1 :
半藤百害 :
2010/09/27(月) 22:57:25 薩摩のチクリなの? 土佐なの? 会津の指示なの? 手代木直右衛門とかつまんない。。。
2 :
日本@名無史さん :2010/09/28(火) 00:14:25
幕府。 慶喜からの殺すな命令は間に合わなかった。
つーか、実行犯とされる京都見廻組は会津傘下だし 会津が大政奉還に大反対だったし 内部からも証言も複数挙がっているし 会津で間違いないと思うんだけど
4 :
日本@名無史さん :2010/09/28(火) 07:23:09
木戸が指示して実行犯は井上馨 山縣 伊藤みたい。 龍馬を切ったのは伊藤博文
5 :
とんまな学者の妄説信者へ :2010/09/28(火) 09:35:43
野生の雀は働かなくても、金が無くても生けていける。それは神様が食べ物 を与えてくれるからである。人間も贅沢をしなければ同じ様に生きていける。 お米は百姓さんの汗と膏の結晶である。その苦労も知らずに感謝もしないでご 飯を食べている。 君達が働いて(百姓さんの肉体労働に比べれば遊んでいる様な仕事)得たお金は 百姓の生き血を吸って得たものである。分からなければたとえ話で説明しよう。 武士は百姓から取り立てた年貢をお金に買えてそれで生活していた。商人等は そのおこぼれで生活していた。百姓がみんなの犠牲になってくれたから生活出 来たのである。今でも弱者の百姓を食い物にしているのである。百姓は君達の 寄生虫がいなければもっと豊かに生活出来るのである。 百姓は消費者が決めた米価でしか米は売れない。それでは、農機具の経費は賄 えない。他の職業は必要経費を引いても利益が出るのである。百姓だけが虐げ られている。神聖な百姓の生き血を吸って成り立っている悪の経済が滅びる時 が来た。天罰てき面になる時が来たのである。 雋傑坂本龍馬では、海援隊の集合写真の向かって右から菅野覚兵衛、白峰駿馬、 陸奥宗光、坂本龍馬、岡本健太郎、長岡謙吉となっているが、私の見立てでは 謎の人物(白峰駿馬の耳の形と異なる)、千屋寅之助、山本洪堂、勝海舟(龍馬に 化けた)、溝渕広之丞、謎の人物(長岡謙吉の丸顔とは異なる)となる。海援隊員 としては千屋寅之助(変名菅野覚兵衛)の一人が正しいだけである。山本洪堂、 溝渕広之丞は土佐藩士である。なぜ、偽の龍馬と海援隊の写真を撮る必要があ ったのか。メーソンは龍馬を暗殺した為に怨霊を恐れたのである。この写真と 龍馬の立像写真と坐像写真は暗殺直後に撮られたものである。だから、偽の海 援隊の写真の中に暗殺を手助けした土佐藩士が写っているのである。龍馬の立 像写真と同じ演台に後藤象二郎が肘を掛けている。これも暗殺に土佐藩が関わ った証拠である。これらの写真は龍馬暗殺直後に撮った写真である。福井で見 つかった龍馬の写真は暗殺後数年経ってから撮られたものである(頭の剥げ具 合で分かる)。悪い事をしても神様が本当の事を表沙汰にする。
こんな奴、早く殺されて良かったよ。 単なる守銭奴だし、所詮は商人の息子。
大政奉還がなければ、薩長は天皇の署名もない「討幕の密勅」を掲げて、 実際上どころか形式としても健在な幕府や征夷大将軍と戦う必要があった。 この場合幕府が形式として健在なのだから、薩長が王政復古の大号令を行っても 徳川慶喜に「朝廷をテロリストが占拠しちゃいましたので解放します」宣言で事が収まってしまう。 現に諸外国に徳川慶喜はそう説明していた。 しかし国内では慶喜自身が政権を朝廷に渡しているので、 公式の場では朝廷の権威に従わざるを得なかった。 王政復古の時点では、徳川慶喜自身が政権を朝廷に返上していたので 薩長側は「徳川が政権を朝廷に譲ったので、朝廷が政府になった」と主張できた。 要するに、坂本龍馬は討幕を大いに促進した功労者だよ。
薩摩もあるかもよ?あ〜単に”仕向けた”て意味でね 確かに西郷等上層部にはうけが良かったかもしれないが「他」はどうだったか・・・ 桐野は一人(名忘れた)殺ってるからね。理由は「薩摩を知りすぎた」てな事で 現に現場に「九州訛り」な人物数人がいたって目撃もあるしね 新撰組・近藤捕縛時の擁護も、やつは真相は知らないから後回しでも・・・・ と考えていたのかもしれん
9 :
日本@名無史さん :2010/09/29(水) 15:19:11
この先武器弾薬が要るというのに、薩長は自分の配下の武器商人を殺したのだ、だなんて、 「我々に反対する人間はみんな内部で殺し合いをしたので我々は無実無罪です」って 血糊の服を着た無傷の中国人民解放軍兵士に説明されたような不気味さがある。 半藤一利は、自分の祖先の罪を隠すために 何でもかんでも「定説では東北人の犯行だけど実は薩長の可能性もあるかもしれない、証拠はないけど。」を言い続けた人だから、 この一件でも薩長説は眉唾だと思う。
坂本龍馬みたいな雑魚を始末するのに、そんな上部からの支持があるわけないだろ 現場の判断だよ
11 :
日本@名無史さん :2010/09/30(木) 14:14:22
>>8 >現に現場に「九州訛り」な人物数人がいたって目撃もあるしね
会津礼賛の自称研究家がソースも付けずにその趣旨の発言をし、その後逃げ回っているって話
12 :
日本@名無史さん :2010/09/30(木) 14:45:38
実際こんな人何人もいたんじゃない、なんでこの人が後世のいま語られてるんだろ
13 :
34 :2010/10/01(金) 16:19:12
幕府に大政奉還を勧めたのは、後藤象二郎だよ そして、実際後藤は、幕府側から狙われてビクビクしてた時期がある 当時、幕府側から見て、竜馬なんか重要人物でもなんでもないと思うんだけど
どこの34だよ
15 :
日本@名無史さん :2010/10/01(金) 16:51:33
後藤象二郎は徳川慶喜に大政奉還を強く勧めたものの、 仔細は坂本竜馬に聞いてくれと言って、実際の折衝は坂本竜馬に任せた。 永井尚志は確認されているだけで三回、他の京都の幕閣にも折衝を行ったのは、 大政奉還の後藤への提案者である、坂本龍馬だった。 要するに、土佐藩が大政奉還に動いたのは坂本のせいであると 京都の幕府首脳は把握していたことになる。 >そして、実際後藤は、幕府側から狙われてビクビクしてた時期がある いよいよ会津藩主松平容保による暗殺指令の疑いが濃厚というわけですな。
16 :
日本@名無史さん :2010/10/01(金) 17:28:09
>>15 容保って慶喜の考えてることを全く理解できてなかったのかなあ?
ところで慶喜がふと漏らした言葉に、土佐の策士が薩長の策士に負けたんだっていうのがあって、意味深に捉えたくはなってしまうよね
17 :
記憶喪失した男 :2010/10/01(金) 17:40:05 BE:3102154278-2BP(791)
質問です。
坂本竜馬のウィキに船中八策がのってないんだけど、
船中八策は史実ではないの?
松平容保・松平定敬の大政奉還拒絶は、
徳川慶喜の目指す方向を理解しても、そこに会津と桑名の席がなかった、
つまり、自らの権力維持を優先させたのだと思います。
徳川慶喜は各諸侯を集め、その盟主に座り、幕府に代わる新政権を作るつもりでした。
しかしそのとき京都にいた有力諸侯は、一会桑の京都における独走には敵意が強く、
徳川慶喜自身は盟主になるとしても、会津・桑名へは退陣帰国要求が諸侯側から表明されていました。
徳川慶喜が大政奉還後に諸侯会議に軸足を置いてしまうと、会津・桑名は京都での権力を失い、
引退帰国となる公算が大きかったわけです。
そのため会津桑名の両藩は、江戸からやってきたばかりの幕府役人らと共に大政奉還反対を強く表明します。
坂本龍馬が狙われる状況が生まれたわけです。
>>17 「船中八策」は明治の文人で坂本龍馬賛美の小説を書いた坂崎紫瀾が名づけたもので、実在したかどうかには疑いがあります。
坂本の書いた新政府組織草案として実在するのは「新政府要領八策」であり、これのオリジナルは横井小楠の「国是七条」です。
坂本龍馬の功績はこの案を考案したことではなく(その栄誉は横井に与えられるべき)、
土佐藩を通じ、徳川慶喜に大政奉還を実行させる決断をさせた、という点にあります。
19 :
記憶喪失した男 :2010/10/01(金) 18:02:37 BE:553956252-2BP(791)
>>18 解答ありがと。八策は実在するのね。
20 :
日本@名無史さん :2010/10/01(金) 18:05:47
>>15 でも、後藤が竜馬に任せたとしても、幕府から見たら、竜馬を後藤の下っ端としか見てないでしょ
やっぱり、幕府(や当時の一般人達)は、藩の形式上の上下関係を優先させて見ると思う
無理に庇っても松平容保暗殺指令説に状況証拠と動機が集まるばかり
>>10 (^O^)まあオマエよりは大物だけどな!
見回り組だったら暗殺の必要がないという説があるけど?
24 :
日本@名無史さん :2010/10/01(金) 22:54:06
>>21 新撰組や会津だったら、関係者が集まってる所に一斉に乗り込んでバッサリやりそうじゃん
25 :
日本@名無史さん :2010/10/01(金) 23:28:04
本来、捕縛なら百人以上で周囲を包囲し、その後突入する。 しかし京都見廻組隊士の証言からは、少人数で尊王攘夷派を名乗り侵入し、龍馬に出会ったら殺すという 暗殺の手口が語られている。これは本来の捕縛のやり方ではない。 これには、当時の坂本竜馬の立場が関係していると思われる。 暗殺時、大政奉還の意思を徳川慶喜が明らかにして日が経っておらず、坂本は土佐藩の庇護下にあった。 当時旧幕府は土佐藩を自派へ取り込もうとしており、坂本龍馬の捕縛は事実上不可能な状況であった。 その為に、坂本に危害を加えたい人間が旧幕府内にいた場合でも、 暗殺者の身元は明らかにできず、龍馬を捕縛ではなく暗殺するという事態になった、と考えられている。 容保様は京都の治安を預かっていたから正々堂々捕縛したはずだ、だから容保様じゃない、という意見は 当時の政治状況からは通用しない。
26 :
日本@名無史さん :2010/10/02(土) 16:25:45
>>25 それなら龍馬を殺すほうをやめて、守旧派の中の情報不足でのーたりんの奴等を我慢させれば良いんじゃないか
大政奉還はもう宣言が出てしまった後だし。
後藤象二郎も狙われてたのかなあ
情報不足というよりは、
>>18 で示している
会桑が徳川慶喜に見捨てられつつある、という政治状況が大政奉還への阻止行動になったような感じ
28 :
日本@名無史さん :2010/10/02(土) 22:55:17
容堂公あたりしゃまいか?あるいは後藤より上の掛川侍。
そいつらは見廻組との接点がないし
30 :
日本@名無史さん :2010/10/03(日) 07:42:25
>>29 佐々木只三郎との接点ということであれば、薩摩人にチラホラ
薩摩は坂本の最後の避難地だし (薩摩!と主張する説にはその実は根拠がない。)
32 :
日本@名無史さん :2010/10/03(日) 07:48:28
そして証拠を集め、動機を探れば探るほど、松平容保が犯人ということに。
33 :
日本@名無史さん :2010/10/03(日) 08:30:09
早起きだな
34 :
とんまな学者の妄説信者へ :2010/10/03(日) 09:21:33
見廻組はメ−ソンの身代わりで自首したのである。同じ幕府の同胞の新撰組に 罪を擦り付けようとする筈がない。 かねが仇の世となれる。国が潰れ、金持ちが路頭に迷い、身魂の磨けた貧乏 人が世に立つ。上下が逆さまになる。五戒の中で一番罪の重い殺生(肉食は間接 的殺生)を容認している宗教はすべてまやかしである。人間を裁くのは神の特権 である。偽の悪人(生きる為にやむを得ず悪事を働く)を通して裁く事もある。 今の人間の9分9厘は裁かれる運命にある。だから、日月神示がくどい様に改 心しろと警告しているのである。五戒に背いて、獣欲の命ずるままに享楽をむ さぼっていた本当の悪人は袋叩きにされ、地獄の業火で焼き尽くされる。 宮沢賢治は弥勒の世の住人となれる 賢治には霊が見え、神のことわりが分っていたのである。宮沢家は大地主で 質屋と古着屋を営んでいた。戦争で貧乏人が増えるほど裕福になって行った。 伯母や妹のトシ子が肺結核になったのは先祖からの業病である。彼は業病を絶 つ為に百姓になった。肉食を断ち、一汁一菜の食事に努めた。血を吸う蚊をも 殺せなくなった。 雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な身体を持ち 慾は無く 決して怒らず いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ あらゆる事を感情に入れずに よく見聞きし分り そして忘れず 野原の松の林の蔭の小さな萱葺きの小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくとも良いと言い 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないから止めろと言い 日照りの時は 涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き 皆にデクノボーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そう言うものに 私は なりたい
35 :
日本@名無史さん :2010/10/04(月) 17:44:08
誰かが嘘をついてる 渡辺か今井か干城か慎太郎か玄蕃か勝か
峰吉証言も嘘っぽいとこがある
嘘つきといえば、半藤だね
>>34 「ワカンナイ」
雨にも風にも負けないでね
暑さや寒さに勝ちつづけて
一日、すこしのパンとミルクだけで
カヤブキ屋根まで届く
電波を受けながら暮らせるかい?
南に貧しい子どもが居る
東に病気の大人が泣く
今すぐそこまで行って夢を与え
未来の事ならなにも
心配するなと言えそうかい?
君の言葉は誰にもワカンナイ
君の静かな願いもワカンナイ
望むかたちが決まればつまんない
君の時代が今ではワカンナイ
日照りの都会を哀れんでも
流れる涙でうるおしても
誰にもほめられもせず、苦にもされず
まわりの人からいつも
デクノボウと呼ばれても笑えるかい?
君の言葉は誰にもワカンナイ
慎み深い願いもワカンナイ
明日の答えがわかればつまんない
君の時代のことまでワカンナイ
39 :
日本@名無史さん :2010/10/04(月) 22:24:40
>>35 むしろ、毎日薩長の悪事を口を酸っぱくして叫び続けたのに、
坂本竜馬に関する事を質問されると、いきなり怒って席を立ってしまった
某元諸侯が何かを知っているような感じ。
>佐々木只三郎との接点ということであれば、薩摩人にチラホラ そんな弱いつながりで大丈夫か? 佐々木の実兄は会津藩士の手代木直右衛門だが・・・まあいい
>>35 たしかに干城(と二日で死んだ慎太郎)って、なにかを隠すように多弁で
無理やり新撰組のせいにしたがっているような…。なぜ。
陸奥は第一感紀州だと思ったみたいだが、 個人的な感情があったり若気の至りだったりする部分も大きいだろうが どうも自分の親分が幕閣の中枢から直に狙われる程の大物とは思ってなかったような節がある。 陸奥の見立てを信ずるなら不逞浪士として現場の判断で殺された気がするな。 たとえば寺田屋の一件とかで凶悪粗暴犯扱いだっただろうし。
谷の嘘・・・・ その1 中岡から聞いた話が最初から「嘘」だった その2 「何らかの理由」で新撰組と判断。故に後の近藤捕縛〜即斬首の決定に影響 しかし、後日「別」の人物が名乗りを出てきたため、またまた改めて自説を主張「せざるを得ない状況」となる (近藤斬首時の”強引さ”をつっこまれるのを恐れたため)
>>42 新選組のほうから件の紀州藩士(三浦?)を護衛する話を持ち掛け、その情報を陸奥がつかんだからじゃないか
非のない者を護衛する必要はないわけで
45 :
日本@名無史さん :2010/10/06(水) 08:51:32
>>43 どこまでが中岡の口から出た話なのか
例えば十津川郷士とほんとに中岡が言ったのか
今では検証のしようがない
今井の子孫はムキになって松代藩士と名乗ったんだと主張してるが
刺客が二人玄関でそれぞれ十津川、松代と名乗ったとかんがえれば違い自体は突っ込んで検証しなきゃいけないことでもない
小太刀の名人の桂早之助の子孫が今もいるみたいだからこっちのほうにも、戊辰戦争前に伝えられた家伝とかないものかな
小刀だけでは寂しい
実行犯は見廻組が濃厚と感じるけど では誰が彼らに命令したり唆したり したんだろうかと。
48 :
日本@名無史さん :2010/10/06(水) 18:35:05
議論は禁止して、とにかく薩長のせい、と言いたい訳 もうそんな時代は過ぎているのにね。
>>47 相川自身は黒幕は松平定敬っていってるんだが
その本読んでそんな結論になるようじゃはなから「薩摩や土佐の仕業であってほしい」と願ってるんだろうね
薩摩の怒り?何のことだ?史料は出せるのか?全部コイツの思い込みだろう
何の史料も提示してないし
谷が守ろうとしたもの?新選組と決めつけた自分の体面だろアホかっつうの
こういうのを狂った深読みっていうんだよね
後半なんかもう何でもあり
誰でも薩摩のスパイ?え?ギャグ?
っていうか他の記事見たら「宇宙人はどうやって地球に来るのか」とか書いてて失笑
やっぱ薩摩黒幕説唱えてる奴は脳に電波を受信するタイプが多いのか?
薩摩陰謀説は信じがたいが、龍馬殺害を自供した今井を 西郷が働きかけて助命した訳がわからん。
>龍馬殺害を自供した今井を >西郷が働きかけて助命した訳がわからん。 そんなの今井の子孫が言ってるだけで裏付けなんか全く無いじゃん なんで事実という前提で語るの? あと西郷がやってたのは榎本軍に対する寛典論だから 庄内藩なんかも同様
見廻組実行説も、見廻組の生き残り等が勝手に言ってるだけで 裏付け資料全く無し。
じゃあ何で近江屋事件の詳細が世間に公表されていない明治初期の段階で今井が殺害に至る経緯や状況を詳しく話せたのかを証明しないとね
証明じゃなくて説明だな あと大石鍬次郎や横倉甚五郎は見廻組がやったって言ってるな
そんな今井が赦されるって新政府も龍馬に冷たいもんだな。
会津が証拠も出さずに粘着中
>>51 子孫じゃなくて今井の証言だろ。
手代木直右衛門が命令を出して、見廻組が実行して、西郷が今井の刑期を
短くしたじゃだめなのか?
>>55 新政府発足後に過去の公務(暗殺含む)については罪に問わないという布告が出されたんだよ
>>57 今井の存命中に世間に公表した話じゃないから最悪話を面白おかしくするための子孫のデマという可能性すらあるね
俺は今井の勘違いだと思ってるけど
新政府は、京都では王政復古、江戸では無血開城以前の 幕府・旧幕府の行為については、公務であるとして罪に問うことが無かった。 そのあたりを誤解して、勝手に「無実の者を罪人扱いした」と東北史あたりで平気で書いてくるのは、不正だね。
>>53 と云うか、それじゃ誰の「何」によって当時の状況が「正確」なの?って話
近江屋?峰吉?谷?今井?渡辺??・・・・・・
61 :
日本@名無史さん :2010/10/09(土) 10:59:47
>>58 そうだね
今井信郎の弟だかが西南戦争前ぐらいに西郷によく似た人が家に訪ねてきたって言っただけ。
ただし弟だかも西郷の顔を当然知らない。
あと今井が西南戦争も終りころになって政府軍に志願し、それを子孫が今井の本音は現場行って実は西郷の味方をすること、勝手にそう言ってるだけ。
九州についた時には戦争は終わってたらしいけど。
今から40年ぐらい前に今井の孫が本を出したわけだけど捏造なのかホントの話なのかわからん内容が多いね。
あと今井自身の殺害状況の話は記憶違いか人から聞いた話を膨らませて騙ったせいか、現存する証拠品と辻褄の合わないところがかなりあるね。
62 :
日本@名無史さん :2010/10/09(土) 11:38:58
松平容保が松平定敬に命じて、定敬が佐々木只三郎を直接呼んで命じ、佐々木が見廻組の部下数人を動かした。 味も素っ気もないけどこれしかないな。 見廻組じゃなくて実行部隊は新選組で、龍馬は斎藤一もしくは左馬之助に斬られたというほうが、後世の人にとってはなんぼか納得いったろうに。 三好慎蔵さんが最後京都について行ってなかったのがなぁ
慶喜は結局薩長は烏合の衆で日本を統治できないと踏んだからこそ、敢えて朝廷に大政奉還して見せたんだろ? だとすれば、薩長の蝶番である坂本を消しておかなきゃ!w
>>62 何故直参な手代木に直ではなく弟使っての「間接」なのか?
寧ろ兄貴の”想い・憤り”を感じた弟が(無論兄貴には内緒)、会津家臣手代木に命じた・・・・ってのが解りやすいような??
65 :
日本@名無史さん :2010/10/10(日) 17:30:33
松平容保も松平定敬も大政奉還には大反対で、しかも京都見廻組は会津配下、手代木は会津家臣。 これで桑名藩主松平定敬が手代木に命じてやらせた、となると松平容保に罪をかぶせようとしたということになる。 何しろ、状況証拠は全て会津藩主松平容保公を指しているのだから。 しかも徳川慶喜の大政奉還への反逆行為だから、不忠もはなはだしい。 松平定敬は、手代木の証言を全面的に信用するなら、実の兄を陥れようとした大悪人だな。
桑名候が犯人で兄弟想いなら、会津支配の見廻組等は動かさず、 桑名藩士か、少なくとも会津に関係のない人間を使っただろう。 この坂本龍馬への暗殺行為は、徳川慶喜公の大政奉還という政治判断への反逆声明に等しい。 見廻組が実行部隊なら、大政奉還は間違っているという確信を持った人間が命令・実行したわけだ。 当時、京都の旧幕府陣営にはそういう人間がいる。会津藩主松平容保、桑名藩主松平定敬、そして 江戸からやってきたばかりの旗本連中だ。この中で見廻組を動かせるのは、松平容保だ。
67 :
日本@名無史さん :2010/10/10(日) 19:21:54
赤松小三郎のように薩摩が暗殺したんだよ この可能性が一番大きい その次に可能性が高いのは小笠原老中 大政奉還に反発していたので、部下の直参を使って暗殺した 会津藩の可能性はこじつけだね 手代木は知ってはいたんだろうが、知ってるから犯人は早計だ
68 :
日本@名無史さん :2010/10/10(日) 19:22:58
69 :
日本@名無史さん :2010/10/10(日) 19:30:45
松平容保の単独犯か、松平容保・松平定敬の共同主犯だね。 会津が暗殺命令者から外れることは、まずなさそうだ。
70 :
日本@名無史さん :2010/10/10(日) 19:36:20
京都所司代と見廻組の関係も人事などの面で深かったから定敬もやっぱりからんでるだろうな 実行犯にも所司代出身者がいて桑名藩士ではないが、桑名(京都所司代)から来た男なんて言われて解釈が混乱してた時期もあったくらいだし
いろは丸事件でムカついた紀州の三浦Qが指示したんじゃないかって思ってる。 問題は実行犯。>>69や70の言う通りであっても不思議じゃないな。 ただ近藤局長がきっぱり否定している新撰組は絡んでないと思う。
大政奉還が討幕への一歩であったことを考えると、薩長説は疑わしい。 大政奉還が無ければ、薩長は日本国政府を相手に戦争を吹っかけなければならないところだった。 大政奉還で幕府が政権から降りてくれたので、薩長は朝廷を押さえることで 私的な団体としての旧幕府へ、政府命令として賊の汚名を着せることが出来た。 大政奉還で薩長の討幕陰謀をかわした、という説は 全然戦争回避になっていないという点で、根拠に乏しい。 となると、やはり龍馬暗殺は動機の面で、実行犯だけでなく命令者も旧幕府側ということに
73 :
日本@名無史さん :2010/10/10(日) 23:43:23
松平容保(会津藩主・京都守護職)が命令、松平定敬(桑名藩主・京都所司代)の関与の可能性あり 実行者は見廻組(会津藩傘下) 動機は大政奉還への敵意 ということで、決まりですかね。
常識的に考えればそうなんだがネットやテレビでは薩摩黒幕説で溢れかえってるのが現状 動機は推測に過ぎないし証拠なんか何も無いのにね 「一番得をした者が犯人」とか推理小説みたいなこと言ってるのも多い
>>73 全く面白くないが1番まともな説
しかし、すると後藤象二郎も狙うつもりだったのだろうか
暗殺で誰がやったかわからないようにするなら土佐参政も殺しても問題はないだろう
容堂を容保が狙うことは所詮殿様同士だから有り得ないだろうが
後藤も狙われていたとおぼしき史料はないもんかね
76 :
日本@名無史さん :2010/10/11(月) 09:03:39
龍馬には殺人の前科があるし、夜になっても藩邸の中にいないし、脱藩赦されてるんだか赦されてないんだかわからない微妙な立場だし、暗殺しやすいわな。 後藤西郷大久保は藩の後ろ盾があるからやっぱり安全だな。 長州はこの時もう朝敵じゃなくなってたのか。 何せよ浮浪の身分は弱い。
【場面】 −薩長VS幕府の対立は英仏の代理戦争。 −龍馬(土佐)はその間で動いていた。 【登場人物】 龍馬(土佐)のシナリオ 大政奉還→倒幕回避→徳川と薩長の大同盟┃→富国強兵(英仏を競合)→列強へ仲間入り 幕府(仏)のシナリオ 大政奉還→倒幕回避→薩長分断→徳川復権┃→富国強兵(フランス主導)→列強へ仲間入り 薩長(英)のシナリオ 幕府存続→武力倒幕→薩長幕府(明治政府)┃→富国強兵(イギリス主導)→列強へ仲間入り 【結論】 −倒幕(回避)、徳川と薩長の大同盟では薩長(英)に動機あり。 −薩長分断(徳川復権)では幕府(仏)に動機あり。 だが、薩長は武力倒幕後の利害調整役としての龍馬を必要としていたため、龍馬暗殺の動機は小さくなる。 また(日本より中国が欲しい)フランスは、植民地政策でイギリスほどロシアと対立していないため、幕府が勝てばラッキー程度に思っていたと思われ。 よって薩長同盟の黒幕で(日本との同盟でロシアの南下政策を何としても食い止めたい)イギリス、 薩長分断(徳川復権)を模索していた幕府に強い動機ありと見た。
78 :
日本@名無史さん :2010/10/11(月) 10:38:13
後藤象二郎や岩崎弥太郎って、龍馬や龍馬暗殺について何も語ってないが、 何か真相知ってたんだろうか。 土佐藩って谷干城以外は龍馬の暗殺に淡白。 その谷はなぜか新撰組犯行妄信。後藤は近藤と知り合いだったのに。 だいたい近江屋も土佐藩邸と目と鼻の先。
>>78 上士の佐々木ナントカが医者を手配したり使いを出したり動いた気配があるな。
しかし葬儀は藩がからむのを土佐は拒否ったね。
龍馬は土佐藩士に復権してたのではなくて、藩のお尋ね者でなくなってただけ。
後藤象二郎は確かその時京都にいなかったんだよな
弥太郎も長崎にいたのかな
龍馬は幕府のお尋ね者だったわけだから二人の反応は、ついに殺られおったか、運がなかったなという程度では。
暗殺されなくても労垓や海難事故や切腹や戦争で死が身近な時代。
>>79 福岡某なんて素っ気ないし。
暗殺直前に2度も別宅に訪ねているのにだよ?しかも葬儀にすら参列しなかった。
遊郭通いばればれだったんで「後ろめたかった」とか??
・・・んでその子孫がTVで暗殺の件「あれは云ってはならんことだ」と云ったとか云わなかったとか?
陰毛論者は自分の陰毛でも食んでてくだちい
日本国民=皇室(日銀)と薩長財閥(日本経団連)の使用人
陰謀論者=幼稚な中二病史観
85 :
日本@名無史さん :2010/10/11(月) 17:02:13
>>75 後藤象二郎は後年、大政奉還直後から京都の旧幕府連中から命を狙われ逃げ回った、と回想している。
もっとも、これは大政奉還の功績が坂本龍馬にのみ語られることへの反発心で、自らも当事者という
主張があったのかもしれない。
>>76 朝廷の長州への朝敵認定解除は大政復古の前日で、この時はまだ解除されていない。
最後の二条摂政による朝議において、大原・岩倉ら尊王攘夷派公家への参内停止の解除、七卿落ちの公家への処分解除と
ともに決定され、その翌朝に王政復古が始まった。
>>80 友人の葬式の帰りに暗殺されるということが充分考えられた。油小路の暗殺に於ける新撰組の行動を考えればよい。
もっとも、その人間は明治以後葬儀に出なかったことを薄情とされ、政治的な地位を失っていった。
西郷、大久保、小松の3人も命狙われていたって何かの本で読んだな 何の本だったか忘れたが 確か西郷の弟が短銃持って大久保を護衛していたとか書いてた
>>85 >友人の葬式の帰りに暗殺されるということが充分考えられた・・・・
いや、だからそもそもが事件時・留守中だったて事は「出かけていた」訳で
葬儀後の帰りも糞も無いと思いますが??
88 :
日本@名無史さん :2010/10/11(月) 18:47:53
後藤象二郎は逃げ回って各地を出没し、福岡某は京都に居たけど出てこなかった そう言っているんだと思うが
土佐藩に泥を塗ろうと必死な割りに、話の内容が外れている会津
90 :
日本@名無史さん :2010/10/11(月) 18:54:50
京都に居たけど出てこなかった土佐関係者といえば、五箇条のご誓文を書いたあれでしょ。 暗殺を恐れてのことだと思うよ。 しかし明治以後は薄情扱いされて、日の当たるところから遠ざけられて不遇の生涯となった。
>>77 GJ
会津が明治政府からやたら冷遇されたのは、案外、龍馬を殺された復讐からかもねw 福島県は国立大学設置も戦後になってから。
龍馬がいれば、新政府内の雄藩同士のゴタゴタも上手く調節してくれて、不平士族にも仕事を見つけてやって西南戦争なんか起こさせなかったろう。
会津は新政府から恩恵を受けまくっているような気がする 復讐論とは、要するに恩恵おかわり要求を論理付けるための方便だったはず
94 :
日本@名無史さん :2010/10/11(月) 19:26:16
新撰組は龍馬暗殺後に油小路の変があるからね。 龍馬の暗殺直後は中岡証言による新撰組犯行説が主流だったし、警戒されて当然かも。
95 :
日本@名無史さん :2010/10/11(月) 19:41:02
黒幕と言えるほど大そうなものではないが後藤が龍馬は近江屋との情報を 第三者を使って見廻り組にタレコンだ、言わば未必の故意 これが一番しっくりくる
松平容保が宮司として日光に居たのは短期間で、残りの人生は都心の屋敷暮らしですがな 止戦派だった西郷頼母が日光で生涯を閉じたのと比べると、豪勢極まりない
97 :
日本@名無史さん :2010/10/11(月) 19:46:06
>>95 半藤一利の「薩摩が竜馬の住所情報を教えたのだ、証拠はないけど」説の焼き直しにしか見えない。
実際は大政奉還への交渉時に、坂本龍馬は京都の幕府関係者と何度も面会し、住所なんか丸分かりだったのに。
しかも、命令者の松平容保や実行者の見廻組が暗殺を行ったということは、その説では全く消えない。
98 :
日本@名無史さん :2010/10/11(月) 19:51:58
>>97 幕府関係者って大久保一翁だけだろ
少なくとも幕府首脳側で龍馬の顔と名前が一致してたのは数えるほど
見廻組実行犯説はもはや定説なんだしきっかけを作った(情報流した)のは誰かって言ってるんだが
99 :
日本@名無史さん :2010/10/11(月) 20:05:17
永井尚志が少なくとも三回坂本龍馬と面会しているな。 他の京都幕閣も坂本竜馬の名と顔を覚える機会はあっただろう。 後藤象二郎は徳川慶喜へ再三大政奉還を要請したが、具体的な手順は坂本龍馬から聞くように言い、 彼を実際の交渉に当たらせていた。 そして、永井の屋敷は見廻組の隣なのだよ。 龍馬が幕府の役人の所に通うなら、見廻組にとっては住所は既知ということになる。
100 :
日本@名無史さん :2010/10/11(月) 20:07:16
あ〜永井もいたなスマン >永井の屋敷は見廻組の隣なのだよ それは初耳だな
101 :
日本@名無史さん :2010/10/11(月) 20:11:00
当時の地図を見てみれば分かる。 京都所司代と見廻組、永井の屋敷は非常に近接している。 つまり、大政奉還時、京都における幕府の拠点に坂本龍馬は通いつめていた。
大ニュース 永井の住んでいた場所と佐々木只三郎の住んでいた寺は道を隔てた隣同士
見廻組は旗本階級だからね。 半農の新撰組とは違って、住居も待遇も格段に上だった。
下駄を捨てていくなどの偽装工作はなぜ必要だったんだろうね
あれは偽装だったのかね?(下駄等の遺留品) あれを新撰組の持ち物と断言したのは、 この坂本龍馬暗殺の後に、信じていた新撰組本隊から粛清(油小路の変)を受けて、 それまで尊王攘夷派と交流も無かったのに 彼らは新撰組と対抗できるから、と土佐藩・薩摩藩を駆け込み寺に使った、新撰組高台寺党の連中だ。 彼らにしてみれば、坂本龍馬への暗殺も新撰組のせいにしておいて、 自らの立場を坂本龍馬になぞらえて、保護を嘆願するんじゃないのかな。 つまり、土佐や薩摩に質問した相手高台寺党が、新撰組を犯人とすることに熱意を傾けた、ということ。
106 :
日本@名無史さん :2010/10/11(月) 22:41:26
会津も桑名も、なんで龍馬を殺したんだろ。 龍馬が徳川宗家に「寛大」なことや○○公を新政権の重職にすえようとしてたことを 知らなかったのかね。 龍馬が大政奉還を進言したことを知って、怒りにまかせてやらせたとしたら莫迦だね。 まさか寺田屋の件だけで殺したんじゃあるまいし。
下駄はそもそも証拠能力が乏しいのでは。 何故なら誰がいつ置いて行ったものか証言からは分からないから。 駆けつけた連中が草鞋にはきかえて置いて行ったものの可能性もある。 証拠能力があるのはむしろ刀の鞘。 殺人現場で鞘を置いて抜き身の刀を持っていくアホは犯人以外は流石にいないだろう。
今度の大河ドラマでは、 実行犯は定説通り見廻り組 龍馬の居場所をチクって暗殺されるように仕向けたのが後藤象二郎 という筋書きになるらしい。
109 :
日本@名無史さん :2010/10/12(火) 00:09:55
薩摩じゃないの? 大政奉還されちまったから、 これ以上引っ掻き回されちゃたら、やりにくいんじゃねぇ? 長州も同じように考えたけど、薩長同盟の借りがあるから、黙認じゃないのかな〜。
110 :
日本@名無史さん :2010/10/12(火) 00:11:19
(最新)2010年、パチンコが原因の殺人事件、自殺(すべて別件)
1月から7月12日までは省略
7/13 大阪市西淀川区で昨年4月、娘(9)を衰弱死させた母親の初公判「前夫はパチンコに入り浸り離婚」
7/16 岡山県津山市/09年8月21日に起きた双子死傷:母親に執行猶予「殺害後もパチンコ店に行っていた」
7/22 高知/昨年2月に起きた殺人死体遺棄:殺人ほう助に7年求刑(主犯は20年確定)「パチスロ中毒で借金」
7/29 高知/5月12日に起きた乳児放置死:母親に執行猶予4年の判決「長男を車に置いてパチスロ」
7/30 埼玉/パチンコ店「やすだ八潮店」で客切られ死亡「景品交換所で換金した直後に刃物で脅される」
8/6 兵庫/08年12月27日に起きた元教諭殺害事件:被告に懲役25年「パチスロ好き彼氏に金づるにされ」
8/13 静岡/妻殺害の桑田被告 元交際相手も殺害し再逮捕「仕事をさぼってパチンコ、多額の借金」
8/27 福井/大野市のコンビニで店長が殺害される「逃走中も大好きなパチスロをして逃走資金を稼ぐ」
8/29 北海道/北見の大工死亡:頭や胸にクギ「パチンコ屋から帰宅後に自殺?最近は仕事が無く借金数百万円」
8/31 愛媛県松山市/元交際相手に女性(重体)と母親(死亡)が刺される「パチスロや麻雀で借金が多く」
9/3 1月18日に起きた札幌市北区の女性強盗殺人に無期懲役「パチンコ、酒代で金を使い込み」
9/3 大阪/岸和田で83歳遺体が発見される 寝たきりでも病院に連れて行かず「年金引き出しパチンコに」
9/9 栃木/09年11月25日に起きた父刺殺 被告(23)に懲役15年「大学1年からパチンコに通い、遺児年金にも」
9/16 三重県熊野市/8月に80歳の女性が食事を与えられず放置され、遺体でみつかった事件。
次男(56)を詐欺の疑いで再逮捕「母親の年金を不正受給してパチスロ」
10/1 栃木/3月18日に起きた足利市の妻刺殺 夫に懲役14年判決「妻に隠れてパチンコを打ち多額の借金」
7/16 岡山県津山市/09年8月21日に起きた双子死傷:母親に執行猶予「殺害後もパチンコ店に行っていた」
↑
母親が双子の兄を殴り殺し弟には頭蓋骨骨折の重症を負わせるも執行猶予
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1275080546/
111 :
日本@名無史さん :2010/10/12(火) 10:31:01
ハローハリネズミで武力討幕派の中岡が議論の末龍馬を斬って その後入ってきた龍馬の女に後ろから斬られ まさか女に斬られたとは言えない中岡が話をでっち上げたってのも面白かったな
112 :
日本@名無史さん :2010/10/12(火) 13:15:59
紀州藩が新選組に依頼したんだろう。 そして新選組は御陵衛士に命令して、実行犯は助っ人の斎藤か伊東が雇った浪人か。 新選組的には御陵衛士を同士かどうか試す目的もあった。 伊東的にはこれを機に彼らを失脚させることができるかもしれないと企んだ。 しかし龍馬暗殺後の工作が発覚し、口封じも兼ねて自らも暗殺されてしまう。 たった一人で近藤宅へ行ったのは、大仕事の直後に殺されるわけがないという油断。
113 :
日本@名無史さん :2010/10/12(火) 16:00:35
>>112 伊東って甲子太郎か?
だとすればめちゃくちゃだw
114 :
日本@名無史さん :2010/10/12(火) 16:46:11
中岡は巻き添えなのか同時に狙われたのか、わからんぽ。 まさか龍馬が巻き添えってことはあるまいが。 大久保利通の日記には中岡の名前しか出てこないらしいが、 武力倒幕派からすれば、中岡のほうが惜しい人ってことなのかね。
115 :
日本@名無史さん :2010/10/12(火) 17:23:42
中岡はたまたま遊びに来てただけでひょっとしたら実行犯は中岡が誰だか知らなかったんじゃないか? 幕府側にしてみれば中岡も龍馬と同レベルの謀反犯 知ってればトドメを刺すだろう と オモタんだが顔を見られてるからどっちにしてもトドメは刺すだろうな 実行犯はかなり慌ててたか相当のマヌケか
西郷か大久保だろう。
117 :
日本@名無史さん :2010/10/12(火) 18:22:43
会津と薩摩は現場レベルで旧知が多かったろうな。 なんせ一緒になって長州を京都からたたき出したんだから。
岩倉と大久保だろう。
何ら史料を見せようとしない陰謀論者が沸いてきました
121 :
日本@名無史さん :2010/10/12(火) 20:21:23
>>119 確固たる資料がないから揉めてるというのに
黒幕は松平クソモリって結論出てるわけだが
>>123 その結論に至る史料は、このスレの何番目に貼ってあんの?
125 :
日本@名無史さん :2010/10/12(火) 22:25:38
また会津の嘘が出てきたか
>>124 史料は無し。状況証拠と関係者の後年の証言。
刑部省口書=今井供述でも命令元の氏名は明らかにされていない。
とはいえ会津・桑名・幕府黒幕説を主張するのに史料は不要だが、
それ以外の藩黒幕説を唱えるのには確固たる史料が必要。
だって見廻組は配下なんだからw
見廻組がやったんだから普通に幕府側の高官が指示出したんだよ常識でもの言えよタコ 薩摩が居場所を教えたとか頭湧いたようなこと言う奴がよくいるけどそれこそ史料が必要だな まあ証言すら無いけどねそんなもん 出鱈目な理由ばかりダラダラ並べる薩長土黒幕説の可能性は万に一つも無い
128 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 00:34:04
いずれにせよ確証がないからああだこうだ楽しんでるのに、 品のない言葉で言論封殺する薩摩無垢無謬氏、こわいよ〜。 気骨の判決とか志布志事件を思い出す。
薩長黒幕説の場合、動機は何だ?
130 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 09:42:07
>>123 黒幕って言葉の意味わかる?
見廻組の実行犯説はほぼ確定してんだから命令者が松平ってことは小学生でもわかる
そのまんまやないかい
それじゃ白幕だろw
幕府? \ 薩摩?―【松平容保(見廻組)→×龍馬】 / 英国? 朝廷? \ 義昭?―【明智光秀→×信長】 / 近衛?
>>131 黒幕が薩長なら容保は裏切り者、英国なら容保は相当な策士w
黒幕が英国なら容保は相当な紳士(爆
>>127 直接命令を下したのは松平容保で間違いないが
薩と長とちらにも恩もあるが武力討幕潰されたって動機もあるな
そして土も、ずっと薩長に遅れをとってたが大政奉還建白で一躍表舞台に躍り出た
が、大事がすめばすべてを知る龍馬がなんらかの理由で邪魔になったかもしれないし
後藤は個人的な恨みもあった
とにかく幕薩長土すべてに動機はあったわけで
慶喜が龍馬を殺すなとの命令を下すのとほぼ同時に暗殺されたということと
殺害命令者が幕府親藩の会津、そして捕縛ではなく明らかに殺害指令
黒幕とはいかないまでも松平に働きかけたなにかがあったんじゃないか?
ってみんなで色々妄想するのがこのスレの趣旨だろw
龍馬伝でゎ、こうなる↓ 後藤→【松平容保(見廻組)→×龍馬】
西郷隆盛、松平容保 似た者同士だねw 黒幕は薩摩に決定ごわんど!
福岡孝悌が言ったとされる 「いや、あれは言っちゃあいかん事になっとるんだ…」 「佐々木只三郎、…そうじゃあないんだ」 ってなんなんざんしょ。 土佐の最高首脳が関与して立ってことかいな? 噂のよ〜ど〜おおお♪
138 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 13:45:37
動機があるのは会津桑名のみなのだが。 薩摩は大政奉還で得をした上に、更に討幕養母武力・武器を坂本・中岡に期待していた。
会津説は状況証拠多数 その他の説は会津を好む人のでたとこ任せの風説披露
新撰組好きはいるが、会津を好む人なんているのか。
>>129 単純にくらべると赤松小三郎暗殺の件か。暗殺内容的には似たような感じでしょ〜
薩摩「犯行説」を唱えるならばね
>>137 ・・・の子孫な「大学教授」でしょ?
問題は「おもいっきり〜」に出るくらいな福岡子孫な大学教授ってのが
判らない
143 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 14:40:44
>>141 討幕に熱意を燃やし土佐を討幕派に連動させようと狙っていた中岡を、薩摩が?
馬鹿らしい。
144 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 15:03:50
視点変えて中岡目的で押し入ってついでに
145 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 15:15:22
薩摩「大政奉還で台頭してきた土佐がうざったいでごわすw しかも薩長同盟に関与した小汚い武器商人が調子こいてるでごわすw このハイエナがw 天誅を下すでごわすw 坂本やっちまったらびびって土佐もおとなしくなるはずでごわすw」 ↓事件後 谷千城「こりゃ薩摩の仕業だろw でも指摘したら幕府を倒すであろう薩摩の敵になっちゃうw よし新選組のせいにしよっとw」
佐幕妄想
147 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 15:30:17
結局、証拠を検証すると会津犯行が濃厚、検証を一切せずに佐幕派正義論で話を進めると、妄想結論になる
検証ねえ・・・(笑)
>>138 別に桑名はないでしょ
それに会津は龍馬個人に恨みなどない
討幕のキーマンとしてなら恨みというより消さねばならぬ人物かもしれんが
大政奉還が成った後では殺しても何の意味も無い
政治犯としてなら捕縛しなければならないのになぜ殺害したのかがわからない
ある検証では刺客は近江屋の龍馬お部屋に入ってわずか2秒足らずで一太刀目を入れている
捕縛の意思など毛頭ない
だとすれば口封じしなければならない理由があったとしか考えられない
仮に幕府会津に龍馬を殺さねばならなかった理由があったとしても
捕縛―取り調べ―死罪でもよかったはず
会津は最後の最後まで戦い抜いたのだから龍馬を捕縛してれば
それなりに利用価値もあると計算してもおかしくない
捕縛したなら、土佐はその時点で討幕だろうね
151 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 16:05:14
動機は会津桑名
実行犯は会津系見廻組
無理な薩長土肥犯行説を振りかざし、動機を聞かれると
>>149 のような論理不明の話を始める。
みっともない。
>>145 長州だって仕方なく味方にしてやったのに、土佐まで権力を欲しがったんだからそりゃやっちまうよな傲慢な薩摩の下級田舎侍は(笑)
153 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 16:51:16
薩摩は赤松小三郎だけでなく、長州の広沢真臣まで暗殺してることを忘れるな
154 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 16:55:10
間違えた 大村益次郎だった
155 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 17:20:43
それは違うと思うが。
暗殺者は長州の神代。 薩摩説を触れ回ったのは司馬遼太郎で、彼の話によると 「神代が徘徊しています」→「そうかい」→「神代が暗殺をしました」→「尊王攘夷の人間なのでそれなりに扱うように」→「暗殺は薩摩のせいだ」 という言いがかりに近い性質の文章。
157 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 19:14:37
林忠交か松平容保
うちのひいじいちゃんか松平容保
なら、日本人じゃなくなりつつある徳川宗家を何とかしてよ、君の親戚でしょ
それで薩摩黒幕ネタの史料はなんなのよ? 薩摩黒幕説支持モンキー君たちはそんな基本的なことも知らないの? 俺は知ってるけど教えないよ^^ チンパンジーには余計な知恵授けたくないし^^;
大政奉還は既に成った。 その時点で龍馬は次の一手に動き出しているから、暗殺されたんだろ。 俺は会津で間違いないと思うけどねえ。
162 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 22:48:23
163 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 23:02:56
164 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 23:24:14
>>161 「大樹公、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ賜へるものかな。
予、誓ってこの公のために一命を捨てん。」と龍馬が言いましたとさ。
165 :
日本@名無史さん :2010/10/13(水) 23:30:46
>>157 林忠交w
慶応3年(1867年)6月24日、奉行在任中に伏見にて死去。
龍馬は薩摩から古巣の土佐に乗り換えたから、色々と内情を知ってる龍馬の口封じに薩摩は動いた。
当時立場を乗り換えつつあったのは、坂本と中岡に連れられて薩摩に擦り寄っていった後藤ら 土佐藩上層部の方。山内容堂だけが徳川慶喜と共に取り残されていた。
168 :
日本@名無史さん :2010/10/14(木) 00:28:20
>>164 「大政返上等ノコトヲ吾ガ藩ガ主張シ 其主人ト相成リ候ハバ 薩藩モ必ズ信用スベシ」
と坂本龍馬は言っています。
つまり、坂本にとって大政奉還は、幕府を政権から引き摺り下ろして薩摩の手助けをする、
薩摩に土佐を信用させる手段だったということになります。
>「大樹公、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ賜へるものかな。 >予、誓ってこの公のために一命を捨てん。」と龍馬が言いましたとさ。 徳川慶喜公伝か坂崎紫瀾の鯨海酔侯が元ネタだと思うが これは龍馬自身の発言や書状としては残ってない ゆえにフィクションの可能性あり
>>164 自ら統治権を返還した将軍には普通「アホか」って思うだけだろ。倒幕派なら「アホか(笑)」だし、佐幕派なら「アホか(怒)」と。
「偉いなあ」って思うのは、平和革命をビジョンとして持っている人だけ。龍馬とか勝海舟とか。
因みに会津は当然激怒。
171 :
日本@名無史さん :2010/10/14(木) 19:17:54
将軍が決めたのに、会津って激怒したんだ。 ぜんぜん将軍家に忠義を尽くしてないじゃんw
これに関しては、坂本龍馬自身が「大政奉還で幕府を政権の座から引き摺り下ろし、薩摩への手土産にしよう」 という趣旨の発言を残しており、徳川慶喜が討幕派坂本龍馬に騙されたのではないか、という印象が強い。 いずれにせよ、徳川慶喜の決定した大政奉還に会津桑名は激怒し、政権をすぐ戻すように主張した。 後藤象二郎も旧幕臣に命を狙われた。その最中に坂本龍馬暗殺が起こった。
薩長VS幕府【江戸vs京都(慶喜vs容保)】 この構図を理解した時、初めて幕末、ひいては坂本龍馬を語る資格を得たといえるだろう。
>>173 孝明天皇の崩御で情勢が一変。
岩倉暗黒卿の「業績」はでかい。
今度は孝明天皇暗殺説が事実という前提で語る陰謀論厨か、やれやれ
>>172 もしそれが真実なら黒幕など存在せず憎悪の塊となった松平が殺害命令くだしたのも頷ける
が 「大政奉還で幕府を政権の座から引き摺り下ろし、薩摩への手土産にしよう」
の旨の発言が洩れ伝わった経路は?
書簡などはなく発言だけ?
発言だけが伝えられたなら信憑性に乏しいなぁ
自分は薩摩藩黒幕説はまったく支持してないけど
受取りようによっては薩摩が疑われないように流布したようにもとれるし
179 :
日本@名無史さん :2010/10/15(金) 12:46:05
NHK大河では桂早之助を登場させないらしいんだが、彼の小太刀を展示している京都霊山歴史館の立場はどうなる?
180 :
日本@名無史さん :2010/10/15(金) 13:19:51
早川桂之助が出るよ。
松平容保・定敬兄弟の慶喜・大政奉還への怒りの矛先が、(慶喜をそそのかした)土佐藩主・山内容堂、 さらには、薩長同盟を実現・船中八策を提案した土佐脱藩浪人・坂本龍馬に向き、 土佐藩遊撃隊(天翔隊=海援隊+陸援隊)の2TOPをまとめて闇討ちすることで、 (ノラリクラリと薩長と幕府を天秤に掛ける)土佐藩の出鼻を挫こうとさせたのではあるまいか?
特に海援隊は表向き無関係を装った外郭団体だから闇討ちされても文句は言えんしなw 利害調整役の龍馬を必要としていた薩長の同盟に楔を打てる可能性もあるわけだし、いいところを突いたと思うよ>容保ちゃん! でも実際は、竜馬がいなくなったことで却って薩長の危機感&キズナが強まっちゃったのは大誤算だったなwww
184 :
日本@名無史さん :2010/10/15(金) 14:30:30
「孝明天皇の暗殺、明治天皇の暗殺と大室寅之助の明治帝擁立」の黒幕は岩倉、 「龍馬・中岡暗殺」の白幕は容保・定敬ブラザーズ、 に1867カノッサ。
185 :
183 :2010/10/15(金) 14:35:57
訂正 表向き×【無関係】を装った→○【中立】 (容堂としては)文句は×【言えん】しな→○【言いにくい】
このスレにはよっぽど「容保憎し」なやつがいるんだなと
容保・定敬兄弟がスーパーワリオブラザーズに見えてきますた!w
188 :
日本@名無史さん :2010/10/15(金) 14:57:13
龍馬が生きていたら、 どうなっていたでしょうか? 私は案外、江藤さん前畑さんみたいに粛清されてしたかもって思います。それか権力争いに敗れた板垣みたいに自由民権運動ってとこですかねぇ〜変な話ですけど、 英雄に仕立て上げる為に神様に殺された。 って駄目ですか?
名門・徳川一族に生まれながら、平和な世の中が続き日の目を見ることもなく、地方の親藩大名となっていた一橋慶喜・松平容保・松平定敬。 3人は幕末の大混乱に乗じ、出自と才能を存分に発揮できる京都の政界に躍り出て、天命に目覚め、 (譜代大名による輪番制の老中や大奥に仕切られた)幕政を徳川宗家に取り戻し、幕府中興の祖という英雄になるはずだった3人が、 やっとのことで手に入れた征夷大将軍の座。 ところが、大英国帝国を後ろ盾にした薩長同盟の成立、土佐藩の寝返りなど「土佐の下士」ごときに次々と痛い所に仕掛けられ、 下関海戦で惨敗を喫し、武力倒幕の気運が高まり、恐れをなした慶喜が松平兄弟に相談もなく山内ごときの進言で大政奉還してしまい、 あえなく幕府は消滅。 神君家康の栄光を取り戻すはずだったのに、逆に幕府を潰した張本人として歴史に名を残すハメになった容保・定敬兄弟の怒りは収まらない。 大政奉還から奪還に向けて全力を挙げようと誓ったはず。薩長は烏合の衆に過ぎず、日本を治めえるのは徳川あるのみ!と天下に示してみせる。 まずは、忠臣面して幕府を愚弄し、薩長に取り入ろうとしている山内容堂に一撃を加えるべく、水面下で八面六臂の活躍をするその「土佐の下士」を消す。しかも容保は京都守護職。 そこに土佐藩邸から目鼻の先の近江屋にその「土佐の下士」が陸援隊長と共にいるという情報が入る… もう見えただろ。
どうかなあ 坂本と中岡が生きていたなら、彼らの言動を考えると 土佐藩は容堂を置き去りに、最初から薩長軍に加わっていた可能性が高い すると、明治新政府に薩長と同等の土佐閥が出来たわけで、 土佐出身者は長州に政権を追われて民権運動なんてすることも無く、 かえって土方久元のような国権主義に走ったのではないだろうか
>>189 逆賊にされ、打ち首獄門にされるよりは、征夷大将軍のまま「名誉ある撤退」を選ばざるを得なかったんでしょうね、慶喜は。
192 :
日月神が鬼退治し天国を築く :2010/10/15(金) 17:27:14
学問の世はすみたぞ、学者は閉口するぞ。商売の世もすみたから商売人も閉 口するぞ。力仕事は出来んし、共食いするより外に道ないと申す人民ばかりと なるぞ。 今の政治はむさぶる政治ぞ。神のやり方は与えっぱなしぞ。今のやり方では 世は治まらんぞ。道理じゃなあ。与えると弥栄えるぞ。国は富んで来るぞ。神 徳満ち満つのじゃ。取り上げたもの何にもならんのじゃ。奉げられた物だけが 真じゃ。田から家から税金とるでないぞ。年貢取り立てるでないぞ。金はいら んと申してあろが、暮らし向きのもの只でとらせよ。日の光見よと申してあろ うが。働かんでも食べさせてやれよ。その所に神の政治始まるのじゃ。お上は 幸で埋れるのじゃ。仕事さしてくれと申して、人民喜んで働くぞ。皆々神の魂 植え付けてある神の子じゃ。 楽してよい御用しようと思うているのは悪の守護神に使われているのざぞ。 人の殺し合いでこの世の建替え出来ると思うているのも悪の守護神ざ。肉体い くら滅ぼしてもよき世ならんぞ。魂は鉄砲でも殺せんのざぞ。魂は他の肉体に 移りて、目的たてるのざぞ。いくら外国人殺しても、日本人殺してもよき世は 来ないぞ。今までのやり方すっかり変えて神の申す様にするより他に道ないのざ。 今度(太平洋戦争)捕らえられる人民沢山あるが、今度(世界最終戦争)こそひ どいのざぞ。牢獄で自殺するものも出来て来るぞ。女、子供の辛いことになるぞ。 実地の大峠の愈々となったらもう堪忍して呉れとどんな臣民も申すぞ。人民 には実地に目に物見せねば得心せぬし、実地に見せてからでは助かる臣民少な いし神も閉口ぞ。身魂の悪き事している国程戒め致すのであるぞ。神の子は神 の気(霊)頂いているのざから食う物無くなっても死にはせんぞ。今度の御用は どこ探しても判りはせんのざぞ。人民の頭でいくら考えても智しぼっても学あ りても判らんのじゃ。ちょこら判る様な仕組ならこんなに苦労致さんぞ。神々 様さえ判らん仕組と知らしてあろが、何より改心第一ぞと気付けてあろが、神 示肚に入れば未来見え透くのざぞ。理屈悪と申してあろが、悪の終わりは共食 いじゃ、共食いして共倒れ、理屈が理屈と悪が悪と共倒れになるのが神の仕組じゃ。
193 :
日月神が鬼退治し天国を築く :2010/10/15(金) 17:29:19
建替えとなったら、喰う物も着る物も無くなるぞ。何事も行であるから喜ん で行して下されよ。今度の行は世界の臣民皆二度とない行であるから、厳しい ぞ。この行出来ねば灰にするより外ないのぞ。この世の事は神と臣民と一つに なりて出来ると申してあろがな。早く身魂磨いて下されよ。それで神かかれる 様に早う大洗濯して呉れと申しているのぞ。掃除出来た臣民から良き御用に使 って、神から御礼申して末代名の残る手柄立てさすぞ。神の臣民、掃除出来た らこの戦は勝つのぞ。今は一分もないぞ、一厘もないぞ。これで神国の民と申 して威張っているが、足許からびっくり箱があいて四つん這いになっても助か らぬ事になるぞ。穴掘りて逃げても、土潜っていても灰になる身魂は灰ぞ。何 処にいても助ける臣民行って助けるぞ。 今は善の神の力が弱いから善の臣民苦しんでいるが、悪神総がかりで善の肉 体に取りかかろうとしているから余程褌締めてかからんと負けるぞ。親や子に 悪の神かかりて苦しい立場にして悪の思う通りにする仕組立てているから気を 付けてくれよ。 今度は千人万人力でないと手柄出来んぞ。世界中総掛かりで攻めて来るのざ から、一度はあるにあられん事になるのぞ。大将ざからとて油断出来ん。富士 の山動くまでにはどんな事も堪えねばならんぞ。上辛いぞ。どんな事あっても 死に急ぐでないぞ。今の大和魂と神の魂と違う所あるのぞ。 悪の仕組みは、大和魂を根こそぎ抜いてしもうて、日本を外国同様にしてお いて一吞みにする計画であるぞ。日本の臣民悪の計画通りになりて尻の毛まで抜 かれていても、まだ気づかんか。上からやり方変えて貰わねばどうにもならんぞ。 メグリ(罪を償う様に巡って来る事)ある金でも物でも持ちていたらよい様に思 うているがえらい取違いであるぞ。早う神の申す事聞きて下されよ。 悪の総大将(メーソン)は奥に隠れてござるのぞ。一の大将(アメリカ)と二の 大将(ロシア)とが大喧嘩すると見せかけて、世界をワヤにする仕組、もう九分 通り出来ているのじゃ。
194 :
日本@名無史さん :2010/10/15(金) 18:01:29
>>180 でも龍馬を斬るのが今井、中岡を斬るのが渡辺という設定らしいじゃないか
言ってみれば不意をついた闇討ちだったから、室内戦闘でも小太刀の名手は必要なかったという解釈?
195 :
日本@名無史さん :2010/10/15(金) 18:10:24
今井が小太刀の「名手」にってだけだと思う
197 :
日本@名無史さん :2010/10/15(金) 19:00:47
いろは丸の賠償金に関連した暗殺だろ?
紀伊藩では実行者=京都見廻組と結びつかないのさ
薩摩藩なんか問題にならないくらい誰もがうなずく動機があるのにスルーされ続ける紀州藩の影の薄さに泣いた
それを云うなら、いろは◎の「オーナー」家である”大洲”の方がもっと薄い ・・・しかも、「伊予」だぜ? ”こなくそ!”の
201 :
日本@名無史さん :2010/10/15(金) 20:32:30
後藤象二郎は、まだまだ龍馬の『頭脳』が必要だったんじゃないの?
203 :
日本@名無史さん :2010/10/15(金) 23:53:03
>>202 怒りと恐怖感の二つで冷静な思考能力を失ってたろう
三浦襲撃の拙さをみると
大村ますじろうのように大砲まで持ち出せとは言わんが、銃器武装はしていくべきだったろうな
薩摩黒幕説は仮説の多くが穴だらけだから有り得ないと思うが一つ疑問がある。 今井信郎尋問の際、元京都見廻役の小笠原弥八郎が問い合わせを受けて「自分は無関係」と言った。 であれば公務とはならずに私闘となり、「『旧幕府の公務は罪に問わない』とする新政府の布告は適用外のはずではないか」という仮説が一応成り立つ。 これはどう説明されるべきだろうか。
206 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 10:38:25
>>201 龍馬の『頭脳』は、幕臣の軍事総裁勝海舟の教えだぞ。
軍事総裁?って何?そんな役職なかったと思うが。 あと坂本龍馬の頭脳ってのは大久保一翁や横井小楠から聞いた耳学問。 それを行動に移したからこそ注目されるわけ。
208 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 11:03:33
>>207 勝海舟を暗殺しに行って、逆に国際情勢を教えられ、自分が愚か者だと気づいた坂本。
西郷も勝と初対面で、勝つの考えを聞いた時、腰を抜かした。
西郷「なんと壮大な考えと行動をする人物だ。」と
薩長同盟⇒倒幕⇒江戸無血開城⇒大政奉還・・・・シナリオは幕臣の勝海舟の考え
軍艦奉行⇒幕府軍事総裁
みんな勝海舟の手の平で踊った維新志士達(コマ)。
>>208 >勝海舟を暗殺しに行って、逆に国際情勢を教えられ、自分が愚か者だと気づいた坂本。
勝が氷川清話で言ってるだけで確証なし。
>薩長同盟⇒倒幕⇒江戸無血開城⇒大政奉還・・・・シナリオは幕臣の勝海舟の考え
当時薩長の連合は誰もが考えていたが、勝が言ったのは雄藩による連合政権で薩長云々など言ってない。
あと順番がメチャクチャ。
210 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 11:19:30
>>207 君は視点が小さすぎる、視野が狭い。
勝海舟ほどの優れた賢者は当時に居なかったよ。
敵味方を問わずに人脈もとんでもなく幅広いし。
勝海舟を知り理解したら、他の志士などどれも小者でしかないよ。
211 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 11:27:37
>>209 勝つの頭にあったのは
1、幕藩体制のままじゃ、いずれ西洋列強の植民地。
2、幕府・薩長の総力戦なら、あっさり英仏の植民地。
日本全体の政権を創る必要を理解してた人物。
これを西郷が聞いた時、腰を抜かした。なぜなら勝は幕臣の人間だからだ。
その後、西郷が負けた庄内藩に対して腰を低くして接したのも勝の影響。
(これで庄内藩は、西郷が大好きになってしまう)
勝った負けたより、日本全体の政権を創らねばならぬ、と勝に教えられた為。
212 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 11:32:55
>>209 じゃあ、なんで坂本が勝の門下生になったの???
>>210 その勝サマが「俺など梯子を掛けても及ばないヨ」と言ったのが横井小楠
勝しか知らない勝厨こそもっと勉強して視野広げたほうがいいよ
>>212 文久2年12月5日に坂本は近藤長次郎や間崎哲馬と一緒に松平春嶽に面会している
その時に勝への紹介状を貰って会いに行った
危険人物に紹介状を書くわけがないし、「坂本を説き伏せて」なんていうのは講談調すぎて非現実的
はじめから勝に弟子入りする目的で行ったと考えたほうが自然
215 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 11:48:13
>>213 勝海舟は、幕臣の人物。横井小楠は肥後の人物。
幕臣の勝海舟がシナリオを描き行動したから維新が成功したんだぞ。
勝海舟が小栗と同じ考えだったならば、江戸無血開城は有り得ず、
総力戦で戦う羽目になり、ボロボロに疲弊した時、西日本は英国に制圧され
東日本はフランスに制圧されることが確実。
幕臣の勝海舟がいなけりゃ意味を成さない、横井小楠ができる芸当じゃないよ。
216 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 11:52:14
横井小楠が江戸無血開城や大政奉還を実現できるわけないぜ。
217 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 11:55:01
>>214 それ勝が松平に命じて面会の機会を作ったんでしょ。
じゃなきゃ、会えないよ。
当時大名諸侯が浪士と面会するというのが流行っていたんだよ 松平容保や徳川慶喜も浪士と面会している >じゃなきゃ、会えないよ。 なんていうのは現代人から見た憶測に過ぎない >それ勝が松平に命じて面会の機会を作ったんでしょ。 軍艦奉行並の幕臣でしかない勝が松平春嶽に命令出来る立場という発想がどこから来るのかイミフ なんか急にレスのレベルが下がったが、あれか? 加治将一辺りのトンデモ本から知識を得た陰謀論厨か?
219 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 12:07:47
そりゃそうだ。坂本たちが簡単に勝海舟に会えるはずが無い。 1、松平春嶽が坂本達に勝を暗殺させる為に会わせた。か 2、勝が松平に命じて紹介状を書き坂本達と会った。 この2択しか会える理由は有り得ん。
坂本が春嶽と会ったツテは間崎哲馬か千葉道場のツテって言われてるね。 福井藩側の記録ではこの時に横井小楠と勝海舟への紹介状を渡している。 当時の浪士間ネットワークがいかに緊密なものだったかが分かる。
221 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 12:10:10
>>218 あんたの方が憶測でしょ。当時は焼き討ち・暗殺なんて当たり前の時代だし。
223 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 12:14:08
薩摩に暗殺された人々 坂本竜馬 大村益次郎(薩摩藩士海江田信義の独断か) 赤松小三郎 孝明天皇
>当時は焼き討ち・暗殺なんて当たり前の時代だし。 というのと >それ勝が松平に命じて面会の機会を作ったんでしょ。 が全く噛み合わないんだが。 加治みたいなキチガイの本読んでるとこういう辻褄の合わない支離滅裂な事も不思議に思わなくなるのか。こえー。
>>222 横井小楠が大政奉還できる訳が有りません。
成就したのは勝海舟が居たからこそですよ。
>>224 それは、単なる坂本が勝に会える理由の一つであって、そうだと云ってる訳じゃないですよ。w
坂本竜馬=見廻組が殺害。指示は上役から 大村益次郎(薩摩藩士海江田信義の独断か)=証拠がない。司馬の小説の受け売り。 孝明天皇=病死 赤松小三郎暗殺を入れて信憑性を高めようとは中々姑息な陰謀厨だこと
>>226 勝に会える理由としても、そうだと云っていたとしても全く成立しない妄想であることを理解出来ない陰謀論者乙
だよな。横井小楠や佐久間が賢くても実現不可能なんだから。
そうなんだよ、勝がシナリオを書いて行動したから維新が成就したのに 理解できないバカが勝の存在を認めないんだよな。アホじゃ。w
坂本龍馬に対する影響について書いていたらいつの間にか勝マンセーの勝厨にスレを乗っ取られていたでござる 勝がいなければ維新がどうのと話摩り替えてんじゃねーよ
うわっ・・・勝オタってこんなのばかりなの?
233 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 12:26:49
龍馬は単なるアホじゃったよ。 海舟に世界情勢を教えれれて一人前になったんじゃから。
234 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 12:27:57
薩摩は小御所会議で山内容堂すら暗殺しようとしたぐらいだから 龍馬の暗殺で遠慮とか何とか思っちゃいないよ
235 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 12:29:04
>>232 横井小楠が大政奉還を実現できたの? バカも休み休みに言ってね♪
あれ?暗殺については松平バカモリが指示だして京都見廻組がやったって結論でてなかったっけ?
237 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 12:32:33
大政奉還はみんなの合作です 坂本竜馬 松平春嶽 山内容堂 後藤象二郎 福岡孝弟 小松帯刀 横井小楠 板倉勝静 勝海舟 大久保忠寛らが下ごしらえしたうえで 徳川慶喜が決断しました
大政奉還を実現したのは後藤象二郎ら 後藤を後押ししたのが坂本龍馬 大政奉還論で坂本に影響を与えたのが大久保一翁と横井小楠 何の矛盾もないが、このバカ「勝がやった」とか「勝がいなければ」とか話すり替えちゃってるからねー 言っても聞かないだろうなー
239 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 12:35:47
薩摩が暗殺したというのは少々誤解を生んだかな 島津久光・忠義親子が命じたとは言わない 西郷大久保の独断だろう 土佐寄りの小松帯刀すら知らなかったと思われる
240 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 12:36:12
>>238 西郷も坂本も勝の教え請うたんじゃよ。
初対面で西郷が勝の考えを聞いた時、西郷は驚いて腰を抜かしたんだから。
みなそれぞれ役割というものがあってやね
242 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 12:40:08
勝海舟が幕臣でありながら、先進的な考えであることに尊敬したのは本当だ それは素晴らしい ただ薩摩藩は参与会議を潰されてから、幕府と距離を置いている 幕府との共同歩調に失望した観がある 禁門の変も薩摩藩は淀に出兵を命じられたが「これは私戦だ」と拒否し、 御所付近が戦場になるに至ってようやく出兵した
243 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 12:40:25
そう、みんな勝の手の平で踊っただけだもんな。
勝全能厨かと思ったがコイツひょっとして勝を貶めるためにわざとやってるのかな?
龍馬暗殺の経緯は以下のとおり 松平容保→手代木直右衛門→佐々木只三郎のルートで指示 今井信郎、渡辺篤ら実行犯によって殺害
246 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 12:46:32
>>244 勝海舟が存在しなければ維新はなかったよ。
幕臣でありながら、維新志士達を育てた海舟。
>>239 いろいろと辻褄合わせが大変そうだけど頑張ってね
学術的には屁の突っ張りにもならんけどね(笑)
248 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 12:48:33
>>239 私もそう思います。
せっかく幕府を武力で潰そうと思ったのに…
挙げた拳を下ろせなくなっちまった。
これ以上邪魔させねーぞ。
ってとこじゃないでしょうか?
長州は、助けてもらった義理があるから、黙認じゃないでしょうか?
まあ結論としては 幕府方の高官が見廻組に殺害を指示して殺害 ってのが最も有力かな? 中根雪江の日記でも会津・桑名が大政奉還に反対してることが書かれてるしし動機は十分
幕府ってアホだね やることなすこと全てオウンゴール
252 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 13:29:28
>>249 手を下したのは、そうだと思いますよ。
問題は黒幕。
253 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 13:33:19
西郷さんの意思に反して中村半次郎がやったという説は?
薩長説を唱えると、「○○は倒幕派を装った佐幕派で一生それを隠し続けた、坂本龍馬のときだけ本性を現した」 担ってしまう不合理さ
255 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 14:29:07
各種証言(見廻組隊士今井証言、手代木直右衛門証言)と各種状況証拠(会桑の大政奉還への憤怒など)から、 ・京都の一会桑(某諸侯)が命令 ・会津藩士手代木直右衛門が伝達 ・見廻組佐々木只三郎(手代木の実弟)及びその部下の見廻組隊士が実行 までは明らかになっている。 このうち徳川慶喜自身には暗殺を命令する理由が無く、 命令者には京都守護職の会津藩主松平容保・京都所司代の桑名藩主松平定敬という両名が挙げられる。 両名は大政奉還に驚愕語激怒し大政再委任を求めており、動機は充分。
「手を下したのは見廻組だが通報した奴がいてそれが薩摩の手のものだ」っていうのがいつ頃デビューした説なのか知らないけど、 薩摩藩黒幕説で古いのは蜷川新の維新正観を元ネタにしたという映画「六人の暗殺者」かな? これは薩摩藩士が直接殺してるんだけど、これに比べると見廻組実行犯という事実と辻褄合わせるために随分とトーンが落ちたというか後退したというか。
西郷が指示っていうけど11月15日に西郷は京都に居ないんだが 大久保はちょうど京都に入ったばかり 俺は西郷も大久保も大政奉還後の坂本龍馬が何をしていたのかすら良く知らなかったと思うよ、1ヶ月しか無いし 情報伝達の速度なんか現代と比べて話にならないくらい遅いしそこまで関心もなかったろう
薩摩耳打ち説は、文藝春秋のドン・半藤一利(越後長岡市出身・東北武士道礼賛者・新渡戸武士道礼賛者)が、 龍馬暗殺実行者が京都見廻組で間違いないという証拠が一般に知られるようになってから唱えた説で、 以後も文藝春秋などで東北武士道を唱えた中村彰彦らが盛んに唱えた。 しかし、実際は大政奉還時に坂本龍馬は京都の所司代近くに出向いて幕閣と再三面会を重ねており、 坂本龍馬の居住滞在地は、京都の幕府側は承知していたと思われる。 薩摩耳打ち説は、幕府側の暗殺命令及び実行を認めた上で更に薩長に罪をかぶせようとする、半藤の姑息な手法であった。
噂には聞いていたけどどうしようもない老害だな>半藤&中村 さっさとくたばればいいのに
文藝春秋は藤村旧石器捏造発覚の時も、他地域の聖嶽洞窟を大々的に取り上げて、東北地域の歴史捏造をごまかそうとした。 文藝春秋の東北大学礼賛記事も、どうしようもない太鼓持ち記事だったし、 観光物産特集の場合も、他地域に対しては彼らは決して東北地域へのような恩恵を与えようとはしない。 東北地域主義と武士道・清貧論が絡むと、文藝春秋・週刊文春の論説は総じて目が曇ったものとなる。 文藝春秋関連の雑誌・書籍で東北地方や武士道・清貧が取り上げられていたら、記事の中身は眉唾と考えて差し支えない。 坂本龍馬暗殺事件の場合、実行者は京都見廻組が既に決定的となっている。 命令者は、京都見廻組に命令を下せる者なのだから、松平定敬よりは松平容保を挙げるべきだろう。 だが順当に結論をつけると必ず、三文小説に書いてあるから薩摩だ土佐だ、と言い出すものが現れる。
>>260 > 坂本龍馬暗殺事件の場合、実行者は京都見廻組が既に決定的となっている。
昨年だかにやってた特集番組で、専門家達の見解では「彦根藩」が最有力となっている〜
って言ってたけど、それは一部の専門家ってことになるの??
262 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 19:24:16
孝明天皇が暗殺されたとしたら(私はそう思っている)その暗殺犯が龍馬暗殺に関わっているっていう説はどうお考えになりますか?
>>261 それは、「彦根藩を犯人に仕立てたい(自称)専門家数人の間では「彦根藩」が最有力となっている」でしょう。
少なくとも、まともな研究者の間でそんな話は聞いたことがありません。
もし孝明天皇暗殺が行われたというのなら、それは徳川家茂への暗殺者と同一の人でしょう。
坂本龍馬は市井の人物であり、国家指導者暗殺とは性格が異なります。
>>261 彦根藩云々というのは多分年不明の手代木の書状の件だろう
11月16日付で彦根藩士宛に「重要な件で用事がある」という意味の事が書いてあって、日付的に近江屋事件の事だろうという
推測がされているが、要するに会津と彦根が何らかの形で連携していたんじゃないかということ
手代木 彦根で検索すれば情報が見つかる
>>262 その文章では誰のこと言ってるのかが分からないが岩倉か?
岩倉のことだとしたら薩摩より更に可能性低いでしょ
調べればわかるけど岩倉は鳥羽伏見戦勝利の前までは一般に思われてるより幕府に融和的だったから、「坂本龍馬を邪魔に思った」なる仮説は西郷や大久保よりも更に成立しにくいんじゃないの?
兵庫開港問題で孝明天皇(と天皇の意思として攘夷を堅持した一会桑)の攘夷姿勢に追い詰められていた徳川家茂と幕府 幕長戦争で積極姿勢だったのに長州に敗北続きで停戦を求めた徳川慶喜 すると徳川家茂は死亡し、服喪を理由に幕長戦争は停戦 すると孝明天皇は死亡し、幕府支持の二条摂政によって兵庫開港は認可 そして徳川慶喜は征夷大将軍に就任し、幕府を手中に収めた 一会桑が、家茂の死亡までの間、対外条約に反した横浜鎖港や兵庫開港拒否などで 家茂や江戸の幕府の悩みの種となっていたことを、会津系の小説は必ずスルーする 徳川家茂と孝明天皇が次々に死ぬと、二条摂政と近かった一会桑が 朝廷と幕府を手中に収めてしまったということについても、なぜか触れようとしない もし暗殺があったのなら、それは一会桑の犯行だろう
267 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 22:08:56
孝明天皇は病死だよw 原口清先生の論文を読めば解る事だし、学会での認識も病死。 そもそも「病気になった→快方に向かった→急変して死亡」が嘘。 長州攻めやら兵庫開港など”天皇が死んだらまずい時期”だったので、朝廷公式発表で「快方に向かった」と公表。 本当に死んでしまい、隠しきれなくなったので「突然急変して死んだ事にした」だけだってさ。 つまり、孝明天皇は発病後、順調に病状が悪化し続け死んだ。
268 :
日本@名無史さん :2010/10/16(土) 22:29:20
262です。 岩倉でなく、伊藤俊輔(博文)です。 暗殺の名人だし、けっこういろいろと乱暴を働いたと噂されているでしょ〜 で、なんで西郷が天皇崩御を全藩士に口止めしたのでしょうか?
269 :
日本@名無史さん :2010/10/17(日) 01:22:11
伊藤は中岡を殺す理由がない
龍馬は中岡に殺され、中岡は自殺。踏み込んだ時には2人とも死んでいた。・・・・そんでいいよ。
>>268 なんでそんな根拠無しの妄想を自信満々に言えるの?
孝明天皇暗殺(笑)なんて信じてるようじゃ仕方ないか
>で、なんで西郷が天皇崩御を全藩士に口止めしたのでしょうか? なにそれ?初耳なんだけど。 参考資料は何?読んでみるから教えれ。
京都府知事(市長でもええか)が京都府警の一部所に”暗殺”を指令 結果は見事に果たした訳だけど、府警「本部長」が不満を表す 「何故、自分を通さずして部下を動かしたのか!?」 知事側”あわてて” 「あ・・・いや・・・、どうしても殺してほしかったし・・・・あぁ・・君に言っても納得してくれたかどうか・・・」 「気持ちは判りますが、”公的”な機関として”人殺し”は如何なものかと」 「・・・・・だよね?」 とか?
見廻組元隊士による都合のよい証言以外はみんな嘘。
275 :
日本@名無史さん :2010/10/17(日) 22:40:47
証拠が出せない会津厨房は、他人の出した証拠にケチを付けようとしても自らの悪意を晒すだけ
276 :
日本@名無史さん :2010/10/17(日) 22:41:01
>>267 きっとあんた的には、ケネディ暗殺はオズワルドの単独犯行なんだろ?
史学会いれてもらえないからって、2ちゃんでレッテル貼りしてんなよw
278 :
日本@名無史さん :2010/10/18(月) 00:48:52
>>誰も書かない書けない真実<< 慶応3年(1867)8月30日、坂本龍馬が長崎詰めの土佐藩士・佐々木三四郎に次のように語りました(『佐々木高行日記 保古飛呂比二』)。 「才谷曰く、此度の事、若し成らずば、耶蘇教を以て人心を煽動し、幕府を倒さん」 「此度の事」というのは龍馬が温めていた大政奉還構想ですが、これがダメになれば、キリシタンの一揆を起こして幕府を倒そうというのです。 龍馬は長崎を拠点にしていましたから、もしかして隠れキリシタンが大勢存在することをどこかで知ったのでしょうかね。そうでなければ、このような言葉が出るとは考えられません。 これに対して、佐々木が懸念を表明します。
279 :
日本@名無史さん :2010/10/18(月) 00:50:45
「自分曰く、耶蘇教を以て幕府を倒す、後害あらん、吾が国体を如何、吾は神道を基礎とし、儒道を輔翼とせんと」 佐々木はキリシタン一揆によって幕府を倒せば、あとで害が生じるとします。目的のために手段を選ばないという方法はよくないというわけですね。 害とは、わが国の「国体」が神道を基盤とし、儒学を輔翼にしていることだというわけです。 佐々木の指摘どおり、明治維新後もキリシタン禁制が解かれなかったのは、まさに「国体」に関わることだったからでしょう。
280 :
日本@名無史さん :2010/10/18(月) 01:21:35
>>龍馬のまわり、キリシタンのバックはこう云う人達。NHKのディレクターも暗にキーワードを入れてる。 そのころグラバー商会にはアメリカの南北戦争終結で不要になった銃器を集めていた。いい武器が安く入手できるかもしれない。 ところが、折も折、イカロス号事件で海援隊の隊士に嫌疑がかかることになった。岩崎は内心海援隊がやったことかもしれないと疑っていた。 もし証拠が出て海援隊の仕業ということになればグラバー商会も取引に応じないだろう。坂本も岩崎も気が気でなかった。 イギリス公使のパークスが通訳官のサトーを連れて土佐藩に抗議に来た。戦闘準備のできた軍艦でやってきたパークスは、アヘン戦争に従軍し上海領事をやった男。 後にイギリスと土佐の同盟関係が出来る、薩長ぬきでも倒幕は出来る。
竜馬の周辺の者が危険性を感じ始めたんだろな。
282 :
日本@名無史さん :2010/10/18(月) 12:48:59
扇の要をぶちこわしたわけだね。 誰が一番不利になったんだろう。
やはり「敬天愛人」の西郷隆盛はキリシタンだったのか! 日本史の教科書にも載っている西郷隆盛、彼が主導し施行した主な政策は以下の通りである。 (廃藩置県 *府県の統廃合3府72県、陸軍省・海軍省の設置、学制の制定、国立銀行条例公布、 太陽暦の採用、徴兵令の布告、キリスト教禁制の高札の撤廃、地租改正条例の布告……、他には、人身売買の禁止など) この中で注目すべきは、キリスト教禁制札の撤廃である。 西郷南洲顕彰館の高柳毅館長の話によると、「西郷さんの敬天愛人とは、天を敬い同様に人を愛す、キリスト教と同じ思想」だという。 また、「晩年の西郷さんが聖書の話しをしていた」=キリスト教の布教を行っていた、というのである。
明治政府によるキリシタン弾圧は、明治の新体制の神道復古の流れのなかで キリスト教の禁制は解かれることなく継続されていたようです。 明治2年、木戸孝允(桂小五郎)の案により、大規模なキリシタン粛清があり、活動の 中心人物を長崎で処罰し、3000人のキリシタンを流罪とし、その生殺与奪 の権を、鹿児島や福岡などの藩主にゆだねた。 このキリシタンを委ねられた各藩がとった政策は藩毎に差があり、鹿児島藩 では比較的寛大であったのに、福岡藩では虐待されたそうです。
龍馬暗殺の数ヶ月後 1868年(慶応4年)3月に出した禁令五ヵ条の一として、キリシタン禁令を掲げた。この禁令に列国 公使が早速、抗議したが日本は頑として受け付けなかった。イギリス公使・パークスは、キリスト教を 邪宗門とするとはなにごとかと怒鳴り込んだが、政府は無視した。 1868年(慶応4年)5月には、参与の木戸孝允はキリスト教が九州に流布する恐れ有りとして、九州 鎮撫総督府と協議して、確認されている指導的信者114名を検挙し、長州・津和野・福山の三藩に 分けて、投獄した。この迫害事件にパークスは憤激し、この処置が改められない限り、日本と断交す る可能性もあると提示したほどだった。 それでも新政府は、キリスト教に対する姿勢を改めることはなく、その後も長崎に乗り込んだ長崎 裁判所総督・沢宣嘉や井上馨・大隈重信たちによって、信徒への弾圧を敢行した。
岩崎弥太郎の日記が抜け落ちてる時期があると聞いた その時期とは龍馬暗殺の前後らしい 土佐藩も絡んでる可能性あり? くわしい人頼む
287 :
日本@名無史さん :2010/10/18(月) 20:57:51
象二郎と弥太郎の沈黙っぷりは何なんだろうね。
NHKだろ。
後藤象二郎が坂本龍馬について沈黙していたのなら、 坂本龍馬に「征韓論の先駆者」という戦前の評価は下らなかっただろうに 会津武士道を謳う人間が、土佐は坂本竜馬を無視した、と中傷を言うが、 実際のところ、坂本龍馬の名声は明治政府から席を立った土佐関係者が作った虚像という側面を持つ
そういえば後藤の評伝や発言ってあまり見ないな。何で?
磯田氏の近刊「龍馬史」に書いてあるとおりぜよ。 ドラマでは、紀州藩(中尾彬)か容堂(近藤正臣)のどちらかの雰囲気を漂わせて終わるらしいけれどorz
後藤は明治新政府から席を立った後、征韓論と民権を吹きまくるほら吹き借金男として生涯を送りました。 この時期に西郷隆盛=征韓論の父・坂本龍馬=征韓を望んだ郷土の誇りという説が流布され、 以後の西郷・坂本の評価に影響を与えました。 しかし、記録に残っている征韓論表明者は後藤象二郎・江藤新平・板垣退助の三名のもので、 彼等が話のダシに使った西郷と坂本には、はっきりした征韓論と言える発言はあまり見当たりません。
>>291 ノベライズ版では黒幕がいそうな思わせぶりをさせておきながら実はいませんでしたってオチだが
後藤はただのお調子者、江藤は薩長追い落としの手段としての征韓論、 ただの戦バカである板垣は本気の征韓論じゃったさかいのぅ。 西郷は、ロシアの南下政策に対抗するための東アジア同盟を目指し、 韓国の開国を促そうとしていた。
295 :
日本@名無史さん :2010/10/19(火) 01:33:07
後藤の「なああに、ししがりでござるよ」が好き
296 :
日本@名無史さん :2010/10/19(火) 01:34:38
297 :
日本@名無史さん :2010/10/19(火) 01:38:10
298 :
日本@名無史さん :2010/10/19(火) 01:41:14
後藤もえ オイラ切腹 失礼しました もうきませn
299 :
日本@名無史さん :2010/10/19(火) 01:54:15
>>135 おもろw
後藤は叔父上が死んだときのように号泣します
300 :
日本@名無史さん :2010/10/19(火) 03:06:54
真実は岩崎弥太郎の2つの日記『公用日記』『崎陽日暦』は、双方とも龍馬暗殺の日前後の日記が欠落している。 今現在も、岩崎家と三菱は欠落部の記述の公開を拒否しているとのことです。(月刊誌『歴史街道2月号』より) 龍馬暗殺の手掛かりが、この弥太郎日記の非公開部分にあるかもしれないですね。
302 :
日月神が鬼退治し天国を築く :2010/10/19(火) 10:51:27
世界一平に泥の海であったのを作り固めたのは国常立大神であるぞ。親様を 泥の海にお住まい申さすはもったいないぞ。それで天にお上りなされたのぞ。 雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神様御手伝いでこの世の固め致した のであるぞ。元からの龍体持たれた荒神様でないと今度の建替えの御用はでき んのざぞ。世界作り固めてから臣民作りたのであるぞ。何も知らずに上に登り て、神を見下ろしている様で、何でこの世が治まるものか。天と地の御恩とい うことが神の国の守護神に判りておらんから難儀な事が愈々どうにもならん事 になるのぞ。臣民生れ落ちたら産のお水を火で暖めて産湯で浴びせて貰うであ ろうが。そのお水はお土から頂くのざぞ。焚き火ともしは日の大神様から頂く のざぞ。御水と御火と御土でこの世の生きあるもの生きているのざぞ。 天の益人の家の中に神土で富士の形作りてその上に宮作りてよいのぞ。礼拝 の仕方書き知らすぞ。旧三月三日から始めて下されよ。一拝二拝八拍手せよ。 一二三四五六七八九十と言高くのれよ。ひふみ三回のれよ。これは祓いの歌で あるぞ。終わって一二三四五六七八九十、一二三四五六七八九十百千万と言高 くのれよ。天の日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ。地(くに)の 日月の大神様弥栄ましませ弥栄ましませと祈れよ。終わりて八拍手せよ。雨の 神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神様、産土の神様に御礼申せよ。終わり てから神々様の気頂けよ。神前に向かって大きく気を吸い肚に入れて下座に向 かってはきだせよ。八度繰り返せよ。終わって八拍手、一拝二拝せよ。 天の異変気付と申してあろうが、宵の明星が東へ廻っていたら愈々ざぞ。夏 雪降る事もあるのざぞ。神が降らすのでない、人民が降らすのざぞ。人民の邪 気が凝りて天にも地にも訳の判らん虫が涌き、病ひどくなって来るぞ。 神は元の大神様に延ばせるだけ延ばして頂き、一人でも臣民助けたいのでお 願いしているのざが、もうお断り申す術無くなりたぞ。
303 :
間抜けな学者の妄説信者へ :2010/10/19(火) 12:05:43
坂本龍馬の立像写真は不審点が多い。龍馬は真面目で女遊び等しない。頭が 禿ているのは女遊びした勝海舟である。龍馬は幕府のお尋ね者で、家紋入りの 服を着る筈がない。坐像の着物の襟合わせが左右ともにだぶついているのは、 両手を袖口から抜いたからである。これは立像写真の後に撮った物である。袖 に手が入っている様に偽装している。これは右手の袖が不自然にしわが多い事 からでも分かる。懐に手を入れているのは左手で、右の袖口をつかんで袖口が だらけるのを防いでいる。右手なら手首の入っている部分が尖って膨らむ筈で ある, 謎の腰刀を差している。その刀の柄の長さが手の握りよりも短い。この事を 隠す為に懐手にしている。右の腰に笛をぶら下げている。 フルベッキの幕末英雄写真の龍馬とされている人物の肖像と違う。この立像 写真の人物をフルベッキの写真で捜すと、勝海舟である。謎の腰刀は、忍者が 使った秘密兵器で刀に見せた鉄砲に非常に似ている。親指で撃針を押すと点火 されて弾が発射される。龍馬の影武者となっていた勝海舟が龍馬を鉄砲で撃ち、 その後土佐藩士が切り込みをかけて斬殺したのである。腰の笛は襲撃失敗時の 応援要請の為の物である。襲撃現場に掛けてあった掛け軸の血痕に流動性がな いのは斬殺を偽装する為に工作した為である。掛け軸や屏風に付着した血液は 重力によって必ず垂れる筈である。 福井で見つかった坐像写真の龍馬の太刀は柄が白く写っている。龍馬愛用の 吉行の柄は黒であり、矛盾している。 後藤象二郎が龍馬と同じ演台に肘を掛けている。この時代、写真を撮る事は非 常な贅沢であり、庶民には手が届かない。VIPしかいない。しかも何か大切 な記念としてしか写真はとらない。同じ演台が使われた事は両者が一緒に撮っ た可能性が高い。しかし、象二郎は龍馬の親友武市半兵太を処刑した仇である。 龍馬は大政奉還の為に仕方が無く土佐藩と手を結んだのである。その時期は慶 応3年10月頃であり、その一月後に暗殺されている。 立像の龍馬の髪の毛のはげ具合と福井の坐像のそれとでは福井の座像の方がは げが進んでいる。わずかの間にはげが進む事は有り得ない。福井の写真は暗殺 後に撮られたものである。龍馬とされている者は本物ではない。
>龍馬は真面目で女遊び等しない。 はい違う。 お元がいるだろ。
305 :
日本@名無史さん :2010/10/19(火) 13:16:41
梅毒ぜよ
陸奥宗光が冗談で言った笑い話一件が、坂本竜馬を執拗に憎む会津のせいで史実扱いされるという悲劇
307 :
日本@名無史さん :2010/10/19(火) 23:13:36
陸奥宗光が冗談で言った笑い話一件ってなに?
308 :
日本@名無史さん :2010/10/20(水) 07:00:34
梅毒云々のことでしょうな。 実際のところ、陸奥の冗談レベルのことなのに、なぜか佐幕派と呼ばれる人々が定説のように扱っている。
それ中江兆民じゃないの?
310 :
日本@名無史さん :2010/10/20(水) 08:14:58
ミシュランの星をゲットした下駄の瓢亭
311 :
日本@名無史さん :2010/10/20(水) 18:40:27
>>300 歴史街道に書いてあるからと言ってホントの話なんだろうか?
欠落というからには岩崎本家にも保存されてないのが真実じゃないの
もしくは薩摩人長州人を根拠もなく腐し罵詈雑言を浴びせてるとかね
先行き弥太郎は肥後の大隈と強く結び付いたのであるから、そんな類推も成立つわけでなのである
大隈は肥前
不都合あるならば日記の存在「そのもの」を不明にすればよかったと思うがねぇ〜 部分的・・・てのは、その前後記述には「無関係?」されど「重要」な内容だったとか 薩長への罵詈雑言を「日付限定」で記述ってのは解せない 何となれば「全体的」に記述しているのが自然かと (とっさに、噴火的記述も無くはないけどね) 幕府側の「計画」を知ってしまい、思い余っての記述? ・・を何故に当時居た長崎で「知った」のかは???
314 :
日本@名無史さん :2010/10/20(水) 21:35:45
普通に京都守護職の容保の命を受けた京都見廻組の犯行というか任務じゃないのか?
315 :
日本@名無史さん :2010/10/20(水) 22:16:12
>>314 そう思うが、暗殺前後の弥太郎の日記が欠落している(三菱と岩崎家が公開しない)理由が知りたい。
象二郎や弥太郎は犯人がだれか知ってたんじゃないか? 案外、嫉みだったりしてw 下士出身の龍馬が偉くなるのがどうしてもゆるせないってさ そして見廻組に居場所教えたんじゃないかな
>>315 その「公開していない」という情報はどこから仕入れた情報?
聞いたこと無いから教えれ
・歴史街道に書いてあるからと言ってホントの話じゃない。 ・欠落部分は岩崎本家にも保存されてない。 ・欠落部分が存在するとしても、薩摩人長州人を根拠もなく腐し 罵詈雑言を浴びせてる記述があるだけ。暗殺については書いてない。 ・岩崎はその後、熊本の大隈某とつよく結びついた。
319 :
日本@名無史さん :2010/10/21(木) 12:22:51
>>312 すまんであーる
吾が輩の間違いであーる
320 :
日本@名無史さん :2010/10/21(木) 14:53:28
>>314 上座家老が龍馬と仲いいし、容保が龍馬の事知らなかったて事があるのかないのか…
龍馬が望んだ大政奉還の内容知ってたら容保に相談するだろうし
むしろ弟の方が怪しい気がする
321 :
日本@名無史さん :2010/10/21(木) 18:29:53
たしかにブラザーズが龍馬のことを知っていたかどうか知りたい。 何か記録ないの? ブラザーズが殺害命令出しても全く不思議ではないが。
知ってたら兄弟が命令者だな。 知らなかったら、手代木が自分の意思か誰かに唆されて弟に命じた。
323 :
日月神が鬼退治し天国築く :2010/10/22(金) 09:45:13
光る誠の行さしたら皆逃げてしまうから、ここまで甘くして引っ張って来た なれどもう甘く出来んから、これからはキチリキチリと神の規則通りに行うか ら、お手柄結構に褌締めて下されよ。この世は神の国の写しであるのに幽界か ら移りて来たもの(悪霊)の自由にせられて、今の体裁この世は幽界同様になっ ているぞ。地は国のやり方せねば治まらん。早う気付いた人民から救いの船を 出して下されよ。これと信じたら任せ切れよ。損もよいぞ。病気もよいぞ。怪 我もよいぞ。それによってめくり取って頂くのぞ。むぐり無くなれば日本晴れ ぞ。今がその借銭済しぞ。 お日様赤いのでないぞ。赤いとばかり思っていたであろうがな。まともにお日 様見よ。緑であるぞ。お日様も一つでないぞ(三つ)。寒さ狂うぞ(氷河期)。 血尊べよ。血は霊であるぞ。神であるぞ。血にごしてはならんぞ。血はまぜこ ぜにしてはならんぞ。交ぜる事は乱す事ざぞ。学はこの大事な血乱す様に仕組 ているのざぞ。(肉食、混血、献血、臓器移植、遺伝子操作等)それがよく見え る様にしたのは悪神ざぞ。人民の目くらましているのじゃぞ。科学科学と人民 申しているが人民の科学では何も出来ん、乱すばかりじゃ。神に尋ねて神の科 学でないとなにも成就せんぞ。1に1たす2ばかりとは限らんのじゃ。 おろしあに上がりて降りた極悪の悪神。愈々神の国に攻め寄せて来るぞ。北に 気付けと、北が愈々のキリギリざと申してくどう気付けてありた事近うなりた ぞ。ロシアは太平洋戦争終結間近かに、日ソ不可侵条約を踏み破って満州に居 た日本人を踏み殺し、関東軍の兵隊をシベリアに抑留して重労働させて酷死さ せた。北方領土をぶん取って盗人猛々しく、対日戦勝記念日とか設けて北方領 土を我物と誇示しようとしている。それを真似して中国が尖閣列島、沖縄を、 韓国が竹島、対馬をぶん取ろうと策動し始めた。北朝鮮の拉致もシベリア抑留 に比べたら子供騙しだ。悪の親分がロシアで子分がその手先になっているのだ。 朝鮮戦争がきっかけで攻め込んでくる。味方と思うた米国まで裏切って攻めて 来る。世界が一つになってメーソンの命令で攻め込んで来る。
>>320 その上席さんも”後”に切腹だったでしょ?
強硬派・家臣に詰め寄られた容保さんが結局「折れて」命じた
手代木らが「煮え切らない」容保に唆したてのも考えられなくも無い
なんだかんだと、結局は「お殿様」なんで
「人を殺れ」なんて命令は「素」で冷酷ではない限り難しいと
325 :
日本@名無史さん :2010/10/22(金) 15:22:43
松平容保は西郷頼母を始めとする家老には徹底して抵抗して自分の意志を通しましたが、何か?
326 :
日本@名無史さん :2010/10/22(金) 15:44:23
会津侯は暗殺のような武士の面目を汚す卑怯な真似を 命令されるはずがない 卑怯なことをしてはならぬ ならぬことはならぬのです これが会津の什の教えである 龍馬を暗殺した黒幕は大久保か後藤
>>324 会津弁護団、犯行当時の松平容保の精神状態に疑問があったとして精神鑑定を要請
って、そこまで追い詰められましたか
もう事実関係では争えない、松平容保で犯人は決定なんだね
328 :
日本@名無史さん :2010/10/22(金) 16:30:19
容保定敬みたいなお坊ちゃまたちが、わざわざ一藩士の殺害を直々に命じるとも思えんし、 命じたとしてお尋ね者の殺害を隠すこともないんじゃね? 手代木の独断か、土佐か伊東甲子太郎の入れ知恵じゃね? いずれにせよ証拠はな〜んもないんだけどね。
329 :
日本@名無史さん :2010/10/22(金) 16:35:13
新攘夷運動 排害社ブログ 「排害主義者宣言」
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330 :
日本@名無史さん :2010/10/22(金) 16:41:25
容保公が自らの暗殺実行命令を隠さなかったなら、慶喜と土佐藩は完全決別ですがな
331 :
日本@名無史さん :2010/10/22(金) 17:04:32
んじゃ、暗殺のときは土佐と微妙な関係だったのに 危ない橋渡って命令したっつーこと? 容保定敬ってそんな度胸あったのかな。
332 :
日本@名無史さん :2010/10/22(金) 17:22:15
さあねぇ 坂本龍馬が無防備だった理由も、土佐藩を味方に欲しいこの時期に幕府方が自分を捕らえになんて来ないだろう、ということだし。 それを上回る怨嗟怨恨があったということでしょう、松平容保には。
333 :
日本@名無史さん :2010/10/22(金) 21:50:22
などと薩摩厨は供述しており
334 :
日本@名無史さん :2010/10/22(金) 22:01:16
実行犯(見廻組)に命令を出せる筆頭人物 動機は充分 もう暗殺命令者として松平容保が外れることはない
今となっては黒幕はだれだかわかんねーな ただ弥太郎の日記が欠落してるのは気になる 欠落部分に何か暗殺について書いてあるんじゃないの?
336 :
サリオン :2010/10/22(金) 22:10:50
たとえ自分が命令してなくとも 部下の行動の責任はとるもんでごわす
338 :
日本@名無史さん :2010/10/23(土) 10:36:28
>>300 岩崎の日記の欠落してない部分はどこで読めるのかな?
幕臣永井の家の隣が見廻組佐々木の屋敷だからって 龍馬の隠れ家の場所がばれることはないぜよ。 偽名を使い、土佐藩の駕籠や薩摩藩の駕籠に乗っていけばバレないぜよ。 永井の家に言ったのは3回だけぜよ。
今井の家も龍馬の隠れ家の近くじゃき。
強制IDじゃないから透明あぼーんがかったるいな、この板は
343 :
日本@名無史さん :2010/10/23(土) 20:06:48
渡辺一郎の証言では密偵みたいなやつが嗅ぎまわり、近江屋を下宿にしていることを突き止めた、そうなっているな この密偵は暗殺当日も龍馬が在宅という情報を実行部隊に伝えたそうだが 永井が佐々木只三郎にあの龍馬が訪ねてきおったぐらいのことは言ったかもしれない。 それで永井玄蕃の家を密偵が張って、竜馬が二度目に訪ねてきた時その帰り道をつけ、近江屋がアジトだとつかんだかもしれない。 とにかく龍馬は潜伏してた感じじゃないから、見つけやすかったろう
>密偵みたいなやつが嗅ぎまわり、近江屋を下宿にしていることを突き止めた 紀州、薩摩、土佐が密偵にチクったかも知れんぜよ
紀州、薩摩、土佐が龍馬を透明あぼーんしたかったのは間違いないな。
347 :
日本@名無史さん :2010/10/24(日) 12:45:52
動機 ・会津桑名 ・紀州 薩長は動機なし 土佐も動機なし (会津の人がこれらの犯人説を煽っているが、根拠を聞いたことがない)
348 :
日本@名無史さん :2010/10/24(日) 13:39:55
だから会津桑名が「犯人」から外れることはないっちゅうの。白幕なんだから。 ほかに「黒幕」がいてもおかしくなかったんじゃないの。 証拠がないってんならともかく、薩長に動機がないってことはないだろ。 武力倒幕に水を差されて、新政府構想にもいろいろチャチャ入れてきて のちのちまで邪魔で仕方ないだろ。 もちろん藩をあげてなんてことなんかじゃなく。
349 :
日本@名無史さん :2010/10/24(日) 14:02:15
>>348 京都見廻組の隊員どもが関与した暗殺って他に何かあるの?
組頭が別の役職のとき関与した例の清川八郎暗殺は除いて
350 :
日本@名無史さん :2010/10/24(日) 14:20:30
>>348 >証拠がないってんならともかく、薩長に動機がないってことはないだろ。
>武力倒幕に水を差されて、新政府構想にもいろいろチャチャ入れてきて
>のちのちまで邪魔で仕方ないだろ。
邪魔?
大政奉還が無ければ日本国政府と薩長は戦争を始めなければならなかったのに。
邪魔云々は薩長犯人説を主張している人しか主張せず、根拠も皆無なんだけど。
>>348 は会津を首謀者としているから、まず良いのでは?
ただ俺も含めて薩長には「今ここで龍馬を暗殺する」必要はなかったと思うね。だから薩長に動機が全く無いとは思わないけど、あの時点での龍馬暗殺の黒幕の可能性は皆無だと思うよ。
容堂による見殺し、報復禁止の空気はあったかも知れない。でも、それは「黒幕」とまでは言えないし、話をもう少し整理した後で論議したいかな。
連投すまぬ。 暗殺寸前に龍馬は松平春嶽に上京要請をしに行っている。これは当然その後の王政復古クーデターの準備。 続々と諸侯が上京してくる直前に龍馬は暗殺される。その前日だったかに今更ながら一年前の三条制札事件で捕らえられた土佐上士が会津より土佐へ引渡されることになる。 そして、龍馬暗殺の報復として陸海援隊士たちが紀伊藩士を暗殺しようとして失敗。この日付が12月7日。この2日後が王政復古クーデター。尚、戊辰戦争中に紀伊藩は薩長に反抗せず。 俺は少なくとも陸奥は会津が首謀者であることを知っていたと思うね。
353 :
日本@名無史さん :2010/10/24(日) 15:57:58
王政復古では、薩長が旧幕府勢力を御所から追い出した、と漠然と思っている人が多いけど、 実際は長州はこの場には間に合わず、御所を占領したのは薩摩・土佐・芸州・尾張・越前の五藩だった。 長州への赦免は、王政復古の前日における朝議で 尊王攘夷派の公家への参内差し止め解除・七卿落ちの公家への赦免と共に決定された。 というよりもこの三つの決定が出るのを待ってから、王政復古は即座に実行された。 上記の五藩及び尊王攘夷派の公家が、事前に打ち合わせを行っていたことは間違いない。 さもなくば、この五藩の代表や軍勢がこの時点で揃って同時に行動するわけがない。 坂本は上記の五藩、中でも薩摩が王政復古を起こすことを知っていたのだろうか。
龍馬は浮いてなかったってこと?
少なくとも、土佐藩が王政復古に呼応していることを考えれば、 この時期は過激尊王攘夷派は、尾張越前あたりまで巻き込んで物事に当たろうとしている。
356 :
日本@名無史さん :2010/10/24(日) 19:36:04
>今現在も、岩崎家と三菱は欠落部の記述の公開を拒否しているとのことです。 歴史街道2010年2月号の目次によると、 ●〔総論〕海援隊の「志」を軸に交差し、共鳴した対照的な二人の男/童門冬二 ●「坂本の寝小便垂れ」と「負けず嫌いの地下浪人」、土佐から江戸へ /八尋舜右 ●海軍の充実が第一! 日本の将来に目を見開かされた海舟との出会い/中津文彦 ●反骨ゆえの入牢、師・東洋との邂逅…希望と挫折の繰り返しの中で/江宮隆之 ●亀山社中設立、薩長同盟…不思議な魅力を持つ男が時代の扉を叩く/秋月達郎 ●「金を取らずに国を取る」いろは丸事件の逆転勝利がもたらしたもの/植松三十里 ●龍馬の志と夢は俺が受け継ぐ! 大政奉還の奇跡と暗殺、そして…/松田十刻 この内の誰が書いた話かな? 引用文献なりがあるのならともかく、なんとなく司馬遼太郎のように想像で書いたようにみえるんだが。 ちなみにググっても、web上で2009年以前にこのことを話題にしている文章は見つからない。
357 :
日本@名無史さん :2010/10/24(日) 19:43:20
その中なら松田十刻でしょ、何でもかんでも東北が正しい、って結論になっちゃう小説家だから。
359 :
日本@名無史さん :2010/10/24(日) 19:57:51
360 :
日本@名無史さん :2010/10/24(日) 20:20:59
龍馬の死後、海援隊はあっさりと潰れてしまうのだから、 どこかの資金支援なしに維持できる組織ではなかったのでしょう。 亀山社中の頃は薩摩からの資金 海援隊の頃は、土佐からの資金 明治以降生きていても、貿易会社は維持できなかったと思います。
真相が隠されなきゃならんということは 黒幕が新政府以降に隠す必要のある位置にいたって事はガチでそ?
結果的には、いろは丸の賠償金7万両(8万4千両から減額)は弥太郎のものに?
土佐藩の長崎駐在だった岩崎弥太郎が、 坂本龍馬をタカリ屋として嫌っていたという話なだけのような感じ
365 :
日本@名無史さん :2010/10/25(月) 09:12:46
おまんら、許さんぜよ
明治維新が起こらず、徳川中心の体制が維持していたら・・・という仮想歴史小説ってありますか?
ゆうべテレビ見ててはっきりわかったんだが、実行犯は新撰組だよ。 近藤は坂本の顔は何度も合ってるからよく知ってるからね。
>>365 南野陽子のスケバン刑事(デカ)じゃないかえ?w
369 :
日本@名無史さん :2010/10/25(月) 12:19:38
>367 薩摩の大久保も怪しいぞ
370 :
日月神が鬼退治し天国築く :2010/10/25(月) 12:42:01
世界中が霊かかりとなると申してあるのは今の事であるぞ。かかりている世 界自身判らなくなっているぞ。サニワせねばならん。サニワの方法書き知らす ぞ。世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。目に見えぬ所からの通信は 高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的となるものであるぞ。ドタ ンバタン、大声で怒鳴り散らすのは下の下。神もフトマニに従わねばならん。 順を乱すわけには参らん。高度の霊が直ちに肉体人に感応する事はなく、それ ぞれの段階を経て感応するのである事を忘れてはならんぞ。下級霊は現実界と 紙一重の所に住んでいるのであるから、その感応は極めて強く、いかにも尤も らしく人民の目に映るものであるぞ。 幽界は人間界と最も深い関係にあり、初期の霊かかりの殆どはこの幽界から の感応による事を忘れるでないぞ。霊かかりの動作をよく見極めればすぐ判る。 高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり高度の神名(天照大神)を名 乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ。インチキ霊にかかるなよ。たとえ神 の言葉でも尚サニワせよと申してあろう。 動物霊が人間の言葉を使う事は、腑に落ちないと申すものが沢山あるなれど、 よく考えてみよ。例えば他人の家に入って、その所にある道具類をそのまま使 用するのと同じ道理じゃ。動物霊でも他の霊でも人間に感応したなら、その人 間の持つ言葉を或る程度使いこなせるのであるぞ。今の偉い人がこの神示を読 むと理屈に合わん無茶苦茶な文章であるから、下級霊の所産だと断ずるなれど、 それは余りにも霊界の事を知らぬ、霊的白痴である事を自分で白状しているの ぞ。気の毒じゃなあ。ましてこの神示は八通りに読めるのであるから愈々判ら ん事になるぞ 幽界霊も時により正しく善なる事を申すなれど、悪人が口先だけで善を語る ようなものであるぞ。心、言、行が一致しておらぬと力せぬ。偽りの言葉は落 ち着いて聴けばすぐ判るぞ。大言壮語する人民は眉唾もの。
371 :
日本@名無史さん :2010/10/25(月) 12:43:35
>>369 何も低視聴率プロデューサーと低視聴率脚本家のフォローしてあげることないのに
あんなふうなミステリー仕立とやらを喜ぶ視聴者なんかいるかな?
372 :
日本@名無史さん :2010/10/25(月) 15:12:11
ミッチーの大久保が龍馬を「目障りな男だ!」って言いながら 怖い目して庭でビュンビュン示現流な刀をふりまわして、 あれじゃ完全に黒幕伏線の一人だなw さすが天下のNHK
374 :
日本@名無史さん :2010/10/25(月) 15:15:39
当時の人にとって暗殺はそもそも悪いことだったのか そうじゃないと思うけどな 現代の価値観とは大違いだろうし 自分が信じた正義以外は悪だから暗殺は正義の実現以上の 感覚はないと思うけどな
三条制札事件・・・・には何か引っかかるものがあるな 「土佐」側が新撰組をわざわざ料亭にて「御持て成し」した事 その件で捕縛された宮川某の件で、「会津」と「土佐」とで話し合いが行われた事 途中幕府からの「横槍」が入ったが、無事解決の運びとなり後事を任されたのが「中岡」だった事
376 :
日本@名無史さん :2010/10/25(月) 17:20:56
三条辻の幕府布告掲示を誰かが叩き壊して どうせ尊王攘夷派の浪人だろうと新撰組が犯人を捕まえて締め上げたら そいつは尊王攘夷派であることは間違いなかったが、土佐藩士だった 大政奉還の時期に土佐藩を取り込みたかった京都の幕閣は大慌てで犯人を釈放 代わりに捕まえた新撰組隊士の方が罪に問われた という事件ですね 土佐藩がほとんど容堂一人を除いて倒幕に走っていたことと 京都の幕府が、土佐藩関係者の捕縛が出来ず 万一事が起きた場合も幕府の行動だとは隠さざるを得なかった、当時の事情が伺える一件です
暗殺犯が薩摩藩士とか言ってる奴は会津観光史学だろ?ww なあ?w
・負けるな ・嘘をつくな ・弱いものいじめをするな が守れない薩摩人はお尻ペンペン
379 :
日本@名無史さん :2010/10/25(月) 20:15:27
什の掟を1つも守らない会津に言われても当惑するばかり
黒幕=大久保 実行犯=近藤勇 そして、実は大久保と近藤勇は同一人物です。 曲がったことが大嫌いです。
381 :
日本@名無史さん :2010/10/25(月) 20:24:13
動機があったといえば、会津と桑名と旗本連中だね。 実行犯が京都見廻組であることを考えれば、京都守護職の積極的な承認がなかったとは考えられない。 坂本龍馬暗殺では、会津が命令者、桑名や京都の一部幕臣も知った上で同意していた可能性がある。
>>380 いや実行犯=原田だろ。
左之助じゃないほうの。
泰造だっけ?
383 :
日本@名無史さん :2010/10/25(月) 20:30:38
>>381 まあそうだろうね。
生かしておかないほうが有利とおもったのかな。
判断ミスだろ。大莫迦者だよね。
でも頭の中から弥太郎と大久保の影が消えない…。
385 :
Romaden :2010/10/25(月) 22:54:33
386 :
日本@名無史さん :2010/10/26(火) 07:26:50
今回のドラマのように佐々木が独断で渡辺今井に命じることはないな 京都守護職か京都所司代、某諸公からの上意下達があったと考えるのが自然、史料もある そもそも見廻組の主要任務は人斬りではなくて、御所警備 幕府後家人色が強い団体だから、人斬りの新選組ではなくて、見廻組のほうから暗殺隊を組織したのだろう 当時は龍馬もそのくらい不呈浪士の巨魁と見られていたようだ
387 :
日本@名無史さん :2010/10/26(火) 07:42:54
史料は、今井の供述と手代木のいまわの際の証言? 某諸侯というからには殿様の誰かか。 定敬…1.9倍 容保…2.2倍 容堂…499倍
388 :
日本@名無史さん :2010/10/26(火) 07:47:57
尚志・・・1999倍
389 :
日本@名無史さん :2010/10/26(火) 08:34:17
久光…222倍(意外に人気)
諸侯なら確かにこの5択だな。
391 :
日本@名無史さん :2010/10/26(火) 10:31:44
>>374 市井の人も含め、当時の暗殺に対する価値観がどうも分んないんだよな
芹沢鴨暗殺の後、近藤や土方が事件について聞きに来たのが「怖かったけどおかしかった」
なんて目撃者の八木さんが証言したらしいけど、現在の感覚だと呑気すぎるように感じるし、
忠臣蔵にしたって、大勢で屋敷を襲うのが美談というのは違和感が・・・
その辺を理解するには、文献に沢山あたるしかないのかなぁ
>>391 「武士・忠義」とは何か・・・から始めると良いと思います
後に今井の件?で谷が「打って出た」訳だけど
何故に「他」が追従しなかったのかが??
あの時点で関係者は他にもいたはずなのにねぇ〜
393 :
日本@名無史さん :2010/10/26(火) 15:45:34
実行犯の見回り組みが黒幕を死ぬまで明言しなかったのは言ったら相当ヤバイからだよね 薩摩に対しそこまで恩義があると思えんが
394 :
日本@名無史さん :2010/10/26(火) 22:39:42
それ以前に、見廻組関係者は戊辰戦争でほとんど戦死でしょ。 会津関係者は容保公に不利な話は出来ないし。 証言をしたのが、見廻組関係者の生き残りである今井と、 明治以降は田舎官僚だった手代木の、国政参加時代の一生の思い出としての告白だったわけで。
395 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 00:59:54
松平容保 1893年没 手代木直右衛門 1904年没 松平定敬 1908年没 徳川慶喜 1913年没 渡辺篤 1915年没 今井信郎 1918年没
396 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 01:05:36
手代木が生きてる殿を某諸侯とはいわんだろうから やっぱ容保命令でいいんだろうかいな
397 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 01:57:10
>>357 の『岩崎彌太郎日記』を図書館で読んできた。
本の解説によると、岩崎家に残されていた11冊の日記のうち、
牢屋に入れられていた時期に書いた『不戴天備忘録』以外
全てを収録していると書いてあった。
日記に関しては、弥太郎は二種類の日記を書いていて、
商取引とかいったことは『公用日記』、他の私的なことは
『崎陽日歴』など何冊かの冊子に日付順に書いている。
原本の一部を写したものが見開きに入っているが、
実際の日記は日毎に漢文で箇条書きにし、
日と日の間は改行のみで、行間も入れずにぎっしりと書いている。
一方活字化された内容を信じるなら、日記は毎日書いていたわけではなく、
公用日記の方は丸々1ヶ月間抜けていたり、私的な日記の方も時々数週抜けていたりする。
明治2年以降は本人が多忙になったためか、日記を書くのを段々やめるようになり、
明治3年の途中(だったと思う)以降は日記も書かなくなったと解説に書いてあった。
で、肝心の『崎陽日歴』の慶応3年旧暦10月29日から11月17日の部分に関しては、
コピーをとったわけではないので正確な文章は忘れたが、『岩崎彌太郎日記』の解説によると
「この間は日記に記載されていない。この時期弥太郎は大坂に滞在しているが、
坂本龍馬暗殺などもこの間に起こった。」
みたいなことが書かれていた。つまり三菱の資料室や岩崎家の公式なアナウンスとしては、
「慶応3年旧暦10月29日〜11月17日の間に関しては日記にそもそも記載がない」
山内容堂 1872 岩崎弥太郎 1885 後藤象二郎 1897 佐々木高行 1910 谷干城 1911 土方久元 1918 福岡孝悌 1919 板垣退助 1919 田中光顕 1939!
399 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 02:01:58
>>397 11月18日以降、中岡、龍馬に関する記述はありました?
400 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 02:05:41
>>399 漢文書き下し文なので、自分の能力では斜め読みでは分からない。
ただ、暗殺前の日記を見ると、予想していたよりも「良馬」(龍馬ではなく良馬)の記述が多かった。
一緒に酒を酌み交わしただの、いろは丸の件について話し合っただのと。
中岡の方は後々色々世話してもらっているから、多分記述はあるでしょう。
401 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 02:09:23
>>399 失礼!
>>400 の訂正
後藤象二郎と混同した。
中岡の方は記述があったかどうか覚えていない。
明日もう一度見直してみる。
402 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 02:20:50
残念ながら『歴史街道』の2010年2月号(2010年1月6日発売)の方は
図書館に置いてなかったので、内容を確認できなかったが、ググると、
「岩崎家・三菱側がひたすらに公開を拒否している」
「岩崎弥太郎日記において坂本龍馬暗殺前後の日記の公表について岩崎家・三菱側が拒否しているのは事実です。」
「三菱は岩崎弥太郎の日記を全部公開しろ」
みたいなことがネット上で書かれるようになったのは、
全て2010年1月6日以降で、『歴史街道』が果たした役割が大きい。
但しどうも週刊新潮の2007年11月22日号に黒鉄ヒロシが書いた
「暗殺140年」誰が龍馬を殺したか」にも似たような記述があるようで、こちらの方が古い。
ttp://meijiisin.at.webry.info/200811/article_6.html < 弥太郎の『日記』の近江屋事件前後の記述の不自然な空白。
この部分の公開について拒否し続ける岩崎家は証拠湮滅を画策したかのように、
グラバー邸を購入後、長崎市へ寄贈するという奇怪な対応も見せる。
海援隊の前身の『亀山社中』設立のわずか三ケ月後に上海より七千八百挺という大量の銃が届いた謎。
謎に深い関係を持つグラバーが二十三歳の若さで当時の世界的巨大商社ジャーデン・マジソン商会の対日エージェント代表の座につけた裏の事情。
グラバーと岩崎家(つまり後の三菱)の濃密な関係と疑問の尻尾の先が、いつの問にやら円となって繋がる不気味。
土佐藩の入口から覗いただけで、ずらりと疑問符が並ぶ。
これらの疑問は本当に暗殺事件と係わりを持つのであろうか。
助詞さえ除けば他の言葉達は都合良くくっついてしまうのに似てはいまいか。
福岡は参列したくなかっただけであり、象二郎と弥太郎の関係は単なる汚職で、
後者の日記も事件以外のなんらかの不都合、グラバー邸寄附も大三菱の好意、
大量の銃の到着も偶然に便があっての迅速さ、異様な若さでのグラバーの代表就任も
群を抜いた彼の才能。
突き放してしまうと、繋がっていた糸はたちどころに寸断されて、
面白くも可笑しくもないバラバラの物語に戻っていく。>
403 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 02:26:01
幕末に日本にやってきた冒険商人達の物語を読むといいよ。
404 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 02:29:15
で、どうやら坂本龍馬の暗殺前後で岩崎弥太郎の日記が空白になっているのは 不自然だとコメントしている人は、もっと古くからいるようだが、 「岩崎家・三菱が公開を拒否している」と最初に文章に書いたのは、 黒鉄ヒロシという人物で、それを受けて『歴史街道』の誰だかが引用したのかと思われる。 で、黒鉄ヒロシの新潮の文章は学術的な文章でないだろから、 当然引用文献や根拠など記載していないだろう。 あと黒鉄ヒロシが書いた坂本龍馬の本で、根拠が明らかにされていればいいけど、 ググッた限りではグラバーの陰謀云々書いている人だから、なんか (日記に空白があるのは不自然)→(岩崎家が非公開にしているに違い無い)→ (岩崎家・三菱が公開を拒否) と勝手に自己完結して書いたんじゃないかと予想するんだが・・・ 黒鉄ヒロシの記述以前から 岩崎家・三菱が日記の公開を拒否しているという話があったらすみません。
405 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 03:15:51
岩崎が坂本にひけめを感じる必要はないんだけどな。
406 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 06:13:06
岩崎の日記から知れるのは岩崎本人のことと、後藤象二郎の実像ぐらいだろう 龍馬について岩崎は三流人物と適正な評価をしていたんじゃないか 八方美人的な使い分けをし過ぎて殺すほど憎いとは思ってなかったが、ウザいと思ってた人は多いはず 新政府人事案についてもプランを書いたものがいくつかあり、むしろ龍馬の名前を役人欄に書き込んだもののほうが多い 結局勝と陸奥とおりょうと乙女がベタ褒めしてるだけ アーネストサトウの人物評をみよ
407 :
日月神が鬼退治し天国築く :2010/10/27(水) 10:38:10
親と子であるから臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよ くもここまで落ちぶれてしもうたな。鼠でも三日先の事を知るに、臣民は一寸 先さへ判らぬ程に、よう曇りなされたな。それでも神の国の臣民食べ物がなく なっても死にはせぬ。ほんの暫くぞ。木の根でも食うておれ。闇の後には夜明 け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人 に知れたら帳引きとなるから、人に知れんように人の為国の為に働けよ。早く 元の神の申す通りにせねば世界を泥の海にせねばならぬから、早う元日本心に なりてくれよ。盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、誠の神の入れ物にな りてくれよ。悪の楽しみは先に行く程苦しくなる。神のやり方は先に行くほど よくなるから、初めは辛いなれど先を楽しみに辛抱してくれよ。人の知恵で一 つでもよき事したか。何もかも出来損ないばかりどうにもならん事にしていて、 まだ気が付かん。救わねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれ ど、それでは元の神様に済まず。これだけこと分けて知らしてあるに、聞かね ばまだまだ痛い目を見せねばならん。日本の国を八つに切って殺す悪の計画。 一度に建替えすると世界が大変が起きるから、延ばし延ばしているのざぞ。 国取られた臣民、どんなに酷い事になりても何も言う事出来ず、同じ神の子で ありながら余りにも酷いやり方、獣よりも酷い事になるのがよく判りているか ら、神が表に出て世界中を救うのであるぞ。この神示腹に入れると神力出るの ぞ。疑う臣民沢山あるが気の毒ざぞ。一通りは嫌がる臣民にもこの神示一二三 として読む様に上の人してやりて下されよ。命ある内に神の国の事知らずに死 んでから神の国行く事は出来んぞ。神の力でないと、もう世の中はどうにも動 かんようになっている事、上の番頭殿分かっておろうがな。どうにもならんと 知りつつまだ智や学にすがりている様では上の人とは申されんぞ。智や学を越 えて神の力にまつわれよ。御土拝みて米作る百姓さんが神の誠の民ぞ。
>>406 と云うかサトウの日記のが「面白い」かもしれんね
>>406 ろくに会話も交わしたことない人物が評した龍馬像をどう解釈しろと?
410 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 22:18:49
住谷寅之介をして龍馬評は、 龍馬誠実可也の人物 しかして撃剣家 ぐらいだから。 一見さんじゃなかなか仕事ぶりやポテンシャルまでは伝わりきらない。 てか事前に偉い人だとか言われて先入観なければそれでも上々だろ。
411 :
日本@名無史さん :2010/10/27(水) 22:22:35
ドラマの弥太郎の龍馬への嫉妬もまったく根拠がないとも思えん
412 :
日本@名無史さん :2010/10/28(木) 07:34:05
実行犯は、 中村達也 市川亀治郎 SION
413 :
馬鹿な学者の妄説信者へ :2010/10/28(木) 13:01:14
神学1 水は雨の神(水龍)の霊が宿っており、火は地震の神(火龍)の霊が宿っている。 だから、水は火によって霊化されて水蒸気となって天に昇るのである。土(岩の 神=山神)から水龍が生まれる。だから、雨の日に低気圧と言う龍神の影響によ って、山の谷間に雲気がわいて出る。晴天の日でも富士山が笠雲を吐き出して いる。一山越えることに雪の量が増えるのは、山からの雲気が雪に変わる為で ある。雪の結晶の六角形は龍体の頭尾と2本づつの手足の形の相似である。 地震は火龍が暴れまわって起きる。だから、火山性地震の時には火山がマグ マ(火龍)を吐き出す。地震の子供である。 水素と酸素が化合して水となるのは、男と女が交わり合って子が生まれるよ うなもので、水の肉体に元神の分霊が宿って水龍が生まれるのである。地の気 と天の気によって人の気が生まれる。君達が酸素と思っているものが神霊の気 である。 水素と酸素を融合させると電気が発生するのは、調和を乱す事によってそれ を修復しようとする力が働く為であり、その極まったものが雷であり、自然の 摂理に反する事に対する神の怒りの気が出るからである。荒の神(雷龍)の発動 である。風の神も怒りによって台風となる。 地球の中は空洞になっていて、中心に太陽が輝いている。この地中天体アル ザルへの入り口は北極と南極の二つである。ここからUFOが出入りしている。 UFOは地球人が開発した物であり、宇宙人など存在しない。万物は天地の気 によってしか生じない。宇宙的霊界の影響によって霊体が策動している事は認 めるとしても。 電波はエーテル波であり、霊界の影響を受けやすい。携帯電話、インターネ ットを介して魔物が進入してくるのである。
414 :
日本@名無史さん :2010/10/28(木) 15:19:32
>>409 弥太郎は龍馬どころではない自信家だったろうから、龍馬のことを会話するほどの価値もなしと見ていたんじゃないか
というか後藤象二郎のように権限を持っていなかったから、利用できる部分なし、使えない男とみていたんだろう
門閥がないならこの世は学あるものの勝利と、子供のころから先の世を見る眼があったんじゃないかな
人間的には弟のほうが人から慕われるキャラだったろうが
415 :
日本@名無史さん :2010/10/28(木) 15:27:14
>>411 そもそもアマデウスばりのその設定が失敗のもとだったんだろうな
司馬遼太郎が生きてたころならまだしも、今時龍馬をモーツァルトのような天衣無縫の天才評価してる日本人は、とても少なかったんだろう。
視聴率から判断するとそんな結論になりますわ、スタッフの責任者たちさん。
あのー、坂本龍馬が度々長崎の土佐商会に出向いてお金を無心し、 後藤象二郎と坂本龍馬との関係上、坂本の頼みを断れない岩崎が、 憤懣収まらない形で坂本のことを日記に書き殴っているのですけど。 あなた、本質的に後藤と坂本と岩崎の関係を理解してないでしょ
>>416 司馬遼太郎の小説内の世界観程度、もしくは小山ゆう先生の漫画内の世界観程度にしか理解してないからたいしたことないだろうね
でも岩崎弥太郎の評伝を何冊か読んでその履歴、言動を読むとそれなりに弥太郎ファンにはなるな
影響力ということでは弥太郎にとって龍馬は小さな存在
なんか亀山社中、土佐商会の連想からやたら弥太郎の汽船をメインにした三菱会社を、龍馬からインスパイアされたものという発想をする人が多いようだけど
日本はもともと島国、周りは海でっせ
家康の悪知恵に引っ掛かって忘れてた人が多かったようだけど
まぁ「どっちもどっち」な気がするなぁ〜岩崎と龍馬は 確かに岩崎からすりゃ龍馬含めた海援隊の連中は集ってばかりでどうしようもない連中に思えたかもしれんが 岩崎「本人」も長崎での横領等の件で危なく干されるところだったからね〜
419 :
[―{}@{}@{}-] 日本@名無史さん :2010/10/28(木) 21:14:45
>>406 『一外交官の見た明治維新』での龍馬の記述は以下ぐらい。
On the 14th we received a visit from our Satsuma friend Yoshii. He told us that the coalition, which was
determined to push matters to the last extremity in order to gain their points, consisted of Satsuma, Tosa,
Uwajima, Chôshiû and Geishiû. Higo and Arima were inclined to join, Hizen and Chikuzen
indifferent. On the whole, it might safely be said that all the western clans were pretty much of one mind.
Osumi no Kami (who suffered a good deal from kakké, a sort of dropsy of the legs) was too ill to come
to Kiôto, and Shiuri no Taiyu was to take his place, arriving in a few days. Saedani Umétarô,
a Tosa man whose acquaintance I had made at Nagasaki, had been murdered a few days ago at his lodgings
in Kiôto by three men unknown. The Tycoon had about 10,000 troops at Kiôto, Satsuma and Tosa
about half that number between them, part in Kioto, part in Ozaka. Other daimiôs, such as Geishiû, would
also bring up troops. The Chôshiû question would be difficult to settle peacefully,
as the Tycoon's party included a large number of men who wished to force on a renewal of the war in order to effect the complete destruction of that clan.
2日後に後藤象二郎がサトウとイカルス号の殺人について話し合うために訪ねており、
その中で一言だけ坂本龍馬・中岡慎太郎について触れている。
He replied that the recent murder of two of his own subordinates inspired him
with sympathy for our feelings, and that both the ex-Prince Yôdô
and he himself held that no stone should be left unturned to discover the criminals.
420 :
[―{}@{}@{}-] 日本@名無史さん :2010/10/28(木) 21:17:36
一応簡単な訳 <(1867年12月)14日(慶応3年旧暦11月19日)、薩摩の友である吉井(吉井幸輔)が我々を訪ねてきた。 彼が言うには、自分たちの主張を最後まで通すための合議を決める連合が、薩摩、土佐、宇和島、長州、芸州によって 成立した。肥後と有馬は参加する意向で、肥前と筑前は違う。全体としては、西日本諸藩は我々とほぼ同じ考えであると 言っても差支えないだろう。大隅守(島津久光)は脚にある種の浮腫が出来るカッケに罹患したために京都に来られず、 数日前に到着した修理大夫(島津忠義)が代理を務めている。私が長崎で知り合った土佐人の才谷梅太郎(坂本龍馬)が 数日前に京都の下宿で三人の無名の男に殺された。タイクーンは京都に1万人の軍隊を有するのに対し、薩摩と土佐は 併せてもその半分で、一部は京都、一部は大坂にいる。芸州などの他の大名も軍隊を連れて来る予定である。 長州問題を平和的に解決するのは困難になるであろう。なぜならタイクーンの派閥には、長州藩の滅亡を完遂するために 戦争を再開したがっている人々がかなりいるからである。> <彼(後藤象二郎)は自身の二人の部下が最近殺されたことで、ますます我々の感情に同情の念を持つようになったと 返事をし、先君容堂公と共に、(イカルス号事件の)下手人を発見するため、あらゆる手段をつくすと主張した。> 一方サトウの日記の方では、長崎で会った時の印象がちょっとだけ記述されていて、 イカルス号の談判でサトウ側の言い分に対して、バカにしたかのように笑い声を立てていたが、 サトウが龍馬を叱りつけると、 but he got a flea in his lug and shut up making most diabolical faces <悪魔のような恐ろしい顔つき(most diabolical faces)をして、黙りこんでしまった。> 龍馬評で残っているのはこれだけ。
421 :
[―{}@{}@{}-] 日本@名無史さん :2010/10/28(木) 22:43:47
ちなみにサトウと龍馬が大政奉還について激論を交わしたみたいなことが書かれているサイトが幾つもあるが、 そのような事実はサトウの日記・手紙からも、龍馬の手紙からも伺えない。 多分どっかの小説で扱われた内容を事実と混同したのであろう。 分かっていることは、 1.土佐から長崎までサトウと龍馬は同じ船に乗り合わせているが、両者が会話をしたという事実は不明。 サトウ自身は足の病で船室に籠っていた。 2.サトウは龍馬と知り合いになったのは長崎と書いており、 日記の方でも長崎と一回会ったことしか書いていない。 3.サトウの日記では、議論というより上から目線で龍馬の態度を叱ったことしか書いていない。 4.残っている龍馬の手紙でも、特にサトウのことを書いていない。
>>416 よう調べて考えてわかってんのに、認めたくない、爽やかじゃない鹿児島県人も、
現代ではたまにはいるんだろ(笑)
424 :
日本@名無史さん :2010/10/28(木) 23:34:53
ごめんなさい 差別苛烈な 関西広域連合だから…
425 :
日本@名無史さん :2010/10/28(木) 23:55:42
グラバーの日記か何かには龍馬は出てくるの?
グラバーと龍馬はフリーメーソンだからそれは秘密
見当たらないことは全て「秘密の存在」にしてしまえば、いくらでも関係が作れる
428 :
日本@名無史さん :2010/10/29(金) 01:46:21
この板、IDが出ないのか。自分は356=357=359=397=400=401=402=404
瓊浦日暦、崎陽日暦の一部をコピーして今読んでいる。
>>397 の訂正
日記は明治6年まで残っている。
>>399 中岡の名前自体は暗殺以前から日記に載っている気配がない。
暗殺以降、龍馬の名前も登場しない。
>>416 実際のところ日記には、龍馬が金を要求したことについて二箇所登場するけど、
日記は本人の個人的な感情を極力排除して書いているんで、
「憤懣収まらない形で」だとかいったことは日記を読んだ人の解釈によって変わる。
例えば4月19日の日記によると(フォントの都合上、漢字は新字体に変換)、
『十九日 霽、後藤参政ニ至ル、参政曰、才谷社中合テ十六人、毎人月金五円ヲ乞フ、
今日大洲舟、将発帆、先ヅ、金百円ヲ才谷ヘ与ヘヨ、於是森田普三ニ命、
百円ヲ為持遣ス処、才谷より書状ヲ以百円ハ士官ヘ投ズ、
我一人ノ給金ハ如何至呉候哉と尋越、右ニ付再参政ニ至ル、参政曰、
ソレハ過時彼自来談、事已決、不用再投金云々、再才谷ヘ委再掛合至候処、
又々才谷より此度登板ハ無余儀時ニ候ヘバ、是非共五十円借用申度段由来、
遂決意、我より我贐別として金五十円自分持持参才谷寓ヘ到リ投与ス、
此金森田ヘ談、公金借用ス、才谷喜悦、出酒且飲且談、大ニ当時人物条理ノ論ヲ発、
日已迫黄善昏辞去、到参政、再発当時条理之論、久之返寓、
今日大洲船ヘ市太郎上乗リ命ズ、浪華ニテ馬袴、越後シマ相求来候様托置』
一緒に酒飲んで語らったりと、何かそれほど悪感情を抱いていたとは思えない。
429 :
日本@名無史さん :2010/10/29(金) 01:49:30
とりあえず、岩崎弥太郎の日記の原本をマイクロフィルム化したものが、
湯島にある三菱経済研究所の三菱史料館に所蔵されているらしい。
一般人でも、多分マイクロフィッシュを通じて閲覧はできるんじゃないかな?
ttp://www.meri.or.jp/shiryo/mer300j.htm ここまで公開されていて、「公開拒否」は言いがかりだと思われる。
原本に不自然な作為のあとがみられるというのなら話は別だけど、
その辺は誰か三菱史料館に足を運んで確認して。
430 :
日本@名無史さん :2010/10/29(金) 06:12:41
幕末有名人の日記なんでもに龍馬の名前が出てくるわけでもないんだね 個人的な印象としては龍馬は基本勝海舟の犬 明治初年に出された志士番付で龍馬はかなり下のほうだったのも、うなづける しかし長州出身にもかかわらず井上馨とかの明治になってからの俗物化は酷いもんだな
431 :
日本@名無史さん :2010/10/29(金) 06:18:40
後藤象二郎は政治家としても経済人としてもその無能ぶりが暴かれてしまうし この人は土佐藩の威光を後ろ盾にしてないと何も出来ない人だったんだな パークスと談判したころの輝きと自信はどこへやら
>>430 「龍馬子」ってそれなりの人物として扱われてるのにか
433 :
馬鹿な学者の妄説信者へ :2010/10/29(金) 11:24:25
神学2 まだ、地球空洞説を疑っている輩がいるようだな。鳴門の渦潮は潮水が地中 に吸い込まれて、富士山が雲気を吐いている。地球には地磁気があり、磁力線 は南極から北極に外内と循環している。地球に空洞がなければ磁力は働かない 筈である。日月神示は言う。天に星がある如く地には塩があるのであるぞ。潮 、コオロコオロにかきならして大地を生み上げた如く星をコオロコオロにかき ならして天を生み上げたのであるぞ。空は天のみあるのではないぞ。地の中に もあるぞ。天にお日様ある如く地中にも火球あるぞ。宇宙は霊の霊と物質とか らなっているぞ。人間も又同様であるぞ。宇宙にあるものは皆人間にあり、人 間にあるものは皆宇宙にあるぞ。人間は小宇宙と申して、神の雛形と申してあ ろう。神と霊は一つであって、幽と現、合せて三ぞ。この三は三にして一、一 にして二、二にして三であるぞ。故に肉体のみの自分もなければ霊だけの自分 もない。又物質界は霊界の移写であり、衣であるから、霊と体とは殆ど同じも のであるぞ。人間は霊界より動かされるが、又人間自体よりかもし出された霊 波は反射的に霊界に反映するのであるぞ。人間の心の悪が幽界を生み出してい るのであるぞ。肉体に食う事あれば霊にもあり、言を食べているのが霊ぞ。こ の点が大切な事じゃから、くどう申しておくぞ。死後においても現実界に自分 がある。祖先は過去の自分であり、子孫は未来の自分であるぞ。人類は横の自 分、動植物はその外の自分であるぞ。神は縦の自分であるぞ(全てのものが神の 現れであるから、それを殺す事は神を殺す事である)。動物霊が自分に感応して 来るのは己の心にその霊と通ずるものがある為ぞ。二重三重人格と申すのは二 重三重の憑き物によるものであり、群集心理は一時的の憑依霊であるぞ。神は 愛と現れるのであるが、その根は喜びであるぞ。悪抱き参らせて進む所に誠の 弥栄あるのであるぞ。 日月神示は日本人は肉類禁物じゃと言いながら、神に供えれば何食べても大丈 夫だと言っている。つまり、肉食系の人間には食べても良いと解釈出来るので ある。これが八通りに読めると言う事。空間、時間が霊界にないのではない、 霊界では心の思うまま瞬間移動出来るのでないと考えても良い。
435 :
日本@名無史さん :2010/10/29(金) 15:03:23
>>435 このスレの薩摩くんに会えるなら行きたい。
ほえぇ〜 暗殺の件でネットうろちょろしてたら 例のおもいっきりTVでの見廻組犯行説否定した人の名を見つけてしまった 改めて「ネットは広大・・・・」と実感
438 :
日本@名無史さん :2010/10/29(金) 20:58:04
京都霊山歴史館が実行犯として桂早之助を大きくフィーチャーしてるのは、刀とメンバー表の書きつけの提供を受けているからなのか。
薩長に思想は無きか!腕に覚えがある者は出てこい! 直参旗本見廻組・佐々木只三郎だ!なにを隠そう、龍馬を殺したのはこの俺…
440 :
日本@名無史さん :2010/10/30(土) 18:13:27
佐々木と京都所司代の間の役職だったはずの京都見廻り役の男は「活動は全部佐々木 只三郎まかせで自分は何も知らないでいた」とかほざいてる。 重要な役目は佐々木が所司代か京都守護職に直接呼ばれて仰せつかっていたのだろうな。 慶喜の大政奉還宣言後の幕臣から幕府御家人にいたるまでの右往左往ぶりを示した日記などの 史料はいいの何かないですか
>>439 そう言ってたら薩摩兵の銃弾に蜂の巣にされたんですよね
イタくなかったですか?
442 :
佐々木只三郎 :2010/10/30(土) 18:50:27
痛いどころか致命傷となり、紀州若山に落ち延びる途中に死去しました
私は龍馬取材の最終日に高知県立坂本龍馬記念館に森健志郎館長を訪ね、 二時間ほど、龍馬について意見を交わした。 私は二十代から三十代にかけて福島民報の記者だった。森さんは高知新聞の出身である。 同じジャーナリストということで、打ち解けてしゃべることが出来た。 「会津が龍馬を殺したといわれていますが、どうも納得できないのです。あの時点では、 龍馬は幕府も含めた新生日本を考えていた。その龍馬を会津藩主が殺せというだろうか。 どうも納得しにくいのです」私は率直に森館長に聞いた。 館長は「そうですね」と一呼吸おき、「同感です。私は薩摩が龍馬を暗殺したと考えています。 黒幕は西郷隆盛、実行犯は中村半次郎でしょう」ずばり歯切れのいい感想を述べた。
相変わらずの星亮一。 私はこう彼が言うのを聞いたといい、居合わせた人間は誰もそれを聞いていない奇妙さ。
445 :
日本@名無史さん :2010/10/31(日) 09:01:46
>>442 まだいますか?
部下の今井信郎が龍馬も慎太郎も俺が斬ったなんて言ってますが、ホントですか
また部下だったかどうかもわからない渡辺一郎というのも俺が龍馬を斬ったと言ってますが、こんな奴見廻り組にいたんですか?
今井なんてのは戊辰の闘いでも最前線に出ず、見張り・後方支援専門だったから生き残ったんじゃないですか
あとズバリ佐々木さんへの命令者は誰だったんでしょう?
会津候でしょう。 あとズバリ会津候をそそのかしたのは誰だったんでしょう?
447 :
久留米の眞木和泉じゃ :2010/10/31(日) 10:43:19
薩摩の高崎左太郎なる不遜にも押し付けがましい若者でごわんど
448 :
日本@名無史さん :2010/10/31(日) 13:07:52
やっぱ龍馬もホモファックしたことあるんかな?
449 :
旗本見廻組・佐々木只三郎 :2010/10/31(日) 16:01:00
組内には不良御家人やら素性の怪しいゴロツキからなる。大言壮語する者もいよう。 渡辺一郎など存ぜぬ。今井信郎は龍馬を斬った。与板井伊藩から金二千両をゆするような不良御家人であるがな
犯人は岩崎。いろは丸賠償金の減額は実は岩崎の策略で 半額の7千両をリベートで受け取っており、龍馬にばれそうになり、 見回り組に居所をチクった。 龍馬が死んで一番儲けたのは岩崎。というか、儲けたのは岩崎だけ。
451 :
慶喜 :2010/10/31(日) 18:03:40
454 :
日本@名無史さん :2010/10/31(日) 21:28:12
実行犯は 会津傘下の見廻組 命令者は 会津藩主の松平容保 しかし、どんなに些細な事象でも声高に訴え、他人に罪をなすりつけようと試みるのが会津
456 :
佐々木只三郎 :2010/10/31(日) 23:59:30
薩長に歯槽はなきか!腕に覚えがある者は出てこい! 直参旗本見廻組・佐々木只三郎だ! なにを隠そう、龍馬を斬ったのはこのオレオレ…
日本には1800年前から、スサノオが将来役に立つ時が来ると天皇家に渡した金塊があった。
鎌倉(元のフビライ)時代、マルコ・ポーロが「黄金の国ジパング」と呼んだのはその金塊量が当時世界一だったから。
室町(大航海時代)時代になって、イエズス会や東インド会社が日本にやってきたのはその金塊目当て。
ヴィクトリア女王は三浦按針ことウィリアム・アダムスを通じて、日本を植民地化しスサノオの金塊を手に入れるべく、
傀儡に選んだ家康にあれだけ最新式の武器を提供し(関ヶ原合戦&大坂の陣で圧勝)天下を取らせてやったのにもかかわらず、
家康がヴィクトリアの野望に気付いため、鎖国されて失敗!
この時のイギリスの恨みが産業革命を経て、やがて明治維新を起こすことになる。
KWSKはこちら↓
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/tomokop/sakuryaku.html
後藤と岩崎だな
459 :
日本@名無史さん :2010/11/01(月) 09:56:05
ガリレオ 金田一 コナン 辺りに解いてもらうといい
460 :
馬鹿な学者の妄説信者へ :2010/11/01(月) 11:09:19
君達の言葉には誠がないから、いくら力説しても魂に響かない。人の借物の 理論(空理空論)では命を懸けられない。腹も切れないフニャフニャ腰では言葉 に重みがないから誰も信用しない。艱難辛苦して自分で掴み取った智恵(神から の啓示)でないと通用しないのである。 いつまでもメーソン支配の学会の妄説に騙されて、本物の神の存在に気付か ず、真理を知らずに滅びて行く哀れな者供よ。もうすぐ引導を渡してやるから、 迷わずに地獄へ行くがよい。余り苦しまない様にと祈っているぞ。 言った事に責任を取らず、いざとなったら尻に帆かけて逃げ出す者ばかりで困 った者である。戦恐れているが、臣民の戦位何が恐いのか。それより己の心に 巣くうている悪の御魂が恐いぞ。 智恵でも学問でも、今度はどうにもならん事になるから、さうなりたら神に 頼るより外に手はなくなるから。さうなりてから助けてくれと申しても間に合 わんぞ。石屋(メーソン)の仕組にかかりて、まだ目覚めん臣民ばかり。日本精 神と申して仏教やキリスト教の精神ばかりぞ。今度は神が有るか無いかをハッ キリと神力見せて石屋も改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らす事ならんの であるが、いつか悪の鬼供も上がるかも知れんぞ。 今度の戦は神力と学力の止めの戦ぞ。神力が九分九厘負けた様になった時に、 誠の神力出して、ぐれんと引っ繰り返して、神の世にして日本の天子様が世界 丸めてしろ治めす世と致して天地神々様にお目にかけるぞ。 我よしの政治ではならんぞ。今の政治経済は我よしであるぞ。悪と学では長 う続かん。神の光のやり方でないと治まらんぞ。与える政治が誠の政治ぞよ。 いくら頭が偉いと申して胃袋は頭の言う通りには動かんぞ(神の言う通りにしか 動かん)。じゃと申して味噌も糞も一つにしてはならんのざぞ。神の印付けた悪 来るぞ。悪の顔した神あるぞ。元の邪気凝りて涌いて出た悪の種は邪鬼と八股 大蛇と金毛九尾の狐となって、狐は女に憑いて化けているから、臣民殿騙され ぬ様に致して下されよ。
>>435 「資料」等は万人には全くの”平等”な訳ですから、あとはそれを「どう」解釈するだけな訳で
確かに実行犯でしか「知りえない」情報を有していた今井の存在も重要かもしれんが
それを「否定」した谷の側も「直接」中岡から聞いた立場ですからねぇ
今井は、唯一の公式記録・刑部省取調べでの自供では、単なる見張りだから。
464 :
日本@名無史さん :2010/11/01(月) 17:20:34
>>463 兵部省、刑部省での二つの供述(ほぼ同一内容)がもっとも真実に近いとすれば、今井の言ってることも、谷干城の言ってることも「正しい」
犯行時の様子はやはり公的に記録されたものがもっとも事実に近いんじゃないかな
あとは黒幕だが、会津候が命令を出したであろうことを納得させるような、当時の二条城内のドタバタてんわんやを活描写した史料が出てくれば、なおよい
キレた龍馬が慎太郎を襲い 反撃したらあっさり死んだでござる。 ジョン万次郎の子孫にあたる娘と付き合ってた事があるが 霊山歴史館のある山を見て一言 「・・・・なんかおじいちゃんがこっちを物凄く睨んでんねん・・・山くらい大きな顔で」 俺にとったら最大のミステリー。
466 :
日本@名無史さん :2010/11/02(火) 06:53:52
龍馬暗殺の自白の中で一番信用がおけないのが「兵部省・刑部省口書」
ソースは俺
469 :
日本@名無史さん :2010/11/03(水) 09:03:37
>>467 まあ今井自身が後年、あれは嘘、自分は見張りじゃなく
龍馬を斬ったといってるぐらいだからなw
今井が嘘つきなのは確か。
470 :
日本@名無史さん :2010/11/03(水) 09:11:36
つまり、松平容保の犯行?
471 :
日本@名無史さん :2010/11/03(水) 09:28:00
もう一人、見回組みの渡邊が暗殺に参加した証言はどうしよう
473 :
日本@名無史さん :2010/11/03(水) 09:57:06
今井の供述にも出てこない渡辺一郎(篤)の? 渡辺吉太郎のことじゃないよな? 二人の「回想」は矛盾点多いけど、ほぼ確実に現場に行ったのは今井と佐々木だね。 (当社調べ) 容保か定敬に命令出させたのは、手代木か誰かだね。 (当社調べ)
桑名藩には島津本家(重豪)の血が入ってます。
松平定敬は高洲からの養子だから養母は関係ないよ
嫁と養子
ふ〜〜む 以前清河を暗殺した際、佐々木から”直接話を聞いた”って人がいたらしいが 龍馬の件ではそのような事はないな ・・・というか、清河暗殺も「会津」て話あるみたいだけど!?
478 :
日本@名無史さん :2010/11/03(水) 14:39:18
>>469 正直今井はみっともないと思う
命乞いなのか口書では見張りしてただけと言い、後に地方記者にはオレが斬ったと騙り、
やがて龍馬だけと言っていたのが中岡もオレの仕業と言い始めた
なお、口書の存在は明治期には全く公表されていないので、今井はそれを後に嘘という必要はなかった
仮に斬り手の役割を今井がもらっていたとしても、奥の間の手前にいるほうを斬ったと言っているので、中岡を斬ったと考えるのが正しい学究的判断だろ
中岡が谷干城に語った内容では部屋に入ってきた刺客は二人なので、
まずもってひとりが中岡龍馬の二人を斬ったということは、あり得ない
479 :
日本@名無史さん :2010/11/03(水) 15:24:34
今井の話のどこまでが本当か完全に検証することはもう無理なんだろうか。 それにしても、命乞いにせよ嘘にせよ、侍として見苦しすぎ。 こんなやつに龍馬が殺されたかと思うと情けない。見張りであってほしい。
>>467 全てが土佐藩の何人かによる捏造ということもありうるな
会津を助けるには、他の見解を全て捏造扱いしないとならない ご苦労なことです
刑部大輔 佐々木 高行 明治2年7月8日〜明治3年2月5日 斎藤 利行(土佐藩家老)明治3年2月5日〜明治3年5月15日 司法大輔 佐々木 高行 明治4年7月9日〜明治6年4月17日 福岡 孝悌 明治5年8月13日〜明治6年11月10日 今井の捕囚・自供・収監・特赦は、すべて上記の期間内。 この布陣下での取調べが杜撰だったなら、土佐を疑りたくなるよ。
当時は谷干城の、私は中岡から新選組と聞いたという説がもっぱらでしたからねぇ
484 :
日本@名無史さん :2010/11/03(水) 23:44:54
>>482 命を助けてやる代りにこの犯人役になれ
とかね
念には念を入れて元新選組の大石鍬二郎に犯人は見廻組と前もって捏造証言をさせておく芸の細かさ
寺男の日記はたまたま類推で書き付けた犯人グループが見廻組だっただけとかね
横溝正史ふうの小説がひとつ出来そうだ
485 :
日本@名無史さん :2010/11/03(水) 23:53:16
>>483 谷はそんなこと言ってないよ
鞘を高台寺党に見せにいって原田左馬助のものにまちがいないというコメントを得、
さらにコナクソは伊予方言だと推定しただけ
鞘の確認がすんでから谷は左馬助犯人説を取るようになった
現場に逸早く駆け付けた土佐上士の間では早くから新選組犯人説が何故か浮上していたらしいが
486 :
日本@名無史さん :2010/11/04(木) 00:06:11
>>485 言ってますがな、中岡は新選組にやられたと言っていた、と。
487 :
日本@名無史さん :2010/11/04(木) 00:08:13
榎本とか函館降伏組の上層部はわりに命を助けられたが、戦闘隊長クラスは処刑されたものが多いんじゃないかな 公務上の過去の殺人は罰しないとか新政府は宣言したようだが、 函館戦争まで新政府に歯向かった今井が斬首の刑じゃないのは変ではないですろうか
488 :
日本@名無史さん :2010/11/04(木) 00:12:32
>>486 中岡が谷に言ったのは刺客が発した言葉は、こなくそーと、もうよいもうよいの二つだけ、
じゃなかったかな
中岡が犯人は新選組と言ったって何の史料?
オレが知らないだけかもしれんが
開拓地流刑なら聞いたこともあるが、処刑とは全くきいたことがない
490 :
日本@名無史さん :2010/11/04(木) 00:42:30
東北戦争でも各藩指導者(非藩主)しか処刑されていないのに、何故全員処刑されたと思うんだろう? 谷の集めた物証と、中岡の証言とはまた別だろう。 中岡は新選組の犯行と証言している。
元新選組・・・おぉ〜壬生浪士か、寺田屋騒動か!! 元見廻組・・・・んと・・・・・・? とかだったんではなかろうか?周りの評価は この状況を一発で解決・打破する手段はひとつ・・・・ 「龍馬を殺った・・・・・(他の隊士がだけど・・・・)」 くらいインパクトはあるまいて
492 :
日本@名無史さん :2010/11/04(木) 01:16:17
494 :
日本@名無史さん :2010/11/04(木) 14:23:39
495 :
日本@名無史さん :2010/11/04(木) 20:25:02
496 :
日本@名無史さん :2010/11/04(木) 21:38:48
処刑というのもソースが必要だと思うし、 第一、中岡証言の中に新撰組犯行説が明言されているのだが?
会津桑名黒幕説の史料無しは、きれいな史料無し。 それ以外黒幕説の史料無しは、きたない史料無し。
498 :
日本@名無史さん :2010/11/05(金) 00:00:41
会津桑名黒幕説のソース無しは、きれいなソース無し。 それ以外黒幕説のソース無しは、きたないソース無し。
499 :
日本@名無史さん :2010/11/05(金) 00:18:09
結局、新政府は旧幕府側に死刑を乱発したという説が異常で根拠がないものだから、 明治時代には新撰組犯人説が有力だったという話を茶化して、ごまかそうとするわけ
500 :
日本@名無史さん :2010/11/05(金) 00:36:02
日本語でおk
痛いところを話すカキコがあると、相手の人格をこき下ろして済ませた気になる
502 :
日本@名無史さん :2010/11/05(金) 00:41:57
わたくし、根拠は持っておりませんが、巨根を持っております。
504 :
日本@名無史さん :2010/11/05(金) 09:16:17
うらやましなオイ 童貞で斬首されたという吉田松蔭なんかは意外に? 武市先生は小さかったんではないかとオレは思う 龍馬はたぶん並
505 :
日本@名無史さん :2010/11/05(金) 14:47:05
龍馬は当然、馬並みだお
506 :
日本@名無史さん :2010/11/05(金) 18:30:21
>>505 日本史の中で馬並は道鏡だけ
そのおかげで天皇になれそうなくらいだったのだから
並チンの和気清麿呂の嫉妬にみちた謀略によって大チンコ天皇誕生は、頓挫したけど
マンガの前田慶次は道鏡よりでかいよ 龍馬は竜の落とし子並だろw
508 :
日本@名無史さん :2010/11/05(金) 22:18:45
真相黒幕は嫉妬した女が馴染みの見回りさんに殺しをねだった。
509 :
日本@名無史さん :2010/11/06(土) 00:34:42
>>499 クローズドな中での真相追究なんだから
新撰組犯行説に固執せず(世間様に誤りを公表せず)
フリーハンドで調べられたはずなんだけどなあ
自ら白状してるやつがいるのに、低度の関心しか示さないほうが
不自然だと思うんだけどなあ
なんだかなあ
511 :
日本@名無史さん :2010/11/06(土) 01:19:02
谷を始めとする土佐藩関係者は新撰組を叩いて回ったからね 今更あれは新撰組じゃなくて見廻組でした、というと無実の罪を近藤らに着せたことになる。
512 :
日本@名無史さん :2010/11/06(土) 09:17:47
>>511 維新側からすれば、池田屋とか残虐無比なことやってきたから、斬首の刑に処したことに問題なし
大久保大和ならうさん臭い浪人で維新側の抵抗勢力なので、殺してしまっても尚可
513 :
日本@名無史さん :2010/11/06(土) 09:19:55
別に坂本龍馬の件に関係なくても関係あっても、それは瑣末事
514 :
日本@名無史さん :2010/11/06(土) 10:40:38
尾張藩のふいご党が関わってるんだお!
515 :
日本@名無史さん :2010/11/06(土) 11:03:49
>>509 谷も近畿評論なんて雑誌はしらなくて、当該号が発行されてから何年かしてから講演会で売名糾弾したんじゃなかったっけ
幕末のことなんか本音ではもうどーでも良かったのかもしれない
ただ龍馬があまりに卑しい奴に斬られたのでは気の毒過ぎると思ったのだろう
近藤処分の件で薩摩側と揉めたろ?谷らは 問題は「何故、あのとき急いで処分したの?」て事なんだと 急いでいた理由は?近藤に何か聞かれると「まずい」事でもあるわけ〜?とかさ
近藤に罪をかぶってもらったと。あるかもね。証拠はもちないけど。
俺は岩崎が怪しいと思って居るんだが、 このスレでは少数派なんだな。
519 :
日本@名無史さん :2010/11/06(土) 21:11:06
>>516 現地で直ちに極刑にしたのは土佐藩側で、薩摩の連中は江戸まで連行することを主張していたのだが。
後藤と近藤の関係がね
521 :
日本@名無史さん :2010/11/06(土) 21:50:54
後藤象二郎も、大政奉還後は幕府旗本から狙われていたからねぇ 坂本龍馬暗殺は幕府、それも会津桑名、旗本連中の犯行という線が濃厚だね
幕府側と土佐の関係は当然ながら複雑 上下現場とも
523 :
日本@名無史さん :2010/11/07(日) 04:12:13
実行部隊は見廻組で間違いないだろうが、才谷梅太郎こと坂本龍馬潜伏地を特定できたのは誰なんだろうか?
>>523 かなり身近な奴
薩摩か土佐だな。
三菱がァャッィ
少なくとも見廻組が探索したんではないな。 龍馬の顔知らなかったから二階で声かけたらしいじゃないか。
薩摩側では比較的好意的だった吉井が、龍馬に藩邸への誘いを進めたが断られた件 「そこまで」進める=龍馬の安否を気にかけているて事なんだろうが そうであれば、仮に本人が断っても薩摩側から「密かに」護衛数人付けてもおかしくないと思うのだがどうであろうか
527 :
馬鹿な学者の妄説信者へ :2010/11/07(日) 15:31:15
この世の一切の物は神の物である。人間に与えられる物は食物だけである。 神の恵みの五穀野菜類を神に供えずにむさぶるから、ご利益がないのである。 食べ過ぎるから、人の食うてはならない物(肉類)を食べるから病気になって苦 しむ事になる。人間が神の住み賜う自然を破壊して、動物達の食物を奪っている。 熊などが人間に危害を加えるのは自然からの報復である。人間の贅沢な生活が 動物達に塗炭の苦しみを与えているのである。動物達の目からは人間が大悪魔 に見え、地球から見れば、地球の生命を脅かす癌細胞に見えるのである。蚊が 人間の血を吸ったり、虫が人間の作る稲を食い荒らすのは、人間の悪業が自ら に報いて来ているのである。 神は弱い物の味方である。今までの生活をすっかり悔い改めて、神の御心に 添うよう一刻も早く忠義の臣民とならなければ、人として生きる価値はない。 神は鬼退治して、草木に替えてしまう。 この世の大泥棒(国民の生血を吸う行政、膏を搾る財閥、脳みそを食らう学会) や偽の神(仏教、キリスト教、イスラム教等既存宗教)に騙されて、善と悪とを 取り違えている。 金持は大悪である。金持から金を奪う事は神として善であり、泥棒がその御 用を務めている。多数決は悪である。天子様の独裁が善である(真理は神しか判 らない)。自由と平等は悪である。神の御心に添う事、位に順ずる事が善である。 偽善人が人民を苦しめるのは悪である。偽善人を殺す事は神として善であり、 悪人がその御用を務めている(年金記録記載漏れ=実は確信犯問題で、厚生事務 次官を殺した事は善である)。慈善事業は悪である。自分の事は自分で出来るよ うにする事が善である。強い者勝ちは悪、負けるが勝ちが善。幸福は物事が停 滞して進歩がないから悪。不幸は神の試練と言う愛情表現で善。天照大神は男 神。日本は男(日)神、ユダヤは女(月)神の霊統である。女が表に出る事は悪、 男が表に出る事は善。
528 :
日月神が鬼退治し天国築く :2010/11/07(日) 15:34:07
怖いから改心する様な事では誠の民ではないぞ。世が愈々となったから、今 に大神様まで悪く申す者出て来るぞ。この世始まってない時ざから我身我家が 可愛い様では神の御用務まらんぞ。神の御用すれば我身我家は心配無くなると 言う道理判らんか。子に嘘つく親はないのざぞ。この神示は世に出ている人に は解けん。苦労に苦労した落ちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気違いと言われ、 阿呆と言われても神の道素直に聞く臣民でないと解けんぞ。岩戸開きの御用す る、身魂は何れも生き変わり、死に変わりして練りに練り、鍛えに鍛えし神国 の元の種、天地駈けり救いの神と現れる。今一苦労二苦労、とことん苦しき事 あれど、堪え忍びてぞ次の世の、誠神代の礎と磨きてくれよ神身魂。 神を信じつつ迷信に落ちて御座るぞ。日本が日出づる国、国常立大神が艮の 扉を開けて出づる国と言う事が判りて来んと、今度の岩戸開きは判らんぞ。こ んな事を申せば、今の偉い人は古臭い迷信じゃと鼻にもかけないなれど、今の 学では判らん仕組じゃ。迷信と言われるものに正信があり、正信と言われるも のに迷信があるのであるぞ。 死ぬか生きるかは人民ばかりではないぞ。神々様も森羅万象の悉くが同様で あるぞ。暫くの生みの苦しみ。八の世界から十の世界になるのであるから、八 方的な想念や肉体では生きて行かれんのであるぞ十方的想念と肉体でなくては ならんぞ。太陽は十の星を従えるぞ。原子も十の電子を従えるぞ。人民の学問 や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ。一神で物を生んだ世界から男女 二神で生んだ世界へ移行するのであるぞ。成り成りて十と開き、元神を入れて 十一、それが天地となるから二十二となるぞ。富士晴れるぞ。新しき太陽が生 れるのであるぞ。誠でもって洗濯すれば霊化される。半霊半物質の世界に移行 するのであるから、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ。今 の世は灰にするより外に方法がない所ばかりであるぞ。
529 :
日本@名無史さん :2010/11/07(日) 16:27:30
>>525 渡辺篤(一郎)ってのが数日前から岡っ引きみたいな探索専門者を使って発見し、当日も龍馬が近江屋に帰って来たのをソイツに確認させてから押し入ったと言ってたね
なんか認知入ってからの証言みたいな変なところもあるが、渡辺の証言は今井の(新聞発表の)証言より具体的なんだな、これが
渡辺一郎の言を売名行為と決め付けたのは、今井信郎の孫の今井幸彦という人と司馬遼太郎の二人だけかな
最近の研究者では重要視してる人が多いんじゃないか
龍馬が何度か訪れていた永井玄蕃宅のお隣は見廻組屯所だしな。 実行部隊だけでも身元を突き止めることぐらい出来た可能性が高い
531 :
日本@名無史さん :2010/11/08(月) 19:36:17
>>529 渡辺一郎の子孫宅には刀も残ってたんじゃなかったっけ
今井の証言に篤(一郎)出てこないんだけど…
>>532 今も生きている人でどうしても名前を言うてくれるなという人がいる、なんて今井が言っててね。
暗殺本で儲けようとした人の中にはそれが渡辺一郎、世良敏郎じゃないかと書いた人もいたが。
今井は記者に問われても決して名を明かさなかったが、
記者が別の暗殺犯にして生存者のところへ行って今井の言ってることと違うこと言われる困る(特に暗殺メンバーそれぞれの役割について)
そんな理由で名前を明さなかったのかもしれない
今井が何回か新聞記事の中で証言なるものをしたのは全て明治時代
渡辺一郎が新聞記事の中で証言した(当人は死んだ後で弟子が覚書き歴書を記者にみせた)のは大正になってから
534 :
旗本・佐々木只三郎 :2010/11/08(月) 22:55:52
薩長に思想は無きか! 腕に覚えのある者は出てこい! 直参旗本見廻組・佐々木只三郎だ。なにを隠そう、龍馬を斬ったのはこの俺……
>>534 もっと早いうちに上司に報告しとくべきだったし、詳細な日記のひとつも付けとくべきだったな
旗元の基本はホウレンソウ
そこをないがしろにしてたから平成の世になっても京都見廻組の犯行というのを信じない人がいます
抜かりましたな佐々木さん
暗殺対象としては当時それほど大物でもなかったでしょうから。
>>535 そもそも上司に無断だったという説もある。
海舟の明治3年4月15日付日記。
≪松平勘太郎聞く、今井信郎糺問ニ付申口、卯之暮於京師坂下竜馬暗殺
は佐々木唯三郎首として信郎抔之輩之輩乱入と云、尤佐々木も上より之
指図有之ニ付挙事、或は榎本対馬之令歟不可知と云々≫
これを司馬遼太郎は「目付榎本対馬守の命令説」の傍証としているけど、
「誰かに命じられて佐々木がやったのなら、命令系統からいって榎本と
いうことになるけど、榎本の直上司である自分(松平勘太郎)に報告が
ないのは奇妙だ」と読んで、佐々木が龍馬殺害を復命していないのは、
正規ルートからの命令ではなかったのだろうと解する説もある。
538 :
日本@名無史さん :2010/11/09(火) 08:01:38
>正規ルートからの命令ではなかったのだろうと解する説 「ロマン」が掻き立てられるw
一素浪人殺害風情で、「本来無関係」な鳥取・尾張側が日記「にまで」事の詳細記載するとは・・・いかに?
540 :
日本@名無史さん :2010/11/09(火) 15:04:54
尾張藩主の冷酷ぶりについて
541 :
日月神が鬼退治し天国築く :2010/11/09(火) 15:37:08
三番目の岩戸閉めは素盞鳴命に総ての罪を着せて根の国に追いやった時であ るぞ。素盞鳴命は天下をしろ治めす御役の神であるぞ。万の天の神々がよく理 解せずして罪神と誤ってしまったので、これが正しく岩戸閉めであったぞ。天 下、大国土を守り育て給う神であるぞ。取り違いして申し訳あるまいがな。こ の事理解出来ねば今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給う、ナギ・ナ ミ両神が天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。 この神は万の神々(罪があるのはこれらの神)によって、手足の骨を砕かれて筋 を断ち切られ、手足の爪まで抜き取られ、あるにあられん、惨い事にされて、 追いやられたのであるぞ(節分の鬼払いはこの神を調伏する呪術である。悪事を 働く者に祟り神として恐れられた神である)。臣民はお詫びして許しを乞わなけ ればならんぞよ。この神がナギ・ナミ両神を仲直りさせて、岩戸開きに大活躍 する花形役者であるぞよ。この神の夫婦呼吸を合せて生み給える御神の別名が 国常立命であるぞよ。 右の頬を打たれたら左の頬を出せよ。それが無抵抗で平和の元じゃと申して いるが、その心根をよく洗って見つめよ。それは無抵抗ではないぞ。打たれる 様なものを心の中に持っているから打たれるのであるぞ。誠におれば相手が手 をふり上げても打つ事は出来ん。よく聞き分けて下されよ。笑って来る赤子の 無邪気さは打たれんであろが。これが無抵抗ぞ。 霊に日月神示を読んで聞かして見よ。その偉大さがはっきり判るぞ。どんな 下級霊であってもその霊を馬鹿にしてはいけない。馬鹿にすると反射的にサニ ワを馬鹿にして始末に終えん事になるぞ。霊覚者や行者の中には奇跡的な事や 非常識な行動をする者がよくあるぞ。一般の人民はそれに騙される事がよくあ るぞ。何れも下級霊の仕業であるぞ。正神には奇跡はない。奇跡ない事が大き な奇跡であるぞ。奇跡する者は亡びる。高級霊は態度が立派であるぞ。判りたか。
542 :
日本@名無史さん :2010/11/09(火) 15:40:27
>>539 土佐藩内がいかに揉めてたか考察してるものもあったね
543 :
日本@名無史さん :2010/11/09(火) 16:00:21
544 :
日本@名無史さん :2010/11/09(火) 22:44:48
最初孝明天皇と島津久光から京都へ勧誘があったのは、 将軍継嗣問題で隠居させられた諸侯の一人だった元尾張藩主徳川慶勝 慶勝本人が固辞したので、兄弟の会津藩主松平容保と桑名藩主松平定敬が京都に行った 徳川慶喜と松平容保・松平定敬の京都における独走に批判的になり、会桑へ帰国隠居を強く主張するようになる 大政奉還後は薩長・尊王攘夷派公家に接近し、越前の松平春嶽と共に王政復古の軍に参加、会桑を朝廷から追い出す 王政復古後の朝廷で、徳川慶喜への領地取り上げと官位辞退を決議、松平春嶽と共に徳川慶喜へ朝廷の勧告を伝達 鳥羽・伏見の戦いで、朝廷で薩長軍の官軍認定が行われると薩長軍を後方で支援、旧幕府軍と敵対 鳥羽・伏見の戦い後直ちに尾張に帰国、佐幕派を粛清、以後勤王藩として活動 明治維新後、一切徳川慶喜の権威を認めず
546 :
神保修理 :2010/11/10(水) 11:47:45
証拠がなければ何をしてもいいというのか? もはや、幕府の薩長のといがみ合っている場合ではない。 いまこそ、龍馬のような、大所高所から、時代の流れを見ることのできる男が必要だった。敵味方のみで判断する時代ではない。君たちにはそれがわからぬのか。
547 :
日本@名無史さん :2010/11/10(水) 14:35:17
>>545 容保と定敬兄弟は若いのに頭が硬すぎたね
古色蒼然とした無駄なプライドを捨て切れなかったんだね
龍馬暗殺まであと5日
>>548 お〜い弥太郎、新暦だと12月10日ぜよ。
550 :
オカルトハンマー :2010/11/10(水) 19:59:08
すごい発見をしました。 旧本能寺と近江屋はすぐ近くです!
ていうことは黒幕は信長公だな
553 :
日本@名無史さん :2010/11/10(水) 22:58:12
ホルモー! と叫ばなかったワシが悪かったぜよ
シャベルの用途は掘るもん
555 :
日本@名無史さん :2010/11/10(水) 23:46:09
思うんだが、薩摩が黒幕だったとしても無私無欲。 土佐が黒幕なら私利私欲。
556 :
杉山義法の西郷吉之助(オリジナル) :2010/11/11(木) 00:44:51
それは詭弁だ!詭弁でござる
NHK大河ドラマでは、龍馬暗殺役への希望者が殺到したらしいけど。(結局元武田信玄役だった歌舞伎役者の人に決定) 慶応3年に坂本某を暗殺する役目なんて、誰も手を上げてやりたいような手柄になる行動じゃなかったでしょ。
558 :
佐々木只三郎 :2010/11/11(木) 07:59:57
薩長に思想は無きか!腕に覚えのある者は出てこい! 直参旗本見廻組・佐々木只三郎だ。なにを隠そう、龍馬を斬ったのはこの俺…
559 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 10:21:29
緋村でござる。 拙者がお相手つかまつる。
>>550 近くねーよ。
現本能寺と近江屋、酢屋は近い(徒歩5分もかからん)けど
旧本能寺なら徒歩20分はかかる。
561 :
昔の人 :2010/11/11(木) 13:17:15
ようわからんが、徒歩20分は近くね?
562 :
馬鹿な学者の妄説信者へ :2010/11/11(木) 13:27:24
神学8 1はいくら集めても1であるぞ。判らん者(馬鹿な学者)いくら集めても判ら ん(無知)道理。2は2、3は3であるそ。1(火)を2つ集めても2(水)にはな らんぞ。人民大変な取り違いを致しておるぞと申してあろうがな。0(霊)が元 じゃ。霊が元じゃ。結びじゃ弥栄じゃ。よく心得なされよ。世の元。霊の始め から1(火)と現れるまでは物質化(霊の旋廻)を十回も百回千回万回も、繰り返 したのであるぞ。その時は、それはそれはでありたぞ。火と水のドロドロであ ったぞ。その中に5色5頭の龍神が御働きなされて、造り固めなされたのじゃ。 今の人民は龍神と申せば、すぐ横を向いて耳を塞ぐなれど、真の事を知らさね ばならん時がざから、事分けて申しているのぞ。龍神(蛇や恐竜の魔物とは異な る)とは元神であるぞ。5色の龍神とは国常立命の御現れの1つであるぞ。 1+1は2にはならない。火はいくら集めても水とはならない。0は無では なく、霊を表現している。無限は存在しないが、全知全能の神が人間に比べて 余りにも偉大であり過ぎるから、仕方なく無限と言う言葉を使っているのである。 霊が旋廻して凝り固まると物質となる。左旋廻すると火に、右旋回すると水 となる。光から電子と陽電子の対が出来ると言うのは、霊から火と水が出来る のである。プラスとマイナスが生れる訳ではない。 江崎ダイオードのトンネル効果を虚数を使って説明しているのは科学法則で は成り立たないから、虚数と言うイカサマを使って、物理現象を科学の枠に当 てはめているのである。これは科学の敗北宣言である。この様な事は科学には多い。 遺伝子の2重らせん構造が左巻きなのは天の気を受けている為で、だから、 命があるのである。台風が左旋廻なのは風(火)の気がある為で、衰えて温帯性 低気圧になれば風は弱くなる。 男女関係の乱れが世の乱れとなる。お互いに魂の取り合いである。女の情念 は大蛇となるから、命がけである。最後は相手を殺す事になる。殺さなくても 霊障を及ぼす。密通して子が出来て始末すれば人殺しである。水子の霊障が付 きまとう。坊主の供養は地獄へ落とすだけで、復活すれば元の黙阿弥。だから 不倫は害悪である。
563 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 14:11:02
>>540 尾張家の家風が幕府<<藩士・民だから反旗は当然として
一応、慶勝は会津・桑名藩主の助命を誰よりも真っ先に申し立ててるぞ
それも含めて三家老の首で済んでるんだし
ん?家風は初代より「尊王」じゃなかたけ?>尾張
565 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 21:24:38
尾張藩は勤皇敬幕がモットーです。従って徳川斉位など受け入れ難いよそ者でアルニダ
566 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 21:37:00
いやいや尾張の家風は反幕でしょ。
尾張の家風の反幕は思想的なものではなく、八代将軍吉宗以来の江戸将軍嫌い。
568 :
日本@名無史さん :2010/11/11(木) 23:24:25
ではなぜ、一橋から養子(斉礼)を迎えたいんし?
徳川家一門のルールには縛られるしかないから。
>>560 本能寺は、堀川高校の場所から移転したのは豊臣秀吉の頃なので、幕末維新期には現地ですよ
>>550 には、わざわざ「旧」本能寺と書いてあるでしょうに。
時代がいつだろうと、「旧本能寺」といえば堀川高校あたりにあった本能寺のことだろ。
572 :
山本覚兵衛 :2010/11/12(金) 13:03:09
坂本を殺ったのは新撰組ではない
水戸家最後の藩主徳川昭武も利口者だったな 余計なことは一切口にしなかった 若過ぎて水戸学とか受けてなかったのかもしれないが 代りに洋学の実学取得か
574 :
日本@名無史さん :2010/11/12(金) 22:59:19
利巧というかお子様だったから
渡辺って世間に自分がやったと公表したのは大正時代だが 明治10年代にすでに自分も暗殺に参加したという供述書を書いてるんだっけ 後新撰組に何かと批判的な発言の多い西本願寺の寺侍・西村は 明治初期で既に見廻組が龍馬を暗殺したって書いてるよな
576 :
日本@名無史さん :2010/11/13(土) 02:05:24
実行犯は動かないよ 半次郎なら素敵だが
577 :
日本@名無史さん :2010/11/13(土) 04:49:04
「もうよいもうよい」って中岡にとどめ入れなかったのはなぜだ? 「石川、刀はないか」って龍馬が中岡の偽名を叫んだからじゃないのか? 偉そうなこと言ってる歴史家はそのへんの肝心なこと触れないよな
578 :
日本@名無史さん :2010/11/13(土) 05:13:31
>>577 慎太郎からの情報とされる、龍馬…「石川、刀はないか」は、暗殺団が引き上げてからの発言と見做されている
「もうよい、もうよい」と佐々木只三郎が言ったのは、斜め向かいが土佐藩邸で、長居して騒ぎを土佐藩士たちに嗅ぎ付けられるのを警戒したからじゃないかな
579 :
日本@名無史さん :2010/11/13(土) 05:38:49
政治的痴呆者たちの群のことは、もうよい、もうよい
中岡にとどめ・・・・龍馬に「すら」刺さなかったのにって話、頭斬って満足していたかな? 思うに龍馬は虫の息だっただろうから放っておいて 中岡側は一人が中岡の腕(剣)を抑え、且つもう一人が「とどめを」・・・・なんて考えそうもんだけど 実際は「やたらめったら」な感じか? 感覚で云うならば、新選組池田屋襲撃の「極小版」てところ、技術もへたれもない そこを「冷静に」観ていた佐々木あたりが 「もういいよ(そこまでやれば長くはもつまい)」と感じて声に出したのかもしれん
581 :
松平恒雄 :2010/11/13(土) 10:59:03
親父は命じてないよ
582 :
日本@名無史さん :2010/11/13(土) 17:59:01
>>580 行灯が倒れて消えて、かなり暗かったらしいからな
今井の孫が書いた本によると、今井は仲間に誤刀で斬られたとか言って手に布を巻いて帰ってきたらしい
新聞に紹介された渡辺篤談話では、鞘を忘れることになる世良敏郎などは息が上ってひとりでは歩けない状態だったという
多勢に無勢で挙行したとしても、殺人ってのは大変なことなんだな
経験者佐々木だけは流石に余裕があったか?
583 :
日本@名無史さん :2010/11/13(土) 18:09:21
まぁこのスレは趣味っぽいからいいんだけど 文理系通して、歴史学って本当に不要だとつくづく思う。 こんな無駄すぎるもの学問にしてる事自体、人類にとっての不思議だわ 近傍50年くらいか、役に立つとしたら。 歴史学者がよく主張する歴史の必要性はその歴史によって覆されているというのに。 何だろうな、趣味の領域にとどめときゃいいのに 高尚なものに無理矢理しようとする見苦しさ醜さ。 まぁ、ネトウヨ、ブサヨには必要なんだろうけど 全く建設的じゃないのが問題だわな。 え、まさか専攻が歴史とか言わないよね?
まぁ、犯人は斉藤一なんですけどね
585 :
日本@名無史さん :2010/11/13(土) 18:57:11
>>584 壬生義士伝とおまいの脳内以外のソースを教えてくれ
586 :
松平恒雄 :2010/11/13(土) 22:21:07
587 :
日本@名無史さん :2010/11/14(日) 16:18:49
容堂公と象二郎は黒幕ではありません。 目を見れば分かる。黒幕は大久保。 ソースは今日の放送。
589 :
日本@名無史さん :2010/11/15(月) 10:06:32
佐々木只三郎独断ということはないのかな 実兄の手代木の文書とか別件について書いたものを読み違えてるとか 今井も暗殺に向かった理由、証言の時期によって色々言うことが微妙に変わってるようだし
細かいことかもだが、手代木は「何をもって」龍馬暗殺=弟の仕業と判断したか 確かに弟に命令、結果暗殺されたので仮に「弟からの事後報告」が無くても=弟の犯行と判断か それともちゃんと「報告」があっての判断なのか
俺のひいじいさんじゃないことだけは確か
このスレってwikipediaの歴史関連の敗残者が集まるスレ?
>>592 お互いの妄想を持ちあって語り合うスレだよ。
実は、暗殺はなかった
犯人は都井睦雄
596 :
日本@名無史さん :2010/11/18(木) 06:53:04
>>593 妄想語り合ってないと1レス目で終了する事件内容ですから
当時龍馬と中岡と後藤を本気で斬ろうとしていた者は?
なら議論が広がる余地がありそうですが。
ところで近藤勇は坂本龍馬の名前を知っていたでしょうかねえ。
知っていたとしても近藤からすれば土佐参政後藤象二郎よりだいぶ下のクラスの人物と思っていたでしょうが。
>>596 大石鍬次郎の刑部省口書によると、近藤勇は、
見廻り組の今井信郎、高橋某などが坂本龍馬を暗殺したことを賞賛している。
599 :
馬鹿な学者の妄説信者へ :2010/11/18(木) 13:26:11
地動説のガリレオ・ガリレイに死刑判決。 主文 汝は愚説でもって人民を誑かし、神を愚弄した罪は万死に値する。よっ て死刑に処する。 巨大な太陽が作る重力場で惑星が公転しているなら、星座中の巨大星の重力 場で星が公転する筈であるが、そんな動きはなくて宇宙の星座は地球の北極と 北極星を結ぶ線を軸として、形を変えずに公転している様に見える。太陽系だ けが特別だと言う事になる。こんな事は有り得ない。なぜ、彗星や流星が地球 をかすめる様にして放物線上の軌跡を描くのか。その軌跡を描かせる様な重力 場を作る星は存在しない。地球の重力場が太陽、惑星等を公転させているので ある。慣性の法則は、重い物ほど動かない。地球より重い物は存在しない。先 代旧事本紀大成経は言う。清気は軽く上がって天先ず成りて普く覆い、地を保 ち助け巡らすなり。濁気は重く沈みて地と成るとある。遠心力と重力が釣り合 っていると言う考え方は間違い。清気(霊体)が地を固め、巡回しているのである。 天体は霊界の世界で、現界の物質界から見れば光の織り成す映像の世界(オー ロラの様な物)である。太陽が日中を支配し、月が夜間を支配する。二十八宿が 季節の訪れを知らし、彗星、流星、日、月蝕が変事を知らせる。星は霊線に保 持されて他を侵害する事のない様均衡が取られている筈だが、乱れる事によっ て起きる。星の動きが神の意思であり、予言の働きとなる。キリストの誕生を 知らせたベツレヘムの星の様に。つまり、霊界で起きた事が現界に移写して現 実に起きる。今の占星術は堕落している。 幽体離脱者が病室の天井からベッドに横たわる自分の姿を見たと証言している。 正守護神(霊体)の目で副守護神(幽体)を見たのである。本守護神(直日霊)を中 心として四魂(幸、奇、和、荒魂)が存在し、五行(土、木、水、火、金)の精霊 となる。木星は慈愛神、水星は智恵神、火星は戦争神、金星は道徳の神、土星 は豊穣神、太陽は生命の本、月は水の本、星は肉体の本である。
600 :
日本@名無史さん :2010/11/18(木) 13:38:56
龍馬暗殺犯が武田信玄はNHKの新説
>>598 えー、新撰組!では香取・・じゃなくて近藤さんが坂本暗殺を止め
ようとしてたアルよ
だって史実ではボロ負けした伏見奉行所で、ドラマでは大活躍するんですから 馬鹿みたい
藤吉は7ヶ所の傷でしょ 龍馬は34ヶ所の傷ってひどくね?
額2ヶ所、背袈裟切り1ヶ所、腹3ヶ所 あと28ヶ所もあるじゃん
607 :
日本@名無史さん :2010/11/20(土) 11:20:04
>>606 やっぱり一階の見張り組も最終的には上へ上ってきて、倒れている龍馬にさらに切り刻んだりしたんだろうな
たぶん気を失っていていた中岡も同じようにされ、中岡の場合は痛みで目覚めた
その時、コイツだけは刀も抜かず残酷に検分だけしていた佐々木只三郎が「もうよいもうよい」
数は少ないが京都見廻組隊士の資料によると、いちばん腕が立ったのは渡辺吉太郎、次に京都奉行所から異動命令を受けて見廻組にやってきた桂早之助。
この二人が最初の踏込み者じゃないかと思うんだが
608 :
阿呆な学者の妄説信者へ :2010/11/20(土) 14:19:50
坂本龍馬暗殺の犯人は勝海舟と土佐藩士で、黒幕はメーソン・岩倉具視 見廻組の今井信郎の証言によれば、佐々木只三郎から龍馬がもう一人の男と 旅館に潜んでいるから捕らえて、手に余れば斬れと命令されたと言う。しかし、 龍馬が酢屋から醤油店近江屋に移ったのは暗殺事件の三日前で、現場に龍馬と 慎太郎がいたが、それは偶然であって今井が命令を受けた時に判る筈がない。 結果から作り出した供述である。刺客が5人で襲った処で龍馬と慎太郎を斬る 事は難しい。龍馬は北辰一刀流、慎太郎は鏡新明智流の剣の腕前である。剣の 達人となれば殺気で気付く。殺気を出さなくても殺せる鉄砲を使ったのだ。龍 馬の影武者役の勝は用心棒岡田以蔵にピストルを与えた。だから、龍馬がピス トルを使ったと言う虚構が生れた。判決の禁固5年を言い渡したのは土佐藩の 佐々木高行である。 隆盛は龍馬が殺されたと聞き、後藤象二郎を捕らえて「貴様が苦情を言わず に土佐屋敷に入れて置いたらこんな事にはならなかった。土佐の奴等は薄情で いかん」と怒鳴った。事件の十ヶ月前、龍馬と後藤は旧怨(後藤は土佐勤王党 を弾圧した側)を水に流して、土佐藩士の脱藩罪を許し、社中を土佐藩の海援 隊とする条件で協力する事を約束した。慎太郎は土佐藩大監察・福岡藤次と和 解し、土佐藩の陸援隊にし、薩土連合を相談した。 元新撰組の伊藤甲子太郎は事前に龍馬の許を訪れ、用心する様に忠告した。 暗殺の3日後近藤勇らによって酒に酔い潰されて暗殺された。伊藤の北辰一刀 流の腕前を警戒して。伊藤は龍馬暗殺の情報を掴んでいた為に口封じされた。 龍馬らの復籍は3月の筈だが、暗殺後も脱藩のまま。土佐屋敷に匿えなかっ たのは殺す計画だった。大政奉還に協力した後藤を信じて油断したのが命取り になった。潜伏先が判るのは土佐藩のみ。勝、土佐藩、新撰組を使い、暗殺の 作り話を実話の様に全員に口裏合わせさせたのはメーソンの秘密を話せば殺す 戦略である。維新の英雄達(メーソン政策の障害物)を殺して漁夫の利を得たの は岩倉政権である。政府は幕府の借金までを英仏メーソンに支払った。
609 :
阿呆な学者の妄説信者へ :2010/11/20(土) 14:44:38
月の裏が見えないのは、月の自転と公転の周期が同じからだと言う。自、公 転が偶然の産物なら一致する可能性は低い。次に表に重心が偏っていると言う。 表は海の名の黒模様があり、裏は白い表情であるが、それでは地球の引力によ って自転の妨げとなり、自転によって振らついて公転軌道から外れる。月は自 転していない。そう考えれば表裏の相違の訳も判る。人間の腹背である。潮の 満ち干が1日2回ある。それが月の引力による物なら、地球の自転で月に正対 している時だけ満潮となる筈である。月のリズムが1日の間でも満月、下弦、 新月、上弦となるから、満干〜となるのであり、自転とは関係がない。 人間は神から言霊の神通力を与えられている。それによって言葉通りに実現 する。それは下腹から起こる声である。今の人間は身魂が穢れて邪鬼の入れ物 となっているから、それが出来ない。邪気によって、蚊等の悪魔を生む。宇宙 人とされているグレイ、月と惑星(物質化された)等は悪神の産物である。人の 住めない場所である。悪神には太陽は造れないからである。地球、月、火星、 木星の地中空洞にUFOの基地がある。シューメーカー第9彗星が木星に衝突 したのは、神と悪神との戦いである。 ホタルは発光物質と酵素が反応して発光すると言う。ホタルは光の点滅の言葉 で求愛する。ホタルの意志(霊)が光として現れる。それを科学は物質面だけを 捉えて、盗んで悪用する。発光物質に霊が溜まり、それが波動として伝わる。 本当の科学はなぜ、ホタルの意志が物質となり、光と現れるのかを考察する事 だ。なぜ、電気ウナギの意志」(怒りの霊波動)が電気となって現れるのか。科 学で幾ら研究しても判る筈がない。大切な霊(神)を置き去りにし、神を科学で 捉える事は不可能だから。真実は見えない物に隠されている。 神は遺伝子(神の言霊が宿る)を人間に盗まれ悪用されて悔しがっておられる。 だから、天機が洩れない様仕組んである。太陽の本当の色は緑である。グリー ンフラッシュ、獅子舞の唐草衣装がその例。月の本当の色は赤である。皆既月 食の影での赤光、兎(月の精)の紅瞳がその例。古人の洞察力には頭が下がる。
610 :
日本@名無史さん :2010/11/20(土) 15:14:05
幕末の勤皇の志士はサムライ階級を廃止しようとする大革命を企てていたんだから、誰が殺されてもおかしくない状況だったな。 何しろサムライ階級は世襲の高額年金をいただく特権を廃止されては生きていけないから既得権を守るのに必死だった。 よくそういう革命を達成できたもので奇跡にちかいものと言えるだろう。そうしなければ日本人は欧米列強の植民地奴隷になるという実例がインドとシナが示してくれていたことが大きかった。
海援隊隊長と陸援隊隊長が同時に消されるっつうのは 土佐藩があやしいね。佐幕の容堂には目障りだったんじゃね。 龍馬を藩邸に匿わなかったし、暗殺後に後藤象二郎が龍馬について 何も語らんつーのはおかしくね? 土佐藩>幕府>京都守護職>見廻組
山内容堂が犯人なら、彼以外の土佐藩士全員を殺さねばなるまい。 彼以外の土佐藩は武装討幕に走っていたのだから。
>>612 土佐藩は尊王討幕の土佐勤皇党を弾圧したじゃん?
山内家上士は徳川に恩があるんじゃね
614 :
日本@名無史さん :2010/11/20(土) 21:17:10
ところが、徳川慶喜の長州征伐失敗後、土佐藩では 薩長寄りの尊王攘夷姿勢へ藩論は急速に傾いてゆく。 坂本龍馬と後藤象二郎との和解もその過程にあった。 洋式兵術部隊を中心に討幕機運が高まり、後藤象二郎自身討幕挙兵を薩長に確約する事態となる。 (これは山内容堂が命令を行い、食い止めた。) この時点では土佐藩では容堂一人しか、公武合体派はいなかった。 後藤は公武合体派ではなくなっていた。
>>614 長州藩にも保守派はいたじゃん
土佐藩にもいたんじゃね?
616 :
日本@名無史さん :2010/11/20(土) 21:35:42
全く思い当たらない。 少なくとも、新おこぜ組(保守派)の人間もこの時期には武装討幕発言が見える。 陸援隊の中岡慎太郎はこの時期、乾(板垣)退助の土佐藩歩兵部隊との関係を強化していたようで、 乾退助自身、後には討幕のために土佐藩の命令を待たずに薩長軍に参加している。 公武合体論を唱えるものは、土佐藩から容堂一人を除いて一掃されていた。
殿様である容堂の言う事は何でも聞く、政治に関心のない 忠義の上士が大量にいたんじゃね?
忠義の宇宙人も突然降りてきたかもね
619 :
日本@名無史さん :2010/11/20(土) 21:47:48
容堂を完全に排除できなかったという点では、 もしかしたら居たのかもしれないが、 当時の土佐藩の回想では、公武合体を今更持ち出す容堂公に 藩邸では消沈落胆したりする様子が描かれているので、土佐藩に公武合体の空気はなかったようだ。
龍馬の傷は34ヶ所じゃん 額2ヶ所、背袈裟切り1ヶ所、腹3ヶ所 あと28ヶ所もあるじゃん どこをやられたんだろう? 右手4ヶ所、左手4ヶ所、右足4ヶ所、左足4ヶ所 背4ヶ所、腹4ヶ所、頭4ヶ所 これで28ヶ所
んだども容堂は「前」藩主で、ちゃんと公式は豊範ていう藩主がいたという さぁ、家臣のみなさまは「どちらを」仰ぐの?
深尾重先 伊賀氏理 福岡孝悌 祖父江可成
>>621 久光なんて前藩主ですらなかった。
とにかく、偉い人よりもその「実父」のほうが偉い。
将軍、天皇、摂関家も同じ。
>>619 殿様の暗殺命令に家来は逆らえないじゃん
常識的に土佐藩にも保守派はいるよ
容堂は討幕に反対じゃん 過激な討幕派の中岡、坂本を消したんじゃね 龍馬も討幕派と見なされたんじゃね 郷士で元土佐勤皇党だし容堂には目ざわりじゃん そして殿様である容堂の言う事は何でも聞く、政治に関心のない 忠義の上士が暗殺工作をしたんじゃね
626 :
日本@名無史さん :2010/11/21(日) 11:59:55
>>625 福岡孝悌の「あれは言っちゃあいかん事になっとるんだ」 発言と表裏だな
示現流を軽くみちゃいかん 土佐とか長州と違って留学する必要もなかった
豊信さん越前の殿様に諭されても龍馬ら脱藩者に対しては罪は「問わない」てだけ さんざんぱら後藤・佐々木・福岡ら藩上層と共闘していたにも関わらず 葬儀の際の対応の「そっけなさ」 つまりは、各々”私的”に通じるものがあっての行動・判断ではあったが =藩の「総意」ではないて事なんだわなきっと 元社員な連中(しかも2~3流大出)が上の連中(経営陣)とつるんで何かしている もちろんそれなりの成果は出している様子だが そうなると、社内「一流大出」で「無能」なやからが”どう思う?”であろうか
629 :
日本@名無史さん :2010/11/21(日) 15:10:39
実に会津的な発想だな
630 :
阿呆な学者の妄説信者へ :2010/11/21(日) 15:19:37
天皇が死のうが、総理大臣が死のうが、ノーベル賞受賞者が死のうが、芸能 人が死のうが、痛くも痒くもない。百姓さんが死ぬと大変困る。食べれないと 餓死してしまう。本当の日本の天皇が死んでは困る。天に太陽が無くなるのと 同じだからである。 このままでは地球が破滅する。地球が無くなるとは物質が無くなる事である。 現界が無くなれば霊界の天人、天使も無くなり、霊界も壊れる。神はまた1か ら造り直さねばならなくなる。霊界を造って地球を造るまでに何々々兆年もか かっている。 今の太陽は伊邪那美神が生んだ火の神で、本当の天照大神は天の岩戸の中に 隠れている。伊邪那美神と国常立大神と一緒に。地の岩戸の中に月読命、素盞 鳴神、大国主命が隠れている。 月の魔力と言う説がある。女性の生理は月経と言って月の周期と同じである。 満月は血の気が多くなって、怒りの感情が高ぶって犯罪になり易い。地震が起 きるのも満月、新月が多い。事故も多発する。その理由は次の通りである。伊 邪那岐、伊邪那美夫婦神は八分通り国土を生み育てられたが、男女関係のもつ れで喧嘩となり、逆上して那美神は亡くなって黄泉の国へ去った。夫・那岐神 は仲直りの為に妻神を訪れたが、醜い姿を見たので、妻神は恥をかかされたと 怒って千引の岩戸を閉ざしてしまった。その時那美神は夫神の治らす国の人民 を日に千人食い殺すと申され、那岐神は日に千五百の産屋を建てると申された。 那美神が月の冥府の魔神となっているから、満月時に人が死ぬ事が多いのであ る。国常立大神も鬼門の金神の祟り神と恐れられている様に悪を裁くから、人 が死ぬ事が多い。 弥勒の世になれば、天地が水晶の様に光って悪はどこへも隠れる事は出来な くなる。霊衣で貴賎が判別出来るので悪人が上に立つ事はなくなる。今までの 様に働かなくても食べていけるし、食べなくてもよくなる。大小便等不潔な物 もなくなる。花が咲き、蝶が舞い、鳥が美しい声でさえずる。草木、虫けら、 動物らが歌を唄う。暑さ寒さも無くなる。喧嘩、殺し合いも無くなる。病気や 死等苦しみから解放される。正に極楽浄土となる。
どう考えても会津側の命令なのに何故それを未だに薩摩だの土佐だの言うのか 手代木が弟が某諸侯に言われて計画してやったことと言っているのに
>>631 土佐藩から幕府に話があり
幕府が京都守護職会津藩に命令を出し
見回組が実行したんじゃね
>>632 土佐が命令したという当時の文献は勿論あるんだよね?
真っ当な歴史学者は皆幕府方がやったと言ってるが
寺田屋騒動での龍馬の殺人で 京都所司代が土佐藩に苦情を言った 土佐藩は龍馬を京都所司代に売った 京都所司代から京都守護職会津藩に話が行き 見回組が実行したんじゃね?
正直、手代木の証言「だけ」では無理なんだと。「弟」の証言でも出ない限りはね 何故ならば、確かに命令はあった・・・・しかし、弟が「その命令」で行動したという確証は無いわけで よしんば仮に内容どおり「事実」だったとしても、関係者の証言の「整合性」を確認しない限り 他者には「永遠の謎」って事だわな〜 もちろん薩摩・土佐犯行説にも云えることだけど〜〜
状況証拠を積み重ねればいいじゃん
637 :
佐々木只三郎 :2010/11/21(日) 20:44:24
薩長に思想は無きか!腕に覚えのある者は出てこい! 直参旗本見廻組・佐々木只三郎だ! なにを隠そう、龍馬を斬ったのはこの俺……
本日、西郷が犯行予告を行ないました。 坂本を生かしておいたのは間違いだったそうです。
639 :
日本@名無史さん :2010/11/21(日) 21:12:39
とうとう会津擁護は幻聴を聞き始めたか
>>636 状況証拠を積み重ねれば普通に幕府側の命令という結論に落ち着くのだが
何故薩摩だの土佐だのの名前がでるのかさっぱり
よほど会津や桑名辺りの犯行なのが嫌なのか
後藤・容堂や西郷・大久保が嫌いでこいつらが命令したことにしたいのか
>>637 いやいや、実行犯は人斬り鍬次郎ことこの大石鍬次郎でござる!!
お主、拙者の手柄を横取りいたすな!
実行犯は助さん格さん
643 :
旗本・佐々木只三郎 :2010/11/21(日) 22:43:12
大石鍬次郎?どこの家中の者だ?禄高は?して流派は?
結局NHKは薩摩説をとったのか?
645 :
日本@名無史さん :2010/11/21(日) 23:16:06
>>641 、
>>643 控えい控えい!双方控えい!
会津藩公用方・秋月悌次郎。これより勅許の趣旨を申し上げる。
謹んで拝聴されよ。
>>641 いやお前は御陵衛士残党に捕まった後
龍馬暗殺は見廻組の連中がやったと言った張本人じゃねーかw
647 :
土方歳三 :2010/11/21(日) 23:44:32
坂本は斬られて当然の男ですよ。薩摩をたぶらかし長州ごときと盟約を結ばせ、幕府を追い込んだ元凶じゃないですか
薩長同盟は坂本の役割は通信使
649 :
?? :2010/11/22(月) 00:31:49
見回組ごときに | フフフ…奴は ! / \ ヤラれとは .| 海援隊の | | 坂本龍馬が 土佐の | 中でも最弱… | | やられた ! 面汚しよ… /\___ __/ | ようだな… | __ ____./ V \__ ___./ |ミ, / `ヽ /! ,.──、 V |彡/二Oニニ|ノ /三三三!, |! `,' \、、_,|/-ャ ト `=j r=レ /ミ !彡 T 爪| / / ̄|/´__,ャ |`三三‐/ |`=、|,='| /人 ヽ ミ='/|`:::::::/イ__ ト`ー く__,-, 、 _!_ / / `ー─'" |_,.イ、 | |/、 Y /| | | j /ミ`┴'彡\
>>644 小松帯刀関係はもう少し史実に忠実に描いてほしかった。
652 :
間抜けな学者の妄説信者へ :2010/11/22(月) 12:37:28
君達はいつまで科学と言う愚説にしがみついているのか。これから私が科学 の常識を粉砕して見せてやる。神学が正しいか、科学が正しいかは神様が建替 えなされれば一目瞭然である。臍をかんで後悔しても後の祭りで、どうなって も知らんぞ。神様も目に物見せてやると仰せである。 太陽から1番近い水星が数百度の高温で、一番遠い冥王星がー273度にな るなら、平地よりもエベレストの山頂の方が地熱が高くなる筈だが、現実には その逆である。これは地球の火球(地中太陽)からの熱が山頂まで伝わり難いか らである。 水は百度以上にならない。それを超えると水蒸気になって気化熱を奪うから と言うが、真冬でも川に霧がたち込めて水蒸気が出る。これは空気中の湿気が 水蒸気になったのではない。それなら水面近くだけが凝結する。川以外の地面 からは霧は出ない。盆地などに霧が出るのは山から水蒸気が出るからである。 水溜りや人間の汗は百度にならなくても蒸発する。氷から水蒸気が出る。これ らの現象は龍神の働きである。 太陽の傾きで夏冬になるのなら、夏の夜間も冬となる筈である。地熱は水や 空気に伝わってすぐに上昇する。焚火の煙の様に。空気の熱は光の様に天へ帰 る。だから、上空の空気は冷たい。熱が何時までも地球に残るのなら地球は熱 の蓄積で焼尽する。すると、太陽が沈めば地熱は冷めて気温も下がる筈である が、地球の火球が太陽の活動の周期に合わせて活発になるから、夏の夜間でも 寒くならない。去年の夏は暑くなかったとか、今年は残暑も厳しいとか言うの は、地球の火球の活動が太陽に同調しないからである。太陽黒点の影響は小。 夏季の天気は低気圧が西から東へ移動して雨となる。西の空が夕焼けになる のは地球の火球が活発になる前兆で、活発と成れば雨雲を蹴散らせて晴れとな る。春一番は風の神の働きで春を知らせる。季節と言うものは地の神の働きで 天の神(太陽等の天体)はその手伝いである。だから、天神地祇と言う。恵み下 さるのは地の神である。今度は天神地祇が合体して、天地をすり鉢で捏ね回す のだから神よ、人民よ腰を抜かして目玉を飛び出ない様見ているがよい。
うざ
654 :
斉藤一 :2010/11/23(火) 00:47:08
でもなぁ、清河暗殺の件は目撃者+数人に「当人」が話したっていう事があったのに 龍馬の件で佐々木が云々・・・て話は出てきていないのが不思議だなと
って言うか俺が龍馬なら京都にはいない。狙われるに決まってるじゃん(´・ω・`)
657 :
日本@名無史さん :2010/11/23(火) 08:59:22
>>654 ちょっと今井の頭をコツンとしてやってくれんか?
>>656 それじゃ龍馬になれんぜよ。
京都にいなけれりゃ、武力衝突を抑えられないし、
新政府づくりにも関われない。
>>656 速く土佐藩邸に戻ってと心配しているお登勢に
容保にも会ったから大丈夫みたいなことを言って調子乗ってたからなー
黒幕は油断です
661 :
日本@名無史さん :2010/11/23(火) 15:40:08
中村主水でしょうな実行犯は最初ちなみに依頼したのは 千葉道場のさなさん
佐々木の兄貴、明治期に役人として「土佐」に来ていたんだよな・・・・実に興味深い
坂本家は没落して北海道へ
坂本家を没落させて北海道へ
665 :
日本@名無史さん :2010/11/24(水) 12:02:32
>>664 楢崎竜は西村つるに名前を変え、坂本家を継いだ人どころではない悲惨さだった
暗殺されてしまうと女ひとり幸せに出来ないものなのか
それとも
666 :
日本@名無史さん :2010/11/24(水) 21:17:10
「中岡よ、お前は大丈夫か」龍馬最期の言葉 日記に鮮明描写(2010年11月24日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20101124-OYO1T00173.htm?from=top 坂本龍馬暗殺の状況を、当時京都にいた龍馬と親しい土佐藩の徒目付(かちめつけ)・樋口真吉(しんきち)(1815〜70)が日記(高知県四万十市立郷土資料館所蔵)に記していたことが分かった。
藩の密偵で刑事のような立場だった樋口は、事件を冷静につづり、共に暗殺された中岡慎太郎が刀を隣室に置いていたという知られざる事実に触れ、龍馬最期の言葉「如何(いかが)(中岡よ、お前は大丈夫か)」も記す。
事件記録は多く存在するが、研究者は「役職上、暗殺直後に予断や脚色なく記したとみられ、信頼できる文書」と評価する。
日記「日新録」は縦23センチ、横15センチの約150ページ。1867年(慶応3年)5月〜68年(明治元年)11月にかけ、京都周辺での事件や政治の動向を記している。
667 :
日本@名無史さん :2010/11/24(水) 21:19:31
67年11月15日、京都・近江屋で龍馬が暗殺された時の模様は、龍馬を先祖の出身地(同県南国市才谷)になぞらえた「才谷梅太郎」、中岡を「横山勘蔵」と、身元を隠すための変名で表記。 「四ッ(午後10時)」頃、龍馬の身の回りの世話をする藤吉が持ってきた「度津川人(奈良県十津川村の人)ノ手紙」を、2人が灯火に照らし読んでいた時、突然「賊(ぞく)二人」が切りつけてきたと詳述する。 中岡は「刀ヲ次ノ席ニ置タレハ短刀ヲ抜テコレヲ請(うけ)ル……」と、刀を隣室に置いていたので短刀で応戦したが、頭を切られ、賊の足に組み付いたところを刺されたと記述。 龍馬は「刀ヲ取暇ナク賊ノタメニ斃(たお)サル」と、刀を取る間もなく切られた、と続けている。 賊は逃げる藤吉を後ろから切り、「コレニテヨシ」と言って去ったという。最期に龍馬は、立ち上がって抜いた刀を灯火に照らし、「横山兄如何」と言って息絶えた、と鮮明に描写している。 日記は1974年に同資料館に寄贈され、幕末の資料を集める高知県佐川町立青山(せいざん)文庫の前館長、松岡司(まもる)さんが近年鑑定していた。
668 :
日本@名無史さん :2010/11/24(水) 21:22:09
松岡さんは「樋口は当時、事件処理もしており、一線の捜査員として現場に駆け付け、状況を聞き取った可能性もある。 冷静だが、リアルな描写だ」と話す。 龍馬暗殺の事実は、17日まで息のあった中岡から状況を聞いた土佐出身者の口述録などで知られるが、後に誇張された歴史書も多い。 中岡がどこに刀を置いたかなど無防備になった詳細はこれまで不明だった。 樋口は剣豪で知られ、当時は下級役人・徒目付として他藩の動きを内偵。 龍馬が脱藩した頃は金を与え、龍馬も隠れ家の世話を頼むほど信頼した人物とされる。日記は四万十市立郷土資料館で30日まで公開中。 幕末史に詳しい霊山歴史館(京都市)の木村幸比古・学芸課長の話「中岡の刀の在りかは、どの資料にも明記されておらず、大変興味深い。 よく状況を耳に入れ、慎重に情報を精査したことがうかがえる」 (2010年11月24日 読売新聞)
@中岡から聞いた A近江屋から聞いた B当時現場にいたとされる書生から聞いた C犯人から聞いた ・ ・ ・ D殺害「当人」だった(これはないか・・・)
>>669 たぶんかなり早くに駆けつけた一人でしょう
同時代の資料だし価値は高い
近江屋には暗殺直前までに小僧がいたのは近江屋の主人も認めているのに 彼らの話って1つも出てないよな
因果を含められたのか 莫迦で大人扱いされなかったのか…
674 :
日本@名無史さん :2010/11/25(木) 01:09:57
>>672 小僧って竜馬の使いで軍鶏買いに行った菊屋の「峯吉」の事かえ
彼なら軍鶏買うて帰って来たら事件が起こってて
慌てて白河土州藩邸内におった田中光顕の元に、「ただ今、坂本サンと中岡サンが、やられました」と、知らせにいったが。
樋口っつあんて、龍馬好きなら必ずっていうくらい知っている人だと思うけど まさか「現場に?」とまでは知られていなかったとちゃう?
677 :
間抜けな学者の妄説信者へ :2010/11/25(木) 12:37:16
神学の教科書が日月神示、旧事大成経、秀真伝等である。 偽キリスト教が堕天使ルシファーと言うのが国常立大神で、サタンと言うの が素盞鳴大神である。悪神に魂を売っている人民から見れば正神が悪魔に見える。 保食神を祀らずに幾ら野山拓いたとて食物を作る事は出来ぬ。産土神にお取 次願わな何事も成就しない。人民も生まれぬ。天の水分神(雨の神)の働きが無 ければ、人民は焦熱地獄で干上る。志那都比古神(風の神)の働きが無ければ、 酸欠で窒息する。武甕鎚神(地震の神)の働きが無ければ、新陳代謝が出来ず、 物が腐る。大雷のをの神(荒の神)の働きが無ければ、調和が崩れて壊れる。岩 戸分神(岩の神)の神の働きが無ければ、物が固まらない。骨無しでは歩く事も 出来ぬ。秀真伝を紐解くと、 父の亀稜精水卵管え 精水走る時に因み合ひ 昼は丹上に左昇り 夜は白上 に右降り 明日2巡り3巡りと 30日に30巡り 中略 着更とて母の慎み 御巡 りの総べて千八十なり 臍の緒皮車やや肉を盛り 細り巡りて三月には39度と なる 四月には子の身潤うも慎み 五月は天の一巡り腹帯の妹慎み 荒御霊月 は和魂両親の火と三つ交わりて心生き 成りて水通う露溢れ 六月至れば乾く 故 臍の緒管に血汁通ふ 七月血を煮て五色埴 これ臓腑と足踏みなすここも 慎み 八月にて十二歯成り歯の歯なる時 母の慎み是なるぞ 父はチテトの文 字なり 九月眉目声備わりて 十月倉居し 十二月は月満ち生れる 解説 受精卵は1日に1回転して30日は30回転し、64日には64回転して累計で1080 回転となる。細胞分裂が進んで臍の緒(霊体)と繋がる。次第に回転が減り、日 霊と月霊と人霊が合して心が生じて露が枯れる。臍の緒からの血が臓腑となる。 歯の本が出来、目鼻が整う。12月にして生れる。今は月足らずで生れる。月名 は着更、八夜勇、踏み月、水無月、歯月、精水が正しい。今のは充て字。神の 教えが日本文化の基礎になっている。日本文化が中国に盗まれて逆輸入された。 中国は嘘で固めた物真似の国である。日本の神道、古語、伝統、精神、律法、 神学が正しいのである。西洋文化は悪魔の霊力によって成り立つ科学で、神力 の前では太陽の熱で融ける氷であり、滅び行く道である。
斬られた順が藤吉が最初だと思ってたがこの日記では一番最後なんだな てことは谷干城の話に出てきたホタエナは創作ってことになるのか
679 :
日本@名無史さん :2010/11/25(木) 21:57:51
>>676 暗殺者たちは女を使って近江屋に戸を開けさせたby渡辺篤
近江屋の小僧たちは二階にいたが屋根伝いに逃げて行ったby今井信郎
龍馬たちの部屋に小僧がひとりいたが子供なので逃がしてやったby渡辺篤
二階で龍馬と佐々木只三郎与頭とが言い争う声きいたby近江屋新助とみせかけて実はby菊屋峰吉
>>679 渡辺も今井も書生の存在を言ってるんだよな
2人の話をまとめると書生は3人で1人は斬られて倒れ、
1人は机の下に頭隠して助かり、1人は追いかけられて外に逃げたという
斬られたのが藤吉、頭隠したのが峰吉、逃げたのが岡本では?と
言ってる人もいるがはたして
ま、龍馬達を殺ったのは俺だけどな!
682 :
日本@名無史さん :2010/11/25(木) 22:32:08
>>680 そういう説と、刺客どもの眼に書生と映った者たちは単に近江屋のデッチたちだったという説がある
近江屋新助の話として、見廻組が来た時に屋内にいたのは龍馬慎太郎藤吉、それに近江屋夫婦とまだ小さいその子供たち二人、そしてデッチが何人かいたことになってた
ところが暗殺が始まり、やがて新助が見張りをかわして土佐藩邸に知らせに行く武勇伝部分になると
デッチ=小僧たちは話の中に一切出てこなくなる
はて?
しまいまで小僧たちは出てこない
けんど、このスレに集ってるもんは、みーんな、気持ちが通じてる かけがいのない仲間ぜよ。
684 :
日本@名無史さん :2010/11/25(木) 23:44:27
渡辺篤の告白では机の下に隠れた小僧は年12〜3才と言うとる。
近江屋は商家だし丁稚がいてもおかしくないのに 使用人の話が一切でないのがな 奥さんの談話もないし ついでに岡本も下手したら自分も巻き添え食らってた可能性が高いのに 暗殺について話を残していないという
>>678 ネタ的に「新鮮」ってだけで、状況的には樋口は「どのようにして」その情報を得られたのかによるな
・・というか、結局「藤吉」ってのがネックだったワケか
ああ、こんな夜更けに客人・・・あやしい?>相手名札渡す>「とりあえず」坂本さんに見せようか
坂本さん客人が来てます、名札渡されました・・・・>どれどれ?・・・・・・・・・・・暗くてよう・・・
な流れか
688 :
日本@名無史さん :2010/11/26(金) 05:10:03
>>686 谷も龍馬の甥も
藤吉、名札を持って2階→後を付いて行く暗殺犯→2階の六畳間辺りで斬られる
→バタリ→犯人八畳間に乱入
の流れであったのを手紙に書いてたり、公に発言してて
最後に藤吉が逃げようとして斬られたという話が土佐方から出たのはすごい珍しい
今まで藤吉(書生)が後の方で斬られたと発言したのは今井や渡辺といった
幕府側の人間だったから
藤吉、名札を持って2階→名札を竜馬に渡す→藤吉階下に戻る →暗殺犯3人を二階へ案内する→後を付いて行く暗殺犯→2階の六畳間辺りで斬られる →バタリ→犯人八畳間に乱入→ 3人がかりで坂本、中岡を襲う→中岡が倒される →3人がかりで坂本を襲う→坂本は34ヶ所の傷を受ける じゃね?
「逃げた」藤吉を斬って、んじゃ近江屋(夫婦?)はなんともないの?な話 多分藤吉は「視られた」故の行動だろうが、そうなると近江屋には「視られなかった」て事だろうか
692 :
日本@名無史さん :2010/11/26(金) 18:11:35
>>691 確か近江屋一家は気づいてたはず。
物騒な音がしていたので一家でガクブルしてたって
後年近江屋関係者が証言してた。
>>692 禁門の変で会津と薩摩は協力してる。
そのパイプを利用して薩摩が龍馬を会津に売ったんじゃね?
徳川を排除したい薩摩が徳川を残したい龍馬を売った
徳川慶喜が「土佐の策士が薩長の策士に負けた」と言ったらしいじゃん。
>>691 ホタエナ、はどうなるわけ?
695 :
日本@名無史さん :2010/11/26(金) 22:07:01
阿呆か 坂本はおろか中岡まで薩摩の武器商人である上に、 土佐藩を討幕に持ち込ませる薩長側工作員として行動中じゃん
>>695 阿呆か
徳川を排除したい薩摩が徳川を残したい龍馬を売った
中岡は龍馬のまきぞえじゃん
697 :
日本@名無史さん :2010/11/26(金) 22:14:46
>>692 西郷が今井ひとりごときを助命した事実などない
新政府に反抗した旧幕人の上から下まで概ね緩い罪状にするよう刑部省に働きかけてやっただけ
もう気骨のある奴なんぞ旧幕系には生き残っていないと判断したんだろうな
698 :
日本@名無史さん :2010/11/26(金) 22:20:41
>>694 ホタエナはね、近江屋主人が暗殺日とは別の、龍馬が元気だったころのワンシーンを、さも当日のシーンのように騙ってしまったものだろう
699 :
日本@名無史さん :2010/11/26(金) 22:27:59
坂本龍馬の言動からは、一切徳川幕府温存なんて見当たらないのですが、 どこが徳川幕府温存なのでしょうか。 小説じゃあるまいし
>>698 ホタエナは籐吉殺害のときの音に対して言ったんじゃん
702 :
日本@名無史さん :2010/11/26(金) 22:52:23
どちらにしても一切見当たりません。 坂本龍馬の発言は、討幕ばかりです。
徳川幕府は潰しても徳川家は潰さない龍馬を 徳川家と徳川幕府を潰したい薩摩が消したんじゃん
704 :
日本@名無史さん :2010/11/26(金) 23:00:30
討幕とは、徳川家が旧幕府としての人員を擁することが出来なくなるまで討つということですよ。 坂本龍馬の手紙や言行記録を読む限り、徳川家が並みの大名未満になるまで、存在を許すことはなかったと思われますが。
>>704 薩長の討幕は徳川家と徳川幕府を抹殺する事じゃん
龍馬の討幕は徳川幕府を抹殺しても徳川家は温存するじゃん
徳川家を抹殺したい薩摩が並みの大名として徳川家を温存したい
龍馬を消したんじゃん
ロシア軍でもないのに無限撤退中?
707 :
日本@名無史さん :2010/11/26(金) 23:35:42
証言を検討する限り、藤吉が最初にやられたのか最後なのか良く分からないし、 最後の場合、そのあいだどうしていたのか疑問だ。 一太刀浴びせて、最後に手足が動いていたのでもう一度、という感じかもしれないが。
708 :
日本@名無史さん :2010/11/26(金) 23:35:59
>>700 中岡から話をきいたと言ってる者たちは誰ひとりとしてホタエナに言及していない
近江屋の主人による証言とされている
709 :
日本@名無史さん :2010/11/26(金) 23:47:22
龍馬暗殺されて困る人もいない。
711 :
日本@名無史さん :2010/11/26(金) 23:56:02
坂本暗殺で薩長は困ったでしょう。 土佐藩を討幕へ勧誘する要員を失ってしまったのですから。
713 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 00:07:23
龍馬は後藤への手紙で 大政奉還建白の際幕府が将軍職辞退に難色を示した時は、銀座(貨幣鋳造権)を幕府から奪い、 江戸の銀座を京都に移してしまえば将軍とは名ばかりで実体の伴わないものだから、 将軍職については譲歩しても構わないと書いているね
>>705 >龍馬の討幕は徳川幕府を抹殺しても徳川家は温存する
ソースは?
716 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 00:22:49
坂本龍馬は討幕発言は山のように残していますが、
徳川家の温存などほとんど見当たりません。
あっても、
>>713 のような財政的基盤を奪った末の個人としての身柄保障程度ですので、
坂本龍馬は徳川家温存論を展開、というのはあたらないと思います。
むしろ徹底した討幕論者でしょう。
>>716 大政奉還は徳川家の温存案じゃん
それで幕臣永井も「竜馬を殺すな」と命令を出したんじゃね?
719 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 00:36:28
薩長と徳川の戦いが始まるのは、西郷と勝の無血江戸明け渡し以降の事ですから。
720 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 00:42:17
>>717 大政奉還は討幕派にとっては徳川幕府から政権を奪うことなので、和睦姿勢とはいえない。
大政奉還とは徳川家温存をしようとした姿勢としか考えられない、というのなら、
朝廷に大政奉還受け入れを説いて回った薩摩藩は、徳川擁護派筆頭になってしまう。
721 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 00:49:42
朝廷と幕府の関係を見つけた外国人って誰が最初だろう?
722 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 00:56:50
さあ、幕府の締結する条約が全く履行されず、「朝廷の承認なしに発効しない」と言われて落胆した時点で、 幕府の不実な姿勢への不信と、条約を守らせる手段の模索へ至ったのではないかと。 兵庫開港を実行するために大阪沖に条約諸国艦隊がやってきたのは、 朝廷への武力威圧が目的でしたので、この時点では幕府以外の権威の存在に気付いていたと思われます。
>>720 >>720 は
>>716 ?
徳川家抹殺よりは和睦姿勢じゃん
薩摩藩は大政奉還派(小松)と討幕の密勅派(大久保)がいるじゃん
龍馬暗殺は討幕の密勅派じゃね
724 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 01:03:19
龍馬暗殺が討幕の密勅派かは分からないが 薩摩も討幕派と保守派が揉めてたらしいね
725 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 01:05:49
みんな落ち着け「倒幕」派と「討幕」派を混乱しちゅうぜよ。 龍馬は倒幕派、薩長は討幕派!
726 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 01:08:37
・・・・・・小松帯刀自身が討幕の密勅に深く関係しているのですが。 薩摩に持ち帰って藩主に奉り、 中身も見せないで藩の重臣に、江戸幕府を滅ぼすことを天皇陛下が求めているから討幕軍を編成して京都へ送るのだ、と 説得して回ったのが、他ならぬ小松です。 他の家柄を飛び越えて出世した西郷や大久保達では、重臣説得は難しかった。
727 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 01:11:11
大政奉還を朝廷に受け容れるよう説得して回ったのも、小松だね。 大政奉還自体が討幕に有利であり、坂本龍馬は討幕派であったというのが正解なんじゃないかな。
728 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 01:11:48
あの頃の京では薩摩も危険を感じて藩邸に引きこもっていたし、会津の藩士でも薩摩藩邸に匿われていたし。
729 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 01:16:25
才谷梅太郎君の野放図なのが無茶。
>>726 小松は大政奉還受け入れを説いて回ってるじゃん
龍馬を暗殺した実行犯は京都見廻組隊士、佐々木只三郎一派 実兄が会津藩公用人手代木直右衛門(明治6年より香川、高知、岡山の副知事や公職人) よって明治に入ってからの土佐では龍馬の件は禁句か新撰組説だけ。
大政奉還成立により討幕の密勅派の 大義名分が失われたじゃん
手代木の新聞での犯行自白は、晩年の岡山暮らしの時のものなのですが
734 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 01:31:06
また中村彰彦あたりの論を持ってくる。
討幕の密勅は天皇の署名もないシロモノで、これを世間に公表して討幕の軍を興すのは無理。
せいぜい
>>726 のように中身も見せずに奉って、都合の良いことを言い聞かせる程度の用途しかない。
討幕を決定的に促進したのは、大政奉還で徳川が幕府の地位を放り出し、日本国政府でなくなったこと。
坂本龍馬は討幕の促進者なのさ。
735 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 01:42:08
>>697 仲間の龍馬を殺されたのにすぐ赦しちゃうなんて
さすが太かとねw
736 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 01:43:08
殿様達や武士達の婚姻関係でいえば親戚と戦っている。
737 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 01:44:07
>>733 渡辺篤や今井信郎、近江屋の証言から書生又は小僧が3人居たの一致
藤吉は最初に着られたんじゃ無く後から切られた証言の一致
菊屋峯吉の証言は可なり怪しい虚言が多い
谷、田中などの強引な新撰組説には作為が感じられる
738 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 01:44:28
坂本家は元が武士の家じゃないから。
じゃあ、○○○には誰が入るのかと。 大樹公じゃないの?
NHK龍馬伝は八割方が作り話しの物語だよ。
741 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 02:06:35
>>739 金融セールスマンや生保レディの客用パンフレットと同じですよ。
名前を入れてないでしょ。あなたが損をしても責任を取らないという逃げ場を作っているわけです。
742 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 05:37:23
大政奉還は徳川延命策と見せ掛けて〜、 実は倒幕を促進させる非常に良く出来た一手なのだよ。
743 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 05:56:13
船中八策と五箇条のご誓文は非常に通ずるものがある 龍馬と新政府の思いはほぼ一緒だったのだろう 新政府側の人間がやるかね?
粉糞(´・ω・`)
とりあえず薩摩黒幕説唱えてる人は幕末史を研究している 歴史学者で薩摩説を支持してる人を明示して欲しい この説を最初に言ったのは歴史学者ではない国際法学者の蜷川新で 小栗忠順の義理の甥という立場からか大の薩摩嫌い しかも明らかに出典を呈してないし妄想乙の一言 後薩摩が京都見廻組にチクったとか言ってる歴史学者も明示して欲しい 半藤や中村のような小説家を出さないように
歴史学者の定義は何? 西尾秋風は単なる愚民?
>>746 あの人在野の歴史研究家で古文書ちゃんと読めてないし色々論外
>>737 田中は晩年には京都見廻組の桂と渡辺の犯行だと思ってたみたいだな
今井の言うことは信じてなかったみたいだが、新撰組の犯行とも思ってなかったようだ
749 :
鈍な学者の妄説信者へ :2010/11/27(土) 12:48:04
正しいものほど迫害される。国常立大神は邪神の多数決によって刑罰を受け、 キリストは磔刑にされ、大本教は政府から弾圧を受け、旧事大成経等は禍学者 に偽書の烙印を押され、日本は侵略者にされ、今度は悪者に仕立てられて世界 中から総攻撃されて滅ぶ。 秀真伝は言う。天地人も分かざるに ウイの一息動く時 東登りて西下り 空 に巡り天地ウビの巡れる中の御柱に 裂けて陰陽なる 陽は清く軽く巡りて天 となり 陰は中濁り地となる 水埴分かれ陽の空 風生む風も火を生みて 陽 は三つとなり陰二つ ヲセの宗元日と丸め イモの源月と凝り 空風火と水埴 の五つ交わりて人となる 地は埴水勝つ埴は山里となる 埴空受け手葉は石 清は玉 空風火水の四つが成る鳥の火勝つは泳ぐ 埴と水火風の四つが成る獣 風水寄るを名も3声狐狸ぞ 火と埴の寄るは2声犬猿ぞ (天地に分かれる前、ウイの言霊によって、清く軽い陽が左廻旋して天となり、 濁って重い陰が右廻旋して地となる。5元素空風火水埴が生まれ、男の3陽が 日となり、女の2陰が月となる。日月で人となる。地は埴水で埴が勝って山里 となる。埴空で石、空が勝って玉。風空火水で鳥、空があるから飛べる。埴火 水風で獣、埴があるから地を這う。風水勝って狐狸、風邪は狐等の憑依。火埴 勝って犬猿) 血穢れ故に 魂の緒も乱れて 元に還らねば魂魄迷ひ苦しみて 獣の種を相求む 鳥も獣も月日無し ゾロは月日のウル・ナミぞ 故に答ふる人はもと 中心 心葉日月なり 直に罷れば天日応え 天の宮居に還さんと獣になるを留むなり (血穢れ・肉食、月経、血友病等は魂の緒が魔物に咬まれて、魂魄が天界へ還 れず、畜生に転生する。鳥も獣も月と日の精霊が無い。田苗は日、畑苗は月の 精霊を持つ。心、腎臓は日月。死ぬと日月の精霊は天日に招かれて天界へ還る 事が出来る。) 大己貴命 一人巡りて 民の糧 毛肉許せば 肥えつのり 皆早枯れす 稲 は穂虫 奇杵命馳せて これを問ふ 下照姫の教え 草習い帰りてオシクサに 扇げば 穂汚の虫去りてやはり若やぎ稔る故 (民が肉食すれば、御歳神の祟りで稲に蝗がついて枯らしてしまう。下照姫は 神の宣託によってオシクサで血穢れを祓うと、蝗が退散して稲が蘇る)
そういや、大政奉還の動きに対して不満を述べている薩摩や長州側の書簡って 残ってる?
西郷隆盛の「海江田が大政奉還の意義を勘違いして、徳川との戦争は無いかもしれないなんて言っているが、 そんなことはありえないので兵を一人でも多く京都へ送るように」という書簡なら存在する。 これも和平推進ではないね。
薩摩藩も大政奉還の時期でも高崎正風は後藤象二郎と同じ意見 伊地知は慶喜マンセー、吉井は協調路線でかなり割れてたからな
あと、薩摩の国許にあったのは慎重論であって、佐幕論ではなかった。 一国で幕府を相手にして勝てるとは思えないという意見が、一門衆(島津本家近親家臣)には根強かった。
754 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 14:48:42
>>753 幕府は質のいい軍艦持ってたからな
たた士官の質は下
755 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 17:38:14
>>697 う〜ん。気骨云々は関係ないだろ。新政府の旧幕府勢力に対する寛典論は必要不可欠な政策だったようだし。
少なからず旧幕の協力が無けりゃ政権維持できないのは事実で、下手に刺激してややこしくするのも避けたい。
中下級連中だと幕末期のあれこれに拘ったみたいだが、そうもいってられない中枢の連中は早いとこ物事を前進させたかった。
新しい時代が始まろって時に今井みたいな脱走軍中級幹部の処遇なんぞに時間かけてる余裕はなかった。
>>745 歴史学者なんてしらねえよww
龍馬伝見ろよw
大政奉還成立により討幕の密勅派の
大義名分が失われたじゃん
それで薩摩が報復したと言う説が出来たんじゃね
757 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 19:23:32
>>748 龍馬が暗殺された頃の10ヶ月ほどだけ流行った大衆運動「えじゃないか」を記録してるのは唯一渡辺篤
「えじゃないか」騒ぎに紛れて世良敏郎と二人で「ヨイヤナイカ、ヨイヤナイカ」と大声を上げながら
鞘の無い刀をハカマに隠しながら帰ったと記してる。
非常に細かい処まで描写していて実体験じゃないと描けない、今井の証言はやや具体性に欠けるね。
藩閥政府に不利な史料など残るわけがない
759 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 21:14:05
公的資料は消す事が出来ても個人の日記までは消せない 日本人は世界一の日記魔、龍馬に関してでも数十冊の日記記録が公開されてる。 藩関係の資料などもかなり保管されてる、日本人は変態的なくらいの記録魔。 おかげで日本史は精密な検証が出来る、先祖さんありがとう!!
760 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 21:27:57
弥太郎の日記も龍馬暗殺前後は欠落しているらしいが?
>>759 日記の類は、ほぼ新撰組犯行説だろw
黒幕が告白した日記もなし。
763 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 22:23:09
>>757 ところが今井幸彦氏(今井の子孫)は、渡辺篤を売名行為呼ばわりしている
これは何故なのか
子孫の人も龍馬と中岡は腕が立ったという自分の先祖ひとりで斬ったことにしたいものなのか
764 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 22:30:17
>>761 京都見廻組に関する基本資料です参考までに。
明治3年(1870年)今井信郎,司法省記録「断刑伺書」
明治33年 『今井信郎実歴談』(近畿評論第17号)
大正15年 『兵部省・刑部省口書』(『坂本龍馬関係文書』(岩崎鏡川著、東京大学出版会)
明治13年(1880年)明治13年(1880年)渡辺篤(一郎)「履歴書原本」
明治44年「渡辺家由緒歴代系図履歴書−摘書」
765 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 22:40:42
>>763 >渡辺篤を売名行為呼ばわりしている
渡辺篤が亡くなってから遺言で公開された物で売名行為と云われても?
今井は明治3年時では見張りだったと言ってるからな、真実かも?
>>756 龍馬伝が薩摩黒幕説の証拠か
ありがとう、続きは大河ドラマ板でどうぞ
今井の近畿評論は記者の脚色も入ってるから矛盾してるのは無理もない 後渡辺は明治の10年代にすでに自分も龍馬暗殺に加わったのを 書いてるんだよな
>>766 資料にないことを推測出来ない奴ね
どういたしまして、続きはこのスレでやります
>>768 なあ何故佐々木以下見廻組の上司である会津藩、もしくは桑名藩
の命令って素直に思わんの
この2藩も大政奉還に大反対だったんだがそれは無視なのか
ちなみに龍馬は将軍に対してこっちの言い分は飲んでもらう
飲まなかったら路上で斬っちゃおうみたいなこと言ってる過激派です
770 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 23:22:43
>>767 この二資料は世間に公開前の告白、当事者しか知りえない秘密の暴露ね
明治3年(1870年)今井信郎,司法省記録「断刑伺書」
明治13年(1880年)明治13年(1880年)渡辺篤(一郎)「履歴書原本」
>>770 履歴書原本では今井の名前はないが
佐々木と自分と他5人と不思議と今井の最初の供述と人数が一致してるんだよな
以下が履歴書原本
同年十一月、土佐藩士坂本良馬ナル者、潜ニ徳川将軍ヲクツガヘサント計ル者ニテ、
連累諸方ニ多々アル故、頭佐々木只三郎並拙者始外五名申合セ、
夕方ヨリ良馬旅宿え急踏入候処、五六名慷慨ノ士居合、
軽ク相戦ヒ首尾克悉ク打果シ候也。
右旅宿ハ河原町通三条下ル三四丁目西側醤油屋ノ二階ニ居テ、
才谷梅太郎ト俗名ヲ唱、潜居イタシ候也
772 :
日本@名無史さん :2010/11/27(土) 23:45:24
見廻組の佐々木らを実行犯とする説には、他に無い当人しか知りえない証言が有り、当時の状況と矛盾しない。 だから佐幕派と呼ばれる人々も、現在では見廻組実行犯説を採用するしかない状況にある。 だから、見廻組に誰かが耳打ちした説に、佐幕派の人たちは流れることになる。 しかしこれでは、永井らに坂本が再三面会し、坂本の居場所を見廻組は単独で知り得た可能性があるということと、 暗殺には佐々木に命令を下していた松平容保らの承認が必要ということを解消できない。 見廻組が実行犯な時点で、京都の佐幕派諸侯、 中でも佐々木を傘下に置いていた松平容保の関与は否めないというのが、現在の見解。
773 :
日本@名無史さん :2010/11/28(日) 00:08:07
大政奉還は薩長の一部は否定的だったが それ以上に否定的だったのが会桑だったというわけか
>>769 京都守護職会津藩が見回組にやらせたと思うよ
しかし薩摩も暗躍したんじゃねえかって推測してるんじゃん
大政奉還成立により討幕の密勅派の
大義名分が失われたじゃん
それで薩摩が報復したと推測してるんじゃん
禁門の変で薩摩と会津は協力してたからパイプはあるでしょ
薩摩が会津に龍馬を売ったんじゃね
>>772 同意
自分は佐々木只三郎好き佐幕贔屓だが
どうも佐幕贔屓の人で薩摩が密告したと言い張ってる人の多いのが気になる
薩摩が黒幕という人って有名所だと薩長嫌いだったり会津贔屓だったり
長州贔屓や土佐贔屓の人は見たことないw
776 :
日本@名無史さん :2010/11/28(日) 00:35:25
>>この話ちくっと気になるね 「幕末維新暗殺秘史」新人物往来社の中で西尾秋風氏が書いてる、福岡孝弟(藤次)の子孫が、TV番組にて龍馬暗殺を語ったという内容。 ・・・・・曽祖父は福岡孝弟と申しまして、死の真相を、ある筋から知っていたんだそうですが、 誰が聞いても、いや、あれは言っちゃいかん事になっとるんだ、と言いました。 佐々木只三郎・・・・・・そうじゃないんだ、と・・・・・
西尾秋風って佐々木多門の書簡の読み方が出来てなくて 歴史学者から失笑された人だっけ もう亡くなった方だからあまり悪いこと言いたくないけど
>>776 土佐藩士福岡孝弟が言えないってことは
土佐の大殿山内容堂をかばってるんじゃね
福岡孝弟って、京都に居たのに坂本の葬儀に顔を出さず 明治になってからそのことを問題にされて役職を貰えず、明治政府の末席でひねくれて死んだ人じゃん 福岡はそういう経緯で、坂本の死については因縁を持って死んだだろうけど 死の経緯について知っていたかどうかはわからないよ
要するに福岡は信頼の置けない人物なんだな
西尾秋風は中村半次郎が龍馬を暗殺した説だったよな 流石にこれを信じてる人はいないだろう しかし黒幕や実行犯の違いがあるにせよ谷(新撰組説)、田中(桂早之助か渡辺吉太郎) 西尾(中村半次郎)と彼らは龍馬は凄腕で殺されたんだと主張したかったのだろうか
>>779 葬儀に顔を出さなかったから役職をもらえなかったってのは
建前で、中岡坂本暗殺に暗躍したから役職をもらえなかったんじゃね
土佐藩は龍馬を藩邸に匿わなかったじゃん
他藩の連中や草莽の志士まで参列する中で、 坂本や中岡と親交が深く、彼らの提唱した文にも近い五箇条の御誓文を書くことになる福岡が、 参列しなかった。 いくら生命の危険があるといっても、決まりの悪い失態であったことは間違いなく、 明治以後、彼には顕職が与えられないまま燻り続けて死んだ。 坂本の死については、後年の福岡は因縁はあるでしょう。 しかし谷干城より多くのことを知っていたとは思わない。
>>783 死の真相を、ある筋から知っていたんだってよ
>>776 京都守護職会津藩が見回組にやらせたという事は
言ってもいいじゃん
死の真相は会津藩説の他にあるってことでしょ
786 :
日本@名無史さん :2010/11/28(日) 02:19:12
福岡が何か知っていたことにしたいのかね 知っていたなら、谷に何故言わなかったのか、ということになる 気を引きたいだけの哀れな生涯を感じさせる言葉だよ 真相は、松平容保の胸の内
福岡がかばうとしたら、あのお方したいないだろうな。
788 :
日本@名無史さん :2010/11/28(日) 08:52:55
>>770 下っ端の実行部隊の告白でも、「上」の命令については伝聞推定。
「上」の実名も無し。当然命令書も命令者関連の文書一切残ってない。
手代木も自分が命令したなんて言ってないだろ?
可能性としては見廻組(佐々木)を動かしたのは会津桑名幕臣に限定されない。
だからこのスレはもちろん、大河ドラマですら、あんなに伏線ひいて楽しむんだろ。
実行部隊が見廻組というのは固そうだし、このスレでもそのことに本気で
異論を唱えているやつはいない。
それにしても、本日の龍馬デンで黒幕が描かれるかどうかは気になる!
おもいっきりTV「今日は何の日」でウッカリ?漏らしてしまった某動物学者さん 西尾さんの書いてあるとおりであれば「その後」はパッタリとでも言いますか・・・・やばかったのかな? 分野の違いはあるにせよ当人学識があり、自分の家が幕末獅子の家に連なり竜馬となんらの関係があった 家の「家伝」なわけで、”一般的な見識との比較等”は少しくらいはしていても不思議はないと 「それでも」やはり家伝に何か「信頼する」情報が含まれていた故に 一般的見識<家伝と自分の中で思ってしまい、ついTVで漏らしてしまったのかも
790 :
間抜けな学者の妄説信者へ :2010/11/28(日) 16:28:41
天動説を確かめる方法 目蓋を閉じて太陽を見ると真っ赤に輝いて見える。この事から目蓋を巡る血 液と太陽光線が相感応する事が判る。血は太陽の霊気を受けている。体の中を 血(太陽の霊気)が循環している。同じ様に地球の中をマグマ(日霊)が循環して いる。即ち、太陽等の天体が地球の周りを旋廻しているのである。 八尋の殿に建つ柱巡り生まんと言挙げに 女は左より男は右に別れ巡りて会ふ 時に 女はあなにえやゑ男と、男はわな嬉やゑ少女と歌ひ孕めど 月満てず胞 衣破れ生むヒヨルコの泡と流るる これもまた子の数にならず葦舟に流す吾恥や ある状天に告ぐればフトマニを味はえ曰く 五四の歌言を結ばず言挙げも女 は先立てず 婚姻とは雌の鶺鴒尾ゆれ鳴く雄鳥鳴き去る またある日雄鳥装ふ 雌が知りて相交はれば 天よりぞ鳥に告げしむ嫁ぎ法 新に還りて2神は新た 巡り 男は左女は右巡り相歌ふ 天の天地歌 あなにやうまし少女に会いぬ時 女神答えてわなにやしうまし男に会いきとぞ 和して天地を胞衣として (御柱を女は左旋廻、男は右旋廻して、女がああ好い男と、男はわあ嬉し好い 乙女と歌い妊娠したが、流産して舟にて流す。我恥・淡路。太占は女が先では 言霊が結ばない。雌鶺鴒が尾を振っても雄は逃げる。装った雄に雌鳥が恋して 結ばれる 婚姻の法を天が鳥を介して教える。今度は男は左旋廻、女は右旋廻 して、男が先で言霊を結ぶ。天地が和合して、国、神が生まれた。) 天照らします大御神 祝奉る祝詞中に御竈の祝のその神は天地開け初む時に 国常立尊の神孕み おふ日の御名の東西中南北 5臓の神の成り出でて7代 の内のまつ言祀るトホカミヱヒタメの8元の神の守らせき 国の政事は東西中 南北室十一神の守らせき この故目付けの御役のヱト守神と称えますなり 久 方の天照る神の初御世に日暦の鳥の曙を告ぐる東西を歌八編み養うて八御子なる (国の政事を司る5臓6腑の十一神とトホカミヱヒタメの兄弟・ヱト8元の神 が結びついて日暦・キアヱ暦が出来る。しかし、土神が欠員の為、国常立尊と 豊雲野尊が代役を果たして、十干十二が結び付き、甲子、乙丑、丙寅…となる)。
791 :
日本@名無史さん :2010/11/28(日) 18:28:59
結局、証拠を追う限りでは 松平容保(松平定敬と複数の幕臣も関与した可能性有り)が命令犯・佐々木ら京都見廻組が実行犯だな。 他の犯行説は、会津関係者が殺人現場で血まみれの服を着て血まみれのナイフを持って、 通りすがりの人間を指差して、あいつが犯人だと自己弁護をしているだけに見える。
他藩黒幕説だと 幕吏が2人も殺されてるのに他藩に言われるまで捕縛&殺害命令出さない松平容保 自分の下宿の隣に白昼堂々と現れてるのに他藩に言われるまで存在に気づかない佐々木 とかなり会津関係者が無能のような扱いになるよな
>自分の下宿の隣に白昼堂々と現れてるのに他藩に言われるまで存在に気づかない佐々木 龍馬さんはその帰り道、「たまたま」散歩中だった薩摩・中村半次郎とばったり出くわしましたとさ
794 :
日本@名無史さん :2010/11/28(日) 19:33:09
>西尾秋風は中村半次郎が龍馬を暗殺した説だったよな ぶっちゃけ中村半次郎が犯人なら 堂々と日記に書き残して 歴史の謎でもなんでもなくなっている。
>>792 >自分の下宿の隣に白昼堂々と現れてるのに他藩に言われるまで存在に気づかない佐々木
龍馬は駕籠に乗っていったんじゃね
>>795 永井から連日のように昼間に龍馬が来るもんだから
「危ないしお前頼むから夜来てくれや」と言われてるから
永井も警戒してたんだと思う
だって佐々木の下宿先だけでなくすぐ近くには見廻組の宿舎があるもんな
797 :
日本@名無史さん :2010/11/28(日) 19:43:00
坂本龍馬と中岡慎太郎は大政奉還の頃から、自らの身辺に付いてあまりに無用心だった。 坂本は京都の幕府要人宅を何度となく訪問し大政奉還論を語り顔を覚えられていたし、 その面会者の中には、坂本の弁では永井だけでなく松平容保も含まれていた。 街をうろつき、関係者に見かけられていた。 三条辻高札事件では、中岡が土佐藩代表として新撰組と会談を重ね、土佐藩側の要求を新撰組にほぼ丸呑みさせていた。 坂本も中岡も、土佐藩代表として京都の幕府勢力に名が知れた存在となっていた。 しかし、坂本も中岡も自らは安全と考えていた。 土佐藩代表としての地位を手に入れていたから、大政奉還後に土佐藩の協力を得たい京都の幕府勢力が 自らを標的とするわけがないと思っていた。 しかし身分を隠した形で刺客が二人を襲った。 大政奉還を憎んだ会桑、その命令で動く見廻組の佐々木、彼らの犯行だった。
龍馬が自分の身の危険に無頓着だったのは 心配して手紙を送ったお登勢への返事に全てが現れてるよな 中岡は伊東から一応新撰組がお前ら狙ってるからと忠告されて 一応隠れたりはしてたが
799 :
日本@名無史さん :2010/11/28(日) 19:55:26
リョーマは 惜しまれながら死んでいく 英雄に あこがれたがじゃあ
薩摩が龍馬の死を悲しまなかったのだけは確か
龍馬が土佐藩邸に入りたくなかったのか? 土佐藩が藩邸に龍馬を入れなかったのか?
803 :
日本@名無史さん :2010/11/28(日) 21:22:53
龍馬が守ってくれたこの日本を、糞チャンコロどもが 涎を垂らして貪りつくそうとしていやがる。しっかりせんと いかんぜよー。このまま行くと日本はなくなってしまうがな。
804 :
日本@名無史さん :2010/11/28(日) 21:27:25
当たり屋なんてやってたら恨まれて当然 まさに自業自得
805 :
日本@名無史さん :2010/11/28(日) 21:33:12
龍馬暗殺は俺的に 愛媛県知事 の仕業。
806 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/11/28(日) 22:00:48
愛媛県知事中村時広が坂本龍馬を暗殺した。アホやろNHK!なんちゅう場面でテロップを入れるんじゃ! これは政界の黒幕である仙石の悪意を持った指示に違いない。今後、愛媛のミカンは絶対に食べないぞ!
龍馬伝で女の声を使ってたがこれって 「田中様の手紙を届けに参りました」と女の声がして新助嫁が 扉を開けた途端乱入した説の変形なんかね
中岡の自作自演だろ?
>>801 龍馬は過去に脱藩の罪を犯してるので
土佐藩が藩邸にいれなかった
後藤象二郎が土佐に帰ったとたんに 龍馬が藩邸に入れなくなったって史実なわけ?
木戸が維新後、不遇だったのは、自分の希望からか?
龍馬は第一級の周旋家だよね。 NHKの描き方は英雄視しすぎて反吐が出そうだった。
814 :
日本@名無史さん :2010/11/29(月) 01:27:06
革命に力を発揮出来るタイプの人間もいれば、革命後の政権確立に力を発揮できるタイプもいるってだけ。
あれ?一応知人を介して今回日記が公開された樋口さんにどこか紹介してくれ 身の危険を感じている・・・・て手紙を送っていたはずだが?
817 :
日本@名無史さん :2010/11/29(月) 20:39:56
お前ら頭逝ってるのか?
818 :
日本@名無史さん :2010/11/29(月) 21:23:01
世の人はわれになにともゆはばいへわがなすことはわれのみぞしる by才谷梅太郎
819 :
日本@名無史さん :2010/11/29(月) 22:22:52
坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された際の事が、「土岐真金履歴書」に書かれちょり、龍馬暗殺に付いて下記のように書かれちゅう・・・。 京都河原町才谷梅太郎氏ノ下宿ニ於テ同君及石川氏等暗殺セラル。 該当事件ヲ福岡藤次氏ノ通知ニ依リ岡本健三郎氏ト同行シテ該処ニ至リ、未絶命石川氏ノ介抱シテ陸援隊ノ田中光顕氏等ニ通ジ田中氏来ル。 拙等、才谷及石川氏等、暗殺セラレシ事ヲ話シ石川氏ノ遺言ヲ通ズ 土岐真金履歴書より 龍馬と慎太郎が襲撃を受けた報を福岡藤次から知らされ、岡本健三郎と近江屋へ駆けつけ、慎太郎から直接遺言を聞き、田中顕助に伝えたと言うがです。 つまり事件の際の状況は、土岐真金から田中光顕は聞いた事になる。
820 :
日本@名無史さん :2010/11/29(月) 22:25:29
田中光顕の「維新風雲回顧録」にゃ自分が直接中岡慎太郎と会話しちょり、土岐真金から聞いたとは何処にも書かれちゃーせん。 それに、急ぎ近江屋に駆けつけるのが普通やけんど、わざわざ遠回りをして薩摩藩二本松藩邸に立ち寄り、吉井幸輔に知らせて近江屋に行っちゅう。 何ぞ、時間かせぎか・・・? それと福岡藤次とは、後の福岡孝悌の事で、「福岡回想談」にゃ、福岡は事件当夜、祇園町で遊興中だったとあるが、そんな状況に居ながら、土佐真金に変事を知らせる事が出来た訳で、これもチックと変じゃろー。 あんまりにも、対応が早いように思うがよ。 チックと考えてみいや、誰が、祇園町の何処に居ったか判らん福岡藤次に知らせる事が出来たがぜよ・・・?
そして福岡藤次は龍馬の葬儀に近江屋の隣大和屋に居るにも関わらず 参列しなかった。
田中光顕は強引に新撰組説を主張しだす
824 :
日本@名無史さん :2010/11/29(月) 22:55:19
福岡を信用の置ける善意の証言者扱いしてみたり はたまた竜馬を裏切った悪魔扱いしてみたり、 必死な会津は忙しいなあ
825 :
日本@名無史さん :2010/11/29(月) 23:12:01
結局 宮川助五郎を15日釈放で中岡が近江屋を訪れることを考えれば、在る意図が読み取れるのである。 これを仕組んだのは、大目付・永井と土佐藩上層部を抜きには不可能である。京都町奉行所は永井の指揮下にある。 だから幕府大目付・永井たちを弁護する為に土佐藩上層部では新撰組説を主張するしかないので在る。 なんとも目障りで過去には怨念の有る陸援隊、海援隊、の頭目を一機に始末できたのである。
826 :
日本@名無史さん :2010/11/29(月) 23:13:20
当日土佐藩士として隣の家に居たくせに、 翌朝、土佐藩邸へ坂本中岡の遭難を伝えた当人のくせに、 龍馬の葬儀に出なかったことで、その後の人生を潰した人 だから彼のその後の証言は、当夜の自身の所在地が歓楽街であり暗殺は感知できるわけがないなど 自己保身に満ちている。そして土佐藩士にすら、彼の証言は信じられることはなかった。
827 :
日本@名無史さん :2010/11/29(月) 23:15:29
>>825 当時の佐々木は京都守護職にして会津藩主、松平容保の私兵ですよ。
松平容保の関与は消えません。
828 :
日本@名無史さん :2010/11/29(月) 23:19:00
佐々木の、町奉行を無視した京都守護職との私的な連帯は、当時の京都の幕閣内でも問題視されていた。 佐々木を実行犯とする限り、いくら庇っても命令者は松平容保だろうよ。
829 :
日本@名無史さん :2010/11/29(月) 23:34:55
会津は今度は、松平容保の坂本への暗殺命令者という状況証拠を隠すために、 当時は大政奉還推進の立場だった、大目付の永井を犯人にしようとし始めましたよ。 彼は、身辺に気をつけるように坂本に注意を促しているのに、会津ときたら見境がない。 公武合体論を掲げていたから吾等と同じ佐幕派だ、とさんざん勝手に持ち上げていた土佐藩上層部も犯人扱いです。 もっとも、これは会津の勝手な思い違いで、当時の土佐は山内容堂一人を除いて武装討幕寄りですけどね。
必死に否定してる人は容保が関わってることに何か都合が悪いのか? 関係ないとしたら幕府の役人が2人も射殺されてるにも関わらず 捕縛&殺害命令を出してない、とんだ無能の殿様になるんだが
>>829 >当時の土佐は山内容堂一人を除いて武装討幕寄りですけどね
常識的に山内容堂一人なわけないじゃん
上士何人いると思ってんの?
大殿山内容堂に過激武装討幕派の坂本を暗殺しろ命令されたら
土佐藩士であるなら従うしかないじゃん
京都守護職の実務は会津藩の重臣じゃね 松平容保は暗殺命令者つーより暗殺を承認しただけじゃね 会津藩に龍馬暗殺を働きかけた黒幕がいたとしてもいいじゃん 幕府重臣が会津藩に暗殺をやらせたっつー説もいいじゃん
>>830 同意
他藩から言われるまで役人を殺してるような凶悪犯を放置している
馬鹿な人だと言いたいみたいだね
半藤とか星とか幕府&会津贔屓の皮被って
本当は容保を馬鹿にしたいんじゃないかと最近思うようになった
>>826 福岡孝悌は土佐藩参政になり五箇条のご誓文にも関与した
信頼のおける奴じゃん
>>833 不同意
薩長により徳川幕府と徳川家が抹殺されようとしてるときに
大政奉還で徳川家を温存しようとした龍馬の安全を
図ったとしても馬鹿ではないじゃん
幕臣永井も「竜馬を殺すな」と命令を出してるじゃん。
836 :
日本@名無史さん :2010/11/30(火) 01:35:24
永井は命令なんて出してないよ。 坂本龍馬に、永井の屋敷の周辺には君の命を狙う者が大勢居るから身辺に気をつけるように と諭しただけの話。 それに、永井が暗殺するなと命令を下したのに見廻組の佐々木が暗殺を実行したのなら、 暗殺命令は正常な、徳川慶喜・永井・見廻組のルートではなく、 松平容保・手代木(会津藩公用人・佐々木の兄)・佐々木のルートで行われたということになってしまう。
薩摩の代表の1人、 大久保は慶喜の処遇について「小御所会議で謝罪と辞官納地」 すれば慶喜も新政府参加していいよと言っていて 龍馬の「銀座を幕府側から取って京都に移したら慶喜も政治に参加したらいいよ」 とほとんどレベルが変わらないんだよな つまり慶喜をすっからかんにして今の地位や財産捨てればいいという厳しいもの しかも言うこときかないと「路上で慶喜斬りつける」とか手紙で書いてるし そりゃ容保ら佐幕派が怒るのは当然。前々から薩長を結びつける動きをし、 幕吏を殺し、更には永井まで取り込もうとしている 手代木「当時坂本は薩長の連合を謀り、又土佐の藩論を覆して 討幕に一致せしめたるを以て、深く幕府の嫌忌を買ひたり」 渡辺「潜ニ徳川将軍ヲクツガヘサント計ル者ニテ、連累諸方ニ多々アル故」 って幕府側から言われてもしゃーないことやったり言ってるもんな
838 :
日本@名無史さん :2010/11/30(火) 01:45:55
大政奉還に、新政権での権力維持の道を見つけようとしていた、徳川慶喜・永井尚志の行動と、 大政奉還で、今まで手にしていた権力を手放すことを恐れ、強硬に反対し撤回を要求した松平容保・松平定敬の行動を 都合よくつまみ食いして、あたかも会津が大政奉還を潰そうとした事が無かったように話しても、 実際は、最初から最後まで松平容保は強硬な大政奉還仇敵論でしたよ。
>>837 レベルは違うじゃんw
納地の規模でも違うんじゃね
>>838 薩摩よりもその兄弟のが龍馬のやることなすこと不快だったという
事実から目を背けたいのは個人の自由ではあるが
ここは専門板な以上当時の日記や文献読んで欲しいよな
日記って真実の発露なのか? 勝者の文献って真実なのか?
842 :
日本@名無史さん :2010/11/30(火) 02:24:49
但し、京都の幕府勢力へは、相手次第で逮捕処刑を慎む指示が上層部から出ていたことは確かだろう。 幕末における戊辰戦争までの薩摩藩の犠牲者は、自藩内の粛清がほとんどで、京都の幕府勢力は手出しが出来なかった。 土佐藩も、藩士の扱いは藩内で行うことになっており、容易に幕府勢力は彼らへ手出しが出来ず、 幕府勢力の捕縛対象は脱藩者や長州・一般浪士らに限定された。 大政奉還前後から、この幕府勢力の捕縛除外対象に坂本・中岡も入ったかのように思える。 その頃からこの両名は土佐藩代表として幕府勢力と面会を重ねているのだから。 ところが、見廻組によって坂本・中岡は暗殺された。 現場の判断で除外対象を勝手に暗殺などしていては、組織足り得ない。 つまり現場の独自判断の可能性は低く、佐々木を動かせる上層部の誰かが暗殺を命令したということになる。 当時、徳川慶喜・永井尚志らは大政奉還と土佐藩の取り込みに邁進していた。 坂本を暗殺しては土佐藩との関係が崩れる恐れがある。この両名は動機は薄い。 つまり、坂本龍馬暗殺について動機と命令権を併せ持つ人間は、大政奉還へ激怒し撤回を再三求めていた人間、 松平容保、次いで松平定敬、次いでその他在京都の一部幕閣たちということになってしまう。
>>838 >>840 龍馬暗殺に会津藩以外の奴が関与してる可能性は0%
だという日記や文献をしめせるわけ?
会津藩以外の奴が関与してる可能性から目を背けたいのは個人の自由ではあるが。
>>841 日記や文献は筆者の偏見も混ざってるんじゃね
訂正
>>833 不同意
薩長により徳川幕府と徳川家が抹殺されようとしてるときに
大政奉還で徳川家を温存しようとした龍馬の安全を
図ったとしても馬鹿ではないじゃん
幕臣永井も「屋敷の周辺には君の命を狙う者が大勢居るから身辺に気をつけるように」
と龍馬の身を案じたじゃん
>>812 木戸は理想主義者で理念だけが先行しちゃって、大久保とかにハブられた。
で、山口に引っ込もうとすると、今度は木戸がいないと政権内の長州出身者の抑え役がいなくなるので、
慌てた大久保が勅命で呼び出す。
でも結局健康を損なっていたのでたいしたことはできず。
大久保に「邪魔だ」と思われたやつは 結果としてみんな死亡・失脚の怪。
黒幕よりも龍馬を実際斬りつけた人間のがよっぽど興味あるな 龍馬と中岡の傷の箇所みると龍馬のが斬られてて 刺客の狙いが龍馬だったのが伺える 龍馬の方の刺客は一撃で致命傷の傷を与えていることから考えて 相当な腕の持ち主だろうね 今井や渡辺篤も剣客と呼べるレベルの腕前だったらしいが 小太刀の達人と言われた桂早之助には及ばないだろうし やはり桂かな
ドラマでは黒幕は描かれなかったね。 今井、佐々木らが自発的にやったようにみえた。そうなのかもね。 自分が龍馬に斬りつけた宣言は、今井と渡辺の二人ともしてるんだっけ? 額を横に斬ってるから、天井の低さをみて咄嗟に判断して長刀を横に ふりまわしたのかも。興味ねえ。
龍馬を斬ったのは今井。 中岡を斬ったのは渡辺。 藤吉を斬ったのは世良。
最後に中岡の臀部刺したという話を聞いて 訳分からんことするのがいるんだなと思ったもんだが 案外これが世良かもなw
「剣客」だからという事と「人が殺せる」とは別だと思うがねぇ?どうだろ 見廻の連中が果たして「実績」があったのかなかったのかって事も加味すべきかもね よく新撰組隊士らが「見廻の誰それは達人だ・・・」とかなんとか言ったと証言していた風みたいだけど 素直な評価もさることながら、むしろ「蔑んで」いたようにも思うな 普段はこちとら幕臣だ侍だと壬生浪士らを差別していた見廻の連中に対して 「こっちはお前らよりゃ実践経験してるんだぜ?」みたいな
桂早之助がいたら中岡も即死だっただろう。 中岡が2日も生きたって事実から、世良みたいなヘタレがいたって話は真実味があるw
854 :
日本@名無史さん :2010/11/30(火) 20:58:06
お前ら考え過ぎだ 実行犯に黒幕なんて、歴史ミステリーの読み過ぎだわ 実行犯の連中が、自分らが殺したいと思ったから殺した、それだけだ だって、こいつら、自分らで名乗り出たんだろ
855 :
日本@名無史さん :2010/11/30(火) 22:20:12
>>854 そんな度胸は徳川後家人にはないよ
上からの命令がないと動けない
あと証言を吟味すると
龍馬←早之助
中岡←今井
藤吉←篤+世良
じゃないかな
ただ行燈がすぐ倒れて暗くなったし、今井は仲間に手を斬られたと言いながら家へ帰ってきたと奥さんに語ったらしい
なので暗殺一味7〜9人が最終的には二階になだれ込んだのでは?
また、そこがチャンスと思って近江屋の親父が土佐藩邸に知らせに走ったと思える
今井と篤は最初一階の見張りをしてた線もあるな
ふむふむ すぐ助けに来いよ土佐藩
いかん 世良といったら すっかり藤吉にぼこぼこにされて 鞘もどこかへ飛んでいって 渡辺篤に泣きついているイメージができあがってしまった。
858 :
日本@名無史さん :2010/12/01(水) 06:55:48
なんかだんだん世良敏郎の人気が上ってきたぞw
昔の警察?とかいい加減だろ 自分の職を失うかも知れない奴が暗殺されても良いようにして揉み消すだろ
860 :
日本@名無史さん :2010/12/01(水) 10:01:28
, -.―――--.、 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ .i;}' "ミ;;;;:} <世界を洗濯致したく候 |} ,,..、_、 , _,,,..、 |;;;:| |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;| | ー' | ` - ト'{ .「| イ_i _ >、 }〉} `{| _.ノ;;/;;/,ゞ;ヽ、 .!-' | ='" | i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ ''"~ヽ \、_;;,..-" _ ,i`ー- ヽ、oヽ/ \ /o/ |
だけど海援隊の連中も龍馬の身に危険が及んでるんだから護衛をつければよかったのにな。 もっとも刀を持った連中が何人も出入りしてたら近江屋が龍馬の潜伏先だとばれてしまうんだろうけど
862 :
日本@名無史さん :2010/12/01(水) 18:33:22
不逞浪士斬りの得意な新選組に龍馬は狙われているはずと、暗殺前には龍馬の知り合いたちは思っていたはず しかし新選組はそこまで馬鹿集団でもなく、近藤勇などは土佐藩の後藤あたりにわりと感化されていたはず 状況認識も先行き予測も出来ない、幕臣子弟たちのしかも寄せ集めの自称剣士たちを、見廻組組がしら佐々木只三郎が上手く騙して暗殺集団に仕立て上げるのは簡単だったろう 大元から騙したのは某諸公なんだが 今でいう人道的政治家を、所属組織の解体を政治的に実現されてしまったから暗殺した しかし人道的政治家は世間の人気者になってしまい、後に大後悔した。 今井や篤はそんなとこなんだろうな
863 :
日本@名無史さん :2010/12/01(水) 18:35:53
大馬鹿としか言い様がない
龍馬の刀傷は三ヶ所? 川村盈進の大小合わせて三十四ヶ所? どっちが今のところ信憑性高いん?
龍馬の傷は34ヶ所じゃん 額2ヶ所、背袈裟切り1ヶ所、腹3ヶ所 あと28ヶ所もあるじゃん どこをやられたんだろう? 右手4ヶ所、左手4ヶ所、右足4ヶ所、左足4ヶ所 背4ヶ所、腹4ヶ所、頭4ヶ所 これで28ヶ所
>>838 >>840 龍馬暗殺に会津藩以外の奴が関与してる可能性は0%
だという日記や文献をしめせるわけ?
会津藩以外の奴が関与してる可能性から目を背けたいのは個人の自由ではあるが。
867 :
日本@名無史さん :2010/12/01(水) 23:20:20
会津の馬鹿は、都合が悪いことがあると、全てをスルーした上で話をループさせようと試みる。 そこから先の経過を見て終わりにすべきでしょうね。 会津が犯人ということです。
>>861 果たして龍馬が自分の身に危険が及んでいると思っていたのか
869 :
日本@名無史さん :2010/12/01(水) 23:33:34
渡辺吉太郎と渡辺篤(一郎)とは同じ人物に思えてならん 今井の渡辺吉太郎が鞘を忘れた証言に余りにもムキに成りすぎ。 渡辺吉太郎は戊辰の戦で死んだ事に成ってるが偽装くさいな。
870 :
日本@名無史さん :2010/12/01(水) 23:39:36
>>868 龍馬が樋口に隠れ家をさがして繰れるよう頼んでるので
身の危険は感じてたと思うよ
>>869 つか今井は渡辺吉太郎は桑名藩士って言ってるんだけど
実際は江戸出身で以前は神奈川奉行所支配定番役という役職にいて
桑名藩とは無関係なんだよな
で、渡辺篤の方は見廻組に配属されるまでは京都所司代にいた
この頃の京都所司代は松平定敬。定敬は桑名藩主
つまり今井は吉太郎と篤を混同してた可能性も(ry
即席のプロジェクトチームだったのね ならばさつ(ry
近江屋事件の時点で 今井は見廻組へ出向して一カ月程度だしなあ。 他のメンバーをあんまり知らなかったとしてもおかしくないわ。 実際のところ 今井は当初の供述通りに階下の見張りか 2階斬り込み組だったとしても 世良といっしょの後詰じゃないかと思える。 佐々木にしたって 付き合いの長い渡辺篤や桂早之助の方が信頼できたろうし。
874 :
日本@名無史さん :2010/12/02(木) 00:17:18
>>871 >なんだ老侍今井の記憶違いか!
今井は明治33年(1900年)の証言で刺客の1人とされる渡辺吉太郎の事を桑名藩士としていたが、明治42年(1909年)の木国史談会からの問い合わせに対しては「渡辺吉太郎は江戸出身で桑名藩士ではない」と回答している。
とすると桑名藩士とは何だったのかという事になるが、渡辺篤は京都所司代から京都見廻組に移っており、当時の所司代は桑名藩主・松平定敬である。
その配下も桑名藩出身と今井が考えていたとすれば、桑名藩士の渡辺とは渡辺吉太郎ではなく渡辺篤だったのではないかという推論が出来る。
あれこれ考えなくても 見廻り組にはちゃんと桑名藩出身者がいるじゃないか。 みんな大好き「世良敏郎」。 世良敏郎が渡辺篤の腰ぎんちゃくやっていたから 渡辺篤まで桑名藩出身だと思われたんじゃないの?
876 :
日本@名無史さん :2010/12/02(木) 00:24:52
>じゃ此の2点の資料が龍馬暗殺に関しては一番信頼できる訳か。 明治13年(1880年)渡辺篤(一郎)「履歴書原本」 明治44年「渡辺家由緒歴代系図履歴書−摘書」
>>867 会津犯人説の馬鹿は、全ての可能性をスルーした上で話を結論付けようと試みる。
龍馬暗殺に会津藩以外の奴が関与してる可能性は0%だという日記や文献をしめせないことを
認めるべきでしょうね。
会津以外が関与している可能性があるということです。
現存してる資料でDNA鑑定できないかな?
たしか龍馬が最初に頭を切られた時に飛び散った血が近くにあった掛け軸に付いたらしい。 その掛け軸が保存されてるのを以前にNHKの番組で見たことがある。 だけどわずかな量だからDNA鑑定ができるレベルかどうかはわからない。
>>878 竜馬を殺した側の血が現場に残ってた話は聞かないが?
何のDNA鑑定するの?
仲間に斬られて手を怪我した今井とかの?
882 :
日本@名無史さん :2010/12/02(木) 10:24:54
龍馬は実際現場で殺害されてるのが明らかなのに 掛け軸の血のDNA鑑定してどうすんだw
左行秀が見廻組に金積んで依頼 公務じゃないから言えなかった
そして土佐は隠蔽に手助け
掛け軸>龍馬の血 桂?所持だった龍馬斬った脇差??>犯人 て事なんじゃ? ドラマ影響しすぎで「出来る」かどうかはしらないが、少なくとも 脇差を「握っていた」際には当然「汗」は出ていただろうからそれを採取でとかね DNA「劣化」で判別不明なんだろうけどね実際
その後も脇差使ってるはずだし、どちらにせよ正確な判断は無理でしょうな
>>875 まーた世良か
しかし刺客として佐々木今井桂渡辺両人世良の名前はここでも
良く出るが土肥と桜井と高橋はあまり話題にならないな
桜井は佐々木の側近説もあるらしいし、もしそうなら桜井も参加してた可能性大だな
高橋は大石が名指しで発言している点から考えて参加してた可能性あり
土肥はダミーだったのか実際に参加してたとか謎なところ
本来なら正規な出勤な所が後になって機密扱い・・・・な場合 「それなり」の隊員じゃないとあっちこっちに吹聴する可能性もあったと (手柄を声高に出来ないほどつらいと) そこまで考えていたかどうかは知らないけど、佐々木の同志集めは「慎重」だったに思うね
888 :
日本@名無史さん :2010/12/02(木) 17:28:25
>>875 世良敏郎は間違いなく元桑名藩士なのか?
桑名藩主管轄の京都所仕代配下組織の出身者とかじゃないよな?
いや俺はそこまで詳しくないもんで
889 :
日本@名無史さん :2010/12/02(木) 17:35:03
>>869 今井が刺客他メンバーの名前を性格に知らなかった可能性もある
今井は藤吉のことを最後の新聞証言で、雲位竜とは違う力士だったはずと、自信ありげに語ったりしてるし
どっかの地方場所で現役時代の姿を見たことがあったんだと
おそらく勘違いしてるんだろうが、平気で思い込みを語ってしまう人なんだな
890 :
日本@名無史さん :2010/12/02(木) 17:37:35
>>869 渡辺吉太郎は吉太郎で、渡辺篤は篤で別々に見廻組隊士として存在していたのは間違いないらしいよ
史料はしっかりあるらしい
891 :
日本@名無史さん :2010/12/02(木) 17:38:59
892 :
日本@名無史さん :2010/12/02(木) 17:40:08
>>888 もともとは桑名藩士の小林家の生まれで
幕臣の世良吉五郎の養子に入ったらしい。
京都見廻り組に参加したのは世良家を相続したため。
佐々木只三郎が御家人佐々木家の養子になる前は会津藩士だったのと同じパターン。
ソース:『京都見廻組史録』菊地明著
894 :
日本@名無史さん :2010/12/02(木) 22:21:10
なんで世良敏郎は渡辺篤のパシリキャラ確定なんだ。 小説でもドラマでも まともに出てきたことないだろw
>>894 たぶん小説すばるに載ってた龍馬暗殺の短編に出てきた
世良敏郎のイメージが強いんじゃw
藤吉にボコボコにされて渡辺篤に助けを求めるシーンがあったらしいし
896 :
日本@名無史さん :2010/12/02(木) 23:02:22
そもそも世良はなんであんなところに居たんだ?
897 :
日本@名無史さん :2010/12/02(木) 23:03:12
たぶん今井の手を斬ったのは世良だなw
中岡の臀部を刺したのは世良 今井の手を斬ったのは世良 こんな風に言われてて少し気の毒だが 何故武芸があまり出来てないような人物を選んだんだろう…
900 :
日本@名無史さん :2010/12/03(金) 00:58:41
世良の役割は2階の見張りのはずだったのだが、勢いで2階に駆け上がり、藤吉にぼこぼこにされ、今井の手を斬り、中岡の尻を刺し、鞘をなくし、息が上がり歩けなくなったw 世良最高w
901 :
日本@名無史さん :2010/12/03(金) 05:15:49
902 :
日本@名無史さん :2010/12/03(金) 05:31:55
今井は何故世良の名前を出さなかったのか 一緒に見張り役をしていたことをバラされると困るからじゃないか または後詰だったのをバラされると困るからではないか 手を斬られたとすると、藤吉と今井世良の二人が格闘していた時しかそうなる状況が思い浮かばないんだが
藤吉をエドモンド本田に脳内変換 百烈張り手を必死に防御しながら、体力がどんどん削られる世良かわいい
悪いのは全部会津だろ?
つか世良って戊辰戦争後の消息って分かってるんだっけ? 死んだという説もあるが案外今井も分からなかったんかもな
906 :
日本@名無史さん :2010/12/03(金) 13:46:38
今井が世良の名前を出さなかったのは、一緒にされたくなかったからだろ
907 :
間抜けな学者の妄説信者へ :2010/12/03(金) 13:49:40
癌細胞は遺伝子が突然変異して発生すると言うが、普段は核内の遺伝子は2 重らせんの鎖で護られているから、細胞分裂時に遺伝子が2つに分裂する時に しかその隙はない。卵胞ホルモンを多量に注射すると、その支配を受けている 臓器(乳腺、膣等)に癌が発生する。この現象は細胞分裂とは関係がない。日本 人は昔は胃癌が多かったが、今では西洋人の様に体全体に癌が発生している。 即ち、西洋人の様に肉や牛乳を摂取するから癌になるのである。牛や豚等の怨 念が穢れた血液(その元が肉や牛乳)に宿って癌細胞となり、人間を取り殺そう として活動する。癌細胞は新たに湧いた(発生した)赤子の様な細胞で、霊体の 抑制がないから、無制限に増殖する。悪質液は怨念が毒に変化したものである。 この怨霊は国の支配者等に憑依して戦争を引起し、殺戮し尽くす。この事は聖 徳太子の未来記に書かれている。北朝鮮が、中国が、ロシアが、世界中が動き 出す。メーソンの命令の下に。 肝臓を3分の1だけ残して切り取ると、肝臓は復元力によって細胞分裂して 元の大きさに戻る。これは霊体の肝臓が存在するから、その形に鋳込む様に復 元されるのである。体の何処かに異常があれば、それをミヤビ(体中を巡る神 霊)が心臓に知らせるから痛みで感知し、悪霊が侵入すれば、直ちに神軍が派 遣されて追い出したり、退治したりするのである。 静脈の血液やその他体液はどうやって心臓へ帰る事が出来るのか。それは気 が体中を巡ってそれらを運んでいるからである。天の気が雨を地上に降ろし、 地の気が水蒸気を天の方へ上げる。頭寒足熱でないと体液は循環し難い。寒い 時に小便が近くなるのは胃の気が水蒸気を頭まで運ぶ事が出来ず、途中で雨に なって膀胱に溜まるからである。かき氷を食べると頭のこめかみが痛むのは胃 の気が頭まで届かないからである。気が渋滞すると痛みが起きる。神経とはま ったく関係がない。 はり治療は気の流れを整えたりするから、体の具合が回復するのである。は り麻酔は気を遮断する事によって知覚をなくす。痺れると痛みは判らない。
○ ○ (`・(ェ)・´)ζζ / oー-,===、 しー-J | ̄ ̄ ̄|  ̄ ̄ ̄
やっと、このスレも終る 次スレは立てないようにね 続きはwikipediaででもやってくれ
910 :
日本@名無史さん :2010/12/03(金) 20:22:16
普通にウィキでフリーメイソンの日本人となっていた。 とっくに削除されてるけどね。
911 :
日本@名無史さん :2010/12/03(金) 20:23:03
やはり暗殺の黒幕はメイソンしかいない
912 :
日本@名無史さん :2010/12/03(金) 21:26:23
>>906 維新軍vs旧幕府系保守派軍の戦いで戦死した世良のほうがまだ立派に思えてしまうが
死ねばそれなりに軍神だよ
913 :
日本@名無史さん :2010/12/03(金) 21:48:27
>>912 世良修蔵は四境戦争、鳥羽伏見と普通に実績をあげた前線指揮官なのだが。
元々は兵学者で洋書の翻訳にあたったりもしてる。
政府に言われるまま仙台の督戦に来たら、なぜか逆恨みされて殺されただけで、本人に落ち度があったわけじゃない。
会社から「地方の下請けの仕事状況見てきてよ」と言われて出張してきたら、下請けの社長に「えー、そんな仕事やりたくないよ。
あんた、元請けにうまく断ってくれない?」とか言われた状態。ふざけんなってなるだろ、普通。
915 :
日本@名無史さん :2010/12/04(土) 01:29:04
小説化する時には悪役にしやすい人物だな。
916 :
日本@名無史さん :2010/12/04(土) 05:47:28
>>915 見廻組暗殺隊の面々は慶喜の味方でもなければ、もちろん西郷の味方でもない
しいてあげれば松平容保の味方
あるいは結果として篤姫の味方だったのかもしれない
龍馬が生きていたら旧大奥の女中を喰いまくって、篤姫が整えていた風紀を目茶苦茶にしたかもしれないから
917 :
日本@名無史さん :2010/12/04(土) 05:58:17
まあ間違いなく維新軍の遊軍隊長のような立場で、ぜよぜよ言いながら江戸に入っていたろうし
918 :
日本@名無史さん :2010/12/04(土) 06:05:28
戦闘に加わって敗北側になったのに、戦後までおめおめと生き延びた今井はみっともなく見えてしまうな 自称剣客なら、突撃して斬り死にすべきだろう
919 :
日本@名無史さん :2010/12/04(土) 06:09:25
永倉新八や斉藤一は東北戦争中や函館戦争中は、どんな感じだったんだろう
>>919 斎藤は他の会津藩士らと謹慎中
永倉は鈴木三木三郎と再会して敗者であることを改めて実感中
>>918 伊庭八郎の最期を看取ったという田村銀之助の話で
榎本の年少者は五稜郭を脱出せよという命令を田村に伝えたのが
今井なんだよな。田村の話を読んでたら今井の名が出てきて驚いた
921 :
日本@名無史さん :2010/12/04(土) 15:08:53
会津藩の松平容保は大政奉還に、反対などしていないよ。むしろ,賛成でもあり、藩内の佐幕派が騒いだのですよ。 その棟梁が手代木。だから、手代木は容保に逆らっても佐幕派的な行動を大政奉還後にはしている。ということは、容保が龍馬らの暗殺命令など出すはずもない。 会津藩を全て佐幕派と見るのは間違い。 永井尚志も会津藩の内容をそう述べて要るよ。
922 :
日本@名無史さん :2010/12/04(土) 16:56:50
今井信郎「あやつはわしら武士の全てを、無にしたんじゃーっ!」
>>921 まあ神保修理とか龍馬から「会津にもこんな人がいるのか」
と言われるような恭順派のような人や
横井や勝らと似た思想の持ち主で西郷ら新政府側も丁重に扱った山本覚馬
のような人もいるが力を持ってたのは結局は佐幕派の人らだったしな
>>895 その短編で一番ヘンだったのは
佐々木只三郎と龍馬の最後の対決や
最重要登場人物の中岡慎太郎の出番や
近江屋を引き上げていく見廻り組といった重要場面をさしおいて
藤吉に張り手でぶっ飛ばされる世良敏郎
が挿絵で描かれたことだ・・・
いったい誰が挿絵の場面を選んだんだ・・・
926 :
日本@名無史さん :2010/12/05(日) 08:17:19
>>925 世良敏郎が最も現代風のキャラであることを見抜いたセンスに脱帽する
今時佐々木だの今井だの渡辺だのと言ってるのはカビ臭いんだな
927 :
日本@名無史さん :2010/12/05(日) 08:22:02
>>920 今井は年少者でもないのに自分も脱出したのか?
928 :
日本@名無史さん :2010/12/05(日) 08:30:42
>>921 容保は慶喜や永井の前にいた時と、手代木ら家来の前にいた時と言うことが違っていたということはないのか
あるいは手代木から龍馬という存在を聞かされて、何の気なしに「そんな浮浪は始末してしまえ」と言ったかも?
929 :
日本@名無史さん :2010/12/05(日) 14:17:25
>>928 手代木が晩年に、講演をしていて、その筆記が残っているけど、大政奉還時には容保は賛成し、 ここで、藩内は大きく割れて来たと述べてすよ。そして、容保に背いて独自に動くものが居たとと、述べており 、当時の容保に、内緒で動いたのは確かですよ。手代木は。 藩主が、暗殺命令を出すなどというのは、よほどの事が無いとね。 でも、手代木が他藩で一介の脱藩浪士に対して、お節介にも危険な暗殺をする、ましてや弟をさせるほど 馬鹿でも無いでしょう。西郷隆盛や大久保、後藤象二郎あたりを狙うなら、少しは、考えられるけど、当時は、坂本など、雑魚の部類でもあるし。 ということは、もっと、根は深いところにあるよ。
だからぁ、龍馬に対する紀州藩の報復の結果が龍馬暗殺なんだよぉ あんな銭ゲバ一匹の為に容保が動くわけ無いじゃん 今井たちの証言が食い違うのも当然。何故なら金で雇われて龍馬暗殺したなんて口が裂けても言えないわけさ 上司の佐々木はその後すぐに戦死してるし、他の仲間も口裏合わせてたじゃん。今井や渡辺の証言の 食い違いは、混乱を招くための三文芝居。ああ見えて中々の食わせ物だよ、今井は
人生最後のほうで「実は云々・・・」と言われても、ではおまえは”役人で高知にいたときに何故話さなかったんか”と まだ今井のが「度胸」が据わっているなと
932 :
日本@名無史さん :2010/12/05(日) 22:06:37
>>921 京都守護職始末にそう書かれているのは知っている。
しかし、松平容保が大政奉還を歓迎したという記述は、他史料と整合性がない。
徳川慶喜公伝・復古記では、松平容保が大政奉還に反発し、再三撤回を求めた記事がある。
京都守護職始末のその部分は、後世の擁護目的の糊塗なのではないかと思われる。
手代木は松平容保を庇ったのではないか。 某諸侯の命令で佐々木に実行させたと証言しながら、容保候ではないと言い直すし。
>>929 佐々木只三郎達の清河八郎暗殺は手代木の命令だけど
龍馬は当時既に一介の脱藩浪人じゃないよ、
薩長同盟締結数日後には口コミで噂が広がって
当然幕府側にもキャッチされ寺田屋事件。
>>932 他史料と整合性がないなら徳川慶喜公伝・復古記を疑えばいいじゃんww
>>921 >会津藩の松平容保は大政奉還に、反対などしていないよ。むしろ,賛成でもあり、藩内の佐幕派が騒いだのですよ。
その棟梁が手代木。だから、手代木は容保に逆らっても佐幕派的な行動を大政奉還後にはしている。ということは、容保が龍馬らの暗殺命令など出すはずもない。
会津藩を全て佐幕派と見るのは間違い。
永井尚志も会津藩の内容をそう述べて要るよ。
松平容保黒幕説、涙目(笑)
936 :
日本@名無史さん :2010/12/06(月) 06:47:26
なんだかなー、幕末爺かに書かれた記録の集合体と、 明治の終わりに松平容保への顕彰・失敗隠蔽を目的に書かれた文書を比べて、後者を採用せよだなんて、 そんなことだから、会津を支持する人達は、歴史を知らないと言われるのに
徳川慶喜公伝・復古記のその部分は、後世の松平容保蔑視目的の糊塗なのではないかと思われる。
938 :
日本@名無史さん :2010/12/06(月) 07:11:52
ちなみに京都守護職始末の信憑性は明治末期の記述且つ、元史料と対立する見解が多いなどの理由で 信憑性はゼロで、明治維新後の松平容保の自己本位な見解として聞く程度の価値しかない。 こんなもので他史料の記述を覆そうと試みること自体、おかしい。
なんだかなー 徳川慶喜公伝は徳川慶喜への顕彰を目的に書かれた文書 復古記は勝者顕彰の記録じゃんww
容保が大政奉還に賛成した理由とは何だろう
新体制構想の中に会津藩の居場所はあったのか?
>>938 原史料と対立する見解ってたとえば何に書かれてるどんな記述?
あと疑問なんだけど容保は大政奉還に龍馬が関与してるって知ってたの? 表立って働いてたのは後藤象二郎だよね? 薩長同盟の時点で龍馬は幕府の敵だろうし。
>>934 手代木「とも」言われているが定かではない・・・・・かと
幕府・老中説(板倉)もあるぞえ
鳥羽伏見後に紀州に落ち延び「頓死?」した佐々木さん
数人の部下に看取られて云々だけど、一方で金を巡ってその部下らとひと悶着あって死期を早めた等々・・・・
その間に部下等に京都での「武功」なんぞ話さなかったのかな?
>>929 >手代木が晩年に、講演をしていて、その筆記が残っているけど、大政奉還時には容保は賛成し、
ここで、藩内は大きく割れて来たと述べてすよ。そして、容保に背いて独自に動くものが居たとと、述べており
、当時の容保に、内緒で動いたのは確かですよ。手代木は。
藩主が、暗殺命令を出すなどというのは、よほどの事が無いとね。
でも、手代木が他藩で一介の脱藩浪士に対して、お節介にも危険な暗殺をする、ましてや弟をさせるほど
馬鹿でも無いでしょう。西郷隆盛や大久保、後藤象二郎あたりを狙うなら、少しは、考えられるけど、当時は、坂本など、雑魚の部類でもあるし。
ということは、もっと、根は深いところにあるよ。
松平容保黒幕説、涙目(笑)
京都守護職始末は松平容保への顕彰を目的に書かれたので 価値はないと言うくせに 徳川慶喜への顕彰を目的に書かれた徳川慶喜公伝や 新政府の勝者顕彰を目的にした復古記は価値を認めるなんて そんなことだから、松平容保黒幕説を支持する人達は、おかしいと言われるのに
946 :
日本@名無史さん :2010/12/06(月) 18:52:37
幕末の日記や書簡などから書き起こしている復古記や、当時の史料から徳川慶喜が証言している徳川慶喜公伝と、 当時の史料は全て会津側が焼いた、と断った上でひたすらに妄想見解を披露する京都守護職始末を、同列に扱えと? せめて会津が自分で焼いた、という発言さえなければ、少しはマシなのにね。 実際は会津藩が犯罪者という証拠を、自分で持って隠しているような気がしてならないのだけど。
947 :
日本@名無史さん :2010/12/06(月) 19:17:23
戊辰戦争でも鶴ヶ城は炎上しなかったので、会津藩の史料はその時点では残っていたはずなのに、 なぜか明治を過ぎても、会津藩からは史料らしい史料は出てくることはなかった。 ヤーヤー一揆の会津藩弾圧で家屋敷が灰燼と帰していた旧会津藩の農家などからは、当時の日記とかが出てきたのにね。 しかも京都守護職始末によると、全て藩の命令で自主的に焼却したと書いてある。 他の関係者の証言も一様に、会津藩が自分で焼いたというものだ。 怪しい。 緋毛氈や他の物品は旧家臣などが有り余るように保有しているのに、史料だけが出てこない。 出てくるのは京都守護職始末のようなソースのない妄想披露だけ。 会津藩に不利なソースは出さないだけなんじゃないか?
948 :
日本@名無史さん :2010/12/06(月) 21:23:21
手代木あたりが勝手に暗殺命令を下せるもんかね?
949 :
日本@名無史さん :2010/12/06(月) 21:25:31
榎本対馬についてはどうなんですか?詳しい人々よ
一会桑政権時代色々やったんでしょうな 特に慶応3年までの会津の京都での力は他藩よりずっと強かったらしいし
952 :
日本@名無史さん :2010/12/06(月) 23:53:58
会津藩関連の書籍で一番怪しいのは、徳川家茂と孝明天皇の死に関して、 他藩から出た史料しか使わないところ。 当時一番近くに居た藩なのに。
953 :
日本@名無史さん :2010/12/06(月) 23:57:43
いわれてみるとその通りだ 盲点だった
終了間際に学際的?になってきたなw 字刷れたててよw
8.18の政変の切欠になった姉小路卿暗殺だけど 田中光顕の証言によると同じ日に姉小路と同じ攘夷派公家の三条も狙われていた この時点で薩長土の志士と連携していた姉小路・三条を暗殺して得する勢力っていうと 締め出されてた会津しか無いわなぁ〜 龍馬暗殺の手口といいあいつら手慣れてやがる
956 :
吉之助 :2010/12/07(火) 00:34:36
今日はオイの誕生日ごわす 何でも正直に話しもそ
だいたい松平容保が大政奉還に大賛成ってのはないだろw
12ちゃんでやってたドラマだと斉藤一だな
龍馬暗殺の実行犯に京都見廻組以外を挙げる奴はド三流確定だから それはいいとして 龍馬関連書籍で一番の良書はどれだろう?
>>947 >会津藩に不利なソースは出さないだけなんじゃないか?
新政府も自分に不利なソースは出すわけないじゃんwww
>緋毛氈や他の物品は旧家臣などが有り余るように保有しているのに、史料だけが出てこない
敵に奪われたくない史料を廃棄するのは常識じゃんwww
戦後の裁判で不利になるじゃんwwww
>ひたすらに妄想見解を披露する京都守護職始末
京都守護職松平容保と京都へ行き、明治時代に会津藩家老になった
山川氏の見解を妄想見解とはwwwww
そんなことだから、松平容保黒幕説を支持する人達は、おかしいと言われるのに
>>946 >幕末の日記や書簡などから書き起こしている復古記
幕末の日記や書簡などから書き起こしているから信憑性があるなら
幕末の日記や書簡はなにから書き起こしているわけ?
日記や書簡の筆者の妄想見解じゃねーのwwww
怪しい。
>>957 考えにくいよなあ。
あの時点で新体制に移行しても会津は日の目を見れないだろうし。
だからこそ会津・桑名あたりで大政再委任運動が起こってたんじゃないのか?
>>946 会津と土佐藩が揉めた明保野亭事件の新史料が龍馬記念館HPで公開されてる。
これによると土佐藩士が何度も名乗っているにも関わらず
会津藩士がしつこく切りかかってきたそうだ。
美化・捏造癖は昔からの様だなw
>>961 史料の信憑性には順位がある、
継続した日記や書簡>何年も経ってからの口伝
当然だろう?
そしてこうして検証してみるとどちらがより胡散臭いかな?
あと慶喜サイドがわざわざ会津関連の話を捏造するメリットは何だ?
964 :
日本@名無史さん :2010/12/07(火) 16:13:38
どの説も矛盾が生じてしまうが悪意をもった組織が日本での革命を画策したと 考えればスッキリ説明できちゃう不思議。 龍馬暗殺のあの手口のよさといい、並みの組織では到底不可能だ。
>>959 分厚くて高価だが
松岡司『定本 坂本龍馬伝〜青い航跡〜』が今の所一番詳細だと松浦玲が言ってた。
副読本の『異聞・珍聞 龍馬伝』では
いわゆる「定説」の検証がされてて小ネタ知識だけ集めたい人はこちらを読むといい。
龍馬は全国的に美化されたイメージが流通してるから地元民の方が却って夢見てなくて冷静かも。
>>964 どうせフリーメイソンがどうとか言ってる情弱向けの本でも読んだんだろw
見廻組以上に有力な証拠のある説は存在しない。
966 :
平田篤胤著仙界異聞が科学をぶった斬る :2010/12/08(水) 17:50:22
仙童の寅吉は神隠しにあって、双岳神人と師弟の約状を結び、空行(神霊の 霊波動航行)して見て来た、外国、宇宙、霊界の様子を語った。 問 大空よりこの国土を見るとどの様であるか。 寅吉 やゝ飛び上がって見れば、海川野山、人の往来する様まで見えて、甚だ しく丸く見えるが漸々に上がり昇りて見れば、段々に海川野山の様も見えなく なり、むら∨とうす青く、網目を引き伸ばした様に見えるのをなお上がるまま に段々小さくなりて、星のある所まで昇りて国土を見れば、光りて月よりは余 程大きく見える物であった。 問 星のある所まで行くまでに月のどの様に見えたか。 寅吉 月の様は近くに寄るほど段々大きくなり、寒気が身を刺す如く厳しくて、 近くへは寄り難く思われたが、強いて2町ほどに」見える所まで至りて見ると、 また、思いの外暖かであった。まず光りて見える所は国土の海の如くにて、泥 の交わっている様に見えた。俗に兎の餅つきていると言う所に、二三つの穴が 開いて、その穴より月の後ろにある星が見えていた。従って穴がある事に疑い がない。 問 星はいかなる物と言う事を見て理解したか。 寅吉 星は国土より見ては小さい物が多く並んでいると見えるが、大空に昇り て見れば、いつも明るいからこの国土より見えるほど光って見えないが、段々 に大きくなり、遠く離れて見ると、四方上下に、何百里とも判らず、地球もそ の中に交じりて、何であるのか判り難い。殊に理解し難い事は、星がいかなる 物であるかと言う事を見たいと師匠に言えば、見せてやろうと、この国土より 見て殊に大きく見える星(金星)を目指して、連れて上がると、近くに寄るほど 大きくなり、ぼうとした気に見えて、その中を通り抜けた事があった。通り抜 けて、遠く先へ行って後ろを振り返ると、本の如く星に見えた。従って、星は 気の凝り固まった物と思えた。(即ち、星や月は太陽の光りが反射して光るの で無くて、自ら発光するのである。月の満ち欠けは公転によるものでない) 太陽は焼ける如くで近寄れず、燃え上がっている様で稲妻が閃いていて暗く 見えるから、松明を付けて見ると、炎が太陽に吸い寄せられる様に燃え上がった。
967 :
馬鹿な学者の妄説信者へ :2010/12/08(水) 17:54:10
地中のマグマの熱エネルギーの本は何なのか。この難問を科学で解けるなら 解いてみろ。燃焼熱か、それなら燃料と酸素の供給が無くてはならぬ。地球に 物が詰まっているなら、酸素の供給は出来ぬ。核分裂、核融合による熱か、核 分裂には高純度のウラン235等が必要で、自然的には不純物が有り過ぎて不 可能である。核融合には超高圧、高温の環境が必要であり、太陽の様なガス体 なら可能性もあるが、地球の様な固い地殻で囲まれた物体ではその様な環境に ならない。人間は命の灯火を燃やしているから、体温が暖かい。それと同じ様 に、地球も生きていて、命の灯火を燃やしているから、地熱が高いのである。 その熱の根本は太陽の霊気である。物は霊気が超緊密に凝縮されて出来ている のである。 渡り鳥が季節の到来を知って方角を間違えずに、元の場所へ戻って来る事が 出来るのは、霊能力のお蔭である。即ち、霊界の情報を知り得る事によって実 行している。燕の雛がちゃんと自分の巣へ帰って来る。動物の帰巣本能はこの 仕組みで行われている。ご主人の帰宅を玄関で待つ犬がいる。この犬は主人の 心(意思)を霊界を通じて知る事が出来るのである。今晩はお酒の付き合いで帰 宅が遅れても、ずっと、待っているのではなくて、本人が家へ帰ろうと思うと その心を犬が読んで、玄関で迎えるのである。臭いで癌の病巣を嗅ぎ出す犬が いる。悪霊の怨念を臭いで嗅ぎ分けるのである。癌の病巣を写したレントゲン 写真には、心霊写真の様に怨霊の姿が写っている。霊の強弱によって人間の目 には捉えられないだけである。君達は動物を馬鹿にしているが、動物はテレパ シーを使い、心を読み、幽霊を感知し、地震等を予知し、日食の意味(天照大 神が天の岩戸に隠れる)まで知っているから、日食を目にしなくても恐れるの である。 雨蛙のおたまじゃくしは見た事が無い。雨蛙は草木から湧くのである。甲虫 はおが屑等から湧くのである。鰻は海の海溝で湧くのである。人間の邪気によ って虫等が湧き、訳の分からぬ病になるのである。夢は人間が作る小霊界で、 神の働きで霊界と同調すると予知夢となる。 恐山のイタコが死人の口寄せが出来るのは、犬神の邪法を使っているからで 、犬神が幽界の情報を知らせるのである。
968 :
日本@名無史さん :2010/12/08(水) 17:54:20
残り豆ぇ〜
龍馬暗殺後 佐々木只三郎は近藤勇にやるじゃんwと誉められてたそうだ 仲良かったのかな
971 :
日本@名無史さん :2010/12/08(水) 20:43:09
龍馬不用心すぎ
972 :
日本@名無史さん :2010/12/08(水) 20:49:55
>>971 それなら中岡慎太郎も無用心すぎだな。
井伊大老も大久保利通、板垣退助その他も無用心だしな。
悪いのは全部会津だろ?
実際龍馬はガチで油断してた
テラ近所の寺に佐々木唯三郎が潜伏してるとも知らず
>>973 まあ龍馬暗殺に関してはそう
975 :
日本@名無史さん :2010/12/08(水) 21:54:50
>>972 確かにみんな「変わった人達」だよな。
本当に普通の日本人だったのかね。
>>975 凡人が歴史に名を残すかよ
バカジャネ-ノwww
977 :
日本@名無史さん :2010/12/08(水) 23:40:31
板垣が死んだのは暗殺じゃないけどね
>>963 当然じゃねーよwww
何年も経ってからの見廻組隊士の口伝のが信憑性あるじゃんww
松平容保が龍馬暗殺の命令を出したという継続した日記や書簡を
示せよ
怪しいとか胡散臭いとかじゃなくよ
怪しいなら土佐、薩摩、紀州、幕府、伏見奉行、長崎奉行、京都所司代
も怪しいじゃん
>>978 心配すんな、会津がらみなのは間違いないんだ
>>978 pgrwww
こいつドラマを鵜呑みにするバカ決定wwwwww
近江屋での龍馬暗殺事件に関して
土佐、薩摩、紀州、幕府、伏見奉行、長崎奉行、京都所司代及び京都守護職が
犯人として疑わしいor疑わしくないという考えの根拠を全部挙げろよ
どうせ出来ないんだろwww
>>978 明治三年の兵部省による今井信郎の調書
今井と新撰組隊員の証言で見廻組が実行犯なのはほぼ確定
今井は「御指図があったようだ」
今井の妻は口伝で「御指図があった」と述べている
上からの指図があったという証言は「手代木直右衛門伝」「佐々木只三郎伝」も同じ
松平容保だけが大政奉還を歓迎する理由って何?
総ツッコミっすな まあここら辺りの政局を全然分かってない人って多いよな
983 :
日本@名無史さん :2010/12/09(木) 16:56:30
ほとんどの歴史家・研究者が史料で、大政奉還に松平容保らは反対したと結論付けているが、 中村彰彦(小説家)が京都守護職の文中の一行を持って、強硬に容保様は賛成だ賛成だと主張しているのが現状。 星亮一は中村の影で似たことを講演しているが、本人に根拠があるわけではない。 中村彰彦は他にも、江戸開城後の会津藩の行動を、武装していたが恭順だった、武装恭順だったと主張しているが これも一般的な見解とは正反対で、会津藩は、天皇の権威は認めても、明治天皇が委任する明治新政府と彼らの命令は 一切聞き入れず、存在すら認めようとしなかった。会津藩の対応は武装恭順ではなく武装敵対というのが一般的な研究者の意見だ。 中村の意見は、会津に極端に偏ったものが多く、星亮一よりも研究者から嫌われている。
>>946 の話だが、
歴史を学ぶには「史料批判」という概念が必須でね。
一次史料=事件発生当時の当事者によるもの
二次史料=当事者が後年当時を振り返って残したもの
三次史料=二次史料を編纂したもの
という分類になる。
信憑性の順位は上の方ほど高い。
「復古記」は当時の当事者、つまり各藩の記録や日誌、個人の日記や家の記録が
新政府側・旧幕府側の双方収録されてるいわゆる一次史料の歴史書。
「京都守護職始末〜旧会津藩家老の手記」は会津家老であった山川浩の家系の者が
会津藩の名誉回復を目的に出版した物。
考明天皇の手紙もこれが出典だが出版目的から全体的にバイアスがかかっているのは否めない。
説明しても強固して容保公は黒幕じゃないと言い張るだろうよ
>>983 こういう人がいるから一会桑政権の研究がまだまだメジャーじゃないんかね
一会桑政権研究も家近氏辺りが最近頑張ってて
薩摩好きの小説家の桐野作人氏もコメント寄せてたが
京都見廻組に至っては木村幸比古が前からやってるが、この人は在野の人だしなあ…
そろそろ『反薩長負け組史観研究』で論文でも書けそうな勢いだな またこいつらが揃いも揃って根拠が風説のみの暗殺犯薩摩説をお気に入りなんだわ 薩摩が大政奉還推進してたのには触れずに
987 :
日本@名無史さん :2010/12/10(金) 04:25:02
幕府の警察組織にとっては徳川の敵No1だったかもしれない
>>986 そいつら全員アカデミックな学者ではないのがな
幕府側研究者の松浦、宮地辺りは誰も薩摩黒幕説唱えてない
>>987 龍馬は倒幕勢力だから幕府の敵といえば敵だが
幕臣達とも交流を持ち、武力討幕は最後の手段として
徳川家を一諸侯として温存した緩やかな革命を目指していた。
それを殺した会津はアホだ。
汚ねーよな 自分たちがやった犯罪をよそになすりつけるなんて 会津なんて侍ではないwww
>>990 会津側(今井や手代木など)はぼかしてはいるが容保が命令したと言っている
ただ極端な会津贔屓の作家が未だに薩摩黒幕説を唱えてるって感じだ
ちなみに在野の学者含めて見廻組研究してる人らは
全員幕府方の命令であると断定している
土佐研究側にも西尾秋風みたいな困った人もいたがこの人は亡くなったしな
992 :
平田篤胤著仙界異聞が科学をぶった斬る :2010/12/10(金) 16:15:42
寅吉 総じて学問は、魔道に引き込まれるものである。本来、学問をする程善 い事は無いのですが、道の真実の至極に至るまで学べる人がいないからです。 書物を沢山知っている事を鼻にかけて、知らない人を見下し、神などは存在し ないとか、仙人や天狗はいない、不思議な事は無い、そのような道理は有り得 ないと我意を張る事になります。これらは皆、中途半端に学問を頼む高慢さで、 心の狭さから来る事です。書物に記された事でも実際に見れば違っている事は 幾らでもあります。人間ほど貴い物はありません。人間より下の物は段階的に あって限りなく、人間より上の貴いものも段階的にあって限りなく、この天地 も何もかもが、名前も知らぬ神の腹の中にあるかもしれません。宇宙の果てへ 自由に行き来出来る位の器量が無くては、そんな高慢な口は利けないものです。 慢心や高慢ほど悪いものは無く、魔道に引き込まれる縁になります。顔の綺麗 な人や諸芸の達人、大金持ち等、慢心や驕りが有る故、魔道に落ちます。別け ても金持ちが欲深く蓄財して、世の為にお金を使わないから、殊の外、神は憎 まれていると聞きました。金持ちが自分の所へ金を集めてしまうから、貧乏人 が増えて生活出来なくなる。金持ちはこれは俺の物だと思っているようですが、 よく考えれば自分の物と言う物など何一つ無く、何もかも全て天子様のものな のです。その証拠に死ぬ時に何一つ持って行く事は出来ない。 蛇足 地球から宇宙まで、神が造られずに出来た物は何一つ無い。天子様もそ れらを造られた神で、天神が地球を統治する様に委託されたのである。人間の 浅はかな知恵ではビックバン理論とかの愚説を振りかざしているが、無(真空) から物が生まれる筈が無く、魔法を否定していて、よく自家撞着に悩まないの か不思議で仕様が無い。ブラックホールが物質もエネルギーも飲み込んでしま うものなら、森羅万象は存在し得ない。なぜ、こんな簡単な道理が理解出来な いのか、頭の中を見てみたい。所詮、人間の知恵では判らない。人間の科学で は、死者を生き返らす事も出来ない、蟻1匹造れない、そんな幼稚な段階で神 に逆らうとは身の程知らずにも呆れる。神の物真似科学では限界がある。
京都見廻組与頭であった佐々木只三郎の親族による『佐々木只三郎伝』 これには龍馬暗殺は見廻組がやりましたと明確に記載してある。 のみならず京都守護職・松平容保の命であったが 直右衛門は主君に累を及ぼすのを恐れ後年まで沈黙を守ったと書かれている。 他でもない当事者の身内からの証言だ。 郷土史を愛するなら会津は『手代木直右衛門伝』とまとめて再版すべき。
>>984 土佐、薩摩、紀州、幕府、伏見奉行、長崎奉行、京都所司代 、グラバー
が龍馬暗殺に暗躍した可能性は0%だという
一次史料=事件発生当時の当事者によるもの
二次史料=当事者が後年当時を振り返って残したもの
三次史料=二次史料を編纂したもの
を示してみ
怪しいとか胡散臭いとかじゃなくよ
>>993 当事者と当事者の身内は別でしょ
二次史料=当事者が後年当時を振り返って残したもの
>>984 顕彰を目的とした記録は信憑性がないと言ったのはお前じゃんww
新政府が作らせた復古記は新政府の顕彰を目的としてるから
信憑性はないじゃん
次スレの用意した方がいいな 当事者が認めてんのに会津オタは何オウム返しで食い下がってんのwww じゃあ松平容保が大政奉還に賛成した理由を答えろよw
>>994-995 その面子挙げてる時点で聞きかじりの知識しかないのがバレバレ
なんで怪しいのかも説明出来ないんだろ?
知りもしないのに知った風な口聞いてゴメンナサイって謝れw
コピペでドヤ顔してんな低脳
>>996 誰か新スレたててくだされ。
わしは年だから、おっ立てることができん。
白幕でも黒幕でもとにかく白黒つくまでやるぞ!
>龍馬暗殺に暗躍した可能性は0%だという >一次史料=事件発生当時の当事者によるもの >二次史料=当事者が後年当時を振り返って残したもの >三次史料=二次史料を編纂したもの >を示してみ 君、 悪魔の証明ってしっている?
1000 :
日本@名無史さん :2010/12/10(金) 21:56:01
なんだ今井は見張り役にすぎなかったのか JIN読んで今井が黒幕兼主要実行犯だと思ってたのに
1001 :
1001 :
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