継体天皇について執拗に語ろう

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952日本@名無史さん:2011/10/15(土) 09:46:11.44
丹波王みたいな対立候補はともかく、
武烈を悪し様に書く必要は本当に謎だな。
昔は本当に半分別王朝扱いしてたのは間違いなさそうだ。
上に出てたヘンリ七世のような易姓革命と万世一系の良いとこどりか。
953日本@名無史さん:2011/10/15(土) 11:25:15.52
嘘だとわかるように書いた
954日本@名無史さん:2011/10/15(土) 16:38:03.65
継体天皇は遠い傍系の皇族だったんだろう?
もし、継体から男系が完全に変わるのなら、継体天皇を初代天皇にすればよいだけの話。

ヤマト王朝の初代倭王は天照国照彦で、彼は出雲の大国主の命の王女を妃にしていた。
つまり、彼は入り婿として、女系で出雲から天下を引き継いだ。
そこから、ヤマト王朝の天下が始まったのだが

今の天皇家は、この天照国照彦の男系の子孫ではないよなw
弟のニニギ命の男系子孫だ。
だから、天照国照彦を初代天皇とすることができず
このあたりの歴史を神話として、バッサリ切る必要があった。
955日本@名無史さん:2011/10/15(土) 16:47:06.51
>もし、継体から男系が完全に変わるのなら、継体天皇を初代天皇にすればよいだけの話。

それがそう簡単でもないんだな。
頼朝や信長でも天皇にはなれなかった。
956日本@名無史さん:2011/10/15(土) 16:50:55.53
つまり、旧体制をそのまま貰い受けようとすれば、
名目的に旧体制を“引き継ぐ”必要がある。

旧体制を完全に根絶やしにするなら、初代天皇にはなれる。
957日本@名無史さん:2011/10/15(土) 17:23:46.67
>>955
信長の時代は、歴史が深まって
ある程度、体制が整ってしまった時代だろう?
なんというか、記紀によって、皇室の家系の絶対性が固まった。
それ以前は、革命思想に対する抵抗はなかったので
出雲国譲りみたいな革命の話が普通にできた。

日本の歴史上、唯一の革命は、出雲国譲りで
出雲から大和への王朝交代は、女系継承でもあった。
大国主(出雲王)から、娘婿の火明命(近畿王)への女系継承な。
958日本@名無史さん:2011/10/15(土) 17:28:57.11
また、継体天皇の時代は、まだ律令制後の天皇という存在はしなかった。
その時代、倭王は二人いただろう?
祭祀王と俗世王の二人。
尾張氏の当主が祭祀王のほうで、神武皇統の当主が俗世王。
959日本@名無史さん:2011/10/15(土) 18:37:56.46
とりあえず、
・オホト王は越前・近江一帯に勢力を持つ地方豪族。
・オホト王の母方の先祖はイクムネリヒコ大王(垂仁)。
・オホト王の父方の家系はオシサカオオナカツヒメ(允恭后)を出した前王家の外戚。
・ワカタケル大王(武、雄略)の死後、倭王権は実質空位状態の混迷状態。

もう、これで十分だろ。
960日本@名無史さん:2011/10/15(土) 18:40:31.73
つまり、
母方で4世紀頃の三輪王権の流れをくむ、越前の地方豪族のオッサンが、
河内王権との外戚関係を理由に、ワカタケル死後の大王位に推挙されたということ。

応神5世の孫?
んなわけねーよw
961日本@名無史さん:2011/10/15(土) 19:31:05.10
>>960
越前の地方豪族ではない。産まれは父方の出身地の近江で
その後、尾張で養育されて、越前の地方官に赴任したんだろう?

もう、そんなこと言ったら、何でもアリだよw
あれも疑わしい、これも疑わしいだったら、その外戚関係だって
疑わしいって話になるよ。

応神の5世の孫だったからだろう?
もうひとり、仲哀の6世の孫と争っていたらしいじゃん。
962日本@名無史さん:2011/10/15(土) 19:33:25.56
とりあえず、
・オホト王は父系で倭王ホムダワケ(応神)の 5世の孫。
・オホト王は越前・近江一帯に勢力を持つ地方豪族。
・オホト王の母方の先祖はイクムネリヒコ大王(垂仁)。
・オホト王の父方の家系は倭王ホムダワケ(応神)の男系子孫で、
オシサカオオナカツヒメ(允恭后)を出した前王家の外戚。
・ワカタケル大王(武、雄略)の死後、倭王権は実質空位状態の混迷状態。
963日本@名無史さん:2011/10/15(土) 20:03:33.95
継体天皇異伝 真清探當證(ますみたんとうしょう)
http://8machan-trip.cocolog-nifty.com/keitai/2007/02/post_8fab.html

こちらでは、継体天皇の実父は、
弘計王(顕宗天皇)であり、
彦主人王は母方の祖父ということになっている。
964日本@名無史さん:2011/10/15(土) 20:51:57.75
継体が垂仁の子孫というのも本当かな?
965日本@名無史さん:2011/10/15(土) 21:08:09.77
966日本@名無史さん:2011/10/16(日) 23:22:32.39
どっちにしろ、継体天皇は神武皇統なんだろう?
記紀の記述にしろ、真清田神社の伝承にしろ。

記紀の記述だと、応神天皇の庶子の男系子孫だが
真清田神社の伝承だと、顕宗天皇の皇子で、
生母の家系が応神の庶子の男系子孫。

真清田神社の伝承のほうが、皇室本流に近かった記述になっている。
967日本@名無史さん:2011/10/16(日) 23:40:30.95
ダメだな、この資料は。偽作(と言うのが悪ければ、創作)の可能性が高い。

「真清探當證」が、どこか、
継体天皇の出身と無関係の土地から発見されたのならまだ見込みがあるが。
968日本@名無史さん:2011/10/16(日) 23:43:34.35
桜の木を記念に植えた、という逸話が、いかにも後世的。
969日本@名無史さん:2011/10/16(日) 23:59:00.39
越前にも継体が植えたという桜がある
970日本@名無史さん:2011/10/17(月) 08:00:46.23
日本人が桜を愛でるようになったのは、平安以降じゃなかったっけ
それ以前は、たしか梅じゃなかった?
971日本@名無史さん:2011/10/17(月) 09:33:06.86
>>966
神武皇統?ギャグですか?
972日本@名無史さん:2011/10/17(月) 11:02:33.61
継体天皇の最初の妃が、尾張氏の娘なんだがな。
どっちにしろ、継体天皇は尾張氏と関係が深い。

というか、神武皇統で皇位継承がもめる都度
尾張氏が、神武皇統の家督争いに毎回、介入しまくるんだが。

神功皇后、継体天皇、天武天皇とな。
三者とも、尾張氏の援助のもと、神武皇統の家督を継承している。
しかしながら、最後の天武天皇は、世話になってもらった尾張氏を裏切って、
その祟りなのか、病に倒れて、神武皇統側が尾張氏に謝罪する事態になっている。
973日本@名無史さん:2011/10/17(月) 12:29:51.90
尾張って・・・どんな本にそんなに尾張を過大評価した戯言が書いてあるんだ?
974日本@名無史さん:2011/10/17(月) 12:58:19.29
桜は桃山時代以降では
975日本@名無史さん:2011/10/17(月) 13:03:04.70
桜を詠んだ和歌なんて山ほどあるんだけど・・・
976日本@名無史さん:2011/10/17(月) 13:15:50.24
日本は中世以降、最高権威者と最高権力者の二者に分かれた。
最高権威は朝廷、最高権力は幕府。
実際の政治を行うのは幕府だが、建前上は朝廷が最高機関で
朝廷が幕府に政治をする権利を与えるという形式をとっていた。

でも、これは中世以前、ヤマト王権の創成期にもあった。
尾張の先祖は最高権威であり、天皇家の先祖は最高権力。
977日本@名無史さん:2011/10/17(月) 13:26:11.64
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978日本@名無史さん:2011/10/17(月) 14:05:42.42
さー、1000レスまでに、うまくまとめてくれよ
結局、継体天皇て何なのよ?
979日本@名無史さん:2011/10/17(月) 14:51:56.81
「継体天皇とうすずみ桜」

http://homepage1.nifty.com/o-mino/page836.html

天照国照の嫡流・尾張氏とは関係ありそうだなぁ。
980日本@名無史さん:2011/10/17(月) 15:05:23.41
Portable Emperor
981日本@名無史さん:2011/10/17(月) 15:29:53.54
>>979
行間ゼロてのは、実に読みにくい
982日本@名無史さん:2011/10/17(月) 19:09:03.89
ヤマト王朝の建国は、出雲国譲りから。
大国主命が、娘婿の火明命に天下を譲って、ヤマト王朝の覇権が完成した。
そして、火明命は天照国照彦(天津と国津の両方の支配者)と呼ばれるようになった。
ヤマト朝廷の初代倭王である。

当初、ヤマト朝廷の政治体制では、
正式な倭王は祭祀王として宗教上の最高権威であったが
それとは別に実際の政治を見る最高権力も存在していた。
火明命の嫡流の子孫たちは、正式な倭王として君臨したが、彼らは直接の政治は行わず
一族の者に実際の政治を任せていた。
現在の天皇家の先祖は、その実際の政治を行う最高権力者の地位にあった家系。
983日本@名無史さん:2011/10/17(月) 20:04:24.75
>>982
だ・か・ら・さ、査読のある学術論文にでもソースあるの?読んでみたい。
984日本@名無史さん:2011/10/17(月) 21:35:15.88
次スレ必要っぽいな
985日本@名無史さん:2011/10/17(月) 23:31:39.65
平安時代、京都朝廷は
丹波の海部氏(熱田社の尾張氏の傍系)に、
欠史八代にあたる尾張氏・海部氏7の当主のこと
詳しく書くなって圧力をかけていたんだよねw
986日本@名無史さん:2011/10/18(火) 04:12:31.31
大和氏 
987日本@名無史さん:2011/10/18(火) 12:15:54.40
通りすがりですが
次スレ立てた

継体天皇について執拗に語ろう 古墳2基目
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1318907509/
988日本@名無史さん:2011/10/18(火) 19:39:24.26
継体天皇新王朝説って、
要するに、

歴史書が書かれる前の時代のこと
やや遠い傍系からの皇位継承だったこと
ヤマトからやや離れた越前の領主をしていたこと
第二次世界大戦後の戦後の反皇国史観の風潮

これらの原因から、新王朝説って生まれたのだろう?

つまり、その程度の理由から、そういう説が出たわけで
笑ってしまうほど説得力のない説だ。
989日本@名無史さん:2011/10/18(火) 21:29:00.50

海部氏家の真実の王朝って論本出ていたよなぁ確か。
990日本@名無史さん:2011/10/18(火) 21:55:38.85
日本って、昔から
権威と権力を分けたがるのか?
991日本@名無史さん:2011/10/18(火) 23:07:14.35
>>988
従来説を支持する立場までは否定しないが
新王朝説を一笑に付すなら説得力のある理由をつけてもらいたい
992日本@名無史さん:2011/10/19(水) 09:13:57.43
五代孫でなんの問題もない
なんで否定しなきゃいけない?
993日本@名無史さん:2011/10/19(水) 10:08:38.54
なぜ武烈のことをあそこまで悪く書いたのか。
994日本@名無史さん:2011/10/19(水) 10:23:33.83
>>992
近江の古代豪族息長氏を大王の子孫とすることに無理がある
息長氏の勢力地帯には古くからの古墳が数多くあり
大王家が侵略して皇子を置いて居ったと考えられないこと
995日本@名無史さん:2011/10/19(水) 10:31:01.46
例えば、白河天皇の後に源頼義(陸奥守、清和天皇の五大孫)
を天皇に迎えるようなもんだが。

そんなこと、本当にありうるのか?
996日本@名無史さん:2011/10/19(水) 11:21:59.02
ほかに皇位継承者がなければ仕方がないよ。
997日本@名無史さん:2011/10/19(水) 11:22:57.80
てか、源頼義は武士だからイメージが遠いよ。
もし地方で受領やってれば、さほどの違和感はないはず。
998日本@名無史さん:2011/10/19(水) 12:03:55.00
そういや関東で反乱を起こした平将門で
ちょうど桓武天皇から5世の孫なんだよな
あんなの都の帝に迎えられんだろ
999日本@名無史さん:2011/10/19(水) 12:06:20.97
継体天皇よりも武烈天皇に近い他の皇位継承者がいないなら
その状況自体がかなり不自然
1000日本@名無史さん:2011/10/19(水) 12:09:12.61
普通に考えれば3世王、4世王が大量に居るわな
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