♪邪馬台国にドンと終止符!

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1日本@名無史さん
・根拠の不確かなことを断言しないようにしようね。
2日本@名無史さん:2010/09/19(日) 00:43:13
>>1
不確かなのは、終止符
3日本@名無史さん:2010/09/19(日) 00:53:20
つまり、「倭人伝を素直に読めば、邪馬台国はカザフスタンにあることは明白だ。わはははは。」
これでは人としての在り方を疑われてもしょうがないでしょう。
「私の倭人伝の読みでは、邪馬台国の所在地はカザフスタンとなります。その理由は・・・・」
これならOKです。他の人が批判・検証することができます。
4日本@名無史さん:2010/09/19(日) 02:08:06
魏志倭人伝によると

伊都国、奴国、不弥国のあたりの記述は
道のりが全て、明確な距離の単位で書かれているが

投馬国、邪馬台国への道のりは、水行○日というふうに
かなり遠くて、大ざっぱに船で○日という風に書かれている。

よって、伊都国、奴国のあたりは、北九州のあたりだが、
投馬国とか、邪馬台国は、
北九州から船で何日もかかるくらい遠い場所にあることを示している。

投馬国=ヅマ国=出雲国
邪馬台国=ヤマト国=大和国
5日本@名無史さん:2010/09/19(日) 02:09:01
スレ立てがクソだと一気に過疎るという見本のようなスレだな
6日本@名無史さん:2010/09/19(日) 02:14:01
>>5
じゃあ、過疎らない擦れ
たててくれ
7日本@名無史さん:2010/09/19(日) 02:39:44
なにが「じゃあ」だ
どうすんだよ
このクソスレ
8日本@名無史さん:2010/09/19(日) 03:22:56
>>6
普通にpart2にすればいいだろ
アフォ
9日本@名無史さん:2010/09/19(日) 08:08:10
>>4
北九州は、すでに遠い場所なんだけど。
遠い地の遠い地って、どんだけ幼稚な表現なんだよ?
10日本@名無史さん:2010/09/19(日) 08:20:21
まじで、邪馬台国九州説が兄を引っ張っている。
邪馬台国九州説が絶滅するのは、時間の問題なんだけど
11日本@名無史さん:2010/09/19(日) 09:14:00
クソスレにお似合いな意見だな
12日本@名無史さん:2010/09/19(日) 09:46:56
魏志倭人伝によると

伊都国、奴国、不弥国のあたりの記述は
道のりが全て、明確な距離の単位で書かれているが

投馬国、邪馬台国への道のりは、水行○日というふうに
かなり遠くて、大ざっぱに船で○日という風に書かれている。

よって、伊都国、奴国のあたりは、北九州のあたりだが、
投馬国とか、邪馬台国は、
北九州から船で何日もかかるくらい遠い場所にあることを示している。
しかも、それは北九州に上陸してから南へ行くところでなければならぬ。

投馬国=サツマ国=サツマ川内
邪馬台国=ヤマト国=都城市山田
13日本@名無史さん:2010/09/19(日) 09:57:45
コピペの貼りつけかよ
14日本@名無史さん:2010/09/19(日) 10:00:28
しかし、それで「トンデモ」が「完璧」に変わる。ええじゃないか。
15日本@名無史さん:2010/09/19(日) 10:08:52
コピペが多いのが畿内厨の特徴
16日本@名無史さん:2010/09/19(日) 10:10:37
畿内厨涙目w
17日本@名無史さん:2010/09/20(月) 12:41:44
>>12
川内川流域は狗奴国ではなかったかと思いますね。
私の祖母の故郷です。
18ローガン:2010/09/22(水) 00:27:15
>840:649 2010/09/21(火) 23:17:27 [sage]AA
>なんか上手く言えないんだけど、銅鐸廃棄の理由で、ローガンさんの説は、@族外婚が個別婚に変容したから
>Aクナド婚(歌垣)から農耕的要素が消えたから に変わってない? 

多分、私の書き方が悪い(笑)。共婚から個別婚へシフトする背景に、婚姻圏の拡大、部族間連合を考えているのです。
もうちょっと云えば、その婚姻圏の拡大や部族間連合とは…
擬制の同族化、つまり、例えば、「コトムケやマツロフ」というような、相手を殲滅せずに同族とする、それにより拡大した同族圏がクニ。(もちろん武力制圧に限らない)そしてそこにオウが登場すると。

>実際のところ、妻問婚って、他村と交流の少ない僻村とかで良く見られる風習で、
特に女性が労働力として重視され、女性の発言権が強い所が多いとされてるよね。 単純に、族内婚→族外婚→妻問婚とかしてるのに、どうかなあ?と。

え?あなたはウタガキに祭祀的要素を見いだすのに、なぜ、妻問婚の婚主が神である事を否定しますか?
19日本@名無史さん:2010/09/22(水) 00:39:43
末盧国から東南500里で伊都国なのに、なぜ北東に進んだ糸島半島が伊都国とされているのかがわからない。
20ローガン:2010/09/22(水) 00:44:49
>836:649 2010/09/21(火) 22:52:17 [sage]AA
>例えば、畿内に先立って銅鐸と決別したであろう出雲は、ちょうどその頃から四隅を造り出す。
これも、あなたの言う族外婚→個別婚に移行して(or農耕色が薄れて)銅鐸が廃れたからでしょうか?

死んだ首長に対し、大掛かりな墓を造ろうというマインドが芽生えた段階で、生前の首長がすでに、豊穣祭祀に特化した存在であった。では駄目?(笑)


>加茂岩倉で大量埋納されたのは、ある大きな政治(=宗教)的変化があったためと思いません?

色々考えますがね。何があったんですか?一度、教えて貰えませんか?
21日本@名無史さん:2010/09/22(水) 07:04:16
>>19
東京駅から西に位置する京都駅に向うのに
新幹線は東京駅から南に出発するだろう。
22日本@名無史さん:2010/09/22(水) 07:11:17
>>19
アホだから。
23日本@名無史さん:2010/09/22(水) 07:57:25
だが、誰も新幹線で南へ行くとは言わないね。やはり、西へ行くという。
24日本@名無史さん:2010/09/22(水) 08:00:06
>>19
最初に伊都と伊斗の地名が似ていることに飛びついてしまった人がいたからですね。
あなたが疑問をもたれるとおり、伊都国=糸島半島はまちがいです。
25日本@名無史さん:2010/09/22(水) 08:22:06
むしろ「伊都国」から「糸島」の地名が定着したかもしれません
「那の津」などもそう。

邪馬台国への行路を読んだシナ人が、乗っ取りにやってきた。
そして糸島付近が「伊都国」だとアタリをつけた。
(しかしもちろん、邪馬台国は見つからなかった)

そういうことではないでしょうか?
26日本@名無史さん:2010/09/22(水) 10:04:42
>>23
ここでも東南に行くとは書いてないね。
陸行とは書いてあっても
27日本@名無史さん:2010/09/22(水) 10:09:29
末盧国を松浦市とすると伊都国は伊万里になる
東松浦半島北部なら唐津が伊都国
唐津を末盧国とするなら多久が伊都国に当てはまるように思える。
方角を自然に読みとり、先入観なくたどっていくと、邪馬台国への道のりは有明海へと繋がっていき、水行〜に矛盾がないように思えます。
28自然に畿内に行き着くらしい:2010/09/22(水) 10:17:00
〜 〜 〜 〜 ,ヘ、〜/              ┃           /ヘ   /
〜 〜 {ヽ_ /  {_/              ┃    「対馬国」 ▲/ /
〜 ヘ/      ★末盧国         ┃          ∠ノ / ニイガタ
/ヘ~                        ┃             /
                           ┃ 「一大国」      /
          _ |ヽ■伊都国       ┃      /▲フ   /
       /ヽ/ |/ |       伊吹山  ┃      | 「 /
      |      ヽ ★奴国       ┃      | |__/
       ヽ,  水行 ヽヘ  ★不弥国  ┃     /   トヤマ
       |      ↓ /           ┃ ↓  / カナザワ
     ┌ '        ノ          ┃ ↓ /
    /        ノ           ┃ ↓|フクイ
   丿      ノ ^’            ┗━━━━━━━━━━━
  |_ 水行↓,/
  /  _/ヘ/▲投馬国
  | |    \                   末盧国・・・敦賀市
 /  >   天 \                伊都国・・・旧伊香郡高月町
/  /     安 \               奴国  ・・・長浜市
\ |        川               不弥国・・・米原市
  ∨             ☆呼邑国    
                           投馬国・・・野洲市・守山市
       邪馬国 ☆  天        
               岩 ☆為吾国    邪馬国・・・旧信楽町
             戸             呼邑国・・・甲賀市
                           為吾国・・・伊賀市
            ☆巴利国        巴利国・・・名張市
      ☆烏奴国               烏奴国・・・宇陀市
  ☆奴国                    奴国 ・・・奈良盆地
29日本@名無史さん:2010/09/22(水) 12:56:36
>>26
陸行というのは、陸を行くという意味ですよ。
30日本@名無史さん:2010/09/22(水) 13:03:40
>>29
見事な日本語読みですね。
31日本@名無史さん:2010/09/22(水) 13:24:51
最大の間違いは、いま>>29がやらかした事が全ての源。
32日本@名無史さん:2010/09/22(水) 13:34:18
東南陸行五百里到伊都国

さあ、日本語に
>>29のような間抜けな事はするなよ。
33日本@名無史さん:2010/09/22(水) 14:07:36
陸行とは、陸地での行い。
34日本@名無史さん:2010/09/22(水) 16:25:13
>>23
しかし博多へ行くときには何故か南へ行くと言う
東京から見たら、方角的には京都も博多も大して変わらん

実際の方角だけではなく、それを記す人間の感覚によっても方角の表記は変わってくる
35日本@名無史さん:2010/09/22(水) 17:15:57
東南陸行五百里、伊都国に到る。方角について言えば、末盧国から東南方向に伊都国が
あるということだ。それ以外の読み方は、トンデモだな。
36日本@名無史さん:2010/09/22(水) 17:20:03
読み方はトンデモだが
そもそも記述が正確であるかという疑問がないわけではない

個人的には伊都国までは比較的正確に記述されているのではないかと思う
37日本@名無史さん:2010/09/22(水) 18:13:36
>>35
なんで東南方向になんて日本語読みしてるんだよ?
38日本@名無史さん:2010/09/22(水) 18:32:46
>>37
じゃあ何て読むの?
39日本@名無史さん:2010/09/22(水) 18:37:05
>>37
この、もったいつけっぷりは河童?
40日本@名無史さん:2010/09/22(水) 18:50:19
トンデモ解釈の前フリだろ
スルーしろよ
41日本@名無史さん:2010/09/22(水) 19:04:54
>>29
東南二陸アルヲ行ク、
すなわち常に東南方向に陸地を見ながら東北もしくは西南に進んだ可能性もある
42日本@名無史さん:2010/09/22(水) 19:19:10
>>41
無理読みも甚だしいなあ。
陸が動詞化して「陸アル」になるなんてありえるのw
43日本@名無史さん:2010/09/22(水) 19:22:14
行は名詞
44日本@名無史さん:2010/09/22(水) 19:39:36
形容詞の可能性も100パーセント否定できない
45日本@名無史さん:2010/09/22(水) 19:53:04
で、結局、日本語読みじゃない読みってなんだったんだ?
46日本@名無史さん:2010/09/22(水) 20:03:55
>>45
陸で行い。
(陸地での行為)
47日本@名無史さん:2010/09/22(水) 20:06:57
>>46
はあ?陸で何を行うん?
48日本@名無史さん:2010/09/22(水) 20:09:59
陸を行く。じゃ
目的語+動詞で、日本語そのものじゃん。
陸行は日本語じゃない。
49日本@名無史さん:2010/09/22(水) 20:13:56
>>47
「行う」は動詞
日本語から学び直せ
50日本@名無史さん:2010/09/22(水) 20:15:13
>>47

五百里を行う
51日本@名無史さん:2010/09/22(水) 20:21:19
陸行五百里の時の行は、行うという動詞で、その時の目的語
は五百里。
でも陸行の時の行は、行うの連用で行いと名詞格になる。
52日本@名無史さん:2010/09/22(水) 21:05:29
>>49
「陸で行い」というときの「行い」は「行う」の連用形で、名詞の「行い」じゃないよ。
名詞の「行い」の場合は「陸での行い」になるんだよ。
「陸で行い」というのは「陸での行い」と違って、
「〜を陸で行い」の「〜を」が省略されたとしか認識されないよ。

>>50
「五百里を行う」は、日本語になってないな。
五百里というのは距離であって、距離は行うものじゃないというのが日本語なのでね。
53日本@名無史さん:2010/09/22(水) 21:08:45
>>52

>>46は「の」が抜けてた。  失礼

陸での行い
54日本@名無史さん:2010/09/22(水) 21:13:56
>>52

そこが中国語から日本語に翻訳する時の難しさでもあり
中国語と日本語の違いじゃないかな。

中国語を日本語に忠実に再現するなんて出来ない話だし
日本語としては?でも、中国語としては成り立つという話

あと、言葉で表現する事と文字で表現する事に違いもでるんじゃない
日本語の場合は、音を文字でそのまま表現するのが基本だけれど
中国語はそうじゃないだろう。
55日本@名無史さん:2010/09/22(水) 21:27:03
>>54
>中国語と日本語の違いじゃないかな。

それを言うんだったら、陸行を「陸を行く」と訳してはいけないという非難もあたらないだろ。
そもそも「陸行」は名詞で、「陸上通行」なり「陸上移動」と訳す方が品詞的には合致する。
そこをこなれた日本語にするために「陸を行く」と訳すんだ。

それがだめで、へんてこりんな意味の通じない「五百里を行う」はOKとなるわけがない。
56日本@名無史さん:2010/09/22(水) 21:32:24
それは正論だが認められない
理由はない
とにかくダメだ
直訳でかつ意味の通じる日本語にしなければならない
これまでずっとそうしてきたのだから
いきなり意訳OKというわけにはいかない
57日本@名無史さん:2010/09/22(水) 21:38:00
>>55
陸上は日本語じゃない?
58日本@名無史さん:2010/09/22(水) 21:49:41
>>56
「東南 陸上通行 五百里」で日本語訳になってる。

意味の通じる日本語にしなければならないんから、
「五百里を行う」は駄目だよね。


>>57
何の反論なのか、意味がわかりません。
59日本@名無史さん:2010/09/22(水) 21:52:53
日本語にはなっていないだろ
60日本@名無史さん:2010/09/22(水) 21:56:54
>>58
陸上通行を漢語にすると陸行になるということか?
61日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:00:34
漢文に助詞や前置詞が乏しいから、
恣意的にそれらを補って解釈をしてしまうのかね。
62日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:05:29
英語と同じで漢文は語順で決まる
主語、述語動詞、目的語、形容句 の順
63日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:10:26
なんだここはアマチュアの集まりか。
64日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:14:19
>>60
漢語の陸行を現代語にすると、陸上通行か陸上移動か、そういう表現になるということ。
65日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:14:52
そういう問題ではないと思うがなあ。英語で考えてみればわかるけど、英文をスラスラ読んだり話したりするには
頭の中で英語で思考(といっても欧米人のようにはできんが)しなくちゃならない。そのためには、文章なら数多く
の文脈や言い回しに親しんでいる必要がある。

漢文も同じで、多くの三国やそれに近い時代の文章に慣れ親しんでいれば、いちいち日本語に訳さずとも理解で
きるのだと思う。ああ、この言い回しは前に見たな、というようなことの積み重ね。
66日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:17:40
>>64

陸上は日本語だから陸を日本語表現してもいいけど
通行は漢語だから行を同じ漢語の通行と表現する事はない。
一文字の漢語は一文字の漢語で意味表現されるよ
67日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:19:44
中国人留学生か、中華街の華僑に聞こうぜ。
王将の店員でもいいぞ。
68日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:21:12
>>63は、自分はプロだと言いたいのか?
69日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:24:54
五百里を行うの五百里を日本語にすれば、計測や中国語の測量じゃないの
70日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:30:52
英語でも最初は辞書と首っ引きでわからない単語を訳し、文全体を日本語訳して意味を理解してた。
この経験の積み重ねは絶対に必要。で、この嫌な作業を毎日繰り返してるうちに、語彙が増え、英語
特有の言い回しに慣れ、数年もすると英字新聞がかなりの速度で読めるようになる。

だから、倭人伝だけを取り上げて古代中国人のように正確に意味を掴むなどというのはどうやっても
無理な話。専門家の書き下しや日本語訳を読んで理解するのが一番無難だろうね。
・・・俺は63じゃないよ。
71日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:31:28
>>66
通行は現代日本語

>>69
漢語の「五百里」が現代日本語に訳すと「五百里の計測」ってこと?無茶苦茶です。
72日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:34:08
おいおい、お前らいいかげんにしろよ
日本語と日本の知識だけで好き勝手に解釈していいもんじゃないんだよ
こういう議論をするなら漢語の知識くらいは必須だろ
そして古代中国の文化も知らなければ話にならない
この手の議論は論者を選ぶんだ
誰でも好き勝手に放言することが許されるってもんじゃないんだ
議論をするには必要な知識レベル、資格ってもんがある
そう、俺たちにはその資格がないんだよ
73日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:37:17
>>65
それはちょっと違うんじゃない?

ここは日本語で日本人に伝えるところだから、必ず日本語の要素が必要になってきますよ
74日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:42:49
>>72
なんで資格がない>>72がそんなこと言いだすんだ。
75日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:47:34
やっぱりアマチュアの集まりだわい。
76日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:47:48
>>73
だから漢文の専門家が書き下したのが一番無難だと思う。漢文の専門家と言っても
日本語の専門家ではないだろうから、現代語訳は怪しいけどね。でも別に2chだから
やりたいのならもちろんどうぞ。
77日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:52:53
>>74
解説するとですね
高い知識レベルを持った人が、スレの低レベルな議論に苦言を呈していると見せかけて
実は本人も何も知らない馬鹿だったというギャグなんですね
それに対して「なんで?」って問いかけちゃうのは無粋ってもんだと思うんですよ
もちろん、そのギャグを解説してしまうのも無粋なんですけどね
まあ、ただのギャグじゃなくて、人をアマチュア扱いしてる奴に対する揶揄でもあるんですけど
78日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:53:04
通行が現代日本語だっておかしいだろう
日本語だったら「陸上通行」は陸上ヲ通行スルで、「陸を行く」と同じ
陸を行くを陸上通行と言い変えたに過ぎないよ
だから中国語の「陸行」を「陸上通行」と日本語にすることはおかしいと思う
79日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:58:36
>>77
解説している貴殿はどういう立ち位置なんですか?
80日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:59:56
>>79
本人です
81日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:02:06
>>78
「陸上通行」は「陸上の通行」であって、「陸上を通行する」ではない。
「通行」という名詞に「陸上」が付加されているのだから、
「陸上通行」は名詞であることは変わらない。
だから、「陸上を通行する」にはならなくて「陸上の通行」なの。
82日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:03:47
>>62
副詞はどこに入るの?
83日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:05:19
>>82
副詞は防衛予算が決まってからだ
84日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:07:39
>>83
【審議中】
    ∧,,∧  ∧,,∧
 ∧ (´`д´) (`Д´ ) ∧∧
( `・Д) U) ( つと ノ(ヘ・´ )
| U (  `・) (・´  ) と ノ
 u-u (l    ) (   ノu-u
     `u-u'. `u-u'
85日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:11:27
>>83
思わず吹き出した。当意即妙のシャレとはこういうのを言うんだな。
86日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:18:58
>>81
「陸上通行」が(陸上の通行)なら、陸を行くとは違うよね
通行は行くじゃなくて、ある所を通って行くわけだから
通るというある場所がないと成立しないわけで、行くを通行とするのはあまりにも強引すぎませんか?
87日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:25:17
>>86
漢語「陸行」の「行」は、現代日本語の「行く」ではないから、
「行く」を「通行」としたわけではないよ。

>通行は行くじゃなくて、ある所を通って行くわけだから

これ、本当?
88日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:27:49
日本語を漢文風に解釈したって仕方がないだろwww
89日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:29:22
>>87
嘘か本当か知らないけれど、アホーの辞書にはそう書いてあるよ
90日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:54:38
>>89
そう書いてあるね。
でも、「通る」と「行く」が同じ意味で重ねて一語になってるんじゃないかな。
「道を通る」と「道を行く」は同じ意味でしょ。
だから「通行」は「通って行く」ではなくて「通る」も「行く」も同じだと考えているんだけど。
どうでしょうね。
91日本@名無史さん:2010/09/23(木) 00:01:52
もはや原文から離れて日本語として「通行」と訳したんだろ
だったら日本語の定義ではなく、訳した奴に直接意味を訊けばいいだけのことじゃないのか?
訳した奴が「通行」を厳密な定義に基づいて使用したかどうかわからんのだから
92日本@名無史さん:2010/09/23(木) 00:03:48
>>90
記憶で申し訳ないが

行、通也。通、行也 という記憶がないんだが
93日本@名無史さん:2010/09/23(木) 00:08:20
あれこれひねくってみたところで、結果は同じ。
東南陸行五百里、伊都国に到る。分かり切った話だ。
94日本@名無史さん:2010/09/23(木) 00:16:19
>>93

陸行を陸を行くと訳している人が多いというのは問題じゃないか?
95日本@名無史さん:2010/09/23(木) 00:19:35
>>92
たしかに 行、通也。通、行也 というのは記憶にないけれど、
世に通行する所の云々とかの用法だと、通って行くではおかしいと思うんだよね。
96日本@名無史さん:2010/09/23(木) 00:26:16
>>94
どこがどう問題だというのかな?
97日本@名無史さん:2010/09/23(木) 00:35:35
>>96
陸行は中国語だよ
それを日本語で陸を行くと訳したら
中国語の陸行は、目的語+動詞という構成で成り立っている事になるじゃん
98日本@名無史さん:2010/09/23(木) 00:40:03
>>95

その通行は、通って行くではなく
(広く世間一般に行われること)という意味に相当するんじゃない?
99日本@名無史さん:2010/09/23(木) 00:50:00
>>97
講釈はいいから、それでどう意味がちがうというんだ?
100日本@名無史さん:2010/09/23(木) 01:02:18
>>99

今は意味の違いじゃないだろう
文法のルールをいっているんだ。
ルールにのっとっていない意味の違いを比べたところで意味がない。
ましてや意味ともなれば
解釈がそこに介在する。そうなると益々比べる事も困難になってくるよ
101日本@名無史さん:2010/09/23(木) 01:06:48
中国語と日本語を比べて文法がどうのこうの言ったところで無意味だよ。
何を伝えたいのか、その意味の方が問題なんだ。
102日本@名無史さん:2010/09/23(木) 01:07:24
また不毛なパズルごっこやってるのか、
そんな事やっても永久に結論でないぞ。
103日本@名無史さん:2010/09/23(木) 01:22:09
結論はでているよ。漢文も日本語も分からない人にちょっと教えているだけだ。
104日本@名無史さん:2010/09/23(木) 01:32:57
>>97

  55 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/22(水) 21:27:03
  >>54
  >中国語と日本語の違いじゃないかな。
  
  それを言うんだったら、陸行を「陸を行く」と訳してはいけないという非難もあたらないだろ。
  そもそも「陸行」は名詞で、「陸上通行」なり「陸上移動」と訳す方が品詞的には合致する。
  そこをこなれた日本語にするために「陸を行く」と訳すんだ。


>>98
「通行」という言葉が(広く世間一般に行われること)という意味で使われていて、
その場合、「通って行く」という構成では矛盾するなら、
そもそも「通行」という単語の構成は「通って行く」ではなくて
「通る」と「行く」の類似の語を重ねたと考えるべきだろうということ。
たとえば「飛来」だったら「飛んで来る」だけど
「飛翔」は「飛んで翔る」ではなくて類似の二語を重ねて造語してる。
「通行」は「飛来」型じゃなくて「飛翔」型じゃないのかな。
105日本@名無史さん:2010/09/23(木) 05:17:13
大事なのは中国の文法ではなく
文章の意味なんだが
106河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 06:11:07
通行は二通りあり
一つは漢語の通行。もう一つが、通って行くという日本語を漢字で表現した通行です。
そして漢語の通行の意味が、広く世間に通じる。です
107河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 07:05:33
で、陸上通行だが
日本語「通行」には、ヤフー辞書にも掲載されているように、「ある所を通って行く」
その“ある所”にあたる部分が、陸上となり
“陸上を通り行く”という文が出来ます。
108河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 07:25:43
中国漢籍に掲載されている「陸行」だが
これは漢語なので、先程も述べたように日本語の陸上通行を漢語陸行の意味とすることは出来ません。
日本語の陸上通行を漢字「陸と行」を使って表現した形ものが、日本語の陸行。
漢語の陸行ではありません。

ま、日本語の陸上通行(陸上を通り行く)を陸と行の漢字で表現出来るか?出来ないか?は、別の問題なのでここでは触れませんが
109日本@名無史さん:2010/09/23(木) 07:41:46
では漢語陸行の意味はなんなのかね? いつまでたっても出てこないねえ。
日本語では表現のしようがないとかいう結論かな。
110日本@名無史さん:2010/09/23(木) 07:42:55
素直に陸を行っとけ
111河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 07:45:59
では肝心の漢語「陸行」とはどういう意味か?
漢語。陸が名詞である時、「行」を日本語のように動詞で扱う事は出来ないので、行を名詞格とし扱います。
意味は、行い(行為)

これで漢語「陸行」を名詞として意味解釈し日本語で扱う事が可能になりました。

追伸
間違いがありましたら、訂正よろしくお願い致します。           スレ汚し失礼しました m(__)m
112河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 07:54:20
>>110
陸行は漢語だから、日本語のように素直に
陸を行っとくわけには行かないのよ。

素直に日本語で行っちゃったから、今日に至っても論争の種が尽きないわけで
漢語として扱ってれば
少しは違った展開になっていたかも
113日本@名無史さん:2010/09/23(木) 07:59:59
114河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 08:11:58
>>113
ま、各々好きにやってくれ。
今は以前の河童のように、左上段に構えられたものを、右上段に構え打ち下ろす元気はないよ
せいぜい、脇構えで前に進み剣を合わせるしか

ま、一本目から四本目に前進したという見方も出来るが。
縦目さんなら理解できるか?
115日本@名無史さん:2010/09/23(木) 08:27:57
>>114
あーあの方も理屈を捏ね回して優越感にひたる、残念な人みたいだね

いつまでも空っぽな論争してたいんだよ!って
宣言されちゃあ、ほっとくしかないけど。
116河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 08:36:07
>>115

空っぽ、空っぽって愚痴こぼしててもしょうがないから
空っぽ見つけたら
貴方が肉を付けてやればいいじゃん。
それで全ては丸く収まると思うよ
117日本@名無史さん:2010/09/23(木) 08:39:46
>>116
役に立たない贅肉で膨れ上がってんのがアンタだろ
118日本@名無史さん:2010/09/23(木) 08:48:05
>>111
陸での行いって、具体的に何なの?
119河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 09:07:04
>>118

五百里という値を導き出した計測(測量)


>>117

そんな憎まれ口をきてる余裕があるなら
役に立つスマートな論をぜひとも披露してくれ
まさか
憎まれ口が専門で、古代史論は厨房クラスじゃないよね
120日本@名無史さん:2010/09/23(木) 09:08:29
意味にはこだわらないそうです。
121日本@名無史さん:2010/09/23(木) 09:13:49
だから陸を行けよ
中学生でもわかるぞ
122河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 09:22:08
>>121

>だから陸を行けよ

行けないだろう。日本語の「陸行」じゃないんだから
123日本@名無史さん:2010/09/23(木) 09:23:17
漢語だって行けるよ。
124河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 09:27:45
東南陸行五百里到伊都國 とは

(末盧国の港の)南の東側の陸地を計測したら500里だった。その先には伊都国

簡単に言えばそういう意味
125河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 09:31:10
>>123

行けるなら、それを説明すればいい。
ただ「漢語でも行ける」なら誰でも言える。

別に私の説明が間違っていてもいいんだよ
間違ってるなら
こういう風に間違っていると説明すれば、議論の形になるだろう?
126日本@名無史さん:2010/09/23(木) 09:31:29
支離滅裂だな。
127日本@名無史さん:2010/09/23(木) 09:50:24
行が測量って、4000年にただ一回の解釈が、またひとつ倭人伝に誕生したね。
128日本@名無史さん:2010/09/23(木) 09:53:09
>>119

河童脳丸出しだな。
『行い』の内容がが何かって、この場合『移動する』ことに決まってるじゃないか。
後続の『五百里』は移動に対する補語だ。
事前に何の説明も無ければ普通の人(当時のな人ね)は、そう読むよ。
『計測する』なんて読んでしまうのは、事前説明を受け入れている人(キミ)だけだよ。
で、その事前説明と言うものは、キミの脳内だけでしか行われていない。
これ、キミの言説がいつも素っ頓狂なことの理由なんだけどね。
129日本@名無史さん:2010/09/23(木) 10:03:27
>>128
そうなんだよね。
彼は漢文から情報を読み解くんじゃなくて、
最初に「かくありき」っていう結論があって、
それに合うように漢文を解釈しようとするから、
4000年に一回だけの暗号解読になってしまうんだよね。

彼は、幸せなのかな、不幸なのかな。
言語虫とそのお仲間の迷宮に閉じこもってしまって出られないのは可哀相だけど、
彼自身は満たされているのだろうから、それはそれで幸せと言っていいのかもしれない。
130河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 10:06:01
>>128

>『行い』の内容がが何かって、この場合『移動する』ことに決まってるじゃないか。

決っているのは君の脳内だけだろ
決っているなら、その決っているものを説明すればいいんだよ
ただ「決っている」と押し付けられても
こっちは何のことかわからない。
それに、決っているなら説明だって簡単だろうし
131メ組の人:2010/09/23(木) 10:10:01
河童虫クン久々〜

あいかわらず、東南陸行五百里到伊都ですか。
あまり進歩してないようですなw
132河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 10:11:32
>>129

そういう個人的な雑談はいいから、貴方の意見もここに記載してくれ
4000年に一回でも二回でもいいんだよ
4000年経っても何にも言わない人もいるんだから。
このスレに必要なのは、個人を評論する能力じゃなくて
ここで取り上げられた意見に対する各々の考えや意見だよ

毎回毎回スレ汚しの投稿ばっかりなら、雑談専用スレでも立てて
そっちで好き勝手な事をだべってくれ
133河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 10:13:58
>>131

お久しぶりです。

人それぞれのペースがあるからね
134メ組の人:2010/09/23(木) 10:18:57
そういえば謎の女王卑弥呼スレはどうなったの?
何スレの途中で終わったのか、分かる人おる?
135河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 10:19:05
>>127

>行が測量って、4000年にただ一回の解釈が、またひとつ倭人伝に誕生したね

ま〜都合のいい脳味噌だこと
誰がそんな事言いましたか?
私は「行」=行為と言ったはず。

なんかの読み違いでは?
136メ組の人:2010/09/23(木) 10:22:16
久々に、九州説の河童クンと相手してやろう。

人間だれしも間違う事はある
以上www
137日本@名無史さん:2010/09/23(木) 10:25:44
>>132
>そういう個人的な雑談はいいから、貴方の意見もここに記載してくれ

もう記載してる。陸上移動。

>4000年に一回でも二回でもいいんだよ

4000年に一回で良いわけないじゃん。
4000年に一回しかない用法なんて、当時の人も誰も知らないってことだから、
書いた人以外、誰も読めない。
そんなの報告書でも歴史書でもない。
暗号ごっこ。
仮にチンジュが微言大義を真似て密意を込めたとしても、
表の意味が通っていて、初めて暗号としての働きをする。
一見して誰も読めない意味不明な文章が歴史書として認められるわけないじゃん。
138日本@名無史さん:2010/09/23(木) 10:26:35
>>135
出たw
瓢箪鯰河童
139日本@名無史さん:2010/09/23(木) 10:36:07
>>111 意味は、行い(行為)

>>118 陸での行いって、具体的に何なの?

>>119 五百里という値を導き出した計測(測量)

これで、「行」=行為≠測量って理解しろって、日本人には難しいです。
河童さんって、どこか他の国のご出身ですか。
皇紀2600年とすれば、河童さんは2600年に一回だけの日本語を使うので、日本人には理解できません。
140メ組の人:2010/09/23(木) 10:38:23
倭人伝の行程記事だけど〜
倭人在帶方東南大海之中 依山島為國邑
舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國 ここはいいとして

從郡至倭 循海岸水行 歴韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里

「狗邪韓國」というのは、今の韓国、ようは朝鮮半島最南部というのはだれしもわかる。

始度一海 千餘里至對馬國    対馬のことだよね。

又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國   壱岐のことだ。

又渡一海 千餘里至末盧國    九州に上陸したところ、いまの松浦半島らへん。

東南陸行五百里 到伊都國   伊都國というのは前原市らへんで間違えない。

東南至奴國百里    これは現在の博多。

東行至不彌國百里   福岡県に「宇美」という地名が残る。

そしてここからが問題・・・南至投馬國 水行二十日
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
141日本@名無史さん:2010/09/23(木) 10:43:36
>伊都國というのは前原市らへんで間違えない。
末盧国から東南へ行ったら前原には着かんよ。
142メ組の人:2010/09/23(木) 10:47:03
南至投馬國 水行二十日
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月

に関しては、福岡県の宇美周辺から「南」に「投馬國」と「邪馬壹國」が在るはずだ。
しかし、これらの国がどこの当てはまらないのは皆さんも承知だろう。
日本書紀や古事記、そして考古学からみると、この時代の日本の「都」とは奈良県にあったことは間違いない。
ということはだよ・・・ 倭の都・・・倭というのは日本列島のこと。
この時代の〜日本列島の〜都は邪馬壹國。
邪馬壹國イコール奈良なんだから「投馬國」に関してもこっちの方向だろうよ。
中国地方の大きな国だろう。出雲か吉備か・・・・
143日本@名無史さん:2010/09/23(木) 10:48:07
〜 〜 〜 〜 ,ヘ、〜/ 明石          ┃       佐渡 /ヘ   /
〜 〜 {ヽ_ /  {_/              ┃    「対馬国」 ▲/ /
〜 ヘ/      ★末盧国         ┃          ∠ノ / ニイガタ
/ヘ~        .‖明石海峡大橋     ┃             /
          ‖               ┃ 「一大国」 能登  /
          _ |ヽ■伊都国       ┃      /▲フ   /
       /ヽ/ |/ |       伊吹山  ┃      | 「 /
      |      ヽ ★奴国       ┃      | |__/
       ヽ,  水行 ヽヘ  ★不弥国  ┃     /   トヤマ
       |      ↓ /           ┃ ↓  / カナザワ
     ┌ '        ノ          ┃ ↓ /
    /        ノ           ┃ ↓|フクイ
   丿      ノ ^’            ┗━━━━━━━━━━━
  |_ 水行↓,/洲本市
  /  _/ヘ/▲投馬国
  | |    \                   
 /  >   天 \               
/  /     安 \              
\ |        川       鳴門市   
  ∨             ☆呼邑国    
         徳島市            
       邪馬国 ☆  天        
               岩 ☆為吾国    邪馬国・・・徳島市
             戸             呼邑国・・・鳴門市
144河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 10:50:50
>>139

もう少し自分で考えてくれよ

ここは「行」でも「陸」でも「五百里」でもなく

東南陸行五百里到伊都國 という文のなかの「行」と言う文字
「行」という文字だけでは意味は発生しない

「行」は、目的語となる「五百里」や「陸」という名詞とかみ合う事で
行為と言う意味が発生し

陸+行為+五百里=計測という言葉も発生する(解釈できる)

単品文字が「行為」や「計測」や「移動」という意味になるわけじゃない
前後の文字と組み合わさる事で文となり、意味を導き出す事が出来る訳だ

それが、文章から意味を探りだす行為というんじゃないのかな?

「行為」という意味だって「行」という文字から導き出せるわけじゃなく
「行い」という言葉から導き出せる言葉(意味)
145メ組の人:2010/09/23(木) 10:52:21
>>141
>末盧国から東南へ行ったら前原には着かんよ。

机の上で地図を見ながら言うなよw
それをいうなら対馬、壱岐も同じだろう
「真南」にいっても全然つかんしw
146日本@名無史さん:2010/09/23(木) 10:56:28
>>130

漢籍の地理説明で陸行水行と同じような使われ方をする言葉に馬行船行と言うのがある。
一般人の抱くイメージは『馬』も『船』も移動の為の手段だ。
もちろん馬や船を使って『計測』を行うことは有るだろう。
しかし、『移動』のイメージが強ければ、何らかの事前説明を行うか、
『行』と言う汎用的な表現は避けなければならない。
倭人伝では陸上移動に馬が使用されると想定できないため、
それに代わって陸行水行と言う対句が用いられているが、
これとて、『陸』で行われる行為で最もポピュラーなものが、
『計測』では無い以上、キミ以外の人には計測の意を読み取ることは無い。
147メ組の人:2010/09/23(木) 10:58:21
だから〜分からんやつばかりだな(笑)
現在の天皇は今上天皇だ。
あのTVでたまにみかける御かた。
アイ子様のおじいちゃんになる人ね。

この時代の卑弥呼様も天皇家なの。
今もこの時代もあまりかわっとらんいうことだ。
148日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:06:28
>>145
対馬、壱岐はいいんだよ。他にそれらしき島がない以上、多少大ざっぱな
表現でもまちがえるおそれはないからな。
陸上の場合はそうはいかない、方角が不正確ならばどこへ行くか分からん。
だから、正確に書いているはずだ。東南とあるのに東北へいくのは駄目だ。
149メ組の人:2010/09/23(木) 11:07:46
バカ崎氏も〜あいかわらず、
拙論「卑弥呼と宇佐神宮比売大神」とかいってるのか(笑)
季刊『古代史の海』61号(2010年9月20日発行)だってよw
http://yamataikoku.bbs.coocan.jp/?m=listthread&t_id=79&summary=on

やれ、やれ、だぜwwww
150河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 11:08:20
>>139

陸行の場合の「行」は (行い)

しかし

陸行五百里の「行」は (行う)


陸行=これは名詞だから 静止状態
でも
陸行に目的語となる五百里を加えると 「行」は動詞となって
全体に動きが出来る これが「行い」と「行う」の違い

先ほど「移動」という表現が出たけど
これは「行い・行う」の連用じゃなくて、「行き・行く」という連用から発生する
(移動し、移動する)
151日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:08:51
>>143
南北が逆じゃね
152メ組の人:2010/09/23(木) 11:12:11
>>148
な〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜にが
「対馬、壱岐はいいんだよ。」なんだよ?w
みなみじゃないじゃないか。
どーーーーーーーーいいんだよ?www

なにが「多少大ざっぱな表現でもまちがえるおそれはないからな。 」だw
「陸上の場合はそうはいかない、」勝手に決めるなw
「方角が不正確ならばどこへ行くか分からん。だから、正確に書いているはずだ。」
その当時、人工衛星で調べられた地図なんてないよw
「東南とあるのに東北へいくのは駄目だ。」
かってに東北にいくなwwwwww タコwwwwwwwwwwwwww
153日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:15:43
>>144

『目的語』
行が計測を意味する文例であっても『五百里』は目的ではなく結果だ。
その場合の目的は何かと言えば『距離』だ。
一般人は主語と言えば行為の主体を言い、目的語と言えば客体を言う。
行為の結果や状態を示す言葉は補語と言う。
何も文法上の用語のことをあげつらっているわけではない。
キミの思考内容がかようにメチャクチャな為に結論もメチャクチャだと言いたいわけだ。
物事を考察するに当たって、それが原因なのか結果なのかくらいは理解したまえ。
154河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 11:16:35
>>146

今も>>150で説明したけど

移動は「カ行の動詞活用」です。(間違っていたら修正願います)
だから「行」の読みには

行く・行き
行う・行い    という二つのパターンが掲載されていると思います。
155日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:16:37
人工衛星がなくても、方角の観念は古代からあるんだよ。
正確な方角ぐらい、いくらでも調べる方法はある。
156日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:18:13
八方位で書かれている以上、南南東を南としても問題ない
157日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:19:08
>>154
>移動は「カ行の動詞活用」です
移るはカ行で活用するのか?
158日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:20:05
てか海中で正確な進行方向わかるやつすげええ
野生のコンパス君か?
159メ組の人:2010/09/23(木) 11:23:11
>>155

あんたさぁ

上陸地点、到着地点てわかる?
倭人伝のどこに末盧國の市街地から東南方向に伊都國が在るなんてかいてあるんだよ?
それは、阿多他のモーソーだろ・・・
160日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:25:14
>>メ

そんな突っ込みようもないチラ裏は止して、
不在中に行ってきた遺跡や神社の感想文でも書いたらどうだ。
その方が面白いと思うよ。
161河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 11:26:30
>>153

理解する事には吝かではないけれど、どのように目茶苦茶な結論になった?
私の思考が滅茶苦茶だから

陸行は陸を行くという結論になるの?
162メ組の人:2010/09/23(木) 11:27:01
>>160
あれっ
おれの事知ってる人かな?

>遺跡や神社の感想文

最近は仕事が忙しくいってないな〜(><)
163日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:29:31
>>159
末盧国に至る。〜東南陸行五百里、伊都国に到る。
これは、末盧國の東南方向に伊都國が在るということだ。
普通に漢文が読める人は、皆そう読むよ。
164河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 11:30:04
>>157

>>150を読んでください。
165日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:30:30
>>154

何が言いたいのか全くわからない。
166メ組の人:2010/09/23(木) 11:33:06
>>163]
じゃ、伊都國は前原市ってことになるな。
167メ組の人:2010/09/23(木) 11:34:57
河童虫クン
そろそろ泣き目になってない?w
なんかそんなかんじにみえてくるww
168日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:36:40
>>166
意味不明だな。おつむの程度が疑われるぜ。
169メ組の人:2010/09/23(木) 11:38:05
>>168
ん?おぬしの考えがいまいちわからん。
あんたはどこが邪馬台国で
どこが伊都にしてるんだっけ?(°〜°)
170日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:42:51
>>169
話の出発点はここだ。
141 :日本@名無史さん:2010/09/23(木) 10:43:36
>伊都國というのは前原市らへんで間違えない。
末盧国から東南へ行ったら前原には着かんよ。
171河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 11:43:02
>>167

腹は減ってきたけど
それよりも、口を挟んだ以上タダで帰るつもりはないよね?

>>150に対する意見を置いてってほしい。
納得できる意見なら、修正する柔軟性はある
172メ組の人:2010/09/23(木) 11:44:09
河童虫クン はあいかわらず、

卑弥呼が二人、三人・・・おっぱい居る〜〜とかバカなこと言ってるのかな?ww
オッパイ居るのは斎宮の姫でしょwww
173メ組の人:2010/09/23(木) 11:47:55
>>170
ほう、おれは前原市に着くけど
お前さんはどこに着くんだい?w
174河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 11:50:19
>>172
そういうネタは余所で頼む。
今はそういう流れじゃないだろう? 
で、>>150に対するあなたの意見・考えは?
175日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:51:27
>>171

わけの分からんものに考えも書けんだろう。

今、旅先の新幹線の中だ。携帯の電池も尽きそうだ。
午後には帰宅出来るから心残りが有ったら好きなことを書いておけ。
それが理解できればレスする。
176メ組の人:2010/09/23(木) 11:52:26
>>171
>>150に対する意見を置いてってほしい。
>納得できる意見なら、修正する柔軟性はある

ん?これはおれにいってるのかい?

んー>>150よんだけど〜おれもサッパリでつわwww
どうコメントすればいいんだろうねってかんじw
177日本@名無史さん:2010/09/23(木) 11:57:45
>>174
陸行・陸行五百里の行が何故行い・行うであって、行き・行くではないのかの理由が示されてない。

ちなみに、行う に相当するのは 行く だけど、
行い に相当するのは、行き じゃないよ。
行い に相当する 行く の名詞化した言葉は無いんじゃなの。
行き はあくまで 行きの列車 のような意味でしか使わないから。
178河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 12:00:35
>>175
「おいておけ」って、何様のつもりだよ。
口のききかたも出来ないの?
179河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 12:02:24
>>178
誤字訂正

書いておけ
180メ組の人:2010/09/23(木) 12:07:32
現在の天皇 「今上天皇」の天皇家の歴史は非常〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぉに長く
その初期の頃の天皇家に関しては古事記や日本書紀、神社の伝承でしることができる。
そして我々が扱ってる中国の文献 三国志の倭人伝にも卑弥呼という人物が登場する。
ここでも天皇家が記載されてるってこった。
181メ組の人:2010/09/23(木) 12:10:13
ふん!
182日本@名無史さん:2010/09/23(木) 12:12:09
>>174
>陸+行為+五百里=計測という言葉も発生する(解釈できる)

なんで「陸」及び「五百里」とセットになる行為が「計測」に断定できるんだ?
「陸」と「五百里」に絡む「行為」なら、「移動」もあるし「開墾」かもしれない。
なんで、それらの候補じゃなくて「計測」と断定できるんだ。
183日本@名無史さん:2010/09/23(木) 12:16:23
>>174
なんで「陸+行+五百里」だと「行」を計測と解釈できるんだ?>>144
だったら「卓行飯」で「行」を食べると解釈できるのか?
それが可能なら、「行」一字で、すべての行為を表現できるんだが、それで良いのか?
184河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 12:20:34
>>177

>ちなみに、行う に相当するのは 行く だけど、
行い に相当するのは、行き じゃないよ。


(おこなう)と(ゆく・いく)は別の言葉だから相当しないと思う。


>行い に相当する 行く の名詞化した言葉は無いんじゃなの。

仙台行・東京行 (目的地+行) で、この場合送り仮名は付けない


>陸行・陸行五百里の行が何故行い・行うであって、行き・行くではないのかの理由が示されてない。

貴方が答えを言ってるよ
「行き はあくまで 行きの列車 のような意味でしか使わないから。」

そう、目的地+行で用いられ、この時の「ゆき」は名詞化されたもの
「陸行」の陸は目的地ではないので行を(ゆき)とする事ができず、(おこない)と
するのではありませんか。

185日本@名無史さん:2010/09/23(木) 12:22:31
>>173
小城、あるいは佐賀あたりに着くね。
186河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 12:23:05
>>182

移動については今>>184で説明したので省くけど

では
ここに書かれている五百里という値はどっから持ってきたんだい?
187河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 12:27:30
>>183

言おうとしている意味がわかりません。

188メ組の人:2010/09/23(木) 12:34:19
>>185
>小城、あるいは佐賀あたりに着くね。

机上でガタガタ言ってても意味なし。
お宅は人工衛星で映し出された現在の地図を見てそう思うんでしょ?

「現地」の松浦半島から東南方向を眺めたことある?
189河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 12:37:38
食べるなら「食」という文字があるのだから
行を使う必要もないし、思いつく事もありません。
190日本@名無史さん:2010/09/23(木) 12:38:10
>>188
あるよ。それが何か?
191メ組の人:2010/09/23(木) 12:43:05
>>190
うそつけw
それでそうして佐賀につくんだよw
192メ組の人:2010/09/23(木) 12:52:21
机上でガタガタ抜かす奴が多くて困る〜〜〜 ┐( ̄ヘ ̄)┌  はぁ

193日本@名無史さん:2010/09/23(木) 12:53:42
方向と距離を先入観なく読むと、
末盧国が松浦市なら伊都国は伊万里になる
東松浦半島北部なら唐津が伊都国
唐津を末盧国とするなら多久が伊都国に当てはまるように思える。
素直に考えると前原市は有り得ない。
194日本@名無史さん:2010/09/23(木) 12:55:51
机上で何が悪い?
無理して遺跡を比定地に当て嵌めていこうとするから矛盾が生じるのでは?
195日本@名無史さん:2010/09/23(木) 12:58:22
>>191
何で着かないと思うんだ? 意味が分からんな。
196日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:00:46
>>188
ヨコレスします。

松浦半島からの小城は東南の方向じゃなく、東南の方位に小城じゃないかと思っちゃったりして
突然生意気で、細かな事言ってごめんなさい。
197メ組の人:2010/09/23(木) 13:09:26
>方向と距離を先入観なく読むと、
>末盧国が松浦市なら伊都国は伊万里になる

ならねえよww

>東松浦半島北部なら唐津が伊都国
>唐津を末盧国とするなら多久が伊都国に当てはまるように思える。
>素直に考えると前原市は有り得ない。

多久は南だろww

んでこの時代に海外と外交のあった所はどこよ?
松浦とか博多、それから〜筑紫が頻繁にやってるよな

郡使往來常所駐

皆臨津搜露

伊都國⇔半島間で多くの物資が持ち運びされただろう。
その伊都国がなんで「多久」なんだよ〜このバカ笑える www
198日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:16:34
>>197
だからそれが先入観
199メ組の人:2010/09/23(木) 13:18:10
たとえば、自動車をある程度知ってる人と
そうでない人が話した場合話が噛み合わないよな
まさに今この状態だと思う。

おれも大したことないけど〜おれとあんたらとで話が噛み合ってないなw
200日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:23:46
鹿児島湾の隼人の地に近い十三塚原、ここは元々は十三(とみ)塚といい、登美彦(=大彦)の支配していた土地だとわかる。
もしかしたら、このあたりに邪馬台国があったのではないだろうか?
霧島周辺が気になります。
201日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:26:41
>>199
車好きばかりが車に乗るわけではないだろう?
あまり車に興味のない客にも分かりやすく説明・販売できるのが良い営業。

東南って書いてあるのに北東に進む理由が分からないので、分かりやすく合点のいく解説よろしくお願いします。
202日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:29:14
やっぱりジモティ目線で見てもおかしいんだね
グーグルマップで見てるだけの厨でも
唐津から佐賀なんて罰ゲームとしか思えない
203メ組の人:2010/09/23(木) 13:36:21
>>201
>分かりやすく合点のいく解説よろしくお願いします

あいよ
ではいくぞ

狗邪韓國は今のプサン周辺
對馬國は今の対馬
一大國は今の壱岐  で決まってるっていうのは知ってるよな?
これを知らないんじゃあ話にならんぞ?

んで、そこから末盧國に上陸するんだけどこれは松浦半島ってことは分かるよな?
プサンから松浦半島まで倭人伝には「南」と書いてあるけど、実際には南ではないんだよね。
伊都國の位置だけど、おれが197で書いたとおりで、伊都國⇔半島間で頻繁に者が運ばれてる。
そこからいうと前原が一番しっくりくるだろう。
倭人伝には東南ってかいてるんだけどもっと細かく「東東南」ってかいてくれてれば有り難かったのにな。
そういうこっちゃ〜
204日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:39:31
>>203
>>28を見てみ。地元民も納得の道だから。
205メ組の人:2010/09/23(木) 13:42:12
ほらね、

>>204さんと話がかみ合ってないwww
206日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:44:41
>一大國は今の壱岐  で決まってるっていうのは知ってるよな?

>「南」と書いてあるけど、実際には南ではないんだよね。

そりゃ勝手に決めたり勝手に実はこっちなんだよね
をやってたら、かみ合いませんがなwww
207メ組の人:2010/09/23(木) 13:47:35
疲れた〜〜w

誰か206さんお相手してやってw
おれは寝るンであばよwww
208日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:48:12
>>203
伊都国〜半島間で頻繁な往来があったってことを考えると伊都国は日本海側に面してなければ辻妻が合わないってことですね。
ありがとうございました。

ただ、(しつこいようかもしれませんが)あらゆる関連を白紙にし、東南に行けば山中に入っていくように思えます。

末盧国は東松浦半島?北松浦半島?唐津?それによっても変わってきますよね。
209日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:48:38
>>207
勝った!ここに勝利を宣言します!(^o^
210日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:50:08
>>208
東に行っても東南に行ってもオカシイなら、
末盧国の場所からして違うと考えるのが妥当です。
211日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:53:34
調子いい辻褄合わせの奴や脳。
衛星写真見るなと言っかと思ったら、自分では実際にときた。
壱岐は対馬の南じゃないことをどうやって確認すんだよタコ。
212日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:58:32
対馬経由で朝鮮半島にわたるルートは、距離こそ短いけれど、
潮流が速く、また天気が急変しやすいので小型の船舶では非常に危険なのです。
現在は、気象レーダーや気象衛星の情報により台風や低気圧の接近をいち早く知ることができるけれど、
卑弥呼の時代よりずっと下った遣唐使も遣隋使でさえ、よく遭難しました。

そこへ行くと日本海ルートは、風向きが安定しているので、春から夏場にかけて東風に乗って大陸に渡り、
冬になって西高東低の気圧配置が強まる前に西風に乗って帰国するという風まかせの航海が可能だったのです。
渤海との交流は、この風を使って行っていたし、このルートで魏に使いを送ることも可能だったはずです。

末盧国=舞鶴説に賛成です。
213日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:58:40
>>210
東南に行っておかしいことは何もないでしょう。例えば、唐津から東南ならば
厳木や多久を通る道が必ずあったはず。唐津から佐賀へ抜ける道がないなどと
いうことは不自然な想定ですよ。
214日本@名無史さん:2010/09/23(木) 14:06:33
>>212
なるほど。
対馬辺りは東シナ海からの海流が直撃しますもんね。
レクチャーありがとうございます。

ちなみに奈良へ向かう場合は、
舞鶴ではなく、敦賀(福井)からの上陸だと思います。
琵琶湖の水運が使えますので。
215日本@名無史さん:2010/09/23(木) 14:09:16
じっ、じっ、自演は楽しいな〜。
216日本@名無史さん:2010/09/23(木) 14:16:29
危険な場所の先に目的があれば、危険を承知で通らなきゃならん。
危険だからと
相手の国を移動する事は出来ないだろう。

危険なマゼラン海峡や喜望峰沖を通るのは、先に目的があるからだ
217日本@名無史さん:2010/09/23(木) 14:17:09
福岡市中央区にも舞鶴がありますねぇ
218日本@名無史さん:2010/09/23(木) 14:21:11
>>217
てっきりそっちの方だと読んでしまってた。

九州人
219日本@名無史さん:2010/09/23(木) 14:35:58
まあ、今の畿内説はエジプト説と似たレベルですから。
220『新幹線の人』:2010/09/23(木) 15:44:32
>>178

> 150

> 陸行の場合の「行」は (行い)←レス者注:名詞形、日本の学校文法で言うと「連用形」のこと
> しかし
>
陸行五百里の「行」は (行う)←レス者注:動詞形、同じく「終止形又は連体形」

> 陸行=これは名詞だから 静止状態
(レス者注:「静止状態」注:言わんとしたいことは判るが名詞で表現できることはそれだけではないし、後続の説明に絶対必要でも無いな)
> でも
> 陸行に目的語となる五百里を加えると 「行」は動詞となって ※レス者注:ここがポイントですな。
> 全体に動きが出来る これが「行い」と「行う」の違い ※レス者注:態々こんなことを書かんでもと。

 何故、『五百里』が目的語(客語)だと思うのか?その理由が説明されていないのだ。
 御本人は『行が動詞だから』と言うのが「理由」になると思っているのであろうが、そう言われても常人には理解できない。
 「?」を列挙すると
 1 動詞は必ず目的語を必要とするのか?
 2 『五百里』は或る行為の対象(客体)と成り得るのか?
 3 『行』を距離を計測する意味と解したとして、『五百里』と書かれていれば、それは計測の結果で有って、計測の対象とは誰も考えないだろう。

要するに『陸行五百里』と言う文字列を見て、普通の人は”『陸』は『五百里』を『計測』する”なんてイメージは描かないのだ。
倭人伝での文章の流れは、帯方郡から順次視点が移動して行くことを基調としている。
その流れの中で行われる行為『行』の内容を一番素直に受け入れられる解釈は『移動』であり、
小面倒臭い屁理屈など捏ねない一般人が抱くイメージは「陸の上を500里移動」と言うくらいのもの。
よって、『馬行・船行』の例と同じく、『陸』は『行』の実行方法(陸上)を指示し、『五百里』は、その内容を補っているだけ。

> 先ほど「移動」という表現が出たけどこれは「行い・行う」の連用じゃなくて、「行き・行く」という連用から発生する
> (移動し、移動する) ※
レス者注:ここで書かれる「連用」は学校文法で言うところの「活用」のこと)
※レス者注:「行」の原義は人の歩く様、歩行から、事物や時の進行を表すところ。和語「おこなう」は表記にこの字を当てるが派生的なもの。
221河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 16:29:30
>>220

ありがたく読ませていただきました。返レス感謝致します。

質問にお答えします。
>1 動詞は必ず目的語を必要とするのか?

必ずと言われると「はい」答える事はできません。

>2 『五百里』は或る行為の対象(客体)と成り得るのか?

「五百里」そのものではならないでしょう。
しかし、この五百里が何処の馬の骨かわからなければ、この五百里だけでその出所を示さねばならないと
考えます。(私見と言われるかもしれませんが)
「私見だ」と一笑されればこの後の説明は無駄になるため、ここで一旦文を切ります
それ以降は
私の目的語だという意見も、私見の上に成り立つものであるから
ここで私は何を述べようが、私見が根底となった意見ですので不成立と言う結果になります。


>3 『行』を距離を計測する意味と解したとして

そう解す必要はないと思います。
「行」が計測というのではなく、陸行五百里のなかの行が行為という意味で
その行為は計測と解釈できるのではないかと

ここでの計測は、歴史的背景を考慮し「歩測」と判断。(ま、これも私見ですが)


222日本@名無史さん:2010/09/23(木) 16:35:17
伸びてると思ったら河童無視か
あいかわらず人気者だな
大半は河童虫のレスだけどw
まあ、結論が出たら教えてくれ
223日本@名無史さん:2010/09/23(木) 17:13:30
細かな私見や妄想を指摘し始めたら、掲示板その物が成り立たなくなる。
224日本@名無史さん:2010/09/23(木) 17:29:37
>>221
「陸で行為しました。五百里です。」
じゃ日本語として意味をなしませんよ。
「「行」の意味は「行為」であって、決して測量じゃありません。解釈すると測量です。」
って、それも意味をなしてないですね。
あなたのいう「解釈」が、我々のいう「翻訳」なので、
あなたの説は、あなたがどのように主張しようと、
その「行為」を「測量」と訳してしまっているんですよ。
225日本@名無史さん:2010/09/23(木) 17:42:04
「陸で行為しました。五百里です。」 ここまでは認めるとして。

この「行為」が「測量」である根拠はないな。五百里を「逆立ち歩行」したのかもしれんし、
「石蹴り」しながら進んだのかもしれんし、そのレベルの与太と同じだな。
226日本@名無史さん:2010/09/23(木) 17:49:03
チョメチョメしたんだよ
227『新幹線の人』:2010/09/23(木) 18:00:29
>>221
取り敢えず「続き」は出てこないみたいだな。
ポイントを整理。

> >2 『五百里』は或る行為の対象(客体)と成り得るのか?
> 「五百里」そのものではならないでしょう。
> しかし、この五百里が何処の馬の骨かわからなければ、この五百里だけでその出所を示さねばならないと
> 考えます。(私見と言われるかもしれませんが)

つまり、一行目で否定しても、FAは「成り得る」と言うことね。

> >3 『行』を距離を計測する意味と解したとして
> そう解す必要はないと思います。
> 「行」が計測というのではなく、陸行五百里のなかの行が行為という意味で
> その行為は計測と解釈できるのではないかと

ここでも一行目で否定して見せてはいるが、「その行為は計測と解釈できる」では全くの「肯定」ですよ。
私の書いた仮定”『行』を距離を計測する意味と解し”を単に言い換えたに過ぎない。

まあ、ここでの論点は
『五百里』が計測の『対象』なのか『結果』なのかだ。
あくまでも対象(目的語)と言うのであれば、それを和語で表現すると『五百里』を『行(測)る』と言うことは、或る場所の500里先がどこか、
又は既に500里とされている距離が真実『五百里』なのかを検証する時くらいにしか成立しない。
漢語でも同じだと思うよ。

> ここでの計測は、歴史的背景を考慮し「歩測」と判断。

『歩測』するなら歩くんだろう、歩くなら『移動』したんだよ。
普通の人は、「行五百里」と有れば、五百里でありことを計測するために歩くなんて考えない、歩いて移動した結果が五百里だった、と考えるんだよ。
もともと『行』の本義が『進む』なんだから、態々『測る』なんて珍奇な読みをしなくても、500里移動することに違いは無いだろう。

228河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 18:00:35
>>225

>この「行為」が「測量」である根拠はないな。五百里を「逆立ち歩行」したのかもしれんし、
「石蹴り」しながら進んだのかもしれんし、そのレベルの与太と同じだな。

そのレベルの与太と同じだな。と結論がでているようなので
>>225に対してのコメントはしませんね。


>>224

>「陸で行為しました。五百里です。」
じゃ日本語として意味をなしませんよ。

日本語として意味をなさなければならない理由なんてあるんですか?
そのところはこちらが聞きたいくらいです。
229日本@名無史さん:2010/09/23(木) 18:10:32
「五百里」といってもその時に計測した、とする根拠はない。以前の計測結果や倭人からの伝聞で距離はあらかじめ
わかっていたところを単に進んだだけかもしれない。その時初めて伊都国に行ったのかどうかはわからない。
さらに、歩測したのなら「四百八十七里」とか出したいよな〜、という突っ込みもありそうだ。
230日本@名無史さん:2010/09/23(木) 18:15:45
その時に計測しながら進んだのかどうかはわからないだろう。以前の計測結果かもしれないし、倭人からの伝聞かもしれない。
この地理的記述は、魏使が初めて倭国を訪れた時の紀行文ではないから。
さらに、歩測しながら進んだのなら「四百六十七里とかにしたいよな〜。せっかく測ったんだから。」という突っ込みも入るかも
しれない。
231日本@名無史さん:2010/09/23(木) 18:35:27
>>228
>日本語として意味をなさなければならない理由なんてあるんですか?


1、あなたは、古代漢語を古代漢語として直接理解できるのですか。
2、あなたは、あなたの理解を他の日本人に理解できるように提供するという意図はないのですか。

あなたが1が可能で、その内容を現代日本人と共有する気がなければ必要ないですね。
でも、それなら、意味をなさない日本語に置き換えてること自体ナンセンスですよね。
倭人伝原文のままで用は足りてるんだから。
2chに書き込んでるんだし、古代漢語をへんてこな日本語に置き換えてる以上、
現代日本人に成果を提供する気はあるんでしょ。
ならば、日本語として意味をなさなければいけません。
以上。
232メ組の人:2010/09/23(木) 18:36:15
倭人伝の南は、実際は東南
倭人伝の東南は、実際は東
233日本@名無史さん:2010/09/23(木) 18:38:45
となると、倭人伝の東は実際は東北か。東北、渡海千里。どこのこっちゃ。
234日本@名無史さん:2010/09/23(木) 18:48:30
絶対に何らかの有益な結論は出ず、中途半端に議論が終わるというのが河童節のいいとこだよな。
2chらしいし、暇潰し感がよく出ている。
235河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 19:29:33
ごめん。レス中止
今からベストキッド見に行こうと、突然かあちゃんに誘われたから
ジャスコのシネマに行ってくる。
8時過ぎると1200円なんだって。

236日本@名無史さん:2010/09/23(木) 19:34:24
軍人の文章がもとになっているのなら
行とは進軍の意でしょう。
字義ばかり追いかけてるからイメージが浮かばないんだよ。
237日本@名無史さん:2010/09/23(木) 19:39:25
>>235
ほう、そりゃ良いね。楽しんできて。
しかし、かつてのベストキッドは空手だったけど、こんどはカンフー。
なんか、当時の勢いのあった日本の位置を、いま中国が占めてる現実の反映なんだろうね。
238日本@名無史さん:2010/09/23(木) 19:48:56
だろうね。この人たちのやってることは別世界だから。魏使の行動が、倭人伝の記述の
原資料になってるかどうかは何ともいえないけど、魏使についてなら、建中校尉梯儁は
尉官で通常数百人の配下を持つ。数万の大軍で公孫氏を滅ぼした直後ということを考え
れば、倭国には百人以上規模の軍が来て、軍規に従って機敏に行動したと思う。当時の
中国の行動パターンからしても。
239日本@名無史さん:2010/09/23(木) 19:54:47
>>235

AEONCINEMAのレイトショー扱い(1200円均一)は、8時以降上映開始の場合だけだろう。
ベストキッドみたいな子供向け作品も茨城じゃレイトショーでやるのかw
それより、「夫婦とも50才割引」の1000円均一の方がお得だよ。
240日本@名無史さん:2010/09/23(木) 20:07:10
>>238
えっ、使節団ご一行様は道なき道をユクーリのんびりと進んだんじゃないの

北部九州地方を少し南下するだけでもかなりの日数をかけて
241日本@名無史さん:2010/09/23(木) 20:25:02
>>240
道なき道は確かだろうけど、それは陸行1ヶ月を消化したい九州説の解釈だろうね。
魏使のキャップは文官じゃないんだ。
242日本@名無史さん:2010/09/23(木) 20:38:11
魏の書記係が嘘つきだから全部パーでしょw
243日本@名無史さん:2010/09/23(木) 20:40:16
大中華ファンタジー(笑)
244日本@名無史さん:2010/09/23(木) 22:45:33
245日本@名無史さん:2010/09/23(木) 22:59:27
やまんばは先祖帰りだったのか
246日本@名無史さん:2010/09/24(金) 03:41:14
>>241
郡使往來常所駐.っていうくらいだから、道はちゃんと整備されてたんだろう。
草木茂盛,行不見前人.というのは、その土地の特徴で、珍しいからわざわざ書いたんだ。
倭地温暖みたな、倭全体の特徴を説明した部分の記述じゃないから。
247日本@名無史さん:2010/09/24(金) 04:34:15
上のほうのレスをみたが、末露国が、舞鶴だってw?
おまえら、無茶苦茶言っているなw

248日本@名無史さん:2010/09/24(金) 06:03:35
東シナ海ではなく日本海の方が安全に航海できる
という話は、とても説得力がある。

帯方郡の郡使が伊都国に滞在した事も、説明がつく
249日本@名無史さん:2010/09/24(金) 06:09:21
安全な海などない
海を渡るときは最短距離が常識
250日本@名無史さん:2010/09/24(金) 06:31:34
そりゃバカが海を渡るのはどこだって危険だなw
251日本@名無史さん:2010/09/24(金) 06:58:12
海を渡るのに安全なんて関係ないし、
渡らなきゃ行けない所は渡る。って        
倭人伝には関係ない事だが
252日本@名無史さん:2010/09/24(金) 07:01:18
距離の単位で書かれたフミ国あたりまでは北九州だけど
そこから、水行○日という記述にかわるんだわ。
投馬国(ヅマ国)=出雲国
邪馬台国(ヤマト国)=大和国
この二カ国は人口多くて、船での移動でかなり遠い場所にあることが分る。
253日本@名無史さん:2010/09/24(金) 07:03:30
そして、その邪馬台国(ヤマト国)は、
遠隔地にある伊都国に、一大率を設置して、諸国を監視したり
外国からの使節を出迎えたり、文物のやり取りをして
それを邪馬台国に送っていた。
254日本@名無史さん:2010/09/24(金) 07:07:53
一大率は、一言主だな。

出雲国譲りで登場する一言主は、
出雲が大和盆地の葛城に派遣していた役所だけど、

魏志倭人伝に登場する一大率(一言主)は
邪馬台国(ヤマト国)が伊都国に派遣していた役所。
255日本@名無史さん:2010/09/24(金) 07:11:52
郡から九州が遠いと言われてないのに、
九州から本州がなんで遠いんだよ
256日本@名無史さん:2010/09/24(金) 07:13:32
邪馬台国は出雲だろ
257日本@名無史さん:2010/09/24(金) 07:21:00
一大率とか、一大卒って
上古音や中古音で、なんと発音するんだい?
258日本@名無史さん:2010/09/24(金) 07:27:00
そんなものない
259日本@名無史さん:2010/09/24(金) 07:36:16
だいり=内裏
260河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 07:57:16
「五百里」と書いてあるのに、誰も何も気付かないのかな?
私に突っ込み入れていた人も気付かないのかな?

実に悲しい話だ。
261日本@名無史さん:2010/09/24(金) 08:05:30
五百里は一般的には距離と思われてるかもしれませんが、実は地名です。
262日本@名無史さん:2010/09/24(金) 08:13:11
違います。五百里は人名です。文章全体の主語となります。

「東南陸行五百里到伊都國」は、東南に陸を五百里が行くと伊都国に到る、と解釈します。
263日本@名無史さん:2010/09/24(金) 08:14:35
つまり五百里以外の人が東南に進んでも伊都国には到達し得ないという意味を言外に含んでいるのです。
264日本@名無史さん:2010/09/24(金) 08:17:58
五百里は「ゴモラ」と読み、神に呪われた人です、かの「さまよえるオランダ人」と同様に。魏使一行は五百里を
棒に縛り上げて行列の先頭に掲げ、行軍したのです。
265日本@名無史さん:2010/09/24(金) 08:19:05
止めろ、基地外。
266日本@名無史さん:2010/09/24(金) 09:07:18
>>260
気付いて欲しいことがあれば、はっきり言えよ。乙女じゃあるまいし。
267河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 09:30:17
ここに記された数値は
単純に人が移動した距離ではないという事。    これ以前にこの数値を記した資料がない以上。測量しながらの移動
そう解すべきもの
書には、その行為によって得られた情報の最終的な数値を記す事で
それらの諸事情を含むものとし、歴史とした。   
この魏の時代以降の書に記録された五百里は
魏の時代に数値を刻んでいるので、五百里という距離を人が移動した。と読む
268日本@名無史さん:2010/09/24(金) 09:37:22
ますます迷宮に嵌っていってるなあ。それ中二病だよ。
269河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 09:43:09
だからと言ってこの測量が、魏の時代に行われと
いう事にはならない。初めて記録されたのが魏書というだけで
魏という事にはならない。では何時か?
史料を覗いて見ると、漢書には倭人との外交記録がないので、前漢時代ではない。一番早い外交記録は
後漢時代となるので、後漢時代か魏の時代の測量
による数値結果ではないか。
270日本@名無史さん:2010/09/24(金) 09:43:27
測量をしたのであれば、直線距離であって
「五百里という距離を人が移動した」
という実移動距離ではないだろう
もう少しがんばれ
271河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 09:45:22
>>270
だから行の文字。
272日本@名無史さん:2010/09/24(金) 09:49:42
おまいら仕事行かないの?
もしかしてリアルでニート?
273河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 09:52:36
一週間の休み。

有給沢山残っていたし。前半休日出勤も多くてね
274日本@名無史さん:2010/09/24(金) 09:55:31
>>270
地図のない時代に直線距離って意味あんのかなあ。
航空機無いんだから、軍事情報としては実移動距離が大事でしょう。
275日本@名無史さん:2010/09/24(金) 09:55:59
うんうん、そうだね
いいんだよ
わかってるんだから
276日本@名無史さん:2010/09/24(金) 09:57:38
>>274
おそらく地図はあったろ
277日本@名無史さん:2010/09/24(金) 10:03:02
おそらくじゃなくて、有ったか無かったか。
278日本@名無史さん:2010/09/24(金) 10:03:49
>>276
中原には地図はあったのはたしか。
始皇帝暗殺のところで地図を献上する話が史記にあるし。
けど、倭には無かったんじゃないかなあ。憶測だけど。
まあ、どちらにせよ、現代でも鉄道は営業距離で直線距離ではないし、
この五百里が直線距離ってのには、違和感があるなあ。
279日本@名無史さん:2010/09/24(金) 10:04:26
地図くらい小学生でも書くんだから
あったに決まってるだろ
280日本@名無史さん:2010/09/24(金) 10:08:00
有明海の入り口の八代から南なら
船で直接行った方が楽かも知れない。

松浦からあえて上陸したと言うことは
長崎を回って有明海に入ってくるよりも、
上陸した方が行きやすい場所にあると言うことだ。
281日本@名無史さん:2010/09/24(金) 10:09:20
小学生でもは、現代の話で
282日本@名無史さん:2010/09/24(金) 10:10:25
弥生人が白痴だとでも思っているのか?
283日本@名無史さん:2010/09/24(金) 10:14:27
直線距離の測量は難しいし、
道によっては遠回りしないと、
たどり着かない場所もあるだろう。

だがせいぜい直線距離の2倍程度で
3倍超えることは非常に珍しい。
昔から使われている街道なら、
山や水域の適当な場所が開拓されているものである。


それよりも山登りだと、距離の割には日数が必要になる。
284日本@名無史さん:2010/09/24(金) 10:14:43
思っているとか、思っていないの話じゃなくて
地図を作成するという意志のもとに描かれたものか

結果地図のように見えなくもないと位置付けられた絵か?
後者の場合、地図ではない。
285日本@名無史さん:2010/09/24(金) 10:32:37
陸行五百里と「行」の字があるんだから、実移動距離だろうね。
もちろん「行」は行為とか測量とかの戯言じゃなく移動ね。
286河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 10:40:41
>>285
それは倭人伝が、北史や隋書の位置付けにある時は
移動(視線)で問題ないと思うし、
現に私もそう見てる。  しかし、倭人伝は違う。
結果を記した歴史書の他に、記録に至った経緯もそこに含まれる(担う)という事。
287河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 10:50:15
倭人伝以前に同じ事を記録したモノが存在
しないんだよ。
存在しないという事は、人が移動している間は数値が生まれない(認識できない)という事。
そして移動完了し初めて数値が誕生するわけ
つまり、移動している間は常に測量という意思のもとでの移動だったという考え。
288日本@名無史さん:2010/09/24(金) 10:54:43
>>287
莫妄想
289河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 10:58:37
ようするに
東南陸行五百里

と記録されたものでも、書物の置かれた位置によって、その意味は異なるという話。

文法のルールは同じでも、解釈という段階では違ってくる
290河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 11:02:15
>>288
どこがどのように妄想なのか伝えないと
相手には伝わらない。

それとも口癖?
291日本@名無史さん:2010/09/24(金) 11:04:56
>>290
普段、君のレスを読んだ人は、同じように感じてるんだな。
どこがどのように・・・、結局何が言いたんだ・・・etc
今後思わせぶりなレスはやめような。
292河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 11:09:09
それが嫌ならスルーすればいい。
私は私のスタイルで好きなように書いてるだけ
あなたの好みに合わせているいるわけじゃない。
293日本@名無史さん:2010/09/24(金) 11:16:37
そう、スルーすればいいんだ。河童読みはまともに検討する価値はまずないね。
294日本@名無史さん:2010/09/24(金) 12:09:19
スルーして やがて悲しき 過疎のスレ
295河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 13:10:47
東南陸行五百里の「行」は、歩く行為。測る行為。です。          そして
文章全体から捉える時は、目線を移動させる。
296日本@名無史さん:2010/09/24(金) 13:42:54
魏略逸文「東南五百里 到伊都國」・・・倭人伝以前に距離はわかっている。というか、倭人伝はこれを下敷きに
書かれた可能性が高い。
297河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 13:52:45
>>296
魏略にしろ魏書にしろ
魏の時代を書いた書物です。
298日本@名無史さん:2010/09/24(金) 14:04:40
魏略の成立年代ははっきりしないが、三国志魏書より古いのは確かで(ただし出てくるのは 翰苑)そこに五百里と
ある以上、魏書成立時にはこの数字は知られていたということ。わざわざ測量しながら進むなどという解釈はいらない。
むしろ、陳寿がなぜ魏略にない「陸行」の文字を加えたのかを考えるほうが学問として正当なのは言うまでもない。
299河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 14:06:52
魏略にしろ倭人伝にしろ、何らかの参考資料を見て書いている事は間違いないでしょうが
それはオフレコとして、決して世に出してはならないもの。
建前は、編纂者や魏の皇帝自らが測量した数値なんです。
だから魏書に、もととなった参考資料の記載がない限り、書かれた数値は
皇帝の代理として生み出したもの。
300日本@名無史さん:2010/09/24(金) 14:11:56
さらに、この「陸行」加筆の影響が邪馬台国位置比定論には存在する。それは、
「末蘆国を松浦半島、伊都国を糸島と考えた場合、水行するのが自然であり、これを陸行としたのは文字どおり東南方面に
陸上を進んで佐賀付近に到達することを意味する。つまり伊都国は考古学的に比定された糸島ではない。」とする議論だ。
301日本@名無史さん:2010/09/24(金) 14:16:03
>>299
トンデモもいいが、学問的に苦々しく思っている者も存在することは心に留めておくべきだな。それに、倭人伝の行程記事が
魏使の梯儁、張政らの紀行録を基に書かれたと考えるなら、それは大きく理解を損ねる要因になるだろう。そのような根拠は
どこにもない。
302河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 14:16:11
>>298
魏略は曰文。
しかも翰苑という百科事典に掲載されたお題に対しての参考史料という形で紹介されたもの
註者の思惑が一切入らない写し文じゃないよ。
陸行や東南五東里もそのため
と、思惑いっぱいのもの
唯一、魏の時代を書いた文献という事が倭人伝との共通な事項。
どっちが先なんて関係ないよ
303日本@名無史さん:2010/09/24(金) 14:22:21
>>302
倭人伝の成立の頃には五百里という文字は知られていた。これが邪馬台国を訪問した魏使がもたらしたものであるかはわから
ない。さらに正式な測量による数字かもわからない。(私的には違うと考えている。) このことを踏まえてさらに論を進めるという
のであれば、こちらには止める手段もない。どうぞおやりなさい。
304河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 14:25:11
>>299
苦々しく思ってるだって?
そんなの知らないよ。
苦々しく思っているなら掲示板にて堂々と意見を述べればいいし
他のトンデモといわれる書き込みも同時に排除すればいい。
それが一般的な民意というやつだ。一部を特定したした苦情なんて一々気にしていたら
こんなところで書き込みなんて出来やしない。               苦々しく思うならスルーすれば済む事。
簡単だよ
305日本@名無史さん:2010/09/24(金) 14:31:22
>>304
いつもの批判されたときの言い訳だな。「スルーするか、できないならお前が出て行け。」自分勝手な性格は変わらないようだ
な。ただし、掲示板についての意見は正論だ、スレ違いではないだろうから好きなように書けばいい。こちらは真実の解明を
放棄した者として見るだけだ。
306河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 14:34:05
倭人伝の成立が何時かなんて関係ないよ。
関係あるのは
魏の時代以前を書いた記録に、五百里という値が書かれていたかどうか
存在するのかしないのか?
あと、五百里が正確であろうがごじゃっぺであろうが関係ない。
出されたモノを食べるだけ。そして
数値がしめされている以上、その数値は測量による値。

実際なんて関係ないよ。
307河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 14:52:42
>>301
私の意見は
>>269
に書いてありますから、そちらを参照してください。
308日本@名無史さん:2010/09/24(金) 14:55:20
>>299
>それはオフレコとして、決して世に出してはならないもの。
>建前は、編纂者や魏の皇帝自らが測量した数値なんです。

これは、だれから聞いた話ですか。もしくは、どの文献に書かれていますか。
魏書だから魏の皇帝自らが測量した数値でなければならない建前なのですか。
309河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 15:00:28
禅譲されるのは皇帝
310河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 15:03:52
>>308
陳壽が編纂した魏書は正史と位置付けられてるんだよ
311日本@名無史さん:2010/09/24(金) 15:07:07
実移動距離だとしたら陸上では直線距離の1.5〜2倍くらいになるぞ
山中ではもっと大きくなることもある

測量技術がなければ海上の距離なんかわからないし
都市や古墳をつくることも無理

おまいら弥生人舐めてるんじゃね?
312日本@名無史さん:2010/09/24(金) 15:17:25
>>310
正史に書かれている数値が、皇帝自らが、
もしくは編纂者自らが測量した数値でなければならないという建前が存在したということを
誰から聞いたか、もしくは何の文献で知ったのか。
それを質問しております。

正史という書物がどのような性質のものであるかは、過去の人々が決めたことなので、
後世の人間が先験的にそれを知っているということはありません。
過去の人が書き残したもの(正史そのものを含む)、あるいは口伝で知るしかありません。
あなたの見解の由って来る根拠をお教え願いたい。
313日本@名無史さん:2010/09/24(金) 15:22:46
>>311
1.5〜2倍になって何か不都合があるの?
それより、航空機が無いのに、直線距離の情報に何の価値がある?
直線距離を教えられても、実移動距離とは違うんだから
準備すべき食料の量もわからない。
弥生人をなめてるわけでもないし、測量技術がないと決めつけてるわけでもない。
直線距離じゃ使えないってこと。
314日本@名無史さん:2010/09/24(金) 15:26:34
>>313
航空機ができるまで直線距離の測量は無意味だったってか
そりゃまた凄い話だなw
315河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 15:29:31
私の脳内です。

禅譲も脳内です。

魏略も脳内です。
百科事典なんてどこにも書いてありませんし
曰く文とも書いてありません。
316日本@名無史さん:2010/09/24(金) 15:29:32
常識で考えろ。常識で。
317日本@名無史さん:2010/09/24(金) 15:40:08
北部九州だけどね、昔の土地勘ってどんなものかな、と
地図上で荒っぽく距離を測ってみたことがある

代表的な都市として

怡土、太宰府(政庁)
久留米、肥前(国庁)

代表的な道を辿ると互いの距離が
だいたい25キロ程度になる。

これくらいが一日の移動距離かもね。

久留米から南だとみやま市がその距離に入ってくるんだな。
また太宰府から北側だと古賀市もそのくらいの距離。

両方ともいろいろ出土が多いところだね。
318日本@名無史さん:2010/09/24(金) 15:46:30
地図は伊都国に常駐していたと考えられる帯方郡使が作成していた可能性がある。北部九州だけ
かもしれないが。地理学者の室賀信夫氏もそのような意見じゃなかったかな。
319河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 15:56:55
妄想ですが

公文書であるならば、それは皇帝の言葉であり記録。
320河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 16:47:34
【妄想ですが】

東南陸行五百里到伊都國。
ここに書かれている「東南」の読み方は(南の東)

一大國から千餘里の着点末廬の港を基とし
緯度的に南側の経度的に東側の面。
という意味です。
港の南の東側の陸地面を歩測にて計測した距離五百里の先に伊都の領域面。
321日本@名無史さん:2010/09/24(金) 16:52:00
>>319
考え違いの部分があればご指摘ください。
正史には、個人の伝が立てられています。
臣下の個人的な発言を皇帝が見聞きして記録するわけはないので、
全ての正史において、その記述が全てが皇帝の言葉であり記録でなければならない
という建前は成立しえません。
なぜ、倭人伝の五百里を皇帝が測量したとしなければならないのでしょうか。

それから、陳寿は魏が存続していた当時、蜀漢の臣下でした。
ですから、魏の皇帝の代わりに測量して記録するなどありえません。

「正史に書かれている数値は、皇帝自らが、
もしくは編纂者自らが測量した数値でなければならない」という建前は
正史編纂の当時、全く存在していなかったし、
あなたが考えだすまで、この世に存在しなかったと思わざるを得ないのですが、
如何でしょうか。
322河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 16:57:54
【妄想ですが】

港を基に、南側の東側の陸地面
という事は、南側の東側には陸地だけではなく水域も存在していると言うことが、
この文章だけで分かる。
323河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/24(金) 17:09:18
>>321
私見で申し訳ありませんが
当然のように、皇帝はお飾りでしょう
しかし、ここに記録された史料の基礎資料が史官による記録と判断すれば
これは公文書的な意味を持ちます。
その資料をもとに編纂された史書が、次の王朝の認めた史書と位置付けられれば、それもまた公文書となり
前王朝から禅譲された次の王朝が認めた公認記録となりませんか?
公認記録なら、その行為は全て皇帝の代理が携わった歴史
すなわち皇帝の歴史です。
禅譲は、皇帝継承でもありますから
324日本@名無史さん:2010/09/24(金) 17:22:22
>>321
あんたはいつも河童虫の後に出てきて、様々な突込みを入れる人だろう。河童の書いてるのはむろん最初から作り事なんだか
ら突っ込みは入れ放題になるけど、あんたはこれを楽しんでやってるのか?こっちは上で書いたように、歴史の真実からはほど
遠い河童の独自世界にはうんざりしてるんだけど、あんたのようなフアンがいるならそれはそれで認めなくちゃならないとも思っ
てる。で、こういうのホントに好きなの?
325日本@名無史さん:2010/09/24(金) 17:38:41
>>321
馬鹿レスに好きなように突っ込みを入れてるのはそれは楽しいだろうけど、河童節の場合はそれが歴史の真実に迫るものでは
ないということは河童本人も当然自覚してやってるものだし、さらにあんたも、河童自体が適当なことを面白おかしく書いてる
ってことを承知して突っ込んでるわけだろ。とすれば河童の同類なわけだしね。これも、フリーの掲示板の利用の仕方としては
もちろんアリだろうけど、やっぱし何だかな〜と思うものがあるね。
326日本@名無史さん:2010/09/24(金) 18:47:08
千里=千里眼の千里、出発地からは見えないところ
五百里=出発地から見えるところ
この程度の認識じゃダメ?
327日本@名無史さん:2010/09/24(金) 18:53:58
河童は荒らしにフアンがついたようなもので、やってる
ことは邪馬台国でも古代史でもないからな。
328日本@名無史さん:2010/09/24(金) 19:10:39
>>325
河童は、あれはあれで、本気で歴史の真実に迫ってると思いこんでやってるトンデモさんの典型だろ。
だから、哀れでもあり、幸せそうでもある。
329日本@名無史さん:2010/09/24(金) 22:09:42
なんだ神田と言いながら、みんな河童を認めてる。
後ろを振り返ってごらんなさい、河童花で畑が満開w
330日本@名無史さん:2010/09/24(金) 22:58:00
>>324
2年以上前だったかなあ。その頃は、ドン来いなんかも、もっと人が多くて賑やかでした。
当時は、河童氏を、まるで漢字の専門家のような評価をする人もいました。
もちろん厳しく批判する人も居ましたが、わりとまともに信じてしまう人もいたわけです。
それで、彼の書き込みを見たら、二次被害を出さないように間違っているところは間違いだと指摘しなければ思いました。
彼自身を言語虫氏の呪縛から開放できればとの思いもありましたが、それは到底無理な話でした。
彼にしてみれば、大きなお世話だったでしょう。
なにしろ、彼から見れば、言語虫氏は、超賢人陳寿が込めた倭人伝の真意を、
独自の理論で解き明かした、日本の国語学をひっくり返す天才言語学者で、
僕などは、伝統解釈にしがみつく愚か者でしかないのですから。

それでも、それなりに二次被害は防げたと思います。
今となっては、放置してもさして問題は無いのでしょうが、習慣で、ついレスをつけてしまいます。
それに、反論のために調べ物をしてると、副産物の発見があったりして、それはそれで面白いところもあります。
まあ、そんなわけで、御不快かもしれませんが、変なのが集まるのが2chの宿命と思ってあきらめてください。
331日本@名無史さん:2010/09/24(金) 23:30:19
>>330
なるほど了解しました。ただ、倭人伝を河童がやるように順次に読んでいくのは間違いです。あれは時代の違う原資料が混ぜ
こぜになって構成されてるんで、本来は例えば >今使譯所通三十國 の「今」とはいつなのか、そういう点を明らかにしていく
べきものです。書き下しなど、専門家のもので十分。
332河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/25(土) 01:12:03
ちょっと目を離すとこのありさまだ
333日本@名無史さん:2010/09/26(日) 00:51:59
>>331
原資料が混ぜこぜになっているのはその通りですが、
それを明らかにしていくのは、新しい文書の発掘がない限り無理です。

それと、例えば、後漢時代に「今使譯所通三十國」と書かれた資料を陳寿が切りとって、
そのまま倭人伝に流用したとしても、
魏志の記述として「今」としている以上、その「今」は魏の時代と考えるべきです。
もしその「今使譯所通三十國」と書かれた原資料が発掘されたとしても、
それは、魏以前も三十国であり、魏の時代も三十国であったということで、
倭人伝の「今」が魏以前を指すことにはなりません。

書き下しは専門家のもので十分だと、僕も思います。
倭人伝で邪馬台国は見つかりません。
見つからないものを見つかるはずだと思うから、
「専門家の読みは間違ってる。正しい読みはこうだ!」といじりだすのです。
状況証拠が揃うような発掘の成果を期待するしかないでしょう。
334日本@名無史さん:2010/09/26(日) 01:12:04
>>333
倭人伝では邪馬台国の所在地はわからない、というのは文献史学が100年論争で出した結論でしょう。「今使譯所通三十國」
の字句は、倭人伝を逐語的に読み進めていくよりも、たとえば「一大率」は卑弥呼朝貢以前から置かれていたのか、それとも以
後のものなのか、などを考える方がまだしも有効だろうというような例として取り上げたものです。
335日本@名無史さん:2010/09/26(日) 03:12:09
出雲神社、伊勢神社を関連づけできないという理由だけで
一大を壱岐の誤記としたり、短里なんて単位を創造したり
方位が違うなどとしたり、さまざまなこじ付けをした
戦前までの研究者を、今もなお尊重して
その上に研究を載せようとしてる、21世紀の自称研究者が
問題の根源でしょう。
そのような輩が自治体の町おこしだのなんだのに
呑み込まれてるだけじゃないのかね。
長年の文献研究の結果なんて言い方はおこがましいにも程があるよ。
336日本@名無史さん:2010/09/26(日) 05:33:50
>>333
原資料が混ぜこぜになっているといっても、行程記事がまぜこぜになっているわけではない。
少なくとも、行程記事がまぜこぜだとみるべき証拠はない。
倭人伝で邪馬台国は見つからないというが、本当にそうだろうか?従来の考え方で一番の問題は
末盧国から東南五百里の伊都国をいきなり東北三百里の前原に比定していることだ。
そこで倭人伝から離れてしまうから、その後を倭人伝どおりに進もうとしても進めないのである。
東南五百里を倭人伝どおりにすすめば、伊都国は佐賀市付近となる。そうして、あとは放射式だ。この
放射式は、文献史学者の多くが「そのように読める、読むべきだ」と認めているところ、けしてト
ンデモ読みではない。佐賀市付近から放射式で水行二十日ならば薩摩川内、水行十日陸行一月なら
ば都城盆地あたりであることは明らかだ。倭人伝で邪馬台国の位置は分かるんだよ。
この読み方には、無理なこじつけは一切ないだろ。
337日本@名無史さん:2010/09/26(日) 05:48:54
>>333
「今使譯所通三十國」は、あなたの言うとおり、魏時代のことと読むべきだ。「旧百余国」
はそれよりも前の時代の話、倭の奴国か回土国王が朝貢した時の資料に基づく話であろう。
前は百余国だったのが、魏時代には三十国になっている、国々の統合が進んでいるという
ことだ。となれば、位置や広さが分かる国々から、当時の国がどの程度の面積かを考えて
みれば、倭人伝か伝える倭国の広さというのはある程度見当がつくはずだ。
338日本@名無史さん:2010/09/26(日) 07:23:21
貨泉の出土した土地は倭国、交流していた国々です。
339日本@名無史さん:2010/09/26(日) 10:02:26
旧百余国の旧は、漢時代の前漢の事。今は魏の時代

本文には今と書かれて、その今より古い時代を漢と位置付けているので
今と漢時代はセット関係。なので旧は、そのセットに対するものではない
魏の時代が今
漢の時代を昔
という今昔関係。    旧とは一線を引く。
旧は、新しいものが誕生するから、以前のものが旧と言われるのであって
新が誕生しても旧が消える事はなく、新と旧は共存出来る。
340日本@名無史さん:2010/09/26(日) 10:12:43
>>338
そうとは限らない。

出土する遺物は動産であり、出土したと言うことは、その地で最終的に留まったというだけにすぎない。
最終的に留まるということは、物流から考えて
消費者・消費地であると考える方が、とりあえず妥当な線だと思うが
海外の物品が出土したから、その地は海外交易があったという考えが成立するなら、当時は国内物流がなく、常に直接物流だとする
実に考えられないものとなる
341日本@名無史さん:2010/09/26(日) 10:19:43
>>336
>放射式は、文献史学者の多くが「そのように読める、読むべきだ」と認めているところ、

「文献史学者の多くが」なんていうのは、聞いたことがないな。
ちょっと意地悪な言い方だけど、「クラスのみんな持ってるもん」と同じじゃないの。
少なくとも、あれを初見で放射式に読む文献学者はいない。
邪馬台国問題に首を突っ込んで、少々感覚がおかしくなった一部の者が、
漢書西域伝と抱き合わせて放射式だといってるにすぎないと思う。

同じ字をずっと書き続けてると、字が字に見えなくなることあるでしょ。
あれと同じで、見つかるはずのないものを見つけようとして、
短い倭人伝の文ばっかり繰り返し繰り返し読んでると、
そのうち漢文読解センスがおかしくなってくる。
342日本@名無史さん:2010/09/26(日) 10:29:58
放射説はゲシュタルト崩壊の結果だったのか。
343日本@名無史さん:2010/09/26(日) 10:45:44
>>340
基本的に漢人の形跡が有る場所限定でいいでしょ。
344日本@名無史さん:2010/09/26(日) 11:46:47
>>343
漢人の形跡とも関係ないでしょう。
倭人の倭人による貨銭の移動も否定出来ません。
誰かが海外から貨銭を日本に持ち込み、それが移動し留まり、遺物となった。
345日本@名無史さん:2010/09/26(日) 11:47:42
至と到って意図的に使い分けられてるのかな
346日本@名無史さん:2010/09/26(日) 11:56:18
至は行程を示し
到は結果を表す
347日本@名無史さん:2010/09/26(日) 11:58:14
意図的ですね。至と到はほとんど同じ意味ですが、至の方はAからBに至るというように
直線的な意味で使用され、到の方はAからB、Cを経てDに到るというようにめぐって到
達するというニュアンスで使用されます。
従って、狗邪韓国と伊都国に到が使用されているのは、そこが一段落するところであるこ
とを示しています。問題は、邪馬台国に至が使用されていることですね。順次式ならば邪
馬台国こそ最終地点、ここに到が使用されるはずなのです。ところが、至が使用されてい
る。これは、伊都国→奴国、伊都国→不弥国、伊都国→投馬国などと同じくA→Bでしか
ないということを示しているわけです。ですから、これも放射式を示す徴表と言われます。
348日本@名無史さん:2010/09/26(日) 12:05:03
クヤ韓國から對馬國、一大國、末羅、伊都國も放射ってこと?
349日本@名無史さん:2010/09/26(日) 12:15:20
至は 後の文や語句と関係し
到は 前の文や語句を〆る時につかいます。
到の後の文や語句は、至に相当する。
至という文字では補えない意味を到はそれを補う。

だから到には至が含まれ、至には無い リ があるのです。
350日本@名無史さん:2010/09/26(日) 12:18:32
もっともらしく語っているが
ホンマかいな?
351日本@名無史さん:2010/09/26(日) 12:23:07
>>341
>同じ字をずっと書き続けてると、字が字に見えなくなることあるでしょ。

ものすごく分かりやすい例えだwwwwww

352日本@名無史さん:2010/09/26(日) 12:24:52
至るは経由地で到は目的地。
ということで決着がついたんじゃなかったのか?
353日本@名無史さん:2010/09/26(日) 12:32:09
根拠のない決着は単なる棚上げ
354日本@名無史さん:2010/09/26(日) 12:34:24
>>348
そうではありません。一段落といっただけです。
狗邪韓国の場合には、郡を出て南水行→東水行とめぐって韓国最後の地狗邪国に到達
したという意味での一段落ですね。
伊都国に到を使ったのは、そこまでが連続式で、そこから放射式に変わる、それため
に読者の注意を喚起したのでしょう。
355日本@名無史さん:2010/09/26(日) 12:34:28
>>350
> もっともらしく語っているが
> ホンマかいな?

語ってるいるのは名無し河童であるが、これについてはトンデモでは無い。
「自説」では無く、他人のウケウリだから。
356日本@名無史さん:2010/09/26(日) 12:42:09
>>347
>至の方はAからBに至るというように
>直線的な意味で使用され、到の方はAからB、Cを経てDに到るというようにめぐって到
>達するというニュアンスで使用されます。

こう言える文献的根拠を示してよ。
倭人伝だけを睨んだら突然悟ったなんてことはないでしょう。
根拠を示さないと、ボクはこう読むという意見表明でしかないよ。
357日本@名無史さん:2010/09/26(日) 12:46:30
至の説文の会意に
こういう解説がある。

鳥が飛び立ち降下し地面にいたる。

という一文が
この説明で一番大事なのは、鳥が飛び立ち降下することではなく、飛び立つと表現出来る地面、
鳥が着地する地面。
鳥が地面を離れ、次に地面に触れるまでは「飛ぶ」で表現でき 至には直接関係ない
この説明での至のぶぶんは地面。
358日本@名無史さん:2010/09/26(日) 12:49:03
>>355から
ストーカー仕立ての釣り針が見える。
359日本@名無史さん:2010/09/26(日) 12:58:33
>>349
>>352

三國志/蜀書/卷三十八 蜀書八/許靖

馥等【到官】,各舉兵還向京都,欲以誅卓.
卓怒曰:「諸君言當拔用善士,卓從君計,不欲違天下人心.而諸君所用人,【至官】之日,還來相圖.卓何用相負!」

これは、董卓が、子分の周たちのすすめで韓馥たちを地方の牧や刺史や太守に任命したら、
そいつから【到官】したとたん挙兵して董卓を討とうとして、腹を立てた董卓が周に
「お前らの言うとおりに任命したら、やつら【至官】したとたん叛きやがったぞ」と怒ったというはなし。
これを見る限り、至と到は使い分けされてないんだけどね。
君らのいう使い分けは、どういう根拠から導き出されたの?
360日本@名無史さん:2010/09/26(日) 13:12:23
オレが課長になったとたん半旗をあげ
オレが課長として出社したとたんその行動にでた。 
そういう違いがあるだろ
361日本@名無史さん:2010/09/26(日) 13:15:07
叛と挙兵は別ものだから、ちゃんと至官と到官で使い分けられている。
362日本@名無史さん:2010/09/26(日) 13:26:18
>>360
>>361
「馥等【到官】,各舉兵還向京都」
「【至官】之日,還來相圖」
きちんと読んでから反論しよう。これ、同じこと言ってる。
なったと出社したとか、叛と挙兵とか、そんな違いはないよ。

それより、
>至るは経由地で到は目的地。
なんて言ってるんだから、その結論を導き出した根拠があるでしょう。
その根拠をこちらが検討したいんで、提示してよ。
363日本@名無史さん:2010/09/26(日) 13:34:24
>>362                     叛と挙兵では大きく違う。
叛は状態
挙兵は行動。
364日本@名無史さん:2010/09/26(日) 13:37:45
>>363
叛と挙兵じゃなくて、「各舉兵還向京都」と「還來相圖」。
「各舉兵」=「相図」、「還向京都」=「還來」
365日本@名無史さん:2010/09/26(日) 13:46:55
同じだよ
状態と行動という違う環境で表現されているんだから、文全体もそれに準じる
すでに、叛と挙兵という
異なる表現という現実があり、挙兵は到官、叛は至官と別字を使用しているんだから、至官と到官を使い分けていないなんて事にはならないよ。
後は各自個人がどこまで同じに扱うかという主観的な違いだけ。
こんな主観的な事をいくら議論しても決着はみないし
366日本@名無史さん:2010/09/26(日) 13:51:56
>>365
叛なんて字、どこにある。
367日本@名無史さん:2010/09/26(日) 13:57:43
>>359にあるよ

出題者の意見に準じなければ、出題者との噛み合いが出来ないだろう。
出題者が挙兵と叛で表現してるんだから、こっちはそれに合わせるだけ。
368日本@名無史さん:2010/09/26(日) 14:02:29
>>365
別に>>359の例文が使い分けされてなくても、他に、明らかに使い分けされてるとわかる用例があれば、
倭人伝でも使い分けされてると考えられるんだから、
359にこだわらず、あなたの判断の根拠になったものを提示してくれれば、それで良いんだけど。
何も、否定のために否定しているわけじゃなく、
ボク自信知らない用例かもしれないので教えてほしいとも思ってるんだよ。

それとも、もしかして、倭人伝を睨んでただけで
>至るは経由地で到は目的地。
とか>>347とか言い出したわけ?
369日本@名無史さん:2010/09/26(日) 14:04:46
>>367
そりゃあ、失礼。それは、ボクのテキトーな翻訳だから忘れて。
あくまで>>359で引用した例文の中の文字だけで考えてくれ。
370日本@名無史さん:2010/09/26(日) 14:06:39
>>365だけど

私は経由地云々なんて言っていない。言ったのは別人だよ
371日本@名無史さん:2010/09/26(日) 14:13:06
>>368
根拠なんて目の前にあるじゃん。
至と到の字が同じに見えるかい?
見えなければ意味も違う。漢字ってそういうものだよ
到は至じゃないから到。だからと言って
至は到じゃないから至とはいえない。それは、到は至なければ誕生しないから
372日本@名無史さん:2010/09/26(日) 14:19:36
>>369
そんなに的外れな翻訳じゃなく、いい表現とおもったから
あなたの翻訳を使っただけですから 気にせず

白文使うとめんどくさいしあの翻訳で十分使えると思う。
373日本@名無史さん:2010/09/26(日) 14:21:21
同じ事を表現するのに、複数の言い回しがあるのは普通だろ。
極論はキモい。
374日本@名無史さん:2010/09/26(日) 14:35:51
>>371
要するに、到と至は違う字だから違うはずだと。
はじめから、使い分けられているはずだというところから出発したわけですね。
意味の変遷の可能性を無視して、初めから結論ありきの姿勢では、
大阪地検の検察官みたいじゃないですか。

もうひとつ。出発点を変えないなら、せめて、どのような使い分けなのかくらいは根拠をしめしましょう。
倭人伝だけを睨み続けて、どう使い分けられてるか理屈を考えたんじゃ、
人それぞれ、どんな理屈だって立てられます。
沢山の文章にあてはめてみて、なるほど、そのように考えるのが妥当だとなってはじめて説得力を持ちます。
言語現象の法則性を、たった一つの倭人伝だけで決めつけるって無茶苦茶ですよ。

>>372
大雑把に意味を知るには、あれで良いでしょうが、
あなたのように使い分けの根拠とするならば、
原文には叛を意味する内容はないので、あれははっきり誤訳です。
不用意に誤訳を書き込んでしまったのは申し訳なかったですが、
あなたも誤訳をもとに立論するようなことはせず、きちんと自分で内容を読んでください。
375日本@名無史さん:2010/09/26(日) 14:38:47
漢字はある意味極論。
376日本@名無史さん:2010/09/26(日) 14:47:00
河童が名無しでくると、スレがもりあがるな。
でも、ああ河童かで終息していく。
377日本@名無史さん:2010/09/26(日) 14:47:34
>>374
私は倭人伝なんて話していませんよ。
378日本@名無史さん:2010/09/26(日) 14:57:50
自郡至女王國萬二千餘里

ここでも至を使ってるから経由地云々は関係なさそう
379日本@名無史さん:2010/09/26(日) 14:57:52
>>377
倭人伝ではない。他の例文も示さない。つまり文字だけか。
漢字一字だけでその用法がわかるのか。
380日本@名無史さん:2010/09/26(日) 15:06:00
>>374
あの翻訳が、誤訳であろと正しい翻訳であろうと
関係ありません。
貴方が誤訳だったとする翻訳が、貴方のあの原文に対する認識であり本意だから、その翻訳の正誤なんて関係ありません。
貴方のあの翻訳が貴方の本意であって、その認識から到と至は使い分けされていないという結論が生まれたわけで
正しい翻訳から生まれたわけではありません。
大切なのは、貴方の本意です。
私はただ、貴方の本意から導きだされた結論に対して反論しただけです。
正しいとされる翻訳に対して反論したのではありません。
正しい翻訳に対しての反論はまた別物です。
381日本@名無史さん:2010/09/26(日) 15:12:02
用例じゃないだろう。
私はただ、漢字を視覚で捉えただけでも違うと言っただけだ
そこに尾鰭をつけたのがオマエラ。

意味がどうだこうだなんて、ここでは触れていないし、触れたのは
さっきの至官と到官だけだ。適当に想像を膨らませて話を広げないでほしい。
意味を問いたいなら、さっきの経由地の人とやってくれ
382日本@名無史さん:2010/09/26(日) 15:15:34
>>381

>>347は、君のレスじゃないのかい。
383日本@名無史さん:2010/09/26(日) 15:21:58
違う。
私は順次で放射ではない
384日本@名無史さん:2010/09/26(日) 15:49:38
相手が誰かもわからずに、決め付けで議論するとこうなるよなw
385日本@名無史さん:2010/09/26(日) 15:59:59
>>383
それは失礼。>>349が河童臭ビンビンなので混同してました。

では、あらためて>>346>>347>>349>>352、のみなさん、
根拠を示していただけないでしょうか。

例えば、自と從ですが、ほとんどの場合、使い分けはされていません。
しかし、わずかながら使い分けの意識が見受けられる文献が倭人伝以外にあります。
AからBを経由してCに至る場合、
自A至C、從B至Cという使い分けが、それほど強くはないけれどあるようです。
だから倭人伝でも、行程の場合、群から倭は、魏の都から倭に向かう行程の一部なので從群至倭で、
距離の説明は郡が出発点なので自郡至女王國萬二千餘里と使い分けられていると考えることは可能です。

こういう使い分けが無いわけではないので、至と到にもあるかもと思うのですが、
ちゃんと根拠がなければ、そうだと断言はできません。
まして、複数のサンプルがなければ、使い分けの内容までは判断できません。
それで、使い分けがあると主張される方には、是非、その根拠を教えていただきたいのです。
そうすれば、検討材料ができてありがたい。
386日本@名無史さん:2010/09/26(日) 16:08:58
>>385
根拠を求めるのは酷ってもんだろ
推論としては十分成り立つものだし
それはそれでいいんじゃないか?

まるで事実であるかのように断言されれば
反論したくなる気持ちはわからんでもないが
あくまでも推論だろ

俺は放射説を支持しているけど
正直、ホンマかいな?だ
387日本@名無史さん:2010/09/26(日) 17:04:00
>>386
推論だけなら複数成り立ちうるんだから、成り立つだけじゃだめだと思うよ。
実際、自と從は、使い分けなんか無いだろと思ってたけど、
自分で探してみたら、どうやら使い分けがあったらしいとわかったし。
もしかしたら、至と到でも、根拠を見つけた人がいるかもしれんと思って聞いてみた。
388日本@名無史さん:2010/09/26(日) 17:18:54
>>387
なぜ自分で見つけないの?
389日本@名無史さん:2010/09/26(日) 17:34:39
>>388
大変だから。
かなりの時間と忍耐力が必要なので、なかなか、やるぞ!という気になれない。
人が既にやってたら、自分でやらずにすむ。
390日本@名無史さん:2010/09/26(日) 17:35:26
>>387
複数成り立つでいいじゃん
その程度のものだと思うよ

ただの推論なのに、それを断言すると、こうやって揉めるんだよね
それを非難して、推論であることを明確にするように促すのはいいけれど
根拠・根拠と強く求めるのは、強弁を誘うだけで紛糾する元だと思う

おそらくは探せば両方の事例が見つかると思うし
いずれにしても倭人伝ではどちらが当てはまるかの客観的な証明なんかできっこない

こういうのは両方の可能性を考えるしかないと思うよ
391日本@名無史さん:2010/09/26(日) 18:07:52
>>390
>おそらくは探せば両方の事例が見つかると思うし

それが、今までそれなりに探してきたけど、いまだに使い分けたと言える例が一つも見つからないんだよね。
だから、ひとつくらい見つけてないかと聞いてる。
1,2例でもあれば、使い分けの内容の方は、推論でもまあ良いかと思うんだけど。
まだ、使い分けたかどうかすらわからないんだから、推論を立てる段階じゃないと思うよ。


字が違うから当然違うというのは、字が誕生した当初なら通用する理屈だけど、
漢字ができてから何百年もたった後のことでは鵜呑みにできない。
日本だって、たかが100年くらいの昔の言葉すら、今とは全然違うでしょ。
漢の建国から魏の建国までおよそ400年。
秦で篆書が作られてから数えれば、三国志が編纂されるまで、400年以上の年月が経ってるよ。
392日本@名無史さん:2010/09/26(日) 18:43:48
>>391
ああ、そうなのか
でもまあ、見つかっても見つからなくても推論でしかないよね
可能性の大小には関わってくるけど、明確な根拠とまでは成り得ない

でもだからと言って推論を立てる段階じゃないというのはどうだろう?
393日本@名無史さん:2010/09/26(日) 18:45:39
>>391

>漢字ができてから何百年もたった後のことでは鵜呑みにできない。
日本だって、たかが100年くらいの昔の言葉すら、今とは全然違うでしょ。   

鵜呑みに出来ない事はよくわかるが、日本だってと
言葉の変化で漢字の変化を説明するのは、ちょっと違うんじゃない。
漢字は視覚で、日本語は視覚または聴覚での確認
漢字の形の変化は、そのウェートがかなり大きい。
同時期同書で、その両方の文字が使用されていれば、まず使用が異なり意味も違うと判断しても、それは結果ありきではない。
時代の変化には該当しないと考える。
394日本@名無史さん:2010/09/26(日) 19:02:53
河童ってやだよな。
395日本@名無史さん:2010/09/26(日) 19:11:13
>>394
夜釣り厳禁。
396日本@名無史さん:2010/09/26(日) 20:02:43
軍が駐屯してる場所だから、到る、なんだよ。
おまいら、文章の背景をまったく理解してないな。
兵站が背景にある文章なんだよ、倭人伝は。
397日本@名無史さん:2010/09/26(日) 20:32:16
>>396
話、最後まで聞くよ
詳しくどうぞ
398日本@名無史さん:2010/09/26(日) 20:38:14
>>396
ボクも聞くよ。是非、詳しく。
399347:2010/09/26(日) 23:48:35
至と到のちがいについて、最初に指摘したのは牧健二ですね。>>347に書いたほど具体的ではありませんが
似たような指摘をしていました。二つの字の違いについては、漢和辞典をいくつか並べてじっくり読み比べ
てみることです。若干の意味の違いが分かります。到を、めぐって到達すると書いているのは確か小学館発
行のもの。史書では、倭人伝の注に引用されている魏略西戎伝などを読んでみると、微妙に使い分けられて
いることが分かるはずです。
400日本@名無史さん:2010/09/27(月) 00:00:42
             水     行                乍南乍東  到    狗邪韓國     七千餘里
始                  度    一海    千餘里         至     對馬國
又     南            渡    一海 千餘里         至     一大國
又                  渡    一海    千餘里         至     末盧國
      東南    陸     行           五百里         到     伊都國
      東南                                    至     奴國      百里
       東           行                        至     不彌國     百里
       南                                    至     投馬國     水行二十日
       南                                    至     邪馬壹國   水行十日 陸行一月
次                                           有     斯馬國



自           郡                               至    女王國     萬二千餘里


じつは語順の違いもあるんですよね
401日本@名無史さん:2010/09/27(月) 00:11:33
>>400

最近流行のAAか?
402日本@名無史さん:2010/09/27(月) 00:24:15
>>347が正解だと思う
403日本@名無史さん:2010/09/27(月) 08:58:38
だから
至は時間や距離の流れを示す形容詞的意味で使い
到は動詞的意味で使う
AからBに至るには・・・・
AからBに到ったのである
という感じ
404河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/27(月) 10:46:47
【至】至ると終止形で解す時。

A至B

この時のAは、イタルと終止した事の原因。
Bは、Aという原因によって作られた結果。

つまり、ここでの至(終止形)は、
終止する為のAからBへの範囲を示す文字。
原因Aは、Bという結果を生み至(終止する)。


仕事中にて簡略な説明で失礼します。
405日本@名無史さん:2010/09/27(月) 11:00:47
なんだ?この無意味なトートロジーはw
406日本@名無史さん:2010/09/27(月) 13:35:40
>>400
そうですね。語順の違いは放射式に読むべき重要な徴表とされています。
そのほかに、又の字の有無も指摘されていますね。
407河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/27(月) 13:44:23
目を盗んで【到】
これを助動詞たを用いて連用で考える

A到B

Aという経緯でBに到った。
到は、Bに到った経緯を、Aで説明する時に用いる。
408日本@名無史さん:2010/09/27(月) 14:07:04
仕事はどうした?
リアルでニートか?
409河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/27(月) 14:08:34
端的に結論だけを書き連ねれば
到の場合、Bに到った経緯がAなんだから、Bは目的語となり
至の場合は、Aという原因によってBという結果を導きだし、終止するから
Bは目的語ではない?

となると、
至と到の使い分けの一つとして、目的語の有無による使い分けが可能なのかな?と

ま、脳内処理だから
気にしない気にしない。
410河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/27(月) 14:11:23
>>408
仕事ねぇ
いますごーく暇。
半分遊び状態だわ
411日本@名無史さん:2010/09/27(月) 14:19:42
やはり、人間社会では使いものにならないか。
412河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/27(月) 14:22:10
リアルニートで一日中デイトレなんて
最高な環境なんだけど
田舎は世間体があるから、形だけでも会社員。

憧れるよ
リアルニートなんて
一日中自宅警備員

しょうがねえ仕事するか
さぼってると、また中国飛ばされるからな
413日本@名無史さん:2010/09/27(月) 15:18:29
東南五百里至伊都国
=東南方向500里に伊都国がある(へだたりを表す)

東南陸行五百里到伊都国
=東南方向の道に進んで、道沿いに500里行くと伊都国に到着する
(道のりを表す。伊都国が東南にあるとは限らない)
414日本@名無史さん:2010/09/27(月) 15:30:40
あのな、おまいら
表記の違いなんて、何のヒントにもならないんだよ
文章ってのは、できるだけ同じ表現を繰り返さないように記述するものなの
似たような文が続くときには、わざと表現を変えるの
表現が違うから意味が異なるんじゃなくて
同じような意味の分をわざわざ違う表現で記しているの
同じ言葉を繰り返す奴は馬鹿にされるの
それは日本でも中国でも同じなの
っていうか、これは作文の常識なの
おまいら、なんでそんなことも知らないの?
逆に、同じ表現をずっと繰り返している例を知りたいくらいだわ
415日本@名無史さん:2010/09/27(月) 15:44:01
>>414
上手く表現を違えて書かれているところを、
倭人伝の中から抜き出して紹介してくれ。
416日本@名無史さん:2010/09/27(月) 16:00:50
>>414
そうではありません。語順が違うと言うことは、意味に大きな違いがでるのです。
例えば、東南五百里至伊都国の場合には、東南五百里で伊都国に至るとなり、伊都国
まで進んだことを示しています。
ところが、東南至伊都国五百里の場合には、東南伊都国に至るには五百里で、伊都国
までの距離を示したにすぎません。伊都国に行ったのかどうかには触れていないのです。
ですから、伊都国以降の奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国については、いずれも距離
を表示したにすぎない、どこからの距離かとなれば、奴国に行った、不弥国に行ったと
書かれていない以上、みんな伊都国からの距離と読むべきだとなるのです。それがまさに
放射式記述なのですね。
417日本@名無史さん:2010/09/27(月) 16:14:18
>>415
表現を変えているから、おまいらが悩んじゃってるのに
何を言ってるの?

>>416
文脈が異なるのと表現が異なるってのは別問題だよ
文脈が異なるところを表現が違うだけで同じ意味だと言っているわけではないの
そこのところは勘違いしないでほしいな
418日本@名無史さん:2010/09/27(月) 16:43:46
>>417
なんだよ、評論だけで具体的な内容には触れないのかよw
419日本@名無史さん:2010/09/27(月) 16:53:11
細かい表記の違いを論ずるのは無意味だってことだけだよ

具体的な内容って?
不要な議論を省いただけで
新事実が出てきたわけでもないのに
新しい解釈なんかあるわけないじゃない

内容としては伊都国までが順次
そこからは放射でいいじゃない?
420日本@名無史さん:2010/09/27(月) 16:57:33
ただ放射の宣伝か。
421日本@名無史さん:2010/09/27(月) 17:01:06
放射にこだわりはないよ
邪馬台国の位置にもこだわりはない
422日本@名無史さん:2010/09/27(月) 19:17:16
河童は自演厨のニートだよ。
423日本@名無史さん:2010/09/27(月) 19:33:27
ニートかどうかは知らんが、最悪レベルの自演をすることは知ってる。
424日本@名無史さん:2010/09/27(月) 19:43:45
>>416
>東南五百里至伊都国の場合には、東南五百里で伊都国に至るとなり、伊都国
>まで進んだことを示しています。
>東南至伊都国五百里の場合には、東南伊都国に至るには五百里で、伊都国
>までの距離を示したにすぎません。

なんで、その逆ではないと断言できるの。つまり

東南五百里至伊都国は東南五百里という距離を示しただけで、
東南至伊都国五百里は、東南に進んで伊都国に至る。距離は五百里。
というふうに進んだことを示している。

そういう説明もできる。
どちらが正しいか、どうやって証明するんだろう。
425日本@名無史さん:2010/09/27(月) 20:04:43
おまいら又河童か。好きだな
426日本@名無史さん:2010/09/27(月) 21:26:30
いつまでパズルごっこ続ける気だよw
427日本@名無史さん:2010/09/27(月) 21:41:43
>1 名前:日本@名無史さん 2010/09/19(日) 00:42:01
・根拠の不確かなことを断言しないようにしようね。

だから、根拠が確かめられないのが九州説なの。
その言い方だと、九州説やめろ、といってるようなものなの。
それだと閉鎖的な板になるのよ。。自由な討論を束縛してどうするんだよ。オナニーしてどうするんだよ。
笑っちゃうね。
私見をやめたら、今の世の中、データの揃っている畿内説で纏まっちゃうの。アホらしい。
わかった?
428日本@名無史さん:2010/09/27(月) 21:48:45
>データの揃っている畿内説
どんなデータがあったっけ? 
429日本@名無史さん:2010/09/27(月) 21:53:45
「東南至伊都国五百里」には動詞が無い
陸行も水行も無いのだから、距離と方角を示しただけで自らは進んでない
なんで解らないの?
430日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:06:25
当時の一里は現在一般的な約四キロでは有りません。
かな〜り短いのはご存知デツよね?
里と言うよりは現在の「町」「丁」よりもさらに短いようです
431日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:12:20
>>429
至が動詞だ。
432日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:22:39
東南に四十キロ程でイト(イヅ)国にいたる
433日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:22:55
少しもドンときてないけど、そろそろ過去の遺産から
全体の共通認識的な意見の集約をはかれるとこだけでも集約してみたら?
重箱の的な瑣末な衝突を繰り返してばかりで、全然ドンとこれてないぞ。
誰か、全体のイニシアチブをとれる有徳者はいないの?

なんせ現時点での到達点を誰か示して!おねがい!
434日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:27:37
「東南、伊都国に至るには五百里」としか読めない
「東南陸行五百里至伊都国」じゃないと
435日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:36:25
>>433
自分に出来ないこと人に頼むな。
436畿内かな?:2010/09/27(月) 22:48:58
しかしなんだな、倭人伝は信用できないとしなければ畿内説は成立しないんだから困るんだよな。他に参照できる同時代の
史料が無いから、倭人伝が間違っているという根拠がない。う〜ん弱ったね。
437日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:50:15
史ねやクズ。
438日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:55:00
距離は「里」という単位をいじれば縮める事ができるが、
方角はあからさまに変えられないという事かな
倭人伝に出てくる邪馬台国は、九州説に分がありそうですね
考古遺物は、限りなく畿内大和を示しているのだけれど
439日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:55:12
畿内説でさえ、邪馬台国は纏向にあったとはっきり言う人はまずいない。半信半疑の腰が引けた論調ですからね。
しかし、桃の種が大量に出土した時点で勝負あった。纏向で決定だと思います。
440日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:56:32
>>434
レスアンカーつけんとわからんぞ。
とりあえず至は動詞ではないとか主張している人だと仮定して。

「伊都国に至るには」と動詞に読んでるじゃん。
「東南至伊都国五百里」という並びに、勝手に「には」と日本語を挟んだだけでしょ。
漢文では方角が動詞になる。
「東」とあったら、「東し」と動詞に訓読するのは極普通なこと。
だから陸行・水行がなくても東南だけで東南に移動しと解釈して問題ない。
もちろん「東南は」とも読める。
結局、それだけじゃあ何の決め手にもならないなあ。

>>433
現時点でも、どこにも到達してないってのが現状じゃないか。
441日本@名無史さん:2010/09/27(月) 22:57:52
では、あとは倭人伝をどう処理するかですね
巻向と仮定した場合に、何を正とし何を偽とすれば、つじつまが合うのかな?
その方が面白そうだ
442日本@名無史さん:2010/09/27(月) 23:17:46
>>441
それもいいかもね。
先ず、方角は間違い。反時計方向に90度修正しなければならない。但し、そうした場合、東は北になるから、伊都国から奴国へ
の方角は修正しない。また「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種」の東も修正しない。
443日本@名無史さん:2010/09/27(月) 23:19:07
まつろわにのは末盧国
444日本@名無史さん:2010/09/27(月) 23:27:31
畿内説の最大の難関は、方角というより「水行十日陸行一月」だな。
この肝心な行路で何の描写もしてない「まぬけさ」をどうするか。
(伊都国前後はやたら詳しいのに)

九州説では、これは帯方郡から邪馬台国までの総里程とする。
ま、ひとつの理解ではあるな。
445日本@名無史さん:2010/09/27(月) 23:35:53
>>438
>考古遺物は、限りなく畿内大和を示しているのだけれど

錯覚だろ
446日本@名無史さん:2010/09/27(月) 23:51:56
>>444
>九州説では、これは帯方郡から邪馬台国までの総里程とする。
ま、ひとつの理解ではあるな。

都合のいい解釈だねw
447日本@名無史さん:2010/09/27(月) 23:57:23
狗邪韓國=全裸南道南岸
對馬國 =対馬
一大國 =見島
末盧國 =江津〜大田
伊都國 =出雲
投馬國 =因幡
水行一日=豊岡〜京丹後
陸行一月⇒邪馬台国
448日本@名無史さん:2010/09/28(火) 01:49:17
>>444
>九州説では、これは帯方郡から邪馬台国までの総里程とする。
こんな九州説は、トンデモだよ。まともな九州説は、ちゃんと伊都国から先の
行程として読んでいる。
449日本@名無史さん:2010/09/28(火) 02:08:21
>>424
>南五百里至伊都国は東南五百里という距離を示しただけで、
>東南至伊都国五百里は、東南に進んで伊都国に至る。距離は五百里。
>というふうに進んだことを示している。

>そういう説明もできる。

できないね。普通に漢文を読む力があれば、そんな読み方はしない。
450日本@名無史さん:2010/09/28(火) 03:36:45
「行・度・渡」 がある場所は、道筋を説明している目的地までのマイルストーン
これらの表記がない場所は、岐路に立ってあっちに行けば○○国があるよって説明してるだけ

バスツアーで移動しながら、ここは○○ですと説明しながら
それと同時に、向こうには○○があります(実際にはそこには移動しない)という説明もしている
道順を説明するための目印の国名と、その周りにある通り道ではない国名の説明を混在させている

ってことじゃないのかな?
451日本@名無史さん:2010/09/28(火) 05:48:00
>>446
確かに、都合のいい解釈かもしれんが、
説明ができない畿内説に比べれば、雲泥の差。
452日本@名無史さん:2010/09/28(火) 06:55:49
東南至伊都国五百里って、どこに書いてある文?
453日本@名無史さん:2010/09/28(火) 07:08:25
>>451
普通に説明はできるだろ。
454日本@名無史さん:2010/09/28(火) 07:16:02
>>453
どう説明する? 方向は無視かな?
455日本@名無史さん:2010/09/28(火) 10:49:15
末廬から東南方向に伊都があるのなら
伊都国在末廬国東南陸行五百里と、書かれるのでは?
456日本@名無史さん:2010/09/28(火) 11:05:45
>>455
伊都国在末廬国東南陸行五百里
=伊都国は末廬国の東南にあり、陸行して五百里なり。
457日本@名無史さん:2010/09/28(火) 11:53:46
でもここは
伊都国在末廬国東南陸行五百里ではなく、
東南陸行五百里到伊都国。
五百里は、(一海千餘里至末廬国)東南陸行五百里によって得、伊都国に到った。
だよね
458日本@名無史さん:2010/09/28(火) 11:56:36
>>457訂正

東南陸行五百里によって得…×

東南陸行によって得…〇
459日本@名無史さん:2010/09/28(火) 12:19:08
だから、>>413で正解。

「得」なんて字、あるか?
460日本@名無史さん:2010/09/28(火) 12:24:11
だから
循海岸水行歴韓国乍南乍東到其北岸狗邪韓国七千余里も同じ。

(郡から)循海岸水行歴韓国乍南乍東すると、其北岸狗邪韓国に到った。七千余里で
もっと簡単にすると

(郡から)循海岸水行七千余里到其北岸狗邪韓国
となり
東南陸行五百里到伊都国
と、同じ文章になった。

七千余里は、循海岸水行によって得、其北岸狗邪韓国に到った。
(五百里は、東南陸行によって得、伊都国に到った。)                       どちらの文章も、場所の位置が大事なわけじゃなく
距離と距離を導きだしたその経緯。
461日本@名無史さん:2010/09/28(火) 12:26:37
>>459
そんなのあってもなくても同じ。
より分かりやすく付け足しただけだから、邪魔ならとればいい。
462日本@名無史さん:2010/09/28(火) 12:34:32
以上の事だけでもわかるように、倭人伝に書かれた行程記事は
郡使の移動ルートを表したのではなく、国間距離やその経緯を表したもの

そこに何を乗せようが自由だが、倭人伝の趣旨とは関係ない。
463日本@名無史さん:2010/09/28(火) 13:35:55
南至投馬国水行二十日

これは基点から南という原因で、投馬国という結果が生じ、至ると終止した。
つまり、水行二十日とは一線を引かなくてはならない。
もし、基点から南に水行二十日したところが投馬国なら
その文章は
南水行二十日至投馬国で事が足りる。

464日本@名無史さん:2010/09/28(火) 13:40:11
南至投馬国水行二十日
南、投馬国に至るには水行二十日。南の投馬国までの所要日数を示した
文章だ。

南が原因、投馬国が結果? 何を訳わからんことを。


465日本@名無史さん:2010/09/28(火) 13:50:57
>>464
南、至投馬国
と、南で句読点をいれて
「南の投馬国は」と訳せるの?
466日本@名無史さん:2010/09/28(火) 13:58:01
投馬国に至った原因は、基点から南という原因があったから。

何らかの原因があったから、その事実があり、原因と事実を結び付ける事が出来終止できた。      それが一つの流れじゃないの?
467日本@名無史さん:2010/09/28(火) 14:04:58
水行二十日はあくまで過程であり経緯。基点と投馬国の間の
経緯が重要なら、
南水行二十日到投馬国と書き、その経緯の重要性を強調するんじゃないかな?


さっきの
南水行二十日至投馬国は、間違えです。
468日本@名無史さん:2010/09/28(火) 14:15:09
到の訓は、至同様
イタルと読むが、意味は
到着した。到達した。届いた。など
助動詞を付けて訳され、これは連用のタリと同じ。

至るのように終止していない。
469日本@名無史さん:2010/09/28(火) 15:28:57
>>465
訳せるよ。何も問題はない。

>>466
原因とは何か? 物事が起きたもとのことだ。たばこが原因で火事になったとかね。
南は原因になるわけがない。投馬国が結果になることもない。
470日本@名無史さん:2010/09/28(火) 15:47:44
>>469

それならそれでいいんじゃない。
「ならない」と言ってるものを「なる」と言っても
ならないと言う認識でここまで生きてきたんだから
今更変えろと言うほうが無理だわな。

それでいいんじゃない。貴方は。
471日本@名無史さん:2010/09/28(火) 16:29:36
>>469
厳密には訳せないよね。
「南の投馬国」なら「南投馬国」だから。

でも、464さんの「南の投馬国までの所要日数を示した文章だ。」
という文は、訳文ではなく、内容を要約した文だから、
そこを突っ込んでも無意味だろ。
翻訳と説明を混同するなよ。>>465


なんにしても、河童虫は日本語が不自由だから、議論するには、
ひとつひとつ変な日本語の意味を確定していかなければならない。
でも、大抵、その途中で河童虫が逃亡して、
議論に入る前に終わりになる。
472日本@名無史さん:2010/09/28(火) 16:32:54
証明できなかった奴の負け
473日本@名無史さん:2010/09/28(火) 17:00:38
>>472
逃げたわけじゃないたわけど
相手が「ならない」と言ってるんだから、もうどうしようもないだろう。
これこれこういう理由でこうなるから、これはこうならないと
いうなら話は続くけど、論の趣旨とはあまり直接的に結びつかないような、原因がどうとか言われても
話は広がるばかり
だからそれでいいんじゃない。と言ったまで
そりゃあ貴方みたいな博士に比べれば、私の日本語は、まるで幼稚園児のようだけど
不自由とわかっているなら、尚更一つ一つ取り上げ正す必要もないだろう?
博士が幼稚園児に何を正すのかね?保母さんや幼稚園の先生に任せて、研究所で研究していたらいかがかな?
日本語の不自由な奴が集まる場所で、博士面したって幼稚園児にはわからないよ。
474日本@名無史さん:2010/09/28(火) 17:21:38
>>473
471は、469でも472でもない。
それにしても、あんた大人なんだから、幼稚園児じゃないだろ。
日本語が不自由なのは、幼稚園児だけじゃなくて外国人もそうだ。
外国人が話す内容が、日本語が下手だから幼稚だとは限らない。
もしかしたら良いこと言ってるかもしれないと思えば、なんとか理解しようとする。
みのもん太とかいうコテがいたけど、あんなのは最初から相手にされないんだから、
それよりは良い扱いということだ。拗ねるな。
ここで練習すれば、ちゃんとした日本語を使えるようになるかもしれんしね。
475日本@名無史さん:2010/09/28(火) 19:38:57
>>471
「南投馬国」は南の投馬国ではなく、投馬国の南地方だろう。
南関東とか南日本とかいうわな。
476日本@名無史さん:2010/09/28(火) 21:10:00
>>475
そりゃあ、日本語の用法じゃないの。
漢文のなかで南関東とか南日本のよう使い方ってあるかなあ。
例えば北狄 東夷 南蛮 西戎 はみな、北の狄 東の夷 とかであって、
夷の東部分とかじゃないし。
477日本@名無史さん:2010/09/28(火) 22:08:00
>>476
南満州というのがあったな。
478日本@名無史さん:2010/09/28(火) 22:39:06
南満州って、日本語じゃないの?
479日本@名無史さん:2010/09/29(水) 00:46:28
>>474

>それにしても、あんた大人なんだから、幼稚園児じゃないだろ

身体と年令は確かに大人だ。しかし
頭の中身は幼稚園児レベルかもしれない。ここでも河童は馬鹿で知恵遅れの代名詞と定説になってるようだから
480日本@名無史さん:2010/09/29(水) 12:23:32
郡至=郡庁の事

これは夏至・冬至と同じ解釈。
夏至、つまり夏は春分の日翌日から夏至と位置付けられた日までを夏といい。
その夏が極まった、太陽高度の極点日
そこまでの範囲を夏という。
郡至は、郡という範囲の極わまった地
郡庁を意味する。
481日本@名無史さん:2010/09/29(水) 13:01:01
そうすると、たくさん文例があるはずですね。示していただけますか?
482日本@名無史さん:2010/09/29(水) 13:40:53
>>481
○至が名詞として扱えるものを探しだし、調べて見てください。
そして、該当しないものがあったその時はお知らせください。        たとえば、必至なんかもその部類かと考えます。

必ず、例外のないさまという概念が、現実に
483日本@名無史さん:2010/09/29(水) 14:39:21
「…徒至馬閑…」
これは魏略で紹介された高句麗神話の中から抜粋。

徒は、家来や使用人
馬閑は、厩舎

ここでの徒至は、豚舎から厩舎までの移動を受け持つ役目
徒の移動範囲の極みは、移動する目的の場所
484日本@名無史さん:2010/09/29(水) 14:56:19
なるほど、あなたがきっとそういう意味だと解釈しただけで、
郡至=郡庁という文例は見つけていないということですね。
485日本@名無史さん:2010/09/29(水) 15:15:39
郡至を郡庁とした段階で、すでに解釈という領域に入っているから
解釈を必要としない文例などありません。

486日本@名無史さん:2010/09/29(水) 15:59:49
てか、「郡至」と区切ったら、次の文章が読めないだろ
郡至倭循海岸水行
487日本@名無史さん:2010/09/29(水) 16:16:03
漢文珍読 これも河童のもたらした弊害
488日本@名無史さん:2010/09/29(水) 16:45:28
いや、古田が元凶でしょう。
489日本@名無史さん:2010/09/29(水) 16:54:50
>>486

>てか、「郡至」と区切ったら、次の文章が読めないだろ

いいえ、文を区切っているわけではありません。
もともと漢文は漢字一文字が複数個集まって文を構成するもの
今目の前にある漢字の集合体を分割しているにすぎません

たとえば「郡至倭」
これを一文字ずつにすると「郡」「至」「倭」
それをここから組み立てていく作業をしているだけで、「郡至」で切れているのも
その作業の途中経過

「郡至」→「至倭」→「郡至倭」と辿って行き
最終的に「郡至倭」という文の本質に迫るというのが私の狙いです。


日本語でたとえるなら
「あき」という言葉がありますが、「あき」を分解してみると「あ」と「き」
と分けることが出来
「あ」とは一体なんだろう?
「き」とは一体なんだろう?
そして、それらの言葉が「あき」と一つになった時
どうして夏と冬の間を「あき」としたんだろう?

そしてどうして、開き、飽き、空きも秋同様「あき」なんだろうと?
そういう謎を探っているのです。

だから貴方の言うような
そこで切ったら文章が読めないだろう?という意見は、ちょっと違います。
文章というより、まだ文章なんて出来上がっていないのだから。
490日本@名無史さん:2010/09/29(水) 17:02:51
漢文珍読ならまだよいが、畿内説なら都合の悪いところはバッサリ無視し、
自説に都合のよいところだけ曲解して畿内説に仕立てるのだから手に負えない。
491日本@名無史さん:2010/09/29(水) 17:08:17
またまた得意の被害妄想ですかw
492日本@名無史さん:2010/09/29(水) 17:13:58
九州説は、都合の悪い所を珍読みしてトンデモだとからかわれているんだろうよ。
現実に辻褄の合わない所は素直に無視すればいいのに。

分からない所は分からない。
これが素直読み。

分からない所を無理に解釈・私見で組み立てる。
これは邪道。人それぞれにてお笑い解釈が生まれる。

魏志倭人伝は辻褄が合わずに破綻しているというのが素直読み。
493日本@名無史さん:2010/09/29(水) 17:17:30
伊都国→南へ水行20日で投馬国→南へ水行10日・陸行1月で邪馬台国
と素直に南に進もうとしないのが九州説。
494日本@名無史さん:2010/09/29(水) 17:22:03
邪馬台国がどこにあったかはともかくとして
畿内と九州に大きな勢力があったことは確かなこと
時代を遡れば、地政学的にそれは別々の勢力であったであろうことも容易に想像できる
それがどういう経緯で一つの国として成り立っていったのかが非常に気になる
邪馬台国論争は首都探しのようなものでしかない
495日本@名無史さん:2010/09/29(水) 17:36:37
車はブレーキを踏めばとまる。
それだけで十分だとする人もいれば、その構造や原理まで探らなければ気が済まない人もいる。
いや、それ以上細部にわたって知らなければ気が済まない
いっそ部品の製造、組み立てまで携わねばという人もいたり、鉄板に必要な鉄鋼石にまで遡る人もいる。

人それぞれだよ。
496日本@名無史さん:2010/09/29(水) 17:44:58
独自の想像だけで原理の全てが分かった気のしているのは滑稽。
497日本@名無史さん:2010/09/29(水) 17:49:40
究極の分かれ道は、
公認されない私見を許すか許さないか、
だと思うな。

簡単にいえば、
妄想を認めるか認めないかだろうね。
498日本@名無史さん:2010/09/29(水) 17:52:02
倭国大乱で天下統一
その後、数世紀に渡って領土の拡張なし
こんな仮説を組み立てる学者はアフォだと思う
499日本@名無史さん:2010/09/29(水) 17:52:35
何も挑戦することなく、ただ流され能書きこいてるよりは
ねぇ
500日本@名無史さん:2010/09/29(水) 17:54:03
私見はいくらあってもいい
どれだけ突拍子もない意見でもいい
根拠も示さず、それを史実だと強弁するのがいかん
501日本@名無史さん:2010/09/29(水) 18:10:33
私見や突拍子もない意見
というのはたいていは根拠がない。根拠が私見だから。
仮説を根拠にして仮説を組み立てているようなもの。
それだったら、公の事実のみにただ、流されている方が立派。
502日本@名無史さん:2010/09/29(水) 18:13:10
つうか公認された事実のみ語れよ。
九州説いなくなるよ。
503日本@名無史さん:2010/09/29(水) 18:19:10
2チャンだから。
504初心者No,:2010/09/29(水) 18:24:31
初心者なので「公認された事実」がどのようなものであるのか分かりません。何方か教えて下さい。
その公認された事実によれば邪馬台国は何処になるのでしょうか。
505日本@名無史さん:2010/09/29(水) 18:31:33
そんなもんほとんどないよ
基本的に記録や出土したものがあったということだけ
あとは全部想像
506日本@名無史さん:2010/09/29(水) 18:38:38
その想像が公認された想像。
507初心者No,:2010/09/29(水) 18:40:27
そうでしょうね。公認された事実と言っても、誰が認めたものを公認とするか、いろいろと問題があるでしょうね。
508日本@名無史さん:2010/09/29(水) 19:28:39
>>507
古田武彦師が認めたものは正しいと考えてもいいよ。畿内説は詐欺。
509日本@名無史さん:2010/09/29(水) 19:32:23
公認された事実
それはみなさんの心の中にあるのです。
510日本@名無史さん:2010/09/29(水) 19:36:02
公で認められたものが公認された事実。
例えば、辞書に書いてある事も公認。
公の機関で発表した事も公認。
教科書記載の単位も公認。

これらと全く外れた内容は妄想。
511日本@名無史さん:2010/09/29(水) 19:39:29
径百余歩は
公認されていた魏晋尺を基準にすると直径145m余りになる。

512日本@名無史さん:2010/09/29(水) 19:39:38
大学の講演会で発表されたものは公認でいいのかしらん
古田さんたちとか安本さんたち、よくやってるよね
513日本@名無史さん:2010/09/29(水) 19:41:10
>公認された事実
それはみなさんの心の中にあるのです。

それ違うんじゃない・・・
514日本@名無史さん:2010/09/29(水) 19:43:23
>大学の講演会で発表されたものは公認でいいのかしらん
古田さんたちとか安本さんたち、よくやってるよね

公の検査を通っていないだろう。
公認じゃないよ。
515日本@名無史さん:2010/09/29(水) 19:45:35
ここは2チャンだってば。
516日本@名無史さん:2010/09/29(水) 19:46:49
翼賛するシンパしか来てない講演会だぞ。同じ妄想でも、古田は説も人間も面白い。安本はつまんね。
517日本@名無史さん:2010/09/29(水) 19:48:11
だから、いつまでもトンデモやってたってしょうがないんだってば。
厳しく妄想説を糾弾して行こうよ。
518日本@名無史さん:2010/09/29(水) 19:53:25
そう、厳しく、厳しく
519日本@名無史さん:2010/09/29(水) 19:55:47
まあ、松浦から怡土、奴までは何とかなるとしても
そこから畿内までワープするのが妄想以外の何者でもないよね
520日本@名無史さん:2010/09/29(水) 20:44:35
だいたいにして科学じゃあるまいし、
言葉に発見なんてないんだよ。
言葉は公で決められたルールなんだよ。
521日本@名無史さん:2010/09/29(水) 20:46:37
科学じゃないのかよ
それじゃ、ただのおとぎ話だな。
522日本@名無史さん:2010/09/29(水) 21:01:28
>>520
典型的な文系脳。

理系は今はまだ分からなくても動かせない真理がどこかにあると信じているので
何度も仮説を立て、根拠を合わせては修正して、場合によっては放棄する。
結論が出せなければ出さない。

文系は説を主張して勝てばよいと思っているので、ルールを握り、宣伝を行なう。
根拠には余り興味がない。多数の人間を自説に引き込むのを目的とする。
523 ◆tsGpSwX8mo :2010/09/29(水) 21:09:17
テスト
524:2010/09/29(水) 21:10:00
525日本@名無史さん:2010/09/29(水) 21:19:19
>理系は今はまだ分からなくても動かせない真理がどこかにあると信じているので

邪馬台国は宗教じゃないんだよ。

>何度も仮説を立て、根拠を合わせては修正して、

仮説にて仮説を立てても無意味。

>場合によっては放棄する。
結論が出せなければ出さない。

ここは良いと思います。
526初心者No.2:2010/09/29(水) 21:24:52
古代の遺跡や出土物から歴史を語るのは妄想ではないのでしょうか。
527日本@名無史さん:2010/09/29(水) 21:28:15
>文系は説を主張して勝てばよいと思っているので、ルールを握り、宣伝を行なう。

勝てる事しかいわないよ。
頑固者を黙らすのにルールを持ち出すのは当たり前。でなければ疲れるよ。

>根拠には余り興味がない。

妄想聞いているのって疲れるから。

>多数の人間を自説に引き込むのを目的とする。

正直、そんな事には興味ない。
528日本@名無史さん:2010/09/29(水) 21:33:49
>古代の遺跡や出土物から歴史を語るのは妄想ではないのでしょうか。

いいや、築造年代を知るのに測定値を語っているだけだろう。
結果だけを語っている分には、妄想ではないよ。
529日本@名無史さん:2010/09/29(水) 21:42:22
夢も想像もない。機械的。厳密になりすぎ。
計算機、ロボットみたい。人間味がない。正確なものだけが善。
真実ってそんなに魅力的か?

邪馬台国探しなんて遊びだろう。マジになってどうする?
530日本@名無史さん:2010/09/29(水) 21:43:39
邪馬台国問題に関しては、九州説、畿内説ともどちらもまだ仮説の段階であり。仮説はむろん史実ではない。
決定的な証拠(例えば魏帝詔書の木簡、ムリだろうが)が出ないうちは何とでも言うことができるため、これを
飯の種とする人物も存在する。

ただし邪馬台国の問題は別にして、3世紀の列島の状況は考古学的成果によりずいぶんと明らかになってき
ている。そして考古学的資料は今後も積み重なっていく一方である。
531日本@名無史さん:2010/09/29(水) 21:52:06
妄想を語り合うのが、
邪馬台国論争だろう。

530さんへ、
3世紀の列島の状況は考古学的成果によりずいぶんと明らかになってき
ている。

これだって、まだまだ仮説の領域でしょう。
考古学で歴史は語れない。
532初心者No.2:2010/09/29(水) 21:55:09
纏向遺跡から桃の種が出土したのを受けてのある学者の発言だそうですが、

辰巳和弘・同志社大教授(古代学)は「卑弥呼が竹ざるに桃を積み上げて祭事を行ったのではないか」と話す。

と報道されています。これは妄想ではないのでしょうか。
http://www.asahi.com/culture/update/0917/OSK201009170081.html?ref=rss
533日本@名無史さん:2010/09/29(水) 21:58:41
>「卑弥呼が竹ざるに桃を積み上げて祭事を行ったのではないか」

これは文章の語尾からして推論を発表したものだろう。
断定していない。公認に非ず。
534日本@名無史さん:2010/09/29(水) 21:59:50
>>531
いや、例えばどの集落遺跡では何を特産品としていたかとか、どの集落遺跡と どの集落遺跡が交流があったかなど、
多くのことが明らかになってきている。これが積み重なれば必ず見えてくるものがある。
535日本@名無史さん:2010/09/29(水) 22:05:06
>市教委が17日、発表した。桃は古代、魔よけなどに使われたとされ、市教委は「祭祀(さいし)に使った後に捨てた可能性がある」とみている。

これは断定じゃーないな。
公認とはいえない。
536初心者No.2:2010/09/29(水) 22:06:18
>断定していない。公認に非ず。

誰かが(と言っても専門家でないといけないのでしょうが)断定すれば公認ということになるのですか?
537日本@名無史さん:2010/09/29(水) 22:08:00
公の機関にてそれなりの専門家がいえば普通はそうなるんじゃないの。
538初心者No.2:2010/09/29(水) 22:09:50
>>537
その専門家がアホ(下品な表現で申し訳ありませんが)でもいいのですか?
539日本@名無史さん:2010/09/29(水) 22:10:32
ま、専門家は軽はずみに断定はしないから。
確かなことしか断定しないよ。
540初心者No.3:2010/09/29(水) 22:13:50
>確かなことしか断定しないよ。

しかし、専門家でも判断を間違うことがあるのではありませんか?
541日本@名無史さん:2010/09/29(水) 22:17:28
プロは、誰が見てもあきらかになった結果しか断定しないよ。
でなければ、批判が集中するから。
542日本@名無史さん:2010/09/29(水) 22:17:55
だからここは2チャンだって
543日本@名無史さん:2010/09/29(水) 22:19:11
そうね。「〜ないか。」「〜の可能性がある。」は断定とはいえないだろうし、まあ学者は談話は公的なものではないと
思っている節があるから・・・。論文にはこうは書かないだろうし、もし論文中に間違いがあれば批判を受けるだろう。
544日本@名無史さん:2010/09/29(水) 22:19:38
そう、遊ぶ所だ。
マジに議論してどうする?
545初心者No.3:2010/09/29(水) 22:26:31
私も邪馬台国論は娯楽(想像を楽しむ)に近いと思っているのですが・・・

>プロは、誰が見てもあきらかになった結果しか断定しないよ。

安本美典氏は甘木説を唱えましたが、この説には反対もかなり多いようですから「誰が見てもあきらかになった結果」
に基づいた説とは言えないですね。と言うことは安本氏はプロではないのですか?
546日本@名無史さん:2010/09/29(水) 22:26:52
畿内派と九州派は邪馬台国論争へのスタンスが違う。
体質が違う。
547初心者No.4:2010/09/29(水) 22:29:27
>畿内派と九州派は邪馬台国論争へのスタンスが違う。

どのように違うのですか?なにしろ初心者ですから違いが分からないのですみません。
548日本@名無史さん:2010/09/29(水) 22:31:30
末盧国までは問題がない。その先の伊都国をどこに比定するのか、倭人伝どおりに
進むのか、それとも怡土の音に飛びついて伊都国=怡土と考えるのかが分かれ道と
なる。
549日本@名無史さん:2010/09/29(水) 22:32:29
歴史は文系が作り出すもの
550日本@名無史さん:2010/09/29(水) 22:33:12
安本氏に科学的なものを公認する権限はないよ。
氏は文科省と関係してないだろう。
あれは、文学系の学部を卒業したんじゃなかったっけ。
文学の話に公認も何もない。
551初心者No.4:2010/09/29(水) 22:38:43
安本氏はプロではないということですか。
ところで、畿内説を唱えているプロは居るのでしょうか?
552日本@名無史さん:2010/09/29(水) 22:39:12
>>543
おまえはまだ若杉じゃ。
大家といわれるほどの学者たちが、いかにアテにならんか
邪馬台国論争史を少しでもカジれば、すぐに理解できるぞ
553日本@名無史さん:2010/09/29(水) 22:59:30
歴史に「こうあってほしい」と考えた時点で、それはもう学問ではない
554日本@名無史さん:2010/09/29(水) 23:00:18
>>552
www 昔はみんなそうですよ。畿内説も九州説も、大学者がお互い根拠の乏しいことを言い合っていた。しかし学問は
進歩するものだし、今は公的な報告書(国あるいは地方公共団体などが刊行したもの)で法螺を吹くなんてことはない
でしょう。一方、一般向けの著書なら法螺を吹くほど売れるという側面もあるだろうから、在野の古代史家はもちろん、
専門の学者でもやってる人はいます。これはしかししょうがない面もあると思う。信じるかどうかは本を買う人次第だか
らねえ。
555日本@名無史さん:2010/09/29(水) 23:42:50
別々に飲む機会があって

文系「世の中結局人間しかいないからな」

理系「世の中人間だけじゃないからな」

この二人で議論させてみたかった。
556日本@名無史さん:2010/09/29(水) 23:59:52
だからここは2チャンだって。
557日本@名無史さん:2010/09/30(木) 00:09:03
考古学にはゴッドハンドがたくさんいるからな
もう滅茶苦茶だよ
558日本@名無史さん:2010/09/30(木) 02:59:21
だいたいマトモな学者はとっくに九州説で決まってるのにね
559日本@名無史さん:2010/09/30(木) 03:35:23
ほんとに、考古学者の本を読んでみると、ここまで分かっているのに何で畿内という結論に
しがみつくのかと呆れるね。しかし、考古学者でも何人かはまあまあまともな人もいるんだね。
斉藤忠とか森とかは、まだましな考え方をしている。
560日本@名無史さん:2010/09/30(木) 03:36:31
畿内説は金になるんだよ
561日本@名無史さん:2010/09/30(木) 04:36:31
>>480
季節の変化はアナログ。行政区画は、郡か郡でないかのデジタル。
郡の範囲が極まるなんてことはない。
562日本@名無史さん:2010/09/30(木) 04:54:13
明らかに自分でも無理やりだと思ってることを強弁する奴がいるなw
563日本@名無史さん:2010/09/30(木) 05:09:06
九州説って、ルサンチマンだったんだなあ。

ウィキペディアより

反対に社会的な弱者はルサンチマンから逃れられない。フラストレーションをむしろ肯定し、何もできないことを正当化するようになる。
社会的な価値感を否定したり、反転した解釈を行うようになる。

こうしたルサンチマンの表れの例として、敵を想定し、その対比として自己の正当性を主張するイデオロギーにある。
こういったイデオロギーは、敵が悪の元凶とし、だから反対に自分は道徳的に優れていると主張する。
「彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ」というわけである。

さらに、そのルサンチマンの敵が拡大すると、対象が社会全体になる。
「世界はどうしようもなく悪によって支配されている。したがってわれわれのほうが世界より優れている」と拡大解釈されるようにもなる。
564日本@名無史さん:2010/09/30(木) 06:15:16
結局のところ、魏志東夷伝倭人条による邪馬台国の記述は、北部九州のしょぼい
国々を限定的に紹介したものだろう。
その頃は別途、畿内大和の連合大王家が存在し、吉備や出雲、遠くは尾張や群馬
あたりまでの国々と交易がなされていた。
そして、3世紀末頃以降、北九州の邪馬台国連合は、畿内大和の連合大王家に吸収
・併合され、史実から完全に消え去っていった。
これがすべて。以上で邪馬台国問題も終止符です。
565日本@名無史さん:2010/09/30(木) 06:44:47
>本氏はプロではないということですか。
ところで、畿内説を唱えているプロは居るのでしょうか?

遺跡調査は、
文科省が指定した機関で認めなければ、公認とはいわんでしょう。
その機関の中に畿内説の方々が多くいるかもしれないが、畿内説だからプロというわけではない。
566日本@名無史さん:2010/09/30(木) 07:09:03
季節の変化はアナログだが、暦はデジタル。
夏はアナログでもあるしデジタルでもある
夏至という事象はデジタル。夏の範囲は気候の変化によって変わるものじゃないよ
567日本@名無史さん:2010/09/30(木) 07:55:10
夏は夏至までじゃなかろ。
568日本@名無史さん:2010/09/30(木) 07:59:31
当時の暦は冬至が基準に
569日本@名無史さん:2010/09/30(木) 08:02:17
安本の科学的論証って
全然、科学的じゃないって馬鹿にされているわなw

安本氏の「数理歴史学」の誤り
http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-3-3.htm
570日本@名無史さん:2010/09/30(木) 08:22:43
夏が極まるというのは、太陽高度が極点に至るということでおk?
ならば郡という範囲が極まるって、具体的にどういうこと?
571日本@名無史さん:2010/09/30(木) 08:30:31
安本ってなんでこうもデタラメばかりいってるのにのうのうと生活を送れるのだろう。
あきらかにデタラメだと誰もが分かるじゃん。

安本九州説を成立させる為に引っ込みがつかないのだろうか?
だいたいにして、仮設を先に立てて、その後に根拠を導き出す、というのは順番が逆だろうに。
572日本@名無史さん:2010/09/30(木) 08:51:29
郡という行政の極み
郡という行政が滞りなく営まれる為の中枢。
573日本@名無史さん:2010/09/30(木) 09:25:11
安本はこれまで本を大量に書いている。
今更、邪馬台国=大和国なんて言われたら
これまで出版した本の売れ行きにも影響する。
574日本@名無史さん:2010/09/30(木) 09:28:25
たとえば、邪馬台国九州説論者のサガミハラハラ氏は
元高校教師だったけど、それをやめて、家族から離れて
邪馬台国の研究をしている。
そんな人生を送って、いまさら、邪馬台国=大和国ですなんて言われて
引き下がれるわけにはいかない。
同じように、邪馬台国九州説を根拠に観光に力を入れた
地方公共団体も多いし。
そういうところも、今更、引き下がれないだろう。
575日本@名無史さん:2010/09/30(木) 10:37:41
台を「ト」と読めると思ってるような、シロートは
このスレにはいないよな、な?
576日本@名無史さん:2010/09/30(木) 10:56:40
台?
577日本@名無史さん:2010/09/30(木) 11:04:57
原文には「台」という字はない。
578日本@名無史さん:2010/09/30(木) 11:33:51
邪馬台をどうしてもヤマトと読みたい一心から
出たものだ。突っ込まずにあたたかく見守ってやれよ
579日本@名無史さん:2010/09/30(木) 12:50:09
南に投馬国があることと、投馬国まで
水行二十日は別物。
580日本@名無史さん:2010/09/30(木) 13:32:00
>>579
唐突すぎて、論点が見えん。
581日本@名無史さん:2010/09/30(木) 15:17:22
水行・・・海や川に入って禊を行い心身を清め精進潔斎する事。また、同様に滝に打たれる事も・・・
582日本@名無史さん:2010/09/30(木) 15:42:29
邪馬台国に近付くにつれて、水行で身を清めなければならないのか
583日本@名無史さん:2010/09/30(木) 15:50:36
>>574
一番引き下がれないで困っているのは奈良県だろうな。
584日本@名無史さん:2010/09/30(木) 17:05:21
>南に投馬国があることと、投馬国まで
水行二十日は別物。

だから、難しく考えるなよ。
お願いだから一般常識で普通に素直に読んでくれ。
585日本@名無史さん:2010/09/30(木) 17:08:14
何かしらの前置きくらいすればいいのにね。
唐突に理解しがたい事いうから、面倒になる。
自分が普通だと思ったら大間違い。
586日本@名無史さん:2010/09/30(木) 17:09:29
行水なら水で身を清めなければならないが、
水行じゃ、清める場所だ
587日本@名無史さん:2010/09/30(木) 18:00:18
>水行・・・海や川に入って禊を行い心身を清め精進潔斎する事。また、同様に滝に打たれる事も・・・

だったら、陸行は何だろうw 砂風呂かいな。
「みずぎょう・すいぎょう」と「すいこう」は違うんだけどね。
588日本@名無史さん:2010/09/30(木) 18:04:19
で投馬国はどこなんだ?
589日本@名無史さん:2010/09/30(木) 18:14:13
沖縄だな。
590日本@名無史さん:2010/09/30(木) 18:19:09
水行10日と水行20日は
不彌から出航する太平洋側の2つのルートを示してるんだろう。
一方の終点が投馬、もう一方の終点が斯馬だ。
不彌=伊勢 投馬=沖縄 斯馬=松島
591元祖初心者:2010/09/30(木) 18:24:51
投馬国は5万戸の大国と倭人伝にはありますね。それだけの人口を養うには相当広い耕地を必要としますね。
福岡県の筑後川以南の地域(筑後平野)だとそれくらいの人口を養う生産力がありそうですね。有明海という
漁場もありますからね。
592日本@名無史さん:2010/09/30(木) 18:28:45
戸は人口じゃない、軍が駐屯できる平地のことだ。
農民視点で倭人伝読むやつが多すぎるな。
593日本@名無史さん:2010/09/30(木) 18:34:59
>>592
>戸は人口じゃない、軍が駐屯できる平地のことだ。

どこからそんな話が出てきたんだ?聞いたことないんで教えてくれ。
594日本@名無史さん:2010/09/30(木) 18:38:46
>>593
ぎゃくにどこから戸が人口を示すなんて思いついたのか教えてくれ。
595日本@名無史さん:2010/09/30(木) 18:47:51
>>590 >>591
投馬国が沖縄だったら、単に水行ではなく渡海と書かれていたはずだ。
また、投馬国が筑後平野では水行二十日の説明がつかない。
投馬国は薩摩川内付近を中心として薩摩半島や熊本南部までを領域としていた
と考えるべきだろう。それならば、戸数5万は十分ある。
また、水行十日陸行一月は投馬国までの半分、すなわち八代付近で上陸して都
城盆地あたりと考えられる。都城から宮崎平野が領域となれば、戸数7万戸も
不自然ではない。
596日本@名無史さん:2010/09/30(木) 18:57:34
>>595
終点、と書いてあるとおりいくつかの中継港があることを前提に書いてるんだよ。
単に渡海ではおかしいでしょ。
597日本@名無史さん:2010/09/30(木) 19:03:26
>>594
なんぼでもあるだろ。たとば漢書五行志
徙郡國吏民五千餘?以奉陵邑.
598日本@名無史さん:2010/09/30(木) 19:24:07
>軍が駐屯できる平地
これはさすがに聞いたことがない新説ですねえ
599日本@名無史さん:2010/09/30(木) 19:29:21
>>596
中継港があっても渡海は渡海だよ。狗邪韓国から末盧国までの行程だって
三度とも渡海と書いている。
600597:2010/09/30(木) 19:30:15
>>594
肝心なとこが文字化けしてた。

徙郡國吏民五千餘戸以奉陵邑.

そんで、

>戸は人口じゃない、軍が駐屯できる平地のことだ。

の出典まだあ。
601日本@名無史さん:2010/09/30(木) 19:30:43
魏志倭人伝は呉志と魏志の寄せ集め。
つまり会稽からの経路と帯方郡からの経路がごちゃ混ぜになっている。
呉では南=卯の方向、呉では南=牛の方向としていた可能性も否定できない。
会稽から行程を辿ればフィリピンかパプアニューギニアに辿りつく。
602日本@名無史さん:2010/09/30(木) 20:02:52
>>601
そんな証拠出せといってもないだろ。帯方郡からの行程とみて何も
問題がないんだ。ごちゃまぜなんていう必要はまったくない。
603日本@名無史さん:2010/09/30(木) 20:21:29
>>602
そうでない証拠も出せない、つまり悪魔の証明
604日本@名無史さん:2010/09/30(木) 20:32:31
>>603
疑問視すべきところがなければ、普通に読めばいいんだよ。
605日本@名無史さん:2010/09/30(木) 21:09:54
>>604
疑問視すべきところがあった場合は?
606日本@名無史さん:2010/09/30(木) 21:11:27
疑問視読みすればいい。
607日本@名無史さん:2010/09/30(木) 21:28:57
>>605
頭を使うんだね。
608本家初心者:2010/09/30(木) 21:30:40
戸数5万であれば人口はおよそ25万としてよいでしょう。筑後川や有明海の入り江や河川に出入りしながら行ったら
20日はかかるのではないでしょうか。干満の潮位差が5mにも及ぶ遠浅の有明海を数百人の一行が倭船を連ねて航行
できる時間は昼間の満潮時の数時間しかありません。

有明海を一気に南下するのでなく、内陸部の豪族の居館を訪ねながら宿泊したり食事をとったりしながら行くのです。
609日本@名無史さん:2010/09/30(木) 21:52:29
縄文人たら、いびられすぎていじけて名無史になってるのよ。おほほほほ、みじめね。
610本家初心者:2010/09/30(木) 22:00:11
縄文人て誰ですか?面白そうですね。名無史で書き込みしているのですか?どれがその書き込みか番号で教えて下さい。
611日本@名無史さん:2010/09/30(木) 22:06:20
縄文人は608です。過去の無駄に長ったらしいレスを縮めてますが、
同じアフォを書いてます。
あの人は最初こそ威勢がよかったものの、
wwwの人と縦目という人にいじめ抜かれて消えました。
今は名無史になって未練たらしく書き込んでるのだと思いまふ。
612日本@名無史さん:2010/09/30(木) 22:10:07
610
613本家初心者:2010/09/30(木) 22:11:53
608は私の書き込みですよ。608は縄文人という人の論と同じ趣旨になっていますか。そ〜ですか。それは気がつきませんでしたが、
だとすると縄文人という人は慧眼の持ち主でしょうね。う〜ん、会ってみたいですね。
614神無月未婚:2010/09/30(木) 22:15:36
きゃははははは。縄文人、そのようなことだから未練がましいとゆわれるのよ。

未練よ、未練よ、卑怯未練よ。惰弱の極みよ。おほほははは、女王様がおしおきをしてあげるわ。

さあ、ももひきを脱ぎなさい。きゃははは。
615本家初心者:2010/09/30(木) 22:23:05
誰ですかこの変な人。
616神無月未婚:2010/09/30(木) 22:35:54
呪うわよ。おほほははは。
617日本@名無史さん:2010/09/30(木) 22:40:49
この手の変質者は、たぶん畿内説。
618宗家初心者:2010/09/30(木) 22:51:19
畿内説の人には変質者が多いのですか?
619日本@名無史さん:2010/09/30(木) 23:46:56
何でもかんでも、畿内の文物を卑弥呼の証拠だと言いくるめるほどの、
職業変質者が多いです。
620日本@名無史さん:2010/09/30(木) 23:50:53
621神無月未婚:2010/10/01(金) 00:23:51
>>620
ちがうわ。ルサンチマン、おほほほはは、そんなものではないのよ。一日中PCの前に座って、

「自分は九州説の一員で、悪の畿内説と戦ってる」 っていうほんのわずかな所属感が、

彼をしてここまで駆り立てるの。病気よ、病的な症例なの。

人はね、どんな重症の引きこもりでも、どこかで世の中と繋がっていたいのよね。きゃはははははぁ。
622日本@名無史さん:2010/10/01(金) 00:26:48
悪魔か、こいつは
623神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/10/01(金) 00:30:27
>>614>>616
オイ!偽物!何言うてケツカンネン!このド・アホ!
お前、ケツに尻尾の生えた野蛮人の邪馬台国九州説やろ!お前のハゲ頭にマヨネーズかけるぞ!
624日本@名無史さん:2010/10/01(金) 00:31:20
どっちにしても変質者だな
625神無月未婚:2010/10/01(金) 00:43:28
>>623
お黙り、スベトロヤーナ。おまいがロシアの工作員だってことは、みんな知ってるのよ。

一目瞭然、弁天開珍なのよ、おほほははは。おまいなどペチカの前でトロイカを歌いながら、

コサック・ダンスでも踊ってるがよいわさ。きゃはっ、きゃはははは。
626日本@名無史さん:2010/10/01(金) 00:47:55
何の戦いだよ これ
627卑奴母離:2010/10/01(金) 04:01:13
宮崎平野=邪馬台国でいいんでない。
帯方郡から邪馬台国まで12000里。
帯方郡から末盧国まで10000里かかって、
あと、2000里で行ける所で、倭人伝に出来るだけ注釈を
加えないで読むと。東に海があって暖かい所。
(好んで潜水して、魚貝類を取って、裸同然で暮らせて
女王国東渡海千余里復有国皆倭種を比定出来る・・・四国でしょう。
宮崎市の堂地東遺跡からは5LDKの竪穴住居が
多く見られるぞ。・・・ここだけ。
(有屋室父母兄弟臥息異所處)にも合う。
植物も南方系(楠の群生地の北限は足立山、橘なんて奈良に自生なし)
628日本@名無史さん:2010/10/01(金) 06:49:24
>>627
帯方郡から12000里というのは、女王国までの話。女王国と邪馬台国は、同じようで
まったく同じということではない。一部の研究者が指摘しているが、女王国というのは邪
馬台国とそれに従う旁国を含んだ概念。万二千里というのは、その女王国の境界までの距
離です。ですから、帯方郡から邪馬台国までの距離は万五千里ぐらいになります。
邪馬台国=宮崎はご指摘のとおり。私は都城盆地と宮崎平野を含む、もう少し広い範囲が
邪馬台国だった、使者が赴いたのは都城盆地のどこかではと思いますが。
629日本@名無史さん:2010/10/01(金) 06:54:04
>>627
邪馬台国の生活環境や植性じゃなく
対馬から狗奴国までの環境だよ
630日本@名無史さん:2010/10/01(金) 07:06:16
>>629 横からですが。
末盧国までは個別に書いているし、狗奴国や旁国には使者が赴いた様子はない。
記事には北九州特有のことは記載されていない。やはり、邪馬台国のことを書いている
とみるべきでしょう。
631日本@名無史さん:2010/10/01(金) 07:44:56
>>630
使者が赴かなければ書に載せる事はないと思う。
使者が公務として赴くから自国の歴史。
だから、黒歯国や裸国も公務としての範囲
赴かない場所は、中国の歴史とは無関係の知らない認識範疇外
書かれているところまで中国の公務は行き渡った。
632卑奴母離:2010/10/01(金) 12:17:06
南至邪馬台国女王之所都水行十日陸行一月・・・の解釈
女王の都がある所=邪馬台国でよいのでは?
女王国は邪馬台国とそれに従う旁国連合と解釈すると、
末盧国も一大国も女王国になる。10000里以下で着く事に。
633卑奴母離:2010/10/01(金) 12:38:20
都城盆地に使者が着いた。・・・・とすると
都城から桜島が見えるよ。・・・・なぜ火を噴く山が有るとか書かないかな?
それと、女王国より北の方角についてはその戸数、道里は説明できる・・・云々
として21カ国を列挙している。やはり女王国=邪馬台国と思う。
その21カ国の中に、対蘇国、蘇奴国、華奴蘇奴国と阿蘇山付近を思わせる国が
ある。なんで火を噴く山を書かないかな〜、行ってないから書けない。
634日本@名無史さん:2010/10/01(金) 12:39:22
今以汝為親魏倭王假金印紫綬装封付帶方太守假授 汝其綏撫種人勉為孝順
「今汝を以て親魏倭王となし、金印紫綬を仮し、装封して帯方の太守に付し仮授せしむ。 汝、それ種人を綏撫し、勉めて孝順をなせ。」
つまり、卑弥呼を帯方郡の太守に任じたゆえ、皇帝に孝順を励むべしと・・・。
だから、倭国は帯方郡に隣接する東南部から大海中に山島にかけて存在していた訳ですね。
635日本@名無史さん:2010/10/01(金) 12:56:38
あなたの最大の意図する隣接は関係ありません。
大海の中だけです。
636日本@名無史さん:2010/10/01(金) 13:00:36
火を噴く山を記載しないのは、貴方が書いた書物ではないからです。
637日本@名無史さん:2010/10/01(金) 13:17:03
素人です
流れ途中ですいません
邪馬台国は、誰が最初にヤマタイって呼んだのでしょうか?
普通の感覚なら、大和朝廷との連続性の連想からヤマトと読むのが自然な気がしますが
ヤマタイと呼んだ理由はなんでしょう
長い間気になっていたので、かまってもらえると幸いです
638日本@名無史さん:2010/10/01(金) 13:31:55
ヤマタイと読んだ理由なんてありません。
漢字を音読みしたからです。           それぞれ呉音、唐音、漢音とバラバラですが
639卑奴母離:2010/10/01(金) 13:45:10
誰がと言われると・・・分かりません。
だだ、古事記編纂時(712年)には魏志倭人伝を読んでいる事は
間違いない。そのまま漢読みしたのでしょう。天皇自身か官職者が。
640日本@名無史さん:2010/10/01(金) 13:54:12
最初にヤマトと読んだのは松下見林とかの江戸時代の国学者です。
それを明治以降引き継ぎました。それは大和=邪馬台国としたいからです。
日本の王者はヤマト以外なしとの信念によるもの。

ところが、倭人伝には邪馬臺国(正確には壹国)とあって、台ではありません。
台は「ト」と読めますが、「臺」は「ダイ」としか読めません。
古事記、万葉集等の日本古代の文献でも「臺」を「ト」と読ませている例はありません。

したがって、ヤマトと読むのは間違い。
昔の大家たちの主張ではありますが、大間違いです。
641日本@名無史さん:2010/10/01(金) 13:56:44
で、何と読むんだ?
642日本@名無史さん:2010/10/01(金) 14:10:31
だから、ヤマタイコク、ヤマダイコク
643日本@名無史さん:2010/10/01(金) 14:14:21
そんな地名は残っとらんだろ
644日本@名無史さん:2010/10/01(金) 15:31:11
>>640
現代の中国語だと、一字一音節っていうのかな。一字に「da i」と音を充てることはないよね。
上古音や中古音のことは全く知らないけれど、そこのところはどうなの。
「臺」は「ダイ」だって言っていいのかね。
「臺」を魏の時代の人は何と発音したんだろ。
645日本@名無史さん:2010/10/01(金) 15:47:43
ダイと書いた時点で日本語だから、魏の人もダイと発音する。
そして、臺を魏の人がなんと発音しようが、日本ではダイという音を付けた。
ただそれだけの事です。
646日本@名無史さん:2010/10/01(金) 16:21:36
>>643
ヤマダイの地名なら大阪府岸和田市にある。
山直と書いてヤマダイと読む。
かなり古い地名のはず。
延喜式内社の山直神社がある。
近くに前期の大型古墳である摩湯山古墳がある。
647日本@名無史さん:2010/10/01(金) 16:51:23
>>644
1字1発音でしょ。中国も昔はそうでもないみたいね。
現代でも、例えば「来」=laiで、日本語だと母音2つに相当する。
「臺」=daiで問題ないっしょ。
648日本@名無史さん:2010/10/01(金) 16:55:01
邪馬壱国=やまゐ国
邪馬臺国=やまだいゐ国
649日本@名無史さん:2010/10/01(金) 17:12:39
乳児レベルのスレに乙!
650卑奴母離:2010/10/01(金) 18:48:51
伊都国は糸島市ではない。理由
1…スレの始めに何方か記載された。
  末盧国から陸行500里で糸島は不自然。一大国から
  船で直接糸島に行けば、労力、時間とも節約できる。
2…日本書紀に伊覩県主(イトノアガタヌシ)の事が出ている。
仲哀天皇治世8年に、県主の先祖の五十迹手を称え、その国を
伊蘇国(イソ)としたが、今は(日本書紀720年)訛って伊覩と
呼んでいる。・・・・とある為。
3…都は「ト」と読まず、「ツ」と読むのではないか?(魏の頃は)
  例えば「都留市」など、都を「ツ」と読む所が全国に多いから。(弱し)
4…志賀島から発見された金印「漢委奴国王」です。
  委奴は「イドorイトorイナ」と呼ばれる国ではなかったか?
  すると志賀島、能古島、糸島半島は直ぐ近くで一国をなし(福岡市、糸島市)
委奴国と言う名ではなかったか?…魏の時代にも存続していた?
更に荒唐無稽だが、女王の連合に属していなかった。
朝鮮半島から渡来した人の国で、近畿と通じていた。朝鮮半島への航路は
志賀島→沖ノ島→対馬→朝鮮半島となる。・・・4も弱いな。
(狗奴国を比定してから、又「4」について記載します。)

結論→伊都国は末盧国からあくまでも東南へ500里の所
伊都国は小城の東名遺跡から吉野ヶ里にあった国に比定します。
651日本@名無史さん:2010/10/01(金) 19:43:25
この世は基地外に満ち満ちている。
652日本@名無史さん:2010/10/01(金) 20:17:12
邪馬台が邪馬壱国だの邪馬臺国だの言う議論以前に
「大和」が「ヤマト」と読めないんだけど
なんで大和でヤマトと読ませるの?
653卑奴母離:2010/10/01(金) 20:21:02
奴国と不彌国と投馬国を比定しましょう。
伊都国(吉野ヶ里)から放射読みします。・・・九州説の定番。(唯一の注釈)
理由は「到」と「至」の違い。この3国の情報が少ない事。・・行ってない。
東南至奴国百里・・・今の八女市、大川市、柳川市あたり
東行至不彌国百里・・今の久留米市あたり(「行」があるので行っている。)かな
南至投馬国水行二十日・・・今の薩摩半島のどこか。2万戸とあるから鹿児島平野。

投馬国も邪馬台国も出発地は同じ、南へ水行。10日間は同じ水路。
出発地を吉野ヶ里とすると(当時海岸線まで2kmほど)阿蘇の火山灰が体積した
潟が気になります。引き潮の時の干潟は数キロになる所もあります。
ムツゴロウを捕る時のようにしないと、前に進まない。
やはり、不彌国(久留米)の筑後川下流から舟を出した方がいいかな。
654日本@名無史さん:2010/10/01(金) 20:25:27
>>652
「武蔵」が「ムサシ」と読めないのと同じ理屈だよ。
むしろ「小鳥遊」を「タカナシ」と読むというような、音ではなく意を表したものだと思えばいい。
655日本@名無史さん:2010/10/01(金) 20:40:39
>>652
ヤマトとは、おそらく古くからの奈良盆地の日本語名称。
そこに神武が来た→大和朝廷は自らを「倭国」と称した→ある時期「大倭国」と称した。
次第に「大倭」を「ヤマト」と訓ずる週間ができた。「大和」とも書くようになった。

と、こういういきさつです。
656卑奴母離:2010/10/01(金) 21:13:35
水行10日で着いた所。→熊本水俣から鹿児島出水までのどこかの海岸線。
大口を経て霧島山系の麓(えびの高原)を通り1ヶ月。→ 宮崎平野。
海抜0m〜標高1200m(えびの高原)を行く。
勿論、現在よりずっと杣道だから、一日3〜4kmで。

質問。
1…伊都国から東南100里にある奴国と、女王国の北にある21カ国の最後に
書かれた奴国は同一国だろうか?・・・私は同一
2…21カ国の最後・・・次ぎに奴国あり。そこが女王の権力が尽きる所。
  「その」南に狗奴国があり・・・女王国に隷属していない。
  上記の「その」は奴国か?邪馬台国か?・・・私は奴国。

狗奴国は熊本県と言う事になる。長官名も狗古智卑狗(クコチヒク)=菊池彦
とても怖くて、水行10日は熊本寄りの海岸線は行けない。諫早、島原、天草の諸島
をぬって沖走りした。
657日本@名無史さん:2010/10/01(金) 21:20:29
>>652
いまは畿内説詐欺師が、「纏向」を「ヤマタイ」と読ませようと画策してる。
658日本@名無史さん:2010/10/01(金) 21:25:04
九州内でそれだけ時間がかかるぐらい道が悪いなら、
倭国大乱と称されるほどの戦争は起きないよなあ。
兵隊送り込む事ができん。
659卑奴母離:2010/10/01(金) 21:29:16
邪馬台国=or≠大和政権は誰かスレをたててね。
ヤマトと言う音が先にあって、後から付けた。和をもって尊しと成す。
大いなる平和な国(願いを込めて)・・・大和(当て字)私案につき証明できません
660卑奴母離:2010/10/01(金) 21:51:18
>>658
魏の使者は、戦争しに来たわけじゃないよ。物見遊山か偵察。魏に仇名す
力はあるか?ゆっくりがいいの。また、坂道を登る行程は時間がかかるもの。
例えば、高尾山(600弱)の登山口駅(ケーブル)から1.5Kだけど
1時間近くかかるよ。
戦争の原因は権力闘争。道が悪いくらいで戦争やめません。
661日本@名無史さん:2010/10/01(金) 22:14:53
>>632
女王国=邪馬台国に従う国々といっても、女王国以北の国々があることを忘れては
いけません。女王国は万二千里から始まる国々、北九州の奴国までは女王国以北の
国々であって女王国ではありません。
倭国の乱は女王国と女王国以北の国々が争った戦いです。女王国が実質的に勝って
以北の国々を支配下に入れたということですね。
662日本@名無史さん:2010/10/01(金) 22:44:16
>>660
山中に何日もいても偵察にならんよ。
だいたい、そんなに詳細に偵察したなら、もっと詳しい記録が残るだろ。
邪馬台国の次の傍国すら国名しかわからないのは何故さ?
女王の支配する領域を何故調べなかったのか?

道が悪いと、こちらは兵士を敵地に多数送り込めないのに対し、
相手は人数を揃える事が出来るので、フクロにされるだけ。
そもそも権力闘争が起きるだけの接触も出来ないだろうな。
663日本@名無史さん:2010/10/01(金) 23:08:26
偵察といっても魏が倭国を攻める準備ではないだろ。倭国が呉と交渉をもって
いるかどうか、そちらに関心があったはずだ。だから、倭人伝は倭国が中国と
交渉をもっていたことを記している。
664日本@名無史さん:2010/10/01(金) 23:15:10
ハチのムサシは 死んだのさ
畑の日だまり 土の上
遠い山奥 麦の穂が
キラキラゆれてる 午後でした
ハチのムサシは 向こう見ず
真赤に燃えてるお日様に
試合をいどんで 負けたのさ
焼かれて落ちて 死んだのさ
ハチのムサシは 死んだのさ
お日様仰いで 死んだのさ
高い青空 麦畑
いつもと変わらぬ 午後でした
665日本@名無史さん:2010/10/01(金) 23:17:09
一回だけだったら偵察に時間をかけるのもあるかもしれんけど、
郡使往来常所駐だからね。
何度も往来してるのに、そんなにねちっこく偵察しながら移動しないだろ。
666日本@名無史さん:2010/10/01(金) 23:17:49
>>663
じゃあ何日も日を費やす事は無いじゃん。
呉を気にしてたなら、なおさら急がなければならない。
物見遊山なんて暇は無いはずだ。
667日本@名無史さん:2010/10/01(金) 23:34:11
呉を気にして急ぐ? 何で? 何か勘違いしていないかな。
使者を案内するのは、倭国の側だ。事前に先へ連絡して迎入れの準備をさせ、
それが整ったら鄭重に案内する。まあ、先々で接待しながらだろうな。
連日歩かせるようなことはまずしないな。
668日本@名無史さん:2010/10/01(金) 23:39:23
こいつら頭いかれてんのか?
接待で日を費やすって、馬鹿じゃねえの?
669日本@名無史さん:2010/10/01(金) 23:44:56
そんなことも分からんようじゃ、倭人伝を読んでも無駄だろう。
670日本@名無史さん:2010/10/01(金) 23:49:10
>>667
倭が接待しようが、魏使は先を急ぐように促せるだろ。
ライバル国の呉の動向を気にするなら、出来るだけ早く倭の王と接触を持って
呉より有利に立ちたいと考えるのが普通ではないかい?
671日本@名無史さん:2010/10/01(金) 23:50:07
>>667
東夷伝は、四夷之變に備えるために編纂したと書いてある。
つまり行程にかかる日数は軍事情報で、日記じゃないから、
一か所にとどまった分の日数は除外して記録する。
そうしなきゃ、実際にどれだけ距離があるか、
軍を移動させるのにどれだけ日数・糧食が必要かわからない。
常識だろう。
672日本@名無史さん:2010/10/01(金) 23:59:05
馬鹿馬鹿しい。当時の中国使節の行動パターンを考えれば、
食料は持参、現地調達はよほどの場合だけ。行けるところ
までは自分たちの船で行動し、船で宿泊。
陸を進む場合は、ハイスピードで前進し夜は野営。
倭人の案内は頼むかもしれないが、案内人は隊の中に入れ、
ほぼ軟禁状態で進む。
673日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:04:22
ほほう、当時の中国使節の行動パターンなるものは知らんが、
往復何か月分もの保存食を持って山中を行進したと?
674日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:06:45
>>670
当時の時間の流れというものをまったく理解していないな。倭国が呉と連絡を取る
とかいうのはせいぜい数年に一度あるかないかだ(倭国と中国の通交は、記録に残
っているのは57年、107年、次が卑弥呼の通交だ。)。その倭国が魏の側に使
者を送ってきた。慌てるような話ではない。

>>671
軍事演習をしているわけではない。使者が普通に進むのに要する日数を書いておけ
ば十分だ。次にくる使者だって同じように日数がかかるんだよ。
675日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:10:15
>>673
馬鹿なやつだ。何ヶ月も陸行したなどどうしてわかる。
もし数ヶ月陸を進むという情報を得たら、糧食の計画を立てて
現地調達もしただろうが、本来は倭地の食料を口にすること、
倭人の住処に泊まることなどすべてリスク。そういう行動パターンはない。
676日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:11:04
>>672
時の中国使節の行動パターンとやらの資料を呈示してもらおうか。
脳内だけではなく、何かあるんだろうね。
677日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:16:09
>>676
三国志をきちんと読め。遠征で食料が尽きて、現地調達に走ったものの
うまくいかず隊が崩壊した話などいくらも出てくる。
使節に関しては、孫権の南越遣使を調べてみな。
678日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:17:38
>>674
過去にそうだからと言って、今回もそうだと考えるほど司馬懿は甘くないだろ。
まして曹爽との権力闘争の真っ最中で、呉とは戦争中。
679日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:18:24
>>674
軍事演習と大して変わらんよ。
倭が魏と接触するのも、魏が倭に使者を送るのも、
どちらも軍事目的が主だろ。
しかも、一回だけの使者なら、倭の案内人が使者を引きまわして
地理情報を隠蔽するということも考えられるけれど、
郡使往来常所駐という状況じゃあ、そんなこと無理。

なんとしても九州の中で日数を消化したくてゴネてるようだけど、
九州説を唱えるにしても、もう少し精密に思考しよう。
680日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:19:46
>>675
理解不能だ。倭人伝の日程は無視?
それとも、伊都国までしか来てない説?
681日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:22:58
>>680
倭人伝は単に複数情報を総合した地誌として書かれているだけだろう。
魏使の行程をなぞっているなどという根拠はない。
682日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:27:01
>>679
君たちのいう精密思考では、倭人伝とはどうしても合わないという結果になる。
しかし、私たちがいう使者を鄭重に案内したであろうという考え方だと倭人伝
に不自然なところはまったくない。
さあ、どっちが正しいのかな?
683日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:31:03
>>682
倭人伝のどこに、これが梯儁、張政からの情報を基にした
などと書いている?
単なる仮定を基に読むのは大きな錯誤を産む要因でしかない。
684日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:33:56
>>677
>>672の話とはだいぶ違うようだが。672では用意周到、食料持参ということ
だったのでは? それが677では、場当たり的な現地調達主義かね?
685日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:35:12
>>652
大和の当て字に対する疑問を持つ人って少ないよね
686日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:36:19
>>684
わからんやつだな?知能がないのか。672の最初に書いたように陸を
何ヶ月も進んだりはしていない。
687日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:37:46
「本気」と書いて「マジ」と読む。
あるいは「強敵」と書いて「とも」と読む。

…そんなノリwww
688日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:41:54
>>682
使者が丁重にお持て成しされた日数まで行程記事に入れちゃってるというのが、
もうご都合主義で、何のリアリティもないでしょ。
近い所の移動でも10日歓待されて、
遠いところでも、1日だけのお持て成しで、
そのまま記録したら、遠いところの方が近いのかと読者は勘違いする。
そんなの、情報としてなんの価値もない。
どっちが正しいか、明々白々だろ。
689河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/10/02(土) 00:42:21
本来「大和」という漢字にヤマトの意味はない。
ヤマトと言われた土地にヤマトという意味がある。
690日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:44:55
飛んで火にいる秋の河童虫か。いらっしゃ〜い。
691日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:46:40
>>688
私は次のように書いただけだ。君のようなデタラメを言っているのではない。

使者を案内するのは、倭国の側だ。事前に先へ連絡して迎入れの準備をさせ、
それが整ったら鄭重に案内する。まあ、先々で接待しながらだろうな。
連日歩かせるようなことはまずしないな。
692卑奴母離:2010/10/02(土) 00:48:15
偵察の意味は、女王国の国力を知ると言うことです。伊都国までで
だいたい察しは出来たと思うけど。
あとは、物見遊山で疲れないことが大事なこと。異国の空で死にたくないよね。
帯方郡に帰らなきゃ。急いでも往復4ヶ月近くなる。風の事を考えなきゃ。
5月〜10月は南東の風、11月〜4月は北西の風。
春1番2番3番・・・木枯らし1号2号・・・台風も来るよ。
さて、いつ帰る。1年近く滞在する事になりませんか?
友達が家に飲みにきたので、失礼します。
693日本@名無史さん:2010/10/02(土) 01:12:34
馬鹿馬鹿しい、要するに「陸行一月」とあれば
そのうち移動に費やした日数が

 min1日〜max30日

…って話で益々位置の特定が困難になるだけの話。

得られる結論としては
「max30日の範囲内なら何処でもOK」って事だけw

「謝銘仁」だったかそう言う解釈を打ち出したのは…
ただそれで九州説が息を吹き返したと言う事もなかったワケでw

「解釈の自由度」が上がれば反比例して「位置特定」が困難になるだけwww

694卑奴母離:2010/10/02(土) 03:07:42
友達が寝たので、一言主。
>>693
君は畿内説か?
min1日〜30日ってなんだ?
一月は一月でしょ。俺が言っている訳じゃない。
想像力で言っているだけです。
ガヤ君は想像した所だけに反応するな〜。
おもろい。一言主が6行も使ってしまった。
明日また書くわ。
695日本@名無史さん:2010/10/02(土) 03:41:13
>>692
>偵察の意味は、女王国の国力を知ると言うことです。

与太話花盛りのこの板じゃあサラッと流しそうだが
考えればすごい話だなwww

その国力も定かではない相手を冊封する事を決定して
使者を送る段になってその力を調べようってんだから

事前のリサーチもなしのぶっつけ本番wwww

まあ、何でこの手の話しが出てくるのか?その背景はと言うと

魏使の報告書なるものが存在し
それは女王の居す場所まで詳細に方角も距離も測られ
目にした風俗も詳細に書かれていた…と言う思い込み故なんだろうw

その前提が無いと「暗号解読ゴッコ」が成り立たないからなwww
696卑奴母離:2010/10/02(土) 03:51:55
気になって読み返したら。気になることがあった。
「呉」の話。呉音と言うね。主に仏教語に多いです。食堂=じきどう。など
呉はこのさい除外してもいいのでは。仏教が入っくるのは、もう少し時代が下るし、
朝鮮(百済)経由だから。
>>694に記載したけど。水俣から、宮崎(都城でもいいや)1日で行けるか?
検証してみいや。月に一度山に登っているけど無理。霧島山(韓国岳)でも登り口から、
一日かかるどー。
697卑奴母離:2010/10/02(土) 04:00:42
>>695
目が堅いなー。
事前のリサーチはよかった。
リサーチどうりにいくのかい?
説を立てろ。・・・・たくさんガヤを差し上げましょう。
寝る。
698日本@名無史さん:2010/10/02(土) 04:38:17
>>697 卑奴母離
>リサーチどうりにいくのかい?

何が言いたいのか良く分からんがw

じゃあ「リサーチ通り」にいかなかったらどうするんだ?

詔書や印を携えた魏使が
「どうも国情を見るに事前のリサーチとは違う」
として本国に引き返すのか?っちゅう話だなw

実際そのような事例があるなら挙げてくれw
根拠も無しに魏使に監査・査察の役目まで負わせるのは荒唐無稽。

結局「魏使による詳細な報告書」の存在を前提とするがゆえの思い込みに過ぎない。

…もうこの手の話は大概うんざりだが



699日本@名無史さん:2010/10/02(土) 04:56:44
なんだ、まだ倭人伝解読ごっこをやってるのかよw

「ボクの解釈が正解で、過去の見解も含めて学者もそれ以外もみんな間違い
ボク独りだけが真実にたどり着いたんだ、あはははは!」

普通、こういう奴は狂人って言うんだ、いい加減現実に戻って来い
倭人伝解釈はもう四半世紀前に決着した
「倭人伝の記述からは邪馬台国には辿り着けない」とな
繰り返す、現実に戻って来い
逃避は何ももたらさない
700サガミハラハラ:2010/10/02(土) 05:30:28
「倭人伝の記述からは邪馬台国に辿りつけない」のは、解釈が悪いからですよ。
先陣の間違った解釈を後生大事に踏襲するから当然間違いますな。
701日本@名無史さん:2010/10/02(土) 07:11:23
>>699
>「倭人伝の記述からは邪馬台国には辿り着けない」
その結論を急ぎたいみたいだけど、どこがどうでたどり着けないんだ?
きちんと説明してもらおうか。
702サガミハラハラ:2010/10/02(土) 08:49:40
先陣は先人のまちがいです。訂正します。
703日本@名無史さん:2010/10/02(土) 09:04:00
>>699
きちんとした説明はできないみたいだな。

>倭人伝解釈はもう四半世紀前に決着した
>「倭人伝の記述からは邪馬台国には辿り着けない」とな
君のこの言葉は、倭人伝をどう解釈しても畿内にはたどり着けないってことを
認めたってことだ。今後、下手な解釈を言わんこと。

九州説はちがうんだよ。今までの解釈は、伊都国=怡土を前提に、そこから先を
考えるだけだった。しかし、そこが思い込み。倭人伝どおりに見直すんだ。
となれば、伊都国=佐賀だ。そこから先は、学者が正しいという読み方を連ねる
だけの話だ。どこにも、無理はない。倭人伝に百パーセント合致する。
704日本@名無史さん:2010/10/02(土) 11:35:13
>>703
>伊都国=佐賀だ。そこから先は、学者が正しいという読み方を連ねるだけの話だ。
>どこにも、無理はない。倭人伝に百パーセント合致する。

そのとおり。無理なく素直に読めば辿り着くのだよ。
邪馬台国は熊本平野だと。
705日本@名無史さん:2010/10/02(土) 11:36:57
畿内派は天皇家の始祖が西からやってきた事は否定してないんだよね


706日本@名無史さん:2010/10/02(土) 13:14:21
天皇の始祖は、畿内の三輪山に古くから住んでいた山の神。
その神を疎かにしたため疫病が発生したので、九州からその子孫を連れて三輪山の大物主を祭らせたところ疫病はおさまった。
天皇は、縄文系の神なのだ。
その縄文系の神がなぜ大嘗祭という弥生系の祭りをするようになったかについては諸説があるが、
たぶん、皇統の断絶があったのだと思われる。
707日本@名無史さん:2010/10/02(土) 15:21:40
>>691
連日歩くなどとは、誰も言っていない。五日休んで三日歩いたら、陸行三日であって、陸行八日ではないということ。

A君の家は駅から徒歩五分の場所にある。
途中に喫茶店がある。
A君は、駅から家に帰るとき、その喫茶店で30分過ごすことにしている。
このとき、A君の家を「駅から徒歩35分」とは言えない。

君の言うように、途中で休んでいる日数まで移動の日数に数えるのは、
喫茶店で休んでいる時間まで入れて「駅から徒歩35分」というのと同じこと。
29日休んで1日歩いても、1日休んで29日歩いても、どちらも陸行一月じゃあ
実際の地理情報としては、何の役にも立たない。
前者は陸行一日、後者は陸行二十九日。
708日本@名無史さん:2010/10/02(土) 16:07:31
>>703
>九州説はちがうんだよ。

そこがずるいなw
九州説が違うのではなく、「ボクの考えたオリジナル九州説は違う」となぜはっきり書かない?
九州説なんてひとつやふたつじゃないだろうし、君のオリジナルの読み方だと辿り着けると主張したいわけだろ。
どうして九州説なんて隠れ蓑というか、大樹に寄ろうとするんだろうか。
実は自信ないのかねw
709日本@名無史さん:2010/10/02(土) 16:12:06
まあそんなずるい書き方をする理由はだいたい察することができるがね。
「ボクの考えた邪馬台国」を披露して、これが正しいと主張するって事は
他のすべての九州説を否定するって事だから、彼らから一斉攻撃を受けるのが怖いんだろうw

それともすべての九州説は団結して、畿内説帝国を打倒せよ!とかアジりたいのかなw
710日本@名無史さん:2010/10/02(土) 20:16:03
あらら、まともに反論できないものだから、妙なところに因縁つけたね。
伊都国=佐賀に、文句があったら反論してみたら? 
711日本@名無史さん:2010/10/02(土) 20:19:35
>>707
ふーん、君は陸行一月といったら休みを入れずに720時間歩くことを意味すると
考えているのかね。
712日本@名無史さん:2010/10/02(土) 20:25:05
縄文と弥生という対立で
邪馬台国を考えるということは
関ヶ原の戦いを
縄文と弥生の対立で考えるくらい無意味な話だ。
713日本@名無史さん:2010/10/02(土) 20:49:17
>>710
文句も何も、伊都国=佐賀とする根拠が全くわからんw
単に倭人伝の方角里程記事から導き出しただけかな?
714日本@名無史さん:2010/10/02(土) 20:59:55
>>713
佐賀とする根拠は、次のとおりだよ。
@ まず末盧国からの方角と距離。佐賀大和はぴったりだ。
A 末盧国で上陸したのは船ではいけない所とみるべきだ。怡土では理解でき
 ないが、佐賀なら上陸するのは当然。
B 南水行とは何のことかを考えよう。乍東とか乍西を言わず、いきなり南への
 水行を言うのは有明海を南下することしか考えられん。白鳥が「有明海航行」
 と言ったことは間違いではないんだよ。となれば、伊都国はどこに比定するか
 細かいことは抜きにしても有明海沿岸であることは当然となる。
C 邪馬台国時代に一大率が置かれていたからには、古墳時代にも発展したとこ
 でないとな。玄界灘沿岸は衰退の一途だ。逆に有明海沿岸は発展している。
 佐賀は、後の肥前国府がおかれた所。ピッタリだね。

715日本@名無史さん:2010/10/02(土) 21:13:40
>>713
それだけで十分だろう。
それとも伊都からはこういうものが将来、遺物として出土されるという記録でもあるのか?
716日本@名無史さん:2010/10/02(土) 21:20:41
バカだな〜おまいらw
マクモニーグルが透視したんだよ
だから畿内にきまってる
717日本@名無史さん:2010/10/02(土) 21:30:42
>>714-715
結局、暗号解読ごっこかw
突っ込みどころがありすぎて、大長文になりそうなので後日丁寧にお相手させていただこう。

まあ時間があればふたつだけ答えておいてよ。
では現在伊都国とされる伊原・三雲や平原、あれはなんなの?倭人伝に記載されない地域に当時九州最大級の勢力があったわけかな。
もうひとつ、佐賀と言っても広い。佐賀大和だったとしても、伊都国候補となる遺跡ってどこ?

少なくとも「まだ見つかってません」なんてふざけた答えではお付き合いできないので、真剣にお答えいただくよう頼みますね。
718日本@名無史さん:2010/10/02(土) 21:32:28
倭国王帥升って誰だ?
719日本@名無史さん:2010/10/02(土) 21:51:35
>>717
倭には旧百余国があった、それが魏時代には30国ほどになっていた。
伊原・三雲や平原は、倭国の乱の過程で統合されてしまった国かも知れんし、
奴国、伊都国の一部かも知れんね。考古学者の説明するところでも、玄界灘
沿岸にいくつものクニがあった、また佐賀平野や筑後川流域にも吉野ヶ里ク
ラスのがいくつもあった、という。そのどれが伊都国か、奴国か、考古学的
に特定できるものではないよ。倭人伝の解釈が特定の最大の手掛かりだ。
720日本@名無史さん:2010/10/02(土) 22:01:16
>伊原・三雲や平原、あれはなんなの?

1世紀から2世紀にかけての遺跡だろ。金印を授けられた(委)奴国の墓地に違いない。
721日本@名無史さん:2010/10/02(土) 22:06:24
>>717
出してやるから伊都ではこんなものが出土するという遺物を上げてみろ
住居跡はこんなものが出ると
伊都だと確定できるし、出土物もこんな物品が伊都からは出土するという
具体的な物品だ。
722日本@名無史さん:2010/10/02(土) 22:33:43
>伊原・三雲や平原、あれはなんなの?
朝鮮半島からもらった王妃の墓かも知れんね。副葬物がたくさんあるのが王の墓だ
というならば、奴国、伊都国の王、数十、数百のたくさんの副葬物を伴う墓が発見
されないと辻褄が合わない。二つや三つしか見つからないということは、王だから
といって副葬の習慣がなかったということだろう。朝鮮半島からもらった后ならば
半島に面した所に埋めてやろうとか、嫁入り道具を放り込んでおいてやろうとかな
ることは考えられる。

723日本@名無史さん:2010/10/02(土) 22:39:13
>>722
>朝鮮半島からもらった王妃の墓かも知れんね。

もうムチャクチャだな。www 言ったもん勝ちの2chとはいえ、あんまりでないかい。www
自暴自棄の自爆レスを平然とする段階にまで落ちたか。wwwwww
724日本@名無史さん:2010/10/02(土) 22:51:28
いや半島だろ、倭は。
平壌あたりじゃまいか?
高句麗の王様の記念碑に書いてあることがこっちの記録にないし
725日本@名無史さん:2010/10/02(土) 22:56:08
>>723
いや、今まで誰も指摘しなかったのが不思議な気がする・・・
726日本@名無史さん:2010/10/02(土) 23:32:56
>>718
古代中国の史書では、倭の面土国王の帥升ってなっている。
なんという史書かは忘れたが...
当時の音韻では、面土国ってのは、メタ国と読むんだよ、たしか。
九州では、佐賀平野の吉野ヶ里遺跡のあたりは
米多国(メタ国)ってのが、旧事本紀に書かれているんだよ。
727日本@名無史さん:2010/10/02(土) 23:33:55
>>711
>ふーん、君は陸行一月といったら休みを入れずに720時間歩くことを意味すると

>>707をどう読んだら、そういう意味に取れるんだ?
わざとやってんのか、それとも本当に日本語が苦手なのか。
728日本@名無史さん:2010/10/02(土) 23:48:00
>>714

いつもの日向厨だろうが
悪い事は言わないから Cのような馬鹿なことは言わずに
Bまでの純粋に行程記事とのすり合わせだけにしておけw

(つっても兎に角自説に執着してそれを壊れたレコードみたいに繰り返すのが
もはや生きがいなんだろうがwwwwwww)

そもそも、なんでここで肥前国府が出るのか?

古墳時代にかけて繁栄したというのなら畿内ヤマトが邪馬台国そのものだったという理屈も成り立つw

大体、半島大陸との交易の中心は 勒島→原の辻→博多湾 と移っていったと言うのが通説で
有明に新たな交易ハブのようなものが出現したなんて聞いたことが無い。

「世有王」だの「郡使往來常所駐」だのと言った性格を想定しうる怡土以上の考古資料があるのか?

大体、伊都国=佐賀大和が古墳時代にかけても栄えました…ってんなら
邪馬台国自体も栄えたんだろうな?w

その根拠に何を持ってくる?日向の前方後円噴か?www

ったく、九州説の連中は畿内説の考古学的検証を批判はするが
てめえの時にはどう考えても時代が違うその背景も違うものを平気で考古資料として待ちだしてくる。

いい加減にしろよw
729日本@名無史さん:2010/10/02(土) 23:49:04
>>727
>29日休んで1日歩いても、〜陸行一月じゃあ

>>691をどう読んだら、そういう意味に取れるんだ?
わざとやってんのか、それとも本当に日本語が苦手なのか。
730日本@名無史さん:2010/10/03(日) 00:17:14
>>728
>半島大陸との交易の中心は 勒島→原の辻→博多湾 と移っていったと言うのが通説
ほう、怡土は出てこんのか。

>「世有王」だの「郡使往來常所駐」だのと言った性格を想定しうる怡土以上の考古資料があるのか?
王が代々いたなんてのは、どこでも同じだろう。
郡使が往来に際して駐まる所? その程度のことは、駐まろうと思えばどこでもできる。

>邪馬台国自体も栄えたんだろうな?w
日向はずっと栄えているよな。たくさんの古墳がある。そして、国立博物館にある家型
埴輪や舟型埴輪は日向からでたんだよ。知ってるか?


731日本@名無史さん:2010/10/03(日) 00:20:24
陸行一月とは、公務員がその就業時間と同じ時間分を一日
分とし、その一ヵ月分の積み重ね
これがもっとも合理的と言える考え方。
読んだ誰もが基準と出来る活動時間、公務という名の
公の裏付け。

732卑奴母離:2010/10/03(日) 00:32:33
魏志倭人伝の中でどうしても解らない所が2箇所あります。
1…倭人伝の最初にでてくる箇所です。訳文で記載すると。
  ●帯方郡より倭に至るには、海岸に沿って水行し、韓国を経て、
時に南行し、時に東行し、その「北岸」狗邪韓国に到る。七千里余りである。
   この文章はこれで完結しているのでは?
   狗邪韓国は倭ではないのか?・・・北岸が?

   「魏志東夷伝・韓伝」には(訳文)
●韓は帯方郡の南にあり、東西は海に限られ、南は倭と接し
その広さ縦横四千里余り、弁韓のうち涜盧は倭と境界を接す。
倭の国名が無いので、現在の巨済島か?
その島が狗邪韓国で、島の北岸につくのか?

「桓壇古記(ハンダンゴギ)」より(訳文)
…これは朝鮮の史書(日本の記紀よりさらに信憑性がない・・と思う)
●時に狗奴国(熊本)は、女王と相争っている。航路を探すのが非常に
厳しかった。狗奴人で狗邪韓国に行こうとする者は、津島、加羅山、
志加島を経て、始めて末盧戸資の郊外に到着する。その東一帯が狗邪韓国
である。津島(津の名が多い島原半島?)加羅山(糸島の可也山?)
志加島(志賀島?)末盧戸資(松原がある香椎?)狗邪韓国(宗像付近?)

733卑奴母離:2010/10/03(日) 00:44:51
1…狗邪韓国はどこだとおもいますか?
2…物差しの事です。
  1里の長さは?(根拠無く100m位と思っている。)…短里
  1尺の長さは?
  魏の尺度は 1尺=24.12cm 1歩=6尺 里=300歩となっている。
  ●その南に侏儒国がある。この国は皆身長が三、四尺(72〜96cm)
   女王国を去る事四千里である。…少し小さすぎないか?
   (今でも小柄な方が多い沖縄を侏儒国と比定)
●またその東南に裸国、黒歯国がある。船行一年で到着する。
(パプアニューギニア、オーストラリア?)
  ●卑弥呼以って死す。大きな冢を作った。直径100歩…145mでよいのか?

これで概略はおわりにしましょう。
邪馬台国=都城説の方へ・・・そろそろ根拠お話下さい。
(行程に大きな違いないと思いますが、都城に決め手があれば)
  私の宮崎説は・・・東の倭種、気候、5LDKの住宅。記紀の東征です。
また、誰か1、2の質問に回答を下さい。(ガヤには興味ありません)
  おっ!と感じさせるご意見を。
734日本@名無史さん:2010/10/03(日) 00:59:40
ヨコから

>>721
>出してやるから伊都ではこんなものが出土するという遺物を上げてみろ

まあ過去に何度も言っているが取りあえず三雲からの楽浪土器の出土だなw

他の遺跡じゃ一つでも出れば御の字のものが僅か88平米から30点以上、しかもセットで揃う
…となれば楽浪人の常駐も考えうるとw

でコレに対して「土器なんか…」と言ういつものケチレスは良いんで

「出してやるから」と大見得切っているんだからそれなりのネタを出してくれwwww


735日本@名無史さん:2010/10/03(日) 01:06:30
>>731
漢書に「吉行日五十里,師行三十里」というのがある。
おめでたいことのお祝いに行くのは、一日に五十里。早く行きたいからだろうね。
軍隊の移動は、一日に三十里。大人数の移動には手間がかかるから。
山間部とか平地とか渡河とか人数とか、条件によって多少変動するだろうけど、
魏の時代も大体一日30〜50里で良いと思うよ。
同じ人間だもの。
736日本@名無史さん:2010/10/03(日) 01:11:22
>>732
「北岸」の意味、「南は倭と接す」の意味は、榎一雄の「邪馬台国」を読んでみられ
たらと思います。具体的な例をひいて説明しています。
要するに、北岸は倭の北方向にある半島の岸にあるという趣旨、倭と接すは、接触ば
かりでなく接近も接だとし、海を隔てて接しているという趣旨だと説明しています。
なお、狗邪韓国は韓国と明記してあるとおり韓国であって倭ではありません。

都城説は、伊都国から放射式です。有明海を南下し投馬国は薩摩川内、邪馬台国は八
代付近で上陸して球磨川沿いに陸行一月、加久藤越えで都城に到るというわけです。
737日本@名無史さん:2010/10/03(日) 01:30:53
>>733
狗邪韓国、通説は馬山あたりでしょうか。そこでも、巨済島でも、たいして違いはないでしょう。
一尺の長さは、24センチ内外、それは短里のときも変わらないだろうと思います。
直木孝次郎氏が、「360尺=1里という特別な里制があったのか」と書いています。
私も周の古い制度にそんなのがあったのではないかと考えます。
738日本@名無史さん:2010/10/03(日) 05:38:35
楽浪土器が出土するという事は、そこに
楽浪土器の最終消費地があったという事であって、伊都がそこにあったという事ではない。
人がそこで留まったのではなく、土器が最終的に留まった。そしてそこに楽浪土器を使用する最終消費者が存在した。と
伊都が最終消費地であるなら、楽浪土器と伊都国の関係は、おおいに意味があるが
そんな記録は何処にもない。
739日本@名無史さん:2010/10/03(日) 06:03:51
>>738

>でコレに対して「土器なんか…」と言ういつものケチレスは良いんで

>「出してやるから」と大見得切っているんだからそれなりのネタを出してくれwwww
740日本@名無史さん:2010/10/03(日) 06:22:46
隋国の役人が、「即ち・・」と随書のなかで、ヤマトに関しての
混乱を断定形で正して見解している。

遣隋使の使者や返礼者としてヤマトを訪れた裴(世)清ら一行の報告
をもって、その混乱も解消した。

「即ち魏志に云うところの邪馬臺なり」
(原文=邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也)

この裴(世)清の来日の件は日本書紀では、推古天皇16年の条で大唐
とされている。

日本書記の編者らは隋から唐への革命による政権移行が正しく認識で
きていなかったことは事実である。

これをもって、九州説諸氏はこの条項に反論しているが、ヤマト側に
よる中国(隋や唐)の認識よりも、要は隋国の使者が正しくヤマト側の
ことを伝えていればそれでよいのである。

608年4月 裴世清ら隋使一行が筑紫に到着
  同6月 難波津に到着、一行のため高麗館の傍に新館を建設
  同8月 京に到着、大伴連が出迎えて国書を天皇に奏上
  同9月 裴世清が隋に帰国、小野妹子は大使として随行

この行程からも、裴(世)清ら一行のヤマト入りは、九州であった
はずはなく、当時の実力者(王)は推古天皇ではなく、実質的には、
嶋大臣の蘇我馬子(天武系の人々に後に卑しい命名がなされ歴史
から抹殺)であった。
741日本@名無史さん:2010/10/03(日) 06:26:03
まだ伊都国住人所有の土器は日本で発見されてない。
つーか、伊都国を証明する遺物の発見もない。それが現実。
742日本@名無史さん:2010/10/03(日) 06:38:20
>>741

>>721
>出してやるから

と大見得切ったが何のネタも出す事ができず最後はグダグダにしてトンズラ図るといういつものパターン。

結局、佐賀大和に伊都国を推定させるような考古資料があるのかないのかハッキリしろ。

無いのなら無いで最初から「倭人伝の行程記事一本」と言えば良いものを…

ったく情け無いやつだな。
743日本@名無史さん:2010/10/03(日) 07:58:16
>>742
佐賀大和の本村籠遺跡では、多紐細文鏡、青銅製ヤリガンナ、管玉などがみつかって
いる。佐賀市増田遺跡でも、多紐細文鏡がみつかっており、考古学的に吉野ヶ里クラ
スのクニがあったといえる。これらが伊都国を推定させる考古資料だな。
744日本@名無史さん:2010/10/03(日) 08:27:29
>>740
>隋国の役人が、「即ち・・」と随書のなかで、ヤマトに関しての
>混乱を断定形で正して見解している。
それにしても、ひどい文章だな。言葉知らんのか?
隋書が書いているのは、隋使が訪ねた先は、倭人伝にいう邪馬台国だったというだけのことだ。
隋使が訪ねた先は、当然、南九州の倭国王朝だよ。倭人伝が北九州から南へ行ったと書いている
ことをまったく訂正はしていない。竹斯国(筑紫)より東は皆倭に附庸す(くっついている)と
書いている。これは倭ではなく、倭に従っている国だということだ。

日本書紀は裴世清がヤマトへ来てくれたように書いているが、デタラメだろうな。
隋使が書いている訪問先の王は男だ。東の附庸国を訪ねたとは書いていない。
日本書紀は、裴世清が南九州の倭国王朝を訪ねた後にヤマトに来てくれたように装った
んだよ。だから、6月 難波津に到着としたんだ。4月の初めに北九州につき、そのまま
きていたら、6月は遅すぎるだろ。その間、倭国王朝を訪ねてそれからヤマトへ来たとい
うのが日本書紀の筋書きだ。
745日本@名無史さん:2010/10/03(日) 08:28:09
>>743

>考古学的に吉野ヶ里クラスのクニがあったといえる

うっわー!伊都国ショボすぎ!
最大で吉野ヶ里レベルでしかなかったんかいwww

>多紐細文鏡、青銅製ヤリガンナ、管玉など

北部九州では、たいていの遺跡でフツーに出てくるものばかりだな
それが大量に出土したというのなら話は別だが、難点出土したんだwwww
746日本@名無史さん:2010/10/03(日) 08:35:29
>>743
先ず「多紐細文鏡」これは畿内を含む本州でも出ている。
(ちなみにこの鏡は漢鏡ではなく半島製とされる)

鏡なら何でも良いと思っているのか?w

無論、三雲・井原鑓溝・平原でも管玉だの槍鉋だのも出ているし
鏡も管玉も数十と言う数が出ている。

加えて刀類、巴形銅器、四葉座飾金具etc
一々羅列したらきりが無いぐらいにだ…

ひょっとして自信満々に用意していたカードってそんなものなのか?
呆れた奴だ。

なんで鏡だの玉だのを書かずに楽浪土器を書いたか少しは考えろよw

747日本@名無史さん:2010/10/03(日) 08:58:14
まああれだな
「俺の持っているカードは『倭人伝のオリジナル読み』だけで
 あとは・・・・・・勇気だけだ!」
と宣言していたほうが潔かったのにな。

下手につたない考古学知識を持ち出そうとするから、それこそマニアから総攻撃を受けて沈没する羽目になる。

>>730も同じ人のレスなのかな?

>家型埴輪や舟型埴輪

もう時代が違いすぎてツッコミ入れる気すら起きないwww

まあ>>720みたいな安本史観も、これ本気で言ってるのなら狂人レベルの戯言だぞ。
748日本@名無史さん:2010/10/03(日) 09:08:19
多紐細文鏡、家型埴輪や舟型埴輪

・・・ここは時代錯誤の九州説を生暖かく見守るスレ・・・
749とんまな学者の妄説信者へ:2010/10/03(日) 09:33:39
 魏志倭人伝は日本文明の先進性を否定する為に書かれた偽書で、邪馬台国の
記述も嘘八百である。

 かねが仇の世となれる。国が潰れ、金持ちが路頭に迷い、身魂の磨けた貧乏
人が世に立つ。上下が逆さまになる。五戒の中で一番罪の重い殺生(肉食は間接
的殺生)を容認している宗教はすべてまやかしである。人間を裁くのは神の特権
である。偽の悪人(生きる為にやむを得ず悪事を働く)を通して裁く事もある。
今の人間の9分9厘は裁かれる運命にある。だから、日月神示がくどい様に改
心しろと警告しているのである。五戒に背いて、獣欲の命ずるままに享楽をむ
さぼっていた本当の悪人は袋叩きにされ、地獄の業火で焼き尽くされる。

 宮沢賢治は弥勒の世の住人となれる
 賢治には霊が見え、神のことわりが分っていたのである。宮沢家は大地主で
質屋と古着屋を営んでいた。戦争で貧乏人が増えるほど裕福になって行った。
伯母や妹のトシ子が肺結核になったのは先祖からの業病である。彼は業病を絶
つ為に百姓になった。肉食を断ち、一汁一菜の食事に努めた。血を吸う蚊をも
殺せなくなった。

雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な身体を持ち
慾は無く 決して怒らず いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ あらゆる事を感情に入れずに
よく見聞きし分り そして忘れず
野原の松の林の蔭の小さな萱葺きの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくとも良いと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないから止めろと言い
日照りの時は 涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず
そう言うものに 私は なりたい
750日本@名無史さん:2010/10/03(日) 10:04:04
>>749
馬鹿か? 仏教など所詮はインドのカースト制度に大きな影響を受けて誕生したものだ。
日本の神道は万物に精霊の存在を認め、それは動物も植物も例外はない。
感謝していただくことこそが肝要であり、日本的な精神である。

ま、高い金を払って戒名に院号でもつけてもらうことだな。
751日本@名無史さん:2010/10/03(日) 10:14:40
まあ宮沢賢治自身が、仏教系カルト宗教に傾倒していたわけだから
そりゃあ極端な価値観を持っていても不思議ではないわな
752日本@名無史さん:2010/10/03(日) 10:22:50
実際問題として、仏教の殺生戒がどれだけ差別を生んできたか考えて
みればいい。ここは歴史板だぞ。
753うましか:2010/10/03(日) 10:56:40
>>752

差別を生んだは言い過ぎだろう。
中近世の日本において、仏教界が差別に加担していることは事実だが、
仏教が差別を生むのではない、差別の対象を作る手段として利用されただけ。
中でも「不殺生戒」が重視されたのは、日本古来の穢れ思想と一体化されることで、
一般民衆の差別観を生みやすかったからだ。
754日本@名無史さん:2010/10/03(日) 11:31:20
そうではない。寺院は積極的に差別を作り出してきた。地獄絵や八百比丘尼伝説、
様々な説話などによって。江戸時代の檀家制度と宗旨人別帳
について調べてみるがいい。
あと、ケガレと殺生戒が結びついたのはかなり時代の古いことだ。


755うましか:2010/10/03(日) 11:37:37
>>754

>そうではない。寺院は積極的に差別を作り出してきた。

>>753でもそんなことは否定していません。

貴方の言っているの「仏教教団」のことで、「仏教」そのものでは無いでしょう。
私は、一緒くたにして語るのは如何なものか、と言ってるだけです。
756日本@名無史さん:2010/10/03(日) 11:49:18
>>755
なるほど。言ってる時代も微妙に違うようだな。ただし、本来の仏教は
カースト制度に反して生まれたものであり、日本での歴史を考えれば皮肉なものだ。
ただ、日本では仏教とは僧と寺院そのものなのだよ。
757日本@名無史さん:2010/10/03(日) 12:02:19
初祖から時代が下るほどに、教団も人も腐敗堕落していき、
初祖の精神から乖離して行くのは、何も仏教に限ったことではない。
キリスト教の十字軍や魔女裁判なんか、イエスが聞いたら激怒するんじゃないかね。
そういうのは宗教に限らず、人がつくる組織の宿命といってもいいかもしれん。
758うましか:2010/10/03(日) 12:33:17
「ケガレ」ネタが出たついでに話題を戻しておきましょう。

倭人伝の葬喪制の記述
『始死停喪十餘日、當時不食肉、喪主哭泣、他人就歌舞飮酒。已葬、舉家詣水中澡浴、以如練沐』

仏教の不殺生戒もプレヒンズーな土着思想にその根源があるそうですので、
これは人類全般に取り入れやすい思想なのでしょうね。
倭人伝の「不食肉」も不殺生戒の一種と考える方が多いかと思います。

倭人伝で続いて記載される『持衰』、ここでも「不食肉」が謹み事としてあげられているので、
肉食はケガレに結びつく行為なのかとも見えますが、不近婦人、衣服垢汚等も謹み事とされていることから、
単に贅沢の禁忌、日常性の排除の意味しかないのかな・・・などとその判断に躊躇しているところです。

残念ながら私の意見はここまで。
これから外出するのでネタだけ振って消えます。
759卑奴母離:2010/10/03(日) 12:45:27
>>736>>737
同じ方ですね。ありがとう。
もう少し詳細に説明いただくと嬉しいのですが。
宮崎だ都城だと論戦する意義はあまりありませんね。
このスレに、畿内説らしい方がいますね。議論しましょう。他の説の方も。

「魏志・東夷伝・倭人条」を読む限りは九州のどかと言う事になります。
畿内説だと・・・邪馬台国と言う国の存在だけを認めて、あとは殆んど
        誤りと言う事になりかねない。・・・挑発中。
760日本@名無史さん:2010/10/03(日) 13:24:23
>>758
中国伝来の儒教的な服喪である可能性は?
761日本@名無史さん:2010/10/03(日) 16:12:59
>>759
畿内説のほうが、きっちり合うだろう?
記紀と魏志倭人伝が。
762日本@名無史さん:2010/10/03(日) 16:25:28
「一大率」にしても、都が九州ならわざわざ出先機関を置く事はないだろうし、畿内なら納得できる。
763日本@名無史さん:2010/10/03(日) 16:44:56
>>761
畿内説の立場から見ても、倭人伝記事と記紀ってあまり関連性がないように思えるのだが。
てか記紀に引きずられると邪馬台国なんかじゃなく、その後の歴史を見誤ると思う。
764卑奴母離:2010/10/03(日) 19:13:33
>>761
記紀には、邪馬台国や卑弥呼は1度も出てこない。倭人伝を内容を知ったうえで。
もともと畿内に邪馬台国があったとしたら、なぜ、神武東征を書く必要があると
思いますか。想像を膨らませてみて下さい。日向を出て宇佐に向かうね。
古事記も日本書紀共に。
それにしても、3世紀中頃(倭人伝の頃)〜白村江の戦い(663年)までの
躍進というか、増長というか、すごいですね。
卑弥呼の死から100年後(AD350年頃)までに大和政権を成立させて
AD391年には帯方郡を征服した高句麗と交戦している。
百済と新羅の南に任那日本府をこじ開け。・・・562年に新羅に滅ぼされるまで。
その後は「日出ずる処の天子より、日没す処の天子へ」と完全に対等意識。
倭人伝の中では、40人の生口を差し出していたのに。
663年に連合軍に散々負けて・・・逆襲を恐れて滋賀に遷都するまで。

>>763確かに
765卑奴母離:2010/10/03(日) 19:55:52
>>762
論理が不足。一大率は伊都国にいるんですよね。あるいは諸国かな?
70〜80年に渡って倭は乱れて争いを繰り返していた。
卑弥呼を王にして争いが収まっているんですよ。
漢の時は100国朝見。魏の時代は30カ国が使者を通じている。
女王国連合は30カ国(?)いつ反乱を起こす国が出てくるか。安心できませんよ。
諸国が恐れる一大率を置くのは当たり前。九州に邪馬台国を比定したから
と言っても、一枚岩じゃない。
狗奴国(熊本)もあるし。奴国を八女にしたので。今の福岡市、糸島市
宗像、直方、田川、飯塚、それと島原、長崎あたりは比定地の国名がない。
不気味な処。女王国の北の21国はだいたい比定できますが。
・・・・・・どうぞ。

766日本@名無史さん:2010/10/03(日) 19:58:11
というか、弁韓・辰韓・馬韓(倭)で三韓時代だったのだから
領土としては倭が断然広いよね(切り取り次第だが)
767日本@名無史さん:2010/10/03(日) 21:21:51
190年頃  倭国大乱。
200年頃? 邪馬台国卑弥呼を女王とした連合体を形成することで収まる。

       狗奴国戦争勃発
       卑弥呼死去。
       台与が後を継ぐ。


       国譲り(神武東征) 畿内を治めていた大国主命派(三輪氏族)から
                   神武派が政権を簒奪。ヤマト政権の誕生。

300年頃 崇神天皇の命にて四道将軍が派遣され、地方の豪族に恭順を迫る。


邪馬台国と大和朝廷が直結してるとは考えにくいと思うけど・・・
もしかしたら卑弥呼死後に立った男王こそが神武だとしたらどうなのかな。
この神武に抵抗したのが三輪氏族であり、神武が即位するも倭国は治まらず、
いったんは台与に王位を譲った。その後に畿内周辺の三輪氏族派を討つと。
この一連のドタバタこそが国譲り(神武東征)ではないか。
だとしたらやっぱ邪馬台国と大和朝廷は繋がる・・・の?
768彌彌:2010/10/03(日) 22:04:46
>70〜80年に渡って倭は乱れて争いを繰り返していた。

これはどうかな。倭人伝には
其國本亦以男子爲王住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子爲王 名曰卑彌呼
とある。男王の時代が七八十年続いた後に倭国が乱れて相攻伐歴年(数年)だ。
769日本@名無史さん:2010/10/03(日) 22:13:50
大和朝廷が九州出自なら、なんで後から九州に攻め下っているの?
770日本@名無史さん:2010/10/03(日) 22:30:32
>>769
九州に攻め下った? それが事実かどうかが問題だな。
771卑奴母離:2010/10/03(日) 22:31:58
>>768
読み方だね。スペースのいれどころ。
其國本亦以男子爲王住 七八十年倭國亂相攻伐歴年・・・・と読んだかな。

>>762に対する反論だから、女王国が一枚岩じゃないと言う
説明がつけばよいのだ。へへ。
772日本@名無史さん:2010/10/03(日) 22:36:47
>>745
環濠集落の規模などをみれば、怡土は吉野ヶ里には及ばんな。
副葬品では、国力なんぞ分からんよ。副葬に力を入れる習慣があったかどうか、
副葬品にするような物を手に入れやすい状況にあったか否かでいくらでも変わる。
副葬品の多寡で国力をランク付けしようなんてのは、墓堀り学者の悪い癖だ。
773日本@名無史さん:2010/10/03(日) 22:43:11
>>762 >>765
邪馬台国が北九州だというならば、>>762の批判が成立するだろう。しかし、邪馬台国が
南九州ならば、直接に北九州を検察するのは困難だから、一大率を置く理由は十分にある。
一大率が置かれているからといって、必ずしも畿内説に結びつくものではない。

774日本@名無史さん:2010/10/03(日) 22:57:58
先進地域の北九州が、後進地域の畿内に支配されるなんて
ありえないはずなのに、ド田舎の南九州に支配されちゃってるよ。
775卑奴母離:2010/10/03(日) 23:05:53
>>769
熊襲、筑紫君磐井の反乱、隼人の抗戦などかな。
大和朝廷が九州出自だとしたら、九州に攻め込むことは有得ないの?
邪馬台国=大和政権にしたいけど、出来るだけ抑えています。
薩長(土、肥もいるけど)が、明治政府をつくったのに、なぜ薩摩を
攻めたの?
大和政権の言う事を聞かないからでしょ。
776日本@名無史さん:2010/10/03(日) 23:14:32
>>775
蒼は藍より出でて藍より青し・・・か
777日本@名無史さん:2010/10/04(月) 00:05:36
>>774
当時は先進地域も後進地域もさして差がないんだよな。
778卑奴母離:2010/10/04(月) 00:10:39
先進国、後進国なんて、その基準もなく言われても。…はいそうですね。
・・・・・・・・・・・言えるか。
纏向遺跡や箸墓古墳とか、桃の種、淡路島の鉄加工所など出てくると
いいな〜。と思っていたけど、残念だ。
国立歴史民俗博物館や奈良県立橿原考古学研究所をこき下ろしたいのに。
参考までに・・・奈良県立橿原考古学研究所の(奈良県民の税金で予算がつく)
コメント(異論の余地があって、最後は推定スかよ。)
「様々な異論はあろうと思われる。この事実を偶然の一致と見なすのではなく
○○古墳の推定造年代を、3世紀前半の中におさまるものと考えたい。」
宮内庁が発掘を差し止めるから、指定外の遺跡外縁部を懸命に掘り起こして
いる。吉野ヶ里だってこれ以上の発掘は差し止めされている。今じゃ外縁部を
せっせとね。差し止め遺跡は奈良県の専売特許じゃないぞ。
779日本@名無史さん:2010/10/04(月) 04:42:23
もともと北九州が先進地域ということを
根拠にしたのは九州説なのだから、
先進地域の基準は九州説が
設定してるのだろ。
780日本@名無史さん:2010/10/04(月) 09:52:14
一大率が監視したのは、大倭が中国と直接交易することを、
響灘に特置しそれを監視した。その指揮は、すべて伊都国からの命
邪馬台国にとって大倭が中国に近づく事は、国内治安、交易利益の面からも極力阻止したいわけで
ここに神経を集中させていた。
781日本@名無史さん:2010/10/04(月) 10:04:09
もともと先住民であった狗奴とあざふすることで
支配してきた倭人にとって、狗奴が倭人を飛び越え中国と直接交渉されれば
倭人がこれから国内支配していくうえで
大変な不利益となり、狗奴の台頭を許す事となる。
倭人にとって狗奴はあくまでも支配するもの
その経緯があざふすることで現在の地位があったにしても、一度支配という関係になれば、その逆転は絶対にあってはならない出来事だ。
公孫の衰退によって、卑弥呼は大変慌てていた。大倭にとったらまたとないチャンス。
782日本@名無史さん:2010/10/04(月) 10:12:01

ただいまニュース速報+板にて激論中!!!

【文化】邪馬台国はどこ? ライバルを迎え企画展 吉野ケ里公園
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286040481/
783日本@名無史さん:2010/10/04(月) 10:20:47
しかし卑弥呼は景初二年六月という、正にすべりこみ状態で
その地位を魏からのお墨付きで裏付けした。
が、魏もこの倭人の裏事情を薄々感付いていた。

本当にお前は国を統率する王なのか?と。
複雑に絡み合った公孫政権時代の倭人や狗奴。嘘偽りで築いた王位なら、魏は絶対に卑弥呼を許さないと
784日本@名無史さん:2010/10/04(月) 10:32:05
ちょっと待てよ難升米。お前の国は一体どうなってるんだ?
お前の国を訪れれば、窓口が二つあるし、そればかりかお前の国とは別な大倭という場所からも、土産を持参し
朝賀に訪れる。一体お前の国はどうなってるんだ?
785日本@名無史さん:2010/10/04(月) 10:49:21
実は私の国は、倭人と狗奴があざふ事で共存し
王の中から選ばれたリーダーが、国を統率し
先の王朝、光武帝様の時代からより親密にお付き合いさせてもらってまいりました。
しかし、もとからあざふ事を嫌った狗奴は、私どもの進攻をきらい抵抗するようになり、私どものリーダー戦死をきっかけに、国内が内乱状態に
民はまとまらず、リーダー不在で苦慮している時公孫様の配慮で、宗教的な女指導者を共立し、代表とし
これによって国内が落ち着いた次第です。
それが今の卑弥呼様の姉の時代。
786日本@名無史さん:2010/10/04(月) 11:13:19
日本語で書いてくれ。
787日本@名無史さん:2010/10/04(月) 11:26:02
私の住む列島には、私ら倭人よりも先に住み着いていた倭種狗奴がおり
私達は狗奴とあざふ事によりその地位と勢力を広げてまいりました。
しかし、はじめからあざふ事を嫌った倭種は、私共の進攻を阻止しながら倭種独自の文化を
築いていまに至っています。が、私共とあざふ事を受け入れた倭種は、現在も私ども倭人と共存共栄し、
今こうして天子様の保護の下に。
788日本@名無史さん:2010/10/04(月) 11:49:47
なるほどな!
先に、斎王さまに即位の祝いを述べ、目どおりを願い出ていた
毛むくじゃらの列島者は、お前ら倭人とあざふした者ではなく、あざふ事を拒み続けている倭種というわけか。
彼らから話を聞くと
今では彼らもその勢力を盛り返し、倭では一番大きな勢力とか
ま、お前達と先に関係を結んだ手前もあるから、目どおりは許さず、丁重にそのまま土産を持たせ帰国させたがな。
ま、こうして挨拶に見えた以上、同じ地域で紛争だけは慎むように命ずるぞ
わかったな難升米よ。国もとにも伝え!
789卑奴母離:2010/10/04(月) 13:21:57
きっちり仕事しませう。
>>779
ここのスレを読む限り。九州or北九州が先進地域なんて
誰も言ってないぞー。思い込みを持ち込むなー。
遺跡(時代鑑定に疑問あり)からすると、畿内の方が人口が多いかもしれない。
満州にマッカツ女真族が60万人程居て、ヌルハチと言う奴を盟主にして
明国(数億人いた)を征服してしまいました。・・・清朝の始まり。
文化的にも人口も、そう言う意味では圧倒的に明が先進地域であった。
日露海戦だって、日本は1セットの艦隊しか持たず、ロシアは2セットの艦隊を
持って戦っています。明治政府樹立からわずか30年後の事だよ。維新の頃の
幕府なんて、火縄銃が圧倒的に多く、大砲なんて金属の玉をボテッと打っていた。
(河井継之助は別だけど)
敗軍には負けるだけの理由がある。兵士が戦なれしていない。指揮権がバラバラで纏まらない。
兵器が旧式すぎる、今まで平和ボケしていて準備不足。などなど。
戦うと言う意味では、九州が先進地域と言ってもいいかな。・・・と思いたい。
790日本@名無史さん:2010/10/04(月) 13:26:32
もん太が名前を変えて登場。
791日本@名無史さん:2010/10/04(月) 15:45:26
公孫の支配下だった邪馬台国は、公孫が魏を裏切り、魏から討伐され衰退していく過程の中
存亡の危機をむかえたが、滅亡間際間一髪で、魏と繋ぎを付けることができ、公孫と運命をともにせずに済んだ。
公孫支配下のなか、臨時的処置にて立てられた女王政権も、公孫支配下が解かれると
その臨時処置は従来の王達によるリーダー制にもどるのが普通。
その時リーダー格である卑弥弓呼は、卑弥呼によってはかなくも崩れ、公孫時代と
同じ女王の絶対支配という形になってしまった。
当然卑弥弓呼は納得できないが、魏から親魏倭王の冠を下賜された卑弥呼を否定するわけにはいかない。
現に邪馬台国が存続できたのも、卑弥呼による魏へ使者の派遣がまにあったからこそ
しかし卑弥弓呼は面白くない。
792日本@名無史さん:2010/10/04(月) 16:06:16
昔、日本列島には
遥か遠い昔から日本列島に住み着いていた先住民と途中から
道具や稲作を携えて移住し、同化してきた倭種とよばれる狗奴が住んでいた。
彼らは縦社会ではなく、協力の名の下に営まれた横社会。主人をもって合議で形成された社会。
そこに倭人と呼ばれる種族が入り込む。倭人は土地に根付く倭種とあざふ関係を作り、次第にその勢力を拡大していった。
これが邪馬台国のたんじょうだ。
793悶々:2010/10/04(月) 17:53:32
「あざふ」とは日本語か?聞いたことはないが、どういう意味だ?
794日本@名無史さん:2010/10/04(月) 18:17:30
あざう・あざふ・あざなう

組み合わせる。とか、男と女の関係とか
795日本@名無史さん:2010/10/04(月) 19:59:21
卑弥呼=モモソ媛命
卑弥弓呼=武埴安彦命
796日本@名無史さん:2010/10/04(月) 22:22:29
穢れとは毛枯れ、年をとると白髪になる貴種と毛枯れる賤民。
そういう民族差別は今でも残っています。
797日本@名無史さん:2010/10/04(月) 23:00:33
結局のところ、魏志東夷伝倭人条による邪馬台国の記述は、北部九州のしょぼい
国々を限定的に紹介したものだろう。
その頃は別途、畿内大和の連合大王家が存在し、吉備や出雲、遠くは尾張や群馬
あたりまでの国々と交易がなされていた。
そして、3世紀末頃以降、北九州の邪馬台国連合は、畿内大和の連合大王家に吸収
・併合され、史実から完全に消え去っていった。
これがすべて。以上で邪馬台国問題も終止符です。
798日本@名無史さん:2010/10/04(月) 23:45:27
しょぼい話だね〜
799日本@名無史さん:2010/10/04(月) 23:51:13
錦すら出ない、もっとしょぼい畿内よりはるかにマシだけどな。
800日本@名無史さん:2010/10/05(火) 00:00:56
しょぼい見方だ。銅鐸埋納の意味をまったく考えていない。
801日本@名無史さん:2010/10/05(火) 06:24:18
>>792
遥か昔、紀元前200年頃に、秦の始皇帝は臣の徐福に命じ、東の海に蓬莱・
方丈・瀛洲という三神山があって仙人が住んでいる国にある不老不死の薬を
求めて、3000人もの老若男女の大集団を派遣した。しかし、船は難破し
『倭の国々』の各所に漂着し、地方各所で族長(弥生人)となり、原住民であった
一般住民(縄文人)と混血する。そして、大陸との交易は北九州の国々を介して
継続されていたが、後漢王朝混乱期の2世紀中頃以降から朝鮮半島を通じて
大陸より多数の避難民が倭国に移住してきた。その中の一人に物部の祖饒速
日尊が居た。彼らは北部九州に一定期留まっていたが、大乱に明け暮れる土地
に嫌気をさし、移動を決意して東へ東へと進み、そして安住の地であった河内・
大和の地にたどり着く。そこで地の神であった長髄彦の妹を娶り、纒向の地に
物部政権(三輪王朝)を確立させる。その頃、また一方で倭国大乱の際に中部
九州(筑紫平野)にあったヤマト軍(邪馬台国)は南の熊本平野にあった狗奴國軍
に破れ、ヤマト軍は大きく東南方面に逃亡し日向国(高千穂久士布流多気)に
移動し第二次邪馬台国を樹立させる。そこで、国力を附けて再度北上し、宇佐
(中津)に至り第三次邪馬台国を樹立させる。そこで国力を益々増強させ、兄弟
と多数の兵士を従えて、筑紫国岡水門・吉備を経て、数十年の歳月を費やし、
その子孫となる神宮皇后と武内宿禰夫妻は遂に畿内に至る。しかし、そこには
先住者であった饒速日尊の子(子孫)である宇摩志麻遅命(事代主)が待ち受ける。
そこで、九州にあったヤマトは国譲りを談判し成功を果たし、物部一族は大和の地
から追放され出雲や諏訪地方に落ちていく。九州ヤマト軍の強引な談判による敗北
に深く恨む三輪にあった物部氏を出雲や三輪山で厚く祀ることで、その後は大王家
(ヤマト朝廷)の平穏が願われた。
802日本@名無史さん:2010/10/05(火) 06:29:13
いかに、日本の古代史が崩壊してしまっているのか
分るレスだな。
こんな感じだから、古代史の話では
トンデモ話が蔓延しやすいんだよ。
803日本@名無史さん:2010/10/05(火) 07:31:43
断片的な話をつなぎ合わせて物語にしてるだけだからね。
落語の三題噺みたいなもの。
804日本@名無史さん:2010/10/05(火) 07:47:20
しかしその三題噺すら出来ないで、右往左往している人が大半
なのが現状という、実になさけない話。
805日本@名無史さん:2010/10/05(火) 08:16:07
妄想を語ったからといって、何の役にも立たない。
806日本@名無史さん:2010/10/05(火) 09:30:45
役に立つかたたないかは、その本人の度量次第。
凡人には一見不合理的に見える事も、
それは凡人が決めた判断でしかない事。
凡人の領域はあくまでも凡人の範囲を超えない。妄想もまた、凡人の領域判断。
役に立たないと考える人には役に立たないだろうが、役に立つ人には
役に立つものさ。それが度量の違いでもある。
807日本@名無史さん:2010/10/05(火) 20:56:21
ところで、奈良では日食はみられなかったのでは?
808日本@名無史さん:2010/10/05(火) 21:01:22
>>807
天岩戸?
809日本@名無史さん:2010/10/05(火) 21:19:29
天の岩戸の話しって、スサノヲの狼藉で天照=モモソ=卑弥呼が引きこもり生活に入っちゃった、ってことなんじゃないの?
それが、桃酒を使った宴会で引きずり出されたって話しなんじゃないかと。
810日本@名無史さん:2010/10/05(火) 21:23:43
わかったぞ。桃の割れ目に箸を刺すんだ。
811日本@名無史さん:2010/10/05(火) 21:30:43
まぁ、太陽は日食や嵐で隠れるから。

舞でも踊ってのんきにしてれば出てくるよ

ってお話。
812日本@名無史さん:2010/10/05(火) 21:43:07
日食や嵐が終われば自然にお日様は顔を出すわけで…
日食や嵐の中で暢気に舞でも踊ってたの?
813日本@名無史さん:2010/10/05(火) 22:13:55
>>812
それぞれの役割の元で上は相談もしてただろうね。
814日本@名無史さん:2010/10/06(水) 10:39:32
伊都国が怡土だという証拠はまったくないな。よく言われる王の墓もやたら古いし・・・
3世紀には、衰退しているし。
815日本@名無史さん:2010/10/06(水) 14:36:05
>>814
>3世紀には、衰退しているし。

僅か「千余戸」になってしまっている倭人伝の記述にはあうなw
816日本@名無史さん:2010/10/06(水) 15:10:11
伊都は多分、1万戸のほうは間違いか、かなり広い別領域をカウントしている可能性がある。
今でさえ、曽根、三雲、井原、高祖なら千戸で妥当なくらい。

一番人口が多い202号線沿いは当時は海だったから当時なら無人だ
817日本@名無史さん:2010/10/06(水) 16:45:02
>>816
そうだろうな。となると、奴国を博多辺りに比定して2万戸というのも
到底無理だろうな。
818日本@名無史さん:2010/10/06(水) 20:54:12
>>814
>3世紀には、衰退しているし。

衰退は、何が根拠なの?
819日本@名無史さん:2010/10/06(水) 21:39:50
>>818
倭国の乱で敗れたことだね。そのため、朝鮮半島からのルートは唐津、佐賀、
熊本のラインになった。怡土や博多はルートから外れたわけだ。
820日本@名無史さん:2010/10/06(水) 21:59:20
>>819
考古学の根拠をよろしく
821日本@名無史さん:2010/10/06(水) 22:11:03
百襲姫とは、百越の王を祖先に持つ女王。
百越は、古代中国大陸の南方、主に江南と呼ばれる長江以南から現在のベトナムにいたる広大な地域を支配していたのだ。

822日本@名無史さん:2010/10/06(水) 22:29:36
>>819
>朝鮮半島からのルートは唐津、佐賀、熊本のラインになった。怡土や博多はルートから外れたわけだ。

なんら根拠のない妄想だ。ww
823日本@名無史さん:2010/10/06(水) 22:30:55
>>820
根拠? 伊都国や奴国が敗れたのは、平原の鏡がたたき壊されていることや
大事な金印がとんでもないところに隠されたままになったことで分かるだろ。
倭人伝も、女王国以北には一大率を置く、諸国これを忌憚す、と書いている。
同盟国のはずがそんなに締め上げられるのは、実質的な敗戦国だからだ。

そして、玄界灘沿岸が3世紀以降衰退していることは誰もが認めるとおり。
一方、有明海沿岸から熊本は繁栄している。これも明らか、問題ないよな。
824日本@名無史さん:2010/10/06(水) 22:37:07
金田

825日本@名無史さん:2010/10/06(水) 22:38:11
>>821なるほど。
百襲=卑弥呼だとすれば、魏に使いを送ったわけも説明がつきますね。
826日本@名無史さん:2010/10/06(水) 22:46:28
>>823
>平原の鏡がたたき壊されている

当時の風習の一つ。
外部勢力が平原墓を暴いて鏡を破壊したわけではない。
827日本@名無史さん:2010/10/06(水) 22:47:28
呉を敵視してたってことですか?
828日本@名無史さん:2010/10/06(水) 22:51:54
>>826
>当時の風習の一つ。
そんな風習はないだろう。実例があったらあげてみな。
829日本@名無史さん:2010/10/06(水) 22:52:07
確かに、外部勢力の仕業なら、埋葬品の類はは持ち去られているべきだろうな。
830日本@名無史さん:2010/10/06(水) 22:52:27
じゃあ熊本に平原王墓に匹敵するものがあるのか?

まあいつもの日向厨だと思うが、毎度毎度下手に考古の方にも色気出して墓穴掘るってのがパターンだなwww

大陸半島との交易の窓口が玄界灘周辺地域から有明方面に移ったなんて
畿内説と言うか近畿関西の考古学者より地元九州の考古学者が聞いたらびっくりするんじゃねえのか?w


831日本@名無史さん:2010/10/07(木) 08:16:01
>>830
びっくり? まあ、墓堀り学者には、そんな頭はないだろうがね。
九州独特の古墳文化は、横口式家形石棺、装飾古墳、石人石馬といわれるが、
それらは有明海沿岸だということ知ってるか? 平原以上の話だよ。
832日本@名無史さん:2010/10/07(木) 08:52:17
>>831
>九州独特の古墳文化は、横口式家形石棺、装飾古墳、石人石馬といわれるが、
>それらは有明海沿岸だということ知ってるか?

それはその通りだろうけど、いま議論になってるのは
一大率が居た3世紀の伊都国がどこか?ということなんで
全然時代違いの遺物をずらずら書き並べられても何の論証にもならんよ

>>828
たとえば

藤木遺跡出土四葉座連弧文鏡
http://www.pref.saga.lg.jp/web/kankou/kb-bunka/zai_top/kensaku_top/_21393.html#fujinoki
833日本@名無史さん:2010/10/07(木) 09:55:26
伊都国という行政を、文化を重ね合わせ語るなよ。
834日本@名無史さん:2010/10/07(木) 10:19:30
>全然時代違いの遺物をずらずら書き並べられても何の論証にもならんよ
そうかね。伊都国の王墓と言われているものも、全然時代違いのものだったと思うが。

>>828たとえば
なるほど。自然に割れるということはないのかな。ほかにもいくつかあるのかな?
835日本@名無史さん:2010/10/07(木) 10:45:46
福岡伊都の支配者が負けて、別の支配者に入れかわることは
あるかも知れないが、
かなり遠回りなので交易窓口が有明に変わるというのは考えにくい。

それなら、長崎、大村湾でも良さそう。
836日本@名無史さん:2010/10/07(木) 11:30:58
>>835
窓口はやっぱり玄界灘沿岸を考えるんだよ。→>>822で唐津と書いただろ。
百済などから直接熊本に入るのもあるかも知れないがね。
837日本@名無史さん:2010/10/07(木) 11:57:42
>>834
>ほかにもいくつかあるのかな?

疑問を持つのは良いことです。ほかにもあります。
ご存じなければ図書館等で自分で調べてみたら勉強になりますよ。
838日本@名無史さん:2010/10/07(木) 13:00:49
考えられるのは、墓泥棒に狙われないようにわざと割っておくということだろうな。
しかし、その場合、破片は同じ墓に入れておくはずだ。
しかし、平原の場合には、破片がそろっていない。ほかで割ったものの破片をかき集
めてきた可能性もないではない。
839日本@名無史さん:2010/10/07(木) 13:21:52
糸島から三瀬峠通って佐賀に行く。
そのとき、佐賀に行く道と東背振方面に行く道に分かれる。
なんでこんな道があるのかと思っていたが
吉野ヶ里で理解した。

近道で行き来する必要があったんだろうね。

この東背振方面に、糸島で大量に出た方格規矩四神鏡を出土した
古墳がいくつかある。出土数はそれぞれ1枚ずつ。
これは割られてはいない。大事なものだったんだろうね。
840日本@名無史さん:2010/10/07(木) 15:04:11
>>764
そんな事より107年に幾ら何も無いからとはいえ160人の生口を贈って謁見しようとした倭国は凄い。てか謁見もとめて会えたのかね帥升は?
841日本@名無史さん:2010/10/07(木) 16:19:46
>>825
なるほどじゃない。
百襲姫という名前や漢字は
西暦8世紀に考え出された当て字にすぎない。

モモソ媛命のももそ
がどういう意味なのか分らないが...
桃(もも)が、正しいのではないのか?とも思われる。
842日本@名無史さん:2010/10/07(木) 16:21:21
>>840
帥升は、吉野ヶ里にあった
米多国(メタ国)の王だろう?
しかも、中国に使者を送ったのに、何の見返りも貰っていない。
843日本@名無史さん:2010/10/07(木) 16:54:03
>>842
50年前は金印もらえたのに随分とケチだな。
それ共帥升がみすぼらしかったとかw
160人はただでくれてやったわけか。
つか生口って嬰児か?
そいつをくうってことか?
まさか大人160人は運べまい。
ど人国家の酋長だろ?
844日本@名無史さん:2010/10/07(木) 18:11:57
>>843
おまえみたいなアホを160人連れていったんだろ。
845日本@名無史さん:2010/10/07(木) 19:01:10
金印だって。クスクス
846日本@名無史さん:2010/10/07(木) 19:12:21
大和朝廷には金印など記録もなければ、当然実物もないから
無かったことにした。

金印を九州王朝がもらったと書いてあっても
それが発掘されるとは思わなかっただろうな。
847日本@名無史さん:2010/10/07(木) 19:32:12
歴史上に現れる最初の倭国王帥升って吉野ヶ里の君主なの?
848日本@名無史さん:2010/10/07(木) 19:44:29
そういう説もある。
が確定的なことは何も分からない。
849日本@名無史さん:2010/10/07(木) 19:53:50
唐の時代に書かれた史書に
倭の面土国の帥升って登場するから
倭の面土国っていう史料があったのかもね。
この面土国って、メタ国って発音するんだよ、中古音で。

吉野ヶ里のあたりって、旧事本紀には、
筑紫の米多国(メタ国)って出てくるんだ。
この地名は、吉野ヶ里付近に多く残っている。
850日本@名無史さん:2010/10/07(木) 20:00:57
この辺りはいまでも
三根町とか三田川とか上峰とか米良とか
そういう地名が多いね。
851阿蘇山は移動した:2010/10/07(木) 20:05:53
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http://www.mag2.com/m/0001138570.html

内容 邪馬台国位置論・Q A。 次号 天文図。
邪馬台国位置論に終止符がうたれると思う。
852日本@名無史さん:2010/10/07(木) 20:23:02
佐賀福岡の集落の中心を示すような遺跡の場合
近くに大きめの神社があることが多い。

吉野ヶ里の場合は神崎櫛田神社かなあ。

地図上で調べるときは、ほこらレベルの小さな神社が出てくる
事もあるからよく分からなくなることもあるが。
853日本@名無史さん:2010/10/07(木) 23:58:03
倭の面土国を「ヤマト」と呼んで畿内説に組み込みたい
でも金印が邪魔だし困ったな・・どうしよう
854日本@名無史さん:2010/10/08(金) 00:14:28
>>853
そんな発音のしかたしないよw
でも、なぜか、そういう説を言う人がいるんだよ、けっこうw

ここからは、曖昧な推測だけど
奴国の金印が志賀島で見つかったのって、
奴国が、南(吉野ヶ里付近)にあった面土国(米多国)の帥升に攻められたのが
大きく影響していないか?
だからこそ、博多湾の北の志賀島に金印を隠していた。
そして、帥升は、生口(戦争捕虜)を大量にかくとくしたから
それを後漢に献上したけど、後漢は帥升を認めなかったから
何もあげなかった。
855日本@名無史さん:2010/10/08(金) 18:53:47
纏向の発掘調査から帥升は纏向の君主で間違いないだろう
金印なんて江戸時代の贋作だし時代的にも辻褄が合う

吉野ヶ里は出先機関に過ぎないってこと(笑)
856日本@名無史さん:2010/10/08(金) 19:09:48
吉野ヶ里やら後世の太宰府やら
九州にはずいぶん出先機関が多いね。

本体より大きくないかい?
857日本@名無史さん:2010/10/08(金) 19:15:40
吉野ヶ里がどこの出先機関なんだよ?
858日本@名無史さん:2010/10/08(金) 19:27:50
というか、帥升がどの程度の王かは分らないだろう?
印綬ももらってないしな。
859日本@名無史さん:2010/10/08(金) 19:29:02
西暦5年に、中国に東夷の王が渡海し朝貢したとあるけど
それは、倭王かもしれんしな。
860日本@名無史さん:2010/10/08(金) 19:42:06
筑後風土記逸文では

筑後と筑前の境に荒ぶる神ありて
半ば生き、半ば死に、その数極く多なりき

なんて書いてある。
地元の土地勘がある人間に言わせると
例え2000年前でも険しい山道なんかではあり得ない場所。

一番狭いのがまさに筑紫野市筑紫付近だけど
少々地殻変動が起きても穏やかな地形だ。

ここを押さえていたのはどういう勢力なんだろう。

逸文からふと思い出した。
861日本@名無史さん:2010/10/08(金) 20:14:57
>>860
特別、なんとも思わないけど。
862日本@名無史さん:2010/10/08(金) 22:57:24
>>718倭国王帥升とは、倭国王もろしょうと読む。
つまり、御諸山の大物主、その人だったのだ。
863日本@名無史さん:2010/10/08(金) 23:50:31
>>718
畿内説にとって都合の悪い人物
864日本@名無史さん:2010/10/09(土) 09:34:47
帥升は2世紀初め。その頃、ヤマトに中国との直接的通好の痕跡は無い。
マキムクは2世紀末から。例の建物は3世紀前半。帥升とは時代が合わない。
865日本@名無史さん:2010/10/09(土) 09:45:10
後漢書には「倭国王」としかない。「倭面土国王」は後世の錯誤(錯簡)だろう。
「倭国王国王」という誤記がさらに「倭面土国王」になったか(王金林)、「倭面」(倭の文身または「委面文身」)から造られた誤解に基づく造語だろう(西嶋定生、王仲殊)。
「面土国」は三国志倭人伝に無い国名で、そもそも怪しい。
866河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/10/09(土) 10:19:46
>>865

「倭面土国」の「土」は中央の意味じゃない。五行の中央に位置する

倭を五行の面にたとえていうと、倭の中央部分に位置する国
そう編纂者が形容した国。
だから他の書には登場しない。
867日本@名無史さん:2010/10/09(土) 11:29:58
すげーよ、
インド株価が購入時の2倍強までも延びてるぞ!
868日本@名無史さん:2010/10/09(土) 11:31:46
「倭面土国」を何と読むかという問題ですね?
「やめとのくに」、つまり大和といっしょじゃないですか。
顔に渦巻きを書くのは、南方系の土人の風習です。
869日本@名無史さん:2010/10/09(土) 13:51:13
>>868
「倭」を「や」と読んでいいなら、「か」と読んでもおkだね。
「かめいど」=「亀戸」国、断然これ!
870日本@名無史さん:2010/10/09(土) 17:02:41
>>866
もう誰も言意学やりたいと思ってる人なんかいないよ。
871河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/10/09(土) 18:35:46
>>870
もう誰もって、ここあんた一人で書き込んでいるだけじゃん。
そこに私が書き込んだ。

そんな状況で「もう誰も」って。大勢が参加しているように見せ掛けるのよそう。
私とアンタしかいないじゃん。
872日本@名無史さん:2010/10/09(土) 21:11:45
>>870
つうか>>866は言意学と言うか陰陽五行説のオレサマ解釈だろうなwww
(確かに三国志でも「蒼天既に死す…」とかは五行の概念があるんだろうがw)

まあ言葉を適当に切り取って自分流の解釈を好き勝手につけることが
「ボクの考えた言意学」の真骨頂なのかもしれんがwww

中国から見て辺境の地に、更に中央四方を見るというのが他に事例があれば説得力あるんだろうが…
あるのかそんなもの?

木火土金水の文字があればオレサマ解釈も自由自在なんて馬鹿丸出し。
873河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/10/09(土) 21:33:39
常に後だしジャンケンは気楽でいいな
874日本@名無史さん:2010/10/09(土) 21:49:19
>>873
早速「泣き」が入ったかwwww

後だしジャンケン如きに負けるようなものは「まともな説」としては扱われないぞwww

有効な反論したければ話は簡単。

中華からみて辺境の地に更に中央四方の構図を見ている事例
それを五行になぞらえている事例を示せば良い。

もしその話しが本当なら所謂「中華思想」も随分見方を変えなければならない。

中央から見て四方(辺境)の中に更に中央四方と言う概念があってさらにその中に…
と言う多重的階層構造と言うかフラクタル的構造(←まあ知っているやつはその言わんとしている事を斟酌してくれw)?とでも言うか…

お前が広げた大風呂敷は、こと邪馬台国論争だけのお話じゃないぞw
875日本@名無史さん:2010/10/09(土) 21:58:27
後だしジャンケンほど最強な技はない。

876日本@名無史さん:2010/10/09(土) 22:01:50
>>875
本人かな?wwww

まあその後だしジャンケンに耐えうるものこそがまともに「説」として扱われる。
それが現実w

それが嫌ならこんな掲示板に書き込むのは止めて
机の上でチラシの上に書きこんでおけっつう話だなwwww
877日本@名無史さん:2010/10/09(土) 22:02:39
そもそも最初から真実を追究する気がなく、ネタしかいわないクソコテが悪い
878河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/10/09(土) 22:06:14
>>874
広げた風呂敷は広げっぱなしで、
風呂敷の景色を楽しむのが趣味でね。わざわざ畳んだりして景色をそこなう事なんてしない。
879日本@名無史さん:2010/10/09(土) 22:27:26
>>878
別にカッコつけなくても良い、みっともなさが倍増するだけだwww

要するに例によって適当に意味付けだけしてそれを論証するような材料も持ってなかった
考えてもいませんでした…ってだけの話か下らない。
880河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/10/09(土) 22:47:47
>>879

別にかっこつけてるわけじゃない。
中華思想なんて言葉が飛び出したから、このまま風呂敷を広げて眺めているだけさ
だいいち、当時五行と中華思想にどんな関係があったんだね?

いきなり中華思想をもちこまれても
こっちが戸惑うよ。
881日本@名無史さん:2010/10/09(土) 23:21:21
>>880
ということは、三国魏の時代には、五行説と中華思想は無関係と考えているのですか。
882河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/10/09(土) 23:27:17
>>874
>お前が広げた大風呂敷は、こと邪馬台国論争だけのお話じゃないぞw

事を大げさにしているのはあなたじゃない。
中華思想と五行を関連付けしてみたり。

>中華からみて辺境の地に更に中央四方の構図を見ている事例

中華が常に中心と言う絶対的な思想が存在しているなら、中華から離れた所には
方位が存在しないという事になる。が、実際にはそこにも方位が存在している
方位が存在しているということは
その方位の基となる中心は必ず存在し、そこに中心が存在するということは
中華一点だけが中心ではないということ。


>それを五行になぞらえている事例を示せば良い

五行を利用しているだけでしょ

>中央から見て四方(辺境)の中に更に中央四方と言う概念があってさらにその中に…
と言う多重的階層構造と言うかフラクタル的構造(←まあ知っているやつはその言わんとしている事を斟酌してくれw)?とでも言うか…

考え過ぎ。考え過ぎて余計複雑にしているに過ぎない。
883河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/10/09(土) 23:33:22
>>881

>ということは、三国魏の時代には、五行説と中華思想は無関係と考えているのですか。

無関係とか、関係があったという話じゃなくて
当時、中華思想を意識しながら五行が語られ利用されていたのかと言う話
と、言う以前に
中華思想そのものが存在していたのかと言う疑問も有る
中華思想と言うのはこの時代よりも後世に、過去のさまざまな事(考え方・概念)を総称しての中華思想じゃないのか?
884日本@名無史さん:2010/10/09(土) 23:42:33
>>882
要するにこのお話は「倭面土国」の「土」が「五行の中央」を意味すると言う
言異学のお話だからなwww

じゃあその「(中華以外の)中央=土」に対する「北=水」「東=木」「西=金」「南=火」の様な対比を見せている事例があるのかって話。

何の根拠も無いんじゃあ「木火土金水」の文字が地名国名にあれば
それは位置・方向を表すものとして言異学の大家により自由に解釈できるってお話w

単に座標としての「中央」のお話じゃない。

辺境の地に対して一々五行を配するなんて話は寡聞にして知らないw

もし本当ならこのコテのお話で初めての実のある収穫だろうなwwwwww


885河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/10/09(土) 23:56:39
>>884

>じゃあその「(中華以外の)中央=土」に対する「北=水」「東=木」「西=金」「南=火」の様な対比を見せている事例があるのかって話。

それは違う
東西南北という表現があれば、それは対比的なモノを求めてもいいが
基となる中央にその外側に位置するものを求めるのはナンセンス


>辺境の地に対して一々五行を配するなんて話は寡聞にして知らないw

五行を配したのではなく、既に知識として知りえた五行を利用したの
886日本@名無史さん:2010/10/10(日) 00:23:08
>>885

要は何の根拠もございません。
「土」と言う文字に五行の中央の意味を当てはめて見ました・・・ってだけのお話

まったくもって下らない。

>五行を配したのではなく、既に知識として知りえた五行を利用したの

下手するともはや日本語としての意味もなさないな。
言異学を修めないと意味の分らない言葉なんだろうなw

ドラえもんにホンヤクコンニャクを貰わないとwwwwwwww
887河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/10/10(日) 00:37:44
>>886

はいはい。貴方特有の、納得したというサインですね

了解です。
こちらも説明した甲斐よしひろがありました。
888河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/10/10(日) 01:11:49
あれーっ?
いつのまにか中華思想の話も、幸楽苑の290円中華そばの話もなくなってるぞ。
889日本@名無史さん:2010/10/10(日) 01:12:05
五行で方角といったら、四神を配するよな。普通。
890日本@名無史さん:2010/10/10(日) 01:37:27
>>885
>五行を配したのではなく、既に知識として知りえた五行を利用したの

「五行を配する」ことと「知識として知りえた五行を利用する」ことは、具体的にどう違うのかわからん。
倭の中央部分に位置する国で、五行でいえば中央は土だから、国名に土という字を使おう
というのは、五行を配するのとは違うのかい。
891日本@名無史さん:2010/10/11(月) 16:52:31
畿内説で決まりなんだから、もう、ガタガタいうなよ。
君らだって馬鹿じゃない、世の中の流れはわかっているんだろ。
トンデモ扱いされて楽しいか? 変人扱いされて楽しいか? からかわれて楽しいか?
今更九州説続けていたって恥ずかしいだけだろう。惨めだろう。
892日本@名無史さん:2010/10/11(月) 16:55:16
まぁ、アホ連中には石を投げ続けるよ。
893日本@名無史さん:2010/10/11(月) 16:57:29
>>891
おぬし典型的なアホだな。
894日本@名無史さん:2010/10/11(月) 20:21:21
九州説に止めを刺したら観光に影響が出るからな。
地方が苦しい今は生かさず殺さずの方針だろ。
895日本@名無史さん:2010/10/11(月) 21:13:15
確かにもはや考古学的には九州説が成立しないのかもしれません。
その辺はいいです。安本美典のように見苦しい真似はしません。
だからといって畿内に決定とはなりません。
未だに文献的に畿内説が全くに成立しないからです。
勘違いしないで下さい。我々は魏志倭人伝に書かれている邪馬台国を探しているのです。
あしからず。
896日本@名無史さん:2010/10/11(月) 22:15:11
考古学では決定的な結論を出すことはできない。
だから、倭人伝に書かれているところから邪馬台国の位置を決定した結果について、
考古学でその結果を否定することは不可能ということだ。
897日本@名無史さん:2010/10/11(月) 23:37:56
>>895
まるでアニメの美少女を現実世界で探すような作業だな

>>896
倭人伝や記紀などでも結論がでないのに、そこには目をつぶって猪突猛進というわけか

いずれにせよ、哀れだ
898日本@名無史さん:2010/10/12(火) 00:05:37
しかし、広末涼子が全身タットウの男と再婚するのも普通に許してしまうのか?
899日本@名無史さん:2010/10/12(火) 00:28:43
>倭人伝や記紀などでも結論がでないのに
読み方が悪いのさ。でたらめな読み方をするから、結論がでなくなっている。
900日本@名無史さん:2010/10/12(火) 01:15:39
倭人伝を正しく読めば、結論は簡単にでる。
誰が考えたって、末盧国は唐津付近で問題がない。万一、違っていても大差はない。
そこから東南陸行五百里、伊都国は佐賀付近だ。通説は役に立たない考古学的な資
料がどうこういって玄界灘沿岸でうろうろしているからあとが続かないんだ。
佐賀にでれば、そこは有明海沿岸、南水行できるのだから、奴国や不弥国に行く必要
はない。当然、伊都国から水行が始まる、つまり放射説に決まりだ。
南に水行二十日で投馬国、有明海を水行すれば行き着く先は薩摩しかあるまい。
そして、伊都国から南水行十日陸行一月、邪馬台国は日向しかない。
水行十日又は陸行一月と読もうという説があるが、又はとか或いはという字がないの
にそんな読み方が成立するはずはない。水行十日及び陸行一月が正しいに決まっている。
簡単に結論がでるのに、考古学者のでたらめな解釈に振り回されているのが現状。
考古学の罪は深い。
901日本@名無史さん:2010/10/12(火) 03:18:12
>>900
そいつは考古学者じゃなく、文献学者がそんな読み方は出来ないと結論付けているのに
なぜお門違いの考古学につっかかるんだろうかねぇ

考古学関係者に、好きな女でも寝取られたのかなぁ
902日本@名無史さん:2010/10/12(火) 03:25:31
末盧国は松江だろ。
こじつけでそんな地政学的にもなんの意味もない
土地を否定するところから間違ってるんじゃないの。
903日本@名無史さん:2010/10/12(火) 03:36:10
畿内説はありえない。
904日本@名無史さん:2010/10/12(火) 04:39:16
放射説なぞ詭弁じゃよw
905日本@名無史さん:2010/10/12(火) 06:58:41
>畿内説はありえない。

無意味な書き込みはやめてくれないか。
君だって、九州説はありえない。とただ書かれただけで納得するのか?



906日本@名無史さん:2010/10/12(火) 07:02:18
>>900
南に海があったら国は存在出来ない
事がわからないの?
しかも南水行なんて勝手に文章いじっちゃって
南至投馬国で、南には国があるの。
907サガミハラハラ:2010/10/12(火) 07:35:27
ところで、隋書倭国伝に、「夷人里数を知らず、ただ計るに火を以てす。」とあります。
よって、「南至投馬国水行二十日」は倭人の計ったものですね。
不彌国までの里数は非倭人のはかったものということになります。
つまり、非倭人の記録と倭人の記録をあわせたものを、非倭人のチンジュがまとめた。となるわけです。
908日本@名無史さん:2010/10/12(火) 08:45:48
>>907
それでは漢人は、距離を日で表す事を知らないというのですね。
普通倭人が申した記録なら、日を記した後に
倭人は日を以て距離を表す事を倭人伝に添えると思いますが
或いは後日註記するとか
909サガミハラハラ:2010/10/12(火) 09:55:52
いえ、漢人でも日で表すことはあったと思いますよ。
いや、別にわざわざ注釈する必要はないでしょ。
910日本@名無史さん:2010/10/12(火) 09:58:54
>>909
では倭人の計測とは言えませんね。
911サガミハラハラ:2010/10/12(火) 10:10:03
だから隋書に。
帯方から不彌国まで里数で表記してきたのに、日数に変わった理由の話をしているのです。
全編漢人によるなら全編里数になるのでは<。そうなっていないのは倭人の計測(日)もはいっているのだよということです。
912日本@名無史さん:2010/10/12(火) 10:11:51
>>909
なぜ註釈する必要がないのでしょうか。
913日本@名無史さん:2010/10/12(火) 10:34:34
>>911
つまり倭人伝を読んで疑問に感じた人は、後世の隋書まで待たねばならないわけですね。
いまこうして平成の世でわかるように

それとも
晋の時代の人は、半ば常識のように知れわたっていたことなんでしょうか?  註釈を必要としないくらいに。
で、その常識は何をもって常識化されたのでしょう。当時、倭人ブームがあったとか?
914日本@名無史さん:2010/10/12(火) 10:56:03
またサガミハラハラ先生が梯子外され、屋根から降りられなく
なってる。
915日本@名無史さん:2010/10/12(火) 11:35:53
落っこちそうだなー、ハラハラ・・・
916日本@名無史さん:2010/10/12(火) 12:08:44
古代史に向かないタイプの典型だなwww
917日本@名無史さん:2010/10/12(火) 14:25:21
>>906
あらら、南の国に行くには、南へ水行するしかないと思うけど。
あなたはどちらの方角に水行するつもりなの?
918日本@名無史さん:2010/10/12(火) 14:58:02
>>911
夷人不知里數,但計以日.其國境,東西五月行,南北三月行,各至於海.
其地勢,東高西下.居於邪摩堆,則魏志所謂邪馬臺者也.

夷人が里数を知らないというのは、東西五月行、南北三月行の部分だけにかかる。
その証拠に、上記の文末の「則魏志所謂邪馬臺者也」の後、
隋書は「古云」、北史は「又云」とわざわざ挟んで倭人伝の記述を引きうつしてる。
違う話ですよと断って書いているのを、わざとごちゃまぜにしてはいけないと思うよ。
それと、里数・日数って、隋書ではなくて北史じゃなかったっけ。
919日本@名無史さん:2010/10/12(火) 15:29:35
>>917
水域のある方向に船を進ませます。
神戸から北にある鳥取県境市に船を進めるのに、貴方は北に進路をとりますか?
普通は西に進路をとると思いますが
920日本@名無史さん:2010/10/12(火) 16:02:29
>>919
だったらどちらに水域があるかを書くだろうね。しかし、倭人伝にはそんな
ことは書いてない。南に水行できる水域があったんだよ。
921日本@名無史さん:2010/10/12(火) 16:16:43
だから南水行なんて書いてないってwww
922日本@名無史さん:2010/10/12(火) 16:24:28
>>920
>だったらどちらに水域があるかを書くだろうね。

書いてある例をあげてほしい。
他に書いてある例があるなら、書かねばなりませんな
923日本@名無史さん:2010/10/12(火) 16:57:59
>>922
從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。

狗邪韓国は郡からみて東南にある。その狗邪韓国に至る行程として、乍南乍東
と明記していることを忘れてはいけないな。
924www:2010/10/12(火) 18:05:25
狗邪韓国は陸伝いに近くてもの、倭なんて玄界灘を望んだ南の大海にアル!
てなもんで非常に大雑把でいいかげん、それが答えだろ
現に機内だろうが筑紫だろうが日本列島に対し大した、つか正確な知識が有ったとは思えん
だから方角やら距離やらがデタラめに記されているんだろう
925日本@名無史さん:2010/10/12(火) 18:37:33
島は海岸沿いに船を進めれば、南だろうと東だろうと行きたい場所には
必ず辿り着ける。だから船の進むべき方向なんて必要ない。
そこが半島とは事情が違うところ
一周すればまた同じ場所に戻るのが島の特徴だ。
926河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/10/12(火) 19:58:22
>>907

サガミさん。
サガミさんはたぶん、「不知」と「無知」を区別していないではありませんか?

夷人は里数の知識を知らずに日を使うのは「無知」

夷人は里数で表した数値を知らない(認識がない)ので、知っている日を使うのは「不知」
この場合、知識がないわけではない。


927日本@名無史さん:2010/10/12(火) 21:44:27

ニュー速+板でやってます。
ただいま6スレ目。


【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★6
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286884673/
928日本@名無史さん:2010/10/12(火) 21:55:51
>>927
その2だか3だかで日向厨がここと同じ調子で必死になってたのを
おなじくここの常連らしき人に徹底的に痛めつけられてた
知識量の差が歴然としていて、日向厨はニュー速住民からも散々突っ込まれてたわ
929日本@名無史さん:2010/10/12(火) 22:19:09
じゃ、それを見て日向厨を徹底的に痛めつければいいね。
930サガミハラハラ:2010/10/12(火) 22:36:19
>>912そんなことチンジュに聞いてくれ。必ず注釈をつけるという規則があったわけでもなし。
931日本@名無史さん:2010/10/12(火) 23:18:48
相変わらず生き恥晒してるんだな>日向クン
932日本@名無史さん:2010/10/13(水) 00:35:41
畿内説論者って、理論的な反論は放棄しているんですね。
自分たちの主張が合理的でないということを知っているからでしょう。
そんな結論にしがみついているとは気の毒に・・・
933サガミハラハラ:2010/10/13(水) 11:08:59
そういえば考えたことなかったです。
ご指摘ありがとうございます。
934日本@名無史さん:2010/10/13(水) 13:11:05
>>933
河童の妄言を信じちゃいけない。
無は名詞の否定。不は動詞の否定。
無知は知識がない。不知は知らない。
どちらも内容は同じ。
夷人は里数で距離を現わすという概念・知識を持たなかった。
935日本@名無史さん:2010/10/13(水) 13:38:20
>>934
まるで新興宗教の勧誘みたいだなwww
936日本@名無史さん:2010/10/13(水) 13:44:44
>>935
それをいうなら、
新興宗教の勧誘に引っ掛かりそうな人を注意している伝統宗教の人、
だよ。
937日本@名無史さん:2010/10/13(水) 13:57:59
>>936
ほら、やっぱし新興宗教の勧誘だwww自身の正当性を主張
するために言葉を取り繕ってるに過ぎない。
938日本@名無史さん:2010/10/13(水) 13:59:21
まあ飯のタネを奪っちゃ可哀想だろ
九州説はロマンがあるから無駄な時間費やし推理してればイイんじゃないか?www
939日本@名無史さん:2010/10/13(水) 14:02:53
九州説とってる佐賀かどっかのお偉い教授が、昔上司に全員一致の機内説じゃあツマランから
「君がやれ!」と言われて仕方なく九州説とることになったんですよ〜・・・
とかなんとか、たかじんの番組で暴露してたなwww
これ見て確信したよ、邪馬台国は大和だってw
940日本@名無史さん:2010/10/13(水) 14:05:06
>>937
伝統的な漢文の句法を紹介すると、なんで新興宗教になるんだろう?
不思議な横やりを入れる人だなあ。
941日本@名無史さん:2010/10/13(水) 14:17:50
>>940.>>934
どう見ても漢文の句法じゃなく、日本語
の意味解説にしか見えなかったwww
942日本@名無史さん:2010/10/13(水) 14:24:06
まあいいじゃないの。
古代史の掲示板なんてぇものは、一歩間違えれば宗教の勧誘みたいな
もんで、参加した時点で「おまえもな」となる世界だからな。
943日本@名無史さん:2010/10/13(水) 15:16:26
>>942
つーてぇと、目糞鼻糞か。
www俺もお前もみんな糞。下痢が止まらん液体ベチャ糞。
944日本@名無史さん:2010/10/13(水) 15:18:34
それにしてもあからさまなのはいただけないな
太国などは、自分は古神道の世界的権威で自宅には門外不出の真日本史書があり
これは天皇家すらも所有していないものだなどと、本気で言ってたからな

まあここまで来ると勧誘というより、キチガイ自慢だが
945日本@名無史さん:2010/10/13(水) 20:00:03
氷河期に天皇家と日本人が日本列島に辿り着いた経緯

Origin of Imperial House of Japan
http://www.cjapan.net/en/content/origin-imperial-house-japan

天皇家の先祖は縄文・アイヌだった

Imperial family descended from Jomon/Ainu of Japan
http://www.cjapan.net/en/content/imperial-family-descended-jomonainu-japan
946日本@名無史さん:2010/10/13(水) 20:04:08

ニュー速+板でち。7スレ目タッタヨー。(◎ο◎;) 


【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★7
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286964478/
947日本@名無史さん:2010/10/13(水) 22:30:24
邪馬台国と大和朝廷を混同しているから、九州説と畿内説に
別れてしまう。青森で発見された古文書「東日流外三郡誌」
によると、もともと日本の畿内には邪馬台国があり、そこに
朝鮮半島の高天原から九州の高千穂に天孫一族が降臨した。
そこから東征していって邪馬台国を滅ぼしそこに大和朝廷を開いた。
948日本@名無史さん:2010/10/13(水) 22:34:14
↑何で誘導してんの?ゴキブリホイホイみたいにキチガイ集めて自慢させたいの?w
949太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/10/13(水) 22:36:56
神武以前に卑弥呼の女王国を設定すると、神武以降の各天皇の在位が
スシ詰めとなることから、この設定は成立し難い。
950日本@名無史さん:2010/10/13(水) 23:13:05
万世一系にしてしまうからそうなるのであって、
各地の王が交代で大王になったとすれば、
今の自民党、民主党政権のように数カ月から2、3年で何代でも詰まります。
951日本@名無史さん:2010/10/14(木) 00:23:13
しかし上の方でこの板の九州説のエースストライカー日向君が叩かれているがwwwww

あの日向説も考古に色気出さずスッパリ捨てて文献と言うか行程記事解釈一本に絞れば
もう少し健闘するような気がしないでも無いでも無いwwwww

糸島やら福岡平野すら外すんだからやはり考古学とは相性が悪いとしか言いようが無いw

で、この板の九州説の殆どの奴の傾向として日向厨も
「大九州主義」とか「九州版皇国史観」ともいえる物に取り憑かれていてw

その九州南部の勢力がやがて中部北部を支配しやがて東征する…と言うシナリオだから
よほど強大な勢力を想定するしか無いわけでw

それが無理に無理を重ねなければならない根本的な理由なんだろうと思うwwww
952日本@名無史さん:2010/10/14(木) 07:00:12
>>951
あれ、日向説をいう私は叩かれているのかな? 日向説に反論ができない連中が
悲鳴をあげているだけにしか思えないがね。

>糸島やら福岡平野すら外すんだから
別に外してはいないよ。糸島や福岡も伊都国、奴国の一部であることは否定しない。
ただ、そのあたりは下々の者の集落や墓場が密集していたところ。3世紀の首都が
あったところではないと言ってるだけだ。

>九州南部の勢力がやがて中部北部を支配しやがて東征する…と言うシナリオ
そんなのんびりしたシナリオではない。3世紀、邪馬台国時代にはすでに九州
全土はほぼ統一されていた。だから、卑弥呼の直後には畿内から東海まで東征
するんだよ。

>強大な勢力を想定するしか無いわけでw
強大な勢力がなくてなんで倭国の王になれるんだ? 魏が倭王と認めたのには
それだけの理由があるんだよ。

畿内説は畿内に強大な勢力を想定できないから、ゆるやかな仲良し連合を想定
するのかな? それこそ無理に無理を重ねなければならない話だ。
953日本@名無史さん:2010/10/14(木) 10:38:26
>>952
こんなシナリオを想定しているのだったら、よけいに考古学を参考にしちゃだめだな
それこそ我が家の屋根裏から発見された『大西海道九郡誌』が根拠だとかのほうがいいんじゃないか?
954太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/10/14(木) 10:55:05
>>950
>なったとすれば
すればの仮定が成立する根拠は、記紀から見出せない。当時に民主主義の
政党がうんとあったような言い草であり、こんなものが当時あったとは
到底肯定できない。まるで航空機、新幹線、タクシーが当時あって交代で
乗り換えたとかの言い回し同然の仮定であり、こんなものが当時あったとは
いえないのと同様に、当時に於て政党政治があったと言うことが出来ない。

つまり卑弥呼の国を神武以前に設定すれば後代の天皇の在位年数がスシ詰め
になると考察するのが妥当であり、このことから神武以前に239年ころを
設定するのは可能性が無きに等しい。
955日本@名無史さん:2010/10/14(木) 23:26:11
>>953
私の解釈は、考古学的にも裏づけられるものだよ。今の考古学者の馬鹿な解釈とは
一致しないだろうがね。
956日本@名無史さん:2010/10/14(木) 23:31:16
>>947
こいつキチガイ
957日本@名無史さん:2010/10/15(金) 00:24:45
>>955
ガンバレ日向君!
いつか日本代表の真のエースストライカーになるその日まで!!

まあ、とりあえずザックジャパンは無理と思うがwww

君の必殺「脳味噌無回転シュート」が世界を制するその日はきっと来るwwwwwwwww
958日本@名無史さん:2010/10/15(金) 13:20:31
『大西海道九郡誌』とか『脳味噌無回転シュート』とか、あい変わらず上手いな。www
959日本@名無史さん:2010/10/15(金) 15:53:05
だが、日向説に対する反論は思いつかないらしい・・・

倭人伝は、北九州に上陸、それから南へ水行十日陸行一月だ。
小学生でも、目的地が南九州だということは分かる。

江戸時代から明治中頃までは南九州説が通説だった。ところが、当時は放射説に
読むことに気づかず、行程を確定することができなかった。そのうちに、困った
学者が言い出したのが、万二千里を基に考えようという手段。万二千里は女王国
までの距離であり、邪馬台国までの距離ではなかったが、そこを混同したのがま
ちがいの基。邪馬台国探しは混沌としてしまった。
960日本@名無史さん:2010/10/15(金) 16:59:51
投馬=都萬=西都原 なんじゃないの
961日本@名無史さん:2010/10/15(金) 20:19:47
距離に関して不毛な議論がなされているので冷静に考えて欲しい。

「里を使わないで日を使うから、いい加減」=「無知な倭人」との解釈はあまりにも乱暴。

@海においては、近代に至るまで正確な距離は把握されていなかった。

A現代のようにGPSや羅針盤が無かった当時は、緯度・経度も正確には把握できなかった。
  手がかりとしては、昼の太陽の位置と夜の月、星の位置で方角と位置を把握するしかすべは無かった。

B当時は正確な船の速度を把握できなかった。

C当時は正確な時間を把握できなかった。
  →何ノットで何時間経過したから何マイル進んだなんて計算も無理。

D天候により太陽や星が見えない場合は、方角や位置も全く分からなくなった。

E海流で流されたりもするので、どれだけ進んでどれだけ戻ったかを把握するのは困難であった。

F羅針盤が存在していた、中世の大航海時代においても、位置を把握するためになるべく陸に近い航路を辿った。
 陸が見えていれば、移動距離も把握できた。

日で表現することは、魏国の人間でもあたりまえのことかと。
逆に正確な距離や時間が記載されていたならば、それこそ近代に書かれた偽書。
962日本@名無史さん:2010/10/15(金) 20:59:12
魏志は不正確だなどという連中はいっぱいいるが、皆、自分が想定した目的地に
もっていくために魏志の行程記事を否定しようというだけで、まともに魏志を検
討している奴はいないよ。どこが不正確だと聞かれてまともに答えられる奴はい
ない。
963日本@名無史さん:2010/10/15(金) 21:36:37
>>959

>江戸時代から明治中頃までは南九州説が通説だった。

断言していいが、そのような事実は一切ない。
964日本@名無史さん:2010/10/15(金) 22:48:45
情報が操作されている。

嘘と事実を振り分けて、その意図を探るのは容易なことではありません。
君たちには無理なような気がします。
965日本@名無史さん:2010/10/15(金) 23:01:37
>>961
そうじゃなくて
それまでは千里単位だったのが
不彌から先が日数単位になってる
違いのことを言ってるんだろう。

おれが考えるには、不彌からさきは伝聞だからだろうな。
それまでの千里単位の記述は、実際に航海したんだろう。
千里っていう単位は距離と言うより、必要な船の規模装備、物資の量を基にしてるんだよ。
でも、日数というのは単純にそれにかかった時間だな。
966日本@名無史さん:2010/10/15(金) 23:59:37
>>963
ほう、どんな説が通説だったというのかな?
967日本@名無史さん:2010/10/16(土) 12:11:11
>魏志は不正確だなどという連中はいっぱいいるが、皆、自分が想定した目的地に
もっていくために魏志の行程記事を否定しようというだけで、まともに魏志を検
討している奴はいないよ。どこが不正確だと聞かれてまともに答えられる奴はい
ない。

12000里(魏・晋での公式値)が不正確。
地図上で郡から計ってみろよ。
※公式値以外の私見は全て却下。証拠物件がないから当然だわな。
これからは裁判で勝てる事のみを論じる事!
968日本@名無史さん:2010/10/16(土) 12:15:14
そう、早急にならなくても。
白黒はっきりと決着をつけてしまったら、論争がなくなる。
969日本@名無史さん:2010/10/16(土) 12:38:06
と言うか邪馬台国論争なんてすでにもう存在しないw
970日本@名無史さん:2010/10/16(土) 13:11:52
論争というのは白黒をはっきりさせる事だ。
勝ち負けの世界なんだよ。
生産性のない世間話なぞ無意味だ。
971日本@名無史さん:2010/10/16(土) 13:12:56
邪馬台国論争は勝ち負けの世界
972日本@名無史さん:2010/10/16(土) 14:05:39
武は竹斯で筑紫です。筑紫君は佐賀大分福岡熊本を支配しています。
筑紫、紫!玉名、ギョク!王に相応しい地名もある。
九州でしょう。
973日本@名無史さん:2010/10/16(土) 14:27:42
邪馬台国の官に伊支馬という人物がいます。
伊は倭で支馬は司馬一族。倭の司馬。
974日本@名無史さん:2010/10/16(土) 15:59:01
>>973

>邪馬台国の官に伊支馬という人物がいます。

「伊」が「馬」で「支」える。 これなら漢人にも意味がわかる。
975日本@名無史さん:2010/10/16(土) 17:16:49
邪馬台国の官に奴佳という人物がいます。
ヌカと読みます。額田王の先祖です。
976日本@名無史さん:2010/10/16(土) 17:48:50
247年頃卑弥呼は岩戸に御隠れあそばされ、一旦荒れるが
13才の壱與が後継者となる。岩戸とは岩戸山古墳のこと。
当時まだ岩戸山はないので別の小さな丘か古墳。
977日本@名無史さん:2010/10/16(土) 17:53:10
>>975
ヌカの子孫が後にヌカミソを考案したんだろ。
978日本@名無史さん:2010/10/16(土) 17:54:10
狗奴國と戦争が起こり邪馬台国から魏へ載斯烏越が派遣される。
壱與の時代に大分を攻める。佐伯は載斯。
979日本@名無史さん:2010/10/16(土) 17:58:31
烏越は福岡浮羽に住み着く。浮羽は壱與の大分攻めの通過点。
980日本@名無史さん:2010/10/16(土) 18:16:27
邪馬台国は大分とは別に日本海方面へ進軍する。
そして島根に上陸。長官は伊支馬。石破茂の先祖である。
981日本@名無史さん:2010/10/16(土) 19:06:39
牛津は都市牛利が治めた。
久留米は難升米が治めた。
伊声耆は伊勢方面隊。
982日本@名無史さん:2010/10/16(土) 19:56:25
戦国時代に大分に居たのは大友氏。大伴は佐伯氏と同族説。
邪馬台国の大分方面隊。
物部氏は邪馬台国島根方面隊の一部で、途中で滅びる。
それは筑紫君邪馬台国本家倭国王に逆らったから。
動詞「あらがう」は物部アラカヒから来ている。
983日本@名無史さん:2010/10/16(土) 20:15:26
物部アラカヒの親分が近江毛野で、近江は竹内宿禰の末裔説。
磐井の乱でかつて同じ飯を食った間柄だと筑紫君が
言ったことになっている理由は、竹内宿禰が邪馬台国の者で
あったから。近江毛野こそは倭国王筑紫君に逆らう
逆賊だったのです。
984日本@名無史さん:2010/10/16(土) 22:16:20
磐井とは倭奴のこと。
そう考えればほとんどの謎が解ける。
985日本@名無史さん:2010/10/16(土) 22:33:43
継体天皇の親父が乎非王(おいのおおきみ)。
乎非王の親父が意富富予王(おおほどのおおきみ)。
意富富予王の親父が稚淳毛二派皇子で、応仁天皇の皇子。

古事記には意富富予王は息長坂君・酒人君・三国君・筑紫米多君を
祖とすると書かれてあるらしい。
はい、筑紫君と継体が繋がりました。一緒に飯食った間柄。

意富富予王の意富は由布、米多が米多比となると
大友-立花-由布-米多比の大分・柳川の武将の繋がりも…
986日本@名無史さん:2010/10/16(土) 22:59:12
関東の六腹の1人で多賀城造営に携わった大野東人、稲荷山鉄剣で有名な大彦の直系ですね。
987日本@名無史さん:2010/10/16(土) 23:20:23
>>985
「古事記には〜書かれてあるらしい。」ってさ。
最低限古事記くらい自分で読んでからもの言えよ。

あと、「意富」って普通に多氏の縁類ってことだよな。
神八井耳の系統はすげえたくさんいるから
細かい検証抜きにどうこういっても説得力ねえぞ。
988日本@名無史さん:2010/10/17(日) 01:37:43
狗奴國との戦争報告と援軍要請のため邪馬台国は魏へ
使者を派遣。この天照大神の要請に応えて高天原より
魏軍が邪馬台国に到着。壱與率いる邪馬台国魏軍連合軍は
筑紫より中津、宇佐、四国へ進軍。
さらに別働隊が出雲、米子へ派兵。
989日本@名無史さん:2010/10/17(日) 01:53:34
邪馬台国魏連合軍は長野県まで足をのばす。安曇野。
魏石鬼八面大王、別名八女大王はヤマト軍坂上田村麻呂に制圧される。
990日本@名無史さん:2010/10/17(日) 02:53:24
660年頃の都は朝倉橘広庭宮とある。白村江の準備の為に
福岡に移したという苦々しい理屈付き。
それよりうんと前の、実在した人物かわからない天皇の
拠点が定説か推定でことごとく関西になっているのは
不気味過ぎる。
991日本@名無史さん:2010/10/17(日) 19:29:54
支那の出鱈目道中記なんぞを当てにすること自体が誤り。
考古学的なアプローチこそが王道であり正解への最短ルート。
つまり奈良。
992日本@名無史さん:2010/10/17(日) 21:25:52
>>967
魏・晋での公式値というのは未だ証明されていないな。
公式というからには法規が発見されなければならないが、それを定めた法規は
未発見だ。

倭人伝が伝える距離は、魏の国内のものではない。東夷の地の距離だ。東夷の
地では当然のことながら、魏とは違った距離単位が用いられていた可能性がある。
どのような距離単位が用いられていたのか、それは東夷伝の記事から推測するし
かない。
993日本@名無史さん:2010/10/17(日) 21:27:11
>>991
元々文献史学で提示された問題なのだから
文献史学で解決するのが王道w

ただし、それじゃあ結論は出ないというのが結論wwwwww

逆に言えばこの板のゴミクズ九州説だと
オレサマ文献史学(=トンデモ)でもって考古学にイチャモンをつけている状態。
994日本@名無史さん:2010/10/17(日) 22:00:40
>>967

>※公式値以外の私見は全て却下。証拠物件がないから当然だわな。
これからは裁判で勝てる事のみを論じる事!

勝訴出来るかどうかは訴訟を起こしてみないとわからない。
判例を提示してからものは語れよ。むやみやたらと裁判なんて口にするな
995日本@名無史さん:2010/10/17(日) 22:01:02
>>993
>オレサマ文献史学(=トンデモ)でもって考古学にイチャモンをつけている状態。

多くの九州説論者は「考古学にイチャモンをつけている」のではなくて、「出土遺跡遺物資料の恣意的解釈により邪馬台国
を畿内に持ってこようとするインチキ考古学者とその信奉者」に反省を促しているだけなんだがね。
996日本@名無史さん:2010/10/17(日) 22:02:49
>元々文献史学で提示された問題なのだから
>文献史学で解決するのが王道w
そうだね。

>それじゃあ結論は出ないというのが結論
出てるね。南九州ということになる。

>考古学にイチャモンをつけている状態。
考古学は決め手にならんのだろ。文句をつけることもない。
997日本@名無史さん:2010/10/17(日) 23:00:23
>>996
同じように君のホラ話も決め手にならんのだから、文句をつけることもないだろw
虚勢を張らずに、素直に「バスケしたいです」って言えってw
998日本@名無史さん:2010/10/17(日) 23:18:42
文献史学で解決するのが王道。そして、文献史学的には伊都国=佐賀で決まり。
必然的に、邪馬台国は南九州となる。それで決まりだ。

合理的な思考になれていない畿内説論者からは参考になる話は出てこないだろう。
九州説論者から何か意見はあるかな?
999日本@名無史さん:2010/10/18(月) 00:02:53
>>997
日向クンがなんでバスケット?wwww
1000日本@名無史さん:2010/10/18(月) 00:04:24
1000と…

以後は「ドン来いスレ」と「終止符スレ」それぞれに分かれると言う事でおk?

10011001
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。