1 :
日本@名無史さん:
『尊卑分脈』によれば桓武天皇の5代後。
すなわち天皇の傍系である葛原親王の子・高見王が平将門の曽祖父。
天慶三(940)年二月藤原秀郷と平貞盛に討たれた。
そもそも将門の野望は何だったのか。果たされるものだったのか。
伝説もさまざま。生年が不明だが死んだのが37歳という説がある。
歴史に「もし」は無いが生きていたら日本は変わっていたに違いない。
滝夜叉姫のことも気になる。
落ちていたようなので立てました。
2 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 12:08:24
鹿島(藤原)玄明の草刈正雄がカッコ良すぎ。
大河ドラマの話ね
5 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 19:48:25
舞踊が荒らして散々な前スレの御冥福を祈りますw
6 :
日本@名無史さん:2010/10/06(水) 21:58:18
>>1 >そもそも将門の野望は何だったのか
将門やその伯父、叔父たちのそれぞれの母系一族をみていくことも重要みたい。
7 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2010/10/06(水) 22:53:20
>>1 滝夜叉姫のことは気にならないよw
だいたいそういうのは民俗板だろ。
9 :
奇矯屋onぷらっと ◆/T/r/a/P/I :2010/10/06(水) 23:24:28
高望王は高見王の子ではなく弟だと勝手に信じている。
10 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 00:03:53
11 :
日本@名無史さん:2010/10/07(木) 00:10:09
「将門記」にはなんで良文のことが一言も出て来ないんだ?
その後の関東の動乱状態というかパワーゲームというかみるとすっごーく不思議なんだが。
12 :
日本@名無史さん:2010/10/08(金) 21:39:49
13 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 00:27:55
高見王は早死にしたとされてるね。
14 :
奇矯屋onぷらっと ◆/T/r/a/P/I :2010/10/09(土) 00:35:01
15 :
日本@名無史さん:2010/10/09(土) 01:08:29
16 :
奇矯屋onぷらっと ◆/T/r/a/P/I :2010/10/09(土) 23:02:48
通字の点で。
17 :
日本@名無史さん:2010/10/10(日) 00:53:36
当時は縦(親子間)の通字は無かったけど
横(兄弟間)の通字はあったということですかね?
18 :
17つづき:2010/10/10(日) 01:20:44
>>16 ただ、
一説には平国香は国香と名乗る前は良望と、
また、
国香の甥である将門の父(=国香弟)は、一般には「良将」と言われているよね(良持という説もある)。
仮に
高望‐良望
良将‐将門
の2つが本当だとすると、当時も縦の通字は存在したことになってしまうんだよなあ。
これどう思う?
19 :
奇矯屋onぷらっと ◆/T/r/a/P/I :2010/10/10(日) 07:48:41
良持についてはともかく、良望についてはまさにそう思う。
親子はまだ一部しかなかったとはいえ、藤原良房兄弟あたりから見られる兄弟の通字は
この時代から始まった」風潮だったんじゃないかと感覚的に思ってる。
恣意的に略系図を作ってみる。
┌平高棟┬平実範┌平時望┬平珍材
| └平惟範┤ └平貞材
| └平伊望┬平統理
| └平善理
└平高望┬平良望┬平貞盛┰平維衡
| | ┌平維茂(貞盛余五猶)
| └平繁盛┼平兼忠
| └平安忠
├平良兼┬平公雅
| ├平公連
| └平公元
|
├平良将┬平将門
| ├平将平
| └平将武
|
└平良文┬平忠頼
├平忠輔
└平忠光
21 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 06:02:30
22 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 06:54:29
23 :
日本@名無史さん:2010/10/12(火) 06:55:23
「半分」は消してw
24 :
日本@名無史さん:2010/10/13(水) 14:50:16
わざと消したんでしょ
25 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 21:20:36
平将門最高
26 :
日本@名無史さん:2010/10/14(木) 21:29:15
前スレはってくらさい
>>17 通字は中国の輩字行を取り入れたものだから兄弟で共通の文字を使うものだったのが
一門共通の文字を使うというふうに変容していったんじゃなかったの
32 :
日本@名無史さん:2010/10/28(木) 17:15:53
首謀者 興世王
33 :
日本@名無史さん:2010/10/30(土) 21:47:53
34 :
月孔雀:2010/10/31(日) 04:52:04
死んだときに、首がぶっ飛んでいったという逸話は、本当かな?
35 :
日本@名無史さん:2010/10/31(日) 06:43:37
将門の執念より頸斬り役人のコントロールを褒めてやるべき。
将門は
米かみよりぞ
射られける
俵とうたが
はかりごとにて
38 :
日本@名無史さん:2010/11/09(火) 18:31:53
39 :
日本@名無史さん:2010/11/13(土) 00:36:39
40 :
日本@名無史さん:2010/11/13(土) 02:55:06
つ 屁
空想力か思いやり
42 :
日本@名無史さん:2010/12/01(水) 16:23:01
首塚は神田明神の敷地?
43 :
【中吉】 【1164円】 :2011/01/01(土) 13:34:04
初詣でに坂東市の国王神社に行きたい
相馬氏が子孫というのは、こじつけか?
千葉氏も
無関係?
>>44 千葉氏や相馬氏の祖は将門のおじの村岡五郎良文だろ
将門の乱のあと将門旧領の大半を受け継いだのと良文の孫の忠常が反乱起こしたことが
わが一門こそ将門に一番近い一門だという認識がうまれ、
それが強くなって将門を一門の祖して崇めるようになったということだろう
47 :
日本@名無史さん:2011/01/01(土) 19:02:23
直系はいたはず。
960年に将門の息子が入京したとの情報を受けて、朝廷は源満仲と大蔵春実に命じて洛中を捜索させている(『扶桑略記』960年10月条)
ただ朝廷への反逆者の子孫だから、名を変えるかどうかしてそのまま埋没したのかもしれない。
或いはどこかの豪族の養子にでも入ったか。
48 :
日本@名無史さん:2011/01/01(土) 19:06:15
どうでも良いけど
あけおめことよろ!
49 :
【大吉】 【1780円】 :2011/01/01(土) 22:18:58
「谷本龍亮」っていう人が書いた「平将門は生きていた」という本に
直系子孫のことが書いてあるよ。下総で討たれたのは影武者で、本人は
北陸の方に隠れていたとのこと。
>>45 良文は、将門の乱の時には何をやってたのかさっぱり分からなくて(将門記に記載が無い)、それが不思議というか不自然なところがあるよね。
良文には将門との因縁伝承がやたら多いし、
子孫の忠常を見てもまるで将門の焼直しみたいだし。
最も、近年の川尻秋生氏の研究によると将門討伐勲功者の中にその名を留めているというのだけれど。
あーああああああっあっあああー
あーああーあああー
あーああああああっあっあああー
あっあっああああーテンテンテンテンテンテン
あーあっあっあーあーあーああああああー
52 :
日本@名無史さん:2011/01/10(月) 06:32:20
結局関東独立を目指したのか否か。
現地先住民族にとっての英雄なのかどうか。
なかなかわかんない。
53 :
日本@名無史さん:2011/01/16(日) 01:26:59
どうなんだろうね。俺っちはよく分からないけど、、
独立っていうか、坂東の在庁官人は坂東で決めさせてもらうよ、、っていう
程度のような気がする。
"新皇"ってのは、「俵藤太(と平貞盛)が謀」…つまり、将門の罪を重く
するために俵藤太がそのようにお上に報告したんじゃないかな、、って思ってる。
英雄かどうか、ってのは、「恒例の兵八千余人いまだに来集せざる」状況
から見て、その頃には人気に陰りが見えてきてたのかな、、って思う。
その後から現在までの英雄像は、平良文流の子孫があえて作り上げてきたもの
じゃないのかなって思うんだよな〜。 どうなんでしょう
まぁ、俺っちの中じゃ絶対的英雄なんだけどね。
メガテンで皇居を支配してたのは・・・
最近、四輪や二輪で自然を散策するのが趣味なんですが将門さんが逃げ落ちて立て篭もったと言われる地が関東某山にありました。
戦に敗れ最期は処刑されてしまうのですが将門さん討伐を祈願した神社とか隠れていた岩穴(超危険な場所)とかありますね
56 :
日本@名無史さん:2011/02/03(木) 23:56:19
「風と雲と虹と」はスカパーあたりで再放送されないのかね?
57 :
日本@名無史さん:2011/02/05(土) 18:13:10
レンタルビデオ屋においてあったよ。 大河ドラマでフルコンプされてる一番
古いのはこれなんだってね
関東独立ってのは政治的陰謀だろう。
むしろ征服→防人徴兵→対東北戦争で
疲弊しきっていた関東をとりまとめ、朝廷とのあいだのクッションになり、
なんとかたてなおしを計ろうとしてたんだと思う。
59 :
日本@名無史さん:2011/02/11(金) 16:31:58
平将門
平将忠
平将盛
平将泰
平将秀
平将光
平将綱
平将義
平将宣
平将継
平将宗
平将重
仁徳男系(雄略とか)じゃない応神天皇男系の継体天皇の例や 南北朝からすると 藤原貴族の一部の支持がこんご実証されるば、 東西朝の動乱あたかも
61 :
日本@名無史さん:2011/02/13(日) 21:42:05
安倍晋三は腐臭。
平将門最高
63 :
日本@名無史さん:2011/03/16(水) 13:53:11.07
今回の震災は将門を感じるんだが、どっかに拝みに行った人いない?俺は先週末に国王に初参拝してきたが、効果無かったか。。。
64 :
日本@名無史さん:2011/03/16(水) 15:35:29.20
日本はもともと地震国。
将門が生まれる前から富士山は火を噴き、災害は起こっていた。
将門なんて関係があるはずがない。
平将門最高
藤原は糞
67 :
忍法帖【Lv=25,xxxPT】 【東電 85.1 %】 :2011/04/05(火) 22:25:54.18
てs
68 :
日本@名無史さん:2011/04/06(水) 04:26:45.12
桔梗とか藤とか 紫色嫌い!
69 :
日本@名無史さん:2011/04/21(木) 00:01:44.14
うむ
滝夜叉姫は伝説としてあるが、
将門の実子とすればミトコンドリアDNA的に日本人の誰かに
受け継がれているはず。
DNAを個人で調べることができるようになれば
子孫は判明する、と思うのだが。
71 :
日本@名無史さん:2011/04/22(金) 00:10:13.05
将門公は旧約聖書にある嵐と慈雨の神。東方の守護者。
最初の武士にして最後の武士でもある。
72 :
日本@名無史さん:2011/04/22(金) 09:11:01.89
平真樹っていきなりいなくなるよね
将門記の最初はよく出るのに新皇の除目には名前ないし
地震や火山の多い国が望んで産んだ英雄であれば前後関係に
問題はない。そう見れば続く天災はその遺志なのだ。将門のだ
74 :
日本@名無史さん:2011/04/23(土) 04:29:23.66
これは神が与えた最後のチャンスなのだよ。
本当の敵は誰なのか気がついてない日本人が多い。
コンビニに作業服着ていくおばんと被爆しながら救援活動した自衛官とどちらが善なのか?
テレビからアホな番組が消え、パチ屋が白い目で見られ倒産し、犯罪者どもが帰国する。
天災は神の警告であり、蛮夷から日本を守るためでもある。
これを戒めとし、回心をすれば裁かれるのは蛮夷の方だ。
だが、ここで真実に気がつかなければもうアウトだ。滅亡する。
将門はやっぱハメられたな。
新皇名乗ったとかたぶん京都側の謀略だろう。
毎年節分に成田山がにぎわうの見ていると、
心が痛む。
>>75 江戸民も、後ろめたさがあった
だから、あちこちで、祀っている
77 :
日本@名無史さん:2011/04/24(日) 18:41:55.22
どなたか昼のワイドショーみたいな生放送中に
平将門の掛け軸の目がうごく心霊映像を知りませんか?
どこかに上がってませんか?
78 :
日本@名無史さん:2011/04/25(月) 23:14:23.56
(´・ω・`)将門って、項羽や呂布と同じ匂いがするよね
79 :
日本@名無史さん:2011/04/26(火) 07:00:47.83
将門はやっぱ、当時の搾取された関東原住民に同情的で
たとえ植民地経営するにしても「うまく」行い、
朝廷と関東で『共存共栄』をはかったんだと思う。
言ってみれば台湾における
後藤新平や明石元二郎かな。
それを現地での勢力争いや、京の政争に巻き込まれたんだと思う。
>>42 一応大手町ということになっている。
でも実は皇居の中に安置されているという説も。
81 :
日本@名無史さん:2011/04/27(水) 06:12:17.45
実際の首級は、平安京でさらされたあと、当時の習慣で捨てられたろう。
「敵地」である関東の農民に下げ渡したってのは伝説。
朝廷の関東政策は過酷だったから。
占領→対東北戦争の動員→防人として徴兵→対東北戦争の兵站担当
→東北殖民強制移住→過酷な税制
関東人、怒っていいぞ!
82 :
日本@名無史さん:2011/04/27(水) 16:37:18.53
実質的指導者の長屋王て皇族なのに処刑されたんだな
興世王でしょ
84 :
日本@名無史さん:2011/04/28(木) 09:09:04.34
>>82 長屋王ってwww
あの亡霊は200年も朝廷呪ってたのか
85 :
日本@名無史さん:2011/04/29(金) 07:53:22.26
長屋王って、貧乏長屋で一番イバってる大工ってイメージが。
貧乏長屋で一番イバッテルのはご隠居だろ。
87 :
日本@名無史さん:2011/04/29(金) 14:05:58.96
長屋王は潔癖症
長屋王、住民の黄金で懐ぬくぬく
額田王のきみ〜は〜すすきのかんざし♪
>>77 スレチになるからあまり深入りしないけど、
それは幕末に殺された役人のものでは?
「渡辺金三郎」で検索すれば多分あなたの知りたい詳細が出てくると思う
91 :
日本@名無史さん:2011/05/07(土) 17:02:41.05
92 :
日本@名無史さん:2011/05/07(土) 21:55:01.72
高師直の先祖か
平将門最高
94 :
日本@名無史さん:2011/05/26(木) 00:37:37.13
はい
95 :
日本@名無史さん:2011/05/29(日) 18:56:25.91
平将門最高
どうもさ、ききたいんだけど、詳しい人いたら
どうも将門公ってさ
騎兵のみじゃなくて 鉄器(鉄クワ)などの普及 日本刀の製作 ←これは諸説あり
にやくだってんだけど、 どうも東日本一帯、関東、東北
のエリアが将門公の開発によって大規模発達したみたいなんだよ。
むろんその後の平の良門おじ公以降が大開発したんだけど
どうも、武士、関東(坂東)、東北、そしてその勢力と経済、イデオロギー
集団いわゆる武士とでもいえばいいのか。がきゅうにふきゅう、発達してるのか
とにかくふえてんだけど、人口なんかほぼ間違いなく〜将門公 100〜200万関東東北 1100年くらいで300〜400万
それ以降爆発的に増えてんだよ。これっておかしいんだよね。
時系列の次期、考え方、やり方的に
将門公以降ってか、将門公がどうも発達させて、それ以降いわゆる坂東平八、そして農民が
開拓して、東日本をつくった。ないし坂東公国をつくったっぽいんだよ。でそれが武士といわれて武士の集団が生まれる。
どうも当事の時系列的、史跡、開発あとなど、そして人口的にね
他に、イデオロギー的に神、仏、じゅの破壊をやっていて
そのもろもろが精神的影響をあたえて武士とかが生まれるんだけど
どうもまた、当事の農民、武士人口、環境経済的に
どうも将門公が影響、関係をあたえたじゃなく
将門公があがめられて、かつ将門公が坂東ないし、日本を切り開いて
そのやりかたないし、その影響のやり方、発達で日本の社会、経済が発展していった。
らしいんだよ。
もう、武士、守護、鉄器の大規模普及、開拓
これの爆発的影響与えたのがまぎれもなく将門で
かつ、イデオロギー的には、将門公のまつえいの農民や、守護?がどうも将門公をあがめて
革命的行動をおこして、既存の朝制、王政をはかいして国を作った
っぽいんだけど、いえるんでわないか?それ以後も
事実上、武士も執権も将門公と、頼朝だけはリーダーで頭があがらない。
人によっては将門公を守護神としてあがめる。
ってのが信仰?社会の形態でかつ。
これは承久もそうだけど、将門公以降まつえいの武士の行動で事実上革命がおきたっていえるんじゃないの?
そして、事実上将門公が最初の守護、武士、守護神、ないし事実上の君主か
ないし国家開発者といえるんじゃないのかな?事実上の武士革命の開拓者
で、しかもそれ以後、実質権力って民衆、ないしにあって、事実上クズ天皇が権力を奪還した証拠や
軌跡がないんですな。戦前ですら事実上廃皇だったじゃん。
で、実態として、戦国くらいまでの社会はどうも資料とか物象みると
のろい→クソ天皇のプロパガンダ
で、実質将門公は普通に信仰されてたんじゃないの?その国の農民
国家権力者からは、そもそも、公然と批判されたことないんだよね。
また、諸外国的には多分国家開拓者っていわれるよね。ないし君主とか
事実上日本は武士革命社会なのはいえるとして、
将門公のあつかいは、実質君主、ないし国家開拓者といえるのかな?
そもそも
当事資料でどうも崇拝されてる
頼朝→俺らの魂、日本刀を作った 執権→われらのリーダー 信長→頼朝合わせて頭があがらねー
馬鹿川→よりとも公は頭があがらないが、それ以上にすばらしいのは、将門公です、日本の大盟君主です
農民平安→将門はすばらしい 農民平安末→将門公は君主 農民後→将門公は神
坂東平八→リーダー 坂東以外武士、源家とか→パネエ、将門公は守護神、ああ?源が弓引いた?シラネ
で、
武士の魂日本刀を作成
全てをなくして戦う
郷土にたって戦う武士らしさ
鉄器(鉄クワなど)の普及(坂東平八?)→農民にやさしい
坂東開拓(坂東平八?)→日本の人口短期で倍
神、仏、じゅ、破壊して新しい形をつくった→武士道
鎧(坂東平八?)→体は鉄でできてる。鉄でできてるんじゃなくて、鉄をまとうため、鉄器をもたらしたもの、鉄でできてる当事リアルタイムでいったようです
騎兵→ガチ、ガチで牧場がある
九紋→天皇でも、神でもない別の世界をつくる。別の世界を作ったリーダー
となったら大同盟主、君主だろう
どうも戦国までは守護神として、リーダーとしてイデオロギー的に大変深い影響をあたえていた
そして、のろった、公家、天皇がことごとく滅ぼされて、末裔に国も世界もこわされて、
将門公の末裔、ないしそれがイデオロギー的なこうえいが国を作ってしまったなら
勝ったのはだれ?
となる。
ぶっちゃけ、
クソ天皇にのろわれても、地元の人や、権力者にはかれこそリーダーとしたわれて、資料も史跡ものこってるんですな。
で、武士的なやり方なども将門公の後えいなんですな
ぶっちゃけ
大規模社会改革や、信仰、影響があるのが、リーダーや君主なら
日本で、将門公ほど影響や改革をやった人間は存在しないんだが
執権でもだれでもかなわんよ。
で当事リーダーだってみとめてんだぜ。
イデオロギー的には君主
102 :
日本@名無史さん:2011/07/22(金) 19:03:43.50
国人たちは租庸調、労役、防人の負担の不満に耐えかねて反乱を起こしたんだと思う
かねてより古代街道を通じて関東に鉄器の農具武具が流入していて、関東平野を開拓して武術を究めて
朝廷との諸々のパワーバランスが崩れかけたところで平将門の乱が起きたんだろうな
あと、藤原純友の乱→後の平家、平将門の乱→後の源氏、につながっていく重要な反乱だと思う
103 :
日本@名無史さん:2011/08/27(土) 00:52:19.69
鯖が飛んだので保守
104 :
日本@名無史さん:2011/08/31(水) 20:00:48.62
なでしこジャパンの熊谷を見ていると将門ってこんな感じだったのかもと
思ったりする
大柄で才能があって優等生で可愛いお人よし
でも熊谷姓は将門を倒した貞盛の子孫。
もう男の時代は終わった・・
107 :
日本@名無史さん:2011/09/05(月) 17:50:28.12
108 :
日本@名無史さん:2011/09/11(日) 14:34:34.25
コロッケうまい
109 :
日本@名無史さん:2011/09/11(日) 18:39:32.27
工藤さんは本当は武士ちゃうよな
為憲は非武官職の木工助に任官だからな。
111 :
日本@名無史さん:2011/11/13(日) 11:00:30.98
masakado
113 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 08:57:45.38
上総と常陸の国司は将門の一族じゃなかったから「介」にされた
ということでいいの?
114 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 10:37:16.81
そういえば、安房の国司とかは地形上逃げ場がなくてどうにも困ったのだろうなと思われる。
115 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 11:07:59.07
海に逃げるだろ、そして三浦半島辺りを目指すだろう。
実際、三浦氏なんかはそのようにして成立した節があるんでないか?
116 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 11:39:28.67
ST・HF「ありがとう。キミのおかげで貴族に戻れたよ」
117 :
日本@名無史さん:2011/11/27(日) 15:14:04.98
>>114 平忠常の乱では安房国司がポアされたのではなかったか?
平将門最高
119 :
日本@名無史さん:2011/11/29(火) 14:32:28.13
貴族は源氏と平家のみだろ
将門公の話
当時資料でも証拠でも大きく食い違ってる。
〜千葉介あたりまで要検証が必要。
当時資料からしても大きく矛盾があってわかってないんだよね。
藤原忠平 藤原純友 将門公の関係
馬の話。証拠あり、ホント ただし状況が違う。
盟友真樹の話
日本刀作成。将門鉄器
そもそも明白な居住地域、勢力の場所(坂東〜下妻の山奥は確定)それ以外の場所は不明
実は資料証拠がくいちがって37~年相当のくだりが大きくわかっていない。
それ以後の勢力の状態。仲間とかはどうなったの?
村岡五郎(八平良文)との源宛 関係。
村岡次郎(忠頼)と平兼忠 戦い。
千葉小次郎、千葉介の当時状況。
と大きく情報が食い違ってるから、まったく変わってることになる。
重要なのは、将門公。村岡次郎の関係
なんじゃないのかな?
『将門記』くらいしか史料がないから。
でも村岡五郎が全く登場しないのは、その後の関東の動静からいってもどう考えてもおかしいよな。
作為があるだろそこには。
逆に村岡五郎の存在を明らかにしてくれてるっつーか。
ぶっちゃけ『将門記』作成に関わった中心人物だろ?村岡五郎良文が!
123 :
日本@名無史さん:2011/12/08(木) 03:09:19.98
そもそも藤原純友と面識があったのか?
多分ない
ただ将門にボコられた上野国司が純友の叔父だから噂は聞いたかも
平将門最高
126 :
日本@名無史さん:2011/12/26(月) 11:22:50.46
天津甕星→天の三カ星
甕の形をした三カの星を持つ天の星座→オリオン座
天香香背男(あめのかがせお)、星神香香背男(ほしのかがせお)、香香背男(かがせお)。
甕=聖櫃
エジプト
「天の鏡 失われた文明を求めて」
グラハム・ハンコック著 翔泳社
グラハムハンコックによると、天と地には相関関係があるという。
ギザの大ピラミッド群が、天界のオリオン座を地上に映しているように、カンボジアのアンコールワット、
アスカの地上絵なども鏡のように天界を地上に映しているという。
氷川神社群(三ツ星である氷川神社、中氷川神社、女氷川神社に調神社、宗像神社、越谷の久伊豆神社まで含めたもの)
はオリオン座の形、つまりカムド(神門)の形に並んでおり、脇を流れる荒川を天の川とすれば、、ちょうど天を映した形になっている点は注目に値する。
日本では三ッ星家紋は大江氏子孫の毛利氏
などが使っている。
毛利氏らも将門と縁深い。
平田篤胤は、神名の「ミカ」を「厳(いか)」の意であるとし、
天津甕星は金星のことであるとしている。
撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ)
瀬織津姫
いか娘
127 :
日本@名無史さん:2011/12/26(月) 21:06:07.14
>>126 > 毛利氏らも将門と縁深い。
毛利は将門と血はつながっているが、縁が濃いとはいえないでしょ。
128 :
日本@名無史さん:2011/12/26(月) 22:43:29.78
129 :
日本@名無史さん:2011/12/27(火) 00:25:04.75
えっ!
土師(家筋)か藤原(血筋)じゃないの?
京の文士大江が相模で武士化
132 :
日本@名無史さん:2011/12/27(火) 13:12:07.39
大江氏に養子にいった藤原氏の子息が三浦氏と結婚して産まれた者の子孫
まぁ坂東の民からすれば朝廷は遠い西方にいるただの略奪者で何の住民サービスもしてくれないんだもんな
優しい将門公についていきたくなる気持ちはよくわかる
134 :
日本@名無史さん:2011/12/27(火) 22:50:31.70
興世王
皇族は処刑されないはずでは
>>129 前に、日本史版でそう言うと、源氏だと噛み付かれたわW
系譜上では、どう観ても平良兼筋なのに・・
136 :
日本@名無史さん:2011/12/28(水) 03:58:11.05
>>135 このレス?
645:天之御名無主:10/06/03(木) 03:09:31
>>643 毛利氏って、系譜上で辿ると、徳川家康方の永井氏と同じく、平氏の平良兼の末裔だろ。
平野氏も、永井氏のからの枝分かれに系譜上で見えた。
譜代大名の永井氏(長田氏)が義朝殺害した長田忠致の末裔名乗るなと家康により大江姓長井氏に改姓された逸話を勘違いしてるのでは?
毛利の祖、広元の血筋は大江氏(赤染衛門末裔)か藤原氏(御小左家庶流)
平家との縁組は長崎円喜(関氏)の姉を嫁に貰った位のはず
天穂日命の後裔の出雲臣氏の後裔のノミ宿禰の後裔の土師連氏の後裔の大江朝臣氏の後裔が毛利氏ですよ。
これも
>77 :日本@名無史さん:2011/06/28(火) 10:36:28.22
>>72 >毛利は確かに大江広元の子孫を称しているけど、平氏とは関係ないのでは。
>大江は氏(姓)で毛利は名字。広元の姓は先祖から大江。大江広元の名乗りは源頼朝同様姓+諱。
>毛利元就(名字+諱)の公的名乗りは大江元就(姓+諱)。
>何で大江姓の毛利の出地があなたが主張する平姓永井になるんですか?
139 :
日本@名無史さん:2011/12/28(水) 12:11:32.02
ちなみに一番身近な平氏の小早川も隆景養子入りするまで実際の血筋は源義光流平賀氏ね
140 :
【大吉】 【451円】 :2012/01/01(日) 00:30:52.46
将門様、新年もご加護を (‐人‐)
141 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 00:31:46.22
やった! 大吉!!
>>141 おめ!
スレのみんなも
あけおめことよろ!
まぁ、いってしまえば、
神になるとかいう妄想を抱いた、天皇が神になれずに、妄想を抱いて死んで←坂東武士に殺されて、
13世紀には王政?としての天皇も死んで。
最後は国賊になって殴り殺されて。
将門公の末裔の坂東武士が 将門公と同じように、平氏の名前を捨てて、在地ネームを名乗って
独自勢力をつくりあげて坂東(歴史上11世紀以後の坂東とはすべて首都圏プラス3京を指す)を作って
天皇を殺して
自身の勢力の大半は死んだが、武士は在地ネームになるほどになって、そしてしょりゅうは農民になって生き残り。
将門公は神になった。
だけの歴史だったな。
そのころ北条とか武士が日本という国号をつくって国家開闢したんだな。
将門ってねらーには慕われてるよな
畿内に抵抗した関東の英雄ってとこと
「新皇」を名乗る中二病っぽいところが受けるんだろうけど
145 :
日本@名無史さん:2012/02/16(木) 14:18:34.09
>>144 > 将門ってねらーには慕われてるよな
それはないと思うぞ
けど、当時の朝廷は今の霞が関や東京マスコミみたいな存在だと思えば
関東の人たちが将門を慕う気持ちもわかるな
147 :
日本@名無史さん:2012/02/18(土) 05:56:51.16
148 :
日本@名無史さん:2012/02/20(月) 21:16:30.19
将門を逃がしたのは、実は藤原秀郷だった...
なんて話だったら面白いのにな
>>148 秀郷は実は心情的には将門のことがが好きだったが、政治的な立場や趨勢からやむ無く将門討伐側に回ったとの説があるよね。
将門が反受領闘争を起こすほんのちょっと前には実は秀郷も同じことをやっていて、そんな秀郷としては将門の気持ちはよく分かっていたんじゃなかろうか?
少なくとも秀郷流一族の生まれの自分としてはそうあって欲しいなあ。
だって自分は将門公は大好きだから。
同じ事をやって討伐対象だった秀郷としては将門討伐の手柄を手みやげに名門軍事貴族として
帰朝出来てラッキーと思ってたんじゃないかなぁ。
151 :
日本@名無史さん:2012/02/21(火) 08:00:13.61
152 :
日本@名無史さん:2012/02/22(水) 11:15:33.59
おれっちは(秀郷流)武藤さんが先祖なせいかばかでかいムカデによく襲われるな
>朝廷は遠い西方にいるただの略奪者
古代の関東は、まさに過酷な植民地だったろう。
奈良時代は防人として遠い西国に連れて行かれ、
平安初期からは無謀な東北侵略に駆り出された。
しかもその糧秣とか甲冑も用意させられた。
将門はそんな関東の悲惨な扱いに憤ったんだよなあ。
ただ「新皇」になろうとしたってのは政治的陰謀だろう。
関東全域のクッションと言うか、「総督」的な立場を目指したかも知れない。
>>151 西行(佐藤義清)の遠祖公清の兄・公脩の子孫。
成田山新勝寺の豆まきでは決して「鬼は外」とは言わない。
「もう鬼はいないから」などと理由をつけられているが、
それならばそもそも鬼封じの「追儺」をやる必要がない。
あの寺に限って「鬼」とは、
集まっている関東の善男善女にほかならない。
だから「鬼は外」とは決して言わない。
157 :
日本@名無史さん:2012/03/10(土) 08:31:53.32
158 :
日本@名無史さん:2012/03/10(土) 12:39:43.15
>>149 家柄的に将門が王、秀郷が摂関というのはどうか。
しかしこの二人、母は現地人なんだな。
それが余計に独立心に火を付けたんだろうな。
父も現地人
といっても軍事貴族だが
将門記によれば将門の父・良持は従四位下鎮守府将軍、
尊卑分脈によれば秀郷の父・村雄は従五位上河内守なので二人とも身分上は中央貴族(留住貴族)。
161 :
日本@名無史さん:2012/03/10(土) 20:57:42.14
>>158 時と場合によって、「平」と「犬養」、「藤原」と「鳥取」を
使い分けるのも手だね。
しかし、「犬養」と「鳥取」って似てるな。
二つとも狩≒軍事と関係が深そうだな。
162 :
日本@名無史さん:2012/03/10(土) 21:53:06.00
>>159 > 父も現地人
現地人というのと現地生まれというのは違う。
>>161 鳥取氏は秀郷の父と祖父2代に渡る母系氏族だよ。
秀郷の母は鹿島氏。
だから将門側についた同じ姓を称する鹿島(藤原)玄明とはたぶん母系で同族。
従ってこの観点からも、
秀郷が途中まで将門に同心することを考えていたとする説は十分に根拠がある。
164 :
日本@名無史さん:2012/03/10(土) 23:20:27.20
残念だ。
秀郷が将門についていたら東日本の独立が出来ていただろうに。
国名はなんとなるのだろう?
そしてやはり秀郷は関白か?
>>161 藤原=恵美
鳥海=安倍=松浦と同じだな。
また、社名の
八幡太郎=源義家
賀茂二郎=源義綱
新羅三郎=源義光のような通り名や
後に、源氏嫡流姓や平氏の嫡流姓で嵯峨皇子だの清和皇子の何源氏だの桓武皇子の将門筋だの・・
いろいろと、系譜が分かれていく様が、分かる。
166 :
日本@名無史さん:2012/03/12(月) 20:47:37.40
朝廷と交渉する時は、狩猟≒戦闘の「犬養」や「鳥取」を使い、
地元では貴種の「平」、「藤原」を使えばいいな。
>>166 皇統名の安倍は、政
地元での領主として貿易商いをするときは、鳥海
源氏の場合は、戦の際には
皇統名の源で
貿易商いや水軍として働くときは、松浦を名乗ったのだろう。
渡辺は、農業?
渡辺や渡部は津や川の渡しの職掌名。伴造だな。
やはり当時の搾取された、関東和人化原住民に同情したんだろうなあ。
漢だな。
171 :
日本@名無史さん:2012/03/14(水) 08:04:29.87
犬養と鳥取はもともとは狩猟に従事していて、
そこから軍事に携わるようになり
都の公家と結びついた、
でいいのか?
>>169 その後を継いだのが叔父であり養子の良文なんだよな。
その良文の子孫が坂東八平氏。
平将門最高
178 :
日本@名無史さん:2012/04/11(水) 00:52:50.52
平直方の母って鎌倉氏?
犬の散歩がてら東石田館あとでもみてくるか
平将門最高
182 :
日本@名無史さん:2012/08/17(金) 12:29:45.57
保守
183 :
日本@名無史さん:2012/08/18(土) 10:36:16.72
丸子氏とは、大友氏の支族、つまり天孫降臨の時に先導を行った天忍日命の子孫とされ海洋民族。
丸とは日本の船舶名につけられる○○丸、
牛若丸、日吉丸などの男子の名前に付ける彦や男、麻呂と同じものだ。
丸とはマラ、チンポコ、先のとがったもの。船の穂先、つまり船長の意でもある。
大伴氏と久米氏の関係が知りたいな。
185 :
日本@名無史さん:2012/09/01(土) 17:54:33.27
>>184 久米が大伴の配下にあったのか?それとも同格だったのか?ということだな。
明智と細川、柴田と前田のように「同格ではあったが、戦場では指揮下に入った」関係もあると思う。
>>185 それもあるが、
紀記で神武天皇の東征において、土蜘蛛の八十猛などとの戦いに挑む時に、兵の士気を上げるために神武天皇が詠んだ歌が何で久米(来目)歌なのかが昔から気になって仕方がない(日本書紀では大伴氏祖の道臣が久米歌を詠む)。
天皇の覇権をかけた一戦の前に詠む歌が
「大和歌」でも「隼人歌」でも、そして「天皇歌」でもなく「久米歌」。
それでいて書紀の方では久米氏を一番下に置いている。
天皇の部下の大伴氏のそのまた部下が久米氏という位置付け(書紀では久米歌を詠むのは大伴氏。これまた「大伴歌」でも、主人を称える「天皇歌」でもなく、部下である久米氏の久米歌を歌う)。
天皇家や大和朝廷が誕生する過程において久米氏には隠された何かがあるなあと昔から思っている。
どう見ても最前線で戦う消耗部隊。
>>183 丸子氏は和邇氏族の臭いの方が強いような気がする。
東北でも海沿いの牡鹿半島に拠点を築いているし(丸子→道島連氏)。
189 :
日本@名無史さん:2012/09/02(日) 18:54:52.33
>>188 和邇氏は軍事氏族(水軍とか陸戦隊)なのか、そうではなく交易や殖産に通じていた氏族なのかは議論が
あるのではなかったかな?
190 :
日本@名無史さん:2012/09/02(日) 18:58:02.82
>>187 久米氏は「呪術」とか「コトダマの活用」に長じていた可能性もあると思う。
191 :
日本@名無史さん:2012/09/02(日) 19:02:41.81
>>186 現代の海軍にも「軍楽隊」があるわけで、
古代の久米氏は戦意高揚のための戦場での呪術やスローガン連呼などに長じていたのではないか?
平氏とは何か?という根源の問題にまだ誰も回答を与えていませんね。
平氏とは、「兵(つわもの)」です。
王族は自ら戦うことはしない。
ヤマトタケルは王族じゃなかったのか。
194 :
日本@名無史さん:2012/09/09(日) 19:11:49.92
>>192 聖徳太子とか天武天皇が戦場に出たことを知っているか?
195 :
日本@名無史さん:2012/09/09(日) 21:10:14.04
神輿に乗って練り歩いただけだよ。
お腹の大きい神功皇后だって戦地に行くくらいだから。
196 :
日本@名無史さん:2012/09/10(月) 13:15:07.85
198 :
日本@名無史さん:2012/09/10(月) 21:43:28.55
>>197 南北朝時代には、南朝の親王が戦場に出た例があるはず。
安徳帝...
200 :
日本@名無史さん:2012/09/12(水) 12:00:34.25
平将門が生きている間は独立を維持できるが、その後がです
ちゃ〜らららららら〜ちゃらら〜 ♪
平良文流千葉氏は今も東北にたくさんいるけれど、
どいつもこいつも腰ぬけばかりで、男として情けない。
203 :
日本@名無史さん:2012/09/16(日) 04:56:37.14
>>179 芸人ふかわりょうはちびまる子ちゃんの本名は何?というクイズに
「新丸子」と回答した。東横線の駅名を言っただけだが。
直方登場前の鎌倉郡の記録は決まって鎌倉別か丸子連氏なんだよな。
ちなみに鎌倉別というのは、氏姓制時代の相模領域では相武国造、師長国造と並ぶ三大政治勢力だったというのが神奈川県教育委員会ほか研究者の一致した見解。
ドラマの「海と風と虹と」は海音寺潮五郎だよね。
だけど原作見ると同じ海音寺の『平将門』のほうが面白い。
>>205 おいっ
>ドラマの「海と風と虹と」は海音寺潮五郎だよね。
>だけど原作見ると同じ海音寺の『平将門』のほうが面白い。
微妙に、間違えてるぞっとっ・・
「風と雲と虹と」
>>206 やっぱ、そう?おかしいなと思ったんだが、本のタイトルとドラマで
変えたのかな。DVDが行方不明になっちまってるんだ。
DVD全巻見たらすごく手間がかかりそう。総集編しか持っていない。
それは将門のたたりかもしれない。気をつけろ。
210 :
日本@名無史さん:2012/10/23(火) 01:25:27.53
興世王って、実在なの?
皇族のくせに、出自が不明ってw
質問です。
川尻秋生著の「平将門の乱」p75の武蔵武芝の性格という段落の冒頭近く、
「武芝の祖先は、もともと丈部直氏で、道鏡の地方豪族優遇策により、
神護景雲元年(七六七)十二月に武蔵宿禰を賜り、武蔵国造に任じられた(続日本紀)。」
とあるのですが、古い話ですが、道鏡の地方優遇策というのがわかりません。
どんな、政策をどのようなブレーンのもとで行ったのですか?
貴族の墾田をいっさい禁じたが寺院等のそれは認める等の
公縁抑圧の政策を指しているんじゃないの
知らんけど
初期の将門の同盟者、平真樹とは何者なんだ?
桓武平氏ではない可能性すら感じてすごい興味がある。
源氏でいうと、清和源氏ではない嵯峨・仁明源氏みたいな。
216 :
日本@名無史さん:2012/11/22(木) 22:03:08.01
>>207 鎌倉別と丸子は関係あるの?
たしか平氏の鎌倉氏は桓武平氏が丸子氏に婿入りしてできた。
長尾景虎とかの“景”って丸子氏からのものなんだよな。
結果的
天皇を魔王といい将門公の末裔が頃しました。
将門公の末裔が武士本家で将門公にカラの価値観で武士を成立させ、将門公の作った日本刀を
改変して鎌倉刀を作って、元、朝鮮兵を頃rしました。
天皇が悪者、傍流で将門公にが神なのが史実なんだよ。これが主流価値として訂正されないのがおかしいの。
将門公以後、以後呪詛天皇は呪詛しかなくなり、天皇が怨霊で、それを駆除し、将門公の末裔が、武士を成立させ国家形成したが正しい
218 :
日本@名無史さん:2012/12/02(日) 00:29:33.63
江戸時代に将門公は朝敵ではないと正式に認定されている。
219 :
日本@名無史さん:2012/12/02(日) 00:50:48.24
なのに祭神から外したりして・・
明治政府の汚点中の汚点だと思う。
死人に鞭打つ行為しちゃだめだろ日本が。
中国のこと言えなくなっちゃう。
220 :
日本@名無史さん:2012/12/02(日) 01:23:53.43
明治政府の宗教政策なんてそれはもう酷いもんだったから、暖色家の熊楠先生もカンカンでしたよ。
221 :
日本@名無史さん:2012/12/08(土) 20:55:24.70
>>218 あれは幕府が朝廷に強引に頼み込んだのではなかったか?
222 :
日本@名無史さん:2012/12/09(日) 04:39:27.48
>>213 道鏡1人の政策というよりも、8世紀前半からの聖武天皇〜孝謙天皇〜淳仁天皇〜称徳天皇〜光仁天皇〜桓武天皇までの半世紀6代に渡る天皇および、その間の国政に参与した橘奈良麻呂、藤原仲麻呂(恵美押勝)、吉備真備、道鏡らの治世の総体的特徴だと思います。
この時代は渡来人系豪族や地方豪族を多く登用した時代として知られています。
渡来系豪族・坂上苅田麻呂(田村麻呂の父)や、
東国でも武蔵高麗郡の豪族だった高麗福信(亡命高句王家末裔)や、同国・足立郡の豪族丈部直不破麻呂(武蔵宿禰武芝の先祖)、同国・入間郡の豪族物部直広成、
さらには陸奥国牡鹿郡の豪族・牡鹿(のちの道嶋宿禰)嶋足などといった渡来系豪族や地方郡司クラスの豪族子弟たちの多くが中央に召されて実務官人として登用されていった時代です。
更にこの時代は橘奈良麻の変や恵美押勝の乱や道鏡の専制など激動の時代であったことも大きいです。
これらの政変や乱が起こる度に、上記の渡来系豪族や中央に抜擢された地方郡司子弟たちが鎮圧戦などに用いられて活躍し、位階を飛躍的に上昇させていくこととなったからです。
以上述べましたさまざまな要因が重なった結果、彼ら渡来系豪族や地方豪族子弟たちは異例の出世を遂げていったのです。
>>206 ドラマのタイトルを声高に言われてもなw
あんた本読んだことないのか?w
205がドラマの、と書いてるからだろ。
平将門最高
226 :
佐生将志:2012/12/30(日) 01:46:26.28
平将門様怖い(汗)
平清盛ってオウン・ゴールで将門の夢叶えたんだな
歴史って面白いね
228 :
【大吉】 【1257円】 :2013/01/01(火) 00:40:05.34
将門様、新年もご加護を (‐人‐)
229 :
日本@名無史さん:2013/01/01(火) 00:41:35.59
やたっ! 大吉!!
ありがとうございます、将門様
230 :
日本@名無史さん:2013/01/03(木) 15:33:56.79
将門様どうか貧弱ボディ&貧弱マインドの私をどうかそのスーパー怨霊霊力でお見守り下さいませ(`∇´ゞアーメン†アーメン†アーメン†
去年の10月らへん?に平将門様の怨念に憑依されたって言ったら信じる人いる?私の首はどこだ私の首はどこにあるって言ってたよ、スカイツリーがやっぱり原因なのかな
>>231 自分は将門の子孫だがそんなことはないと思う。それよりそんな金稼ぎあることに驚いたwww
>>224 お前自分の間違いを認めないのか?
ドラマだけじゃない、小説のことも書いてあるだろw
小説のことはお前知らなかったんだろw
ばーか!
>>235 事実を把握しきれてないんなら、すっこんでろ。
>>206は明らかに勘違いしたんだよ。文脈のニュアンスで判る。
>>208をよく読め。フォローの形を取っているが、
>>206の勘違いをわかってて
知らんぷりしてやったんだよ。
ドラマのタイトルと小説のタイトルはちがうということをまず
ちゃんと把握しとけ、話はそれからだ。
>>236 >ちゃんと把握しとけ、話はそれからだ。
お前こそ俺のレスをちゃんと読め。そんな事は判って書いてる。
>>237 お前さんが
>>206でないなら引っ込んでろ。
>>206は明らかに勘違い。
>>205には海音寺潮五郎と書いてある。
ドラマのタイトルはちがっているが、別に引っ掛けるつもりで書いたわけじゃない。
要は俺がわかっていないと
>>206が早とちりしたということだ。
俺はとっくの昔にビデオまで持っていたのだから。
まあ、間違いと思うのもある話だろう。図書館員に文庫本について相談した折、
ドラマのタイトルのほうで言い返されたからな。つまり俺がタイトルを間違えていると
図書館員は思ったのだ。だからそれはその時訂正してやったよ、小説とドラマのタイトルが
微妙に違っていてややこしいんだと。
実際内容的には『平将門』のほうがドラマに近いのさ。
それも案外知られていない。
>>232 (*゚∀゚)坂東武士団の人か
たくさんおる。
>>1 歴史解釈は
@唐とセットで独裁反映をほこった天皇政権は、唐崩壊でやばくなる。カオス
A天皇が東武開拓ガッポリじゃ計画をする
B将門公が初めて天皇のようは坂東派兵局くにかを滅ぼす
C将門公なくなったあと、末裔は落ち延びて将門公リスペクトの叔父よしふみがかくまう
D将門公の孫が再び天皇に戦争を仕掛ける 千葉小次郎
D将門公のひ孫が切れて千葉独立国を形成、武士団と呼ばれる勢力になる
E前後の役で圧倒的な力をだし
鎌倉形成期に個人的な恨みは少ないけど、
藤原、清盛、源、伊勢そこらぜんぶほとんど潰す
F天皇こそ魔王じゃと言ってついほう
G元叩きのめす
→つづく
こんなもんだよな。
将門公の末裔が武士団になって国家を切り開いて、武士の社会を作った。
241 :
日本@名無史さん:2013/03/10(日) 07:52:06.44
>>240 > @唐とセットで独裁反映をほこった天皇政権は、唐崩壊でやばくなる
それは違うと思うが
あげます
243 :
日本@名無史さん:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN
坂東武士団ってなんだよ。
245 :
日本@名無史さん:2013/08/01(木) NY:AN:NY.AN
246 :
日本@名無史さん:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN
呪いの力は強いけど
縁起が良い場所ではないんでしょ?
247 :
日本@名無史さん:2013/09/21(土) 10:23:44.15
248 :
日本@名無史さん:2013/10/13(日) 09:56:02.51
>>202 村岡五郎こと秩父氏・鎌倉氏・千葉氏等の祖平良文は、兄国香と並んで
後代繁茂する板東平氏の高祖だね。
国香・良兼・良正と違って甥将門との交戦記録がないのは、勢力地相模が
遠隔地だったからか?伯父・叔父連の中で唯一将門の理解者だったからか?
良文は、謎だらけ、
八平氏は、もともとの豪族で、子孫に系図上組み込まれたものと思うよ
>>249 秩父氏・鎌倉氏・千葉氏が、良文の孫とされる朝廷への反逆者平忠常の
後裔を、揃ってわざわざ詐称しないだろ?
良文とは限らぬが、地元豪族にとっては貴種である高望流の誰ぞに
女に種付けしてもらったから、高望流の後裔を名乗ったのだろう。
252 :
日本@名無史さん:2013/10/23(水) 19:35:41.05
忠常の母親は将門の娘?
253 :
日本@名無史さん:2013/10/24(木) 00:44:54.93
>>248 交戦しなかったと思うよ。だから、将門の支配地を継いでる。
仲良し。
254 :
日本@名無史さん:2013/10/24(木) 00:49:20.46
>>250 良文流房総平氏 vs 将門討伐実績有りの常陸平氏だったんだろ、忠常の乱てのは。
私戦が、平直方が摂関家にパイプがあって、公戦にされたんだよ。
良文 vs 貞盛流
それが忠常の乱
255 :
日本@名無史さん:2013/10/24(木) 13:08:16.57
平将門というか平氏の子孫、落人は今でもあちこちで悪さをしているからな。
257 :
日本@名無史さん:2013/11/06(水) 22:47:57.59
今度の日曜日、岩井で将門まつりをやるらしいよ。生誕1111年記念だって!
自衛隊のブルーインパルスが来てアクロバット飛行もやるってよ
258 :
日本@名無史さん:2013/11/07(木) 00:51:12.99
落ちるだろ〜危ないよ。
あそこは祟りで鉄道も高速も無い。
でも高速を作っているから結界が破れて危険な状態。
もうね平将門公の思惑通りに世の中が進んできたとしか思えない
260 :
日本@名無史さん:2013/11/20(水) 07:03:38.20
将門LOVE
261 :
日本@名無史さん:2013/12/01(日) 18:32:08.09
寛平・延喜の国政改革が全ての出発点。
262 :
日本@名無史さん:2013/12/23(月) 00:31:48.71
263 :
日本@名無史さん:2013/12/27(金) 15:51:52.94
>>262 ということは、軍事的に守りやすかったということだろうか?
264 :
【豚】 【1290円】 :2014/01/01(水) 00:22:05.60
将門様、今年もご加護を (-人-)
265 :
【豚】 【1413円】 :2014/01/01(水) 00:22:39.99
ズルっ・・ もう一度
266 :
【ぴょん吉】 【1610円】 :2014/01/01(水) 21:15:46.19
南無南無
267 :
日本@名無史さん:2014/01/02(木) 23:45:56.13
将門成功したら単に「東西朝」が始まっただけ。
終了。
268 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 15:13:28.49
>>261 国政改革が、承平天慶の乱の原因というか出発点だと?
寛平・延喜の施政の何が、原因だと?
269 :
日本@名無史さん:2014/02/01(土) 02:32:21.36
海音寺潮五郎の平将門は傑作だな
こんなに面白い歴史小説はそうない
あぼーん
271 :
日本@名無史さん:2014/03/03(月) 00:17:43.62
Youtubeで将門関連の伝説が結構あるよな。面白い。
272 :
日本@名無史さん:2014/04/19(土) 21:42:45.13
野心家なのか英雄なのか?
関東の民衆には支持されてた時もあったけど最後は見離されたんだっけ?
農作業の季節なんで返した所を攻められた、と記憶しているが間違いかも知れない。
274 :
日本@名無史さん:2014/04/20(日) 11:31:37.24
貞盛と秀郷に攻められた時は
何時もなら一言で八千の兵があつまるものを
集まらずそのまま最後を迎えてしまった
将門の首塚って、埼玉幸手市にあるって本当?
276 :
日本@名無史さん:2014/07/16(水) 10:34:52.91
義賊のイメージがある
277 :
日本@名無史さん:2014/07/16(水) 10:40:19.09
237
戦は農閑期にやるもんです
278 :
日本@名無史さん:2014/07/18(金) 12:30:45.89
秀郷自身は北山決戦では60代か70代のかなりの高齢出陣であり、軍団の中枢を切り盛りしたのは千郷・千常らの子息だと思われる。
279 :
日本@名無史さん:2014/07/18(金) 21:36:21.07
>>258 岩井から遠い水戸の出身だけどさ。
茨城では「将門は英雄」「虐げられた者のために起った」と小学校で教えるんだよ。だから怨霊だの祟りだのと言われても全然ピンと来ないし、藤原秀郷に負けたのを悔しく思う。
280 :
日本@名無史さん:2014/07/19(土) 07:22:41.30
うん、将門は朝廷に反旗を翻して独立しようとしていたわけではないと思う。
当時の関東は、まだ朝廷から過酷な植民地経営されており、
原住民はまさに半奴隷状態だったと思う。
将門は中央権門の直接支配ではなく、自分が坂東八か国の
「総督」的な立場で、朝廷とのクッションになろうとしてたんではないかな。
関東原住民を統率し苛政をやめ、税穀を増やすことで朝廷もまあ納得させる。
言葉悪いけど、満州帝国みたいなものを考えていたかも。
しかし政治的陰謀で追い詰められ、逆賊にさせられてしまった。
妙見信仰と天津甕星の関係とか前スレ前々スレで出てきた?
282 :
日本@名無史さん:2014/07/20(日) 12:04:55.80
ん?水戸史観こそが道鏡、将門、尊氏の3人は極悪非道の朝敵と断じているわけだが。
283 :
日本@名無史さん:2014/07/22(火) 16:15:08.08
>>278 家康も70すぎて出馬しているし、
いくさのノウハウを熟知している人が
戦場にいるのといないのとでは大違いだったと思う
284 :
日本@名無史さん:2014/07/22(火) 16:16:09.34
>>282 水戸藩武士の史観ではなく、民衆の史観では、という意味でしょう。
凡てのタブーがなくなった今、将門を
「先住民解放戦争」の、不本意なリーダーとして
とらえなおすべきだと思う。
それならアテルイからだろ
287 :
日本@名無史さん:2014/09/04(木) 20:57:17.41
藤原氏っつっても
一から十まで 関東支配しとった訳ではないからな
実際納めてんの 現地人だろうし
いざ反乱となると
将門の支持者たちも 戸惑ったやろ
「で?誰が明日から褒美くれるの?」
289 :
日本@名無史さん:2014/09/05(金) 00:09:01.38
>>282 将門はそうでもないな。
足利尊氏はそのとおりだけど。
祟る神、10代祟神天皇の長子 豊城入彦、三輪山の大物主系の氏族、
彼らは、蛇のように執念深く、後世まで祟ると恐れられてきた。
平将門、 弓削道鏡、菅原道真、雷を落とす雷神神社とも関係があるそうだ。
しかし、実際は、祟りを恐れるからこそ怖いのであって、死人にそんな力があろうはずがない。
つまり、大和とは、虐殺して征服した異民族を祀る文化を持った集団だった。
神社は、自分達の祖先を奉る場所ではなく、征服した異民族を祀る場所だ。
だから、秦氏は虐殺した八幡を祀り、乗っ取った賀茂を祭り、踏み潰した松尾神社を奉るのだ。
そして、その正体は、末盧国ということになる。
道鏡の祟りなんて初耳だ。
アラハバキの神が土着の神で将門とかんけいあるんやな
道鏡はべつに殺されてないしなあ。
平将門の霊視とかした人いないかな。偽じゃくて。
将門公の祭りがあったらしいよ。
>>295 知り合いが、坂東市(?)の胴塚のあるお寺で個人的に霊視してもらったって
言ってたよ。そっち系はあまり関心ないんで、内容は覚えてないが。
偽かどうかは不明。
ホームページもある霊能力者だったな。
298 :
日本@名無史さん:2014/12/11(木) 20:53:55.96
寛平・延喜東国の乱の物部氏永も取り上げろ。
坂東平氏が関東に拠点を築く流れがよくわからん。
300 :
日本@名無史さん:2014/12/12(金) 20:28:06.21
それなら物部氏のスレ作ったら良いのでは?
>>1 平将門の時代から東国武士の願いは
自分達の所領を認めてもらい朝廷とは
一線を画した政権を樹立する事
それを源頼朝を担ぎ達成した
だから源氏本流が途絶えても鎌倉幕府は
存続した
302 :
日本@名無史さん:2014/12/19(金) 19:19:45.19
>>299 > 寛平・延喜東国の乱の物部氏永も取り上げろ。
取り上げたくても、史料が少ないからなあ。
303 :
日本@名無史さん:2014/12/19(金) 20:01:13.64
将門の乱を、東国の自立とか評価する奴が居るけど、
将門記読んでも、出てくるのは皇胤と藤原氏ばかり。文屋とか多治比とか名乗ってる奴含め、
こいつらの男系は5代遡るとみんな京都人、関西人だろうw
本物の在地豪族は武蔵竹芝のぞいて全く見られない。
戦国時代とかに、京都で食えなくなった公家が地方に下校する例があったが、子孫繁栄ということがなかったのに、
なぜこの時代の中央貴族は、地方に下ると、まるで無人の荒野をゆく如くに繁殖したのだろう?
かくも地方豪族は無力だったのだろうか?
土佐の一条氏は都から下ってきたお公家さんから戦国大名化しただろう。
伊勢の北畠氏も南北朝時代の北畠顕房の子孫だし。
305 :
日本@名無史さん:2014/12/21(日) 08:20:34.18
>>304 単なる例外ですね。
平安時代における、清和源氏、桓武平氏、藤原各流の地方での大繁殖とはくらぶべくもない。
306 :
【大吉】 【1803円】 :2015/01/01(木) 10:21:05.96
あけましておめでとうございます。
将門様、今年もご加護を。
やたっ! 大吉!
将門様ありがとうございます。
クッション連呼はなんなんだ
>>219 なんだこの出鱈目野郎は
こいつは2chの汚点中の汚点だし、中国のこと言えないバカだな
あ〜タラの芽の天ぷら食べたくなった。