凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part16

このエントリーをはてなブックマークに追加
266日本@名無史さん
彦根城しても姫路城にしても篠山城にしても、もともと対豊臣の城だから、
大坂の陣以降は必要以上におおきな城だったということですかね。
場所が場所だけにその後も譜代大名を配置した、と。
267日本@名無史さん:2010/11/25(木) 20:14:49
>>244
姫路・二条・伏見・彦根・伊賀上野・名古屋などの城は大坂への出撃拠点なので
篭城や関所的機能は二の次三の次みたいなかんじ
268日本@名無史さん:2010/11/25(木) 20:21:25
秀頼が挙兵して江戸に向かって攻め上がったとする
彦根城や伊賀上野城をスルーできたとしても名古屋城が待ち構える
それもスルーできたとしても次々に家康の拠点が待ち構える
全部スルーして江戸だけを陥落させたとしても、それは
江戸だけを支配したに過ぎず、全国を支配したことにはならない
269日本@名無史さん:2010/11/25(木) 20:24:13
太平の世の中になってしまえば城主とすれば自分の身を守ることが第一なので
スルーしてくれる敵兵をあえて深追いする必要はない。
270日本@名無史さん:2010/11/25(木) 20:55:07
>>267
姫路は軍事経済双方の目的で、西国街道を城下町に通すように付替えている。
また、城の西の夢前川は橋を架けず、参勤交代の大名の内の何家かは馳走船といって城付き水軍の船で
渡し舟のサービスを提供している。
なお城つき水軍というのは、城主が交代しても新たな城主と主従関係を結ぶ水軍で、飾磨津に本拠を置き、
家島、室津、高砂に水軍拠点を置いていた。