある
926日本@名無史さん:2011/09/25(日) 20:31:34.52
水戸黄門は実在したが、実在の水戸光圀は小田原以西より遠くには旅したことが無い。
それと同じようなこと。
モデルとなった人物はいたが、伝えられている話は嘘八百。
927日本@名無史さん:2011/09/25(日) 22:23:41.82
>>926
将軍が替わるとき、お付きというか後見役で京都に行ったりしないの?
928日本@名無史さん:2011/09/25(日) 22:37:05.53
4代将軍家綱以降は江戸で将軍宣下を受けたらしいから行ってないんじゃない。
929日本@名無史さん:2011/09/25(日) 22:42:58.80
諸国漫遊なんか真っ赤な嘘。
水戸藩領内を何度か見回っただけ。
930日本@名無史さん:2011/09/25(日) 23:08:33.46
大日本史の編纂のために家臣を全国に送ったのを元にしたとも言われるが完全なフィクションだな
名君と言われているから、そういった物語も書かれた訳だ
931日本@名無史さん:2011/09/25(日) 23:10:39.57
>>927
そもそも「副将軍」というのはパブリックな役職ではなかった。
932日本@名無史さん:2011/09/25(日) 23:28:07.33
歴史というか剣客についてなんですけど、源平から戦国幕末とか有名な戦士は
いくらでもいると思うんですけど技って佐々木小次郎のツバメ返しと
沖田総司の三段突きぐらいしか知られてませんよね?
しかも三段突きは名前だけで詳細不明ですし

他に技の内容が分かっていて、有名な戦士が使っていた必殺技ってありますか?
それとも実際の中世日本の戦士はみんなただ普通に剣道みたいな事してるだけで
特別必殺剣とか必殺槍編み出したりとかなかったんですか?
933日本@名無史さん:2011/09/25(日) 23:38:39.38
>>928 >>931
サンクスです
934日本@名無史さん:2011/09/25(日) 23:42:18.00
>>924
テレビでやっていた事のまとめ
聖徳太子
母さんの腹の中でお経を読んでいた
生まれた時から字が読めた
12人に同時に喋られても全部に受け答えできた
動きが速すぎて捉える事ができなかった
自由に幽体離脱できた
空に浮かぶ事ができた

それでゲストで呼ばれた歴史家の人が一言
「こんな人間いるわけない!!!!!」
歴史家の間では昔からいないってみんな主張していたんだけど国がお札の顔に使っちゃって
有名になり過ぎちゃったから今更架空の人物ですって事にできなくて
最近ようやく認められ始めたとかテレビでやってました
935日本@名無史さん:2011/09/26(月) 00:16:37.93
>>934
そいつは歴史家として未熟だな(マジで言ったのなら)
歴史に脚色はつきものだ
ましてや国史の編纂される前の時代の事だ、身の丈五丈とか言うやつがいても存在を完全否定できない
阿倍仲麻呂は吉備真備の亡霊と話したから実在しない、平将門は首が飛んだとされるから実在しない、平清盛は扇を振って日を逆行させたから実在しない、とか言ってたら歴史は進まないだろう
十七条憲法と冠位十二階はどうかわからんが、遣隋使の派遣は厩戸皇子の政策だと思う
冠位十二階は、後にそれを発展させたものがあるから誰かが発案したとしか考えられないけど、誰だがやったかわからないから聡明と名高い厩戸皇子の偉業にしちゃおうとか考えた可能性はある
中宮寺天寿国繍帳とかの存在を考えると、やはり厩戸皇子は仏教に帰依していた大物だと思う
一説では、蘇我馬子の偉業を中大兄皇子らが聖徳太子のした事としてしまったとも言われている
936日本@名無史さん:2011/09/26(月) 04:30:44.22
>>934
>歴史家の間では昔からいないってみんな主張していたんだけど

それって、昔といっても戦後のことでしょう。
一時期、マルクス主義が猛威を振るっていたころ、
歴史の分野でも、いろんな伝承を迷信だって否定するのが流行ったらしい。
そういうのがカッコイイと思われてた時代だから。
学会の動向が一般社会に反映されるのって、やっぱりタイムラグがあるから、
むかしの、聖徳太子なんていない、迷信だっていう説が
テレビに面白おかしく取り上げられたんじゃないの。
937日本@名無史さん:2011/09/26(月) 06:13:15.12
いやいや。
「こんな人間いるわけない」だろ。
作り話に決まってるじゃないか。
938日本@名無史さん:2011/09/26(月) 07:31:45.38
>>937
いやいや。
聖徳太子が実在するって言ったって、だれも実際に腹の中でお経読んでたなんて信じてない。
鬼平犯科帳でも遠山の金さんでも水戸黄門でも、なんでもいいけど、
テレビドラマの内容が現実離れしてるから、こんな奴いないっていうのと同じレベルだろう。
それで長谷川平蔵とか遠山景元とか水戸光圀の実在が否定されるかね。
939日本@名無史さん:2011/09/26(月) 07:47:22.36
聖徳太子はドロップキックの名手で、当時としては最高のプロレスラーだった
940日本@名無史さん:2011/09/26(月) 08:29:27.22
>>936
> それって、昔といっても戦後のことでしょう。
ちがうよ。戦前から津田左右吉が存在を疑い論文を書いている。
でも禁書になったりして弾圧されたために研究は戦後に持ち越された。
マルクス主義とかは余り関係ない。
941日本@名無史さん:2011/09/26(月) 08:54:28.70
>>940
津田左右吉の論文は何本か読んだことがあるけれど、信用できる学者じゃないなと思った。
もう何年もまえなので、詳しい内容は忘れたけれど、その印象だけは強烈に残っている。
だから、津田左右吉が否定していたというのなら、間違いなく実在していたのだろう。
942日本@名無史さん:2011/09/26(月) 08:59:44.42
>>932
宮本武蔵関係の創作とか見ても判ると思うけど、その場その場の状況に対処しながら戦うものだから
これを使えば勝てるっていうような必殺技とか無いでしょう。そんなものを繰り出せる状況に立てれば
普通に打ち込んでも勝てる筈。

でも柳生の無刀取りは有名だったらしい。
943日本@名無史さん:2011/09/26(月) 09:38:42.48
>>941
君個人の感想がどうかなんて話ではなく、戦前から聖徳太子の業績や存在に対しては
学問分野で疑問が持たれていたという話。
944日本@名無史さん:2011/09/26(月) 10:18:20.78
誰が官位十二階や憲法を制定したか、よりも、本当にその時代に制定されたのかが気になる。
945日本@名無史さん:2011/09/26(月) 13:12:02.19
>>940
戦前に論文を書いてるといっても、津田左右吉が学会でもてはやされるのは、戦後になってから。
戦中に発禁処分になったりしたものだから、戦後になって、実像以上にヒーロー扱いされてしまった。
津田説がマルクス主義と関係が有る無しではなく、戦後、マルクス主義が猛威を振るった時期に、
左傾化した人たちが、純粋な学問的見地からではなく、皇室を否定するという時代の感情に流されて、
それに都合がよかったから、もてはやした。
聖徳太子の実在を否定するという説も、そういう流れの中にある。

結局、若手だった津田がちょっとラジカルな説を提出したというだけのことで、
今なら冷静に検討されて常識的なところに落ち着くような話だとおもう。
ところが、時代背景に翻弄されて、戦前は過剰に否定され過ぎ、戦後は過剰に肯定され過ぎた。
現代になって、ようやく本来の評価に落ち着いたということでしょう。
946日本@名無史さん:2011/09/26(月) 13:19:16.92
>>945
> 津田左右吉が学会でもてはやされるのは、戦後になってから
そりゃ禁書にされちゃってるんだから仕方ないね。

> 津田説がマルクス主義と関係が有る無しではなく
いや、僕のレスは>>936の「戦後のこと」「マルクス主義が猛威を振るっていたころ」という
レスに対するものだから。それを言うなら僕ではなく>>936に言ってくれ。

947日本@名無史さん:2011/09/26(月) 13:46:58.63
>>946
>いや、僕のレスは>>936の「戦後のこと」「マルクス主義が猛威を振るっていたころ」という
>レスに対するものだから。それを言うなら僕ではなく>>936に言ってくれ。

>>936は僕が書いた。そして、>>945は、>>934>>940が同一人物のレスだと考えて書いた。
もし違ってたら、スルーしてくれ。
>>934>>940が同一人物なら、

>歴史家の間では昔からいないってみんな主張していたんだけど国がお札の顔に使っちゃって
>有名になり過ぎちゃったから今更架空の人物ですって事にできなくて
>最近ようやく認められ始めたとかテレビでやってました

というのと、津田左右吉の論文が発禁処分になったのとは、えらい違う話だろう、
友達2,3人がゲーム機を持ってるのを「みんな持ってる」というのと似たようなものだと言いたかった。
948日本@名無史さん:2011/09/26(月) 13:55:16.19
>>938
だからさ、世間一般で言われているような人物なんていなかったわけや。
実像とは違うってこと。

モデルになった人物はいただろうよ。
949日本@名無史さん:2011/09/26(月) 14:03:26.69
>>932
江戸時代が始まるまでは、剣術なんてのは役に立たなかったんだよ。
鎧兜に身を固めてたからな。
そもそも戦場じゃあ、刀なんかはあんまり使わなかった。
一番使われたのが飛び道具。
武士の表芸といえば弓矢と相場が決まっていた。
次が石つぶて。
三番目が槍薙刀。
戦国末期になると鉄砲も使われるようになった。

刀なんてのは、斬る道具っていうよりも、鎧や兜の上からぶっ叩く道具だったわけ。刺すとかな。
介者剣法って言って、鎧の隙間なんかを狙うやり方な。
950日本@名無史さん:2011/09/26(月) 14:09:31.58
まあな、刀術で決着がつくのはまれでたいがいは組み討ちになった。
951日本@名無史さん:2011/09/26(月) 14:39:55.53
別に932はそゆこと聞いてるんじゃないと思うが

伊東一刀斎の「払捨刀」とか。会得したエピソード付。
でもこれ必殺技ってのと少し違う気もする。
沖田の三段突は、確か天然理心流(http://www.tennenrishinryu.com/)で実演とかしてたと思う。
ただ、それが本当に沖田の三段突なのかは知らねw
952日本@名無史さん:2011/09/26(月) 14:47:42.12
新撰組なら斎藤一の「左片手横突き」とか
953日本@名無史さん:2011/09/26(月) 15:22:00.39
>>948
そういうこと。
戦前から既にそういった研究は進んでいたからね。
別に戦後になってひょっこり出てきたわけじゃない。
954日本@名無史さん:2011/09/26(月) 15:42:09.33
>>949
剣術は槍術と同じかそれ以上に習われてるよ
刀も当然よく利用された、戦が始まってある程度統制がバラバラになった後に
相手が白兵戦を志向した場合、こちらだけ槍で戦ったんじゃあ分が悪い
955日本@名無史さん:2011/09/26(月) 16:43:09.01
>>954
> 相手が白兵戦を志向した場合、こちらだけ槍で戦ったんじゃあ分が悪い

なんで?
956日本@名無史さん:2011/09/26(月) 17:40:06.79
日本の銃剣術は素晴らしい 南京で30万人銃剣で殆ど殺した
俺の銃剣術の先生のスバラシサは今でも夢にでてくる
957日本@名無史さん:2011/09/26(月) 17:43:14.01
>>955
人がそういう存在で、現実の戦の結果がそうだったから
秦もローマも主力は剣と盾で、敗れた六国やマケドニアは長槍
958日本@名無史さん:2011/09/26(月) 17:48:39.19
足軽は長い槍を用いた集団戦で、武将は短槍を用いただろう。短槍はせいぜいが1〜1・5mくらい
959日本@名無史さん:2011/09/26(月) 17:51:07.01
馬に乗る武将格はそもそも長槍など持てない
本多忠勝の名槍「蜻蛉切」は穂1尺4寸(43.7センチ)、茎1尺8寸(55.6センチ)
960日本@名無史さん:2011/09/26(月) 19:21:24.12
統制がとれれば長槍は強いけどね
混戦になったらとんでも無い事になる
961日本@名無史さん:2011/09/26(月) 22:04:15.27
>>957 >>960
そんなことないでしょ。

弓矢が主力。

白兵戦になったら槍。

これで決まり。
962日本@名無史さん:2011/09/26(月) 22:17:25.86
>>961
歩兵や騎兵なら長槍に勝てない
サリッサ
http://www.google.co.jp/m/url?ei=UXmATuCpO5GkkAWhxgE&q=http://ja.wikipedia.org/wiki/%25E3%2582%25B5%25E3%2583%25AA%25E3%2583%2583%25E3%2582%25B5&ved=0CBIQFjAA&usg=AFQjCNHwimOzYzQDb2Q-YbePU5Xh-HZAtA
まあ、相手が飛び道具や象軍を用いたら統制をとるのはまず無理だな
んで、仲間の石突に突かれてノックアウト

槍の欠点は打撃が弱い事だな
日本刀や十手なら頭蓋骨ぐらい砕ける
963日本@名無史さん:2011/09/26(月) 22:24:54.40
槍は戦場の実戦では突くより、どちらかというと払ったりぶっ叩く方がメインだと何かで聞いたけどな
964日本@名無史さん:2011/09/26(月) 23:13:51.32
匈奴やモンゴルの主力兵器は強力な弓矢だった。
965日本@名無史さん:2011/09/26(月) 23:43:35.85
信長も長槍を採用した
966日本@名無史さん:2011/09/27(火) 00:27:08.00
>>965
確か他の大名家の標準の槍より1割分だけ長いサイズの、長槍を配備したんだよね

967日本@名無史さん:2011/09/27(火) 05:42:03.84
>>966
大日本帝国海軍のアウトレンジ思想と同じ発想。
こちらからは相手を攻撃できるが、相手からの攻撃は届かないという合理的なもの。
968日本@名無史さん:2011/09/27(火) 13:49:40.17
>>963
突きと振り降ろしがメイン
>>964
中核を為すエリートは重装槍騎兵、数の多いのが弓騎兵
>>962
そのページは不正確
マケドニアのサリッサは両手持ちの長槍で盾を構えない
>>961
現実世界では果敢に白兵戦を挑む相手に敵対出来ず
長槍主体の国は打ち破られてる
969日本@名無史さん:2011/09/27(火) 13:52:29.28
3,4人がかりで持つすごく長い槍って効果ないの?
10mくらい離れて使えるようにする
970日本@名無史さん:2011/09/27(火) 14:22:08.57
>>968
> 中核を為すエリートは重装槍騎兵

ぷっ!
匈奴やモンゴルに重装槍騎兵だってさ。
笑わせるぜ。

> 現実世界では果敢に白兵戦を挑む相手に敵対出来ず
> 長槍主体の国は打ち破られてる

たとえば?

971日本@名無史さん:2011/09/27(火) 15:44:02.99
>>970
ウイグルやモンゴルの従軍規定には
槍騎兵は甲冑と馬5頭、弓騎兵は馬3頭ってのがあった

六国は主力が長柄武器、秦は主力が長剣と盾
マケドニアやカルタゴは主力が長柄武器、ローマは剣と盾
972日本@名無史さん:2011/09/27(火) 16:48:25.30
>>971
なんていう漫画に出てたの?
973日本@名無史さん:2011/09/27(火) 18:14:30.92
>>969
長けりゃいいってもんじゃないよw
効率性や機動性の問題無視してても、使い所がかなり限定されるしハマらなければ無用の長物化するぞw
当たればホームランでも、打率1%で重すぎて全く走れないならホームラン・ランニングも出来なくて意味薄い
974日本@名無史さん:2011/09/27(火) 23:22:31.58
どうやら >>791 は出典を示せないようですなあ。
975日本@名無史さん:2011/09/27(火) 23:23:37.44
アンカー間違い。

どうやら >>971 は出典を示せないようですなあ。
976日本@名無史さん:2011/09/28(水) 05:22:47.30
>>975
何々、どっちの出典が欲しいの?
下の方は常識だろうから、多分上かな?

モンゴル軍の規定はヤサの軍律だから簡単に分かる
ウイグル軍の規定は回糸乞史って本に載ってるよ、出典元が何かは覚えてないけどね
977日本@名無史さん:2011/09/28(水) 20:55:32.60
ヤサの軍律だってさ〜

現存してないんですけど?

ずいぶんいい加減な回答ですこと。

ギャハハハハハ〜〜〜〜〜〜〜

978日本@名無史さん:2011/09/29(木) 13:02:28.99
旧石器遺跡+石器捏造事件のその後についてですが 分り易い表現で言えば「藤村新一汚染」以外での捏造は無いのですよね?
現在の段階で あの汚染以降発掘された遺跡で中~前記旧石器で間違いなさそうな物は出土してるのでしょうか?
それと高卒でしかない素人の藤村が大学教授のお歴々をを25年間も騙し続けられた理由が知りたいです。
979日本@名無史さん:2011/09/29(木) 16:48:30.92
今のところ、後期旧石器遺跡である岩宿は確実なもので、他に中期旧石器遺跡がいくつかある。
前期旧石器遺跡は藤村新一と共に潰れて未だに確実なものはない。

岩宿発見以後藤村出現以前の頃、天然の砂礫層から「石器」を得たという芹沢長介氏の「旧石器」があり、
生活痕のない偽石器(天然の砂礫や線路の石でも、選りすぐれば人工の石器にしか見えないものは少数出現する)と批判されていた。
これは藤村新一とは関係がない。

というより芹沢氏の、確実な旧石器を見つけたいという欲望に呼応するように藤村新一が出現した。
藤村の発掘は彼らが待ち焦がれていたものを提供したものであった。
980978:2011/09/29(木) 20:18:21.14
そこなのですが、期待してたモノが期待した層位に「出た」と、で層位は型式に優先するとしたって
縄文時代の人間が作った石器と、猿とそう違わない原人が力で叩き割った石器とが区別できないもんでしょうか?
原人って親指と小指が向かい合わせてくっつかない猿と同じ手の構造だから 細かい作業は無理です。
見た目にしたって 風化の具合にしたって その目で見たらアマチュアの校長先生ですら「ガジリ」で区別する
方法を提案できたわけですよね。
25年間もプロが区別できない代物にも思えないし、本家北京原人と年代が重なる石器が単発でポコポコ出てくるのって
どう考えても納得行かない話なんですが どだい石器も猿の親戚が叩き割ったにしちゃ繊細な作りのが殆どですよね。
おかしい、という小田+キーリ論文はもみ消されたってか 相手にされず終了。
竹岡さんや角張さん、早傘さんあたりがツッコミを入れるまで捏造って話は囁かれもしなかったんですか?
どうも 誰かに遠慮したか学閥から弾かれたくなくて黙ってたヒトが居るんじゃなかろうか、いや居て欲しい気がします。
日本の学者の石器を見る目ってレベルが酷過ぎるのでしょうか。

981日本@名無史さん:2011/09/30(金) 00:39:12.99
>980
石器の専門家が少なすぎたんじゃなかったっけ

旧石器時代の石器の大半は、素人目で見て石器と判別できないらしいね
自然に割れた石、単なる自然石なのか、人間によって加工された石器なのかを区別しがたい形状の物が多いと。
982日本@名無史さん:2011/09/30(金) 04:47:55.61
芹沢長介「層位は型式に優先する」=「オーパーツが出てこようと地層の年代こそが正しい」

そのため、世界的には後期旧石器以降にしか出てこない剥離石器が出てきても、「東日本の先進性」
宗教的祭礼と思われる不思議な配列が発見されても、「西日本の野蛮人どもに優越する東日本の優生学的優位」

まあ、会津武士道とか東北学とか東日流外三郡誌とか「白河以北一山百文」とか「維新以降東北は差別されてきた!」とか、
そういったマスコミと東北地方の作り上げる、有無を言わせない被害者論と他人を加害者と認定する粘着的な郷土愛に阻まれて、
学問的な調査よりも「東北地域の自尊心の回復」という主張が優先しちゃったわけです。
983日本@名無史さん:2011/09/30(金) 06:29:53.56
>>979
文化や芸術を理解するには知識だけではなく知能が必要だからね
両者が揃って初めて知性というんだ
984978:2011/09/30(金) 13:11:15.02
素人なもので石器というのが見極めが難しいというのは解りますが、かたや一万年土の中に埋まっていたモノで
藤村新一石器は基本的に表面採集された縄文石器ですよね(角張氏は違うのも混ざってる説ですが)?まして埼玉県小賀坂じゃ
70万年前と凄い話でしたけど かたや何千年のスパンでかたや70万年。しかも土中に埋まってたモノと そんなに区別がつかないのだろうか?と。
しかもいつも見つけるのは藤村一人で、必ず石器を引きぬいてから「出た」と言い続け、25年間も素人単独で出来るとは思えないんです。
途中で誰かが「石器が出たら引き抜かずに置いといて。出土状況の写真取るから。」って言いませんかね?
それすら言い出せないゴッドハンドっぷりだったんですか。
それとも その背後に見え隠れしている文化庁記念物課・岡村道雄主任文化財調査官が黙らせたのですか?
985日本@名無史さん:2011/09/30(金) 16:28:59.10
日本考古学の場合、岩宿及びその発見者を「民間人に研究など分からぬ」と学会及び大学が無視した過去があったため、
・市井の科学者は偉い
・他者の研究に疑問を表明するのは不遜である
という姿勢が、岩宿を当時無視し後に熱狂的な伝道者となった明治大学関係者及びマスコミにありました。

また、東北大学の故芹沢長介名誉教授及びその講座に、確実な前期旧石器遺跡を世に発表したいという強い欲求、
偽石器との他者の指摘を凹ませたいという強い欲求がみなぎっていたのも事実です。
そして、岡村道雄氏は芹沢長介氏の愛弟子だったのです。

藤村のもたらす石器に、東北大学(後に東北福祉大学)の芹沢の講座は有頂天になりました。
明治大学でも同じ、東京大学でも藤村旧石器の美とやらを世界の真実として謳い上げる教授が現れました。
怪しい痕跡はいくらでもありましたが問題にした人は少数で、しかも上記の人々に「聖人を誹謗する卑劣漢」として軽蔑攻撃されました。

一方では、「民間の研究者足りうる資格のない人間が掘った遺跡は公共にゆだねるべきだ」として、
藤村が掘った箇所から藤村を排除し、公共機関の発掘へ切り替えるという例も発生しました。
芹沢らはこれを「公共の不遜」として激しく攻撃しました。もっとも、公共機関は藤村の掘った後を掘っても何も成果を出すことがありませんでした。

研究者は藤村新一に、こんな石器が欲しい、こんな石器が出れば世界一だ、と最新知識に基づく希望を述べていたそうです。
しかし藤村が捏造によって持ってくるとは思わなかった、と彼らは激しく弁明しています。


捏造発覚翌月程度の文藝春秋に、芹沢長介氏による、藤村の捏造発覚直前の立場に基づく高邁な見解が記載されていました。
内容といえば、岩宿遺跡の反省に立った市井の研究者への尊重、他者への不当な中傷の完全なる排除、高い実績の誇示、
東北地域の後進性という従来の見解への明確な反駁、反骨精神の提唱、どれも今となっては反省点ばかりが目に付きます。
986978:2011/09/30(金) 21:06:28.63
とても分り易い御回答有難うございます。小生法医学教室に在職しておりまして「プラントオパール」なる物質を知らず
文献を漁っていて そこから考古学に興味を持った人間です。新品のカマか稲刈りに使ったか?等で我々も知ってないといけないのです。
職業柄最新論文を引くのは仕事のようなものですが、メーア遺跡のキーリ論文が発表された事を知る事が出来たのは一部の学者だけですよね。
メーア遺跡出土の石器と座散乱木遺跡の出土品が殆ど双生児の如く似ている点を謎だと思ったのです。(座散乱木のほうが後なんですね。)
とすると 何を埋めるか指示したかsuggestした学者がいないと変なのです。キーリは仏語論文なので多分藤村は読めなかったと思います。
藤村が騙したのか それとも指示されたのか 実は闇の部分を隠して幕引きにしたのか?と疑っているのです。
987日本@名無史さん:2011/10/01(土) 05:41:51.81
藤村新一の埋め込む石器が何故世界の最新の研究状況を露骨に反映していたのか、という点ですが、
研究者からの、「ここにこういう石器がこのように出れば大発見だ」とか、
「欧州の発掘で言うと、こういうものが出るはずだ」という、示唆があったことは間違いありません。
しかし研究者は、発掘時の希望を述べただけのことで藤村がそんなことをする人間とは思わなかった、と主張しています。

また、研究者の、他の最新成果への言及と擦り寄りが論文に現れた面もあります。
以前なら言及もしなかった些細な事象も、最新の華々しい研究成果と多少なりとも重なる部分があれば急に言及が追加され、
自らの論文を、評価の高い研究論文と類似している体裁をとるように組み立てるわけです。
これは文系理系を問わず見られることです。

このようにして、世界で注目に値する発見があると、間を置かずに東北で藤村新一を含む研究グループが同様の成果を、
しかもはるかに年代を遡る地層で得るということが恒例となっていきました。
988日本@名無史さん
987まで来たので新スレ建てようとしたら規制がかかっててダメポですた。
どなたか宜しくm(__)m