1 :
日本@名無史さん:
農民を語ろう。
2 :
日本@名無史さん:2011/01/09(日) 15:36:21
農民にも蔭姓があったって本当?
うそ
結婚で姓は減って行くのだが。
江戸時代母方の姓をどうやったら伝えられるの。
6 :
日本@名無史さん:2011/01/10(月) 03:02:03
>>4 マジか。詳しく教えて下さい
>>5 書物じゃないんですかね?
農村は文盲だらけだし。
今でさえ祖母の旧姓なんて知ってる人はほとんどいないでしょう。せいぜい男系の姓しか引き継げないから伝承される姓はかなり減るはず。
はあ?大体、子どもの数が多かったし、養子とかのシステムがあっただろ。
今の感覚で昔を語るなよ。
9 :
日本@名無史さん:2011/01/10(月) 21:23:08
>>7釣られるのもなんだが、
普通、祖母さんの実家ぐらいなら付き合いあるんで無いの?
うちは、高祖母の実家(さすがに父系のみ)までは親戚付き合いしてるけど・・・
あと、村の口伝も意外とバカにならないぞ、「あの家はどこの家から嫁を貰った」だの
「そこの家の先祖はあの家の分家だ」だのと自分の家の事より詳しかったり、
「他に関心が無いのか?」と思うほどw
さて、どっかでも書いたけど、
漏れの近くの村(南東北、因みに村高は622石2斗7升)での事例(嘉永五年)
惣百姓47人(軒)のうち
片寄次郎右衛門
同 又右衛門
同 幸右衛門
同 庄兵衛
同 市之丞
同 作 十
〆六軒
(以下同様にして)
木村:13軒、 林、榊原:各1軒
山野辺:3軒、 大和田:2軒
八幡:6軒、 守山、新妻、大泉:各1軒
久野;3軒 菅波:3軒、 吉田:3軒(4名の名前有り)
「村惣〆拾三真ヶ」(まけ:親類の意)
郷宿を勤めた家の「日記」より (この年、日記の筆者がこの村の名主を兼帯)
参考まで。
平泉澄「百姓に歴史はありますか。豚に歴史はありますか」
11 :
日本@名無史さん:2011/01/10(月) 21:37:38
柳田国男は史学会の例会で疑問を述べた。
百姓なくして、庶民なくして、日本に文化も歴史もありえなかったではないか。いったいあなたは、何を思いあがっているのか
平泉は蒼白になったという。
>>8 >>9 統計学者の調査でわずか2世代で15000もの姓が消滅しているそうだ。
朝鮮や中国の漢族では300ほどしか姓がない。
>>13 元の書き込みこれだろ?
・江戸時代の農村の大半は100人ほどの閉じた共同体なので、名字があったら結婚でどんどん種類が減っていくはず。
中国(漢民族)はあれだけ人口が多いのに300-500程度の名字しかない。
・明治、大正の人が農民に名字がなかったと「勘違い」するはずがない。
・現代人は名字のない生活が理解できず、当然あったに違いないと思い込む。
・江戸時代の農民の8割程度は文盲。かなり読み書きができたというのは武士と商人が集まった江戸での話。
農村に残る文書の多くは限られた富農(名字がある)に関するもの。
「減っていくはず」のどこが調査なんだw
15 :
日本@名無史さん:2011/01/11(火) 01:20:03
>>14 これな。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110003502725 日本人の名字の統計解析 東京工業大学大学院情報理工学研究科
明治8年当時から現在に至るおおよそ3〜5世代の経過のうちで失われた希少姓の数が、
相当なものであったことを強く示唆する。シミュレーション結果を単純に過去に3次スプライン
補間すれば、例えば過去1世代および2世代の間にそれぞれ6,300種類、15,000種類あまり
の名字が失われたという結果を示す。
16 :
日本@名無史さん:2011/01/11(火) 01:22:21
17 :
日本@名無史さん:2011/01/11(火) 02:01:12
18 :
日本@名無史さん:2011/01/11(火) 07:31:46
>>15 p.64
名字の継承を Galton-Watson 型分岐過程モデルを設定しているが、その妥当性が怪しい。
世代交代毎に名字を継承する次世代の世帯数がランダムに増減するという仮定をおこない、そのモデルをもとに
計算を行っているが、江戸時代は土地を持った農民は自分の次の世代にその土地を継承させなければならなかっ
たから、養子でもなんでもおこない無理矢理継承したわけだ。このモデルが妥当とは思えない。
小作が多世代繰り返されて、自分の本家が分からない場合には、
>>16のように「藤原」だろうが何だろうが明治時代
に勝手に名字をつけたのだろう。
>>19 江戸時代にも子がいない夫婦は結構いたはずだが、男の養子をとった場合その養子は自分の「隠し名字」を伝えるのか養子先の「隠し名字」を伝えるのか?
韓国は捏造してまで族譜を作る習慣があるが、日本人は4代遡った先祖なんてほとんどの人は知らない。
Galton-Watsonはマルコフ過程を前提としている。そもそも名字の継承は、過去の口伝によるものが多いから、
マルコフ過程には全く当てはまらないだろ。
>>20 名字を含めて土地や資産を継承して欲しいがために養子取ったのに、継承しないんじゃ意味がないだろ。
>>21 幕府によって違法とされた名字まで継承する義理なんてないだろ。
明治以降の戸主制度の価値観と混同している。
23 :
日本@名無史さん:2011/01/12(水) 07:42:06
「家名」を重視するというのは明治以降になって庶民に下りてきたことなのに、
(農民だったのに武士気取りになって)江戸時代からそうだったと思い込む
のは馬鹿げている。
>>22 はあ?なんで違法な名字を継承するのが「義理」なんだw
自分のアイデンティティを保持していくのは当然だろ。
>>23 だから地方によって違うんじゃないの?
継承する必要がないトコはしなかっただろうし、自分の先祖がどこから来たかどこの出か
伝承する必要があったトコはした…と。
25 :
日本@名無史さん:2011/01/12(水) 22:01:26
口伝だろ。昔はTVもラジオも無かったから、昔話などをするしか長い夜を過ごす方法は無かったんだよ。
実際に、どこの家の家系は近江のどこの村から来て、どこの町に一旦定着して…なんて話が残っている。
27 :
日本@名無史さん:2011/01/13(木) 00:06:26
韓国人は族譜(デッチアゲも多いそうだが)によって1000年前までの祖先
を記録する民族。日本人は一握りの名家を除いて3代以上前の祖先
の名前すら関心を持たない民族。全然民族性が違うんだよ。
農民にとって重要なのは「家名」を継ぐなどという抽象的なことではなく
実子がない場合自分の老後を見てくれる養子を取ることだけ。「家名」
なんてどうでもいいんだよ。
なんで、全く関係ない韓国を持ち出すw
29 :
日本@名無史さん:2011/01/13(木) 00:30:05
>>28 名前つながりで言えば、江戸時代の女性の庶民の名前は「りう」だの「かめ」だのだったのに
のに明治に入ってしばらくすると皇室を真似て「〇子」なんて付けるようになる。
それで馬鹿な連中は「〇子」が昔から庶民の女性の名前だったと思い込んでいる。
馬鹿なマスコミは、「○仁」が昔から皇族の男性の名前だったと思い込んでいるけどな。
いずれにせよ、
>>29はどこがどう
>>28へのレスなのかわからないし、
何でこんな所でまで、韓国について語らなくちゃ気がすまない人がいるのかもわからない。
31 :
日本@名無史さん:2011/01/13(木) 01:09:46
>>30 悔しかったら曽祖父母の名前言ってみろよ。生活に必要もない名字なんてすぐわすれるよ。
はあ?悔しいって何が? あほ?
韓国の方は祖国を愛していらっしゃるから
いつでもどこでも、全く無関係なところでも
自分の国について語らなくちゃ気が済まないんだよ。
放っておいておやり。
それくらい日本の庶民は祖先の素性に関心がないんだよ。関心があるなら識字率が上がってみんな詳細な系譜を作るはずだろ?
文盲の時には必死に祖先の素性を語りました。字を読み書きできるようになったら祖先のことに関心が無くなりました。
ってあり得ない。
37 :
日本@名無史さん:2011/01/13(木) 08:37:25
どこにでも涌くのかよ・・・
無節操な奴等。
39 :
7:2011/01/13(木) 20:36:03
地方によるのですかね
(うちは安政6年、火事で焼けてしまったので、)文久3年に寺の過去帖を写して
新調した「過去帖」には、「養母@@村、大河原氏」(嘉永2)、「妻**村、大谷想兵衛娘」(天保11)
「法印浄胤、●●院二十一世、当村産鈴木氏」(寛政3)
なんて感じで頻繁に苗字が出てくるので、つい殆んどが持っている物だと思ってますた。
うちも分家でしたが、一応苗字持ってましたし(公称は寛政10から)・・・
40 :
39:2011/01/13(木) 20:53:53
あれ?前レス9だったw失礼
俺のトコは、昔からこの地区に逃げ込んだコトが史実から明らかな亡命大名と
同じ名字だからな。多分その子孫だろ。
42 :
日本@名無史さん:2011/01/13(木) 23:36:45
>>41 その大名の名を詐称しているって可能性も高いのでは?
43 :
日本@名無史さん:2011/01/14(金) 01:02:29
>>39 兵衛って元は官職で、地位か財産があるってことでは?
>>42 田舎は狭いから、そんなモン詐称したら白い目で見られるだろ。
明治に農民が姓を許された時の安易なつけかたを思えば
実際は無関係だけどあやかってつけたというのは十分ありな気がする
46 :
日本@名無史さん:2011/01/14(金) 23:30:11
仮に伝承があったとして、網元の偉い人が魚の姓を付けても気にならない程度
のものだからな。ちなみに奇妙な魚の姓は昭和30年頃に無難な姓に改姓したら
しい。
鱸とかですか
全国に1000世帯ほどいた鱸さんは、全員鈴木さんに改姓したらしい。
っていう、ホントのような嘘のようでいて実際にはホントでない話。
ちなみに沖縄でも戦後結構本土風への改姓の例がある。
50 :
日本@名無史さん:2011/01/15(土) 10:55:44
>>49 沖縄出身の「玉城」さんって子に
君の苗字は、本当は「たまぐすく」さんなんでしょ?、って聞いてみたら
「え??たまきですよ?」って言われた。
沖縄って行ったことないからよくわからんが、
どんなもんなんだろう?昔の読みなんて、忘れちゃってる人が多いのかな?
>>45 田舎の姻戚関係の強さを勘定に入れていない。
>>51 没落した人もいる。逆にかなり隆盛してたトコもある。それだけ。
農民のコトばかり問題にしてるが、戦国時代の武士だって、関係無いトコから
勝手に名字付けたりした例あるんじゃないの?
54 :
39:2011/01/15(土) 23:55:51
>>53 ちょうど、今日、旧藩士(150石、明治3年)の子孫の人と新年会で一緒だったのだけど、
その方曰く「1561年に今の姓になったと云う記録は有ったのだけれど、その前や、その由来は分からない」
とのことでした。
序でに、うちとこの苗字は江戸時代の初期、土着記念にに出来たものらしい、
(その成立については、市内の同苗でも系統により異同がある)
55 :
日本@名無史さん:2011/01/16(日) 12:12:24
江戸時代の一般的な農民の生活はどんなものだったのでしょうか?
藩によってかなり差があったんじゃない?
東北や薩摩なんかは北朝鮮人民以下だったろうし。
東北でひとくくりにされても…。
山形なんか、和算が盛んで、難解な数学を農民が解いていたじゃないか。
それだけ余裕があった。なぜなら、やませが奥羽山脈でさえぎられるからな。
58 :
日本@名無史さん:2011/01/21(金) 11:59:43
ふーん
東北の盆地より、空っ風吹く北関東の群馬や栃木のほうが、大変そう
59 :
日本@名無史さん:2011/01/22(土) 10:51:11
庄内藩は善政だったのか?
即身成仏しないと浮かばれないほど怨念があったろうに。
まあ、とりあえず新兵器を買って、あくどいコトした薩摩藩江戸藩邸を焼き討ちにしたり、
東北諸藩を「鎮撫」しようとやってきた薩長兵をより少ない兵員数で撃破したりしているな。
>>60 で、庄内藩士の血の気が濃かったことと庄内藩の生活水準に、いったい何の関係が?
62 :
日本@名無史さん:2011/03/17(木) 19:37:00.60
荘園から語ろうぜ
63 :
日本@名無史さん:2011/03/17(木) 21:51:40.60
幕末関東における貨幣経済による農村の荒廃と大原幽学について考える
漏れの父の先祖は代々農家で仏壇には1650年代からの墓誌が
納められているけど全部苗字が書いてあるよ。
もう庶民の多くに名字がなかったと結論が出たよ。
そういうのを強弁っていうんだね。詭弁の一種だね。
もう終わった話だから。
名字の話はもういいから
どんな生活水準だったのか聞きたい、特に食生活
農民といっても、リッチな奴から水飲みまで
リッチな水飲みもいたらしいけど。
戦国時代の最下級農民より、江戸時代の水飲みのほうがひどい暮らしだった
江戸時代に入ると平均気温が低下して、かつ人口が増えるからな。
因島には米を作る農民は、ほとんどいなかった
米とは鉄製品と交換する物、戦国以前は奪う物
74 :
日本@名無史さん:2011/04/02(土) 02:16:26.56
江戸の身分制より前は兼業が当たり前で、農民兼商人だったり
多様だったんじゃなかったか
>>74 江戸時代になってからも米と綿花とか野菜の栽培みたいな二毛作は普通。
当然作った商品作物を売る商人でもあった。
兼業とかそういう教科書的な話じゃなく。
因島の話とかも同じ。
生活していくために色んな事をしていた。
76 :
日本@名無史さん:2011/04/09(土) 17:18:07.81
伊藤博文のスレ
77 :
日本@名無史さん:2011/04/09(土) 20:34:36.88
78 :
日本@名無史さん:2011/04/23(土) 12:53:57.53
税も不作の時は免除されてたんだよな〜
「百姓=農民」じゃないんだね。
80 :
日本@名無史さん:2011/04/23(土) 20:56:00.01
人民よ
一向革命をおこすのら
戦国 戦死
近世 病死
近代 戦死
畳(ござ、土間)で死ねる分遥かにマシだろ
82 :
日本@名無史さん:2011/05/12(木) 00:28:28.53
地主と小作人
83 :
忍法帖【Lv=20,xxxPT】 【東電 77.7 %】 :2011/06/11(土) 12:01:32.63
てs
84 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/06/11(土) 18:28:09.79 BE:3988483698-2BP(791)
時計の伝来
日本には、古代は時計がなかった。中華から水時計が輸入され、天皇が使っていたらしいが、時刻を計るという風習を一般に広めてはいなかったようである。時刻を計るには、太陽の動きを計測し、時計をつくる必要がある。
日本の朝廷において、太陽の動きを観察していたのは陰陽寮だ。のち、安部清明を祖とする土御門家に完全にのっとられてしまう部署である。
しかし、民間に日本において、時刻を知らせたのは、寺の鐘の音だった。これは、インドから伝わったものである。日本の民間の時刻の概念を導入し、思考させてくれたのは、道教による陰陽師ではなく、仏教による仏僧であった。
ここにおいて、日本には、インドの時間の概念が仏教によって導入されたことがうかがえる。太陰暦を司ったのは、陰陽師であるけれども、民間に時を知らせたのは仏教の寺であった。
日本は、道教より、仏教に大恩ある国であることが示される。
85 :
記憶喪失した男 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/06/11(土) 19:23:05.69 BE:553956825-2BP(791)
いつの間に、日本史板ってこんなに荒れたの?
てめえみたいのがいるからだ屑
こんばんわ
88 :
日本@名無史さん:2011/07/20(水) 14:46:00.31
ここは屑ばかりですね
89 :
日本@名無史さん:2011/08/14(日) 02:50:38.21
age
90 :
日本@名無史さん:2011/08/14(日) 05:10:24.68
武装開拓農民が武士の起源
だいたいあってる
92 :
日本@名無史さん:2012/02/11(土) 18:20:34.73
あげ
93 :
日本@名無史さん:2012/04/28(土) 22:45:02.46
あげ
94 :
日本@名無史さん:2012/05/05(土) 03:17:20.23
日本農民党代表豊臣秀吉
95 :
日本@名無史さん:2012/06/03(日) 00:28:38.49
あげ
憲法・みどり・農の連帯
代表幹事 安藤昌益
常任幹事会座長 寺田農
97 :
日本@名無史さん:2012/06/04(月) 06:02:56.92
ここは屑ばかりですね
江戸時代、庄屋は、千歯こき、とうみ、 などを使い
効率を良くした。戦国時代当時の百姓の年貢は年間米俵3〜6俵 ほどだったらしい。
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 ̄ ̄ ̄ ̄
100 :
日本@名無史さん:2012/07/18(水) 21:53:19.72
歴史好きのサークルなんかだとほとんどの人は武家出身って名乗るので、自分だけ農民と
言うとしゅんってなっちゃうね。
でも、江戸時代の農耕器具を見つけて小学校に寄付した話なんかは刀自慢より食いつきいい
印象。
>>68 早島大祐氏著「足軽の誕生 室町時代の光と影 2012年」は、読むに値しますか?
103 :
日本@名無史さん:2013/03/02(土) 23:35:41.23
あげ
104 :
日本@名無史さん:2013/04/25(木) 21:36:42.89
あげ
北東北在住だが、こちらの農民の多くは、戦乱で負けて逃げて農民になった人が多い。
だから、明治維新前に姓を持っていたりする。
俺の家も床下から刀が発掘されたりと、なにやらあった気もするが、まあ気持ちは農民だな。
近所見ても蝦夷系の顔つきの人もいて(顔がやたら濃い)色々混じっている感じ。
106 :
日本@名無史さん:2013/09/14(土) 07:05:29.45
>>105 北東北地方で戦乱難民というと、前9年役戦でですか?
逃げて農民になるというと、耕作する田畑はどうやって取得したのですか?
先住民から略奪したのですか?未開の山野を、細々と整地開墾したのですか?
107 :
日本@名無史さん:2013/09/22(日) 12:19:16.30
>>106 寺社や貴族の荘園が受け皿になったんじゃなかろうか
彼らは膨大な寄進地を抱えて慢性的な人手不足だし
108 :
日本@名無史さん:2013/09/22(日) 19:27:32.88
よく豪族らが合戦に負け、帰農して庄屋になったってあるけど、元手の金があったからですか?
新しい領主が旧支配層を利用して体制を固めるってのも良くあるな
>当然作った商品作物を売る商人でもあった。
付加価値つけたら「職人」。
商人とは流通業のみをいう。
111 :
日本@名無史さん:2013/09/26(木) 05:53:20.11
>>108 戦国時代までの豪族はたいてい農民だろ。
最初から半農半武。帰農したっていうのは、兵農分離のときに負けたので
武士として雇ってもらえなくて、農民専業になったってだけだろ。
112 :
日本@名無史さん:2013/09/26(木) 05:54:41.38
×戦国時代までの豪族はたいてい農民だろ。
○戦国時代までの田舎の豪族はたいてい農民だろ。
113 :
日本@名無史さん:2013/09/26(木) 05:57:22.82
農民が余った農作物とかを売ってるのは単なる「行商」で商人とは言わない。
職人が作ったものを売ったり、蕎麦屋を開いて、蕎麦を売って金をもらったり、
大工仕事で金をもらっても、商人とは言わないのと同じ。
農民がモノをうっててもそれは「農民」。
114 :
日本@名無史さん:2013/09/26(木) 11:59:04.00
検見法と定免法のどちらが農民にとって良かったか
115 :
日本@名無史さん:2013/09/26(木) 22:34:37.91
江戸時代は全期を通じて寒冷で凶作や飢饉が絶えなかったらしいから
農民にとっては検見法の方が楽
>>106 前九年もある。戦国時代になり、各種の戦闘で負けて逃げ込んだ人もいる。
土地は、蝦夷の生活だと平地はあまり必要なくて、台地に蝦夷は住むから、棲み分けはできると思う。
一族郎党で開拓したと思うよ。
>>107 荘園なんてないなあw
>>108 親族や働き手が多いトコほど開拓できるからな。単純に労働力の違いだろ。
正月とかお盆とかは農民はどうしていたんだろう
普通にモチついて、雑煮を作って食べていた。
NHK高校講座でやってたが、藁を編むなどの農作業の準備
あとタバコ吸ってたw
濃民
121 :
日本@名無史さん:2014/02/16(日) 01:52:32.07
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122 :
日本@名無史さん:2014/02/16(日) 12:46:08.34
農民てなんで蔑まれ感満載のネーミングなだよなんだろう
固定観念のせいだよな
123 :
日本@名無史さん:2014/02/16(日) 23:57:58.40
百姓って名はどこからきたの?
百の姓だから大勢いるって意味かな
124 :
日本@名無史さん:2014/02/17(月) 00:23:43.41
姓を持つものだから単純に源姓農家、藤姓農家ってことだから
百姓と言うと土人みたいなイメージが定着してるが姓を持つ民
由緒ある一般人みたいな
>>122 商人もニュアンスによっては侮蔑。何故か武士と職人が褒め言葉として残ると。
126 :
日本@名無史さん:2014/02/19(水) 22:01:45.89
ノーミンって可愛いよな、マジ好き
127 :
日本@名無史さん:2014/02/27(木) 23:53:39.62
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ねぇノーミン?土地売って!!って替え歌が昔流行ったね・・
128 :
日本@名無史さん:2014/02/28(金) 05:03:55.67
埼玉千葉は田舎の代名詞だったのに、宅地開発によってノーミンは住処を失ってしまった。
ノーミン谷も今では新興住宅地だ。
やはり豚と百姓には歴史なしなんだなあ。
まあ、大きな戦いをするのはもっぱら武士だしな。
農民に関しては、民俗学が好きな武士もいて、積極的に民衆に降りて取材をするような人が
いた地区だと江戸時代にも結構記録が残っているんだよな。
要するに百姓は飛躍出来ない。飛躍しようなどと無理難題
を言われるがそれはエナジー(高揚)をおさえるためです
。人類はそうやって生き残った。農民の動作は笑われる
が故に続いていく。 彼ら貴族や商人の固定概念はすり込まれ必ず消えない。
意味不明w
133 :
日本@名無史さん:2014/11/16(日) 11:21:26.95
あげ
134 :
日本@名無史さん:2014/11/16(日) 11:31:35.08
歴史か?
そういやないよな
記録に残ってるのは年貢をとられて反乱を起こしたとかそんなのばっかりだな
135 :
日本@名無史さん:2015/01/12(月) 19:23:48.60
「百姓とは天孫なり」とかどこかであった気が。
天孫、つまり天皇家の子孫。稲作技術を大陸から持ち込んで豊かな食生活を源に、
子孫繁栄を続け、一族の数の多さでやがて日本民族の主流となっていった。
農民=農耕技術者集団=百姓=天皇家の子孫
中世の慣用句に「百姓様ほどに成りたし」という言葉があった。
百姓は明らかに上流階級を指す言葉だった。
137 :
日本@名無史さん:
へえ