官位について語るスレ

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101日本@名無史さん
>>100
なれるのはかなり高貴な血筋の人だけ。
102日本@名無史さん:2010/11/23(火) 01:21:47
摂政になれるのは皇族男子だけなんだが
それを「かなり高貴な血筋の人」と言ってるのなら構わないが
何か根本的に勘違いしてるような
103日本@名無史さん:2010/11/23(火) 11:10:53
憲法には摂政は皇族でないといけないとは書いてないから
皇室典範をかえれば皇族でなくともなれるぞ
104日本@名無史さん:2010/11/23(火) 11:23:25
質問です。「公卿補任」というのはどこかで出版されている?
あるいは内容が読めるページってある?
105日本@名無史さん:2010/11/24(水) 09:29:23
吉川弘文館の国史大系、地元図書館にはあった。
全体を見ることが可能なところは知らないけど、
検索すれば一部(期間限定)を検索できるところはいくつかあるみたい。
106日本@名無史さん:2010/11/24(水) 14:05:36
百済義慈王の王子の禅広は、

新羅・唐の連合軍によって祖国が滅亡し、日本に亡命してきた。
そして天皇に仕え、天皇から「百済王」という姓を賜った。

さて時代が下って…

百済王敬福は陸奥に赴任させられた。
当時の感覚では、南極のような僻地だ。

百済王敬福は陸奥で黄金を産出し、天皇に献上した。
天皇はとても喜び、敬福を従5位から従3位に昇進させた。
百済王の冠位は、それまで100年間、ずっと「5位」。
それが、「3位」になったという事は…大出世!やったね敬福タン!

107日本@名無史さん:2010/11/24(水) 21:21:12
元帥公爵って近世以前ならどこに相当するのかな
108日本@名無史さん:2010/11/25(木) 08:48:22
どうしてこんなにバカなんだろう?
109日本@名無史さん:2010/11/27(土) 08:33:42
百済王よりゾウのほうが偉かったんだな
110日本@名無史さん:2010/11/28(日) 05:00:24
象が踏んでも大丈夫
111日本@名無史さん:2010/11/28(日) 05:51:51
因幡(山陰地方)と朝鮮半島の関係
112日本@名無史さん:2010/11/28(日) 06:06:20
「穢族は臭穢不潔な野蛮人で、中央に便所のある竪穴住居に住み、豚を飼い、
人尿で体を洗い、食器を使わず、普段は裸で、冬になると豚の脂肪を体に塗りつける」
113初心者:2010/11/28(日) 07:17:57
官と位があわないとき位が高いときは「行」官が高いときは「守」を
つけたというのは本当でしょうか。
114日本@名無史さん:2010/11/28(日) 12:03:42
官位相当 内大臣従二位
位>官 従一位行左大臣
官>位 従三位守大納言

例 正二位行権大納言兼右近衛大将源朝臣頼朝
115日本@名無史さん:2010/11/28(日) 20:50:33
>>110
あんたいくつだよ?
象が踏んでも壊れない
だろ
116日本@名無史さん:2010/11/28(日) 21:19:29
大勲位とか、今もあるよね、
あれって根拠法あるの?
117日本@名無史さん:2010/11/28(日) 23:54:46
>>113
>>114
ちなみに、参議は相当官位がないので「行」も「守」もつかない
118日本@名無史さん:2010/11/28(日) 23:59:45
像が踏んでも壊れんかもしれんが、
小学生のおれが飛び乗ったときは見事に壊れた
119日本@名無史さん:2010/11/29(月) 08:40:54
やせろ
120名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 09:10:44
むしろ太れ
121日本@名無史さん:2010/11/29(月) 09:26:20
>>117
例 参議従三位行左近衛権中将源朝臣義輝
122日本@名無史さん:2010/11/29(月) 13:53:07
そういえば、高校の時に踏んで壊されたな「象が踏んでも壊れない筆箱」
前のが壊れて、引き出しの奥からでてきたやつ持っていったら、
「懐かしいなあ、本当に壊れないかやってみようぜ」って流れで、
甲子園で一勝したチームのキャッチャーが思い切り踏みつけたら、
しっかりひびが入った。

123日本@名無史さん:2010/11/29(月) 14:03:59
そーっと象がそ〜っと踏むのと、
人が思い切り踏みつけるんじゃあ、
負荷のかかり方が全く違うよ。
124日本@名無史さん:2010/11/29(月) 22:57:36
>>116
各種勲章及び大勲位菊花章頸飾の制式及び形状を定める内閣府令
125日本@名無史さん:2010/12/02(木) 10:59:05
従七位下
126日本@名無史さん:2010/12/05(日) 15:49:09
>>121
それは
「従三位行左近衛権中将」
と「左近衛権中将」に対する「行」であって、
参議についているのではないと思うが
127日本@名無史さん:2010/12/05(日) 19:29:53
>>126
>>121は、参議にはつかず、中将の方についてる実例としてあげたのだと理解したけど。
128日本@名無史さん:2010/12/06(月) 13:03:22
結論として百済王はゾウに踏まれても大丈夫ってこと?
129日本@名無史さん:2010/12/06(月) 22:49:02
象が踏んでも壊れない アーム仏像
というのが、百済から来たのか
130日本@名無史さん:2010/12/07(火) 23:07:38
百済王家の貴族や妃、女官の最高官位は?
131日本@名無史さん:2010/12/08(水) 03:49:58
旧宮家のだれかと友達になって
彼を天皇にたてて俺を征夷大将軍に任命してもらうって可能?
132日本@名無史さん:2010/12/08(水) 09:12:18
現行憲法下で天皇は政治的には無力。
内閣の助言があればなんとかなるかもなw
133日本@名無史さん:2010/12/08(水) 12:34:15
自民党の改憲案の中に「内閣の助言と承認」を「内閣の助言」と
書き換える条項あり。
「内閣の助言がない将軍任命もなし得る」という含みがあるような
気もちらほらと。
134日本@名無史さん:2010/12/08(水) 17:44:26
旧宮家の誰かと友達になって彼をかついで吉野に立て籠もるってのはどう?
三種の神器はとりあえず手作りで。
135日本@名無史さん:2010/12/08(水) 22:38:42
百済王氏、初代善光(義慈王の子)が正広肆(従三位相当?)、没後贈正広参(正三位相当?
)
その子昌成が、没後、贈小紫(従三位相当)
なおこの頃の位階は実際は価値が高く、実質的には大宝令の二位以上に相当すると思われる。
あとは、南典(昌成の子とも孫とも、あるいは弟)が、従三位。
昌成の孫で、南典の弟ともされる敬福が従三位。
男の三位以上はこの程度?
女官では、桓武天皇と関係があったらしい明信が従二位。
他に女御で二位があったような。
136日本@名無史さん:2010/12/08(水) 23:24:13
>>133
憲法学上、国事行為について、助言の閣議決定と承認の閣議決定と
2回の閣議決定が必要という学説もあり、その紛れをなくすためではないか
(現在の運用上、助言の閣議決定が承認の閣議決定を兼ねて、
 改めて承認のための閣議決定を必要としないということになっている)

また、そもそも、国事行為と(公的行為)に関係のない
天皇家の私的行為という位置づけであれば、
「征夷大将軍に任命」してもらう余地はある
137日本@名無史さん:2010/12/08(水) 23:28:00
>>136
征夷大将軍が国家権力と全く無関係のものだったら、それでいいだろうけど、
国家権力の一部、とりわけ暴力装置たる部分に全くコミットしないとしたら、征夷大将軍が存在する意味自体がないのだが。
138日本@名無史さん:2010/12/08(水) 23:43:46
実職の、後の時代における栄典化、名誉職化なんて珍しくもないしなあ。
栄典として、関白・征夷大将軍・太政大臣あたり復活させても良いんじゃないの?
大臣病患者にはその辺を宛がっとけばいい。
鳩山あたりはそれで実務からは引退してもらうってことで。
139日本@名無史さん:2010/12/08(水) 23:56:32
従二位や正三位の非参議っているの?
140日本@名無史さん:2010/12/08(水) 23:59:26
>>132
ところが、実際にはそうじゃない。

国会で内閣総理大臣に指名された人物の任命を天皇が拒んだ場合、その人物は総理大臣になれない。勿論、憲法学上は違法だろうが、違法とは書いてないし罰則も無い。

かの阿久根市長のような天皇が現れた場合、政治を天皇に牛耳られることは阻止できない。
141日本@名無史さん:2010/12/09(木) 00:06:38
憲法学上違法というより、憲法学では議論がわかれてるよ。
今上天皇が国会その他の決議をすべて尊重されて承認されおられるから問題がおきてないだけで。
142日本@名無史さん:2010/12/09(木) 09:17:37
架空の話なのにずいぶん熱いなw
143日本@名無史さん:2010/12/09(木) 09:27:42
>>139
いくらでもいるよ、位階の昇進早くなっていくし、人数も増加。
それにたいして官職の方は、定員増があっても限界があり、
位階に相当する官位は不足気味になる。
いくつかパターンがあるけど。
@摂関家嫡流とか、あまりに位階昇進が早すぎて中将のまま二位。
 この辺りはそもそもが参議をパスして中納言に進むし。
A摂関家傍流とかで、位階は二位まで進むけど、ポストは回ってこない。
Bさほど家格が高くないと、位階は昇進してもそれに見合うポストもらえない。
C社家とかで、そもそもがそんな高い位階をもらえること自体が不自然だったんだけど、
 位階インフレーションで二位到達、当然のこととして参議など夢のまた夢。
144日本@名無史さん:2010/12/09(木) 10:44:30
地下官人は、何かの拍子に官位が上がっても地下のままだったの?
145日本@名無史さん:2010/12/09(木) 11:05:13
何かの拍子どころか、江戸時代の社家とかは、30代で三位が当たり前の家とかがある。
時には二〇代でも。かなりの家があるが、全体ではごく一部。
時には二位になることもあるが、地下は地下のまま。
位階と堂上・地下の概念は中世以後は連動してない。
地下から、堂上に進む方法としては、公式ルートがある。
六位蔵人の筆頭職を親子三代でやれば堂上になれるルールだそうで、
いくつか実例がある。
中には権利があっても収入が減るので断った家もあり、
そのために維新後華族になれなかった。
堂上でも三位にすら縁遠い家もある。
幕末ぎりぎりになった家は、時間切れで三位になれてないし、
それより少し前に昇格した家も、三位は初代当主だけ。
後継者がみな早死にだったせいもあるけど。
146日本@名無史さん:2010/12/09(木) 11:11:14
>>139
半家(旧家・新家問わず)の大半の家と賀茂朝臣の勘解由小路家

>>144
地下家の者でも三位に昇っている例はあるが、三位に昇る=通常は堂上家(半家)に列することではない。
蔵人の極揩ニ言うのを一代で三回やる又は三代続けて極揩ノなると堂上家(半家)に列する。
147日本@名無史さん:2010/12/09(木) 11:56:32
一代で三回ルールの方は事実上は無理だけどね。
寿命が百年以上ないとむりじゃないの?
148日本@名無史さん:2010/12/09(木) 12:36:27
一代で三回は無理すぎる
149日本@名無史さん:2010/12/09(木) 12:56:31
>>145-148
有り難う。
出世も可能だったんだね。何やら「ノンキャリ採用で高級官僚になる」(実例あり。稀だけど)を彷彿とさせるね。

>>145
堂上になるとお給料が減る? まさかね。やっぱり地位が高くなると交際費とかが増えるってことかな。
150日本@名無史さん:2010/12/09(木) 15:00:44
六位蔵人は重要な職なので結構な額の特別手当がある。
その他大勢の堂上になると、六位蔵人に就任できず、
事実上薄給の家禄だけでやっていかなければならず、
大幅収入減ってことだったと思う。
貧乏でも格式が高いと交際費がかさむのも事実だけど。
151日本@名無史さん:2010/12/09(木) 15:48:39
地下官人筆頭の両局の片割れ、官務壬生家。
初叙従五位下から、六位になって、六位蔵人、
退任後、また従五位下になり、そこから昇進。
通常は四位までだが、高齢か功労で時には三位昇進。
152日本@名無史さん:2010/12/09(木) 17:34:06
>>150
なるほど。
現代にたとえれば「管理職になったら残業代が減るわ交際費は掛かるわ、却って苦しくなった」みたいな話を彷彿とさせるね。
153日本@名無史さん:2010/12/09(木) 19:00:09
「行」「守」書きについて
下記の表記は正しいのか?

右近衛大将従三位兼守権大納言

蔵人検非違使従五位下守左少弁兼行備後権介
それとも
検非違使蔵人従五位下守左少弁兼行備後権介

伊豆介正六位下兼行駿河介
※伊豆国は、下国だが、令制には介は無く、
令外官となるが、相当位は無いと思うので。
154日本@名無史さん:2010/12/09(木) 22:06:51
高位の地下人と低位の堂上が出会ったら、どっちが上になるんだろうね。結構難しそう。
155日本@名無史さん:2010/12/09(木) 22:55:03
いつからそうなったのかはよくわからないけど、
江戸時代あたりだと、堂上と地下、社家の位階は別物のようだ。
同じ従三位であっても全く別の位階と考えるべき物のようだ。
位階はそれぞれの階層の中での序列を示す物にしか過ぎない?

幕末は確実、それ以前は不明だが多分江戸時代は同じだろうが、
摂家がまだ若年で少将でも、平堂上の大納言でも挨拶して、
摂家の方は乗り物に乗ったまま通り過ぎるだとか、
摂家が宮中に参内したときは、若年に子弟に対しても、
堂上が給仕するとか。

群書類従に載ってる伊勢神宮の社家の補任をみると、
祭主や大宮司より、禰宜の位階が高い場合も多い。
156日本@名無史さん:2010/12/10(金) 01:14:47
>>139です。
ご回答いただきありがとうございます。
157日本@名無史さん:2010/12/10(金) 01:29:56
地下官人って、どこで執務してたの? まさか地べたで仕事してた訳じゃないよね?
158日本@名無史さん:2010/12/10(金) 04:47:18
>>145
>堂上でも三位にすら縁遠い家もある。
>幕末ぎりぎりになった家は、時間切れで三位になれてないし、
>それより少し前に昇格した家も、三位は初代当主だけ。

大江朝臣の北小路家は頑張ったな


>堂上でも三位にすら縁遠い家もある。

半家(旧家・新家問わず)で三位参議・非参議が極位極官の家とか新家の羽林家・名家も
三位に昇るには長生きしないと無理だろうな
159日本@名無史さん:2010/12/10(金) 08:28:31
地下官人って言ってもピンキリだから。
事務系は、席についての執務だろうけど、
飯炊きあたりは土間じゃないの。
よくわからないのが駕輿丁で、仕事内容は乗り物を担ぐことのはずだけど、
実際には担がないから体力無くてすぐにへばるだろうなんて書いてある。
じゃあこの人達は何をやってたんだ?ただの肩書き?
両局の史生は歴とした官人だけど、
その他の史生はほとんどが出入り商人だそうだ。
直属上司の召使いみたいなものだとか。
地下官人も結構いろいろ。
160日本@名無史さん:2010/12/11(土) 02:48:52
>>159
地下官人というから、何やら土間で仕事してるイメージがあった。
ところで、江戸時代の朝廷って何やってたの? 公卿や地下官人って、結構大勢いたらしいけど、どんな仕事をしてたのかね?
161日本@名無史さん:2010/12/11(土) 02:54:05
六条三位と光圀が同格の件

「麿は帝の臣なり。田舎侍の徳川に従う義理はごじゃらん!」
162日本@名無史さん:2010/12/11(土) 07:06:21
マジレスすると、公家の家領を安堵するのは徳川なんだけどな。
163日本@名無史さん:2010/12/11(土) 17:36:22
あの人、まだ大臣に上る可能性がある人だから中納言どまりの光圀より
格上意識持ってたんじゃないの?
164日本@名無史さん:2010/12/11(土) 20:28:08
たしか光国は正二位じゃかなった?
やっぱり官位より官職が上なんかな?
165日本@名無史さん:2010/12/11(土) 20:47:30
水戸家の極位極官は従三位中納言
166日本@名無史さん:2010/12/11(土) 21:35:00
>>165
とすると、さすがの光圀も菊亭左大臣頼みなんだな。
ところで
菊亭は綱吉と互角?
167日本@名無史さん:2010/12/11(土) 21:48:31
やっと官位スレらしくなってきたな
168日本@名無史さん:2010/12/11(土) 23:07:45
>>163
大臣は無理としても、大納言ならありうる
(「一条三位」版なら、大臣の可能性はないこともないが、
  当主や跡継ぎ以外の摂関家では、大臣昇任は清華家にも劣るのでは)

>>166
官位だけなら左大臣の方が上
ただ、武家官位と公家官位では次元が違うので、なんとも言えない
169日本@名無史さん:2010/12/11(土) 23:43:02
>>168
征夷大将軍は左大臣を上回るのでは?
170日本@名無史さん:2010/12/12(日) 00:04:12
>>169
征夷大将軍は本官じゃないだろう
171日本@名無史さん:2010/12/12(日) 00:11:11
公家として無理やり比較すると将軍家は大体清華家に準ずる扱いだな。
172日本@名無史さん:2010/12/12(日) 00:12:27
>>170
じゃあ会見する時はどっちが上座?

時代の趨勢で優位なほう?
173日本@名無史さん:2010/12/12(日) 00:26:34
>>172
それは徳川側が譲るだろう
もし全盛期の信長が征夷大将軍になったらわからんw
174日本@名無史さん:2010/12/12(日) 17:29:35
>>173
江戸城で勅使が将軍の上座に座るようになったのは1862年以降だよ。
175日本@名無史さん:2010/12/13(月) 01:09:13
下橋敬長著「幕末の朝廷」(東洋文庫)平凡社
を読むといい。
176日本@名無史さん:2010/12/16(木) 01:43:27
絶版で古本屋回っても見つからないから図書館からかりっぱなしです
177日本@名無史さん:2010/12/16(木) 15:03:26
全国にはやはり同士が居るようで、ずいぶん前に注文したけど、当時も絶版。
図書館から何度も借りて興味あるところは全部メモした。
178日本@名無史さん:2010/12/16(木) 18:48:21
下橋の著作物には、面白い記事がある。
序列の記述だ。これによれば上位から
関白、准三宮、太政大臣、左大臣、右大臣、親王、前関白、
前太政大臣、前左大臣、前右大臣、内大臣、前内大臣、准大臣、
聴本座宣下の前大納言、権大納言、前権大納言、権中納言、
前権中納言、参議、前参議、非参議正二位、非参議従二位、
非参議正三位、非参議従三位ということ。
現任の内大臣は、現任の右大臣の次位にはなっていないこと。
そして現任内大臣は現任でもない前右大臣より下位ということ。
いかに前官が優遇されていたということが如実にわかる。
因みに、特に席次に関して別に宣旨が下されればこれに倣うことになる。
179日本@名無史さん:2010/12/17(金) 00:57:37
下橋の著作物には、面白い記事がある。
序列の記述だ。これによれば上位から
関白、准三宮、太政大臣、左大臣、右大臣、親王、前関白、
前太政大臣、前左大臣、前右大臣、内大臣、前内大臣、准大臣、
聴本座宣下の前大納言、権大納言、前権大納言、権中納言、
前権中納言、参議、前参議、非参議正二位、非参議従二位、
非参議正三位、非参議従三位ということ。
現任の内大臣は、現任の右大臣の次位にはなっていないこと。
そして現任内大臣は現任でもない前右大臣より下位ということ。
いかに前官が優遇されていたということが如実にわかる。
因みに、特に席次に関して別に宣旨が下されればこれに倣うことになる。
180日本@名無史さん:2010/12/17(金) 11:37:23
>>201
PCからビヨーーーーンってHDMIケーブル伸ばせばいいんじゃないか?
181日本@名無史さん:2010/12/17(金) 14:13:19

お〜っと、
なんのロングパスだ?
182日本@名無史さん:2010/12/18(土) 23:54:14
>>179
もともと、内大臣は「権官」の大臣という意味合いもあったから、
(「数の外の大臣」という異名がそれを示している)
正規の大臣や大臣経験者の下位に置かれたとしても不思議ではない。
183日本@名無史さん:2010/12/25(土) 23:24:32
>>149
幕末(慶応年間)だと、六位蔵人は、合力米30石、筆頭の極臈は極臈領100石。
幕末の宮廷によると、だいたい四人で、ほぼ10年で交代するらしい。
堂上の新家はこの頃は30石3人扶持が相場らしい。気持ち昇給になるのか?
極臈分を考えると減給?
六位蔵人はなにかと役得がありそうな気がするし。
その他大勢の平堂上にはほとんど役得はないと思う。
結構な役料がある(当然相当な役得もあるだろう)伝奏・議奏は、
地下から昇格したような下の下の新家は縁がなさそうだし。
交際費を含め、格式維持にかかる経費を考えると、堂上昇格は、
純経済的にはお得じゃなさそう。
184日本@名無史さん:2010/12/26(日) 18:52:29
>>183
有り難う。
何やら地方採用の警察官を彷彿とさせるお話だね。

順調に出世して警視になった警察官、さらに能力があるとされると警視正に昇進が可能。
ところが警視までは地方公務員だけど、警視正以上は国家公務員。身分が変わって却って給料が下がることもあるし、他県への転勤も無いとはいえない。
だから警視正昇進を拒否する警視も稀ではないらしい。

堂上昇進を断る地下官人も、そんな感じなんだね。
185日本@名無史さん:2010/12/29(水) 12:48:16
官司請負制とか家職家業の問題だから警視だの警視正だのとはちょっと違うような
世襲権益を捨てて身分の向上をとるかというのは公務員の地位なんかより余程根深いものがあると思う

ちなみに戦前までは警視は奏任警察官の官名で陸海軍中佐〜少尉に相当
警部・警部補は判任で下士官相当
巡査は兵に相当するが兵がパートタイムみたいなものなのに対して巡査は判任待遇
186日本@名無史さん:2010/12/29(水) 23:56:04
江戸時代の給与ってのは、
石立、俵立、○人扶持とか何両とか、その組み合わせとかあってわかりにくい。
それで収入の比較がしにくい。
まず、何石とかは通常領地の収入で、領主が全部取れるわけではなく、
1石が1俵に相当するらしい。
ただ現石80石とか言うときは、領地があるわけでなく、80石丸丸もらえる。
それでこれは領地の200石に相当するらしい。
つまり、80石=200俵→1石=2.5俵の計算か?
1人扶持は概ね1.8石相当だそうだ、すると1人扶持=4.5俵か?
以上で強引に俵換算すると、堂上新家の30石3人扶持はは、
30石×2.5=75俵、3人扶持×4.5俵=13.5俵で、合計88.5俵
幕府の徒が70俵5人扶持で、同じ計算だと、70+22.5=92.5俵
徒よりやや薄給。
領地持ち堂上の最低ランクの130石、100石は、130俵、100俵。
幕府小十人の100俵十人扶持の100俵+45俵=145俵より薄給。
ちなみに与力類は、230〜120俵、同心は60俵弱から20俵弱程度。
187日本@名無史さん:2011/01/01(土) 01:27:21
壬生家なんかはある意味、地下の摂関って存在だし、
今更堂上の末席じゃあメリットないよなあ。
いやむしろ摂関以上か?5家も有るわけじゃないし。
小森は典薬頭世襲、陰陽頭の土御門と似たような感じか、
「幕末の宮廷」であえて堂上にならなかったってあげられているのが、
小森家、この家の場合はやはり経済的理由?
188日本@名無史さん:2011/01/01(土) 15:24:07
そもそも旦って朝って意味だもん
地平線からお日さまが出てきた象形
189日本@名無史さん:2011/01/02(日) 11:09:33
@六位藏人
※舊六位藏人 土御門,倉橋,慈光寺,錦小路,北小路二軒等
●六位藏人 四人(正六位上,省大少丞寮助近衞將監四府大少尉) 典藥頭小森,非藏人細川,同藤島,同橋本,官務壬生等
●非藏人 六十二軒+維新當時新規取立十八軒(諸大夫,無位准正六位上)
190日本@名無史さん:2011/01/02(日) 11:10:34
A外記方
●大外記〔局務〕 一軒 押小路(諸大夫,從五位下→正三位)
●外記(少外記權少外記)〔兼中務省〕 三軒(内一軒兼中務省)  ●史生 二軒  ●文殿 一軒  ●召使 二軒  ●少納言侍 二軒
●中務省〔天保五年再興〕 cf. 外記  ●同史生 二人
●大舍人寮 四軒  ●同史生 二人
●内藏寮〔兼造酒司〕 一軒  ●同官人 一軒  ●同史生 二人
●縫殿寮 三軒  ●同史生 二人
●式部省〔天保年間再興〕 一軒  ●同史生 二人
●大膳職〔兼大炊寮〕 一軒  ●同史生 二人
●大炊寮 cf. 大膳職  ●同史生 二人
●掃部寮 二軒  ●同史生 二人
●造酒司 cf. 内藏寮  ●同史生〔兼酒波〕 二人
●内豎〔兼主鈴〕 二軒
●陣官人 二軒
●左馬寮右馬寮 二軒
●兵庫寮 一軒  ●同史生 二人  ●鼓師 一人  ●鉦師 一人
●贊者 二軒
●使部 十軒(無位無官,上席兩三軒のみ任國掾,慶應三年一同敍從八位上任國掾)
191日本@名無史さん:2011/01/02(日) 11:12:01
B官方
●左大史〔官務〕 一軒 壬生(諸大夫,從五位下→正三位,主殿頭,算博士)
●史(右大史左少史右少史) 四軒  ●左史生右史生〔兼行事官内匠寮〕 一軒  ●左官掌 二軒  ●右官掌 二軒  ●召使 二軒  ●辧侍 二軒
●内舍人 三十二軒(六位「職亮」省大少丞寮助四府大尉,内海神原のみ五位)
●内匠寮 cf. 左右史生  ●同史生 二人
●諸陵寮〔慶應元年再興〕 二軒  ●同史生 二人
●大藏省〔兼木工寮〕 一軒  ●同史生 二人
●木工寮 cf. 大藏省  ●同官人 一軒  ●同史生 二人
●主殿寮 伴方 一軒 佐伯方 一軒(昇敍五位之上國守宣下)  ●同官人 伴方 一軒 佐伯方 一軒  ●同史生 伴方 二人 佐伯方 二人  ●左生火官人 伴方 一軒  ●右生火官人 佐伯方 一軒
●使部 十軒(官位外記方同樣)
●衞士 三軒(無位無官,藤井一軒のみ有位有官)
●御香水役人 二軒(無位無官)
●鉾立役人 一軒(無位無官)  ●幡鉾 一軒(無位無官)
●駕輿丁左近衞府兄部 一軒  ●同府沙汰人 一軒  ●駕輿丁右近衞府兄部 一軒  ●同府沙汰人 一軒  ●駕輿丁左兵衞府兄部 一軒  ●駕輿丁右兵衞府兄部 一軒  ●四府駕輿丁 若干人 (以上無位無官)
192日本@名無史さん:2011/01/02(日) 11:13:26
C藏人方
●出納 一軒(侍,正六位上→從四位上,特別に正四位下,内藏寮年預,内藏權頭)  ●御藏小舍人 四軒  ●〔藏人〕所衆 七軒
●行事所 一軒
●圖書寮 二軒  ●同史生 二人
●内藏寮官人 二軒  ●同史生 二人
●主水司 一軒  ●同史生 二人  ●水部
●修理職 二軒
●戸屋主 一軒
●上南座  ●下南座 一軒(無位無官)
●仕人 三軒(無位無官)
●釜殿 四軒(無位無官)
●衞士(官方兼務)
●御車童子 二軒  ●御車副  ●御車舍人  ●御車大工御車副  ●御車棧持  ●御車榻持  ●掛竿持 

●鎰取 (以上無位無官)
●右近衞府鼓師 一人(無位無官)  ●右近衞府鉦師 一人(無位無官)
●陰陽生(無位無官)  ●陰陽 一軒(無位無官)
●大佛師 一軒(法橋→法眼)  ●院承仕〔兼御經藏〕(法橋→法印)  ●御經藏 cf. 院承仕  ●繪所 一軒(法橋→法眼)
193日本@名無史さん:2011/01/02(日) 11:14:43
D女役
●一采女 一人(御末の頭尾張)  ●二采女 一人(内侍所刀自三上氏女)  ●三采女 一人(内侍所刀自山口氏女)
●主殿司 一人(六條家家來長澤妻)
●内教坊 一人 (小林氏女)
●?[門+韋]司 二人(小西氏女,津田氏女)
194日本@名無史さん:2011/01/02(日) 11:19:42
一呼吸
195日本@名無史さん:2011/01/02(日) 11:39:47
ところで。
江戸時代の朝廷って何やってたの?

大きな神社みたいな存在だったのかな。
196日本@名無史さん:2011/01/02(日) 14:16:55
E職事直支配
●檢非違使 八軒(舊家正六位上→正四位下(依功勞正四位上),新家從六位下→正四位下,衞門志→尉,從五位下以上彈正忠國守)
●樂人〔伶人〕 南都〔興福寺〕方 十三軒 天王寺方 二十一軒 京都方 十九軒 在江戸〔紅葉山〕樂人 十軒 (三方正六位下→正四位下(舊家八十歳以上正四位上),在江戸正六位下→正五位下,五位六位は近衞將監將曹)
●瀧口〔官人〕 三十六軒(左衞門少尉→大尉,從六位→正六位上(老年從五位下))
●左右近衞府(元稱御随身,天保五年改稱) 五十三軒(觸頭將曹→將監,その他府生→將監,番長無位無官)
197日本@名無史さん:2011/01/02(日) 14:17:50
F院官人東宮附官人 ※【】内は後院官人
●院廳官【後院廳官】 一軒  ●院藏人【不設置】 一人または二人(正六位上院昇殿,非藏人中上北面になり得る舊家より)  ●院所衆【後院所衆】 四軒(極正五位下)  ●院(御壺)召次【後院召次】 七軒(極正六位下)
●上北面【不設置】 十人(五位,攝家諸大夫より五人非藏人中上北面になり得る家十軒より五人) 

●下北面【後院侍】 十五軒(從六位下→正四位下)
●女院主典代【不設置】  ●女院北面(侍)【後院北殿侍】 三軒
●東宮陣頭 十四人(攝家親王家諸大夫及非藏人中上北面になり得る家より)  ●東宮侍者(攝家六位侍内舍人及左右官掌より)  ●啓内舍人  ●東宮帶刀(近衞府瀧口より)  ●主馬首 一人  ●主殿首 一人  ●主膳正 一人
198日本@名無史さん:2011/01/02(日) 14:18:36
G〔地下三位諸大夫〕
●兩局三位
●幸徳井兩家小森三位
●藏人五位(元六位藏人)
●元上北面(非藏人出身者)  ●元院藏人
●攝家親王家C華諸大夫三位
199日本@名無史さん:2011/01/02(日) 14:22:58
H神祇官陰陽寮典藥寮内膳司御厨子所上下御倉畫所預院雜色
●神祇官 十一軒
●陰陽寮 二軒(幸徳井二軒,諸大夫,正六位下→正三位)  ●同陰陽師陰陽生 六軒(七位陰陽生→從五位下陰陽師)  ●陰陽 一軒(無位)
●典藥寮 二軒(内一軒は小森諸大夫)  ●同醫師 四十軒(舊家從六位上→正四位下(正四位上は非常破格,奧家のみ正七位下醫生→從六位下醫師),新家從六位下中國介→正四位下,法體法橋→法眼(稀に法印))
  ●同醫生 二軒(中國介從六位下→正六位上→醫師)  ●同史生 二人
●内膳司 一軒  ●同史生 二人  ●同膳部 若干名
●御厨子所預 一軒  ●同番衆 一軒  ●同小預 一軒  ●同仕丁
●上御倉 二軒  ●下御倉 一軒
●畫所預 二軒(土佐二軒從六位上→正四位下左近衞將監國守介)
●院雜色 五軒
200日本@名無史さん:2011/01/02(日) 14:29:28
I攝家親王家諸家諸門跡殿上人諸大夫侍等
●攝家〔近衞殿九條殿二條殿一條殿鷹司殿〕諸大夫(正六位下→正三位,式部少輔權少輔治部民部兵部刑部大藏宮内權大輔少輔權少輔大宰少貳寮頭職亮司正國守)
●攝家侍(從六位下→從五位下,省大少丞職大少進四府大少尉國介(稀寮助),五位國守)
●親王家〔伏見宮桂宮有栖川宮閑院宮〕殿上人(從五位下→正四位下,職大夫省大輔彈正少弼國權守權介)
●親王家諸大夫(攝家同様)
●親王家侍(攝家同様)
●C華家〔久我轉法輪三條西園寺徳大寺花山院大炊御門今出川廣幡醍醐〕諸大夫(從六位上→從三位)
●C華家侍
●大臣家及平堂上家〔中院正親町三條三條西中山〕諸大夫(從六位下→正四位下)
●大臣家及平堂上家〔中院中山柳原廣橋野宮〕侍
※諸家士分(雜掌,用人,近習,中小姓,勘定方,青士,茶道),小頭,中番,下僕
●門跡坊官〔錦織寺にはなし〕(法橋(六位)→法眼(五位)→法印(四位准三位),仁和寺門跡坊官は總在廳宣下)
●門跡諸大夫〔仁和寺梶井照高院及准門跡にはなし〕(正六位下→正四位下,輪王寺門跡諸大夫のみ從五位下→正四位下)
●門跡侍〔准門跡にはなし〕 
※御附人〔本願寺(九條家から一人),東本願寺(近衞家から一人),佛光寺(二條家から一人),專修寺(有栖川宮から二人)〕
●門跡侍法師〔大覺寺勸修寺青蓮院圓滿院大乘院(梶井)〕(法橋→法眼?)
●院家候人〔若王子(聖護院院家)住心院(聖護院院家)喜多院(興福寺院家)勝安養院(妙法院院家)理性院(醍醐寺院家)報恩院(醍醐寺院家)佛地院(圓滿院院家)〕(法橋→法橋?)
●門跡承仕〔梶井青蓮院妙法院〕(法橋?)