いわゆる中下級武士(足軽)は武士ではない

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1日本@名無史さん

いわゆる下級武士=足軽層は、武士ではない。

中級武士=徒士層も本来の武士といえるか・・、怪しいようだ。


2日本@名無史さん:2010/10/23(土) 14:29:01
足軽って曖昧な表現だな
3日本@名無史さん:2010/10/23(土) 14:55:02
>>1
> いわゆる下級武士=足軽層は、武士ではない。

> 中級武士=徒士層も本来の武士といえるか・・、怪しいようだ。

そうだよ
4日本@名無史さん:2010/10/24(日) 10:20:04
よくわからんのだが、予備役みたいな感じ?
5日本@名無史さん:2010/10/24(日) 11:46:04
武士のほとんどが半農だろ
6日本@名無史さん:2010/10/24(日) 12:24:33
役職についてない武士は、みんな予備役みたいなもの。
近世の武士(幕府や藩に仕えている者)は、ごく一部の者が役人や兵士で、
大多数は予備役軍人や年金生活者みたいなもの。

あと、幕末になったら時代遅れの役立たず呼ばわりされた伝統的な軍事組織だが、
開国以前の治安兵力としては、城の警備とか一揆の鎮圧とか実用に役立ってる。
7日本@名無史さん:2010/10/24(日) 13:29:02
>>5
家庭菜園レベルで無いなら、参考までに時代と地域をw
8日本@名無史さん:2010/10/24(日) 15:50:48
>>5は、郷士がやたら多かった薩摩のイメージで語ってるんだろ
まあ、米沢とか長州みたいに、経済的理由で武士の農村土着を認めてたケースもあるが、
基本的にはそういうのは例外的なケースでは?
9日本@名無史さん:2010/10/24(日) 16:49:02
>5は江戸時代以前の話をしているのだろう
10日本@名無史さん:2010/10/24(日) 16:59:10
そもそも>>1の言ってる「武士」が戦国時代か江戸時代かで、
全然ちがってくるからな。

それでも、「足軽」は江戸時代でもまともな武士扱いはされてない。
逆に言うと、庶民との身分移動も比較的容易。
幕末には、一農民の林十蔵が長州藩足軽の伊藤家に夫婦養子で入ったり、
逆に富山藩の足軽の子の安田善次郎が江戸の商家に丁稚奉公している。
11日本@名無史さん:2010/10/24(日) 17:00:01
9番の方、正解!
一段上がります。
12日本@名無史さん:2010/10/24(日) 18:10:41
池田孫左衛門(相模国/元亀3)着到
馬上 20
鉄砲 ...3
弓   .5
鑓   22
旗持 ...2
指物 ...1
歩者 ...3
合計 56人

↑この中で侍身分は28人な。

宮城泰業(武蔵国/元亀3)着到
馬上 ...8
鉄砲 ...2
弓   .1
鑓   17
旗持 ...3
指物 ...1
歩者 ...4
合計 36人

↑この中で侍身分は11人な。
13日本@名無史さん:2010/10/24(日) 18:40:02
そもそも「庶民」というのが上と下でこれまた全然ちがう。

上士と足軽の開きと同等か、下手すりゃそれ以上ある。

上層「庶民」は自分のことを決して庶民とは思ってない。

14日本@名無史さん:2010/10/24(日) 19:59:22
米沢上杉家とか120万石が15万石になっても家臣の数が変わらなかったから、
家格の高い武士でも職人していた。そういう人に仕事頼むときは大工様とか庭師様とか呼ぶらしい。
農民武士は「原方衆」と言われたがれっきとした兼業武士。
15日本@名無史さん:2010/10/27(水) 18:52:19
>>13
大店の主人や大庄屋クラスの地方の豪農でも、
足軽に土下座しなければならなかった。
16日本@名無史さん:2010/10/27(水) 19:51:35
身分と貧富は別だった訳だな。
17日本@名無史さん:2010/10/27(水) 20:45:45
いわゆる「徒士」は、世襲足軽のような気がする。

「徒士」は江戸時代初期からの世襲足軽で、江戸時代後期になると
「いわゆる足軽=遅れてきた世襲足軽」の上位にたった。

という仮説を立ててみたが、どうだろうか?。
18日本@名無史さん:2010/10/27(水) 23:03:01
足軽といっても、幕府の諸組同心とか諸藩の世襲足軽と、
旗本とかが公用旅行の際に臨時に雇うアルバイトの足軽とでは、
全然ちがうような気がする。

高家が日光代参に行くときなんか、領地の村の農民に声をかけて、
旅行中限定の足軽として雇用してたそうだ。
領地の農民も、そのときは武士の真似事をして遊山ができるので、
喜んで応じていたとか。
19日本@名無史さん:2010/11/02(火) 00:42:02
今川氏の話か?
20日本@名無史さん:2010/11/02(火) 02:35:46
実際は農作業に支障を来たすし、自費負担が大きいこともあって、
割に合わないので嫌われていたのを半ば強制的に手伝わせたっぽいが。
21日本@名無史さん:2010/11/02(火) 13:45:31
旅行中限定の足軽って小荷駄のことだろ。まさか鉄砲足軽とか長柄足軽とかじゃあるまい。
22日本@名無史さん:2010/11/02(火) 15:34:59
>>12の歩者の役割って何?
荷物持ちの人足?
23日本@名無史さん:2010/11/02(火) 18:45:37
旗本の場合、通常の家臣でも足軽と中間は明らかに別扱い。
上記みたいなケースで臨時雇いされる足軽は、名主クラスの上層農民だったようだ。
24日本@名無史さん:2010/11/02(火) 23:20:33
名主クラスが領主である旗本家の家計管理のために家臣となるケースだと
身分としては近習級になるのかな
中小姓より上、用人より下
25日本@名無史さん:2010/11/03(水) 21:41:24
>>24
そういうケースだと殿様の金主である名主さんが、江戸に上がって用人になり、
家計管理と家政立て直し(&貸した金の回収)をやってたようです。

旗本家の用人は、そういう領地の名主クラスの人がつとめる場合もあれば、
渡り用人として家計管理、家政立て直しのプロが雇われることもあったようです。
26日本@名無史さん:2010/11/09(火) 22:13:45
「本来の武士」は1%もいないはず。あとの4%は世襲であっても武家奉公人。
27日本@名無史さん:2010/11/09(火) 22:17:22
徒士階層こそが、おそらく本来の足軽階層。

江戸時代後期の「足軽」は、1代足軽の軽卒が徐々に世襲化して成立したのでは?
28日本@名無史さん:2010/11/09(火) 22:53:59
足軽でも切り捨て御免OKみたいな布令ある。
てことは、所謂武士かどうか微妙と世間には認識されてたが、公的には武士ってことだろう。
29日本@名無史さん:2010/11/10(水) 03:13:27
切捨て御免って、戦国時代の余燼がある初期の話じゃなかったの?公然と逆らう連中の鎮圧とかという状況下で。
30日本@名無史さん:2010/11/10(水) 06:27:27
江戸時代初期だと、徒士も世襲されてなかったというし、

江戸時代後期でいう上級武士くらいしか世襲身分ではなかった。

世襲軍事階級≒武士、という社会通念がなんとなくあって、

世襲身分が拡大するに連れて、武士とみなされる人口が増えていった・・とか。
31日本@名無史さん:2010/11/10(水) 06:52:23
切り捨て御免が正式に認められたのは
武士の権威が落ちた中期以降だよ。
32日本@名無史さん:2010/11/18(木) 18:21:29
明治期、版籍奉還で財産を失った武士は、士族階級という身分を与えられることで
尊敬と俸給を得たらしいが、足軽以下は士族に配属されなかったw
卒という族籍を与えられたらしい。でもその後、士族と平民にそれぞれ編入された
33日本@名無史さん:2010/11/24(水) 18:53:29
>>30
中級武士も初期からの世襲の方が多そうだが…
34日本@名無史さん:2010/11/24(水) 19:33:23
まあ江戸時代は藩単位だけじゃなく家単位のお家断絶、取り潰しも多かったし、
新規召抱えもけっこうあった。盛岡藩の同心(足軽)は実際には上士のニ三男が多かった。
嫡子が病死したり病弱しなったりすると同心だったニ三男が家督を相続していきなり上士(盛岡藩では本番組)になったりした。
35日本@名無史さん:2010/11/24(水) 20:09:11
現職の公務員。

足軽が武士か、という話のヒントになりそうなのが、現代の役所のアルバイト職員。

彼(女)らは終身雇用じゃないし、年金も共済じゃなく社保。民間人に近い。
でも雇用期間内は公務員だし、仕事の邪魔をすれば公務執行妨害が理論上は成立する。

実態はともかく制度的には世襲できない足軽も切捨御免の権限はある…というのを何やら彷彿とさせる。
36日本@名無史さん:2010/11/25(木) 06:59:40
平成の大合併では改易になった役所役場も多かったしな。
37日本@名無史さん:2010/11/25(木) 13:37:11
>>1 公務員も上級管理職だけが公務員で下級は公務員ではないということか。
38日本@名無史さん:2010/11/25(木) 21:14:12
つまりプロ野球も一軍選手はプロ野球選手だが二軍選手はプロ野球選手でないとか。
39日本@名無史さん:2010/11/27(土) 00:13:24
公務員の上級管理職も中級武士の側だろうから、
今はなき国王級の上級武士に対する公務員的な中下級武士ってことなのかな。
武士と聞いてイメージするのはむしろ中級武士な気もするがw
40日本@名無史さん:2010/11/27(土) 13:47:19
上級武士はむしろ源実朝や今川義元みたいに実質武士と言うより公家みたいになるんじゃないだろうか。
41日本@名無史さん:2010/11/27(土) 21:54:07

幕末、一番 サムライらしかったのも下級武士

上級武士は先祖の武功の上にあぐらをかき、恥知らずな連中が多かった
幕末の旗本連中なんか、その最たるもの
42日本@名無史さん:2010/11/27(土) 22:11:13
旗本が役立たずだったから、百姓上がりの新撰組を士分に取り立てて京都守護に回したんだしな。

 倒幕の薩長の主体も藩でクーデタを起こした下級武士主体だった。

 戊辰戦争になるともう武士道など屁のツッパリにもならず、洋式兵器が情勢を決定するものだった。

43日本@名無史さん:2010/11/27(土) 22:15:57
戦国大名なんか武士以外(農民・商人)の出自の者も珍しくない。
で、皮肉なことに世襲制を押し勧めたのが秀吉なんだよね。
自分と照らし合わせて下層階級こそ脅威な事を知ってたんだよ。
44日本@名無史さん:2010/11/27(土) 22:19:05
>>洋式兵器が情勢を決定するものだった。

でも、これが無い内は逃げの一手だったんじゃないか?
45日本@名無史さん:2010/11/28(日) 05:24:33
>>42
日本だけじゃないよ。清でも八旗がまるで役立たずの貴族に成り下がってたから、郷勇みたいな連中が幅を利かせたわけで。
46日本@名無史さん:2010/11/28(日) 05:46:06
>>43
中学校の先生みたいな奴だなw

武家以外の出身で戦国大名になった奴なんて希少だろ。
せいぜい豊臣秀吉、斉藤道三くらいで彼らも限りなく武士に近い出自。

戦国大名のほとんどは守護大名の被官、国人などからの成り上がり。
ルーツをたどれば、大体鎌倉武士の末裔だ。
47日本@名無史さん:2010/11/28(日) 06:22:55
平士(ひらざむらい)→正社員
足軽→派遣社員、期間社員
中間→パートさん
小者→バイト
48日本@名無史さん:2010/11/28(日) 06:45:38
>>47
そりゃ戦国時代ならそういう理解でいいかもしんないけど。
江戸時代になると足軽とか同心っていう階級が固定化した。

わずかな扶持と副職・内職で食ってく世帯。
>>6のいうととおり、年金生活者とその家族みたいな感じだろうな。
江戸中期の藩政改革などでますます生活は厳しくなっていったんじゃないだろうか。
49日本@名無史さん:2010/11/28(日) 18:50:52
>>46
北条早雲、松永秀久、福島正則、藤堂高虎、・・・。希少とまではいかないよ。
珍しくないという表現は的確。
50日本@名無史さん:2010/11/28(日) 19:22:00
秀吉は「限りなく武士に近い出自だ」なんて単なる一説に過ぎなくて通説ではないんじゃないの。
51日本@名無史さん:2010/11/28(日) 19:37:42
>>49
ピピー 教育的指導

北条早雲は室町幕府政所別当伊勢氏の親族伊勢盛時だよ。

福島正則は由緒有る刀工の子孫だし、藤堂高虎は浅井家重代の家臣だよ。
52日本@名無史さん:2010/11/28(日) 19:49:54
>>51
先祖は知らんが北条早雲自体は町人出身
親戚は知らんが福島正則自体も出身は農民
藤堂高虎も父親は浅井家領内の領内の土豪というだけ。

ここ詳しい人多くて捏造しても恥かくだけだから出直しな。
てかスレ主に突っ込めよ(笑)
53日本@名無史さん:2010/11/28(日) 21:45:49
そもそも福島正則、藤堂高虎を戦国大名というのはいかがなものか
54日本@名無史さん:2010/11/28(日) 22:26:12
秀吉も戦国大名じゃない。松永久秀も。
55日本@名無史さん:2010/11/28(日) 23:17:30
>>52
いや、たしか北条早雲は中央につとめていたはずだろう
56日本@名無史さん:2010/11/28(日) 23:52:25
>>6 治安維持や城の警備なら軍隊というより警察、警備員だな。
57日本@名無史さん:2010/11/29(月) 00:14:27
>>52
池沼
58日本@名無史さん:2010/11/29(月) 04:18:41
>>56
番方って言い方をする。留守番とかの番と同じ意味だね。
59日本@名無史さん:2010/11/29(月) 13:35:45
いや軍隊の仕事もほとんど警備ばっかしだし。
それに武士の身分は常に野戦を想定している。
「備え」をつくるための鉄砲足軽、弓足軽、長柄足軽、馬回り、使い武者云々・・。
60日本@名無史さん:2010/11/29(月) 17:35:59
江戸時代に入ったら、たいした演習もできなかったろう
鉄砲つくろうとしただけで、謀反を疑われて改易されるからねえ
指南役が従来の武器の扱いを教えるくらいで、下々は剣術道場できたえる程度だったんじゃない?

鷹狩とかって、急場で橋つくったり、獲物を追い込むために陣構えを変えたりってことしてたのかね?
61日本@名無史さん:2010/11/30(火) 23:01:39
1万石クラスの大名の下級家臣だと、100万石大名の足軽と変わらないのではないか。

62日本@名無史さん:2010/11/30(火) 23:49:39
>>52
お前こそ大丈夫か?
63日本@名無史さん:2010/12/01(水) 01:19:26
>>1は鎌倉・室町の農業をしながら守護や地頭とか役職を兼務してる者は
武士じゃないって言ってるワケだろ?>>1が不見識なだけだよ。
64日本@名無史さん:2010/12/05(日) 23:01:41
>>48

嫁さんの里が京都近郊なんだけどさ・・・。
某藩の領内では百姓なんだけど領内一歩でたら某摂家の家来。
下手すりゃ殿様より・・らしんだけど。
こういうのって一体なんのさ。

65日本@名無史さん:2010/12/13(月) 10:20:06
>>39
現代の上級武士は議会議員。
世襲だらけで腐敗した権力闘争ばかりの上級管理職。
自らの権力を振りかざすことだけが取り柄。

実務は中下級武士が処理してなんとかなっている。
66日本@名無史さん:2011/01/10(月) 00:33:45
>>52
北条早雲こと伊勢宗瑞は、備中伊勢氏出身で、
誰だか忘れたけど、一説には伊勢宗家の養子らしいよ。
母親も伊勢宗家の出身だし。
67日本@名無史さん:2011/01/10(月) 01:06:33
>>64
京都府の向日市で江戸期の地籍図を見たことあるけど、公家衆の領地だった畑が一枚一枚記されていて、
年貢は公家に納めていたようだ。そういう農民の一部を常勤の家来を持てない貧乏公家の臨時家臣として扱ったわけ。
摂家当主は最低でも公卿だし、摂政・関白・太政大臣等になると、正従一位になるから、高位の家臣も四位とか五位の
扱いであったり、六位・七位でも正式に官位を授けられたのなら、中小大名の家老(無位)よりも地位が高くなる。
68日本@名無史さん:2011/02/12(土) 00:48:35
>>63
鎌倉・室町期の武士こそ、本物の武士。

江戸時代あたりは、武士の裾野が広がって怪しい連中が多い。
69日本@名無史さん:2011/02/12(土) 19:49:41
○○さまには及びもないが、せめて成りたやお殿様
70日本@名無史さん:2011/02/13(日) 11:56:38
下級武士の岩崎弥太郎の親父は、近隣の名主に半殺しにされてたよな?
でも時の奉行所は名主をお咎めなしにしてる。
藩に、弥太郎が直訴したが、逆に投獄にされてる。
下級武士って、現代人が思ってるような「武士」とは違うと思うよ。
実際、帯刀どころか、袴や草履すら許されてない下級武士も多い。
71日本@名無史さん:2011/02/13(日) 12:52:48
>>70 岩崎弥太郎親子は武士の株を売った地下浪人だろう。

 もはや武士扱いされていない。
72日本@名無史さん:2011/02/13(日) 13:24:52
>>71
地下浪人だが、土佐藩内でも下級武士と名主層のいさかいで評定が行われてることが多いが、
最終的に名主層の意見を尊重させてる裁きを下されてるほうが多い。
武士層でも、名主や豪商クラスとの揉め事は、評定所で藩の裁きを受けなくちゃならない。
要は、ごり押しして意見を押し通す事が許されてしまいそうなイメージだが、
下級武士クラスはそんなことは一切できなかったというのが実際のところとということだと推測できます。
73日本@名無史さん:2011/02/13(日) 13:32:18
>>68
確かに。
そもそも江戸の武士の生い立ちの起源は信長が無宿者や犯罪者、貧農の次男三男を常備軍としたのが始まり。
江戸大名の大半が信長ゆかりであり、下克上タイプ。それらが召抱えていたんだから、まっとうな武家がいたとはあまり考えられない。
要は江戸の武士階級はひじょうに生い立ちが怪しいというのは事実だとおもわれ。
74日本@名無史さん:2011/02/13(日) 13:47:59
信長が貧農の二三男を常備軍にした?
本当に?
75日本@名無史さん:2011/02/13(日) 13:53:30
>>74
信長は、戦時の農民召集のデメリットを払拭するため、あまり害のない貧農層の次男三男も常備軍にしてませんでしたか?
76日本@名無史さん:2011/02/13(日) 13:55:22
>>74
それ誰に聞いたの?見てきたの?
77日本@名無史さん:2011/02/13(日) 13:57:34
農民召集wって?
78日本@名無史さん:2011/02/13(日) 13:59:08
番号間違えた!
>>75
それ誰に聞いたの?見てきたの?

ちなみに私は聞いたことがないな。
79日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:03:02
>>77
意見が違うなら具体的にいってください。
>>78
普通に本に書いてありましたが・・・。
それに無宿者などを常備軍にしていたのは事実ですから、貧農の次男三男が無宿かするルートは容易に想像できるでしょう。
80日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:07:30
無宿化
81日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:10:08
>>79
なんという本で誰が書いているのですか?
それとも単なる想像ですか?
82日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:12:21
>>81
じゃあ、教えてください。信長が常備軍にしたのはどういう階層ですか?
83日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:24:39
>>82
ますば何という本か答えてもらいたいです。
84日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:26:26
>>83
まず、あなたの考えは?早く信長の常備軍の階層は?それすら答えられないのに否定とかソースとか言われても。
85日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:33:47
>>84
いや、まずは本を教えて下さい。
あなたが「信長の常備軍は貧農の次三男」だと言い始めたのだし、その根拠はそのあなたが読んだ本なのでしょ?
それと信長の常備軍の定義がわかりません。
即応で動員可能な武士とその家来の事ですか?
86日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:40:12
>>85
否定するなら、まず自分の定義を言うのが社会人の常識だろ?
常備軍の意味?なにいってるんですか?

>即応で動員可能な武士とその家来の事ですか?
はい?即応で動因可能な常勤武士は少なかったから、常備軍としてそれら常備軍に付随する戦闘集団を作ったんですよ?
その意味がわからないってなんなんですか?
87日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:42:17
信長が即応で動員できる貧農の次三男で構成される常備軍を作ったなんて聞いたことがないね?
誰に聞いたのそんな嘘を?
88日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:42:33
間違えました。
即応で動因可能な常勤武士は少なかったから、常備軍としてそれら常勤武士に付随する戦闘集団を作ったんですよ?
その意味がわからないってなんなんですか?

です

89日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:45:43
>>86
否定しているのではなく、「信長が貧農の次三男を常備軍化した」という史料を見た事がないので教えてほしいと言っているのですが?
なんという本ですかね?
90日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:49:11
>>86
>即応で動因可能な常勤武士は少なかったから、常備軍としてそれら常備軍に付随する戦闘集団を作ったんですよ?

↑これって根拠あるの?
91日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:50:02
>>87
だから、だったら、常備軍の創設時の階層をおっしゃってくださいよ。ただ聞いたことがないとか言われても、
あなたの聴いたことがあるないなんて聞いてないんですが。
92日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:52:52
信長がそんなもん作ったなんて知らなかったよ。

ていうか信長が初めて兵農分離を画期的に行ったとか信じてるんだろうな・・・
93日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:56:17
>>91
「信長が創設した貧農の次三男で構成される常備軍、戦闘集団」ってなんて呼ばれた部隊?
94日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:59:20
今の話とは関係無いけど後北条氏は豊臣政権に責められた時
文字通り根こそぎ動員したらしいな
字義通りの「百姓(農民ではなく各種職業的意味の)」を含め
勿論動員兵は警備とかに使って、後北条氏自身もあくまで頭数確保と割り切っての運用だったみたいだが
以前の歴史群像にそんな事が
95日本@名無史さん:2011/02/13(日) 14:59:37
貧農にとって次三男は貴重な労働力なんだがなぁ
96日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:03:59
>>92
すごくめんどくさいんですがあなた。誰もそんなことを言ってないでしょ?
もう信長の話はいいです。飽きました。そちらの意見をさらしてるのならまだしも、
意見すら言わず、聞いたことないだの知らなかったというだけで突っ込まれても面白くもない。

ただ、室町以来、江戸期の武士の人口と比較しても爆発的に武士人口変動が推移してる。
ようは、戦国期を当して本来の室町期以前の武士層以外から大量に流入したというのは事実。
だから下克上というのであり、単純に鎌倉期以降からの真の武士層を簿記で純利益とするなら、
江戸期の武士層を貸借対象表にあらわすと、完全に負債や資本での借方貸方、費用といった部分で差し引けば、
相当この純利益は減ると思いますよ。
97日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:11:51
信長如何にかかわらず、室町期から江戸期にかけての武士人口の爆発的増加の事実。
その人口流動は、どの階層からだったのか。突き詰めていけば感嘆にキーワードが出てきます。
98日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:12:45
>>96
意見でも否定しているのでもはなく、
「信長が貧農の次三男を常備軍化した」
という史料を見た事がないので教えてほしいと言っているのですが?
なんという本で誰が書いてるのですかね?
それともあなたの記憶違いか何かでしょうか?
99日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:14:27
武士人口の爆発的な増加って、具体的に何人くらい増えたんですか?
100日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:18:50
>>98
ですから、じゃあ、常備軍化した階層は?あなたの意見を教えてくださいよ。
なぜ貧農をそんなに突っ込んで、無宿者は反応しないの?

>>99
もう釣りはいい。あなたとは会話が成立しない。
101日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:30:47
なぜ、無宿者が常備軍に配属されていた事実は、反応しないの?w
102日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:32:09
戦国時代の無宿者ってなんだろう?
103日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:33:32
ていうか信長の常備軍って何?旗本などの手勢の事?
104日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:36:59
>>101
それは「無宿者」では「貧農の次三男」に比べて具体性に欠いているからですよ。
あなたの言っている「無宿者」や「信長の常備軍」が何を指しているのかわからないですよ。
105日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:42:52
常備軍もわからないが信長の非常備軍はどんなものなんだ?
106日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:45:18
>>103
もう少し勉強したら?AKBばっか聞いてないでw
>>104
具体性にかけてる?無宿者という定義が?じゃあなんなら具体性があるの?
武士ですらここで語られているように具体性がない。
で、無宿者と、字体を追えば意味すら外国人でもイメージ沸きそうなものなのに、具体性に乏しいという。
じゃあ、歴史というものにおいて、具体性とは何?
武士とは誰が決めるの?完全なる武士とは何?
そもそもあなたにとっての具体性という日本語の意味は何?
信長の常備軍がわからない?調べたらどうですか?w単純に。
107日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:53:25
武士の定義なんてそもそもが曖昧な根拠のないものからの発生だから答えなんて出るはずもないですよね。

そもそもが自警団や用心棒が起源。それを政治というものに無理やり当てはめて幕府を開いた。
その後はごく少数の一門経営に近い形の領国経営がなされ、中世期に戦国期に陥った。
そのけっか、ただ単に傭兵としての存在のものが大量に増え、そのまま江戸期に移行した。
そのけっか、またその人口を無理やり政治枠に押し込めようとしたため、武士人口があぶれた。
そもそもが、傭兵程度の意味でしかないところから発生した中下級武士に、意味や存在意義を求めようとするから意味がないんですよ。
必然性がない存在母体だから。

わかりますか?
108日本@名無史さん:2011/02/13(日) 15:53:54
いやー、「貧農の次三男や無宿者で構成された信長の常備軍」が本当にわかりません。
普通常備と言ったら信長の手元の馬廻などの旗本衆や近習、鎗弓鉄砲の各組などではないの?
109日本@名無史さん:2011/02/13(日) 16:05:20
>>106 >>107

つまり私が聞きたいことは>>73で「そもそも江戸の武士の生い立ちの起源は信長が無宿者や犯罪者、貧農の次男三男を常備軍としたのが始まり」
と断言されてますが、その根拠はあるのですか?
普通に本に書いてあったと言うならばその本を教えてください。
是非読みたいので。
110日本@名無史さん:2011/02/13(日) 17:47:53
>>107
> 武士の定義なんてそもそもが曖昧な根拠のないもの

まぁ、これは同意するが
ここ数十年の武士の発生に関する議論を踏まえると
そこからの展開はどうよ?
少なくとも平安後期の初期の武士層は
かなりが諸太夫層とは言え下級貴族由来ですよ?
111日本@名無史さん:2011/02/13(日) 21:11:58
>>70のこれはヒドすぎるなあ

そもそも江戸の武士の生い立ちの起源は信長が無宿者や犯罪者、貧農の次男三男を常備軍としたのが始まり
112日本@名無史さん:2011/02/13(日) 21:48:56
>>111
>>73じゃね?
113日本@名無史さん:2011/02/14(月) 00:29:08
卒族って日本軍の軍属みたいなものでは?
114日本@名無史さん:2011/02/14(月) 04:48:14
ここの人達に
「源義平スレ@」の過去レスを読むことをお勧めします。

またカキコするのがめんどいので。
115日本@名無史さん:2011/02/14(月) 10:15:18
同じ人物でも、本によって足軽だったり中間だったりするのは何でだろう
足軽と中間って違うの?
116日本@名無史さん:2011/02/14(月) 18:46:49
>>73 明治維新も一種の下克上とも言えるな。
117日本@名無史さん:2011/02/15(火) 01:57:39
俺の武士の定義は
「将軍や大名から俸禄を貰っていた人物」なのだが
それじゃいかんの?
118日本@名無史さん:2011/02/15(火) 02:01:22
奉禄奉給だけでは職人衆もいるから軍役を課せられているのが武士なんじゃない?
119日本@名無史さん:2011/02/15(火) 02:23:14
>>118
なるほどそれだと職人衆も含まれる訳ね。
納得

あと「帯刀が許可」されていると武士っぽいイメージw
(ただ帯刀は豪商や大地主も含まれて
ちょっと線引きとしては不適なイメージ)
120日本@名無史さん:2011/02/16(水) 00:08:37
軍役を課せられた者達の中で、概ね、騎馬相当以上だろ。
121日本@名無史さん:2011/02/16(水) 00:50:01
倅者は?
122日本@名無史さん:2011/02/16(水) 03:16:55
>>113
グラビアアイドルみたいなもんじゃないの
123日本@名無史さん:2011/02/16(水) 10:06:54
騎士と徒士は違うんんだよ
124日本@名無史さん:2011/02/16(水) 10:47:25
明治維新政府内で高官に残った大名はゼロらしいな。

 政治経済意識が維新派と全然ちがうので除外されたんだろうな。
125日本@名無史さん:2011/02/16(水) 19:29:35
戦国時代の足軽が江戸時代の下級武士になったんだ。
126日本@名無史さん:2011/02/16(水) 20:40:03
戦国時代の関東地方は馬上衆が多い
127日本@名無史さん:2011/02/16(水) 23:50:51
>>124
本当に浅はかですね。どうしてそこまで浅はかな見識しかできないのかわからない。w
単純に身分こんぷれっくす集団の専制政治なんですから、
伊藤博文みたいな貧農出身からしたら、大名家の格式がよほど目障りだったんでしょう。

そもそも当時の維新の志士は旧大名家より先見性があったとでも考えてるんですか?
当時の下級武士は、ただ単に倒幕ということのみしか考えてない。
なぜなら、大半は高等な教育すら受けてない。
しかし大名家は当時最高峰の教育を受けてる。その上での私情有きの政治というのが社会とは相反する部分があっただけ。

しかし、下級武士にいたっては、まともな教育すら受けてないどころか、
ただ単に身分こんぷの塊が一種の社会の閉塞感と相まってイデオロギーと化して社会化現象になっただけのこと。

政治意識が維新派と違うのではなく、権威による意見の重みを恐れての排除が武士とは名ばかりの下級武士たちの明治維新政府でしょう。
そういうのを読み解かなければ、歴史語る資格ありませんよ?ww


128日本@名無史さん:2011/02/16(水) 23:54:24


といいますか、あなたがたが少しレベル低いので、白熱教室といたしましょうか。
マイケル=サンデル氏をご存知ですか?

  さあ、それでは白熱してぎろんしてまいりましょう。
   真実について語ろうじゃないか。

私、アナルティアーノ=ペッティングーデンベルグが真実をジャスティスいたしましょう。

        それでは開幕です。





129日本@名無史さん:2011/02/17(木) 00:06:54
一つ一つ紐解いて以降ではないか。
そもそも江戸時代、中級武士という立場は存在しない。
土佐のような上士と下士といったような大枠の区分があるところは多い。
じゃあ、当時の下士とはなんだったのか。

まずこれから紐解きましょう。単純に具体的な線引きはされていません。
しかし、福利厚生や立場においては厳密に区分されていました。
じゃあ、当時の下士的な立場に置かれていた人たちはどのような認識の下そのような立場にされていたのかということです。

それは、当時の価値観はこうです。
上士→武士足るべき武士。武士として扱われるべき武士。
下士→武士に値しない武士。武士たる価値が付加価値として備わることを許されない武士。

ということなのです。そもそも戦国期前まで下級武士という概念が存在しないのですから、
まさに戦国期の負の産物で、なし崩し的に組み込まれた不透明な立場であり身分です。
これが大前提なのです。

ですから、この概念の定義がゆるぎないからこそ、そこに付随する福利厚生や立場、役目にただ言うな影響を及ぼしているわけなんですよ。

わかりますか?ww難しいかな君たちのおつむじゃww

130日本@名無史さん:2011/02/17(木) 00:11:53

訂正
役目に(ただいな)影響を及ぼしているわけなんですよ。

131日本@名無史さん:2011/02/17(木) 00:14:53
私マイケル=サンデルこと、アナルティアーノ=ペッティングーデンベルグのジャスティスする下級武士の概念の定義。
これに意のあるつわものいたら、どうぞ申してみてください。グーの根も出ないでしょうがw
まずこの大前提となるそもそもの概念というべき存在定義がなされなければ、その次のステージをジャスティスすることはできませんから。
132日本@名無史さん:2011/02/17(木) 14:12:42
初めてこのスレに来たがスレタイが馬鹿すぎる
そもそも普通は徒士こそが下級武士とされ、足軽は下級武士とも何とも言われないのに(浅薄な理解からそうほざいてる奴はいるかも知れないが)
頭の悪い>>1が中級武士=徒士、下級武士=足軽と勝手に定義しちゃって
しかもそれらは武士ではないキリッとか自己完結してるんだから呆れ果てる

>>1の他にも「徒士や下士は武士ではない」とか言ってる馬鹿が意外と多いのはさすがにうんざりする
それらは「侍ではない」が武士であるのは間違いない

このスレに限らず一般的傾向として、
武士一般を指してサムライと呼んだり(何にでもサムライとか言っちゃう外人と同レベル)
侍身分のみを指して武士と言ったりする奴が世間では大多数だが
武士でない侍もいれば侍でない武士もおり両者は概念上区別されるべきものだ

同様に、同じ御家人という枠組に囚われて与力と同心を似たものだと思ったり
徒士は歩兵だから足軽だと勘違いするような奴も多いが
足軽や同心は卒なので広義の士分にも入らないのは無論のこと
133日本@名無史さん:2011/02/17(木) 14:27:51
武士と侍はどう違うの?
134日本@名無史さん:2011/02/17(木) 15:34:28
侍は「諸大夫の下、(狭義の)士分の上」というように他の身分などとの関係から理解される
伝統的には六位の人または六位に叙せられる資格のある身分のこと

武士で言えば直参の御目見以上や諸大名家中の上士など「主君への拝謁資格」を有していたり「騎乗待遇」の者は概ね侍身分
対して大名は諸大夫身分(その上層は公卿殿上人)
また直参の御目見以下のうち(卒身分である同心以下を除く)与力・徒などや諸家中の下士などは(狭義の)士分
(ちなみに広義には侍と士分を引っ括めて士分と言う場合もある)
ただ小十人などは役務上騎乗しないが御目見以上(侍)であり、諸組与力は役務上騎乗するが御目見以下(士分)である

公家で言えば侍とは(こちらが本来の意味での侍だが)
諸家諸門跡の家来のうち六位の者(摂家親王家の侍は叙爵可)のことで
六位から立身する官人(四位に達する者もいる)も侍身分

武士か否かというのは侍か士分かの区別とは関係なく、武家権力の執行プロセスに連なるか否かという点で判別される
(足軽は本来臨時雇いのただの手先なので武士ではない)
例えば浪人はその意味で武士身分を停止されていると言っていい
135日本@名無史さん:2011/02/17(木) 19:06:11
>>134
君の侍の定義は間違いだよ
鎌倉〜戦国期に君が定義する身分より下の者が侍と呼ばれている
江戸時代の旗本の家来にも「侍」と記されている身分の者がいるが騎馬でもないよ
136日本@名無史さん:2011/02/17(木) 19:11:25
「サムライジャパン」
とか
「青きサムライ」
とかは間違った用法ですか?
137日本@名無史さん:2011/02/17(木) 19:16:57
「諸士・諸侍」とか「大小名以下侍・凡下まで」とか言うよね
三ピン侍とか
138日本@名無史さん:2011/02/17(木) 19:23:03
寺侍
地侍
寸志侍
郷侍
青侍
139日本@名無史さん:2011/02/17(木) 19:27:49
侍ってどっちかって言うと軽輩のイメージ
140日本@名無史さん:2011/02/17(木) 19:52:38
足軽と尻軽ってどう違うの?
141日本@名無史さん:2011/02/17(木) 19:57:18
主君に捨てられる点で同じ
142日本@名無史さん:2011/02/17(木) 22:13:16
>>135
旗本に仕える中小姓三両一人扶持(サンピン)も侍

>>134の説明では以下のように書いた

>「主君への拝謁資格」を有して「いたり」「騎乗待遇」の者「は」「概ね」侍身分

侍身分の標識はこれらに限ると書いた覚えはない(この程度の論理的限定も処理できないならどうしようもない)

中小姓はこれも先に説明済みの「小十人」と同様に徒歩の侍
「小姓」も「小十人」も語源的には「扈從人」(こしょうにん、こじゅうにんなどと読む)に由来している(家中によって「小将」とも書く)
「小姓」はどの家中でも最底辺ながらも侍身分であり「徒士」などの下士とは明確に差別されている
両者は同じ徒歩であっても大違い
ちなみに徒歩小姓以外に小姓組番のような騎馬小姓もある

大名などと比べても旗本の分限では必然的に家来の扶持や給金が少なくなるがサンピンでも侍は侍
また軍役上騎乗の侍を召し抱える必要がないことが多いが徒歩でも侍は侍
143日本@名無史さん:2011/02/17(木) 22:56:20
三両って石に直せば三十石か?

三十石なら大藩の直参藩士にも普通にいる身代だし最下層武士とも言えないな。
144日本@名無史さん:2011/02/17(木) 23:20:24
米価にもよるだろうけど1石=1両くらいじゃなかった?
公家の家臣でも三石さんというのがいたらしいけど京都版の三ピンだな
145日本@名無史さん:2011/02/17(木) 23:27:20
ああ一石一両換算なんか

thx!
146日本@名無史さん:2011/02/18(金) 01:27:22
知行取りじゃなかったら普通石じゃなく俵じゃないの?
147日本@名無史さん:2011/02/18(金) 01:29:59
サンピンとは若党じゃないの?
148日本@名無史さん:2011/02/18(金) 01:32:01
あとさ旗本の軍役に徒士の下に鉄砲持侍っていうのもいるんだけど
149日本@名無史さん:2011/02/18(金) 01:40:58
あと幕府代官所詰には代官の下に元締(三十両五人扶持)、手附・手代(二十両五人扶持)、書役(五両一人扶持)、侍(三両二分一人扶持)、勝手賄(五両一人扶持)、足軽(三両一人扶持)、中間(二両一人扶持)で手附手代までは御家人。
手代と侍以下は臨時雇である。
150日本@名無史さん:2011/02/18(金) 01:56:47
そうだよ

武士 50万
足軽ほか 100万

江戸時代末期
300万

この中で本当の武士らしい武士は100万程度


平安で10〜20万くらいか?

もっとも
山を全重武装で馬以上にかけることが可能
弓は世界最大 最大威力 最大射程
白兵なら強すぎる
訓練されてる

最強の戦闘集団だけど
151日本@名無史さん:2011/02/18(金) 04:25:07
若党と中小姓を一緒にするなよ

>>150
頭悪そうなのが来たな
152日本@名無史さん:2011/02/18(金) 11:00:42
ちょいと、阿呆ばかりなので、アナルティアーノが補足いたします。

>>132>>134
あのね、損なのは当たり前のことなんだよ。>>1がいってることは足軽も含めてという意味だろ。
それすら察せず、常識のサムライ定義とかwww

つうかもあほすぎwwwwwwwww
いいですか?あなたが言ってるサムライ定義は室町以前の純然たる武家社会の定義。
へたすりゃ鎌倉以前じゃなくちゃその定義は通用しない。
浪人が武士身分の停止だ_?wwwwwwwwwww

偏差値おいくつ?www江戸期になれば武士なんて余裕で株が売り買いで来た時代。
特に下級武士にいたっては流動性が激しい。しかし、こと上級武士にいたっては株の売り買いは非常に厳格化されている。

なぜか?
藩は下級武士はそれらに武士としての権威を付随させるつもりはなく、株の売り買いによる税制政策の一環とも見ている。
ようは、フランチャイズ店オーナーをとっかえひっかえしてその加盟料だけが目的となしているとも考えられる。
実際、下級武士なんて入れ替わりが激しい。藩の制限も非常に緩やか。
武士の定義なんて、>>70の方が言われてるように、
ぞうりもはかまも帯刀も許されていない下級武士というのも藩によって存在する。

また、神社の宮司や名主、豪商、特別職等にはごろごろ名字帯刀が許され、上級武士並みの権利を有してたものも多い。
そうなれば武士という定義は何なのか?ということになる。
苗字帯刀等のと武士固体に由来する権利は継承できても藩士ではない。だから武士ではない。
しかし、それら武士に由来する権利すら教授できないが、立場上下級武士。
また株で成り上がった町人武士の大量増加。わかりますか?




153日本@名無史さん:2011/02/18(金) 11:06:40
>>152からの続き

>>132>>134
さあ、それではなにをもって江戸の武士を武士と定義する?
ここではサムライと武士の定義の違いなんかを話してるわけじゃない。
スレタイどおり、中級武士以下の名目上武士に過ぎない武士と、
武士ではないが武士と同等の面子や権利を有する一般特別職(豪商、寺社主、名主等)との境界線は、
われわれ現代人が考えている士農工商という枠組みなんかでは一切隔絶した分離はしていないから、
このような矛盾だらけの権利関係が存在する。ということなんですよ。

それらから導き出される仮説定義、スレタイの(中下級武士はじつは武士と断言できるほどの絶対的武士ではない)
とういう定義の基、
その論拠をひとつひとつ史実の現実的処遇や待遇を挙げていき、
最終的にこの定義を根拠に結び付けようとする過程なわけですよ。

わかりますよね?そこに原理主義的武士、侍論をかまされても、話にならないわけです。
ようは武士とは基本、藩主から正社員としての認定されてるかされてないかが、武士たる定義の裏づけを事故に求めるなら重要なんです。

そうすると、浪人はもはや武士身分の停止されているのではなく、事実上の無職の町人であり、停止処分とは復権あり気の停止という意味なんですよ?
マー言葉の正確な意味はいい。あなた程度にそこまでの返答は求めない。www

それから、>>142は論外。話にならない。
154日本@名無史さん:2011/02/18(金) 11:19:43
>>153の続き

そうしますと、私が以前>>129で述べさせていただきました、


「上士→武士足るべき武士。武士として扱われるべき武士。
下士→武士に値しない武士。武士たる価値が付加価値として備わることを許されない武士。」

という定義がまず、基本にあるわけじゃないんでしょうか?
その上で、下士と、一般特別職(寺社主、豪商、名主等)との権利関係や福利厚生、面子(立場)、等を紐解いていくことで、
現実の江戸社会が浮き彫りになるということなんですよ。



それが、これからの「白熱教室の第二幕」となるということでいいのではないでしょうか?

まず、皆さんが、中下級武士の大枠の定義を見つけ出さない限り先に進めないのですよ。

ようは、中下級武士は、原理主義的侍、武士論定義からは完全に逸脱し、また、
江戸期においても近現代の武士として、決して本来武家、侍、武士としての純然たる立場ではない。ということ。

まずこの定義を納得していただかないといけません。

       OKですか?






155日本@名無史さん:2011/02/18(金) 11:33:48
156日本@名無史さん:2011/02/18(金) 11:40:16
>>155
まったのあほですね。ぜんぜん歴史を理解していない。
>>70>>72
157日本@名無史さん:2011/02/18(金) 11:50:35
土佐だかのたった一例だけの提示してもそれが全体像だったかの如く定義するのは性急に過ぎるんじゃないの?
それと逆の事例はあったのか無かったのか?
あったとしたらそれはどのくらいだったのかも見た上で、
つまり全体の比率を抑えてからの上でないとこういう問題は決めつけられないな。
158日本@名無史さん:2011/02/18(金) 12:02:57
>>157
そのとおり。ようは、これから福利厚生や権利関係を上げていき、検証作業へ移る段階→第二幕 ということになるのですが、

その前に先ほど申しました、>>154の、中下級武士の存在の大まかな定義というものをなっとくするか、決めなければならない。

もし>>154に納得できないのであらば、そうじゃない問う言う根拠を提示していただき、
納得できるというならその根拠を、>>70のように提示していくということです。

あなたのおっしゃるとおり、一例をもって定義となすのは不可能です。
このように、中下級武士という存在は藩によってまちまちという、定義自体が当時の武家層でも定まっていないのです。
用は、現実的にその程度存在意義なのです。だから、一般特別職との権利関係が複雑に絡み合ってしまう。

だからこそ、歴史の真実解明白熱教室は楽しく盛り上がれるわけです。

さあ、はじめましょう。^^「白熱討論教室」を!!

159日本@名無史さん:2011/02/18(金) 12:54:36
白熱討論とかなに馬鹿なこといってんのこいつ?
実例あげまくればいいんじゃないの
160日本@名無史さん:2011/02/18(金) 13:40:03
スレタイは確かにおかしいけどね。

江戸期の武士社会をあえて二つに分ける場合、
上級武士と中下級武士とするよりも、
上中級武士と下級武士と分ける方が実態に見合う。

江戸期の「侍」の典型とされるのは禄高100石前後の中級武士たちだろう。

彼らは禄高に於いては大身ではないかもしれないが、騎乗身分ではある。よって上士たる資格を備えた存在であるわけだ。

つまり中級武士というのは、上士の最下層を構成する存在なのだと考えた方が江戸期の武士社会をより正確に表しているだろう。

161日本@名無史さん:2011/02/18(金) 16:07:08
小大名の家中で100石なら上級武士だよ
だから全国規模で単に石高で分けるのは不可能
162日本@名無史さん:2011/02/18(金) 16:45:32
知行取りの武士より蔵米取りや切米取りのほうが圧倒的に多数
163日本@名無史さん:2011/02/19(土) 01:47:50
旗本の家臣はで高禄の場合は上級武士に入りますか?

また大名家の家臣のそのまた家臣でも高禄の場合は上級武士といえますか?
164日本@名無史さん:2011/02/19(土) 09:38:15
下級武士は戦国時代の足軽
165日本@名無史さん:2011/02/19(土) 17:35:49
>>161
いやあ、100石取りなら大藩だって上下二つに分けた場合は上士になるよ。
伊達家の門閥には100石の家もあるし、島津家でも100石のものが家老になっている。
佐竹家では50石の重臣がいたはず。
だから「中上級武士」と、中級武士を「上」の方に入れて述べた。
上中下と三分割するのではなく、上下二分割にする場合、中級武士は上級武士の範疇に入る。

166日本@名無史さん:2011/02/19(土) 17:59:43
乗馬身分で分けるのはどうだ
167日本@名無史さん:2011/02/19(土) 23:11:07.25
上士?普通に中士だろ?
168日本@名無史さん:2011/02/19(土) 23:12:53.25
幕府だと刑罰の待遇からして500石以上が上級武士だろうね
169日本@名無史さん:2011/02/19(土) 23:44:50.82
>>166
それで良いと思うよ。
>>160で述べたけど。
170日本@名無史さん:2011/02/20(日) 00:27:41.87
町奉行所の与力も騎馬ですが上級武士ですか?
171日本@名無史さん:2011/02/20(日) 00:29:41.58
はいそうです
172日本@名無史さん:2011/02/20(日) 00:56:54.79
諸藩で上士中士下下って言葉が使われるのは明治元年くらいからだよね
長州の場合は一門永代家老から寄組の千石までが上士
寄組の千石以下は中士上等
大組と船手組も中士上等
遠近附から鷹匠までが中士下等
無給通から膳夫が下士上等
江戸徒士から陳僧までが準士
173日本@名無史さん:2011/02/20(日) 01:16:28.84
本当の上級武士は王朝期に成立した『兵の家』(承平・天慶の乱鎮圧勲功者)の系譜を引く家だけだろ。
だから、大名家でも佐竹、小笠原、細川、立花など数える程しかいない。
鎌倉以来の系譜を引く島津や伊達、毛利も承平・天慶乱鎮圧勲功者の子孫ではない。
174日本@名無史さん:2011/02/20(日) 06:31:42.84
石高とかの俸禄と身分は関係ない。

でも50石の重臣なんていないし言わない。
そもそも重臣って何?
物頭以上ってこと?
175日本@名無史さん:2011/02/20(日) 08:18:51.67
佐賀鍋島の家臣神代鍋島家(6262石5斗)の家老帆足氏は地方知行54石だよ
陪臣の又陪臣だけど領主であり家老職だよ!
176日本@名無史さん:2011/02/20(日) 08:26:00.50
基本原則として武士の格・役(職)・禄は三位一体的関係を持つと言われているけどね。
177日本@名無史さん:2011/02/20(日) 13:18:27.40
基本原則なんだから絶対原則ではないってことだな
178日本@名無史さん:2011/02/20(日) 14:03:09.14
馬の一匹を維持するのも困難な微禄の下級武士では重職の格式に合った容儀を用意できないから
微禄のままでは馬、家来、衣装、道具など揃えるのは無理だろうから足高の制のようなものが必要かと
179日本@名無史さん:2011/02/20(日) 14:06:28.81
>>178
足高制は財政難から考え出されたんだろ?
180日本@名無史さん:2011/02/20(日) 14:14:11.48
効率よく登用できるようにね
181日本@名無史さん:2011/02/20(日) 14:50:56.09
500石で大番役の家があるかと思えば
300石でも両番を世襲している家もあるな
182日本@名無史さん:2011/02/20(日) 15:04:26.26
だから禄高(経済力)と家格は必ずしも一致しないということだろ。
例えば、それなりに由緒はあるが先細りになってた家が戦国期に大名家に取り込まれた場合なんかは、禄はそのままでも家格だけは高い位置に据えられそうだ。
183日本@名無史さん:2011/02/20(日) 15:18:33.73
>>181
それって相応の御役だと思うけど?
184日本@名無史さん:2011/02/20(日) 17:20:16.58
>>175
またもののまたものなんてしらん。
 
佐竹に50石の重臣なんているのか?
185日本@名無史さん:2011/02/20(日) 18:12:03.49
陪臣の又者でも領主は領主だし五十石でも家中では最上級の武士なんじゃないの?
本藩での扱いは中士程度だろうけど
186日本@名無史さん:2011/02/20(日) 18:27:03.36
久保田のような大藩で50石の重臣なんて本当にいたの?
187日本@名無史さん:2011/02/20(日) 22:40:55.11
滝沢馬琴の生家は50俵5人扶持の旗本(松平家・1000石)家臣
188日本@名無史さん:2011/02/20(日) 23:16:04.98
明治維新は足軽革命だったんだな。
189日本@名無史さん:2011/02/20(日) 23:19:07.07
足軽ってお手軽だからな
190日本@名無史さん:2011/02/21(月) 00:02:01.96
>>188
なんで?
191日本@名無史さん:2011/02/21(月) 01:23:46.61
白熱なんたらとか言ってる奴のレスは長い割りにことごとく内容がないな。
知能が低いのに無理に何か書こうとするからかな。
192日本@名無史さん:2011/02/21(月) 01:37:10.97
藩士と郷士ってどう違う?
193日本@名無史さん:2011/02/21(月) 02:07:00.50
>>192
どこの藩の事を聞いてるの?
194日本@名無史さん:2011/02/21(月) 02:32:54.44
>>193
土佐藩
195日本@名無史さん:2011/02/21(月) 02:34:36.52
在郷の半農的武士でも大名の家中として籍があり藩の御役に就けば藩士なんじゃない?
196日本@名無史さん:2011/02/21(月) 02:44:23.51
>>194
土佐の郷士なら山内家の家中だから藩士だよ
197日本@名無史さん:2011/02/21(月) 03:24:52.39
長曽我部の旧臣たちが郷士で
山内家が引き連れてきた家臣たちが藩士じゃなかったっけ
198日本@名無史さん:2011/02/21(月) 03:29:42.02
>>172
佐藤栄作の家は下級藩士?
199日本@名無史さん:2011/02/21(月) 03:30:18.85
山内氏に郷士に取り立てられたのが郷士
吉田東洋の家も長曽我部の旧臣だよ
藩士とはその藩の武士全般
200日本@名無史さん:2011/02/21(月) 03:46:30.18
吉田家が上士なのは特別な例でしょ?ほとんどの長曽我部の旧臣は郷士にしか取り立ててもらえなかったとか・・・
201日本@名無史さん:2011/02/21(月) 05:52:18.84
武市瑞山は長曽我部の旧臣?
202日本@名無史さん:2011/02/21(月) 07:59:09.19
実態はただの農民だけど反乱されても困るので苗字を許したってところ。
203日本@名無史さん:2011/02/21(月) 11:20:51.26
土佐藩は名主層も旧長曽我部家臣だよね。
中岡新太郎が代表例。
204日本@名無史さん:2011/02/21(月) 12:00:03.10
アナルティアーノ=ペッティングーデンベルグの名を改め、千ず利休と申します。

>>160
上のほうで中級武士は上級武士の枠にはまるとかいってる人、

なんなの?馬鹿なの?視ぬの?w
例えば御三家のような超大藩なら中級武士以上の人数なんて1000人単位でいる。
1000人単位で上級武士ってか?ww馬鹿なの?なんなの?視ぬの?www
たまたま個人の能力で中級武士から上級武士家老に格上げ、という例外コースも実際あった。
が、制度化されてない特別枠という扱いなんですよ。わかる?w

で、基本家老は末席でも上級武士の中からが基本のルート。この基本的枠組みの範疇に組み入れられるものが、本来の上級武士であり、
制度化されてない、慣例的でない特別枠がたまたま事実としてあったから中級武士は上級武士と同じ枠?www

なんなの?馬鹿なの?視ぬの?ww

基本中級武士に上級武士並みの家老就役率あるの?
また、中級武士は平時から、藩政参政権の役が与えられてるの?
中級武士は上級武士波の福利厚生が保障されていたの?
で、なんで同列に扱うの?江戸時代は大甘で、仲良し子よしの上中級武士格差だったとでも言うの?

何なの?馬鹿なの?視ぬの?ww
石高とい身分は必ずしも一致しない。どんだけ浅はかに見識すれば、石高のみ、役のみといった単体での仕分けを可能にできるの?w
例えば最上級武家の分家として存続させる場合、石高は中級武士並みかへたすりゃ以下だが、立場は上級武士であり、末席家老への就任は当たり前。
といったのごろごろいんだよ。で、なんでいち側面だけで一事例だけで、中級武士は上級武士と言い切れる恥ずかしすぎる見識が成り立つわけ?ww
なんなの?馬鹿なの?視ぬの?ww

もう少し、頭よくなろうよww

205日本@名無史さん:2011/02/21(月) 12:23:23.41
3行でまとめろよw
206日本@名無史さん:2011/02/21(月) 12:24:49.77
>>205
さーせん。ただ、浅はか低脳歴史おたばかりで、ついつい・・・ww
努力しやすw
207日本@名無史さん:2011/02/21(月) 17:47:21.38
>>196
最近「坂本龍馬は郷士ではなく藩士だった事が判明しました」という論文を見たんだよ。
研究者も自己完結してないで解説してくれればいいのに。
208日本@名無史さん:2011/02/22(火) 00:47:11.01
土佐藩では武市瑞山の白札が最下級武士という扱いだったはず。
瑞山の三代前に郷士から白札に昇格してる。
209日本@名無史さん:2011/02/22(火) 01:29:54.20
草生やしてる低能基地外は何なんだ

レスは的外れの妄想ばかりだし
まとめる能力もないんだったら黙ればいいのに
210日本@名無史さん:2011/02/22(火) 10:28:26.56
>>207
郷士株を買った造り酒屋じゃなかったの?
211日本@名無史さん:2011/02/22(火) 23:14:32.49
足軽・百姓に南北戦争の中古鉄砲を持たせただけで明治維新が起こってしまったな。

 武士は何をやっていたんだ?
212日本@名無史さん:2011/02/23(水) 02:09:03.36
オーストラリアを自領に組み込めなかったのは痛恨の極み。

日本の真下だし、時差はないし、国土は峻険ではないし、そのうえ大陸とはいえなんといっても島国だしで日本人なら上手く管理できていたはず。


ああかえすがえすも残念!
213日本@名無史さん:2011/02/23(水) 08:24:34.81
真面目にニューギニア買収の検討はしたらしいが
214日本@名無史さん:2011/02/23(水) 15:14:34.93
>>213 ニューギニア高地人の首狩り族を平定しなくてよかったな。
215日本@名無史さん:2011/02/23(水) 16:33:36.30
まさか農民や町民が武装して武士階級を打倒するとは・・・・
武門の神様八幡太郎義家も驚愕したじゃろうて
216日本@名無史さん:2011/02/23(水) 18:56:32.43
>>215 織田豊臣政権も鉄砲隊で天下統一したし、明治維新も銃砲、大砲が主役になった。

 「革命は銃口から生まれる」という毛沢東の言う通りだな。

 官軍の銃砲戦術にサムライが刀を振り回しても勝ち目はなかっただろう。
217日本@名無史さん:2011/02/24(木) 03:44:23.68
自演?なんか意味不明だな
218日本@名無史さん:2011/02/25(金) 02:06:06.85
>>211>>215-216
これは同じ奴だろうな
こんなに頭の悪い誤解を共有する人間が2人も3人もいるわけがない
正直馬鹿すぎて気持ち悪い
219日本@名無史さん:2011/02/25(金) 02:30:15.95
自演ばかりだな
220日本@名無史さん:2011/02/26(土) 03:25:16.34
221日本@名無史さん:2011/02/26(土) 14:21:28.52
>>216
そもそもその侍と言われてる人たちも、戦国期に名門の侍たちから職や身分を奪ったんでしょ。
222日本@名無史さん:2011/02/26(土) 14:39:10.45
はじめまして。
私は幕末マニアですが、彰義隊の隊長達を知ってます?
下級武士はいません。旗本や上級武士、そして庄屋や名主。これら以外が隊長職にはなっていません。
当時の名主が隊長を勤める彰義隊の部隊にも下級武士がいっぱいいます。
下級武士は論外としかいえなくないですか?
223日本@名無史さん:2011/02/26(土) 14:48:44.57
>>221 豊臣秀吉は百姓上がりだったが、こういうのは例外ではないか?
224日本@名無史さん:2011/02/26(土) 14:57:38.26
>>223
は?だって下級武士上がりの大名や盗賊上がりの大名なんてわんさかいますよ?
また、足軽から戦国期のどさくさにまぎれて下級武士や中級武士になった人がどれほど多いか。
事実、武士層で江戸期以前の系譜が分からない武士なんてどれほどいるか。
225日本@名無史さん:2011/02/26(土) 16:05:36.74
>>222
確かに、旧幕側は下級武士が表舞台に出ていることはほぼ皆無といっても等しいよな。
名主はなぜか旧幕側に活躍してる家多いな。なぜ?
226日本@名無史さん:2011/02/26(土) 16:27:50.13
勝海舟=貧農w
227日本@名無史さん:2011/02/26(土) 17:12:03.47
現職の名主が彰義隊の隊長?
誰の事?
228日本@名無史さん:2011/02/26(土) 17:24:25.01
>>227
自分で調べるということ惜しむなよ。そんなのすぐ出てくるだろ
229日本@名無史さん:2011/02/26(土) 17:35:34.13
>>225
幕府天領内の名主は中世の旧武家層が多いからでは?
だから対面や名目とは別に下級武士よりは重く見てたんでないの?
230日本@名無史さん:2011/02/26(土) 18:05:41.29
関東だと、北条家、佐竹家、宇都宮家、小山家、那須家、安中家等の旧家臣たちが名主層だといわれてる。
231日本@名無史さん:2011/02/27(日) 01:01:24.79
彰義隊の隊長に現職の名主なんて一人もいませんが?
232日本@名無史さん:2011/02/27(日) 02:22:48.49
結局、佐竹の重臣で50石っていうのは嘘なの?
233日本@名無史さん:2011/03/01(火) 22:56:59.57
徒歩目付ってのはどうなの?
下級管理職(係長)みたいなもの
234日本@名無史さん:2011/03/01(火) 23:36:01.14
>>233 兵隊の位でいうと伍長くらいではないか?
235日本@名無史さん:2011/03/01(火) 23:38:24.78
>>234
なるほど
236日本@名無史さん:2011/03/02(水) 01:12:51.80
徒士目付は特務曹長か少尉だな。
幕府なら中佐級
237日本@名無史さん:2011/03/02(水) 01:41:24.35
旧幕時代の家格や役職を軍隊の階級に完全に当て嵌める事はできないよ
238日本@名無史さん:2011/03/02(水) 07:58:29.95
徒士目付って徒士身分ってことだから、幕臣としては下級だろ。
中佐級はないだろ。
239日本@名無史さん:2011/03/02(水) 21:05:03.18
100俵5人扶持、譜代席
240日本@名無史さん:2011/03/04(金) 07:15:24.31
>>225
外様は幕末に下級武士が活躍できたのは、限られた人員の中じゃ余剰がいないので末端まで総動員なんだろ。
旧幕側は人員は有り余るほどいる。必然的に下級武士なんて完全に蚊帳の外。
関東での名主層は名字帯刀が許されているのが非常に多く、また郷士格をもつ名主もかなり多い。
名主が幕臣に養子にいってるのや、また逆もめずらしくないよ。
幕府側は完全に下級武士より名主への待遇のほうが格上。
人員が有り余る幕府側にとっては下級武士より名主を重んじていたということは、
やはり下級武士というのはあくまで傭兵としての人的帳尻の埋め合わせ以外何者でもなかったのだろう。
武家の正道である幕府自体が下級武士を活用してないのだから.....

241日本@名無史さん:2011/03/04(金) 08:01:04.88
>>225 勝海舟は貧乏旗本で有名ではなかったか?家は傾いてつっかい棒で支えていたらしい。

 しゃべり方も下町の江戸っ子そのものだしな。サムライの言葉とは思えない。
242日本@名無史さん:2011/03/04(金) 23:39:55.47
>>240
町奉行根岸の家系は相模の百姓出身だったというな
243日本@名無史さん:2011/03/05(土) 02:03:41.72
明治期に士族卒族整理されてたろ。
今更変なこと言わんでも別に良いんじゃないか?
農家でも昔は武士とか、上杉家の歴史見ていてもあるだろう?
帰農することで藩に貢献する武士としての生き様だってあるだろうしな。

昨今じゃ村長を長年すれば恩賞が貰えるらしいが、そんなの戦前まではザラだろ?
土地や一族をまとめる苦労してきた農家もあるだろう?
二宮金治郎みたいな偉人もいる。

商家町人にも立派な家訓や処世術がある。
全て素晴らしいと思うぞ。
244日本@名無史さん:2011/03/05(土) 14:35:40.31
>>240
幕府の名主の待遇ってなに?
名主は幕府の家来でもない百姓なんだから幕臣と比較対象にするのはどうかと・・?
245日本@名無史さん:2011/03/05(土) 16:04:30.32
確か幕府に苗字帯刀認められたら全国共通だけど
藩の帯刀はその藩の領地内だけとかそんなんあったよーな
246日本@名無史さん:2011/03/05(土) 16:17:01.82
夜明け前の青山家って遡れれば三浦氏なんだってね
はるか昔からかずかずのいくさに参加しているような家でも関ケ原に参戦した功労で
馬篭の名主やってる家もあるってこと考えるとどんな名家でも妾腹が何代も重なると
農民と変わらんのだな
247日本@名無史さん:2011/03/05(土) 18:44:37.05

明治以降、足軽でも世襲していたら士族扱いだもんな。

足軽より多少上の徒士も、武士と言えるか怪しいのに。
248日本@名無史さん:2011/03/06(日) 00:43:24.07
>>241
>>225がいってる下級武士って下級旗本のことじゃないのでは?
武士=藩士であって 旗本=サムライ でしょ。
勝海舟の話し方は仕方ないよ。貧農出身だもん
249日本@名無史さん:2011/03/06(日) 01:04:40.54
>>244
それは違うと思います。今で言えば名主=村長 下級武士=高卒地方公務員もしくは非常勤 でしょ。
で、村長は特別職公務員。厳密には公務員ではない。
で、高卒公務員と村長の職務や範囲は身分が違えば語ることできないの?横一線でしょ。おかれてる立場が違うというだけで。
250日本@名無史さん:2011/03/06(日) 04:31:16.54
        <比較検討>
{下級武士}              {名主}
・役なし              ・名字帯刀あり(例外あり)
・禄なし              ・先祖伝来の土地2町以上保有当たり前(石高30石以上)
・立場なし             ・末端の行政区、村の管理統括者(実際名主がいなけりゃ藩政は崩壊)
・家なし              ・屋敷は上級武士や旗本並(長屋門もつ名主もざら)
・保障なし             ・村行政のすべてを一任されている。(税率も上乗せ課税権まで持つ。裁判権や警察権も持つ)
・袴なし多し(例外あり)      ・着物の装飾、生地は中級武士と同等が許されている。
・財産なし             ・蔵が立ち並び、財力は江戸期の折り紙つき。
・由緒なし(例外あり)       ・由緒は旧武家層多数
251日本@名無史さん:2011/03/06(日) 04:36:51.08
        
↑訂正

<比較検討>
{下級武士}              {名主}
・役なし              ・世襲で村自体を完全支配を許され、自治権を完全掌握。(平均石高300石前後)
・禄なし              ・先祖伝来の土地2町以上保有当たり前(石高30石以上)
・立場なし             ・藩政末端の行政区、村の管理統括者(実際名主がいなけりゃ藩政は崩壊)
・家なし              ・屋敷は上級武士や旗本並(長屋門もつ名主もざら)
・保障なし             ・村行政のすべてを一任されている。(税率も上乗せ課税権まで持つ。裁判権や警察権も持つ)
・袴なし多し(例外あり)      ・着物の装飾、生地は中級武士と同等が許されている。
・財産なし             ・蔵が立ち並び、財力は江戸期の折り紙つき。
・由緒なし(例外あり)       ・由緒は旧武家層多数
・待遇冷遇             ・名字帯刀あり多し(郷士格多数)
252日本@名無史さん:2011/03/06(日) 07:39:42.45
武士が武士たる権限強化されたのは3代将軍以降だよ。
江戸初期は武士は決して憧れの職業じゃない。あくまで食い扶持。
だから、名主のように荘園を持ってれば、
わざわざその旧武家層は武士にこだわる必要なく、
メリットの多い名主に帰農したものが多かったのだろうな。
結果として江戸中期以降武士が武士たる由縁になったという結果論にすぎない事実
253日本@名無史さん:2011/03/06(日) 07:47:15.93
でも50年ごろまえの戸籍謄本は士族でのってたぜ」


254日本@名無史さん:2011/03/06(日) 07:55:28.66
>>252
戦国期以前の武家や豪族は半農半士が基本。自分の領地も持ってるものが武家。その一族の土地を守るために武装してるといっても過言じゃない。
だから幕府や藩からその伝来の土地を保障してもらって、さらに村の権益を完全保障された名主になればわざわざ武装する武士という側面を捨ててもなんら問題ないと考えたんだろうな。
だが江戸中期以降武士というものに職業軍人という側面だけではなく名誉がかってに付加されてっただけなのはわかる。あくまで上級武士の話だが。
下級武士はやはり何をとってもメリットも名誉も存在しない。憧れたのは貧農や町人や職人のようなワープア層だったんだろうな
255日本@名無史さん:2011/03/06(日) 08:08:26.10
>>253
その士族という何の実益も伴わないが憧れ抱くその響きこそが幕府の要だったんだろうな。
その実益皆無の士に宗教のような見えない価値を付加して御家人株を切り売りや権利を売買させていたんだろうな。
だから、明治期以降国会議員の定数の身分ランキングで一位は旧大名家
                         二位は維新の志士
                           三位は旧名主
という実益に比例した定数容量に反映してるんだろ。 
256日本@名無史さん:2011/03/06(日) 10:02:55.39
何でも矮小化したり、ねじ曲げたりして馬鹿にしたい奴っているんだな。

ウリナラマンセー捏造ファンタジー歴史臭がする。
257日本@名無史さん:2011/03/06(日) 10:06:10.07
武士は食わねど高楊枝
258日本@名無史さん:2011/03/06(日) 11:18:54.09
名主は世襲だとは限らない
年番持ち回りで勤めたりすることも多い
名主を勤めた旧家が衰退し、新興の農家が台頭して名主に成り上がる事も江戸近郊の関東ではよくある

その名主から見れば下級武士である幕府代官所手附や御勘定は雲の上
259日本@名無史さん:2011/03/06(日) 11:33:58.75
関東の場合、名主などの旧家で幕府から苗字帯刀を許された百姓はごく僅かであり、
私領の地頭(旗本)から財政立て直しの功や献金によって苗字帯刀を許されたり中小姓格、用人格等の格を与えられたりした者がほとんどである。
旗本の家来の格だから下級の格でありしかも実態は百姓だから幕府の下級武士である御家人とは身分が違う。
260日本@名無史さん:2011/03/06(日) 11:46:28.67
実態は百姓だというより百姓は百姓だから苗字帯刀や〜格は勲章みたいな物で武士になったわけじゃないよ
261日本@名無史さん:2011/03/06(日) 12:32:56.81
関東はそうかもしれないが庄屋が藩の武士階級の末端に組み込まれて下級武士的扱いされている場合もあるよ
土佐山内家とか肥後細川家とか大庄屋や庄屋が半官半民的なものだけど下級武士の末端に連なっているよ
262日本@名無史さん:2011/03/06(日) 13:06:21.25
関東の大半は天領旗本領だから百姓も準武士みたいに思ってたらしいよ。藩主が徳川家だから。
263日本@名無史さん:2011/03/06(日) 13:12:16.05
うちは山陽道筋に実家があるんだが、陣屋が近くにある
まあ、今から見れば安い旅館のような建物なんだが、大名の歴々を泊めるってだけあって、そこは江戸中期から地酒を営んでいるいわば豪商の建物だ
今もたくさんの蔵元が町にはたちならんでいるんだがそこがトップの企業になってる
名主ってのは名田経営、平安後期あたりから由緒がある、村を統率する役回りなんだろうけど、戦国時代では地侍など、地方地域の実力者の
つくポストであったことはうかがえる。
馬篭も中山道の宿場町であったから、それ以外の名主がどのような社会的位置づけにあるのか分からんが
264日本@名無史さん:2011/03/06(日) 13:14:54.18
>>262
江戸はただの会議場所だからな
地方から武士が集まって大名以下の旗本が地方大名を接待したりしてた
265日本@名無史さん:2011/03/06(日) 13:21:45.53
陣屋じゃなくて本陣か どうもおかしいと思ってググりなおしたわ
266日本@名無史さん:2011/03/06(日) 14:00:57.38
>>262
準武士?そんな話しは聞いたことないけど?
まあ、「らしい」っていうデマだよな
267日本@名無史さん:2011/03/06(日) 14:03:24.02
山陽道ってあまり大名行列ない地域だよね
268日本@名無史さん:2011/03/06(日) 14:29:47.70
関東の準武士は兵賦と農兵だね

旗本の渡り徒士や若党が農村に帰っても帯刀をやめず社会問題になってたらしいけど
269日本@名無史さん:2011/03/06(日) 15:09:11.66
>>264
会議場所って大名は会議しに江戸に来てるわけじゃないんだよ
大名の参勤は昔の大番と同じ軍役なんだよ
270日本@名無史さん:2011/03/06(日) 15:21:44.66
>>266
http://homepage2.nifty.com/k-sekirei/otaru/kanto_07.html

天領の百姓は自分たちを直百姓(じきびゃくしょう)と呼んでいました。自分たちは
将軍の直参百姓であって、だから大名や旗本と同格なのだ、という意味です。

 新田郡の徳川郷の百姓は脇差しを差し、大名行列にも土下座をしなかったという
のは、誇張かもしれません。ただ、上州長脇差しという言葉があり、上州の百姓は
田畑へ出るにも脇差しを差し、しかもそれは、武士が身につけている脇差しのよう
な短い刀ではなく、大刀に近い長さの脇差しでした。徳川郷の百姓の風体がずっと
拡がっていたのかもしれません。だからと言って、大名行列に土下座しなかったとは
思えませんが、むやみに武士を恐れたりはしない気風を養っていたのでしょう。ともあ
れ、天領とはそういう気分を生んでしまう土地だったわけで、天領から大名領地に編
入された村の人間は、もうそれだけで面白くない。その上、年貢が高い。その意味で、
北関東は一揆の火種を抱えていたことになり、事実、松平大和守の川越はいつも
その問題に悩まされていました。
271日本@名無史さん:2011/03/06(日) 15:44:38.01
>>270
そのサイトってソース書いてないけどそれで信頼できるの?
272日本@名無史さん:2011/03/06(日) 15:48:53.05
>自分たちは将軍の直参百姓であって、だから大名や旗本と同格なのだ、という意味です。

飛躍しすぎだな。
私領や大名領の百姓より格上だというくらいの意味だろうに
273日本@名無史さん:2011/03/06(日) 15:49:08.34
同じようなことを司馬遼太郎が多摩の天領について書いてる。まあ司馬遼太郎だからこそ信じられないかもしれないが。
274日本@名無史さん:2011/03/06(日) 15:53:17.24
天領でも百姓が長脇差を腰にぶっこんで耕作してたらしょっぴかれるっつーの
275日本@名無史さん:2011/03/06(日) 16:03:31.01
長脇差しは関東で跋扈したやくざだよ
276日本@名無史さん:2011/03/06(日) 18:26:38.89
問題は天領と長脇差の関係ですよ。

http://kosmochlor3.at.webry.info/201002/article_1.html
 
 関東では、賭博は北条時代から野放しだったが、後に入府した家康は全面的
に禁止にした。 しかし、幕末も文化文政の頃になると、比較的裕福な地域や無
警察状態の幕府直轄領・旗本領・寺社領・飛び領などでは治安は悪化し、長脇差
を差した百姓や無宿者が横行、再び 賭博は常態化していた。 特に、養蚕の盛ん
な上州・武州・甲州や漁業の房州・駿河などで盛んだった。
277日本@名無史さん:2011/03/06(日) 18:46:42.52
つまり貨幣経済隆盛な関東で幕府支配が揺らいでいたわけだよ
278日本@名無史さん:2011/03/06(日) 18:47:36.90
>>252
江戸時代の初期こそ、土豪=武士というイメージは強いはずだが。

だからこそ、江戸時代初期は土豪と同等の身分(旗本以上)のみ武士とされていた。
279日本@名無史さん:2011/03/06(日) 18:53:39.94
関ヶ原西軍の武士が大量に帰農して村で権力を持っていた。
280日本@名無史さん:2011/03/06(日) 18:54:23.37
>>278
関東では後北条氏時代にすでに在地の大百姓や地侍は北条家の家臣、給人や地頭とは峻別されていたよ。
旗本に取り立てられたのは小田原北条氏の給人や一門衆の家来達で大百姓、地侍、名主階層は対象外。
281日本@名無史さん:2011/03/06(日) 19:00:44.09
>>278
旗本と対等な土豪とは具体的にどのような階層の人達?
282日本@名無史さん :2011/03/06(日) 19:02:04.93
史料を挙げて議論しましょう
辞典的記述を繰り返しても無意味です
283日本@名無史さん:2011/03/06(日) 19:06:36.53
そうだね
変なサイトは史料じゃないから史料名でやってほしいな
284日本@名無史さん:2011/03/06(日) 19:09:51.55
ていうか議論なのこれ?
議論の論点がわからない。
単に名主が下級武士より上の身分だと言い張ってるやつがいるだけのように見えるんだが?
285日本@名無史さん:2011/03/06(日) 19:11:25.79

少なくとも徒士(世襲足軽)は、本来の武士ではないっしょ。
286日本@名無史さん:2011/03/06(日) 19:13:00.77

名主は武士(大名・旗本層)より下っしょ。彼らは武士の名目を保つことに失敗した元土豪。

しかし、武家奉公人(いわゆる下級武士)よりは上だろう。
287日本@名無史さん:2011/03/06(日) 19:13:01.78
なんで名主とか庄屋の話しになるんだろうね?
288日本@名無史さん:2011/03/06(日) 19:19:41.64

>>287
名主・庄屋は、土豪、すなわち、中世における本来の武士階級の子孫だから。
289日本@名無史さん :2011/03/06(日) 19:20:59.39
「本来」っていうのはあまり歴史(学)的ではない
近世のことに限っても地域差は大きい
天領とか旗本領とか大名領とかの比較も関東や京阪地方では耕地ごとに違う場合もある
19世紀的な発想は歴女に任せればいい
「武士の家計簿」映画版の感想で 金銀出入帳を子孫への暗号のように解説している
芸能人がいたが
そういうのは学問ではない
290日本@名無史さん:2011/03/06(日) 19:34:18.38
>>286
その土豪ってどこの土豪?
関東では北条氏の時代から名主は武士扱いされてませんよ
291日本@名無史さん :2011/03/06(日) 19:51:51.42
>>286
武家奉公人こそ二三男の勤め先という考え方もある
高木昭作は一季居禁令の「侍、中元、荒子」は武家奉公人であって
武士身分の者ではないと主張している

一方戦国期に兵農分離されていたとする勝俣鎮夫は
後北条氏の陣触れの「武者めくように」を根拠とするが
安良城をはじめ兵農未分離説を唱える研究者は
逆に「武者めくように」武装する必要があることから
その反対だと解釈した

自説を主張するのなら誰がどの史料を根拠に述べているかくらいは整理するのがマナー
概念の話はその次の段階
当時誰が誰を上層や下層と見るかという問題と
社会構造上、上下層を措定して分析することは話が別
292日本@名無史さん:2011/03/06(日) 20:56:20.50
たしかにそうだよね。
名主が武士より上とか下とか、戦国時代は名主層は武士だったと言うのなら、
史料を元にその当時の地域、時代、社会情勢を踏まえた上での具体的な根拠がないと説得力がない
293日本@名無史さん:2011/03/06(日) 22:30:06.73
>>292
頭おかしいの?>>288は、江戸期の名主層は旧土豪や旧武家層が多いといってるんじゃないの?
どこをどう読解したら、戦国期以前よりって話になるの?


294日本@名無史さん:2011/03/06(日) 23:00:55.30

http://www.oct-net.ne.jp/~miyuki32/rekisi/souran.htm
●大友家没落後の稙田
@稙田主要所は府内領となる。
 新領主・・・福原直孝府内領主 12万石

A稙田荘宗方郷 名家 安東家7代当主 貞吉は太閤検地に竿役(責任者)をつとめる。

B領主 福原直孝の任官勧進を貞吉は辞退し、野に伏し帰農の民となる。安東氏にならい多くの武士が百姓に帰す。

C安東貞吉、宗方郷の庄屋となる。(実質名主)

 豊後方・・・・・大野泰基(神角寺)、阿南惟家(高崎山城)、阿南家親(鶴ヶ城)
   鎌倉方・・・・・古庄重直、安東常輝、稙田有綱
※この阿南家のち庄屋
295日本@名無史さん:2011/03/07(月) 00:04:43.99
http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller
【史料群名】 日本財政経済史料 2巻1034頁
【和暦年月日】 寛延3年11月(17500110550) 2条
【綱文内容】 由緒百姓町人及び苗字帯刀等について記す
【出典名】 地方凡例録7

「甲州には武田家の浪人当時民間にある類由緒ありて、古来より
ロウ人相立農業を営、苗字帯刀にて住居いたす者多し。其内には
御朱印或は除地等所持致家柄の者もあり。箇様の類い美濃近江等
にもあり。和州吉野郡には往古より之有。其外国々にも稀には之有。
尤関東には少し。」


無論関東はここでは東日本の意味。
296日本@名無史さん:2011/03/07(月) 00:18:40.91

http://dayzi.com/zisyo/y-isshikitou.html (名門一式家)
◎江戸時代の一色党(伊予)・・・一色右馬三郎の末裔
 ・一色右馬三郎重之の子重勝は、文禄二年(1593)村の長(郡代官)になりました。
 ・その長男重次は周布三谷の庄屋になりました。
 ・次男重直が三津屋の庄屋になりました。
 ・重次の長男重政は、慶長十九年十月(1614)大阪冬の陣に三津屋港から軍平二百余人とともに出陣しましたが摂津国尼崎で25歳をもって戦死しました。
  ・次男重昌は、周布村一色大庄屋お祖となりました。
  ・三津屋村庄屋は、三男の重行が継いで大庄屋になりました。
  ・彼の五男重好(新兵衛範好)は、明理川村の入庄屋になり、貞享元年(1689)には高橋氏に代って壬生川村の入庄屋になり貞享三年から大庄屋になりました。
  ・明理川の方は、彼の次男が継ぐことになって、一色家は四ヶ村の庄屋を勤めて繁栄しました。 

http://www.e-obs.com/heo/heodata/n121.htm
大友氏の旧臣を千石庄屋に任命

北条家旧臣が本陣庄屋
http://homepage3.nifty.com/y-masae/heisei_22/07aikoukai/hyousi/02obara/obara.html

http://www.muratasystem.or.jp/~hideyuki/syoudenn01.html
佐竹家旧臣
山寺館主遠藤壱岐守勝高の嫡男。
官途名雅楽頭。
二階堂四天王。
天正十七年(1589)十月二十六日、須賀川城に籠城して奮戦後南ノ原口に於いて嫡男彦一郎と共に討ち死にした。勝重の室は落城後二人の討ち死にを知り、阿武隈川に身を投げて自害したという。下の二首は室の辞世である。
「無人の 爰にくるまの なきとても めぐりあはなん 一つ蓮に」
「後の世も 阿武隈川に 身を投て 浮ぶは深き えにし成りけり」
勝重の七歳の遺児は乳母に抱かれ小作田村に落ち蛭館に居住し、元服して左馬助勝久と名乗り、その後前田川村に移り庄屋

名門武家竹田津氏http://www2.harimaya.com/sengoku/html/takedatu.html
統直の死後、あとをついだ子の永行は竹田津村の庄屋に任ぜられ後世に家系を伝えた。
297日本@名無史さん:2011/03/07(月) 00:32:30.11
>>295
かつての大名が農業やってて、江戸幕府が明示的に苗字帯刀を許可したわけ
でもなく苗字帯刀しているのを幕府は公認しちゃってるって話。
298日本@名無史さん:2011/03/07(月) 01:03:15.75
www.kaku-net.jp/kakuh/usanomiti.pdf
国人・地侍としては俸禄をもらって武家奉公人になるか、農民にな
るか(この家系から江戸期、庄屋・名主が出た)、それとも第三の道をえらぶか
だった。第三の道とは、反乱(一揆)である。九州はとくにかれらの不平で大地
が地鴫りするように沸騰してした。
                   ↓
 江戸初期、こういった庄屋が、新領主層の受け入れを拒否し、いたるところで反乱が起きてる。

いい?ここで注目すべきは、庄屋が反乱してる相手は大名家。下級武士など相手になるならないの問題じゃない。
簡単に豪族化できる名主層は本来は下級武士なんかと比較すること自体がおかしい。
要は、江戸初期から名主庄屋は武士に従属をされていたわけではない。
だって旧武家層の再就職としてあらゆる権利を保障したわけだから。

       わかるよね?

 
299日本@名無史さん :2011/03/07(月) 01:10:29.14
でその一色の子孫がsengoku38  というオチですか
あと何をおっしゃりたいのか不明です
年表を作って「はいそれまでよ」じゃないでしょう
古文書・古記録・金石文などの引用を求めます

その上で議論しましょうよ

まあ辞世の句はおいといて
300日本@名無史さん:2011/03/07(月) 01:15:57.29
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201006/24/12/c0051112_20484857.jpg
これは一般的な名主の長屋門。埼玉の旧北条家家臣の名主。
これはごく一般的で大きいほうではない。

>>259
http://soroban-ace.at.webry.info/201005/article_27.html
いくらでも名字帯刀ありの長屋門名主なんてごろごろいるわ。
この大嘘つき。
301日本@名無史さん:2011/03/07(月) 01:17:33.42
苗字帯刀=武士じゃないからね
302日本@名無史さん:2011/03/07(月) 01:24:16.34
幕府は苗字帯刀しても郷士格があるものとないものに分けている。
303日本@名無史さん:2011/03/07(月) 01:28:56.33
>>299
わかりました。

いいですか、>>251で書いてある
   {名主}
              ・世襲で村自体を完全支配を許され、自治権を完全掌握。(平均石高300石前後)
             ・先祖伝来の土地2町以上保有当たり前(石高30石以上)              ・藩政末端の行政区、村の管理統括者(実際名主がいなけりゃ藩政は崩壊)
              ・屋敷は上級武士や旗本並(長屋門もつ名主もざら)
             ・村行政のすべてを一任されている。(税率も上乗せ課税権まで持つ。裁判権や警察権も持つ)
      ・着物の装飾、生地は中級武士と同等が許されている。
             ・蔵が立ち並び、財力は江戸期の折り紙つき。
       ・由緒は旧武家層多数
             ・名字帯刀あり多し(郷士格多数)


                 ↓
これだけの権限持つ身分は名主意外になんですか?大名家や旗本でしょ。
英国やフランスではこれは完全なる領主です。
しかし、名主に純然たる武士の身分与えたら、単純に豪族となってしまうため、
武士の身分は剥奪する代わり、中世以来の権限や土地をそのまま保障したわけですよ。

わかりますよね?
304日本@名無史さん:2011/03/07(月) 01:34:13.67




長屋門もつ下級武士がいたら、まじ見てみたいwwwwwwwwwww
いるわけないけどwwwwwwwwwwwwwwww







305日本@名無史さん:2011/03/07(月) 02:10:28.83
郷士格=武士ではない
306日本@名無史さん:2011/03/07(月) 02:15:06.79
>>292
おい君w。ネットでいくらでも、旧武家層や没落武家、豪族、地侍、土豪の末裔の名主なんて腐るほど検索できるぞw

読解力皆無の盲目歴史ヲタw


       
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A%84%E5%B1%8B
(名主とは)
近世初期の庄屋は、身分は百姓であったが、中世以来の在地有力者が多く、
戦国大名の家臣だった者も少なくない。
したがって初期の庄屋には勝手気ままな振る舞いをすることがあり、
初期村方騒動で、領主と対立するもの多く、権限に規制をするようになった。
            


                  ↑

    きちんとかかれてるだろうがw



307日本@名無史さん:2011/03/07(月) 02:15:32.69
>>304
長屋門を構えるほどの郷農名主でも、下級武士の縄地検見で土下座&接待攻勢で苦労した例は数多だろうけど
名主は百姓の代表だから苦労しただろうね。
308日本@名無史さん:2011/03/07(月) 02:18:13.94
郷士格は武士ではないが、御家人である。
御家人>>>>>>>>>下級武士  なのはいうまでもないだろ。
309日本@名無史さん:2011/03/07(月) 02:20:49.83
>>308
御家人に郷士格なんて存在しませんが?
地域、時代をきみ昔から同じ事言ってるるね。
310日本@名無史さん:2011/03/07(月) 02:21:46.37
八王子千人同心でさえ御家人でないからな
311日本@名無史さん:2011/03/07(月) 02:30:58.39
>>307
そうでしょうね。検見ですものね。
あなたがいってるのは、おかしいとわからない?
下級武士に頭を下げてるのではなく、落札のような公執行業務担当官が下級武士なら、そりゃ下げるでしょ。
検見にさげてるわけで、話を一食単にして摩り替えないでくれる?
312日本@名無史さん:2011/03/07(月) 02:38:38.76
泣く子も地頭には勝てない
縄地検見での下級武士と名主の関係は領主→領民の関係
313日本@名無史さん:2011/03/07(月) 02:48:44.92
>>312
ええ、その場面のみではね。
あくまで藩主執行権の代理という立場を借りた下級武士と名主の関係ね。
で?しかも現場の作業員にすぎない検見役は、藩主や藩政の代理ではなく、
代理権の現場作業者として、それでもその執行中は優越感だというなら、そうなのでしょうね。
で、その下級武士は、さぞかし自分の意思意向で、たかが村名主一人締め上げて村政を牛耳れるんでしょうね?w
代理権の執行作業員ではなく、己の独断で村政に介入できるくらいに出世してから自己満にひたってくださいよw
314日本@名無史さん:2011/03/07(月) 02:51:18.26
たぶんこの土豪名主郷士馬鹿は、わざわざ「縄地」検見と言っている意味がわからないんだろうな

憐れだな

315日本@名無史さん:2011/03/07(月) 02:58:54.45
本当バカだね
下級武士が御領主様なのにね
316日本@名無史さん:2011/03/07(月) 02:59:12.66
だったら、君たちが藩主の場合、下級武士一人の私情と、名主一人の私情、どっちを工面する?

小藩など村ひとつがドロップアウトして年貢も収めなくなった時点で即財政崩壊、
そして名主討伐に合戦でもしようものなら、即藩政崩壊。北海道夕張市状態の行財政崩壊。→荒廃

わかるよね?でも君たちからしたら下級武士は武士だから偉いという発想なんでしょ?幼稚かよw
317日本@名無史さん:2011/03/07(月) 03:04:35.62
名主を替えるよ
318日本@名無史さん:2011/03/07(月) 03:08:13.72
>>317
で応じなかったら?名主が村の百姓引き連れた一揆がどれほどのものかそれすらわからないの?ww
でも江戸初期は>>306に書かれているとおり対立による戦もおきてるが中期以降はあまりない。
なぜか?名主は下級武士のように幕末で発狂しなければならないような立場におかれていない。
当時としては上級武士に並ぶほどの公待遇で役や立場を保障されてるからねwww
プププっ
319日本@名無史さん:2011/03/07(月) 03:22:55.62
百姓一揆には作法があったみたいだね
百姓側は刀槍や鉄砲は使わないのが原則
領主側は鉄砲は原則使用しない。鉄砲を使用する場合は老中の許可を得てからでないとNG
320日本@名無史さん:2011/03/07(月) 03:28:35.98
幕末に下級武士が発狂とかマジこいつ阿保だわ

討幕〜維新には上は公家から下は百姓まで全て関わっているんだがなぁ
321日本@名無史さん:2011/03/07(月) 03:31:51.49
それはいつの時代の話?初期は名主が村ひとつガッツリ武装して藩兵1500近く出動して
数ヶ月かからなくちゃ鎮圧できなかった例もある。
1500も藩兵いる大藩ならまだしも、ほとんどの藩が、名主の村ひとつ本気で潰そうとなったら戦の勝ち負けにかかわらず崩壊するだろうな。
ここに下級武士の出る幕はないのですよw末端の弾除け要員なんかに。w

322日本@名無史さん:2011/03/07(月) 03:33:52.07
>>320
>>討幕〜維新には上は公家から下は百姓まで全て関わっているんだがなぁ

wwwあんたのほうが恥ずかしすぎるだろww釣りか?wwふざけてるの?wwとぼけてるの?ww本気?ww
なんのつもりだかが読めないのがマジ怖いw
323日本@名無史さん:2011/03/07(月) 04:28:35.03
            名主屋敷のごく一例

http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/kamoso.htm(ただの藩邸乙ww)
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Hokuriku/Niigata/Sasagawa/index.htm
http://kaidou.mitsu-nari.com/kai-gazo/ani/maeda/syoji.JPG
阿仁前田で異彩を放っているのが庄司家住宅ではないでしょうか。
前面道路一面の板塀で囲まれ、重厚な門が中央に配置されています。
母屋玄関はこの門から奥まった所にあり、複数の建物と庭の大樹とがあいまって他を圧倒させます
。庄司家は秋田県有数の大地主で昭和初期には田園343f、畑47f、宅地35fその他広大な山地も持っていました。
所有地は旧北秋田郡8町村に及び小作人は700人はいたそうです
http://www.nishie-residence.com/japanese/index.html(天領庄屋)
http://www.daisen.jp/p/2/area/umigawa/1/
http://www.city-miyoshi.jp/docs/2010100500186/files/24.pdf
http://puchitabi.jp/shizuoka/article/post-39.html
324日本@名無史さん:2011/03/07(月) 04:33:34.09

で、下級武士閣下様のさぞかし立派な邸宅プリ〜〜ズwwww
325日本@名無史さん:2011/03/07(月) 04:43:08.72


なぜこれだけの旗本並みの屋敷や門、権利や権限が、名主にだけ許されていたか、よ〜〜〜く考えればわかるはず。

               それが歴史の真実、答えなのか・・・・・。






326日本@名無史さん:2011/03/07(月) 07:37:56.88
明け方に基地害が荒れ狂ってたようだな
327日本@名無史さん:2011/03/07(月) 09:37:38.41
○○様(大商人)には及びもないが、せめてなりたや お殿様。
328日本@名無史さん:2011/03/07(月) 09:40:14.28
ひどいなこれは・・・
329イケメン2号:2011/03/07(月) 19:14:25.61
漏れの先祖は何故か村の庄屋職を弟に譲り、一発奮起して城下町に出て
傘貼り、質屋、刃物商を経て藩との繋がりが出来て武士に登用され
おかち並(漢字変換出きまへん)迄上がりますた。

藩の分限帳を図書館で必死こいて探しますたけれど、
名前をハケ〜ンすることは出来ませんですた。
おかち並って下級武士の中でも下位クラスですか?。
330日本@名無史さん:2011/03/07(月) 20:02:53.63
藩にもよるけど徒士は分限帳に人数だけ記して姓名までは載せない事が多い

331日本@名無史さん:2011/03/08(火) 10:11:46.02
武士とは何か(定義)
いつぐらいから確立されたか
士族(壬申戸籍)と武士との違い
侍とは違いがあるか

について述べよ
332日本@名無史さん:2011/03/09(水) 07:19:25.90
武士とは承平・天慶勲功者子孫および寛平・延喜勲功者子孫であり、「もののふ」の
系譜は恵美押勝の乱鎮圧勲功者にまで遡ることが出来る。
武士団の棟梁たる武士はその系譜上にいることは言うまでもない。
ここでの議論において古代における田堵・負名層を無視することは出来ない。
彼らこそ棟梁の郎党層のルーツであるからである。
即ち、中世期以前の兵農未分離状態の農村社会においては土豪(田堵・負名の末裔)
が地域の武力的経済的支配者であり、近世初期においても関が原役東軍旧守護国人系大名の
支配構造においても温存(国替の無かった島津・伊達はさらに)されることとなる。

兵農分離によって同じルーツを持つ上級下及び中級武家と名主・庄屋層は文字通り分離されてしまった。
ちなみに下級武士など近世初期以前には存在しない。

333日本@名無史さん:2011/03/09(水) 07:58:57.49
木下藤吉郎はどう位置付けるの?
334日本@名無史さん :2011/03/09(水) 15:39:19.78
木下藤吉郎発給の初出文書は永禄8年の知行宛行ですね
335日本@名無史さん:2011/03/09(水) 23:44:51.39
下級武士は自由に職種を変えられるからいいんだよ
336日本@名無史さん:2011/03/10(木) 20:39:43.30
一季居奉公人
337日本@名無史さん:2011/03/11(金) 00:52:30.07
郎党は御家人ではない。
下級武士は郎党と同じレベル

所領を全く保有していない者は本来武士身分ではない。
338日本@名無史さん:2011/03/11(金) 06:26:36.46
郎党にもいろいろあるんだろう。

御家人の家来にも、所領を有している者と有してない者があって、
その総称といったところだと思う。
339イケメン2号:2011/03/11(金) 09:22:19.97
漏れの先祖は武士に御徒士並迄上がった初代やその息子は武士として
大した業績は残してないけれど、孫は幼い頃からエロい先生に教わって江戸留学や
勝海舟の海軍総練所で学び藩の商船の艦長を務め、廃藩置県後は藩主から
教員に成ことを命令されて、藩校の教師を経て高校の校長を務めた。
石高は幾ら貰っていたか知らないけど、下級武士の子でも出世出来るんだと
思っている。
340日本@名無史さん:2011/03/11(金) 19:10:54.59
所領
騎乗
直参
341日本@名無史さん:2011/03/14(月) 11:48:56.39
>>340 の3つが武士身分たる必要条件ではあるがまだ充分条件ではない。

それに+「家名」(偽造品でも家宝+系譜)
342日本@名無史さん:2011/03/14(月) 12:07:51.35
カー
クーラー
カラーテレビ
343日本@名無史さん:2011/03/14(月) 13:25:48.57
>>337
お前神聖馬鹿だな。
郎党とは本来の中級武士。
下級武士というのはただでさえ江戸期に役がなかった。
中世以前ではこういう余剰人員など守護大名ですら常備してないんだから、
なんで下級武士が郎党になるんだよ。
それに中級武士ですら所領なんて有してないのが大半だろ。

郎党が中級武士。
騎馬武者、国人が上級武士。
大名は守護。
名主は土豪、地侍


下級武士は、実際当てはめるものが難しい。要は完全な戦国期の負の産物。必要性が一切ない。
      ただ、江戸期以降事務方が煩雑になり、その処理や現場現業職を担当するあくまでパートのような存在。
      近世になり、大名家の支配地域が拡大し、又支配地の管理庶務が現代版化してきたため、
      必然的に最末端であった郎党の中士が軒並み格上げになって、
      その中士の担っていた現業部分を切り離して、下士になすりつけたという形が正解。
      だから、その下士の執行になんら付随する権限は一切持たされていなく、
      ただただ上士の権限が付加され、それに基づく藩政や執務を具体化された行動で示す汚れ役をただただこなすのが下級武士。
      ただの駒使いであり、使い勝手のよい使い捨て肉便器ということ。


 
344日本@名無史さん:2011/03/14(月) 19:06:50.01
一に所領・俸給
二に役職・軍役
三に家格

これは三位一体
345日本@名無史さん:2011/03/15(火) 23:59:03.09
>>343
肉便器ww
346日本@名無史さん:2011/03/18(金) 19:37:13.06
郎党はもともと一銭五厘の肉弾奴隷でそ
347日本@名無史さん:2011/03/18(金) 20:42:28.19
分限帳を見ると自分と同じ苗字の人が五人くらい○石○人扶持
(○の部分はそれぞれ違って、全て10石以下)と載っていたん
ですが、これはやっぱり足軽ってやつですか。
10万石の藩です。
348日本@名無史さん:2011/03/18(金) 23:12:15.40
どこの藩なの?
349日本@名無史さん:2011/03/19(土) 10:06:28.75
斉民を養子とした頃の津山
350日本@名無史さん:2011/03/19(土) 15:05:38.67
分限帳に姓名と禄高が載るくらいなら足軽ではないだろう
351日本@名無史さん:2011/03/19(土) 22:45:18.44
足軽って石高なんてないだろ。扶持もつくか?
足軽の待遇や生活ってマジ悲惨すぎだぞ。扶持か武士じゃないかの以前に、
町人よりひどい待遇かもしれない。
352日本@名無史さん:2011/03/20(日) 14:48:48.27
足軽はふだんはバイト。
朝鮮王朝の兵卒も、ふだんは家族が小商売(には若干の免税)してたらしい。
353日本@名無史さん:2011/03/20(日) 23:23:09.30
なんで挑戦の話になるんだよ?wwwwwwwwwwww活動必死wwwwwwww
354日本@名無史さん:2011/03/20(日) 23:54:55.95
兵卒は武士ではない。
武士と言うのは将校クラス。
大日本帝国職業軍人が兵卒と同じ軍人と思っていなかったのと同じこと。
下士官クラスは微妙。←下級武士に当たるとも言えるし。
355日本@名無史さん:2011/03/20(日) 23:58:21.41
職業軍人てなに?
356日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:05:18.47
そもそも藩としてその人材の行動に責任を持つということは、その人材に役も持たせるということ。
役も一切も足されない下級武士だからこそ、軽輩として藩としても、その個に責任は負わないということ。
下級武士が武士出ないことは明らかだよ。
>>355
士官学校卒という意味だろ
357日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:08:23.15
358日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:10:33.42
>士官学校卒という意味

ちがう。
戦費も込みの俸給を前渡しされる(あるいは自らまとまった戦費を調達できる)身分ということ。
359日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:13:21.23
>>358
でもそれは兵学校卒や士官学校卒じゃないのか?
360日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:18:46.14
戦費を自弁できる将校・士官がいるかよw
361日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:24:35.27
>>356
本来武士なら、確かに軽輩なんて同じ仲間に言われるわけないよな
362日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:27:36.02
>>360
俺は仕官や将校がなんていってないが?
卒といってるだけだろ?将軍で下肢あがりなんているのか?


363日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:33:28.78

↑馬鹿なの?w
364日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:34:53.25
旧藩時代の武士を旧軍の階級に当て嵌めるのが間違いだな
365日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:35:33.86
士官学校から将校になるってのは、近代から。
米では地域有力者が大佐といってたりしてた。州兵のレベルなら今もあるらしい。
366日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:36:50.10
曹などの卒も職業軍人ですがね
367日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:39:34.65
>>365
近代とはいつごろからの話?江戸後期から近代になるのにどこさしてるかわからん
仕官卒じゃない将軍いるなら教えてくれないか?
368日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:44:42.06
>>361
山県、野津、立見、奥、山路、
沢山いすぎ
369日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:45:29.44
>>367
山県、野津、立見、奥、山路、
沢山いすぎ
370日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:47:52.13
山県らを武士なんて思ってるのはおたくだけじゃない?w
足軽まで工作しちゃってww
371日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:49:58.94
寺内正毅や児玉源太郎もだな
まあ武士を軍の階級に当て嵌めて論じるのはあまり意味があるとは思えないけどね
372日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:50:59.34
>>370
意味不明なんだが?
373日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:53:46.54
>>367
君は乃木希典って知ってる?
374日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:54:43.56
意味不明てw山県を武士だとほざく歴史トーシローの寝言かw
375日本@名無史さん:2011/03/21(月) 01:00:44.27
山県は足軽以下の身分だろ。
376日本@名無史さん:2011/03/21(月) 01:28:55.35
戦前は学歴さえあれば半年から1年ほど教育を受けるだけで士官になれたな。
377日本@名無史さん:2011/03/21(月) 01:45:10.55
>>373
知ってるが?
378日本@名無史さん:2011/03/21(月) 01:53:06.53
>>361
釣りか?本気か?笑えないぞ
379日本@名無史さん:2011/03/21(月) 01:53:59.35
>>367
>仕官卒じゃない将軍いるなら教えてくれないか?
乃木も寺内も児玉も士官学校なんて出てないよ

誰も山県の旧藩時代の身分の話しなんかしていないしね
380日本@名無史さん:2011/03/21(月) 01:55:21.03

訂正>>368へ。  失敬。

釣りか?本気か?面白くないぞ。


381日本@名無史さん:2011/03/21(月) 02:53:45.05
>>379
細かくてすまないが、>>368>>361にもいってるわけだから、
山県らは下級武士だと勘違いしてたんでしょ?w認めちゃいなよw
テレビとかいい加減だから、下級武士として紹介しちゃってるしねw
認めちゃいなよw。恥を忍んでさwww
内緒にしててあげちゃうからw

382日本@名無史さん:2011/03/21(月) 04:53:39.88
山県は士官学校出てない将軍って意味だろ?
野津、立見、奥、山路も
383日本@名無史さん:2011/03/21(月) 05:13:41.23
>>382
>>368読み返せ。
君はどう考えても山県らは下級武士だといってるだろwww
いいから認めちまいなよw顔真っ赤だが、俺は寛容だぜ?w
歴史好きだが、知識足りなくてもいいんだよw。俺は寛容だからw
384日本@名無史さん:2011/03/21(月) 09:10:43.86
>>367
>仕官卒じゃない将軍いるなら教えてくれないか?

乃木も寺内も児玉も士官学校なんて出てないよ
385日本@名無史さん:2011/03/21(月) 11:49:32.13
>>384
乃木らは幕末の戦争をいきぬいてきてそのまま軍上層部についたわけで
単なる名誉職でしょ
日露でもさしたる指示はだしてないよ
参謀から選択肢を用意され、最終決断の責任をもつのが仕事でしょ
386日本@名無史さん:2011/03/21(月) 16:57:03.94
単なる名誉職?
奥とか立見とか軍司令官も単なる名誉職?
387日本@名無史さん:2011/03/21(月) 17:00:13.20
ていうか内閣総理大臣寺内正毅陸軍大将も名誉職なのか?
388日本@名無史さん:2011/03/21(月) 17:12:10.24
梅沢少将の旅団長は名誉職?
まあそんなわけないが
389日本@名無史さん:2011/03/21(月) 18:40:25.49
士官学校を出てない将軍が多数いるのはわかってるから話しを本筋(下級武士)に戻してくれ!
390日本@名無史さん:2011/03/21(月) 19:12:44.87
下級武士って現在の自衛隊員の尉官未満くらいと思っていい?
391日本@名無史さん:2011/03/21(月) 19:38:24.79
封建時代の公義や大名家の武士と現在の自衛隊の組織ではまったく別物なのであてはめるのは困難。
自衛隊員の進級や昇進には家柄は一切考慮されない。
また基本的に幹部も曹長から三尉に進級する。
392日本@名無史さん:2011/03/22(火) 05:10:59.22
文官ぽいことだけしてたのは武士とはみなされなかったの?
大江や上杉の初代はどゆいう扱い?
393日本@名無史さん:2011/03/22(火) 09:50:28.42
大江も上杉も中央では文官として通用するほどの家柄ではなかったから下向してきたのでは?
武家政権での事務系統の担当をしたからってすでに事が起こったら死ぬくらいの覚悟はしてたろ
394日本@名無史さん:2011/03/22(火) 10:36:40.96
とりあえず大江も上杉も下級武士じゃないよ
395日本@名無史さん:2011/03/22(火) 11:04:41.99
とりあえず下級武士は普段何をしていたかだな。
396日本@名無史さん:2011/03/22(火) 11:06:19.12
戦闘できない文官なんか東では雑用係りも同然だろ。
397日本@名無史さん:2011/03/22(火) 11:11:40.07
鎌倉初期においては「御家人」の間では身分的上下関係は法的には無かった:これが出発点
398日本@名無史さん:2011/03/22(火) 12:22:29.60
昭和30年時代の戸籍謄本には 士族 平民 の呼称が各人に記載
されてるが あの記載区分は如何にして区分したのだろうか。
 さすが新平民とかの呼称は発見出来なかったが、出生地で判断し
たのだろうか。
399日本@名無史さん:2011/03/22(火) 15:32:32.17
明治初期には卒族もいた
400日本@名無史さん:2011/03/22(火) 23:19:04.03
常識的に考えて出生地で族籍を判断できるわけないじゃん
401日本@名無史さん:2011/03/25(金) 23:47:12.84
そもそも武士って軍人だよね。「江戸幕府の文官」って、論理矛盾なのでは。

近現代の軍隊にも、経理とか人事とかのデスクワークを担当する軍人は大勢いる。でも、彼らはれっきとした武官。
402日本@名無史さん:2011/03/25(金) 23:52:35.30
江戸期の武家は今の公務員と一緒でやってる事は文官の業務が多い。
403日本@名無史さん:2011/03/26(土) 00:02:42.94
兵士と武士は違う。
404日本@名無史さん:2011/03/26(土) 04:22:43.61
>>402
それはわかるよ。
中級武士以上は県庁や市役所職員だと。
そして名主は村長だと。

で、下級武士は?これらは、武官でもなけりゃ文官でもない。
        当てはめるが不可能な存在。まーただの嘱託というのは明らかだけど。
405日本@名無史さん:2011/03/26(土) 07:19:59.32
下級武士でも藩の御公務に携わっていたわけだから今で言う公務員じゃないの?
406日本@名無史さん:2011/03/26(土) 07:30:29.51
御公務に携わるなんて事だと非人頭の元、雑務にあたった非人達も公務員だな。
407日本@名無史さん:2011/03/26(土) 09:40:01.67
公家にだって文官と武官の区別がある。
羽林家とか武官の家筋だし。

武家時代の公家の武官なんて、何の意味もないけど。
408日本@名無史さん:2011/03/26(土) 09:53:25.01
公務員だって警察や自衛隊や消防とか武官系もあるし

業務のほとんどが公共事業でも下請けの社員は公務員じゃないわな、
公益法人の従業員なんかは公務員に準ずるあつかいとかあった気がするが
409日本@名無史さん:2011/03/26(土) 12:48:54.72
世の中のしくみがまったく違う時代の武士を現在の公務員にあてはめようとする事自体がナンセンスだな。
410日本@名無史さん:2011/03/26(土) 15:25:43.07
>>409
でもない。
現代日本の公務員制度は、かなり明治政府のものを受け継いでいる。
そして明治政府は、行政実務を幕府に学んだ点も多い。
411日本@名無史さん:2011/03/26(土) 15:38:02.20
歴史的な題材をネタに雑談する場なんだからナンセンスとかで冷や水ぶっ掛けなくてもいいのに。
会社とか学校とかで暇な時間に好きなジャンルのネタで集まって雑談したりするでしょ。
412日本@名無史さん:2011/03/27(日) 01:27:08.66
下級武士は当時の上級武士たちも武士と認めてなかったから軽輩とののしってたんでしょ。
現代人は下級武士でも武士となるのかもしれないが、
当時の人たちは下級武士は武士ではないというのが基本のスタンスですよ。
警察官などが当時の下級武士でしょう。


ようは犯罪捕縛、取り締まり、、警羅、公共工事現場作業、年貢取立て(今で言う給食費滞納徴収みたいな)、立ちんぼ、番、毒見、膳番、牢獄警備、飛脚、早馬、・・・

これは基本的に当時れっきとした武士のやることから逸脱しすぎ。上級武士などが絶対やりたがらない3Kだもん。

しかも生活もままならず内職ざんまい。離散多し。
今では公務員に当てはめられるだろうが、これらを専属とする下級武士は、やはり当時武士とは認めてもらえてなかったと思う。

じゃあ、なぜ下級武士が存在できたのか。それは上記の3Kwo上級武士は下級武士に擦り付けられる人材枠が必要だったからとなる。

413日本@名無史さん:2011/03/27(日) 01:47:55.39
>>412の続き

さらに、ユニオン的な視点で見てみよう。

上級武士=実質的藩政執行者、決定権者。

中級武士=労働組合的形での連判や直訴も可であり、またそれを家老は形だけでも協議する。
     一個人にたいして力はないが、中士労組としての意向は無視できないのも家老。
     個人として藩は最低限の家禄や役を保障。

名主=村内の揉め事や窮状を上告する権利を持つ。
   名主も近隣名主との連盟での告訴はまさに財政の根幹にかかわるため家老も協議をなす。
   村一個の全ての支配を実質的に許される。 

       で、

下級武士=ユニオン的労組組織など許されず、謀反容疑にかけられる。
       個別個人の権利など一切通用せず、また、組織的に訴えを起こすこと自体が論外。
       家禄や役などないに等しく、困窮無理難題が当たり前の地位。
       そこに不平不満といった贅沢思想は許されない。
       パワハラ当たり前、不条理が基本、労災なし、各種保険加入禁止、権利守るすべなし、社宅のみ賃貸、耐えて何ぼ、3K、



       
   
414日本@名無史さん:2011/03/27(日) 04:48:30.00
漫画の読みすぎです
415日本@名無史さん:2011/03/27(日) 04:59:25.41
事実は漫画より醜いに決まってるだろ
416日本@名無史さん:2011/03/27(日) 07:15:06.25
まあ、藩は独自の政治機構をまかされているわけで藩ごとに事情は異なっていたでしょ実際
長岡藩なんて、家老の支配をうけない先法家なんつーもんがあったし
土佐の郷士は長曾我部の一両具足の半農半士の子孫がやたらしいたげられてたと言われてる
417日本@名無史さん:2011/03/27(日) 07:37:57.45
>>416
土佐の一藩の例外だけ言われても。
それこそ下級武士で袴や草履すら履くことすら許されてない藩なんてざらにあるのに
418日本@名無史さん:2011/03/27(日) 07:46:54.58
ざらとか言われてもデータで示してくれないと。
教えてくらはい
419日本@名無史さん:2011/03/27(日) 07:51:47.61
>>416
下級武士は代々土地も持てず長屋住まいなんてのもざら
苗字すらもてなかったのもざらにいる
一本差しもいる

藩によってまばらというのは、言い換えれば定義できないほどあいまいな存在だということ。
上級武士に藩によって例えでいうと、袴履けないなんていう極端な差はないだろ?
なぜ下級武士だけ藩によってまばらなのか。
それは存在意義が確立し邸内からということ。
存在意義が不明瞭ということなんですよ。
わかりますよね?だから藩ごとに、事情や状況に応じた扱いをなされてるということ。

じゃあ、これは今時で言うと何ですか?派遣社員じゃないんですか?
常勤の扱いは基本全国共通で法律である程度権利が保障されてる。

下級武士は事情によりての扱いにて候ってことなんでしょ?
答えが出てるジャン
420日本@名無史さん:2011/03/27(日) 07:55:53.98
>>418
グぐればすぐ出るよ。仕事行かなくちゃ行けないから書き込めないけど。
421日本@名無史さん:2011/03/27(日) 14:24:01.82
一本差しといえば幕府町奉行所の同心が代表格だよね
諸組同心にくらべ町同心だけ卑職だからか一本差しで着流し御免だしさらに格下の印象だ
422日本@名無史さん:2011/03/28(月) 20:43:34.86
東北蝦夷人と戦争する過程で肥大化した東国諸国国府の軍団が、武士の期限でしょう。
423日本@名無史さん:2011/03/28(月) 21:44:19.07
隠密同心は武士なの?
424日本@名無史さん:2011/03/29(火) 01:47:07.92
隠密方であっても町奉行所同心は町方同心であって一代抱席30俵2人扶持着流し御免だよ
425日本@名無史さん:2011/03/30(水) 20:39:09.78
まあ隠密同心も御先手組与力同心も御右筆も御徒も勘定吟味役も御代官も東京府士族だな
426日本@名無史さん:2011/03/30(水) 21:22:52.88
>>425
移封の際に整理されなかった者は静岡県士族じゃないのか?
427日本@名無史さん:2011/03/30(水) 23:22:38.16
郎党の定義も難しいな。

>>346の言うように、承平・天慶の乱では従類・伴類と呼ばれ、従類は主人(軍事貴族)の隷属的戦力(ただし、騎乗の権利を有する)であり
伴類は動員された自由民である田堵・負名層(律令制での良民で騎乗・徒歩の両方)で軍事貴族の郎党として戦力を担ったし
他に因縁と呼ばれる所領を有する同盟者・与党も居たからね。

王朝期での源頼光とその四天王の関係は棟梁と与党の関係であっても郎党と呼ばれている。
即ち、郎党とは上級武士及び中級武士であり隷属的郎党(所従、従類)も時代を経て中級武士の身分を獲得する者と奉公人のままの者も居ただろう。
428日本@名無史さん:2011/04/01(金) 01:02:50.08
移封の際に整理されなかった者は、平民におとされた
429日本@名無史さん:2011/04/01(金) 06:04:40.67
>>428
移封に着いて行った者は静岡県士族だよ。
430日本@名無史さん:2011/04/01(金) 11:38:52.77
静岡県民は手堅い性格と言われるが、士族は何割程度なんだろう
431日本@名無史さん:2011/04/02(土) 02:09:38.12
江戸に残った旗本御家人は、朝廷に忠誠を誓って任官が認められたごく一部のもののほかは、
士籍はく奪で農商にされた。
432日本@名無史さん:2011/04/02(土) 02:10:39.48
江戸に残ることを選択した旗本御家人は、朝廷に忠誠を誓って任官が認められたごく一部のもののほかは、
士籍はく奪で農商にされた。


433日本@名無史さん:2011/04/02(土) 08:53:16.96
浪人は平民にされたってことだね。
434日本@名無史さん:2011/04/02(土) 11:19:00.91
派遣切りの嵐だな
435日本@名無史さん:2011/04/03(日) 20:51:25.09
明治期の士族だったかどうかに何の意味もないでしょ。
実態でものを判断しなくちゃ。金さえあれば御家人株も旗本株も簡単に変えるんだから。
436日本@名無史さん:2011/04/03(日) 20:54:41.61
明治期の士族なんて大半は人力車夫だもんな。
437日本@名無史さん:2011/04/03(日) 21:02:39.46
それが、没落しにくいんだな。没落しても、1代後には浮上していたり。

没落した階層は、どこからか埋めることになるし。
で、どこが埋めるかというと一代前の同じ階層。結局元の鞘に戻る。
438日本@名無史さん:2011/04/03(日) 21:14:56.57
>>437
また妄想か・・・
士族階級といってもピンきり。
即効没落するような下級士族なんて、どうやって浮上した?
その浮上したやつあげてくれないか?いてもごくごくごくごく少数。
まれに伊藤博文のようなコネを持つものもいたんだろうが。
娘を身売りしてる士族ごろごろ要るけどな。
下級の士族なんて当時どの分野にも相手にされてないぞ?薩長以外では。

明治後の平民豪商や名主村長はその後政界や経済界にがんがん根を生やしてるが。
439日本@名無史さん:2011/04/03(日) 22:44:56.47
旧主君の配慮にもよるでしょう。
440日本@名無史さん:2011/04/03(日) 22:47:22.04

まず、中級武士と同等以上の農民・町人は、絶対人数で言うとかなり少ないし。
識字率でも武士階級の100%で、農民・町人では2・3割ってところ。

着の身着のままの財産なしでも、もともと教養があった層と、教養がない層では異なる。

下層からのし上がる人は多いけど、その1〜2代前は上にいたりする。

つまり、下層→下層→上層 より、

上層→下層→上層 が多い。
441日本@名無史さん:2011/04/03(日) 22:48:28.44

明治時代の帝大は、士族だらけだったしな・・。

とはいえ、さすがに100年単位では士族は徐々に没落している。
442日本@名無史さん:2011/04/03(日) 23:45:53.00
>>440
士族は全員上層だと勘違いしすぎでは?
>>441
歴代総理大臣の出自見れば薩長系の例外抜かせば、どの層が実態としては強かったのか一目瞭然でわかるのでは?
443日本@名無史さん:2011/04/05(火) 03:38:42.34
武士道にはノブリオブリージュなんて無いんだもん。
今までの特権はイザというときの貯蓄、これからも特権を享受するには危機に際して率先して血や財産を賭して戦う、
なんてものが無いんだもん。
建前と欲だけ。恩賞が出ないのは、欲が満たされず、名誉を汚された、というふうになる。
武士はもともと貴族じゃないもの。貴族のしない汚れ仕事をする階級。
かつかつだもの。会社くるしいからずーっと給料無しで働いてって言われても
無理でしょ
国にお金ないからタダで奉公しろって言われても出来ないでしょ
444日本@名無史さん:2011/04/10(日) 11:02:53.59
奉行所や加役の同心は下級でも武士だというのは明らかだけど、
その指図で棒やさすまた持って捕物やってるのは、あれは武士なの?
足軽?
大名旗本の登城の時荷物持ちしてる奴さんは?
445日本@名無史さん:2011/04/10(日) 11:13:17.73
渡り中間
446日本@名無史さん:2011/04/10(日) 15:50:07.46
大名行列の籠持ちて、飛脚業者とかじゃないの?
447日本@名無史さん:2011/04/17(日) 12:42:56.19
お前は言い訳するなといってるだろうが!w
現実の『募金』というものがどのようなものかを指摘することは大事なことってわからないの?
左翼が政治機関誌で募金やボランティアを美化することは、政府の責任を否定することにしかならないってわからないのかな。-それと、「募金を呼び掛けること」、自前で救援することとは、あくまで別の次元。
ハッキリいってしまえばグローカル宮部一派(故いいだものさんと栗原幸夫さんはちがうだろう)は、資本主義と闘う論理がもはやゼロのネオリベ転向者であり
西欧輸入借り物の「緑」であり、社共のように資本主義に若干の修正を加えようとする志向さえも、「制度左翼」「官僚主義」として蔑視し、
いまやその正当性さえもあまり信じていない。
尼崎市で彼女・彼らがどういう政治をしているかわかるだろう。
国家の責任のもとに行なわれる福祉という憲法25条さえ、止めて当然のごとく思っている度し難い反動さ。
成り上がりのルンプロであり、プチブル市民志向なので。アワレ!

あさのに言い訳する権利など一切なーい


448日本@名無史さん:2011/04/17(日) 17:54:55.49
>>444 >その指図で棒やさすまた持って捕物やってるのは

長吏といわれた被差別部落の人たち。
449日本@名無史さん:2011/04/17(日) 18:37:56.52
>>448
長吏じゃないですよ
奉行所雇いの足軽中間や町方同心の雇人や手先です
450日本@名無史さん:2011/04/21(木) 17:45:20.92
あの「御用だ」「御用だ」「御用だ」と言って、犯罪者を取り囲んで押さえつけた、
あの「御用だ」と言った、ちょうちんを持ってチャンバラ映画の中に出てくるあの人間たちは、
一体、何者なのだという話もしなければいけない。 非人頭(ひにんかしら)・車善七(くるまぜんしち)と、
弾佐衛門の闘いのことも。非人の頭たちが、長吏(ちょうり)とも呼ばれたことも。そこに日本史の真実があるのだ。
451日本@名無史さん:2011/04/22(金) 07:32:29.67
>>449
>奉行所雇いの足軽
これが同心クラス。与力から上がこのスレでいう正式な武士

捕物をやっているのが長吏であるのは被差別部落の旧家から捕物道具
が出てくる事でわかる。
452日本@名無史さん:2011/04/22(金) 08:09:09.76
被差別部落は江戸市中では捕物やってないよ。
行刑の執行役のとき槍や捕物道具が必要なんだよ。あと支配下の非人の取り締まりはしてたけどね。
同心の他に奉行所雇いの足軽中間がいるんだよ。
453日本@名無史さん:2011/04/24(日) 13:08:17.19
岡っ引きも被差別なんだろ
銭形は何?
454日本@名無史さん:2011/04/24(日) 17:25:47.15
学問を学んだ所が寺子屋でなくて藩校

だと定義としてどう?
455日本@名無史さん:2011/04/24(日) 17:29:03.72
藩校がない大名もいる。
大名家によって入学資格が異なる。
だから定義できない。
456日本@名無史さん:2011/04/24(日) 17:31:41.45
>>453
江戸の岡っ引は町人か百姓で同心の私的な協力者だよ
いわゆる髪結いの亭主だ
457日本@名無史さん:2011/04/24(日) 18:02:38.85
岡っ引が武士ではないのは確かだね
458日本@名無史さん:2011/04/24(日) 22:45:55.83
岡っ引きは同心の私的使用人。
459日本@名無史さん:2011/04/26(火) 17:21:50.85
>>458
そうそう。今風に言えばインフォーマント。

因みにルイ14世時代のフランスにも岡っ引きと同じような存在がいて、こっちは「アージャン・プロボカチュール」と呼ぶ。
460日本@名無史さん:2011/05/10(火) 09:27:57.11
所詮ご維新後は不要なリストラごみ要員
国家のお荷物、給付金泥棒
いまの地方公務員と同レベル
461日本@名無史さん:2011/05/10(火) 17:38:30.48
最近、武士の一分をいまさらながら見たんだけど笹野さん演じる徳平って中間なんだなw
あれで武士というのはさすがにちょっとって感じだったわ
中間ていってもピンキリなんだろうけどさ
462日本@名無史さん:2011/05/10(火) 19:18:08.04
>>1 まあ、明治維新は武士扱いされなかった下級武士が高額年金生活者の上級武士階級を廃止するために起こした革命だったしな。
463日本@名無史さん:2011/05/10(火) 20:18:57.94
よく下級武士たちのエネルギーが維新の原動力とか言ってる馬鹿がいるけど明治維新の元勲における下級武士率は高くないよ?
464日本@名無史さん:2011/05/10(火) 22:34:07.65
長州は上士でも百石どりというくらい減封ではじまった藩だときいたけど
場所によるんじゃないかなあ

伊藤俊輔や山県狂介は下級武士らしいが
465日本@名無史さん:2011/05/11(水) 11:09:50.68
所詮「元和えん武」後は不要なリストラごみ要員
466日本@名無史さん:2011/05/12(木) 15:08:03.62
>>463 明治維新で活躍した殿様、重役階級などがいたのか?

 せいぜい公武合体論で活躍しただけだろう。
467日本@名無史さん:2011/05/12(木) 20:56:37.22
長州の場合は高杉晋作、桂小五郎、井上薫、周布政之助、国司信濃、益田右衛門介らが元来の上級武士
吉田松蔭は中級武士の出。
品川、伊藤、山県、村田らは下級武士或は庶民出身だが累進とともに中級武士格に進級している
468日本@名無史さん:2011/05/12(木) 21:13:07.15
板垣退助、福岡孝近、横井小楠、小松帯刀、大隈重信や陸奥宗光とかも中上級武士だね
469日本@名無史さん:2011/05/16(月) 13:37:40.90
下級武士といっても明確に士分の徒士と厳密には士分でない足軽(同心)の区別がね。
470日本@名無史さん:2011/05/16(月) 14:18:48.34
領地によって違うよ。当時は地方自治だから。
足軽が武士じゃない領地もある。長州萩とか。
471日本@名無史さん:2011/05/17(火) 02:44:28.94
長州萩の足軽?直参の足軽は士族になってるよ

472日本@名無史さん:2011/05/17(火) 04:21:34.69
後藤象二郎は上級武士
473日本@名無史さん:2011/05/17(火) 09:03:58.04
桂小五郎は藩医の出で元は武士じゃないんじゃなかったっけ
474日本@名無史さん:2011/05/17(火) 10:21:22.02
桂は典医の家から上級武士の家に養子に入った
475日本@名無史さん:2011/05/17(火) 10:28:20.90
典医は士分じゃないのか?
476日本@名無史さん:2011/05/18(水) 02:36:27.26
典医は、苗字帯刀を許され、武家地のなかに屋敷を持ち、身分は武士に準ずる。
ふつうは藩内にその資格を持った家が何軒かあり、その中から人格識見技術が優れたものが御典医として指名された。
一時期に何人かが選ばれ、交替で城に詰めた。特に用がない時は、藩主の私的な話し相手や、碁の相手などをしていたようだ。
藩主やその家族が病気やけがをした場合は、全員が集まって合議で治療にあたった。
非番のときは自宅で開業していた。藩からもらう石高はそれほど高くないのがふつうだったが、診療の報酬があるので腕さえ確かなら豊であった。
477日本@名無史さん:2011/05/18(水) 08:40:40.43
漏れの先祖の一人は傘張り、質屋を経て刃物商に替わり
藩と商売上の繋がりが出来武士に登用され御徒歩並み迄登りつめますた。
尊敬します。
478日本@名無史さん:2011/05/18(水) 23:58:02.08
久坂も典医の家で松下村塾のころも医学勉強中だよね
士分にはいつなったのだろ
479日本@名無史さん:2011/05/19(木) 15:28:55.82
玄さんはたしか松陰の娘か妹をめとってなかったっけ
480日本@名無史さん:2011/05/22(日) 17:33:56.18
このスレのテーマは興味深いな。
歴史の本で説明されてる中世の武士は領主・武将クラスの武士だが、
時代劇でもお馴染みの近世の武士は中級・下級のサラリーマン武士なので、
どうしても両者がストレートに結びつかなかった。

中世武士が地頭クラスの武士なら、近世の大名や上級旗本、大藩の重臣クラスしか、
それには該当しない。
481日本@名無史さん:2011/05/22(日) 17:58:45.13
テレビ時代劇や映画、その原作の時代劇小説の悪影響だね。
町人が八丁堀や浪人風情に「お武家様」なんて言うからね。
それは現代で言えばフィリピンパブで「シャチョーサン」て言われるのと同じ。
482日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:00:40.44
八丁堀は「旦那様」あるいは「旦那」だよね
483日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:04:26.95
江戸の町人も本来は由緒正しい地所持ちなんだけどな
484日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:21:58.77
江戸の町人は大阪同島浜から連れて来られた子孫だよ。
常識だよ。
485日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:48:53.15
武蔵や三河や駿河もいるけど?
486日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:08:22.80
常識・・・?
487日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:21:23.72
>>485
屁理屈捏ねるんじゃねーぞ。
488日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:24:40.09
それは江戸弁が関西由来って事で証明されてるんだがな。
489日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:31:02.02
証明されてる?
はあ?
490日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:31:58.72
たぶん幕府が規定した町人の意味をわかってないんだろうな
491日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:08:47.27
まぁ家康が大阪の漁師を贔屓にしたのは確かにあるな
492日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:33:51.37
>>489
勉強しろよな。
493日本@名無史さん:2011/05/23(月) 00:06:59.92
>>488
誰が証明したんだ?
494日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:22:26.64
今北産業
495日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:34:48.43
大阪から呼び寄せた漁師。それが江戸の町人のルーツ?
はあ?
496日本@名無史さん:2011/05/23(月) 02:08:09.28
家光の頃までは江戸の町人は一律苗字帯刀御免だったらしいね
497日本@名無史さん:2011/05/23(月) 02:18:23.90
江戸の地名は三河由来が多いよ
498日本@名無史さん:2011/05/23(月) 02:35:28.38
駿河もだね。駿河台とか。
499日本@名無史さん:2011/05/23(月) 04:47:37.78
答えはでてる。

基本武士なんてのはありません。そんな用語もありません。
守護です、基本守護

平安からずっと守護ってよばれてきました。

武士とかいわれたのは19世紀以降の造語で武士とはいわん。


平安〜鎌倉   守護
戦国〜江戸   侍

で農民です。全部農民あがり

平氏、平安いこう、平家、農民、守護が旧公家、武士?たたき潰して
じぶんで武士作ったのが武士の始まりで大半農民あがりです。

だから、戦国武将なんて足利、島津、伊達
以外は農民あがりですよ。
上級武士なんて用語も存在も存在しないし、役職名はあっても階級名なんか存在しません。
ほとんど農民あがりですよ。

足軽はその中でも傭兵で、ただの傭兵
中級w 武士なんてのは用語もなんも存在しないし、ただの農民で功績たてたり金持ってたり(ただしこれって階級より地方差)しただけで
別にたいしたことない。

農民がクワもって金ためて、武将の下にいって就職すれば、江戸時代でも侍あつかい
そもそも江戸時代でも階級区別中途半端で戦国なんかは役職名と侍しかなかった
500日本@名無史さん:2011/05/23(月) 04:54:15.68
いわゆる


武将
知行
あとは専門職
までしか存在してなくて、階級が存在してないも同じ
で、江戸時代も武士が300万とかいたとかいわれてるが、厳密な武士扱いされてるのは
100万の知行だけです。もっと少ないかも、で、残りは勤めてれば農民階級でも侍いわれてました。

地方差いじょうに生活差がそれほどないんで、残りの200〜400万は農民でもできたし
ちがいがない。


平安時代に
平将門があばれて、農民がマジギレして公家、貴族が基本なくなってしまったんで階級がなくなった。




で守護団つくった。

いわゆる、強ければ、誰でも入れる、防衛、自警、役職仕事での集団でしかない。
で守護っていってた。


だから武士
武士階級w はそんざい してません。

江戸いこうでかつ、中途半端な権力でした
501日本@名無史さん:2011/05/23(月) 04:54:46.47
いわゆる


武将
知行
あとは専門職
までしか存在してなくて、階級が存在してないも同じ
で、江戸時代も武士が300万とかいたとかいわれてるが、厳密な武士扱いされてるのは
100万の知行だけです。もっと少ないかも、で、残りは勤めてれば農民階級でも侍いわれてました。

地方差いじょうに生活差がそれほどないんで、残りの200〜400万は農民でもできたし
ちがいがない。


平安時代に
平将門があばれて、農民がマジギレして公家、貴族が基本なくなってしまったんで階級がなくなった。




で守護団つくった。

いわゆる、強ければ、誰でも入れる、防衛、自警、役職仕事での集団でしかない。
で守護っていってた。


だから武士
武士階級w はそんざい してません。

江戸いこうでかつ、中途半端な権力でした
502日本@名無史さん:2011/05/23(月) 05:05:34.66
だから

官公庁内では下級武士は武士ではないといわれます。なぜなら階級が農民だからですw
で町にかえれば 侍といわれます。

また、実務的なこともかなりやってて知行  以外の大半は実務と予備役だけ
って形なんだよね。で、ソイツラ畑を耕してるだけという。

だから、役職的には
知行
役職持ち
中級だろうが、下級だろうが武士

で中級はあんま権限ないでで中級の中だけで下級はみなさないという妄想ルールがあるが
農民、町の中では侍以外の何者でもないという。

だから、くわしくしらないけど、金次郎なんかは農民だけど厳密な農民に区分けされない階級になる。
で、武家奉公人→すなわち実務  中級武より権力上になる。

だから中級、下級武士とか地域差もあるし、厳密な階級われはしてないが、あれは
予備役だったり、地主に近い階級であり、かつ扶ちもらい

それが中級、下級武士で
さすがにばか使うわけにはいかないんで、実務は農民、武士とわず頭いいのがやってた。
それが実態です。

だから中級だろうと、武士ってのは別に役職はあるわけでないないし、
武以外はやらせてもらえなかったてか、実務は頭いいのがやってた。

これが実態
503日本@名無史さん:2011/05/23(月) 05:11:06.45
下級武士〜とかは
間違った像

厳密には中級も下級
中級は酷使
504日本@名無史さん:2011/05/23(月) 07:32:41.98
早朝からすげー頭が悪いのが出没してるな
505日本@名無史さん:2011/05/23(月) 07:42:02.94
頭が悪いというよりキ○ガイなんだろ。
506日本@名無史さん:2011/05/24(火) 11:46:12.56
下級武士と足軽を混同してはだめ。

区分としては
・上士 :騎馬
(中士)
・下士 :徒士
・足軽
でしょう。
上士、下士の士分は原則世襲
足軽は名目的には1代限り(実質的には世襲していたり、足軽身分の郷士は制度的に世襲)
507日本@名無史さん:2011/05/24(火) 18:42:42.26
幕府で言うと
旗本が上・中級武士
御家人=中の下〜下級武士
よく同心=足軽と言われるが実際に将軍家に直接雇われた足軽は存在せず旗本の雇いに足軽がいる
なお幕府の場合は諸組同心=足軽ではない
諸組同心にも少数ながら中間などの家来もいるし、同心とは別に町奉行所や代官所や大身旗本にもれっきとした足軽がいるから
508日本@名無史さん:2011/05/24(火) 19:27:45.33
時代劇の捕り物のときに出てくる捕り方って、奉行所の職員なの?
与力や同心の私的な手下?
町人のボランティア?
509日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:54:13.85
時代劇の捕物話は空想だから真に受けないほうがいいよ
まあ提灯片手に手甲脚半で鉢巻き姿の捕片は与力同心の私的な従者と協力者と町奉行所の中間足軽といった設定だろうね
510日本@名無史さん:2011/05/25(水) 08:03:11.89
時代劇や小説の主人公で描かれる、普通の侍ってどのくらいの身分なんだろう
具体例が出てこないんだが・・・例えば武士の割合で一番多い身分はどのくらいの地位なんだろう
511日本@名無史さん:2011/05/25(水) 08:27:34.02
時代劇や小説の登場人物なら設定があるだろ?
仕える家によるだろうけど基本的に身分は下にさがるほど数が多いから徒歩級以下が多いのは確実
512日本@名無史さん:2011/05/25(水) 18:35:12.13
幕末物のキャラでお馴染みの高杉とか桂とかなら100石前後だな。
平均的な中級武士(大藩の上士の大半)である馬廻は100石〜150石くらいが多い。
513日本@名無史さん:2011/05/25(水) 18:43:35.22
350石もらってた忠臣蔵の片岡源五右衛門とか、
300石の乾(板垣)退助、400石の大隈八太郎(重信)などは、
一般武士としては高禄の部類に属する。

よく上士の例にあげられる高杉晋作の生家が150石、
桂小五郎でも90石(もとは150石だが末期養子で半知召し上げ)だから。
514日本@名無史さん:2011/05/25(水) 20:17:47.07
吉田松陰の家は40石くらいだったっけ?
515510:2011/05/25(水) 22:58:49.22
なるほど、ありがとう
どうも「石」ってのが、知識として知ってても感覚的にピンとこないんだよな・・・
516日本@名無史さん:2011/05/25(水) 23:58:31.22
拝一刀は架空の役職
517日本@名無史さん:2011/05/26(木) 00:01:18.75
厳密には、「石」だけでは上級武士か下級武士かの明らかな分岐点にはなり得ない。
幕府には知行地を持たない蔵米取りの上級武士たる旗本衆が大勢いるし。
518日本@名無史さん:2011/05/26(木) 17:06:28.24
うーん
知行地を持ってても幕府や藩の倉から米を貰ってくるからなぁ
先日映画になった「武士の家計簿」の主人公の父親
知行地持ちだけど、どこそこの土地何石っていう書類だけ与えられて
年貢は藩の倉から支給なのよね。小物成に当たる銭や銀は盆暮れに領地の肝入りが届けてたけど。

あと。禄高は所属する藩で上下するのよ
同じ身分役職でも大藩と小藩では禄が全然違う
519日本@名無史さん:2011/05/26(木) 18:18:20.70
近世大名の半数以上を占める1〜2万石の小藩なら、
家老・年寄クラスでも百石前後だろうな。
520日本@名無史さん:2011/05/26(木) 18:52:16.75
三河田原三宅家の家老渡辺華山は100俵だしな
521日本@名無史さん:2011/05/26(木) 20:17:17.19
足軽=賎民
もともと朝廷の警察権力であった武士は戦闘にあたって土民を徴発できた
農民を動員しすぎると農業生産に障害が出るから山地や川地の賎民を狩り出すことも多かった
賎民は原住民系、渡来系双方あったが朝廷権力から捨てられていた階層が室町時代、初期戦国時代の原動力となった
応仁の乱でも足軽層の位置付けは、生きた盾であって正規戦闘員でない
住民皆兵に近くなるのは戦国後半である
信長は弾正つまり賎民監督官、豊臣秀吉と徳川家康は自身が賎民出であったから江戸時代にいたって古代の貴賎は逆転したとも言える
やくざ文化が武士文化の影響を強く受けているのは
武家に付属した賎民が江戸時代に博徒となり武家屋敷で賭場を開いて武士の裏経済を支えていたからだ
系図は偽造と思ってよく江戸時代のほとんどの武士が戦国勝者になれた賎民の末

したがって足軽も立派な武士である
522日本@名無史さん:2011/05/27(金) 00:38:45.18
足軽=農民だという意見は今やもう説得力がない。
足軽=農村社会からこぼれ落ちた雑多な浮浪の民と言うことになってる。
523日本@名無史さん:2011/05/27(金) 04:05:36.63
中下級ブス
524日本@名無史さん:2011/05/27(金) 05:04:08.17
上級ブスってどんなんだろうw
525日本@名無史さん:2011/05/28(土) 18:40:27.20
522
そのとおりでしょ。。実際書物にも合戦の死体から武具をさらい兵装したものが多いと
応仁の乱でかかれテル。
当時まっとうに農地のある本百章以上はそのような行為は行ってない。
基本、農村からもあぶれた集団がその後戦国期を通して足軽および、毛が生えた程度の
下級武士になってることはいうまでもないから。
下級武士の出自なんて江戸期以前はほとんどわからない。
526日本@名無史さん:2011/05/28(土) 18:44:17.01
下級武士は血統的には本百章以下だよ本来。
足軽は論外。
応仁の乱関係の書物には、農村からも土地を持たぬあぶれた雑多等が
戦場から武具を奪い野党化し、武家を襲ったとも書いてある。
またこれらが国人、土豪化するケースもあるとも。


527日本@名無史さん:2011/05/28(土) 19:12:32.04
秀吉の兵農分離や刀狩、戦国大名の律令への組み込み以前は
地侍、名主らを中心として、農村そのものが武装化してたわけで
足軽と農民はさして違いがあるものではなかったんじゃないか。
農村そのものが領主の求めに応じて、足軽の頭数を補填しなければいけなかった。

信長のような戦国大名の絶対大名政と言えるような領国支配に至って
それまでの在地勢力の旧来の土地への自由な支配という形が崩壊していき
大名家の臣下となり農村を統括するものと、農業一本槍だけのものとに分けられた。
要は兵農分離で農村から行政権が奪われた。

下級武士は兵農分離の際、行政側についていった村の者たちで
百姓であったものもいたと思われる。
ただ時代が下がるにつれ、頭数が増して、百姓より生活が苦しいものが現れたというだけでは。
528日本@名無史さん:2011/05/28(土) 19:24:28.49
信長は下級武士等の歩兵は、町のあぶれものや農村部の土地を持たないものや、
次男三男を徴収してるでしょ。しかもあくまで全国でもこんなものは例外地区。
もちろん地侍名主は武装化してるが、これらはその後中級武士以上か名主になってる。
下級武士やましてや足軽になんてなってない。
529日本@名無史さん:2011/05/28(土) 19:29:00.67
足軽が賎民出が多かったと言っても平安時代はいくら皇孫でも武士自体が不浄とみなされ地下人
さらに実態は、皇孫から武士が出たのでなく、各地の有力集団が皇孫を頂いたのであり順序が逆

清和源氏は大陸系の白山信仰部落で純粋農耕民でなかったし、瀬戸内海や九州は八幡船の海賊業兼務の貿易業者や漁民が平家のように武士化したし、全国の別所の住民はアイヌやクマソなどの末裔で身体能力が高かった
日本武士はこれらの混合物である

源→北条→楠、新田→足利→細川→三好→織田→豊臣(姓なし)→徳川(世良田)

楠と三好以後は当時の被差別階級の出だし、それ以外もバックには賎民集団がいた

明治維新の際に、幕府権力の強力な一部だった浅草のエタ集団を懐柔するのに
、薩摩が「お前らは源頼朝直系なんだから尊皇してくれ」と言って話が通じたのは、あながち出鱈目でない
530日本@名無史さん:2011/05/28(土) 19:29:54.57
それから、足軽と農民はぜんぜん違うから。
土地も何も持たず足軽を食い扶持にしてる人と、本来は土地を持つ名主クラスの納税者と
なぜ同じ?頭悪いの?わざわざ名主クラスが足軽の用兵のみを食い扶持にする馬鹿がどこにいるわけ?
あくまで食い扶持。幕末の新撰組のぶしになりたい・・・
というのと混同してない?あの時代と違うから。
531日本@名無史さん:2011/05/28(土) 19:39:50.24
本来、江戸初期は名主にも下級武士は
たたききられている扱いも受けてる。
地獄谷かなんだったか事件名は忘れてるけど。
まーその名主は元守護大名家重臣が土着した名主だったが。
時代の流れで島原の乱などを経て、
532日本@名無史さん:2011/05/28(土) 19:52:54.16
時代の流れで島原の乱などを経て、武士を一律対面的な部分だけでも
底上げして保身したというのが現在の武士といわれる原型になっただけで、
下級武士以下なんて、土地も持たず、食い扶持が末端の汚れ現業仕事の下級武士や足軽しかない者が、
そのまんまそれらになってった分けですよ。
533日本@名無史さん:2011/05/28(土) 19:59:11.27
戦国期まで郷士的な本百章以上だったものが、
わざわざ裕福な土地を捨ててまで、下級武士という食うのもやっとの現業職になる必要なんてないからね。
今みたいなスタイル追求リクルートなんてありえないからね?ww
下級武士はあくまで時代の流れで中期以降対面が一律保身されただけで、
江戸初期以前は村社会ですら生き残れない雑多の時代変遷の成り上がり。
534日本@名無史さん:2011/05/28(土) 20:12:09.50
決して幕末の新撰組のような武士に憧れ・・という経緯で戦国期前後にかけて、
足軽下級武士になっていったわけじゃない。あくまで食い扶持にしがみつくため。
しかも江戸初期までは名主クラスにも見下されるほどの身分なのに。
なぜその末端現業の食い扶持にしがみつかなければならなかったのか考えても、
答えなんてすぐ出てくるだろ。

535日本@名無史さん:2011/05/28(土) 20:30:57.00
名主が下級武士とは言わないが、名主は末端ではあるだろ
国人領主の下にいる有象無象の実力者たちの末端なわけで
本人が出ることはまずないと思うが、地侍などと血縁関係などもあっただろうし
一蓮托生の関係であっただろうから、足軽負担を村で請け負うのに絡んでいたのは確かだと思う
つまりは、名主に関係するものを戦役に出していたと思うがな
兵の強弱とはそういった連帯とも絡んでくるものだし。

律令の国・郡・郷の行政単位の最下層に郷があるが
たとえば、真田は郡の下、真田郷を名字にもつ豪族で
在地勢力そのもので、土地の民との結びつきが強かった。
中世以降、惣村が発達して、村を担う名主がでてくるが、基本的に郷との同勢力程度だと思われる。

そもそも、武士階級はどんなにみつもっても全体の一割にしか満たない。
戦国時代でさえ、野党のようなものをのぞけば体格に恵まれたものしか役が回されなかったろう。
下級武士とは言え、足軽に推薦される、抜擢されるものが、たいした理由もなく賎民出であるはずが
ないと思うが。
536日本@名無史さん:2011/05/28(土) 20:42:12.47
それに山の民などの話がでてくるが、
たしかにいたとは思う。でも、はるかに少ない人口だったことは疑いない。
仙人、風俗という言葉が示しているが、山の人が神秘的に谷の人には見えたのだろうし、
俗人や風俗など、俗と言う言葉は、我々の、一般の、という意味合いで使われる。
概して、一般の人からは目に触れられず、何をしているか分からない人たちで
自分たちとはかかわらないところを生業としていることは分かるものの、
もっと上の人たちと関わっているだろうと空想するくらいの対象でしかなかったと思われる。
そうそうな数がいたのであれば、もっと歴史の表にでてきていたはずで
そんなにいたら、農作をして勢力を増やしてきた俗人が農作をする意味もない。
537日本@名無史さん:2011/05/28(土) 20:44:20.78
もう少し勉強したら?基本中世までの社会形成と江戸期の社会形成がごっちゃだよね?
名主が人数出してた?www
538日本@名無史さん:2011/05/28(土) 20:55:17.37
それら名主等地侍は自ら数人の一族連れて武装して馳せ参じるスタイルなんだよ応仁の乱以前てww
だから応仁の乱でも名門の豪族でも平均で数十騎単位ぐらいでの少数出陣がほとんど。
用は緊急招集型の予備役体制で、一門での参加型。足軽なんて引き連れてない。
だから名主の家に武具やよろいが置いてあるのはこの名残。
539日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:04:25.80
戦国大名の領国だと名主は通常戦力として期待されていない。
篭城戦の時にお声がかかるだけ。
540日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:06:27.10
つか、名主が実力蓄えたのが大名だからね、元々は。
大名主→大名と変化してるし。
541日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:11:09.85
江戸時代になると下級武士もお役人様か或は地頭様だから百姓の代表である名主なんぞは腫れ物にでも触るかのような行儀しい接待した。
542日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:13:09.63
538の続きだが、
戦国期、信長等はこれら予備役地侍等のその下に
自ら抱え持つ常備形の直接雇用で、
足軽等の農村のあぶれた秀吉のような雑多を足軽歩兵に抱え込んだ。
それらに三色めしつき寝床つきで大量雇用をした。
これらの中から下級武士や足軽が生まれたというだけ。
543日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:13:19.46
>>540
江戸時代の名主と鎌倉室町の名主(みょうしゅ)は別物
544日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:14:59.99
>>542
織田信長があぶれものを直接雇用?常備兵として?
そんな史料見たこともないが?
545日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:16:38.23
>>543
だからそれは秀吉以降の大名を朝廷の律令機構に組み込みがあってからでしょ
546日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:17:10.79
547日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:20:29.92
>>541
そんな記録残ってないし、例外除けば下級武士なんて名主等に個人的に会う機会すらないだろw
主君にすら目通りかなわぬ身分でww
548日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:21:14.47
戦国大名に予備役なんてないだろ?
当時の侍は現役を退いたら自然廃官か廃兵だよ。
予備役に近いのは小田原北条氏が作った各村落毎の青年男子の名簿しか知らないな。
どちらかというと予備じゃなくて後備だよな。よく予備後備の輩とか馬鹿にされるときに使うけど。
549日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:26:47.12
だから応仁の乱以前の本物の武家に近い集団と書いてあるだろ盲目がw
そもそもその戦国大名自体が後期は下克上や信長由来だから専属なんだろ。
基本北条家のような中世以来の大名家は豪族を直接雇用してるとでも思ってるの?
現役退いたら普通、自分の土地があるから帰農するんだろ。
足軽下級武士はそれがないから全国流浪するんだろ
550日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:32:21.25
そもそも中世以前は土地がまず基準だろ。
それだけの土地をどうして保てたのか。そこにその家の由来や力が存在する。
しかし江戸期は、下級武士のように土地すら持ってないのに、もてなかったのに、
形式だけ武士という抽象的な実体のない名ばかり正社員的な使いっぱしリがあらわれた。
このような実態すらない存在意義のない名ばかりだから、安値でで売り買いもされる。
551日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:56:44.74
なんかやたらと名主を武士と同列に置きたがるいつもの馬鹿が沸いてきてるな
552日本@名無史さん:2011/05/28(土) 22:02:31.77
だいたい、農民とか武士が明確に区別されたのは秀吉の刀狩り以降でしょ。
このスレはそれの前後をきちんと区別せぬまま進行してるから、
わけわからん事になってる。
553日本@名無史さん:2011/05/29(日) 00:32:52.67
>>552
刀狩令以前から武士と百姓は峻別されてる
少なくても鎌倉時代にはすでに全くの別扱いだよ
554日本@名無史さん:2011/05/29(日) 00:48:01.24
>>552
刀狩令は豊臣秀吉が百姓を対象に武具の停止を命じた全国規模の法令で、はじめから武士は対象外だし侍と百姓を別ける法令ではないよ。
555日本@名無史さん:2011/05/29(日) 00:54:53.28
>>552
大まかに言って侍身分は軍役負担者でしょ
556日本@名無史さん:2011/05/29(日) 01:02:12.16
戦国期には身分関係なく自衛組織が武装集団化したり結構な撹拌が起きてるけどね、
それは無視ですか?
557日本@名無史さん:2011/05/29(日) 01:04:22.24
>>556
村の自治武装は軍役じゃないよ
558日本@名無史さん:2011/05/29(日) 01:15:59.23
根来衆や雑賀衆は武士ではないという事ですか???

ちなみに、オレの中学の同級生は三好氏の家来として古い書物にも名前が載ってますが、
昔と同じ場所に住んで今も百姓やってます。
いわゆる帰農したってやつですが、名主でも何でもない、普通の家ですわ。
559日本@名無史さん:2011/05/29(日) 01:17:10.81
誤)同級生は
正)同級生の家は

訂正します〜。
560日本@名無史さん:2011/05/29(日) 01:35:43.50
>>558
彼等は諸大名に仕えた傭兵だったから将軍家や大名に仕えた者は武士になったよ
561日本@名無史さん:2011/05/29(日) 01:39:56.36
侍と武士を混同して議論してないか?

562日本@名無史さん:2011/05/29(日) 01:52:16.26
>>561
詳しく
563日本@名無史さん:2011/05/29(日) 01:57:11.34
それなりの武士だったけど帰農して名主層になったなんて話はよく聞くけど、村では食えなくて倅者や足軽稼ぎで全国の合戦場を渡り歩いて江戸の初めに帰村した者の末裔たちが名主や村役人やってる村もあるよ
564日本@名無史さん:2011/05/29(日) 02:28:17.51
関係ない話かもだけど戦国大名って自立した大名ってこと?
後北条氏とか今川が衰退した時に三河を切り取って自立した徳川家康とか
565日本@名無史さん:2011/05/29(日) 07:38:50.16
戦国期に大名に浸食されてない荘園てあったのかね
九州あたりはけっこうあったみたいだけど。
地頭や国人層にしても名田単位で税をおさめていたとは思うけど
名主が世襲であるわけでなし、ほとんど国人領主や地侍と関係をもってたことは確かだろううと思う
566日本@名無史さん:2011/05/29(日) 12:04:32.67
>>542
縄地拝領の与力同心や地頭(旗本)の家来が検見に来村した時に名主らが接待するのは恒例
下級武士である代官所手付・手代または八州廻に接待饗応や賄賂も珍しくなかった
567日本@名無史さん:2011/05/30(月) 13:23:25.20
>>553
峻別?どう峻別されてたの?
百姓の子でも、武門に入れば武士になれる
そういう時代だったはずだが
568日本@名無史さん:2011/06/09(木) 01:14:34.94
569日本@名無史さん:2011/06/09(木) 02:29:08.81
570日本@名無史さん:2011/06/09(木) 17:00:23.94
>>72
誰だったかな、日本に来た外人が日本の身分は

大名>豪商・豪農>武士>庶民

だったみたいなことを書いていた気がする。
571本田:2011/06/09(木) 21:46:59.08
>>448
村では番非人だそうだ。
572日本@名無史さん:2011/06/10(金) 04:53:55.86
573日本@名無史さん:2011/06/10(金) 10:26:50.24
家は身分の低い侍で、先祖の戒名も信士とかばっかりだけど
明治いこうは、なぜか卒族じゃなくて士族だった。
574日本@名無史さん:2011/06/10(金) 11:23:01.10
卒族は明治5〜8年頃までに廃止されて、9割方士族に吸収されたから。
575本田:2011/06/10(金) 21:11:36.89
>>521
>信長は弾正つまり賎民監督官、豊臣秀吉と徳川家康は自身が賎民出であったから江戸時代にいたって古代の貴賎は逆転したとも言える

十臣秀吉?
十川家康?
576日本@名無史さん:2011/06/11(土) 23:12:14.91
>>574
嘘はいかんね。
卒族から士族に引き上げられたのなんか極一部。あとは全部平民行き。
577本田:2011/06/12(日) 20:47:30.23
>>529
>足軽が賎民出が多かったと言っても平安時代はいくら皇孫でも武士自体が不浄とみなされ地下人
>さらに実態は、皇孫から武士が出たのでなく、各地の有力集団が皇孫を頂いたのであり順序が逆

平安時代の武士はまだ武具を自身で造ってたのかな?
つまり皮多(穢多)と武士はまだ未分化だった。
578日本@名無史さん:2011/06/12(日) 22:17:32.73
そうやあ、武具に革って使うんかな
毛皮とかは装飾品であってかならずしも必要なさそうだけど
鎧、おもに木や鉄だけど、革は必要なんかな
今まで植物由来の紐と割木をつなげてるだけのイメージだったわ

日本で毛皮製品ってイメージがぜんぜんないよな。
革紐って国内じゃ高級品なんじゃね?
普及するような鎧には革紐はつかわれてなさそうだけどな
どうなんだろうな
579日本@名無史さん:2011/06/12(日) 22:58:47.01
今さら調べたら、鎧って革製の小札を重ねたものなんだな
なんか個人的な感想だけ書いててごめん・・・
580日本@名無史さん:2011/06/22(水) 09:37:26.27
>>544
信長は三河尾張を根城にしてた衆(蜂須賀党)のような用兵集団を
そのまま取り込んでるだろ。
この傭兵集団は野党の類で、村社会を営めない雑多が基本。
そのまま傭兵足軽集団として近隣の合戦に多数参戦し、勝敗を分けてる。
これらが主体になっていったのが信長の常備軍。
そんなこともわからないの?
581日本@名無史さん:2011/06/22(水) 10:12:18.14
>>566相変わらず馬鹿だなw
下級武士に縄地拝領がどれほどいる?
一部の例外を出して着てその程度?ww
だったら名主は旧戦国大名家なんてごろごろいるんだけどwww
熊本城主加藤家もその後東北で庄屋なんだけどww
管轄大名家ですら放置せざるをへなかったそうだよw
ましてや藩士程度がいちいち気を使わなくちゃならなかったそうだww
582日本@名無史さん:2011/06/22(水) 10:16:05.95
>>566
頂上対決するなら、下級武士程度は庄屋名主に何にも勝てないだろうがww
いや、頂上でなくとも、
待遇、由緒、家系、役、土地、財産、権益、・・・
下級武士は名主以上になにか一つでもいいからもってるの?wwwwwww雑魚杉w
相手にならないんだよww


583武士論@:2011/06/22(水) 10:44:41.89
それから、武家とは知行餅。武士とは基本給金取りのこと。
そもそも、武士とは何なのか。その発端は大まかに言えば荘園領主の用心棒。
そして、鎌倉期に武家のスタイルが確立する。それが・・・「ご恩と奉公」
そこに介在するのは・・・「土地」
武士が武士であることの大前提が、「土地」と、そしてその「土地の権益の保障」。
これが原理主義的武士論なんだよ。
武士に土地という大前提を抜かしたら、もはやただの野党。武士でもなんでもない。
そうだろ?住所不定でも武器もってりゃ武士って言っちゃうの?wwww
584武士論A:2011/06/22(水) 11:01:31.07
土地を持たない武士は本来絶対に武士ではない。
逆に、武士というのは被官の名称ではなく、その土地と権益を保障された自衛をする集団を
形容詞的なもので武士と称したのみ。
そして武士が武士たる由縁は、基本、土地の自衛なんですよ。
武士家業を生業としてるわけではなく、本来は土地の運営。
その運営に付属して警備もしなければならない。そこに武士としての側面があるわけ。
これら土地と警備はきっても切り離せない。切り離したら武士じゃない。野党です。
その保障してくれる直近上位者のために労役を負担した。それが職業武士のはじまりでもある。
585武士論B:2011/06/22(水) 11:13:11.25
たとえば永久的に土地の保障がされてれば、上級公家のように武士化する必要もない。
僧侶も。しかし戦国期になり「保障」というものに確証が失うと僧侶も武装した。
これは武士とはいわないの?武士でなくても身分高いよな?なぜ?
武装しなくても土地財産が保障されてる立場だからだろ。
586武士論B:2011/06/22(水) 11:23:44.63
名主庄屋は,
戦国期が終焉し、幕府は反乱を恐れ、旧武家層に帰農を促し、
その代わり在来土地の保障と権益の保障を認めた。
だから、旧武家層は武士としての側面など必要なくなり、多くの旧武家層が帰農した。
それは「武士として武装する必要がなくなったから」。
だから土地を武装して警備する武士としての側面を捨てたまで。
あくまで警備という意味での武装武士の側面のみ放棄した。
もう一つの中世武士の側面の土地はあくまで存在してのな。
587武士論D:2011/06/22(水) 11:32:03.61
かたや土地すらもてなかった、なかった下級武士とやらは、
一体全体どこに武士として、武家としての側面を帯びてる?
鎌倉時代、どこで給金扶持ごときが武士だの武家なんてほざけたの?ww
何を保障してもらってる?まさにリーマン的生活の糧そのもの事態の保障だろ。
こんなのを本来武士なんていうわけないだろ。おまんまの食い扶持の保障が鎌倉武士の根幹か?ww
だもの、下級武士が雑多の成り上がりと言われる由縁だよ。実際雑多そのものだし。
588武士論E:2011/06/22(水) 11:42:15.46
名主庄屋、中世武士 →  在来土地、権益、財産等の保障  →(保障と引き換えの、あくまで「交換条件」の成立による服従)
下級武士      →  その日の三度の飯の保障。福利厚生すらほぼ皆無 立場の保障もなし →(命つなげるおまんまの為の無条件の絶対服従)

ぜんぜん違いすぎるだろ。

中世武士の大前提は土地権益の保障であるわけで、その土地に由来するものこそが武士ということ。
589武士論F:2011/06/22(水) 11:53:38.64
本来の中世武士,豪族に簡単に戻れるのもまさに名主庄屋層だろ。
本来の中世武士のスタイルとはまさに、名主庄屋が唯一継承してるんだ。
ここに警備としての武の側面を付け加えればいいだけ。
きっかけが保障団体の崩壊としての武装化なら、その武装化する財力も、
名主層は江戸期唯一の個人資産保有者だからな。
しかも大半の名主層は個人で武具等は普通に蔵に実際に所有してるし。
大半は中世旧武家層が多いため、武装化も容易なのも名主庄屋層の特徴。
本来の中世武士に非常に類似した形態を継承する存在はまさに庄屋名主層だというのは一目瞭然なんだよ。
590武士論G:2011/06/22(水) 12:23:45.49
仮に、世界は日本しか存在しないとしよう。だから幕末に黒船は来ない。
そうすると徳川幕府は続いてたでしょう。しかし、いずれ内乱によって戦国期がまた訪れてたでしょうね。
そのとき、第三の勢力と化して猛威を振るうのはなんでしょうか?
徳川系列は小藩の上、保障団体の崩壊により完全に孤立化。
そうなれば間違いなく第三勢力として豪族化して脅威になる集団は名主庄屋層ですよ。
多くの土地を名義でもち、さらに村の民百姓は基本名主所有物。
名主層が自己の村、土地の自衛を図るために武装し始めたら、完全に戦国期に突入でしょうね。
591日本@名無史さん:2011/06/22(水) 12:29:57.50
ありもしない美徳にしがみ付いて日本は優秀と嘯いても、
実際の美徳は清貧武士道を叫ぶ連中が尽く破壊し、実態が残っていない。
平成の清貧武士道は、清く正しく美しくと叫んでいながら、実態は汚濁に満ち虚偽に溢れどうしようもなく汚かった。

失業者、自殺者、犯罪者、全てが会津武士道と共に日本に蔓延した。

592武士論H:2011/06/22(水) 12:32:55.98
で、下級武士は個人の力で何ができる?なんもできないだろw
孤立化し、動乱で敗れた大名家も、雑多上がりの下級武士なんて相手にしないぞ?w
ただでさえ、通常目道理かなわぬお目見え以下の糞身分なんだからww

土地すら持ってないから、また山にこもって野党化するか?w
そこらが現実的だもんな。

結局のところ、雑多上がりはどこまでいっても雑多なんだよ。


593日本@名無史さん:2011/06/22(水) 13:18:13.48
何にせよ、武士と言っても新撰組・白虎隊・会津藩は美化。
にわか厨房以外なら知ってて当たり前の事実。
新撰組は雑多上がりの糞身分ってことだな。

594武士論I:2011/06/22(水) 17:48:48.17
@〜Iまで武士とは!という原理主義を語ったが、
ようは中世以降、武士という職業にステータスが合ったわけではなく、
「土地」というステータスを守るために武装して武士とならざるを得なかった。
その武士という側面と土地とが切り離されたのも江戸期くらいに入ってから。
そして武士という側面のみにも、にわかにステータスを帯びた。
結果、下級武士のように江戸初期さげすまれていたものまで、そのステータス効果が幕末にやっと現れた。
595武士論I:2011/06/22(水) 17:56:31.91
要は江戸期以前は武士なんてなりたくてなるものでもなければ、
武士という側面にステータスがあったわけでもない。
あくまで土地権益の保障という観点から、自衛としての武士化を余儀なくされたまで。
武士化する必要があったものが土地を多く持っていたものということ。
武士化できるものが土地権益を守らねばならないものということ。
名主層が帰農したのも、土地の保障があったからこそ武士という側面など必要性がなかった。
その程度。だからあんなにも旧武家層は簡単に帰農してしまったということ。
596武士論K:2011/06/22(水) 18:10:56.39
だから>>581にも書いてあるが、旧戦国大名層まで庄屋にはごろごろいる。
戦国大名層がなぜ庄屋?ではなく、庄屋名主の身分は江戸初期まで、
これ以上に体面が保て、土地権益まで保障してくれ、治外法権も認めてくれる階級はなかったから。

なぜここまで名主庄屋程度に権利保障をしたかというと、
597武士論L:2011/06/22(水) 18:19:29.87
なぜここまで名主庄屋程度に権利保障をしたかというと、
江戸初期はこういった名主庄屋層と入植成り上がり新大名のあいだで合戦小競り合いは全国的にかなり行われてる。
それほど江戸初期までの庄屋名主層は力持っていた。
それで幕府もこういった旧武家層に納得させる形でこれだけの保障を権利として与える代わりに、
武装自衛という、武士化して存在させる大義名分をこれらから奪った。ということ。
598日本@名無史さん:2011/06/22(水) 18:27:17.08
俺の実家は大友家の外様ではあるが直臣の家系。
朝鮮出兵には○○郡士として軍忠書に氏名が出ているが主家が改易されて戦場で
ほっぽり出されて他家に組み込まれて帰国して帰農。
江戸期は百姓身分で両替商を営んでたけど何故か苗字帯刀を許されてた。
599日本@名無史さん:2011/06/22(水) 19:19:10.02
徳川家に歯向かっていなければ帰農旧武家層には寛容だったのだろう。
600日本@名無史さん:2011/06/22(水) 19:32:30.69
先祖ってどうやって調べるの?菩提寺とか分からないし
601日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:32:18.45
「いわゆる中下級武士(足軽)は武士ではない」のスレを立てた人だね。
自宅へ帰りなさい。
602本田:2011/06/23(木) 06:28:51.30
>>529
>清和源氏は大陸系の白山信仰部落で純粋農耕民でなかったし、
>瀬戸内海や九州は八幡船の海賊業兼務の貿易業者や漁民が平家のように武士化したし、
>全国の別所の住民はアイヌやクマソなどの末裔で身体能力が高かった
>日本武士はこれらの混合物である


源義光
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E5%85%89
源 義光(みなもと の よしみつ)は、平安時代後期の武将。
河内源氏の二代目棟梁である源頼義の三男。
兄に八幡太郎義家や加茂二郎義綱がいる。
近江国の新羅明神(大津三井寺)で元服したことから新羅三郎(しんらさぶろう)と称した。
603本田:2011/06/23(木) 07:16:42.89
花郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E9%83%8E
新羅の花郎
三国史記や三国遺事によれば、新羅では真興王37年 (576年) 頃には源花(ウォヌワ)という巫女を奉じていた。
これは有能な臣下を選び出すのに若者を集めるためであったとする。
南毛と俊貞という美女を登用したところ 300名あまりの若者が集まってきた。
しかし巫女二人に嫉妬による争いがおこり南毛が殺され俊貞は誅殺されてしまう。
そこで改めて容姿端麗な男子を選び出し、化粧美装させ源花の代わりに登用した。
このリーダー格の者を花郎といい、花郎のもとに集まった者たちを花郎徒と呼んだ。

花郎徒は、互いに道義を磨き歌楽をたのしみ、山紫水明をめぐり歩き交流をふかめ、
それぞれの良し悪しがわかると特に秀でた者を朝廷に臣下として推薦した。
花郎徒から優れた士官や兵士が輩出されたという。
また花郎徒となる者の多くは貴人の子弟であり、庶民はみなこれを尊び仕えたという。


花郎は家老の語源なのかな?
源花は源氏の語源なのかな?
604日本@名無史さん:2011/06/23(木) 08:09:20.98
早朝から真性キチガイか
605本田:2011/06/23(木) 21:52:39.64
>>602
源氏の白旗
http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-24.html
筆者はまだ目にしていないが、
坂口安吾が源氏は新羅系、平氏は百済系であるといっているそうである。
卓見だと思う。
日本書紀に新羅は白旗の国であるとの記述が見える。
また八幡神が新羅系であることは今や常識であるし、
新羅大明神は説明の必要もないであろう。
百済が赤旗を用いていたかどうか筆者は知らないが、
平氏が桓武天皇の末裔であると主張していたのは、
桓武天皇の母が百済からの帰化人一族であったことと関連があるのかもしれない。
606日本@名無史さん:2011/06/24(金) 01:12:59.18
町奉行同心や牢屋同心と60〜80俵取の旗本用人とでは社会的にどちらが上層?
607日本@名無史さん:2011/06/24(金) 01:45:23.55
会津士魂とナチズムは似てるな
608日本@名無史さん:2011/06/24(金) 08:07:00.30
>>606
タメ線レベル
609ロックンローラ:2011/06/24(金) 19:19:34.39
バカなこと言うようでごめん。
私は今此処に生きている。今生きているということは先代は何をして生き延びてきた
のであろうか。他人を傷つけず、女を傷つけず、困っている人に遇えば助け、
他人のものを盗まず、正直に生きてきたのであろうかと。
いずれにせよ誰しも、アダムとイブか7人の女性にたどり着くであろう。
 何故、真偽の分からぬ武家の家系や皇族の家系にたどり着きたがるのか分から
ない。
610日本@名無史さん:2011/06/24(金) 19:48:50.37
ゴミたいじ
611日本@名無史さん:2011/06/26(日) 17:01:14.49
>>551
なんでもいいから武士(というか封建制?)を貶めたい系の人かと…
名主とか武士とか記号としてしか認識してなくて、
実際は親戚関係とかあったりするのに、知らずに必死に主張してる感じ…
612日本@名無史さん:2011/06/27(月) 12:46:10.61
国際日本文化研究センターに質問しろ!
613日本@名無史さん:2011/06/27(月) 19:41:31.39
長谷川平蔵の生母は巣鴨の名主
しかし名主は百姓であり対等な親戚付き合いはなかった
614日本@名無史さん:2011/06/30(木) 20:15:18.12
>>606
経済的に同レベルかもしれんが、末端とはいえ一応天下の直参と陪臣とでは
格の上では同心の方が上だろ。
615日本@名無史さん:2011/06/30(木) 22:29:46.99
幕臣だから偉いって幕領でしか通用しない理屈だろ
616日本@名無史さん:2011/07/16(土) 20:45:46.17
>>613
旗本への養子は名主層はかなりいる。
下級武士から旗本への養子や縁組なんてありえないからww
617日本@名無史さん:2011/07/21(木) 16:32:35.43
武士じゃないならなんだ?
618日本@名無史さん:2011/07/22(金) 01:17:30.24
>>616
かなりいるなら実例を複数あげてみてよ?
619日本@名無史さん:2011/07/22(金) 03:19:33.44
名主層ってどんな層のこと言ってんの?
そこの層から御直参の旗本に養子に迎えられた人がかなりいるんだ?
それはすごいね?w

620日本@名無史さん:2011/07/22(金) 05:36:08.72
>>615
河内山宗俊を知ってるだろ。たかが茶坊主に大名家の重臣が愚弄されても
手出しできない。直参だからだよ。
621日本@名無史さん:2011/07/22(金) 08:37:38.12
町奉行所の同心も多数の大名家から付け届けを受け取っていた。
また、九州の大名は下級武士である西国郡代(日田代官)の手付手代には基本的に藩の宿老・奉行人クラス(局長級)が対応し、礼を尽くし神経を使った。
622日本@名無史さん:2011/07/22(金) 18:08:41.55
名字帯刀で禄貰ってるのが武士じゃないの?
普通の農民と明らかに違うからこそ「武士」として
認められているのでは?
623日本@名無史さん:2011/07/22(金) 19:10:11.38
武士とは主君と主従関係を持つ者
主家に名譜あるいは分限小付を差し出した者
単にお扶持を給されてる苗字帯刀御免の百姓町人は武士ではない
武士は帯刀が当然でわざわざ苗字帯刀の御免など頂戴しない
624日本@名無史さん:2011/07/22(金) 20:20:54.26
遠見番所の役人って武士としてどれくらいの身分?
625日本@名無史さん:2011/07/23(土) 01:42:16.95
どこの遠見番?
626日本@名無史さん:2011/07/23(土) 08:41:30.40
四国のド田舎。
627日本@名無史さん:2011/07/23(土) 09:54:37.70
足軽クラスでしょ
628日本@名無史さん:2011/07/23(土) 13:40:31.36
分類としては郷士?
629日本@名無史さん:2011/07/23(土) 15:44:56.25
どこの藩かもわかならいのに郷士かどうかなんて判断できるわけない
630日本@名無史さん:2011/07/23(土) 20:11:07.60
>>623
じゃあ、その武士って何?誰が決めた?
徳川幕府が始まったときから、武士の定義は普遍的にその定義だったのか?
違うだろ。江戸中期位に確立した江戸武士の定義だろ。
じゃあ、主従関係なら、鎌倉武士も室町土豪国人も武士じゃないよな?
631日本@名無史さん:2011/07/23(土) 20:14:35.52
>>618
いくらでもいるよ。
幕末でも有名どころだけでも、根岸、川治、榎本、大鳥
632日本@名無史さん:2011/07/23(土) 20:42:30.33
>>621
お前はその一例を持っもってのみばかりだよな。
さぞかし下級武士腎盂に占める割合は高いんだろうな?ww
>>581読めよ。大名下がりの下級武士いえよ?ww
しかも同心って・・・w同心なんて町方警備の職務的不正をするためだろ。
しかも大名家からじきじきとか嘘こいてるしwww
ほんと知識足らず。ww
633日本@名無史さん:2011/07/23(土) 20:55:52.43
>>629
藩によってもどのクラスをどこで働かせるかは違っていたの?
ちなみに俺が知りたいのは宇和島藩
634日本@名無史さん:2011/07/23(土) 22:24:41.09
>>631
川路も根岸も名主出身ではないよ
635日本@名無史さん:2011/07/23(土) 23:08:17.10
俺の藩は近在の庄屋の苗字と同じくするものが数十石から数石程度まで数多く分限帳に記されている。
全国に余り無い独特の苗字が多いことから、地元の国人衆、庄屋層から数多く仕官したのが丸分かり。
636日本@名無史さん:2011/07/24(日) 00:26:29.09
>>634
豪農出身では?
637日本@名無史さん:2011/07/24(日) 00:33:11.21
>>617 奉公人だよ。
上下関係はっきりしたいなら、上級奉公人と名乗れ。
何が武士だよw気持ち悪い。
土地も財産も役も主君への謁見もまともな屋敷も由緒も何もないのに、
何が武士だよ。
戦国野党出自の癖に。
638日本@名無史さん:2011/07/24(日) 06:35:06.38
>>618 天野もそうだよ
639日本@名無史さん:2011/07/24(日) 13:03:07.47
>>635
「俺の藩」ってどこの殿様だよ?(笑)

>>638
天野って旗本か?
640日本@名無史さん:2011/07/24(日) 19:13:50.02
>>636
川路井上兄弟は豪農出身じゃないよ
根岸肥前守も豪農ではない
641日本@名無史さん:2011/07/25(月) 03:58:19.73
つか、まともに、調べも資料もしらないやつは武士とかぬかすな。


そもそも厳密には中級武士→ほんらい武士といえる→かもしれないが、本来的には中級は守護、本来は自分で守護といってた
そして、後世的、戦国的にその中でも出世して強くなった部類を武士といった。
もっとも、大半の有名武士や武士といわれたものは
本来的には中、貴族階級以上のものが繰り下がった?ものなんだけど、
武士自体は本義的、会いでぃんてぃティ的にそういう表現きらう。

元の武士がアンチ階級、貴族、農民主義みたいなところがあったからね。


そもそも、武士と守護が別で
本義的には武士は
守護団形成以降のリーダーや強者、階級者、貴族くずれ(貴族あがり?)をさす、守護職とかのものをさす。
大半は在地豪族じゃなくて貴族くずれ。

だからもともとは武士ってのは、守護職とかをさすんだが
昔は農民と武士の階級意識差はなかった。リーダーと有能の意識差はあったけど
642日本@名無史さん:2011/07/25(月) 08:06:22.45
起源スレにもこっちにも電波が沸いてるな。夏休みか
643日本@名無史さん:2011/07/25(月) 09:57:48.58
基地外だねw
644日本@名無史さん:2011/07/25(月) 19:15:42.12
真の武士ってのは犬畜生のことを言うんだよ
645日本@名無史さん:2011/07/26(火) 09:53:13.36
切り取り強盗は武士の習い
646日本@名無史さん:2011/07/26(火) 20:49:02.58
武士は犯罪者
647日本@名無史さん:2011/07/28(木) 08:51:49.64
武士は職業的殺し屋
648日本@名無史さん:2011/07/31(日) 07:49:24.59
ある下克上で成り上がった大名家の分限帳調べたら
下級武士に、かわはらとか、かわぎしというのがすごく多かったのを覚えてる
大名は兵士をどの変から調達してきたのか想像できちゃうよね
649日本@名無史さん:2011/08/08(月) 22:12:01.64
江戸時代の武士の最下層の足軽というのは、戦国時代で言うと最小限の
軍役を負ってて槍一本鎧一領で荷物持ちの従者一人か二人だけ連れて参陣するようなのを言うの?
それともそういうのは江戸時代では徒士侍(同心?)で、従者の方が足軽になるの?
650日本@名無史さん:2011/08/11(木) 20:32:39.81
>江戸時代の武士の最下層の足軽というのは、戦国時代で言うと最小限の
>軍役を負ってて槍一本鎧一領で荷物持ちの従者一人か二人だけ連れて参陣するようなのを言うの?

いいえ。
一組数貫文目で雇われる卒分が足軽です。
軍役を背負っているのは士分です。足軽ではありません。

>それともそういうのは江戸時代では徒士侍(同心?)で、従者の方が足軽になるの?
江戸幕府の同心は足軽身分です。実質は世襲でしたが代替わりするごとに新規抱えの手続きを取ります。
つまり、名目上は臨時雇いの兵卒というわけです。従者は付きません。
651日本@名無史さん:2011/09/05(月) 13:45:09.20
金沢の足軽博物館みたけど内職とかなんか
かなり悲惨だね ちんどんやみたいなお供
652日本@名無史さん:2011/09/14(水) 09:26:12.65
庄屋名主には戦国時代まで武士だったのがざらにいるよね。
中世武士まで遡れる下級武士なんかいないよね。
653日本@名無史さん:2011/09/17(土) 10:43:59.55
武士が先祖だって言う奴は、武士に幻想を抱きすぎ。
江戸時代の武士は欧州でいう貴族階級ではない。
下級武士より、地方豪農のほうが上だよ。
654日本@名無史さん:2011/09/28(水) 08:23:19.76
>>653
生活はそうだな、反対に下級武士は
プライドしかすがる物がなかったから
かえって武士にこだわった
655日本@名無史さん:2011/10/06(木) 08:17:29.27
でも教養はあったよな
656日本@名無史さん:2011/10/06(木) 18:29:18.72
江戸期で上にあがろうと思ったら文筆か算術が頼りだからなぁ
先祖の功績が身分や収入を決定する武士階級の中で
学問でなんとかできるのが下級武士だからね。

上がりすぎると政争に巻き込まれて粛清されたりするんで注意
657日本@名無史さん:2011/10/06(木) 18:40:01.22
教養でも庄屋名主のほうが下級武士より上だろ。家系ではもちろん
庄屋名主のほうが上。戦国時代の武士が江戸時代の上級武士と
庄屋名主に分かれたんで、身分的上下関係はない。下級武士の先祖は
河原者、野盗。
上級武士=庄屋名主>>一般農民>>>>下級"武士"
これが江戸時代のほんとうの身分序列
658日本@名無史さん:2011/10/06(木) 19:51:33.58
一応は同心も従者つれるんだけどな
659日本@名無史さん:2011/10/07(金) 14:35:12.50
大塩は与力で、そんなに身分高くないけど、自分より上の身分の者を告発してる

@子供の頃、天保山で十数人の海賊の頭を見つけて成敗する
A歳十四にして上方一の槍の使い手と言われる(江戸にも伝わっていた)
B剣術の修行で江戸に下るも(剣でも)負けしらず
C大人になり天保山でまたまた海賊(仇討ちらしい)と出くわすが一人で30人の海賊を捕縛
D隠れキリシタンを名乗る浪人衆100人相手に丸太を持って大暴れ
E内部告発で上司を捕縛(江戸時代ではまずありえない事)
F破戒僧退治の時傭兵20人を滅多刺しにする(30人逃亡)
G陽明学者としても当代一といわれた
H決起の時に命を預けるものが300人もいた
I跡部(水野忠邦の弟)は大塩捕縛の為鉄砲隊を派遣するが、弾を詰める度に大塩の槍の餌食になっていた
J潜伏後の大塩対策で跡部(水野忠邦の弟)が持ち出したのは大砲だった
K大塩は散々暴れまくった上で爆薬を体に付けて自爆(松永久秀・織田信長以来)跡形もなくなっていた
L跡部(水野忠邦の弟)は黒こげた遺体を見て「(もう)これでいいだろ大塩の遺体は・・・」と投げやりになった
M彼の死後、大塩は健在と全国で同様の乱が起きる(有名なのが生田万の乱)
N幕末の時、新政府軍に大塩がいるといい新撰組の原田(槍の名人)が平隊士に「(出会ったら)逃げろ」と指示を出す
O大塩の身長は7尺2寸(今で言うところの217センチ)髷を除いた身長でもゆうに200センチを超える偉丈夫
660日本@名無史さん:2011/10/07(金) 15:34:40.88
なんだそのイチローのテンプレみたいな経歴はw
661日本@名無史さん:2011/10/07(金) 16:50:29.12
他はまだあり得るとしても、身長はさすがに嘘だろww
662日本@名無史さん:2011/10/08(土) 18:35:19.42
お塩先生が四次元的に活躍してんのかとおもた
663日本@名無史さん:2011/10/17(月) 20:02:26.39
徹底的に、奉公人風情の下級武士程度と、庄屋の格の違いを圧倒的に見せ付けたいのだけど、

だれか 「庄屋VS下級武士}というすれ立ててもらえないだろうか?

更なる格の違いを見せ付けられるんだけど。庄屋にたてつくなんて下級武士程度が千年早いというところを

見せ付けられるんだけど。
664日本@名無史さん:2011/10/23(日) 09:14:42.79
百姓風情が何を言うか。
665日本@名無史さん:2011/10/23(日) 13:27:10.69
松尾芭蕉って、百姓(下級武士)って書かれてたけど
桓武平氏ルートなんだよな。

…としたら落ちぶれたなw
666日本@名無史さん:2011/10/23(日) 15:59:48.47
芭蕉は武士じゃないよ。
667日本@名無史さん:2011/11/14(月) 05:46:48.40
>>652
色んなスレでお前みかけるな
668日本@名無史さん:2011/11/21(月) 12:41:45.10
主君がいて名字帯刀、明治時代の戸籍に士族とあり、秩禄処分を受けて一旦ニートになったのが、武士じゃないの
669日本@名無史さん:2011/11/21(月) 13:17:29.76
新撰組も奇兵隊も武士ではなかったな。
670日本@名無史さん:2011/11/21(月) 16:16:53.14
足軽仲間は武士じゃないね。
671日本@名無史さん:2011/11/21(月) 19:47:33.60
>>659
添削してやろう。

@講談の類の荒唐無稽な話。
A佐分利流槍術の免許を持っていて姫路藩の宝蔵院流師範相手にいい成績を収めた。しかし14歳は若すぎ。
B江戸には隠居後に一度だけ行った。それ以前は行っていない。十代の頃学問修行を志し江戸行きを試みるも祖父に捕まり軟禁された。
C海賊捕縛の話は一説としてあるが真偽不明。客船に潜んだ物取り捕縛の話が誇大に伝わったものか。
D講談の類。与力当時の切支丹検挙からの空想か。
E上司と組んで組違いの同僚与力を切腹に追いやり、京大坂の要職を歴任した老中以下数十人の幕閣の要人を糾弾するも、握りつぶされた。
F破戒僧検挙で実際に踏み込んではいない。屋敷に呼びつけ、動かぬ証拠を突きつけても改心しない者を処分した。
G江戸の佐藤一斎とともに、三輪執斎以来絶えていた陽明学を究めた大学者。人嫌いのため交友は狭いが頼山陽や足代弘訓など偉才ぞろい。
H決起の趣旨を知りつつ参加したのは門人の内数十人。他は詳しいことは知らされず施行の恩などから参加した。
I逃げ足が速かったため、奉行所側の犠牲なし。 大塩勢を四散させたのは砲術の大家にして平八郎の友人の坂本鉉之助ら。
J捕縛に向かったのは大坂城代土井利位の軍勢。大坂町奉行所からは跡部の東町奉行所からはゼロ、西町奉行所の与力内山彦次郎のみ。
K大塩父子は町屋から出ることなく火をつけて自殺。爆発というよりは急激に火が回って捕り手が入れなかったため黒焦げに。
L大塩父子の黒焦げ死体検分は難しいが、焼けた屋敷の中に平八郎がいたのは確実。ただし、屋敷の下に水路があった。あとは・・・?
M生田万の乱や能勢騒動をはじめ、多くの乱が起きた。大塩父子の潜伏により、手配書が全国の隅々、それこそ離島にまで周知されたため。
N知らないが、ありえる話。
O大柄だったけど2m強は大きすぎ。
672日本@名無史さん:2011/11/25(金) 15:09:51.96
明治維新は下級武士が中心になって起こしたものだから、単なる武士同士のクーデタでなくて、階級闘争による革命だったことになるな。
673日本@名無史さん:2011/11/25(金) 17:28:45.53
明治初期、華族など大名クラスは政治家になったりしたが、一般士族は何して飯食ってたの?
674日本@名無史さん:2011/11/25(金) 18:20:06.85
>>673
食ってなかっただろ
675日本@名無史さん:2011/11/25(金) 21:53:05.65
知藩事の家臣だろ。
676日本@名無史さん:2011/11/25(金) 21:56:53.99
>>673 相変わらず中下級公務員になったのが多いんではないか?
677日本@名無史さん:2011/11/25(金) 23:13:35.12
ウチのご先祖様はかなり偉い身分だったけど
やーめたって言って戦から逃げて来て農民になっちゃった
だからどれくらい偉かったか詳しくはわからない
でも足軽レベルじゃないのは確実
678日本@名無史さん:2011/11/26(土) 10:30:48.94
人力車の車夫もいたそうな
士族の商法といって商売ヘタもいた
やはりソルジャーだから軍隊だろ
679日本@名無史さん:2011/11/26(土) 11:02:32.84
官吏・軍人・警察官・教員などになれたのは、全体の1割ていど。
大部分の者は売り食いができなくなると、小商売に手を出して失敗したり、
人力車夫などの労働者になってる。
帰農した者も少なくないが、都市部ではやっぱり人力車夫が多い。

東京府での調査だと、士族の多くは人力車夫・荷車引きなどの都市細民として、
下層社会の中に溶解していった。
680日本@名無史さん:2011/11/26(土) 13:32:48.89
うまく官吏に残れた下級武士の場合でも、樋口一葉の生家みたいに、
大黒柱の父親がリストラされて早死にしたりすると、たちまち窮迫する。

吉川英治や山本有三の父みたいに、下級武士から小商売に手を出して失敗し、
息子を徒弟や丁稚奉公に出したりして、完全に平民同然になった者もいる。

下級幕臣の茶坊主出身なのに、東京府の官員として安定した生活を送り、
養子(甥)に高い教育と学歴をつけさせた芥川龍之介の養父は勝ち組といえる。
681日本@名無史さん:2011/11/26(土) 18:37:27.99
>>656

うとつくな!!
読み書きできるだけなのに、下士は頭がいいとなるの?
下士で勘定方などに末端でもお役につけたのはごくごく一部だろ。

庄屋は村内の管理から会計まで全部やってんだよ。

その証拠に、
682日本@名無史さん:2011/11/26(土) 18:40:37.05
幕末、江戸至上、いや日本至上最高の功績を上げた、伊能忠敬。

当時、測量というほどの関数まで使って、日本地図を書き上げた。
しかも、40を超えて。

この伊能家は庄屋。

これほどの知識もxって 偉業を成し遂げられてる下士何ぞいないだろボケw
683日本@名無史さん:2011/11/26(土) 18:51:00.09
>>675
寝言こくなよ。

知藩事の家臣になれたのは、上級武士まで。
その後明治4年には県令が中央政府より送られ知事になるシステム。

その当時の太政官府に、このように記されてる。

>>行政区の長を、大区から小区の長に、旧大名家及び重臣、及び庄屋とす。

わかる?下士程度など、当時の明治政府に、たった一文字も、行政区の長たるものとして、
名なんか刻まれてない。
なにが藩知事の家臣だよ。何でこういう風に知ったかの法螺ふくんだろうな。。。。
684日本@名無史さん:2011/11/26(土) 19:00:31.68
>>676
だから、妄想はやめなよ。下士なんてこうむいんどころじゃないんだよ。
これ嫁


当時徳川家の崩壊により、駿府に本家は移されました。

それに追随していったものの大半は、旗本直参衆(高家、寄合は直参ではないので除外)です。
その直参衆でどの階層が茶葉農家など、再就職の斡旋を帰農という形で許されていたのでしょうか。
http://books.rakuten.co.jp/rb/%E5%B9%95%E8%87%A3%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%98%8E%E6%B2%BB%E7%B6%AD%E6%96%B0-%E5%AE%89%E8%97%A4%E5%84%AA%E4%B8%80%E9%83%8E-9784062879316/item/5529198/
この本にも提示されてるとおり、帰農できたものは、

>>帰農は知行地を持っている極一部の上級旗本のみしか選択できなかった

とかかれております。
いいですか?戦国期、帰農を余儀なくされたというよりかは、帰農という特権待遇を許されたのが、主家が崩壊した室町戦国旧武家の非成り上がり層でした。
そして幕末、主家たる徳川家の崩壊により、帰農が駿府府内であてがわれ、斡旋された階層も、上級旗本のみのごく一部でした。

江戸初期、帰農をした旧武家層の階級は、幕末期、帰農できた階層をみれば、おのずと、
戦国帰農層の階級が浮かび上がってきます。

この比較検討見れば一目瞭然。

戦国帰農武家とは・・・→江戸直参大身上級旗本層クラスだったことが容易にわかります。
もしかすればそれ以上でしょうね。当時の守護大名とはいえ、徳川家ほどの石高などいくら駿府遷都70万石とはいえ、
こんな守護大名などまれです。
そうなれば、当時、戦国末期、主家が滅び、在地において帰農し、さらに新興下克上入府大名により、
その格式が認められ、庄屋という特権認められての帰農とは、まさに、
徳川直参武家衆の中の上級旗本クラスのものだったということが容易に確立することができます
685日本@名無史さん:2011/11/26(土) 19:08:02.51
さらに幕末、御家人衆は、大半が職にあぶれ、在地土地すらなく、ごく一部、
そのまま同心等が警察官として出奔できてる程度です。

当時下級武士というのは、このように、土地がなく在地もなく、下士にならなければ食い扶持がままならなかった層
というのがはっきりわかりますよね。

帰農とは、このように、一部の特権階級に許されし、在地の領主権の行使。コレガ帰農なんですよ。
わかる?さらに庄屋ともなれば、藩主の妥協により中世以来の領主特権も認められてのこと。

帰農とは、時代の変遷の中での、ひとつの勝ち組という価値の証だというのがわかるでしょ

わかる?さらに、庄屋は明治期、新政府大綱である、太政官府により
旧大名家、重臣と並び、戸長(村長のこと)に任命す........

と書かれてるんだよ。わかる?なにが下士が公務員なの?www
じゃあ、薩長土肥等例外下士以外でなれたのあげてみなよ?ww

そのまえに、陣風連の乱佐賀の乱など、暴動起こして、新政府に討伐されてたのが下士でしょww
何の役にもありつけず、職すらなかったが故のものとなんら代わらないでしょ。w
686日本@名無史さん:2011/11/26(土) 19:21:26.77
それから>>684に書いた
>>、庄屋という特権認められての帰農
とはこういうことです

( 江戸初期の岡藩  )
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n332.htm
           ↓
〈旧在地領主層を庄屋に任命〉
 >>大分県下における近世大名は、すべて他国から入部してきた大名である。この大名が領主として領民を支配し、

>>年貢などを納入させることは、当初かなりの困難が伴った。

>>例えば、 中川氏 は文禄3年(1594)に 岡藩主 として入部したが、

>>入部の行列が 大友氏 の浪人の集団に襲われたり(赤岩合戦)、領内の村々に古年貢帳の差し出しを命じた際も、

>>磔(はりつけ)木を持参するという強行手段を構じなければ提出させられなかったりしたのである。

>>このような困難な状況を打開するために近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。

>>岡藩 の場合、各村に庄屋を任命し、それを統轄し 郡奉行 と庄屋とのパイプ役として千石庄屋を任命している。

>> 千石庄屋 の名称は、1,000〜1,500石を統轄範囲単位として1人ずつ任命されていることによる。そして、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。
>>また、 杵築藩 では各 手永(てなが) ごとに 大庄屋 を配置していたが、この大庄屋は士分に準ずる取り扱いをうけていた。

>>>>>>>>>このように諸藩では、旧在地領主層との妥協の上に藩政をスタ−トさせたのである。
687日本@名無史さん:2011/11/26(土) 19:30:22.10
いいか?岡藩家中の重臣家老クラスですら500石が最高クラスで数人しかいないのに、

在地旧武家層には1000石を二十数人に与えてるんだぞ?

ドンだけ庄屋に気を使ってるんだよ?

たかが百章なのか?

下級武士程度がしゃしゃり出てくるレベルと格が違いすぐるんだよwww

庄屋は大名家とさし争えてるんだよ?わかる?

きちんと書いてあるだろ?旧在地領主層を庄屋に任命し特権を与え、

さらには旧大名家が庄屋に妥協したと!!

で、下級武士が、江戸大名家から妥協してもらった特権言ってみなよ!!wwww

格が違うんだよw

ということなんですよ。
688日本@名無史さん:2011/11/26(土) 19:39:19.59
なんどもいうが、下士が江戸期の通年でも武士扱いなどされていた事実などないんだよ。
何でそれがわからない?
武士という性格を帯びたというだけで、武士たる特権を与えられてるわけじゃないんだとなぜわからない?

武士という名で語られてるから、事実が雲隠れしているだけで、
武士ではなく、事実上の奉公人なんだということを自覚すれば、
下士に与えられていた福利厚生、待遇、立場、屋敷、戒名、維新後の成り行き・・・
等全部簡単に説明がつくんだよ。

武士だという憶測で下士を語ろうとするから、矛盾だらけになるんだよ。
わかるでしょ?あなたらは、時代劇の世界の下士と勘違いしてるんですよ。

違うんですよ。
>>そのまえに、陣風連の乱佐賀の乱など、暴動起こして、新政府に討伐されてたのが下士でしょww

こんな新政府に討伐されるような輩が武士ですか?w江戸期の足軽と同じでしょw

感情論ではなく、新政府も明治直後の大綱の太政官府にまで、
行政区の長を大名家と重臣と庄屋だと歌ってるだろ。
なぜこんなに短期間で下士など及ばないほどの地位になる?

それは、江戸期ですら、対面上以外は、下士程度より幕府から庄屋のほうが格上だったという事実があるから。
わかる?下士を武士としてみるから、矛盾だらけになるんだよ。
武士じゃなく、奉公人な?
だから主君にすら謁見できないんでしょw
689日本@名無史さん:2011/11/26(土) 19:41:10.62
あ庄屋さまガンバレ!読んでないけどw
690日本@名無史さん:2011/11/27(日) 02:10:40.21
庄屋階級は労働貴族だったということか?
691日本@名無史さん:2011/11/27(日) 02:19:55.25
あ庄屋さまのうんこは固くて臭い。
692日本@名無史さん:2011/11/27(日) 08:46:53.78
庄屋オタはウザいが、近代以降、士族と平民地主層の
社会的地位が逆転するのは事実。
明治まで政治家・官僚・軍人は士族の独壇場だったが、
大正期以降は地主・豪農層の割合が高くなる。
693日本@名無史さん:2011/11/27(日) 09:48:18.04
歴代首相の出自もそんな感じ。
明治期に初期の官立学校や帝大、軍関係の学校で教育を受けた世代は、
士族出身者が多い。
豪農層は犬養・浜口・幣原くらい。

それが大正期以降に高等教育を受けた世代になると、地主層がぐっと多くなる。
池田、佐藤、福田、竹下など戦後の保守系政治家に典型的にみられる。
(岸、佐藤兄弟は長州藩士=士族でもあったから、ややこしいが)
694日本@名無史さん:2011/11/27(日) 11:22:50.13
同心て40俵2人扶持だろ?
貧乏侍みたく言われるけど新撰組が徳川に取り立てられた時こんなもんだったけど
結構なもんじゃないの

3表1石1両で13両ちょい
695日本@名無史さん:2011/11/27(日) 11:27:40.86
>>694
30俵2人扶持だよ。
696日本@名無史さん:2011/11/27(日) 11:55:26.71
「武士の家計簿」に書いてあったけど、
扶持米取りの下士が知行取りの上士に昇格した場合、
実収入が落ちることもあったらしい。

扶持米を(名目上の)知行地からの年貢への換算やら、
身分格式に伴う出費の増大やらもろもろで。
697日本@名無史さん:2011/11/27(日) 12:16:29.56
千石庄屋の千石は村高だろ。庄屋の石高が千石なら
村高は何万石だ。
698日本@名無史さん:2011/11/27(日) 13:00:57.71
>>692
あ庄屋はそんなことは言っとらんよ。
699日本@名無史さん:2011/11/27(日) 15:18:08.65
別にあ庄屋との会話だけでスレを回してるわけじゃないだろ。
700日本@名無史さん:2011/11/27(日) 15:37:15.97
あ庄屋さまのためにこのスレは出来ました。
701日本@名無史さん:2011/11/27(日) 17:09:21.71
>>693
平民宰相に代表される大正だけど
大正デモクラシーは藩閥政治のアンチテーゼでもあった
旧佐幕派出身者が政治家には多くなる
東条にしてもそう
702日本@名無史さん:2011/11/27(日) 17:34:22.27
>>692>>693を補足すると、両者にはタイムラグがある。
明治期に実権を握ってたのは藩閥政治家で、その時代に高等教育を受けた世代が、
明治後期から大正・昭和戦前に活躍する士族出身の政治家・官僚・軍人。

で、士族出身の高文官僚・職業軍人が実権を握ってた時期に高等教育を受けた世代に、
地方の素封家=地主・豪農層が多くなり、戦後の保守政治家の多くにあてはまる。
703日本@名無史さん:2011/11/27(日) 17:51:36.03
だいたいから武士と言っても元々は身分が低い者
704日本@名無史さん:2011/11/28(月) 02:53:01.98
>>1
いやいや、たしかに隠したになると武士じゃなくなるけど、


伝統的に主力の武士は農民階級だよ。明白な農民階級で


>>1のいう階級はすでに武士じゃなく、武家、公家封建階級のこと。
705日本@名無史さん:2011/11/28(月) 05:20:12.13
地頭クラスが"伝統的に主力の武士"じゃないのか。だったら農民階級じゃないな。
706日本@名無史さん:2011/11/29(火) 15:48:37.77
いわゆるあ庄屋は庄屋の子孫じゃない。
707日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:24:17.78
明治維新はこういう下級武士の大リストラ革命ともいえるな。
708日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:24:54.97
惣庄屋はどうなの?
709日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:51:42.76
>>696
扶持米取り場合、正月にボーナスに相当するものが出たんだな
知行取りだとそれがない分収入ダウン
710日本@名無史さん:2011/12/01(木) 08:18:48.51
下級武士も明治時代には士族ではなかったのか?

 インドのカースト制でいうとスードラに当たるのか?
711日本@名無史さん:2011/12/01(木) 09:23:38.77
>>710
江戸時代の下級武士も賤民だよ。百姓より下。庄屋は下級武士を
ぶった切ってもお構いなしだったんだよ。下級武士が百姓町人から
「お武家さま」と呼ばれて奉られてるのは時代劇の虚構。
誰も下級武士を武士とは思ってなかった。
712日本@名無史さん:2011/12/01(木) 12:48:32.23
戸籍上はそれでも士族で秩禄もらえたんだろ
713日本@名無史さん:2011/12/01(木) 16:23:43.94
士族は人力車夫、土方、風呂屋の釜炊きになって平民に蔑まれながら
こき使われました。
714日本@名無史さん:2011/12/02(金) 15:38:18.35
うちの地域の庄屋さんちのお婆さんは、若い頃は姫様と呼ばれてたそうです。
715日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:59:54.49
>>692
士族の独断場?ではなく士族の土壇場だろ。
初代総理大臣自体貧農の出だろ。

>>大正期以降は地主・豪農層の割合が高くなる。
凄い妄想さじ加減ですなwww
幕末の関数の達人、伊能忠敬も
幕末の日本の経済の立役者、 渋沢栄一も
幕末生まれの東京帝国大学教授にして世界の文学王、夏目漱石も、
いくらでも明治初期の教養人などいるだろ。
なにか自分の人生に不満でもあるの?wwww


716日本@名無史さん:2011/12/03(土) 01:11:57.05
書き忘れた・・・
>>715の人たちみんな庄屋ね。

>>693
いいですか?明治初期から中期のわずか20年前後で、
何百年も続いたものが簡単に庄屋に逆転されたのは、逆転ではなく、「適正化」というんだよ

本来の支配階層で、また必然的名望家であるが故、必然的に何年もたたず庄屋層が戸長村長、また、総理大臣になったんだろ。
必然なんだよ総理大臣クラスがそこまで庄屋層が多くなるというのは。

江戸時代のゆがんだ、戦国下克上の賜物である下士足軽という日本有史以来存在し得なかった層が、わずか数年で淘汰され、
案の定、中世期よりし本来の支配階層たる庄屋層がなる、「職制の適正化」が必然的に成っただけだが?

717日本@名無史さん:2011/12/03(土) 01:19:04.80
                 
                     >>693の答え

社会システム論的にこの時代背景を私が論述定義しても、

そもそもの封建的支配層の社会的規範の根源自体が庄屋にあったからこそ、

わずか明治維新後数年で庄屋が社会の支配階層になり、

また、現代の首相まで庄屋が大半ということに成るが?

またそれらは中世期においても、案の定本来の社会秩序を担ってたものたちであった。

もう簡単にに説明ついちゃうんですよ。

わずか数年で庄屋が取って代わられるのは、{必然的適正化}が図られた結果

必然性がないから下士など真っ先に消えていくんだろ。

スペンサーの社会進化論
マートンの社会システム論
デュケルムのアノミー理論、
フロムの社会性パーソナリズム論

これらすべての社会学的封建制理論の変遷開示を理論で定義すればこうなるんですよ。
わかる?

718日本@名無史さん:2011/12/03(土) 04:49:02.89
でもさ
大名=武士だけど
大名=華族でもあるし華族ってどちらかというと貴族よりな訳だし
その貴族寄りな人達だけを武士にしてしまうと
「武士って何?」ってことになって定義が曖昧になると思うな
719日本@名無史さん:2011/12/03(土) 04:58:13.57
>>718
いやいや、少し訂正させてもらいますよ?

大名は武士ではなく{{武家}}です。武家なんです。
武家は単純に家単位で独立しているものを指します。
貴族は公家です。

あなたがおっしゃってる華族とは明治期のような上位武家が高級官僚化してしまった社会においての、
単なるイメージですよ。江戸下克上大名家のような蜂須賀家浅野家、前田家でもきずけば貴族化してしまってるというだけで、彼らは生粋の成り上がり。

室町守護大名家は比較的軍事貴族に近い属性でもあり、また、実際生活も今日と在住でそのようなみやびな生活スタイルです。

が、彼らこそ、真の名門の「武家」であり、事実上真の意味の武家は彼らのわずか数十家のみなんですよ。
しかし、
720日本@名無史さん:2011/12/03(土) 05:05:53.94
しかし、その軍事貴族たる真の武家たる室町守護大名家の統治する世界の中で、
在地において、それら守護家から土地を介在にした主従関係を持つものたち、
すなわち、名門のその臣の武家に準ずる家、それこそが武士たるものであり、
また名を連ねるものなんですよ。
それらこそが、国人、土豪、地侍という階層の連鎖。これらが真の武士たるもの。

江戸期のものは、これらの間に介在し存在する武士武家の理念を完全に無視し、
土足に踏みにじり、、叩き潰し、破壊し、そして奪った輩が江戸下克上大名家です。

しかし、大名家までなりあがれば、そこに必然性は出てまいります。彼らは新時代の新興武家に当たります。
そして、それらに付随し、その大名家に根拠を置く銃身家老たちは真の武士でしょう。
しかし、下級武士は、武士たるものではなく、真の奉公人です。
私的傭兵に過ぎません。成り行きで保身されてる程度で、これらは武士ではなく奉公人です。
721日本@名無史さん:2011/12/03(土) 05:15:54.77
イバ公は小学生レベルの歴史しか知らんのか。
722日本@名無史さん:2011/12/03(土) 05:30:24.71
>>721
それはそっくりお返ししますよ。
723日本@名無史さん:2011/12/03(土) 07:59:10.97
華族ってこうこうはくしだんってやつでしょ、あれイギリスにならって名家に爵位を授けるものでしょ
明治期には公家も武家も同じ華族制度でくくられることになったのは事実だよ
ただ戦争などで功績があったのものは華族に新たに列せられるわけで比較的平等で流動的な制度だったようだね

大名は武家、貴族は公家という区分方法はないと思う
公家武家というのは、そもそも公家というのは天皇のことだし、公家衆というのが公家の本来的な使い方
公家法、武家法がそれぞれあって、そもそものはじまりは幕府が開かれて以来武家が独自に政権を担うようになってから。
幕府の作った法に従ってなされる裁定が武家法であり、その法で統制されていた地頭その他の勢力も武家に入ると思われる

明治期、直接国税15円以上を納付したものに選挙権、被選挙権が与えられたが
その該当者の98%が地租によるものだったらしく、つまり衆院選有権者の98%が地主だったわけです
都市工業が圧倒的に未発達であった日本でした。同時代のイギリスが逆の比率になっていることを考えれば
日本の産業化がいかに遅れているか分かりますね
地主=庄屋と考えて良さそうですが、田舎紳士たる庄屋が維新後に大きな力をもったのは選挙のしくみ上
当然の帰結だったということでしょう
農村に支持された自由党、都市に支持された改進党の民党の両翼がしだいに仲たがいしていき
明治政府に責任内閣制へと移行しようとすることができなかったのは有名な話です
724日本@名無史さん:2011/12/06(火) 14:38:13.09
明治維新によって
北面の武士から隆盛して政治権力をにぎるようになった武士という軍事階級が時代を終えたということ
それだけ
725日本@名無史さん:2011/12/18(日) 13:34:48.50
私の先祖は広島藩の下級武士と聞かされ、調べてみたのですが…
明治2年ころの藩士職禄というのに、御草履組4石5斗1人扶持に高祖父と同じ名前(苗字の記載なし)
の人物が載っていました。
しかし、苗字が記載なしということは、下級武士ではなく小者でしょうか?
御草履組は、駕籠組、小道具組と同等のようで、小頭には苗字が記載されていました。
726日本@名無史さん:2012/01/02(月) 02:29:33.64
>>711
あまりの妄言にびっくりした。
727日本@名無史さん:2012/01/02(月) 07:47:20.82
下級武士は職人からも「さんぴん」と呼ばれて蔑まれて足蹴にされた。
苗字帯刀も許されず長屋の十畳の間に八人ぐらい詰め込まれて暮らしてた。
庄屋に土下座しなかったら無礼討ちされた。
728日本@名無史さん:2012/01/02(月) 07:53:57.80
将軍>大名>上級武士=庄屋>百姓>職人>商人>エタヒニン=下級武士
729日本@名無史さん:2012/01/02(月) 11:14:00.70
秀吉の朝鮮征伐で半島から連れてこられた朝鮮人が下級武士になったので江戸時代でも
明治以降でも日本社会の最下層だ。
730日本@名無史さん:2012/01/03(火) 00:37:25.43
>>725
名字が記載されていないのは百姓扱いだったということ。

ちなみに、もともと武士の家柄かどうかは関係ないので・・・。
731日本@名無史さん:2012/01/03(火) 08:03:15.35
どの範囲まで士分の扱いにするかは藩によっても違いがあるようだが、苗字が記載されてなければ
武士じゃない。それでも名も記載されていない者よりは上だってことだな。
732日本@名無史さん:2012/01/03(火) 12:58:26.55
幾ら喚いても庄屋は武士ではない。
733725:2012/01/03(火) 18:15:31.36
草履取組には、その高祖父久太郎の外にも、除籍謄本に記載があった親戚、
市蔵、芳太郎の名もありました。
これだけ、名前が重なっていることからも、藩士職録の久太郎が高祖父である
可能性は高いと思います。
ただ、久太郎は安政6年生まれ、明治2年にはまだ10歳程です。
もしかしたら、藩士の子弟として扶持を受けていたのかも知れません。
同姓は、一番古くは広島藩の分家三次藩侍帳の小姓にあり、三次藩断絶した後は
大御小姓として広島藩に仕えたとなっていました。
幕末の資料である芸藩志の足軽の中にも同姓の者が見られましたので、それらの方
と久太郎との関係を調べてみようと思います。
734日本@名無史さん:2012/01/03(火) 19:01:37.55
>>733
苗字はあるのですかないのですか?
735725:2012/01/03(火) 20:27:13.70
藩士職録の草履取組、久太郎、市蔵、そして芳太郎(この人の息子が当家の養子
に来ていたため除籍謄本に記載あり)には苗字はかいてありません。
芳太郎は除籍謄本には大橋喜右衛門の弟となっていましたので、もしかしたら、
草履取組は、藩士の家族等で構成されているのかと考えたのです。
当家の苗字(熊本の殿様と同じ)は広島藩の記録では733の通り、何人か同姓の者がいるようですので、
その関係を調べてみようと思います。
736日本@名無史さん:2012/01/03(火) 21:25:10.71
>>735
細川さんですかw
737日本@名無史さん:2012/01/05(木) 22:26:02.05
そもそも地理的に


12世紀に武士は関東、坂東にしかいない。坂東武士

13世紀以降武士が全国拡散する。
このとき武士定義他あいまいで

1 田舎武士集団
  これは豪族と大変類似する。法的に地頭とよばれる連中。
 豪族、農民というのが正しい。これは>>1のいう中級である。そしてヒデヨシなんかはこのランクからにあたる。

2 一般武士集団。
 これは守護、伝統武士なごりの拡散武士と豪族が混ざったもの(隼人)が大半。
武士

で便宜上>>1のいうのは1である。
そして足軽〜なんかは事実単位として傭兵集団だった。農民傭兵
あとは地元の在地武士、農民、パルチザンみたいなもの。
738日本@名無史さん:2012/01/06(金) 07:11:23.70
>>737
あ庄屋さまwwww
739日本@名無史さん:2012/01/06(金) 07:11:49.28
近藤勇は武田騎馬隊の末裔wwwwwwww
740日本@名無史さん:2012/01/06(金) 09:13:24.11
>下級武士は職人からも「さんぴん」と呼ばれて蔑まれて足蹴にされた。
サンピンってのは3両一人扶持。
この給料は武家奉公人の給料だよ。士分と言っていいかどうか

>明治2年ころの藩士職禄というのに、御草履組4石5斗1人扶持に高祖父と同じ名前(苗字の記載なし)
物価なんかを考えると、いわゆる「三一」なのではないでしょうか。武家奉公人だと思います。
741日本@名無史さん:2012/01/06(金) 09:34:23.07
>>740
下級"武士"は武士じゃなくて奉公人だ。苗字帯刀も許されず長屋の十畳の間にに七、八人ぐらい
詰め込まれて暮らしてた。一人前の職人より下だよww
エタヒニンと同格だよwwwww
742日本@名無史さん:2012/01/06(金) 09:42:03.79
ドラマで下級"武士"が百姓町人から「お武家さま」と呼ばれて奉られてるのは大嘘。
誰も下級"武士"を武士扱いしなかった。職人が下級"武士"を殺しても
殺された側に落ち度があればお構いなしだった。下級"武士"は庄屋に道を譲らなければ
ならなかった。つまり、下級"武士"は最下層の身分。武士でも何でもない。賤民奴隷、
現代で言えば派遣日雇い。
743日本@名無史さん:2012/01/06(金) 14:47:23.16
>>742
庄屋なんて江戸に出れば土百姓
同心クラスに無礼をすれば切捨てか牢送り

それも百姓牢www
744日本@名無史さん:2012/01/06(金) 14:48:23.79
御公儀の足軽は同心ですが一戸建てですが?
745日本@名無史さん:2012/01/06(金) 16:01:47.15
>>742
妄想w
資料みせよろw
746日本@名無史さん:2012/01/06(金) 19:40:08.13
これが庄屋屋敷だぞ。
http://www.kamoltd.co.jp/kakegawa/kamoso.htm
http://www.visit-ohda.jp/588.html
http://www.hanasakanosho.com/yashiki.html
http://www.osawaonsen.co.jp/yoda_em.htm
>>745
長屋の十畳の間に八人詰め込まれてた足軽が威張れる相手か。おまえら足軽は
庄屋に土下座しなければ無礼討ちにされたんだよ。
747日本@名無史さん:2012/01/06(金) 21:24:22.15
>>746
だからそれが庄屋の典型であるソースみせろよw

748725:2012/01/06(金) 22:03:47.07
当家は明治になってから、広島を出て浅野分家の領地に移りましたが、そこでは
元庄屋(室町守護大名の家臣子孫)の次男坊を養子に取ったり、戸長(町史によれば
多田源氏の子孫ということになっている)の娘を嫁に貰っています。
確かに、元庄屋の方が財力はあると思います。
久太郎の子、私の曾祖父は指物大工をしており、貧乏したが、地元の
有力者との縁組で、何とかなったとのことです。
実際の庄屋というのは、某庄屋様がおっしゃる程のことはないと思いますが。

そういえば、某庄屋様は富山の豪農内山邸をご存じですか?


749日本@名無史さん:2012/01/06(金) 23:33:10.65
>>746
訴訟とかで江戸に出れば大庄屋もただの土百姓ww

訴訟費用は多額で村の水飲みにまでも泣きつく庄屋さまww
750日本@名無史さん:2012/01/06(金) 23:34:55.81
>>746
外様大名の陪臣の家来の奉公人クラスはそうだが
御公儀にそれはないなぁww

天領で代官手代なんて下士もいいところだが
それに土下座するのが大庄屋^^
751日本@名無史さん:2012/01/06(金) 23:42:33.38
屋敷の広さ豪華さなら
穢多頭弾家は十万石格
その配下の小頭 大阪の長吏頭も大身旗本以上

でも身分差別は歴然
大庄屋も基本は百姓 士分との格差は歴然

足軽並の町方同心に逆らったらひどい目にあうのが江戸に出てきた田舎の大庄屋w
752日本@名無史さん:2012/01/07(土) 04:51:34.08
庄屋の屋敷が立派なのは、いわゆる村役場を兼ねているから
753日本@名無史さん:2012/01/07(土) 20:07:01.68
>>752
土地の有力者が庄屋に任命されたからね。
754日本@名無史さん:2012/01/08(日) 02:33:18.20
代官所の手代も村では士装だが、江戸に使いでもあれば百姓のなりだったらしいね。
手付になれば公式に士分格となったようだが旗本代官の私的な家来になったほうが早いんじゃね?
武士になるだけなら。
755日本@名無史さん:2012/01/08(日) 17:49:24.29
加茂なんて名前の旧家は単なる庄屋じゃないだろ。
756日本@名無史さん:2012/01/08(日) 18:28:39.16
>>755
あ庄屋さま!
757日本@名無史さん:2012/01/08(日) 20:30:21.74
>>755
旧庄屋じゃなくても加茂姓はあるけど?
そもそもいつから確実に加茂姓なんだ?
庄屋の系図は全部本物で士族の系図は全部偽物だと言いたいのか?
758日本@名無史さん:2012/01/08(日) 23:20:57.67
うちはじいちゃんが子供の時代まで村人に土下座で迎えらてたけど
庄屋ごときじゃそんなこともないんだろ?
759日本@名無史さん:2012/01/08(日) 23:28:03.73
>>758
領主クラスですね
地主は恨まれてるからそこまではされない
760日本@名無史さん:2012/01/09(月) 14:25:23.77
>>758
特別に格式が高い庄屋だったんじゃないの?
761日本@名無史さん:2012/01/09(月) 14:40:09.04
>>760
旧小藩主で郷士。藩の客分。

762日本@名無史さん:2012/01/09(月) 14:46:24.99
>>760
旧小藩主で郷士。藩の食客。藩主と同格の扱いだったらしい。
763日本@名無史さん:2012/01/09(月) 20:30:20.33
>>762
そこまで言ったのならいつ改易された何という家なのか言いなさいよ。
764日本@名無史さん:2012/01/09(月) 23:59:39.76
客分といえば宮本武蔵。
熊本の藩主、上席家老にしかゆるされない鷹狩りもゆるされてたらしい。
765日本@名無史さん:2012/01/10(火) 00:32:40.43
身バレすることは言わんよ
766日本@名無史さん:2012/01/10(火) 09:28:32.79
僕んちは戦から逃げて農民になっちゃった。
767日本@名無史さん:2012/01/10(火) 16:22:36.93
ぼくの家は殿様が改易されて農民になりました
768日本@名無史さん:2012/01/10(火) 17:09:31.14
>>767
ある程度小金と伝手があって土地を買う事が出来たか、新田開墾できたかだな
大身の三男四男辺りは、親に土地を買ってもらって百姓になるか町に店を買ってもらって商人になるかだし。
769日本@名無史さん:2012/01/10(火) 17:36:03.32
全部読んだわけじゃなく、ちょろっと読んだだけなんだけど
江戸時代の庄屋は、江戸以前は武士やってた家系も多いと聞くので
身分上は農民でも、根っからの農民とはちょっと違うよね
下手な武家より立派な家系図だったりするし
770日本@名無史さん:2012/01/10(火) 18:24:40.60
>>769
戦国時代は地方の有力者はみんな武士だったし有力者でなくても戦国大名の軍隊に
動員されたり一揆で武器を取って戦ったりしてた。武士と非武士の境界が流動的だった時代だ。
771日本@名無史さん:2012/01/10(火) 21:11:17.70
>>769
かなり高貴な血筋の庄屋さんもいるからね。
772日本@名無史さん:2012/01/10(火) 22:17:58.07
そんなことを言い出したら、血筋が良いのに庄屋にすらなれない人もいたし、
血筋は良くないのに関白になった人だっていただろう。
773日本@名無史さん:2012/01/10(火) 23:17:16.05
家柄に見合った品格を保つには、ある程度の経済力が必要。
良血統の庄屋なら、それが現代まで紡がれていたりする。
774日本@名無史さん:2012/01/11(水) 05:51:47.68
>>773
あ庄屋さまw
775日本@名無史さん:2012/01/11(水) 08:07:56.24
あ庄屋さまには品格があるwwww
776日本@名無史さん:2012/01/11(水) 15:06:16.35
まぁ一理有りだな。
777日本@名無史さん:2012/01/11(水) 17:27:25.99
庄屋を恐れ入る都会人はいないよ。おらの村のお庄屋様は日本一偉いと思ってる山猿は
山へ帰れ。二度と都会にその猿づらを出すな。
778日本@名無史さん:2012/01/11(水) 19:58:51.37
あ庄屋さまは「細雪」を読んだかな?これが都会の上流階級の洗練された生活なんだよ。
おらの村のお庄屋さまなんかただの山猿だ
779日本@名無史さん:2012/01/11(水) 20:40:18.31
なにが上流社会だ。
斜陽でも読んどけ。
780日本@名無史さん:2012/01/11(水) 21:08:16.36
現代の感覚っだと、普段は何か別の仕事してる民兵がいっぱい
・・・ということかいね?

幹部・将校クラスは武士だろうけど。
781日本@名無史さん:2012/01/11(水) 21:50:05.33
>>779
あ庄屋さまwwww
782日本@名無史さん:2012/01/12(木) 10:31:54.71
>>779
「細雪」と「斜陽」がどう関係あるんだ?あ庄屋は無知だなあw
783日本@名無史さん:2012/01/12(木) 11:59:06.21
谷崎は単なる官能小説家だ
784日本@名無史さん:2012/01/12(木) 12:52:06.67
>>783
あ庄屋さまw
785日本@名無史さん:2012/01/12(木) 14:30:53.51
あ庄屋に質問

地方の大庄屋が上京した時
宿泊はどこでするの?
発狂して暴れた時大庄屋を捕縛する担当は?

下士でも士分なら
藩邸
公儀が捕縛 藩屋敷の担当に引渡し
ですが?w
786日本@名無史さん:2012/01/12(木) 14:32:39.45
あ庄屋って
御公儀と各大名
大名の直臣とその家来(陪臣)
大名家臣の家来の家来

。。。区分がついてないよなw
787日本@名無史さん:2012/01/12(木) 14:45:27.55
「おらが村の庄屋さまは日本一えれえだ」と思ってる山猿だ。庄屋屋敷より大きい家がないとは
どこド田舎だ。都会じゃ誰も庄屋を偉いと思ってないよ。土人の酋長ぐらいにしか思ってない。
お城下で庄屋屋敷の大きさを自慢したら「あのお城のほうが大きいや」でお終いだろうが。
788日本@名無史さん:2012/01/12(木) 14:53:46.84
>>783
「近藤勇は武田騎馬隊の末裔」って、どの三文時代小説で読んだんだ?
789日本@名無史さん:2012/01/12(木) 17:16:18.46
>>782
あ馬鹿様w

どういう関係って、おまえ恐ろしいほど無知だなw
前にヒントとなるキーワードがないかな?
790日本@名無史さん:2012/01/12(木) 17:57:20.10
祖父の生家が庄屋でしたが、戦国時代までは殿様でした。
江戸期には本家が庄屋となって、広大な土地を所有し続けました。
分家は新たな支配者に取り立てられ、武士の端くれとして明治を迎えました。
791日本@名無史さん:2012/01/13(金) 02:15:53.02
>>790
うちより格下
792日本@名無史さん:2012/01/13(金) 08:05:46.49
>>790
つまり田舎っぺってことだな
793日本@名無史さん:2012/01/13(金) 13:59:33.32
>>792
田舎ですよ。都会に出るのに1時間もかかります。
794日本@名無史さん:2012/01/13(金) 16:52:50.02
地方都市に出るのに一時間だな。
795日本@名無史さん:2012/01/13(金) 17:22:28.25
「名門庄屋」と「小作庄屋」の区分はやめたのか?
796日本@名無史さん:2012/01/13(金) 18:34:27.35
上流庄屋
→郡司や臣籍降下した貴族が土着。元貴族

中流庄屋
→中世は領主。郡司などに由来すると自称

土人庄屋(普通の庄屋)
→土人百姓が年貢の勘定をする為に仕方なく庄屋化
797日本@名無史さん:2012/01/13(金) 20:28:04.59
>>796
仕官できなかった点で全員負け犬です
798日本@名無史さん:2012/01/13(金) 20:34:41.69
江戸時代は終わってるんだから、江戸時代の身分が絶対じゃない。
江戸時代の身分も鎌倉時代の身分も、同様に過去の先祖の身分だ。
799日本@名無史さん:2012/01/13(金) 21:58:02.98
>>796
郡司または天皇の子孫であることが確実な庄屋家はどの家?
中流庄屋や土人庄屋が郡司または天皇の子孫ではないという根拠は?
800日本@名無史さん:2012/01/13(金) 22:06:11.60
>>799
無視しとけよ
笑うとこだろ
801日本@名無史さん:2012/01/14(土) 00:19:15.17
>>785
公用なら藩邸に泊めてくれたよ。
天保5年2月、名主頭等4名、御勝手御用のため出府。
滞在場所は上屋敷御物見二階下「次ノ間」、4人一部屋だったけどw
因みに同行の上士は「上ノ間」
802日本@名無史さん:2012/01/14(土) 06:22:49.40
>>801
799の質問に答えてね
803日本@名無史さん:2012/01/14(土) 07:03:33.92
>>796
郡司が元貴族か、どあほw
804日本@名無史さん:2012/01/14(土) 07:04:31.51
訂正
郡司が貴族かよw
805日本@名無史さん:2012/01/14(土) 11:40:08.11
上流庄屋
→土着した貴族に由来

中流庄屋
→中世は領主。郡司などに由来

普通の庄屋)
→百姓が年貢の勘定をする為に仕方なく庄屋化
806日本@名無史さん:2012/01/14(土) 20:24:02.01
>普通の庄屋)
>→百姓が年貢の勘定をする為に仕方なく庄屋化
庄屋の仕事は年貢の勘定だけではありません
村民の法令順守(警察や裁判所的な仕事)、人別や土地の管理等、かなり広範囲にわたっている。
それだけ村の自治権が強かったと言う事でもある。

そういや江戸初期の村方騒動には
上の貴族出身や武家出身の庄屋が年貢や村入用の不正や私的夫役が原因のものが多く
それが原因で領主による権力規制もあって特権の私的使用が出来なくなっている。
807日本@名無史さん:2012/01/14(土) 20:28:14.96
それは代官の仕事だろ。代官を兼ねた庄屋は稀。
808日本@名無史さん:2012/01/14(土) 21:04:01.24
うちの藩では、代官の下に検断役が置かれた。
だから、おそらく庄屋には検断権は無かったと思われる。
809日本@名無史さん:2012/01/14(土) 21:04:42.92
>それは代官の仕事だろ。代官を兼ねた庄屋は稀。
いいえ。
庄屋を始めとする村役人は、「村」のほとんどの管理を行います。
代官はこの村を幾つも束ねた領地の管理を行います。
代官は村の内政にはよほどの事がない限りタッチしませんし、出来ませんでした。
庄屋の惣代機能を奪おうといた例はありますが上手くいかなかったのです。
庄屋の方もよほどの事がない限り村の事は代官には持ち込みませんでした。

"代官を兼ねた庄屋"というのは多分"十村肝煎"と呼ばれている肝煎(庄屋)だと思うのですが……
加賀藩では郡奉行や改作奉行の下につく代官みたいな仕事をしています。確かに。
この辺りは「役人をよこすより農民自身に徴税させた方が反発が少ない」と言う考えで行われました。
十村制導入後は逃散する農民は激減しました。
また、肝煎(庄屋)が藩からその権力を追認され扶持も与えられた事から、肝煎(庄屋)とってもメリットがあり
徴収でトラブルが起こっても「農民同士のトラブル」として扱えた事(農民の自治権を逆手に取った)
も藩にとってはメリットでした。
810日本@名無史さん:2012/01/14(土) 21:08:28.24
>>809
読みにくい短く
811日本@名無史さん:2012/01/14(土) 21:18:44.76
無理して読まなくていいのよ。大したことは書いてないし

1.代官の仕事は"領地管理"で、"村の管理"ではないし、やりたくても出来なかった
2."代官ぽいモノをを兼ねた庄屋"は地域によっては一般的。
藩にとっても村にとっても庄屋にとってもいくつか利点がある。
812日本@名無史さん:2012/01/15(日) 13:57:02.94
庄屋>大名
813日本@名無史さん:2012/01/23(月) 01:33:32.37
>>787
>おらが村の庄屋さまは日本一えれえだ」と思ってる山猿だ。庄屋屋敷より大きい家がないとは
>どこド田舎だ。都会じゃ誰も庄屋を偉いと思ってないよ。土人の酋長ぐらいにしか思ってない。
>お城下で庄屋屋敷の大きさを自慢したら「あのお城のほうが大きいや」でお終いだろうが


お武家様!!庄屋さまが、こげーなお城さ住んでるだで!
お武家様、こげーな庄屋さまの在地の殿様きどりを、なんとかしてくだせーましwww
http://ftown.boo.jp/takahashi/map/fukiya_hiromane/top.htm
814日本@名無史さん:2012/01/23(月) 04:00:41.72
この庄屋さまは陣屋よりでかい屋敷のでやんすよお武家サマー( ゚д゚)。・。
http://www.youtube.com/watch?v=_BJstJs1WdA
815日本@名無史さん:2012/01/23(月) 05:53:05.82
>>813>>814
くだらね
816日本@名無史さん:2012/01/23(月) 06:15:40.85
>>813 これすげーな!
   もはや戦国時代の山城の豪族じゃん
   これ篭城されたら、なまじ藩は崩壊するレベル
817日本@名無史さん:2012/01/23(月) 06:27:56.82
>>813
商売が当たって財力を持ったのはまた別の話だろう。
818日本@名無史さん:2012/01/23(月) 06:34:39.64
でもさ生駒家もあるように、戦国時代の大名や豪族も商業も政治も取り込んでない?
戦国大名は商業と隔絶してたなんてありえないしね
819日本@名無史さん:2012/01/23(月) 07:29:25.62
いやいや斜面だから土止めに石垣つくっただけ
820日本@名無史さん:2012/01/23(月) 07:36:52.39
それだけでもすごいでしょ
武家屋敷の石垣よりはどう見てもすごい
821日本@名無史さん:2012/01/23(月) 07:48:39.94
>>813
江戸時代にこんな屋敷作るのが許されてたのか
822日本@名無史さん:2012/01/23(月) 08:43:44.73
>>821
リンク先の見取り図みてみろよ大したことないぞ
823日本@名無史さん:2012/01/23(月) 09:04:59.97
>>816
まるみえ自演乙www
824日本@名無史さん:2012/01/23(月) 09:17:32.37
あ庄屋さまは平良文の子孫
825日本@名無史さん:2012/01/23(月) 19:35:29.04
>>818
商人が商売するのと、大名が商業を支援したり規制したりするのは別の話だろう。
それらを同一視すると、武力を持っていた武士も僧侶も同じだということになってしまう。
826日本@名無史さん:2012/01/23(月) 21:26:41.67
>>825
商売?w
銅山経営の独占事業とローハ製造というマテリアルという、当時の重化学工業を商売?ww
こんなのは一般的な商人の家業だというわけだな?w

じゃあ、甲斐武田も商人武家だな?w
黒田家も生駒家も斉藤家も、みんな商人という区分でおkだよね?
827日本@名無史さん:2012/01/23(月) 21:34:23.09
あと、銅山経営を独占的家業とできている中世からの商人上げてくれないか?ww
そして、これを商業というのではなく、ただの卸売りと仮定している君の商人といういくくりは、
この銅山経営や化学工業のローハなどの事業だという頭の悪さも、弁明してくれないか?w

そして、逆に国人、豪族、土豪層では、その卸売りの商売の独占権も中性では立派な名門武家の範疇だったわけだが、
この商売の独占権または、商売など一切やらず、武士家業だけで豪族だったもの上げてくれないか?
これらこそ俺の知る限り、秀吉だの前田や蜂須賀、浅野のような戦国なりあがり下克上大名しか思い出せないんだが?w
828日本@名無史さん:2012/01/23(月) 23:49:02.57
横だし、芝生やしている痴障と係わりたくはないが827は↓嫁

日本鉱山史の研究 小葉田 淳
829日本@名無史さん:2012/01/24(火) 00:18:20.57
>>828
まったく答えになってないな無知乙君W

で、@商売とは鉱山経営が一般的な江戸商売なんだな?

Aそして、斐武田も商人武家だな?w
黒田家も生駒家も斉藤家も、みんな商人という区分でおkだよね?


Bそして、逆に国人、豪族、土豪層では、その卸売りの商売の独占権も中性では立派な名門武家の範疇だったわけだが、
この商売の独占権または、商売など一切やらず、武士家業だけで豪族だったもの上げてくれないか?
これらこそ俺の知る限り、秀吉だの前田や蜂須賀、浅野のような戦国なりあがり下克上大名しか思い出せないんだが?w

C
>それらを同一視すると、武力を持っていた武士も僧侶も同じだということになってしまう。

事実上同じだよ。何が違うんだ?一向宗と雑賀衆、蜂須賀党、伊賀衆
何が違うのか教えてくれないか?後は自分がどこに属したいかの選択だ。
室町期、守護家に使えるものに○○入道という坊主武将や、神官武将など腐るほどいるが?
だったら、宮司家下がりの武将は武士ではないか?WW
百章あがりの秀吉は、武士ではない?盗賊出身の蜂須賀は?
自分がどの集団に属したいのか、その選択ができる力を得ているとき、職業的区分など存在したと思ってるの?W
まったく歴史無知な発想だよなWW

すべて答えてくれないか?W

830日本@名無史さん:2012/01/24(火) 00:25:47.92
補足するが、上記のCの質問の補足

たとえば、旧武家が帰農したものも、まったくの属性の違うものに転向を余儀なくされたと思ってるんだろ?W
あくまで、当時の旧武家層のひとつの側面である、在地の開発領主、荘園管理の側面を受け継ぎ、部の側面をそぎ落としたのが庄屋でしょ。

大宮司家は古代武力はもってなかった?中世以降ではその武をそぎ落とした側面での神官に特化した職を形襲したまでだが?

欧州で、ローマ教皇はただの坊さんで、まるで皇帝や軍事貴族とは違うものだといってるものと同じなんだですよ。
831日本@名無史さん:2012/01/24(火) 00:34:32.72
オームが人の言葉を発するからといって飼い主でもない俺が
畜生に芸を教えて何か意味があるのかい?

君の姿勢は他人に教えを請うレベルに遠く達しない
それと横ってのは横レスのことね
俺は第三者
832日本@名無史さん:2012/01/24(火) 00:39:32.47
そして、もうひとつ、質問を加えます。

D  
本当に江戸期、下級武士は豪農や庄屋を下に見ていたのかということについて。

幕末、土方歳三いましたよね?彼はわずか数年で旗本に上り詰めました。
戦国期なら彼こそ大身寄合の名門家に列していたでしょう。

で、その彼は、彰義隊や佐幕派諸藩の藩士数千人からなる部隊の軍事奉行
要は首脳くらすとなり、それら下級武士たちを統率している。
なぜ、下級武士は徹底的に庄屋を格下に見ていたなら、それをすんなり受け入れた?

また函館戦争では、逃げようとした下級武士を切り捨て、臆病になった下級武士などの隊士たちを鼓舞している、
なぜこのようなことができた?
当時の下級武士が庄屋を格下に見ていたなら、軍事奉行になることも、切り捨てごめんなんてできるわけない。
なぜ、土方は、現代のイメージで言う士と豪農庄屋の関係の真逆ばかりを実践できてる?

あたまいいんだろ?W
合理的に、かつ論理的に、かつ具体性を帯びた形で、わかりやすく論述してくれよ。
833日本@名無史さん:2012/01/24(火) 00:42:41.08
>>831
そうか。答えられないなら恥ずかしがらずにそういえばいいだろ?W
オーム以下の脳みそでも言葉くらいはわかるんだろ?W
834日本@名無史さん:2012/01/24(火) 04:22:43.41
>>832
江戸時代って大名でさえ貧乏でギリギリの生活してても珍しくないんじゃないの?
庄屋や豪農の方が豊かな生活してそうだけど……
835日本@名無史さん:2012/01/24(火) 05:08:39.80
>>834
そのとお〜〜〜り!!

小大名程度じゃ、財力でさえ庄屋の敵じゃない。

それに、藩主や藩執政は事実上、祭りごとを担う特別階級なので、確かにこれらは別格。

しかし、庄屋や、豪農は事実上、藩執政には当たらない一般上級武士と同じ階層であったわけなんですね。

あくまで、祭りごとをつかさどる藩主藩執政が上位、

それらの純然たる直近下位の家臣たる一般上級武士と、在地執政の庄屋豪農が同列。

総合的に、あらゆる比較検討を多角的に見ていけば、おのずとこういう現実が見えてくる。

逆に言えばこれが自然なトップダウン式の流れ。

中世の支配構造がまさにこれ。

中級武士は平百章や富農家と同列

下級武士は町人と同列。

しかし、反乱を恐れるが故の幕府や諸藩は、対面上の秩序的区分を足軽にも逆らうことを禁じたまで。

島原の乱や、九州庄屋の反乱をよほど身にしみたわけ。
836日本@名無史さん:2012/01/24(火) 07:41:55.85
>庄屋や豪農の方が豊かな生活してそうだけど……

武士階級はさまざまな儀式や行事なんかで出費がかかって困窮するんだよ
それと庄屋というか豪農でも江戸期の経済の変化についていけずに破産する者も多かったんで
(これは江戸中期以降武士階級が経済的に困窮したのと同じ理由、
相対的に米の価値が低下して収入が減った事が大きな原因になっている)

経済的にどうこうというなら、まぁどっこいどっこい
経済的な優位性と地位的な優位性がバラバラなのが江戸期の階級制だけどなぁ
経済面では商人の躍進の方が凄いよ。
とある藩ではその藩の商人達の売り上げが藩の収入をはるかに上回り
困窮農民の救済を商人達がやっていたりするからね。
837日本@名無史さん:2012/01/24(火) 08:03:58.39
818 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 06:34:39.64
でもさ生駒家もあるように、戦国時代の大名や豪族も商業も政治も取り込んでない?
戦国大名は商業と隔絶してたなんてありえないしね

  ↑このれすの「商業」を「商売」に言いかえただけがこれ↓

818 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2012/01/23(月) 06:34:39.64
でもさ生駒家もあるように、戦国時代の大名や豪族も商業も政治も取り込んでない?
戦国大名は商業と隔絶してたなんてありえないしね

  するとこれ↓  

826 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2012/01/23(月) 21:26:41.67
>>825
商売?w
銅山経営の独占事業とローハ製造というマテリアルという、当時の重化学工業を商売?ww
こんなのは一般的な商人の家業だというわけだな?w

じゃあ、甲斐武田も商人武家だな?w
黒田家も生駒家も斉藤家も、みんな商人という区分でおkだよね?

827 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2012/01/23(月) 21:34:23.09
あと、銅山経営を独占的家業とできている中世からの商人上げてくれないか?ww
そして、これを商業というのではなく、ただの卸売りと仮定している君の商人といういくくりは、
この銅山経営や化学工業のローハなどの事業だという頭の悪さも、弁明してくれないか?w

そして、逆に国人、豪族、土豪層では、その卸売りの商売の独占権も中性では立派な名門武家の範疇だったわけだが、
この商売の独占権または、商売など一切やらず、武士家業だけで豪族だったもの上げてくれないか?
これらこそ俺の知る限り、秀吉だの前田や蜂須賀、浅野のような戦国なりあがり下克上大名しか思い出せないんだが?w

  825は「商業」を「商売」という同義語で置き換えただけ。「商売=卸売」と言っていない(これはあ庄屋のデマ、いつもの卑劣な手口)
838日本@名無史さん:2012/01/24(火) 08:27:51.94
あ庄屋さま、商業と商売の違いを説明してください。
839日本@名無史さん:2012/01/24(火) 08:28:24.86
商売には卸しかない理由も説明してください。
840日本@名無史さん:2012/07/20(金) 12:15:57.31
      /゙ミヽ、,,___,,/゙ヽ
 ◆    i ノ   川 `ヽ'    
 | |   / `●  . ●..i、  
 | |   彡., .ミ(_,人_)彡ミ  
 | |,  / ヽ、,      ノ    
 丶ニ|    '"''''''''''''.ノ  
    ∪⌒∪" ̄ ̄∪
841日本@名無史さん:2012/07/20(金) 12:16:32.81
      /゙ミヽ、,,___,,/゙ヽ
 ◆    i ノ   川 `ヽ'    
 | |   / `●  . ●..i、  
 | |   彡., .ミ(_,人_)彡ミ  
 | |,  / ヽ、,      ノ    
 丶ニ|    '"''' ''''''' ''.ノ  
    ∪⌒∪" ̄ ̄∪
842日本@名無史さん:2012/09/11(火) 10:58:38.12
足軽は徳川の世になり天下泰平になると、生きる術を失った。ゆえに徒党を
組み、組織的に市井の治安維持を生業とするようになった。岡っ引きや町火消し
等がそれである。しかし、お上のご威光をかさに着て、理不尽な振舞いも多かった。

のちのやくざである。
843日本@名無史さん:2012/09/11(火) 13:30:20.28
足軽にも切り捨て御免を与えているから武士は武士だろう。
844日本@名無史さん:2012/09/11(火) 14:14:31.76
>>843
それを言ったらあ庄屋様が発狂しちゃうw
845日本@名無史さん:2012/09/11(火) 15:51:36.64
はっはっはっ、タイトルにワロタ!先祖が下級武士じゃなくてヨカタっ!
846日本@名無史さん:2012/09/11(火) 17:16:21.31
知的障害者しかばかりかこのスレは
847日本@名無史さん:2012/09/12(水) 14:39:20.28
>>845
あ庄屋様!!
848日本@名無史さん:2012/09/12(水) 18:37:29.05
読んでみたが足軽は武士でないと思いたいひとの主張がよくわからん
仕事がなかろうが貧乏であろうが、株で買えようが
切り捨て御免や苗字帯刀がある者は足軽といわれようとも武士なんだが

あと呼び名や実態は藩ごとに違うしね
849日本@名無史さん:2012/09/12(水) 22:51:22.59
…足軽に斬り捨て御免あるの? むしろ、斬り捨て御免される方じゃないの?
850日本@名無史さん:2012/09/13(木) 00:51:40.08
江戸初期に御触れであったな
幕府管轄ではそう
851日本@名無史さん:2012/09/15(土) 17:59:57.72
八丁堀同心は足軽だね。
852日本@名無史さん:2012/09/15(土) 23:24:26.90
>>843
まだこんなばかなこと言ってるのいるの?www

いいか?切り捨て御免は江戸中期にお触れが出てるよな?
誰に対してのアピールか知ってるか?
この切り捨て御免は武士に与えた特権では全くない。
武士以外の有力層に対してアピールしたものにすぎない。

そんなことすらわからないのか?
その証拠に足軽が庄屋や豪商を切り捨てた例など江戸300年のうち
たった一例すらないだろ。あるなら出してみろ!!w

逆の例ならいくらでもあるぞ?
このように、武士以外の有力階層への抑止力の意味合いで、
あくまでこれら武士以外の有力者層へ向けて発信されたものであって、
武士(下級武士や足軽程度)に、なんでもかまわないから切り捨てちゃっていいよ?
なんて意味合いでのものじゃないとわかるだろうよwww馬鹿か?

なんで当時の幕府(幕閣)はそんな下っ端に気を使ってそんな特権与える必要がある?ww
そのまえにその足軽どもに福利厚生を拡充させるほうが先だろww

http://homepage3.nifty.com/sugar-tr/seasonZJ.html

この新発田藩内の庄屋と足軽の住居の違い見てみろよww
いちばん上の屋敷は庄屋

次に出てくる足軽下級武士長屋は6畳8戸併設の長屋。
一戸建は中級武士以上。
どうやって足軽が庄屋をたたき切れるんだよ?www
853日本@名無史さん:2012/09/15(土) 23:45:45.81
http://homepage3.nifty.com/sugar-tr/seasonZJ.html

これ見てわかるとおり、
庄屋の門と藩主の門の間口の大きさ変わらないだろw

さらに下の伊藤家の豪農屋敷と藩主の屋敷の中の広さもレベルも変わらないw
ほとんど庄屋屋敷は藩主下屋敷クラスだろうがw

六畳一間の長屋暮らしが、しょうや様何ぞたたき切ったら大変だぞw
たたき切れるわけもないけどなw

あくまで切り捨て御免はこのような庄屋などの在地有力者層に向けて発信された抑止力の意味。
武士に対して発信したお触れじゃない。

何度も言うが、庄屋が一介の武士程度にたたき切られた例など一例もない。
854日本@名無史さん:2012/09/15(土) 23:53:04.58
http://homepage3.nifty.com/sugar-tr/seasonZJ.html
庄屋の便所は畳敷き二畳だとさw

下級武士足軽は六畳一間の共同便所だろ

庄屋様の畳敷きの便所分だけで、下級武士足軽の住まいの三分の一だろw

逆にいえば下級武士足軽の全住居の三分の一が庄屋様の畳式の便所なんだが?ww

どうやったら切り捨て御免という解釈できんだ?ww
855日本@名無史さん:2012/09/16(日) 01:19:46.40
??えww
こいつ真性のアホだったw
社会的特権と金銭的余裕は全くちがうんですがw
武士身分かどうかが議論のもとなんだろ?
武士身分が富で規定されるわけでないよなぁ?ん?
金持ちになっても武士から身分買うか武士に苗字帯刀与えられなかったら苗字さえないのが町民


あと法律があり特権が存在する問題と判例がある問題がなぜ一緒になるんだw
切捨て御免という厳然たる威嚇手段があることが身分の決定的差だよ
馬鹿はともかく賢い町民なら武士に無礼を働かないよ

2chはすごいキチガイがあつまるのう
856日本@名無史さん:2012/09/16(日) 01:28:44.16
長崎喧嘩とかみると大富豪の町民を15石の陪臣がおそっても町民不利の裁決だな
857日本@名無史さん:2012/09/16(日) 01:39:41.09
>>855
だったら庄屋や豪商切り捨てた一介の武士いたのか?wwww
意もしないで特権特権と、いつその特権が存在した?
なんどもいうがこのお触れは武士に対して与えたものではなく、
一般特権層に対して出したもの。
勘違いスンナバカw
だったらなんで愛がるの福利はいっさい関与がない?
なんで有名無実化の切り捨て御免だけお触れが出る?

それに実際町人を切り捨てた武士は300年の中で、
奉行所に残る例はたった21件のみ。
うち20件は武士が有罪。
無罪になった武士は、当初は有罪、のち無罪となった。
そのいきさつは、その武士の弟が町人に絡まれ、重体に。
すぐさま武士の兄はその町人に直談判しに行ったが、
もみ合いになり、を奪われそうになり方なお切り捨てた。
当初は有罪。しかし、町人が奉行所より札付きのワルと有名であり、
何度も武士に乱暴狼藉の前科があることから無罪になった。
たった一例のみ。

なにが切り捨て御免だよ?どこにそんな事実あんだ?w
858日本@名無史さん:2012/09/16(日) 01:47:48.02
>>855
>>社会的特権と金銭的余裕は全くちがうんですがw

これも何度も言ってるが、封建社会において、社会的特権に富は集中する社会だから封建なんだが?ww
どうやったら特権もない身分が富を集中できるのか、理論的に言ってみなよ?wwぷっww

下級武士や足軽は特権を享受できる立場にないから富も社会的利権も得られなかったんだろ。

そしてその庄屋に、その藩主の下屋敷並の門や邸宅やら土地やら、在地の人籍管理から納税管理から治安から風紀から
在地特権のすべてを与えたのは、おたくら下級武士の棟梁たる将軍家や大名家なんだけどな?www

あんたらの上司が、あんたら下級武士や足軽よりはるかに特権と社会利権と利潤が集中する権力を、江戸初期より庄屋に与えてるんだが?ww
なにが武士身分だよwww
社会的利潤すら一切得られない身分の中級武士以下が、
社会的利潤や在地特権を桜花する室町期より武家が大半の帰農庄屋様より上とか幻想だわww
859日本@名無史さん:2012/09/16(日) 05:34:18.08
>>857
江戸時代の全ての判例しらんがいないのなら単に庄屋を切り捨てた武士がいないってことだろ
法律の適用がなかったらなんで「法律がない」ことになるんだ?
旧刑法では大逆罪の既遂罪は一審制で死刑しかないという法律で
あきらかに皇族が特権階級とされてた証拠だ
しかし適用はございませんw
君の理屈だと天皇は特権階級ではないんだな
>>858
>社会的特権(lこの部分に階級を入れろ文盲)に富は集中する社会
馬鹿じゃないの?
前提が間違ってるだろ
実は新参でよく経緯しらんが散々突っ込まれたんだろうが
封建制の国語辞書でもひいとけ
特権にもいろいろあって富につながる特権から名誉までいろいろあるぞ
天皇は貧乏だが位を授けてる罠
また武士階級は富で決められたという証拠でもだせばw
江戸の法制度で武士は究極のところ将軍が武士と決めたら武士

しかし君通院してる?精神病かなんかで?
860日本@名無史さん:2012/09/16(日) 06:34:08.63
>>852
あ庄屋様!wwww
861日本@名無史さん:2012/09/16(日) 07:18:53.83
>>858
会話にならないしなんかおかしいなと思ったら
自分が意見を戦わせている相手は足軽だと思っていたのか。

> あんたらの上司が、あんたら下級武士や足軽よりはるかに特権と社会利権と利潤が集中する権力を、江戸初期より庄屋に与えてるんだが?ww
862日本@名無史さん:2012/09/16(日) 09:27:50.30
また基地害庄屋か・・・
863日本@名無史さん:2012/09/16(日) 13:07:50.20
ああすいません
なんか庄屋さまとゆう綽名ついたキチガイなわけね?

新参なんでわかりませんでした

財政破綻さけつつ兵士を増やす手段としてそれこそ洋の東西問わず
古代から現代まで行われているのが
戦士階級に名誉と特権を与えるが金を与えない政策なのにw
864日本@名無史さん:2012/09/16(日) 14:42:18.79
キチガイあ庄屋の脳内では日本人は下級武士の子孫ばかりなんだw
大部分はお前ら庄屋と同じ百姓だよwwww
2ちゃんねらーもほとんどが百姓の子孫。わかるか?
キチガイにはわからんだろうなwwww
865日本@名無史さん:2012/09/16(日) 15:35:41.46
>>859
スーパー知ったか馬鹿が現れたの〜〜wwww
大逆罪の範囲の適用と切り捨て御免の範囲の適用の擬似性言えるんか低脳?wqww
まったく違う。
何千回も書いてるが、切捨て御免は武士に対して特権を与えたものじゃないから、
切り捨てもおきてない。また、切り捨ててもほぼ全部有罪なんだろ。
何千回もいってるよな?事実上この切捨て御免という法度は、民衆に出したハットであって、
武士に特権拡大を標榜したものじゃないといってるんだよ。
仮にどこの世界で、政治機構を担う集団が、気に入らなかったらたたき切っていいなんて御正道占めすんだたこ?w
なんどもいうが、これは有名無実化した、民衆に対し発信したメッセージに過ぎず、
実質藩が武士に、気に入らなかったらたたき切っていいよ?なんて特権など与えてない。
だから切捨てなんて存在しなければ、切り捨てても有罪がほとんどなんだろ。
判例の前にそもそもの根拠となる法源は存在しないといってるんだよ。
なんせ、藩が武士に、切り捨て御免の特権など与えてないんだから。馬鹿なの?w
五千回近くいってるが、あくまで民衆へのスローガン。
だったら、何で江戸中後期になって、こんなもの出した?ww答えられんのか?

866日本@名無史さん:2012/09/16(日) 15:46:40.78
>>江戸の法制度で武士は究極のところ将軍が武士と決めたら武士
wwwwwwwwwww
で、諸藩の下級武士足軽は、将軍様が任命してるのか?ww
直参御家人ですら大目付預かりだろボケが。
じゃあ陪臣は武士じゃねえんだな?ww
>>特権にもいろいろあって富につながる特権から名誉までいろいろあるぞ
だから、その下級武士足軽が持ってる特権と名誉出せww
たかがくそ百章の庄屋さまより圧倒的格下の生活水準を強いられ、
戒名から屋敷から、財力から、名誉から、すべて庄屋さまより圧倒的格下のそれらに、
何の名誉を与えられてたのか教えてくれよ?ww
武士であることが名誉!!とか抜かすなよwwww
下級武士なんぞそもそも同属の中級上級武士から武士扱いすらされてないだろww
>>天皇は貧乏だが位を授けてる罠
おいwwwwいつから天皇は貧乏になった?wwwwwめちゃ時価資産の財力は徳川家波に常に持ってるが?ww
馬鹿じゃね?wwwww

867日本@名無史さん:2012/09/16(日) 15:54:11.43
>>戦士階級に名誉と特権を与えるが金を与えない政策なのにw
ぷっwwwwwwww
で、その下級武士だの足軽に、何の名誉と特権を将軍様は与えた?www
そもそも藩によって足軽どころか下級武士すら苗字も分限長にも記載許してない藩があんだけどな?ww
武士としてすら上司から見られてもいない、特権も名誉も与えられてなくて、
よく一般上層階級より上だなんていえんな?www
そもそも
>> 戦士階級に名誉と特権を与えるが金を与えない政策なのにw
お前のせりふを代用すれば、下級武士や足軽のような非常勤職奴隷に、
このような見せ掛けのスローガン(切り捨て御免)を出すことで、
徹底的奴隷服従をやりやすくするため、都合いい存在に更なる拍車をかけるため、
見せ掛けのプライドを持たせる手段なんだろうよwww


>> 大部分はお前ら庄屋と同じ百姓だよwwww
だろうな。もちろん下級武士や足軽も町人扱いだけどな?
こんなのいつから武士扱いしてもらってるんだよ?ww
まー仲良くしようや同じ非支配民同士!!
お前らなんぞ武士ではなく、俺らと同じ非支配民なんだからw
百章ですら下肢足軽なんぞ武士だと思ってないっつーのwwwww


868日本@名無史さん:2012/09/16(日) 16:02:34.94
http://www.youtube.com/watch?v=TmDSqCAxoEk
とりあえず、この一般的庄屋の姿のこれを見て、
その上で、長屋暮らしの内職ワープア下肢足軽にどのような特権と名誉が存在してたのか語ってくれw
869日本@名無史さん:2012/09/16(日) 16:11:46.29
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=Tp9PNSf2MQI&feature=endscreen
現代の庄屋の子孫の御姿wwwwww

このような庄屋さまの天井人にむかって、下肢足軽の特権と名誉、そして優位性を語ってくれないか?www
この庄屋様は、直系の親族は大名家や皇族、維新の志士だらけなんだが?wwww
下肢足軽様も、親族は大名毛だらけでごあすか?wwww
870日本@名無史さん:2012/09/16(日) 18:38:50.02
>>869
内容はどうでもいいから誤字を何とかしろや。お前が史料も学術書も読んでないことが
まるわかりなんだw
871日本@名無史さん:2012/09/16(日) 18:47:54.72
>>870
で?www
現実に残るあらゆるヒエラルキーの差は一切無視して、
あくまで武士は武士だからとしかいえないお前さんから、
その学術書の中での下士足軽はどう規定され、
どのような優位性を、他の特権階層(庄屋、御用商人等)より保持してたのか語ってくれといってるんだよwww
872日本@名無史さん:2012/09/16(日) 18:56:24.52
キチガイ様
武士というのをまず定義しましょう
武士とは苗字帯刀や切捨て御免などという特権を持ち
もっぱら軍事力の提供をもってその地位をみとめられるものであって

「決して資産の多寡で定義される物ではない」
↑重要

ということをまずふまえましょう

その上で足軽とは時代場所により差はありますが苗字帯刀と切捨て御免を与えられた階級です

そして苗字帯刀と切り捨て御免は実際に適用されています

あなたの長文は全く無関係な話がほとんどです

また武士身分の公的法的根拠というのは令外官たる征夷大将軍の土地管理権と兵卒の指揮権に由来するということを
知らないから諸藩云々と無知丸出しのアホレスをするのですよ
また天皇は10万石しかjないんですが・・

突っ込み所満載ですがとりあえず武士の定義から始めましょう
873日本@名無史さん:2012/09/16(日) 19:05:02.65
足軽…大企業のバイト
庄屋…中小企業の社長


百姓代…庄屋さまのもの///
874日本@名無史さん:2012/09/16(日) 19:06:36.93
>>871
庄屋も年貢納めてるんですけど?www
875日本@名無史さん:2012/09/16(日) 19:08:50.22
>>872
>>もっぱら軍事力の提供をもってその地位をみとめられるものであって
軍事力の提供じゃないだろwいつから室町期の地侍土豪気取りになった?www
身一つ奴隷売り渡しと引き換えの、すれすれの食い扶持だろw
それ言うなら庄屋は在地の警察権も含まれますが、
基本、下士足軽は牢番や見廻りのような不浄役人、要は城下の末端の警察捕縛権程度だが?
何を持って軍事力とみなすの?ww
庄屋が村上げて一揆起こしたら、もはや軍事力だが、下士足軽の軍事力って何?www
庄屋は蔵に刀も甲冑もないと思ってんのか?www
中世以降よりの在地地侍土豪層である庄屋は蔵に腐るほど刀槍なんぞあんど?ww
はっきりいうが、下級武士なんぞよりはるかに質のいい武具が。
しかも大量に。
おもっきりおたく庄屋なめすぎてんだろ?www
876日本@名無史さん:2012/09/16(日) 19:16:39.63
江戸初期、豪農庄屋はなぜこれだけの土地を、戦国期を通して持っていたのかは、
以前から申すとおり、、もとは大半が地侍、土豪、武装農家が大半だから。
その「ソース」の一例
http://dayzi.com/zisyo/syouya.html
>>彼らの旧勢力の反抗を押さえるために、彼らを百姓の身分に落としながら、
>>ある程度の優遇をするためと彼らが旧来身につけている統制力をかつようして、
>>領地の保全と年貢の確保をねらった処置でした。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~minjamin/h-daimyohaka/h-kisiwada.html
>>宣勝公入部当時においても中世の土豪を系譜に持つ庄屋層が
>>隠然たる影響力を保つ難しい場所でもあった。
>>先の領主であった松井松平氏も、この「中世土豪家を」代官庄屋として遇したが、
>>年貢増高を原因として両者の関係が拗れるなど難しい藩政を強いられることもあったようである。
>>宣勝公も入部当初から、こうした事情に十分に配慮し、
>>年貢減免や大庄屋七人衆を選び郡政に関与させるなどしている
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n332.htm
>>近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。
>>岡藩 の場合、各村に庄屋を任命し、それを統轄し 郡奉行 と庄屋とのパイプ役として千石庄屋を任命している。
>> 千石庄屋 の名称は、1,000〜1,500石を統轄範囲単位として1人ずつ任命されていることによる。
>>そして、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%84%E5%B1%8B
>>庄屋の身分は百姓であったが、地元の有力な豪農が多く、
>>戦国大名の家臣だった者も少なくない。


下級武士の出自出してみろwww
877日本@名無史さん:2012/09/16(日) 19:23:16.31
>>「決して資産の多寡で定義される物ではない」
都合のいいこというなよwwwwwwwwwwwwwwww
完全に逃げの定義じゃねーのwwwwwwwwwwwwww
庄屋には普通に名字帯刀許されたものや、さらに郷士格のも腐るほどインだが?ww
庄屋には名字帯刀が許されてなかったと思ってんの?wwwwww
資産で定義されるものじゃなく、そして名字帯刀すらある庄屋がいて、何を持って定義付けすんの?www
なあ?www何が庄屋より勝ってんだ?wwww定義付けしろよwww
定義付けすらできない身分だから下士足軽なんだろwwww
上級武士や家老はきちんとした武士という定義で語れるんだよ。わかるか?ww

定義付けできないのは、おたくら下級武士足軽身分のみ!!
なぜなら武士じゃないから。
878日本@名無史さん:2012/09/16(日) 19:29:54.56
>>874
いいですか?
いつから納税義務化されたものは、郎党足軽より格下あつかいというていぎがそんざいしますのん?ww
よー考えてみーや
庄屋の何町もの土地は藩より認められ、在地の特権まで与えられた庄屋。
その特権と引き換えに庄屋の領地といっても過言でない村全体の納税義務を負い、
それと引き換えに旧来よりの在地特権を認めてもらう。

このスタイルは、中世室町戦国期までの、守護大名家や国人との間の、在地土豪地侍の関係とまったく同じですが?w
在地豪族土豪も縄張りを承認してもらうため、さんざ間中たちの納税を負担してましたが?

にもかかわらず、足軽鉄砲隊だの、歩兵上がりが、所有する土地すらなく、
そのかわりに人身を奴隷として納税の変わりに納める郎党より下という定義はどうやったらできる?w
879日本@名無史さん:2012/09/16(日) 19:39:32.84
>>877
つまり庄屋でさえ郷士程度
自爆乙w
880日本@名無史さん:2012/09/16(日) 19:43:22.83
>>879
改易大名家も戸津川郷士なる源氏の正統をなのるものも郷士。
鹿島大宮司家も、関東の滅亡した守護大名家の分家もみんな郷士庄屋だが?
いつから改易大名や鹿島大宮司家の郷士より足軽が立場が上になった?w
らりってんのか?www
881日本@名無史さん:2012/09/16(日) 19:53:48.59
何度もいってるが、下士足軽を武士だと、無理に定義付けしようとするから無理が生じ矛盾するの。
これらを武士じゃないと定義すればすべてが、形となって実質的社会階層の定義が具現化できるの。
そもそも室町時代に下士足軽という職業ありましたか?wwwないんだよ。存在しないの。
わかる?戦国期の鉄砲隊と歩兵だろ?www戦争の緊急調達傭兵に過ぎなかった身分が、何で武士だよwww
勘弁してよwww
鎌倉より武士の定義は土地を介在にした主従関係だろ。
土地すらなく、身一つでの傭兵画なんで武士だよwww
882日本@名無史さん:2012/09/16(日) 20:43:38.63
やっと精神病院から出てきたのか。
883日本@名無史さん:2012/09/16(日) 22:19:32.56
やっこさんの僕があ庄屋さまと友達になってやる
884日本@名無史さん:2012/09/16(日) 22:25:36.48
>>875
キチガイ様
足軽には軍役がございます
それに対する扶持があります
庄屋だろうがなんだろうが町民には軍役はなく扶持もありません

だから全く身分が違います
武士の定義から逃亡なさってるようですが。

武士の武ってなんだとおもってるんだ?
885日本@名無史さん:2012/09/16(日) 23:10:21.42
下級武士の苗字を見ると近隣の庄屋の苗字と多くが重なるんですけど。
886日本@名無史さん:2012/09/16(日) 23:13:25.79
騎乗できるかどうかだろうなあ。
従者も武士と見做すようになったのは江戸からか。
887日本@名無史さん:2012/09/16(日) 23:33:38.36
庄屋様はキチガイというほかに文盲だな
軍事力の「提供」
といってるのに軍事力の「存在」を必死に主張
この手の論理力のなさは偏見でもなんでもなく低学歴でしかありえない

知恵のない奴や根性腐ったクズや覇気のない馬鹿は高学歴にもいる
しかしこの手の論理性の欠如は高等教育を受けると矯正される
888日本@名無史さん:2012/09/16(日) 23:40:52.35
>>883
俺、超変態だぜ?w
>>884
馬鹿がまだキャンキャン吼えてるのかw
>>足軽には軍役がございます
>>それに対する扶持があります
ぷっwwwwwwwwwwwwwwwww
それは軍役といわず、奴隷って言うんだよwww
いいか?一種の労働契約だ。傭兵に働かせたら、給料払うだろ。
そもそも氏族すらなれない卒が、士族から武士扱いもされてないだろww
恨むなら武士を恨めwww

>>庄屋だろうがなんだろうが町民には軍役はなく扶持もありません
いいか?江戸時代の軍役は、中世以前の真の意味での武家の軍役とはまったく違う。
そして、戦国以前と以後の世界はまったく切り離さなくちゃな。まったく別次元。
本来の戦国大名家や中世守護大名家は「武」以外に「商業」独占権権、「荘園管理」等
士脳商のすべてを含んでた。
しかし江戸以降それらをすべて分立させた。
だから、江戸以後の軍役は、中世の軍役とは意味合いがまったく違う。
下士足軽にいたっては、軍役ではなく、単なる労働契約。
そこが分かってないんだろ。
何度も言うが、下士や足軽があてがわれてる扶持や石高は、あくまで大名家よりの配給だろ。
自分の代々由来するものでもなんでもない、ただの給料。
おまえさんたちは、ただの労働者階級。
889日本@名無史さん:2012/09/16(日) 23:50:29.14
>>888
文盲君
ようやく軍事力の提供と存在を区別できないという自分の無能さがわかったようで何よりです

そして結局武士にのみ軍役が課されたという主張に反論がありませんが・・
奴隷だろうがなんだろうが武士には軍役があります
そして軍役と農、商業とは関係ございません
あと私は榊原家の大目付の末裔ですが。先祖から神木隊隊員を出し円通寺に祭られております
890日本@名無史さん:2012/09/16(日) 23:53:40.90
>>887
だから下級武士や足軽は軍事力持ってないだろってのww
長屋暮らしの内職稼ぎでどこに軍事力ある?ww
これらは単なる労働契約だっての、労働者階級だっつーの。

>>885
それ言うなら、江戸初期、旗本や上士の本家は庄屋と苗字が重なるの多いよ?
江戸初期は本家の庄屋は長男が継ぎ、次男は出奔して上級武士になってるのがおおい。

江戸中期以降は、庄屋の次男三男の雑魚たちに、金で余裕で買って下級武士に職を斡旋してやったのがそれ。
891日本@名無史さん:2012/09/16(日) 23:56:17.74
>>890
刀一本でも軍事力です
真性馬鹿だな
892日本@名無史さん:2012/09/17(月) 00:00:05.33
>>889
まー俺の直系ではないが、俺の祖母の家は、旧守護大名家の上級武士団の在地土豪で、その後庄屋
その祖母の家は滅亡した旧守護大名家の直径で戦国期に独立した分家で、その後帰農した大庄屋と縁戚。
その旧守護大名家分家は江戸の藩家老と縁戚
その藩家老は大名家の分家。
俺は大名家の血もひいてんなwwww余裕だわwwwwwwww
庄屋なめんなwww
893日本@名無史さん:2012/09/17(月) 00:03:11.83
>>892
おれらの先祖はどうでもいい
つかここに食いついたとこから見て
単にしょうもない血筋自慢したいだけか
894日本@名無史さん:2012/09/17(月) 00:07:01.26
>>889

ちなみに俺の家は直系で戦国期まで一介の地侍だが、
あんたの家より、墓や戒名 屋敷から由緒まで、戦国期以前は上だという自身あるねw
そして明治以降の役職までおそらくかってると思うわw

>>891
それ言うなら、おれんちの蔵んなかには刀なんぞぶっ積んでおいてあんぞww
甲冑もよ。
刀持ってりゃ軍事力だ?ww
さすが戦国期身一つで下克上夢見た足軽の子孫だけあるなwww刀一本でも軍事力だとwww
895日本@名無史さん:2012/09/17(月) 00:13:34.08
俺は血統自慢などしてないだろwww

江戸の真実は士農工商なんて身分序列は存在などしてないということ。
そして事実は、庄屋は上級武士と同じ待遇だ。そして同じ位置。

下士足軽なんぞ庄屋の足元にも及ばなかった事実。それが言いたいだけだ。
労働者階級なんかに庄屋が負けるわけないだろ、労働契約の傭兵どもなににww
896日本@名無史さん:2012/09/17(月) 00:19:36.44
>>889
おたくさ、
江戸以前は守護家から末端の地侍まで、荘園管理から商業、武装自衛、軍役負担まですべての性格を帯びてた。

その後江戸期に入り、それらすべてが分化され、それぞれに、武の頂点に将軍、大名家、執政
農の頂点に庄屋
商に御用商人等があてがわれた。
そして武から分離されたものは、武の負担なくして、納税のみで軍役負担が免除された特権階級。

おたくら中士以下は、軍役免除と引き換えの在地特権すらないから、
労働契約結んで、大名から配給された給料もらって軍役負担しなきゃ生きていけないんだろ。

俺ら庄屋は先祖代々の土地と在地特権保障してもらっての軍役負担免除。
なあ、頭いいなら、どっちが立場上か分かるよな?www
897日本@名無史さん:2012/09/17(月) 00:30:02.73
>軍役負担免除

長々とかいたがつまり庄屋は武士でないことがはっきり自認できたようでなにより
898日本@名無史さん:2012/09/17(月) 00:37:06.75
>>897
庄屋がいつ武士だといったの?w
庄屋も武士じゃないが、中士以下も武士じゃない。それだけだ。
そして江戸期の軍役負担?というおたくの定義が武士の定義でもない。
江戸期の武士の軍役負担は、労働契約だ。
江戸期の武士は中世の武士のように家柄がいいから武士になったわけじゃない。
戦国期のカッペ小作人の次男三男が、食い扶持求め、専属傭兵になり、
そのまま時代の流れとともに江戸期、他に食い扶持もないものは武士として雇用契約されただけ。
江戸期の軍役負担の意味が中世の土豪地侍の軍役負担の意味と思ったら大間違い。
899日本@名無史さん:2012/09/17(月) 00:50:28.77
>>897
勘違いしてほしくないが、庄屋は武士じゃない。武家だ。
庄屋は事実上、江戸大名家に次ぐ支配者階級。要は室町期の土豪地侍そのままな。
武士じゃなくて武家な。支配者階層。
労働契約で、大名家から給料もらってるリーマンじゃないんですよ。
在地の支配者。在地の大名家。

勘違いしてくれるなよ?俺たちは大名家や藩執政に次ぐ身分階層。
庄屋が武士な分けない。なんせ在地を支配してるんだから。
武士より格上。
900日本@名無史さん:2012/09/17(月) 00:55:07.74
>>898
>庄屋は上級武士と同じ待遇だ。そして同じ位置
こんなこといっちゃってるのに?

まあ武士のところの国語辞書でも引いてくださいな
武力を提供するかわりに特権を得ているという趣旨で記載されてありますから
富は関係ないですから
そもそも定義がおかしいから話がなりたたん
あなたの意見主張する趣旨で書いてる国語辞書でも探してからあなたの意見主張しなさいな
901日本@名無史さん:2012/09/17(月) 00:57:39.54
もっと分かりやすく言えば、庄屋は武家ではなく、荘園領主だ。
中世の荘園領主
庄屋は支配階層。
武士は非支配階層でしょ。
どうしてそれが分からないかな。
武力で戦国期まで一門で武装して土地や在地を守ってきた土豪地侍だが、
もはやケガレタ武装などせず、
自分の治める村から徴収した金で在地の利権から身分まで保証してもらってる庄屋階層は、
武士程度と比較にならないほどの特権層だとわからないのかな・・・・
902日本@名無史さん:2012/09/17(月) 00:59:09.27
もう頭がいたいwwwww
武家が武士でないのかwwww
もう国語が崩壊しとる
903日本@名無史さん:2012/09/17(月) 01:04:29.19
>>900
>>武力を提供するかわりに特権を得ているという趣旨で記載されてありますから
だからこれは上級武士以上の話といってるんですよ。

中士以下。特に下級武士や足軽にその武力の見返りの特権とはなんだったのか?
と何億回も聞いてますよね?www
下級武士や足軽の福利厚生見ても、立場を見ても、庄屋に勝ってるものは何一つないのに、
何の特権を得ていたんですかといってるんですよ?ww

私が解説さしていただきますと、それらの納税負担は食い扶持の見返り程度しか享受できてないでしょと。
労働契約というんですよと。
上士以上のれっきとした武士階層はその身分による特権において富を集中させることができてますよと。
だから、本来の武士階級たる上級武士以上は、
その身分に付随する特権によって富を集中できている階層ですよと。
要は、身分秩序に比例した富が集中できてますよと言ってるんですよ。
わかる?ww
904日本@名無史さん:2012/09/17(月) 01:04:44.09
武家で辞書を引けwwww
905日本@名無史さん:2012/09/17(月) 01:11:49.06
そしてあなたがた中士以下は、その特権が存在しない。
既得権が存在しないんですよw
わかる?ww
武士という職業に就きながら、長屋ぶち込まれ、内職しなきゃ食っていけないものたちが、
なんの武士という職業から利権得てるのって話。
これらは傭兵といって労働契約に付随する関係に過ぎないといってるの。
いやならやめればいい。

江戸の身分の職制の違いは、身分序列にまったく因果関係は由来しない。
そういうことなんですよ。わかる?w
906日本@名無史さん:2012/09/17(月) 01:18:59.50
リアル偏差値70の俺はまたもや完全論破www
ぱねーwww
907日本@名無史さん:2012/09/17(月) 01:48:46.70
じゃあうぃきでも基準にするか
>戦闘を本分とするとされた、宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員である。

戦闘行為をしない者は武士でも武家でもないぞ
908日本@名無史さん:2012/09/17(月) 06:30:04.27
よくここまでデタラメが書けるなぁ
腹痛いw
909日本@名無史さん:2012/09/17(月) 06:34:06.85
キチガイ師ね
910日本@名無史さん:2012/09/17(月) 08:29:06.43
>リアル偏差値70の俺

なんだアホガキか。
社会に出たら現実を受け入れられずにニートになるのは確定だろう。
911日本@名無史さん:2012/09/17(月) 08:36:35.47
誇るものが自分にないから血筋を強調してるんだと思うが・・
そのわりに庄屋とか非常にしょぼい血筋
912日本@名無史さん:2012/09/17(月) 08:52:25.15
足軽はサイコロでも眺めてろ
913日本@名無史さん:2012/09/17(月) 18:13:50.84
時代劇で御用提灯やら棒やら大八車やらを持って「御用!御用!」って叫んでるのが
足軽だ。刀も差してない。庶民は「不浄役人」と呼んでたんだ。武士じゃない。
914日本@名無史さん:2012/09/17(月) 18:15:29.96
岡っ引きや火消しも足軽だ。ヤクザの仲間だ。庶民からも蔑まれてた。
915日本@名無史さん:2012/09/17(月) 19:23:41.95
年貢納める人間は農民身分

庄屋だって年貢の義務があるから農民
916日本@名無史さん:2012/09/17(月) 19:39:51.66
中間小物と足軽の差もわからんのかね
二本差は足軽であろうと武士です
基準はいろいろあるがな
明治維新で足軽は立派に士族
庄屋は平民
以上
917日本@名無史さん:2012/09/17(月) 19:58:33.21
>>914
…火消し? 大名火消は普通に町人が実働のはずだが
918日本@名無史さん:2012/09/17(月) 20:44:14.28
庄屋さまに正確さを求めても
919日本@名無史さん:2012/09/17(月) 21:13:34.66
>時代劇で御用提灯やら棒やら大八車やらを持って「御用!御用!」って叫んでるのが
武家奉公人だよ。3両一人扶持
与力や同心の手伝いをした

>庶民は「不浄役人」と呼んでたんだ。
呼んだのは武士階級
罪人を取り締まるのは武士の誇りを傷つけるものとして「不浄役人」と呼んだ

>岡っ引きや火消しも足軽だ。ヤクザの仲間だ。庶民からも蔑まれてた。
岡っ引は同心が私費で雇った町人。武家奉公人ですら無い
江戸の火消しなら、大名火消しは指揮官はちゃんとした身分だし下っ端は武家奉公人だ
武士が出張るところにはかならず武家奉公人がいる
920日本@名無史さん:2012/09/17(月) 21:24:15.08
足軽は公に苗字を名乗ることが許されていないし、建前上は世襲ではない(実質は世襲となっているが)。
徒歩等の下級武士は禄が分限帳に氏名と共に記載され、原則世襲だ。
勿論、藩によって例外はある。

公には足軽は庄屋と同じ。
921日本@名無史さん:2012/09/17(月) 23:26:54.12
そもそもスレタイの頭の悪さは異常
中級武士は足軽なのか?
922日本@名無史さん:2012/09/18(火) 06:59:46.20
>>921
騎乗を許されている足軽なんていない
よって中級武士は足軽ではない
923日本@名無史さん:2012/09/18(火) 07:17:12.77
そもそも上級武士・中級武士・下級武士の定義がわからないし、
あ庄屋は下級武士・下士・下士足軽と言葉がゆらいで主張に一貫性が無い。
924日本@名無史さん:2012/09/18(火) 09:24:33.10
キチガイだからしかたない。
925日本@名無史さん:2012/09/18(火) 09:25:48.29
>>922
お、おう・・せやな
926日本@名無史さん:2012/09/18(火) 12:13:21.64
足軽=下級武士は捕縛牢番行刑に従事して不浄役人と呼ばれた。
時代劇を見てもわかるように刀など差していない。
927日本@名無史さん:2012/09/18(火) 13:48:26.45
時代劇をソースとして出すのはどうなの
928日本@名無史さん:2012/09/18(火) 17:46:39.24
>>926
>捕縛牢番行刑
頭は同心(足軽)か与力(御家人)だが、スタッフは武家奉公人
929日本@名無史さん:2012/09/18(火) 19:25:35.13
同心は足軽ともいえる場合もあれは足軽か微妙な場合があるな
930日本@名無史さん:2012/09/18(火) 20:11:33.02
>>929
徳川家のは同心は足軽がやります
上のほうで誰が書いてますが、徳川直参の足軽は一代限りの扶持で雇われる契約社員のようなものです
代替わりすると再契約を行う事で、事実上の世襲制となっています

藩によって異なるのですが直臣の足軽を同心と呼ぶ場合が多いのですよ
931日本@名無史さん:2012/09/18(火) 21:28:22.76
え?
八王子千人同心は足軽か微妙じゃ
932日本@名無史さん:2012/09/18(火) 21:50:07.27
隠密同心も契約社員なのか
933日本@名無史さん:2012/09/18(火) 22:03:20.55
千人同心は百姓
934日本@名無史さん:2012/09/18(火) 23:35:02.73
>>931
八王子千人同心は郷士。帰農した地侍で農民と武士との中間層
一応千人頭は数百石取の旗本扱い、組頭は御家人扱い(10俵〜30俵1人扶持)と徳川家から扶持をもらっている

苗字の公称は不可、帯刀は公務時のみ可。年貢の支払いをしないといけないなど
武士ではあるが農民でもあり、身分的には足軽以下
江戸中期には同心職の株売買が行われて、富農が千人同心職をするようになり
幕府からも完全に農民扱いされるようになる
最近では武家奉公人あつかいが妥当とされている。
郷士は他の藩でも直参の足軽以下の身分だったり
935日本@名無史さん:2012/09/18(火) 23:41:06.87
そーいや、土佐藩だと郷士を一応武士扱いにしてるから、実は厚遇してたって説がある。
936日本@名無史さん:2012/09/19(水) 07:33:04.18
実態として一応武士だったのを郷士にしたからじゃ?
郷士になったの一両具足だけじゃないだろ
他はまさに足軽とかだったが
937日本@名無史さん:2012/09/19(水) 07:44:27.26
>>936
武士の「実態」とは何?
938日本@名無史さん:2012/09/19(水) 10:00:15.56
長曾我部の遺臣ならピンキリだ。
939日本@名無史さん:2012/09/19(水) 14:55:58.04
八丁堀同心は武士じゃないんだ。つまり、あの身分では苗字は名乗れないし刀は差せないんだ。
ドラマはでたらめだね。
940日本@名無史さん:2012/09/19(水) 20:10:53.95
やっぱり、あ庄屋が正しいんだ。足軽の子孫どもは反論できずに
ヤラレっぱなしだもんな。
941日本@名無史さん:2012/09/19(水) 20:46:47.26
942日本@名無史さん:2012/09/20(木) 06:53:57.84
>>926-927
八丁堀の中村主水は余裕で長刀差してるじゃん。
943日本@名無史さん:2012/09/20(木) 07:49:52.51
>>942
与力や同心と中間・小者の区別が出来て無いんだよ
944日本@名無史さん:2012/09/20(木) 23:42:46.84
足軽はやっこじゃないの?足軽の寺岡平右衛門を大星は一力茶屋で「やっこさん」と
呼んでるよ。つまり、足軽=やっこ。
945日本@名無史さん:2012/09/20(木) 23:59:59.39
それは一般的に中間だが相手を馬鹿にするとき
旗本奴のように奴は使う場合もあんだろ
946日本@名無史さん:2012/09/21(金) 04:50:05.51
>>944
藩によって違う。足軽は藩によって下級武士だったり武家奉公人だったりする
元ネタの寺坂信行は3両2分2人扶持で武家奉公人の禄
947日本@名無史さん:2012/09/21(金) 04:58:29.75
>>945
>>944は仮名手本忠臣蔵から
大星は大石内蔵助さんで寺岡さんは言ってみれば部下です
バカにするというよりむしろ丁寧な言い方
仮名手本忠臣蔵では討ち入りメンバーは寺岡さんをとても暖かく扱っています
948日本@名無史さん:2012/09/21(金) 06:04:48.19
>>946
とはいえ、正式の武士扱いだった藩は、ないだろうね。
苗字帯刀は中間身分の特徴でもあるから、武士だという証拠にはならない。
949日本@名無史さん:2012/09/21(金) 07:45:55.31
正式の武士というのが"武士としての権能すべてを行使出来る権利を持つ"ってことなら足軽は入らない
武士は御徒からってことになる
950日本@名無史さん:2012/09/21(金) 08:11:30.48
>>949
「武士としての権能すべて」とは何。武士または武士の権能を定義した法令はある?
951日本@名無史さん:2012/09/21(金) 09:30:01.68
武士を士卒とすれば足軽も武士
武士を士のみにしたら足軽武士じゃない
明治の考えでは基本足軽も士族とはいえる
952日本@名無史さん:2012/09/21(金) 15:08:58.71
>>950
少しは自分で調べろよ

たとえば切腹とか、濡れ縁に座れるとか、
学問板でクレクレ君は結構、めいわく
953日本@名無史さん:2012/09/21(金) 15:09:27.08
士と卒の違いは何?騎兵と歩兵?
954日本@名無史さん:2012/09/22(土) 14:20:34.78
騎兵率
上杉氏 約10%
武田氏 約15%
後北条氏 約20〜30%
955日本@名無史さん:2012/09/22(土) 19:46:20.19
>>954
それ、各家の一武将の率いていた部隊の内訳を家全体に適用してるだけのクソ資料だから。
島根の山奥の人口密度の資料を日本全体に適用して、日本の人口密度はスカスカって言うようなもの。
956日本@名無史さん:2012/09/22(土) 21:23:03.85
関東には八王子千人同心のような旧武家の豪農がひしめき合ってる。
なんで江戸の足軽ごときと同等なんだ?
格が違うだろ。
957日本@名無史さん:2012/09/22(土) 21:36:08.77
>>956
あ庄屋様wwww
958日本@名無史さん:2012/09/22(土) 21:39:06.44
千人同心は百姓だ。同心株が売買されたから旧武家とも限らん。
959日本@名無史さん:2012/09/22(土) 21:51:23.09
いいか?下士 足軽の出自はこれだ。
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/03/21/sinnyodouengiasigaru.jpg
ここに描かれてるのが戦国期の下士足軽の先祖。

裸足。一本差 強奪 みてみなさい。応仁の乱に乗じてこのような不逞な輩が、次第に兵農分離化により、
信長貴下の大名軍団の専属武士団に組み込まれるようになった。

そして関東の庄屋層の平均(八王子千人同心)
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kyoiku/rekishibunkazai/kyodoshiryokan/20593/020587.html
http://www.c-hino.org/hino_history/view/386.html
http://blog.goo.ne.jp/sieg1945/e/5f7bf002557c65203ef3044195da8ef6
具足 陣傘 名字帯刀 洋装 そして明治以降も町長  
何が一緒だぼけなす!!!

現実を見ろよ現実を
960日本@名無史さん:2012/09/22(土) 21:56:20.18
いいか?
室町期よりいつから中級武士以下のような雑魚が武家扱いされた?
庄屋こそが真の武家層だろ室町の!!!

江戸期、在地の外様扱いなんだから、江戸の身分編成など徳川の都合だろ。
庄屋豪農が芯の室町武家層だろどう考えても。
961日本@名無史さん:2012/09/22(土) 22:01:15.80
電波説はともかくそんなに血筋しか自分に誇る物がないのか?
しかも庄屋という村に一人はいた程度の血筋
962日本@名無史さん:2012/09/22(土) 22:02:36.96
百姓なんて関係ない。
蔵の中には旗本位の備蓄米と武器武具なんぞぶっつんで置いてあるんだぞ。
徳川の都合の武士身分など糞くらえ!!!!!!!!
さらに屋敷は堀がめぐらしてあり、陣屋並み!!!

文句があるなら、幕末が内乱なら、小藩なんぞ在地庄屋連合がたたきつぶすぞ!!!
963日本@名無史さん:2012/09/22(土) 22:15:16.72
>>961
村に一人しかいないんだぞ?
足軽下級武士の総人口より圧倒的に少ないが?
庄屋が多く感じるのは今でも在地で権力を持ち、存在してるからだろ。
足軽下士なんて明治以降はまた全国流浪の身だから(屋敷土地なしw)
在地に影すら存在がないから少なく感じてるのか?www

足軽下級武士の人数がどれほどしめてたか知ってるのかい?

関東の旧地侍庄屋の奇跡
http://konmasa102.exblog.jp/6926318 後北条家家臣団の旧地侍庄屋

964日本@名無史さん:2012/09/22(土) 22:43:16.60
関東の旧豪族庄屋
http://hazukimap.sakura.ne.jp/guide/08i/08211jyousou/08211K001.htm 坂野家



後北条家旧家臣団 地侍庄屋たち

http://rains-photogallery.blog.so-net.ne.jp/2012-03-03  瀬戸家 この財力見てみろ。足軽出自で庄屋になれるか?
 http://homepage3.nifty.com/ELEC/photoDiary/080903/Diary080903.htm横溝家
http://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/ce1c117d824b438eec5bd8fd0ff81e66本陣庄屋
http://blog-imgs-32.fc2.com/t/o/m/tomozoaruku/20100614112832182.jpg 加藤家

もうめんどくさいが、もうわかるだろ?
もはや在地の大名なんだよ
足軽がわめき散らしたところで、庄屋をたたき切れるわけない。
逆に切り捨てごめんにされるのが落ち。
965日本@名無史さん:2012/09/22(土) 22:58:38.40
実質足軽や下士は戦国後期の小作の次男三男が下克上して雇用されたのは明白。

戦国以前よりの在地武家層の庄屋が、たとえ時代が変わっても立場が入れ替わるなんてありえない。
966日本@名無史さん:2012/09/22(土) 23:27:33.71
大名とかw
基本的な日本語の意味を調べようねw
あと法令上認められてたのだから足軽は町人や農民を無礼うちできますw
農民に村役人も含みます
967日本@名無史さん:2012/09/23(日) 00:14:12.97
無礼うちできますと言うが、そもそも長屋住まいの足軽たちより数百倍でかい屋敷に百姓の分際が住んでること自体が無礼千万なのでは?ww
なぜ無礼うちしないのですか?wwww
法令上は認められてないというのに。。。
どうして分からないのよ?w
968日本@名無史さん:2012/09/23(日) 01:00:41.75
おお言い返せなくなったかw
無礼とは本人に侮辱をあたえることですw
しかし国語勉強しろよ土民の子孫
969日本@名無史さん:2012/09/23(日) 03:35:41.22
長屋住まいの足軽が、長屋門からの、藩邸並の屋敷庭からの、絹の陣羽織の雪駄履きからの庄屋に、
          年貢取りにいってって、本人は侮辱&屈辱&恥辱&&凌辱だと感じてたと思うよ?w

本当に切り捨てがまかり通ってるなら、日本全国で一人くらい、足軽が庄屋をたたき切ってるはず。
でもないのは、これがパワーバランスですよ。

世界中で迫害を受けてたユダヤですが、実質世界を牛耳ってます。
あなたのいう表の部分?といってるお触れ下記からしか見ないパワーバランスは足軽が上なのかもしれない。

しかし、実際社会というのは違うのです。
たとえば県知事より政令指定都市の市長のほうが発言力や権力が上だったりする。
しかしあなたは県知事なら絶対で、市長など罷免余裕と言ってるのとおなじ。


970日本@名無史さん:2012/09/23(日) 06:37:56.02
キチガイが深夜に暴れてる
971日本@名無史さん:2012/09/25(火) 10:31:50.62
知的あ障や害者
972日本@名無史さん:2012/09/25(火) 14:37:14.84
>>963
年貢納めてるぞ^^
973日本@名無史さん:2012/09/25(火) 23:59:18.11
>>963
一人ってこともないだろう
領主が細分化されてる村なら各領主ごとに名主(庄屋)が置かれたし
戸数が100とか200とかの村なら複数の名主が置かれたりもしてるだろう
974日本@名無史さん:2012/09/26(水) 06:05:00.46
逆に庄屋が置かれなくて他村の庄屋が管轄した小村もあるようだが。
とにかくキチガイの相手をするな。
975日本@名無史さん:2012/09/26(水) 11:00:21.23
そもそもスレタイの馬鹿っぽさから言って
当のキチガイが立てたスレだと思ってたんだが違うのか?
976日本@名無史さん:2012/09/26(水) 11:13:28.74
そうだと思うが
977日本@名無史さん:2012/09/26(水) 13:16:52.64
知れきったこと
978日本@名無史さん:2012/09/27(木) 07:07:08.56
八丁堀は武士じゃない。
979日本@名無史さん:2012/10/15(月) 19:46:29.61
a庄屋すごいなwww
基地外ぶりがはんぱない
980日本@名無史さん:2012/10/17(水) 11:13:54.61
「実家は代々庄屋(名主)です」=結構な金持ち
「サムライの末裔です」=BかZ
そんな時代じゃ、武士も値打ちが無くなるわな。
サムライJAPANとかさw
981日本@名無史さん
特に足軽層は、なかなか系図に混ぜたくないような家柄に対しても縁戚関係を書き足したとか?
鍋島公の足軽の噂だけどな