龍馬暗殺の黒幕2

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
2日本@名無史さん:2010/12/10(金) 22:40:41
関連スレ
坂本龍馬を暗殺したのわ誰? その弐(スレ落ち)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1276247350/
坂本龍馬はどう考えても日本史上最高の英雄だろ(スレ落ち)
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1268494538/
【京都】松平容保【守護職】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1284159293/
もし坂本竜馬が暗殺されなかったら
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1289131974/

関連スレ(近代史板)
■日本史を侮辱した史上最悪の大河ドラマ 龍馬伝■
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1290947504/
坂本龍馬と薩長
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1284124381/
坂本龍馬ってただの武器商人だろ?
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1285737775/

以上です
3日本@名無史さん:2010/12/11(土) 00:33:11
>>1

実行犯は京都見廻組でおk
今井信郎の兵部省調書と新撰組からの証言が出典な。

で肝心の「黒幕」は松平容保。
佐幕の会津藩主として動機的に一番納得がいくしな。
出典は『佐々木只三郎伝』及び
『手代木直右衛門伝』
4日本@名無史さん:2010/12/11(土) 00:40:30
京都見廻組与頭であった佐々木只三郎の親族による『佐々木只三郎伝』
これには龍馬暗殺は見廻組がやりましたと明確に記載してある。
のみならず京都守護職・松平容保の命であったが
直右衛門は主君に累を及ぼすのを恐れ後年まで沈黙を守ったと書かれている。
他でもない当事者の身内からの証言だ。
郷土史を愛するなら会津は『手代木直右衛門伝』とまとめて再版すべき。
5日本@名無史さん:2010/12/11(土) 00:42:14
ほとんどの歴史家・研究者が史料で、大政奉還に松平容保らは反対したと結論付けているが、
中村彰彦(小説家)が京都守護職の文中の一行を持って、強硬に容保様は賛成だ賛成だと主張しているのが現状。
星亮一は中村の影で似たことを講演しているが、本人に根拠があるわけではない。

中村彰彦は他にも、江戸開城後の会津藩の行動を、武装していたが恭順だった、武装恭順だったと主張しているが
これも一般的な見解とは正反対で、会津藩は、天皇の権威は認めても、明治天皇が委任する明治新政府と彼らの命令は
一切聞き入れず、存在すら認めようとしなかった。会津藩の対応は武装恭順ではなく武装敵対というのが一般的な研究者の意見だ。

中村の意見は、会津に極端に偏ったものが多く、星亮一よりも研究者から嫌われている。
6日本@名無史さん:2010/12/11(土) 00:46:47
京都守護職始末にそう書かれているのは知っている。
しかし、松平容保が大政奉還を歓迎したという記述は、他史料と整合性がない。

徳川慶喜公伝・復古記では、松平容保が大政奉還に反発し、再三撤回を求めた記事がある。
京都守護職始末のその部分は、後世の擁護目的の糊塗なのではないかと思われる。
7日本@名無史さん:2010/12/11(土) 00:54:22
>>1
8日本@名無史さん:2010/12/11(土) 01:11:09
>>1
佐幕系作家は根拠もなく薩摩が怪しい薩摩が怪しい言い立てるが
大政奉還で薩摩と協力、というか薩摩こそ大政奉還を推進していた件はどう説明するんだ?
9日本@名無史さん:2010/12/11(土) 07:56:14
935 :日本@名無史さん:2010/12/06(月) 06:35:03

>>921
>会津藩の松平容保は大政奉還に、反対などしていないよ。むしろ,賛成でもあり、藩内の佐幕派が騒いだのですよ。
その棟梁が手代木。だから、手代木は容保に逆らっても佐幕派的な行動を大政奉還後にはしている。ということは、容保が龍馬らの暗殺命令など出すはずもない。
会津藩を全て佐幕派と見るのは間違い。
永井尚志も会津藩の内容をそう述べて要るよ。


松平容保黒幕説、涙目(笑)


10日本@名無史さん:2010/12/11(土) 07:57:06
944 :日本@名無史さん:2010/12/06(月) 17:45:22
>>929
 >手代木が晩年に、講演をしていて、その筆記が残っているけど、大政奉還時には容保は賛成し、
ここで、藩内は大きく割れて来たと述べてすよ。そして、容保に背いて独自に動くものが居たとと、述べており
、当時の容保に、内緒で動いたのは確かですよ。手代木は。
藩主が、暗殺命令を出すなどというのは、よほどの事が無いとね。
 でも、手代木が他藩で一介の脱藩浪士に対して、お節介にも危険な暗殺をする、ましてや弟をさせるほど
馬鹿でも無いでしょう。西郷隆盛や大久保、後藤象二郎あたりを狙うなら、少しは、考えられるけど、当時は、坂本など、雑魚の部類でもあるし。
ということは、もっと、根は深いところにあるよ。


松平容保黒幕説、涙目(笑)

11日本@名無史さん:2010/12/11(土) 07:59:33
992 :平田篤胤著仙界異聞が科学をぶった斬る:2010/12/10(金) 16:15:42

寅吉 総じて学問は、魔道に引き込まれるものである。本来、学問をする程善
い事は無いのですが、道の真実の至極に至るまで学べる人がいないからです。
書物を沢山知っている事を鼻にかけて、知らない人を見下し、神などは存在し
ないとか、仙人や天狗はいない、不思議な事は無い、そのような道理は有り得
ないと我意を張る事になります。これらは皆、中途半端に学問を頼む高慢さで、
心の狭さから来る事です。書物に記された事でも実際に見れば違っている事は
幾らでもあります。

12日本@名無史さん:2010/12/11(土) 08:03:04
995 :日本@名無史さん:2010/12/10(金) 18:55:23
>>993
当事者と当事者の身内は別でしょ
二次史料=当事者が後年当時を振り返って残したもの

>>984
顕彰を目的とした記録は信憑性がないと言ったのはお前じゃんww
新政府が作らせた復古記は新政府の顕彰を目的としてるから
信憑性はないじゃん

13日本@名無史さん:2010/12/11(土) 08:05:37
994 :日本@名無史さん:2010/12/10(金) 18:41:42
>>984
土佐、薩摩、紀州、幕府、伏見奉行、長崎奉行、京都所司代 、グラバー
が龍馬暗殺に暗躍した可能性は0%だという
一次史料=事件発生当時の当事者によるもの
二次史料=当事者が後年当時を振り返って残したもの
三次史料=二次史料を編纂したもの
を示してみ
怪しいとか胡散臭いとかじゃなくよ

14日本@名無史さん:2010/12/11(土) 08:13:54
>>5,6を参照ですね。

松平容保が大政奉還に賛成した、という説は 京都守護職始末記 にしか記載がなく、
他の史料(復古記、徳川慶喜公伝など)にある、会津桑名が大政奉還に強硬に反対し、大政再委任を求めたという
各種の証言と対立している。

しかも京都守護職始末記は、史料は全て会津は焼き捨てた上で会津の意見を語る、としたもので
信憑性の点で、当時の日記や書簡から書き起こしている復古記や、
それらの書簡や日記に対して徳川慶喜が見解を記す徳川慶喜公伝などと比べると、著しく劣っている。

松平容保は大政奉還に激怒し撤回と大政再委任を求めていた。これが現在の一般的な見解となるわけです。
15日本@名無史さん:2010/12/11(土) 08:59:21
手代木ってのは京都守護職の配下の仕事してたんすか?
16日本@名無史さん:2010/12/11(土) 09:02:36
汗血千里の駒がもし書かれなかったら、龍馬も池内蔵太ぐらいのランクの扱いだったですかね
17日本@名無史さん:2010/12/11(土) 09:08:06
各種の史料証言から、坂本龍馬実行犯は、
見廻組の佐々木ら見廻組隊士でほぼ間違いない。

見廻組隊士今井信郎とその妻の証言、新撰組陳述、
会津藩士手代木直右衛門の証言は当事者しか知りえない情報を含んでいる。

命令者が誰かという点で、今井信郎は御指図があったと証言している。
これは京都の幕府首脳からの命令であったことを意味し、
更に、京都守護職松平容保候のことだと思う、とも証言している。

今井信郎の妻は、夫が当日手に怪我をして帰ってきたことと、
京都守護職松平容保候から龍馬暗殺の件で褒美の書状を貰ったと証言している。

手代木直右衛門は、某諸侯の命令で見廻組の佐々木が暗殺を実行したと述べている。
但しそこまで述べた後で、それは容保様じゃない、桑名の松平定敬候のことなのだと追加して話を終えている。

当時の見廻組の命令系統だが、本来は徳川慶喜から永井玄蕃を経由して命令が行われるのが正当となる。
しかし当時見廻組の佐々木は京都守護職松平容保の私兵として動き、京都の幕閣でも問題視されていた。

動機という点で、徳川慶喜及び永井玄蕃は当時大政奉還に積極的で、
坂本龍馬を殺しては、公儀政権造りで協調しようとしていた土佐藩と敵対することになり、この二人にとっては暗殺は望ましくない。

一方、京都守護職松平容保及び京都所司代松平定敬は他の旗本らと共に大政奉還に強硬に反対し、大政再委任を求めていた。
坂本龍馬暗殺に動機があるのは、こちらのグループということになる。


以上のことを総合して、坂本龍馬への暗殺命令者は、京都守護職会津藩主松平容保の可能性が極めて高い。
18日本@名無史さん:2010/12/11(土) 09:16:18
>>15
もちろん手代木直右衛門は会津藩士なのだから、会津藩の任務に就いていました。
彼の役職だった公用人というのは、現在の職で言うと外交官、対外折衝の窓口となる役です。
幕末の会津の、後世に知られてはいけないようなことを知っていたのではないかと思われる人間の一人です。

また手代木直右衛門の場合は、見廻組の佐々木只三郎の実兄という特殊事情があって、
会津藩からの命令に基づく、佐々木の各種の「汚い」行為について、命令を伝達していたと思われます。
19日本@名無史さん:2010/12/11(土) 09:34:54
>>17
土佐、薩摩、紀州、幕府、伏見奉行、長崎奉行、京都所司代 、グラバー
が龍馬暗殺に暗躍した可能性は0%だという
一次史料=事件発生当時の当事者によるもの
二次史料=当事者が後年当時を振り返って残したもの
三次史料=二次史料を編纂したもの
を示してみ
怪しいとか胡散臭いとかじゃなくよ

20日本@名無史さん:2010/12/11(土) 09:39:02
坂本龍馬暗殺は会津の犯行という疑いが極めて濃いわけですね
21日本@名無史さん:2010/12/11(土) 09:43:51
>>20
会津の犯行という疑いが極めて濃いからって
土佐、薩摩、紀州、幕府、伏見奉行、長崎奉行、京都所司代 、グラバー
が龍馬暗殺に暗躍した可能性は0%だということにはならないじゃんww


22日本@名無史さん:2010/12/11(土) 09:48:35
問題はその会津が、他人が犯人だと言って無実の人間に罪を着せようと躍起になっているということ。
会津は誰でも彼でも手当たり次第に犯人呼ばわりして、会津が犯人だという濃厚な疑いから逃げ出そうとする。

坂本龍馬暗殺事件は、現時点では実行者見廻組、命令者松平容保とするのが妥当。
23日本@名無史さん:2010/12/11(土) 09:53:45
会津は反論できずに0%の証明を求めるしかないか
24日本@名無史さん:2010/12/11(土) 09:55:58
>>22
会津の犯行という疑いが極めて濃いから
土佐、薩摩、紀州、幕府、伏見奉行、長崎奉行、京都所司代 、グラバー
が龍馬暗殺に暗躍した可能性は0%だということになっちゃうんだww


そんなことだから、松平容保黒幕説を支持する人達は、書物を沢山知っている事を鼻にかけて、知らない人を見下し高慢だと言われるのに
25日本@名無史さん:2010/12/11(土) 09:59:19
>>1-2 乙、サンクス

手代木も自分の発意で命じましたとは言えんわなw
「御指図」の方が死んでから何言っても死人に口無しだ

26日本@名無史さん:2010/12/11(土) 10:00:24
口の周りをチョコクリームだらけにした会津っ子が、おやつのチョコケーキを食べたの僕じゃないもん、と叫び、
口の周りの汚れを指摘すると、チョコがケーキのチョコって何で分かるの、教えてよ、とさらに叫んでいます。

これはおしりぺんぺん級の所業。
27日本@名無史さん:2010/12/11(土) 10:19:33
手代木直右衛門の彦根藩への書簡の話は出たかな?
書簡の中で手代木は、明示されていない件について協議を申し込んでいる。

問題はこの書簡の書かれた日が坂本龍馬暗殺直後であるという点で、
手代木が坂本龍馬暗殺に関与していたとすると、明示されていない一件というのも
龍馬暗殺に関係することであった可能性がある。

手代木直右衛門は会津藩公用人(外交官)。
彼が会津藩を代表してへ他藩出す手紙が、会津藩の承認を経ていないわけがない。
(独断で出していたのなら、会津藩は内部統治能力がない)

要するに、坂本龍馬暗殺は会津藩の少なくとも上層部の意思であった可能性があるということになる。

また、手代木直右衛門が要人暗殺を独断で命令するのは考えられない。
坂本龍馬は当時土佐藩の代表のような権限を与えられ、京都で大手を振って歩いていた。
彼を暗殺すれば、大政奉還以降に土佐藩と旧幕府との協力は難しくなる。
このような重大な外交事項を彼は独断では遂行できない。松平容保ら上位者の命令だったと考えるしかない。
28日本@名無史さん:2010/12/11(土) 10:40:40
つまり、手代木直右衛門の晩年の証言のうち、
会津候ではなく桑名候が命令者なのだという部分は、
手代木が彦根藩へ送った書簡と内容的に反する可能性があるというわけ。

それに、手代木は独断で徳川慶喜が味方にしようとしていた藩の要人を暗殺なんて出来ないよ。

しかも暗殺後、新撰組の近藤勇は見廻組の佐々木に、坂本龍馬暗殺の手並みはお見事で感心します
なんて言ってる(という証言が残っている)のだから、坂本龍馬暗殺が佐々木の実行だったことは
京都の幕府上層部では知りえた情報だったということになり、手代木の独断実行なら処罰されないわけがない。

坂本龍馬暗殺で手代木が関与したのなら、松平容保が暗殺を事前に承認していないなんてことは考えにくいんだよ。
29日本@名無史さん:2010/12/11(土) 11:07:16
彦根といえば松平容保の父と井伊直弼が従兄弟同士でなw
会津&彦根は親密な間柄なんだ。
松平容保関係の本では何故かwハブかれがちだが彦根側の記録は残っているので
興味がある人は井伊直弼の本でも読んでみるといい。

あと安政の大獄で井伊直弼の右腕として志士弾圧に活躍した彦根の長野主膳という男がいて
この人が佐々木只三郎を頼りにしていたと伝えられている。
おそらく佐々木は幕府サイドの人斬り、掃除屋だったのだろう。
30日本@名無史さん:2010/12/11(土) 11:12:43
>>16
大政奉還の前
龍馬が入京した際は「坂本龍馬が海援隊300人を連れて入京した」との風説が流れたり
わざわざ瓦版で報道されたので尊皇の志士の巨魁として有名ではあったらしい。
31日本@名無史さん:2010/12/11(土) 11:13:15
実行犯は、千葉さな子ではないのか?
龍馬を一刀両断にできるほどの腕前、
戸口で、高岡の家内だと伝えたことでもわかるように女だったのだ。
龍馬を恨んでいたものは多いと言うが、
殺したいほど憎んでいた女といえば、さな子以外におるまい。
32日本@名無史さん:2010/12/11(土) 11:19:02
そもそも見廻組関係者の生き残りは誰も龍馬暗殺を否定してねえよw
佐々木只三郎の遺族然り、渡辺篤然り、桂早之助然りだ。
それを会津が正義の被害者でいてくれなきゃ困る層が必死に誤魔化そうと工作してるだけw
33日本@名無史さん:2010/12/11(土) 11:27:42
>>17
手代木の話は「手代木直右衛門伝」
手代木は「某諸侯の指図であった」と述べているが
編纂者が無根拠に某諸侯を当時二十歳そこそこの若年だった定敬と指定している。
序列から言って松平容保が黒幕だろう。
34日本@名無史さん:2010/12/11(土) 12:49:16
史料に基づくアカデミックな流れで会津の悪行が次々と明らかになってゆく…
胸が熱くなるな
35日本@名無史さん:2010/12/11(土) 13:38:40
手代木直右衛門伝

でググると該当部分が出てくるがな(´・ω・`)
36平田篤胤著仙界異聞が科学をぶった斬る:2010/12/11(土) 14:41:12
 地中のマグマの熱の源が放射性物質だと言う説を述べた者があったが、それ
の全地球物質に対する存在割合は1万分の1にも満たない。放射性物質の放射
線エネルギーでは湯も沸かない。核分裂は重いウラン235等が中性子の衝突
によって、分裂する(動こうとする素粒子同士が核力で結合)時に、そこに蓄え
られた霊気が高熱、光りと化して発散する。化学反応熱も蓄えられた太陽の霊
気が発散するのである。太陽の本体は燃焼時の炎である。核融合とは関係なし。
化学反応で熱が奪われるのは月の霊気の為。
私(平田篤胤)の家の一軒隣の家では、背の高い木の枝に鳥もちを塗り、贋の鳥
を囮に鳥を捕る猟をしていた。妻の母はいつも無益な殺生をすると嫌っていた。
寅吉が来ていた時に丁度鵯が鳥もちに掛かった。寅吉があの鳥を逃がしてやろ
うと言って、太刀を振るまねなどし、そして、口に呪文を唱えながら茶碗の水
を指ではじき出しては息を吹きかけて飛ばしていた。しかし、鵯は身動き一つ
しなかった。私の書斎からこの仕掛けの所まで三十間(54m)も離れていた。
いかに神童でもこの距離を越えてあそこまで呪言を放てるとは私には思えなか
ったので、出来なければ恥をかくし、出来るまいと思って旨く収め様と、「そ
の鳥を逃がしたら、はご猟を仕掛けた人が残念がるからその辺で止めなさい」
と言ったが、寅吉は止める気配も無く呪り続けていた。気が散ると邪魔になる
から、皆無関心に放っておいた。暫くすると、鵯は片羽を剥がして体も枝から
離れた。呪りの効果だと確信出来たのは、鳥もちが蜘蛛の糸の様に見えたから
である。
 今度は風神の御幣を切ってくれと頼んだ。しかし、明日にしましょうと言っ
た。気乗りしない様子に見えたので理由を聞くと、風神の御幣を切る事はやっ
てはならない大切な秘伝です。御幣を切ればそれだけで東に雲が湧き起こって、
風が西向きに吹いて雨が降ります。すると笛を作る竹を買いに行けません。そ
れでも無理に頼むと、御幣を切って神を宿らせ神棚に納めた。と見る間に雲一
つ無い青空の東方に雲が湧き起こり、風が吹き出した。寅吉は慌てて祈念して、
夕暮れまで御幣に宿した神の力を封じ奉った。
37日本@名無史さん:2010/12/11(土) 15:13:32
>>16
会津の龍馬殺しが実証されそうになると今度は龍馬を引き落としにかかる…
汚いな流石会津根性汚い

他には最近の観光史観儲は慶喜無能説が心の拠り所らしいw
自分たちに都合がよければ持ち上げ悪くなれば貶す、もしくは捏造話でホルホルする
性根が腐ってるな
38日本@名無史さん:2010/12/11(土) 21:33:30
手代木は、主君筋に非がおよび0かねない話なのに、何で墓場までもって行かずに家族に
語ったんだろ。 龍馬が皇太后の夢枕に立っていきなり有名になったからかね。
龍馬暗殺=悪、な雰囲気ならなおさら。主君筋の「罪業」をばらすのは不忠だろ。


1893年   容保没  
1900年   近畿評論に今井信郎実歴談掲載
1904年2月 龍馬、昭憲皇太后の夢枕に立つ ←
1904年6月 死の直前、家族に語り、手代木直右衛門没 ←
1907年   手代木直右衛門伝編纂 
1908年   定敬没
1911年   谷干城没
1912年   渡辺家由緒暦代系図履暦書
1915年1月 渡辺篤没
1915年8月 大阪朝日新聞に渡辺の遺言(告白)掲載
1918年   今井没
1923年   手代木直右衛門伝刊行 
39日本@名無史さん:2010/12/11(土) 23:32:46
幕吏を2人射殺している以上、龍馬の処分を命令するのは
守護職の人間としておかしいことでもないのに何故容保公はやってないになるのか

>>27
それは年が全く書かれてなくて単に11月16日の日付しか載ってないよ
よっていつの11月16日なのか謎
40日本@名無史さん:2010/12/11(土) 23:55:32
薩摩に言われるまで幕吏を射殺した人間を探そうとしない京都守護職
自分の下宿先の近所に白昼堂々と現れる指名手配の
人間を見つけられない佐々木只三郎

どうも当時の会津方の探索能力を馬鹿にしたいのかと
本気で考えてしまう今日この頃
こう言ったら反論するんだろうがw
41日本@名無史さん:2010/12/12(日) 00:11:04
>>38
龍馬がヒーローになってしまって罪悪感に耐えきれなかったものか。

「手代木直右衛門伝」で注目すべきは、大政奉還ではなく
薩長同盟を恨んでの犯行と手代木が動機を述べている箇所。
確かに大政奉還建白の調整は表立っては後藤象二郎の仕事で龍馬は裏方だし
薩長同盟で幕府と対抗勢力の力関係が本格的にマズい事になって、
第二次長州征伐失敗で徳川の失墜ぶりを世に知らしめ、
武力討幕の圧力を背景に大政奉還を呑む羽目になった佐幕派からは恨み骨髄だろうw
仮に松平容保が大政奉還を歓迎したならその理由が知りたいなw

幕府の諜報能力も大したもので、薩長同盟締結後間もなく龍馬1人捕らえるのに
寺田屋事件て大捕物をやらかしてる。

しかし龍馬は幕臣との交流もあって倒幕勢力の中では穏健派だったんだがな〜。
42日本@名無史さん:2010/12/12(日) 00:42:16
>>5
中村とやらが引用してる「京都守護職始末」の一行ってどんなの?
43日本@名無史さん:2010/12/12(日) 01:22:59
今や大将軍は大義に照らし時勢に鑑みて断然明決された
これよりはその意を体してますます忠誠を尽くし万一の報効を務めねばなるまい
汝らもよくこの意を体し努力して事に従え

という一節。ちなみに何らソースはない。
明治終わりの、会津擁護小説のはしりのような物。
44日本@名無史さん:2010/12/12(日) 01:52:01
同時期の倒幕佐幕両派の書簡や日記からは、これほどかというくらい
松平容保と松平定敬の大政奉還への激怒や撤回要求、大政再委任要求への言及があるのにね。
川路聖謨なんて英国留学中の孫にまでこの様子を書き送っている。
45日本@名無史さん:2010/12/12(日) 10:41:38
>>44
会津藩公用人の手代木直右衛門が松平容保は大政奉還に賛成だった
と講演で述べてるじゃん

書簡や日記の著者名を示すべきじゃね?
当事者じゃないんじゃね?
46日本@名無史さん:2010/12/12(日) 10:47:46
>>33
>編纂者が無根拠に某諸侯を当時二十歳そこそこの若年だった定敬と指定している

指定したのは手代木直右衛門の知人じゃね

47日本@名無史さん:2010/12/12(日) 10:55:12
土佐の山内容堂も時勢の流れで主義は変更したじゃん
松平容保も変更したとしてもおかしくないじゃん
会津藩を全て佐幕派と見るのは間違いで容保に背いて独自に動くものが居たと
手代木も述べてるじゃん
48日本@名無史さん:2010/12/12(日) 11:04:09
>>29
>あと安政の大獄で井伊直弼の右腕として志士弾圧に活躍した彦根の長野主膳という男がいて
この人が佐々木只三郎を頼りにしていたと伝えられている。
おそらく佐々木は幕府サイドの人斬り、掃除屋だったのだろう。

幕府が黒幕でもいいじゃん

49日本@名無史さん:2010/12/12(日) 11:05:37
川路聖謨「東洋金鴻 英国留学生への通信」(東洋文庫)参照
松平容保の激怒は江戸中の評判となっていたようですね。
50日本@名無史さん:2010/12/12(日) 11:36:08
会津を犯人とする証拠がここまで出てくるとはね
中村らは薩長を犯人扱いして墓穴を掘ったとしか思えん
51日本@名無史さん:2010/12/12(日) 11:48:24
おお、福岡孝弟の自伝にも会桑の大政奉還撤回要求への対応を後藤象二郎と協議したという記述が出てきた。
52平田篤胤著仙界異聞が科学をぶった斬る:2010/12/12(日) 12:19:03
 備後の国の稲生平太郎の所に山本五郎左衛門という物の怪が現れた時の事で
ある。平太郎の産土神が冠装束を身に着けた身なりで挨拶された事を考えれば、
平太郎が物の怪に殺されなかったのは、この氏神の守護があったからである。
 また、上杉六郎篤興の話であるが、越後国蒲原郡保内の地を流れる川で、夏
に人々が水を浴びていたが、一人の男が「河童に捕まった、誰か助けてくれ」
と叫んだが、河童を恐れて皆川から逃げ出した。水が粘ってきて手足の自由が
利かず、もはや河童の穴に引き込まれるばかりの危機に陥った。その男は一心
に、氏神の八幡宮を念じたところ、どこからともなく「その水にかじり付きな
さい」と言う声が聞こえて来て、男がその通りにすると、水の粘り気が無くな
り体も軽くなって、岸まで泳いで辿り着く事が出来た。
 淡路国に雁金屋何某という者が、ある時大金を懐にして従者5人を連れて船
に乗ったところ、途中の海上で、連れの男達が主人を殺して金を盗もうと謀り、
主人をがんじがらめに縛り上げて、碇をつけて海に投げ込んだ。ところが、そ
の人は自分の家の奥の間で、縛られた格好で気を失っていたと言う。その人は
その時、一心に金比羅様を念じていた事を思い出し、これは金比羅の神様が救
って下さったのだと涙を流して喜び、ありがたがった。
 ある男が山で山姥に出会って、食い殺されそうになったと言う話を聞いたと
言う。追い掛けられて川まで逃れた時、丁度船があったのでそれに乗って櫂を
漕いでいると、山姥は自分の乳を搾って飛沫を飛ばし始めた。それが櫂にくっ
ついて固まって漕ぐ事が出来なくなった。男は一心に氏神に祈願した。すると、
山姥の金縛りの呪術が破れて櫂が動く様に見えた。男は助かったと思い、急い
で櫂を漕いで逃れる事が出来た。
寅吉 山人、天狗であれ、他の何者であれ、産土神の加護があって返せと言わ
れたら、その言葉に逆らう事は出来ません。人は日々片時なりともその恩顧を
忘れてはなりません。にも係わらず、世の人は氏神の事をそれ程考えず、他の
神々や仏を信仰し、その恩顧を顧みないのは間違っています。 
53日本@名無史さん:2010/12/12(日) 12:30:49
徳川慶喜公伝、後藤象二郎自伝・・・なんだか会津桑名が大政奉還に大反対していたのは、
当時の政界のトップニュースだったっぽい。
54平田篤胤著仙界異聞が科学をぶった斬る:2010/12/12(日) 12:41:44
問 瘧神、疫病神、貧乏神、疱瘡神、首絞神、火事などと言う様なものが世の
人に災いをもたらしているが、これらはどのようにして出来たものか。
寅吉 それらは全て人の霊から出来たものです。そのような鬼物どもが世の人
々を一人でも多く同類を増やそうとうかがっているのです。人は僅かであって
も曲がった気持ちを持つと妖魔に引き込まれます。よこしまな願いを叶えてく
れる悪魔や妖怪に目をくらまされて、死んで極楽どころか魔道に入って、永久
に神罰にさいなまれる事になります。
 そもそも天皇は天下万国の君であられ、天神地祇のお祭りを大切に行ってお
られます。今の世は外国の道がとても流行っており、神の道が廃れ、諸神社も
衰えて、それを再興しようとする者もいません。けれども、神はなお世の人を
お憐れみになり、日照りの時は雨を降らせ、長雨の時は風を起されて雲や霧を
吹き払いになられます。火にも水にも、野にも山にも幸ある様にして、万民を
撫育しておられます。これは神のお役目であり、そうなされなくては済まない
からです。
 風火金水土の5つはもとより、山海川野に生まれるものはすべて神が支配さ
れておられ、神の御徳によってそれぞれのものの用をなしています。にも拘ら
ず、人間は火も水も、また野や山も自然にある様に勘違いをして、神をおろそ
かにして軽んじています。この様な事は大変恐れ多い事です。
 取り敢えず許容しておられますが、最後には神罰を被るものである事には疑
いの余地がありません。その神罰は罪人だけが被るものでなくて、天下全体の
災いとなります。ですから、よく神々を崇敬し奉って、このような災いを逃れ
るべきなのです。
 だから、地震、台風等の天変地異、戦乱、疫病、火事、事故等は神罰でもあ
り、警告でもあるのです。今は悪神の強い者勝ち、我よし、騙しが手柄の悪弊
がはびこって、政治も経済も学問等も腐れ果てて、誰も責任を取らずに逃げて、
そんな世の中が成り立つ筈がないのである。ここに正神が大建替えを断行すべ
く、日月地の御民(身魂の磨かれた)を道具に使って、鬼退治をして、天地のあ
らゆる穢れを大掃除して、弥勒の極楽浄土を築かれなされるのである。 

55日本@名無史さん:2010/12/12(日) 14:01:53
会津が史料破棄したっていう話の出典はどれ?
56日本@名無史さん:2010/12/12(日) 14:25:55
>>19
そいつらが龍馬暗殺に関与したって史料を見たことも聞いたこともないんだわw
その面々が怪しいって主張するからには勿論根拠があるんだよね?
教えてくれないかなぁwww
57日本@名無史さん:2010/12/12(日) 17:15:31
薩摩黒幕説って元々は6人の暗殺者という映画の出来がよくて
それを信じ込んだ人がワラワラ出てきたんだっけ
西尾秋風とかは会津とは関係ない人だが死ぬまで薩摩の中村が犯人と
主張してたが後に佐々木多門の手紙の誤読を桐野作人氏に指摘されてた
薩摩黒幕説を主張する人ってこんなんばっか
58日本@名無史さん:2010/12/12(日) 18:14:10
>>17
極めて合理的な今の定説を有り難う

ただ今井の妻の証言についてたが、これは昭和40年代に書かれて書物で初めて出てきた話
真実としても又聞きの情報だね

桑名候ではなくて会津候が黒幕とハッキリ言ってる明治期の史料はないですか?
兄弟合議の可能性はないの?
59日本@名無史さん:2010/12/12(日) 19:15:59
>>17
兄弟,土佐、薩摩、紀州、幕府、伏見奉行、長崎奉行、京都所司代 、グラバー
合議の可能性はないの?

60日本@名無史さん:2010/12/12(日) 20:47:34
>>59
お前の中で幕末はその面子が合議するファンタジー空間なのかw
すげえw
オウム返しすればいいってもんじゃねーぞ
61日本@名無史さん:2010/12/12(日) 20:52:00
つか何でグラバーが暗殺に関わるんだよ
まあ龍馬は見廻組が殺さなくても、いろは丸事件のやり方見ると
どのみち暗殺されてそうではあるが
62日本@名無史さん:2010/12/12(日) 20:58:05
薩摩もだが未だに新撰組説唱えてるやつは一体なんなんだ
谷の生まれ変わりか?
龍馬が見廻組に殺されたと考えたくないやつか?
63日本@名無史さん:2010/12/12(日) 20:59:23
大政奉還後の中根雪江の越前福井藩公用日記『丁卯日記』に
慶応3年11/28手代木直右衛門が松平春嶽に面会とある。
もちろん肥後守こと松平容保も私達家臣と同様渋い顔してるって書いてあるな。
会津の幕権回復論ウザイくれぐれも邪魔しないでと松平春嶽から釘刺されとるw
64日本@名無史さん:2010/12/12(日) 21:20:39
>>63
『丁卯日記』によると容保も大政奉還は失望の極み、か…
まあ普通に考えりゃそうだろうな。
事実と真逆の事を書いた『京都守護職始末』のせいで
ただでさえ黒に近いグレーがますます真っ黒に…
65日本@名無史さん:2010/12/12(日) 21:31:16
負けた側だし自己保身に走っても仕方ないのは気持ち的に分かる
が、その「ありえない事」を利用して会津は関係ないと言い張る人は本当見苦しい
龍馬を平和主義者と言い張るのも論外
66日本@名無史さん:2010/12/12(日) 21:43:17
会桑ではなく「幕府」が「黒幕」とするとその実体は誰?
板倉勝静? 小笠原 長行? 稲葉正邦?
なんだかなあ
67日本@名無史さん:2010/12/12(日) 22:42:49
大政奉還時点での慶喜の構想は
諸藩大名の合議制の上に、一諸侯になっても一番規模のデカい徳川家が君臨する
というプランだったのよ。
でも会津と桑名は諸侯会議で影響力のある藩の面々にも協調性なくてウザがられてたので
お前の席ねーからww状態になることは必至だったのよ。
でなりふり構わず猛烈に抵抗したのよ。
68日本@名無史さん:2010/12/12(日) 23:32:51
>>64
会津藩の内実は福井藩士の日記より
明治時代の会津藩家老の山川氏が草稿を執筆した京都守護職始末のが
信憑性あるでしょ
69日本@名無史さん:2010/12/12(日) 23:52:31
>>68
嘘つき会津が出たぞー!

じゃあ容保は無能なお飾り藩主なんだな
部下が大政再委任運動に奔走してても知らん顔かw
70日本@名無史さん:2010/12/12(日) 23:54:27
>>17
>命令者が誰かという点で、今井信郎は御指図があったと証言している。
これは京都の幕府首脳からの命令であったことを意味し、
更に、京都守護職松平容保候のことだと思う、とも証言している。

見廻組隊士は命令者を佐々木只三郎から告げられてないわけね
真相は会津藩公用人手代木直右衛門と佐々木只三郎しかしらねーってわけじゃん

71日本@名無史さん:2010/12/13(月) 00:06:30
また意図的な話のループ狙いか。
会津は>>27,28を読んで泣いていればいいのに。

今のところ、会津藩主松平容保という線が真っ黒なまでに濃い
72日本@名無史さん:2010/12/13(月) 00:06:55
>>17
>一方、京都守護職松平容保及び京都所司代松平定敬は他の旗本らと共に大政奉還に強硬に反対し、大政再委任を求めていた。
坂本龍馬暗殺に動機があるのは、こちらのグループということになる。

大政奉還に強硬に反対してたからって暗殺したとはいえねーんじゃね
つか大政奉還に反対したら暗殺の黒幕になるっつーなら大量に
怪しい奴いるんじゃね

73日本@名無史さん:2010/12/13(月) 00:15:17
京都で見廻組の佐々木を動かせる人間といえば、正式な命令系統なら徳川慶喜・板倉勝静・永井尚志の三人だね。
しかしこの三人は大政奉還に積極的であったことが知られている。

板倉の側近であった神戸謙二郎が記録(魚水実録)を残しており、
ここでも松平容保・松平定敬らの大政奉還拒否の姿勢と不穏な行動が書かれている。

つまり、佐々木を動かすことの出来た大政奉還反対派といえば、彼を私兵にしていた松平容保ということになってしまう。
74日本@名無史さん:2010/12/13(月) 00:47:08
>>73
大政奉還に強硬に反対してたからって暗殺したとはいえねーんじゃね
つか大政奉還に反対したら暗殺の黒幕になるっつーなら大量に
怪しい奴いるんじゃね
会津,桑名、紀州、幕臣などは大政再委任を要求したじゃん
75日本@名無史さん:2010/12/13(月) 01:02:41
>>73
>あと安政の大獄で井伊直弼の右腕として志士弾圧に活躍した彦根の長野主膳という男がいて
この人が佐々木只三郎を頼りにしていたと伝えられている。
おそらく佐々木は幕府サイドの人斬り、掃除屋だったのだろう。

会津,桑名、紀州、幕臣などが佐々木を動かしたんじゃね


76日本@名無史さん:2010/12/13(月) 01:06:50
もう坂本龍馬暗殺の主犯が会津ということは覆せずに
道連れを求めるようになったか

凶悪犯の心理ってこういうものなんだね
77日本@名無史さん:2010/12/13(月) 01:11:01
会津が味方扱いするということは、会津の犯した罪が全てその人間へ押し付けられるということ
会津と意見を共にすると、後世ろくなことにならない
78日本@名無史さん:2010/12/13(月) 01:21:09
>>10
>>63-64
手代木直右衛門伝でも「某諸侯」とボカシた遺言を残してるし
罪悪感と忠義の板挟みだったんだろうが
こう矛盾した証言を残されると大体の察しがつくな…。
79日本@名無史さん:2010/12/13(月) 01:30:33
>>75
そもそも何故佐々木と手代木の名字が兄弟で違うかというと
清河八郎暗殺時は只三郎は幕臣の佐々木家(これも会津から出た家系)に養子に入ってて
大老井伊直弼の家来とも接点があったと考えられる訳。

で龍馬暗殺時は京都見廻組配属でこれは京都守護職の配下って扱いな訳。
80日本@名無史さん:2010/12/13(月) 01:36:40
>>79
京都守護職の配下の佐々木と会津,桑名、紀州、の家来や幕臣とも
接点があったと考えられるじゃん
81日本@名無史さん:2010/12/13(月) 04:00:11
やっぱこの説が一番有力なんじゃ
http://www.youtube.com/watch?v=w1q-buaUmQs
82日本@名無史さん:2010/12/13(月) 10:55:48
>>80
うnうn
で「諸侯」に該当する人物の中で
松平容保→(側近)→手代木直右衛門→(兄弟)→佐々木只三郎
ルートが一番繋がりが強いんだわw
定敬は混じってても別におかしくないな
83馬鹿な学者の妄説信者へ:2010/12/13(月) 17:31:57
 地中のマグマの熱エネルギーの源は放射性物質の自然崩壊によるエネルギー
だと言う輩がいる。

 しかし、放射性物質は地球全体の物質の1千億分の1に満たない割合しか存
在しないのだから、それが自然崩壊しても隣の原子に放射エネルギーを奪われ
て、何の影響も与えない。半減期が地球の寿命と同じなのはウラン238ぐら
いである。とてもマグマが持っているエネルギーには成り得ない。
 しかも、地震のエネルギーを考えるととても及ばない。だから、科学では説
明出来ないと言っているのにあくまでも強情を張る輩が多いのは弱ったものだ。
 それから、ついでに、地震はプレート同志が衝突し合って、その歪で起きる
と言うが地盤とプレートは一緒にくっついて動く筈だが、我々には地盤が移動
している事は体感出来ない。ただ、地震の横揺れと、縦揺れを感じるだけであ
る。やはり、科学での説明には嘘臭いものが沢山有って、汚らわしいと感じる
のは私一人であろうか。
84日本@名無史さん:2010/12/13(月) 18:32:54
坂本龍馬暗殺事件に関しては、
命令者 会津藩主・松平容保
伝達者 会津藩士・手代木直右衛門
実行者 佐々木只三郎ら京都見廻組隊士

という構図はもう崩れそうにないね。
命令系統から考えてこの三人は外せないので、
あとは、この三人の周りに暗殺への賛同者を添える程度しか考慮の余地がない。
85日本@名無史さん:2010/12/13(月) 18:57:53
>>68
よーし豆知識だー

この時代の『日記』には2種類あります
公用日記と私的な日記
歴史書の出典に頻出する『日記』は公用日記が多い
『丁卯日記』は藩の公的記録なの
86日本@名無史さん:2010/12/13(月) 19:04:17
『佐々木只三郎伝』は東京の史伝研究所の高橋一雄が
断絶してた佐々木家再興記念に手代木家の依頼でまとめたらしいが、
『手代木直右衛門伝』はどこで出版されたんだ?

容保の弟、桑名藩主松平定敬が暗殺指令を手代木&佐々木に出して
兄貴が無関係ってのは有り得ないだろうなw
87日本@名無史さん:2010/12/13(月) 19:11:51
これ「京都守護職始末」と余所の記録の噛み合わない所を照合していけば
会津藩のボロがもっと出るんじゃない?
なんか調べればすぐバレる嘘吐くよね。
88日本@名無史さん:2010/12/13(月) 21:35:19
某諸侯の御指図って「龍馬ご指名」だったんだろうか。
不逞の輩を始末しろ、ぐらいな感じ?
それとも容保定敬が龍馬を知ってたのかね。
89日本@名無史さん:2010/12/13(月) 21:54:48
>>29
井伊直弼・長野主膳コンビとはまた…幕末一どす黒い筋とのコネクションだな
爽やか系アピールしてた政治家が実は裏でO沢一郎とドップリみたいな感じ
90日本@名無史さん:2010/12/13(月) 22:29:30
>>81
ドヤ顔でYahoo!知恵袋にまで貼ってんなよ馬鹿w
91日本@名無史さん:2010/12/13(月) 22:38:08
「手代木直右衛門伝」は3冊しかない私家本で
東京大学情報学環図書室所有の物しか公開されてないってさ。
超レアだな。
92日本@名無史さん:2010/12/13(月) 22:49:26
>>90
お前の住所を調べて暗殺しに行く
93日本@名無史さん:2010/12/13(月) 22:53:48
>>92
あー…
やっちまったなお前w
通報通報っと
94日本@名無史さん:2010/12/13(月) 22:55:07
会津よ、君の行為は通報に値する
95日本@名無史さん:2010/12/13(月) 23:08:21
お前の住所を調べてウンコしに逝く
96日本@名無史さん:2010/12/14(火) 00:04:01
>>81>>92>>95
kurosuke19830828バカスw
97日本@名無史さん:2010/12/14(火) 05:29:38
>>88
いーところに気付いたね
98日本@名無史さん:2010/12/14(火) 07:20:00
>>82
>定敬は混じってても別におかしくないな

暗殺に京都所司代桑名藩主松平定敬と桑名藩が暗躍しても
おかしくないて認めたじゃんw
会津、桑名、紀州、幕臣などは大政再委任を要求したから
幕臣も暗躍してもおかしくなくね?

寺田屋騒動で龍馬は幕吏を射殺してるから
伏見奉行、京都町奉行が暗躍してもおかしくなくね?






99日本@名無史さん:2010/12/14(火) 07:33:25
>>84
>坂本龍馬暗殺事件に関しては、
命令者 会津藩主・松平容保
伝達者 会津藩士・手代木直右衛門
実行者 佐々木只三郎ら京都見廻組隊士

命令者 会津藩主・松平容保は考慮の余地があるじゃん
手代木、山川浩は容保が大政奉還に賛成だったと述べてる

それに大政奉還に強硬に反対してたからって暗殺したとはいえねーじゃん


100日本@名無史さん:2010/12/14(火) 11:44:28
それは他史料と整合性のない、小説と同じソースなし記述ですから。
松平容保大政奉還歓迎説を採用すると、歴史ではなく小説になってしまいます。

また、目下一番疑わしい、権限と動機のある第一の人間が松平容保です。
他の人々は動機がなかったり権限がなかったりで
坂本龍馬暗殺には松平容保の存在が不可欠だったように思うのです。
101日本@名無史さん:2010/12/14(火) 18:57:24
この時の龍馬は
土佐からの大政奉還建白グループの後藤のブレーンて立場だったのよ。
龍馬を殺すということは慶喜の決定に反するということ。
だからおおやけに捕縛も出来ないので、暗殺という形で殺された。
102日本@名無史さん:2010/12/14(火) 19:28:04
>>98
なぜ松平容保が最も怪しいかというと
実行犯が他でもない京都見廻組で、暗殺グループのリーダーが佐々木只三郎だからだ。

定敬は容保の実弟で幕権回復論を唱える桑名藩主だから共謀していても不自然ではない。
しかし年の差を考慮すると容保が主、定敬が従だ。
関与したメンバーは会津藩が中心、手代木は某諸侯からの指図と言い残した。
松平容保→手代木直右衛門→佐々木只三郎の構図で見事に不自然な点はない。
103日本@名無史さん:2010/12/14(火) 19:37:00
容保の側近の実弟という佐々木只三郎の特殊な立場が
極秘任務にはうってつけだったんだろうな。
一体影でどれほどの命を闇に葬ってきたのか…gkbr

田中新兵衛が一応の犯人にされてる姉小路公卿暗殺も会津が怪しいんだよなぁ…
薩長土にハブられてた会津しか得しないもんアレ。
京都守護職時代は何してたんだろ?
104日本@名無史さん:2010/12/14(火) 20:09:57
105日本@名無史さん:2010/12/14(火) 20:16:11
指図の中身の詳細記述は無し
106日本@名無史さん:2010/12/14(火) 20:24:46
>>105
容保「みんながボクを邪魔者扱いするんだ〜!なんとかしてよスグエモ-ン!!」
手代木「オイ弟、こちとら忌々しい龍馬のアホのせいで冷や飯喰わされそうなんだよ、
 腹いせに奴のタマとってこい」
こんな感じかと
107日本@名無史さん:2010/12/14(火) 20:28:14
新撰組には永井から龍馬捕縛禁止令が出てたんだっけ?
この時期の龍馬は大手を振って後藤象二郎の家にメシ食いに行ったりしてたから
油断してたんだろうなあ…。
108日本@名無史さん:2010/12/14(火) 21:29:38
もう時代の流れは変わっていたからね、龍馬とか暗殺しても意味ないんだけど
109日本@名無史さん:2010/12/14(火) 22:25:26
>>106
スグえもん、後のコロ助である。
110日本@名無史さん:2010/12/14(火) 22:31:05
>>107
その頃の新撰組は後藤に大政奉還の写し見せてくれって言ったり
伊東が大開明論を唱える一方京都守護職と繋がりがあって
かなり伊東を警戒したりと龍馬どころではなかったかと
後新撰組は陸援隊の方にはスパイを送ってたみたいだね
つまり龍馬よりも中岡の方を警戒してた節がある
111日本@名無史さん:2010/12/14(火) 22:35:48
>>108
とんでもない!
龍馬はこの時期後藤の大政奉還建白を見守りつつ、それに失敗した場合に備え、
土佐に武器を送り板垣に薩摩と連携して出兵させるのをサポートすべく
和戦両方の構えを取っていた。
中岡も含めると薩長土朝廷間の貴重な連絡係だったということ。
ただ倒幕派の中では最も穏健で内戦は出来る限り避けたいと考えてた様だけどね。
まあ会津がダダこねる限りそれは無理な相談なのでした。
112日本@名無史さん:2010/12/14(火) 22:40:51
>>109
ちがうよ
スグエモンと佐々木=ブチコロ助だよ
113日本@名無史さん:2010/12/14(火) 23:00:24
佐幕派歴史作家も龍馬をダシに使いたいならちっくと調べて書けばいいのに…。

とりあえず松浦玲「坂本龍馬」(基本)と
松岡司「定本坂本龍馬伝」(マニアックス)と
宮地佐一郎「龍馬の手紙」(龍馬のキャラ掴むのに必須)
くらい読んでからネタにすればいいのに…。
114日本@名無史さん:2010/12/14(火) 23:50:20
そもそも何で土佐藩邸に入れなかったの??
教えてエロイ人
115日本@名無史さん:2010/12/14(火) 23:58:09
土佐藩士福岡だって隣の宿にいるけど。

当時、徳川慶喜は大政奉還を推進し、土佐藩との提携を模索していた。
その幕府内で、徳川慶喜の意思に逆らって土佐藩首脳の暗殺を企む者がいるとは、普通思わないんじゃないかな。
新撰組すら土佐藩士の攘夷行為へ、捕らえた直後に平謝りしている状況なんだし。

松平容保はとんだ不忠者だったというわけで。
116日本@名無史さん:2010/12/15(水) 00:14:00
幕府側でも薩長側でもない武士の家計簿の作者にまで
新政府に負けた側の人が薩摩黒幕説唱えてるような気がすると書かれてるしな…
117日本@名無史さん:2010/12/15(水) 00:57:06
流石に藩邸で各藩の藩士や浪人と「幕府倒そうぜ!」なんて密談は出来ないでしょ
118日本@名無史さん:2010/12/15(水) 01:04:15
>>114
薩摩藩邸に来なよってお誘いもあったし。京の薩摩藩邸は鳥羽伏見以降には会津の親薩摩派も匿ってるし。
119日本@名無史さん:2010/12/15(水) 01:13:43
何が許せないって
龍馬を殺した会津が龍馬暗殺ネタで薩長(特に薩摩だが)を中傷してること。
もはや失礼ってレベルじゃねーぞ。
120日本@名無史さん:2010/12/15(水) 01:20:19
長州でしょ無頼は
121日本@名無史さん:2010/12/15(水) 03:24:51


歴史の本の最後のページ 白紙のままで誰にも読めないよ


122日本@名無史さん:2010/12/15(水) 03:59:44
はっきりと犯人は松平容保と書いてあるように見える
証拠も揃っているし
123日本@名無史さん:2010/12/15(水) 09:41:33
暗殺された時のタイミングが良すぎる。
中に4、5人いたら失敗の可能性が高い。
やっぱり誰か内通者が居たような・・
124あほうな学者の妄説信者へ:2010/12/15(水) 13:12:38
 君達は河童や山姥等の物の怪の存在を疑っているようだが、「理屈ばかりを
追って考えても、本題から益々離れるばかりである。その理屈が正しいとは限
らない」昔の人は純真で、悪意が少なかったから、人間の守護霊が霊を見る目
を開いてくれて見えたのである。眉唾とは狐等に化かされた時のお呪いである。
今でも幽霊を見る事が出来る人がいるし、金縛りにしたり、死ぬ様に誘って来
ている。では、河童や山姥等はどこへ行ったのか。それは人間の副守護霊とし
て心の中に入っているのである。もっと醜い悪霊に進化して。人を殺したい、
肉を食いたい、セックスしたい等の欲を要求している。今の人間が食い意地が
張る様になったのは憑き物が食べているのである。
 今の科学が理論(空理空論)として統一されて高々二百年余りである。そんな
ものがその前の何十億年間の精神文化を否定する事は出来ない。精神文化には
神から伝授されたものもある。結局、科学は神に逆らって滅びる道である。人
間は科学の便利さ、華やかさ、軍事力の強大さにうつつを抜かされて、夢を見
ているのである。もう夢を見ている時ではない。原子核が核分裂する様に、地
球も地球にある物も破壊されて地球が死滅する時が来ている。

 誓約(うけひ)の言葉
御三体大神様、御三体大神様、日月大神様、国常立大神様、豊雲野大神様、月
大神様、素盞鳴大神様、雨神様、風神様、岩神様、木神様、金神様、火神様、
日の出神様、竜宮乙姫様、八百万生き神様、殊に五十鈴にます天照皇太神宮様、
豊受大神様を初め奉り、世の中の生き神様、産土大神様の御前に、広き厚き御
守護の程、有り難く、尊く、御礼申し上げます。この度の岩戸開きには、千万
弥栄の御働き、願い上げます。天地のむた、弥栄に、栄え益さしめ賜い、世界
のありとある臣民、一日も早く、改心致しまして、大神様の御旨に添い祀り、
大神の御心のまにまに、神国、成就の為、働きますよう、御護り下さいませ。
その為、この魂、この身は、何卒、いか様にでも、御使い下さいませ。御旨の
まにまに、誠の神国の御民としての務めを努めさして頂くよう、むち打ち、御
守護下さいませ、かむながらたまちはへませ、いやさかましませ。
125日本@名無史さん:2010/12/15(水) 13:44:16
>>124
「俺のチンコ小さい」まで読んだ
126日本@名無史さん:2010/12/15(水) 20:53:30
>>102
>しかし年の差を考慮すると容保が主、定敬が従だ。

龍馬が寺田屋で幕吏を射殺して、伏見奉行、京都町奉行、京都所司代が激怒し
暗殺を強硬に主張して松平容保は承認しただけかもしれないじゃん。
松平定敬→手代木直右衛門→佐々木只三郎の構図で見事に手代木の証言どうりじゃん。

127日本@名無史さん:2010/12/15(水) 21:04:10
>>111
会津、桑名、紀州、幕臣などは大政再委任を要求したから
桑名、紀州、幕臣も暗躍してもおかしくなくね?
寺田屋騒動で龍馬は幕吏を射殺してるから
伏見奉行、京都町奉行、京都所司代が暗躍してもおかしくなくね?

桑名、紀州、幕臣、伏見奉行、京都町奉行、京都所司代が京都守護職に
龍馬暗殺を要請したんじゃね







128日本@名無史さん:2010/12/15(水) 21:51:54
>>100
>それは他史料と整合性のない、小説と同じソースなし記述ですから。

京都守護職始末は
二次史料=当事者が後年当時を振り返って残したものじゃん
129日本@名無史さん:2010/12/15(水) 22:07:24
>>123
そりゃ見廻組が近江屋の周囲でスタンバってたもの。
龍馬ときたら近江屋に来た仲間に二階の窓から「上がってこいよ〜!」
と呼びかけて近江屋店主の新助にまで怒られる無防備マンだったからなw
130日本@名無史さん:2010/12/15(水) 22:20:16
>>119
会津のアホ共、
容保が龍馬暗殺の黒幕だと公になったら
今度は今まで薩摩叩きの材料に持ち上げてた龍馬を叩き出すだろうぜw

負け組東北人にとって松平容保は幕府に忠義を尽くした(大嘘だがw)悲劇の象徴だからなw
清廉潔白でいてくれないと都合が悪いんだろうが、
龍馬暗殺ネタを洗うことで単に自分らの立場をなくして暴走しただけだと判明したよ。
容保は慶喜の決心に逆らって事を荒立てた愚か者。
131日本@名無史さん:2010/12/15(水) 22:49:20
>>127
奉行所がよその藩主に暗殺依頼かあw
うんうん
わかった、わかったからその面々が怪しいと示した史料持ってきてみ?
132日本@名無史さん:2010/12/15(水) 23:13:24
悪いのはすべて会津
会津若松市民は全員切腹して詫びろや(笑)
133日本@名無史さん:2010/12/15(水) 23:51:28
いみふ
134日本@名無史さん:2010/12/15(水) 23:53:05
会津も龍馬みたいに容保を美化するだけなら別に罪はないのさ。
自分らの所の犯罪をよそになすりつけたり、自分らを美化したいばっかりに
よそをこき下ろすから批判されてるわけだ。
135日本@名無史さん:2010/12/16(木) 00:06:18
高知の松岡司も容保が黒幕だろうと指摘してたなあ。
ただ高知は変なコンプレックスがないせいか松岡氏の龍馬本では
むしろ美化ポイントを史料から否定していたけどねw
136日本@名無史さん:2010/12/16(木) 00:10:58
竜馬暗殺の黒幕は、千葉周作。
娘をいいようにもてあそばれて、黙っていられるほどお人よしの父親などいない。
137日本@名無史さん:2010/12/16(木) 01:49:43
当たり前かもだけど佐幕派寄り作家は薩摩黒幕説大好きだよね。
そんなに会津だの新撰組だのが好きなら見廻組も詳しく調べてあげたらいいのに。
138日本@名無史さん:2010/12/16(木) 02:35:43
戸を開けさせた女は誰?
139日本@名無史さん:2010/12/16(木) 09:10:30
俺のひいばあちゃん
140日本@名無史さん:2010/12/16(木) 11:08:11
井沢元彦はなんと言ってるんだ?!
141容2Yo!:2010/12/16(木) 11:15:38
実行犯は、京都見廻組≒会津藩
黒幕は、土佐藩
某諸侯は、松平容保と山内容堂
だって
142日本@名無史さん:2010/12/16(木) 11:39:29
山内容堂説はないよ

徳川慶喜の公儀・諸侯政権への移行へ好意的で、土佐藩の状況を知っている者が、
坂本竜馬を殺すとは考えがたい。

土佐藩要人暗殺があった時点で証拠はなくとも新撰組ら一会桑のせいになり、提携など不可能になる。
だから新撰組も三条辻の土佐藩士の狼藉へ何も出来なかった。

坂本竜馬を殺す動機のあるのは、一会桑の中で諸侯と折り合いの悪い、
徳川慶喜が諸侯側に擦り寄ったとき叩き出される、それゆえに大政奉還に大反対した会津と桑名ということになる。
143日本@名無史さん:2010/12/16(木) 19:21:22
清河暗殺の命令も諸説あるんだよな〜某老中とか、まさしく手代木「兄貴」とかさ

後者ならともかく、前者だと命令系統は「別」にあっても不思議ではないと思うがねぇ
(故に、後日勝あたりは榎本某の差配云々と云うてた等々)
144日本@名無史さん:2010/12/16(木) 21:52:45
近江屋事件以降に物事が優位に動いた人物こそ黒幕
145日本@名無史さん:2010/12/16(木) 22:06:51
そんなに推理小説みたいな単純な話ではない。
146日本@名無史さん:2010/12/16(木) 22:57:15
>>136
いま、定吉さんが刀を抜いて
出て行ったよ。
目が血走ってた。
147日本@名無史さん:2010/12/17(金) 22:31:02
ここに真相が書いてあって納得した
ttp://ansaikuropedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E9%A6%AC
148日本@名無史さん:2010/12/17(金) 22:37:34
つまんね
149日本@名無史さん:2010/12/17(金) 23:19:58
暗殺対象にいた人物は坂本龍馬以外にも多数いたし、坂本は暗殺されたから有名になったんだよ。
150日本@名無史さん:2010/12/17(金) 23:27:37
豊臣秀吉による刀狩りに続く、第二の刀狩りですね。
しかし、警察官や軍人は特権階級として残った。
151日本@名無史さん:2010/12/18(土) 16:01:02
>>142
>土佐藩要人暗殺があった時点で

土佐藩要人なのに土佐藩邸に入れてもらえないておかしいじゃん
脱藩の罪は許されたけど藩籍に復帰はしてもらえなかったんじゃね
遺体も土佐は引き取らなかったじゃん
土佐藩には龍馬は後藤象二郎のパシリじゃね

>徳川慶喜の公儀・諸侯政権への移行へ好意的で、土佐藩の状況を知っている者が、
坂本竜馬を殺すとは考えがたい。

山内容堂は大政奉還は後藤象二郎の案だと考えてたじゃん
龍馬、中岡は過激武装討幕派と考えられたんじゃね
容堂は武装討幕に反対じゃん
152日本@名無史さん:2010/12/18(土) 16:11:44
>>102
>定敬は容保の実弟で幕権回復論を唱える桑名藩主だから共謀していても不自然ではない。

会津、桑名、紀州、幕臣などは大政再委任を要求したから
紀州、幕臣も共謀していても不自然ではなくね?
153日本@名無史さん:2010/12/18(土) 17:18:02
京都見廻組の全権は佐々木只三郎にあったと京都見廻役の小笠原弥八郎が
証言したじゃん
松平容保の命令はなかったんじゃね

京都守護職御預かりの新選組を動かす権限は松平容保にあったけど
新撰組による伊藤甲子太郎暗殺の黒幕も松平容保になるの?
違うんじゃね?
154日本@名無史さん:2010/12/18(土) 19:20:28
>新撰組による伊藤甲子太郎暗殺の黒幕も松平容保になるの?

いいとこつくね。
手代木・佐々木の発意・執行、責任はお殿様か。
155日本@名無史さん:2010/12/19(日) 16:36:23
伊東は違くね?
新撰組は内輪で権力争いばっかりしてたからな。
156日本@名無史さん:2010/12/19(日) 22:20:39
容堂なら後藤と板垣の人事をどうにでもすればいい
だいたい龍馬はブレーン兼仲介役で藩を動かす権限はない
157日本@名無史さん:2010/12/20(月) 00:57:20
>>153
佐々木はそれほどの大物であったか
渡辺とか今井みたいな小物でなく、佐々木の史料が欲しいな
158日本@名無史さん:2010/12/20(月) 01:16:33
佐々木は与頭で全権てほどじゃなかった気がするが

>>157
佐々木只三郎はほとんど史料ないんだコレが
「佐々木只三郎伝」読んだ限り家族宛ての手紙すら残ってないっぽい
159日本@名無史さん:2010/12/20(月) 06:14:33
お前らは金と名誉にしか目がいかない現代人だから
利益のある奴や損した奴ばかり疑うんだろうな
たぶん薩摩や長州なんかの初期の政府の役人からもうらまれてそうだけどな
しょうがなく明治維新に協力したけど
ほんとうは封建社会に未練があるタイプとか
160日本@名無史さん:2010/12/20(月) 07:57:32
>>159
それは久光と容堂のことか?
161日本@名無史さん:2010/12/20(月) 21:03:19
>>158
見廻役は名誉職みたいなお飾りトップで
実質的には佐々木以下の与頭ーズ(現場の指揮官)がきりまわしていた。

・・・と、明治になってから小笠原弥八郎が能書き垂れた。
162日本@名無史さん:2010/12/20(月) 21:46:39
>>161
佐々木と手代木は実の兄弟だしなあ…
指令ルートを考えたら容保には都合が良かっただろう
163日本@名無史さん:2010/12/22(水) 20:48:12
加治将一の「あやつられた龍馬」を鵜呑みにしてるアホがぼちぼちいてウケる
フリーメイソンがどうたらとかw
まあ書店に堂々と置いてあったら信じちゃうモンなのかねえ
164日本@名無史さん:2010/12/23(木) 17:34:12
龍馬を殺すなんて
容保って悪い奴なんだね!
165日本@名無史さん:2010/12/23(木) 17:48:20
大久保利通も伊藤博文も刺客の手によって殺害されているし、
大正時代にも板垣退助が、昭和に入っても犬養毅が暗殺されている。
時代の流れを止めたいと思うものはいつの時代にもいるものです。
しかし、もともと一人の力で時代を変えたわけではないし、
無意味な殺傷だったことは言うまでもありません。
166日本@名無史さん:2010/12/23(木) 21:14:53
>>165
板垣は死んでなくね?
167日本@名無史さん:2010/12/23(木) 21:56:15
>>166
板垣死すとも自由は死せずと言いながら絶命したのかと思った。
後藤象二郎が駆け寄って、「傷は浅いぞしっかりしろ!」とか言って抱き起こして・・
そういう人は多くないか?
168日本@名無史さん:2010/12/23(木) 22:14:49
>>167
刺されても死ななかったところまで授業で習ったがな。
太刀を受ける護身武術が役に立ったらしい。
169日本@名無史さん:2010/12/23(木) 22:54:37
伝説先歩きの典型
170日本@名無史さん:2010/12/24(金) 00:38:15
>>167
なんで後藤がそこにいるんだよww
自由党の演説会で、民権運動反対派の犯行。
「板垣死せども自由は死せず」は後で宣伝のためにでっち上げた逸話で、実際には特になにも言っていない。
171日本@名無史さん:2010/12/24(金) 01:06:22
>>170
いや、当時敵対関係だった政府側の記録に板垣のその発言が載っていたらしい
172日本@名無史さん:2010/12/24(金) 01:23:41
みんな元気にしちゅうかや、
わしは元気に紅白でちゃるきに、見いや!
173日本@名無史さん:2010/12/24(金) 04:03:01
我死するとも自由は死せんと本人が言ったのが
板垣死すとも自由は死せずと広まった
174日本@名無史さん:2010/12/24(金) 15:23:17
板垣が死ななかったから自由が死んだのです
175日本@名無史さん:2010/12/24(金) 18:25:47
容保なんて板垣に討ち取られるか切腹してれば良かったのに
速攻で宮司やめて華族として悠々と暮らしやがって
176日本@名無史さん:2010/12/24(金) 22:59:28
病気がちな人だよ容保
177日本@名無史さん:2010/12/24(金) 23:08:14
京都守護職という天皇親衛隊から、いきなり朝敵No.1にされたら
178日本@名無史さん:2010/12/24(金) 23:56:15
メリークリ●●ス
龍馬と黒幕たち
179日本@名無史さん:2010/12/25(土) 10:36:39
>>176
京都守護職をやめようと思って仮病じゃね?
京都にいる間はよく寝込んだりしてるのに、戊辰戦争以降は元気いっぱいじゃん
180日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:04:12
メリーク●トリス?
181後藤実基:2010/12/25(土) 11:09:41
黒幕はサンタ
空中でサンタの進路を妨害したから
182日本@名無史さん:2010/12/25(土) 12:22:14
プレゼントは下駄と鞘?
183日本@名無史さん:2010/12/25(土) 12:45:53
>>174
板垣退助は地元の農民にまで見捨てられる会津藩士を見て、上下層の乖離している
恐ろしさに気づき、それが自由民権運動へのきっかけの一つになったと述べているがw

戊辰戦争で板垣が旧幕府軍側の遺体を改めたら刺青入れたヤクザもんが多勢いて
「武士がヤクザに殺されたんじゃ割に合わねえよ」と嘆いたそうだ。
幕府の旗本は腰抜け揃いだったからなあ。
184日本@名無史さん:2010/12/25(土) 14:50:46
>>183
そんなん言ったら、長州諸隊の穢多非人に殺される旧幕軍の方がひどいじゃん。
…って、江戸時代のヤクザは戸籍がない無宿人だから、社会階層的には被差別階級だっけ?
185頓馬な学者の妄説信者へ:2010/12/25(土) 16:37:50
 関暁夫著都市伝説3はメーソンの秘密を小出しにして、又洗脳する為の悪書
メーソンは代々キリストの末裔を匿って来た組織で、カトリック教会は反メー
ソンである。嘘 キリストを磔にしたのがメーソンであり、カトリックのロー
マ法王はメーソンにすり替わった。
 ケネディは宇宙人と米国の密約(米国は宇宙人からUFO等のハイテクノロジ
ーを教えて貰う代わりに、人の生贄を差し出す)を公表しようとした為に暗殺
された。嘘 ケネディはベトナム戦争を終結し、メーソンからドル印刷の権利
を奪おうとした為に暗殺された。
 テスラコイルの高周波振動によって人工的に地震を起こす兵器・ハープが地
震を起こし、エイズ、鳥インフルエンザウイルスは遺伝子技術によって作られ
たウイルス兵器である。嘘 ハープでは地震は起きない。遺伝子技術では新た
なウイルスは作れない。大腸菌に赤痢菌の毒素を作らせる事は可能。アフリカ
、アジアでエイズ等を流行させたのはワクチン接種による人類削減計画。
 坂本龍馬の写真は本人ではなくて影武者の写真。殺されたのは影武者で、本
人は生き延びて岩倉具視が匿い、海外へ渡った。彼はメーソンの操り人形で、
徳川家茂暗殺等の陰謀に加担した。嘘 外国の侵略を防いだ英雄を悪者に貶め
て、日本人の希望を奪う策略。
 世界中が底の見えない不況に落ち込んでいる。不況の後に戦争が起こる。米
国と中国が覇権を争って世界大戦となる。嘘 メーソンの悪の仕組みは破綻す
る。その前に世界を不況に陥れて世界大戦を引き起こす。メーソンは地底人の
UFO等のハイテクノロジーによって勝利する。悪事を全て宇宙人のせいにし
て、世界を支配する。その最大の敵が日本であり、世界中の軍隊を引き連れて
、日本を滅ぼす。
 グーグルアースは世界の軍事施設を監視する為。インターネットはキーワー
ドを踏んだ人をマークして、監視する。補足 防犯カメラ、携帯電話、ポイン
トカード等全てが監視している。それによって悪魔の洗脳が成功している者だ
けしか生き残れない社会制度となって、大悪魔(メーソン)が君臨するのである。
186龍馬暗殺の真犯人は勝海舟と土佐藩士、黒幕は岩倉具視:2010/12/25(土) 17:04:31
 もし、龍馬がいなくて、薩長同盟、大政奉還が実現出来なければ、幕府は外
国の砲撃威嚇で怯えて言いなりとなって国益を奪われて、欧米の奴隷になって
いた。
 井口家アルバムのお竜写真と井桜直美氏所蔵写真は顔の輪郭、髪型等が一致
していて同一写真であるが、前者は後者の写真を基にして、目を三白眼にし、
鼻の穴を大きくし、唇を厚くして改竄している。これは晩年のおりょう写真に
似せる為の偽装である。しかし、晩年の写真と耳の形が違い、眉毛があり、着
物の着付けが芸者風である。井桜直美所蔵写真は新橋芸者・土井辰である。
 同・高杉晋作写真はその原版をみると目の黒白が明瞭に分かり、耳の上縁が
眉毛と同じ高さであるが、眼の中を黒く塗り潰し、耳の上縁を髪に見せて隠し、
顔の陰影を白く塗って顔の骨格を改竄している。これは別人を晋作に偽装して
いるのを誤魔化す為である。
 龍馬と慎太郎の墓碑の没年は11月16日であるが、暗殺日は15日になっている。
この謎を明かす。 龍馬は土佐藩邸で15日に、慎太郎は近江屋で16日に暗殺さ
れた。龍馬の遺骸は近江屋へ運ばれた。犯行現場の鞘とこなくその伊予の方言
は新撰組の原田を犯人に仕立てる為。龍馬を監視していたのが岡本健三郎だ。
彼はその功績で警吏から大蔵大丞に出世した。勝海舟は龍馬の影武者役を務め、
脇差に見せた鉄砲(単発、元込め式)で龍馬、慎太郎を狙撃した。その証拠が座
位肖像の袖の二つの焦げ穴である。左手を土台にして銃を構えた為である。
 大政奉還は龍馬でしか実現出来ない難事業であった。大政奉還後の諸侯盟主
を慶喜にする条件で釣り、実現出来ねば倒幕の勅が出ると脅して大目付・永井
尚志を説得した。永井が龍馬を捕縛すれば命はないのである。正に命を捨てて
かかったのである。龍馬は薩長同盟を結ばせた為に寺田屋事件で殺されそうに
なり、大政奉還を実現した為に暗殺された。それによって不利益を被ったのは
英メーソンと猶太屋岩倉である。
 龍馬はお尋ね者で写真に写る訳がないし、家紋付の着物を作る理由がない。
海援隊集合写真に土佐藩士の溝淵広之丞が写っているのは腑に落ちない。これ
は暗殺後に撮られた犯人達の写真で、偽の龍馬と海援隊として写したのだ。後
世の人を騙す為に。
187日本@名無史さん:2010/12/25(土) 19:29:48
坂本龍馬が慶応三年十一月十五日に、京都河原町蛸薬師の醤油屋方に於て幕府の壮士の刺殺されたることは史乗に詳なる所なるも、
其の下手人の何者たるは今に及ぶまで明かならず。手代木翁死に先たつこと数日、人に語りて曰く
「坂本を殺したるは実弟只三郎なり、
 当時坂本は薩長の連合を謀り、又土佐の藩論を覆して討幕に一致せしめたるを以て、深く幕府の嫌忌を買ひたり、
 此時只三郎見廻組頭として在京せしが、某諸侯の命を受け、壮士二人を率ゐ、蛸薬師なる坂本の隠家を襲ひ之を斬殺したり」と。
蓋し某諸侯とは所司代桑名候を指したるなり。桑名候は会津候の実弟なりしを以て、手代木氏は之が累を及ぼすを憚り、
終生此事を口にせざりしならん。前年静岡県の今井信郎なる人坂本を殺したるは自分なりとて、史談会に於て其の顚を叙し、
彼は佐々木只三郎に坂本殺害の相談を受け、同人及び渡辺吉太郎なる人と同行したりといへり。是れ正に手代木翁の言に符号せり。
余輩は手代木翁の人格を信じて、其の事の真実なるを疑はず。

 『手代木直右衛門伝』
188日本@名無史さん:2010/12/25(土) 19:40:28
なほ、君(佐々木只三郎)の兄手代木直右衛門が明治三十六年逝去するとき、その死に先だつ數日前に、
ある人に坂本龍馬を殺したものは實弟只三郎であり、それは某諸侯であることを始めて語つたといふ。(大泉前掲傳)
某諸侯といふのは、のちに見廻組の屬した京都守護職松平容保即ち手代木の藩主を指すのであるが、
この事實を公にすると、累を藩主に及ぼす恐れがあるので、直右衛門はずつと後代まで沈默を守ってゐたのである。

 『佐々木只三郎伝』
189日本@名無史さん:2010/12/25(土) 20:14:04
>>183
これかw
(略)
初め予の今市に於て幕府の脱走兵と戰ふや、敵の死者を検するに多くは文身せる博徒、破落戸の徒にして、
爲めに予は之を我軍の戰死者たる士族の子弟に比して、得る所失ふ所を償はざるの感あり。
後ち母成峠の險を突破して直ちに兵を會津城下に進め、一擧にして之を屠らんとするに方り、予は思へらく會津は天下屈指の雄藩なるが故に、
我が寡兵を以て之に肉薄するは甚だ無謀の擧たるを免れず、然れども暖國の兵を以て寒國を攻む、若し一たび嚴冬の襲ふ所とならば、
士氣爲めに阻喪せん、如かず會津城を以て埋骨の地と爲すの決心を以て、急に攻めて之を抜かんにはと。

即ち驀進すれば、料らざりき、其籠城せるものはただ其士族の階級のみにして、一般人民は之と風馬牛相關せざるの状あり。
既にして城陥り藩主松平氏の降伏して寺院に退き罪を待つや、一人の農夫あり、自作の甘藷を齎らし來りて之を舊主に獻ぜんと乞ひ、
執達を番兵に求めたりとて、藩中の諸士之を予に傳えて一美談と爲せり。
然るに予は是等の事實を目賭耳聞して、國家の前途に關し頗る感慨に堪へざるものあり、
直ちに感想を陣中の諸士に語りて曰く、會津は天下屈指の雄藩也、若し上下心を一にし、戮力以て藩國に盡さば、
僅かに五千未満の我官兵、豈容易に之を降すを得んや。而も斯の如く庶民難を避けて負荷逃散し、毫も累世の君恩に酬ゆるの慨なく、
其滅亡を眼前に見て風馬牛の感をなす所以のものは果して何の故そ。今僅に一農夫の甘藷を獻ずるが如きは、特に言ふに足らざる也。
若し彼等にして眞に國恩を思はば、啻に一人の物を獻ずるに止まらず、闔國の民宜しく生命を犠牲と爲して其國を死守すべきのみ。
190日本@名無史さん:2010/12/25(土) 20:17:10
然るに斯の如く一般人民に愛國心なき所以のものは、畢竟上下離隔し、士族の階級が其樂を獨占して、
平素に在て人民と之を分たざりし結果に外ならず。夫れ樂を共にせざる者は亦た其憂を共にする能はざるは、
理の當に然る所、天下の雄藩たる會津にして既に然り、況や他の弱藩に於てをや。我邦にして若し一朝外國と事を構ふるあらば、
其結果知るべきのみ、今や封建の勢既に蹙まり、時局是より一新せんとす。
此時に方り我邦にして苟くも東海の表に屹立し、富國強兵の實を擧げんと欲せば、須らく上下一和、衆庶と苦樂を同ふするの精神を以て、
士の常職を解き、其世禄を廢し、階級の制度を撤去して、國民皆兵を實行したりき。

之を要するに戊辰戰爭は我國民に國家の統一と主權の確立を教へ、兵力上の弱點を指摘して國民皆兵主義の自覺を惹起せしめたり。
本史を讀むの士若しこの綱領、眼目を捕捉し、而して彼我の情偽と用兵策戰の如何を研究せば、蓋し誤らざるに近からんか。
(略)
大正五年十二月  板垣退助 識

「會津戊辰戰爭」序文 

農民から藩主に芋一個でこの美談バイアスのかけっぷり、
そりゃ板垣もドン引きだわ
会津に武士の誇りは無いのかと問い詰めたい
191日本@名無史さん:2010/12/26(日) 00:26:12
幕末から明治における日本暗殺史においては中の下くらいの人物だな。
192日本@名無史さん:2010/12/26(日) 09:39:17
身分がか?

暗殺時点では最重要人物だろ。
明治まで引っ張って、大久保や伊藤と比較するのはアンフェア。
193日本@名無史さん:2010/12/26(日) 10:06:39
幕末限定だと、「最上位 井伊直弼」として其の次ぐらいじゃないかね?
島津斉彬とか孝明天皇を暗殺だったとすると、その上に来るけど。
194日本@名無史さん:2010/12/26(日) 10:19:53
島津斉彬  井伊直弼  孝明天皇  坂本龍馬

よか並びで満足たいw
195日本@名無史さん:2010/12/26(日) 11:20:51
よく勘違いされてるけど龍馬は何か権限がある人物じゃないのね。
藩や朝廷や幕府を背負った人とは土俵が違う。
あくまでも異なる勢力を結び付ける仲介者、周旋役として有能だったわけ。
196日本@名無史さん:2010/12/26(日) 11:40:09
だから?
197日本@名無史さん:2010/12/26(日) 11:59:32
だから、邪魔になったらさっさと消されたのです。
所詮、使い走り。間諜者。消したのも同じ間諜者の影のリーダー。
198日本@名無史さん:2010/12/26(日) 12:03:16
つまり松平容保が反幕の陰のリーダーだった。
歴史的にも徳川慶喜の足を引っ張って迷惑を掛けていたし、案外正しいのかも。
199日本@名無史さん:2010/12/26(日) 12:22:51
>>196-197
だからクーデター工作真っ只中の薩摩黒幕説なんかは成立しねーのw
土佐藩の運動面での代表者は後藤象二郎。
後藤が西郷に問い詰められ土佐から出兵出来そうにないのが分かると
もうお前はアテにしねーよ置いてくからと言われているw
龍馬は佐幕派にとって厄介な存在だが倒幕派には重宝されこそすれ障害には成り得ないって事だ。
200龍馬暗殺の真犯人は勝海舟と土佐藩士、黒幕は岩倉具視:2010/12/26(日) 13:42:53
 もし、龍馬がいなくて、薩長同盟、大政奉還が実現出来なければ、幕府は外
国の砲撃威嚇で怯えて言いなりとなって国益を奪われて、欧米の奴隷になって
いた。
 井口家アルバムのお竜写真と井桜直美氏所蔵写真は顔の輪郭、髪型等が一致
していて同一写真であるが、前者は後者の写真を基にして、目を三白眼にし、
鼻の穴を大きくし、唇を厚くして改竄している。これは晩年のおりょう写真に
似せる為の偽装である。しかし、晩年の写真と耳の形が違い、眉毛があり、着
物の着付けが芸者風である。井桜直美所蔵写真は新橋芸者・土井辰である。
 同・高杉晋作写真はその原版をみると目の黒白が明瞭に分かり、耳の上縁が
眉毛と同じ高さであるが、眼の中を黒く塗り潰し、耳の上縁を髪に見せて隠し、
顔の陰影を白く塗って顔の骨格を改竄している。これは別人を晋作に偽装して
いるのを誤魔化す為である。
 龍馬と慎太郎の墓碑の没年は11月16日であるが、暗殺日は15日になっている。
この謎を明かす。 龍馬は土佐藩邸で15日に、慎太郎は近江屋で16日に暗殺さ
れた。龍馬の遺骸は近江屋へ運ばれた。犯行現場の鞘とこなくその伊予の方言
は新撰組の原田を犯人に仕立てる為。龍馬を監視していたのが岡本健三郎だ。
彼はその功績で警吏から大蔵大丞に出世した。勝海舟は龍馬の影武者役を務め、
脇差に見せた鉄砲(単発、元込め式)で龍馬、慎太郎を狙撃した。その証拠が座
位肖像の袖の二つの焦げ穴である。左手を土台にして銃を構えた為である。
 大政奉還は龍馬でしか実現出来ない難事業であった。大政奉還後の諸侯盟主
を慶喜にする条件で釣り、実現出来ねば倒幕の勅が出ると脅して大目付・永井
尚志を説得した。永井が龍馬を捕縛すれば命はないのである。正に命を捨てて
かかったのである。龍馬は薩長同盟を結ばせた為に寺田屋事件で殺されそうに
なり、大政奉還を実現した為に暗殺された。それによって不利益を被ったのは
英メーソンと猶太屋岩倉である。
 龍馬はお尋ね者で写真に写る訳がないし、家紋付の着物を作る理由がない。
海援隊集合写真に土佐藩士の溝淵広之丞が写っているのは腑に落ちない。これ
は暗殺後に撮られた犯人達の写真で、偽の龍馬と海援隊として写したのだ。後
世の人を騙す為に。

201日本@名無史さん:2010/12/26(日) 14:36:31
ん? ここは病人が妄想を書くとこ??
202日本@名無史さん:2010/12/26(日) 14:47:11
坂本龍馬が会津藩の手によって暗殺されたという状況証拠が溜まると、
誰かが妄想でスレ流しを企むのですよ。

逆効果だと思うのですけどね。
203日本@名無史さん:2010/12/26(日) 15:31:40
写真の修正なんか、今でも見合いの時にやっている。
それどころか、デジタル時代だから、遺影の写真でv( ̄Д ̄)v イエイとやっていてもいいのだ。
写真の改丁など何の証拠にもならない。
204日本@名無史さん:2010/12/26(日) 17:40:35
「あやつられた龍馬」っていう
実は龍馬はフリーメイソンに操られていたんだよ!明治維新は全部英国の陰謀なんだ!!
というミステリー作家のトンデモ本が書店にデカデカと置かれていましてですね、
鵜呑みにしちゃう人も何人かいるってわけだ。
立派な装丁の本だからって内容が正しい訳じゃないんだぞ^^
205日本@名無史さん:2010/12/26(日) 17:53:58
ノストラダムスの世界だなw
それにしてもあれは何だったのか・・
206日本@名無史さん:2010/12/26(日) 17:57:25
MMRとか大好きだった人が買うんだろーな
207日本@名無史さん:2010/12/26(日) 18:25:46
2012年がマヤ暦の最後。
古代マヤ文明の暦は正確ですから、
今度こそ大丈夫です。
208日本@名無史さん:2010/12/26(日) 18:37:28
そこでマヤ暦の一区切りがつくってだけの話と聞いたがw
209日本@名無史さん:2010/12/26(日) 21:58:37
そのたびに人類は滅ぶという話ではないのか?
210日本@名無史さん:2010/12/26(日) 23:46:02
まあ確かに滅びそうだな。
色々キナ臭くなってきたし。
211日本@名無史さん:2010/12/27(月) 02:28:34
龍馬でなくとも誰かがやれた通信役であろうか龍馬でなければ出来なかった通信役なのだろうか。
212日本@名無史さん:2010/12/27(月) 10:35:14
龍馬の顔の広さは異常
まああちこち無節操に顔突っ込みまくった結果なんですが
213頓馬な学者の妄説信者へ:2010/12/27(月) 16:22:01
 法隆寺は聖徳太子の怨霊封じの結界所、大化の改新が暗殺劇の脚本である。
 法隆寺の結界施設の再建には全国から腕の立つ大工が集められた。その中に
鳶の弥八と烏の宣太がいた。弥八は五重塔建立覚書と言う日記を残していた。
ある日、職人が帰った後の五重塔の階下の部屋で、藤原家の幹部が車座になっ
てとんでもない密談を始めた。何があってもこの敷地からご神体である救世観
音像の気が流出せぬ様中門は中央に柱を立て、これを結界とした事。なぜなら
ば、ご神体の頭部に聖徳太子の計り知れない程深い霊験を封じ込める事が出来
たからだ。事があった場合は兵を挙げて東西と北から攻め上げ、中門に追い詰
めて処置する手はずを取る事。又太子が民衆の精神意識を高める為に編纂させ
た学問書・旧事本紀は一般に広まると民衆を大変管理し辛くなるので、建立に
紛れてここに幽閉する事。その方法は五重塔の舎利器の中に全72巻の内48巻を、
残りを救世観音像の体内に納め、決して世に出ない様に封印する事。
 実は法隆寺の再建は藤原氏の隠蔽装置の設営作業だったのだ。太子が民衆の
為に命を投げ出して編纂した叡智を藤原氏の都合により祟りとして閉じ込める
事に大いに義憤を感じた弥八は、書物をこっそり持ち出そうとした。五重塔の
舎利器から抜き出し、観音像は経文が書かれた麻布に巻かれていたが、剥ぎ取
ってから抜き出してまた巻き戻した。すると、太子の霊験は太子の遺志を救お
うとした弥八の精神に鋭く反応して、一種の強い怒りとなって抜け出し、夜と
はいえ、太陽が地上に降りた様な明るさの中で、強烈な地響きと同時に濛々と
した白煙を残して1本の閃光が途轍もない勢いで天空目指して飛び去った。弥八
は恐ろしくなって書物を戻そうと考えていた。その後近所の屋根を修理してい
る時に誤って墜落して不慮死した。書物の行方はそれっきり判らなくなった。
 聖徳太子は大化の改新時の蘇我入鹿として暗殺された。犯人は中大兄皇子(百
済の豊璋王子)と藤原鎌足(新羅の武烈王)である。その後、太子の子・高市皇
子と孫・長屋親王は藤原不比等によって殺された。その祟りで藤原四兄弟は天
然痘で斃れた。藤原氏は朝鮮人でユダヤ人でもある。
214日本@名無史さん:2010/12/27(月) 17:45:45
>>213

「俺のチンコ小さいんだ!」
まで読んだ
215日本@名無史さん:2010/12/27(月) 19:05:37
>>211
その通信役のリーダー格が龍馬と慎太郎だし
216日本@名無史さん:2010/12/27(月) 22:01:49
薩摩黒幕説をこねくり回してるのは東北出身か佐幕派寄りの奴らばかり。
そうだよなー見廻組の背後の会津藩の事情を追究されると都合が悪いもんなーw
217日本@名無史さん:2010/12/27(月) 22:48:01
自分は西国雄藩w出身だが、お前のその東北差別意識は
どのように醸成されたわけ?
218日本@名無史さん:2010/12/27(月) 22:58:53
>>217
差別してるのは願望と先入観を根拠に自慰史観を吹聴して回る作家・自称歴史研究家であって
東北民じゃねーよw
だいたい一般人は歴史にさほど興味がない。
219日本@名無史さん:2010/12/27(月) 23:09:34
西国雄藩って今だにあるんだww
220日本@名無史さん:2010/12/27(月) 23:42:37
幕末史は複雑で研究者も自分の専門外にはあまり詳しくないもんだからさあ
あたかも暗殺犯に諸説紛々な状態になるんだろうね。
221日本@名無史さん:2010/12/27(月) 23:48:23
龍馬が人気ありすぎて自分の贔屓する陣営の仕業だと思われたくなくて必死なだけだろ
専門外だからよく知らなくて言っちゃいましたってだけでは無理のある珍説はそういうパターンじゃね?
222日本@名無史さん:2010/12/28(火) 00:12:59
龍馬と中岡を殺したのは実は藤吉なんやで
中岡のお稚児さんだった藤吉は中岡と龍馬の仲睦ましい姿に嫉妬し
とうとうあの晩にキレてもうたんや・・・
ああ見えて藤吉は剣の達人でな、龍馬も一目置く存在やってん
龍馬を殺すまではよかったんやが、中岡は愛故に止めを刺しきれなかったんやろな。中岡も
まさかお稚児さんにヤラレたなんて口が裂けてもいえないわな
これが真相や
223日本@名無史さん:2010/12/28(火) 00:14:47
>>219
語彙が少ないやつだな…
「西南」じゃなきゃダメなのか???
224日本@名無史さん:2010/12/28(火) 00:17:28
>>223
いやそこじゃなくてw
225日本@名無史さん:2010/12/28(火) 00:19:21
>>219
w ってついてるじゃん
226日本@名無史さん:2010/12/28(火) 02:18:36
>>222
藤吉は護衛の相撲取りで
中岡の付き人の少年は峰吉じゃなかったか?w
227日本@名無史さん:2010/12/28(火) 06:31:41
>>226
ヒント:デブ専
228日本@名無史さん:2010/12/28(火) 06:51:56
京都霊山歴史館の学芸員さんまで西郷が今井の減刑に奔走したなんて、原史料の出典もあげずに書いてやんの
西郷は函館降伏人たち全体の減刑を主張したに過ぎないんじゃないのか

理由は新政府小役人として使えるスキル持ってる奴は後で使おうかという意図で

229日本@名無史さん:2010/12/29(水) 11:04:51
>228
霊山歴史館の木村幸比古か?
まあ彼も薩摩黒幕説は不自然だって事で
龍馬暗殺検証本の半分位は見廻組の記述にページを割いてるけどな。
230日本@名無史さん:2010/12/29(水) 16:27:09
TV東京(大阪) PM6;30〜PM9;54

超歴史ロマンSP!!

▽龍馬暗殺に新事実!? 想像超えた黒幕正体と殺された本当の理由▽
231日本@名無史さん:2010/12/29(水) 17:35:20
龍馬暗殺ネタを引っ張る歴史家はド三流
ちぃ覚えた
232日本@名無史さん:2010/12/29(水) 17:38:34
NHK総合 PM9:00〜PM11:00

龍馬伝 総集編  !!よよよ ろろろ ししし くくく!!
233日本@名無史さん:2010/12/30(木) 01:13:57
テレ東は海舟黒幕説だったね、新官制擬定書に自分の名が無かったのと
○○○に慶喜公が入ってた事への裏切り
海舟は幕臣で有りながら徳川家排除方針との路線の違い感から説だったね。
234日本@名無史さん:2010/12/30(木) 02:06:05
憎たらしいからぶっ殺す
235日本@名無史さん:2010/12/30(木) 10:02:13
>○○○に慶喜公が入ってた事

薩長(西郷大久保木戸)はこの事をどう思ってたんだろう?

236頓馬な学者の妄説信者へ:2010/12/30(木) 10:31:27
 義民佐倉宗吾(木内惣五郎)伝
 承応三年(1654)下総印旛郡佐倉藩の藩主堀田上野介正信は領内の農民に
対し過酷な年貢を課した。その為農民たちの困窮はいっそうひどくなり、餓死
したり、娘を身売りする者も出て来た。村々の名主達は少しでも年貢の軽減を
して貰いたいと考え、代官に賄賂を贈ったりしたが、効果はなかった。名主達
は江戸に出て堀田家に嘆願したけれども聞き届けられなかった。公津村の名主
惣五郎は老中の中でも最も信用出来そうな久世大和守に駕籠訴して見てはどう
かと提案した。久世大和守が屋敷から駕籠に乗って出て来る所に進み出て、惣
五郎が願書を捧げた。一応受け取ってくれたが、数日後に呼び出しがあり、願
書は下げ戻しとなった。このままでは帰れないので、名主達は四代将軍家綱に
直訴しようと言うことに一決した。12月20日に将軍家綱が上野寛永寺に参拝す
ると言う情報をつかんだ。下谷広小路黒門前の三枚橋の下に身を潜めて時を待
ち、将軍の駕籠の列が近づいて来たので惣五郎は橋の上に飛び出し、竹の先に
訴状を挟んで差し出した。この罪により、惣五郎夫妻は磔と決まった。惣五郎
の子の男子3人と女子(男装にされて)1人が先に打ち首にされ、惣五郎と妻は磔
で処刑された。惣五郎は自分たち夫婦は困っている農民の為に命を捨てている
ので覚悟は出来ているが、幼い子供だけは許して欲しいと嘆願したが、ついに
許されなかった。その後、堀田上野介正信の妻は懐胎していたが、難産で病死
し、正信は乱心して改易となった。人々は惣五郎の祟りだと噂する様になった。
 岐阜県の郡上一揆も義民たちが駕籠訴して打ち首にされた。郡上踊りは義民
たちを慰霊する為に始まった。先の太平洋戦争では神風特攻隊員が祖国のため
に身を投げ出した。我々日本人にはこのような立派な精神が受け継がれて来た
のである。GHQは日本人の大和魂を引き抜くために、神の存在を否定する科
学と西洋思想で洗脳し、金の亡者で我よしの人非人(慈悲心の欠如した)を作り
上げたのである。
 エイズ、狂牛病等不治の病が発生したり、地震等の天変地異が続発する様に
なったのは、神の裁きが間近に迫った徴である。このように科学が神力には敵
わない事を見せつけられても改心できないか。
237日本@名無史さん:2010/12/30(木) 15:01:18
>>229
今井の証言の変遷に惑わされず、実行犯を桂としている点は買える
238日本@名無史さん:2010/12/30(木) 17:10:23
>>235
木戸は慶喜を新政府に登用しようとしてたからどうだろ?
ただ少なくとも幕府を倒す倒さないの微妙な時期の話ではないから
龍馬空気嫁くらいは思ったかもな
239日本@名無史さん:2010/12/31(金) 00:26:03
>>233
今井と海舟は剣術道場時代の同士だったからヤバイ頼み事もし易かった
海舟や西郷は明治に入ってから今井に金銭的な援助もしてたらしいね
240日本@名無史さん:2010/12/31(金) 09:29:18
>>239
それどこからの情報
241日本@名無史さん:2010/12/31(金) 09:50:36
>>230
だろ。

直心影流の同門で、講武所でも旧知だった勝が今井に
上京・暗殺手伝いを依頼したと。
動機は龍馬の空気読まなさが邪魔だから?
242日本@名無史さん:2010/12/31(金) 12:35:17
見回組が犯人で松平容保の命令でやったのはほぼ確実だろう。
問題はなんでそのことを大っぴらに公表しなかったのかということ。
見回組からしたら公務で不逞浪人の大物を討ちとったわけで、こそこそ隠れる必要はないのでは?
新撰組に罪を着せる工作さえしてるし。

243日本@名無史さん:2010/12/31(金) 18:00:02
すべて会津が悪い
244日本@名無史さん:2010/12/31(金) 18:33:10
全てとはいわないが、坂本龍馬暗殺に関しては大部分は会津が悪い。
245日本@名無史さん:2010/12/31(金) 19:27:49
>>242
龍馬は殺人犯なんだから手討ちにして公表することに問題なし

藤吉と中岡(名前知らなかったろうな)を斬ったことが難だったのかな

だいたい、藤吉は体形から用心棒とわかったろうが、龍馬と中岡の区別が刺客にはついていなかった臭い

陸奥たちの紀州藩三浦への勘違い報復でも、三浦の顔がわからず?別人を斬って仕留めたと誤認して引き上げてる
246日本@名無史さん:2010/12/31(金) 22:00:45
会津はとことん馬鹿だなw
247日本@名無史さん:2011/01/01(土) 02:08:18
坂本の有名な変名も知っていての訪問ですから。
龍馬は変名を名乗っていても意味ないっていうか、隠れようとしていないし。
248日本@名無史さん:2011/01/01(土) 07:49:12
>>242
幕閣の永井から新選組に手を出すなって指示が出てるのを考えると、
記録がないだけで、実際には奉行所や見廻組にも「手出すな」って指示が出てたんじゃないかね?
直属の上司の暴走から出た命令だからオープンにしたくなかった、と。
249日本@名無史さん:2011/01/01(土) 11:03:40
>>248
おk
250大石鍬次郎:2011/01/01(土) 19:55:25
あけおめ!!ちなみに龍馬を殺ったの拙者でござる
251日本@名無史さん:2011/01/01(土) 23:56:14
>>250
大石はなー、新選組の悪いところを全部押し付けられてる感が非常に強いので、「大石の仕業」と言われてること全部に真実味がない
252日本@名無史さん:2011/01/02(日) 22:05:37
蓋を開けてみれば定説通りの犯人。あっけない動機に淡泊な背後・指揮関係って
ことになるんだろうけどな。
253日本@名無史さん:2011/01/03(月) 19:25:04
>>187
>当時坂本は薩長の連合を謀り、又土佐の藩論を覆して討幕に一致せしめたるを以て、深く幕府の嫌忌を買ひたり、

の説明で何も不自然な点はないじゃないか。
あと>>188『佐々木只三郎伝』では
龍馬が薩長同盟を後押しする(あの時点で同盟成立したのは龍馬の働きも大きい)

長州征伐失敗

幕府の統治能力の低下を露呈
な上に家茂は死ぬわ薩長同盟の軍事力を背景に圧力掛けてくるわで
幕府はもうボロボロだった時代背景が端的に説明されていた。

それを主に佐幕系作家があーでもないこーでもないと誤魔化してきただけ。
254日月地神学の伝道者:2011/01/04(火) 10:15:08
 太古、人間と神がお互いの意思を疎通出来た時代があった。人間は神から言
葉や文字を学び、神の世界や天地の理(ことわり)を知る事が出来たのである。
その遺産が神話、伝統、占星術等に残された。先代旧事本紀大成経はそれらの
集大成であり、聖徳太子が悟り得た叡智の結晶である。しかし、記された内容
が非常に難解である事と言葉の意味が昔と今では相違している為、益々理解し
難いものになっている。神の意思と同調させる為に心を無にして感性で読まな
くてはならない。
 初めの神の名を天の譲る日天の先霧 地の譲る月地の先霧皇尊と言う。つま
り、天から霧の様に太陽が生まれ、地からも霧の様に月が生まれた。日月を合
体した神である。日(火)月(水)が合体して地球(土)となる。だから、日月神示
は元神の言葉なのである。
 人間が病気になるのは、神の心に添わないと穢れて(神の霊気が枯れて)、そ
の隙を突いて悪霊が取り付く為である。古代人は、病気は悪魔の仕業であり、
神に対する罪の結果の罰であると認識していた。それを科学は神や悪霊の存在
を否定してウイルス等が原因であると洗脳しているのである。
 狂牛病は牛を共食いさせた罪による疫病である。牛肉を食う事は広い意味で
の共食いである。これは共食いしてはいけないと言う神の意思の表われである。
人間は悪業を行う事によって畜生道に落ちる(畜生に生まれ変わる)。豚の口蹄
疫は豚肉を食う事の戒めと表われている。鳥インフルエンザは鳥肉を食う事の
戒めである。
 その他のインフルエンザは戦死者の怨霊による疫病である。14世紀に流行し
たペストは十字軍の遠征によって戦死した者の怨霊による疫病である。梅毒は
姦淫の罪による、エイズは肛門性交の罪による、癌は肉食の罪による(動物の
怨霊が集合したもの)、らい病は近親相姦等の罪による病気である。天然痘は
牛鬼(牛頭天王)の祟り、コレラは虎鬼の祟り、結核は人鬼の祟りの病気である。
 科学では病気をウイルス等のせいにして、なぜ、その人だけが、その時だけ、
その病気に罹って亡くなったのかを説明出来ない。男が風俗で女遊びして淋病
に罹っても、妻にはうつらない。夫婦の交わりには影響がないのである。
255日月地神学の伝道者:2011/01/04(火) 10:47:36
 エマニュエル・スウェデンボルグの霊界物語
 不思議な経験が起きた。私が食事をとっていた部屋の床面いっぱいに蛇やガ
マガエルなど気味の悪い生物が突然湧いて出た。私はどうする事も出来ずに、
唯驚いていた。暫らくすると、この気味の悪い生物達は消え、そこには異様な
雰囲気を漂わせた人物が現れた。彼は「汝余り食を過ごすなかれ」と告げて、
消える様にいなくなった。翌日の夜、私が眠りに就こうとしたベッドの側に、
その人物が現れてこう告げた。「我、汝を死後の世界、霊の世界へ伴わん。汝
その世界で見聞きした処を世の人に伝えよ」
 霊が肉体と離脱する時には、目、耳、鼻と言った肉体的な感覚がなくなり、
霊としての視覚、聴覚、触覚は普通の時の百倍も鋭くなっている。私の霊は肉
体を離脱し、30mの所から、私の肉体がベッドに横たわっているのを見ていた。
人間の死後、始めて行く所が精霊界である。三途の川原と言われるものである。
そこから霊界に飛び立って行く。霊は人間と同じ様に目、鼻等の人体を備えて
いる。「我、霊界の太陽の事を汝に語らん。太陽は我ら霊にとっては神の如き
物にして、霊界の全ての基礎は太陽にあり、霊界は太陽によって存在するもの
なれば、これを詳しく語らん。全て生あるもの、生命の原始と連なる事によっ
て始めて生命あり、その生命継続し得るなり、霊界の霊全て太陽に連なりてそ
の永遠の生を受くるものなり」
 太陽のある方角が常に東と決まっており、これが霊界の方位の基準である。
霊界の太陽は東の空の、それも霊達の胸の高さにあって動かない太陽だ。しか
し、この太陽はいとも気楽に霊達の正面に向かって動くのである。丁度、霊の
体内の太陽が鏡に映って正面に映し出される様に。
 霊界では霊達は想念の交通と言う事を自由自在に行っている。どんなに遠く
離れていようが相手の思う事が判るのである。テレパシーと言われるものである。
 霊界には時間の概念がない。霊の生命は永遠であり、太陽も動かない。1本
の草花、一つの石でも太古から永遠の未来へ向かって不変の物として存在して
いる。霊達はどんな遠距離にも彼らの意思一つで一瞬にして行ってしまう事が
出来る。霊界が心の世界だからである。これでは空間の概念が生じない。
256日本@名無史さん:2011/01/04(火) 22:24:14
そんなに松平容保が暗殺犯だとばれるのがいやかねぇ
松平容保が犯人という証拠がかかれるたびに、くだらない長文で埋め立てに掛かるとは
257日本@名無史さん:2011/01/04(火) 23:20:01
星亮一先生は、龍馬暗殺が会津の犯行にされる風潮にお怒りの様子だ
http://www.mh-c.co.jp/img/gakusikai-001.pdf
http://www.mh-c.co.jp/img/gakusikai-002.pdf
http://www.mh-c.co.jp/img/gakusikai-003.pdf
http://www.mh-c.co.jp/img/gakusikai-004.pdf
http://www.mh-c.co.jp/img/gakusikai-005.pdf
>要約
>坂本龍馬は薩長同盟及び大政奉還を成し遂げた後、暗殺され、彼の新政府構想
>であった徳川慶喜を初代総理に迎える大名連合政権も歴史の闇に葬り去られた。
>通説では「龍馬暗殺の黒幕は会津」であるが、「倒幕派の薩摩藩が、徳川を温存
>させようとする龍馬の新政府構想を嫌って暗殺した」と推理。龍馬暗殺によって
>倒幕派が主導権を握り、慶喜と会津は賊軍にされて辛酸を舐めたが、歴史上つねに
>犠牲を強いられてきた東北が、今もドラマにおいて悪役にされる風潮に苦言を呈する。
258日本@名無史さん:2011/01/04(火) 23:32:03
つまり長文埋めも星亮一関係者か。

坂本龍馬暗殺犯は、早乙女貢や中村彰彦が感情的な文を書いて薩摩説を煽り、
史料では犯人は会津であるという形の報告が相次ぎ、中村あたりが逃げ出したという格好だが、
星亮一はネット工作員で史料を隠す気か。
259日本@名無史さん:2011/01/04(火) 23:34:19
いや竜馬は明治天皇になったでごわす。
260日本@名無史さん:2011/01/04(火) 23:39:07
また会津の自称他県人か
261日本@名無史さん:2011/01/05(水) 00:00:35
>>258
まあ邪推はおいとくとして
星も以前龍馬の本出してたっけな。

まったく佐幕びいきの奴ら龍馬暗殺犯の隠蔽工作する一方で
いけしゃあしゃあと龍馬で金儲けしようとしやがって。
ホンマ腹立つわ。
262日本@名無史さん:2011/01/05(水) 00:15:05
>>258
>会津の人達は泣いていました。
>戊辰戦争以来朝敵の汚名を着せられ、下北半島に流され、差別と困窮の極みを忍の一字で耐えてきたのに、
>今だにドラマでは悪役です。
>最近は龍馬暗殺についても様々な説が出てきているのに、
>NHKは「実行犯は会津お抱えの京都見廻組。黒幕は不明」という方針で描くようです。
研究者が自分とこの持ち場にしか詳しくないのをいいことに
根拠の薄い諸説をもっともらしく垂れ流してたアホがよく言うよねw
会桑の大政再委任運動はもっとクローズアップされるべき。
263日本@名無史さん:2011/01/05(水) 00:49:40
>>258
戊辰研元会員の話によれば、星一派はウィキペディアなどで
結構マジにネット工作していたみたいだな。
星のAmazonでの酷評レビューが一斉に消えたのも偶然ではないだろう。

ttp://sinsyuugositee.naganoblog.jp/e634417.html
264日本@名無史さん:2011/01/05(水) 01:12:33
>>263
おやおや戊辰研いったん解散しちゃってたのかい
星氏が御存命のうちに嘘付きのツケも支払ってもらいたいね
265日本@名無史さん:2011/01/05(水) 01:23:08
高橋というおばさんが、不満のある人間を会解散ということにして追い出して、
次の日に別の全く同じ会を立ち上げて、彼女と不仲な人間を入れなかった。
wikipediaやamazonでの工作はそれ以前からあったから、最後の仕上げとしての会乗っ取りではなかったかと思われる。
266日本@名無史さん:2011/01/05(水) 07:35:05
『日本書紀』に登場する四道将軍(しどうしょうぐん)大 彦命(おおびこのみこと)とその息子の武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、
が東国遠征で出会った場所が会津だからな。
会津は、その後も奥州造営の拠点となった大和朝廷の正統。
ぽっと出の薩長なんかには負けねえよ。
267日本@名無史さん:2011/01/05(水) 16:42:11
会津の山猿は熊襲健も神功女皇の故事も知らぬか
268日本@名無史さん:2011/01/05(水) 19:52:35
>>263
★の本のamazonレビュー消されて怒ってる人がいたな。
あれって消されたらもう書けないの?
269日本@名無史さん:2011/01/05(水) 20:19:58
>>268
>アマゾンのカスタマーレビューには、「報告する」というボタンがあります。
そのレビューが規約違反であると考えた閲覧者がそのボタンを押すと、
それがアマゾンに報告されます。一定数以上それがたまると自動的に削除されます。
しばしば内容に問題はなくても、そのレビューに反対の意見を持つ人たち(ときには
その書物の著者や出版関係者など)が「報告する」ボタンを押して削除させてしまいます。
アマゾンはアカウントのチェックを行っていないので一人が複数のアカウントを簡単に作成できるため、
一人で何回も報告ボタンを押すことで削除させてしまうことが多くあります。
この削除は自動的に行われているため、アマゾンに直接メールして、
実際に投稿したレビューと削除された経緯を訴えれば、たいていの場合復活します。
270日本@名無史さん:2011/01/05(水) 21:25:58
>>269
( ・∀・)ノシ∩へぇ〜
271日本@名無史さん:2011/01/06(木) 01:16:28
 
キング牧師暗殺の実行犯は日本の軍人か?

http://s1.shard.jp/deer/0204/42/283.html

誕生日は日本の陸軍記念日で、死亡日は海軍記念日だった。
272日本@名無史さん:2011/01/06(木) 01:26:18
その人は、生まれたときはそんな偉人になるなんて想像も出来ない家庭の人なので、
あなたの仮定は成立しません。
273日本@名無史さん:2011/01/06(木) 01:27:35
また会津の埋め立てか
そんなことをしても、松平容保が犯人という傍証が積み重なるだけなのに
274日本@名無史さん:2011/01/06(木) 02:13:51
只三郎グループの単独犯行説が正解だと思うよ。
275日本@名無史さん:2011/01/06(木) 02:34:54
オイラ的には会津&勝の合作で
とりあえず矛をおさめます。
276日月地神学の伝道者:2011/01/06(木) 09:51:58
 霊界人はその向いている方向が北であるが、地上人の言う北ではなく、中心
と言う意味である。前後、左右、上下その他の無限立法方向が中心へ向かって
いる。霊人達が何れの方向に向かっていようが各自の眼前に太陽を見て、前方
から光と神の歓喜を受けている。それは霊人の呼吸と脈搏の根元をなす。霊人
達は目で見ているのではなくて、額(心眼)で見ているのである。地上人に於い
ても、その内的真実は額でのみ見得るものであって、目に映るものは地上的約
束下におかれた第2義的な映像である。映像は真実であるが第1義的真理では
ない。だから、目に見える物は本来の姿ではない。いかに手で触れた触覚があ
ろうとも。だから、3D映像で立体に見せられたり、狐に化かされるのである。
 地上にはその順序、法則があり、霊界にもその順序、法則がある。霊界(心界)
が原因の世界(行為は意志する事によって起きる)であるからと言って、そのま
ま地上には写し得ず、これらは大神の歓喜によって秩序され、統一されている。
これが生命の本体であって、限られたる智によってこの動きを見る時は、悪を
許して善の成長を殺すが如く見えるが、これこそ善を生かして活力を与え、悪
を御用の悪として生かして悪をも浄化する方法である。善・愛・真・美は悪・
憎・偽・醜によって益々活性化して、悪・憎・偽・醜は御用に使われて浄化さ
れる。この両者の均衡を調節する事が神の仕事である。刀も打ち鍛えなくては
名刀は生まれない。
 考える事、意志する事は肉体からではなく、霊的自己からである。これは神
とつながっている。つまり、自分と言うものを通じて現実界への営みを神がな
し給うているのである。其の処に人が地上に於ける主宰者たる本質がある。
 肉体を捨てて霊体になっても、見、聞き、嗅ぎ、感じる事が出来る。死の直
後に霊体が完成して、肺臓が想念の現われとなって呼吸し、心臓が情動の現れ
となって脈打つ。
 天国の政治は神の歓喜、愛の政治である。限りなき団体によって構成され、
その統治者の心奥の魂によって統一されている。この魂をス神と敬称している。
ス神はア神と現れ給い、オとウにひらき給いてからエとイに派生し給うのであ
る。オ・ウは愛で心臓となり、エ・イは真で肺臓となる。
277日本@名無史さん:2011/01/06(木) 22:09:14
>>68
『史料批判』
歴史研究において一次史料を扱うことは必要不可欠であるが、一次史料が必ずしも正しいとは言えないので注意を要する。
例えば、事件の当事者が事件直後に書いたものと、事件から相当経過してから伝聞を元に書いたものを比較すると、
一般的には時間的・空間的に近く、また当事者に近い方が信頼性が高いと考えられる。
実際、それまで知られていなかった一次史料の発見によって、従来の歴史解釈が大きく変わることもしばしばみられることである。
ただし、当事者であるがゆえに、かえって自分に都合のいいように記述したり、都合の悪い点を隠す場合も多い
(公表を意図して書いたものかどうか、など史料が成立した経緯も信頼性に影響する)。そ
のため、一次史料を別の立場から書かれた史料と比較検討することも必要である。

古い記録の場合、筆者がどういう人物か不明である場合も多いが、できるだけ筆者の人物像を明らかにすることが必要である。
筆者の立場や教養、主義・思想などによって史料の信頼性は大きく左右される。
また、一まとまりの史料群については、史料群全体の性格を理解することが重要である。
史料を総合的に検討することで、正確な内容が多く信頼できる史料と、不確かな記述が多く信頼しがたい史料などの区別も付いてくる。
例えば、ある宣教師の書いた報告書は、事実関係については相当正確であるが、宗教的な偏見から誤った解釈がされていることが多い、
などといった史料の性格を把握することが大切である。

言語で表現された史料には主観が伴う。
したがって、その作者の人物を考慮することは、その史料の信頼性を考える上で、重要な標準となる。
278日本@名無史さん:2011/01/06(木) 22:21:28
このスレで既出の会津の大政奉還への反発・及び坂本龍馬暗殺を示す史料は 
『佐々木只三郎伝』
『手代木直右衛門伝』
『東洋金鴻〜英国留学生への通信〜』
『徳川慶喜公伝』
『復古記』
『丁卯日記』
『福岡孝弟手録』
『後藤象二郎自伝』

これくらいか
探せばまだありそうだな
279日本@名無史さん:2011/01/07(金) 18:13:48
『お〜い!竜馬』と
『竜馬におまかせ』が抜けてる。
280日本@名無史さん:2011/01/07(金) 18:46:53
それを引用するのは武田鉄也とここの会津大好きっ子さんだけでしょう
281日本@名無史さん:2011/01/07(金) 23:29:12
>>278
ここなんかにも詳しく書いてあるよ
読めば読むほど会津が黒になっていくw

http://www.queerclick.com/asians/images/2010/12/h0230_taketo_iketani.jpg
282日本@名無史さん:2011/01/07(金) 23:31:15
>>281
チンコーヽ(・∀・)ノ
283日本@名無史さん:2011/01/07(金) 23:36:18
会津の人間は、論拠のある弁に言い返せないものだから、悪質工作に走る。
実に会津
284日本@名無史さん:2011/01/07(金) 23:39:46
いつもの会津っぽ出現と聞きましたが・・・・・・芸風が変わってないw
285日本@名無史さん:2011/01/08(土) 01:36:20
龍馬って土佐の人で。

殺したのが何処の土地の人など
286日本@名無史さん:2011/01/08(土) 01:44:54
>>280-281

薩摩なのに短小かつ恥垢たっぷり嫌なやつ君が
醜態さらしてると聞いて駆けつけてきました!
287日本@名無史さん:2011/01/08(土) 02:46:18
土佐出身でありながら、脱藩した上に一体何処に属しているのか訳のわからない人物。
不気味な外人かぶれなど殺してしまうに限る。
288日本@名無史さん:2011/01/08(土) 04:18:43
>>286
よう、会津の自称他県人クン
289日本@名無史さん:2011/01/08(土) 04:48:14
グロ画像貼りはいつもの会津だから、気にしなくていいよ
290日月地神学の伝道者:2011/01/08(土) 09:00:57
 坂本竜馬が兄の妻の弟・川原塚茂太郎に宛てた手紙が一般公開された。
原文 彼養子のつがふハ積年の志願ニて、先年も度々申出候得家兄が心配ニ相
掛候事なれば、終に立腹致候ほどの事にて候ハ、雅兄ニもよく御存知の所ニて
候。…中略…海外ニも渡り候事も、これ可有故猶さら生命も定兼候。…中略…
右の件ニ候得バ元より天下の事に引き比べ候得バ、一家の事はかへり見るいと
まなし。何卒以前の御心に変り無之候時ハ、養子のつがふ御つけ被成下度候。
…恐僅謹言
八月十九日…………………龍馬
茂太郎様足下
大意 例の養子の事は長年の願いで、先年も度々申し出があって、兄も心配し
て、終いに腹を立てた事は貴兄もご存知でしょう。私は海外にも渡ってそれ故
生命もあるか判らない。この事を判って貰えば、天下の事に比べて家の事を顧
みる暇がない。どうか、以前の考えが変わらないなら、養子を探して下さるよ
う願います。
 この養子の話が「文久3年秋頃乙女、春猪宛」の手紙にも出て来ます。この
手紙の差出日は文久三年(1863)八月十九日が妥当です。今まで元治元年八月二
十九日と言われていたのは誤りです。その結果「文久三年六月二十八日の手紙」
(ねぶとの手紙)の「おやべ(権平兄の娘春猪)どのハ早、子が出来たなどと申人
あり」は時間の流れに矛盾します。春猪と清次郎の結婚は文久三年頃であり、
その後妊娠して長女・鶴井が出来るのは元治元年(1864)です。つまり、龍馬の
文久三年八月の手紙で龍馬が春猪の養子になる事を拒否したので、その年の秋
に清次郎が養子になって、翌年に養子の子・鶴井が生まれたのである。すると、
「文久三年六月二十八日」(ねぶとの手紙)は改竄された物である事が判明する。
 龍馬は大和魂の武士であって、誠実であるから無口で、手紙などは要件だけ
を書いた筈である。話の内容が大げさで面白い、長文の手紙は戯曲師が偽作し
た物である。写真、手紙、遺品等がこれ程残っている訳が無い。
 龍馬は北辰一刀流の達人であったから、ピストルやブーツを見に付けていた
と言うのは真っ赤な嘘である。新撰組や見回組などは浮浪武士の集まりで、邪
な者は真面目に修行しないから剣の腕が立つ筈が無い。騙まし討ちするのがせ
いぜいである。
291日月地神学の伝道者:2011/01/08(土) 09:21:21
 坂本龍馬家の墓を発掘すると、頭部は皆真北ではなくて北東を向いていた。
艮の鬼門の方向に向けて鬼門の呪術が施されていた。龍馬誕生の源泉は初代太
郎五郎であるが、その墓石の側面に山城国の文字がある。畿内の乱を避け殖田
郷才谷村に移り住んだと言う。これは光秀の一族の明智秀満の末裔である事の
証拠となる。秀満は坂本城の城主であったから坂本の姓を名乗る様になったの
である。明智光秀の正体は南朝の血筋を受けた人物で、斉藤義龍である。義龍
は土岐頼芸の御落胤で、道三は頼芸の愛妾・三芳野を譲り受けたが、すでに身
籠っていた。頼芸は8代美濃守護土岐成頼の孫である。成頼は丹後から逃れて
きた一色兵部少輔義遠の子である。義遠は後醍醐天皇の尊良親王の子孫である。
明治政府は北朝方(朝鮮)であるから、龍馬家の墓に鬼門の呪術を施したのだ。
なぜ、龍馬の遺髪の墓が坂本家の墓地に無いのか。京都の墓など親族が守れる
筈が無い。遺族は弾圧されて離散からである。
 龍馬は最初、小栗流の日根野弁治道場で剣道修行した。斉藤義龍の家司に日
根野弘就がいて、弁治はその血縁であろう。小栗流は柳生流の流れを汲む。柳
生石舟斎の正体は光秀で、表の顔が天海僧正である。龍馬は天皇家の血筋を受
けた貴種だから、神が守護して大偉業をなしたのである。
 日本の初代天皇は素盞鳴尊である。それから大国主命に代わったが、天照大
神の皇孫と偽称した神武天皇(秦族の除福)が皇位を奪った。秦族はユダヤのユ
ダ族で、秦が滅びた後に朝鮮王族となった。百済王子の豊璋が中大兄皇子と偽
称して、日本の聖徳天皇を暗殺して天智天皇になった。
 日本の天皇の血筋は大国主命から→日子坐王→倭建命→市辺之忍歯王→顕宗
天皇→仁賢天皇→継体天皇→欽明天皇→敏達天皇→聖徳天皇(押坂彦人大兄皇子)
→高市皇太子→長屋親王→傍系・天武天皇(竹田皇子)→源義経→後醍醐天皇→
尊良親王→一色義遠→土岐成頼→土岐頼芸→斉藤義龍(明智光秀=千利休=天海)
→斉藤竜興(古田織部)→傍系・坂本龍馬
 源平合戦、南北朝の争いは日本と朝鮮の争いでもあった。信長が仏教を弾圧
したのは日本人の血がなせる業で、彼を殺したのは秀吉、家康が朝鮮人だから
だ。
292日本@名無史さん:2011/01/08(土) 14:32:28
現在のところ、史料を追う限りでは

・実行犯・・・見廻組の佐々木只三郎ら見廻組隊士
・命令者・・・京都守護職にして会津藩主の松平容保
ということになる。
星亮一が「会津の心は泣いているから我々が真実」と叫んでいるが、会津若松でも星は中傷屋の悪評が高い
293日本@名無史さん:2011/01/08(土) 15:49:21
>>289
自分の罪を他人になすりつける卑怯っぷりが、いかにも、ですなw
294日本@名無史さん:2011/01/09(日) 03:22:32
佐那と重太郎
295日本@名無史さん:2011/01/09(日) 12:00:20
やっぱりそうなるか
296日本@名無史さん:2011/01/09(日) 21:05:11
長文の電波は一体何なの?
297日本@名無史さん:2011/01/09(日) 21:13:34
会津の人。
会津に都合の悪い展開になると、電波長文を貼って隠そうとする。
298日本@名無史さん:2011/01/09(日) 21:34:19
それも会津の仕業なの?
299日本@名無史さん:2011/01/09(日) 21:38:14


〔・・〕アベアベうるせAA!!!
300日本@名無史さん:2011/01/09(日) 22:59:23
ここを荒らしても、会津の罪が露わになるだけなのにね。
言論を潰し証拠のない小説を押し付けることで、会津の人は歴史を歪めてきた。
301日本@名無史さん:2011/01/10(月) 00:54:32
蒔田広孝でしょう黒幕は、命令系統からいっても松平容保ではない。
302日本@名無史さん:2011/01/10(月) 01:20:29
だが佐々木は見廻組というよりは、松平容保の私兵だったからなあ
303日本@名無史さん:2011/01/10(月) 03:15:57
ちなみに「佐々木只三郎伝」は著作権が切れてるから図書館で全Pコピーしてもらえた。
(著者でなく編者の場合は発行から50年経過すればOKらしい)
興味がある人は最寄りの図書館の書籍を検索して問い合わせてみるといい。
304日本@名無史さん:2011/01/10(月) 10:10:11
興味がないです。
305日本@名無史さん:2011/01/10(月) 17:47:52
>>304
会津乙w
306日本@名無史さん:2011/01/10(月) 18:37:21
<銃刀法違反>「はかま姿に必要と思った」 模造刀を所持、成人式会場で容疑少年逮捕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110110-00000013-maiall-soci

成人式の会場周辺で模造刀を所持していたとして山口県警下関署は9日、同県下関市の土木作業アルバイトの少年(19)を
銃刀法違反(模造刀剣類の携帯禁止)容疑で現行犯逮捕した。少年は「友人との記念撮影用に持っていた」と話している。

逮捕容疑は9日午後0時35分ごろ、同市豊前田町3「海峡メッセ下関」1階で模造刀(刃渡り約70センチ)を所持していたとしている。
この日、同所4階で成人式が開かれ、少年は式典終了後に友人と記念撮影するため模造刀を抜いたが、
それを見た人が「日本刀を振り回している男がいる」と110番した。

少年は「自分ははかま姿だったので、撮影に模造刀が必要と思った」と話している。

307日本@名無史さん:2011/01/10(月) 19:37:53
http://mc99.blog84.fc2.com/blog-entry-1926.html
龍馬の隠れ家は、薩長の極めて上層部しか知らないはずである。
そうして暗殺実行は会津見回り組。しかし龍馬は無血革命を目指していた。
薩長は武力革命である。総仕上げの時期が来たとき、今まで龍馬の行動発言は
薩長には足かせに成りかねない。
薩長の幹部は見回り組に龍馬の隠れ家を教えて、又彼らをして暗殺せしめる
何らかの偽情報を与えて暗殺行動に駆り立てさせたと思える。
その後戊辰戦争において、各地で繰り広げられるすさまじい戦い。

そうして極め付きは会津藩の徹底的壊滅虐殺は、そうした薩長の思惑が
異常なくらいのポテンシャルをもっ手行われたことにあらわれる。
そのためには龍馬は薩長には目の上のたんこぶではなかったのか。
私は 首謀者は 西郷と見ている。あの西郷という人間は、大儀の為には何ら味方
を捨てることもいとわないし、それは自分の身もいとわないという希有なる人物だからである。
308日本@名無史さん:2011/01/10(月) 20:31:32
↑というふうに
会津はじめ佐幕派贔屓の薩長黒幕説は
時代背景の認識を間違いまくった
何ら出典のない先入観と願望が根拠になったものになっておりますwww
309日本@名無史さん:2011/01/10(月) 20:59:37
陰謀はすべて余すところなく正しく書物や日誌に記されると考えているアホが一匹
310日本@名無史さん:2011/01/10(月) 22:58:12
根拠の無い意見を妄想というw
311日本@名無史さん:2011/01/10(月) 23:20:55
>>309
んじゃ、陰謀じゃない部分で、坂本が旧幕府と平和的に交渉するつもりだったって証拠をなんか示してみてよ
312日本@名無史さん:2011/01/10(月) 23:21:18
坂本龍馬は松平春嶽を仲介に小栗忠順と和平交渉を持ち始めようとしたトタンに、
それに裏切られたと感じた勝海舟が松平容保をそそのかして見廻り組を派遣したんだな。

主犯の今井は勝海舟と知己の仲。暗殺前に突如として江戸から派遣された。
ちなみに、幕府は坂本龍馬捕縛禁止令を出していた。

坂本龍馬のバックにはもちろん小松帯刀がいて、
西郷さんや、木戸さん、それに大久保さんも
取り立てられることはほぼ確実なので息をひそめて、その推移を見ていた段階だと思われる。

実は小栗の殺害も勝海舟が怪しい。江戸城無血開城の交渉のさなか、
わざわざお忍びで東山道官軍の本隊近くまで出向き、官軍総督との接触を図り。
なにやら謀略の密談があったのではと、薩摩藩士が記録に残している。
313日本@名無史さん:2011/01/10(月) 23:30:08
>>302
佐々木が会津の私兵などという根拠はありません。
そんな事をしていたら組織体系が崩れます。あの新撰組でさえ組織のなかでしか動けなかったのですから。
314日本@名無史さん:2011/01/10(月) 23:41:20
>>313
いいえ。佐々木が本来の命令系統を軽視し、専ら松平容保の指揮下にあったことは
当時の京都の幕府内でも問題視されています。

これは当時の史料にもあります。
315日本@名無史さん:2011/01/10(月) 23:45:52
>>314
手紙のやり取りの内容とかならあるだろうけど。
命令系で無視したって資料なんてあるの?
316日本@名無史さん:2011/01/10(月) 23:49:02
>>315
それが当時の回想で、
佐々木は独断専行、会津候の言うことにしか従わないという記述があるのですよ。
317日本@名無史さん:2011/01/10(月) 23:50:19
>>316
誰の回想で?
318日本@名無史さん:2011/01/11(火) 00:09:58
坂本龍馬が幕府に持ちかけた内容は、

@江戸の銀座を京都に移す。(貨幣鋳造権を幕府から取り上げる)
A将軍職は名誉職として残す。

後藤象二郎へあてた手紙の内容から以上が推定される。
勝海舟の名前は龍馬が提示した名簿にはなかった。


江戸城無血開城のさいには、官軍側は松平容保と松平定敬は許すまじという状況だったわけで、
小栗はそのスケープゴートにされた感じ。会津に向かったが引き返してきて捕縛された。

ちなみに小栗は彰義隊隊長になることを以下の理由で拒絶している。
「徳川慶喜に、薩長と戦う意思が無い以上、無名の師で有り、大義名分の無い戦いはしない」

また薩長が江戸へ向かうための資金は三井の三野村利左衛門が三岡八郎をとおして用意したわけだが、
三野村利左衛門はもともとは小栗家の武家奉公人。その際に頻繁に小栗のもとに通っていた。
もし、その資金がなければ薩長は何もできなかった。
また三岡八郎は龍馬が新政府名簿に抜擢してのせた福井藩士で松平春嶽の部下。
319日本@名無史さん:2011/01/11(火) 00:13:11
文久3年7月21日に京都見廻組は京都守護職配下になっているので
松平容保の嫌疑は晴れないよ
320日本@名無史さん:2011/01/11(火) 00:40:17
回想は〜?
321日本@名無史さん:2011/01/11(火) 00:54:35
京都における会津藩の仕事をしていたのは会津公用方の方々であろう。
藩主は公用方の仕事に認めをする立場にしかいない。
322日本@名無史さん:2011/01/11(火) 01:00:04
見つけた。勝海舟日記の中の松平勘太郎からの手紙だった。
松平勘太郎は京都の幕閣にあって、名義上は見廻組の上司であったが、
誰も上司の命令していない坂本龍馬暗殺事件を佐々木只三郎が起こしたことに当惑し、会津と佐々木の個人的な関係を批判している。
323日本@名無史さん:2011/01/11(火) 01:11:38
京都幕閣・小笠原弥八郎の明治における証言があります。
「坂本龍馬召捕方ノ儀ニ限ラズ、京都見廻組勤向ノ儀ハ佐々木只三郎全権ニテ・・・・・・」
正規の命令系統は大政奉還以降は働かず、個人的な関係が主だったようですね。

すると、松平容保―手代木直右衛門―佐々木只三郎
という命令系統で全く問題がないことになります。
324日本@名無史さん:2011/01/11(火) 01:51:46
>>323
ココがあやしい→「坂本龍馬召捕方ノ儀ニ限

坂本龍馬という名で指名手配されていたのか。
325日本@名無史さん:2011/01/11(火) 02:00:48
会津公用方も薩摩派で新撰組を指揮していた廣澤が失脚した以降、無能な手代木が何をしたのやら。
326日本@名無史さん:2011/01/11(火) 02:06:20
>>323
大政奉還前の命令を実行するも個人的判断で可能としても。
京都の街のどこかで飲んでいる人を見つけるには、多数の探索が必要なんだよね。
行き当たりばったりで踏み込むわけないし。
327日本@名無史さん:2011/01/11(火) 08:49:03
>>326
だから、龍馬の動きを子細に知る人間の協力者がないとできない。

つまり、
松平容保―手代木直右衛門―佐々木只三郎の計画を
勝海舟ー今井信郎が後押しサポートした。

龍馬は小栗の兵庫商社設立(兌換紙幣発行権有り)に相当焦っていたと思われる。
ただ、この二人の考え方は非常に似ていて、
幕府は信頼がないから紙幣発行はできないという認識で一致していた。
幕臣小栗にとっては、名誉職として将軍職が残ればスムーズに新政府に参加できる。

この状況になればイギリスだけではなくフランス、米国も関与してくるので外交展開も全く変わっていた。

小栗が隠遁したときに、すでに薩長とつながっていた三野村利左衛門が千両箱を用意して
米国亡命をすすめたが、拒否した。もちろん三野村利左衛門の行動は薩長の了承済みのはず。
小栗は箱根で決戦することを主張し、それを勝海舟のそこで勝っても戦乱が続くだけという
理由と幕府内の工作活動で反対にあって最終的には小栗が罷免されるわけだが。しかし、
薩長の資金繰りに小栗が関与していたとなると話は別。

小栗の考えていたことは、幕府をいかに名誉あるかたちで終わらせるかその一点だと思う。
しかし、すでにこのときには小栗の行動を理解でき協調できる人間が消されていた。
328エマニュエル・スウェデンボルグの霊界物語:2011/01/11(火) 10:49:13
 霊界には上、中、下の三つの世界があり、其の世界に住む霊の人格の高さの
違いがある。上世界の宮殿の美しさはこの世界の言葉ではとても言い表す事が
出来ない壮大で華美を極めた物であった。立派な建造物が建っており、屋根は
金の瓦の様な光を放ち、壁面や床は全て色とりどりの美しい宝石で造られてい
るとしか思えない物である。霊達の衣服も雪の様に白く輝く物であった。
善霊の住む霊界に対して凶霊達は常に力を合わせて、この世界を崩壊させよう
と計っている。そこで霊界の霊達が一人の霊の体の様に合わさって、巨人の姿
となり、凶霊を退治する為に山を崩したり、巨岩を山腹から転げ落としたりす
る。崩壊を続けている山脈のあちこちで何百万もの霊達がその命の最後と思わ
れる叫び声を上げ、又天を罵りながら真っ逆様に落下していった。
太古の人の霊は同じ星雲の霊達にとり囲まれて談笑していたが、私に次の様に
語った。初めに霊界に現れたる霊は、特に霊的開眼の進みたる者ならば、彼ら
は洪水による死に先立ちてこれを予感し、肉体を離脱して霊界に現れたる者な
り。人間界と霊界との関係に黄金時代、白銀時代、青銅時代が過去にあり、現
在は鉄時代になっている。特に太古の人間がまだ真っ直ぐな心を持っていた頃
は、霊界や霊の事に関して近頃の人々より遥かに理解して、霊的生活をしてい
た。時代が進むに従って、人間の関心が世間的な事や物質的な事、彼らに言わ
せれば程度の低い外面的な知識や学問等に奪われる様になり、霊界から遠ざか
る様になった。
 地獄界は霊界の地下にあって、大きな洞穴の中に閉じ込められていた。彼ら
の顔付は地獄の凶鬼を思わせる様な恐ろしく、奇怪な物で、目が窪み、骸骨の
様な目ばかりが暗い穴となっていた。特に恐ろしかったのは大きな二つの目を
ぎらぎら光らせ、耳の近くまで裂けた大きな口から真っ赤な舌を蛇の様に出し
て叫んでいた。
 太古の人の霊と霊の語り合う様は霊の頭上に一つの表象が現れる。水が青く
澄んだ夜の淵に映った月の影(直ぐなる心を表す)、何か文字を思わす様な鍵型
や線などの連続したもの(人間の言葉)である。
329スウェデンボルグが見た最後の審判の映像:2011/01/11(火) 11:00:46
 目を覚ました時、1本の木(知識の木)を見た。その木の上には恐ろしい形相
をした巨大な毒蛇が見えた。黄色い光の中に丸天井の部屋が開かれ、二人の女
性が脇戸から出て来たが、そこには炉があって台所である事が認められて、彼
女達の傍らから黒い肉片が垂れ下がっていた。それが人間の肉だと判った。こ
の者達は人食いだと判った。
しかし、今はそれ以上の事が判明した。彼女達はキリスト教の世界に於ける現
代の人々の状態を表し、知識の木は毒蛇を表す。従って、あらゆる物は欺瞞と
悪意に満ち、憎しみしか行き渡っておらず、これに現実に犯される悪が加わる
なら、彼らは人間さえ食するだろう。
 霊界でキリスト教徒に関して人々が話すのを聞いた。彼らは姦淫、口論、憎
悪、泥酔等の非常に悪い生活を送っている。そうした不道徳な事は彼らの法律
や作法、宗教的原則に反していると非難した。
 巨大都市があり、イエズス会の者達の住居がそこにあった。何人かのユダヤ
人もいる。彼らは富と支配権の事しか考えずに、その両方を欲していた。地下
の地獄とも交流している。魔術の様な忌まわしい術策を用いて、自らを防御し、
他の者を滅ぼし、服従しない者を威圧していた。其の時地震が起こり、多くの
者達が其の裂け目へ投げ込まれた。風が吹いて都市全体を運び去り、悉く破壊
されて海の中へ投げ込まれた。こうしてバビロンは壊滅した。彼らはどんな審
判も決して起こる筈がないと信じ込んでいた。
 主によって伸ばされた手の様なものが諸天界の上方に現れ、莫大な数の天使
が現れた。そこには竜に付き従う一団がいた。彼らは主の教理をあくまでも排
撃した。審判が下って、ミカエルと竜との戦闘が始まった。壮絶な戦闘の後に
地獄へ投げ落とされた。
 最初の頃天界において善く生きた者達は、すべて選び抜かれたのだが、この
様な者達は少なく、終には外面的には道徳的に善く生活した者達もすべて許容
される様になった。しかし、彼らの内面は極めて邪悪であって、外面が正直で
善人に見せていた者は暴露された。この様にして、古い天と地とは滅び、仁愛
である所の信仰に生きなかった者はことごとく地獄に投げ込まれた。
 ご意見のある方はお寄せ下さい。[email protected]
330日本@名無史さん:2011/01/11(火) 15:34:45
呪いの わら人形12点セット!! 6800円!!
http://www.urami.net/syouhin.htm

お待たせしました! 会津人必携のアイテムです!
331日本@名無史さん:2011/01/11(火) 21:18:49
結局、坂本龍馬の暗殺は佐々木の単独では無理で、会津藩などの協力が必要ということ。

見廻組の本来の上司は犯行を知らず、佐々木ら見廻組隊士が実行犯で間違いないとなると、
手代木直右衛門を介した松平容保による命令となってしまう。
332日本@名無史さん:2011/01/11(火) 21:58:23
>>330
これも追加してくれ

http://i.imgur.com/q0UI8.jpg
333日本@名無史さん:2011/01/11(火) 23:08:29
まあこの時期の会津藩の動向について
会津以外の史料から調べてみるとしよう
334日本@名無史さん:2011/01/12(水) 00:08:58
岩倉実相院日記には当時の洒落たイラスト入りで「容保はバカ」と風刺してあるな。
8.18政変後の会津藩による執拗な敗残兵狩りと、捕えた者への残虐行為も加わって、
京都では嫌われていたらしい。
335日本@名無史さん:2011/01/12(水) 00:37:55
会津も相当血の気多いよね。
会津猪仙台むじな♪と戯れ歌に歌われるくらいだものw
336日本@名無史さん:2011/01/12(水) 00:41:07
>>326
龍馬って暗殺前に幕臣に面会してたんだけど容保にもたしかその時会ってなかったっけw
ちなみに佐々木只三郎の居住してた寺が近江屋のめっちゃ近所。
337日本@名無史さん:2011/01/12(水) 02:26:18
坂本龍馬は、大政奉還の説明のときに永井尚志や松平容保と面会したと説明しているし、
永井は坂本と面会した記録を残しているのだけど、
松平容保は一切語らず、
後世の会津の研究者は、絶対に面会はない、証拠があるなら出してみろ、の一点張りなんだよね。

松平春嶽にも永井尚志も坂本に面会しているし、本当は面会記録がありそうな気はする。
338日本@名無史さん:2011/01/12(水) 17:07:43
もし坂本龍馬と松平容保との面会記録が出てくると、

動機:容保は大政奉還に絶対反対論を唱えていた

 (京都守護職始末記には、容保が大政奉還に賛成したと書いてあるが、
 他の多くの当時の史料では、容保は松平定敬と共に大反対し、今すぐ政権を戻せと怒り叫び大変な有様だったと記されている。

 ちなみに複数の史料の方が当時のもので、京都守護職始末記は後世に会津側が容保の失敗を糊塗するために書いたもの。
 京都守護職始末記だけを引用して、容保さまは大政奉還に賛成だったのに周りが・・・・・・、と記している文章は党派性が過ぎる。)

手段:容保は、手代木直右衛門を通じて見廻組の佐々木只三郎に命令を下せる立場だった

 (明治における見廻組上役の証言では、見廻組の上役は坂本龍馬暗殺を命令していないし、報告も受けていない。
 しかし別の証拠から佐々木只三郎率いる見廻組隊士の犯行ということは、ほぼ確実とされている。
 つまり、見廻組の本来の命令系統でない、手代木直右衛門らが暗殺命令を佐々木に伝えたということになる。
 手代木は会津藩士で、上にいるのは松平容保ということになる。)

これにさらに松平容保個人の関与が明確化するからね。
だから会津系の研究者は、どんな証拠があっても、隠すんでしょう。
彼らの行動は研究者の態度じゃないけどね。
339日本@名無史さん:2011/01/13(木) 00:45:08
うそだけは赦せん許せん
340日本@名無史さん:2011/01/13(木) 14:03:14
会津民や佐幕派贔屓が薩摩黒幕説を吹聴して火消しに必死だったわけか
おまんら!嘘はいかんぜよ!
341日本@名無史さん:2011/01/13(木) 19:02:06
>>338
容保らが怒り叫んでる事を記した文献てどれ?
342日本@名無史さん:2011/01/14(金) 01:26:54
会津派であった孝明天皇を暗殺したのは反会津に寝返った薩摩藩
343日本@名無史さん:2011/01/14(金) 02:28:48
孝明天皇の死について専門家の意見は

・病状などから、ほぼ確実に天然痘による病死
・暗殺が行われた場合は、同時期の兵庫開港問題で
孝明天皇の主張していた鎖港から開港へ立場を転じた、会津藩主・松平容保の容疑が強い

とのことです。
344日本@名無史さん:2011/01/14(金) 09:40:58
孝明天皇の死について専門家の意見は

・状況などから、ほぼ確実に岩倉らによる毒殺

とのことです。
345日本@名無史さん:2011/01/14(金) 18:56:09
>>344
そんな小説家+雑文書きばっかりの意見を紹介されても
346日本@名無史さん:2011/01/15(土) 01:36:28
実は343と344は五十歩百歩という。
347日本@名無史さん:2011/01/15(土) 12:37:30
まあ孝明天皇の死因については原口清の研究で毒殺疑惑の俗説が
学会においてはほぼ解消されてるので読むといい
348日月地神学の伝道者 聖書より:2011/01/15(土) 14:43:21
 憐れみ深い人達は幸いである。彼らは憐れみを受けるであろう。義の為に迫
害されて来た人達は幸いである。天国は彼らの物である。私の為に人々があな
た方を罵り、又迫害し、あなた方に対し偽って様々の悪口を言う時には、あな
た方は幸いである。
 一人のらい病人がイエスの所に願いに来て跪いて、御心で清めて頂けるので
すかと言った。イエスは深く憐れみ、手を伸ばして彼に触り、そうして上げよ
う、清くなれと言われた。すると、らい病が直ちに去って、その人は清くなった。
 イエスは中風の者に、子よ、あなたの罪は許されたと言われた。ところが、
そこに律法学者がいて、心の中で、この人はなぜあんな事を言うのか。神以外
に罪を許す事は出来ない。それは神を汚す事だと論じた。イエスはその心を読
み取って、人の子は地上で罪を許す権威を持っている事が判る様に、起きよ、
床を取り上げて家に帰れと言われた。すると、彼は起き上がり、床を取り上げ
て出て行った。
 パリサイ派の弟子達が断食しているのに、なぜあなたの弟子は断食しないの
か。イエスは言った。「婚礼の客は花婿が一緒にいる間は断食できない。花婿
が奪い去られる時が来たら断食するであろう。誰も新しいぶどう酒を古い皮袋
に入れはしない。皮袋が破れればぶどう酒が無駄になる」。
 律法学者は私が悪霊共の頭によって、悪霊共を追い出しているのだと言った。
どうして悪霊が悪霊を追い出す事ができようか。誰でもまず強い人を縛り上げ
なければ家財を奪い取る事が出来ない。縛ってから初めてその家を略奪できる
のである。
 イエスと弟子が舟に乗っていると、激しい突風が起こって転覆しそうになっ
た。彼は風をしかり、海に向かって静まれ、黙れと言われると、風は止んで大
凪になった。
 会堂司であるヤイロがイエスの足下にひれ伏し、私の幼い娘が死に掛ってい
ます。その子が助かります様にお出で下さい。彼の家の人々が来てあなたの娘
は亡くなりましたと言った。イエスは彼の家に行って子供は死んだのではない。
眠っているだけであると言った。人々は彼をあざ笑った。彼は子供の手を取っ
て少女よ起きなさいと言った。すると、少女は起き上がって歩き出した。彼ら
は非常な驚きに打たれた。
349日月地神学の伝道者 聖書より:2011/01/15(土) 15:08:13
 一人の人がイエスの御前に跪いて、よき師よ、永遠の生命を受ける為に何を
したらよいのでしょうかと尋ねた。彼は言われた。「殺すな、姦淫をするな、
盗むな、偽証を立てるな、欺き取るな、父と母を敬え」。
 彼は弟子に言われた。「富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の
穴を通る方がもっと易しい。よく聞いて置くがよい。誰でも私の為に、親、兄
弟、子を生贄にされ、迫害された者は永遠の生命を受ける」。
 私達はエルサレムへ上っていくが、人の子は祭司長らの手に引き渡されて死
刑を宣告され、ユダヤ人に引き渡されて殺される。そして、彼は三日後に甦る
であろう。人の子が来たのは、あなた方(弟子)が仕える為であり、多くの人の
あがないとして自分の命を与える為である。
 第一の戒めは主なるあなたの神を愛せよ。第二は自分を愛する様にあなたの
隣人を愛せよ。イエスは言われた。「律法学者に気を付けなさい。彼らは広場
で挨拶する事や会堂の上席を好んでいる。また、やもめ達の家を食い倒し、見
栄の為長い祈りをする。彼らは最も厳しい裁きを受けるであろう。」
 イエスは宮の建物を指して、これらの大きな建物の石一つでも崩されないま
まで残る事はないであろうと言われた。ペテロらがそんな事が成就する様な場
合には、どんな前兆がありますかと尋ねた。多くの者が私の名を名乗って現れ、
多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争の噂を聞く時にも、慌てるな。
それは起らねばならないが、まだ、終わりではない。民は民に国は国に敵対し
て立ち上がるであろう。また、あちこちに地震があり、飢饉が起きるであろう。
これらは産みの苦しみの初めである。
 そして、人々があなた方を王達に引き渡す時に、何を言おうか心配するな。
聖霊が語るであろう。また、父は子を、子は父を殺す為に渡すであろう。あな
た方は私の名の故にすべての人に憎まれるであろう。その日には今までになか
ったかん難が起きるであろう。もし、その主がその期間を縮めて下さらないな
ら、救われる者は一人もないであろう。天地は滅びるであろう。その日は誰も
知らない。父だけが知っておられる。
350日本@名無史さん:2011/01/15(土) 15:24:28
呪いの わら人形12点セット!! 6800円!!
http://www.urami.net/syouhin.htm

お待たせしました! 会津人必携のアイテムです!
351日月地神学の伝道者 聖書より:2011/01/15(土) 15:32:15
 イエスが弟子達に語り始められた。あなた方が暗闇で言った事や密室で耳に
囁いた事は屋根の上で言い広められるであろう。身体を殺してもそれ以上何も
出来ない者共を恐れるな。殺した後で更に地獄に投げ込む権威ある方を恐れな
さい。
 初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。すべての
物はこれによって出来た。出来た物の内、これによらない物はなかった。人を
生かす物は霊であって、私があなた方に話した言葉は霊であり、また、命である。
 ある時、女奴隷に出会った。彼女は占いをして、その主人に多くの利益を得
させていた者である。この女がパウロの後を追って来ては、この人達はいと高
き神の僕達で、あなた方に救いの道を教える方だと叫んだ。彼は困り果てて、
その霊に向かい、イエスの名によってその女から出て行けと言った。彼女の主
人は占いの利益が絶えたのを見て、彼らを捕らえ、長官の前に引き出して訴え
た。「この人達は私達の町をかき乱し、ローマ人が実行してはならない風習を
宣伝しているのです」。長官は彼らの上着を剥ぎ取り、鞭を加えた後、獄屋に
入れ、その足に足かせを掛けて置いた。パウロが神に祈っていると、大地震が
起こって獄の土台が崩れ戸が開いてみんなの者の鎖が解けてしまった。
 パウロがアジアの地に足を踏み入れた最初の日以来、謙遜の限りを尽くし、
涙を流し、ユダヤ人の陰謀によって私の身に及んだ数々の試練の中にあって、
主に仕えて来た。ユダヤ人にも神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰と
を強く勧めて来たのである。聖霊が伝える処ニよると、投獄と艱難とが私を待ち
受けていると言う事だ。ユダヤ人は彼を殺す為に、あす議会に彼を連れ出す様
に千卒長に頼もうとしている事を若者が伝えた。千卒長はパウロを護衛して総
督の下へ送った。
イエスは言った。「私は異邦人の中からパウロを救い出し、改めてあなたを彼
らに遣わす。それは、彼らの目を開き、彼らを悪魔の支配から神の御許へ帰ら
せ、彼らが罪の許しを得、私を信じる信仰によって、聖別された人々に加わる
為である。」
352日月地神学の伝道者 聖書より:2011/01/15(土) 15:37:35
 アダムによって罪がこの世に入り、また罪によって死が入って来た様に、す
べての人が罪を犯したので、死が全人類に入り込んだのである。一人の罪過に
よってすべての人が罪に定められたように、一人の義なる行為によって命を得
させる義がすべての人に及ぶのである。
 ある人は何を食べても差し支えないと信じているが、弱い人は野菜だけを食
べる。肉を食わず、酒を飲まずその他兄弟をつまずかせないのは善い事である。
 パウロは言う。「私達も皆、肉の欲によって、日を過ごして来たのである。
憐れみ深い神は私達を愛して下さって、罪過によって死んでいた私達をキリス
トと共に生かし、あなた方の救われるのは、恵みによる物である」。
 主の再臨の日は、人々が平和だと言っているその矢先に、突如として滅びが
彼らを襲ってくる。
 富んでいる人達よ泣き叫ぶがよい。あなた方の富は朽ち果て、金銀は錆びて
いる。その錆びの毒があなた方の肉を火の様に食い尽くすであろう。あなた方
は労働者に畑の刈り入れをさせながら、賃金を払わずにいる。その人達の叫び
声がすでに万軍の主の耳に達している。あなた方は地上でおごり暮らし、快楽
にふけり、屠られる日の為に、己が心を肥やしている。そして、義人を罪に定
め、これを殺した。彼はあなた方に抵抗しない。
 キリストは罪を犯さず、偽らなかった。苦しめられても脅かす事をせず、裁
きをする方に一切を委ねておられた。さらに、私達が罪に死に、義に生きる為
に、十字架に架かって私達の罪をご自身の身に負われた。同じ様に妻たるもの
は夫に仕えなさい。たとへ、御言葉に従わない夫であっても、あなた方の清い
行いを見て、教えに入られるであろう。あなた方は服装を整えるような外面の
飾りではなく、隠れた内なる、淑やかな霊と言う飾りを身に付けるべきである。
 すべての物は天地創造の世界は御言葉によって水で覆われて滅んでしまった。
しかし、今の天と地は御言葉によって保存され、不信仰な人々が裁かれ、滅ぼ
される日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。
353日本@名無史さん:2011/01/15(土) 18:54:39
またあたまのおかしい人が来てる
354日本@名無史さん:2011/01/15(土) 19:39:04
だって会津に不利な情報が来るから誤魔化したいんだよ、あそこの人たちは。
355日本@名無史さん:2011/01/15(土) 19:41:16
会津は卑しい
散々根拠もなく薩摩があやしいだの土佐があやしいだの
そのくせ見廻組説は勿論検証しねーの
孝明天皇は薩長か岩倉具視に暗殺されただの散々他所に擦り付けようとしてきた
孝明天皇死亡時岩倉具視&共犯と言われる天皇側室の妹は蟄居中、
肝心の警備担当は一会桑だっつの
いい加減訴えられてもいいレベル
356日本@名無史さん:2011/01/15(土) 19:45:09
織田信長や坂本龍馬のような男は日本人の総意によって殺される。
誰が手をかけたかは偶然のようなものであまり意味がない。

龍馬の場合、伏見奉行の役人が殺したとしても不思議でなかったし新選組でもよかった。
また近江屋の件が失敗したとしても誰かが殺しただろう。

誰が殺したかを考えるのは殺人事件の犯人を特定するような作業であって
歴史としてはあまり意味がないな
357日本@名無史さん:2011/01/15(土) 20:49:17
京都見廻組の仕業と示した史料しか残っていないのに、
京都見廻組→松平容保ルートを探られると
会津の悲劇の被害者イメージ美化活動に支障が出るので、
一般人が歴史的知識のないのにつけこんで、今まで散々騙そうとしてきたのです。
358日本@名無史さん:2011/01/15(土) 21:03:45
>>356
暗殺の背後には往々にして政治的な意図が絡んでるから
歴史研究上、大いに意味があるんだコレが。
現に会津桑名が大騒ぎして幕権回復運動を起こし慶喜の決断に逆らっていた事、
立場を無くして暴走してしまった事などが見えてきた。
359日本@名無史さん:2011/01/15(土) 23:07:47
360日本@名無史さん:2011/01/15(土) 23:10:31
会津
361日本@名無史さん:2011/01/15(土) 23:26:38
こんな話、世襲議員のような、徳川家の配下の諸藩ボンボンたちに決まっとる。
江戸時代の創価とか、寺がつぶされると思い込んで、関係しているなぁ。
362日本@名無史さん:2011/01/16(日) 00:21:12
実際問題、龍馬は暗殺時点でどこまで考えていたんだろうな。
武士階級の解体、廃藩置県、徴兵制などなど。明治政府はその場その場で漸進的に改革しているが、一つ一つの考えは幕末からあった訳で。龍馬の考えを探ってみたいな。
363日本@名無史さん:2011/01/16(日) 00:23:34
京都見廻組の実行犯達も、暗殺後に事後報告したのだと思うよ。
364日本@名無史さん:2011/01/16(日) 00:48:22
今井とその妻は、京都守護職松平容保候から感状を頂いた、と証言してますね。
逆に見廻組の上役は、暗殺など命令していないし報告も受けていないと証言している。
365日本@名無史さん:2011/01/16(日) 01:12:37
上からの命令はなかったという証左ですな。
366日本@名無史さん:2011/01/16(日) 01:45:24
つまり、京都見廻組の佐々木は本来の上役ではなく会津藩に従って行動していたのでしょう。
367日本@名無史さん:2011/01/16(日) 01:57:24
単独行動だろうが
368日本@名無史さん:2011/01/16(日) 02:00:47
会津守護職の命令で動くとすれば新撰組を指名するはずで、そのために今井証言があるまで新撰組が実行犯として疑われていたわけだ。
369日本@名無史さん:2011/01/16(日) 02:06:02
ところが、手代木直右衛門(会津藩)は自分の弟の佐々木の犯行だと言い残して死んだ。
370日本@名無史さん:2011/01/16(日) 02:09:10
すると、手代木証言を知らずに別個の立場で、佐々木と一緒に暗殺に加わったという今井証言の信憑性が増してくるわけで
371日本@名無史さん:2011/01/16(日) 02:09:14
命令ではなかったという証言ですな。
372日本@名無史さん:2011/01/16(日) 02:10:27
いよいよ松平容保による犯行命令があったという節が濃厚
373日本@名無史さん:2011/01/16(日) 02:15:14
会津藩にとってはテロリストの首魁であろうから、容保が暗殺命令を出していても何の不思議もないけどな。
374日本@名無史さん:2011/01/16(日) 10:30:06
>>358
一般論としては理解できる。
しかし龍馬(信長もだが)は薩摩が暗殺したとしても不思議ではなかった。
新選組でも不思議ではなかった。
だから、例え結果として見廻組が成功したとしてもそれは可能性の一つが発動しただけだったということだ。

その認識が政治背景や歴史研究上の重要な認識だ。
犯罪捜査ならそれはダメだ。動機をもっているだけで実行していない者を捕えたり裁いてはいけない。

しかし、歴史を見る場合に犯罪捜査と同じレベルになってはいけない。
なってなければいいが。

375日本@名無史さん:2011/01/16(日) 10:34:21
信長の場合も光秀でもそうでなくても良かったし、背後も朝廷も義昭も秀吉や家康もあり得た。

龍馬の件なのでこれ以上信長の件は控えるが、問題はそうした人物が様々な勢力から暗殺されうる動機を持たれるのは何故かという総括だろう。
それが歴史の視点でないと、些末な犯罪捜査になってしまう。

例えば、源頼朝や足利尊氏はそうではないはずだ。
その違いは何なのか、などだろうな。
376日本@名無史さん:2011/01/16(日) 15:26:39
アラン・W・ダレスとエド・ランズデールが黒幕じゃね?
377日本@名無史さん:2011/01/16(日) 21:22:09
ただの脱藩浪人風情が出過ぎた真似をしたから殺された
それだけ
378日本@名無史さん:2011/01/17(月) 00:15:42
>>374
出たよ薩摩黒幕説w
>>374が薩摩の誰が何故龍馬を暗殺しても不思議ではないと考えたのか
その根拠を聞かせてもらいたいもんだな。
だいたい見廻組の今井信郎が新撰組から見廻組が殺ったという証言で捕まり
暗殺への関与を認めて逮捕されとる。
あとは見廻組に黒幕が居たならどこが妥当かという話をしている。
松平容保→手代木直右衛門→佐々木只三郎ルートがもっとも固いので
黒幕はほぼ松平容保というのは暗殺犯が薩摩というより信憑性のある話だw

>>377
薩長同盟の本決まりに貢献し
大政奉還を提案した脱藩浪人だがなw
勿論龍馬オリジナルの発想ではないがその貢献度は大きい。
379日本@名無史さん:2011/01/17(月) 02:23:33
だいたい「京都守護職始末〜旧会津藩老臣の手記」を編纂した山川兄弟が
歴史記録を作るための史談会に呼ばれた時、
あの本は事実に即したものじゃないし他の方にお任せを…とか言ってなかったっけ。
要はあれって容保の顕彰目的で書かれたものだし書き手も創作を認めてるんじゃない?
380日本@名無史さん:2011/01/17(月) 02:30:43
執拗に会津〜見廻組以外があやしいと言い張る層って
ホント出典を示せないよね。
381日本@名無史さん:2011/01/17(月) 14:07:43
薩摩とか土佐とかはどう考えても無理筋すぎるしなぁ。

西郷や大久保ならやりそうだとかいっても、小松帯刀と龍馬の関係を考えたら無茶だし。
基本的にこういう交渉ごとは硬軟両面から攻めて、仲介者をたてるのは常套手段だし。
実際薩摩の基本戦略は一貫してそういう流れ。資金も切迫状況が近かった。

後藤象二郎が手柄を横取りっていうのも、
その後の小御所会議とかでの押し切られかたを見たら考えられない。

黒幕がいるとしたら、幕府側以外にはないでしょ。
すでに幕府と交渉ごとをもっていた龍馬が殺されたのだから、
倒幕側の勢力争いの結果というより、
幕府内の勢力争い(誰が新政府樹立に加わるかの争い)による飛び火とみるほうが正しいと思う。
382ロシアが日本を取りに来る ヨハネの黙示録:2011/01/18(火) 07:42:02
 東北の大雪はハルマゲドンの前兆。

 ヨハネ伝に、言は神であった。すべての物はこれによって出来たと言う。こ
れは日本の言霊信仰である。イエスの奇跡は言霊によって起きた。しかし、西
洋には言霊信仰はない。魔法の呪文では神を産む事は出来ない。従って、イエ
スは日本で修行した事が判明する。
 地上の諸王の支配者であるイエスと言う表現は天皇を意味する。伊邪那岐大
神が素盞鳴尊に天下を治めよと言う神勅を出した。すると、救世主は日本人の
天皇と言う事になる。イエスが人類の罪をあがなって十字架に掛かったのなら、
天国が現れる筈だが、現れていない。ただキリスト教と言う救いの道が開かれ
たのである。
 天に設けられた御座に創造主がお見えになり、御座の周りには四つの生き物
がいた。第1の生き物は獅子の様であり、第二は雄牛の様であり、第3は人の様
であり、第4は鷲の様であった。これらはイスラエル12部族の象徴である。主
の右手に巻物があり、七つの封印で封じてあった。御使が「その巻物を開き、
封印を解くのに相応しい者は誰か」と呼ばわった。しかし、天にも地にもこの
巻物を開いて、それを見る事が出来る者は一人もいなかった。ヨハネは救い主
が現れないので激しく泣いた。すると、長老がユダ族のダビデの若枝である方
が勝利を得たので、その巻物を開き、七つの封印を解く事が出来ると言った。
屠られた小羊が現れて、その巻物を受け取り、七つの封印の一つを解いたら、
白い馬が出て来た。これは天皇の暗示。第2を解いたら、赤い馬が出て来た。
戦争の暗示。第3を解いたら、黒い馬が出て来た。疫病の暗示。第4を解いたら、
青白い馬が出て来た。死神の暗示。第5を説いたら、義の為に殺された人々の
霊魂が現れて言った。「主よ、いつまで貴方は地に住む者を裁かずに、私達の
血の報復をなさらないのですか」。すると、あなた方の数が彼らの数と同じに
なるまで待ちなさいと言い渡した。第6を解いたら、ノアの洪水の暗示。第7を
解いたら、七人の御使が現れて、第1の御使がラッパを吹いたら、火山の噴火。
第2が吹いたら、海底噴火。第3が吹いたら、赤痢。第4が吹いたら、日食。第5
が吹いたら、狂牛病。第6が吹いたら、世界大戦。第7が吹いたら、最後の審判。
383ロシアが日本を取りに来る ヨハネの黙示録:2011/01/18(火) 08:14:11
 大いなる天の徴が天に現れた。一人の女が太陽を着て、子を産み落とそうと
していた。大きな赤い竜がその生まれた男子(救世主)を食い殺そうと構えてい
た。この子は御座の所へ上げられた。ミカエルとその御使達が竜と戦ったが、
竜は負けて地に投げ落とされた。竜は女の残りの子ら、即ち神の戒めを守って
っている者達に対して、戦いを挑む為に出て行った。竜は一匹の獣に自分の力
と権威をを与えた。彼は聖徒に戦いを挑んで勝つ事を許され、すべての国を支
配する権威を与えられた。聖徒達は虜にされ、剣で殺される。
 聖徒達に忍耐が課せられる。他の獣が先の獣の像を作らせて、それを拝まない
者を皆殺させた。すべての人々に、額と手に666の悪魔の刻印(メーソンの
洗脳が完了している者の刻印)を押させ、この刻印のない者は皆、物を買う事
も売る事も出来ない様にした。この刻印を受ける者は火と硫黄で焼かれる。
 主が七人の御使に神の激しい怒りの満ちた金の鉢を渡して、地に傾けよと言
われた。第1の鉢を地に傾けると、獣の刻印を持つ人々の身体に悪性のでき物
が出来た。第2を海に傾けると、海が死人の血の様になって生物が死んだ。第3
を水の源に傾けると、血になった。第4を太陽に傾けると、人々は激しい炎熱
で焼かれた。第5を獣の座に傾けると、獣の国は暗くなり、人々は苦痛の為舌
を噛み、天の神を呪った。第6をユウフラテ川に傾けると、水が枯れて、三悪
霊がハルマゲドンと言う所に王達を招集した。第7を空中に傾けると、今まで
になかった大地震が起り、町々は破壊された。
 地に住む人々は大淫婦と姦淫を行い、彼女の姦淫のぶどう酒に酔いしれた。
彼女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石とで身を飾り、イエスや聖徒達の血に酔
いしれた(彼女の贅沢は人の生血に吸って得た物)。彼女は地の王達が支配する
大いなる都の事である。彼女の罪は積もり積もって天に達している。彼女は不
義の行いを働き、贅沢を享受したので、様々な災害が死と悲しみと飢饉とが一
日の内に彼女を襲い、そして火で焼かれてしまう。
 獣と偽預言者は生きたまま、硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。獣の
刻印を受けた者は、救世主の言の剣で切り殺され、その肉をすべての鳥が食べた。
384日本@名無史さん:2011/01/20(木) 00:50:11
>>373
この時点での龍馬暗殺は、むしろ容保の方が主君の意向に背いたテロリスト。
岩倉具視なんか頼りにしていた中岡を殺されて、
犯人見つけ次第復讐してやる〜と息巻いていたから
この件がもっと早く露見しなかった事が残念極まりない。
だいたい容保がおとなしく斬首になっていればあとは誰も損しなかったのになw
385日本@名無史さん:2011/01/20(木) 06:12:08
別段歴史という「太極」で絡める必要は無いと思うけどねぇ〜
例えば何も容堂・後藤ら「だけ」が土佐藩てワケではなかろうし
「その他」が何らかの理由で行動を起こしても不思議ではないでしょ?

>>380
出典が無ければ歴史は「語れない」ワケではなかろうし
386ロシアが日本を取りに来る ヨハネの黙示録:2011/01/20(木) 07:01:11
 なぜ、戦争の前には白気が立つのか。それは戦争の神の草薙剣の氷の刃が月
光でキラリと光り、白い霧が出るからである。五行(東木、南火、中土、西金、北水)
の西金は粛殺の働きがあり、白虎である。東木は青龍で生育、南火は朱雀で
繁、中土は黄龍で化成、北水は玄武で凝結の働きである。春に緑の新芽が
萌え、夏に葉が茂り、土用に実がつき、秋に生長が殺されて紅葉となり、冬に
精気が根に蔵入れされる。
 明治37年に起きた日露戦争の前年に八甲田山の雪中遭難があった。これは日
露戦争の前兆であり、雛型経綸の型である。
 昭和11年(1936)の2・26事件の前日から大雪が降り続いていた。これは青
年将校達の殺意が天に感応したのである。メーソン・斎藤実(内大臣)は大本教
の弾圧を指示した為に銃弾に斃れた。この年の1月に栃尾で最深積雪量708pを
記録するなど全国的寒冬で、158名死亡。翌年に盧溝橋事件が起こり、日中戦
争が勃発。前年の豪雪は戦争の前兆。
 昭和20年に終戦を迎えたが、その年の1月に森実野原で785pの豪雪で全国的
寒冬。死亡者不明。これは原爆犠牲者30万人を含めた戦没者350万人の前兆で
あった。
 西洋では死神がかまで魂の緒を切ると、霊魂が肉体から切り離されて、黄泉
(霊界)へと旅立つのである。
 ヨハネの黙示録で、最後の審判後に、悪魔である竜、即ち年を経た八岐大蛇
を獄に繋いで、千年後に獄から解放するとある。そして、地の諸国民、ゴグ(ロ
シア)等を惑わせて、聖徒達に戦いを挑ませ、彼らを火で滅ぼさせ、蛇自身も火
と硫黄との池に落ちたと言う。なぜ、裁きを2回行い、蛇を退治するなら解放
する必要がないのにそうしたか。これは国常立尊が冥府に落ちた事からこの神
を悪魔に仕立てる陰謀である。悪魔が人々を正神から引き剥がして実権を握る
為である。人々は悪魔にたぶらかされて、悪と思わずに悪業を犯す。元神の分
御霊を貰っているのだから、判る筈である。騙されるのは真剣味が足りないか
らである。つまり、向上心のない者は人間で生きる資格がないのである。そう
いう人は草木で生きた方が幸せなのかもしれない。
387ロシアが日本を取りに来る ヨハネの黙示録:2011/01/20(木) 07:06:03
 琉球に続く台湾澎湖島、御国に遠きその島に心を配れ、日本人。外国魂のこ
こかしこ。国売る曲の多くして、主人の留守の間鍋炊き。柱を崩すカミ斗り、
ヤンキーモンキー騒ぐとも、降る雨リカを防ぐ由なし。 出口王仁三郎いろは歌
 長い間この歌の解釈が不明だったが今漸く判明した。この澎湖島は尖閣諸島
である。外国魂とはメーソン魂で、国売る曲は菅直人ら民主党議員で、国民が
留守にしている内に、中国様用の料理を作って、独立国家の主権をないがしろ
する神(人)ばかり、アメ公、支那公が反日で騒いでいるが、攻めて来るアメリ
カ軍から防衛する術はない。その理由は次の通り。
 2010年9月の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件は、工作船(漁民が大切な舟を
ぶつける筈がない)が故意に日本の海保巡視船に体当たりした事件で、日本は
領海侵犯を犯し、障害を加えた船長を、中国の恫喝に怯えて釈放した。中国は
日本人を麻薬売買容疑で死刑にしたのに。11月、ロシアのメドベーシェフ大統
領が不法占拠している北方領土の国後島を訪問した。政府の要人で始めて。対
日戦勝記念日制定。11月、北朝鮮が韓国の島に砲撃。12月日米合同軍事演習中
にロシアの軍用機が日本の領空を侵犯。
 尖閣諸島は沖縄と一緒にアメリカの占領下にあり、返還後、尖閣諸島も日本
の領土になり、台湾の漁民が漁に来る事が領海侵犯となる。後に日本の弱腰外
交が禍して、台湾が領土を主張。中国は日本が台湾を侵略したとして、中国も
領土を主張。明治初期、日本人が台湾の高砂族に虐殺される事件が起きた。中
国に照会した処、蛮族は中国の管轄外だと言う回答を得て、台湾征伐を行った。
台湾はどこの国にも属しておらず、日本の領土とする事も出来た。アメリカが
北米大陸を盗んだ様に。
 アメリカが日米安協の僚友なら、一言言ってくれそうだが、アメリカがメー
ソンで日本潰しの親玉である。基地移転のしわ寄せがこの様な状況を作り出し
た。否、この様な状況にする為にこじらせた。北朝鮮も中国もロシアもアメリ
カもすべてグルで、日本を挑発して嘲っているのだ。後は日本をなぶり殺しに
するだけ。田母神は先の大戦を自衛戦と言い、勤務上は言えない。それなら前
に自衛隊を辞める筈だ。一色同様、メーソン臭い。
388ロシアが日本を取りに来る ヨハネの黙示録:2011/01/20(木) 07:13:20
 琉球に続く台湾澎湖島、御国に遠きその島に心を配れ、日本人。外国魂のこ
こかしこ。国売る曲の多くして、主人の留守の間鍋炊き。柱を崩すカミ斗り、
ヤンキーモンキー騒ぐとも、降る雨リカを防ぐ由なし。 出口王仁三郎いろは歌
 長い間この歌の解釈が不明だったが今漸く判明した。この澎湖島は尖閣諸島
である。外国魂とはメーソン魂で、国売る曲は菅直人ら民主党議員で、国民が
留守にしている内に、中国様用の料理を作って、独立国家の主権をないがしろ
する神(人)ばかり、アメ公、支那公が反日で騒いでいるが、攻めて来るアメリ
カ軍から防衛する術はない。その理由は次の通り。
 2010年9月の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件は、工作船(漁民が大切な舟を
ぶつける筈がない)が故意に日本の海保巡視船に体当たりした事件で、日本は
領海侵犯を犯し、障害を加えた船長を、中国の恫喝に怯えて釈放した。中国は
日本人を麻薬売買容疑で死刑にしたのに。11月、ロシアのメドベーシェフ大統
領が不法占拠している北方領土の国後島を訪問した。政府の要人で始めて。対
日戦勝記念日制定。11月、北朝鮮が韓国の島に砲撃。12月日米合同軍事演習中
にロシアの軍用機が日本の領空を侵犯。
 尖閣諸島は沖縄と一緒にアメリカの占領下にあり、返還後、尖閣諸島も日本
の領土になり、台湾の漁民が漁に来る事が領海侵犯となる。後に日本の弱腰外
交が禍して、台湾が領土を主張。中国は日本が台湾を侵略したとして、中国も
領土を主張。明治初期、日本人が台湾の高砂族に虐殺される事件が起きた。中
国に照会した処、蛮族は中国の管轄外だと言う回答を得て、台湾征伐を行った。
台湾はどこの国にも属しておらず、日本の領土とする事も出来た。アメリカが
北米大陸を盗んだ様に。
 アメリカが日米安協の僚友なら、一言言ってくれそうだが、アメリカがメー
ソンで日本潰しの親玉である。基地移転のしわ寄せがこの様な状況を作り出し
た。否、この様な状況にする為にこじらせた。北朝鮮も中国もロシアもアメリ
カもすべてグルで、日本を挑発して嘲っているのだ。後は日本をなぶり殺しに
するだけ。田母神は先の大戦を自衛戦と言い、勤務上は言えない。それなら前
に自衛隊を辞める筈だ。一色同様、メーソン臭い。
389日本@名無史さん:2011/01/20(木) 07:51:35
会津が何を貼ろうとも、もう坂本龍馬暗殺犯は、見廻組を動かした松平容保(会津藩主)で決定的ですなあ
390日本@名無史さん:2011/01/20(木) 09:10:15
会津は薩摩説が不利と見るや紀州に押し付ける気満々
391日本@名無史さん:2011/01/20(木) 18:22:49
そこで遣り切れない紀州は土佐説を妄想する
392日本@名無史さん:2011/01/20(木) 23:06:38
というよりは、紀州へ濡れ衣を着せようとして失敗した会津が、今度は土佐上層部へ話題を向けようとする、だな。
坂本龍馬の功績を強調することで土佐の業績に仕立てようとした土佐藩が、坂本を襲うはずもないのに。

会津の押し付けみっともない
393日本@名無史さん:2011/01/21(金) 07:46:27
アホやな。「死んだ」が故の業績・評価↑でしょが〜〜〜
明治期以降まで生きていたら逆に↓だったかもしれんのに

そういう意味に於いては、寧ろ近親な土佐藩の方が「好都合」だった訳で
394日本@名無史さん:2011/01/21(金) 08:13:11
あのね、生前の坂本龍馬・中岡慎太郎について話をしているんだよ。
死後顕彰しまくるのは土佐藩として当然。

しかし大政奉還時の土佐藩にとっては、生きている坂本と中岡が薩長へ土佐藩の功績を示すのに不可欠だった。
土佐藩には両名を殺す理由は全くない。

土佐藩を疑う人間は、坂本中岡の死後、土佐藩内に板垣あたりを除いて有名な浪士がいなくて薩長に取り残され
土佐藩が焦って坂本龍馬伝説を広めようとしたという事情を勘案していない。

土佐藩にとっては、生きている坂本と中岡が必要だった。
395日本@名無史さん:2011/01/21(金) 08:16:04
会津の人は犯人(松平容保)を隠蔽したいから、嘘でも罵倒でも何でも書くのさ
396日本@名無史さん:2011/01/21(金) 08:28:15
だいたいお前は関西人じゃなくて水沢だろが
397日月地神学の伝道者:2011/01/21(金) 14:38:05
 あなた方はまだ判らないのか。日本は加工貿易で飯を食っている。原料を輸
入してそれを加工して、工業製品として輸出して、その差し引いた利潤で石油
を買って、今の生活が成り立っている。その花形の電機産業の東芝、松下電器
等が不良品で叩かれ、言われなき特許侵害で訴えられて、高額な賠償金を払わ
させられている。自動車産業の三菱重工とトヨタが欠陥品の濡れ衣の汚名を着
せられて、企業収益が赤字に転落している。日本は何で飯を食えばよいのか。
 日本の財政は莫大な借金を抱えて、国と地方を合わせて約1千兆円を計上し
ている。これは表向きであって、隠したものを含めると最低でも3千兆円であ
る。国民1人当たり3千万である。誰がこの借金を返済できるのか。馬鹿が日
本は債権国であるというが、いざとなれば、米国債等の外国債は踏み倒しにさ
れる。土地等の評価格も大不況になれば買値がつかない。世界大恐慌ともなれ
ば失業者が巷に溢れ出る。
 日本はこの借金と言う悪のからくりの生命維持装置で長らえているだけであ
る。この借金と言う吸血鬼が我々の生血を吸い続けている。
 例え話で話すと、雀は種を蒔かなくても、刈り取りをしなくても、蔵に蓄え
なくても食べていける。これは神の恵みを与えられているからである。この様
に人間も自給自足の生活をすれば、殆どの企業は潰れ、僧侶、学者、医者、役
人、企業家、商人、サラリーマン、職人、漁師等は死に絶えて、神を畏れる農
民だけが生き残る。農民以外はすべて吸血鬼で、書き記した上位の者ほど悪徳
なのである。これらは贅沢と言う名の寄生虫で、雀を捕る隼である。この贅沢
の中に肉食、伴侶以外の者との姦淫等が含まれる。人間は悪の社会制度の中で
生血を吸い合って、弱い者が奴隷にされている。動物達はそれ以上に生け贄に
されている。これらの事に気がつけば、なぜ、神が人間を裁かれるのかが判る
筈です。神は弱い物の味方です。人間、動物、虫けら、草木まで救う為に、悪
の神とそれに付き従う人間共を退治するのです。
 メーソンはそれらの人間を退治する悪の選民で、最後にはメーソンもあなた
達よりも早く改心します。改心出来なければ草木になるか、地獄の業火でのた
うちまわって、魂まで焼き滅ぼされます。
398日本@名無史さん:2011/01/21(金) 15:10:54
>>394
んだから、何故藩ていう「全体」で考えるのか?てことだわな
”後先考えず”ただ単に”殺したかった”って理由もなくはないと

特に上・下士身分制度にガチガチな「その他大勢」がどこまで「先」の事を考えていたか?て話だわな
399日本@名無史さん:2011/01/21(金) 15:21:21
つまり、松平容保の衝動殺人命令もありうると
400日本@名無史さん:2011/01/21(金) 19:40:22
俺の京での利権が〜ってつい暗殺指示してもおかしくないもんな
401日本@名無史さん:2011/01/22(土) 00:24:32
>>393
生き続けていたら三菱財閥などは形成されず、坂本財閥が出来あがっていただろう。

坂本龍馬なら侯爵さまぜよ。
402日本@名無史さん:2011/01/22(土) 08:48:36
>>400
いや、それはないだろ。
京都駐屯は大赤字で会津財政を破綻寸前に追い込んでるんだから。

政治的な優位を失うのは嫌がっただろうけどね。
403日本@名無史さん:2011/01/22(土) 09:39:08
松平容保が藩財政を考えていたようには思えないなあ
財政は家老にまかせっきりで、守護職の負担だけ国許に押し付けて、初めて藩領に入るのは鳥羽伏見の戦いの後だし
404日月地神学の伝道者:2011/01/22(土) 11:47:43
 三島由紀夫は、自衛隊は憲法違反ではないと言う欺瞞によって殺された。国
際紛争を解決する為に陸海空軍の戦力は保持しないと自衛隊は明らかに矛盾す
る。こんな事は中学生の国語力でも判断出来る。三島は自衛隊員の為に、命を
懸けて祖国を護る男の為に憲法改正を呼び掛けて、隊員らの迫害によって、負
けたと観念して自決した。当時、国民も彼を気違いだと罵った。北朝鮮、中国
などの軍事的圧力が高まって来て、初めて三島の主張が正論であった事に気が
ついた。しかし、いくら憲法を改正しても、核武装しても武力では解決しない
のである。核を持っても、すでに、米国、ロシア、中国は核弾頭を配備して、
あとはボタンを押すだけである。何万発の核の前には無力である。日本は総国
民玉砕の覚悟で、先の大戦を戦ったが、負けておびただしい戦没者が出た。こ
の教訓が何の役にも立っていない。日本はあくまでも国際世論に訴えて、いく
ら国権を侵害されようが、日本人が殺されようが、忍従して、がまんにがまん
して耐えなければならない。それが神国日本の務めである。
 先の大戦は自衛とアジア独立開放の為の戦争であった。それなのに、国民は
戦争が終わると、裏切って、その大義の為に死んだ英霊に侵略者の濡れ衣を着
せて、鞭打っている。アメリカ様のご機嫌を損ねない為である。そんな輩が売
国奴の菅ら民主党議員を非難する事は出来ない。自民党議員も同じ穴のむじな
(狸)である。
 所詮、この世は狐と狸の化かし合いで、人は強いものになびくのである。正
義などどこにもない。警察は巨悪に目をつぶって、こそ泥を捕まえて手柄とし、
司法は無実の人を死刑に処断する。法の正義は建前だけで、本音は誰も彼も法
律を破り、法の解釈という逃げ道で逃れている。
 人は法を犯しても甘い蜜を吸おうとして悪事に走る。世の中悪人だらけであ
る。泥棒ばかりのこんな世の中が成り立つ筈がない。国民すべてがこの欺瞞の
責任を取って、神の前で裁かれねばならない。それまで、悪人に迫害されても、
耐えて、神の教えを守り抜き、勇気を持って、義の為に死のう。そうすれば、
最後に神風が吹いて、神が神民に手柄を立てさせて、万劫末代、名の残る名声
と地位を与えて下さる。
405日本@名無史さん:2011/01/22(土) 12:29:38
松平容保が藩の財政を考えていたのなら、西郷頼母を家臣の前で面罵して
京都守護職の支度のための金を用立てるよう、きつく言い渡したりはしないよ。

国許の西郷頼母が何度となく京都守護職辞任を要望しても全て拒否したし、
兄の徳川慶勝が京都守護職辞任を勧告した時もきっぱり断っている。

松平容保が京都の中央政治と権力に酔っていたことは確か。
406日本@名無史さん:2011/01/22(土) 16:14:57
そういえば会津観光史学を批判した牧野登は西郷頼母が研究対象だったな〜
彼も龍馬も、会津藩上層部の身勝手さの犠牲者かもしれんね
407日本@名無史さん:2011/01/22(土) 16:50:17
星亮一HPより

龍馬を考えるとき、いつも複雑な思いに駆られるのは、龍馬暗殺である。
 京都見廻組の幹部だった今井信郎の証言で、長い間、同じ見廻組の佐々木只三郎が実行犯にされてきた。
佐々木は会津藩重臣の手代木直右衛門(勝任)の実弟である。
 会津悪人説が出てくるゆえんである。
『佐々木只三郎』(史伝研究所)に、
「実兄の手代木が息を引き取る数日前に、坂本龍馬を殺したものは実弟只三郎であり、
それは某諸侯の命によるものであることをはじめて語ったという。
某諸侯というのは、のちに見廻組が属した京都守護職松平容保すなわち手代木の藩主を指すのであるが、この事実を公にすると、
累を藩主に及ぼす恐れがあるので、直右衛門はずっと後代まで沈黙を守っていたのである」
とある。
 しかし、これには首をかしげる部分が多い。会津藩の重臣たるものが、主君である松平容保にとって不利な証言をするだろうか。
しかも手代木の証言の時期が死ぬ数日前というのも、作り話の印象がある。
容保の実弟、京都所司代であり桑名藩主でもあった松平定敬の指示という文書もある。
この時期、龍馬は幕府若年寄の永井尚志と再三、会っており、ハト派の政策を進めていた。
戦争ではなく平和裏に、新生日本を作ろうということだった。
その人物を、幕閣の松平容保や定敬が暗殺せよと言うはずはない・・・(以下略)

幕権回復運動等、当時の会津の情勢について都合の悪い部分は飛ばして語り、
願望のみを根拠に印象で語るのが★先生流です(笑)
408日本@名無史さん:2011/01/22(土) 17:48:42
>>406
容保の神保の処遇を観ればあきらかだよな
上杉の「七家騒動」ではないが、数に優勢な上層の以降は無視できなかったでしょ
所詮は養子殿様
409402:2011/01/22(土) 18:31:34
>>403
それに異論はないが、>>400の「京都に会津の利権がある」発言はおかしくね?って話さ
410日本@名無史さん:2011/01/22(土) 19:29:45
>>378
おまえの読解力がその程度だとはな・・・

薩摩が黒幕などと書いてないし、そんなことも思っていない。
今井には薩摩は何も関与していないだろう。

龍馬にいてもらっては困る人間が山ほどいたのは確かだ。
信長も同様。
それをすぐに実行犯の黒幕にしたがるのは小説家とか妄想壁のある人間で、大抵いうことに信憑性はない。
411日本@名無史さん:2011/01/22(土) 19:57:27
妄想する人間が歴史板に多いのは確か
412日本@名無史さん:2011/01/22(土) 23:59:23
>>408
国許が京都での松平容保の一連の濫費・政治的な敗北と、
それによって会津藩を窮地に追い込んだことを詰問したら、
松平容保は、京都では和平派だった神保に切腹を強要して責任逃れをしたんだよね。

主戦派だった容保は生き残り、和平派だった神保に腹を切らせる陰湿さ、
これも松平容保の印象を悪くしている。
413日本@名無史さん:2011/01/23(日) 19:46:09
>>410
言い訳はいいからw
薩摩が犯人でも不思議ではないと考えた理由を語ってもらおうか。
で、あとは誰と誰が龍馬を殺しても不思議ではない「どんな」理由があるって?
414日本@名無史さん:2011/01/23(日) 19:48:00
>>413
あほやがなw
415日本@名無史さん:2011/01/23(日) 21:43:50
>>410

>>374
>しかし龍馬(信長もだが)は薩摩が暗殺したとしても不思議ではなかった。

よく知りもしないのに適当言ってごめんなさいって言わないとね。
416日本@名無史さん:2011/01/24(月) 00:11:06
阿呆が湧いてるな
417日月地神学の伝道者:2011/01/24(月) 09:01:37
 古事記に書かれている八俣大蛇退治が神の裁きである。
 素盞鳴尊が出雲国の鳥髪と言う地に降りられると、足名椎と言う名の翁と手
名椎の名の媼と櫛名田比売の名の乙女が泣いていた。事情を尋ねられると、私
の娘は八人いましたが、毎年、大蛇に食われて、最後にこの娘が食われる時が
来ました。その大蛇は、身一つにして、八頭と八尾があり、目は赤い。素盞鳴
尊がこの娘をくれないかと仰るのを、あなたは誰ですかと問うので、私は天照
大御神の弟だと答えられた。それなら差し上げましょう。素盞鳴尊は酒樽を用
意させて待たれていると、大蛇はその酒を飲んで酔ってしまったので、十拳剣
で首を切って、体中を切り割って最後に尾を切ると、刀の刃が欠けた。おかし
いと思われて割いて見ると草薙剣が現れた。
 八股大蛇の八頭は八つの王を指している。つまり、悪魔に憑依された八つの
国王である。日本、米国、ロシア、中国、英国、仏蘭西、独逸、伊太利の国で
ある。八つの国の国民のうち櫛名田比売(日本)だけが、まだ、悪魔に憑依され
ずに残っているが、日本も悪魔の手に落ちる時が来た。素盞鳴尊が悪魔を切り
斃して調べて見ると、尾の中に草薙剣が入っていた。つまり、日本の下級層の
百姓の中に大和魂を持っている者(草薙剣は天皇も暗示している)を見い出して、
救世主の御役に使うと言う奥義を暗示しているのである。素盞鳴尊が鬼退治を
行う救世神である。
 ヨハネの黙示録では、悪魔である龍、年を経た蛇は地の諸国民、ゴグ(ロシ
ア)らを惑わし、彼らを戦いの為にハルマゲドン(日本)に召集した。彼らは聖
徒達の陣営を包囲した。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
そして、悪魔は天使ミカエルによって火と硫黄の池に投げ込まれた。天使ミカ
エルは素盞鳴尊である。
 日本の古代文明が世界中に広まって、日本の天皇が世界を治めていた。マヤ
文明における予言、インディアンホピ族の予言の基は日本から伝わったもので
ある。竹内文書の内容はおおかた正しい。旧石器遺跡の捏造は真っ赤な嘘で、
藤村新一氏は神の啓示で遺跡を発見した。アカデミーは日本の古代文明が公に
なる危険性を感じて、藤村氏を恐喝して、捏造のやらせの芝居を行わせたのだ。
418日本@名無史さん:2011/01/24(月) 21:59:17
>>414
>>416
アホ会津発見www
とうとう龍馬暗殺指令者=容保に言い返せなくなったか
419日本@名無史さん:2011/01/25(火) 06:40:06
中村半次郎も、佐々木も自分が関わった件はきちんと証言している

・・・容保は証言したの??
420日本@名無史さん:2011/01/25(火) 20:11:29
>>1から見てこい
421日本@名無史さん:2011/01/26(水) 14:26:48
なんだ・・・やっぱ証言ないじゃん
422日本@名無史さん:2011/01/26(水) 16:16:41
手代木の証言から
松平容保が暗殺指令黒幕最有力
って話だわな。

土佐藩やら薩摩藩やらフリーメイソンやらwに比べ証言・動機・人間関係共に不自然な点は無い。
423日本@名無史さん:2011/01/26(水) 18:00:59
明治期に「龍馬暗殺」って褒められたことだったの?
さすがに違うだろ?

それで、容保の暗殺指令があったととられる証言をしちゃう手代木って
武士のクズ?
424日本@名無史さん:2011/01/26(水) 19:12:00
「素直」にとれば会津候ではなく「桑名」なわけで〜〜>手代木証言

容保じゃないじゃん〜〜〜〜
425日本@名無史さん:2011/01/26(水) 19:23:54
自分らの立場が無いってんで慶喜の意志に猛反発するわ大政再委任運動起こすわで
後々まで争乱の火種になった容保達こそ武士のクズさw
他の見廻り組にも同様のケースのやつがいるし罪悪感から証言したんだろ。

手代木は「某諸侯」の御指図と言い残している。
手代木及び京都見廻組と関係がある藩主の中で最も疑いが濃厚なのは松平容保。
426日本@名無史さん:2011/01/26(水) 19:48:01
なんで定敬じゃなくて容保が濃厚なんだ?
427日本@名無史さん:2011/01/26(水) 20:09:53
>>425

・・・”蓋し”某諸侯とは所司代「桑名侯」を指したるなり、
桑名候は会津候の実弟なりしを以て、手代木氏は之が累を及ぼすを憚り、終生此事を口にせざりしならん

抜けてますぜ旦那〜
428日本@名無史さん:2011/01/26(水) 20:54:09
>>427
よく読め、そこは編者の注釈部分だw
ちなみに同証言による「佐々木只三郎伝」では松平容保になっている。
只三郎伝は佐々木の姪やその他親族が東京の史伝研究所に出版を依頼したもので、
手代木伝の編者は仙台人。
容保と定敬、どっちが妥当かと言う議論はスレ読んで来いw
429日本@名無史さん:2011/01/27(木) 15:05:04
結局、手代木自身は「容保の指図」とは証言してないのね。
430日本@名無史さん:2011/01/27(木) 17:55:01
聞き手が「注釈」したって事がミソなんだろ?
「あぁ・・・会津候なんだろうが弟(桑名)と書いておこうか?」みたいな
431日本@名無史さん:2011/01/27(木) 18:03:55
>>429
証言は「某諸侯」より暗殺指令があったいう事

>>102より
なぜ松平容保が最も怪しいかというと
実行犯が他でもない京都見廻組で、暗殺グループのリーダーが佐々木只三郎だからだ。

定敬は容保の実弟で幕権回復論を唱える桑名藩主だから共謀していても不自然ではない。
しかし年の差を考慮すると容保が主、定敬が従だ。
関与したメンバーは会津藩が中心、手代木は某諸侯からの指図と言い残した。
松平容保→手代木直右衛門→佐々木只三郎の構図で見事に不自然な点はない。

ちなみに手代木直右衛門は会津藩公用人で容保の側近
佐々木只三郎は手代木の実弟なw
432日本@名無史さん:2011/01/27(木) 20:21:37
>実行犯が他でもない京都見廻組・・・・と「断定」されちゃうとそうなる「かも」ね


今井信郎糺問・・・坂本龍馬暗殺は佐々木只三郎首として信郎などの輩(やから)乱入という。
もっとも佐々木も上からの指図これあるに付き、事を挙ぐ。あるいは「榎本対馬」の令か
(勝海舟談)

兄貴繋がりで会津候の名はまずいので「あえて」榎本の名を出したのか?
全く背後は知る由もなく、佐々木の名が出ていたので(清河暗殺経緯踏まえ)
目付榎本対馬の名を出した?
433日本@名無史さん:2011/01/27(木) 21:18:02
龍馬暗殺実行犯で京都見廻組以外を挙げる奴はただの妄想厨
なぜなら自白・証言が上がってるのは京都見廻組だけだから
他の説は犯人○○なんじゃないかなぁ〜という当時の人間の回想以外根拠なし
434日本@名無史さん:2011/01/27(木) 23:41:38
佐々木は「自白」しとらんだろ?清河殺害は「認めた」人が〜
435日本@名無史さん:2011/01/28(金) 00:32:07
佐々木は捕まる前に死んだから
見廻組の今井信郎・渡辺篤・桂早之介と新撰組と手代木の証言だねw
436日月地神学の伝道者:2011/01/28(金) 09:52:01
 東洋思想の先進性
 遺伝子の本体がDNAであるが、たんぱく質合成を指令する暗号(メッセンジ
ャーRNA)は4種類の塩基シトシンC、ウラシルU、アデニンA、グアニンG
のうち3種類の組み合わせで作られる。4の3乗で64とおりある。ところが、
易の64卦は八卦(乾、坤、震、巽、坎、離、艮、兌)に八卦をかけたもので6
4とおりある。UA☐は読み終わりの命令であり、艮にも止まると言う意味が
ある。易は遺伝子暗号の仕組みを知っていたのである。
 コンピューター理論の基になった二進法の発明者ライプニッツは易の64卦
図を参考にして作った。
 近代科学技術の発達が人類にとって利益になるどころか、害悪になってきて
いる。大気、水質汚染等の地球の環境破壊、凶悪犯罪の増加等の精神性の欠如
に表れている。
 そこで、針麻酔、気功麻酔のメカニズムが科学では到底解明出来ない事から、
気を神の気と捉える考え方を復活させなければならない。東洋思想の基は先代
旧事大成経である。そこには、神々の世界が詳細に書かれている。日月神示に
も神が行う立て替えの事が書かれている。やはり、日本は神国であり、日い出
る国である。聖徳太子の未来記にも日本の終わりの事が書かれている。
437日本@名無史さん:2011/01/28(金) 10:11:20
岡いる同じした。冥。
そ田て時は失情たる福
の、有っにの恋同めあ
た子り希歌彼た仲てで
かっをも子で女れ間し
。らか産ごはオの現と
中る殺なむ身神ジ幽が
の森あさかとを田タ霊
ヒ夜明でれ聞言子正ス
トッが菜のたてっの輝



岡田有希子は神田正輝の子を身ごもり、その子を産むと言って聞かなかったか
ら殺されたのである。中森明菜が夜のヒットスタジオで歌っている時に彼女の
幽霊が現れたのは、同じ失恋仲間として同情したためである。冥福。 
438日本@名無史さん:2011/01/28(金) 16:53:38
ttp://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/1361/diary.htm

ふむふむ・・・・これは・・・・!
439日本@名無史さん:2011/01/28(金) 17:40:03
つまり、見廻組の犯行は間違いないということになってしまう
440ニーチェの弟子:2011/01/28(金) 19:18:15
近江屋で殺されたのは、龍馬でなく龍馬の影武者ですよ。
まさかあの写真が龍馬だと?
似ても似つかない別人です

では、その真犯人とは・・・
もちろん龍馬本人です。
ただ名乗っていた名前は別の名。
そう、幕末時代で有名なあの人です。

この時代、すり替わりが度々起きてますね。

あの時、近江屋に訪れたのは2名。
二人とも龍馬(影武者)とは顔見知りの人物です。
アーネスト・サトウの描いたシナリオは実に巧妙ですね。
441日本@名無史さん:2011/01/28(金) 19:49:20
>>439
間違いないというのは誤謬がある
最も可能性が高いor他に信憑性のある候補がいないという方が適切かな
442日本@名無史さん:2011/01/30(日) 07:32:30
樋口真吉さん
最近日記が見つかり、当時の克明な状況がまた改めて分かった次第ですが
どうやら暗殺前後に京にて色々探索?していたようで・・・??

そういや、龍馬が友人を介して宛てた手紙は届かなかったそうですが(殺一ヶ月前?)
確かその時は高知に行っていたとかで・・・・いつ京に?
京に居たなら、何故に龍馬に会わなかったのか?仕事が忙しかった?

未だ全文は明らかではありませんが、結構克明に記述しているそう
中岡、若しくは近江屋からか・・・・・・?
剣に腕の覚えある方なので「暗殺犯」くらいは特定してそうですがどうでしょうか?
443日月地神学の伝道者:2011/01/30(日) 11:36:49
 日本アニメの巨峰アルプスの少女ハイジ
 アルムの山々でおじいさんのオンジと一緒に育った少女ハイジは、天真爛漫
で、人にも動物にも優しく、何の悪意をも持たない自然児である。厳しいが絶
景の姿を見せる山々、高原のお花畑、山羊等の動物とのふれあい等は自然賛歌
である。オンジは人付き合いの嫌いな変わり者だが、厳しい神の掟を心得てい
る。ある日、町の人間が山へ猟に来た時に、今日は天気が悪くなって、嵐にな
ると忠告したが、その人達は下界が晴れていたので信用しなかった。すると、
嵐になって彼らは遭難しそうになったが、オンジが探しに来てくれたので命拾
いした。
 ハイジが友達になったクララの為に、フランクフルトに住む事になったが、
町の生活や勉強が嫌になって、アルムの山々が恋しくなった。しかし、クララ
の為に我慢しなければいけないと思っているうちに、夢遊病になってしまった。
これは人間が自然のふところに抱かれなければ生きていけない事を示している。
 クララは足が悪くて、歩く事が出来なかったが、アルムの山々の生活の中で、
自然に癒されて、最後は歩けるようになった。自然のふところに抱かれ、薬草
を食べた山羊の乳を飲み、オンジの指導の下に、クララも努力した苦労が実っ
たのである。
 クララのおばあさんがハイジにお礼に何が欲しいかと聞いたら、山のふもと
に住んでいる盲目のおばあさんの為にハイジが使っていたベッドが欲しいと答
えた。ハイジは自分のことよりも他人の事を思いやる憐れみの心を持った天使
なのである。
444日本@名無史さん:2011/02/01(火) 17:09:20
現場判断です。
445日本@名無史さん:2011/02/01(火) 18:40:32
寺田屋事件の時も「肥後守(容保)の上意なるぞ、神妙に致せ」と幕吏が龍馬に言ってたな。
前からマークされてた訳だ。
446日本@名無史さん:2011/02/01(火) 19:01:13
>>445

「(伏見奉行・林)肥後守の上意なるぞ、神妙に致せ」が正しい。
447日本@名無史さん:2011/02/01(火) 19:11:06
今のところ各種証拠から勘案して
(命令者)会津藩主松平容保
(伝達者)会津藩士手代木直右衛門
(実行者)佐々木只三郎ら見廻組隊士

(動機)大政奉還への敵意
でほぼ固まりつつあります。
448日本@名無史さん:2011/02/01(火) 19:36:43
>>447
手代木は
薩長同盟を恨んで…
といってるから動機はもっと前から、大政奉還は決定打だろう。
449日本@名無史さん:2011/02/01(火) 21:48:47
捕縛と言っても事実上の暗殺指令だろう。
しかもここにきては会津こそ慶喜の決定に逆らうテロリストに他ならない。
隠蔽に必死なわけだなw
450日本@名無史さん:2011/02/02(水) 02:59:05
肥後守って言われると、鉛筆削り用のナイフしか思い浮かべられない……
451日本@名無史さん:2011/02/02(水) 03:43:01
手代木って、一体誰って感じだ。廣澤の後に来た普通の人みたい。思想とかも無いみたい。
452日本@名無史さん:2011/02/02(水) 08:08:48
人材のいない会津を体現した、激烈バカ。
453日本@名無史さん:2011/02/02(水) 09:01:38
>>449
ただの警察行為とする意見もあるが、中岡の話によれば
偽名で訪ねて問答無用で切りかかってるからなw
どう見ても暗殺

>>452
神保とか頼母とか会津で常識的な意見をする奴は皆酷い目に合いましたとさ
454日本@名無史さん:2011/02/03(木) 00:52:39
偽名で潜伏している反政府主義者を警察組織に属する人達が暗殺した作戦としては成功だ。
455日本@名無史さん:2011/02/03(木) 01:48:14
ところが大政奉還後では大政奉還に猛反対し龍馬を暗殺した容保らの方が反体制派なんですね。
おバカな上層部のせいで会津は逆賊朝敵街道まっしぐら。
456日本@名無史さん:2011/02/03(木) 02:18:49
勝てば官軍という言葉通りですな。
457日本@名無史さん:2011/02/03(木) 14:27:33
>>448
仮に容保ならば、手代木の「意思」なんぞ無関係でそ??上意な訳だし
手代木が殿を「そそのかした」なら別ですがねぇ
458日本@名無史さん:2011/02/03(木) 19:31:26
>>457
スレに手代木〜伝の該当部分が貼ってあるだろw
某諸侯から御指図があって動機はこれこれこういう事でしたという話だ。
東北民は松平定信の愚民化政策の影響でまだ日本語苦手なのかねえ。
459日本@名無史さん:2011/02/03(木) 19:33:53
どうだろう、各種史料から見れば、松平容保は徳川慶喜から大政奉還実行を聞いて激怒し、
即時取りやめを要求し、大政奉還が実行されたのちも大政再委任を求め、憤懣やるかたない有様だったと記載がある。
しかもこの記載は、徳川慶喜の周辺だけでなく、会津支持の人が「函館まで戦い徳川慶喜を批判した正義の人」と褒め称える
筆頭老中(京都詰)・板倉勝静の周辺からも同様に出てくる。

京都守護職始末記を振りかざして、容保様は大政奉還大賛成だったんだよ、と記す中村彰彦らの姿勢は正直疑問。
あの人々は松平容保を庇うために嘘をついている。

だいたい、京都守護職始末記は明治の終わりに松平容保の失敗を隠蔽する目的で書かれた本で、
根拠の提示はなく、客観性もない。
460日本@名無史さん:2011/02/04(金) 00:16:53
なんで小松帯刀は龍馬のこと守ってあげなかったの?
461日本@名無史さん:2011/02/04(金) 00:36:44
再三薩摩藩邸に入って会津の襲撃を避けなさい、と助言はしているのだけどね。
徳川慶喜も大政奉還を認めているから大丈夫と思っていたのか、宿から動かなかった。

実際は松平容保が徳川慶喜の大政奉還の意思へ楯突きながら、虎視眈々と龍馬の命を狙っていたというわけで。
462日本@名無史さん:2011/02/04(金) 00:45:26
徳川慶喜の大政奉還推進路線でも、突き進めば京都に無血入城は可能だった。

なのに会津は武等路線にこだわって、坂本龍馬も亡き者にして土佐藩との関係は悪化、
その上薩摩の挑発に乗せられて、会津は京都の天皇へ銃口を向けた。

会津が徳川慶喜の戦略を後ろから破壊した。
会津が忠義を名乗るのは大間違いだろう。
463日本@名無史さん:2011/02/04(金) 00:58:36
>>461
じゃ〜何故に樋口宛に手紙(宿探し)を出したのか?ってことだわな
464日本@名無史さん:2011/02/04(金) 01:03:43
薩摩藩邸に入ると幕府から警戒され、
せっかく築いた松平容保や永井尚志と直接面会できる関係が崩れると思ったのでしょうね

しかし松平容保は面会を快く受けながら、他方では他の幕閣に逆らう形で龍馬暗殺の命令を下していた
465日本@名無史さん:2011/02/04(金) 01:44:10
松平容保って卑怯

坂本竜馬に面会しておきながら彼の命を奪いその後面会記録を抹殺してしまった
土佐藩へは幕府が龍馬を殺したことにして容保は徳川慶喜の後ろに隠れ
暗殺の理由のない主君徳川慶喜と土佐藩とを仲たがいさせた
さらに明治になると実は大政奉還に賛成していたと嘘を並べて徳川慶喜に反抗していたことを隠した
さらに江戸開城に反抗し会津藩兵が関東騒乱の一翼を担っていたということを隠し会津は恭順していましたと嘘をつく
その上転戦先で会津藩兵の残虐行為は山ほど残っているのに全て隠し薩長薩長と無実の相手に罪を着せようと記述する
戦後の対応も会津が自ら選んだ下北半島での立藩を薩長に強制されたと言い換えて済ませる
その上会津が差別があったと主張する戦後の対応には薩長はまるで関係がない
466日本@名無史さん:2011/02/04(金) 01:54:29
ん?また会津厨が湧いて出てきたか
467日本@名無史さん:2011/02/04(金) 22:12:21
合図虫は融通がきかないから…
468日本@名無史さん:2011/02/04(金) 22:32:13
海援隊に幕府のスパイがいなかったっけ?
469日本@名無史さん:2011/02/05(土) 00:45:00
470日本@名無史さん:2011/02/05(土) 00:47:14
とばっちり規制半年振りに解除された
死ねクソ運営

>海援隊に幕府のスパイがいなかったっけ?
佐々木多門のことなら間違い
471日本@名無史さん:2011/02/05(土) 01:33:59
見廻にはスパイがいたぜ?
472日本@名無史さん:2011/02/05(土) 05:18:29
中岡が犯人説は?
473日本@名無史さん:2011/02/05(土) 21:35:29
佐々木只三郎と松平容保の密接な関係が明らかになったので、
とうとう、徳川恩顧の人々の中でも異論のない、佐々木が坂本龍馬暗殺実行犯という部分まで隠そうと試みるしかなくなったと

哀れなり会津厨房
474日本@名無史さん:2011/02/06(日) 05:05:06
坂本君ってば身の回りの危険を意識しな過ぎ。

SECOMしていればね、
475日本@名無史さん:2011/02/06(日) 07:25:47
476日本@名無史さん:2011/02/06(日) 09:20:50
>474 中岡慎太郎もそうだな。幕末・明治に暗殺された人間はすべて危機意識が薄かったとも言えるな。
477日月地神学の伝道者:2011/02/06(日) 10:08:36
 正当なユダヤ教は非常に厳格な戒律(モーゼの十戒)があり、その内容は日
本の神道によく似ています。ユダヤ悪魔教はタルムートという教義があり、そ
の中に、ユダヤ民族は神の選民であり、神の裁きにより、ユダヤ民族以外は滅
亡する。ユダヤ民族以外は獣であり、殺してもかまわない。悪魔的な血の儀式
を行う。正統なユダヤ教徒は正しいがゆえにイエスのように迫害され、ユダヤ
悪魔教徒は人間に寄生して悪の限りを尽くす為、忌み嫌われて迫害された。し
かし、ナチスのホロコーストは虚構である。このユダヤ悪魔教の秘密結社がフ
リーメイソンであり、ピラミッド上にデーモンアイの象徴を使う。ユハネの黙
示録で言う666の悪魔はこれである。テレビ、パソコン、携帯にはこのデー
モンアイが内蔵されており、あなた達をのぞいています。映像と音声と通信を
傍受して、監視している。悪魔の刻印を額と手に受けたもの以外は買う事も売
る事も出来なくして、神の刻印を受けた者を自滅させようとしている。悪魔の
刻印を額にと言う意味は、悪魔に魂を売った者と言う事であり、手にと言う意
味はインターネット、携帯による電子マネーを利用する者という意味である。
478日本@名無史さん:2011/02/06(日) 11:23:40
見廻組の奴ら龍馬と慎ちゃんを滅多切りにしやがって〜
松平容保のアホ!朝敵!
479日本@名無史さん:2011/02/06(日) 13:45:58
徳川慶喜が認めた大政奉還を、
まさか部下の松平容保が、裏から楯突いて壊そうとするとは思っていなかったのかもね

松平容保の徳川慶喜への背信を読めなかった、だから無用心だった
480日本@名無史さん:2011/02/06(日) 14:48:35
大政奉還のあと、清川某というのが征夷大将軍に任じられたらしいな。
481日本@名無史さん:2011/02/06(日) 15:07:40
坂本龍馬暗殺指令犯=松平容保
の事実が世に広まれば容保株は大暴落、
さらに「何で龍馬を暗殺なんてしたの?」と疑問を持たれて
当時の会津藩の事情を探られたら、会津の「悲劇の忠臣」のイメージは崩壊しちゃうねwww
482日本@名無史さん:2011/02/06(日) 15:09:24
>>475
やっぱ土佐藩の仕業だったのね
まさか近江屋が「存在」していなかったとは盲点盲点・・・・
483日本@名無史さん:2011/02/06(日) 15:10:53
まったく、龍馬暗殺の次は佐々木抹殺ですか
会津の罪は日に日にエスカレートしてゆく
484日本@名無史さん:2011/02/06(日) 15:19:23
会津藩主松平容保の大政奉還への怒りは江戸まで伝わっているし、
京都の幕臣たちの大政奉還への怒りや、大政奉還を推進した後藤や坂本・中岡らへの殺意も
後藤や坂本、中岡らは承知していただろうに。

感情に踊らされた松平容保は小人の極みだが、坂本や中岡は無用心が過ぎる。
485日本@名無史さん:2011/02/06(日) 15:28:24
容保「え・・・と、俺は命じた覚えがないんだが・・・・・」
   「あれ・・・手代木、テメェもしかして独断な訳?」
手代木「これには・・・・・・」
容保「そういや、お前何故岡山に落ち着いたの?会津は故郷だろ?」
   「墓くらいは故郷に造れよな。何か後ろめたいことあるわけ???」
486日本@名無史さん:2011/02/06(日) 15:43:48
会津戦争では秋月と共に新政府軍への停戦の使者までやった手代木が、不利な証言を残したからと言って
即座に罵倒の対象へ 会津の薄情さには悲しくなるよ

秋月胤永も会津には帰らなかったね
487日本@名無史さん:2011/02/06(日) 15:51:33
坂本龍馬暗殺については、真犯人がほぼ松平容保と特定されつつある状況なのだから、
会津の関係者としては、ラッキョウの皮をむくように自らの外側の殻を外して、
そちらへ罪を擦り付けて、松平容保本人へは責任逃れをすることになるのでしょう。

藤村旧石器で知られる藤村新一も、事件発覚後、
自分じゃなくて自分の手が悪いことをした、自分じゃないと言って指を切り落としました。
あれと同じ。
488日本@名無史さん:2011/02/06(日) 15:53:38
ハーンが尊敬した人と同列に語るなかれ
489日本@名無史さん:2011/02/06(日) 16:00:45
秋月と手代木の両名は連名で停戦の使者として派遣されたのだが、
そういうことも知らずに罵倒して、思わぬところに火の粉が飛んだね

手代木が後ろ暗いところがあるというのなら、秋月も同じことになってしまう
490日本@名無史さん:2011/02/06(日) 16:06:14
あなたたちの言う容保命令による龍馬暗殺があるだろ?
維新第一級な人物をまかりなりにも暗殺せしめた件は
それこそ死の間際まで彼を悩ませ続けた
491日本@名無史さん:2011/02/06(日) 16:07:47
だから民話のあれさ
身に付けているものを放り投げると、敵の前で暫く戦ってくれるというモチーフ
要するに松平容保にとって部下は使い捨て
いったん切り離したものへは執拗に罵倒して、自らの罪も移し変え、松平容保は正義でござる、と大威張りできるという寸法

・・・・・・切り離された者にとっては地獄だろうけど
492日本@名無史さん:2011/02/06(日) 16:13:55
別段部下の使い捨てなんぞ容保の「専売特許」ではなかろうに
がしかし、それでも忠節を通さねばならぬのが武士の仕来りであろうに
難儀なことこの上なし
493日本@名無史さん:2011/02/06(日) 19:48:15
>>484
後藤象二郎も心配した妻がコッソリ護衛付けてたら
何余計な事してんのウゼーなとキレてた位不用心だったらしいよ。
暗殺後はビビってたそうだけど、幕臣との面談で安心してたのかな?
薩摩の方は凄い身辺警戒してなかったっけ。
494日本@名無史さん:2011/02/06(日) 20:06:05
戊辰戦争でプロイセンに提携持ちかけ 会津・庄内両藩
http://www.asahi.com/culture/update/0205/TKY201102050167.html

上海のシナ人達の惨状を知っていた高杉晋作による決死の彦島租借阻止交渉に引き換え…

何勝手に日本の領土割譲しようとしてるんですか?
何様ですか?東武皇帝の臣下様ですか?

結論:会津は反体制テロリストの親玉で賊臣で朝敵な売国奴


495日本@名無史さん:2011/02/06(日) 20:55:23
>真犯人がほぼ松平容保と特定

松平長七郎かよ。
496日本@名無史さん:2011/02/07(月) 18:46:14
坂本龍馬暗殺事件に関しては、佐々木只三郎と見廻組隊士が実行犯ということで
薩長系の連中も佐幕系の連中も異論がない状態。何故なら本人の証言も含め証拠がありすぎるから。

誰が見廻組に命令したのかということでは、本来の上司である幕府の見廻役は伝達も何も心当たりがないと証言している。
となると、佐々木只三郎を私兵として使っていた京都守護職の松平容保、その部下で会津藩士の手代木直右衛門が
暗殺命令の経路であったということになる。
手代木は佐々木の実の兄で後年、「某諸侯が佐々木に命令して坂本竜馬を殺した。動機は坂本が大政奉還を成し遂げ土佐藩を薩長寄りに変えたから」
という証言を残している。
497日本@名無史さん:2011/02/07(月) 23:56:26
竜馬が死んで100年以上経過した現代を生きている我々は彼のことを
『歴史上の有名人』として認識してるけど、当時の彼は本当に誰でも
知ってる有名人だったのかな?
見廻組の連中からみた竜馬は京都で捕り方を一人殺してお手配中の罪人
だったから、奴らは『暗殺した』なんて感覚を持ってたのかすらも疑問
なんだよね。そうなると『黒幕』なんて本当にいたのかって話になる。
498日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:03:07
逆だね
「暗殺」という言葉で暗に「単純」ではないて事なんだと
誰かが密かに命じたから暗殺なんだ・・・・ではなく、「暗殺」なんだよ・・・龍馬の件はって事
会津ー見廻組ルートと云う「考えられる」ものではなく「別」なルートがあるって事なんだと
499日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:12:16
ところが、当時の坂本龍馬は
山内容堂も推進する、土佐藩による幕府から朝廷への大政奉還プランの実行役として
京都の幕府関係者と頻繁に面会していた。

もちろん直接徳川慶喜へ進言したのは山内容堂であり、後藤象二郎だった。
しかし後藤は、大政奉還の詳細は坂本に聞くように言い、坂本龍馬が幕府関係者と折衝を繰り広げた。

この時点で徳川慶喜をはじめとする京都の幕府関係者にとっては、
大政奉還を実行すべきと考え土佐藩との連携を望むのなら、坂本龍馬を殺害することなどできない。

坂本龍馬を殺すということは、徳川慶喜の大政奉還や土佐藩との連携模索を完全に否定するということであった。
見廻組が実行犯であり、命令者が松平容保ということなら、両者は主君である徳川慶喜の方針に正面から反逆したことになる。
500日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:21:37
徳川慶喜に説明できないような大政奉還への反逆行為を、松平容保は龍馬殺害という形で実行していた
ゆえに実行者も命令者も隠蔽され、暗殺となった
501日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:25:01
才谷 梅太郎という偽名で潜伏している近江屋に指名して伺って襲撃している状況から考えると。

1、襲撃者側によほどの探索力があったのか。
2、誰か坂本に近い者からのチクリがあったのか。
3、龍馬の偽名も宿も誰もが知っている事であったのか。
502日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:28:55
当時坂本に近い人間というと、坂本龍馬が面会したと言っている松平容保か
503日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:32:05
坂本が通った永井玄蕃の屋敷の向いにいた、幕臣の佐々木只三郎も怪しいぞ
きっと奴が見廻組の佐々木只三郎にチクリをしたんだな
504日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:43:09
生前の龍馬は有名人だったぞ。
中岡慎太郎も薩長同盟への貢献、また薩土盟約や岩倉・三条の和解工作など
功績は龍馬に負けず劣らず何だが知名度は龍馬より下がるようだ。
505日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:54:30
>>503
殿様に偽名を名乗る訳もなし。
506日本@名無史さん:2011/02/08(火) 00:57:01
徳川慶喜が大政奉還と土佐藩との提携に動く時点で、
幕府の警察隊であった見廻組が土佐藩要人を殺害したのだから、

見廻組だけでなく命令者の松平容保も含め、彼らは徳川慶喜へ反逆したことになる。
これは会津の徳川慶喜への酷い裏切りだ。
507日本@名無史さん:2011/02/08(火) 01:01:59
会津は年がら年中、相手を裏切り者扱いして罵っていたけど
裏切り者は会津でしたか
508日本@名無史さん:2011/02/08(火) 01:06:25
容保厨がまたぞろ湧いてきたか

509日本@名無史さん:2011/02/08(火) 01:09:55
清川八郎暗殺とか幕府直轄の命令で働いて佐々木只三郎が幕府下部組織の会津の命令では動かないでしょう。
容保にしても暗殺命令を出すなら新撰組に指示するはずで、見回り組に指示するのは変だ。
510日本@名無史さん:2011/02/08(火) 01:15:04
言い逃れにしては根拠がないなあ
511日本@名無史さん:2011/02/08(火) 01:21:07
見廻役篠原の明治における証言では、見廻組は佐々木が動かしていたので私は知らないとのこと。
それでは佐々木が誰の命令で動いていたかというと、京都守護職松平容保の命令で動いていた。
これは後年幕府自体の命令文で正式のものとなり、松平容保の命令で動く組織として位置付けられている。
512日本@名無史さん:2011/02/08(火) 01:28:32
松平容保が京都見廻組に命令を下した記録ってあるのかな?新撰組は動かしていた記録があるけど。
513日本@名無史さん:2011/02/08(火) 01:32:55
幕府の沙汰文なら記録の中に残っているよ。
それによると、京都見廻組は京都守護職の命に従うように明言されている。
514日本@名無史さん:2011/02/08(火) 01:40:35
見廻組の今井信郎も、衝鋒隊副官として箱館まで転戦した旧幕府の勇者なのに
坂本龍馬暗殺を実行した後に松平容保から感謝状を貰ったし、命令は松平容保からだと思うよ、と
証言したばかりに、信用の置けない人物扱いされてしまった、かわいそうな人ですね。

彼の経歴を見る限り、そこまで叩かれるようなことはしていないのに。
会津って変ですよ。
515日本@名無史さん:2011/02/08(火) 01:47:59
龍馬暗殺をおおやけにできなかった理由は何かあったのでしょうか。
516日本@名無史さん:2011/02/08(火) 01:54:10
土佐藩との提携を模索している最中に、土佐藩代表殺害を公言は出来ないでしょう
徳川慶喜にとっては、暗殺者とその命令者は困難を増やした不忠者ですし
517日本@名無史さん:2011/02/08(火) 02:36:31
あはは、
容保から貰った感謝状ってのも、現物は存在しないし記録も「身内」の証言のみ
そういう部分は「肯定」しつつも、同じ身内証言たる「西郷による今井恩赦」の件は

否定

する容保厨は困ったもんだ
518日本@名無史さん:2011/02/08(火) 02:58:07
また筋の通らない人が来た
519日本@名無史さん:2011/02/08(火) 03:01:47
というか、榎本武揚を恩赦で釈放しておいて、他の連中は牢獄にいろとは言えないわけで、
榎本を許した時点で他の連中も釈放させざるを得ない。
それを西郷に色目を使ったのだ、と主張する人が異常なのだと思う。

薩長に尻尾を振ったと言われた松平太郎が泣いてるよ。
520日本@名無史さん:2011/02/08(火) 06:43:08
大石・横倉さんが泣いてるよ?
521日本@名無史さん:2011/02/08(火) 11:37:19
会津は自己の都合で旧幕府軍を罵るか。
というか朝廷へも幕府へも列藩同盟軍にもそんな態度だし
522日本@名無史さん:2011/02/08(火) 14:48:13
>>517
自分の都合で仲間をスパイ扱いする、会津の精神性が伺えるカキコですなあ
523日本@名無史さん:2011/02/08(火) 17:08:27
>>516
新選組が実行犯であれば会津は無関係かもしれない、
見廻組が実行犯だとわかると会津に累が及ぶって、
当時から認識あったのかな?
524日本@名無史さん:2011/02/08(火) 17:15:43
新撰組でも見廻組でも
どっちにしても京都の一会桑の配下なのだから、
見廻組による坂本龍馬暗殺は、これで土佐藩が幕府へ警戒することとなり、
京都で徳川慶喜が目指していた、大政奉還後の公儀政権構想には、
真っ向から対立する所業と言うしかない。
松平容保はなんて馬鹿なことをやったんだろう。
525日本@名無史さん:2011/02/08(火) 18:32:32
>>522
いえいえ〜 函館戦争でわざわざ病院まで襲撃して怪我人を殺しまくった方々よりはいいほうですよ?
526日本@名無史さん:2011/02/08(火) 19:00:19
坂本竜馬を殺したのは会津藩主・松平容保で結論が出ましたか
会津の人も、他の話題に摩り替えようとするだけで反論を示せないし
527日本@名無史さん:2011/02/08(火) 19:15:16
はいはい、是非このような掲示板の一スレに満足せず
堂々とその結果を他の場所で披露してくださいませませ〜〜〜

ニュースや新聞で「正式」に容保が主犯であるとの報告を聞きたいものです
528日本@名無史さん:2011/02/08(火) 19:17:04
逆ギレみっともない
529日本@名無史さん:2011/02/08(火) 20:48:12
教科書に暗殺者も命令者も記されてないからねえ。
530日本@名無史さん:2011/02/08(火) 21:25:52
論文にじゃなくてニュースや新聞って言っちゃうとこが会津ヲタらしい
そんなとこに載れば正式なんだ
531日本@名無史さん:2011/02/08(火) 21:54:56
>>527
先日ニュースや新聞の新史料発見の報道で「正式」に会津が売国奴だって証明されたねw

史料に基づいて意見を述べるまともな研究者の間では京都見廻組が定説
高知の研究者も黒幕=松平容保だろうって言ってたよ
532日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:06:41
533日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:44:57
すげえよ、会津! >>527から>>532までたった5レスで掌返しやがった!
そこに憧れねえし、痺れもしねぇ
534日本@名無史さん:2011/02/08(火) 22:55:26
涙目でググってきたのかw
会津の虚言はブーメランのように自らに跳ね返っていくので
見ていて小気味がよいほどです。
いい加減根拠なくよそを中傷したり責任転嫁したりするのはやめた方がいいぞw
535日本@名無史さん:2011/02/09(水) 01:29:17
坂本龍馬を殺した事って大犯罪なの?
536日本@名無史さん:2011/02/09(水) 01:56:18
坂本龍馬が贈正四位を受けた時と同日に贈位受けた仲間達

贈正四位

阪本龍馬 明治24年4月8日
高杉晋作 明治24年4月8日
武市半平太 明治24年4月8日
中岡慎太郎 明治24年4月8日
537日本@名無史さん:2011/02/09(水) 02:01:03
長州の高杉君の位階認定遅すぎ!
538日本@名無史さん:2011/02/09(水) 02:10:01
まあ明治新政府としたら外国館焼き打ちの首謀者へ階位を与える訳にはいかなかっただろうけど。

土佐衆の三人が並んで受けているのは面白いよね。明治24年頃の宮省の大臣は土佐の人でしょ。
539日本@名無史さん:2011/02/09(水) 02:16:41
土方久元が無理したんだと思うよ。
540日本@名無史さん:2011/02/09(水) 02:19:50
明治宮中に気にいられた土佐人の代表。
541日本@名無史さん:2011/02/09(水) 02:55:28
田中光顕は従一位勲一等だし。
542日本@名無史さん:2011/02/09(水) 08:39:12
>>535
大犯罪だよ
要するに大政奉還反体工作だし
容保は慶喜の足引っ張り過ぎ
543日本@名無史さん:2011/02/09(水) 11:57:23
出る杭は打たれる

能ある鷹は爪隠す
544日本@名無史さん:2011/02/09(水) 15:53:23
>>535
ホームレスを一人ころしたようなもんだろ
545日本@名無史さん:2011/02/09(水) 17:33:17
龍馬も見回組の役人一人を射殺しているしな。

 幕府から見たらテロリストの一員だろう。しかし大政奉還の提案者だから指名手配は解除されていたな。
546日本@名無史さん:2011/02/09(水) 17:37:19
人の命の重さに差はないから大罪
特に無知から龍馬を徳川将軍家の敵と思い込んだところに大きな罪がある
維新が成って龍馬が政府要人の友と知り、国権に断罪されることに怯えていたなどは、さらにみっともない

龍馬に殺されてしまった伏見奉行所役人の、純粋なカタキウチといえなら罪は軽いが
547日本@名無史さん:2011/02/09(水) 19:16:04
龍馬暗殺に代表される強硬姿勢でムダな流血を招いた事が会津の罪だべ?

越前福井藩主松平春嶽や土佐藩主山内容堂ら佐幕派諸侯の尽力により
徳川温存、慶喜は新政府入りで話が進んでいたが、穏便に話がまとまってしまうと
会桑は有力大名からハブられ対場がなくなるので暴れ回ったと。で結果ボロ負け。
548日本@名無史さん:2011/02/09(水) 20:02:47
この時点での大政奉還建白案とは、
要するに徳川家の温存策だったのに…。
会津は自分の立場しか考えてなかった。何が忠義だ。
549日本@名無史さん:2011/02/09(水) 21:12:59
>>546 伏見奉行所の捕り手射殺は、龍馬の正当防衛とも言えるな。
550日本@名無史さん:2011/02/09(水) 23:43:41
板倉勝静(この人も函館まで行った幕臣だな)周りも会津桑名への評価は渋いのか。
なんて言われてる?
551日本@名無史さん:2011/02/10(木) 00:42:07
京都への進軍は姦計に自ら嵌る暴挙、だそうです。
552日本@名無史さん:2011/02/10(木) 02:45:41
黒幕は明らかに後藤だな
海援隊は切り捨てられ明治維新後も虐めぬかれ
岩崎はよくも三菱を築いたものだ
553日本@名無史さん:2011/02/10(木) 07:22:18
>>552
動機は?w
大政奉還の手柄を独り占めとか言いたいんなら当てはまらないぞ
554日月地神学の伝道者:2011/02/10(木) 12:10:06
 アメリカとロシアの偽りのテロとの戦い
 2001・9・11の自爆テロはアメリカの自作自演である。その証拠は次の通りで
ある。
 貿易センターに勤務する4千人のユダヤ人が、9月11日は出勤するなと言う指
令を受けて休んでいた。実行したのがフリーメイソンだからである。
 ペンタゴンに衝突したのは特殊軍用機である。残骸からは1基のジェットエ
ンジンが発見された。ボーイング757型の旅客機のものに比べると一回り小
さい。ペンタゴンの司令部を迂回して、その裏側に衝突している。
 テロの五日前にアメリカン航空の株をメリルリンチ、アクサ保険等のメイソ
ン系企業が大量に空売りしていた。
 旅客機が衝突したぐらいで鉄筋コンクリートの建物が崩れ落ちる筈がない。
 時速800キロの速度で、遠くから狙いをつけて照準を合わせながら飛行する事
は、遠隔操作では難しい。洗脳した熟練パイロットに操縦させた。十分訓練さ
せた後に。
 ロシアの北オセチア共和国の学校占拠事件は、特殊部隊が突入して武装勢力を
鎮圧した。生還した人質の証言によると、非常事態省職員に成りすました当局
の爆破スペシャリストが侵入し、外側から、体育館の壁面を爆破して、突破口
を造ったと言う。人質の使者のほとんどは爆発と屋根崩壊の犠牲者なのです。
犯人側は外からの進入路をバリケードで築き、建物の壁を盾にして狙撃するの
で、特殊部隊といえども建物の中に進入する事は難しい。そこで、壁を爆破し
て、犯人が驚いた隙を狙って強行突破したのです。
グルジアの国内に南オセチア自治州があり、そこのイスラム教のオセット人が
グルジアから分離独立を求めていた。ロシアはこれらカフカス地方の国々の独
立を阻止する為に、このテロを計画し、見せしめとして犯人を皆殺しにし、多
数の犠牲者(ほとんどがオセット人)を出してロシアの権威を誇示し、力で封じ
込めたのです。イスラム教のチェチェン共和国が同胞のイスラム教徒北オセチ
アでテロを起こす訳がない。そんな事をしたらイスラム世界からも孤立して、
滅んでしまう。チェチェンのトップとロシアはグルである。
 これは帝政ロシアの復活を意味している。次は日本侵略を狙っている。
555日月地神学の伝道者:2011/02/10(木) 12:35:38
 ライオンと人間
 昔、アフリカにゴールドと言う国があった。その北には国境を挟んでシルバ
ーという国があった。ゴールド国は自然が豊かで、人々は農耕に従事していた。
毎年豊作で幸せに暮らしていた。しかし、町では賭博などの娯楽が流行り出し、
真面目に働かない者が出てきた。農作業が機械の導入によって楽になり、次第
に生活が贅沢になって牛など飼育して肉食するようになった。山々は焼畑農業
によって樹木が伐採され、はが山に変わって行った。
 シルバー国は国土が大きく、草原と砂漠が広がる不毛の大地で放牧による搾
乳と狩猟によって食料を得ていた。
 ある年、日照りが続きシルバー国は川が干し上がり、草原は枯れ、家畜が餓
死し、国民にも餓死者が続出した。このような天災が起きたのは、ゴールド国
の焼畑農業によって、山の保水力が低下した事が原因であった。
 シルバー国の国王は軍隊を率いて、ゴールド国に攻め入り、戦争になった。
贅沢に馴れたゴールド国の人は、死にもの狂いのシルバー国の人に圧倒されて
、征服されてしまった。
 シルバー国へ逃れた難民の中にハルマという男がいた。食料を求めて歩いて
いると、前方を立ち塞ぐように一匹のライオンが立っていた。ハルマは言った。
「どうか、私を食べないでくれ。殺生は罪深いことなんだよ」
すると、ライオンは言った。
「人間がこの世を弱肉強食の地獄にした張本人じゃないか。俺様は人間に見習
って、貴様を食って何が悪いのか」
 ハルマは答えた。
「人間は霊長類といわれるように、動物の中で一番位が高く、お前達とは命の
価値が違うんだよ」
 ライオンは反論した。
「馬鹿な事を言うな。俺たちは生きる為に殺生するのであって、人間のように
欲の為に、むやみに殺生する事などしない。動物以下の行いをやっていて、位
が高いとはお笑い種だ。人間の命の価値が高いのなら、その分だけ責任が重い
と言う事が判らないのか。人間は我々動物のために何をしてくれたのか。自然
を破壊して、苦しめているだけじゃないか。おとなしく、観念しろ」
 こうして、ハルマはライオンに食べられた。
556日月地神学の伝道者:2011/02/10(木) 12:41:05
 「シオンの議定書」偽科学による洗脳
 非ユダヤ人、特に日本人において、科学の盲目的信仰は功を奏している。幼
い時から、唯物論を叩き込まれ、学校の教科書で教えられた事がすべて正しい
と信じる。科学的に証明されていない事に決して耳を貸そうとしない。この人
達にとって、権威ある有識者、学界が言う事のみが正しく、絶対なのである。
ところが、世界的、歴史的に有名で、超一流と言われる学者により構成される
団体も、実はシオンの賢哲らにより、かれらの目的の為に利用されている。そ
のことは議定書に次のように記されている。
非ユダヤ人は、歴史を基礎とする冷静な観測を練る事を知らず、専ら、理論
上の旧弊に囚われて、その結果に対する批判的工作を忘却している。それ故に
我々にとっては、彼等のことを意に介する事は無意味である。たとえ彼等がい
よいよの時(最後の審判)が来るまで享楽に耽ようと、そんな事は問題ではな
い。
 肝要なのは科学の命令(理論)だとして、我々が彼等に吹き込んで置いたもの
が、彼等の為に最も重大なる役割を演じておればよいのである。この目的の為
に我々は、始終我々の新聞雑誌を利用して、この命令に対する盲目的信用を鼓
吹する。非ユダヤ人中の知識階級は自己の知識を誇りとして、科学から得た知
識を巧妙に実現しようとするのであろうが、その知識を論理的に吟味もせず、
またその知識なるものが、人間を我々に必要な方向に教育するため、我々の密
使によって作り上げられたものである事に気がつかないのである。
 我々の主張を根拠なきものと思ってはいけない。我々が仕組んだところの、
ダーウィン、マルクス、ニーチェの教説の成功に注意なさるがよろしい。非ユ
ダヤ人の心に及ぼした、これらの教説の破壊的作用は、明白になっている。
 非ユダヤ人は我々の科学的助言なしに物を考える事が出来なくなっている。
それ故に彼等は、小学校においては、唯一の真実な科学、何よりも重要な科学、
換言すれば人生の機構、即ち、分業を要求し、その結果として、人間が階級又
は身分に分類されるに至る事を要求するような、社会生活の機構に関する科学
を教授しなくてはならない。

557日本@名無史さん:2011/02/10(木) 12:52:06
>>553
いろは○賠償金の「藩流用」にって所だね
龍馬ら海援隊にとって、あの膨大な資金は「麻薬」みたいなものだと
ちゃんと計画的に流用するのであればまだしもだが
彼らの金遣いの「無計画さ」は岩崎も後藤も頭の痛いところであったのは自明なわけで
やつら(龍馬)に使わせるくらいなら、まだ藩で使ったほうがいくらましであるとの判断

岩崎も直にかどうかは判らないけど、暗殺は知っていたんではなかろうか
故に、暗殺時期前後の日記の「不明瞭さ」
後に「立場」が逆転し後藤を脅して、その資金の一部を使って後に三菱を築くと・・・・
558日本@名無史さん:2011/02/10(木) 18:36:38
>>557
後藤象二郎をナメすぎ
龍馬のボスは後藤、いろは丸事件で交渉の矢面に立ったのも後藤
龍馬の立場なんて後藤に比べりゃ吹けば飛ぶようなもんだっての
大政奉還を巡るやり取りの真っ只中に大事なブレーン兼連絡係を殺すわけないだろw
559日本@名無史さん:2011/02/10(木) 21:45:18
>>557
日本と徳川と土佐藩の浮沈がかかってるのに
そんなスケールの小さい利益追及してる場合かよw
ああ売国奴の会津藩には到底解らない感覚かもなw
560日本@名無史さん:2011/02/10(木) 23:28:51
後藤はジョン万次郎直々に講義を受けたこともあって元から開明派なんだよね。
561日本@名無史さん:2011/02/11(金) 05:24:17
今の金で換算するなら「数十億」規模になるのにスケールが小さいとな?
別段後藤が私服を〜と云うつもりはないがね
562日本@名無史さん:2011/02/11(金) 08:54:48
作為はないが不作為はあったかもしんない
563日本@名無史さん:2011/02/11(金) 09:13:07
楽オクに出てる歴史誕生の13巻は龍馬暗殺についてかなり詳しかったよ

http://auction.item.rakuten.co.jp/11037262/a/10000489
564日本@名無史さん:2011/02/11(金) 10:45:48
>>561
悔し紛れ乙
565日本@名無史さん:2011/02/11(金) 21:46:16
何で象二郎が仇敵の土佐勤王党出身者の龍馬と手を組んで
土佐藩が海援隊・陸援隊を援助するようになったか、その辺の情勢を知ってれば
後藤とか土佐藩黒幕説も出てこないと思うんだけどねえ…。
566日本@名無史さん:2011/02/11(金) 21:57:44
龍馬や中岡を援助したのか、組織を援助したのかと云うところでしょう

「使える・利用」出来なければ意味が無い
567日本@名無史さん:2011/02/11(金) 22:55:56
何で返答にもならない思い込みを放り込むのやら。
坂本・中岡の薩長同盟を成し遂げたという名声が、倒幕路線に傾斜する当時の土佐藩には
必要とされていた。
568日本@名無史さん:2011/02/11(金) 23:15:48
他藩の勤王派とのコネも必要不可欠だったしね。
土佐藩上層部は板垣退助ら一部上士を除いてほぼ佐幕なんだけど
公武合体の意味が無くなった今、佐幕一本槍でやっていけないことは分っていたので
山内容堂なんかはバランスを取りつつ徳川を守るための道を模索していたんだけど
それを暴れてブチ壊しにした派閥がありましてね…。

当時の佐幕派大名・幕臣たちからもウザいウザいと言われていた会津・桑名藩です。
569日本@名無史さん:2011/02/11(金) 23:31:41
長幕戦争で幕府が惨敗したため、
幕府の保持は不可能という評価が諸藩を覆い
土佐藩はかつて粛正した勤王党を呼び戻して自らの尊王攘夷陣営への擦り寄りの道具にしたのさ。
大政奉還も、幕府は保たないというこの状況判断から生まれた。
570日本@名無史さん:2011/02/12(土) 00:12:37
そうか、ここは某掲示板から焙れた奴らの避難場所だったんか
失敬
571日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:05:25
会津桑名は雄藩大名による合議制プランがスムーズに進行すると
政権の中枢から小部分への移行を余儀なくされるから
大政奉還反対運動したり各藩連携の要である坂本龍馬を暗殺したりしたのさ。

会津の忠義なんて大嘘。
プロイセンへの売国行為だって松平容保が主導したんだろ。
プロシア人のシュネル兄弟を厚遇したのは容保だしな。
572日本@名無史さん:2011/02/14(月) 09:18:12
日本軍最強伝説のコピペを思い出した。
573日本@名無史さん:2011/02/14(月) 20:11:45
会津桑名藩の大政奉還への猛反発の様子を示した記録って板倉と春嶽周り?
土佐藩は後藤の伝記に
「将軍の御前で容保と定敬より上の座に呼ばれたら2人共超憤慨してやがるw」
とは書いてあるけど、この時期後藤と容保は会話した事あったんだっけ。
574日本@名無史さん:2011/02/15(火) 23:05:36
>>573
『徳川慶喜公伝』『丁卯日記』
575日本@名無史さん:2011/02/16(水) 22:56:50
大政奉還の主旨って徳川宗家を筆頭とする諸大名の合議制じゃなかったっけ?

江戸幕府は各藩が独立国家であったのを改めて、日本を天皇中心の統一国家として統一するべって事で。
576旗本・佐々木只三郎:2011/02/16(水) 23:39:32
薩長に思想は無きか!腕に覚えのある者は出てこい!直参旗本見回組・佐々木只三郎だ!
なにを隠そう…龍馬を斬ったのはこの俺……
577日本@名無史さん:2011/02/16(水) 23:56:00
>>576
隊長は外で見張りしてたじゃん。
578日本@名無史さん:2011/02/17(木) 00:27:07
佐々木ってどこでくたばったんだっけ?
579日本@名無史さん:2011/02/17(木) 00:43:06
鳥羽伏見の戦い・橋本周辺にて銃撃を受け重態
従者が身ぐるみを剥いで逃走

別の人間に救助されるも傷が重く死亡
580日本@名無史さん:2011/02/17(木) 04:43:45
惨めな最期だったよ佐々木
家来に人望無さ過ぎワロスw
龍馬暗殺命令出した松平容保も領民には嫌われてたなあ〜
581日本@名無史さん:2011/02/20(日) 14:00:16.27
龍馬殺害は大政奉還直後の政局がからんでいる。
はじめ土佐藩は会津と親しかった。
ところが突然、土佐藩の後藤象二郎がきて手代木らにこういった。
『この際、大政奉還をしてはどうか。貴藩とは懇親の仲。ねがわくば協力して将軍家に言上を』。
手代木らは納得できなかった。大政奉還なされてもあきらめず幕府復権に動いた。
<徳川氏三百年の覇業を一朝にして失墜するは情けに於いて偲ざる所なれば如何様もして今一たび挽回の策を>と考えた。
ところが土佐は薩摩と結束。11月中旬以降、土佐の後藤象二郎は薩摩の小松帯刀と『大綱領』を発表し新政府樹立に動くとの情報があった(「丁卯日記」)。
手代木らは土佐の藩論を『倒幕』に変えたのは龍馬だとみていた。そして手代木の弟が龍馬を斬った。
手代木は維新後、旧藩主家に給料の半分を20年間送り続けた。主家の没落に責任を感じていたからといわれる。
582日本@名無史さん:2011/02/20(日) 14:09:18.42
大政奉還後の新政府樹立に向けて慶喜が雄藩大名と組むから会桑はもうお払い箱だったのよね。
帰国命令が出て、
兄弟の尾張公からも、もう十分功名は立てたんだがら大人しく国に帰りなよ〜
と諭されたけど、ここで帰ると今までの頑張りがパアなわけで、
意固地に居座り自らの復権に執着し続けた。
583日本@名無史さん:2011/02/21(月) 04:26:17.89
>>579
誰の書いた小説に?
584日本@名無史さん:2011/02/21(月) 04:28:50.21
酒盛りの最中に反撃も出来ずに切り殺されたのって。やっぱ商人の血筋なんでしょうね。
585日本@名無史さん:2011/02/21(月) 07:27:21.61
出典は佐々木只三郎伝ですな。軍資金200両を持っていたので従者が裏切ったとのこと。
まあ信じてよい部分。
重症で放置され、死んだのは紀伊とのこと。

ちなみに司馬遼太郎の小説(「見廻組のこと」)ではは更に、
自らの回向料として百両を従者に渡したが、従者たちは賭博や酒色に使ってしまい寺には半分も渡さなかったと書いてある。

そこについて触れなかったのは、>>579のせめてもの情けだったと思われる。
そしてその記述まで葬ろうとした会津馬鹿>>583,584は、酷い歴史捏造画策者ということになる。
586日本@名無史さん:2011/02/21(月) 07:55:25.53
また会津の歴史歪曲か
587586:2011/02/21(月) 08:13:44.54
(今日も全力で会津を叩く!!!)
588日本@名無史さん:2011/02/21(月) 08:19:46.18
ここの会津フリークは、

大政奉還時への松平容保の激怒と絶対反対意見を隠そうとしたり
(土佐藩はおろか老中板倉や江戸にまで松平容保の大政奉還への憤怒は伝わり、記録されている)

佐々木と別の人間の関係をでっち上げようとしたり
(佐々木の本来の上司である見廻役は、佐々木に命令はしていないし報告も受けていないと証言、つまり手代木経由の命令だった)

手代木直右衛門の単独犯行説をでっち上げたり
(徳川慶喜の土佐藩との提携を一介の藩士が破綻させようとするだなんて、それこそ会津藩のガバナンス皆無ということになってしまう)

よほど、松平容保―手代木直右衛門―佐々木只三郎 という坂本龍馬暗殺命令経路を隠蔽したいのでしょうね
589日本@名無史さん:2011/02/21(月) 08:41:51.46
板倉勝静や川路聖謨まで記している、松平容保の大政奉還への激怒と撤回要求を
隠そうだなんて、会津観光歴史信者は無駄なことをしてるね
590日本@名無史さん:2011/02/21(月) 08:44:44.70
寺田屋と近江屋と実行されたのが2回
つまり他にも多数計画は存在してたと思考して普通。
大政奉還実行した事で天寿を全うできない人生になったのは確かじゃない?
佐幕と倒幕両方から狙われたらむりぽ
591日本@名無史さん:2011/02/21(月) 08:48:44.95
ところが、大政奉還は倒幕に有利なんだよな
倒幕側に暗殺の理由は皆無ということになる
592日本@名無史さん:2011/02/21(月) 23:05:26.69
松平容保の犯行命令でもう決定的だね。

すると中村彰彦や星亮一らが盛んに唱えていた、
薩摩が後ろにいた、いや土佐藩上層部がいた、いや和歌山だ、とにかく会津との関係は隠せ
とかいった一連の文章は、酷い捏造ということになる。
593日本@名無史さん:2011/02/21(月) 23:23:54.57
会津候の指令だったとして、それがなにか問題あるの?
594日本@名無史さん:2011/02/21(月) 23:27:38.25
もし松平容保が暗殺命令を出したのなら、
当時、徳川慶喜が推進していた、諸侯を取り込んだ公儀政権構想を
裏から破壊しようとした不忠の逆賊として大問題。

なぜ大樹は連枝を手折るのか、なんて笑止千万、会津は不忠の裏切り者になる。
595日本@名無史さん:2011/02/21(月) 23:39:16.19
>>588
容保が怒ってるなんて資料あったか?
596日本@名無史さん:2011/02/21(月) 23:54:35.54
>>595
色々あります
・中根雪江(松平春嶽側近)の公式記録
・魚水日記(板倉勝静側近の公式記録)
・川路聖謨書簡(「東洋金鴻 英国留学生への日記」収録)
・後藤象二郎自伝
・福岡孝弟(土佐藩士)の記録
・上山郡廉日記(土佐藩士上山郡廉の記録)
597日本@名無史さん:2011/02/21(月) 23:57:07.95
まだ探せば増えるでしょうね。
松平容保の大政奉還への激怒は、当時の政局を騒がせた出来事だったようです。
598日本@名無史さん:2011/02/22(火) 00:01:25.11
徳川慶喜公伝も、松平容保の大政奉還への反抗について書いてあるよ
599日本@名無史さん:2011/02/22(火) 00:14:24.33
藪をつついて蛇を出したなw
600日本@名無史さん:2011/02/22(火) 00:33:58.53
>>596
東洋金鴻読んだことあるけどそんな箇所あったっけ…。
読み直してみるかな。
何て書いてあったの?
601日本@名無史さん:2011/02/22(火) 00:44:42.82
具体的には、京都では徳川慶喜が大政奉還を実行したけど、
会津桑名在京諸臣の憤懣収まらず、ってとこかな。

江戸にまで伝わるんだから、中立他藩の史料にもあるかもね。
602日本@名無史さん:2011/02/22(火) 00:54:40.84
>>600
ありがと。
中根雪江は『丁卯日記』だね。
大政奉還直後に手代木が面会に来て自分も容保も大政奉還反対派だと文句を言いにきてる。
手代木は後年「容保は大政奉還賛成派だったが、部下が反対していた」
と言っているがこれは元藩主を庇うための嘘なんだろうなぁ。
603日本@名無史さん:2011/02/22(火) 01:38:16.81
会津という神話―〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉 田中悟[著]70年生まれ。神戸大学助教(政治学)。
[掲載]2010年4月25日 asahi.com
[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)■呼び戻された「悲劇」の死者

 「いまだに長州への怨念(おんねん)を抱いている」
 お酒の席でそんな思いを吐露する会津の人と、私はこれまで何度も出会ってきた。
 幕末の戊辰戦争で長州軍にさんざん痛めつけられた会津は、いまでもその時の恨みを忘れていないというのである。
 しかし、本書の著者はそのような感情は戦後になって高揚したもので、戦前・戦中の会津では、長州人と同じ「勤皇精神」の持ち主だという思いが大勢を占めていたという。
 「長州への怨念」は、戦後に「無垢(むく)な敗者」「近代日本の被害者」というアイデンティティーを獲得する過程で、あらためて喚起され直した感情だというのである。
 戊辰戦争の死者は、明治政府によって「賊軍」とされ、国民の物語から排除された。
 しかし、会津の人たちは勝者による物語の独占に異を唱え、自分たちこそが真の勤皇の志士だったと主張する。
 そして、国民の物語への吸収を悲願とした。
 この願いは、1928年に会津松平家の節子(勢津子)と秩父宮雍仁(やすひと)の縁組が実現することで果たされる。
 さらに30年代後半、徳富蘇峰が各地で行った講演で、「会津は逆賊などではない」と強調し、その「尊王の大精神」を称揚したことによって達成された。
 そして会津の「勤皇精神」は「大東亜戦争」中に国民が見習うべき規範という地位を確立し、絶頂期を迎える。
 しかし「大東亜戦争」の敗戦によって、会津の人々はこの物語をリセットし、司馬遼太郎による「悲劇の会津」という新たな物語に飛びついた。
 会津人は「軍国主義の寵児(ちょうじ)」という側面を「忘却の淵(ふち)に沈め」、好都合な「司馬史観」に乗り換えたのである。
 その過程で白虎隊の「非業」や「純粋さ」が神話として再設定され、会津の観光化の中で利用されていったと著者は主張する。
 会津にとっての二度の敗戦経験は、どのような記憶を紡ぎだし、何を忘却していったのか。
 本書の問いかけは、会津という空間を越えて、靖国神社に象徴される「国家と死者」の問題に鋭いメスを入れている。
604日本@名無史さん:2011/02/22(火) 01:43:12.01
ここにいる会津擁護派はまず>>603に反論してよ
605日本@名無史さん:2011/02/22(火) 09:44:52.25
松平容保。後の山縣有朋である。
606日本@名無史さん:2011/02/22(火) 09:56:47.82
「ロビイスト一匹殺しただけなのに、何でそこまで言われなきゃいかんの!?
                                  しかも、ちゃねらーどもに」

                                       byまったいら容保

607日本@名無史さん:2011/02/22(火) 10:11:03.79
それはね、後世の会津藩好きの人たちが
「あの幕府を守ろうとした坂本龍馬を殺した薩長を許すな!」と
多年に渡って言い続けてきたからだよ。

その会津藩主が犯人だなんて、己が振り上げた刃が降りかかってくるのは仕方がないでしょう
608日本@名無史さん:2011/02/22(火) 11:46:27.74
>>606
つまり我が身かわいさに慶喜の邪魔してるって事だからなコレ。
容保のどこに忠義があったって?
会津が暴走しなければ慶喜ももっと良い身の振り方があったろうに。
609日本@名無史さん:2011/02/22(火) 18:09:37.28
非道な長州とやらは慶喜を政府に入れようと考えたこともあったがなw
610日本@名無史さん:2011/02/22(火) 23:26:46.17
容保が忠義を誓っていた天皇は孝明天皇だけであって、明治天皇を信じる気にはなれなっかたのでしょう。
611日本@名無史さん:2011/02/22(火) 23:32:37.90
それにしては、孝明天皇が推進していた横浜鎖港・異国船打ち払い・兵庫開港絶対禁止を
孝明天皇崩御の直後、あっさり明治天皇の意思と言って覆してしまうのがおかしい。

そんなに明治天皇の意思が優先されるなら、王政復古にも従えばよかったのに。
612日本@名無史さん:2011/02/22(火) 23:32:43.51
>>610
出たよいつもの会津の言い訳w
その明治天皇は孝明天皇の息子なんだがw
自らに都合が悪くなったら手の平を返すのは忠義と言いませんw
613日本@名無史さん:2011/02/23(水) 00:09:39.35
その明治天皇は孝明天皇の息子なんだがw

福原で『社会勉強』してください。
614日本@名無史さん:2011/02/23(水) 00:18:25.70
会津は孝明天皇の攘夷を踏みにじった時点で、孝明天皇への忠義を謳うのはおかしい
615日本@名無史さん:2011/02/23(水) 00:38:30.84
坂本龍馬も、大政奉還を認めた徳川慶喜の部下が暗殺を企ててくるとは
思わなかったんだね。だから京都で無防備に出歩き、いつもの場所に泊まっていた。
616日本@名無史さん:2011/02/23(水) 04:06:27.99

「同じ徳川一門だけど、なんで一々本家(将軍家)に従わなくてはならんのYO!?
                                  会津は分家筋だけど独立採算しているのにさ〜」

                                              byまったいら容保
617日本@名無史さん:2011/02/23(水) 04:34:29.28
同じ組織の中の直属の上司と部下だし
松平容保が坂本龍馬へ暗殺命令を下したのなら
官房長官が首相特使を暗殺したようなもの
618日本@名無史さん:2011/02/23(水) 08:37:09.47
>>610

ここにいる会津擁護派はまず>>603に反論してよ
619日本@名無史さん:2011/02/23(水) 23:16:38.34
>>596
>・中根雪江(松平春嶽側近)の公式記録 ←丁卯日記
>・魚水日記(板倉勝静側近の公式記録) ←魚水実録
>・川路聖謨書簡(「東洋金鴻 英国留学生への日記」収録)
>・後藤象二郎自伝 ←2冊?あるけどどっちだろ
>・福岡孝弟(土佐藩士)の記録
>・上山郡廉日記(土佐藩士上山郡廉の記録)← 正しくは神山郡廉【こうやま・くにきよ】。
土佐藩の大政奉還建白に後藤象二郎、福岡孝弟、寺村左膳らと連署した人だね。

神山郡廉・福岡孝悌の慶応三年の記録って何に収録されてるの?
ググってもわからん。
魚水実録は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーにあったけど…見づらい…
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772632
件の話は何ページなんでしょうか…
会津が大政奉還に激怒してるのは良くわかったけど、
容保本人の反応にまで言及してる史料はよく分かんないなー

あと『岩倉具視書簡』(大久保利通関係文書収録)にも
「会狂気の如く憤然、是非薩邸を討つなど段々申し候由、万事畢竟は西、小、大の三人これある
ゆえ也、土(土佐藩)には云云、芸(芸州藩)云云、これらを斃すべしと種々議論ある由。」
とある。
土佐も芸州もブッ殺せだってさw
芸州藩も大政奉還推進メンバーだったよね
620日本@名無史さん:2011/02/23(水) 23:50:26.30
明治39年にお登勢の娘婿が言い出した話で、
近江屋事件の前日、幕府側の不穏な動きを察知した寺田屋のお登勢が、龍馬に藩邸に移るように手紙で知らせたところ、
その返事として、龍馬が幕閣永井尚志と守護職松平容保に面会し、
「今では何も心配することなく安心するように」と返事がきたと言われているが、
この手紙が現存していないため出典不明。
実際この通りなら龍馬の油断も説明が付くんだけどな。
621日本@名無史さん:2011/02/24(木) 15:18:27.13
寺田屋事件の頃なら龍馬を煮るなり焼くなり好きに出来たんだろうけど
事ここに至って龍馬を害そうとすると今度は会津が反体制側。
だから正式な捕縛もできず暗殺なんてコソコソした手段で始末したわけ。
622日本@名無史さん:2011/02/25(金) 00:48:25.00
龍馬って1891年の官位大振る舞いに連なってはいるけど。
623日本@名無史さん:2011/02/25(金) 07:56:24.10
>>619
寺村左膳日記は個別にまとめられてるな。
今度調べてみるか。
芸州藩の人間の日記類は何て本なんだろう。
624日本@名無史さん:2011/02/25(金) 23:23:57.10
>>619
>神山郡廉・福岡孝悌の慶応三年の記録
坂本龍馬全集・補遺か土佐維新史料・日記編のどちらかに収録されてるんじゃなかろうか。
通称の神山左多衛と福岡藤次の方が検索しやすいかもね。
625日本@名無史さん:2011/02/26(土) 20:18:45.50
lkjh
626日本@名無史さん:2011/02/27(日) 16:06:59.26
薩長岩倉にとっては、龍馬は暗殺するまでもない小物で、

会津幕臣にとっては、龍馬はわざわざこっそり「暗殺」しなきゃならない大物です。
627日本@名無史さん:2011/02/27(日) 17:01:32.48
「なんと、坂本がやられたか、会津もなかなかやる」
「だが坂本など、我らの中で一番の小物」
628日本@名無史さん:2011/02/27(日) 17:35:45.42
手をくだしたのは桂早之助という人でよいのか

629日本@名無史さん:2011/02/27(日) 17:45:23.94
まあ、桂小五郎や桂三枝ではないだろうな。
630日本@名無史さん:2011/02/28(月) 21:57:48.04
斎藤一先生です。
631日本@名無史さん:2011/02/28(月) 22:23:17.61
まともな文献名が挙がる龍馬のスレ初めて見たわw

>>628
龍馬の血の付いた物と伝わる桂早之助の刀が霊山歴史館に収蔵されてたような。
今井信郎が龍馬を斬ったと証言したとする明治33年の近畿評論の記事は
記者の結城礼一郎だかが脚色捏造込みで書いた事を後年認めていた。
んで桂早之助が遺言で自白したと。
632日本@名無しさん:2011/03/01(火) 04:11:34.57
中村彰彦
書くものは悪くない
ただこの人にはモラルと人格がない

もう終りの作家だ。
かあちゃんのいいなりおバカ男

どんなかあちゃん=妻かみてみたい
633日本@名無しさん:2011/03/01(火) 04:12:48.66
竜馬暗殺は中村彰彦のかあちゃん
634日本@名無史さん:2011/03/01(火) 10:29:39.64
会津のトップが気楽に指示して見廻組が犯行、
この説の次に妙に説得力を持つのが指示も実行も土佐藩内部によるものという説。
当時は中央政府は何の形も出来上がってないし、藩という単位でまだまだ動いていた。
被害者二人も土佐藩の人間なら、犯行現場に当初駆け付けたのも土佐藩の人間ばかり。
近江屋も土佐藩邸御用達の醤油屋。
そして函館戦争後、新選組の生き残りや今井を取り調べて調書を作文した者たちの長も土佐人。

土佐藩内の内紛説も今一度検証する価値がありそう。

635龍馬 ◆mOBPJ9GkXE :2011/03/01(火) 13:06:44.39
あげ
636日本@名無史さん:2011/03/01(火) 13:38:41.54
お! 龍馬さん降臨。

誰に殺されたんですか? 知り合いですか?

黒幕は誰ですか?
637日本@名無史さん:2011/03/01(火) 22:12:42.43
>>634
龍馬は土佐人なんだから当たり前だろw
いいよなアホは妄想だけが根拠でも納得できて。
土佐藩が龍馬を殺す必要性を示した史料持ってこい史料。
638日本@名無史さん:2011/03/01(火) 22:52:39.34
Yahoo!知恵袋でID:hagetokeyaとやらが会津側の後年の主張を根拠に
容保は大政奉還賛成派だったもん!と頑張ってるな。

この人前にも脚色創作色が強くて土佐藩研究者間では評判悪い「維新土佐勤王史」を
一級史料です!と言い張りソースにして土佐関連スレでヲチられてたぞ。
古いからって顕彰目的の本を盲信するのはいただけないねえ。
639日本@名無史さん:2011/03/02(水) 01:01:13.67
>>637
遠山の金さんのお白州に引き据えられた罪人みたいだな。
640日本@名無史さん:2011/03/02(水) 01:16:35.05
まったく、実行犯の見廻組と会津の繋がりを無視して
一方的に土佐土佐と書き綴る人の精神が良く分からないし
641日本@名無史さん   :2011/03/02(水) 01:54:31.75
>>638
容保候wwと新鮮組とキャンディース?にLOVE注入って感じだね。
知恵袋にはり付いて、いろんな人に絡んでるな。
新鮮組ファンって盲目的な人が多い気がする。
642日本@名無史さん:2011/03/02(水) 19:05:09.35
新撰組が好きとか恥ずかしくないのかなw
643日本@名無史さん:2011/03/02(水) 21:08:54.36
板垣にとって後藤象二郎坂本龍馬は邪魔ってことはなかったのかな
644日本@名無史さん:2011/03/02(水) 21:22:09.81
後藤は定見がない。
西郷に説得されて討幕挙兵に賛同したり、山内容堂に怒られて撤回したりの繰り返し。
それで家老なのだから、説得しやすい対象ということになる。

坂本は討幕の先輩に値する。彼ら土佐勤王党と付き合いだして、彼らに感化されて
板垣は討幕派になってしまった。心酔している状態。
645日本@名無史さん   :2011/03/02(水) 21:39:32.44
松平容保→見廻組って既に周知の事実じゃないの?
だいぶ前にNHKでも見たが。

2006年の「その時歴史が動いた」
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2006_11.html#01

(HPより↓)
元・見廻組、今井信郎の証言「差 (指) 図により龍馬を殺した」
明治3年の今井の取り調べ記録「刑部省口書」より。

今井信郎の供述「坂本龍馬を斬ったのは、実は私です」
雑誌『近畿評論』明治33年5月号に掲載された
今井信郎の談話に拠りました。

見廻組与頭・佐々木只三郎の兄の証言。
「命じたのは松平容保である」
『佐々木只三郎伝』の記述に拠ります。

松平容保が龍馬の情報を集めていたことについて。
『肥後藩士上田久兵衛先生略伝並年譜』の記述に拠ります。

松平容保が永井とともに龍馬に面会し
命を保証したという出来事について
『伏見寺田屋の覚書』の記述に拠りました。

646日本@名無史さん:2011/03/02(水) 21:48:50.44
状況証拠は揃っているし、他の説があまりに根拠が薄いので
松平容保(松平定敬が含まれる場合もある)命令というのが現在では定説なんだけどね。

そう議論が進むと、土佐だ和歌山だとにかく会津を外せ、と主張する人間が現れる。
647日本@名無史さん:2011/03/02(水) 23:18:39.01
会津藩が都合の悪い史料を
出さないように出さないようにしてたからさ。
佐幕派贔屓はやれ薩摩だ土佐だフリーメイソンだとはやし立てるが
会津及び松平容保と見廻組の濃厚な関係については言及しようともしない。
648日本@名無史さん:2011/03/02(水) 23:49:51.78
>>647
フリーメイソンじゃねえの?
649日本@名無史さん:2011/03/03(木) 00:49:23.34
>>645
「松平」さんの番組だから本当だろうねw
しかし、容保は龍馬と会って命の保障をしといて裏では暗殺命令か。
卑劣な奴だな。ここから戊辰後までの一連の流れに繋がっていったのだな。
650日本@名無史さん:2011/03/03(木) 00:56:59.01
>>648
グラバーがメイソンだったと言う陰謀論を広めたのは加持将一の書籍による。
加持の書籍ではグラバーがメイソンだったことが確定事項のように語られているが、
加持が自身の書籍にグラバーがメイソンである書付の証拠はないと書いているように、
グラバーがメイソンであるというのは加持の想像に過ぎない。

長崎のグラバー邸にフリーメイソンの石柱が立っているというのも不正確だ。
メイソンリーの石柱が立っているのはグラバー邸ではなく、
グラバー園内の英国貿易商フレデリック・リンガーの屋敷前である。
貿易商リンガー邸の前の石柱は、
1967年に移築されたもので、
もともとは長崎市松ヶ枝町47番地の民家前にあったものだ。

石柱の前に置かれた説明版によれば、
1865年当時、松ヶ枝町47番地に英国人が住んでいたので、
この人物がメイソンだったのではないかと説明されている。

この石柱は戦後になってたまたまグラバー園に移築されただけに過ぎず、
グラバーとは何の関係もないのだ。

グラバーとメイソンを繋げるようなものは、この石柱以外にはなく、
坂本竜馬にいたっては、メイソンと関連付けられる根拠となるものはまったくない。
651日本@名無史さん:2011/03/03(木) 02:42:34.18
>>645
黒幕はやっぱり松平容保だったね

元・見廻組、今井信郎の証言「差 (指) 図により龍馬を殺した」
明治3年の今井の取り調べ記録「刑部省口書」より。

松平容保から下された龍馬暗殺命令
「先だって召し捕りかかり候ところ取り逃がし候につき
万一手に余り候節は討ち果たすべし。」
明治3年の今井信郎の供述調書『兵部省口書』より。

見廻組与頭・佐々木只三郎の兄の証言。
「命じたのは松平容保である」
『佐々木只三郎伝』の記述に拠ります。

652日本@名無史さん:2011/03/03(木) 03:14:00.60
>>651
>黒幕はやっぱり松平容保だったね

未発見の資料があるだろうから断定するんじゃねえよ

>元・見廻組、今井信郎の証言「差 (指) 図により龍馬を殺した」
明治3年の今井の取り調べ記録「刑部省口書」より。

佐々木只三郎の指図だろ。今井は佐々木から黒幕の名前を聞いてねえよ

>見廻組与頭・佐々木只三郎の兄の証言。
「命じたのは松平容保である」
『佐々木只三郎伝』の記述に拠ります

「命じたのは松平容保である」との証言は
『佐々木只三郎伝』の著者の想像じゃね
653日本@名無史さん:2011/03/03(木) 03:31:03.50
>645
>松平容保が永井とともに龍馬に面会し
 命を保証したという出来事について
 『伏見寺田屋の覚書』の記述に拠りました。

黒幕は松平容保じゃないな。容保が指図するなら
容保ー京都見廻役ー京都見廻組となるはずじゃん。
京都見廻役が龍馬暗殺の指図は知らねえと証言してるし。
654日本@名無史さん:2011/03/03(木) 03:41:45.16
>>637
龍馬の命が狙われてるのに土佐藩邸に匿わなかったし
土佐には未必の故意があるでしょ
655日本@名無史さん:2011/03/03(木) 03:55:33.76
薩摩藩邸へ来いとの誘いはあったけど何故か行く気もない人みたいだったし。
当時の京都薩摩藩邸には会津の広沢や匿われている人物多数いる。
656日本@名無史さん:2011/03/03(木) 09:53:20.16
>>649
いや、だから手代木を含めた現場の暴発だと思うけどね。
容保から指図あったって、官の取調べでの証言じゃないだろ。

今井が、「佐々木に対し上から御指図があったようだ」と言ってるだけ。
上って手代木だろ。

容保個人に罪かぶせなくても、会津が黒幕ってことでいいじゃん。
657日本@名無史さん:2011/03/03(木) 11:25:10.79
>>645
2006年の「その時」か。既にNHKでもやってたんだ。
定説は松平容保(松平定敬も含むかも)の命令だろ。
しかも藩士がコソコソ暗殺。余程不味い事だったんだな。

今更何故そんなに必死で容保を庇う必要があるのかな。

まあ自分の希望としては千葉重太郎とおさな様だが。
658日本@名無史さん:2011/03/03(木) 11:45:33.55
>松平容保から下された龍馬暗殺命令
「先だって召し捕りかかり候ところ取り逃がし候につき
万一手に余り候節は討ち果たすべし。」
明治3年の今井信郎の供述調書『兵部省口書』より。

やっぱり松平容保か
659日本@名無史さん:2011/03/03(木) 12:44:23.14
>>652
>>元・見廻組、今井信郎の証言「差 (指) 図により龍馬を殺した」
明治3年の今井の取り調べ記録「刑部省口書」より。

>佐々木只三郎の指図だろ。今井は佐々木から黒幕の名前を聞いてねえよ

佐々木只三郎の指図じゃない。
幕府内では、老中など重職者からの命令を「御差図」って言うんだよ。

660日本@名無史さん:2011/03/03(木) 13:21:02.12
>>653
容保が龍馬に会って命の保障をしたからこそ
会津(容保ー京都見廻役ー京都見廻組)の命令が
公の出動記録みたいなもんに残るのはまずいわけで
近江屋に松代藩士と称して踏み込んだんじゃね。
661日本@名無史さん:2011/03/03(木) 22:32:27.83
容保が龍馬に会って命の保障をしたんだけど、それを通達しきる
前に部下が実行しちゃったってゆう可能性もあるのでは?
今みたいに電話やメールなんて無い時代だから。
662日本@名無史さん:2011/03/03(木) 23:37:24.69
その考えでは、龍馬が大政奉還のために京都の幕府関係者へ訪問を繰り返した時期に殺されなかった理由が説明できない。
大政奉還の時には解除されていた捕縛命令が、後に暗殺として再命令されている。
御沙汰とは直属上官ではなくもっと上の命令。
松平容保の疑いが濃いことになる。
663日本@名無史さん:2011/03/03(木) 23:59:24.94
めんどくせえから
すべての犯罪は会津の仕業にしちまえ!!
664日本@名無史さん:2011/03/04(金) 00:29:39.27
むしろ、過去の会津小説家や会津の郷土史家が、
ありとあらゆる事物に薩長犯罪説を公言しているので、

会津藩の犯行を意味する史料が出てくるたびに、
「会津は嘘をついて自分の罪を他人に着せようとした」ということになってしまう。

自業自得だね。
665日本@名無史さん:2011/03/04(金) 03:38:59.61
>「佐々木に対し上から御指図があったようだ」

御指図があったつうのは今井の想像じゃん
佐々木が御指図があったと今井に言ってないじゃん

666日本@名無史さん:2011/03/04(金) 03:53:41.60
手代木直右衛門(会津藩士)まで、某諸侯の命令と書いてしまっているからね
667日本@名無史さん:2011/03/04(金) 03:54:19.71
龍馬は命が狙われてるのに薩摩藩邸にはいらなかったて
よく考えると凄くね?
そんなにまで薩摩藩邸に入りたくない事情が龍馬にあったわけじゃん
龍馬が薩摩藩邸を拒絶した裏に薩摩犯行説の鍵がありそう
668日本@名無史さん:2011/03/04(金) 04:01:11.25
坂本龍馬と永井玄蕃との面会は他の記録にもあり、間違いない
彼と松平容保が大政奉還について坂本と面会をしているのなら、
坂本が、幕府はもう自分を狙っていないと思うのも仕方がない

その場合は、薩摩藩邸に入ることが逆に幕府に狙われる口実になると坂本は思ったということになる

しかし松平容保は裏では坂本龍馬暗殺命令を出していたわけで、汚いね
669日本@名無史さん:2011/03/04(金) 04:17:47.12
>>658
>「先だって召し捕りかかり候ところ取り逃がし候につき
万一手に余り候節は討ち果たすべし。」

佐々木只三郎の発言じゃね
今井は佐々木から黒幕の名前も御指図があったかも聞いてねえよ
今井の想像じゃん
670日本@名無史さん:2011/03/04(金) 04:29:21.01
御指図があったということは、手代木直右衛門伝でも語られております。
つまりその部分は今井の証言に手代木が裏付けを提供しているわけです。
671日本@名無史さん:2011/03/04(金) 07:48:44.42
戦前の犯罪はすべて会津の責任みたいもんだろ?
672日本@名無史さん:2011/03/04(金) 09:42:03.94
>>665
その通り。今井の憶測にすぎない。

>>666
>>670
命じたのは手代木自身なのに、責任逃れのために
ウソついたかもしれないじゃないか。手代木の話を裏付ける史料はあるの?
(まさか今井の証言が手代木発言の裏づけとは言わないだろうが)

手代木黒幕を唱える学者はいるけど、容保黒幕ってまともな学者からきかないなあ。

藩主の命令ですべて暗殺が行われるわけじゃないだろ。薩長土でも。

単なる「差図」は、大藩の有力者もありだろ。
673日本@名無史さん:2011/03/04(金) 12:11:12.35
黒幕は容保。
今井の妻のいわの証言。
「龍馬を斬ったことで今井が容保から褒状をもらった」
674日本@名無史さん:2011/03/04(金) 12:12:29.06
ところが、京都見廻組の佐々木が坂本龍馬暗殺を実行しているのに、名義上の上役の見廻役がこの事実を知らない。
しかも本来上司ではない佐々木の実兄である手代木(会津藩公用人)が暗殺のいきさつを知っていて、某諸侯の命令と言っている。

要するに、本来の見廻役を通じた命令系統ではなく
会津藩公用人手代木と実行犯の佐々木との間で暗殺命令が伝達されている。

そして、手代木は単独犯たりえない。
当時の坂本龍馬は土佐藩を代表する人物の一人で、徳川慶喜ら大政奉還を推進した幕府内の人間にとって坂本の暗殺は、
徳川慶喜の推進していた公儀政権創設へ土佐藩を賛同させる試みを瓦解させる、悪質な破壊行為であった。

徳川慶喜の意思に正面から楯突く、これだけの行為を手代木が独断で行ったと主張するなら、
会津藩は内部統御が全く存在しないと主張するのと同じ。
手代木が坂本龍馬を暗殺するのなら、その命令は手代木の独断はありえず、もっと上位の人間の発したものということになる。

要するに、松平容保の積極的な賛同、はっきり言えば松平容保の命令が手代木を伝達役にした暗殺には必要ということ。

松平容保だけではなく松平定敬や他の旗本も暗殺に賛同していたかもしれない、という意見はありうるかもしれないが、
松平容保の命令抜きでは手代木直衛門は動かない。
675日本@名無史さん:2011/03/04(金) 12:20:39.30
>>671

佐賀の葉隠思想の事もお忘れなく。
676日本@名無史さん:2011/03/04(金) 12:27:19.65
会津武士道の玉砕思想は酷かった
677日本@名無史さん:2011/03/04(金) 17:22:31.24
>>672
松岡司(高知の博物館の元館長で龍馬書簡の鑑定や展示指導をしている人)の龍馬本では
松平容保から暗殺の指図が出たんだろうと書いてあったけど?

霊山歴史館の木村幸比古も手代木→彦根への怪しい書簡に触れての講演で
それっぽいこと言ってたような。
678日本@名無史さん:2011/03/04(金) 17:55:13.44
松岡司の龍馬本って史料ということでいいの?
679日本@名無史さん:2011/03/04(金) 18:12:19.60
まあ薩摩黒幕説の史料無しと、某諸侯黒幕説の史料無しは
五十歩百歩ということで。

蓋然性、状況証拠は全然違うけどねw
680日本@名無史さん:2011/03/04(金) 18:52:25.55
木村幸比古の展覧会の解説は「松平容保の命令」
霊山歴史館の展覧会2007年秋の特別展「龍馬と西郷」
各展示コーナーと見所ミニ解説の龍馬暗殺

会津藩士の手代木直右衛門は明治33年の臨終に際し
「実は龍馬を斬ったのは実弟の只三郎である。あれは暗殺ではなく公務だった。
上様からの命令である。今まで公言しなかったのは上様に累が及ぶからだ」と語った。
上様とは、松平容保のことである。

http://www.ryozen-museum.or.jp/TEN-07aki-ryomaandsaigo.html
681日本@名無史さん:2011/03/04(金) 19:04:21.32
中岡慎太郎が「こなくそ」という四国弁を聞いた、というのはどうなったんだろう。
682日本@名無史さん:2011/03/04(金) 19:08:10.36
それは新選組リアンの(ry
683日本@名無史さん:2011/03/04(金) 23:32:51.30
手代木直右衛門独断説は苦しすぎる
684日本@名無史さん:2011/03/05(土) 02:40:35.62
>>680
>「実は龍馬を斬ったのは実弟の只三郎である。あれは暗殺ではなく公務だった。
上様からの命令である。今まで公言しなかったのは上様に累が及ぶからだ」

上様じゃなく謀諸侯じゃん
685日本@名無史さん:2011/03/05(土) 02:41:38.49
坂本龍馬暗殺事件に関しては、

・実行犯・佐々木只三郎(見廻組・旗本・会津出身)と
・暗殺命令伝達者・手代木直右衛門(会津藩士・会津藩公用人(外交官)・佐々木の実兄)

まで確実になったから、手代木の直属の上司である松平容保(会津藩主・京都守護職)を擁護するには
手代木の単独犯説を持ち出すしかないんだよ。

手代木は会津藩士で外交官、とても上司の命令無しに動ける立場ではないんだけどね。
686日本@名無史さん:2011/03/05(土) 03:09:45.85
>>668
>その場合は、薩摩藩邸に入ることが逆に幕府に狙われる口実になると坂本は思ったということになる

薩長の武力を背景に大政奉還の工作をすすめていた龍馬が薩摩藩邸に入っても
幕府は怪しまなくね。大政奉還後は薩摩と徳川は同じ新政府の一員になるわけだし。
687日本@名無史さん:2011/03/05(土) 04:05:42.29
>>674
>会津藩は内部統御が全く存在しないと主張するのと同じ。

京都守護職松平容保も将軍徳川慶喜の部下じゃん。
幕府の内部統御が存在しないと主張するのと同じ。
容保が坂本龍馬を暗殺するのなら、その命令は容保の独断はありえず、
もっと上位の人間の発したものということになるじゃん。

要するに、徳川慶喜の積極的な賛同、はっきり言えば慶喜の命令が
暗殺には必要ということになるじゃん。







688日本@名無史さん:2011/03/05(土) 04:19:31.48
ところが、大政奉還自体は同じでも、徳川慶喜と島津久光ではその後の進路が違う。
徳川慶喜は、権力の頂点に徳川慶喜自身を置き、天皇と諸侯は慶喜の権力を承認するという公儀政権を望み、
島津久光は、天皇の権威で徳川慶喜を諸侯と同じ位置まで下げ、できれば慶喜を黙らせて自らが主導権をとることを望んでいた。

幕府には将来性がないという点では一致していても、将来の新政権で誰が主導権をとるかに関しては正反対の意見だった。

徳川慶喜が土佐藩の大政奉還論を受け容れたのは、土佐藩の意見を受け容れることで、
島津久光の意見ではなく自らの公儀政権構想を支持してくれると見込んでのことだった。

薩摩藩通いをしていては、土佐藩は薩摩の一員と思われてしまう。
689日本@名無史さん:2011/03/05(土) 04:23:09.44
>>687
だが、松平容保が大政奉還に反対していたということは、当時の多くの記録に書かれていて
その意味で、見廻組へ命令を下せる立場の人間で大政奉還に反対という人間を考えると、
松平容保を筆頭に挙げざるを得ない。

松平容保は、徳川慶喜の大政奉還に激怒し即時撤回と大政再委任を求めていた。
690日本@名無史さん:2011/03/05(土) 04:32:42.55
上司の意見に忠実だった手代木とは違って
容保は、慶喜が積極的でなかった京都進軍の際も、上司の徳川慶喜へ叛意を示している
その後の徳川慶喜の恭順に逆らう形の会津の武装抵抗といい、容保は上司への反逆が多すぎる
691日本@名無史さん:2011/03/05(土) 04:45:28.76
>>689
会津藩の内部統御は主張し徳川幕府の内部統御は無視するって
矛盾してるじゃん
容保の独断があるなら手代木の独断もあるでしょ
692日本@名無史さん:2011/03/05(土) 04:48:34.79
手代木が裏切った例は聞いたことがないが、松平容保は上司を裏切っては他の人間へ鞍替えを続けた
693日本@名無史さん:2011/03/05(土) 04:52:13.41
人間としての正直さの問題だね
松平容保は最悪レベルだし、既に大政奉還に叛意を示していたことは各種史料にも記載されている
694日本@名無史さん:2011/03/05(土) 09:07:15.49
>>693
会津若松市に抗議しようか?
695日本@名無史さん:2011/03/05(土) 09:45:01.52
★の戊辰戦争研究会に直接教えてやれよw

白虎隊記念館は嘘こいて白虎隊の子孫から直々に抗議されたらしいがw
696日本@名無史さん:2011/03/05(土) 09:54:46.40
自分を高めるために仕える主人を変えるのは武士の本道。
しかし松平容保の場合は、孝明天皇の攘夷方針を破ってから孝明天皇との特別な関係を謳ったり、
徳川慶喜の大政奉還に敵対しておいて、何故見捨てるのか、と被害者としての立場を謳ったり、
やることが義理を欠いている。
697日本@名無史さん:2011/03/05(土) 10:57:02.76
>>685
容保の御指図があったという史料はないのか? 史料なく主張してるのか?

>>692-693
想像力で補完っていうのもなあ。
史料に基づいた根拠がないなら、会津・幕府の内部統御がともに機能していたか
ともに機能していなかったか、どっちかにしなよ。
698日本@名無史さん:2011/03/05(土) 11:05:58.12
容保と直右衛門
二人の行動を考えるとねー

容保の場合、別れた後、過去のラブレターで強請るから
699日本@名無史さん:2011/03/05(土) 11:08:30.89
容保にばれると切腹もんだから秘密裏に行なったんじゃね?
700日本@名無史さん:2011/03/05(土) 11:12:11.63
松平容保と手代木直右衛門、どちらが信用できるかと問われれば手代木直右衛門だね。
会津の人は自らの設問で、松平容保の不義理振りを強調してしまった。
701日本@名無史さん:2011/03/05(土) 11:37:26.17
>>699
それにしては新撰組の近藤勇も、佐々木に坂本龍馬暗殺のお手並み感服しましたと言っているところを
別の新撰組隊士に目撃されている。

坂本龍馬暗殺を佐々木只三郎が実行したということは、その程度は京都の幕府内ではおおっぴらになっていた。
そして今井によると、暗殺実行後、松平容保候から褒状を貰ったと証言している。

永井玄蕃は、誰が坂本龍馬を暗殺したかについて一言も喋らなかったが、事件後は知っていたのだろう。
当然、松平容保も少なくとも事件後は暗殺実行犯を知っていた。そして処分は全く起こらなかった。

旧幕府は対外的には何も坂本龍馬暗殺について発言しなかった。
事件が旧幕府の犯行であることは隠されてしまった。
坂本龍馬暗殺は、徳川慶喜の土佐藩引き込み工作を妨害する、徳川慶喜にとって悪辣極まりない内側からの破壊工作だった。
徳川慶喜にとっては、いくら土佐藩内で暗殺が新撰組の犯行とされても無視するしかなかった。

松平容保は鳥羽伏見の戦いの後、進軍を止めようとした家老の神保を切腹させて自らの敗戦責任を家老に償わせた。
手代木はもっと軽輩だ。自藩内のこと、下級の役ほど些細な理由付けで罪に問うことは可能だった。
702日本@名無史さん:2011/03/06(日) 02:34:33.88
>>701
>そして今井によると、暗殺実行後、松平容保候から褒状を貰ったと証言している。

今井の妻の証言でしょ

>永井玄蕃は、誰が坂本龍馬を暗殺したかについて一言も喋らなかったが、事件後は知っていたのだろう。

永井は龍馬暗殺の後に近藤勇を取り調べてるじゃん
近藤は暗殺を否定した
永井は実行犯が誰か知らなかったんじゃね
703日本@名無史さん:2011/03/06(日) 03:12:11.53
>>688
>薩摩藩通いをしていては、土佐藩は薩摩の一員と思われてしまう。

龍馬は海軍操練所が閉鎖された後に薩摩藩に引き取られたじゃん
薩摩の援助で亀山社中を経営してるし、薩長同盟に暗躍して倒幕工作を
したじゃん。
寺田屋騒動の時も薩摩に庇護してもらっているし薩摩に新婚旅行までしているじゃん
幕吏2人を射殺してるし。
薩長の武力を背景に大政奉還の工作をすすめていた龍馬は
かなり薩摩側の存在でしょ
幕府側も大政奉還を受け入れなければ武装倒幕をするという龍馬を
幕府側の一員とはとらないでしょ



704日本@名無史さん:2011/03/06(日) 04:15:08.19
松平容保は坂本龍馬と面会し、坂本の身柄の安全を保障した後で暗殺団を差し向けたのか
705日本@名無史さん:2011/03/06(日) 08:08:02.17
松平容保ね
会津側の弁護を聞くたびに卑劣で陰険な人だったのだと思う
松平容保による暗殺は当然と言いつつ、
永井の陰に隠れて、幕府は知らなかったから容保は知らなかったと
発言をする神経が分からない
706無職:2011/03/06(日) 18:19:21.07
徹底的に会津を叩いてやる!
覚悟しろよ!
707日本@名無史さん:2011/03/06(日) 21:25:33.02
松平容保への粘着っぷりが凄まじいな。
先祖が新撰組に殺されたのか?
708日本@名無史さん:2011/03/07(月) 02:28:58.78
言い返せなくなると粘着認定
709日本@名無史さん:2011/03/07(月) 09:40:08.52
なんだかなあ。容保御差図史料もあげずに、言い返せないってw
710日本@名無史さん:2011/03/07(月) 09:49:06.93
だがなあ
実行犯:佐々木只三郎(会津出身)
命令伝達者:手代木直右衛門(会津藩士)
な時点で会津藩主松平容保の指示はほぼ間違いないわけで、

それを土佐が不穏かも、きっと別の藩かもなどと根拠もない妄想を連ねて、
他の人からは・・・手代木の上司は何してるんだよ、と突っ込まれているわけw
711日本@名無史さん:2011/03/07(月) 10:00:21.52
今井についても、信用できないと会津若松の人は言うが、
衝鋒隊副長で、三月には会津若松で松平容保から直々に援助の約束をもらっているし
その後も函館まで転戦し続け、釈放後は静岡で開墾作業のリーダーになったという人間で
どこにもやましいところは見当たらないわけで。

それを、釈放のときに西郷におべっかを使ったんだろ、と盛んに中傷を撒いて信憑性を崩そうと試みる
変な工作が中村彰彦らによって実行されている。
榎本・永井・大鳥あたりと全く扱いに変わりはないのにね。
712日本@名無史さん:2011/03/07(月) 10:24:13.07
あほか。黒幕が他の藩かどうかなんて知ったこっちゃないわ。
あとあなたの「敵」をすべて合体させて同一人格扱いするのやめろ。

結局、容保御差図史料はないんだろ。

「歴史学」的には、ようやく実行犯までしか固まらないんだろ。
だから教科書にも載らない。

容保なんかどうでもいいが、他人にだけ確証求め、自説については
自分の「感覚」を他人に押し付けるのが不快。
713日本@名無史さん:2011/03/07(月) 12:26:00.72
状況証拠で松平容保君しかいないところまで進んでいるのですがw
714日本@名無史さん:2011/03/07(月) 12:39:09.46
会津の人は、証拠のある会津藩主松平容保への
嫌疑を、全く根拠のない土佐藩内や薩摩の話で
誤魔化そうとするから笑われる。
715日本@名無史さん:2011/03/07(月) 12:57:26.86
証拠w
716日本@名無史さん:2011/03/07(月) 22:03:05.30
黒幕なんかいない。
717日本@名無史さん:2011/03/07(月) 22:08:17.83
坂本竜馬なんて小物が死んでも当時の人は知ったこっちゃ無い。
718日本@名無史さん:2011/03/07(月) 22:46:46.63
>>717
それが会津の言い訳?(笑)
719日本@名無史さん:2011/03/08(火) 01:06:04.96
>>717
岩倉具視「犯人見つけ次第絶対復讐してやる〜〜」
720日本@名無史さん:2011/03/08(火) 01:50:36.69
暗殺して受けるメリットが誰にあるかだ
721日本@名無史さん:2011/03/08(火) 03:41:22.58
>>712
>あとあなたの「敵」をすべて合体させて同一人格扱いするのやめろ

敵をカテゴライズしてもいいじゃん

>容保なんかどうでもいいが、他人にだけ確証求め、自説については
自分の「感覚」を他人に押し付けるのが不快。

違うよ。目には目をじゃん





722日本@名無史さん:2011/03/08(火) 09:29:57.43
所詮2ちゃんなんだから、自分の感覚を面白おかしく主張しあえばいいんだよ。
それに本気で怒るやつの気が知れない。

史料がないと感覚も述べてはいけないんだぞとギャーギャー感情的に
騒いでレッテル貼りするお莫迦さんは放っておけばいいんだよ。

まあオレは好きだけどね。
723日本@名無史さん:2011/03/08(火) 10:03:02.72
黒幕は大久保だろ。
龍馬伝での描かれ方をみれば瞭然だ。
724日本@名無史さん:2011/03/08(火) 10:16:10.75
ほら、妄想歓迎だとこのように自分に都合の良い出鱈目を唱えて居座る人間が出現する。
史料は尊重すべきで、小説やテレビは笑いとばすべきもの。
725日本@名無史さん:2011/03/08(火) 10:37:15.89
史料に基づいた現在の定説は踏まえるべきでしょうね

・実行犯は京都見廻組の 佐々木只三郎 ら見廻組隊士
・命令者は京都守護職の 松平容保 ら幕府内の大政奉還反対派
・動機は薩長同盟締結を仲介し土佐藩を倒幕派に変えた坂本龍馬への危険視
及び松平容保による大政奉還への反抗

証言は
新撰組・大石鍬次郎「近藤勇組長が佐々木只三郎に坂本龍馬の暗殺のお手並み感服しましたと言っていたのを聞いた」
会津藩・手代木直右衛門「暗殺実行者は佐々木であり某諸侯に命じられた。動機は薩長同盟を仲介し土佐藩を倒幕派にしたから」
見廻組・今井信郎「私は佐々木に命じられて暗殺に参加した。命令は御指図(幕府上層部の命令)で、命令者は松平容保候と思う」
今井の妻「当日夫は怪我をして帰ってきて、後で松平容保候から感謝状をもらいました」
726日本@名無史さん:2011/03/08(火) 12:34:14.90
実行犯はいいんだけど
>・命令者は京都守護職の 松平容保 ら幕府内の大政奉還反対派

これの史料が弱いんだよなあ。桑名侯ともとれるわけで。
727日本@名無史さん:2011/03/08(火) 12:40:25.66
見廻役の蒔田らは暗殺に参加していないと証言しているので、暗殺命令の仲介者は手代木直右衛門になる。
暗殺命令が桑名候だけなら手代木直右衛門が命令を仲介することは不可能。手代木は会津藩士なのだから。

少なくとも松平容保が暗殺を命令し、その時点で賛同者がいた可能性が残っているという程度の話。
728日本@名無史さん:2011/03/08(火) 12:47:39.87
できる部下は、上司からの命令がなくとも
その意を汲んで先回りして仕事をするもんじゃて。
729日本@名無史さん:2011/03/08(火) 12:50:31.13
部下は上司への叛意がないなら、上司と反対意見のことなどしないわけで
730日本@名無史さん:2011/03/08(火) 12:54:11.20
神保も、上司からの命令がなくともその意を汲んで先回りして仕事をする、と教育を受けていたのなら、
松平容保など座敷牢に入れて京都に進軍させなかったろうに
731日本@名無史さん:2011/03/08(火) 23:14:22.27
松平容保指示→見回り組犯行

これ以外の説を主張してる奴は会津観光史学洗脳者
732日本@名無史さん:2011/03/09(水) 00:11:56.69
薩摩ファシズム
733日本@名無史さん:2011/03/09(水) 00:59:10.58
>>731
おまえ、この板で嫌われまくってる事に気づいてる?
734日本@名無史さん:2011/03/09(水) 01:58:50.55
会津ファシズムなら聞いたことがあります
イタリアのファシスト党(ムッソリーニ)やアドルフヒトラーのナチスドイツが、日本と友好関係を結ぶ際、
日本の朱子学武士道精神の源として会津若松を訪問し、石碑なども残していったそうです

でも、会津とファシズムのどちらも他の地域を差別することしか考えていませんでした
東条英機ら昭和の東北出身者の政権は、酷い地域と結んだものだと思います


武士道の馬鹿さ加減を考える限り、やはり幕府は倒れる必要があったのでしょう
大政奉還を進めた坂本龍馬と、これを憎んだ松平容保との将来を見る力の違いが昭和に出てきたような気がします
735日本@名無史さん:2011/03/09(水) 21:02:35.11
>東条英機ら昭和の東北出身者

またさらりとウソをつく
息をするように
736日本@名無史さん:2011/03/10(木) 00:43:52.84
東北は失敗すると他人、成功者は郷土の偉人
737日本@名無史さん:2011/03/10(木) 00:49:02.85
東條英樹は盛岡だね
会津武士道を社会に強要した結果が敗戦
738日本@名無史さん:2011/03/10(木) 00:53:43.22
会津観光史観を批判している歴史学者も
「戦時中は会津は勝ち組だった。なのに明治以降虐げられ続けたかのようにほざく」(大意)って言ってるよな
739日本@名無史さん:2011/03/10(木) 01:17:51.44
目下、会津の松平容保の命令で暗殺ということで固まりつつある。
740日本@名無史さん:2011/03/10(木) 01:45:45.85
慶喜は、竜馬暗殺の共謀共同正犯と言う事で、松平容保を叱り飛ばさなかったの?

少なくても、「もう面倒見切れないから、会津に帰れ!」 by慶喜

ぐらい言っても良さげだが?
741日本@名無史さん:2011/03/10(木) 02:19:01.96
龍馬暗殺の時点では会桑の武力に期待する部分があったのでしょう。
鳥羽伏見の戦いの後になって実行しましたが、
もう遅い。
742日本@名無史さん:2011/03/10(木) 06:23:08.70
鳥羽・伏見の戦いの際の、徳川慶喜による、敗北した松平容保らに対する激怒と、彼らを連行する形での江戸への逃亡は、
臆病というよりは、会津桑名を完全に見捨てるための作業だったのかもね。

会津の人たちはこの時のことを臆病臆病といって罵るけど、
徳川慶喜に言わせれば、今まで戦略で散々足を引っ張った妨害犯の会津が何を言う、となるのかもしれない。
743日本@名無史さん:2011/03/10(木) 09:39:21.90
容保VS慶喜
究極のだめんず対決だな。

慶喜はだめじゃないか。龍馬のこと心から評価したということで。
744日本@名無史さん:2011/03/10(木) 10:01:29.05
徳川慶喜にとっては、立てた戦略が悉く部下の会津や桑名によって叩き潰されるという
とんでもない部下を持ってしまった悲劇というか、会津は正義感で悪事を働くとんでもない阿呆というか、
そんな感じ
745日本@名無史さん:2011/03/10(木) 11:51:44.53
今のリビア情勢を見ると、慶喜が官軍に抵抗しなかったのは有難いなw

慶喜がカダフィタイプだったら、鳥羽伏見の戦いに負けても大阪城に立て篭もって抗戦を続けただろう。

746日本@名無史さん:2011/03/10(木) 18:38:57.91
松平容保が坂本龍馬を暗殺しなかったら、徳川慶喜の公儀政権は成立したのだろうか?

坂本龍馬は小説上では「悪い薩長を懲らしめるため慶喜公のために幕府が続くように取り計らった正義の人」
なんて記述が一時期はびこったけど、実際の言動では

「薩長に土佐まで連合させて幕府を追い込む」「幕府を倒す」「武器を尊王攘夷派に行き渡らせる」「黒船で幕府に対抗する」
なんて威勢の良いものばっかりが残っているので、とても彼を佐幕と考えることなんて出来ない。
大政奉還も坂本の弁によると、「幕府を政府の座から引き摺り下ろしてこの功績を薩摩との同盟締結の材料に使う」、というものだった。

すると、坂本龍馬は生きていたら、徳川慶喜の公儀政権ではなく薩長の武装討幕に乗っかったのだろうか。
747日本@名無史さん:2011/03/10(木) 18:44:08.11
>>746
龍馬は倒幕派に決まってるだろw
ただ佐幕派の松平春嶽や、山内容堂の意を汲んだ後藤象二郎と連携して
穏便な政体改革ができれば必ずしも武力討幕はしなくて良しと考えていたようだが。
748日本@名無史さん:2011/03/10(木) 19:15:24.45
小御所会議で山内容堂を代表にするか、容堂は国許に帰らせて藩主に薩長寄りのことを喋らせるか、
それだけでも土佐藩の進路は大きく変わってしまうわけで

中岡という存在もあるし、場合によっては薩長と最初から一体行動をしていた可能性も
749日本@名無史さん:2011/03/10(木) 19:28:25.41
勤王派寄りの上士・佐々木高行が土佐藩上士層は9割佐幕だと言っていたが?
容堂の指導力が強烈だから戊辰戦争勃発まで誰も逆らえなかった。
750日本@名無史さん:2011/03/10(木) 19:37:48.82
つまり、容堂を国許に帰らせれば問題はないわけで
751日本@名無史さん:2011/03/10(木) 21:48:56.64
>>746
龍馬が「幕府が続くよう取り計らった」なんて初めて聞いたし、そんなの読んだこと無いぞ?
大政奉還後、諸侯会議で慶喜がトップに立つプランは幕藩体制を潰して中央集権の新政府を
つくるプラン。決して幕府を続かせるものではない。
752日本@名無史さん:2011/03/10(木) 22:31:59.51
>>750
土佐藩で容堂の意向に逆らえる奴なんていねーよw
各藩討幕派と容堂の板挟みになった後藤が熱出して寝込んでたし、
年若い藩主が勤王党の獄を許してやるよう嘆願にきたのも追い返した御老公だ。
753日本@名無史さん:2011/03/11(金) 00:51:48.84
容保がOK出すまでには下から上への伝達があったはず。

龍馬潜伏地を発見した下の者から会津公用方の誰かに伝えられてその上の上司に伝えて、殿様へ伝わるまでには段階が必要なわけで。
754日本@名無史さん:2011/03/11(金) 00:55:55.47
新遊撃隊という組織の命令系統がはっきりしていないのでなんともだけど。
755日本@名無史さん:2011/03/11(金) 06:38:48.38
>>751
会津の人はそういっている。
坂本龍馬は幕府を存続させようとしたから我々と同じ佐幕派だ、だから我々が殺すわけがない、ってね。

まあ、でまかせ大嘘なわけだが。
756日本@名無史さん:2011/03/11(金) 11:16:30.98
く、くるしいww
757日本@名無史さん:2011/03/11(金) 17:50:44.22
>>751
以前NHKでやってた龍馬特集で、龍馬が書いた起草文の中に
○○○を宗主とするという一文があると指摘していた。
当然、龍馬の中にここに該当する人物の名が浮かんでいただろうが、
その人物の名を憚ってあえて書かなかったのだろうと。
で、徳川慶喜とか山内容堂とか、いろいろ推測された揚句に
やはり徳川慶喜だろうということになっていた。
山内容堂が龍馬の意見を入れて、新政府で力を温存するべく
大政奉還しましょう、と慶喜に入れ智恵したんだろ。
758日本@名無史さん:2011/03/11(金) 21:15:51.21
あれは保険屋の口上のようなもの
書いていないことを想像させて味方と思い込ませるのは、言質を取られないようにするため

勧誘書で書いてないのに相手に想像させる事物は、後々逆に事態が動くという意味を持つ
759日本@名無史さん:2011/03/11(金) 21:37:48.17
トップは○○○とは書いてあっても大樹公とは書いていない。
そして徳川慶喜は自分以外に上に座る資格のある人間などいないと思っている。

つまり、坂本龍馬は徳川慶喜をトップに据えるとは約束せず、
徳川慶喜は自分の座を勝手にトップに考えて、大政奉還後自分の占める位置に満足したということになる。
760日本@名無史さん:2011/03/11(金) 23:58:57.61
結局、竜馬殺して得した人って誰?
761日本@名無史さん:2011/03/12(土) 08:30:09.12
龍馬暗殺を主導した藩が今大変な事になってるね。

神様はちゃんと見てる。
762日本@名無史さん:2011/03/12(土) 09:51:52.49
会津よ、他人を騙って中傷を撒いてはいけない。
会津若松市民は恥知らずだ。
763日本@名無史さん:2011/03/12(土) 12:00:46.99
地震の直後でも会津レッテル貼り攻撃の手は緩めない。
さすが○○○

東北が壊滅してどんな気持ちだ?


764日本@名無史さん:2011/03/12(土) 12:47:58.95
自県民の死を叩いて他人に罪を着せようとする会津よ。
お前の卑劣さは救いようがない。
765日本@名無史さん:2011/03/12(土) 12:48:53.59
日本史板に巣くう反会津の奴ってあまりにも非常識過ぎないか?
こんな時に被災者を嘲笑うかのようなカキコミをあちこちでしてる。
766日本@名無史さん:2011/03/12(土) 12:51:29.04
こいつが龍馬スレで語っていること自体が
おぞましい
767日本@名無史さん:2011/03/12(土) 20:35:48.14
会津若松の人間は人格として救いようがない
自県内を叩いて他人に罪を着せようとするとは
768日本@名無史さん:2011/03/12(土) 21:16:03.11
>>765
非常識というより単なる馬鹿。
769日本@名無史さん:2011/03/13(日) 09:26:22.00
また会津嫌いの馬鹿が大暴れしてるな
一昨日の夕方くらいから活動が活発になってる。
770日本@名無史さん:2011/03/13(日) 11:19:35.65
>>769
悲惨な目にあってるのは会津ではなく浜通りの人々だし、会津嫌いの人は暴れてなく
むしろ自粛してると思うよ。
771日本@名無史さん:2011/03/13(日) 12:08:26.92
>>770
みえみえだよ馬鹿
772日本@名無史さん:2011/03/13(日) 12:33:02.10
>>771
お前はどうでもいい。今回、災難に会われた方々にお見舞い申し上げますと言うしか、
とりあえず自分としては出来ることが無い
773772:2011/03/13(日) 12:51:49.06
(大サービスで会津叩きを遠慮してやる。だから会津オタは俺様に感謝しろ)
774日本@名無史さん:2011/03/13(日) 13:07:34.85
>>773
この人何なの?
775日本@名無史さん:2011/03/13(日) 13:24:07.35
いつもの会津じゃないか
776日本@名無史さん:2011/03/13(日) 19:28:57.37
>>747
>龍馬は倒幕派に決まってるだろw

一応正確に言うと、龍馬は、穏健討幕派、話合い討幕派だな。

大久保や西郷みたいな、武力討幕派ではないので、
慶喜も容堂も徳川宗家生き残りの可能性を見て、妥協出来た。

慶喜にとって慶応の(軍制)改革が始まったばかりなので、時間を稼ぎたかったんだろう。
しかし長州の木戸らは、それが逆に怖い訳で薩長同盟が出来てしまった。

薩長同盟は、第二次長州征伐失敗で弱体化した幕府に追い討ちをかけるだけではなく、
慶応の(軍制)改革により急ピッチで増大増強する幕府軍の脅威に対抗しようとする意図も合った。

江戸在中の強硬派幕閣(幕権派:徳川宗家による中央集権政府の樹立)では、
孝明天皇存命中から、“承久の故事”が言われていた。
ただし、第二次長州征伐失敗で幕府が弱体化したので、慶喜はこの路線を一時中断し、土佐藩の大政奉還路線に乗った。
777日本@名無史さん:2011/03/13(日) 20:28:41.19
>>776
なるほど
778日本@名無史さん:2011/03/13(日) 23:12:06.62
779日本@名無史さん:2011/03/13(日) 23:27:28.31
>>778
通院してるかー?
780日本@名無史さん:2011/03/15(火) 05:00:21.60

佐幕派だって穏健佐幕派と強硬佐幕派(武力佐幕派)に割れている。

龍馬を殺ったのは、強硬佐幕派(武力佐幕派)

龍馬は、慶喜が、強硬佐幕派から穏健佐幕派に転向していたので安心していた。
781日本@名無史さん:2011/03/17(木) 01:00:24.99
龍馬さんがいたらどうしたかな
782日本@名無史さん:2011/03/17(木) 09:16:43.48
今の日本ではクーデターが起こらないから
明治維新時のような活躍はできないのでは?
今の日本で政治家になるのは官僚出身のぼんくらか
親父も祖父も政治家という世襲のぼんぼんばっかりで
無名の20代〜30代が中心になったあの頃と時代が違うし。
783日本@名無史さん:2011/03/17(木) 11:10:01.13
安政の東南海地震の余震について日誌に揺れの記録を書き続けた武士って誰?
784日本@名無史さん:2011/03/17(木) 22:26:56.04
龍馬暗殺関係ない話題が続いてるな

・中根雪江(松平春嶽側近)の公式記録
・魚水日記(板倉勝静側近の公式記録)
・川路聖謨書簡(「東洋金鴻 英国留学生への日記」収録)
・後藤象二郎自伝
・福岡孝弟(土佐藩士)の記録
・上山郡廉日記(土佐藩士上山郡廉の記録)
以外に会津の証拠物件あった?
785日本@名無史さん:2011/03/18(金) 09:39:09.79
史料じゃなく空気読め
786日本@名無史さん:2011/03/19(土) 02:42:32.70
>>784
暗殺の動機が大政奉還とは言えないじゃん
787日本@名無史さん:2011/03/19(土) 03:43:39.07
大政奉還に対する激怒が暗殺の動機なら
成立以前に龍馬を暗殺するべきじゃん

788日本@名無史さん:2011/03/19(土) 04:21:12.12
土佐藩の幕府への大政奉還斡旋は山内容堂の押しがあるから聞かないわけには行かないし
慶喜の受け入れ表明から朝廷の受理まで短いもん
789日本@名無史さん:2011/03/19(土) 21:17:06.58
>>788
後藤象二郎が大政奉還以前に説得工作はしていたでしょ
790日本@名無史さん:2011/03/19(土) 21:31:37.39
その時は坂本龍馬は、山内容堂と後藤象二郎の推薦で幕閣と折衝中。
この時点で見廻組=松平容保が坂本を殺したなら、松平容保が幕府に反逆したと大評判になる。

松平容保にとっては、いくら大政奉還が気に入らなくても、大政奉還が過ぎた後しかタイミングはなかった。
791日本@名無史さん:2011/03/19(土) 21:35:35.14
>>788
山内容堂の押しじゃなくて薩長の武力があるから
聞かないわけにはいかなかったんじゃん
792日本@名無史さん:2011/03/19(土) 21:48:00.93
>>790
>この時点で見廻組=松平容保が坂本を殺したなら、松平容保が幕府に反逆したと大評判になる。

十津川郷士を名乗り暗殺すればいいじゃん
大政奉還が過ぎた後に暗殺では手遅れでしょ
793日本@名無史さん:2011/03/19(土) 21:48:11.35
意味不明

徳川慶喜が薩摩の意見を容れたいのなら、四候会議で島津久光の意見を全却下し、
島津久光は体面を失い薩摩が西郷の討幕路線に一本化するようなことはなかった。
794日本@名無史さん:2011/03/19(土) 21:52:05.05
>>792
そんな隠蔽なんて役には立たず、見廻組の代わりに新撰組が犯人にされて、
結局松平容保の犯行という認識は共有されたまま明治維新となったわけですが、何か?
795日本@名無史さん:2011/03/19(土) 22:35:29.26
策士なのか詐欺師なのか微妙な人物。
796日本@名無史さん:2011/03/20(日) 00:30:40.68
>>793
幕府は武力で薩長を討伐できれば
大政奉還はしないじゃん

>>790
見廻組=松平容保じゃないでしょ
組織の内部統御を根拠にするなら
将軍=京都守護職=京都見廻役=京都見廻組
になるじゃん

797日本@名無史さん:2011/03/20(日) 00:47:53.27
>>794
>そんな隠蔽なんて役には立たず、見廻組の代わりに新撰組が犯人にされて

見廻組を隠蔽できてるじゃん
官軍は新撰組が犯人だと想像しただけじゃん
戊辰戦争で幕府が勝ったら完璧に隠蔽はできたでしょ
798日本@名無史さん:2011/03/20(日) 01:24:46.90
会津は言い訳に言い訳を重ねるだけだな
799日本@名無史さん:2011/03/20(日) 01:39:18.17
暗殺の動機はタイミング的に考察すると大政奉還に対する激怒じゃなく
小御所会議から龍馬を排除するためじゃね?
800日本@名無史さん:2011/03/20(日) 01:59:51.20
この会津、いつの間にか見廻組の坂本龍馬暗殺も、
鳥羽・伏見の戦いで会津が勝っていたら隠蔽されたはずだ、という主張になっている。

それでは見廻組が勝手にやったことという君の前段の主張は真っ赤な嘘で、
会津藩主松平容保の命令に間違いないということになってしまうのだが。


それと、坂本龍馬暗殺の証言をしているのは佐々木ではなく、佐々木の実の兄の会津藩士、手代木直右衛門なんだよ。
そして佐々木の本来の上役だった蒔田らは坂本龍馬暗殺について何も知らない。
暗殺は本来の上役を経由した命令ではなく、京都駐在の幕府上層部の命令を手代木直右衛門が佐々木に伝えた。

手代木直右衛門は会津藩士なので、会津藩の意向に反することは出来ない。
要するに、松平容保が命令を容認しない限り、手代木直右衛門は暗殺命令を佐々木に伝えることが出来ない。



それと、徳川慶喜は大政奉還を受け入れた時点で、幕府の政府としての地位を発展的に消滅させ、
諸侯を招集し、彼らを構成員とする新政府創設を考えていたとされている。

これがいわゆる公儀政権構想と呼ばれるものなのだが、
幕府から将来の公儀政権への、政府たる地位の移動は、大政奉還表明の時点では徳川慶喜にとって既定事項であった。
幕府が政権であり続けるのなら、大政奉還をする意味がない。

もっとも、公儀政権創設には大政奉還は必須ではないんだけどね。
大政奉還をして朝廷に日本国政府の座を返却しなくても、幕府から公儀政権の枠組みに政府の座を横滑りさせれば、公儀政権が新政府になる。
徳川慶喜がこの方針を曲げて、将来の公儀政権創設含みでいったん朝廷に日本国政府の座を返却したというのが大政奉還なんだ。
でも地位というものは、いったん手放すと手に入れた人がその地位で前任者を追い落とすので、決して元には戻らないんだな。
徳川慶喜は大政奉還という罠に嵌ったわけ。
801日本@名無史さん:2011/03/20(日) 02:16:50.81
>>800
>手代木直右衛門は会津藩士なので、会津藩の意向に反することは出来ない。
要するに、松平容保が命令を容認しない限り、手代木直右衛門は暗殺命令を佐々木に伝えることが出来ない

見廻組=松平容保じゃないでしょ
組織の内部統御を根拠にするなら
将軍=京都守護職=京都見廻役=京都見廻組
になるじゃん








802日本@名無史さん:2011/03/20(日) 03:04:18.30
それも説明してあるのだが、文章が読めないと会津を愛してしまうのか、哀れだ
803日本@名無史さん:2011/03/20(日) 03:08:49.37
坂本龍馬はそう思って安心していたのだろうね。
しかし見廻組は坂本龍馬を暗殺した。

どこかで徳川慶喜の大政奉還推進への意思が、大政奉還破壊という松平容保の意思に摩り替わっている。
やはり松平容保以外、犯人は考えられないよ。
804日本@名無史さん:2011/03/20(日) 03:17:56.19
手代木直右衛門は大政奉還直後の京都の幕臣との折衝で、
「『私も殿と同じく大政奉還には大反対』と言った」、とその相手が日記に記している。

松平容保の大政奉還への反抗と敵愾心は、当時誰もが認めるものであった。
でも、これを坂本龍馬の暗殺理由に挙げると、松平容保が暗殺命令を行った犯人として丸分かりなんだよね。
805日本@名無史さん:2011/03/20(日) 19:57:15.27
>>804
暗殺の動機が大政奉還に対する激怒と決まってねえのに
松平容保が大政奉還に反対したという史料を提示しても
意味ないじゃん

>>803
お前も文章が読めない哀れな奴じゃん
将軍=京都守護職=京都見廻役=京都見廻組
が成立してねえなら組織の内部統御は機能してねえじゃん
つうことは見廻組が実行しても松平容保の指示と言えねえじゃん

806日本@名無史さん:2011/03/20(日) 21:57:58.74
都合の悪い事実は目に入らない哀れな会津
807日本@名無史さん:2011/03/21(月) 07:53:49.55
暗殺の動機はタイミング的に考察すると大政奉還に対する激怒じゃなく
小御所会議から龍馬を排除するためじゃね?

808日本@名無史さん:2011/03/21(月) 13:01:52.18
>>805,807
>>800参照だな
話を意図的にループさせようとしているだけで、結論は出ている。
809日本@名無史さん:2011/03/21(月) 21:29:44.49
>>808
意味不明
810日本@名無史さん:2011/03/21(月) 22:12:00.91
会津が好きと言っている人は、論法の不備がばれると、他人のやり方のコピーで済ませようとする。
既に書いてあるのに。大政奉還が松平容保の敵意によって頓挫されかかっていたというのは当時の記録にもある。
だが、そこまで言うなら小御所会議を動機にするのはおかしいということを挙げてみよう。

そもそも、坂本龍馬が暗殺された時期は、王政復古、つまり小御所会議は形にもなっていない。
もちろん設立に向けた会談は島津久光(薩摩)・伊達宗城(宇和島)・
徳川慶勝(尾張)・松平春嶽(越前)・山内容堂(土佐)ら、
その後小御所に同時に入った諸藩の関係者によって進行しており、
当時、徳川慶喜ら京都の幕府首脳もこの動きは知っていたと各種記録で裏付けられている。

小御所会議が松平容保による坂本龍馬暗殺の理由となると、
坂本は小御所会議をどうしようとしていたのか、ということになる。

考えられるのは、山内容堂を土佐に隠棲させ、容堂よりは尊王攘夷派に近い藩主を代わりに据えようとした
ということだが、この場合動くのは松平容保と見廻組ではないんだよ。この場合は土佐藩内が動くこととなる。
そして暗殺は各種の証拠から松平容保の命令だったとほぼ断定できる。彼は土佐藩の命令を聞く人間ではない。

動機と実行犯の松平容保が結びつかないんだよ。
811日本@名無史さん:2011/03/22(火) 03:29:41.47
>>810
>小御所会議が松平容保による坂本龍馬暗殺の理由となると、

松平容保ではなく薩摩藩による暗殺じゃん

>そして暗殺は各種の証拠から松平容保の命令だったとほぼ断定できる

できねえじゃん。

812日本@名無史さん:2011/03/22(火) 11:08:20.78
松平容保の犯行は現時点で明白です。
だから彼の行動で動機を推測するしかありません。
813日本@名無史さん:2011/03/22(火) 15:21:47.30
>手代木直右衛門は会津藩士なので、会津藩の意向に反することは出来ない。

これは苦しい。
「西郷隆盛は薩摩藩士なので久光の命令には絶対従う」○か×か。
「西郷隆盛は薩摩藩士なので久光から命令があったことしか実行しない」○か×か。


>そして暗殺は各種の証拠から松平容保の命令だったとほぼ断定できる

これは苦しい。
容保直々の命令書もなし。容保が他に暗殺を命令した実績もなし。
814日本@名無史さん:2011/03/22(火) 16:00:59.91
手代木直右衛門が裏切ったことは未だかつて無かったと思うが
今わの際で、こちらが坂本龍馬を暗殺したと告白したのは
松平容保への裏切りといえるのだろうか

むしろ松平容保が世間を裏切っていたのだと思う

>容保が他に暗殺を命令した実績もなし。
つ芹沢鴨など多数
815日本@名無史さん:2011/03/23(水) 00:12:07.87
>>814
>芹沢鴨など多数

ソースは?
会津藩の部下による指示かもしれないじゃん
816日本@名無史さん:2011/03/23(水) 00:22:00.40
>>812
松平容保の犯行は現時点で明白じゃないから
暗殺の動機で犯人を推測するしかないじゃん。




817日本@名無史さん:2011/03/23(水) 00:26:08.70
犯人は松平容保なのですが
818日本@名無史さん:2011/03/23(水) 00:30:07.50
実行犯から命令を行った松平容保まで辿れるのに、何を今更
819日本@名無史さん:2011/03/23(水) 00:31:48.89
>>815
松平容保の命令した暗殺は数知れず
820日本@名無史さん:2011/03/23(水) 00:45:26.44
>>818
将軍=京都守護職=京都見廻役=京都見廻組
が成立してねえなら組織の内部統御は機能してねえじゃん
つうことは見廻組が実行しても松平容保の指示と言えねえじゃん

>>819
ソースは?
会津藩の部下による指示かもしれないじゃん

821日本@名無史さん:2011/03/23(水) 00:49:37.72
今のところ各種証拠から勘案して
(命令者)会津藩主松平容保
(伝達者)会津藩士手代木直右衛門
(実行者)佐々木只三郎ら見廻組隊士

(動機)大政奉還への敵意
でほぼ固まりつつあります。
822日本@名無史さん:2011/03/23(水) 01:00:16.15
訂正
>>821
今のところ各種証拠から勘案して
(命令者)不明
(伝達者)会津藩士手代木直右衛門
(実行者)佐々木只三郎ら見廻組隊士

(動機)不明
でほぼ固まりつつあります。

823日本@名無史さん:2011/03/23(水) 01:11:16.98
>>822
間違い。松平容保の犯行は決定的ですから。

実行犯:佐々木只三郎(会津出身)
命令伝達者:手代木直右衛門(会津藩士)
な時点で会津藩主松平容保の指示はほぼ間違いないわけで、

それを土佐が不穏かも、きっと別の藩かもなどと根拠もない妄想を連ねて、
他の人からは・・・手代木の上司は何してるんだよ、と突っ込まれているわけw
824日本@名無史さん:2011/03/23(水) 01:17:01.82
>>823
文章が読めないと哀れだ
将軍=京都守護職=京都見廻役=京都見廻組
が成立してねえなら組織の内部統御は機能してねえじゃん
つうことは見廻組が実行しても松平容保の指示と言えねえじゃん


825日本@名無史さん:2011/03/23(水) 01:20:51.38
だいたい、徳川慶喜の大政奉還に松平容保が強烈に反対し、撤回を求めていたことは史料にも多く示されている。

その上京都進軍も、江戸開城以降の恭順を踏みにじる武装蜂起も、
松平容保は徳川慶喜への裏切りが多すぎる。

これと史料上は主君に忠実だった手代木を比較し、松平容保ではなく手代木が裏切ったとするのは不合理だ。
裏切りがあったとすれば、常習犯でありその後も大政奉還を無き物にしようとした松平容保ということになる。
826日本@名無史さん:2011/03/23(水) 01:23:52.50
>>824
文章が読めないのはあなたですよ。
これまでも、手代木を裏切り者に仕立てて松平容保の無謬性を主張するのは無理と
何人もの人から指摘されているではありませんか。

徳川慶喜が大政奉還に賛成し、見廻組が暗殺を実行したのなら、
慶喜の方針を違えたのは松平容保ということになります。
827日本@名無史さん:2011/03/23(水) 01:29:15.56
無理無理
会津は何度でも既に陳腐として
撤回された話をして話のループを狙っている
犯人は会津藩主の松平容保、それを隠せば
あとで他人に罪を着せることが出来る
それが会津の狙いさ
828日本@名無史さん:2011/03/23(水) 01:30:48.30
>>825
組織の内部統御を根拠に
松平容保=見廻組としてたのはお前じゃん

829日本@名無史さん:2011/03/23(水) 01:35:09.78
>>825
文章が読めないと哀れだ
暗殺の動機が大政奉還に対する激怒と決まってねえのに
松平容保が大政奉還に反対したという史料を提示しても
意味ないじゃん


830日本@名無史さん:2011/03/23(水) 01:57:38.48
>>825
>これと史料上は主君に忠実だった手代木を比較し、松平容保ではなく手代木が裏切ったとするのは不合理だ。
裏切りがあったとすれば、常習犯でありその後も大政奉還を無き物にしようとした松平容保ということになる。

裏切りじゃねえよ
幕府は内部統御が機能してねえんだよ
部下は独自の判断で動いてんじゃん

組織の内部統御の話を忠誠心と裏切りの話に
すりかえるんじゃねえよ



831日本@名無史さん:2011/03/23(水) 02:57:38.41
またループをさせようとするか
832日本@名無史さん:2011/03/23(水) 10:20:47.39
なにがループだよw
鹿児島地検くんの「ストーリー」は飛躍しすぎなんだよ。

1.容保が命令した史料を示せないんだろ? いっぱいあるとかじゃなくてさあ、学会認定のもので。

2.容保の動機が記された史料もないんだろ? いっぱいあるとかじゃなくてさあ、学会認定のもので。

3.手代木が容保に命じられたことしか行わないというのは空想だろ?
 (どの藩でも、実力者には裁量が認められてたろ)

4.幕府の内部統御は機能していなくて、会津の内部統御が機能していたというのは
 願望だろ?

この4点で納得させてくれたら有罪評議でいいが、そこから逃げて
ループ、ループもないもんだ。
833日本@名無史さん:2011/03/23(水) 14:25:37.14
会津は実行犯が会津ということは無視して妄想を力説
834日本@名無史さん:2011/03/23(水) 14:56:04.82
手代木が裏切った記録はないが、松平容保が主君を裏切った記録は山程ある。
その上大政奉還撤回を松平容保は執拗に徳川慶喜に要求し、徳川慶喜の恭順意思には従わず関東各地に兵を出し東北でも戦闘を続けた。
松平容保は主君を裏切って徳川の立場を決定的に悪化させた。

坂本龍馬暗殺に関しては各種証拠から、実行犯は京都見回組、命令は松平容保及びその同調者で異論が出ない状況にある。
対立する物証が出ない限り、松平容保の不忠な欲望を暗殺動機に挙げるしかない。

835日本@名無史さん:2011/03/23(水) 16:46:17.67
実行犯が会津って。
見廻組だろ。
836日本@名無史さん:2011/03/23(水) 23:24:23.66
なんだか、会津は異論を挙げようとするたびに他からの苦言をもらっているような
散々論じられたことのループだし、犯人が会津藩主松平容保ということは各方面から指摘されているのに
837日本@名無史さん:2011/03/24(木) 07:39:16.79
大政奉還(慶喜に言わせると単に“政権返上”だけど)って、土佐藩からの建白があって、慶喜が一日で決めちゃったはず。
以前から検討していた節もあるシナ、側近に西周とかが居て、新政権の構想を練っていたし。

慶喜が、かなり急に決めたから、江戸の徳川一門も譜代も驚いて、慌てて後から大政奉還への反対運動や
大政再委任運動を始めている。
838日本@名無史さん:2011/03/24(木) 10:13:34.32
答えられないと会津罵倒ってか。
839日本@名無史さん:2011/03/24(木) 10:14:48.72
「会津藩内においても松平容保候をはじめとする大政奉還賛成派と反対派がいた為、
見廻組が京都守護職の傘下であっても、必ずしも会津藩から指図が下りたとは限らない。」

Wikiより
840日本@名無史さん:2011/03/24(木) 16:09:30.69
その大政奉還反対派が松平容保なんですが
841日本@名無史さん:2011/03/24(木) 16:23:21.91
だから松平容保が大政奉還反対だったのは多くの当時の記録にあり、
賛成していたという話は、会津の叛逆隠蔽目的で後世書かれた小説もどきの中にしかない。
842日本@名無史さん:2011/03/24(木) 16:53:53.11
ウィキペディアなおせよ
843名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 20:17:40.43
>>837
1日はねえよww
土佐藩が建白書を正式に提出する前に
慶喜の指示で各方面に根回ししたうえで提出している
慶喜自身も予め尾張・紀州藩の代表者を招いて了承をとってる
844日本@名無史さん:2011/03/25(金) 06:36:22.61
10月3日、土佐藩は単独で大政奉還の建白書を藩主・山内豊範を通じ将軍・徳川慶喜に提出。

10月14日に「大政奉還上表」を朝廷に提出すると共に、徳川慶喜は、上表の受理を強く求めた。

翌15日に慶喜を加えて開催された朝議で大政奉還受理の勅許が決定した。
同日、天皇が慶喜に大政奉還勅許の沙汰書を授け、大政奉還が成立した。

10月23日、外交業務は引き続き幕府が行う旨の決定を朝廷は行う。同日内政についても同内容を確認する。

10月24日、慶喜は、正式に征夷大将軍辞職を朝廷に申し出る。

10月26日、朝廷は慶喜の征夷大将軍辞表を却下、朝廷での諸侯会議開催まで暫定的に慶喜に大政再委任する。


これを見ると公式日程では、土佐藩の建白書提出から11日で慶喜は大政奉還の書面を朝廷に提出、
翌12日目で大政奉還が実現している。

いずれにせよ、短期間で決めているので、大政奉還反対派も受理後から撤回運動や大政再委任運動となる。

徳川一門と譜代は、朝廷から暫定的な大政再委任が認められたので、これを本格的なものにしようと
紀州藩士の榊原秋之介と竹内孫助が某主となって、猛烈な大政再委任運動を開始する。
この為に譜代大名のほとんどが朝廷へ官位を返上し上京しなくなる。

その最中に龍馬は暗殺されている。
845日本@名無史さん:2011/03/25(金) 08:03:05.42
だから慶喜がブタ公方といわれるンだ もっとも彼自身カツライス
カレーカツが好きだったらしい
846日本@名無史さん:2011/03/25(金) 20:27:11.28
>>834
>手代木が裏切った記録はないが、松平容保が主君を裏切った記録は山程ある。

幕府は内部統御が機能していないじゃん
各自の裁量が認められていたとするべきで
裏切りじゃないじゃん


847日本@名無史さん:2011/03/25(金) 21:31:38.00
会津の裏切りは日常だから無視せよ、というのか
日々三春や新発田を後ろから罵倒してきた土地柄が会津の持ち味ではなかったのか
848日本@名無史さん:2011/03/26(土) 05:57:01.26
>>847
裏切りではなく
各自の裁量が認められていたとするべきじゃん
849日本@名無史さん:2011/03/26(土) 19:00:48.49
>>848
幕府からちゃんと外国から警備しといてね
と任された土地を我が身の保身のため外国に売り飛ばそうとするのが各自の裁量の範囲内となw
そういうのを売国奴って言うんだよ覚えとけw
850日本@名無史さん:2011/03/26(土) 22:29:41.27
afo
851佐々木只三郎:2011/03/26(土) 22:36:49.23
薩長に思想は無きか!腕に覚えのある者は出てこい!
直参旗本見回組・佐々木只三郎だ!

なにを隠そう、龍馬を斬ったのはこの俺………
852日本@名無史さん:2011/03/27(日) 01:41:41.38
坂本龍馬は、それほど重要人物でもないだろうし。
暗殺された中では人気一番でも、中身のない人物でも一番。
853日本@名無史さん:2011/03/27(日) 02:52:10.27
坂本龍馬を貶しても、松平容保が坂本龍馬を殺した罪が消えるわけでもあるまいし
854日本@名無史さん:2011/03/27(日) 03:55:50.42
>>852
それは俺も思う。
今でこそ持て囃されているけど、当時の人達にとっては「誰、それ?」だったみたい。
最近は創られた坂本竜馬ではなく史実に目を向ける検証的な書籍が増えたから「竜馬が行く」は時代遅れ。
855日本@名無史さん:2011/03/27(日) 07:38:44.84
>>849
裁量が認められていたら
売国奴に認定てww
856日本@名無史さん:2011/03/27(日) 07:48:43.74
浪人集団の頭としてはトップクラスの働きぶりだがな>龍馬
勘違いされてるのは西郷や木戸、後藤など藩を動かす権限のある者と同レベルに見られている事だ

>>855
だから権限もない癖に北海道と日本海側の土地を
支援と引き換えにプロイセンに売国しようとしたのが会津藩だっつのw
龍馬は正しく尊皇の志士だったから松平容保みたいな朝敵に殺されたんだな
857日本@名無史さん:2011/03/27(日) 07:58:37.71
>>854
そりゃ当時の一般人にとってだろ?
幕閣や大名のところに出入りして周旋してる人間なんだから、
当時の政治に関わるレベルの人間の間では普通に有名人。
858日本@名無史さん:2011/03/27(日) 08:14:31.21
>>856
幕府は各自の裁量を認めていたんだから
容保 手代木 佐々木 幕臣たちも裁量が許容されていたと
考察できるじゃん
859日本@名無史さん:2011/03/27(日) 08:24:56.60
年がら年中
三春は我々を裏切った
新発田は我々を裏切った
久保田は我々を裏切った
と主張ばかりしていた会津

卑怯な裏切りばっかりしていた会津の実像が判明すると
みんな推量が認められていたから松平容保の我侭は全て正義なんだ
裏切りだけど裏切りじゃないんだ
卑怯だけど卑怯じゃないんだ
って、何?

会津の声は卑怯の塊
860日本@名無史さん:2011/03/27(日) 08:32:44.16
>>859
各自の裁量と裏切りは異なるけど何か?
861日本@名無史さん:2011/03/27(日) 08:41:58.55
つまり実は裁量は許容されていなかったんだと言いたいのか
基準からの逸脱が許容されるのなら、裏切りを名指して断罪する権利自体が会津にはない
862日本@名無史さん:2011/03/27(日) 08:45:59.87
幕末明治以来現在までの会津の卑怯さといったら、数え上げればきりがない
会津は裏切りを重ねた末に正義を自称し、被害者を加害者扱いして鼻高々

坂本龍馬暗殺すら、事前に坂本龍馬に面会して安心させた後の犯行だし
坂本龍馬も松平容保のペテンに騙され、殺されてしまった
863日本@名無史さん:2011/03/27(日) 09:14:15.64
>>861
基準からの逸脱と裏切りは異なるけど何か?

864日本@名無史さん:2011/03/27(日) 09:58:28.58
会津は理解が出来ないですか
裁量があったのならその範囲のことは裏切り足り得ないし、会津の日々唱える「あいつは裏切り」には、根拠があったためしがない
865日本@名無史さん:2011/03/27(日) 11:27:06.34
>>864
会津アンチは理解が出来ないですか
各自の裁量と裏切りは異なるけど何か?


866日本@名無史さん:2011/03/27(日) 15:01:02.99
坂本竜馬について何処までフィクションを信じているかで歴史の造詣がわかる。
アンチ会津は「お〜い竜馬」と大河ドラマしか頭に無い。
867日本@名無史さん:2011/03/27(日) 17:48:21.96
会津が小説と虚偽以外を論拠にしたことなど一度もない。
今日も自己正当化と犯人隠匿で会津の名を汚す、それが会津
868日本@名無史さん:2011/03/27(日) 18:48:02.92
戊辰戦争でプロイセンに提携持ちかけ 会津・庄内両藩
http://www.asahi.com/culture/update/0205/TKY201102050167.html

龍馬暗殺犯で売国奴の会津はおとなしくお縄につくべき
869日本@名無史さん:2011/03/27(日) 19:20:07.61
外国の武器商人の手下だった史実の坂本竜馬。
グラバーの目的は平和だった日本に内戦を起こし武器を売りつける事。
さらに内戦で弱った日本を植民地化する事も諸外国は展望に入れていた。
もしも幕府が徹底抗戦を選択していたら、日本は植民地にされていたかもしれない。
坂本龍馬が史実としてやった事、それは売国行為に他ならない。
870日本@名無史さん:2011/03/27(日) 20:44:07.89
史料に小説で対抗しようとする会津
871日本@名無史さん:2011/03/27(日) 21:35:31.95
>>870
おじちゃんは会津の人が嫌いなの?
872日本@名無史さん:2011/03/27(日) 22:36:28.97
グラバー陰謀説が一瞬で粉砕されて逃亡
873日本@名無史さん:2011/03/27(日) 23:00:59.86
874日本@名無史さん:2011/03/28(月) 01:12:40.11
>>869
ミステリー作家の本の話かw
会津の悪行を否定するためなら藁にもすがりたいんでちゅね〜〜www
875東電:2011/03/28(月) 22:06:32.34
慶喜→容保、および、京都見廻役→京都見廻組
の上意下達は完全に崩壊していたが、
容保→手代木→佐々木の命令系統は存在し、かつ機能
していました。データや証拠はありませんが。
876日本@名無史さん:2011/03/28(月) 22:10:34.24
>>871
一方的に慕ってた女子を会津に娶られたらしいよ
877870:2011/03/28(月) 22:51:56.16
2chの日本史板で会津を叩く為に産まれてきました。
878日本@名無史さん:2011/03/28(月) 23:29:38.21
ああ妖怪人間か
879日本@名無史さん:2011/03/29(火) 03:20:36.93
あの時代の京都は日本を凝縮したみたいに特殊だったからな。
880日本@名無史さん:2011/03/29(火) 10:17:28.98
>>879
うむ。佐々木や手代木が「義憤」にかられ、独断で実行したとしても
まった不思議じゃないよな。
881日本@名無史さん:2011/03/29(火) 20:05:08.68
また松平容保の尻尾切りか
882日本@名無史さん:2011/03/29(火) 21:20:59.32
大嫌いな会津も大きな被害でそんなにうれしいか?
883日本@名無史さん:2011/03/29(火) 22:29:49.69
慶喜→容保、および、京都見廻役→京都見廻組
の上意下達は一応機能していたが、
容保→手代木→佐々木の直命令系統は存在しませんでした。
884日本@名無史さん:2011/03/29(火) 22:32:09.07
>>877
おまえの被災者を嬲る書き込みで心を痛めた人はたくさんいるぞ
885日本@名無史さん:2011/03/30(水) 00:26:39.46
>>884
会津は被災してないだろうが
886日本@名無史さん:2011/03/30(水) 02:43:13.89
被害者を名乗るが農産物は証明なしで出荷したいのだという
どっちだ、会津よ
887日本@名無史さん:2011/03/30(水) 16:01:18.84
さぶう。
おまえ本当に薩摩か? 日本人か?
てか人間か?
888日本@名無史さん:2011/03/30(水) 17:24:40.90
>>886
知らねえよ

会津若松市に電話して聞いてみろ

おまえらは被災者なのか?ってな
889日本@名無史さん:2011/03/30(水) 20:08:56.12
被災者を自称する割りに年がら年中入り浸りですから
890日本@名無史さん:2011/03/30(水) 21:03:27.06
俺は竜馬好きだから誰に殺されたのか自分なりに書こうかと思ったけど、仲間意識もたれたくないとも思うから止めた。
あのさ、自作自演は止めたほうがいいよ。
常識的に考えてみ。「会津観光史観」なんて誰も知らないし、誰も共感できない言葉だよ。
なのにあなたはその言葉が共通認識として通用しているとの前提で演じてる。
まず、「会津観光史観」が何なのかを説明しなきゃ誰も賛同してくれないよ。
次。あなたの動機がわからない。なぜいくつも無駄にスレをたてて自分でageまくってるのか。
なんのため?一つにまとめればよくない?
日本近代史ではIDがでるから日本史板でやってるの?
携帯と複数のパソコンでID管理するのが面倒だから?
もし、あなたが自分の意見に共感して欲しいなら「会津観光史観」の意味と
複数のスレで同じ様な行為をしている「動機」を教えて欲しい。
891日本@名無史さん:2011/03/30(水) 23:04:10.22
>>887
鹿児島の郷中教育の伝統からして、こいつが薩摩ということは絶対ありえない。
エセ。鹿児島の名誉のために一応…
892日本@名無史さん:2011/03/30(水) 23:05:24.71
>>889
ごめん教えて。このスレの何番の奴がその不逞の輩?
893889:2011/03/30(水) 23:35:39.90
>>892
証明する事はできない。
でも俺にはわかる。
どのレスがどこの都道府県から書き込んでるかすべてわかる。
894日本@名無史さん:2011/03/31(木) 00:02:01.82
>>890
ググれカス
895日本@名無史さん:2011/03/31(木) 01:14:46.60
心底会津が憎いなら、2chでウジウジ書き込みしてないで
直接会津若松市に言えばいいんだよ
どうしてそうしないんだろう?
896日本@名無史さん:2011/03/31(木) 01:46:03.06
松平容保の犯行でほぼ間違いないんじゃないかな。
そう書くと、会津をいじめるという反応が反って嫌な気分になるけど
それなら、根拠もなく薩長のせいにしたがるのは余計駄目だろうな。
897日本@名無史さん:2011/03/31(木) 08:01:18.10
>>896
遠慮すんな
日本史板すべてのスレッドで24時間会津叩きしようぜ!!
898日本@名無史さん:2011/03/31(木) 08:29:56.62
>>897
会津若松からの他人を騙る粘着
長岡藩を同盟に引きずり込んだときも長岡の旗をもって銃撃したりとお盛んでした
899日本@名無史さん:2011/03/31(木) 14:12:11.90
会津観光史学を検索しました。
出たのはウィキと2チャンとかの匿名掲示板だけ。
しかもウィキでは信憑性の無い記述として叩かれている。
ウィキ注意書き「ノート」の記述のほうが本文より支持されるなんて珍しい現象。
たった一人しかこの言葉を使っていない現象は2ちゃん以外でも同じ様です。

こんな事俺が書かなくてもいいかな。
こいつが「自作自演」だって事こそ「共通認識」だから。
900日本@名無史さん:2011/03/31(木) 20:50:45.85
松平容保の犯行が隠せなくなって困っていますね。
なら最初から坂本龍馬を殺したのは松平容保と認めればいいのに、
話を変えようとするだけで、決して坂本龍馬暗殺について触れようとしない。
901日本@名無史さん:2011/03/31(木) 21:29:44.30
>>899
龍馬暗殺は松平容保の指示だったと認めろ

自分が会津観光史学に洗脳されてると認めろ

今すぐ謝罪しろ
902日本@名無史さん:2011/03/31(木) 21:48:31.96
ほんとに自作自演だw
しかも思考がチョンだw

では、日本人を代表して私が謝罪しましょう。
「竜馬暗殺は松平容保の指示であるとの指摘に意義を留めません。
私達日本人は会津観光史学?に洗脳されているとの御指摘を斟酌いたします。
大変遺憾に思います。」
903日本@名無史さん:2011/03/31(木) 22:45:22.97
>>902
駄目だな
心がこもってない
自分の顔写真と住所も晒せ
904日本@名無史さん:2011/03/31(木) 23:44:02.02
会津凶信者が薩長を名乗って乱暴狼藉中
905日本@名無史さん:2011/03/31(木) 23:46:11.72
精神が病んでるな、気の毒に。
906日本@名無史さん:2011/03/31(木) 23:59:18.64
松平容保を弁護するには、もう
「俺は薩長だ俺は人殺しださあ俺は残虐だ薩長を叩け」
と書き込むしかないんでしょうね。

可哀相な会津。
しかし、松平容保が坂本龍馬を暗殺したのには、彼なりの読みはあったのかもしれないよ。
907日本@名無史さん:2011/04/01(金) 00:10:12.66
動機:大政奉還への敵意
実行犯及び連絡者:実行犯は見廻組の佐々木ら見廻組の一党、連絡者は佐々木の兄の手代木

このうち、実行者については各種証拠があって、薩長佐幕を問わず統一見解となっている。
松平容保が暗殺命令を出したことに異論を唱えているのは、よほど狂信的な会津信者しか現存しない状態。

これで松平容保を庇うには、薩長を名乗って不埒な振る舞いに出て薩長の評判を落とすしかないと
思っているのでしょう。しかしそれでは会津の人間性が疑われるだけでしょう。
908日本@名無史さん:2011/04/01(金) 00:37:59.00
一つ質問だけどさ、
誰か一人でもおまえに味方してくれる人いる?
みんなに馬鹿にされて悲惨すぎやしないか?
909日本@名無史さん:2011/04/01(金) 01:09:26.83
自作自演をやっていたのは会津か
910日本@名無史さん:2011/04/01(金) 01:24:33.69
>>909
何で他者を地名で呼ぶのですか?
911日本@名無史さん:2011/04/01(金) 02:05:24.72
この世で自分以外は全員「会津」らしいよ
912日本@名無史さん:2011/04/01(金) 03:02:15.96
また会津一人か
913日本@名無史さん:2011/04/01(金) 04:06:38.47
死ぬ間際に人生振り返って思うんだろう。
「俺の人生、会津観光史学なんて言葉一つに費やされたなぁ。
それ以外何もなかった。家庭も、仕事も、友達も、思い出さえもない。
あるのは否定され続けた過去ログだけ。」
914日本@名無史さん:2011/04/01(金) 06:15:21.79
会津若松市民を叩く活動にすべてを賭けた人生か。。。

虚しいねえ〜
915日本@名無史さん:2011/04/01(金) 06:20:27.69
会津若松からの粘着の便りも、彼らの嘘つき振りを示すだけ。

松平容保が命令し、手代木直衛門が伝達し、佐々木只三郎が実行した坂本龍馬暗殺について、
なんら反論も出来ず相手を罵倒することしか手段をなくしている会津は、もはや議論を放棄した亡霊のようなもの。
916日本@名無史さん:2011/04/01(金) 06:57:47.15
議論する気なんかないよ。
みんなオマエが嫌いだから叩いているだけ。
オマエがどんな歴史認識を持ってようがどうでもいい。

チンパンジーと議論すると思うか。
917日本@名無史さん:2011/04/01(金) 07:46:49.47
会津は反論が更に不能か
反論も出来ずに罵倒で返したつもりとは御里が知れる

会津の嘘は会津以外の誰も目にも明らかになり、
他人に罪を着せて正義を騙ってきた会津の手口も判明

坂本龍馬暗殺の犯人は会津藩主の松平容保
この事実から逃げようと会津は罵倒でスレを埋め尽くそうとする

その上他人のふりをして薩長と名乗っては乱暴狼藉を繰り返す
なんと卑劣な会津人よ
918日本@名無史さん:2011/04/01(金) 07:55:24.02
何で会津人なの?

東北なんて行った事もないんだけど・・
919日本@名無史さん:2011/04/02(土) 19:43:58.71
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1458124969

相変わらず龍馬暗殺ネタは人気だなw
920日本@名無史さん:2011/04/02(土) 19:59:31.56
>>919
みんな飽きないねー。
歴史の謎扱いされてるけど
当時の権力闘争の状態知ってれば別に不思議でもなんでもなかったじゃない。
921日本@名無史さん:2011/04/02(土) 21:12:47.67
で、結局誰が犯人なのよ?ゴタクはいいからよ。答えが知りたい。
戦国時代ほど昔の事件でもあるまいし、誰かズバッと解決できる奴はいないのかよ?
922日本@名無史さん:2011/04/02(土) 21:18:30.70
>>921
スレ読め
実行犯:京都見廻組
暗殺指示:会津藩主松平容保だ
923日本@名無史さん:2011/04/02(土) 23:07:39.44
史料読め
実行犯:京都見廻組
暗殺指示:不明だ

924日本@名無史さん:2011/04/02(土) 23:21:01.19
>>923
まあ厳密にはそうだなw
だが会津藩が当時気の狂ったように大政奉還に反発してた事、
龍馬の立場、手代木・佐々木兄弟と容保のコネクションの強さ、当時佐々木が容保の私兵であった事、
これらの要素から考えると
「黒幕がいたとするなら松平容保であろう」という説明になる。
925日本@名無史さん:2011/04/02(土) 23:28:54.08
実際は中岡を狙ったという説はどうなの?
龍馬は巻き込まれただけという
926日本@名無史さん:2011/04/03(日) 00:19:45.17
当時の政局では中岡の重要性が指摘されるが、見廻組の証言では坂本を狙って殺したと言っている。
927日本@名無史さん:2011/04/03(日) 01:23:05.12
>>924
さりげなく責任逃れか会津よ?
松平容保以外に黒幕がいるとでも思ってるのか?
928日本@名無史さん:2011/04/03(日) 01:30:35.94
>>927
会津よ、他人に暴言を吐いて「俺は薩長だぜ悪逆だぜ」と名乗るのはとても感心しない。
929日本@名無史さん:2011/04/03(日) 01:47:26.87
会津のレスはまだか?
930日本@名無史さん:2011/04/03(日) 03:02:26.30
>>925
龍馬の宿泊先で中岡は襲われてるわけで、中岡を狙うんなら中岡の宿泊先を襲うのが普通じゃなかろうか。

って、中岡は当時どこに泊まってたのかな? 襲撃しにくいようなところに宿泊してたんなら、出先を狙うって発想もありかも知れない。。
931日本@名無史さん:2011/04/03(日) 11:01:24.29
白川の土佐藩邸の陸援隊の屯所?
932日本@名無史さん:2011/04/03(日) 11:07:07.01
会津の黒幕は小原庄助さん。
933日本@名無史さん:2011/04/03(日) 14:19:13.13
残された史料からじゃ
「黒幕は確実に松平容保である」という言い方はできないのさ。
手代木の「某諸侯」からの「御指図」という遺言があったようだ、
背後関係を洗うと、まあたぶん容保の事なんだろう、
その程度の話。
根拠の薄い話でホルホルしてたら会津観光史学信者と変わらんよw
934日本@名無史さん:2011/04/03(日) 14:47:42.99
>>933
アンチのおじちゃん
今日は何回くらいレスするの?
935日本@名無史さん:2011/04/03(日) 17:05:07.09
容保は切腹すべきだった
936日本@名無史さん:2011/04/03(日) 17:06:29.93
なんかこう、自演となりすましがいい加減ウザイんだけど。
この板ってID出す方法無いの?
937日本@名無史さん:2011/04/03(日) 17:35:46.12
行く先々で会津っていう単語がでてきていい加減ウザイな

>>936
運営に掛け合うしかないでしょ?
938日本@名無史さん:2011/04/03(日) 20:52:06.83
とっさにガードして返す刀で斬り捨てるとかできなかったのかな?せめて一人ぐらいさ
939日本@名無史さん:2011/04/03(日) 21:30:31.41
手代木の証言は読んだけど
某諸侯の命を佐々木に伝達したとは言ってなくね?
940日本@名無史さん:2011/04/03(日) 21:53:54.64
見廻役が上から坂本暗殺命令を受けていないし佐々木から報告も受けていないので会津ルートによる暗殺指令となっている。
941日本@名無史さん:2011/04/03(日) 22:19:51.30
慶応二年一月に寺田屋遭難が発生したじゃん?
遭難の以前に龍馬の捕縛、殺害の御指図が
伏見奉行所、京都町奉行所、京都所司代、京都守護職、見廻組、新撰組の
捕吏に対して存在したんじゃね?
942日本@名無史さん:2011/04/03(日) 23:08:03.33
薩長同盟以前に龍馬が狙われる理由って何だw
薩長同盟で有名になったから
100人ぐらいの幕吏が押し掛けてきたんだろうがw
943日本@名無史さん:2011/04/03(日) 23:12:31.99
龍馬は寺田屋遭難で幕吏二名を射殺し逃亡したじゃん
それで幕府側は激怒して、更なる龍馬の捕縛、殺害の命令を
伏見奉行所、京都町奉行所、京都所司代、京都守護職、見廻組、新撰組の
捕吏に対して下したんじゃね?
各組織が龍馬暗殺に二年近く暗躍して仕留めたのは
偶然的に見廻組だったんじゃね

944日本@名無史さん:2011/04/03(日) 23:30:47.95
だが、大政奉還時には坂本龍馬は京都の幕府首脳と頻繁に面談を重ねている。
寺田屋当時の命令が生きていたのなら、大政奉還時に面談など出来ない。

一度撤回された捕縛命令が、大政奉還成立後に坂本龍馬暗殺命令として再び出されている。
その経路は会津ということ。
945日本@名無史さん:2011/04/03(日) 23:44:13.06
容保が暗殺指令者だと困る輩は、
一度容保の事情について調べてこいよw
好きなんだろw
946日本@名無史さん:2011/04/04(月) 00:21:00.15
>>944
幕臣永井尚志は龍馬が来訪した折に
屋敷の周囲に君の命を狙っている者が大勢いるので警戒するように
と忠告してるじゃん。そして白昼に来訪しないようにと要請してるじゃん。
幕府首脳にとって龍馬との面談は公にできない種類のものだと推察できるじゃん
非公開の理由として伏見奉行所、京都町奉行所、京都所司代、京都守護職、見廻組、新撰組の
捕吏が龍馬を捕縛、殺害しようとして躍起になって捜査していたことが挙げられるじゃん

緊迫した時勢から幕府首脳は土佐藩の使者である殺人犯龍馬を捕縛するより
利用した方が徳川家の利益に寄与すると判断したんじゃね?
しかし殺人犯を許すなどということは公にするには差し障りがあるじゃん
故に幕府首脳は龍馬と面談はするけど各組織が龍馬を捕縛、殺害することは
止めなかったんじゃね


947日本@名無史さん:2011/04/04(月) 00:46:21.40
>>946
>幕府首脳にとって龍馬との面談は公にできない種類のものだと推察できるじゃん

いいえ。
大政奉還は山内容堂が徳川慶喜に公式に要請し、容堂の代理として更に要請を行った後藤象二郎は
坂本龍馬に実務上の詳細は照会せよ、と幕府に対し公式に返答しています。

坂本龍馬は大政奉還に関する土佐藩の公式の実務代表者だったわけです。
そして坂本龍馬と幕府首脳との面談も公式のものでした。

ただ、幕府の代表者である徳川慶喜も賛同した大政奉還を、裏から非合法な形で葬ろうとした幕府内の勢力がいただけのこと。
その代表例が、大政奉還など起こるはずがないと公言し、実現した後も執拗に撤回を求めた松平容保・松平定敬ということになる。
948日本@名無史さん:2011/04/04(月) 01:08:15.07
>>947
>後藤象二郎は 坂本龍馬に実務上の詳細は照会せよ、と幕府に対し公式に返答しています

ソースは?
後藤が秘密裏に幕府首脳に龍馬を紹介したんじゃね?

>坂本龍馬は大政奉還に関する土佐藩の公式の実務代表者だったわけです。

土佐藩邸に入る許可を藩からもらえなかった龍馬が
土佐藩の公式の実務代表者だったわけないじゃん
949日本@名無史さん:2011/04/04(月) 01:33:13.65
>>947
前土佐藩主山内容堂は大政奉還は後藤象二郎の発案だと
認識していたじゃん
後藤は容堂に龍馬を紹介してないじゃん
龍馬は土佐藩の公式の実務代表者ではなく単なる後藤のブレーン
なんじゃね?
950日本@名無史さん:2011/04/04(月) 02:58:17.13
6月後藤象二郎、坂本龍馬の大政奉還に感銘を受け、藩の政策とすることに意欲を示す
7月後藤象二郎、山内容堂に大政奉還案を提示、容堂は強い賛同を表明
8月〜9月後藤象二郎、薩摩藩の大政奉還への賛同を求める。薩摩では小松が幕府の合法的な解散案として評価

10月3日後藤象二郎・福岡藤次は若年寄格永井尚志と会見し大政奉還を提案。
同日、ついで後藤象二郎らは老中板倉勝静に面会、山内容堂名義による大政奉還建白書を提出
10月10日坂本龍馬は福岡藤次の仲介で永井尚志に面会、大政奉還の実行を要求(丁卯筆記)
10月12日徳川慶喜は在京幕府重臣に大政奉還の決意を通知、松平容保及び松平定敬は反対を表明
10月13日徳川慶喜は二条城に諸藩代表を召集、大政奉還の意志を通知
10月14日徳川慶喜は朝廷に大政奉還上表文を提出し大政奉還を申請、小松帯刀、後藤象二郎、福岡藤次、辻将曹が摂政二条に受入れを要求
10月15日大政奉還受入の勅許が下る
11月15日坂本龍馬暗殺

大政奉還は土佐藩の藩論として幕府に提示され、坂本龍馬は土佐藩の指名した実務者として幕府首脳と面会を重ねている。

ちなみに大政奉還時の会津藩の態度を岩倉具視はこう記している。
・会津は狂気のごとく憤然とし、薩摩藩邸を討つなどといっている。
・すべて西郷・小松・大久保の三人が元凶である。土佐藩、芸州藩も同様である。これらを斃すべきであるという議論があるらしい。
951日本@名無史さん:2011/04/04(月) 04:05:08.38
中岡とは何者じゃ
952日本@名無史さん:2011/04/04(月) 09:56:53.90
>>948
>土佐藩邸に入る許可を藩からもらえなかった

出た。黒幕論者の妄想
953日本@名無史さん:2011/04/04(月) 12:05:45.78
藩邸で密談ができるかw
954日本@名無史さん:2011/04/05(火) 11:49:39.75
>>952
蓋然性は高いだろ。
お前のソース無し容保黒幕説と、五十歩百歩じゃね?
955日本@名無史さん:2011/04/05(火) 12:10:06.82
龍馬と中岡の相討ち説はどうなった?
956日本@名無史さん:2011/04/05(火) 17:45:45.04
それは実行犯の見廻組の関与まで消したい会津厨房の根拠のないまぜっかえし論ですな
957日本@名無史さん:2011/04/05(火) 20:24:12.08
>>952
龍馬は過去の脱藩が理由で
土佐藩邸に入る許可を藩からもらえなかったじゃん
龍馬の命が狙われているのに藩邸に匿ってやらなかったので
土佐藩に未必の故意が存在したと推察できるじゃん

958日本@名無史さん:2011/04/05(火) 20:32:36.24
龍馬暗殺は実行犯の他に
隠れ家の密告犯も存在したんじゃね?
密告の黒幕もいたことになるじゃん
959日本@名無史さん:2011/04/05(火) 20:36:15.86
>>950
>坂本龍馬は土佐藩の指名した実務者として幕府首脳と面会を重ねている。

龍馬は土佐藩の公式の実務代表者ではなく単なる後藤や福岡の
私的ブレーンじゃね


960日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:27:55.26
土佐藩重役の福岡が暗殺現場の隣にいたのだが。
何故坂本だけ追い出されていたという思い込みで長弁を振るうのか訳が分からない。
961日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:33:18.58
>>960
龍馬は過去の脱藩が理由で
土佐藩邸に入る許可を藩からもらえなかったじゃん
962日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:35:19.43
坂本は大政奉還交渉時に松平容保に面会したと言っている。
また交渉の舞台となった永井の屋敷の向かいは佐々木の屋敷である。
当然幕府関係者は坂本の居場所を知っており、密告があっとするなら松平容保らということになる。
963日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:39:41.49
アイヅガーアイヅガー
964日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:43:47.57
福岡藤次が隣の家にいる時点で未必の故意は成立しない。
殺人犯の行為を隠蔽するために殺人犯行を他人の行動のように言い換えているだけ。
965日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:45:09.65
また会津の非道な隠蔽か
966日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:46:42.21
ほたえな!って本当に言ったの?
ちょっと物音立てただけで怒鳴るとか龍馬って結構おっかないんだな。
かなり短気だったのかな?
967日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:52:01.09
アイヅガーアイヅガー
968日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:53:53.78
会津の隠蔽はいつものパターンだな。
会津の犯行を認めざるを得ない場合、彼らは未必の故意などと付けて犯人以外の人間に罪を着せようとする。
969日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:56:16.85
アイヅガーアイヅガー
970日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:58:18.12
>>964
>福岡藤次が隣の家にいる時点で未必の故意は成立しない。

福岡は命を狙われてないじゃん
龍馬は命の危険があり土佐藩邸に入りたかったのに
土佐藩に拒否されたじゃん

971日本@名無史さん:2011/04/05(火) 21:59:37.16
無実の他人に罪を着せる犯罪者、それが会津
972日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:03:26.90
福岡も後藤も暗殺を恐れて翌日から逃亡ですが。
福岡藤次は坂本の葬儀にも行かなかった。
973日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:07:50.37
>>962
>また交渉の舞台となった永井の屋敷の向かいは佐々木の屋敷である。
当然幕府関係者は坂本の居場所を知っており

龍馬と永井の面談は二度しかなくね?
佐々木は在宅して屋敷の前を見張ってたわけ?
駕籠に乗って土佐藩重役のお供として訪問すれば
ばれないじゃん

974日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:10:19.87
後藤は急に長崎に行くし、回顧録には暗殺されそうになって潜伏したなどと書かれている。
975日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:13:12.00
おまけに永井の屋敷は見廻組の隣だし
976日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:16:45.13
>>972
>福岡も後藤も暗殺を恐れて翌日から逃亡ですが

後藤は土佐に居たんじゃね?
土佐藩邸に退避したり藩の護衛を受けて逃亡したんでしょ?
龍馬には藩の援助がなかったので土佐の未必の故意を
疑ってんじゃん

977日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:21:27.78

次スレのスレタイは
坂本龍馬 暗殺の黒幕3
でどうよ?
978日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:22:00.55
>>971
被災者を罵るような言動してる奴は許せないよな♪
979日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:22:04.74
大政奉還交渉で幕府は坂本を殺す機会はやまほどあった。
が大政奉還交渉中は一切坂本に危害は加えられなかった。
大政奉還は山内容堂の提言であり、坂本は土佐藩の代表者になっていたから。
だが徳川慶喜の大政奉還実行を憎む松平容保が裏切った。
980日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:31:58.50
小説脳なんだろ。小説やドラマ、その辺の自称研究本には長州藩て書いてるからな。
それぞれ独立してる藩なのにな。ま、日本人は大半が歴史ニワカだからしょうがないよ。
長州藩てwwwwそんな藩はありません。防長二州は萩藩、山口藩、長府藩、徳山藩、清末藩、岩国藩です。
薩摩藩もありません。鹿児島藩です。現代人の勝手な言い回ししか知らずに
知ったかぶんじゃねーよ。会津観光史学洗脳者さんよ。
981日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:43:14.87
>>976
全然そういうことはなく、福岡藤次は坂本暗殺事件当時、本人の証言では
酒を店で朝まで飲んでいたことになっている。
浪士仲間の邪推では独り蒲団に籠って惨劇を聞きながら震えていた。
潜伏したのは翌日からの話。
982日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:55:00.30
>>981
福岡は翌日から土佐藩邸に退避したり藩の護衛を受けて逃亡したんでしょ?
龍馬には藩の援助がなかったので土佐の未必の故意を
疑ってんじゃん

983日本@名無史さん:2011/04/05(火) 22:57:20.11
福岡藤次が暗殺されたなら、坂本龍馬が護衛され潜伏したでしょうね。
984おりょう:2011/04/05(火) 23:01:14.88
>>977

あーた、それでいいから、さっさと
次スレおったてておくれやす・・・。
985日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:02:35.76
未必の故意説は実行犯の存在を薄める効果はあっても、
坂本龍馬暗殺事件の場合は、濃厚な殺意を抱き実行犯を放った松平容保がいるから、あまり役に立たない。
986日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:13:05.79
>>980
萩藩=山口藩だぞ、にわか。
あと、各支藩は公式に藩とされてる訳ではないので、全体として長州藩でも別に間違いでもない。
長府以下は所詮内部組織に過ぎず、萩の本藩の下についてる。
987日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:13:15.24
>>983
福岡が暗殺を恐れたら土佐藩は庇護するのに
龍馬は庇護しなかったじゃん
それで未必の故意を推察してるんじゃん
988日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:14:05.22
>>984
次スレいるの?

もっと大雑把に幕末の謎について語るスレとかでいいんじゃね?
徳川埋蔵金とか。
989日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:19:52.85
坂本も暗殺されそうと感じたなら保護を求め潜伏したでしょう。
大政奉還で味方につけたはずの幕府からの襲撃は、坂本だけでなく土佐藩関係者にとって衝撃でした。
990日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:25:03.20
もう松平容保しか容疑者が挙がらないし、
他も松平定敬か大多喜あたりかだし
991日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:36:52.98
>>985
土佐藩が濃厚な殺意を抱いていなかったて
言えなくね?
992日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:43:21.12
誰が坂本竜馬を殺したにせよ非難されることじゃないし、佐々木を嫌う人も珍しいぐらい。
当時なら中岡のオマケ程度のものだし。
993日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:45:32.19
捕縛用の包囲動員ではなく、少人数で襲撃したということは、
生命を含む身体に危害を与えることを意図しているし、現に面会するなり斬っている。
佐々木を送り出した側に殺意は濃厚。
994日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:45:54.30
>>989
だからこそ松平容保以下会津がどうしようもなく馬鹿で幕府にとって不利になることをやったって言うことなんだよな
995日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:47:01.90
996日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:50:46.54
結論は松平容保が主犯で会津が暴走したで異論なし?
997日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:51:02.72
大政奉還を進めていた坂本への暗殺は、徳川慶喜の大政奉還に幕府内から叛逆することに他ならない。
だから坂本だけでなく後藤も福岡も不用心だった。
998日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:51:31.36
>>996
賛成
999日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:52:04.13
そもそも、土佐藩邸に入っちゃえば龍馬は一介の下士になってしまう
自由に動き回りたい龍馬が土佐藩邸に入るわけないじゃん
1000日本@名無史さん:2011/04/05(火) 23:52:25.54
>>996
俺も同意する。
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。