鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話

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405山田廼案山子 ◆kMBuLEbO42
>東国支配を示すための一大軍事イベントでの晴れ姿が重要であったのに、田
>舎出の政子が意義を理解できなかったから、という解釈もありますね。

意義を理解できなかったとすれば、この件の三ヵ月後に盛大に祝われた政子の甥の扱いが謎になる件

北条泰時・経時は鹿を獲物とする矢口祭を行なっており、北条氏にとっても狩猟は重要な政治文化だった。
ところが、室町期には鳥を獲物とする矢開の故実が流布し、室町殿も雀を獲物として矢開を行なっている。
そうした鳥の故実は室町期に形成されたのではなく、北条得宗家において創始されていたと考えられ、
近世の故実書が引用する徳治二年(1307)の矢開の日記によれば、得宗家で雀の矢開が行なわれていた。
武家首長の矢開は中世に一貫してみられたが、その獲物は十三世紀後半以降、鹿から鳥へと変化していたのである。
武家首長の公家化という面だけでなく、武家文化の変容についても考えてみることが重要であろう。
この研究成果の一部は、2005年11月、「武家の狩猟と矢開の変化」と題して、史学会(東京大学)第103回大会日本史部会(中世)において発表されている。